震は亨る
幸田露伴
|
震は亨る。何をか悪まむやである。彖伝には、震来つて虩〻たりとは、恐るれば福を致すなりとある。恐るれば福を致し、或は侮り、或は亢れば災を致すのは、何事に於ても必ず然様有る可き道理である。古人は決して我等に虚言を語つて居らぬ。恐るれば此心はおのづから誠に返る、誠なれば亨り、誠なれば福は至るべきである。そこで震の大象伝にも、君子以て恐懼修省すとある。恐懼修省の工夫が有れば、以て宗廟社稷を守り、以て祭主と為るべきである。震前の一般社会の一切の事象を観るに、実に欠けてゐたものは、恐懼修省の工夫であつた。人〻は甚だしく亢り甚しく侮り、自ら智なりとし、自ら大なりとし、貴重なる経験を軽視し、所謂好んで自ら小智を用ゐて、而も揚〻として誇る、高慢増長慢等、慢心熾盛の外道そのまゝであつた。今に於て大震災の為に、自ら智なりとした其智が風に飛ぶ塵砂より力無きことを示された。自ら大なりとした其大なることが、猛火の前の紙片よりもつまらぬ小なるものであることを悟らされた。こゝに於て恐懼修省することを為せば、実に幸である。今に当つて猶且修省することを知らずして、旧態依然たるものが有らば、それは先に笑ひ、後に号咷する者であらねばならぬ。笑ひ娯み、笑ひ怠るものは、泣き号び泣きくるしむ者となるべきが自然の道理である。鳥其巣を焚かれたるが如くなつて、大なる凶を得べきである。其屋を豊にし、其家に蔀し、よさゝうにすれば、日中に斗だの沫だのといふ星を見て、大なる光は遮られ、小さなる光はあらはれ、然るべき人は世にかくれ、つまらぬ者は時めき、そして、其戸を闚へば闃として其れ人无し、三歳覿えず、凶なりといふやうになつてしまふ。震前の社会のさまは、このやうでは無かつたか。今はもう言つて甲斐なきことだ。たゞ恐懼修省の工夫を為すべきである。懼れて慎み、慎みて誠ならば、修省の道はおのづから目前に在り足下に現はるべきである。修省すれば福来り幸至るは自然の理である。慢心や笑容を去つて、粛然たる気合になれば、悪いことは生ずべきで無い。
地震学はまだ幼い学問である。然るに、あれだけの大災に予知が出来無かつたの、測震器なんぞは玩器同様な物であつたのと難ずるのは、余りに没分暁漢の言である。強震大震の多い我邦の如き国に於てこそ地震学は発達すべきである。諸外国より其智識も其器械も歩を進めて、世界学界に貢献すべきである。科学に対して理解を欠き、科学の功の大ならざるを見る時は、忽ちに軽侮漫罵の念を生ずるのは、口惜しい悪風である。科学は吾人の盛り上げ育て上げて、そして立派なものにせねばならぬものである。喩へば吾人の子供を吾人が哀〻劬労して育て上げねばならぬのと同じことである。まして地震学の如きは、まだ幼い学科である。そして黴菌学なんぞの如くに研究者も研究の保護促進をする者も多く無いのである。これに対つて徒らに其功無きを責むるのは、所謂雞卵に対つて其暁を報ぜざるを責むるの痴である。科学一点張りの崇拝も自分は厭ふが、科学慢侮も実に厭はしい。科学は十分に尊敬し、十分に愛護し、そして其の生長して偉才卓能をあらはすのを衷心より歓迎せねばならぬ。
明治の末年の大洪水に先だつて、忌はしい謡が行はれた。それは今でも明記して居る人が有らうが、「たんたん、たん〳〵、田の中で……」といふ謡で、「おッかあも……田螺も呆れて蓋をする」といふのであつた。謡の意は婦人もまた裳裾を褰げて水を渉るに至つて其影悪むべく、田螺も呆れて蓋をするといふのである。其謡は何人が作つたか知らぬが、童幼皆これを口にするに及んで、俄然として江東大水、家流れ家洗はれ、婦女も裳裾をかゝげて右往左往するに至つたのである。此度の大震大火、男女多く死するの前には、「おれは河原の枯芒、おなしおまへも枯芒、どうせ二人が此世では花の咲かないかれすゝき」といふ謡が行はれて、童幼これを唱へ、特に江東には多く唱はれ、或は其曲を口笛などに吹く者もあつた。其歌詞曲譜ともに卑弱哀傷、人をして厭悪の感を懐かしめた。これは活動写真の挿曲から行はれたので、原意は必ずしも此度の惨事を予言したのでも何でも無いが、大震大火が起つて、本所や小梅、到るところ河原の枯芒となつた人の多いに及んで、唱ふ者はパッタリと無くなつたが、回顧すると厭な感じがする。菩薩蛮行はれて安禄山の乱の起つた昔話や、泣面化粧が行はれて国の運の傾いた類を、支那史上から取出して談ずるまでも無い事だし、又「まひらくつのくれつれ……」の童謡が行はれて、斉明天皇の御代に我軍が大陸で敗績したり、好い方では「かつらぎ寺の前なるや豊浦の寺の西なるや、おしとど、としとど、桜井に白璧しづく……」の童謡が行はれて後、光仁天皇が御登極あつて、前代の弊政を改められた事などを引出して語るまでも無いことであるが、忌はしい謡、或は妙な謡などが行はれたり変な風俗が行はれたりなんどした後に大きな事変があると、各人の記臆の中から、忌はしく感じたり異様に思つてゐた事などが頭を擡げて来て、さも〳〵其事変の前表予告でゞも有つたかの如く復現して来るものである。古の史家などは多くは此を前兆であらうかと取扱つて、そして正史にも野乗にも採記したのであるが、これも亦たしかに幾分か有理なる社会事相解釈の一面である。厭な歌詞や音楽や風俗化粧などは兎に角に無くて欲しいものであらねばならぬ。郷に入つて其謡を聞けば其郷知る可しである。そこで民を牧ふ者は古から意をかゝる事にも用ゐたのである。邵子が橋上に杜鵑の声を聞いて天下の形勢を悟つたといふのも、豈直に杜鵑の声を聞いて而る後に悟るところ有りしならんやである。
底本:「日本の名随筆 別巻96 大正」作品社
1999(平成11)年2月25日発行
底本の親本:「露伴全集 第三〇巻」岩波書店
1954(昭和29)年7月
入力:加藤恭子
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年1月18日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。