観画談
幸田露伴
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ずっと前の事であるが、或人から気味合の妙な談を聞いたことがある。そしてその話を今だに忘れていないが、人名や地名は今は既に林間の焚火の煙のように、何処か知らぬところに逸し去っている。
話をしてくれた人の友達に某甲という男があった。その男は極めて普通人型の出来の好い方で、晩学ではあったが大学も二年生まで漕ぎ付けた。というものはその男が最初甚だしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くという訳には出来なかったので、田舎の小学を卒ると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝をしたり、村役場の小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦勤勉の雛型その物の如き月日を送りながらに、自分の勉強をすること幾年であった結果、学問も段〻進んで来るし人にも段〻認められて来たので、いくらか手蔓も出来て、終に上京して、やはり立志篇的の苦辛の日を重ねつつ、大学にも入ることを得るに至ったので、それで同窓中では最年長者──どころではない、五ツも六ツも年上であったのである。蟻が塔を造るような遅〻たる行動を生真面目に取って来たのであるから、浮世の応酬に疲れた皺をもう額に畳んで、心の中にも他の学生にはまだ出来ておらぬ細かい襞襀が出来ているのであった。しかし大学にある間だけの費用を支えるだけの貯金は、恐ろしい倹約と勤勉とで作り上げていたので、当人は初めて真の学生になり得たような気がして、実に清浄純粋な、いじらしい愉悦と矜持とを抱いて、余念もなしに碩学の講義を聴いたり、豊富な図書館に入ったり、雑事に侵されない朝夕の時間の中に身を置いて十分に勉強することの出来るのを何よりも嬉しいことに思いながら、いわゆる「勉学の佳趣」に浸り得ることを満足に感じていた。そして他の若い無邪気な同窓生から大噐晩成先生などという諢名、それは年齢の相違と年寄じみた態度とから与えられた諢名を、臆病臭い微笑でもって甘受しつつ、平然として独自一個の地歩を占めつつ在学した。実際大噐晩成先生の在学態度は、その同窓間の無邪気な、言い換れば低級でかつ無意味な飲食の交際や、活溌な、言い換れば青年的勇気の漏洩に過ぎぬ運動遊戯の交際に外れることを除けば、何人にも非難さるべきところのない立派なものであった。で、自然と同窓生もこの人を仲間はずれにはしながらも内〻は尊敬するようになって、甚だしい茶目吉一、二人のほかは、無言の同情を寄せるに吝ではなかった。
ところが晩成先生は、多年の勤苦が酬いられて前途の平坦光明が望見せらるるようになった気の弛みのためか、あるいは少し度の過ぎた勉学のためか何か知らぬが気の毒にも不明の病気に襲われた。その頃は世間に神経衰弱という病名が甫めて知られ出した時分であったのだが、真にいわゆる神経衰弱であったか、あるいは真に漫性胃病であったか、とにかく医博士たちの診断も朦朧で、人によって異る不明の病に襲われて段〻衰弱した。切詰めた予算だけしか有しておらぬことであるから、当人は人一倍困悶したが、どうも病気には勝てぬことであるから、暫く学事を抛擲して心身の保養に力めるが宜いとの勧告に従って、そこで山水清閑の地に活気の充ちた天地の灝気を吸うべく東京の塵埃を背後にした。
伊豆や相模の歓楽郷兼保養地に遊ぶほどの余裕のある身分ではないから、房総海岸を最初は撰んだが、海岸はどうも騒雑の気味があるので晩成先生の心に染まなかった。さればとて故郷の平蕪の村落に病躯を持帰るのも厭わしかったと見えて、野州上州の山地や温泉地に一日二日あるいは三日五日と、それこそ白雲の風に漂い、秋葉の空に飄るが如くに、ぶらりぶらりとした身の中に、もだもだする心を抱きながら、毛繻子の大洋傘に色の褪せた制服、丈夫一点張りのボックスの靴という扮装で、五里七里歩く日もあれば、また汽車で十里二十里歩く日もある、取止めのない漫遊の旅を続けた。
憫むべし晩成先生、嚢中自有レ銭という身分ではないから、随分切詰めた懐でもって、物価の高くない地方、贅沢気味のない宿屋〻〻を渡りあるいて、また機会や因縁があれば、客を愛する豪家や心置ない山寺なぞをも手頼って、遂に福島県宮城県も出抜けて奥州の或辺僻の山中へ入ってしまった。先生極真面目な男なので、俳句なぞは薄生意気な不良老年の玩物だと思っており、小説稗史などを読むことは罪悪の如く考えており、徒然草をさえ、余り良いものじゃない、と評したというほどだから、随分退屈な旅だったろうが、それでもまだしも仕合せな事には少しばかり漢詩を作るので、それを唯一の旅中の楽にして、踽〻然として夕陽の山路や暁風の草径をあるき廻ったのである。
秋は早い奥州の或山間、何でも南部領とかで、大街道とは二日路も三日路も横へ折れ込んだ途方もない僻村の或寺を心ざして、その男は鶴の如くに癯せた病躯を運んだ。それは旅中で知合になった遊歴者、その時分は折節そういう人があったもので、律詩の一、二章も座上で作ることが出来て、ちょっと米法山水や懐素くさい草書で白ぶすまを汚せる位の器用さを持ったのを資本に、旅から旅を先生顔で渡りあるく人物に教えられたからである。君はそういう訳で歩いているなら、これこれの処にこういう寺がある、由緒は良くても今は貧乏寺だが、その寺の境内に小さな滝があって、その滝の水は無類の霊泉である。養老の霊泉は知らぬが、随分響き渡ったもので、二十里三十里をわざわざその滝へかかりに行くものもあり、また滝へ直接にかかれぬものは、寺の傍の民家に頼んでその水を汲んで湯を立ててもらって浴する者もあるが、不思議に長病が治ったり、特に医者に分らぬ正体の不明な病気などは治るということであって、語り伝えた現の証拠はいくらでもある。君の病気は東京の名医たちが遊んでいたら治るといい、君もまた遊び気分で飛んでもない田舎などをノソノソと歩いている位だから、とてもの事に其処へ遊んで見たまえ。住持といっても木綿の法衣に襷を掛けて芋畑麦畑で肥柄杓を振廻すような気の置けない奴、それとその弟子の二歳坊主がおるきりだから、日に二十銭か三十銭も出したら寺へ泊めてもくれるだろう。古びて歪んではいるが、座敷なんぞはさすがに悪くないから、そこへ陣取って、毎日風呂を立てさせて遊んでいたら妙だろう。景色もこれという事はないが、幽邃でなかなか佳いところだ。という委細の談を聞いて、何となく気が進んだので、考えて見る段になれば随分頓興で物好なことだが、わざわざ教えられたその寺を心当に山の中へ入り込んだのである。
路はかなりの大さの渓に沿って上って行くのであった。両岸の山は或時は右が遠ざかったり左が遠ざかったり、また或時は右が迫って来たり左が迫って来たり、時に両方が迫って来て、一水遥に遠く巨巌の下に白泡を立てて沸り流れたりした。或場処は路が対岸に移るようになっているために、危い略彴が目の眩くような急流に架っているのを渡ったり、また少時して同じようなのを渡り反ったりして進んだ。恐ろしい大きな高い巌が前途に横たわっていて、あのさきへ行くのか知らんと疑われるような覚束ない路を辿って行くと、辛うじてその岩岨に線のような道が付いていて、是非なくも蟻の如く蟹の如くになりながら通り過ぎてはホッと息を吐くこともあって、何だってこんな人にも行会わぬいわゆる僻地窮境に来たことかと、聊か後悔する気味にもならざるを得ないで、薄暗いほどに茂った大樹の蔭に憩いながら明るくない心持の沈黙を続けていると、ヒーッ、頭の上から名を知らぬ禽が意味の分らぬ歌を投げ落したりした。
路が漸く緩くなると、対岸は馬鹿〻〻しく高い巌壁になっているその下を川が流れて、こちらは山が自然に開けて、少しばかり山畠が段〻を成して見え、粟や黍が穂を垂れているかとおもえば、兎に荒されたらしいいたって不景気な豆畠に、もう葉を失って枯れ黒んだ豆がショボショボと泣きそうな姿をして立っていたりして、その彼方に古ぼけた勾配の急な茅屋が二軒三軒と飛び飛びに物悲しく見えた。天は先刻から薄暗くなっていたが、サーッというやや寒い風が下して来たかと見る間に、楢や槲の黄色な葉が空からばらついて降って来ると同時に、木の葉の雨ばかりではなく、ほん物の雨もはらはらと遣って来た。渓の上手の方を見あげると、薄白い雲がずんずんと押して来て、瞬く間に峯巒を蝕み、巌を蝕み、松を蝕み、忽ちもう対岸の高い巌壁をも絵心に蝕んで、好い景色を見せてくれるのは好かったが、その雲が今開いてさしかざした蝙蝠傘の上にまで蔽いかぶさったかと思うほど低く這下って来ると、堪らない、ザアッという本降りになって、林木も声を合せて、何の事はないこの山中に入って来た他国者をいじめでもするように襲った。晩成先生もさすがに慌て心になって少し駆け出したが、幸い取付きの農家は直に間近だったから、トットットッと走り着いて、農家の常の土間へ飛び込むと、傘が触って入口の檐に竿を横たえて懸け吊してあった玉蜀黍の一把をバタリと落した途端に、土間の隅の臼のあたりにかがんでいたらしい白い庭鳥が二、三羽キャキャッと驚いた声を出して走り出した。
何だナ、
と鈍い声をして、土間の左側の茶の間から首を出したのは、六十か七十か知れぬ白髪の油気のない、火を付けたら心よく燃えそうに乱れ立ったモヤモヤ頭な婆さんで、皺だらけの黄色い顔の婆さんだった。キマリが悪くて、傘を搾めながらちょっと会釈して、寺の在処を尋ねた晩成先生の頭上から、じたじた水の垂れる傘のさきまでを見た婆さんは、それでもこの辺には見慣れぬ金釦の黒い洋服に尊敬を表して、何一つ咎立がましいこともいわずに、
上へ上へと行げば、じねんにお寺の前へ出ます、此処はいわば門前村ですから、人家さえ出抜ければ、すぐお寺で。
礼をいって大噐氏はその家を出た。雨はいよいよ甚くなった。傘を拡げながら振返って見ると、木彫のような顔をした婆さんはまだこちらを見ていたが、妙にその顔が眼にしみ付いた。
間遠に立っている七、八軒の家の前を過ぎた。どの家も人がいないように岑閑としていた。そこを出抜けるとなるほど寺の門が見えた。瓦に草が生えている、それが今雨に湿れているので甚く古びて重そうに見えるが、とにかくかなりその昔の立派さが偲ばれると同時に今の甲斐なさが明らかに現われているのであった。門を入ると寺内は思いのほかに廓落と濶くて、松だか杉だか知らぬが恐ろしい大きな木があったのを今より何年か前に斫ったと見えて、大きな切株の跡の上を、今降りつつある雨がおとずれて其処にそういうもののあることを見せていた。右手に鐘楼があって、小高い基礎の周囲には風が吹寄せた木の葉が黄色くまたは赭く湿れ色を見せており、中ぐらいな大さの鐘が、漸く逼る暮色の中に、裾は緑青の吹いた明るさと、竜頭の方は薄暗さの中に入っている一種の物〻しさを示して寂寞と懸っていた。これだけの寺だから屋の棟の高い本堂が見えそうなものだが、それは回禄したのかどうか知らぬが眼に入らなくて、小高い処に庫裡様の建物があった。それを目ざして進むと、丁度本堂仏殿のありそうな位置のところに礎石が幾箇ともなく見えて、親切な雨が降る度に訪問するのであろう今もその訪問に接して感謝の嬉し涙を溢らせているように、柱の根入りの竅に水を湛えているのが能く見えた。境内の変にからりとしている訳もこれで合点が行って、あるべきものが亡せているのだなと思いながら、庫裡へと入った。正面はぴったりと大きな雨戸が鎖されていたから、台所口のような処が明いていたまま入ると、馬鹿にだだ濶い土間で、土間の向う隅には大きな土竈が見え、つい入口近くには土だらけの腐ったような草履が二足ばかり、古い下駄が二、三足、特に歯の抜けた下駄の一ツがひっくり返って腹を出して死んだようにころがっていたのが、晩成先生のわびしい思を誘った。
頼む、
と余り大きくはない声でいったのだが、がらんとした広土間に響いた。しかしそのために塵一ツ動きもせず、何の音もなく静であった。外にはサアッと雨が降っている。
頼む、
と再び呼んだ。声は響いた。答はない。サアッと雨が降っている。
頼む、
と三たび呼んだ。声は呼んだその人の耳へ反って響いた。しかし答は何処からも起らなかった。外はただサアッと雨が降っている。
頼む。
また呼んだ。例の如くややしばし音沙汰がなかった。少し焦れ気味になって、また呼ぼうとした時、鼬か大鼠かが何処かで動いたような音がした。するとやがて人の気はいがして、左方の上り段の上に閉じられていた間延びのした大きな障子が、がたがたと開かれて、鼠木綿が斑汚れした着附に、白が鼠になった帯をぐるぐるといわゆる坊主巻に巻いた、五分苅ではない五分生えに生えた頭の十八か九の書生のような僮僕のような若僧が出て来た。晩成先生も大分遊歴に慣れて来たので、此処で宿泊謝絶などを食わせられては堪らぬと思うので、ずんずんと来意を要領よく話して、白紙に包んだ多少銭かを押付けるように渡してしまった。若僧はそれでも坊主らしく、
しばらく、
と、しかつめらしく挨拶を保留して置いて奥へ入った。奥は大分深いかして何の音も聞えて来ぬ、シーンとしている。外では雨がサアッと降っている。
土間の中の異った方で音がしたと思うと、若僧は別の口から土間へ下りて、小盥へ水を汲んで持って来た。
マ、とにかく御すすぎをなさって御上りなさいまし。
しめたと思って晩成先生泥靴を脱ぎ足を洗って導かるるままに通った。入口の室は茶の間と見えて大きな炉が切ってある十五、六畳の室であった。そこを通り抜けて、一畳幅に五畳か六畳を長く敷いた入側見たような薄暗い部屋を通ったが、茶の間でもその部屋でも処〻で、足踏につれてポコポコと弛んで浮いている根太板のヘンな音がした。
通されたのは十畳位の室で、そこには大きな矮い机を横にしてこちらへ向直っていた四十ばかりの日に焦けて赭い顔の丈夫そうなズク入が、赤や紫の見える可笑しいほど華美ではあるがしかしもう古びかえった馬鹿に大きくて厚い蒲団の上に、小さな円い眼を出来るだけ睜開してムンズと坐り込んでいた。麦藁帽子を冠らせたら頂上で踊を踊りそうなビリケン頭に能く実が入っていて、これも一分苅ではない一分生えの髪に、厚皮らしい赭い地が透いて見えた。そしてその割合に小さくて素敵に堅そうな首を、発達の好い丸〻と肥った豚のような濶い肩の上にシッカリすげ込んだようにして、ヒョロヒョロと風の柳のように室へ入り込んだ大噐氏に対って、一刀をピタリと片身青眼に擬けたという工合に手丈夫な視線を投げかけた。晩成先生聊かたじろいだが、元来正直な君子で仁者敵なしであるから驚くこともない、平然として坐って、来意を手短に述べて、それから此処を教えてくれた遊歴者の噂をした。和尚はその姓名を聞くと、合点が行ったのかして、急にくつろいだ様子になって、
アア、あの風吹烏から聞いておいでなさったかい。宜うござる、いつまででもおいでなさい。何室でも明いている部屋に勝手に陣取らっしゃい、その代り雨は少し漏るかも知れんよ。夜具はいくらもある、綿は堅いがナ。馳走はせん、主客平等と思わっしゃい。蔵海、(仮設し置く)風呂は門前の弥平爺にいいつけての、明日から毎日立てさせろ。無銭ではわるい、一日に三銭も遣わさるように計らえ。疲れてだろう、脚を伸ばして休息せらるるようにしてあげろ。
蔵海は障子を開けて庭へ面した縁へ出て導いた。後に跟いて縁側を折曲って行くと、同じ庭に面して三ツ四ツの装飾も何もない空室があって、縁の戸は光線を通ずるためばかりに三寸か四寸位ずつすかしてあるに過ぎぬので、中はもう大に暗かった。此室が宜かろうという蔵海の言のままその室の前に立っていると、蔵海は其処だけ雨戸を繰った。庭の樹〻は皆雨に悩んでいた。雨は前にも増して恐しい量で降って、老朽ちてジグザグになった板廂からは雨水がしどろに流れ落ちる、見ると簷の端に生えている瓦葦が雨にたたかれて、あやまった、あやまったというように叩頭しているのが見えたり隠れたりしている。空は雨に鎖されて、たださえ暗いのに、夜はもう逼って来る。なかなか広い庭の向うの方はもう暗くなってボンヤリとしている。ただもう雨の音ばかりザアッとして、空虚にちかい晩成先生の心を一ぱいに埋め尽しているが、ふと気が付くとそのザアッという音のほかに、また別にザアッという音が聞えるようだ。気を留めて聞くと慥に別の音がある。ハテナ、あの辺か知らんと、その別の音のする方の雨煙濛〻たる見当へ首を向けて眼を遣ると、もう心安げになった蔵海がちょっと肩に触って、
あの音のするのが滝ですよ、貴方が風呂に立てて入ろうとなさる水の落ちる……
といいさして、少し間を置いて、
雨が甚いので今は能く見えませんが、晴れていればこの庭の景色の一ツになって見えるのです。
といった。なるほど庭の左の方の隅は山嘴が張り出していて、その樹木の鬱蒼たる中から一条の水が落ちているのらしく思えた。
夜に入った。茶の間に引かれて、和尚と晩成先生と蔵海とは食事を共にした。なるほど御馳走はなかった。冷い挽割飯と、大根ッ葉の味噌汁と、塩辛く煮た車輪麩と、何だか正体の分らぬ山草の塩漬の香の物ときりで、膳こそは創だらけにせよ黒塗の宗和膳とかいう奴で、御客あしらいではあるが、箸は黄色な下等の漆ぬりの竹箸で、気持の悪いものであった。蔵海は世間に接触する機会の少いこの様な山中にいる若い者なので、新来の客から何らかの耳新らしい談を得たいようであるが、和尚は人に求められれば是非ないからわが有っている者を吝みはしないが、人からは何をも求めまいというような態度で、別に雑話を聞きたくも聞かせたくも思っておらぬ風で、食事が済んで後、少時三人が茶を喫している際でも、別に会話をはずませる如きことはせぬので、晩成先生はただ僅に、この寺が昔時は立派な寺であったこと、寺の庭のずっと先は渓川で、その渓の向うは高い巌壁になっていること、庭の左方も山になっていること、寺及び門前の村家のある辺一帯は一大盆地を為している事位の地勢の概略を聞き得たに過ぎなかったが、蔵海も和尚も、時〻風の工合でザアッという大雨の音が聞えると、ちょっと暗い顔をしては眼を見合せるのが心に留まった。
大噐氏は定められた室へ引取った。堅い綿の夜具は与えられた。所在なさの身を直にその中に横たえて、枕許の洋燈の心を小さくして寝たが、何となく寐つき兼ねた。茶の間の広いところに薄暗い洋燈、何だか銘〻の影法師が顧視らるる様な心地のする寂しい室内の雨音の聞える中で寒素な食事を黙〻として取った光景が眼に浮んで来て、自分が何だか今までの自分でない、別の世界の別の自分になったような気がして、まさかに死んで別の天地に入ったのだとは思わないが、どうも今までに覚えぬ妙な気がした。しかし、何の、下らないと思い返して眠ろうとしたけれども、やはり眠に落ちない。雨は恐ろしく降っている。あたかも太古から尽未来際まで大きな河の流が流れ通しているように雨は降り通していて、自分の生涯の中の或日に雨が降っているのではなくて、常住不断の雨が降り通している中に自分の短い生涯がちょっと挿まれているものででもあるように降っている。で、それがまた気になって睡れぬ。鼠が騒いでくれたり狗が吠えてくれたりでもしたらば嬉しかろうと思うほど、他には何の音もない。住持も若僧もいないように静かだ。イヤ全くわが五官の領する世界にはいないのだ。世界という者は広大なものだと日頃は思っていたが、今はどうだ、世界はただこれ
ザアッ
というものに過ぎないと思ったり、また思い反して、このザアッというのが即ちこれ世界なのだナと思ったりしている中に、自分の生れた時に初めて拳げたオギャアオギャアの声も他人の㘞地いった一声も、それから自分が書を読んだり、他の童子が書を読んだり、唱歌をしたり、嬉しがって笑ったり、怒って怒鳴ったり、キャアキャアガンガンブンブングズグズシクシク、いろいろな事をして騒ぎ廻ったりした一切の音声も、それから馬が鳴き牛が吼え、車ががたつき、滊車が轟き、滊船が浪を蹴開く一切の音声も、板の間へ一本の針が落ちた幽かな音も、皆残らず一緒になってあのザアッという音の中に入っているのだナ、というような気がしたりして、そして静かに諦聴すると分明にその一ツのザアッという音にいろいろのそれらの音が確実に存していることを認めて、アアそうだったかナ、なんぞと思う中に、何時か知らずザアッという音も聞えなくなり、聞く者も性が抜けて、そして眠に落ちた。
俄然として睡眠は破られた。晩成先生は眼を開くと世界は紅い光や黄色い光に充たされていると思ったが、それは自分の薄暗いと思っていたのに相異して、室の中が洋燈も明るくされていれば、またその外に提灯などもわが枕辺に照されていて、眠に就いた時と大に異なっていたのが寝惚眼に映ったからの感じであった事が解った。が、見れば和尚も若僧もわが枕辺にいる。何事が起ったのか、その意味は分らなかった。けげんな心持がするので、頓には言葉も出ずに起直ったまま二人を見ると、若僧が先ず口をきった。
御やすみになっているところを御起しして済みませんが、夜前からの雨があの通り甚くなりまして、渓が俄に膨れてまいりました。御承知でしょうが奥山の出水は馬鹿に疾いものでして、もう境内にさえ水が見え出して参りました。勿論水が出たとて大事にはなりますまいが、此地の渓川の奥入は恐ろしい広い緩傾斜の高原なのです。むかしはそれが密林だったので何事も少かったのですが、十余年前に悉く伐採したため禿げた大野になってしまって、一ト夕立しても相当に渓川が怒るのでして、既に当寺の仏殿は最初の洪水の時、流下して来た巨材の衝突によって一角が壊れたため遂に破壊してしまったのです。その後は上流に巨材などはありませんから、水は度〻出ても大したこともなく、出るのが早い代りに退くのも早くて、直に翌日は何の事もなくなるのです。それで昨日からの雨で渓川はもう開きましたが、水はどの位で止まるか予想は出来ません。しかし私どもは慣れてもおりますし、此処を守る身ですから逃げる気もありませんが、貴方には少くとも危険──はありますまいが余計な御心配はさせたくありません。幸なことにはこの庭の左方の高みの、あの小さな滝の落ちる小山の上は絶対に安全地で、そこに当寺の隠居所の草庵があります。そこへ今の内に移っていて頂きたいのです。わたくしが直に御案内致します、手早く御支度をなすって頂きます。
ト末の方はもはや命令的に、早口に能弁にまくし立てた。その後について和尚は例の小さな円い眼に力を入れて睜開しながら、
膝まで水が来るようだと歩けんからノ、早く御身繕いなすって。
と追立てるように警告した。大噐晩成先生は一トたまりもなく浮腰になってしまった。
ハイ、ハイ、御親切に、有難うございます。
ト少しドギマギして、顫えていはしまいかと自分でも気が引けるような弱い返辞をしながら、慌てて衣を着けて支度をした。勿論少し大きな肩から掛ける鞄と、風呂敷包一ツ、蝙蝠傘一本、帽子、それだけなのだから直に支度は出来た。若僧は提灯を持って先に立った。この時になって初めてその服装を見ると、依然として先刻の鼠の衣だったが、例の土間のところへ来ると、そこには蓑笠が揃えてあった。若僧は先ず自ら尻を高く端折って蓑を甲斐〻〻しく手早く着けて、そして大噐氏にも手伝って一ツの蓑を着けさせ、竹の皮笠を被せ、その紐を緊しく結んでくれた。余り緊しく結ばれたので口を開くことも出来ぬ位で、随分痛かったが、黙って堪えると、若僧は自分も笠を被って、
サア、
と先へ立った。提灯の火はガランとした黒い大きな台所に憐れに小さな威光を弱〻と振った。外は真暗で、雨の音は例の如くザアッとしている。
気をつけてあげろ、ナ。
と和尚は親切だ。高〻とズボンを捲り上げて、古草鞋を着けさせられた晩成子は、何処へ行くのだか分らない真黒暗の雨の中を、若僧に随って出た。外へ出ると驚いた。雨は横振りになっている、風も出ている。川鳴の音だろう、何だか物凄い不明の音がしている。庭の方へ廻ったようだと思ったが、建物を少し離れると、なるほどもう水が来ている。足の裏が馬鹿に冷い。親指が没する、踝が没する、脚首が全部没する、ふくら脛あたりまで没すると、もうなかなか渓の方から流れる水の流れ勢が分明にこたえる。空気も大層冷たくなって、夜雨の威がひしひしと身に浸みる。足は恐ろしく冷い。足の裏は痛い。胴ぶるいが出て来て止まらない。何か知らん痛いものに脚の指を突掛けて、危く大噐氏は顛倒しそうになって若僧に捉まると、その途端に提灯はガクリと揺めき動いて、蓑の毛に流れている雨の滴の光りをキラリと照らし出したかと思うと、雨が入ったか滴がかかったかであろう、チュッといって消えてしまった。風の音、雨の音、川鳴の音、樹木の音、ただもう天地はザーッと、黒漆のように黒い闇の中に音を立てているばかりだ。晩成先生は泣きたくなった。
ようございます、今更帰れもせず、提灯を点火ることも出来ませんから、どうせ差しているのではないその蝙蝠傘をお出しなさい。そうそう。わたくしがこちらを持つ、貴方はそちらを握って、決して離してはいけませんよ。闇でもわたしは行けるから、恐れることはありません。
ト蔵海先生実に頼もしい。平常は一ト通りの意地がなくもない晩成先生も、ここに至って他力宗になってしまって、ただもう世界に力とするものは蝙蝠傘一本、その蝙蝠傘のこっちは自分が握っているが、むこうは真の親切者が握っているのだか狐狸が握っているのだか、妖怪変化、悪魔の類が握っているのだか、何だか彼だかサッパり分らない黒闇〻の中を、とにかく後生大事にそれに縋って随って歩いた。
水は段〻足に触れなくなって来た。爪先上りになって来たようだ。やがて段〻勾配が急になって来た。坂道にかかったことは明らかになって来た。雨の中にも滝の音は耳近く聞えた。
もうここを上りさえすれば好いのです。細い路ですからね、わたくしも路でないところへ踏込むかも知れませんが、転びさえしなければ草や樹で擦りむく位ですから驚くことはありません。ころんではいけませんよ、そろそろ歩いてあげますからね。
ハハイ、有り難う。
ト全く顫え声だ。どうしてなかなか足が前へ出るものではない。
こうなると人間に眼のあったのは全く余り有り難くありませんね、盲目の方がよほど重宝です、アッハハハハ。わたくしも大分小さな樹の枝で擦剥き疵をこしらえましたよ。アッハハハハ。
ト蔵海め、さすがに仏の飯で三度の埒を明けて来た奴だけに大禅師らしいことをいったが、晩成先生はただもうビクビクワナワナで、批評の余地などは、よほど喉元過ぎて怖いことが糞になった時分まではあり得はしなかった。
路は一トしきり大に急になりかつまた窄くなったので、胸を突くような感じがして、晩成先生は遂に左の手こそは傘をつかまえているが、右の手は痛むのも汚れるのも厭ってなどいられないから、一歩一歩に地面を探るようにして、まるで四足獣が三足で歩くような体になって歩いた。随分長い時間を歩いたような気がしたが、苦労には時間を長く感じるものだから実際はさほどでもなかったろう。しかし一町余は上ったに違いない。漸くだらだら坂になって、上りきったナと思うと、
サア来ました。
ト蔵海がいった。そして途端に持っていた蝙蝠傘の一端を放した。で、大噐氏は全く不知案内の暗中の孤立者になったから、黙然として石の地蔵のように身じろぎもしないで、雨に打たれながらポカンと立っていて、次の脈搏、次の脈搏を数えるが如き心持になりつつ、次の脈が搏つ時に展開し来る事情をば全くアテもなく待つのであった。
若僧はそこらに何かしているのだろう、しばらくは消息も絶えたが、やがてガタガタいう音をさせた。雨戸を開けたに相違ない。それから少し経て、チッチッという音がすると、パッと火が現われて、彼は一ツの建物の中の土間に踞っていて、マッチを擦って提灯の蝋燭に火を点じようとしているのであった。四、五本のマッチを無駄にして、やっと火は点いた。荊棘か山椒の樹のようなもので引爬いたのであろう、雨にぬれた頬から血が出て、それが散っている、そこへ蝋燭の光の映ったさまは甚だ不気味だった。漸く其処へ歩み寄った晩成先生は、
怪我をしましたね、御気の毒でした。
というと、若僧は手拭を出して、此処でしょう、といいながら顔を拭いた。蚯蚓脹れの少し大きいの位で、大した事ではなかった。
急いでいるからであろう、若僧は直にその手拭で泥足をあらましに拭いて、提灯を持ったまま、ずんずんと上り込んだ。四畳半の茶の間には一尺二寸位の小炉が切ってあって、竹の自在鍵の煤びたのに小さな茶釜が黒光りして懸っているのが見えたかと思うと、若僧は身を屈して敬虔の態度にはなったが、直と区劃になっている襖を明けてその次の室へ、いわば闖入せんとした。土間からオズオズ覗いて見ている大噐氏の眼には、六畳敷位の部屋に厚い坐蒲団を敷いて死せるが如く枯坐していた老僧が見えた。着色の塑像の如くで、生きているものとも思えぬ位であった。銀のような髪が五分ばかり生えて、細長い輪郭の正しい顔の七十位の痩せ枯びた人ではあったが、突然の闖入に対して身じろぎもせず、少しも驚く様子もなく落つき払った態度で、あたかも今まで起きてでもいた者のようであった。特に晩成先生の驚いたのは、蔵海がその老人に対して何もいわぬことであった。そしてその老僧の坐辺の洋燈を点火すると、蔵海は立返って大噐氏を上へ引ずり上げようとした。大噐氏は慌てて足を拭って上ると、老僧はジーッと細い眼を据えてその顔を見詰めた。晩成先生は急に挨拶の言葉も出ずに、何か知らず叮嚀に叩頭をさせられてしまった。そして頭を挙げた時には、蔵海は頻りに手を動かして麓の方の闇を指したり何かしていた。老僧は点頭いていたが、一語をも発しない。
蔵海はいろいろに指を動かした。真言宗の坊主の印を結ぶのを極めて疾くするようなので、晩成先生は呆気に取られて眼ばかりパチクリさせていた。老僧は極めて徐かに軽く点頭いた。すると蔵海は晩成先生に対って、
このかたは耳が全く聞えません。しかし慈悲の深い方ですから御安心なさい。ではわたくしは帰りますから。
トいって置いて、初の無遠慮な態度とはスッカリ違って叮嚀に老僧に一礼した。老僧は軽く点頭いた。大噐氏にちょっと会釈するや否や、若僧は落付いた、しかしテキパキした態度で、かの提灯を持って土間へ下り、蓑笠するや否や忽ち戸外へ出て、物静かに戸を引寄せ、そして飛ぶが如くに行ってしまった。
大噐氏は実に稀有な思がした。この老僧は起きていたのか眠っていたのか、夜中真黒な中に坐禅ということをしていたのか、坐りながら眠っていたのか、眠りながら坐っていたのか、今夜だけ偶然にこういう態であったのか、始終こうなのか、と怪み惑うた。もとより真の已達の境界には死生の間にすら関所がなくなっている、まして覚めているということも睡っているということもない、坐っているということと起きているということとは一枚になっているので、比丘たる者は決して無記の睡に落ちるべきではないこと、仏説離睡経に説いてある通りだということも知っていなかった。またいくらも近い頃の人にも、死の時のほかには脇を下に着け身を横たえて臥さぬ人のあることをも知らなかったのだから、吃驚したのは無理でもなかった。
老僧は晩成先生が何を思っていようとも一切無関心であった。
□□さん、サア洋燈を持ってあちらへ行って勝手に休まっしゃい。押入の中に何かあろうから引出して纏いなさい、まだ三時過ぎ位のものであろうから。
ト老僧は奥を指さして極めて物静に優しくいってくれた。大噐氏は自然に叩頭をさせられて、その言葉通りになるよりほかはなかった。洋燈を手にしてオズオズ立上った。あとはまた真黒闇になるのだが、そんな事をとかくいうことはかえって余計な失礼の事のように思えたので、そのままに坐を立って、襖を明けて奥へ入った。やはり其処は六畳敷位の狭さであった。間の襖を締切って、そこにあった小さな机の上に洋燈を置き、同じくそこにあった小坐蒲団の上に身を置くと、初めて安堵して我に返ったような気がした。同時に寒さが甚く身に染みて胴顫がした。そして何だかがっかりしたが、漸く落ついて来ると、□□さんと自分の苗字をいわれたのが甚く気になった。若僧も告げなければ自分も名乗らなかったのであるのに、特に全くの聾になっているらしいのに、どうして知っていたろうと思ったからである。しかしそれは蔵海が指頭で談り聞かせたからであろうと解釈して、先ず解釈は済ませてしまった。寝ようか、このままに老僧の真似をして暁に達してしまおうかと、何かあろうといってくれた押入らしいものを見ながらちょっと考えたが、気がついて時計を出して見た。時計の針は三時少し過ぎであることを示していた。三時少し過ぎているから、三時少し過ぎているのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。ジッと時計の文字盤を見詰めたが、遂に時計を引出して、洋燈の下、小机の上に置いた。秒針はチ、チ、チ、チと音を立てた。音がするのだから、音が聞えるのだ。驚くことは何もないのだが、大噐氏はまた驚いた。そして何だか知らずにハッと思った。すると戸外の雨の音はザアッと続いていた。時計の音は忽ち消えた。眼が見ている秒針の動きは止まりはしなかった、確実な歩調で動いていた。
何となく妙な心持になって頭を動かして室内を見廻わした。洋燈の光がボーッと上を照らしているところに、煤びた額が掛っているのが眼に入った。間抜な字体で何の語かが書いてある。一字ずつ心を留めて読んで見ると、
橋流水不流
とあった。橋流れて水流れず、橋流れて水流れず、ハテナ、橋流れて水流れず、と口の中で扱い、胸の中で咬んでいると、忽ち昼間渡った仮そめの橋が洶〻と流れる渓川の上に架渡されていた景色が眼に浮んだ。水はどうどうと流れる、橋は心細く架渡されている。橋流れて水流れず。サテ何だか解らない。シーンと考え込んでいると、忽ち誰だか知らないが、途方もない大きな声で
橋流れて水流れず
と自分の耳の側で怒鳴りつけた奴があって、ガーンとなった。
フト大噐氏は自ら嘲った。ナンダこんな事、とかくこんな変な文句が額なんぞには書いてあるものだ、と放下してしまって、またそこらを見ると、床の間ではない、一方の七、八尺ばかりの広い壁になっているところに、その壁をいくらも余さない位な大きな古びた画の軸がピタリと懸っている。何だか細かい線で描いてある横物で、打見たところはモヤモヤと煙っているようなばかりだ。紅や緑や青や種〻の彩色が使ってあるようだが、図が何だとはサッパリ読めない。多分ありがちな涅槃像か何かだろうと思った。が、看るともなしに薄い洋燈の光に朦朧としているその画面に眼を遣っていると、何だか非常に綿密に楼閣だの民家だの樹だの水だの遠山だの人物だのが描いてあるようなので、とうとう立上って近くへ行って観た。するとこれは古くなって処〻汚れたり損じたりしてはいるが、なかなか叮嚀に描かれたもので、巧拙は分らぬけれども、かつて仇十州の画だとか教えられて看たことのあるものに肖た画風で、何だか知らぬが大層な骨折から出来ているものであることは一目に明らかであった。そこで特に洋燈を取って左の手にしてその図に近〻と臨んで、洋燈を動かしては光りの強いところを観ようとする部分〻〻に移しながら看た。そうしなければ極めて繊細な画が古び煤けているのだから、ややもすれば看て取ることが出来なかったのである。
画は美わしい大江に臨んだ富麗の都の一部を描いたものであった。図の上半部を成している江の彼方には翠色悦ぶべき遠山が見えている、その手前には丘陵が起伏している、その間に層塔もあれば高閤もあり、黒ずんだ欝樹が蔽うた岨もあれば、明るい花に埋められた谷もあって、それからずっと岸の方は平らに開けて、酒楼の綺麗なのも幾戸かあり、士女老幼、騎馬の人、閑歩の人、生計にいそしんでいる負販の人、種〻雑多の人〻が蟻ほどに小さく見えている。筆はただ心持で動いているだけで、勿論その委曲が画けている訳ではないが、それでもおのずからに各人の姿態や心情が想い知られる。酒楼の下の岸には画舫もある、舫中の人などは胡麻半粒ほどであるが、やはり様子が分明に見える。大江の上には帆走っているやや大きい船もあれば、篠の葉形の漁舟もあって、漁人の釣しているらしい様子も分る。光を移してこちらの岸を見ると、こちらの右の方には大きな宮殿様の建物があって、玉樹琪花とでもいいたい美しい樹や花が点綴してあり、殿下の庭様のところには朱欄曲〻と地を劃して、欄中には奇石もあれば立派な園花もあり、人の愛観を待つさまざまの美しい禽などもいる。段〻と左へ燈光を移すと、大中小それぞれの民家があり、老人や若いものや、蔬菜を荷っているものもあれば、蓋を張らせて威張って馬に騎っている官人のようなものもあり、跣足で柳条に魚の鰓を穿った奴をぶらさげて川から上って来たらしい漁夫もあり、柳がところどころに翠烟を罩めている美しい道路を、士農工商樵漁、あらゆる階級の人〻が右徃左徃している。綺錦の人もあれば襤褸の人もある、冠りものをしているのもあれば露頂のものもある。これは面白い、春江の景色に併せて描いた風俗画だナと思って、また段〻に燈を移して左の方へ行くと、江岸がなだらになって川柳が扶疎としており、雑樹がもさもさとなっているその末には蘆荻が茂っている。柳の枝や蘆荻の中には風が柔らかに吹いている。蘆のきれ目には春の水が光っていて、そこに一艘の小舟が揺れながら浮いている。船は籧篨を編んで日除兼雨除というようなものを胴の間にしつらってある。何やら火爐だの槃碟だのの家具も少し見えている。船頭の老夫は艫の方に立上って、戕牁に片手をかけて今や舟を出そうとしていながら、片手を挙げて、乗らないか乗らないかといって人を呼んでいる。その顔がハッキリ分らないから、大噐氏は燈火を段〻と近づけた。遠いところから段〻と歩み近づいて行くと段〻と人顔が分って来るように、朦朧たる船頭の顔は段〻と分って来た。膝ッ節も肘もムキ出しになっている絆纏みたようなものを着て、極〻小さな笠を冠って、やや仰いでいる様子は何ともいえない無邪気なもので、寒山か拾得の叔父さんにでも当る者に無学文盲のこの男があったのではあるまいかと思われた。オーイッと呼わって船頭さんは大きな口をあいた。晩成先生は莞爾とした。今行くよーッと思わず返辞をしようとした。途端に隙間を漏って吹込んで来た冷たい風に燈火はゆらめいた。船も船頭も遠くから近くへ飄として来たが、また近くから遠くへ飄として去った。唯これ一瞬の事で前後はなかった。
屋外は雨の音、ザアッ。
大噐晩成先生はこれだけの談を親しい友人に告げた。病気はすべて治った。が、再び学窓にその人は見われなかった。山間水涯に姓名を埋めて、平凡人となり了するつもりに料簡をつけたのであろう。或人は某地にその人が日に焦けきったただの農夫となっているのを見たということであった。大噐不成なのか、大噐既成なのか、そんな事は先生の問題ではなくなったのであろう。
底本:「幻談・観画談 他三篇」岩波文庫、岩波書店
1990(平成2)年11月16日第1刷発行
1994(平成6)年5月15日第6刷発行
底本の親本:「露伴全集 第四巻」岩波書店
1953(昭和28)年3月刊
入力:土屋隆
校正:オーシャンズ3
2008年1月15日作成
2012年12月4日修正
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