ワルシャワのメーデー
宮本百合子
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一九二九年私どもはモスクワからヨーロッパへ旅行に出かけて、ポーランドの首府ワルシャワへちょうど四月三十日の夕方についた。
雨が降っている。小さな荷物を赤帽に持たせて、改札口へ歩いて行くと、人混みの中からツバのヒラヒラしたソフト帽をかぶった若い男が現れた。そして愛嬌のいい顔をして、英語で「ホテルはどちらへお泊りですか」と声をかけた。
わたしは、ソラ出たと思った。何故なら、ポーランド人の中にはいろいろな曖昧な職業に従事するものがひどく多いことは、昔、ドストイェフスキーの小説「賭博者」を読んだ時から知っている。ロシア人はこんな格言を持っている。
──ポーランド人はなんにもない所から立派なズボンをこしらえる──
つまりとてもコスイ、油断がならぬと云うわけだ。もっともこのポーランド人の猾さには、ながい政治的な理由が背景となっている。
帝政時代のロシアはポーランドを政治的にも経済的にもひどくいためつけた。ポーランドのプロレタリアートは被圧迫民族として、乏しい中で生きる道をみつけなければならなかったから、従って鷹揚な気分でいるはずはない。
現在でもポーランドは独立はしたが、資本主義経済の行づまりの影響をひどく受けて、およそ三十万以上の失業者を持っている。次第に尖鋭になる階級闘争を、ピルスーヅスキーの軍国主義独裁の政治で圧えつけている。
そういう社会的状勢は知っているが、どうもソフト帽の若者にゴマノハイをやられる気にはならない。黙ってドンドン、ステーションを出ると、今度は車寄せのところで、我々が馬車を傭おうとする、そこへたかって来て、また口を出す。わたしはひどく愛嬌のない声で「あなたの御親切はありがたいが、どうぞほっておいて下さい。あなたの知ったことではないのだから」と云った。
雨の降る日暮方の街を通ってホテルの玄関へついた。すると、驚いたことには何時のまにかもう、さっきのソフト帽の男が玄関に待っていて、わたしたちが馬車を出るや否や、荷物に手をかけた。今度愛嬌のない声を出したのはわたしのつれの番だ。彼女はロシア語で叫んだ。
「あなたは誰です、さわらないで下さい」
部屋がきまって二階へ上って行く。その途中でボーイに、
「あの男を知っているの? ここのもの?」
と、きくとボーイは逆に妙な顔をして、
「ヘエ? あなたのお知り合いだと思ってましたが、そうじゃなかったんですか」
と云う次第だ。
窓からみると外は小さい公園だ。
並木がある。下にベンチがある。傘をささない男が一人ノロノロ雨の中をやってきて、そのベンチに腰をかけた。ベンチはもちろんずぶぬれだ。男はややしばらく腰をかけていたが、また先へ歩き出した。
雨はひどくなってアスファルトの上へ雨あしをはじいている。賑やかな街の灯は高い家々の間から公園の向う、男が歩いて行った方とは逆の方に輝いている。
明日はメーデーだ。
ポーランドのメーデーはどんな風だろうか、わたしたちはその前年の五月一日にモスクワのメーデーをみた。
夕飯をたべてから、わたしたちはホテルの帳場へ行った。金モールのおしきせをきた男が、帳場の中に立っている。その男に聞いた。
「明日、メーデーのデモンストレーションはどこであるか知っていますか」
金モールのおしきせは丁寧な調子で、
「興味をお持ちなんですか」
と、云った。
「ええ、是非みたい」
「きけんです」
「どうして?」
「だってあんた、メーデーなんかに行列する奴はみんな社会主義ですぜ。泥棒だの、かたりだのだ。いつだって行列が無事にすんだことはないんです。怪我人があったり、人殺しがあったりします」
まあそういうこともあるだろう、けれども、それは行列に立った労働者たちが自発的にやるメーデーの余興ではないのだ。反動団が暴れ込んでデモをぶちこわそうとすることから起る。それを、社会主義にかこつける。ピルスーヅスキーの手腕も馬鹿にはできない。わたしは思わずニヤついた。
「大丈夫ですよ。あたしが殺される心配はまあないから、どこにあるか教えて下さい」
「ウーム」二度ばかり唸ってから、やっと教えてくれた。
劇場広場という所にあるのだそうだ。
「ここから遠いんですか、そこは?」
「いいえ、そう遠くはありません。ですが悪いことは云いません。メーデーなんかに近よるのはおやめなさい。ほんとうの正直な人間の祭がもう四五日するとあります。それは、ほんとうの正直なポーランド人の行列だからその時御覧なさい」
あらましデモンストレーションが行われる時間などをきいていると、わたしたちの後へ二人のポーランド将校がやってきた。ポーランドは美人国だそうだから男もせいぜい綺麗にするのかもしれないが、彼等の軍服の華やかなことといったら、玩具の大将みたいだ。ツルツルに剃って、粉をふった頤を、雪のように高いカラーの上にのせて、白い手袋をもって、輝く靴の後では拍車が歩くたんびに鳴っている。
二人の将校はわたしたちの後に立って、おしきせとの問答をきいていたが、なかの一人が、わたしに向って、カドリールでも踊る時のように、腰をこごめながら、
「あなたは日本の女の方ですね」
と云った。
「え、そうです」
「我々はよく日本の方を知っています。いつもいい印象を与えられています。日本の方におめにかかるのは非常に愉快です」
日本からいろんな外国へ駐在武官が派遣されている。そういう人々に聞いてみたら、彼等はきっと云うだろう。
「さあ、ポーランドなんかなかなかいい方だね。とても日本人を優待するよ。特別あすこは軍人がもてるからね」
だが、わたしはどんな駐在武官の細君でもない。思いがけないおついしょうにびっくりして、手にもっていた小さいハンカチーフを絨毯の上へ落した。すると、お菓子のような将校は、いとも優雅にそのハンカチーフを拾って──どうぞ──とフランス語で云いながら渡してくれた。
いよいよメーデーの朝になった。
くたびれていたので、目が覚めたのは九時すぎだった。びっくりしてベッドの上へ起き上って耳をすましたが、音楽も聞えず、足音も聞えない。急いで着物を着て、ともかく公園のところまで行った。人通りは沢山ある。妙なレイン・コートのようなものを着た若いものも大勢歩いている。先へ先へと、また一つの公園につきあたった。右へ行っていいのか、左へ行っていいのか、見当がわからないので、通りがかりの爺さんに、
「劇場広場はどっちですか」
ときいた。
「劇場広場? あなたが行くんですか」
わたしたちを頭の先から足の先まで見下して、驚いたことには、この爺さんまで、
「ウーム」と、うなった。
「左へ行くんです、それから右へ行くんです、そうするとつきあたりが劇場広場だが……やめたらいいでしょ」
やめるために聞きはしない。行くためにきくのだ。教えられたとおりに行くと、通りは次第に群衆でつまってきた。みんな一種緊張した何かを期待しているような目付で数人ずつ連れだち、ゾロゾロ歩いているが、どこにも組織されたデモンストレーションの列は見当らない。広場に近づくにつれ、意外のものがめにとまった。まるで戒厳令だ。通りに面している店と云う店はことごとく表戸をしめている。板戸に錠前をかけ、あるところでは鉄扉がおろされている。
広場の中心へ行くと、やっと、行列らしいものがあった。往来でもみかけたようなレイン・コートの一隊が広場をグルリと列で取り巻き、手に手におそろしく太いおんなじ形のステッキをついている。みんな鳥打帽だ。
一台、二台、三台トラックがきている。上にギッシリやっぱりレイン・コートの一隊が立っている。はじめはそれが行進を待っているメーデーのデモンストレーションだと思った。
が、すぐ変だなと気がついた。レイン・コートの一隊は右手に赤い布で腕章をつけている。墨でそこへ何かかいてある。自分はポーランド語が読めない。それでもロシア語に似た、ポリーシャ(警備隊)という字は読めた。よく見るとその前には、市街という字がある。
そうするとこれは反動青年団だ!
反動青年団がこんなにも大勢、こんなにも太いステッキで武装して広場を囲んでいる!
かんじんの労働者はどこだ? グイグイ体でステッキとレイン・コートの間をおしわけ、その中へ入ってみたら、ホンの数百人、赤旗を中心に憂鬱な、カンシャクを喰いしばったような顔をしたデモがたっている。
歌をうたうものもない。反動青年団の袋の中へ追い込まれ、出るもひくもできない。さてどうしようと考えている風だ。
その時、遠く左手の狭い路の奥でインターナショナルの奏楽が聞えはじめた。
ソラ! デモがきた。わたしはかならず、その音楽に相応して広場に先着しているデモの中からも湧くような歌が起るだろうと思った。ところが、ほんの一節聞えただけで、音楽はやんだ。
群衆の頭越しに行進してくるようにみえていた旗もどうやら一つところへとまって進めないようだ。
いわば反動青年団と、デモンストレーションとの睨み合いだ。数から云っても広場の中に到着しているだけのデモはとても反動団の太いステッキには勝てそうもない。
わたしは今、この時刻に、モスクワの全市を赤旗と音楽と飛行機の分列式とでおおいながら、壮麗極まるデモで行進しているソヴェトの労働者の有様を思い、ゲンコを握って、このひどい反動的空気をなぐりつけたい気になった。
実にひどい違いだ。
ポーランドのプロレタリアよ。しばらくガンバレ!
いまに、メーデーはここでもほんとうの世界労働者の国際的祭日として、それがソヴェトで行われていると同じように行われる時が来るのだ。
それにしてもデモはいつ動き出すんだろうか、わきの労働者に自分はロシア語できいてみた。
「あなた方がいつ動きだすんですか?」
「まだわからない」
二、三人にきいてみても答えは同じだ。
十二時頃だろうと云うものもある。わたしたちはまだ茶も飲んでいない。それなら一つそこいらで腹ごしらえをしようということになった。
広場のはずれにこれもまた、光り輝く服装をした巡査が立っている。それに教わって、ちょっと横丁へそれたところにある喫茶店へ行った。ガラス越しに中で茶を飲んでいる人の姿はまるみえだ。それだのに、戸のとってを持って開けようとしても戸はあかない。その様子を中から給仕がみつけた。そばへ寄って来て、我々の風体をよくよくみきわめてから、やっと体が入るだけ戸をあけ、内へ入れるとまた戸へ鍵をかけた。給仕は弁解した。
「なにしろ御承知のとおり今日はメーデーだもんですから……」
喫茶店で十分とは費さなかった。往来を三四人の人間が駆て行くのが見えた。
──オヤ、どうかしたかな──と思って、急いで外へ出て劇場広場まで戻ると、
──これはどうしたことだ!──
──赤旗も、労働者も、反動青年団の密集した列も、どこへ行ったか、跡かたもない。チリヂリに群集が、踏みしだかれた広場の土の上を歩いているだけだ。
デモはそんなに急に、巧妙に解散させられてしまったのだ。
昨夜の雨はやんで、晴渡ったメーデーだ。
だが、わたしたちの見たのは何であったか?
わたしはおそらく、一生ポーランドの一九二九年のメーデーを忘れないだろう。
一節で圧殺されたインターナショナルの響と、労働者を囲んで林立していたステッキとを、忘れないだろう。
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「女人芸術」
1931(昭和6)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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