河明り
岡本かの子
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私が、いま書き続けている物語の中の主要人物の娘の性格に、何か物足りないものがあるので、これはいっそのこと環境を移して、雰囲気でも変えたらと思いつくと、大川の満ち干の潮がひたひたと窓近く感じられる河沿いの家を、私の心は頻りに望んで来るのであった。自分から快適の予想をして行くような場所なら、却ってそこで惰けて仕舞いそうな危険は充分ある。しかし、私はこの望みに従うより仕方がなかった。
人間に交っていると、うつらうつらまだ立ち初めもせぬ野山の霞を想い、山河に引き添っているとき、激しくありとしもない人が想われる。
この妙な私の性分に従えば、心の一隅の危険な望みを許すことによって、自然の観照の中からひょっとしたら、物語の中の物足らぬ娘の性格を見出す新な情熱が生れて来るかも知れない──その河沿いの家で──私は今、山河に添うと云ったが、私は殊にもこの頃は水を憶っているのであった。私は差しあたりどうしても水のほとりに行き度いのであった。
東京の東寄りを流れる水流の両国橋辺りから上を隅田川と云い、それから下を大川と云っている。この水流に架かる十筋の橋々を縫うように渡り検めて、私は流の上下の河岸を万遍なく探してみた。料亭など借りるのは出来過ぎているし、寮は人を介して頼み込むのが大仰だし、その他に頃合いの家を探すのであるが、とかく女の身は不自由である。私は、今度は大川から引き水の堀割りを探してみた。
白木屋横手から、まず永代橋詰まで行くつもりで、その道筋の二つ目の橋を渡る手前にさしかかると、左の河並に横町がある。私有道路らしく道幅を狭めて貨物を横たえているが、陸側は住居附きの蔵構えの問屋店が並び、河岸側は荷揚げ小屋の間にしんかんとした洋館が、まばらに挟っている。初冬に入って間もないあたたかい日で、照るともなく照る底明るい光線のためかも知れない、この一劃だけ都会の麻痺が除かれていて、しかもその冴え方は生々しくはなかった。私はその横道へ入って行った。
河岸側の洋館はたいがい事務所の看板が懸けてあった。その中の一つの琺瑯質の壁に蔦の蔓が張り付いている三階建の、多少住み古した跡はあるが、間に合せ建ではないそのポーチに小さく貸間ありと紙札が貼ってあった。ポーチから奥へ抜けている少し勾配のある通路の突き当りに水も覗いていた。私はよくも見つけ当てたというよりは、何だか当然のような気がした。望みというものは、意固地になって詰め寄りさえしなければ、現実はいつか応じて来るものだ。私が水辺に家を探し始めてから二ヶ月半かかっている。
二三度「ご免下さい」と云ったが、返事がない。取り付きの角の室を硝子窓から覗くと、薄暗い中に卓子のまわりへ椅子が逆にして引掛けてあり、塵もかなり溜っている様子である。私は道を距てて陸側の庫造りの店の前に働いている店員に、理由を話して訊ねて見た。するとその店員は家の中へ向って伸び上り、「お嬢さーん」と大きな声で呼んだ。
九曜星の紋のある中仕切りの暖簾を分けて、袂を口角に当てて、出て来た娘を私はあまりの美しさにまじまじと見詰めてしまった。頬の豊かな面長の顔で、それに相応しい目鼻立ちは捌けてついているが、いずれもしたたかに露を帯びていた。身丈も格幅のよい長身だが滞なく撓った。一たい女が美しい女を眼の前に置き、すぐにそうじろじろ見詰められるものではない。けれども、この娘には女と女と出会って、すぐ探り合うあの鉤針のような何ものもない。そして、私を気易くしたのは、この娘が自分で自分の美しさを意識して所作する二重なものを持たないらしい気配いである。そのことは一目で女には判る。
娘は何か物を喰べかけていたらしく、片袖の裏で口の中のものを仕末して、自分の忍び笑いで、自然に私からも笑顔を誘い出しながら
「失礼いたしました。あの何かご用──」
そして私がちょっと河岸の洋館の方へ首を振り向けてから用向きを話そうとする、その間に私の洋傘を持ち仕事鞄を提げている、いくらか旅仕度にも取れる様子を見て取ったらしい娘は
「あ、判りました。部屋をお見せいたすのでしょう」といったが「けれども……あんな部屋」とまた云って私と向う側の貸間札のかかっている部屋の硝子扉を見較べた。私はやや失望したが、この娘に対して少しも僻んだり気おくれはしない「……あのとにかく見せて頂けないでしょうか」すると娘はまたはっきりした笑顔になり
「では、とにかく、」と云ってそこにある麻裏草履を突かけて、先に立った。
三階は後で判ったことだがこの雑貨貿易商である娘の店の若い店員たちの寝泊りにあててあり、二階の二室と地階の奥の一つ、これも貸部屋では無かった。たった一つ空いているといい、私に貸すことの出来るという部屋は、さっき私が覗いた道路向きの事務室であった。
私が本意なく思って、「書きもののための計画」のことを少し話してみると、娘はちょっと考えていたが
「よろしゅうございます。じゃ、こちらの部屋をお貸しいたしましょう」と更めて決心でもした様子でそれと背中合せの、さっき塞っているといった奥の河沿いの部屋へ連れて行った。
その部屋は日本座敷に作ってあって、長押附きのかなり凝った造作だった。「もとは父の住む部屋に作ったのでございます」と娘はいった。貸部屋をする位いなら、あんな事務室だけを択って貸さずにこの位の部屋の空いているのを何故貸さないのかと私はあとでその事情は判ったけれどその時は何も知らないので不審に思った。
ともかく私は娘の厚意を嬉んでそして
「では明日からでも、拝借いたします。」
そう云って、娘に送られて表へ出た。私はその娘の身なりは別に普通の年頃の娘と違っていないが、じかに身につけているものに、茶絹で慥らえて、手首まで覆っている肌襯衣のようなものだの、脛にぴっちりついている裾裏と共色の股引を穿いているのを異様に思った。私がそれ等に気がついたと見て取ると、娘は、
「変って居りまして。なにしろ男の中に立ち混って働くのですから、ちと武装しておりませんとね。」
といって、軽く会釈して、さっさと店の方へ戻っていった。
あくる日に行ってみると、私に決めた部屋はすっかり片付いていて、丸窓の下に堆朱の机と、その横に花梨胴の小長火鉢まで据えられていた。
そこへ娘は前の日と同じ服装で、果もの鉢と水差しを持って入って来た。
「どういうご趣味でいらっしゃるか判りませんので、普通のことにして置きましたが、もし、お好きなら古い書画のようなものも少しはございますし……」
そこで果物鉢を差出して
「こういうふうなものなら家の商品でまだ沢山ございますからご遠慮なく仰って下さいまし」
果物鉢は南洋風の焼物だし中には皮が濡色をしている南洋生の竜眼肉が入っていた。
私はその鉢や竜眼肉を見てふと気付いて、
「お店は南洋の方の貿易関係でもなすっていらっしゃるのですか」と訊いた。
「はあ、店そのものの商売は、直接ではございませんが、道楽と申しましょうか、船を一ぱい持って居りまして、それが近年、あちらの方へ往き来いたしますので……」
娘の父の老主人はリョウマチで身体の不自由なことでもあり、気も弱くなって、なるたけ事業を縮小したがっている。しかし、店のものの一人に、強情に貿易のことを主張する男がいる。その男は始終船に乗って海上に勤め、そして娘は店で老主人の代りに、手別けして働いている。娘は簡潔に家の事情をここまで話した。そして、その船貿易を主張する店のもののことに就いて、なおこう云って私の意見を訊いた。
「その男の水の上の好きなことと申しましたら、まるで海亀か獺のような男でございます。陸へ上って一日もするともう頭が痛くなると申すのでございます。あなたさまは物をお書きになって、いろいろお調べでございましょうが、そんな性質の人間もあるのでございましょうか」
と云ったが、すぐ気を変えて、「まあ、お仕事始めのお邪魔をいたしまして、またいずれお暇のとき、ゆっくりお話を承りとうございますわ」と、火鉢の火の灰を払って炭をつぎ、鉄瓶へ水を注し足してから、爽やかな足取りで出て行った。
爛漫と咲き溢れている花の華麗。
竹を割った中身があまりに洞すぎる寂しさ。
こんな二つの矛盾を、一人の娘が備えていることが、私の気になって来たし、この娘の快活の中に心がかりであるらしいその店員との関係も、考えられた。
私は何だか来てしまって見ると、期待したほどの慾も起らない河面の景色を、それでも好奇心で障子を開けてみた。硝子戸を越して、荷船が一ぱい入って向うの岸は見えない。その歩び板の上に、さき程の娘は、もう水揚げ帳を持って、万年筆の先で荷夫たちを指揮している姿が眺められた。
私は毎日河沿いの部屋へ通った。叔母と一緒に昼飯を済ませ、ざっと家の中を片付けて、女中に留守中の用事を云いつけてから出かけた。化粧や着物はたいして手数がかからなかった。見られる同性というならば、あの娘ぐらいなもので、その娘は他人に対するそういう詮索には全然注意力を持たないらしかった。それは私を気易くさせた。
この宿の堆朱の机の前に座って、片手を小長火鉢の紫檀の縁に翳しながら、晩秋から冬に入りかける河面を丸窓から眺めて、私は大かた半日同じ姿勢で為すことなく暮した。
河は私の思ったほど、静かなものではなかった。始終船が往き来した。殊に夕暮前は泊りの場所へ急ぐ船で河は行き詰った。片手に水竿を控え、彼方此方に佇んで当惑する船夫の姿は、河面に蓋をした広い一面板に撒き散した箱庭の人形のように見えた。船夫たちは口々に何やら判らない言葉で怒鳴った。舷で米を炊いでいる女も、首を挙げて怒鳴った。水上警察の巡邏船が来て整理をつけた。
娘は滅多に来ないで、小女のやまというのが私の部屋の用を足した。私はその小女から、帆柱を横たえた和船型の大きな船を五大力ということだの、木履のように膨れて黒いのは達磨ぶねということだの、伝馬船と荷足り船の区別をも教えて貰った。
しかし、そんな智識が私の現在の目的に何の関りがあろう。私が書いている物語の娘に附与したい性格を囁いて呉れそうな一光閃も、一陰翳もこの河面からは射して来ない。却ってだんだん川にも陸の上と同じような事務生活の延長したものが見出されて来る。私がこういう部屋を望んだ動機がそもそも夢だったのだろうか。
すでにこの河面に嫌厭たるものを萌しているその上に、私はとかく後に心を牽れた。何という不思議なこの家の娘であろう。この娘にも一光閃も、一陰翳もない。ただ寂しいと云えばあまりに爛漫として美しく咲き乱れ、そして、ぴしぴし働いている。それがどういう目的のために何の情熱からということもなく快闊そのものが働くことを藉りて、時間と空間を鋏み刻んで行くとしか思えない。内にも外にも虚白なものの感じられるのを、却って同じ女としての私が無関心でいられる筈がなかった。
娘はその後、二度程私の部屋に来た。一度は「ほんとに気がつきませんで……」といって、三面鏡の化粧台を店員たちに運ばせて、程よい光線の窓際に据えて行った。一度は漢和の字引をお持ちでしたらと借りに来て、私がここまでは持って来ないのを知り、「お邪魔いたしましたわ」といってあっさり去った。
私がまだ意識の底に残している、娘と何等かの関係ありそうな海好きの店員のことも、娘は忘れたかのように、すこしの消息も伝えない。私の多少当が外れた気持ちが、私がこの家へ出入のときに眼に映る店先での娘の姿や、窓越しに見る艀板の上の娘の姿にだんだん凝って行くのであった。私の仕事鞄は徒に開かれて閉されるばかりである。
私はだいぶ慣れて来た小女のやまに訊いてみた。
「お嬢さんはどういう方」
するとやまは難かしい試験の問題のようにしばらく考えて、
「さあ、どういう方と申しまして……あれきりの方でございましょう」
私はこのませた返事に微笑した。
「この近所では亀島河岸のモダン乙姫と申しております」
私の微笑は深まった。
「他所へお出になることがあって」
「滅多に、でも、お買ものの時や、お店のお交際いには時たまお出かけになります」
「お店のお交際いというと……」
私は娘の活動範囲が、そこまで圏を拡げているのに驚ろいた。
「よくは存じませんですが、組合のご相談だの、宴会だの。きょうも船の新造卸しのお昼のご宴会に深川までお出かけになりましたが……」
その夕方帰り仕度をしている私の部屋の前で、娘の声がした。
「まだお在でになりまして」
盛装して一流の芸者とも見える娘。娘に「ちょっと入って頂戴」と云われて、そのあとから若い芸妓が二人とお雛妓が一人現れた。
部屋の主は私女一人なのに、外来の女たちはちょっと戸惑ったようだが、娘が紹介すると堅苦しく挨拶して、私が差出した小長火鉢にも手を翳さず、娘から少し退って神妙に座った。いずれもかなりの器量だが、娘の素晴らしい器量のために皺められて見えた。
娘は私には「この人たち宴会場から送って来て呉れたのですけれど、筆をお執りになる方には何かのご経験と思いついて、ちょっとお部屋へ上って貰いましたの」といった。
少しの間、窮屈な空気が漂っていたが、娘は何も感じないらしく、「みなさん、こちらに面白そうなことを少し話してあげて下さい」というにつれ、私も、「どうぞ」と寛いだ様子を出来るだけ示したので、女たちは、「じゃ、まず、一ぷくさせて頂いて……」と袂からキルク口の莨を出して、煙を内端に吹きながら話した。
今までいた宴会の趣旨の船の新造卸しから連想するためか、水の上の人々が酒楼に上ったときの話が多かった。
船に乗りつけている人々はどんなに気取っても歩きつきで判るのである。畳の上ではそれほどでもないが、廊下のような板敷きへかかると船の傾きを踏み試めすような蛙股の癖が出て、踏み締め、踏み締め、身体の平定を衡って行くからである。一座の中でひどく酔った連れの一人が洗面所へ行ったが、その帰りに料亭の複雑な部屋のどこかへ紛れ込んで、探しても判らなかった。すると他の連中は、その連れの一人が乗組んでいる船の名を声を揃えて呼んだ。
「福神丸やーイ」
すると、「おーい」と返事があって、紛れた客があらぬ方からひょっこり現れた。
ある一軒の料亭で船乗りの宴会があった。少し酔って来るとみな料理が不味いと云い出した。苦笑した料理方が、次から出す料理には椀にも焼ものにも塩一つまみずつ投げ入れて出した。すると客はだいぶ美味しくなったといった。それほど船乗りの舌は鹹味に強くなっている。
きょうはいい塩梅に船もそう混まないで、引潮の岸の河底が干潟になり、それに映って日暮れ近い穏かな初冬の陽が静かに褪めかけている。鴎が来て漁っている。向う岸は倉庫と倉庫の間の空地に、紅殻色で塗った柵の中に小さい稲荷と鳥居が見え、子供が石蹴りしている。
さすがに話術を鍛えた近頃の下町の芸妓の話は、巧まずして面白かったが、自分の差当りの作品への焦慮からこんな話を喜んで聞いているほど、作家の心から遊離していいものかどうか、私の興味は臆しながら、牽き入れられて行った。
ふと年少らしい芸妓が、部屋の上下周囲を見廻しながら
「このお部屋、大旦那が母屋へお越しになってから、暫らく木ノさんがいらしったんでしょう……」と云った。
娘は黙ってごく普通に肯いて見せた。
「木ノさんからお便りありまして……」と同じ芸者はまた娘に訊いた。
「ええ、しょっちゅう」と娘はまた普通に答えて、次にこの芸妓の口から出す言葉をほぼ予測したらしく、面白そうに嬌然と笑ってこんどは娘の方から芸妓の言葉を待受けた。芸妓は果して
「あら、ご馳走さま、妬けますわ」と燥いでいった。
「ところが、事務のことばかりの手紙で」
芸妓はこの娘が隠し立てしたり、人を逸らかしたりする性分ではないのを信じているらしく、それを訊くと同時に、
「やっぱり──」と云って興醒め顔に口を噤んだ。
「そう申しちゃ何ですけれど、あたしはお嬢さんがあんまり伎倆がなさ過ぎると思いますわ」
と今度は年長の芸妓が云った。「これだけのご器量をお持ちになりながら……」
娘は始めて当惑の様子を姿態に見せた。
「あたしは、随分、あの人の気性に合うよう努めているんだけれど……なによ、その伎倆っていうの」
年長の芸妓は物事の真面目な相談に与るように、私が押し出してやってある長火鉢に分別らしく、手を焙りながら、でもその時急に私の方を顧慮する様子をして
「ですが、こちらさんにこんなお話お聞かせして好いんですか」
「ええ、ええ」
娘の悪びれないその返事が如何にも私に対する信頼と親しみの響きとして私にひびいた。先程からの仕事への焦慮もすっかり和んで、むしろ私はその場の話を進行させる為めにことさら自らの態度を寛がせさえするのであった。年長の芸妓は安心したように元の様子に戻って
「ま、譬えて云ってみれば、拗ねてみたり、気を持たせてみたり」
娘は声を立てて笑った。「そのくらいのことなら、前に随分あたしだって……」
私はこの娘に今まで見落していたものを見出して来たような気がした。芸妓は手持無沙汰になって、
「そうでございますかねえ、じゃ、ま、抓っても見たり……」と冗談にして、自分を救ったが、誰も笑わなかった。
すると若い芸妓の方がまた
「だめ、だめ、そんな普通な手じゃ。あたしいつか、こちらさまの大旦那の還暦のご祝儀がございましたわね。あのお手伝いに伺いましたとき」といって言葉を切り、そしていい継いだ。「酔った振りして、木ノさんの膝に靠れかかってやりました。いろ気は微塵もありません。お嬢さんにゃあ済まないけど、お嬢さんの為めとも思って、お嬢さんほどの女をじらしぬくあの評判の女嫌いの磐石板をどうかして一ぺん試してやりたいと思いましたから。すると、あの磐石板はわたしの手をそっと執ったから、ははあ、この男、女に向けて挨拶ぐらいは心得てると、腹の中で感心してますと、どうでしょう、それはわたしが本当に酔ってるか酔ってないか脉を見たのですわ。それから手首を離して、そこにあった盃を執り上げると、ちょろりとあたしの鼻の先へ雫を一つ垂らして、ここのところのペンキが剥げてら、船渠へ行って塗り直して来いと云うんです。あたしは口惜しいの何のって、……でもね、そうしたあとで、あの人を見ても、別に意地の悪い様子もなく、ただ月の出を眺めてるようにぼんやりお酒を飲んでいる調子は、誰だって怒る気なんかなくなっちまいますわ。あたしは、つい、有難うございますとお叩頭して指図通り、顔を直しに行っただけですけれど、全く」と年下の芸妓は力を籠めた。
「全く、お嬢さんでなくても、木ノさんには匙を投げます」と云った。
新造卸しの引出物の折菓子を与えられて、唇の紅を乱して食べていた雛妓が、座を取持ち顔に、「愛嬌喚き」をした。
「結婚しちまえ!」
これに対しても娘は真面目に答えた。
「厄介なのは、そんなことじゃないんだよ」「そもそも、お嬢さんに伺いますが、あんたあの方に、どのくらい惚れていらっしゃるんです。まあ、お許婚だから、惚れるの惚れないのという係り筋は通り越していらっしゃるんでしょうけれど」
すると娘は、俄に、ふだん私が見慣れて来た爛漫とした花に咲き戻って、朗に笑った。
「この話は、まあ、この程度にして……こちらさまも一つ話ではお飽きでしょうから」
「そうでございましたわね」と芸妓たちも気がついて云った。
私は帰る時機と思って、挨拶した。
河靄が立ち籠めてきた河岸通りの店々が、早く表戸を降している通りへ私は出た。
三四日、私は河沿いの部屋へ通うことを休んで見た。折角自然から感得したいと思うものを、娘やそのほか妙なことからの影響で、妨げられるのが、何か不服に思えて来たからである。いっそ旅に出ようか、普通通りすがりの旅客として水辺の旅館に滞在するならば、なんの絆も出来るわけはない。明け暮れただ河面を眺め乍ら、張り亘った意識の中から知らず知らず磨き出されて来る作家本能の触角で、私の物語の娘に書き加える性格をゆくりなく捕捉できるかも知れない。私のこの最初の方図は障碍に遭って、ますますはっきり私に慾望化して来た。
ふと、過去に泊って忘れていたそれ等の宿の情景が燻るように思い出されて来る。
鱧を焼く匂いの末に中の島公園の小松林が見渡せる大阪天満川の宿、橋を渡る下駄の音に混って、夜も昼も潺湲の音を絶やさぬ京都四條河原の宿、水も砂も船も一いろの紅硝子のように斜陽のいろに透き通る明るい夕暮に釣人が鯊魚を釣っている広島太田川の宿。
水天髣髴の間に毛筋ほどの長堤を横たえ、その上に、家五六軒だけしか対岸に見せない利根川の佐原の宿、干瓢を干すその晒した色と、その晒した匂いとが、寂しい眠りを誘う宇都宮の田川の宿──その他川の名は忘れても川の性格ばかりは、意識に織り込まれているものが次々と思い泛べられて来た。何処でも町のあるところには必ず川が通っていた。そして、その水煙と水光とが微妙に節奏する刹那に明確な現実的人間性が劃出されて来るのが、私に今まで度々の実例があった。東洋人の、幾多古人の芸術家が「身を賭けて白雲に駕し、」とか、「幻に住さん」などということを希っている。必ずしも自然を需めるのではあるまい。より以上の人間性をと、つき詰めて行くのでもあろう。「青山愛執の色に塗られ、」「緑水、非怨の糸を永く曳く」などという古人の詩を見ても人間現象の姿を、むしろ現象界で確捕出来ず所詮、自然悠久の姿に於て見ようとする激しい意慾の果の作略を証拠立てている。
だが、私は待て、と自分に云って考える。それ等の宿々の情景はみな偶然に行きつき泊って、感得したものばかりである。今、再びそれを捉えようとして、予定して行って見ても、恐らくその情景はもうそこにはいまい。ただの河、ただの水の流れになって、私の希望を嘲笑うであろう。思出ばかりがそれらの俤を止めているものであろう。観念が思想に悪いように、予定は芸術に悪い。まして計画設備は生むことに何の力もない。それは恋愛によく似ている。では……私はどうしたらいいであろうと途方にくれるのであった。だが、私は創作上こういう取り止めない状態に陥ることには、慣れてもいた。強いて焦せっても仕方がない、その状態に堪えていて苦しい経験の末に教えられたことも度々ある。そうあきらめて私は叔母と共に住む家庭の日常生活を普通に送り乍ら、その間に旅行案内や地図を漁ることも怠らなかった。また四五日休みは続いた。
すると娘から電話がかかって来た。
「その後いらっしゃらないので、この間芸者達とお邪魔したのが悪かったかと思ったりして居りますが……」
声は相変らず闊達だが、気持ちはこまかく行亘って響いて来た。
「何も怒ることなぞ、ありませんわ。お休みしたのはちょっと仕事の都合で」
と答えた。
「いかがでございましょう。父がこのごろ天気続きの為めか、身体がだいぶよろしゅうございますので、お茶一つ差上げたいと申しますが、明日あたりお昼飯あがり傍々、いらして頂けないでございましょうか、お相客はどなたもございません。私だけがお相伴さして頂きます」
私はまたしても、河沿いの家の人事に絡み込まれるのを危く感じたが、それよりも、いまの取り止めない状態に於て、過剰になった心にああいう下町の閉された蔵造りの中の生活内部を覗くことに興味が弾んだ。私は招待に応じた。
東京下町の蔵住いの中に、こんな異境の感じのする世界があろうとは思いかけなかった。
四畳半の茶室だが、床柱は椰子材の磨いたものだし、床縁や炉縁も熱帯材らしいものが使ってあった。
匍い上りから外は、型ばかりだが、それでも庭になっていて、竜舌蘭だの、その他熱帯植物が使われていた。土人が銭に使うという中央に穴のある石が筑波井風に置いてあった。
庭も茶室もまだこの異趣の材料を使いこなせないところがあって、鄙俗の調子を帯びていた。
袴をつけた老主人が現れて
「手料理で、何か工夫したものを差上ぐべきですが、何しろ、手前の体がこのようでは、ろくに指図も出来ません。それで失礼ですが、略式に願って、料理屋のものでご免を頂きます」と叮嚀に一礼した。
私は物堅いのに少し驚ろいて、そして出しなに仰々しいとは思いながら、招待の紋服を着て来たことを、自分で手柄に思った。娘もこの間の宴会帰りとは違った隠し紋のある裾模様をひいている。
小薩張りした服装に改めた店員が、膳を運んで来た。小おんなのやまは料理を廊下まで取次ぐらしく、襖口からちらりと覗いて目礼した。
「お見かけしたところ、お父さまは別にどこといって」というと、
「いえ、あれで、から駄目なのでございます。少し体を使うと、その使ったところから痛み出して、そりゃ酷いのですわ」
「まあ、それじゃ、今日のおもてなしも、体のご無理になりゃしませんこと」
「なに、関わないのでございますよ。あなたさまには、いろいろお話し申したいことがあると云って、張切って居るんでございますから」
纏縛という言葉が、ちらと私の頭を掠めて過ぎた。しかし、私は眼の前の会席膳の食品の鮮やかさに強て念頭を拭った。
季節をさまで先走らない、そして実質的に食べられるものを親切に選んであった。特に女の眼を悦ばせそうな冬菜は、形のまま青く茹で上げ、小鳥は肉を磨り潰して、枇杷の花の形に練り慥えてあった。そして、皿の肴には、霰の降るときは水面に浮き跳ねて悦ぶという琵琶湖の杜父魚を使って空揚げにしてあるなぞは、料理人になかなか油断のならない用意あるがことを懐わせた。
私も娘も二人きりで遠慮なく食べた。私は二三町も行けば大都会のビジネス・センターの主要道路が通っているこの界隈の中に、こうも幻想のような部屋のあるのを不思議とも思わなくなり、また、娘がいつもと違った人間のようにしみじみして来たことにも、たって詮索心が起らず、ただ、あまりに違った興味ある世界に唐突に移された生物の、あらゆる感覚の蓋を開いて、新奇な空気を吸収する、その眠たいまでに精神が表皮化して仕舞う忘我の心持ちに自分を托した。一つにはこの庭と茶室の一劃は、蔵住いと奥倉庫の間の架け渡しを、温室仕立てにしてあるもので、水気の多い温気が、身体を擡げるように籠って来るからでもあろう。
蘭科の花の匂いが、閉て切ってあるここまで匂って来る。
「あなたさまは、今度のお仕事のプランをお立てになる前から、河はお好きでいらっしゃいましたの」
私はざっと考えて、「まずね」と答えた。
「それじゃ、今度、わたくしご案内いたしましょうか。東京の川なら少しは存じています」
そう云って、娘は河のことを語った。ここから近くにあって、外濠から隅田川に通ずるものには、日本橋川、京橋川、汐留川の三筋があり、日本橋川と京橋川を横に繋いでいるものに楓川、亀島川、箱崎川があることから、京橋川と汐留川を繋いでいるものに、また、三十間堀川と築地川があることをすらすら語った。
私も、全然、知らないこともなかったが、こういう堀割にそう一々河名のついていることは、それ等の堀割を新しく見更めるような気がした。
「どうぞ、もっと教えて頂戴」と私は云った。
すると、娘ははじめて自分の知識が真味に私を悦ばせるらしいのに、張合いを感じたらしく、口を継いで語った。
「隅田川から芝浜へかけて昔から流れ込んでいた川は、こちらの西側ばかりを上流から申しますと、忍川、神田川、それから古川、これ三本だけでございました」
私は両国橋際で隅田川に入り、その小河口にあの瀟洒とした柳橋の架っている神田川も知っていれば、あの渋谷から広尾を通って新開町の家並と欅の茂みを流れに映し乍ら、芝浜で海に入る古川も知っている。だが、忍川というのは知らなかった。
「あの上野の三枚橋の傍に、忍川という料理屋がありましたが、あの近所にそんな名の川がありましたの、気がつきませんでしたわ」
「川にも運命があると見えまして、あの忍川なぞは可哀想な川でございます。あなたさまは、王子の滝ノ川をご存じでいらっしゃいましょう」
むかし石神井川といったその川は、今のように荒川平野へ流れて、荒川へ落ちずに、飛鳥山、道灌山、上野台の丘陵の西側を通って、海の入江に入った。その時には茫洋とした大河であった。やがて石神井川が飛鳥山と王子台との間に活路を拓いて落ちるようになって、不忍池の上は藍染川の細い流れとなり、不忍池の下は暗渠にされてしまって、永遠に河身を人の目に触れることは出来なくなった。
「大昔、この川の優勢だったことは、あの本郷駒込台とこちらの上野谷中台との間はこの川の作った谷合いだと申します。調べると両丘にはその川の断谷層がいまだにごさいます」
私の蕩々としている気分の中にも、この娘の語ることが、もはや単純な下町娘の言葉ではなく、この種の智識にかけては一通り築きかけたもののあるのを見て取った。慎しく語ろうと気をつけている言葉の端々に関東ローム層とか、第三紀層とかいう専門語が女学校程度の智識でない口慣れた滑らかさでうっかり洩れ出すのを、私の注意が捉えずにはいなかった。
「とてもそういうお話にお詳しいのね。どうしてあなたが、こう申しちゃ何ですけれど、下町のお嬢さんのあなたが、そういう勉強をなさったのですか、素人にしちゃあんまりお詳しい……」
娘は、
「河岸に育ったものですから、東京の河に興味を持ちまして……それに女子大学に居りますうち、別にこういうことに興味を持つ友達と研究も致しましたが……」と俯向いて云うと、そこで口を噤んだ。
「たった、それだけで、こんなにお詳しい?」
私は、娘の言訳が何かわざとらしいのを感じた。何かもっと事情ありげにも思ったが、私はまたしてもこの家の人事に巻き込まれる危険を感じたので、無理に気を引締めて、もっと追求したい気持ちは様子に現わさなかった。
こうして親しげに話していて、隣に座っている娘と、何か紙一重距てたような、妙な心の触れ合いのまま、食後の馥郁とした香煎の湯を飲み終えると、そこへ老主人が再び出て来て挨拶した。茶の湯の作法は私たちを庭へ移した。蔵の中の南洋風の作り庭の小亭で私達は一休みした。
私は手持不沙汰を紛らすための意味だけに、そこの棕櫚の葉かげに咲いている熱帯生の蔓草の花を覗いて指して見せたりした。
娘は微笑し乍ら会釈して、その花に何か暗示でもあるらしく、煙って濃い瞳を研ぎ澄し、じーっと見入った。豊かな肉附き加減で、しかも暢び暢びしている下肢を慎ましく膝で詰めて腰をかけ、少し低目に締めた厚板帯の帯上げの結び目から咽喉もとまで大輪の花の莟のような張ってはいるが、無垢で、それ故に多少寂しい胸が下町風の伊達な襟の合せ方をしていた。座板へ置いて無意識にポーズを取る左の支え手から素直に擡げている首へかけて音律的の線が立ち騰っては消え、また立ち騰っているように感じられる。悠揚と引かれた眉に左の上鬢から掻き出した洋髪の波の先が掛り、いかにも適確で聡明に娘を見せている。
私は女ながらつくづくこの娘に見惚れた。棕櫚の葉かげの南洋蔓草の花を見詰めて、ひそかに息を籠めるような娘の全体は、新様式な情熱の姿とでも云おうか。この娘は、何かしきりに心に思い屈している──と私は娘に対する私の心理の働き方がだんだん複雑になるのを感じた。私はいくらか胸が弾むようなのを紛らすために、庭の天井を見上げた。硝子は湯気で曇っているが、飛白目にその曇りを撥いては消え、また撥く微点を認めた。霙が降っているのだ。娘も私の素振りに気がついて、私と同じように天井硝子を見上げた。
合図があって、私たちは再び茶室へ入って行った。床の間の掛軸は変っていて、明治末期に早世した美術院の天才画家、今村紫紅の南洋の景色の横ものが掛けられてあった。
老主人の濃茶の手前があって、私と娘は一つ茶碗を手から手に享けて飲み分った。
娘の姿態は姉に対する妹のようにしおらしくなっていた。老主人の茶の湯の技倆は少しけばけばしいが確であった。
作法が終ると、老主人は袴を除って、厚い綿入羽織を着て現われた。炉に噛りつくように蹲み、私たちにも近寄ることを勧めた。そして問わず語りにこんな話を始めた。
徳川三代将軍の頃、関西から来て、江戸廻船の業を始めたものが四五軒あった。
その船は舷側に菱形の桟を嵌めた船板を使ったので、菱垣船と云った。廻船業は繁昌するので、その廻船によって商いする問屋はだんだん殖え、大阪で二十四組、江戸で十組にもなった。享保時分、酒樽は別に船積みするという理由の下に、新運送業が起った。それに倣って、他の貨物も専門専門に積む組織が起った。すべて樽廻船と云った。樽廻船は船も新型で、運賃も廉くしたので、菱垣船は大打撃を蒙った。話のうちにも老主人は時々神経痛を宥めるらしい妙な臭いの巻煙草を喫った。
「寛永時分からあった菱垣廻船の船問屋で残ったものは、手前ども堺屋と、もう二三軒、郡屋と毛馬屋というのがございましたそうですが……」
しかし、幕末まえ頃まで判っていたその二軒も、何か他の職業と変ったとやらで、堺屋は諸国雑貨販売と為替両替を職としていた。
それから話はずっと飛んで、前の話とはまるで関係がないものを、強いてあるような話ぶりで、老主人は語り継いだ。
「河岸の事務室を開けて、貸室に致しましたのも窮余の策で、実は、この娘に結婚させようという若い店員がございますのですが、どうも、その男の気心がよく見定まりません。いろいろ迷った揚句、どなたか世間の広い男の方にでも入って頂いて、そういう方々ともお付合いしてみて、改めて娘の身の振り方を考え直してみましょう。まあ、打ち撒ければ、こういった考えがござりましたのです」
娘は俯向いて、赧くなった。
「なにせ、私どもの暮しの範囲と申したら、諸国の商売取引の相手か、この界隈の組合仲間で、筋が定まり切っているだけ、広いようで案外狭いのでございます。それにこの娘が一時どういう気か学者になるなぞと申して、洋服なぞ着て、ぱふらぱふらやったものですから、いよいよ妙なことになって、婿の口も思うほどのことはございませんでして……」
娘は殆ど裁きを受ける女のように、首を垂れて少し蒼ざめていた。私は、
「もう、よろしいじゃございませんか、お話しは、また、この次に……」
と云ったが、老父は、
「いや、そうじゃございません。手前は明日が明日からまた寝込んでしまって、いつこの次にお目にかかれるか判りません。それで……」と意気込んで来た。老父には真剣に娘の身の上を想う電気のようなものが、迸り出した。
「私の知らない間に、娘がちょっろりと、あなたさまに部屋をお貸ししたと聞いて、実は私は、怒りました。しかし、娘はあなたさまの御高名を存じて居り、お顔も新聞雑誌で存じ上げて、かねてお慕い申していたので、喜んでお貸ししたと申します。私も思い返してみれば、あなたさまが世間のことは何事も御承知の筆をお執りになる方である以上、却って、何かの便宜にあずかれるかも知れない。それで娘にもよく申付けて、お仕事にはお妨げにならないよう、表の事務室は人に貸すことは止めて仕舞い、また、是非、お近付き願えるよう、気を配って居りました。どうぞ、これから、これを妹とも思召し下すって、叱っても頂き、お引立てもお願いいたし度いのです。どうぞお願い申します」
老父は右手の薬煙草をぶるぶる慄わして、左の手に移し、煙草盆に差込むと、開いた右の手で何処へ向けてとも判らず、拝むような手つきをした。それは素早く軽い手つきであったが、私をぎょっとさせた。娘も、それにつれて、萎れたままお叩頭した。
老父のそこまでの話の持って来方には、衰えてはいるようでも、下町の旧舗の商人の駆け引きに慣れた婉曲な粘りと、相手の気の弱い部分につけ込む機敏さがしたたかに感じられた。
私は娘に対して底ではかなり動いて来た共感の気持ちも、老父の押しつけがましい意力に反撥させられて、何か嫌あな思いが胸に湧いた。しかし、
「まあ、私に出来ますことは……」と、かすかな声で返事しなければならなかった。
電気行灯の灯の下に、竃河岸の笹巻の鮨が持出された。老父は一礼して引込んで行った。首の向きも直さず、濃く煙らして、炉炭の火を見詰めていた娘の瞳と睫毛とが、黒耀石のように結晶すると、そこからしとりしとり雫が垂れた。客の私が、却って浮寝鳥に枯柳の腰模様の着物の小皺もない娘の膝の上にハンケチを宛てがい、それから、鮨を小皿に取分けて、笹の葉を剥いてやらねばならなかった。
でも、娘は素直に鮨を手に受取ると、一口端を噛んだが、またしばらく手首に涙の雫を垂し、深い息を吐いたのち、
「あたくし、辛い!」と云った。そして私の方へ顔を斜に向けた。
「あたくしは、ときどきいっそのこと芸妓にでも、女給にでもなって、思い切り世の中に暴れてみようと思うことがありますの」
それから、口の中の少しの飯粒も苦いもののように、懐紙を取出して吐き出した。
私は、この娘がそういうものになって暴れるときの壮観をちょっと想像したが、それも一瞬ひらめいて消えた火のような痛快味にしか過ぎないことを想い、さしずめ、「まあそんなに思い詰めないでも、辛抱しているうちには、何とか道は拓けて来ますよ」と云わないではいられなかった。
昨夜から今朝にかけて雪になっていた。私は炬燵に入って、叔母に向って駄々を捏ねていた。
「あすこの家へ行くと、すっかり分別臭い年寄りにされて仕舞うから……」
「だから、なおのこと行きなさいよ。面白いじゃないか、そういう家の内情なんて、小説なんかには持って来いじゃありませんか」
この叔母は、私の生家の直系では一粒種の私が、結婚を避け、文筆を執ることを散々嘆いた末、遂に私の意志の曲げ難いのを見て取り、せめて文筆の道で、生家の名跡を遺さしたいと、私を策励しにかかっているのだった。
「叔母さんなんかには、私の気持ち判りません」
「あんたなんかには、世の中のこと判りません」
だが、こういう口争いは、しじゅうあることだし、そして、私を溺愛する叔母であることを知ればこそ、苦笑しながらも、それを有難いと思って、享け入れている私との間には、いわば、睦まじさが平凡な眠りに墜ちて行くのを、強いて揺り起すための清涼剤に使うものであったから、調子の弾むうちはなお二口三口、口争いを続けながら、私はやっぱり河沿いの家のことを考えていた。
結局あの娘のことを考えてやるのには、どうしても、海にいるという許婚の男の気持ちを一度見定めてやらなければならなくなるのだろう。ここまで煩わされた以上、もう仕事のために河沿いの家を選んだことは無駄にしても、兎に角、この擾された気持ちを澄ますまで、私はあの河沿いの家に取付いていなければならない。
河沿いの家で出来たことは、河沿いの家できれいに仕末して去り度い。
そう思って来ると、口惜しさを晴らす意地のようなものが起って来て、私は炬燵の布団から頬を離して立ち上った。
「河沿いの仕事部屋へ雪見に行くわ」
叔母は自分の意見を採用しながら、まだ、痩我慢に態のよいことを云ってると見て取り、得意の微笑を泛べながら、
「ええええ、雪見にでも、何でも好いから、いらっしゃいとも」と云って、いそいそと土産ものと車を用意して呉れた。
昨日の礼に店先へ交魚の盤台を届けて、よろしくと云うと、居合せた店員が、
「大旦那は咋夕からお臥りで、それからお嬢さんもご病気で」と挨拶した。私は、「おや」と思いながら、さっさと自分の河沿いの室へ入った。
いつもの通り、やまが火鉢の火種を持って来た。
「お嬢さんお風邪……」と私は訊いて見た。
やまは、「ええ、いえ、あの、ちょっとご病気でございます」と云って、訊ねられるのを好まぬように素早く去った。
何か様子が妙だとは思ったが、窓障子を開け放した河面を見て、私はそんな懸念も忘れた。
雪はほとんど小降りになったが、よく見ると鉛を張ったような都の曇り空と膠を流したような堀河の間を爪で掻き取った程の雲母の片れが絶えず漂っている。眼の前にぐいと五大力の苫を葺いた舳が見え、厚く積った雪の両端から馬の首のように氷柱を下げている。少し離れて団平船と、伝馬船三艘とが井桁に歩び板を渡して、水上に高低の雪渓を慥えて蹲っている。水をひたひたと湛えた向河岸の石垣の際に、こんもりと雪の積もった処々を引っ掻いて木肌の出た筏が乗り捨ててあり、乗手と見える蓑笠の人間が、稲荷の垣根の近くで焚火をしている。稲荷の祠も垣根も雪に隈取られ、ふだんの紅殻いろは、河岸の黒まった倉庫に対し、緋縅しの鎧が投出されたような、鮮やかな一堆に見える。河川通のこの家の娘は、この亀島川は一日の通船数が三百以上もあり、泊り船は六十以上で、これを一町に割当てるとほぼ十艘ずつになると云ったが、今日はそういう河容とは、まるで違ったものに見える。
そして、私が心を奪われたのは、いよいよ、そういう現象的の部分部分ではなかった。ふだんの繁劇な都会の濠川の人為的生活が、雪という天然の威力に押えつけられ、逼塞した隙間から、ふだんは聞取れない人間の哀切な囁きがかすかに漏れるのを感ずるからであった。そして、これは都会の人間から永劫に直接具体的には聞き得ず、こういう偶々の場合、こういう自然現象の際に於て、都会に住む人間の底に潜んだ嘆きの総意として、聴かれるのであった。この意味に於て、眼の前見渡す雪は、私が曾て他所の諸方で見たものと違って、やはり、東京の濠川の雪景色であった。
小店員が入って来て、四五通の外文の電報や外文の手紙を見て呉れと差出した。
「まことに済みませんが、店の者みんな出払ちゃいましたし大旦那にもお嬢さんにも寝込まれちゃいましたので……」
大切な急ぎの用だと困るというので私が見たその注文の電報や外文は南洋と云われる範囲の各地からだった。その一つには、
板舟。鯛箱。
卸し庖丁大小。鱈籠。
半台。河岸手桶。
計りザル。油屋ムネカケ。
打鉤大小。タンベイ。
足中草履。引切。
ローマ字から判読するこれ等は、誰か爪哇で魚屋を始める人があって、その道具を注文して来たのだった。
一礼して去る小店員に向って、私は、
「こういう簡単なものもご覧になれないって、お嬢さんどういうご病気なの」
というと、小店員はちょっと頭を掻いたが、
「まあ、気鬱症とか申すのだそうでございましょうかな。滅多にございませんが、一旦そうおなりになると一人であすこへ閉籠って、人と口を利くのを嫌がられます」
若しかして、昨日、茶席での談話が、娘を刺戟し過ぎて、娘は気鬱症を起したのかも知れない。そう云えばだんだん娘の性情の不平均、不自然なところも知れて来かかっていたし、そういう揺り返しが、たまたま起るということも、今更、不思議に思われなくなっていた。私は小店員の去ったあと、また河の雪を眺めていた。
水は少し動きかけて、退き始めると見える。雪まだらな船が二三艘通って、筏師も筏へ下りて、纜を解き出した。
やや風が吹き出して、河の天地は晒し木綿の滝津瀬のように、白瀾濁化し、ときどき硝子障子の一所へ向けて吹雪の塊りを投げつける。同時に、形がない生きものが押すように、障子はがたがたと鳴る。だが、その生きものは、硝子板に戸惑って別に入口を見付けるように、ひゅうひゅう唸って、この建物の四方を馳せ廻る。
ふと今しがた小店員が云った気鬱症の娘が、何処に引籠っているのだろうと私は考え始めた。暫くして娘が気鬱症にかかるとあすこに……と云った小店員がその言葉と一緒に一寸仰向き加減にした様子が、いかにも娘が、私の部屋の近くにでもいるような気配を感じさせたのに気づくと、娘は私の頭の上の二階にいるのではないかと、思わずしがみついていた小長火鉢から私は体を反らした。
一たい、この二階がおかしい。私がここへ来てから、もう一月半以上にもなるのに、階段を伝って、二室ある筈のそこへ出入りする人を見たことがない。階段を上り下りする人間は、大概顔見知りの店員たちで、それは確に、三階の寝泊りの大部屋へ通うものであって、昼は店に行っていてそこには誰もいない。二階の表側の一室は、物置部屋に代った空事務室の上だから、私の部屋からは知れないようなものの、少くとも河に面した方の二階の今一つの空部屋は私が半日ずつ住むこの部屋のすぐ頭の上だから、いかに床の層が厚くても、普通に人が住むならその気配いは何とか判りそうなものだ。それがふだん、まるきり無人の気配いであった。ひょっとしたら、娘がきょうはそっとその室に閉じ籠っているのではあるまいか。
それから、私は注意を二階に集めて、気を配ったが、雪は小止みとなり、風だけすさまじく、幽かな音も聴き取れなかった。定刻の時間になったので私は帰った。
あくる日は雪晴れの冴えた日であった。昨日から何となく私の心にかかるものがあって私は今までになく早朝に家を出て河岸の部屋へ来た。そしてやや改まった様子で机の前に座っていると、思いがけない顔をしてやまがはいって来た。私は早く来たことについて好い加減な云いわけを云ったのち天井を振り仰ぎ乍らやまに向って、
「どなたかこの上のお部屋にいるの」と訊いた。
やまは「はあ」と答えた。
私の心の底の方にあった想像が、うっかり口に出た。
「お嬢さんでもいらっしゃるのではないの」
すると、やまの返事は案外、無雑作に、
「はあ、昨日もお昼前からいらっしゃいました」と云った。
「どういうお部屋なの」
やまは「さあ」と云ったが、実際、室の中の事は知らないらしく、他の事で答えた。
「昨日の大雪で、あなたはお出にならないでしょうと、お嬢さんは二階のお部屋へお入りになりました。晩方、お部屋から出ていらっした時、私があなたがおいでになったのを申上げると、とても、落胆なすっていらっしゃいました。時々お二階の部屋へお嬢さんはお入りになりますが、その時はどんな用事でもお部屋へ申上げに行ってはならないと仰いますので……」
私には判った。それは娘の歎きの部屋ではあるまいか、しんも根も尽き果てて人前ばかりでなく自分自身に対しての、張気も装いも投げ捨てて、投げ捨てるものもなくなった底から息を吸い上げて来ようとする、時折の娘の命の休息所なのではあるまいか。
だが、ときどきにもせよ、そういう一室に閉じ籠れるのは羨しい。寧ろ嫉ましい。自分のように一生という永い時間をかけて、世間という広い広い部屋で、筆を小刀に心身を切りこま裂いて見せ、それで真実が届くやら、届かぬやら判りもしない、得体の知れない焦立たしいなやみの種を持つものは、割の悪い運命に生れついたものである。
「で、今朝お嬢さんは?」
と私が云うと、やまは俄に思いついたように、
「ああそうでしたっけ、お嬢さんが今日あなたがいらしったら、お二階へおいで願うように申し上げて呉れと先程お部屋へ入るまえに仰いました」
やまはここまで云って、また躊躇するように、
「でも、お仕事お済ましになってからでないとお悪いから、それもよく伺って、ご都合の好い時に……って……」
私は一まずやまを店の方へ帰して、一人になった。
河の水は濃い赤土色をして、その上を歩いて渡れそうだ。河に突き墜された雪の塊が、船の間にしきりに流れて来る。それに陽がさすと窈幻な氷山にも見える。こんなものの中にも餌があるのか、烏が下り立って、嘴で掻き漁る。
烏の足掻きの雪の飛沫から小さな虹が輪になって出滅する。太鼓の音が殷々と轟く。向う岸の稲荷の物音である。
私は一人になって火鉢に手をかざしながら、その殷々の音を聞いていると、妙にひしひしと寂しさが身に迫った。娘の憂愁が私にも移ったように、物憂く、気怠るい。そしていつ爆発するか知れない焦々したものがあって、心を一つに集中させない。私は時を置いて三四度、部屋の中を爪立ち歩きをして廻って見たが、どうにもならない。やまは娘が、私の仕事時間を済ましてから来て欲しいと言伝てたが、いっそ、今、直ぐ独断に娘を二階の部屋へ訪ねてみよう──
二階の娘の部屋の扉をノックすると、私の想像していたとはまるで違って見える娘の顔が覗いて、私を素早く部屋の中へ入れた。私の不安で好奇に弾んだ眼に、直ぐ室内の様子ははっきり映らない、爪哇更紗のカーテンが扉の開閉の際に覗かれる空間を、三四尺奥へ間取って垂れ廻してある。戸口とカーテンのこの狭い間で、娘と私はしばらく睨み合いのように見合って停った。シャンデリヤは点け放しにしてあるので、暗くはなかった。
思いがけない情景のなかで突然、娘に逢って周章てた私の視覚の加減か、娘の顔は急に痩せて、その上、歪んで見えた。ウェーヴを弾ね除けた額は、円くぽこんと盛上って、それから下は、大きな鼻を除いて、中窪みに見えた。顎が張り過ぎるように目立った。いつもの美しい眼と唇は、定まらぬ考えを反映するように、ぼやけて見えた。
娘は唇の右の上へ幼稚で意地の悪い皺をちょっと刻んだかと見えたが、ぼやけていたような眼からは、たちまちきらりとなつかしそうな瞳が覗き出た。
「…………」
「…………」
感情が衝き上げて来て、その遣り場をしきりに私の胸に目がけながら、腰の辺で空に藻掻かしている娘の両方の手首を私は握った。私は娘にこんな親しい動作をしかけたのは始めてである。
「何でも云って下さい。関いません」
私のこの言葉と、もはや、泣きかかって、おろおろ声でいう娘の次の言葉とが縺れた。
「あなたを頼りに思い出して、あたくしは……却って気の弱い……女に戻りました」
そして、どうかこれを見て呉れと云って、始めて私をカーテンの内部へ連れ込んだ。
東の河面に向くバルコニーの硝子扉から、陽が差込んで、まだつけたままのシャンデリヤの灯影をサフラン色に透き返させ、その光線が染色液体のように部屋中一ぱい漲り溢れている。床と云わず、四方の壁と云わず、あらゆる反物の布地の上に、染めと織りと繍いと箔と絵羽との模様が、揺れ漂い、濤のように飛沫を散らして逆巻き亘っている。徒らな豪奢のうすら冷い触覚と、着物に対する甘美な魅惑とが引き浪のあとに残る潮の響鳴のように、私の女ごころを衝つ。
開かれた仕切りの扉から覗かれる表部屋の沢山の箪笥や長持の新らしい木膚を斜に見るまでもなく、これ等のすべてが婚礼支度であることは判る。私はそれ等の布地を、転び倒れているものを労り起すように
「まあ、まあ」と云って、取上げてみた。
生地は紋綸子の黒地を、ほとんど黒地を覗かせないまで括り染の雪の輪模様に、竹のむら垣を置縫いにして、友禅と置縫いで大胆な紅梅立木を全面に花咲かしている。私はすぐ傍にどしりと投げ皺められて七宝配りの箔が盛り上っている帯を掬い上げながら、なお、お納戸色の千羽鶴の着物や、源氏あし手の着物にも気を散らされながら、着物と帯をつき合せて、
「どう、いいじゃないの……」と、まるで呉服屋の店先で品選りするように、何もかも忘れて眺めていた。
娘は、私から少し離れて停っていた。
「今日、あなたに見て頂こうと思いまして、昨夜晩くまでかかって展げて置きましたのですけど……あたくし、こんなもの、何度、破り捨てて、新らしく身の固めを仕直そうと思ったか判りません。でも、やっぱり出来ないで……時々ここへ来ては未練がましく出したり取り散らしたりして見るのですけれど……」
明るみに出て、陽の光を真正面に受けると、今まで薄暗いところで見た娘の貌のくぼみやゆがみはすっかり均らされ、いつもの爛漫とした大柄の娘の眼が涙を拭いたあとだけに、尚更、冴え冴えとしてしおらしい。
「いつ頃、これを慥えなさって?」
「三年まえ……」
娘はしおしおと私に訴える眼つきをした。私は堪らなく娘がいじらしくなった。日はあかあかと照り出して、河の上は漸く船の往来も繁くなった。
「あんまりこんな所に引込んでいると、なお気が腐りますからね。きょうは、何処か外へ出て、気をさっぱりさせてから、本当にご相談しましょう」
河岸には二人並んで歩ける程、雪掻きの開いた道が通り、人の往来は稀だった。
二歳のとき母に死に訣れてから、病身で昔ものの父一人に育てられ、物心ついてからは海にばかりいる若い店員のつきとめられない心を追って暮らす寂しさに堪え兼ねた娘は、ふと淡い恋に誘われた。
相手は学校へ往き来の江戸川べりを調査している土俗地理学者の若い紳士であった。この学者は毎日のように、この沿岸に来て、旧神田川の流域の実地調査をしているのであった。
河の源は大概複雑なものだが、その神田川も多くの諸流を合せていた。まず源は井頭池から出て杉並区を通り、中野区へ入るところで善福寺川を受け容れ、中野区淀橋区に入ると落合町で妙正寺川と合する。それから淀橋区と豊島区と小石川区の堺の隅を掠めて、小石川区牛込区の境線を流れる江戸川となる。飯田橋橋点で外濠と合流して神田川となってから、なお小石川から来る千川を加え、お茶の水の切り割りを通って神田区に入り、両国橋の北詰で隅田川に注ぐまで、幾多の下町の堀川とも提携する。
東京の西北方から勢を起しながら、山の手の高台に阻まれ、北上し東行し、まるで反対の方へ押し遣られるような迂曲の道を辿りながら、しかもその間に頼りない細流を引取り育み、強力な流れはそれを馴致し、より強力で偉大な川には潔く没我合鞣して、南の海に入る初志を遂げる。
この神田川の苦労の跡を調べることも哀れ深いが、もとこの神田川は麹町台の崖下に沿って流れ、九段下から丸の内に入って日本橋川に通じ、芝浦の海に口を開いていた。この江戸築城以前の流域を調べることは何かと首都の地理学的歴史を訪ねるのに都合が良かった。例えば、単に下流の部分の調査だけでも、昔大利根が隅田川に落ちていた時代の河口の沖積作用を確めることが出来たし、その後、人工によって河洲を埋立てて、下町を作った、その境界も知れるわけであった。この亀島町辺も三百年位前は海の浅瀬だったのを、神田明神のある神田山の台を崩して、その土で埋めて慥えたものである。それより七八十年前は浅草なぞは今の佃島のように三角洲だった。
こういう智識もその若い学者から学ぶところが多かったと、娘は真向から恋愛の叙情を語り兼ねて先ずこういう話から初めたのであった。
娘は目白の学校への往復に、その川べりのどこかの男の仕事場で度々出遇い、始めはただ好感を寄せ合う目礼から始まって、だんだんその男と口を利き出すようになった。娘は、その男から先ず彼女に縁のある土地と卑近な興味の智識によって、東京生れの娘が今まで気付かずにいたものの、その実はいかに東京の土と水に染みているかを学問的に解明された。
「明日は、大曲の花屋の前の辺にいます。いらっしゃい」
その若い学者は科学の中でも、過去へ過去へと現代から離れて行く歴史性に、現実的の精力を取籠められて行く人にありがちな、何となく世間に対しては臆病であり乍ら、自己の好みに対しては一克な癇癖のようなものを持っていた。それは純粋な坊ちゃん育ちらしい感じも与えた。
「さあ、明日からはいよいよお茶の水の切り堀りに取りかかりましょう。学校へは少し廻りになるかも知れませんが、いらっしゃい、いいでしょう」
この男が、いいでしょうというときは、既に決定的なものであって、おずおずとは云い出すのだが、云い出した以上、もう執拗く主張して訊き入れなかった。
万治の頃、伊達家が更に深く掘り下げて舟を通すようになったので、仙台堀とも云っている、この切堀の断崖は、東京の高台の地層を観察するのに都合がよかった。第四紀新層の生成の順序が、ロームや石や砂や粘土や砂礫の段々で面白いように判った。もうこの時分、娘は若い学者の測量器械の手入れや、採集袋の仕末や、ちょっとした記録は手伝えるようになっていた。
娘は学者の家へも出入りするようになっていた。富んだ華族の家で、一家は大家族だが、みな感じがよく、家の者も娘を好んだ。若い学者は兄弟中の末子で、特に両親に愛されているようだった。
「お茶を飲みに行きませんか」「踊りに行きませんか」こういうこともある傍、娘は日本橋川を中心に、その界隈の堀割川の下調べを頼まれもした。
八ヶ月ほどかかった旧神田川の調査のうちに、娘は学校を卒業した。娘はその若い学者に結婚を申込まれた。
「いいでしょう、君」
やはり、おずおずと云い出すのだが、執拗く主張した。娘想いの老父は、まことに良縁と思い、気心の判らぬ海へ行った若い店員との婚約は解消して是非その男に娘を嫁入らせると意気込んだ。
海にいる若い店員からも同意の電報が来た。
小さいときから一緒に育ったけれども、青年期に入る頃から海に出はじめ、だんだん父娘には性格が茫漠として来た若い店員には、今はもう強いて遠慮する必要は無い。娘の結婚を知らせるにも気易かった。若い学者との結婚の仕度は着々運んで行った。
「川を溯るときは、人間をだんだん孤独にして行きますが、川を下って行くと、人間は連を欲し、複数を欲して来るものです」
若い学者は内心の弾む心をこういう言葉で娘に話した。娘も嫌ではなかった。
だが、ある夜遅くあの部屋へ入って、結婚衣裳を調べていて、ふと、上げ潮に鴎の鳴く声を聴いたら、娘は芝居の幕が閉じたように、若い学者との結婚が馬鹿らしくなった。陸へ上って来ない若い店員が心の底から恋われた。茫漠とした海の男への繋りをいかにもはっきりと娘は自分の心に感じた。
一時はひどく腹を立てても、結局、娘想いの父は、若い学者の家には、平謝りに謝って、結婚を思い切って貰った。若い学者はいくらか面当ての気味か、当時女優で名高かった女と結婚して、ときどき家庭はごたごたしている。
「じゃあ、その方には恋ではなくって、学問の好奇心で牽かれて行ったのね。道理で、あなた、河川の事に詳しいと思った」
私は苦笑したが、この爛漫とした娘の性質に交った好学的な肌合いを感じ、それがこの娘に対する私の敬愛のような気持ちにもなった。
「あなた男なら学者にもなれる頭持ってるかも知れないのね」
娘は少し赫くなった。
「……私の母が妙な母でした。漢文と俳句が好きで、それだのに常盤津の名取りでしたし、築地のサンマー英語学校の優等生でしたり……」
娘はその後のことを語り継いだ。その後、久し振りで、陸に上って来た若い店員に思切って訊いた。
「どうしたら、私はあなたに気に入るんでしょう」
男はしばらく考えていたが、
「どうか、あなたが今よりも女臭くならないように……。」
海の男は相変らず曖昧なことを云っているようで、その語調のなかには切実な希求が感じられたと娘は眼に涙さえ泛べ、最上の力で意志を撓め出すように云った。
「私のそれからの男優りのような事務的生活が始まりました。その間二三度その男は帰って来ましたが、何とも云わずに酒を飲んで、また寂しそうに海へ帰って行きました。私はまだ、どこか灰汁抜けしない女臭いところがあるのかと、自分を顧みまして、努めようとしましたが、もうわけが分りません。迷い続けながら、それでも一生懸命に、その男の気に入るようにと生活して来ますうち、あなたにお目にかかりました」
東京の中で、朝から食べさせる食物屋は至って数が少い。上野の揚げ出しとか、日本橋室町の花村とか、昔から決っているうちである。そうでなければ各停車場の食堂か、駅前の旅籠屋や魚市場の界隈の小料理屋である。けれども女二人ではちょっと困る。私たちは寒気の冴える朝の楓川に沿い、京橋川に沿って歩いたが、そうそうは寒さに堪えられない。車を呼び止めて、娘をホテルの食堂に連れて行き、早い昼飯を食べさした。そのあと、ローンジでお茶を飲みながら
「面倒臭いじゃありませんか、そんなこといつまでもぐずぐず云ってたって……そんなこと云って、その人が陸へ寄りつかないなら、こっちから私があなたを連れて、その人の寄る船つきへ尋ねて行き、のっぴきさせず、お話をつけようじゃありませんか」
私も東京生れで、いざとなると、無茶なところが出るのだが、それよりもこの得態の知れない男女関係の間に纏縛され、退くに退かれず、切放れも出来ず、もう少し自棄気味になっていた。
すべてが噎るようである。また漲るようである。ここで蒼穹は高い空間ではなく、色彩と密度と重量をもって、すぐ皮膚に圧触して来る濃い液体である。叢林は大地を肉体として、そこから迸出する鮮血である。くれない極まって緑礬の輝きを閃かしている。物の表は永劫の真昼に白み亘り、物陰は常闇世界の烏羽玉いろを鏤めている。土は陽炎を立たさぬまでに熟燃している。空気は焙り、光線は刺す──────
私と娘は、いま新嘉坡のラフルス・ホテルの食堂で昼食を摂り、すぐ床続きのヴェランダの籐椅子から眺め渡すのであった。
芝生の花壇で尾籠なほど生の色の赤い花、黄の花、紺の花、赭の花が花弁を犬の口のように開いて、戯れ、噛み合っている。
「どう」私は娘に訊いた。
「二調子か三調子、気持ちの調子を引上げないと、とてもこの強い感じは受け切れないわ」と娘は眼を眩しそうに云った。娘は旅に出てから、全く私に倚りかかるようになっただけ、親しくぞんざいな口が利けるようになった。
私には、あまりに現実に乗出し過ぎた物のすべてが、却って感覚の度に引っかからないように、これ等の風物が何となく単調に感じられて眠気を誘われた。
「半音の入っていない自然というものは、眠いものね」
私は娘が頸を傾けて、も一度訊き返そうとするのを、別に了解して欲しいほどの事柄でもないので、他の事を云った。
「兎に角、熱いわね。こういう所で、ランデヴウする人も、さぞ骨が折れるでしょうが、そのランデヴウを世話する人は、いよいよ並大抵じゃないわね」
私は揶揄いながら、横を向き、ハンカチを額へ持って行って、滲み出す汗を抑えた。
娘は真身に嬉しさを感ずるらしく、ちょっと籐椅子を私の方へいざり寄せ、肘で軽く私の脇の下を衝いた。
私は娘の身の上を引受けてから、若い店員と話をつける手段を進めた。丁度ボルネオの沿岸を航行していた船の若い店員に手紙と電報で事情の経緯を簡単に述べ、あらためて、私が仲に立つ旨を云い遣ると、店員からは案外喜んだ承諾の返事が来て、但、いま船は暹羅の塩魚を蘭領印度に運ぶために船をチャーターされているから、船も帰せないし、自分も脱けられない。新嘉坡なら都合出来る。見物がてら、ぜひそこへ来て貰い度いと、寧ろ向うから懇請するような文意でもあった。
私は娘にはああは約束したが、たかだか台湾の基隆か、せめて香港程度までであろうと予想していた。そこなら南洋行きの基点ではあり、双方好都合である。新嘉坡となると、ちょっと外遊するぐらいの心支度をしなければならない。
──少し当惑しているとき思いの外力になったのは叔母である。娘のとき藩侯夫人の女秘書のようなことをして、藩侯夫妻が欧洲の公使に赴任するとき伴われ、それから帰りには世界の国々をも廻って来た女だけに、自分の畑へ水を引くように、私を励ました。
「あんたも一遍そのくらいのところへ行っていらっしゃい。すると世間も広くなって、もっと私と話が合うようになりますから」
それから、女二人の旅券だの船だの信用状だのを、自分一人で掻き込むようにして埒を開け、神戸まで見送って呉れた。
シンガポール邦字雑誌社の社長で、南洋貿易の調査所を主宰している中老人が、白の詰襟服にヘルメットを冠って迎えに来て呉れた。朝、船へは紋付の和服で出迎えて呉れたのであるが、そのときに較べて、いくらか精気を帯びて見えた。
「名物のライスカレーはいかがでしたか。とても辛くて内地の方には食べられないでしょう」
私は昼の食堂で、カレー汁の外に、白飯に交ぜる添菜が十二三種もオードゥブル式に区分け皿に盛られているのを、盛装した馬来人のボーイに差出されて、まず食慾が怯えてしまったことを語った。中老人は快げに笑って、
「女の方は大概そう云いますね。だがあの中には日本の乾物のようなものも混っていて、オツなものもありますよ。慣れて来ると、そういう好みのものだけを選めば、結構食べられますよ」
こんなことから話を解し始めて、私たちは市中で昼食後の昼寝時間の過ぎるのを待った。
叔母はさすがに女二人だけの外地の初旅に神経を配って、あらゆる手蔓を手頼って、この地の官民への紹介状を貰って来て私に与えた。だが、私はそれ等を使わずに、ただ一人この中老人の社長を便宜に頼んだ。それは次のような理由で未知であった社長を既知の人であったかのようにも思ったからである。
私が少女時代、文学雑誌に紫苑という雅号で、しきりに詩を発表していた文人があった。その詩はすこぶるセンチメンタルなものであって、死を憧憬し、悲恋を慟哭する表現がいかに少女の情緒にも、誇張に感じられた。しかもその時代の日本の詩壇は、もはやそれらのセンチメンタリズムを脱し、賑やかな官能を追い求めることに熱中した時代であって、この主流に対比しては、いよいよ紫苑氏の詩風は古臭く索漠に見えた。それでも氏の詩作は続けられていた。そのうち、ふと消えた。二三年してから僅かに三四篇また現われた。それは、「飛魚」とか「貿易風」とかいう題の種類のもので、いくらか詩風は時代向きになったかと感じられる程度のことが、却って詩形をきごちなくしていた。詩に添えて紫苑氏が南の外洋へ旅に出た消息が書き加えられてあった。しかし、その後に紫苑氏の詩は永久に見られなくなった。
この新嘉坡邦字雑誌の社長が、当年の詩人紫苑氏の後身であった。私は紫苑氏の後身の社長が、その携っている現職務上土地の智識に詳しかろうということも考えに入れたが、その前身時代の詩にどこか人の良いところが見えたのを憶い出し、この人ならば安心して、なにかと手引を頼めると思った。
「ともかく、私が日本を出発するときの気慨は大変なものでしたよ。白金巾の洋傘に、見よ大鵬の志を、図南の翼を、などと書きましてね。それを振り翳したりなんかしましてね……今から思えば恥かしいようなもので、は、は、は、……」
そしてお茶の代りにビールを啜りながら、扇を使っていた中老の社長は感慨深そうに、海を見詰めていたが、
「人間の行き道というものは、自分で自分のことが判らんものですな。僕のその時分の初志は、どこか南洋の孤島を見付けて、理想的な詩の国を建設しようとしたにあったのですが……だんだん現実に触れて見ると、まずその智識や準備をということになり、次には自分はもう出来ないから、それに似たような考えの人に、折角貯えた自分の智識を与えようということになり、それが、職業化すると、単なる事務に化してしまいます」
中老人は私達をじろじろ眺めて、
「普通の人にならこんな愚痴は云わないで、ただ磊落に笑っているだけですが、判って下さりそうな内地の若い方を見ると、つい喋りたくなるのです。あなた方のお年頃じゃ判りますまいが、人間は幾つになっても中学生のところは遺っています」
そして屹となって私の顔を見張り、自分が云い出す言葉が、どう私に感銘するかを用心しながら云った。
「僕は、今でも、僕の雑誌の詩壇の選者を頑張ってやっています。だんだん投書も少くなるし、内地の現代向の人に代えろと始終、編輯主任に攻撃されもしますが、なに、これだけは死ぬまで人にはやらせない積りです」
日盛りの中での日盛りになったらしく、戸外の風物は灼熱極まって白燼化した灰色の焼野原に見える。時代をいつに所を何処と定めたらいいか判らない、天地が灼熱に溶けて、静寂極まった自然が夢や幻になったのではあるまいか。そこに強烈な色彩や匂いもある。けれどもそれは浮き離れて、現実の実体観に何の関りもない。ただ、左手海際の林から雪崩れ込む若干の椰子の樹の切れ離れが、急に数少なく七八本になり三本になり、距てて一本になる。そして亭々とした華奢な幹の先の思いがけない葉の繁みを、女の額の截り前髪のように振り捌いて、その影の部分だけの海の色を涼しいものにしている。ここだけが抉り取られて、日本の景色を見慣れた私たちの感覚に現実感を与える。
天井に唸る電気扇の真下に居て、けむるような睫毛を瞳に冠せ、この娘特有の霞性をいよいよ全身に拡げ、悠長に女扇を使いながら社長のいうことを聴いている。私が手短に娘をここへ連れて来た事情を社長に話す間も、この娘はまるで他にそんな娘でもあるのかと思いでもしてるような面白そうな顔をして聴いている。私は憎みを感ずるくらい、私に任せ切りの娘の態度に呆れながら、始めは娘をこの方と社長に云っていたのを、いつの間にか、この子という言葉に代えて仕舞っていた。
「どうも、近代的の愛というものは複雑ですな。もう、僕等の年代の人間には、はっきりは触れられんが……」
旧詩人の社長は、よく通りかかりの旅客が、寄航したその場だけ、得手勝手なことを頼み、あとはそれなりになってしまう交際に慣れているので、私が娘を連れて、こちらに来た用向きを話し出すと、始めは気のない顔つきをしていたが、だんだん乗り出して来た。
「その男なら時々調査所へ来て、話して行きますよ。淡白で快活な男ですがね」
社長はビールを啜ったり、ハンカチで鼻を擦ったりする動作を忙しくして、やや興奮の色を示し、
「へえ、あの男がこういう美しいお嬢さんとそういうことがあるんですか。それはロマンチックなお話ですね。よろしい、一つお手伝いしましょう」
中老の社長はその男にも好意を持つと同時に、自分も自分の奥に燃え燻ってしまった青春の夢を他人ごとながら、再び繰り返せるように気が弾んで来たらしい。
「恋というものは人間を若くする。酒と子供は人間を老いさせる」
ステッキの頭の握りに両手を載せ、その上に額の端を支えながら、こんな感慨めいた言葉を吐いた。大酒呑みで子供の大勢あるという中老の社長は、籐のステッキをとんと床に一突きして立上ると
「その船の入港には、まだ三日ばかり日数がありますな。では、その間にしっかり見物しときなさるがよろしいでしょう」
そしてボーイに車を命じた。
スピーディーな新嘉坡見物が始まった。この市にも川が貫いて流れていた。私は社長に注文して、まず二つ三つその橋々を車で渡って貰った。
両岸は洋館や洋館擬いの支那家屋の建物が塀のように立ち並んでいるところが多く、ところどころに船が湊泊する船溜りが膨らんだように川幅を拡げている。そして、漫々と湛えた水が、ゆるく蒼空を映して下流の方へ移るともなく移って行く。軽く浮く芥屑は流れの足が速く、沈み勝ちな汚物を周るようにして追い抜いていく。荒く組んだ筏を操って行く馬来の子供。やはり都の河の俤を備えている。
河口に近くなってギャヴァナー橋というのが、大して大きい橋でもないが、両岸にゲート型の柱を二本ずつ建て、それを絃の駒にして、ハープの絃のように、陸の土と橋欄とに綱を張り渡して、橋を吊っている。何ともないような橋なのだが、しきりに私達の心は牽かれる。向う岸の橋詰に榕樹の茂みが青々として、それから白い尖塔が抽んでている背景が、橋を薄肉彫のように浮き出さすためであろうか。私がいつまでも車から降りて眺めていると、娘はそれを察したように、
「東京の吾妻橋とか柳橋とかに似てるからじゃありません?」と云った。
この橋から間もなく、河口の鵜の喉の膨らみのようになっている岸に、三層楼の支那の倉庫店がずらりと並び、河には木履型のジャンクが河身を埋めている。庭の小亭のようなものが、脚を水上にはだけてぬいぬい立っている。
「橋が好きなら、この橋のもう一つ上のさっき渡って来た橋、あれをよく覚えときなさい。あの橋から南と北に大道路が走っていて、何かと基点になっています。もしはぐれて迷子になったら、あの橋詰に立っていなさればよい、迎いに行きますよ」社長はこんな冗談を云った。
官庁街の素気なく白々しい建物の数々。支那街の異臭、雑沓、商業街の殷賑、私たちはそれ等を車の窓から見た。ここまで来る航行の途中で、上海と香港の船繋りの間に、西洋らしい都会の景色も、支那らしい町の様子もすでに見て来た。私たちはただ南洋らしい景色と人間とを待ち望んだ。しかし、道で道路工事をしている人々や、日除け付きの牛車を曳いている人々が、どこの種族とも見受けられない、黒光りや赫黒い顔をして眼を炯々と光らせながら、半裸体で働いている。躯幹は大きいが、みな痩せて背中まで肋骨が透けて見える。あわれに物凄い。またそれ等の人々の背を乗客席に並べて乗せた電車が市中を通ると、地獄車のように、異様に見えた。その電車は床の上に何本かの柱があって風通しの為めに周りの囲い板はなく僅に天蓋のような屋根を冠っているだけである。癒し難い寂しい気持ちが、私の心を占める。
「ここは新嘉坡の銀座、ハイ・ストリートといいます」
と社長にいわれて、二つ三つの店先に寄り衣裳の流行の様子を見たり、月光石の粒を手に掬って、水のようにさらさら零しながらも、それは単なる女の習性で、心は外に漠然としたことを考えていた。
「この娘を首尾好く、その男に娶わすことが出来たとしても、それで幸福であるといえるだろうか。」
けれども、そう思う一方にまた、私は無意識のうちに若者と娘が暫く茲に新住宅でも持つであろうことを予想してしきりに社長に頼むのだった。
「ここに住宅地のようなものでもありますなら見物さして頂きたいのですが」
その晩、私たちをホテルまで送って来た社長は帰り際に「そうだ、護謨園の生活を是非見て貰わなくちゃ、──一晩泊りの用意をしといて下さい」
と云って更に、
「そりゃ、健康そのものですよ」
あくる朝、まず、社長がホテルに迎えに来て、揃ってサロンで待っていると、大型の自動車が入って来た。操縦席から下りたヘルメットの若い紳士を、社長は護謨園の経営主だと紹介した。
「電話でよく判らなかったが……」
と経営主は云ってから、次に、私たちに
「いらっしゃい。鰐ぐらいは見られます」
と気軽に云った。
車は町を出て、ジョホール街道を疾駆して行った。速力計の針が六十五哩と七十哩の間をちらちらすると、車全体が唸る生きものになって、広いアスファルトの道は面前に逆立ち、今まで眼にとまっていた榕樹の中の草葺きの家も、椰子林の中の足高の小屋も、樹を切り倒している馬来人の一群も、総て緑の奔流に取り込められ、その飛沫のように風が皮膚に痛い。大きな歯朶や密竹で装われている丘がいくつか車の前に現れ、後に弾んで飛んで行く。マークの付いている石油タンクが乱れた列をなして、その後にじりじりと展転して行く。
「イギリス海軍用のタンク」
水が見える。綺麗な可愛らしい市が見える。ジョホール海峡の陸橋を渡って、見えていた市の中を通って、なおしばらく水辺に沿って行った処で若い紳士は車を停め、土地の名所である回教の礼拝堂を見せた。がらんとして何もない石畳と絨氈の奥まった薄闇へ、高い窓から射し入る陽の光がステンドグラスの加減で、虹ともつかず、花明りともつかない表象の世界を幻出させている。それを眺めていると、心が虚になって、肉体が幻の彩りのままに染め上げられて仕舞いそうな危険をほとほと感ずる。私たちは新嘉坡の市中で、芭蕉の葉で入口を飾り、その上へ極端な性的の表象を翳しているヒンズー教の寺院を見た。それは精力的に手の込んだ建築であった。
虚空を頭とし、大地を五体とし、山や水は糞尿であり、風は呼吸であり、火はその体温であり、一切の生物無生物は彼の生むところと説く、シバ神崇拝に類して精力を愛するこの原始の宗教が、コーランを左手に剣を右手に、そして、ときどき七彩の幻に静慮する回教に、なぜ南方民族の寵をば奪われたのであろうか。そしてその回教がなぜまた物質文化に圧えられたのであろうか。
私は取り留めもない感想に捉われながら、娘を見ると、いよいよ不思議な娘に見える。娘はモデレートな夏の洋装をしているのだが、それは皮膚を覆う一重のものであって、中身はこの回教の寺院の中に置けば、この雰囲気に相応わしく、ヒンズー教の精力的な寺院の空気にも相応わしかった。そればかりでなく、この地の活動写真館のアトラクションで見た暹羅のあのすばらしく捌きのいい踊りを眺めていた時の彼女に、私はその踊りを習わせて、名踊子にしたい慾望さえむらむらと起ったほど、それにも相応しいものがあった。
一体この娘は無自性なのだろうか、それとも本然のものを自覚して来ないからなのだろうか。また再び疑わねばならなくなった。
それから凡そ七十哩許り疾走して、全く南洋らしいジャングルや、森林の中を行くとき、私は娘に訊いた。
「どう」
「いいですわね」
「いいですって……どういうふうにいいの」
「そうねえ……ここに一生住んで、自分のお墓を建てたいくらい」
そういう娘の顔は、さしかける古い森林の深いどす青い陰を弾ね返すほど生気に充ちていた。
時々爆音が木霊する。男達は意味あり気な笑いを泛べて、
「やっとるね」
「うん、やっとるね」
と云った。
それは海峡の一部に出来るイギリス海軍根拠地の大工事だと、社長は説明した。
道が尽きてしまって、そこから私たちはトロッコに乗せられた。箱車を押す半裸体の馬来人は檳榔子の実を噛んでいて、血の色の唾をちゅっちゅと枕木に吐いた。護謨園の事務所に着いた。
事務所は椰子林の中を切り拓いて建てた、草葺きのバンガロー風のもので、柱は脚立のように高く、床へは階段で上った。粘って青臭い護謨の匂いが、何か揮発性の花の匂いに混って来る。
壁虎がきちきち鳴く、気味の悪い夜鳥の啼き声、──夕食後私はヴェランダの欄干に凭れた。私のいる位置のいびつに切り拓かれた円味のある土地を椰子の林が黒く取巻いている。截り立ったような梢は葉を参差していて、井戸の底にいるような位置の私には、草荵の生えた井の口を遙かに覗き上げている趣であった。
その狭い井の口から広大に眺められる今宵の空の、何と色濃いことであろう。それを仰いでいると、情熱の藍壺に面を浸し、瑠璃色の接吻で苦しく唇を閉じられているようである。夜を一つの大きな眼とすれば、これはその見詰める瞳である。気を取り紛らす燦々たる星がなければ、永くはその凝澄した注視に堪えないだろう。
燦々たる星は、もはやここではただの空の星ではない。一つずつ膚に谷の刻みを持ち、ハレーションを起しつつ、悠久に蒼海を流れ行く氷山である。そのハレーションに薄肉色のもあるし、黄薔薇色のもある。紫色が爆ぜて雪白の光茫を生んでいるものもある。私は星に一々こんな意味深い色のあることを始めて見た。美しい以上のものを感じて、脊椎骨の接目接目に寒気がするほどである。
空地の真中から、草葺きのバンガローが切り拓かれた四方へ大ランプの灯の光を投げている。
その光は巻き上げた支那簾と共に、柱や簾に絡んでいる凌霄花にやや強く当る。欄干の下に花壇もあるらしい。百合と山査子の匂いとだけ判って、あとは私の嗅覚に慣れない、何の花とも判らない強い薬性の匂いが入れ混って鬱然と刺戟する。
私と社長は、その凌霄花の陰のベランダで、食後の涼をいつまでも入れている。娘は食後の洗物を手伝って、それから蓄音機をかけて、若い事務員たちのダンスの相手をしてやっていたが、疲れた様子もなく、まだ興を逐うこの僻地に仮住する青年たちのために、有り合せの毀れギターをどうやら調整して、低音で長唄の吾妻八景かなにかを弾いて聞かしている。若い経営主もその仲間に入っている。
ここへ来てからの娘の様子は、また、私を驚かした。経営主の他、五六人居る邦人の事務員たちは、私たちの訪問を歓迎するのに、いろいろ心を配ったようだが、突然ではあり、男だけで馬来人を使ってする支度だけに、一向捗どらず、私たちの着いたとき、まだ途惑っていた。それと見た娘は
「私もお手伝いさせて頂きますわ」
と云ったきり、私たちから離れて、すっかり事務所の男達の中に混り、野天風呂も沸せば、応接用の室を片付けて、私たち女二人のための寝室も作った。
「森はずれから野鶏と泥亀を見付けて来たんですが、どう料理したらご馳走になるか、へばっていましたら、お嬢さんが、すっかり指図して教えて呉れたんで、とても上等料理が出来ました。これならラフルス・ホテルのメニュウにだってつけ出されまさ」
事務員の一人は、晩餐の食卓でこう云った。なるほど、支那料理めいたもの、日本料理めいたもののほかに、容器は粗末だが、泥亀をタアトルス・スープに作ったものや、野鶏をカレー入りのスチューにしたものは特に味がよかった。
「わたくしだって、こんな野生のものを扱うの始めてですわ。学校の割烹科では、卒業生が馬来半島へ出張料理することを予想して、教えては呉れませんでしたもの」
娘は、また、こんなことを云って、座を取り持った。主人側の男たちは靉靆として笑った。
娘がこういう風に、一人で主人側との接衝を引受けて呉れるので私は助かった。
私は私が始めてあの河沿いの部屋を借りに行ったとき、茶絹のシャツを着、肉色の股引を穿いて、店では店の若い者に交り、河では水揚げ帳を持って、荷夫を指揮していた娘を想い出した。そして、この捌けて男慣れのした様子は、あまりに易々としたところを見せているので、私はまたこれが娘の天成であって、私が付合い、私がそれに巻込まれて、骨を折っている現在の事は、何だか私の感情の過剰から、余計なおせっかいをしているのではないかという、いまいましいような反省に見舞われそうになった。
事務員の青年たちは、靉靆として笑い、娘に満足させられている様子でも、それ以上には出ないようであった。たった一人、ウイスキーに酔った一人の青年が、言葉の響を娘にこすりつけるようにして、南洋特産と噂のある媚薬の話をしかけた。すると娘は、悪びれず聞き取っていて、それから例の濃い睫毛を俯目にして云った。
「ほんとにそういう物質的のもので、精神的のものが牽制できるものならば、私の関り合いにも一人飲ませたい人間があるんでございますわ」
その言葉は、真に自分の胸の底から出たものとも、相手の話手に逆襲するとも、どっちにも取れる、さらさらした間を流れた。
そこに寂しい虚白なものが、娘の美しさを一時飲み隠した。それは、もはや二度と誰もこういう方面に触る話をしようとするものはなくなったほど、周囲の人間に肉感的なもの、情慾的なものの触手を収斂さす作用を持っていた。それで、娘が再び眼を上げて華やかな顔色に戻ったとき、室内はただ明るく楽しいことが、事務的に捗取って行く宴座となった。けれども、娘は座中の奉仕を決して、義務と感ずるような気色は少しも見せず、室内の空気に積極的に同化していた。
中老の詩人社長は、欄干の籐椅子で、まだビールのコップを離さず、酔いに舌甜めずりをしていた。
「東北風を斜に受けながら、北流する海潮を乗り越えつつ、今や木下君の船は刻々馬来半島の島角に近づきつつあるのです。送るのは水平線上の南十字星、迎えるのは久恋の佳人。いいですな。木下君は今や人間のありとあらゆる幸福を、いや全人類の青春を一人で背負って立っているようなものです」
彼はすっかり韻文の調子で云って、それから、彼の旧作の詩らしいものを、昔風の朗吟の仕方で謡った。
星の海に
船は乗り出でつ
魂惚るる夜や
…………
…………
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い
…………
浪枕
社長は私が話した海の上の男と、娘との間の複雑した事情は都合よく忘れて仕舞い、二人の間の若い情緒的なものばかりを引抽いて、或は空想して、それに潤色し、自分の老いの気分に固着するのを忘れ、現在の殻から一時でも逃れて瑞々しい昔の青春に戻ろうと努めているらしいその願いが如何にも本能的で切実なものであるのに私の心は動された。朗吟も旧式だが誇張的のまま素朴で嫌味はなかった。
親しき息は海に通い
ささやきは胸に通い────
壁虎が鳴く、夜鳥が啼く。私にも何となく甘苦い哀愁が抽き出されて、ふとそれがいつか知らぬ間に海の上を渡っている若い店員にふらふらと寄って行きそうなのに気がつくと、
「なにを馬鹿らしい。人の男のことなぞ」
と嘲って呆れるのであるが、なおその想いは果実の切口から滲み出す漿液のように、激しくなくとも、直ぐには止まらないものであった。
何がそうその男を苦しめて、陸の生活を避けさせ、海の上ばかり漂泊さすのか。
ひょっとしたら、他に秘密な女でもあって、それに心が断ち切れないのではあるまいか。
或は、この世の女には需め得られないほどの女に対する慾求を、この世の女にかけているのではあるまいか。
或は、生れながら人生に憂愁を持つ、ハムレット型の人物の一人なのではあるまいか。
女のよきものをまだ真に知らない男なのではあるまいか。
こういうことを考え廻らしている間に、憐な気持ち、嫉妬らしい気持、救ってやり度い気持ち、慰めてやりたい気持ち、詰ってやり度い心持ち、圧し捉まえてやり度い心持ちが、その男に対してふいふいと湧き出して来て、少し胸が苦しいくらいになる。恐らくこれは当事者の娘が考えたり、感じねばならないことだろうにと、私は私の心の変態の働きに、極力用心しながら、室内の娘を見ると、いよいよ鮮かに何の屈托もない様子で、歌留多の札を配っている。私はふと気がついて、
「あの女は、自分の愛の悩みをさえ、奴隷に代ってさせるという世にも珍らしいサルタンのような性質を持っている女なのではあるまいか。」
そして、それを知らないで、みすみすその精神的労苦を引受けた自分こそ、よい笑われものである。急に娘に対する憎みが起った。だが、また娘の顔を覗くと、あんまり鮮かで屈托がなさ過ぎる。私の反感も直ぐに消えてしまう。
「この無邪気さには、とても敵わない」
私は気力も脱けて、今度はしきりに朗吟の陶酔に耽っている、社長の肩を揺って、正気に還らせ、
「これは真面目なご相談ですが……」と、木下の新嘉坡に於ける女出入や、その他の素行に就いて、私はまるで私立探偵のように訊き質すのであった。
深林の夜は明け放れ、銀色の朝の肌が鏡に吐きかけた息の曇りを除くように、徐々に地霧の中から光り出して来た。
一本のマングローブの下で、果ものを主食の朝餐が進行した。レモンの汁をかけたパパイヤの果肉は、乳の香がやや酸㾱した孩児の頬に触れるような、輭かさと匂いがあった。指ほどの長さでまるまると肥っている、野生のバナナは皮を剥ぐと、見る見る象牙色の肌から涙のような露を垂らした。柿の型をした紫の殻を裂くと、綿の花のような房が甘酸く唇に触れるマンゴスチンも珍らしかった。
「ドリアンがあると、こっちへいらっした紀念に食べた果ものになるのですがね。生憎と今は季節の間になっているので……。僕等には妙な匂いで、それほどとも思いませんが、土人たちは所謂、女房を質に置いても喰うという、何か蠱惑的なものがあるんですね」若い経営主は云った。
「南洋の果ものには、ドリアンばかりでなく、何か果もの以上に蠱惑的なものがあるらしいです。ご婦人方の前で、そう云っちゃ何ですが、僕等だとて独身でこんなとこへ来て、いろいろの煩悩も起ります。けれどもそういうものの起ったとき、無暗にこれ等の豊饒な果ものにかぶりつくのです。暴戻にかぶりつくのです。すると、いつの間にか慰められています。だから手元に果物は絶やさないのです」
若い経営主は紫色の花だけ眼のように涼しく開けて、葉はまだ閉じて眠っているポインシャナの叢を靴の底でいじらしそうに擵りながら、こう云った。
娘は、今朝も事務員に混っていろいろ手伝っていたが、何となくそわそわしていた。そして、話にばつを合せるように、私には嫌味に思える程、きらきらした作り笑いの声を挙げた。しかし、若い経営主が、こういうにつれ、他の若い男たちも悵然とした様子をみて、娘は心から同情する気持ちを顔に現した。
「僕の慰めは酒と子供だな」と社長は云った。
彼は今朝もビールを飲んでいた。
「君にもまだ慰めなくちゃならない煩悩があるのかね」と若い経営主は云った。「そんなにチッテ族の酋長のような南洋色になっても」
社長は、「ある──大いにある」と怒鳴ったが、誰も酔いの上の気焔と思って相手にしない。社長は口を噤んで仕舞った。
逆巻く濤のように、梢や枝葉を空に振り乱して荒れ狂っている原始林の中を整頓して、護謨の植林がある。青臭い厚ぼったいゴムの匂いがする。白紫色に華やぎ始めた朝の光線が当って、閃く樹皮は螺線状の溝に傷けられ、溝の終りの口は小壺を銜えて樹液を落している。揃って育児院の子供等が、朝の含嗽をさせられているようでもある。馬来人や支那人が働いている。
「僕等は正規の計劃の外、郷愁が起る毎に、この土に護謨の苗木を、特に一列一列植えるのです。妄念を深く土中に埋めるのです」
その苗木の列には、或は銀座通とか、日比谷とか、或は植主の生地でもあろうか、福岡県──郡──村とか書いた建札がしてあった。
若い経営主は、努めて何気なくいうのだが、娘は堪まらなそうに、涙をぽたぽたと零して、急いでハンケチを出した。
中老の社長は、こういう普通の感傷を珍らしいように眺め、私に云った。
「どうです。あなた方も、紀念に一本ずつ植えて行っては」
護謨園の中を通っている水渠から丸木船を出して、一つの川へ出た。ジョホール河の支流の一つだという。大きな歯朶とか蔓草で暗い洞陰を作っている河岸から、少し岐れて、流れの中に岩石がある。
「あすこによく鰐の奴が、背中を干しているのだが、……」と事務員の一人が指したが、そのすぐあと、艫の方にいた事務員がいった。
「こっちこっち、あすこにいます」
濁った流れの中に、黒っぽいものが、渦を水に曳いて動くのが見えた。また、その周囲にそれも生きものが泳ぐのかと思われるほどの微かな小さい渦が見える。
「は は は 子供を連れとる」
私の気持ちはというと、この原始の自然があまりに、私たちの自然と感じ慣れているものより差違があり、この現実が却って、百貨店の催しものの、造り庭のように見え、この南洋風景図の背景の前に、鰐がいるのは当然の趣向に見え、もう少し脅えたい気持ちをさえ自分に促した。鰐に向ける銃声の方が本当の鰐に対するより却って私たちを驚かした。鰐は影を没した。
「鉄砲の音は痛快ね」と娘はいって、しきりに当もなく発砲して貰った。
「あなた方内地の女性に向って、ふだん考え溜めていたことを、話し出せそうな緒口が見つかったようになって、お訣れするのは惜しいものです」と若い経営主はいった。
私も、「こういう本当の自然と、それを切り拓いて行く人間の仕事に就いて、漸く眼が開きかかって来たのに、お訣れするのは、まったく惜しい気が致します」といった。
娘は俯向いて、型のようにちょっと無名指の背の節で眼を押えた。その仕草が、日本女性のこういう場合にとる普通の型のように見え乍ら私はやはりこの遠方の異境にまで男を尋ねて来た娘が何かと感傷的になっている証拠にも見た。
私たちはジョホール河のベンゲラン岬から、馬来人が舵丰を執り、乗客も土人ばかりのあやしいまで老い朽ちた発動機船に乗った。
「腰かけたまわりには、さっき上げといた蚤取粉を撒くんですよ。そうしないと虫に食われますよ」見送りの事務員の労った声が桟橋から響いた。娘はポケットを押えてみて、窓からお叩頭をした。
怠惰なエンジンの音が聞えて、機船は河心へ出た。河と云いながら、大幅な両岸は遠く水平線に退いて、照りつける陽の下に林影だけ一抹の金の塗粉のようになって見えた。それが水天一枚の瑠璃色の面でしばしば断ち切れて、だんだん淡く、蜃気楼の島のように中空に映り霞んで行く。たゆげな翼を伸した鳥が、水に落ちようとしてたゆたっている。
昼前に新嘉坡の郊外のカトン岬の小さな桟橋についた。娘の待つ男の船は、今夜か明朝、新港に着く予定であった。
「まだ時間は大丈夫だ。ゆっくりして行きましょう。この辺もチャンギーと云って、新嘉坡の名所の一つで、どうせ来なくちゃならんところだ」社長はそういって、海の浅瀬に差し出してある清涼亭という草葺き屋根の日本人経営の料亭へ、私たちを連れて行き、すぐ上衣を脱いだ。
「まあいい所ね」
私も娘も悦んだ。この辺の砂は眩いくらい白く、椰子の密林の列端は裾を端折ったように海の中に入っている。
亭の前の崖下は生洲になっていて、竹笠を冠った邦人の客が五六人釣をしている。
汐時のすこし湿っぽい畳の小座敷で、社長は無事見学祝いだとか、何とか云っては日本酒の盃を挙げている。海の匂いと酒の匂いが、自分たちの遠い旅をほのぼのと懐かしませる。私は生洲から上げたばかりという生け鱸の吸ものの椀を取上げて、長汀曲浦にひたひたと水量を寄せながら、浜の椰子林をそのまま投影させて、よろけ縞のように揺らめかし、その遙かの末に新嘉坡の白亜の塔と高楼と煤煙を望ましている海の景色に眼を慰めていた。だが、心はまだしきりに今朝ジョホール河の枝川の一つで、銃声に驚いて見張った私達の瞳孔に映った原始林の厳かさと純粋さを想い起していた。それはひどく心を直接に衝った。何か人間にその因習生活を邪魔なものに思わせ、それを脱ぎ捨て度い切ない気持ちにさせた。そしてその原始の自然に食い込んで生活を立てて行く仕事が、何の種類であれ、人間の生きる姿の単一に近いものであるように考えさせられた。始終自然から享ける直接の豊饒な直観に浸れもしよう。
「二万円の護謨園をお買いになれば、年々その収益で、こっちへ休暇旅行ができますね。どうです」
座興的であったが若い経営園主がゆうべ護謨園で話の序にこういうことを云ったのも想い出された。
私の肉体は盛り出した暑さに茹るにつれ、心はひたすら、あのうねる樹幹の鬱蒼の下に粗い歯朶の清涼な葉が針立っている幻影に浸り入っていた。
そのとき娘が「あらっ!」と云って、椀を下に置いた。そして、「まあ、木下さんが」と云って眼を瞠って膝を立てた。
小座敷から斜に距てて、木柵の内側の床を四角に切り抜いて、そこにも小さな生洲がある。遊客の慰みに釣りをすることも出来るようになっている。
いま、その釣堀から離れて、家屋の方へ近寄って来る、釣竿を手にした若い逞ましい男が、娘の瞳の対象になっている。白いノーネクタイのシャツを着て、パナマ帽を冠ったその男も気がついたらしく、そのがっしりした顔にやや苦み走った微笑を泛べながら、寛るやかに足を運んで来た。男は座敷の椽で靴を脱いだ。
「これはこれは、船が早く着いたのかい」
社長もびっくりして少し乗出して云った。
「けさ方早く着いちゃってね。早速、ホテルと君の事務所へ電話をかけてみたが、出ているというので、退屈凌ぎにここへ昼寝する積りで来てたんだが……」ひょっとするとここへ廻るかも知れないとも思った。なにしろ新嘉坡へ来る内地の客の見物場所はきまっているからと云って男は朗に笑った。
私は男がこの座敷へ近寄って来る僅か分秒の間に、男の方はちらりと一目見ただけで、娘の態度に眼が離せなかった。
彼女は男が、娘や私たちを認めて、歩を運び出した刹那に、「あたし──」といって、かなりあらわに体を慄わして、私の肩に掴った。その掴り方は、彼女の指先が私の肩の肉に食い込んで痛いくらいだった。ふだん長い睫毛をかむって煙っている彼女の眼は、切れ目一ぱいに裂け拡がり、白眼の中央に取り残された瞳は、異常なショックで凝ったまま、ぴりぴり顫動していた。口も眼のように竪に開いていた。小鼻も喘いで膨らみ、濃い眉と眉の間の肉を冠る皮膚が、しきりに隆まり歪められ、彼女に堪え切れないほどの感情が、心内に相衝撃するもののように見えた。二三度、陣痛のようにうねりの慄えが強く、彼女の指先から私の肩の肉に噛み込まれ、同時に、彼女から放射する電気のようなものを私は感じた。私は彼女が気が狂ったのではないかと、怖れながら肩の痛さに堪えて、彼女の気色を覗った。自分でも気がつくくらい、私の唇も慄えていた。
男は席につくと、私に簡単に挨拶した。
「木下です。今度は思いがけないご厄介をかけまして」と頭を下げた。
それから社長に向って
「いや、あなたにもどうも……」これは微笑しながらいった。
娘は座席に坐り直して、ちょっとハンケチで眼を押えたが、もうそのときは何となく笑っている。始めて男は娘に口を切った。
「どうかしましたか」それは決して惨いとか冷淡とかいう声の響ではなかった。
「いいえ、あたし、あんまり突然なのでびっくりしたものだから……」そして私の方を振り向いて、「でも、すべて、こちらがいて下さるものですから」と自分の照れかくしを仕乍ら私に愛想をした。
娘は直きに悪びれずに男の顔をなつかしそうにまともに見はじめた。だが何気ないその笑い顔の頬にしきりに涙が溢れ出す。娘はそれをハンケチで拭い拭い男の顔に目を離さない──男もいじらしそうに、娘の眼を柔かく見返していた。
社長もすべての疎通を快く感ずるらしく、
「これで顔が揃った。まあ祝盃として一つ」などとはしゃいだ。
私はふと気がつくと、娘と男から離れて、独り取り残された気持ちがした。こちらから望んで世話に乗り出したくらいだから、利用されたというような悪毒く僻んだ気持ちはしないまでも、ただわけもなく寂しい感じが沁々と襲った。──この美しい娘はもう私に頼る必要はなくなった。──しかし、私はどんな感情が起って不意に私を妨げるにしても自分の引受けた若い二人に対する仕事だけは捗取らせなくてはならないのである。私は男に、
「それで、結婚のお話は」
ともう判り切って仕舞ったことを形式的に切り出した。すると男はちょっとお叩頭して、
「いや、私の考がきまりさえしたら、それでよろしいんでございましょう。いろいろお世話をかけて申訳ありません」といった。
娘は私に向って、同じく頭を下げて済まないような顔をした。
もはや、完全に私は私の役目を果した。二人の間に私の差挟まる余地も必要もないのをはっきり自覚した。すると私は早く日本の叔母の元へ帰り、また、物語を書き継ぐ忍従の生活に親しみ度い心のコースが自然私に向いて来た。
私たちからは内地の話や、男からは南洋の諸国の話が、単なる座談として交わされた。社長は別室へ酔後の昼寝をしに行った。
この土地常例の驟雨があって後、夕方間近くなって、男は私だけに向って、
「ちょっとその辺を散歩しましょう。お話もありますから」と云った。
私は娘の顔を見た。娘は「どうぞ」と会釈した。そこで私は男に連立って出た。雨後すぐに真白に冴えて、夕陽に瑩光を放っている椰子林の砂浜に出た。
スコールは右手の西南に去って、市街の出岬の彼方の海に、まだいくらか暗沫の影を残している。男はその方を指して「こっちはスマトラ」それからその反対の東南方を指して「こっちはボルネオ」、それから真正面の青磁色の水平線に、若い生姜の根ほどの雲の峯を、夕の名残りに再び拡げている方を指して、「ずーっと、この奥に爪哇があります。みな僕の船の行くところです」
彼は一本の椰子の樹の梢を見上げて、その雫の落ちない根元の砂上に竹笠を裏返しに置き、更にハンケチをその上に敷き、
「まあ、この上に腰を降ろして頂きましょうか」
そして彼は巻莨を取り出して、徐ろに喫っていたが、やがて、私から少し離れて腰をおろして口を切りだした。海を放浪する男にしては珍らしく律儀な処のある性質も、次のような男の話で知られるのであった。
「お手紙で、あの娘と僕とにどうしても断ち切れない絆があることは判りました。実はその絆が僕自身にも強く絡わっていたのがはっきり判ったのでご座います。それをご承知置き願って、これから僕の話すことを聞いて頂き度いのです。でないと、僕がここへ来て急に結婚に纏まるのが、単なる気紛れのように当りますから」
彼は、私が大体それを諒解できても、直ぐさま承認出来ないで黙っているのを見て取ってこう云った。
「僕と許婚も同様なあれと僕との間柄を、なぜ僕がいろいろと迷って来たか、なぜ時には突き放そうとまでしたか、この理由があなたにお判りになっていらっしゃらないかも知れませんが……いやあなたばかりではない、あれにもまだ判っていない……」
彼はしまいを独言にして一番肺の底に残して置いたような溜息をした。私は娘の身の上を心配するについての曾ての焦立たしい気持ちに、再び取りつかれ、ついこういってしまった。
「多分あなただけのお気持ちでしょう、そんなこと、私たちには判らなかったからこそ、あの娘さんは死ぬような苦しみもし、何のゆかりも無い私のようなものまで、おせっかいに飛び出さなくてはならない羽目に陥って仕舞ったのですわ。」
私の語気には顔色と共にかなり険しいものがあったらしい。すると、彼は突き立てている膝と膝との間で、両手の指を神経質に編み合せながら、首を擡げた。
「ご尤もです。しかし、僕自身の気持ちが、僕にはっきり判ったのも、矢張りあなたが仲に入られたお陰なんです。その前まではただ何となくあの娘は好きだが、あの娘も女だ。あの娘も女だという事が気に入らない。ぼんやりこの二つの間を僕は何百遍となく引ずり廻されていました。僕とて永い苦しい年月でした。ま、とにかく、僕の身の上話を一応訊いて下さい。第一に僕の人生の出発点からして、捨子という、悲運なハンディキャップがついているんです。」
彼の語り出した身上話とは次のようなものであった。
東京の日本橋から外濠の方へ二つ目の橋で、そこはもはや日本橋川が外濠に接している三叉の地点に、一石橋がある。橋の南詰の西側に錆び朽ちた、「迷子のしるべの石」がある。安政時代、地震や饑饉で迷子が夥しく殖えたため、その頃あの界隈の町名主等が建てたものであるが、明治以来殆ど土地の人にも忘れられていた。
ところが、明治も末に近いある秋、このしるべの石の傍に珍らしく捨子がしてあった。二つぐらいの可愛らしい男の子で、それが木下であった。
その時分、娘の家の堺屋は橋の近くの西河岸に住宅があったので、子のない堺屋の夫妻は、この子を引き取って育てた。それから三年して、この子が五つになった時分に、近所に女中をしていた女が、堺屋に現れて、子供の母だと名乗り出た。彼女は前非を悔い、不実を詫びたので、堺屋ではこの母をも共に引き取った。
母は夫と共に日露戦役後の世間の好景気につれ、東京の下町で夫婦共稼ぎの一旗上げるつもりで上京して来た。そういう夫婦の例にままあるとおり無理算段をして出て来た近県の衰えた豪家の夫妻で、忽ち失敗した上、夫は病死し妻は、今更故郷へも帰れず、子を捨てて、自分は投身しようとしたが、子のことが気にかかり、望みを果たさなかった。そして西河岸の同じ町内に女中奉公をして、陰ながら子供の様子を見守っていたのだった。
堺屋では、男の児の母を家政婦みたように使うことになった。母は忠実によく勤めた。が、子供のことに係ると、堺屋の妻とこの母との間に激しい争いは絶えなかった。
一度捨てたものを拾って育てたのだから、この子はわたしのものだと、堺屋の妻は云った。一度は捨てたが、この子のために死に切れず、死ぬより辛い恥を忍んで、世間へ名乗り出ることさえした位だから、この子はもとより自分のものだと、木下の母は云った。
「よく考えてみれば、僕にとっては有難いことなのでしょうが、僕は物心ついてから、女のこの激しい争いに、ほとほと神経を使い枯らし、僕の知る人生はただ醜い暗いものばかりでした」
生憎なことに、木下は生みの母より、堺屋の妻の方が多少好きであった。
「堺屋のおふくろさんは、強情一徹ですが、まださっぱりしたところがありました。が、僕を自分ばかりの子にして仕舞いたかった気持ちには、自分に男の子がないため、是非欲しいという量見以外に、堺屋の父親が僕をとても愛しているので、それから牽いて、僕の生みの母親をも愛しはしないかという心配も幾らかあったらしいのです。こういう気持ちも混った僕への愛から、堺屋のおふくろは、しまいには僕だけ自分の手元にとどめて、母だけ追出そうとしきりに焦ったのです。それでも堺屋の母はただ僕の母に表向きの難癖をつけたり、失敗を言い募ったりする、まだ単純なものでした」
ところが、木下の生みの母はなかなか手のある女だった。
「一度こういうことがありました。堺屋のおふくろが、僕に掻餅を焼いて呉れていたんです。その側には僕の生みの母親もいました。堺屋のおふくろは、焼いた掻餅を普通に砂糖醤油につけて僕に与えました。すると僕の母はそれを見て、そっとその掻餅を箸で摘み取り、ぬるま湯で洗って、改めて生醤油をつけて、僕に与えました。僕は子供のうちから生醤油をつけた掻餅が好きだったのです」
しかし、いくら子供の好みがそうだからと云って、堺屋のおふくろに面当てがましく、掻餅を目の前で洗い直さないでもよさそうだと木下は思った。その上子供の木下に向って、掻餅を与えながら、一種の手柄顔と、媚びと歓心を求める造り笑いは、木下に嫌厭を催させた。堺屋のおふくろは箸を投げ捨て、怒って立って行った。
「また、こういうことがありました。僕が尋常小学に入った時分でした。その夜は堺屋で恵比須講か何かあって、徹夜の宴会ですから、母親は店へ泊って来る筈です。ところが夜の明け方まえになって、提灯をつけて帰って来ました。そして眼を覚ました僕の枕元に座って、さめざめと泣くのです。堺屋のお内儀さんに満座の中で恥をかかされて、居たたまれなかったと云います」
これも後で訊ね合せて見ると、母親の術であるらしく、ほんのちょっとした口叱言を種に、子供の同情を牽かんための手段であった。
「何でも下へ下へと掻い潜って、子供の心を握って自分に引き付けようとするこの母親の術には、実に参りました。子供の心は、そういうものには堪えられるものではありません。僕は元来そう頭は悪くない積りですが、この時分は痴呆症のようになって、学校も仮及第ばかりしていました」
木下が九つの時に堺屋の妻は、女の子を生んだ。それが今の娘である。しかし、堺屋の妻は、折角楽しんでいた子供が女であることやら、木下の生みの母との争奪戦最中の関係からか、娘の出生をあまり悦びもせず、やはり愛は男の子の木下に牽れていた。木下の母親は、「自分に実子が出来た癖に、まだ、人の子を付け覗っている。強慾な女」と罵った。
ところが、晩産のため、堺屋の妻は兎角病気勝ちで、娘出生の後一年にもならないうちに死んで仕舞った。
その最後の病床で、堺屋の妻は、木下の小さい体を確り抱き締めて、「この子供はどうしてもあたしの子」とぜいぜいいって叫んだ。すると生みの母親は冷淡に、「いけませんよ」といって、その手から木下を靠ぎ去った。堺屋の主人は始め不快に思ったが、生みの母のすることだから誰も苦情はいえなかった。
すると堺屋の妻は、木下の母親には、今まで決して見せなかった涙を、死の真近になった顔にぽろぽろと零して、「なるほど考えてみると、今までは私が悪かった。謝るから、どうかこのことだけは一つ自分の遺言だと思って、聴容れて貰い度い」と云って、次のことを申出た。つまり自分の生んだ女の子が育って、年頃になったなら、必ず木下と娶わして欲しいというのであった。木下の母親もそれまでは断る元気もなく、しぶしぶ承知の旨を肯いて見せた。すると堺屋の妻はまだ本当には安心し切らないような様子で半眼を開いて、じっと母と僕と娘の顔を見較べながらやがて死んだ。木下の母親は堺屋の妻の死後までその時の様子を憎んでいた。
娘は乳母を雇って育てられた。木下の母親は自然主婦のような位置に立って、家事を引受けていたが、不思議な事には喧嘩相手の無くなったことに何となく力抜けのした具合いで床につき勝ちになり、それから四年目の木下が十三歳、娘が五つの年に腹膜炎で死んだ。
そのとき木下の母親の遺言はこうであった。
「ここの家のお内儀さんとの約束だから、息子にお嬢さんを貰うことは承知するが、息子をこの家の養子にやることはどうしても否や。なにしろこの息子は木下家の一粒種なのだから……」
母親はふだんから、世が世ならば、こんな素町人の家の娘をうちの息子になぞ権柄ずくで貰わせられることなぞありはしない。資産から云ったって、木下家の郷里の持ものは、人に奪られさえしなければ、こんな家とは格段の相違があるのだといっていた。
娘は乳母に養われ父親だけで何も知らずに育ち、木下は店から通って、中学から高等学校に上って行った。
「嫌なものですよ。幼な心に染み込んだ女同志の争いというものは、中に入っているのが子供で何も判るまいと思うだけに、女たちはあらゆる女の醜さをさらけ出して争います。それはずーっといつまでも人間の心に染みついて残ります。僕は堺屋のおふくろが臨終に最後の力を出して、僕を母親から奪おうとしたときの、死にもの狂いの力と、肉身を強味に冷やかに僕を死ぬ女の手から靠ぎ取った母親の様子を、今でもありありと思い泛べることが出来ます」
それは嫌やだと同時に、またどうしても憎み切れないものがある。家というものを護らせられるように出来ている女の本能、老後の頼りを想う女の本能、そういうものが後先の力となって、自分で生むと生まないとに係らず、女が男の子というものに対する魅着は、第一義的の力であるのであろう。
「そういっちゃ何ですが、僕は子供のときはおっとりして器量もなかなかよく、つまり、一般の母性に恋いつかれるように出来た子供だったらしいのです」木下は苦笑しながら云った。
娘は片親でも鷹揚に美しく育って行った。いつの間に聞き込んだか、木下と許婚の間柄だと知って、木下を疑わず頼りに思い込んでいる。ところが女の為めに女を見る目を僻ませられて仕舞った若い頃の木下には、娘がやさしくなつかしそうにする場合には、例の母親がした媚びて歓心を得る狡い手段ではないかと、すぐそれに対する感情の出口に蓋をする気持ちになり、娘が無邪気に開けて向って来るときは、堺屋のおふくろがした女の気儘独断を振り翳して来るのではないかと思って、また、感情に蓋をする。
「今考えてみれば、僕は僻みながらも僕の心の底では娘が可哀想で、いじらしくてならなかったのです」
「僕はこの二重の矛盾に堪え切れないで、娘に辛く当ったり、娘をはぐらかして見たり、軽蔑してみたり、あらゆるいじけた情熱の吐き方をしたものです。そうしたあとでは、無垢な、か弱いものを惨忍に踏み躙った悔いが、ひしひしと身を攻めて来て、もしやこのことのために娘の性情が壊れて仕舞ったら、どうしたらいいだろう……」
彼が学問で身を立てるつもりで堺屋の主人に頼んで、段々と上の学校へ上げて貰おうとしたのは、学問の純粋性が彼に沁み込んで、それによって世の中を見るようになれば、女の持つ技巧や歪曲の世界から脱れようかとも思った。ところが、彼が青年になり、青春の血が動くようになるほど、娘のことを考え、この自分の矛盾に襲われ、結局しどろもどろになって、落付いて学問なぞしていられず、娘を愛しながら、娘の傍にはいたたまれなくなって来た。そうかといって、他の女はもっと女臭いものが、より多くあるような気がして女がふつふつ嫌であった。
とうとう彼は二十一の歳に高等学校をやめて、船に乗り込んで仕舞った。
娘は何も知らずに、木下がやさしい性情が好きなのだと思い取っては、そのようになろうと試み、木下がさっぱりした性格を好むと思い取っては、男のようになって働きもした。木下は迷ってすることだが、娘はただ懸命につき従おうと心を砕いた。
「結局あの娘の持ち前の性格をくたくたに突き崩して、匂いのないただ美しい造花のようにしてしまったのは、僕の無言の折檻にあるのでしょう。それとも女というものは、絆のある男なら誰に対しても遂にそうなる運命の生物なのでしょうか」
青年の木下は、それを憐みながら、いよいよ愛する娘を持て剰した。
「けれども、海は、殊に、南洋の海は……」と木下は言葉を継いだ。「海は、南洋の海は……」現実を夢にし、夢を現実にして呉れる、神変不思議の力を持っている。むかし印度の哲学詩人たちが、ここには竜宮というものがあって、陸上で生命が屈托するときに、しばらく生命はここに匿れて時期を待つのだといった思想などは、南の海洋に朝夕を送ってみたものでなければ、よく判らないのである。ここへ来ると、生命の外殻の観念的なものが取れて、浪漫性の美と匂いをつけ、人間の嗜味に好もしい姿となって、再び立ち上って来るとかいうのである。
「あなたは東洋の哲学をおやりだという話を、あれの手紙で知りましたが、それなら既にお気付きでしょう。およそ大乗と名付けられる、つまり人間性を積極的に是認した仏教経典等には、かなりその竜宮に匿れていたのを取出して来たという伝説が附ものになっていましょう。その竜宮を、或は錫蘭島だといい、いや、架空の表現なのだとか、いろいろ議論がありますものの、大体北方の哲学の胚種が、後世文化の発達した、これ等南の海洋の気を受けた土地に出て来て、伸々と芽を吹き、再生産されたことは推測されましょう」
木下はなお南洋の海に就いて語り続ける。
遠い水は瑠璃色にのして、表面はにこ毛が密生しているように白っぽくさえ見える。近くに寄せる浪のうねりは琅玕の練りもののように、悠揚と伸び上って来ては、そこで青葉の丘のようなポーズをしばらく取り、容易には崩れない。浪間と浪の陰に当るところは、金沙を混ぜた緑礬液のように、毒と思えるほど濃く凝って、しかもきらきら陽光を漉き込んでいる。片帆の力を借りながら、テンポの正規的な汽鑵の音を響かせて、木下の乗る三千噸の船はこの何とも知れない広大な一鉢の水の上を、無窮に浮き進んで行く。舳の斜の行手に浪から立ち騰って、ホースの雨のように、飛魚の群が虹のような色彩に閃めいて、繰り返し繰り返し海へ注ぎ落ちる。垣のように水平線をぐるりと取巻いて、立ち騰ってはいつか潰える雲の峯の、左手に出た形と同じものが、右手に現れたと思うと、元のものはすでに形を変えている。
積荷の塩魚のにおいの間から、ふとすると、寒天や小豆粉のかすかなにおいがする。陸地に近づくと大きな蝶が二つ海の上を渡って来る。
「この絢爛な退屈を何十度となく繰り返しているうち、僕はいつの間にか、娘のことを考えれば、何となく微笑が泛べられるように悠揚とした気になって来ました。」娘のすることなすことを想像すると、いたいけな気がして、ただ、ほろりとする感じに浸れるだけに彼はなって来た。で、今まで嫌やだと感じる理由になっていた、女嫌いの原因になるものは、どうなったかというと、彼の胸の片隅の方に押し片付けられて、たいして邪魔にもならなくなって来た。いつの間にか人をこうした心状に導くのが南の海の徳性だろうか。
男はここまで語って眉頭を衝き上げ、ちょっと剽軽な表情を泛べて、私の顔を見た。
「そこへあなたのご周旋だったので、ありがたくお骨折りを受け容れた次第です」
ここで私は更に男に訊ねて見なければ承知出来なかった。
「そういうことなら、なぜ娘さんにその気持ちの径路を早く行って聞かさないで、こんな処で私一人に今更打ち明けるのですか」
「ははあ。」といって男は瞑目していたが、やがて尤もという様子でいった。
「今までの話、僕はあなたにお目にかかってどうしても聞いて頂き度くなったのですが、これをあの娘に直接話したら……」だんだん判って来たのだが元来あの娘には、そういった女臭いところが比較的少ない。都会の始終刺戟に曝らされている下町の女の中には、時々ああいう女の性格がある。だが若しそんな話をして、いくらかでも、却って母親達のような女臭さをあの娘に植えつけは仕ないだろうか、今はあんな娘であるにしても根が女のことだから、今は聞き流していても、それを潜在意識に貯えて、いつ同じ女の根性になって来ないものでも無い……そんな怖れからこれは娘には一切聞かせずに、いっそのことお世話序にあなたにだけ聞いて頂こうと思った。世の中の男のなかにはこういう悩みを持つものもあるものだと、了解して頂き度い……と男の口調や態度には律義ななかに頼母しい才気が閃くのだった。
陽は殆ど椰子林に没して、酔い痴れた昼の灼熱から醒め際の冷水のような澄みかかるものを湛えた南洋特有の明媚な黄昏の気配いが、あたりを籠めて来た。
さき程から左手の方に当ってカトン岬見物の客を相手に、椰子の木に上っては、椰子の実を採って来て、若干の銭を貰っていた土人の子供の猿のような影も、西洋人のラッパのような笑声も無くなった。さざ波が星を呼び出すように、海一面に角立っている。
私はこの真摯な青年の私に対する信頼に対して、もはや充分了解が出来ても、何か一言詰らないではいられない、やや皮肉らしい気持ちで云った。
「あの娘さんも随分私にご自分の荷をかずけなさいましたが、あなたも最後の捨荷を私にかずけなさいますのね」
そう云いながら、私は少し声を立てて笑った。それは必ずしも不平でないことを示した。
男はちょっとどぎまぎして、私の顔を見たが、必ずしも私が不平ではない様子を見て取って、自分も笑いながら、
「やあ、御迷惑をかけたもんですなあ……でも、そういう役目も文学をやる方の天職じゃないのですか。何でもそういう人間の悩みを原料として、いつかそれを見事に再生産なさることが……」
「さあ、どうですか。……それもかなりあなたの虫の好い解釈じゃありませんか……」私はまだこんな皮肉めいたことを云い乍らも、もはや完全にこの若者に好感を感じて言葉の末を笑い声に寛がした。
「やあ、どうも済みませんですなあ……は、は、はは」男も充分に私の心意を感じていた。
「この広々とした海を見ていると、人間同志そのくらいな精神の負担の融通はつきそうに思えますわ」私は最後に誰に云うともなく自分ながらおかしい程頼母しげな言葉を吐いた。
さっきからこまかい虫の集りのように蠢いていた、新嘉坡の町の灯がだんだん生き生きと煌めき出した。日本料理店清涼亭の灯も明るみ出した。
話し疲れた二人は暫く黙っていた。
波打際をゆっくりと歩いて来る娘と社長の姿が見えた。蛍の火が一すじ椰子の並木の中から流れてきた。娘は手に持っていた団扇をさし上げた。蛍の光はそれにちょっと絡わったが、低く外れて海の上を渡り、また高く上って、星影に紛れ込んで見えなくなった。
私はいま再び東京日本橋箱崎川の水に沿った堺屋のもとの私の部屋にいる。日本の冬も去って、三月は春ながらまだ底冷えが残っている。河には船が相変らず頻繁に通り、向河岸の稲荷の社には、玩具の鉄兜を冠った可愛ゆい子供たちが戦ごっこをしている。
その後の経過を述べるとこうである。
私は遮二無二新嘉坡から一人で内地へ帰って来た。旅先きでの簡単な結婚式にもせよ、それを済ましたあとの娘を、直ぐに木下に托するのが本筋であると思ったからである。陸に住もうが、海に行こうが、しばらくも離れずにいることが、この際二人に最も必要である。場合によってはと考えて、初から娘の旅券には暹羅、安南、ボルネオ、スマトラ、爪哇への旅行許可証をも得させてあったのが、幸だった。
私はうすら冷たくほのぼのとした河明りが、障子にうつるこの室に座りながら、私の最初のプランである、私の物語の娘に附与すべき性格を捕捉する努力を決して捨ててはいない。芸術は運命である。一度モチーフに絡まれたが最後、捨てようにも捨てられないのである。その方向からすれば、この家の娘への関心は、私に取って一時の岐路であった。私の初め計劃した物語の娘の創造こそ私の行くべき本道である。
だが、こう思いつつ私が河に対するとき、水に対する私の感じが、殆ど前と違っているのである。河には無限の乳房のような水源があり、末にはまた無限に包容する大海がある。この首尾を持ちつつ、その中間に於ての河なのである。そこには無限性を蔵さなくてはならない筈である。
こういうことは、誰でも知り過ぎていて、平凡に帰したことだが、この家の娘が身を賭けるようにして、河上を探りつつ試みたあの土俗地理学者との恋愛の話の味い、またその娘が遂に流れ定って行った海の果の豊饒を親しく見聞して来た私には、河は過程のようなものでありながら、しかも首尾に対して根幹の密接な関係があることが感じられる。すればこの仄かな河明りにも、私が曾て憧憬していたあわれにかそけきものの外に、何か確乎とした質量がある筈である──何かそういうものが、はっきり私に感じられて来ると、結局、私は私の物語の娘の性格の更生に、始めから私の物語を書き直す決意にまで、私の勇気を立至らしめたのである。
底本:「昭和文学全集 第5巻」小学館
1986(昭和61)年12月1日初版第1刷発行
底本の親本:「岡本かの子全集 第四卷」冬樹社
1974(昭和49)年3月18日初版第1刷発行
初出:「中央公論」
1939(昭和14)年4月号
※疑問箇所の確認にあたっては、底本の親本を参照しました。
※「木下はなお南洋の海に就いて語り続ける。」は、底本でも、底本の親本でも改行天付きになっています。
入力:阿部良子
校正:松永正敏
2004年1月30日作成
2013年10月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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