再婚について
島崎藤村
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神坂も今は秋の収穫でいそがしくもまた楽しい時と思います。
ことしの秋は、柳ちゃんを連れて神坂の土を踏みたいとは、かねてから楽しみにしていたことでしたが、いろいろの都合で十一月の初めごろに出かけることはちょっとむつかしくなりました。
さて、きょうは珍しい報告を送る思いでこのおたよりいたします。ことしの夏の初めあたりから、とうさんは自分の生活を変えようと思い立ったからです。
今までのとうさんの生活が変則で、多少不自然であることは自分でも知っていましたが、おまえたち兄妹を養育するためには、これもやむをえないことでした。長い年月の間のとうさんの苦心は、おまえも思い見てくれることでしょう。だんだんおまえたちも大きくなり、順にひとりずつ独立するようになってみれば、とうさんがまったくのひとりになる日の来ることも目に見えています。それではとうさんも何かにつけて不自由であり、第一病気でもしたときに心細くもありますから、今のうちに自分の生活を変え、晩年になって不自由しないように今からそのしたくをしたいと思います。
幸い加藤静子さんはおまえもよく知っているとおり、わが家へ長く通って来て気心もよくわかっていますから、川越のにいさんにとうさんから直接に交渉して、加藤さんをもらい受けることに話をまとめました。
このことはまだ親戚にも友人にもだれにも話してありません。おまえたちだけには話して置きたいと思いながら、さてそれが今日まで言い出せなかったわけです。過去十幾年の間、とうさんひとりをたよりにしてきたようなおまえたちのことを思うと、どうしてもこの手紙が書けなかったのです。
この話が川越の加藤大一郎さんととうさんとの間にまとまり先方の承諾を得たのは、ことしの七月のころでした。大一郎さんはそのために一度東京へ出て来てくれました。いろいろ打ち合わせも順調に運び、わざとばかりの結納の品も記念に取りかわしました。もはや期日の打ち合わせをするほどにこの話は進んできています。とうさんのことですから、いっさい簡素を旨とするつもりです。生活を変えるとは言っても、加藤さんに家へ来てもらって、今までどおりに質素に暮らして行こうというだけのことです。
期日は十一月の三日ということに先方とも打ち合わせました。当日は星が岡の茶寮でも借り受け、先方の親戚二、三人と西丸さん、吉村さんとを招き、簡素な茶室で式を済ましたい考えです。楠ちゃんにも列席してもらいたいとは思いますが、遠方のことでもあり、それに万事内輪にと思いますから、おまえたち兄妹の総代として鶏ちゃんに出席してもらうことにします。
とうさんがこの新しい方針を選んで進もうとするのは、いろいろ前途を熟考した上での結果です。とうさんもこのまま老い朽ちてしまいたくないからです。何とか自分の生活を立て直し、適当な内助者を得て、今よりも自然に静かな晩年に達したいと思うからです。
この手紙はおまえばかりでなく、鶏ちゃんにも柳ちゃんにも読んでもらうつもりで書きました。いずれ蓊ちゃんにもこのことを報告しましょう。一体ならこの手紙はもっと早く書くべきでしたが、どうしてもその機会が見当たらなかったのです。おまえたちを驚かすのを恐れて、きょうまでその勇気が出なかったのです。その点は許してください。
最初この話を加藤大一郎さんにしましたとき、それはとうさんのためにもよかろうと言ってたいへん喜んでくれました。おまえたちもそう思ってくれるならとうさんも幸いに思います。
何事も寛大に考えてください。おまえたちの力になろうとするとうさんの心に変わりはないのですから。
それから、とうさんが生活を変えると言ったら、事あれかしの新聞記者なぞに大袈裟に書き立てられても迷惑しますから、しばらくこの手紙の内容はおまえたちだけで承知していてください。友人にも世間の人たちにもおりを見てぽつぽつ知らせるつもりです。
きょうは実に書きにくい手紙を書きました。
十月二十三日
楠雄
底本:「日本の名随筆31 婚」作品社
1985(昭和60)年5月25日第1刷発行
1986(昭和61)年6月30日第2刷発行
底本の親本:「人生論読本 第三巻 島崎藤村篇」角川書店
1960(昭和35)年9月
入力:土屋隆
校正:noriko saito
2007年7月23日作成
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