風に乗って来るコロポックル
宮本百合子
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一
彼の名は、イレンカトム、という。
公平な裁きてという意味で、昔から部落でも相当に権威ある者の子に付けられる種類の名である。
従って、彼はこの名を貰うと同時に、世襲の少なからぬ財産も遺された。
そして、彼の努力によって僅かでも殖やしたそれ等の財産を、次の代の者達に間違いなく伝えることが、彼の責任であった。
混りっけのない純粋なアイヌであるイレンカトムは、祖先以来の習慣に対して、何の不調和も感じる事はない。
彼は自分に負わされた責任に対して、従順以外の何物をも持たなかったのである。
けれども、不仕合わせに、イレンカトムには一人も子供がなかった。
心配しながら家婦も死んで、たった独りで、相当な年に成った彼は、そろそろ気が揉め出した。祖先から伝わった財産を、自分の代でめちゃめちゃにでもしようものなら、詫びる言葉もない不面目である。
自分がいざ死のうというときに、曾祖父、祖父、父と、護りに護って来た財物を譲るべき手がないという考えがイレンカトムを、一年一年と苦しめ始めた。
そこで彼はいろいろと考えた。
そして考えた末、誰でもがする通り、手蔓を手頼って、或る内地人の男の子を貰った。
何でも祖父の代までは由緒ある武士であったという話と、頭こそクサだらけだが、なかなか丈夫そうな体付きと素速しこい眼付きが、イレンカトムの心を引いた。
その時、ようよう六つばかりだったその子は、お粥鍋を裏返しに被ったような頭の下に、こればかりは見事な眼を光らせて、涙もこぼさずに、ひどく年を取った新らしい父親に連れられて来た。
今まで、話相手もなくて、大きな炉辺にポツネンと、昼も夜もたった一匹の黒犬の顔ばかり見ていなければならなかったイレンカトムにとって、この小さい一員は、完くの光明である。
彼は、もう一生、自分の傍で自分のために生存してくれるはずの一人の子供を、確かりと「俺がな童」にした事によって、すっかり希望が出来たように見えた。
火に掛けた小鍋で、黄棟樹の皮を煎じては、その豊坊のクサをたでてやりながら、昔譚をしたり、古謡を唱って聞せたりする。
大きな根っこから、ユラユラと立ち上る焔に、顔の半面を赤く輝やかせながら、笑ったり、唱ったりする大小の影が、ちょうど後の荒壁に、入道坊主のように写る。
それを見付けた黒が、唸る。
すると、豊坊がワイワイ云いながら、火の付いた枝を黒の鼻先へ押付ける。と、
キャン! と叫んで横飛びに逃げた様子がおかしいと云って、豊坊が転げ廻って笑う。
何がそんなにおかしいか、馬鹿奴、と云いながらイレンカトムの笑いも、ハッハッハッとこぼれ出す。
夜でも昼でも、年寄りの傍には、きっと小さい豊が馳けずり廻っていないことはない。
広い畑に出ているときでも、その附近にはきっと子供と黒がお供をしている。
日が出て、日が沈んで、日が出て日が沈んで、豊坊の身丈はだんだんと延びて行った。
大きくなるに連れて、クサもなおり、艶のいい髪の毛と、大きな美くしい眼と、健康な銅色の皮膚を持った豊坊に対して、イレンカトムは、完く目がなかった。
自分の淋しかった生活の反動と、生れ付きの子煩悩とで、女よりももっと女らしい可愛がりかたをするイレンカトムは、豊に対してはほとんど絶対服従である。
強情なのも、意気地ないよりは頼もしいし、口の達者なのも、暴れなのも、何となく、普の一生を送る者ではないように思われて楽しい。
彼がそう思っている事を、いつの間にか、本能的に覚っている豊は、イレンカトムに対しては何の憚る処もない。
一年一年と、感情の育って来る彼は、或るときは無意識に、或るときは故意に、思い切ったいたずらをしては、その結果はより一層深い、イレンカトムの愛情を煽るようなことを遣った。
生れ付きの向う見ずな大胆さと、幾分かの狡猾さが、彼の活々とした顔付と響き渡る声と共に、イレンカトムに働きかけるとき、そこには彼の心を動かさずにはおかない一種の魅力があった。
知らないうちに蒔かれていた種は、肉体の発育と同じ速力で芽をふいて来たのである。
畑の手伝いでもさせようとすると、
「お父、俺ら百姓なんかんなるもんか!
うんだとも。俺あ、もっともっと偉れえもんになるだ!」
と云いながら、泥まびれになっている親父の顔を、馬鹿にしたような横目でジロリと見る。するとイレンカトムは、曖昧な微笑を浮べて、
「ふんだら、何になるだ?」
と訊く。豊は、大人のようにニヤリとする。
そして、
「成って見ねえうちから、何が分るだ? 馬鹿だむなあ、お父おめえは!」
という捨台辞をなげつけて、切角立てた畦も何も蹴散らしながら何処へか飛んで行ってしまう。
「すかんぼう」を振り廻しながら、蝗のように、だんだん小さくなって彼方の丘の雑木林へ消えて行く豊坊の姿を、イレンカトムは、自慢の遠目で見える限り見つづける。
そして、失望と希望の半分ずつごっちゃになった心持で、またコツコツと土を掘り続けるのである。
二
野も山も差別なく馳け廻っては馬を追い、鳥を追いして育った豊は、まるで野の精のように慓悍な息子になった。
偉い者になるなるとは云いながら、小学の三年を終るまでに、四五年も掛った彼は、業を煮やして翌年の春から、もう学校へ行くことは止めてしまった。
そして、彼の意見に従えば、出世の近路である馬車追いが、十三の彼の職業として選ばれたのである。
イレンカトムは、単純に、息子が早く一人前の稼ぎ人になれることを喜んで、むしろ進んで賛成した。
豊坊も、とうとう今度は立派な青年に成るのだ、馬車追いになるのだというような事を、彼一流の控え目勝な調子で触れ廻りながら、イレンカトムは、ほくほくしずにはいられなかった。いくら強情だとか、腕白だとか云っても、貴方達の十三の息子に、馬車追いの技がありますかというような、誇らしい心持にもなる。彼は嬉しまぎれに、空前の三円と云う大金を小遣に遣って、部落から三里ほど西の、町の馬車屋に棲み込ませた。
豊は馬車屋に寝起きして、日に一度ずつその町から、イレンカトムの部落を通って、もう一つ彼方の町まで、客を乗せて往復するはずなのである。
毎朝毎朝、眼を覚すや否や、飯もそこそこにして、豊坊の雄姿を楽しみに、往還へ出え出えしていた彼は、或る朝、彼方の山を廻って来る馬車が、いつもとは違う御者を乗せているのを発見した。
イレンカトムは、幾年振りかで強く鼓動する胸の上に腕を組みながら、ジッと瞳を定めて見ると、確かに! 御者は紛うかたも無い、豊坊である。
いかにも気取った風で、鞣革の鞭を右の手で大きく廻しながら横を向いて、傍の客と何か話している彼の洋服姿は、愛すべきイレンカトムの心に、いかほどの感動を与えたことだろう。
笑う毎にキラキラする白い歯、丸い小さい帽子の下で敏捷しこく働く目の素晴らしさ。
見ているうちに馬車はだんだん近づく。
そして、彼の立っている処からは、一二町の距離ほかなくなった。
すると、今まで傍を向きっきりだった豊は、迅速に顔を向けなおすやいな、いきなり体を浮かすようにして、
ホーレ!
と一声叫ぶと、思い切った勢で馬の背を叩きつけた。
不意を喰った馬は堪らない。土を掻いて飛び上ると、死物狂いになって馳け始めた。
小石だらけの往還を、弾みながら転がって行く車輪の響。馬具のガチャガチャいう音。
火花の散るような蹄の音と、巻き上る塵の渦巻の上に飛んで行く騒音の集団の真中に、豊坊は得意の絶頂で飛んで来る。来る! 来る! 来る!! そして一瞬の間にイレンカトムの目前を通ってしまった。
咽せそうな塵埃の雲を透して、なおも飛んで行く豊坊の、小さい帽子に向って、イレンカトムは思わず、
「ウッウッーッ!」
と声を出しながら拳を握って四股を踏んだ。それから、溶けそうな眼をして、ソロソロと長い髭を撫で下した。
斯様にして、当分の間はイレンカトムも、仕合わせな年寄であった。
僅かの間に、豊坊の身なりはめきめきと奇麗になって来るし、馬の扱いは益々手に入って来る。
体もぐんぐん大きくなって、どことなく大人らしく成熟た豊は、離れて暮さなければならないイレンカトムの心に、唯一の偶像であった。
実際、大胆で無智で、野生のままの少年は、その容貌なり態度なりに、一種の魅力を持っている。確かに醜くはない。
澄み渡った声で悪口を云いながら、ちょっと左の方へ歪める意地悪そうな真赤な唇。いつも皆を鼻で遇うようにジロリと横目を使う大きな眼。それ等は色彩の濃い、田舎のハイカラ洋服ときっちり調和して、狭い御者台の上にパッと光っていたのである。
馬の扱いが巧者になるに連れて、豊は煙草の持ちかたも、酒の飲みかたも覚えた。
いつの間にかは、馬車賃をちょろまかすことも平気になって、イレンカトムが黒を相手に、ポツポツと種を蒔き、種を刈入れている間に、豊の生活は彼の想像も及ばないように変って行った。
昨日までの子供であった豊の目前に、急に展開せられた種々雑多の世界に対しても、彼は矢張り、「すかんぼう」を振り廻して飛んで行った息子である。
行かれる処へ大胆に、陽気に侵入して行く彼の勇気を傷けるものは何もない。
自分の行為を判断する道徳も、臆病も、持ち合わせない彼にとって、煽動の御輿に王様然と倚りながら、担ぎ廻られることは決して詰らないことではない。
ただでは云わないお世辞で、自分の容貌、技等に法外の自信を持った十七の彼は、借金も自分の代りに償ってくれる者を控えている心強さから、存分の放埒をした。
豊は、時々主人の処へ行って、二三十円立替えてくれと云う。主人の方も、イレンカトムがいるから、雑作なく貸してやる。
すると、その金で早速、金の彫刻のついた指環を買って来て、獲った者にはそれを遣ろうと、女達の真中に投げ込む。
そして、キャアキャア云いながら、引掻いたり、転し合って奪い合う様子を、例の横目で眺めながら、
「何たら態だ! 馬鹿野郎、そんなに欲しいか、ハハハハハハ」
と、さも心持よさそうに哄笑する。
これが彼である。もう黄棟樹で頭をたでてもらった豊坊ではない。気前が好くて、道楽者の、稲田屋の豊さんに成り終せたのである。
いくら三里離れているといっても、まさかこのことがイレンカトムに知れないことはない。
豊に対するあらゆる非難は、皆彼の処へ集まっていたのである。
けれども、イレンカトムは、かつて豊が悪い奴だと云ったこともなければ、勿論思ったこともない。彼はただ、困ったものだ、早く目が覚めてくれれば好いと云うだけである。
また、実際イレンカトムは、他の人々が驚くほど楽観していた。
高慢で、馬鹿ではない豊のことだから、遠からずそんな駄々羅遊びには飽きるだろう、そしたら、気に入った女房でも貰ってやれば、少ばかりの借金くらいは働いて戻すにきまっている。これがイレンカトムの考えであった。
彼はそうなるにきまっていると思っていたのである。
けれども、その年の末、豊の借金のために七頭も土産馬を手放さなければならなくなったときは、さすがのイレンカトムも、心を痛めずにはいられなかった。が、彼は、
「ええ加減に止めるべし、な、豊坊。俺あ困るで……」
と云っただけであった。
三
近所の者は皆、年寄は偉い者を背負い込んだものだと云う。悪魔に取っつかれたように仕様むねえ若者だと云う者もある。
完く、豊が、賞むべき若者でないことは、イレンカトムも知っている。仕様むねえとも思うし、困った者だとも思う。が、彼にはどうしてもそれ以上思えないのである。
いくらなんと云われても、何をしても可愛いには毫も変りがない。どこがどう可愛いのかは分らないが、十人が十人口を揃えて悪く云うときでも、俺だけは余計に可愛いような心持がして来る。
真実血統があるでもない、この「やくざな若者」が、どうしてあんなにも可愛いかと云うことが、傍の者の一不思議であるとともに、イレンカトム自身にとっても、確かに一つの神秘であった。
ときどき、彼は自分と豊との間に繋っている、不思議な因縁を考えずにはいられない。
心配と損失ばかりに報われながら、それでも消すことの出来ない、不思議な愛情に就て、思案せずにはいられない。
何してこげえに、豊坊が可愛げえか……?
彼は考え始める。
けれども、彼の思索は決して理論的なものでもなければ、科学的なものでもない。祖先からの遺物であるファンタスティックな空想が、豊と自分とを二つの中心にして、驚くべき力で活動し始めるのである。
豊という名を思う毎に、イレンカトムの心にはきっと、もう一つの名が浮んで来る。それは早く没くなった妻のペケレマット(照り輝く女という意味)である。死ぬときまで、子供のないことを歎きながら死んだペケレマット……彼は何だか彼女と豊との間には、きっと何か自分の力で知ることの出来ない関係があるように思われて来る。
若しかすると、豊は彼女から生れるはずであったのを早く死んだばかりで、他の女の腹を借りて自分の処へ来るように成ったのではあるまいか。
彼にはどうしても、ペケレマットの臨終の願望によって、豊は自分に来たらしく思われる。そして、生きている自分と、霊に成ったペケレマットとの愛情が、ただ彼の上にのみ注ぎ合って、豊はあんなに美くしく生れ出た。逞しい子孫を与えるために、神様が下すった者ではあるまいか、きっとそうに違いない。
が、そうして見ると、神様は何故あんな道楽者になすったか?
イレンカトムも、これには困ってしまう。けれども、神の仕事をいつも邪魔するニツネカムイ──悪魔がいたずらをどうしてしないと云えるだろう。
何にしろ、神が天地を創るときにさえ、太陽を呑んで邪魔しようとしたほどの悪魔だもの、自分に来る子が、余り美くしく、余り立派なのを見て妬まないことがあろう?
そして、考えれば考えるほど可愛い者は、豊だ、ということに落付くのである。
こうして見ると、彼の豊に対する愛情は、亡き妻に対し、見えない神に対し、また豊の陰にいれこになっている未見の子孫達に対する愛情とすっかり混り合っているのである。
自分の不幸な部分は皆悪魔のせいにして、諦めて行こうとする心持も入っている。が、彼はここまでは考えて来ない。万事を、神と悪魔との間に纏めるのである。
こういう心持を持っているイレンカトムは、豊に就て、真面目に苦しみ、案じている、その苦痛、その愛情を謡わずにはいられない心持をも、また持っていた。
唯った一人で、広い耕地に働いているようなとき……。
四辺には、何の音もしない。ヒッソリとしたうちに、サクッサクッと土を掘り返す音、微かに泥の崩れる音、鍬の調子に連れて出る息の音等が、動くに従って彼の体の囲りに小さく響くばかりである。
静かなもんじゃなあ、と彼は思う。
そして、何とはなし、物懐かしいような心持になって首をあげ、あちらこちらを見廻しながら額を拭く。
拭きながら見上げると、高い高い空は、ちょうど真中頃に飾物のように美くしい太陽を転しながら、まるで瑠璃色の硝子のように澄んでいる。眼をシパシパさせながら、なお見ると、ようやく眼の届くような処に鳶が三羽飛んでいる。
紙か何かで拵えた玩具の鳶を、天の奥に住んでいる神様の子供が振り廻してでもいるように、クールリクルリと舞っている。
際どい処で擦違ったり、追い越したりしながら、円るくまあるく飛んでいる。
上ったり……下ったり……右へ行ったり……左へ行ったり……
面白いものだなあと思っているうちに、二つの瞳から入った律動が、だんだんと彼の胸を、想いを揺り動かして来る。
そして、知らないうちに囁きは呟になり、呟は謡となってイレンカトムの唇には、燃え出した霊の華が、絢爛と咲き始めるのである。
抑えられない感興の波に乗り、眼を瞑り手を拍って我も人もなく大気の下に謡うとき、イレンカトムよ! 卿の額は何という光りで輝き渡る事だろう。
彼は、その太陽を謡う。その蒼空を讃美する。
この蒼穹のように麗わしく、雲のように巧な繍手であったペケレマットよ!
今巣立ちした、鳥の王なる若鷹のように雄々しい我が息子よ!
我が父も、そのまた父も耕したこの地に立って、お前方に呼び掛ける、この年老いた父の言葉を、
我妻よ! 我子よ! どうぞ聞いてくれ!
母音の多い一言一言が、短かい綴りとなって古風な旋律のままにはるばると謡い出されるとき、彼というものは、その華麗な古語のうちに溶け込んでしまうのが常であった。
彼は野へ行っても、山へ行っても、興さえ湧けば処かまわず謡い出す。
悲しいとき、嬉しいとき、昔の思出の堪え難いとき、彼はただ謡うことだけを知っていたのである。
こうして春と夏とが過ぎて行った。
四
秋になると、暫くの間顔も見せなかった豊が、フラリとやって来て、東京へ行って商売をしたいから、金を呉れと、云い出した。
「何? どこさ行ぐ? どこさ行くだ?」
と、幾度も、幾度も訊きなおして、東京ということが自分の空耳でないのを知ると、イレンカトムは、ほんとにまごついてしまった。
あんなに遠い所、あんなに可恐え処、もう生きては戻るまいというようなことを一時に思いながら、彼は、息を殺したような声で、
「豊坊、お前、東京たあ如何な処だか知ってるかあ」
と、息子の顔を覗いた。
「如何な処って、お父。東京だって人間の住んでる処さな」
「戯談るでねえ!」
そう云った限り、イレンカトムは黙り込んでしまった。
胡坐を掻いた細い両脛の間に、体全体を落したように力のない様子をして、枝切れで燻る炉を折々弄っていた彼は、やや暫く経つと、フイと俯いていた首を上げて、
「やめるべし、な豊」
と云った。
肱枕で寝転びながら、プカプカ煙草を烟していた豊は、思わず吐きかけの煙を止めて父親の顔を見たほど、それほどイレンカトムの声は哀っぽかった。まるで半分泣いているような調子である。これには、さすがの豊もちょっと、哀を催したような眼付きをしたが、一つ身動きをすると、もうすっかりそんな陰気な心持を振り落して、前よりも一層陽気な、我儘な言調で、
「俺ら、止めねえよ。もうきめたむん!」
と云い放した。
「東京さ行って、何仕るだ?」
「商売よ」
「商売だて、数多あるむん、何仕るだ?」
「俺ら、知らねえよ。出来るものう仕るだろうさ! 何しろ俺あ行ぐときめただから」
「……」
「……」
「俺あ、金あねえ」
「無えっことあるもんで、お父。僅とばっかし大豆なんか生やしとくよら、この周囲の畑売っ払ったら、好えでねえけえ、
無えなんてこと、あるもんで!」
豊は、炉の中に自暴のように唾をはいた。
「売っ払うだてお父のこったむん、また、父親にすまねすまねで、オ、アラ、エホッ、コバン、だから(心底から売りたくない)俺あ売ってくれべえ。
ふんだら、祖父だてお父を引叱らしねえ。
な、よろしと、そうすべえと!」
息子の大胆な宣言に、動顛したイレンカトムが可いとも悪いとも云う間をあらせず、豊は外へ飛び出した。
口ばかりでなく、彼はもうほんとに今、父親の手で耕している家の周囲、二町半ばかりの畑地を売る決心をしてしまっていた。
彼はもう三月も前から、その畑を売れば八九百円の金は黙っていても入るから、それを持って或る女と一緒にT港に行って、暮してやろうという目算を立てていたのである。
東京へ行くつもりでも何でもない。けれども、それだけの畑地を、握ってはなさない親父の手から捥ぎ取る理由に、僅かの強味を加えるために、ただちょっと距離を遠くしたというだけのことなのである。
豊の心持で見れば、T港へ行った処で、どうせ永いことそこで辛棒して身を堅めようというのでもない。
もうかなり永い間同じ狭苦しい町で、同じような人間の顔ばかり見て、同じような道楽をして見たところで始まらない。
処が変れば、また違った面白い目にも会うだろう。
彼の行こうとする第一の動機はただこれ一つなのである。けれども、彼の心持は、単純にそれだけのことを遂行したのでは満足出来ない。
自分の大掛りな快楽を裏付けする何等かの苦痛、何等かの犠牲が捧げられなければ、気がすまない。
気の小さい仲間の者達の、羨望や嫉妬の真只中を、泣き付く父親を片手で振り払い、振り払い、片手に女を引立てて、畑地と引換えに引っ攫って来た金を鳴らしながら、悠然と闊歩してこそ、彼の生甲斐はある。
詰り、彼がイレンカトムの処へ行ったのは、相談ではない。宣告を下しに行ったようなものなのである。彼は、毎日愉快な美くしい顔をして、鼻歌を歌いながら、土地の買いてを探していた。
それは勿論、イレンカトムの持っている土地全部から見れば、二町の畑はそんなに大した部分ではない。
彼はもう年も取って、自分で耕作することはむしろ苦痛なのだから、人に貸すことなら、承知もしただろう。
けれども永久に手離してしまうことは堪らなかった。地の中から生え抜きになっている彼は、何よりも「地」が大切である。が仕方がない。「可愛い豊」のためになら、彼はそれも忍んだろう。しかし! 彼が東京等へ行くことだけは、そりゃあ決してならぬ! 決してならぬ!
自分は、もうこんなに年を取っている。いつ死ぬか解らない。その死目にでも会えないで、彼に譲るべき物を、あらいざらい、どこの馬の骨だか解らない和人達にごちゃまかされたら、一体どう仕様というのだ。東京へだけは行ってくれるな!
豊が、こんなにして、生きているうちから、彼の土地を売ろうと云っているにも拘らず、自分が死ぬとき、彼に財産の譲れないことを恐れているのである。
自分が死ぬとき、財産を譲れないことになりはしまいかという心配に到達すると、イレンカトムの頭は、豊の性格を考えているだけの余裕はない。
彼がどんなに、無雑作な陽気な顔付で、有り限りの土地を売り払うかということは考えない。豊の心にとって、年中黙りこくり、真黒けで世話を焼かなければ薯一つ出さないような地面より、金色や銀色にピカピカと光り、チャラチャラとなり、陽気で賑やかで、その上強い権力を持っている者の方が、どんなに魅力があるかとは考えないのである。
イレンカトムは、泥棒だの人殺しの巣のような処に思える東京へ息子を遣るくらいなら、もっと早いうちに自分が死んででもいた方が、どんなに仕合わせであったろうとさえ思う。
彼は夜もおちおちとは眠らずに、家の守神を始め天地の神々に祷りを捧げ、新らしいイナオ(木幣)を捧げて、息子の霊に乗り移った悪魔があったら、追い出して下さることを願ったのである。
五
けれども、豊はとうとうイレンカトムを負かし、或は悪戯者の悪魔が祷りに勝って、彼は総ての点において成功してしまった。
地所も売り、その代金全部を自分の懐に入れ、それを鳴らしながら、彼の理想通りの出立をしたのである。
イレンカトムは、涙をこぼしながら、息子が行ける処まで行って見ようと云って出掛けた報知を受取ると、直ぐ、昔から親切に家畜や地所のことで世話をしてもらっている山本さんという家へ出かけた。
そして、S山の方へ引込みたいから、どうぞそのように取計って下さいと云った。
S山と云うのは、ずうっと海岸に近い処で、彼はそこにも土地を持っていたのである。
山本さんの息子や、宿っている学校の先生等は、ただでさえ淋しいのにあんな処へ独りぼっちで引籠っては良くないと云って止めるにも拘らず、イレンカトムは、是非そうして下さいと云って聞かない。
そこで終に、今までの家は貸家にして、S山に新らしい小屋を建てることになったのである。
すっかり昔のアイヌ振りで拵えた小屋の、北と東は雑木の山続きで、東側は十六七丁先きの方で、美くしく海に突き出たY岬になり、西には人家へ降る小山やまた、他の遠い山々の裾に連っていた。
そして、南側には彼の飲料水を供給する澄んだ小流れが、ササササ、ササササと走っている。その他には何もない。この寂寞のうちに、四方を茅で囲った新らしい小屋が、いかにも可愛い巣のように、イレンカトムと、二代目の黒とを迎え入れたのである。
彼は、思い付く毎に小屋の戸口に立っては、足跡で踏み堅めた小道の方を眺める。また或るときは、彼方の小山に昇って、遠く下を通っている往還を眺める。
沢山の荷馬が通ることもある。
勢のいい自転車が、キラキラと車輪を光らせながら小燕のように走けるときもある。
または、四五年前に豊がしたように、鞭を廻し廻し馬車を追って行く子供もある。
人が通り、車が通り、犬が馳ける……。けれども彼の待っている物は見えない。
実く、イレンカトムは、昼でも夜中でも、西側の小山の路へ、ヒョイとせり出しのように現われて来る唯一の、若い、美くしい頭を待ちに待っていたのである。
「飛んで来い」はいつも、きっと元の場所まで戻って来るときまっているだろうか?
けれども、イレンカトムは待っていた。そして、出た者は必ず戻って来ることを信じている。いつ戻って来るか? それは解らない。それだから、彼は絶えず、待ち、望んでいたのである。
T港で、豊の姿を見掛けたという噂だけを聞いて、イレンカトムの小屋は、雪に降り埋められる時候となった。
平常でさえ余り楽でない路を、雪に閉されてはどうすることも出来ない。
全く人間界から隔離されてしまった彼は、二十日に一度、一月に一度と、味噌や塩の買出しに降りるときだけ、僅かに人間の声を聞いて来るのである。
その一冬は、彼にとって、どんなに淋しいものであったろう。
ほんとうの独りぽっちで、気の紛れがないから、考えは始終同じ問題にこびり付いていなければならない。
考えれば、考えるほど、心はさか落しに滅入って来て、どうにもこうにもならなくなる。そこで、仕方がないから、ちょっとばかりの酒でも飲んで炉辺でごろ寝をするような癖の付いたイレンカトムは、従って人の眠る夜になると、否でも応でも眼を覚していなければならなく成ってしまった。
窓の隙間から蒼白くホーッと差し込む雪明りに照らされる陰気な小屋のうちで、彼は死んだような厳めしい静寂と、次第に募って来る身の置処のない苦しさに圧迫され、強迫されて、頭はだんだんと理由の解らない興奮状態に陥って来る。
小屋の中じゅう、どこへ行っても、何ものかが満ち蔓っていて、自分を拒絶したり、抵抗したりするような心持のするイレンカトムは、じっと一つ処に落付いてはいられない。
知らず知らず、ブツブツと口小言を云いながら、あちらこちらと歩き廻る。
そして歩き廻りながら、眠りもしないで、こんなことをしている自分は普通でないなと思って来る。
一体どうしてこうなのだろう?
彼は、炉の火を掻き起して、明るくしたり、パタパタと何かを払うように耳を叩いて見たりする。けれども、益々、心持は落付かない。どうもおかしい。このとき、彼の心には、明かに、「夜」に対する伝説的恐怖が目覚めて来るのである。
怪鳥が人間の魂を狙って飛び廻るとき、死人が蘇返って動き出すとき、悪霊、死霊が跳梁するとき、それが、彼の子供のときから頭に滲み込んでいる夜の観念である。
暗い夜に外を歩くと、化物に出会って、逃げる間もなく殺されるぞと云われ云われした彼は、今もなお、囲い一重外の夜、闇に対して、深い恐怖と神秘とを抱いている。
その遺伝的な恐怖が湧き上ると、彼は居堪れないように成って、神々に祷りをあげる。
一生懸命に謡を歌う。犬にふざける。そして、暁の薄明りが差し始めると、ようよう疲れ切った眠りに入るのである。
斯様に、S山で余り寂しすぎる一冬を送った彼は、すっかり頭を悪くした。体も悪くなった。けれども、イレンカトムは、自分の転居が失敗だったとは思わない。彼は一言も洩さなかったけれども、自分が若し万一病気にでも成れば、部落ではすぐ近所の者が知っていろいろな物を盗もうとするかもしれない。がここにいれば、人に知らせず、山本さんだけに万事委せることが出来るから、よほど安心だ、と思っていたのである。
唯一人の彼が臥たら、誰が山本さんまでの使をするだろう? けれども、彼はそこまでは考えたことがなかった。
追々、雪が薄くなって、木の芽が膨むような時候になると、彼は、小屋の東側に僅かの地面を耕してそこに、馬鈴薯と豌豆を蒔いた。
誰かは訪ねて来る人も出来、気を変える仕事も出来て来て、イレンカトムは草木とともにようよう生気が出たように見えたのである。
六
ところが、その春はたださえ霧っぽい附近の海から、例年にないほどの濃霧が、毎日毎日流れ始めた。
ずうっと沖合いから押し寄せて来るガスは、海岸へ来ると二手に分れる。
一方は、そのままY岬へ登って馳け、他の一方はずうっと迂回して、Y岬とは向い合ったL崎の端から動き出す。
そして、その二流はちょうどS山の上で落ち合って、ずうっと奥へ流れ去る。これは、平地を抱えて海まで延びている山の地勢の、当然な結果ではあるのだけれども、その潮路に当るところは堪らない。
下の部落にそんなにひどくないときでも、山々を流れて行く霧は、灰色に濃くかたまって音のしそうな勢に見える。
それ故、切角春になると直ぐイレンカトムの小屋は、日の目も見えないほど、霧に攻められなければならなかった。
今日も霧、明日も霧。
潮気を含んで、重く湿っぽいガスは、特有のにおいを満たしながら、茅葺き小屋のらんまで透して、湿らせる。
ちょうど、梅雨期のような不愉快さ、不健康さを弱り目に受けて、イレンカトムは、始終頭痛がしていた。寝ても覚めても、耳の中で、虫が巣くいでもしたような、ジージー、ブーンブンと云う音がする。
体中から、精、根が抜け切ってしまったように思う彼は、過敏になって、自分の飼犬の姿にさえザワザワとすることがある。
ときどき、ひどい癇癪を起して、訳なしにあんなにも大切にする黒を蹴ったりするようなこともある。山本さんの家の者は、年寄はこの頃少し痩せたようだね、と云うくらいのことで、別に注意もしないし、彼自身は勿論自分の神経に就て考えるような男ではない。そうしてそのまま日が経って行った。
或る夕方。久し振りで晴れ渡った空が見えるように天気の好い暮方である。
畑で、草毟りをしていたイレンカトムは、何だか、妙に頭がグラグラするような心持なので、炉辺に引込んで、煙草を烟んでいた。
すると、戸口の傍で人声がする。何か小さい声で相談でもするように、ボソボソと云っている。
まだ若そうな女の声が、一言二言何か云うと、元気のあるのをようよう小声にしているような若い男の声が、それに答える。声の響きで見ると、アイヌ語を使っている。
何を喋っていることやら……
イレンカトムは、今に入口の垂れを持ちあげて訪ねて来る二人の若い者を待っていた。
待って待って、待ちくたびれるほど、待っても入って来ない。
そこで彼は自分から立ち上って、迎に出た。たぶん極りを悪がってでもいるのだろうと思ったのである。
出て見ると、小屋の隅に、頭を垂れた若い女が案の定立っていて、少しはなれたところに腕組みの男がいる。
誰だか知らないが、来た者はお入り、と云うアイヌ振りの挨拶をして、中に入って待つ。未だ来ない。入りもしないで、相変らず喋っている。喋ること、喋ること、声の高さは変らないが、素敵な早口で、男が喋る。女が喋る。そして、終いには、両方がごっちゃになって何か云う。
余り人を馬鹿にしていると思ったイレンカトムが、少し腹を立てて、
「お入りと云ったら、どうして入らないのか?」
と、アイヌ語で云いながら、もう一遍戸口に出て見ると……これはどうしたことだ、今の今まで声のした二人は、もうどこへか隠れて、後影も見えはしない。
はて! これはどういうことだ?
彼も少なからず不審に思った。
いろいろ考えて見ても、どうしても、若い男と女とを見たのは確かである。女が紫色の小帯をしめて、重ねた上の方のどの指かに、白い指環のあったのさえ見たのだから……
その日は、それなり、妙なこともあるものだですんでしまった。
ところが、それはその日だけでは済なかった。翌日もその翌日も、彼は声を聞く。或るときは四五人の者が来たようであり、或るときは十人以上が群れているように聞えるときもある。
アイヌ語や日本語で、だんだんはっきりと意味の聞きとれる言葉を喋る。
それも、決して、行儀よく話すのではない。どこかずうっとY岬の先の方から、風と一緒に喋りながら、やって来る。そして、小屋の周囲を馳け廻ったり、小屋の中を跳び廻ったりしながら、イレンカトムの「胆の焼ける」ようなことを、罵ったり、揶揄ったり、茶化したりするのである。
魚を焼いていると、魚が食べたいとねだる。米を煮ると、それを呉れと云う。
そして、始めには、夕方だけ来たものが、追々朝から付きまとって、夜眠ろうとでもすると、寝させまいとして、途方もないいたずらをする。喉を〆に掛ったり、息もつけないように口を閉いだりして、叱りつければちょっと遠のいて、また始める。
そんなにされながらも、イレンカトムは、ただ声と、気合いだけを相手にして、怒ったり、怒鳴ったりするだけなのである。
理窟を云って追い払おうとすれば、なかなか負けずにやり返す。
こうなっては、彼もどうかしないではいられない。一生懸命になって、聞いただけの昔話の中から、声ばかりの化物に就ていってあるのを漁り始めたのである。
考えて考えた末、彼はとうとう、子供の時分父親から聞かされた、コロポックルという小人の話を思い出した。
七
イレンカトムが、父親から聞いた話と思い合わせて見ると、自分に掛るものは、どうしてもコロポックルという、小人らしい。
何故なら、その小人はいろいろな術を知っていて、姿を隠した声ばかりで、人のところへ訪ねて行ったりしたということも同じだし、自分の父親の友達だった者の名や、役人の名等を覚えて、それに就ていう処を見れば、どうしても古いときからいる者だということが分る。
それに、ああやって風に乗って飛んで来るようなことは、決して体の大きな者共に出来る芸当ではない。
まして、Y岬の近所に、元コロポックルが棲んでいたという穴居の跡が在るのを知っているイレンカトムは、自分のその判断が、決して理由のないことではなく思われる。
きっと、コロポックルに違いない、とその次から注意すると、ちゃあんとその声は、自分達は背丈の短かいコロポックルだと云い始める。
彼はもう、すっかりコロポックルにきめて、山本さんにもそのことを話した。
どうも何にしろ、男や女の沢山の声が、あっちこっち暴れながら、絶間なく喋るのだから煩くて堪らない。一体、私の親父の時代のコロポックルも、あんなに手に負えないものだったろうか、などと云うイレンカトムの話を聞いた人達は、始めのうち誰も本気にしなかった。
けれども、だんだん彼がその声を相手に大論判をしている処へ行あったりして、彼の云うことは信じられると共に、頭の調子の狂ってしまったのも認められない訳には行かぬ。部落では、イレンカトムという名の代りに、皆コロポックルの親父と云うように成った。
勿論、頭が悪いのは事実である。
けれども、彼は自分にコロポックルが現われる──訳の分らない声を聞き、言葉を聞くということは──決して普通なこととは思っていなかった。どうかして、そんなものから逃れたいと思わないことはない。
それだから、医者にも通い、薬も飲んだ。彼の心持は、死んだって、気が狂ったって俺のことはかまわないが、どうぞ豊に会って、渡す物を渡してからでありたかったのである。
豊とちょっとでも知己の者に会う毎に豊からの便りはないかと訊く。どこにいるか知らないかと云う。
そして、日に一度ずつは、頭の上に附いて歩いて喋るコロポックルを叱りながら、彼方の小山に登って、遙かな往還を眺めた。
毎日毎日同じように馬車が馳け、犬が吼え、自転車がキラキラところがって行く。
イレンカトムは、その他の何物をも見出すことは出来なかったのである。
ところが、或る朝早く、彼が炉で麦を炊いていると、例の通り、遠くの遠くの方から、シュッ、シュワー、シュッ、シュワーというような響と共に、
コロポックル、コロポックル
コロポックル、アナクネ、トゥママ、タックネップネ
と唱いながら、ひどく沢山のコロポックルが風に乗って飛んで来た。
(コロポックル云々というのは、コロポックルという者は腰が短かい、という意味であるそうだ。)
そして、いつも通り男や女の声が、煩く喋り始めた。が平常のように、悪口や口真似ではなくて、今、Y岬へ義経の船が沢山攻めて来たから、早く出掛けて攻め返してやれ、と云うのである。
義経が攻めて来た?
そんなことが有るものか! と彼が云い返す。
すると、コロポックルは、それなら、論より証挙だから、海岸まで出て見たら、好いじゃあないかと云う。
そこで成程と思ったイレンカトムは、仕舞って置いた弓矢を持って、ドシドシとY岬へ馳け付けた。
道もないような林や叢を、息せき切って馳けるイレンカトムの頭の上では、勿論コロポックルが、しきりに何とかかとか云い続けているのである。
Y岬まで出て見ると、成程、ほんとにそれらしい物が見える。
薄すりと靄の掛った海の磯近くに、五六艘の船がズラリと並んで、人の立ち騒ぐ様子さえ見えるのだからイレンカトムも、これはそうに違いないと思い定めた。
そして、飛鳥のように岬の端の端の、もう一足で海へ陥りそうな処まで出ると、弦を鳴らしながら、大声を張り上げて、呪を浴せ掛け始めた。
自分達の昔の祖先の宝庫から、書物や書く物を盗み去ったばかりか、また来て何か悪業をしようというのか! 神の戦士の六つの弓、六つの矢にかけてただでは決して逃すまいぞ!
というようなことを叫びながら、手を振り躍り上って戦いを挑んだ。
けれども、義経の軍勢は一向に注意を向けようともしないで、さっさと沖合へ漕ぎ出して行く。自分の挑戦が侮辱されたと思ったから、イレンカトムはすっかり腹を立てた。
白髪を振り乱し、自分の胸を撃ちながら荒れ廻っている……と、熱くなった彼の耳にフト、
「豊やーい、豊やーい、豊坊が……」
何とか云う声が聞えた。彼が忘れたくても忘られない名にハッと注意を引かれて、傍を見ると、二人の知己が自分の帯際をしっかりと捕えて、足を踏張りながら、後へ後へと引っぱっているではないか。
イレンカトムはびっくりして、一体どうしたのだと訊くと、どうしたどころではない、お前はもう少しで海に溺れる処だったのだと、通りすがりの彼等が、暴れる彼をようように押えつけた始末を話して聞せた。
その訳を聞いたとき、イレンカトムは、涙を流さんばかりにして、コロポックル奴に騙されたのを口惜しがった。
昔は、屈強な若者で、自分の手から逃げる獣はないとまで云われた自分が、小人風情に侮られて、惨めな態を見られなければならないことは、彼にとっていかほどの苦痛であったか分らない。
二人に送られて家に帰ったイレンカトムは、神聖なイナオ(木幣)の祭場所に永い祈念を捧げた。
こんなことさえあったので、イレンカトムのコロポックルは誰知らぬ者のないほど有名になってしまった。
なかには、親切に、魔祓いのお守やら、草の根、樹の皮などを持って来てくれる者もある。何鳥の骸骨がいいそうだと云って、故意獲って来てくれる人もある。
皆が心配して、いろいろとして自分に近寄ってくれることは決して厭ではない。が、何かがその後に隠れていそうで、イレンカトムは心が穏やかでなかった。
ちょうど、豊のいないときに、こんなに成ったのを好い幸に、何か狙っているのではあるまいかと思う。
また実際、十人が十人まで真心からの親切だけであるかどうかは疑問なのだから、彼の心配も決して根のないことではなかったのである。
特に、一番近所に住んでいる或る和人の態度に対して、彼は非常な不安と警戒とを感じる必要があった。
一日に幾度かの見舞いと、慰めの言葉の代償として、彼の土地を貸して欲しいということを、山本さんに云って行ったのを知ったイレンカトムは、つくづく浅間しい心持がした。
自分も他人も疎ましい。何にもかにもが、彼には重荷になって来た。
けれども……。どんなことが起ろうとも、手から手へ遺して行くべき祖先代々の財物を、豊が帰るまでは守っていなければならない、というそれだけが、彼を生かしていた。
彼の父、父親の父、祖父の父というような、遠い昔の人々が命懸けで獲った熊の皮等と交換に、ようよう一つ二つと溜めて行った蒔絵の器具、太刀の鞘、塗膳等という宝物は、土地家畜等と同様な、或るときにおいてはより以上の価値を有っていたものである。そして、今もなお、他の由緒ある家系のアイヌがそうである通り、彼もそういう物に偉大な尊敬を払って、それを失い穢すことを畏れているのである。
完く、イレンカトムは、譲るべき財物と共に、豊の帰る日まで、彼の手に渡る日までさえ確に生きていれば好かったのである。
けれども、追々には、コロポックルまでが、宝物を強請するように成って来たとき、イレンカトムの心は、どんなに乱されたことであろう。
コロポックルは、赤い膳を呉れろの、彫りのある鞘を寄来せのと云う。そして遣られないと叱り付ければ、いろいろな罵詈雑言を吐いて、彼を辱しめる。
吝嗇坊だと云って、人は皆嘲笑っているぞと云ったり、自分独りで沢山の宝物を隠しているから、見ろ、部落中の者がお前を憎んでいるのを知らないか、と云ったりする。
豊が来るまで。
どうぞ、豊に手渡ししてしまうまで!
宝物を奪われないため、人に詐されないため、執念深いコロポックルに負けたくなかった。
どうぞ、ほんとにどうぞあの豊坊の帰って来る日まで!
ただ、それだけである。ただそれだけのために、イレンカトムは泣くようにして、山本さんにコロポックルを追払うに好い方法を教えて下さいと願って行ったのである。
山本さんも困った。どうしたら好いか分らない。まして彼に好意を持っている自分が、唯一の頼りある者として願われて見ると、なおさら困る。それだからといって、勿論、放って置くには忍びない。山本さんも考えずにはいられなかった。
イレンカトムは、まるで幾代か伝わって来た伝説の断面のような男であるのは山本さんも知っている。難かしい理窟で、自分の頭を支配する種類の人間ではない。いろいろな人にも聞き、考えもして、とうとう山本さんは、或る坊主が実験して成功したという一つの方法を思い出した。
そこで、イレンカトムを呼ぶと、山本さんは厳格な態度で、一包みの豆を彼の前に置いた。そして、次のようなことを話した。
「この紙包みの中には、豆が入っている。いいかね、豆が入っているんだよ。
ところで、今日お前が家へ帰ってコロポックルが来たら、先ずこれを見せて大きな声で、『これは何だか知ってるか?』と、訊いて見るんだ。そうすると、コロポックルの奴、きっと、『豆だ!』と云うに違いない。いいかね。そうしたら今度は『そんなら幾つ入ってる?』と訊くんだ。忘れちゃあいけないよ。
幾つ入ってるかと、また大きな声で訊いてやるんだね。
そうすると、ホラこの通り紙でちゃんと包んであるから、コロポックルに中の数は分りゃあしない。
だからきっと黙っているだろうさ。そこで、うんと今度も力を入れて、
『数が云えなけりゃあ引込め!』
と怒鳴り付けてやるんだ。いいかね。
そうすれば、きっとコロポックルの奴も降参するにきまっている。数を訊くのを忘れちゃあ駄目だぞ。それから、お前自分でも、決して豆の数を勘定したり、中を見たりしちゃあいけないぞ。いいかね。
大切なお禁厭なんだからな。腹へうんと力を入れて、やって遣るんだぞ。きっとコロポックルだって降参するんだからな、よしか!」
これを聞いて、イレンカトムは、どのくらい心強く感じたことだろう。
彼は今までかつてこれほど、自信のあるらしい、禁厭を教わったことはない。また、聞いたこともない。これでこそコロポックルに勝てるぞ!
それだけでも彼は、もう勝ったような心持がする。
コロポックルにさえ勝てば、もう他に何が来ても、この俺を詐すようなことが出来るものか。
イレンカトムは、深い感謝の言葉を述べながら、双手を捧げて、篤いアイヌ振りの礼をした。
けれども。長い髭を撫で下した彼の手が、その先を離れるか離れないに、彼の心には、もう一種の恐れが湧き上った。
何にでも、素早いコロポックルが、もう禁厭の豆を知って、どこかそこいらの隅から、今にも飛び掛りそうな心持がする。
ハッと思う間に、引攫われてしまいそうで堪らない。
イレンカトムは、大急ぎで豆の包みを懐へ捻じ込むと、その上を両手で確かりと押えつけながら、黒を急き立て、帰途に就いた。
コロポックルを撒くために、故意と道のない灌木の茂みを、バリバリとこいで行くイレンカトムの踵に、鼻を擦り付けるよう頭を下げた黒がトボトボと後から蹤いて行った。
底本:「宮本百合子全集 第一巻」新日本出版社
1979(昭和54)年4月20日初版発行
1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第一巻」河出書房
1951(昭和26)年6月発行
入力:柴田卓治
校正:原田頌子
2002年1月2日公開
2003年7月13日修正
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