水野仙子氏の作品について
有島武郎



 仙子氏とはとう〳〵相見る機會が來ない中に永い別れとなつた。手紙のやりとりが始つたのも、さう久しい前からのことではない。またその作品にも──創作を始めて以來、殊に讀書に懶くなつた私は──殆んど接したことがないといつていゝ位で過して來た。そのうちに仙子氏は死んでしまつた。その死後私は遺作の數々を讀まして貰つて、生前會つておくべき人に會はずにしまつたといふ憾みを覺えることが深い。

 仙子氏は、作者として、普通いふ意味で不幸だつた人の一人に屬すると思はれる。彼女の作品は恐らく少數な讀者によつてのみ鑑賞された。評壇もその作品に注意することが極めて吝かであつたらしい。然し仙子氏はそんな取扱ひを受くべき人ではなかつたと私は思はざるを得ない。

 仙子氏の藝術的生活には凡そ三つの内容があつたやうに思はれる。第一に於て、彼女は自分の實生活を核心にして、その周圍を實着に──年若き女性の殉情的傾向なしにではなく──描寫した。而してそこには當時文壇の主潮であつた自然主義の示唆が裕かに窺はれる。第二に於て、作者は成るべく自己の生活をバツク・グラウンドに追ひやつて、世相を輕い熱度を以て取扱つて、そこに作家の哲學をほのめかさうとしたやうに見える。第三に至つて作者は再び嚴密に自己に立還つて來た。而して正しい客觀的視角を用ゐて、自己を通しての人の心の働きを的確に表現しようと試みてゐる。

 この集には第一の作品は多分はもらされてはゐるけれども、「十六になつたお京」「陶の土」「娘」「四十餘日」の如きはその代表的なものといつていゝだらう。そこには殉情的な要求から來た自己陶醉に似た曖昧な描寫がないではないけれども、その觀察の綿密で、而して傅習的でない點に於て、彼女の末期の作品に見られる骨組みの堅固さを見せてゐる。而してその背後には凡てのよいものも惡いものも、はかない存在の縁から切り放されて、忘却のあなたに消え去つて行く、その淋しい運命に對しての暖かい冷やかさが細々と動いてゐる。少女から處女の境界に移つて行く時の不安、懷疑、驚異、煩悶、つぎ〳〵に心内に開けてゆく見も知らぬ世界、而して遂には生活の渦中に溶けこんで何んの不思議でもなくなつて行くそれ等の不思議な變化、さうしたものが僅かな皮肉に包まれたやみがたい女性の執着によつて表現されてゐる。是等の作品の中には、作者の眞摯な藝術的熱情と必至的な創作慾とが感ぜられて快い。

 然し第二の作品に來ると、ある倦怠が感ぜられないでもない。「一粒の芥子種」「夜の浪」「淋しい二人」などがそれである。作者はこゝで自分の持つてゐるものを現はすために不必要な多くの道具立てに依らうとした所が見える。それは現さうとするものが、まだ十分に咀嚼されてゐないのを示してゐる。固よりかゝる作に於ても仙子氏は自分のよい本質から全く迷ひ出てはゐない。ある個所に來ると心ある讀者は一字々々にしがみ附かないではゐられなくなる。「淋しい二人」の中の秋の景色の描寫の如きは、今まで提供された秋の描寫のどれに比べて見ても決して耻づる必要のないものであるとうなづかされる。けれども全體としての感銘は、作者の生活にある一時的なゆるみが起つたのを感じさせないではおかない。

 作者の畏れなければならないのはその人の生活だといふことを今更らの如く感ずる。第二の作品に比べると、私の意味する第三の作品は何んといふ相違だらう。それは作者の生活がある強い緊張の中にあつたことを十分に感得させる。殊に私は「道」とか「嘘をつく日」とか「輝ける朝」などに感心してしまつた。「道」の如きは、あれ一つだけで仙子氏の藝術家としての存在を十分に可能ならしむるに足ると思ふ。あの無容赦な自己批判、その批判の奧から痛々しく沁み出て來る如何することも出來ない運命の桎梏と複雑な人間性。而してその又奧から滲み出て來る心の美しい飛躍。そこには確かに生命の裏書きのしてある情景がある。それは單なる諦觀ではない。壞れるものを壞し終つた後に嚴然として殘る生活への肯定である。あゝいふ作品を一つ書き上げることがどれ程の痛い體驗と苦悶とを値したか。それは恐らく創作の經驗を有つものがおぼろげながら察し得る境地だらう。「輝ける朝」「嘘をつく日」これらは作者の性格のまがう方なき美しさをはつきりと、而かも何等の矯飾なく暴露してゐる。こんな作を生んで死んで行つたこの若い作者は尊い。あんな涙を心にためてゐながら、うつかり眼に浮かせなかつた程奧行の深かつたその性格は美しい。あすこまで行くと仙子氏は概念的な女性といふものから脱して見事な人になつてゐる。女流作家として仙子氏をまつことはもう出來ない。

 違つた意味に於て「醉ひたる商人」「お三輪」の如き作品も亦深く尊重されなければならないと思ふ。それは人間性の習作と見て素晴らしい效果を收めてゐる。あれだけにしつかり物を見る眼があつて、自己への徹底が強い響を傳へるのだなといふことを首肯させる。輕妙に見えるユーモアと皮肉との後ろに、作者は個性と運命とに對する深い洞察と同情とを寄せてゐるではないか。

 私は一々の作品に對してもういふことをしまい。仙子氏はその心底に本當の藝術家の持たねばならぬ誠實を持つてゐた。而してその誠實が年を追ふに從つて段々と光を現はして來てゐる。この作者はいゝ加減な所で凋落すべき人ではなかつたに違ひない。年を經れば經るほど本當の藝術を創り上ぐべき素質を十分に備へてゐたことが、その作品によつて窺はれる。十分の才能を徹視の支配の下におき、女性としては珍らしい程の徹視力を自分の性格と結びつけてゐたのはこの作者だつた。だからその藝術が成長するに從つて益根柢の方へと深まつて行つたのだ。この點に於て彼女の道は極めて安全だつた。而かもその道が僅かに踏まれたばかりで彼女は死んでしまつたのだ。

(前略) ところが體が惡くなつて來るために、頭がよくなつて來るのか、それともあまり頭が明晰になり過ぎるために體を倒してしまふのか、どつちが原因だかいつも分りませんが、とにかく少し具合が惡くなつて來ると、却て手紙なども書きたくなります。今度だつて惡寒から熱、惡寒から熱といふしつきりなしのすきをねらつて──しかし今はもう惡寒はやみましたから御安心下さいまし──すきをねらつてといふよりもすきを掠奪して、よく手紙を書きます。頭がなんでも何かさせないではおかないのです。それに自分でも恐しいほどはつきりして來て、もくろんでゐるある長いものゝ中の主人公や女主人公が、惱んだり、苦しんだり、愛したり、愛さなかつたり、墮落したり、救はれたりしてゐるのと一所になつて、自分も苦しんだり泣いたりしてゐます。私の眼にはこの頃涙が絶えません。それはいつの間にか泣いてゐるので、みんな空想の事件や、感情のためなんです。群雄割據のやうにいろんな話が一時に頭を擡げて來て、たつた一人の私をひつぱり凧にしてゐます。若し今この要求のまゝに從つたら、こつちを二三枚、あつちを二三枚といふやうに頭だけのものがいくつも出來て、それでおしまひになつてしまふでせう。自分ではちやんと、到底その一つだつても完成しきらないのをよく知りぬいてゐますもの。これが病氣に惡いんだといふこともよく知つてゐますから、讀むこと又書くことは勿論、どんなにいゝ言葉や場面がうかんで來ても、それを拭き消し拭き消ししてゐます。……(中畧)病氣をしてからもう足かけ四年になります。暗いことを忘れかけると思ひ出させられ思ひ出させられしてさんざん生殺しの目にあはされました。隨分よくこらへたつもりだけれども、それでもまだ足りないなら、いくらでもお前の滿足するまでこらへようなどと齒をくひしばる下から、とてつもない侮蔑の色がわが口許にのぼつてゐるのにこの頃よく氣がつきます。なぜだか分りません。反抗かしらとも思つてみるけれど、どうもちがひます。もつともつと靜な強い心なのです。傲然として最も大きい恐怖の上に立つてゐるのです。なんにも怖くないのです。──殊によつたら、人が何等の事件的原因なくして、自殺を誘惑されるのは、こんな時ではないか知らなどとも思ひました。(下略)

 これは仙子氏が死ぬ年の正月に、私にあてゝ送つてくれた手紙の一節だ。彼女の胸の中にどれほど實感から生れた素材が表現を待つて潜んでゐたかを知ることが出來ると共に、死を始終眼前においてゐねばならなかつたその心に、どんな力の成長が成就されつゝあつたかは、おぼろげながらも察することが出來る。

 最もいゝのは仙子氏が野心家ではなかつたことだらう。實生活の上に彼女がどれほどの覇氣を持つてゐたかは知らない。又創作家としてどれ程の矜恃を持つてゐたかそれも知らない。少くとも仙子氏には自己の能力を放圖もなく買ひ被つて、自分に背負投げを喰ふやうな醜いことは絶對にしなかつたといつていゝだらう。いかなる野心があつたにしても、少くとも彼女は自分の取扱ふ藝術そのものに對してはいつまでも謙抑な處女性を持ち續けてゐた。自分の持つ心の領土の限界を知り、そこから苛察に亘らないだけに貢物を收める勝れた聰明な頭腦を持つてゐた。だからその作品には汚すことの出來ない純眞な味ひが靜かに充ち滿ちてゐる。これは一人の藝術家にとつて、やさしく見えて決してやさしくない仕事だといはなければならない。極めて眞摯な性格のみがこのことを成就し得る。

 仙子氏はまた自分の心を、若しくは生命力を外界の影響にわづらはされることなく見つめることの出來た一人だと思ふ。氏の藝術は大體に於て自然主義風な立場の上に創造されてゐるといつていい。而かも氏は主義に依據するよりも、それ以上にいつでも自分の心に依據してゐた。だから作品の内容には、いつでも機械的な仕組み以上に濕ひのあるハートが働いてゐる。如何に皮肉に物を見てゐる場合でも、如何に冷靜に生活を寫してゐる場合でも、その底には不思議にも新鮮な生命よりの聲が潜んでゐる。一箇の無性物の描寫に於ても、例へば、手の平に乘せた生れたての鷄卵を「手の平に粉を吹くばかりに綺麗な恰好のよい玉子」といつたり、冬の夜寒の病室の電燈を「電燈は夜の世界から完全にこの一室を占領したのに滿足したらしく、一時自信をもつてその光輝を強めたけれども、やがて彼はその己の仕事になれた。さうして最早一定の動かない光をのみ、十分な安心と僅なる倦怠との中に發散した。恰も私一人の上には、それで十分であると見きはめをつけたかの如く。」といつてゐるのなぞは、無數なかゝる例の中から、勝手に一二を引拔いて見たに過ぎぬ。

 明治以來出現した女流作家の數は少くない。その人達の中には、私のやうに云つたなら、讃辭を呈し切れないやうな作家が他に澤山あるのかも知れない。讀書に怠慢な私はかゝる比較をする智識を持つてゐない。然し私にとつてはそんなことはさしたる問題ではない。私はたゞ感心したものを感心したやうに云ひ現はせばそれで滿足が出來る。未熟な作家の一人なる私の考へが、仙子氏の迷惑にならないで濟めばそれで嬉しい。私はどうしても惜しい人が早死したと思ふ。私の前には美しく完成さるべかりし藝術品の痛ましい破片がある。書いても書いても、その總量が遂に藝術品たり得ざる人の多い中に、この破片は美しい。完成されぬ表現の中に、一つのよい心が殘された。永く殘された。多くの人はこの心に接することによつて、痛い運命の笞の傷を親切に撫で慰められるだらう。  (一九二〇・四月廿五日深更)

底本:「叢書「青踏」の女たち 第10巻 水野仙子集」不二出版

   1986(昭和61)年425日復刻版第1刷発行

底本の親本:「水野仙子集」叢文閣

   1920(大正9)年531日発行

入力:小林徹

校正:山本奈津恵

1998年1028日公開

2005年1121日修正

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