義民甚兵衛
菊池寛



人物

 農夫     甚兵衛   二十九歳 甚しき跛者

 その弟    甚吉    二十五歳

 同      甚三    二十二歳

 同      甚作    二十歳

 甚兵衛の継母 おきん   五十歳前後

 隣人     老婆およし 六十歳以上

 庄屋     茂兵衛

 村人     勘五郎

 村人     藤作

 一揆の首領  甲

 同      乙

 刑吏、村人、一揆、その他大勢

 文政十一年十二月

 讃岐国香川郡弦打村


          第一幕


甚兵衛の家。藁葺きの、大なれども汚き百姓家。左に土間、土間につづいて台所の右は八畳の居間、畳も柱も黒く光っている。入口の柱には、金比羅大神宮の大なる札を貼っている。その札も、黒くくすぶっている。八畳の奥は部屋のあることを示している。家財道具はほとんどなし。

母屋の左に接近して、一棟の建物がある。かぎられて、牛小屋と納屋とになっている。牛はいない。

幕開く。甚作と甚三とが、家の前庭で、「前掻き」と称する網をつくろっている。(方形の形をして柄が付いている。小溝の鮒や泥鰌どじょうすくうに用いるもの)しばらくすると、母のおきんが、母屋と牛小屋との間から、大根を二本さげて出てくる。冬の日の黄昏たそがれ近し。


おきん 畜生! また大根を二、三本盗みやがった! 作、今度見つけたら背骨の折れるほど、どやしつけてやれ! どこのどいつやろう。

甚作 新田のごんが、昨日夕方裏の畑のところを、うろうろしていたけに、あいつかも知れんぞ。飢饉で増えたのは畑泥棒ばかりじゃ。

おきん 大根やって、今年は米の飯よりも大事じゃ。百本ばかりある大根が、冬中のおもな食物くいものじゃけになあ。

甚三 おかあ、木津の藤兵衛の家じゃもう食物くいものが尽きたけに、来年の籾種にまで、手を付けたというぞ。

おきん 藤兵衛が家でけ。ええ気味じゃ。藤兵衛のかかあめ、俺がいつか小豆一升貸せいうて頼んだのに、貸せんというてはねつけやがったものな。

(おきん、台所へ入り水を汲んで大根を洗っている。隣家の老婆、およし入ってくる。ぼろぼろの着物を着て、瘠せはてている)

およし 甚作さんたち、何しているんでや。

甚作 これから、魚掬いに行くんじゃ。

およし お前の所じゃ、まだそななことができるから、ええな。わしの所じゃ、老人としより夫婦で泥鰌一匹捕ることやてできやせん。食べるものは、もう何にもなしになってしもうた。

甚三 およし婆さん。羨むなよ。これでな、二人で一日中小溝を漁ってもな、細い泥鰌の二十匹も取ればええ方じゃぞ。

およし そうかな。

甚三 この近所じゃ、銘々で取り尽して、川には、小鮒一つやて、おりゃせんわ。山には、山の芋どころか、のびるだって、余計は残っておらんぜ。

およし もう一月もしたら、何食うやろうぜ。

甚三 おおかた壁土でも食っているやろう。

甚作 滝の宮の方じゃ、もう松葉食うとるだ。

およし 民百姓がこなに苦しんどるのに、お上じゃまだ御年貢を取るつもりでいるんじゃてのう。

甚作 御年貢米の代りに、人間の乾干しを収めるとええぞ。

およし 明和の飢饉じゃて、これほどではなかったのう。

甚作 あの時には、お救い小屋が立ったというじゃないか。

およし そうじゃ、そうしゃ。わしもな、お救い小屋のお粥をもろうたがなあ。ひどい飢饉じゃったけれどもな、今度ほどは困らなかったぞ。みんな、お上がよかったからじゃ。御家老様が、偉い御家老様だったでな。お蔵米を惜しげもなくお下げになったのじゃ。

甚三 今度は、お蔵米どころか、こちらを、逆さにして鼻血まで、搾り出そうとしている。

およし わしもなあ、長生きしたおかげで、食うや飲まずの辛い目にあうことじゃ。

    (ふと、この家に来た用向きに気がついて、いいにくそうに)おきんさん。わしゃ、お頼みがあって来たんじゃがな。

おきん (すぐ警戒するような顔をして)何じゃ! 

およし あのな、えらいいいにくい頼みじゃがな。お前とこの大根を、一本貸してもらえんかな。

おきん (黙っている)……。

およし 村中で、みんな羨んどる。おきんさんところじゃ、よう大根作ったいうてな。飢饉で何もできなかったのに大根だけはようできた。おきんさんは、よう気がついたいうてな。

おきん (大根を大切そうに包丁で、切りながら)おぬしには、この朔日ついたちにも一本貸してやったな。

およし ああそうそう。わしもよう覚えているでな。御時世がようなったら、十倍にも百倍にもして返そうと思っとるんじゃ。じゃけどな、おきんさん、わしはたびたび無心いいとうはないんじゃけどな、家のじじいがな、二、三日前から、わずらいついてな。……食うものも食わんのじゃけに、わずらいつくのも当り前じゃがな。それでな、青物が食いたい食いたいいうて口ぐせのようにいうとるのでな。何ぞ、食べられるような草があるかと思うてな、野面を走り回ったけれども、冬の真ん中じゃで何もないんじゃ。わしの亭主、助けると思うてな。大根一本融通してくれんかな。御時世が直ったらな。十本にでも百本にでもして返すけにな……。

おきん (黙って大根を鍋に入れる)……。

およし なあ、おきんさん、わしたち、助けると思ってな。

おきん (冷然として)まあ、堪忍してもらおうけな。

およし (おどろいて)ええ何やと。

おきん 御時世が直って、大根を一車返してもらうより、今の一本の方が大事じゃけにな。

およし (弱々しき反抗で)えろうまあ、無慈悲なことをいうのう。

おきん いわいでかのう。この時節に、食物のことでは、親子兄弟でもな、血眼になっとるんじゃ。

およし 大根一本が、それほど惜しいかのう。

おきん ふふむ。何いっているだ。おぬしの方が、それほど欲しがっているじゃないか。この頃では甚吉の家の大根いうてな、みんな評判してな。一本でも二本でも盗もうとしてるんじゃ。家中うちじゅう、代り番こに、ねず番しとるんじゃ。一朱銀の一つも持ってくるがええ。大根の一本や二本くれてやるけにな。

およし (憤然として)人情を知らんのにもほどがあるのう。

おきん 何いってるぞ。この時節に、人情だの義理だのいっとると、乾干しになって死んでしまうわ。本津もとつの義太郎を見いな。米俵、山のように積んであっても、一合一勺だってこっちに恵んでくれたかのう。一石百五十匁もしたら、売ろうと思っとるんじゃないか。こちとらのような、水呑百姓が大根一本だって、人にくれられるけ。無駄口利かんと、早う帰ったらええわ。

甚作 (見かねて)おっ母。そなな無愛想なことをいわんで、一本ぐらい貸してやれな。まだ一みねはあったんじゃないか。

おきん 何、いらんことをいうのじゃ。みんなお前たちが可愛いけに、大根の一本も惜しむんじゃないか。ぐずぐずいわんと、早う出かけて泥鰌の一匹でもよけい取って来い。

甚三 甚作行こう。およし婆さ。家のおっ母、一刻者じゃけに、いい出したら、後へ引かんけにな、今日は諦めて帰るとええわ。

およし 何が、一刻者じゃ。生死塚のばばあのように、欲の深いやつじゃ。(帰りかけて)今にみろ、あたしたちが飢えて死ぬときには、うんとこさと呪ってやるからな。

おきん ええわ。なんぼなと呪え。おぬしのようなおいぼれに呪われたって、何の悪いことがあるもんけ。

およし 業つくばばめ。

おきん おいぼれめ。おぬしたち早う飢えて死ねよ。それだけ、穀がのびて、他の者が助かるわ。

およし (口惜しがっし)女子おなごのくせに、よう無慈悲なことがいえるな。ええわ、ええわ。今に思い知らせてやるけに。(退場する)

おきん この大根と粟とで、春まで命をつなぐんじゃ。一本だって、他人にやって堪るけ。

(大根を入れた鍋を、かまどにかけ火を点ける)

甚三 じゃ、おっ母、行って来るぞ。

おきん ああ行って来い!

(二人の兄弟、「前掻き」と魚籠とを持って出て行く。入れ違いに村人勘五郎、慌しく入ってくる)

勘五郎 おきんさん。甚吉どんはおらんかのう。

おきん おらん。今朝、早うからな、落松葉をな、お城下へ売りに出たよ。

勘五郎 落松葉を、うむ、そななものでも金になるけ。

おきん 百にもならねえだ。それでもな、粟の二合や三合は買えるけにな。

勘五郎 甚三も甚作もおらんかのう。

おきん 二人ともおらん。何ぞ用け。

勘五郎 おっ母、恐ろしいことが起ったぞ。綾郡あやごおり二十三カ村に、御年貢御免を嘆願の一揆が起ったぞ。

おきん なるほどのう。一揆でも起ろうぞ。ええ気味じゃ。

勘五郎 それでな、だんだんお城下の方へ押し寄せてくるいうのじゃ。

おきん なるほどのう。

勘五郎 それでな、もう端岡はしおかまでは来とる、いう噂じゃけに、この村でも、加担するか加担せんか、今のうちにめとこうていうてな、八幡さまで、村の若い衆の集りがあるのじゃ。

おきん 恐ろしいことになったのう。

勘五郎 一揆もええがのう、後が悪いからのう、あんまり、有頂天になってやっとると、後ではりつけじゃからのう。

おきん 恐ろしい、恐ろしい。飢えて死ぬと磔とどちらがええじゃろ

勘五郎 じゃ、俺は、急ぐけにな、みんな帰ったら、よこしてくれんかのう。村の集りにはずれると後が悪いぞ。

おきん ええわ、わかった。甚三と甚作とを探して、すぐやるけにな。

勘五郎 じゃ、ええか。暮六つまでには、集るんじゃぞ。

(勘五郎去る。おきん、不安らしく考え込みたる後兄弟をたずねるべく、つづいて退場する。──間──牛小屋に物音がする。やがて、この家の長男の甚兵衛が、そこから現れる。つぎはぎした膝までしか来ない着物を着ている。憔悴している。右脚はなはだしく短く、ちんばを引く。ひそかに周囲を見回したる後、台所に忍び寄り、鍋の蓋を開け、まだ半煮えの大根を、がつがつ貪り食う。しばらくすると、背負籠を肩にしたる次男甚吉、表から帰って来る。兄が大根を食っているのを見つける)

甚吉 何するだ! この泥棒猫め!

(兄の襟筋を掴み引きずり出す)

甚兵衛 (やや愚鈍らしく)われこそ何するだ! 何するだ!

甚吉 おのれ、おっ母の目をかすめて盗み食いをしやがる。われに、大根を食わせてたまるけ。

甚兵衛 わしやて、大根食いたいだ。この大根作ったのは俺じゃ。

甚吉 何を世迷言いうだ。作ったのは、われでもな、このうちや、畑はおれの物じゃぞ。この畑にできるものはみんな俺の物じゃぞ。

甚兵衛 何いうだ。新田の藤兵衛伯父がいうた。われは長男じゃけにな、みんなわれの物じゃいうて。

甚吉 (激しくこづき回しながら)不具者かたわもののくせに何いうだ。爺さんが、生きていたときに、庄屋様に願うて家屋敷とも俺の物になっているのだ。われは牛小屋でくすぶってりゃいいんだ。不具者のくせに、出しゃばるなよ。(激しくこづき回す)

甚兵衛 (激怒し)おっ母と兄弟三人とで共謀しやがって、長男のわしの物をみんな取っているのだぞ。このうちの縁の下の塵までわしの物じゃ。

甚吉 何を、阿呆くさいことをいいやがるんじゃ。

(さらに激しく、こづき回す。甚兵衛、こづかれながら手を振り上げて、甚吉の顔をつ)

甚吉 おのれ、ちゃがったな。

(二人激しく格闘す。甚兵衛も、絶えず圧迫されながら、抵抗をつづける。そこへ母と一緒に兄弟二人帰ってくる)

甚三 吉兄い。どうしたんじゃ。

甚吉 (甚兵衛を押えながら)この不具者めがな、今鍋の大根を、盗んで食うていやがるんじゃ。それでな俺が怒鳴りつけるとな、俺に食ってかかりゃがってな、俺の顔を殴ちゃがったんじゃ。

おきん 本当けい。この阿呆のど不具かたわめ。大根やこしお前の口へ入るものじゃねえだぞ。お前なんかに、粟の飯一杯も惜しいけどな、同じ人間の皮ぶってるけにな、毎日一杯ずつ恵んでやっとるんじゃ。それを有難いとも思わんでようもようも盗み食いしやがった。吉、根性骨にしみるほどどやしつけてやれ。

甚三 おっ母、昨日畑の大根取ったのもこいつかも知れんぞな。

おきん そうじゃ。そうじゃ。それに違いない。みんなして、牛小屋の中へ追い込んでな。

甚兵衛 (まったく抵抗力を失いながら)なんぼ不具じゃとて長男の俺を牛小屋へ住わせて、粟の飯たった一杯ずつあてごうて……。

おきん 何いうぞ。この飢饉の時節に、粟の飯一杯じゃとて、惜しいぞ。吉、その頬げた一つひねってやれ。

(甚吉は、いわれた通りにする)

甚兵衛 ああ痛い! 痛い!

おきん さあ、皆して、ほおり込んでしまえ! これからは、粟の飯ももったいないや。水だけでたくさんじゃ。

(三人は、母にいわれたごとく甚兵衛を手込めにして、牛小屋へ入れる)

甚兵衛 どうするだ! 何するだ! われたち! この兄をどうするだ!

甚吉 何が、兄だい! われのような不具の阿呆を誰が兄に持つものけ。

甚兵衛 どうするだ! どうするだ!

甚三 (次兄に加勢しながら)ええ、黙って、この中にすっこんでおれ!

甚作 (同じく手を貸して、担ぎ上げながら、二人の兄のよりは、やや優しく)盗み食いやこしするけに、こなな目にあうのじゃ。おとなしゅう、小屋の中へ入っているがええぞ。

(三人、もがいている甚兵衛を、牛小屋の中へ担ぎ込んでしまう)

甚兵衛 何するだ! どうするだ。(叫びながら、担ぎ込まれる)

おきん 出られないように戸を閉めて、しんばり棒、こうとけ。明日から粟の飯一杯もやらんぞ。(やや声を低めて)今時、死んだとて、誰も不思議がりゃせんわい。

(甚吉、戸を閉め、棒を探してきて、しんばり棒をかう。この前より、周囲がようやく暗くなり始める)

おきん 吉、きいたか。綾郡に一揆が起ったということを。

甚吉 きいたとも。御城下でえらい騒ぎじゃ。香東川の堤で、早馬に二度も行き会うたぞ。

おきん それでのう、御城下に押し寄せる道筋じゃけに、この村へも追っつけ来るでのう、加担するか加担せんか評議するためにのう、八幡様で暮六つから集りがあるから来いいうてな、勘五郎どんが、ふれて来たぞ。

甚吉 一揆の加担人かとうどか。こんな時、下手まごつくと首が飛ぶし、それかというて、後込しりごみしとると一揆からひどい目にあうしのう。

おきん とにかく、行って来るがええぞ。それでのう、身をたしなんで、出しゃばらんがええぞ。先ばしりしてわしに心配させるでねえぞ!

甚吉 じゃ、ぼつぼつ行こうか。

おきん 飯食うてからにせい。評定が、長びくかも知れんけに。

甚吉 ああ、ど不具めと、取り組み合うて、えらいことお腹を空かせたぞ。

おきん (台所へ入り、鍋の蓋を開けて見て)あの阿呆め! 三切れも、食いやがった。われらに、一切れずつやろう思っていたら、当らんようになったぞ。

(兄弟三人、台所に腰をかけ、粟飯を茶碗に盛りながら、大根を鍋よりはさみ出しながら食う)

甚三 一揆も、やっているときは、景気がええがのう。後でまた、はりつけや打首が二、三十人はあるべい。

おきん 触らぬ神に、崇りなしじゃ。なるべくなら、誰も出んで済むとええがのう。

甚作 そうもなるまい。村で加担するとなると、家では若い者が揃っとるけにのう、一人二人は出ねばなるまい。

(この前より、周囲がほの明るく騒がしくなる。遠方が、火事でもあるように明るくなる。雑音がだんだん高くなる。遠い寺の鐘が鳴り始める)

甚作 (駆け出しながら)なんやろう。なんやろう。火事かしら。向うが真っ赤じゃ。

甚吉 ええ、なんじゃと。(出てくる)ほほう。赤いな。どうしたんじゃろう。どこぞで火事を出したのか知らん。

おきん ええ、火事じゃと。(出てくる)

(甚三も出てくる。親子四人とも、遠方を見て、不安に襲われる。寺の鐘激しく鳴る。牛小屋の戸がガタガタ動く)

甚兵衛の声 開けてくれ! 開けてくれ!

甚吉 阿呆め! お前は、そこですっこんでおれば、ええじゃ。

(村中が、ますます明るくなる。人声が嵐のように高まってくる。犬がけたたましく吠える。寺の鐘が殷々いんいんと鳴る。甚作駆け出す。やがて帰ってくる)

甚作 (蒼くなって、帰ってくる)えらいこっちゃ! えらいこっちゃ。街道筋は一面の炬火たいまつじゃ。

甚吉 え、なんじゃと。

(このとき、「一揆じゃ! 一揆じゃ! 一揆が来たぞ!」という、叫びが遠く近く聞えてくる)

おきん ああとうとう、来たんじゃのう。恐ろしいことになったのう。

甚三 御城下を、夜討ちにするじゃのう。

おきん まさか、こちとらに、仇はしやすまいのう。

甚吉 何、そなな心配があるもんか。一揆はこちとらの味方じゃないか。

おきん われら、みんな隠れとれ! 加担人させられたら、後が難儀じゃけに。

甚吉 まだ、ええ。まだ、ええ。こっちへ来るのには間がある。

(このとき、村人の一人、あわただしく駆けてくる)

甚吉 おおわれや、藤作じゃねえか。

藤作 おお。この村も、加担じゃぞ。ええか。一軒で一人ずつ、人数を出すんじゃぞ。ええか。炬火たいまつと竹槍とを用意しとげ。ええか。後から、一揆の統領が回って来るけにな。

甚吉 (蒼白になりながら)合点じゃ。

藤作 加担の村が、二百十二カ村になったぞ。夜更けにお城下へ押し寄せて、御家老たちの家を叩き壊すいうとるぞ。はよう、用意せい。ええか。わかったか。

甚吉 わかった。わかった。

(藤作、駆け去る)

おきん (狼狽しながら)どうしよう。どうしよう。

甚吉 仕方がねえ。わし行くぞ。

おきん 阿呆いうな。後嗣あとつぎのお前に万一のことがあったらどうするんじゃ。われは行くんじゃねえ。

甚三 兄貴は、家にいるがええ。わしが行くだ。わしが。

おきん われも行くでねえ。加担して、後で打首にでもなったら、どうするだ。

甚三 そなな心配がいるもんけ。何万という人数じゃもの。ただついて行っただけで打首になんか、なって堪るけい。

(急に炬火の火が近づいてくる。一揆らが近づいてきた物音がきこえる。寺の鐘、段々と鳴りつづける)

おきん こちらへ来るだ。こちらへ来るだ。われら、みんな隠れとれ。おっ母が、ええようにするだ。わしに委しとけ。わしが、ええようにするだ。わしが、われら、誰も行かんでええようにするけに。

甚吉 阿呆いうな! おっ母のような年寄、委しとけるけ。

おきん ええ、黙っとれ、お前らは。入っとれいうたら、入っとれ。入っとれ。

(おきん、息子たち三人を押し込むように、奥に入れる。そして、台所へ行く。出刃包丁を持って、母屋と牛小屋の間から奥底へ行くと、炬火の薪と手頃の竹竿を持って出てくる。先端を、出刃でとがらせる。それから、牛小屋の戸のしんばり棒をはずす。このとき、覆面をし手槍を持った一揆の首領二人、炬火を持った多くの一揆に囲まれながら、出てくる。村人勘五郎が、案内している)

勘五郎 (首領に)へえ。この家にも男手が、ございまする。

首領の一人 わしは、綾郡さる村に住む郷士じゃ。今度諸人助けのために、御年貢米御免の嘆願の一揆を起した者じゃ。同心か不同心か、どちらじゃ。同心するにおいては道々、所々在々の大百姓の家を叩き壊して、金銀米穀を分けてやる。

他の一人 同心なら、同心の印に加担人一人を出せ。不同心ならすぐこの家を叩き壊す。その方たちを打ち殺す。どちらじゃ。

おきん (震えながら)へえい、へえい。同心でございますとも。わしたち小百姓には、救いの神様でござります。ありがとうございます。おありがとうございます。加担人を出しますとも。(牛小屋の前へ進み戸を開ける)おお、甚兵衛、お前、そなな所へ隠れていないで出てこいや。何も恐いことありゃせん。わしたちの難渋を救うて下さる神様じゃ。早う出てこい。

(甚兵衛の手を掴んで引きずり出す)

おきん さあ! これを持ってな。このお方たちの後からついて行け!

(竹槍と炬火を渡す)

甚兵衛 わしは恐い。わしは恐い。

おきん 何をいうぞ。お前、ぐずぐずいうたら、竹槍で突き殺されるぞ。(竹槍を強いて押し付けながら)はよう、しっかり持たんけいな。

甚兵衛 わしゃ恐い。恐い。

首領の一人 臆病者め! 恐がることはない。一揆の人数は綾郡宇多郡を合せて、五万三千人じゃ、なんの恐いことがあるものか。

おきん うんと叱ってもらいたいでのう。これは生れつきの臆病者でな。(甚兵衛に)さあ、しゃんとして行って来い。この方々について行くと、白い飯が、なんぼでも食べられるぞ。

(甚兵衛、その言葉に少しく元気づき、三、四歩歩く)

首領の他の一人 その者は、不具者かたわものじゃないか。

おきん なんの不具者でもな、山や野良の働きは人一倍でな。他人の二倍もの仕事しまするでな。ちんば引いても走るのは、人一倍じゃぞな。

勘五郎 おきんさん、甚吉は、どうしただ。

おきん さっきもいうたじゃないか。御城下へ松葉売りに行ってな、まだ帰って来んのう。

首領の一人 不具者でもよい。詮議していては手間どる! さあ、次の家へ案内されい。

勘五郎 さあ、こちらへおいでなさい。

首領の他の一人 (甚兵衡に)後からついて来い。ははははは、山本勘介というちんばの軍師が昔あった。お前もうんと働いてくれ、はははは。その代り、白い飯でもなんでも食わしてやるぞ。(歩き出す)

甚兵衛 (やや遅れて恨めしげに)わしを打首にするつもりかの。

おきん 何をいうだ! お前に、たんと、白い飯を食わしてやりたいのじゃ。はようとっととついて行け!

(甚兵衛、愚鈍な顔にも、母親を恨めしげに見返りながら、竹槍を杖について、よたよたと出てゆく。おきん、胸を撫で下しながら、後を見送っている。兄弟三人、奥の問から出て母親の後へ、そっと忍んでくる)

甚吉 おっ母! 

おきん おおびっくりした。

甚三 うまくやったなあ、おっ母。

おきん ははははは。

甚吉 ほんまにうまくやったの。あの不具者が、竹槍をついて、ちんば引き引きついて行くのを考えると、吹き出したくなるのう。

おきん あはははは。あの不具者も、二十九になるまで養うてやった甲斐があったのう。思わん役に立ったわ。この一揆で御年貢は御免になるわ。米もやすくなるわ。わちとら親子は高処たかみから一揆を見物しているわ。ああうまいことした。甚作、厄逃れのお祝いに、神棚へお灯明であげいよ。

甚作 一揆の大将がいうとった。昔山本勘介いうて、えらい軍師があったというてのう。けどおっ母の方が、もっと偉い軍師じゃのう。

おきん どうじゃ。年が寄っても、こななものじゃ。ははははは。

兄弟三人 あはははは。

甚吉 あの不具者め。あははははは。

親子四人 あははははははははは。

──幕──


          第二幕


第一幕より、十日ばかりを経たるある日の夜、弦打村庄屋茂兵衛の家の広間。村人たち縁側にも庭にも満ちている。座敷には、ところどころに百目蝋燭が燃えている。庭には、篝火が三カ所ばかりに焚かれている。人数の割合に静粛である。みんな不安と恐怖とに囚われているのがわかる。


村年寄甲 (縁側に立って見回しながら)もう皆集ったかのう、本津もとつの吾作は来たか。

村人一 来ただ。ここに来ているぞ。

村年寄甲 新田の新吉は見えんのう。

村人二 まだ来とらんが、さっき来るときに誘うとな、山へ行っとるけに、帰ったらすぐよこせるいうたぞ、かかが。

村年寄乙 上笠居の甚兵衛が、見えんぞな。

村人三 うん。甚兵衛どんが、来とらん。

村人四 あなな気の毒な人、来いでもええじゃないか。

村人五 また、あなな阿呆来たとて、しようがない。

村人六 阿呆阿呆いうない。少し阿呆じゃけになお可哀そうじゃないか。

村人七 そうじゃ。阿呆じゃけど、ええ人じゃ。義母や兄弟たちにいじめられるので、いよいよ阿呆になるんじゃ。

村人六 そうじゃとも、長い間、苛めぬかれたでのう。家や田畑は、弟に取られるしな、食物もろくろく食わせらんし、なんぞ口答えすると、弟三人がよってたかって打擲ちょうちゃくするんじゃもの。

村人五 けど、阿呆じゃもの、しようがないわ。

村人六 阿呆でも、長男は長男じゃものな。

村人八 死んだ甚七は、あまりおきん婆に甘かったから、いかんのじゃ。

村人六 そうじゃ。死んだじじいもわるいんじゃ。だがのう今度の一揆にやってあのおきん婆の仕打ちはどうじゃ。足腰のたっしゃな息子が三人もあるのにな。自分の息子は出さんでな。常日頃、苛めぬいとる甚兵衛どんを出すんじゃものな。

村人七、八、四 そうじゃ。そうじゃ。ひどい仕打ちじゃ。

村人六 わしゃ、何も知らん甚兵衛どんが、竹槍杖ついて、ちんば引き引きついて来るのを見ると、涙がこぼれたぞな。

村人七 おらも、可哀相で見ておられなんだぞ。勘五郎どん、お前どうしただ。お前が一揆の大将を、甚兵衛どんの家へ案内したいうじゃないか。なんで、この家には、足腰のたっしゃな若い者が三人もいると、いってやらんのじゃ。

勘五郎 そら、後から気のつくことじゃ。わしも、竹槍を差しつけられて案内しとるんじゃろう。命がけじゃないか。早う、案内役を逃げたい思う一心で、何でも早う済めばよいと、思うとったけにのう。

村人七 ほんとうに、あのおきん婆、一揆の大将に頼んで、突き殺してもらいたかったのう。

村人四、六、八 ほんまじゃ。ほんまじゃ。

村人七 考えても、腹が立つでのう。

勘五郎 だが、庄屋どんや名主どんは遅いのう。

村年寄甲 なんぞ、難儀なことになっとるかも知れんぞう。

村年寄乙 松野八太夫様が、馬から落ちくぜた所が、もう半丁も向うだとよかったんじゃ。あすこの地蔵堂の所が、村境じゃけにな。ほんの半丁ぐらいの違いで、この村に難儀がかかるんじゃ。

村人八 お上も、無理じゃないか。郡奉行様が一揆に殺されたのが弦打村の地境の内だからというて、弦打村から下手人を出せというて、あんまり聞えんじゃないか。

村年寄乙 じゃけど、そうでもせな、下手人が出んのじゃ。下手人が出んと、お上の御威光にかかるけにな。

村人六 えらい、災難じゃのう。

勘五郎 ええことは、二つないわ。一揆のおかげで御年貢御免になったかと思うと、すぐこなな無理な御詮議じゃ。一昨日おととい、御坊川で一揆の発頭人も磔になったというから、下手人が出たら磔は逃れんのう。

(一座、しんとしてしまう。その時甚兵衛が、末弟の甚作と一緒に来る)

村人七 ああ甚兵衛どんが来た。甚兵衛どんが来た。

村人四 相変らず、にこにこしとるわい。あの人は、他人には、いつも愛想がええわ。

(甚兵衛、蒼白な顔に微笑をたたえ、皆にぺこぺこ頭を下げて、隅の方へ座る)

村人八 甚兵衛どん。遅かったのう。

甚兵衛 (黙ってうなずく)……。

(甚作、甚兵衛に寄り添うて座ろうとする)

村人七 甚作、わりゃ、何しに来ただ。

甚作 おっ母が、ついて行けいうけに。

村人七 何やって、おっ母がそんなことをいうんじゃ。今日の集りは、一揆について行ったものだけの集りじゃぞ。

甚作 じゃけどもな、おっ母が、兄やは少し足らんけにな、寄合の席へやこし、一人でやるのは、心元ないいうけにな。

村人七 えろう、勝手なこと、いいやがるやつじゃのう。そなな心もとない甚兵衛を、どうしてまた、一揆にやこし一人で出したんじゃ。あんまり、得手勝手なことをしていると天罰が恐ろしいぞと、おっ母にいってやれ。

甚作 (言葉もなく黙してしまう)……。

勘五郎 ほんまじゃ。おっ母にな、少しいってやれよ。あんまりひどいことをするとな、人間がゆるしても、神様が許さんていうてな。

(甚作は、顔をあからめて、さしうつむいてしまう。甚兵衛はにこにこ笑っている)

村人九 ああ、街道筋に提灯が見えるぞう。庄屋どんたちが、帰ったんじゃ。

村人十 おお見える。迎えに行こう。

(一座緊張して、待っている。やがて、迎えに行った村人が、悄然として帰って来る。それに続いて庄屋と名主とが銘々手錠を入れられ、郡奉行の役人たちに守られて、首をうなだれて帰って来る。一座仰天する)

村人たち (口々に)どうしたんじゃ。どななおとがめでそなな目におうたんじゃ。

村年寄甲 茂兵衛様、一体これはどうしたんじゃ。

茂兵衛 子細はあとでお話しする。まず、おしずまり下さい。

村年寄甲 おおしずまるとも。皆静かにせ。村の一大事じゃけに、みんな静かにしてくれ。

(村年寄たち、庄屋を庇うて、座敷へ上げ、郡奉行の役人たちを案内する。庄屋正面へ出る。村人たち、水を打ったように静かになる)

茂兵衛 (老眼をしばたたき一座を見回しながら)かような姿で、御一統にお目にかかり面目のうござる。

村人一 なんのそなな斟酌がいるもんけ。村のために、そなな身にならしゃったことはわかっているでな!

村人たち ほんまじゃ。ほんまじゃ。そなな会釈はいらんぞっ! それよりも早う、話しとくれ。

村年寄甲 しっ、静かに。

茂兵衛 そういわれては、なおさら面目ない。わしらの申し開き拙いによって、かように村中一統の難儀になったのじゃ。

村人一 庄屋どん、そななことよりも、今日の首尾、その手錠の子細を早う話してくれ! 気にかかってしようがないわ。

茂兵衛 そう、おせきなさるな。話すなというても、話さずにはおられんことじゃ。実はな今日新郡奉行かけい左太夫様のお役宅へ出たのじゃ。ところが、御奉行様の仰せらるるには、お上が今度の一揆に対しての御沙汰は恩威並びに行うという御趣意じゃと、こう仰せられるのじゃ。それでな、年貢米は、嘆願によって免除する代りに、一揆の発頭人は、一昨日御坊川で磔にした。また、松野八太夫様につぶてを打った下手人は、草を分けても詮議するとこう仰せられるのじゃ。

(一座から激しく嘆息がきこえる)

  それでな、御奉行様の仰せらるるには、一揆が香東川の堤にさしかかった時は、弦打村の百姓が、真っ先だろうとおっしゃるのじゃ。

村人たち (口々に)それや、嘘じゃ……なんぼ奉行様の仰せでも、それは間違うとる。大間違いじゃ。……大間違いじゃ。

(村人たち口々に打ち消す)

茂兵衛 まあ! 黙って聞いて下され。一揆の発頭人たちが、そう白状したと御奉行様が仰せられているのじゃ。

村人たち (銘々嘆息する)……。

茂兵衛 それにな。何より悪いことは、松野様が落馬あそばした所が、地蔵堂の手前で、まぎれものう弦打村の境内さかいうちじゃ。御奉行様もいわれるのじゃ。弦打村の者が先手にいたといい、松野どのの果てられたところが、村の境内といい、嫌疑がその方たちに懸るのを不祥と諦めいとこう仰せられるのじゃ。それでな、御奉行様内々の仰せでは、村中で評議して下手人を出すにおいては、褒美として、お救い米の高も、他所よりも心をつけてやるとこう仰せられるのじゃ。が、もし三日のうちに下手人が相知れぬにおいては、庄屋を初め名主、村年寄一統を下手人の代りに磔に上げるかも知れないぞ、とこう仰せられるのじゃ。

(嘆息嗟嘆の声高し)

茂兵衛 その上、詮議中その方たちに手錠を申し付けるという御沙汰で、この有様じゃ。(激しくしばたたく)それでな、わしが思うに、あの騒動中に誰の打ったつぶてが、松野様に当ったか、打った当人にもわかるものじゃないと思う。が、御一統のうちで礫を打った心覚えのある人は五人や十人はあると思う。その中でな、村の難儀を救ってやろうと思うお人は、名乗って出てもらいたいんじゃ。

(一同水を打ったように静まりかえってしまう)

茂兵衛 御一統のうちでな、礫を打った覚えのある人は、村一統を救うと思うてな、名乗り出てもらいたいんじゃ。

村年寄甲 難儀なことになったものじゃのう。

村年寄乙 恐ろしい災難じゃのう。

名主一 皆さん、今きかれる通りじゃ。御奉行様は、またこう仰せられた。下手人が、相知れぬときには、村一統の者をくくり上げて、あくまでも糺明するつもりじゃとのう。

(一同顔見合わせ蒼白になってしまう)

村人五 わしは、左の手に炬火を持ち、右の手に竹槍を持っていただけに、礫を投げようたって投げられやせなんだ。

村人二、三 わしやってそうじゃ。

村人四 わしやってそうじゃ。わしは、松野様のお馬が見えたとき、すこ飛びに逃げたわ。

村人七 わしは、またずっと後れていたけに、松野様のお馬はおろか御家中の姿やこし、まるで見かけなかったわ。

勘五郎 おいおいみんな、自分の身の明しを立てるよりも、今は村の難儀を考えるときじゃぞ。

藤作 そうじゃ、よういった。よういった。自分の身一つ逃れるよりも、村の難儀を逃れる工夫をするのが肝心じゃ。

茂兵衛 (それに力を得たごとく)そうじゃ、今勘五郎どのや、藤作どののいわれる通りじゃ。この村にお奉行様の姿を見かけて、石を投げ打つような、大それた暴れ者のおらんことは、わしが誰よりも、よう知っとる。が、時の災難で、不祥な嫌疑を受けたのを不運と諦めて、村一統を救うつもりで誰ぞ、名乗って出てもらいたいのじゃ。……(間)……そういったところで、おいそれと名乗って出られるものでない。命う放り出すのじゃけにのう。が、昔佐倉領の宗五郎様は、自分の命を投げ出して、百姓衆の命を救うたけに、今でも神様に祭られている。誰ぞ自分の身一つ投げ出し、村一統の難儀を救うてくれる人はないか。

(一座、寂として声なし。ただ、嗟嘆の声が洩れるのみ)

茂兵衛 御一統、誰も石を投げた仁はないか。

名主一 ええないか。誰ぞ、石を投げたものは、おらんか。石を投げた覚えのある人はその石が松野様にあたったと諦めて、名乗って出てくれ。

茂兵衛 どなたもないか。

(一座、顔を見合わすのみ。一人も声を発するものなし)

茂兵衛 それならば、しようがない。是非に及ばぬことじゃ。村一統知らぬ存ぜぬで、どなにひどい責苦にでもかかるのじゃ。その代り、みなもその覚悟してな、入牢じゅろうの腹を決めて下されな。わしも、ことによっては、磔にでもなんでもなる覚悟をするけにな。

(皆凄惨な気に打たれる。そして動揺して、口々に眩き出す)

村人五 藤作、わりゃ石投げたじゃねえか。

藤作 (驚いて)滅相もないこと、ぬかすな。われこそ真っ先に行ったけに、石投げたじゃねえか。

村人五 何をぬかす、この阿呆め。

藤作 お前こそ何ぬかすだ!

(二人まったく掴み合いになろうとして、傍人から止められる)

村年寄甲 誰ぞ村の難儀を救う人ないか。あの騒動のとき石投げた人はないか。

村年寄乙 村のために、誰ぞ出てくれい。誰ぞ出てくれ。

(一座また静まって声を発するものなし)

茂兵衛 じゃ、皆覚えがないというなら、わしゃ、そういってお奉行様に、お返事申し上げるほかはないぞ。念のためにもう一度だけ、きこう、あの騒動のときに、誰ぞ石を投げたものはないか。あの騒動のときに、誰ぞ石を投げたものはないか。石を投げた人は村のためじゃと思って出てくれ。

(甚兵衛は、最初より茫然として、人々の話をきいていない。ただ庄屋の最後の声が大きいので、ふと耳をかたむける)

村年寄甲 さあ、今じゃぞ、石を投げた覚えのある人は出てくれ。

村年寄乙 村を救うてくれるのなら、今じゃぞ。今出てくれんと、村はえらい難儀になるんじゃ。

(村年寄の絶叫する声を聞いて、甚兵衛むくむくと立ち上る。甚作驚いて制止しようとする)

甚兵衛 なんやと、騒動のときに、石を投げた者ないかいうのけ。

村年寄甲乙 そうじゃ。そうじゃ。

甚兵衛 (子供のごとく無邪気に)わしゃ投げたぞ。

村年寄村人たち ええ、甚兵衛どん。お前投げたか。

甚兵衛 投げたとも。わしゃ二つ投げたぞ。

村年寄村人たち ほんまか。ほんまか。(驚喜す)

甚作 (駆けよって)兄や、何いうんじゃ。

(おどろいて兄の口を制せんとしながらいう)

甚兵衛 (うるさそうに、弟をはねのけながら)ええ、あっちへいとれ。わしゃ、投げたぞ。おまけに、一つの方はこななでっかいやつじゃ。藤作どん。われも投げていたじゃないか。勘五郎どん、われも投げていたじゃねえか。

勘五郎 (愕然として)滅相な、わりゃ何をいうだ。

藤作 (同じく)ほんまじゃ。人違いして何いうだ。

甚兵衛 そうけ。人違いだったか。わしゃ皆投げていたけに、わしも真似して投げたんじゃ。

勘五郎 (なお震えながら)滅多なこというな。そりゃ、皆他村よその衆じゃ。

甚兵衛 そうけ。

甚作 兄や、わりゃ、何も知らないで、そななこというが、いうとたいへんなことになるぞよう。今の嘘じゃといえ、早ういえ!

甚兵衛 嘘じゃねえ。われこそ、何いうだ。早う家へ帰っとれ!

甚作 よし、帰っておっ母にいってやる。

(甚作飛ぶように駆け去る)

茂兵衛 甚兵衛どの、こっちへござっしゃれ。

甚兵衛 おうなんじゃ、庄屋どん。

茂兵衛 おぬし、石を投げたに相違ないか。

甚兵衛 おう、投げたとも。一つはこなにでっかいやつじゃ。

茂兵衛 誰を目当てに投げたんじゃ。

甚兵衛 誰彼なしじゃ。わしゃ、皆が投げていたけに一緒に投げたんじゃ。

茂兵衛 甚兵衛どの。おぬしは、この村の難儀を救うてくれるか。

甚兵衛 わしゃ、何がなんだか知らねえだ。

茂兵衛 おぬしが、松野様に石を投げたというてくれると、この村の者が、みんな助かるのじゃ。この村の者は、お前を神様のように、一生あがめるのじゃ。どうじゃ松野様に石を投げたというてくれるか。

甚兵衛 わしは、なんだか知らねえが、ええだとも。

村人たち (口々に)甚兵衛どん、拝みますぞ。拝みますぞ。お前さんの恩を、一生涯忘れんぞ。

甚兵衛 わしは、そういうてくれると、嬉しいだ。嬉しいだ。こなな嬉しいことは生れて初めてだ。

(快く微笑す)

茂兵衛 (役人たちの方へ向いて)おききの通りでござりまするが、この者が松野様に石を投げたに相違ござりませぬ。

役人 少し愚鈍の者と見えるが、申立てには誤りはあるまいな。

茂兵衛 愚鈍とは申せ、至って正直者にござりまする。

役人 よし、役所に召しつれて、よく調べるであろう。甚兵衛とやらに縄打て!

(この時、甚吉たち三人の兄弟、あわただしく駆けてくる)

甚吉 (甚兵衛に、飛びついて引き据える)この阿呆め! 何いうだ。何をろくでもないことを喋るんだ。親兄弟の首に、縄がかかるのを知らんのけ。

甚兵衛 何するんだ。何するんだ。わしゃ、石を投げたんじゃ。投げたんに違いないんじゃ。

甚吉 何ぬかす。この阿呆め!

(甚兵衛を叩こうとする。村人七、八止める)

村人七、八 何するんじゃ。仮にも、兄たるものに、手をかけるやっがあるけ。

甚吉 お前さんたちじゃ。お前さんたちじゃ。こなな阿呆のいうことを取り上げて、こなな阿呆を下手人にして、罪を逃れようとして。庄屋どんも、きこえんぞ。阿呆はええけど、阿呆につながる親兄弟の難儀をどうするんじゃ。

村人七 なんやと。こなな阿呆じゃと。そなな阿呆を、どうして一揆に出したんじゃ。おぬしのような利口な息子が三人もあるのに、そなな阿呆を何故一揆に出したんじゃ。甚兵衛が石を投げたというのも、みんな、お前たちが投げさしたんじゃないか。

甚吉 ええ、何をぬかす。お前たちが皆、よってたかってこの阿呆になすりつけたんじゃないか。

村人八 何ぬかす、そなな阿呆なら、なぜ一揆にやるんじゃ。

村人たち そうじゃ。そうじゃ。

甚吉 (甚兵衛に取りすがって)早う、いうたことを取り消せ。松野様に、石を投げたというと、お前磔じゃぞ。

甚兵衛 (さのみ驚かず)磔じゃとてええわ。村の衆が、みんな欣んでくれるんじゃもの。

甚吉 阿呆め! 俺のいうことをきいて、早う取り消せ。早う、取り消せ。お前のためにいってやるんじゃぞ。

甚兵衛 あははは。わしのため! あははは。わし二十九になるけど、お前がわしのために、ええことしてくれたこと一つもありゃせん。

甚吉 ええ何ぬかす。この阿呆め。……お庄屋様、お役人様。兄の申すことは、みんな嘘でな。こりゃ、阿呆じゃ。足らんのじゃ。こななもののいうこと、お取り上げになっては困りまする。お願いでござりまする。(座って狂気のように頭を下げる)

甚兵衛 (弟にならって頭を下げながら)お庄屋様、お役人様。ほんまじゃ。わしは、こななでっかい石投げたんじゃ。馬に乗ったお武士が来たけにのう、それを目がけて、こななでっかい石投げたんじゃ。

甚吉 何いうだ。この阿呆め。お前のような不具者に石が投げられるけ。

甚兵衛 何いうだ。お前は一揆について来んじゃもの。わしがしたことがお前にわかるけ……。わしゃこななでっかいやつを……。

甚吉 (兄に掴みかかる)何ぬかす……。(村人たち、甚吉を取り押える)

役人 その者は、何者じゃ。

茂兵衛 甚兵衛の弟では、ござりまするが、甚兵衛が愚鈍な者でござりますゆえに、このものが家を取っておりまする。

役人 甚兵衛は、重罪の嫌疑じゃほどに、親子兄弟も免れまい。(手下の捕吏に)あの者を召捕りおけ!

甚吉 それは、きこえません。それはきこえません。こなな阿呆のいうことをきいて。こなな阿呆が、お奉行様に石を投げ打つような、そなな大それた……。

甚兵衛 (縄にかかりながら)わしゃ、こななでっかいやつを……。

村人たち 甚兵衛どの、拝みますぞ。拝みますぞ。

甚兵衛 おおわしはな。こななでっかいやつを……。

役人 その弟どもを、召し捕れ。

甚吉 (口惜し泣きに泣きながら)わしたちまで、難儀をかけるのか。阿呆め! ど不具め!

甚兵衛 わしは、こななでっかいやつを……。(手で石の大きさを示そうとするが、もう両手が縛られて動かない)

村人たち 甚兵衛どん、拝みますぞ。拝みますぞ。みんな拝んでおりますぞ。

茂兵衛 甚兵衛どの。わしからも礼をいいますぞ。おぬしを決して見殺しにはしませぬぞ。御領分中の百姓衆の名前を借りて、きっと嘆願に出まするぞ。

甚兵衛 何をいうぞ。わしは皆の衆にそういわれると、ただうれしいだ。うれしいだ。

甚吉 (無念の形相で、睨みすえながら)この阿呆のど不具め!

甚兵衛 わしは、こななでっかいやつをな……。(くくられた手を動かそうとする)

(村人たちが感謝と賞嘆との声のうちに)

──幕──


          第三幕


第二幕より数日を経たる十二月の末。香東川原刑場。小石の多い川原に竹矢来が作られている。かなたに水の枯れた川原がつづき、背景に冬枯れた山が見える。木枯が川原を伝うて吹いてくる。幕開けば、初めは矢来の外側を見せ、次いで舞台を半回しして、矢来の内側を見せる。矢来の外には多くの見物が群集している。弦打村の庄屋、名主、年寄、村人たちもその中に交っている。


村人 庄屋どん。百余カ村の庄屋たちが連署の嘆願も、やっぱりむだじゃったかのう。

茂兵衛 わしゃ、そうきかれると面目ないがのう。お奉行様になんぼ泣きついても、むだじゃった。

名主 お上じゃ、誰でもかまわん。下手人を磔にして、御威光を見せれば、ええんじゃ。

村人二 なんぼ考えても、甚兵衛どんは可哀そうじゃ。あの時は、みなめいめいに、石を投げたんじゃけにのう。ただ甚兵衛どんだけが、正直でずけずけいうてしもうたんじゃけにのう。

村年寄 まあ、ええわ。わしゃ芝山の観音さんが、村中を助けて下さるために甚兵衛どんに乗り移ったんじゃと思うとるんじゃ。

茂兵衛 もう、なんぼ嘆いても取り返しがつかんわ。甚兵衛どんに死んでもろうて、その代り、後をようするんじゃ。

名主一 そうじゃ。後で村の神様に祭るんじゃ。

茂兵衛 祭るとも。祭るとも。ほんまに讃岐領の宗五郎様じゃ。義民のかがみじゃ。

村人三 それにな、ほかの人じゃったら、それにつながって、首打たれる親兄弟が、可哀そうじゃがのう。あのおきん婆や甚吉は、あんまり可哀そうじゃないわ。長年甚兵衛どんを苛めた罰じゃと思うと、かえって気色がええわ。

村人四、五 おおそうじゃ。それがあるわ。

村人六 わしはな、甚兵衛どんに食べてもらおうと思うてこななもの持って来たんじゃ。

(竹の皮に包んだ握り飯を見せる)

名主 おお、それゃええ思い付きじゃ、甚兵衛どんも飢饉で、ろくなもの食べとらんけに、欣ぶに違いないわ。

村人六 わしゃ、そう思ったけにのう、大事な大事な来年の籾種もみだねの中から、三合ばかり飯にたいたのじや。

茂兵衛 おお、それあええことしてくれた。この茂兵衛が礼をいいますぞ。

(この時、かなたより群衆のざわめきがきこえる)

村人一、二 ああ来た! 来た!甚兵衛どんが来た。

(群衆、口々に甚兵衛の名を呼びながら、その方へ波を打って動く。やがて、裸馬に乗せられた甚兵衛母子が着く。馬から降りる。群衆の間を過ぎる)

茂兵衛 甚兵衛どん。わしたちは、みんな来ておるぞ。

名主一 わしたちは、みんな陰ながら、拝んどるぞ。

村年寄二 心強う思うて下されや、わしたちはみんな来ておるぞ。

村人たち わしたちは、みんな拝んどるぞ……。お前さんのこと一生涯忘れんぞ。あとでお前さんを神さんに祭るだ。

甚兵衛 (快き微笑を含んで村人たちに会釈する)……。

茂兵衛 甚兵衛どん。わしゃな、百余カ村を駆けずり回って、お前さんの命乞いの訴状に連署してもろうて、お上へ差し上げたんじゃがのう。とうとう、お前さんを、こなにしてしもうたんじゃ。堪忍して下されや、なあ甚兵衛どん。

甚兵衛 なに。ええわ。ええわ。わしゃ皆の衆にそういわれると、うれしいだ。

村人たち (口々に)甚兵衛どん。ありがとう! ありがとう! お礼申すだ。お礼申すだ。快く成仏して下されや。

(甚兵衛、絶えず、にこにこしながら、矢来の中へ入る。おきん及び甚吉続いて現れる)

村年寄一 おきんさん、お前さんも気の毒じゃのう。が、村一統を救うと思うて、死んで下されや。

おきん (憤然として)何ぬかしゃがるんじゃ。皆よってたかって、阿呆をおだて、無実の罪に落して、親兄弟まで、こなな目にあわしておきながら、何ぬかしゃがるんだ。

甚吉 おっ母のいう通りじゃ。わしたちを、こななひどい目にあわしておきながら、ようも見に来られたのう。

おきん 覚えとれ! わしはな、首は飛んでも、七生まで村中へ崇ってやるからなあ!

村人一 何いうだ。みんなわれたちが、人のええ甚兵衛を苛めぬいた罰ではないか。

村人たち そうじゃ! そうじゃ!

おきん 何!(くくられていながら、村人たちに飛びかかろうとする)

縄取りの役人 (縄を引きながら)神妙にいたせ!

おきん (恨めしそうに村人たちに)覚えとれ、よう覚えとれ! 死んだって、恨み晴らしてやるからな。

(おきん母子、刑場の中へ歩み入る。舞台半回り、刑場の内部が見える。磔柱はりつけばしらが矢来に立てかけられている。五人の囚人、甚兵衛を先に一列に引き据えられている。刑吏たちが後から入って来る。刑吏の長、床几に腰を掛ける)

刑吏の長 用意整うておるか。

刑吏一 万事整うておりまする。

刑吏の長 それでは、罪状を読み上げい!

刑吏二 (声高く読み上げる)

弦打村百姓 甚兵衛

その方儀、去る十三日領内百姓一揆騒動いたし候みぎり、右一揆に加担いたし、香東川堤において上役人松野八太夫に投石殺害いたし候始末、不御領主を仕方、不届至極につき、磔申付くる者也。

同人母 きん
同人弟 甚吉
同じく 甚三
同じく 甚作

その方儀、甚兵衛身寄につき、獄門申付くる者也。

刑吏の長 最後も近づいたほどに、何ぞ遺言があればきき届けてつかわすぞ。

おきん わしゃ、こななことで、打首になるのは不承知じゃ。なんぼ、お上のなされ方でもあんまりじゃ。あんまりじゃ。

刑吏 この期に及んで、未練を申すな。本人が白状に及びたる上は、縁につながる不幸と諦めておれ!

おきん 何おっしゃるんじゃ。こなな阿呆のいうこと、お取り上げになったりして、あんまりじゃ。きこえんわ。きこえんわ。お上のなされ方がきこえんわ。(甚兵衛に)この阿呆。

甚兵衛 (気がないように笑う)あはははは。

おきん 何がおかしいんじゃ、この阿呆め! 親兄弟をこななひどい目にあわして、この阿呆め!

甚兵衛 はははは。

おきん ええ、この不孝者めが!

刑吏一 騒がしい。控え!

おきん (恨めしそうに黙る)

刑吏の長 甚兵衛! その方はなんぞ遺言はないか。

甚兵衛 (微笑しながら)わしゃ、何もないだ。村の衆が、みんな欣んで下さるけに、わしゃうれしいだ。うれしいだ。

(その時、村人の六、矢来の中へ駆け入る)

村人六 お願いでございます。お願いでございます。

刑吏一 なんじゃ。何事じゃ。

村人六 お願いでございます。これを一つ甚兵衛どんに、食べさせて下さりませ。

(竹の皮包の握り飯を出す)

刑吏一 いかが、いたしましょう。

刑吏の長 苦しゅうない。甚兵衛に与えてつかわせ。

刑吏一 (甚兵衛に与えながら)村の衆の志しゃ。快く食べたがよい。

甚兵衛 (無邪気に欣ぶ)ほほう。これわしにくれるか。

刑吏の長 手をゆるめてやり!

(刑吏一、甚兵衛の前腕だけを自由にする)

甚兵衛 ほほう、わしゃ、こなな白い飯生まれて初めてじゃ。これ食べてええか。ぽんまに、食べてもええか。

刑吏一 快く食べるがよい。

甚兵衛 (うまそうに食べながら)おお、わしこななうまい物、食べたことがないぞ。頬っぺたが、落ちそうだ……。ほんまにこななうまい物、食べたことがないだ……(つづけさまに五つ六つ、食べる。ふと母たちに気がつく)……おおおっ母、甚吉! お前たちほしゅうないか。

甚吉 何ぬかしゃがるんじゃ。阿呆め、首の飛ぶ間際にそなな物が喉を通るけ!

おきん ほんまに、この阿呆め! どこまで、親をばかにしやがるんじゃ!

甚兵衛 はあ……そうけ、嫌か。じゃ、わし皆、食べてやろう。ああうまい、うまい、顎が落ちそうじゃ。村の衆ありがとう!

村人たち (口々に)何いうとるんじゃ。よう食べてくれた。こちとらこそ拝んどるぞ。

刑吏の長 申し置くことがなければ、母と弟どもを最期の座へ直せ。

おきん (慌てて)ちょっと待って下されませ。お願いでござりまする。

刑吏の長 何じゃ。

おきん 死際のお願いでござりまする。どうぞ、この親不孝者を、先へ突いて殺して下されませ。せめてもの腹せに、不孝者が、磔柱の上で、苦しむのを見せて下さりませ。

村人たち (口々におきんを罵る)……何をいう鬼婆め……お前の方から先に死んでしまえ……。

刑吏の長 折角の願いじゃが、聞き届けることはまかりならぬ。かような場合、重科の者を後にするのが定法じゃ。それその者たちを、あれへ引き据えい!

おきん ええ口惜しい。こいつが、突かれるのが見られないのか。

刑吏三 ええ。やかましい! 神妙にあれへ直れ!

(刑吏たち、母子四人を上手の方へ連れ去ってしまう。首斬役、刀を抜いてその後に従う)

甚兵衛 (微笑を含んで、その後から見送る)おっ母も甚吉も先へゆくのか。長い間、わしを苛めてくれてありがとう。ありがとう。あはははは。

(首を斬る掛け声、太刀音、つづいてきこえる。見物どよめいて声を上げる)

甚兵衛 (顔色、やや蒼白になったが、笑いを絶たない)あはははは、わしゃ、胸がすっとしただ。わしをな二十何年も苛めぬいたおっ母も、甚吉も、もうあなになってしもうた。ああおっ母、甚吉、甚三、甚作、どなな気持じゃ、あはははは(甚兵衛哄笑しつづける)……今度はわしの番じゃ。早う磔にして下されや。

村人たち (急に動揺す)甚兵衛どん。ありがとう、拝みますぞ。御恩は忘れませんぞ……。南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!

(刑吏たちは磔柱を起し、それに甚兵衛をくくりつけようとする)

甚兵衛 何が南無阿弥陀仏じゃ。皆喜んで、下っしゃれ。わしゃ、こなな気持のしたことはないのや。あははは。

(群衆たちの賛嘆、悲嘆のうちに、甚兵衛の笑い、いよいよ高くなっていく)

──幕──

底本:「菊池寛 短編と戯曲」文芸春秋

   1988(昭和63)年325日第1刷発行

入力:真先芳秋

校正:大野 晋

2000年828日公開

2004年212日修正

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