女が来て
與謝野晶子
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良人は昨日来た某警察署の高等視察のした話をSさんにして居ました。私は手に卓上と云ふ茶色の表紙をした雑誌を持ちながら、初めて聞く話でしたから良人の言葉に耳を傾けて居ました。
『あの時居たYをね、あれがNさんでせうつて云ふのだよ。』
と良人は私に話を向けました。私は思はず笑ひ出しました。その高等視察が来ました時に私はKさんと云ふ人とやはりこの応接室で話をして居たのでした。私が階下へ降りると直ぐKさんも階下へ来ました。それ迄良人と話をして居たYさんも続いて階下の座敷へ来ましたから、私は今来た人が人払ひを頼んだのであらうと思つたのでした。
『Yさんが大変なお金持に見られるつて、まあね。』
『Y君が出て行くとね、あの方でせうNさんはつて云ふのだよ。』
『随分をかしい人。』
私は襟のよれかかつた、縞目の穢れたYさんの背広の姿が目に見えて酸つぱいやうな気がしました。
『その方はね、お金が無くつてね、自身も一人の女の人ももう死なうと思ふと云ふやうな話に来ていらつしつたのですよ。』
と私はSさんに云ひました。SさんはもとよりNさんが大きな富豪で、東京へ遊びに来ても自動車にばかり乗るので、其人を妙なことから注意人物にして居る警視庁が無駄な費用を多く使はせられて居ることなども知つて居るのです。
『ふうむ、死ぬつて云ふ人。』
Sさんはこれはまたと云ふ顔をしました。
『妙な人が来るもので。』
良人はYさんのことをSさんに話し出さうとして居ました。私は女中が一寸来てくれと云ふものですから階下へ降りました。
Sさんのやうな独身者には応接室で御馳走を上げるより、茶の間で家族と一緒に賑かに食べて貰ふ方がいいと良人は何時も云つて居るものですから、今日も其仕度をしてSさんを案内して来ました。Sさんは子供達に、
『さあ、七杯食べる子には小父さんが御褒美をやるよ。』
などと戯れて居ました。
『海鼠の腸がないかい。』
と良人が云ふものですから、私は雲丹ならまだある筈だと思ひまして、女中に持つて来させましたが、
『これは少し酒精気の多い雲丹です。去年××から貰つて来たのてすよ。』
と良人がSさんに云ふのを聞いて、私はまたYさんのことを思ひ出しました。それは良人が九州の或団体から招待を受けて行つた時に、××新聞社の社員として接待の役をしてくれたのがYさんだつたのださうですから。
中の三人の子が床に入りましてから、私はまだ眠りさうにない末の子を抱いて二階へ行きました。
『つひ、長居をしてしまつて。』
と云つて、Sさんは椅子を離れました。
『まあ、いいぢやありませんか。』
『さうですかな。』
『まだ七時頃だらう。』
『ええ。』
『しい。』
Sさんは末の子が鶏を見て云ふことを云つて子供をからかひながらまた座りました。門の戸を二寸、三寸、また三寸と云ふ風に人の開けた音が聞えました。暫くすると
『母さん、女の人が来ましたよ。』
長男がかう云つて、私の処へ原稿紙で上包みを拵へた書簡を持つて来ました。良人と私の名が並べて書かれてあるのですが、文字に見覚えがないと思つて裏面を見るとこれはYさんのでした。私は抱いた子を下へ置いて封を解きました。
問題の女をさし出します。
この冒頭に私の心は平静を失ひまして、あとの文字はよくも頭に入らないのでした。今はこの女の生命も自分の生命もあなた方御夫婦に縋つて取り留めて頂くより方法がないなどと書いてあつたやうでした。殊に死と云ふ字を多く女のことを云ふ中に使つてあつたやうです。
『Yさんがその芸者をおよこしになつたのですよ。逢つてやつて下さいつて。』
良人は手紙を見ずにくるくると巻いてしまひました。
『逢つておやりよ。』
『何処で。』
『階下でさ。』
『もう皆お床を敷いてますわ。』
『書斎でさ。』
『どう云ふ人でせう。』
『また伺ひます。』
と云つて、Sさんは立つてしまひました。私には乳の上に二所とか刺青をしてあると云ふその西国の芸者と差向ひで話をすることを唯の事をするとは思へないのでした。
『あなたも逢つてやつて下さいな。』
『さようなら。』
Sさんが梯子段を降りて行きました。良人も私も玄関へ送つて行つてますと、きやつきやつと笑ひながら二人の女の子が障子の向うまで来て居ました。
『寝て居ましたのがね、起きてお送りをしに来て居るのですよ。』
『裸体で飛び出して来ては困るよ。』
こんな戯談を云ひながらSさんは表へ出ました。私はそれまで其処に立つて居る筈の女を見るのが術なくて身体を少し引き込めて居たのでしたが、初めて障子から顔を出しました。
『お上りなさいな。』
私は一方へ寄せてある障子の前の処に居る人を恐々見たのでした。
『へえ、結構な姿なんですからね。』
女の声は大きい、二軒先の勝手口で云つて居ても聞える程なのです。
『まあお上んなさい。』
『何もありませんから、結構な姿をして来ました。』
女は色の黒い平面で、斜に釣り上つた目であること、肩の幅の広いことなどが薄暗い中でも私に感ぜられました。
『御免下さいまし。』
手を擦り擦りかう云つて上つて来る女を見まして、何とも云へないやうな心細さを覚えました。
『二階へいらつしやい。』
私は先に立つて梯子段を上つて行つて、応接室を見ると、何時の間にかもう良人は座に帰つて居ました。あれで三味線を弾いたでせうか、心いきを歌つたでせうか、私はこんな苦笑を包みながら先刻Sさんの居た椅子へ座りました。
『御免下さいまし。夜分上りましては済みませんのですがね、早く出まして三里も五里も歩きましてね。』
女は外の板の廊下へ膝を突いてかう云ふのでした。
『それは気の毒だ、さあ此方へ来給へ。』
と良人は云ひました。女は入つて来ましたが、私は初対面の挨拶をするのもきまりが悪くて、
『御遠慮をなさらないで、此方へ来てお掛けなさい。』
などと云つて女を椅子に座らせてしまひました。
『三里も五里も道に迷ひましてね。』
『電車にお乗りにならなかつたの。』
『いいえ、乗つて参りまして三番町で降りたのですよ。』
『ぢやあ直ぐ近くだ。』
と良人が云ひました。
『それから六度も同じ処を通りましたんですよ。六度もね。終ひにあの四つ辻の角の酒屋で聞きましてやつと解りましたんですよ。』
女のこめかみには一寸四方程の頭痛膏が張つてありました。髪は女工のして居るやうな総髪の梳髪なのでした。紡績絣の袷を素肌に着て、半幅の繻子の帯をちよこなんと結んで、藍地の麻の葉のメリンスの前掛をして居ました。女は穢れた瓦斯紅絹の八ツ口から見える自身の腕を眺めてじつとして居ました。
『Y君はどうしてるね。』
『Yさんね、毎日毎日歩くもんですからね、こんな底まめを三つも足の裏に拵へなすつてね、今日は動けないんですよ。』
私は女に指を二寸程出して見せられるのを、先刻聞いた三里五里と同じやうに思つて眺めて居ました。
『ひどいものですね。』
とまた女は云ひました。
『それは気の毒だ。』
『旅へ出て苦労ばかりしますよ。真実に。』
『あなたの国は何処だい。』
『お父様は宇治なんです。』
『京のかね。』
『ええ、お母さんと云ふお方は九州の人で、それが私のやうに彼方此方とまごついて、東京へ来ましてお父様と一緒になつたのでせう。それから九州へ帰りまして商売をしましたのですが、私の八つの時にお父様は死にましたのです。そしてお母様は三人の子のある男を家へ入れたんですよ。その男に三軒も出してあつた店は皆つぶされてしまひまして、私は終ひに女郎にまで売られたのですよ。』
『さうかね。』
『Yさんがくはしいことをお話しましたさうですね。』
『少しは聞きましたがね、あの六百枚から書いておいでになつた小説を見ればよく解るのだらうけれど、そんな暇がないものだから。』
『さうですか、まあ厭だ。この間もね、今日はすつかり此方へ行つてお話して来た。すつかりお話して来たなんか云つて居るのですよ。』
先刻女中に渡して置いた末の子が泣いて居るのを私は知つて居ながら、立つて行つてはこの人に悪いやうな気がしてじつとして居るのでした。直ぐ梯子段の下まで来て居るらしいので、私は座を離れて行つて、
『伴れていらつしやい。』
と云ひました。子供は涙の溜つた目で嬉し相に両親を見廻しながら抱かれて入つて来ました。
『女のお子さんなんですか。』
子供には赤い無地のメリンスを着せてあつたのです。
『男ですよ。』
『まあ可愛らしい。』
女は手を出して私の膝の上に居る子供をあやすやうにして居ました。よく笑ふ子ですから、きいきいと云つて居ました。
『Y君はよく東京の事情を知らないものだから、原稿さへ書けば直ぐ金になると思つて居たので、気の毒だ。』
『それですよ。書いてしまつたら屹度お金になるんだと云ふものですから、どうぞ書いて頂戴、私はその間どうでもしますつて云ひましてね。働いて居たんですよ。その間はYさんもさうですが私も毎晩二三時頃まで寝ませんでしたよ。』
『金は出来ないでもY君の仕事は真面目なことで、そしてきつと立派なものが出来たらうと思ふんですがね、どんなに私の心安い本屋でもこれまで名の知れてない人の長い小説は引き受けてくれませんからね。』
『これさへ出来れば、これさへ出来ればと云つて居ましてね。』
女は涙を袖で拭いて居ました。さうかと思ふとまた急に、
『坊ちやん、小母さんは貧乏でおみやがありませんね。』
と大きい声で子に話かけたりもするのです。
『恥しいお話なんですが、今日なんか私の来ます時、あなた炊いて置いて頂戴ねつて云つて来ましたお米はもう一合あまりなんですよ。二十日も三十日もお湯には入りませんし、Yさんはかう云つて下さるんですよ、おまへは昔の顔に似た処が一つもなくなつたつて。まあお腰巻を一つ買つても五十銭や六十銭かかりますからね、この間もね、小笠原さんと云ふ巡査の奥様の処へ行つてね、小母さん、私にお腰巻を頂戴ねつて云ひますとね、困つたね、私も一つよりかけがへがないんだけれどと云つて恵んでくれたんですよ。』
『××へは帰る気にはならないのかい。』
『一ぱし踏み出して来たんですもの。』
『前借が残つて居るのだつて。』
『ええ、けれど私はその三倍も儲をさせて来てやつたんですよ。こんなをかしな顔ですけれど、よく流行りましてね。』
私は自分が大きく点頭いたことを気の毒に思ひました。
『さうですから逃げ出しました時にはまだ指輪なんかも持つて居ましたのですよ。宮島に一月隠れてまして、それから東京へ来て二月の間物を買つては食べ食べして居たもんですから、ひどい身になつたんですよ。それからYさんが来たんですが、あの人は初めから何も持つて居ないんでせう。私が自分で働いたり、人にお金を借りたりしましてね、それからまた二月なんですからね。』
『Y君の話では初めは外の人と国を出て来たと云ふぢやないか。その人と一緒になるつもりだつたのかい。』
『いいえ、いいえ。』
女は恐い目をしました。そして首を暫くの間振つて居ました。
『途中で道伴になつた人があるんですよ。その人が××へ帰つてすつかり話をしたもんですから楼主の方へ皆解つてしまひましてね、あの方も土地に居られなくなつたんですよ。けれど前から三月には社をやめて東京へ行くと云つてたんですよ。初めからくはしくお話しないと解りませんけれど、一昨年の十一月に私が初めて出ました晩に上つてくれた客があの人だつたんですよ。私は女郎買なんかは嫌ひだけれど、身体に悪いから一月に一度は来るつもりだ。別の処へ行くよりはお前の処へ来ることに決めて置かうとお云ひになつてね、それから毎月一度だけは欠かさず来て居てくれたんですよ。あの人だつてちつとも困つて居ませんでしたし、私だつて女郎の四五人も下に伴れるだけの者になつて居ましたしね。それが妙なことでこんなことになりましたのよ、やはりあの社の或方のお母様の方がね、いい人だから一遍行つて逢つて見ろつてあの人が云ふもんですから、私は検査の帰りに一寸行きますとね、人を馬鹿にした方でね、女郎が真実のことを云ふ時があるかつて、そんなことを云ふんですよ。私だつて人間ですから嘘を云ふこともありますけれど、Yさんには嘘を云ひませんよと云つて帰つて来たんですよ。Yさんがその晩来ましたから、口惜しくつて口惜しくつて仕様がないと云ひますとね、随分あれで疑ひ深いのですからね、嘘がないのなら逃げて見ろと云ふのでせう。ええ逃げますともつて逃げたんですよ。』
『年期はどれ程あるんですか。』
と私は問ひました。
『ええ、丁度二年なんですよ。』
『Y君とあなたとは何時までも一緒になつて居られる、厭になんかならないと信じ合つて居るのですか。』
『私はもうそれはもとより、あの人だつてまあ別れると云ふやうな気にはなれないやうですね。私はあの書いた物がお金にならないからつて、いい加減に諦めを附けて、伴れて帰らうと思つたがどうしても居所が知れなんだとか何とか云つて一度帰つていらつしやい、私は一人で働いてあなたの運の向いて来るのを待つて居ますよと云ふのですがね、そんなことは出来ません、どうしても私には出来ないよと云ふのですよ。私は内職で十円位は取れるんですよ。あの人が此処のところで十五円位も取つて下さることが出来たらそれでいいんですがね。』
『あなたの身体をかたにして借りたお金の期限が明日きりだと云ふぢやありませんか、それはどうなさるの。』
と私は云ひました。
『それは利子を払つてやればいいでせう。』
女はそんなことは気にも留めて居ないと云ふ風でした。Yさんはそれがあるので死と云ふ言葉をよく使ふのでせうが、随分違つて居るものだと私は思ひました。
『そんな人に身体が遣れるもんなら、私は××へでも帰れるわけですよ。石にかじり附いてもあの商売は二度としようと思ひません。』
『内職つて何だね。』
と良人は聞きました。
『襯衣や腹巻を縫ふんですよ。襯衣は三銭にしかなりませんし、腹巻は六厘から一銭までなんですよ。それがね、一寸一切り仕事が切れたものですからそんな風にお米も買へないんですよ。』
『感心だね。よく針が持てるね。』
『私は編物なんかでも八本針位は使ひます。さく子さん済まないね、あんなに贅沢をして居たのになんか、二時や三時まで起きて居るとYさんは云ふのですよ。醤油を一合買つたんですけれど、煮るやうな物は何も買へませんから黴びてしまひましたよ。三升買つた糠で漬物を拵へてそればかり食べてますの。』
『Y君に仕事があるといいがね。』
『昨日ね、なんかの外交員が入ると書いてあつたとかで其処へ行きますとね、金を一円出さないと何処と云ふことは教へられないと云ふんですつて。一円が十銭もないと云つてYさんは帰つて来たんですつて。』
『そんなのに引つ掛つちやあいけませんよ。一円が取りたいからそんな仕掛をしてあるんですよ。東京と云ふ処にはいろんな人が居ますからね。』
『へええ。』
女は舌の先を円く巻いて一寸出しました。
翌日の夕方に良人が机の上で肱を突きながら、青桐の根の処を眺めて、
『Yが自分の甥か南君かだつたら憤つてやるがね。』
こんなことを云つてました時、ひよつくら玄関へ来た人はYさんでした。
良人は二階で暫くYさんと話してから微笑をして降りて来ました。
『Y君はね、昨夜あの女を出して置いてから或家へ行つてしまつたのだとさ。Y君が学生時代に居た家ださうだ。女には手紙をよく書いて置いて来たさうだよ。』
昨夜あの女が寿司を取つて来て食べさせても、どうしても喉につまると云つてろくろく食べなかつた、あの時分にYさんは女の家を出たのだらうかなどと私は思ひました。
底本:「我等」我等発行所
1914(大正3)年6月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にあらためました。
※『』で挟まれた部分は、折り返し以降全て1字下げで組まれていますが、個別のレイアウト注記は略しました。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年2月16日作成
2003年5月18日修正
青空文庫作成ファイル:
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