批評は解放の組織者である
宮本百合子



 多喜二的みがまえということがいわれるとき、あの激しい弾圧の中で多喜二がひどくいびられ最後には殺されてしまったあのいさましい犠牲的な身がまえを要求されるように感じて、それを拒否しようとする動きがあるけれども、それには治安維持法という大きな恐しい影がつきまとっていて、その治安維持法への拒否が自分のあり方を歴史の上で生かそうとした多喜二的身がまえになっているので、この治安維持法へのびりびりした恐怖の根性を引出して日に干してよく殺菌しなければなにかおじおじしたものになってしまう。

 また文学戦線の問題も歴史的推進力を明瞭にしながら人権を守るという点をはっきりして、よりよく生きる可能の向上としておしすすめることで、民主的なものについて最後の線を守ることで前線に立つという最後の一線がなくてはならず、どなたもおいでなさいのお手々つないで式では前進しない。

 それから文学批評も小さなワクをぬけ出て、人民解放のためどういう意味をもつかを人民生活の諸関係と結びつけてときあかす組織者としての批評が望ましい。そのことは批評家もともども歴史を押し進める推進力を明瞭にするいとなみに協力しあうことが大切だ。ともかくもあの治安維持法によってあたえられたあの暗い暗い恐怖感、あれをなんとしてもとりのぞかなくてはならない。

〔一九四八年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社

   1986(昭和61)年320日初版発行

初出:「文化タイムズ」

   1948(昭和23)年112日号

入力:柴田卓治

校正:土屋隆

2007年1130日作成

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