小祝の一家
宮本百合子



        一


 二月の夜、部屋に火の気というものがない。

 乙女は肩当てが穢れた染絣の掻巻かいまきをはおり、灰のかたまった茶色の丸い瀬戸火鉢の上へヘラ台の畳んだのを渡したところへ腰かけ、テーブルへ顔を伏せてっとしている。

 厳しい寒気は、星の燦く黒い郊外の空から、往来や畑の土を凍らし、トタン屋根をとおし、夜と一緒に髪の根にまでしみて来る。

 テーブルの前に低く下った電燈のあたたかみが微に顔に感じられた。電燈はすぐ近くに乙女の艶のない髪を照し、少しはなれて壁際に積まれたビールの空箱の中の沢山の仮綴の書籍を照し出している。テーブルのニスが滑らかに光った。その光沢はいかにも寒げで、とても手を出す気がしない。──

 暫くして、乙女が懐手をしたまま、顔だけ掻巻の袖の上から擡げ、

「──湯たんぽ、まだ冷えないかい?」

 ゆっくりした、一言一言に力をこめたような口調で夫の勉に訊いた。

 同じテーブルに向って正面のところには、家じゅうただ一脚の籐椅子にかけて、勉が、やっぱり掻巻をドテラがわりにシャツの上から着て頬杖をついている。勉は、北国生れの色白な顔に際立って大きい口元を動かし、口重げに、

「いや。……やろうか?」

と云った。

「いいえ、いい」

 二人ながら小柄な体へ掻巻をかぶった夫婦はまた黙りこみかけたが、今度は乙女が、

「──祖父じっちゃん、本当にミツ子こと小包にして送ってよこすかしんないね」

 長い眉毛をつり上げたような表情で云い、不安そうに荒れている自分の唇をなめた。

「ふむ……」

祖父じっちゃん……──何すっかしんないよ」

「…………」

 テーブルの上に、塵紙のような紙に灰墨で乱暴に書いた貞之助の手紙があった。年よりならきッと書きそうな冒頭の文句も何もなしで、いきなり、度々手紙をやったがいつ金を送ってよこすつもりかと書き出し、東京で貴様はどんな偉い運動をやっているか知らんが、こっちでは一家五人が飢え死にしかけている。総領息子の貴様はどうしてくれる。金をよこさないのなら、手足まといのミツ子を小包にしてでも送りかえす。そのつもりでいれ! かすれたり、そうかと思うとにじんだり、貞之助の頑固に毛ばだった眉毛を思い出させる不揃いの文字で罵倒しているのであった。小祝勉殿と書いてある封筒の下のところに、ひどい種油の汚点がついて、それがなかみまで透っている。

 故郷のA市で、貞之助はここ数年間、毎朝納豆の呼び売りをしていた。おふくろのまきは夜になると親父をはげまして自分から今川焼の屋台を特別風当りのきつい、しかし人通りの繁い川岸通りまで引き出して一時頃まで稼ぎ、小学を出た弟の勇は銀行の給仕に通った。それで、妹のアヤを合わせて一家が暮しているのであった。

 勉夫婦が、三つのミツ子をそんな暮しの中へあずけたのには、わけがあった。

 前年の春、勉は仕事をしているプロレタリア文化団体の関係でやられ、びんたをくわされたのが原因で、悪性の中耳炎になった。勉は脳膜炎をおこすほどになったとき警察から、施療の済生会病院へ入れられた。そこでは軍医の卵が、一々そこを切れ、あすこをつめろと教えられながら勉の耳を手術した。その後の手当も専門医が診てびっくりしたほど粗末な扱いで、夏に入って、極めて悪性の乳嘴突起炎を起した。友達のつてで別の病院に入院したが危篤の状態が一ヵ月以上も続いた。コサック帽のように頭に巻きつけた繃帯の上まで血をにじませて寝ている勉が果して恢復するかどうかということは、耳鼻科主任の、練達な手術を施した医者にさえ明言出来なかったのである。勉を生かそうとする努力の裡で乙女は友達の着物をかりて質に入れるようなひどい苦面をし、やっと夜汽車にのってミツ子を祖父じいさん祖母ばあさんのところへ謂わば押しつけに置いて来たのであった。

 二円、三円と金を送れたのは、初めの二三ヵ月のことであった。秋が深まってから、乙女は手編の毛糸マントをミツ子に送ってやった。養育費を送るという年より達との初めの約束は実現されなくなった。勉の命はとりとめた。けれども、その春以来、彼がその団体で献身的に働いていた出版部の活動が非常な困難に陥った。人手がなく、そして、金もなかった。朝、勉が丹精して集めた古い「マルクス主義」の合本を抱え、外套の襟を立てて耳の傷をかばい表から出かけると、乙女がその後を締めて水口から自分もついて出、顔なじみの古本屋の店頭で勉から十銭玉いくつか貰って引かえす。そういうことが一度ならずあった。

 先ず、金を送って貰いたい。次いで、ミツ子がどんなにまきの手をふさぎ、そのために「おやき」の商売も減って来たかということを、勇の筆跡で細々こまごまくどいてよこした。勉夫婦は、自分達が金を送れないことについて深く気の毒に思った。だが、今川焼の売り上げがだんだん減るということを、一概にミツ子の厄介の故とばかりきめて小言を云って来ている親父の考えの狭さに勉はいやな感情をもった。十七になる次男坊の勇が、親父の云うまま、一行も自分の文句を加えずそのくどくどした手紙を書いてよこした気持をも、勉は少年時代から家を見た自身の経験から見落していなかった。A市は東北飢饉地方にまきこまれていた。戦争になってからこの地方一帯の農家の困りかたは甚しかった。暮に、若者を兵隊に出した家のおっかあ連がかたまって戦地からかえせと押しかけたような事件もあった。川風が凍みるからと云って、焼き立ての「おやき」の熱いところを懐へ入れ、それを喰い喰い夜遊びから帰る若者が減るのは当然のことであった。そんな小銭がつかえる者は「おやき」をやめて、ワンタン屋の屋台に入った。

 勉は、真面目にそういう世の中の有様を説明し、自分たちの生活の窮迫の原因をも、そういうものとして貞之助の納得のゆくように書き、わきに、この手紙は勇にも必ず読ますようにと書き添えたのであった。

 程経って来た貞之助の手紙は、そういう勉の努力が全く無駄であることを示した。貞之助は鈍重なずるさを働かせ、暮しの行詰りの全責任をこの機会に長男である勉の肩にうつしてしまおうと、孫のミツ子をかせにつかいはじめたのであった。その時、勉は体にあわせてひどく大きい口元をパフパフというように動かし、乙女を鋭い視線で見て、

「俺は十八まで散髪に行ったこともなければ、猿又を買ってはいたことだってなかったんだ!」

と云った。好きな本を買う銭をとるために、勉は郵便局がひけてから、夜、繩工場へ通ったのであった。同じ繩工場へおふくろのまきも通った。そして、勉の髪を刈るバリカンと猿又を縫う布とを買い、末娘のひ弱いアヤの薬代を払った。

 勉は、そのおやじの手紙は焼いてしまった。何かで家をかきまわされたとき、そんな手紙が出、それを口実に運動をやめろなどと云われたらしゃくである。彼はそう思ったのであった。

 乙女は勉の憤る心持を同感したが、大きく二重瞼の眼を見開いて中耳炎以来変に髪が薄くなった夫の顔をながめ、

「──祖父じっちゃん、ミツ子をいびってないだろうかね」

と静かに云った。乙女の声には、二重の心づかいが響いた。自分がミツ子一人ぐらいを育てかね、たださえ苦労の多い勉に家庭的な心労までかける。それを、ひけ目に感じるのであった。

 今年、田舎の二十日はつか正月がすんだ頃、アヤが、下手な、それでいてかくのはっきりした字で、祖母ちゃんはこの頃死にたがってばかりいます、死ぬかと思って私は心配ですという手紙をよこした。重たい孫をおんぶって、強情な祖父ちゃんとの間にはさまり、苦心に疲れている半白の小ぢんまりした母親のおとなしく賢い顔つきが勉の目に髣髴ほうふつとした。母親に対する思いやりから、勉はミツ子をとり戻すにしろ、そのまま送るにしろ入用な金策に心を悩ました。勉がプロレタリア運動に入るきっかけとなった詩は、金にならぬ。

 そこへ、種油のシミがついた今度の手紙が来た。勉がかえって物も云わず机に向い腰かけるとすぐ、乙女が勉の古紺足袋をぶくぶくにはいた足で小走りに電燈の球のない台所へ入り、湯たんぽをつくってあてがっているのは、炭を買う金さえ彼の交通費にいるからのことである。──

 長いこと黙っていた後、勉は中指に赤インクのついている手で親父からの手紙を縦に引裂きながら、

「いっそ、すっかり畳んで出て来いと云ってやろう」

 大してふだんと変りない調子で云った。乙女はとっさにそれをどう判断していいのか痺れたように勉を見た。そのうち彼女の二重瞼の眼は我知らずつり上った二つの眉毛の下で次第次第に大きくなり、寒さで赤らんだ鼻のさきとともに、びっくりした野兎のような表情になった。

 家財をたたんで、五人でここへやって来て、そして、どうして食うのであろうか。恐怖に近いものが幅ひろく彼女を圧しつけた。そんなことを考える勉も、親父にどこか似たところがあるのではないか。そう思った。

 然し、勉はそのことを今日一日、二通り三通りの活動の合間に考えつづけていたのであった。ミツ子を迎えに行く金も送る金も出来る見当はつかない。A市で、貞之助がますます食いつめるであろうことは目に見えた。東京へ出て、勇が働き、貞之助は納豆でも売り、祖母ばっちゃんはそのまめで手ぎれいな性質で何か内職でもやれば、どうにか食っては行けるだろう。東京へ出て来て、自分らの暮しを見ればいいんだ。勉は強くそう思った。そうすれば、ミツ子が厄介になったのをいいことにして、勇の次男坊気質を助長させながら「長男の貴様」にまた食い下ろうとする狡い性根もいくらか癒るだろうし、勉の仕事の性質ものみこむだろう。こっちの暮しを目で見て、一緒に思い知ればいいんだ。

 説明されて見ると、乙女もそれを不自然なこととは思えなかった。

「──いいかしんないね」

 乙女は、眼を大きくしたまま、しかし腹からのように合点をし、舌を動かしてゆっくりと自分の唇を上唇、下唇となめまわした。

「──じゃ手紙書いてやろう……お前先へねれ」

 勉は、貞之助へ手紙を書き、それから別に長いことかかって薄い紙に何か書き、それぞれ別の封筒に入れ、一つの方を部屋の外へもって出て、どこかへしまった。

 床に入って、顔を障子の方に向けているだけで、乙女は眠ってはいなかった。勉が、お前さきへねれ、そういうときは、何もきかず床に入るか、台所わきの三畳へ行くかするのが、乙女の常識となっているのであった。

 勉は、こまかい字で物を書いている間、ときどき掻巻の袖から左の指先を出して、耳の傷を押した。骨を削られて耳の後はぺこんとへこみ、ガーゼがつめられてある。寒さと疲労とで、今もそこがずきずき痛み、頭の半分が重たい。その耳のうしろには手術の傷のほかにもう一つ、ひどいひきつれの跡があった。それは一九三〇年の冬、勉が「文戦」の方針に不服で脱退し、「戦旗」の活動に参加した当時、「文戦」の鳥打帽の写真で知られている石藤雲夫に、焼ごてを押しつけられたひきつれであった。


        二


 祖父じっちゃん。祖母ばっちゃん。アヤ子。勇。それにミツ子。これだけの人々が、間もなく上野のステーションから様々な色と形の風呂敷づつみと一緒に無言のまま小祝の二間のトタン屋根の下へ運びこまれ、床の間の上へまで煤くさい、どれをあけても襤褸ぼろに似たもののつまった包みを積みかさねて生活しはじめた。

 勉夫婦の暮しぶりは変った。

 朝、五時、まだ暗いうちに貞之助が先ず床の上へ起き直り、ところ狭く眠っている一家の顔の上にパッと電燈をつけた。そして、煙草をふかし始めた。パン、パン。煙管きせるをはたいた。煙草盆は、祖母ちゃんがちゃんと出して置いてやるのである。

 物音で、昨夜二時頃床に入った勉が苦しそうに寝返りをうち、夜具をかぶった。

 やがて、ミツ子がじぶくり出す。はじめ夢中で背中をたたいていてやった乙女がすっかり目をさまし、勉が起きるのを心配しながら小声でいろいろすかそうとすると、猪首のミツ子は、わざとそれを撥き返すように体を反らせ、

「いやーァん、ばァちゃーん! いやーァん」

 半年の間の習慣で、ばァちゃんを呼びたて泣き立てた。

 すると、祖母ちゃんが、寝床の中から前掛を締めながら立って、

「さアさ、ミツ子、泣くでねえよ、な、まんまやっから泣くでね、な?」

 飯をもって乙女の床のところへ来てミツ子にあてがうのであった。

 勇が続いて起き、アヤが起き出し、勉も眠っておれず薄い蒲団をあげた。

 勉が寝不足で蒼く乾いた顔を洗う間、祖父じっちゃんは草箒で格子の前あたりをちっと掃き、掃除のすんだ部屋へ上って坐った。アヤがチャブ台を出す。勇は、祖父ちゃんの拡げた新聞の間から落ちた色刷りの広告を、畳へおいて見ている。

 道具のない台所で飯の仕度をしている乙女が、

「──祖母ばっちゃん、ちいと吸って見な」

 この頃は眉がつり上ったきりになったような表情で、そこにかがんでいるまきに小皿をさし出した。まきは、音たかくその味噌汁を吸った。

「よかろ……」

 乙女と祖母ばっちゃんとは、味噌汁を薄めてそこへうんと塩を入れたものを皆にのませはじめたのである。

 小さいチャブ台にぐるりと膝をつめかけ、ミツ子までものも云わず、非常にはやく、一家は朝飯をくう。

 それから出かけるまで時間があっても、勉は殆ど誰とも口をきかなかった。縁ばたに近い方へ腹這いになって本を読んだ。思い出したように祖父じっちゃんに向って、

「──おやきの鉄板どうしたかね?」

などと訊くことがあった。

「売って来た」

 ぽっきり、貞之助が答える。二人の間で話はそれ以上のびないのであった。

 勉が、すり切れた紺外套を着て出かける。貞之助は、そういうときでも決して気軽に立って来て見ようなどとしなかった。手織木綿の羽織の肩を張って坐っているのであった。

 夜になって勉が帰って来る。電燈がついているだけの違いで祖父ちゃんは一日たったのにやっぱり朝いたところで、新聞と煙草盆とを前におき、坐っていることが多かった。勉の留守には乙女が、祖母ちゃんが才覚してもって来た粉でそばがきぐらいをこしらえ皆を食べさせた。

 三畳の方にある寝床に入ってから、勉が小声で、

「祖父ちゃん、一日何しているか?」

と乙女に訊いた。

「──坐ってたよ」

 そして、おっかないことでも云うように乙女は一段と声をひそめた。

祖父じっちゃん、ぼけてしまったんであるまいか──」

 勉は返事しなかった。そうやって頑固に坐って、祖父ちゃんは自分の暮しぶりを観察している。そのことを勉は感じた。本当に自分が働き出さねばならないか、さほどでないのか、見ているような貞之助の黙りこくった気分が、勉に苦々しく映っているのであった。

 毎日、五時頃になるとダラダラ坂の下の通りにあるラジオ屋の前へ出かけてゆき、職業紹介の放送をきいたり、少年らしい赤い頬に青いシェードの灯かげをうけながら、長いこと飾窓に眺め入っていた勇が、一ヵ月ほどして、京橋の方にある会社の給仕に雇われるようになった。二ヵ月払い五円二十銭の古自転車を勉が見つけて来てやった。勇は嬉しそうにそのペタルを踏んで通い、夜帰って来ると、

「今度の会社、でかいよ。僕らぐらいの給仕が五人もいるよ」

 A市の銀行の小ささがわかったという風に口をとがらして云った。

「だけんど──皆がおらこと」

といつか国言葉に戻り、

「チビの癖して、しわん坊だからやだなア」

 その会社では給仕仲間で、互に奢りっこが流行はやっていた。勇は奢られて食べるが、奢りかえせないのでそう云われるのだった。祖母ちゃんがつかみ針でミツ子の附紐をつけ直しながら、

「──そんだら、勇、くわねばいいのに──」

と心配げに云った。勉が珍しく早めにかえって机に向い仕事をしていた。

「そんなこと気にすることはいらんよ」

 大きい口元を動かし、やさしく、励ますように云った。

「勇は、家をすけてるんだから、無駄銭つかえないからって、威張っていいんだゾ」

 兄貴に似て、色白く、ずんぐりだが口元は小ぢんまりしている勇は、抗弁もしないが、賛成もせず、長まって月おくれの「子供の科学」をめくりはじめた。こんな場合乙女は祖父ちゃんにも一言何とか云って貰いたかった。然し、祖父ちゃんは、黙って坐り、煙草をふかしているのであった。

 ところが、この祖父ちゃんも遂に他人にまざってものを喋り、馴れぬ東京の街を歩きまわらねばならないことが起って来た。A市にいた時分からよく寝ることのあったアヤが大分手のこんだ結核性の腹膜炎で病院に入れなければならなくなったのである。

 勉はその頃仕事のいそがしさと身辺の事情から家に毎晩かえるということが出来なかった。乙女が、祖父ちゃんの下駄をそろえて三河島の伯父のところへやった。年はおつかつだが貞之助の伯父に当る勘吉は十何年来町役場の書記を勤め、東京にあるたった一軒の親戚であった。勇の月給十七円の中から返す約束で当座医者へ払う金をかり、役場の手づるでアヤを方面委員の手で療治させよう。やっとその智慧を搾り当てたのであった。

 勘吉の三度目の女房のお石が、二三日すると、貞之助に印をおさせるために借金証書をもって、やって来た。

 お石は、障子のやぶれた上り口を入るなり、

「田舎もんは仕様がないもんだねえ。家の片づけようもろくそっぽ知りゃしないんだねえ」

 大仰に、色足袋を爪立てて、さもきたなそうに袂をかき合わせ、ただ一枚の座布団に坐り、ジロジロ臥ている病人のアヤやそのあたりを見廻した。そして、叮嚀ていねいたすきをとって半白の頭を下げる祖母ちゃんに向い、

「御方便なもんですよ、ね、ふだんは出入りもしないどいて、金のいるときだけ役に立つのも、親戚だからさ。へえ、これに一つ、印して下さい」

 乙女は、眉をつり上げるばかりか、痩せた両肩までをつり上げたような恰好で、ミツ子をおんぶい、お石の出す銭を握り、十銭の焼酎とあげもの五銭を買いに出た。勉は、この酌婦あがりで、近所でも評判の伯母夫婦とは何年も行き来せずに暮して来たのである。

 乙女が、一合ぐらい入りそうな空ビンをおんぶした手にもって出ようとすると、お石が、

「ちょいと、このとったら! それで買いにいくつもりかい?」

 たとえ買うのは一合でも四合入るうつわをもって行かなければ、一合より少くしか売ってよこさない。お石の世渡りは万事この調子なのであった。

 ミツ子が、目を皿のようにしてチャブ台の前に釘づけになり、揚げものにさわるぐらい近くへ手をのばして指さし、

「あれ、くいて かあちゃん、あれ、くいて

とせびった。お石は、女の子がイーをするときのように下唇を突出し、

「これ、くいて! か?」

と口真似をしながら、にくしみの現れた眼でミツ子を眺め自分ひとり焼酎をのんでは、揚げものを突ついた。

 信心がないから、貧乏するし、病人が出る。赤い息子なんぞ出来るのだ。そういうことを肴に、十銭分の焼酎をのみきると、おくびをしながら、帯の間のガマ口から、また十銭玉一つ出して買い足さした。亭主がつとめからひける刻限までお石は二三遍、十銭の焼酎を買いにやるのであった。

 お石がやっとのことで帰った後、貞之助はもう一度勉の机の引出しから三十円の借金証文をとり出して来た。打ちかえしそれを眺め、再び仕舞いに立ちながら、

「──貧乏はついてまわるなあ」

 それは祖父ちゃんが東京へ出てから初めて乙女の聞く沁々した調子であった。

「金があれば、あんげだし……」

「だから、にっちゃんがいつも云うとおりだろ?」

 乙女は、お石のような女を出入りさせるくちおしさと、祖父ちゃんの心持が変って来たらしい期待とで、口の中が乾いたような声で云った。

「世の中が別なようになれば、アヤだって安心して養生しれるんだよ」

 ソヴェト同盟では、区にそれぞれ無料の病院があって療治をしてくれることなどを、乙女は祖父ちゃんにこまごまと、唇をなめなめ話してきかせた。「ソヴェトの友」のグラフなど、A市に一家がいた時分から勉が送ってやっていた。貞之助はこれ迄どう思ってそれを見ていたかしらないが、その日は乙女の云うことを凝っと聞いた。夜、祖母ちゃんに、

「おやきの道具、あんげなものでも売らねばよかったナ」

 そう云っている祖父ちゃんの声がきこえた。


        三


 寝しずまったアスファルトの大通りから、ガソリン屋について左へ左へと曲り、家並のまばらな新開地へ出ると、月は急に高く冴え冴えと、乙女の小さい影を地べたに落した。

 遠く、近く欅の木立が月の光のとけこんだ靄につつまれ、空には、軽い白い雲が浮んでいる。まわりに大きく暈をかけた曇りない月を見ながら歩いて行くと、乙女は月の光の隈なくふりそそぐ微妙な音を、自分の裾や草履の跫音あしおとだけがかき乱しているように感じた。そんな時間に独り歩くのは淋しく、こわかった。が、せめてこういう路でも歩いているうちに、新宿へ女給見習に通っている乙女はやっと人心地にかえるのであった。

 アヤは方面委員の世話で慈恵病院に入ったが、附添はこっち持ちで、そのための交通費がいったし、祖父ちゃんがもって行く弁当にうちで皆のたべているスイトンをあてがうわけには行かなかった。

 お石が、出入りするようになってから賃仕事を持って来て、祖母ちゃんと乙女とに稼がせた。木綿物一枚二十五銭で、糸はこっちで持つのである。けれども、この賃仕事は弁口のうまく立たない二人の女にとって何か恐ろしい仕事であった。きちんと約束の日早めに二十五銭もってお石がやって来た。

「へえ、ここへおきますよ。お使者を立てて、いながらのお仕事だから、御身分のいい方は違ったもんだね」

 最後の糸を、祖母ちゃんが歯でかみ切り、縁ばたに出て仕立上った着物を、パタパタとはらうと、例によって焼酎をのみながら待っていたお石がすぐ、

「どれ?」

と検査した。自分で癇癖そうに畳みつけて、暫く敷き圧しをした。そして、帰りしな、仕立物の風呂敷を抱えて立ち上ると、片手を祖母ちゃんの、時には乙女の腺病質らしい鳩胸の前へさしつけ、

「おかず買ってかえるから二十銭おくれ」

 お石は睫一つ動かさずぴったり顔を見据えてそう云うのであった。あまりのことにこちらはゴクリと思わず唾をのむ。対手に圧されてことわる言葉も出ないうち、むざむざとそこにある小銭の中から二十銭というものをとられてしまうのであった。

 乙女がカフェー働きの決心をしたには一日も早くこの鬼をのがれるためと、他にもう一つ原因があった。

 勉が安全に活動をつづけて行くためには、家をはなれ、よそに室を借りる必要が迫っていた。

 最近も雑誌が製本屋へ廻ったとき狙われはじめたことがわかったので、勉は機会をうかがい敏速に数百部の雑誌を運び出してしまった。急のことで発送する場所がない。円タクを盲滅法に市外まで走らせて、或る雑木林へその荷物をかつぎ込んだ。ちょうど土曜日のひる過のことであった。勉が重い荷物でよろめきながら、麗らかな陽のさしとおす欅やクヌギの間を林の奥へ奥へとわけて行くと、不意に芝草の生えた狭い平地へ出てしまった。草の上に、三人若い学生が寝ころがって喋っている。むこうもこっちもびっくりした。学生は一時に話をやめ、一人は起き上ってソフトをかぶり、大きい口をキと結んで荷物を下げている小男の勉を眺めた。

 引かえすわけにも行かず、勉はそのまま進んで再び平地のうしろに続いている樹の茂みにわけ入った。いい加減のところで腹をきめ用意の紐や紙をとり出して、包装をはじめた。暫くやっていると、学生たちのいる平地の方角から、高く口笛が響いて来た。勉などの知らないジャズの節であった。が、勉はとっさにその調子のせわしい口笛が自分に向って吹かれていること、そして、警戒を意味していることを直覚した。雑誌を草で被い、カラーのところや裾の切れた外套をその上にぶっかけ、立小便をするような姿勢できき耳を立てた。

 小枝を踏み折って二三人の跫音と女の笑い声がだんだん近づいた。平地のところまで来ると、迷っている風であったが、左の方へそれて、やがて跫音も賑やかな女の声も勉のところからは聞えなくなった。

 仕事がすむまで二時間ばかりかかった。その間に、学生達はもう一度口笛で、その雑木林へ人が入って来ることを勉に知らせたのであった。

 勉は、その晩乙女に感動をもって、この若い学生達の示した支持について話してきかせた。部屋のいることをも、そのとき話したのである。

 髪にウェーヴをかけたため、面変りして見える乙女が、夜更けてかえるときっと一度は勉のテーブルの横へ立ち、気疲れで乾いた唇をなめなめ低い声でその日「麗人座」での出来事を話した。

「赤旗の歌なんか唄う民主主義者も来るよ。手っ頸の傷を女給にみして、拷問の跡だって威張ってた」

「──ふうむ」

「あたい癪だった──皆そんなんかと思うだろうと思ってさ」

 祖父じっちゃん祖母ばっちゃんが来て暮すようになってから、すっかり睡眠不足になった勉は、頻繁に耳のうしろの傷を押えながら、むっつりして乙女の云うことを聞くだけで、自分から決してカフェーの模様など訊こうとしなかった。

 乙女が少し立てつづけて喋ったりすると、不機嫌に、

「もういい。ねれ」

と云った。勉はカフェーの女給と乙女とを結びつけて感じることに馴れ得ないのであった。

 では、乙女がそういう稼ぎにいくらかでも向いたかと云えば、どうして、勉が、或は乙女自身が考えているよりもっと、女給らしくもない妙な女給であった。

 乙女の持番の客が来る。ボックスにどっかり腰かけ、

「さて、カクテールでも貰おうか」

 すると、わきに立って眉をつり上げ、眼じろぎもせず註文を待っていた乙女が、

「カクテール一杯ね」

 必ず念を入れて繰返し、自分自身に向って合点合点をしながら、眉をつり上げて去って、註文されたものを運んで来る。

 客が、手を出して、乙女の体にさわろうとでもすると、乙女は、器用にはぐらかすことも口で賑やかに応酬することも出来ず、手など握られたまま、も立てず体をちぢめ、高く高く二つの眉をつり上げた。美しいところのある乙女の顔は急にまたびっくりした野兎のように必死な表情になった。客は思いがけない変化に、馬鹿らしいような、照れたような気になり覚えず真顔にかえって手を離し、やがて、

「!」

 舌打ちをするのであった。

 見習期間を入れて二十日ばかり働くと、乙女は「麗人座」をクビになった。いつまでたってもサービスを覚えないからと云うのである。

 勉が寝床の中へまで本をもって入りながら、

「サービスって、みんなどんなことをやるんだ?」

と、はじめてそのときになってきいた。

「──わかんない!」

 ウェーヴをかけた頭をふって、乙女は悄気しょげた。

「わかんない!」と力をこめた云いかたが勉に四年前の乙女と自分とを思い起させた。

 硝子障子のところに「豚肉アリマス」と書いた紙を貼り出した肉屋が、A市の端れにあり、乙女はそこの娘であった。勉の従弟が重い眼病で、A市の眼科に入院したとき、その病院の手伝いとして乙女が働いていた。二人は段々口をきくようになり、郵便局に勤めていた勉は、「戦旗」などをかしてよました。乙女は小学を出たばかりだが、注意深く興味を示して読んだ。いろいろ本をかりて読み、或るとき、何と思いちがいしたかマルクスの「資本論」をかしてくれと云った。五日ばかりすると、まだ下げ髪にしていた乙女が、小鼻に汗の粒を出してその本を患者の室へ返しに来た。

「──わかった?」

 勉が、つい特長ある口元をゆるめ笑顔になって訊いた。そのとき乙女は、額からとび抜けそうに長い眉をつり上げ、二人とも小柄ながら、乙女よりは三四寸上にある勉の顔を見上げて、

「──わかんない!」

 力をこめ首をふって、今云ったように云ったのであった。

 勉は忘れていたが、二人がいよいよ結婚するとき、勉は牛や馬を貰うのではないから「のし紙」など親にやるに及ばぬと頑ばり、乙女の母親は、牛や馬でないからこそせめて「のし紙」一枚なりと親から出して貰いたいと泣いた。乙女は、いけないと云うなら、家を逃げ出すまでだと云って、もう東京に出ていた勉のところへ来たのであった。


 自分もいやだし、いやに思っているが仕方なく黙っている勉の気持をも察し、気苦労して乙女がとった金は、勉の室をかりると、あと十円お石の借金に入れられただけであった。

 勉を引越さすことが出来、乙女がほっとする間もなくお石への借金は倍にかさむことになった。アヤが死んだ。葬式の金がなかった。小祝の一家のために、ほかの誰から融通が利こう。

 祖父ちゃんとミツ子を紐でおんぶった祖母ちゃんとが、火葬場からアヤのお骨をひろってかえって来た。

 祖母ちゃんは、戸棚の奥へ風呂敷包みをつみかえ、前の方だけあけ、そこへ水色の富士絹の風呂敷をひろげてアヤのお骨壺をのせた。

 乙女が今度通いはじめた郊外のけちなカフェーから早番でかえって来ると、祖母ちゃんはミツ子の足をだらりとたらしておんぶったままその前に坐って、

「──もう赤いきれっこも、いらねようになった……」

 静かにそう云い、お骨壺から目をはなさず、

「ハあ……」

と溜息をついた。勇がかえって来て突立ったまま、見馴れなそうに、ばつ悪そうにアヤの骨壺を見た。それから、ピョコンと頭を下げて礼をした。

 泣く者は誰もなかった。ミツ子は両肩の間に圧し込んだようなおかっぱを乙女の方にふり向けて幾度も、

「お! お!」

 食いものでないのが残念という風に骨壺をよごれた指で指さした。

 アヤの骨をどこへ埋めるにも、どの寺へ預けるにも、今や祖父ちゃん祖母ちゃんには故郷というものがなかった。──

 居据ったような上京当時からの貞之助の態度が、次第に失われはじめた。乙女はそれを、祖父ちゃんの坐り工合からさえ何となく感じた。

 新しく借金がふえてから、お石は三日にあげずやって来た。勉はこの頃家へよりつかないらしいがどうしているかだの、乙女の出ているカフエはどこかだの詮索するときいて、乙女は、

祖母ばっちゃん、気いつけな」

 瞼に力を入れ、真剣に云った。

「何されっかしんないよ」

 金になることなら何でもしかねない。自分のいるカフェーへ押しかけて来る位ならまだましだ。そう思って乙女はお石に恐怖を感じた。そのとき、祖母ちゃんは、わかったような、分らないような工合で、

「そうだなあ」

と答えていたが、寝てから考えたと見え、次の朝、台所のバケツで乙女が勉のシャツを洗っていると、わきへ来て洗濯ものをかき廻そうとするミツ子をおさえながら、

「──伯母おんばは、きのう来たとき、乙女も赤の手つだいしているんだろと、云っておった」

と報告するように告げた。

「ほーれ、見な! 祖母ちゃん何て云った?」

「──カフエに出ておるもん、カフエに出ておると云ったけんどさ」

 乙女は、自分のいない留守を心配し、

「祖父ちゃんにもようく云っときな、ねえ」

と注意した。この頃、貞之助は天気がよければ古い乳母車を押して、子供対手の駄菓子を売りに歩いていた。

 夕方、およそ勇とかつかつの時刻に家の近くまで戻って来ると、祖父ちゃんは用心して裏の露路から空身からみで入り、お石のいないのを確かめて表へ乳母車を押してまわった。一度かち合って、貞之助は細い売り上げの中からお石に十銭とられた。もう懲りているのであった。

 格子がガラリとあき、続いて乳母車の前輪を持ち上げて敷居を跨がす音がすると、ミツ子はどこからかそれをききつけ、抜からずころがり出して来た。

「お! お! じっちゃん!」

 強情そうな小さい額を剽軽ひょうげた悦びの表情でつり上げ、

「かしくいて!」

 小さい足をとんび脚に坐って四角い風呂敷包みに黒い両手をかけた。

「これ、祖父ちゃんがあがってかららえ」

「いやーン! これ、あたいんちのよゥ……」

 祖父ちゃんは黙って上りがまちに腰かけ、砂糖のかかったビスケットを一つ二つミツ子の手に握らした。ミツ子は、上眼で一人一人祖父ちゃんから、祖母ちゃんへと眺めながら、出来るだけの速さで一どきにそれを頬ばる。──

 台所での問答があってから、五六日後のことであった。十時頃乙女が、ひどいときは三日に一度ぐらいしか番のまわって来ない「すずらん」に坐っている間に編んだレースの内職を届け、六十銭ばかり貰って坂をぶらぶら中途まであがって来ると、むこうの方からおまわりがやって来た。片側は杉苗の畑で、道は一本である。ゆっくりのぼって来ながら乙女が見ていると、そのおまわりは一軒ずつ表札を眺めて来て、小祝の紙切れを貼り出してある格子の前へ立った。あけて、入って、高い声で、

「こんちは──いませんか」

 呼んでいる。乙女の息は坂をのぼったためばかりでなくせわしくなって、思わず口をあけるようにしその辺を見廻したが、さり気なく二軒ばかり手前から曲って裏へまわった。

 折から、祖母ちゃんがバケツを出し洗濯ものを乾しかけてある。それをしぼり、竿にかけてひろげながら、物音たてず土間での応待をききすました。

「家族は、そうすると今のところ五人か?」

「さよでございます」

「その子は……ああ、ミツ子か」

 おまわりは、帖簿をくってでもいるらしく暫く黙っていたが、やがてガチャリと佩剣の音をさせて足をふみかえた。

「それで……息子の勉っていうのが行方不明なんだな?」

 乙女は、ミツ子の小さい桃色のズロースを握ったなり、耳の内がカーンとなるような気持である。祖母ちゃんは、いつものゆっくりした低い叮嚀な声で、

「へえ」

と答えている。

「どうして家出なんかしたんだね、子まであるのに──」

「…………」

「──放蕩かね」

「──まあ、そんなようなものでございます」

 乙女は肩に力を入れて俯向うつむいたまま思わずも笑いかけ、祖母ばっちゃん、でかした! 本当に乙女はそう思った。

 三十年来、貧乏をしつづけながら、祖父ちゃんは自分ひとりでは飯もたけないままを押しとおしてどうやら勇も小学を出し今日まで暮して来た。いつか勉が、祖父ちゃんは祖母ちゃんで持っているのだと云った。こういう場合に、乙女は祖母ちゃんのその一生懸命な気働きを感じるのであった。

 数日の間、乙女は「すずらん」の緑や赤の埃っぽい色電気の下でも、ふと「放蕩かね?」「──まあそんなようなものでございます」という二つの声をまざまざと思い起した。だが一度、一度と思い起すたびに、それに絡んでくる乙女の感情は複雑になった。

 勉が放蕩をするような男とは反対の性の男であることが、おまわりとの会話を何とも云えずおかしく妻としての乙女には寧ろ愉快にさえ感じさせたのだが、勉のその確かりした気質について真面目に思いすすめると、乙女は自分と勉とのつながりについてこれまでになく深いものを感じた。

 急な情勢の必要から、勉は乙女があれこれ考える暇もなくよそに住むようになった。勉は放蕩から自分をすてる男でない。今まではそこまでしか考えのうちになかった。が、自分が運動についてゆけなければ勉は自分を妻にしては置かないであろう。今では、動かし難くはっきり乙女にそのことが会得された。万一そういうとき、それでもと勉にからみ、恥かしい目を見せることは乙女にとても出来なく思われた。プロレタリアの運動の価うちと勉のねうちがいつしか身にしみこみすぎている。乙女は、それらのことを考え、勉が家を出てから初めて、枕の上に顔を仰向けたままミツ子を抱いて永いこと睡らなかった。

 もうセルの時候であった。

 明るい、細い雨がよく降った。雨ふりだと、しっとり濡れた前の杉苗畑から、若々しい杉の樹脂の香いが微かに漂って来て戸棚にアヤの骨壺がしまってある二間の家の縁ばたに匂った。

 おそ番の日で、乙女が勉のテーブルに向い本を読んでいた。こんな天気で商いに出られない祖父ちゃんが長いことかかって新聞をよんでいたが、やがて、

「おウ」

 火のない煙管を口からはなして乙女をよんだ。

「こんげにつらまっても、かまわぬものか?」

 乙女は何事かと思い、

「どれ?」

 立って行って新聞をのぞいた。三面の隅に、江東の職業紹介所で全協の労働者が二人あげられたことが数行出ているのであった。

 祖父ちゃんの新聞のよみかたが違って来た。乙女はそれを最近につよく感じた。却って勇なんぞの訊かないことを、この頃祖父ちゃんの方が訊いた。祖父ちゃんは、黙って乙女のたどたどしい説明をきいていたが、暫くして咳払いをし、棒をつき出すように、

「──駄菓子売の組合はねのか」

と云った。乙女は、何だかどぎまぎして、眉をつり上げた。

「──知んないね」

 また暫くだまりこみ、祖父ちゃんは煙管をかんでいたが、その煙管をとると力を入れて灰ふきをたたき、云った。

「早く勉のいうような世の中になんねば困る!」

 それは、俺が困るという調子ではあったが、乙女は祖父ちゃんのこれは大きい発展であると感じた。

「んだからさ、祖父ちゃん、いつかみたよなこと云うもんでないてよ、ねエ」

 一ヵ月ばかり前、勉が着ていた冬外套を乾したとき、ぼろぼろになっているのを貞之助がひっくりかえして見、

「──男が、三十近くんもなって、東京さいて、こげえなもん着て歩かねばなんねえとは──甲斐性がね」

と云い、乙女が思わずかっとなってあらそった。そのことを云っているのであった。

 祖父ちゃんは、しとしと雨のふっている外へ向ってゆっくり煙草の煙をはきながら、黙って膝をゆすった。

 乙女は間もなくからみつくミツ子を祖母ちゃんにだまさせながら着換えに立った。帯を結ぶ間も、大きい雨洋傘あまがさを背広の小柄な体の上にさし、口を結び、こつこつと歩いて行く勉の姿が乙女に見えるような心地であった。

底本:「宮本百合子全集 第四巻」新日本出版社

   1979(昭和54)年920日初版発行

   1986(昭和61)年320日第5刷発行

底本の親本:「宮本百合子全集 第四巻」河出書房

   1951(昭和26)年12月発行

初出:「文芸」

   1934(昭和9)年1月号

入力:柴田卓治

校正:松永正敏

2002年422日作成

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