貝の火
宮沢賢治
|
今は兎たちは、みんなみじかい茶色の着物です。
野原の草はきらきら光り、あちこちの樺の木は白い花をつけました。
実に野原はいいにおいでいっぱいです。
子兎のホモイは、悦んでぴんぴん踊りながら申しました。
「ふん、いいにおいだなあ。うまいぞ、うまいぞ、鈴蘭なんかまるでパリパリだ」
風が来たので鈴蘭は、葉や花を互いにぶっつけて、しゃりんしゃりんと鳴りました。
ホモイはもううれしくて、息もつかずにぴょんぴょん草の上をかけ出しました。
それからホモイはちょっと立ちどまって、腕を組んでほくほくしながら、
「まるで僕は川の波の上で芸当をしているようだぞ」と言いました。
本当にホモイは、いつか小さな流れの岸まで来ておりました。
そこには冷たい水がこぼんこぼんと音をたて、底の砂がピカピカ光っています。
ホモイはちょっと頭を曲げて、
「この川を向こうへ跳び越えてやろうかな。なあに訳ないさ。けれども川の向こう側は、どうも草が悪いからね」とひとりごとを言いました。
すると不意に流れの上の方から、
「ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ、ブルルル、ピイ、ピイ、ピイ、ピイ」とけたたましい声がして、うす黒いもじゃもじゃした鳥のような形のものが、ばたばたばたばたもがきながら、流れて参りました。
ホモイは急いで岸にかけよって、じっと待ちかまえました。
流されるのは、たしかにやせたひばりの子供です。ホモイはいきなり水の中に飛び込んで、前あしでしっかりそれをつかまえました。
するとそのひばりの子供は、いよいよびっくりして、黄色なくちばしを大きくあけて、まるでホモイのお耳もつんぼになるくらい鳴くのです。
ホモイはあわてて一生けん命、あとあしで水をけりました。そして、
「大丈夫さ、 大丈夫さ」と言いながら、その子の顔を見ますと、ホモイはぎょっとしてあぶなく手をはなしそうになりました。それは顔じゅうしわだらけで、くちばしが大きくて、おまけにどこかとかげに似ているのです。
けれどもこの強い兎の子は、決してその手をはなしませんでした。怖ろしさに口をへの字にしながらも、それをしっかりおさえて、高く水の上にさしあげたのです。
そして二人は、どんどん流されました。ホモイは二度ほど波をかぶったので、水をよほどのみました。それでもその鳥の子ははなしませんでした。
するとちょうど、小流れの曲がりかどに、一本の小さな楊の枝が出て、水をピチャピチャたたいておりました。
ホモイはいきなりその枝に、青い皮の見えるくらい深くかみつきました。そして力いっぱいにひばりの子を岸の柔らかな草の上に投げあげて、自分も一とびにはね上がりました。
ひばりの子は草の上に倒れて、目を白くしてガタガタ顫えています。
ホモイも疲れでよろよろしましたが、無理にこらえて、楊の白い花をむしって来て、ひばりの子にかぶせてやりました。ひばりの子は、ありがとうと言うようにその鼠色の顔をあげました。
ホモイはそれを見るとぞっとして、いきなり跳び退きました。そして声をたてて逃げました。
その時、空からヒュウと矢のように降りて来たものがあります。ホモイは立ちどまって、ふりかえって見ると、それは母親のひばりでした。母親のひばりは、物も言えずにぶるぶる顫えながら、子供のひばりを強く強く抱いてやりました。
ホモイはもう大丈夫と思ったので、いちもくさんにおとうさんのお家へ走って帰りました。
兎のお母さんは、ちょうど、お家で白い草の束をそろえておりましたが、ホモイを見てびっくりしました。そして、
「おや、どうかしたのかい。たいへん顔色が悪いよ」と言いながら棚から薬の箱をおろしました。
「おっかさん、僕ね、もじゃもじゃの鳥の子のおぼれるのを助けたんです」とホモイが言いました。
兎のお母さんは箱から万能散を一服出してホモイに渡して、
「もじゃもじゃの鳥の子って、ひばりかい」と尋ねました。
ホモイは薬を受けとって、
「たぶんひばりでしょう。ああ頭がぐるぐるする。おっかさん、まわりが変に見えるよ」と言いながら、そのままバッタリ倒れてしまいました。ひどい熱病にかかったのです。
*
ホモイが、おとうさんやおっかさんや、兎のお医者さんのおかげで、すっかりよくなったのは、鈴蘭にみんな青い実ができたころでした。
ホモイは、ある雲のない静かな晩、はじめてうちからちょっと出てみました。
南の空を、赤い星がしきりにななめに走りました。ホモイはうっとりそれを見とれました。すると不意に、空でブルルッとはねの音がして、二疋の小鳥が降りて参りました。
大きい方は、まるい赤い光るものを大事そうに草におろして、うやうやしく手をついて申しました。
「ホモイさま。あなたさまは私ども親子の大恩人でございます」
ホモイは、その赤いものの光で、よくその顔を見て言いました。
「あなた方は先頃のひばりさんですか」
母親のひばりは、
「さようでございます。先日はまことにありがとうございました。せがれの命をお助けくださいましてまことにありがとう存じます。あなた様はそのために、ご病気にさえおなりになったとの事でございましたが、もうおよろしゅうございますか」
親子のひばりは、たくさんおじぎをしてまた申しました。
「私どもは毎日この辺を飛びめぐりまして、あなたさまの外へお出なさいますのをお待ちいたしておりました。これは私どもの王からの贈物でございます」と言ながら、ひばりはさっきの赤い光るものをホモイの前に出して、薄いうすいけむりのようなはんけちを解きました。それはとちの実ぐらいあるまんまるの玉で、中では赤い火がちらちら燃えているのです。
ひばりの母親がまた申しました。
「これは貝の火という宝珠でございます。王さまのお言伝ではあなた様のお手入れしだいで、この珠はどんなにでも立派になると申します。どうかお納めをねがいます」
ホモイは笑って言いました。
「ひばりさん、僕はこんなものいりませんよ。持って行ってください。たいへんきれいなもんですから、見るだけでたくさんです。見たくなったら、またあなたの所へ行きましょう」
ひばりが申しました。
「いいえ。それはどうかお納めをねがいます。私どもの王からの贈物でございますから。お納めくださらないと、また私はせがれと二人で切腹をしないとなりません。さ、せがれ。お暇をして。さ。おじぎ。ご免くださいませ」
そしてひばりの親子は二、三遍お辞儀をして、あわてて飛んで行ってしまいました。
ホモイは玉を取りあげて見ました。玉は赤や黄の焔をあげて、せわしくせわしく燃えているように見えますが、実はやはり冷たく美しく澄んでいるのです。目にあてて空にすかして見ると、もう焔はなく、天の川が奇麗にすきとおっています。目からはなすと、またちらりちらり美しい火が燃えだします。
ホモイはそっと玉をささげて、おうちへはいりました。そしてすぐお父さんに見せました。すると兎のお父さんが玉を手にとって、めがねをはずしてよく調べてから申しました。
「これは有名な貝の火という宝物だ。これは大変な玉だぞ。これをこのまま一生満足に持っている事のできたものは今までに鳥に二人魚に一人あっただけだという話だ。お前はよく気をつけて光をなくさないようにするんだぞ」
ホモイが申しました。
「それは大丈夫ですよ。僕は決してなくしませんよ。そんなようなことは、ひばりも言っていました。僕は毎日百遍ずつ息をふきかけて百遍ずつ紅雀の毛でみがいてやりましょう」
兎のおっかさんも、玉を手にとってよくよくながめました。そして言いました。
「この玉はたいへん損じやすいという事です。けれども、また亡くなった鷲の大臣が持っていた時は、大噴火があって大臣が鳥の避難のために、あちこちさしずをして歩いている間に、この玉が山ほどある石に打たれたり、まっかな熔岩に流されたりしても、いっこうきずも曇りもつかないでかえって前よりも美しくなったという話ですよ」
兎のおとうさんが申しました。
「そうだ。それは名高いはなしだ。お前もきっと鷲の大臣のような名高い人になるだろう。よくいじわるなんかしないように気をつけないといけないぞ」
ホモイはつかれてねむくなりました。そして自分のお床にコロリと横になって言いました。
「大丈夫だよ。僕なんかきっと立派にやるよ。玉は僕持って寝るんだからください」
兎のおっかさんは玉を渡しました。ホモイはそれを胸にあててすぐねむってしまいました。
その晩の夢の奇麗なことは、黄や緑の火が空で燃えたり、野原が一面黄金の草に変ったり、たくさんの小さな風車が蜂のようにかすかにうなって空中を飛んであるいたり、仁義をそなえた鷲の大臣が、銀色のマントをきらきら波立てて野原を見まわったり、ホモイはうれしさに何遍も、
「ホウ。やってるぞ、やってるぞ」と声をあげたくらいです。
*
あくる朝、ホモイは七時ごろ目をさまして、まず第一に玉を見ました。玉の美しいことは、昨夜よりもっとです。ホモイは玉をのぞいて、ひとりごとを言いました。
「見える、見える。あそこが噴火口だ。そら火をふいた。ふいたぞ。おもしろいな。まるで花火だ。おや、おや、おや、火がもくもく湧いている。二つにわかれた。奇麗だな。火花だ。火花だ。まるでいなずまだ。そら流れ出したぞ。すっかり黄金色になってしまった。うまいぞ、うまいぞ。そらまた火をふいた」
おとうさんはもう外へ出ていました。おっかさんがにこにこして、おいしい白い草の根や青いばらの実を持って来て言いました。
「さあ早くおかおを洗って、今日は少し運動をするんですよ。どれちょっとお見せ。まあ本当に奇麗だね。お前がおかおを洗っている間おっかさんが見ていてもいいかい」
ホモイが言いました。
「いいとも。これはうちの宝物なんだから、おっかさんのだよ」そしてホモイは立って家の入り口の鈴蘭の葉さきから、大粒の露を六つほど取ってすっかりお顔を洗いました。
ホモイはごはんがすんでから、玉へ百遍息をふきかけ、それから百遍紅雀の毛でみがきました。そしてたいせつに紅雀のむな毛につつんで、今まで兎の遠めがねを入れておいた瑪瑙の箱にしまってお母さんにあずけました。そして外に出ました。
風が吹いて草の露がバラバラとこぼれます。つりがねそうが朝の鐘を、
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と鳴らしています。
ホモイはぴょんぴょん跳んで樺の木の下に行きました。
すると向こうから、年をとった野馬がやって参りました。ホモイは少し怖くなって戻ろうとしますと、馬はていねいにおじぎをして言いました。
「あなたはホモイさまでござりますか。こんど貝の火がお前さまに参られましたそうで実に祝着に存じまする。あの玉がこの前獣の方に参りましてからもう千二百年たっていると申しまする。いや、実に私めも今朝そのおはなしを承わりまして、涙を流してござります」馬はボロボロ泣きだしました。
ホモイはあきれていましたが、馬があんまり泣くものですから、ついつりこまれてちょっと鼻がせらせらしました。馬は風呂敷ぐらいある浅黄のはんけちを出して涙をふいて申しました。
「あなた様は私どもの恩人でございます。どうかくれぐれもおからだを大事になされてくだされませ」そして馬はていねいにおじぎをして向こうへ歩いて行きました。
ホモイはなんだかうれしいようなおかしいような気がしてぼんやり考えながら、にわとこの木の影に行きました。するとそこに若い二疋の栗鼠が、仲よく白いお餠をたべておりましたがホモイの来たのを見ると、びっくりして立ちあがって急いできもののえりを直し、目を白黒くして餠をのみ込もうとしたりしました。
ホモイはいつものように、
「りすさん。お早う」とあいさつをしましたが、りすは二疋とも堅くなってしまって、いっこうことばも出ませんでした。ホモイはあわてて、
「りすさん。今日もいっしょにどこか遊びに行きませんか」と言いますと、りすはとんでもないと言うように目をまん円にして顔を見合わせて、それからいきなり向こうを向いて一生けん命逃げて行ってしまいました。
ホモイはあきれてしまいました。そして顔色を変えてうちへ戻って来て、
「おっかさん。なんだかみんな変なぐあいですよ。りすさんなんか、もう僕を仲間はずれにしましたよ」と言いますと兎のおっかさんが笑って答えました。
「それはそうですよ。お前はもう立派な人になったんだから、りすなんか恥ずかしいのです。ですからよく気をつけてあとで笑われないようにするんですよ」
ホモイが言いました。
「おっかさん。それは大丈夫ですよ。それなら僕はもう大将になったんですか」
おっかさんもうれしそうに、
「まあそうです」と申しました。
ホモイが悦んで踊りあがりました。
「うまいぞ。うまいぞ。もうみんな僕のてしたなんだ。狐なんかもうこわくもなんともないや。おっかさん。僕ね、りすさんを少将にするよ。馬はね、馬は大佐にしてやろうと思うんです」
おっかさんが笑いながら、
「そうだね、けれどもあんまりいばるんじゃありませんよ」と申しました。
ホモイは、
「大丈夫ですよ。おっかさん、僕ちょっと外へ行って来ます」と言ったままぴょんと野原へ飛び出しました。するとすぐ目の前をいじわるの狐が風のように走って行きます。
ホモイはぶるぶる顫えながら思い切って叫んでみました。
「待て。狐。僕は大将だぞ」
狐がびっくりしてふり向いて顔色を変えて申しました。
「へい。存じております。へい、へい。何かご用でございますか」
ホモイができるくらい威勢よく言いました。
「お前はずいぶん僕をいじめたな。今度は僕のけらいだぞ」
狐は卒倒しそうになって、頭に手をあげて答えました。
「へい、お申し訳もございません。どうかお赦しをねがいます」
ホモイはうれしさにわくわくしました。
「特別に許してやろう。お前を少尉にする。よく働いてくれ」
狐が悦んで四遍ばかり廻りました。
「へいへい。ありがとう存じます。どんな事でもいたします。少しとうもろこしを盗んで参りましょうか」
ホモイが申しました。
「いや、それは悪いことだ。そんなことをしてはならん」
狐は頭を掻いて申しました。
「へいへい。これからは決していたしません。なんでもおいいつけを待っていたします」
ホモイは言いました。
「そうだ。用があったら呼ぶからあっちへ行っておいで」狐はくるくるまわっておじぎをして向こうへ行ってしまいました。
ホモイはうれしくてたまりません。野原を行ったり来たりひとりごとを言ったり、笑ったりさまざまの楽しいことを考えているうちに、もうお日様が砕けた鏡のように樺の木の向こうに落ちましたので、ホモイも急いでおうちに帰りました。
兎のおとうさまももう帰っていて、その晩は様々のご馳走がありました。ホモイはその晩も美しい夢を見ました。
*
次の日ホモイは、お母さんに言いつけられて笊を持って野原に出て、鈴蘭の実を集めながらひとりごとを言いました。
「ふん、大将が鈴蘭の実を集めるなんておかしいや。誰かに見つけられたらきっと笑われるばかりだ。狐が来るといいがなあ」
すると足の下がなんだかもくもくしました。見るとむぐらが土をくぐってだんだん向こうへ行こうとします。ホモイは叫びました。
「むぐら、むぐら、むぐらもち、お前は僕の偉くなったことを知ってるかい」
むぐらが土の中で言いました。
「ホモイさんでいらっしゃいますか。よく存じております」
ホモイは大いばりで言いました。
「そうか。そんならいいがね。僕、お前を軍曹にするよ。そのかわり少し働いてくれないかい」
むぐらはびくびくして尋ねました。
「へいどんなことでございますか」
ホモイがいきなり、
「鈴蘭の実を集めておくれ」と言いました。
むぐらは土の中で冷汗をたらして頭をかきながら、
「さあまことに恐れ入りますが私は明るい所の仕事はいっこう無調法でございます」と言いました。
ホモイはおこってしまって、
「そうかい。そんならいいよ。頼まないから。あとで見ておいで。ひどいよ」と叫びました。
むぐらは、
「どうかご免をねがいます。私は長くお日様を見ますと死んでしまいますので」としきりにおわびをします。
ホモイは足をばたばたして、
「いいよ。もういいよ。だまっておいで」と言いました。
その時向こうのにわとこの陰からりすが五疋ちょろちょろ出て参りました。そしてホモイの前にぴょこぴょこ頭を下げて申しました。
「ホモイさま、どうか私どもに鈴蘭の実をお採らせくださいませ」
ホモイが、
「いいとも。さあやってくれ。お前たちはみんな僕の少将だよ」
りすがきゃっきゃっ悦んで仕事にかかりました。
この時向こうから仔馬が六疋走って来てホモイの前にとまりました。その中のいちばん大きなのが、
「ホモイ様。私どもにも何かおいいつけをねがいます」と申しました。ホモイはすっかり悦んで、
「いいとも。お前たちはみんな僕の大佐にする。僕が呼んだら、きっとかけて来ておくれ」といいました。仔馬も悦んではねあがりました。
むぐらが土の中で泣きながら申しました。
「ホモイさま、どうか私にもできるようなことをおいいつけください。きっと立派にいたしますから」
ホモイはまだおこっていましたので、
「お前なんかいらないよ。今に狐が来たらお前たちの仲間をみんなひどい目にあわしてやるよ。見ておいで」と足ぶみをして言いました。
土の中ではひっそりとして声もなくなりました。
それからりすは、夕方までに鈴蘭の実をたくさん集めて、大騒ぎをしてホモイのうちへ運びました。
おっかさんが、その騒ぎにびっくりして出て見て言いました。
「おや、どうしたの、りすさん」
ホモイが横から口を出して、
「おっかさん。僕の腕まえをごらん。まだまだ僕はどんな事でもできるんですよ」と言いました。兎のお母さんは返事もなく黙って考えておりました。
するとちょうど兎のお父さんが戻って来て、その景色をじっと見てから申しました。
「ホモイ、お前は少し熱がありはしないか。むぐらをたいへんおどしたそうだな。むぐらの家では、もうみんなきちがいのようになって泣いてるよ。それにこんなにたくさんの実を全体誰がたべるのだ」
ホモイは泣きだしました。りすはしばらくきのどくそうに立って見ておりましたが、とうとうこそこそみんな逃げてしまいました。
兎のお父さんがまた申しました。
「お前はもうだめだ。貝の火を見てごらん。きっと曇ってしまっているから」
兎のおっかさんまでが泣いて、前かけで涙をそっとぬぐいながら、あの美しい玉のはいった瑪瑙の函を戸棚から取り出しました。
兎のおとうさんは函を受けとって蓋をひらいて驚きました。
珠は一昨日の晩よりも、もっともっと赤く、もっともっと速く燃えているのです。
みんなはうっとりみとれてしまいました。兎のおとうさんはだまって玉をホモイに渡してご飯を食べはじめました。ホモイもいつか涙がかわきみんなはまた気持ちよく笑い出しいっしょにご飯をたべてやすみました。
*
次の朝早くホモイはまた野原に出ました。
今日もよいお天気です。けれども実をとられた鈴蘭は、もう前のようにしゃりんしゃりんと葉を鳴らしませんでした。
向こうの向こうの青い野原のはずれから、狐が一生けん命に走って来て、ホモイの前にとまって、
「ホモイさん。昨日りすに鈴蘭の実を集めさせたそうですね。どうです。今日は私がいいものを見つけて来てあげましょう。それは黄色でね、もくもくしてね、失敬ですが、ホモイさん、あなたなんかまだ見たこともないやつですぜ。それから、昨日むぐらに罰をかけるとおっしゃったそうですね。あいつは元来横着だから、川の中へでも追いこんでやりましょう」と言いました。
ホモイは、
「むぐらは許しておやりよ。僕もう今朝許したよ。けれどそのおいしいたべものは少しばかり持って来てごらん」と言いました。
「合点、合点。十分間だけお待ちなさい。十分間ですぜ」と言って狐はまるで風のように走って行きました。
ホモイはそこで高く叫びました。
「むぐら、むぐら、むぐらもち。もうお前は許してあげるよ。泣かなくてもいいよ」
土の中はしんとしておりました。
狐がまた向こうから走って来ました。そして、
「さあおあがりなさい。これは天国の天ぷらというもんですぜ。最上等のところです」と言いながら盗んで来た角パンを出しました。
ホモイはちょっとたべてみたら、実にどうもうまいのです。そこで狐に、
「こんなものどの木にできるのだい」とたずねますと狐が横を向いて一つ「ヘン」と笑ってから申しました。
「台所という木ですよ。ダアイドコロという木ね。おいしかったら毎日持って来てあげましょう」
ホモイが申しました。
「それでは毎日きっと三つずつ持って来ておくれ。ね」
狐がいかにもよくのみこんだというように目をパチパチさせて言いました。
「へい。よろしゅうございます。そのかわり私の鶏をとるのを、あなたがとめてはいけませんよ」
「いいとも」とホモイが申しました。
すると狐が、
「それでは今日の分、もう二つ持って来ましょう」と言いながらまた風のように走って行きました。
ホモイはそれをおうちに持って行ってお父さんやお母さんにあげる時の事を考えていました。
お父さんだって、こんなおいしいものは知らないだろう。僕はほんとうに孝行だなあ。
狐が角パンを二つくわえて来てホモイの前に置いて、急いで「さよなら」と言いながらもう走っていってしまいました。ホモイは、
「狐はいったい毎日何をしているんだろう」とつぶやきながらおうちに帰りました。
今日はお父さんとお母さんとが、お家の前で鈴蘭の実を天日にほしておりました。
ホモイが、
「お父さん。いいものを持った来ましたよ。あげましょうか。まあちょっとたべてごらんなさい」と言いながら角パンを出しました。
兎のお父さんはそれを受けとって眼鏡をはずして、よくよく調べてから言いました。
「お前はこんなものを狐にもらったな。これは盗んで来たもんだ。こんなものをおれは食べない」そしておとうさんは、も一つホモイのお母さんにあげようと持っていた分も、いきなり取りかえして自分のといっしょに土に投げつけてむちゃくちゃにふみにじってしまいました。
ホモイはわっと泣きだしました。兎のお母さんもいっしょに泣きました。
お父さんがあちこち歩きながら、
「ホモイ、お前はもう駄目だ。玉を見てごらん。もうきっと砕けているから」と言いました。
お母さんが泣きながら函を出しました。玉はお日さまの光を受けて、まるで天上に昇って行きそうに美しく燃えました。
お父さんは玉をホモイに渡してだまってしまいました。ホモイも玉を見ていつか涙を忘れてしまいました。
*
次の日ホモイはまた野原に出ました。
狐が走って来てすぐ角パンを三つ渡しました。ホモイはそれを急いで台所の棚の上に載せてまた野原に来ますと狐がまだ待っていて言いました。
「ホモイさん。何かおもしろいことをしようじゃありませんか」ホモイが、
「どんなこと?」とききますと狐が言いました。
「むぐらを罰にするのはどうです。あいつは実にこの野原の毒むしですぜ。そしてなまけものですぜ。あなたが一遍許すって言ったのなら、今日は私だけでひとつむぐらをいじめますから、あなたはだまって見ておいでなさい。いいでしょう」
ホモイは、
「うん、毒むしなら少しいじめてもよかろう」と言いました。
狐は、しばらくあちこち地面を嗅いだり、とんとんふんでみたりしていましたが、とうとう一つの大きな石を起こしました。するとその下にむぐらの親子が八疋かたまってぶるぶるふるえておりました。狐が、
「さあ、走れ、走らないと、噛み殺すぞ」といって足をどんどんしました。むぐらの親子は、
「ごめんください。ごめんください」と言いながら逃げようとするのですが、みんな目が見えない上に足がきかないものですからただ草を掻くだけです。
いちばん小さな子はもうあおむけになって気絶したようです。狐ははがみをしました。ホモイも思わず、
「シッシッ」と言って足を鳴らしました。その時、
「こらっ、何をする」と言う大きな声がして、狐がくるくると四遍ばかりまわって、やがていちもくさんに逃げました。
見るとホモイのお父さんが来ているのです。
お父さんは、急いでむぐらをみんな穴に入れてやって、上へもとのように石をのせて、それからホモイの首すじをつかんで、ぐんぐんおうちへ引いて行きました。
おっかさんが出て来て泣いておとうさんにすがりました。お父さんが言いました。
「ホモイ。お前はもう駄目だぞ。今日こそ貝の火は砕けたぞ。出して見ろ」
お母さんが涙をふきながら函を出して来ました。お父さんは函の蓋を開いて見ました。
するとお父さんはびっくりしてしまいました。貝の火が今日ぐらい美しいことはまだありませんでした。それはまるで赤や緑や青や様々の火がはげしく戦争をして、地雷火をかけたり、のろしを上げたり、またいなずまがひらめいたり、光の血が流れたり、そうかと思うと水色の焔が玉の全体をパッと占領して、今度はひなげしの花や、黄色のチュウリップ、薔薇やほたるかずらなどが、一面風にゆらいだりしているように見えるのです。
兎のお父さんは黙って玉をホモイに渡しました。ホモイはまもなく涙も忘れて貝の火をながめてよろこびました。
おっかさんもやっと安心して、おひるのしたくをしました。
みんなはすわって角パンをたべました。
お父さんが言いました。
「ホモイ。狐には気をつけないといけないぞ」
ホモイが申しました。
「お父さん、大丈夫ですよ。狐なんかなんでもありませんよ。僕には貝の火があるのですもの。あの玉が砕けたり曇ったりするもんですか」
お母さんが申しました。
「本当にね、いい宝石だね」
ホモイは得意になって言いました。
「お母さん。僕はね、うまれつきあの貝の火と離れないようになってるんですよ。たとえ僕がどんな事をしたって、あの貝の火がどこかへ飛んで行くなんて、そんな事があるもんですか。それに僕毎日百ずつ息をかけてみがくんですもの」
「実際そうだといいがな」とお父さんが申しました。
その晩ホモイは夢を見ました。高い高い錐のような山の頂上に片脚で立っているのです。
ホモイはびっくりして泣いて目をさましました。
*
次の朝ホモイはまた野に出ました。
今日は陰気な霧がジメジメ降っています。木も草もじっと黙り込みました。ぶなの木さえ葉をちらっとも動かしません。
ただあのつりがねそうの朝の鐘だけは高く高く空にひびきました。
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」おしまいの音がカアンと向こうから戻って来ました。
そして狐が角パンを三つ持って半ズボンをはいてやって来ました。
「狐。お早う」とホモイが言いました。
狐はいやな笑いようをしながら、
「いや昨日はびっくりしましたぜ。ホモイさんのお父さんもずいぶんがんこですな。しかしどうです。すぐご機嫌が直ったでしょう。今日は一つうんとおもしろいことをやりましょう。動物園をあなたはきらいですか」と言いました。
ホモイが、
「うん。きらいではない」と申しました。
狐が懐から小さな網を出しました。そして、
「そら、こいつをかけておくと、とんぼでも蜂でも雀でも、かけすでも、もっと大きなやつでもひっかかりますぜ。それを集めて一つ動物園をやろうじゃありませんか」と言いました。
ホモイはちょっとその動物園の景色を考えてみて、たまらなくおもしろくなりました。そこで、
「やろう。けれども、大丈夫その網でとれるかい」と言いました。
狐がいかにもおかしそうにして、
「大丈夫ですとも。あなたは早くパンを置いておいでなさい。そのうちに私はもう百ぐらいは集めておきますから」と言いました。
ホモイは、急いで角パンを取ってお家に帰って、台所の棚の上に載せて、また急いで帰って来ました。
見るともう狐は霧の中の樺の木に、すっかり網をかけて、口を大きくあけて笑っていました。
「はははは、ご覧なさい。もう四疋つかまりましたよ」
狐はどこから持って来たか大きな硝子箱を指さして言いました。
本当にその中には、かけすと鶯と紅雀と、ひわと、四疋はいってばたばたしておりました。
けれどもホモイの顔を見ると、みんな急に安心したように静まりました。
鶯が硝子越しに申しました。
「ホモイさん。どうかあなたのお力で助けてやってください。私らは狐につかまったのです。あしたはきっと食われます。お願いでございます。ホモイさん」
ホモイはすぐ箱を開こうとしました。
すると、狐が額に黒い皺をよせて、眼を釣りあげてどなりました。
「ホモイ。気をつけろ。その箱に手でもかけてみろ。食い殺すぞ。泥棒め」
まるで口が横に裂けそうです。
ホモイはこわくなってしまって、いちもくさんにおうちへ帰りました。今日はおっかさんも野原に出て、うちにいませんでした。
ホモイはあまり胸がどきどきするので、あの貝の火を見ようと函を出して蓋を開きました。
それはやはり火のように燃えておりました。けれども気のせいか、一所小さな小さな針でついたくらいの白い曇りが見えるのです。
ホモイはどうもそれが気になってしかたありませんでした。そこでいつものように、フッフッと息をかけて、紅雀の胸毛で上を軽くこすりました。
けれども、どうもそれがとれないのです。その時、お父さんが帰って来ました。そしてホモイの顔色が変わっているのを見て言いました。
「ホモイ。貝の火が曇ったのか。たいへんお前の顔色が悪いよ。どれお見せ」そして玉をすかして見て笑って言いました。
「なあに、すぐ除れるよ。黄色の火なんか、かえって今までよりよけい燃えているくらいだ。どれ、紅雀の毛を少しおくれ」そしてお父さんは熱心にみがきはじめました。けれどもどうも曇りがとれるどころかだんだん大きくなるらしいのです。
お母さんが帰って参りました。そして黙ってお父さんから貝の火を受け取って、すかして見てため息をついて今度は自分で息をかけてみがきました。
実にみんな、だまってため息ばかりつきながら、かわるがわる一生けん命みがいたのです。
もう夕方になりました。お父さんは、にわかに気がついたように立ちあがって、
「まあご飯を食べよう。今夜一晩油に漬けておいてみろ。それがいちばんいいという話だ」といいました。お母さんはびっくりして、
「まあ、ご飯のしたくを忘れていた。なんにもこさえてない。一昨日のすずらんの実と今朝の角パンだけをたべましょうか」と言いました。
「うんそれでいいさ」とお父さんがいいました。ホモイはため息をついて玉を函に入れてじっとそれを見つめました。
みんなは、だまってご飯をすましました。
お父さんは、
「どれ油を出してやるかな」と言いながら棚からかやの実の油の瓶をおろしました。
ホモイはそれを受けとって貝の火を入れた函に注ぎました。そしてあかりをけしてみんな早くからねてしまいました。
*
夜中にホモイは眼をさましました。
そしてこわごわ起きあがって、そっと枕もとの貝の火を見ました。貝の火は、油の中で魚の眼玉のように銀色に光っています。もう赤い火は燃えていませんでした。
ホモイは大声で泣き出しました。
兎のお父さんやお母さんがびっくりして起きてあかりをつけました。
貝の火はまるで鉛の玉のようになっています。ホモイは泣きながら狐の網のはなしをお父さんにしました。
お父さんはたいへんあわてて急いで着物をきかえながら言いました。
「ホモイ。お前は馬鹿だぞ。俺も馬鹿だった。お前はひばりの子供の命を助けてあの玉をもらったのじゃないか。それをお前は一昨日なんか生まれつきだなんて言っていた。さあ、野原へ行こう。狐がまだ網を張っているかもしれない。お前はいのちがけで狐とたたかうんだぞ。もちろんおれも手伝う」
ホモイは泣いて立ちあがりました。兎のお母さんも泣いて二人のあとを追いました。
霧がポシャポシャ降って、もう夜があけかかっています。
狐はまだ網をかけて、樺の木の下にいました。そして三人を見て口を曲げて大声でわらいました。ホモイのお父さんが叫びました。
「狐。お前はよくもホモイをだましたな。さあ決闘をしろ」
狐が実に悪党らしい顔をして言いました。
「へん。貴様ら三疋ばかり食い殺してやってもいいが、俺もけがでもするとつまらないや。おれはもっといい食べものがあるんだ」
そして函をかついで逃げ出そうとしました。
「待てこら」とホモイのお父さんがガラスの箱を押えたので、狐はよろよろして、とうとう函を置いたまま逃げて行ってしまいました。
見ると箱の中に鳥が百疋ばかり、みんな泣いていました。雀や、かけすや、うぐいすはもちろん、大きな大きな梟や、それに、ひばりの親子までがはいっているのです。
ホモイのお父さんは蓋をあけました。
鳥がみんな飛び出して地面に手をついて声をそろえて言いました。
「ありがとうございます。ほんとうにたびたびおかげ様でございます」
するとホモイのお父さんが申しました。
「どういたしまして、私どもは面目次第もございません。あなた方の王さまからいただいた玉をとうとう曇らしてしまったのです」
鳥が一遍に言いました。
「まあどうしたのでしょう。どうかちょっと拝見いたしたいものです」
「さあどうぞ」と言いながらホモイのお父さんは、みんなをおうちの方へ案内しました。鳥はぞろぞろついて行きました。ホモイはみんなのあとを泣きながらしょんぼりついて行きました。梟が大股にのっそのっそと歩きながら時々こわい眼をしてホモイをふりかえって見ました。
みんなはおうちにはいりました。
鳥は、ゆかや棚や机や、うちじゅうのあらゆる場所をふさぎました。梟が目玉を途方もない方に向けながら、しきりに「オホン、オホン」とせきばらいをします。
ホモイのお父さんがただの白い石になってしまった貝の火を取りあげて、
「もうこんなぐあいです。どうかたくさん笑ってやってください」と言うとたん、貝の火は鋭くカチッと鳴って二つに割れました。
と思うと、パチパチパチッとはげしい音がして見る見るまるで煙のように砕けました。
ホモイが入口でアッと言って倒れました。目にその粉がはいったのです。みんなは驚いてそっちへ行こうとしますと、今度はそこらにピチピチピチと音がして煙がだんだん集まり、やがて立派ないくつかのかけらになり、おしまいにカタッと二つかけらが組み合って、すっかり昔の貝の火になりました。玉はまるで噴火のように燃え、夕日のようにかがやき、ヒューと音を立てて窓から外の方へ飛んで行きました。
鳥はみんな興をさまして、一人去り二人去り今はふくろうだけになりました。ふくろうはじろじろ室の中を見まわしながら、
「たった六日だったな。ホッホ
たった六日だったな。ホッホ」
とあざ笑って、肩をゆすぶって大股に出て行きました。
それにホモイの目は、もうさっきの玉のように白く濁ってしまって、まったく物が見えなくなったのです。
はじめからおしまいまでお母さんは泣いてばかりおりました。お父さんが腕を組んでじっと考えていましたが、やがてホモイのせなかを静かにたたいて言いました。
「泣くな。こんなことはどこにもあるのだ。それをよくわかったお前は、いちばんさいわいなのだ。目はきっとまたよくなる。お父さんがよくしてやるから。な。泣くな」
窓の外では霧が晴れて鈴蘭の葉がきらきら光り、つりがねそうは、
「カン、カン、カンカエコ、カンコカンコカン」と朝の鐘を高く鳴らしました。
底本:「銀河鉄道の夜」角川文庫、角川書店
1969(昭和44)年7月20日初版発行
1991(平成3)年6月10日65刷
底本の親本:「第二次宮沢賢治全集 第十巻」筑摩書房
1969(昭和44)年初版発行
入力:ゆかこ
校正:林 幸雄
2001年2月15日公開
2011年3月25日公開
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。