大きい足袋
宮本百合子
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私とじいやとは買物に家を出た。寒い風が電線をぴゅうぴゅうと云わせて居る。厚い肩掛に頸をうずめてむく鳥のような形をしてかわいた道をまっすぐにどこまでも歩いて行く。〔九字分消去〕ずつ買った。又もと来た道を又もどると一軒の足袋屋の前に来るとじいやは思い出したように「そうそうおれの足袋が無かったわい」と云ってのれんをくぐると眼のくちゃくちゃした六十許のお婆さんは丸くなってボートレースの稽古をしながら店ばんをして居たが重い大きい足音におどろかされてヒョット首をもちあげてトロンとした眼をこすりながら「何をあげますか」とねむたい声できく。「十二文こうだかを一足くれて下さい」これも又ねむったそうな声である。「エ、十二文ノコウダカですか、十文のコウダカならありますがねー十二文ノコウ高はお気の毒ですね」始めて目のさめたようにはっきりした声で云った。きっとあんまり大きいので驚いたんだろう。じいやはやっぱりねむそうな声で「そうかっ」と云って又よたこら歩き出した。私はお可笑をこらえて「じいや田舎にはそんなに大きい足袋をはく人があるの」ときくと「いんえ、そうじゃあありませんが足人なみはずれて大きいんで田舎でもあつらえでなくっちゃあないから四十五銭はきっととられますわい」と云って肩をゆすって笑う。「田舎でもねー」と流石大足の私も十二文ノコウ高には少々驚かされる。二三町行くと又足袋屋があったらこんどのは今の家よりは構も店さきが大きく、三四人の番当や丁稚が火鉢をかかえて円くすわって一番年かさらしい一人が新聞のつづき物を節をつけて読んできかせて居たが「今晩」と云うどら声がいきなりひびいたので読のをやめて一度にふりかえったがじいやがあんまり変な形をして居るので眼を見合してニヤニヤして居る。じいやは一向そんな事にはとんじゃくなく「十二文ノコウ高はありませんかねー」と又ここでもくりかえした。「何をあげましょう」と云って出て来た十四許になる小僧は大きく目を見はって「エ、十二文ノ──コウ高ですって、十文のこう高のまちがいじゃあありませんか」と云って火鉢の方をふりかえってうす笑いをする。じいやはニヤリともしないで「なんぼもうろくしたっても自分の足の大きさまで忘れやしまいし」と云ってじれったそうにどぶ板をカタカタとふみならして居る。私は軒先に立って面白い問答をききながら向いの雑貨店の店さきで小さい子供の母親の膝にもたれて何か云ってあまったれて居るのを自分もあまったれて居るような気になって望めて居る。帳場に坐って新聞をよんで居たはげ頭の主が格子の中から十二文ノコウ高はお合にくでございますよ。東京中おたずねになってもおあつらえでなくてはございませんよ」と云った。小僧はだまって又もとに火鉢のそばにかえった。じいやはだまって店を出て「やっぱりあつらえか」と云って歩き出した。私もだまって歩いた。家に帰るまでにまだ三四軒たびやがあったが、「おあつらえにならなくてはそんな大きい足袋は東京中にありませんよ」と云われたのがきいたと見えて「十二文のこう高は」はくりかえさなかった。じいやは「東京にもおれの足袋はないと見えるわい」と云って家にかえった。
それから一週間許たった風の強い日に〆て十銭也とかき出しのついた大きい足袋が二足じいやの所にとどけて来た。爪の先がもう少々白くなって居るが今はいて居るのがその足袋である。
十二文のコウ高の足袋もじいやの足が入るとはちきれそうにいっぱいである。
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
※底本解題の著者、大森寿恵子が、1912(明治45=大正元)年もしくは1913(大正2)年の執筆と推定する習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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