おにおん倶樂部
林芙美子



 大木繁、滑川浩太郎、片貝巖、奧平善一、これだけが、おにおん倶樂部のメンバアである。

 おにおん倶樂部の名付親は、巖ちゃんの兄さんの庄作さんで、英語でおにおんとは、玉葱の意味だそうである。この四人はとても仲良しだけれども、四人とも氣が弱くて、何にでも感激する。そしてすぐ泣くと云うので、庄作さんが、おにおん倶樂部とあだなをつけたのだそうだ。繁ちゃんは六年生、浩ちゃんと善ちゃんは都立×中の一年生、巖ちゃんは××商業の一年生である。

 空襲前のころは、四人とも麹町×町の同じ町内にいたのだけれども、空襲で自分の町が燒けてしまうと、この四人はてんでんばらばらになって、終戰後、お互いの住所が判って、また四人はいっしょに會うようになった。

 繁ちゃんは三鷹の叔父さんの家にいた。

 浩ちゃんは鎌倉雪の下のお姉さんのお嫁入りさきにいた。

 巖ちゃんは中野の小瀧町に借家をして住んでいた。

 この三人は家じゅう、誰もみな元氣でいたけれども、善ちゃんだけは、お父さんがビルマで戰死して、お母さんは甲府の疎開さきで病氣で亡くなって、お姉さんと二人で東京へ戻って來た。いまは池上の叔父さんの家にいる。

 月のうち、一度は小瀧町の巖ちゃんのうちにあつまる事になっていた。四人があつまると、狹い家の中が、まるでお祭りみたいに賑かになって、ラジオを十臺も鳴らしているようだと庄作さんが冷かしている。

 おにおん倶樂部員は、月に一度は集るのだから、一ヶ月のうちに、何かいい事をして、その話を持ち寄ろうではないかと約束がきまった。

 何かいい事をすると云っても、わざと、いいことをつくる工風をするのは面白くないから、自然な氣持でいい事をすると云うのが、善ちゃんの意見である。だから、一つもいいことをしなくても仕方がない、嘘の氣持ちでそんなことをするのはごめんだと云うのも善ちゃんだったので、皆、善ちゃんの意見には賛成した。

 ところが、巖ちゃんはなかなかの冒險好きで、いつも、夢みたいな空想ばかりしているので、おにおん倶樂部員は、巖ちゃんの事を、煙りの巖ちゃんと云うあだなをつけていた。

 九月總會がまじかに迫っているので、煙りの巖ちゃんは、何かいいことをするチャンスはないかと考えていた。

 今日は日曜日。

 巖ちゃんは勉強をすませて、お母さまにつくってもらったパンを二つ、ポケットにいれて戸外へ出た。

 何かいいことはないかな。倶樂部員があっと云うような、いいことをしたいものだと思っていたので、見るもの聞くもの珍らしく、とうとう歩いて新宿驛に行ってみた。

 新宿驛は、まるでもう人の河のようである。流れてゆく人の波を見ていると、巖ちゃんは冒險好きな氣持がますますつのって來た。

 すると、驛の前で、たくさんの人の流れがうようよしているなかで、色眼鏡をかけた、盲目のひとが二人、しっかり手をつなぎあって、人の波にぶっつかりながらうろうろしているのを見た。二人とも大きいリュク・サックを背負って竹のステッキを持っている。

 じいっと巖ちゃんが見ていると、その二人はいかにも途方にくれたようなかっこうでしまいには、驛のホールの眞中につっ立ってしまった。そして、しばらく、二人はひそひそ話あっている。これを見て、巖ちゃんはそばへゆき、

「何處へ行くのですか?」

と、きいてみた。子供の聲なので、盲目のひとは、ちょっとびっくりしたように、顏を左右にむけていたが、

「上野まで行くんですが、切符はどこで買ったらいいのか判らなくなったンでね。」

 と云った。

「じゃア、僕、買って來てあげよう。」

 巖ちゃんがそう云うと、盲目のひとは不安そうに首をかしげていて、お金を出そうとする樣子もない。巖ちゃんはうたぐつているのだなと思ったので、

「そこへいて下さい。僕、お金あるから買って來る。」

 そう云って、巖ちゃんは、三枚の切符を買って來た。

「さア、これ切符、僕、上野まで送って行って上げましょう。」

 と、巖ちゃんが、盲目の二人に切符を握らせると、二人はあわてたように顏を赫くして、ポケットをさぐって札入れを出している。

「いいンですよ。財布なンか出して、スリに盜まれるといけないから、行きましょう。」

 そう云って、巖ちゃんは一人の手を取って改札に行った。やがて中央線の發着するホームへ出ると、盲目の二人は、恐縮して、何度もお禮を云うのである。

「上野から、君たち、何處へ行くの?」

「長野まで行って、それから、湯田中と云う温泉場へ行くンでね。」

「ふうん、遠いンで大變ですね。」

「坊ちゃんは、何處です?」

「僕は、前には、麹町にいたンだけど、燒けちゃったンだよ。でも、半年ばかり、お母さん達と、草津の方に疎開してたの……。」

「ほう……草津にねえ、どうですか? あすこは、宿屋は繁昌していますか?」

「さア、僕は知りあいのところにいたからよく知らない。宿屋も滿員だけど、疎開學童がいっぱい行ってたから、よく判らない。」

 やがて、電車が來た。

 三人はやっとの思いで乘り込んだ。

「おかげさまで助かります。濟みません。」

 二人は、いかにも安心したらしく、ほっとしている樣子である。

「上野へ着いて、二時何分の新潟行きの行列のところまで、送って行ってあげよう。」

 と巖ちゃんは云った。

 一人の背の高い方の、盲目のひとが、「自分は何年にも、こんな親切なひとにあったことがないです。」とよろこんでいる。

「兵隊に行ってたンですか?」

 巖ちゃんがきいた。

「自分は、滿洲に長く征っていて、それから中支に征き、眼をなくしたンです。」

 と、そのひとは云った。

 ああそうか、兵隊だったのかと、巖ちゃんは氣の毒に思って、今日は、いい事をしたと思うのだった。──上野へ着くと、ここもものすごい人の波で、やっとの思いで、新潟行の行列を探すと、その行列はもうだいぶ並んでいた。それでも、あと二時間以上もあるので、大丈夫乘れそうだけれど、改札してからが問題だと思って、巖ちゃんは、何かいい工夫はないかと考えていた。

「改札しても、人がどっと走りっくらして乘るから、大變だね。僕、そっと、あっちの方の改札からくぐって、君達乘せてあげるよ。」

 と云うと、盲目の人達は、

「いや、それじゃア、大變だから、それはもうやめて下さい。驛員にみつかって、坊ちゃんが叱られると大變だから……。」

 と、濟まなそうにしている。

 行列の中に、やっと、リュックをおろして、二人の盲目の人はほっとしている。

 二人の話によると、東京では、家もないし、揉みりょうじを頼む人もあまりないので、これから、長野の温泉場をまわってみると云うことだった。温泉にも組合があって、なかなかふりでははいれないけれども、何とか住みこんで働いてみるつもりだと云っていた。何處へ行っても、このごろはものが高いので食べてゆくのが大變だし、にわかめくらなので、不自由で仕方がないと話していた。背の低い方のひとも、十二三位から眼が惡くなって、見えなくなったのでとても困るとこぼしていた。

「煙草が吸いたくても、もう四日も吸わないし、第一、コロナだの、ピースなンて高くて買えゃしないからね。頭がふらふらですよ。」

 兵隊だったと云う、盲目のひとが淋しそうに笑って云った。──まだ相當時間があるので、巖ちゃんは、二人をそこへおいとおいて、うまくホームへはいってゆく研究をしてみた。ホームは、いまのところではがらんとしている。右手の隅の方に驛員の出はいりしている改札口があった。

 よおーし、あすこから、そっとはいって、二人を汽車に乘せてやろう、巖ちゃんはそう考えて、しばらく、そこをうろうろしていた。だんだん、胸の動悸が激しくなってくる。煙みたいに、すっと入れるという、科學は發明出來ないものかと思ったりした。

 その改札口が金城鐵壁のようにおそろしく見えてくる。一寸法師になれないかな……。巖ちゃんはいろいろと考えていた。すると、一人のアメリカ兵がさっさと來て、その改札を乘り越えてホームの方へ行ってしまった。英語でもべらべらと出來たら、盲目のひとのことを頼めるのだがなと、巖ちゃんは殘念で仕方がない。

 いまから、急に、英語をしらべるわけにもゆかない。

 すると、一人、優さしそうな女の驛員が、その改札のところへ來た。巖ちゃんはびっくりして、改札口から離れた。ちょっと、あの女驛員にたのんでみようと思いついた。

 巖ちゃんは、學校でならった、民主主義と云うことをふっと思い出したので、顏をまっかにして、

「あのう……。」

 と、もどもどしながら、その女驛員に近よって行った。そして、新宿驛からのことを話そうとしたのだけれど、女驛員はみなまで聞かないで、默ってさっさと行ってしまった。巖ちゃんは涙ぐんでしまった。

 どうしたらいいのか、てがつけられない感じだった。どうも、僕は話がくどくて、下手くそだな……巖ちゃんはそう思った。仕方がないから改札を飛び拔ける工風をこらすより仕方がない。

 人垣を押しわけて、盲目のひとのところへ戻って行くと、二人は、眞黒い代用パンを半分こにして食べている。一つしかパンを持っていないらしいので、巖ちゃんは二つのパンを出して、盲目のひとに一つずつ上げた。

「いえ、何とかなるから、それだけはいけないですよ。坊ちゃんも腹が空いてるンでしょう。やめて下さい。ほんとにいけません……。」

 行列はだんだん長くなっている。無理矢理、巖ちゃんはパンを二人に握らせた。

「僕のは、アメリカの粉でつくったパンだからうまいよ。僕はかえれば食べられるンだから……。」

 盲目の二人は掌にパンをのせ、とてもよろこんで、ていねいにおじぎをしている。そばにひしめきあっている人達も、二人の盲目のひとたちには同情をしている樣子だったけれど、巖ちゃんは、改札がはじまれば、このひとたちの同情も、すぐ消えてなくなってゆくことを、ようく知っているのだった。

 やがて時間が來て、改札になった。盲目の二人はいそいでリュックをかついでいる。

 巖ちゃんの冒險が始まる。

 改札が始ると、巖ちゃんは見ておいたところからするりと滑りこんだ。神樣が助けて下さったのだと思った。どっとなだれこむ改札のところで、やっと、もまれてよろよろしている二人をみつけて、巖ちゃんは、二人を引っぱるようにして、汽車のところへ連れて行き、窓から二人の尻を押しあげてやった。

「さア、もういゝね、じゃア、さようならア、大事にねッ。」

 巖ちゃんが二人に、握手をすると、兵隊だった方の盲目のひとが、巖ちゃんに「これでも持って行って下さいッ。」と呼んで、點字新聞をくれた。巖ちゃんはよろこんで貰った。

 ホームにはまだたくさんの人がなだれて來ている。巖ちゃんは腹がペこペこに空いていた。

 陽の明るい、驛の前へ出て、點字新聞をひろげてみると、五十錢札が四枚はいっていた。巖ちゃんはよれよれのきたない五十錢札をポケットへ入れた。

 とにかく、腹ぺこなので、大いそぎで家へ戻った。

 おにおん倶樂部の總會の日。

 はしゃぎやの巖ちゃんは、盲目のひとを上野驛へ送って行った話は、なぜかしなかった。何だか、巖ちゃんは、それを、如何にもいい事をしたかのように話すのはいやだと思った。

「巖ちゃんは、何かあったのかい?」

 善ちゃんがたずねた。

「何もないよッ。そんなにいい事って、別にない……。」

 そう云って、煙の巖ちゃんは、眼をつぶって點字新聞を指でおさえてみている。點字新聞は汚れてぼろぼろだった。みんな不思議そうに、その點字新聞をのぞきこんだ。

底本:「童話集 狐物語」國立書院

   1947(昭和22)年1025日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:林 幸雄

校正:鈴木厚司

2005年58日作成

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