きりしとほろ上人伝 芥川龍之介 Guide 扉 本文 目 次 きりしとほろ上人伝      小序  これは予が嘗て三田文学誌上に掲載した「奉教人の死」と同じく、予が所蔵の切支丹版「れげんだ・おうれあ」の一章に、多少の潤色を加へたものである。但し「奉教人の死」は本邦西教徒の逸事であつたが、「きりしとほろ上人伝」は古来洽く欧洲天主教国に流布した聖人行状記の一種であるから、予の「れげんだ・おうれあ」の紹介も、彼是相俟つて始めて全豹を彷彿する事が出来るかも知れない。  伝中殆ど滑稽に近い時代錯誤や場所錯誤が続出するが、予は原文の時代色を損ふまいとした結果、わざと何等の筆削をも施さない事にした。大方の諸君子にして、予が常識の有無を疑はれなければ幸甚である。      一 山ずまひのこと  遠い昔のことでおぢやる。「しりあ」の国の山奥に、「れぷろぼす」と申す山男がおぢやつた。その頃「れぷろぼす」ほどな大男は、御主の日輪の照らさせ給ふ天が下はひろしと云へ、絶えて一人もおりなかつたと申す。まづ身の丈は三丈あまりもおぢやらうか。葡萄蔓かとも見ゆる髪の中には、いたいけな四十雀が何羽とも知れず巣食うて居つた。まいて手足はさながら深山の松檜にまがうて、足音は七つの谷々にも谺するばかりでおぢやる。さればその日の糧を猟らうにも、鹿熊なんどのたぐひをとりひしぐは、指の先の一ひねりぢや。又は折ふし海べに下り立つて、すなどらうと思ふ時も、海松房ほどな髯の垂れた顋をひたと砂につけて、ある程の水を一吸ひ吸へば、鯛も鰹も尾鰭をふるうて、ざはざはと口へ流れこんだ。ぢやによつて沖を通る廻船さへ、時ならぬ潮のさしひきに漂はされて、水夫楫取の慌てふためく事もおぢやつたと申し伝へた。  なれど「れぷろぼす」は、性得心根のやさしいものでおぢやれば、山ずまひの杣猟夫は元より、往来の旅人にも害を加へたと申す事はおりない。反つて杣の伐りあぐんだ樹は推し倒し、猟夫の追ひ失うた毛物はとつておさへ、旅人の負ひなやんだ荷は肩にかけて、なにかと親切をつくいたれば、遠近の山里でもこの山男を憎まうずものは、誰一人おりなかつた。中にもとある一村では、羊飼のわらんべが行き方知れずになつた折から、夜さりそのわらんべの親が家の引き窓を推し開くものがあつたれば、驚きまどうて上を見たに、箕ほどな「れぷろぼす」の掌が、よく眠入つたわらんべをかいのせて、星空の下から悠々と下りて来たこともおぢやると申す。何と山男にも似合ふまじい、殊勝な心映えではおぢやるまいか。  されば山賤たちも「れぷろぼす」に出合へば、餅や酒などをふるまうて、へだてなく語らふことも度々おぢやつた。さるほどにある日のこと、杣の一むれが樹を伐らうずとて、檜山ふかくわけ入つたに、この山男がのさのさと熊笹の奥から現れたれば、もてなし心に落葉を焚いて、徳利の酒を暖めてとらせた。その滴ほどな徳利の酒さへ、「れぷろぼす」は大きに悦んだけしきで、頭の中に巣食うた四十雀にも、杣たちの食み残いた飯をばらまいてとらせながら、大あぐらをかいて申したは、 「それがしも人間と生れたれば、あつぱれ功名手がらをも致いて、末は大名ともならうずる。」と云へば、杣たちも打ち興じて、 「道理かな。おぬしほどの力量があれば、城の二つ三つも攻め落さうは、片手業にも足るまじい。」と云うた。その時「れぷろぼす」が、ちともの案ずる体で申すやうは、 「なれどここに一つ、難儀なことがおぢやる。それがしは日頃山ずまひのみ致いて居れば、どの殿の旗下に立つて、合戦を仕らうやら、とんと分別を致さうやうもござない。就いては当今天下無双の強者と申すは、いづくの国の大将でござらうぞ。誰にもあれそれがしは、その殿の馬前に馳せ参じて、忠節をつくさうずる。」と問うたれば、 「さればその事でおぢやる。まづわれらが量見にては、今天が下に『あんちおきや』の帝ほど、武勇に富んだ大将もおぢやるまい。」と答へた。山男はそれを聞いて、斜ならず悦びながら、 「さらばすぐさま、打ち立たうず。」とて、小山のやうな身を起いたが、ここに不思議がおぢやつたと申すは、頭の中に巣食うた四十雀が、一時にけたたましい羽音を残いて、空に網を張つた森の梢へ、雛も余さず飛び立つてしまうた事ぢや。それが斜に枝を延いた檜のうらに上つたれば、とんとその樹は四十雀が実のつたやうぢやとも申さうず。「れぷろぼす」はこの四十雀のふるまひを、訝しげな眼で眺めて居つたが、やがて又初一念を思ひ起いた顔色で、足もとにつどうた杣たちにねんごろな別をつげてから、再び森の熊笹を踏み開いて、元来たやうにのしのしと、山奥へ独り往んでしまうた。  されば「れぷろぼす」が大名にならうず願望がことは、間もなく遠近の山里にも知れ渡つたが、ほど経て又かやうな噂が、風のたよりに伝はつて参つた。と申すは国ざかひの湖で、大ぜいの漁夫たちが泥に吸はれた大船をひきなづんで居つた所に、怪しげな山男がどこからか現れて、その船の帆柱をむずとつかんだと見てあれば、苦もなく岸へひきよせて、一同の驚き呆れるひまに、早くも姿をかくしたと云ふ噂ぢや。ぢやによつて「れぷろぼす」を見知つたほどの山賤たちは、皆この情ぶかい山男が、愈「しりや」の国中から退散したことを悟つたれば、西空に屏風を立てまはした山々の峰を仰ぐ毎に、限りない名残りが惜しまれて、自らため息がもれたと申す。まいてあの羊飼のわらんべなどは、夕日が山かげに沈まうず時は、必村はづれの一本杉にたかだかとよぢのぼつて、下につどうた羊のむれも忘れたやうに、「れぷろぼす」恋しや、山を越えてどち行つたと、かなしげな声で呼びつづけた。さてその後「れぷろぼす」が、如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。      二 俄大名のこと  さるほどに「れぷろぼす」は、難なく「あんちおきや」の城裡に参つたが、田舎の山里とはこと変り、この「あんちおきや」の都と申すは、この頃天が下に並びない繁華の土地がらゆゑ、山男が巷へはいるや否や、見物の男女夥しうむらがつて、はては通行することも出来まじいと思はれた。されば「れぷろぼす」もとんと行かうず方角を失うて、人波に腰を揉まれながら、とある大名小路の辻に立ちすくんでしまうたに、折よくそこへ来かかつたは、帝の御輦をとりまいた、侍たちの行列ぢや。見物の群集はこれに先を追はれて、山男を一人残いた儘、見る見る四方へ遠のいてしまうた。ぢやによつて「れぷろぼす」は、大象の足にまがはうずしたたかな手を大地について、御輦の前に頭を下げながら、 「これは『れぷろぼす』と申す山男でござるが、唯今『あんちおきや』の帝は、天下無双の大将と承り、御奉公申さうずとて、はるばるこれまでまかり上つた。」と申し入れた。これよりさき、帝の同勢も、「れぷろぼす」の姿に胆をけして、先手は既に槍薙刀の鞘をも払はうずけしきであつたが、この殊勝な言を聞いて、異心もあるまじいものと思ひつらう、とりあへず行列をそこに止めて、供頭の口からその趣をしかじかと帝へ奏聞した。帝はこれを聞し召されて、 「かほどの大男のことなれば、一定武勇も人に超えつらう。召し抱へてとらせい。」と、仰せられたれば、格別の詮議とあつて、すぐさま同勢の内へ加へられた。「れぷろぼす」の悦びは申すまでもあるまじい。ぢやによつて帝の行列の後から、三十人の力士もえ舁くまじい長櫃十棹の宰領を承つて、ほど近い御所の門まで、鼻たかだかと御供仕つた。まことこの時の「れぷろぼす」が、山ほどな長櫃を肩にかけて、行列の人馬を目の下に見下しながら、大手をふつてまかり通つた異形奇体の姿こそ、目ざましいものでおぢやつたらう。  さてこれより「れぷろぼす」は、漆紋の麻裃に朱鞘の長刀を横たへて、朝夕「あんちおきや」の帝の御所を守護する役者の身となつたが、幸ここに功名手がらを顕さうず時節が到来したと申すは、ほどなく隣国の大軍がこの都を攻めとらうと、一度に押し寄せて参つたことぢや。元来この隣国の大将は、獅子王をも手打ちにすると聞えた、万夫不当の剛の者でおぢやれば、「あんちおきや」の帝とても、なほざりの合戦はなるまじい。ぢやによつて今度の先手は、今まゐりながら「れぷろぼす」に仰せつけられ、帝は御自ら本陣に御輦をすすめて、号令を司られることとなつた。この采配を承つた「れぷろぼす」が、悦び身にあまりて、足の踏みども覚えなんだは、毛頭無理もおぢやるまい。  やがて味方も整へば、帝は、「れぷろぼす」をまつさきに、貝金陣太鼓の音も勇しう、国ざかひの野原に繰り出された。かくと見た敵の軍勢は、元より望むところの合戦ぢやによつて、なじかは寸刻もためらはう。野原を蔽うた旗差物が、俄に波立つたと見てあれば、一度にどつと鬨をつくつて、今にも懸け合はさうずけしきに見えた。この時「あんちおきや」の人数の中より、一人悠々と進み出いたは、別人でもない「れぷろぼす」ぢや。山男がこの日の出で立ちは、水牛の兜に南蛮鉄の鎧を着下いて、刃渡り七尺の大薙刀を柄みじかにおつとつたれば、さながら城の天主に魂が宿つて、大地も狭しと揺ぎ出いた如くでおぢやる。さるほどに「れぷろぼす」は両軍の唯中に立ちはだかると、その大薙刀をさしかざいて、遙に敵勢を招きながら、雷のやうな声で呼はつたは、 「遠からんものは音にも聞け、近くばよつて目にも見よ。これは『あんちおきや』の帝が陣中に、さるものありと知られたる『れぷろぼす』と申す剛の者ぢや。辱くも今日は先手の大将を承り、ここに軍を出いたれば、われと思はうずるものどもは、近う寄つて勝負せよやつ。」と申した。その武者ぶりの凄じさは、昔「ぺりして」の豪傑に「ごりあて」と聞えたが、鱗綴の大鎧に銅の矛を提げて、百万の大軍を叱陀したにも、劣るまじいと見えたれば、さすが隣国の精兵たちも、しばしがほどは鳴を静めて、出で合うずものもおりなかつた。ぢやによつて敵の大将も、この山男を討たいでは、かなふまじいと思ひつらう。美々しい物の具に三尺の太刀をぬきかざいて、竜馬に泡を食ませながら、これも大音に名乗りをあげて、まつしぐらに「れぷろぼす」へ打つてかかつた。なれどもこなたはものともせいで、大薙刀をとりのべながら、二太刀三太刀あしらうたが、やがて得物をからりと捨てて、猿臂をのばいたと見るほどに、早くも敵の大将を鞍壺からひきぬいて、目もはるかな大空へ、礫の如く投げ飛ばいた。その敵の大将がきりきりと宙に舞ひながら、味方の陣中へどうと落ちて、乱離骨灰になつたのと、「あんちおきや」の同勢が鯨波の声を轟かいて、帝の御輦を中にとりこめ、雪崩の如く攻めかかつたのとが、間に髪をも入れまじい、殆ど同時の働きぢや。されば隣国の軍勢は、一たまりもなく浮き足立つて、武具馬具のたぐひをなげ捨てながら、四分五裂に落ち失せてしまうた。まことや「あんちおきや」の帝がこの日の大勝利は、味方の手にとつた兜首の数ばかりも、一年の日数よりは多かつたと申すことでおぢやる。  ぢやによつて帝は御悦び斜ならず、目でたく凱歌の裡に軍をめぐらされたが、やがて「れぷろぼす」には大名の位を加へられ、その上諸臣にも一々勝利の宴を賜つて、ねんごろに勲功をねぎらはれた。その勝利の宴を賜つた夜のことと思召されい。当時国々の形儀とあつて、その夜も高名な琵琶法師が、大燭台の火の下に節面白う絃を調じて、今昔の合戦のありさまを、手にとる如く物語つた。この時「れぷろぼす」は、かねての大願を成就したことでおぢやれば、涎も垂れようずばかり笑み傾いて、余念もなく珍陀の酒を酌みかはいてあつた所に、ふと酔うた眼にもとまつたは、錦の幔幕を張り渡いた正面の御座にわせられる帝の異な御ふるまひぢや。何故と申せば、検校のうたふ物語の中に、悪魔と云ふ言葉がおぢやると思へば、帝はあわただしう御手をあげて、必ず十字の印を切らせられた。その御ふるまひが怪しからずものものしげに見えたれば、「れぷろぼす」は同席の侍に、 「何として帝は、あのやうに十字の印を切らせられるぞ。」と、卒爾ながら尋ねて見た所がその侍の答へたは、 「総じて悪魔と申すものは、天が下の人間をも掌にのせて弄ぶ、大力量のものでおぢやる。ぢやによつて帝も、悪魔の障碍を払はうずと思召され、再三十字の印を切つて、御身を守らせ給ふのぢや。」と申した。「れぷろぼす」はこれを聞いて、迂論げに又問ひ返したは、 「なれど今『あんちおきや』の帝は、天が下に並びない大剛の大将と承つた。されば悪魔も帝の御身には、一指をだに加へまじい。」と申したが、侍は首をふつて、 「いや、いや、帝も、悪魔ほどの御威勢はおぢやるまい。」と答へた。山男はこの答を聞くや否や、大いに憤つて申したは、 「それがしが帝に随身し奉つたは、天下無双の強者は帝ぢやと承つた故でおぢやる。しかるにその帝さへ、悪魔には腰を曲げられるとあるなれば、それがしはこれよりまかり出でて、悪魔の臣下と相成らうず。」と喚きながら、ただちに珍陀の盃を抛つて、立ち上らうと致いたれば、一座の侍はさらいでも、「れぷろぼす」が今度の功名を妬ましう思うて居つたによつて、 「すは、山男が謀叛するわ。」と異口同音に罵り騒いで、やにはに四方八方から搦めとらうと競ひ立つた。もとより「れぷろぼす」も日頃ならば、さうなくこの侍だちに組みとめられう筈もあるまじい。なれどもその夜は珍陀の酔に前後も不覚の体ぢやによつて、しばしがほどこそ多勢を相手に、組んづほぐれつ、揉み合うても居つたが、やがて足をふみすべらいて、思はずどうとまろんだれば、えたりやおうと侍だちは、いやが上にも折り重つて、怒り狂ふ「れぷろぼす」を高手小手に括り上げた。帝もことの体たらくを始終残らず御覧ぜられ、 「恩を讐で返すにつくいやつめ。匇々土の牢へ投げ入れい。」と、大いに逆鱗あつたによつて、あはれや「れぷろぼす」はその夜の内に、見るもいぶせい地の底の牢舎へ、禁獄せられる身の上となつた。さてこの「あんちおきや」の牢内に囚はれとなつた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々は、まづ次のくだりを読ませられい。      三 魔往来のこと  さるほどに「れぷろぼす」は、未だ繩目もゆるされいで、土の牢の暗の底へ、投げ入れられたことでおぢやれば、しばしがほどは赤子のやうに、唯おうおうと声を上げて、泣き喚くより外はおりなかつた。その時いづくよりとも知らず、緋の袍をまとうた学匠が、忽然と姿を現いて、やさしげに問ひかけたは、 「如何に『れぷろぼす』。おぬしは何として、かやうな所に居るぞ。」とあつたれば、山男は今更ながら、滝のやうに涙を流いて、 「それがしは、帝に背き奉つて、悪魔に仕へようずと申したれば、かやうに牢舎致されたのでおぢやる。おう、おう、おう。」と歎き立てた。学匠はこれを聞いて、再びやさしげに尋ねたは、 「さらばおぬしは、今もなほ悪魔に仕へようず望がおりやるか。」と申すに、「れぷろぼす」は頭を竪に動かいて、 「今もなほ、仕へようずる。」と答へた。学匠は大いにこの返事を悦んで、土の牢も鳴りどよむばかり、からからと笑ひ興じたが、やがて三度やさしげに申したは、 「おぬしの所望は、近頃殊勝千万ぢやによつて、これよりただちに牢舎を赦いてとらさうずる。」とあつて、身にまとうた緋の袍を、「れぷろぼす」が上に蔽うたれば、不思議や総身の縛めは、悉くはらりと切れてしまうた。山男の驚きは申すまでもあるまじい。されば恐る恐る身を起いて、学匠の顔を見上げながら、慇懃に礼を為いて申したは、 「それがしが繩目を赦いてたまはつた御恩は、生々世々忘却つかまつるまじい。なれどもこの土の牢をば、何として忍び出で申さうずる。」と云うた。学匠はこの時又えせ笑ひをして、 「かうすべいに、なじかは難からう。」と申しも果ず、やにはに緋の袍の袖をひらいて、「れぷろぼす」を小脇に抱いたれば、見る見る足下が暗うなつて、もの狂ほしい一陣の風が吹き起つたと思ふほどに、二人は何時か宙を踏んで、牢舎を後に飄々と「あんちおきや」の都の夜空へ、火花を飛いて舞ひあがつた。まことやその時は学匠の姿も、折から沈まうず月を背負うて、さながら怪しげな大蝙蝠が、黒雲の翼を一文字に飛行する如く見えたと申す。  されば「れぷろぼす」は愈胆を消いて、学匠もろとも中空を射る矢のやうに翔りながら、戦く声で尋ねたは、 「そもそもごへんは、何人でおぢやらうぞ。ごへんほどな大神通の博士は、世にも又とあるまじいと覚ゆる。」と申したに、学匠は忽ち底気味悪いほくそ笑みを洩しながら、わざとさりげない声で答へたは、 「何を隠さう、われらは、天が下の人間を掌にのせて弄ぶ、大力量の剛の者ぢや。」とあつたによつて、「れぷろぼす」は始めて学匠の本性が、悪魔ぢやと申すことに合点が参つた。さるほどに悪魔はこの問答の間さへ、妖霊星の流れる如く、ひた走りに宙を走つたれば、「あんちおきや」の都の燈火も、今ははるかな闇の底に沈みはてて、やがて足もとに浮んで参つたは、音に聞く「えじつと」の沙漠でおぢやらう。幾百里とも知れまじい砂の原が、有明の月の光の中に、夜目にも白々と見え渡つた。この時学匠は爪長な指をのべて、下界をゆびさしながら申したは、 「かしこの藁屋には、さる有験の隠者が住居致いて居ると聞いた。まづあの屋根の上に下らうずる。」とあつて、「れぷろぼす」を小脇に抱いた儘、とある沙山陰のあばら家の棟へ、ひらひらと空から舞ひ下つた。  こなたはそのあばら家に行ひすまいて居つた隠者の翁ぢや。折から夜のふけたのも知らず、油火のかすかな光の下で、御経を読誦し奉つて居つたが、忽ちえならぬ香風が吹き渡つて、雪にも紛はうず桜の花が紛々と飜り出いたと思へば、いづくよりともなく一人の傾城が、鼈甲の櫛笄を円光の如くさしないて、地獄絵を繍うた襠の裳を長々とひきはえながら、天女のやうな媚を凝して、夢かとばかり眼の前へ現れた。翁はさながら「えじつと」の沙漠が、片時の内に室神崎の廓に変つたとも思ひつらう。あまりの不思議さに我を忘れて、しばしがほどは惚々と傾城の姿を見守つて居つたに、相手はやがて花吹雪を身に浴びながら、につこと微笑んで申したは、 「これは『あんちおきや』の都に隠れもない遊びでおぢやる。近ごろ御僧のつれづれを慰めまゐらせうと存じたれば、はるばるこれまでまかり下つた。」とあつた。その声ざまの美しさは、極楽に棲むとやら承つた伽陵頻伽にも劣るまじい。さればさすがに有験の隠者もうかとその手に乗らうとしたが、思へばこの真夜中に幾百里とも知らぬ「あんちおきや」の都から、傾城などの来よう筈もおぢやらぬ。さては又しても悪魔めの悪巧みであらうずと心づいたによつて、ひたと御経に眼を曝しながら、専念に陀羅尼を誦し奉つて居つたに、傾城はかまへてこの隠者の翁を落さうと心にきはめつらう。蘭麝の薫を漂はせた綺羅の袂を弄びながら、嫋々としたさまで、さも恨めしげに歎いたは、 「如何に遊びの身とは申せ、千里の山河も厭はいで、この沙漠までまかり下つたを、さりとは曲もない御方かな。」と申した。その姿の妙にも美しい事は、散りしく桜の花の色さへ消えようずると思はれたが、隠者の翁は遍身に汗を流いて、降魔の呪文を読みかけ読みかけ、かつふつその悪魔の申す事に耳を借さうず気色すらおりない。されば傾城もかくてはなるまじいと気を苛つたか、つと地獄絵の裳を飜して、斜に隠者の膝へとすがつたと思へば、 「何としてさほどつれないぞ。」と、よよとばかりに泣い口説いた。と見るや否や隠者の翁は、蝎に刺されたやうに躍り上つたが、早くも肌身につけた十字架をかざいて、霹靂の如く罵つたは、 「業畜、御主『えす・きりしと』の下部に向つて無礼あるまじいぞ。」と申しも果てず、てうと傾城の面を打つた。打たれた傾城は落花の中に、なよなよと伏しまろんだが、忽ちその姿は見えずなつて、唯一むらの黒雲が湧き起つたと思ふほどに、怪しげな火花の雨が礫の如く乱れ飛んで、 「あら、痛や。又しても十字架に打たれたわ。」と唸く声が、次第に家の棟にのぼつて消えた。もとより隠者はかうあらうと心に期して居つたによつて、この間も秘密の真言を絶えず声高に誦し奉つたに、見る見る黒雲も薄れれば、桜の花も降らずなつて、あばら家の中には又もとの如く、油火ばかりが残つたと申す。  なれど隠者は悪魔の障碍が猶もあるべいと思うたれば、夜もすがら御経の力にすがり奉つて、目蓋も合はさいで明いたに、やがてしらしら明けと覚しい頃、誰やら柴の扉をおとづれるものがあつたによつて、十字架を片手に立ち出でて見たれば、これは又何ぞや、藁屋の前に蹲つて、恭しげに時儀を致いて居つたは、天から降つたか、地から湧いたか、小山のやうな大男ぢや。それが早くも朱を流いた空を黒々と肩にかぎつて、隠者の前に頭を下げると、恐る恐る申したは、 「それがしは『れぷろぼす』と申す『しりや』の国の山男でおぢやる。ちかごろふつと悪魔の下部と相成つて、はるばるこの『えじつと』の沙漠まで参つたれど、悪魔も御主『えす・きりしと』とやらんの御威光には叶ひ難く、それがし一人を残し置いて、いづくともなく逐天致いた。自体それがしは今天が下に並びない大剛の者を尋ね出いて、その身内に仕へようずる志がおぢやるによつて、何とぞこれより後は不束ながら、御主『えす・きりしと』の下部の数へ御加へ下されい。」と云うた。隠者の翁はこれを聞くと、あばら家の門に佇みながら、俄に眉をひそめて答へたは、 「はてさて、せんない仕宜になられたものかな。総じて悪魔の下部となつたものは、枯木に薔薇の花が咲かうずるまで、御主『えす・きりしと』に知遇し奉る時はござない。」とあつたに、「れぷろぼす」は又ねんごろに頭を下げて、 「たとへ幾千歳を経ようずるとも、それがしは初一念を貫かうずと決定致いた。さればまづ御主『えす・きりしと』の御意に叶ふべい仕業の段々を教へられい。」と申した。所で隠者の翁と山男との間には、かやうな問答がしかつめらしうとり交されたと申す事でおぢやる。 「ごへんは御経の文句を心得られたか。」 「生憎一字半句の心得もござない。」 「ならば断食は出来申さうず。」 「如何なこと、それがしは聞えた大飯食ひでおぢやる。中々断食などはなるまじい。」 「難儀かな。夜もすがら眠らいで居る事は如何あらう。」 「如何なこと、それがしは聞えた大寝坊でおぢやる。中々眠らいでは居られまじい。」  それにはさすがの隠者の翁も、ほとほと言のつぎ穂さへおぢやらなんだが、やがて掌をはたと打つて、したり顔に申したは、 「ここを南に去ること一里がほどに、流沙河と申す大河がおぢやる。この河は水嵩も多く、流れも矢を射る如くぢやによつて、日頃から人馬の渡りに難儀致すとか承つた。なれどごへんほどの大男には、容易く徒渉りさへならうずる。さればごへんはこれよりこの河の渡し守となつて、往来の諸人を渡させられい。おのれ人に篤ければ、天主も亦おのれに篤からう道理ぢや。」とあつたに、大男は大いに勇み立つて、 「如何にも、その流沙河とやらの渡し守になり申さうずる。」と云うた。ぢやによつて隠者の翁も、「れぷろぼす」が殊勝な志をことの外悦んで、 「然らば唯今、御水を授け申さうずる。」とあつて、おのれは水瓶をかい抱きながら、もそもそと藁家の棟へ這ひ上つて、漸く山男の頭の上へその水瓶の水を注ぎ下いた。ここに不思議がおぢやつたと申すは、得度の御儀式が終りも果てず、折からさし上つた日輪の爛々と輝いた真唯中から、何やら雲気がたなびいたかと思へば、忽ちそれが数限りもない四十雀の群となつて、空に聳えた「れぷろぼす」が叢ほどな頭の上へ、ばらばらと舞ひ下つたことぢや。この不思議を見た隠者の翁は、思はず御水を授けようず方角さへも忘れはてて、うつとりと朝日を仰いで居つたが、やがて恭しく天上を伏し拝むと、家の棟から「れぷろぼす」をさし招いて、 「勿体なくも御水を頂かれた上からは、向後『れぷろぼす』を改めて、『きりしとほろ』と名のらせられい。思ふに天主もごへんの信心を深う嘉させ給ふと見えたれば、万一勤行に懈怠あるまじいに於ては、必定遠からず御主『えす・きりしと』の御尊体をも拝み奉らうずる。」と云うた。さて「きりしとほろ」と名を改めた「れぷろぼす」が、その後如何なる仕合せにめぐり合うたか、右の一条を知らうず方々はまづ次のくだりを読ませられい。      四 往生のこと  さるほどに「きりしとほろ」は隠者の翁に別れを告げて、流沙河のほとりに参つたれば、まことに濁流滾々として、岸べの青蘆を戦がせながら、百里の波を翻すありさまは、容易く舟さへ通ふまじい。なれど山男は身の丈凡そ三丈あまりもおぢやるほどに、河の真唯中を越す時さへ、水は僅に臍のあたりを渦巻きながら流れるばかりぢや。されば「きりしとほろ」はこの河べに、ささやかながら庵を結んで、時折渡りに難むと見えた旅人の影が眼に触れれば、すぐさまそのほとりへ歩み寄つて、「これはこの流沙河の渡し守でおぢやる。」と申し入れた。もとより並々の旅人は、山男の恐しげな姿を見ると、如何なる天魔波旬かと始は胆も消いて逃げのいたが、やがてその心根のやさしさもとくと合点行つて、「然らば御世話に相成らうず。」と、おづおづ「きりしとほろ」の背にのぼるが常ぢや。所で「きりしとほろ」は旅人を肩へゆり上げると、毎時も汀の柳を根こぎにしたしたたかな杖をつき立てながら、逆巻く流れをことともせず、ざんざざんざと水を分けて、難なく向うの岸へ渡いた。しかもあの四十雀は、その間さへ何羽となく、さながら楊花の飛びちるやうに、絶えず「きりしとほろ」の頭をめぐつて、嬉しげに囀り交いたと申す。まことや「きりしとほろ」が信心の辱さには、無心の小鳥も随喜の思にえ堪へなんだのでおぢやらうず。  かやう致いて「きりしとほろ」は、風雨も厭はず三年が間、渡し守の役目を勤めて居つたが、渡りを尋ねる旅人の数は多うても、御主「えす・きりしと」らしい御姿には、絶えて一度も知遇せなんだ。が、その三年目の或夜のこと、折から凄じい嵐があつて、神鳴りさへおどろと鳴り渡つたに、山男は四十雀と庵を守つて、すぎこし方のことどもを夢のやうに思ひめぐらいて居つたれば、忽ち車軸を流す雨を圧して、いたいけな声が響いたは、 「如何に渡し守はおりやるまいか。その河一つ渡して給はれい。」と、聞え渡つた。されば「きりしとほろ」は身を起いて、外の闇夜へ揺ぎ出いたに、如何なこと、河のほとりには、年の頃もまだ十には足るまじい、みめ清らかな白衣のわらんべが、空をつんざいて飛ぶ稲妻の中に、頭を低れて唯ひとり、佇んで居つたではおぢやるまいか。山男は稀有の思をないて、千引の巌にも劣るまじい大の体をかがめながら、慰めるやうに問ひ尋ねたは、 「おぬしは何としてかやうな夜更けにひとり歩くぞ。」と申したに、わらんべは悲しげな瞳をあげて、 「われらが父のもとへ帰らうとて。」と、もの思はしげな声で返答した。もとより「きりしとほろ」はこの答を聞いても、一向不審は晴れなんだが、何やらその渡りを急ぐ容子があはれにやさしく覚えたによつて、 「然らば念無う渡さうずる。」と、双手にわらんべをかい抱いて、日頃の如く肩へのせると、例の太杖をてうとついて、岸べの青蘆を押し分けながら、嵐に狂ふ夜河の中へ、胆太くもざんぶと身を浸いた。が、風は黒雲を巻き落いて、息もつかすまじいと吹きどよもす。雨も川面を射白まいて、底にも徹らうずばかり降り注いだ。時折闇をかい破る稲妻の光に見てあれば、浪は一面に湧き立ち返つて、宙に舞上る水煙も、さながら無数の天使たちが雪の翼をはためかいて、飛びしきるかとも思ふばかりぢや。さればさすがの「きりしとほろ」も、今宵はほとほと渡りなやんで、太杖にしかとすがりながら、礎の朽ちた塔のやうに、幾度もゆらゆらと立ちすくんだが、雨風よりも更に難儀だつたは、怪からず肩のわらんべが次第に重うなつたことでおぢやる。始はそれもさばかりに、え堪へまじいとは覚えなんだが、やがて河の真唯中へさしかかつたと思ふほどに、白衣のわらんべが重みは愈増いて、今は恰も大磐石を負ひないてゐるかと疑はれた。所で遂には「きりしとほろ」も、あまりの重さに圧し伏されて、所詮はこの流沙河に命を殞すべいと覚悟したが、ふと耳にはいつて来たは、例の聞き慣れた四十雀の声ぢや。はてこの闇夜に何として、小鳥が飛ばうぞと訝りながら、頭を擡げて空を見たれば、不思議やわらんべの面をめぐつて、三日月ほどな金光が燦爛と円く輝いたに、四十雀はみな嵐をものともせず、その金光のほとりに近く、紛々と躍り狂うて居つた。これを見た山男は、小鳥さへかくは雄々しいに、おのれは人間と生まれながら、なじかは三年の勤行を一夜に捨つべいと思ひつらう。あの葡萄蔓にも紛はうず髪をさつさつと空に吹き乱いて、寄せては返す荒波に乳のあたりまで洗はせながら、太杖も折れよとつき固めて、必死に目ざす岸へと急いだ。  それが凡そ一時あまり、四苦八苦の内に続いたでおぢやらう。「きりしとほろ」は漸く向うの岸へ、戦ひ疲れた獅子王のけしきで、喘ぎ喘ぎよろめき上ると、柳の太杖を砂にさいて、肩のわらんべを抱き下しながら、吐息をついて申したは、 「はてさて、おぬしと云ふわらんべの重さは、海山量り知れまじいぞ。」とあつたに、わらんべはにつこと微笑んで、頭上の金光を嵐の中に一きは燦然ときらめかいながら、山男の顔を仰ぎ見て、さも懐しげに答へたは、 「さもあらうず。おぬしは今宵と云ふ今宵こそ、世界の苦しみを身に荷うた『えす・きりしと』を負ひないたのぢや。」と、鈴を振るやうな声で申した。……        ───────────────  その夜この方流沙河のほとりには、あの渡し守の山男がむくつけい姿を見せずなつた。唯後に残つたは、向うの岸の砂にさいた、したたかな柳の太杖で、これには枯れ枯れな幹のまはりに、不思議や麗しい紅の薔薇の花が、薫しく咲き誇つて居つたと申す。されば馬太の御経にも記いた如く「心の貧しいものは仕合せぢや。一定天国はその人のものとならうずる。」 (大正八年四月) 底本:「現代日本文学大系43芥川龍之介集」筑摩書房    1968(昭和43)年8月25日初版第1刷発行 入力:j.utiyama 校正:かとうかおり 1998年6月22日公開 2004年2月27日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。