羅生門
楠山正雄



     一


 頼光らいこう大江山おおえやまおに退治たいじしてから、これはそののちのおはなしです。

 こんどは京都きょうと羅生門らしょうもん毎晩まいばんおにが出るといううわさがちました。なんでもとおりかかるものをつかまえてはべるという評判ひょうばんでした。

 はるあめのしとしとばんのことでした。平井保昌ひらいのほうしょうと四天王てんのう頼光らいこうのお屋敷やしきあつまって、おさけんでいました。みんないろいろおもしろいはなしをしているうちに、ふと保昌ほうしょうが、

「このごろ羅生門らしょうもんおにが出るそうだ。」

 といいしました。すると貞光さだみつも、

「おれもそんなうわさをきいた。」

 といいました。

「それはほんとうか。」

 と季武すえたけ公時きんときが目をまるくしました。つな一人ひとりわらって、

「ばかな。おに大江山おおえやま退治たいじてしまったばかりだ。そんなにいくつもおにが出てたまるものか。」

 といいました。貞光さだみつはやっきとなって、

「じゃあ、ほんとうに出たらどうする。」

 とせめかけました。

なにひと、出たらおれが退治たいじてやるまでさ。」

 とつなはへいきなかおをしていいました。貞光さだみつ季武すえたけ公時きんときはいっしょになって、

「よし、きさまこれからすぐ退治たいじに行け。」

 といいました。

 保昌ほうしょうはにやにやわらっていました。

 つなは、そのとき

「よしよし、行くとも。」

 というなり、さっそくよろいたり、かぶとをかぶったり、太刀たちをはいたり、ずんずん支度したくをはじめました。

 つなも、ほかの三にんもみんなおさけっていました。

 貞光さだみつは、そのときあざわらいながら、

「おい、ただ行ったって、なにかしょうこがなければわからないぞ。」

 といいました。つなは、

「じゃあ、これを羅生門らしょうもんまえててくる。」

 といって、おおきな高札たかふだかかえて、うまって出かけました。

 くらな中をあめにぬれながら、つな羅生門らしょうもんまえました。そしてもんまえを行ったりもどったり、しばらくのあいだおにの出てくるのをっていました。けれどいつまでたっても、おにらしいものは出てませんでした。つなはひとりでわらって、

「はッは、おにめ、こわくなったかな。やはりおにが出るというのはうそなのだろう。まあ、せっかくたものだから、高札たかふだだけでもててかえろう。」

 とひとごとをいいながら、もんまえ高札たかふだてました。

「やれやれ、つまらない目にあった。」

 つなはぶつぶついいながら、そのままかえって行こうとしました。あいにくあめつよくなって、かぜが出てきました。真っくらな中でつなは、しきりにうまいそがせました。

 ふとつなっていたうまがぶるぶるとぶるいをしました。そのとたん、ずしんとなにおもたいものが、うしろのくらの上にちたようにおもいました。おやとおもって、つながそっとふりくと、なんだかざらざらしたかたいものがかおにさわりました。それといっしょにいきなりうしろから襟首えりくびをつとつかまれました。

「とうとう出た。」

 つなはこうおもって、襟首えりくびさえられたままおにうでをつかまえて、

「ふん、きさまが羅生門らしょうもんおにか。」

 といいました。

「うん、おれは愛宕山あたごやま茨木童子いばらぎどうじだ。毎晩まいばんここへ出て人をとるのだ。」

 と、おにはいうなりつな襟首えりくびをもってそらの上にげました。

 げられながらつなはあわてずかたないて、よこなぐりにおにうでりはらいました。そのときくらやみの中で「ううん。」とうなるこえがしました。そのとたんつなはどさりと羅生門らしょうもん屋根やねの上にとされました。

 そのときはるかな黒雲くろくもの中で、

うで七日なのかあいだあずけておくぞ。」

 とおにはいって、げて行きました。

 つなはそろそろ屋根やねをおりて、そのときまでもしっかり襟首えりくびをつかんでいたおにうできはなして、それをって、みんなのおさけんでいるところかえって行きました。

 かえってると、みんなはちかまえていて、つなをとりまきました。そしてかりの下へあつまっておにうでをみました。うであかさびのしたてつのようにかたくって、ぎんのような一面いちめんにはえていました。

 みんなはつな武勇ぶゆうをほめて、またあたらしくおさけみはじめました。


     二


七日なのかあいだうであずけておくぞ。」

 こういいのこしたおに言葉ことばつなわすれずにいました。それで万一まんいちかえされない用心ようじんに、つなうで丈夫じょうぶはこの中にれて、もんそとに、

「ものいみ」

 といてして、ぴったりもんめて、おきょうをよんでいました。

 六日むいかあいだ何事なにごともありませんでした。七日なのかめの夕方ゆうがたにことことともんをたたくものがありました。つな家来けらいもんのすきまからのぞいてみますと、白髪しらがのおばあさんが、つえをついて、かさをもって、もんそとっていました。家来けらいが、

「あなたはどなたです。」

 ときますと、おばあさんは、

つなのおばが、摂津せっつくに渡辺わたなべからわざわざたずねてました。」

 といいました。

 家来けらいは どくそうに、

「それはあいにくでございました。主人しゅじんはものいみでございまして、今晩こんばん一晩ひとばんつまでは、どなたにもおいになりません。」

 といいました。するとおばあさんはかなしそうなこえで、

つなちいさいときははわかれたので、母親ははおやわりにわたしがあの子をそだててやったのです。それがいまはえらいさむらいになったといって、せっかく遠方えんぽうからたずねててもってはくれない。このごろはめっきりとしをとって、こんどまたおうといっても、それまできていられるかおぼつかない。ああ、ざんねんなことだ。」

 といいながら、とぼとぼかえって行こうとしました。

 つなおくでおばさんのいうことをすっかりいていました。いているうちにどくになって、どうしてももんけてやらずにはいられないようながしました。それで自分じぶんが出て行って、もんけてやって、

「よくいらっしゃいました。」

 といって、おくとおしました。

 おばさんはうれしそうにはいってて、ひさりのあいさつがすむと、

「さっき、ものいみでもんをあけないといったが、あれはどういうわけなのだね。」

 ときました。

 つなおにのことをくわしくはなしました。おばさんはだんだんひざをしながらいていましたが、

「まあ、不思議ふしぎなこともあるものだね。だがわたしのそだてた子がそんなえらい手柄てがらをしたかとおもうと、わたしまでうれしいとおもうよ。ついでにそのおにうでというのをたいものだね。」

 といいました。

 つなどくそうなかおをして、おにのいいのこした言葉ことばがあるので、今日きょう七日なのかのものいみがけるまでは、だれにもせることができないというわけを、ていねいにいってことわりました。するとおばさんはかなしそうなかおをして、

「まあ、よくよくえんがないのだね。なにしろとしってさきみじかからだだからね。しかたがない、あきらめましょう。」

 と、しおれかえっていいました。

 その様子ようすをみると、つなはまたどうしてもおにうでしてせなければならないようなになって、

「ではせっかくだから、ちょっとお目にかけましょう。」

 といって、はこをおばさんのまえして、ふたをあけました。

「どれ、どれ。」

 とおばさんはいって、つとそばによりました。そしてしばらくじっとはこの中をのぞきみながら、

「まあ、これがおにうでかい。」

 といって、いきなりひだりうでばして、うでりました。

 つながはっとおもに、おばさんはみるみるおに姿すがたになって、そらがりました。そしてつなかたなっていかけるひまに、破風はふをけやぶって、はるかのくもの中にげて行きました。

 つなはくやしがって、いつまでもそらをにらめつけていました。

 でもおにはそれなりもうふっつりと姿すがたあらわしませんでした。みやこの中でもおにのうわさはぱったりみました。

底本:「日本の英雄伝説」講談社学術文庫、講談社

   1983(昭和58)年610日第1刷発行

※「家来は 気の毒そうに」の空白と、「おばあさん」「おばさん」の混用は底本のままです。

入力:鈴木厚司

校正:大久保ゆう

2003年929日作成

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