後庭
宮本百合子
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いつもの様に私は本を持って庭に出た。
書斎の前の木の茂みの深い間々を、静かに読みながら行き来すると、ピッタリと落つきを持って生えた苔の美くしい地面の何とも云えず好い一種の香いが、モタモタした気持をスッキリ澄せて行く。
二三度左手を帯にはさんで行ったり来たりすると、何となし急に周囲の景色に気をとられた。
この二三日何かして一度も庭に出ずに居た間に大変、変化をした様に思われる。
勿論、天気が妙に曇って居る故も有るだろうが、木の緑りが堅い様な調子を帯びて、くっきりと暗い陰を作って居る葉かげ等には、どうしても手を突き込めない様な底気味悪い冷やかさがただよって居る。
庭の真中に突立って自信のあるらしい様子をして居る青桐がめっきり見すぼらしくなり下って、あの古ぼけたレースをぶら下げた様な葉の姿を見るといやだと外思い様がない。
白髪頭を振りたてて日かげのうす暗く水臭い流し元で食物をこね返して居る貧乏な婆の様だ。
秋の声を聞くと何よりも先に、バサリと散る思い切りの好い態度を続けて行かないのかいやになる。
ドロンとした空に恥をさらして居る気の利かない桐を見た目をうつすと、向うと裏門の垣際に作られた花園の中の紅い花が、びっくりするほど華に見える。
鶏が入らない様にあらい金網で仕切られた五坪ほどの中に六つ七つの小分けがつけてある。
此処も夏の中頃までは手入も行き届いて居たし、中のものも、今ほどめっぽう大きくなって居なかったので、青々と調って気持がよかったが、もう近頃は何とも彼んとも云われないほどゴチャゴチャになって居る。
背がのびる草だからと云って後の方に植えて置いたコスモスがいつだったかの大風でのめったまんまになって居るので、ダリヤだの筑波根草だのと云うあんまり大きくないものは皆その下に抱え込まれてしまって居る。
八つになる弟が強請んで種を下してもらった□□はやって置いた篠竹では足りなかったものと見えて、後の槇の梢まで這い上って、細い葉の間々に肉のうすい、なよなよした花が見えて居る。
槇と云う名からして中年の寛容な父親を思わせる様なのに、くるくるとまといつかれても一向頓着しずに超然として居る様子が如何にもいい。
知らないうちに、昔の御大名の毛鎗の様な「けいとう」だの、何とあれは云ったか知らんポヤポヤした狐の尾の様な草も沢山断りなしにはびこって居る。
あんまり雑草にはびこられたので、十本ほどあったカアネーションは消えたものと見えて、何処にも見あたらない。
苗床と苗床との間を一杯にコスモスがひろがって居るから入って見る事も出来ない。
今の分では花などは咲きそうにもないから一層抜いてしまった方がいいかとも思われるが、水々しく柔いその葉を見ると、流石そうも仕かねる。
鶏舎に面した木戸の方へ廻ると十五の子の字で、雨風にさらされて木目の立った板の面に白墨で、
花園(第一号)
園主
世話人
助手人
と、お清書の様にキッパリキッパリ書いてある。
微笑まずに居られない。
気がついて見ると鶏舎の戸にも「養鶏所」と麗々しく書いてある。
身丈なんか私共より高くなって、太い如何にも男らしい声を出して居る子が、何でも人並みにとりあつかいたがる気持が面白い。
毎朝鳥の餌を運んで行く「みかん箱」にまで「第何号」「鶏舎専用」などと書いて居る。
可愛らしい事だと思って見て居ると、バタバタ、バタバタ一人ではねくり返って居た八つの子がそばによって来て私の□□を見てくれと云う。
手を引っぱられて金網の外からのぞくと、拇指位のやせたのが三つ四つ見えるだけで、掌の長さ位になっていい形恰にくくれて肥ったのが見つからない。
「見えないじゃあないの
と云うと、あっちへ馳けたり此っちへ馳けたりして葉かげをのぞいたがどうしても分らない。〔以下欠〕
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
※1915(大正4)年9月20日執筆の習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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