ソヴェト同盟の芝居・キネマ・ラジオ
宮本百合子



 ソヴェト同盟では革命から今日まで社会主義建設には婦人労働者は男子労働者と同じ様に、職場で活動して来た。

 それと同様に文化建設の仕事にも婦人労働者は大衆的に参加している。たとえば、多くの労働者クラブの中にある演劇研究会、キネマ研究会、ラジオ研究会等の中に大勢の婦人労働者が這入はいって色々な仕事をやっている。

 ソヴェトの五ヵ年計画の演劇の方面では、生産労働に従事した経験のある若い俳優の養成に熱心な注意を向けている。

 各クラブの自主的な演劇研究会は、職業組合ソヴェトの統制の下に、どしどし新しい技術と俳優で、その五ヵ年計画に参加しているが、婦人労働者の中からも当然新らしい政治意識をもった、まるでこれまでのブルジョア的な残り物を持った女優とは成立ちから違う女優が出つつある。

 このことはキネマの方面でも云える。ソヴェトで婦人のすぐれた監督や編輯者のいることはもうみんな知っている。労働者クラブのキネマ研究会と国立の映画学校では、男と半数の女とが新しいプロレタリア映画の完成のために教育を受けている。これは文化の生産者の方から見たことだが、もっと意識の低い大衆殊に、農村の婦人大衆に向ってソヴェト映画が文化啓蒙の役割を演じていることは全くすばらしい。

 集団農場組織に向ってのアジプロとして映画が使われていることは「古きものと新しきもの」又は最近日本にも入って来た「大地」を見てもよくわかる。そればかりでない、ソユズ・キノは、ごく初歩的な啓蒙のためのフィルムを一年に何本作るかと云うプランを立てている。中には、赤ん坊にどう云う風にして湯をつかわせるか、台所の油虫はどんな薬で退治るかを教える映画や、性病予防の宣伝フィルムなどもあって、それを見ているうちに、ごく日常的であるが大切な衛生思想を覚え込むと云う場合が多くある。反宗教運動のために、労働者の社会主義規律のために(禁酒、能率増進)社会主義的な政治意識の強化のために映画が大きな教科書となっていることは男女の区別なく云える。

 演劇では演じる人間が労働者出身の男女俳優であるばかりでなく、上演脚本の内容自身にいつも労働大衆の日常生活を盛込んでいる。だから、婦人俳優は舞台の上で一番自分に親しみの深い婦人労働者、党の婦人部の活動分子を演じる訳なのだ。

 ラジオのことは私は少ししか知らない。しかし、おびただしい数の聴取者を持っている文化施設として、ソヴェト同盟が絶えずラジオを文化戦線の最前列に立たせようと努力していることは、はっきりと云える。例えばモスクワの郵電省の一部に特別なラジオ学校見たいなものがあって、直接産業別の労働組合と連絡をとって、定期に専門講演を放送してモスクワ以外の工場都市の労働者教育に貢献している。

 農村でもラジオは非常に発達して、モスクワから何百露里も離れた田舎でメーデーの音楽やスターリンの演説を聞ける。

 今度五ヵ年計画で集団農場がどんどん出来て行く。郵電省は自身の五ヵ年計画で数千の「ラジオ中心」を集団農場へ新設しつつある。プログラムは娯楽のプログラムの外に何時でも「農村に働く者の為めに」「農村青年のために」「農村婦人のために」「農村のピオニールは何を理解しなければならないか」「小学校の生徒のために」又時によると「エスペラント講座」などが放送される。けれども娯楽放送は、そのプログラムの立て方が小市民的であると云う批判がある。郵電省ではその批判を取上げて、プログラムを面白く、だがどこまでも建設のみちにあるソヴェト同盟のプロレタリアートのものらしくこしらえようと努力している。

 そして、こういう文化的な設備はあくまで労働者、農民の利益のために、労働者、農民の立場から成されている。ソヴェト同盟をのぞく全世界のどんな国をとって見ても、その文化設備が少数のブルジョア達の利益のために出来ていることと、今私が云ったソヴェトの場合を較べて見ればそれがどんなに違うかわかる筈だ。

 ソヴェト同盟では、「同一労働には同一賃銀」ということが正しく守られている。其処には男の労働者と女の労働者というような区別はない。男も女も同じ権利と義務をもって、社会主義建設のために働いている。

〔一九三一年九月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年920日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

初出:「演劇新聞」

   1931(昭和6)年91日創刊号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2002年1028日作成

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