ソヴェト・ロシアの素顔
宮本百合子



 これは自分が喋って速記をとったものです。自分で書く時間がなかった。話しかたが下手だから、大してうまく行っていないかもしれないが、一九一七年の革命以来、種々なデマゴーグによって歪め伝えられているソヴェト・ロシアの日常について、実際的な或る訂正としては役に立つと思う。


 ロシアに入って真っ先に印象されたのは第一万事が珍しいということ。それに革命前及後のロシアというものは、文学で幾分知っていたし、自分に縁のないところへ来たとは思わなかった。丁度モスクワに着いた晩は雪が降っていた。橇の上から見ると、雪がドンドン降っているし、夜だし、非常にはっきりした所謂ロシア文学的印象が多かった。

 ロシアの家庭の問題については、資本主義的私有財産制を基礎とした家庭というものは勿論崩壊している。併し独立した社会人としての家庭の各員が共同の連帯責任を以て、社会人としての義務をお互に果して行く家庭は勿論鞏固に発達している。が、普通の概念に於ける家庭というものはない。つまり我々が眼にしている普通の家庭というものは、家長はおやじ。それでおやじが家族のお母さんや子供の世話を見る。おやじが一旦死んで、財産がなかったら親類の世話になる。家長というものに絶対責任を置いて、死んだら子供が路頭に迷う。それがつまり全然私有財産制度の下にある家庭である。

 けれどもソヴェトでは、亭主は一人の労働者として、失業保険をっているし、また健康保険もあり、養老保険もある。それから家族があれば、家族に準じたパーセントでそういうものを増し受ける。また子供が学校に入ると……或る専門学校に入ると、卒業までには一人前の技術者、労働者として職業組合からの保護を有っている。そこで親子互に独立した労働者としての社会的保護を有っているわけで、これは全ソヴェト市民の権利です。だからそういう人間はおやじにたよらずに、また子供にたよらずに暮せる。

 だけれども好きな同士だから夫婦になって一緒に暮す。子供はおやじや母と一緒に暮した方が幸福だから一緒にいる。だから外の国でのように家庭を城にして、それで浮世の荒波を防ぐというものではない。社会というものの上にある一つの小規模な連帯責任を有っている団体、そういう家庭で、おやじの身になっても、自分が死んでも社会が子供を保護してくれるという安心のある方が随分安全である。本当に安心して生産に従える。

 また生活の安定ということに対しては、ソヴェトの社会主義を建設してゆこうという方向に自分も賛成で、そして忠実な勤人であり、或は労働者であるならば、日本の何よりも安定である。それは個人関係で保護されているのではなく、職業組合、労働省の法令、いろいろなもので組織されて保護されているから、非常に安全率が高い。第一組合の中で、或る労働者に対して一つの間違った処置があると、他の労働者がこれに対して自分達が有っている権利を適用し、間違った処置をされると自分達の問題だから、周りが黙っていない。いろいろな問題を提議するから、割合にそういう点は安心である。

 例えば労働者を解雇する場合、工場の生産の低減をしなくてはならぬ已を得ない場合、労働者が工場に対して窃盗を働いた場合、それから三ヵ月以上収監された場合、そういうものは無断で解雇してもよい。そうでなければ労働者同意の上、或る場合は次の職業が見付かるまで、猶予してやらなければいけない。

 女は尚更で、例えば、姙娠しているものは五ヵ月以上は解雇してはいかぬ。(工場に働いていることによって、職業組合の方から出産前二ヵ月と、出産後二ヵ月、前後四ヵ月の月給付きの休みを貰う。それから尚出産の仕度金を貰い、また出産後九ヵ月間子供の牛乳代を貰う。)それから乳飲児をもって一年以内のものは最後まで解雇しない。また年寄には養老保険がある。五十五か六十で養老保険を付けて、そして職業を離れてもよいことになっている。特に合理的なのは、除隊兵が若し入営まで労働者だったとすると、除隊後職業を見つけるまで生活保証を受ける。また労働者のためには特に「休息の家」があって、ソヴェトの生産別職業組合は「休息の家」へ二週間から一ヵ月、労働者を送って休養させる。

 それから、ソヴェトでは女が生産単位としては全然男と対等な権利を有って、経済的に独立している。生産単位として女が全く男と同じ地位にいるという点で、その余のいろいろなものが、変って来るのは当然のことで、ただ他の国の婦人参政権、あれとソヴェトの女の獲得している自由とは根本的に性質が違う。だから恋愛の自由とか、家庭における女の地位の拡大、そういうものでも、要するに生産単位として、女が男と同じ技術、地位を有っているということから出発する。

 以前のロシアは御承知の通り結婚する娘達が髪を編みながら悲しみを歌って結婚した状態で、女の文盲率というものも高かった。教会の坊主は亭主に絶対的服従を強いた。それだから、革命後の現在でもそういう歴史的理由によって一般の知識程度が男より低いということは勿論女自身知っている。だからいろいろなクラブの研究会や、文盲撲滅研究会、実際に工場に於ける熟練工に自分をすること、そういうことは非常に熱心にやっている。で第一ソヴェトでは男も女も同じ労働に対して同じ賃銀を払う。同じ賃銀を払うということは同等の技術を要する。だから女の技術が実際男と同じ熟練工でなければ、事実上の賃銀というものは低いわけです。で、女の労働者の中では、熟練工の少いということは、非常に自分達の文化の低いこととして一生懸命その技術向上に努力をしている。

 ソヴェトの生産そのものは中間にはさまって搾取する人間のための生産でない。循環して自分達に来るものを、分割して各自やっているもので、だからソヴェトに於ける社会的生産上のサーヴィスというものは、自分達に対してサーヴィスすることだ。提供すべき生産力と、提供した生産力に対して受けるものの比例は、理想からいえば、出来るだけ均等なものにしようとしている。

 例えば家庭というものは女にどうしても用が多い。洗濯をする、炊事、育児、そういうものをソヴェトでは出来るだけ社会的にしようとしている。炊事でもめいめいが台所で僅の材料を買って、時間を費して、大して美味くもないものを拵えて食べているより、モスクワでは既に出来ているが、大きな厨房工場、台所工場、そこで科学的に原料を調べて、この牛肉は何時に殺した肉だから、何時間後に何分煮て食べたら美味いかということまで調べて、調理し、そういうものを安く食べさせる。そういうことは非常に皆理想としていることだし、また女の非常に望むところで、こうすれば家庭の奥さん方の負担しているところがなくなる。そういうものを全体に社会主義化してやろうということ。これが家庭の日常生活の上で大きな意味をもってる。

 食ったり飲んだりすることは、生活の準備行動で、その準備行動をもって一日過ぎてしまう日本などではこういう準備行動が非常に多過ぎるから、女が割合に進まないのではないか。また男がそういうことに所謂趣味を要求し過ぎると思う。

 今ソヴェトにあっては、洗濯とか食事を共同でやる場所の数が足りないということが欠点で、厨房工場でも、日に何万人というほどの食事を用意する。そういう大仕掛でなかったら意味をなさない。こういうものが若しモスクワならモスクワの一つの区毎に二つも三つもあれば、個人の台所は全然必要はない。ところがまだそこまで行かない。モスクワ市中に五ヵ年計画の終りに五つか六つの大きな厨房工場が出来ることになっていて、それでも結果は大したもので、今でもそういう風な公共の食事場で食事をしている人間の数というものは大変に多い。一九三〇年に一日平均百三十万人の人間が公共的食事をやっている。

 五ヵ年計画の終りには、都会に於ける七十五パーセントの労働者とその家族五十パーセントの料理を公衆食堂でもって賄うことが出来るようにしようという理想でやっており、着々進んでいる。この台所工場はモスクワとイワノボズネセンスク(ここは非常に大きな工場市だ。)それからニジニノヴゴロッド、ドニエプロペトロフスク等にあり、こういうところはソヴェトの新しい文化の中心となっている。

 育児教育の方を見れば、一例としては新しい住宅建築共同組合で建てる建物の中には付属托児所を造るのを理想としてやっている。それでそういうものは最近非常に多くなって、多いところになると区の中にいくつもある。また工場では工場が托児所をもっているから困らない。

 過去ロシアは非常に専制主義だった。それだから中学校に入るのにも、階級の低いものの子は(料理女百姓みたいなものの子)は入れなかった。だから中学へ入るのでも、養子に行って入るとかしなければいけなかった。普通は貴族か地主、軍人、技術家、大きな実業家の息子に限られていたが、今はプロレタリアート、働く者への教育は全部国庫負担にするということを理想でやっている。だから小学校は勿論専門学校も月謝を払わないで、職業組合が補助を与えて勉強させる。だから労働者の子供、農民の子供は第一列に入学させてもらえて、生活費を或る程度まで保証される場合があるから、若い人間は勿論喜ぶ。よくソヴェトの教育方針では個性の発育が阻止されるだろうという人がある。


 勿論教育の基礎的方針は一斉に、学問と生産とを結びつけた共産主義教育というものをやっている。その中で個性がどうなるかという問題だ。個性の尊重というのは、要するにどういうところに、どんな風に個人の特殊な才能が現れるのかという表現の問題だ。或る一つのことに対する各自独特の表現が個性の表現である。その表現は各人の声の違うように違うはずである。で小学校はどういう教育をしているかというと、主題は一つだ。それはどういうことかというと例えば学年のプランが「春」という題を出す。そうすると、春は大人が都会及農村でどういう働きをするか、大人の働きを子供がどういう風に助けて働くかというテーマを出して、実際問題と結び付けて教えて行く。

 教育は労働と結び付いたものだから、労働を主にして生産と人間との関係、自然と人間との関係を明かにしようとするものだから、春という題も、「春は霞がたな引きて」というのでなく、春大人は野に、都会にどう働くか、また子供はそれをどう助けるか問題をそういう視点から見てゆく。例えば春子供達は公園へ鳥の巣をかけにゆく。こういう社会的労作を現すのに或る子供は文章を書く、或る子供は作文が出来ないから絵で画く、また或る子供は雑誌を見たところがそこに出ていた絵が大変面白いと思ったからそれを切抜いて帳面へ貼ってわきへ唱歌を書いてこれを表現するという風にする。だから主題は一つだが、表現方法は非常に子供の性質、有っている表現力というものを尊重して行く。そうしなければならぬということは、経済的にいってそうです。個人が自分の不得手な表現を強いてするということは大変な精力の消耗だから。

 ソヴェトが社会主義社会を建設しようとする大目的に向って基本的に決定している指導方向は断然一つだが、その中にある個性の尊重ということは非常に注意してやっている。活かして行かなければならぬ大きな存在というものは常に一つである。それは社会主義をつくるプロレタリアートの大衆的利害だ。その中で個々の性能をどんな方面に社会的に役立たすかという意味における個性尊重、どういう表現を通じて役立てて行くかという点における個性尊重というものは勿論十分各々行われている。アナキスティックな個性尊重というものは金持の坊ちゃんの存在しないと同様にないわけである。

 アメリカは誰も知る通り大量生産だ。ソヴェトもそうだ。ところで現にアメリカでは大量生産にきかかっているではないかというものもあって、これは非常に興味がある。併しこれはソヴェトには適用しない。何故かというと、アメリカの大量生産と、ソヴェトの大量生産とは目的が違う。性質が全然違う。アメリカは安い商品を如何に多く市場へ販売するかという資本家の慾に発足した商品の大量生産であるが、ソヴェトは目下非常に購買力の高くなったプロレタリアに如何に早く多くの購買力を充たすかという点から起って来る大量生産だ。まだ経済的に余裕がないし、時間的に余裕がないから、従って非常に細かい趣味というものを区別して造って行く余裕がない。

 ソヴェト・ロシアはプログラム一点ばりで進んで行く。それで無理が生じ、やがてその究極はと考えるものもあるが、ソヴェトでは二年前に出来たプログラムがそのまま五年間も持続されるというようなことは全然ない。ソヴェトの実際方針は根本的には一本であるけれども、弁証法的に非常に弾力をもっている。それだから一本調子でやって行くといっても、目的があって、そこへやろうという意味において一本調子であるけれども、或る人に云わせれば、どこに終局の目的があるか分らないという位、弾力をもって強く柔軟にやってゆくのです。

 優生学、ユーゼニックスは非常に社会的問題として注意深く扱われている。第一ソヴェトは昔から肺病の率が非常に多い。それから性病患者も勿論あって、そういうものに対して優生学から子供を、次の時代を改善して行くということは非常に熱心にやっている。成人、大人になった人間の健康状態を良くするという点、それから子供を出来るだけ丈夫に育てること、それには林間学校を拵えたり、工場付属の療養所、それから転地療養、それから現在は病気になっていないけれども、このまま働いて行けば病気になってしまうという人達は、昼間は働くが、仕事が済むと夜間療養所というものがあってそこへ行く。そこで風呂へ入れてくれる。栄養になる食物をくれる。そして必要な温度のある部屋で休んで、また翌日昼間働いてこれを一定の期間繰返して行くうちになるべき病気にならずに済む。

 ソヴェトの今の衛生の目標は予防ということ、病気になったものを手当するより、ならない前に手当するという主義で熱心にやっている。それだから子供でも赤ん坊の時に注意すること、それから生れる前に注意すること、それから子供をもつより先にお母さんが自分の衛生に注意する。こういう風に循環して健康状態を改良して行こうという努力は非常なもので、母性保護研究所なんかへ行って見ると非常によく設備してある。

 それから例えば子供を生む時は産院へ無料で入れる。産院を出ると、お母さんと子供の住んでいる区の健康相談所があって、そこへ産院からその子供がどんな発育状態で生れたか、お母さんはどういう健康状態の下に乳を与えているかということ、性病の遺伝があるかないか、そういうことを記入した子供と母親とのカードが健康相談所へ廻る。そうして無料で子供の健康診断を一月一度やってくれる。或る程度に子供が育つまで……若し子供の体に異状があったり、お母さんの体に異状があったりすると、健康相談所から病院へ報告してくれて、無料で病気を直してもらえる。ソヴェトの保健省は全国民を無料で医療させるということを目標にしている。農村の方の衛生準備はどうしても遅れていて、今度五ヵ年計画で診療所を非常に殖やすということで、医者を地方に派遣する新しい規定とか、いろいろなそういうものを制定している。

 それから恋愛については、第一変っていることは恋愛が自由ということ。ソヴェトは恋愛が自由である。フランスも自由である。そこでどう違うかというと、フランスが恋愛が自由だということは、資本主義末期の個人主義的に恋がお互を拘束しないということから起って来る恋愛の自由だ。男が或る女と関係して、嫌になって捨てる。女が姙娠しても男は責任を負わない。それでも女は訴えるところがなく、セーヌ河へ赤ん坊をもって飛込むという恋愛、フランスの恋愛技術は男より数の多すぎる女の経済的必要から進歩しているかも知れないが、社会的にはそういう風な個人的なものである。

 ソヴェトは恋愛が自由だというけれども、それは何故かというと、男も女も経済的に独立した社会人であるから、社会人としての責任は各自自分が負うから、そこで自由だということになって来るわけだ。恋愛はいくら自由だといっても、男が女と関係して姙娠したり、子供を生んだりした時雲隠れしてそれで終れりとしてしまうことは出来ない。子供の哺育費というものは男の月給の中から職業組合を通して取られる。それだけの社会的義務がある。若しその男がずるくて女が補助費を貰えない場合は、裁判をして男の親があれば、その親の家から子供の哺育費を取ることが出来る。(併し土地には手を触れることは出来ない。何故ならば、土地というものは農業生産の基礎である、一農戸に属するものだから、土地を子供の哺育費に取るということは出来ない。)


 勿論ソヴェトでも社会的責任を理解している人間ばかりはいないから、いろいろ間違ったことが沢山ある。だから自分の女房があっても他に女をもっている。要するに妾ですが、妾をもっている人もある。併し形はそうであるけれども、女がそれによって、つまり男によって食わせてもらっているか或はそれとも合意的に一時的に生産単位として独立している女が男とそういう関係を結んでいるかということで随分また社会的の意味は違って来る。現在の若い青年共産主義同盟員、女子青年共産主義同盟員、そういうものの恋愛に対する観念はどうかというと、戦時共産主義時代は、社会が新しいものを創り、古いものを壊そうとする非常に激越した時代だった。だから恋愛というものに対する考え方も或る点非常に機械的になってしまった。

 個人個人の間の恋愛形態が社会にどれだけ連帯責任をもつかということよりはむしろ旧時代の恋愛および結婚生活が絶対のものであるという私有財産制から発生したブルジョア一夫一妻制の宗教的考えを打破するに急であった。だけれども現在は建設時代に進んでいるから、恋愛、家庭生活、結婚ということが各個人の社会人としての連帯責任に基礎を置いているということがはっきりしている。だから万一一人の青年共産主義同盟員が片っ端から女を引っかけてゆくとする。それを恋愛は自由であるからとして放任して置くかというと全然反対である。余り非社会的な行為をする場合には青年共産主義同盟の中で、同志的制裁を加えるか、反省を促される。女の社会的価値を無視したことをやれば勿論除名もされ得る。だけれどもそれだけが第一の問題となって除名されるということはない。つまりそういうことをするのがその男の社会連帯責任を無視する一つの実例として見られるのです。

 それからお互の性的関係は先ず第一に衛生問題であって、性的な慾望をいろいろ宗教的に決めてしまったり、そこへ妙な道徳観を拵えたりする、そういうことはさっぱり捨てている。男女が互に好きだということ、それは性慾から派生した感情、そういう風にはっきり理解して行く。だから自分の性慾が自分を刺戟して或る人間に対する興味を感じた場合、その対手の社会人としての価値で引つけられたかどうかという点はきりはなして考える。その点での誤謬を冒すことは非常に減っており、その点ははっきりしている。

 フランスでは要するにブルジョア機構内で女が自分の性をどうしたら最も功利的に利用出来るかと考えている。だからフランスの女権拡張運動というものはどういう状態にあるかということの説明になる。だけれどもソヴェトでは男も女もそういう意味のブルジョア的性別は、減っている。何故かというと、労働において女は男の協力者であり、また家庭生活の中でも第一小学校から男と女のする仕事が別れるということがない。お弁当を食べる時……学校でくれるお弁当を食べると、後の皿を洗ったりいろいろすることは男の子も女の子も混って一緒にする。それから部屋の掃除も、畑を耕すことも、植物を採取することも一緒にする。托児所の揺籃から共学です。そういう点でも気分が自然違うわけで、つまり子供のうちから女と一緒に働き、一緒に仕事をするということから先ず根本の感情が出来ているから非常にはっきりしている。

 また女性の性の必然というものをソヴェト位保護しているところはない。フランスのような服装の上でまでの性の誇張、そういうことは勿論ソヴェトにはない。そのないことはそれでまた健康であると思う。

 女と男は元来咽喉笛の出来工合から違う。また筋肉、骨格皆それぞれ男女違っている。男は女の特色を気持よく感じ、また女は男の特徴を気持よく感ずる。それが性それ自身のもっている美である。お互いのそれを完全に保護する。女の体が柔かくて、丸くって、男の体が角張って骨が多い。それはつまり性の必然的差別と美しさである。そこでお互いの肉体がお互いの必然的限度までよく働いて健康を保っていれば十分美はある。

 ソヴェトの若い人間はそういう点で美しい。それだから、つまり資本主義社会のような性の誇張というものがなくなったからと云って美は減少していない。だから決してソヴェトに行っても決して美に対して心配する必要はない。それで非常に朗かで、私が丸三年ソヴェトにいた間に、男と女と仕事の上のひけ目とか区別を感じない。常に男が働いているところには女が働いている。また女の働いているところには常に男が働いている。だから男と女がまるで違った分野で違う給料で働いて暮すというようなことは、ソヴェトの若い人間はそういう社会内に生きる男女の感情を知らない位だと思う。

 それで恋愛の表現等でも、パリとモスクワと違うところは、例えばパリは引け時間、地下電車の入口に立って見ていると、女が先に来て改札口で待っている。すると若い男が来る。互いに抱き合って長い間接吻して、女と男と別々の方へ別れて行く、そういう表現をフランス人はする。が、ソヴェトの若い人間は往来で接吻するようなことはない。第一そういうものに対する解釈、そういう恋愛技術というものに対する考え方が全然違う。

 ソヴェトでは個人間の恋愛関係は、生産単位として各人を要求している社会の前に提出すべき第一の問題ではないからそういう点は考えかたが違う。仕事のためにどっかへ互に分れてゆく。これは当然だ。第一そんなに吸い付くということは衛生的でない。口の中には沢山のバチルスをもっているというようなことは子供の時から教えられている。そういうスローガンが衛生教育の一つの定規になっている位だ。

 青年共産主義同盟員は握手はしない。ピオニェールも握手しない。それで先ず第一に来ることは、恋愛の自由ということでも、家庭における婦人の地位の向上ということでも、要するに生産関係が変って、女が本当に生産の単位として社会の中に組織をもって現れて来ないうちは、何も根本的にはものにならないということがはっきりする。で恋愛は自由というけれども、公事ではないから、自分の私事問題だ。これが社会的に問題となって各自責任があるのは、女のもっている、或は男のもっている社会人としての責任義務を通して社会一般の問題となって行くだけである。恋愛をその日の事業として暮すというのであったら、それは社会人として第一に排撃される。クララ・ツェトキンの書いた「レーニンの想い出」に、戦時共産主義時代に若い党員が恋愛の自由ということを感違いして、いろいろの誤謬を起したことにレーニンが非常に心配して、今の若いものは恋愛というものは一つの生理的問題に過ぎないということを非常に誤解して、あんなに有望な青年達が娘のスカートを追っかけてゆくようではと非常に心配していたことを書いている。併しそういう点は今の若い人間はズッと進歩して健全になっており、それだけ社会状態が落付いて来たわけで、これはソヴェトが今再び建設時代に入っているはっきりした証拠である。

 それから映画も、芸術を通して社会主義社会をどういう風に建設して行くか、ということを一般に知らすものとしてつかわれている。ソヴェトが今日に至ったまでの歴史、生産に対する知識の普及、衛生知識の普及、今日五ヵ年計画がどう行われているかというニュース、そういうものを芸術的にどう表現していくかという点に特長がある。同時に芸術的に技術的に非常に進んでいる。日本のように単なる娯楽というものでなく、娯楽というものを如何に社会的に有効に利用するかという、つまり教育的に使っている。それでいて芸術的価値は非常に十分に含まれている。だからソヴェトの映画を見ると、芸術を通してどれだけ知識の普及が出来るか、どれだけそういう目的をもった作品が高い芸術性をもち得るかということが分って、随分いい勉強になるわけである。


 この前では、一般の学校教育のことを話したから、きょうは芸術教育及び子供の劇場、そういうことについて少々お喋りして見たいと思う。

 我々が子供だった時に、子供芝居というものがあって、そこで昔からある、カチカチ山、瘤取りなどというものを有楽座で見た経験がある。大して面白いものでなかった。それ以来日本で子供のための子供の劇場というものが余り発達していない。

 現在松竹が一生懸命販売政策でもって、いろいろの新しいものをどんどんやっているが、本当に次の時代の人間のために考えた、子供の劇団というものを一つももっていない。あれだけの組織をもっていながら、資本主義の演劇ばかりやっていて、だからたとえ人気取りのため、社会主義的な脚本を上演するとしても、それはどこまでも社会民主主義的立場で、それで自分達が切符を沢山売って、利益を得て行くというだけの問題である。

 だけれども、ソヴェトでは演劇も、キノも、音楽も皆本当に民衆のもので、民衆の喜びのために、民衆の文化の向上のために、民衆自身が自分達の感情をそとへ表現するために、芸術教育も、それから職業的な芸術団体もあるわけである。

 ソヴェト・ロシア文部省の芸術部がそれを統轄して、演劇の上演目録審査委員会というものがある。そうしてシーズンが来て──秋から翌年春までのそのシーズンに、どこの劇場ではどれだけの上演目録をどういう順序でやって行くということをそこで決定し、脚本の選択をしてやって行く。労働者及び勤め人、そういうものは自分達の職業組合を通じて切符を半額で貰う。或る場合は全然只で貰う。

 それで劇場は必ずいつでも何割かを職業組合のために場所を取っている。あとの我々みたいな外国人は、窓口へ行って、そこに書いてあるだけの金でもって芝居を見なくてはならぬ。で我々は少くとも職業組合員の倍以上の金で芝居を見るわけで、それだけ職業組合のために、働く者のために便宜を計っている。

 子供の芝居はモスクワに二つ、レニングラードに一つ、それからトラム(劇場労働青年)というのがあって、今度新しい仕事としてピオニェールの劇団を組織した。

 レニングラードとモスクワに二つあるのは、それは大人が子供のために演ずる芝居、職業的な専門家が演ずる。

 非常に興味のある点は、そこで演ずる上演目録というものが、他の大人の劇場と同じソヴェト全体に取ってのその時の問題と密接に関連した主題をもった脚本を上演して行くことである。だから五ヵ年計画……ソヴェトの農村に於ける五ヵ年計画で集団農場の問題をどんどん取扱って行くと同時に、子供の劇場でも、子供に見せるために子供の理解し得る範囲で、やっぱり五ヵ年計画及び農村の問題、それから機械化の問題、電化の問題、そういうものをどんどん扱って行く。

 それで、そういう風にして、社会教育を施して行く一方、子供の感情の働き方、これは大人と違うから、つまり注意をどれだけ、何分間集中し得るかというようなことは、大人に育ってしまってからはよく分らないから、そこに教育部というものがあって、そこへ私が行った時に会ったのは、白髯の爺さんで、かれは何年も児童教育、児童心理学を勉強している人だったが、かれが主任で芝居がすすむにつれ子供がどこへ行ったら笑ったか、それが何分続く、それからどれだけ笑って、やがて退屈し始めたかという、そういう心理的な統計、それを皆んなとっている。

 だから、つまりその脚本の心理的な成功、不成功というものがよく分る。それによって児童教育に対する心理的なリズムというものをはっきり研究して行く。そういう点は非常に興味がある。それからそこへ子供は非常に安く入れる。二十カペイキの金で、或は全然只で学校から団体で連れて行く。各小学校が順繰に……。その上その見た印象を絵に書いたり、文章に書いたりして、教育部がそれを集めている。そしてそれがどんなものが子供に印象を強く与えたかという参考になる。

 私が見た時は、「印度の子供」というのをやっていた。それは殖民地の問題で、植民地でどんなに印度人がイギリス人に圧迫されているかということを知らすと同時に科学の力、智慧というものが人間の生活を便利にして行く、そのために人間は十分その智慧を生活の便利のために獲得しなければならぬということ、そういうことを知らすために、印度人の子供がレントゲンを見たことがない、ソヴェト科学者とその息子が印度に暮していて、それの息子がふざけてレントゲンでうつすとインドの子供の手が骨ばかりになって見える。自分は死んだとワイワイ泣くと、電気が消えて、レントゲンが消えて、また元の自分になって印度人の子供が非常にびっくりする。それを見ている子供たちも、とても一生懸命だ。印度人の子供が安心すると、自分たちも一緒に安心して拍手喝采するというので、非常にいいところがある。

 それから同じ「印度の子供」の、宗教反対教育のために、印度の小さい女の子が変挺子へんてこなお寺の人身御供みたいなものに上げられてしまう。そしてその友達の、レントゲンを見て驚いた男の子が助けてやりたいと思って、科学者の息子に助力して貰いにいく。少年は寺へ侵入して偶像は偶像であるということを明かにして娘を救い出す。ある場面では日本の壇の浦の遠見の敦盛みたいに、オートバイが舞台の前から出て、遠くまで行ってむこうの高い橋を小さくなって走ってくるところを見せる。そこは操り人形になって来る。技術の上で非常に進歩的に、真面目に芸術的な効果の強い演出をやっている。

 その舞台の恰好は特別な恰好で、古代ギリシャの舞台、お能の舞台のようで、三方があいて、それが観客席に突出ている。それだから観客の中から舞台に非常に密接だし、必要なときは舞台をどこまでも拡大することが出来る。舞台がそういう形だから、観客と舞台の上の出来事が近くて、差別がはっきり分らないので、その場合非常に舞台と観客とを結び付けることが出来るわけである。そこではやっぱり大人の劇場と同じに、舞台装置の模型を作っていろいろなものをやっている。外国の翻訳もやり、ロシア作家のものもやる。

 それで興味のある点は、いつでもソヴェト全体が、生活の目標として、努力の目標としている点を子供にも理解させて、子供が大人の生活と同じに、自分が社会の一員として感ずるように、脚本を通して教育して行くということと、それから主題の扱いかたに全然欺しがない。子供を甘やかしていない。勿論分り易く扱っている。だけれども、社会主義的な見地は一歩も譲っていない。共産主義的な点で押して行く。そこが興味がある。

 外の国みたいに、子供のための読物、或は子供のための芝居、子供のための音楽、そういうものを大人が考えて、大人が自分のセンチメンタリズムでこね上げ、子供に当てはめて、甘いものにしたり、非常に程度の低いものにしたり、荒唐無稽のものにしたりする大きな間違いをしていない。

 それが興味のある点で、それは子供のための文学、所謂お伽話というものについても云える。お伽話というものは、例えば巖谷小波がこの正月にラジオで放送したああいう山羊の仙人というような話は、子供の話としてソヴェトにはないわけである。何故ないかというと、そういう風な全然子供自身が大人から聞かなければ知らないような、そういう幻想、それから変な射倖心、例えば鍬を借りて土を掘ったら金が出ましたという、そういう個人的射倖というものを主題にしたもの、それから個人的な名誉心を唆かすようなもの、例えば一人の子供が一生懸命勉強して、皆なを押しのけて、ひとりだけ一番いい子供になりすましたという、そういう観念、そういうことを話の中から抜き取ってあるわけである。

 勿論子供の向上心、好奇心というものを生かし大体子供そのものが連想の早い、空想的なものであるから、そういうものをどういう風に導いて行くかというとこんな風だ。

 例えば集団的生活の中で或る困難が起る。子供達が遠足に行ったとする。そうすると河があって、どうしてもその河を横切らなければ、停車場へ行って汽車に乗って帰ることが出来ないのに船が一つもない。見渡したところ橋もない。だけれども汽車の時間は切迫する。子供はどうしよう。そこで皆んなが智慧を出し合い、その中に賢い子供がいて、一つの手段を発見する、例えばあそこに大きい板と棒や何かがあるからそれで筏をこしらえて渡ろうということを提議する。そうするとその子供の智慧も立派に個人的な発見として集団の中に役立つ。それでその子供一人がいい子になるのでなく、皆んなが便利を受けて、子供の智慧で皆んなの生活を生かす。そういうように教えて行く。

 例えば空想でも、鶴に乗って空を飛んだということでなく、サア我々は今飛行機に乗ったよ。下を見ると、モスクワにはどんな工場がいくつあって、そうして発電所がある。その発電所と我々のところの電燈とどういう関係があるだろう? 誰か知ってるか? そういう風に、子供はどんどんそういう事実から想像することが出来る。

 何も、大人が特別に自分達の生活にないものをもって来て、子供の空想の種としようとする努力をしないで、子供は日常の生活の中の自分達の周りのものでどんどん連想を発達させ、想像を逞しゅうすることが出来る。だから十二三位の子供と話して見ると、彼等の有っている知識が実に整然としていて、範囲が非常に広く、国際的であるのにびっくりする。無駄がない。


 それからまた一方に、ソヴェトの教育は、労作と結び付いている教育である。だから例えば我々が学校で遠足に行く場合には、先生が、どこそこへ遠足に行くから金をいくら貰って、学校に何時にいらっしゃいということで、何行の汽車に乗るか、何分かかるか、東京から何マイルあるか、何にも知らなかった。

 だけれども、ソヴェトの子供は自分達の委員でもって、遠足する場合に自分達で研究する。汽車はいくらかかるとか、モスクワから何マイルあるとかいうことを調べる。それだから我々より余程自分がどこにいるかということの地位の測定とか、それから距離との関係、都会と田舎との関係、そこにある生産というものをよく知っている。そうしてそういうことをさせる習慣をつくらせる。だから今のソヴェトの子供が本当に新しい時代の人間として発育しつつあるということ、これは誰も否定することが出来ないものである。そこにソヴェトの未来の強さがある。

 それから音楽教育──音楽なんかでも、音楽の専門的な発達のための努力とその音楽を一般的に民衆に分からして行くこと、それから民衆自身が何か自分達の楽しみのために、或は集会の時に、示威行列の時に、自分達の楽隊で演奏するために、音楽の研究会というものは大抵どの倶楽部にもある。そこで主として吹奏楽、それでなければギターやバラライカを主にしたもの、それで一週間に何度と仕事のあとそこへ行って研究する。例えばメーデーの時、革命記念祭のデモンストレーションの時には、各工場は自分の工場の音楽隊を先に立てて行進して来る。

 専門的な音楽の発達のためには、ソヴェトは音楽学校の非常に程度の高いものをもっている。そこでシーズンが来ると、外国から来る人もあって盛んにやっている。それは全然専門的なもので、毎年専門技術家を卒業させて、新しい演奏家、作曲家がどんどん出て来る。

 ソヴェトでは昨今音楽でも一般的なプロレタリアートの精神を現した音楽と同時に、ロシア民族というものの有っている特徴を音楽の中に生かすことを問題として来ている。それが面白いことに、革命当時はプロレタリアートの叫び、それから解放されたプロレタリアートの喜び、悲しみ、そういうものを直截に、そのまま発表しようとする、そういう傾向が強かった。

 それが建設十何年という時になって来ると、いろいろ落付きが出来て来て、そこに研究する問題がいろいろ出来て来たわけで、それでインターナショナルのプロレタリアートの音楽というものと同時に、民族的なロシアの特徴を生かした音楽をも作らなければならないということをいいだして来た。しかしそれは決して国家主義的にロシア音楽の特徴のみを生かすという意味ではない。世界プロレタリアートの共通な感情をロシアはロシアの音を加えて表現しよう。そういう意味だ。

 それから絵、例えば絵画でも、プロレタリアート美術自身の自己完成というものと、民衆が自分達の表現を絵画的に会得するために、やっぱり労働者倶楽部に研究会がある。そこで展覧会を時々やったり、いろいろな美術展覧会の見学に出かけたりしている。

 けれども、ソヴェトの人間は昔からそうなんだろうけれども、音楽、文学の方が得手で、絵はそう大して得手ではない。それで却って木版、ウクライナの木版には非常に面白いものがある。ただしかし非常に面白いのは、そういう風な倶楽部の絵画研究部で作る絵なんかは、技術的には随分下手だけれども、下手な中に如何にも、新生活が始まったばかりのソヴェトの新しい主題が非常に取りこまれている。

 例えば或る展覧会で見た絵で、農村の室内風景、それはどんな室内風景かというと、聖像は取り外されている。その代りそこにあの髯の多いマルクスの額が掛っている。そうしてその前で爺さん婆さんが何をしているかと云うと、やっぱり聖像に向って膝まずいてお辞儀しているように、マルクスに向って膝まずいて老夫婦がお辞儀をしているところを描いた絵があった。そういうのはソヴェトのプロレタリアートの絵描きでなかったら発見しない主題である。それは実生活に新しいものと古いものと錯綜して、新しいものが勢力を得て来ていることを現したもので、非常に興味を感じた、そうして笑わずにいられない、また同時に好意を感ぜずにいられない。

 ソヴェトの絵の展覧会は、パリやあちこちで開催されて、ソヴェト美術の紹介とされている。

 それでウクライナの木版なんかも非常にいいのをウィーンかどっかへ持って行って展覧会を開いた。ウクライナの木版は非常に独特で、そうして面白いものである。

 それからキノも外の芸術と同じように、勿論階級の武器だ。例えば去年の春初めてソヴェトにトーキーが出来た。そのトーキーというものは、私はアメリカのトーキーをベルリンで見たし、またイギリスで見たが、非常に音というものの使い方があきたらない。平凡である。ただ唄わせるためにだけに場面としては必要のない場面を何秒間も続ける。そうかと思うと、物が落ちた場面の中で、実際物が落ちると、それと一緒にガタンと音が聞える。ただ説明だけである。昔の下手な活動の弁士が絵でもって男が二階へ上って行くと、「彼は今二階へ上ったのであります」といったのと同じである。アメリカのトーキーは音を概してそういう風に使っている。ソヴェトのトーキーの面白い点は、音というものを全然そういう風な画面と一緒に行く説明ではない。物を立体的に、その感情を表現するために音を使う。それが非常に面白く使ってある。深みがあり、実感は非常に強い。

 レーニンの葬式の画、これは記録として撮って置いたものに音をつけたのだが、レーニンという人間が死んだ時に、世界中のプロレタリアートがどんなに感動したかということを音でよく現している。それは何かというと、工場のヒューッという気笛、吹雪が、どんどん降る。旗がはためいている。ヒューッと鳴る気笛。弔砲がドンドンと聞える。非常に効果的な音の使いかただった。

 それの一部で五ヵ年計画についての演説、それはモスクワの大劇場で行った。それはそのまま人間と演説が撮されて行くだけである。なかなか面白かった。

 ソヴェトのトーキーの製作者はひどくその作品について謙遜である。アメリカのトーキーを見た時にこんな話がある。皆んながっかりしてしまって、到底俺達の技術はアメリカの技術に及ばないといってがっかりしたというけれども、しかし我々みたいに第三者から見ると、勿論アメリカはいい機械はもっているか知らないが、また技術も先に始めたから進んでいるかもしれないが、音と目から来るものとの結び付け工合は、全然ソヴェトのトーキーの方が上である。だからそういうつまり音の扱い方で、ソヴェトのトーキーが将来どういう風に発展するか、日本のようにこれからトーキーが出来る国ではこれが大いに参考になると思う。

 映画は、勿論つまらない映画を見たい人間は一人もいないから、どんなソヴェトの忠実な勤労者に見せるんでも、映画は常に面白くなければならないけれども、面白いなかにいろいろの教育をやって行く。衛生教育、生産の拡大に関する教育、それから、労働者の規律に対する諷刺とかいろいろやって行く。

 それで子供のために笑話的教育フィルムが出来たり……それも計画的生産で、活動も一年に教育フィルムを何本作る。歴史的なフィルムを何本作る。十月革命の歴史に関するフィルムは何本作る。喜劇は何本、外国の問題を取扱ったものは何本作る。そういう風に一年の生産計画を立て、それでいろいろやって行く。

 だから日本のように非常に短い時間に、非常に沢山のフィルムを、営利会社が有っている映画館の需要を充たすために粗製濫造をする、そういう悲劇は製作者にとってないわけである。それで今までプドフキンでも、エイゼンシュテインでも非常に長い時間かかって傑作をこしらえた。彼等の製作は、どれだけ我々の眼の前に出て来ない沢山の習作の中から抜粋して映画にされたか分らない。だから隠れた時間と労力が沢山ある。そのことについて今問題がある。キノはもう少し早く製作することを習得しなくてはいけないということをいわれている。

 例えば衛生に関するフィルムでどんなのがあるか、既にロシアの油虫は有名である、南京虫も随分いる。それでキノを見ると、とても大きくて、まるで人間が食われそうな南京虫がフィルムの中に出て来る。これを退治しなければたまらない。そういうものは主としてどういうところに住んでいるかということ、それが物語り風に出来ている。そうすると、そこへ一日の労働を了えて疲れて帰って来て、枕に就くというとかゆくて寝られない。そのうちに夜が明けて、眠り足りないで工場に出たから、工場で機械の中に捲込まれて悲劇が起る。これは労働者が自分達の生活の規律と、自身の安全のために清潔にしなければならぬ。それがため南京虫退治にどういう薬があるか、また台所の油虫はどんな風にしなければならぬかというようなことを教えている。

 ソヴェトは五ヵ年計画で、ラジオの中継局とキノのステーションを何千と新しく造ろうとしている。各自の文化の向上のために、芝居よりキノと、ラジオが一番直截で費用がかからないで大衆的でよい。芝居は訓練された技術者が要る。また照明がなくてはならぬし、場所がなければならぬ。ラジオなら中継すれば野の中へでもみんな固まって聴くことが出来、それに今は農村に於ける集団農場が文化の中心になっている。だから集団農場の倶楽部に皆キノだのラジオが集中されて、農村で生産をすると同時に新しい文化が進入して行く。だからトラクトルと一緒に新しい文化が農村に及んで来るわけである。

 それでいろいろの部分を見て、非常に感ずることは、ソヴェトのように生産が本当の意味で合理化されているところ、労働の社会主義的に行われているところでは工場にしろ、農場にしろ、ただ労働の搾取だけあるというところは一つもない。必ず自分達が働く場所には、政治的の教育と、文化の教育というものがある。それは実に羨ましいところだと思う。

〔一九三一年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社

   1980(昭和55)年920日初版発行

   1986(昭和61)年320日第4刷発行

底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房

   1952(昭和27)年12

初出:「アサヒグラフ」

   1931(昭和6)年11日、7日、14日、21日、28日号

入力:柴田卓治

校正:米田進

2002年1028日作成

2018年71日修正

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