ソヴェト労働者の解放された生活
宮本百合子
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家主がいない
ソヴェト同盟には地主がない、従って家主という小面倒な奴もいない。住居は殆どみんな国家のものだ。モスクワならモスクワ市の住宅管理局というものがあってそこから組合で、または個人で家を借りるのだ。
ところが一つ大いに愉快なことがある。それはさすがはプロレタリアートと農民のソヴェト同盟だ。家賃は借りる人が一ヵ月にとる月給に応じてきめられる。日本人なんぞは、例えば家主の権田の親爺が月十八円ときめてみろ、その家賃は一文だって動かしゃしない。払えないものは借りるナ! それっきりだ。
ソヴェト同盟では、モスクワ市について云うと九尺四方で四十カペイキ(四十銭に相当する)。それが基準だ。
一つの室でも、だから住む人間によって値段がちがって来る。月給六十ルーブリ(一ルーブリは一円)とる工場労働者が十ルーブリで借りていた室を、仮りに今度は百五十ルーブリとる労働者がかりることになったとする。室代は月給が九十ルーブリ増した率で何割か増して高く払うというわけなんだ。
痛快なのは、ソヴェト同盟の生産拡張五ヵ年計画がはじまるまで、狡いことして儲けていた小成金や商人が、三十ルーブリの室なら九十ルーブリという風に、いつもキット三倍の税をかけられていたことだ。家賃が三倍になるばかりじゃない。電燈料もガス代も水道税も三倍だ。それだけでも、奴等はすっかりへたばった。
革命後、ソヴェト同盟の保健省は工場、農村の勤労者たちをいい家に住まわせようと、大努力をやっている。共同住宅建築組合に補助金を出してドシドシ労働者住宅を建てているばかりか、新しく出来る大工場には、必ず附属の新式な住宅がある。
モスクワ市の中にだって、真中に花壇や子供の砂遊び場のついた新住宅が目立って殖えて来た。五ヵ年計画は、勤労者の住居増築のために七十四億九百万ルーブリという金を支出している。住宅の差配は役人ではない。住んでる連中から選出の委員制度だ。
うまい食事を
──やすくて、美味いプロレタリアの食事を──
レーニンは、婦人を台所から解放し、勉強したり、休んだりする時間を出来るだけ沢山与え、文化の程度を高めようとして苦心した。ソヴェト同盟では、十四年来面倒な台所を、大仕掛の国営厨房工場というものに変えることをやって来た。
尤も、昔からロシア人は、日本人のように三度三度米の飯をたべたり、味噌汁をのんだりはしない習慣だ。工場労働者でも、農民でも、スターリンだっても、朝はフーフーふくぐらい熱い紅茶にパンにバタをくっつけたのぐらいで、勤めに出てしまう。
昼十二時に、あっちでは朝飯というのをやる。一寸した腹ふさぎだ。卵をくったり、罐詰をくったり、牛乳またはチーズというようなものとまたもやパンと茶。
ソヴェト同盟では八時間、七時間労働だから四時すぎには仕事からあがる。ほんものの食事はそれからだ。独身者は近所の食堂でスープ二十カペイキ(二十銭)肉か魚野菜つき一皿、三十カペイキ。果物の砂糖煮十カペイキから十五カペイキ。こう三皿で「正餐」となってるが、もちろん、三皿食うときばかりはない。
財布と相談だ。但、スープにしろ、ソヴェト同盟のスープは汁だけではなく、みがうんと入ってる。キャベジ、人蔘、ジャガ薯、肉片。魚スープもあり、量がひどく多くて、慣れないうちは食べきれぬ。
さて、夜は、ざっと朝のくりかえしだ。
世帯もちは、亭主が帰って来る時分までに、細君が石油コンロや瓦斯コンロで、食事の仕度をして待っている。──日本と大したかわりはない。
然し、めいめいが僅かばかりの肉だ、野菜だとわざわざ市場へ出かけて手間どって買って、燃料をかけて不美味いものをこさえるよりは、専門家が、材料も選び、料理に腕をふるったものの方が、やすいし、美味いし、第一時間がはぶけ、どんなに暮しが身軽くなるかしれない。
一九三〇年ソヴェト同盟では一日平均百三十万人分の公衆食事が扱われていた。
この写真にある通り、とてもハイカラな厨房工場がモスクワ市のはずれ、工場区域に出来た。
行って見て、びっくりした。チャンと売店があって、あっためるばかりの料理がいろいろガラス棚に並んでいる。子供のための献立、病人のための献立と分れている。工場からひけて来たソヴェト同盟のお神さん、連盟のお神さん連がつめかけて、重ね鍋に料理を買っている。別な食堂の入口から、二階の大食堂へ行くと、またなかなか洒落てる。夏は、風通しよいところで食べられるような大ベランダがある。図書室がある。休憩室がある。此処では四十二カペイキ(四十二銭)で三皿たべられた。
地下室の炊事場では、薯の皮むきからよごれた皿洗いから、みんな機械だ。白い上っぱりにコック帽の料理人、元気な婦人労働者たち、食事をしに来る勤労者のために玄関わきにひろい洗面所がある。料理場で働いている連中には、専用の浴室があった。
モスクワ市内にだけでもこういう理想的な厨房工場を、五つも六つも増設し、五ヵ年計画の終りには都会入口の七割五分、農村の五割を公衆食事で養おうという勢いだ。
もう一つ、いかにもソヴェト同盟らしい事実を知らせよう。
何しろ、ソヴェト同盟では計画生産で万事やっているから、一億六千万人の人間一人一人が一年に食う食糧まで、あらかたは見当がついて割当てられている。金があるからって買い占めは出来ない。一九二九年からは労働者、勤め人、農民という風な人別手帳で何でも買うことになっている。ところでソヴェト同盟は五ヵ年計画で農産物の生産額をウント増し、一人当りの肉、パン、卵、野菜、バタなどの消費量を高めよう──つまりもっともっとプロレタリアート、農民にいい美味いものを食わせようとかかっているのだ。
例えば現在ではソヴェト同盟の勤労者の一人が一年に食う卵の数は九〇個ばかりだ。それが百五十五個食えるようになる。
肉類は四十九キログラムだったのが、六十二キログラムになる。牛乳、バタ類は、二百十八キログラムから三百三十九キログラムになるのだ。
五ヵ年計画は、体のいい軍備拡張だとブル新聞は云うが、ソヴェト同盟がホントに勤労大衆の日常の幸福のためにやっていることは、これ一事だって明らかではないか。
あがる賃銀
同じ五ヵ年計画のおかげで、ソヴェト同盟では失業者がひとりもなくなった。
労働時間は大人八時間、七時間で十八歳未満の青年労働者は平均六時間だ。十六歳未満は四時間労働制だ。(日本で幼年工は十時間から十二時間労働を強制されている。)五日目に一日ずつ休みのある五日制だ。こうして、労働時間が少なくなると、すぐ給料の減るのがブルジョア国のおきまりだ。が、ソヴェト同盟は五ヵ年計画で工場を電化し、優良機械を使用し、生産能率があがればあがる程、国が金持ちになればなる程労働者が直接賃銀としてそのわけ前を得る分量が殖えて来る。現にソヴェト同盟の勤労者はヨーロッパ戦争前の賃銀の平均三倍の賃銀を貰っている。
ソヴェト同盟の全農戸の半分が集団農場に組織された。
集団農場で働く農民の収入は、個人耕作をやる農民の年収の倍、或は三倍だ。それはそうだろう。第一税がひどくやすい。集団農場を組織して三年間は無税だ。種代、農具代は、政府の補助がある。集団農場員が冬を越すに必要な薪を伐り出す森林はタダで国家からもらう。集団農場員の家族は、年寄、子供で働けない者でも、集団農場が養って食わしてくれるのだ。何と安心だろう!
しかも、集団農場にはグングン無料託児所や、共同食堂、クラブなどが出来ている。
クラブは、都会の労働者クラブと同じだ。そこでいろいろ勉強が出来る。音楽サークル、文学サークル、演劇サークル、赤色救援会の組織などがある。五ヵ年計画でキネマ館が一万五千三百軒から八万七百軒にふえる。ラジオは四百万人が聴くようになる。
実際、ソヴェト同盟は働く者の国だ! 芝居、音楽会、キネマなんかを見るのに、労働組合員は半額だ。
毎年盛んなメー・デーのデモが行われるが、翌日五月二日の祭りには、あらゆる興行物が無代でスッカリ勤労大衆のために解放されるのだ。
そして丈夫に
医業国営=誰でも無料で診察をうけ、入院出来るようにというのがソヴェト同盟の理想だ。
集団農場、工場は診療所をもっている。傷害保険、養老保険は、手前の賃銀からサッ引かれることはない。国家が負担する。一年一ヵ月ずつ給料つきの休暇を貰って、「休みの家」へ休みに行く。昔の美しい離宮、ブルジョアの大別荘が、今は楽しい勤労大衆の休み場所になっている。
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「文学新聞」
1931(昭和6)年11月10日特別記念号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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