家庭の痛恨
萩原朔太郎



 西洋の風習では、その妻が良人と共に社交に出で、多くの異性と舞踏をし、宴会の席上で酒をすすめ、ピアノを弾き、唄をうたひ、文学を論じ、時に艶めかしき媚態を示して、人々の注意と愛情を惹かうと努める。然るに東洋の風習は、これと全くちがつて居る。我々の社会にあつては、すべてさうした女の仕事が、芸者と称する特殊な職業婦人に一任されてる。芸者等は、全くその目的からのみ養成され、我々の宴会や社会に於ける、一切の事務を受けもつてゐる。実に我々の日本人等は、芸者なしに一の社交や宴会をもなし得ないのだ。なぜなら我々の妻たちは、深くその家庭に押し込められ、純粋に母性としての訓育を受けてることから、全く社交上の才能を欠いでゐるから。つまり言へば吾々は、西洋人がその一人の女に課する二つの要求──家庭に於ける母性と社交に於ける娼婦性──とを、初めから厳重に分離されて、家庭には妻をおき、社交界には芸者をおき、夫々別々の分業観から専門に教育して来たのである。

 東洋と西洋と。この二つの異なる風習に於て我々は何れの長所を選ぶだらうか? 純理的に観察すれば、もちろん我々の国の風習は、遥か西洋のものに優つて居る。なぜなら一人の女について、矛盾した二つの情操(母性型と娼婦型と)を要求するのは、概ね多くの場合に於て、その両方を共に失ひ、家庭の母性としても完全でなく、コケツトとしても不満足であるところの、不幸な物足りない結果になるから。(西洋の多くの家庭が、いかに例外なく不幸であるか。また多くの既婚者等が、いかにこの点で嘆いてゐるかを見よ。)東洋の家庭は、一般に西洋に比し、ずっと遥かに幸福である。我々の妻たちは、昔から長い間、純粋に母性としてのみ、その家庭の中で生活して居た。良人たちは妻に対して、裁縫や、育児や、料理やなどの、純一に母性としての仕事を求めた。彼等がもし享楽や、宴会や、社交などを欲するならば、いつでもおほやけに芸者を呼び、別の種類の婦人に対して、別の種目の奉仕を求めた。そして結果は、両方の場合に於て、破綻なく満足であつたのである。

 しかしながら今日、東洋の事情は変化して来た。支那に於ても日本に於ても、国情の著るしい欧風化は、もはや旧来の慣習を許さぬだらう。何よりも第一に、我々の女たちが変つて来た。彼等の結婚に対する考へ方が、母愛よりも享楽を望むところの、西洋の習俗に近づいて居り、そしてまた実際に、我々の家庭そのものが変化した。殆ど概ねの女たちが、今では家庭の妻として愛されるより、むしろ路上を散歩する情婦として、コケツトとして愛されるであらうことを、その良人に対してすら望んでゐる。一方に芸者や妓生やは、社会の種々なる変革から、今日事実上に亡びてしまつた。そして尚その上に、今日ではめかけを持つといふことすらが、経済上困難になつてしまつた。(昔はたいていの男が、一人や二人の妾は囲つて居た。妾宅は当時に於て、私設の社交機関でもあつたのだ。)

 それ故に今日では、我々の家庭もまた、西洋と同じにならうとして居る。我々の時代の女たちは、純粋の家庭婦人ハウスキーパーとして典型されず、一方に社交界の花形を兼ね、一方に良妻賢母を兼ねるところの、二重の負担に於て教育される。その良人たちがまた、妻に対して妾を兼ね、母性に対して情婦の愛嬌を兼ねるところの、二重の情操を要求して居る。だが不幸にして、自然は一つの徳に二つをあたへず、そんな慾ばつた要求を聴いてくれない。我々の新しい東洋人が、おそらくはまたそれによつて、古き西洋の悔恨を嘗め、彼等の大多数を憂鬱にしてゐるところの、あの家庭地獄を経験せねばならないだらう。

底本:「日本の名随筆83 家」作品社

   1989(平成元)年925日第1刷発行

底本の親本:「萩原朔太郎全集 第四巻」筑摩書房

   1975(昭和50)年7

入力:土屋隆

校正:noriko saito

2004年810日作成

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