ロシアの過去を物語る革命博物館を観る
宮本百合子



 一月のある寒い日のことだ。

 革命博物館見物に出かける。モスクワでは、東京の銀座のような賑やかな通りトゥウェルスカヤ通りをずっと行って、イズヴェスチア新聞社の高い時計台、詩人プーシキンの雪を冠った銅像の見えるストラスナヤ広場を横ぎる。

 間もなく左手に広い前庭をもった黄色い大きな建物がある。小さい門から、ゾロゾロいろんな人が出入りしている。ここが革命博物館だ。

 切符を買って、外套預場へ入ると、ちょうど、モスクワ市の何処かの小学校から見学団がやって来ているところだ。男の子や女の子が、各々の班長を囲んで、かたまり合い、陽気に笑ったりしゃべったりしながら、案内者の来るのを待っている。


 革命博物館は、まとまった見学団が来た場合、いつでもちゃんとした案内者をつけて、一つ一つの室について親切な説明をしてくれる。自分達は、僅か二人だ。案内者はたのめない。同じように切符を買って入って来た、六七人の工場労働者らしい人達と一緒に、まず正面の階段を昇る。

 壁に、大きいステンカ・ラージンの絵がかかっている。すこし行くと、プガチョフの物語りを描いたこれも大きい油絵がかかっている。

 ステンカ・ラージンやプガチョフは、民謡の中にうたわれ、昔からロシアの勤労大衆に親しまれて来た農民革命家だ。彼等は、封建時代のロシアの辺土から起って、時の支配者に反抗した連中だ。が、一揆的な反抗は成功しないで捕われ、モスクワへ連れて来られた上今も赤い広場にある首切台で、処刑された。


 室が、一つ一つ進むにつれ、だんだん面白い写真がふえて来る。有名な十二月党の革命的計画についての調書の一部、処刑された数人の党員の写真、シベリアの流刑地で労役の合間に石に腰かけ、本を読んでいる人々の姿、この辺になって来ると、もう皆はさっさと室を通りすぎることは出来ない、一枚一枚の写真が、ロシアの革命の道を如実に語っている。

 一九〇五年の、全国的革命についての記録、写真は特に、強い印象を与える。見物の中には、もう年配の労働者がいて、何度も何度もその一室を廻り、感慨無量らしいのも見える。彼は、きっと一九〇五年の、記念すべき時代を自身工場の中にいて、経験したのだろう。血の日曜日に、冬宮の前で、皇帝の命令によって、射殺された数千の大衆の写真、シベリアの或る鉱山で、ゼネ・ストに参加した労働者七百人が、殺されて倒れている写真、実にヒシヒシと、プロレタリア・農民の過去の革命的努力が見る者の心にせまって来る。


 見学に来ている子供等は、説明をききながら、それらの写真を眺め、息をつめている。

 ここを見ると、帝政時代のロシアが政治犯をどんなに虐待したかが、アリアリわかる。写真を四方八方から撮って、詳細極まる人相書をこしらえているばかりではない。鉄の手枷足枷まではめたレーニンが、一八九五年にまだ大学生で政治犯としてシベリアに送られた時の人相書がある。よんで見ると、仲々面白い。こんなことが書いてある。「背低シ。眼ハ大キクハナイガ非常に特色ガアル。言葉ハ叮嚀ていねいダ。手色白シ。議論ニ熱中シタ時ニ親指ヲ立テテ拳固ヲ握ル癖アリ」等々。


 今はイタリーからソヴェト同盟に帰って党員となり、老年にかかわらず熱心にソヴェト同盟の社会主義建設に努力しているマキシム・ゴーリキイも室内檻禁にあったことがある。むずかしい顔をしたゴーリキイ、室の入口にのろまな顔をしてピストルを下げ突っ立っている番兵の写真も今となれば面白い一つのエピソードだ。

 大きい三つの室を通して一九一七年の二月革命から遂にボリシェヴィキが勝利し、ソヴェト権力を確立したところまでの、写真、記録、表などが飾られている。

 刻々切迫する情勢につれて、後から後からと出されたケレンスキー内閣の号外、指令、それに対して一層実践的な批判的な布告で大衆を革命へまで指導して行った共産党の印刷物、十数年後の今日でも吾々の心をヒッ掴んで鼓舞する力をもっている。ケレンスキー内閣はダラ幹党の本性として「土地を農民へ!」「生産をプロレタリアートの手に!」と口では叫んだが、政権はブルジョアに握らせて置こうとする、ケレンスキー内閣がそういうスローガンを実行する筈はない。


 ボリシェヴィキは火花のような言葉でそれをあばき大衆の熱望をとらえている。


 戦艦オーロラーが、冬宮を砲撃した時の写真、軍事革命委員会の本部があった、スモーリヌイの大きな写真を見ると、われ知らず、喜びの叫びが口をついてあふれる。一人のちいちゃい子供が、一生懸命に伸び上って、「ウン? これがスモーリヌイ? うちの父ちゃんどこにいるのさ」すると、兄らしいのが、ちょっときまり悪そうに、答えている、「父ちゃんは、ここにはいないよ」ソヴェト同盟未来の労働者なかなか承知しない。「だって、ここボリシェヴィキの家だろう? 父ちゃんボリシェヴィキだもの、いるだろう、ここに」

 一たん階下に降りて帝政時代の政治犯人が、檻禁されていた牢屋の模型を見物する。

 模型といっても、本物の牢屋の鉄格子、腰かけ、みんなもとの牢屋からとって来たものだ。ほんの一坪位の厚い壁の間に、ボンヤリ、ローソクの光に照らされながら髪の伸びたやつれた革命の同志が、それでも小机に向って本をよんでいる。足を見ろ、足枷だ。寝床を見ろ、木の寝床だ。帝政時代の支配者は、こういうところへ、一年や二年、尊い解放運動の犠牲者を押しこめていたばかりじゃない、十五年、二十年とつまり一生を、閉じこめた。


 だが、大衆の力、革命的労働組合の偉力、正しい指導党の力は、どんな厚い壁も、重い鎖でも、押しこめて置くことは出来ない。


 再び、二階へ上ってソヴェト同盟の建設を巨大な電気仕掛の模型で、示した処を見ると、万歳! がこみあげて来る。

 どうだ、プロレタリアートと農民は、遂に勝った。暗かった、シベリアの山奥に新しい炭鉱区を開拓したのは、誰か、大衆のソヴェト権力だ。暗礁だらけのドネープル河を八一〇、〇〇〇馬力の世界最大の発電所と変えたのは誰だ、これもソヴェト同盟のプロレタリアと農民だ!

 中国ソヴェト建設のために、射殺され、首をつられた中国同志の写真も少からず飾られている。ポーランドの暴圧に抗する大衆の写真もある。

 革命博物館は今こそ、主としてロシアの革命史を、材料としているが、今にここに世界プロレタリアートの解放の輝かしい歴史が、飾られる日が遠くないのだ。

〔一九三一年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年920日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房

   1952(昭和27)年12月発行

初出:「戦旗」

   1931(昭和6)年117日ロシア革命記念特別号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2002年1028日作成

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