二つの短い話
宮本百合子訳
|
昔、ガルウェーのダンモーアと云う処に一人の半馬鹿がいました。彼はひどく音楽が好きでしたが、たった一つの節しか覚えることが出来ませんでした。その一つの節は「黒坊のいたずら小僧」と云うのでした。
村の人達は彼をからかって遊ぶのが好きでしたから、半馬鹿はよく皆から沢山のお金を貰いました。或る晩、この半馬鹿の笛吹きは舞踏のあった家から自分の家に帰ろうとしていました。彼は少し酒に酔っていました。そしてお母さんの家へ来る道の小さな橋の処まで来かかると、彼は笛をしめして「黒坊のいたずら小僧」を吹き始めました。すると、プカという魔物が彼の後に来ていきなり彼を自分の背中に背負い上げて仕舞いました。プカの頭には長い角が生えていました。驚いた笛吹きは確かり其角につかまり、さてプカに向って云いました。
「獣奴! 消えてなくなれ! 俺を家へ帰しておくれよ。私は阿母さんにやるお金を十片ポケットに持っている。阿母さんは齅煙草が欲しいんだからさ」
「阿母さんなんか如何でもいい」とプカが返事をしました。
「だが確かりつかまっていろ。落ちるとお前の頸の骨と大事な笛が折れて仕舞うぞ」
そして、又云うには
「私にシャン ヷン、ヴォクトを吹いてきかせてお呉れ」
笛吹きは
「俺そんなの知らないよ」
と云いました。
「知ろうが知るまいがかまわない。吹きなさい。私が教えてやる」
そこで笛吹きは笛の袋に風を入れ、自分で喫驚する程立派な音楽を奏しました。
「さてさてお前は偉い音楽の先生だ」
笛吹きはプカに申しました。
「けれども一体何処へ私を背負って行こうと云うのかい?」
「今夜パトリック山の頂上でバンシー達の家に大宴会がある。私は其処へお前を連れて行って音楽をやらせようと云うのだ。安心しろ、お礼はきっと貰えるから」
「ほほう! じゃあお前は、私が一つ旅行をしないですむように仕てくれるんだね」
笛吹きは嬉しそうに云いました。
「あのね、俺がね、先の祭の時教父の処から白い雄鵞鳥を一羽盗んだもんで、罰に教父がパトリック山迄行って来いって云ったのだよ」
プカは、半馬鹿の笛吹きを背負ったまま丘越え、沼踰え、荒地を駆けて、到頭パトリック山の頂上迄彼をつれて行きました。頂上に着くと、プカは足で三度地面を踏み鳴らしました。すると、地面に大きな戸が開き、其を抜けると二人は一つの綺麗な部屋に入りました。
見ると、部屋の真中には大きな黄金の卓子があり、其囲りに幾百人か数え切れない程沢山のお婆さんが坐っています。プカと笛吹きとが入って行くとお婆さん達は立ち上り
「これはこれは、まあよく来なさった、十一月のプカさん。お前さんのつれて来たのは何者です?」
と訊きました。
プカは答えました。
「アイルランドで一番上手な笛吹きです」
お婆さんの一人が床を一遍踏み鳴らしたら、壁に一つの戸が開きました。其処から何が出て来たと思いますか? ほかでもない、笛吹きが教父ウィリアムの処から盗んだその雄白鵞鳥が現れて来たのです。
笛吹きが叫びました。
「ああ全く私と阿母さんとでその白鵞鳥をすっかり食べて仕舞ったんです。だけれども、たった左方の翼のところだけはのこして赤毛のメリーにやりました。彼奴が、教父に私が白鵞鳥を盗んだんだと云いつけたのです」
白鵞鳥は卓子を片づけ部屋の外に持ち出しました。ところでプカが笛吹きに注文しました。
「この方達のお慰みに音楽を奏してあげなさい」
笛吹きは云われる通り笛を吹きました。年を取ったお婆さん達は其音につれて踊り出し、皆へとへとになる迄踊り抜きました。踊りがすむと、プカは笛吹きに礼をやってくれと頼みました。お婆さん達は一人のこらず黄金の一片ずつを出して笛吹きに与えました。彼の悦びは大したものです。
「パトリックのおかげで、私は王様の子みたいに金持ちになったぞ」
「さあさあ、私と一緒に来なさい」
プカが笛吹きに命じました。
「私が家へ連れて行ってやるから……」
軈て二人は連れ立って外に出ました。そして、笛吹きが今にもプカの背中に来た時通りの肩車をしようとしていると、其処へさっきの雄白鵞鳥がやって来ました。そして、彼に新しい一組の笛をくれました。
半馬鹿の笛吹きを肩車にのせ、プカは間もなくダンモーアに着きました。そして、笛吹きを始めに出会った小さい橋の上に降し、
「お前は今迄持っていなかった二つのもの──悪い事をしてはいけないと考える良心と音楽とを授かった」
さあ家に帰れと云いました。
彼は真直家路につき、阿母さんの家の戸を叩いて呼びました。
「入れてお呉れ。私は王みたいに金持ちだ。アイルランドで一番上手な笛吹きだ」
阿母さんは中から答えました。
「お前はお酒に酔っているね」
「其れどころか! 一滴だって酒なんか飲みはしない」
阿母さんは彼を家に入れてやりました。彼は母親に、貰って来た黄金を与え
「待ってくれ、私がやる音楽を聴くまで待ってくれ」
と願いました。
笛吹きは笛の上にかがみこみ、吹き始めましたが、音楽が響くどころか笛の中からはアイルランド中の雌雄の鵞鳥が一どきにガアガア鳴き立てるような騒々しい音が起りました。このひどい騒ぎで近所の人が起きて来ました。
そして、笛吹きが元から持っていた笛で今度はちゃんと美しい節廻しの音楽をきかせてやる迄、わあわあ半馬鹿の彼をからかいました。二通りの音楽がすむと、笛吹きは皆に、その晩自分の出会った事柄をすっかり話して聞かせました。
翌朝のことです。彼の阿母さんは、ゆうべ彼がパトリック山から貰って来た黄金の片を見なおそうと仕舞って置いた処に行きました。処がどうした事でしょう。黄金のあった場所には何もない、只木の葉ばかりが遺っていました。
笛吹きは教父の処へ出掛けて行って昨夜からの仔細を話しましたが、教父は彼の云う一言も本当にはして呉れません。笛吹きは笛をとり出して吹きました。笛からは、雌雄鵞鳥の鳴き声がグーグー、ガアガア鳴り出しました。
教父は
「出て行け。帰りなさい。悪もの奴!」
と怒鳴りました。が、笛吹きは云うことをきかず、元の笛を出してよい音で吹き鳴らして見せ到頭自分の云った事が皆本当であるのを教父に判らせました。
その時から彼の死ぬ迄、ガルウェーに彼ほどうまい笛吹きは他に一人もいませんでした。
アイルランドの昔、フィッツジェラルド家に一人の偉い人がいました。彼の名はジェラルドと云うのでしたが、その家の人を皆好きであった其時のアイルランド人は、彼をジェラルド太守と呼びならわしていました。彼は、ムリイマストに大きな城を持ってい、英国の政府が無理を云ってアイルランドを苛めようとすると、いつでもそれに向って国を守るのは彼でありました。彼は戦いの素晴らしい大将であり、上手な武術者であった上に、非常に魔法が出来ました。そして、彼が好きなものに何でも自分の形を変える事が出来たのでした。
彼の夫人は、この事を知っているのでよく良人に、自分もその珍らしい秘密のお仲間入りをさせて下さいと頼みましたが、彼は決して其を許しませんでした。
夫人は、特別ジェラルド公が何か異う物の形になっている処を見たがりました。然しジェラルド太守は其那時には何とかかとか云って彼女を去らせて仕舞います。女は辛棒づよいものですから幾度いけないと云われても願うので、到頭太守は、彼が人間の形から違ったものになっている間に、若し彼女が一寸でも吃驚したり恐れたりすると、もう彼は幾百年も元の人間の体には戻れないと云う事を話して聞かせました。其那にじき驚いたり可怖がったりするようなら彼女は偉いジェラルド太守の夫人にふさわしくありますまい、どうか思いつきを遂げさせて下さい。彼女が如何那に勇ましい婦人であるか太守もわかるに違いありません。
そこで或る美しい夏の夕方、彼等二人が立派な客間にいた時、ジェラルド太守は不図彼女から顔をそむけ、何か言葉を称えました。瞬く間に彼の姿は綺麗さっぱり見えなくなり、部屋の中には一羽の可愛い金翅雀が飛び廻っています。
自分で自分は十分落付いていると思っていた夫人も一寸これには驚きました。が、素早く自分の心を制しました。ジェラルド太守の金翅雀が飛んで来て自分の肩に止り、羽ばたきをして何処でも聞いた事のないような好い声で囀り出した時には猶更のことです。
彼はぐるぐるまあるく部屋を飛び廻り夫人と隠れん坊をして遊びました。庭へ飛び去ったかと思うと又忽ち戻って来、夫人の膝に眠ったように羽根を休めたかと思うと、サッと舞い立って翔び廻ります。
二人が満足する迄斯うして遊ぶと、彼はもう一遍戸外へ飛んで行きました。けれども、ほう、今度の帰るのは速いこと! 彼は矢のように夫人のところへ飛び込んで来ました。すると、すぐ後を追って恐ろしい一羽の鷹が入って来ます。夫人は、我を忘れて大声に叫びました。この駭きは後から考えれば無駄でした。鷹は余りひどい勢いで部屋に飛び込んだので卓子に躯をぶっつけ、そのまま死んで仕舞ったのでしたから。
夫人は鷹の死骸から、今の今まで金翅雀のいた処に眼を移しました。けれども悲しいことに彼女はもう二度とジェラルド太守に会うことも出来なければ金翅雀を見ることも出来ませんでした。
それから七年に一度ずつ、軍馬に騎った太公がキルデーアの革船と呼ばれている山の廻りを騎り廻します。太守がいなくなった時、その軍馬の銀の蹄鉄は半吋の厚さがありました。この銀の蹄鉄が猫の耳ほどの薄さにすり減ればジェラルド太守は再び生きた人間の世界に戻ることが出来英国人と一つの大戦争をして、四十年間アイルランドの王様になると信じられています。
ジェラルド太守と彼の戦士達は、今ムリイマストの城の下にある長い巖窟の中で眠っているのです。洞穴に沿うて真中に一つの卓子があります。太守が卓子の一番上座につき、両側にずらりと戦士等がすっかり武装を調えたまま卓子に頭をもたせて眠っています、戦士等の乗馬も、鞍を置き手綱をつけられて、主人達の後の両側にある馬部屋に立っています。約束の日が来ると、両手に六本ずつの指を持って生れる筈の水車屋の息子が彼のラッパを吹きならすでしょう。すると、馬は足踏み嘶いて、勇ましい騎士達は目を醒し、馬に跨って軍に向って進むのです。
七年に一度ずつ、まわって来る或る晩、太守が革船山を騎り廻している時に偶然通りがかった者には巖窟の入り口が見えると云うことがあります。凡そ百年ばかり昔、夜道でおくれ、一杯機嫌の一人の博労が、燈火のついている巖窟を見つけ、中に入って行って見ました。燈火、四辺のひっそりした静かさ、武装した戦士達の有様は、博労をぎょっとさせるに十分でした。彼は酒の酔もさめて正気になりました。けれども、手がひどく震え出して、馬具を石敷きの床の上にとり落して仕舞いました。馬銜の音が長い洞穴内に反響すると、博労のすぐわきの戦士の一人が、少しばかり頭を持ちあげ、太い嗄れ声で訊きました。
「もう時が来たのか?」
博労は気転をきかせて答えました。
「いやまだです。もうじきでしょう」
重い兜をかぶった戦士の頭は又卓子に突伏しました。
博労はやっとの思いで巖窟を出ました。他の者が同じようなことに出会ったと云う話をまだ一度も私は聞いた事がありません。 (イェーツ編『アイルランド童話集』から)
底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
1986(昭和61)年3月20日初版発行
初出:「週刊朝日」
1924(大正13)年4月20日号
※ "Fairy and Folk Tales of the Irish Peasantry", Edited and Selected by W. B. Yeats(http://www.sacred-texts.com/neu/yeats/fip/index.htm)によれば、「笛吹きとプカ」("The Piper and the Puca")の著者はダグラス・ハイド、「ジェラルド太守の魔法」("The Enchantment of Gearoidh Iarla")の著者はパトリック・ケネディです。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2007年8月14日作成
2010年11月6日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。