書斎を中心にした家
宮本百合子



 我々のように、二人とも机に向って仕事をする者は、若し理想を実現し得るなら、先ず静かなよい書斎を持ちたいのが希望です。

 何も、壮麗でなく、材料が素晴らしいのではなくてよいから、各自の性格と、仕事の種類とに適応した勉強部屋が欲しい。一日の中、大部分は、其部屋の中に生活するのですから、客間、食堂、寝室などと云うものは、皆、勉強部屋での、深い緊張を緩める処、やや疲れた頭の慰安処として、考案されなければならないのです。


 私は、直射する東や南の光線は大嫌いですから──少くとも勉強する時は──書斎は、北向でありたい。広い弓形の窓をとり、勿論洋風で、周囲にがっしりした木組みの書棚。壁は暗緑色の壁紙、天井壁の上部は純白、入口は小さくし、一歩其中に踏入ると、静かな光線や、落付いた家具の感じが、すっかり心を鎮め、大きく広い机の上の原稿紙が、自ら心を牽きつけ招くようにありたい。

 壁に少し、愛する絵をかけ、ゆっくりと体をのばして考えに耽られる長椅子があり、一隅にピアノがあれば、私はすっかり満足するでしょう。

 附属部屋のようにし、重い垂帳で区切った小寝室が作られるのもよかろうと思います。私の寝起きは、不規則になり勝ちなので、疲れて居る者の邪魔をするのは気の毒であり、気兼ねをするのも、時には不自由に感じますから。

 寝室は、寝台(形は単純で、マットレス丈はよいの)、低いゆったりと鏡のついた化粧台。衣裳箪笥。壁はどんな色がよいか。此と云う思いつきもありませんけれども、置電燈スタンド丈で室内を照した時、そのシェードの色調によって、全体が、穏やかな、柔かい感じとなるものがよいでしょう。

 寝室だけは、絶対に朝、明けないうちから戸外の日光が入らなくしとうございます。眩しくて眼のさめるようなのは全く頭に悪いと思います。


 書斎は、何処やらどっしりしたのが好きですけれども、客間食堂は、真個にくつろいだ、愉快な処にしたく思います。

 気取って、金縁の椅子等を置いたのではなく、大きなやや古風なファイア・プレースでもあり、埋まってしまうような大椅子、長椅子があり、気持のよい出窓の下の作りつけ腰掛。ヴェランダ。片隅の便利な茶卓子ティーテーブル。床の上には色の凝ったカーペット二つ三つ。

 入った時、改って体が真直になるような感じでなく吻っと安らかになり、先ずぽっくりと腰を下ろして、呑気に雑談でも出来るようにありたく思います。


 食堂との境は、左右に開く木扉で区切っても、単に大きい帳をつかってもよいでしょう。

 此処にこそ、朝から、朗らかな日が流れ入って欲しく思います。円い五六人坐れる卓子、高くなく下った家庭的なダイニングルーム・ランプ。綺麗な花。軽快な小枝模様でもさっぱりと出した壁の前には、単純で、細工は確かなカップボールド、サービング・チェスト。

 台所との間には、どんなに小さくても配膳室があった方がよろしいでしょう。給仕をするのに、一々、大きな扉の開閉をせず、配膳室との境に、適当な大きさのハッチをつけ、台所で料理出来たものは、彼方側から其処の棚にのせ、給仕人が、此方から、部屋を出ず食卓に運ぶ。

 とかく五月蠅い人の出入りは、食事中なる丈さけたいと思います。

 配膳室には、食器棚、料理の仕上げをする位の意味で瓦斯、周囲の壁は、タイルででも張った流し。壁も天井も全部白く、出来るなら、細かい金属製ネットを張った大窓。蠅などが、成たけ入らないように、安心して食物を並べて置かれることが必要でしょう。台所と此処とは、夜一番明るく電気をつける事が大切です。外の部屋は落付きとか感興とかで、却って、隅々のほの暗いことも、或る時は快よいでしょうが、昔の日本の台所のように茶の間からの余光でさぐりさぐり流元をするようでは恐ろしい。


 台所は、すべての婦人の問題となっている丈、近頃は、随分、健康に、便利に考えられて来たと思います。私などは、名案も持っていまいと思います。

第一、無駄でない程度に面積に余裕のあること。

第二、立ったまま、洗物も、調理も出来ること。

第三、窓を多く、壁、天井は真白で、充分の燈火を持つこと。

第四、大きい卓子を置き、傍に瓦斯ストーブ、コンロ、アメリカ辺でやっているように、平常は調理台に使う卓子の、上板をはねると、洗濯桶ワッシングタブになっているのも、重宝でしょう。この卓子の横に、蝶番で倒れる、火のし台をつける。

冷蔵庫、野菜貯蔵箱などは、解り切った必要品で、置かれるべき場所も、云うほどのことはありませんでしょう。


 風呂場は、私共にとって、決して、等閑に附せられないものです。せっせと集注して何かをし、一風呂あびようと云って、程よい湯に浸る位、心も体も、のびのびとする事はない。

 思うように出来るとすれば誰でも、自分で加減が出来、いつでも入れる、様式を好みましょう。台所で使う湯と同じボイラーで沸し、白いタイルで張りつめた、明るい浴室の湯槽に、なみなみと一杯にする。

 別に脱衣室と云うようなものはなくても、浴室の扉の内側に、衣服をかけて置き、洗流し式のW・C・も、洗面台も、皆此室にとりつける。

 従って、従来のような、あまり台所のそばで、浴衣バスローブや、寝衣のまま行かれないのでは困ります。


 女中部屋は、これからは矢張り、椅子式でよろしいでしょう。さほど広くはなくても、快活な窓、必要だけの家具、女らしい壁紙などに囲まれていたら、心もさっぱり活々としますでしょう。

 私の家では人数も少いので、食事でも皆同じにしている位ですから、女中の部屋と云っても、時には楽しくお喋りに行けるようにして置きたく思います。


 此で、まあ必要な部屋の種類はあげたことになります。


 寝室つき書斎二つ、各々十畳に四畳半位ずつ。客間、十三四畳。食堂、十一二畳、配膳室三畳。台所、六畳位。浴室、五畳。女中部屋六七畳。総体で幾坪になりますか。出来るなら、簡素なハーフ・ティンバーの平屋にし、冬は家中を暖める丈の、暖房装置が欲しゅうございます。

 道路と庭との境は、低い常盤木の生垣とし、芝生の、こんもり樹木の繁った小径を、やや奥に引込んだ住居まで歩けたら、どんなに心持がよいでしょう。

 余り市中から遠くない半郊外で、相当に展望もあり、本でも読める樹蔭があると同時に、小さい野菜畑や、鶏でも飼う裏庭ヤードがあったら、田園生活のすきな自分は如何程よろこぶでしょう。


 けれども、斯うやって、電車の音のする、古い八畳で、此を書いている以上、今までのすべては、全く私の理想だけであり、或は、空想だけで終るかもしれません。

 それは、暇な時には、随分想像を逞しくして、あんな家、此麼こんな家と、考えを廻します。又、何かで肝癪が起り、周囲の物音や、風で吹込む塵までひどく気になるような時は、どんなにでもして、独りで、じっと納っていられる部屋が欲しいと熱求します。

 けれども、真個に、部屋なら部屋、机なら机を有効に用っている時──仕事の出来る時──は、まるで家のことなどは忘れ切り結局、その為に、あくせくすることは無くなって仕舞います。

 なかなか家などは建てられませんでしょう。少し考えれば、建てられても自分の所有のためには建てないかも知れない。

 私は、何も、「自分のもの」とする必要は些も感じていないのですから、金持の土地のある人が、もう少し心持よい貸家を、安全な、リーゾナブルな条件の下に貸して下されば死ぬまで其処にいます。

 何でも物が、あまり端的な売買関係にあると、全く人間的感興の欠けたものとなって仕舞う通り、「家」と云うものに対する我々の心持も、あまり、コムマアシャリズムに堕したくないものと思います。

 家を建てさせる丈の金はある。さあ、と云って、商売人にまかせたきりでは、誰でも不満を覚えましょう。自分で種々考えている。相談をする。プランを種々に引いて見る。そして、やっと出来上るから、仮令、一つの石を自分で運んだのではなくても、「我が家」と云う心的の繋が出来るのです。若し、真個に家につながる各々の心、記憶愛と云うものを感じ、尊むとすれば、現代の、多くの人々が新たな家に対すより、或は、もう少し濃やかな、深いものが必要なのではないでしょうか。家の、大体の建築を自分でする等と云う事は、不可能と知れていますが、少くとも、庭園に対する注意、室内装飾の或る部分は、家を営む者達の手──心でどうかなると思われます。

 植木屋を手伝い、男──良人や男の子等は、花壇作り樹木の植つけ等を、分に応じて助力する。母親や娘は、彼女等の手芸、刺繍、パッチ・ウワーク等を応用して、暇々に、新たな壁紙に似合う垂帳、クッション、足台等を拵える。

 公共建築や宮殿のようなものは例外として、中流の、先ず心の楽しさを得たい為に、居心地よい家を作ろうとするような者は、此位の共力が、決して不当なものではあるまいと思います。新らしい家と云うものが、ちっとも、贅沢な、フリーボラスな気分を醸さず、素朴な、自分等各々の献物によって形造られ、豊かにされた巣、心の棲家と云う落付きを持つ便利と云う点を云えば、米国風のアパートメントは勝れていましょうが、人間の心の要求の何ものかを、どうも殺していると感ぜられます。

〔一九二二年九月〕

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社

   1986(昭和61)年320日初版発行

初出:「住宅」住宅改良会

   1922(大正11)年9月号

入力:柴田卓治

校正:土屋隆

2007年1130日作成

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