食通
太宰治



 食通というのは、大食いの事をいうのだと聞いている。私は、いまはそうでも無いけれども、かつて、非常な大食いであった。その時期には、私は自分を非常な食通だとばかり思っていた。友人の檀一雄などに、食通というのは、大食いの事をいうのだと真面目まじめな顔をして教えて、おでんや等で、豆腐、がんもどき、大根、また豆腐というような順序で際限も無く食べて見せると、檀君は眼を丸くして、君は余程の食通だねえ、と言って感服したものであった。伊馬鵜平君にも、私はその食通の定義を教えたのであるが、伊馬君は、みるみる喜色を満面に湛え、ことによると、僕も食通かも知れぬ、と言った。伊馬君とそれから五、六回、一緒に飲食したが、果して、まぎれもない大食通であった。

 安くておいしいものを、たくさん食べられたら、これに越した事はないじゃないか。当り前の話だ。すなわち食通の奥義である。

 いつか新橋のおでんやで、若い男が、海老えびの鬼がら焼きを、はしで器用にいて、おかみにめられ、てれるどころかいよいよ澄まして、またもや一つ、つるりとむいたが、実にみっともなかった。非常に馬鹿に見えた。手で剥いたって、いいじゃないか。ロシヤでは、ライスカレーでも、手で食べるそうだ。

底本:「太宰治全集10」ちくま文庫、筑摩書房

   1989(平成元)年627日第1刷発行

底本の親本:「筑摩全集類聚版太宰治全集第十巻」筑摩書房

   1977(昭和52)年225日初版第1刷発行

初出:「博浪沙 第七巻第一号」

   1942(昭和17)年15日発行

入力:土屋隆

校正:noriko saito

2005年317日作成

2016年712日修正

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