絵のない絵本 BILLEDBOG UDEN BILLEDER 絵のない絵本 ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen 矢崎源九郎訳 Guide 扉 本文 目 次 絵のない絵本 絵のない絵本 絵のない絵本 第一夜 第二夜 第三夜 第四夜 第五夜 第六夜 第七夜 第八夜 第九夜 第十夜 第十一夜 第十二夜 第十三夜 第十四夜 第十五夜 第十六夜 第十七夜 第十八夜 第十九夜 第二十夜 第二十一夜 第二十二夜 第二十三夜 第二十四夜 第二十五夜 第二十六夜 第二十七夜 第二十八夜 第二十九夜 第三十夜 第三十一夜 第三十二夜 第三十三夜 解説 絵のない絵本  ふしぎなことです! わたしは、なにかに深く心を動かされているときには、まるで両手と舌とが、わたしのからだにしばりつけられているような気持になるのです。そしてそういうときには、心の中にいきいきと感じていることでも、それをそのまま絵にかくこともできなければ、言い表わすこともできないのです。しかし、それでもわたしは絵かきです。わたしの眼が、わたし自身にそう言い聞かせています。それに、わたしのスケッチや絵を見てくれた人たちは、みんながみんな、そう認めてくれているのです。  わたしは貧しい若者で、たいへんせまい小路の一つに住んでいます。といっても、光がさしてこないというようなことはありません。なにしろ、まわりの屋根ごしに、ずっと遠くの方まで見わたすことができるほど、高いところに住んでいるのですから。この町にきた、さいしょのころは、ひどくせまくるしい気がして、さびしい思いをしたものです。それもそのはず、森やみどりの丘のかわりに、地平線に見えるものといえば、ただ灰色の煙突ばかりなのですからね。おまけに、ここには、友だちひとりいるわけではありませんし、あいさつの声をかけてくれるような顔なじみもなかったのです。  ある晩のこと、わたしはたいへん悲しい気持で、窓のそばに立っていました。ふと、わたしは窓をあけて、外をながめました。ああ、そのとき、わたしは、どんなに喜んだかしれません! そこには、わたしのよく知っている顔が、まるい、なつかしい顔が、遠い故郷からの、いちばん親しい友だちの顔が、見えたのです。それは月でした。なつかしい、むかしのままの月だったのです。あの故郷の、沼地のそばに生えている、ヤナギの木のあいだから、わたしを見おろしたときと、すこしもかわらない月だったのです。わたしは、自分の手にキスをして、月にむかって投げてやりました。すると、月はまっすぐわたしの部屋の中にさしこんできて、これから外に出かけるときには、まい晩、ちょっとわたしのところをのぞきこもうと、約束してくれました。そのときからというもの、月は、ちゃんとこの約束を守ってくれています。ただ残念なのは、月がわたしのところに、ほんのわずかの間しかいられない、ということです。でも、くるたびごとに、その前の晩か、その晩に見たことを、あれこれと話してくれるのでした。 「さあ、わたしの話すことを、絵におかきなさい」と、月は、はじめてたずねてきた晩に、言いました。「そうすれば、きっと、とてもきれいな絵本ができますよ」  そこでわたしは、いく晩もいく晩も、言われたとおりにやってみました。わたしは、わたしなりに、新しい「千一夜物語」を絵であらわすことができるかもしれません。でも、それでは、あまりに数が多すぎます。わたしがここに書きしるすものは、勝手に選びだしたものではなくて、わたしが聞いたとおりの順序にならべたものなのです。すぐれた才能にめぐまれた画家なり、詩人なり、音楽家なりが、もしもこれをやってみようという気があれば、もっとりっぱなものにすることができるにちがいありません。わたしがお見せするものは、ごく大ざっぱに紙の上に書きつけた、ほんの輪郭にすぎません。そしてそのあいだには、わたし自身の考えもまじっているのです。というわけは、月はかならず、まい晩きてくれたわけではありませんし、ときには一つ二つの雲が、わたしと月のあいだにはいりこんでくることもあったからです。 第一夜 「ゆうべ」これは、月が話したとおりの言葉です。「わたしは、インドの澄みきった空気の中をすべって、ガンジス河にわたしの姿をうつしていました。わたしの光は、古いプラタナスの葉が、ちょうどカメの甲のように盛りあがって、茂っている生垣の中に、さしこもうとしていました。  するとそのとき、茂みの中から、カモシカのように身軽で、イブのように美しい、ひとりのインド娘が出てきました。このインド娘は、なにかしら空気のように軽やかでしたが、それでいて、ぴちぴちとした、ゆたかなからだつきをしていました。わたしは、この娘のきゃしゃな皮膚をとおして、考えていることを読みとることができました。とげのあるつる草が、娘の履物を引きさきましたが、そんなことにはかまわずに、娘はいそいで先へ進んでいきました。そのとき、野獣がのどのかわきをうるおして、河から帰ってきましたが、娘を見るとびっくりして、そばをとびすぎていきました。むりもありません。この娘は、火のもえている明りを手に持っていたのです。娘はほのおが消えないように、そのまわりに手をかざしていましたから、わたしはかぼそい指の中の、いきいきとした赤い血を見ることができました。  娘は河に近よって、明りを流れの上におきました。すると、明りは流れにつれて、くだっていきました。ほのおは、いまにも消えそうにちらちらしました。それでも、もえつづけていきました。娘の黒い、きらきらかがやく眼は、長い絹糸のふさのような、まつ毛の奥から、魂のこもった眼つきをして、そのほのおのあとを、じっと見おくっていました。娘は、その明りが、自分の眼に見えるかぎりのあいだ、もえつづけていれば、愛する人はまだ生きている、けれども、もしも消えてしまえば、もうこの世にはいないのだということを、知っていたのです。見れば、明りは、もえながらふるえました。娘の心も、もえあがって、ふるえました。娘は膝まずいて、祈りました。すぐそばの草の中に、ぬらぬらしたヘビがいました。けれども娘は、梵天王と自分の花婿のことしか考えていませんでした。 『あの人は生きている!』と、娘は喜びの声をあげました。すると、山々からこだまが返ってきました。 『あの人は生きている!』」 第二夜 「きのうのことですよ」と、月がわたしに話しました。「わたしは、家にかこまれている、小さな中庭をのぞいていました。見ると、めんどりが一羽、十一羽のひなどりたちといっしょに寝ていました。ところが、そのまわりを、ひとりのきれいな女の子が、はねまわっているのです。めんどりはびっくりして、コッコッコと鳴きながら、羽をひろげて、小さなひなどりたちをかばいました。そこへ女の子の父親が出てきて、女の子をしかりつけました。わたしはそれきり、もうそのことは考えずに、先へすべっていきました。  ところが今夜、それもほんの二、三分前のことですが、わたしは、またおなじ中庭を見おろしていたのです。はじめのうちは、ひっそりとしていましたが、まもなく、あの小さな女の子が出てきて、そっと、とり小屋にしのびよりました。そして、かんぬきをはずして、めんどりとひなどりたちのいるところへ、しのびこみました。にわとりたちは大声でさけびながら、羽をばたばた打って、飛びまわりました。けれども、女の子は、そのあとを追いかけるのです。わたしは壁の穴からのぞいていたので、このありさまが、手に取るようにはっきりと見えました。わたしは、このいけない子に、すっかり腹をたててしまいました。ですから、父親が出てきて、きのうよりももっとひどくしかりつけて、女の子の腕をつかんだときには、ほんとにうれしくなりました。女の子は、頭をうしろへそらせました。すると、青い眼に大粒の涙が光っていました。 『おまえは、ここで何をしているんだ?』と、父親がたずねました。すると、女の子は泣きだしました。 『あたしはね』と、女の子は言いました。『この中へはいって、めんどりにキスをしてやって、きのうのおわびをしようと思ってたの。だけど、おとうさんには、どうしても、そのことが言えなかったのよ!』  それを聞くと、父親は、このむじゃきな、かわいい子のひたいにキスをしてやりました。わたしも、その眼と口にキスをしてやりました」 第三夜 「ここのすぐ近くの、せまい小路で──そこはとてもせまいので、わたしは家の壁にそって、ほんの一分間しか光をすべらせることができません。でもその一分間に、そこに動いている世間を知るのに十分なものを見るのですが──わたしは、ひとりの女を見ました。十六年前には、この女はまだ子供でした。そして、田舎の、古い牧師の家の庭で遊んでいたのでした。バラの生垣は古くなって、もう花ざかりをすぎていましたが、道の外まで生いしげって、長い枝をリンゴの木立の中までのばしていました。まだあちこちに咲きのこっている花もありましたが、花の女王にふさわしいほど美しくはありませんでした。それでも、色もありましたし、香りもありました。しかしわたしには、牧師の小さな娘のほうが、ずっと美しいバラの花のように思われました。その娘は、のびにのびた生垣の下の、足台に腰かけて、厚紙でこしらえた人形の、へこんだ頬にキスをしていました。  それから十年たって、わたしは、その娘をもう一度見ました。こんどは、はなやかな舞踏室にいるのを見たのです。そのときは、ある金持の商人の、美しい花嫁になっていたのでした。わたしは娘の幸福をよろこんで、静かな夜ごとに、たずねてやりました。ああ、それにしても、だれひとりとして、わたしの明るい眼と、わたしのたしかな眼差しとを、考えてくれる者はありません! わたしのバラの花も、牧師の家の庭のバラの花とおなじように、ずんずん若枝をのばしていきました。  日常の生活にも、悲劇があります。今夜、わたしは、その最後の一幕を見たのです。そのせまい小路で、その女は死の病にとりつかれて、寝台の上に横になっていました。ところが、その女の主人は、ただひとりの保護者であるはずなのに、乱暴で、冷酷な悪人だったものですから、その女のふとんをひきはがして、こう言いました。 『起きろ! おまえの顔を見りゃ、だれだっていやんなっちまわあ! さあ、おめかしでもしろ! 金をかせぐんだ! さもなきゃ、表へおっぽりだすぞ! 早いとこ、起きた、起きた!』 『死神が、わたしの胸の中にいるんです!』と、その女は言いました。『ああ、どうか休ませてください!』  それでも、男は女をひきずり起して、顔におけしょうをし、髪にバラの花をさして、窓ぎわにすわらせました。それから、火のもえている明りを、すぐそばへおいて、出ていきました。わたしは、女をじっと見つめていました。女は身動きもしないで、すわっていました。と、手が膝の上に落ちました。風のために窓がはねかえって、窓ガラスが一枚、ガシャンと割れました。けれども、女はじっとすわっていました。カーテンが女のまわりを、ほのおのようにはためきました。女は、もう死んでいたのです。あけはなたれた窓から、死んだ女が、人間のありかたをといていました。牧師の家の庭の、わたしのバラの花が!」 第四夜 「わたしは、今夜、ドイツ喜劇を見てきました」と、月が言いました。「それは、ある小さな町でのことでした。馬小屋が芝居小屋になっていました。つまり、馬をつなぐ仕切りはそのまま残してあって、これをかざりたてて、見物の桟敷にしてあったのです。そして木造のところは、どこもかしこも色とりどりの色紙で張りめぐらしてありました。ひくい天井からは、小さな鉄のシャンデリアがさがっていました。そしてその上には、桶が一つさかさにはめこまれていて、まるで大きな劇場のように、プロンプターのベルが『リーン、リーン』と鳴りひびくのを合図に、その桶の中にシャンデリアが引き上げられるようになっていました。『リーン、リーン』小さな鉄のシャンデリアが、三、四十センチばかり跳ねあがりました。こうして、喜劇が始まることになったのです。  旅行中の、ある若い公爵が、奥方といっしょに、ちょうどこの町を通りかかって、きょうの芝居を見物にきていました。そのため、小屋は人でいっぱいでしたが、ただシャンデリアの下だけは小さな噴火口のようになっていました。そこには、ろうが『ポタリ、ポタリ』と落ちるので、だれもすわる人がなかったのです。わたしは、なにもかもながめました。というわけは、小屋の中がひどくむし暑かったので、壁の小窓という小窓を、あけはなしておかずにはいられなかったからです。そしてどの小窓の外からも、若い男や女が中をのぞきこんでいました。もっとも、中には警官がいて棒でおどしてはいましたが。  オーケストラのすぐそばに、若い公爵夫妻が、二つの古い肘掛いすに腰かけているのが見えました。いつもなら、この席には町長夫妻がすわることになっていたのですが、今夜ばかりは、ほかの町の人たちとおなじように、木のベンチに腰かけなければなりませんでした。 『まあどうでしょう。タカがタカに追われたというものですわね!』と、奥さんたちが小声で話しあっていました。なにもかもが、このために、いっそうお祭らしくなっていました。シャンデリアがおどりあがりました。のぞいている連中は、指をぶたれました。そうしてわたしは──そうです、この月のわたしは、ぜんたいの喜劇をいっしょに見たのです」── 第五夜 「きのう」と、月が言いました。「わたしはそうぞうしいパリを見おろしていました。わたしの眼は、ルーブル宮殿の中のあちこちの部屋の中へ入りこんでいきました。みすぼらしい身なりをした、ひとりの年とったお婆さんが──このお婆さんは貧しい階級の人でした──身分のいやしい番人の後について、がらんとした大きな玉座の間にはいってきました。お婆さんはこの広間を見たかったのです。見ないではいられなかったのです。お婆さんがこの部屋までくるのには、なんどもなんども、ちょっとした贈り物をしたり、言葉をつくして頼みこんだりしたのでした。  お婆さんはやせこけた手を合せて、まるで教会の中にでもいるように、うやうやしくあたりを見まわしました。 『ここだったんだ!』と、お婆さんは言いました。『ここだ!』  こう言って、金の縁飾りのついている、立派なビロードの垂れさがった玉座に近づいて行きました。 『そこだ、そこだ!』とお婆さんは言いました。そして膝をついて、まっかなじゅうたんにキスをしました。──お婆さんは泣いていたと思います。 『これはそのビロードじゃなかったんだよ』と、番人は言いました。そう言う番人の口もとには、微笑がただよいました。 『でも、ここでしたよ!』と、お婆さんは言いました。『こんなふうだったんですもの!』 『こんなだったかもしれないが』と、番人は答えました。『そうじゃないね。窓はたたきこわされ、戸はひっぱがされて、床の上には血が流れていたのさ! ──だがね、あんたは、わたしの孫はフランス国の玉座の上で死んだと、言おうと思えば言えるんだよ!』 『死んだ!』とお婆さんはくりかえしました。──それからは、一言も話さなかったような気がします。ふたりは、まもなくその広間を出て行きました。夕暮の薄明りが消え失せました。そのためわたしの光は、二倍に明るくなって、フランス国の玉座のまわりの立派なビロードの上を照らしました。きみは、そのお婆さんはだれだったと思いますか?──  わたしはきみに一つの物語をしてあげましょう。それは七月革命のときのこと、あの世にも輝かしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒一軒の家が城砦となり、一つ一つの窓が堡塁となっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進しました。女や子供たちまでも、戦う人々の中にまじっていました。人々は宮殿の部屋や広間の中に押し入って行きました。ぼろを着た貧しい小さな男の子がひとり、年上の人たちのあいだで勇敢に戦っていました。しかしそのうちに、あちこちを銃剣でつかれて致命傷を受け、とうとう床の上に倒れました。それは玉座の間での出来事でした。人々は血まみれの男の子をフランス国の玉座の上に横たえて、傷のまわりにビロードを巻きつけました。血潮は王のまっかなじゅうたんの上に流れました。そのありさまはまったく一つの絵でした! 華麗な広間、戦っている人々の群れ!  引裂かれた旗は床の上に落ちていました。三色旗は銃剣の先にはためいていました。そして玉座の上には、青ざめて聖らかな顔をした貧しい男の子が、眼を天へ向けて横たわっていました。手足は死との戦いのために、もうぐったりとしていました。あらわな胸、みすぼらしい着物、そしてその上を半ばおおっている、銀のユリの花のついた、立派なビロードのひだ。この子がまだゆりかごの中にいたころ、そのそばで『この子はフランス国の玉座の上で死ぬだろう!』という予言がなされていたのです。母親の心は、新しいナポレオンを夢みていたのでした。  わたしの光は、その子のお墓の上の不滅花の花輪にキスをしたものです。そして今夜は、年とったお婆さんのひたいにキスをしました。そのときお婆さんは、きみが絵にすることのできる『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』の絵を、夢にみていました」 第六夜 「わたしはウプサラにいました」と、月が言いました。「わたしは作物の育たない畑と、わずかしか草の生えていない大きな平野を見おろしました。わたしはフュリス河に自分の姿を映しました。ちょうどそのとき、蒸気船にびっくりした魚が、葦のあいだに逃げこみました。わたしの下の方を雲が走っていましたが、長い影をオーディンの墓、トールの墓、フレイヤの墓と人々が呼んでいる小高い丘の上に投げていきました。これらの丘の上をおおっている薄い芝生の中には、人々の名前が切りこまれていました。ここには旅行者たちが自分の名前を刻みつけることのできるような記念石もなければ、どこかに自分の姿をえがかせることのできるような岩壁もありません。ですから、ここを訪れる人々は芝生を刈りとらせました。はだの見える地面が、大きな文字や名前となって現われています。そしてそういう文字や名前が、大きな丘の上に張られた一つの網のようになっているのです。いわば一種の不滅です。もっとも、それをまた新しい芝生がおおっていくのですが。  そこに、ひとりの男が立っていました。歌い手でした。男はひろい銀の輪のついた蜜酒のさかずきを飲みほして、一つの名前をつぶやきました。そして風に向って、その名前をだれにももらさないようにと頼みました。ところが、わたしは聞いてしまったのです。わたしはその名前を知っていました。その名前の上には、伯爵の冠がきらめいています。だからこの男は、その名前を大声で言わなかったのです。わたしはほほえみました。この男の上には、詩人の冠がきらめいているではありませんか! エレオノーラ・デステの高貴さはタッソーの名前と結びついています。それからまたわたしは知っています、どこに美のバラが咲くかということを──!」  月がこう言ったとき、一片の雲が通りすぎました。──詩人とバラのあいだには、どんな雲も割りこまないでいてもらいたいものです。 第七夜 「波打ちぎわにそって、カシワの木とブナの木の森がひろがっています。そこはいかにもすがすがしい森で、よい香りがただよっています。春になると、幾百ともしれないナイチンゲールが訪れてきます。この森のすぐ近くに海があります。永遠に姿を変えている海です。そしてこの森と海とのあいだを、広い国道が通っています。馬車がつぎからつぎへと走っています。けれどもわたしは、その後については行きません。わたしの眼は、たいてい一つの点にとまるのです。そこには一つの大きな塚があります。キイチゴの蔓とリンボクが、石の間からのびています。ここに、自然の中の詩があるのです。きみは、人々がこれをどんなふうに考えていると思いますか? そうだ、わたしがそこで、きのうの夕方から夜にかけて聞いたことだけを話してあげましょう。  最初に金持の農夫がふたり、馬車に乗ってやってきました。 『そこらにあるのは、たいした木じゃないか!』と、ひとりが言いました。 『一本あたり、十駄のまきはとれるよ!』と、もうひとりが答えました。 『この冬もきびしい寒さになるぜ。去年は一坪十四ターレルで売ったっけな!』  こう言って、ふたりは通りすぎて行きました。 『ここは道が悪いなあ!』と、べつの馬車で来た人が言いました。 『そりゃあ、あのいまいましい木のためさ!』と、つれの者が答えました。 『なにしろここは、海のほうからしか風が吹いてこないんだからね!』  こう言いながら、このふたりも通りすぎて行きました。駅馬車も通りかかりました。こんなにすばらしい景色のところへ来ても、みんな眠っていました。御者はラッパを吹きならしました。そして心の中では、『おれの吹き方はうまいもんだ。それによ、ここへ来ると、ほんとうにいい音がでる。だが、みんなはどう思っているかな?』と、こんなことばかりを考えていました。こうして、駅馬車も行ってしまいました。  こんどは、ふたりの若者が馬をとばせてやってきました。この血の中には青春とシャンパン酒があるな、とわたしは思いました。このふたりも、口もとに微笑をうかべながら、苔のむした丘と薄暗い茂みのほうをながめました。 『水車屋のクリスチーネといっしょに、ここを散歩したいなあ!』と、ひとりが言いました。  それから、ふたりは駆け去りました。あたりの花は、たいへん強くにおいました。そよ風は静かにまどろみました。海はまるで、深い谷の上にひろがっている空の一部になったかのようでした。  また一台の馬車が通りすぎました。中には六人の客が乗っていました。そのうち四人は眠っていました。五人目の男は、自分によく似合うはずの、新しい夏服のことを考えていました。六人目の男は、御者のほうへからだを乗りだして、あそこに積み重ねてある石には、なにか特別のことでもあるのかとたずねました。 『いいや』と、御者は言いました。『ただ、石が積み重ねてあるだけでさあ。だが、あっちの木のほうとなると、特別のことがありますて!』 『どうしてだい?』 『ええ、特別のことがありますとも! 旦那、冬になって、雪が深くつもりますってえと、何もかも一面に平らになってしまいまさ。そんなとき、あっしの目印になるのが、あの木でしてね、あいつを頼りにして行くからこそ、海にもはまりこまねえですむってもんでさ。だからね、あいつは特別なんですよ!』──こう言って、走り去りました。  そこへ、ひとりの画家がやってきました。その眼はきらめきました。一言も物を言いませんでした。画家は口笛を吹きました。ナイチンゲールが歌いはじめました。一羽また一羽と、だんだん高く。 『だまれ!』と、画家はどなって、すべての色と濃淡とを非常にくわしくかきとめました。『青、薄紫、濃褐色!』これはすばらしい絵になるでしょう! 画家は、鏡がものの姿をうつすように、それをうつしとったのです。そしてそうしながら、ロッシーニの行進曲を口笛で吹いていました。  最後にやってきたのは貧しい女の子でした。女の子は塚のそばで休んで、荷物をおろしました。美しい青白い顔を森のほうへ向けて、そこからひびいてくる物音に耳をかたむけました。海のかなたの大空を見上げたとき、女の子の眼はきらきらと輝きました。両手が合されました。『主の祈り』をとなえたように思われます。この子は自分でも、自分自身の中を流れている感情がわかりませんでした。しかし、わたしは知っています。長い年月がたつうちには、この瞬間とまわりの自然とが、画家がきまった絵具でえがきだしたよりもずっと美しく、さらにいっそう忠実に、この子の思い出のうちにときおり生きかえってくるだろうということを。わたしの光は、暁の光が女の子のひたいにキスをするまで、この子の後について行きました!」 第八夜  重い雲が空一面にたれこめて、月はまったく姿を現わしませんでした。わたしは二重のさびしい思いにかられながら、わたしの小部屋の中に立って、いつも月が輝き出てくるあたりの空をながめていました。わたしの思いは広くかけめぐりました。そして、毎晩あんなに美しい話を聞かせてくれたり、すばらしい絵を見せてくれたりした、偉大な友だちのことに思い及びました。  そうです、いままでにこの月の体験しなかったことがあるでしょうか! ノアの大洪水のときにも、その水の上を帆走ったのです。そして、ちょうどいまわたしにほほえみかけているのと同じように、箱船の上にほほえみかけて、やがて花咲き出ようとする新しい世界の慰めをもたらしたのです。イスラエルの人民が泣きぬれてバビロンの河辺に立ったとき、あの月は竪琴のかかっているヤナギの木のあいだから、悲しげにそれをのぞいたこともあるのです。ロメオが露台の上によじのぼって、まことの愛の接吻が天使の思いのように天へとのぼって行ったとき、まるい月は黒い糸杉のあいだに半ばかくれて、澄みきった空に浮んでいたこともあるのです。また、セント・ヘレナの島に幽閉された英雄が、荒寥たる岩頭に立って、胸に雄志を抱きながら大海原をながめやっている姿を見たこともあるのです。  そうです、月にとって話せないようなことが何かあるでしょうか! この世界の生活は、月にとっては一つのおとぎばなしなのです。なつかしい友よ、今夜わたしはきみの姿を見ません。きみの訪問の記念に、どんな絵をもかくことができません。──こうしてわたしが、夢想にふけりながら雲の中を見上げますと、そこが明るくなりました。それは一すじの月の光でした。けれども、その光はすぐまた消えてしまいました。黒い雲がすべって行ったのです。しかし、それこそ挨拶でした。月がわたしに送ってくれた、やさしい晩の挨拶だったのです。 第九夜  空気はまた澄みわたりました。幾晩か、たっていました。月は上弦になっていました。わたしはふたたびスケッチをしようという考えを起しました。──月の話してくれたことをお聞きください。 「わたしはグリーンランドの東海岸まで、北極鳥と、泳いでいるクジラの後を追って行きました。氷と雲とにおおわれた裸の岩山が谷をとりまいていました。ヤナギとコケモモが咲きそろい、よい香りのするセンオウは甘い匂いをひろげていました。わたしの光は弱く、わたしのまるい顔も、茎からもぎとられて何週間も水の上をただよっているスイレンの葉のように、青ざめていました。北極光の冠が、もえさかっていました。その光の輪は広くて、光の線は渦巻く火柱のように大空ぜんたいにひろがって、緑と紅とにきらめいていました。  この地方に住んでいる人たちが踊りと娯楽のために集まっていましたが、この美しさを見ても、ふだん見なれているために、だれひとり驚く者はありませんでした。この人たちは、『死人の魂は、海象の頭といっしょに踊らせておけばいい』という、この人たちなりの信仰に従って考えていたのです。心も、眼も、歌と踊りにばかり向けられていました。輪になったまん中に、手太鼓を持ったひとりのグリーンランド人が毛皮も着ないで立っていて、海豹捕りの歌の音頭をとっていました。すると合唱隊は『エイア、エイア、ア!』とそれに応じました。そうして、白い毛皮を着て、まるい輪をつくって跳ねまわりました。そのありさまは、まるで北極熊の舞踏会のようでした。眼と頭が、思いきりはげしく動いていました。  そのうちに、裁判と判決が始まりました。仲違いをしている人たちが前に歩みでて、まず恥ずかしめを受けた者が相手の悪いことを即興の歌にして、大胆にあざけって言いたてました。こうしたことはみんな、太鼓に合せて踊っている最中に行われるのです。訴えられたほうの者も、同じようにずる賢くそれに答えます。すると、集まっている人たちが笑いさざめきながら、ふたりのあいだに判決をくだすのでした。岩山はとどろき、氷塊がくずれ落ちました。落下する大きな塊りが、途中でこなごなにくだけ散りました。それはグリーンランドらしい、美しい夏の夜でした。  そこから百歩ばかり離れたところに、入口のひらいた、皮のテントがあって、その中にひとりの病人がねていました。その暖かい血の中にはまだ生命が流れていました。でも、もうこの男は死ななければなりませんでした。自分でもそう思っていましたし、まわりの者もみんなそう思っていたのです。ですから、その男の妻は、後になって死人のからだにさわらないでもいいように、夫のからだのまわりに皮の衣をしっかりと縫いつけて、たずねました。 『あんたは、あの岩の上の固い雪の中に埋めてもらいたいの? それならわたしは、そこをあんたのカヤックとあんたの矢で飾ってあげるよ。アンゲコックがその上を踊ってくれるだろうよ。それとも、海の中へ沈めてもらいたい?』 『海の中へ』と、男はささやいて、悲しげな微笑を浮べながら、うなずきました。 『あそこは気持のいい夏のテントだからね』と、妻は言いました。『あそこなら海豹も何千となく跳びはねているし、足もとには海象がねむっているんだもの。漁はたしかで、おもしろいにちがいないわ!』  それから、子供たちは泣き悲しみながら、窓に張ってあった皮を引きちぎりました。こうして瀕死の病人を海へ、大波のうねっている海へ、連れだそうというのです。その海こそは、生きているあいだはこの男に食べ物を与え、いまは、死んでから後の安息を与えるのです。墓標となるのは、夜となく昼となくたえず変化しながら、ただよっている氷山です。その氷塊の上では海豹がまどろみ、海つばめはその上を飛びこえて行くのです」 第十夜 「わたしはひとりの老嬢を知っていました」と、月が言いました。「この人は冬になると、いつも黄色いしゅすの外套を着ていましたが、それはきまって新しいものでした。それがこの人にとっての、ただ一つの流行だったのです。夏には、いつも同じ麦わら帽子をかぶっていました。そして、同じ青灰色の着物をきていたような気がします。  この人は通りをへだてた向いにいる、ひとりの年とった女友だちのところへ出かけて行くだけでした。けれども、その友だちも死んでしまいましたので、去年はそれさえもしませんでした。わたしの老嬢はいつもひとりぽっちで、窓の中がわで立ち働いていました。そこには夏じゅう美しい花が咲き、冬には毛織帽子の上にきれいなタガラシがさしてありました。ところが先月は、この人はもう窓ぎわにすわっていませんでした。でも、まだ生きてはいたのです。わたしには、それがよくわかっているのです。というのは、この人があの女友だちとよく話していた大旅行に出かけるのを、わたしはまだ見ていなかったからです。 『そうよ』と、そのとき、この人は言っていました。『わたしはいつか死んだら、一生のうちにしたよりももっと大きな旅行をするのよ。ここから六マイル離れたところに、わたしの家の墓地があるわ。そこへわたしは運ばれていって、親類の人たちといっしょに眠るのよ』  ゆうべ、その家の前に一台の車がとまりました。人々は一つの棺を運びだしました。それでわたしは、あの人が死んだことを知りました。人々は棺のまわりにわらをかけました。それから、車は動きだしました。そこには、去年一度も家から出たことのない老嬢が、静かに眠っていました。  車はまるで楽しい旅にでも出かけるように、すばらしい勢いで町から出て行きました。国道に出ると、いっそう早くなりました。御者は二、三度そっとうしろを振り向きました。もしかしたらあの人が、黄色いしゅすの外套を着て、棺の上にすわっていはしないかと、心配しているようでした。そのため御者はめちゃめちゃに馬に鞭をあてたり、手綱をぐっと引きしぼったりしました。それで、馬はふうふう泡をふきだしていました。馬は若くて元気でした。ウサギが一ぴき、道を横ぎりました。馬はまっしぐらに走って行きました。もの静かな老嬢は、生きているときは、年がら年じゅう家の中の同じ場所だけをゆっくりと動きまわっていましたのに、死んだいまとなって、このひろびろとした国道を真一文字に走って行くのでした。  わらのむしろで包んであった棺が跳ね上がって、道の上に落っこちました。ところが、馬と御者と車とは、そんなことにはかまわずに、荒れ狂ったように駆け去ってしまいました。ヒバリが歌いながら野から舞いあがって、棺の上のほうで朝の歌をさえずりました。それから、棺の上にとまって、くちばしでむしろをつつきました。そのようすは、まるでさなぎを裂きやぶろうとでもしているようでした。それからヒバリは、ふたたび歌いながら、大空に舞い上がりました。そしてわたしは赤い朝雲のうしろに引きさがったのです」 第十一夜 「婚礼の祝宴がありました」と、月が話しました。「歌がうたわれ、健康を祝ってさかずきがあげられました。すべてが豊かで、はなやかでした。お客たちも帰っていきました。もう真夜中をすぎていました。母親たちは花婿と花嫁にキスをしました。わたしは、花婿花嫁がふたりだけになったのを見ました。けれども、カーテンがほとんどすっかり引かれていて、ランプがこの楽しい部屋を照らしていました。 『みんな帰ってくれてありがたい!』と、花婿は言って、花嫁の両手と唇にキスをしました。花嫁はほほえみ、そして泣きました。蓮の花が流れる水の上に休らうように、ふるえながら花婿の胸に頭をもたせて、そしてふたりはやさしい幸福な言葉をささやきあいました。『ぐっすりおやすみ』と、花婿は言いました。花嫁はカーテンをわきへ引きよせました。 『まあ、なんてきれいなお月さまなんでしょう!』と、花嫁が言いました。『ごらんなさいな、あんなに静かで、あんなに明るいわ!』それからランプを消しました。楽しい部屋の中はまっくらになりました。しかしわたしの光は、花婿の眼が輝いていたように、輝いていました。──女性よ、詩人が生命の神秘をうたうときには、その竪琴にキスをなさい!」 第十二夜 「わたしはポンペーの一つの光景をきみに話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしは『墓場通り』といわれている郊外にいました。そこには美しい記念碑がいくつか立っています。そのむかし狂喜した若者たちが、ひたいにバラの花を巻いて、美しいライスの姉妹たちと踊ったところです。いま、そこは死んだように静まりかえっていました。ナポリに勤務しているドイツ兵が警備にあたっていて、トランプやさいころ遊びをやっていました。  外国人の一団が警備兵につきそわれて、山の向うから町の中へはいってきました。この人たちは、わたしの照り輝く光の中で、墓の中からよみがえった都市を見ようと思ったのです。そこでわたしは、広い熔岩をしきつめた街路にのこっている車輪の跡を見せてやりました。それからまた、戸口に書いてある名前や、昔のままにかかっている看板を見せてやったりしました。その人たちは、小さい中庭では貝がらで飾られた噴水受けの水盤を見ました。しかし、いまは水も噴き上がってはいませんでした。また金属製の犬が戸口の番をしている色あざやかな部屋々々からも、歌声一つひびいてはきませんでした。  それは死の都でした。ただベスビオの山だけは、あいもかわらず永遠の讃歌をとどろかしていました。その一つ一つの詩句を、人間は新しい爆発と呼んでいるのです。わたしたちはビーナスの神殿に行きました。それはきらきら光るまっ白な大理石でできていました。広い階段の前に高い祭壇があって、円柱のあいだに生えているしだれヤナギはいきいきとしていました。空気はすきとおって碧色をしていました。背景にはベスビオの山が黒々とそびえていて、そこから噴きでる火は笠松の幹のように立ちのぼっていました。煙の雲が夜の静けさの中に照らしだされて、笠松のこずえのように、血のように赤くひろがっていました。  この一団の中にひとりの歌姫がいました。この歌姫はほんとうにすぐれた声楽家で、わたしはヨーロッパの大都会でこの人がほめそやされているのを見たことがあります。人々が悲劇の劇場に近づいたとき、みんなは円形劇場の石の段の上にすわりました。こうして数千年前と同じように、ふたたびこの劇場のわずかな場所が人々に占められたのです。舞台はまだ昔のままになっていました。壁を塗った側面と、背景に二つのアーチがあって、そこから以前の時代と同じ装飾が見えました。つまりそれは自然そのもののことで、ソレントとアマルフィのあいだの山々です。  歌姫はたわむれに古代の舞台に上がって歌いました。この場所が霊感を与えたのです。わたしは思わずも、鼻息あらく、たてがみをなびかせつつ走り去るアラビアの野馬を思いださずにはいられませんでした。歌姫の歌には、ちょうどそれと同じ軽やかさと確かさとがありました。またわたしは、ゴルゴタの丘の十字架の下で苦しみ悩む母親のことを思わずにはいられませんでした。ちょうどそれと同じ心にしみ入る、深い苦痛が現われていました。そしてあたりには、数千年の昔と同じように、ふたたび拍手と歓呼の声がひびきわたりました。 『しあわせな人! すばらしい才能にめぐまれた人!』と、みんなは歓声をあげました。  三分後には舞台は空になりました。すべてが去りました。もう物音一つ聞えなくなりました。あの一団は歩み去ったのです。しかし、廃墟はあいもかわらず立っていました。これからもなお数百年のあいだ、このままに立ちつづけることでしょう。そしてこの瞬間の喝采のことも、美しい歌姫のことも、その歌声やほほえみのことも、だれひとり知る者もなく、忘れられ、過ぎ去ってしまうのです。わたし自身にとっても、この一時はすでに消え去った思い出なのです」 第十三夜 「わたしはある編集者の窓をのぞきこみました」と、月が言いました。「そこはドイツのどこかでした。その部屋には、りっぱな家具と、たくさんの書物と、乱雑に積みかさねた新聞がありました。若い男が幾人もいました。編集長自身は大きな机のそばに立っていました。二冊の小さい本が、いずれも若い作家の書いたものですが、それが批評されることになっていました。 『この一冊はぼくに送ってよこしたものなんだが』と、編集長は言いました。『ぼくはまだ読んでいない。だが、きれいな装幀だね。内容はきみたちどう思う?』 『ええ』と、ひとりが言いました。この人自身詩人でした。『とてもいいですよ。すこし長たらしくてだらだらしていますが、まあなんといっても若い人ですからね。詩句にしたって、もうすこし直すこともできるでしょう。思想はたいへん穏健です。むろん、ごくありふれた考え方ですけども。しかし、どう言うべきでしょう? 何か新しいものを見つけようったって、いつも見つかるわけじゃないんですから、ほめてやっていいと思います。といったところで、この男が詩人としてりっぱなものになろうなどとは、ぼくもけっして思ってはいません。ともかく知識もあり、すぐれた東洋学者でもあり、またたいへん穏健な批評をする人なんです。ぼくの〝家庭生活についての随想録〟にりっぱな批評を書いたのは、この男なんですよ。若い人に対しては寛大でいてやりたいものです』 『いや、あれはまったくの愚物ですよ』と、この部屋にいたもうひとりの紳士が言いました。『詩では凡庸ということぐらい悪いことはありませんよ。それにあの男ときたら、一歩も凡庸以上に出ていないんですからね』 『かわいそうなやつ!』と、第三の男が言いました。『しかもこの男の叔母さんは、この男のことを喜びとしているんです。その叔母さんていうのは、編集長さん、あなたのこのあいだの翻訳にあんなに大勢の予約者を集めてくれた人なんですよ──』 『ああ、あの親切な婦人ね! うん、ぼくはこの本をごく簡単に批評することにしたよ。疑う余地なき才能! 歓迎すべき天賦の素質! 詩の園に咲いた一輪の花! 装幀もいい、などとね。ところで、もう一つの本はどうだろう! あの著者は、ぼくにも買わせようという腹らしい。──評判がいいよ。あの男は天才をもっているんだね。きみたち、そう思わないかね?』 『ええ、みんなはそう言いたててますね』と、さっきの詩人が言いました。『だけど、すこし粗雑ですよ。コンマの打ち方なんか、あまりにも天才的すぎますね』 『あの男はこきおろしてやって、ちっとは腹をたてさせたほうがためになりますよ。さもなきゃ、のぼせあがってしまいますからね』 『しかし、それは不当です』と、第四の男が大声に言いました。『そんな小さい欠点ばかりをかぞえたてないで、いいものを喜びましょうよ。しかもここには、それがたくさんあるんです。まったく、あの男は衆をぬきんでていますよ』 『とんでもない! もしあの男がほんとうの天才だとすれば、そのくらいの鋭い非難にだって耐えることができるさ。あの男を個人的にほめる者はいくらでもある。われわれはあの男を慢心させないようにしようじゃないか!』 『疑う余地なき才能!』と、編集長は書きました。『だれにもありがちの不注意。この著者もまた不幸な詩句を書くことは、二十五ページに見いだされる。そこには二つの母音重複がある。古人についてさらに研究されんことを切望する、云々』  わたしはそこを立ち去りました」と、月は言いました。「それから、その叔母さんの家の窓をのぞいてみました。そこには評判のいいおとなしい詩人が、招待されたすべての客から賞讃されてすわっていました。この人は幸せでした。  わたしはもうひとりの詩人を、粗雑な詩人をさがしました。この人もまた、ひとりの後援者のところに集まった大勢の人々の中にいました。そこでは、もうひとりの詩人の本が話題にのぼっていました。 『わたしはあなたの本も読みましょう』と、後援者が言いました。『しかし正直に言うと、あなたも知っての通り、わたしは自分の思っていることをなんでも言ってしまう人間ですが、こんどの本に対してはそんなに期待していませんよ。あなたはあまりに粗雑すぎる! 空想的すぎる──といっても、あなたが人間としてきわめて尊敬すべき人であることは、わたしも認めています』  ひとりの若い娘が片隅にすわって、本を読んでいました。 ──天才のほまれはどろにまみるれど、 凡庸のわざは空高くかかげらる!── 『こは古き語り草なれど、 なおつねに新たなり!』」 第十四夜  月が話しました。「森の道にそって、二軒の農家があります。戸口は低く、窓は上と下とについています。あたりにはサンザシやヘビノボラズが生えています。屋根は苔でおおわれていて、黄色い花やイワレンゲが咲いています。小さい庭にはキャベツとばれいしょがあるだけですが、生垣にはニワトコが花をいっぱいに咲かせています。  その下に、ひとりの小さい女の子がすわっていました。その子は鳶色の眼で、二軒の家のあいだに立っている古いカシワの木をじっと見つめていました。この木は枯れた高い幹を持っているのですが、その上の方は鋸でひき切られていました。そこにコウノトリが巣をつくっていました。ちょうどいまコウノトリがその上に立って、くちばしをガチャガチャやっていました。  ひとりの小さい男の子が出てきて、女の子のそばに並びました。このふたりは兄妹だったのです。 『何を見てるんだい?』と、男の子はききました。 『コウノトリを見てるのよ』と、女の子が言いました。『おとなりのおばさんがね、コウノトリが今夜あたしたちに小さい弟か妹を連れてきてくれるって言ったの。だからあたし、コウノトリが来るのを見ようと思って、気をつけてるのよ』 『コウノトリなんて、なんにも持ってきやしないさ』と、男の子が言いました。『いいかい、おとなりのおばさんは、ぼくにもおんなじことを言ったけど、そう言ったとき笑ってたんだ。それでぼく、おばさんに、きっとですかって、きいたのさ。──だけどおばさんは返事ができなかったんだぜ。だからぼくには、ちゃんとわかっちゃったんだ。コウノトリの話なんて、ぼくたち子供にほんとうらしく思わせるだけのことさ!』 『だけど、そんなら赤ちゃんはどこから来るの?』と、女の子はたずねました。 『神さまが連れてきてくださるのさ』と、男の子は言いました。『神さまは外套の下に入れて連れていらっしゃるんだよ。だけども、人間は神さまの姿を見ることができない。だから、神さまが赤ん坊を連れていらっしゃるのも、ぼくたちには見えないのさ』  その瞬間、ニワトコの木の枝の中でザワザワという音がしました。子供たちは両手を合せて、互いに顔を見合せました。たしかに神さまが子供を連れてきたのです。──ふたりは手を取り合いました。家の戸があきました。それはおとなりのおばさんでした。 『さあ、はいってらっしゃい』と、おばさんは言いました。『コウノトリが何を持ってきてくれたかごらんなさい。ちっちゃな弟さんよ!』すると、子供たちはうなずきました。ふたりとも、その弟が来たことを、もうちゃんと知っていたのです」 第十五夜 「わたしはリューネブルクの荒野の上をすべって行きました」と月が言いました。「道ばたに小屋が一軒、ぽつんと立っていました。葉の散り落ちた藪が二つ三つ、そのすぐそばにありました。そこでは、どこからか迷いこんできたナイチンゲールが歌をうたっていました。けれども、ナイチンゲールは夜の寒さのために死ななければなりません。わたしが聞いたのは、そのナイチンゲールのこの世での最後の歌だったのです。  暁の光が輝きました。旅人の一隊がやってきました。それは外国へ移住して行く農夫の一家でした。船でアメリカへ渡ろうとして、ブレーメンかハンブルクへ行くところだったのです。この人たちはアメリカへ行けば、幸運が、夢みている幸運が、花を開くものと思っていたのでした。女たちは小さい子供を背中に背負っていました。いくらか大きい子供たちはそのそばを跳びはねていました。やせこけた一頭の馬が、わずかばかりの家具をのせた車を引いていました。  つめたい風が吹いてきました。それで小さい女の子は、母親のそばにぐっとからだをすり寄せました。母親は、かけはじめたわたしのまるい月の輪を見上げながら、故郷でなめてきたひどい苦労のことを思いうかべたり、払うことのできなかった重い税金のことを考えたりしていました。それは、この一行のだれもが考えていることでした。だから赤々と輝く暁の光は、ふたたび訪れてくるであろう幸運の太陽の福音のように思われたのです。いまにも死にそうなナイチンゲールの歌声を聞いても、それは悪い予言者ではなく、幸運の告知者のように聞えたのです。風がヒューヒューと鳴っていました。ですから人々には、ナイチンゲールのうたう歌がわかりませんでした。 『安らかに海を渡れ! 長い船路のために、おまえは持てるすべてのものを支払った。貧しくよるべなく、おまえはおまえのカナーンの地を踏むだろう。おまえはみずからを売り、妻を売り、子供を売らねばならない。だが、長く苦しむことはない! 香り高い広い葉かげに、死の女神がすわっている。その歓迎のキスは、おまえの血の中に死の熱病を吹きこむのだ。ゆけよ、ゆけ、盛りあがる大波を越えて!』  旅人の一行は、喜んでナイチンゲールの歌に聞きいりました。というのは、その歌がやがて来る幸福をうたっているように思われたからです。薄雲のあいだから日が輝いてきました。農夫たちは荒野を横切って教会へ行きました。黒い着物を着て、頭を厚い白い麻布でつつんだ女たちの姿は、教会の中の古い絵からおりたってきたのではないかと思われました。このあたりを取り巻いているものは、ひろびろとした荒寥たる環境ばかりでした。乾からびた褐色のヒースと、うす黒く焦げた芝草が、白い砂洲のあいだに見えるだけでした。女たちは讃美歌の本を持って、教会のほうへ行きました。ああ、祈れよ! 盛りあがる大波のかなたの墓場へさすらい行く人々のために祈れよ!」 第十六夜 「わたしはひとりのプルチネッラを知っています」と、月が言いました。「見物人はこの男の姿を見ると、大声にはやしたてます。この男の動作は一つ一つがこっけいで、小屋じゅうをわあわあと笑わせるのです。けれどもそれは、わざと笑わせようとしているわけではなく、この男の生れつきによるのです。この男は、ほかの男の子たちといっしょに駆けまわっていた小さいころから、もうプルチネッラでした。自然がこの男をそういうふうにつくっていたのです。つまり、背中に一つと胸に一つ、こぶをしょわされていたのです。ところが内面的なもの、精神的なものとなると、じつに豊かな天分を与えられていました。だれひとり、この男のように深い感情と精神のしなやかな弾力性を持っている者はありませんでした。  劇場がこの男の理想の世界でした。もしもすらりとした美しい姿をしていたなら、この男はどのような舞台に立っても一流の悲劇役者になっていたことでしょう。英雄的なもの、偉大なものが、この男の魂にはみちみちていたのでした。でもそれにもかかわらず、プルチネッラにならなければならなかったのです。苦痛や憂鬱さえもがこの男の深刻な顔にこっけいな生真面目さを加えて、お気に入りの役者に手をたたく大勢の見物人の笑いをひき起すのです。  美しいコロンビーナはこの男に対してやさしく親切でした。でもアルレッキーノと結婚したいと思っていました。もしもこの『美女と野獣』とが結婚したとすれば、じっさい、あまりにもこっけいなことになったでしょう。プルチネッラがすっかり不機嫌になっているときでも、コロンビーナだけはこの男をほほえませることのできる、いや大笑いをさせることのできるただひとりの人でした。最初のうちはコロンビーナもこの男といっしょに憂鬱になっていましたが、やがていくらか落ちつき、最後には冗談ばかりを言いました。 『あたし、あんたに何が欠けているか知ってるわ』と、コロンビーナは言いました。『それは恋愛なのよ』  それを聞くと、プルチネッラは笑いださずにはいられませんでした。 『ぼくと恋愛だって!』と、この男は叫びました。『そいつはさぞかし愉快だろうな! 見物人は夢中になって騒ぎたてるだろうよ!』 『そうよ、恋愛よ!』と、コロンビーナはつづけて言いました。そしてふざけた情熱をこめて、つけ加えました。『あんたが恋しているのは、このあたしよ!』  そうです、恋愛と関係のないことがわかっているときには、こんなことが言えるものなのです。すると、プルチネッラは笑いころげて飛び上がりました。こうして憂鬱もふっとんでしまいました。けれども、コロンビーナは真実のことを言ったのです。プルチネッラはコロンビーナを愛していました。しかも、芸術における崇高なもの、偉大なものを愛するのと同じように、コロンビーナを高く愛していたのです。コロンビーナの婚礼の日には、プルチネッラはいちばん楽しそうな人物でした。しかし夜になると、プルチネッラは泣きました。もしも見物人がそのゆがんだ顔を見たならば、手をたたいて喜んだことでしょう。  ついこのあいだ、コロンビーナが死にました。葬式の日には、アルレッキーノは舞台に出なくてもいいことになりました。この男は悲しみに打ち沈んだ男やもめなんですから。そこで監督は、美しいコロンビーナと陽気なアルレッキーノが出なくても見物人を失望させないように、何かほんとうに愉快なものを上演しなければなりませんでした。そのため、プルチネッラはいつもの二倍もおかしく振舞わなければならなかったのです。プルチネッラは心に絶望を感じながらも、踊ったり跳ねたりしました。そして拍手喝采を受けました。 『すばらしいぞ! じつにすばらしい!』  プルチネッラはふたたび呼び出されました。ああ、プルチネッラは、ほんとうに測りしれない価値のある男でした!  ゆうべ芝居が終ってから、この小さな化物はただひとり町を出て、さびしい墓地のほうへさまよって行きました。コロンビーナの墓の上の花輪は、もうすっかりしおれていました。プルチネッラはそこに腰をおろしました。そのありさまは絵になるものでした。手はあごの下にあて、眼はわたしのほうに向けていました。まるで一つの記念像のようでした。墓の上のプルチネッラ、それはまことに珍しいこっけいなものです。もしも見物人がこのお気に入りの役者を見たならば、きっとさわぎたてたことでしょう。 『すばらしいぞプルチネッラ、すばらしいぞ、じつにすばらしい!』」 第十七夜  月が話してくれたことを聞いてください。「わたしは幼年学校の生徒が士官になって、はじめてりっぱな制服を着たのを見たことがあります。舞踏会の衣裳をつけた若い娘や、宴会服を着て楽しそうにしている公爵の若い花嫁を見たこともあります。けれどもどんな喜びも、わたしが今夜見たひとりの子供、四つになる小さい女の子の喜びには、とうていくらべることができません。  その子は新しい青色の着物と新しいバラ色の帽子をもらって、いまそのすばらしい晴れ着を着たところでした。みんなが明りを求めて呼んでいました。窓からさしこむ月の光だけでは十分ではないので、もっと明るい光で照らさなければならなかったのです。そこには小さい女の子が人形のように、腕を心配そうに着物からはなし、指を一本一本ひろく開いて、かたくなって立っていました。ああ、その眼と顔ぜんたいとが、どんなに喜びに輝いていたことでしょう! 『あしたは、その着物をきて、おもてへ行ってもいいのよ』と、母親が言いました。女の子は帽子を見上げたり、着物を見おろしたりしながら、嬉しそうにほほえみました。 『お母さん!』と、女の子は言いました。『あたしがこんなすてきな着物を着ているのを見たら、犬たちなんて思うかしら!』」 第十八夜 「わたしは」と、月が言いました。「きみにポンペーのことを話してあげたことがありますが、あれはいきいきとした都市がたくさん並んでいる中で、さらしものにされている都市の死骸です。けれどもわたしは、それよりももっと珍しい、もう一つの都市を知っています。それは都市の死骸ではなくて、都市の幽霊です。  噴水が大理石の水盤の中でぴちゃぴちゃ音をたてているところではどこでも、わたしはその水に浮んでいる都市のおとぎばなしを聞いているような気がします。たしかに、噴水の水はそれを物語っているにちがいありません。打寄せる岸辺の波はそれを歌っているにちがいありません。海のおもてには、しばしば霧がたちこめます。それは寡婦のベールです。海の花婿は死にました。その城とその都市とは、いまや御陵となっているのです。  きみはこの都市を知っていますか? その通りには車のころがる音も、馬のひづめの音も聞えたことがありません。そこには魚が泳いでいて、黒いゴンドラが幽霊のように緑の水の上を走って行きます。わたしは」と、月はなおも語りつづけました。「きみにその都市の中でいちばん大きな広場を見せてあげましょう。そうすれば、きみはまるでお伽の都市に来たのかと思うでしょう。広い敷石のあいだには草が生えています。夜が明けはじめると、人なれた鳩が何千ともなく、離れて立っている高い塔のまわりを飛びまわります。  きみは三方からアーケードに取りかこまれています。そこには長いキセルをもったトルコ人がじっとすわっています。美しいギリシャの少年が円柱によりかかって、昔の威力を物語る戦勝記念標の高い旗竿を見上げています。旗は喪章のように垂れさがっています。ひとりの娘がそこで休んでいます。水のはいった重い桶を下に置いていました。桶をかついできた棒は肩の上にのせたまま、戦勝柱に身をもたせています。  いまきみの眼の前に見えるのは妖精の城ではなくて、教会です。金めっきをした円屋根とそのまわりの金の球が、わたしの光を受けて、きらきらと輝いています。その上のほうにあるりっぱな青銅の馬は、おとぎばなしの中の青銅の馬のように、旅をしてきました。はじめここへやってきて、それから行ってしまい、そうしてまた戻ってきたのです。きみには壁や窓の色とりどりの美しさが見えますか? まるで天才が子供の言うなりになって、この珍しい寺院の装飾をしたのではないかと思われます。  きみにはあの円柱の上の翼のある獅子が見えますか? 金はいまもかわらず光っていますが、翼はしばられています。獅子は死んでいるのです。なぜならば、海の王が死んでいるからです。大きな会堂の中はからっぽです。むかし高価な絵がかかっていたところも、いまでは裸の壁がむきだしになっています。浮浪者がアーチの下で眠っています。かつては、この廊下には身分の高い貴族しか足を踏み入れることができなかったものです。  深い井戸からか、それとも溜息の橋のそばの牢獄からか、一つの溜息が聞えてきます。そのむかしには、色あざやかなゴンドラの上でタンバリンの音がひびき、婚約の指輪が輝かしい総督の船ブーチントロから海の女王アドリアへ投げこまれたのです。アドリアよ、おまえの身を霧の中につつみなさい! 寡婦のベールをもって、おまえの胸をおおいなさい! そしてそれを、おまえの花婿の御陵の上に、幽霊のような大理石の都ベネチアの上にかけなさい!」 第十九夜 「わたしはある大きな劇場を見おろしました」と、月が言いました。「その劇場は見物人でいっぱいでした。というのは、新しい俳優が初舞台をふむことになっていたからです。わたしの光は壁にある小さな窓の上をすべって行きました。すると、化粧をした一つの顔がひたいを窓ガラスに押しつけていました。それがその晩の主人公だったのです。騎士らしいひげが、あごのまわりにちぢれていましたが、その男の眼には涙がたまっていました。それもそのはず、人々から口笛でののしられて、舞台を引き下がってきたばかりだったのです。もっとも、ののしられても仕方がありません。あわれな男です! 才能のない者は芸術の世界では辛抱されるわけにはいかないのです。  この男は物事を深く感じもしましたし、感激をもって芸術を愛しもしました。けれども、芸術のほうではこの男を愛してくれませんでした。──舞台監督の鳴らすベルが鳴りひびきました。──大胆に勇気凜然と主人公登場、と役割書には書いてありました──この男は、いま自分をあざけり笑った見物人の前に出なければなりませんでした。──  この芝居が終ったとき、わたしはひとりの男がマントにくるまって、階段をこっそり降りて行くのを見ました。それはほかならぬ、さんざんにやっつけられたその晩の騎士でした。道具方の男たちは、ひそひそ話しあっていました。わたしはこの罪人のあとについて、この男の家の部屋までのぼって行きました。  首をつるのは見ぐるしい死に方だ。そうかといって、毒薬はいつも手もとにありはしない。わたしはこの男がその両方のことを考えていたのを知っています。わたしはこの男が青白い顔を鏡にうつしてみて、それから眼を半ば閉じるのを見ました。こうして、死体となってからもきれいに見えるかどうかをためしているのでした。人間は非常な不幸におちいっても、極度に見栄をはることがあるものです。この男は死を考えました。自殺を考えました。そして、自分自身のために泣いたように思います。──はげしく泣きました。人間は思いきり泣きつくしてしまうと、自殺などはしないものです。  そのときから、まる一年たちました。とある小さな劇場で、みじめな旅まわりの一座が喜劇を上演しました。わたしはふたたびあの見おぼえのある顔を、化粧した頬とちぢれたひげとを見ました。この男はまたわたしを見上げて微笑しました。──けれども一分とはたたないうちに、口笛でののしられて舞台から追いだされてきたのでした。みすぼらしい劇場で、なさけない見物人のためにののしられてきたのです!  今夜、一台のみすぼらしい葬儀車が町の門から出て行きました。後にはひとりの人もついては行きませんでした。それは自殺者だったのです。口笛で舞台から追いだされた、あの化粧をしたわれわれの主人公だったのです。車を走らせている御者がただひとりそばにいるだけで、ほかにはだれもついていませんでした。月のほかにはだれも。墓地の塀の近くの片隅に、自殺者は埋められました。そこには、やがていらくさがはびこることでしょう。墓掘りの男はほかの墓から抜き取ったいばらや雑草を、そこに投げすてることでしょう」 第二十夜 「ローマから、わたしは来ました」と、月が言いました。「あの都のまん中にある七つの丘の一つに、皇帝宮の廃墟があります。野生のイチジクが壁の裂目から生えでて、広い灰緑色の葉で壁の素肌をおおっています。砂利の積みかさなったあいだで、ろばが緑の月桂樹の垣の上を歩いて、やせたアザミを喜んで食べています。かつては、ここからローマの鷲たちが飛び出して、『来た、見た、勝った』と言ったものです。それがいまでは、こわれた二つの大理石の円柱のあいだに粘土でこしらえた小さなみすぼらしい家を通って、入口がついているのです。ブドウの蔓がかたむいた窓の上に、葬式の花輪のようにまつわりさがっています。  ひとりの老婆が小さい孫娘といっしょにそこに住んでいて、いまこの皇帝宮を支配しています。そしてよそから来る人たちに、ここに埋もれている宝を見せているのです。りっぱな玉座の間には、ただ裸の壁が残っているだけで、黒い糸杉がむかし玉座のあったところをその長い影でさし示しています。土がこわれた床の上に、うず高くつもっています。いまはこの皇帝宮の娘である小さい少女が、夕べの鐘の鳴りひびくころ、よくそこの低い小さな椅子に腰かけています。すぐそばにある扉の鍵穴を、この子は露台と呼んでいます。その穴からのぞくと、ローマの半分を、聖ペテロ寺院の大きな円屋根までも見わたすことができるのです。  今夜も、そこはいつものように静かでした。そして下のほうに、わたしの輝く光をいっぱいに受けて、この小さい少女が出てきました。頭の上には水のはいった古代風の粘土のかめをのせていました。見ればはだしで、短いスカートも、小さいシュミーズの袖もきれていました。わたしはその子の美しいまるい肩と、黒い眼と、まっ黒なつやつやした髪の毛にキスをしてやりました。少女は家の前の階段をのぼってきました。階段は急で、石壁のかけらやこわれた円柱頭などでできていました。  五色のトカゲがびっくりして少女の足もとをかけて行きましたが、少女はすこしも驚きませんでした。そして早くも手をのばして、戸の呼びりんを鳴らそうとしました。ウサギの前足が一つ、紐にゆわえつけられてさがっていました。これがいまの皇帝宮の、呼びりんの引手なのです。  少女はちょっと手をとめました。何を考えたのでしょうか。きっと、あの下の礼拝堂にある、金と銀との着物をきた、美しい子供姿のイエスのことでも考えていたのでしょう。いま礼拝堂では、銀のランプが輝き、小さいお友だちがこの子もよく知っている歌をうたいはじめていました。でも、ほんとうに何を考えていたのか、わたしにはわかりません。  少女はまた動きました。そして、何かにつまずきました。粘土のかめが頭から落ちて、溝の掘れている大理石の敷石の上で二つにくだけてしまいました。少女はわっと泣きだしました。皇帝宮の美しい娘は、みすぼらしいこわれた粘土のかめのために泣きました。はだしのままそこに立って、泣いていました。もう皇帝宮の呼びりんの引手の紐を引くだけの元気もありませんでした」 第二十一夜  二週間以上も月は出ませんでしたが、いままたわたしは月を見ました。ゆるやかにのぼって行く雲の上に、月はまるく明るく輝いていました。月がわたしに話してくれたことをお聞きください。 「アフリカのフェザン地方のある町から、わたしは隊商の後について行きました。砂漠の手前にある岩塩平原の一つで、隊商は立ちどまりました。そこは氷の表面のようにきらきら光っていて、わずかのところだけ軽い流砂でおおわれていました。いちばん年上の男は腰帯に水筒を下げ、頭のそばにはパン種のはいらないパンをいれた袋をもっていましたが、この男が杖で砂の上に正方形をえがいて、その中にコーランの中の言葉を二つ三つ書きました。隊商はみんな、この聖められたところを通って進んで行きました。  太陽の子であるひとりの若い商人が、物思いにふけりながら、荒い鼻息をたてている白い馬に乗っていました。この男が太陽の子であることは、その眼と美しい姿とで、わたしにはすぐわかりました。この男は美しい若い妻のことでも考えていたのでしょうか? 毛皮と高価な肩掛けで飾られたラクダが、この男の妻を、美しい花嫁を乗せて、町の城壁のまわりを歩いたのは、たった二日前のことだったのです。太鼓や袋笛が鳴りわたりました。女たちは歌いました。そしてラクダのまわりには、喜びの砲声が鳴りひびきました。花婿はいちばんたくさん、いちばん強く鉄砲を打ちました。そしていまは──いまその男は、隊商といっしょに砂漠を通って行くのです。  わたしは幾晩も隊商の後について行きました。そして、発育の悪いシュロの木にかこまれた泉のほとりで、この人たちが休むのを見ました。人々は倒れたラクダの胸にナイフを突きさして、その肉を火であぶりました。わたしの光は燃えている砂を冷やしました。またわたしの光は、大きな砂海の中の死んだ島ともいうべき黒い岩の塊りを人々に見せてやりました。この人たちは、人の通ったことのない道でも敵の種族に出会いませんでした。嵐も起りませんでした。旅行く人々を死にたやす砂柱も、この隊商の上にはまき起りませんでした。家では、美しい妻が夫や父のために祈っていました。 『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしの金色の半月にむかって、美しい妻はたずねました。『あの人たちは死んだのでしょうか?』と、わたしのこうこうと輝く月の輪にむかってたずねました。  いまはもう、砂漠は隊商の後になりました。今夜は高いシュロの木の下にすわっています。そこでは鶴が長い翼をひろげて飛びまわり、ペリカン鳥はミモザの枝から人々を見おろしています。生い茂った草藪が、象の重たい足に踏みつけられています。黒人の群れがずっと奥地にある市場から帰ってきます。黒い髪の毛のまわりに銅のボタンをつけて、あい色のスカートをはいた女たちが、重い荷をつんだ牡牛を追っています。その荷物の上には、裸の黒い子供が眠っています。ひとりの黒人は買ってきたライオンの子を綱で引いています。こうした人たちが隊商に近づいているのです。あの若い商人は身動き一つしないで、黙ってすわっています。心に思っているのは美しい妻のことです。この黒人の国にいながら、砂漠のかなたの匂い高い、まっ白な花のことを夢みているのです。商人は頭をあげます──!」そのとき、一つの雲が月をおおいました。それから、また一つの雲がかかりました。わたしはその晩はもう、それ以上何も聞きませんでした。 第二十二夜 「わたしは小さい女の子が泣いているのを見ました」と、月が言いました。「その子は世の中が意地悪いのを泣いていたのです。この女の子はとても美しいお人形をもらいました。それは、ほんとうにかわいい、きれいなお人形でした。もちろん、この世の中で不幸な目にあうように生れてきたわけではありません。ところが、この小さい女の子の兄さんの、大きい男の子たちがお人形をひったくって、庭の高い木の上にのせると、そのまま逃げて行ってしまったのです。  小さい女の子はお人形のところまで行くこともできないし、お人形をおろしてやることもできません。それで、泣いていたのです。お人形もたしかにいっしょに泣いていました。両腕を緑の枝のあいだからのばして、いかにも悲しそうなようすをしていましたもの。そうだわ、これがママのよくおっしゃる世の中の災難てものなんだわ。ああ、かわいそうなお人形!  あたりは、もう薄暗くなりはじめました。もうじき夜になってしまいます。お人形は今夜一晩じゅう、おもての木の上に、ひとりぽっちですわっていなければならないのでしょうか? いやいや、そんなことは、女の子にとっては思ってみるだけでもたまらないことです。 『あたし、あんたのそばにいてあげるわね』と、女の子は言いました。といっても、そんな勇気があるわけではありません。早くも、高いとんがり帽子をかぶった小さい小人の妖魔が茂みの中からのぞいているのが、はっきり見えるような気がするのです。おまけに、向うの暗い道では、ひょろ長の幽霊が踊りをおどっていて、それがだんだんこっちへ近づいてくるではありませんか。そして両手をお人形ののっている木のほうへのばして、笑ったり、指さしたりしているのです。ああ、小さい女の子はこわくてこわくてたまりません。 『でも、なんにも悪いことをしていなければ』と、女の子は考えてみました。『悪ものだって、なんにもすることなんかできやしないわ。でもあたし、何か悪いことしたかしら?』そうして、いろいろと思いだしているうちに、 『ああ、そうだっけ』と、女の子は言いました。『あたし、足に赤いきれをつけてた、かわいそうなアヒルを笑ったことがあったわ。あんなおかしなかっこうをして足をひきずるんですもの、あたし笑っちゃったんだわ。だけど、生き物を笑うなんていけないことだわね』こう言いながら、女の子はお人形のほうを見上げました。 『あんた、生き物を笑ったことがある?』と、ききました。すると、お人形は頭を振ったように見えました」 第二十三夜 「わたしはチロルを見おろしました」と、月は話しました。「わたしは黒々としたもみの木に、くっきりとした長い影を岩の上へ投げかけさせました。わたしは幼子イエスを肩にのせた聖クリストファの画像をながめました。その絵は、このあたりの家々の壁に地面から屋根まで届くくらい、大きくかいてありました。聖フロリアンは燃えあがっている家に水をそそいでいました。キリストは血まみれになって、道ばたの十字架にかかっていました。これは新しい時代の人々にとっては古い画像です。でもわたしは、それらが建てられるのを見てきました。一つ、また一つと、建てられるのを見てきたのです。  山腹の高いところに、ちょうどツバメの巣のように、尼僧院が一つぽつんと立っています。ふたりの姉妹が上の塔の中に立って、鐘を鳴らしていました。ふたりともまだ年若く、そのためふたりの眼は山々をこえて、はるかかなたの世間のほうへ飛んで行きました。旅行馬車が一台、下の国道を走っていました。馬車の角笛が鳴りわたりました。すると、あわれな尼僧たちは同じ思いにかられて、眼を下の馬車にじっとそそぎました。若い妹の眼には涙がたまっていました。──やがて、角笛のひびきはだんだん弱くなっていきました。そしてそのたえだえの音を、尼僧院の鐘がかき消してしまいました。──」 第二十四夜  月が話したことを聞いてください。 「いまからもう何年も前のことです。このコペンハーゲンで、わたしはあるみすぼらしい部屋の中を窓ごしにのぞきこんだことがあります。父親と母親は眠っていましたが、小さい息子はまだ眠ってはいませんでした。そのとき、寝台のまわりの花模様のついているサラサのカーテンが動いて、そこから子供の顔が外をのぞくのが見えました。  わたしは最初、その子はボルンホルム製の部屋時計を見ているんだろうと思いました。その時計は赤や緑でたいへんきれいに塗ってありました。そして上にはカッコウがとまっていて、下には重い鉛のおもりが垂れ下がっていました。ぴかぴか光るしんちゅう板の振子があっちこっちに揺れ動いて、コットン、コットンいっていました。  ところが、その子が見ていたのはこの時計ではありませんでした。そうです、この子が見ていたのは、母親の紡車だったのです。それは時計の真下に置いてありました。その紡車こそ、この子が家じゅうで一番好きなものだったのです。でも、それにさわることはできません。なぜって、ちょっとでもさわろうものなら、すぐに指先をぱんとたたかれるのですから。でも、母親が糸をつむいでいる間じゅう、この子はいつまでもそこにすわって、ぶんぶんいう紡錘と、ぐるぐるまわる車とをながめているのでした。そしてそれをながめながら、自分だけの思いにふけるのです。ああ、ぼくにもこの紡車でつむぐことができたらなあ!  父親も母親も眠っていました。男の子はふたりのほうを見ました。そして紡車をながめました。それからすぐに、かわいらしい素足が一つ寝床から出てきました。またもう一つが出てきました。こうして小さな脚が二本現われました。コトリ! 男の子は床の上に立ちました。男の子はもう一度振り向いて、父親と母親が眠っているかどうかをたしかめました。たしかに、ふたりとも眠っています。そこで、小さな短い寝巻のまま、ぬき足さし足こっそりと紡車のところへしのびよって、つむぎはじめました。糸は紡錘から飛び、車はすばらしい早さでまわりました。  わたしはその子のブロンドの髪の毛と水色の眼にキスをしてやりました。それはほんとにかわいらしい光景でした。そのとき、母親が眼をさましました。カーテンが動いて、母親が外をのぞきました。そして、小人の妖精か、さもなければ、ほかの小さな精霊が来ているのではないかと思いました。 『あらまあ!』母親はこう言いながら、こわごわ夫の脇腹をつつきました。父親は眼をあけると、手でこすりこすり、一心に働いている小さい少年のほうをながめました。 『あれはベルテルじゃないか』と、父親は言いました。  それから、わたしの眼はそのみすぼらしい部屋を後にして、べつのところへ向いました。なぜなら、わたしはとても広いところを見まわしているのですから。その同じ瞬間に、わたしは大理石の神々が立っているバチカン宮の広間を見ていました。わたしはラオコーンの群像を照らしました。すると、石が溜息をするように思われました。わたしは美の女神ミューズの胸に、そっとキスをしました。すると、その胸が高まるような気がしました。  けれども、わたしの光はナイルの群像のところに、あの巨大な神のところに、いちばん長くとどまっていました。その巨大な神はスフィンクスに身をもたせて、まるで移り行く年月のことを考えてでもいるかのように、物思いにしずんで、夢みるように横たわっていました。小さい愛の神のアモールたちは、そのまわりでワニとたわむれていました。豊饒の角の中にはごく小さいアモールがひとり、腕を組んですわっていました。そして、おごそかな顔をした大きな河の神を見ていました。このアモールは、あの紡車のそばにいた小さい男の子にそっくりの姿をしていました。顔かたちもおんなじでした。  ここには、小さな大理石の子供がまるで生きているように、かわいらしく立っていました。けれどもその子が大理石の中からとびだして以来、年の車はもう千回以上もまわっているのです。あのみすぼらしい部屋の中の男の子が紡車をまわしたと同じ数だけ、もっと大きな年の車もぶんぶんとまわったのです。そしてこの世紀が、このような大理石の神々をつくりだす日まで、さらにさらにまわりつづけていくのです。  いいですね、これはみんな幾年も前のことですよ。ところできのう」と、月は語りつづけました。「わたしはシェラン島の東海岸にある、どこかの入江を見おろしていました。そこには美しい森や、小高い丘や、赤い壁をめぐらした古いお屋敷などがあって、外堀には白鳥が泳いでいます。そして、りんご園のあいだに教会の立っている小さな田舎町があります。  たくさんの小舟が、それぞれたいまつをつけて、静かな水のおもてをすべって行きました。しかし、たいまつをつけていたからといって、それはウナギを捕るためではありません。いや、それどころか、あたりのようすからしてお祭のようでした!  音楽が鳴りひびき、歌がうたわれました。一そうの小舟のまん中には、今夜みんなが敬意を表わしている人が立っていました。それは大きなマントにくるまった、背の高い、がっしりした男で、青い眼と長い白い髪の毛を持っていました。わたしはこの人を知っていました。そしてすぐさまわたしは、ナイルの群像やあらゆる大理石の神々のあるバチカン宮のことを思い浮べました。それといっしょに、あの小さなみすぼらしい部屋のことも思いだしました。あの小さいベルテルが短い寝巻のまますわって、糸をつむいでいたのは、たしかグレンネ街だったと思います。時の車はぐるぐるまわりました。新しい神々が、大理石の中から立ちあがったのです。──小舟の中から、ばんざいの声がひびきました。 『ベルテル・トルワルセンばんざい!』──」 第二十五夜 「わたしはきみにフランクフルトの、ある光景を話してあげましょう」と、月が言いました。「わたしはそこで特に一つの建物をながめました。といっても、それはゲーテの生れた家でもなく、古い議事堂でもありません。その議事堂の格子窓からは、そのむかし皇帝の戴冠式のときにあぶり肉にされて、人々のご馳走にされた、角のついたままの牡牛の頭蓋骨が、いまもなお突きでているのですが、しかし、わたしがながめていたのはそんなものではなくて、せまいユダヤ人街の入口の角のところにある、緑色に塗られた、みすぼらしい平民の家だったのです。それはロスチャイルドの家でした。  わたしは開いている戸口から中をのぞいてみました。階段のところには、あかあかと明りがついていました。そこには下男たちが重そうな銀の燭台に火のともっているろうそくを持って、立っていました。そして、轎に乗ったまま階段を運ばれてきた、ひとりの年とった婦人に向って、ていねいにおじぎをしていました。この家の主人は帽子もかぶらず立っていて、この老婦人の手にうやうやしくキスをしました。  老婦人はこの人の母親だったのです。老婦人は息子と召使たちに親しげにうなずいてみせました。それから、人々は老婦人を狭い暗い小路の中の、とある小さな家へ運んで行きました。そこにこの老婦人は住んでいました。そこで子供たちを生んだのです。そしてそこから、子供たちの幸福が花のように咲きいでたのです。もしもいま、わたしが人からいやしまれているこの小路と小さい家とを見捨てたなら、幸福もまた息子たちを見捨てるだろう、というのが、この老婦人の信念だったのです。──」  月はこれ以上話してくれませんでした。今夜の月の訪れはあまりに短いものでした。しかしわたしは、人からいやしまれているその狭い小路に住む年とった婦人のことを考えてみました。このひとがたったひとこと言いさえすれば、テームズ河のほとりに光りかがやく家が立つのです。たったひとこと言いさえすれば、ナポリの入江近くに別荘が立つのです。 『もしもわたしが、息子たちの幸福が咲きいでたこの小さい家を見捨てたなら、幸福も息子たちを見捨てるだろう!』──それは迷信です。でもそれは、人がこの話を知り、その絵を見るときに、それを理解するためには、「母親」という二つの文字をその下に書いておきさえすればいいといった類いの迷信です。 第二十六夜 「きのうの夜明けのことでした」これは月自身が言った言葉です。「大きな町の煙突は、まだどれも煙をはいていませんでした。それでもわたしが見ていたのは、その煙突だったのです。と、とつぜん、その煙突の一つから、小さい頭が出てきました。つづいて上半身が現われて、両腕を煙突のふちにかけました。 『ばんざい!』それは小さい煙突そうじの小僧でした。生れてはじめて煙突の中をてっぺんまでのぼってきて、頭を外につき出したのでした。 『ばんざい!』そうです、そのとおりです。たしかにこれは、狭苦しい管や小さい煖炉の中を這いずりまわるのとは、いささかわけが違っていました。そよ風がすがすがしく吹いていました。町じゅうが緑の森のあたりまで見わたせました。ちょうど太陽がのぼりました。まるく大きく、太陽は小僧の顔を照らしました。その顔はじつにみごとに煤でまっ黒になっていましたが、嬉しさにかがやいていました。 『さあ、おいらは、町じゅうのものに見えるんだ!』と、小僧は言いました。『お月さまにだって、おいらが見えるんだ。お日さまにだってよ! ばんざい!』こう言いながら、小僧はほうきを打振りました」 第二十七夜 「ゆうべ、わたしは中国のある町を見おろしました」と、月が言いました。「わたしの光は街路をつくっている、長いはだかの土塀を照らしました。あちこちに門がありましたが、どれもしまっていました。なぜかといいますと、中国人は外の世界のことなんか、ちっとも気にとめていないからです。厚いよろい戸が、家の土塀のうしろの窓をおおっていました。ただお寺だけから、弱い光が窓ガラスをとおしてかすかに射していました。  わたしは中をのぞいてみました。すると、色とりどりの華やかさが眼にうつりました。床から天井まで、まばゆいほどの色彩と金めっきをほどこした絵がかかっていました。それはこの下界における仏たちの所業をえがいたものでした。一つ一つの厨子の中には仏像が立っていましたが、色どりゆたかな幕や垂れ下がった旗のためにほとんど隠れていました。そしてどの仏の前にも──それはみんな錫でつくってあります──小さい祭壇があって、そこには聖い水と、花と、火のともっているろうそくとがありました。けれどもお寺の中のいちばん高いところには、最高の御仏である仏陀が聖なる絹の黄衣を身にまとって立っていました。  祭壇の足もとに、ひとりの生きた人間の姿が、ひとりの若い僧侶が、すわっていました。この僧侶は祈っているようすでしたが、そのお祈りのさいちゅうに何か物思いにしずんでいるようでした。それは、たしかに一つの罪でした。というのは、その頬は熱くほてり、頭は深く深く垂れ下がっていたからです! あわれなスイ・ホン!  この男は街の長い土塀のうしろの、どの家の前にもある小さい花壇で働く自分の姿でも夢みていたものでしょうか。そしてその仕事のほうが、お寺の中でろうそくの番をするよりも、ずっと好きだったのではないでしょうか。それとも、ご馳走のたくさん並んでいる食卓について、一皿ごとに銀の紙で口もとをふきたいものだと望んでいたのでしょうか。それともまた、この男の罪が非常に大きなもので、もしもそれを口にでもしようものなら、極楽が死の刑をもってこの男を罰しなければならないといったようなものだったのでしょうか。あるいはまた、その思いは野蛮人の船とともにその故郷の、はるかにへだたったイギリスへでも飛んで行ったのでしょうか。いやいや、この男の思いはそんなに遠くまで飛びはしませんでした。けれどもそれは、熱い青春の血だけが産みだすことのできるような罪深いものでした。このお寺の中の仏陀をはじめ多くの仏像の前では罪深いものだったのです。  わたしは、この男の思いがどこにあったかを知っています。この町のはずれの、平たい敷石をしいた屋根の上に──そこの欄干は瀬戸物でできているように見えます──白い大きな風鈴草をさした、きれいな花瓶が置いてありましたが、そのそばに美しいペーが、細いいたずらっぽい眼と、ふくよかな唇と、それは小さな足をしてすわっていました。靴のために足はしめつけられていましたが、心はもっともっと強くしめつけられているのでした。娘がきゃしゃな美しい腕を上げますと、しゅすがさらさらと音をたてました。  娘の前にはガラス鉢が置いてあって、金魚が四ひきはいっていました。娘はうるしをぬった、色どり美しい箸で、水の中をそっとかきまわしていました。何か物思いにしずんでいましたので、ほんとうに、ほんとうにゆっくりとかきまわしていました。ああ、金魚はなんて豊かな金色の着物を着ているのだろう、そしてガラス鉢の中でなんてのどかに暮しながら、たくさんの餌をもらっているのだろう、でも、もしも自由になれたら、そしたらどんなに幸福だろう、と、きっとこんなことを思っていたのでしょう。ほんとうに、この美しいペーにはそれがよくわかっていたのです。ペーの思いは家からさまよいでました。そしてお寺へと向いました。けれどもそれは、仏のためではありません。あわれなペー! あわれなスイ・ホン! 現世でのふたりの思いは、めぐりあいました。しかしわたしの冷たい光は、大天使の剣のように、このふたりのあいだに横たわっていました!」── 第二十八夜 「海は凪いでいました」と、月が言いました。「水は、わたしが帆走っていた澄みきった空気のように、透きとおっていました。わたしは海面よりもずっと下に生えている珍しい植物を見ることができました。それらは森の中の巨木のように、幾尋もある茎をわたしのほうへさし上げていました。魚がその頂の上を泳いで行きました。  空高く野の白鳥の群れが飛んでいました。その中の一羽は翼の力がおとろえて、だんだん下へ沈んで行きました。その眼はしだいに遠ざかって行く空の旅行隊の後を追っていましたが、翼をひろくひろげて、ちょうどしゃぼん玉が静かな空気の中を沈んで行くように、沈んで行きました。やがて水面に触れました。頭をそらして翼のあいだにつっこむと、おだやかな湖に浮ぶ白い蓮の花のように、静かに横たわっていました。  やがて風が吹いてきて、きらきら輝く水のおもてに波をたたせました。すると、水のおもては、まるでエーテルのようにきらめいて、大きな広い波となってうねりました。そのとき、白鳥が頭を上げました。きらきら光る水が、青い火のように白鳥の胸や背を洗って飛び散りました。暁の光が赤い雲を照らしました。白鳥は元気を取り戻して立ち上がると、のぼりくる太陽のほうへ、空の旅行隊の飛び去った青みがかった岸辺をめざして飛んで行きました。ただひとり胸に憧れをいだいて飛んで行きました。青い、ふくれあがる波をこえて、ひとりさびしく飛んで行きました」── 第二十九夜 「きみにスウェーデンの光景をもう一つ話してあげましょう」と、月が言いました。「薄暗いもみの木の森のあいだ、ロクセン湖の陰気な岸辺近くに、古いブレタの僧院があります。わたしの光は壁の格子をとおって、広い円天井の部屋へすべりこんで行きました。その部屋では、王たちが大きな石の棺の中でまどろんでいるのです。その棺の上の壁には、この世における栄華をあらわすもののように、一つの王冠が人目をひいています。けれども、それは木でこしらえてあって、それに色彩をほどこし、金めっきをしたものなのです。そしてそれは、壁に打ちこまれた一本の木釘で、しっかりととめられています。その金めっきをした木は虫に食いあらされています。クモが王冠から棺まで網を張りめぐらしています。これは、人間の悲しみと同じように、はかない喪章の旗です! 王たちは、なんて静かにまどろんでいるのでしょう!  わたしはあの人たちのことをはっきりと覚えています! あんなにも力強く、あんなにも決然と喜びや悲しみを語った、口もとにただよう大胆な微笑が、いまもなお眼に浮んできます。蒸気船が魔法のかたつむりのように山々のあいだをぬってきますと、ときおり旅人が会堂へやってきます。そしてこの円天井のお墓の部屋を訪れて、王たちの名前をたずねます。でもその人の耳には、王たちの名前は忘れられたもの、死んだものとしてひびくのです。その人は虫の食った王冠を見上げてほほえみます。そしてその人が本当に敬虔な心の持主であれば、そのほほえみの中には哀愁の色がただよいます。まどろみなさい、死者たちよ! 月はきみたちのことを覚えています。月は夜、もみの木の王冠のかかっている、きみたちの静かな王国へ、冷やかな光を送ってあげます!──」 第三十夜 「国道のすぐそばに」と、月が話しました。「一軒の旅館があります。そしてその真向いに、大きな馬車小屋があります。小屋の屋根はちょうど葺いたばかりでした。わたしは桷のあいだと開いている天井窓から、そのうす気味悪い小屋の中をのぞいてみました。七面鳥が梁の上で眠っていました。鞍はからっぽの秣桶の中に入れて、休まされていました。  小屋のまん中には、旅行馬車が一台置いてありました。その持主はまだぐっすりと寝こんでいましたが、馬はもう水を飲まされていました。御者は道のりの半分以上もよく眠ってきたのに、──それはわたしがいちばんよく知っていますが──まだ手足をのばしていました。下男部屋への戸は開いていましたが、寝床はまるでひっくり返されたかと思われるようなありさまでした。ろうそくは床の上に置いてあって、燭台の中に深く燃え落ちていました。  風が冷たく小屋の中を吹きぬけていました。時刻は真夜中というよりは、もう明け方近いころでした。向うの馬屋の床の上には、旅まわりの音楽師の一家が眠っていました。たぶん、父親と母親は瓶の中の燃えつくような雫を夢にみていたものでしょう。青白い小さな女の子は眼の中の燃えるような雫を夢にみていました。竪琴は頭のそばに置いてあり、犬は足もとに横たわっていました。──」 第三十一夜 「ある小さい田舎町でのことでした」と、月が言いました。「わたしはそれを去年見ました。しかし、まあ、そんなことはどうでもいいのです。ともかく、わたしははっきりと見たのです。今夜わたしはそのことを新聞で読みましたが、これはそんなにはっきりとはしていませんでした。  宿屋の下の部屋に熊使いがすわって、夕飯を食べていました。熊は家の外のまき小屋のうしろにつながれていました。このあわれな熊は、見るからに恐ろしそうなようすをしていましたが、まだ一度も人に害を加えたことはありませんでした。上の屋根裏部屋では、わたしの明るい光を受けて、三人の小さい子供が遊んでいました。いちばん上の子はせいぜい六つぐらいで、いちばん下の子は二つをこしてはいませんでした。 『バタン、バタン』と階段を上ってくるものがありました。いったい、だれでしょう? 戸がガタンと開きました──それは熊でした。あの大きな、毛むくじゃらの熊ではありませんか! 熊は下の中庭に立っているのがたいくつになったのです。そして、階段を上る道を見つけたのでした。わたしはそれをのこらず見ていました!」と、月が言いました。「子供たちはこの大きな毛むくじゃらの動物を見るとびっくりぎょうてんして、めいめい隅っこへ這いこみました。けれども、熊は三人ともみんな見つけてしまいました。そうして鼻でくんくん嗅ぎまわりました。でも、べつに悪いことはなんにもしませんでした。 『これはきっと大きい犬だ』子供たちはそう思ったものですから、熊をなでてやりました。熊はごろりと床の上に横になりました。いちばん小さい男の子はその上をころげまわって遊びました。その子のちぢれた金髪の頭は、熊の濃い黒い毛皮の中にかくれました。こんどは、いちばん大きい子が太鼓を持ちだして、ドンドンたたきました。すると、熊は二本の後足で立ちあがって、踊りだしました。それはほんとにおもしろいありさまでした!  子供たちは、めいめい鉄砲をかつぎました。熊も一つもらいました。そして、それをちゃんとかつぎました。これは、子供たちの見つけたすばらしい仲間です! それからみんなは、『一、二、一、二!』と行進しました。  そのとき、戸に手をかけたものがありました。戸が開きました。それは子供たちの母親でした。その瞬間の母親のようすといったら、まったく、きみに見せてあげたいものでした。物も言えない驚き、石灰のような青白い顔、半ば開いた口、じっと見すえた眼、そうしたようすはほんとにきみに見せてあげたいものでした。ところがいちばん小さい男の子は、心から嬉しそうにうなずいてみせました。そして、この子なりの言葉で大声に叫びました。 『ぼくたち、兵隊ごっこちているだけよ!』  そこへ熊使いがやってきました」 第三十二夜  寒い風がぴゅうぴゅう吹いていました。雲が飛び去って行きました。月はただときおり見えるだけでした。 「静かな大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています」と、月は言いました。「大きな影が地上を走って行くのが見えます。  このあいだ、わたしは牢獄の建物を見おろしました。窓をしめた一台の馬車が、その前でとまりました。ひとりの囚人が連れだされることになっていたのです。わたしの光は格子のはまっている窓から壁のところまで押し入って行きました。囚人はこの世の別れに、何か二、三行壁にきざみつけました。しかしこの男の書いたのは言葉ではありません。一つのメロディーでした。この場所ですごした最後の夜に、心の底からほとばしり出た一つのメロディーだったのです。戸が開きました。囚人は外へ連れだされました。そのとき、わたしのまるい月の輪をふりあおぎました。──  雲がわたしたちのあいだを走りました。まるで、わたしがこの男の顔を見てはならないように、そしてまた、この男がわたしの顔を見てはならないとでもいうかのようでした。男は馬車に乗りました。馬車の戸がしめられました。むちがヒューッと鳴りました。馬はこんもりとした森の中へ駆けこんで行きました。そこでは、わたしの光は後を追って行くことができません。けれども、わたしは牢獄の格子の中をのぞいてみました。わたしの光は、あの男の最後の別れである、壁にきざまれたメロディーの上をすべって行きました。言葉の力の及ばないところでは、音の調べがものを言うものです。──  しかし、ただきれぎれの音譜しか、わたしの光は照らすことができませんでした。その大部分は、わたしにとってはいつまでも暗闇の中に残されることでしょう。あの男の書いたのは死の讃歌だったのでしょうか? 喜びの歓声だったのでしょうか? あの男は死のもとへ行ったのでしょうか、それとも、愛人に抱かれるために行ったのでしょうか? 月の光は人間が書くものをさえ、ことごとく読んでいるわけではありません。  ひろびろとした大空をとおして、わたしは飛び行く雲を見おろしています。大きな影が地上を走って行くのが見えます!」 第三十三夜 「わたしは子供が大好きです」と、月が言いました。「小さい子は、ことにおもしろいものです。子供たちがわたしのことなんかちっとも考えていないときにも、わたしはカーテンや窓わくのあいだから、たびたび部屋の中をのぞいています。子供たちがひとりで、やっとこ着物をぬごうとしているのを見るのはとっても愉快です。最初に、裸の小さいまるい肩が着物の中から出てきて、そのつぎに腕がするっと抜けでてきます。それから、靴下を脱ぐところも見ます。白くて固い、かわいらしい小さな脚が現われてきます。ほんとにキスをしてやりたいような足です。そしてわたしは、ほんとうにその足にキスをしてやるのです!」と、月が言いました。 「今夜わたしは、どうしてもこのことを話さずにはいられません。今夜わたしは、一つの窓をのぞきこみました。向い側に家がないので、その窓にはカーテンがおろしてありませんでした。そこには子供たちが、姉妹や兄弟たちがみんな集まっているのが見えました。その中にひとりの小さい女の子がいました。この子はやっと四つになったばかりでしたが、それでもほかの子供たちと同じように、『主の祈り』をとなえることができました。そのため母親は、毎晩その子の寝床のそばにすわって、その子が『主の祈り』をとなえるのを聞いてやるのでした。そのあとで、その子はキスをしてもらうのです。そして母親はその子が眠りつくまで、そばにいてやります。でも小さい眼は閉じたかとおもうと、すぐに眠ってしまいます。  今夜は、上のふたりの子がすこしあばれていました。ひとりは長い白い寝巻を着て、片足でピョンピョン跳ねまわりました。もうひとりは、ほかの子供たちの着物をみんな自分のからだに巻きつけて、椅子の上に立ちあがり、ぼくは活人画だぞ、みんなであててみろ、と言いました。三番目と四番目の子は、おもちゃをきちんと引出しの中へ入れました。もっともこれは、そうしなくてはいけないことですけども。母親はいちばん小さい子の寝床のそばにすわって、いまこの小さい子が『主の祈り』をとなえるから、みんな静かになさい、と言いました。  わたしはランプごしにのぞきこんでいました」と、月が言いました。「四つになる女の子は寝床の中で、白いきれいなシーツの中に寝ていました。そして小さい両手を合せて、たいそうまじめくさった顔をしていました。いましも『主の祈り』を声高にとなえているところだったのです。 『あら、それは何なの?』母親はこう言って、お祈りの途中でさえぎりました。『おまえはきょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ってから、ほかにも何か言ったのね。お母さんにはよく聞えなかったけど、それは何? お母さんに言ってごらんなさい!』──すると、女の子は黙ったまま、困りきった顔をして母親を見ていました。 『きょうもわれらに日々のパンを与えたまえと言ったあとで、おまえはなんて言ったの?』 『お母さん、怒らないでね』と、小さな女の子は言いました。『あたし、お祈りしたのよ。パンにバターもたくさんつけてくださいまし、ってね!』」 解説 矢崎源九郎  アンデルセンといえば、おそらくその名を知らない者はないといってもよいであろう。ことに童話詩人としての彼の名前は、われわれにとってはなつかしい響きを持っているのである。しかし彼は単に童話を書いたばかりではない。小説に戯曲に詩に旅行記に、じつに多方面にわたって筆をふるっている。なかんずく、イタリアの美しい自然を背景として美少年アントーニオと歌姫アヌンチアータとの悲恋を描いた『即興詩人』のごときは忘れがたい作品の一つであるといえよう。  ハンス・クリスチャン・アンデルセン Hans Christian Andersen ──われわれはいつのまにかアンデルセンと呼びなれているが、これはわが国独特の呼び方であろう。いったいに外国の発音をカナで書き表わすことは不可能であるが、デンマーク流の発音はアナスン、アネルセンに近い──は一八〇五年四月二日に豊かな伝説と古い民謡とに恵まれているデンマークのオーデンセという町に生れた。生れ故郷のオーデンセは、ブナの木の林のあいだに麦やウマゴヤシの畑がかぎりなく続いているフューン島という美しい緑の島にあった。父は貧しい靴職人であったが、折にふれて幼いアンデルセンにおとぎばなしや物語などを読んで聞かせた。文学への興味はこのころの父の感化によって芽生えたといってもよい。母は働く一方の女で学問はなかったが、深い信仰心を持っていた。このふたりのもとに、幼いころはともかくも幸せな日々を送ることができたのである。しかし、十一歳のときに父を失うに及んで、この幸福の夢もはかなく消え去ってしまった。母は仕立屋の職人にしたいという希望を持っていたが、アンデルセンみずからは舞台に立つことを望んで、十四歳のときただひとり首都のコペンハーゲンをめざして旅立った。このときから彼にとって新しい世界が開かれるとともに、茨の道がはじまったのである。すなわち都に出るには出たものの、何もかもが彼の希望に反してしまった。俳優として舞台に立つこともかなえられず、持って生れた美声を頼りに志望した声楽家にもなることができないままに、いくどか絶望のどん底におちいった。しかし幸いなことにも、一生の恩人であるコリンに見いだされたのはこのような失意のときであった。それまでは学校教育もろくに受けておらず、物を書くのにも綴りがまちがいだらけというありさまであったが、このコリンの助力のおかげで学校へも行けるようになったのである。  アンデルセンは一生のあいだ旅から旅へとさすらって歩いた。旅こそは彼から切り離すことのできないものであった。一八三一年に初めて国外への旅行を行い、つづいて一八三三年にはドイツ、フランスをへてイタリアへの旅にのぼった。このときの旅行のあいだに、その印象をもととして書いたのが『即興詩人 Improvisatoren』(一八三五年)であって、この作によって初めて彼の名は国の内外に認められるようになった。『ただのバイオリン弾き Kun en Spilmand』とか、ここに訳出した『絵のない絵本 Billedbog uden Billeder』や、『スウェーデンにて I Sverige』、『わが生涯の物語 Mit Livs Eventyr』をはじめ、彼のほとんどすべての作品はこのとき以後のものである。童話についても同様、『即興詩人』が出版されてから二、三カ月後にはじめて第一集が出、それから一八七五年八月四日に永眠するまでに百五、六十にも及ぶ多数の童話が書かれたのである。 『絵のない絵本』は、一八三九年から四〇年ごろを中心にアンデルセンの創作意欲の最も盛んなときに書かれたものである。初めて本になったのは一八三九年十二月二十日で、(表紙の日付は一八四〇年となっている)そのときはわずかに二十夜を含むごく小さい本であった。この二十夜のうち五編はすでに一八三六年に文学誌『イリス(虹の女神)』第二号上に発表されている。たとえば同誌に掲載されている『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』というのは第五夜の物語である。一八四〇年にはさらに数夜が発表されたが、一八四四年の第二版においてようやく三十一夜を包括するにいたった。第三十二夜と第三十三夜は一八四八年に初めて公にされたものである。したがって一冊のまとまった本として現在のように三十三夜全部を含んだのは、一八五四年に発行された第三版が最初である。初版から三版までに多くの歳月が流れているのは、この本がデンマークにおいてはあまり問題にされなかったためであろう。つまり、この本も『即興詩人』の場合と同様、本国におけるよりもむしろドイツや英国などにおいて評判となったのである。 『絵のない絵本』はこのように小さいにもかかわらず、きわめて多彩な素材を含んでいる。その大部分がアンデルセンみずからの体験や印象にもとづいていることはいうまでもない。すなわち、第五夜は一八三三年のパリ滞在中の体験から、第六夜は一八三七年のスウェーデン旅行の印象をもととして書かれたものである。第十五夜のリューネブルク、第二十五夜のフランクフルトには一八三三、四年に訪れている。一八三三年から三四年にかけてのイタリア旅行の印象は第十二夜、第十八夜、第二十夜などにあらわれている。なかでも、暗い北欧生れのアンデルセンがあこがれてやまなかった明るい南の国イタリアは、この本においても最も多く描かれているのである。  また一方においては空想の翼に乗って、遠くインドをはじめ、グリーンランドやアフリカ、中国にまでも思いを馳せている。それらは第一夜、第九夜、第二十一夜、第二十七夜となってあらわれている。そのほか子供についての話は六つほどあるが、それを描くのにあたたかい優しい感情をもって、しかも明るいユーモアを忘れていないところはいかにも童話詩人らしい。さらにまた諧謔にあふれたもの、あるいは苦悩にみちたものもあり、人生の一断面のスケッチもある。小さい本ながら、まことに盛りだくさんである。しかもこの本は、月が絵かきに物語る話という形を取ってはいるものの、その特徴とするところは絵画の素材を与えるための、眼まぐるしいばかりの場面の展開にあるのではない。一つ一つの短い物語の底に流れる、絵を絶した浪漫的香りも高い詩情こそその生命なのである。  翻訳のテキストとしてはコペンハーゲンの Gyldendal 書店から一九四三年に発行されている H.C.Andersens Romaner og Rejseskildringer(小説、旅行記集)の第四巻に収められている Billedbog uden Billeder を用いた。ただ、年少の読者にも読みやすいように、改行を多くしたことを一言おことわりしておく。 (一九五二年六月二十六日) 底本:「絵のない絵本」新潮文庫、新潮社    1952(昭和27)年8月15日発行    1987(昭和62)年12月5日66刷改版    2005(平成17)年8月10日99刷 ※底本巻末の注は省略しました。ただし、第一夜「梵天王」、第五夜「堡塁」、第三十夜「桷」の三語のルビは巻末注より本文に追加しました。 入力:sogo 校正:諸富千英子 2018年3月26日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。