矛盾の一形態としての諸文化組織
宮本百合子
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佐藤春夫氏の提唱によって、文芸懇話会の解散後「新日本文化の会」が出来た。同時に文部省が五十万円の補助金を出して、文部・外務・民間思想文化連合の統一体として財団法人「中央文化連盟」が結成された。先頃、帝国芸術院が出来て、一般の関心をひいていることは云うまでもないことである。
明治以来、芸術、特に文学と時々の政府との間は決してうまく行って来なかった。明治四十四年に文部省が「文芸委員会」をこしらえたのは、日露戦争の後、日本の思想界文学界を風靡しはじめた自然主義思想に対して、封建的な習慣や馬琴風の勧善懲悪小説の存在を擁護しようとした結果であった。「文芸委員会」は美術展覧会の裸体画を撤回させ「モリエールの作品が孝行の本義に背くと云って、その全訳を発禁に処した。そして更に時の首相陶庵公が序文を附したゾラの一訳書が、西園寺内閣の内務大臣によって発禁されたこともあった」
当時「文芸委員会」の委員であった諸氏の内には、もとより混り気のない心持で、日本の美風良俗をいかがわしい自然主義の傾向から守ろうと思って参加していた人達もあったであろう。しかし今日歴史の大局から当時を顧みれば「文芸委員会」の客観的本質は、偽善なく現実社会の曝露を敢てしようとする十九世紀の思想に抗して、日本的な旧套を墨守しようとした政府の反動政策であったことは瞭然としている。ただ、その頃の文芸委員たちは、自身の社会意識の裡に政治性が幼稚であったために、政府の方針を主として道徳的な面の問題としてめいめいの感情へうけとっていたのであった。
後藤末雄氏が『日本評論』に書いていられる論文「帝国芸術院を審議す」の文章をかりて云えば「爾来、星霜二十余年」今度社会正義に基くことをモットーとする近衛内閣によって、従来の「蚊文士」が「殿上人」となることとなった。「かかる官府の豹変は平安盛時への復帰とも解釈されるし、また政府の思想的一角が今日、俄かに欧化した」とも云い得るかのようであるが、実際には帝国芸術院が出来ると一緒に忽ち養老院、廃兵院という下馬評が常識のために根をすえてしまった。「新日本文化の会」が出来た。「中央文化連盟」が出来た。そういう記事報道を読む一般人の表情には、無関心か軽蔑か憎悪かが、一種の苦笑と共に浮んでいるのは何故なのであろうか。
今日の文明国同士のつき合いでその国の文化水準や芸術の成果はそれぞれ意味ふかい影響を与えあっている。日本も、軍事的行動に於て所謂怒髪天を衝く態に猛勇なばかりでなく、文華の面でこのように独自であり、政府もその評価に吝でないという一つのジェスチュアとして、アカデミーもつくられる一つの時代的必然があるのである。しかも、その一部の必要、必然と今日の一般社会人の生活感情の間に湛えられて満々と漲っている文化的要求、文化的発言に対する自由の要求との間に、覆うことの出来ない開きがある。本質上の矛盾がある。アカデミーによって日本最高の芸術と云われる竹内栖鳳の五匹の蛙が五千円というような絵や「新日本文化の会」で中河与一氏、保田与重郎氏などによってロマンティック狂信的に讚えられる万葉精神と、私たち一般人の日々の経済力、合理性との間に、調和し難い裂け目が口をあいている。それであるからこそ、アカデミーについて言及する時、人々の顔には複雑な表情が浮ばざるを得ないのである。
松本学氏によって「文芸懇話会」がつくられていた間、文芸懇話会賞というものが出されていた。この間この組織が実質に於てより大規模な上述の諸組織に発展的解消をするに当って、最後の賞を尾崎一雄氏、川端康成氏に与えた。この賞に当っても、嘗て会員によって推薦された作品が、所謂左翼的立場に立つ作家によって書かれているものであるという理由で、投票破棄になった事実は周知のことである。
もし真に文学の発展を期するのであれば、日本の文学史の上に一つの新たな芸術運動をもたらした左翼的作家の業績も、当然アカデミーによって評価せられなければならない筈である。それは決して為されない。そういう要求を明言することさえ野暮であるというのが一般の通念である。山本有三氏の芸術を愛する者の心情は或は菊池寛氏の腰を据えた常識を愛する者の気分より現代の日本に貢献するところが多いかもしれないにかかわらず、山本氏は「一部の異論」で芸術院会員になれなかった。それらの現実にむき出されている矛盾が、おのずから、これらの諸文化団体を含む支配的傾向の特殊な一面性を告白しているのである。
伝えきくところでは、長谷川如是閑氏が「新日本文化の会」の会長になるそうである。『日本評論』の匿名リレー評論をよむと、日本の思想界を次の時代にひきいてゆく力量をもった綜合的思想家としては如是閑氏を措いて他にないように云われている。筆者は誰なのかもとより判明していないが、その文章と対比して当の長谷川如是閑氏が、『改造』八月号に執筆していられる「帝国芸術院論」をよんだ読者の胸には必ずや或る感想が湧いたことであろうと思う。
「帝国芸術院論」に於て、長谷川氏は、芸術そのものの理解者としては芸術至上主義的な立場を表明していられる一方、社会的関心の一つとしての芸術的関心は公のもので国家的のものであるとして、両者を分裂においたまま、アカデミーというものも、国民的「性格のよりよき表現を求めんとする社会的意欲の必然」として持たれるものであると極めて簡単、安易に肯定していられる。芸術家の日常生活、創作の内奥に作用する現実としての社会的相剋の問題こそ、現代の芸術問題の根幹をなしているものであるが長谷川氏は前一文の末で「社会的意欲」と支配的意欲との間に、今は世界的な範囲で立ち現れて来ている相異さえ明らかにしていられない。
『セルパン』八月号にも同氏の「文化の自由性と文化統制の原理」という論文がある。そこで氏は文化の自由こそ文化を進めるものであると主張されているのであるが、ここでも氏の判断の中で曖昧のままのこされている上述の一点は作用して、結末に於て、作家たちが「保護」に対して常に懐疑的であるのは尊敬すべきであるが「反対にそうした信念を尊重しつつ彼らの芸術の発展を助長することは、文明国の古代からの伝統でもあったが、現在に於てもその原則は破られない」という、今日の日本の現実に即して観た客観的効果の方面にはふれない抽象論を提出していられるのである。今日の一般人はいろいろと苦しい思いの中で文化への希望を失わず生きようと努力しているのであるから、現実の事象の理解についても、おのずから犀利なるものを求めているのである。
底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
1980(昭和55)年1月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
1951(昭和26)年7月発行
初出:「三田新聞」
1937(昭和12)年8月5日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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