小説 不如帰
徳冨蘆花



第百版不如帰の巻首に


 不如帰ふじょきが百版になるので、校正かたがた久しぶりに読んで見た。お坊っちゃん小説である。単純な説話で置いたらまだしも、無理に場面をにぎわすためかき集めた千々石ちぢわ山木やまきの安っぽい芝居しばいがかりやら、小川おがわ某女の蛇足だそくやら、あらをいったら限りがない。百版という呼び声に対してももっとどうにかしたい気もする。しかし今さら書き直すのも面倒だし、とうとうほンの校正だけにした。

 十年ぶりに読んでいるうちにはしなく思い起こした事がある。それはこの小説の胚胎はいたいせられた一せきの事。もう十二年ぜんである、相州そうしゅう逗子ずしの柳屋といううちを借りて住んでいたころ、病後の保養に童男こども一人ひとり連れて来られた婦人があった。夏の真盛りで、宿という宿は皆ふさがって、途方に暮れておられるのを見兼ねて、さいと相談の上自分らが借りていた八畳二室ふたまのその一つを御用立てることにした。夏のことでなかの仕切りはかたばかりの小簾おす一重ひとえ、風も通せば話も通う。一月ひとつきばかりの間に大分だいぶ懇意になった。三十四五の苦労をした人で、(不如帰の小川某女ではない)大層情の深い話上手じょうずかただった。夏も末方のちと曇ってしめやかな晩方の事、童男こどもは遊びに出てしまう、婦人と自分と妻と雑談しているうちに、ふと婦人がさる悲酸の事実だんを話し出された。もうそのころは知る人は知っていたが自分にはまだ初耳の「浪子なみこ」の話である。「浪さん」が肺結核で離縁された事、「武男たけお君」は悲しんだ事、片岡かたおか中将が怒ってむすめを引き取った事、病女のために静養室を建てた事、一生の名残なごりに「浪さん」を連れて京阪けいはんゆうをした事、川島家かわしまけからよこした葬式の生花しょうかを突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。自分は床柱とこばしらにもたれてぼんやりきいている。さいかしらをたれている。日はいつか暮れてしもうた。古びた田舎家いなかや間内まうちが薄ぐらくなって、話す人の浴衣ゆかたばかり白く見える。臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね──もうもう二度と女なんかに生まれはしない」──言いかけて婦人はとうとう嘘唏きょきして話をきってしもうた。自分の脊髄せきずいをあるものがいなずまのごとく走った。

 婦人は間もなく健康になって、かの一せきはなし土産みやげに都に帰られた。逗子の秋は寂しくなる。話の印象はいつまでも消えない。朝な夕な波は哀音を送って、蕭瑟しょうしつたる秋光の浜に立てば影なき人の姿がつい眼前めさきに現われる。かあいそうは過ぎて苦痛になった。どうにかしなければならなくなった。そこで話の骨に勝手な肉をつけて一編未熟の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。

 で、不如帰のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感をふしがあるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口にって訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。要するに自分は電話の「はりがね」になったまでのこと。

  明治四十二年二月二日

昔の武蔵野今は東京府下
北多摩郡千歳村粕谷の里にて
徳冨健次郎識



上編


一の一


 上州じょうしゅう伊香保千明いかほちぎらの三階の障子しょうじ開きて、夕景色ゆうげしきをながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷まげに結いて、草色のひもつけし小紋縮緬こもんちりめん被布ひふを着たり。

 色白の細面ほそおもてまゆあわいややせまりて、ほおのあたりの肉寒げなるが、きずといわば疵なれど、瘠形やさがたのすらりとしおらしき人品ひとがら。これや北風ほくふうに一輪つよきを誇る梅花にあらず、またかすみの春に蝴蝶こちょうと化けて飛ぶ桜の花にもあらで、夏の夕やみにほのかににおう月見草、と品定めもしつべき婦人。

 春の日脚ひあしの西にかたぶきて、遠くは日光、足尾あしお越後境えちござかいの山々、近くは、小野子おのこ子持こもち赤城あかぎの峰々、入り日を浴びて花やかに夕ばえすれば、つい下のえのき離れてと飛び行くからすの声までも金色こんじきに聞こゆる時、雲二片ふたつ蓬々然ふらふらと赤城のうしろより浮かびでたり。三階の婦人は、そぞろにその行方ゆくえをうちまもりぬ。

 両手ゆたかにかきいだきつべきふっくりとかあいげなる雲は、おもむろに赤城のいただきを離れて、さえぎる物もなき大空を相並んで金の蝶のごとくひらめきつつ、優々として足尾のかたへ流れしが、やがて日落ちて黄昏たそがれ寒き風の立つままに、二片ふたつの雲今は薔薇色ばらいろうつろいつつ、上下うえしたに吹き離され、しだいに暮るる夕空を別れ別れにたどると見しもしばし、下なるはいよいよ細りていつしか影も残らず消ゆれば、残れる一片ひとつはさらに灰色にうつろいて朦乎ぼいやりと空にさまよいしが、

 果ては山も空もただ一色ひといろに暮れて、三階に立つ婦人の顔のみぞ夕やみに白かりける。


一の二


「お嬢──おやどういたしましょう、また口がすべって、おほほほほ。あの、奥様、ただいま帰りましてございます。おや、まっくら。奥様エ、どこにおいで遊ばすのでございます?」

「ほほほほ、ここにいるよ」

「おや、ま、そちらに。早くおはいり遊ばせ。お風邪かぜを召しますよ。旦那だんな様はまだお帰り遊ばしませんでございますか?」

「どう遊ばしたんだろうね?」と障子をあけてうちに入りながら「なんなら帳場したへそう言って、お迎人むかいをね」

「さようでございますよ」言いつつ手さぐりにマッチをすりてランプをくるは、五十あまりの老女。

 おりから階段はしごの音して、宿の女中おんなは上り来つ。

「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。……はい、あのいましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。もうお帰りでございましょう。──お手紙が──」

「おや、おとうさまのお手紙──早くお帰りなさればいいに!」と丸髷まるまげの婦人はさもなつかしげに表書うわがきを打ちかえし見る。

「あの、殿様の御状で──。早く伺いたいものでございますね。おほほほほ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」

 女中おんなは戸を立て、火鉢ひばちの炭をついで去れば、老女は風呂敷包ふろしきづつみを戸棚とだなにしまい、立ってこなたに来たり、

「本当に冷えますこと! 東京あちらとはよほど違いますでございますねエ」

「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。ばあや、もっとこちらへお寄りな」

「ありがとうございます」言いつつ老女はつくづく顔打ちながめ「うそのようでございますねエ。こんなにお丸髷まげにお結い遊ばして、ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、ばあやがお育て申し上げたお方様とは思えませんでございますよ。先奥様せんおくさまがおくなり遊ばした時、ばあやにおぶされて、かあ様母様ッてお泣き遊ばしたのは、昨日きのうのようでございますがねエ」はらはらと落涙し「お輿入こしいれの時も、ばあやはねエあなた、あの立派なごようすを先奥様がごらん遊ばしたら、どんなにおうれしかったろうと思いましてねエ」と襦袢じゅばんそで引き出して目をぬぐう。

 こなたも引き入れられるるようにうつぶきつ、火鉢にかざせし左手ゆんで指環ゆびわのみ燦然さんぜんと照り渡る。

 ややありてうばおもてを上げつ。「御免遊ばせ、またこんな事を。おほほほ年が寄ると愚痴っぽくなりましてねエ。おほほほほ、お嬢──奥様もこれまではいろいろ御苦労も遊ばしましたねエ。本当によく御辛抱遊ばしましたよ。もうもうこれからはおめでたい事ばかりでございますよ、旦那様はあの通りおやさしいお方様──」

「お帰り遊ばしましてございます」

 と女中おんなの声階段はしごの口に響きぬ。


一の三


「やあ、くたびれた、くたびれた」

 足袋たび草鞋わらじぎすてて、出迎う二人ふたりにちょっと会釈しながら、廊下に上りて来し二十三四の洋服の男、提燈ちょうちん持ちし若い者を見返りて、

「いや、御苦労、御苦労。その花は、面倒だが、湯につけて置いてもらおうか」

「まあ、きれい!」

「本当にま、きれいな躑躅つつじでございますこと! 旦那様、どちらでお採り遊ばしました?」

「きれいだろう。そら、黄色いやつもある。葉が石楠しゃくなげに似とるだろう。明朝あすなみさんにけてもらおうと思って、折って来たんだ。……どれ、すぐ湯に入って来ようか」

       *

「本当に旦那様はお活発でいらっしゃいますこと! どうしても軍人のお方様はお違い遊ばしますねエ、奥様」

 奥様は丁寧にたたみし外套がいとうをそっと接吻せっぷんして衣桁いこうにかけつつ、ただほほえみて無言なり。

 階段はしごとどろと上る足音障子の外に絶えて、「ああいい心地きもち!」と入り来る先刻の壮夫わかもの

「おや、旦那様もうお上がり遊ばして?」

「男だもの。あはははは」と快く笑いながら、妻がきまりわるげにはお大縞おおじま褞袍どてら引きかけて、「失敬」と座ぶとんの上にあぐらをかき、両手にほおをなでぬ。栗虫くりむしのように肥えし五分刈り頭の、日にやけし顔はさながら熟せる桃のごとく、まゆ濃く目いきいきと、鼻下にうっすり毛虫ほどのひげは見えながら、まだどこやらに幼な顔の残りて、ほほえまるべき男なり。

「あなた、お手紙が」

「あ、乃舅おとっさんだな」

 壮夫わかものはちょいといずまいを直して、封を切り、なかをいだせば落つる別封。

「これは浪さんのだ──ふむ、お変わりもないと見える……はははは滑稽こっけいをおっしゃるな……お話を聞くようだ」えみを含んで読み終えし手紙を巻いてそばに置く。

「おまえにもよろしく。場所が変わるから、持病の起こらぬように用心おしっておっしゃってよ」と「浪さん」はぜんを運べる老女を顧みつ。

「まあ、さようでございますか、ありがとう存じます」

「さあ、飯だ、飯だ、今日きょうは握り飯二つで終日いちんち歩きずめだったから、腹が減ったこったらおびただしい。……ははは。こらあ何ちゅうさかなだな、あゆでもなしと……」

山女やまめとか申しましたっけ──ねエばあや」

「そう? うまい、なかなかうまい、それお代わりだ」

「ほほほ、旦那様のお早うございますこと」

「そのはずさ。今日は榛名はるなから相馬そうまたけに上って、それからふただけに上って、屏風岩びょうぶいわの下まで来ると迎えの者に会ったんだ」

「そんなにお歩き遊ばしたの?」

「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々ぼうぼうたる平原さ、利根とねがはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でもめたら、ひとつ人麿ひとまろと腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」

「そんなに景色けしきがようございますの。行って見とうございましたこと!」

「ふふふふ。浪さんが上れたら、金鵄きんし勲章をあげるよ。そらあ急嶮ひどい山だ、鉄鎖かなぐさりが十本もさがってるのを、つたって上るのだからね。僕なんざ江田島えたじまで鍛い上げたからだで、今でもすわというとマストでもリギングでもぶら下がる男だから、何でもないがね、浪さんなんざ東京の土踏んだ事もあるまい」

「まあ、あんな事を」にっこり顔をあからめ「これでも学校では体操もいたしましたし──」

「ふふふふ。華族女学校の体操じゃ仕方がない。そうそう、いつだっけ、参観に行ったら、琴だか何だかコロンコロン鳴ってて、一方で『地球の上に国というくうには』何とか歌うと、女生みんなが扇を持ってったりしゃがんだりぐるり回ったりしとるから、踊りの温習さらいかと思ったら、あれが体操さ! あはははは」

「まあ、お口がお悪い!」

「そうそう。あの時山木のむすめと並んで、垂髪おさげって、ありあ何とか言ったっけ、葡萄色ぶどういろはかまはいて澄ましておどってたのは、たしか浪さんだっけ」

「ほほほほ、あんなことを! あの山木さんをご存じでいらっしゃいますの?」

「山木はね、うちの亡父おやが世話したんで、今に出入りしとるのさ。はははは、浪さんが敗北したもんだから黙ってしまったね」

「あんなこと!」

「おほほほほ。そんなに御夫婦げんかを遊ばしちゃいけません。さ、さ、お仲直りのお茶でございますよ。ほほほほ」



 前回かりに壮夫わかものといえるは、海軍少尉男爵だんしゃく川島武男かわしまたけおと呼ばれ、このたび良媒ありて陸軍中将子爵片岡毅かたおかきとて名は海内かいだいに震える将軍の長女浪子なみことめでたく合卺ごうきんの式をげしは、つい先月の事にて、ここしばしの暇を得たれば、新婦とその実家よりつけられし老女のいくを連れて四五日ぜん伊香保いかほに来たりしなり。

 浪子は八歳やっつの年に別れぬ。八歳やっつの昔なれば、母の姿貌すがたかたちははっきりと覚えねど、始終えみを含みていられしことと、臨終のその前にわれを臥床ふしどに呼びて、やせ細りし手にわが小さきたなぞこを握りしめ「浪や、かあさんはとおーいとこに行くからね、おとなしくして、おとうさまを大事にして、こうちゃんをかあいがってやらなければなりませんよ。もう五六年……」と言いさしてはらはらと涙を流し「母さんがいなくなっても母さんをおぼえているかい」と今は肩過ぎしわが黒髪のそのころはまだふっさりと額ぎわまでり下げしをかいなでかいなでしたまいし事も記憶の底深くりて思い出ぬ日はあらざりき。

 一年ほど過ぎて、今の母は来つ。それより後は何もかも変わり果てたることになりぬ。先の母はれっきとしたるさむらいの家より来しなれば、よろず折り目正しきふうなりしが、それにてもあのように仲よき御夫婦は珍しとおんなの言えるをきけることもありし。今の母はやはりれっきとしたさむらいの家から来たりしなれど、早くより英国に留学して、男まさりの上に西洋風のみしなれば、何事も先とは打って変わりて、すべて先の母の名残なごりと覚ゆるをばさながら打ち消すように片端より改めぬ。父に対しても事ごとに遠慮もなく語らい論ずるを、父は笑いて聞き流し「よしよし、おいが負けじゃ、負けじゃ」と言わるるが常なれど、ある時ごく気に入りの副官、難波なんばといえるを相手の晩酌に、母も来たりて座に居しが、父はじろりと母を見てからからと笑いながら「なあ難波君、学問の出来でく細君おくさんは持つもんじゃごわはん、いやさんざんな目にあわされますぞ、あはははは」と言われしとか。さすがの難波も母の手前、何と挨拶あいさつもし兼ねて手持ちぶさたにさかずきを上げ下げして居しが、そののちおのが細君にくれぐれも女児むすめどもには書物を読み過ごさせな、高等小学卒業で沢山と言い含められしとか。

 浪子は幼きよりいたって人なつこく、しかも怜悧りこうに、香炉峰こうろほうの雪にすだれを巻くほどならずとも、三つのころよりうばに抱かれて見送る玄関にわれから帽をとってかしらに載すほどの気はききたり。伸びん伸びんとする幼心おさなごころは、たとえば春の若菜のごとし。よしやひとたび雪に降られしとて、ふみにじりだにせられずば、おのずから雪けて青々とのぶるなり。に別れし浪子のかなしみは子供には似ず深かりしも、あとの日だに照りたらば苦もなく育つはずなりき。束髪に結いて、そばへ寄れば香水の香の立ち迷う、目少し釣りて口大きなる今の母を初めて見し時は、さすがに少したじろぎつるも、人なつこき浪子はこの母君にだに慕い寄るべかりしに、継母はわれからさしはさむ一念にかあゆきをば押し隔てつ。世なれぬわがまま者の、学問の誇り、邪推、嫉妬しっとさえ手伝いて、まだ八つ九つの可愛児かあいこを心ある大人おとななんどのように相手にするより、こなたは取りつく島もなく、寒ささびしさは心にしみぬ。ああ愛されぬは不幸なり、愛いすることのできぬはなおさらに不幸なり。浪子は母あれども愛するを得ず、いもとあれども愛するを得ず、ただ父とうばいくと実母の姉なる伯母おばはあれど、何を言いても伯母はよその人、幾は召使いの身、それすら母の目常に注ぎてあれば、少しよくしても、してもらいても、互いにひいきの引き倒し、かえってためにならず。ただ父こそは、父こそは渾身こんしん愛に満ちたれど、その父中将すらもさすがに母の前をばかねらるる、それも思えば慈愛の一つなり。されば母の前では余儀なくしかりて、陰へ回れば言葉少なく情深くいたわる父の人知らぬ苦心、怜悧さとき浪子は十分にんで、ああうれしいかたじけない、どうぞ身をにしても父上のおためにと心に思いはあふるれど、気がつくほどにすれば、母は自分の領分に踏み込まれたるように気をわるくするがつらく、光をつつみてことばすくなに気もつかぬていに控え目にしていれば、かえって意地わるのやれ鈍物のと思われ言わるるも情けなし。ある時はいささかの間違いより、流るるごとき長州弁に英国仕込みの論理法もて滔々とうとうと言いまくられ、おのれのみかはき母の上までもおぼろげならずあてこすられて、さすがにくやしくかんだくちびる開かんとしては縁側にちらりと父の影見ゆるに口をつぐみ、あるいはまたあまり無理なる邪推されては「おっかさまもあんまりな」と窓かけの陰に泣いたることもありき。父ありというや。父はあり。愛する父はあり。さりながらうちが世界の女のには、五人の父より一人ひとりの母なり。その母が、その母がこの通りでは、十年の間には癖もつくべく、つやすべし。「本当に彼女あのこはちっともさっぱりした所がない、いやに執念しゅうねいな人だよ」と夫人は常にののしりぬ。ああ土鉢どばちに植えても、高麗交趾こうらいこうちの鉢に植えても、花は花なり、いずれか日の光を待たざるべき。浪子は実に日陰の花なりけり。

 さればこのたび川島家と縁談整いて、輿入こしいれ済みし時は、浪子も息をつき、父中将も、継母も、伯母も、いくも、皆それぞれに息をつきぬ。

「奥様(浪子の継母)は御自分は華手はでがお好きなくせに、お嬢様にはいやアな、じみなものばかり、買っておあげなさる」とつねにつぶやきしうばの幾が、嫁入りじたくの薄きを気にして、先奥様せんおくさまがおいでになったらとかき口説くどいて泣きたりしも、浪子はいそいそとしてわがかどでぬ。今まで知らぬ自由と楽しさのこのさきに待つとし思えば、父に別るるかなしさもいささか慰めらるる心地ここちして、いそいそとして行きたるなり。


三の一


 伊香保より水沢みさわ観音かんのんまで一里あまりの間は、一条ひとすじの道、へびのごとく禿山はげやまの中腹に沿うてうねり、ただ二か所ばかりの山の裂け目の谷をなせるに陥りてまたい上がれるほかは、目をねむりても行かるべき道なり。下は赤城あかぎより上毛じょうもうの平原を見晴らしつ。ここらあたりは一面の草原なれば、春のころは野焼きのあとの黒める土より、さまざまの草かやはぎ桔梗ききょう女郎花おみなえしの若芽など、でて毛氈もうせんを敷けるがごとく、美しき草花その間に咲き乱れ、綿帽子着た銭巻ぜんまい、ひょろりとしたわらび、ここもそこもたちて、ひとたびここにおり立たば春の日のながきも忘るべき所なり。

 武男たけお夫婦は、今日きょうの晴れを蕨狩わらびがりすとて、うばいくと宿の女中を一人ひとりつれて、午食後ひるごよりここに来つ。はやひとしきり採りあるきて、少しくたびれが来しと見え、女中に持たせし毛布けっとを草のやわらかなるところに敷かせて、武男はくつばきのままごろりと横になり、浪子なみこ麻裏草履あさうらを脱ぎ桃紅色ときいろのハンケチにて二つ三つひざのあたりをはらいながらふわりとすわりて、

「おおやわらか! もったいないようでございますね」

「ほほほお嬢──あらまた、御免遊ばせ、お奥様のいいお顔色いろにおなり遊ばしましたこと! そしてあんなにお唱歌なんぞお歌い遊ばしましたのは、本当にお久しぶりでございますねエ」と幾はうれしげに浪子の横顔をのぞく。

「あんまり歌ってなんだかかわいて来たよ」

「お茶を持ってまいりませんで」と女中は風呂敷ふろしき解きて夏蜜柑なつみかん、袋入りの乾菓子ひがし、折り詰めの巻鮓まきずしなど取り出す。

「何、これがあれば茶はいらんさ」と武男はポッケットよりナイフ取り出して蜜柑をむきながら「どうだい浪さん、僕の手ぎわには驚いたろう」

「あんなことをおっしゃるわ」

旦那だんな様のおとり遊ばしたのには、杪欏へごがどっさりまじっておりましてございますよ」と、女中が口を出す。

「ばかを言うな。負け惜しみをするね。ははは。今日は実に愉快だ。いい天気じゃないか」

「きれいな空ですこと、碧々あおあおして、本当に小袖こそでにしたいようでございますね」

「水兵の服にはなおよかろう」

「おおいいかおり! 草花の香でしょうか、あ、雲雀ひばりが鳴いてますよ」

「さあ、おすしをいただいておなかができたから、もうひとかせぎして来ましょうか、ねエ女中さん」とうばの幾は宿の女を促し立てて、また蕨採りにかかりぬ。

「すこし残しといてくれんとならんぞ──まめばあじゃないか、ねエ浪さん」

「本当にまめでございますよ」

「浪さん、くたびれはしないか」

「いいえ、ちっとも今日は疲れませんの、わたくしこんなに楽しいことは始めて!」

「遠洋航海なぞすると随分いい景色けしきを見るが、しかしこんな高い山の見晴らしはまた別だね。実にせいせいするよ。そらそこの左の方に白い壁が閃々ちらちらするだろう。あれが来がけに浪さんと昼飯を食った渋川しぶかわさ。それからもっとこっちのあおいリボンのようなものが利根川とねがわさ。あれが坂東太郎ばんどうたろうた見えないだろう。それからあの、赤城あかぎの、こうずうとたれとる、それそれ煙が見えとるだろう、あの下の方に何だかうじゃうじゃしてるね、あれが前橋まえばしさ。何? ずっと向こうの銀のびんのようなの? そうそう、あれはやっぱり利根の流れだ。ああもう先はかすんで見えない。両眼鏡を持って来るところだったねエ、浪さん。しかしかすみがかけて、先がはっきりしないのもかえっておもしろいかもしれん」

 浪子はそっと武男のひざに手を投げて溜息といきつき

「いつまでもこうしていとうございますこと!」

「黄色の蝶二つ浪子の袖をかすめてひらひらと飛び行きしあとより、さわさわと草踏む音して、帽子かぶりし影法師だしぬけに夫婦の眼前めさきに落ち来たりぬ。

「武男君」

「やあ! 千々岩ちぢわ君か。どうしてここに?」


三の二


 新来の客は二十六七にや。陸軍中尉の服を着たり。軍人には珍しき色白の好男子。惜しきことには、口のあたりどことなくいやしげなるところありて、黒水晶のごとき目の光鋭く、見つめらるる人に不快の感を起こさすが、きずなるべし。こは武男が従兄いとこに当たる千々岩安彦ちぢわやすひことて、当時参謀本部の下僚におれど、腕ききの聞こえある男なり。

「だしぬけで、びっくりだろう。実は昨日きのう用があって高崎たかさきに泊まって、今朝けさ渋川まで来たんだが、伊香保はひと足と聞いたから、ちょっと遊びに来たのさ。それから宿に行ったら、君たちはわらび採りの御遊ぎょゆうだと聞いたから、みちおそわってやって来たんだ。なに、明日あすは帰らなけりゃならん。邪魔に来たようだな。はッはッ」

「ばかな。──君それからうちに行ってくれたかね」

昨朝きのうちょっと寄って来た。叔母様おばさんも元気でいなさる。が、もう君たちが帰りそうなものだってしきりとこぼしていなすッたッけ。──赤坂あかさかの方でもお変わりもありませんです」と例の黒水晶の目はぎらりと浪子の顔に注ぐ。

 さっきからあからめし顔はひとしおあこうなりて浪子は下向きぬ。

「さあ、援兵が来たからもう負けないぞ。陸海軍一致したら、娘子じょうし軍百万ありといえども恐るるに足らずだ。──なにさ、さっきからこの御婦人方がわが輩一人ひとりをいじめて、やれ蕨の取り方が少ないの、採ったが蕨じゃないだの、悪口あっこうして困ったンだ」と武男はあごもて今来しうばと女中をさす。

「おや、千々岩様──どうしていらッしゃいまして?」とうばはびっくりした様子にて少し小鼻にしわを寄せつ。

「おれがさっき電報かけて加勢に呼んだンだ」

「おほほほ、あんなことをおしゃるよ──ああそうで、へえ、明日あすはお帰り遊ばすンで。へえ、帰ると申しますと、ね、奥様、お夕飯ゆうのしたくもございますから、わたくしどもはお先に帰りますでございますよ」

「うん、それがいい、それがいい。千々岩君も来たから、どっさりごちそうするンだ。そのつもりで腹を減らして来るぞ。ははははは。なに、浪さんも帰る? まあいるがいいじゃないか。味方がなくなるから逃げるンだな。大丈夫さ、決していじめはしないよ。あはははは」

 引きとめられて浪子は居残れば、幾は女中おんなと荷物になるべき毛布ケット蕨などとりおさめて帰り行きぬ。

 あとに三人みたりはひとしきり蕨を採りて、それよりまだ日も高ければとて水沢みさわの観音にもうで、さきに蕨を採りし所まで帰りてしばらく休み、そろそろ帰途に上りぬ。

 夕日は物聞山ものききやまの肩より花やかにさして、道の左右の草原は萌黄もえぎの色燃えんとするに、そこここに立つ孤松ひとつまつの影長々と横たわりつ。目をあぐれば、遠き山々静かに夕日を浴び、ふもとの方は夕煙諸処に立ち上る。はるか向こうを行く草負い牛の、しかられてもうと鳴く声空に満ちぬ。

 武男は千々岩と並びて話しながら行くあとより浪子は従いて行く。三人みたりしずかに歩みて、今しもたにわたり終わり、坂を上りてまばゆき夕日の道にでつ。

 武男はたちまち足をとどめぬ。

「やあ、しまった。ステッキを忘れた。なに、さっき休んだところだ。待っててくれたまえ、ひと走り取って来るから──なに、浪さんは待ってればいいじゃないか。すぐそこだ。全速力で駆けて来る」

 と武男はしいて浪子を押しとめ、ハンケチ包みの蕨を草の上にさし置き、急ぎ足に坂を下りて見えずなりぬ。


三の三


 武男が去りしあとに、浪子は千々岩ちぢわと一間ばかり離れて無言に立ちたり。やがて谷をわたりてかなたの坂を上り果てし武男の姿小さく見えたりしが、またたちまちかなたに向かいて消えぬ。

「浪子さん」

 かなたを望みいし浪子は、耳もと近き声に呼びかけられて思わず身を震わしたり。

「浪子さん」

 一歩近寄りぬ。

 浪子は二三歩引き下がりて、余儀なく顔をあげたりしが、例の黒水晶の目にひたとみつめられて、わき向きたり。

「おめでとう」

 こなたは無言、耳までさっとくれないになりぬ。

「おめでとう。イヤ、おめでとう。しかしめでたくないやつもどこかにいるですがね。へへへへ」

 浪子はうつむきて、つえにしたる海老色えびいろ洋傘パラソルのさきもてしきりに草の根をほじりつ。

「浪子さん」

 へびにまつわらるる栗鼠りすの今は是非なく顔を上げたり。

「何でございます?」

「男爵に金、はやっぱりいいものですよ。へへへへへ、いやおめでとう」

「何をおっしゃるのです?」

「へへへへへ、華族で、金があれば、ばかでも嫁に行く、金がなけりゃどんなに慕ってもつばきもひッかけん、ね、これが当今いま姫御前ひめごぜです。へへへへ、浪子さんなンざそんな事はないですがね」

 浪子もさすがに血相変えてきっと千々岩をにらみたり。

「何をおっしゃるンです。失敬な。も一度武男の目前まえで言ってごらんなさい。失敬な。男らしく父に相談もせずに、無礼千万な艶書ふみひとにやったりなンぞ……もうこれから決して容赦はしませぬ」

「何ですと?」千々岩の額はまっ暗くなり来たり、くちびるをかんで、一歩二歩寄らんとす。

 だしぬけにいななく声足下あしもとに起こりて、馬上の半身坂より上に見え来たりぬ。

「ハイハイハイッ。お邪魔でがあすよ。ハイハイハイッ」と馬上なる六十あまりの老爺おやじ頬被ほおかぶりをとりながら、怪しげに二人ふたりのようすを見かえり見かえり行き過ぎたり。

 千々岩は立ちたるままに、動かず。額のすじはややのびて、結びたる唇のほとりに冷笑のみぞ浮かびたる。

「へへへへ、御迷惑ならお返しなさい」

「何をですか?」

「何が何をですか、おきらいなものを!」

「ありません」

「なぜないのです」

「汚らわしいものは焼きすててしまいました」

「いよいよですな。別に見た者はきっとないですか」

「ありません」

「いよいよですか」

「失敬な」

 浪子は忿然ふんぜんとして放ちたる眼光の、彼がまっ黒き目のすさまじきに見返されて、不快に得堪えたえずぞっと震いつつ、はるかに目をそらしぬ。あたかもその時谷を隔てしかなたの坂の口に武男の姿見え来たりぬ。顔一点なつめのごとくあかく夕日にひらめきつ。

 浪子はほっと息つきたり。

「浪子さん」

 千々岩は懲りずまにあちこちらす浪子の目を追いつつ「浪子さん、一言ひとこといって置くが、秘密、何事なにも秘密に、な、武男君にも、御両親にも。で、なけりゃ──後悔しますぞ」

 いなずまのごとき眼光を浪子のおもてに射つつ、千々岩は身を転じて、してそこらの草花を摘み集めぬ。

 靴音くつおと高く、ステッキ打ち振りつつ坂を上り来し武男「失敬、失敬。あ苦しい、走りずめだッたから。しかしあったよ、ステッキは。──う、浪さんどうかしたかい、ひどく顔色いろが悪いぞ」

 千々岩は今摘みしすみれの花を胸の飾紐ひもにさしながら、

「なに、浪子さんはね、君があまりひま取ったもンだから、おおかた迷子まいごになったンだろうッて、ひどく心配しなすッたンさ。はッはははは」

「あはははは。そうか。さあ、そろそろ帰ろうじゃないか」

 三人みたりの影法師は相並んで道べの草にきつつ伊香保のかたに行きぬ。


四の一


 午後三時高崎発上り列車の中等室のかたすみに、人なきを幸い、靴ばきのまま腰掛けの上に足さしのばして、巻莨まきたばこをふかしつつ、新聞を読みおるは千々岩安彦なり。

 手荒く新聞を投げやり、

「ばか!」

 歯の間よりもの言う拍子に落ちし巻莨を腹立たしげに踏み消し、窓の外につばはきしまましばらくたたずみていたるが、やがて舌打ち鳴らして、室の全長ながさを二三往来ゆききして、また腰掛けに戻りつ。手をこまぬきて、目を閉じぬ。まっ黒きまゆは一文字にぞ寄りたる。

       *

 千々岩安彦はみなしごなりき。父は鹿児島かごしまの藩士にて、維新の戦争に討死うちじにし、母は安彦が六歳の夏そのころ霍乱かくらんと言いけるコレラにたおれ、六歳の孤児は叔母おば──父の妹の手に引き取られぬ。父の妹はすなわち川島武男の母なりき。

 叔母はさすがに少しは安彦をあわれみたれども、叔父おじはこれを厄介者に思いぬ。武男が仙台平せんだいひらはかまはきて儀式の座につく時、小倉袴こくらばかまえたるを着て下座にすくまされし千々岩は、身は武男のごとく親、財産、地位などのあり余る者ならずして、全くわがこぶしとわが知恵に世を渡るべき者なるを早く悟り得て、武男をにくみ、叔父をうらめり。

 彼は世渡りの道に裏と表の二条ふたすじあるを見ぬきて、いかなる場合にも捷径しょうけいをとりて進まんことを誓いぬ。されば叔父の陰によりて陸軍士官学校にありける間も、同窓の者は試験の、点数のと騒ぐに、千々岩は郷党の先輩にも出入り油断なく、いやしくも交わるに身の便宜たよりになるべき者を選み、他の者どもが卒業証書握りてほっと息つくに、早くも手づるつとうて陸軍の主脳なる参謀本部の囲いうちに乗り込み、ほかの同窓生なかまはあちこちの中隊付きとなりてそれ練兵やれ行軍と追いつかわるるに引きかえて、千々岩は参謀本部の階下に煙吹かして戯談じょうだんの間に軍国の大事もあるいは耳に入るうらやましき地位に巣くいたり。

 この上は結婚なり。猿猴えんこうのよく水に下るはつなげる手あるがため、人の立身するはよき縁あるがためと、早くも知れる彼は、戸籍吏ならねども、某男爵は某侯爵の婿、某学士兼高等官は某伯の婿、某富豪は某伯の子息の養父にて、某侯の子息のさいも某富豪のむすめと暗に指を折りつつ、早くもそこここと配れるまなこ片岡かたおか陸軍中将の家に注ぎぬ。片岡中将としいえば、当時予備にこそおれ、驍名ぎょうめい天下に隠れなく、かしこきあたりの御覚おんおぼえもいとめでたく、度量濶大かつだいにして、誠に国家の干城と言いつべき将軍なり。千々岩は早くこの将軍の隠然として天下に重き勢力を見ぬきたれば、いささかの便たよりを求めて次第に近寄り、如才なく奥にも取り入りつ。目は直ちに第一の令嬢浪子をにらみぬ。一には父中将の愛おのずからもっとも深く浪子の上に注ぐをいち早くて取りしゆえ、二には今の奥様はおのずから浪子をうとみてどこにもあれ縁あらば早く片づけたき様子を見たるため、三にはまた浪子のつつしみ深く気高けだかきを好ましと思う念もまじりて、すなわちその人を目がけしなり。かくて様子を見るに中将はいわゆる喜怒容易に色にあらわれぬ太腹の人なれば、何と思わるるかはちと測り難けれど、奥様の気には確かに入りたり。二番目の令嬢の名はおこまとて少しねたる三五の少女おとめはことにわれと仲よしなり。その下には今の奥様の腹にて、二人ふたりの子供あれど、こは問題のほかとしてここに老女のいくとて先の奥様の時より勤め、今の奥様の輿入こしいれ後奥台所の大更迭を行われし時も中将の声がかりにて一人ひとり居残りし女、これが終始浪子のそばにつきてわれに好意の乏しきが邪魔なれど、なあに、本人の浪子さえ攻め落とさばと、千々岩はやがて一年ばかり機会をうかがいしが、今は待ちあぐみてある日宴会帰りのいまぎれ、大胆にも一通の艶書えんしょ二重ふたえふうにして表書きを女文字もじに、ことさらに郵便をかりて浪子に送りつ。

 その日命ありてにわかに遠方に出張し、三月あまりにして帰れば、わが留守に浪子は貴族院議員加藤かとうなにがし媒酌ばいしゃくにて、人もあるべきにわが従弟いとこ川島武男と結婚の式すでに済みてあらんとは! 思わぬ不覚をとりし千々岩は、腹立ちまぎれに、色よき返事このようにと心に祝いて土産みやげに京都よりうて来し友染縮緬ゆうぜんちりめんずたずたに引き裂きて屑籠くずかごに投げ込みぬ。

 さりながら千々岩はいかなる場合にも全くわれを忘れおわる男にあらざれば、たちまちにして敗余の兵を収めつ。ただ心外なるはこの上かの艶書ふみの一条もし浪子より中将に武男に漏れなば大事の便宜たよりを失う恐れあり。持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどまたおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻をうて、やがて探りを入れたるなり。

 いまいましきは武男──

       *

「武男、武男」と耳近にたれやら呼びし心地ここちして、がくと目を開きし千々岩、窓よりのぞけば、列車はまさに上尾あげお停車場ステーションにあり。駅夫が、「上尾上尾」と呼びて過ぎたるなり。

「ばかなッ!」

 ひとり自らののしりて、千々岩はちて二三度車室をき戻りつ。心にまとうるものを振り落とさんとするように身震いして、座にかえりぬ。冷笑の影、目にもくちびるにも浮かびたり。

 列車はまたも上尾をでて、疾風のごとくせつつ、幾駅か過ぎて、王子おうじに着きける時、プラットフォムの砂利踏みにじりて、五六人ドヤドヤと中等室に入り込みぬ。なかに五十あまりの男の、一楽いちらく上下にまいぞろい白縮緬しろちりめん兵児帯へこおびに岩丈な金鎖をきらめかせ、右手めての指に分厚ぶあつな金の指環ゆびわをさし、あから顔の目じり著しくたれて、左の目下にしたたかなる赤黒子あかぼくろあるが、腰かくる拍子にフット目を見合わせつ。

「やあ、千々岩さん」

「やあ、これは……」

「どちらへおいででしたか」言いつつ赤黒子は立って千々岩がそばに腰かけつ。

「はあ、高崎まで」

「高崎のお帰途かえりですか」ちょっと千々岩の顔をながめ、少し声を低めて「時にお急ぎですか。でなけりゃ夜食でもごいっしょにやりましょう」

 千々岩はうなずきたり。


四の二


 橋場の渡しのほとりなるとある水荘の門に山木兵造やまきひょうぞう別邸とあるを見ずば、なにがし待合まちあいかと思わるべき家作やづくりの、しかも音締ねじめのおとしめやかに婀娜あだめきたる島田の障子しょうじに映るか、さもなくばくれない毛氈もうせん敷かれて花牌はなふだなど落ち散るにふさわしかるべき二階の一室ひとまに、わざと電燈の野暮やぼを避けて例の和洋行燈あんどうらんぷを据え、取り散らしたる杯盤の間に、あぐらをかけるは千々岩と今一人ひとりの赤黒子は問うまでもなき当家の主人山木兵造なるべし。

 遠ざけにしや、そばにはんべる女もあらず。赤黒子の前には小形の手帳を広げたり、鉛筆を添えて。番地官名など細かに肩書きして姓名数多あまたしるせる上に、鉛筆にてさまざまの符号しるしつけたり。丸。四角。三角。イの字。ハの字。五六七などの数字。あるいはローマ数字。点かけたるもあり。ひとたび消してイキルとしたるもあり。

「それじゃ千々岩さん。その方はそれと決めて置いて、いよいよまったらすぐ知らしてくれたまえ。──大丈夫間違はあるまいね」

「大丈夫さ、もう大臣の手もとまで出ているのだから。しかし何しろ競争者あいてがしょっちゅう運動しとるのだから例のも思い切ってかんといけない。これだがね、こいつなかなか食えないやつだ。しッかりくつわをかませんといけないぜ」と千々岩は手帳の上のいつの名をさしぬ。

「こらあどうだね?」

「そいつは話せないやつだ。僕はよくしらないが、ひどく頑固がんこなやつだそうだ。まあ正面から平身低頭でゆくのだな。悪くするとしくじるよ」

「いや陸軍にも、わかった人もあるが、実に話のできン男もいるね。去年だった、師団に服を納めるンで、例の筆法でまあ大概は無事に通ったのはよかッたが。あら何とか言ッたッけ、赤髯あかひげの大佐だったがな、そいつが何のかの難癖つけて困るから、番頭をやって例の菓子箱を出すと、ばかめ、賄賂わいろなんぞ取るものか、軍人の体面に関するなんて威張って、とどのつまりあ菓子箱を飛ばしたと思いなさい。例の上層うえが干菓子で、下が銀貨しろいのだから、たまらないさ。紅葉もみじが散る雪が降る、座敷じゅう──の雨だろう。するとそいつめいよいよ腹あ立てやがッて、汚らわしいの、やれ告発するのなんのぬかしやがるさ。やっと結局まとめをつけはつけたが、大骨折らしアがッたね。こんな先生がいるからばかばかしく事が面倒になる。いや面倒というと武男さんなぞがやっぱりこの流で、実に話せないに困る。こないだも──」

「しかし武男なんざ親父おやじが何万という身代をこしらえて置いたのだから、頑固だッて正直だッて好きなまねしていけるのだがね。吾輩ぼくのごときは腕一本──」

「いやすっかり忘れていた」と赤黒子はちょいと千々岩の顔を見て、懐中より十円紙幣さつ五枚取りいだし「いずれ何はあとからとして、まあ車代に」

「遠慮なく頂戴ちょうだいします」手早くかき集めてうちポケットにしまいながら「しかし山木さん」

「?」

「なにさ、かぬ種はえんからな!」

 山木は苦笑にがわらいしつ。千々岩が肩ぽんとたたいて「食えン男だ、惜しい事だな、せめて経理局長ぐらいに!」

「はははは。山木さん、清正きよまさの短刀は子供の三尺三寸よりか切れるぜ」

「うまく言ったな──しかし君、蠣殻町かきがらちょうだけは用心したまえ、素人しろうとじゃどうしてもしくじるぜ」

「なあに、端金はしたがねだからね──」

「じゃいずれ近日、様子がわかり次第──なに、車は出てから乗った方が大丈夫です」

「それじゃ──家内も御挨拶ごあいさつに出るのだが、娘が手離されんでね」

「おとよさんが? 病気ですか」

「実はその、何です。この一月ばかり病気をやってな、それで家内が連れてへ来ているですて。いや千々岩さん、かかだの子だの滅多に持つもんじゃないね。金もうけは独身に限るよ。はッははは」

 主人あるじ女中おんなに玄関まで見送られて、千々岩は山木の別邸をで行きたり。


四の三


 千々岩を送り終わりて、山木が奥へ帰り入る時、かなたのふすますうと開きて、色白きただし髪薄くしてしかも前歯二本不行儀にりたる四十あまりの女入り来たりて山木のそばに座を占めたり。

「千々岩さんはもうお帰り?」

「今追っぱらったとこだ。どうだい、とよは?」

 反歯そっぱの女はいとど顔を長くして「ほんまに良人あんた彼女あれにも困り切りますがな。──かね御身おまえはあちっておいで。今日きょうもなあんた、ちいと何かが気に食わんたらいうて、お茶碗ちゃわんを投げたり、着物を裂いたりして、しようがありまへんやった。ほんまに十八という年をして──」

「いよいよもって巣鴨すがもだね。困ったやつだ」

「あんた、そないな戯談じょうだんどころじゃございませんがな。──でもかあいそうや、ほんまにかあいそうや、今日もな、あんた、たけにそういいましたてね。ほんまに憎らしい武男はんや、ひどいひどいひどいひどい人や、去年のお正月には靴下くつしたを編んであげたし、それからハンケチの縁を縫ってあげたし、それからまだ毛糸の手袋だの、腕ぬきだの、それどころか今年の御年始には赤い毛糸でシャツまで編んであげたに、みいな自腹ア切ッて編んであげたのに、なアん沙汰さたなしであの不器量な意地いじわるの威張った浪子はんをお嫁にもらったり、ほんまにひどい人だわ、ひどいわひどいわひどいわひどいわ、あたしも山木のむすめやさかい、浪子はんなんかに負けるものか、ほんまにひどいひどいひどいひどいッてな、あんた、こないに言って泣いてな。そないに思い込んでいますに、あああ、どうにかしてやりたいがな、あんた」

「ばかを言いなさい。勇将のもとに弱卒なし。御身おまえはさすがに豊がおっかさんだよ。そらア川島だッて新華族にしちゃよっぽど財産もあるし、武男さんも万更まんざらばかでもないから、おれもよほどお豊を入れ込もうと骨折って見たじゃないか。しかしだめで、もうちゃんと婚礼が済んで見れば、何もかも御破算さ。お浪さんが死んでしまうか、離縁にでもならなきゃア仕方がないじゃないか。それよりもばかな事はいい加減に思い切ッてさ、ほかにかたづく分別が肝心じゃないか、ばかめ」

「何が阿呆あほうかいな? はい、あんた見たいに利口やおまへんさかいな。好年配えいとしをして、彼女あれ此女これ足袋たびとりかえるような──」

「そう雄弁滔々とうとうまくしかけられちゃア困るて。御身おまえは本当に──だ。すぐむきになりよる。なにさ、おれだッて、お豊は子だもの、かあいがらずにどうするものか、だからさ、そんなくだらぬ繰り言ばっかり言ってるよりも、別にな、立派なとこに、な、生涯楽をさせようと思ってるのだ。さ、おすみ、来なさい、二人ふたりでちっと説諭でもして見ようじゃないか」

 と夫婦打ち連れ、廊下伝いに娘お豊のめる離室はなれにおもむきたり。

 山木兵造というはいずこの人なりけるにや、出所定かならねど、今は世に知られたる紳商とやらの一にんなり。出世の初め、今は故人となりし武男が父の世話を受けしこと少なからざれば、今も川島家に出入りすという。それも川島家が新華族中にての財産家なるがゆえなりという者あれど、そはあまりに酷なる評なるべし。本宅を芝桜川町しばさくらがわちょうに構えて、別荘を橋場の渡しのほとりに持ち、昔は高利も貸しけるが、今はもっぱら陸軍その他官省の請負を業とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、むすめお豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞという人もありしが、実は意気婀娜あだなど形容詞のつくべき女諸処に家居いえいして、輪番かわるがわる行く山木を待ちける由は妻もおぼろげならずさとりしなり。


四の四


 床には琴、月琴、ガラス箱入りの大人形などを置きたり。すみには美しき女机あり、こなたには姿見鏡すがたみあり。いかなる高貴の姫君や住みたもうらんと見てあれば、八畳のまんなかに絹ぶとん敷かせて、玉蜀黍とうもろこしの毛をつかねて結ったようなる島田を大童おおわらわに振り乱し、ごろりと横にしたる十七八の娘、色白の下豊しもぶくれといえばかあいげなれど、その下豊しもぶくれが少し過ぎてほおのあたりの肉今や落ちんかと危ぶまるるに、ちょっぽりとあいた口は閉ずるも面倒といいがおに始終洞門どうもんを形づくり、うっすりとあるかなきかのまゆの下にありあまる肉をかろうじて二三上下うえしたに押し分けつつ開きし目のうちいかにも春がすみのかけたるごとく、前の世からの長き眠りがとんと今もってさめぬようなり。

 今何かいいつけられて笑いを忍んで立って行く女のせなに、「ばか」と一つ後ろ矢を射つけながら、むすめはじれったげに掻巻かいまき踏みぬぎ、床の間にありし大形の──はかまはきたる女生徒の多くうつれる写真をとりて、糸のごとき目にまばたきもせず見つめしが、やがてその一人ひとりの顔と覚しきあたりをしきりに爪弾つまはじきしつ。なおそれにも飽き足らでや、つめもてその顔の上に縦横にきずをつけぬ。

 ふすまの開く音。

「たれ? 竹かい」

「うん竹だ、頭の禿げた竹だ」

 笑いながらまくらべにすわるは、父の山木と母なり。娘はさすがにあわてて写真を押し隠し、起きもされず寝もされずといわんがごとく横になりおる。

「どうだ、お豊、気分は? ちっとはいいか? 今隠したのは何だい。ちょっと見せな、まあ見せな。これさ見せなといえば。──なんだ、こりア、浪子さんの顔じゃないか、ひどく爪かたをつけたじゃないか。こんな事するよりかうしの時参りでもした方がよっぽど気がきいてるぜ!」

「あんたまたそないな事を!」

「どうだ、お豊、御身おまえも山木兵造の娘じゃないか。ちっと気を大きくして山気やまきを出せ、山気を出せ、あんなけちけちした男に心中立て──それもさこっちばかりでお相手なしの心中立てするよりか、こら、お豊、三井みつい三菱みつびし、でなけりゃア大将か総理大臣の息子むすこ、いやそれよりか外国の皇族でも引っかける分別をしろ。そんな肝ッ玉の小せエ事でどうするものか。どうだい、お豊」

 母の前では縦横にをこねたまえど、お豊姫もさすがに父の前をばはばかりたもうなり。突っ伏して答えなし。

「どうだ、お豊、やっぱり武男さんが恋しいか。いや困った小浪こなみ御寮ごりょうだ。小浪といえば、ねエお豊、ちっと気晴らしに京都にでも行って見んか。そらアおもしろいぞ。祇園ぎおん清水きよみず知恩院ちおんいん金閣寺きんかくじ拝見がいやなら西陣にしじんへ行って、帯か三まいがさねでも見立てるさ。どうだ、あいた口に牡丹餅ぼたもちよりうまい話だろう。御身おまえも久しぶりだ、お豊を連れて道行きと出かけなさい、なあおすみ」

「あんたもいっしょに行きなはるのかいな」

「おれ? ばかを言いなさい、このせわしいなかに!」

「それならわたしもまあ見合わせやな」

「なぜ? 飛んだ義理立てさするじゃないか。なぜだい?」

「おほ」

「なぜだい?」

「おほほほほほ」

「気味のわりい笑い方をするじゃないか。なぜだい?」

「あんた一人ひとりの留守が心配やさかい」

「ばかをいうぜ。お豊の前でそんな事いうやつがあるものか。お豊、おっかさんの言ってるこたア皆うそだぜ、に受けるなよ」

「おほほほ。どないに口で言わはってもあかんさかいなア」

「ばかをいうな。それよりか──なお豊、気を広く持て、広く。待てば甘露じゃ。今におもしれエ事が出て来るぜ」


五の一


 赤坂氷川町ひかわまちなる片岡中将の邸内にくりの花咲く六月半ばのある土曜の午後ひるすぎ、主人子爵片岡中将はネルの単衣ひとえ鼠縮緬ねずみちりめん兵児帯へこおびして、どっかりと書斎の椅子いすりぬ。

 五十に間はなかるべし。額のあたり少し禿げ、両鬢りょうびん霜ようやくしげからんとす。体量は二十二貫、アラビアだね逸物いちもつも将軍の座下に汗すという。両の肩怒りてくびを没し、二重ふたえあぎと直ちに胸につづき、安禄山あんろくざん風の腹便々として、牛にも似たる太腿ふとももは行くに相擦あいすれつべし。顔色いろは思い切って赭黒あかぐろく、鼻太く、くちびる厚く、ひげ薄く、まゆも薄し。ただこのからだに似げなき両眼細うして光り和らかに、さながら象の目に似たると、今にもまんずるはいの断えず口もとにさまよえるとは、いうべからざる愛嬌あいきょう滑稽こっけい嗜味しみをば著しく描きいだしぬ。

 ある年の秋の事とか、中将微服して山里にり暮らし、ばばひとり住む山小屋に渋茶一わん所望しけるに、ばばつくづくと中将の様子を見て、

「でけえ体格からだだのう。うさぎのひとつもとれたんべいか?」

 中将莞爾かんじとして「ちっともとれない」

「そねエな殺生せっしょうしたあて、あにが商売になるもんかよ。その体格からだ日傭ひよう取りでもして見ろよ、五十両は大丈夫だあよ」

「月にかい?」

「あに! 年によ。わりいこたあいわねえだから、日傭取るだあよ。いつだあておらが世話あしてやる」

「おう、それはありがたい。また頼みに来るかもしれん」

「そうしろよ、そうしろよ。そのでけえ体格からだで殺生は惜しいこんだ」

 こは中将の知己の間に一つ話として時々づる佳話なりとか。知らぬ目よりはさこそ見ゆらめ。知れる目よりはこの大山たいさん巌々がんがんとして物に動ぜぬ大器量の将軍をば、まさかの時の鉄壁とたのみて、その二十二貫小山のごとき体格と常に怡然いぜんたる神色とは洶々きょうきょうたる三軍の心をも安からしむべし。

 肱近ひじちかのテーブルには青地交趾せいじこうちはちに植えたる武者立むしゃだち細竹さいちくを置けり。頭上には高く両陛下の御影ぎょえいを掲げつ。下りてかなたの一面には「成仁じんをなす」の額あり。落款は南洲なんしゅうなり。架上に書あり。暖炉縁マンテルピースの上、すみなる三角だなの上には、内外人の写真七八枚、軍服あり、平装のもあり。

 草色のカーテンを絞りて、東南二方の窓は六つとも朗らかに明け放ちたり。東のかたは眼下に人うごめき家かさなれる谷町を見越して、青々としたる霊南台の上より、愛宕塔あたごとうさき、尺ばかりあらわれたるを望む。とびありてその上をめぐりつ。南はくりの花咲きこぼれたる庭なり。その絶え間より氷川社ひかわやしろ銀杏いちょうこずえ青鉾あおほこをたてしように見ゆ。

 窓より見晴らす初夏の空あおあおと浅黄繻子あさぎじゅすなんどのように光りつ。見る目清々すがすがしき緑葉あおばのそこここに、卵白色たまごいろの栗の花ふさふさと満樹いっぱいに咲きて、えがけるごとく空のみどりに映りたり。窓近くさしでたる一枝は、枝の武骨なるに似ず、日光のさすままに緑玉、碧玉へきぎょく琥珀こはくさまざまの色に透きつかすめるその葉の間々あいあいに、肩総エポレットそのままの花ゆらゆらと枝もたわわに咲けるが、吹くとはなくて大気のふるうごとには忍びやかに書斎に音ずれ、薄紫の影は窓のしきみより主人が左手ゆんでに持てる「西比利亜サイベリア鉄道の現況」のページの上にちらちらおどりぬ。

 主人はしばしその細き目を閉じて、太息といきつきしが、またおもむろに開きたる目を冊子の上に注ぎつ。

 いずくにか、車井くるまいおとからからとたまをまろばすように聞こえしが、またやみぬ。

 午後の静寂しずけさは一邸に満ちたり。

 たちまちすきをねらう二人ふたり曲者くせものあり。尺ばかり透きしとびらよりそっとかしらをさし入れて、また引き込めつ。忍び笑いの声は戸の外に渦まきぬ。一人ひとりの曲者は八つばかりの男児おのこなり。ひざぎりの水兵の服を着て、編み上げ靴をはきたり。一人の曲者は五つか、六つなるべし、紫矢絣やがすり単衣ひとえくれないの帯して、髪ははらりと目の上まで散らせり。

 二人の曲者はしばし戸の外にたゆたいしが、今はこらえ兼ねたるように四つの手ひとしく扉をおしひらきて、一斉に突貫し、室のなかほどに横たわりし新聞綴込とじこみ堡塁ほうるいを難なく乗り越え、真一文字に中将の椅子いすに攻め寄せて、水兵は右、振り分け髪は左、小山のごとき中将の膝を生けどり、

「おとうさま!」


五の二


「おう、帰ったか」

 いかにもゆったりとその便々たる腹の底より押しあげたようなる乙音ベースを発しつつ、中将はにっこりとみて、その重やかなる手して右に水兵の肩をたたき、左に振り分け髪のその前髪をかいなでつ。

「どうだ、小試験は? でけたか?」

「僕アね、僕アね、おとうさま、僕ア算術は甲」

「あたしね、おとうさま、今日きょうは縫い取りがよくできたッて先生おほめなすッてよ」

 と振り分け髪はふところより幼稚園の製作物こしらえものを取りいだして中将の膝の上に置く。

「おう、こら立派にでけたぞ」

「それからね、習字に読書が乙で、あとはみんな丙なの、とうと水上みなかみに負けちゃッた。僕アくやしくッて仕方がないの」

「勉強するさ──今日は修身の話は何じゃッたか?」

 水兵は快然とみつつ、「今日はね、おとうさま、楠正行くすのきまさつらの話よ。僕正行ア大好き。正行とナポレオンはどっちがエライの?」

「どっちもエライさ」

「僕アね、おとうさま、正行ア大好きだけど、海軍がなお好きよ。おとうさまが陸軍だから、僕ア海軍になるンだ」

「はははは。川島の兄君にいさん弟子でしになるのか?」

「だッて、川島の兄君にいさんなんか少尉だもの。僕ア中将になるンだ」

「なぜ大将にやならンか?」

「だッて、おとうさまも中将だからさ。中将は少尉よかエライんだね、おとうさま」

「少尉でも、中将でも、勉強する者がエライじゃ」

「あたしね、おとうさま、おとうさまてばヨウおとうさま」と振り分け髪はつかまりたる中将の膝を頡頏台はねだいにしてからだを上下うえしたに揺すりながら、「今日はね、おもしろいお話を聞いてよ、あのうさぎかめのお話を聞いてよ、言って見ましょうか、──ある所に一ぴきの兎と亀がおりました──あらおかあさまいらッしてよ」

 柱時計の午後二点にじをうつ拍子に、入り来たりしは三十八九のたけ高き婦人なり。束髪の前髪をきりて、ちぢらしたるを、たかき額の上にて二つに分けたり。やや大きなる目少しく釣りて、どこやらちと険なる所あり。地色の黒きにうっすりきて、くちびるをまれに漏るる歯はまばゆきまでしろくみがきぬ。パッとしたお召の単衣ひとえ黒繻子くろじゅすの丸帯、左右の指に宝石たま入りの金環あたえ高かるべきをさしたり。

「またおとうさまに甘えているね」

「なにさ、今学校の成績を聞いてた所じゃ。──さあ、これからおとうさんのおけいこじゃ。みんな外で遊べ遊べ。あとで運動に行くぞ」

「まあ、うれしい」

「万歳!」

 両児ふたりとして、互いにもつれつ、からみつ、前になりあとになりて、室をで去りしが、やがて「万歳!」「にいさまあたしもよ」と叫ぶ声はるかに聞こえたり。

「どんなに申しても、良人あなたはやっぱり甘くなさいますよ」

 中将はほほえみつ。「何、そうでもないが、子供はかあいがッた方がいいさ」

「でもあなた、厳父慈母と俗にも申しますに、あなたがかあいがッてばかりおやンなさいますから、ほんとに逆さまになッてしまッて、わたくしは始終しかり通しで、にくまれ役はわたくし一人ひとりですわ」

「まあそう短兵急たんぺいきゅうに攻めンでもええじゃないか。どうかお手柔らかに──先生はまずそこにおかけください。はははは」

 打ち笑いつつ中将は立ってテーブルの上よりふるきローヤルの第三読本リードルを取りて、片唾かたずをのみつつ、薩音さつおんまじりの怪しき英語を読み始めぬ。静聴する婦人──夫人はしきりに発音の誤りを正しおる。

 こは中将の日課なり。維新の騒ぎに一介の武夫として身を起こしたる子爵は、身生の匇忙そうぼうわれて外国語を修むるのひまもなかりしが、昨年来予備となりて少し閑暇を得てければ、このおりにとまず英語に攻めかかれるなり。教師には手近の夫人繁子しげこ。長州の名ある士人さむらいの娘にて、久しく英国ロンドンに留学しつれば、英語は大抵の男子も及ばぬまで達者なりとか。げにもロンドンのけむにまかれし夫人は、何事によらず洋風を重んじて、家政の整理、子供の教育、皆わが洋のほかにて見もし聞きもせし通りに行わんとあせれど、事おおかたは志とたがいて、僕婢おとこおんなは陰にわが世なれぬをあざけり、子供はおのずから寛大なる父にのみなずき、かつ良人おっとの何事も鷹揚おうように東洋風なるが、まず夫人不平の種子たねなりけるなり。

 中将が千辛万苦して一ページを読み終わり、まさに訳読にかからんとする所に、翻りてくれないのリボンかけたる垂髪さげがみの──十五ばかりの少女おとめ入り来たり、中将が大の手にさき読本をささげ読めるさまのおかしきを、ほほと笑いつ。

「おかあさま、飯田町いいだまち伯母おば様がいらッしゃいましてよ」

「そう」と見るべく見るべからざるほどのしわをまゆの間に寄せながら、ちょっと中将の顔をうかがう。

 中将はおもむろにたち上がりて、椅子を片寄せ「こちへ御案内申しな」


五の三


「御免ください」

 とはいって来しは四十五六とも見ゆる品よき婦人、目ましきにや、水色の眼鏡めがねをかけたり。顔のどことなく伊香保の三階に見し人に似たりと思うもそのはずなるべし。こは片岡中将の先妻の姉清子せいことて、貴族院議員子爵加藤俊明かとうとしあき氏の夫人、媒妁なかだちとして浪子を川島家にとつがしつるもこの夫婦なりけるなり。

 中将はにこやかにたちて椅子をすすめ、椅子に向かえる窓のとばりを少し引き立てながら、

「さあ、どうか。非常にごぶさたをしました。御主人おうちじゃ相変わらずおせわしいでしょうな。ははははは」

「まるで橐駝師うえきやでね、木鋏はさみは放しませんよ。ほほほほ。まだ菖蒲しょうぶには早いのですが、自慢の朝鮮柘榴ざくろが花盛りで、薔薇ばらもまだ残ってますからどうかおほめに来てくださいまして、ね、くれぐれ申しましたよ。ほほほほ。──どうか、毅一きいさんやみいちゃんをお連れなすッて」と水色の眼鏡は片岡夫人のかたに向かいぬ。

 打ち明けていえば、子爵夫人はあまり水色の眼鏡をば好まぬなり。教育のちがい、気質の異なり、そはもちろんの事として、先妻の姉──これが始終心にわだかまりて、不快の種子たねとなれるなり。われひとり主人中将の心を占領して、われひとり家に女主人あるじの威光を振るわんずる鼻さきへ、先妻の姉なる人のしばしば出入して、き妻の面影おもかげを主人の眼前めさきに浮かぶるのみか、口にこそいださね、わがこれをも昔の名残なごりとしうとめる浪子、うばの幾らに同情を寄せ、死せる孔明こうめいのそれならねども、何かにつけてみまかりし人の影をよび起こしてわれと争わすが、はなはだ快からざりしなり。今やその浪子と姥の幾はようやくに去りて、治外の法権れしはやや心安きに似たれど、今もかの水色眼鏡の顔見るごとに、髣髴ほうふつ墓中の人ので来たりてわれと良人おっとを争い、主婦の権力を争い、せっかく立てし教育の方法家政の経綸けいりんをも争わんずる心地ここちして、おのずから安からず覚ゆるなりけり。

 水色の眼鏡は蝦夷錦えぞにしき信玄袋しんげんぶくろより瓶詰びんづめの菓子を取りいだ

「もらい物ですが、毅一きいさんとみいちゃんに。まだ学校ですか、見えませんねエ。ああ、そうですか。──それからこれはこまさんに」

 と紅茶を持て来しくれないのリボンの少女に紫陽花あじさい花簪はなかんざしを与えつ。

「いつもいつもお気の毒さまですねエ、どんなに喜びましょう」と言いつつ子爵夫人はくだんの瓶をテーブルの上に置きぬ。

 おりからおんなの来たりて、赤十字社のお方の奥様に御面会なされたしというに、子爵夫人は会釈して場をはずしぬ。室をでける時、あとよりつきてでし少女おとめを小手招きして、何事をかささやきつ。小戻りして、窓のカーテンの陰にうちの話を立ち聞く少女おとめをあとに残して、夫人は廊下伝いに応接間のかたへ行きたり。紅のリボンのお駒というは、今年十五にて、これも先妻の腹なりしが、夫人は姉の浪子をうとめるに引きかえてお駒を愛しぬ。寡言ことばすくなにして何事も内気なる浪子を、意地わるきね者とのみ思い誤りし夫人は、姉に比してややきゃんなるいもとのおのが気質に似たるを喜び、一は姉へのあてつけに、一はまた継子ままことて愛せぬものかと世間に見せたき心も──ありて、父の愛の姉に注げるに対しておのずから味方を妹に求めぬ。

 私強わたくしづよき人の性質たちとして、あるかたには人の思わくも思わずわが思うままにやり通すこともあれど、また思いのほかにもろくて人の評判に気をかねるものなり。畢竟ひっきょう名と利とあわせ収めて、好きな事する上に人によく思われんとするは、わがまま者の常なり。かかる人に限りて、おのずからへつらいを喜ぶ。子爵夫人は男まさりの、しかも洋風仕込みの、議論にかけては威命天下に響ける夫中将にすらひけを取らねど、中将のいたるところ友を作りう人ごとに慕わるるに引きかえて、愛なき身には味方なく、心さびしきままにおのずからへつらい寄る人をば喜びつ。召使いの僕婢おとこおんなことおそきはいつか退けられて、世辞よきが用いられるようになれば、幼き駒子も必ずしも姉を忌むにはあらざれど、姉をそしるが継母の気に入るを覚えてより、ついには告げ口の癖をなして、うばの幾に顔しかめさせしも一度二度にはあらず。されば姉はとつぎての今までも、継母のためには細作をも務むるなりけり。

 東側の縁の、二つ目の窓の陰に身をそばめて、聞きおれば、時々腹より押し出したような父の笑い声、りんとした伯母の笑い声、かわるがわる聞こえしが、後には話し声のようやく低音こえひくになりて、「しゅうとめ」「浪さん」などのとぎれとぎれに聞こゆるに、あかリボンの少女おとめはいよよ耳傾けて聞き居たり。


五の四


しゃアく余州をうぞる、十う万ン余騎の敵イ、なんぞおそれンわアれに、鎌倉かまくーらア男児ありイ」

 と足拍子踏みながらやって来しさっきの水兵、目早く縁側にたたずめるあかリボンを見つけて、紅リボンがしきりに手もて口をおおいて見せ、かしらり手を振りて見せるも委細かまわず「ねえさま姉さま」と走り寄り「何してるの?」と問いすがり、姉がしきりにかしらをふるを「何? 何?」と問うに、紅リボンは顔をしかめて「いやな人だよ」と思わず声高に言って、しまったりと言い顔に肩をそびやかし、匇々そうそうに去り行きたり。

「ヤアイ、逃げた、ヤアイ」

 と叫びながら、水兵は父の書斎に入りつ。来客の顔を見るよりにっこと笑いて、ちょっとかしらを下げながらつと父のひざにすがりぬ。

「おや毅一きいさん、すこし見ないうちに、また大きくなったようですね。毎日学校ですか。そう、算術が甲? よく勉強しましたねエ。近いうちにおとうさまやおかあさまと伯母さンとこにおいでなさいな」

みいはどうした? おう、そうか。そうら、伯母様がこんなものをくださッたぞ。うれしいか、あはははは」と菓子のびんを見せながら「かあさんはどうした? まだ客か? 伯母様がもうお帰りなさる、とそう言って来い」

 で行く子供のあと見送りながら、主人中将はじっと水色眼鏡の顔を見つめて、

「じゃ幾の事はそうきめてどうか角立かどだたぬように──はあそう願いましょう。いや実はわたしもそんな事がなけりゃいいがと思ったくらいで、まあやらない方じゃったが、浪がしきりに言うし、自身も懇望こんもうしちょったものじゃから──はあ、そう、はあ、はあ、何分願います」

 語半ばにはいり来し子爵夫人繁子しげこ、水色眼鏡のかたをちらと見て「もうお帰りでございますの? あいにくの来客で──いえ、今帰りました。なに、また慈善会の相談ですよ。どうせ物にもなりますまいが。本当に今日きょうはお愛想あいそもございませんで、どうぞ千鶴子ちずこさんによろしく──浪さんがいなくなりましたらちょっとも遊びにいらッしゃいませんねエ」

「こないだから少し加減が悪かッたものですから、どこにもごぶさたばかりいたします──では」と信玄袋をとりておもむろに立てば、

 中将もやおらたいを起こして「どれそこまで運動かたがた、なにそこまでじゃ、そら毅一きいみいも運動に行くぞ」

 づるを送りし夫人繁子はやがて居間の安楽椅子に腰かけて、慈善会の趣意がきを見ながら、駒子を手招きて、

「駒さん、何の話だったかい?」

「あのね、おかあさま、よくはわからなかッたけども、何だか幾の事ですわ」

「そう? 幾」

「あのね、川島の老母おばあさんがね、リュウマチで肩が痛んでね、それでこのごろは大層気むずかしいのですと。それにね、幾がねえさんにね、姉さんのお部屋へやでね、あの、奥様、こちらの御隠居様はどうしてあんなに御癇癪ごかんしゃくが出るのでございましょう、本当に奥様おつろうございますねエ、でもお年寄りの事ですから、どうせながい事じゃございません、てね、そんなに言いましたとさ。本当にばかですよ、幾はねエ、おかあさま」

「どこに行ってもいい事はしないよ。困ったばあじゃないかねエ」

「それからねエ、おかあさま、ちょうどその時縁側を老母おばあさんが通ってね、すっかり聞いてしまッて、それはそれはひどくおこってね」

ばちだよ!」

「怒ってね、それで姉さんが心配して、飯田町いいだまちの伯母様に相談してね」

「伯母様に!?」

「だッて姉さんは、いつでも伯母様にばかり何でも相談するのですもの」

 夫人は苦笑にがわらいしつ。

「それから?」

「それからね、おとうさまが幾は別荘番にやるからッてね」

「そう」と額をいとど曇らしながら「それッきりかい?」

「それから、まだ聞くのでしたけども、ちょうど毅一きいさんが来て──」


六の一


 武男が母は、名をおけいと言いて今年五十三、時々リュウマチスの起これど、そのほかは無病息災、麹町上こうじまちかみ番町ばんちょうやしきより亡夫の眠る品川しながわ東海寺とうかいじまで徒歩かちの往来容易なりという。体重は十九貫、公侯伯子男爵の女性にょしょうを通じて、体格がらにかけては関脇せきわきは確かとの評あり。しかしその肥大も実は五六年前ぜん通武みちたけの病没したる後の事にて、その以前はやせぎすの色あおざめて、病人のようなりしという。さればしつけられしゴムまりの手を離されてぶくぶくとふくれ上がるたぐいにやという者もありき。

 亡夫は麑藩げいはんの軽き城下さむらいにて、お慶の縁づきて来し時は、太閤たいこう様に少しましなる婚礼をなしたりしが、維新の風雲に際会して身を起こし、大久保甲東おおくぼこうとうに見込まれて久しく各地に令尹れいいんを務め、一時探題の名は世に聞こえぬ。しかも特質もちまえのわがまま剛情が累をなして、明治政府に友少なく、浪子をなかだちせる加藤子爵などはその少なき友の一にんなりき。甲東没後はとかく志を得ずして世をおえつ。男爵を得しも、実は生まれ所のよかりしおかげ、という者もありし。されば剛情者、わがまま者、癇癪かんしゃく持ちの通武はいつも怏々おうおうとして不平を酒杯さけに漏らしつ。三合入りの大杯たてつけに五つも重ねて、赤鬼のごとくなりつつ、肩をって県会に臨めば、議員に顔色がんしょくある者少なかりしとか。さもありつらん。

 されば川島家はつねに戒厳令のもとにありて、家族は避雷針なき大木の下に夏住むごとく、戦々兢々きょうきょうとして明かし暮らしぬ。父のひざをばわが舞踏として、父にまさる遊び相手は世になきように幼き時より思い込みし武男のほかは、夫人の慶子はもとより奴婢ぬひ出入りの者果ては居間の柱まで主人が鉄拳てっけんの味を知らぬ者なく、今は紳商とて世に知られたるかの山木ごときもこの賜物たまもの頂戴ちょうだいして痛み入りしこともたびたびなりけるが、何これしきの下され物、もうけさして賜わると思えば、なあにやすい所得税だ、としばしば伺候してはいただきける。右の通りの次第なれば、それ御前の御機嫌ごきげんがわるいといえば、台所のねずみまでひっそりとして、迅雷じんらい一声奥より響いて耳の太き下女手に持つ庖丁ほうちょう取り落とし、用ありて私宅へ来る属官などはまず裏口に回って今日きょうの天気予報を聞くくらいなりし。

 三十年から連れ添う夫人お慶の身になっては、なかなかひと通りのつらさにあらず。嫁に来ての当座はさすがにしゅうとしゅうとめもありて夫の気質そうも覚えず過ごせしが、ほどなく姑舅と相ついで果てられし後は、夫の本性ありありと拝まれて、夫人も胸をつきぬ。初め五六たびは夫人もちょいとたてついて見しが、とてもむだと悟っては、もはや争わず、韓信かんしん流に負けて匍伏ほふくし、さもなければ三十六計のその随一をとりて逃げつ。そうするうちにはちっとは呼吸ものみ込みて三度の事は二度で済むようになりしが、さりとて夫の気質は年とともに改まらず。末の三四年は別してはげしくなりて、不平があおる無理酒のほのおに、燃ゆるがごとき癇癪を、二十年の上もそれで鍛われし夫人もさすがにあしらいかねて、武男という子もあり、びん白髪しらがもまじれるさえ打ち忘れて、知事様の奥方男爵夫人と人にいわるる栄耀えいようも物かは、いっそこのつらさにかえて墓守爺はかもりかかともなりて世を楽に過ごして見たしという考えのむらむらとわきたることもありしが、そうこうするについ三十年うっかりと過ごして、そのつれなき夫通武が目をねぶって棺のなかに仰向けにし姿を見し時は、ほっと息はつきながら、さて偽りならぬ涙もほろほろとこぼれぬ。

 涙はこぼれしが、息をつきぬ。息とともに勢いもつきぬ。夫通武存命の間は、その大きなる体と大きなる声にかき消されてどこにいるとも知れざりし夫人、奥の間よりのこのこで来たり、見る見る家いっぱいにふくれ出しぬ。いつも主人のそばに肩をすぼめて細くなりて居し夫人を見しものは、いずれもあきれ果てつ。もっとも西洋の学者の説にては、夫婦は永くなるほど容貌かおかたち気質まで似て来るものといえるが、なるほど近ごろの夫人が物ごし格好、その濃き眉毛まゆげをひくひく動かして、煙管きせる片手に相手の顔をじっと見る様子より、起居たちいの荒さ、それよりも第一癇癪かんしゃくが似たとは愚か亡くなられし男爵そのままという者もありき。

 江戸のかたきを長崎でつということあり。「世の中の事は概して江戸の敵を長崎で討つものなり。在野党の代議士今日議院に慷慨こうがい激烈の演説をなして、盛んに政府を攻撃したもう。至極結構なれども、実はその気焔きえんの一半は、昨夜うちにてさんざんに高利貸アイスクリームいたまいし鬱憤うっぷんと聞いて知れば、ありがた味も半ば減ずるわけなり。されば南シナ海の低気圧は岐阜ぎふ愛知あいちに洪水を起こし、タスカローラの陥落は三陸に海嘯かいしょうを見舞い、師直もろなおはかなわぬ恋のやけ腹を「物の用にたたぬ能書てかき」に立つるなり。宇宙はただ平均、物は皆その平を求むるなり。しこうしてその平均を求むるに、吝嗇者りんしょくもの日済ひなし督促はたるように、われよりあせりて今戻せ明日あす返せとせがむが小人しょうじんにて、いわゆる大人たいじんとは一切の勘定を天道様てんとうさまの銀行に任して、われは真一文字にわが分をかせぐ者ぞ」とある人情博士はかせはのたまいける。

 しかし凡夫ぼんぷは平均を目の前に求め、その求むるや物体運動の法則にしたがいて、水の低きにつくがごとく、障害の少なき方に向かう。されば川島未亡人も三十年の辛抱、こらえこらえし堪忍かんにんの水門、夫の棺のふた閉ずるより早く、さっと押し開いて一度に切って流しぬ。世に恐ろしと思う一人ひとりは、もはやいかにこぶしを伸ばすもわがこうべには届かぬ遠方へきぬ。今まで黙りて居しは意気地いくじなきのにはあらず、夫死してもわれは生きたりと言い顔に、知らず知らず積みし貸し金、利に利をつけてむやみに手近の者に督促はたり始めぬ。その癇癪も、亡くなられし男爵は英雄はだの人物だけ、迷惑にもまたどこやらに小気味よきところもありたるが、それほどの力量ちからはなしにわけわからず、狭くひがみてわがまま強き奥様よりでては、ただただむやみにつらくて、奉公人は故男爵の時よりも泣きける。

 浪子の姑はこの通りの人なりき。


六の二


 丸髷まるまげ揚巻あげまきにかえしそのおりなどは、まだ「お嬢様、おやすくおともいたしましょう」と見当違いの車夫くるまやに言われて、召使いの者に奥様と呼びかけられて返事にたゆとう事はなきようになれば、花嫁の心もまず少しは落ちつきて、初々ういういしさ恥ずかしさの狭霧さぎり朦朧ぼいやりとせしあたりのようすもようよう目にわかたるるようになりぬ。

 家ごとに変わるは家風、御身おんみには言って聞かすまでもなけれど、構えて実家さとを背負うて先方さきへ行きたもうな、片岡浪は今日限り亡くなって今よりは川島浪よりほかになきを忘るるな。とはや晴れの衣装着て馬車に乗らんとする前に父の書斎に呼ばれてねんごろに言い聞かされしを忘れしにはあらねど、さて来て見れば、家風の相違も大抵の事にはあらざりけり。

 資産しんだいはむしろ実家さとにもまさりたらんか。新華族のなかにはまず屈指ゆびおりといわるるだけ、武男の父が久しく県令知事務めたるに積みしたから鉅万きょまんに上りぬ。さりながら実家さとにては、父中将の名声海内かいだいさわぎ、今は予備におれど交際広く、昇日のぼるひの勢いさかんなるに引きかえて、こなたは武男の父通武が没後は、存生ぞんじょうのみぎり何かとたよりて来し大抵のやからはおのずから足を遠くし、その上親戚しんせきも少なく、知己とても多からず、未亡人おふくろは人好きのせぬ方なる上に、これより家声を興すべき当主はまだ年若にて官等もひくき家にあることもまれなれば、家運はおのずからよどめる水のごとき模様あり。実家さとにては、継母が派手な西洋好み、もちろん経済の講義は得意にて妙な所に節倹を行ない「奥様は土産みやげのやりかたもご存じない」とおんなどもの陰口にかかることはあれど、そこは軍人交際づきあいの概して何事も派手に押し出してする方なるが、こなたはどこまでも昔風むしろ田舎風いなかふうの、よくいえば昔忘れぬたしなみなれど、実は趣味も理屈もやはり米から自分にいたる時にかわらぬ未亡人、何でもかでも自分でせねば頭が痛く、亡夫の時ぼくかなんぞのように使われし田崎某たざきなにがしといえる正直一図の男を執事として、これを相手に月にまきが何炭が何俵の勘定までせられ、「おっかさん、そんな事しなくたって、菓子なら風月ふうげつからでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の田舎羊羹いなかようかんむしゃりむしゃりとほおばらるるというふうなれば、うばの幾が浪子について来しすら「大家たいけはどうしても違うもんじゃ、武男が五器わん下げるようにならにゃよいが」など常に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。

 悧巧りこうなようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の訓戒いましめここぞと、われをおさえて何も家風に従わんと決心のほぞを固めつ。その決心を試むる機会は須臾すゆに来たりぬ。

 伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間もなき別離はいとどはらわたを断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほとほと何も手につかざりし。

 おとうさまが縁談の初めにいたもうて至極気に入ったとのたまいしも、添って見てげにと思い当たりぬ。鷹揚おうようにして男らしく、さっぱりとして情け深く寸分鄙吝いやしい所なき、本当に若いおとうさまのそばにいるような、そういえば肩を揺すってドシドシお歩きなさる様子、子供のような笑い声までおとうさまにそっくり、ああうれしいと浪子は一心にかしずけば、武男も初めて持ちし妻というものの限りなくかわゆく、独子ひとりごの身は妹まで添えて得たらん心地ここちして「浪さん、浪さん」といたわりつ。まだ三月に足らぬ契りも、過ぐる世より相知れるように親しめば、しばしの別離わかれもかれこれともに限りなき傷心の種子たねとはなりけるなり。さりながら浪子はなが別離わかれいたむ暇なかりき。武男が出発せし後ほどもなく姑が持病のリュウマチスはげしく起こりて例の癇癪かんしゃくのはなはだしく、幾を実家さとへ戻せし後は、別して辛抱の力をためす機会も多かりし。

 新入の学生、その当座は故参のためにさんざんにいじめられるれど、のちにはおのれ故参になりて、あとの新入生をいじめるが、何よりの楽しみなりと書きし人もありき。綿帽子っての心細さ、たよりなさを覚えているほどの姑、義理にも嫁をいじめられるものでなけれど、そこは凡夫ぼんぷのあさましく、花嫁の花落ちて、姑と名がつけば、さて手ごろの嫁は来るなり、わがままも出て、いつのまにかわがつい先年まで大の大の大きらいなりし姑そのままとなるものなり。「それそれそのおくみは四寸にしてこう返して、イイエそうじゃありません、こっちよこしなさい、二十歳はたちにもなッて、お嫁さまもよくできた、へへへへ」とあざ笑う声から目つき、われも二十はたちの花嫁の時ちょうどそうしてしかられしが、ああわれながら恐ろしいとはッと思って改むるほどの姑はまだ上の上、目にて目を償い、歯にて歯を償い、いわゆる江戸の姑のそのかたきを長崎の嫁でって、知らず知らず平均をわが一代のうちに求むるもの少なからぬが世の中。浪子の姑もまたその一人ひとりなりき。

 西洋流の継母に鍛われて、今また昔風の姑にらるる浪子。病める老人としよりの用しげくおんなを呼ばるるゆえ、しいて「わたくしがいたしましょう」と引き取ってなれぬこととて意に満たぬことあれば、こなたには礼を言いてわざと召使いの者を例の大音声だいおんじょうにしかり飛ばさるるその声は、十年がほども継母の雄弁冷語を聞き尽くしたる耳にも今さらのように聞こえぬ。それも初めしばしがほどにて、後には癇癪かんしゃくほこさき直接に吾身われに向かうようになりつ。幾が去りし後は、たれ慰むる者もなく、時々はどうやらまた昔の日陰に立ち戻りし心地ここちもせしが、部屋へやに帰って机の上の銀の写真掛けにかかったたくましき海軍士官の面影おもかげを見ては、うれしさ恋しさなつかしさのむらむらと込み上げて、そっと手にとり、食い入るようにながめつめ、キッスし、ほおずりして、今そこにその人のいるように「早く帰ッてちょうだい」とささやきつ。良人おっとのためにはいかなる辛抱も楽しと思いて、われを捨てて姑につかえぬ。


七の一


 流汗をふるいつつ華氏九十九度の香港ほんこんより申し上げそろ佐世保させほ抜錨ばつびょうまでは先便すでに申し上げ置きたる通りに有之これあり候。さて佐世保出帆後は連日の快晴にて暑気くがごとく、さすが神州海国男子も少々辟易へきえき、もっとも同僚士官及び兵のうち八九名日射病に襲われたる者有之これあり候えども、小生は至極健全、ごうも病室の厄介に相成り申さず。ただしご存じ通りの黒人くろんぼうが赤道近き烈日に焦がされたるため、いよいよもって大々的黒面漢と相成り、今日こんにちちょっと同僚と上陸し、市中の理髪店にいたり候ところ、ふと鏡を見てわれながらびっくりいたし候。意地いじわるき同僚が、君、どう、着色写真でもって、君のブライドに送らんかと戯れ候も一興に候。途中は右の通り快晴(もっとも一回モンスーンの来襲ありたれども)一同万歳を唱えて昨早朝いかりを当湾内に投じ申し候。

 先日のお手紙は佐世保にて落手、一読再読いたし候。母上リョウマチス、年来の御持病、誠に困りたる事に候。しかし今年は浪さんが控えられ候事ゆえ、小生も大きに安心に候。何とぞ小生に代わりてよくよく心を御用おんもちいくださるべく候。御病気の節は別して御気分よろしからざる方なれば、浪さんも定めていろいろと骨折らるべく遙察ようさついたし候。赤坂の方も定めておかわりもなかるべくと存じ申し候。加藤の伯父さんは相変わらず木鋏きばさみが手を放れ申すまじきか。

 幾姥いくばあは帰り候由。何ゆえに候や存ぜず候えども、実に残念の事どもに候。浪さんより便たよりあらばよろしくよろしく伝えらるべく、帰りにはばあへ沢山土産みやげを持って来ると御伝おんつたえくだされたく候。実に愉快な女にて小生も大好きに候ところ、赤坂の方に帰りしは残念に候。浪さんも何かと不自由にさびしかるべくと存じ候。加藤の伯母様や千鶴子ちずこさんは時々まいられ候や。

 千々岩ちぢわはおりおりまいり候由。小生らは誠に親類少なく、千々岩はその少なき親類の一にんなれば、母上も自然頼みにおぼす事に候。同人をよくたいするも母上に孝行の一に有之これあるべく候。同人も才気あり胆力ある男なれば、まさかの時の頼みにも相成るべく候。(下略)

香港にて
   七月 日
武男

  お浪どの


 母上に別紙(略之)読んでお聞かせ申し上げられたく候。

 当池には四五日碇泊ていはく、食糧など買い入れ、それよりマニラを経て豪州シドニーへ、それよりニューカレドニア、フィジー諸島を経て、サンフランシスコへ、それよりハワイを経て帰国のはずに候。帰国は多分秋に相成り申すべく候。

 手紙はサンフランシスコ日本領事館留め置きにして出したまえ。


     ~~~~~~~~~~


(前文略)去る五月は浪さんと伊香保にあり、わらび採りて慰みしに今は南半球なる豪州シドニーにあり、サウゾルンクロッスの星を仰いでその時をおもう。奇妙なる世の中に候。先年練習艦にて遠洋航海の節は、どうしても時々船暈ふなよいを感ぜしが、今度は無病息災われながら達者なるにあきれ候。しかし今回は先年に覚えなき感情身につきまとい候。航海中当直のなど、まっ黒き空に金剛石をまき散らしたるような南天を仰ぎて、ひとり艦橋の上に立つ時は、何とも言い難き感が起こりて、浪さんの姿が目さきにちらちらいたし(しと笑いたもうな)候。同僚の前ではさもあらばあれ家郷思遠征かきょうえんせいをおもうと吟じて平気に澄ましておれど、(笑いたもうな)浪さんの写真は始終ある人の内ポケットに潜みおり候。今この手紙を書く時も、うちのあの六畳の部屋へや芭蕉ばしょうの陰の机に頬杖ほおづえつきてこの手紙を読む人の面影がすぐそこに見え候(中略)

 シドニー港内には夫婦、家族、他人交えずヨットに乗りて遊ぶ者多し。他日功成り名遂げて小生も浪さんも白髪しらが爺姥じじばばになる時は、あにただヨットのみならんや、五千トンぐらいの汽船を一艘いっそうこしらえ、小生が船長となって、子供や孫を乗組員として世界週航を企て申すべく候。その節はこのシドニーにも来て、何十年ぜん血気盛りの海軍少尉の夢を白髪の浪さんに話し申すべく候(下略)

シドニーにて
   八月 日
武男生

  浪子さま


七の二


 去る七月十五日香港よりお仕出しのおなつかしき玉章たまずさとる手おそしとくりかえしくりかえしくりかえし拝し上げ参らせ候 さ候えばはげしき暑さのおんさわりもあらせられず何より何より御嬉おんうれしゅう存じ上げ参らせ候 このもと御母上様御病気もこの節は大きにお快く何とぞ何とぞ御安心遊ばし候よう願い上げ参らせ候 わたくし事も毎日とやかくとさびしき日を送りおり参らせ候 お留守の事にも候えば何とぞ母上様の御機嫌ごきげんに入り候ようにと心がけおり参らせ候えども不束ふつつかの身は何も至り兼ね候事のみなれぬこととて何かと失策しくじりのみいたし誠に困り入り参らせ候 ただただ一日も早くおん帰り遊ばし健やかなるお顔を拝し候時を楽しみに毎日暮らしおり参らせ候

 赤坂の方も何ぞかわり候事も無之これなく先日より逗子ずしの別荘の方へ一同みなみなまいり加藤家も皆々興津おきつの方へまいり東京はさびしきことに相成り参らせ候 いくも一緒に逗子にまかり越し無事相つとめおり参らせ候 御伝言おんことづけの趣申しつかわし候ところ当人も涙を流して喜び申し候由くれぐれもよろしくおん礼申し上げ候よう申し越し参らせ候

 わたくし事も今になりていろいろ勉強の足らざりしをうらみ参らせ候 家政の事は女の本分なればよくよく心を用い候よう平生かねがね父より戒められ候事とて宅におり候ころよりなるたけそのつもりにて参らせ候えども何を申しても女のあさはかにそのような事はいつでもできるように思いいたずらに過ごし参らせ候より今となりてあの事も習って置けばよかりしこの事も忘れしと思いあたる事のみ多く困り入り参らせ候 英語の勉強も御仰おんおおせのこと有之これあり候えばぜひにと心がけ参らせ候えども机の前にばかりすわり候ては母上様の御思召おぼしめしもいかがと存ぜられ今しばらくは何よりもまず家政のけいこに打ちかかり申したく何とぞ何とぞしからず思召おぼしめしのほど願い上げ参らせ候

 誠におはずかしき事に候えどもどうやらいたし候節はさびしさ悲しさのやる瀬なく早く早く早くおん目にかかりたく翼あらばおそばに飛んでも行きたく存じ参らせ候事も有之これあり夜ごと日ごとにお写真とおふねの写真を取りでてはながめ入り参らせ候 万国地理など学校にては何げなく看過みすごしにいたし候ものの近ごろは忘れし地図など今さらにとりいでて今日はおふねのこのあたりをや過ぎさせたまわん明日あす明後日あさってはと鉛筆にて地図の上をたどり居参らせ候 ああ男に生まれしならば水兵ともなりて始終おそば離れずおつき申さんをなどあらぬ事まで心に浮かびわれとわが身をしかり候ても日々物思いに沈み参らせ候 これまで何心なく目もとめ申さざりし新聞の天気予報など今いますあたりはこのほかと知りながら風など警戒のいで候節は実に実に気にかかり参らせ候 何とぞ何とぞお尊体からだおん大切に……(下文略)

浪より

  恋しき

    武男様


     ~~~~~~~~~~


(上略)近ごろは夜々よるよるおん姿の夢に入り実に実に一日千秋の思いをなしおり参らせ候 昨夜もごいっしょにふねにて伊香保にわらびとりにまいり候ところふとたれかがわたくしどもの間に立ち入りてお姿は遠くなりわたくしはふねより落ちると見ておそわれ候ところを母上様に起こされようよう胸なでおろし参らせ候 愚痴と存じながらも何とやら気に相成りそれにつけてもおん帰りが待ち遠く存じ上げ参らせ候 何も何もお帰りの上にと日々にちにち東の空をながめ参らせ候 あるいは行き違いになるや存ぜず候えどもこの状はハワイホノルル留め置きにて差し上げ参らせ候(下略)

   十月 日
浪より

  恋しき恋しき恋しき

    武男様

       御もとへ



中編


一の一


 今しも午後八時をちたる床の間の置き時計を炬燵こたつの中より顧みて、川島未亡人は

「八時──もう帰りそうなもんじゃが」

 とつぶやきながら、やおらその肥え太りたる手をさしのべて煙草たばこ盆を引き寄せ、つづけざまに二三服吸いて、耳かたぶけつ。山の手ながら松のうちは車東西に行き違いて、隣家となりには福引きの興やあるらん、若き男女なんにょの声しきりにささめきて、おりおりどっと笑う声も手にとるように聞こえぬ。未亡人は舌打ち鳴らしつ。

「何をしとっか。つッ。赤坂へ行くといつもああじゃっで……たけも武、なみも浪、実家さと実家さとじゃ。今時の者はこれじゃっでならん」

 ひざ立て直さんとして、持病のリュウマチスの痛所いたみに触れけん、「あいたあいた」顔をしかめて癇癪かんしゃくまぎれに煙草盆の縁手荒に打ちたたき「松、松松」とけたたましく小間使いを呼び立つる。その時おそく「お帰りい」の呼び声勇ましく二ちょうの車がらがらと門に入りぬ。

 三が日の晴着はれぎすそ踏み開きてせ来たりし小間使いが、「御用?」と手をつかえて、「なんをうろうろしとっか、はよ玄関に行きなさい」としかられてあわてて引き下がると、引きちがえに

おっかさん、ただいま帰りました」

 としき声にさきを払わして手套てぶくろを脱ぎつつ入り来る武男のあとより、外套がいとう吾妻あずまコートをおんなに渡しつつ、浪子は夫に引き沿うてしとやかに座につき、手をつかえつ。

「おかあさま、大層おそなはりました」

「おおお帰りかい。大分だいぶゆっくりじゃったのう。」

「はあ、今日きょうは、なんです、加藤へ寄りますとね、赤坂へ行くならちょうどいいからいっしょに行こうッて言いましてな、加藤さんも伯母おばさんもそれから千鶴子ちずこさんも、総勢五人で出かけたのです。赤坂でも非常の喜びで、幸い客はなし、話がはずんで、ついおそくなってしまったのです──ああ酔った」と熟せる桃のごとくなれるほおをおさえつ、小間使いが持て来し茶をただ一息に飲みほす。

「そうかな。そいはにぎやかでよかったの。赤坂でもお変わりもないじゃろの、浪どん?」

「はい、よろしく申し上げます、まだ伺いもいたしませんで、……いろいろお土産みやをいただきまして、くれぐれお礼申し上げましてございます」

土産みやげといえば、浪さん、あれは……うんこれだ、これだ」と浪子がさし出す盆を取り次ぎて、母の前に差し置く。盆には雉子きじひとつがい、しぎうずらなどうずたかく積み上げたり。

「御猟の品かい、これは沢山に──ごちそうがでくるの」

「なんですよ、おっかさん、今度は非常の大猟だったそうで、つい大晦日おおみそかの晩に帰りなすったそうです。ちょうど今日は持たしてやろうとしておいでのとこでした。まだ明日あすししが来るそうで──」

しし? ──猪がれ申したか。たしかわたしの方が三歳みッつ上じゃったの、浪どん。昔から元気のよかかたじゃったがの」

「それは何ですよ、おっかさん、非常の元気で、今度も二日も三日も山に焚火たきびをして露宿のじくしなすったそうですがね。まだなかなか若い者に負けんつもりじゃて、そう威張っていなさいます」

「そうじゃろの、おっかさんのごとリュウマチスが起こっちゃもう仕方があいません。人間は病気が一番いけんもんじゃ。──おおもうやがて九時じゃ。着物どんかえて、やすみなさい。──おお、そいから今日はの、武どん。安彦やすひこが来て──」

 立ちかかりたる武男はいささか安からぬ色を動かし、浪子もふと耳を傾けつ。

「千々岩が?」

「何かおまえに要がありそうじゃったが──」

 武男は少し考え、「そうですか、わたくしもぜひ──あわなけりゃならん──要がありますが。──何ですか、おっかさん、私の留守に金でも借りに来はしませんでしたか」

「なぜ? ──そんな事はあいません──なぜかい?」

「いや──少し聞き込んだ事もあるのですから──いずれそのうちあいますから──」

「おおそうじゃ、そいからあの山木が来ての」

「は、あの山木のばかですか」

「あれが来てこの──そうじゃった、十日にごちそうをすっから、是非ぜっひおまえに来てくださいというから」

「うるさいやつですな」

「行ってやんなさい。おとっさんの恩を覚えておっがかあいかじゃなっか」

「でも──」

「まあ、そういわずと行ってやんなさい──どれ、わたしも寝ましょうか」

「じゃ、おっかさん、おやすみなさい」

「ではおかあ様、ちょっと着がえいたしてまいりますから」

 若夫婦は打ち連れて、居間へ通りつ。小間使いを相手に、浪子は良人おっとの洋服を脱がせ、琉球紬りゅうきゅうつむぎの綿入れ二枚重ねしをふわりと打ちきすれば、武男は無造作に白縮緬しろちりめん兵児帯へこおび尻高しりだかに引き結び、やおら安楽椅子いすりぬ。洋服のちりを払いて次の間の衣桁えこうにかけ、「紅茶を入れるようにしてお置き」と小間使いにいいつけて、浪子は良人の居間に入りつ。

「あなた、お疲れ遊ばしたでしょう」

 葉巻の青きけぶりを吹きつつ、今日到来せし年賀状名刺など見てありし武男はふり仰ぎて、

「浪さんこそくたびれたろう、──おおきれい」

「?」

「美しい花嫁様という事さ」

「まあ、いや──あんなことを」

 さと顔打ちあかめて、ランプの光まぶしげに、目をそらしたる、常にはあおきまで白き顔色いろの、今ぼうっと桜色ににおいて、艶々つやつやとした丸髷まるまげさながら鏡と照りつ。浪に千鳥の裾模様、黒襲くろがさね白茶七糸しらちゃしゅちんの丸帯、碧玉へきぎょくを刻みし勿忘草フォルゲットミイノットえりどめ、(このたび武男が米国よりて来たりしなり)四はじえみを含みて、嫣然えんぜんとして燈光あかりのうちに立つ姿を、わが妻ながらいみじと武男は思えるなり。

「本当に浪さんがこう着物をかえていると、まだ昨日きのう来た花嫁のように思うよ」

「あんなことを──そんなことをおっしゃるとってしまいますから」

「ははははもう言わない言わない。そう逃げんでもいいじゃないか」

「ほほほ、ちょっと着がえをいたしてまいりますよ」


一の二


 武男は昨年の夏初め、新婚間もなく遠洋航海にで、秋は帰るべかりしに、桑港そうこうに着きける時、器械に修覆を要すべき事の起こりて、それがために帰期を誤り、旧臘きゅうろう押しつまりて帰朝しつ。今日正月三日というに、年賀をかねて浪子を伴ない加藤家より浪子の実家さといたるなり。

 武男が母は昔気質かたぎの、どちらかといえば西洋ぎらいの方なれば、寝台ねだいねてさじもて食らうこと思いも寄らねど、さすがに若主人のみは幾分か治外の法権をけて、十畳のその居間は和洋折衷とも言いつべく、畳の上に緑色の絨氈じゅうたんを敷き、テーブルに椅子いす二三脚、床には唐画とうがの山水をかけたれど、楣間びかんには亡父通武みちたけの肖像をかかげ、開かれざる書筺しょきょうと洋籍のたなは片すみに排斥せられて、正面の床の間には父が遺愛の備前兼光びぜんかねみつの一刀を飾り、士官帽と両眼鏡と違い棚に、短剣は床柱にかかりぬ。写真額数多あまた掛けつらねたるうちには、その乗り組める軍艦のもあり、制服したる青年のおおぜいうつりたるは、江田島えたじまにありけるころのなるべし。テーブルの上にも二三の写真を飾りたり。両親並びて、五六歳の男児おのこの父の膝にりたるは、武男が幼きころの紀念なり。カビネの一人ひとりうつしの軍服なるは乃舅しゅうと片岡中将なり。主人が年若く粗豪なるに似もやらず、几案きあん整然として、すみずみにいたるまで一点のちりとどめず、あまつさえ古銅へいに早咲きの梅一両枝趣深くけたるは、あたたかき心と細かなる注意と熟練なる手と常にこのへやに往来するを示しぬ。げにそのぬしは銅瓶のもとに梅花のかおりを浴びて、心臓形の銀の写真掛けのうちにほほえめるなり。ランプの光はくまなく室のすみずみまでも照らして、火桶ひおけの炭火は緑の絨氈じゅうたんの上に紫がかりしくれないほのおを吐きぬ。

 愉快という愉快は世に数あれど、つつがなく長の旅より帰りて、旅衣を平生服ふだんぎ着心地きごこちよきにかえ、窓外にほゆる夜あらしの音を聞きつつ居間の暖炉に足さしのべて、聞きなれし時計の軋々きつきつを聞くは、まったき愉快の一なるべし。いわんやまた阿母あぼ老健にして、新妻のさらにいとしきあるをや。葉巻のかんばしきを吸い、陶然として身を安楽椅子の安きに託したる武男は、今まさにこの楽しみをけけるなり。

 ただ一つのかげは、さきに母の口より聞き、今来訪名刺のうちに見たる、千々岩安彦の名なり。今日武男は千々岩につきて忌まわしき事を聞きぬ。旧臘某日の事とか、千々岩が勤むる参謀本部に千々岩にあてて一通のはがきを寄せたる者あり、折節おりふし千々岩は不在なりしを同僚のなにがし何心なく見るに、高利貸の名高き何某なにがしの貸し金督促状にして、しかのみならずその金額要件は特に朱書してありしという。ただそれのみならず、参謀本部の機密おりおり思いがけなき方角に漏れて、投機商人の利を博することあり。なおその上に、千々岩の姿をあるまじき相場のいちに見たる者あり。とにかく種々嫌疑けんぎの雲は千々岩の上におおいかかりてあれば、この上とても千々岩には心して、かつ自ら戒飭かいちょくするよう忠告せよと、参謀本部に長たる某将軍とは爾汝じじょの間なるしゅうと中将の話なりき。

「困った男だ」

 かくひとりごちて、武男はまた千々岩の名刺を打ちながめぬ。しかも今の武男は長く不快に縛らるるあたわざるなり。何も直接にあいて問いただしたる上と、思い定めて、心はまた翻然として今の楽しきに返れる時、きものをあらためし浪子は手ずから紅茶を入れてにこやかに入り来たりぬ。

「おお紅茶、これはありがたい」椅子を離れて火鉢ひばちのそばにあぐらかきつつ、

おっかさんは?」

「今おやすみ遊ばしました」紅茶の熱きをすすめつつ、なおくれないなる良人おっとかおをながめ「あなた、お頭痛が遊ばすの? お酒なんぞ、召し上がれないのに、あんなに母がおしいするものですから」

「なあに──今日は実に愉快だったね、浪さん。阿舅おとっさんのお話がおもしろいものだから、きらいな酒までつい過ごしてしまった。はははは、本当に浪さんはいいおとっさんをもっているね、浪さん」

 浪子はにっこり、ちらと武男の顔をながめて

「その上に──」

「エ? 何です?」驚き顔に武男はわざと目をみはりつ。

「存じません、ほほほほほ」さと顔あからめ、うつぶきて指環ゆびわをひねる。

「いやこれは大変、浪さんはいつそんなにお世辞が上手じょうずになったのかい。これではえりどめぐらいはやすいもんだ。はははは」

 火鉢の上にさしかざしたるてのひらにぽうっと薔薇色ばらいろになりし頬を押えつ。少し吐息つきて、

「本当に──ながい間おっか様も──どんなにおさびしくッていらっしゃいましてしょう。またすぐ勤務おつとめにいらっしゃると思うと、日が早くたってしようがありませんわ」

「始終うちにいようもんなら、それこそ三日目には、あなた、ちっと運動にでも出ていらっしゃいませんか、だろう」

「まあ、あんなことを──も一杯ひとつあげましょうか」

 くみて差し出す紅茶を一口飲みて、葉巻の灰をほとほと火鉢の縁にはたきつ、快くあたりを見回して、

「半年のもハンモックに揺られて、うちに帰ると、十畳敷きがもったいないほど広くて何から何まで結構ずくめ、まるで極楽だね、浪さん。──ああ、何だか二度蜜月遊ホニムーンをするようだ」

 げに新婚間もなく相別れて半年ぶりに再び相あえる今日このごろは、ふたたび新婚の当時を繰り返し、正月の一時に来つらん心地ここちせらるるなりけり。

 ことばはしばし絶えぬ。両人ふたりはうっとりとしてただ相笑あいえめるのみ。梅の細々さいさいとして両人ふたり火桶ひおけを擁して相対あいむかえるあたりをめぐる。

 浪子はふと思いでたるように顔を上げつ。

「あなたいらっしゃいますの、山木に?」

「山木かい、おっかさんがああおっしゃるからね──行かずばなるまい」

「ほほ、わたくしも行きたいわ」

「行きなさいとも、行こういっしょに」

「ほほほ、よしましょう」

「なぜ?」

「こわいのですもの」

「こわい? 何が?」

「うらまれてますから、ほほほ」

「うらまれる? うらむ? 浪さんを?」

「ほほほ、ありますわ、わたくしをうらんでいなさる方が。おのおとよさん……」

「ははは、何を──ばかな。あのばか娘もしようがないね、浪さん。あんな娘でももらいがあるかしらん。ははは」

おっかさまは、千々岩はあの山木と親しくするから、お豊をさいにもらったらよかろうッて、そうおっしゃっておいでなさいましたよ」

「千々岩?──千々岩?──あいつ実に困ったやっだ。ずるいやつた知ってたが、まさかあんな嫌疑けんぎを受けようとは思わんかった。いや近ごろの軍人は──僕も軍人だが──実にひどい。ちっとも昔の武士らしいふうはありやせん、みんな金のためにかかってる。何、僕だって軍人は必ず貧乏しなけりゃならんというのじゃない。冗費を節して、つねの産を積んで、まさかの時節ときに内顧のうれいのないようにするのは、そらあ当然さ。ねエ浪さん。しかし身をもって国家の干城ともなろうという者がさ、内職に高利を貸したり、あわれむべき兵の衣食をかじったり、御用商人と結託して不義の財をむさぼったりするのは実に用捨がならんじゃないか。それに実に不快なは、あの賭博とばくだね。僕の同僚などもこそこそやってるやつがあるが、実に不愉快でたまらん。今のやつらは上にへつらって下からむさぼることばかり知っとる」

 今そこに当の敵のあるらんように息巻き荒く攻め立つるまだ無経験の海軍少尉を、身にしみて聞きるる浪子はしと誇りて、早く海軍大臣かないし軍令部長にして海軍部内のふうを一新したしと思えるなり。

「本当にそうでございましょうねエ。あの、何だかよくは存じませんが、がね、大臣をしていましたころも、いろいろな頼み事をしていろいろ物を持って来ますの。はそんな事は大禁物だいきんもつですから、できる事は頼まれなくてもできる、できない事は頼んでもできないと申して、はねつけてもはねつけてもやはりいろいろ名をつけて持ち込んで来ましたわ。で、戯談じょうだんに、これではたれでも役人になりたがるはずだって笑っていましたよ」

「そうだろう、陸軍も海軍も同じ事だ。金の世の中だね、浪さん──やあもう十時か」おりからりんりんとうつ柱時計を見かえりつ。

「本当に時間ときが早くたつこと!」


二の一


 芝桜川町なる山木兵造がやしきは、すぐれて広しというにあらねど、町はずれより西久保にしのくぼの丘の一部を取り込めて、庭には水をたたえ、石を据え、高きに道し、低きに橋して、かえで桜松竹などおもしろく植え散らし、ここに石燈籠いしどうろうあれば、かしこに稲荷いなりほこらあり、またその奥に思いがけなき四阿あずまやあるなど、この門内にこの庭はと驚かるるも、山木が不義に得て不義に築きし万金の蜃気楼しんきろうなりけり。

 時はすでに午後四時過ぎ、夕烏ゆうがらすの声遠近おちこちに聞こゆるころ、座敷の騒ぎをうしろにして日影薄き築山道つきやまみち庭下駄にわげたを踏みにじりつつ上り行く羽織袴はおりはかまの男あり。こは武男なり。母のことば黙止もだし難くて、今日山木の宴に臨みつれど、見も知らぬ相客と並びて、好まぬさかずきぐることのおもしろからず。さまざまの余興の果ては、いかがわしき白拍子しらびょうしの手踊りとなり、一座の無礼講となりて、いまいましきこと限りもなければ、くにも辞し去らんと思いたれど、山木がしきりに引き留むるが上に、必ずわんと思える千々岩の宴たけなわなるまで足を運ばざりければ、やむなくとどまりつ、ひそかに座を立ちて、熱せる耳を冷ややかなる夕風に吹かせつつ、人なきかたをたどりしなり。

 武男がしゅうと中将より千々岩に関する注意を受けて帰りし両三日のち鰐皮わにかわの手かばんさげし見も知らぬ男突然川島家に尋ね来たり、一通の証書を示して、思いがけなき三千円の返金を促しつ。証書面の借り主は名前も筆跡もまさしく千々岩安彦、保証人の名前は顕然川島武男と署しありて、そのうえ歴々と実印まで押してあらんとは。先方の口上によれば、契約期限すでに過ぎつるを、本人はさらに義務を果たさず、しかも突然いずれへかぐうを移して、役所に行けばこの両三日職務上他行したりとかにて、さらに面会を得ざれば、ぜひなくこなたへ推参したる次第なりという。証書はまさしき手続きを踏みたるもの、さらに取りいだしたる往復の書面を見るに、まごかたなき千々岩が筆跡なり。事の意外に驚きたる武男は、子細をただすに、母はもとより執事の田崎も、さる相談にあずかりし覚えなく、印形いんぎょうを貸したる覚えさらになしという。かのうわさにこの事実思いあわして、武男は七分事の様子を推しつ。あたかもその日千々岩は手紙を寄せて、明日あす山木の宴会に会いたしといい越したり。

 その顔だに見ば、問うべき事を問い、言うべき事を言いて早帰らんと思いし千々岩は来たらず、しきりに波立つ胸の不平を葉巻のけぶりに吐きもて、武男は崖道がけみちを上り、明竹みんちく小藪こやぶを回り、常春藤ふゆつたの陰に立つ四阿あずまやを見て、しばし腰をおろせる時、横手のわき道に駒下駄こまげたの音して、はたと豊子とよこと顔見合わせつ。見れば高島田、松竹梅のすそ模様ある藤色縮緬ふじいろちりめんの三まいがさね、きらびやかなる服装せるほどますますすきのあらわれて、笑止とも自らは思わぬなるべし。その細き目をばいとど細うして、

「ここにいらっしたわ」

 三十サンチ巨砲の的には立つとも、思いがけなき敵の襲来に冷やりとせし武男は、渋面作りてそこそこに兵を収めて逃げんとするを、あわてて追っかけ

「あなた」

「何です?」

「おとっさんが御案内して庭をお見せ申せってそう言いますから」

「案内? 案内はいらんです」

「だって」

「僕は一人ひとりで歩く方が勝手だ」

 これほど手強く打ち払えばいかなる強敵ごうてきも退散すべしと思いきや、なお懲りずまに追いすがりて

「そうお逃げなさらんでもいいわ」

 武男はひたと当惑のまゆをひそめぬ。そも武男とお豊の間は、その昔父が某県を知れりし時、お豊の父山木もその管下にありて常に出入したれば、子供もおりおり互いに顔合わせしが、まだ十一二の武男は常にお豊を打ちたたき泣かしては笑いしを、お豊は泣きつつなお武男にまつわりつ。年移り所変わり人けて、武男がすでに新夫人を迎えける今日までも、お豊はなお当年の乱暴なる坊ちゃま、今は川島男爵と名乗る若者に対してはかなき恋を思えるなり。粗暴なる海軍士官も、それとうすうす知らざるにあらねば、まれに山木に往来する時もなるべく危うきに近よらざる方針を執りけるに、今日はおぞくも伏兵のはかりごとに陥れるを、またいかんともするあたわざりき。

「逃げる? 僕は何も逃げる必要はない。行きたい方に行くのだ」

「あなた、それはあんまりだわ」

 おかしくもあり、ばからしくもあり、迷惑にもあり、腹も立ちし武男行かんとしては引きとめられ、のがれんとしてはまつわられ、あわれ見る人もなき庭のすみに新日高川しんひたかがわの一幕をいだせしが、ふと思いつく由ありて、

「千々岩はまだ来ないか、お豊さんちょっと見て来てくれたまえ」

「千々岩さんは日暮れでなけりゃ来ないわ」

「千々岩は時々来るのかね」

「千々岩さんは昨日きのうも来たわ、おそくまで奥の小座敷でおとっさんと何か話していたわ」

「うん、そうか──しかしもう来たかもしれん、ちょっと見て来てくれないかね」

「わたしいやよ」

「なぜ!」

「だって、あなた逃げて行くでしょう、なんぼわたしがいやだって、浪子さんが美しいって、そんなに人を追いやるものじゃなくってよ」

「油断せば雨にもならんずる空模様に、百計つきたる武男はただ大踏歩だいとうほして逃げんとする時、

「お嬢様、お嬢様」

 とおんなの呼び来たりて、お豊を抑留しつ。このひまにと武男はつとやぶを回りて、二三十歩足早に落ち延び、ほっと息つき

「困ったやつだ」

 とつぶやきながら、再度の来襲の恐れなき屈強の要害──座敷のかたへ行きぬ。


二の二


 日は入り、客は去りて、昼の騒ぎはただ台所のかたに残れる時、羽織はかまは脱ぎすてて、煙草たばこ盆をさげながら、おぼつかなき足踏みしめて、廊下伝いに奥まりたる小座敷に入り来し主人の山木、赤禿げの前額ひたえの湯げも立ち上らんとするを、いとどランプの光に輝かしつつ、くずるるようにすわり、

「若旦那だんなも、千々岩君ちぢわさんも、お待たせ申して失敬でがした。はははは、今日はおかげで非常の盛会……いや若旦那はお弱い、失敬ながらお弱い、軍人に似合いませんよ。御大人ごたいじんなんざそれは大したものでしたよ。年は寄っても、山木兵造──なあに、一升やそこらははははは大丈夫ですて」

 千々岩は黒水晶の目を山木に注ぎつ。

大分だいぶご元気ですな。山木君、もうかるでしょう?」

「もうかるですとも、はははは──いやもうかるといえば」と山木は灰だらけにせし煙管きせるをようやく吸いつけ、一服吸いて「何です、その、今度あの○○○○が売り物に出るそうで、実は内々様子を探って見たが、先方もいろいろ困っている際だから、案外安く話が付きそうですて。事業の方は、大有望さ。追い追い内地雑居と来ると、いよいよ妙だが、いかがです若旦那、田崎君の名義でもよろしいから、二三万御奮発なすっちゃ。きっともうけさして上げますぜ」

 と本性ほんしょうたがわぬ生酔なまえいの口は、酒よりもなめらかなり。千々岩は黙然としいる武男を流眸ながしめに見て、「○○○○、確か青物町あおものちょうの。あれは一時もうかったそうじゃないか」

「さあ、もうかるのを下手へたにやりくずしたんだが、うまく行ったらすばらしい金鉱ですぜ」

「それは惜しいもんだね。素寒貧すかんぴんの僕じゃ仕方ないが、武男君、どうだ、一肩ぬいで見ちゃア」

 座に着きし初めより始終黙然もくねんとして不快の色はおおう所なきまで眉宇びうにあらわれし武男、いよいよよろこばざる色を動かして、千々岩と山木を等分に憤りを含みたる目じりにかけつつ

「御厚意かたじけないが、わが輩のように、いつ魚の餌食えじきになるか、裂弾、榴弾りゅうだんの的になるかわからない者は、別に金もうけの必要もない。失敬だがその某会社とかに三万円を投ずるよりも、わが輩はむしろ海員養成費に献納する」

 にべなく言い放つ武男の顔、千々岩はちらとながめて、山木にめくばせし、

「山木君、利己主義のようだが、その話はあと回しにして僕の件から願いたいがね。川島君も承諾してくれたから、願って置いた通り──御印がありますか」

 証書らしき一葉の書付を取りいだして山木の前に置きぬ。

 千々岩の身辺に嫌疑けんぎの雲のかかれるもうべなり。彼は昨年来その位置の便宜を利用して、山木がために参謀となり牒者ちょうじゃとなりて、その利益の分配にあずかれるのみならず、大胆にも官金を融通して蠣殻町かきがらちょうに万金をつかまんとせしに、たちまち五千円余の損亡そんもうを来たしつ。山木をゆすり、そのたくわえの底をはたきて二千円を得たれども、なお三千の不足あり。そのただ一親戚しんせきなる川島家は富みてかつ未亡人の覚えめでたからざるにもあらざれど、出すといえばおくびも惜しむ叔母おばの性質を知れる千々岩は、打ち明けて頼めば到底らちの明かざるを看破みやぶり、一時を弥縫びほうせんと、ここに私印偽造の罪を犯して武男の連印をかたり、高利の三千円を借り得て、ひとまず官金消費の跡を濁しつ。さるほどに期限迫りて、果てはわが勤むる官署にすら督促のはがきを送らるる始末となりたれば、今はやむなくあたかも帰朝せる武男を説き動かし、この三千円を借り得てかの三千円を償い、武男の金をもって武男の名をあがなわんと欲せしなり。さきに武男をいたれどおりあしく得逢えあわず、その後二三日職務上の要を帯びて他行しつれば、いまだ高利貸のすでに武男が家に向かいしを知らざるなりき。

 山木はうなずき、ベルを鳴らして朱肉のいれものを取り寄せ、ひと通り証書に目を通して、ふところより実印取りでつつ保証人なるわが名の下にしぬ。そを取り上げて、千々岩は武男の前に差し置き、

「じゃ、君、証書はここにあるから──で、金はいつ受け取れるかね」

「金はここに持っている」

「ここに?──戯談じょうだんはよしたまえ」

「持っている。──では、参千円、確かに渡した」

 懐中より一通の紙に包みたるもの取りでて、千々岩が前に投げつけつ。

 打ち驚きつつ拾い上げ、おしひらきたる千々岩の顔はたちまちくれないになり、またあおくなりつ。きびしく歯を食いしばりぬ。彼はいまだ高利貸の手にあらんと信じ切ったる証書を現に目の前に見たるなり。武男は田崎に事の由を探らせし後、ついにしかる名前の上の三千円を払いしなりき。

「いや、これは──」

「覚えがないというのか。男らしく罪にふくしたまえ」

 子供、子供と今が今まで高をくくりし武男に十二分に裏をかかれて、一こう憤怨ふんえんほのおのごとく燃え起こりたる千々岩は、切れよとくちびるをかみぬ。山木は打ちおどろきて、煙管きせるをやに下がりに持ちたるまま二人ふたりの顔をながむるのみ。

「千々岩、もうわが輩は何もいわん。親戚しんせきのよしみに、決して私印偽造の訴訟は起こさぬ。三千円は払ったから、高利貸のはがきが参謀本部にも行くまい、安心したまえ」

 あくまではずかしめられたる千々岩は、煮え返る胸をさすりつ。気は武男に飛びもかからんとすれども、心はもはや陳弁の時機にあらざるを認むるほどの働きを存せるなり。彼はとっさに態度を変えつ。

「いや、君、そういわれると、実に面目ないがね、実はのっぴきならぬ──」

「何がのっぴきならぬのだ? 徳義ばかりか法律の罪人になってまで高利を借る必要がどこにあるのか」

「まあ、聞いてくれたまえ。実は切迫せっぱつまった事で、金はる、借りるところはなし。君がいると、一も二もなく相談するのだが、叔母さんには言いにくいだろうじゃないか。それだといって、急場の事だし、済まぬ──済まぬと思いながら──、実は先月はちっと当てもあったので、皆済してから潔く告白しようと──」

「ばかを言いたまえ。潔く告白しようと思った者が、なぜ黙って別に三千円を借りようとするのだ」

 ひざを乗り出す武男が見幕の鋭きに、山木はあわてて、

「これさ、若旦那、まあ、お静かに、──何か詳しい事情わけはわかりませんが、高が二千や三千の金、それに御親戚であって見ると、これは御勘弁──ねエ若旦那。千々岩さんも悪い、悪いがそこをねエ若旦那。こんな事がおもてざたになって見ると、千々岩さんの立身もこれぎりになりますから。ねエ若旦那」

「それだから三千円は払った、また訴訟なぞしないといっているじゃないか。──山木、君の事じゃない、控えて居たまえ、──それはしない、しかしもう今日限り絶交だ」

 もはや事ここにいたりては恐るる所なしと度胸を据えし千々岩は、再び態度を嘲罵ちょうばにかえつ。

「絶交?──別に悲しくもないが──」

 武男の目はほのおのごとくひらめきつ。

「絶交はされてもかまわんが、金は出してもらうというのか。腰抜け!」

「何?」

 気色立けしきだつ双方の勢いにいもいくらかさめし山木はたまり兼ねて二人ふたりが間に分け入り「若旦那も、千々岩さんも、ま、ま、ま、静かに、静かに、それじゃ話も何もわからん、──これさ、お待ちなさい、ま、ま、ま、お待ちなさい」としきりにあなたを縫いこなたを繕う。

 押しとめられて、しばし黙然もくねんとしたる武男は、じっと千々岩がおもてを見つめ、

「千々岩、もういうまい。わが輩も子供の時から君と兄弟きょうだいのように育って、実際才力の上からも年齢としからも君を兄と思っていた。今後も互いに力になろう、わが輩も及ぶだけ君のために尽くそうと思っていた。実はこのごろまでもまさかと信じ切っていた。しかし全く君のために売られたのだ、わが輩を売るのは一個人の事だが、君はまだその上に──いやいうまい、三千円の費途は聞くまい。しかし今までのよしみに一ごんいって置くが、人の耳目は早いものだ、君は目をつけられているぞ、軍人の体面に関するような事をしたもうな。君たちは金よりたっといものはないのだから、言ったってしかたはあるまいが、ちっとあ恥を知りたまえ。じゃもう会うまい。三千円はあらためて君にくれる」

 厳然として言い放ちつつ武男は膝の前なる証書をとってずたずたに引き裂きてつ。つと立ち上がって次の間にでし勢いに、さっきよりここに隠れて聞きおりしと覚しきむすめお豊をあおり倒しつ。「あれえ」という声をあとに足音荒く玄関のかたで去りたり。

 あっけにとられし山木と千々岩と顔見あわしつ。「相変わらず坊っちゃまだね。しかし千々岩さん、絶交料三千円は随分いいもうけをしたぜ」

 落ち散りたる証書の片々を見つめ、千々岩は黙然もくねんとしてくちびるをかみぬ。


三の一


 二月きさらぎ初旬はじめふと引きこみし風邪かぜの、ひとたびはおこたりしを、ある夜しゅうとめの胴着を仕上ぐるとて急ぐままにふかししより再びひき返して、今日二月の十五日というに浪子はいまだ床あぐるまで快きを覚えざるなり。

 今年の寒さは、今年の寒さは、と年々に言いなれし寒さも今年こそはまさしくこれまで覚えなきまで、日々吹き募る北風は雪を誘い雨を帯びざる日にもさながら髄を刺し骨をえぐりて、健やかなるも病み、病みたるは死し、新聞の広告は黒囲くろぶちのみぞ多くなり行く。この寒さはさらぬだに強からぬ浪子のかりそめの病を募らして、取り立ててはこれという異なれる病態もなけれど、ただかしら重くしょくうまからずして日また日を渡れるなり。

 今二点を拍ちし時計のひぐらしなど鳴きたらんように凛々りんりんと響きしあとは、しばし物音絶えて、秒を刻み行く時計のかえって静けさを加うるのみ。珍しくうららかに浅碧あさみどりをのべし初春の空は、四枚の障子に立て隔てられたれど、悠々ゆうゆうたる日の光くまなく紙障にえて、余りの光は紙を透かして浪子が仰ぎしつつ黒スコッチのくつしたを編める手先と、雪より白きまくらに漂う寝乱れ髪の上にちらちらおどりぬ。左手ひだりの障子には、ひょろひょろとした南天の影手水鉢ちょうずばちをおおうてうつむきざまに映り、右手には槎枒さがたる老梅の縦横に枝をさしかわしたるがあざやかに映りて、まだつぼみがちなるその影の、花は数うべくまばらなるにも春の浅きは知られつべし。南縁なんえんけんを迎うるにやあらん、腰板の上にねこかしらの映りたるが、今日の暖気に浮かれでし羽虫はむし目がけて飛び上がりしに、りはずしてどうと落ちたるをまた心に関せざるもののごとく、悠々としてわが足をなむるにか、影なるかしらのしきりにうなずきつ。微笑を含みてこの光景ありさまを見し浪子は、日のまぶしきにまゆあつめ、目を閉じて、うっとりとしていたりしが、やおらあなたに転臥ねがえりして、編みかけのくつしたをなで試みつつ、また縦横に編み棒を動かし始めぬ。

 ドシドシと縁におもやかなる足音して、たけひく仁王におうの影障子を伝い来つ。

「気分はどうごあんすな?」

 と枕べにすわるはしゅうとなり。

「今日は大層ようございます。起きられるのですけども──」と編み物をさしおき、えりの乱れを繕いつつ、起き上がらんとするを、姑は押しとめ、

「そ、そいがいかん、そいがいかん。他人じゃなし、遠慮がいッもンか。そ、そ、そ、また編み物しなはるな。いけませんど。病人な養生ようじょうが仕事、なあ浪どん。和女おまえは武男が事ちゅうと、何もかも忘れッちまいなはる。いけません。早う養生してな──」

「本当に済みません、やすんでばかし……」

「そ、そいが他人行儀、なあ。わたしはそいが大きらいじゃ」

 うそをつきたもうな、おんみは常に当今の嫁なるものの舅姑しゅうとに礼足らずとつぶやき、ひそかにわがよめのこれに異なるをもっけのさちと思うならずや。浪子は実家さとにありけるころより、口にいわねどひそかにその継母のよろず洋風にさばさばとせるをあきたらず思いて、一家の作法の上にはおのずから一種古風の嗜味しみを有せるなりき。

 姑はふと思いでたるように、

「お、武男から手紙が来たようじゃったが、どうえて来申きもした?」

 浪子は枕べに置きし一通の手紙のなかぬきいだして姑に渡しつつ、

「この日曜にはきっといらッしゃいますそうでございますよ」

「そうかな」ずうと目を通してくるくるとまき収め、「転地養生もねもんじゃ。この寒にエットからだいごかして見なさい、それこそか病気も出て来ます。風邪かぜはじいと寝ておると、なおるもんじゃ。武は年が若かでな。医師いしゃをかえるの、やれ転地をすッのと騒ぎす。わたしたちが若か時分な、腹が痛かてて寝るこたなし、産あがりだて十日と寝た事アあいません。世間が開けてっと皆がよおうなり申すでな。はははは。武にそうえてやったもんな、おっかさんがおるで心配しなはんな、ての、ははははは、どれ」

 口には笑えど、目はいささかよろこばざる色を帯びて、で行く姑の後ろ影、

「御免遊ばせ」

 と起き直りつつ見送りて、浪子はかすかに吐息を漏らしぬ。

 親が子をねたむということ、あるべしとは思われねど、浪子は良人おっとの帰りし以来、一種異なる関係の姑との間にわきでたるを覚えつ。遠洋航海より帰り来て、浪子のやせしを見たる武男が、粗豪なる男心にも留守の心づかいをくみて、いよいよいたわるをば、いささか苦々にがにがしく姑の思える様子は、怜悧さとき浪子の目をのがれず。時にはかの孝──姑のいわゆる──とこの愛の道と、一時に踏み難くわかるることあるを、浪子はひそかに思い悩めるなり。

「奥様、加藤様のお嬢様がおいで遊ばしましてございます」

 と呼ぶおんなの声に、浪子はぱっちり目を開きつ。入り来るひとを見るより喜色はたちまち眉間びかんに上りぬ。

「あ、お千鶴ちずさん、よく来たのね」


三の二


「今日はどんな?」

 藤色ふじいろ縮緬ちりめんのおこそ頭巾ずきんとともに信玄袋をわきへ押しやり、浪子の枕べ近く立ち寄るは島田の十七八、紺地斜綾はすあや吾妻あずまコートにすらりとした姿を包んで、三日月眉みかづきまゆにおやかに、しき黒目がちの、見るからさえざえとした娘。浪子が伯母加藤子爵夫人の長女、千鶴子というはこのなり。浪子と千鶴子は一歳ひとつ違いの従姉妹いとこ同士。幼稚園に通うころより実の同胞きょうだいも及ばぬほどむつみ合いて、浪子が妹の駒子こまこをして「ねえさんはお千鶴さんとばかり仲よくするからわたしいやだわ!」といわしめしこともありき。されば浪子が川島家にとつぎて来し後も、他の学友らはおのずから足を遠くせしに引きかえ、千鶴子はかえってその家の近くなれるを喜びつつ、しばしば足を運べるなり。武男が遠洋航海の留守の間心さびしくき事多かる浪子を慰めしは、燃ゆるがごとき武男の書状を除きては、千鶴子の訪問ぞそのおもなるものなりける。

 浪子はほほえみて、

「今日はよっぽどよい方だけども、まだかみが重くて、時々せきが出て困るの」

「そう?──寒いのね」うやうやしく座ぶとんをすすむるおんなをちょっと顧みて、浪子のそば近くすわりつ。桐胴きりどう火鉢ひばち指環ゆびわの宝石きらきらと輝く手をかざしつつ、桜色ににおえるほおおさう。

「伯母様も、伯父様も、おかわりないの?」

「あ、よろしくッてね。あまり寒いからどうかしらッてひどく心配していなさるの、時候が時候だから、少しいい方だッたら逗子ずしにでも転地療養しなすったらッてね、昨夕ゆうべおっかさんとそう話したのですよ」

「そう? 横須賀よこすかからもちょうどそう言って来てね……」

「兄さんから? そう? それじゃ早く転地するがいいわ」

「でももうそのうちよくなるでしょうから」

「だッて、このごろの感冒かぜは本当に用心しないといけないわ」

 おりから小間使いの紅茶を持ち来たりて千鶴子にすすめつ。

かねや? おっかさんは? お客? そう、どなた? 国のかたなの?──お千鶴さん、今日はゆっくりしていいのでしょう。兼や、お千鶴さんに何かごちそうしておあげな」

「ほほほほ、お百度参りするのだもの、ごちそうばかりしちゃたまらないわ。お待ちなさいよ」言いつつ服紗ふくさ包みの小重を取り出し「こちらの伯母さんはおはぎがおすきだッたのね、少しだけども、──お客様ならあとにしましょう」

「まあ、ありがとう。本当に……ありがとうよ」

 千鶴子はさらに紅蜜柑べにみかんを取り出しつつ「きれいでしょう。これはわたしのお土産みやげよ。でもすっぱくていけないわ」

「まあきれい、一ツむいてちょうだいな」

 千鶴子がむいて渡すを、さもうまげに吸いて、ひたえにこぼるる髪をかき上げ、かき上げつ。

「うるさいでしょう。ざっとってた方がよかないの? ね、ちょっと結いましょう。──そのままでいいわ」

 勝手知ったる次の間の鏡台のくし取りいだして、千鶴子は手柔らかにすき始めぬ。

「そうそう、昨日の同窓会──案内状しらせが来たでしょう──はおもしろかってよ。みんながよろしくッて、ね。ほほほほ、学校を下がってからまだやっと一年しかならないのに、もう三一はお嫁だわ。それはおかしいの、大久保おおくぼさんも本多ほんださんも北小路きたこうじさんもみんな丸髷まるまげってね、変に奥様じみているからおかしいわ。──痛かないの?─ほほほほ、どんな話かと思ったら、みんな自分の吹聴ふいちょうですわ。そうそう、それから親子別居論が始まってね、北小路さんは自分がちっとも家政ができないにおっかさんがたいへんやさしくするものだから同居に限るっていうし、大久保さんはまたおっかさんがやかましやだから別居論の勇将だし、それはおかしいの。それからね、わたしがまぜッかえしてやったら、お千鶴さんはまだ門外漢──漢がおかしいわ──だから話せないというのですよ。──すこしつまり過ぎはしないの?」

「イイエ。──それはおもしろかったでしょう。ほほほほ、みんな自己じぶんから割り出すのね。どうせ局々ところところで違うのだから、一概には言えないのでしょうよ。ねエ、お千鶴さん。伯母様もいつかそうおっしゃったでしょう。若い者ばかりじゃわがままになるッて、本当にそうですよ、年寄りを疎略に思っちゃ済まないのね」

 父中将の教えを受くるが上に、おのずから家政に趣味をもてる浪子は、実家さとにありけるころより継母のまつりごとを傍観しつつ、ひそかに自家のけんをいだきて、自ら一家の女主あるじになりたらん日には、みごと家をととのえんものと思えるは、一日にあらざりき。されど川島家に来たり嫁ぎて、万機一に摂政太后の手にありて、身はそのくらいありてその権なき太子妃の位置にあるを見るに及びて、しばしおのれを収めて姑の支配のもとに立ちつ。親子の間に立ち迷いて、思うさま良人おっとにかしずくことのままならぬをひそかにかこてるおりおりは、かつてわが国風こくふうわずと思いし継母が得意の親子しんし別居論のあるいは真理にあらざるやを疑うこともありしが、これがためにかえって浪子は初心を破らじとひそかに心におびせるなり。

 継母のもと十年ととせを送り、今は姑のそばにやがて一年の経験を積める従姉いとこの底意を、ことごとくはくみかねし千鶴子、三つに組みたる髪の端を白きリボンもて結わえつつ、浪子の顔さしのぞきて、声を低め、「このごろでも御機嫌ごきげんがわるくッて?」

「でも、病気してからよくしてくださるのですよ。でもね、……武男うちにいろいろするのが、おかあさまのお気に入らないには困るわ! それで、いつでもではおかあさまが女皇陛下クイーンだからおれよりもたれよりもおかあさまを一番大事にするンだッて、しょっちゅう言って聞かされるのですわ……あ、もうこんな話はよしましょうね。おおいい気持ち、ありがとう。頭が軽くなったわ」

 言いつつ三つ組みにせし髪をなで試みつ。さすがに疲れを覚えつらん、浪子は目を閉じぬ。

 くしをしまいて、紙に手をふきふき、鏡台の前に立ちし千鶴子は、小さき箱のふたを開きて、たなそこに載せつつ、

「何度見てもこの襟止びんはきれいだわ。本当ににいさんはよくなさるのねエ。うちの──兄さん(これは千鶴子の婿養子と定まれる俊次しゅんじといいて、目下外務省に奉職せる男)なんか、外交官の妻になるには語学が達者でなくちゃいけないッて、仏語フレンチを勉強するがいいの、ドイツ語がぜひ必要のッて、責めてばかりいるから困るわ」

「ほほほほ、お千鶴さんが丸髷まるまげったのを早く見たいわ──島田も惜しいけれど」

「まあいや!」美しきまゆはひそめど、裏切る微笑えみ薔薇ばらつぼめるごとき唇に流れぬ。

「あ、ほんに、萩原はぎわらさんね、そらわたしたちより一年さきに卒業した──」

「あの松平まつだいらさんにらっした方でしょう」

「は、あの方がね、昨日きのう離縁になったンですッて」

「離縁に? どうしたの?」

「それがね、おとうさんおかあさんの気には入ってたけども、松平さんがきらってね」

「子供がありはしなかったの」

一人ひとりあったわ。でもね、松平さんがきらって、このごろはめかけを置いたり、囲い者をしたり、乱暴ばかりするからね、萩原さんのおとうさんがひどくおこつてね、そんな薄情な者には、娘はやって置かれぬてね、とうとう引き取ってしまったんですッて」

「まあ、かあいそうね。──どうしてきらうのでしょう、本当にひどいわ」

「腹が立つのねエ。──逆さまだとまだいいのだけど、舅姑しゅうとの気に入っても良人おっとにきらわれてあんな事になっては本当につらいでしょうねエ」

 浪子は吐息しつ。

「同じ学校に出て同じ教場で同じ本を読んでも、みんなちりぢりになって、どうなるかわからないものねエ。──お千鶴さん、いつまでも仲よく、さきざき力になりましょうねエ」

「うれしいわ!」

 二人ふたりの手はおのずから相結びつ。ややありて浪子はほほえみ、

「こんなに寝ていると、ね、いろいろな事を考えるの。ほほほほ、笑っちゃいやよ。これから何年かたッてね、どこか外国と戦争が起こるでしょう、日本が勝つでしょう、そうするとね、お千鶴さんとこの兄さんが外務大臣で、先方へ乗り込んで講和の談判をなさるでしょう、それから武男うちが艦隊の司令長官で、何十そうという軍艦を向こうの港にならべてね……」

「それから赤坂の叔父さんが軍司令官で、うちのおとうさんが貴族院で何億万円の軍事費を議決さして……」

「そうするとわたしはお千鶴さんと赤十字の旗でもたてて出かけるわ」

「でもからだが弱くちゃできないわ。ほほほほ」

「おほほほほ」

 笑う下より浪子はたちまちせきを発して、右の胸をおさえつ。

「あまり話したからいけないのでしょう。胸が痛むの?」

「時々せきするとね、ここに響いてしようがないの」

 言いつつ浪子の目はたちまちすうと薄れ行く障子の日影を打ちながめつ。


四の一


 山木が奥の小座敷に、あくまで武男にはずかしめられて、燃ゆるがごとき憤嫉ふんしつを胸にたたみつつわがぐうに帰りしそのより僅々きんきん五日を経て、千々岩ちぢわは突然参謀本部よりして第一師団の某連隊付きに移されつ。

 人の一生には、なす事なす事皆図星をはずれて、さながら皇天ことにわれ一にんをえらんで折檻せっかんまた折檻のむちを続けざまに打ちおろすかのごとくに感ぜらるる、いわゆる「泣きつらはち」の時期少なくとも一度はあるものなり。去年以来千々岩はこの瀬戸に舟やり入れて、今もって容易にその瀬戸を過ぎおわるべき見当のつかざるなりき。浪子はすでに武男に奪われつ。相場に手を出せば失敗を重ね、高利を借りれば恥をかき、小児こどもと見くびりし武男には下司げす同然にはずかしめられ、ただ一親戚しんせきたる川島家との通路は絶えつ。果てはただ一立身の捷逕しょうけいとして、死すとも去らじと思える参謀本部の位置まで、一言半句の挨拶あいさつもなくはぎとられて、このごろまで牛馬うしうま同様に思いし師団の一士官とならんとは。きず持つ足の千々岩は、今さら抗議するわけにも行かず、倒れてもつかむ馬糞ばふんしゅうをいとわで、おめおめと練兵行軍の事に従いしが、この打撃はいたく千々岩を刺激して、従来事に臨んでさらにあわてず、冷静に「われ」を持したる彼をして、思うてここにいたるごとに、一肚皮とひの憤恨猛火よりもはげしく騰上し来たるを覚えざらしめたり。

 頭上に輝く名利のかんむりを、上らば必ずべき立身の梯子はしごに足踏みかけて、すでに一段二段を上り行きけるその時、突然落とされしは千々岩が今の身の上なり。が蹴落とせし。千々岩は武男が言葉の端より、参謀本部に長たる将軍が片岡中将と無二の昵懇じっこんなる事実よりして、少なくも中将が幾分の手を仮したるを疑いつ。彼はまた従来金には淡白なる武男が、三千金のために、──たとい偽印の事はありとも──法外に怒れるを怪しみて、浪子がふるき事まで取りでてわれを武男にざんしたるにあらずやと疑いつ。思えば思うほど疑いは事実と募り、事実は怒火に油さし、失恋のうらみ、功名の道における蹉跌さてつの恨み、失望、不平、嫉妬さまざまの悪感は中将と浪子と武男をめぐりてほのおのごとく立ち上りつ。かの常にわが冷頭を誇り、情に熱して数字を忘るるの愚を笑える千々岩も、連敗の余のさすがに気は乱れ心狂いて、一こう怨毒えんどくいずれに向かってか吐き尽くすべきみちを得ずば、自己──千々岩安彦が五尺のまず破れおわらんずる心地ここちせるなり。

 復讎ふくしゅう、復讎、世に心よきはにくしと思う人の血をすすって、そのほおの一れんに舌鼓うつ時の感なるべし。復讎、復讎、ああいかにして復讎すべき、いかにしてうらみ重なる片岡川島両家をみじんに吹き飛ばすべき地雷火坑を発見し、なるべくおのれは危険なき距離より糸をひきて、憎しと思うやからの心やぶはらわた裂け骨くじけ脳まみれ生きながら死ぬ光景をながめつつ、快く一杯を過ごさんか。こは一月以来となく日となく千々岩のかしらを往来せる問題なりき。

 梅花雪とこぼるる三月中旬、ある日千々岩は親しく往来せる旧同窓生の何某なにがしが第三師団より東京に転じ来たるを迎うるとて、新橋におもむきつ。待合室をづるとて、あたかも十五六の少女おとめを連れしたけ高き婦人──貴婦人の婦人待合室より出で来たるにはたと行きあいたり。

「お珍しいじゃございませんか」

 駒子こまこを連れて、片岡子爵夫人繁子しげこはたたずめるなり。一瞬時、変われる千々岩の顔色は、先方の顔色をのぞいて、たちまち一変しつ。中将にこそ浪子にこそ恨みはあれ、少なくもこの人をば敵視する要なしと早くも心を決せるなり。千々岩はうやうやしく一礼して、微笑を帯び、

「ついごぶさたいたしました」

「ひどいお見限りようですね」

「いや、ちょっとお伺い申すのでしたが、いろいろ職務上の要で、つい多忙だものですから──今日きょうはどちらへか?」

「は、ちょっと逗子ずしまで──あなたは?」

「何、ちょっと朋友ともだちを迎えにまいったのですが──逗子は御保養でございますか」

「おや、まだご存じないのでしたね、──病人ができましてね」

「御病人? どなたで?」

「浪子です」

 おりからベルの鳴りて人はうしおのごとく改札口へ流れ行くに、少女おとめは母のそで引き動かして

「おかあさま、おそくなるわ」

 千々岩はいち早く子爵夫人が手にしたる四季袋を引っとり、打ち連れて歩みつつ

「それは──何ですか、よほどお悪いので?」

「はあ、とうとう肺になりましてね」

「肺?──結核?」

「は、ひどく喀血かっけつをしましてね、それでつい先日逗子へまいりました。今日はちょっと見舞に」言いつつ千々岩が手より四季袋を受け取り「ではさようなら、すぐ帰ります、ちとお遊びにいらッしゃいよ」

 華美はでなるカシミールのショールとくれないのリボンかけし垂髪おさげとはるかに上等室に消ゆるを目送して、歩を返す時、千々岩の唇には恐ろしき微笑を浮かべたり。


四の二


 医師が見舞うたびに、あえて口にはいわねど、その症候の次第に著しくなり来るを認めつつ、てだてを尽くして防ぎ止めんとせしかいもなく、目には見えねど浪子の病はひびに募りて、三月の初旬はじめには、疑うべくもあらぬ肺結核の初期に入りぬ。

 わが老健すこやかを鼻にかけて今世いまどきの若者の羸弱よわきをあざけり、転地の事耳に入れざりししゅうとも、現在目の前に浪子の一度ならずに喀血するを見ては、さすがに驚き──伝染の恐ろしきを聞きおれば──恐れ、医師が勧むるまましかるべき看護婦を添えて浪子を相州逗子なる実家──片岡家の別墅べっしょに送りやりぬ。肺結核! 茫々ぼうぼうたる野原にただひとり立つ旅客たびびとの、頭上に迫り来る夕立雲のまっ黒きを望める心こそ、もしや、もしやとその病を待ちし浪子の心なりけれ。今は恐ろしき沈黙はすでにとく破れて、雷鳴りでんひらめき黒風こくふう吹き白雨はくうほとばしる真中まなかに立てる浪子は、ただ身をして早く風雨の重囲ちょういを通り過ぎなんと思うのみ。それにしても第一撃のいかにすさまじかりしぞ。思いづる三月の二日、今日は常にまさりて快く覚ゆるままに、久しく打ちすてし生け花の慰み、しゅうと部屋へや花瓶かへいにささん料に、おりから帰りてたまいし良人おっとに願いて、においも深き紅梅の枝を折るとて、庭さき近く端居はしいして、あれこれとえらみ居しに、にわかに胸先むなさき苦しくかしらふらふらとして、くれないもや眼前めさきに渦まき、われ知らずあと叫びて、肺を絞りし鮮血の紅なるを吐けるその時! その時こそ「ああとうとう!」と思う同時に、いずくともなくはるかにわが墓の影をかいま見しが。

 ああ死! 以前むかし世をつらしと見しころは、生何の楽しみぞ死何の哀惜かなしみぞと思いしおりもありけるが、今は人の生命いのちしければいとどわが命の惜しまれて千代までも生きたしと思う浪子。情けなしと思うほど、病に勝たんの心も切に、おりおり沈むわが気をふり起こしては、われより医師を促すまでに怠らず病を養えるなりき。

 目と鼻の横須賀よこすかにあたかも在勤せる武男が、ひまをぬすみてしばしば往来するさえあるに、父の書、伯母、千鶴子の見舞たえ間なく、別荘には、去年の夏川島家を追われし以来絶えて久しきかのうばのいくが、その再会の縁由よしとなれるがために病そのものの悲しむべきをも喜ばんずるまで浪子をなつかしめるありて、あとうべくは以前むかしに倍する熱心もて伏侍ふくじするあり。まめまめしき老僕が心を用いてつこうるあり。春寒きびしき都門を去りて、身を暖かき湘南しょうなんの空気に投じたる浪子は、ひびに自然の人をいつくしめる温光を吸い、身をめぐる暖かき人の情けを吸いて、気も心もおのずからのびやかになりつ。地を転じてすでに二旬を経たれば、喀血やみ咳嗽がいそうやや減り、一週二回東京より来たり診する医師も、快しというまでにはいたらねど病の進まざるをかいありと喜びて、この上はげしき心神の刺激を避け、安静にして療養の功を続けなば、快復の望みありと許すにいたりぬ。


四の三


 都の花はまだ少し早けれど、逗子あたりは若葉の山に山桜さくら咲きめて、山また山にさりもあえぬ白雲をかけし四月初めの土曜。今日は朝よりそぼ降る春雨に、海も山も一色ひといろに打ちけぶり、たださえながき日の果てもなきまで永き心地ここちせしが、日暮れ方より大降りになって、風さえ強く吹きいで、戸障子の鳴るおとすさまじく、怒りたける相模灘さがみなだ濤声とうせい万馬ばんばおどるがごとく、海村戸をとざして燈火ともしび一つ漏る家もあらず。

 片岡家の別墅べっしょにては、今日はべかりしに勤務上やみ難き要ありておくれし武男が、に入りて、風雨の暗をきつつ来たりしが、今はすでにをあらため、晩餐ばんさんを終え、卓によりかかりて、手紙を読みており。相対あいむかいて、浪子は美しき巾着きんちゃくを縫いつつ、時々針をとどめて良人おっとかた打ちながめてはみ、風雨の音に耳傾けては静かに思いに沈みており。揚巻あげまきに結いし緑の髪には、一の山桜を葉ながらにさしはさみたり。二人ふたりの間には、一脚の卓ありて、桃色のかさかけしランプはじじと燃えつつ、薄紅うすくれないの光を落とし、そのかたわらには白磁瓶はくじへいにさしはさみたる一枝の山桜、雪のごとく黙して語らず。今朝けさ別れ来し故山の春を夢むるなるべし。

 風雨の声おくをめぐりて騒がし。

 武男は手紙を巻きおさめつ。「阿舅おとうさんもよほど心配しておいでなさる。どうせ明日あすはちょっと帰京かえるから、赤坂へ回って来よう」

「明日いらッしゃるの? このお天気に!──でもおかあ様もお待ちなすッていらッしゃいましょうねエ。わたくしも行きたいわ!」

「浪さんが!!! とんでもない! それこそまっぴら御免こうむる。もうしばらくは流刑しまながしにあったつもりでいなさい。はははは」

「ほほほ、こんな流刑しまながしなら生涯でもようござんすわ──あなた、巻莨たばこ召し上がれな」

「ほしそうに見えるかい。まあよそう。そのかわり来る前の日と、帰った日は、二日ぶりのむのだからね。ははははは」

「ほほほ、それじゃごほうびに、今いいお菓子がまいりますよ」

「それはごちそうさま。大方お千鶴さんの土産みやげだろう。──それは何かい、立派な物ができるじゃないか」

「この間から日がながくッてしようがないのですから、おかあさまへ上げようと思ってしているのですけど──イイエ大丈夫ですわ、遊び遊びしてますから。ああ何だか気分が清々せいせいしたこと。も少し起きさしてちょうだいな、こうしてますとちっとも病気のようじゃないでしょう」

「ドクトル川島がついているのだもの、はははは。でも、近ごろは本当に浪さんの顔色がよくなッた。もうこっちのものだて」

 この時次の間よりかの老女のいくが、菓子ばちと茶盆を両手にささげ来つ。

「ひどい暴風雨しけでございますこと。旦那だんな様がいらッしゃいませんと、ねエ奥様、今夜こんばんなんざとても目が合いませんよ。飯田町いいだまちのお嬢様はお帰京かえり遊ばす、看護婦さんまで、ちょっと帰京かえりますし、今日はどんなにさびしゅうございましてしょう、ねエ奥様。茂平もへい(老僕)どんはいますけれども」

「こんな晩に船に乗ってる人の心地こころもちはどんなでしょうねエ。でも乗ってる人を思いやる人はなお悲しいわ!」

「なあに」と武男は茶をすすり果てて風月の唐饅頭とうまんじゅう二つ三つ一息に平らげながら「なあに、これくらいの風雨しけはまだいいが、南シナ海あたりで二日も三日も大暴風雨おおしけに出あうと、随分こたえるよ。四千何百トンのふねが三四十度ぐらいに傾いてさ、山のようなやつがドンドン甲板かんぱんを打ち越してさ、ふねがぎいぎいるとあまりいい心地こころもちはしないね」

 風いよいよ吹き募りて、暴雨一陣つぶてのごとく雨戸にほとばしる。浪子は目を閉じつ。いくは身を震わしぬ。三人みたりことばしばし途絶えて、風雨の音のみぞすさまじき。

「さあ、陰気な話はもう中止だ。こんなばんは、ランプでも明るくして愉快に話すのだ。ここは横須賀よりまた暖かいね、もうこんなに山桜が咲いたな」

 浪子は磁瓶じへいにさしし桜の花びらをかろくなでつつ「今朝けさ老爺じいやが山から折って来ましたの。きれいでしょう。──でもこの雨風で山のはよっぽど散りましょうよ。本当にどうしてこんなに潔いものでしょう! そうそう、さっき蓮月れんげつの歌にこんなのがありましたよ『うらやまし心のままにとく咲きて、すがすがしくも散るさくらかな』よくんでありますのねエ」

「なに? すがすがしくも散る? 僕──わしはそう思うがね、花でも何でも日本人はあまり散るのを賞翫しょうがんするが、それも潔白でいいが、過ぎるとよくないね。戦争いくさでも早く討死うちじにする方が負けだよ。も少し剛情にさ、執拗しつこくさ、気ながな方を奨励したいと思うね。それでわが輩──わしはこんな歌を詠んだ。いいかね、皮切りだからどうせおかしいよ、しつこしと、笑っちゃいかん、しつこしと人はいえども八重桜盛りながきはうれしかりけり、はははは梨本なしもと跣足はだしだろう」

「まあおもしろいお歌でございますこと、ねエ奥様」

「はははは、ばあやの折り紙つきじゃ、こらいよいよ秀逸にきまったぞ」

 話の途切れ目をまたひとしきり激しくなりまさる風雨の音、なみの音の立ち添いて、家はさながら大海に浮かべる舟にも似たり。いくは鉄瓶てつびんの湯をかうるとて次に立ちぬ。浪子はさしはさみ居し体温器をちょっと燈火あかりに透かし見て、今宵こよいは常よりも上らぬ熱を手柄顔に良人おっとに示しつつ、筒に収め、しばらくテーブルの桜花さくらを見るともなくながめていたりしが、たちまちほほえみて

「もう一年たちますのねエ、よウくおぼえていますよ、あの時馬車に乗って出ると家内みんなの者が送って出てますから何とか言いたかったのですけどどうしても口に出ませんの。おほほほ。それから溜池橋ためいけばしを渡るともう日が暮れて、十五夜でしょう、まん丸な月が出て、それから山王さんのうのあの坂を上がるとちょうど桜花さくらの盛りで、馬車の窓からはらはらはらはらまるで吹雪ふぶきのように降り込んで来ましてね、ほほほ、まげに花びらがとまってましたのを、もうおりるという時、気がついて伯母がとってくれましたッけ」

 武男はテーブルに頬杖ほおづえつき「一年ぐらいたつな早いもんだ。かれこれするとすぐ銀婚式になっちまうよ。はははは、あの時浪さんの澄まし方といったらはッははは思い出してもおかしい、おかしい。どうしてああ澄まされるかな」

「でも、ほほほほ──あなたも若殿様できちんと澄ましていらッしたわ。ほほほほ手が震えて、杯がどうしても持てなかったンですもの」

大分だいぶおにぎやかでございますねエ」といくはにこにこみつつ鉄瓶てつびんを持ちて再び入り来つ。「ばあやもこんなに気分が清々せいせいいたしたことはありませんでございますよ。ごいっしょにこうしておりますと、昨年伊香保にいた時のような心地こころもちがいたしますでございますよ」

「伊香保はうれしかったわ!」

わらび狩りはどうだい、たれかさんの御足おみあしが大分重かッたっけ」

「でもあなたがあまりお急ぎなさるんですもの」と浪子はほほえむ。

「もうすぐ蕨の時候になるね。浪さん、早くよくなッて、また蕨りの競争しようじゃないか」

「ほほほ、それまでにはきっとなおりますよ」


四の四


 明くる日は、昨夜ゆうべ暴風雨あらしに引きかえて、不思議なほどの上天気。

 帰京は午後と定めて、午前の暖かく風なきを運動にと、武男は浪子と打ち連れて、別荘の裏口よりはらはら松の砂丘すなやまを過ぎ、浜にでたり。

「いいお天気、こんなになろうとは思いませんでしたねエ」

「実にいい天気だ。伊豆いずが近く見えるじゃないか、話でもできそうだ」

 二人ふたりはすでにかわける砂を踏みて、今日のなぎ地曳じびきすと立ち騒ぐ漁師りょうし、貝拾う子らをあとにし、新月なりの浜を次第に人少なきかたに歩みつ。

 浪子はふと思いでたるように「ねエあなた。あの──千々岩さんはどうしてらッしゃるでしょう?」

「千々岩? 実に不埒ふらちきわまるやつだ。あれから一度も会わンが。──なぜ聞くのかい?」

 浪子は少し考え「イイエ、ね、おかしい事をいうようですが、昨夜ゆうべ千々岩さんの夢を見ましたの」

「千々岩の夢?」

「はあ。千々岩さんがお母さまと何か話をしていなさる夢を見ましたの」

「はははは、気沢山きだくさんだねエ、どんな話をしていたのかい」

「何かわからないのですけど、お母さまが何度もうなずいていらっしゃいましたわ。──お千鶴さんが、あの方と山木さんといっしょに連れ立っていなさるのを見かけたって話したから、こんな夢を見たのでしょうね。ねエ、あなた、千々岩さんが我等宅うちに出入りするようなことはありますまいね」

「そんな事はない、ないはずだ。おっかさんも千々岩の事じゃおこっていなさるからね」

 浪子は思わず吐息をつきつ。

「本当に、こんな病気になってしまって、おかあさまもさぞいやに思っていらッしゃいましょうねエ」

 武男ははたと胸をきぬ。病める妻には、それといわねど、浪子が病みて地をえしより、武男は帰京するごとに母の機嫌きげんの次第にしく、伝染の恐れあればなるべく逗子には遠ざかれとまで戒められ、さまざまの壁訴訟の果てはこうじて実家さと悪口わるくちとなり、いささかなだめんとすれば妻をかばいて親に抗するたわけ者とののしらるることも、すでに一再にとどまらざりけるなり。

「はははは、浪さんもいろいろな心配をするね。そんな事があるものかい。精出して養生して、来春らいはるはどうか暇を都合して、おっかさんと三人吉野よしのの花見にでも行くさ──やアもうここまで来てしまッた。疲れたろう。そろそろ帰らなくもいいかい」

 二人は浜尽きて山起こる所に立てるなり。

「不動まで行きましょう、ね──イイエちっとも疲れはしませんの。西洋まででも行けるわ」

「いいかい、それじゃそのショールをおやりな。岩がすべるよ、さ、しっかりつかまって」

 武男は浪子をたすけ引きて、山の根の岩を伝える一条の細逕さいけいを、しばしば立ちどまりてはいこいつつ、一ちょうあまり行きて、しゃらしゃら滝の下にいたりつ。滝の横手に小さき不動堂あり。松五六本、ひょろひょろとがけよりひいでて、斜めに海をのぞけり。

 武男は岩をはらい、ショールを敷きて浪子を憩わし、われも腰かけて、わがひざいだきつ。「いいなぎだね!」

 海は実にげるなり。近午の空は天心にいたるまで蒼々あおあおと晴れて雲なく、一碧いっぺきの海は所々しょしょれるように白く光りて、見渡す限り目に立つひだだにもなし。海も山も春日を浴びて悠々ゆうゆうとして眠れるなり。

「あなた!」

「何?」

「なおりましょうか」

「エ?」

「わたくしの病気」

「何をいうのかい。なおらずにどうする。なおるよ、きっとなおるよ」

 浪子は良人おっとの肩にりつ、「でもひょっとしたらなおらずにしまいはせんかと、そう時々思いますの。もこの病気でくなりましたし──」

「浪さん、なぜ今日に限ってそんな事をいうのかい。だいじょうぶなおる。なおると医師いしゃもいうじゃアないか。ねエ浪さん、そうじゃないか。そらアおっかさんはその病気で──か知らんが、浪さんはまだ二十はたちにもならんじゃないか。それに初期だから、どんな事があったってなおるよ。ごらんな、それうちの親類の大河原おおかわら、ね、あれは右の肺がなくなッて、医者がさじをなげてから、まだ十五年も生きてるじゃないか。ぜひなおるという精神がありさえすりアきっとなおる。なおらんというのは浪さんが僕を愛せんからだ。愛するならきっとなおるはずだ。なおらずにこれをどうするかい」

 武男は浪子の左手ゆんでをとりて、わがくちびるに当てつ。手には結婚の前、武男が贈りしダイヤモンド入りの指環ゆびわ燦然さんぜんとして輝けり。

 二人ふたりはしばし黙して語らず。江の島のかたよりで来たりし白帆しらほ一つ、海面うなづらをすべり行く。

 浪子は涙に曇る目に微笑を帯びて「なおりますわ、きっとなおりますわ、──あああ、人間はなぜ死ぬのでしょう! 生きたいわ! 千年も万年も生きたいわ! 死ぬなら二人で! ねエ、二人で!」

「浪さんが亡くなれば、僕も生きちゃおらん!」

「本当? うれしい! ねエ、二人で!──でもおっかあさまがいらッしゃるし、お職分つとめがあるし、そう思っておいでなすッても自由にならないでしょう。その時はわたくしだけ先に行って待たなけりゃならないのですねエ──わたくしが死んだら時々は思い出してくださるの? エ? エ? あなた?」

 武男は涙をふりはらいつつ、浪子の黒髪かみをかいなで「ああもうこんな話はよそうじゃないか。早く養生して、よくなッて、ねエ浪さん、二人で長生きして、金婚式をしようじゃないか」

 浪子は良人おっとの手をひしと両手に握りしめ、身を投げかけて、熱き涙をはらはらと武男がひざに落としつつ「死んでも、わたしはあなたの妻ですわ! だれがどうしたッて、病気したッて、死んだッて、未来の未来のさきまでわたしはあなたの妻ですわ!」


五の一


 新橋停車場に浪子の病を聞きける時、千々岩のくちびるに上りし微笑は、解かんと欲して解き得ざりし難問の忽然こつぜんとしてその端緒を示せるに対して、まず揚がれる心の凱歌がいかなりき。にくしと思う川島片岡両家の関鍵かんけんは実に浪子にありて、浪子のこの肺患は取りも直さず天特にわれ千々岩安彦のために復讎ふくしゅうの機会を与うるもの、病は伝染致命の大患、武男は多く家にあらず、姑媳こそくの間に軽々けいけい一片のことばを放ち、一指を動かさずして破裂せしむるに何の子細かあるべき。事成らば、われは直ちに飛びのきて、あとは彼らが互いに手を負い負わし生き死に苦しむ活劇を見るべきのみ。千々岩は実にかく思いて、いささか不快のまゆを開けるなり。

 叔母の気質はよく知りつ。武男がわれに怒りしほど、叔母はわれに怒らざるもよく知りつ。叔母が常に武男を子供視して、むしろわれ──千々岩の年よりも世故にけたるこうべに依頼するの多きも、よく知りつ。そもそもまた親戚しんせき知己も多からず、人をしかり飛ばして内心には心細く覚ゆる叔母が、若夫婦にあきたらで味方ほしく思うをもよく知りつ。さればいまだ一兵を進めずしてその作戦計画の必ず成効すべきを測りしなり。

 胸中すでに成竹ある千々岩は、さらに山木を語らいて、時々川島家に行きては、その模様を探らせ、かつは自己──千々岩はいたく悔悛かいしゅん覚悟かくごせる由をほのめかしつ。浪子の病すでに二月ふたつきに及びてはかばかしくせず、叔母の機嫌きげんのいよいよしきを聞きし四月の末、武男はあらず、執事の田崎も家用を帯びて旅行せしすきをうかがい、一千々岩は不意に絶えて久しき川島家の門を入りぬ。あたかも叔母がひとり武男の書状を前に置きて、深く深く沈吟せるところに行きあわせつ。


五の二


「いや、一向はかがいきませんじゃ。金は使う、二月も三月もたったてようなるじゃなし、困ったものじゃて、のう安さん。──こういう時分にゃ頼もしか親類でもあって相談すっとこじゃが、武はあの通り子供──」

「そこでございますて、伯母さん、実に小甥わたくしもこうしてのこのこ上がられるわけじゃないのですが、──御恩になった故叔父様おじさんや叔母さんに対しても、また武男君に対しても、このまま黙って見ていられないのです。実にいわば川島家の一大事ですからね、顔をぬぐってまいったわけで──いや、叔母さん、この肺病というやつばかりは恐ろしいもんですね、叔母さんもいくらもご存じでしょう、さいの病気が夫に伝染して一家総だおれになるはよくあるためしです、わたくしも武男君の上が心配でなりませんて、叔母さんから少し御注意なさらんと大事になりますよ」

「そうじゃて。わたしもそいが恐ろしかで、逗子に行くな行くなて、武にいうんじゃがの、やっぱい聞かんで、見なさい──」

 手紙をとりて示しつつ「医者がどうの、やれ看護婦がどうしたの、──ばかが、さいの事ばかい」

 千々岩はにやり笑いつ。「でも叔母さん、それは無理ですよ、夫婦に仲のよすぎるということはないものです。病気であって見ると、武男君もいよいよこらそうあるべきじゃありませんか」

「それじゃてて、さいが病気すッから親に不孝をすッ法はなかもんじゃ」

 千々岩は慨然として嘆息し「いや実に困った事ですな。せっかく武男君もいい細君ができて、叔母さんもやっと御安心なさると、すぐこんな事になって──しかし川島家の存亡は実に今ですね──ところでお浪さんの実家さとからは何か挨拶あいさつがありましたでしょうな」

「挨拶、ふん、挨拶、あの横柄おうへいが、ふんちっとばかい土産みやげを持っての、言い訳ばかいの挨拶じゃ。加藤のうちから二三度、来は来たがの──」

 千々岩は再び大息たいそくしつ。「こんな時にゃ実家さとからちと気をきかすものですが、病人の娘を押し付けて、よくいられるですね。しかし利己主義が本尊の世の中ですからね、叔母さん

「そうとも」

「それはいいですが、心配なのは武男君の健康です。もしもの事があったらそれこそ川島家は破滅です、──そういううちにもいつ伝染しないとも限りませんよ。それだって、夫婦というと、まさか叔母さんかきをお結いなさるわけにも行きませんし──」

「そうじゃ」

「でも、このままになすっちゃ川島家の大事になりますし」

「そうとも」

「子供の言うようにするばかりが親の職分じゃなし、時々は子を泣かすが慈悲になることもありますし、それに若い者はいったん、思い込んだようでも少したつと案外気の変わるものですからね」

「そうじゃ」

「少しぐらいのかあいそうや気の毒は家の大事には換えられませんからね」

「おおそうじゃ」

「それに万一、子供でもできなさると、それこそ到底──」

「いや、そこじゃ」

 膝乗り出して、がっくりと一つうなずける叔母のようすを見るより、千々岩は心の膝をうちて、翻然として話を転じつ。彼はそのぎ込みし薬の見る見る回るを認めしのみならず、叔母の心田しんでんもとすでに一種子の落ちたるありて、いまだ左右とこうの顧慮におおわれいるも、そのを破りて芽ぐみ長じ花さき実るにいたるはただ時日の問題にして、その時日も勢いはなはだ長からざるべきを悟りしなりき。

 その真質において悪人ならぬ武男が母は、浪子を愛せぬまでもにくめるにはあらざりき。浪子が家風、教育の異なるにかかわらず、なるべくおのれをててしゅうとに調和せんとするをば、さすがに母も知り、あまつさえそのある点において趣味をわれと同じゅうせるを感じて、口にしかれど心にはわが花嫁のころはとてもあれほどに届かざりしとひそかに思えることもありき。さりながら浪子がほとんど一月にわたるぶらぶら病のあと、いよいよ肺結核の忌まわしき名をつけられて、眼前に喀血かっけつの恐ろしきを見るに及び、なおその病の少なからぬ費用をかけ時日を費やしてはかばかしき快復を見ざるを見るに及び、失望といわんか嫌厭けんえんと名づけんか自らわかつあたわざるある一念の心底にでたるを覚えつ。彼を思いで、これを思いやりつつ、一種不快なる感情の胸中に醞醸うんじょうするに従って、武男が母はうわうちおおいたる顧慮の一塊一塊融け去りてかの一念の驚くべき勢いもて日々長じ来たるを覚えしなり。

 千々岩は分明ぶんみょうに叔母が心の逕路けいろをたどりて、これよりおりおり足を運びては、たださりげなく微雨軽風の両三点を放って、その顧慮をゆるめ、その萌芽ほうがをつちかいつつ、局面の近くに発展せん時を待ちぬ。そのおりおり武男の留守をうかがいて川島家に往来することのおぼろにほかに漏れしころは、千々岩はすでにその所作の大要をおえて、早くも舞台より足を抜きつつ、かの山木に向かい近きに起こるべき活劇の予告まえぶれをなして、あらかじめ祝杯をあげけるなり。


六の一


 五月初旬はじめ、武男はその乗り組めるふねのまさにくれより佐世保させほにおもむき、それより函館はこだて付近に行なわるべき連合艦隊の演習に列せんため引きかえして北航するはずなれば、かれこれ四五十日がほどは帰省の機会おりを得ざるべく、しばしの告別いとまかたがた、一夜あるよ帰京して母の機嫌きげんを伺いたり。

 近ごろはとかく奥歯に物のはさまりしように、いつ帰りても機嫌よからぬ母の、今夜こよいは珍しくにこにこ顔を見せて、風呂ふろかせ、武男が好物の薩摩汁さつまじるなど自ら手をおろさぬばかり肝いりてすすめつ。元来あまり細かき事には気をとめぬ武男も、ようすのいつになくあらたまれるを不思議──とは思いしが、何歳いくつになってもかあいがられてうれしからぬ子はなきに、父に別れてよりひとしお母なつかしき武男、母の機嫌の直れるに心うれしく、快く夜食のはしをとりしあとは、湯に入りてはらはら降り出せし雨の音を聞きつつ、この上の欲には浪子が早く全快してここにわが帰りを待っているようにならばなど今日立ち寄りて来し逗子の様子思い浮かべながら、陶然とよき心地ここちになりて浴をで、使女おんなはお平生服ふだんぎを無造作に引きかけて、葉巻握りし右手めての甲に額をこすりながら、母が八畳の居間に入り来たりぬ。

 小間使いに肩ひねらして、羅宇らうの長き煙管きせるにて国分こくぶをくゆらしいたる母は目をあげ「おお早上がって来たな。ほほほほほ、おとっさまがちょうどそうじゃったが──そ、その座ぶとんにすわッがいい。──松、和女郎おまえはもうよかで、茶を入れて来なさい」と自ら立って茶棚ちゃだなより菓子鉢を取りでつ。

「まるでお客様ですな」

 武男は葉巻を一吸い吸いてあおけぶりを吹きつつ、うちほほえむ。

「武どん、よう帰ったもった。──実はその、ちっと相談もあるし、是非ぜっひ帰ってもらおうと思ってた所じゃった。まあ帰ってくれたで、いい都合ッごあした。逗子──寄ってつろの?」

 逗子はしげく往来するを母のきらうはよく知れど、まさかに見え透いたるうそも言いかねて、

「はあ、ちょっと寄って来ました。──大分だいぶ血色も直りかけたようです。おっかさんに済まないッて、ひどく心配していましたッけ」

「そうかい」

 母はしげしげ武男の顔をみつめつ。

 おりから小間使いの茶道具をて来しを母は引き取り、

「松、御身おまえはあっち行っていなさい。そ、そのふすまをちゃんとしめて──」


六の二


 手ずから茶をくみて武男にすすめ、われも飲みて、やおら煙管きせるをとりあげつ。母はおもむろに口を開きぬ。

「なあ武どん、わたしももう大分だいぶ弱いましたよ。去年のリュウマチでがっつり弱い申した。昨日きのうお墓まいりしたばかいで、まだ肩腰が痛んでな。年が寄ると何かと心細うなッて困いますよ──武どん、おまえからだを大事にしての、病気をせんごとしてくれんとないませんぞ」

 葉巻の灰をほとほと火鉢の縁にはたきつつ、武男はでっぷりと肥えたれどさすがに争われぬ年波の寄る母の額を仰ぎ「わたくしは始終ほかにいますし、何もかもおっかさんが総理大臣ですからな──浪でも達者ですといいですが。あれも早くよくなっておっかさんのお肩を休めたいッてそういつも言ってます」

「さあ、そう思っとるじゃろうが、病気が病気でな」

「でも、大分快方いいほうになりましたよ。だんだん暖かくはなるし、とにかく若い者ですからな」

「さあ、病気が病気じゃから、よく行けばええがの、武どん──医師おいしゃの話じゃったが、浪どんの母御かさまも、やっぱい肺病でくなッてじゃないかの?」

「はあ、そんなことをいッてましたがね、しかし──」

「この病気は親から子に伝わッてじゃないかい?」

「はあ、そんな事を言いますが、しかし浪のは全く感冒かぜから引き起こしたンですからね。なあに、おっかさん用心次第です、伝染の、遺伝のいうですが、実際そういうほどでもないですよ。現に浪のおとっさんもあんな健康じょうぶかたですし、浪の妹──はああのおこまさんです──あれも肺のはの字もないくらいです。人間は医師いしゃのいうほど弱いものじゃありません、ははははは」

「いいえ、笑い事じゃあいません」と母はほとほと煙管きせるをはたきながら

「病気のなかでもこの病気ばかいは恐ろしいもンでな、武どん。おまえも知っとるはずじゃが、あの知事の東郷とうごう、な、おまえがよくけんかをしたあの母御かさまな、どうかい、あのひとが肺病で死んでの、一昨年おととしの四月じゃったが、その年の暮れに、どうかい、東郷さんもやっぱい肺病で死んで、ええかい、それからあの息子むすこさん──どこかの技師をしとったそうじゃがの──もやっぱい肺病でこのあいだ亡くなッた、な。みいな母御かさまのがうつッたのじゃ。まだこんな話が幾つもあいます。そいでわたしはの、武どん、この病気ばかいは油断がならん、油断をすれば大事じゃと思うッがの」

 母は煙管をさしおきて、少しひざをすすめ、黙して聞きおれる武男の横顔をのぞきつつ

「実はの、わたしもこの間から相談したいしたい思っい申したが──」

 少し言いよどんで、武男の顔しげしげとみつめ、

「浪じゃがの──」

「はあ?」

 武男は顔をあげたり。

「浪を──引き取ってもろちゃどうじゃろの?」

「引き取る? どう引き取るのですか」

 母は武男の顔より目をはなさず、「実家さとによ」

実家さとに? 実家さとで養生さすのですか」

「養生もしようがの、とにかく引き取って──」

「養生には逗子ずしがいいですよ。実家さとでは子供もいますし、実家さとで養生さすくらいなら此家うちの方がよっぽどましですからね」

 冷たくなりし茶をすすりつつ、母は少し震い声に「武どん、おまえ酔っちゃいまいの、わかんふりするのかい?」じっとわが子の顔みつめ「わたしがいうのはな、浪を──実家さとに戻すのじゃ」

「戻す? ……戻す? ──離縁ですな

「こーれ、声が高かじゃなッか、武どん」うちふるう武男をじっと見て

離縁じえん、そうじゃ、まあ離縁じえんよ」

離縁りえん! 離縁──なぜですか」

「なぜ? さっきからいう通り、病気が病気じゃからの」

「肺病だから……離縁するとおっしゃるのですな? 浪を離縁すると?」

「そうよ、かあいそうじゃがの──」

「離縁!!!

 武男の手よりすべり落ちたる葉巻は火鉢に落ちておびただしくうちけぶりぬ。一燈じじと燃えて、夜の雨はらはらと窓をうつ。


六の三


 母はしきりにけぶる葉巻を灰に葬りつつ、少し乗り出して

「なあ、武どん、あんまいふいじゃからおまえもびっくいするなもっともっごあすがの、わたしはもうこれまで幾夜いくばんも幾晩も考えた上の話じゃ、そんつもいで聞いてたもらんといけませんぞ。

 そらアもう浪にはわたしも別にこいという不足はなし、おまえも気に入っとっこっじゃから、何もこちの好きで離縁じえんのしすじゃごあはんがの、何を言うても病気が病気──」

「病気は快方いいほうに向いてるです」武男は口早に言いて、きっと母親の顔を仰ぎたり。

「まあわたしの言うことを聞きなさい。──それは目下いまの所じゃわるくないかもしらんがの、わたしはよウく医師おいしゃから聞いたが、この病気ばかいは一ときよかってもまたわるくなる、暑さ寒さですぐまた起こるもんじゃ、肺結核でようなッた人はまあ一人ひとりもない、お医者がそう言い申すじゃての。よし浪が今死なんにしたとこが、そのうちまたきっとわるくなッはうけあいじゃ。そのうちにはきっとおまえに伝染すッなこらうけあいじゃ、なあ武どん。おまえにうつる、子供が出来でくる、子供にうつる、浪ばかいじゃない、大事な主人のおまえも、の、大事な家嫡あととりの子供も、肺病持ちなッて、死んでしもうて見なさい、川島家はつぶれじゃなッかい。ええかい、おまえがおとっさまの丹精たんせいで、せっかくこれまでになッて、天子様からお直々じきじきに取り立ててくださったこの川島家もおまえの代でつぶれッしまいますぞ。──そいは、も、浪もかあいそう、おまえもなかなかきつか、わたしも親でおってこういう事言い出すなおもしろくない、つらいがの、何をいうても病気が病気じゃ、浪がかあいそうじゃて主人のおまえにゃ代えられン、川島家にも代えられン。よウく分別のして、ここは一つ思い切ってたもらんとないませんぞ」

 黙然もくねんと聞きいる武男が心には、今日きょう見舞い来し病妻の顔ありありと浮かみつ。

おっかさん、わたくしはそんな事はできないです」

「なっぜ?」母はやや声高こわだかになりぬ。

おっかさん、今そんな事をしたら、浪は死にます!」

「そいは死ぬかもしれン、じゃが、武どん、わたしはおまえの命が惜しい、川島家が惜しいのじゃ!」

おっかさん、そうわたしを大事になさるなら、どうかわたしの心をくんでください。こんな事を言うのは異なようですが、実際わたしにはそんな事はどうしてもできないです。まだ慣れないものですから、それはいろいろ届かぬ所はあるですが、しかしおっかさんを大事にして、わたくしにもよくしてくれる、実に罪も何もないあれを病気したからッて離別するなんぞ、どうしてもわたくしはできないです。肺病だッてなおらん事はありますまい、現になおりかけとるです。もしまたなおらずに、どうしても死ぬなら、おっかさん、どうかわたくしさいで死なしてください。病気が危険なら往来も絶つです、用心もするです。それはおっかさんの御安心なさるようにするです。でも離別だけはどうあッてもわたくしはできないです!」

「へへへへ、武男、おまえは浪の事ばッかいいうがの、自分は死んでもかまわンか、川島家はつぶしてもええかい?」

おっかさんはわたしのからだばッかりおっしゃるが、そんな不人情な不義理な事して長生きしたッてどうしますか。人情にそむいて、義理を欠いて、決して家のためにいい事はありません。決して川島家の名誉でも光栄でもないです。どうでも離別はできません、断じてできないです」

 難関あるべしとはしながら思いしよりもはげしき抵抗に出会いし母は、例の癇癖かんぺきのむらむらと胸先むなさきにこみあげて、額のあたり筋立ち、こめかみうごき、煙管持つ手のわなわなと震わるるを、ようよう押ししずめて、わずかにえみを装いつ。

「そ、そうせき込まんでも、まあ静かに考えて見なさい。おまえはまだ年が若かで、世間よのなかを知ンなさらンがの、よくいうわ、それ、小の虫を殺しても大の虫は助けろじゃ。なあ。浪は小の虫、おまえ──川島家は大の虫じゃ、の。それは先方むこうも気の毒、浪もかあいそうなよなものじゃが、病気すっがわるかじゃなッか。何と思われたて、川島家が断絶するよかまだええじゃなッか、なあ。それに不義理の不人情の言いなはるが、こんなことは世間に幾らもあります。家風に合わンと離縁じえんする、子供がなかと離縁じえんする、悪い病気があっと離縁じえんする。これが世間の法、なあ武どん。何の不義理な事も不人情な事もないもんじゃ。全体いったいこんな病気のした時ゃの、嫁の実家さとから引き取ってええはずじゃ。先方むこうからいわンからこつちで言い出すが、何のわるか事恥ずかしか事があッもンか」

おっかさんは世間世間とおっしゃるが、何も世間が悪い事をするから自分も悪い事をしていいという法はありません。病気すると離別するなんか昔の事です。もしまたそれが今の世間の法なら、今の世間はちこわしていい、ちこわさなけりゃならんです。おっかさんはこっちの事ばっかりおっしゃるが、片岡のうちだッてせっかく嫁にやった者が病気になったからッて戻されていい気持ちがしますか。浪だってどの顔さげて帰られますか。ひょっとこれがさかさまで、わたしが肺病で、浪の実家さとから肺病は険呑けんのんだからッて浪を取り戻したら、おっかさんいい心地こころもちがしますか。おんなじ事です」

「いいえ、そいは違う。男と女とはまた違うじゃなッか」

「同じ事です。情理からいって、同じ事です。わたしからそんな事をいっちゃおかしいようですが、浪もやっと喀血かっけつがとまって少し快方いいほうに向いたかという時じゃありませんか、今そんな事をするのは実に血を吐かすようなものです。浪は死んでしまいます。きっと死ぬです。他人だッてそんな事はできンです、おっかさんはわたしに浪を殺せ……とおっしゃるのですか」

 武男は思わず熱き涙をはらはらと畳に落としつ。


六の四


 母はつと立ち上がって、仏壇より一つの位牌いはいを取りおろし、座に帰って、武男の眼前めさきに押しすえつ。

「武男、おまえはな、女親じゃからッてわたしを何とも思わんな。さ、おとっさまの前で一度言って見なさい、さ言って見なさい。御先祖代々のお位牌も見ておいでじゃ。さ、一度言って見なさい、不孝者めが

 きっと武男をにらみて、続けざまに煙管もて火鉢の縁打ちたたきぬ。

 さすがに武男も少し気色けしきばみて「なぜ不孝です?」

「なぜ? なぜもあッもンか。さいの肩ばッかい持って親のいう事は聞かんやつ、不孝者じゃなッか。親が育てたからだを粗略そまつにして、御先祖代々の家をつぶすやつは不孝者じゃなッか。不孝者、武男、おまえは不孝者、大不孝者じゃと」

「しかし人情──」

「まだ義理人情をいうッか。おまえは親よかさいが大事なッか。たわけめが。何いうと、妻、妻、妻ばかいいう、親をどうすッか。何をしても浪ばッかいいう。不孝者めが。勘当すッど」

 武男はくちびるをかみて熱涙を絞りつつ「おっかさん、それはあんまりです」

「何があんまいだ」

わたくしは決してそんな粗略な心は決して持っちゃいないです。おっかさんにその心が届きませんか」

「そいならわたしがいう事をなぜきかぬ? エ? なぜ浪を離縁じえんせンッか」

「しかしそれは」

「しかしもねもンじゃ。さ、武男、さいが大事か、親が大事か。エ? 家が大事? 浪が──? ──エエばかめ」

「はっしと火鉢をうちたる勢いに、煙管の羅宇らうはぽっきと折れ、雁首がんくびは空を飛んではたとふすまを破りぬ。途端に「はッ」と襖のあなたに片唾かたずをのむ人のはいせしが、やがて震い声に「御免──遊ばせ」

「だれ? ──何じゃ?」

「あの! 電報が……」

 襖開き、武男が電報をとりて見、小間使いが女主人あるじの一げいに会いて半ば消え入りつつそこそこに去りしまで、わずか二分ばかりの間──ながら、この瞬間に二人ふたりが間の熱ややくだりて、しばらくは母子おやこともに黙然もくねんと相対しつ。雨はまたひとしきり滝のように降りそそぐ。

 母はようやく口を開きぬ。目にはまだ怒りのひらめけども、語はどこやらに湿りを帯びたり。

「なあ、武どん。わたしがこういうも、何もおまえのためわるかごとすっじゃなかからの。わたしにゃたッた一人ひとりおまえじゃ。おまえに出世をさせて、丈夫な孫えて見たかばかいがわたしの楽しみじゃからの」

 黙然と考え入りし武男はわずかにかしらを上げつ。

おっかさん、とにかくわたくしも」電報を示しつつ「この通り出発が急になッて、明日あすはおそくも帰艦せにゃならんです。一月ぐらいすると帰って来ます。それまではどうかだれにも今夜の話は黙っていてください。どんな事があっても、わたくしが帰って来るまでは、待っていてください」

       *

 あくる日武男はさらに母の保証をとり、さらに主治医をいて、ねんごろに浪子の上を託し、午後の汽車にて逗子ずしにおりつ。

 汽車をくだれば、日落ちて五日の月薄紫の空にかかりぬ。野川の橋を渡りて、一路のすなはほのぐらき松の林に入りつ。林をうがちて、桔槹はねつるべの黒く夕空にそびゆるを望める時、思いがけなき爪音つまおと聞こゆ。「ああ琴をひいている……」と思えばしんの臓をむしらるる心地ここちして、武男はしばし門外になんだをぬぐいぬ。今日は常よりも快かりしとて、浪子は良人おっとを待ちがてに絶えて久しき琴取りでてかなでしなりき。

 顔色の常ならぬをいぶかられて、武男はただ夜ふかししゆえとのみ言い紛らしつ。約あれば待ちて居し晩餐ばんさんつくえに、浪子は良人おっとむかいしが、二人ふたりともに食すすまず。浪子は心細さをさびしきえみに紛らして、手ずから良人おっとのコートのボタンゆるめるをつけ直し、ブラシもて丁寧にはらいなどするうちに、終列車の時刻迫れば、今はやむなく立ち上がる武男の手にすがりて

「あなた、もういらッしゃるの?」

「すぐ帰ってくる。浪さんも注意して、よくなッていなさい」

 互いにしっかと手を握りつ。玄関にづれば、うばのいくはくつを直し、ぼく茂平もへい停車場ステーションまで送るとて手かばんを左手ゆんでに、月はあれど提燈ちょうちんともして待ちたり。

「それじゃばあや、奥様を頼んだぞ。──浪さん、行って来るよ」

「早く帰ってちょうだいな」

 うなずきて、武男は僕が照らせる提燈の光を踏みつつ門をでて十数歩、ふりかえり見れば、浪子は白き肩掛けを打ちきて、いくと門にたたずみ、ハンケチを打ちふりつつ「あなた、早く帰ってちょうだいな」

「すぐ帰って来る。──浪さん、夜気やきにうたれるといかん、早くはいンなさい!」

 されど、二度三度ふりかえりし時は、白き姿の朦朧もうろうとして見えたりしが、やがてみちはめぐりてその姿も見えずなりぬ。ただ三たび

「早く帰ってちょうだいな」

 という声のあとを慕うてむせび来るのみ。顧みれば片破月かたわれづきの影冷ややかに松にかかれり。


七の一


「お帰り」の前触れ勇ましく、先刻玄関先に二にんびきをおりし山木は、早湯に入りて、早咲きの花菖蒲はなしょうぶけられし床を後ろに、ふうわりとした座ぶとんにあぐらをかきて、さあこれからがようようこっちのからだになりしという風情ふぜい。欲には酌人しゃくにんがちと無意気ぶいきと思いがおに、しかし愉快らしく、さいのおすみの顔じろりと見て、まず三四杯かたぶくるところに、おんなて来し新聞の号外ランプの光にてらし見つ。

「うう朝鮮か……東学党とうがくとうますます猖獗しょうけつ……なに清国しんこくが出兵したと……。さあ大分だいぶおもしろくなッて来たぞ。これで我邦こっちも出兵する──戦争いくさになる──さあもうかるぜ。お隅、前祝いだ、おまえも一つ飲め」

「あんた、ほんまに戦争いくさになりますやろか」

「なるとも。愉快、愉快、実に愉快。──愉快といや、なあお隅、今日きょうちょっと千々岩ちぢわに会ったがの、例の一条も大分はかが行きそうだて」

「まあ、そうかいな。若旦那だんなが納得しやはったのかいな」

「なあに、武男さんはまだ帰って来ないから、相談も納得もありゃしないが、お浪さんがまた血をいたンだ。ところで御隠居ももうだめだ、武男が帰らんうちに断行するといっているそうだ。も一度千々岩につッついてもらえば、大丈夫できる。武男さんが帰りゃなかなか断行もむずかしいからね、そこで帰らんうちにすっかり処置かたをつけてしまおうと御隠居も思っとるのだて。もうそうなりゃアこっちのものだ。──さ、御台所みだいどころ、お酌だ」

「お浪はんもかあいそうやな」

「お前もよっぽど変ちきな女だ。おとよがかあいそうだからお浪さんを退いてもらおうというかと思えば、もうできそうになると今度アお浪さんがかあいそう! そんなばかな事は中止よしとして、今度はお豊を後釜あとがまに据える計略ふんべつが肝心だ」

「でもあんた、留守にお浪はんを離縁して、武男はん──若旦那が承知しなはろまいがな、なああんた──」

「さあ、武男さんが帰ったらおこるだろうが、離縁してしまッて置けば、帰って来てどう怒ってもしようがない。それに武男さんは親孝行おやおもいだから、御隠居が泣いて見せなさりア、まあ泣き寝入りだな。そっちはそれでよいとして、さて肝心かなめのお豊姫の一条だが、とにかく武男さんの火の手が少ししずまってから、食糧つきの行儀見習いとでもいう口実おしだしで、無理に押しかけるだな。なあに、むずかしいようでもやすいものさ。御隠居の機嫌きげんさえとりアできるこった。お豊がいよいよ川島男爵夫人になりア、彼女あれは恋がかなうというものだし、おれはさしより舅役しゅうとやくで、武男さんはあんな坊ちゃんだから、川島家の財産はまずおれが扱ってやらなけりゃならん。すこぶる妙──いや妙な役を受け持って、迷惑じゃが、それはまあ仕方がないとして、さてお豊だがな」

「あんた、もう御飯おまんまになはれな」

「まあいいさ。取るとやるの前祝いだ。──ところでお豊だがの、おまえもっとしつけをせんと困るぜ。あの通り毎日をこねてばかりいちゃ、先方あっち行ってからが実際思われるぞ。観音様がしゅうとだッて、ああじゃ愛想あいそをつかすぜ」

「それじゃてて、あんた、しつけはわたしばかいじゃでけまへんがな。いつでもあんたは──」

「おっとその言い訳が拙者大きらいでござるて。はははははは。論より証拠、おれが躾をして見せる。さ、お豊をここに呼びなさい」


七の二


「お嬢様、お奥でちょいといらッしゃいましッて」

 と小間使いの竹がふすまを明けて呼ぶ声に、今しも夕化粧を終えてまだ鏡の前を立ち去り兼ねしお豊は、悠々ゆうゆうとふりかえり

「あいよ。今行くよ。──ねエ竹や、ここンとこが」

 とびんをかいなでつつ「ちっとそそけちゃいないこと?」

「いいえ、ちっともそそけてはいませんよ。おほほほほ。お化粧つくりがよくできましたこと! ほほほほッ。ほれぼれいたしますよ」

「いやだよ、お世辞なんぞいッてさ」言いながらまた鏡をのぞいてにこりと笑う。

 竹は口打ちおおいしたもとをとりて、片唾かたずを飲みつつ、

「お嬢様、お待ち兼ねでございますよ」

「いいよ、今行くよ」

 ようやく思い切りしていにて鏡の前を離れつつ、ちょこちょこ走りに幾か通りて、父の居間に入り行きたり。

「おお、お豊か。待っていた。ここへ来な来な。さおっかさんに代わって酌でもしなさい。おっと乱暴な銚子ちょうしの置き方をするぜ。茶の湯生け花のけいこまでした令嬢にゃ似合わンぞ。そうだそうだそう山形やまがたに置くものだ」

 はや陶然と色づきし山木は、さいの留むるをさらに幾杯か重ねつつ「なあおすみ、お豊がこう化粧おつくりした所は随分別嬪べっぴんだな。色は白し──姿なりはよし。うちじゃそうもないが、外に出りゃちょいとお世辞もよし。惜しい事にはおっかさんにて少し反歯そっぱだが──」

「あんた!」

「目じりをもう三上げると女っぷりが上がるがな──」

「あんた!」

「こら、お豊何をふくれるのだ? ふくれるとむすめっぷりが下がるぞ。何もそう不景気な顔をせんでもいい、なあお豊。おまえがうれしがる話があるのだ。さあ話賃に一杯げ注げ」

 なみなみとがせし猪口ちょこを一息にあおりつつ、

「なあお豊、今もおっかさんと話したことだが、おまえも知っとるが、武男さんの事だがの──」

 むなしき槽櫪そうれきの間に不平臥ふてねしたる馬の春草のかんばしきを聞けるごとく、お豊はふっとかしらをもたげて両耳を引っ立てつ。

おまえが写真を引っかいたりしたもんだからとうとう浪子さんもたたられて──」

「あんた!」お隅夫人は三たびまゆをひそめつ。

「これから本題に入るのだ。とにかく浪子さんが病気あんばいが悪い、というンで、まあ離縁になるのだ。いいや、まだ先方に談判はせん、浪子さんも知らんそうじゃが、とにかく近いうちにそうなりそうなのだ。ところでそっちの処置かたがついたら、そろそろ後釜あとがまの売りつけ──いやここだて、おれもおっかさんもおまえをな、まあお浪さんのあとに入れたいと思っているのだ。いや、そうすぐ──というわけにも行くまいから、まあおまえを小間使い、これさ、そうびっくりせんでもいいわ、まあ候補生のつもりで、行儀見習いという名義で、川島家あしこに入り込ますのだ。──御隠居に頼んで、ないいかい、ここだて──」

 一息つきて、山木はさいと娘の顔をかれよりこれと見やりつ。

「ここだて、なお豊。少し早いようだが──いって聞かして置く事があるがの。おまえも知っとる通り、あの武男さんのおっかさん──御隠居は、評判の癇癪かんしゃく持ちの、わがまま者の、頑固がんこの──おっとおまえおっかさんを悪口あっこうしちゃ済まんがの──とにかくここにすわっておいでのこのおっかさんのように──やさしくない人だて。しかし鬼でもない、じゃでもない、やっぱり人間じゃ。その呼吸さえ飲み込むと、鬼のよめでもじゃの女房にでもなれるものじゃ。なあに、あの隠居ぐらい、おれが女なら二日もそばへいりゃ豆腐のようにして見せる。──と自慢した所で、仕方ないが、実際あんな老人としよりでも扱いようじゃ何でもないて。ところで、いいかい、お豊、おまえがいよいよ先方へ、まあ小間使い兼細君候補生として入り込む時になると、第一今のようになまけていちゃならん、朝も早く起きて──老人としよりは目が早くさめるものじゃ──ほかの事はどうでもいいとして、御隠居の用をよくすのだ。いいかい。第二にはだ、今のように何といえばすぐふくれるようじゃいけない、何でもかでも負けるのだ。いいかい。しかられても負ける、無理をいわれても負ける、こっちがよけりゃなお負ける、な。そうすると先方むこうで折れて来る、な、ここがよくいう負けて勝つのだ。決して腹を立っちゃいかん、よしか。それから第三にはだ、──これは少し早過ぎるが、ついでだからいっとくがの、無事に婚礼が済んだッて、いいかい、決して武男さんと仲がよすぎちゃいけない。何さ、内々はどうでもいいが、表面おもてむきの所をよく注意しなけりゃいけんぜ。姑御しゅうとごにはなれなれしくさ、なるたけ近くして、婿殿にゃ姑の前で毒にならんくらいの小悪口わるくちもつくくらいでなけりゃならぬ。おかしいもンで、わが子のさいだから夫婦仲がいいとうれしがりそうなもんじゃが、実際あまりいいと姑の方ではおもしろく思わぬ。まあ一種の嫉妬しっと──わがままだな。でなくも、あまり夫婦仲がいいと、自然姑の方が疎略になる──と、まあ姑の方では思うだな。浪子さんも一つはそこでやりそこなったかもしれぬ。仲がよすぎての──おッと、そう角がえそうな顔しちゃいけない、なあお豊、今いった負けるのはそこじゃぞ。ところで、いいかい、なるたけ注意して、このほんにわたしのよめだ、子息せがれさいじゃない、というように姑に感じさせなけりゃならん。姑媳しゅうとよめのけんかは大抵この若夫婦の仲がよすぎて、姑に孤立の感を起こさすから起こるのが多いて。いいかい、おまえは御隠居の媳だ、とそう思っていなけりゃならん。なあに御隠居が追っつけめでたくなったあとじゃ、武男さんの首ッ玉にかじりついて、ぶら下がッてあるいてもかまわンさ。しかし姑の前では、決して武男さんに横目でもつかっちゃならんぞ。まだあるが、それはいざ乗り込みの時にいって聞かす。この三か条はなかなか面倒じゃが、しかしおまえも恋しい武男さんの奥方になろうというンじゃないか、辛抱が大事じゃぞ。明日あすといわずと今夜からそのけいこを始めるのだ」

 言葉のうちに、ふすま開きて、小間使いの竹「御返事がいるそうでございます」

 と一封の女筆にょひつの手紙を差しいだしぬ。

 封をひらきてすうと目を通したる山木は、手紙をさいと娘の目さきにひけらかしつつ

「どうだ、川島の御隠居からすぐ来てくれは!」


七の三


 武男が艦隊演習におもむける二週の後、川島家より手紙して山木を招ける数日前すじつぜん逗子ずしに療養せる浪子はまた喀血かっけつして、急に医師を招きつ。幸いにして喀血は一回にしてやみ、医師は当分事なかるべきを保証せしが、この報は少なからぬ刺激を武男が母に与えぬ。あわい両三日を置きて、門をづることまれなる川島未亡人の尨大ぼうだいなるたいは、飯田町いいだまちなる加藤家の門を入りたり。

 離婚問題の母子おやこの間に争われつるかの、武男が辞色の思うにましてはげしかりしを見たる母は、さすがにその請いに任せて彼が帰り来るまでは黙止もだすべき約をばなしつれど、よしそれまでまてばとて武男が心は容易に移すべくもあらずして、かえって時たつほど彼の愛着のきずなはいよいよ絶ち難かるべく、かつ思いも寄らぬ障礙しょうげで来たるべきを思いしなり。さればその子のいまだ帰らざるに乗じて、早く処置をつけ置くのむしろ得策なるを思いしが、さりとてさすがにかの言質ことじちもありこの顧慮もまたなきにあらずして、その心はありながら、いまだ時々来てはあおる千々岩を満足さすほどの果断なる処置をばなさざるなり。浪子が再度喀血の報を聞くに及びて、母は決然としてかつて媒妁ばいしゃくをなしし加藤家をいたるなり。

 番町と飯田町といわば目と鼻の間にみながら、いつなりしか媒妁の礼に来しよりほとんど顔を見せざりし川島未亡人が突然来訪せし事の尋常にあらざるべきを思いつつ、ねんごろに客間にしょうぜし加藤夫人もその話の要件を聞くよりはたと胸をつきぬ。そのかつて片岡川島両家を結びたる手もて、今やそのつなげる糸を絶ちくれよとは!

 いかなる顔のいかなる口あればさる事は言わるるかと、加藤夫人は今さらのように客のようすを打ちながめぬ。見ればいつにかわらぬ肥満の体格、太き両手をひざの上に組みて、はだえたゆまず、目まじろがず、口を漏るる薩弁さつべんよどみもやらぬは、戯れにあらず、狂気せしにもあらで、まさしく分別の上と思えば、驚きはまた胸をく憤りにかわりつ。あまり勝手な言条いいぶんと、罵倒ばとうせんずることのすでにのどもとまででけるを、実の娘とも思う浪子が一生の浮沈の境と、わずかに飲み込みて、まず問いつ、また説きつ、なだめもし、請いもしつれど、わが事をのみ言い募る先方の耳にはすこしも入らで、かえってそれは入らぬ繰りごと、こっちの話を浪の実家さとに伝えてもらえば要は済むというふうの明らかに見ゆれば、話聞く聞く病めるめいの顔、亡きいもうと──浪子の実母──の臨終、浪子が父中将の傷心、など胸のうちにあらわれ来たり乱れ去りて、情けなく腹立たしき涙のわれ知らず催し来たれる夫人はきっとかたちをあらため、当家においては御両家の結縁けちえんのためにこそ御加勢もいたしつれ、さる不義非情の御加勢は決してできぬこと、良人おっとに相談するまでもなくその義は堅くお断わり、ときっぱりとはねつけつ。

 忿然ふんぜんとして加藤の門をでたる武男が母は、即夜手紙して山木を招きつ。(篤実なる田崎にてはらち明かずと思えるなり)。おりもおりとて主人の留守に、かつはまどい、かつは怒り、かつは悲しめる加藤子爵夫人と千鶴子と心を三方に砕きつつ、母はさ言えどいかにも武男の素意にあるまじと思うより、その乗艦の所在をただして至急の報を発せるに、いらちにいらちし武男が母は早直接じき談判と心を決して、その使節を命ぜられたる山木の車はすでに片岡家の門にかかりしなり。


八の一


 山木が車赤坂氷川町ひかわちょうなる片岡中将の門を入れる時、あたかも英姿颯爽さっそうたる一将軍の栗毛くりげの馬にまたがりつつで来たれるが、車の駆け込みしおとにふと驚きて、馬は竿立さおだちになるを、馬上の将軍は馬丁をわずらわすまでもなく、たづなを絞りて容易に乗り静めつつ、一回圏をえがきて、戞々かつかつと歩ませ去りぬ。

 みごとの武者ぶりを見送りて、こわづくろいしていかめしき中将の玄関にかかれる山木は、幾多の権門をくぐりなれたる身の、常にはあるまじくたん落つるを覚えつ。昨夜川島家に呼ばれて、その使命を託されし時も、かしらをかきつるが、今現にこの場に臨みては彼は実に大なりと誇れるきものなお小にして、その面皮のいまだ十分に厚からざるをうらみしなり。

 名刺一たび入り、書生二たびでて、山木は応接間に導かれつ。テーブルの上には清韓しんかんの地図一葉広げられたるが、まだ清めもやらぬ火皿ひざらのマッチ巻莨シガーのからとともに、先座の話をほぼおもわしむ。げにも東学党の乱、清国出兵の報、わが出兵のうわさ、相ついで海内かいだいの注意一に朝鮮問題に集まれる今日きょうこのごろは、主人中将も予備にこそおれおのずから事多くして、またかの英文読本を手にするのいとまあるべくも思われず。

 山木が椅子いすりて、ぎょろぎょろあたりをながめおる時、遠雷の鳴るがごとき足音次第に近づきて、やがて小山のごとき人はゆるやかに入りて主位につきぬ。山木は中将と見るよりあわてててる拍子に、わがかけて居し椅子をば後ろざまにどうと倒しつ。「あっ、これは疎匇そそうを」と叫びつつ、あわてて引き起こし、しかる後二つ三つ四つ続けざまに主人に向かいて叮重ていちょうに辞儀をなしぬ。今の疎忽そこつのわびも交れるなるべし。

「さあ、どうかおかけください。あなたが山木さん──お名は承知しちょったですが」

「はッ。これは初めまして……手前は山木兵造ひょうぞうと申す不調法者で(句ごとに辞儀しつ、辞儀するごとに椅子はききときしりぬ、仰せのごとくと笑えるように)……どうか今後ともごひいきを……」

 避け得られぬ閑話の両三句、朝鮮のうわさの三両句──しかる後中将はことばをあらためて、山木に来意を問いつ。

 山木は口を開かんとしてまず片唾かたずをのみ、片唾をのみてまた片唾をのみ、三たび口を開かんとしてまた片唾をのみぬ。彼はつねに誇るその流滑自在なる舌の今日に限りてひたと渋るを怪しめるなり。


八の二


 山木はわずかに口を開き、

「実は今日こんにちは川島家の御名代ごみょうだいでまかりいでましたので」

 思いがけずといわんがごとく、主人の中将はその体格がらに似合わぬ細き目を山木がおもてに注ぎつ。

「はあ?」

「実は川島の御隠居がおいでになるところでございますが──まあわたくしがまかりいでました次第で」

「なるほど」

 山木はしきりににじみづる額の汗押しぬぐいて「実は加藤様からお話を願いたいと存じましたンでございますが、少し都合もございまして──わたくしがまかりいでました次第で」

「なるほど。で御要は?」

「その要と申しますのは、──申し兼ねますが、その実は川島家あちらの奥様浪子様──」

 主人中将の目はまばたきもせずしばし話者あなたおもてを打ちまもりぬ。

「はあ?」

「その、浪子様わかおくさまでございますが、どうもかような事は実もって申し上げにくいお話でございますが、御承知どおりあの御病気につきましては、手前ども──川島でも、よほど心配をいたしまして、近ごろでは少しはお快いかたではございますが──まあおめでとうございますが──」

「なるほど」

「手前どもから、かような事は誠に申し上げられぬのでございますが、はなはだ勝手がましい申しぶんでございますが、実は御病気がらではございますし──御承知どおり川島の方でも家族と申しましても別にございませんし、男子と申してはまず当主の武男──さんだけでございますンで、実は御隠居もよほど心配もいたしておりまして、どうも実もって申しにくい──いかにも身勝手な話でございますが、御病気が御病気で、その、万一伝染──まあそんな事もめったにございますまいが──しかしどちかと申しますとやはりその、その恐れもないではございませンので、その、万一武男──川島の主人に異変でもございますと、まあ川島家も断絶と申すわけで、その断絶いたしてもよろしいようなものでございますが、何分にもその、実もってどうもその、誠に済みませんがその、そこの所をその、御病気が御病気──」

 言いよどみ言いそそくれて一句一句に額より汗を流せる山木が顔うちまもりて黙念と聞きいたる主人中将は、この時右手めてをあげ、

「よろしい。わかいました。つまり浪が病気が険呑けんのんじゃから、引き取ってくれと、おっしゃるのじゃな。よろしい。わかいました」

 うなずきて、手もと近く燃えさがれる葉巻をテーブルの上なる灰皿にさし置きつつ、腕を組みぬ。

 山木は踏み込めるぬかるみより手をとりて引き出されしように、ほっと息つきて、額上の汗をぬぐいつ。

「さようでございます。実もって申し上げにくい事でございますが、その、どうかそこの所をあしからず──」

「で、武男君はもう帰られたですな?」

「いや、まだ帰りませんでございますが、もちろんこれは同人ほんにん承知の上の事でございまして、どうかあしからずその──」

「よろしい」

 中将はうなずきつ。腕を組みて、しばし目を閉じぬ。思いのほかにたやすくはこびけるよ、とひそかに笑坪えつぼに入りて目をあげたる山木は、目を閉じ口を結びてさながらねぶれるごとき中将の相貌かおを仰ぎて、さすがに一種のおそれを覚えつ。

「山木さん

 中将は目をみひらきて、山木の顔をしげしげと打ちながめたり。

「はッ」

「山木さん、あなたは子を持っておいでかな」

 その問いの見当を定めかねたる山木はしきりにかしらを下げつつ「はッ。愚息せがれ一人ひとりに──娘が一人でございまして、何分お引き立てを──」

「山木さん、子というやつはかわいものじゃ」

「はッ?」

「いや、よろしい。承知しました。川島の御隠居にそういってください、浪は今日引き取るから、御安心なさい。──お使者つかい御苦労じゃった」

 使命を全うせしをよろこぶか、さすがに気の毒とわぶるにか、五つ六つ七八つ続けざまに小腰をかがめて、どぎまぎ立ち上がる山木を、主人中将は玄関まで送り出して、帰り入る書斎の戸をばはたとしたり。


九の一


 逗子の別荘にては、武男が出発後は、病める身の心細さやるせなく思うほどいよいよ長き日一日ひまたひのさすがに暮らせば暮らされて、はや一月あまりたちたれば、麦刈り済みて山百合やまゆり咲くころとなりぬ。過ぐる日の喀血かっけつに、一たびは気落ちしが、幸いにして医師いしゃの言えるがごとくそのあとに著しき衰弱もなく、先日函館はこだてよりの良人おっと書信てがみにも帰来かえりの近かるべきを知らせ来つれば、よし良人を驚かすほどにはいたらぬとも、喀血の前ほどにはなりおらではと、自ら気を励まし浪子は薬用に運動に細かに医師いしゃの戒めを守りて摂生しつつ、指を折りて良人の帰期を待ちぬ。さるにてもこの四五日、東京だよりのはたと絶え、番町の宅よりも、実家さとよりも、飯田町いいだまち伯母おばよりすらも、はがき一枚来ぬことの何となく気にかかり、今しも日ながの手すさびに山百合を生くとて下葉したばはさみおれる浪子は、水さし持ちて入り来たりしうばのいくに

「ねエ、ばあや、ちょっとも東京のたよりがないのね。どうしたのだろう?」

「さようでございますねエ。おかわりもないンでございましょう。もうそのうちにはまいりましょうよ。こう申しておりますうちにどなたぞいらっしゃるかもわかりませんよ。──ほんとに何てきれいな花でございましょう、ねエ、奥様。これがしおれないうちに旦那だんな様がお帰り遊ばすとようございますのに、ねエ奥様」

 浪子は手に持ちし山百合の花うちまもりつつ「きれい。でも、山に置いといた方がいいのね、るのはかあいそうだわ!」

 二人ふたりが問答のうちに、一りょうの車は別荘の門に近づきぬ。車は加藤子爵夫人を載せたり。川島未亡人の要求をはねつけしその翌日、子爵夫人は気にかかるままに、要を託して車を片岡家に走らせ、ここに初めて川島家の使者が早くも直接談判に来たりて、すでに中将の承諾を得て去りたる由を聞きつ。武男を待つの企ても今はむなしくなりて、かつ驚きかつ嘆きしが、せめてはめいの迎え(手放し置きて、それと聞かさば不慮の事の起こりもやせん、とにかく膝下しっかに呼び取って、と中将はおもんばかれるなり)にと、すぐその足にて逗子には来たりしなり。

「まあ。よく……ちょうど今うわさをしてましたの」

「本当によくまあ……いかがでございます、奥様、ばあやがことは当たりましてございましょう」

「浪さん、あんばいはどうです? もうあれから何も変わった事もないのかい?」

 と伯母の目はちょっと浪子のおもてをかすめて、わきへそれぬ。

「は、快方いいほうですの。──それよりも伯母様はどうなすッたの。たいへんに顔色おいろが悪いわ」

「わたしかい、何ね、少し頭痛がするものだから。──時候のせいだろうよ。──武男さんから便たよりがありましたか、浪さん?」

一昨日おととい、ね、函館から。もう近々ちかぢかに帰りますッて──いいえ、何日なんちという事はまらないのですよ。お土産みやがあるなンぞ書いてありましたわ」

「そう? おそい──ねエ──もう──もう何時? 二時だ、ね!」

「伯母さん、何をそんなにそわそわしておいでなさるの? ごゆっくりなさいな。お千鶴ちずさんは?」

「あ、よろしくッて、ね」言いつついくがて来し茶を受け取りしまま、飲みもやらず沈吟うちあんじつ。

「どうぞごゆるりと遊ばせ。──奥様、ちょいとおさかなを見てまいりますから」

「あ、そうしておくれな」

 伯母は打ち驚きたるように浪子の顔をちょっと見て、また目をそらしつつ

「およしな。今日はゆっくりされないよ。浪さん──迎えに来たよ」

「エ? 迎え?」

「あ、おとうさまが、病気の事で医師おいしゃと少し相談もあるからちょいと来るようにッてね、──番町の方でも──承知だから」

「相談? 何でしょう」

「──病気のことですよ、それからまた──おとうさんも久しく会わンからッてね」

「そうですの?」

 浪子は怪訝けげんな顔。いくも不審議ふしぎに思える様子。

「でも今夜こんばんはお泊まり遊ばすンでございましょう?」

「いいえね、あちでも──医師いしゃも待ってたし、暮れないうちがいいから、すぐ今度の汽車で、ね」

「へエー!」

 ばあは驚きたるなり。浪子もに落ちぬ事はあれど、言うは伯母なり、呼ぶは父なり、しゅうとは承知の上ともいえば、ともかくもいわるるままに用意をば整えつ。

「伯母様何を考え込んでいらッしゃるの? ──看護婦は行かなくもいいでしょうね、すぐ帰るのでしょうから」

 伯母はちて浪子の帯を直しえりをそろえつつ「連れておいでなさいね、不自由ですよ」

       *

 四時ごろには用意成りて、三ちょうの車門に待ちぬ。浪子は風通御召ふうつうおめし単衣ひとえに、御納戸色繻珍おなんどいろしゅちんの丸帯して、髪は揚巻あげまき山梔くちなしの花一輪、革色かわいろ洋傘かさ右手めてにつき、漏れづるせきを白綾しろあやのハンカチにおさえながら、

「ばあや、ちょっと行って来るよ。あああ、久しぶりに帰京かえるのね。──それから、あの──お単衣ひとえね、もすこしだけども──あ、いいよ、帰ってからにしましょう」

 忍びかねてほろほろ落つる涙を伯母は洋傘かさに押し隠しつ。


九の二


 運命のあな黙々として人を待つ。人は知らずらずその運命に歩む。すなわち知らずというとも、近づくに従うて一種冷ややかなるはいを感ずるは、たれもしかる事なり。

 伯母の迎え、父に会うの喜びに、深く子細を問わずして帰京のみちに上りし浪子は、車に上るよりしきりに胸打ち騒ぎつ。思えば思うほどに落ちぬこと多く、ただ頭痛とのみ言い紛らしし伯母がようすのただならぬも深くかくせる事のありげに思われて、問わんも汽車のうち人の手前、それもなり難く、新橋に着くころはただこの暗き疑心のみ胸に立ち迷いて、久しぶりなる帰京の喜びもほとんど忘れぬ。

 皆人のおりしあとより、浪子は看護婦にたすけられ伯母に従いてそぞろにプラットフォームを歩みつつ、改札口を過ぎける時、かなたに立ちて話しおれる陸軍士官の一人ひとり、ふっとこなたを顧みてあたかも浪子と目を見合わしつ。千々岩! 彼は浪子のかしらより爪先つまさきまで一瞥ひとめに測りて、ことさらに目礼しつつ──わらいぬ。その一瞥いちべつ、その笑いの怪しく胸にひびきて、かしらより水そそがれし心地ここちせし浪子は、迎えの馬車に打ち乗りしあとまで、病のゆえならでさらに悪寒おかんを覚えしなり。

 伯母はもの言わず。浪子も黙しぬ。馬車の窓に輝きし夕日は落ちて、氷川町のやしきに着けば、黄昏たそがれほのかにくりの花のを浮かべつ。門の内外うちそとには荷車釣り台など見えて、わき玄関にランプの火光あかりさし、人の声す。物など運び入れしさまなり。浪子は何事のあるぞと思いつつ、伯母と看護婦にたすけられて馬車を下れば、玄関にはおんなにランプとらして片岡子爵夫人たたずみたり。

「おお、これは早く。──御苦労さまでございました」と夫人の目は浪子のおもてより加藤子爵夫人に走りつ。

「おかあさま、お変わりも……おとうさまは?」

「は、書斎に」

 おりから「ねえさまが来たよ姉さまが」と子供の声にぎやかに二人ふたり幼弟妹はらから走りで来たりて、その母の「静かになさい」とたしなむるも顧みず、左右より浪子にすがりつ。駒子もつづいてで来たりぬ。

「おおみいちゃん、毅一きいさん。どうだえ? ──ああ駒ちゃん」

 道子はすがれるあねたもとを引き動かしつつ「あたしうれしいわ、姉さまはもうこれからいつまでも此家うちにいるのね。お道具もすっかり来てよ」

 はッと声もなし得ず、子爵夫人も、伯母も、おんなも、駒子も一斉に浪子のおもてをうちまもりつ。

「エ?」

 おどろきし浪子の目は継母の顔より伯母の顔をかすめて、たちまち玄関わきの室も狭しと積まれたるさまざまの道具に注ぎぬ。まさしく良人宅うちに置きたるわが箪笥たんす 長持ち! 鏡台!

 浪子はわなわなと震いつ。倒れんとして伯母の手をひしととらえぬ。

 皆泣きつ。

 重やかなる足音して、父中将の姿見え来たりぬ。

「お、おとうさま

「おお、浪か。待って──いた。よく、帰ってくれた」

 中将はその大いなる胸に、わなわなと震う浪子をばかきいだきつ。

 半時の後、家のうちしんとなりぬ。中将の書斎には、父子おやこただ二人、再び帰らじとでし日別れの訓戒いましめを聞きし時そのままに、浪子はひざまずきて父のひざにむせび、中将はき入るむすめせなをおもむろになでおろしつ。



「号外! 号外! 朝鮮事件の号外!」とりんの音のけたたましゅう呼びあるく新聞売り子のあとより、一ちょうの車がらがらと番町なる川島家の門に入りたり。武男は今しも帰り来たれるなり。

 武男が帰らば立腹もすべけれど、勝ちは畢竟ひっきょうせん太刀たち、思い切って武男が母は山木が吉報をもたらし帰りしその日、善は急げとよめ箪笥たんす諸道具一切を片岡家に送り戻し、ちと殺生ではあったれど、どうせそのままには置かれぬ腫物はれもの、切ってしまって安心とこの二三日近ごろになき好機嫌こうきげんのそれに引きかえて、若夫婦がたなる僕婢めしつかいは気の毒とも笑止ともいわんかたなく、今にもあれ旦那だんながお帰りなさらば、いかに孝行のかたとて、なかなか一通りでは済むまじとはらはら思っていたりしその武男は今帰り来たれるなり。加藤子爵夫人が急を報ぜしその書は途中にき違いて、もとより母はそれと言い送らねば、知る由もなき武男は横須賀よこすかに着きていとまるやいな急ぎ帰り来たれるなり。

 今奥よりで来たりし仲働きは、茶を入れおりし小間使いを手招き、

「ねエ松ちゃん。旦那さまはちっともご存じないようじゃないか。奥様にお土産みやげなんぞ持っていらッしたよ」

「ほんとにしどいね。どこの世界に、旦那の留守に奥様を離縁しちまうおっかさんがあるものかね。旦那様の身になっちゃア、腹も立つはずだわ。鬼ばばめ」

「あれくらいいやなばばっちゃありゃしない。けちけちの、わからずやの、人をしかり飛ばすがおやくめだからね、なんにもご存じなしのくせにさ。そのはずだよ、ねエ、昔は薩摩さつまでおいもを掘ってたンだもの。わたしゃもうこんなうちにいるのが、しみじみいやになッちゃった」

「でも旦那様も旦那様じゃないか。御自分の奥様が離縁されてしまうのもちょっとも知らんてえのは、あんまり七月のおやりじゃないかね」

「だッて、そらア無理ゃないわ。遠方にいらっしたンだもの。だれだって、下女おんなじゃあるまいし、肝心な子息むすこに相談もしずに、さっさとよめを追い出してしまおうた思わないわね。それに旦那様もお年が若いからねエ。ほんとに旦那様もおかあいそう──奥様はなおおかあいそうだわ。今ごろはどうしていらッしゃるだろうねエ。ああいやだ──ほウら、ばばあが怒鳴りだしたよ。松ちゃんせッせとしないと、また八つ当たりでおいでるよ」

 奥の一間には母子の問答次第に熱しつ。

「だッて、あの時あれほど申し上げて置いたです。それに手紙一本くださらず、無断で──実にひどいです。実際ひどいです。今日もちょいと逗子に寄って来ると、浪はおらんでしょう、いくに尋ねると何か要があって東京に帰ったというです。変と思ったですが、まさかおっかさんがそんな事を──実にひどい──」

「それはわたしがわるかった。わるかったからこの通り親がわびをしておるじゃなッかい。わたしじゃッて何も浪がにくかというじゃなし、おまえがかあいいばッかいで──」

おっかさんはからだばッかり大事にして、名誉も体面も情もちょっとも思ってくださらんのですな。あんまりです」

「武男、おまえはの、男かい。女じゃあるまいの。親にわびごといわせても、やっぱい浪が恋しかかい。恋しかかい。恋しかか」

「だッて、あんまりです、実際あんまりです」

「あんまいじゃッて、もうあとまついじゃなッか。あっちも承知して、きれいに引き取ったあとの事じゃ。この上どうすッかい。しか事をしなはッと、親の恥ばッかいか、おまえの男が立つまいが」

 黙然もくねんと聞く武男はれよとばかり下くちびるをかみつ。たちまち勃然ぼつねんと立ち上がって、病妻にもたらし帰りし貯林檎かこいりんごかごをみじんに踏み砕き、

おっかさん、あなたは、浪を殺し、またそのうえにこの武男をお殺しなすッた。もうお目にかかりません」

       *

 武男は直ちに横須賀なる軍艦に引き返しぬ。

 韓山かんざんの風雲はいよいよ急に、七げつの中旬廟堂びょうどうの議はいよいよ清国しんこくと開戦に一決して、同月十八日には樺山かばやま中将新たに海軍軍令部長に補せられ、武男が乗り組める連合艦隊旗艦松島号は他の諸艦を率いて佐世保に集中すべき命をこうむりつ。捨てばちの身は砲丸のまとにもなれよと、武男はまっしぐらにふねとともに西に向かいぬ。

       *

 片岡陸軍中将は浪子の帰りしその翌日より、自らさしずして、邸中の日あたりよく静かなるあたりをえらびて、ことに浪子のために八畳一間六畳二間四畳一間の離家はなれを建て、逗子よりうばのいくを呼び寄せて、浪子とともにここにましつ。九月にはいよいよ命ありて現役に復し、一せき夫人繁子しげこを書斎に呼びて懇々浪子の事を託したる後、同十三日大纛だいとう扈従こしょうして広島大本営におもむき、翌月さらに大山大将おおやまたいしょう山路やまじ中将と前後して遼東りょうとうに向かいぬ。

 われらが次をうてその運命をたどり来たれる敵も、味方も、かの消魂も、この怨恨えんこんも、しばし征清せいしん戦争の大渦に巻き込まれつ。



下編


一の一


 明治二十七年九月十六日午後五時、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて大同江口だいどうこうこうを発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護して鴨緑江口おうりょっこうこう付近に見えしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。

 吉野よしのを旗艦として、高千穂たかちほ浪速なにわ秋津洲あきつしまの第一遊撃隊、先鋒せんぽうとして前にあり。松島を旗艦として千代田ちよだ厳島いつくしま橋立はしだて比叡ひえい扶桑ふそうの本隊これにぎ、砲艦赤城あかぎ及びいくさ見物と称する軍令部長を載せし西京丸さいきょうまるまたその後ろにしたがいつ。十二隻の艨艟もうどう一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海のうしおを巻いて進みぬ。やがて日は海に入りて、陰暦八月十七日の月東にさし上り、船は金波銀波をさざめかして月色げっしょくのうちをはしる。

 旗艦松島の士官次室ガンルームにては、晩餐ばんさんとく済みて、副直その他要務を帯びたるは久しき前にで去りたれど、なお五六人の残れるありて、談まさに興に入れるなるべし。舷窓げんそうをば火光あかりを漏らさじと閉ざしたれば、温気うちにこもりて、さらぬだに血気盛りの顔はいよいよくれないに照れり。テーブルの上には珈琲碗かひわん四つ五つ、菓子皿はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がいづれの少将軍にほふられんかと兢々きょうきょうとして心細げに横たわるのみ。

「陸軍はもう平壌へいじょうおとしたかもしれないね」と短小精悍せいかんとも言いつべき一少尉は頬杖ほおづえつきたるまま一座を見回したり。「しかるにこっちはどうだ。実に不公平もまたはなはだしというべしじゃないか」

 でっぷりと肥えし小主計は一隅いちぐうより莞爾かんじと笑いぬ。「どうせ幕が明くとすぐ済んでしまう演劇しばいじゃないか。幕合まくあいの長いのもまた一興だよ」

「なんて悠長ゆうちょうな事を言うから困るよ。北洋艦隊ぺいやん相手の盲捉戯めくらおにごももうわが輩はあきあきだ。今度もかけちがいましてお目にかからんけりゃ、わが輩は、だ、長駆渤海ぼっかい湾に乗り込んで、太沽タークの砲台に砲丸の一つもお見舞い申さんと、堪忍袋かんにんぶくろがたまらん」

「それこそ袋のなかに入るも同然、帰路を絶たれたらどうです?」まじめに横槍よこやりを入るるは候補生の某なり。

「何、帰路を絶つ? 望む所だ。しかし悲しいかな君の北洋艦隊はそれほど敏捷びんしょうにあらずだ。あえてけちをつけるわけじゃないが、今度も見参はちとおぼつかないね。支那人の気の長いには実に閉口する」

 おりから靴音の近づきて、たけ高き一少尉入り口に立ちたり。

 短小少尉はふり仰ぎ「おお航海士、どうだい、なんにも見えんか」

「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ」言いつつ菓子皿に残れるカステーラの一片をほおばり「むむ、少し……甲板かんぱんに出ておると……腹が減るには驚く。──従卒ボーイ、菓子を持って来い」

「君も随分食うね」と赤きシャツを着たる一少尉は微笑ほほえみつ。

借問しゃもんす君はどうだ。菓子を食って老人組を罵倒ばとうするは、けだしわが輩士官次室ガンルームの英雄の特権じゃないか。──どうだい、諸君、兵はみんな明日あすを待ちわびて、目がさえて困るといってるぞ。これで失敗があったら実に兵の罪にあらず、──の罪だ」

「わが輩は勇気についてはごうも疑わん。望む所は沈勇、沈勇だ。無手法むてっぽうは困る」というはこの仲間にての年長なる甲板士官メート

「無手法といえば、○番分隊士は実に驚くよ」と他の一にんはことばをさしはさみぬ。「勉励も非常だが、第一いかに軍人は生命いのちしまんからッて、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」

「ああ、川島か、いつだッたか、そうそう、威海衛砲撃の時だッてあんな険呑けんのんな事をやったよ。川島を司令長官にしたら、それこそ三番分隊士さんばんじゃないが、艦隊を渤海湾に連れ込んで、太沽タークどころじゃない、白河ペイホーをさかのぼってリーのおやじを生けどるなんぞ言い出すかもしれん」

「それに、ようすが以前まえとはすっかり違ったね。非常におこるよ。いつだッたか僕が川島男爵夫人バロネスかわしまの事についてさ、少しからかいかけたら、まっ黒に怒って、あぶなく鉄拳てっけん頂戴ちょうだいする所さ。僕は鎮遠の三十サンチより実際○番分隊士の一拳を恐るるね。はははは何か子細があると思うが、赤襯衣ガリバルジー君、君は川島と親しくするから恐らく秘密を知っとるだろうね」

 と航海士はガリバルジーといわれし赤シャツ少尉の顔を見たり。

 おりから従卒ボーイのうずたかく盛れる菓子皿持ち来たりて、士官次室ガンルームの話はしばし腰斬ようざんとなりぬ。


一の二


 夜十時点検終わり、差し当たる職務なきはし、余はそれぞれ方面の務めにき、高声火光を禁じたれば、じょう甲板も甲板もせきとしてさながら人なきようになりぬ。舵手だしゅに令する航海長の声のほかには、ただ煙突のけぶりのふつふつとして白く月にみなぎり、螺旋スクルーの波をかき、大いなる心臓のうつがごとく小止おやみなき機関の響きの艦内に満てるのみ。

 月影白き前艦橋に、二個の人影じんえいあり。その一は艦橋の左端に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影をひきつつ、五歩にしてとどまり、十歩にして返る。

 こは川島武男なり。このふねの○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直の四時間を艦橋に立てるなり。

 彼は今艦橋の右端に達して、双眼鏡をあげつ、艦の四方を望みしが、見る所なきもののごとく、右手めてをおろして、左手ゆんでに欄干を握りて立ちぬ。前部砲台のかたより士官二人ふたり低声こごえに相語りつつ艦橋の下を過ぎしが、また陰の暗きに消えぬ。甲板の上せきとして、風冷ややかに、月はいよいよえつ。艦首にうごめく番兵の影を見越して、海を望めば、ただ左舷さげんに淡き島山と、見えみ見えずみ月光のうちを行く先艦秋津洲あきつしまをのみくまにして、一艦のほか月にしらめる黄海の水あるのみ。またひとしきり煙に和して勢いよく立ち上る火花の行くえを目送みおくれば、大檣たいしょうの上高く星を散らせる秋の夜の空はたたえて、月に淡き銀河一道、微茫びぼうとして白く海より海に流れ入る。

       *

 月は三たびかわりぬ。武男が席をって母に辞したりしより、月は三たび移りぬ。

 この三月のに、彼が身生はいかに多様の境界きょうがいを経来たりしぞ。韓山の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国のため、遠く離れてでて行く」の離歌にはらわたを断ち、宣戦の大詔に腕をとりしばり、威海衛の砲撃に初めて火の洗礼を授けられ、心をおどろかし目を驚かすべき事は続々起こり来たりて、ほとんど彼をして考うるのいとまなからしめたり。多謝す、これがために武男はその心をのみ尽くさんとするあるものをば思わずして、わずかにわれを持したるなりき。この国家の大事に際しては、びょうたる滄海そうかいの一ぞく自家われ川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。彼はかく自らしっし、かの痛をおおうてこの職分の道に従い、絶望の勇をあげて征戦の事に従えるなり。死を彼は真にちりよりも軽く思えり。

 されど事もなき艦橋の上の、韓海の夏暑くしてハンモックの夢結び難きは、ともすれば痛恨うしおのごとくみなぎり来たりて、丈夫ますらおの胸裂けんとせしこと幾たびぞ。時はうつりぬ。今はかの当時、何を恥じ、何をいかり、何を悲しみ、何を恨むともわかち難き感情の、はらわたたぎりし時は過ぎて、一片の痛恨深くして、人知らずわが心をくらうのみ。母はかの後二たび書を寄せ物を寄せてつつがなく帰り来たるの日を待つと言い送りぬ。武男もさすがに老いたる母の膝下しっかさびしかるべきを思いては、かの時の過言を謝して、その健康を祈る由書き送りぬ。されど解きてもけ難き一塊の恨みは深く深く胸底に残りて、彼が夜々ハンモックの上に、北洋艦隊の殲滅せんめつとわが討死うちじにの夢に伴なうものは、雪白せっぱく肩掛ショールをまとえる病めるある人の面影おもかげなりき。

 消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきがごとく、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。

 武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、朧々ろうろうとしたる逗子の夕べ、われを送りてかどに立ちで、「早く帰ってちょうだい」と呼びし人はいずこぞ。思い入りてながむれば、白き肩掛ショールをまとえる姿の、今しも月光のうちより歩みで来たらん心地ここちすなり。

 明日あすにもあれ、首尾よく敵の艦隊に会して、この身砲弾のまとにもならば、すべて世は一じょうの夢と過ぎなん、と武男は思いぬ。さらにその母を思いぬ。き父を思いぬ。幾年前江田島にありける時を思いぬ。しこうして心は再び病める人の上に返りて

       *

「川島君」

 肩をたたかれて、打ち驚きたる武男は急に月にそむきつ。驚かせしは航海長なり。

「実にいい月じゃないか。戦争いくさに行くとは思われんね」

 打ちうなずきて、武男はひそかになんだをふり落としつつ双眼鏡をあげたり。月白うして黄海、物のさえぎるなし。


一の三


 月落ち、は紫にけて、九月十七日となりぬ。午前六時を過ぐるころ、艦隊はすでに海洋とうの近くに進みて、まず砲艦赤城あかぎを島の彖登湾につかわして敵の有無を探らしめしが、湾内むなしと帰り報じつ。艦隊さらに進航を続けて、だい小鹿島しょうろくとうを斜めに見つつ大孤山沖にかかりぬ。

 午前十一時武男は要ありて行きし士官公室ワートルームでてまさに艙口ハッチにかからんとする時、上甲板に声ありて、

「見えたッ!」

 同時に靴音のいそがわしくせ違うを聞きつ。心臓の鼓動とともに、艙梯そうていに踏みかけたる足ははたと止まりぬ。あたかも梯下ていかを通りかかりし一人の水兵も、ふッと立ち止まりて武男と顔見合わしたり。

「川島分隊士、敵艦が見えましたか」

「おう、そうらしい」

 言いすてて武男は乱れうつ胸をいたずらにおし静めつつ足早に甲板に上れば、人影じんえいせ違い、呼笛ふえ鳴り、信号手は忙わしく信号旗を引き上げおり、艦首には水兵多くたたずみ、艦橋の上には司令長官、艦長、副長、参謀、諸士官、いずれも口を結び目を据えて、はるかに艦外の海を望みおるなり。その視線をうて望めば、北のかた黄海の水、天と相合うところに当たりて、黒き糸筋のごとくほのかに立ち上るもの、一、二、三、四、五、六、七、八、九条また十条。

 これまさしく敵の艦隊なり。

 艦橋の上に立つ一将校たもと時計をいだし見て「一時間半は大丈夫だ。準備ができたら、まず腹でもこしらえて置くですな」

 中央に立ちたる一人ひとりはうなずき「お待ち遠様。諸君、しっかり頼みますぞ」と言い終わりてひげをひねりつ。

 やがて戦闘旗ゆらゆらと大檣たいしょういただき高く引き揚げられ、数声のラッパは、艦橋より艦内くまなく鳴り渡りぬ。配置につかんと、艦内に行きかう人の影織るがごとく、檣楼に上る者、機関室に下る者、水雷室に行く者、治療室に入る者、右舷うげんに行き、左舷に行き、艦尾に行き、艦橋に上り、縦横に動ける局部の作用たちまち成るを告げて、戦闘の準備は時を移さず整いぬ。あたかも午時ごじに近くして、戦わんとしてまず午餐ごさんの令はでたり。

 分隊長を助け、部下の砲員を指揮して手早く右舷速射砲の装填そうてんを終わりたる武男は、ややおくれて、士官次室ガンルームに入れば、同僚皆すでに集まりて、はし下りさら鳴りぬ。短小少尉はまじめになり、甲板士官メートはしきりに額の汗をぬぐいつつうつむきて食らい、年少とししたの候補生はおりおり他の顔をのぞきつつ、劣らじと皿をかえぬ。たちまち箸をからりと投げて立ちたるは赤シャツ少尉なり。

「諸君、敵を前に控えて悠々ゆうゆう午餐ひるめしをくう諸君の勇気は──立花宗茂たちばなむねしげに劣らずというべしだ。お互いにみんなそろって今日きょうの夕飯を食うや否やは疑問だ。諸君、別れに握手でもしようじゃないか」

 いうより早く隣席にありし武男が手をば無手むずと握りて二三度打ちふりぬ。同時に一座は総立ちになりて手を握りつ、握られつ、皿は二個三個からからとテーブルの下にまろび落ちたり。左頬さきょうにあざある一少尉は少軍医の手をとり、

「わが輩が負傷したら、どうかお手柔らかにやってくれたまえ。その賄賂わいろだよ、これは」

 と四五度も打ちふりぬ。からからと笑える一座は、またたちまちまじめになりつ。一人去り、二人去りて、果てはむなしき器皿きべい狼藉ろうぜきたるをとどむるのみ。

 零時二十分、武男は、分隊長の命を帯び、副艦長に打ち合わすべき事ありて、前艦橋に上れば、わが艦隊はすでに単縦陣を形づくり、約四千メートルを隔てて第一遊撃隊の四艦はまっ先に進み、本隊の六艦はわが松島を先登としてこれにつづき、赤城西京丸は本隊の左舷に沿うてしたがう。

 仰ぎ見る大檣たいしょうの上高く戦闘旗は碧空へきくうたたき、煙突のけぶりまっ黒にまき上り、へさきは海をいて白波はくは高く両舷にわきぬ。将校あるいは双眼鏡をあげ、あるいは長剣のつかを握りて艦橋の風に向かいつつあり。

 はるかに北方の海上を望めば、さきに水天の間に一髪の浮かめるがごとく見えし煙は、一分一分に肥え来たりて、敵の艦隊さながら海中よりわきづるごとく、煙まず見え、ついで針大はりだいほばしらほの見え、煙突見え、艦体見え、檣頭の旗影また点々として見え来たりぬ。ひときわすぐれて目立ちたる定遠ていえん鎮遠ちんえん相連あいならんで中軍を固め、経遠けいえん至遠しえん広甲こうこう済遠さいえんは左翼、来遠らいえん靖遠せいえん超勇ちょうゆう揚威よういは右翼を固む。西に当たってさらにけぶりの見ゆるは、平遠へいえん広丙こうへい鎮東ちんとう鎮南ちんなん及び六隻の水雷艇なり。

 敵は単横陣を張り、我艦隊は単縦陣をとって、敵の中央まなかをさして丁字形に進みしが、あたかも敵陣をる一万メートルの所に至りて、わが先鋒隊せんぽうたいはとっさに針路を左に転じて、敵の右翼をさしてまっしぐらに進みつ。先鋒の左に転ずるとともに、わが艦隊はりゅうの尾をふるうごとくゆらゆらと左に動いて、彼我の陣形は丁字一変して八字となり、彼は横に張り、われは斜めにその右翼に向かいて、さながら一大コンパスけいをなし、彼進み、われ進みて、相る六千メートルにいたりぬ。この時敵陣の中央に控えたる定遠艦首の砲台に白煙むらむらと渦まき起こり、三十サンチの両弾丸空中に鳴りをうってわが先鋒隊の左舷の海に落ちたり。黄海の水驚いてさかしまに立ちぬ。


一の四


 黄海! 昨夜月を浮かべて白く、今日もさりげなく雲をひたし、島影を載せ、睡鴎すいおうの夢を浮かべて、悠々ゆうゆうとしてよりも静かなりし黄海は、今修羅場しゅらじょうとなりぬ。

 艦橋をおりて武男は右舷速射砲台に行けば、分隊長はまさに双眼鏡をあげて敵のかたを望み、部下の砲員は兵曹へいそう以下おおむねジャケットを脱ぎすて、腰より上はひじぎりのシャツをまといて潮風に黒める筋太の腕をあらわし、白木綿しろもめんもてしっかと腹部を巻けるもあり。黙して号令を待ち構えつ。この時わが先鋒隊は敵の右翼を乱射しつつすでに敵前を過ぎ終わらんとし、わが本隊の第一に進める松島は全速力をもって敵に近づきつつあり。双眼鏡をとってかなたを望めば、敵の中央を堅めし定遠鎮遠はまっ先にぬきんでて、横陣やや鈍角をなし、距離ようやく縮まりて二艦の形状かたちは遠目にも次第にあざやかになり来たりぬ。卒然として往年かの二艦を横浜の埠頭ふとうに見しことを思いでたる武男は、倍の好奇心もて打ち見やりつ。依然当時の二艦なり。ただ、今は黒煙をはき、白波はくはをけり、砲門を開きて、咄々とつとつ来たってわれに迫らんとするさまの、さながら悪獣なんどの来たり向こうごとく、恐るるとにはあらで一種やみ難き嫌厭けんえん憎悪ぞうおの胸中にみなぎりづるを覚えしなり。

 たちまち海上はるかに一声のらいとどろき、物ありグーンと空中に鳴りをうって、松島の大檣たいしょうをかすめつつ、海に落ちて、二丈ばかり水をけ上げぬ。武男は後頂より脊髄せきずいを通じて言うべからざる冷気の走るを覚えしが、たちまち足を踏み固めぬ。他はいかにと見れば、砲尾に群がりし砲員の列一たびは揺らぎて、また動かず。艦いよいよ進んで、三個四個五個の敵弾つづけざまに乱れ飛び、一は左舷につりし端艇を打ち砕き、他はすべて松島の四辺に水柱をけ立てつ。

「分隊長、まだですか」こらえ兼ねたる武男は叫びぬ。時まさに一時を過ぎんとす。「四千メートル」の語は、あまねく右舷及び艦の首尾に伝わりて、照尺整い、牽索けんさく握られつ。待ち構えたる一声のラッパ鳴りぬ。「打てッ!」の号令とともに、わが三十二サンチ巨砲を初め、右舷側砲一斉に第一弾を敵艦にほとばしらしつ。艦は震い、舷にそうて煙おびただしく渦まき起こりぬ。

 あたかもその答礼として、定遠鎮遠のいずれか放ちたる大弾丸すさまじく空にうなりて、煙突の上二寸ばかりかすめて海に落ちたり。砲員の二三は思わずかしらを下げぬ。

 分隊長顧みて「だれだ、だれだ、お辞儀をするのは?」

 武男を初め候補生も砲員もどっと笑いつ。

「さあ、打てッ! しっかり、しっかり──打てッ!」

 右舷側砲はつるちにうち出しぬ。三十二サンチ巨砲も艦を震わして鳴りぬ。後続の諸艦も一斉にうち出しぬ。たちまち敵のうちたる時限弾の一個は、砲台近く破裂して、今しも弾丸を砲尾に運びし砲員の一人武男が後ろにどうと倒れつ。起き上がらんとして、また倒れ、血はさっとほとばしりてしたたかに武男がズボンにかかりぬ。砲員の過半はそなたを顧みつ。

「だれだ? だれだ?」

「西山じゃないか、西山だ、西山だ」

「死んだか」

「打てッ!」分隊長の声鳴りて、砲員皆砲に群がりつ。

 武男は手早く運搬手に死者を運ばし、ふりかえってその位置に立たんとすれば、分隊長は武男がズボンに目をつけ

「川島君、負傷じゃないか」

「なあに、今のとばしるです」

「おおそうか。さあ、今のかたきを討ってやれ」

 砲は間断なく発射し、艦は全速力をもてはしる。わが本隊は敵の横陣に対して大いなる弧をえがきつつ、かつ射かつせて、一時三十分過ぎにはすでに敵を半周してその右翼を回り、まさに敵の背後うしろでんとす。

 第一回の戦い終わりて、第二回の戦いこれより始まらんとすなり。松島の右舷砲しばし鳴りを静めて、諸士官砲員淋漓りんりたる汗をぬぐいぬ。

 この時彼我の陣形を見れば、わが先鋒隊はいち早く敵の右翼を乱射して、超勇揚威を戦闘力なきまでに悩ましつつ、一回転して本隊と敵の背後を撃たんとし、わが本隊のうち比叡ひえいは速力劣れるがため本隊に続行するあたわずして、大胆にもひとり敵陣の中央を突貫し、死戦して活路を開きしが、火災のゆえに圏外に去り、西京丸また危険をのがれて圏外に去らんとし、敵前に残されし赤城は六百トンの小艦をもって独力奮闘重囲ちょういいて、比叡のあとをおわんとす。しかして先鋒の四艦と、本隊の五艦とは、整々として列を乱さず。

 てきかたを望めば、超勇焼け、揚威戦闘力を失して、敵の右翼乱れ、左翼の三艦は列を乱してわが比叡赤城を追わんとし、その援軍水雷艇は隔離して一辺にあり。しかして定遠鎮遠以下数艦は、わがその背後に回らんとするより、急にへさきをめぐらして縦陣に変じつつ、けなげにもわが本隊に向かい来たる。

 第二回の戦いは今や始まりぬ。わが本隊は西京丸が掲げし「赤城比叡危険」の信号を見るより、速力大なる先鋒隊の四艦をつかわして、赤城比叡をする敵の三艦を追い払わせつつ、一隊五艦依然単縦陣をとって、同じく縦陣をとれる敵艦を中心に大なるじゃの目をえがきもてかつはしりかつ撃ち、二時すでに半ばならんとする時、敵艦隊を一周し終わって敵のこなたに達しつ。このときわが先鋒隊は比叡赤城をする敵の三艦を一戦にけ散らし、にぐるを追うて敵の本陣に駆り入れつつ、一括してかなたより攻撃にかかりぬ。さればわが本隊先鋒隊はあたかも敵の艦隊を中央に取りこめて、左右よりさしはさみ撃たんとすなり。

 第三次の激戦今始まりぬ。わが海軍の精鋭と、敵の海軍の主力と、共に集まりたる彼我の艦隊は、大全速力もてせ違い入り乱れつつ相たたかう。あたかも二りゅうの長鯨を巻くがごとく黄海の水たぎって一面のあわとなりぬ。


一の五


 わが本隊は右、先鋒隊せんぽうたいは左、敵の艦隊をまん中に取りこめて、引つ包んで撃たんとす。戦いは今たけなわになりぬ。戦いの熱するに従って、武男はいよいよわれを忘れつ。その昔学校にありて、ベースボールに熱中せし時、勝敗のここしばらくの間に決せんとする大事の時に際するごとに、身のたれたり場所のいずくたるを忘れ、ほとんど物ありてくうよりわれを引き回すように覚えしが、今やあたかもその時に異ならざるの感を覚えぬ。艦隊敵と離れてまた敵に向かい行く間と、艦体一転して左舷敵に向かい右舷しばらく閑なる間とを除くほかは、間断なき号令に声かれ、汗は淋漓りんりとして満面にしたたるも、さらに覚えず。旗艦を目ざす敵の弾丸ひとえに松島にむらがり、鉄板上に裂け、木板ぼくはん焦がれ、血は甲板にまみるるも、さらに覚えず。敵味方の砲声はあたかも心臓の鼓動に時を合わしつつ、ややかんあれば耳辺の寂しきを怪しむまで、身は全く血戦の熱に浮かされつ。されば、部下の砲員も乱れ飛ぶ敵弾を物ともせず、装填そうてんし照準を定め牽索ひきなわを張り発射しまた装填するまで、射的場の精確さらに実戦の熱を加えて、火災は起こらんとするに消し、だんは命ぜざるに運び、死亡負傷はたちまち運び去り、ほとんど士官の命を待つまでもなく、手おのずから動き、足おのずから働きて、戦闘機関は間断なくなめらかに運転せるなり。

 この時目をあぐれば、灰色の煙空をおおい海をおおうて十重二十重とえはたえに渦まける間より、思いがけなき敵味方のほばしらと軍艦旗はかなたこなたにほの見え、ほとんど秒ごとに轟然ごうぜんたる響きは海を震わして、だんは弾と空中に相うって爆発し、海は間断なく水柱をけ上げて煮えかえらんとす。

「愉快! 定遠が焼けるぞ!」かれたる声ふり絞りて分隊長は叫びぬ。

 煙の絶え間より望めば、黄竜旗こうりょうきを翻せる敵の旗艦の前部は黄煙渦まき起こりて、ありのごとく敵兵のうごめき騒ぐを見る。

 武男を初め砲員一斉に快を叫びぬ。

「さあ、やれ。やっつけろッ!」

 勢い込んで、砲は一時に打ちいだしぬ。

 左右より夾撃きょうげきせられて、敵の艦隊はくずれ立ちたり。超勇はすでにまっ先に火を帯びて沈み、揚威はとくすでに大破してのがれ、致遠また没せんとし、定遠火起こり、来遠また火災に苦しむ。こらえ兼ねし敵艦隊はついに定遠鎮遠を残して、ことごとくちりぢりに逃げいだしぬ。わが先鋒隊はすかさずそのあとを追いぬ。本隊五艦は残れる定遠鎮遠を撃たんとす。

 第四回の戦い始まりぬ。

 時まさに三時、定遠の前部は火いよいよ燃えて、黄煙おびただしく立ち上れど、なおのがれず。鎮遠またよく旗艦を護して、二大鉄艦巍然ぎぜん山のごとくわれに向かいつ。わが本隊の五艦は今や全速力をもって敵の周囲をせつつ、幾回かめぐりては乱射し、めぐりては乱射す。砲弾は雨のごとく二艦に注ぎぬ。しかも軽装快馬のサラセン武士が馬をめぐらして重鎧じゅうがいの十字軍士を射るがごとく、命中する弾丸多くは二艦の重鎧にはねかえされて、艦外に破裂し終わりつ。午後三時二十五分わが旗艦松島はあたかも敵の旗艦と相並びぬ。わがうち出す速射砲弾のまさしく彼が艦腹にあたりて、はねかえりて花火のごとくむなしく艦外に破裂するを望みたる武男は、憤りにえ得ず、歯をくいしばりて、右の手もて剣のつかれよと打ちたたき、

「分隊長、無念です。あ……あれをごらんなさい。畜生ちくしょうッ!」

 分隊長は血眼ちまなこになりて甲板を踏み鳴らし

「うてッ! 甲板をうて、甲板を! なあに! うてッ!」

「うてッ!」武男も声ふり絞りぬ。

 歯をくいしばりたる砲員は憤然として勢いたけつるちに打ちいだしぬ。

「も一つ!」

 武男が叫びし声と同時に、霹靂へきれき満艦を震動して、砲台内に噴火山の破裂するよと思うその時おそく、雨のごとく飛び散る物にうたれて、武男はどうと倒れぬ。

 敵艦のいだしたる三十サンチの大榴弾だいりゅうだん二個、あたかも砲台のまん中を貫いて破裂せしなり。

「残念ッ!」

 叫びつつはね起きたる武男は、また尻居しりいにどうと倒れぬ。

 彼は今たいの下半におびただしき苦痛を覚えつ。倒れながらに見れば、あたりは一面の血、火、肉のみ。分隊長は見えず。砲台はほらのごとくなりて、その間より青きもの揺らめきたり。こは海なりき。

 苦痛と、いうべからざるいたましきのために、武男が目は閉じぬ。人のうめく声。物の燃ゆる音。ついで「火災! 火災! ポンプ用意ッ!」と叫ぶ声。同時にせ来る足音。

 たちまち武男は手ありてわれをもたぐるを覚えつ。手の脚部に触るるとともに、限りなき苦痛は脳頂に響いて、思わず「あ」と叫びつつのけぞり──くれないもや閉ざせる目の前に渦まきて、次第にわれを失いぬ。


二の一


 大本営所在地広島においては、十げつ中旬、第一師団はとくすでに金州半島に向かいたれど、そのあとに第二師団の健児広島狭しと入り込み来たり、しかのみならず臨時議会開かれんとして、六百の代議士続々東より来つれば、高帽こうぼう腕車わんしゃはいたるところ剣佩はいけん馬蹄ばていの響きと入り乱れて、維新当年の京都のにぎあいを再びここ山陽に見る心地ここちせられぬ。

 市の目ぬきという大手町おおてまち通りは「参謀総長宮殿下」「伊藤内閣総理大臣」「川上陸軍中将」なんどいかめしき宿札うちたるあたりより、二丁目三丁目と下がりては戸ごとに「徴発ニ応ズベキ坪数○○畳、○間」と貼札はりふだして、おおかたの家には士官下士の姓名兵の隊号人数にんずしるせし紙札を張りたるは、仮兵舎バラックにも置きあまりたる兵士の流れ込みたるなり。その間には「○○酒保事務所」「○○組人夫事務取扱所」など看板新しく人影のせわしく出入りするあれば、そこの店先にてはいそがわしくラムネびんを大箱に詰め込み、こなたの店はビスケットの箱山のごとく荷造りに汗を流す若者あり。この間を縫うて馬上の将官が大本営のかたに急ぎ行きしあとより、電信局にかけつくるにか鉛筆を耳にさしはさみし新聞記者の車を飛ばして過ぐる、やがて鬱金木綿うこんもめんに包みし長刀と革嚢かばんを載せて停車場ステーションの方より来る者、おもて黒々と日にやけてまだ夏服の破れたるまま宇品うじなより今上陸して来つと覚しき者と行き違い、新聞の写真付録にて見覚えある元老の何か思案顔に車を走らすこなたには、近きに出発すべき人夫が鼻歌歌うて往来をぶらつけば、かなたの家の縁さきに剣をとぎつつ健児が歌う北音の軍歌は、川向こうのなまめかしき広島節に和して響きぬ。

「陸軍御用達」と一間あまりの大看板、その他看板二三枚、入り口の三方にかけつらねたる家の玄関先より往来にかけて粗製毛布けっと防寒服ようのもの山と積みつつ、番頭らしきが若者五六人をさしずして荷造りにせわしき所に、客を送りてそそくさと奥よりで来し五十あまりのおやじ、額やや禿げて目じりたれ左眼の下にしたたかな赤黒子あかぼくろあるが、何か番頭にいいつけ終わりて、入らんとしつつたちまち門外を上手かみてに過ぎ行く車を目がけ

「田崎さん……田崎さん

 呼ぶ声の耳に入らざりしか、そのままに過ぎ行くを、若者して呼び戻さすれば、車は門に帰りぬ。車上の客は五十あまり、色赤黒く、ほおひげ少しは白きもまじり、黒紬くろつむぎの羽織に新しからぬ同じ色の中山帽ちゅうやまをいただき蹴込けこみに中形のかばんを載せたり。呼び戻されてけげんの顔は、玄関に立ちし主人を見るより驚きにかわりて、ぼうを脱ぎつつ

「山木さんじゃないか」

「田崎さん、珍しいね。いったいいつ来たンです?」

「この汽車で帰京かえるつもりで」と田崎は車をおり、筵繩むしろなわなんど取り散らしたる間を縫いて玄関に寄りぬ。

帰京かえる? どこにいつおいでなので?」

「はあ、つい先日佐世保に行って、今帰途かえりです」

「佐世保? 武男さん──旦那だんなのお見舞?」

「はあ、旦那の見舞に」

「これはひどい、旦那の見舞に行きながら往返いきかえりとも素通りは実にひどい。娘も娘、御隠居も御隠居だ、はがきの一枚も来ないものだから」

「何、急ぎでしたからね」

「だッて、行きがけにちょっと寄ってくださりゃよかったに。とにかくまあお上がんなさい。車は返して。いいさ、お話もあるから。一汽車おくれたッていいだろうじゃないか。──ところで武男さん──旦那の負傷けがはいかがでした? 実はわたしもあの時お負傷けがの事を聞いたンで、ちょいとお見舞に行かなけりゃならんならんと思ってたンだが、思ったばかりで、──ちょうど第一師団が近々ちかぢかにでかけるというンで、滅法忙しかったもンですから、ついその何で、お見舞状だけあげて置いたンでしたが。──ああそうでしたか、別に骨にもさわらなかったですね、大腿部だいたいぶ──はあそうですか。とにかく若い者は結構ですな。お互いに年寄りはちょっと指さきにとげが立っても、一週間や二週間はかかるが、旦那なんざお年が若いものだから──とにかく結構おめでたい事でした。御隠居も御安心ですね」

 中腰に構えし田崎は時計をいだし見つ、座を立たんとするを、山木は引きとめ

「まあいいさ。幸いのついでで、少し御隠居に差し上げたいものもあるから。夜汽車になさい。夜汽車だとまだ大分だいぶ時間がある。ちょっと用を済まして、どこぞへ行って、一杯やりながら話すとしましょう。さかなは実にうまいですぜ」

 口はさかなよりもなおうまかるべし。


二の二


 秋の夕日天安川あまやすがわに流れて、川に臨める某亭なにがしていの障子を金色こんじきに染めぬ。二階は貴衆両院議員の有志が懇親会とやら抜けるほどの騒ぎに引きかえて、下の小座敷はおんなも寄せずただ二人ふたり話しもてさかずきをあぐるは山木とかの田崎と呼ばれたる男なり。

 この田崎は、武男が父の代より執事の役を務めて、今もほど近きわがより日々川島家に通いては、何くれと忠実まめやかに世話をなしつ。如才なく切って回す力量なきかわりには、主家の収入をぬすみてわがふところを肥やす気づかいなきがこの男の取り柄と、武男が父は常に言いぬ。されば川島未亡人いんきょにも武男にも浅からぬ信任を受けて、今度も未亡人いんきょの命によりてはるばる佐世保に主人の負傷をば見舞いしなり。

 山木は持ったる杯を下に置き、額のあたりをなでながら「実は何ですて、わたしも帰京かえりはしても一日泊まりですぐとまたに引き返すというようなわけで、そんな事も耳に入らなかッたですが。それでは何ですね、あれから浪子さんもよほどわるかッたのですね。なるほどどうもちっとひどかったね。しかしともかくも川島家のためだから仕方がないといったようなもので。はあそうですか、近ごろはまた少しはいい方で、なるほど、逗子に保養に行っていなさるかね。しかしあの病気ばかりはいくらよく見えてもどうせ死病だて。ところで武男──いや若旦那はまだおこっていなさるかね」

 わんふたをとれば松茸まつだけの香の立ち上りてたいあぶらたまと浮かめるをうまげに吸いつつ、田崎はひげ押しぬぐいて

「さあ、そこですがな。それはもうもとをいえば何もお家のためでしかたもないといったものの、なあ山木さん、旦那の留守に何も相談なしにやっておしまいなさるというは、御隠居も少し御気随が過ぎたというものでな。実はわたしも旦那のお帰りまでお待ちなさるようにと申し上げて見たのじゃが、あのお気質で、いったんこうと言い出しなすった事は否応いやおうなしにやり遂げるお方だから、とうとうあの通りになったンで。これは旦那がおもしろく思いなさらぬももっともじゃとわたしは思うくらい。それに困った人はあの千々岩ちぢわさん──たしかもう清国あっちったように聞いたですが」

 山木はじろりとあなたの顔を見つつ「千々岩! はああの男はこのあいだ出征でかけたが、なまじっか顔を知られた報いで、ここに滞在中いるうちもたびたび無心にやって来て困ったよ。つらの皮の厚い男でね。戦争いくさで死ぬかもしれんから香奠こうでんと思って餞別せんべつをくれろ、その代わり生命いのちがあったらきっと金鵄きんし勲章をとって来るなんかいって、百両ばかり踏んだくって行ったて。ははははは、ところで武男さん負傷けががよくなったら、ひとまず帰京かえりなさるかね」

「さあ、御自身はよくなり次第すぐまた戦地に出かけるつもりでいなさるようですがね」

「相変わらず元気な事を言いなさる。が、田崎さん、一度は帰京かえって御隠居と仲直りをなさらんといけないじゃあるまいか。どれほど気に入っていなすったか知らんが、浪子さんといえばもはや縁の切れたもので、その上健康たっしゃかたでもあることか、死病にとりつかれている人を、まさかあらためて呼び取りなさるという事もできまいし、まあ過ぎた事は仕方がないとして、早く親子仲直りをしなさらんじゃなるまい、とわたしは思うが。なあ、田崎さん

 田崎は打ち案じ顔に「旦那はあの通り正直まっすぐなお方だから、よし御隠居の方がわるいにもしろ、自分の仕打ちもよくなかったとそう思っていなさる様子でね。それに今度わたしがお見舞に行ったンでまあ御隠居のお心も通ったというものだから、仲直りも何もありやしないが、しかし──」

戦争中いくささなかの縁談もおかしいが、とにかく早く奥様をびなさるのだね。どうです、旦那は御隠居と仲直りはしても、やっぱり浪子さんは忘れなさるまいか。若い者は最初のうちはよく強情を張るが、しかし新しい人が来て見るとやはりかわゆくなるものでね」

「いやそのことは御隠居も考えておいでなさるようだが、しかし──」

「むずかしかろうというのかね」

「さあ、旦那があんな一途いちずかただから、そこはどうとも」

「しかしお家のため、旦那のためだから、なあ田崎さん

 話はしばし途切れつ。二階には演説や終わりつらん、拍手の音盛んに聞こゆ。障子の夕日やや薄れて、ラッパのおと耳に冷ややかなり。

 山木は杯を清めて、あらためて田崎にさしつつ

「時に田崎さん、娘がお世話になっているが、困ったやつで、どうです、御隠居のお気には入りますまいな」

 浪子が去られしより、一月あまりたちて、山木は親しく川島未亡人いんきょの薫陶を受けさすべく行儀見習いの名をもって、娘おとよを川島家に入れ置きしなりき。

 田崎はほほえみぬ。何か思いでたるなるべし。


二の三


 田崎はほえみぬ。川島未亡人はまゆをひそめしなり。

 武男が憤然席をけ立てて去りしかの日、母はこの子の後ろすがたをにらみつつ叫びぬ。

「不孝者めが! どうでも勝手にすッがええ」

 母は武男が常によく孝にして、わが意を迎うるに踟蹰ちちゅせざるを知りぬ。知れるがゆえに、その浪子に対するの愛もとより浅きにあらざるを知りつつも、その両立するあたわざる場合には、一も二もなくかの愛をすててこの孝を取るならんと思えり。思えるがゆえに、その仕打ちのわれながらむしろ果断に過ぐるを思わざるにあらざりしも、なお家のため武男のためといつつ、独断をもて浪子を離別せるなり。武男が憤りの意外にはげしかりしを見るに及んで、母は初めてわが違算を悟り、同時にいわゆる母なるものの決して絶対的権力をその子の上に有するものにあらざるを知りぬ。さきにはその子の愛の浪子に注ぐを一種不快の目をもて見たりしが、今は母の愛母の威光母の恩をもってしてなお死にひんしたる一浪子の愛に勝つあたわざるを見るに及び、わが威権全くおちたるように、その子をば全く浪子に奪い去られしように感じて、かつは武男を怒り、かつは実家さとに帰り去れる後までもなお浪子をののしれるなり。

 なお一つその怒りを激せしものありき。そはおぼろげながら方寸のいずれにかおのが仕打ちの非なるを、知るとにはあらざれど、いささかその疑いのほのかにたなびけるなり。武男が憤りの底にはちとの道理なかりしか。わが仕打ちにはちとのわが領分を越えてその子を侵せし所はなかりしか。眠られぬ夜半よわにひとり奥の間の天井にうつる行燈あんどうの影ながめつつ考うるとはなく思えば、いずくにかなんじの誤りなり汝の罪なりとささやく声あるように思われて、さらにその胸の乱るるを覚えぬ。世にも強きは自ら是なりと信ずる心なり。腹立たしきは、あるいは人よりあるいはわがうちなるあるものよりわが非を示されて、われとわが良心の前に悔悟のひざを折る時なり。灸所きゅうしょを刺せば、猛獣は叫ぶ。わが非を知れば、人は怒る。武男が母は、これがためにおさえ難き怒りはなおさらにもんを加えて、いよいよ武男の怒るべく、浪子のにくむべきを覚えしなり。武男は席をけって去りぬ。一日また一日、彼は来たりて罪を謝するなく、わびの書だも送り来たらず。母は胸中の悶々を漏らすべきただ一の道として、その怒りをほしいままにして、わずかに自ら慰めつ。武男を怒り、浪子を怒り、かの時を思いでて怒り、将来をおもうて怒り、悲しきに怒り、さびしきに怒り、詮方せんかたなきにまた怒り、怒り怒りて怒りの疲労つかれにようやくねぶるを得にき。

 川島家にては平常つねにも恐ろしき隠居が疳癪かんしゃくの近ごろはまたひた燃えに燃えて、慣れしおんなばらも幾たびか手荷物をしまいかけるに、朝鮮事起こりて豊島牙山ほうとうがざんの号外は飛びぬ。戦争に行くに告別いとまごいの手紙の一通もやらぬ不埒ふらちなやつと母は幾たびか怒りしが、世間の様子を聞けば、田舎いなかよりその子の遠征を見送らんとで来る老婆、物を贈り書を送りてその子を励ます母もありというに、子は親に怒り親は子を憤りて一通の書だに取りかわさず、彼は戦地にわれは帝都に、おのおの心に不快のかたまりをいだいて、もしこのままに永別となるならば、と思うとはなく、ほのかに感じたる武男が母は、ついにののしりののしりを折りて引きつづき二通の書を戦地にあるその子にやりぬ。

 折りかえして戦地より武男が返書は来たれり。返書来たりてより一月あまりにして、一通の電報は佐世保の海軍病院より武男が負傷を報じしぬ。さすがに母が電報をとりし手はわなわなと打ち震いつ。ほどなくその負傷はめいに関するほどにもあらざる由を聞きたれど、なお田崎を遠く佐世保にやりてそのようすを見させしなりき。


二の四


 田崎が佐世保より帰りて、子細に武男のようすを報ぜるより、母はやや安堵あんどの胸をなでけるが、なおこの上は全快を待ちて一応顔をも見、また戦争済みたらば武男がために早く後妻こうさいを迎うるの得策なるを思いぬ。かくして一には浪子を武男の念頭より絶ち、一には川島家のまつりを存し、一にはまた心の奥の奥において、さきに武男に対せる所行しわざのやや暴に過ぎたりしその罪? ほろぼしをなさんと思えるなり。

 武男に後妻を早く迎えんとは、浪子を離別に決せしその日より早くすでに母の胸中にわきでし問題なりき。それがために数多からぬ知己親類の嫁しうべき嬢子むすめを心のうちにあれこれと繰り見しが、思わしきものもなくて、思い迷えるおりから、山木は突然娘お豊を行儀見習いと称して川島家に入れ込みぬ。武男が母とて白痴にもあらざれば、山木が底意は必ずしも知らざるにあらず。お豊が必ずしも知徳兼備の賢婦人ならざるをも知らざるにはあらざりき。されどおぼるる者はわらをもつかむ。武男が妻定めに窮したる母は、山木が望みを幸い、試みにお豊を預かれるなり。

 試験の結果は、田崎がほほえめるがごとし。試験者も受験者も共に満足せずして、いわばおんなばらがうさはらしの種となるに終われるなり。

 初めは平和、次ぎに小口径の猟銃を用いて軽々けいけいに散弾をき、ついに攻城砲の恐ろしきを打ちいだす。こは川島未亡人が何人なんびとに対しても用うる所の法なり。浪子もかつてその経験をなめぬ。しかしてその神経の敏に感の鋭かりしほどその苦痛を感ずる事も早かりき。お豊も今その経験をしいられぬ。しかしてその無為にして化するていの性質は、散弾の飛ぶもほとんどいずこの家にる豆ぞと思いがおに過ぐるより、かの攻城砲は例よりもすみやかに持ちいだされざるを得ざりしなり。

 その心悠々ゆうゆうとして常に春がすみのたなびけるごとく、胸中に一点の物無うして人我にんがの別定かならぬのみか、往々にして個人の輪郭消えて直ちに動植物と同化せんとし、春の夕べに庭などに立ちたらば、たまたいもそのままかすみのうちにけ去りてすくうも手にはたまらざるべきお豊も恋に自己おのれを自覚しめてより、にわかに苦労というものも解しめぬ。眠き目こすりて起きづるより、あれこれと追い使われ、その果ては小言大喝どなり。もっとも陰口中傷あてこすりは概して解かれぬままに鵜呑うのみとなれど、つるべ放つ攻城砲のみはいかに超然たるお豊も当たりかねて、恋しき人のうちならずばとくにも逃げいだしつべく思えるなり。さりながら父の戒め、おりおり桜川町のうちに帰りて聞く母のおしえはここと、けなげにもなお攻城砲の前に陣取りて、日また日を忍びて過ぎぬ。時にはたまり兼ねて思いぬ、恋はかくもつらきものよ、もはや二度とは人を恋わじと。あわれむべきお豊は、川島未亡人のためにはその乱れがちなる胸の安全管にせられ、家内の婢僕おんなおとこには日ながの慰みにせられ、恋しき人の顔を見ることもうして、生まれでてよりためしなき克己と辛抱をもって当てもなきものを待ちけるなり。

 お豊が来たりしより、武男が母は新たに一の懊悩おうのうをば添えぬ。失える玉は大にして、去れるよめは賢なり。比較になるべき人ならねども、お豊が来たりて身近に使わるるに及びて、なすことごとに気に入るはなくて、武男が母は堅くその心をふさげるにかかわらず、ともすれば昔わがしかりもしののしりもせしその人を思いでぬ。光をつつめる女の、言葉多からず起居たちいにしとやかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど華手はでには見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば日々にちにち気にくわぬ事ので来るごとに、春がすみの化けてでたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少しあおざめて髪黒々としとやかなる若き婦人おんなの利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる心地ここちして武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか陳弁いいわけすれど、なお妙に胸先むなさきに込みあげて来るものを、自己おのれは怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。

 されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻こうさいにとおぼろげならず言いでしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六げつにおける日清にっしんの間よりも危うく、彼出いだすか、われづるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。


三の一


 まくらべ近き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開きぬ。

 ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き退くれば、今向こう山を離れし朝日花やかに玻璃窓はりそうにさし込みつ。山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々あおあおと澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとくくれないなる桜のこずえをあざやかにしんいだしぬ。梢に両三羽の小鳥あり、相語りつつ枝より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓のうちをのぞき、半身をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし羽風はかぜに、黄なる桜の一葉ばらりと散りぬ。

 われを呼びさませしあしたの使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささかまゆをひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。

 あした静かにして、耳わずらわすおともなし。とり鳴き、ふなうた遠く聞こゆ。

 武男は目を開いてみ、また目を閉じて思いぬ。

       *

 武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余り過ぎんとす。

 かの時、砲台の真中まなかに破裂せし敵の大榴弾だいりゅうだんの乱れ飛ぶにうたれて、尻居しりいにどうと倒れつつはげしき苦痛に一時われを失いしが、苦痛のはなはだしかりしわりに、脚部の傷は二か所とも幸いに骨をけて、その他はちとの火傷を受けたるのみ。分隊長はがいも留めず、同僚は戦死し、部下の砲員無事なるはまれなりしがなかに、不思議の命をとりとめて、この海軍病院に送られつ。最初はじめはさすがに熱もはげしく上りて、ベッドの上のうわ言にも手をほこにして敵艦をののしり分隊長と叫びては医員を驚かししが、もとより血気盛んなる若者の、傷もさまで重きにあらず、時候も秋涼に向かえるおりから、熱は次第に下り、経過よく、膿腫のうしょううれいもなくて、すでに一月あまり過ぎし今日きょうこのごろは、なお幾分の痛みをば覚ゆれど、ともすれば石炭酸のの満ちたる室をぬけでて秋晴しゅうせいの庭におりんとしては軍医の小言をくうまでになりつ。この上はただすみやかに戦地に帰らんと、ひたすら医の許容ゆるしを待てるなりき。

 思いすてて塵芥ちりあくたよりも軽かりし命は不思議にながらえて、熱去り苦痛薄らぎ食欲復するとともに、われにもあらで生を楽しむ心は動き、従って煩悩ぼんのうもわきぬ。せみは殻を脱げども、人はおのれをのがれ得ざれば、戦いのねつやまいの熱に中絶なかたえし記憶の糸はそのたいのややえてその心の平生へいぜいかえるとともにまたおのずからかかげ起こされざるを得ざりしなり。

 されど大疾よく体質を新たにするにひとしく、わずかに一紙を隔てて死と相見たるの経験は、武男が記憶を別様に新たならしめたり。激戦、及びその前後に相ついで起こりし異常の事と異常の感は、風雨のごとくその心をふるうごかしつ。風雨はすでに過ぎたれど、余波はなお心の海に残りて、浮かぶ記憶はおのずから異なる態をとりぬ。武男は母を憤らず、浪子をば今は世になき妻を思うらんようにその心のがんに祭りて、浪子を思うごとにさながら遠き野末の悲歌を聞くごとく、一種なつかしきかなしみを覚えしなり。

 田崎来たり見舞いぬ。武男はよりて母の近況を知りまたほのかに浪子の近況ようすを聞きぬ。(武男の気をそこなわんことを恐れて、田崎はあえて山木の娘の一条をばいわざりき)武男は浪子の事を聞いて落涙し、田崎が去りし後も、松風さびしき湘南しょうなん別墅べっしょに病める人の面影おもかげは、黄海の戦いとかわるがわる武男が宵々しょうしょうの夢に入りつ。

 田崎が東に帰りし後数日すじつにして、いずくよりともなく一包みの荷物武男がもとに届きぬ。

       *

 武男は今その事を思えるなり。


三の二


 武男が思えるはこれなり。

 一週ぜんの事なりき。武男は読みあきし新聞を投げやりて、ベッドの上にあくびしつつ、窓外を打ちながめぬ。同室の士官昨日きのう退院して、室内には彼一人ひとりなりき。時は黄昏たそがれに近く、病室はほのぐらくして、窓外には秋雨滝のごとく降りしきりぬ。隣室の患者に電気かくるにやあらん。じじの響き絶え間なく雨に和して、うたた室内のわびしさを添えつ。聞くともなくそのおとに耳を仮して、目は窓に向かえば、吹きしぶく雨淋漓りんりとしてガラスにしたたり、しとどぬれたる夕暮れの庭はまだらに現われてまた消えつ。

 茫然ぼうぜんとしてながめ入りし武男は、たちまちかしらより毛布ケットを引きかつぎぬ。

 五分ばかりたちて、人の入り来る足音して、

「お荷物が届きました。……おやすみですか」

 かしらいだせば、ベッドの横側に立てるは、小使いなり。油紙包みをいだき、廿文字にじゅうもんじにからげし重やかなる箱をさげて立ちたり。

 荷物? 田崎帰りてまだ幾日いくかもなきに、たが何を送りしぞ。

「ああ荷物か。どこからだね?」

 小使いが読める差し出し人は、聞きも知らぬ人の名なり。

「ちょっとあけてもらおうか」

 油紙を解けば、新聞、それを解けば紫の包みでぬ。包みを解けばでたり、ネルの単衣ひとえ、柔らかき絹物のあわせ白縮緬しろちりめん兵児帯へこおび、雪を欺く足袋たびそで広き襦袢じゅばんは脱ぎ着たやすかるべく、真綿の肩ぶとんは長き病床に床ずれあらざれと願うなるべし。箱の内は何ぞ。莎縄くぐなわを解けば、なかんずく好める泡雪梨あわゆきの大なるとバナナのあざらけきとあふるるまでに満ちたり。武男の心臓むねの鼓動は急になりぬ。

「手紙も何もはいっていないかね?」

 彼をふるいこれを移せど寸の紙だになし。

「ちょいとその油紙を」

 包み紙をとりて、わが名を書ける筆の跡を見るより、たちまち胸のふさがるを覚えぬ。武男はその筆をしたためたるなり。

 彼女かれなり。彼女かれなり。彼女かれならずしてたれかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、あとはなけれどまさしくそそげる千こうなんだを見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。

 人の去るを待ち兼ねて、武男は男泣きに泣きぬ。

       *

 もとよりれざる泉は今新たに開かれて、武男は限りなき愛の滔々とうとうとしてみなぎるを覚えつ。昼は思い、彼女かれを夢みぬ。

 されど夢ほどに世は自由ならず。武男はもとより信じて思いぬ、二人ふたりが間は死だもつんざくあたわじと。いわんや区々たる世間の手続きをや。されどもその心を実にせんとしては、その区々たる手続き儀式が企望と現実の間に越ゆべからざる障壁として立てるを覚えざるあたわざりき。世はいかにすとも、彼女かれは限りなくわが妻なり。されど母はわが名によって彼女かれを離別し、彼女かれが父は彼女かれに代わって彼女かれを引き取りぬ。世間の前に二人が間は絶えたるなり。平癒へいゆを待って一たび東に帰り、母にあい、浪子をうて心を語り、再び彼女かれを迎えんか。いかに自ら欺くも、武男はいわゆる世間の義理体面の上よりさることのなすべくまたなしうべきを思い得ず、事は成らずして畢竟ひっきょう再び母とわれとの間を前にも増して乖離かいりせしむるに過ぎざるべきを思いぬ。母に逆らうの苦はすでになめたり。

 広い宇宙に生きて思わぬ桎梏かせにわが愛をすら縛らるるを、歯がゆしと思えど、武男はのがるるみちを知らず、やるかたなき懊悩おうのうに日また日を送りつつ、ただ生死しょうしともにわが妻は彼女かれと思いてわずかに自ら慰めあわせて心に浪子をば慰めけるなり。

 今朝けさも夢さめて武男が思える所は、これなりき。

 この朝軍医が例のごとく来たり診して、傷のいよいよ全癒に向かうに満足を表して去りし後、一封の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰りていささか安堵あんどせるを書き、かついささか話したき事もあれば、医師の許可ゆるし次第ひとまず都合して帰京すべしと書きたり。話したき事! もしくは彼がもっとも忌みかつ恐るるある事にはあらざるか。武男は打ち案じぬ。

 武男はついに帰京せざりき。

 十一月初旬、彼とひとしく黄海に手負いし彼が乗艦松島の修繕終わりて戦地に向かいしと聞くほどもなく、わずかに医師の許容ゆるしを得たる武男は、請うて運送船に便乗し、あたかも大連湾を取って碇泊ていはくせる艦隊に帰り去りぬ。

 佐世保を出発する前日、武男は二通の書を投函とうかんせり。一はその母にあてて。


四の一


 秋風吹きめて、避暑の客は都に去り、病を養うひとならではとどまる者なき九月初旬はじめより、今ここ十一月初旬はじめまで、日のあたたかに風なき時をえらみて、五十あまりのおんなに伴なわれつつ、そぞろに逗子ずしの浜べを運動する一人ひとりの淑女ありき。

 やせにやせて砂に落つ影も細々といたわしき姿を、網く漁夫、日ごと浜べを歩む病客も皆見るに慣れて、あうごとにかしらを下げぬ。たれつたうともなくほのかにその身の上をば聞き知れるなりけり。

 こは浪子なりき。

 惜しからぬ命つれなくもなおながらえて、また今年の秋風を見るに及べるなり。

       *

 浪子は去る六月の初め、伯母おばに連れられて帰京し、思いも掛けぬ宣告を伝え聞きしその翌日より、病は見る見る重り、前後を覚えぬまで胸を絞って心血のくれないなるを吐き、医は黙し、家族やからまゆをひそめ、自己おのれ旦夕たんせきに死を待ちぬ。命は実に一縷いちるにつながれしなりき。浪子は喜んで死を待ちぬ。死はなかなかうれしかりき。何思う間もなくたちまち深井しんせい暗黒くらきにおちたるこの身は、何の楽しみあり、何のかいありて、世にながらえんとはすべき。たれを恨み、たれを恋う、さる念は形をなす余裕ひまもなくて、ただ身をめぐる暗黒の恐ろしくいとわしく、早くこのうちをのがれんと思うのみ。死は実にただ一の活路なりけり。浪子は死をまちわびぬ。身は病の床に苦しみ、心はすでに世のほかに飛びき。今日きょうにもあれ、明日あすにもあれ、この身のほだし絶えなば、惜しからぬ世を下に見て、こん千万里のくうを天に飛び、なつかしき母のひざに心ゆくばかり泣きもせん、訴えもせん、と思えば待たるるは実に死の使いなりけり。

 あわれ彼女かれは死をだに心に任せざりき。今日、今日と待ちし今日は幾たびかむなしく過ぎて、一月あまり経たれば、われにもあらで病ややかんに、二月を経てさらにかろくなりぬ。思いすてし命をまたさらにこの世に引き返されて、浪子はまた薄命に泣くべき身となりぬ。浪子は実に惑えるなり。生の愛すべく死の恐るべきを知らざる身にはあらずや。何のために医を迎え、何のために薬を服し、何のために惜しからぬ命をつながんとするぞ。

 されど父の愛あり。あしたゆうべ彼女かれが病床をせいし、自ら薬餌やくじを与え、さらに自ら指揮して彼女かれがために心静かに病を養うべき離家はなれを建て、いかにもして彼女かれを生かさずばやまざらんとす。父の足音を聞き、わが病のかんなるによろこぶ慈顔を見るごとに、浪子は恨みにはおとさぬ涙のおのずからほおにしたたるを覚えず、みだりに死をこいねごうに忍びずして、父のために務めて病をば養えるなり。さらに一あり。浪子は良人おっとを疑うあたわざりき。海かれ山くずるるも固く良人の愛を信じたる彼女かれは、このたびの事一も良人の心にあらざるを知りぬ。病ややかんになりて、ほのかに武男の消息を聞くに及びて、いよいよその信に印されたる心地ここちして、彼女かれはいささか慰められつ。もとよりこの後のいかに成り行くべきを知らず、よしこのやまいゆとも一たび絶えし縁は再びつなぐ時なかるべきを感ぜざるにあらざるも、なお二人が心は冥々めいめいうちに通いて、この愛をば何人なんびともつんざくあたわじと心にいて、ひそかに自ら慰めけるなり。

 されば父の愛と、このほのかなる望みとは、手を尽くしたる名医の治療と相待ちて、消えんとしたる彼女かれが玉の緒を一たびつなぎ留め、九月初旬はじめより浪子は幾と看護婦を伴のうて再び逗子の別墅べっしょに病を養えるなりき。


四の二


 逗子に来てよりは、やまいやや快く、あたりの静かなるに、心も少しは静まりぬ。海の音遠き午後ひるすぎ、湯上がりのたいを安楽椅子いすせて、鳥の音の清きを聞きつつうっとりとしてあれば、さながらにし春のころここにありける時の心地ここちして、今にも良人の横須賀より来たりわん思いもせらるるなりけり。

 別墅べっしょの生活は、去る四五月のころに異ならず。幾と看護婦を相手に、日課は服薬運動の時間をたがえず、体温を検し、定められたる摂生法を守るほかは、せめての心やりに歌み秋草をけなどして過ごせるなり。週に一二回、医は東京より来たり見舞いぬ。月に両三日、あるいは伯母、あるいは千鶴子、まれに継母も来たり見舞いぬ。その幼き弟妹はらから二人は病める姉をなつかしがりて、しばしば母に請えど、病を忌み、かつは二人の浪子になずくをおもしろからず思える母は、ただしかりてやみぬ。今の身の上を聞き知りてか、昔の学友の手紙を送れるも少なからねど、おおかたは文字もじ麗しくして心を慰むべきものはかえってまれなる心地ここちして、よくも見ざりき。ただ千鶴子の来たるをば待ちわびつ。聞きたしと思う消息は重に千鶴子より伝われるなり。

 縁絶えしより、川島家は次第に遠くなりつ。幾百里西なる人の面影おもかげ日夕にっせき心に往来するに引きかえて、浪子はさらにその人の母をば思わざりき。思わずとにはあらで、思わじと務めしなりけり。心一たびそのしゅうとの上に及ぶごとに、われながら恐ろしく苦き一念のおさうれどむらむらとむねにわき来たりて、気の怪しく乱れんとするを、浪子はふりはらいふりはらいて、心を他に転ぜしなり。山木のむすめの川島家に入り込みしと聞けるその時は、さすがに心地乱れぬ。しかもそはわが思う人のあずかり知る所ならざるべきを思いて、しいて心をそなたにふさげるなり。彼女かれが身は湘南に病にして、心は絶えず西に向かいぬ。

 この世において最も愛すなる二人は、現に征清の役に従えるならずや。父中将は浪子が逗子に来たりしより間もなく、大元帥纛下とうか扈従こじゅうして広島におもむき、さらに遠く遼東りょうとうに向かわんとす。せめて新橋までと思えるを、父は制して、くれぐれも自愛し、凱旋がいせんの日には全快して迎えに来よと言い送りぬ。武男はあの後直ちに戦地に向かいて、現に連合艦隊の旗艦にありと聞く。秋雨秋風身につつがなく、戦闘の務めに服せらるるや、いかに。日々夜々にちにちやや陸に海に心はせて、世には要なしといえる浪子もおどる心に新聞をば読みて、皇軍連勝、わが父息災、武男の武運長久を祈らぬ日はあらざりしなり。

 九月末にいたり、黄海の捷報しょうほうは聞こえ、さらに数日すじつを経て負傷者のうちに浪子は武男の姓名を見いだしぬ。浪子は一夜眠らざりき。幸いに東京なる伯母のその心をくめるありて、いずくより聞き得て報ぜしか、浪子は武男の負傷のはなはだしく重からずして現に佐世保の病院にある由を知りつ。生死しょうしの憂いを慰められしも、さてかなたを思いやりて、かくもしたしと思う事の多きにつけても、今の身の上の思うに任せぬ恨みはまたむらむらと胸をふさぎぬ。なまじいに夫妻の名義絶えしばかりに、まさしく心は通いつつ、彼は西に傷つき、われは東に病みて、行きて問うべくもあらぬのみか、明らさまにははがき一枚の見舞すら心に任せぬ身ならずや。かく思いてはやる方なくもだえしが、なおやみ難き心より思いつきて、浪子は病の間々ひまひまに幾を相手にその人の衣を縫い、その好める品をも取りそろえつつ、裂けんとすなる胸の思いの万分一も通えかしと、名をばかくして、はるかに佐世保に送りしなり。

 週去り週来たりて、十一月中旬、佐世保の消印ある一通の書は浪子の手に落ちたり。浪子はその書をひしと握りて泣きぬ。


四の三


 打ち連れて土曜の夕べより見舞に来し千鶴子といもと駒子こまこは、今朝けさ帰り去りつ。しばしにぎやかなりし家のうちまた常のさびしきにかえりて、曇りがちなる障子のうち、浪子はひとり床にかけたるき母の写真にむかいてしぬ。

 今日、十一月十九日は亡き母の命日なり。はばかる人もなければ、浪子は手匣てばこより母の写真取りでて床にかけ、千鶴子がて来し白菊のやや狂わんとするをその前に手向たむけ、午後には茶などれて、幾の昔語りに耳傾けしが、今は幾も看護婦もまかりて、浪子はひとり写真の前に残れるなり。

 母に別れてすでに十年ととせにあまりぬ。十年ととせの間、浪子は亡き母を忘るるの日なかりき。されど今日このごろはなつかしさのえ難きまで募りて、事ごとにその母を思えり。恋しと思う父は今遠く遼東にあり。継母は近く東京にあれど、中垣なかがきの隔て昔のままに、ともすれば聞きづらきことも耳に入る。亡き母の、もし亡き母の無事に永らえて居たまわば、かの苦しみも告げ、この悲しさも訴えて、かよわきこの身に負いあまる重荷もすこしは軽く思うべきに、何ゆえ見すててきたまいしとおもう下より涙はわきて、写真は霧を隔てしようにおぼろになりぬ。

 昨日きのうのようなれど、指を折れば十年ととせたちたり。母上の亡くなりたもうその年の春なりき。自身みずから八歳やついもと五歳いつつ(そのころは片言まじりの、今はあの通り大きくなりけるよ)桜模様の曙染あけぼのぞめ、二人そろうて美しと父上にほめられてうれしく、われは右妹は左母上を中に、馬車をきしらして、九段の鈴木すずきらししうちの一枚はここにかけたるこの写真ならずや。思えば十年ととせは夢と過ぎて、母上はこの写真になりたまい、わが身は──。

 わが身の上は思わじと定めながらも、味気なき今の境涯はあいにくにありありと目の前に現われつ。思えば思うほどなんの楽しみもなんの望みもなき身は十重二十重とえはたえ黒雲に包まれて、この八畳の間は日影も漏れぬ死囚ろうになりかわりたる心地ここちすなり。

 たちまち柱時計は家内やうちに響き渡りて午後二点にじをうちぬ。おどろかれし浪子はのがるるごとく次の間に立てば、ここには人もなくて、裏のかたに幾と看護婦と語る声す。聞くともなく耳傾けし浪子は、またこの室をでて庭におり立ち、枝折戸しおりどあけて浜にでぬ。

 空は曇りぬ。秋ながらうっとりと雲立ち迷い、海はまっ黒にひそみたり。大気は恐ろしく静まりて、一陣の風なく、一だに動かず、見渡す限り海に帆影はんえい絶えつ。

 浪子は次第に浜を歩み行きぬ。今日は網曳あびきする者もなく、運動するひとの影も見えず。を負える十歳とおあまりの女の子の歌いながら貝拾えるが、浪子を見てほほえみつつかしらを下げぬ。浪子は惨としてみつ。またうっとりと思いつづけて、うつむきて歩みぬ。

 たちまち浪子は立ちどまりぬ。浜尽き、岩起これるなり。岩に一条のみちあり、そをたどれば滝の不動にいたるべし。この春浪子が良人おっとに導かれて行きしところ。

 浪子はその路をとりて進みぬ。


四の四


 不動祠ふどうしの下まで行きて、浪子は岩を払うてしぬ。この春良人おっとと共に坐したるもこの岩なりき。その時は春晴うらうらと、浅碧あさみどりの空に雲なく、海は鏡よりも光りき。今は秋陰あんとして、空に異形いぎょうの雲満ち、海はわが坐す岩の下まで満々とたたえて、そのすごきまでくろおもてを点破する一ぱんの影だに見えず。

 浪子はふところより一通の書を取りいだしぬ。書中はただ両三行、武骨なる筆跡の、しかも千万語にまさりて浪子を思いにえざらしめつ。「浪子さんを思わざるの日は一日も無之候これなくそろ」。この一句を読むごとに、浪子は今さらに胸迫りて、恋しさの切らるるばかり身にしみて覚ゆるなりき。

 いかなればかくまがれる世ぞ。身は良人おっとを恋い恋いて病よりも思いに死なんとし、良人はかくもおもいて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりもくれないに注がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、万世よろずよまでもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上──。

 浪子は目を開きぬ。身はひとり岩の上にせり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつむせびぬ。細々とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。

 胸は乱れ、かしらは次第に熱して、縦横に飛びかう思いはおさのごとく過去こしかたを一目に織りいだしつ。浪子は今年の春良人にたすけ引かれてこの岩に来たりし時を思い、発病の時を思い、伊香保に遊べる時を思い、結婚の夕べを思いぬ。伯母に連れられて帰京せし時、むかしむかしその母に別れし時、母の顔、父の顔、継母、妹を初めさまざまの顔は雷光いなずまのごとくその心の目の前を過ぎつ。浪子はさらに昨日きのう千鶴子より聞きし旧友の一人ひとりを思いぬ。彼女かれは浪子より二歳ふたつけて一年早く大名華族のうちにも才子の聞こえある洋行帰りの某伯爵にとつぎしが、舅姑しゅうとの気には入りて、良人にきらわれ、子供一人もうけながら、良人はうちしょうを置き外に花柳の遊びに浸り今年の春離縁となりしが、ついこのごろ病死したりと聞く。彼女かれは良人にすてられて死し、われは相思う良人と裂かれて泣く。さまざまの世と思えば、彼も悲しく、これもつらく、浪子はいよいよくろうなり来る海のおもてをながめて太息といきをつきぬ。

 思うほど、気はますます乱れて、浪子は身をるる余裕ひまもなきまで世のせまきを覚ゆるなり。身は何不足なき家に生まれながら、なつかしき母には八歳やつの年に別れ、肩をすぼめて継母のもと十年ととせを送り、ようやく良縁定まりて父の安堵あんどわれもうれしと思う間もなく、しゅうとの気には入らずとも良人のためには水火もいとわざる身の、思いがけなき大疾を得て、その病も少しはおこたらんとするを喜べるほどもなく、死ねといわるるはなお慈悲の宣告を受け、愛し愛さるる良人はありながら容赦もなく間を裂かれて、夫と呼び妻と呼ばるることもならぬ身となり果てつ。もしそれほど不運なるべき身ならば、なにゆえ世には生まれ来しぞ。何ゆえ母上とともに、われも死なざりしぞ。何ゆえに良人のもとには嫁しつるぞ。何ゆえにこの病を発せしその時、良人の手にいだかれては死せざりしぞ。何ゆえに、せめてかの恐ろしき宣告を聞けるその時、その場に倒れては死なざりしぞ。身には不治の病をいだきて、心は添われぬ人を恋う。何のためにか世にながらうべき。よしこの病ゆとも、添われずば思いに死なん──死なん。

 死なん。何の楽しみありて世に永らうべき。

 はふり落つる涙をぬぐいもあえず、浪子は海のおもてを打ちながめぬ。

 伊豆大島いずおおしまかたに当たりて、墨色に渦まける雲急にむらむらと立つよと見る時、いうべからざる悲壮の音ははるかの天空より落とし来たり、大海のおもてたちまちしわみぬ。一陣の風吹きでけるなり。その風びんをかすめて過ぎつと思うほどなくまっ黒き海の中央まなかに一団の雪わくと見る見る奔馬のごとく寄せて、浪子がしたる岩も砕けよとうちつけつ。渺々びょうびょうたる相洋は一分時ぷんじならずして千波万波ばんぱかなえのごとく沸きぬ。

 雨と散るしぶきを避けんともせず、浪子は一心に水のおもをながめ入りぬ。かの水の下には死あり。死はあるいは自由なるべし。この病をいだいて世に苦しまんより、魂魄こんぱくとなりて良人に添うはまさらずや。良人は今黄海にあり。よしはるかなりとも、この水も黄海に通えるなり。さらば身はこの海のあわと消えて、たまは良人のそばに行かん。

 武男が書をばしっかとふところに収め、風に乱るるびんかき上げて、浪子は立ち上がりぬ。

 風は飇々ひょうひょうとして無辺の天より落とし来たり、かろうじて浪子は立ちぬ。目を上ぐれば、雲は雲と相追うて空をはしり、海は目の届く限り一面に波と泡とまっ白に煮えかえりつ。湾を隔つる桜山は悲鳴してたてがみのごとく松を振るう。風え、海たけり、山も鳴りて、浩々こうこうの音天地に満ちぬ。

 今なり、今なり、今こそこの玉の緒は絶ゆる時なれ。導きたまえ、母。許したまえ、父。十九年の夢は、今こそ──。

 えり引き合わせ、履物はきものをぬぎすてつつ、浪子は今打ち寄せし浪の岩に砕けて白泡しらあわたぎるあたりを目がけて、身をおどらす。

 その時、あと背後うしろに叫ぶ声して、浪子はたちまち抱き止められつ。


五の一


「ばあや。お茶を入れるようにしてお置き。もうあの方がいらっしゃる時分ですよ」

 かく言いつつ浪子はおもむろに幾を顧みたり。幾はそこらを片づけながら

「ほんとにあの方はいいかたでございますねエ。あれでも耶蘇やそでいらッしゃいますッてねエ」

「ああそうだッてね」

「でもあんな方が切支丹きりしたんでいらッしゃろうとは思いませんでしたよ。それにあんなに髪を切ッていらッしゃるのですら」

「なぜかい?」

「でもね、あなた、耶蘇の方では御亭主がくなッても髪なんぞ切りませんで、なおのことおめかしをしましてね、すぐとまたお嫁入りの口をさがしますとさ」

「ほほほほ、ばあやはだれからそんな事を聞いたのかい?」

「イイエ、ほんとでございますよ。一体あの宗旨では、若いものまでがそれは生意気でございましてね、ほんとでございますよ。幾が親類みうち隣家となり一人ひとりそんながございましてね、もとはあなたおとなしいで、それがあの宗旨の学校にあがるようになりますとね、あなた、すっかりようすが変わっちまいましてね、日曜日になりますとね、あなた、母親おや今日きょうせわしいからちっと手伝いでもしなさいと言いましてもね、平気でそのお寺にいっちまいましてね、それから学校はきれいだけれどもうちはきたなくていけないの、おっかさんは頑固がんこだの、すぐ口をとがらしましてね、それに学校に上がっていましても、あなた、受取証が一枚書けませんでね、裁縫しごとをさせますと、日が一日襦袢じゅばんそでをひねくっていましてね、お惣菜そうざいの大根をゆでなさいと申しますと、あなた、大根を俎板まないたに載せまして、庖丁ほうちょうを持ったきりぼんやりしておるのでございますよ。両親おやもこんな事ならあんな学校に入れるんじゃなかったと悔やんでいましてね。それにあなた、そのはわたしはあの二百五十円より下の月給の良人ひとにはかない、なんぞ申しましてね。ほんとにあなた、あきれかえるじゃございませんか。もとはやさしいでしたのに、どうしてあんなになったンでございましょうねエ。これが切支丹の魔法でございましょうね」

「ほほほほ。そんなでも困るのね。でも、何だッて、いい所もあれば、わるいところもあるから、よく知らないではいわれないよ。ねエばあや」

 心得ずといわんがごとく小首傾けし幾は、熱心に浪子を仰ぎつつ

「でもあなた、耶蘇やそだけはおよし遊ばせ」

 浪子はほほえみつ。

「あの方とお話ししてはいけないというのかい」

耶蘇やそがみんなあんな方だとようございますがねエ、あなた。でも──」

 幾は口をつぐみぬ。うわさをすれば影ありありと西側の障子に映り来たれるなり。

「お庭口から御免ください」

 細く和らかなる女の声響きて、いそがわしく幾がたちてあけし障子の外には、五十あまりの婦人の小作りなるがたたずみたり。年よりもけて、多き白髪しらがを短くきり下げ、黒地の被布ひふを着つ。やせたる上にやつれて見ゆれば、打ち見にはやや陰気に思わるれど、目にあたたかなる光ありて、細き口もとにおのずからなる微笑あり。

 幾があたかもうわさしたるはこの人なり。いまだし。一週間以前の不動祠畔しはん水屑みくずとなるべかりし浪子をおりよくも抱き留めたるはこの人なりけり。

 ラッパを吹き鼓を鳴らして名を売ることをせざれば、知らざる者は名をだに聞かざれど、知れる者はその包むとすれどおのずから身にあふるる光を浴びて、ながくその人を忘るるあたわずというなり。姓は小川おがわ名は清子きよこと呼ばれて、目黒めぐろのあたりにおおぜいの孤児女とみ、一大家族の母として路傍に遺棄せらるる幾多の霊魂を拾いてははぐくみ育つるを楽しみとしつ。肋膜炎ろくまくえんに悩みし病余のたいを養うとて、昨月の末よりに来たれるなるが、かの日、あたかも不動祠にありて図らず浪子をいだき止め、その主人を尋ねあぐみて狼狽ろうばいして来たれる幾に浪子を渡せしより、おのずから往来の道は開けしなり。


五の二


 茶をて来て今まからんとしつる幾はやや驚きて

「まあ、明日あす帰京かえり遊ばすんで。へエエ。せっかくおなじみになりかけましたのに」

 老婦人もその和らかなる眼光まなざしに浪子を包みつつ

わたくしもも少し逗留とうりゅうして、お話もいたしましょうし、ごあんばいのいいのを見て帰りたいのでございますが──」

 言いつつ懐中ふところより小形の本を取りいだし、

「これは聖書ですがね。まだごらんになったことはございますまい」

 浪子はいまださるものを読まざるなり。彼女かれが継母は、その英国に留学しつる間は、信徒として知られけるが、帰朝の日その信仰とその聖書をばげてその古靴及び反故ほごとともにロンドンの仮寓やどりにのこし来たれるなり。

「はい、まだ拝見いたした事はございませんが」

 幾はなお立ち去りかねて、老婦人が手中の書を、目をつぶらにしてうちまもりぬ。手品の種はかのうちに、と思えるなるべし。

「これからその何でございますよ、御気分のよろしい時分に、読んでごらんになりましたら、きっとおためになることがあろうと思いますよ。わたくしも今少し逗留とうりゅうしていますと、いろいろお話もいたすのですが──今日はお告別わかれに私がこの書を読むようになりましたその来歴しまつをね、お話ししたいと思いますが。あなたお疲れはなさいませんか。何なら御遠慮なくおやすみなすッて」

 しみじみと耳かたぶけし浪子は顔を上げつ。

「いいえ、ちょっとも疲れはいたしません。どうかお話し遊ばして」

 茶を入れかえて、幾は次に立ちぬ。

 小春日の午後はよりも静かなり。海の音遠く、障子に映る松の影も動かず。ただはるかに小鳥の音の清きを聞く。東側のガラス障子を透かして、秋の空高く澄み、にしきに染まれる桜山は午後の日に燃えんとす。老婦人はおもむろに茶をすすりて、うつむきて被布のひざをかいなで、仰いで浪子の顔うちまもりつつ、静かに口を開き始めぬ。

「人の一生は長いようで短く、短いようで長いものですよ。

 私の父は旗本で、まあ歴々のうちでした。とうに人のものになってしまったのですが、ご存じでいらッしゃいましょう、小石川こいしかわの水道橋を渡って、少しまいりますと、大きなえのきが茂っている所がありますが、私はあの屋敷に生まれましたのです。十二の年に母は果てます、父はひどく力を落としまして後妻あともとらなかったのですから、子供ながら私がいろいろ家事をやってましたね。それから弟に嫁をとって、私はやはり旗下はたもとの、格式は少し上でしたが小川のうちにまいったのが、二十一の年、あなた方はまだなかなかお生まれでもなかったころでございますよ。

 私も女大学で育てられて、辛抱なら人に負けぬつもりでしたが、実際にその場に当たって見ますと、本当に身にしみてつらいことも随分多いのでしてね。時勢とき時勢ときで、良人おっとは滅多にうちにいませず、舅姑しゅうとに良人の姉妹きょうだい二人ふたり=これはあとで縁づきましたが=ありまして、まあ主人を五人もったわけでして、それは人の知らぬ心配もいたしたのですよ。しゅうとはそうもなかったのですが、しゅうとめがよほどつかえにくい人でして、実は私の前に、嫁に来た婦人ひとがあったのですが、半歳はんとし足らずの間に、逃げて帰ったということで、亡くなッた人をこう申すのははしたないようですが、気あらな、押し強い、弁も達者で、まあ俗にせなかを打ってのどをしむるなど申しますが、ちょっとそんな人でした。私も十分辛抱をしたつもりですが、それでも時々は辛抱しきれないで、屏風びょうぶの陰で泣いて、赤い目を見てしかられてまた泣いて、亡くなった母を思い出すのもたびたびでした。

 そうするうちに維新の騒ぎになりました。江戸じゅうはまるでなべのなかのようでしてね。良人も父も弟もみんな彰義隊しょうぎたいで上野にいます、それに舅が大病で、私は懐妊みもちというのでしょう。ほんとに気は気でなかったのでした。

 それから上野は落ちます、良人は宇都宮うつのみやからだんだん函館はこだてまでまいり、父は行くえがわからなくなり、弟は上野で討死うちじにをいたして、その家族も失踪なくなってしまいますし、舅もとうとう病死をしましてね、そのなかでわたくしは産をいたしますし、何が何やらもう夢のようで、それから家禄かろくはなくなる、家財はとられますし、私は姑と年寄りのぼく一人ひとり連れましてね、当歳のを抱いてあの箱根をこえて静岡しずおかに落ちつくまでは、恐ろしい夢を見たようでした」

 この時看護婦入り来たりて、会釈しつつ、薬を浪子にすすめ終わりて、で行きたり。しばし瞑目めいもくしてありし老婦人は目を開きて、また語りつづけぬ。

「静岡での幕士の苦労は、それはお話になりませんくらいで、将軍家がまずあの通り、かつ先生なんぞも裏小路うらこうじの小さな家にくすぶっておいでの時節ですからね、五千石の私どもに三人扶持ぶちはもったいないわけですが、しかし恥ずかしいお話ですが、そのころはお豆腐が一ちょうとは買えませんで、それに姑はぜいたくになれておるのですから、ほんとに気をもみましたよ。で、私はね、町の女子供を寄せて手習いや、裁縫しごとを教えたり、夜もおそくまで、賃仕事をしましてね。それはいいのですが、姑はいよいよ気が荒くなりまして、時勢のしわざを私に負わすようなわけで、それはひどく当たりますし、良人おっとはいませず=良人は函館後はしばらくろうはいっていました=父の行くえもわかりませんし、こんな事なら死んだ方がと思ったことは日に幾たびもありましたが、それを思い返し思い返ししていたのです。本当にこのころは一年に年の十もとりましたのですよ。

 そうするうちに、良人も陸軍に召し出さるるようになって、また箱根をこえて、もう東京ですね、その東京に帰ったのが、さよう、明治五年の春でした。その翌春良人は洋行を命ぜられましてね。朝夕ちょうせきの心配はないようになったのですが、しゅうとの気分は一向に変わりませず──それはいいのでございますが、気にかかる父の行くえがどうしてもわかりません。

 良人が洋行しましたその秋、ひどい雨の降る日でしたがね、小石川の知己しるべまでまいって、そのうちで雇ってもらった車に乗って帰りかけたのです。日は暮れます、ひどい雨風で、私はほろうちに小さくなっていますと、車夫くるまやはぼとぼとぼとぼと引いて行きましょう、饅頭笠まんじゅうがさをかぶってしわだらけの桐油合羽とうゆがっぱをきているのですが、雨がたらたらたらたら合羽から落ちましてね、提灯ちょうちんの火はちょろちょろ道の上に流れて、車夫くるまやは時々ほっほっ太息といきをつきながら引いて行くのです。ちょうど水道橋にかかると、提灯がふっと消えたのです。車夫くるまや梶棒かじぼうをおろして、奥様、お気の毒ですがその腰掛けの下にオランダ付け木(マッチの事ですよ)がはいっていますから、というのでしょう。風がひどいのでよくは聞こえないのですがその声が変に聞いたようでね、とやこうしてマッチを出して、蹴込けこみの方に向いてマッチをする、その火光あかり車夫くるまやの顔を見ますと、あなた、父じゃございませんか」

 老婦人がわれにもあらず顔打ちおおいぬ。浪子は汪然おうぜんとして泣けり。次の間にも飲泣いきすすりの声聞こゆ。


五の三


 目をぬぐいて、老婦人は語り続けぬ。

「同じ東京にいながら、知らずにいればいられるものですねエ。それから父と連れ立って、まあ近くの蕎麦屋そばやにまいりましてね、様子を聞いて見ますと、上野の落ちた後は諸処方々を流浪るろうして、手習いの先生をしたり、病気したり、今は昔の家来で駒込こまごめのすみにごくごく小さな植木屋をしているその者にかかッて、自身はこう毎日貸し車を引いているというのでございますよ。うれしいやら、悲しいのやら、情けないのやら、込み上げて、ろくに話もできないのです。それからまあその晩は父に心づけられて別れましてね。

 大分だいぶふけていました。帰るとあなたしゅうとは待ち受けていたというていで、それはひどいおこりようにがりようで、情けないじゃございませんか、私に何かくらい、あるまじいしわざでもあるように言いましてね。胸をさすッて、父の事を打ち明けて申しますと、気の毒と思ってくれればですが、それはもう聞きづらい恥ずかしい事を──あまり口惜しくて、情けなくて、今度ばかりは辛抱も何もない、もうもうにはいない、今からすぐと父のそばに行って、とそう思いましてね、姑がせりましたあとで、そっと着物を着かえて、せがれ=六つでした=がこうやすんでいますまくらもとで書き置きを書いていますと、悴が夢でも見たのですか、眠ったまま右の手を伸ばして「かあさま、行っちゃいやよ」と申すのですよ。その日小石川にまいる時置いて行ったのですから、その夢を見たのでしょうが、びっくりしてじっとその寝顔を見ていますと、その顔が良人の顔そのままになって、私は筆を落として泣いていました。そうすると、まあどうして思い出したのでございますか、まだ子供の時分にね、寝物語に母から聞いた嫁姑の話、あの話がこうふと心に浮かみましてね、ああ私一人の辛抱で何も無事に治まることと、そうおもい直しましてね──あなた、御退屈でしょう?」

 身にしみてける浪子は、答うるまでもなくただ涙の顔を上げつ。幾が新たにくめる茶をすすりて、老婦人は再び談緒だんちょをつぎぬ。

「それからとやかく姑にわびましてね、しかしそんなわけですからなかなか父を引き取るのみつぐのということはできません。で、まあごく内々で身のまわり=多くもありませんでしたが=の物なんぞ売り払ったり、それもながくは続かないのですから、良人の知己しるべに頼みましてね、ある外国公使の夫人に物好きで日本の琴を習いたいという人がありましてね、それで姑の前をとやかくしてそれから月に幾たび琴を教えて、まあ少しは父を楽にすることができたのですが、そうするうちに、その夫人と懇意になりましてね、それは珍しいやさしい人でして、時々は半解はんわかりの日本語でいろいろ話をしましてね、読んでごらんなさいといって本を一冊くれました。それがね、そのころ初めて和訳になったマタイ伝──この聖書の初めにありますのでした。少し読みかけて見たのですが、何だか変な事ばかり書いてありまして、まあそのままにうっちゃって置いたのでした。

 それから翌年よくとしの春、姑はふと中風ちゅうふうになりましてね、気の強い人でしたが、それはもう子供のように、ひどくさびしがって、ちょいとでもはずしますと、おきよお清とすぐ呼ぶのでございますよ。そばにすわって、はえを追いながら、すやすや眠る姑の顔を見ていますと、本当にこうなるものをなぜ一度でも心に恨んだことがあったろう、できることならもう一度丈夫にして、とそうおもいましてね、精一杯骨を折ったのですが、そのかいもないのでした。

 姑が亡くなりますとほどなく良人が帰朝しましてね。それから引き取るというきわになって、父も安心したせいですか、急に病気になって、つい二三日でそれこそ眠るように消えました。もう生涯会われぬと思った娘には会うし、やさしくしてくれるし、自分ほど果報者はないと、そう申しましてね。──でも私は思う十分一もできませんで、今でも思い出すたびにもう一度かして思う存分喜ばして見たいと思わぬ時はありませんよ。

 それから良人は次第に立身いたします、悴は大きくなりまして、私もよほど楽になったのですが、ただ気をもみましたのは、良人の大酒たいしゅ──軍人は多くそうですが──の癖でした。それから今でもやはりそうですが、そのころは別してね、男子おとこかたが不行跡で、良人なんぞはまあ西洋にもまいりますし、少しはいいのでしたが、それでも恥ずかしい事ですが、私も随分心配をいたしました。それとなく異見をしましても、あなた、笑って取り合いませんのですよ。

 そうするうちにあの十年の戦争になりまして、良人──近衛このえの大佐でした──もまいります。そのあとに悴が猩紅熱しょうこうねつで、まあ日夜ひるよるつきッきりでした。四月十八日のばんでした、悴が少しいい方でやすんでいますから、おんななぞもみんな寝せまして、私は悴の枕もとに、行燈あんどうの光で少し縫い物をしていますと、ついうとうといたしましてね。こう気がとおーくなりますと、すうと人の来るはいがいたして、悴の枕もとにすわる者があるのです。たれかと思って見ますと、あなた、良人です、軍服のままで、血だらけになりまして、あおざめて──ま、あなた、思わずいったその声にふッと目がさめて、あたりを見るとだれもいません。行燈の火がとろとろ燃えて、悴はすやすや眠っています。もうすっかり汗になりまして、動悸どうきがはげしくうって──

 その翌日から悴は急にわるくなりまして、とうとうその夕刻に息を引き取りましてね。もう夢のようになりましてそのからだを抱いているうちに、着いたのが良人が討死うちじに電報しらせでした」

 話者は口をつぐみ、聴者は息をのみ、室内しんとして水のごとくなりぬ。

 やや久しゅうして、老婦人は再び口を開けり。

「それから一切夢中でしてね、日と月と一時にったと申しましょうか、何と申しましょうか、それこそほんにまっ暗になりまして、辛抱に辛抱して結局つまりがこんな事かと思いますと、いっそこのままなおらずに──すぐそのあとで臥病わずらいましたのですよ──と思ったのですが、しあわせ不幸ふしあわせか病気はだんだんよくなりましてね。

 病気はよくなったのですが、もう私には世の中がすっかり空虚からになったようで、ただ生きておるというばかりでした。そうするうちに、知己しるべの勧めでとにかく家をたたんでしばらくその宅にまいることになりましてね。病後ながらぶらぶら道具や何か取り細めていますと、いつでしたか箪笥たんすを明けますとね、亡くなりました悴のあわせの下からほんが出てまいりましてね、ふと見ますと先年外国公使の夫人がくれましたその聖書でございますよ。読むでもなくつい見ていますと、ちょいとした文句が、こう妙に胸に響くような心地こころもちがしましてね──それはこのほんにも符号しるしをつけて置きましたが──それから知己しるべうちに越しましても、時々読んでいました。読んでいますうちに、山道に迷った者がどこかにとりの声を聞くような、まっくらな晩にかすかな光がどこからかさすように思いましてね。もうそのほんをくれた公使の夫人は帰国して、いなかったのですが、だれかに話を聞いて見たいと思っていますうちに、知己しるべの世話でそのころできました女の学校の舎監になって見ますと、それが耶蘇やそ教主義の学校でして、その教師のなかにまだ若い御夫婦の方でしたが、それは熱心な方がありましてね、この御夫婦が私のまあ先達せんだつになってくだすったのですよ。その先達に初歩ふみはじめおそわってこの道に入りましてから、今年でもう十六年になりますが、つえとも思うは実にこのほんで、一日もそばを放さないのでございますよ。霊魂不死という事を信じてからは、死を限りと思った世の中が広くなりまして、天の父を知ってからは親を失ってまた大きな親を得たようで、愛の働きを聞いてからは子をくしてまたおおぜいの子を持った心地こころもちで、望みという事を教えられてから、辛抱をするにも楽しみがつきましてね──

 私がこのほんを読むようになりましたしまつはまあざッとこんなでございますよ」

 かく言い来たりて、老婦人は熱心に浪子の顔打ちまもり、

「実は、御様子はうすうす承っていましたし、ああして時々浜でお目にかかるのですから、ぜひ伺いたいと思う事もたびたびあったのですが、──それがこうふとお心やすくいたすようになりますと、またすぐお別れ申すのは、まことに残念でございますよ。しかしこう申してはいかがでございますが、私にはどうしても浅日ちょっとのお面識なじみの方とは思えませんよ。どうぞ御身おみを大事に遊ばして、必ず気をながくお持ち遊ばして、ね、決して短気をお出しなさらぬように──御気分のいい時分ときはこのほんをごらん遊ばして──私は東京あちらに帰りましても、朝夕こちらの事を思っておりますよ」

       *

 老婦人はその翌日東京に去りぬ。されどその贈れる一書は常に浪子の身近に置かれつ。

 世にはかかる不幸を経てもなお人を慰むるまことを余せる人ありと思えば、母ならず伯母ならずしてなおこの茫々ぼうぼうたる世にわれを思いくくる人ありと思えば、浪子はいささか慰めらるる心地ここちして、聞きつる履歴を時々思いでては、心こめたる贈り物の一書をひもとけるなり。


六の一


 第二軍は十一月二十二日をもって旅順を攻め落としつ。

「おかあさま、お母さま」

 新聞を持ちたるままあわただしく千鶴子はその母を呼びたり。

「何ですね。もっと静かにものをお言いなさいな」

 水色の眼鏡めがねにちょっとにらまれて、さっとおもて紅潮くれないを散らしながら、千鶴子はほほと笑いしが、またまじめになりて、

「お母さま、死にましたよ、あれが──あの千々岩ちぢわが!」

「エ、千々岩! あの千々岩が! どうして? 戦死うちじにかい?」

戦死せんし将校のなかに名が出ているわ。──いい気味!」

「またそんなはしたないことを。──そうかい。あの千々岩が戦死うちじにしたのかい! でもよく戦死うちじにしたねエ、千鶴さん」

「いい気味! あんな人は生きていたッて、邪魔になるばかりだわ」

 加藤子爵夫人はしばし黙然として沈吟しぬ。

「死んでもだれ一人泣いてくれる者もないくらいでは、生きがいのないものだね、千鶴さん」

「でも川島のおばあさんが泣きましょうよ。──川島てば、お母さま、おとよさんがとうと逃げ出したんですッて」

「そうかい?」

昨日きのうね、また何か始めてね、もうもうこんなうちにはいないッて、泣き泣き帰っちまいましたんですッて。ほほほほほほようすが見たかったわ」

「だれが行ってもあのうちでは納まるまいよ、ねエ千鶴さん」

 母子おやこ相見て言葉途絶えぬ。

       *

 千々岩は死せるなり。千鶴子母子おやこが右の問答をなしつるより二十日はつかばかり立ちて、一片の遺骨と一通の書と寂しき川島家に届きたり。こつは千々岩の骨、書は武男の書なりき。その数節を摘みてん。

⦅前文略⦆

 旅順陥落の翌々日、船渠せんきょ船舶等艦隊の手に引き取ることと相成り、将校以下数名上陸いたし、私儀も上陸つかまつそろ。激戦後の事とて、惨状は筆紙に尽くし難く⦅中略⦆仮設野戦病院の前を過ぎ候ところ、ふと担架にて人を運び居候を見受け申し候。青毛布ケットをおおい、顔には白木綿しろもめんのきれをかけて有之これあり、そのきれの下より見え候口もとあごのあたりいかにも見覚えあるようにて、尋ね申し候えば、これは千々岩中尉と申し候。その時の喫驚きっきょう御察しくださるべく候。⦅中略⦆おおいをとり申し候えば、色あおざめ、きびしく歯をくいしばり居申し候。きずは下腹部に一か所、その他二か所、いずれも椅子山いすざん砲台攻撃の際受け候弾創にて、今朝まで知覚有之これあり候ところ、ついに絶息いたし候由。⦅中略⦆なお同人の同僚につきいろいろ承り候ところ、彼は軍中のにくまれ者ながら戦争のみぎりは随分相働き、すでに金州攻撃の際も、部下の兵士と南門の先登をいたし候由にて、今回もなかなか働き候との事に御座候。もっとも平生へいぜいは往々士官の身にあるまじき所行も内々有之これあり、陣中ながら身分不相応の金子きんすたくわえ居申し候。すでに一度は貔子窩ひしかにおいて、軍司令官閣下の厳令あるにかかわらず、何か徴発いたし候とて土民に対し惨刻千万の仕打ち有之これありすでにその処分も有之これあるべきところ⦅中略⦆とにかく戦死は彼がためにもっけの幸いに有之べく候。

 母上様御承知の通り、彼は重々不埒ふらちのかども有之、彼がためには実に迷惑もいたし、私儀もすでに断然絶交いたしおり候事に有之候えども、死骸しがいに対しては恨みも御座なく、昔兄弟のように育ち候事など思い候えば、不覚の落涙も仕り候事に御座候。よって許可ゆるしを受け、火葬いたし、骨を御送おんおくり申し上げ候。しかるべく御葬り置きくだされたく願い奉り候。

⦅下略⦆

 武男が旅順にて遭遇しつる事はこれにとどまらず、わざと書中に漏らしし一の出来事ありき。


六の二


 武男が書中に漏れたる事実は、左のごとくなりき。

 千々岩の死骸しがいに会えるその日、武男はひとり遅れて埠頭はとばかたに帰り居たり。日暮れぬ。

 舎営の門口かどのきらめく歩哨ほしょうの銃剣、将校馬蹄ばていの響き、下士をしかりいる士官、あきれ顔にたたずむ清人しんじん、縦横に行き違う軍属、それらの間を縫うて行けば、軍夫五六人、焚火たきびにあたりつ。

「めっぽう寒いじゃねエか。故国うちにいりや、葱鮪ねぎまで一ぺえてえとこだ。きち、てめえアまたいい物引っかけていやがるじゃねえか」

 吉といわれし軍夫は、分捕ぶんどりなるべし、紫緞子どんすの美々しき胴衣どうぎを着たり。

源公げんこうを見ねえ。狐裘かわの四百両もするてえやつを着てやがるぜ」

「源か。やつくれえばかに運のつええやつアねえぜ。ぶつちゃア勝つ、遊んで褒美ほうびはもれえやがる、鉄砲玉アあたりッこなし。運のいいたやつのこっだ。おいらなんざ大連だいれん湾でもって、から負けちゃって、このあわせ一貫よ。畜生ちきしょうめ、分捕りでもやつけねえじゃ、ほんとにやり切れねえや」

「分捕りもいいが、きをつけねえ。さっきもおれアうっかり踏んむと、殺しに来たと思いやがったンだね、いきなりおけの後ろから抜剣ぬきみ清兵やつが飛び出しやがって、おいらアもうちっとで娑婆しゃばにお別れよ。ちょうど兵隊さんが来て清兵やつめすぐくたばっちまやがったが。おいらア肝つぶしちゃったぜ」

「ばかな清兵やつじゃねえか。まだ殺され足りねえてンだな」

 旅順落ちていまだ幾日もあらざれば、げに清兵しんぺいの人家に隠れて捜しいだされて抵抗せしため殺さるるも少なからざりけるなり。

 聞くともなき話耳に入りて武男はいささか不快の念を動かしつつ、次第に埠頭はとばかたに近づきたり。このあたり人け少なく、燈火ともしびまばらにして、一方に建てつらねたる造兵しょうの影黒く地に敷き、一方には街燈の立ちたるが、薄月夜ほどの光を地に落とし、やせたるいぬありて、地をかぎて行けり。

 武男はこの建物の影に沿うて歩みつつ、目はたちまち二十間を隔てて先に歩み行く二つの人影に注ぎたり。後影かげは確かにわが陸軍の将校士官のうちなるべし。一人は濶大かつだいに一人は細小なるが、打ち連れて物語などして行くさまなり。武男はその一人をどこか見覚えあるように思いぬ。

 たちまち武男はわれとかの両人ふたりの間にさらに人ありて建物の影を忍び行くを認めつ。胸は不思議におどりぬ。家の影さしたれば、明らかには見えざれど、影のなかなる影は、一歩進みてとどまり、二歩行きてうかがい、まさしく二人のあとを追うて次第に近づきおるなり。たまたま家と家とのなか絶えて、流れ込む街燈の光に武男はその清人しんじんなるを認めつ。同時にものありて彼が手中にひらめくを認めたり。胸打ち騒ぎ、武男はひそかに足を早めてそのあとを慕いぬ。

 最先さきに歩めるかの二人が今しもまちの端にいたれる時、闇中あんちゅうを歩めるかの黒影は猛然と暗を離れて、二人を追いぬ。驚きたる武男がつづいて走りいだせる時、清人はすでに六七間の距離に迫りて、右手めては上がり、短銃響き、細長なる一人はどうと倒れぬ。驚きて振りかえる他の一人を今一発、短銃の弾機をひかんとせる時、まっしぐらにせつきたる武男はこぶしをあげて折れよと彼が右腕うでをたたきつ。短銃落ちぬ。驚き怒りてつかみかかれる彼を、武男は打ち倒さんと相撲すまう。かの濶大かつだいなる一人もせ来たりて武男に力を添えんとする時、短銃の音に驚かされしわが兵士ばらばらとせきたり、武男が手にあまるかの清人を直ちに倒して引っくくりぬ。瞬間の争いに汗になりたる武男が混雑の間よりでける時、倒れし一人をたすけ起こせるかの濶大なる一人はこなたに向かい来たりぬ。

 この時街燈の光はまさしく片岡中将のおもてをば照らしいだしつ。

 武男は思わず叫びぬ。

「やッ、閣下あなたは!」

「おッきみは!」

 片岡中将はその副官といずくかへ行ける帰途かえりを、殊勝にも清人しんじんのねらえるなりき。

 副官のきずは重かりしが、中将は微傷だも負わざりき。武男は図らずして乃舅だいきゅうを救えるなり。

       *

 この事いずれよりか伝わりて、浪子に達せし時、幾は限りなくよろこびて、

「ごらん遊ばせ。どうしても御縁が尽きぬのでございますよ。精出して御養生遊ばせ。ねエ、精出して養生いたしましょうねエ」

 浪子はさびしく打ちほほえみぬ。


七の一


 戦争のうちに、年は暮れ、かつ明けて、明治二十八年となりぬ。

 一月より二月にかけて威海衛落ち、北洋艦隊ほろび、三月末には南のかた澎湖ぼうこ列島すでにわが有に帰し、北のかたにはわが大軍うしおのごとく進みて、遼河りょうが以東に隻騎の敵を見ず。ついで講和使来たり、四月中旬には平和条約締結の報あまねく伝わり、三国干渉のうわさについで、遼東還付の事あり。同五月末大元帥陛下凱旋がいせんしたまいて、戦争はさながら大鵬たいほうの翼を収むるごとく倐然しゅくぜんとしてやみぬ。

 旅順に千々岩の骨を収め、片岡中将の危厄を救いし後、武男は威海衛の攻撃に従い、また遠く南のかた澎湖島占領の事に従いしが、六月初旬その乗艦のひとまず横須賀に凱旋する都合となりたるより、久々ひさびさぶりに帰京して、たえて久しきわがの門を入りぬ。

 おもえば去年の六月、席をけって母に辞したりしよりすでに一年を過ぎぬ。幾たびか死生のきわを通り来て、むかしの不快は薄らぐともなくあとを滅し、佐世保病院の雨の日、威海衛港外風氷るは想いのわがに向かって飛びしこと幾たびぞ。

 一年ぶりに帰りて見れば、家のうち何の変わりたることもなく、わが車の音にで迎えつるおんなの顔の新しくかわれるのみ。母は例のごとく肥え太りて、リュウマチス起これりとて、一日床にあり。田崎は例のごとく日々にちにち来たりては、六畳の一間に控え、例のごとく事務をとりてまた例刻に帰り行く。型に入れたるごとき日々の事、見るもの、聞くもの、さながらに去年のままなり。武男は望みを得て望みを失える心地ここちしつ。一年ぶりに母にあいて、絶えて久しきわが家の風呂ふろに入りて、うずたかき蒲団ふとん安坐あんざして、好めるぜんに向かいて、さて釣り床ならぬ黒ビロードのくくまくらに疲れしかしらを横たえて、しかも夢は結ばれず、枕べ近き時計の一二時をうつまでも、目はいよいよさえて、心の奥に一種鋭き苦痛くるしみを覚えしなり。

 一年の月日は母子の破綻はたんを繕いぬ。少なくも繕えるがごとく見えぬ。母もさすがに喜びてその独子ひとりごを迎えたり。武男も母に会うて一の重荷をばおろしぬ。されど二人ふたりが間は、顔見合わせしその時より、全く隔てなきあたわざるを武男も母も覚えしなり。浪子の事をば、彼も問わず、これも語らざりき。彼の問わざるは問うことを欲せざるがためにあらずして、これの語らざるは彼の聞かんことを欲するを知らざるがためにはあらざりき。ただかれこれともにこの危険の問題をば務めて避けたるを、たがいにそれと知りては、さしむかいて話途絶ゆるごとにおのずから座の安からざるを覚えしなり。

 佐世保病院の贈り物、旅順のかの出来事、それはなくとももとより忘るる時はなきに、今昔ともにみし家に帰り来て見れば、見る物ごとにその面影おもかげの忍ばれて、武男は怪しく心地ここち乱れぬ。彼女かれは今いずこにおるやらん。わが帰り来しと知らでやあらん。思いは千里も近しとすれど、縁絶えては一里とはなれぬ片岡家、さながら日よりも遠く、彼女かれが伯母の家は呼べばこたうる近くにありながら、何の顔ありて行きてその消息を問うべきぞ。おもえば去年の五月艦隊の演習におもむく時、逗子に立ち寄りて別れを告げしが一生の別離わかれとは知らざりき。かの時別荘の門に送りでて「早く帰ってちょうだい」と呼びし声は今もに残れど、今はたれに向かいて「今帰った」というべきぞ。

 かく思いつづけし武男は、一日あるひ横須賀におもむきしついでに逗子に下りて、かの別墅べっしょの方に迷い行けば、表の門は閉じたり。さては帰京せしかと思いわびつつ、裏口より入り見れば、老爺じじい一人ひとり庭の草をむしりつ。


七の二


 武男が入り来る足音に、老爺じじいはおもむろに振りかえりて、それと見るよりいささか驚きたるていにて、鉢巻はちまきをとり、小腰をかがめながら

「これはおいでなせえまし。旦那様アいつおけえりでごぜエましたんで?」

「二三日前に帰った。老爺おまえも相変わらず達者でいいな」

「どういたしまして、はあ、ねッからいけませんで、はあお世話様になりますでごぜエますよ」

「何かい、老爺おまえはもうよっぽど長く留守をしとるのか?」

「いいや、何でごぜエますよ、その、先月あとげつまでは奥様──ウンニャお嬢──ごご御病人様とばあやさんがおいでなさったんで、それからまア老爺わたくしがお留守をいたしておるでごぜエますよ」

「それでは先月あとげつ帰京かえったンだね──では東京あっちにいるのだな」

 と武男はひとりごちぬ。

「はい、さよさまで。殿様が清国あっちからおけえりなさるそのめえに、東京におけえりなさったでごぜエますよ。はア、それから殿様とごいっしょに京都かみがたに行かっしゃりました御様子で、まだ帰京けえらっしゃりますめえと、はや思うでごぜエますよ」

京都かみがたに?──では病気がいいのだな」

 武男は再びひとりごちぬ。

「で、いつ行ったのだね?」

四五日しごんち前──」と言いかけしが、老爺じじいはふと今の関係を思いでて、言い過ぎはせざりしかと思いがおにたちまち口をつぐみぬ。それと感ぜし武男は思わず顔をあからめたり。

 ふたり相対あいむかいてしばし黙然もくねんとしていたりしが、老爺じじいはさすがに気の毒と思い返ししように、

「ちょいと戸を明けますべえ。旦那様、お茶でも上がってまあお休みなさッておいでなせエましよ」

「何、かまわずに置いてもらおう。ちょっと通りかかりに寄ったんだ」

 言いすてて武男はかつて来なれし屋敷うちを回り見れば、さすがにる人あれば荒れざれど、戸はことごとくしめて、手水鉢ちょうずばちに水絶え、庭の青葉は茂りに茂りて、ところどころに梅子うめのみこぼれ、青々としたる芝生しばふに咲き残れる薔薇ばらの花半ばは落ちて、ほのかなるかおりは庭に満ちたり。いずくにも人のはなくて、屋後おくごの松にせみのみぞかしましき。

 武男は匇々そうそう老爺じじいに別れて、かしらをたれつつで去りぬ。

 五六日を経て、武男はまた家を辞して遠く南征の途に上ることとなりぬ。家に帰りて十余日、他の同僚は凱旋がいせんの歓迎のとおもしろく騒ぎて過ごせるに引きかえて、武男はおもしろからぬ日を送れり。遠く離れてはさすがになつかしかりし家も、帰りて見れば思いのほかにおもしろき事もなくて、武男はついにその心の欠陥あきを満たすべきものを得ざりしなり。

 母もそれと知りて、苦々しく思えるようすはおのずから言葉の端にあらわれぬ。武男も母のそれと知れるをば知り得て、さしむかいて語るごとに、ものありて間を隔つるように覚えつ。されば母子の間はもとのごとき破裂こそなけれ、武男は一年後の今のかえってもとよりも母に遠ざかれるをうらみて、なお遠ざかるをいかんともするあたわざりき。母子ぼしは冷然として別れぬ。

 横須賀より乗るべかりしを、出発になんなんとしてさわりありて一じつの期をあやまりたれば、武男はくれより乗ることに定め、六月の十日というに孤影蕭然しょうぜんとして東海道列車に乗りぬ。


八の一


 宇治うじ黄檗山おうばくざんを今しもで来たりたる三人みたり連れ。五十余りと見ゆる肥満の紳士は、洋装して、金頭きんがしらのステッキを持ち、二十はたちばかりの淑女は黒綾くろあや洋傘パラソルをかざし、そのあとより五十あまりのおんならしきが信玄袋をさげて従いたり。

 三人みたりで来たるとともに、門前に待ち居し三りょうの車がらがらと引き来るを、老紳士は洋傘パラソルの淑女を顧みて

「いい天気じゃ。すこし歩いて見てはどうか」

「歩きましょう」

「お疲れは遊ばしませんか」とおんなは口を添えつ。

「いいよ、少しは歩いた方が」

「じゃ疲れたら乗るとして、まあぶらぶら歩いて見るもいいじゃろう」

 三輛の車をあとに従えつつ、三人はおもむろに歩み初めぬ。いうまでもなく、こは片岡中将の一行なり。昨日きのう奈良ならより宇治に宿りて、平等院を見、扇の芝の昔をとむらい、今日きょう山科やましなの停車場より大津おおつかたへ行かんとするなり。

 片岡中将はさんぬる五月に遼東より凱旋しつ。一日浪子の主治医を招きて書斎に密談せしが、その翌々日より、浪子を伴ない、の幾を従えて、飄然ひょうぜんとして京都に来つ。閑静なるかわぞいの宿をえらみて、ここを根拠地と定めつつ、軍服を脱ぎすてて平服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、ただ日々にちにち浪子を連れては彼女かれが意のむかうままに、博覧会を初め名所古刹こさつを遊覧し、西陣に織り物を求め、清水きよみず土産みやげを買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日を過ぎぬ。世間はしばし中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。

黄檗おうばくを出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの盛季さかりはとく過ぎたれど、風は時々焙炉ほうろの香を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の間々あいあいは麦黄いろくれて、さくさくとかまの音聞こゆ。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る白帆しらほにあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏の声ゆるく野づらを渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふわふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。

 たちまち左手ゆんでの畑みちより、夫婦と見ゆる百姓二人話しもてで来たりぬ。午餉ひるげを終えて今しもはたで行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手ぬぐいをかむり、歯を染め、土瓶どびんの大いなるを手にさげたり。出会いざまに、立ちどまりて、しばし一行の様子を見し女は、行き過ぎたる男のあと小走りに追いかけて、何かささやきつ。二人ともに振りかえりて、女は美しく染めたる歯を見せてほほえみしが、また相語りつつ花いばらこぼるる畦路あぜみちに入り行きたり。

 浪子の目はそのあとを追いぬ。竹の子がさと白手ぬぐいは、次第に黄ばめる麦に沈みて、やがてかげも見えずなりしと思えば、たちまちはたのかなたより

ぬし正宗まさむね、わしアび刀、ぬしは切れても、わしア切れエ──ぬ」

 歌う声哀々として野づらに散りぬ。

 浪子はさしうつむきつ。

 ふりかえり見し父中将は

「くたびれたじゃろう。どれ──」

 言いつつ浪子の手をとりぬ。


八の二


 中将は浪子の手をひきつつ

「年のたつは早いもンじゃ。浪、おまえはおぼえておるかい、おまえがちっちゃかったころ、よくおとうさんに負ぶさって、ぽんぽんおとうさんが横腹をけったりしおったが。そうじゃ、おまえが五つ六つのころじゃったの」

「おほほほほ、さようでございましたよ。殿様がおんぶ遊ばしますと、少嬢様ちいおじょうさまがよくおむずかり遊ばしたンでございますね。──ただ今もどんなにおうらやましがっていらッしゃるかもわかりませんでございますよ」と気軽に幾が相槌あいづちうちぬ。

 浪子はたださびしげにほほえみつ。

こまか。駒にはおわびにどっさり土産みやげでも持って行くじゃ。なあ、浪。駒よか千鶴さんがうらやましがっとるじゃろう、一度こっちに来たがっておったのじゃから」

「さようでございますよ。加藤あちらのお嬢様がおいで遊ばしたら、どんなにおにぎやかでございましょう。──本当にわたくしなぞがまあこんな珍しい見物さしていただきまして──あの何でございますか、さっき渡りましたあの川が宇治川で、あのほたるの名所で、ではあの駒沢こまざわ深雪みゆきにあいました所でございますね」

「はははは、幾はなかなか学者じゃの。──いや世の中の移り変わりはひどいもンじゃ。おとうさんなぞが若かった時分は、大阪おおさかから京へ上るというと、いつもあの三十石で、すしのごと詰められたもンじゃ。いや、それよかおとうさんがの、二十はたちの年じゃった、大西郷おおさいごう有村ありむら──海江田かえだ月照師げっしょうさんを大阪まで連れ出したあとで、大事な要がでけて、おとうさんが行くことになって、さああと追っかけたが、あんまり急いで一もんなしじゃ。とうとうほおかぶりをして跣足はだしで──夜じゃったが──伏見ふしみから大阪まで川堤かわどてを走ったこともあったンじゃ。はははは。暑いじゃないか、浪、くたびれるといかん、もう少し乗ったらどうじゃ」

 おくれし車を幾が手招けば、からからとき来つ。三人みたりは乗りぬ。

「じゃ、そろそろやってくれ」

 車は徐々に麦圃ばくほ穿うがち、茶圃を貫きて、山科やましなかたに向かいつ。

 前なる父がうなじ白髪しらがを見つめて、浪子は思いに沈みぬ。良人おっとに別れ、不治のやまいをいだいて、父に伴なわるるこの遊びを、うれしといわんか、かなしと思わんか。望みも楽しみも世に尽き果てて遠からぬ死を待つわれを不幸といわば、そのわれを思いおもう父の心をくむに難からず。浪子は限りなき父の愛を想うにつけても、今の身はただ慰めらるるほかに父を慰むべき道なきをかなしみつ。世を忘れ人を離れて父子おやこただ二人名残なごりの遊びをなす今日このごろは、せめて小供の昔にかえりて、物見遊山ものみゆさんもわれから進み、やがて消ゆべき空蝉うつせみの身には要なきから織り物も、末はいもと紀念かたみの品と、ことに華美はでなるを選みしなり。

 父をかなしと思えば、恋しきは良人武男。旅順に父の危難あやうきを助けたまいしとばかり、後の消息はたれ伝うる者もなく、思いは飛び夢は通えど、今はいずくにか居たもうらん。あいたし、一度あいたし、生命いきあるうちに一度、ただ一度あいたしと思うにつけて、さきに聞きつる鄙歌ひなうたのあいにく耳に響き、かの百姓夫婦のむつまじく語れる面影は眼前めさきに浮かび、楽しき粗布あらぬに引きかえて憂いを包む風通ふうつうたもと恨めしく──

 せぐり来る涙をハンケチにおさえて、泣かじとくちびるをかめば、あいにくせきのしきりに濡れぬ。

 中将は気づかわしげに、ふりかえりつ。

「もうようございます」

 浪子はわずかにみを作りぬ。

       *

 山科やましなに着きて、東行の列車に乗りぬ。上等室は他に人もなく、浪子は開ける窓のそばに、父はかなたにして新聞を広げつ。

 おりから煙をき地をとどろかして、神戸こうべ行きの列車は東より来たり、まさにでんとするこなたの列車と相ならびたり。客車の戸を開閉あけたてする音、プラットフォームの砂利じゃり踏みにじりて駅夫の「山科、山科」と叫び過ぐる声かなたに聞こゆるとともに、汽笛鳴りてこなたの列車はおもむろに動き初めぬ。開ける窓のもとに坐して、浪子はそぞろに移り行くあなたの列車をながめつ。あたかもかの中等室の前に来し時、窓に頬杖ほおづえつきたる洋装の男と顔見合わしたり。

「まッあなた!」

「おッ浪さん!」

 こは武男なりき。

 車は過ぎんとす。狂せるごとく、浪子は窓の外にのび上がりて、手に持てるすみれ色のハンケチを投げつけつ。

「おあぶのうございますよ、お嬢様」

 幾は驚きてしかと浪子の袂を握りぬ。

 新聞手に持ちたるまま中将も立ち上がりて窓の外を望みたり。

 列車は五けんぎ──十間過ぎぬ。落つばかりのび上がりて、ふりかえりたる浪子は、武男が狂えるごとくかのハンケチを振りて、何か呼べるを見つ。

 たちまちレールは山角さんかくをめぐりぬ。両窓のほか青葉の山あるのみ。後ろに聞こゆるきぬを裂くごとき一声は、今しもかの列車が西に走れるならん。

 浪子は顔打ちおおいて、父のひざにうつむきたり。


九の一


 七月七日の夕べ、片岡中将の邸宅やしきには、人多くつどいて、皆低声こごえにもの言えり。令嬢浪子のやまいあらたまれるなり。

 かねては一月の余もと期せられつる京洛けいらくの遊より、中将父子の去月下旬にわかに帰り来たれる時、玄関にで迎えし者は、医ならざるも浪子の病勢おおかたならず進めるを疑うあたわざりき。はたして医師は、一診して覚えず顔色を変えたり。月ならずして病勢にわかに加われるが上に、心臓に著しき異状を認めたるなりき。これより片岡家には、深夜もともしび燃えて、医は間断なく出入りし、月末より避暑におもむくべかりし子爵夫人もさすがにしばしその行を見合わしつ。

 名医の術も施すに由なく、幾が夜ごと日ごとの祈念もかいなく、病はひびに募りぬ。数度の喀血かっけつ、その間々あいあいには心臓の痙攣けいれん起こり、はげしき苦痛のあとはおおむね惛々こんこんとしてうわ言を発し、今日は昨日より、翌日あすは今日より、衰弱いよいよ加わりつ。その咳嗽がいそうを聞いて連夜よごとねむらぬ父中将のわがまくらべに来るごとに、浪子はほのかにみて苦しき息を忍びつつ明らかにもの言えど、うとうととなりては絶えず武男の名をば呼びぬ。

       *

 今日明日と医師のことに戒めしその今日は夕べとなりて、部屋へや部屋はともしびあまねくきたれど、声高こわだかにもの言う者もなければ、しんしんとして人ありとは思われず。今皮下注射を終えたるあとをしばし静かにすとて、廊下伝いに離家はなれよりで来し二人の婦人は、小座敷の椅子いすりつ。一人は加藤子爵夫人なり。今一人はかつて浪子を不動祠畔ふどうしはんに救いしかの老婦人なり。去年の秋の暮れに別れしより、しばらく相見ざりしを、浪子が父に請いて使いして招けるなり。

「いろいろ御親切に──ありがとうございます。あれも一度はお目にかかってお礼を申さなければならぬと、そう言い言いいたしておりましたのですが──お目にかかりまして本望でございましょう」


 加藤子爵夫人はわずかに口を開きぬ。

 答うべきことばを知らざるように、老婦人はただ太息といきつきてかしらを下げつ。ややありて声を低くし

「で──はどちらにおいでなさいますので?」

「台湾にまいったそうでございます」

「台湾!」

 老婦人は再び太息つきぬ。

 加藤子爵夫人はわき来る涙をかろうじておさえつ。

「でございませんと、あの通り思っているのでございますから、世間体はどうともいたして、あわせもいたしましょうし、暇乞いとまごいもいたさせたいのですが──何をいっても昨日今日台湾に着いたばかり、それがほかと違って軍艦に乗っているのでございますから──」

 おりから片岡夫人入り来つ。そのあとより目を泣きはらしたる千鶴子は急ぎ足に入り来たりて、その母を呼びたり。


九の二


 日は暮れぬ。去年の夏に新たに建てられし離家はなれの八畳には、燭台しょくだいの光ほのかにさして、大いなる寝台ねだい一つ据えられたり。その雪白なるシーツの上に、目を閉じて、浪子は横たわりぬ。

 二年に近き病に、やせ果てしはさらにやせて、肉という肉は落ち、骨という骨はあらわれ、蒼白あおじろおもてのいとど透きとおりて、ただ黒髪のみ昔ながらにつやつやと照れるを、長く組みて枕上まくらにたらしたり。枕もとには白衣の看護婦が氷に和せし赤酒せきしゅを時々筆に含まして浪子のくちびる湿うるおしつ。こなたには今一人の看護婦とともに、目くぼみ頬落ちたる幾がうつむきて足をさすりぬ。室内しんしんとして、ただたちまち急にたちまちかすかになり行く浪子の呼吸の聞こゆるのみ。

 たちまち長き息つきて、浪子は目を開き、かすかなる声を漏らしつ。

「伯母さまは──?」

「来ましたよ」

 言いつつしずかに入り来たりし加藤子爵夫人は、看護婦がすすむる椅子をさらに臥床とこ近く引き寄せつ。

「少しはねむれましたか。──何? そうかい。では──」

 看護婦と幾を顧みつつ

「少しのあっちへ」

 三人みたりを出しやりて、伯母はなお近く椅子を寄せ、浪子の額にかかるおくれ毛をなで上げて、しげしげとその顔をながめぬ。浪子も伯母の顔をながめぬ。

 ややありて浪子は太息といきとともに、わなわなとふるう手をさしのべて、枕の下より一通の封ぜしものを取りいだ

「これを──届けて──わたしがなくなったあとで」

 ほろほろとこぼす涙をぬぐいやりつつ、加藤子爵夫人は、さらに眼鏡めがねの下よりはふり落つる涙をぬぐいて、その書をしかとふところにおさめ、

「届けるよ、きっとわたしが武男さんに手渡すよ」

「それから──この指環ゆびわは」

 左手ゆんでを伯母のひざにのせつ。その第四指に燦然さんぜんと照るは一昨年おととしの春、新婚の時武男が贈りしなり。去年去られし時、かの家に属するものをばことごとく送りしも、ひとりこれのみしみて手離すに忍びざりき。

「これは──って──行きますよ」

 新たにわき来る涙をおさえて、加藤夫人はただうなずきたり。浪子は目を閉じぬ。ややありてまた開きつ。

「どうしていらッしゃる──でしょう?」

「武男さんはもう台湾あちらに着いて、きっといろいろこっちを思いやっていなさるでしょう。近くにさえいなされば、どうともして、ね、──そうおとうさまもおっしゃっておいでだけれども──浪さん、あんたの心尽くしはきっとわたしが──手紙も確かに届けるから」

 ほのかなるえみは浪子のくちびるに上りしが、たちまち色なき頬のあたりくれないをさし来たり、胸は波うち、燃ゆばかり熱き涙はらはらと苦しき息をつき、

「ああつらい! つらい! もう──もう婦人おんななんぞに──生まれはしませんよ。──あああ!」

 まゆをあつめ胸をおさえて、浪子は身をもだえつ。急に医を呼びつつ赤酒を含ませんとする加藤夫人の手にすがりて半ば起き上がり、生命いのちを縮むるせきとともに、肺を絞って一さんの紅血を吐きつ。惛々こんこんとして臥床とこの上に倒れぬ。

 医とともに、皆入りぬ。


九の三


 医師は騒がず看護婦を呼びて、応急の手段てだてを施しつ。さしずして寝床に近き玻璃窓はりそうを開かせたり。

 涼しき空気は一陣水のごとく流れ込みぬ。まっ黒き木立こだちうしろほのかに明るみたるは、月でんとするなるべし。

 父中将をはじめとして、子爵夫人、加藤子爵夫人、千鶴子、駒子、及び幾も次第にベッドをめぐりて居流れたり。風はそよ吹きてすでに死せるがごとく横たわる浪子の鬢髪びんぱつをそよがし、医はしきりに患者のおもてをうかがいつつ脈をとれば、こなたに立てる看護婦が手中の紙燭ししょくはたはたとゆらめいたり。

 十分過ぎ十五分過ぎぬ。しずかなる室内かすかに吐息聞こえて、浪子の唇わずかに動きつ。医は手ずから一匕ひとさじの赤酒を口中に注ぎぬ。長き吐息は再びしずかなる室内に響きて、

「帰りましょう、帰りましょう、ねエあなた──おかあさま、来ますよ来ますよ──おお、まだ──ここに」

 浪子はぱっちりと目を開きぬ。

 あたかも林端に上れる月は一道の幽光を射て、惘々もうもうとしたる浪子の顔を照らせり。

 医師は中将にめくばせして、片隅かたえに退きつ。中将は進みて浪子の手を執り、

「浪、気がついたか。おとうさんじゃぞ。──みんなここにおる」

 くうを見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇れる目と相会いぬ。

「おとうさま──おだいじに」

 ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに右手めてを移して、その左を握れる父の手を握りぬ。

「お母さま」

 子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り

「お母さま──御免──遊ばして」

 子爵夫人の唇はふるい、物を得言わず顔打ちおおいて退きぬ。

 加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹の前髪をかいなでつ。

こうちゃん──さよなら──」

 言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ一匕ひとさじの赤酒を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して

毅一きいさん──みいちゃん──は?」

 二人の小児こどもは子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。

 この時座末に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。

「ばあや──」

「お、お、お嬢様、ばあやもごいっしょに──」

 泣きくずるる幾をわずかに次へ立たしたるあとは、しんとして水のごとくなりぬ。浪子は口を閉じ、目を閉じ、死の影は次第にそのおもてをおおわんとす。中将はさらに進みて

「浪、何も言いのこす事はないか。──しっかりせい」

 なつかしき声に呼びかえされて、わずかに開ける目は加藤子爵夫人に注ぎつ。夫人は浪子の手を執り、

「浪さん、何もわたしがうけ合った。安心して、お母さんの所においで」

 かすかなる微咲えみの唇に上ると見れば、見る見るまぶたは閉じて、眠るがごとく息絶えぬ。

 さし入る月は蒼白あおじろおもてを照らして、微咲えみはなお唇に浮かべり。されど浪子はながく眠れるなり。

       *

 三日を隔てて、浪子は青山あおやま墓地に葬られぬ。

 交遊広き片岡中将の事なれば、会葬者はきわめておおく、浪子が同窓の涙をおおうて見送れるも多かりき。少しく子細を知れる者は中将の暗涙を帯びて棺側に立つを見て断腸の思いをなせしが、知らざる者も老女の幾がわれを忘れて棺にすがり泣き口説くどけるにそでをぬらしたり。

 故人なきひとは妙齢の淑女なればにや、夏ながらさまざまの生け花の寄贈多かりき。そのなかに四十あまりの羽織はかまの男がもたらしつるもののみは、中将の玄関より突き返されつ。その生け花には「川島家」の札ありき。


十の一


 四月よつきあまり過ぎたり。

 霜に染みたる南天の影長々と庭にす午後四時過ぎ、相も変わらず肥えに肥えたる川島未亡人は、やおら障子をあけて縁側にで来たり、手水鉢ちょうずばちに立ち寄りて、水なきに舌鼓を鳴らしつ。

まアつ、──たけエ

 呼ぶ声に一人ひとりは庭口より一人は縁側よりあわただしく走り来つ。恐慌の色はおもてにあらわれたり。

汝達わいどもなあにをしとッか。先日こないだもいっといたじゃなっか。こ、これを見なさい」

 柄杓ひしゃくをとって、からの手水鉢をからからとかき回せば、色を失える二人ふたりはただ息をのみつ。

よせんか」

 耳近き落雷にいよいよ色を失いて、二人は去りぬ。未亡人は何か口のうちにつぶやきつつ、やがてもたらし来し水に手を洗いて、入らんとする時、他の一人は入り来たりて小腰をかがめたり。

「何か」

「山木様とおっしゃいます方が──」

 こと終わらざるに、一種の冷笑は不平と相半ばして面積広き未亡人の顔をおおいぬ。実を言えば去年の秋おとよが逃げ帰りたる以後はおのずから山木の足も遠かりき。山木は去年このかたの戦争に幾万の利を占めける由を聞き知りて、川島未亡人はいよいよもって山木の仕打ちに不満をいだき、召使いにむかいて恩の忘るべからざるを説法するごとに、あんに山木を実例にとれるなりき。しかも習慣はついに勝ちを占めぬ。

「通しなさい」

 やがて屋敷に通れる山木は幾たびかかの赤黒子あかぼくろの顔を上げ下げつ。

「山木さん、久しぶりごあんすな」

「いや、御隠居様、どうも申しわけないごぶさたをいたしました。ぜひお伺い申すでございましたが、その、戦争後は商用でもって始終あちこちいたしておりまして、まず御壮健おめでとう存じます」

「山木さん、戦争じゃしっかいもうかったでごあんそいな」

「へへへへ、どういたしまして──まあおかげさまでその、とやかく、へへへへへ」

 おりから小間使いが水引かけたる品々を腕もたわわにささげ来つ。

「お客様の──」と座の中央もなかに差しいだして、まかりぬ。

 じろり一瞥いちべつを台の上の物にくれて、やや満足のみは未亡人の顔にあらわれたり。

「これはいろいろ気の毒でごあんすの、ほほほほ」

「いえ、どうつかまつりまして。ついほンの、その──いや、申しおくれましたが、武──若旦那様も大尉に御昇進遊ばして、御勲章や御賜金がございましたそうで、実は先日新聞で拝見いたしまして──おめでとうございました。で、ただ今はどちら──佐世保においででございましょうか」

「武でごあんすか。武は昨日きのう帰って来申きもした」

「へエ、昨日? 昨日お帰りで? へエ、それはそれは、それはよくこそ、お変わりもございませんで?」

「相変わらず坊っちゃまで困いますよ。ほほほほ、今日きょうは朝から出て、まだ帰いません」

「へエ、それは。まずお帰りで御安心でございます。いや御安心と申しますと、片岡様でも誠に早お気の毒でございました。たしかもう百か日もお過ぎなさいましたそうで──しかしあの御病気ばかりはどうもいたし方のないもので、御隠居様、さすがお目が届きましたね」

 川島夫人は顔ふくらしつ。

彼女あいの事じゃ、わたしも実に困いましたよ。銭はつかう、せがれとけんかまでする、そのあげくにゃ鬼婆おにばばのごと言わるる、得のいかン媳御よめごじゃってな、山木さん──。そいばかいか彼女あいが死んだと聞いたから、弔儀くやみに田崎をやって、生花はなをなあ、やったと思いなさい。礼どころか──突っ返して来申きもした。失礼じゃごあはんか、なあ山木さん」

 浪子が死せしと聞きしその時は、未亡人もさすがによき心地ここちはせざりしが、そのたまたま贈りし生花の一も二もなく突き返されしにて、よろずの感情はさらりと消えて、ただ苦味にがみのみ残りしなり。

「へエ、それは──それはまたあんまりな。──いや、御隠居様──」

 小間使いがささげ来たれる一わんめいになめらかなる唇をうるおし

「昨年来は長々お世話に相成りましてございますが、娘──とよ近々ちかぢかに嫁にやることにいたしまして──」

「お豊どんが嫁に?──それはまあ──そして先方むこうは?」

「先方は法学士で、目下ただいま農商務省の○○課長をいたしておる男で、ご存じでございましょうか、○○と申します人でございまして、千々岩ちぢわさんなどももと世話に──や、千々岩さんと申しますと、誠にお気の毒な、まだ若いお方を、残念でございました」

 一点のかげ未亡人の額をかすめつ。

戦争いくさはいやなもんでごあんすの、山木さん。──そいでその婚礼は何日いつ?」

「取り急ぎまして明後々日にめましてございますが──御隠居様、どうかひとつ御来駕おいでくださいますように、──川島様の御隠居様がおすわり遊ばしておいで遊ばすと申しますれば、へへへ手前どもの鼻も高うございますわけで、──どうかぜひ──家内も出ますはずでございますが、その、取り込んでいますので──武──若旦那様もどうか──」

 未亡人はうなずきつ。おりから五点をうつ床上とこの置き時計を顧みて、

「おおもう五時じゃ、日が短いな。武はどうしつろ?」


十の二


 白菊を手にさげし海軍士官、青山南町みなみちょうかたより共同墓地に入り来たりぬ。

 あたかも新嘗祭にいなめさいの空青々と晴れて、午後の日光ひかりは墓地に満ちたり。秋はここにもくれないに照れる桜の葉はらりと落ちて、仕切りのかき茶山花さざんかかおりほのかに、線香の煙立ち上るあたりには小鳥の声幽に聞こえぬ。いま笄町こうがいちょうかたに過ぎし車の音かすかになりて消えたるあとは、しずけさひとしお増さり、ただはるかに響く都城みやこのどよみの、この寂寞せきばくに和して、かのうつつとこの夢と相共に人生の哀歌を奏するのみ。

 生籬いけがきの間より衣の影ちらちら見えて、やがてで来し二十七八の婦人、目を赤うして、水兵服の七歳ななつばかりの男児おのこの手を引きたるが、海軍士官と行きすりて、五六歩過ぎし時、

かあさん、あのおじさんもやっぱし海軍ね」

 という子供の声聞こえて、婦人はハンケチに顔をおさえて行きぬ。それとも知らぬ海軍士官は、道を考うるようにしばしば立ち留まりては新しき墓標を読みつつ、ふと一等墓地の中に松桜を交え植えたる一画ひとしきり塋域はかしょの前にいたり、うなずきて立ち止まり、かきの小門のかんぬきうごかせば、手に従って開きつ。正面には年経たる石塔あり。士官はつと入りて見回し、横手になお新しき墓標の前に立てり。松は墓標の上に翠蓋すいがいをかざして、黄ばみあからめる桜の落ち葉点々としてこれをめぐり、近ごろ立てしと覚ゆる卒塔婆そとば簇々ぞくぞくとしてこれをまもりぬ。墓標には墨痕ぼっこんあざやかに「片岡浪子の墓」の六字を書けり。海軍士官は墓標をながめて石のごとく突っ立ちたり。

 やや久しゅうして、唇ふるい、嗚咽おえつは食いしばりたる歯を漏れぬ。

       *

 武男は昨日帰れるなり。

 五か月ぜん山科やましなの停車場に今この墓標のもとす人と相見し彼は、征台の艦中に加藤子爵夫人の書に接して、浪子のすでに世にあらざるを知りつ。昨日帰りし今日は、加藤子爵夫人をいて、ひる過ぐるまでその話にはらわたを断ち、今ここに来たれるなり。

 武男は墓標の前に立ちわれを忘れてやや久しくこくしたり。

 三年の幻影はかわるがわる涙の狭霧さぎりのうちに浮かみつ。新婚の日、伊香保の遊、不動祠畔ふどうしはんの誓い、逗子ずし別墅べっしょに別れし夕べ、最後に山科やましなに相見しその日、これらは電光いなずまのごとくしだいに心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いしことばは耳にあれど、一たび帰れば彼女かれはすでにわがの妻ならず、二たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。

「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」

 われ知らず言いて、なんだは新たに泉とわきぬ。

 一陣の風頭上を過ぎて、桜の葉はらはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男はなんだを押しぬぐいつつ、墓標のもとに立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、て来し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取りでぬ。

 こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人の手より受け取りて読みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名書きの美しかりし手跡はあともなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと斑々はんはんとして残れるを見ずや。

 もはや最後も遠からず覚えそうろうまま一筆ひとふで残しあげ参らせ候 今生こんじょうにては御目おんめもじのふしもなきことと存じおり候ところ天の御憐おんあわれみにて先日は不慮のおん目もじ申しあげうれしくうれしくしかし汽車の内のこととて何も心に任せ申さず誠に誠におん残り多く存じ上げ参らせ候

 車の窓に身をもだえて、すみれ色のハンケチを投げしその時の光景ありさまは、歴々と眼前に浮かびつ。武男は目を上げぬ。前にはただ墓標あり。

 ままならぬ世に候えば、何も不運と存じたれも恨み申さずこのままに身は土と朽ち果て候うともたまなが御側おんそばに付き添い──

「おとうさま、たれか来てますよ」と涼しき子供の声耳近に響きつ。引きつづいて同じ声の

「おとうさま、川島の兄君にいさんが」と叫びつつ、花をさげたる十ばかりの男児おのこ武男がそばに走り寄りぬ。

 驚きたる武男は、浪子の遺書を持ちたるまま、なんだを払ってふりかえりつつ、あたかも墓門に立ちたる片岡中将と顔見合わしたり。

 武男はかしらをたれつ。

 たちまち武男は無手むずとわが手を握られ、ふり仰げば、涙を浮かべし片岡中将の双眼と相対あいむかいぬ。

「武男さん、わたしもきつかった!」

 互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標のもとに落ちたり。

 ややありて中将はなんだを払いつ。武男が肩をたたきて

「武男さん、浪は死んでも、な、わたしはやっぱいあんたおやじじゃ。しっかい頼んますぞ。──前途遠しじゃ。──ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」

底本:「小説 不如帰」岩波文庫、岩波書店

   1938(昭和13)年71日第1刷発行

   1971(昭和46)年416日第34刷改版発行

※1898(明治31)年から翌年にかけて「国民新聞」に連載されたとき、不如帰には「ほととぎす」と読みが示してあった。後に著者は、本作品を「ふじょき」と呼び、巻頭の「第百版不如帰の巻首に」にも、そうルビが付してある。だが、底本は扉と奥付に、「ほととぎす」とルビを振っている。

入力:鈴木伸吾

校正:林 幸雄

2001年216日公開

2011年827日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。