槍ヶ岳第三回登山
小島烏水



 雨で閉じこめられた、赤沢小舎の一夜が明ける。前の日、常念岳から二の股を下りて、私たちの一行より早く、この小舎に着いていられた冠君は、今朝も早く仕度を済まされ、「お先へ」と言って、人夫どもを連れて出て行かれる、「若い衆天幕取れやい」と嘉門次の号令がかかる、天幕を組み立てた糸がスルスルと手繰たぐられて、雫のポタポタする重い油紙が、ひざまずくように岩盤の上に折り重なる、飯をかしいだあとの煙が、赤樺の梢を絡んで、心臓形に尖った滑らかな青葉を舐めて、空へあがって行く、その消えぎえの烟の中から、人夫が一人ずつ、荷をしょっては、ひょッくり、あらわれる、嘉門次の愛犬「コゾー」もこの登山隊の一員として交っている。

 嘉門次が一行の案内を務めるのは、言うまでもない、雨でグッショリ濡れた青草や、たおれている朽木からは、人の嗅覚をそそるような古い匂いがして、むせびそうだ、足が早いので、一丁も先になった嘉門次は、私を振り返って「他所よその人足は使いづらくて困る」とブツブツ言いながら、赤石の河原に出た。

 見上げる限り、花崗の岩壁が聳えて、その壁には白い卓子テーブル懸けのような雪が、幾反も垂れている、若緑の樺の木は、岩壁の麓から胸まで、擦り切れるようになった枝を張りつめて、その間から白雪が、細いまだらを引いている、この川は小舎のうしろへ流れ落ちるのだそうだ、水から飛び上った鶺鴒せきれいが、こっちを見ていたが、人が近づいたので、ついと飛ぶ、大石の上には水で描いた小さな足痕が、紋形をして、うす日に光っている。

 馬場平(宛字)というところへ来ると、南北の両側に、雪が築き上げられたように多くて、高さは一丈もあろう、それが表面は泥で帆木綿ほもめんのように黒くなっているが、その鍵裂きの穴からは、雪の生地が梨の肌のように白く、下は解けて水になっている、その水の流れて行くところは、雪の小さい峡間はざまを開いて、ちょろちょろと音をさせている。

 右の方を仰ぐと、赤沢岳が無器用な円頂閣のように、幅びろく突ッ立って、その花崗岩の赤く禿げた截断面が、銅の薬鑵やかんのような色をして、冷めたく荒い空気に煤ぶっている。

 雪は次第に厚く、幅がひろく、辷りもするので、人の鳶口にたすけられて上った、雪のおもては旋風にでも穿り返された跡らしく、亀甲形の斑紋が、おのずと出来ている、その下には雪解の蒼白い水が、澄みわたって、雪の崖から転げ落ちたらしい大石に、突き当って二派に分れ、呟きながら走って行く、大きな削り板のような雪が、継ぎ目から二ツに截り放されたようになって、平行に裂けて口を明けているのもある。

 顧れば峡間から東方の霞沢岳連峰の木山には、どすぐろい雨雲が、甘藍キャベツの大葉を巻いたように冠ぶさって、その尖端が常念一帯の脈まで、包んで来ている、雪の峡流は碧い石や黄な石をひたして、水嵩みずかさも多くなって、樺青く雪白い間を走って行くのが、遙かに瞰下されて、先は森林の底に没している。

 雪のおもてには枝の折片が刺されていたり、泥土が流れていたりして、いかにもうす汚ない、白馬岳の雪の美しいことは、こんなものでは無いと、高頭君がしきりに説明してくれる。

 谷が狭くなって、崖側を行くと、緩いながらも雪の傾斜で辷るから、ミヤマナナカマドの枝を捉えながら上る、前にも増した雪の断裂で、草鞋わらじに踏みにじった雪片は、山桜の葩弁はなびらのように、白く光ってあたりに飛び散る。

 奥赤沢の切れ込みへ来ると、雪は庖刀ほうちょうを入れたように并行に断裂して、その切截面の高さは、およそ二丈もあろう、右へ除け左へ避けて、思わずも雪の薄氷の上を行くと、パリパリと氷柱つららが折れるような音がするので、足下を見ると、大きな穴があって、その穴の蓋の雪が、七八寸の厚さしかない、金剛杖で敲くと、パリッと音がして、崩れ落ちる、穴の下では溶解した水が、渦を巻いている。

 前面にはおかのような山が二つ、小隆起をしている、赤沢岳頂上の三角点も、大空を指さしている、谷は次第に高くなる、高くなると共にまって来て、雪のねり方も、波のように烈しいが、嘉門次の語るところに依ると、雪の下は大小の石塊ばかりで、雪解けがしたら、却って歩きづらくて堪まらないということだ。その雪には花崗の霉爛ばいらんした砂が黄粉きなこのようになって、幾筋となくこぼれている、色が桃紅なので、水晶のような氷の脈にも、血管が通っているようだ、雪の断裂面は山から吹き下す風のためであろう、何か巨大な爪で掻き挘ったような、掌大な痕を印している。

 高山植物も、未だ芽組めぐんだばかりというところで、樺の青味を除けば、谷一面、褐色と白色とに支配せられている、谷はつぼんでいる故か、思ったより暖かなので、中岳と仮に名をつけた小隆起を屏風にして、小休みをする、赤沢岳は三十度以上の傾斜をして、岩石の赤い筋と雪の白い斑とが、燃えるような、沈むような光り方をしている、あとから重そうに荷を担いで来る人夫も追いついて、一と塊になって休む。

 上り初めると蝶ヶ岳が見える、この山もそれに続く熊村岳(宛字)も、谷から渦まきあが飛沫しぶきのような霧に、次第に包まれて来る、足許には白花石楠花しろはなしゃくなげや、白山一華はくさんいちげの白いのが、うす明るく砂の上に映っている。

 偃松も徐々と、根を張り始めた。

 この傾斜を上り切って、ひょいと顔を出すと、槍ヶ岳の大身の槍尖が、すいと穂を立てている、そうして白い雪が、涎懸よだれかけのように半月形をして、その根元の頸を巻いている。雪の下からは蒼黯あおぐろい偃松が、杉菜ほどに小さく見えて、黄花石楠花は、白花石楠花に交って、その間にちらほらしている、一団の霧が槍へ吹っ懸けて、白い烟をパッと立てるので、一時は姿を没したが、又穂先だけ鋭く突き出す。

 この辺で高頭君は、歩度測量計ほどメートルを失くしてしまい、私たち一同人夫と共に、附近の偃松を捜索したが、見当らずにしまった(後にこの歩度メートルは、登山家某君に発見せられて、上高地温泉宿に委托せられ、無事に持主の手に戻った)。今来た路の方を振り向くと、峡間の底から、大霧は雪を包んで乱舞を始めている、それは噴火口の底から、硫烟が幾筋ももつれ合い、こんぐらかって、騰上するようである。

 岩石の大崩れがあって、左の方に石を囲んだ坊主小舎がある、小舎の中は未だ雪が多くて、泊まることは出来そうもない、鍋が一枚蔵してあった、冠君は既に槍ヶ岳登りを終られて、雪を辷り落ちるようにして、下りて来られた、二言三言話を交えて、さっさと下りて行かれる。

 ここから見ると、赤沢岳の鞍状の凹みの間から、常念岳が出たが、頂上は雲で見えなかった、昨夜の野営で一日分の食糧が減ったので、人夫の一人を解放して、下山させた。

 石の崩れ路を登り始める、人の下りたときの、草鞋や杖で穿り返された雪は、橇でも拽いたように生々しい傷がついている、その雪も大石に挟まれたところは、石の熱のためか、溶けて境界線が一寸ちょっとした溝になっている、先刻見えなかった常念岳が、イガ栗頭をぬいと出す、高野君と高頭君は、ハンド・レヴェルを持ち出して、ためつすかしつ眺めながら、ここより高いとか、低いとか、しきりに言い合っている。

 槍の穂も鼻ッ先に近くなって、崩壊した岩石が折り重なっている、石角を伝わって、殺生小舎へ取りついたが、これでも四人位は泊まれるらしい、強いて詰めれば、八九人は入らぬことはないそうだ、既に今年も泊まった人があると見えて、偃松の半分焦げた枝や炭が、狼藉ろうぜきしている、小舎の屋根に近いところにも、雪の石小舎がある、ここにもまさかのときには、二人位は寝られそうだ。

 槍ヶ岳から下った山稜伝いの、横尾根の外から、穂高山が手に取るように、肩幅のひろい輪廓を見せる、嘉門次は穂高の方をあごでしゃくって「あれ行くずらえ」と教えた、穂高山の三角測量標をここから見ると、一本の棒が立っているだけだ、「一本切りだ、風でむしってじゃて、一本ほか無えだ」と、彼はこう言った、そうして「又一本立てよう」と休息の合図をした。(立ちながら休むときは、脊の担い梯子へ、息杖を当てがって、肩を緩めるので「一本立てる」というのである。)

 殺生小舎から槍ヶ岳までは、猟師仲間で八丁と言ったものだそうだが、今じゃそうは無いと言うことだ、ここから上りにかかると、いい加減に疲労つかれ初めた一行は、足の遅速に従って、離ればなれになる、私は短気な性分だから、むやみに路を貪って、先になった、そうして傍で見ると、存外に鈍い輪廓をした槍ヶ岳の円柱コルムンが、幾本となくたてに組み合わされた、というよりも大磐石にヒビが入って、幾本にも亀裂したように集合して、その継ぎ目は、固い乾漆かんしつの間に、布目ぬのめを敷いたように劃然かっきりとしているのが、石油のようにうす紫を含んだ灰色の霧に、吹っかけられて、見るみる痙攣ひっつられたように細くなり、長くなり、分裂の指先をつぼめて、一ツになったかと思うと、又全身を現わして、その霧や雲の間から、避雷針のように突出したのを仰いでいると、全身がもう震動するのである。

 やっと槍ヶ岳の頂、といっても槍の穂先からは、まだ蛭巻ひるまきぐらいの位置に当る、平ッたい鞍状地に到着した、槍から無残に崩壊した岩は、洪水のように汎濫している、そうしてこれが巨大なる槍ヶ岳を、目の上に高く聳えしむるために、払われた犠牲であるかと思うと、私は天才の惨酷に戦慄するのである。

 槍の穂先へ登る道を忘れたので、むやみに石角に手をかけ、足を托した、石の角は剣の如く鋭く尖って、麻の草鞋が触れるたびに、ゴリゴリ音がする、幾本の繊維が、蜘蛛くもの糸のように引きぎれて、石の角にへばりついた、肩の尖りを一々登って、ようやく槍の絶頂に突っ立った、槍ヶ岳より穂高へ続く壮大なる岩壁は、石の翼の羽ばたきの、最も強いものであると思われる、眼前の常念山脈では、大天井と燕岳に乱れた雲が、組んずつれつしている。

 登りついた左の肩には、三角標の破片と見らるる棒が、一本立っている、そこから山稜を伝わって、右の肩へ出ると、小さな木祠があって、小さな木像一個と、青びた小指ぐらいな銅像が三個、嵌め込まれている、日本山岳会員の名刺が三枚ほどしまわれている、冠松次郎氏、中村有一氏、加山龍之助氏などで、去年又は本年の登山者である、私も自分の名刺を取り出し、万年筆で、四十三年七月廿七日第三回登山者と、忙しく走り書きして抛げ込んだ、木祠の中には穴の明いた、腐蝕しかかった青銅銭が、落ち散っていた、先刻の上り路で、兼という人足が、ここのお賽銭を拾って村へ還ると、山の御守符というので、五厘銭が白銅一枚には売れると、言った話を憶い出して、微笑ほほえむだけの余裕はあった。

 後から来る連中は、やっと尾根にかかって来たが、前に槍に登ったことのある人もいるので、ピークにはもう登らないと決めたらしく、一と塊まりに小さく黒くなって休んでいる、私は兀々ごつごつした岩角に一人ぼっちに突っ立って、四方を見廻わした、未だ午前である、硫黄岳の硫烟は、曇り日に映って、東の方へと折れて、連山の頭へ古い綿を、ポツリポツリとちぎっては投げ出すように、風に吹き飛ばされている、乗鞍岳が濃い藍靛らんてん色に染まって、沈まり返って、半腹には銀縁眼鏡でも懸けたような雲が、取り巻いている、遠くの峰、近くの山は、厚ぼったい雲の海の中で、沈鐘のように、底も知られず浮き上らずにいる、その瞬間に幻滅する、恐怖すべき透き通った藍色は、大山脈の頭を見ているというよりも、峡間から大海の澄み返って湛えているのを見るようだ、その中で我が槍ヶ岳という心臓が、日本アルプスという堅硬な肉体に、脈を搏っているのだ。

 動揺する、動揺する、天上のものは皆動揺して一刻も停まってはいない、霧は乱れ、雲は舞って、山までが上ったり、下ったりしている、森林も揺々ゆらゆらと動いている、私は森厳なる大気の下で、吹き飛ばされそうな帽子をしかと押え、三角標の破片に抱きついて、眼下に黒く石のように団欒している一行の人たちを、瞰下しながら、無限の大虚からの圧迫を、犇々ひしひしと胸に受けた。

 絶壁の下なる大深谷からは、霧がすさまじいいきおいで、皺嗄しわがれ声を振り立てて上って来る、近づくほど早くなるかと思うと、端から砕けてサアッと水球を浴びせる、そうして呻りながら、尾根につかまり、槍先へ這いずり上って、犠牲になる生霊もがなと、捜し廻っている。

底本:「日本の名随筆10 山」作品社

   1983(昭和58)年625日第1刷発行

   1998(平成10)年810日第26刷発行

底本の親本:「小島烏水全集 第七巻」大修館書店

   1979(昭和54)年11

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:門田裕志

校正:林幸雄

2003年517日作成

2016年119日修正

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