こういう月評が欲しい
宮本百合子



 毎月いくつかのプロレタリア小説、ブルジョア小説が、いろいろな雑誌に発表される。

 つづいて、新聞その他に文芸批評が現れる。この頃のブルジョア・ジャーナリズムは、例えば『朝日新聞』が今度やっていたように、文学についての専門家以外の人に、作品批評を書かせ、顔ぶれの珍しさで、新鮮さを発揮しようとしている。

 河野密氏の例によれば、人選はある程度まで当ったろう。とにかく読者は、オヤ、この人がこんなことをやるのか、と思った。そこで、ジャーナリズムの目的は達せられたので、岩藤雪夫の小説「鍛冶場」が、どんなひどい階級的裏切りを示しているか、ダラ幹小説であるかを、細かく批判しないでも一応適用したらしい形である。

 大体いって、いわゆる専門外の人の作品批評はナカナカ面白いし、参考にもなる。作品批評をする時、はっきりその人の階級性がわかる。それだけでもためになるのである。

 ところで、文学的月評は、書く顔ぶれをかえることだけで、ホントに生気ある文化的価値をふき込まれるだろうか?

 思うに、それは姑息である。

 行きつまったブルジョア文壇の生産力を、新しいプロレタリア文学の作品が圧倒しつつある。従って文芸批評でもプロレタリア文芸批評が、もっと広汎に研究され、活溌に行われなければならないのだと思う。

 真実に強い文化的基準と新しく見なおした目標で批評がされるようになれば月評は別ものになる。


 では、そのプロレタリア文学批評とは、どんなものか?

 第一に、どんな小さいどの陣営の作品をとりあげた場合でも、その批評をよむと、ハハア、小説を読むときはこういうところが急所なんだナと納得のゆくように批評を書いて行くことである。

 高度な理論に関するものでも、もしその人が全体の関係においてそれをよく理解し、腹にいれていれば、わかり易く説明することができるものである。

 まして、作品評の場合、アカデミックな字を並べることは、ほとんど必要ない。

 一つの文学作品についての批評をよく読んでおくと、この次、また別な作品を読む場合にどう読めばいいかが分る。そのくらい親切な批評がわれわれには欲しい。

 ブルジョア批評は読者啓蒙を等閑にして来た。これを読むのは、どうせ文学がある程度までわかる人間だ。そういう態度だった。今日のプロレタリア文学批評は、読者大衆に、小説のよみかたに際して新しい文化的基準を与えるというところまで精力的であるべきである。

 さて、そういう親切な批評を書こうとするとまず、ある一つの作品の背景にある階級をひろく把握し、作品との関係を明かにして読者の眼前に展望させねばならない。

 作品が芸術品として成功していれば、それはどういうところで成功しているか。成功といってもどういう種類とどういう階級の標準によるものか。不成功とすれば局部的のものか、あるいは根本的のものか。なぜ失敗したか。

 失敗した作品でも見殺しにしてはいけない、いい芽をもっていることもある。そのものとして成功していても、未来の文化のために寄与する価値をもたないものもある。

 それらを、ごく具体的に、一般的に、実際生活と結びつけた見通しをもって話さなければならないのだ。

 書きかたも研究がいる。その文芸批評を読むと、もうそれだけで何か活々した熱と力と、広闊な新社会文化への輝きと期待とを感じるようなものがいるのである。


 プロレタリアの陣営からの批評は、階級的陣営が違うと、もういうことはきまっていると思わせる狭いところがあった。ある時は高飛車なところもある。

 ボルシェビキ的批評というものは、本質においてそうではない。

 どっちの陣営の作品でも、それをひろい客観的条件の前にはっきり浮き上らせて、見なおさせ、比べ、それが評価されるべき評価をうけていることを、静かにつよく感銘させるのが、本物の批評である。

 作品の欠点や、チャチなところだけをつまみだして、パンパンパンと平手うちにやっつける批評ぶりは、本当のプロレタリア的批評ではない。溜飲はさがるかもしれないが弁証法的でないし、建設的でない。

 大森義太郎氏の文学作品批評はきびきびしていても、そういう点でボルシェビキ的忍耐ある建設力を欠いているのだ。橋本英吉が『ナップ』へ三ヵ月ばかり批評を書き、個々の点では異論あるとしても、態度で、われわれに多くのものを教えた。

〔一九三一年七月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年1220日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房

   1951(昭和26)年7月発行

初出:「帝国大学新聞」

   1931(昭和6)年76日号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年116日作成

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