名人長二
三遊亭圓朝
鈴木行三校訂・編纂



 三遊亭圓朝子、曾て名人競と題し画工某及女優某の伝を作り、自ら之を演じて大に世の喝采を博したり。而して爾来病を得て閑地に静養し、亦自ら話術を演ずること能わず。然れども子が斯道に心を潜むるの深き、静養の間更に名人競の内として木匠長二の伝を作り、自ら筆を採りて平易なる言文一致体に著述し、以て門弟子修業の資と為さんとす。今や校合成り、梓に上せんとするに当り、予に其序を需む。予常に以為く、話術は事件と人物とを美術的に口述するものにして、音調の抑揚緩急得て之を筆にすること能わず、蓋し筆以て示すを得るは話の筋のみ、話術其物は口之を演ずるの外亦如何ともすること能わずと。此故に話術家必しも話の筋を作為するものにあらず、作話者必しも話術家にあらざるなり。夫れ然り、然りと雖も話術家にして巧に話の筋を作為し、自ら之を演ぜんか、是れ素より上乗なる者、彼の旧套を脱せざる昔話のみを演ずる者に比すれば同日の論にあらず。而して此の如きは百歳一人を出すを期すべからず。圓朝子は其話術に堪能なると共に、亦話の筋を作為すること拙しとせず。本書名人長二の伝を見るに立案斬新、可笑あり、可悲あり、変化少からずして人の意表に出で、而かも野卑猥褻の事なし。此伝の如きは誠に社会現時の程度に適し、優に娯楽の具と為すに足る。然れども是れ唯話の筋を謂うのみ。其話術に至りては之を演ずる者の伎倆に依りて異ならざるを得ず。門弟子たるもの勉めずんばあるべけんや。若し夫れ圓朝子病癒ゆるの日、親しく此伝を演せば其妙果して如何。長二は木匠の名人なり、圓朝子は話術の名人なり、名人にして名人の伝を演す、其霊妙非凡なるや知るべきのみ。而して聴衆は話の主人公たる長二と、話術の演術者たる圓朝子と、両々相対して亦是れ名人競たるを知らん。

  乙未初秋

土子笑面識


        一


 これは享和きょうわ二年に十歳で指物師さしものし清兵衛せいべえの弟子となって、文政ぶんせいの初め廿八歳の頃より名人の名を得ました、長二郎ちょうじろうと申す指物師の伝記でございます。およそ当今美術とか称えまする書画彫刻蒔絵まきえなどに上手というは昔から随分沢山ありますが、名人という者はまことにまれなものでございます。通常より少し優れた伎倆うでまえの人が一勉強ひとべんきょういたしますと上手にはなれましょうが、名人という所へはたゞ勉強したぐらいでは中々参ることは出来ません。自然の妙というものを自得せねば名人ではございません。此の自然の妙というものは以心伝心とかで、手をもって教えることも出来ず、口で云って聞かせることも出来ませんゆえ、親が子に伝えることも成らず、師匠が弟子に譲るわけにもまいりませんから、名人が二代も三代も続くことは滅多にございません。さて此の長二郎と申す指物師は無学文盲の職人ではありますが、仕事にかけては当時無類と誉められ、江戸町々の豪商ものもちはいうまでもなく、大名方の贔屓ひいきこうむったほどの名人で、其のこしらえました指物も御維新ごいっしん前までは諸方に伝わって珍重されて居りましたが、瓦解がかいの時二束三文で古道具屋の手に渡って、うかなってしまいましたものと見えて、昨今は長二の作というものをとんと見かけません。世間でも長二という名人のあった事を知っている者がすくのうございますから、残念でもありますし、又先頃弁じました名人くらべのうち錦の舞衣まいぎぬにも申述べた通り、何芸によらず昔から名人になるほどの人は凡人でございませぬゆえ、何か面白いお話があろうと存じまして、それからそれへと長二の履歴を探索に取掛りました節、人力車から落されて少々怪我をいたし、打撲うちみで悩みますから、或人の指図で相州そうしゅう足柄下郡あしがらしもごおり湯河原ゆがわら温泉へ湯治とうじに参り、温泉宿伊藤周造いとうしゅうぞう方に逗留中、図らず長二の身の上にかゝるくわしい事を聞出しまして、此のお話が出来上ったのでございます。是がまことに怪我の功名と申すものかと存じます。文政ぶんせいの頃江戸の東両国大徳院だいとくいん前に清兵衛と申す指物の名人がござりました。是は京都で指物の名人と呼ばれた利齋りさいの一番弟子で、江戸にまいって一時いちじに名を揚げ、箱清はこせいといえばたれ知らぬ者もないほどの名人で、当今にても箱清の指した物は好事こうずの人が珍重いたすことで、文政十年の十一月五日に八十三歳で歿しました。墓は深川亀住町かめずみちょう閻魔堂えんまどう地中じちゅうの不動院にのこって、戒名を參清自空信士さんせいじくうしんしと申します。この清兵衛が追々年を取り、六十を越して思うように仕事も出来ず、女房が歿なくなりましたので、弟子の恒太郎つねたろうという器用な柔順おとなしい若者を養子にして、娘のおまさめあわせましたが、恒太の伎倆うでまえはまだ鈍うございますから、念入の仕事やむずかしい注文を受けた時は、みんな長二にさせます。長二は其の頃両親ともなくなりましたので、煮焚にたきをさせる雇婆やといばあさんを置いて、独身で本所〆切しめきり世帯しょたいを持って居りましたが、何ういうものですか弟子を置きませんから、下働きをする者に困り、師匠の末の弟子の兼松かねまつという気軽者を借りて、これを相手に仕事をいたして居りますところが、たれいうとなく長二のことを不器用長二と申しますから、何所どこか仕事に下手なところがあるのかと思いますに、左様そうではありません。仕事によっては師匠の清兵衛より優れた所があります。是は長二が他の職人に仕事を指図するに、なんでも不器用に造るがい、見かけが器用に出来た物に永持ながもちをする物はない、永持をしない物は道具にならないから、表面うわべ不細工ぶざいくに見えても、十百年とッぴゃくねんの後までもこわれないように拵えなけりゃ本当の職人ではない、早く造りあげて早く銭を取りたいと思うような卑しい了簡で拵えた道具は、何処どこにか卑しい細工が出て、立派な座敷の道具にはならない、是は指物ばかりではない、でも彫物ほりものでも芸人でも同じ事で、銭を取りたいという野卑な根性や、ひとに褒められたいという謟諛おべっかがあってはい事は出来ないから、其様そんな了簡を打棄うッちゃって、魂を籠めて不器用に拵えて見ろ、屹度きっと美い物が出来上るから、不器用にやんなさいと毎度申しますので、遂に不器用長二と綽名あだなをされる様になったのだと申すことで。


        二


 不器用長二の話を、其の頃浅草蔵前に住居いたしました坂倉屋助七さかくらやすけしちと申す大家たいけの主人が聞きまして、面白い職人もあるものだ、かねて御先祖のお位牌を入れる仏壇にしようと思ってもとめて置いた、三宅島の桑板があるから、長二にさせようと、店の三吉さんきちという丁稚でっちに言付けて、長二を呼びにやりました。其の頃蔵前の坂倉屋と申しては贅沢をきわめて、金銭を湯水のように使いますから、諸芸人はなおさら、諸職人とも何卒どうか贔屓を受けたいと願う程でございますゆえ、大抵の職人なら最上等のお得意様が出来たと喜んで、何事をいてもすぐに飛んでまいるに、長二は三吉の口上を聞いて喜ぶどころか、不機嫌な顔色かおつきで断りましたから、三吉は驚いて帰ってまいりました。助七は三吉の帰りを待ちかねて店前みせさきに出て居りまして、

 助「三吉何故なぜ長二を連れて来ない、留守だったか」

 三「いゝえ居りましたが、彼奴あいつは馬鹿でございます」

 助「なんと云った」

 三「坂倉屋だか何だか知らないが、物を頼むに人を呼付けるという事アない、おらア呼付けられてへい〳〵と出て行くようなひまな職人じゃアねえと申しました」

 助「フム、それじゃア何か急ぎの仕事でもしていたのだな」

 三「ところが左様そうじゃございません、鉋屑かんなくずの中へ寝転んで煙草を呑んでいました、火の用心の悪い男ですねえ」

 助「はてな……手前何と云って行った」

 三「わたくしですか、私は仰しゃった通り、蔵前の坂倉屋だが、拵えてもらう物があるから直に来ておくんなさい、蔵前には幾軒も坂倉屋があるから一緒にまいりましょうと云ったんでございます」

 助「手前入ると突然いきなり其の口上を云って、お辞儀も挨拶もしなかったろう」

 三「へい」

 助「それを失礼だと思ったのだろう」

 三「だって旦那寝転んでいる方がよっぽど失礼でしょう」

 助「ムヽそれも左様そうだが、なんか気に障った事があるんだろう」

 三「左様じゃアございません、全体馬鹿なんです」

 助「むやみにひとの事を馬鹿なんぞというものではございませんぞ」

 と丁稚をいましめて奥に這入りましたが是まで身柄のある画工でも書家でも、呼びにやると直に来たから、高の知れた指物職人とあなどって丁稚をったのは悪かった、ほかの職人とはかわっているとは聞いていたが、それ程まで見識のある者とは思わなんだ、今の世に珍らしい男である、御先祖様のお位牌を入れる仏壇を指させるには此の上もない職人だと見込みましたから、直に衣服を着替えて、三吉に詫言を云含めながら長二の宅へ参りました。長二は此の時出来上った書棚に気に入らぬ所があると申して、才槌さいづちで叩きこわそうとするを、兼松が勿体ないと云って留めている混雑中でありますから、助七は門口に暫く控えて立聞きをして居りますと、

 長「兼公、手前てめえういうけれどな、こせえた当人がまずいと思う物で銭を取るのは不親切というものだ、何家業でも不親切な了簡があった日にア、うだつのあがる事アねえ」

 兼「それだって此のくれえの事ア素人にア分りゃアしねえ」

 長「素人に分らねえから不親切だというのだ、素人には分らねえからいと云って拙いのを隠して売付けるのは素人の目を盗むのだから盗人ぬすっとも同様だ、手前てめえ盗人をしても銭が欲しいのか、おら此様こんな職人だが卑しい事ア大嫌でえきらいだ」

 と丹誠をこらして造りあげた書棚をさい槌でばら〳〵に打毀うちこわしました様子ゆえ、助七は驚きましたが、益々ます〳〵並の職人でないと感服をいたし、やがて表の障子を明けまして、

 助「御免なさい、わたくしは坂倉屋助七と申す者で、少々親方にお願い申したい事があって、先刻出しました召使の者が、早呑込みで粗相を申し、相済みません、其のお詫かた〴〵まいりました」

 と丁寧に申し述べましたから、流石さすがの長二も驚き、まご〴〵する兼松に目くばせをして、其の辺に飛散っている書棚の木屑を片付けさせながら、

 長「へい、これはどうも恐入りました、此の通り取散かしていますが、何卒どうぞ此方こちらへ」

 とござの上の鉋屑をふるって敷直しますから、助七は会釈をして其処そこへ坐りました。


        三


 助「御高名はかねて承知していましたが、つい掛違いまして」

 長「わたくしもお名前は存じて居りますが、用がありませんからお目にかゝりませんでした、シテ御用と仰しゃるのは」

 助「はい、お願い申すこともございますが先刻のお詫をいたします……三吉……そこへ出てお詫をしろ」

 三吉は不承々々な顔付で上り口に両手をつきまして、

 三「親方さん先刻さっきは口上を間違えまして失礼を致しました、何卒どうか御免なさい」

 とお辞儀をいたしますを、長二は不審そうに見ておりましたが、

 長「へいなんでしたか小僧さん、何も謝る事アありません……えゝ旦那……先刻さっきお迎いでしたが、出ぬけられませんからお断り申したんで」

 助「それが間違いで、先刻せんこく三吉これに、親方に願いたい事があるからうちに御座るか聞いて来いと申付けたのを間違えて、親方に来てくださるように申したとの事でございます」

 長「ムヽ左様そういう事ですか、訳さえ分ればいじゃアありませんか、それより御用の方をお聞き申しましょう」

 助「そんならお話し申しますが、実はわたくし先年から心掛けて、先祖の位牌を入れて置く仏壇を拵えようと思って、三宅島の桑板の良いのを五十枚ほどもとめましたが、此の仏壇は子孫の代までも永く伝わる物でもあり、又火事に焼けてならんものですから、非常の時は持って逃げる積りです、混雑の中では取落す事もあり、又他から物が打付ぶッつかる事もありますゆえ、余ほど丈夫でなければなりませんが、丈夫一式で木口きぐちが橋板のように馬鹿に厚くっては、第一重くもあり、お飾り申した処が見にくゝって勿体ないから、一寸ちょっと見た処は通例の仏壇のようで、大抵な事ではこわれませんように、ごく丈夫に拵えたいという無理な注文でもございますし、それに位牌を入れる物ですから、成るべくは根性の卑しい粗忽そこつな職人に指させたくないと思って、職人を捜して居りました処、親方はお心掛が潔白で、指物にかけては京都の利齋当地の清兵衛親方にもまさるという評判を聞及びましたから、此の仕事をお願い申したいので、手間料には糸目をかけません、何うぞわたくしが先祖への孝行にもなる事でございますから、この絵図面を斟酌しんしゃくして一骨ひとほね折ってはくださるまいか」

 と仏壇の絵図面を見せますと、長二は寸法などを見較べまして、

 長「成程随分難かしい仕事ですが、うがす、此の工合ぐあいってみましょう…だが急いじゃアいけませんよ、兎も角も板をよこしてお見せなさい、板の乾き塩梅あんばいによっちゃア仕事の都合がありますから」

 助「はい、承知いたしました……そんなら明朝みょうあさ板をよこすことに致しましょう……えゝ是は少のうございますが、御注文を申した印までに上げて置きます」

 と金子を十五両鼻紙に載せて差出しますを、長二はく見もいたさずに押戻しまして、

 長「板をよこして注文なさるんですから手金なんざアりません、出来上って見なければ手間も分りませんから、是はお預け申して置きます」

 助「左様いう事ならお預かり申して置きますから、御入用ごいりようの節は何時なんどきでも仰しゃっておつかわしなさい」

 と金子を懐中に納めまして、

 助「これはお仕事のお邪魔を致しました……そんなら何分なにぶん宜しくお願い申します、お暇というはございますまいけれど、自然浅草辺へお出での節はお立寄り下さい」

 といとまを告げて助七は立帰り、翌日桑の板を持たせて遣りましたが、其ののち長二からなんの沙汰もございません。助七は待遠まちどおでなりませんが、長二が急いではいけないと申した口上がありますから、下手に催促をしたら腹を立つだろうと我慢をして待って居りますと、七月目なゝつきめ漸々よう〳〵出来上って、長二が自身に持ってまいりましたから、助七は大喜びで、長二を奥の座敷へ通しました。此の時助七は五十三歳で、女房は先年歿なくなって、跡に二十一歳になるせがれ助藏すけぞうと、十八歳のおしまという娘があります。助七は待ちに待った仏壇が出来た嬉しさに、助藏とお島は勿論、店の番頭手代までを呼び集めて、一々長二に引合わせ、仏壇を見せて其の伎倆うでまえめ、長二をねんごろにもてなしました。


        四


 助「時に親方、つかん事を聞くようだが、先頃尋ねたおり台所だいどこにいたのは親方のおふくろさんかね」

 長「いゝえ、お母はわたくしが十七の時死にました、あれは飯焚めしたきの雇い婆さんです」

 助「そんなら未だ家内は持たないのかね」

 長「はい、かゝあがあると銭のことばかり云って仕事の邪魔になっていけませんから持たないんです」

 助「親方のように稼げば、銭に困ることはあるまいに」

 長「銭は随分取りますが、持っている事が出来ない性分ですから」

 助「職人衆はみんうしたものだが、親方は何が道楽だね」

 長「何も道楽というものあないんですが、只正直な人で、貧乏をしている者を見ると気の毒でならないから、持ってる銭をくれてやりたくなるのが病です」

 助「フムい病だ……面白い道楽だが、貧乏人にあんまり金を遣りすぎるとかえって其の人の害になる事があるから、気を付けなければいけません」

 長「其のくれえの事ア知っています、其の人の身分相応に恵まないと、贅沢をやらかしていけません」

 助「感心だ……名人になる人はかわったものだ、のうお島」

 島「左様さようでございます、誠にいお心掛で」

 と長二の顔を見る途端に、長二もお島の顔を見ましたから、お島は間の悪そうに眼もとをぽうッとあかくして下を向きます。長二は此の時二十八歳の若者で、眼がきりゝとして鼻筋がとおり、何処どことなく苦味ばしった、色の浅黒い立派な男でございますが、酒は嫌いで、他の職人達が婦人のはなしでもいたしますとおこるという程の真面目な男で、只腕を磨く一方にのみ身を入れて居りますから、外見みえも飾りもございません。今日坂倉屋へ注文の品を納めにまいりますにも仕事着のまゝで、膝の抜けかゝった盲縞めくらじまの股引に、垢染みたあい万筋まんすじ木綿袷もめんあわせの前をいくじなく合せて、縄のような三尺を締め、袖に鉤裂かぎざきのある印半纏しるしばんてん引掛ひっかけていて、動くたんびに何処からか鋸屑のこぎりくずこぼれるという始末でございますから、お島は長二をい男とは思いませんが、かねて父助七から長二の行いのひとかわっていることを聞いて居ります上に、今また年に似合わぬい心掛なのを聞いて深く心に感じ、これにひきかえて兄の助藏が放蕩に金銭を使い捨てるに思い較べて、ひそかに恥じましたから、ちょっと赤面致したので、また長二もお島を見て別に美しいとも思いませんが、是まで貧民に金銭を施すのを、職人の分際で余計な事だ、馬鹿々々しいから止せと留める者は幾許いくらもありましたが、褒める人は一人もありませんでしたに、今十七か十八のお嬢さんが褒めたのでありますから、長二は又お島が褒めた心に感心を致して、其の顔を見たのでございます。助七はそれらの事にすこしも心づかず、

 「親方の施し道楽は至極結構だが、女房を持たないと活計向くらしむきに損がありますから、早くいのをお貰いなさい」

 長「そりゃア知っていますが、女という奴アけちなもんで、お嬢さんのように施しを褒めてくれる女はございませんから持たないんです」

 助「フム左様さ、女には教えがないから、仁だの義だのという事は分らないのは道理もっともだ、此の娘なぞはい所へ嫁に遣ろうと思って、師匠をうちへ呼んで、読書よみかきから諸芸を仕込んだのだから、兎も角も理非の弁別がつくようになったんだが、随分金がかゝるから大抵の家では女にまでは行届ゆきとゞきません、それに女という奴は嫁入りという大物入がありますからなア、物入と云やア娘も其の内何処かへ嫁に遣らなければなりませんが、其の時の箪笥たんす三重みかさねと用箪笥を親方に願いたい、何卒どうか心懸けて木のいのを見付けてください」

 長「かしこまりましたが、先達せんだって職人の兼という奴が、のみで足の拇指おやゆび突切つッきった傷が破傷風はしょうふうにでもなりそうで、ひどく痛むと云いますから、相州の湯河原へ湯治にやろうと思いますが、病人を一人遣る訳にもいきませんから、わたくしちいさい時怪我をした背中の旧傷ふるきずが暑さ寒さに悩みますので、一緒に行ってついでに湯治をして来ようと思いますので、お急ぎではどうも」

 助「いゝや今が今というのではありません、行儀を覚えさせるため来月お出入やしきの筒井様の奥へ御奉公にあげる積りですから、これさがるまでゞいんです」

 長「そんなら拵えましょう」

 助「湯河原は打撲うちみ金瘡きりきずにはいというから、ゆっくり湯治をなさるがい、ついてはこの仏壇の作料を上げましょう、幾許いくらあげたらよいね」

 長「左様……別段の御注文でしたから思召おぼしめしかなうように拵えましたので、思ったより手間がかゝりましたが……百両でうございます」

 其の頃の百両と申す金は当節の千両にも向う大金で、如何に念入でも一個ひとつの仏壇の細工料が百両とは余り法外でございますから、助七はびっくりして、なんにも云わず、暫く長二の顔を見詰めて居りました。


        五


 助七は仏壇の細工は十分心に適って丈夫そうには出来たが、百両の手間がかゝったとは思えません、これは己が余り褒めすぎたのに附込んで、己のうちが金持だから法外の事をいうのであろう、さて此奴こいつは潔白な気性だと思いのほか、卑しい了簡の奴だなと腹が立ちましたから、

 助「おい親方、この仏壇の板は此方こっちから出したのだよ、百両とはお前間違いではないか」

 長「へい、板を戴いた事ア知っています、何も間違いではございません」

 助「是だけの手間が百両とは少し法外ではないか」

 長「そう思召しましょうが、それだけ手間がかゝったのです、百両出せないと仰しゃるなら宜うがす元の通りの板をお返し申しますから仏壇は持って帰ります……素人衆には分りますまいよ」

 と云いながら仏壇を持ちて帰ろうといたしますから、助七が押留おしとめまして、

 助「親方、まア待ちなさい、素人に分らないというが、百両という価値ねうちの細工が何処にあるのだえ」

 長「はい……旦那御注文の時何と仰しゃいました、この仏壇は大切の品だから、火事などで持出す時、他の物が打付ぶッつかっても、又おっことしてもこわれないようにしたいが、丈夫一式で見てくれがまずくっては困ると仰しゃったではございませんか、随分無理な注文ですが、出来ない事はありませんから、釘一本他手ひとでにかけず一生懸命に精神たましいを入れて、漸々よう〳〵御注文通りに拵え上げたのです……わたくしア注文に違ってる品をごまかして納めるような不親切をする事ア大嫌でえきれえです……最初手間料に糸目をつけないと仰しゃったから請負ったので、斯ういう代物しろものは出来上ってみないと幾許いくら戴いていか分りません、此の仏壇に打ってある六十四本の釘には一本〳〵私の精神が打込んでありますから、随分やすい手間料だと思います」

 助「フム、その講釈の通りなら百両は廉いものだが、火事の時竹長持たけながもちの棒でもつッかけられたら此の辺の合せ目がミシリといきそうだ」

 長「その御心配は御道理ごもっともですが、外から何様どんな物が打付ぶッつかっても釘の離れるようなことア決してありませんが中からひどく打付けては事によると離れましょう、しかし仏壇ですから中から打付かるものは花立が倒れるとか、香炉がころがるぐれえの事ですから、気遣きづけえはございません、嘘だと思召すなら丁度今途中で買って来た才槌せいづちを持ってますから、これで打擲ぶんなぐってごらんなせい」

 と腰に挿していたかし才槌さいづちを助七の前へ投出しました。助七は今の口上を聞き、成ほど普通の品より、手堅く出来てはいようが、元々釘で打付うちつけたものだから叩いて毀れぬ事はない、高慢をいうにも程があると思いましたゆえ、

 助「そりゃア親方が丹誠をしてこさえたのだから少しぐらいの事では毀れもしまいが、此の才搥さいづちなぐって毀れないとはちっ高言こうげんすぎるようだ」

 と嘲笑あざわらいましたから、正直一途いちずの長二はむっと致しまして、

 長「旦那……高言か高言でねえか打擲ぶんなぐってごらんなせい、打擲って一本でも釘がゆるんだ日にゃア手間は一文も戴きません」

 助「ムヽ面白い、此の才槌で力一ぱいに叩いて毀れなけりゃア千両で買ってやろう」

 と才槌を持って立上りますを、先刻から心配しながら双方の問答を聞いていましたお島が引留めまして、

 島「おとっさん……短気なことを遊ばしますな、折角見事に出来ましたお仏壇を」

 助「見事か知らないが、己には気にくわない仏壇だから打毀ぶちこわすのだ」

 島「ではございましょうが、このお仏壇をお打ちなさるのは御先祖様をお打ちなさるようなものではございませんか」

 助「ムヽ左様そうかな」

 と助七は一時いちじお島の言葉に立止りましたが、さては長二の奴も、先祖の位牌を入れる仏壇ゆえ、遠慮してわれが打つまいと思って、斯様かような高言をいたに違いない、憎さも憎し、見事叩っ毀して面の皮を引剥ひんむいてくりょう。と額に太い青筋を出して、お島を押退おしのけながら、

 助「まだお位牌を入れないから構う事アない……見ていろ、ばら〳〵にして見せるから」

 と助七は才槌をり上げ、力に任せて何処という嫌いなく続けざまに仏壇を打ちましたが、板にきずが付くばかりで、止口とめぐち釘締くぎじめは少しもゆるみません。助七は大家たいけの主人で重い物は傘のほか持った事のない上に、年をとって居りますから、もう力と息が続きませんので、呆れて才槌をほうり出して其処そこへ尻餅をつき、せい〳〵いって、自分で右の手首を揉みながら、

 助「お島……水を一杯……速く」

 と云いますから、お島が急いで持ってまいった茶碗の水をグッと呑みほして太息おおいきき、顔色をやわらげまして、

 助「親方……恐入りました……誠に感服……名人だ……名人の作の仏壇、千両でもやすい、約束通り千両出しましょう」

 長「アハヽヽ精神たましいを籠めた処が分りましたか、わっちゃア自慢をいう事ア大嫌だいきらいだが、それさえ分ればうがす、此様こんなに瑕が付いちゃア道具にはなりませんから、持って帰って其の内に見付かり次第、元の通りの板はお返し申します」

 助「そりゃア困る、瑕があっても構わないから千両で引取ろうというのだ」

 長「千両なんて価値ねうちはありません」

 助「だって先刻さっきかけをしたから」

 長「そりゃア旦那が勝手に仰しゃったので、わたくしが千両下さいと云ったのじアねえのです、わっちア賭事ア性来うまれつき嫌いです」

 助「左様そうだろうが、これは別物だ」

 長「何だか知りませんが、ひとの仕事を疑ぐるというのが全体ぜんてえ気にくわないから持って帰るんです、銭金ぜにかねに目をれて仕事をする職人じゃアございません」

 と仏壇を持出しそうにする心底の潔白なのに、助七は益々感服いたしまして、

 助「まア待ってください……親方……わしがお前の仕事を疑ぐって、折角丹誠の仏壇を瑕物にしたのは重々わるかった、其処んところは幾重にもお詫をしますから、何卒どうぞ仏壇は置いて行ってください」

 長「だって此様こんなに瑕が付いてるものは上げられねえ」

 助「それが却って貴いのだ、聖堂の林様はお出入だから殿様にお願い申して、わしが才槌で瑕をつけた因由いわれいて戴いて、其の書面を此の仏壇に添えて子孫に譲ろうと思いますから、親方機嫌を直して下さい」

 と只管ひたすらに頼みますから、長二も其の考えを面白く思い、打解けて仏壇を持帰るのを見合せましたから、助七は大喜びで、無類の仏壇が出来たよろこびの印として手間料の外に金百両を添えて出しましたが、長二は何うしてもこれを受けませんで、手間料だけ貰って帰りました。助七はすぐ林大學頭はやしだいがくのかみ様のやしきへ参り、殿様に右の次第を申上げますと、殿様も長二の潔白なる心底と伎倆ぎりょうの非凡なるに感服されましたから、直に筆をって前の始末を文章にしたゝめて下さいました。其の文章は四角な文字ばかりでわたくしどもには読めませんが、是もまた名文で、今日こんにちになっては其の書物かきものばかりでも大層な価値ねうちがあると申す事でございます。斯様に林大學頭様の折紙が付いている宝物ほうもつで、私も一度拝見しましたが御維新後坂倉屋が零落おちぶれまして、本所横網よこあみ辺へ引込ひっこみました時隣家より出た火事に仏壇も折紙も一緒に焼いてしまったそうで、如何にも残念な事でございます。それはのちの話で此の仏壇の事が江戸市中の評判となり、大學頭様も感心なされて、諸大名や御旗下おはたもと衆へ吹聴をなされましたから、長二の名が一時に広まって、指物師の名人と云えば、あゝ不器用長二かというように名高くなりまして、諸方からおびたゞしく注文がまいりますが、手伝の兼松は足のきずで悩み、自分も此の頃の寒気のため背中の旧疵ふるきずいたみ、当分仕事が出来ないと云って諸方の注文を断り、親方清兵衛にあとを頼んで、文政三辰年たつどしの十一月の初旬はじめ、兼松を引連れ、湯治のため相州湯河原の温泉へ出立いたしました。


        六


 湯河原の温泉は、相州足柄下郡宮上村みやかみむらと申す処にございまして、当今は土肥次郎實平どいじろうさねひらの出た処というので土肥村と改まりまして、城堀村しろほりむらにある實平の城山は、真鶴港まなづるみなとから上陸して、吉浜よしはまを四五丁まいると向うに見えます。吉浜から宮上村まで此の間は爪先上りのみちで一里四丁ほどです。温泉宿は湯屋(加藤廣吉かとうひろきち)藤屋(加藤文左衛門かとうぶんざえもん)藤田屋(加藤林平かとうりんぺい)上野屋(渡邊定吉わたなべさだきち)伊豆屋(八龜藤吉やかめとうきち)などで、当今は伊藤周造に天野あまのなにがしなどいう立派な宿も出来まして、いずれも繁昌いたしますが、文政の頃は藤屋が盛んでしたから、長二と兼松は此の藤屋へ宿を取りました。温泉は川岸から湧出わきだしまして、石垣で積上げてある所を惣湯そうゆと申しますが、追々ひらけて、当今は河中かわなかの湯、河下かわしもの湯、儘根まゝねの湯、しもの湯、南岸みなみぎしの湯、川原かわらの湯、薬師やくしの湯と七湯しちとうに分れて、内湯を引いた宿が多くなりました。湯の温度は百六十三度乃至ないし百五度ぐらいで、打撲うちみ金瘡きりきずは勿論、胃病、便秘、子宮病、僂麻質私りょうまちすなどの諸病に効能きゝめがあると申します。西は西山、東は上野山、南は向山むこうやま、北は藤木山ふじきやまという山で囲まれている山間やまあいの村で、総名そうみょう本沢ほんざわと申して、藤木川、千歳川ちとせがわなどいう川が通っております。此の藤木川のながれが、当今静岡県と神奈川県の境界さかいになって居ります。千歳川のしも五所ごしょ明神という古いやしろがあります。此の社を境にして下のかた宮下村みやしたむらと申し、かみの方を宮上村と申すので、宮下のほうは戸数八十あまり、人口五百七十ばかり、宮上村は湯河原のことで、此の方は戸数三十余、人口二百七十ばかりで、田畑が少のうございますから、温泉宿の外は近傍もよりの山々から石を切出したり、炭を焼いたり、種々しゅ〴〵の山稼ぎをいたして活計くらしを立っている様子です。此の所から小田原まで五里十九丁、熱海まで二里半で、いずれへまいるのにもみちは宜しくございませんが、温泉のあるお蔭で年中旅客が絶えず、中々繁昌をいたします。さて長二と兼松は温泉宿藤屋に逗留して、二週ふたまわりほど湯治をいたしたので、たちま効験きゝめあらわれて、両人とも疵所きずしょいたみが薄らぎましたから、少し退屈の気味で、

 兼「ちょう兄い……不思議だな、一昨日おとゝいあたりからズキ〳〵する疼みがなくなってしまった、能く利く湯だなア」

 長「それだから此様こんな山ん中へ来る人があるんだ」

 兼「本当に左様そうだ、怪我でもしなけりゃア来る処じゃアねえ、此処こけえ来て見ると怪我人もあるもんだなア」

 長「ムヽ、伊豆相模さがみは石山が多いから、石切職人いしきりじょくにんが始終怪我をするそうだ、見ねえ来ている奴ア大抵石切だ、どんな怪我でも一週ひとまわりか二週でなおるということだが、い塩梅にしたもんじゃアねえか、そういう怪我を度々たび〳〵する処にゃア、斯ういう温泉が湧くてえのは」

 兼「それが天道てんとう人を殺さずというのだ、世界せけえの事アんな其様そん塩梅あんべいに都合よくなってるんだけれど、人間というお世話やきが出てごちゃまかして面倒くさくしてしまッたんだ」

 長「旨い事を知ってるなア、感心だ」

 兼「旨いと云やア、それ此処こけえ来る時、船から上って、ソレ休んだとこなんとか云ったっけ」

 長「浜辺のい景色のところか」

 兼「左様そうよ」

 長「ありゃア吉浜という処よ」

 兼「それから飯を喰ったうちは何とか云ったッけ」

 長「橋本屋よ」

 兼「ムヽ橋本屋だ、彼家あすこで喰っためばる煮肴にざかな素的すてきに旨かったなア」

 長「魚が新らしいのに、船でくせえ飯を喰った挙句あげくだったからよ」

 兼「そうかア知らねいが、今に忘れられねえ、全体ぜんてい此辺こけいら浜方はまかたが近いにしちゃア魚が少ねえ、鯛に比目魚ひらめめばるむつ、それでなけりゃア方頭魚あまでいと毎日の御馳走が極っているのに、料理かたがいろ〳〵して喰わせるのが上手だぜ」

 長「そういうと豪気ごうぎうちで奢ってるようだが、水洟みずッぱなをまぜてこせえた婆さんの惣菜そうざいよりア旨かろう」

 兼「そりゃア知れた事だが、湯治とか何とか云やア贅沢が出るもんだ」

 長「贅沢と云やア雉子きじうちたてだの、山鳩やひよどりは江戸じゃア喰えねえ、此間こねえだのア旨かったろう」

 兼「ムヽあれか、ありゃア旨かった、それにの時喰った大根でいこさ、此方こっちの大根は甘味があってうめえ、それに沢庵もおつだ、細くって小せえが、甘味のあるのは別だ、自然薯じねんじょも本場だ、こんな話をするとなんか喰いたくなって堪らねえ」

 長「よく喰いたがる男だ、折角疵が癒りかけたのに油濃あぶらッこい物を喰っちゃア悪いよ」

 兼「毒になるものア喰やアしねいが、退屈だから喰う事より外アたのしみがねえ……蕎麦粉のいのがあるから打ってもらおうか」

 長「おらア喰いたくねえが、少し相伴つきあおうよ」

 兼「そりゃア有難い」

 と兼松が女中を呼んで蕎麦の注文を致します。馴れたもので程なく打あげて、見なれない婆さんが二階へ持ってまいりました。


        七


 兼「こりゃア早い、いや大きに御苦労……兄い一杯いっぺいやるか」

 長「おらア飲まないが、手前てめえ一本やんない」

 兼「そんなら婆さん、酒を一合つけて来てくんねえ」

 婆「はい、下物さかなはどうだね」

 兼「何があるえ」

 婆「たえ鶏卵たまごつゆがあるがね」

 兼「それじゃアたいの塩焼に鶏卵の汁を二人前ふたりまえくんねえ」

 婆「はい、すぐに持って来やす」

 と婆さんは下へ降りてまいりました。

 長「兼公かねこう見なれねえ婆さんだなア」

 兼「うちの婆さんよりアきたねえようだ、あの婆さんの打った蕎麦だと醤汁したじはいらねいぜ」

 長「なぜ」

 兼「だって水洟みずッぱなで塩気がたっぷりだから」

 長「穢ねいことをいうぜ」

 と蕎麦を少しつまんで喰ってみて、

 兼「そんなに馬鹿にしたものじゃアねえ、中々うめえ……兄い喰ってみねえ……おゝ婆さん、おかんが出来たか」

 婆「大きに手間取りやした、お酌をしますかえ」

 兼「一杯いっぺい頼もうか……婆さんなか〳〵お酌が上手だね」

 婆「上手にもなるだア、わけい時から此家こっちでお客の相手えしたからよ」

 兼「だってお前今日初めて見かけたのだぜ」

 婆「左様そうだがね、わしイ三十の時から此家こっちへ奉公して、六年ぜんに近所へ世帯しょたいを持ったのだが、せわしねえ時ア斯うして毎度めいど手伝に来るのさ、一昨日おとついおせゆッ塩梅あんべいがわりいって城堀しろほりけえったから、当分手伝てつでえに来たのさ」

 兼「ムヽ左様そうかえ、そうして婆さんおめえ年は幾歳いくつだえ」

 婆「もうはア五十八になりやす」

 兼「兄い、田舎の人は達者だねえ」

 長「どうしても体に骨を折って欲がねえから、苦労がすくねいせいだ」

 婆「おめえさん方は江戸かえ」

 長「そうだ」

 婆「江戸から来ちゃア不自由な処だってねえ」

 長「不自由だが湯の利くのには驚いたよ」

 婆「左様そうかねえ、おめえさん方の病気はなんだね」

 兼「おれのア是だ、この拇指おやゆびのみ打切ぶッきったのだ」

 婆「へえーおっかねいこんだ、石鑿は重いてえからねえ」

 兼「おらア石屋じゃアねえ」

 婆「そんならなんだね」

 兼「指物師よ」

 婆「指物とア…ムヽ箱をこせえるのだね、…不器用なこんだ、箱を拵えるぐれえで足い鑿い打貫ぶっとおすとア」

 長「兼公一本まいったなア、ハヽヽ」

 婆「笑うけんど、おめえさんのも矢張やっぱり其の仲間かね」

 長「己のは左様じゃアねえ、子供の時分の旧疵ふるきずだ」

 婆「どうしたのだね」

 長「どうしたのか己も知らねえ」

 婆「そりゃア変なこんだ、自分の疵を当人が知らねいとは……矢張足かね」

 長「いゝや、右の肩の下のところだ」

 婆「背中かね……おめいさん何歳いくつの時だね」

 長「それも知らねいのだが、この拇指のへえるくれえの穴がポカンといていて、暑さ寒さに痛んで困るのよ」

 婆「へいー左様そうかねえ、孩児ねゝっこの時そんな疵うでかしちゃアおっんでしまうだねえ、どうして癒ったかねえ」

 長「どうして癒ったどころか、自分に見えねえから此様こんな疵のあるのも知らなかったのさ、九歳こゝのつの夏のことだっけ、河へ泳ぎに行くと、友達が手前てめえの背中にア穴が開いてると云って馬鹿にしやがったので、初めて疵のあるのを知ったのよ、それからうちけえっておふくろに、何うして此様な穴があるのだ、友達が馬鹿にしていけねえから何うかしてくれろと無理をいうと、お母が涙ぐんでノ、その疵の事を云われると胸が痛くなるから云ってくれるな、ひとに其の疵を見せめえと思って裸体はだかで外へ出したことのねえに、何故泳ぎに行ったのだと云って泣くから、己もそれっきりにしておいたから、到頭分らずじまいになってしまったのよ」

 という話を聞きながら、婆さんは長二の顔をしげ〳〵と見詰めておりました。


        八


 婆「はてね……おめえさんの母様かゝさまというは江戸者かねえ」

 長「何故だえ」

 婆「と思い出した事があるからねえ」

 長「フム、己の親は江戸者じゃアねえが、何処どこの田舎だかおらア知らねえ、何でもおれ五歳いつゝの時田舎から出て、神田の三河町へ荒物みせを出すと間もなく、寛政九年の二月だと聞いているが、其の時の火事に全焼まるやけになって、其の暮にとっさんが死んだから、おふくろが貧乏の中で丹誠して、己が十歳とおになるまで育ってくれたから、職を覚えてお母に安心させようと思って、清兵衞親方という指物師の弟子になったのだ」

 婆「左様そうかねえ、それじゃアしかおめえさんの母様はおさなさんと云わねいかねえ」

 長「あゝ左様だ、おさなと云ったよ」

 婆「父様とっさまはえ」

 長「とっさんは長左衛門ちょうざえもんさ」

 婆「アレエ魂消たまげたねえ、おめえさん……長左衛門殿の拾児ひろいッこの二助どんけえ」

 長「何だと己が拾児だと、何ういうわけでおめえそんな事を」

 婆「知らなくってねえ、此の土地の棄児すてごだものを」

 長「そんなら己は此の湯河原へ棄てられた者だというのかえ」

 婆「そうさ、此の先の山をちっと登ると、小滝の落ちてる処があるだ、其処そこあしッ株の中へ棄てられていたのだ、背中の疵が証拠だアシ」

 兼「これは妙だ、何処どこに知ってる者があるか分らねえものだなア」

 長「こりゃア思いがけねえ事だ……そんなら婆さんおめえ己の親父やお母を知ってるかね」

 婆「知ってるどころじゃアねい」

 長「そうして己の棄てられたわけも」

 婆「ハア根こそげ知ってるだア」

 長「左様そうかえ……そんなら少し待ってくんな」

 と長二は此の先婆さんが如何様いかようのことを云出すやも分らず、次第によってはまことの両親の身の上、又は自分の恥になることを襖越しの相客などに聞かれては不都合と思いましたから、廊下へ出て様子をうかゞいますと、隣座敷の客達はみんな遊びに出て留守ですから、安心をして自分の座敷に立戻り、何程かの金子を紙に包んで、

 長「婆さん、こりゃア少ねえがおめえに上げるから煙草でも買いなさい」

 婆「これはマアでかくお貰い申してお気の毒なこんだ」

 長「其の代り今の話をくわしく聞かしてください、ひとに聞えると困るから、小さな声でお願いだよ」

 婆「何を困るか知んねいが、湯河原じゃア知らねい者はいだけんどね、わしイ一番よく知ってるというのア、その孩児ねゝっこ……今じゃア此様こんなにでかくなってるが、生れたばかりのおめえさんをむごくしたのを、私イ眼の前に見たのだから」

 長「そんならおめえ、己のほんとの親達も知ってるのか、何処のなんという人だえ」

 婆「何処の人か知んねえが、わし此家こっちへ奉公に来た翌年あくるとしこんだから、私がハア三十一の時だ、左様すると……二十七八年めえのこんだ、何でも二月のはじめだった、孩児を連れた夫婦の客人が来て、離家はなれに泊って、三日ばかりいたのサ、私イ孩児の世話アして草臥くたびれたから、次の間に打倒うちたおれて寝てしまって、夜半よなかに眼イさますと、夫婦喧嘩がはだかって居るのサ、女の方で云うには、塩梅あんべいに云いくるめて、旦那におっかぶして置いたが、此のはおめいさんのたねちげいというと、男の方では月イ勘定すると一月ひとつき違うから己の児じゃアい、顔まで彼奴あいつに似ていると云うと、女は腹ア立って、一月ぐれえは勘定を間違まちげえる事もあるもんだ、おめえのようにじついことを云われちゃア苦労をしたけいがねい、わしイもううちに居ねい了簡だから、此の児はおめえの勝手にしたがえと孩児を男の方へ打投ぶんなげたと見えて、孩児がくだアね、其の声で何を云ってるか聞えなかったが、何でも男の方も腹ア立って、また孩児を女の方へ投返すと、女がまた打投げたと見えてドッシン〳〵と音がアして、はてにア孩児の声も出なくなって、死ぬだんべいと思ったが、外のこッてねえから魂消ているうち、ぐず〳〵口小言を云いながら夫婦ともてしまった様子だったが、翌日あくるひの騒ぎが大変さ」

 長「フム、どういう騒ぎだッたね」

 婆「これからおめえさんの背中の穴の話になるんだが、此のめえ江戸から来たなんとか云った落語家はなしかのように、こけえらで一節ひときり休むんだ、のどが乾いてなんねいから」

 兼「婆さん、なか〳〵うめえもんだ、サアこゝへ茶をいで置いたぜ」

 婆「ハアこれは御馳走さま……一息ついてすぐあとを話しますべい」


        九


 兼「婆さん、それから何うしたんだ、早く話してくんなせえ」

 婆「ハア、それからだ、其の翌日あくるひ七時なゝつさがりであったがね、吉浜にいる知合しりえいを尋ねてまたけえって来るから、荷物は預けて置くが、初めて来たのだからと云って、勘定をして二人が出て行ったサ、其の日長左衛門殿どんが山へ箱根竹はこねだけりに行って、日暮ひくれに下りて来ると、山の下で孩児の啼声なきごえがするから、魂消て行って見ると、沢の岸の、かやだの竹のえている中に孩児が火の付いたように啼いてるから、何うしたんかと抱上げて見ると、どうだんべい、可愛そうに竹の切株きッかぶが孩児の肩のところへ突刺つッさゝっていたんだ、これじゃア大人でも泣かずにゃア居られねい、打捨うちゃって置こうもんならおッんでしまうから、長左衛門殿が抱いてけえって訳え話したから、おさなさんも魂消て、吉浜の医者どんを呼びにやるやらハア村中の騒ぎになったから、わしが行って見ると、藤屋の客人の子だから、すぐけえって何処の人だか手掛てがゝりイ見付けようと思って客人が預けて行った荷物を開けて見ると、梅醤うめびしお曲物まげものと、油紙あぶらッかみに包んだ孩児の襁褓しめしばかりサ、そんで二人とも棄児すてごをしに来たんだと分ったので、直に吉浜から江の浦小田原と手分てわけえして尋ねたが知んねいでしまった、何でも山越しに箱根の方へげたこんだろうとあとで評議イしたことサ、孩児は背中の疵がでけえに血がえらく出たゞから、所詮助かるめいと医者どんが見放したのを、長左衛門殿夫婦が夜も寝ねいで丹誠して、湯へ入れては疵口を湯でなでゝ看護をしたところが、効験きゝめは恐ろしいもんで、六週むまわりも経っただねえ、でけえ穴にはなったが疵口が癒ってしまって、達者になったのだ、寿命のある人は別なもんか、助かるめいと思ったおめいさんが此様こんなにでかくなったのにゃア魂消やした」

 兼「ムヽそれじゃア兄いは此の湯河原の温泉のお蔭で助かったのだな」

 長「左様そうだ、温泉の効能も効能だがお母や親父の手当が届いたからの事だ、他人の親でせえ其様そんなに丹誠してくれるのに、現在げんぜえ血を分けた親でいながら、背中へ竹の突通るほど赤坊あかんぼを藪のなけほうり込んですてるとア鬼のような心だ」

 と長二は両眼に涙をうかめまして、

 長「婆さん、そうしておめえその児を棄てた夫婦のなりや顔を覚えてるだろう、何様どんな夫婦だったえ」

 婆「ハアおべえていやすとも、むごい人だと思ったから忘れねいのさ、男の方は廿五六でもあったかね。商人あきゅうどでも職人でもい男で、女の方は十九か廿歳はたちぐらいで色の白い、髪の毛の真黒まっくろな、まなこが細くって口元の可愛かえいらしいい女で、縞縮緬しまちりめんの小袖にわしイ見たことのくれえ革の羽織を着ていたから、何という物だと聞いたら、八幡黒やわたぐろの半纒革だと云ったっけ」

 兼「フム、少し婀娜あだな筋だな、何者だろう」

 長「何者だって其様そんな奴に用はねえ、婆さん此の疵は癒っても乳のいので困ったろうねえ」

 婆「そうだ、長左衞門殿どんとおさなさんが可愛かわえがって貰いイして漸々よう〳〵に育って、其の時名主様をしていた伊藤様へ願って、自分の子にしたがね、名前なめえが知んねいと云ったら、名主様が、おめえ達二人の丹誠で命を助けたのだから二助としろと云わしゃった、何がさて名主様が命名親なつけおやだんべい、サア村の者が可愛かわえがるめいことか、外へでも抱いて出ると、手から手渡しで、村境むらざかいまで行ってしまう始末さ、わしらもく抱いてもりをしたんだが、今じゃアでかくなってハア抱く事ア出来ねい」

 兼「冗談じゃアねえ、今抱かれてたまるものかナ……そうだが兄い……不思議な婆さんに逢ったので、思いがけねえ事を聞いたなア」

 長「ウム、初めて自分の身の上を知った、道理で此の疵のことをいうとお母が涙ぐんだのだ……かね……己の外聞げいぶんになるから此の事ア決してひとに云ってくれるなよ」


        十


 長「婆さん、お願いだからおめえも己のことを此家こっちの人達へねえしょにしていてくんなせえ……これは己のちいさい時守をしてくんなすったお礼だ」

 とまた幾許いくらか金を包んで遣りますと、婆さんは大喜びで、

 婆「此様こんなに貰っちゃア気の毒だが、おめえさんも出世イして、んな身分になってわしも嬉しいからお辞儀イせずに戴きやす……私イえきもねいこんだ、お前さんのことを何でひとに話すもんかね、気遣きづけえしねいがい」

 長「何分頼むよ、おめえのお蔭でくわしい事が知れて有難ありがてえ……ムヽそうだ、婆さん、お前その、長左衛門の先祖の墓のある寺を知ってるか」

 婆「知ってますよ、泉村いずみむら福泉寺ふくせんじ様だア」

 長「泉村とア何方どっちだ、遠いか」

 婆「なアにハア十二丁べいしもだ、明日あすわしが案内しますべいか」

 長「それには及ばねえよ」

 婆「左様そうかね、そんならわしイ下へめえりやすよ、用があったら何時でも呼ばらッしゃい」

 と婆さんが下へ降りて行ったあとで、長二は己を棄てた夫婦というは何者であるか、又夫婦喧嘩の様子では、外に旦那という者があるとすれば、此の男と馴合なれあいで旦那を取って居たものか、たゞしは旦那というが本当の亭主で、此の男が奸夫かんぷかも知れず、なんにいたせ尋常の者でない上に、無慈悲千万な奴だと思いますれば、まことの親でも少しも有難くございません、それに引換え、養い親は命の親でもあるに、死ぬまでひろいッ子ということを知らさず、うみの子よりも可愛がって養育された大恩の、万分一も返す事の出来なかったのは今さら残念な事だと、既往こしかたおもいめぐらしてふさぎはじめましたから、兼松がはたから種々いろ〳〵と言い慰めて気を散じさせ、翌日共に泉村の寺を尋ねました。寺は曹洞宗そうどうしゅうで、清谷山せいこくざん福泉寺と申して境内は手広でございますが、土地の風習でいずれの寺にも境内には墓所はかしょを置きませんで、近所の山へ葬りまして、回向えこうの時は坊さんが其の山へ出張でばる事ですから、長二も福泉寺の和尚に面会して多分の布施を納め、先祖の過去帳を調べて両親の戒名を書入れて貰い、それより和尚の案内で湯河原村の向山にある先祖の墓に参詣いたしたので、婆さんは喋りませんが、寺の和尚から、藤屋の客は棄児の二助だということが近所へ知れかゝって来ましたから、疵の痛みが癒ったを幸い、十一月の初旬はじめに江戸へ立帰りました。さて長二はお母が貧乏の中ですゝぎ洗濯や針仕事をして養育するのを見かね、少しにても早くお母の手助けになろうと、十歳の時自分からお母に頼んで清兵衛親方の弟子になったのですから、親方から貰う小遣銭こづかいぜにはいうまでもなく、駄菓子でも焼薯やきいもでもしまって置いて、仕事場のすきを見て必ずお母のところへ持ってまいりましたから、清兵衞親方も感心して、他の職人より目をかけて可愛がりました。斯様かように孝心の深い長二でございますから、親の恩の有難いことは知って居りますが、今度湯治場で始めて長左衛門夫婦は養い親であるということを知ったばかりでなく、まことの親達の無慈悲を聞きましたから、殊更ことさらに養い親の恩が有難くなりましたが、両親とも歿のちは致し方がございませんから、めてはねんごろに供養でもして恩を返そうと思いまして、両親の墓のある谷中三崎さんさき天竜院てんりゅういんへまいり、和尚に特別の回向を頼み、供養のために丹誠をこらして経机きょうづくえ磐台きんだいなど造って、本堂に納め、両親の命日には、雨風をいとわず必ず墓まいりをいたしました。


        十一


 斯様な次第でございますから、何となく気分がすぐれませんので、諸方から種々いろ〳〵注文がありましても身にしみて仕事を致さず、其の年も暮れて文政四巳年みどしと相成り、正月二月と過ぎて三月の十七日は母親おふくろの十三年忌に当りますから、天竜院において立派に法事を営み、親方の養子夫婦は勿論兄弟弟子一同を天竜院へ招待しょうだいしてときふるまい、万事とゞこおりなく相済みまして、呼ばれて来た人々は残らず帰りましたから、長二は跡に残って和尚に厚く礼を述べて帰ろうといたすを、和尚が引留めて、自分のへやに通して茶などをすゝめながら、長二が仏事に心を用いるは至極奇特きどくな事ではあるが、昨年の暮頃から俄かに仏三昧ざんまいを初め、殊に今日の法事は職人の身分には過ぎてるほど立派に営みしなど、近頃合点がてんのいかぬ事種々あるが是には何か仔細のある事ならん、次第によっては別に供養の仕方もあれば、苦しからずば仔細を話されよとねんごろに申されますゆえ、長二もかねおりもあらば和尚にだけは身の上の一伍一什いちぶしじゅうを打明けようと思って居りました所でございますから、幸いのことと、自分は斯々かく〳〵棄児すてごにて、長左衛門夫婦に救われて養育を受けし本末もとすえくわしく話して居りますところへ、小坊主が案内して通しました男は、年の頃五十一二で、色の白い鼻準はなすじの高い、眼の力んだ丸顔で、中肉中背、衣服は糸織藍万いとおりあいまんあわせに、琉球紬りゅうきゅうつむぎの下着を袷重ねにして、茶献上の帯で、小紋のの一重羽織を着て、珊瑚さんご六分珠ろくぶだま緒締おじめに、金無垢の前金物まえがなものを打った金革の煙草入は長門の筒差つゝざしという、いやしからぬ拵えですから、長二は遠慮して片隅の方にひかえてると、其の男は和尚にざっと挨拶して布施を納め、一二服煙草を呑んで本堂へおまいりに行きました。其の容体ようだいすこぶ大柄おおへいですから、長二は此様こんな人に話でもしかけられては面倒だ、此の間に帰ろうと思いまして暇乞いとまごいを致しますと、和尚は又其の人に長二を紹介ひきあわして出入場でいりばにしてやろうとの親切心がありますから、

 和「まア少しお待ちなさい、今のお方は浅草鳥越とりこえ龜甲屋きっこうや幸兵衛こうべえ様というてわしの一檀家じゃ、なか〳〵の御身代で、苦労人の上に万事贅沢にして居られるから、お近附になって置くがい」

 長「へい有難うございますが、少し急ぎの仕事が」

 和「今日はう仕事は出来はすまい、ムヽ仕事と云えばわしも一つ煙草盆をこさえてもらいたいが、何ういうのがいかな……これは前住せんじゅうが持って居ったのじゃが、あろうしたと見えて此様こないこわれて役にたゝんが、落板おとしはまだ使える、此の落板に合わしてい塩梅に拵えてもらいたいもんじゃ」

 と種々話をしかけますから長二は帰ることが出来ません、其の内に幸兵衛は参詣をしまい戻って来て、

 幸「毎月墓参はかまいりをいたしたいと思いますが、屋敷家業というものは体が自由になりませんので、つい不信心ぶしん〴〵になります」

 和「お忙しいお勤めではなか〳〵寺詣りをなさるお暇はないて、暇のある人でも仏様からは催促がんによって無沙汰勝になるもので」

 幸「まア左様いう塩梅で……二月ふたつきばかり参詣をいたさんうちに御本堂が大層お立派になりました、の左の方にある経机は何方どちらからの御寄附でございますか、彼様あん上作じょうさくは是まで見ません、よっぽど良い職人がこしらえた物と見えます」

 和「あの机かな、あれは此処こゝにござる此の方の御寄附じゃて」

 幸「へい左様さようですか……これは貴方あなた御免なさい……へい初めてお目にかゝります、わたくしは幸兵衛と申す者で……只今承まわれば彼の経机を御寄附になったと申すことですが、あれは何処どこなんと申す者へおあつらえになったものでございます」

 長「へい、あれは、ヘイわっちこせえたので、仕事のすき剰木あまりっきで拵えたのですから思うように出来ていません」

 幸「へえーそれでは貴方は指物をなさるので」

 和「はて、これが指物師で名高い不器用イヽヤナニ長二さんという人さ」

 幸「フム、それではかねて風聞に聞いた名人の木具屋きぐやさん……へえー貴方が其の親方でございますか、たしか本所の〆切とかにお住いですな」

 長「左様です」

 幸「それでは柳島のわしの別荘からは近い…就てはお目にかゝったのを幸い、差向さしむき客火鉢を二十に煙草盆を五六対拵えてもらいたいのですが、もっとも桐でも桑でもかまいません、何時頃までに出来ますね」

 長「早くは出来ません、良くこせえるのには木の十年もからした筋のいのを捜さなけれアいけませんから」

 幸「どうか願います、お近いから近日柳島の宅へ一度来てください、漸々よう〳〵此間こないだ普請ふしんが出来上ったばかりだから、種々誂えたいものがあります」

 長「へい、わっちはどうも独身ひとりものせわしないから、屹度あがるというお約束は出来ません」

 幸「そういう事なら近日わしがお宅へ出ましょう」

 長「どうか左様そう願います」

 と長二は斯様な人と応対をするのが嫌いでございますから、話の途切れたのをしお暇乞いとまごいをして帰りました。


        十二


 あとで幸兵衛は和尚に、

 幸「伎倆うでい職人というものは、お世辞も軽薄もないものだと聞いていましたが、成程彼の長二も其のたちで、なか〳〵面白い人物のようです」

 和「職人じゃによって礼儀にはうといが、心がけのい人で、第一陰徳いんとくを施す事が好きで、此の頃は又仏のことに骨を折っているじゃて、余程妙な奇特きどくな人じゃによって、どうか贔屓にしてやってください」

 幸「左様さようですか、職人には珍らしい変り者でございますが、それには何か訳のある事でしょう」

 和「はい、お察しの通り訳のあることで、全体あの男は棄児でな、今に其の時の疵が背中に穴になって残ってるげな」

 幸「へえー、それは何うした疵で、どういう訳でございますか」

 と幸兵衞がして尋ねますから、和尚は長二の身の上を委しく話したならば、不憫が増して一層贔屓にしてくれるであろうとの親切から、先刻長二に聞きました一伍一什いちぶしじゅうのことを話しますと、幸兵衛は大きに驚いた様子で、左様に不仕合な男なれば一層目をかけてやろうと申して立帰りましたのちは、度々たび〳〵長二の宅を尋ねて種々の品を注文いたし、多分の手間料を払いますので、長二は他の仕事を断って、兼松を相手に龜甲屋の仕事ばかりをしても手廻らぬほどせわしい事でございました。其の年の四月から五月まで深川に成田の不動尊のお開帳があって、大層賑いました。其のお開帳へ参詣した帰りがけで、四月の廿八日の夕方龜甲屋幸兵衞は女房のおりゅうを連れ、供の男に折詰の料理をげさせて、長二の宅へ立寄りました。

 幸「親方うちかえ」

 兼「こりゃアいらっしゃい……兄い……鳥越の旦那が」

 長「そうか、イヤこれは、まアおあがんなさい、相変らず散かっています」

 幸「今日はお開帳へまいって、人込で逆上のぼせたから平清ひらせいで支度をして、帰りがけだが、今夜は柳島へ泊るつもりで、近所を通るついでに、これが親方に近付になりたいと云うから、お邪魔に寄ったのだ」

 長「そりゃアく……まア此方こっちへお上んなさい」

 と六畳ばかりの奥のの長火鉢の側へ寝蓆ねござを敷いて夫婦を坐らせ、番茶をいで出す長二の顔をお柳が見ておりましたが、何ういたしたのか俄に顔が蒼くなって、眼がさかづり、肩で息をする変な様子でありますから、長二も挨拶をせずに見ておりますと、まるで気違のように台所の方から座敷の隅々をきょろ〳〵見廻して、幸兵衛が何を云っても、只はいとかいゝえとか小声に答えるばかりで、其の内に又何か思い出しでもしたのか、襟の中へ顔を入れて深く物を案じるような塩梅で、紙入を出して薬をみますから、兼松が茶碗に水を注いで出すと、一口飲んで、

 柳「はい、もう宜しゅうございます」

 長「っか御気分でも悪いのですか」

 幸「なに、人込へ出るといつでも血の道がおこって困るのさ」

 兼「矢張やっぱり逆上のぼせるので、もっと水を上げましょうか」

 幸「もう治りました、早く帰って休んだ方が宜しい……これは親方生憎あいにくな事で、とんだ御厄介になりました、又其の内に出ましょう」

 とそこ〳〵に帰ってまいります。


        十三


 お柳のなりは南部の藍の子持縞こもちじまの袷に黒の唐繻子とうじゅすの帯に、極微塵ごくみじん小紋縮緬こもんちりめん三紋みつもんの羽織を着て、水のたれるような鼈甲べっこうくしこうがいをさして居ります。年は四十の上を余程越して、末枯すがれては見えますが、色ある花はにおい失せずで、何処やらに水気があって、若い時は何様どんな美人であったかと思う程でございますが、来ると突然いきなり病気で一言ひとことも物を云わずに帰って行く後影うしろかげを兼松が見送りまして、

 兼「兄い……ちっと婆さんだがい女だなア」

 長「そうだ、なりも立派だのう」

 兼「だが、旨味のえ顔だ、笑いもしねいでの」

 長「塩梅あんべえがわるかったのだから仕方がねえ」

 兼「左様そうだろうけれども、一体が桐の糸柾いとまさという顔立だ、綺麗ばかりで面白味がえ、旦那の方は立派で気が利いてるから、桑の白質しらたまじりというのだ」

 長「うまく見立てたなア」

 兼「兄いも己が見立てた」

 長「なんと」

 兼「兄いは杉の粗理あらまさだなア」

 長「何故」

 兼「何故って厭味なしでさっぱりしていて、長く付合うほどくなるからさ」

 長「そんなら兼、手前てめえは檜の生節いきぶしかな」

 兼「有難ありがてえ、幅があって匂いがいというのか」

 長「いゝや、時々ポンと抜けることがあるというのよ」

 兼「人を馬鹿にするなア、いつでもしめえにア其様そんな事だ、おやアおりを置いて行ったぜ、平清のお土産とは気が利いてる、一杯いっぺい飲めるぜ」

 長「馬鹿アいうなよ、忘れて行ったのなら届けなけりゃアわりいよ」

 兼「なに忘れてッたのじゃアえ、コウ見ねえ、魚肉なまぐさへえってる折にわざ〳〵熨斗のしはさんであるから、進上というのに違いねえ、独身もので不自由というところを察して持って来たんだ、行届いた旦那だ………何がへえってるか」

 長「コウよしねえ、取りに来ると困るからよ」

 兼「心配しんぺいしなさんな、そんなけちな旦那じゃアえ、もしか取りに来たら己が喰っちまったというから兄いも喰いねえ、一合買って来るから」

 と、兼松は是より酒を買って来て、折詰の料理を下物さかなに満腹して寝てしまいました。其の翌朝よくあさ長二は何か相談事があって大徳院前の清兵衛親方のところへ参りましたあとで兼松が台所を片付けながら、空の折を見て、長二の云う通り忘れて行ったので、柳島から取りに来はしまいかと少し気になるところへ、毎度使いに来る龜甲屋の手代が表口から、

 手代「はい御免なさい、柳島からまいりました」

 と聞いて兼松はぎょっとしました。


        十四


 兼松はげる訳にも参りませんから、まご〳〵しながら、

 兼「えい何か御用で」

 手「はい、御新造ごしんぞ様が此のお手紙をお見せ申して、昨日きのう忘れた物を取って来てくれろと仰しゃいました」

 兼「へえー忘れた物を、へえー」

 手「それに此の品を上げて来いと仰しゃいました」

 と手紙と包物つゝみものを出しましたが、兼松は蒼くなって、遠くの方から、

 兼「なんだか分りやせんが、生憎あにきえゝ長二が留守ですから、手紙もみんな置いてっておくんなせえ」

 手「いゝえ、是非手紙をお目にかけろと申付けられましたから、お前さん開けて見ておくんなさい」

 兼「だってわっちにはむずかしい手紙は読めねえからね」

 手「御新造様のはいつでも仮名ばかりですが」

 兼「そうかね」

 と怖々手紙をひらいて、

 兼「えゝとなんだナ……鳥渡申上々とりなべちゅうじょう〴〵……はてな鳥なべになりそうな種はなかったが、えゝと……昨日さくひはよき折……さア困った、もしお使い、実はね鉋屑かんなくずの中にあったからお土産だと思ってね、お手紙の通りい折でしたが、つい喰ったので」

 手「へえー左様さようでございますか、わたくしは火鉢の側のように承わりましたが」

 兼「何処でも同じ事だが、それから何だ、えゝ……よき折から……空になった事を知ってるのか知らん、おんめもしいたし…何という字だろう…御うれしく……はてな、御めしがうれしいとは何ういう訳だろう、それから…そんじじょう…〓(「まいらせそろ」の草書体文字)…サア此のせむしのような字は何とか云ったッけねえおめえさん、此の字は何と云いましたッけ」

 手「へい、どれでございます、へい、それはまいらせそろという字で」

 兼「そう〳〵、まいらせそろだ、それにしても何が損じたのか訳が分らねえが、えゝと……その折は、また折の事だ喰わなければよかった……もちびょうおこり……おごりにはちげえねいが、もちびょうとは何の事だか…あつくおんせわに…相成り…御きもじさまにそんじ〓(「まいらせそろ」の草書体文字)……又損じて瘻のような字がいるぜ、相摸さがみさがという字に楠正成くすのきまさしげしげという字だが、相成さがしげじゃア分らねえし、又きもじさまとア誰の名だか、それから、えゝと……あしからかす〳〵おんかんにん被下度候……何だか読めねえ」

 手「お早く願います」

 兼「左様そういちゃア尚分らなくならア、此のからす〳〵かんざえもんとア此間こねえだ御新造が来た夕方の事でしょう」

 手「そんな事が書いてございますか」

 兼「あるから御覧なせえ、それ」

 手「こりゃアあしからず〳〵かんにんくだされたくそろでございます」

 兼「フム、おめえさんの方がなか〳〵うめもんだ、其の先にむずかしい字が沢山たんと書いてあるが、お前さん読んでごらんなせい」

 手「こゝでございますか」

 兼「何でも其の見当だッた」

 手「こゝは……其の節置わすれそろ懐中物此のものへおん渡し被下度候くだされたくそろ、此の品粗まつなれどさし上候あげそろまずは用事のみあら〳〵〓(「かしく」の草書体文字)

 兼「うめい其の通りだ、その結尾しまいにある釣鉤つりばりのような字は何とか云ったね」

 手「かしくと読むのでございます」

 兼「ウムそうだ、分った事ア分ったが、兄いがいねえから、帰って其の訳を御新造に云っておくんなせい」

 と申しますので、手代も困って帰りました。其のあとへ長二が戻って来ましたから、兼松が心配しながら手紙を見せると、

 長「昨日きのう御新造が薬を出したまんま紙入を忘れて行ったのを、今朝っけたから取りに来ないうちにと思って、親方の所へ行ったけえりがけに柳島へ廻って届けに行ったら、先刻さっき取りにやったと云ったが、また此様こんな土産物をよこしたのか、気の毒な、何だ橋本の料理か、兼又一杯いっぺい飲めるぜ」

 兼「ありがてえ、毎日めえにち斯ういう塩梅あんべえもれえ物があると世話がえが、昨日のは喰いながらも心配だッた」

 長「何も其様そんな思いをして喰うにア及ばない、全体ぜんてい手前てめえは意地がきたねえ、衣食住と云ってな着物と食物くいものうちの三つア身分相応というものがあると、天竜院の方丈様が云った、職人ふぜいで毎日めえにち店屋てんやの料理なんぞを喰っちアばちがあたるア、貰った物にしろ毎日こんな物を喰っちア口がおごって来て、まずい物が喰えなくなるから、実ア有がた迷惑だ、職人でも芸人でも金持に贔屓にされるアいが、見よう見真似で万事贅沢になって、気位きぐらいまで金持を気取って、他の者を見くびるようになるから、おらア金持と交際つきあうことア大嫌でえきれえだ、龜甲屋の旦那が来い〳〵というが、今まで一度も行かなかったが、忘れて行ったものを黙って置いちゃア気が済まねえから、持って云ってほうり込んで来たが、柳島のうち素的すてきに立派なもんだ、屋敷稼業というものア、泥坊のような商売しょうべえと見える、そんな人のくれたものア喰っても旨くねえ、手前てめえ喰うならみんな喰いねえ、己ア天麩羅でも買って喰うから」

 と雇いの婆さんに天麩羅を買わせて茶漬を喰いますから、兼松も快よく其の料理を喰うことは出来ません。婆さんと二人で少しばかり喰って、残りを近所に住んでいる貧乏な病人に施すという塩梅で、万事並の職人とは心立こゝろだてちがって居ります。


        十五


 長二は母の年回ねんかいの法事に、天竜院で龜甲屋幸兵衛に面会してから、格外の贔屓を受けていろ〳〵注文物があって、多分の手間料を貰いますから、活計向くらしむきも豊になりましたので、かねての心願どおり、思うまゝに貧窮人に施す事が出来るようになりましたのは、全く両親が草葉の蔭から助けてくれるのであろうと、益々両親の菩提ぼだいを弔うにつきましては、愈々いよ〳〵まことの両親の無慈悲を恨み、寐ても覚めても養い親の大恩と、実の親の不実を思わぬ時はございません。さて其の夏も過ぎ秋も末になりまして、龜甲屋から柳島の別荘の新座敷の地袋に合わして、唐木からきの書棚を拵えてくれとの注文がありました。前にも申しました通り、長二はお柳が置忘れた紙入を届けに行ったきり、是まで一度も龜甲屋へ参った事はございませんが、今度の注文物は其の地袋の摸様もようを見なければ寸法其の外の工合ぐあいが分りませんので、余儀なく九月廿八日に自身で柳島へ出かけますと、折よく幸兵衞が来ておりまして、お柳と共に大喜びで、長二を座敷へ通しました。長二は地袋の摸様を見てすぐに帰るつもりでしたが、夫婦が種々いろ〳〵の話を仕かけますので、迷惑ながら尻を落付けて挨拶をして居るうちに、橋本の料理が出ました。

 幸「親方……何にもないが、初めてだから一杯やっておくれ」

 長「こりゃアお気の毒さまな、わたくしア酒は嫌いですから」

 柳「そうでもあろうが、私がお酌をするから」

 長「へい〳〵これは誠にどうも」

 幸「酒は嫌いだというから無理にすゝめなさんな、親方肴でもたべておくれ」

 長「へい、こんな結構な物ア喰った事アございませんから」

 幸「だッて親方のような伎倆うでまえで、親方のように稼いでは随分儲かるだろうから、旨い物には飽きて居なさろう」

 長「どう致しまして、儲かるわけにはいきません、みんな手間のかゝる仕事ですから、高い手間を戴きましても、一日いちんちに割ってみると何程にもなりやしませんから、なか〳〵旨い物なんぞ喰う事ア出来ません」

 幸「左様そうじゃアあるまい、人の噂に親方は貧乏人に施しをするのが好きだという事だから、それで銭が持てないのだろう、何ういう心願かア知らないが、若いにしちア感心だ」

 長「人はなんてえか知りませんが、施しといやア大業おおぎょうです、わたくしちいさい時分貧乏でしたから、貧乏人を見ると昔を思い出して、気の毒になるので、持合せの銭をやった事がございますから、そんな事を云うんでしょう」

 柳「長さん、お前ちいさい時貧乏だッたとお云いだが、おとっさんやおっかさんは何商売だったね」

 長「元は田舎の百姓でわたくしの少さい時江戸こっちへ出て来て、荒物屋を始めると火事で焼けて、間もなく親父が死んだものですから、母親おふくろが貧乏の中で私を育ったので、三度の飯さえ碌に喰わない程でしたから、子供心に早く母親の手助けを仕ようと思って、十歳とおの時清兵衛親方の弟子になったのですが、母親も私が十七の時死んでしまったのです」

 と涙ぐんで話しますから、幸兵衛夫婦も其の孝心の厚いのに感じた様子で、

 柳「お前さんのような心がけの良い方が、何うしてまア其様そんな不仕合ふしあわせだろう、お母さんをもう少し生かして置きたかったねえ」

 長「へい、もう五年生きていてくれると、育ってくれた恩返おんげえしも出来たんですが、まゝにならないもんです」

 と鼻をすゝって握拳にぎりこぶしで涙を拭きます心を察してか、お柳も涙ぐみまして、

 柳「お察し申します、お前さんのように親思いではお父さんやお母さんに早く別れて、孝行の出来なかったのはさぞ残念でございましょう」

 長「へい左様そうです、世間でうみの親より養い親の恩は重いと云いますから、猶残念です」

 柳「へえー、そんならお前さんの親御は本当の親御さんではないの」

 と問われたので、長二はとんだ事を云ったと気がつきましたが、今さら取返しがつきませんから。

 長「へい左様さよう……わたくしの親は……へい本当の親ではごぜいません、私を助けて、いゝえ私を養ってくれた親でございます」

 幸「はて、それでは親方は養子に貰われて来たので、本当の親御達はまだ達者かね」

 長「其様そんな訳じゃアございませんから」

 幸「そんなら里っ子ながれとでもいうのかね」

 長「いゝえ、左様そうでもございません」

 幸「どうしたのか訳が分らない」

 長「へい、此の事は是までひとに云った事アございませんから、どうもヘイわたくしの恥ですから誠に」

 柳「親方何だね、お前さんの心掛がいというので、旦那が此様こんなに可愛がって、お前さんの為になるように心配してくださるのだから、話したって宜いじゃアないかね」

 幸「どんな事か知らないが、次第によっちゃア及ばずながら力にもなろうから、話して聞かしなさい、決して他言はしないから」

 長「へい、そう御親切に仰しゃってくださるならお話をいたしましょうが、何卒どうぞ内々ない〳〵に願います………実アわたくしア棄児です」

 柳「お前さんがエ」

 長「へい、わたくしの実の親ほど」

 と云いかけて実親じつおやの無慈悲を思うも臓腑はらわたにえかえるほど忌々いま〳〵しく恨めしいので、唇が痙攣ひきつり、烟管きせるを持った手がぶる〴〵ふるえますから、お柳は心配気に長二の顔を見詰めました。

 柳「本当の親御達が何うしたのだえ」

 長「へいわたくしの実の親達ほどむごい奴はおよそ世界にございますめえ」

 とさも口惜くやしそうに申しますと、お柳は胸のあたりでひどく動悸どうきでもいたすようなふるえ声で、

 柳「何故だえ」

 長「何故どころのこっちゃアございません、わたくしの生れた年ですから二十九年めえの事です、私を温泉のある相州の湯河原の山ん中へ打棄うっちゃったんです、只打棄るのア世間に幾許いくらもございやすが、猫の死んだんでも打棄るように藪ん中へおッ投込ぽりこんだんと見えて、竹の切株がわっちの背中へずぶり突通つッとおったんです、それを長左衛門という村の者が拾い上げて、温泉で療治をしてくれたんで、漸々よう〳〵助かったのですが、其の時の傷ア……失礼だが御覧なせい、こん通りポカンと穴になってます」

 と片肌を脱いで見せると、幸兵衞夫婦は左右から長二の背中をのぞいて、互に顔を見合せると、お柳はたちま真蒼まっさおになって、苦しそうに両手を帯の間へ挿入さしいれ、鳩尾むなさきを強くす様子でありましたが、おさえきれぬか、アーといいながら其の場へ倒れたまゝ、悶えくるしみますので、長二はお柳が先刻さっきからの様子と云い、今の有様を見て、さては此の女が己を生んだ実の母に相違あるまいと思いました。


        十六


 其の時の男というは此の幸兵衛か、たゞしは幸兵衛は正しい旦那で、奸夫かんぷは他の者であったか、其の辺の疑いもありますから、とくと探索した上で仕様があると思いかえして、何気なく肌を入れまして、

 長「こりゃとんだ詰らないお話をいたしまして、まことに失礼を……急ぎの仕事もございますからおいとまにいたします」

 幸「まアいじゃアないか、種々いろ〳〵聞きたい事もあるから、今夜泊ってはどうだえ」

 長「へい、有難うございますが、兼松が一人で待ってますから」

 柳「親方御免よ、生憎また持病がおこって」

 長「お大事でえじになさいまし……左様なら」

 と急いで宅へ帰りましたが、考えれば考えるほど、幸兵衛夫婦が実の親のようでありますから、それから段々二人の素性を探索いたしますと、お柳は根岸辺に住居していた物持なにがしさいで、某が病死したについて有金ありがねを高利に貸付け、嬬暮やもめぐらしで幸兵衛を手代に使っているうち、何時か夫婦となり、四五年前に浅草鳥越へ引移って来たとも云い、又せんの亭主の存生中ぞんしょうちゅうから幸兵衞と密通していたので、亭主が死んだのを幸い夫婦になったのだとも云って、判然はっきりはしませんが、谷中の天竜院の和尚の話に、何故なにゆえか幸兵衞が度々たび〴〵来て、長二の身の上は勿論両親ふたおやの素性などを根強く尋ねるというので、彼是を思い合すと、幸兵衛夫婦は全く親には違いないが、無慈悲のかどがあるので、面目なくって今さら名告なのることも出来ないから、贔屓というを名にして仕事を云付け、屡々しば〴〵往来ゆきゝして親しく出入でいりをさせようとしたが、此方こっちで親しまないので余計な手間料を払ったり、不要な道具を注文したりして恩をせ、余所よそながら昔の罪を償おうとの了簡であるに相違ないが、前非ぜんぴを後悔したなら有体ありていに打明けて、親子の名告なのりをすればまだしも殊勝だのに、そうはしないで、現在実子と知りながら旧悪を隠して、人をなずけようとする心底は面白くないから、今度来たなら此方から名告りかけて白状させてやろうと待もうけてるとは知らず、幸兵衛は女房お柳といずれかへ遊山にまいった帰りがけと見えて、供も連れず、十一月九日の夕方長二のうちへ立寄りました。丁度兼松は深川六間堀にる伯母の病気見舞に行き、雇婆さんは自分の用達ようたしに出て居りませんから、長二は幸兵衛夫婦を表に立たせて置いて、其の辺に取散してあるものを片付け、急いで行灯あんどうともして夫婦を通しました。

 幸「夕方だが、丁度前を通るから尋ねたのだ、もう構いなさんな」

 長「へい、誠にお久しぶりで、なに今みんな他へまいって一人ですから、誠にどうも」

 と番茶をいで出しながら、

 長「いつぞやは種々御馳走を戴きまして、それから此来こっち体がわりいので、碌に仕事をいたしませんから、棚も木取きどったばかりで未だ掛りません」

 幸「今日は其の催促じゃアないよ、の時ぎりでお目にかゝらないから、これが心配して」

 とお柳の顔を見ると、お柳は長二の顔を見まして、

 柳「いつぞやは生憎持病がおこって失礼をしましたから、今日はそのお詫かた〴〵」

 長「それは誠にどうも」

 と挨拶をしながら立って、戸棚の中を引掻きまわして、漸々よう〳〵菓子皿を探して、有合せの最中を五つばかり盛って出し、

 長「生憎兼松も婆さんも留守で、誠にどうも」

 柳「お一人ではさぞ御不自由でしょう」

 長「へい、別に不自由とも思いませんが、此様こんな時何が何処にしまってるか分りませんので」

 柳「左様そうでしょう、それに病み煩いの時などは内儀おかみさんがないと困りますから、早くお貰いなすっては何うです、ねえ旦那」

 幸「左様そうだ、失礼な云分いいぶんだが、鰥夫おとこやもめなんとやらで万事所帯に損があるから、いのを見付けて持ちなさい」

 長「だってわっちのような貧乏人のとけえは来人きてがございません、来てくれるような奴は碌なのではございませんから」

 柳「なアに左様したもんじゃアない、縁というものは不思議なもんですよ、恥を云わないと分りませんが、私は若い時伯母に勧められて或所へ嫁に行って、さん〴〵苦労をしたが、縁のないのが私の幸福しあわせで、今は斯ういう安楽な身の上になって、何一つ不足はないが子供の無いのが玉にきずとでも申しましょうか、順当なら長さん、お前さんぐらいの子があってもいんですが、子の出来ないのは何かのばちでしょうよ、いくらお金があっても子の無いほど心細いことはありませんから、長さん、お前さんも早く内儀さんを貰って早く子をお拵えなさい……お前さん貧乏だから嫁に来人がないとお云いだが、お金は何うにでもなりますから早くお貰いなさい、まだうちの道具を種々こさえてもらわなければなりませんから、お金は私が御用達ごようだてます」

 と云いながら膝の側に置いてある袱紗包ふくさづゝみの中から、其の頃新吹しんふきの二分金の二十五両包を二つ取出し、菓子盆に載せ、折熨斗おりのしを添えて、

 柳「これは少いが、内儀さんを貰うにはもうちっと広いうちへ引越さなけりゃアいけないから、ってお置きなさい、内儀さんが決ったなら、又要るだけ上げますから」

 と長二の前へ差出しました。長二はくに幸兵衞夫婦を実の親と見抜いて居りますところへ、最前からの様子といい、段々の口上は尋常ひとゝおりの贔屓でいうのではなく、殊に格外の大金に熨斗を付けてくれるというは、己を確かに実子と認めたからの事に相違ないに、飽までも打明けて名告らぬ了簡が恨めしいと、むか〳〵と腹が立ちましたから、金の包を向うへ反飛はねとばしてかたちを改め、両手を膝へ突きお柳の顔をじっと見詰めました。


        十七


 長「何です此様こんな物を……あなたはおっかさんでしょう」

 と云われてお柳はあっと驚き、忽ちに色蒼ざめてぶる〳〵ふるえながら、逡巡あとじさりして幸兵衛の背後うしろへ身を潜めようとする。幸兵衛も血相を変え、少し声を角立てまして、

 幸「何だと長二……手前何をいうのだ、失礼も事によるア、気でも違ったか、馬鹿々々しい」

 長「いゝえ決して気はちげえません……成程隠しているのにわっちが斯う云っちア失礼かア知りませんが、棄子のかどがあるから何時まで経っても云わないのでしょう、打明けたッて私が親の悪事を誰に云いましょう、隠さず名告っておくんなせえ」

 と眼を見張って居ります。幸兵衞は返答に困りまして、うろ〳〵するうち、お柳は表の細工場さいくばの方へげて行きますから、長二が立って行って、

 長「お母さん、まアお待ちなせえ」

 と引戻すを幸兵衛が支えて、

 幸「長二……手前何をするのだ、失礼千万な、何を証拠に其様そんなことをいうのだ、ハヽア分った、手前てめえは己が贔屓にするに附込んで、言いがゝりをいうのだな、お邸方やしきがた御用達ごようたしをする龜甲屋幸兵衞だ、失礼なことをいうと召連訴めしつれうったえをするぞ」

 柳「あれまア大きな声をおしでないよ、人が聞くと悪いから」

 幸「誰が聞いたッて構うものか、太い奴だ」

 長「何でわっちが言いがゝりなんぞを致しましょう、本当の親だと明しておくんなさりゃアそれでいんです、それを縁に金を貰おうの、おめえさんのうち厄介やっけいになろうのとは申しません、私は是まで通り指物屋でお出入を致しますから、只親だと一言ひとこと云っておくんなせえ」

 と袂にすがるを振払い、

 幸「何をするんだ、放さねえと家主いえぬしへ届けるが宜いか」

 と云われて長二が少しひるむを、得たりと、お柳を表へ連れ出そうとするを、長二が引留めようと前へ進む胸のあたりを右の手で力にまかせ突倒して、

 幸「さアはやく」

 とお柳の手を引き、見返りもせず柳島のかたへ急いでまいります。後影うしろかげを起上りながら、長二が恨めしそうに見送って居りましたが、思わず跣足はだしで表へ駈出し、十間ばかり追掛おっかけて立止り、向うを見詰めて、何か考えながら後歩あとじさりして元のあがはなに戻り、ドッサリ腰をかけて溜息をき、

 長「ハアー廿九年めえに己を藪んなけえ棄てた無慈悲な親だが、会って見ると懐かしいから、名告ってもれえてえと思ったに、まだ邪慳を通して、人の事を気違だのかたりだのと云って明かしてくれねえのは何処までも己を棄てる了簡か、それとも己の思違いで本当の親じゃアいのか知らん、いゝや左様そうえ、本当の親で無くって彼様あんなことをいう筈はい、それに五十両という金を……おゝ左様だ、の金は何うしたか」

 と内に這入って見ると、行灯あんどうの側に最前の金包がありますから、

 長「やア置いて行った…此の金を貰っちゃア済まねえ、チョッ忌々いま〳〵しい奴だ」

 と独言ひとりごとを云いながら金包を手拭にくるんで腹掛のどんぶりに押込み、腕組をして、女と一緒だからまだ其様そんなに遠くは行くまい、田圃径たんぼみちから請地うけち堤伝どてづたいに先へ出越せば逢えるだろう、柳島まで行くには及ばねえと点頭うなずきながら、尻をはしょって麻裏草履をつっかけ、幸兵衞夫婦の跡を追って押上おしあげかたへ駈出しました。此方こちらは幸兵衞夫婦丁度霜月九日の晩で、宵からくもる雪催しに、正北風またらいの強い請地のどてを、男は山岡頭巾をかぶり、女はお高祖頭巾こそずきんに顔を包んで柳島へ帰る途中、左右を見返り、小声で、

 幸「此方こっちの事を知らせずとも、余所ながらあれを取立てゝやる思案もあるから、決してぶりにも出すまいぞと、あれ程云って置いたに、余計なことを云うばかりか、己にも云わずに彼様あんな金を遣ったからさとられたのだ、困るじゃアねえか」

 柳「だッてお前さん、現在我子と知れたのに打棄うっちゃって置くことは出来ませんから、名告らないまでも彼を棄てた罪滅つみほろぼしに、のくらいの事はしてやらなければ今日様こんにちさまへ済みません」

 幸「エヽまだ其様そんなことを云ってるか、過去すぎさった昔の事は仕方がねえ」

 柳「まだお前さんは彼をせんの旦那の子だと思って邪慳になさるのでございますね」

 幸「馬鹿を云え、そう思うくらいなら彼様あんなに目をかけてやりはしない」

 柳「だッて先刻さっきなんぞアひどく突倒したじゃアありませんか」

 幸「それでも今彼に本当のことを知られちゃア、それから種々いろんな面倒が起るかも知れないから、何処までも他人で居て、子のようにしようと思うからの事だ……おゝ寒い、斯様こんな所で云合ったッて仕方がない、速く帰ってゆっくり相談をしよう、さア行こう」

 と、お柳の手を取って歩き出そうと致しまする路傍みちばた枯蘆かれあしをガサ〳〵ッと掻分けて、幸兵衞夫婦の前へ一人の男が突立つッたちました。是は申さないでも長二ということ、お察しでございましょう。


        十八


 請地の土手伝いに柳島へ帰ろうという途中、往来ゆきゝも途絶えて物淋しい所へ、大の男がいきなりヌッとあらわれましたので、幸兵衞はぎょっとしてげようと思いましたが、女を連れて居りますから、度胸を据えてお柳をかばいながら、二足ふたあし三足みあし後退あとじさりして、

 幸「誰だ、何をするんだ」

 長「誰でもございません長二です」

 幸「ムヽ長二だ……長二、手前なんしに来たんだ」

 長「何しに来たとはおなさけねえ……わっちは九月の廿八日、背中の傷を見せた時、棄てられたおっかさんだと察したが、奉公人のめえがあるから黙ってけえって、三月越みつきごしおめえさん方の身上みじょう聞糺きゝたゞして、たしかに相違えと思うところへ、お二人で尋ねて来てくだすったのは、親子の名告なのりをしてくんなさるのかと思ったら、そうで無えから我慢が出来ず、私の方から云出したのが気に触ったのか、但しは無慈悲を通す気か、気違だの騙りだのと人に悪名あくみょうを付けてけえって行くようなむごい親達から、金なんぞ貰う因縁が無えから、先刻さっきの五十両をけえそうと捷径ちかみちをして此処こゝに待受け、おもわず聞いた今の話、もう隠す事ア出来ねえだろう、お母さん、何うかおめえさんに云いにくい事があるかア知りませんが、決してひとには云わねえから、おめえを産んだおふくろだといってくだせい……お願いです……また旦那は私の本当のおとっさんか、それとも義理のお父さんか聞かしてくだせい」

 と段々幸兵衞のそばへ進んで、袂に縋る手先を幸兵衛は振払いまして、

 幸「何をしやアがる気違……去年谷中の菩提所で初めて会った指物屋、仕事が上手で心がけが奇特きどくだというので贔屓にして、仕事をさせ、過分な手間料を払ってやれば附けあがり、途方もねえ言いがゝりをして金にする了簡だな、其様そんな事にびくともする幸兵衞じゃアえぞ……えゝ何をするんだ、放せ、袂がきれるア、放さねえと打擲ぶんなぐるぞ」

 と拳を振上げました。

 長「つなら打ちなせえ、おめえさんは本当の親じゃアねえか知らねえが、おっかさんは本当のお母さんだ……お母さん、何故わっちを湯河原へ棄てたんです」

 とお柳の傍へ進もうとするを、幸兵衛がさえぎりながら、

 幸「何をしやアがる」

 と云いさま拳固で長二の横面よこつらを殴りつけました。そうでなくッても憎い奴だと思ってる所でございますから、長二はかっいかりまして、打った幸兵衛の手をとらえまして、

 長「ちゃアがったな」

 幸「打たなくッて泥坊め」

 長「何だと、何時己が盗人ぬすっとをした」

 幸「盗人だ、此様こんな事を云いかけて己の金をろうとするのだ」

 長「金がほしいくれえなら、此の金を持ってやアしねえ、うぬのような義理も人情も知らねえ畜生の持った、けがらわしい金はらねえ、けえすから受取っておけ」

 と腹掛のかくしから五十両の金包を取出し、幸兵衛に投付けると額にあたりましたから堪りません、金の角で額が打切ぶちきれ、血が流れる痛さに、幸兵衞は益々おこって、突然いきなり長二を衝倒つきたおして、土足で頭を蹴ましたから、砂埃が眼に入って長二は物を見る事が出来ませんが、余りの口惜くやしさに手探りで幸兵衞の足を引捉ひっとらえて起上り、

 長「うぬウ蹴やアがッたな、此の義理知らずめ、合点がってんがならねえ」

 と盲擲めくらなぐりで拳固を振廻すを、幸兵衞は右にけ左にかわし、くうを打たして其の手を捉え捻上ねじあげるを、そうはさせぬと長二は左を働かせて幸兵衛の領頸えりくびを掴み、引倒そうとする糞力に幸兵衛はかないませんから、して居ります紙入留かみいれどめの短刀を引抜いて切払おうとする白刄しらはが長二の眼先へひらめいたから、長二もぎょッとしましたが、敵手あいてが刄物を持って居るのを見ては油断が出来ませんから、幸兵衞にひしと組付いて、両手を働かせないように致しました。


        十九


 長「その刄物は何だ、廿九年めえに殺そうと思って打棄うっちゃった己が生きて居ちゃア都合が悪いから、また殺そうとするのか、本当の親の為になる事なら命は惜まねえが、実子と知りながら名告もしねえ手前てめえのような無慈悲な親は親じゃアねえから、命はやられねえ……危ねえ」

 と刄物を〓(「てへん+「宛」で「夕」の右側が「ヒ」」)もぎとろうとするを、渡すまいと揉合う危なさを見かねて、お柳は二人に怪我をさせまいと背後うしろへ廻って、長二の領元えりもとを掴み引分けんとするを、長二はお柳も己を殺す気か、よくも揃った非道な奴らだと、かッと逆上のぼせて気も顛倒てんどう、一生懸命になって幸兵衛が逆手さかてに持った刄物のつかに手をかけて、引奪ひったくろうとするを、幸兵衞が手前へ引くはずみ刀尖きっさき深く我と吾手わがてで胸先を刺貫さしつらぬき、アッと叫んで仰向けに倒れる途端に、刄物は長二の手に残り、お柳に領を引かるゝまゝ将棋倒しにお柳と共に転んだのを、肩息ながら幸兵衛は長二がお柳を組伏せて殺すのであろうと思いましたから、這寄って長二の足を引張る、長二は起上りながら幸兵衞を蹴飛けりとばす、うしろからお柳が組付くを刄物で払う刀尖が小鬢こびんかすったので、お柳は驚き悲しい声を振搾ふりしぼって、

 柳「人殺しイ」

 と遁出にげだすのを、もう是までと覚悟を決めて引戻す長二の手元へ、お柳は咬付かみつき、刄物をろうと揉合もみあう中へ、よろめきながら幸兵衞が割って入るを、お柳が気遣い、身を楯にかばいながら白刄しらはの光をあちらこちらとけましたが、とうとうお柳は乳の下を深く突かれて、アッという声に、手負ておいながら幸兵衛は、

 幸「おのれ現在の母を殺したか」

 と一生懸命に組付いて長二の鬢の毛を引掴ひッつかみましたが、何を申すも急所の深手、諸行無常と告渡つげわたる浅草寺の鐘の冥府あのよつとあえなくも、其の儘息は絶えにけりと、芝居なれば義太夫ちょぼにとって語るところです。さて幸兵衞夫婦は遂に命を落しました。其の翌日、丁度十一月十日の事でございます。回向院前の指物師清兵衛方では急ぎの仕事があって、養子の恒太郎が久次きゅうじ留吉とめきちなどという三四名の職人を相手に、夜延よなべ仕事をしておる処へ、あわてゝ兼松が駈込んでまいりまして、

 兼「親方はうちかえ」

 恒「何だ、びっくりした……兼か久しく来なかッたのう」

 兼「長あにいやしねえか」

 恒「いゝや」

 兼「はてな」

 恒「何うしたんだ、なんか用か」

 兼「聞いておくんなせえ、わっちがね、六間堀の伯母が塩梅あんべえがわりいので、昨日きのう見舞に行って泊って、先刻さっきけえって見るとうち貸店かしだなになってるのサ、訳が分らねえから大屋さんへ行って聞いてみると、あにいが今朝早く来て、急に遠方へくことが出来たからッて、店賃を払って、うちの道具や夜具蒲団はみんな兼松に遣ってくれろと云置いて、何処どっかへ行ってしまったのサ、全体ぜんてえ何うしたんだろう」


        二十


 恒「そいつは大変てえへんだ、あの婆さんは何うした」

 兼「婆さんも居ねえ」

 久「それじゃア長兄と一緒に駈落をしたんだ、の婆さん、なか〳〵色気があったからなア」

 恒「馬鹿アいうもんじゃアねえ……なんか訳のあることだろうがナア兼……婆さんの宿へ行って様子を聞いて見たか」

 兼「聞きやアしねえが、隣の内儀おかみさんの話に、今朝婆さんが来て、親方が旅に出ると云って暇をくれたから、田舎へけえらなけりゃアならねえと云ったそうだ」

 恒「其様そんな事なら第一番でえいちばん此方こっちへいう筈だ」

 兼「己も左様そうだと思ったから聞きに来たんだ、親方にも断らずに旅に出る筈アねえ」

 留「女房の置去という事アあるが、此奴こいつア妙だ、兼手前てめえは長兄に嫌われて置去にったんだ、おかしいなア」

 兼「冗談じゃアねえ、わけえ親方のめえだが長兄に限っちゃア道楽で借金があるという訳じゃアなし、此の節アい出入場が出来て、仕事が忙がしいので都合も好い訳だのに、夜遁よにげのような事をするとア合点がってんがいかねえ……兎も角も親方に会って行こう」

 と奥へ通りました。奥には今年六十七の親方清兵衞が、茶微塵ちゃみじん松坂縞まつざかじま広袖ひろそで厚綿あつわたの入った八丈木綿の半纒を着て、目鏡めがねをかけ、行灯あんどんの前で其の頃鍜冶かじの名人と呼ばれました神田の地蔵橋の國廣くにひろの打ったのみと、浅草田圃の吉廣よしひろ、深川の田安前たやすまえ政鍜冶まさかじの打った二挺のかんな研上とぎあげたのをて居ります。年のせいで少し耳は遠くなりましたが、気性の勝った威勢のいゝ爺さんでございます。兼松は長二の出奔しゅっぽんひどく案じて、気がきますから、奥の障子を明けて突然いきなりに、

 兼「親方大変です、何うしたもんでしょう」

 清「えゝ、何だ、仰山な、静かにしろえ」

 兼「だッて親方わっちの居ねい留守に脱出ぬけだしちまッたんです」

 清「それ見ろ、彼様あんなにいうのに打様うちようを覚えねえからだ、中の釘は真直まっすぐに打っても、上の釘一本をありに打ちせえすりゃアとめの離れる気遣きづけえはいというのだ……杉の堅木かたぎか」

 兼「まア堅気かたぎだ、道楽をしねえから」

 清「大きいもんか」

 兼「わっちより少し大きい、たしか今年廿九だから」

 清「何を云うのかさっぱり分らねえ、おらア道具の事を聞くのだ」

 兼「ムヽ道具ですか道具は悉皆すっかり家具やぐ蒲団までわっちにくれて行ったんです」

 清「まだ分らねえ……棚か箱か」

 兼「へい、たなは貸店になっちまッたんです」

 清「何だと菓子棚だ、ウム菓子箪笥のことか、それが何うしたんだと」

 兼「何うしたんか訳が分らねえから聞きに来たんだが、親方へはなしなしだとねえ」

 清「そりゃア長二がる事だものを、一々おれに相談する事アねえ」

 兼「だッて、それじゃア済まねえ、おら其様そんな人とア思わなかった……なさけねえ人だなア」

 清「手前てめえ何か其の仕事の事で長二と喧嘩でもしたのか」

 兼「いゝえ、なげえ間すけに行ってるが、喧嘩どころか大きい声をして呼んだ事もねえ……おれを可愛がって、近所の人が本当の兄弟きょうでえでもアは出来ねえと感心しているくれえだのに、己が六間堀へ行ってる留守に黙って脱出ぬけだしたんだから、不思議でならねえ」

 清「何も不思議アねえ、手前てめえうでが鈍いから脱出したんだ、長二は手前に何も云わねいのか」

 兼「何とも云いませんので」

 清「はてな、彼様あんなに親切な長二が教えねえ事アねえ筈だが……何か仔細しせいのある事だ」

 と腕組をして暫らく思案をいたし、

 清「すこし心当りがあるから明日あしたでも己が尋ねてみよう」

 兼「左様そうです、なんか深いわけがあるんです、心当りがあるんなら何も年寄の親方が行くにゃア及びません、わっちが尋ねましょう」

 清「手前てめえじゃア分らねえ、己が聞いてみるから手前今夜けえったら、長二に明日あす仕事のすきを見て一寸ちょっと来てくれろと云ってくんな」

 兼「親方何を云うんです、うちに居もしねえ長兄に来てくれろとア」

 清「何処どこへ行ったんだ」

 兼「何処かへ身を隠したから心配しんぺいしているんだ」

 清「何だと、長二が身を隠したと、えゝ、そんなら何故速くそう云わねえんだ」

 兼「先刻さっきから云ってるんです」

 清「先刻からの話ア釘の話じゃアねえか」

 兼「道理でおかしいと思った……困るな、つんぼ………エヽナニあの遠方へ急に旅立をすると、家主のとけえ云置いて、何処へも沙汰なしに居なくなっちまッたんです」

 清「急に旅立をしたと、それにしても己のとけえ何とか云いそうなもんだ、黙って行く所をもって見りゃア、なんか済まねえ事でもしたんだろうが、彼奴あいつに限っちゃア其様そんな事アあるめいに」

 と子供の時から丹誠をして教えあげ、名人と呼ばれるまでになって、親方を大切に思う長二の事ですから、清兵衛は養子の恒太郎よりも長二を可愛がりまして、五六日も顔を出しませんとすぐに案じて、小僧に様子を見せにやるという程でございますから、駈落同様の始末と聞いて清兵衞は顔色の変るまでに心配をいたして居ります。


        二十一


 恒太郎も力と頼む長二の事ですから、心配しながら兼松を呼びに来て見ると、養父が心配の最中でありますから、

 恒「兼、手前てめえ……長兄のことをとっさんに云ったな、云わねえでもいに……父さん案じなくっても宜いよ、長二の居る処はすぐに知れるから」

 清「手前てめえ長二の居る処を知ってるのか」

 恒「大概ていげえ分ってるから、明日あした早く捜しに行こう」

 清「わけえから何様どんな無分別を出すめいもんでもねえから、明日あすといわず早いが宜い、兼と一緒に今ッから捜しに行きな」

 とき立てるおいの一徹、性急なのは恒太郎もかね〴〵知って居りますが、長二の居所いどこが直に分ると申しましたのは、只年寄に心配をさせまいと思っての間に合せでございますから、大きに当惑をいたし、兼松と顔を見合せまして、

 恒「行くのアわけアねえが、今夜はのう兼」

 兼「そうサ、行って帰ると遅くならア親方、明日あした起きぬけに行きましょう」

 清「其様そんなことを云って、今夜の内に間違まちげえでもあったら何うする」

 兼「大丈夫でえじょうぶだよ」

 清「手前は受合っても、本人が出て来て訳の解らねえうちは、おらア寝てもられねえから、御苦労だが早く行ってくんねえ」

 と急立せきたてられまして、恒太郎は余儀なく親父の心を休めるために

 恒「そんなら兼、行って来よう」

 と立とうと致します時、勝手口の外で

 「わけえ親方も兼公も行くにゃア及ばねえ」

 と声をかけ、無遠慮ぶえんりょに腰障子を足でガラリッと押開け、どっこいとよろめいて入りましたのは長二でございます。結城木綿の二枚布衣ぬのこに西川縞の羽織を着て、盲縞の腹掛股引に白足袋という拵えで新しい麻裏草履をつッかけ、何所どこで奢って来たか笹折さゝおりげ、微酔ほろえい機嫌で楊枝を使いながらズッと上って来ました様子が、平常ふだんと違いますから一同は恟りして、

 兼「兄い、何うしたんだ、何処へ行ってたんだ、おら心配しんぺいしたぜ」

 長「何処へ行こうとおれが勝手だ、心配しんぺいするやつが間抜だ、ゲエープウー」

 兼「やア珍らしい、兄い酔ってるな」

 長「酔おうが酔うめえが手前てめえの厄介になりアしねえ、大きにお世話だ黙っていろ」

 と清兵衞の前に胡座あぐらをかいて坐りました。

 兼「何だか変だが、兄いが何うかしたぜ、コウ兄い……人にさん〴〵心配しんぺいをさせておいて悪体あくていくとアひどいじゃアねえか」

 長「生意気なことをかしやアがるとたゝなぐるぞ」

 兼「何が生意気だい、兄い〳〵と云やア兄いぶりアがって、手前てめえこそ生意気だ」

 と互に云いつのりますから、恒太郎が兼松を控えさせまして、

 恒「コウ長二、それじゃアおとなしくねえ、手前てめえが居なくなったッて兼が心配しんぺいしているのに、悪体あくてえくのアくねえ、酔っているかア知らねえが、此処こゝ其様そんなことをいっちゃア済むめえぜ」

 長「えゝ左様そうです、わっちが悪かったから御免なせえ」

 恒「何も謝るには及ばねえが、聞きゃア手前てめえうちを仕舞ったそうだが、何処どけえ行く積りだ」

 長「何処どけへ行こうとおめえさんの知ったこッちゃアねえ」

 と上目で恒太郎の顔を見る。血相きっそうが変っていて、気味が悪うございますから、恒太郎が後逡あとじさりをするうしろに、最前から様子を見て居りました恒太郎の嫁のおまさが、湯呑に茶をたっぷりいで持ってまいりました。


        二十二


 政「長さん、珍しく今夜は御機嫌だねえ…お前さんの居る所が知れないと云って、おとっさんやみんな何様どんなに心配をしていたか知れないよ」

 と茶を長二の前に置いて、

 政「ぬるいからおあがり、お夜食は未だゞろうね、大澤おおさわさんから戴いたぶりが味噌漬にしてあるから、それで一膳おたべよ」

 長「えゝ有がとうがすが、今喰ったばかしですから」

 と湯呑の茶を戴いて、一口グッと飲みまして、

 長「親方……わっちは遠方へ行く積りです」

 清「其様そんなことをいうが、何所どけへ行くのだ」

 長「京都へ行って利齋の弟子になる積りで、うちをしまったのです」

 清「それもいが、己もせんの利齋の弟子で、いつも話す通り三年釘を削らせられた辛抱を仕通したお蔭で、是までになったのだから、今の利齋ぐれえにゃアす積りだが……むゝあの鹿島かしまさんの御注文で、島桐しまぎりの火鉢と桑の棚をこせえたがの、棚の工合ぐえいは自分でもく出来たようだから見てくれ」

 と目で恒太郎に指図を致します。恒太郎は心得て、小僧の留吉と二人で仕事場から桑の書棚を持出して、長二の前に置きました。

 清「どうだ長二……この遠州透えんしゅうすかしは旨いだろう、引出の工合ぐあいなぞア誰にも負けねえ積りだ、これ見ろ、此の通りだ」

 と抜いて見せるを長二はフンと鼻であしらいまして、

 長「成程まずくアねえが、そんなに自慢をいう程の事もねえ、此の遣違やりちげえのとめすかしの仕事は嘘だ」

 兼「何だと、コウ兄い……親方のこせえたものを嘘だと、手前てめえ慢心でもしたのか」

 長「馬鹿をいうな、親方の拵えた物だって拙いのもあらア、此の棚は外見うわべいが、五六年経ってみねえ、留がはなれて道具にゃアならねえから、仕事が嘘だというのだ」

 恒「何だと、手前てめえ父さんの拵えた物ア才槌せえづちで一つや二つなぐったってこわれねえ事ア知ってるじゃアねえか」

 長「それが毀れる様に出来てるからいけねえのだ」

 恒「何うしたんだ、今夜は何うかしているぜ」

 長「何うもしねえ、いつもの通り真面目な長二だ」

 恒「それが何故父さんの仕事をくさすのだ」

 長「誹す所があるから誹すのだ、論より証拠だ、才槌せえづちを貸しねえ、打毀ぶっこわして見せるから」

 恒「面白い、毀してみろ」

 と恒太郎が腹立紛れに才槌さいづちを持って来て、長二の前へほうり出したから、お政は心配して、

 政「あれまアおよしよ、酔ってるから堪忍おしよ」

 恒「酔ってるかア知らねえが、あんまりだ、手前てまえの腕が曲るから毀してみろ」

 兼「わけえ親方……腹も立とうがあねさんのいう通り、酔ってるのだから我慢しておくんなせえ、不断此様こんな人じゃアねえから、わっちが連れて帰って明日あした詫に来ます……兄い更けねえうちにけえろう」

 と長二の手を取るを振払いまして、

 長「何ヨしやがる、おら無宿やどなしだ、けえとこアねえ」

 と云いながら才搥を取って立上り、恒太郎の顔を見て、

 長「今打き毀して見せるから其方そっち退いていなせい」

 と才槌をひっさげて、よろめく足をみしめ、棚の側へ摺寄って行灯あんどうの蔭になるや否や、コツン〳〵と手疾てばや二槌ふたつちばかり当てると、忽ち釘締くぎじめの留は放れて、遠州透はばら〴〵になって四辺あたりへ飛散りました。


        二十三


 言葉の行掛ゆきがゝりからアはいうものゝよもやと思った長二が、遠慮もなく清兵衛の丹誠を尽した棚を打毀ぶちこわしました。かつ二つや三つなぐったって毀れる筈のない棚がばら〳〵に毀れたのに、居合わす人々は驚きました。中にも恒太郎は長二が余りの無作法にかっいかって、突然いきなり長二のたぶさを掴んで仰向に引倒し、拳骨で長二の頭を五つつ続けさまに打擲ぶんなぐりましたが、少しもこたえない様子で、長二が黙ってたれて居りますから、恒太郎は燥立いらだちて、側に落ちている才槌を取って打擲ろうと致しますに、お政が驚いて其の手にすがりついて、

 政「あれまア危ないからおよしよ、怪我をさせては悪いからサ兼松……速く留めておくれ」

 兼「まアお待ちなせえ、其様そんな物で擲っちア大変だ」

 と止めるのを恒太郎は振払いまして。

 恒「なに此の野郎、ふざけて居やがる、此の才槌せえづちで棚を毀したから己が此の野郎の頭を打毀ぶちこわしてやるんだ」

 と才槌を振り上げました。此の騒ぎを最前から黙って視て居りました清兵衞が、

 清「恒マア待て、よしねえ、打棄うっちゃっておけ」

 と留めましたが、恒太郎はなか〳〵きません。

 恒「それだッて此様こんなに毀してしまっちゃア、明日あした鹿島かじまさんへ納める事が出来ねえ」

 清「まア己が言訳をするからいというに」

 と叱りつけましたので、恒太郎、余儀なく手を放したから、お政も安心して長二を引起しながら、

 政「何処も痛みはしないか、堪忍おしよ」

 長「へい、有がとうがす」

 と会釈をして坐り直す長二の顔を、清兵衛がジッと視まして、

 清「これ長二手前てめえ能くおれこせえた棚を毀したな、手前は大層上手になった、己の仕事に嘘があるとは感心だ、何処に嘘があるか手前の気の付いた所を一々其処で云って見ろ」

 長「へい、云えというなら云いますが、此の広い江戸で清兵衞と云やア知らねえ者のねえ指物師の名人だが、それア二十年もめえのことだ、もう六十を越して眼も利かなくなり、根気もけて、此の頃ア板削いたけずりまで職人にさせるから、つやが無くなって何処となしに仕事があらびて、見られたざまアねえ、わっちが弟子に来た時分は釘一本他手ひとでにかけず、自分で夜延よなべに削って、精神たましいを入れて打ちなさったから百年経っても合口えいくちの放れッこは無かったが、今じゃア此のからッぺたの恒あにいに削らせた釘を打ちなさるから、此ん通りでざまい、アハヽヽ」

 と打毀した棚に指をさして嘲笑あざわらいますから、兼松は気を揉んで、長二の袖をそっと引きまして、

 兼「おい兄い何うしたんだ、大概ていげえにしねえ」

 と涙声で申しますが、一向に頓着とんじゃくいたしません。

 長「才槌せえづちで二つや三つ擲って毀れるような物が道具になるか、大概ていげえ知れたこった、耄碌しちゃア駄目だ」

 と法外な雑言ぞうごんを申しますから、恒太郎がこらえかねて拳骨を固めて立かゝろうと致しますを、清兵衛がにらみつけましたから、歯軋はぎしりをしてひかえて居ります。

 長「その証拠にゃア十年めえわっちに何と云いなすった、親方忘れやしないだろう、箱というものは木を寄せてこせえるものだから、あらくすりア毀れるのが当然あたりめえだ、それが幾ら使っても百年も二百年も毀れずに元のまんまで居るというのア仕事に精神たましいを入れてするからの事だ、精神を入れるというのは外じゃアねえ、釘の削り塩梅から板の拵え工合ぐえいと釘の打ち様にあるんだ、それだから釘一本ひとに削らせちゃア自分の精神が入らねえところが出来て、道具が死んでしもうのだ、死んでる道具は直に毀れッちまうと云ったじゃアありやせんか、其の通りしねえから此の棚の仕事は嘘だと云うのだ、此様こんなに直ぐ毀れる物を納めるのア注文先へてえして不実というものだ、是で高い工手間くでまを取ろうとは盗人ぬすっとよりふてえ了簡だ」

 と止途とめどなくのゝしります。


        二十四


 清兵衛も腹にすえかね、

 清「黙りやアがれ、馬鹿野郎め、生意気をぬかしやアがると承知しねえぞ、坂倉屋の仏壇で名を取ったと思って、高言をきアがるが、手前てめえがそれほど上手になったのア誰が仕込んだんだ、其の高言はほかへ行って吐くがい、己の目からはまだ板挽いたひきの小僧だが、己を下手だと思うなら止せ、ひとむかって己の弟子だというなよ」

 長「さア、それだから京都へ修業に行くのだ、親方より上手な師匠を取る気だ」

 恒「呆れた野郎だ、とっさん何うしよう」

 兼「正気でいうのじゃアねえ」

 清「気違きちげえだろう、其様そんな奴に構うなよ」

 兼「おい、兄い、どうしたんだ、本当に気でも違ったのか」

 長「べらぼうめ、気が違ってたまるもんか、此様こんな下手な親方に附いていちゃア生涯しょうげえ仕事の上りッこがねえから、己の方から断るんだ」

 清「長二、手前てめえ本当に其様なことをいうのか」

 長「嘘をいたッて仕方がねえ、わっちが京都で修業をして名人になッたって、己の弟子だと云わねえように縁切えんきり書付かきつけをおくんなせえ」

 清「べらぼうめ、手前のような奴ア、再び弟子にしてくれろと云って来ても己の方からお断りだ」

 長「書付を出さねえなら、此方こっちで書いて行こう」

 とそばにある懸硯箱かけすゞりばこを引寄せて鼻紙に何か書いて差出しましたから、清兵衞が取上げて見ますと、仮名交りで、

わたくし是まで親方のおせわになったが今日こんにちあいそがつきたから縁を切りますしかる上は親方でないあかの他人で何事も知らないから左様さようおぼしめし被下候くだされそろ

文政十月十日
長二郎

箱清はこせい

 とありますから清兵衛は変に思って眺めておりますを、恒太郎が横の方から覗き込んで、

 恒「馬鹿な野郎だ、弟子のくせに此様な書付を出すとア……おや、長二は何うかしているんだ、今月ア霜月だのに十月と書いてあるア、月まで間違まちげえていやアがる」

 長「そりゃア知ってるが、先月から愛想が尽きたから、そう書いたんだ」

 恒「負惜まけおしみを云やアがるな、此様な書付を張ったからにゃア二度と再びうちの敷居をまたぎやアがるとかねいぞ」

 長「そりゃア知れたこった、此の書付を渡したからにゃア此家こっちんな事があってもおらア知らねえよ、また己の体に何様どんな間違えがあっても御迷惑アかけねえから、御安心なせいやし」

 と立上って帰り支度を致しますが、余りの事に一同は呆れて、只互いに顔を見合すばかりで何にも申しませんから、お政が心配をして、長二の袂を引留めまして、

 政「長さんお待ちよ……まアお待ちというのに、お前それでは済まないよ、よもやお忘れではあるまい、廿年前の事を、私は其の時十三か四であったが、お前がおっかに手を引かれてうちへ来た時に、私のおっかさんがマアとおや十一で奉公に出るのはあんまり早いじゃアないかと云ったら、お前何とお云いだ、おふくろがとる年で、賃仕事をして私を育てるのに骨が折れるから、早く奉公をして仕事を覚え、手間を取ってお母に楽をさせたいとお云いだッたろう、お母さんがそれを聞いて、涙をこぼして、親孝行な子だ、そういう事ならの様にも世話をしようと云って、自分の子のように可愛がったのはお忘れじゃアなかろう、また其の時お前の名は二助と云ったが、伊助という職人がいて、度々たび〴〵間違うからおとっさんが長二という名をおけなすったんだが、是にも訳のある事で、お前の手の人指ひとさしゆびが長くって中指と同じのを御覧なすって、人指の長い人は器用で仕事が上手になるものだから、指が二本とも長いというところで長二としよう、京都の利齋親方の指も此の通りだから、此の小僧も仕立てようで後には名人になるかも知れないと云って、他の職人より目をかけて丁寧に仕事を教えてくだすったので、お前斯うなったのじゃアないか、それに又お前のお母が歿なくなった時、お父さんや清五郎さんや良人うちのひとで行って、立派に葬式ともらいを出して上げたろう、お前は其の時十七だッたが、親方のお蔭で立派に孝行の仕納めが出来た、此の御恩は死んでも忘れないと涙を流してお云いだというじゃアないかね、元町へ世帯しょたいを持つ時も左様そうだ、寝道具から膳椀までみんなお前お父さんに戴いたのじゃアないか、此様なことを云って恩にかけるのじゃアないが、お前左様いう親方を袖にして、自分から縁切の書付を出すとア何うしたものだえ、義理が済むまいに、お前考えてごらん、多くの弟子のうちで一番親方思いと云われたお前が、此様な事になるとは私にはさっぱり訳が分らないよ」


        二十五


 政「恒兄にたれたのが腹が立つなら、私が成代なりかわって謝るからね、何だね、子供の時から一つとこで育った心安だてが過ぎるからの事だよ、堪忍おしよ、お父さんもお年がお年だから、お前でもいないと良人うちのひとが困るからよ、お父さんへは私がお詫をするから、長さんマアちゃんとお坐んなさいよ、何うしたのだねえ」

 と涙をこぼしてなだめまする信実に、兼松も感じて鼻をすゝりながら、

 兼「コウ兄い、いまあねさんもいう通りだ、親方の恩は大抵のこっちゃアねえ、それを知らねえ兄いでもねえに、何うしたんだ、なんか人にしゃくられでもしたのか、えゝ、姉さんが心配しんぺいするから、おい兄い」

 長「お政さん御親切は分りやしたが、弟子師匠の縁が切れてみりゃア詫言わびことをする訳もねえからね、人は老少不定ろうしょうふじょうで、年をとった親方いゝや、清兵衛さんよりわっちの方が先へくかも知れませんから、ひとあてにするのア無駄だ、何でもてんでに稼ぐのが一番だ、稼いで親に安心をさせなさるがい、私の体に何様どんな事があろうと、他人だから心配しんぺいなせいやすな……兼、手前てめえとも兄弟きょうでいじゃアねえぞ」

 と云放って立上り、勝手口へ出てまいりますから、お政も呆れまして、

 政「そんなら何うでもお前は」

 長「もう参りません」

 清「長二」

 長「なんか用かえ」

 清「用はねい」

 長「左様そうだろう、耄碌爺には己も用はねえ」

 と表へ出て腰障子を手荒く締切りましたから、恒太郎はこらえきれず、

 恒「何を云いやがる」

 と拳骨げんこを固めて飛出そうとするのを清兵衛が押止めまして、

 清「打棄っておけ」

 恒「だッてあんまりだ」

 清「いゝや左様でねえ、是には深い仔細わけのある事だろう」

 恒「何様な仔細があるかア知らねえが、とっさんのこせえた棚をたゝき毀して縁切の書付を出すとア、話にならねえ始末だ」

 清「それがサ、彼奴あいつ己のこせえた棚の外から三つや四つ擲ったッて毀れねえことを知ってるから、先刻さっき打擲ぶんなぐった時、わざッと行灯のかげになって、くれい所で内の方からたゝきやアがったのは、無理に己を怒らせて縁切の書付を取ろうとたくんだのに相違ねえが、縁を切って何うするのか、十一月を十月と書いたのにも仔細しさいのある事だろう、二三日経ったらなんか様子が知れようから打棄っておきねえ」

 と一同をなだめて案じながら寝床に入りました。其の頃南の町奉行は筒井和泉守つゝいいずみのかみ様で、お慈悲深くて御裁きが公平という評判で、名奉行でございました。丁度今月はお月番ですから、お慈悲のお裁きにあずかろうと公事訴訟が沢山に出ます。今日こんにちは十一月の十一日で、追々白洲へ呼込みになる時刻に相成りましたから、公事の引合に呼出された者は五人十人と一群ひとむれになって、御承知の通り数寄屋橋うちの奉行所の腰掛茶屋に集っていますを、やがて奉行屋敷の鉄網かなあみの張ってある窓から同心が大きな声をして、

 「しば新門前町しんもんぜんちょう高井利兵衛たかいりへえ貸金催促一件一同入りましょう」

 などゝ呼込みますと、その訴訟の本人相手方、只今では原告被告と申します、双方の家主いえぬし五人組は勿論、関係の者一同がごた〳〵白洲へ這入ります。此の白洲の入口の戸を締切る音ががら〳〵ピシャーリッとすさまじく脳天に響けますので、大抵の者は仰天して怖くなりますから、嘘をくことが出来なくなって、有体ありていに白状をいたすようになるという事でございます。今大勢の者が白洲へ呼込みになる混雑の中を推分おしわけて、一人の男が御門内へ駈込んで、当番所の前へ平伏いたしました。此の男は長二でございます。


        二十六


 当番所には同心一人いちにん書役かきやく一人が詰めておりまして、

 同「何だ」

 長「へい、お訴えがございます」

 同「ならない」

 と叱りつけて、小者に門外もんそと逐出おいださせました。この駈込訴訟と申しますものは、其の筋の手を経て出訴しゅっそせいといって、三度までは逐返すのが御定法でございますから、長二も三度逐出されましたが、三度目に、此の訴訟をお採上とりあげになりませんとわたくしの一命にかゝわりますと申したので、お採上げになって、直に松右衛門まつえもんの手で腰縄をかけさせまして入牢じゅろうと相成り、年寄へ其の趣きを届け、一通り取調べて奉行附の用人へ申達しんたつして、吟味与力へ引渡し、下調したしらべをいたします、これが只今の予審で、それから奉行へ申立てゝ本調になるという次第でございます。通常の訴訟は出訴の順によってお調べになりますが、駈込訴訟は猶予の出来ない急ぎの事件というので、他の訴訟が幾許いくらあっても、それをあとへ廻して此の方を先へ調べるのが例でありますから、奉行は吟味与力の申立てにより、他の調を後廻しにして、いよ〳〵長二の事件の本調をいたす事に相成りました。指物師清兵衛は長二が先夜の挙動ふるまい常事たゞごとでないと勘付きましたから、恒太郎と兼松に言付けて様子を探らせると、長二が押上堤で幸兵衛夫婦を殺害せつがいしたと南の町奉行へ駈込訴訟かけこみうったえをしたので、元町の家主は大騒ぎで心配をして居るという兼松の注進で、さては無理に喧嘩をふっかけて弟子師匠の縁を切り、書付の日附を先月にしたのは、恩ある己達を此の引合に出すまいとの心配であろうが、此の事を知っては打棄って置かれない、なんの遺恨で殺したのか仔細は分らないが、無闇な事をする長二でないから、お採上とりあげにならないまでも、彼奴あいつが親孝心の次第から平常ふだんの心がけと行いのい所をくわしく書面にしたゝめて、お慈悲ねがいをしなけりゃア彼奴の志に対して済まないとは思いましたが、清兵衛は無筆で、自分の細工をした物の箱書はいつでも其の表に住居いたす相撲の行司で、相撲膏すもうこうを売る式守伊之助しきもりいのすけに頼んで書いて貰う事でありますから、伊之助に委細のことを話して右の願書を認めて貰い、家主同道で恒太郎が奉行所へお慈悲願に出ました。今日きょうは龜甲屋幸兵衛夫婦殺害せつがい一件の本調というので、関係人一同町役人ちょうやくにん家主五人組差添さしそえで、奉行所の腰掛茶屋に待って居ります。やがて例の通り呼込になって一同白洲に入り、たまりと申す所に控えます。奉行の座の左右には継肩衣つぎかたぎぬをつけた目安方公用人が控え、縁前えんさきのつくばいと申す所には、羽織なしではかま穿いた見習同心が二人控えて居りまして、目安方が呼出すに従って、一同が溜から出て白洲へならびきると、腰縄で長二が引出され、中央まんなかへ坐らせられると、間もなくシイーという制止の声と共に、刀持のお小姓がいて、奉行が出座になりました。


        二十七


 白洲をずうッと見渡されますと、目安方がほがらかに訴状を読上げる、奉行はこれをとくと聞きおわりまして、

 奉「浅草鳥越片町幸兵衛手代萬助まんすけ、本所元町與兵衛よへえたな恒太郎、訴訟人長二郎並びに家主源八げんぱち、其の外名主代組合の者残らず出ましたか」

 町「一同附添いましてござります」

 奉「訴人うったえにん長二郎、其の方は何歳に相成る」

 長「へい、二十九でござります」

 奉「其の方当月九日の五つ半時、鳥越片町龜甲屋幸兵衛並にさい柳を柳島押上堤において殺害せつがいいたしたる段、訴え出たが、何故なにゆえに殺害いたしたのじゃ、包まず申上げい」

 長「へい、只殺しましたので」

 奉「只殺したでは相済まんぞ、殺した仔細を申せ」

 長「其の事を申しますと両親の恥になりますから、何と仰しゃっても申上げる事は出来ません……何卒どうぞ只人を殺しましたかど御処刑おしおきをお願い申します」

 奉「幸兵衛手代萬助」

 萬「へい」

 奉「これなる長二郎は幸兵衛方へ出入でいりをいたしおった由じゃが、何か遺恨をさしはさむような事はなかったか、何うじゃ」

 萬「へい、恐れながら申上げます、長二郎は指物屋でございますから、昨年の夏頃から度々たび〴〵あつらえ物をいたし、多分の手間代を払い、主人夫婦が格別贔屓にいたして、度々長二郎の宅へも参りました、其の夜死骸の側に五十両の金包が落ちて居りましたのをもって見ますと、長二郎が其の金をろうとして殺しまして、何かに慌てゝ金を奪らずにげたものと考えます」

 奉「長二郎どうじゃ、左様さようか」

 長「其の金はわたくしが貰ったのを返したので、金なぞに目をくれるような私じゃアございません」

 奉「しからば何故に殺したのじゃ、其の方の為になる得意先の夫婦を殺すとは、何か仔細がなければ相成らん、有体ありていに申せ」

 恒「恐れながら申上げます、長二は差上げました書面の通り、わたくし親共の弟子でございまして、幼少の時から親孝心で実直で、道楽ということは怪我にもいたしませんで、余計な金があると正直な貧乏人に施すくらいで、仕事にかけては江戸一番という評判を取って居りますから、金銭に不自由をするような男ではござりませんから、悪心があってした事では無いと存じます」

 源「申上げます、只今恒太郎から申上げました通り、長二郎は六年ほどわたくし店内たなうちに住居いたしましたが只の一度夜うちを明けたことの無い、実体じっていな辛抱人で、店賃は毎月十日前に納めて、時々釣はいから一杯飲めなぞと申しまして、心立こゝろだての優しい慈悲深いたちで、人なぞ殺すような男ではござりません」

 萬「へい申上げます、わたくし主人方で昨年の夏から長二に払いました手間料は、二百両足らずに相成ります、此の帳面を御覧を願います」

 と差出す帳面を同心が取次いで、目安方が読上げます。

 奉「この帳面は幸兵衛の自筆か」

 萬「へい左様でございます、此の通り格別贔屓にいたしまして、主人のさいは長二郎に女房の世話を致したいと申して居りましたから、わたくしの考えますには、其の事を長二郎に話しましたのを長二郎がおかしくさとって、無礼な事でも申しかけたのを幸兵衛に告げましたので、幸兵衛が立腹いたして、身分が身分でございますから、あと紛紜いさくさの起らないように、出入留でいりどめの手切金を夫婦で持ってまいったもんですから、此の事が世間へ知れては外聞にもなり、殊に恋のかなわない口惜紛くやしまぎれに、両人を殺したんであろうかとも存じます」

 奉「長二郎、此の帳面の通り其の方手間料を受取ったかそうして柳が其の方へ嫁の口入くにゅうをいたしたか何うじゃ」

 長「へい、よくは覚えませんが、其の位受取ったかも知れませんが、決して余計な物は貰やアしません、又嫁を貰えと云った事はありましたが、わたくしが無礼なことを云いかけたなぞとは飛んでもない事でございます」

 奉「それはそれで宜しいが、何故なぜ斯様に贔屓になる得意の恩人を殺したのじゃ、何ういううらみか有体に申せ」

 長「別に恨というはございませんが、只あの夫婦を殺したくなりましたから殺したのでございます」

 奉「黙れ……其の方天下の御法度ごはっとを心得ぬか」

 長「へい心得て居りますから、げ隠れもせずにお訴え申したのでございます」

 奉「黙れ……有体に申上げぬは御法に背くのじゃ、こりゃ何じゃな、其の方狂気いたしてるな」

 恒「申上げます、仰せの通り長二郎は全く逆上のぼせてると存じます、平常ふだん斯ういう男ではございません、わたくし親共は今年こんねん六十七歳の老体で、子供の時分から江戸一番の職人にまで仕上げました長二郎の身を案じて、夜も碌に眠りません程でございますによって、何卒なにとぞ老体の親共を不便ふびんと思召して、お慈悲の御沙汰ごさたをお願い申します、全く気違に相違ございませんから」

 萬「成程気違だろう、ぬしのある女に無理を云いかけて、此方こっちで内証にしようと云うのをかずに、大恩のある出入場の旦那夫婦を殺すとア、正気の沙汰ではございますまい」

 奉「萬助……其の方の主人夫婦を殺害いたした長二郎は狂人で、前後のわきまえなくいたした事と相見えるが何うじゃ」

 萬「へい、左様でございましょう」

 奉「町役人共は何と思う、奉行は狂気じゃと思うが何うじゃ」

 一同「お鑑定めがねの通りと存じます」

 とお受けをいたしました。仔細を知りませんから、長二が人を殺したのは全く一時発狂をいたした事と思うたのでございましょうが、奉行はかねやしきへ出入をする蔵前の坂倉屋の主人から、長二の身持のき事と伎倆うでまえの非凡なることを聞いても居り、かつ長二が最初に親の恥になるから仔細は云えぬと申した口上に意味がありそうに思われますから悪意があって、殺したので無いということは推察いたし、何卒どうか此の名人を殺したく無いとの考えで取調べると、仔細を白状しませんから、これを幸いに狂人にして命を助けたいと、ことばを其の方へ向けて調べるのを、怜悧りこうな恒太郎が呑込んで、気違に相違ないと合槌あいづちを打つに、引込まれるとは知らず萬助までが長二を悪くする積りで、正気の沙汰でないと申しますから、奉行は心の内でひそかに喜んで、一同に念を押して、愈々いよ〳〵狂人の取扱いにしようと致しますと、長二は案外に立腹をいたしまして、両眼りょうがんに血をそゝぎ、額に青筋を現わし拳を握りつめて、白洲の隅まで響くような鋭き声で、

 長「御奉行ごぶぎょう様へ申上げます」

 と云って奉行の顔を見上げました。


        二十八


 さて長二郎が言葉をあらためて奉行に向いましたので、恒太郎を始め家主源八其のの人々は、何事を云出すか、お奉行のお慈悲で助命になるものを今さら余計なことを云っては困る、て見ると愈々本当の気違であるかと一方ひとかたならず心配をして居りますと、長二は奉行の顔を見上げまして、

 長「わたくしもとより重い御処刑おしおきになるのを覚悟で、お訴え申しましたので、又此の儘生延びては天道様てんとうさまへ済みません、現在親を殺して気違だと云われるを幸いに、助かろうなぞという了簡は毛頭ございません、親殺しの私ですから、何卒どうぞ御法通りお処刑しおきをお願い申します」

 奉「フム……しからば幸兵衛夫婦を其の方は親と申すのか」

 長「左様でございます」

 奉「何ういう仔細で幸兵衛夫婦を親と申すのじゃ、其の仔細を申せ」

 長「此の事ばかりは親の恥になりますから申さずに御処刑を受けようと思いましたが、仔細を云わなけりゃア気違だと仰しゃるから、致し方がございません、其の理由わけを申上げますから、お聞取りをお願い申します」

 とそれより自分の背中に指の先の入る程の穴があるのを、九歳こゝのつの時初めて知って母に尋ねると、母は泣いて答えませんので、自分も其の理由を知らずにいた処、去年の十一月職人の兼松と共に相州の湯河原で湯治中、温泉宿へ手伝に来た婆さんから自分は棄児すてごであって、背中の穴は其の時受けた疵である事と、長左衛門夫婦はまことの親でなく、実の親は名前は分らないが、斯々云々かく〳〵しか〴〵の者で、自分達の悪い事をおおわんがために棄てたのであるという事を初めて知って、実の親の非道を恨み、養い親の厚恩に感じて、養い親のため仏事を営み、菩提所の住持に身の上を話した時、幸兵衛に面会したのが縁となり、其ののち種々いろ〳〵の注文をして過分の手間料を払い、一方ひとかたならず贔屓にして、度々尋ねて来る様子が如何にもおかしくあり、殊に此の四月夫婦して尋ねて来た時、お柳が急病をおこし、また此の九月柳島の別荘で余儀なく身の上を話して、背中の疵を見せると、お柳が驚いてしゃくを発した様子などを考えると、お柳は自分を産んだ実の母らしく思えるより、手を廻して幸兵衛夫婦の素性を探索すると、間違いなさそうでもあり、また幸兵衛が菩提所の住持に自分の素性をくわしく尋ねたとの事を聞き、幸兵衛夫婦も自分を実子と思ってはれど、棄児にしたかどがあるから、今さら名告なのりかね、余所よそながら贔屓にして親しむのに相違ないと思う折から、去る九日こゝのか夕方ゆうかた夫婦して尋ねて来て、親切に嫁を貰えと勧め、その手当に五十両の金を遣るというので、もう間違いはないと思って、自分から親子の名告をしてくれと迫った処、お柳はあらわれたと思い、びっくりして逃出そうとする、幸兵衛は其の事が知れては身の上と思ったと見え、自分を気違だのかたりだのとのゝしりこづきまわして、お柳の手を取り、逃帰ったが、斯様こんな人から、一文半銭たゞ貰ういわれがないから、跡に残っていた五十両の金を返そうと二人をおいかけ、先へ出越して待っている押上堤で、図らずお柳の話を聞きまさしく実の母親と知ったから、飛出して名告ってくれと迫るを、幸兵衛が支えて、粗暴を働き、短刀を抜いて切ろうとするゆえ、これを奪い取ろうと悶着の際、両人に疵を負わせ、遂に落命させしと、一点の偽りなく事の顛末てんまつを申し立てましたので、恒太郎源八を始め、いずれも大きに驚き、長二の身の上を案じ、大抵にしておけと云わぬばかりに、源八がそっと長二の袖を引くを、奉行ははやくも認められまして、

 奉「こりゃ止むるな、控えておれ」


        二十九


 奉「長二郎、しからば其の方は全く両親を殺害せつがい致したのじゃな」

 長「へい……まア左様そういう次第ではございますが、幸兵衛という人は本当の親か義理の親か未だ判然はっきり分りません」

 奉「左様さようか……こりゃ萬助、其の方幸兵衛と柳が夫婦になったのは何時いつか存じてるか」

 萬「へい、たしか五ヶ年前と承わりましたが、わたくしは其ののち奉公住ほうこうずみをいたしましたので」

 奉「夫婦の者は当年何歳に相成るか存じてるか」

 萬「へい幸兵衛は五十三歳で、柳は四十七歳でございます」

 奉「左様か」

 と奉行はまなこを閉じて暫時ざんじ思案の様子でありましたが、白洲を見渡して、

 奉「長二郎、只今の申立てにいさゝかも偽りはあるまいな」

 長「けちりんも嘘は申しません」

 奉「追って吟味に及ぶ、長二郎入牢申付ける、萬助恒太郎儀は追って呼出よびいだす、一同立ちませい」

 是にて此の日のお調べは相済みましたが、筒井侯はぜんにも申述べました通り、坂倉屋の主人又は林大學頭様から、長二の伎倆うでまえの非凡なる事を聞いておられますから、斯様な名人を殺すはおしいもの、何とかして助命させたいとの御心配で、狂人の扱いにしようと思召したのを、長二はかえって怒り、事実を明白に申立てたので、折角の心尽しも無駄になりましたが、その気性の潔白なるに益々ます〳〵感服致されましたから、猶工夫をして助命させたいと思召し、一先ひとまず調べをめておやしきへ帰られました。当今は人殺ひとごろしにも過失殺故殺謀殺などとか申して、罪に軽重けいじゅうがございますから、少しの云廻しで人を殺しても死罪にならずにしまいますが、旧幕時代の法では、復讐かたきうちの外は人を殺せば大抵死罪と決って居りますから、何分長二を助命いたす工夫がございませんので、筒井侯も思案に屈し、お居間に閉籠とじこもって居られますを、奥方が御心配なされて、

 奥「日々にち〳〵御繁務ごはんむさぞお気疲れ遊ばしましょう、御欝散ごうっさんのため御酒でも召上り、先頃召抱えました島路しまじと申す腰元は踊が上手とのことでございますから、お慰みに御所望ごしょもう遊ばしては如何いかゞでございます」

 和泉「ムヽ、その島路と申すは出入町人助七の娘じゃな」

 奥「左様にございます」

 和「そんなら踊の所望は兎も角も、これへ呼んで酌をらせい」

 と御意ぎょいがございましたから、時を移さずお酒宴の支度が整いまして、殿様附と奥方おくさま附のお小姓お腰元奥女中が七八人ずらりッとならびまして、雪洞ぼんぼりあかりまぶしいほどつきました。此の所へ文金ぶんきん高髷たかまげに紫の矢筈絣やはずがすりの振袖で出てまいりましたのは、浅草蔵前の坂倉屋助七の娘お島で、当おやしきへ奉公にあがり、名を島路と改め、お腰元になりましたが、奥方おくがた附でございますから、殿様にはまだお言葉を戴いた事がありません、今日のお召は何事かと心配しながら奥方のうしろへ坐って、丁寧に一礼をいたしますを、殿様が御覧遊ばして、

 和「それが島路か、これへ出て酌をせい」

 との御意でありますから、島路は恐る〳〵横の方へ進みましてお酌を致しますと、殿様は島路の顔を見詰めて、盃の方がおるすになりましたから、手が傾いて酒がこぼれますのを、島路が振袖の袂で受けて、畳へ一滴もこぼしません、殿様はこれに心付かれて、残りの酒を一口に飲みほして、盃を奥方へさゝれましたから、島路は一礼をして元の席へ引退ひきさがろうと致しますのを、

 和「島路待て」

 と呼留められましたので、並居る女中達は心のうちで、さては御前様は島路に思召があるなと互に袖を引合って、羨ましく思って居ります、島路はお酒のこぼれたのを自分の粗相とでも思召して、お咎めなさるのではあるまいかと両手を突いたまゝ、其処そこに居ずくまっておりますと、殿様は此方こっちへ膝を向けられました。


        三十


 和「ちょっと考え事を致して粗相をした、ゆるせ……其方そちに尋ねる事があるが、其方も存じてるであろう、其方の家へ出入をする木具職の長二郎と申す者は、当時江戸一番の名人であると申す事を、其方の父から聞及んで居るが、何ういう人物じゃ、職人じゃによって別に取抦とりえはあるまいが、何ういう性質の者じゃ、知らんか」

 との御意に、島路はかねて長二が伎倆うでまえの優れてるに驚いて居るばかりでなく、慈善を好む心立こゝろだての優しいのに似ず、金銭や威光に少しも屈せぬ見識の高いのに感服して居ります事ゆえ、お尋ねになったを幸い、おやしきのお出入にして、長二を引立てゝやろうとの考えで、

 島「お尋ねになりました木具職の長二郎と申します者は、親共が申上げました通り、江戸一番の名人と申す事で、其の者の造りました品は百年経っても狂いが出ませず、又何程粗暴てあらに取扱いましても毀れる事がないと申すことでございます、左様な名人で多分な手間料を取りますが、衣類などは極々ごく〴〵質素で、悪遊びをいたさず、正直な貧乏人を憐れんで救助するのをたのしみにいたしますについては、女房があっては思うまゝに金銭を人に施すことが出来まいと申して、独身で居ります程の者で、職人には珍らしい心掛で、其の気性の潔白なのには親共も感心いたして居ります」

 和「フム、それでは普通の職人がやゝともすると喧嘩口論をいたして、互に疵をつけたりするような粗暴な人物じゃないの」

 島「左様でございます、あゝいう心掛では無益な喧嘩口論などは決して致しますまいと存じます、殊に御酒は一滴も戴きませんと申す事でございますゆえ、あやまちなどは無いことゝ存じますが、只今申上げました通り潔白な気性でございますゆえ、ひとから恥辱でも受けました節は、その恥辱をすゝぐまでは、一命を捨てゝも飽くまで意地を張るという性根のしっかりいたした者かとも存じます」

 和「ムヽ左様そうじゃ、其方そちの目は高い……長二郎は左様いう男だろうが、同人の親達は何ういう者か其方は知らんか」

 島「一向に存じません」

 和「そんなら誰か長二郎の素性や其の親達の身の上を存じてる者はないか、其方は知らんか」

 と根強く長二郎のことを穿鑿せんさくされる仔細が分りませんから、奥方が不審に思われまして、

 島「御前様、その長二郎とか申す者のことをお聞き遊ばして、如何いかゞ遊ばすのでござります」

 と尋ねられたので、殿様は長二郎を助ける手段もあろうかとの熱心から、うか〳〵島路に根問いをした事に心付かれましたが、お役向の事を此の席で話すわけにも参りませんから、笑いに紛らして、

 和「何サ、その長二郎と申す者は役者のようない男じゃによって、島路が懸想でもしてるなら、身が助七に申聞けて夫婦みょうとにしてやろうと思うたのじゃ」

 と一時のたわむれにして此の場の話を打消そうと致されましたのを、女中達は本当の事と思って、羨ましそうにいずれも島路のかたへ目を注ぎますので、島路ははずかしくもあり、又思いがけない殿様の御意に驚き、顔をあからめて差俯さしうつむいて居りますを、奥方は気の毒に思召して、

 「如何いかに御前様の御意でも、こりゃ此の所では御挨拶が成りますまいのう島路」

 と奥方にまで問詰められて、島路は返答に困り、益々顔を赧くしてもじ〳〵いたして居りますと、女中達は羨ましそうに、

 春野「島路さん、何をお考え遊ばします、願ってもない御前様の御意、わたくしならすぐにお受けをいたしますのに、お年がお若いせいか、ぐず〳〵して」

 常夏「春野さんの仰しゃる通り、此の様な有難い事はござんせぬ、それとも殿御の御器量がお錠口じょうぐち金壺かねつぼさんのようなら、わたくしのような者でも御即答は出来ませんが、その長二郎さんという方は役者のような男だと御前様が仰しゃったではござりませぬか」

 千草「そのうえお仕事が江戸一番の名人で、お金が沢山儲かるとの事」

 早咲「そればかりでも結構すぎるに、お心立が優しくって、きりゝと締った所があるとは、嘘のような殿御振り、お話を承わりましたばかりでわたくしはつい、ホヽ……オホヽヽヽ」

 と女中達のはしたなきお喋りも一座の興でございます。


        三十一


 殿様は御機嫌よろしく打笑うちえまれまして、

 和「どうじゃ島路、皆の者は話を聞いたばかりで彼様かように浮れてるに、其方は何故なぜふさぐのじゃ」

 と退引のっぴきのならんお尋ねを迷惑には思いましたが、此の所で一言いちごん申しておかなければ、殿様が自分をほかの女中達のように思召して、万一父助七へ御意のあった時は、いなやを申上げることも出来ぬと思いましたから、羞かしいのをこらえまして、少し顔を上げ、

 島「だん〳〵の御意は誠に有難う存じますが、何卒どうぞ此の儀は御沙汰止ごさたやみにお願い申上げます、長二郎は伎倆うでまえと申し心立と申し、男として不足のかどは一つもございませんが、わたくし家は町人ながらも系図正しき家筋でございますれば、身分違いの職人の家へ嫁入りを致しましては、第一先祖へ済みませず、かつ世間で私の不身持から余儀なく縁組を致したのであろうなぞと、風聞をいたされますのが心苦しゅうございますれば、何卒なにとぞ此の儀は此の場ぎり御沙汰止にお願い申上げます」

 ときっぱり申述べました。追々世の中がひらけて、華族様と平民と縁組を致すようになった当今のお子様方は、この島路の口上をお聞きなすっては、開けない奴だ、町人と職人と何程どれほどちがいがある、頑固にも程があると仰しゃいましょうが、其の頃は身分という事がやかましくなって居りまして、お武家と商人あきんどとは縁組が出来ません、拠所よんどころなく縁組をいたす時は、其の身分に応じて仮親をこしらえますことで、商人と職人の間にも身分のわかちが立って居りました、殊に身柄のある商人はお武家が町人百姓を卑しめる通り、職人を卑しめたものでございますから、島路は長二郎を不足のない男とは思って居りますが、物の道理を心得てるだけに、此の御沙汰を断ったのでございます。殿様は元来左様そういう思召おぼしめしではなく、只此の場の話を紛らせようと、戯れ半分に仰しゃったお言葉が本当になったので、取返しがつかず、困っておられた処へ、島路が御沙汰止を願いましたから、これを幸いに、

 和「おゝ、何も身が無理に左様そういうのではない、左様いうことなら今の話はめにするから、島路大儀じゃが下物さかなに何か一つ踊って見せい」

 と踊りの御所望ごしょもうがございましたから、女中達は俄に浮き立ちまして、それ〴〵の支度をいたし、さア島路さん、早くとき立てられて、島路は迷惑ながら一旦其の席を引退ひきさがりまして、斯様かような時の用心に宿から取寄せて置いた衣裳を着けて出ました、容貌は一段に引立って美しゅうございまして、殿様が早くとのおことばに随い、島路は憶する色なく立上りまして、珠取たまとりの段を踊りますを、殿様は能くも御覧にならず、何かしきりに御思案の様子でございましたが、踊の半頃なかごろで、

 和「感服いたした、うよい、疲れたであろう、休息いたせ」

 と踊を差止め、酒肴さけさかなを下げさせ、奥方を始め女中達を遠ざけられて、俄に腹心の吟味与力吉田駒二郎よしだこまじろうと申す者をお召になりまして、の更けるまで御密談をなされたのは、全く長二郎の一件に就いて、幸兵衛夫婦の素性を取調べる手懸りを御相談になったので、ほゞ探索の方も定まりましたと見え、駒二郎は御前を退しりぞいて帰宅いたし、直に其の頃探偵捕者とりものの名人と呼ばれた金太郎きんたろう繁藏しげぞうという二人の御用聞を呼寄せて、御用の旨を申含めました。


        三十二


 町奉行筒井和泉守様は、長二郎ほどの名人を失うはおしいから、救う道があるなら助命させたいと思召すばかりではございません、段々吟味の模様を考えますと、幸兵衛夫婦の身の上に怪しい事がありますから、これを調べたいと思召したが、夫婦とも死んで居ります事ゆえ、吟味の手懸りがないので、深く心痛いたされまして、漸々よう〳〵に幸兵衛が龜甲屋お柳方へ入夫にゅうふになる時、下谷稲荷町の美濃屋茂二作みのやもじさくと其の女房およし媒妁なこうど同様に周旋をしたということを聞出しましたから、早速お差紙さしがみをつけて、右の夫婦を呼出して白洲を開かれました。

 奉行「下谷稲荷町徳平店とくべいたな茂二作、ならびさい由、其の他名主、代組合の者残らず出ましたか」

 町役「一同差添いましてござります」

 奉「茂二作夫婦の者は長年龜甲屋方へ出入でいりをいたし、柳に再縁を勧め、其の方共が媒妁なかだちをいたして、幸兵衛と申す者を入夫にいたせし由じゃが、左様さようか」

 茂「へい左様でございます」

 由「それも私共わたくしどもが好んで致したのではございません、よんどころなく頼まれましたので」

 奉「如何なる縁をもって其の方共は龜甲屋へ出入をいたしたのか」

 茂「それはあの龜甲屋のせんの旦那半右衛門はんえもん様が、御公儀の仕立物御用を勤めました縁で、私共も仕立職の方で出入をいたしましたので、へい」

 奉「何歳の時から出入いたしたか」

 茂「二十六歳の時から」

 奉「当年何歳に相成る」

 茂「五十五歳で」

 奉「由は龜甲屋に奉公をいたせしおもむきじゃが、何歳の時奉公にまいった」

 由「へい、わたくしは十七の三月からでございますから」

 と指を折って年を数え、

 「もう廿八九年前の事でございます」

 奉「其の両人とも相変らず出入をいたして居ったのじゃな」

 茂「左様でございます」

 奉「して見ると其の方共実体じっていに勤めて、主人の気に入って居ったものと見えるな」

 由「はい、せんの旦那様がまことにいお方で、私共へ目をかけて下さいましたので」

 奉「左様であろう、して柳と申す女は何時頃いつごろ半右衛門方へ嫁にまいったものか、存じて居ろうな」

 茂「へい、わたくしが奉公にまいりました年で、御新造ごしんぞは其の時たしか十八だと覚えて居ります」

 奉「御新造とはお柳のことか」

 茂「へい」

 奉「して、半右衛門は其の時何歳であった」

 茂「左様で」

 と考えて、お由とさゝやき、指を折り、

 茂「三十二三歳であったと存じます」

 奉「当月九日の、柳島押上堤において長二郎のために殺害せつがいされた幸兵衛という者は、如何なる身分職業で、龜甲屋方に入夫にまいるまで、何方いずかたに住居いたして居った者じゃ」

 茂「幸兵衛は坂本二丁目の経師屋きょうじや桃山甘六もゝやまかんろくの弟子で、其の家が代替りになりました時、いとまを取って、それから私方わたくしかたに居りました」

 奉「其の方宅に何個年なんがねん居ったか」

 茂「左様でございます、彼是十年たらず居りました」

 奉「フム大分だいぶん久しく居ったな」

 茂「へい、随分厄介ものでございました」

 奉「其の方の宅において幸兵衛は常に何をいたして居った」

 茂「へい、只ぶら〳〵、いえ、アノ経師をいたして居りました」

 奉「フム、由其の方は存じて居ろうが、龜甲屋の元の宅は根岸であったによって、坂本の経師職桃山が出入ゆえ、幸兵衛が屡々しば〳〵仕事にまいったであろう」

 由「はい」

 と云いにかゝるを茂二作が目くばせで止めましたから、慌てゝ咳払いに紛らし、

 由「いゝえ、あのわたくしは存じません」

 奉「隠すな、隠すと其の方の為にならんぞ、奉行はく知ってるぞ、幸兵衛が障子の張替えなどに度々まいったであろう」

 由「はい、まいりました」

 奉「左様そうであろう、して、幸兵衛が其の方の宅に居った時は経師職はいたさなんだと申す事じゃが、其の方共の家業の手伝でもいたして居ったのか、何うじゃ」

 由「へい、証文を書いたり催促や何かを致して居りました」

 奉「ムヽ、それでは貸附金の証文の書役しょやくなどを致して居ったのじゃな、して其の貸付金はたれきんじゃ」

 茂「それは、へいわたくしの所持金で」

 奉「余ほど多分に貸付けてある趣じゃが、其の方如何いかゞして所持いたしるぞ、これは多分何者か其の方どもの実体じっていなるを見込んで、貸付方を頼んだのであろう、いや由、何も怖がることは無い、存じてることを真直まっすぐに申せばよいのじゃ」


        三十三


 由「はい、そのかねは、へいせんの旦那がお達者の時分から、御新造様がお小遣の内を少しずつ貸付けになさったので」

 奉「フム、しからば半右衛門のさい柳が、出入の経師職幸兵衛を正直な手堅い者と見込んだゆえ、其の方の宅において貸付金の世話をいたさせたのじゃな、左様そうであろう、何うじゃ」

 茂「左様さようでございます」

 奉「由其の方は女の事ゆえ覚えてるであろう、柳が初めて産をいたしたのは何年の何月で、男子であったか、女子であったか、間違えんように能く勘考して申せ」

 由「はい」

 と両手の指を折って頻りに年を数えながら、茂二作と何かさゝやきまして、

 由「申上げます……あれは今年から二十九年前で、慥か御新造が十九の時で、四月の二十日はつかに奥州へ行くと云って暇乞いとまごいにまいりました人に、旦那様が塩釜様しおがまさまのおふだをお頼みなさったので、わたくしは初めて御新造様が懐妊みもちにおなりなさったのを知ったのでございます、御誕生は正月十一日お蔵開きの日で、お坊さんでございますから、目出たいと申して御祝儀ごしゅうぎを戴いたのを覚えて居ります」

 奉「ムヽ、柳が懐妊かいにんと分った月を存じてるか」

 と奉行は暫らくまなこを閉じて思案をいたされまして、

 奉「由其の方はなか〳〵物覚えが宜いな、然らば幸兵衛が龜甲屋方へ初めてまいったのは何年の何月頃じゃか、それを覚えて居らんか」

 由「はい、左様さよう

 と暫らく考えて居りましたが、突然いきなりに大きな声で、

 由「思い出しました」

 と奉行の顔を見上げて、

 由「幸兵衛が初めてまいりましたのは、其の年の五月絹張きぬばり行灯あんどんが一対出来るので」

 と茂二作の顔を見て、

 由「それ、お前さんが桃山を呼びに行ったら、其の時幸兵衛さんが来たんだよ、御新造がい男だと云って、それ、あの」

 と喋るのを茂二作が目くばせでとゞめても、お由は少しも気がつかずに、

 由「別段に御祝儀をお遣んなさったのを、お前さんがソレ」

 と余計なことを喋り出そうといたしますから、茂二作が気を揉んでにらめたので、お由も気が付いたと見えて、

 由「へい、マア左様そういうことで、それから私共わたくしどもまで心安くなったので、其の初めは五月の二日でございます」

 奉「して見ると柳の懐妊の分ったのは、寛政四年の四月で、幸兵衛が初めて龜甲屋へまいったのは同年五月二日じゃな、それに相違あるまいな」

 茂「へい」

 由「間違いございません」

 奉「そうして其の出生しゅっしょういたした小児は無事に成長致したか、何うじゃ」

 由「くり〳〵ふとったいお坊さんでございましたが、御新造のお乳が出ませんので、八王子のおうちへ頼んで里におやんなさいましたが、間も無く歿なくなったそうでございます」

 奉「その小児を八王子へ遣る時、たれがまいった、親半右衛門でも連れてまいったか」

 由「いゝえ、旦那様はお産があると間もなく、慥か二十日正月の日でございました、急な御用で京都へお出でになりましたから、御新造が御自分でお連れなされたのでござります」

 奉「柳一人いちにんではあるまい、たれか供をいたして参ったであろう」

 由「はい、供には良人やどが」

 奉「やどとはだれの事じゃ」

 茂「へいわたくしが附いてまいりました」

 奉「帰りにも其の方同道いたしたか」

 茂「旦那が留守でうちが案じられるから、先へ帰れと仰しゃいましたから、わたくしはお新造より先へ帰りました」

 奉「柳の実家さとと申すは何者じゃ、存じてるか」

 茂「へい八王子の千人同心だと申す事でございますが、うち死絶しにたえて、今では縁の伯母が一人あるばかりだと申すことでございますが、わたくし大横町おおよこちょうまで送って帰りましたから、先のうちは存じません」

 奉「其の方の外に一緒にまいった者は無いか」

 茂「はい、たれも一緒にまいった者はございません」

 奉「黙れ、其の方はかみに対し偽りを申すな、幸兵衛も同道いたしたであろう」

 茂「へい〳〵誠にどうも、うちからはだれも外にまいった者はござりませんが、へい、アノ五宿ごしゅくへ泊りました時、幸兵衛が先へまいって居りまして、それから一緒にヘイ、つい古い事で忘れまして、まことにどうも恐入りました事で」

 奉「フム、左様さようであろう、して、柳は幾日いくかに出て幾日に帰宅をいたしたか存じて居ろう」

 茂「へい左様……正月二十八日に出まして、あのう二月の二十日頃に帰りましたと存じます」

 奉「それに相違ないか」

 茂「相違ございません」

 奉「しかと左様か」

 茂「決して偽りは申上げません」

 奉「然らば追って呼出すまで、茂二作夫婦とも旅行は相成らんぞ、町役人共左様に心得ませい……立ちませい」

 是にて此の日のお調べは済みました。


        三十四


 奉行は吟味中お由の口上で、図らずお柳の懐妊の年月ねんげつが分ったので、幸兵衛が龜甲屋へ出入を初めた年月としつきたゞすと、懐妊した翌月よくつきでありますから、長二は幸兵衛のたねでない事は明白でございますが、お柳は実母に相違ありませんから、まだ親殺しの罪をのがれさせることは出来ません。是には奉行もほとんど当惑して、最早長二を救うことは出来ぬとまで諦められました。

 由「わたしア本当に命が三年ばかし縮まったよ」

 茂「男でさえ不気味だもの、其の筈だ」

 由「大屋さんは平気だねえ」

 茂「そうサ、自分が調べられるのじゃアないからのこった、此方こちとらはまかり間違えば捕縛ふんじばられるのだからおっかねえ」

 由「今日の塩梅じゃア心配しなくってもいようだねえ」

 茂「手前てめえが余計なことを喋りそうにするから、おら冷々ひや〳〵したぜ」

 由「行く前に大屋さんから教わって置いたから、襤褸ぼろを出さずに済んだのだ、斯ういう時は兀頭はげも頼りになるねえ」

 茂「それだから鰻で一杯飲ましてやったのだ」

 由「鰻なぞを喰ったことが無いと見えて、串までしゃぶって居たよ」

 茂「まさか」

 由「本当だよ、お酒も彼様あんいのを飲んだ事アないと見えて、大層酔ったようだった」

 茂「おれ先刻さっきひどく酔ったが、風が寒いので悉皆すっかりめてしまった」

 由「早く帰って、又一杯おやりよ」

 と茂二作夫婦は世話になった礼心れいごゝろで、奉行所から帰宅の途中、ある鰻屋へ立寄り、大屋徳平とくへい夕飯ゆうめしをふるまい、徳平に別れて下谷稲荷町の宅へ戻りましたのは夕七時半なゝつはん過で、空はどんより曇って北風が寒く、今にも降出しそうな気色けしきでございますので、此の間から此の家の軒下を借りて、夜店を出します古道具屋と古本屋が、大きな葛籠つゞらを其処へ卸して、二つ三つ穴の明いた古薄縁ふるうすべりを前へひろげましたが、代物しろものならべるのを見合せ、葛籠に腰をかけて煙草を呑みながら空を眺めて居ります。

 茂「やア道具屋さんも本屋さんも御精が出ます、何だか急に寒くなって来たではありませんか」

 道「お帰りですか、商売冥利みょうりですから出ては見ましたが、今にも降って来そうですから、考えているんです」

 茂「こういう晩には人通りも少ないからねえ」

 本「左様そうですが天道干てんとうぼしという奴ア商いの有無あるなしに拘わらず、毎晩めいばんおんなとけえ出て定店じょうみせのようにしなけりゃアいけやせんから、寒いのを辛抱して出て来たんですが、雪になっちゃア当分喰込みです」

 茂「雪はあとが長くわるいからね」

 と立話をしておりますうち、お由が隣へ預けて置いた入口のしまりの鍵を持って来て、格子戸を明けましたから、茂二作は内へ入り、お由は其の足ですぐに酒屋へ行って酒を買い、貧乏徳利びんぼうどくりを袖に隠して戻りますと、茂二作は火種にいけて置いた炭団たどん掻発かきおこして、其の上に消炭を積上げ、鼻をあぶりながらブー〳〵と火を吹いて居ります。お由は半纏羽織はんてんばおりを脱いで袖畳みにして居りますと、表の格子戸をガラリッと明けていってまいりました男は、太織ふとおりというと体裁がうございますが、年数を喰って細織になった、上の所まんだらにげておる焦茶色の短かい羽織に、八丈まがいの脂染あぶらじみた小袖を着し、一本独鈷いっぽんどっこの小倉の帯に、お釈迦の手のような木刀をきめ込み、ねぎ枯葉かれっぱのようなぱっちに、白足袋でない鼠足袋というのを穿き、上汐あげしおの河流れを救って来たような日和下駄ひよりげたで小包をげ、黒の山岡頭巾を被って居ります。


        三十五


 誰だか分りませんが、風体ふうていが悪いから、お由が目くばせをして茂二作を奥の方へ逐遣おいやり、中仕切なかじきりの障子を建切りまして、

 由「何方どなたです」

 「はい玄石げんせきでござるて」

 と頭巾を取って此方こっち覗込のぞきこみました。

 由「おや〳〵岩村いわむらさんで、お久しぶりでございますこと」

 玄「誠に意外な御無音ごぶいんをいたしたので、しかいつも御壮健で」

 と拇指おやゆびを出して、

 玄「御在宿かな」

 というはまさしく合力ごうりょくを頼みに来たものと察しましたから、

 由「はい、今日は生憎あいにく留守で、マアお上んなさいな」

 と口には申しましても、玄石が腰を掛けてあがばたへ、べったりと大きなおいどえて居りますから、玄石が上りたくも上ることが出来ません。

 玄「へい何方どちらへお出でゞす、もう程のう御帰宅でしょう」

 由「いゝえ此の頃親類が災難にって、心配中で、もう少し先刻さっき其の方へ出かけましたので、わたくしも是れから出かけようと、此の通り今着物を着替えたところで、まことに生憎な事でした、お宿が分って居りますれば明日みょうにちにも伺わせましょう」

 玄「はい、宿と申して別に……実に御承知の通り先年郷里へ隠遁をいたした処、兵粮方ひょうろうかたの親族に死なれ、それからやむを得ず再び玄関をひらくと、祝融しゅくゆうの神に憎まれて全焼まるやけと相成ったじゃ、それからというものはる事なす事いすかはし所詮しょせん田舎ではかんと見切って出府しゅっぷいたしたのじゃが、別に目的もないによって、先ず身の上を御依頼申すところは、龜甲屋様と存じて根岸をお尋ね申した処、鳥越へ御転居に相成ったと承わり、早速伺ったら、いやはや意外な凶変、実に驚き入った事件で、定めて此方こなたにも御心配のことゝ存ずるて」

 由「まことにお気の毒な事で、何とも申そうようがございません、定めてお聞でしょうが、おうちへお出入の指物屋が金に目がれて殺したんですとサ」

 玄「ふーむ、不埓千万な奴で……実に金がかたきの世の中です、然るに愚老は其の敵にめぐり逢おうと存じて出府致した処、右の次第で当惑のあまり此方こなたへ御融通を願いに出たのですから、何卒どうか何分」

 由「はい、折角のお頼みではございますが、此の節はまことに融通がわるいので、どうも」

 玄「でもあろうが、お手許てもとに遊んで居らんければからでも御才覚を願いたい、利分は天引でも苦しゅうないによって」

 由「ハア、それは貴方のことですから、才覚が出来さいすればの様にも骨を折って見ましょうが、何分今が今と云っては心当りが」

 玄「其処そこを是非とも願うので」

 と根強く掛合込かけあいこみまして、お由にはなか〳〵断りきれぬ様子でありますから、茂二作は一旦脱いだ羽織を引掛ひっかけ、裏口からそっ脱出ぬけだして表へ廻り、今帰ったふりで門口を明けましたから、お由はぬからぬ顔で、

 由「おや大層早かったねえ」

 茂「いや、これは岩村先生……まことにお久しい」

 玄「イーヤお帰りですか、意外な御無音ごぶいんじつに謝するに言葉がござらんて」

 茂「何うなさったかと毎度お噂をして居りましたが、まアお変りもなくて結構です」

 玄「ところがお変りだらけで不結構ぶけっこうという次第を、只今御内方ごないほうへ陳述いたしてるところで、実に汗顔かんがんの至りだが、国で困難をして出府いたした処、頼む樹陰こかげに雨が漏るで、龜甲屋様の変事、進退きわまったので已むを得ず推参いたした訳で、老人を愍然びんぜんと思召して御救助を何うか」

 茂「成程、それはお困りでしょうが、当節は以前と違ってひどい不手廻りですから、何分心底に任しません」

 と金子を紙に包んで、

 茂「これはほんの心ばかりですが、草鞋銭と思って何うぞ」

 と差出すを、

 玄「はい〳〵実に何とも恐縮の至りで」

 と手に受けて包をそっとひらき、中を見て其の儘に突戻しまして、

 玄「フン、これはたった二百ぴきですねえ、もし宜く考えて見ておくんなさい」

 茂「二分では少いと仰しゃるのか」

 玄「左様さようさ、これッばかりの金が何になりましょう」

 茂「だから草鞋銭だと云ったのだ、二分の草鞋がありゃア、京都へ二三度行って帰ることが出来る」

 玄「ところが愚老の穿く草鞋は高直こうじきだによって、二百疋では何うも国へも帰られんて」

 茂「そんなら幾許いくらほしいというのだ」

 玄「大負けに負けてわずか百両借りたいんで」


        三十六


 由「おやまア呆れた」

 茂「岩村さん、お前とんでもねえ事をいうぜ、何で百両貸せというのだ、わしアお前さんにそんな金を貸す因縁はない」

 玄「成程因縁はあるまいが、龜甲屋の御夫婦が歿なくなったあかつきは、昔馴染の此方こなたすがるより外に仕方がないによって」

 茂「昔馴染だと思うから二分はずんだのだ、左様そうでなけりゃア百もくれるのじゃアない、少いというなら止しましょうよ」

 玄「宜しい、此方こっちでも止しましょう、憚りながら零落しても岩村玄石だ、先年売込んだ名前があるから秘術鍼治しんじの看板をけさいすれば、五両や十両の金は瞬間またゝくまいって来るのは知れているが、見苦しいうちを借りたくないから、資本を借りに来たのだが、貴公がういう了簡なら、貸そうと申されてももう借用はいたさぬて」

 茂「そりゃア幸いだ、二分棒にふるところだった、馬鹿〳〵しい」

 玄「何だ馬鹿〳〵しいとは、何だ、貴公達はもとの事を忘れたのか、物覚えの悪い人たちだ、心得のため云って聞かせよう、貴公達は龜甲屋に奉公中、御新造様に情夫おとこ媒介とりもって、口止に貰った鼻薬をちび〳〵貯めて小金貸こがねかし、それから段々慾が増長し、御新造様のくすねた金を引出して、五両一の下金貸したかねかし、貧乏人の喉をめて高利を貪り仕上げた身代、貯るほどきたなくなる灰吹同前の貴公達の金だ、仮令たとえ借りても返さずには置かないのに、何だ金比羅詣り同様な銭貰いの取扱い、草鞋銭とは失礼千万、たとい金は貸さないまでも、遠国から出て来て、久しぶりで尋ねて来たのだ、此様こんうちへ泊りはしないが、お疲れだろうから一泊なさいとか、また鹿角菜ひじきに油揚の惣菜では喰いもしないが、時刻だから御飯をとか世辞にも云うべき義理のある愚老を、軽蔑するにも程があるて」

 由「おや大層お威張りだねえ、何ですとアノ」

 茂「お由黙っていろ、強請ゆすりだから」

 玄「なに強請だ、愚老が強請なら貴公達は人殺ひとごろしの提灯持だ」

 茂「やア、とんだ事をいう奴だ、何が人殺だ」

 玄「聞きたくば云って聞かせるが、貴公達は龜甲屋の旦那の病中に、愚老へ頼んだことを忘れたのか」

 と云われて、夫婦はびっくりして顔色を変え、ふるえながら小さな声をして、

 茂「これサ、それを云やア先生も同罪だぜ、まア静かにおしなさい、人に聞かれると善くないから」

 玄「それは万々承知さ、此様なことは云いたくは無いが、あんまり貴公達が因業で吝嗇けちだからさ」

 由「それじゃお前さん虫がいゝというもんだ、先生お前さんの時御新造から百両貰ったじゃアありませんか」

 玄「百両ばかり何うなるものか、なくなったによって、又百両又百両と、千両ばかり段々に貰う心得で出て来て見ると、天道様は怖いもので、二人とも人手にかゝって殺されたというから、向後きょうこう悪事はいたさぬと改心をしたが、肝腎の金庫かねぐらが無くなって見ると、玄石殆んど路頭に迷う始末だから、已むを得ず幸いに天網てんもうのがれてる貴公達へ、御頼談ごらいだんに及んだのさ」

 茂「それでもわしにア一本という大金は」

 玄「出来ないというのを無理にとは申さんが、其の金が無い時は玄関を開く事も出来ず、再び郷里へ帰る面目もないによって、路傍に餓死するよりむしろ自から訴え出て、御法を受けた方が未来のためになろうと観念をしたのさ、其の時は御迷惑であろうが、貴公達から依頼を受けて斯々こう〳〵いたしたと手続きを申し立てるによって、その覚悟で居ってもらわんければならんが、宜しいかね」

 と調子に乗って声高こわだかに談判するを、先刻せんこくより軒前のきさき空合そらあいを眺めて居りました二人の夜店商人あきんどが、互いに顔を見合わせ、うなずきあい、懐中から捕縄とりなわを取出すや否や、格子戸をがらりっと明けて、

 「御用だ……神妙にいたせ」

 と手早く玄石に縄をかけ、茂二作夫婦諸共に車坂の自身番へ拘引いたしました。この二人の夜店商人は申すまでもなく、大抵御推察になりましたろうが、これはさきに吟味与力吉田駒二郎から長二郎一件の探偵方を申付けられました、金太郎繁藏の両人でございます。


        三十七


 岩村玄石を縛りあげて厳重に取調べますと、此の者は越中国えっちゅうのくに射水郡いみずごおり高岡の町医の忰で、身持放埓ほうらつのため、親の勘当を受け、二十歳はたちの時江戸に来て、ある鍼医はりいの家の玄関番に住込み、少しばかり鍼術はりを覚えたので、下谷金杉村かなすぎむらに看板をかけ、幇間たいこ半分に諸家へ出入をいたしてるうち、根岸の龜甲屋へも立入ることになり、諂諛おべっかが旨いのでお柳の気に入り、茂二作夫婦とも懇意になりました所から、主人半右衞門が病気の節お柳幸兵衞の内意を受けた茂二作夫婦から、ひとに知れないように半右衞門を毒殺してくれたら、百両礼をすると頼まれたが、番木鼈まちんの外は毒薬を知りません。またはりには戻天るいてんといって一打ひとうちで人を殺す術があるということは聞いて居りますが、それまでの修業をいたしませんから、殺す方角がつきませんが、眼の前に吊下ぶらさがっている百両の金を取損とりそこなうのも残念と、種々いろ〳〵に考えるうち、人体の左の乳の下は心谷命門しんこくめいもんといって大切な所ゆえ、秘伝を受けぬうちは無闇に鍼を打つことはならぬと師匠が毎度云って聞かしたことを思い出しましたから、是が戻天の所かも知れん、物は試しだ一番やって見ようというので、茂二作夫婦には毒薬をもって殺す時は死相が変って、人の疑いを招くから、愚老が研究した鍼の秘術で殺して見せると申して、例の通り療治をする時、半右衞門の左の乳の下へ思切って深く鍼を打ったのがまぐれあたりで、命門に達したものと見えて、半右衞門は苦痛もせず落命いたしましたから、お柳と幸兵衞はおおきに喜び、玄石の技術うでまえを褒めて約束の通り金百両を与えて、堅く口止をいたし、茂二作夫婦にも幾許いくらかの口止金を与えて半右衞門を病死と披露して、谷中の菩提所へ埋葬とりおきをいたしたと逐一旧悪を白状に及びましたので、幸兵衞お柳の大悪人ということが明白になり、長二郎は図らず実父半右衞門のあだ幸兵衞を殺し、敵討をいたした筋に当りますが、悪人ながらお柳は実母でございますから、親殺しのかどは何うしてものがれることは出来ませんので、町奉行筒井和泉守様はよんどころなく、それ〴〵の口書こうしょを以て時の御老中の筆頭土井大炊頭どいおおいのかみ様へ伺いになりましたから、御老中青山下野守あおやましもつけのかみ様、阿部備中守あべびっちゅうのかみ様、水野出羽守みずのでわのかみ様、大久保加賀守おおくぼかゞのかみ様と御評議の上、時の将軍家齊いえなり公へ長二郎の罪科御裁許を申上げられました。この家齊公と申すは徳川十一代の将軍にて、文恭院ぶんきょういん様と申す明君めいくんにて、此の時御年四十六歳にならせられ専ら天下の御政事の公明なるようにと御心みこゝろを用いらるゝ折抦おりからでございますから、容易には御裁許遊ばされず、猶お御老中方に長二郎を初め其の関係かゝりあいの者の身分行状、並に此の事件の手続等をくわしくおたゞしになりましたから、御老中方から明細に言上ごんじょういたされました処、成程半右衞門はんえもん妻柳なる者は、長二郎の実母ゆえ親殺しの罪科に宛行あておこなうべきものなるが、柳は奸夫幸兵衞とはかり、玄石を頼んで半右衞門を殺した所より見れば、長二郎のためには幸兵衞同様親の仇に相違なし、然るに実母だからといって復讐の取扱が出来ぬというは如何いかにも不条理のように思われ、裁断にくるしむとの御意にて、すぐ御儒者ごじゅしゃ林大學頭様をお召しになり、御直ごじきに右の次第をお申聞けの上、斯様なる犯罪はまだ我国には例もなき事ゆえ、裁断いたし兼るが、唐土からくにに類例もあらば聞きたし、かつ別にこれを裁断すべき聖人のおしえあらば心得のため承知したいとの仰せがありました。


        三十八


 林大學頭様は、先年坂倉屋助七の頼みによって長二郎が製造いたした無類の仏壇に折紙おりかみを付けられた時、其の文章中に長二郎が伎倆うでまえの非凡なることゝ、同人が親につかえて孝行なることゝ、慈善を好む仁者なることをしるした次に、いまだ学ばずというといえども吾は之を学びたりとわんとまで長二郎をめ、彼は未だ学問をした事は無いというが、其の身持と心立こゝろだては、十分に学問をした者も同様だという意味を書かれて、其の人にも其の事を吹聴された事でありますから、その親孝行の長二郎が親殺しをしたといっては、先年の折紙が嘘誉そらぼめになって、御自分までが面目めんぼくを失われる事になりますばかりでなく、将軍家の御質問も御道理でございますから、しきりに勘考を致されましたが、からにも此の様な科人とがにんを取扱ったためしはございませんが、これに引当てゝ長二郎を無罪にいたす道理を見出されましたので、大學頭様はひそかに喜んで、長二郎の罪科御裁断の儀に付きとくと勘考いたせし処、唐土もろこしにおいても其の類例は見当り申さざるも、道理において長二郎へは御褒美の御沙汰ごさたあって然るびょう存じ奉つると言上いたされましたから、家齊公には意外に思召され、其の理を御質問遊ばされますと、大學頭様は五経の内の礼記らいきと申す書物をお取寄せになりまして、第三がん目の檀弓だんぐうと申す篇の一節ひとくだりを御覧に入れて、御講釈を申上げられました。こゝの所は徳川将軍家のお儒者林大學頭様の仮声こわいろを使わんければならない所でございますが、四書ししょ素読そどくもいたした事のない無学文盲のわたくしには、所詮お解りになるようには申上げられませんが、或方あるかたから御教示を受けましたから、長二郎の一件に入用いりようの所だけをつまんで平たく申しますと、唐の聖人孔子様のお孫に、きゅうあざな子思しゝと申す方がございまして、そのお子をはくあざな子上しじょうと申しました、子上を産んだ子思の奥様が離縁になってのち死んだ時、子上のためには実母でありますが、忌服きふくを受けさせませんから、子思の門人が聖人のおしえに背くと思って、何故なにゆえに忌服をお受けさせなさらないのでございますと尋ねましたら、子思先生の申されるのに、拙者のさいであれば白のためには母であるによって、無論忌服を受けねばならぬが、彼は既に離縁いたした女で、拙者の妻でないから、白のためにも母でない、それ故に忌服を受けさせんのであると答えられました、礼記の記事は悪人だの人殺ひとごろしだのという事ではありませんが、道理は宜く合っております、ちょうどの半右衞門が子思の所で、子上が長二郎に当ります、お柳は離縁にはなりませんが、女の道に背き、幸兵衞と姦通いたしたのみならず、奸夫とはかって夫半右衞門を殺した大悪人でありますから、姦通のかどばかりでも妻たるの道を失った者で、半右衞門がこれを知ったなら、妻とは致して置かんに相違ありません、れば既に半右衞門の妻では無く、離縁したも同じ事で、離縁したおんな仮令たとえ無瑕むきずでも、長二郎のために母で無し、まして大悪無道、夫を殺して奸夫を引入れ、財産を押領おうりょういたしたのみならず、実子をもうしなわんといたした無慈悲の女、天道いかでこれを罰せずに置きましょう長二郎の孝心厚きに感じ、天が導いて実父の仇を打たしたものに違いないという理解に、家齊公も感服いたされまして、其の旨を御老中へ御沙汰に相成り、御老中からたゞちに町奉行へ伝達されましたから、筒井和泉守様は雀躍こおどりするまでに喜ばれ、十一月二十九日に長二郎を始め囚人めしゅうど玄石茂二作、並につま由其の関係の者一同をお呼出しになって白洲を立てられました。


        三十九


 此の日は筒井和泉守様は、無釼梅鉢けんなしうめばち定紋じょうもん付いたる御召おめし御納戸おなんどの小袖に、黒の肩衣かたぎぬを着け茶宇ちゃうの袴にて小刀しょうとうを帯し、シーという制止の声と共に御出座になりまして、

 奉行「訴人長二郎、浅草鳥越片町龜甲屋手代萬助、本所元町與兵衛店恒太郎、下谷稲荷町徳平店茂二作並に妻由、越中国高岡無宿玄石、其の外町役人組合の者残らず出ましたか」

 町役「一同差添いましてござります」

 奉「茂二作並に妻由、其の方ども先日半右衞門妻柳が懐妊いたしたを承知せしは、当年より二十九ヶ年前、即ち寛政四子年ねどしで、男子の出生しゅっしょうは其の翌年の正月十一日と申したが、それに相違ないか」

 茂「へい、相違ございません」

 奉「その小児の名は何と申した」

 由「半之助はんのすけ様と申しました」

 奉「フム、その半之助と申すは是なる長二郎なるが、何うじゃ、半右衞門に似て居ろうな」

 と云われ茂二作夫婦は驚いて、長二の顔をのぞきまして、

 茂「成程能く似て居ります、のうお由」

 由「うですよ、ちっとも気が付かなかったが、左様そう聞いて見るとねえ、旦那様にそっくりだ、へい此の方が半之助様で、何うして無事で実に不思議で」

 奉「ムヽ能う似てると見えるな」

 と奉行は打笑うちえまれまして、

 奉「半右衞門妻柳が懐妊中、其の方共が幸兵衞を取持って不義を致させたのであろう」

 茂「何ういたしまして、左様な事は」

 由「わたくしどもの知らないうちに何時か」

 奉「いずれにしても宜しいが、其の方共は幸兵衞と柳が密通いたしてるを知って居ったであろう」

 茂「へい、それは」

 由「何か怪しいと存じました」

 奉「柳が不義を存じながら、主人半右衞門へ内々ない〳〵にいたし居ったは、其の方共も同家に奉公中密通いたし居ったのであろうがな」

 と星を指されて両人は赤面をいたし、何とも申しませんから、奉行は推察の通りであると心にうなずき、

 奉「左様さようじゃによって幸兵衞をきように主人へ執成とりなし、柳に謟諛こびへつらい、体よくいとまを取って、入谷へ世帯を持ち、幸兵衞を同居いたさせ置き、柳と密会を致させたのであろう、かみには調べが届いてるぞ、それに相違あるまい、何うじゃ恐れ入ったか」

 夫婦「恐入りました」

 奉「それのみならず、両人は半右衞門の病中柳の内意を受け、是れなる玄石に半右衞門を殺害せつがいする事を頼んだであろう、玄石が残らず白状に及んだぞ、それに相違あるまいな、何うじゃ、恐入ったか」

 夫婦「恐入りました」

 奉「長二郎、其の方は龜甲屋半右衞門の実子なること明白に相分りし上は、其の方が先月九日の、柳島押上堤において幸兵衞、柳の両人を殺害いたしたのは、十ヶ年前右両人のため、非業に相果てたる実父半右衞門のかたきを討ったのであるぞ、孝心の段上にも奇特に思召し、青差あおざし拾貫文じっかんもん御褒美下し置かるゝ有難く心得ませい、かつ半右衞門の跡目相続の上、手代萬助は其の方において永のいとま申付けて宜かろう」

 萬「へい、恐れながら申上げます、何ういう贔屓か存じませんがあんま依估えこ御沙汰ごさたかと存じます、成程幸兵衞は親のかたきでもござりましょうが、御新造は長二郎の母に相違ござりませんから、親殺しのお処刑しおきに相成るものと心得ますに、御褒美を下さりますとは、一円合点のまいりませぬ御裁判かと存じます」

 奉「フム、よう不審に心付いたが、依估の沙汰とは不埓な申分じゃ、其の方斯様な裁判が奉行一存のはからいに相成ると存じるか、一人いちにんの者お処刑に相成る時は、老中方の御評議に相成り上様へ伺い上様の思召をもって御裁許の上、老中方の御印文ごいんもんすわらぬうちはお処刑には相成らぬぞ、其の方公儀の御用を相勤め居った龜甲屋の手代をいたしながら、其の儀相心得居らぬか、不束者ふつゝかものめが」


        四十


 奉行は高声こうせいに叱りつけて、更に言葉をやわらげられ、

 奉「半右衞門妻柳は、長二郎の実母ゆえ、親殺しと申す者もあろうが、親殺しに相成らぬは、斯ういう次第じゃ、柳は夫半右衞門存生中ぞんじょうちゅう密夫みっぷを引入れ、姦通致せしかどばかりでも既に半右衞門の妻たる道を失ってる半右衞門において此の事を知ったならば軽うても離縁いたすであろう、殊に奸夫幸兵衞と申合わせひそかに半右衞門を殺した大悪非道な女じゃによって、最早半右衛門の妻でない、半右衛門の妻でなければ長二郎のために母でない、この道理を礼記と申す書物によって林大學頭より上様へ言上いたしたによって、長二郎は全く実父の敵である、他人の柳と幸兵衛を討取ったのであると御裁許に相成ったのじゃ、萬助分ったか」

 萬「恐入りました」

 奉「茂二作並に妻由、其の方共半右衞門方へ奉公中、主人妻柳に幸兵衞を取持ったるのみならず、柳の悪事に同意し、玄石を頼み、主人半右衞門を殺害せつがいいたさせたる段、主殺しゅうころし同罪、はりつけにも行うべき処、主人柳の頼み是非なく同意いたしたる儀につき、格別の御慈悲ごじひをもって十四ヶ年遠島を申付くる、有難く心得ませい」

 二人「有難うござります」

 奉「下谷稲荷町茂二作家主徳平、並に浅草鳥越片町龜甲屋差配簑七みのしち、其の方斯様なる悪人どもが自分の差配中に住居いたすを存ぜざる段、不取締に付とがめ申付くべき処、此のたびゆるし置く、以後屹度心得ませい」

 奉「恒太郎其の方父清兵衞儀、永々なが〳〵長二郎を世話いたし、此の度の一件に付長二郎平生へいせいの所業心懸とう逐一申立てたるに付、かみの御都合にも相成り、かつ師弟の情合じょうあい厚き段神妙の至り誉め置くぞ」

 恒「へい、有難う存じます」

 奉「玄石其の方儀、半右衞門妻柳より金百両を貰い受け、半右衞門を鍼術しんじゅつにて殺害に及びし段、不届に付死罪申付くべきの処、格別の御慈悲をもって十四年遠島を申付くる、有難う心得ませい」

 玄「有難うござります」

 奉「長二郎親の仇討あだうち一件今日こんにちにて落着、一同立ちませい」

 これで此の事件は落着になり、玄石と茂二作夫婦は八丈島へ遠島になって、玄石は三年目に死去し、茂二作夫婦も四五年の内に死去いたしたのは天罰、くあるべき筈でございます。さて長二郎は死罪を覚悟で駈込訴えをいたしました処、もとより毛筋程けすじほども悪心のないのは天道様が御照覧になって居りますから、筒井様のお調べ、清兵衛のお慈悲願いから、林大學頭様の御理解等にて到頭実父の復讐かたきうちとなり、御褒美を戴いた上、計らず大身代おおしんだいの龜甲屋を相続いたす事になりまして、公儀から指物御用達ごようたしを仰付けられましたので、長二郎は名前を幼名の半之助と改め、非業に死んだ実父半右衞門と、悪人なれど腹を借りた縁故により、お柳の菩提をとむらうため、紀州の高野山へ供養塔を建立こんりゅうし、また相州足柄郡湯河原の向山の墓地にも、養父母のため墓碑を建てゝ手厚く供養をいたしました。右様みぎようの事がなくとも、長二郎の名は先年林大學頭様の折紙が付いた仏壇で、江戸中に響き渡りました処、又今度林大學頭様が礼記の講釈で復讐ふくしゅうという折紙を付けられました珍らしい裁判で、一層名高くなったので、清兵衞達の喜びはいうまでもなく、坂倉屋助七もおおきに喜び、或日筒井侯のおやしきへ伺いますと、殿様が先日腰元島路の申した口上もあれば、今は職人でない長二郎ゆえ、島路を彼方かれかたへ遣わしては如何いかゞとの仰せに助七は願うところとすみやかに媒酌を設け、龜甲屋方へ婚姻の儀を申入れました処、長二郎も喜んで承知いたしたので、文政五午年うまどし三月一日いちにちに婚礼を執行とりおこない、夫婦むつまじく豊かに相暮しましたが、夫婦の間に子が出来ませんので、養子を致して、長二郎の半之助は根岸へ隠居して、弘化こうか巳年みどしの九月二日ふつかに五十三歳で死去いたしました。墓は孝徳院長譽義秀居士こうとくいんちょうよぎしゅうこじと題して、谷中の天竜寺に残ってございます。

底本:「圓朝全集 巻の九」近代文芸資料複刻叢書、世界文庫

   1964(昭和39)年210日発行

底本の親本:「圓朝全集 巻の九」春陽堂

   1927(昭和2)年812日発行

※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記をあらためました。

ただし、話芸の速記を元にした底本の特徴を残すために、繰り返し記号は原則としてそのまま用いました。同の字点「々」やカタカナ繰り返し記号「ヽ」と同様に用いられている二の字点(漢数字の「二」を一筆書きにしたような形の繰り返し記号)は、「々」「ヽ」にかえました。

また、総ルビの底本から、振り仮名の一部を省きました。

底本中ではばらばらに用いられている、「其の」と「其」、「此の」と「此」、「の」と「あの」は、それぞれ「其の」「此の」「彼の」に統一しました。

また、底本中では改行されていませんが、会話文の前後で段落をあらため、会話文の終わりを示す句読点は、受けのかぎ括弧にかえました。

※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)

入力:小林 繁雄

校正:かとうかおり

2000年1031日公開

2003年921日修正

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