文芸時評
──「ナップ」第三回大会にふれて──
宮本百合子



 一九三一年五月は、日本のプロレタリア文学運動の歴史にとって、一つの記念すべき月だった。

 中旬に、労農芸術家連盟(機関誌『文芸戦線』)が第三次の分裂を行った。脱退した細田源吉以下十一名はすぐ前線作家同盟を組織した。

 だが数日のうちに組織の名称を第二「文戦」打倒同盟と変えた。彼らは、日本の階級闘争の現実とハリコフ会議で行われた国際的批判とによって、いわゆる「文戦派」のファッショ化が、どんな階級的裏切りであるか、自己瞞着しきれなくなって来た。「ナップ」の守って来た線が正しかったことを認めた以上、別に、前線作家同盟というものを作るべきではない。

 まず、「文戦」を脱退して日本プロレタリア作家同盟に参加した黒島伝治その他は第一回の「文戦」打倒同盟によって、猛烈な自己清掃を行った。それから新しい踏み出しで日本プロレタリア作家同盟に加盟した。

 今度の場合も同じだ。彼らが日本プロレタリア作家同盟に合流することを予定して、「文戦」の幹部と階級的闘争を行ったからには、はっきり第二「文戦」打倒同盟として自身を組織し、自己批判すべきだと決議されたのである。

 第三次の分裂で、「文戦」には前田河広一郎、青野季吉、金子洋文その他が残った。

 一九二九年から世界経済恐慌につれて高揚して来た日本の階級闘争の現実に向って、「文戦」の右翼民主主義偏向はごまかしきれなくなって来た。プロレタリアと農民大衆の力に押されて「文戦」の内部に、イデオロギー的対立が起ったのは当然であった。

 ところが、「文戦」はこれまで、親分子分風な封建的内部組織でやって来ている。つまり、親分=大幹部が、絶対独裁である。あますところなく自己批判し、過去の誤りを清算し、新しく正しい階級的立場に立って、芸術活動をつづけて行くためには、どうしたって、団体内の容赦ない互の討論、決議で前進して行くしかない。しかも、「文戦」の内部組織は、いわゆる下からの意見を通し客観的な正しい規準で論争することのできない有様であった。まず、正しい道へ階級的立場をおき直し、芸術活動を始めるためには、その第一歩として団体の内部組織そのものの封建性を破壊しなければならない。そのことがすでに「文戦」にとって一つの革命的闘争である。

「文戦」内の理論的対立は、この点でも幹部の自己批判の欠如を示した。頭と尻尾に二つ頭をもった蛇では、どっちへ動くこともできない。腐るだけである。そこで、今度の左翼十一名の脱退となった。

 一九二七年の末、労農芸術連盟から「前衛」が分裂し、のち「プロレタリア芸術」と合体して全日本無産者芸術連盟(NAPF)を結成した。

 それから三年余だ。自然発生的に日本プロレタリア文学運動の先行的任務を負った「文戦」の作家たちは、ロマンチシズム、未組織な個人的センチメンタリズム、政治的行動理論の不決定さで右や左へ揺れながら、それでもある水準に達した技術で、黎明期のプロレタリア文学活動に重大な役割をはたした。

「ナップ」の作家たちは、その頃まだ技術的には若かった。階級闘争の一翼としての芸術活動の正当な任務を理解するために絶えず自己批判し、また「文戦」と論争をくりかえした。

 プロレタリア・農民大衆は一年一年と、闘争の実力とブルジョア文化に対する階級的プロレタリアの文化水準を高めてきた。「ナップ」の作家もそれにつれてやっぱり、一年一年と育った。技術的に、理論的に、作品行動の実践で育った。そして、今日ほんとの意味で革命的なプロレタリア作家は、「ナップ」と「ナップ」を支持する大衆の中から現れつつある。

 ブルジョア文学が、ブルジョア社会機構の全般的行きづまりにつれて、衰弱し、へばって、だんだん反動化していることは、もう誰の目にもはっきり映っている。

 プロレタリア芸術こそ新興する階級の芸術だというのは、これもわかりきった事実としてわれわれに示されている。しかし、あるとき読者はこんなことを考えはしなかったか?

 プロレタリア文学といったって、「文芸戦線」もあれば「ナップ」もある。一方は、片方が正しいプロレタリアの闘争の道から脱れてるという。だが、反対にその一方のいい分をきいて見ろ、こんどは、正しいはずだった方が、ちり骨灰だ! 一体、じゃどっちが正しいプロレタリア芸術創造に向っているのだ? 「客観的事実」によってわれわれに見せてくれ、と。──

 読者よ。

 今こそ、その時が来た。「ナップ」と「文戦」とは、社会主義社会招来のために闘うプロレタリア・農民大衆の文化的要求と目的とによって、厳しくふるいわけられた。

 ソヴェト同盟をのぞく世界じゅうのプロレタリア大衆は、めいめい本国、植民地の職場で、賃銀引下げ、労働強化に反対し、ストライキし、ダラ幹征伐を行わなければならないでいる。それだのに、その小説で職場の革命的反対派を描かないようなダラ幹派プロレタリア文学を、彼らはどうして自分たちのプロレタリア文学と認められるか。

「文戦」の最後的分裂を報告したのち、ブルジョア新聞は「この分裂の結果、左翼文学の指導権は完全に最左翼たるナップに移ってしまった訳だ」と書いている。

 これは、だが、次のようにいい直されなければならない。一九二九年来プロレタリア解放運動における革命的プロレタリアートの役割、実力、指導権が、ひどい白色テロに抗して強化されつつある。その革命的大衆によって、「ナップ」は実践によって唯一の彼らの階級的芸術団体と認められたのだ、と。

 これは、五ヵ年計画がはじまってから、ソヴェト同盟の文学運動が、どんな変りかたをしたか、それを見てもよくわかる。

 一九二九年に五ヵ年計画が着手された。ソヴェト一億数千万の勤労者の日常生活は、その熱情、努力、困難、更に一層高められて来た階級意識とともに、すっかり変った。

 これまでのソヴェト文学は、もう一遍大衆に、きびしく見なおされた。

 同伴者パプツチキの作家は、彼らのしゃれた装釘の本で何を書いているか?

 構成派の作家たちは、ハイカラで気取った文章で、何をいおうとしているか。そして、それは、社会主義社会への達成に、汗と血を惜しまぬソヴェト・プロレタリアートのためにどんな価値をもっているか?

 同伴者パプツチキに比べて、はじめ技術が不足していたロシア・プロレタリア作家同盟(ラップ)は、習得した技術と正しい階級的任務の自覚によって、一九三〇年には、大衆の支持のもとに、ソヴェト同盟の芸術運動における指導権を確立した。

 プロレタリア・農民はリアリストである。日本では、日本の情勢に応じて、彼ら大衆の清掃力を芸術活動の上へ働きかけた。それが、プロレタリア芸術戦線の統一強化として今度の「文戦」の歴史的任務の終結、「ナップ」へのより拡大された左翼作家の組織化という事実になって現れたのだ。

 ところで、「ナップ」──全日本無産者芸術団体協議会は、四月下旬からつぎつぎに各同盟の大会をもった。

 五月二十四日には日本プロレタリア作家同盟第三回全国大会が、築地小劇場で行われた。

 ちょうど、赤字穴埋め策として立てた政府の官吏減俸案に反対し全国的官吏の未曾有の示威が行われている最中である。

「文戦」の分裂があってから十数日だ。

 日本の社会一般は歴史的意味を帯びた情勢だった。しかも、この第三回大会は自身独特の歴史的使命をもっていた。

 ほかでもない。

 間接には、「文戦」内左翼作家の発展的前進、「文戦」からの分離の動因ともなったハリコフ会議、一九三〇年十一月に、ウクライナ共和国首府ハリコフで行われた国際革命文学書記局第二回世界大会の日本のプロレタリア文学運動に関する決議が、この大会で一九三一年度の「ナップ」活動方針に具体的に討議されるはずだった。

 日本プロレタリア芸術運動が、国際組織に加盟するために必要な、いろいろな問題が大衆討議されるべき、画史的意味があったのだ。

 いよいよ五月二十四日になった。

 日曜日だ。

「全線」「吼えろ、支那!」などが演ぜられプロレタリア大衆の熱烈な支持をうけた小劇場の舞台が、今日の日本プロレタリア作家同盟第三回全国大会の大事な演壇である。

 飾りっけない後の灰色の壁に、赤い「ナップ」旗が張られている。

  ┌──────────────────────┐

  │日本プロレタリア作家同盟第三回全国大会万歳!│

  └──────────────────────┘

 赤いプラカートだ。

 右手の粗末な数列の床几に、ドタ靴の委員たちがゾロリとかけ、新しい木や古い木をブッつけた台の上へ議長がのっている。

  ┌────────────────────┐

  │文学運動の基礎を全国の工場へ! 農村へ!│

  └────────────────────┘

 大書した、一九三一年の「ナップ」指導的スローガンがみんなの頭の上からさがっている。

 六十五人の同盟員と三百人近い傍聴者とは、ギッシリ観客席を埋め、手に手に二十八頁の議事録をひろげている。

 徳永直が、例の二つの黒い鼻の穴で階級を嗅ぎ分けるというような恰好で、熱心に委員橋本英吉の報告をきいている。「肩を聳した」小林多喜二がいる。煙草にむせて苦しそうに背中を丸めて咳きながら、黒島伝治が議事録に何か細かく書きこんでいる。男の子を膝の上に抱いて、その子の頬っぺたと同じ赤い丸い頬っぺたをした松田解子。

 火みたいな速口で、活溌に、ときにはやや見当はずれに質問動議を連発する堀田昇一。

 他の多くの同志のほかに──妙な者が会場に混っている。スパイと警官だ。

 赤い布をかけた机に向っている五人の書記が、順ぐり出て、

「日本プロレタリア作家同盟第三回大会へのメッセージ!」

と声を張りあげ、情熱をもって、各友誼団体からのメッセージを読みあげた。が、文句が「革命」「ハリコフ」という市の名、「共産主義的」又は「ナップの国際的拡大」という言葉にふれようものなら、忽ち、

 中止!

だ。

「──農民は野蕃人のような生活を強いられている。そして」

 中止!

 交代した書記の一人が朗読最中、苦しまぎれトッサの智慧で「我々はバツバツ主義の」

というやいわぬに、

 中止!

 これは、みんなの哄笑と猛烈な抗議的拍手をよび起した。

 議事録はと見れば、そもそも一九三〇年度の作家同盟の文学活動を要約すれば云々というスローガンが真黒に塗り消されているばかりではない。三一年の活動方針のところでは、「その方針を決定するに当って、根本的な条件をなすものとして」以下、真黒だ。爪でひっ掻いたって、墨汁をぬたくられた作家同盟の活動を決定する根本的な条件なるものは、見ることができない。墨汁の下に何が抹殺されたのか? 「ナップ」の国際組織加入その他ハリコフ会議の決議である。

 官憲は大会のはじめっから終りまで「ハリコフ」という四字を、そのほかのいろんなプロレタリア芸術運動の階級性を示す言葉と一緒にタブーにした。断然いわせなかった。

 だが、大会へのメッセージは、トヨタマ刑務所の内から、朝鮮プロレタリア作家同盟(カップ)から送られたばかりではない。ドイツ・ナップ支局からメッセージが来た。アメリカの革命的芸術家団ジョン・リード・クラブは、日本プロレタリア作家同盟に同志の挨拶を送ってよこした。

 ロンドンだって、黙ってはいない。世界の革命的プロレタリア芸術運動への激励と、ソヴェトの守りを主張している。

 大会の議題と議事録から、官憲は日本プロレタリア作家同盟の国際的同盟加入の問題を墨汁の雲で塗りかくした。

 でも、この事実はわれわれに何を告げるだろうか? 全プロレタリア解放運動の戦線強化につれて、その文化的一翼であるプロレタリア芸術運動は、今日もう実質的に国際化しているということである。

 だが「ナップ」は、第三回全国大会に各国からのメッセージをうけとっただけで安閑としてはいられない。官憲が「ナップ」の国際的同盟加入に関して、その討議さえ禁止した事実は、そのままのこってわれわれの将来の活動を現実に掣肘する。

 すでに実質的には国際的に拡大している「ナップ」の活動が、大衆の力によって国際的に組織化されたのであるが、それはどの程度まで合法の形をとり得るだろうか?

 官憲が「ナップ」にしかけたわながここにある。世界の階級闘争の大勢がどっちを向いて流れているか、それは手にとるように明らかだ。これまで合法的組織として活動し、だんだん生成して来た「ナップ」を、それが国際的なプロレタリア文学運動に結びついているという点でひっかけ、挫き、無力なものとしようとするこんたんなのだ。

「──議長! 緊急動議!」

「はい」

「さっき朝鮮プロレタリア作家同盟(カップ)からのメッセージがよまれましたが、この際、特別な意義ある『カップ』に対し、われわれは大会の名においてメッセージを送りたいと思います」

「ただ今、朝鮮プロレタリア作家同盟へ大会の名においてメッセージを送ることが緊急動議として提案されましたが、どうですか?」

「異議ナシ!」

 拍手。拍手。盛な拍手が起った。

「異議ナシ!」

「では、起草委員を選んでそのことに当りたいと思います。選出方法は」

「議長一任!」

 大会は、朝鮮プロレタリア作家同盟ばかりでなく、他の友誼団体へのメッセージ起草をも決議した。


 討議は正味八時間余ブッ通して行われ、日本プロレタリア作家同盟は第三回大会で、内容的に、一歩、確然たる前進をした。

 一九三〇年の第二回大会で、作家同盟は「文学のボルシェビキ化」を決議した。そして、「前衛の目をもって書く」ことを目標としてやって来た。

 一年間の作品行動にあらわれた現実の成績は、ところで、どうだったろうか?

「ナップ」の作家たちは、確に生活的に一つの発展をした。作家主義を脱し、プロレタリア大衆の中へ! という作家たちの努力は強く、実際に今日工場、農村で労働し階級闘争しているプロレタリア、農民と何かの形で接触をもたない作家はなくなった。

 作家は、前衛的大衆の闘争を、生きた題材として捕えた。たくさんのストライキと農民闘争は、すぐ「ナップ」の作家の書く作品に盛りこまれた。

 さて、大切な問題は次にある。

 それらの作品は、ではどれも実にいきいきとした芸術的効果をおさめていただろうか? 大衆は、作品の中にほんとに俺たちの前衛を丸彫りに見出したか?

 公平に批判して、そうだとはいえない。変ではないか。作品の中に引用されているビラ一枚だって、にせものはないんだぞ。みんな、闘争の現場から貪慾に集められたものだ。ストライキの発端、過程、これにも、こしらえたところはない。

 だのに、なぜ書かれた小説はどれも面白いというわけに行かず、作中の人物は、大衆から「どれでも同じようだ。人間が書かれていない」といわれるようなものになったのか。

 第三回大会は、この点に力をこめて自己批判した。理由には勿論階級闘争の激化につれて加わる運動の非常な困難さがあげられた。一九三〇年は、かつて労農党華やかなりし頃とは別な世の中である。大衆は革命化している。が、ほんとに質のよい、永続的なプロレタリアートの運動は、一つのストライキ、一つの農民闘争の底に沈められている。その本体を把握し、ブルジョア官憲によって切りこまざかれる運動を全線の展望から理解し、しかも芸術品としてまとめることは、異常にむずかしい。

 しかし、理由は、もう一つある。それは一九三〇年のスローガン「文学のボルシェビキ化」「前衛の目をもって書く」ということを、やや機械的に、平ったくいえば、小説の種をストライキや農民闘争にとれば、前衛的だ、という風に解釈した誤りだ。

 芸術は生きものだから、それではうまくゆかない。

 革命的プロレタリアートの闘争の形の主な一つは現在の過程において例えばストライキだ。「ナップ」の作家はそれを芸術の中へとらえ、描かなければならない。階級の芸術としてそれは、当然である。が、ストライキを書いたからといって、それだけで、階級の芸術として直ぐ前衛的だとはいえない。

 その一つのストライキを貫いて、プロレタリアートが叫んでいることは何か。一つの叫びにこだまする全階級の声。その声がいわんとするものは何か。互に矛盾し合ういろいろなストライキの間の現象。プロレタリアートの心持などを徹して、描かれなければならないものはそれだ。主題である。単なる筋書ではない。

 つよい、熱い主題をはっきり掴み、それを切れば血の出る芸術品にするためには、作家が、一人や二人の前衛として知り合いをもっていて話をきくというだけでは足りない。更に更にたたかいつつある大衆、たたかいを欲しない大衆の内部へずっぷりつかる必要がある。「前衛の目」はプロレタリア・リアリストの目でなければならない。

 一九三一年の「ナップ」方針書は、明かにこのことについてもプロレタリア作家の階級的任務を一段発展した形で示している。

 一九三〇年に据えられた基本的な正しい前衛作家としての線を、具体的に活かすために、作家は、次第に水準を高めて来た日本のプロレタリア・農民の文化的自発性に、熱心な注意を向けなければならない。

 大衆の中からの労農通信員こそ、新しい文化芸術創造の階級的萌芽である。彼らの中から、そろそろ現れて来はじめた若いプロレタリア作家こそ、存在そのものの本質においてすでに前衛的要求をもっている。

 作家同盟は、労農通信員を組織し、その文化的自発性を助け、同時に、彼らと大衆とのうちにあってプロレタリア・リアリストとしての発育を遂げるべきだというのである。

 これは日本のプロレタリア文学のために万歳! を叫んでいいことなのだ。

 プロレタリア文学の正当な発達は、とどのつまり全プロレタリアの階級的自発性の発達でしかない。闘争をくぐり、文化戦線においても、ただ受け身のプロレタリア芸術消費者ではなくなりかけて来たほど、日本のプロレタリアの力は、高まった。芸術を生産するものが、芸術の生産者が生れはじめた。

 これまで、作家は革命的プロレタリアートの実生活の中から題材をとって来た。それをこっちで作品にまとめて、再びそれを大衆の中へ逆輸入していた。いわばプロレタリア芸術の植民地関係だった。一九三一年の「ナップ」の方針が実現された時、この初期的な現象は、最も健康な脱皮で清算されるわけだ。

 労農通信員を含む大衆は、どこにいるか。工場にいる。農村にいる。再びスローガンを。

  ┌────────────────────┐

  │文学運動の基礎を全国の工場へ! 農村へ!│

  └────────────────────┘

 闘争の現実がプロレタリア作家の関心を呼んでいる農民文学の課題。植民地、移民地における芸術運動の問題。こういう重大な、根づよい活動と明確な世界観を必要とする課題は、全体の芸術運動の根がしっかり、それぞれ生産の場所にあるプロレタリア大衆の中へ張ってはじめて、階級的に、生き生きした綜合力で芸術化されて来るに違いない。

 プロレタリア解放運動の道はジクザクだ。ぴったりその線に沿ってゆくプロレタリア芸術運動の道もジクザクだ。外にありようない。困難な歴史的使命をはたしてゆくうちに、誤謬がないとは決していえない。

 ボルシェビキ作家にとって、大事なのは一つの誤謬をも犯さないということではない。犯した誤謬を、率直に認め、失敗の原因を根こそぎ詮索して、その経験をあらいざらい次の運動の中で発達のためのこやしにすることだ。

 六月の『中央公論』に長谷川如是閑が文芸時評を書いている。プロレタリア文学についての意見の中で、取材、形式の固定化をあげている。そして、「プロレタリア作家生活がすすむにつれ、その芸術的空想の局限が見えて来るようだ」から、いわゆる政治小説から出て、モットほかのところへ種さがしにゆけと勧告してくれている。

 大体その時評は、妙なものだった。マルキシズムの立場で書かれているわけなのだろうが、敗北主義で、政治と文学との見解は、ブルジョア・インテリゲンチアの宿痾しゅくあ、二元論だ。

 しかし、言及されているプロレタリア文学の取材、様式の固定化という批判は、そのままとりあげよう。

 けれども、われわれのところではその解釈と、発展を求めてゆく道の発見のしかたが、筆者とはまるで違う。まるで反対である。

 大会は、作品が固定化した理由を、プロレタリア作家各人の日常が、まだ大衆のうちに入り切ってないからだ、大衆の現実が作者の現実となりきっていないからだとしている。

 空想の欠如ではない。現実の欠如である。

 そして、その欠点を清算するために、「ナップ」の作家は、土地をかえようとはしない。そこから逃げ出そうとは考えない。なお一層プロレタリア・農民大衆の現実の中へ中へと、正しく踏み出した去年の道を発展させてゆくことで、克服しようとする意志をもっている。

「プロレタリアートの当面する課題が、文学の課題であるということは、プロレタリアートの当面する課題を文学の内容として具体化すること、即ちそれぞれの作品の主題として生き生きと生かすことである。

 階級闘争の現実の正しい把握と、その表現との中に生かさねばならぬのである。過去のわれわれのこの問題に対する機械的理解すら生じた多くの誤謬を実践的に清算することによって、我々のこの任務を深めつつはたしてゆくであろう。これが作品におけるプロレタリア・リアリズムの確立への道である」(一九三一年度における日本プロレタリア作家同盟の活動方針書の中から)

〔一九三一年七月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年1220日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房

   1951(昭和26)年7月発行

初出:「中央公論」

   1931(昭和6)年7月号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2003年116日作成

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