インターナショナルとともに
宮本百合子
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(1)
トゥウェルスカヤ通りの角に宏壮な郵電省の建物がある。
赤い滝のように旗でかざられた正面の大石段の上に立って見渡すと、デモは今赤い広場に向って、動き出そうとしているところである。空では数台の飛行機が分列式を行っている。
赤いプラカートの波! 波! 波!
丁度目の前を製糸工場、赤いバラの労働婦人群が通過するところである。
女を台所から解放しろ!
生産経済計画を実現しろ!
五ヵ年計画を四年で!
これらスローガンを書いた赤い横旗を捧げて行く二人の女は、コーカサスの風俗をしている。
オヤ、何だ? あすこから来るのは。
石段の上下にあふれている見物の群衆は一斉に賑やかな行進曲の聞える上手の一団を眺めた。
近づいて見ると──
ハッハッハア。これは愉快だ。張り物である。
ウンとふとってとび出た腹に金ぐさりをまきつけて、シルク・ハットをかぶったブルジョア。
青い陰険な顔をした法王。黒い長衣着て黒長靴と云ういでたちの富農、それら三つの頭の上に、どえらいハンマーを握った労働者の手と、カマを持った農民の手とが、こしらえてある。
勇ましい行進曲につれて、その張り物をかついだコムソモールが歩きながら、ヒョイ、ヒョイと糸を引っぱる。
ガッツン! ハンマーだ。ブルジョアの頭をドヤシつける。カマがおりてきて坊主と富農の頸をひっかく。
見物は大喜びだ。子供は、デモについてそれをどこまでも追っかけて見ようとする。
大人は拍手を送る。
かついでいる当人のコムソモールも大いにこの人気は満足らしい。大ニコニコで、盛んに社会的清掃をつづけながら遠ざかった。
自動車工場「アモ」のデモは別の趣好だ。幾流もの横旗の上に小さい自動車が一台ゆれてくる。みんなの目の前でパラリとそれがひらく。
生産経済計画を百パーセントに!
はすかいにそういう字を書いた大型自動車が出てくるという仕掛だ。
デモが各々の職場で工場内の美術研究部を中心として、工夫をこらした飾りものを持ち出すばかりではない。今日赤い広場はみちがえるような光景である。
普請中のレーニン廟の数町に渡る板がこいは、あでやかな壁画で被われている。
集団農場の光景だ。
果しない耕地にトラクターが進んでゆく。青葉の繁った木立ちのこっち側には集団牧場がみえる。楽し気な牛、馬、羊、年とった集団農場員が若いもの、孫のようなピオニェール等にかこまれて、働き、ラジオをきき、字をならっている。
鉄橋がある。遠く水力電気発電所がみえる。穀物、家畜を積んだ貨車と、農具を満載した貨車とがすれちがった。
都会だ。工場だ。都会の工業生産と、労働者との姿が巨大に素朴にかかれている。
閲兵式につづいてデモはモスクワ全市のあらゆる街筋から、この赤い広場に流れこむ。
日が暮れて、すべてのデモが解散した後も、ここはまだ一杯の人出である。レーニン廟の板がこいの壁画をめぐって、イルミネーションがともされた。
有名な昔の首切台の中には、雲つくような労働者の群像が飾られている。
強烈なアーク燈に照らされ、群像の上にひるがえる幾流もの赤旗は夜に燃える火のようだ。左手につづく国立物品販売所の正面には、イルミネーションで、
万国の労働者団結せよ!
と、書き出されている。
広場の土は数十万の勤労者の足に踏みしだかれ、ポコポコになって、昼間の熱気を含んでいる。ところどころに急設された水飲場の水道栓から溢れる水が、あたりの砂にしみている。河の方から吹く風は爽かだ。
広場に向って開いているラジオ拡声機からは、絶え間なく、活溌な合唱、又は交響楽がはじきだされる。
すばらしいメーデーの飾をみようとして、広場に集まる群衆は一時過ぎてもたえなかった。
ソヴェト同盟で、社会主義的社会建設のために全プロレタリアートが闘っている。農民が闘っている。あらゆる芸術家が同時にそのたたかいに参加している。
メーデーに家にひっこんでいるソヴェト勤労者が一人もいないように、よろこばしいメーデーのために動員されない芸術家というものもない。
たとえばレーニン廟の板がこいに誰があんな壁画を書いただろうか。
プロレタリア画家達だ。メーデーが近づくと、モスクワ・ソヴェト文化部は組織的にプロレタリア画家団体にその仕事を分担させたのだ。
ほとんど夜中まで広場中に鳴り渡った華やかな音楽は、ソヴェト音楽家達のメーデーである。
例年作家団体は、デモに参加して数十万の勤労者とともに赤い広場でスターリンの激励の言葉に向って、歓呼の声をあげる。
五月二日はいわば一日の疲れ休みである。
(2)
閑散な日の光をあびて、劇場広場の角に大きな水色の横旗がさがっている。そこに日本語で、
万国の労働者団結せよ!
と書いてあるのが、今日は遠くからはっきり見える。
昨日踵の低い靴をはいて数露里をデモで歩いた婦人労働者達は、今日はおしゃれだ。
とっておきの靴をはいて、初夏らしい帽子をかぶり手に袋など持って、のんびり散歩している。連れの男も上衣のボタン・ホールにリボンでこしらえたレーニンの肖像入りの飾り(一個二十カペイキ)などがついている。
小さい鈴蘭の束をさしたのもいる。
前日大群衆に揉みぬかれた都会モスクワと人とは、くたびれながらも、気は軽い。そう云う風だ。
店はしまっている。
物売も出ていない。
午後になると往来はだんだん混みはじめ、芸術座前の狭い通りは歩道一杯の人だ。みると芸術座の入口に特別はり札が出ている。
本日は労働者のためだけに開演する。
前もって職業組合から切符を渡されているモスクワ中の勤労者はこの芸術座ばかりでなく全市の各劇場にわり当てられ、プロレタリアートの祝祭第二晩目をたのしく過すのである。
芸術座の出しものは「三肥大漢」だった。
エム・オー・エス・ペー・エス劇場では二日の晩に「憤怒」を上演した。
五ヵ年計画が実施されるにつれソヴェトではだんだん劇場の上演目録も変った。
古典的なオペラ・バレーを演じている国立オペラ舞踊劇場でさえ「蹴球選手」という五ヵ年計画を主題の中へとり入れたバレーを上演した。
カターエフの「前衛」がワフタンゴフ劇場で演じられる。
レーニングラードからきたトラムは農村における集団農場組織にからんで起ったコムソモール悲劇をみせた。
エム・オー・エス・ペー・エスの「憤怒」も集団農場の組織を主題としたものだ。
カターエフの「前衛」は集団農場組織=農村における五ヵ年計画と、都会の工場との結合、貧農の機械化に対する自発性を取り扱っている点なかなか面白いが、一つ重大な誤謬を持っている。それは、集団農場組織にさいして都会から派遣されてきた指導者とそこの富農とが階級的分裂をする。その心理的動機を個人的な恋愛問題嫉妬などで表現していることである。
カターエフに云わせれば、富農の妻が集団農場組織のために派遣された指導者に共鳴し、好意を持ち夫と対立する現象も根柢は女の正しい階級意識から出ているものだと云うのだろうが、実際の効果においてはそうみとめられない。
たださえ集団農場化に反対な富農が女房までソヴェト役員にとられたと勘違いした揚句、村の反革命的分子を煽動して指導者を石で打殺す結果になったとしか思われない。
カターエフの誤謬は階級的闘争を大衆的に表現せず、個人の心理描写で説明しようとしたところにある。
エム・オー・エス・ペー・エス劇場の「憤怒」はカターエフの誤謬を清算している。さすがは職業組合によって直接管理されている劇場だけある。
「憤怒」においては「前衛」に描写されているようないわゆる主人公はない。村の女教師がいる。貧しい女小作人がいる。その女の小さい息子がいる。党員の村ソヴェト役員がいる。これ等数人が各々ぬきさしならぬ同等の役割で村の反革命分子と闘い、集団化を完成に導いてゆく。
カターエフの作品とくらべて特に面白いのは、一方がいかにもインテリゲンチアの作家によってかかれた戯曲らしく整っていて、同時に農民の描写が観念的なのに対して「憤怒」の女小作人、若い農夫、村の女教員さえ、いかにも生きいき現実的にとらえられているという点である。
それを外国人である我々の観衆独特の批評でいえば、こうだ。
「前衛」のせりふで解らないところはごく少い。けれども「憤怒」で見物がドッと笑うソヴェト農村ユーモアは悲しや(!)いたって少からず解らない、と。
実際の闘争において農村ピオニェールの任務は非常に大きい。
「憤怒」では、ソヴェト演劇においてこれまでほとんどつかわれなかった子役の形でピオニェールを出し、ごく自然な明るさで、農村と都会の集団農場中央との連絡として重大な役割を演じさせている。
これなども劇の現実性を高めている。
五月二日ソヴェトの勤労者達は全然無代でこれらの芝居を見るのである。(平常は大抵半額で職業組合を通じて切符を買う。)
特別にこの夜のために脚本が選定されるということはない。平常から各劇場の上演目録は特別の統制機関によって選ばれている。
いつもその時ソヴェトの全勤労者がおかれている社会的情勢、細かく云えば党と職業組合との決定した線にそうて新らしい脚本は選ばれている。
ピオニェールの挨拶は何という言葉か?
「用意はいいぞ!」
常に、用意はいいぞ!
ソヴェト芸術の合言葉はこれである。
大衆の社会主義達成、世界のプロレタリア革命に向って常に、用意しているのだ。
メーデーに赤い広場の歴史的首切り台に飾られた労働者の大群像は祭の後にモスクワ河の河岸にある「文化と休養の公園」の丘の上へ移された。
河岸には職業組合の設けた水浴場がある。
青葉の下の飛び込み台から身をおどらし、若い女が水へ飛び込む。サッとたつ水煙。
さわやかな河風に労働者の群像が捧げている数条の赤旗は、小高い丘の上でいきいきとひるがえった。
底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
1980(昭和55)年9月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
1952(昭和27)年12月発行
初出:「ナップ」
1931(昭和6)年5月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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