春昼
泉鏡花
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「お爺さん、お爺さん。」
「はあ、私けえ。」
と、一言で直ぐ応じたのも、四辺が静かで他には誰もいなかった所為であろう。そうでないと、その皺だらけな額に、顱巻を緩くしたのに、ほかほかと春の日がさして、とろりと酔ったような顔色で、長閑かに鍬を使う様子が──あのまたその下の柔な土に、しっとりと汗ばみそうな、散りこぼれたら紅の夕陽の中に、ひらひらと入って行きそうな──暖い桃の花を、燃え立つばかり揺ぶって頻に囀っている鳥の音こそ、何か話をするように聞こうけれども、人の声を耳にして、それが自分を呼ぶのだとは、急に心付きそうもない、恍惚とした形であった。
こっちもこっちで、かくたちどころに返答されると思ったら、声を懸けるのじゃなかったかも知れぬ。
何為なら、さて更めて言うことが些と取り留めのない次第なので。本来ならこの散策子が、そのぶらぶら歩行の手すさびに、近頃買求めた安直な杖を、真直に路に立てて、鎌倉の方へ倒れたら爺を呼ぼう、逗子の方へ寝たら黙って置こう、とそれでも事は済んだのである。
多分は聞えまい、聞えなければ、そのまま通り過ぎる分。余計な世話だけれども、黙きりも些と気になった処。響の応ずるが如きその、(はあ、私けえ)には、聊か不意を打たれた仕誼。
「ああ、お爺さん。」
と低い四目垣へ一足寄ると、ゆっくりと腰をのして、背後へよいとこさと反るように伸びた。親仁との間は、隔てる草も別になかった。三筋ばかり耕やされた土が、勢込んで、むくむくと湧き立つような快活な香を籠めて、しかも寂寞とあるのみで。勿論、根を抜かれた、肥料になる、青々と粉を吹いたそら豆の芽生に交って、紫雲英もちらほら見えたけれども。
鳥打に手をかけて、
「つかんことを聞くがね、お前さんは何じゃないかい、この、其処の角屋敷の内の人じゃないかい。」
親仁はのそりと向直って、皺だらけの顔に一杯の日当り、桃の花に影がさしたその色に対して、打向うその方の屋根の甍は、白昼青麦を烘る空に高い。
「あの家のかね。」
「その二階のさ。」
「いんえ、違います。」
と、いうことは素気ないが、話を振切るつもりではなさそうで、肩を一ツ揺りながら、鍬の柄を返して地についてこっちの顔を見た。
「そうかい、いや、お邪魔をしたね、」
これを機に、分れようとすると、片手で顱巻を挘り取って、
「どうしまして、邪魔も何もござりましねえ。はい、お前様、何か尋ねごとさっしゃるかね。彼処の家は表門さ閉っておりませども、貸家ではねえが……」
その手拭を、裾と一緒に、下からつまみ上げるように帯へ挟んで、指を腰の両提げに突込んだ。これでは直ぐにも通れない。
「何ね、詰らん事さ。」
「はいい?」
「お爺さんが彼家の人ならそう言って行こうと思って、別に貸家を捜しているわけではないのだよ。奥の方で少い婦人の声がしたもの、空家でないのは分ってるが、」
「そうかね、女中衆も二人ばッかいるだから、」
「その女中衆についてさ。私がね、今彼処の横手をこの路へかかって来ると、溝の石垣の処を、ずるずるっと這ってね、一匹いたのさ──長いのが。」
怪訝な眉を臆面なく日に這わせて、親仁、煙草入をふらふら。
「へい、」
「余り好物な方じゃないからね、実は、」
と言って、笑いながら、
「その癖恐いもの見たさに立留まって見ていると、何じゃないか、やがて半分ばかり垣根へ入って、尾を水の中へばたりと落して、鎌首を、あの羽目板へ入れたろうじゃないか。羽目の中は、見た処湯殿らしい。それとも台所かも知れないが、何しろ、内にゃ少い女たちの声がするから、どんな事で吃驚しまいものでもない、と思います。
あれッきり、座敷へなり、納戸へなりのたくり込めば、一も二もありゃしない。それまでというもんだけれど、何処か板の間にとぐろでも巻いている処へ、うっかり出会したら難儀だろう。
どの道余計なことだけれど、お前さんを見かけたから、つい其処だし、彼処の内の人だったら、ちょいと心づけて行こうと思ってさ。何ね、此処らじゃ、蛇なんか何でもないのかも知れないけれど、」
「はあ、青大将かね。」
といいながら、大きな口をあけて、奥底もなく長閑な日の舌に染むかと笑いかけた。
「何でもなかあねえだよ。彼処さ東京の人だからね。この間も一件もので大騒ぎをしたでがす。行って見て進ぜますべい。疾うに、はい、何処かずらかったも知んねえけれど、台所の衆とは心安うするでがすから、」
「じゃあ、そうして上げなさい。しかし心ない邪魔をしたね。」
「なあに、お前様、どうせ日は永えでがす。はあ、お静かにござらっせえまし。」
こうして人間同士がお静かに分れた頃には、一件はソレ竜の如きもの歟、凡慮の及ぶ処でない。
散策子は踵を廻らして、それから、きりきりはたり、きりきりはたりと、鶏が羽うつような梭の音を慕う如く、向う側の垣根に添うて、二本の桃の下を通って、三軒の田舎屋の前を過ぎる間に、十八、九のと、三十ばかりなのと、機を織る婦人の姿を二人見た。
その少い方は、納戸の破障子を半開きにして、姉さん冠の横顔を見た時、腕白く梭を投げた。その年取った方は、前庭の乾いた土に筵を敷いて、背むきに機台に腰かけたが、トンと足をあげると、ゆるくキリキリと鳴ったのである。
唯それだけを見て過ぎた。女今川の口絵でなければ、近頃は余り見掛けない。可懐しい姿、些と立佇ってという気もしたけれども、小児でもいればだに、どの家も皆野面へ出たか、人気はこの外になかったから、人馴れぬ女だち物恥をしよう、いや、この男の俤では、物怖、物驚をしようも知れぬ。この路を後へ取って返して、今蛇に逢ったという、その二階屋の角を曲ると、左の方に脊の高い麦畠が、なぞえに低くなって、一面に颯と拡がる、浅緑に美い白波が薄りと靡く渚のあたり、雲もない空に歴々と眺めらるる、西洋館さえ、青異人、赤異人と呼んで色を鬼のように称うるくらい、こんな風の男は髯がなくても(帽子被り)と言うと聞く。
尤も一方は、そんな風に──よし、村のものの目からは青鬼赤鬼でも──蝶の飛ぶのも帆艇の帆かと見ゆるばかり、海水浴に開けているが、右の方は昔ながらの山の形、真黒に、大鷲の翼打襲ねたる趣して、左右から苗代田に取詰むる峰の褄、一重は一重ごとに迫って次第に狭く、奥の方暗く行詰ったあたり、打つけなりの茅屋の窓は、山が開いた眼に似て、あたかも大なる蟇の、明け行く海から掻窘んで、谷間に潜む風情である。
されば瓦を焚く竈の、屋の棟よりも高いのがあり、主の知れぬ宮もあり、無縁になった墓地もあり、頻に落ちる椿もあり、田には大な鰌もある。
あの、西南一帯の海の潮が、浮世の波に白帆を乗せて、このしばらくの間に九十九折ある山の峡を、一ツずつ湾にして、奥まで迎いに来ぬ内は、いつまでも村人は、むこう向になって、ちらほらと畑打っているであろう。
丁どいまの曲角の二階家あたりに、屋根の七八ツ重ったのが、この村の中心で、それから峡の方へ飛々にまばらになり、海手と二、三町が間人家が途絶えて、かえって折曲ったこの小路の両側へ、また飛々に七、八軒続いて、それが一部落になっている。
梭を投げた娘の目も、山の方へ瞳が通い、足踏みをした女房の胸にも、海の波は映らぬらしい。
通りすがりに考えつつ、立離れた。面を圧して菜種の花。眩い日影が輝くばかり。左手の崕の緑なのも、向うの山の青いのも、偏にこの真黄色の、僅に限あるを語るに過ぎず。足許の細流や、一段颯と簾を落して流るるさえ、なかなかに花の色を薄くはせぬ。
ああ目覚ましいと思う目に、ちらりと見たのみ、呉織文織は、あたかも一枚の白紙に、朦朧と描いた二個のその姿を残して余白を真黄色に塗ったよう。二人の衣服にも、手拭にも、襷にも、前垂にも、織っていたその機の色にも、聊もこの色のなかっただけ、一入鮮麗に明瞭に、脳中に描き出された。
勿論、描いた人物を判然と浮出させようとして、この彩色で地を塗潰すのは、画の手段に取って、是か、非か、巧か、拙か、それは菜の花の預り知る処でない。
うっとりするまで、眼前真黄色な中に、機織の姿の美しく宿った時、若い婦人の衝と投げた梭の尖から、ひらりと燃えて、いま一人の足下を閃いて、輪になって一ツ刎ねた、朱に金色を帯びた一条の線があって、赫燿として眼を射て、流のふちなる草に飛んだが、火の消ゆるが如くやがて失せた。
赤楝蛇が、菜種の中を輝いて通ったのである。
悚然として、向直ると、突当りが、樹の枝から梢の葉へ搦んだような石段で、上に、茅ぶきの堂の屋根が、目近な一朶の雲かと見える。棟に咲いた紫羅傘の花の紫も手に取るばかり、峰のみどりの黒髪にさしかざされた装の、それが久能谷の観音堂。
我が散策子は、其処を志して来たのである。爾時、これから参ろうとする、前途の石段の真下の処へ、殆ど路の幅一杯に、両側から押被さった雑樹の中から、真向にぬっと、大な馬の顔がむくむくと湧いて出た。
唯見る、それさえ不意な上、胴体は唯一ツでない。鬣に鬣が繋がって、胴に胴が重なって、凡そ五、六間があいだ獣の背である。
咄嗟の間、散策子は杖をついて立窘んだ。
曲角の青大将と、この傍なる菜の花の中の赤楝蛇と、向うの馬の面とへ線を引くと、細長い三角形の只中へ、封じ籠められた形になる。
奇怪なる地妖でないか。
しかし、若悪獣囲繞、利牙爪可怖も、蚖蛇及蝮蝎、気毒煙火燃も、薩陀彼処にましますぞや。しばらくして。……
のんきな馬士めが、此処に人のあるを見て、はじめて、のっそり馬の鼻頭に顕れた、真正面から前後三頭一列に並んで、たらたら下りをゆたゆたと来るのであった。
「お待遠さまでごぜえます。」
「はあ、お邪魔さまな。」
「御免なせえまし。」
と三人、一人々々声をかけて通るうち、流のふちに爪立つまで、細くなって躱したが、なお大なる皮の風呂敷に、目を包まれる心地であった。
路は一際細くなったが、かえって柔かに草を踏んで、きりきりはたり、きりきりはたりと、長閑な機の音に送られて、やがて仔細なく、蒼空の樹の間漏る、石段の下に着く。
この石段は近頃すっかり修復が出来た。(従って、爪尖のぼりの路も、草が分れて、一筋明らさまになったから、もう蛇も出まい、)その時分は大破して、丁ど繕いにかかろうという折から、馬はこの段の下に、一軒、寺というほどでもない住職の控家がある、その背戸へ石を積んで来たもので。
段を上ると、階子が揺はしまいかと危むばかり、角が欠け、石が抜け、土が崩れ、足許も定まらず、よろけながら攀じ上った。見る見る、目の下の田畠が小さくなり遠くなるに従うて、波の色が蒼う、ひたひたと足許に近づくのは、海を抱いたかかる山の、何処も同じ習である。
樹立ちに薄暗い石段の、石よりも堆い青苔の中に、あの蛍袋という、薄紫の差俯向いた桔梗科の花の早咲を見るにつけても、何となく湿っぽい気がして、しかも湯滝のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、颯と一風、ひやひやとなった。境内はさまで広くない。
尤も、御堂のうしろから、左右の廻廊へ、山の幕を引廻して、雑木の枝も墨染に、其処とも分かず松風の声。
渚は浪の雪を敷いて、砂に結び、巌に消える、その都度音も聞えそう、但残惜いまでぴたりと留んだは、きりはたり機の音。
此処よりして見てあれば、織姫の二人の姿は、菜種の花の中ならず、蒼海原に描かれて、浪に泛ぶらん風情ぞかし。
いや、参詣をしましょう。
五段の階、縁の下を、馬が駈け抜けそうに高いけれども、欄干は影も留めない。昔はさこそと思われた。丹塗の柱、花狭間、梁の波の紺青も、金色の竜も色さみしく、昼の月、茅を漏りて、唐戸に蝶の影さす光景、古き土佐絵の画面に似て、しかも名工の筆意に合い、眩ゆからぬが奥床しゅう、そぞろに尊く懐しい。
格子の中は暗かった。
戸張を垂れた御廚子の傍に、造花の白蓮の、気高く俤立つに、頭を垂れて、引退くこと二、三尺。心静かに四辺を見た。
合天井なる、紅々白々牡丹の花、胡粉の俤消え残り、紅も散留って、あたかも刻んだものの如く、髣髴として夢に花園を仰ぐ思いがある。
それら、花にも台にも、丸柱は言うまでもない。狐格子、唐戸、桁、梁、眗すものの此処彼処、巡拝の札の貼りつけてないのは殆どない。
彫金というのがある、魚政というのがある、屋根安、大工鉄、左官金。東京の浅草に、深川に。周防国、美濃、近江、加賀、能登、越前、肥後の熊本、阿波の徳島。津々浦々の渡鳥、稲負せ鳥、閑古鳥。姿は知らず名を留めた、一切の善男子善女人。木賃の夜寒の枕にも、雨の夜の苫船からも、夢はこの処に宿るであろう。巡礼たちが霊魂は時々此処に来て遊ぼう。……おかし、一軒一枚の門札めくよ。
一座の霊地は、渠らのためには平等利益、楽く美しい、花園である。一度詣でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫の海の果からでも、思いさえ浮んだら、束の間に此処に来て、虚空に花降る景色を見よう。月に白衣の姿も拝もう。熱あるものは、楊柳の露の滴を吸うであろう。恋するものは、優柔な御手に縋りもしよう。御胸にも抱かれよう。はた迷える人は、緑の甍、朱の玉垣、金銀の柱、朱欄干、瑪瑙の階、花唐戸。玉楼金殿を空想して、鳳凰の舞う竜の宮居に、牡丹に遊ぶ麒麟を見ながら、獅子王の座に朝日影さす、桜の花を衾として、明月の如き真珠を枕に、勿体なや、御添臥を夢見るかも知れぬ。よしそれとても、大慈大悲、観世音は咎め給わぬ。
さればこれなる彫金、魚政はじめ、此処に霊魂の通う証拠には、いずれも巡拝の札を見ただけで、どれもこれも、女名前のも、ほぼその容貌と、風采と、従ってその挙動までが、朦朧として影の如く目に浮ぶではないか。
かの新聞で披露する、諸種の義捐金や、建札の表に掲示する寄附金の署名が写実である時に、これは理想であるといっても可かろう。
微笑みながら、一枚ずつ。
扉の方へうしろ向けに、大な賽銭箱のこなた、薬研のような破目の入った丸柱を視めた時、一枚懐紙の切端に、すらすらとした女文字。
と優しく美く書いたのがあった。
「これは御参詣で。もし、もし、」
はッと心付くと、麻の法衣の袖をかさねて、出家が一人、裾短に藁草履を穿きしめて間近に来ていた。
振向いたのを、莞爾やかに笑み迎えて、
「些とこちらへ。」
賽銭箱の傍を通って、格子戸に及腰。
「南無」とあとは口の裏で念じながら、左右へかたかたと静に開けた。
出家は、真直ぐに御廚子の前、かさかさと袈裟をずらして、袂からマッチを出すと、伸上って御蝋を点じ、額に掌を合わせたが、引返してもう一枚、彳んだ人の前の戸を開けた。
虫ばんだが一段高く、かつ幅の広い、部厚な敷居の内に、縦に四畳ばかり敷かれる。壁の透間を樹蔭はさすが、縁なしの畳は青々と新しかった。
出家は、上に何にもない、小机の前に坐って、火入ばかり、煙草なしに、灰のくすぼったのを押出して、自分も一膝、こなたへ進め、
「些とお休み下さい。」
また、かさかさと袂を探って、
「やあ、マッチは此処にもござった、ははは、」
と、も一ツ机の下から。
「それではお邪魔を、ちょっと、拝借。」
とこなたは敷居越に腰をかけて、此処からも空に連なる、海の色より、より濃な霞を吸った。
「真個に、結構な御堂ですな、佳い景色じゃありませんか。」
「や、もう大破でござって。おもりをいたす仏様に、こう申し上げては済まんでありますがな。ははは、私力にもおいそれとは参りませんので、行届かんがちでございますよ。」
「随分御参詣はありますか。」
先ず差当り言うことはこれであった。
出家は頷くようにして、机の前に座を斜めに整然と坐り、
「さようでございます。御繁昌と申したいでありますが、当節は余りござりません。以前は、荘厳美麗結構なものでありましたそうで。
貴下、今お通りになりましてございましょう。此処からも見えます。この山の裾へかけまして、ずッとあの菜種畠の辺、七堂伽藍建連なっておりましたそうで。書物にも見えますが、三浦郡の久能谷では、この岩殿寺が、土地の草分と申しまする。
坂東第二番の巡拝所、名高い霊場でございますが、唯今ではとんとその旧跡とでも申すようになりました。
妙なもので、かえって遠国の衆の、参詣が多うございます。近くは上総下総、遠い処は九州西国あたりから、聞伝えて巡礼なさるのがあります処、この方たちが、当地へござって、この近辺で聞かれますると、つい知らぬものが多くて、大きに迷うなぞと言う、お話しを聞くでございますよ。」
「そうしたもんです。」
「ははは、如何にも、」
と言ってちょっと言葉が途切れる。
出家の言は、聊か寄附金の勧化のように聞えたので、少し気になったが、煙草の灰を落そうとして目に留まった火入の、いぶりくすぶった色あい、マッチの燃さしの突込み加減。巣鴨辺に弥勒の出世を待っている、真宗大学の寄宿舎に似て、余り世帯気がありそうもない処は、大に胸襟を開いてしかるべく、勝手に見て取った。
そこでまた清々しく一吸して、山の端の煙を吐くこと、遠見の鉄拐の如く、
「夏はさぞ涼いでしょう。」
「とんと暑さ知らずでござる。御堂は申すまでもありません、下の仮庵室なども至極その涼いので、ほんの草葺でありますが、些と御帰りがけにお立寄り、御休息なさいまし。木葉を燻べて渋茶でも献じましょう。
荒れたものでありますが、いや、茶釜から尻尾でも出ましょうなら、また一興でござる。はははは、」
「お羨い御境涯ですな。」
と客は言った。
「どうして、貴下、さように悟りの開けました智識ではございません。一軒屋の一人住居心寂しゅうござってな。唯今も御参詣のお姿を、あれからお見受け申して、あとを慕って来ましたほどで。
時に、どちらに御逗留?」
「私? 私は直きその停車場最寄の処に、」
「しばらく、」
「先々月あたりから、」
「いずれ、御旅館で、」
「否、一室借りまして自炊です。」
「は、は、さようで。いや、不躾でありまするが、思召しがござったら、仮庵室御用にお立て申しまする。
甚だ唐突でありまするが、昨年夏も、お一人な、やはりかような事から、貴下がたのような御仁の御宿をいたしたことがありまする。
御夫婦でも宜しい。お二人ぐらいは楽でありますから、」
「はい、ありがとう。」
と莞爾して、
「ちょっと、通りがかりでは、こういう処が、こちらにあろうとは思われませんね。真個に佳い御堂ですね、」
「折々御遊歩においで下さい。」
「勿体ない、おまいりに来ましょう。」
何心なく言った顔を、訝しそうに打視めた。
出家は膝に手を置いて、
「これは、貴下方の口から、そういうことを承ろうとは思わんでありました。」
「何故ですか、」
と問うては見たが、予め、その意味を解するに難うはないのであった。
出家も、扁くはあるが、ふっくりした頬に笑を含んで、
「何故と申すでもありませんがな……先ず当節のお若い方が……というのでござる。はははは、近い話がな。最もそう申すほど、私が、まだ年配ではありませんけれども、」
「分りましたとも。青年の、しかも書生が、とおっしゃるのでしょう。
否、そういう御遠慮をなさるから、それだから不可ません。それだから、」
とどうしたものか、じりじりと膝を向け直して、
「段々お宗旨が寂れます。こちらは何お宗旨だか知りませんが。
対手は老朽ちたものだけで、年紀の少い、今の学校生活でもしたものには、とても済度はむずかしい、今さら、観音でもあるまいと言うようなお考えだから不可んのです。
近頃は爺婆の方が横着で、嫁をいじめる口叱言を、お念仏で句読を切ったり、膚脱で鰻の串を横銜えで題目を唱えたり、……昔からもそういうのもなかったんじゃないが、まだまだ胡散ながら、地獄極楽が、いくらか念頭にあるうちは始末がよかったのです。今じゃ、生悟りに皆が悟りを開いた顔で、悪くすると地獄の絵を見て、こりゃ出来が可い、などと言い兼ねません。
貴下方が、到底対手にゃなるまいと思っておいでなさる、少い人たちが、かえって祖師に憧がれてます。どうかして、安心立命が得たいと悶えてますよ。中にはそれがために気が違うものもあり、自殺するものさえあるじゃありませんか。
何でも構わない。途中で、ははあ、これが二十世紀の人間だな、と思うのを御覧なすったら、男子でも女子でもですね、唐突に南無阿弥陀仏と声をかけてお試しなさい。すぐに気絶するものがあるかも知れず、たちどころに天窓を剃て御弟子になりたいと言おうも知れず、ハタと手を拍って悟るのもありましょう。あるいはそれが基で死にたくなるものもあるかも知れません。
実際、串戯ではない。そのくらいなんですもの。仏教はこれから法燈の輝く時です。それだのに、何故か、貴下がたが因循して引込思案でいらっしゃる。」
頻に耳を傾けたが、
「さよう、如何にも、はあ、さよう。いや、私どもとても、堅く申せば思想界は大維新の際で、中には神を見た、まのあたり仏に接した、あるいは自から救世主であるなどと言う、当時の熊本の神風連の如き、一揆の起りましたような事も、ちらほら聞伝えてはおりますが、いずれに致せ、高尚な御議論、御研究の方でござって、こちとらづれ出家がお守りをする、偶像なぞは……その、」
と言いかけて、密と御廚子の方を見た。
「作がよければ、美術品、彫刻物として御覧なさろうと言う世間。
あるいは今後、仏教は盛になろうも知れませんが、ともかく、偶像の方となりますると……その如何なものでござろうかと……同一信仰にいたしてからが、御本尊に対し、礼拝と申す方は、この前どうあろうかと存じまする。ははは、そこでございますから、自然、貴下がたには、仏教、即ち偶像教でないように思召しが願いたい、御像の方は、高尚な美術品を御覧になるように、と存じて、つい御遊歩などと申すような次第でございますよ。」
「いや、いや、偶像でなくってどうします。御姿を拝まないで、何を私たちが信ずるんです。貴下、偶像とおっしゃるから不可ん。
名がありましょう、一体ごとに。
釈迦、文殊、普賢、勢至、観音、皆、名があるではありませんか。」
「唯、人と言えば、他人です、何でもない。これに名がつきましょう。名がつきますと、父となります、母となり、兄となり、姉となります。そこで、その人たちを、唯、人にして扱いますか。
偶像も同一です。唯偶像なら何でもない、この御堂のは観世音です、信仰をするんでしょう。
じゃ、偶像は、木、金、乃至、土。それを金銀、珠玉で飾り、色彩を装ったものに過ぎないと言うんですか。人間だって、皮、血、肉、五臓、六腑、そんなもので束ねあげて、これに衣ものを着せるんです。第一貴下、美人だって、たかがそれまでのもんだ。
しかし、人には霊魂がある、偶像にはそれがない、と言うかも知れん。その、貴下、その貴下、霊魂が何だか分らないから、迷いもする、悟りもする、危みもする、安心もする、拝みもする、信心もするんですもの。
的がなくって弓の修業が出来ますか。軽業、手品だって学ばねばならんのです。
偶像は要らないと言う人に、そんなら、恋人は唯だ慕う、愛する、こがるるだけで、一緒にならんでも可いのか、姿を見んでも可いのか。姿を見たばかりで、口を利かずとも、口を利いたばかりで、手に縋らずとも、手に縋っただけで、寝ないでも、可いのか、と聞いて御覧なさい。
せめて夢にでも、その人に逢いたいのが実情です。
そら、幻にでも神仏を見たいでしょう。
釈迦、文殊、普賢、勢至、観音、御像はありがたい訳ではありませんか。」
出家は活々とした顔になって、目の色が輝いた。心の籠った口のあたり、髯の穴も数えつびょう、
「申されました、おもしろい。」
ぴたりと膝に手をついて、片手を額に加えたが、
「──うたゝ寐に恋しき人を見てしより夢てふものはたのみそめてき──」
と独り俯向いた口の裏に誦したのは、柱に記した歌である。
こなたも思わず彼処を見た、柱なる蜘蛛の糸、あざやかなりけり水茎の跡。
「そう承れば恥入る次第で、恥を申さねば分らんでありますが、うたゝ寐の、この和歌でござる、」
「その歌が、」
とこなたも膝の進むを覚えず。
「ええ、御覧なさい。其処中、それ巡拝札を貼り散らしたと申すわけで、中にはな、売薬や、何かの広告に使いまするそうなが、それもありきたりで構わんであります。
また誰が何時のまに貼って参るかも分りませんので。ところが、それ、其処の柱の、その……」
「はあ、あの歌ですか。」
「御覧になったで、」
「先刻、貴下が声をおかけなすった時に、」
「お目に留まったのでありましょう、それは歌の主が分っております。」
「婦人ですね。」
「さようで、最も古歌でありますそうで、小野小町の、」
「多分そうのようです。」
「詠まれたは御自分でありませんが、いや、丁とその詠み主のような美人でありましてな、」
「この玉脇……とか言う婦人が、」
と、口では澄ましてそう言ったが、胸はそぞろに時めいた。
「なるほど、今貴下がお話しになりました、その、御像のことについて、恋人云々のお言葉を考えて見ますると、これは、みだらな心ではのうて、行き方こそ違いまするが、かすかに照らせ山の端の月、と申したように、観世音にあこがるる心を、古歌に擬らえたものであったかも分りませぬ。──夢てふものは頼み初めてき──夢になりともお姿をと言う。
真個に、ああいう世に稀な美人ほど、早く結縁いたして仏果を得た験も沢山ございますから。
それを大掴に、恋歌を書き散らして参った。怪しからぬ事と、さ、それも人によりけり、御経にも、若有女人設欲求男、とありまするから、一概に咎め立てはいたさんけれども。あれがために一人殺したでござります。」
聞くものは一驚を吃した。菜の花に見た蛇のそれより。
「まさかとお思いなさるでありましょう、お話が大分唐突でござったで、」
出家は頬に手をあてて、俯いてやや考え、
「いや、しかし恋歌でないといたして見ますると、その死んだ人の方が、これは迷いであったかも知れんでございます。」
「飛んだ話じゃありませんか、それはまたどうした事ですか。」
と、こなたは何時か、もう御堂の畳に、にじり上っていた。よしありげな物語を聞くのに、懐が窮屈だったから、懐中に押込んであった、鳥打帽を引出して、傍に差置いた。
松風が音に立った。が、春の日なれば人よりも軽く、そよそよと空を吹くのである。
出家は仏前の燈明をちょっと見て、
「さればでござって。……
実は先刻お話申した、ふとした御縁で、御堂のこの下の仮庵室へお宿をいたしました、その御仁なのでありますが。
その貴下、うたゝ寝の歌を、其処へ書きました、婦人のために……まあ、言って見ますれば恋煩い、いや、こがれ死をなすったと申すものでございます。早い話が、」
「まあ、今時、どんな、男です。」
「丁ど貴下のような方で、」
呀? 茶釜でなく、這般文福和尚、渋茶にあらぬ振舞の三十棒、思わず後に瞠若として、……唯苦笑するある而已……
「これは、飛んだ処へ引合いに出しました、」
と言って打笑い、
「おっしゃる事と申し、やはりこういう事からお知己になったと申し、うっかり、これは、」
「否、結構ですとも。恋で死ぬ、本望です。この太平の世に生れて、戦場で討死をする機会がなけりゃ、おなじ畳の上で死ぬものを、憧れじにが洒落ています。
華族の金満家へ生れて出て、恋煩いで死ぬ、このくらいありがたい事はありますまい。恋は叶う方が可さそうなもんですが、そうすると愛別離苦です。
唯死ぬほど惚れるというのが、金を溜めるより難いんでしょう。」
「真に御串戯ものでおいでなさる。はははは、」
「真面目ですよ。真面目だけなお串戯のように聞えるんです。あやかりたい人ですね。よくそんなのを見つけましたね。よくそんな、こがれ死をするほどの婦人が見つかりましたね。」
「それは見ることは誰にでも出来ます。美しいと申して、竜宮や天上界へ参らねば見られないのではござらんで、」
「じゃ現在いるんですね。」
「おりますとも。土地の人です。」
「この土地のですかい。」
「しかもこの久能谷でございます。」
「久能谷の、」
「貴下、何んでございましょう、今日此処へお出でなさるには、その家の前を、御通行になりましたろうで、」
「その美人の住居の前をですか。」
と言う時、機を織った少い方の婦人が目に浮んだ、赫燿として菜の花に。
「……じゃ、あの、やっぱり農家の娘で、」
「否々、大財産家の細君でございます。」
「違いました、」
と我を忘れて、呟いたが、
「そうですか、大財産家の細君ですか、じゃもう主ある花なんですね。」
「さようでございます。それがために、貴下、」
「なるほど、他人のものですね。そうして誰が見ても綺麗ですか、美人なんですかい。」
「はい、夏向は随分何千人という東京からの客人で、目の覚めるような美麗な方もありまするが、なかなかこれほどのはないでございます。」
「じゃ、私が見ても恋煩いをしそうですね、危険、危険。」
出家は真面目に、
「何故でございますか。」
「帰路には気を注けねばなりません。何処ですか、その財産家の家は。」
菜種にまじる茅家のあなたに、白波と、松吹風を右左り、其処に旗のような薄霞に、しっとりと紅の染む状に桃の花を彩った、その屋の棟より、高いのは一つもない。
「角の、あの二階家が、」
「ええ?」
「あれがこの歌のかき人の住居でござってな。」
聞くものは慄然とした。
出家は何んの気もつかずに、
「尤も彼処へは、去年の秋、細君だけが引越して参ったので。丁ど私がお宿を致したその御仁が……お名は申しますまい。」
「それが可うございます。」
「唯、客人──でお話をいたしましょう。その方が、庵室に逗留中、夜分な、海へ入って亡くなりました。」
「溺れたんですか、」
「と……まあ見えるでございます、亡骸が岩に打揚げられてござったので、怪我か、それとも覚悟の上か、そこは先ず、お聞取りの上の御推察でありますが、私は前申す通り、この歌のためじゃようにな、」
「何しろ、それは飛んだ事です。」
「その客人が亡くなりまして、二月ばかり過ぎてから、彼処へ、」
と二階家の遥なのを、雲の上から蔽うよう、出家は法衣の袖を上げて、
「細君が引越して来ましたので。恋じゃ、迷じゃ、という一騒ぎござった時分は、この浜方の本宅に一家族、……唯今でも其処が本家、まだ横浜にも立派な店があるのでありまして、主人は大方その方へ参っておりましょうが。
この久能谷の方は、女中ばかり、真に閑静に住んでおります。」
「すると別荘なんですね。」
「いやいや、──どうも話がいろいろになります、──ところが久能谷の、あの二階家が本宅じゃそうで、唯今の主人も、あの屋根の下で生れたげに申します。
その頃は幽な暮しで、屋根と申した処が、ああではありますまい。月も時雨もばらばら葺。それでも先代の親仁と言うのが、もう唯今では亡くなりましたが、それが貴下、小作人ながら大の節倹家で、積年の望みで、地面を少しばかり借りましたのが、私庵室の背戸の地続きで、以前立派な寺がありました。その住職の隠居所の跡だったそうにございますよ。
豆を植えようと、まことにこう天気の可い、のどかな、陽炎がひらひら畔に立つ時分。
親仁殿、鍬をかついで、この坂下へ遣って来て、自分の借地を、先ずならしかけたのでございます。
とッ様昼上りにせっせえ、と小児が呼びに来た時分、と申すで、お昼頃でありましょうな。
朝疾くから、出しなには寒かったで、布子の半纏を着ていたのが、その陽気なり、働き通しじゃ。親仁殿は向顱巻、大肌脱で、精々と遣っていた処。大抵借用分の地券面だけは、仕事が済んで、これから些とほまちに山を削ろうという料簡。ずかずか山の裾を、穿りかけていたそうでありますが、小児が呼びに来たについて、一服遣るべいかで、もう一鍬、すとんと入れると、急に土が軟かく、ずぶずぶと柄ぐるみにむぐずり込んだで。
ずいと、引抜いた鍬について、じとじとと染んで出たのが、真紅な、ねばねばとした水じゃ、」
「死骸ですか、」と切込んだ。
「大違い、大違い、」
と、出家は大きくかぶりを掉って、
「註文通り、金子でござる、」
「なるほど、穿当てましたね。」
「穿当てました。海の中でも紅色の鱗は目覚しい。土を穿って出る水も、そういう場合には紫より、黄色より、青い色より、その紅色が一番見る目を驚かせます。
はて、何んであろうと、親仁殿が固くなって、もう二、三度穿り拡げると、がっくり、うつろになったので、山の腹へ附着いて、こう覗いて見たそうにござる。」
「大蛇が顋を開いたような、真紅な土の空洞の中に、づほらとした黒い塊が見えたのを、鍬の先で掻出して見ると──甕で。
蓋が打欠けていたそうでございますが、其処からもどろどろと、その丹色に底澄んで光のある粘土ようのものが充満。
別に何んにもありませんので、親仁殿は惜気もなく打覆して、もう一箇あった、それも甕で、奥の方へ縦に二ツ並んでいたと申します──さあ、この方が真物でござった。
開けかけた蓋を慌てて圧えて、きょろきょろと其処ら眗したそうでございますよ。
傍にいて覗き込んでいた、自分の小児をさえ、睨むようにして、じろりと見ながら、どう悠々と、肌なぞを入れておられましょう。
素肌へ、貴下、嬰児を負うように、それ、脱いで置いたぼろ半纏で、しっかりくるんで、背負上げて、がくつく腰を、鍬を杖にどッこいなじゃ。黙っていろよ、何んにも言うな、きっと誰にも饒舌るでねえぞ、と言い続けて、内へ帰って、納戸を閉切って暗くして、お仏壇の前へ筵を敷いて、其処へざくざくと装上げた。尤も年が経って薄黒くなっていたそうでありますが、その晩から小屋は何んとなく暗夜にも明るかった、と近所のものが話でござって。
極性な朱でござったろう、ぶちまけた甕充満のが、時ならぬ曼珠沙華が咲いたように、山際に燃えていて、五月雨になって消えましたとな。
些と日数が経ってから、親仁どのは、村方の用達かたがた、東京へ参ったついでに芝口の両換店へ寄って、汚い煙草入から煙草の粉だらけなのを一枚だけ、そっと出して、いくらに買わっしゃる、と当って見ると、いや抓んだ爪の方が黄色いくらいでござったに、正のものとて争われぬ、七両ならば引替えにと言うのを、もッと気張ってくれさっせえで、とうとう七両一分に替えたのがはじまり。
そちこち、気長に金子にして、やがて船一艘、古物を買い込んで、海から薪炭の荷を廻し、追々材木へ手を出しかけ、船の数も七艘までに仕上げた時、すっぱりと売物に出して、さて、地面を買う、店を拡げる、普請にかかる。
土台が極ると、山の貸元になって、坐っていて商売が出来るようになりました、高利は貸します。
どかとした山の林が、あの裸になっては、店さきへすくすくと並んで、いつの間にか金を残しては何処へか参る。
そのはずでござるて。
利のつく金子を借りて山を買う、木を伐りかけ、資本に支える。ここで材木を抵当にして、また借りる。すぐに利がつく、また伐りかかる、資本に支える、また借りる、利でござろう。借りた方は精々と樹を伐り出して、貸元の店へ材木を並べるばかり。追っかけられて見切って売るのを、安く買い込んでまた儲ける。行ったり、来たり、家の前を通るものが、金子を置いては失せるのであります。
妻子眷属、一時にどしどしと殖えて、人は唯、天狗が山を飲むような、と舌を巻いたでありまするが、蔭じゃ──その──鍬を杖で胴震いの一件をな、はははは、こちとら、その、も一ツの甕の朱の方だって、手を押つけりゃ血になるだ、なぞと、ひそひそ話を遣るのでござって、」
「そういう人たちはまた可い塩梅に穿り当てないもんですよ。」
と顔を見合わせて二人が笑った。
「よくしたものでございます。いくら隠していることでも何処をどうして知れますかな。
いや、それについて、」
出家は思出したように、
「こういう話がございます。その、誰にも言うな、と堅く口留めをされた斉之助という小児が、(父様は野良へ行って、穴のない天保銭をドシコと背負って帰らしたよ。)
……如何でござる、ははははは。」
「なるほど、穴のない天保銭。」
「その穴のない天保銭が、当主でございます。多額納税議員、玉脇斉之助、令夫人おみを殿、その歌をかいた美人であります、如何でございます、貴下、」
「先ずお茶を一ツ。御約束通り渋茶でござって、碌にお茶台もありませんかわりには、がらんとして自然に片づいております。お寛ぎ下さい。秋になりますると、これで町へ遠うございますかわりには、栗柿に事を欠きませぬ。烏を追って柿を取り、高音を張ります鵙を驚かして、栗を落してなりと差上げましょうに。
まあ、何よりもお楽に、」
と袈裟をはずして釘にかけた、障子に緋桃の影法師。今物語の朱にも似て、破目を暖く燃ゆる状、法衣をなぶる風情である。
庵室から打仰ぐ、石の階子は梢にかかって、御堂は屋根のみ浮いたよう、緑の雲にふっくりと沈んで、山の裾の、縁に迫って萌葱なれば、あま下る蚊帳の外に、誰待つとしもなき二人、煙らぬ火鉢のふちかけて、ひらひらと蝶が来る。
「御堂の中では何んとなく気もあらたまります。此処でお茶をお入れ下すった上のお話じゃ、結構過ぎますほどですが、あの歌に分れて来たので、何んだかなごり惜い心持もします。」
「けれども、石段だけも、婀娜な御本尊へは路が近うなってございますから、はははは。
実の処仏の前では、何か私が自分に懺悔でもしまするようで心苦しい。此処でありますと大きに寛ぐでございます。
師のかげを七尺去るともうなまけの通りで、困ったものでありますわ。
そこで客人でございます。──
日頃のお話ぶり、行為、御容子な、」
「どういう人でした。」
「それは申しますまい。私も、盲目の垣覗きよりもそッと近い、机覗きで、読んでおいでなさった、書物などの、お話も伺って、何をなさる方じゃと言う事も存じておりますが、経文に書いてあることさえ、愚昧に饒舌ると間違います。
故人をあやまり伝えてもなりませず、何か評をやるようにも当りますから、唯々、かのな、婦人との模様だけ、お物語りしましょうで。
一日晩方、極暑のみぎりでありました。浜の散歩から返ってござって、(和尚さん、些と海へ行って御覧なさいませんか。綺麗な人がいますよ。)
(ははあ、どんな、貴下、)
(あの松原の砂路から、小松橋を渡ると、急にむこうが遠目金を嵌めたように円い海になって富士の山が見えますね、)
これは御存じでございましょう。」
「知っていますとも。毎日のように遊びに出ますもの、」
「あの橋の取附きに、松の樹で取廻して──松原はずッと河を越して広い洲の林になっておりますな──そして庭を広く取って、大玄関へ石を敷詰めた、素ばらしい門のある邸がございましょう。あれが、それ、玉脇の住居で。
実はあの方を、東京の方がなさる別荘を真似て造ったでありますが、主人が交際ずきで頻と客をしまする処、いずれ海が、何よりの呼物でありますに。この久能谷の方は、些と足場が遠くなりますから、すべて、見得装飾を向うへ持って参って、小松橋が本宅のようになっております。
そこで、去年の夏頃は、御新姐。申すまでもない、そちらにいたでございます。
でその──小松橋を渡ると、急に遠目金を覗くような円い海の硝子へ──ぱっと一杯に映って、とき色の服の姿が浪の青いのと、巓の白い中へ、薄い虹がかかったように、美しく靡いて来たのがある。……
と言われたは、即ち、それ、玉脇の……でございます。
しかし、その時はまだ誰だか本人も御存じなし、聞く方でも分りませんので。どういう別嬪でありました、と串戯にな、団扇で煽ぎながら聞いたでございます。
客人は海水帽を脱いだばかり、まだ部屋へも上らず、その縁側に腰をかけながら。
(誰方か、尊いくらいでした。)」
「大分気高く見えましたな。
客人が言うには、
(二、三間あいを置いて、おなじような浴衣を着た、帯を整然と結んだ、女中と見えるのが附いて通りましたよ。
唯すれ違いざまに見たんですが、目鼻立ちのはっきりした、色の白いことと、唇の紅さったらありませんでした。
盛装という姿だのに、海水帽をうつむけに被って──近所の人ででもあるように、無造作に見えましたっけ。むこう、そうやって下を見て帽子の廂で日を避けるようにして来たのが、真直に前へ出たのと、顔を見合わせて、両方へ避ける時、濃い睫毛から瞳を涼しく睜いたのが、雪舟の筆を、紫式部の硯に染めて、濃淡のぼかしをしたようだった。
何んとも言えない、美しさでした。
いや、こういうことをお話します、私は鳥羽絵に肖ているかも知れない。
さあ、御飯を頂いて、柄相応に、月夜の南瓜畑でもまた見に出ましょうかね。)
爾晩は貴下、唯それだけの事で。
翌日また散歩に出て、同じ時分に庵室へ帰って見えましたから、私が串戯に、
(雪舟の筆は如何でござった。)
(今日は曇った所為か見えませんでした。)
それから二、三日経って、
(まだお天気が直りませんな。些と涼しすぎるくらい、御歩行には宜しいが、やはり雲がくれでござったか。)
(否、源氏の題に、小松橋というのはありませんが、今日はあの橋の上で、)
(それは、おめでたい。)
などと笑いまする。
(まるで人違いをしたように粋でした。私がこれから橋を渡ろうという時、向うの袂へ、十二、三を頭に、十歳ぐらいのと、七八歳ばかりのと、男の児を三人連れて、その中の小さいのの肩を片手で敲きながら、上から覗き込むようにして、莞爾して橋の上へかかって来ます。
どんな婦人でも羨しがりそうな、すなおな、房りした花月巻で、薄お納戸地に、ちらちらと膚の透いたような、何んの中形だか浴衣がけで、それで、きちんとした衣紋附。
絽でしょう、空色と白とを打合わせの、模様はちょっと分らなかったが、お太鼓に結んだ、白い方が、腰帯に当って水無月の雪を抱いたようで、見る目に、ぞッとして擦れ違う時、その人は、忘れた形に手を垂れた、その両手は力なさそうだったが、幽にぶるぶると肩が揺れたようでした、傍を通った男の気に襲われたものでしょう。
通り縋ると、どうしたのか、我を忘れたように、私は、あの、低い欄干へ、腰をかけてしまったんです。抜けたのだなぞと言っては不可ません。下は川ですから、あれだけの流れでも、落ちようもんならそれっきりです──淵や瀬でないだけに、救助船とも喚かれず、また叫んだ処で、人は串戯だと思って、笑って見殺しにするでしょう、泳を知らないから、)
と言って苦笑をしなさったっけ……それが真実になったのでございます。
どうしたことか、この恋煩に限っては、傍のものは、あはあは、笑って見殺しにいたします。
私はじめ串戯半分、ひやかしかたがた、今日は例のは如何で、などと申したでございます。
これは、貴下でもさようでありましょう。」
されば何んと答えよう、喫んでた煙草の灰をはたいて、
「ですがな……どうも、これだけは真面目に介抱は出来かねます。娘が煩うのだと、乳母が始末をする仕来りになっておりますがね、男のは困りますな。
そんな時、その川で沙魚でも釣っていたかったですね。」
「ははは、これはおかしい。」
と出家は興ありげにハタと手を打つ。
「これはおかしい、釣といえば丁どその時、向う詰の岸に踞んで、ト釣っていたものがあったでござる。橋詰の小店、荒物を商う家の亭主で、身体の痩せて引緊ったには似ない、褌の緩い男で、因果とのべつ釣をして、はだけていましょう、真にあぶなッかしい形でな。
渾名を一厘土器と申すでござる。天窓の真中の兀工合が、宛然ですて──川端の一厘土器──これが爾時も釣っていました。
庵室の客人が、唯今申す欄干に腰を掛けて、おくれ毛越にはらはらと靡いて通る、雪のような襟脚を見送ると、今、小橋を渡った処で、中の十歳位のがじゃれて、その腰へ抱き着いたので、白魚という指を反らして、軽くその小児の背中を打った時だったと申します。
(お坊ちゃま、お坊ちゃま、)
と大声で呼び懸けて、
(手巾が落ちました、)と知らせたそうでありますが、件の土器殿も、餌は振舞う気で、粋な後姿を見送っていたものと見えますよ。
(やあ、)と言って、十二、三の一番上の児が、駈けて返って、橋の上へ落して行った白い手巾を拾ったのを、懐中へ突込んで、黙ってまた飛んで行ったそうで。小児だから、辞儀も挨拶もないでございます。
御新姐が、礼心で顔だけ振向いて、肩へ、頤をつけるように、唇を少し曲げて、その涼い目で、熟とこちらを見返ったのが取違えたものらしい。私が許の客人と、ぴったり出会ったでありましょう。
引込まれて、はッと礼を返したが、それッきり。御新姐の方は見られなくって、傍を向くと貴下、一厘土器が怪訝な顔色。
いやもう、しっとり冷汗を掻いたと言う事、──こりゃなるほど。極がよくない。
局外のものが何んの気もなしに考えれば、愚にもつかぬ事なれど、色気があって御覧じろ。第一、野良声の調子ッぱずれの可笑い処へ、自分主人でもない余所の小児を、坊やとも、あの児とも言うにこそ、へつらいがましい、お坊ちゃまは不見識の行止り、申さば器量を下げた話。
今一方からは、右の土器殿にも小恥かしい次第でな。他人のしんせつで手柄をしたような、変な羽目になったので。
御本人、そうとも口へ出して言われませなんだが、それから何んとなく鬱ぎ込むのが、傍目にも見えたであります。
四、五日、引籠ってござったほどで。
後に、何も彼も打明けて私に言いなさった時の話では、しかしまたその間違が縁になって、今度出会った時は、何んとなく両方で挨拶でもするようになりはせまいか。そうすれば、どんなにか嬉しかろう、本望じゃ、と思われたそうな。迷いと申すはおそろしい、情ないものでござる。世間大概の馬鹿も、これほどなことはないでございます。
三度目には御本人、」
「また出会ったんですかい。」
と聞くものも待ち構える。
「今度は反対に、浜の方から帰って来るのと、浜へ出ようとする御新姐と、例の出口の処で逢ったと言います。
大分もう薄暗くなっていましたそうで……土用あけからは、目に立って日が詰ります処へ、一度は一度と、散歩のお帰りが遅くなって、蚊遣りでも我慢が出来ず、私が此処へ蚊帳を釣って潜込んでから、帰って見えて、晩飯ももう、なぞと言われるさえ折々の事。
爾時も、早や黄昏の、とある、人顔、朧ながら月が出たように、見違えないその人と、思うと、男が五人、中に主人もいたでありましょう。婦人は唯御新姐一人、それを取巻く如くにして、どやどやと些と急足で、浪打際の方へ通ったが、その人数じゃ、空頼めの、余所ながら目礼処の騒ぎかい、貴下、その五人の男というのが。」
「眉の太い、怒り鼻のがあり、額の広い、顎の尖った、下目で睨むようなのがあり、仰向けざまになって、頬髯の中へ、煙も出さず葉巻を突込んでいるのがある。くるりと尻を引捲って、扇子で叩いたものもある。どれも浴衣がけの下司は可いが、その中に浅黄の兵児帯、結目をぶらりと二尺ぐらい、こぶらの辺までぶら下げたのと、緋縮緬の扱帯をぐるぐる巻きに胸高は沙汰の限。前のは御自分ものであろうが、扱帯の先生は、酒の上で、小間使のを分捕の次第らしい。
これが、不思議に客人の気を悪くして、入相の浪も物凄くなりかけた折からなり、あの、赤鬼青鬼なるものが、かよわい人を冥土へ引立てて行くようで、思いなしか、引挟まれた御新姐は、何んとなく物寂しい、快からぬ、滅入った容子に見えて、ものあわれに、命がけにでも其奴らの中から救って遣りたい感じが起った。家庭の様子もほぼ知れたようで、気が揉める、と言われたのでありますが、貴下、これは無理じゃて。
地獄の絵に、天女が天降った処を描いてあって御覧なさい。餓鬼が救われるようで尊かろ。
蛇が、つかわしめじゃと申すのを聞いて、弁財天を、ああ、お気の毒な、さぞお気味が悪かろうと思うものはありますまいに。迷いじゃね。」
散策子はここに少しく腕組みした。
「しかし何ですよ、女は、自分の惚れた男が、別嬪の女房を持ってると、嫉妬らしいようですがね。男は反対です、」
と聊か論ずる口吻。
「ははあ、」
「男はそうでない。惚れてる婦人が、小野小町花、大江千里月という、対句通りになると安心します。
唯今の、その浅黄の兵児帯、緋縮緬の扱帯と来ると、些と考えねばならなくなる。耶蘇教の信者の女房が、主キリストと抱かれて寝た夢を見たと言うのを聞いた時の心地と、回々教の魔神になぐさまれた夢を見たと言うのを聞いた時の心地とは、きっとそれは違いましょう。
どっち路、嬉くない事は知れていますがね、前のは、先ず先ずと我慢が出来る、後のは、堪忍がなりますまい。
まあ、そんな事は措いて、何んだってまた、そう言う不愉快な人間ばかりがその夫人を取巻いているんでしょう。」
「そこは、玉脇がそれ鍬の柄を杖に支いて、ぼろ半纏に引くるめの一件で、ああ遣って大概な華族も及ばん暮しをして、交際にかけては銭金を惜まんでありますが、情ない事には、遣方が遣方ゆえ、身分、名誉ある人は寄つきませんで、悲哉その段は、如何わしい連中ばかり。」
「お待ちなさい、なるほど、そうするとその夫人と言うは、どんな身分の人なんですか。」
出家はあらためて、打頷き、かつ咳して、
「そこでございます、御新姐はな、年紀は、さて、誰が目にも大略は分ります、先ず二十三、四、それとも五、六かと言う処で、」
「それで三人の母様? 十二、三のが頭ですかい。」
「否、どれも実子ではないでございます。」
「ままッ児ですか。」
「三人とも先妻が産みました。この先妻についても、まず、一くさりのお話はあるでございますが、それは余事ゆえに申さずとも宜しかろ。
二、三年前に、今のを迎えたのでありますが、此処でありますよ。
何処の生れだか、育ちなのか、誰の娘だか、妹だか、皆目分らんでございます。貸して、かたに取ったか、出して買うようにしたか。落魄れた華族のお姫様じゃと言うのもあれば、分散した大所の娘御だと申すのもあります。そうかと思うと、箔のついた芸娼妓に違いないと申すもあるし、豪いのは高等淫売の上りだろうなどと、甚しい沙汰をするのがござって、丁と底知れずの池に棲む、ぬしと言うもののように、素性が分らず、ついぞ知ったものもない様子。」
「何にいたせ、私なぞが通りすがりに見懸けましても、何んとも当りがつかぬでございます。勿論また、坊主に鑑定の出来ようはずはなけれどもな。その眉のかかり、目つき、愛嬌があると申すではない。口許なども凛として、世辞を一つ言うようには思われぬが、唯何んとなく賢げに、恋も無常も知り抜いた風に見える。身体つきにも顔つきにも、情が滴ると言った状じゃ。
恋い慕うものならば、馬士でも船頭でも、われら坊主でも、無下に振切って邪険にはしそうもない、仮令恋はかなえぬまでも、然るべき返歌はありそうな。帯の結目、袂の端、何処へちょっと障っても、情の露は男の骨を溶解かさずと言うことなし、と申す風情。
されば、気高いと申しても、天人神女の俤ではのうて、姫路のお天守に緋の袴で燈台の下に何やら書を繙く、それ露が滴るように婀娜なと言うて、水道の水で洗い髪ではござらぬ。人跡絶えた山中の温泉に、唯一人雪の膚を泳がせて、丈に余る黒髪を絞るとかの、それに肖まして。
慕わせるより、懐しがらせるより、一目見た男を魅する、力広大。少からず、地獄、極楽、娑婆も身に附絡うていそうな婦人、従うて、罪も報も浅からぬげに見えるでございます。
ところへ、迷うた人の事なれば、浅黄の帯に緋の扱帯が、牛頭馬頭で逢魔時の浪打際へ引立ててでも行くように思われたのでありましょう──私どもの客人が──そういう心持で御覧なさればこそ、その後は玉脇の邸の前を通がかり。……
浜へ行く町から、横に折れて、背戸口を流れる小川の方へ引廻した蘆垣の蔭から、松林の幹と幹とのなかへ、襟から肩のあたり、くっきりとした耳許が際立って、帯も裾も見えないのが、浮出したように真中へあらわれて、後前に、これも肩から上ばかり、爾時は男が三人、一ならびに松の葉とすれすれに、しばらく桔梗刈萱が靡くように見えて、段々低くなって隠れたのを、何か、自分との事のために、離座敷か、座敷牢へでも、送られて行くように思われた、後前を引挟んだ三人の漢の首の、兇悪なのが、確にその意味を語っていたわ。もうこれきり、未来まで逢えなかろうかとも思われる、と無理なことを言うのであります。
さ、これもじゃ、玉脇の家の客人だち、主人まじりに、御新姐が、庭の築山を遊んだと思えば、それまででありましょうに。
とうとう表通りだけでは、気が済まなくなったと見えて、前申した、その背戸口、搦手のな、川を一つ隔てた小松原の奥深く入り込んで、うろつくようになったそうで。
玉脇の持地じゃありますが、この松原は、野開きにいたしてござる。中には汐入の、ちょっと大きな池もあります。一面に青草で、これに松の翠がかさなって、唯今頃は菫、夏は常夏、秋は萩、真個に幽翠な処、些と行らしって御覧じろ。」
「薄暗い処ですか、」
「藪のようではありません。真蒼な処であります。本でも御覧なさりながらお歩行きには、至極宜しいので、」
「蛇がいましょう、」
と唐突に尋ねた。
「お嫌いか。」
「何とも、どうも、」
「否、何の因果か、あのくらい世の中に嫌われるものも少のうござる。
しかし、気をつけて見ると、あれでもしおらしいもので、路端などを我は顔で伸してる処を、人が参って、熟と視めて御覧なさい。見返しますがな、極りが悪そうに鎌首を垂れて、向うむきに羞含みますよ。憎くないもので、ははははは、やはり心がありますよ。」
「心があられてはなお困るじゃありませんか。」
「否、塩気を嫌うと見えまして、その池のまわりには些ともおりません。邸にはこの頃じゃ、その魅するような御新姐も留主なり、穴はすかすかと真黒に、足許に蜂の巣になっておりましても、蟹の住居、落ちるような憂慮もありません。」
「客人は、その穴さえ、白髑髏の目とも見えたでありましょう。
池をまわって、川に臨んだ、玉脇の家造を、何か、御新姐のためには牢獄ででもあるような考えでござるから。
さて、潮のさし引ばかりで、流れるのではありません、どんより鼠色に淀んだ岸に、浮きもせず、沈みもやらず、末始終は砕けて鯉鮒にもなりそうに、何時頃のか五、六本、丸太が浸っているのを見ると、ああ、切組めば船になる。繋合わせば筏になる。しかるに、綱も棹もない、恋の淵はこれで渡らねばならないものか。
生身では渡られない。霊魂だけなら乗れようものを。あの、樹立に包まれた木戸の中には、その人が、と足を爪立ったりなんぞして。
蝶の目からも、余りふわふわして見えたでござろう。小松の中をふらつく自分も、何んだかその、肩から上ばかりに、裾も足もなくなった心地、日中の妙な蝙蝠じゃて。
懐中から本を出して、
蝋光高懸照紗空、 花房夜搗紅守宮、
象口吹香毾㲪暖、 七星挂城聞漏板、
寒入罘罳殿影昏、 彩鸞簾額著霜痕、
ええ、何んでも此処は、蛄が鉤闌の下に月に鳴く、魏の文帝に寵せられた甄夫人が、後におとろえて幽閉されたと言うので、鎖阿甄。とあって、それから、
夢入家門上沙渚、 天河落処長洲路、
願君光明如太陽、
妾を放て、そうすれば、魚に騎し、波を撇いて去らん、というのを微吟して、思わず、襟にはらはらと涙が落ちる。目を睜って、その水中の木材よ、いで、浮べ、鰭ふって木戸に迎えよ、と睨むばかりに瞻めたのでござるそうな。些と尋常事でありませんな。
詩は唐詩選にでもありましょうか。」
「どうですか。ええ、何んですって──夢に家門に入って沙渚に上る。魂が沙漠をさまよって歩行くようね、天河落処長洲路、あわれじゃありませんか。
それを聞くと、私まで何んだか、その婦人が、幽閉されているように思います。
それからどうしましたか。」
「どうと申して、段々頤がこけて、日に増し目が窪んで、顔の色がいよいよ悪い。
或時、大奮発じゃ、と言うて、停車場前の床屋へ、顔を剃りに行かれました。その時だったと申す事で。
頭を洗うし、久しぶりで、些心持も爽になって、ふらりと出ると、田舎には荒物屋が多いでございます、紙、煙草、蚊遣香、勝手道具、何んでも屋と言った店で。床店の筋向うが、やはりその荒物店であります処、戸外へは水を打って、軒の提灯にはまだ火を点さぬ、溝石から往来へ縁台を跨がせて、差向いに将棊を行っています。端の歩が附木、お定りの奴で。
用なしの身体ゆえ、客人が其処へ寄って、路傍に立って、両方ともやたらに飛車角の取替えこ、ころりころり差違えるごとに、ほい、ほい、と言う勇ましい懸声で。おまけに一人の親仁なぞは、媽々衆が行水の間、引渡されたものと見えて、小児を一人胡坐の上へ抱いて、雁首を俯向けに銜え煙管。
で銜えたまんま、待てよ、どっこい、と言うたびに、煙管が打附りそうになるので、抱かれた児は、親仁より、余計に額に皺を寄せて、雁首を狙って取ろうとする。火は附いていないから、火傷はさせぬが、夢中で取られまいと振動かす、小児は手を出す、飛車を遁げる。
よだれを垂々と垂らしながら、占た! とばかり、やにわに対手の玉将を引掴むと、大きな口をへの字形に結んで見ていた赭ら顔で、脊高の、胸の大きい禅門が、鉄梃のような親指で、いきなり勝った方の鼻っ頭をぐいと掴んで、豪いぞ、と引伸ばしたと思し召せ、ははははは。」
「大きな、ハックサメをすると煙草を落した。額こッつりで小児は泣き出す、負けた方は笑い出す、涎と何んかと一緒でござろう。鼻をつまんだ禅門、苦々しき顔色で、指を持余した、塩梅な。
これを機会に立去ろうとして、振返ると、荒物屋と葭簀一枚、隣家が間に合わせの郵便局で。其処の門口から、すらりと出たのが例のその人。汽車が着いたと見えて、馬車、車がらがらと五、六台、それを見に出たものらしい、郵便局の軒下から往来を透かすようにした、目が、ばったり客人と出逢ったでありましょう。
心ありそうに、そうすると直ぐに身を引いたのが、隔ての葭簀の陰になって、顔を背向けもしないで、其処で向直ってこっちを見ました。
軒下の身を引く時、目で引つけられたような心持がしたから、こっちもまた葭簀越に。
爾時は、総髪の銀杏返で、珊瑚の五分珠の一本差、髪の所為か、いつもより眉が長く見えたと言います。浴衣ながら帯には黄金鎖を掛けていたそうでありますが、揺れてその音のするほど、こっちを透すのに胸を動かした、顔がさ、葭簀を横にちらちらと霞を引いたかと思う、これに眩くばかりになって、思わずちょっと会釈をする。
向うも、伏目に俯向いたと思うと、リンリンと貴下、高く響いたのは電話の報知じゃ。
これを待っていたでございますな。
すぐに電話口へ入って、姿は隠れましたが、浅間ゆえ、よく聞える。
(はあ、私。あなた、余りですわ。余りですわ。どうして来て下さらないの。怨んでいますよ。あの、あなた、夜も寝られません。はあ、夜中に汽車のつくわけはありませんけれども、それでも今にもね、来て下さりはしないかと思って。
私の方はね、もうね、ちょいと……どんなに離れておりましても、あなたの声はね、電話でなくっても聞えます。あなたには通じますまい。
どうせ、そうですよ。それだって、こんなにお待ち申している、私のためですもの……気をかねてばかりいらっしゃらなくても宜しいわ。些とは不義理、否、父さんやお母さんに、不義理と言うこともありませんけれど、ね、私は生命かけて、きっとですよ。今夜にも、寝ないでお待ち申しますよ。あ、あ、たんと、そんなことをお言いなさい、どうせ寝られないんだから可うございます。怨みますよ。夢にでもお目にかかりましょうねえ、否、待たれない、待たれない……)
お道か、お光か、女の名前。
(……みいちゃん、さようなら、夢で逢いますよ。)──
きりきりと電話を切ったて。」
「へい、」
と思わず聞惚れる。
「その日は帰ってから、豪い元気で、私はそれ、涼しさやと言った句の通り、縁から足をぶら下げる。客人は其処の井戸端に焚きます据風呂に入って、湯をつかいながら、露出しの裸体談話。
そっちと、こっちで、高声でな。尤も隣近所はござらぬ。かけかまいなしで、電話の仮声まじりか何かで、
(やあ、和尚さん、梅の青葉から、湯気の中へ糸を引くのが、月影に光って見える、蜘蛛が下りた、)
と大気燄じゃ。
(万歳々々、今夜お忍か。)
(勿論、)
と答えて、頭のあたりをざぶざぶと、仰いで天に愧じざる顔色でありました。が、日頃の行いから察して、如何に、思死をすればとて、いやしくも主ある婦人に、そういう不料簡を出すべき仁でないと思いました、果せる哉。
冷奴に紫蘇の実、白瓜の香の物で、私と取膳の飯を上ると、帯を緊め直して、
(もう一度そこいらを。)
いや、これはと、ぎょっとしたが、垣の外へ出られた姿は、海の方へは行かないで、それ、その石段を。」
一面の日当りながら、蝶の羽の動くほど、山の草に薄雲が軽く靡いて、檐から透すと、峰の方は暗かった、余り暖さが過ぎたから。
降ろうも知れぬ。日向へ蛇が出ている時は、雨を持つという、来がけに二度まで見た。
で、雲が被って、空気が湿った所為か、笛太鼓の囃子の音が山一ツ越えた彼方と思うあたりに、蛙が喞くように、遠いが、手に取るばかり、しかも沈んでうつつの音楽のように聞えて来た。靄で蝋管の出来た蓄音器の如く、かつ遥に響く。
それまでも、何かそれらしい音はしたが、極めて散漫で、何の声とも纏まらない。村々の蔀、柱、戸障子、勝手道具などが、日永に退屈して、のびを打ち、欠伸をする気勢かと思った。いまだ昼前だのに、──時々牛の鳴くのが入交って──時に笑い興ずるような人声も、動かない、静かに風に伝わるのであった。
フト耳を澄ましたが、直ぐに出家の言になって、
「大分町の方が賑いますな。」
「祭礼でもありますか。」
「これは停車場近くにいらっしゃると承りましたに、つい御近所でございます。
停車場の新築開き。」
如何にも一月ばかり以前から取沙汰した今日は当日。規模を大きく、建直した落成式、停車場に舞台がかかる、東京から俳優が来る、村のものの茶番がある、餅を撒く、昨夜も夜通し騒いでいて、今朝来がけの人通りも、よけて通るばかりであったに、はたと忘れていたらしい。
「まったくお話しに聞惚れましたか、こちらが里離れて閑静な所為か、些とも気が附ないでおりました。実は余り騒々しいので、そこを遁げて参ったのです。しかし降りそうになって来ました。」
出家の額は仰向けに廂を潜って、
「ねんばり一湿りでございましょう。地雨にはなりますまい。何、また、雨具もござる。芝居を御見物の思召がなくば、まあ御緩りなすって。
あの音もさ、面白可笑く、こっちも見物に参る気でもござると、じっと落着いてはいられないほど、浮いたものでありますが、さてこう、かけかまいなしに、遠ざかっておりますと、世を一ツ隔てたように、寂しい、陰気な、妙な心地がいたすではありませんか。」
「真箇ですね。」
「昔、井戸を掘ると、地の下に犬鶏の鳴く音、人声、牛車の軋る音などが聞えたという話があります。それに似ておりますな。
峠から見る、霧の下だの、暗の浪打際、ぼうと灯が映る処だの、かように山の腹を向うへ越した地の裏などで、聞きますのは、おかしく人間業でないようだ。夜中に聞いて、狸囃子と言うのも至極でございます。
いや、それに、つきまして、お話の客人でありますが、」
と、茶を一口急いで飲み、さしおいて、
「さて今申した通り、夜分にこの石段を上って行かれたのでありまして。
しかしこれは情に激して、発奮んだ仕事ではなかったのでございます。
こうやって、この庵室に馴れました身には、石段はつい、通い廊下を縦に通るほどな心地でありますからで。客人は、堂へ行かれて、柱板敷へひらひらと大きくさす月の影、海の果には入日の雲が焼残って、ちらちら真紅に、黄昏過ぎの渾沌とした、水も山も唯一面の大池の中に、その軒端洩る夕日の影と、消え残る夕焼の雲の片と、紅蓮白蓮の咲乱れたような眺望をなさったそうな。これで御法の船に同じい、御堂の縁を離れさえなさらなかったら、海に溺れるようなことも起らなんだでございましょう。
爰に希代な事は──
堂の裏山の方で、頻りに、その、笛太鼓、囃子が聞えたと申す事──
唯今、それ、聞えますな。あれ、あれとは、まるで方角は違います。」
と出家は法衣でずいと立って、廂から指を出して、御堂の山を左の方へぐいと指した。立ち方の唐突なのと、急なのと、目前を塞いだ墨染に、一天する墨を流すかと、袖は障子を包んだのである。
「堂の前を左に切れると、空へ抜いた隧道のように、両端から突出ました巌の間、樹立を潜って、裏山へかかるであります。
両方谷、海の方は、山が切れて、真中の路を汽車が通る。一方は一谷落ちて、それからそれへ、山また山、次第に峰が重なって、段々雲霧が深くなります。処々、山の尾が樹の根のように集って、広々とした青田を抱えた処もあり、炭焼小屋を包んだ処もございます。
其処で、この山伝いの路は、崕の上を高い堤防を行く形、時々、島や白帆の見晴しへ出ますばかり、あとは生繁って真暗で、今時は、さまでにもありませぬが、草が繁りますと、分けずには通られません。
谷には鶯、峰には目白四十雀の囀っている処もあり、紺青の巌の根に、春は菫、秋は竜胆の咲く処。山清水がしとしとと湧く径が薬研の底のようで、両側の篠笹を跨いで通るなど、ものの小半道踏分けて参りますと、其処までが一峰で。それから崕になって、郡が違い、海の趣もかわるのでありますが、その崕の上に、たとえて申さば、この御堂と背中合わせに、山の尾へ凭っかかって、かれこれ大仏ぐらいな、石地蔵が無手と胡坐してござります。それがさ、石地蔵と申し伝えるばかり、よほどのあら刻みで、まず坊主形の自然石と言うても宜しい。妙に御顔の尖がった処が、拝むと凄うござってな。
堂は形だけ残っておりますけれども、勿体ないほど大破いたして、密と参っても床なぞずぶずぶと踏抜きますわ。屋根も柱も蜘蛛の巣のように狼藉として、これはまた境内へ足の入場もなく、崕へかけて倒れてな、でも建物があった跡じゃ、見霽しの広場になっておりますから、これから山越をなさる方が、うっかり其処へござって、唐突の山仏に胆を潰すと申します。
其処を山続きの留りにして、向うへ降りる路は、またこの石段のようなものではありません。わずかの間も九十九折の坂道、嶮い上に、憗か石を入れたあとのあるだけに、爪立って飛々に這い下りなければなりませんが、この坂の両方に、五百体千体と申す数ではない。それはそれは数え切れぬくらい、いずれも一尺、一尺五寸、御丈三尺というのはない、小さな石仏がすくすく並んで、最も長い年月、路傍へ転げたのも、倒れたのもあったでありましょうが、さすがに跨ぐものはないと見えます。もたれなりにも櫛の歯のように揃ってあります。
これについて、何かいわれのございましたことか、一々女の名と、亥年、午年、幾歳、幾歳、年齢とが彫りつけてございましてな、何時の世にか、諸国の婦人たちが、挙って、心願を籠めたものでございましょう。ところで、雨露に黒髪は霜と消え、袖裾も苔と変って、影ばかり残ったが、お面の細く尖った処、以前は女体であったろうなどという、いや女体の地蔵というはありませんが、さてそう聞くと、なお気味が悪いではございませんか。
ええ、つかぬことを申したようでありますが、客人の話について、些と考えました事がござる。客人は、それ、その山路を行かれたので──この観音の御堂を離れて、」
「なるほど、その何んとも知れない、石像の処へ、」
と胸を伏せて顔を見る。
「いやいや、其処までではありません。唯その山路へ、堂の左の、巌間を抜けて出たものでございます。
トいうのが、手に取るように、囃の音が聞えたからで。
直きその谷間の村あたりで、騒いでいるように、トントンと山腹へ響いたと申すのでありますから、ちょっと裏山へ廻りさえすれば、足許に瞰下ろされますような勘定であったので。客人は、高い処から見物をなさる気でござった。
入り口はまだ月のたよりがございます。樹の下を、草を分けて参りますと、処々窓のように山が切れて、其処から、松葉掻、枝拾い、じねんじょ穿が谷へさして通行する、下の村へ続いた路のある処が、あっちこっちにいくらもございます。
それへ出ると、何処でも広々と見えますので、最初左の浜庇、今度は右の茅の屋根と、二、三箇処、その切目へ出て、覗いたが、何処にも、祭礼らしい処はない。海は明く、谷は煙って。」
「けれども、その囃子の音は、草一叢、樹立一畝出さえすれば、直き見えそうに聞えますので。二足が三足、五足が十足になって段々深く入るほど──此処まで来たのに見ないで帰るも残惜い気もする上に、何んだか、旧へ帰るより、前へ出る方が路も明いかと思われて、些と急足になると、路も大分上りになって、ぐいと伸上るように、思い切って真暗な中を、草を挘って、身を退いて高い処へ。ぼんやり薄明るく、地ならしがしてあって、心持、墓地の縄張の中ででもあるような、平な丘の上へ出ると、月は曇ってしまったか、それとも海へ落ちたかという、一方は今来た路で向うは崕、谷か、それとも浜辺かは、判然せぬが、底一面に靄がかかって、その靄に、ぼうと遠方の火事のような色が映っていて、篝でも焼いているかと、底澄んで赤く見える、その辺に、太鼓が聞える、笛も吹く、ワアという人声がする。
如何にも賑かそうだが、さて何処とも分らぬ。客人は、その朦朧とした頂に立って、境は接しても、美濃近江、人情も風俗も皆違う寝物語の里の祭礼を、此処で見るかと思われた、と申します。
その上、宵宮にしては些と賑か過ぎる、大方本祭の夜? それで人の出盛りが通り過ぎた、よほど夜更らしい景色に視めて、しばらく茫然としてござったそうな。
ト何んとなく、心寂しい。路もよほど歩行いたような気がするので、うっとり草臥れて、もう帰ろうかと思う時、その火気を包んだ靄が、こう風にでも動くかと覚えて、谷底から上へ、裾あがりに次第に色が濃うなって、向うの山かけて映る工合が直き目の前で燃している景色──最も靄に包まれながら──
そこで、何か見極めたい気もして、その平地を真直に行くと、まず、それ、山の腹が覗かれましたわ。
これはしたり! 祭礼は谷間の里からかけて、此処がそのとまりらしい。見た処で、薄くなって段々に下へ灯影が濃くなって次第に賑かになっています。
やはり同一ような平な土で、客人のござる丘と、向うの丘との中に箕の形になった場所。
爪尖も辷らず、静に安々と下りられた。
ところが、箕の形の、一方はそれ祭礼に続く谷の路でございましょう。その谷の方に寄った畳なら八畳ばかり、油が広く染んだ体に、草がすっぺりと禿げました。」
といいかけて、出家は瀬戸物の火鉢を、縁の方へ少しずらして、俯向いて手で畳を仕切った。
「これだけな、赤地の出た上へ、何かこうぼんやり踞ったものがある。」
ト足を崩してとかくして膝に手を置いた。
思わず、外の方を見た散策子は、雲のやや軒端に近く迫るのを知った。
「手を上げて招いたと言います──ゆったりと──行くともなしに前へ出て、それでも間二、三間隔って立停まって、見ると、その踞ったものは、顔も上げないで俯向いたまま、股引ようのものを穿いている、草色の太い胡坐かいた膝の脇に、差置いた、拍子木を取って、カチカチと鳴らしたそうで、その音が何者か歯を噛合わせるように響いたと言います。
そうすると、」
「はあ、はあ、」
「薄汚れた帆木綿めいた破穴だらけの幕が開いたて、」
「幕が、」
「さよう。向う山の腹へ引いてあったが、やはり靄に見えていたので、そのものの手に、綱が引いてあったと見えます、踞ったままで立ちもせんので。
窪んだ浅い横穴じゃ。大きかったといいますよ。正面に幅一間ばかり、尤も、この辺にはちょいちょいそういうのを見懸けます。背戸に近い百姓屋などは、漬物桶を置いたり、青物を活けて重宝がる。で、幕を開けたからにはそれが舞台で。」
「なるほど、そう思えば、舞台の前に、木の葉がばらばらと散ばった中へ交って、投銭が飛んでいたらしく見えたそうでございます。
幕が開いた──と、まあ、言う体でありますが、さて唯浅い、扁い、窪みだけで。何んの飾つけも、道具だてもあるのではござらぬ。何か、身体もぞくぞくして、余り見ていたくもなかったそうだが、自分を見懸けて、はじめたものを、他に誰一人いるではなし、今更帰るわけにもなりませんような羽目になったとか言って、懐中の紙入に手を懸けながら、茫乎見ていたと申します。
また、陰気な、湿っぽい音で、コツコツと拍子木を打違える。
やはりそのものの手から、ずうと糸が繋がっていたものらしい。舞台の左右、山の腹へ斜めにかかった、一幅の白い靄が同じく幕でございました。むらむらと両方から舞台際へ引寄せられると、煙が渦くように畳まれたと言います。
不細工ながら、窓のように、箱のように、黒い横穴が小さく一ツずつ三十五十と一側並べに仕切ってあって、その中に、ずらりと婦人が並んでいました。
坐ったのもあり、立ったのもあり、片膝立てたじだらくな姿もある。緋の長襦袢ばかりのもある。頬のあたりに血のたれているのもある。縛られているのもある、一目見たが、それだけで、遠くの方は、小さくなって、幽になって、唯顔ばかり谷間に白百合の咲いたよう。
慄然として、遁げもならない処へ、またコンコンと拍子木が鳴る。
すると貴下、谷の方へ続いた、その何番目かの仕切の中から、ふらりと外へ出て、一人、小さな婦人の姿が、音もなく歩行いて来て、やがてその舞台へ上ったでございますが、其処へ来ると、並の大きさの、しかも、すらりとした脊丈になって、しょんぼりした肩の処へ、こう、頤をつけて、熟と客人の方を見向いた、その美しさ!
正しく玉脇の御新姐で。」
「寝衣にぐるぐると扱帯を巻いて、霜のような跣足、そのまま向うむきに、舞台の上へ、崩折れたように、ト膝を曲げる。
カンと木を入れます。
釘づけのようになって立窘んだ客人の背後から、背中を摺って、ずッと出たものがある。
黒い影で。
見物が他にもいたかと思う、とそうではない。その影が、よろよろと舞台へ出て、御新姐と背中合わせにぴったり坐った処で、こちらを向いたでございましょう、顔を見ると自分です。」
「ええ!」
「それが客人御自分なのでありました。
で、私へお話に、
(真個なら、其処で死ななければならんのでした、)
と言って歎息して、真蒼になりましたっけ。
どうするか、見ていたかったそうです。勿論、肉は躍り、血は湧いてな。
しばらくすると、その自分が、やや身体を捻じ向けて、惚々と御新姐の後姿を見入ったそうで、指の尖で、薄色の寝衣の上へ、こう山形に引いて、下へ一ツ、△を書いたでございますな、三角を。
見ている胸はヒヤヒヤとして冷汗がびっしょりになる。
御新姐は唯首垂れているばかり。
今度は四角、□、を書きました。
その男、即客人御自分が。
御新姐の膝にかけた指の尖が、わなわなと震えました……とな。
三度目に、○、円いものを書いて、線の端がまとまる時、颯と地を払って空へ抉るような風が吹くと、谷底の灯の影がすっきり冴えて、鮮かに薄紅梅。浜か、海の色か、と見る耳許へ、ちゃらちゃらと鳴ったのは、投げ銭と木の葉の摺れ合う音で、くるくると廻った。
気がつくと、四、五人、山のように背後から押被さって、何時の間にか他に見物が出来たて。
爾時、御新姐の顔の色は、こぼれかかった艶やかなおくれ毛を透いて、一入美しくなったと思うと、あのその口許で莞爾として、うしろざまにたよたよと、男の足に背をもたせて、膝を枕にすると、黒髪が、ずるずると仰向いて、真白な胸があらわれた。その重みで男も倒れた、舞台がぐんぐんずり下って、はッと思うと旧の土。
峰から谷底へかけて哄と声がする。そこから夢中で駈け戻って、蚊帳に寝た私に縋りついて、
(水を下さい。)
と言うて起された、が、身体中疵だらけで、夜露にずぶ濡であります。
それから暁かけて、一切の懺悔話。
翌日は一日寝てござった。午すぎに女中が二人ついて、この御堂へ参詣なさった御新姐の姿を見て、私は慌てて、客人に知らさぬよう、暑いのに、貴下、この障子を閉切ったでございますよ。
以来、あの柱に、うたゝ寐の歌がありますので。
客人はあと二、三日、石の唐櫃に籠ったように、我と我を、手足も縛るばかり、謹んで引籠ってござったし、私もまた油断なく見張っていたでございますが、貴下、聊か目を離しました僅の隙に、何処か姿が見えなくなって、木樵が来て、点燈頃、
(私、今、来がけに、彼処さ、蛇の矢倉で見かけたよ、)
と知らせました。
客人はまたその晩のような芝居が見たくなったのでございましょう。
死骸は海で見つかりました。
蛇の矢倉と言うのは、この裏山の二ツ目の裾に、水のたまった、むかしからある横穴で、わッというと、おう──と底知れず奥の方へ十里も広がって響きます。水は海まで続いていると申伝えるでありますが、如何なものでございますかな。」
雨が二階家の方からかかって来た。音ばかりして草も濡らさず、裾があって、路を通うようである。美人の霊が誘われたろう。雲の黒髪、桃色衣、菜種の上を蝶を連れて、庭に来て、陽炎と並んで立って、しめやかに窓を覗いた。
底本:「春昼・春昼後刻」岩波文庫
1987(昭和62)年4月16日第1刷発行
1999(平成11)年7月5日第19刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第十卷」岩波書店
1940(昭和15)年5月
初出:「新小説」
1906(明治39)年11月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:小林繁雄
校正:平野彩子、土屋隆
2006年7月18日作成
2011年2月27日修正
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