余興
森鴎外



 同郷人の懇親会があると云うので、久し振りに柳橋の亀清かめせいに往った。

 暑い日の夕方である。門から玄関までの間に敷き詰めた御影石みかげいしの上には、一面の打水がしてあって、門の内外には人力車がもうきっしり置きならべてある。車夫は白い肌衣はだぎ一枚のもあれば、上半身全く裸裎らていにしているのもある。手拭てぬぐいで体をいて絞っているのを見れば、汗はざっと音を立てて地上にそそぐ。自動車は門外の向側に停めてあって技手はえりをくつろげて扇をばたばた使っている。

 玄関で二三人の客と落ち合った。白のジャケツやら湯帷子ゆかたの上にの羽織やら、いずれも略服で、それが皆らぬ顔である。下足札を受け取って上がって、麦藁帽子むぎわらぼうしを預けて、紙札をもらった。女中に「お二階へ」と云われて、はしごを登り掛かると、上から降りて来る女が「お暑うございますことね」と声を掛けた。見れば、柳橋で私の唯一人識っている年増芸者であった。

 この女には鼠頭魚きすと云う諢名あだながある。昔は随分美しかった人らしいが、今はせて、顔が少しとがったように見える。諢名はそれにって附けられたものである。もう余程前から、この土地で屈指の姉えさん株になっている。

 私には芸者に識合しりあいがあろう筈がない。それにどうして鼠頭魚を知っているかと云うと、それには因縁がある。私の大学にいた頃から心安くした男で、今は某会社の頭取になっているのが、この女の檀那だんなで、この女の妹までこの男の世話になって、高等女学校にはいっている。そこで年来その男と親くしている私を、鼠頭魚は親類のように思っているのである。

 私は二階に上がって、隅の方にあった、主のない座布団ざぶとんを占領した。戸はことごとく明け放ってある。国技館の電燈がまばゆいように半空なかぞらかがやいている。

 座敷を見渡すに、同郷人とは云いながら、見識った顔は少い。貴族的な風采ふうさいの旧藩主の家令と、大男の畑少将とが目に附いた。その傍に藩主の立てた塾の舎監をしている、三枝さいぐさと云う若い文学士がいた。私は三枝と顔を見合せたので会釈をした。

 すると三枝が立って私の傍に来て、欄干らんかんって墨田川を見卸みおろしつつ、私に話し掛けた。

「随分暑いねえ。この川の二階を、こんなに明け放していて、この位なのだからね」

「そうさ。好く日和ひよりが続くことだと思うよ。僕なんぞは内にいるよりか、ここにこうしている方が、どんなに楽だか知れないが、それでも僕は人中がいやだから、久しくこうしていたくはないね。どうだろう。今夜は遅くなるだろうか」

「なに。そんなに遅くもなるまいよ。余興も一席だから」

「余興は何をるのだ」

「見給え。あそこにり出してある。畑閣下かっかが幹事だからね」

 こう云って置いて、三枝は元の席に返ってしまった。

 私は始て気が附いて、承塵なげしに貼り出してある余興の目録を見た。不折ふせつまがいの奇抜な字で、余興と題した次に、赤穂義士討入と書いて、その下に辟邪軒秋水へきじゃけんしゅうすいと注してある。

 秋水の名は私も聞いていた。電車の中の広告にも、武士道の鼓吹者こすいしゃ、浪界の泰斗たいとと云う肩書附で、絶えずこの名が出ているから、いやでも読まざることを得ぬのである。或る時何やらの雑誌で秋水の肖像を見た。芝居で見る由井正雪のように、長い髪を肩まで垂れて、黒紋附の著物きものを著ていた。同じ雑誌の記事に依れば、この武士道鼓吹者には女客の贔屓ひいきが多いそうである。

 しかし男に贔屓がないことはない。勿論不幸にして学生なんぞにはそんな人のあることを聞かない。学生は堕落していて、ワグネルがどうのこうのと云って、女色に迷うお手本のトリスタンなんぞを聞いて喜ぶのである。男の贔屓は下町にある。代を譲ったせがれが店を三越まがいにするのに不平である老舗しにせの隠居もあれば、横町の師匠の所へ友達が清元の稽古けいこに往くのを憤慨している若い衆もある。それ等の人々は脂粉の気が立ちめている桟敷さじきの間にはさまって、秋水の出演を待つのだそうである。その中へ毎晩のように、容貌魁偉ようぼうかいいな大男が、湯帷子に兵児帯へこおびで、ぬっとはいって来るのを見る。これが陸軍少将畑閣下である。

 畑は快男子である。戦略戦術の書を除く外、一切の書を読まない。浄瑠璃じょうるりを聞いても、何をうなっているやらわからない。それが不思議な縁で、ふいと浪花節なにわぶしと云うものを聴いた。忠臣孝子義士節婦の笑うく泣く可く驚く可く歎ず可き物語が、朗々たる音吐おんとを以て演出せられて、処女のように純潔無垢な将軍の空想を刺戟しげきして、将軍に睡壺だこを撃砕するていの感激を起さしめたのである。畑はこの時から浪花節の愛好者となり浪花節語りの保護者となった。

 そこでこの懇親会の輪番幹事の一人たる畑が、秋水を請待しょうだいして、同郷の青年を警醒けいせいしようとしたのだと云うことは、問うことをもちいない。

 しばらくして畑の後輩で、やはり幹事に当っている男が、我々を余興の席へ案内した。宴会のプログラムの最初に置かれたものを余興と称しても、今は誰も怪まぬようになっているのである。

 余興の席は廊下伝いに往く別室であった。正面には秋水が著座している。雑誌の肖像で見た通りの形装ぎょうそうである。顔はきわめて白く、くちびるは極て赤い。どうも薄化粧をしているらしい。それと並んでしぼりの湯帷子を著た、五十歳位に見える婆あさんが三味線をかかえて控えている。

 浪花節が始まった。一同謹んで拝聴する。私も隅の方に小さくなって拝聴する。信仰のない私には、どうも聞き慣れぬ漢語や、新しい詩人の用いるような新しい手爾遠波てにをは耳障みみざわりになってならない。それに私を苦めることが、秋水のかたり物に劣らぬのは、婆あさんの三味線である。この伴奏は、幸にして無頓著な聴官を有している私の耳をさえ、緩急を誤ったリズムと猛烈な雑音とで責めさいなむのである。

 私は幾度いくたびか席を逃れようとした。しかし先輩に対する敬意を忘れてはならぬと思うので、私は死を決して堅坐していた。今でも私はその時の殊勝な態度を顧みて、満足に思っている。

 義士等が吉良きらの首を取るまでには、長い長い時間が掛かった。この時間は私がまだ大学にいた時最も恐怖すべき高等数学の講義を聴いた時間よりも長かった。それを耐忍したのだから、私は自ら満足しても好いかと思う。

 ようよう物語と同じように節を附けた告別のことばが、秋水の口から出た。前列の中央に胡坐あぐらをかいていた畑を始として、一同拍手した。私はこの時くさりを断たれた囚人の歓喜を以て、共に拍手した。

 畑等が先に立って、前に控所であった室の隣の広間をさして、廊下を返って往く。そこが宴会の席になっているのである。

 私は遅れて附いて行く時、廊下で又鼠頭魚きすに出逢った。

「大変ね」と女は云った。

「何が」と真面目まじめな顔をして私は問いかえした。

「でも」と云ったきり、噴き出しそうになったのを我慢するらしい顔をして、女はれ違った。

 私は筵会えんかいの末座に就いた。若い芸者が徳利の尻をまんで、私の膳の向うに来た。そして猪口ちょくを出した私の顔を見て云った。

「面白かったでしょう」

 大人か小児こどもに物を言うような口吻こうふんである。美しい目は軽侮、憐憫れんみん嘲罵ちょうば翻弄ほんろうと云うような、あらゆる感情をたたえて、異様にかがやいている。

 私は覚えず猪口を持った手を引っ込めた。私の自尊心が余りはなはだしくきずつけられたので、私の手はほとんど反射的にこの女の持った徳利を避けたのである。

「あら。どうなすったの」

 女の目に映じているのは、前に異なった感情である。それを分析したら、怪訝かいがが五分に厭嫌えんけんが五分であろう。秋水のかたり物に拍手した私は女の理解する人間であったのに、猪口の手を引いた私は、たちまち女の理解することあたわざる人間となったのである。

 私ははっと思って、一旦いったん引いた手を又出した。そしてがれた杯の酒を見つつ、私は自ら省みた。

「まあ、おれはなんと云う未錬みれんな、いく地のない人間だろう。今己と相対しているのは何者だ。あの白粉おしろいの仮面の背後に潜む小さい霊が、己を浪花節の愛好者だと思ったのがどうしたと云うのだ。そう思うなら、そう思わせて置くが好いではないか。試みに反対の場合を思って見ろ。この霊が己を三味線の調子のわかる人間だと思ってくれたら、それが己の喜ぶべき事だろうか。己の光栄だろうか。己はその光栄をになってどうする。それがなんになる。己の感情は己の感情である。己の思想も己の思想である。天下に一人のそれを理解してくれる人がなくたって、己はそれに安んじなくてはならない。それに安んじて恬然てんぜんとしていなくてはならない。それが出来ぬとしたら、己はどうなるだろう。独りで煩悶はんもんするか。そして発狂するか。額を石壁にち附けるように、人に向かって説くか。救世軍の伝道者のようにつじに立って叫ぶか。馬鹿な。己は幼穉ようちだ。己にはなんの修養もない。己はあの床の間の前にすわって、愉快に酒を飲んでいる。真率な、無邪気な、そして公々然とその愛するところのものを愛し、知行一致の境界に住している人には、はるかに劣っている。己はこの己に酌をしてくれる芸者にも劣っている」

 こう思いつつ、頭を挙げて前を見れば、もう若い芸者はいなかった。それに気が附くと同時に、私は少し離れた所から鼠頭魚が私を見ているのに気が附いた。鼠頭魚は私の前に来て、じっと私を見た。

「どうなすったの。さっきからひどくふさぎ込んでいらっしゃるじゃありませんか。余興にてられなすったのじゃなくって」

「なに。大ちがいだ。つい馬鹿な事を考えていたもんだから」

 こう云って私は杯を一息にした。

底本:「阿部一族・舞姫」新潮文庫、新潮社

   1968(昭和43)年420日発行

   1979(昭和54)年81524刷 

入力:j_sekikawa

校正:しず

2001年813日公開

2006年513日修正

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