美しく豊な生活へ
宮本百合子
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この雑誌の読者である方々くらいの年頃の少女の生活は、先頃まではあどけない少女時代の生活という風に表現されていたと思います。そしてそれは、そう言われるにふさわしい、気苦労のない、日常生活の進行は大人にまかして、自分達は愉快に学校に通い、友達と遊び、すくすくと生成して行ってよいという生活だったと思います。けれども戦争が始まり、特に大東亜戦争が始まってから少女達の生活も大変な変化をしました。
家族の中から沢山の人が兵隊にとられて生活の事情が今までよりも困難になった為に、家庭生活の重みが少女達の肩にも幾分かずつ掛りはじめたということもあります。また学校の教育方針が急に変って、今までは自分の好きな髪に結って居ってもよかったのが、勇ましい髪形をしなければならなくなったり、千人針に動員されたことから次第に、動員の程度がひどくなって、終りには学校工場に働いたり、また実際に工場に行って暮したり、耕作したり、学課は殆ど出来ない状態でこの二年ほどが過ぎたと思います。
少女時代の二年という時間は、大人の考えることも出来ないほど内容をもった二年ではないでしょうか。十四の娘さんが十五になり、十六になるということ、それはただ十四のものが二つ殖えて十六になったのではなくて、そこには十四であった少女の知らなかったどっさりの事、心もちが加って来ていて、自分らはもう十六であるという喜びと誇りと人世への待ちもうけとをもつようになっています。人生がほのぼのと見え始めて来た時代です。そのときに人間として高まって行くような勉強も、楽しみもない。工場で働いても其はあまり愉快に働いたとも云えない。過労をする。空腹になる。しかもあなた方はどうぞ立派な少女となって下さいといういたわりが、世間の空気から感じられるというのでもなく生活して来たということは、今日の少女たちの総ての人が分け合っている経験だと思われます。
さて、恐ろしい戦は終りました。前線に行っていらした皆さんの御兄弟はお帰りになった方もあるでしょう。しかし決してもう二度と帰らない御兄弟を持った娘さんもあるでしょう。それから皆さんのお父さんも、徴用から解除され、或は復員になって家庭にお帰りになった方もあるでしょう。しかしまた決して二度と帰らないお父さんを持った方達も少くないでしょう。また帰っていらしても、戦争のために不具になって、娘としてまた妹としてその人達にいつも親切にして上げたい、何か幸福にして上げたいと思わずにいられないような状態で、新しい生活が始まっている方々も多いでしょう。
社会の状態は大変早い勢いで変りました。今日では、みなが自由であるということ。生活を喜んで営むべきである。正しいと信じたことは、ちゃんと言い、又行うべきである。人間らしい生活を作るために色々の条件を改善して行くべきである。そういう声がどこでもきかれるようになりました。それは全く当然であると思います。何のために戦っているのか本当には分らない戦のために、非常に沢山の人が殺され、国民の生活が破壊されるのを黙ってこらえて行かなければならぬというようなことは間違っていたのですから、今日その間違いを認め、そこから新しい生活を築き上げて行くということこそ、生きるよろこびだと思います。
ところが、そういう明るい、晴れやかな希望に照らされた建設の可能を聞く一方、実際には私どもの毎日の、朝から晩までを満している、いろいろの心配、困難、わけのわからないことがまだまだ決して消えていないのです。
まず第一に食糧の問題があります。男でも女でも、年寄でも子供でもみな今日は食べる物が足りません。おなかの空くことは、昔は母親が心配して何とか食べさせて行けました。今日はお母さんだけでは間に合わないでお父さんが動いています。お父さんが動いても子供が大勢の場合には、まだ不充分で、女学校の一年、二年、ひどい場合には国民学校の上級生の小さい人達までが、自分の智慧で食物を見つけようと思うようになって来ています。疎開児童は田舎へ行って爆弾からは護られたけれども空腹からは護られませんでした。疎開学童は働く楽しみのために農家を手伝ったのではなくて、そうすれば食物を貰えるから、その目的のために働きました。それでも疎開児童が帰って来たときに、親は涙をこぼすほど痩せました。皆さんの御弟妹もそうであったかもしれずあなた方自身もそうだったかもしれません。
今日しっかりした少女達は、食べる問題は決して親や、兄姉にまかしてだけは置きません。折あるごとに自分も探して手に入れなければならないという必死な心持を持っています。しかしその娘さん達は自分の働いたお金で食物を得て行ける年齢ではないし、また食物そのものの値段が、今日ではもう法外なものになっているから、お父さん達が正当な働きで得て来るお金では十分食べて行くことの出来ないような時になっています。よいと云っても、わるいと云っても生きて行くには万事闇で行かなければなりません。此の事情のために若い少女達まで、いつの間にか闇は当り前。要領をうまくして、少しでもどっさり手に入れる方が得だというような考に、いつしか馴らされてしまっているのではないでしょうか。
女の人は今まで社会的に大変下手に出るよう馴らされて来ていますから、お金は足りない。が、どうかして物を買わなければならないというときに、自ら若い女性達は、自分が若い娘であるという一つの有利な条件を、自分で知ってか知らずかそれを愛嬌として使って、何となしに物をせしめるというような結果にもなるわけです。また大人が経済的に非常に苦しい、月給では迚も足りないことから、闇の上前をはねてやりくることも見ないではないでしょう。人間は、先ず正直でなければならないという、一番大事な点が今日では互に信じられないようにまでなっています。正直で飢死する方が正しいのか。それとも、要領をよくして生きる方が得なのか。そう訊かれたとき、幾人の少女が自信をもって答えられるでしょう。
こういう人間の大切な問題について、分りよく教えて呉れるような教課書は一冊もありません。音楽とか、絵画とか、芝居とかいう芸術を通じて、人間の生活は高貴なものであって、美しく正しく生きようとするよろこびにこそ生き甲斐があるということを教えて行くようなものは不足しています。体も精神も成長の慾望に溢れている少女達は、お腹の空いているのと一緒に精神の空腹にも曝されていると思われます。しかし腹の空いている方が先ですから、面白さを求めても満たされず、熱中する目当もはっきりしない。兎に角お腹が空くわという気持で、露店でも見ながら街を歩くでしょう。
今日あたりの新聞をみると、少年少女の犯罪が非常に多い。特に少女の脱線ぶりがひどい。一斉検挙をするということが出て居ります。それを読んで私は非常に悲しく思いました。なぜならば、この数年の間、若い者の生命は、どう大切にされたでしょう。若い者の純な心からの正義心や、若い者の伸びようとする希いや、そういうものが果して大事にされて来たでしょうか。よいとか悪いとか云っている場合ではない、これも戦争のため、あれも戦争のためと、落付いて反省させるひまさえ与えずに来て、その結果の道徳の低下を、若い人々の責任として丈せめるならば、それは、ずいぶん無残なことだと思います。私どもは、今こそこの数年の間の生活を苦しいものにしていた数々の困難を解決するために、私たちの力で私たちの生活、若いものにふさわしい立派なものとしてゆく力を養うために、立ち上らなければならない時だと思います。近頃「自由」ということが云われます。自由ということの本当の意味は、どういうところに在るのでしょう。私たちが風にまかせ流れにまかせた一枚の落葉のように、ふらり、ふらりと日を暮すことでしょうか。決して、決して、そうではないと信じます。私たち一人一人が、自分のこころもちと行為とに責任をもって、正しいと思うことは正直に主張し、正しいと思うことを実行する方法を思いめぐらし、そして其を実現させてゆく、その態度こそ自由というものの本体であると思います。
例えば、食糧の問題にしろ、若い純な少女として、只大人が今している通りを真似て、しかも大人より却って「心臓がつよい」という風になって行くしかないものでしょうか。
どんな家でも、親たちは子供が心から嫌がることについて、平気ではありません。何しろ、うちでは娘がいやがって、ききませんもので、とお母さんが、何事かしようとしてやめる場合は沢山ありました。もし、今の闇で命をつないでいるような暮しを、日本じゅうの少女たちが、悲しがり、立腹し、ちゃんとした解決を求めて物を云いはじめたら、其は、すべての人々を一層本気に考えさせ、工夫させ、よいと思う方法を試みる勇気を起させることだろうと思います。
沢山の学校が戦災を蒙りました。そのために校舎が無くなったところもあります。大変不自由な一時凌ぎの場所で、この寒い冬を迎えて勉強してゆかなければならない人も、どっさり在りましょう。学校どころか、家が戦災で失われた方々も少くないでしょう。
学校の問題については、先生と父兄とにだけ万事をまかせて、生徒として困ったことがあるときは、陰で不平を云ったり、詰らながったりしていなくてはならなかったのは、もとのことです。今日の生徒は、学校というものを、本当に自分たちが成長してゆくための場所として真面目に考えなければなりません。学課のきめかたも、先頃は、英語などはいけないとやめさせられましたが、世界の日本として生活してゆくのに、女性がカン詰の広告一つよめなくて、おどおどしていてよいのでしょうか。少女たちは、女学生として、自分たちの勉強のしかたを研究し、研究するための委員を組の中から選んで、先生とざっくばらんに相談し、希望もうちあけてよいのではないでしょうか。そのようにして決めた組内の申し合わせは、自分たちできめたことですから、勝手にこわしてしまうようなことをせず、皆が其にきちんと従って、不便なところは改善してゆくという風にやるべきではないでしょうか。自由というものは、こういうものです。
級長なども、これ迄は、どんな工合に選んでいたのでしょうか。先生が指名しましたか。其とも級として自由に選んだでしょうか。級として自由に選ぶことが出来たのなら、自分たちの選んだ級長にあき足りない点があるとき、それはとりも直さず、そういう不満のある人を選み出した自分たちの責任であると、知ることが出来なくてはなりません。選ばれた人は、みんなから選ばれたという責任をよく知って、級の希望に沿うことが出来ないときには、いさぎよく自分から責任を明らかにして、級長を代って貰うという態度こそ、本当の自由な生き方と云えます。そして、もしも、級全体が、或る不満にかかわらず、なおその人に級長として止って欲しいというときは、正直にその希望に従い、不満を抱いた人たちに悪い感情をもたず、自分自身の成長の問題として、なおよく責任を果すように努力してゆく、そういう少女こそ、雄々しく自由な少女と云うべきです。自由が、こういう本質をもつものであることは、若い人々の世界においても、大人の世界に於ても、少しの変りもありません。
しかしながら、果して大人の世界が、こういう目も爽やかな、責任ある自由な生きかたによって営まれているでしょうか。
賢い少女たちは、実際を鋭く見抜いていると思います。今日の新聞を一頁よめば、到るところに、永年の嘘の皮が剥げて現れた醜い事実がさらけ出されています。省線に一度乗れば、弱い者を助けよ、という人間の理想が、跡かたもなくふきとばされているのが身に沁みます。私たちも、そのときは、肩で人を押すようにして、乗らなければなりません。けれども、そうしてその時に乗ってしまえば、其で私たちの考えることもすんでしまったわけでしょうか。ほんとに嫌になっちゃうわ、ねえ、という丈をくりかえしていてすむものでしょうか。
こういう社会全体との関係で起っている事柄について、私たちが、今何を考えたからと云って、急に省線の車台をふやすことは出来ません。同時に、其だからと云って、考えずにいてよいかと云えば、其は間違いです。よしんば、私たちに、すぐ車台をふやせなくても、せめて自分たちだけは、出入口に立ちふさがらないように。そして、みんな気が立って、つんけんとこわい心持になっているときに、平静な、親切なこころを失わないように、そう努力することが無駄であると嗤う人はいまいと思います。
一カ月ばかり前のことでしたが、上野高女の生徒が、学校当局と意見の衝突をしたことがありました。学業もすてて耕作した作物を、先生が独占したことに対する不満が原因であったと記憶します。新聞の記事だけでは、双方の事実が十分に明らかにされてはいなかったでしょうと思いますが、ああいう事柄について、皆さんはどうお感じになったでしょう。私は、その感想を知りたく思います。まるで自分には関係のないことと見て過たでしょうか。それとも、自分たちなら、こうする、という風に思えたでしょうか。それとも、上野高女の生徒のこころもちに、同感をもって話し合ったでしょうか。
自由のこころをもった人は、他人の自由な心の動きに対して、感じやすいものです。思いやりと、判断とが早いものです。自分たちの同情なり、批評なりを、はっきり表現してゆく朗らかさをもつものです。
みなさん、どうお思いですか、と訊かれて、何となし首を下げ互にさぐり合い、すぐ訊かれたことに答えられないのが、これ迄の日本の憐れな制服の処女たちの姿でした。これ迄の教育は、学校でも社会でも、つつましさ、女らしさというものを、無智や卑屈さと同じもののようにして、少女たちにつぎ込みました。
行儀よく並んだ空壜に、何かの液体を注ぎこみでもするように、教えこまれるあれこれのすべてが、少女たちの若々しい本心に、肯かれることばかりではなかったことは確です。これ迄は、黙って、そっと、心にうけ入れず、其を外へ流し出してしまうしかしかたがなかったでしょう。それは、大人も皆そうでした。しかし、今は、そういう家畜のような生きかたをしないでよい時になりました。自由の時代がはじまった、ということは、私たち一人一人が、自分の希望と共に其を実現してゆく責任をもって生きるようになったということにほかなりません。ひとのせいにして置けなくなった、ということです。自分で蒔いたよろこびの種は、その努力に酬いるよろこびの垂穂として、自分たちで刈りとることが出来るときになったということなのだと思います。
若い人々よ。大人が、あなたがたの生きかたを眺めたとき、かつては自分たちも、あのように濁りない瞳、あのように真直な心とをもっていたのだと感動をもって思いかえし、一刻なりとも素直な心をとり戻すように、其位健やかに、熱心に、よく生きようと励んで下さい。
若い少女たちが、その歌声の澄みわたった響で太陽の光線を美しく顫わすように、疲れ、鈍らせられていない良心の流露で、誇りたかく生きる道を進んで行ったら、其姿は、優しくひるむことない進歩の旗じるしとなると思います。
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「少女の友」
1945(昭和20)年12月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
青空文庫作成ファイル:
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