最後の胡弓弾き
新美南吉
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旧の正月が近くなると、竹藪の多いこの小さな村で、毎晩鼓の音と胡弓のすすりなくような声が聞えた。百姓の中で鼓と胡弓のうまい者が稽古をするのであった。
そしていよいよ旧正月がやって来ると、その人たちは二人ずつ組になり、一人は鼓を、も一人は胡弓を持って旅に出ていった。上手な人たちは東京や大阪までいって一月も帰らなかった。また信州の寒い山国へ出かけるものもあった。あまり上手でない人や、遠くへいけない人は村からあまり遠くない町へいった。それでも三里はあった。
町の門ごとに立って胡弓弾きがひく胡弓にあわせ、鼓を持った太夫さんがぽんぽんと鼓を掌のひらで打ちながら、声はりあげて歌うのである。それは何を謡っているのやら、わけのわからないような歌で、おしまいに「や、お芽出とう」といって謡いおさめた。すると大抵の家では一銭銅貨をさし出してくれた。それをうけとるのは胡弓弾きの役目だったので、胡弓弾きがお銭を頂いているあいだだけ胡弓の声はとぎれるのであった。たまには二銭の大きい銅貨をくれる家もあった。そんなときにはいつもより長く歌を謡うのである。
ことし十二になった木之助は小さい時から胡弓の音が好きであった。あのおどけたような、また悲しいような声をきくと木之助は何ともいえないうっとりした気持ちになるのであった。それで早くから胡弓を覚えたいと思っていたが、父が許してくれなかった。それが今年は十二になったというので許しが出たのであった。木之助はそこで、毎晩胡弓の上手な牛飼の家へ習いに通った。まだ電燈がない頃なので、牛飼の小さい家には煤で黒い天井から洋燈が吊り下り、その下で木之助は好きな胡弓を牛飼について弾いた。
旧正月がついにやって来た。木之助は従兄の松次郎と組になって村をでかけた。松次郎は太夫さんなので、背中に旭日と鶴の絵が大きく画いてある黒い着物をき、小倉の袴をはき、烏帽子をかむり、手に鼓を持っていた。木之助はよそ行きの晴衣にやはり袴をはき、腰に握り飯の包みをぶらさげ、胡弓を持っていた。松次郎はもう二度ばかり門附けに行ったことがあるので、一向平気だったが、始めての木之助は恥しいような、誇らしいような、心配なような、妙な気持だった。殊に村を出るまでは、顔を知った人たちにあうたびに、顔がぽっと赧くなって、いっそ大きい風呂敷にでも胡弓を包んで来ればよかったと思った。それは父親が大奮発で買ってくれた上等の胡弓だった。
二人が村を出て峠道にさしかかると、うしろから、がらがらと音がして町へ通ってゆく馬車がやって来た。それを見ると松次郎はしめしめ、といった。あいつに乗ってゆこう、といった。
木之助はお銭を持っていなかったので、
「おれ、一銭もないもん」というと、
「馬鹿だな、ただ乗りするんだ」と言った。
馬車は輪鉄の音をやかましくあたりに響かせながら近附いて来た。いつもの、聾の爺さんが馭者台にのっていた。それは木之助の村から五里ばかり西の海ばたの町から、木之助の村を通って東の町へ、一日に二度ずつ通う馬車であった。木之助と松次郎は道のぐろにのいて馬車をやりすごした。
馬車のうしろには、乗客が乗り下りするとき足を掛ける小さい板がついていた。松次郎はそれにうまく跳びついて、うしろ向きに腰をかけた。木之助の場所はもうなかったので木之助は馬車について走らなければならなかった。胡弓を持っているし、坂道なので木之助はふうふう言いながら走ったが、沢山走る必要はなかった。
馬車は半町もいかないうちにぴたととまってしまった。松次郎は慌てて跳びおりた。ほっぽこ頭巾から眼だけ出した馭者の爺さんが鞭を持って下りて来た。
「おれ、知らんげや、知らんげや」と松次郎は頭をかかえてわめいた。しかし爺さんは金聾だったので何も聞えなかった。ただ長年の経験で、子供一人でもうしろの板にのるとそれが直体に重く感ぜられるので解ったのであった。「この馬鹿めが」といって、鞭の柄の方でこつんと軽く松次郎の耳の上を叩いた。そしてまた馭者台に乗ると馬車を走らせていってしまった。
松次郎は馬車のうしろに向って、ペラリと舌を出すと、
「糞爺いの金聾」と節をつけていって、ぽんぽんと鼓をたたいた。そして木之助と一しょに笑い出した。
二人が三里の道を歩いて町にはいったのは午前十時頃だった。
町の入口の餅屋の門から始めて、一軒一軒のき伝いに、二人は胡弓をならし、歌を謡っていった。
一番始めの餅屋では、木之助はへまをしてしまった。胡弓弾きはいきなり胡弓を鳴らしながら賑やかに閾をまたいではいってゆかねばならないのだが、木之助は知らずに、
「ごめんやす」と言ってはいっていった。餅屋の婆さんは、それで木之助を餅を買いに来たお客さんと間違えて、
「へえ、おいでやす、何を差しあげますかなも」と答えたのである。木之助は戸惑いして、もぞもぞしていると、場なれた松次郎が、びっくりするほど大きな声で、明けましてお芽出とうといいながら、鼓をぽぽんと二つ続け様にうってその場をとり繕ってくれた。その婆さんは銭箱から一銭銅貨を出してくれた。木之助は胡弓を鳴らすのをやめて、それを受け取り袂へ入れた。
表に出ると松次郎が木之助のことを笑って言った。
「馬鹿だなあ。黙ってはいってきゃええだ」
それからは木之助はうまくやることが出来た。大抵の家では一銭くれた。五厘をくれる人もあった。中には、青く錆びた穴あき銭を惜しそうにくれる人もあった。二銭銅貨をうけとったときには木之助は、それが馬鹿に重いような気がした。しっかりと掌に握っていて外に出るとそーっと開いて松次郎に見せた。二人は顔を見合わせほほえんだ。
もうお午を少しすぎた。木之助の袂はずしんずしんと横腹にぶつかるほど重くなった。草鞋ばきの足にはうっすら白い砂埃もつもった。朝から大分の道のりを歩いたので腹が空いていたが、弁当を使う場所がなかなか見つからなかった。もう少しゆくと空地があったから行こうと松次郎が言うので、ついて行って見るとそこには木の香も新しい立派な家が立っていたりした。
腹がへっては勝はとれぬから、もう仕方がない、横丁にでもはいって家のかげで食べようと話をきめたとき、二人は大きい門構えの家の前を通りかかった。そこには立派な門松が立ててあり、門の片方の柱には、味噌溜と大きく書かれた木の札がかかっていた。黒い板塀で囲まれた屋敷は広くて、倉のようなものが三つもあった。
「あ、ここだ、ここは去年五銭くれたぞ」と松次郎がいった。で二人は、そこをもう一軒すましてから弁当をとることにした。
木之助が先になってはいってゆくと、
「う、う、う……」と低く唸る声がした。木之助はぎくりとした。犬が大嫌いだったのだ。
「松つあん、さきいってくれや」と松次郎に嘆願すると、
「胡弓がさきにはいってかにゃ、出来んじゃねえか」と答えた。松次郎も怖かったのに違いない。
木之助は虎の尾でもふむように、びくびくしながら玄関の方へ近づいてゆくと、足はまた自然にとまってしまった。大きな赤犬が、入口の用水桶の下にうずくまってこちらを見ているのだった。
「松つあん、さき行ってや」と木之助は泣きそうになっていった。
「馬鹿、胡弓がさき行くじゃねえか」と松次郎は吐き出すようにいったが、松次郎の眼も恐ろしそうに犬の方を見ていた。
二人は戻って行こうかと思った。しかし五銭のことを思うと残念だった。そこで木之助が勇気を出して、一足ふみ出して見た。すると犬は、右にねていたしっぽを左へこてんとかえした。また木之助は動けなくなってしまった。
五銭は欲しかったし、犬は恐ろしかったので、二人は進退に困っていると、うしろから誰かがやって来た。この家の下男のような人で法被をきていた。木之助たちを見ると、
「小さい門附けが来たな、どうしただ、犬が恐げえのか」といって人が好さそうに笑った。犬はその人を見るとむくりと体を起して、尾を三つばかり振った。その男の人は犬の頭をなでながら、
「よしよし、トラ、おうよしよし」と犬にいい、それから木之助たちの方に向いて、
「この犬はおとなしいから大丈夫だ。遠慮せんではいれ、はいれ」とすすめた。
「おっつあん、しっかり掴んどってな」と松次郎が頼んだ。
「おう、よし」と小父さんは答えた。
トラ──恐ろしい名だな、おとなしい犬だと小父さんはいったが嘘だろう、と木之助は思いながら立派な広い入口をはいった。
正面に衝立が立っていて、その前に三宝が置いてある、古めかしいきれいな広い玄関だった。胡弓や鼓の音がよく響き、奥へ吸いこまれてゆくようで自分ながら気持ちがよかった。
この家の主人らしい、頭に白髪のまじったやさしそうな男の人が衝立の蔭から出て来て、木之助と松次郎を見ると、にこにこと笑いながら、
「ほっ、二人とも子供だな」といった。
木之助は、子供だから五銭もやる必要がないなどと思われてはいけないと、一層心をこめて胡弓を弾いた。
一曲終ったとき主人は、
「ちょっと休めよ」といった。変に馴れなれしい感じのする人だ。松次郎は去年も来て知っていたが木之助は始めてなので妙な気がした。
ちょっと休めよなどと友達にでもいうように心安くいってくれたのはこの人だけである。木之助はぼけんとつったっていた。五銭はくれないのか知らん。胡弓が下手いのかな。
「こっちの子供は去年も来たような気がするが、こっちの(と木之助を見て)小さい方は今年はじめてだな」
木之助は小さく見られるのが癪だったので解らないようにちょっと背伸びした。
「お前たちは何処から来たんだ」
松次郎が自分たちの村の名を言った。
「そうか、今朝たって来たのか」
「ああ」
「昼飯、たべたか」
「まだだ」と松次郎が一人で喋舌った。「弁当持っとるけんど、食べるとこがねえもん」
「じゃ、ここで食べていけよ、うまいものをやるから」
松次郎はもぞもぞした。五銭はいつくれるのか知らんと木之助は思った。
二人がまだどっちとも決めずにいるうちに、主人は一人できめてしまって、じゃちょっと待っておれよ、といって奥へ姿を消した。
やがて奥から、色の白い、眼の細い、意地の悪そうな女中が、手に大きい皿を持って出て来たが、その時もまだ二人は、どうしたものかと思案にくれて土間につったっていた。
女中はつんとしたように皿を式台の上に置くと、
「おたべよ」と突慳貪にいって、少し身を退き、立ったまま流しめに二人の方を見おろしていた。皿の中にはうまそうな昆布巻や、たつくりや、まだ何かが一ぱいあった。
「よばれていこうよ」と松次郎がいった。木之助もたべたくなったのでうんと答えて胡弓を弓と一しょにして式台の隅の方へそっと置くと、女中は胡弓をじろりと見た。
松次郎と木之助は、はやく女中がひっこんでくれないかなと思いながら、式台に腰をおろして腰の風呂敷包をほどいた。中から竹皮に包まれた握り飯があらわれた。女中はそれも横目でじろりと見た。
食べにかかると握り飯も御馳走もすばらしく美味いので、女中のことなどそっちのけにしてむしゃむしゃ頬張った。女中はじっとそれを見ていたが、もう怺えられなくなったと見えて、
「まあ汚い足」といった。松次郎と木之助は食べながら自分の足を見ると、ほんとに女中のいった通りだった。紺足袋の上に草鞋を穿いていたが、砂埃で真白だった。二人は仕方ないので黙々と御馳走を手でつまんではたべた。
「まあ、乞食みたい」。しばらくするとまた女中が刺すような声でいった。指の間にくっついた飯粒を舌の先でとりながら、木之助が松次郎を見ると、いかにも女中がいった通り松次郎は乞食の子のようにうすぎたなく見えた。松次郎もまた、木之助を見てそう思った。
「まあ、よく食べるわ、豚みたい」。木之助が五つ目の握飯をたべようとして口をあいたとき女中がまたいった。木之助は、ほんとにそうだと思って、ぱくりと喰いついた。
「耳の中に垢なんかためて」。しばらくするとまた女中がいった。木之助は松次郎の耳の中を見ると、果して汚く垢がたまっていた。松次郎の方でも木之助の耳の中にたまっている垢をみとめた。
やがて衝立の向うに、とんとんという足音が聞えて来ると、女中はついと身を翻して何処かへ行ってしまい、代りにさっきの優しい主人があらわれた。
「どうだうまいか」といって、主人はそこにかがんだ。松次郎が胸に閊えたので拳でたたいていると、おやあいつ、お茶を持って来なかったんだな、いいつけといたのに、と呟いた。そのとき今の女中がお茶を持って来て、すました顔でそこへ置くとまたひっこんで行った。
「大きな握飯だな、いくつ持って来たんだ」と主人は一つ残った木之助のおむすびを見ていった。六つと木之助は答えた。この半白の頭をした男の人は、さっきより一層親くなったように木之助には感じられた。
木之助たちが喰べ終って、「ご馳走さん」と頭をさげると、主人はなおも、いろんなことを二人に話しかけ、訊ねた。これから行く先だとか、家の職業だとか、大きくなったら何になるのだとか。木之助の胡弓は大層うまいとほめてくれた。木之助はうれしかった。「こんど来るときはもっと仰山弾けるようにして来て、いろんな曲をきかしてくれや」といったので木之助は「ああ」といった。すると主人は袂の底をがさごそと探していて紙の撚ったのを二つ取り出し、一つずつ二人にくれた。
二人は門の外に出るとすぐ紙を開いて見た。十銭玉が一つずつあらわれた。
木之助は、来る正月来る正月に胡弓をひきに町へいった。行けば必ずあの「味噌溜」と大きな板の看板のさがっている門をくぐった。主人はいつも変らず木之助を歓迎してくれ、御馳走をしてくれた。
木之助は胡弓がしんから好きだったので、だんだんうまくなっていった。始めは牛飼から曲を教わったが、牛飼の知っている五つの曲はじき覚えてしまい、しかも木之助の方が上手にひけるようになった。するともう牛飼の家に習いにゆくのはやめて、別な曲を知っている人のところへ覚えにいった。隣の村、二つ三つ向うの村にでも、胡弓のうまい人があるということをきくと、昼間の仕事を早くしまって、その村まで出かけてゆき、熱心に頼んで新しい曲を覚えて来た。やがて木之助にも妻が出来、子供も出来たが、夜、木之助の弾きならす胡弓の音が邪魔になって子供が寝つかないというときには、村の南の松林にはいっていって、明るい月の光で弾いた。そののんびりした音色は、何事かを一生懸命に物語っているように村人たちには聞えたのである。
だが歳月は流れた。或る年の旧正月が来たとき、こんども松次郎と一しょに門附けにいこうと思った木之助が、前の晩松次郎の家にゆくと風呂にはいっていた松次郎はこういった。「もうこの頃じゃ、門附けは流行らんでな。ことしあもう止めよかと思うだ。五、六年前まであ、東京へ行った連中も旅費の外に小金を残して戻って来たが、去年あたりは、何だというじゃないか、旅費が出なかったてよ」
「でも折角覚えた芸だで腐らせることもないよ、松つあん」と木之助は励ますようにいった。「東京は別だよ、場所(都会)の人間はあかんさ」
「だが、俺たちも一昨年、去年は駄目だったじゃねえか。一日、足を棒にして歩いても一両なかっただもんな。乞食でも知れてるよ」
なおも木之助がすすめると、風呂の下を焚いていた松次郎のお内儀さんがいった。「木之さん、あんたは大人しいから、たとい五十銭でも貰えば貰っただけ家へ持って来るからええけど、うちの人は呑ん兵衛で、貰ったのはみんな飲んでしまい、まだ足らんで、持っていった銭まで遣ってくるから困るよ。それで今年はもう止めておくれやとわたしから頼んでいるだよ」
一昨年の正月も去年の正月も、一日門附けしたあとで松次郎が、酒のきらいな木之助を居酒屋へつれこみ、自分一人で飲んで、ついにはぐでんぐでんに酔ってしまい、三里の夜道を木之助が抱くようにして帰って来たのを木之助は思い出した。
「一人じゃ行けんしなあ」と木之助が思案しながらいうと、松次郎が風呂から出て、「うん。俺も子供の時分から旧正月といえば、門附けにいっとったで、今更やめたかないが、女房めがああいうし、実は、こないだ子供めが火箸で鼓を叩いているうち破ってしまっただよ。行くとなりゃ、あれも張りかえなきゃならぬしな」といった。
木之助は仕方がないので一人でゆくことにきめた。自分の身についた芸を、松次郎のように生かそうとしないことは木之助には解らなかった。何故そんなことが平気で出来るのか考えて見ても解らなかった。いかにも年々門附けはすたれて来ている。しかし木之助の奏でる胡弓を、松次郎のたたく鼓を、その合奏を愛している人々が全部なくなったわけではないのだ。尠くとも(と木之助はあの金持の味噌屋の主人のことを思った)、あの人は胡弓の音がどんなものかを知っている。
翌朝木之助は早朝に起き、使いなれた胡弓を持って家を出た。道や枯草、藁積などには白く霜が降り、金色にさしてくる太陽の光が、よい一日を約束していたが、二十年も正月といえば欠かさず一緒に出かけた松次郎が、もうついてはいないことは一抹の寂しさを木之助の心に曳いた。
「木之さん、今年も出かけるかな」。木之助が家の前の坂道をのぼって、広い県道に出たとき、村人の一人がそういって擦れちがった。
「ああ、ちょっと行って来ますだ」と木之助が答えると、
「由さあも、熊さあも、金さあも、鹿あんも今年はもう行かねえそうだ。力やんと加平が、行こか行くまいかと大分迷っとったがとにかくも一ぺん行って見ようといっとったよ」
そういって村人は遠ざかっていった。
村を出はずれて峠道にさしかかるといつものように背後からがらがらと音がして町へ通ってゆく馬車が駈て来た。木之助は道のはたへ寄って馬車をやりすごそうと思った。馬車が前を通るとき馭者台の上を見ると、木之助は、おやと意外に感じた。そこに乗っているのは長年見馴れたあの金聾の爺さんではなく、頭を時分けにした若い男であった。金聾の爺さんの息子に違いない。顔つきがそっくり爺さんに似ていた。それにしてもあの爺さんはどうしたんだろう、あまり年とったので隠居したのだろうか。あるいは死んだのかも知れない。いずれにしても木之助は時の移りをしみじみ感じなければならなかった。
しかしその年はまだ全然実入りがなかったのではなかった。金持ちの味噌屋はたのしみに最後に残しておいて、他の家々を午前中廻った。お午までに──木之助は何軒の家がお礼をくれたかはっきり覚えていた──十軒だった。そしてお礼のお銭は合計で十三銭だった。最後に味噌屋にゆくと、あの頃からはずっと年とって、今はいい老人になった御主人が、喘息で咳き入りながら玄関に出て来て、松次郎がいないのを見ると、おや、今日はお前一人か、じゃまあ上にあがってゆっくりしてゆけと親切にいってくれた。木之助は始め辞退したが、あまり勧められるので立派な座敷にあがり、そこで所望されるままに、五つ六つの曲を弾いた。主人はほんとうに懐しいように、うむうむとうなずきながら胡弓に耳を傾けていたが、時々苦しそうな咳が続いて、胡弓の声の邪魔をした。いつものように御馳走になった上多ぶんのお礼を頂いて表に出ると、まだ日はかなり高かったがもう木之助には他をまわる気が起らなかった。味噌屋の主人にさえ聴いてもらえばそれで木之助はもう満足だったのである。
それからまた数年たって門附けは益々流行らなくなった。五、六年前までは、遠い越後の山の中から来るという、角兵衛獅子の姿も、麦の芽が一寸位になった頃、ちらほら見られたけれど、もうこの頃では一人も来ない。木之助の村の胡弓弾きや鼓うちたちも、一人やめ二人やめして、旧正月が近づいたといっても以前のように胡弓のすすりなくような声は聞えず、ぱんぱんと寒い空気の中を村の外までひびく鼓の音も聞えなかった。これだけ世の中が開けて来たのだと人々はいう。人間が悧口になったので、胡弓や鼓などの、間のびのした馬鹿らしい歌には耳を藉さなくなったのだと人々はいう。もしそうなら、世の中が開けるということはどういうつまらぬことだろう、と木之助は思ったのである。
木之助の家では八十八歳まで生きた木之助の父親が、冬中ねていたが、恰度旧の正月の朝、朝日がうらうらとお宮の森の一番高い檜の梢を照し出すころ、恰度天から与えられた生命を終って枯れる木のように、静かに死んでいった。そのために、数十年来一度も欠かさなかった胡弓の門附けを、この正月ばかりはやめなければならなかった。その翌年は、これはまた木之助自身が感冒を患ってうごくことが出来なかった。味噌屋の御主人が、もう俺が来るずらと思って待ってござるじゃろうに、と仰向に寝ている木之助は、枕元に坐って看病している大きい娘にそう言っては、壁にかかっている胡弓の方を見たのである。
木之助の病気は癒った。が以前のような曇りのない健康は帰って来なかった。以前は持つことの出来た米俵がもう木之助の腕ではあがって来なかった。また子供のときから耕していた田圃の一畝が、以前よりずっと長くなったように感ぜられ、何度も腰をのばし、あおっている心臓のしずまるのを待たねばならなかった。冬がやって来たとき、死んだ父親を苦しめていたあの喘息が木之助にもおとずれて来た。寒い夜は遅くまで咳がとまらなかった。
しかし今年の正月にはどうあっても胡弓弾きにゆくと、一月も前から木之助は気張っていた。味噌屋の御主人にすまんからといった。そして体の調子のよい折を見ては、夜、妻と三番目の娘が、嫁入りの仕度に着物を縫っている傍で胡弓を奏でた。昼間、藁部屋の陽南で猫といっしょに陽にぬくとまりながら、鳴らしているときは、木之さんも年を喰ったと村人が見て通った。
正月の前の晩はひどい寒気だった。その日は朝から雪が降りづめで、夜になって漸くやんだ。夜はまた木之助の咽喉がむずがゆくなり咳が出て来た。裏の竹藪で、竹から雪がどさっどさっと落ちる音が、木之助の咳にまじった。咳の長いつづきがやむと娘が、
「お父つあん、そんなふうで明日門附けにゆけるもんかい」といった。もう昼間から何度も繰り返している言葉である。
「行けんじゃい!」と木之助は癇癪を起して呶鳴るようにいった。「おツタのいう通りだ」と女房もいった。
「無理して行って来て、また寝こむようなことになると、僅かな銭金にゃ代らないよ」。そして女房は、去年木之助が感冒を患ったとき、町から三度自動車で往診に来たお医者に、鶏ならこれから卵を産もうという一番値のする牝鶏を十羽買えるだけのお銭を払わねばならなかったことをいった。
「明日は、ええ日になるだ」。木之助はあれ以来女房や娘に苦労をかけているのを心の中では済まなく思って、それでも負け惜しみをいった。「雪の明けの日というものは、ぬくといええ日になるもんだよ」
「雪が解けて歩くに難儀だよ」と女房がいった。「そげに難儀して行ったところで、今時、胡弓など本気になって聴いてくれるものはありゃしないだよ」
木之助は、女房のいう通りだと悲しく思った。だが、味噌屋の旦那のことを頭にうかべて、
「まだ耳のある人はあるだ。世間は広いだよ」
と答えた。娘のおツタは待針でついた指の背を口にふくみながら、勝つあんもやめた、力さんもやめたと、門附けをやめてしまった人々の名をあげてしまいに「いつまででも芸だの胡弓だのいってるのはお父つあん一人だよ。人が馬鹿だというよ」といった。
「こけでもこけずきでもええだ。聴いてくれる人が一人でもこの娑婆にあるうちは、俺あ胡弓はやめられんよ」
しばらくみんな黙っていた。竹藪でどさっと雪が落ちた。
「お父つあんも気の毒な人だよ」と女房がしんみりいった。
「もうちっと早くうまれて来るとよかっただ、お父つあん。そうすりゃ世間の人はみんな聴いてくれただよ。今じゃラジオちゅうもんがあるから駄目さ」
木之助は話しているうちに段々あきらめていった。本当に女房や娘のいう通りだろう。世間が聴いてくれなくなった胡弓を弾きに雪の道を町まで行くなどはこけの骨頂だろう。それでまた感冒にでもなって、女房たちにこの上の苦労をかけることになったらどんなにつまらないだろう。眠りにつく前、木之助はもう、明日町へゆくことをすっかり諦めていた。
夜が明けて旧正月がやって来たが、木之助にとってはそれは奇妙な正月だった。三十年来正月といえば胡弓を抱えて町へ行った。去年と一昨年はいかなかったが、父親の死と、木之助の病気というものが余儀なくさせたのである。ところがこんどはこれという理由もないのだ。第一今日一日何をしたらいいのだろう。
天気は大層よかった。雪の上にかっと陽がさして眩しかった。電線にとまった雀が、その細い線の上に積っていた雪を落すと、雪はきらきら光る粉になって下の雪に落ちた。外の明るい反射が家の中までさしていた。木之助は胡弓を見ていた。それから柱時計を見た。午前九時十五分前。遠くからカンカンカンと鐘の音が雪の上を明るく聞えて来た。小学校が始まったのだ。
木之助はまた胡弓を持って町へゆきたくなった。こんな風のない空気の清澄な日は、一層よく胡弓が鳴ることを木之助は思うのであった。そうだ、ゆこう。こけでも何でもいいのだ、この娑婆に一人でも俺の胡弓を聴いてくれる人があるうちは、やめられるものか。
女房や娘はいろいろ言って木之助をとめようとしたが駄目だった。木之助の心は石のように固かった。
「それじゃお父つあん、町へいったらついでに学用品屋で由太に王様クレヨンを買って来てやってな。十二色のが欲しいとじっと(いつも)言っているに」と女房はあきらめていった。「そして早う戻って来にゃあかんに。晩になるときっと冷えるで。味噌屋がすんだらもう他所へ寄らんでまっすぐ戻っておいでやな」
女房のいうことは何もかも承知して木之助は出発した。風邪をひかないようにほっぽこ頭巾をすっぽり被り、足にはゴムの長靴を穿いて。何という変てこな恰好の芸人だろう。だが木之助には恰好などはどうでもよかった。久しぶりに胡弓を弾きに出られることが非常なよろこびだったのだ。
正月といっても村から町へゆく者はあまりなかった。道に積った雪の上の足跡でそれがわかる。二人の人間の足跡、自転車の輪のあとが二本、それに自動車の太いタイヤの跡が道の両側についていた。五、六年前から、馬車の代りに走るようになった乗合自動車が朝早く通ったのである。
陽が生き物のように照っていた。道のわきの田んぼに烏が二羽おりているのが、白い雪の上にくっきり浮かんで見えた。静かだなあと思って木之助はとっとと歩いた。
町にはいった。
木之助は一軒ずつ軒づたいに門附けをするようなことはやめた。自分の記憶をさぐって見て、いつも彼の胡弓をきいてくれた家だけを拾って行った。それも沢山はなく、味噌屋をいれて僅か五、六軒だったにすぎない。
だがそれらの家々を廻りはじめて四軒目に木之助は深く心の内に失望しなければならなかった。どの家も、申しあわせたように木之助の門附けを辞った。帽子屋では木之助が硝子戸を三寸ばかり明けたとき、店の火鉢に顎をのせるようにして坐っていた年寄りの主人が痩せた大きな手を横に振ったので木之助は三寸あけただけでまた硝子戸をしめねばならなかった。また一昨々年まで必ず木之助の門附けを辞らなかった或るしもた家には、木之助があけようとして手をかけた入口の格子硝子に「諸芸人、物貰い、押売り、強請、一切おことわり、警察電話一五〇番」と書いた判紙が貼ってあった。また或る店屋では、木之助が中にはいって、ちょっと胡弓を弾いた瞬間、声の大きい旦那が、今日はごめんだ、と怒鳴りつけるような声で言ったので、木之助はびくっとして手をとめた。胡弓の音もびっくりしたようにとまってしまった。
もうこれ以上他を廻るのは無駄であると木之助は思った。そこで最後のたのしみにとっておいた味噌屋の方へ足を向けた。
門の前に立った時木之助はおやと思った。そこには見馴れた古い「味噌溜」の板看板はなくなり、代りに、まだ新しい杉板に「〓(「仝」の「工」に代えて「吉」)味噌醤油製造販売店」と書いたのが掲げられてあった。それだけのことで、木之助にはいつもと様子が変ったような、うとましい気がした。門をくぐってゆくと、あの大きい天水桶はなくなっていた。そして天水桶のあったあたりには、木之助の嫌いな、オート三輪がとめてあった。
「ごめんやす」とほっぽこ頭巾をぬいで木之助は土間にはいった。
奥の方で、誰か来たよといっているのが静けさの中をつつぬけて来た。やがて誰かが立ってこちらへ来る気配がした。木之助はちょっと身繕いした。だが衝立の蔭から、始めて見る若い美しい女の人が出て来て、そこに片手をついてこごんだときはまた面くらった。
「あのう」といって木之助は黙った。言葉がつづかなかった。それから一つ咳をして「ご隠居は今日はお留守でごぜえますか。毎年ごひいきに預っています胡弓弾きが参りましたと仰有って下せえまし」といった。
女の人が引っ込んでいって、低声で何か囁きあっているのが、心臓の高鳴りはじめた木之助の神経を刺戟した。やがてまた足音がして、こんどは頭をぴかぴかの時分けにし、黒い太い縁の眼鏡をかけた若主人が現われた。
「ああ、また来ましたね」と木之助を見て若主人はいった。「君、知らなかったのかね、親父は昨年の夏なくなったんだよ」
「へっ」といって木之助はしばらく口がふさがらなかった。立っている自分に、寂しさが足元から上って来るのを、しみじみ感じながら。
「そうでごぜえますか、とうとうなくなられましたか」。やっと気を取り直して木之助はそれだけいった。
木之助はすごすごと踵をかえした。閾に躓いて、も少しで見苦しく這いつくばうところだった。右足の親指を痛めただけで胡弓をぶち折らなかったのはまだしも仕合わせというべきだった。
門を出ると、一人の風呂敷包みを持った五十位の女が、雪駄の歯につまった雪を、門柱の土台石にぶつけて、はずしていた。木之助を見ると女の人は、おや、と懐しそうにいった。木之助は見て、その人がこの家の女中であることを知った。彼女は三十年前、木之助が始めて松次郎と門附けに来たとき、主人にいいつけられて御馳走のはいった皿を持って来た、あの意地の汚なかった女中である。来る年も来る年も木之助は彼女を味噌屋の家で見た。木之助が少年から大人へ、大人からやがて老人へと成長し年とっていったように、彼女は見る年ごとに成長し年とっていった。二十五位のとき彼女は一度味噌屋から姿を消し、それから五、六年は見えなかったが、再び味噌屋へ戻って来た時は一度に十も年をとったように老けて見えた。その時彼女は五つ位になる女の子を一人つれて来た。木之助は御隠居から、彼女の身の上を少しばかりきかされた事があった。彼女は不仕合わせな女で一度嫁いだが夫に死なれたので、女の子をつれてまた味噌屋へ奉公に戻って来たのだそうである。その時以来彼女はずっとこの家から出ていかなかった。若かった頃は意地が悪くて、木之助を見ると白い眼をして見下したが嫁いだ先で苦労をして戻ってからは、人が変ったように大人しくなったのである。
「お前さん、しばらく見えなかっただね、一昨年の正月も昨年の正月もなくなられた大旦那が、あれが来ないがどうしたろうと言っておらしたに」
「ああ、去年は大病みをやり、一昨年は恰度旧正月の朝親父が死んだもので、どうしても来られなかっただ。御隠居も夏死なしたそうだな。俺あ今きいてびっくりしたところだよ」と木之助はいった。
「そうかね、お前さん知らなかっただね」と年とった女中はいって、それから優しく咎めるような口調で言葉をついだ。「去年の正月はほんとに大旦那はお前さんのことを言っておらしただに。どうしよっただろう、もう門附けなんかしてもつまらんと思って止めよっただろうか、病気でもしていやがるか、ってそりゃ気にして見えただよ」
木之助は熱いものがこみあげて来るような気がした。「ほうかな、ほうかな」といってきいていた。
年とった女中はそれから、もう一ぺんひっ返して、大旦那の御仏前で供養に胡弓を弾くことをすすめた。「そいでも、若い御主人が嫌うだろ」と木之助がしりごむと、女中は、「なにが。わたしがいるから大丈夫だよ」と言って木之助をひっぱっていった。
女中は木之助を勝手口の方から案内し、ちょっとそこに待たせておいて奥へ姿を消したが、直また出て来て、さあおあがりな、と言った。木之助は長靴をぬいで女中のあとに従って仏間にいった。仏壇は大きい立派なもので、点された蝋燭の光に、よく磨かれた仏具や仏像が金色にぴかぴかと煌いていた。木之助はその前に冷えた膝を揃えて坐ると、焚かれた香がしめっぽく匂った。南無阿弥陀仏と唱えて、心から頭をさげた。深い仏壇の奥の方から大旦那がこちらを見ているような気がしたのである。
「そいじゃ、何か一つ、弾いてあげておくれやな」と背後に坐っていた女中がいった。木之助は今までに仏壇に向って胡弓を弾いたことはなかったので、変なそぐわない気がした。だが思い切って弾き出して見ると、じきそんな気持ちは消えた。いつ弾く時でもそうであるように、木之助はもう胡弓に夢中になってしまった。木之助の前にあるのはもう仏壇というような物ではなかった。耳のある生物だった。それは耳をそばだてて胡弓の声にきき入り、そののんびりしたような、また物哀しいような音色を味わっていた。木之助は一心にひいていた。
門を出ると木之助は、道の向う側からふりかえって見た。再びこの家に訪ねて来ることはあるまい。長い間木之助の毎日の生活の中で、煩わしいことや冗らぬことの多い生活の中で竜宮城のように楽しい想いであったこの家もこれからは普通の家になったのである。もはやこの家には木之助の弾く胡弓の、最後の一人の聴手がいないのである。
木之助はすっぽりほっぽこ頭巾をかむって歩き出した。町の物音や、眼の前を行き交う人々が何だか遠い下の方にあるように思われた。木之助の心だけが、群をはなれた孤独な鳥のように、ずんずん高い天へ舞いのぼって行くように感ぜられた。
ふと木之助は「鉄道省払下げ品、電車中遺留品、古物」と書かれた白い看板に眼をとめた。それは街角の、外から様々な古物の帽子や煙草入れなどが見えている小さい店の前に立っていた。木之助は看板から自分の持っている胡弓に眼をうつした。聴く人のなくなった胡弓など持っていて何になろう。
誰かに逆うように、深くも考えずに木之助はそこの硝子戸をあけた。
「これいくらで取ってもらえるだね」
青くむくんだ顔の女主人が、まず、
「こりゃ一体、何だい。三味線じゃない。胡弓か、えらい古い物だな」と男のような口のきき方をして、胡弓をうけとった。そして、あちこち傷んでいないか見てから、
「こんなものは、買えない」とつき返した。
「買えんということはねえだろうがな」と木之助は気が立っていたので口をとがらせていった。「古物屋が古物を買えんという法はねえだら」
「古物屋だとて、今どき使わんようなものはどうにもならんよ。うちは骨董屋じゃねえから」
二人はしばらく押問答した。女主人は買わぬつもりでもないらしく、
「まあ、そうだな。三十銭でよかったら置いてゆきな」といった。
木之助はあまり安い値をいわれたので腹が立ったが、腹立ちまぎれに、そいじゃ売ろうといってしまった。木之助は外に出ると何だかむしょうに腹が立ったが、その下にうつろな寂しい穴がぽかんとあいていた。
少しゆくと鉄柵でかこまれた大きい小学校があって、その前に学用品を売る店が道の方を向いていた。末っ子の由太のためにたのまれた王様クレヨンを買った。小僧がそれを包み紙で包むのを待っている間に、木之助の心は後悔の念に噛まれはじめた。胡弓を手ばなした瞬間、心の一隅に「しまった」という声が起った。それが、今は段々大きくなって来た。
クレヨンの包みを受けとると木之助は慌てて、ゴムの長靴を鳴らしながら、さっきの古物屋の方へひっかえしていった。あいつを手離してなるものか、あいつは三十年の間私につれそうて来た!
もう胡弓が古帽子や煙草入れなどと一緒に、道からよく見えるところに吊してあるのが、木之助の眼に入った。まだあってよかったと思った。長い間逢わなかった親しい者にひょいと出逢ったように懐しい感じがした。
木之助は店にはいって行って、ちょっと躊躇いながら、いった。
「ちょっと、すまないが、さっきの胡弓は返してくれんかな。ちょっと、そのう、都合の悪いことが出来たもんで」
青くむくんだ女主人は、きつい眼をして木之助の顔を穴のあくほど見た。そこで木之助は財布から三十銭を出して火鉢の横にならべた。
「まことに勝手なこといってすまんが、あの胡弓は三十年も使って来たもんで、俺のかかあより古くから俺につれそっているんで」
女主人の心を和げようと思って木之助はそんなことをいった。すると女主人は、
「あんたのかかあがどうしただか、そんなこたあ知らんが、家あ商売してるだね。遊んでいるじゃねえよ」といって、帳面や算盤の乗っている机に頤杖をついた。そしてまたいった。「買いとったものを、おいそれと返すわけにゃいかんよ」
これはえらい女だなと木之助は思いながら「それじゃ、売ってくれや、いくらでも出すに」といった。
女主人はまたしばらく木之助の顔を見ていたが、
「売ってくれというなら売らんことはないよ、こっちは買って売るのが商売だあね」とちょっとおとなしく言った。
「ああ、そいじゃ、そうしてくれ。いやどうも俺の方が悪かった。それじゃもういくら上げたらいいかな」と木之助はまた財布を出して、半ば開いた。
「そうさな、他の客なら八十銭に売るところだが、お前さんはもとを知っとるから、六十銭にしとこう」
木之助の財布を持っている手が怒りのために震えた。
「そ、そげな、馬鹿なことが。あんまり人の足元を見やがるな。三十銭で取っといて、三十分とたたねえうちに倍の値で──」
「やだきゃ、やめとけよ」と女主人は遮って素気なくいった。
木之助は財布の中を見るともう十五銭しかなかった。いつもの習慣で家を出るとき金を持って出なかった。で、さっき由太のクレヨンを買うときは、味噌屋で貰ったお銭で払ったのだ。十五銭はその残りだった。
火鉢の横にならべた三十銭を一枚一枚拾って財布に入れると、木之助は黙って財布を腹の中へ入れた。そして力なく古物屋を出た。
午後の三時頃だった。また空は曇り、町は冷えて来た。足の先の凍えが急に身に沁みた。木之助は右も左もみず、深くかがみこんで歩いていった。
底本:「新美南吉童話集」岩波文庫、岩波書店
1996(平成8)年7月16日第1刷発行
底本の親本:「校定 新美南吉全集第三巻」大日本図書
1980(昭和55)年7月31日初版第1刷発行
初出:「哈爾賓日日新聞」
1939(昭和14)年5月17日~5月27日
入力:浜野 智
校正:浜野 智
1999年3月1日公開
2012年5月8日修正
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