歴史と文学
宮本百合子
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文学と歴史とのいきさつは、極めて多面で動的で、相互の連関の間に消長して行っているのが実際だと思う。
この頃は、世界が一つの大きい転換に立っているということから、おのずから歴史への関心がたかまって、文学と歴史との課題もあちこちでとりあげられているのだが、文学における歴史の関係は、直接歴史を題材にした歴史文学だけの範囲にとどまらないところに私たちの考えるべき面白さがある。
歴史とは過ぎ去った時代に私たちの祖先が如何に生き、如何に文明を進め、如何に死したかという業績の集成であるわけだが、例えばそういう過去の事実が客観的に事実そのもののまま、今日の文学の素材として生かされ得るのであろうか。
文学作品そのものも、古典となってのこされているものは歴史の一面の宝玉であるわけだが、文学に於ける伝統としての歴史が今日果して、自然に創られた時のままの完璧さでそれらの古典をつたえるに堪えているだろうか。
歴史と文学との交渉で、この節は、今日との関係において過去を観るという点が強調されて来ている。歴史文学というにしろ、ただ髷物であれば歴史文学であるという考えかたに反対し、同時に、今日の現実にとり組んで行きにくいからと逃避の方向で歴史の中に素材の求められる態度も、正しい歴史文学への理解でないとするのが、高木卓氏などの見解に代表されている。飽くまでも今日の現実との活きた関係で歴史が文学の中に観られなければならないとする考えかたは正当だと思える。
今日との関係で歴史を観るという場合、一方から云えば私たちが今日に生活し感情しているという動しがたい真実から、その規定は至極わかりやすいことのようにも思える。けれども、半面に案外複雑な文学上の困難を含んでいるのではないだろうか。
何故なら今日というものは歴史としてまぎれもない今日の性格をもっている。その性格はよしあしを別として現在時々刻々極めて強烈な発動をしているのだから、歴史文学者が、今日との連関で歴史を文学化してゆくに当っては、先ず、今日という時代そのものへの一定の解釈が是非なくてはならないことになって来る。
今日という歴史の性格をどう捕えてゆくか。ここにはおそらく予想されるあらゆる困難が潜在しているだろうと考えられる。もし、歴史文学を志す人々が、今日の歴史の根本の性格をいかに捕えるかという努力を放擲して、現象の姿の相似を過去の出来事の中に見出してだけ行ったとすれば、もう其は歴史文学とは云えず、単に過去を題材とした風俗小説になってしまうだろう。歴史文学の歴史文学たる所以は、風俗や諸現象の底にある人間の社会生活推移の動力にまで筆先をふれて行って、初めて意義があるわけなのである。従って、歴史文学者は、先ず今日という歴史の性格をどう見るかということから自身の課題を解きほぐしてゆかなければならないということになる。
高等学校専門学校程度の教課書から、日本が世界に誇っていた古典文学のいくつかを原形のまま転載することが取りやめられるようになった事実は、小さいことのようであるが意味はなかなかに深い今日の文化文学の事象であると思う。その案を思いついた人々は、明らかに今日というものから見た歴史をその立場からの解義によって判断して、古典を截断し、ふさわしいと考えられるものにした次第であろう。
このように錯雑した現実の中にある現代の文学としては、云ってみれば、文学と歴史とのことが今日において一般の関心をひきながらも、続々傑出した歴史文学を生み出して行き得ないでいる社会と文学の生理そのものが、後代に向って一つの歴史的事実を訴えるものであるということにもなると思う。
歴史と文学とのかかわりあいの多面さの実際としてみれば、現代文学における作家横光利一の発生、評論家小林秀雄の誕生そのものに今日につづく多くの歴史的要因がこめられていたのであるし、更に日本浪曼派の評論家保田与重郎の文学的出生には前の二人の人たちを送り出した歴史の性格の数歩前進した或る契機が語られているのである。
現在、甚しい困難とたたかいながら文学の勉強をしつづけている若い世代の人たちは、多面な歴史と文学との交渉のどんな面の選手として自身を培って行こうとしているのだろうか。これは一語に尽せない明日の文学上の問題であろうと思う。
文学そのものが本来の性質として、運命に対する人間精神の積極な働きかけに立つものであるから、かりにも文学に従う上はあらゆる作家の芸術的モティーヴが歴史の消耗力に向って、消耗され尽さざらんと欲する心情に根ざしているのは自然の理法と云わなければなるまい。その芸術必然の人間的真情が歴史と文学との深刻苛烈な葛藤にいかに処しつつあるかが、日本とはかぎらず世界を一貫して現代文学の課題なのであると思う。
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「月刊文章」
1941(昭和16)年5月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年11月30日作成
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