雛妓
岡本かの子
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なに事も夢のようである。わたくしはスピードののろい田舎の自動車で街道筋を送られ、眼にまぼろしの都大路に入った。わが家の玄関へ帰ったのは春のたそがれ近くである。花に匂いもない黄楊の枝が触れている呼鈴を力なく押す。
老婢が出て来て桟の多い硝子戸を開けた。わたくしはそれとすれ違いさま、いつもならば踏石の上にのって、催促がましく吾妻下駄をかんかんと踏み鳴らし、二階に向って「帰ってよ」と声をかけるのである。
すると二階にいる主人の逸作は、画筆を擱くか、うたた寝の夢を掻きのけるかして、急いで出迎えて呉れるのである。「無事に帰って来たか、よしよし」
この主人に対する出迎えの要求は子供っぽく、また、失礼な所作なのではあるまいか。わたくしはときどきそれを考えないことはない。しかし、こうして貰わないと、わたくしはほんとに家へ帰りついた気がしないのである。わが家がわが家のあたたかい肌身にならない。
もし相手が条件附の好意なら、いかに懐き寄り度い心をも押し伏せて、ただ寂しく黙っている。もし相手が無条件を許すならば暴君と見えるまで情を解き放って心を相手に浸み通らせようとする。とかくに人に対して中庸を得てないわたくしの血筋の性格である。生憎とそれをわたくしも持ち伝えてその一方をここにも現すのかと思うとわたくしは悲しくなる。けれども逸作は、却ってそれを悦ぶのである。「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」
こういうとき逸作の眼は涙を泛べている。
きょうは踏石を吾妻下駄で踏み鳴らすことも「帰ってよ」と叫ぶこともしないで、すごすごと玄関の障子を開けて入るわたくしの例外の姿を不審がって見る老婢をあとにして、わたくしは階段を上って逸作の部屋へ行った。
十二畳ほどの二方硝子窓の洋間に畳が敷詰めてある。描きさしの画の傍に逸作は胡坐をかき、茶菓子の椿餅の椿の葉を剥がして黄昏の薄光に頻りに色を検めて見ていた。
「これほどの色は、とても絵の具では出ないぞ」
ひとり言のように言いながら、その黒光りのする緑の椿の葉から用心深くわたくしの姿へ眼を移し上げて来て、その眼がわたくしの顔に届くと吐息をした。
「やっぱり、だめだったのか。──そうか」と言った。
わたくしは頷いて見せた。そして、もうそのときわたくしは敷居の上へじわじわと坐り蹲んでいた。頭がぼんやりしていて涙は零さなかった。
わたくしは心配性の逸作に向って、わたくしが父の死を見て心悸を亢進させ、実家の跡取りの弟の医学士から瀉血されたことも、それから通夜の三日間静臥していたことも、逸作には話さなかった。ただ父に就ては、
「七十二になっても、まだ髪は黒々としていましたわ。死にたくなさそうだったようですわ」
それから、父は隠居所へ隠居してから謙譲を守って、足袋や沓下は息子の穿き古しよりしか穿かなかったことや、後のものに迷惑でもかけるといけないと言って、どうしても後妻の籍を入れさせなかったことや、多少、父を逸作に取做すような事柄を話した。免作は腕組をして聴いていたが、
「あの平凡で気の弱い大家の旦那にもそれがあったかなあ。やっぱり旧家の人間というものにはひと節あるなあ」
と、感じて言った。わたくしは、なお自分の感想を述べて、
「気持ちはこれで相当しっかりしているつもりですが、身体がいうことを聞かなくなって……。これはたましいよりも何だか肉体に浸み込んだ親子の縁のように思いますわ」と言った。
すると逸作は腕組を解いて胸を張り拡げ、「つまらんことを言うのは止せよ。それよか、疲労れてなければ、おい、これから飯を食いに出掛けよう。服装はそれでいいのか」
と言って立上った。わたくしは、これも、なにかの場合に機先を制してそれとなくわたくしの頽勢を支えて呉れるいつもの逸作の気配りの一つと思い、心で逸作を伏し拝みながら、さすがに気がついて「一郎は」と、息子のことを訊いてみた。
逸作はたちまち笑み崩れた。
「まだ帰って来ない。あいつ、研究所の帰りに銀座へでも廻って、また鼻つまりの声で友達とピカソでも論じてるのだろう」
弁天堂の梵鐘が六時を撞く間、音があまりに近いのでわたくしは両手で耳を塞いでいた。
ここは不忍の池の中ノ島に在る料亭、蓮中庵の角座敷である。水に架け出されていて、一枚だけ開けひろげてある障子の間から、その水を越して池の端のネオンの町並が見亙せる。
逸作は食卓越しにわたくしの腕を揺り、
「鐘の音は、もう済んだ」と言って、手を離したわたくしの耳を指さし、
「歌を詠む参考に水鳥の声をよく聞いときなさい。もう、鴨も雁も鵜も北の方へ帰る時分だから」と言った。
逸作がご飯を食べに連れて行くといって、いつもの銀座か日本橋方面へは向わず、山の手からは遠出のこの不忍の池へ来たのには理由があった。いまから十八年前、画学生の逸作と娘歌人のわたくしとは、同じ春の宵に不忍池を観月橋の方から渡って同じくこの料亭のこの座敷でご飯を食べたのであった。逸作はそれから後、猛然とわたくしの実家へ乗り込んでわたくしの父母に強引にわたくしへの求婚をしたのであった。
「あのとき、ここでした君との話を覚えているか。いまのこの若き心を永遠に失うまいということだったぜ」
父の死によって何となく身体に頽勢の見えたわたくしを気遣い逸作は、この料亭のこの座敷でした十八年前の話の趣旨をわたくしの心に蘇らせようとするのであった。わたくしもその誓いは今も固く守っている。だが、
「うっかりすると、すぐ身体が腑が抜けたようになるんですもの──」
わたくしは逸作に護られているのを知ると始めて安心して、歿くなった父に対する涙をさめざめと流すことが出来た。
父は大家の若旦那に生れついて、家の跡取りとなり、何の苦労もないうちに、郷党の銀行にただ名前を貸しといただけで、その銀行の破綻の責を一家に引受け、預金者に対して蔵屋敷まで投げ出したが、郷党の同情が集まり、それほどまでにしなくともということになり、息子の医者の代にはほぼ家運を挽回するようになった。
しかしその間は七八年間にもせよ、父のこの失態の悔は強かった。父はこの騒ぎの間に愛する妻を失い、年頃前後の子供三人を失っている。何れもこの騒ぎの影響を多少とも受けているであろう。家によってのみ生きている旧家の人間が家を失うことの怯えは何かの形で生命に影響しないわけはなかった。晩年、父の技倆としては見事過ぎるほどの橋を奔走して自町のために造り、その橋によってせめて家名を郷党に刻もうとしたのも、この悔を薄める手段に外ならなかった。
逸作は肉親関係に対しては気丈な男だった。
「芸術家は作品と理解者の外に肉親はない。芸術家は天下の孤児だ」そう言って親戚から孤立を守っていた。しかしわたくしの実家の者に対しては「一たいに人が良過ぎら」と言って、秘かに同情は寄せていた。
「俺はおまえを呉れると先に口を切ったおふくろさんの方が好きなんだが、そうかなあ、矢張り娘は父親に懐くものかなあ」
そう言って、この際、充分に泣けよとばかりわたくしを泣かして置いて呉れた。わたくしはおろおろ声で、「そうばかりでもないんだけれど、今度の場合は」と言って、なおも手巾を眼に運んでいた。
食品が運ばれ出した。私は口に味もない箸を採りはじめる。木の芽やら海胆やら、松露やら、季節ものの匂いが食卓のまわりに立ち籠めるほど、わたくしはいよいよ感傷的になった。十八年の永い間、逸作に倣ってわたくしは実家のいかな盛衰にもあらわな情を見せまいとし、父はまた、父の肩に剰る一家の浮沈に力足らず、わたくしの喜憂に同ずることが出来なかった。若き心を失うまいと誓ったわたくしと逸作との間にも、その若さと貧しさとの故に嘗て陥った魔界の暗さの一ときがあった。それを身にも心にも歎き余って、たった一度、わたくしは父に取り縋りに行った。すると父は玄関に立ちはだかったまま「え──どうしたのかい」と空々しく言って、困ったように眼を外らし、あらぬ方を見た。わたくしはその白眼勝ちの眼を見ると、絶望のまま何にもいわずに、すぐ、当時、灰のように冷え切ったわが家へ引き返したのであった。
それが、通夜の伽の話に父の後妻がわたくしに語ったところに依ると、
「おとうさんはお年を召してから、あんたの肉筆の短冊を何処かで買い求めて来なさって、ときどき取出しては人に自慢に見せたり自分でも溜息をついては見ていらっしゃいました。わたしがあのお子さんにお仰しゃったら幾らでもじかに書いて下さいましょうにと申しましたら、いや、俺はあの娘には何にも言えない。あの娘がひとりであれだけになったのだから、この家のことは何一つ頼めない。ただ、蔭で有難いと思っているだけで充分だ」と洩したそうである。
こんな事柄さえ次々に想い出されて来た。食品を運んで来る女中は、わたくしたち中年前後の夫妻が何か内輪揉めで愁歎場を演じてるとでも思ったのか、なるべくわたくしに眼をつけないようにして襖からの出入りの足を急いだ。
七時のときの鐘よりは八時の鐘は、わたくしの耳に慣れて来た。いまは耳に手を当てるまでもなく静に聞き過された。一枚開けた障子の隙から、漆のような黒い水に、枯れ蓮の茎や葉が一層くろぐろと水面に伏さっているのが窺かれる。その起伏のさまは、伊香保の湯宿の高い裏欄干から上つ毛野、下つ毛野に蟠る連山の頂上を眺め渡すようだった。そのはろばろと眺め渡して行く起伏の末になると、枯蓮の枯葉は少くなり、ただ撓み曲った茎だけが、水上の形さながらに水面に落す影もろとも、いろいろに歪みを見せたOの字の姿を池に並べ重ねている。わたくしはむかし逸作がこの料亭での会食以前、美術学校の生徒時代に、彼の写生帳を見ると全頁悉くこの歪んだOの字の蓮の枯茎しか写生してないのを発見した。そしてわたくしは「あんたは懶けものなの」と訊いた。すると逸作は答えた。「違う。僕は人生が寂しくって、こんな楽書みたいなものの外、スケッチする張合いもないのです」わたくしは訊ね返した「おとうさんはどうしてらっしゃるの。おかあさんはどうしてらっしゃるの。そして、ごきょうだいは」逸作は答えた。「それを訊かないで下さい。よし、それ等があるとしたところで僕はやっぱり孤児の気持です」逸作はその孤児なる理由は話さなかったが、わたくしにはどうやら感じられた。「可哀そうな青年」
何に愕いてか、屋後の池の方で水鳥が、くゎ、くゎ、と鳴き叫び、やがて三四羽続けて水を蹴って立つ音が聞える。
わたくしは淋しい気持に両袖で胸を抱いて言った。
「今度こそ二人とも事実正銘の孤児になりましたのね」
「うん、なった。──だが」
ここでちょっと逸作は眼を俯けていたが何気なく言った。
「一郎だけは、二人がいなくなった後も孤児の気持にはさしたくないものだ」
わたくしは再び眼を上げて、蓮の枯茎のOの字の並べ重なるのを見る。怱忙として脳裡に過ぎる十八年の歳月。
ふと気がついてみると、わたくしの眼に蓮の枯茎が眼について来たのには理由があった。
夜はやや更けて、天地は黒い塀を四壁に立てたように静まり閉すにつれ、真向うの池の端の町並の肉色で涼しい窓々の灯、軒や屋根に色の光りのレースを冠せたようなネオンの明りはだんだん華やいで来た。町並で山下通りの電車線路の近くは、表町通りの熾烈なネオンの光りを受け、まるで火事の余焔を浴びているようである。池の縁を取りまいて若い並木の列がある。町並の家総体が一つの発光体となった今は、それから射出する夜の灯で、これ等の並木は影くろぐろと生ける人の列のようにも見える。並木に浸み剰った灯の光は池の水にも明るく届いて、さてはその照り返しで枯蓮の茎のO字をわたくしの眼にいちじるしく映じさすのであった。更に思い廻らされて来るこれから迎えようとする幾歳かの茫漠とした人世。
水鳥はもう寝たのか、障子の硝子戸を透してみると上野の森は深夜のようである。それに引代え廊下を歩く女中の足音は忙しくなり、二つ三つ隔てた座敷から絃歌の音も聞え出した。料亭持前の不夜の営みはこれから浮き上りかけて来たようである。そのとき遠くの女中の声がして、
「かの子さーん」
と呼ぶのが聞えた。それはわたくしと同名の呼名である。わたくしと逸作は、眼を円くして見合い、含み笑いを唇できっと引き結んだ。
もう一度、
「かの子さーん」と聞えた。すると、襖の外の廊下で案外近く、わざとあどけなく気取らせた小娘の声で、
「はーい。ただ今」
そして、これは本当のあどけない足取りでぱたぱたと駆けて行くのが聞えた。
「お雛妓だ」
「そうねえ」
(筆者はここで、ちょっとお断りして置かねばならない事柄がある。ここに現れ出たこの物語の主人公、雛妓かの子は、この物語の副主人公わたくしという人物とも、また、物語を書く筆者とも同名である。このことは作品に於ける芸術上の議論に疑惑を惹き起し易い。また、なにか為めにするところがあるようにも取られ易い。これを思うと筆はちょっと臆する。それで筆者は幾度か考え直すに努めて見たものの、これを更えてしまっては、全然この物語を書く情熱を失ってしまうのである。そこでいつもながらの捨身の勇気を奮い気の弱い筆を叱って進めることにした。よしやわざくれ、作品のモチーフとなる切情に殉ぜんかなと)
からし菜、細根大根、花菜漬、こういった旬の青味のお漬物でご飯を勧められても、わたくしは、ほんの一口しか食べられなかった。
電気ストーヴをつけて部屋を暖かくしながら、障子をもう一枚開け拡げて、月の出に色も潤みだしたらしい不忍の夜の春色でわたくしの傷心を引立たせようとした逸作も遂に匙を投げたかのように言った。
「それじゃ葬式の日まで、君の身体が持つか持たんか判らないぜ」
逸作はしばらく術無げに黙っていたが、ふと妙案のように、
「どうだ一つ、さっきのお雛妓の、あの若いかの子さんでも聘んで元気づけに君に見せてやるか」
逸作は人生の寂しさを努めて紛らすために何か飄逸な筆つきを使う画家であった。都会児の洗練透徹した機智は生れ付きのものだった。だが彼は邪道に陥る惧れがあるとて、ふだんは滅多にそれを使わなかった。ごく稀に彼はそれを画にも処世上にも使った。意表に出るその働きは水際立って効を奏した。
わたくしはそれを知っている故に、彼の思い付きに充分な信頼を置くものの、お雛妓を聘ぶなどということは何ぼ何でも今夜の場合にはじゃらけた気分に感じられた。それに今までそんなことを嘗てしたわたくしたちでもなかった。
「いけません。いけません。それはあんまりですよ」
わたくしの声は少し怒気を帯びていた。
「ばか。おまえは、まだ、あのおやじのこころをほんとによく知っていないのだ」
そこで逸作は、七十二になる父が髪黒々としつつ、そしてなお生に執したことから説いて、
「おやじは古り行く家に、必死と若さを欲していたのだ。あれほど愛していたおまえのお母さんが歿くなって間もなく、いくら人に勧められたからとて、聖人と渾名されるほどの人間が直ぐ若い後妻を貰ったなぞはその証拠だ」と言った。
父はまた、長男でわたくしの兄に当る文学好きの青年が大学を出ると間もなく夭死した。その墓を見事に作って、学位の文学士という文字を墓面に大きく刻み込み、毎日毎日名残り惜しそうにそれを眺めに行った。
「何百年の間、武蔵相模の土に亙って逞しい埋蔵力を持ちながら、葡い松のように横に延びただけの旧家の一族に付いている家霊が、何一つ世間へ表現されないのをおやじは心魂に徹して歎いていたのだ。おやじの遺憾はただそれ許りなのだ。おやじ自身はそれをはっきり意識に上す力はなかったかも知れない。けれど晩年にはやはりそれに促されて、何となくおまえ一人の素質を便りにしていたのだ。この謎はおやじの晩年を見るときそれはあまりに明かである。しかし望むものを遂におまえに対して口に出して言える父親ではなかった以上、おまえの方からそれを察してやらなければならないのだ。この謎を解いてやれ。そしてあのおやじに現れた若さと家霊の表現の意志を継いでやりなさい。それでなけりゃ、あんまりお前の家のものは可哀相だ。家そのものが可哀相だ」
逸作はここへ来て始めて眼に涙を泛べた。
わたくしは「ああ」といって身体を震った。もう逸作に反対する勇気はなかった。わたくしはあまりにも潔癖過ぎる家伝の良心に虐なまれることが度々ある。そのときその良心の苛責さえ残らず打明けて逸作に代って担って貰うこともある。で、今の場合にも言った。
「任せるわ。じゃ、いいようにしてよ」
「それがいい。お前は今夜ただ、気持を取直す工夫だけをしなさい」
逸作は、もしこのことで不孝の罰が当るようだったら俺が引受けるなどと冗談のように言って、それから女中に命じて雛妓かの子を聘することを命じた。幸に、かの女はまだ帰らないで店にいたので、女中はその座敷へ「貰い」というものをかけて呉れた。
「今晩は」
襖が開いて閉って、そこに絢爛な一つくねの絹布れがひれ伏した。紅紫と卵黄の色彩の喰み合いはまだ何の模様とも判らない。大きく結んだ背中の帯と、両方へ捌き拡げた両袖とが、ちょっと三番叟の形に似ているなと思う途端に、むくりと、その色彩の喰み合いの中から操り人形のそれのように大桃割れに結って白い顔が擡げ上げられた。そして、左の手を膝にしゃんと立て、小さい右の手を前方へ突き出して恰も相手に掌の中を検め見さすようなモーションをつけると同時に男の声に擬して言った。
「やあ、君、失敬」
眼を細眼に開けてはいるが、何か眩しいように眼瞼を震わせ、瞳の焦点は座敷を抜けて遥か池か彼方の水先に放っている。それは小娘ながらも臆した人の偽りをいうときの眼の遣り所に肖ている。かの女はこの所作を終えると、自分のしたことを自分で興がるように、また抹殺するように、きゃらきゃらと笑って立上った。きゃらきゃらと笑い続けて逸作の傍の食卓の角へ来て、ぺたりと坐った。
「お酌しましょうよ」
わたくしはこの間に、ほんの四つ五つの型だけで全身を覆うほどの大矢羽根が紅紫の鹿の子模様で埋り、余地の卵黄色も赤白の鹿の子模様で埋まっているのを見て、この雛妓の所作のどこやら場末臭いもののあるのに比して、案外着物には抱え主は念を入れているなと見詰めていた。
雛妓はわたくしたちの卓上が既に果ものの食順にまで運んでいるのを見て、
「あら、もうお果ものなの。お早いのね。では、お楊子」
と言って、とき色の鹿の子絞りの帯上げの間からやはり鹿の子模様の入っている小楊子入れを出し、扇形に開いてわたくしたちに勧めた。
「お手拭きなら、ここよ」
「なんて、ませたやつだ」
座敷へ入って来てから、ここまでの所作を片肘つき、頬を支えて、ちょうどモデルでも観察するように眼を眇めて見ていた逸作は、こう言うと、身体を揺り上げるようにして笑った。
雛妓は、逆らいもせず、にこりと媚びの笑いを逸作に送って、
「でしょう」といった。
わたくしはまた雛妓に向って「きれいな衣裳ね」と言った。
逸作は身体を揺り上げながら笑っている間に画家らしく、雛妓の顔かたちを悉皆観察して取ったらしく、わたくしに向って、
「名前ばかりでなく、顔もなんだかお前に肖てるぜ。こりゃ不思議だ」と言った。
着物の美しさに見惚れている間にもわたくしもわたくしのどこかの一部で、これは誰やらに、そしてどこやらが肖ていると頻りに思い当てることをせつくものがあった。そしてやっと逸作の言葉でわたくしのその疑いは助け出された。
「まあ、ほんとに」
わたくしの気持は茲でちょっと呆れ返り、何故か一度、悄気返りさえしているうちに、もうわたくしの小さい同姓に対する慈しみはぐんぐん雛妓に浸み向って行った。わたくしは雛妓に言った。
「かの子さん。今夜は、もう何のお勤めもしなくていいのよ。ただ、遊んで行けばいいのよ」
先程からわたくしたち二人の話の遣り取りを眼を大きく見開いてピンポンの球の行き交いのように注意していた雛妓は「あら」と言って、逸作の側を離れて立上り、今度はわたくしの傍へ来て、手早くお叩儀をした。
「知ってますわ。かの子夫人でいらっしゃるんでしょう。歌のお上手な」
そして、世間に自分と同名な名流歌人がいることをお座敷でも聴かされたことがあったし、雑誌の口絵で見たことがあると言った。
「一度お目にかかり度いと思ってたのに、お目にかかれて」
ここで今までの雛妓らしい所作から離れてまるで生娘のように技巧を取り払った顔付になり、わたくしを長谷の観音のように恭々しげに高く見上げた。
「想像よりは少し肥っていらっしゃるのね」
わたくしは笑いながら、
「そうお、そんなにすらりとした女に思ってたの」と言うときわたくしの親しみの手はひとりでに雛妓の肩にかかっていた。
「お座敷辛いんでしょう。お客さまは骨が折れるんでしょう。夜遅くなって眠かなくって」
それはまるでわたくしの胸のうちに用意されでもしていた聯句のように、すらすらと述べ出された。すると雛妓は再び幼い商売女の顔になって、
「あら、ちっともそんなことなくてよ。面白いわ。──」
とまで言ったが、それではあまり同情者に対してまともに弾ね返し過ぎるとでも思ったのか、
「なんだか知らないけど、あたし、まだ子供でしょう。だから大概のことはみなさんから大目に見て頂けるらしい気がしますのよ。それに、姐さんたちも、もしまじめに考えたら、この商売は出来ないっていうし──」
雛妓は両手でわたくしのあいた方の手を取り、自分の掌を合せて見て、僅かしかない大きさの差を珍らしがったり、何歳になってもわたくしの手の甲に出来ている子供らしいおちょぼの窪みを押したり、何か言うことのませ方と、することの無邪気さとの間にちぐはぐなところを見せていたが、ふと気がついたように逸作の方へ向いた。
「おにいさん──」
しかしその言葉はわたくしに対して懸念がありと見て取るとかの女は「ほい」といって直ぐ、先生と言い改めた。
「先生。何か踊らなくてもいいの。踊るんなら、誰か、うちで遊んでる姐さんを聘んで欲しいわ」
そう言ってつかつかと逸作の方へ立って行った。煙草を喫いながらわたくしと雛妓との対談を食卓越しに微笑して傍観していた逸作は、こう言われて、
「このお嬢さんは、売れ残りのうちの姐さんのためにだいぶ斡旋するね」
と言葉で逃げたが、雛妓はなかなか許さなかった。逸作のそばに坐ったかの女は、身体を「く」の字や「つ」の字に曲げ、「ねえ、先生、よってば」「いいでしょう、先生」と腕に取り縋ったり髪の毛の中に指を突き入れたりした。だがその所作よりも、大きな帯や大きな袖に覆われてはいるものの、流石に年頃まえの小娘の肩から胴、脇、腰へかけて、若やいだ円味と潤いと生々しさが陽炎のように立騰り、立騰っては逸作へ向けてときめき縺れるのをわたくしは見逃すわけにはゆかなかった。わたしは幾分息を張り詰めた。
逸作の少年時代は、この上野谷中切っての美少年だった。だが、鑿ち出しものの壺のように外側ばかり鮮かで、中はうつろに感じられる少年だった。少年は自分でもそのうつろに堪えないで、この界隈を酒を飲み歩いた。女たちは少年の心のうつろを見過ごしてただ形の美しさだけを寵した。逸作は世間態にはまず充分な放蕩児だった。逸作とわたくしは幼友達ではあるが、それはほんのちょっとの間で、双方年頃近くになり、この上野の森の辺で初対面のように知り合いになったときは、逸作はその桜色の顔に似合わず市井老人のようなこころになっていた。わたくしが、あんまり青年にしては晒され過ぎてると言うと、彼は薩摩絣の着物に片手を内懐に入れて、「十四より酒飲み慣れてきょうの月です」と、それが談林の句であるとまでは知らないらしく、ただこの句の捨げ遣りのような感慨を愛して空を仰いで言った。
結婚から逸作の放蕩時代の清算、次の魔界の一ときが過ぎて、わたくしたちは、息も絶え絶えのところから蘇生の面持で立上った顔を見合した。それから逸作はびびとして笑いを含みながら画作に向う人となった。「俺は元来うつろの人間で人から充たされる性分だ。おまえは中身だけの人間で、人を充たすように出来てる。やっと判った」とその当時言った。
それから十余年の歳月はしずかに流れた。逸作は四十二の厄歳も滞りなく越え、画作に油が乗りかけている。「おとなしい男、あたくしのために何もかも尽して呉れる男──」だのにわたくしは、何をしてやっただろう。小取り廻しの利かないわたくしは、何の所作もなく、ただ魂をば、愛をば体当りにぶつけるよりしかたなかった。例えそれを逸作は「俺がしたいと思って出来ないことを、おまえが代ってして呉れるだけだ」と悦ぶにしても、ときには世の常の良人が世の常の妻にサービスされるあのまめまめしさを、逸作の中にある世の常の男の性は欲していないだろうか。わたくしはときどきそんなことを思った。
酒をやめてから容貌も温厚となり、あの青年時代のきらびやかな美しさは艶消しとなった代りに、今では中年の威がついて、髪には一筋二筋の白髪も光りはじめて来ている。
わたくしは、その逸作に、雛妓が頻りにときめかけ、縺れかけている小娘の肉体の陽炎を感ずると、今までの愁いの雲はいつの間にか押し払われ、わたくしの心にも若やぎ華やぐ気持の蕾がちらほら見えはじめた。それは嫉妬とか競争心とかいう激しい女の情焔を燃えさすには到らなかった。相手があまりにあどけなかったからだ。そしてこちらからうち見たところ多少腕白だったと言われるわたくしの幼な姿にも似通える節のある雛妓の腕働きでもある。それが逸作に縺れている。わたくしはこれを眺めて、ほんのり新茶の香りにでも酔った気持で笑いながら見ている。雛妓は、どうしてもうんと言わない逸作に向って、首筋の中へ手を突込んだり、横に引倒しかけたりする。遂に煩しさに堪え兼ねた逸作は、雛妓を弾ねのけて居ずまいを直しながらきっぱり言った。
「何と言っても今夜は駄目だ。踊ったり謡ったりすることは出来ない。僕たちはいま父親の忌中なのだから」
その言い方が相当に厳粛だったので、雛妓も諦めて逸作のそばを離れると今度はわたくしのところへ来て、そしてわたくしの膝へ手をかけ、
「奥さんにお願いしますわ。今度また、ぜひ聘んでね。そして、そのときは屹度うちの姐さんもぜひ聘んでね」
と言った。わたくしは憫れを覚えて、「えーえー、いいですよ」と約束の言葉を番えた。
すると安心したもののように雛妓はしばらくぽかんとそこに坐っていたが急に腕を組んで首をかしげひとり言のように、
「これじゃ、あんまりお雛妓さんの仕事がなさ過ぎるわ。お雛妓さん失業だわ」
と、わたくしたちを笑わせて置いてから、小さい手で膝をちょんと叩いた。
「いいことがある。あたし按摩上手よ。よく年寄のお客さんで揉んで呉れって方があるのよ。奥さん、いかがですの」
といってわたくしの後へ廻った。わたくしは興を催し、「まあまあ先生から」といって雛妓を逸作の方へ押しやった。
十時の鐘は少し冴え返って聞えた。逸作は懐手をして雛妓に肩を叩いて貰いながら眼を眠そうにうっとりしている。わたくしはそれを眺めながら、ついに例の癖の、息子の一郎に早くこのくらいの年頃の娘を貰って置いて、嫁に仕込んでみたら──そして、その娘が親孝行をして父親の肩を叩く図はおよそこんなものではあるまいかなぞ勝手な想像を働かせていた。
わたくしたちが帰りかけると、雛妓は店先の敷台まで女中に混って送って出て、そこで、朧夜になった月の夜影を踏んで遠ざかり行くわたくしたちの影に向って呼んだ。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしも何だか懐かしく呼んだ。
「お雛妓さんのかの子さーん」
松影に声は距てられながらもまだ、
「奥さまのかの子さーん」
「お雛妓さんのかの子さーん」
ついに、
「かの子さーん」
「かの子さーん」
わたくしは嘗て自分の名を他人にして呼んだ経験はない。いま呼んでみて、それは思いの外なつかしいものである。身のうちが竦むような恥かしさと同時に、何だか自分の中に今まで隠れていた本性のようなものが呼出されそうな気強い作用がある。まして、そう呼ばせる相手はわたくしに肖て而かも小娘の若き姿である。
声もかすかに呼びつれ呼び交すうちに、ふとわたくしはあのお雛妓のかの子さんの若さになりかける。ああ、わたくしは父の死によって神経を疲労さしているためであろうか。
葬儀の日には逸作もわたくしと一緒に郷家へ行って呉れた。彼は快く岳父の棺側を護る役の一人を引受け、菅笠を冠り藁草履を穿いて黙々と附いて歩いた。わたくしの眼には彼が、この親の遺憾としたところのものを受け継いで、まさに闘い出そうとする娘に如何に助太刀すべきか、なおも棺輿の中の岳父にその附嘱のささやきを聴きつつ歩む昔風の義人の婿の姿に見えた。
若さと家霊の表現。わたくしがこの言葉を逸作の口から不忍の蓮中庵で解説されたときは、左程のこととも思わなかった。しかし、その後、きょうまでの五日間にこのエスプリのたちまちわたくしの胎内に蔓り育ったことはわれながら愕くべきほどだった。それはわたくしの意識をして、今にして夢より覚めたように感ぜしめ、また、新なる夢に入るもののようにも感ぜしめた。肉体の悄沈などはどこかへ押し遣られてしまった。食ものさえ、このテーマに結びつけて執拗に力強く糸歯で噛み切った。
「そーら、また、お母さんの凝り性が始まったぞ」
息子の一郎は苦笑して、ときどき様子を見に来た。
「今度は何を考え出したか知らないが、お母さん、苦しいだろう。もっとあっさりしなさいよ」
と、はらはらしながら忠告するほどであった。
葬列は町の中央から出て町を一巡りした。町並の人々は、自分たちが何十年か聖人と渾名して敬愛していた旧家の長老のために、家先に香炉を備えて焼香した。多摩川に沿って近頃三業組合まで発達した東京近郊のF──町は見物人の中に脂粉の女も混って、一時祭りのような観を呈した。葬列は町外れへ出て、川に架った長橋を眺め渡される堤の地点で、ちょっと棺輿を停めた。
春にしては風のある寒い日である。けれども長堤も対岸の丘もかなり青み亘り、その青みの中に柔かいうす紅や萌黄の芽出しの色が一面に漉き込まれている。漉き込み剰って強い塊の花の色に吹き出しているところもある。川幅の大半を埋めている小石の大河原にも若草の叢の色が和みかけている。
動きの多い空の雲の隙間から飴色の春陽が、はだらはだらに射し下ろす。その光の中に横えられたコンクリートの長橋。父が家霊に対して畢生の申訳に尽力して架した長橋である。
父の棺輿はしばし堤の若草の上に佇んで、寂寞としてこの橋を眺める。橋はまた巨鯨の白骨のような姿で寂寞として見返す。はだらはだらに射し下ろす春陽の下で。
なべて人の世に相逢うということ、頷き合うということ、それ等は、結局、この形に於てのみ真の可能なのではあるまいか。寂寞の姿と無々の眼と──。
何の生もない何の情緒もない、枯骨と灰石の対面ではあるが、いのちというものは不思議な経路を取って、その死灰の世界から生と情緒の世界へ生れ代ろうとするもののようである。わたくしが案外、冷静なのに、見よ、逸作が慟哭している激しい姿を。わたくしが急いで近寄って編笠の中を覗くと、彼はせぐり上げせぐり上げして来る涙を、胸の喘ぎだけでは受け留めかねて、赤くした眼からたらたら流している。わたくしは逸作のこんなに泣いたのを見るのは始めてだった。わたくしは袖から手巾を出してやりながら、
「やっぱり、男は、男の事業慾というものに同情するの」
と訊くと、逸作は苦しみに締めつけられたように少し狂乱の態とも見えるほどあたり関わず切ない声を振り絞った。
「いや、そうじゃない。そうじゃない」
そして、わたくしの肩をぐさと掴み、生唾を土手の若草の上に吐いて喘ぎながら言った。
「おやじが背負い残した家霊の奴め、この橋くらいでは満足しないで、大きな図体の癖に今度はまるで手も足もない赤児のようなお前によろよろと倚りかかろうとしている。今俺にそれが現実に感じられ出したのだ。その家霊も可哀そうならおまえも可哀そうだ。それを思うと、俺は切なくてやり切れなくなるのだ」
ここで、逸作は橋詰の茶店に向って水を呼んで置いてから、喘ぎを続けた。
「俺が手の中の珠にして、世界で一番の幸福な女に仕立ててみようと思ったお前を、おまえの家の家霊は取戻そうとしているのだ。畜生ッ。生ける女によって描こうとした美しい人生のまんだらをついに引裂こうとしている。畜生ッ。畜生ッ。家霊の奴め」
わたくしの肩は逸作の両手までがかかって力強く揺るのを感じた。
「だが、ここに、ただ一筋の道はある。おまえは、決して臆してはならない。負けてはならないぞ。そしてこの重荷を届けるべきところにまで驀地に届けることだ。わき見をしては却って重荷に押し潰されて危ないぞ。家霊は言ってるのだ──わたくしを若しわたくしの望む程度まで表現して下さったなら、わたくしは三つ指突いてあなた方にお叩頭します。あとは永くあなた方の実家をもあなた方の御子孫をも護りましょう──と。いいか。苦悩はどうせこの作業には附ものだ。俺も出来るだけ分担してやるけれどお前自身決して逃れてはならないぞ。苦悩を突き詰めた先こそ疑いもない美だ。そしてお前の一族の家霊くらいおしゃれで、美しいものの好きな奴はないのだから──」
読書もそう好きでなし、思索も面倒臭がりやの逸作にどうして、こんないのちの作略に関する言葉が閃めき出るのであろうか。うつろの人には却っていのちの素振りが感じられるものなのだろうか。わたくしはそれにも少し怖れを感じたけれども、眼の前の現実に襲って来た無形の大磐石のような圧迫にはなお恐怖を覚えて慄え上った。思わず逸作に取縋って家の中で逸作を呼び慣わしの言葉の、
「パパウ! パパウ!」
と泣き喚く顔を懸命に逸作の懐へにじり込ませていた。
「コップを探してましたもんでね、どうも遅くなりました」と、言って盆に水を運んで来た茶店の老婆は、逸作が水を飲み干す間、二人の姿をと見こう見しながら、
「そうですとも、娘さんとお婿さんとでたんと泣いてお上げなさいましよ。それが何よりの親御さんへのお供養ですよ」
と、さもしたり顔に言った。
他のときと場合ならわたくしたちの所作は芝居染みていて、随分妙なものに受取られただろうが、しかし場合が場合なので、棺輿の担ぎ手も、親戚も、葬列の人も、みな茶店の老婆と同じ心らしく、子供たち以外は遠慮勝ちにわたくしたちの傍を離れていて呉れて、わたくしたちの悲歌劇の一所作が滞りなく演じ終るまで待っていて呉れた。そして逸作が水を飲み終えてコップを盆に返すのをきっかけに葬列は寺へ向って動き出した。
菩提寺の寺は、町の本陣の位置に在るわたくしの実家の殆ど筋向うである。あまり近い距離なので、葬列は町を一巡りしたという理由もあるが、兎に角、わたくしたちは寺の葬儀場へ辿りついた。
わたくしは葬儀場の光景なぞ今更、珍らしそうに書くまい。ただ、葬儀が営まれ行く間に久し振りに眺めた本尊の厨子の脇段に幾つか並べられている実家の代々の位牌に就いて、こどものときから目上の人たちに聞かされつけた由緒の興味あるものだけを少しく述べて置こうと思う。
権之丞というのは近世、実家の中興の祖である。その財力と才幹は江戸諸大名の藩政を動かすに足りる力があったけれども身分は帯刀御免の士分に過ぎない。それすら彼は抑下して一生、草鞋穿きで駕籠へも乗らなかった。
その娘二人の位牌がある。絶世の美人だったが姉妹とも躄だった。権之丞は、構内奥深く別構へを作り、秘かに姉妹を茲に隠して朝夕あわれな娘たちの身の上を果敢なみに訪れた。
伊太郎という三四代前の当主がある。幕末に際し、実家に遁入して匿まわれた多くの幕士の中の一人だが、美男なので実家の娘に想われ、結婚して当主に直った人であった。生来気の弱い人らしく、畢生の望みはどうかして一度、声を出して唄を謡ってみたいということであった。或る人が彼に、多摩川の河原へ出て人のいないところで謡いなさいと進言した。伊太郎は勧めに従ってひとり河原に出てはみたものの、ついに口からよう謡い出ずに戻って来た。
蔵はいろは四十八蔵あり、三四里の間にわが土地を踏まずには他出できなかったという。天保銭は置き剰って縄に繋いで棟々の床下に埋めた。こういう逞しい物質力を持ちながら、何とその持主の人間たちに憐れにも蝕まれた影の多いことよ。そしてその蝕まれるものの、また何と美しいものに縁があることよ。
逸作はいみじくも指摘した「おまえの家の家霊はおしゃれで美しいもの好きだ」と。そしてまた言った。「その美なるものは、苦悩を突き詰めることによってのみその本体は掴み得られるのだ」と。ああ、わたくしは果してそれに堪え得る女であろうか。
ここに一つ、おかのさんと呼ばれている位牌がある。わたくしたちのいま葬儀しつつある父と、その先代との間に家系も絶えんとし、家運も傾きかけた間一髪の際に、族中より選み出されて危きを既倒に廻し止めた女丈夫だという。わたくしの名のかの子は、この女丈夫を記念する為めにつけたのだという。しかも何と、その女丈夫を記念するには、相応わしからぬわたくしの性格の非女丈夫的なことよ。わたくしは物心づいてからこの位牌をみると、いつもこの名を愛しその人を尊敬しつつも、わたくし自らを苦笑しなければならなかった。
読経は進んで行った。会葬者は、座敷にも椽にも並み余り、本堂の周囲の土に立っている。わたくしは会葬者中の親族席を見廻す。そしてわたくしは茲にも表現されずして鬱屈している一族の家霊を実物証明によって見出すのであった。
北は東京近郊の板橋かけて、南は相模厚木辺まで蔓延していて、その土地土地では旧家であり豪家である実家の親族の代表者は悉く集っている。
その中には年々巨万の地代を挙げながら、代々の慣習によって中学卒業程度で家督を護らせられている壮年者もある。
横浜開港時代に土地開発に力を尽し、儒学と俳諧にも深い造詣を持ちながら一向世に知られず、その子としてただ老獪の一手だけを処世の金科玉条として資産を増殖さしている老爺もある。
蓄妾に精力をスポイルして家産の安全を図っている地方紳士もある。
だが、やはり、ここにも美に関るものは附いて離れなかった。在々所々のそれ等の家に何々小町とか何々乙姫とか呼ばれる娘は随分生れた。しかし、それが縁付くとなると、草莽の中に鄙び、多産に疲れ、ただどこそこのお婆さんの名に於ていつの間にか生を消して行く。それはいかに、美しいもの好きの家霊をして力を落させ歎かしめたことであろう。
葬儀は済んだ。父に身近かの肉親親類たちだけが棺に付添うて墓地に向った。わたくしはここの場面をも悉しい説明することを省く。わたくしは、ただ父の遺骸を埋め終ってから、逸作がわたくしの母の墓前に永い間額づき合掌して何事かを語るが如く祈るが如くしつつあるのを見て胸が熱くなるのを感じたことを記す。
母はわたくしを十四五の歳になるまで、この子はいじらしいところが退かぬ子だといって抱き寝をして呉れた。そして逸作はこの母により逸早く許しを与えられることによってわたくしを懐にし得た。放蕩児の名を冒しても母がその最愛の長女を与えたことを逸作はどんなに徳としたことであろう。わたくしはただ裸子のように世の中のたつきも知らず懐より懐へ乳房を探るようにして移って来た。その生みの母と、育ての父のような逸作と、二人はいまわたくしに就て何事を語りつつあるのであろうか。
わたくしはその間に、妹のわたくしを偏愛して男の気ならば友人の手紙さえ取上げて見せなかった文学熱心の兄の墓に詣で、一人の弟と一人の妹の墓にも花と香花をわけた。
その弟は、学校を出て船に努めるようになり、乗船中、海の色の恍惚に牽かれて、海の底に趨った。
その妹は、たまさか姉に遇うても涙よりしか懐かしさを語り得ないような内気な娘であった。生よりも死の床を幾倍か身に相応わしいものに思い做して、うれしそうに病み死んだ。
風は止んだ。多摩川の川づらには狭霧が立ち籠め生あたたかくたそがれて来た。ほろほろと散る墓畔の桜。わたくしは逸作の腕に支えられながら、弟の医者にちょっと脈を検められ、「生きの身の」と、歌の頭字の五文字を胸に思い泛べただけで急いで帰宅の俥に乗り込んだだけを記して、早くこの苦渋で憂鬱な場面の記述を切上げよう。
「奥さまのかの子さーん」
夏もさ中にかかりながらわたくしは何となく気鬱加減で書斎に床は敷かず枕だけつけて横になっていた。わたくしにしては珍らしいことであった。その枕の耳へ玄関からこの声が聞えて来た。お雛妓のかの子であることが直ぐ思い出された。わたくしは起き上って、急いで玄関へ下りてみた。お雛妓のかの子は、わたくしを見ると老婢に、
「それ、ごらんなさい。奥さまはいらっしゃるじゃありませんか。嘘つき」
と、小さい顎を出し、老婢がこれに対し何かあらがう様子を尻眼にかけながら、
「あがってもいいでしょう。ちょっと寄ったのよ」
とわたくしに言った。
わたくしは老婢が見ず知らずの客を断るのは家の慣わしで咎め立てするものではありませんと雛妓を軽くたしなめてから、「さあさあ」といってかの子を二階のわたくしの書斎へ導いた。
雛妓は席へつくと、お土産といって折箱入りの新橋小萩堂の粟餅を差し出した。
「もっとも、これ、園遊会の貰いものなんだけれど、お土産に融通しちまうわ」
そういって、まずわたくしの笑いを誘い出した。わたくしが、まあ綺麗ねと言って例の女の癖の雛妓の着物の袖を手に取ってうち見返す間に雛妓はきょう、ここから直ぐ斜裏のK──伯爵家に園遊会があって、その家へ出入りの谷中住いの画家に頼まれて、姐さん株や同僚七八名と手伝いに行ったことを述べ、帰りにその門前で訊くと奥さまの家はすぐ近くだというので、急に来たくなり、仲間に訣れて寄ったのだと話した。
「夏の最中の園遊会なんて野暮でしょう。けど、何かの記念日なんだから仕方ないんですって。幹事さんの中には冬のモーニングを着て、汗だくでふうふう言いながらビールを飲んでた方もあったわ」
お雛妓らしい観察を縷々述べ始めた。わたくしがかの女に何か御馳走の望みはないかと訊くと、
「では、あの、ざくざく掻いた氷水を。ただ水というのよ。もし、ご近所にあったら、ほんとに済みません」
と俄に小心になってねだった。
わたくしの実家の父が歿くなってから四月は経つ。わたくしのこころは、葬儀以後、三十五日、四十九日、百ヶ日と過ぐるにつれ、薄らぐともなく歎きは薄らいで行った。何といっても七十二という高齢は、訣れを諦め易くしたし、それと、生前、わたくしが多少なりとも世間に現している歌の業績を父は無意識にもせよ家霊の表現の一つに数えて、わたくしは知らなかったにもせよ日頃慰んでいて呉れたということは、いよいよわたくしをして気持を諦め易くした。勿論わたくしに取ってはそういう性質の仕事の歌ではなかったのだけれども。それでも、まあ無いよりはいい。
で、その方は気がたいへん軽くなった。それ故にこそ百ヶ日が済むと、嘗て父の通夜過ぎの晩に不忍池の中之島の蓮中庵で、お雛妓かの子に番えた言葉を思い出し、わたくしの方から逸作を誘い出すようにして、かの女を聘げてやりに行った。「そんな約束にまで、お前の馬鹿正直を出すもんじゃない」と逸作は一応はわたくしをとめてみたが、わたくしが「そればかりでもなさそうなのよ」と言うと、怪訝な顔をして「そうか」と言ったきり、一しょについて行って呉れた。息子の一郎は「どうも不良マダムになったね」と言いながら、わたくしの芸術家にしては窮屈過ぎるためにどのくらい生きるに不如意であるかわからぬ性質の一部が、こんなことで捌けでもするように、好感の眼で見送って呉れた。
蓮中庵では約束通りかの女を聘んで、言葉で番えたようにかの女のうちで遊んでいる姐さんを一人ならず聘んでやった。それ等の姐さんの三味線でかの女は踊りを二つ三つ踊った。それは小娘ながら水際立って鮮やかなものであった。わたくしが褒めると、「なにせ、この子の実父というのが少しは名の知れた舞踊家ですから」と姐さん芸妓は洩した。すると、かの女は自分の口へ指を当てて「しっ」といって姐さんにまず沈黙を求めた。それから芝居の仕草も混ぜて「これ、こえが高い、ふなが安い」と月並な台詞の洒落を言った。
姐さんたちは、自分たちをお客に聘ばせて呉れた恩人のお雛妓の顔を立てて、ばつを合せるようにきゃあきゃあと癇高く笑った。しかし、雛妓のその止め方には、その巫山戯方の中に何か本気なものをわたくしは感じた。
その夜は雛妓は、貰われるお座敷があって、わたくしたちより先へ帰った。夏のことなので、障子を開けひろげた窓により、わたくしは中之島が池畔へ続いている参詣道に気をつけていた。松影を透して、女中の箱屋を連れた雛妓は木履を踏石に宛て鳴らして帰って行くのが見えた。わたくしのいる窓に声の届きそうな恰好の位置へ来ると、かの女は始めた。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは答える。
「お雛妓さんのかの子さーん」
そして嘗ての夜の通り、
「かの子さーん」
「かの子さーん」
こう呼び交うところまでに至ったとき、かの女の白い姿が月光の下に突き飛ばされ、女中の箱屋に罵られているのが聞えた。
「なにを、ぼやぼやしてるのよ、この子は。それ裾が引ずって、だらしがないじゃありませんか」
はっきり判らぬが、多分そんなことを言って罵ったらしく、雛妓は声はなくして、裾を高々と捲り上げ、腰から下は醜い姿となり、なおも、女中の箱屋に背中をせつかれせつかれして行く姿がやがて丈高い蓮の葉の葉群れの蔭で見えなくなった。
その事が気になってわたくしは一週間ほど経つと堪え切れず、また逸作にねだって蓮中庵へ連れて行って貰った。
「少しお雛妓マニヤにかかったね」
苦笑しながら逸作はそう言ったが、わたくしが近頃、歌も詠めずに鬱しているのを知ってるものだから、庇ってついて来て呉れた。
風もなく蒸暑い夜だった。わたくしたち二人と雛妓はオレンジエードをジョッキーで取り寄せたものを飲みながら頻りに扇風器に当った。逸作がまた、おまえのうちのお茶ひき連を聘んでやろうかというと、雛妓は今夜は暑くって踊るの嫌だからたくさんと言った。
わたくしが臆しながら、先夜の女中の箱屋がかの女に惨たらしくした顛末に就て遠廻しに訊ねかけると、雛妓は察して「あんなこと、しょっちゅうよ。その代り、こっちだって、ときどき絞ってやるから、負けちゃいないわ」
と言下にわたくしの懸念を解いた。
わたくしが安心もし、張合抜けもしたような様子を見て取り、雛妓は、ここが言出すによき機会か、ただしは未だしきかと、大きい袂の袖口を荒掴みにして尋常科の女生徒の運針の稽古のようなことをしながら考え廻らしていたらしいが、次にこれだけ言った。
「あんなことなんにも辛いことないけど──」
あとは謎にして俯向き、鼻を二つ三つ啜った。逸作はひょんな顔をした。
わたくしは、わたくしの気の弱い弱味に付け込まれて、何か小娘に罠を構えられたような嫌気もしたが、行きがかりの情勢で次を訊かないではいられなかった。
「他に何か辛いことあるの。言ってごらんなさいな。あたし聴いてあげますよ」
すると雛妓は殆ど生娘の様子に還り、もじもじしていたが、
「奥さんにお目にかかってから、また、いろいろな雑誌の口絵の花嫁や新家庭の写真を見たりしてあたし今に堅気のお嫁さんになり度くなったの。でも、こんなことしていて、真面目なお嫁さんになれるか知ら──それが」
言いさして、そこへ、がばと突き伏した。
逸作はわたしの顔をちらりと見て、ひょんな顔を深めた。
わたくしは、いくら相手が雛妓でも、まさか「そんなこともありません。よい相手を掴まえて落籍して貰えば立派なお嫁さんにもなれます」とは言い切れなかった。それで、ただ、
「そうねえ──」
とばかり考え込んでしまった。
すると、雛妓は、この相談を諦めてか、身体を擡げると、すーっと座敷を出た。逸作は腕組を解き、右の手の拳で額を叩きながら、「や、くさらせるぞ」と息を吐いてる暇に、洗面所で泣顔を直したらしく、今度入って来たときの雛妓は再びあでやかな顔になっていた。座につくとしおらしく畳に指をつかえ、「済みませんでした」と言った。直ぐそこにあった絵団扇を執って、けろりとして二人に風を送りにかかった。その様子はただ鞣された素直な家畜のようになっていた。
今度は、わたくしの方が堪らなくなった。いらっしゃいいらっしゃいと雛妓を膝元へ呼んで、背を撫でてやりながら、その希望のためには絶対に気落ちをしないこと、自暴自棄を起さないこと、諄々と言い聞かした末に言った。
「なにかのときには、また、相談に乗ってあげようね、決して心細く思わないように、ね」
そして、そのときであった。雛妓が早速あの小さい化粧鞄の中から豆手帳を取り出してわたくしの家の処書きを認めたのは。
その夜は、わたくしたちの方が先へ出た。いつも通り女中に混って敷台へ送りに出た雛妓とわたくしとの呼び交わす声には一層親身の響きが籠ったように手応えされた。
「奥さまのかの子さーん」
「お雛妓さんのかの子さーん」
「かの子さーん」
「かの子さーん」
わたくしたちは池畔の道を三枚橋通りへ出ようと歩いて行く。重い気が籠った闇夜である。歩きながら逸作は言った。
「あんなに話を深入りさしてもいいのかい」
わたくしは、多少後悔に噛まれながら「すみません」と言った。しかし、こう弁解はした。
「あたし、何だか、この頃、精神も肉体も変りかけているようで、する事、なす事、取り止めありませんの。しかし考えてみますのに、もしあたしたちに一人でも娘があったら、こんなにも他所の娘のことで心を痺らされるようなこともないと思いますが──」
逸作は「ふーむ」と、太い息をしたのち、感慨深く言った。「なる程、娘をな。」
以前に、こういう段階があるものだから、今もわたくしは、雛妓が氷水でも飲み終えたら、何か身の上ばなしか相談でも切り出すのかと、心待ちに待っていた。しかし雛妓にはそんな様子もなくて、頻りに家の中を見廻して、くくみ笑いをしながら、
「洒落てるけど、案外小っちゃなお家ね」
と言って、天井の板の柾目を仰いだり、裏小路に向く欄干に手をかけて、直ぐ向い側の小学校の夏季休暇で生徒のいない窓を眺めたりした。
わたくしの家はまだこの時分は雌伏時代に属していた。嘗て魔界の一ときを経歴したあと、芝の白金でも、今里でも、隠逸の形を取った崖下であるとか一樹の蔭であるとかいう位置の家を選んだ。洞窟を出た人が急に陽の目に当るときは眼を害する惧れから、手で額上を覆っているという心理に似たものがあった。今ここの青山南町の家は、もはや、心理の上にその余翳は除けたようなものの、まだ住いを華やがす気持にはならなかった。
それと逸作は、この数年来、わたくしを後援し出した伯母と称する遠縁の婦人と共々、諸事を詰めて、わたくしの為めに外遊費を準備して呉れつつあった。この外遊ということに就ては、わたくしが嘗て魔界の一ときの中に於て、食も絶え、親しむ人も絶え、望みも絶えながら、匍い出し盛りの息子一郎を遊ばし兼ねて、神気朦朧とした中に、謡うように言った。
「今に巴里へ行って、マロニエの花を見ましょうねえ。シャンゼリゼーで馬車に乗りましょうねえ」
それは自分でさえ何の意味か判らないほど切ないまぎれの譫言のようなものであった。頑是ない息子は、それでも「あい、──あい」と聴いていた。
この話を後に聴いて、逸作は後悔の念と共に深く心に決したものがあるようであった。「おまえと息子には屹度、巴里を見せてやるぞ」と言った。恩怨の事柄は必ず報ゆる町奴風の昔気質の逸作が、こう思い立った以上、いつかそれが執り行われることは明かである。だが、すべてが一家三人珠数繋りでなければ何事にも興味が持てなくなっているわたくしたちの家の海外移動の準備は、金の事だけでも生やさしいものではなかった。それを逸作は油断なく而も事も無げに取計いつつあった。
「いつ行かれるか判らないけれど、ともかくそのための侘住居よ」
わたくしは雛妓に訳をざっと説明してから家の中を見廻して、「ですからここは借家よ」と言った。
すると雛妓は、
「あたしも、洋行に一緒に行き度い。ぜひよ。ねえ、奥さん。先生に頼んでよ」
と、両手でわたくしの袂を取って、懸命に左右へ振った。
この雛妓は、この前は真面目な嫁になって身の振り方をつけ度いことを望み、きょうはわたくしたちと一緒に外遊を望む。言うことが移り気で、その場限りの出来心に過ぎなく思えた。やっぱりお雛妓はお雛妓だけのものだ。もはや取るに足らない気がして、わたくしはただ笑っていた。しかし、こうして、一先ず関心を打切って、離れた目で眺める雛妓は、眼もあやに美しいものであった。
備後表の青畳の上である。水色ちりめんのごりごりした地へもって来て、中身の肉体を圧倒するほど沢瀉とかんぜ水が墨と代赭の二色で屈強に描かれている。そしてよく見ると、それ等の模様は描くというよりは、大小無数の疋田の鹿の子絞りで埋めてあるだけに、疋田の粒と粒とは、配し合い消し合い、衝ち合って、量感のヴァイヴレーションを起している。この夏の水草と、渦巻く流れとを自然以上に生々としたものに盛り上らせている。
あだかも、その空に飛ぶように見せて、銀地に墨くろぐろと四五ひきの蜻蛉が帯の模様によって所を得させられている。
滝の姿は見えねど、滝壺の裾の流れの一筋として白絹の帯上げの結び目は、水沫の如く奔騰して、そのみなかみの鞺々の音を忍ばせ、そこに大小三つほどの水玉模様が撥ねて、物憎さを感ぜしむるほど気の利いた図案である。
こうは見て来るものの、しかし、この衣裳に覆われた雛妓の中身も決して衣裳に負けているものではなかった。わたくしは襟元から顔を見上げて行く。
永遠に人目に触れずしてかつ降り、かつ消えてはまた降り積む、あの北地の奥のしら雪のように、その白さには、その果敢なさの為めに却って弛めようもない究極の勁い張りがあった。つまんだ程の顎尖から、丸い顔の半へかけて、人をたばかって、人は寧ろそのたばかられることを歓ぶような、上質の蠱惑の影が控目にさし覗いている。澄していても何となく微笑の俤があるのは、豊かだがういういしい朱の唇が、やや上弦の月に傾いているせいでもあろうか。それは微笑であるが、しかし、微笑以前の微笑である。
鼻稜はやや顔面全体に対して負けていた。けれどもかかる小娘が今更に、女だてら、あの胸悪い権力や精力をこの人間の中心の目標物に於て象徴せずとも世は過ごして行けそうに思われる。雛妓のそれは愛くるしく親しみ深いものに見えた。
眼よ。西欧の詩人はこれを形容して星という。東亜の詩人は青蓮に譬える。一々の諱は汝の附くるに任せる。希くばその実を逸脱せざらんことを。わたくしの観る如くば、それは真夏の際の湖水である。二つが一々主峯の影を濃くひたして空もろ共に凝っている。けれども秋のように冷かではない。見よ、眄視、流目の間に艶やかな煙霞の気が長い睫毛を連ねて人に匂いかかることを。
眉へ来て、わたくしは、はたと息詰まる気がする。それは左右から迫り過ぎていて、その上、型を当てて描いたもののように濃く整い過ぎている。何となく薄命を想わせる眉であった。額も美しいが狭まっていた。
きょうは、髪の前をちょっとカールして、水髪のように捌いた洋髪に結っていた。
心なしか、わたくしが、父の通夜明けの春の宵に不忍の蓮中庵ではじめて会った雛妓かの子とは、殆ど見違えるほど身体にしなやかな肉の力が盛り上り、年頃近い本然の艶めきが、坐っているだけの物腰にも紛飾を透けて浸潤んでいる。わたくしは思う、これは商売女のいろ気ではない。雛妓はわたくしに会ってから、ふとした弾みで女の歎きを覚え、生の憂愁を味い出したのではあるまいか。女は憂いを持つことによってのみ真のいろ気が出る。雛妓はいま将に生娘の情に還りつつあるのではあるまいか。わたくしは、と見こう見して、ときどきは、その美しさに四辺を忘れ、青畳ごと、雛妓とわたくしはいつの時世いずくの果とも知らず、たった二人きりで揺蕩と漂い歩く気持をさせられていた。
雛妓ははじめ商売女の得意とも義務ともつかない、しらばくれた態度で姿かたちをわたくしの見検めるままに曝していたが、夏のたそがれ前の斜陽が小学校の板壁に当って、その屈折した光線が、この世のものならずフォーカスされて窓より入り、微妙な明るさに部屋中を充たした頃から、雛妓は何となく夢幻の浸蝕を感じたらしく、態度にもだんだん鯱張った意識を抜いて来て、持って生れた女の便りなさを現して来た。眼はうつろに斜め上方を見ながら謡うような小声で呟き出した。
「奥さまのかの子さーん」
わたくしは不思議とこれを唐突な呼声とも思わず、木霊のように答えた。
「お雛妓さんのかの子さーん」
二三度、呼び交わしたのち、雛妓とわたくしはだんだん声を幽めて行った。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
そして、その声がわたくしの嘗て触れられなかった心の一本の線を震わすと、わたくしは思わず雛妓の両手を執った。雛妓も同じこころらしく執られた両手を固く握り返した。手を執り合ったまま、雛妓もわたくしも今は惜しむところなく涙を流した。
「かの子さーん」
「かの子さーん」
涙を拭い終って、息をたっぷり吐いてからわたくしは懐かし気に訊いた。
「あんたのお父さんはどうしてるの。お母さんはどうしているの。そしてきょうだいは」
すると雛妓は、胸を前へくたりと折って、袖をまさぐりながら、
「奥さま、それをどうぞ訊かないでね。どうせお雛妓なんかは、なったときから孤児なんですもの──」
わたくしは、この答えが殆ど逸作の若いときのそれと同じものであることに思い当り、うたた悵然とするだけであった。そしてどうしてわたくしには、こう孤独な寂しい人間ばかりが牽かれて来るのかと、おのれの変な魅力が呪わしくさえなった。
「いいですいいです。これからは、何でもあたしが教えたり便りになってあげますから、このうちもあんたの花嫁学校のようなつもりで暇ができたら、いつでもいらっしゃいよ」
すると雛妓は言った。
「あたくしね、正直のところは、死んでもいいから奥さまとご一緒に暮したいと思いますのよ」
わたくしは、今はこの雛妓がまことの娘のように思われて来た。わたくしはそれに対して、わたくしの実家の系譜によるわたくしの名前の由来を語り、それによればお互の名前には女丈夫の筋があることを話して力を籠めて言った。
「心を強くしてね。きっとわたくしたちは望み通りになれますよ」
日が陰って、そよ風が立って来た。隣の画室で逸作が昼寝から覚めた声が聞える。
「おい、一郎、起きろ。夕方になったぞ」
父の副室を居間にして、そこで昼寝していた一郎も起き上ったらしい。
二人は襖を開けて出て来て、雛妓を見て、好奇の眼を瞠った。雛妓は丁寧に挨拶した。
逸作が「いい人でも出来たので、その首尾を奥さんに頼みに来たのかい」なぞと揶揄っている間に、無遠慮に雛妓の身の周りを眺め歩いた一郎は、抛り出すように言った。
「けっ、こいつ、おかあさんを横に潰したような膨れた顔をしてやがら」
すると雛妓は、
「はい、はい、膨れた顔でもなんでもようございます。いまにお母さんにお願いして、坊っちゃんのお嫁さんにして頂くんですから」
この挨拶には流石に堅気の家の少年は一堪りもなく捻られ、少し顔を赭らめて、
「なんでい、こいつ──」
と言っただけで、あとはもじもじするだけになった。
雛妓は、それから長袖を帯の前に挟み、老婢に手伝って金盥の水や手拭を運んで来て、二階の架け出しの縁側で逸作と息子が顔を洗う間をまめまめしく世話を焼いた。それは再び商売女の雛妓に還ったように見えたけれども、わたくしは最早やかの女の心底を疑うようなことはしなかった。
暗くならないまえ、雛妓は、これから帰って急いでお風呂に行き、お夜食を済してお座敷のかかるのを待つのだと告げたので、逸作はなにがしかの祝儀包を与え、車を呼んで乗せてやった。
わたくしたちは、それから息子の部屋へデッサンの描きさしを見に行った。モデルに石膏の彫像を据えて息子は研究所の夏休みの間、自宅で美術学校の受験準備の実技の練習を継続しているのであった。電灯を捻ねって、
「ここのところは形が違ってら、こう直せよ」
逸作が消しパンで無雑作に画の線を消しにかかると、息子はその手に取り付いて、
「あ、あ、だめだよ、だめだよ、お父さんみたいにそう無闇に消しちゃ」
消させぬと言う、消すと言う。肉親の教師と生徒の間に他愛もない腕づくの教育が始まる。
わたくしはこれを世にも美しいものと眺めた。
それから、十日経っても二十日経っても雛妓は来ない。わたくしは雛妓が、商売女に相応しからぬ考えを起したのを抱え主に見破られでもして、わたくしの家との間を塞がれてでもいるのではないかと心配し始めた。わたくしは逸作に訴えるように言った。
「結局、あの娘を、ああいう社会へは永く置いとけませんね」
「というと」と逸作は問い返したが、すぐ彼のカンを働かして、
「思い切って、うちで落籍でもしちまおうと言うのか」
それから眼瞼を二つ三つうち合わして分別を纏めていたが、
「よかろう。俺がおまえに娘を一人生ませなかった詫だと思えば何んでもない。仕儀によったらそれをやろう」
逸作は、こういう桁外れの企てには興味さえ湧かす男であった。「外遊を一年も延ばしたらその位の金は生み出せる」
二人の腹はそう決めて、わたくしたちは蓮中庵へ行ってもう一度雛妓に会ってみることにした。そのまえ、念の為めかの女が教えて置いた抱え主の芸妓家へ電話をかけてみる用意を怠らなかった。すると、雛妓は病気だといって実家へ帰ったという。その実家を訊きただして手紙を出してみると、移転先不明の附箋が附いて返って来た。
しかし、わたくしは決して想いを絶たなかった。あれほど契った娘には、いつかどこかで必ず廻り合える気がして仕方がないのであった。わたくしは、その想いの糸を片手に持ちながら、父の死以来、わたくしの肩の荷にかかっている大役を如何なる方図によって進めるかの問題に頭を費していた。
若さと家霊の表現。この問題をわたくしはチュウインガムのように心の歯で噛み挟み、ぎちゃぎちゃ毎日噛み進めて行った。
わたくしを後援する伯母と呼ぶ遠縁の婦人は、歌も詠まないわたくしの一年以上の無為な歳月を、もどかしくも亦、解せなかった。これは早く外遊さして刺戟するに如かないと考えた。伯母は、取って置きの財資を貢ぎ出して、追い立てるようにわたくしの一家を海外に送ることにした。この事が新聞に発表された。
いくつかの送別の手紙の中に、見知らぬ女名前の手紙があった。展くと稚拙な文字でこう書いてあった。
奥さま。かの子は、もうかの子でなくなっています。違った名前の平凡な一本の芸妓になっています。今度、奥さまが晴れの洋行をなさるに就き、奥さまのあのときのお情けに対してわたくしは何をお礼にお餞別しようかと考えました。わたくしは、泣く泣くお雛妓のときのあの懐かしい名前を奥さまにお返し申し、それとお情けを受けた歳の十六の若さを奥さまに差上げて、幾久しく奥さまのお若くてお仕事遊ばすようお祈りいたします。ただ一つ永久のお訣れに、わたくしがあのとき呼び得なかった心からのお願いを今、呼ばして頂き度うございます。それでは呼ばせて頂きます。
おかあさま、おかあさま
むかしお雛妓の
かの子より
奥さまのかの子さまへ
わたくしは、これを読んで涙を流しながら、何か怒りに堪えないものがあった。わたくしは胸の中で叫んだ。「意気地なしの小娘。よし、おまえの若さは貰った。わたしはこれを使って、ついにおまえをわたしの娘にし得なかった人生の何物かに向って闘いを挑むだろう。おまえは分限に応じて平凡に生きよ」
わたくしはまた、いよいよ決心して歌よりも小説のスケールによって家霊を表現することを逸作に表白した。
逸作はしばらく考えていたが、
「誰だか言ったよ。日本橋の真ん中で、裸で大の字になる覚悟がなけりゃ小説は書けないと。おまえ、それでもいいか」
わたくしは、ぶるぶる震えながら、逸作に凭れて言った。
「そのとき、パパさえ傍にいて呉れれば」
逸作はわたくしの手を固く握り締めた。
「俺はいてやる。よし、やれ」
傍にこれを聴いていた息子は、
「こりゃ凄えぞ」
と囃した。
底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第五卷」冬樹社
1974(昭和49)年12月10日初版第1刷発行
初出:「日本評論」
1939(昭和14)年5月号
※「お雛妓」と「雛妓」の混在は、底本通りです。
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2001年4月3日公開
2013年10月1日修正
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