短歌
萩原朔太郎



明治三十五年



    ○


鞦韆のさゆらぎ止まぬ我が庭の芭蕉卷葉に細し春雨


ひと夜えにし


おち椿ふみては人のこひしくて春日七日をうんじぬる里


流れ來て加茂川さむき春のよひ京の欄人うつくしき


あけぼのの花により來しそぞろ道そぞろあふ人皆うつくしき


松落葉ふみつつ行けば里ちかし朝靄みちにうすれうすれゆく


朝ゆくに人目涼しき濱や濱小靴玉靴漣のあと



明治三十六年



    ○


しろべに花さまざまの菊に醉ひてとなりの翁けふもひるいする


そぞろにも逍遙ふ野邊の朝ぼらけ山西にはれて虹の彩ほそき


別れては京の白梅興もなし笛をたよりに加茂下り行く


    ○


歌ここに十年をわびぬ幼くて母と抱きし情なからずや


大八島わだつみかけて天走る豐旗雲の大いなる哉


ふりかかる小雨ねたしや若うして人山吹の亂れにたへぬ


一しきり黄をながしては山吹の小里の水の竹をめぐれる


    ○


桃すもも籠にすみれと我が歌とつみつつゆかむ春を美しみ


    ○


たづたづし暗きにおつる身の果をなぐさめ得なば足らむ我幸わがさち


かたじけなさぐるに君の御手を得てさながら落つる闇を厭はぬ


しんにはなれひとりさびしきうつろの身くむ手よなよな何を得つるや


    ○


紅梅に二十年を倦みし人の如おのづからなる才ふけにけり


よれば戸に夢たゆたげの香ひあり泣きたる人の宵にありきや


相見ざるに幾年へぬる君ならむ肱細うして泣くにえたへぬ


いささかは我れと興ぜし花も見き今寂寞にたへぬ野の道


はらからが小唱になりし我が戀にあたたまるべき水流れゆく


魂は人にむくろは我れに歸りきて太古さながらなごり碎くる


名なし小草はかな小草の霜ばしら春の名殘とふまむ二人か


    ○


野より今うまれける魂をさなくて一人しなれば神もあはれめ


泌みにしは無花果の葉の乳のごと清らにあまきおもひなりける


あめつちを歌にたたへし日も昨日けふは薊の精戀ふる人


おくつきは大あめつちの一つ石と笑みも入らばや寢ばやそのした


もとめわびしんをのろひて歸れるに心はうつろ身はもぬけがら


倦みては人かわきては人よりも來よ詩はよろこびの溢れぬる酒


    ○


鳥なきぬ小椿水にながるると山居の日記の一人興なし


浦づたひ讚へむすべを又知らずただ赤人の富士は眞白き(田子の浦にて)


さだかにはおどろ薊もわかちえず闇にただ啼く夕ほととぎす


幸ありて御手のひと鞭たまはらば花のごとくも散りや往ぬべき


    ○


淋しさに歌はなりてきしかはあれど春の一人を戀ひむよしもなし


幾度か草に伏したる一人ぞや後よりかへせ馬頭觀世音


君は去りぬ殘るは吾と小さき世の月も月かは花も花かは


朝の戸に倚ればかつ散る緋芍藥うしとも見たる雲のみだれや


天地に水ひと流れ舟にして我もありきと忘るべしや夢


み歌さらになつかしみつつしたひつつ忘れかねては行く萩が原


大空の物の動きとめざめては秋ぞこの子をよみがへらする


さぼてんの花よりひくき夏の雲物憂と人にせまる無聊や


たゆたひし夢さへ遂に力なくたえむとあらば戀はうせぬべし


    ○


はかなみて投げにし戀のおもかげの悲愁ひしうさそひて來るゆふべかな


かよわくて御國みくにはぐくむ歌もなし身は孤獨ひとりにてよる胸もなし


湧きぬるもひとたび冷えし胸の血のゆらぎなればか詩はいたいたし


    ○


人の世のわが身なればか秋なればか夜ごろ哀歌と聞く潮の聲


わが歌のわれとかぼそうなるを見てこころもとなく泣く夕べかな


人の身は問ふもうれたし己が身はかへり見するにえ堪へじよ秋


寂光や瞳さへぎるうすあかり情からせし秋のたはぶれ


黒髮のながきが故の恨にて世をばせめにし吾ならなくに


草花にほそうそそぎし涙さへ君が小袖に堪へざらましを


    ○


ああ無道、そこに幾日を住みわびつ。なるれば世人のわれも安けき。


その香ゆゑにその花ゆゑに、人は老を、泣きぬ泣かれぬ、こきべに椿。


うつし身は蟲の鳴くごとうたふごと、かごとの宵ぞうつりけらしな。


草にふして美し人は泣きもやまず、別れもあへず、野はくれせまる。


わざはひは野ゆく山ゆく君により吾によれども淋しともなし。


淋しけれど人は恨まじなげくまじ。おのが世なればやせもしてまし。


こほる月にむせぶか千千の草の花。露のさざめき悲しげなるに。


よろこびに今ぞわがごとがへ蟲。地に歌たりし幸や秋。


頼りつつむくろは地にながらへよ。うら淋しきに靈はほろびよ。


この戀よ、亂れて末は知らなくに、おどろにまとふ紅づたのごと。


うれたくも思はかれつ名はうせつ。吾に笑めとやせまる戀歌。


初秋や雁やそら行く中空に、みつる光は靈のきざしよ。


ただひとり世をば讚へし子が門に榮えよ、さかえよ花緋木蓮。


くらやみに動くものあり。日はしらで、いたち、もぐらのによべる如く。


    ○


相似たる人か木精こだまかひそみきて呼べば應ふる日なるが如し


ひよ鳥の啼くや朝雲寒うして人とすなほに別れけるかな


しら露におもひ消ぬべき心地して母なぐさめて摘む秋の草


夕月のさせば武藏の母もきてありし昔の夢さそふ夜や


やさし手に成りし小兎南天の愛らしひとみものは云はずや



明治三十七年



京の子なりき


たまたまに問へば趣もなき天王寺姉とひろひし落つばきかな


その香故にその花故に人は老を泣きぬ泣かれぬこき紅椿べにつばき


哀愁の聲よりさめて我みしは一つ眼をどる眞洞まぼらやみの世


春をいまだ朝睡の人の面影やはづかしげなる雲とながれて


    ○


われにつらき悲しき君が影としも氷柱つららいだけば身の凍るらし


感じてはわれおもしろし興ありて神がつくりし此かたは者


今出川菜つみ流ししおもひでやしゆなき此日を忌む頻なる


    ○


天がける飛鳥ひちやうかしらずゆかしむは鸚鵡なりにし人の釋迦牟尼


夕吹雪西の京ふく日を思ひたれ戀ふとなく涙はながる


今にしてわがうた更になつかしやかへり見するに戀幼うて


かくありねありねと人の教ふるに來しわれゆゑに戀はなかりし


    ○


ああひと日、夢に草花美くしう、胸を根こじに貸すことあらば。


かくてまた憂いかな春の夕光。きけや身をきる罪の子の歌。


五十鈴川五十鈴の宮の大前に、巨鈴なるごとわが詩高鳴る。


緋芍藥花ちる庭の艶やかさ、戀は濃雲と凝りにけらしな。


いつの世より戀か香をもつそよ風の、疾風吹雪はやちふぶきとなりにしものか。


足んぬ智は、敢てしねがふ歌の幸。來む世思はず、欲らず桂も。


そぞろ行くに、ここは名の國智慧の國。ふたたび思ふ戀はいづかた。


たまさかに問へば趣のなき天王寺、姉と拾ひし落椿かな。


     母を失ひたる友に代りて

何者か行方さへぎる夜毎夜毎。母と添寢の夢ならなくに。


    ○


夢の國は流もありて花さきて音よき鳥さへ住むと聞けども


ふる山のきこりをとこが瘤とりし鬼なつかしや舞はむともども


牧の野の童に似たるあこがれが鞭もて死をば追ひ行くごとし


つめたげのまなこ百千ももちは地にあれ愛にわが足るあめの星星


手をあげて招けば肥えし野の牛も來りぬよりぬ何を語らむ


朝櫻すこしこぼれぬ折からの歌もおはせば染め出で給へ


夏衣


御送りの燭灯ともし百千は櫻とて天童かざす別とあらば。


昔見し花ちる里の古き井にありける影や幼な君われ。


古山の木樵男が瘤とりし鬼なつかしや舞はむともども。


音なしう涙おさへてあればとて春の光はくれであらめや。


スラブみなしはがれ聲に御軍の吾たたへなむ日をも待つべし。


今ぞ世は驚かれぬるパン神の領かたまたま堪へぬ寂寞しじまに。


小羊の頸ふる鈴の優し音に似しともききし野行く春風。


人の歌は誦さむに寒ういたいたし。つめたければや胸たりるなし。


    ○


ゆふ月のさせば武藏の母もきてありしむかしの夢さそふ夜や


月ふめばそぞろさびしき名はうせて濱の夕べををどり笑む人


慕ひ行くにそこは名の國智惠の國 二度おもふ戀はいづかた


あひ行くに秋雨ほそう道ほそし人よみ手なる傘をたまへな



明治三十八年



    ○


口紅に新春少女十六のゑみうつくしき梅の園生や


    ○


あわただし燃ゆる炎の火車を忘れていにしつらき君かな


ただ願ふ君の傍へにある日をば夢のやうなるその千年をば


われ君を戀はん戀しき心より君を思へば胸ただ火なり


綾唄やあるいは牛の遠鳴や、君まつ秋の野の更けにけり


風ふきぬ木の葉地をうつ秋の夜はまたるる君かさびしさ思へ


ゑかたびら


山ずみの一人ありて文きぬと、封をし切らばたちばなこぼれむ。


通夜つやの夜を燈火ともしびかこむ物語、欠伸あくびかはゆき子の姿かな。


夏の日や、簾あまねくたれこめて、涼しと書きぬまづやる文へ。


ほととぎす、梅雨さみだればれの白日や、大河流るる音きき居れば。


さつきやみ烟たなびく暮れ方を、夢のやうにて人に添ふみち。


大坂やわれ幼なうて伯母上が、肩にすがりし木遣り街かな。


花やかに、かんてらともすえん日を、二人いづれば月のぼりけり。


山百合の一輪うゑて人まつと、まつり日いでし好きあにびとよ。


梅雨ばれの柳色ます門邊をば、草笛ふきて君よぎりぬと。


山吹の垣根つくりてある夕、少女すむ家と仲へだてけり。


夕月や橋の袂に衣白き、人と別れぬ山百合のはな。


さくら貝、ふたつ重ねて海の趣味、いづれ深しと笑み問はれけり。


ろべりや


共住ともずみの好少なき君にして六月植ゑぬろべりやの花


夏花に趣ある小家の人なれば面影に似し戀もする哉


振袖の桔梗の花の色のよきなつかし人と涙もよほす


姉に似し女も見たるその家に撫子うゑむ京ぶりにして


綾唄や或は牛の遠鳴とほなきや君待つ秋の野は更けにけり


あわただしゆる焔の火車を忘れてにしつらき君かな


御手みてそへて悲しみ給へ野かざるを戀なき人の十九夏草

     ○

青すだれ吹く夕風はき人の稽古さらへをへたる窓よりもれて


ほととぎす女に友の多くしてその音づれのたそがれの頃


稻の穗は淺間かくすに丈たらず君と行く子に日は照りそへど


微風の歌語り吹く途すがら四の袖に螢おさへぬ


はなあやめ二十六夜の月影に透かして見たる帷子かたびらの人


春の夜やとある小路こうぢに驚きぬ巨人きよにんのやうに見えし水甕みがめ


見交せば何の奇もなく友はあり相別れては胸やぶるまで


ろやかに馬手めては胸の上に置き左苺の草つむ少女

     ○

ほしいままくづほれ泣けば寒き世も光そひくる心地のみして


は夜にて晝は晝にて戀ひてあらばエトナの山はもえであるべし


からくりに見たる地獄の叫喚が待ち居るものと思ふ可笑しさ


寂律さびしみや葦に物いふ夕澤邊ゆふさはべ鴫立つからに思ふ西行


古年ふるとせや王者に似たるおもひいでて浮び來淡く秋の夕雨

     ○

夕ざれやもろこし畑吹く風に衣手さむき秋は來にけり


春の夜や歌に更かせし小人せうじんの口元可愛かはゆきゑみをしぞ思ふ


ほととぎす鳴きぬ藤氏を語る夜に秀才なればみすまきあげよ


梅雨ばれの大河たいが流るる國を北に晝顏うゑぬ夢みる人と


古家ふるがやに昨日咲きたる五月花つみな玉ひそ雨降り出でむ


君見れば二條に生ひし街粧まちづくり扇もつ手の品つくりけり



明治三十九年



窓に寄る日


燈火のまへに君ありわれのありうれしけれども言の葉のなき


寒き日や胡瓜畑の霜を思ひ湯あみする窓を月のぞきけり


別れ居る心は淋しけだものを飼ひて生くべき日とよう似たる


山の上に一人家する夢を見て寢ざめの床はうるほひにけり


逢瀬山また口惡き博士等が見たまはずやと人のきづかひ


里川の底にうつれる星くづをいくつ數へて人にあふべき


ひまはりばな


驚きぬ日輪みれば紅熱ぐねつして向日葵ばなと接吻くちづけするに


極熱の印度の人は色黒く物いふさまも惓き形かな


南國なんごくの窓に芭蕉の實を割るとささくれしたる人を夢みぬ


支那へ行く大路だいろもとむと朝いでて夕かへらぬ逍遙人せうえうびと


夢ざめや涙の痕におどろきて少しく思ふよしをさなごと


    ○


おどろきぬ日輪みれば紅熱してひまはりばなとくちづけするに


お染さまあれ久さまとより添ひてふたりゆく手に闇のあやなき



明治四十一年



水市覺有秋


むらさきす路上の花のちひさきを愛づるばかりにゆく車かな


千石の水あぶ心地日ぐらしの一時に啼きぬ木蔭路入れば


海戀し山に登れば遠山は波のやうなり風の音さへ


櫻貝二つ竝べて海の趣味いづれ深しと笑み問はれけり


大坂やわれをさなうて伯母上が肩にすがりし木遣きやり街かな


あめつちのみちにははぢぬ我ながら歌を一人の君にかくしぬ


ほととぎす女に友の多くしてその音づれのたそがれのころ



明治四十二年



    ○


心臟に匕首たてよシヤンパアニユ栓拔くごとき音のしつべし


拳もて石の扉を打つごときおろかもあへて君ゆゑにする



明治四十三年



    ○


ばらばらとせまき路地より女どもはしりかかりぬにぐるひまなし


たのしされどやや足らはぬよ譬ふれば序樂をきかぬオペラみるごと


夕さればそぞろありきす銃器屋のまへに立ちてはピストルをみる


死なんとて蹈切近く來しときに汽車の煙をみて逃げ出しき


始めての床に女を抱く如きものめづらしき怖れなるかな


春の夜は芝居の下座のすりがねを叩く男もうらやましけれ


祭の日寢あかぬ床に寺寺の鐘きく如きもののたのしさ


ひるすぎの HOTEL の窓に COCOA のみくづれし崖のあかつちをみる


    ○


民はみなかちどきあげぬ美しき捕虜とりこの馬車のまづ見えしとき


寒き風吹くと思ひぬ故郷の赤城の牧の古榎より


幼き日パン買ひに行きし店先の額のイエスをいまも忘れず


二月や笛の稽古に通ひたる故郷の町の橋のうす雪


    ○


清元の神田祭のメロデイに似たる戀しぬたちばなの花


行く春の淡き悲しみいそつぷの蛙のはらの破れたる音


忘られず活動寫眞の幕切れにパリの大路を横ぎりしひと


しかれども悲劇の中の道化役の一人として我は生くべき


わが妹初戀すとは面白しオーケストラの若き笛ふき


日まはりの雄々しき花も此の國の人はかなしく捨てたまふ哉



明治四十四年



    ○


欄に寄り酒をふくめば盃の底にも秋の愁ただよふ


赤城山鹿の子まだらに雪ふれば故郷びとも門松を立つ


町内の屋臺を引きし赤だすき十四の夏が戀の幕あき


    ○


薄暗き酒場の隅に在るひとが我に教へし道ならぬ道


砂山の枯草の上を我が行けば蟲力なく足下に飛ぶ


悲しみて二月の海に來て見れば浪うち際を犬の歩ける


かのベンチ海を見て居りかのベンチ日毎悲しき人待ちて居り


縁端に疲れし顏の煙草吸ふ教師の家の庭のこすもす



大正二年



    ○


なにを蒔くひめひぐるまの種を蒔く君を思へと涙してまく


なにごとも花あかしやの木影にて君まつ春の夜にしくはなし


うちわびてはこべを摘むも淡雪の消なまく人を思ふものゆゑ


    ○


しののめのまだきに起きて人妻と汽車の窓よりみたるひるがほ


ふきあげの水のこぼれを命にてそよぎて咲けるひやしんすの花


たちわかれひとつひとつに葉柳のしづくに濡れて行く俥かな


きのふけふ心ひとつに咲くばかりろべりやばかりかなしきはなし



一群の鳥


遠く行く一ぐんの鳥

かへりみて

我を想へば涙はてなし。


悲しくも人に隱れて

故郷に歌などつくる

我の果敢なさ。


寂しさに少しく慣れて

なにがなし

この田舍をば好しと思へり。


かの遠き赤城を望む

わが部屋の窓に咲きたる

木犀もくせいの花。


クロバアの上に寢ころび

空ばかり眺めてありし

中學の庭。


ともすれば學校を休み

泣き濡れて

小出こいでの林を歩きし昔。


その昔よく逢曳したる

公園こうゑんそば波宜亭はぎてい

今も尚あり。


酒のめど

このごろ醉はぬさびしさ

うたへども

ああああ遂に涙出でざり。


いまも尚

歌つくることを止めぬや

かく問ひし

わが古き友の嘲りの色。


新昇しんしようのサロンに來り

夜おそく

口笛を吹く我のいとしさ。


時にふと

盃杯さかづきを投げてすすり泣く

いとほしやと母も流石思へり。


米專こめせんの店に飾れる

馬鹿面の人形にんぎやうに我が似しと

思ふ悲しさ。


公園のベンチにもたれ

哀しみて

遠き淺間の煙を眺む。


あひびき


あいりすのにほひぶくろの身にしみて忘れかねたる夜のあひびき


しなだれてはにかみぐさも物は言へこのもかのものあひびきのそら


夏くれば君が矢車みづいろの浴衣の肩ににほふ新月にひづき


なにを蒔く姫ひぐるまの種を蒔く君を思へと涙してまく


いかばかり芥子の花びら指さきに泌みて光るがさびしかるらむ


(一九一三、四)


秋思


指さきに吸ひつくうをのこころよりつめたく秋は流れそめたり


いぢらしく東京淺草の仲見世に秋が遊ぶと思ふ侘しさ


材木の上に腰かけ疲れたる心がしみじみと欠伸せるなり


透間よりのぞきしに秋ははや遠くかげなき麓を行き渡りけり


石工いしくの眼赤きを見ればうら侘し櫟林の秋の落日らくじつ


古き日の秋

 (昔うたへる歌)


裏街の床屋が角に張られたる芝居のびらに吹く秋の風


吉原のおはぐろどぶのほの暗き中に光れる櫛の片割かたわれ


ほのかにも瓦斯のにほひのただよへる勸工場の暗き鋪石しきいし


さくさくと靴音させて中隊のすぎたるあとに吹く秋の風


歌舞伎座のかへりに我をつつみたるゆかしきマント忘られぬひと


辨慶


     我がなつかしき

     魚屋のベンケイに


橋側はしそば安酒場やすさかばこそまたなけれべんけいも來てひて唄へる


ひどれのかの辨慶も秋くれば路傍に立ちて物を思へり


あはれなる色氣狂いろきちがひの魚屋が我に教へしさのさ節かな


辨慶の赤き小鼻を晩秋おそあきの酒場の軒に見るが哀しさ


居酒屋の暗き床をばみつめつつ何思ふらむかかる男は


ほの暗き床にこぼれし酒を見てふとべんけいが叫び出せり


淫らなるかの辨慶の諧謔も秋の酒場にきけば悲しも


いかばかり悲しく彼が眺むらむ酒場の窓の赤き落日

(一九一三、一〇、酒場にて)


酒場の窓


つばくらめ酒場の軒をちらちらとくぐれる時に我も入り來る


場末なる酒場の窓に身をよせて悲しき秋の夕雲を見る


薄給の車掌も我と盃をさして語れば悲しまれけり


放埒の惡所通ひを悲しめどわが寂しみは行くところなし


COGNACコニヤクゑひにあらねど故郷の酒場の月も忘れがたかり


色あせし志村一座の幟などはためく頃を酒店さかみせに入る


かくばかり我が放埒はうらつのやるせなき心きかんと言ふはが子ぞ

     (以下公園にて)

晩秋おそあきの我が故郷の公園を悲しく今日も歩むなりけり


グラウンドの芝生の上に乘り捨てし自轉車の柄の光る夕ぐれ


公園の碑石いしに手を觸れ哀しめる心つめたく泣き出したり

(故郷前橋にて)


古今新調


     小引

古歌のこころのなつかしさよ、わけて新古今詠嘆の調、匂高きは夕闇の園に咲くアラセイトオのたぐひなるべし。官能の疲れを苦蓬酒アブサンの盃に啜り象徴のあやかしを珈琲カフイの煙に夢みる近代の騷客、ともすれば純情の心雅びかなる古巣にのがれて此の古き歌集の手觸りに廢唐のやるせなき風流を學ばんとす。げにや新人のモツトオに觸れデカダン樂派の新星グリークがピアノの律に啜泣く定家卿選歌の心ばかり世にあはれ深きはあらじかし。

       ×

     淡雪

うら侘びてはこべを摘むも淡雪の消なまく人を思ふものゆゑ

     アカシヤ

なにごとも花あかしやの木影にてきみ待つ春の夜にしくはなし

     水のほとりのあづまや

     悲しき別れの日に

けふすぎて水際みぎはに咲けるべこにやもいかでか風にそよぎ泣くらむ

     くれがた

あづさ弓かへらぬひとの戀しさに暮れそめて降る雪のはかなさ

     うすらひ

めづらしき薄氷を見て裝ぞける宮城野部屋のけさのきぬぎぬ

     ベコニヤ

うぐひすの池邊ちへんに鳴けば夜をこめて枕邊に散る白きべこにや

     菊

みちもせに俥俥と行きかへる今日しも菊の節會なるらむ

     橋の上にも柳ちりかふ

ゑねちやのごんどらびともしづ心なくてや柳散りすぎにけり

     題しらず

こころばへやさしき人とくれがたの水のほとりを歩むなりけり

     バルコンの隅

人はいさ知るや知らめや短か夜の月の出窓にくちづけしこと


『草稿ノート』『書簡』より



    ○


いとゆふのかげともほしやひとのとふ

みづきはばかりうすあかりして

   亞米利加國ナイヤガラ瀑布ノ景

あかねさす山のあなたにぼうぼうと

おほいなる瀧のおつるなりけり

   阿蘭國アムステルダムノ景

かがやける青空の上をものいはぬ

ぎやまん屋敷まんとるの異人


うららかに俥俥と行きかへる

けふしも年の初會はつゑなるらむ


    ○


うらうらに俥俥とゆきかへる

けふしも年の初會はつゑなるらむ


    ○


緑なす浪の江の島夢にして人と降り來し岩屋道かな


    ○


はかなしや病ひ癒えざる枕べに七日咲きたる白百合の花

底本:「萩原朔太郎全集 第三卷」筑摩書房

   1977(昭和52)年530日初版1刷発行

   1986(昭和61)年1210日補訂版1刷発行

※底本の解題によれば、この作品には、明治三十五年頃から「阪東太郎」「文庫」「スバル」「上毛新聞」などに発表されたものと、ノート、書簡から採集されたものが収められています。

入力:kompass

校正:小林繁雄

2011年64日作成

青空文庫作成ファイル:

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