午後
宮本百合子



 昨夜おそく帰ったので私は昼近くなるまで、何もしらずに赤坊の様によく寝込んで仕舞った。

 弟共はすっかりそろって炬燵の囲りに集って、私の寝坊なのを笑って居る処へ眼を覚した私は、家が飛んできそうに皆が笑うのにびっくりして、重い夜着の中から、

「何? 何なの

ときいた。

「あんまりよく寝るから

 隣の部屋で外出の仕度をして居た母が、

「幾度起しても、起きないんだもの、

 死んだのかと思ったよ

と云うと、私と二つほか違わない弟は、

「ゆすぶっても返事もしないんだ、

 あんまりひどいや

と大人の様な声を出して笑って居る。

 枕元に新らしい雑誌が来て居る。

 着物を着かえて食堂に行くと一しきり、皆があたったらしいストーブの火が、もう消えかかってくすぶって居る。

 牛乳を一杯飲んで雑誌を読んで居ると母はもうすっかり仕度をしてしまって大きな包をもって、

「一寸行って来るからね

と云って前の廊下を行く。

「今日は随分お早い事だ、

 何故こんなに早くいらっしゃるの

「お午すぎだよ、

 お前の様ではさぞ日が短かかろう

 御殿山に居る身内と芝の母の実家へよると云って出て行った。

 今頃起きて、起きるとすぐから本にかじりついて居る自分がすまない様な気がした。

 一番末の弟は、羽子板をもらって子供部屋で、遊ぶ事のすきな兄と羽根突──弟の云う「羽根たたき」をして居る。

 一番上の弟は書生部屋に行って何か作って居る。

 家の中が随分としずかだ。

 家敷町で、この近処に何もそう、せわしい商売をして居る家もないのでくれらしい気持もしない。

 二三年前までは、お正月はかなり嬉しいものだったけれ共此頃は一寸もうれしくはない。

 年をとるのがいやだと云うわけでもないけれど、何にも出来ないで、只わやわやと七日位たって仕舞うのがいやになった。

 別に学者振るわけでは勿論ないけれ共、ふだん割合に自由な時間を少しほか持たない私は、一日でも、二日でも、勝手にすごされる時が大切に感じられるからである。

 母は、私をよく知って居るので、休の時などに、用を多くさせる事等はしないでくれるけれ共、暮と云えば自分から気が落つかないで、母がせかせかして居るのを知らん顔で居るわけには、たのまれないでも出来ず、やっぱりせわしい思をする。

 そんな処は、やっぱり男と違う。

 この間に、買って来たインクももう少しになったから今年のうちに買って置いて来年から、新らしいのをつかいたい気もするし、そのほか、細ま細ましたものも、なろう事なら神田あたりに行って買って来たい。

 そのほか、どうでも、行かなければならない処も一軒や二軒ではない。

 そう思うと、眠ってすごした今日の午前中がまことにもったいない。

 母が居ないので外へ出るわけにもならず、静かなのを幸、何か書いたり、読んだりして居る。

 配膳室の箱の中に、今朝中にもって来た「おかちん」がまっ白い体をよこたえて居る。

 家中が割合に、かなり大きくなったものばかりなのでそうお正月をまち遠がるものもない。

 でも私は、今年あんまり、病気をしたり妹をなくしたりして、いやな事ばかりつづきまして、十六は前やくだなんかと云う話をきいたので今年に別れるのはつらくない。

 どっかから、お歳暮に福寿草と、雪割草の盆景をもって来た。

 生れて始めて雪割草を見た。

 大変可愛らしい花だ。

 弟の「羽根たたき」の、のどやかな音に耳をかたむけながら雑誌の表紙を、やたらに新らしい絵は何だか私に分らないと思って見て居る。

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社

   1986(昭和61)年320日初版発行

※1914(大正3)年1228日執筆の習作です。

入力:柴田卓治

校正:土屋隆

2008年228日作成

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