半七捕物帳
張子の虎
岡本綺堂



     一


 四月のはじめに、わたしは赤坂をたずねた。

「陽気も大分ぽか付いて、そろそろお花見気分になって来ましたね」と、半七老人は半分あけた障子の間からうららかに晴れた大空をみあげながら云った。「江戸時代のお花見といえば、上野、向島、飛鳥山あすかやま、これは今も変りがありませんが、御殿山ごてんやまというものはもう無くなってしまいました。昔はこの御殿山がなかなか賑わったもので、ここは上野と違って門限もない上に、三味線でも何でもいて勝手に騒ぐことが出来るもんですから、去年飛鳥山へ行ったものは、今年は方角をかえて御殿山へ出かけるという風で、江戸辺の人たちは随分押し出したもんでした。それに就いてもいろいろお話がありますが、きょうはお花見が題じゃあないんですから、手っ取り早く本文に取りかかることにしましょう。しかしまんざらお花見に縁のないわけではない。その御殿山の花盛りという文久二年の三月、品川の伊勢屋……と云っても例のばけ伊勢ではありません。お化けが出るとかいうのが売り物で、むかしは妙な売り物があったもんですが、それが評判で化伊勢と云って繁昌した店がありました。そのお化けの伊勢屋とは違います。……そこの店で二枚目を張っているお駒という女が変死した。それがこのお話の発端ほったんです」


 お駒はことし二十二の勤め盛りで、眼鼻立ちは先ず普通であったが、ほっそりとした痩形の、いかにも姿のいい女で、この伊勢屋では売れっのひとりに数えられていた。かれが売れっ妓となったのは姿がいいばかりでなく、品川の河童天王かっぱてんのうのお祭りに自分の名を染めぬいた手拭を配ったばかりでなく、ほかにもっと大きい原因があって、宿場女郎とはいいながら、品川のお駒の名は江戸じゅうに聞えていたのであった。

 彼女がそれほど高名になったのは、あたかも一場の芝居のような事件が原因をなしているのであった。万延元年の十月、きょうは池上いけがみ会式えしきというので、八丁堀同心室積藤四郎がふたりの手先を連れて、早朝から本門寺界隈かいわいを検分に出た。やがてもう五ツ(午前八時)に近いころに、高輪たかなわの海辺へさしかかると、葭簀よしず張りの茶店に腰をかけて、麻裏草履を草鞋わらじ穿きかえている年頃二十七八の小粋な男があった。藤四郎はそれにふと眼をつけると、すぐ手先どもにあごで知らせた。

 藤四郎の眼にとまったの男は、石原の松蔵という家尻やじり切りのお尋ね者であった。かれは詮議せんぎがだんだんに厳しくなって来たのを覚って、どこへか高飛びをする積りであるらしい。飛んだところで思いも寄らない拾い物をしたのを喜んだ手先どもは、すぐにばらばらと駈けて行って、彼のうつむいている頭の上に御用の声を浴びせかけると、松蔵は今や穿こうとしていた片足の草鞋を早速の眼つぶしに投げつけて、腰をかけていた床几しょうぎを蹴返してった。それと同時に、かれの利腕ききうでを取ろうとした一人の手先はあっと云って倒れた。松蔵はふところに呑んでいた短刀をぬいて、相手の横鬢よこびんを斬り払ったのであった。眼にも止まらない捷業はやわざに、こっちは少しく不意を撃たれたが、もう一人の手先は猶予なしに飛び込んで、刃物を持ったその手を抱え込もうとすると、これも忽ち振り飛ばされた。そうして左の眉の上を斜めに突き破られた。

 一人は倒れる。ひとりは流れる血潮が眼にしみて働けない。今度は自分が手をくだす番になって、藤四郎はふところの十手の服紗ふくさを払った。御用と叫んで打ち込んで来る十手の下をくぐって、松蔵は店を駈け出した。片足は草履、片足は草鞋で、かれは品川の宿しゅくをさして逃げてゆくのを、藤四郎はつづいて追った。藤四郎はもう五十以上の老人であったが、若い者とおなじように駈けつづけて、品川の宿まで追い込んでゆくと、松蔵ももう逃げおおせないと覚悟したらしい、急に振り返って執念ぶかい追手おってに斬ってかかった。

 両側の店屋では皆あれあれと立ち騒いでいたが、一方の相手が朝日にひかる刃物を真向まっこうにかざしているので、迂闊うかつに近寄ることも出来なかった。短刀と十手がたがいにくうを打って、二、三度入れ違ったときに、藤四郎の雪駄せったは店先の打ち水にすべって、踏みこらえるひまもなしに小膝を突いた。そこへ付け込んで一と足踏み込もうとした松蔵は、俄かによろめいて立ちすくんだ。頭の上の二階から重い草履がだしぬけに飛んで来て、かれの眼をしたたかにったのであった。立ちすくむ途端に、かれの足は藤四郎の十手に強く打たれた。これ以上は説明するまでもない。松蔵の運命はもう決まった。

 草履のぬしは伊勢屋のお駒であった。かれは朝帰りの客を送り出して、自分の部屋を片付けていると、表に捕物があるという騒ぎに、ほかの朋輩たちと一緒に表二階の欄干に出てみると、あたかもここの店さきで十手と短刀がひらめいている最中であった。かれらは息をのんで瞰下みおろしていると、捕手の同心が打ち水にすべって危うく倒れかかったので、お駒は思わず自分の草履を取って、一方の相手の顔に叩きつけた。その眼つぶしが効を奏して、おたずね者の石原の松蔵は両腕に縄をかけられたのである。この時代でも捕方とりかたに助勢して首尾よく罪人を取り押えたものにはお褒めがある。その働き方によっては御褒美も下されることになっていた。ましてお駒は男でない、いやしい勤め奉公の女として、当座の機転で罪人を撃ち悩まし、かみに御奉公を相勤めたること近ごろ奇特きどくの至りというので、かれは抱え主附き添いで町奉行所へ呼び出されて、銭二貫文の御褒美を下された。

 遊女が上から御褒美を貰うなどという例は極めて少ない。殊にそれがいかにも芝居のような出来事であっただけに、世間の評判は猶さら大きくなった。一度は話の種にお駒という女の顔を見て置こうという若い人達も大勢あらわれて、お駒を買いに来る者と、ほかの女を買ってお駒の顔だけを見ようという者と、それやこれやで伊勢屋は俄かに繁昌するようになった。それはお駒が二十歳はたちの冬で、それから足かけ三年の間、かれは伊勢屋の福の神としていつも板頭いたがしらか二枚目を張り通していた。そのお駒が突然に冥途へ鞍替えをしたのであるから、伊勢屋の店は引っくり返るような騒ぎになった。土地の素見ひやかし大哥あにいたちも眼を皿にした。

 お駒は寝床のなかで絞め殺されていたのであった。それは中引なかびけ過ぎの九ツ半(午前一時)頃で、その晩のお駒の客は三人あったが、本部屋へはいったのは芝源助ちょう下総屋しもうさやという呉服屋の番頭吉助で、かれは店者たなものの習いとして夜なかに早帰りをしなければならなかった。いつもの事であるから相方あいかたのお駒も心得ていて、中引け前にはきっと起して帰すことになっていたのであるが、その晩はお駒も少し酔っていた。吉助も酔って寝込んでしまった。吉助は夜なかにふと眼をさまして、喉がかわくままに枕もとの水を飲んで、それから煙草を一服すったが、二階じゅうはしんと寝静まって夜はもう余ほど更けているらしい。これは寝すごしたと慌てて起き直ると、いつも自分を起してくれるはずのお駒は正体もなく眠っていた。

「おい、お駒。早く駕籠を呼ばせてくれ」

 云いながら煙管きせるを煙草盆の灰吹きでぽんと叩くと、その途端に彼は枕もとに小さい物の影が忍んでいるのを発見した。うす暗い行燈あんどうの光りでよく視ると、それは黄いろい張子の虎で、お駒の他愛ない寝顔を見つめているように短い四足よつあしをそろえて行儀よく立っていた。宵にこんな物はなかった筈だがと思いながら、彼はそれを手に取ってながめると、虎は急に眼がさめたように不格好な首を左右にふらふらとゆるがした。しかしお駒は醒めなかった。彼女はいつのまにか冷たくなって永い眠りに陥っているのであった。それを発見した吉助は張子の虎をほうり出して飛び起きた。彼はふるえ声で人を呼んだ。

 大勢が駈け集まってだんだん詮議すると、お駒は何ものにか絞め殺されていることが判った。正体もなしに酔いしていた吉助は、そばに寝ているお駒がいつの間に死んだのかを知らないと云った。しかし一つ部屋に居合わせた以上、かれは無論にそのかかり合いを逃がれることは出来ないで、諸人がうたがいの眼は先ず彼の上に注がれた。場所といい、事件といい、主人持ちの彼に取っては迷惑重々であったが、よんどころない羽目はめと覚悟をきめたらしく、かれは検視の終るまでおとなしくそこに抑留されていた。

 伊勢屋の訴えによって、代官伊奈半左衛門からの役人も出張した。夜のあける頃には町与力まちよりきも出張した。品川は代官の支配であったが、事件が事件だけに、町方も立ち会ってかたのごとくに検視を行なうと、お駒はやはり絞め殺されたものに相違なかった。

 かれの首にはなんにも巻き付いていなかったが、おそらく手拭か細紐のたぐいで絞めたものであろうと認められた。本部屋にいた吉助は勿論、名代みょうだい部屋にいたお駒の客ふたりは高輪の番屋へ連れてゆかれた。


     二


「半七。一つ骨を折ってくれ。伊勢屋のお駒にはおれも縁がある。不憫ふびんなものだ。早くかたきを取ってやりてえ。何分たのむ」

 半七は、八丁堀同心室積藤四郎の屋敷へ呼び付けられて、膝組みで頼まれた。藤四郎はおとどしの一件があるので、お駒の変死については人一倍に気を痛めているらしい。それを察して半七も快く受け合った。

「かしこまりました。精いっぱい働いてみましょう」

 半七はすぐに引っ返して品川の伊勢屋へ行った。かれは若い者の与七を店口へよび出して訊いた。

「どうも飛んだ事が出来たね。名物のお駒を玉無しにしてしまったというじゃあねえか」

「まったく驚きました」と、与七もしおれ返っていた。「御内証でもひどく力を落としまして、まあ死んだものは仕方がないが、せめて一日も早くそのかたきを取ってやりたいと云って居ります」

「そりゃあ誰でもそう思っているんだ。取り分けてかみから御褒美まで頂戴している女だから、草を分けても其の下手人を捜し出さにゃあならねえ。ところで、素人染しろとじみたことを云うようだが、そっちにはなんにも心当りはないかえ」

「それで困っているんです。なんと云っても下総屋の番頭さんに目串めぐしをさされるんですが、あんな堅い人がよもやと思うんです。気でもちがえば格別、別にお駒さんを殺すようなわけもない筈ですから」

「そりゃあはたからは判らねえ。一体その番頭というのはどんな奴だえ」

 与七の説明によると、下総屋の番頭吉助はもう四十近い男で、酒は相当に飲むが至極おとなしいたちの上に、金遣いも悪くないので、お駒も大事に勤めている馴染客であった。三月になってゆうべ初めて来たので、お駒と別に喧嘩をしたらしい様子もなく、いつもの通りおとなしく寝床にはいったのである。一緒に寝ている女の死んだのを知らないというのは、いかにもうしろ暗いようにも思われるが、酔い倒れていたとあれば無理はない。おそらく二人が正体もなく寝入っているところへ、何者かが忍び込んでそっとお駒を絞め殺したのではあるまいかと与七はささやいた。商売柄だけに彼の鑑定もまんざら素人しろうとでないことを半七も認めた。

「そこで、ここのうちでお駒と一番仲のいいのは誰だえ」

「お駒さんは誰とも美しく附き合っていたようですが、一番仲好くしていたのはおさだという下新造したしんのようでした。お定はちょうど去年の今頃からここへ来た女で、お駒さんとは姉妹きょうだいのように仲好くしていたということです。それですからお定は今朝から飯も食わずにぼんやりしていますよ」

「じゃあ、そのお定をちょいと呼んでくれ」

 眼を泣きらしたお定が店口へおずおずと出て来た。お定は二十五六で、色のあさ黒い、細おもてのりきんだ顔で、髪の毛のすこし薄いのをきずにして、どこへ出しても先ず十人なみ以上には踏めそうな中年増ちゅうどしまであった。半七からお駒の悔みを云われて、かれは涙をほろほろとこぼしながら挨拶していた。

「お前はお駒と大変仲好しだったというが、今度の一件について何か思い当ることはねえかね」

「親分さん。それがなんにもないんです。わたくしはまるで夢のようで……」と、お定はしゃくりあげて泣き出した。

「そりゃあ困ったな。お駒の枕もとに何か張子の虎のようなものが置いてあったというが、そりゃあほんとうかえ」

 お定は黙って泣いていると、与七はそばから代って答えた。

「ありました。小さい玩具おもちゃのようなもので、それは御内証にあずかってあります。お目にかけましょうか」

「むむ、見せて貰おう」

 半七はあがり口に腰をおろすと、与七は一旦奥へ行ったが又すぐに出て来て、ともかくもこちらへ通ってくれと招じ入れた。奥へ通ると、主人夫婦はくもった顔をそろえて半七を迎えて、かの張子の虎というのを出してみせた。虎は亀戸かめいどみやげの浮人形のたぐいで、背中に糸の穴が残っていた。半七はその小さい虎を手のひらに乗せて、その無心にゆらぐ首をしばらくじっと眺めていたが、やがてそれを膝の前にそっと置いて、煙草を一服しずかに吸った。

「この虎はお駒の物じゃあないんですね」

「お駒の部屋にそんな物はなかったようです」と、主人は答えた。「お駒に限らず、この二階じゅうで誰もそんなものを持っていた者はないと申します。どこから誰が持って来たのか、一向にわかりません」

「ふうむ」と、半七も首をかしげた。「だが、これは大切な品だ。これがどんな手がかりにならねえとも限りませんから、どこへかしっかり預かって置いてください」

「大切におあずかり申して置きます」

 それから与七に案内させて、半七は二階中をひと廻り見てあるいた。表二階から裏二階へまわって、お駒の部屋も無論にあらためた。部屋は三畳と六畳との二間ふたまつづきで、六畳の突き当りは型のごとく欞子窓れんじまどになっていた。去年の暮あたりに手入れしたらしい欞子はそのままになっていて、外から忍び込んだ者があるらしくも見えなかった。それでも念のために窓から表をのぞくと、伊勢屋の店は海側で、裏二階の下はすぐに石垣になっていた。品川の春の海はちょうど引き潮で、石垣の下には潮に引き残された瀬戸物のこわれや、粗朶そだの折れのようなものが乱雑にかさなり合って、うららかな日の下にきらきらと光っていた。

 遠目とおめの利く半七は欞子にすがってしばらく見おろしているうちに、なにを見付けたか急に与七を見かえって訊いた。

「お駒の草履は何足なんぞくあるね」

「二足ある筈です」

「それはみんな揃っているかえ」

「揃っている筈です」

「そうか。いろいろ気の毒だが、今度は裏口へ案内してくれ」

 裏梯子を降りて裏口へまわって、半七は石垣の上に立った。かれは足の下をもう一度みおろして、それから石段を降りて行った。なにをするのかと与七は上からのぞいてみると、半七はうず高い塵芥ごみのあいだを踏み分けて、大きいごろた石のかげから重ね草履の片足を拾い出した。かれは湿しめった鼻緒をつまみながら与七にみせた。

「おい、よく見てくれ。こりゃあお駒のじゃあねえか」

「さあ」と、与七は覗きながら考えていた。

「親分さん」

 上から呼ぶ声がするので見あげると、お定も二階の欞子れんじから覗いていた。

「お前もこの草履を知っているか」と、半七は下から声をかけた。

「待ってください。今そこへ行きますから」

 お定は欞子のあいだから姿を消したかと思うと、やがて、裏口へ廻って来て、その草履をひと目見るとすぐに又泣き出した。

「これはお駒さんのです。あの人がわたくしに一度見せたことがあります。それはお駒さんが大切にしまって置いた草履です」

「むむ、あれか」と、与七もうなずいた。「なるほど、そうです。きっと、あのときの草履でしょう」

 それは室積藤四郎が石原の松蔵を召し捕ったときに、お駒が二階から投げつけた草履であると、二人は代るがわる説明した。奉行所から御褒美を賜わって稀代の面目を施したお駒は、一生の宝としてその草履を大切に保存して置いた。お定の話によると、お駒はそれを水色縮緬ちりめん服紗ふくさにつつんで、自分の部屋の箪笥の抽斗ひきだしにしまって置いたのを、去年の暮の煤掃すすはきの時にうやうやしく持ち出して見せたことがある。それは随分穿き古したもので、女郎の重ね草履といえばどれもこれも一つ型であるが、鼻緒のれ工合などに確かに見おぼえがあるとお定は云った。

「だが、まあ念のためにお駒の部屋を調べてくれ」

 半七は二人を連れて再び裏二階へあがって行った。お駒の部屋にはたった一つの箪笥がある。その四つ抽斗の二つ目の奥から水色縮緬の服紗だけは発見されたが、草履は果たして紛失していた。何者かがその草履をぬすみ出して、欞子窓から海へ投げ込んだに相違ないとは、誰でも容易に想像されることであるが、半七が発見したのはその片足で、ほかの片足のゆくえは判らなかった。

「たびたび気の毒だが、もう少し手伝ってくれ」

 与七を下へ連れ出して、半七は彼にも手伝わせて石垣の下をこんよく探しまわったが、草履の片足はどうしても見付からなかった。おおかた引き潮に持って行かれたのであろうと、与七は云った。そうかも知れないと半七も思った。片足は大きい石のかげにつかえていたために引き残された。そんなことがないとも云えないと思いながら、半七の胸にはまだ解け切らない一つの謎が残っていた。しかし、もうこの上には詮議のしようもないので、かれは鼻緒のゆるみかかった草履の片足を与七に渡して帰った。

「これも何かの役に立つかも知れねえ。しっかりとあずかって置いてくれ」


     三


「草履の片足はとんだ鏡山かがみやまのお茶番だが、張子の虎が少しわからねえ」

 半七は帰る途中で考えていたが、それから番屋へ行って聞きあわせると、下総屋の番頭吉助はなにを調べられても一向に知らぬ存ぜぬの一点張りで押し通しているのと、かれのふだんの行状が悪くないということが確かめられたのとで、ひと先ず主人預けとして下げられた。名代みょうだい部屋に寝ていた他の二人も、やはり主人あずけで無事に下げられたとのことであった。

 あくる日、半七は八丁堀へ出向いて、きのう取り調べただけの結果を報告すると、藤四郎はなるべく早く調べあげてくれと催促した。半七は承知して帰って、子分の多吉をよんで何事かを耳打ちすると、多吉は心得てすぐに出て行った。

 それから三日目である。花どきの癖で、長持ちのしない天気はきのうの夕方からなま暖かくくもって、夜なかから細かい雨がしとしとと降り出した。早起きの半七がまだ顔を洗っている明け六ツ(午前六時)前に、伊勢屋の与七が息を切ってたずねて来た。

「親分、又いろいろのことが出来しゅったいしました」

「与七さんか。早朝からどうしたんだ。まあ、こっちへあがって話しなせえ」

「いえ、落ち着いちゃあいられないんです」と、与七は上がりがまちに腰をおろしながら口早にささやいた。「ゆうべの引け四ツから、けさの七ツ(午前四時)頃までのあいだに、うちのお浪というのが駈け落ちをしてしまったんです」

「お浪というのはどんな女だ」

「お駒の次で、三枚目を張っている女です。ふだんから席争いでお駒とはあんまり折り合いがよくなかったようですが、お駒の方が柳に受けているので、別にこうという揉め捫著もんちゃくも起らなかったんです。そのお浪が急に姿をかくしたには何か訳があるんだろうから、とりあえず親分にお報らせ申せと主人が申しましたので……。それにもう一つおかしいことは、主人が確かにおあずかり申した筈の張子の虎、あれも何処へか行ってしまったんです。いや、張子の虎が自然にあるき出す筈はないんですが、誰が持ち出したものか、影も形もなくなってしまったんです」

「一体どこへしまって置いたんだろう」

「ほかの品と違って、まあ、早く云えばお駒の形見かたみのようなものだというので、御仏壇に入れて置いたんだそうです」

「仏壇か。悪いところへ入れて置いたものだ」と、半七は舌打ちした。「が、まあ仕方がねえ。そこで、それはいつ頃なくなったんだ」

「それが判らないんです。なにしろきのうの夕方までは確かにあったというんですから、その後になくなったものに相違ないんです」

「なるほど」と、半七は眉を寄せた。「そこで、そのお浪という女には悪い足でもあるのかえ」

「どうも確かな見当が付かないんですが、ふだんから少し病身の女で、勤めがいやだと口癖に云っていました。けれども時が時で、おまけに張子の虎がなくなっているもんですから、なんだかそこがおかしいので……」

「まったくおかしい、なにか訳がありそうだ。ほかにはなんにも紛失物はないんだね」

「ほかには何もないようです」

「よし、判った。それもなんとか手繰たぐり出してやろうから、主人によくそう云ってくれ」

「なにぶん願います」

 与七は雨のなかを急いで帰った。材料はいつも三題噺さんだいばなしのようになる。重ね草履と張子の虎とお浪の駈け落ちと、この三つの材料をつなぎあわせて、半七はしばらく考えていた。商売上のねたみか、又はなにかの遺恨で、お浪がお駒を絞め殺したと仮定する。宿場しゅくばかせぎの女郎などは随分そのくらいのことは仕兼ねない。相手を殺して素知らぬ顔をしていたが、なにぶんにも気が咎めるので、とうとう居たたまれなくなって逃げ出した。それも随分ありそうなことである。しかし張子の虎が判らない。お浪が何のためにそれを盗み出したか。この理窟が考え出せない以上は、謎はやはりほんとうに解けないのであった。

 午過ぎになって、多吉がきまりの悪そうな顔を見せた。かれの探索は半七の註文通りになかなか運ばないのであるが、その一部だけはどうにかこうにか洗い上げて来て、親分の前へ報告した。

「いや、御苦労。それで大抵あたりは付いたが、もうひと息のところだ。踏ん張ってやってくれ」と、半七は更になにかの注意を彼にあたえて帰した。

 日が暮れるころに半七は伊勢屋へゆくと、お定は入口に立っていた。

「今晩は」と、かれは半七を見るとすぐに挨拶した。

「とうとう降り出したね」と、半七は傘のしずくを払いながら云った。「お浪がまた駈け出したというじゃあねえか」

「ほんとうにいろいろのことが続くので、なんだかいやな心持でなりません。うちの人たちはお浪さんが殺したのだなんて云っていますけれど……」

「そりゃあ間違いだ。そんなことがあるもんじゃねえ」と、半七は笑いながら打ち消した。

「そうでしょうか」と、お定はまだ不安らしい顔をして、相手の眼色をうかがっていた。

「そうじゃあねえ。お浪がなんで人殺しなんかするもんか」

「そうでしょうね」と、お定は僅かにうなずいた。

「まあ、待っていねえ。今にかたきを取ってやるから」

「どうぞおたのみ申します」

 お定は襦袢じゅばんの袖口で眼をふいていた。それをあとに見て半七は奥へ通ると、主人夫婦はいよいよ顔をくもらせていた。お浪の駈け落ちや張子の虎の詮議がひと通り済んだあとで、半七は主人を慰めるように云った。

「なに、もう御心配にゃあ及びません。もう見当は大抵ついています。あのお定という新造は通いですか。うちはどこですえ」

「すぐ二、三軒さきの酒屋の裏で、洗濯ばあさんの二階を借りています」と、主人夫婦は答えた。

「じゃあ、わたしはこれからその留守宅を調べに行きますから、本人にも知らさないようにして置いてください」

「お定になにか御不審があるんですか」と、女房はびっくりしたようにいた。

「いや、まだ確かに判りません。まあ、ちょいと行って見ましょう」

 半七はしずかにって出て行ったが、それから小半ときも経たないうちに、手拭に巻いた片足の草履を持って来た。かれは与七を呼んで、この間あずけて置いた草履の片足を取り寄せた。それとこれとを主人の眼の前でならべてみると、一足の草履がたしかに揃った。

「その片足がお定のうちにあったんですか」と、与七は眼をみはった。

「わけはあとで話す」と、半七は笑った。「それよりも先にお定に用がある。そこらにいるなら、早く呼んでくれ」

「今しがたお客があったので、二階へ行っている筈ですが……」

 なんだかけむにまかれたような顔をして、与七はあたふたと出て行った。迂闊うかつに口を出すわけにも行かないので、主人夫婦はおしのように黙っていた。お駒が形見の草履を前にして深い沈黙がしばらく続いた。

「親分。お定は見えませんよ。二階じゅうをさがしても何処にもいないんです」

 与七が声をひそめて訴えて来ると、半七は持っていた煙管を思わず投げ出した。

「畜生、素捷すばやい奴だ。よもや家へ帰りゃあしめえが、まあ念のために行ってみよう」

 かれは急いで伊勢屋を出て、ふたたび酒屋の裏をたずねると、お定はさっきから一度も姿を見せないとのことであった。半七は更にあるじの婆さんにむかって、このごろお定がどこへか出たことがあるか、また彼女かれをたずねて来た者があるかと詮議すると、お定は毎月一度ずつ千住の方へ寺参りにゆくほかには滅多に何処へも出かけたことはないらしい、訪ねて来る人も殆ど無い。たった一度、今から一と月ほど前にお店者たなものらしい四十格好の男がたずねて来て、お定を門口かどぐちへ呼び出して何かしばらく立ち話をした上で、ふたりが一緒に連れ立って出て行ったことがあると、婆さんは正直に話した。半七はその男の人相や風俗をくわしく訊いて別れた。

 宿しゅくの入口の小料理屋へはいって、半七は夕飯を食った。それから源助町の方角へ足を向けるころには、雨ももうんでいた。尻を端折はしょって番傘をさげて、半七は暗い往来をたどってゆくと、神明前の大通りで足駄の鼻緒をふみ切った。舌打ちをしながら見まわすと、五、六軒さきに大岩おおいわという駕籠屋の行燈あんどうがぼんやりとともっていた。ふだんから顔馴染であるので、かれは片足を曳き摺りながらはいった。

「やあ。親分。いい塩梅あんばいにあがりそうですね」と、店口で草履の緒を結んでいる若い男が挨拶した。「どうしなすった。鼻緒が切れましたかえ」

「とんだ孫右衛門よ」と、半七は笑った。「すべって転ばねえのがお仕合わせだ。なんでもいいから、切れっぱしか麻をすこしくんねえか」

「あい、ようがす」

 店の炉のまわりに胡坐あぐらをかいていた若い者が奥へはいって麻緒を持って来ると、半七はかまちに腰をおろした。

「親分、わたしがげてあげましょう」

「手をよごして気の毒だな」

 若い者に鼻緒をすげさせながら不図ふとみると、ひとりの男が傘を半分すぼめて、顔をかくすように門口かどぐちに立っていた。半七は傍にいる若い者に小声でいた。

「ありゃあ何処の人だ。馴染かえ」

「源助町の下総屋の番頭さんです」

 半七の眼は光った。主人預けになっている筈の彼が夜になって勝手に出あるく。それだけでも詮議ものであると思ったが、半七はわざと見逃がして置いた。

「そうして、これから何処へ行くんだ。宿しゅくかえ」と、かれは再び小声でいた。

「なんだか大木戸まで送るんだそうです」

 そう云っているうちに、一方の若い者の支度は出来て、かどに忍んでいる番頭は駕籠に乗って出た。雨あがりの薄い月がその駕籠の上をぼんやりと照らしていた。

「おい、おれにも一挺頼む。あのあとをそっとけてくれ」

 相手が相手であるから若い者はすぐに支度して、半七をのせた駕籠は小半町ばかりの距離を取りながら、人魂ひとだまのように迷ってゆく駕籠の灯を追って行った。前の駕籠が大木戸でおろされると、半七も下りた。駕籠屋を帰して、かれはぬかるみを足早に歩き出した。鼻緒をすげてしまうのを待っている間がなかったので、かれは大岩の貸し下駄を穿いていた。

 今夜はもう五ツ(午後八時)を過ぎているので、海辺の茶店はまっていた。北から数えて五つ目の茶店の前で、下総屋の番頭吉助は立ちどまってそっと左右を見まわした。かれはいつの間にか頬かむりをしていた。


     四


「ふだんと違って今の身分だから、店をぬけ出すのは容易じゃない。これでも神明前から駕籠で来たのだ」

「でもどんなに待ったか知れやしない。あたしはきっと欺されたのかと思っていたのよ。だましたら料簡りょうけんがあると覚悟していたんだけれど……」

 それが女の声であるので、半七ははらのなかでほほえんだ。かれは葭簀よしずのかげに忍んで、隣りの茶店の奥の密談を一々ぬすみ聴いていた。

「それで、これからどうしようというのだ。どうしてもうしちゃあいられないのか」

「随分いろいろに趣向もして見たけれど、向うに荒神こうじん様が付いているんでね。今夜という今夜はもうどうにもしようがないと見切りをつけて、おまえさんのところへ駈け付けた訳なんですから、その積りで度胸を据えてくださいよ」

「だが、うっかり姿を隠したら猶々なおなおこっちに疑いがかかる訳じゃあないか」と、男はまだ躊躇しているらしく答えた。

「それがいけない。それが未練よ」と、女はれるように云った。「疑いがかかるどころじゃない。もうすっかりと種をあげられてしまったんだから、うろうろしちゃあ居られないんですよ。お前さん、鈴ヶ森で獄門にかけられて、沖の白帆でも眺めていたいのかえ」

「よしてくれ。聞いただけでも慄然ぞっとする。そりゃあ私だってこうなったら仕方がない。そうして、これからどこへ行く積りだ」

駿府すんぷざいにちっとばかり識っている人があるから、ともかくもそこへ頼って行って、ほとぼりの冷めるまで麦飯で我慢しているのさ。お前さん、どうしてもいやかえ」

「いやという訳じゃあないが、毒食わば皿で、そう度胸を据えるくらいならば、こっちにもまた路用や何かの都合もある。五両や十両の草鞋銭わらじせんでうかうか踏み出すのはあぶないからね」

「五両や十両……」と、女は呆れたように云った。「お前さん。たったそれぎりかえ。だから、さっきもあれほど念を押して置いたんじゃありませんか。嘘、きっと嘘に相違ない。お前さん、もっと持っているんだろう。お見せなさいよ」

「いや、まったく十両と纒まっていないのだ。じゃあ、こうしてくれないか。ここに八両と少しばかりある。これだけ持って、おまえは一と足さきへ行ってくれないか。わたしは一旦家へ帰って、後金あとがねを都合してから追っ掛けて行く。なに、嘘じゃあない、きっと行く」

「いけない、いけない」と、女は嘲るように又云った。「そんなことを云ってうまく誤魔化して、十両にも足りない手切れ金で、あたしをていよく追っ払おうとしても、そうは行きませんよ。あたしのような者にこまれたのが因果で、あたしは飽くまでもお前さんを逃がしゃあしませんよ」

「いや、決してそんな訳じゃあないが、まったく五両や十両じゃあしようがない。いや、隠しているんじゃない。疑うなら出してみせる」

 話し声はひとしきり途切れて、暗いなかで金をかぞえているらしい音が微かにきこえたかと思うと、だしぬけに床几しょうぎの倒れるような物音が響いた。つづいて男の唸り声もきこえたので、半七は隣りの葭簀よしずを跳ねのけて出ると、出あいがしらに女と突き当った。女は転げるように往来へ駈けぬけてゆくのを、半七は跣足はだしになって追いかけた。二、三間のうちに追い付かれて、食いついたり、引っ掻いたりして必死に反抗した女は、とうとう泥だらけになって土の上に引き伏せられた。かれはいうまでもない、お定であった。

 吉助は茶店のなかにくびられていた。お定は番屋へ引っ立てられると、もう尋常に覚悟を決めてしまったらしく、何もかも素直に白状した。

 お定は以前板橋いたばしで勤め奉公をしていた者で、かの石原の松蔵の情婦であった。土地の大尽だいじんを踏み台にして身請みうけをされて、そこから松蔵のところへ逃げ込んで、小一年も一緒に仲よく暮らしているうちに、男は詮議がだんだんむずかしくなって来たので、女にも因果をふくめて、一旦江戸を立退たちのこうとするところを、高輪で室積藤四郎の手に捕われた。それに加勢して草履を投げた伊勢屋のお駒は御褒美を賜わった。その評判が江戸じゅうに伝わると、お定は男の不運を悲しむと共に、伊勢屋のお駒を深くうらんだ。捕り方は役目であるから是非もないが、素人のお駒が要らざる加勢をしたために、男は遂に逃げ損じたのである。彼女は松蔵が死罪ときまった日に、お駒に対する根強い復讐の決心をかためた。男の死体をひそかに引き取って、自分の菩提寺にそっと埋葬して貰って、その命日にはかならず参詣していた。

 相手が勤めの女である以上、かれに近寄るには伊勢屋へ入り込むよりほかはないので、勤めあがりのお定はすぐに下新造したしんに住み込むことを考えた。伝手つてを求めて伊勢屋の奉公人になってから、彼女は努めてお駒の気に入るように仕向けて、やがて姉妹きょうだい同様に親しくなった。彼女は松蔵の顔に投げ付けたという大切の重ね草履をお駒にみせて貰った。こうして仇に近寄る機会は十分に作られたのであるが、彼女は更にどういう手段を取るべきかを考えた。なにをいうにも人目の多い場所であるのと、自分の犯跡をくらましたいという弱味があるので、彼女は容易に手をくだす機会を見いだし得ないで苛々いらいらしているうちに、彼女に取っては都合のいい相手があらわれた。それは下総屋の番頭の吉助であった。

 吉助はお駒の馴染客であるので、無論にお定とも心安くしていた。心安いばかりでなく、それしゃあがりのお定の年増姿がかれの浮気を誘い出して、お駒がほかの座敷へ廻っているあいだに、時々に飛んだ冗談を云い出すこともあった。胸に一物いちもつあるお定は結局かれになびいて、宿しゅくの或る小料理屋の奥二階を逢曳きの場所と定めていた。客のひとりを自分の味方に抱き込んで置かないと、目的を達するのに不便だということを彼女はふだんから考えていたからである。こうして先ず味方が出来た。しかもその味方が三月十二日の夜、月こそ変れ松蔵が召捕られた当日に遊びに来たので、今夜こそはとお定は最後の覚悟をきめて、座敷の引けない間に努めて吉助とお駒とに酒をすすめた。

 二階じゅうが大抵寝静まった時刻をうかがって、お定はそっとお駒の部屋へ忍び込んだ。正体なく眠っている仇の枕もとへ這い寄って、そこに有り合わせた細紐で力まかせに絞め殺した途端に、そばに寝ていた吉助が眼をさました。おどろいて声を立てようとするのを彼女は制して、このことは決して他言してくれるなと泣いて頼んだ。余人でないお定の頼みに、気の弱い吉助は当惑した。彼は迷惑でもあり、また恐ろしくもあった。もし他言すれば、わたしの口ひとつでお前もきっと同罪におとしてみせるとお定は泣きながら彼をおどした。吉助はもう頭がくらんでしまって、結局お定の指尺さしがね通りに動くことになった。お定は箪笥のひきだしから服紗につつんだの草履を取り出して、その片足を欞子窓から海へ投げ込んで、残る片足を袖の下にかかえて立ち去った。それから少し間を置いて、吉助はふるえ声で人を呼んだ。

 こうして、復讐の目的も遂げた。犯罪の痕跡もどうやらこうやら晦ましたのであるが、お定の不安はまだ容易に去らなかった。海に投げ込んだ草履の片足を半七に発見された時に、彼女は自分の潔白をよそおうために、わざとお駒の物であることを証明したが、どうもそれでも落ち着いていられないので、さらに苦しい知恵を絞り出して、お駒とは比較的仲のよくないお浪という女をそそのかした。彼女はお浪がふだんから病身に悩んでいるのを幸いに、うまくそそのかして駈け落ちさせて、あたかもお浪がその犯人であるかのように疑わせ、事件をいよいよこぐらかそうと試みたが、その小細工も失敗に終ったらしく、半七は飽くまでも自分に眼をつけているらしいので、うしろ暗い彼女はもう居たたまれなくなった。

 彼女は江戸を立ち退くについても路銀が必要であった。もう一つには、吉助があとで何をしゃべるかも知れないという不安もあるので、彼女は吉助に路銀を才覚させて、一緒に連れて逃げるつもりで、下総屋からそっと吉助をよび出して、今夜高輪で落ち合う約束をして来たのであるが、相手は思ったほどの金を持って来なかった。さりとて自分の秘密を知っているたったひとりの彼を、江戸に残して置くのはどうも不安に堪えないので、お定は不意に自分の手拭を相手の首にまきつけて、お駒とおなじように押し片付けてしまった。

「亭主のかたきを取ったら、なぜ神妙に名乗って出ない」

 奉行所でこう訊問された時に、かれは涙をながして答えた。

「わたくしが此の世に居りませんと、もう誰も松蔵の墓参りをしてくれる者がございませんから」

 夫のかたきを討つ……この時代に於いては大いに憐愍れんびんの御沙汰を受くべき性質のものであった。事情によっては或いは無罪になるかも知れなかった。しかしかれは罪人の妻で、人を恨むのは逆恨さかうらみである。殊にかみに対して御奉公を相勤めた伊勢屋のお駒を殺したのである。お駒ばかりでなく、吉助までも手にかけている。その罪重々であるというので、お定は引廻しの上で獄門にさらされた。


「これまでにも密訴したものに仕返しをするということは時々ありましたが、それは悪党の仲間同士に限ることで、召捕りの助勢をした素人に対して仕返しをするなどというのは珍らしいことですよ」と、半七老人は云った。「殊にそれが女だから驚きます。今までの話で大抵お判りでしたろうが、わたくしは最初からお定に眼をつけていたんです。石垣の下で拾ったお駒の草履は、その鼻緒の曲がった足癖と、底の減りぐあいとで、右の足に穿き慣れたものだということがすぐに判りました。お駒が松蔵に投げたのは左の草履で、その肝腎の左の方が見えなくなって、右のだけが捨ててあるのはちっとおかしい。潮に引き残されたなら論はないが、さもなければ何か草履に縁のある……つまり松蔵に縁のある奴がお駒に仕返しをして、右の足だけをそこに打っちゃって置いて、左の方だけを持って行ったんじゃないかと、わたしはふっと考え出したんです」

「そこで、張子の虎の方はどうなんです」と、わたしはいた。

「お駒の枕元に置いてあった張子の虎、これも松蔵になにか縁があるんじゃないかと、子分の多吉に云いつけて奉行所の申渡書を調べさせると、石原の松蔵は天保元年の庚寅かのえとら年の生まれということが判りました。寅年の男と、張子の虎、これもなるほど縁がある。こうなると松蔵になにか引っかかりのある奴がお駒を殺して、松蔵の位牌いはい代りに張子の虎を置いて行ったのじゃないかと鑑定されます。この二つの証拠が揃ったので、もっぱら松蔵にかかり合いのある奴を探索にかかりましたが、下手人げしゅにんはどうも外から入り込んだ形跡がない。その晩の客か、家内の者か、その判断がよほどむずかしいのですが、お定という下新造がお駒と特別に仲良くしていたというのがかえって疑いのかかるもとで、もう一つには、松蔵が処刑になった後から伊勢屋に住み込んだものはお定一人しかないというのが手がかりで、だんだんその身分を洗いあげているうちに、前にお話し申したような順序で、とうとう本人を引き挙げてしまったんです。伊勢屋の仏壇にしまって置いた張子の虎は、やはりお定が盗み出したもので、ほとぼりのさめた頃にそっと松蔵の墓に埋めて来る積りであったそうです。いよいよ処刑になる時に、当人が最後の願いを聞きとどけられて、お定は紙でこしらえた数珠じゅずのはしに其の小さい虎をぶら下げて、自分の首にかけながら引き廻しの馬に乗せられました」

底本:「時代推理小説 半七捕物帳(三)」光文社文庫、光文社

   1986(昭和61)年520日初版1刷発行

   1997(平成9)年51511刷発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:網迫

校正:おのしげひこ

2000年1019日公開

2004年31日修正

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