新編忠臣蔵 吉川英治 Guide 扉 本文 目 次 新編忠臣蔵 浅野内匠頭 七ツちがい 奉書登城 若き太守 吉良家往来 人間相場 素朴と毒舌 墨絵 うら・おもて 面影の水 百忍一断 赤穂早打帳 呉越同室 有情・無情 残る恨みは 梶川懺悔 清流と濁流 春の雷 一番早駕 凶変戦 田村屋敷 水裃 風さそう 帰る片鴛鴦 五日韋駄天記 難所折所 半分道 吉良の氏子 無刀禅 小豆坂 この世の辻 煙硝番 赤蓼草紙 名水説法 国難来 浪々々の中の巌 両家老 暮色の底 落葉百態 皇土の畏れ 黄塵 蓼の味 一方向き 我は見ぬ花 立つ鳥の記 越え行く川 悧巧武士 誓約 立退梱 人の居る空家 遠林寺茶話 後のふくみ 清掃 米沢後詰 萠黄唐草 秘客往来 村の四郎ッぺ 石は喋る 千坂兵部 生きてる古武士 高田郡兵衛 半弓 鶴を追う この家庭 十一の影 躍起組 陸の付人 庭木鋏 鎌倉血判 秋の残り香 二つの道 山科普請 紫ずきん 隠密行 鵺を射る 追討 水調子夜船話 寺町裏 淀川往来 酔大尽 自作唄 浮身か憂身か 京伏見廓細見 悲母悲妻 辛い閑人 すれちがい 米磨ぎ笊 音頭とり 叛骨 人間主張 久不許逗留 香炉心 曾我舞 松坂町界隈 紙屑返し 彼の道此の道 お軽が家 二階の従弟 雛鳥の籠 お粂とおつや 蝙蝠羽織 布陣布石 吉良ざむらい 元禄型 笑えぬ二人 吉良殿長屋 秋の神経 紙位牌 恋でない恋 冬の風 元禄人間図絵 水引 彼の日の黄昏 武士の塩 憂いを吐く人 待機の刻々 耳 四方庵暦 討入炬燵孫子 臆病風邪 千鳥講 雨娘 天機 炬燵を出る 此一期・月雪花 菜鳥椀 年齢の相違 矢の倉立ち 香う装束 雪響き 牡丹の袖 吉良方義士 鼻のきく友 酒供養 矢風刃風 足軽吉右衛門 無門人 武士は泣くもの 太鼓声 吉良家第一人 付人平八郎 一代家来 焦燥 衣桁の蔭 古き傷痕 上杉家不戦始末 豆腐屋飛脚 病汗 上杉雪崩れ 前車の轍 蜜柑の味 泉岳寺炉辺話 時の門 路傍の男 白き世界 彼岸の人々 覗き見 蔭の者 細川家義士夜話 復讐正道 降り流す夜 香華にも春はあり 両持ち論議 首受書 人を裁く人 二度見た女性 火よりも赤し 土不踏 まだ・まだ・まだ 大慈悲 みぞれ酒 告げよ瓶花 死なき生命 浅野内匠頭 七ツちがい  春の生理をみなぎらした川筋の満潮が、石垣の蠣の一つ一つへ、ひたひたと接吻に似た音をひそめている。鉄砲洲築地の浅野家の上屋敷は、ぐるりと川に添っていた。ゆるい一風ごとに、塀の紅梅や柳をこえて、大川口の海の香は、銀襖や絵襖などの、間毎間毎まで、いっぱいに忍びこんで来る。  すぐ塀一重、外には、櫓の音が聞えるし、大廂には、海鳥の白い糞がよく落ちたりする。 『赤穂の浜も、今頃は、さだめし汐干や船遊びに、賑うて居るであろ』  内匠頭は、脇息から、空を見ていた。いや、遠い国許の、塩焼く浜の煙を、思い出している眸であった。  二十五、六歳かと思われる上品な女性のすがたが、次の間から半分見える。夫人であろう。風呂先で囲った茶釜の前に、端麗に坐っていた。茄子色の茶帛紗に名器をのせ、やがて楚々と歩んで、内匠頭の前へ茶わんを置いた。そして彼の視線と共に、廂越しの碧い空に見入った。 『江戸では、江戸の春と、みな自慢でございますが、お国表の事をお思い遊ばすと、やはり懐しゅうて、赤穂の御本丸が、恋しゅうおなりでございましょう』 『それはもう、何んな所に、住まうよりは』  と、うなずいて、 『田舎者は、田舎がよいよ』  ──隣り屋敷の小笠原隼人の奥では、今日も、大蔵流の小鼓の音がしていた。世間、能流行なのである。  流行といえば、能のみでなく、武士も町人も流行事に追われている。個人に充実がなく、人々に大きな空虚があるのだった。歌舞伎風俗だの、無頼漢の伊達が、至上のものに見えた。良家の子女まで、淫蕩な色彩をこのんだ。町に捨て児がふえ、売女の親たちが、大きな顔して、暮しが立った。旗本はおろか、勤番者ですら、吉原を知らない者はないし、湯女を相手に、江戸唄の一節ぐらいは弾く者が多い。極めて、実直なと云われる町人の中でも、鶉を飼うとか、万年青に五十金、百金の値を誇るとか、世相の浮わついていることは、元禄の今ほど、甚だしい時はないと云われていた。 (上を見習う下だ──)  と密かに、政道を嘆く者もある。 (寛永頃には、武士道も、町人道も、まだまだ、こんなには腐っていなかった)  と当代の将軍綱吉の個性からくるものを、暗に、そしり嘆じる者も多い。  当然、大名生活の内幕は、腐りぬいていた。外観ばかりが、豪奢で絢爛で、内輪では、領民に苛税を加えたり、富豪から冥加金を借り上げたり、そのやり繰り算段や、社交に賢い家来が(あれは、忠義者)と、主人に愛されている時世なのである。  そういう時世の中にあって、浅野家だけは、ひっそりと、質素であった。名儒、山鹿素行の感化も大いにあったし、藩祖以来の素朴な士風が、まだ、元禄の腐えた時風に同調していない。  従って、藩の財政も余裕があった。赤穂塩の年産も巨額きなものだったが、要するに、内匠頭夫婦の驕らないことと、士風の堅実が、何よりも、身代なのである。 『よい湯加減。夫人──もう一ぷく』 『はい』  夫人は、風呂先の前に、坐りなおす。  夫婦の趣味といえば、茶、香道、書画ぐらいなもの。そして、趣味にも、朝夕の起臥にも、夫婦の仲のよさは、家来の目にも、うらやましく見えるほどであった。  幸福な陽ざしである。あくまで、平和で、うららかな三月三日。  ちょうど、今日は又、節句でもあった。 寝やれ、寝てたも よいお子よ 宵の節句にゃ、何買うた 伽羅の糸巻 銀の針 泣くな、いびるな よいお子よ 宵の節句にゃ、なに縫うた 鉢の木帯に まろ小袖……  何処かで誰が唄うのか、哀々とした子守唄の節と、嬰児の泣き声が聞えてくる。──邸内であろうはずはないから、塀の外から洩れて来るのにちがいなかった。外の石垣の下には、よく繋り舟がもやって、何うかすると、船頭の濁み声などもするから、船世帯の船頭の女房が、乳ぶさに、泣く子をあやして居るのであろう。  湯杓子を、茶釜に入れながら、夫人は、思わず聞き恍れていた。良人の顔をそっと見ると、内匠頭も同じ気もちに打たれているらしい。凝と耳をすましていた。 (七ツ違いは鉄の草鞋でさがせ)  という諺もある位なので、良縁として娶われたのに、彼女にはまだ世継の子がなかった。 奉書登城  馬廻り兼使役の、富森助右衛門であった。  大股に、庭の隅を、歩いて行って、 『おいっ!』  と、塀の木戸を開けて、裏の川へ、首を出した。 『船頭の女房、なぜ、そんな所で嬰児を泣かして居るのだ。御邸内の、耳ざわりになるではないか。──御石垣下に、船を繋ぐべからず──と、立札してあるのが見えないかっ、立ち去れッ』  と、叱りつけている。  すると、小姓が走って来て、 『助右衛門どの』 『なんじゃ』 『お召です』 『え──。どちらに』 『御数寄屋にいらせられます』 『や!』  と、助右は、しまったと云うように、自分の頭をたたいた。 『お数寄屋にお在で遊ばしたのか。そうとは知らずに、大声を出してしまった』  お茶席は離れである。しかも、そこから近い。  あたふたと、助右は、駈けて行った。利休風の茶室の庭にひざまずく。  呼んだのは、内匠頭かと思うと、そうではなくて、夫人であったらしい。が、やさしく云った。 『助右衛門』 『はい』 『この雛の干菓子を、外の、船頭の子に遣らせて賜も』 『あっ、お菓子を……ですか。あ、ありがとう存じまする』  助右は、背に、自恥の汗をながしながら、船頭の女房にかわって、地へ頭をすりつけた。  押しいただいて、立とうとすると、 『後で、まいちど来い』  こんどは、内匠頭が云った。  助右は、紙につつんだ干菓子を持って、石垣の上から、船頭の女房にやった。そして、奥方の思し召であるぞと云って聞かせると、船頭の女房は、嬰児と一緒に、泣いてしまった。掌をあわせて塀の内を拝みながら、繋綱を解いて明石橋の外へと、流れて行った。 『──不可んなあ、俺はまだ、だめだ。侍になれていない。強がるばかりが、士道ではない。殿も奥方もお叱言は仰しゃらなかったが、お心の裡では、助右も、床しげのない奴じゃと、ささだめし、お蔑みであろう』  彼は、まったく自分を恥じた。お数寄屋の庭へもどって行った。内匠頭から、用向きを云い出される迄は、自分の無慈悲なことばを、胸の中で咎めていた。  落松葉を撒いた庭先へ両手をついて、 『なんぞ、御用にござりますか』 『うむ、助右衛門か。明四日は、登城日ではないのに、御老中連署の奉書が参っておる。何事やら、余に登城せいという仰せ。──其方は承知しておるか』 『先刻、御家老から、承わりました』 『副馬には、いつも、浅月を曳いて参るが、いつぞや、馬場で少し脚を傷めたらしい故、他の馬に、鞍の用意をいたして置くように』  用事は、それだけの事だったので、助右衛門は、ほっとしながら、厩舎の方へ、その足で廻って来た。  下役や中間をさしずして、二刻ほどで、万端の公務をすました。明日の空模様も、まず、晴と見ながら、表方へ来ると、ちょうど、徒士目付の神崎与五郎も、供廻りの用意を終って、御用部屋の大きな火鉢のそばで一ぷく喫っていた。 『やあ、御苦労、終ったのか』 『お副馬が、変ったので、今、急に御鞍を取り変えたり、手入をし直したりして、やっと仕舞ってきた』 『明日は、例日でもないのに、何の御登城であろう。吉事ならばよいが』 『御用人の片岡氏から聞いたのだが、或は、殿に、御大命が下るのではないかといううわさがある』 『御大命とは』 『勅使御下向の饗応役に』 『そうか。それなれば、御名誉だが』  すると、後向きに、何か机に向って、帳簿をつけていた、小納戸役の田中貞四郎が、 『馬鹿云わっしゃい。何が御名誉というて、欣ぶことがあるものか。もし、饗応役の御下命とすれば、御当家に取っては、大痛事じゃよ。──勅使の接伴司、つまり御馳走人の御役は、一切合財、私費をもって弁じる掟になっている。だから、裕福と睨まれた諸侯か、御老中に憎まれた藩が、貧乏籤を引かされるのじゃ』と云った。  与五郎は、笑いながら、後耳で聞いていたが、助右は、怪しからぬという顔つきで、 『それが、平時の御奉公ではないか。御質素な藩風も、そういうときのお役に立とうが為だ。めでたい御大任をひかえて、痛事とは何を云うか』 『怒ったのか、助右殿』 『あたりまえだ』 『わるく思うな。わしはただ、お家の財政を案じて申しただけの事じゃよ。はははは、自分の懐中ではないから、お費用もまた、めでたいと云っておく分なら、随分、めでたいでも、お差閊えはないとしてよい』  と、田中は帳簿を片寄せて、気まずそうに、立ち去ってしまった。 若き太守  江戸城の帝鑑の間には、まだ朝の冷気が、清々とにおっていて、例日の諸侯たちも、登城の前であった。  ほどなく五刻半の時計が、奥深い所で、時を刻むと、五名の老中が、そろって、席に着いた。  月番老中の土屋相模守が、 『内匠頭、出頭、御苦労でござる』  と云った。 『まかり出ました』  と、内匠頭は、頭を下げた。 『このたび──』  と、相模守は、おごそかな音声で、御奉書でも、読み聞かせるように、云い渡した。 『年頭御答礼として、勅使、院使、御参向に付き、御馳走人仰せつけらる。存じてもおろうが、勅使御接伴の儀は、公儀御大礼の第一と遊ばさるるところ、諸事、粗略なきように、神妙に、勤めませい』 『はっ……』 『ただし、勅使御饗応の式事は、例年の事、すべて、後日の例とも相成る故、余り華美にも流れぬように』 『……?』  内匠頭は、裃の肩を低く落して、じっと、黙考していた。そして、しずかに顔を上げると、列席の五老中へ向って答えた。 『お見いだしにあずかって、かかる大任を、仰せ付けられました事は、一門の冥加ですし、一身の誉れ。有難く、おうけいたすべきにはございましょうが、如何せん浅学で、堂上方の御格式すらも、よう弁え申しませぬ。わけても若輩の身です、恐れながら、何とぞこの御用は余人へ仰せつけ願わしゅうぞんじまする』 『あいや』  相模守は、かろく、言葉じりを取って、 『その辺の御心配は、決していらぬ。堂上方の式事は、誰にもせよ、そう弁えているはずもない。例年の御馳走人は、いずれも、高家吉良上野介の指南をうけて、滞りなく、相勤めておる。其許も諸事、上野介におさしずをおうけなさればよい』  重ねて、辞退するのは、失費を惜むかのように思われるであろうと、内匠頭は、 『では、何分共、おひきまわしを仰ぎまする』  と、辞令をうけて、退出した。  同じ朝、同じ饗応役をいいつかったのは、伊予吉田の城主、伊達左京介であった。  左京介も、おうけしたという事を、控え部屋で聞いた。  一代の重任である。内匠頭は帰邸の途中からその事で胸がいっぱいになっていた。然し、年々諸侯の勤めていることだから、自分だけやれない理窟はないし、それに、大きな修業にもなることだ、精励しよう、誠意をもって勤めよう、そう肚はきまった。  そうだ。江戸家老の藤井又左衛門と、安井彦右衛門の二人に、まず計ってみよう。浅野家では先代の長直公も一度この大役をお勤めになっている。その書類などもあろうし、あの老人達ならば、記憶の多少はあるであろうし、いわゆる、年寄の分別もあるはずだ。そう案じたばかりのものでもあるまい。  鉄砲洲の邸に帰るとすぐ、江戸家老の藤井、安井の二人を召んで次第を告げた。そして、 『自分には、自信もないが、そちたちを力に思うぞ。──ついては、さっそくだが、御老中の内意もあること、諸事、御指南を仰ぐ高家衆の吉良殿へ、挨拶に出向くように』  と、云った。 『承知仕りました』  もうその事は、家中に響いていた。用部屋に詰めかけている人々の顔には、大任を拝受した殿の手足となって、これから忙しくなろうという予想が、一種の覚悟と晴れがましさとを交ぜて、誰の面にも湛えられていた。  吉良家へ、挨拶に行く事について、安井と藤井の二人は、ややしばらく、家老部屋を閉じこめていた。ややしばらく、中で、膝を接して永々と、熟議をしていたが、やがて、そこを出て来ると、 『源五どの。殿は』  出会いがしらに顔を見合った側用人の片岡源五右衛門に訊ねた。  源五も、何か、用事をおびて、急ぐ所らしかったが、 『ただ今、お召更えをすまして、奥方とお話中です。お取次ぎ申そうか』 『では、お奥でござるな。それならば──』  と、連れ立って、あたふたと、御錠口を通った。 『畏れながら、もう一度、お伺い申しあげまするが』 『なんじゃ』  一室の内には、内匠頭のほかに、夫人も侍していた。小姓が襖を静かに引くと、白髪交りの安井の頭と、月代に赤黒いしみが斑になっている藤井又左衛門の頭とが、並んで平伏していた。 『最前、仰せ付けられました、吉良殿への挨拶にござりまするが』 『うム』 『何せい、先様の上野介殿は、四位の少将、高家衆でも、歴乎とした御方、それへ、参上いたしますに、賄賂がましゅう、進物などは、かえって、不敬に思われますし……と云うて、御挨拶のみでも、相成るまいかと、両名して談合いたしましたが、殿のお思召の程は、どうでござりましょうか』 『左様? ……』  と、内匠頭も、その辺の、世事には、まことに晦かった。 『そち達の、考えとしては、何うなのか』 『されば、式事の御指南を仰ぐとは申せ、それは、高家衆の当然なお役がらです。公務であって、私事ではございませぬ。御当家の大命が、滞りなく、おすみになった後のお思召と申すなら格別、当座は、何ぞ、印だけの物で、よくはないかと心得まするが』  夫人の眸に、心もとなげな影がうごいた。しかし、家老たちの意見である。よそに聞きながら、庭面の緑を見つめていた。公の事については、一切、口をさし挾まないことが、貞淑であり、婦徳とされているのである。  内匠頭は、ちらと夫人の横顔を見た。清廉潔白な士道の君主として、今日まで、公私の行状に、些細な瑕も持たない人であった。顔をうなずかせて、すぐに云った。 『そち達の思案でよかろう。要は、礼儀を失わぬことじゃ。計ろうておけ』 吉良家往来  二羽の鍋鶴が、水のほとりで、汚れた翼をひろげていた。青銅の大きな燈籠やら、巨きな伊豆石やらが、泉水をかこんでいる。  今、出入の骨董屋が、本阿弥の手紙を添えて置いて行った周文の軸を展げて、その画面へ、虫でも覗くように、眼鏡をかけて屈みこんでいた吉良上野介は、鍋鶴の羽音に、顔を上げて、不機嫌な皺を、白髪眉にひそめた。 『おい、おい。孫兵衛』 『はっ』  用人部屋の返辞と一しょに、縁先へ、跫足がした。 『小ぎたない鍋鶴めが、また水を濁して、燈籠やら、茶室の窓を汚し居る。芸もない生物、餌の費えもうるさい、町の禽商人を呼んで、幾値にでも下げ渡してしまえ』 『仰せではございますが、牧野様からの贈り物、売り払ったことが、先へ知れたら気を悪くいたしましょう。──殊には、生類御憐愍という、御法令のやかましい手前にも』 『世の中には、呆痴がいる。人へ音物をよこすに、餌を食わせたり、世話がやけたり、その上に、やがては死ぬと極っている厄介物を贈ってくる奴があろうか、いくら、お上の畜類保護令に媚びるとは申せ』 『それでも、左兵衛様は、よいお慰みと、可愛がっていらっしゃいます』 『では、伜めの部屋の裏へでも持ってゆけ。うるそうてならぬ』  孫兵衛のうしろに、家老の斎藤宮内の姿が見えた。宮内は、次の間へ入って、平伏した。 『殿様』 『なんじゃ』 『この度の御饗応役を拝命した一名、伊達左京介殿のお使者が、御挨拶にと申して、参りましたが』 『来たか』  予期していたもののように、上野介は、眼鏡をはずして、 『孫兵衛、軸を巻いておけ』 『はっ』 『宮内、使者は、通したか』 『御書院に』 『そうか、では会おう』  老齢ではあるが、腰も曲がっていない。若い頃は、ずいぶん美男でもあったそうである。いまだに鴨居へ髷が触りそうな背丈がある。骨ばって、痩せているのが、かえって老後の頑健を守っているとみえ、この年齢で、常に出入の町人の周旋で、若い娘を召抱え、よく取り替えるという評判である。  足利一族の裔である。室町将軍の血統が絶えたときは、吉良氏が世継ぎを出すことになっていたものだと云うことが、上野介のよく持ち出す自慢話であった。中興の先祖には、家康公の大伯母であった吉良義安などもあるし、名門には違いなかった。そして当主の役は、高家筆頭、四位の少将、禄高四千二百石、位階は高いし、特殊な家柄と職権をもっているので、三百諸侯も、 (吉良に、拗ねられては)  と、一目措いている風があった。  客間から頻りと、手が鳴った。 『酒肴の支度をせい』  と、主が云う。  使者が、立ちかけると、 『まあ、まあ、心祝いでござる』  茶を代えろ、酒はまだかと、歓待に忙しかった。  馳走酒に、微酔した使者が、辞して、玄関へ出ると、上野介自身が、そこまで送って来て、 『何やら、種々とお心入れの由じゃが、痛み入ってござる。堂上方の式法、礼儀、故実などは、それを御指南するのも、お叱りするのも、高家の役目じゃ、何なりと、遠慮のうお尋ねあるがよい。上野介が存ずるだけはお教え申そう。──まだお目にかからぬが、左京介殿へも、よろしゅう、伝えられい』  帰って行くその使者が、呉服橋あたりで、すれ交ったであろう頃に、また、吉良家の門に、浅野家の使者が訪れた。  上野介は、居間にかくれて、たった今、伊達左京介の使が置いて行った音物を開いていた。 加賀絹五十匹 黄金百枚 水墨山水一幅  目録を手に、現品を展げて見較べながら、 『ほう。……さすがにな』  と、皺の中で、針のように細い眼が、キラと悦に入っていた。  そこへ、踵を次いで、浅野家からの使者という取次に、 『鄭重に、お通しいたしておけやい。──これこれ、浅野家は、左京介殿以上の御大身であるぞよ。粗略なく、褥を更え、茶器も、よいのを出せ』  それから又、用人の左右田孫兵衛には、 『むろん、酒肴の用意。わしも、衣服を更えて出よう。その間、宮内を出して、よきように、お執り持をいたせ』  こういう客迎えは、吉良家ばかりではない。高家衆は、それが収入で、職業なのだ。家老も用人も、それには万端手馴れている。  殊に上野介は、先に見えた訪問よりも、播州赤穂の城主という裕福家の方に、多分な楽しみを持っていた。 (伊予吉田の伊達ですら、これ位な音物をもって来た。とすると、浅野も、その辺は、あらかじめ当っておいて、後から使者をよこしたのだろう……)  すると、何れ位な気前を見せて来るか。──上野介は、想像がつかない程な期待をして、いそいそと、客間の方へ出て行った。  所が、応対は永くなかった。  何か、手持ち無沙汰な使者は、妙に、冷たい用人の挨拶にだけ送られて、匆々と、吉良家から帰って行くのであった。  その後である。 『なんじゃ! 五万三千石の浅野家ともあろうものが、巻絹一台の手土産とは、何事だ。高家筆頭の吉良の玄関を辱しめるにも程がある』  露骨な罵り声が、上野介の口から熄まなかった。遣り場のない不機嫌さは、晩酌の味にまで祟って、 『酒がまずい』  と、こじれて居た。  そして、当て外れの苦虫を、噛みつぶして、 『大名の子一人、林家の塾へやっても、巻絹の一台ぐらいは、束脩に持たせてやる。それを、幕府第一の大礼とする勅使饗応の重い役目を拝して、故事諸式の作法を、此方から指図を仰ごうという大藩の主が、今日の挨拶振りは、何たることだ。人を小馬鹿にするも甚しい。自体、内匠頭とやらは、吝嗇家の物知らずとみえる。こんな、田舎漢に、堂上方の歓待役が勤まってたまろうか』  側にいる家来達も、面をそむけたくなる程、いつ迄も、ぶつぶつ云っていた。 人間相場  いま、物を買うとき、売るときには、きまって、こんな会話が出る。 (高えなア。むかしの金の何十倍だ) (むかしなら、これで、風呂へ行って、一ぱい飲めた程なのに、今じゃあ、子どもの飴玉三ツも買えないんだよ)  人々は、貨幣にたいする隔世の感を、むかしという語で表しているが、その〝むかし〟とは、わずかここ四、五年の間の変化をさしているのである。貨幣の下落は、それほど庶民を眩いさせていた。いう迄もなく、物価はハネ上り、ことしも、上り脚の一方をたどっている。  大天災があったのでもない。戦乱による狂騰でもない。この経済破壊の起因は、わずか二人の人間のせいだと江戸の市民は暗黙に知っていた。口に云わないだけで、知っては居た。うかと、しゃべればすぐ首がなくなることはそれ以上明らかだからだ。しかし、もすこし深くものを考える有識者は、あながち〝二人〟とは思わなかった。要するに、その二人も入れた一群の司権者と、当然、こんな事態のできるように出来ている組織と、その中のものが、そっくり腐り初めたのだと考えている。  具体的にいうと、いま五代将軍の綱吉と、その生母の桂昌院が、何しろ非常な濫費家だった。いや、金の作用というものを知らないのだ。いやいやもッと知らないのは、物資、国材、人間の労力の価値など、全然わからない位置にあるのである。  綱吉の〝柳沢お成り〟といって、町でも評判な柳沢吉保のやしきへ出かけた回数も、五十数回という頻繁さだった。この一回の柳沢家の遊楽行に消費される人力、物資、黄金の額は、庶民の頭では、およそ位にも計算はできない。  また、生母桂昌院の迷信費も莫大だ。彼女の護国寺詣りには、日傘行列と、蒔絵のおかごが江戸を縫い、警固の人馬と、迎賓の山門は、すべて人力ずくめ、金ずくめである。しかも、くぐる山門、昇る伽藍堂塔の附属も、みな彼女の寄進で、造られたものである、山門工事にたずさわった幾人かの奉行や棟梁は、工事中、わずかな落度で遠島に処された。  護持院隆光という精力的な妖僧は、彼女の眼に、生き仏に見えた。隆光をめぐる幕府の大官や俗吏のあいだに、政治がささやかれ出した時、世代の民衆の不幸悲惨な生活は、宿命づけられたといっていい。大奥政治なるものが行われ出した。一女人の口をもって、将軍綱吉をうなずかせることは、どんな閣老や若年寄がやるよりも易しかった。この間に、柳沢吉保という天下一の出頭人も、勢力をひろげ出した。が、もう幕府の所有金塊はほとんど消費しきっていた。しかし、吉保を初め、かれらの閥は決して行きづまらなかった。  ──貨幣の改鋳。旧貨幣の引きあげ、新貨幣の発行。  この手で、幕府は、無い数字の数を殖やした。古金銀を民間から引あげ、質の落ちた悪貨を通用させる。当然、巨額なサヤが手にのこる。この悪政で、勘定奉行の萩原重秀は、有名になった。柳沢閥と、大奥の費用と、将軍家の身辺には、ふたたび費いきれない程なものが、黄金蔵に積まれた。  物価の単位は、毎年、前年を切りはなして、ハネ上った。生活難は、下層ほどひどくなる、正直者の運命は、落伍者ときまっていた。元和、寛永以来の、素朴な士風や町人道の反動として、〝世の中は金、女というも金次第〟と心中物の浄瑠璃作者すら云う黄金万能が、この世の鉄則となってきた。  そのくせ、この鉄則に倣えない人間の方が、はるかに多く「この高い米は食いきれない」と嘆き合っている。いや、嘆いたり、こぼしたりしていられる方は、まだ社会のよい方であった。てんで声もしない飢餓の群は、橋の下にも、浅草寺の裏にも、ゴミ捨て場のように、蠅をかぶっていた。当然、それには耐えない野性の持ち主は、押込み、ゆすり、追い剥ぎ、かっさらい、あらゆる食うべきための悪を悪ともせず、市井の闇や裏道に跳梁する。  浮浪や、ならず者や、さむらいくずれが、したい三昧を演じるには、時こそ、あつらえ向きなれ、と云ってよい。刹那主義で虚無的で、そしてびらんした諸〻の人間くさい刺戟と誘惑が、あくどい灯をつらねていた。蔭間茶屋の色子(野郎)風俗だの売女の装り振りが、良家の子女にまで真似られて、大奥や柳沢閥の華奢をさえ、色彩のうすいものにした。──いや、薄くなったのは、人情とか義理とか、すべて道義というような観念にも及んでいる。そちらの考えかたは皆、前時代の古い頭の錯覚にすぎないと、時流の人々は信じ初めていた。事実、それを容認しないでは、事々に、気色にさわって生きていられない社会であり、風潮であったのだ。  何が、こうまで、人の根本思念までを、もんどり打たせてしまったか。悪貨の濫発や、官閥の腐敗や、物価高の生活苦や、宗教への幻滅や、男女間の無軌道や、芸術文化などの自殺的服毒や、等々々の、あらゆる構成悪を、選りわけてみても、その原因は、それのどれ一つと云えるほど、簡単ではない。  だが、これだけは確実に、それらの最大原因をなしたと云いきれる社会規定が、元禄の世代には横たわっていた。  戌年生れの、将軍綱吉が、隆光や、桂昌院の献言をいれて、世の人間たちへ発令した、畜生保護令──いわゆる〝生類おんあわれみ〟と称する稀代な法律の厳行である。  史家のいう「お犬様時代」の現出だ。  食えない人間だらけの地上に、広大な敷地建物を擁する中野お犬小屋だの、大久保お犬屋敷などが出来、人間どもの羨ましがる白米や魚類が費用おかまいなく供せられ、お犬奉行、お犬目付、お犬中間、お犬医師など、大名にかしずくほど人間がそれに奉仕した。  それもそれで、禄をもらって食っている人間はまだ、いい。然し、一般庶民は、町をわがもの顔に吠えまわるお犬様の扱いに当惑した。石を投げても、打ち首になる。キャンと啼かせても自身番へしょッ曳かれた。お駕籠に乗って通る犬を見れば道を避けてつつしまねばならぬ。噛みつかれた野良犬を、つい蹴とばしただけで、当人は切腹、家は断絶、一族は離散のうき目をみた旗本もある。犬のおもちゃでも、子どもの手にはうっかり持たせられず、神棚へあげて、朝夕、礼拝しているといえば、神妙の至りと聞えて、人間の最善行として、表彰されたりする。──要するに、時の将軍家が、戌年生れだったのが、時の人民全部の、不幸なる生涯を約束してしまったわけだ。貨幣下落以上、人間の価だんは大下落を来した。 (人間相場は、お犬様以下さ。どうせ、……畜生以下の人間でさ。何をやらかしたって、ふしぎはねえ)  かなしき江戸人の自嘲はこれだった。かれらは、この裏の心理を、吹出腫みたいに、世相へ咲かせた。かくて元禄文化の華やかなる色若衆やら音曲やら猥画淫本そのままな世代が、夜は夜の灯となって燃え、昼は昼で、〝世の中は金、一にも金、二にも金〟と、金を追いまわす巷の眼色で──。 (ああ、江戸の繁昌は、えらいもの。元禄になってからは、日に月に、開けてゆく一方だ)  と何も知らない地方人や、三年目毎にその変り方を見る勤番者は、あっ気にとられるばかりである。 素朴と毒舌 『滞りなく、一昨日、吉良殿へは、御挨拶をいたして置きました』  吉良家へ使した江戸家老の二人から、こう復命のあった朝である。内匠頭は、まず、一時は済んだとして、 『そうか、では今日は、自身推参して、親しく、今後のお近づきを、願って置こう』  供揃いをして、駕を、わざわざ呉服橋の吉良家へ向けた。あくまで師門に弟子入するような礼を執って、内匠頭は、慇懃に、指導を仰いだ。その態度が、上野介には気に食わない。 (口先よりも実ではないか。よこすのは、家来共でも、済む話。なぜ、それよりは、肝腎な所へ気がつかないのか)  田舎漢は、度し難いと見た。だが、それほど愚鈍とも見えない内匠頭と思うと、或は、知っていながら、慇懃と口先だけ、出すべき実質の物を出さないで済ませようとする狡い手ぐちかもしれないと邪推した。然し、どッちにしても、口には出して云えない事だ。態度に為て見せて、気が着くようにするより外はない。  で、冷やかに、 『お許が、内匠頭殿でお在すか。なる程お若いな。この度は、めでたい事だ。遣り退けたら、一国一城の主として、いちだんと、箔がつこうと云うもの。まあ、大事に勤めてみられい』  意地悪そうな眼皺に、薄笑いをたたえて云った。  内匠頭は、何か、第一印象からして、まずいものを感じた。親しめない老人である。然し、他家へ行って膝を屈するような事を滅多にしない大名育ちの自分の気儘は出すべきでないと、反省もした。 『身に過ぎた大命を仰せ付けられましたものの、未熟な私、何分共、後輩と思召して、御指図のほど、願わしゅう存じます』 『御謙遜じゃ。それがしなど、年のせいか、近頃は、うるさい故事有職などは、とんと、忘れがちで困る。……ならば、こちらから、音物を携えて、教えてもらいたいくらいだ。ははは』  それとなく、急所へ、一当て当てて見たつもりであったが、内匠頭には、手応えもなかった。ただ真面目に、熱心に、 『いや、御老中方よりも、吉良殿のお心得を仰げと、お口添えのあった事にもござります。若年者、おうるさく、思召されましょうが、おひき廻しの程、平に、願わしゅう存じます』 『…………』  上野介は、身を捻って、不作法に、血管の太く這っている皺だらけな手を文庫へ伸ばしていた。相手の熱意を、わざと外らしている風にも受けとれないことはない。  内匠頭は、重ねて、 『さし当って、何か、仰せ付け下さる儀はござるまいか。通例の柳営行事にさえ、まだ心得のうとい私へ、何事なりと、御遠慮なく』 『公儀のお勤めじゃ。遠慮などはせん。──さて、さし当ってといえば、まずこれでも見て置かれい』  文庫から出して示したのは、勅使下向の日程書であった。こういう順序に書いてある。 十一日 勅使ならびに院使、江戸御着、御旅舎、辰ノ口伝奏屋敷 十二日 両使登城、御物を賜ぶ 十三日 猿楽御見物。諸侯陪観 十四日 白木書院にて、将軍家奉答 十五日 上野寛永寺、芝増上寺、御参詣 十六日 休息 十七日 御帰洛  内匠頭は、謹んで読み返していた。然し、この七日間の日割などは、高家から示されなくとも、当然拝命の日に、閣老から通牒が来ているのであって、自分の知らない事ではなかった。けれど、上野介の好意に対して、初めて承知したように、黙読した迄であった。 『他には』  と、それを終って、訊ねると、 『左様さ……』  と、上野介は、勿体らしく云った。 『勅使、御逗留中は日々、御進物を怠らぬことだな。音物をじゃよ。何事も、口さきよりは、実意が肝要よの。心得て居られるか』  じろっと、顔を見て云った。内匠頭には、それすら、解けなかった。  礼を述べて、やがて立ち帰った。然し、勅使に、毎日進物を贈れという指図は、どうも解せない事と、頭にのこった。  月番老中の土屋相模守へ、念のため、問合せてみると、 『左様な前例はない。何か、聞き違えであろう』  と、いう返辞。  内匠頭は、自分の潔白な解釈に、信念を与えられたように、 『そうであろ。そうなくてはならん』  と、頷いた。  高家の吉良殿が云いだした事だと、その後、何処かでその話が、ちらと、上野介の耳に触った。  上野介は、肉の薄いこめかみに、青すじを太らせた。 『いやはや。話せねえ男だ。自分に云われた謎を、御老中の所まで問い合せにゆくとは、呆れ返った馬鹿者だ。それとも、此方の無愛想に、へそを曲げて、わざと、上野介を陥しいれる為に申し出たことか。──ちッ。田舎者めい!』  かれが、感情まかせな呟きを吐くときは、ひどく、江戸人特有なマキ舌が語気に交じった。ひとを罵るのにもよく〝浅黄裏〟だの〝勤番者〟だのと云うくせがある。要するに、それは彼が、彼自身を洗練された都会人としている誇りからくるものだった。 墨絵  小砂利を掃くお六尺も、お賄所の門をくぐる出入商人も、すべて、新しい法被を着ていた。  饗応役の家臣たちは勿論のこと、君侯生涯の大命である。肌着には穢れのない晒布を裁ち、腹巻には天の加護を祈って、神札を秘めている者もあった。 『勅使、柳原大納言さま、院使、高野中納言、清閑寺前大納言の御三卿、ただ今、おつつがなく、品川までお着き遊ばされました。高輪にて、御少憩にございますれば、ほどなく、これへ御着になられましょう』  清掃された伝奏屋敷の門へ、のし目裃の騎馬武士が、こう先触れを齎した十一日の朝。  暁方から、そこに、詰めきって、各〻、持ち役の場所に緊張していた浅野家の家臣たちは、 『それ』と、眼顔で色めいた。  すると、台所方の者が、あわただしく、家老席へ来て告げた。 『ただ今、吉良様から、急のお使が見えてござります』 『高家から。──して何と?』 『確とはわからぬが、本日は、勅使には御精進日のように承わって居る故、料理には、魚鳥の類、お用いなきようにと云って戻られました』  自信のない江戸家老の藤井、安井の二人は、それを聞くと狼狽した。うろたえた顔のまま、内匠頭の前へ出て、 『もはや、時刻の間もございませぬのに、何といたしたものでございましょう』  内匠頭も、愕然とした顔色であった。今日の料理というものは、実は、三日も前から、精選して、丹精を尽しておいたものである。何うして、遽かに、それを取り替えることなど出来ようか。  策もない。思案も出ない。  しかも、大任第一の朝だ。数日も前から、寝もやらずに、奉公の誠実を尽して、この朝、大賓の為に清掃して居並んだ主君も、その家臣も、不安の底に沈んだように、色を失ってしまった。  すると、堀部安兵衛が、 『いや、高家の御意見かは知らぬが、ちと、不審がある。たとえ、御精進日であるにせよ、今日は、朝廷のお使として入府せられる公の御格式。私人の忌み日に、こだわって居る筈はない。万一の備えに、お料理は、二通りに用意しておいたら如何であろうか』 『うむ──』  沈黙から晴れて、内匠頭が、大きく頷いた。 『そうせい。そうせい』  大台所は、裃の武士と、糊の硬い法被を着た小者たちで、戦場のように、庖丁が光った。賄所の裏門からは、何度となく、馬が駈け、馬が帰ってくる。  そうした混雑が、ほっと済んだ一瞬に、勅使の行列が、あやうくも伝奏屋敷の門に着いた。 『嘘だっ』  出迎えを了えてから、神崎与五郎が、真っ赤になって、怒っていた。 『高家の狸め。御当家に何かふくむ所があるに違いない。勅使のお附添に今訊いてみれば、精進日などとは、真っ赤な嘘だっ』  台所方にも、各〻の詰所にも、それが伝わった。両家老は、ただもう、勅使の随臣でいっぱいに溢れた宿舎の混雑に、口やかましくばかりあって、目先の事に趁われていたが、心ある家臣のうちでは、そっと、主人の内匠頭の気色をながめて、その顔いろに、不快なものが現われないことを、祈っていた。  然し、内匠頭は、常と変らない明るい眉をもって、長途の勅使に、立派な挨拶をのべていた。 『…………』  神崎与五郎と、堀部安兵衛は、遠くから、その場をさしのぞいて、 (さすがに、わが君)  欣しくもあり、主人の気持も察して、胸がいっぱいになった。神崎の瞼を見れば赤いし、安兵衛の眸を見れば熱いものがうるんでいた。二人共、昨夜は、納戸頭奥田孫太夫たちと共に、什器諸道具を、鉄砲洲のお蔵から徹夜で運んで、一睡もして居ないのであった。  午刻の食事がすんで、廊下を、続々と、空の膳部が下がってくる頃、品川まで出迎えに出た老中土屋相模守をはじめ、その以下の諸侯が、駕、馬を、伝奏屋敷の門に埃が立つほど、改めて、御機嫌うかがいに来ては、戻って行った。  高家の一人、畠山民部も見えた。 『お支度、見事でござる。七日の御辛労は、たいていな事では御座らぬ。内匠頭殿のお体を、大事にして上げられい』  民部は、浅野家の家来たちを犒ってすぐ帰った。彼を送って出た奥田孫太夫は、老年なので、 『忝のうござる。主人は、至って健やかな質でござる故、その辺はわれ等も心づよく、働けますし、式事は、吉良殿が御親切におさしず下さります故、お蔭をもって、万端、整いましてござりまする』  ほろりとしながらも、何度も、繰返して謝辞を述べた。──そして、詰部屋に戻って、夕刻の諸式を相談している藩士たちの席に列していると、 『奥田様、お越し下さい』  後で、手をついて言う若侍がある。  見ると、物頭並の磯貝十郎左衛門、美男なので、晴れの熨斗目裃がいとどよく似合う。 『磯貝か、何じゃ』 『吉良どのが、御検分にお出です』 『ほ。吉良どのが』  彼が立つと、相談している席から、二、三名が抜けて、 『お迎えせねば』  と、あわただしく出て行った。  そこを出るとすぐ、何か、荒々しい皺嗄れた声が、大玄関の方で聞えた。孫太夫はもう袴腰がすこし曲って見える年齢である。白足袋のおぼつかない足が、その老躯を、はらはらと、大玄関の方へ運んで行った。  見ると、同じ老人ながら、背丈のすぐれた、そして、利かない鰐口を、窪んだ頬に彫りこんでいる上野介が、式台の正面にある衝立の塗縁を、扇子で、打ち叩きながら、そこに、頭を摺りつけて平伏している浅野の家中を、頭のたかい眼で、睥睨しているのであった。 『これは、何じゃっ。──これはよ』 『はっ』 『狩野法眼元信の筆、竜虎の図が、御自慢で飾ったのか』 『はっ……』 『何をいうても、はっ、とだけで、御用が勤まると思うか。この衝立は、そも、誰の指図で出しなされた』  孫太夫は、べたっと、板敷へ両手をついて、 『おそれながら、申し上げまする。その衝立は、図柄が、宜しくないとのお叱りでござりますか、或は、位置の事でも』 『そちは、何者じゃ』 『納戸頭、奥田孫太夫と申す不束者にござります』 『又聞きでは、間違いが多い。主人を呼びなさい。内匠頭どのは、何うなされた』 『只今、申し伝えて居りまする』 『やれやれ……』  と、伸びをするように、白い眼を、じろじろと上に向けて、 『天井の塵もよう払ってないわ。かような、不作法な玄関へ、勅使をお迎えしたかと思うと、身の縮むほど畏れ多い』  呟いている足もとへ、駈けつけた内匠頭が、手をつかえた。 『何ぞ、不行届きでもございましたなれば、家来の落度は、内匠頭の不注意、お叱り置き下さいましょう』 『あ。……内匠頭どのか』 『御検分、御苦労にぞんじます』 『お許は、勅使の接待役、上野介などへ世辞はいらんことじゃ。所で、この衝立は、何と心得て出された。晴の御大礼、長途の勅使を寿ぎまつる大玄関に、墨絵のものを置くとは何という量見じゃの。なぜ、明るい彩画を出しなさらぬ』 『あいや、おことばでは御座るが、御老中土屋殿の御内意もあって』 『何。──土屋殿は、いつ高家衆になられた。お許は、土屋殿のお指図をもって、此度の饗応を勤めらるる御所存か』 『決して、左様な思慮ではござりませぬが』 『御老中、御老中と、よう足まめにお運びじゃな。人は知らず、吉良家古来の故実には、吉事の大賓を迎える日に、墨絵のものを使用した例はござらぬ』 『恐れ入りました。早速に、彩画の物と置き替えまする。何事も、質素にと、土屋殿の仰せがありました為』 『又、土屋どのか。一にも、二にも、土屋どのでは、高家は木偶じゃな』 『悪意にお執りなされては、内匠頭、当惑仕りまする。至らぬかど、不束な節は、何とぞ、仮借なく、仰せくだされますように』  主人の蒼白い顔が、板敷へつくばかりに伏しているのを見ると、家来たちは、氷のうえに、坐っているような危さと、熱涙とで、胸が塞がれてしまった。  しいんと、漲り切った一同の頭のうえで、突然、入歯をこぼすような皺嗄れた上野介の笑いがひびいた。 『ば、ばかなっ! 木偶が、生きた人間に、ものを教えたら逆さま事じゃ。御勝手に為されたがよい。随分、御随意に、おやんなさい』  黒い大紋の袖が、さっと、内匠頭の髷先を払った。と思うまに速い跫音は、ついと向うへ立ち去った。檜張りの厚い板床が、内匠頭の膝の下で、ミシリと鳴った。 『殿……。と、殿! ……』  奥田孫太夫の拳であった。ふるえながら、主君の背後に、顔を埋めて、しっかと、内匠頭の印籠腰をつかんで放さないのである。全五体を躍りあげて、 (おのれっ!)  と叫ぼうとする主人の激越な血と、歯の根を噛み、眼を閉じて、堪忍の二字を念じている家来の血とは、一つのもののように、わなわな、骨ぶるいをしたまま、熱涙を嚥み合っていた。 うら・おもて  夜は、朧な月とみえる。  黒い桜花の影が、障子に雲のような斑を映していた。夜霞のしっとりと感じられる遠くには、櫓の音がする。船唄がながれて行く。──内匠頭夫人は、独りで坐っていた。  人の羨む大名の生活や、その内室の身が、何んなに辛い心のものか、あの大川に働く船人たちは知るまいと、沁々思う。  彼女は、まだ夕食も摂らなかった。昼間、良人の実弟にあたる木挽町の浅野大学が来ての話では、勅使御登城の第二日の今日も、つつがなく済んだらしいという事なので、 『ああ……』  思わず、この一室で、暮れて行く日に、掌をあわせて、俯し拝んだ。  だが、その良人は、まだ帰らない。  帰ってもこの頃は、食事も勤めのように箸を取るだけであるし、ゆうべも、眠った様子はない。 (女の関わった事ではない)  訊ねたら、すぐそう云って叱られるであろう。蒼白い良人の顔には、いつとはなく、眉に針が立っている。  女性のもつ真情と、細かな気くばりをもって、身のまわりの事や、心の慰めになろうと努めてはいるが、眉の針は、朝も消えていない。夜も消えていない。 『どうぞ、七日の大命、良人の身、無事に、勤め了えますように……』  神には、御明灯を、仏には香を、ただ一心に念じているより他にない女であり、一室の悩みであった。 『殿さま! お退城りでござります』  夫人の気持を知っている侍女の末までが、御表の物音を聞くと、常には、静かな足も走って、つい、声までが癇走って欣びを告げるのだった。 『はい……』  途端に、彼女の胸は雪解のように、がっかりする。喜び立って、良人の無事な姿に泣き濡れたい気持もする。  だが、静かであった。裲襠のすそを音もなく曳いて、鏡のまえに一度坐る。髪の毛、一すじの乱れも、良人を暗くするであろう。臙脂も、褪せていてはならぬ。 『…………』  楚々と、長廊下をすべって行く姿──。女ごころは女が知る。後に従いてゆく侍女たちは、奥方の肩がこの数日の間に、薙刀のように薄く見えて来たのに気がついて、 (おいとしい)  と、思いやりを噛みしめて泣いた。  内匠頭は、沈痛な足もとを、 『大儀』と、確乎り踏みながら出迎えに云った。  夫人の見上げる眼に、ちらと、無言な眼を酬いただけで、すぐ表の大書院へ入ってしまった。  晃々と、燭りと家臣をそこに集めて、すぐ翌日の手筈や協議であった。家臣たちの顔もみな硬ばっている。誰も、深夜の内匠頭の青白い顔や、食事の量にまでは、気がつかないであろう。  夫人は、そっと、奥から使をやって訊かせた。 『お湯浴みは。お食事は』──と。  内匠頭は、一言、 『いらん』  首を振って、 『十五日は、両使、増上寺へ御参詣の日であるぞ。諸事、準備はよろしいか。明十三日、高家の下検分があろう。手ぬかりするなよ』 『お案じなされますな。今夕までに、壁、障子、襖、天井洗いその他、終りました』  安井彦右衛門が、答えると、誰かが、 『畳は』  と、云った。  彦右衛門は、じろっと、声の方を見て、 『畳更えは為たものか、せぬものか、念の為、その段も、吉良殿へ出向いて、お伺いいたした所、例年一月にはお取替えあるに依って、それ迄には及ばぬというお指図でござりました故、差し置きました』 『そうか』  内匠頭は、まず安堵をした容子で、やっと席を立った。家臣たちは、自分の呼吸をやすめるよりも、主人が奥へゆく姿をみてほっとした。  急いで、席を抜けた者がある。神崎与五郎と堀部安兵衛であった。暗い御厩舎の側で、誰か、ざぶざぶと水づかいをしている。そこを覗いて、 『富森っ』 『助右衛門はいるかっ』  声を聞くと、襷をかけて、馬たわしを持って濡れていた助右が、 『おう、これに居る』 『頼みがある』 『なんだ』 『その馬で、すぐ、殿の御相役、伊達左京介どのの御持ち場を見て来てくれ』 『何を見届けてくるか』 『畳だ』 『よしっ』  濡れ襷のまま、富森助右衛門は、馬にとび乗った。  朧夜を、一鞭あてて、増上寺の伊達家の宿坊へ行って、窺ってみると、何と、青畳の香がぷーんと高い。下部の部屋まで、畳は新しく替えられてあるではないか。 『さてこそ』  と、助右は、息もつかずに、馬を返して、その通りに復命すると、神崎、堀部の二人は、顔を見あわせて、 『そうかっ!』  両家老に告げる。家中を呼び集める。  休息する間もなく、寝耳に水を浴びせられた内匠頭は、 『又しても、上野介め、当家を騙かり居ったか。下検分は明日と申すぞ、今宵のうちに、手配をせい』  狼狽する安井、藤井。指揮に、声を嗄らす奥田老人。病後の老躯を、お長屋から這いだして、馬で飛ぶ村松喜兵衛。 『金だっ。御勘定方、こんな時は、金の力だ』  そう呶鳴っているのは、堀部安兵衛だった。  現金を懐中にいれて、畳屋を狩り出しに、騎馬で駈けてゆく。  増上寺の本堂から、浅野家持ち場の宿坊は、またたく間に、鷹の羽の提灯で埋まった。数十人の畳屋職人は、肱が火を出すように、畳針を舞わせている。運び出す者、敷き込む者、武士も職人も、けじめはない。まるで、戦場だった。必死だった。涙ぐましくも、夜の白々と明けた頃には、二百数十枚の青畳が、きっかりと敷かっていた。うれしさの余り、その上で、躍り上った若侍もある。  やがて、四刻頃、上野介は下検分に来て、青々とした畳の海へ眼をくれた。 『成程──』  洒然として、賞め立てた。 『かねて、内匠頭殿は、御内福だと聞いていたが、一夜の中に、これだけの畳数を替えられたとは、お手際がよい。……何事もな、金銀さえお厭いなくば、物事は、程よく運ぶものでござるよ』  後に立って、睨めつけている内匠頭へ、怯れもなく、振り向いて、 『いや、お互いに、御苦労御苦労。疲れる事じゃ』  腰骨を叩きながら、次々と、検分して歩いた。 面影の水  妻にも、やさしくありたい。家来たちにも、この顔色は見せたくない。内匠頭は胸いっぱいに周囲の者の気持を察しているのであった。 (身を、生れながら微賤と思え。大名という育ち癖があればこそ、武士のしつけがあればこそ、腹も立つ、血も憤る。御奉公のおん為に、七日は、眼をつぶって──)  と、わずかな間を、臥床に入るのである。  けれど、眠れない。眠ろうとすればする程、吉良の顔が見える。上野介の錆声が、耳鳴りに聞える。  山鹿素行先生は、何と教えた。父長直は常に何と云った。慈母の訓え、幼少から読んだあらゆる教典の文字。それらを、思い出すことが努力だった。──しかも、それを呼ぶ努力こそが、あらゆる障碍だとは覚れなかった。  およそ今の社会には、まったく似ても似つかない新旧ふたいろの思考と生活様式とが、一つ世間に住み、一つ社会を構成していた。浅野家と吉良家のごときも、まったく対蹠的な主人と家風だったのである。  忍。忍。忍。──と、内匠頭は護符のように、念じた。  古語に曰う『百忍自無憂──』  かれは、夜どおし胆にそれを彫りつけて寝た。殊に、明けて今日の三月十四日は、勅使、院使両卿の登場があり、将軍家奉答の式日中の大事の式日である。  白む朝を待ちかね、寝所を出た。夫人は、侍女の手も借らずに、嗽いや、塗りの水盥をそろえる。 『武士らしくもない……』  ふと、指先を、水に浸しかけて、内匠頭は窶れた自分の血色をつくづくと水に映して眺めた。 『こんな事で』  と、口惜しくも思う。不覚な涙もおぼえる。  が──顔を洗うと、彼は、掌で血色を強くこすった。常のように、礼拝をすましてからは、やや晴々となって、 『夫人、一ぷく、たてて貰おうか』  茶道は、こんな時にこそと、胸のうちでいいきかせる。 『はい』  夫人は欣しかった。女性の真情と、妻のたましいを、緑に掻いて、 『お気に召しましたら、もうお一ぷく』 『いや、もうよい』  内匠頭は、茶碗を下においた。真情の色は眼に見えても、茶の香はしないらしい。  と──、障子の外で、ひそやかに、 『ぶしつけ者二人、そっと、これ迄、おゆるしもなく推参いたしました。暫時の間、お目通りを、おゆるし下さいましょうか』  と、云う者がある。 『誰じゃ』 『源五右衛門に、与五郎奴でござります』 『オ、片岡、神崎の両名か。連日の辛労、うれしいぞ。ゆるす、入れ』 『へへっ』  二人は、居ずくまった儘、障子だけを開けた。幼少から自分の側を離れないこの二人が、眼に涙を溜めているの見ると、内匠頭も瞼が凝っと熱した。 『なんじゃ、急用か』 『左様にはござりませぬ。実は、畏れながら、数日来、めっきりと御血色がすぐれぬやに拝しまする。私共、不つつか者を御手足に遊ばして連日の御大役、さだめし、もどかしくも思召され、又、高家衆との折合いにも、御不快な数々は、御推察いたして居りまする。が、早や、今日も十四日、後三日の御辛抱にござりまする。何とぞ、御奉公のおん為、又、小さくは私たちをも、不愍と御堪忍あそばされて、凝っと、お怺えくださいますように、お願いに参じましたのでございまする』 『……わかっておる』  内匠頭の睫毛には、あやうい光が、草の葉の露のように、ささえられた。 『よう、云ってくれた。案じてくれるな。──きのうも、余が刎頸の友、加藤遠江守どのから、そち達と同じような忠言を懇々と申された。上野介めが、無礼沙汰は、この度ばかりではなく、遠江守どのが、大猷院様の御法事を勤められた折も、言語に絶した振舞があったと申す。又、日光御社参の砌りにも、奉行の大名方は、吉良の為に、何れほど泣く目を見たか知れぬという。──と聞けば取るにも足らぬ俗人じゃ。吉良の、四位の少将のと、人らしく思えばこそ腹が立つ。虫螻と思うているのじゃ。……呉々も、案じぬがよい。内匠頭とて、浅野又右衛門長勝が末、赤穂の城には、まだまだ、多くの愛すべき家来共も居るに、なんで、高家の老ぼれと、それとを、取り替えようぞ。わかって居る、もう、云うな』 『安心いたしました……。何も、何も申しませぬ』 『不吉だぞ』  源五右衛門と、与五郎は、あわてて、顔を横にそむけた。不覚にも、つい、こぼれてしまった涙の痕を、手で拭き消した。  表方から、 『お時刻』  と、告げる。  内匠頭は、湯浴みをして、式服を着けた。刃金を鎧う気持であった。自分の心が危ういのだ。  高家の達しで、式服は長裃と定めていた。すでに、それを身に着けてからである。老臣のうちで、疑う者があって云った。 『晴れの大礼に、長裃の御着用は、心得ませぬ。吉良どのの為され方、事毎に、不審ばかり。念のために、途中だけ長く遊ばされて、べつに、大紋御烏帽子の御用意もあっていかがかと存じまする』  挾み箱に、それは、潜められて行った。  果して、殿中にのぼると、すべて大紋烏帽子でない大名はない。御用部屋へ這入って、内匠頭は、すぐ式服を着替えた。もし、大紋の用意をして来なかったら──と思うと、冷たい汗が滲み出る。  そこを起つと、上野介の顔が、ちらと、彼方に見えた。顔を見ると、骨髄に抑えているものが、むらっと、うごいて来る。 『あいや、吉良どの』 『ほう、遅い御出仕』 『お指図によれば、今日は長裃との仰せでござったが、諸侯、一名の洩れもなく、烏帽子大紋でござる故、それがしも、かように着替えました。悪しからず思召しくだされい』 『さようか。いや御念入は結構。此方も、歳のせいか、近来はとかく耳が遠い。それにな、物忘れや勘違いが多うて、閉口でござるよ』  これが人間の咽喉から出る声か。内匠頭は、冷蔑の眼を凝っと与えた。だが、感じないのである、上野介は、片眼をつぶりながら、顔の半分を口と共に歪める癖がある。上顎の入歯を気にするのだ。もぐもぐと、口の中で舌を動かしながら、大玄関の方へ、平然と歩いて行く。 百忍一断  勅使出迎えの刻限が迫った。  三卿とも、もうやがて登城に近い。内匠頭は、上野介の姿をさがした。  人混みの中に、黒の素袍姿が、佇立んでいる。そっと側へ行って、 『吉良どの。……吉良どのに伺いまする』  上野介は、そら耳をよそおって、ついと歩みかけた。思わず、素袍の袖に手が伸びて、 『あいや』  ぐらっと、内匠頭は、こめかみに焼鏝を当てたような眩いを感じた。口腔の渇いているせいか、声が、かすれていた。 『──暫く!』 『な、なんじゃ!』  自分の袖に、眼を落した。内匠頭は、はっと手を退いて、 『お教えを仰ぎまする。御三卿お迎えの節には、大玄関の御箱壇にて礼をいたしまするか、それとも、御石段まで下って辞儀をいたしまするか。着座の作法、心得ませぬ。何とぞ、御指南のほど願わしゅう存じまする』  手をついて、一息に云った。感情と、理性とが、しどろだった。舌は、針をいっぱいに含んでいるように痛い、熱い耳朶には、自分の声すらも聞えない心地がする。  上野介は何か、快味にくすぐられて薄く笑った。つい今の、内匠頭の態度は、内心、彼の胸を十分に憤らしていた。見ておれと、思っていた機会が、すぐ来たのだ。彼は、ばしっと、扇子で自分の掌を打った。 『役目と存じて、何事にも、唯々と返辞をして居れば、よい気になって、果しもない譫言まで問わっしゃる。お許、饗応役ではござらぬか。それしきの事、弁えずに、大任を拝受するとは、呆れたことだ。しかも、両使お見えの時刻に迫って左様な作法に、まだうろうろしていて何う召さるかっ。同じ饗応役でも、左京介殿の方をちと見習いなさい。賢明な仁と、鈍な仁とは、こうも違うものか』  質した事には、触れないのだ。ずかずかと、彼方へ行き過ぎながら、 『途方もないっ。あれで柳営の儀式が勤まるなら、苦労はない。あきれた狼狽え侍ではある』  聞えよがしに、云い散らした。  内匠頭だけではない、吉良だけではない、曠の中だ。辺りには、正装した諸侯が、声に振り向いて驚きの眼を瞠っていた。  沸えかえる満身の血が、眸からも、耳の穴からも、流れ出るかと思った。きっと、上野介の背へ向けた内匠頭の眉に、深く、針のような線が凶を描いた。 『ウウム……』  大名同士の中にも、大名だけの、ふだんの嫉妬だの、感情のもつれがある。よい気味とは思わない迄も、冷然と眺めているのもあったし、やや同情を持つ者は、 『若い内匠頭、血気を出さねばよいが』  と、はらはらしていた。  だが、内匠頭は、静かな顔いろに返っていた。衣紋を、そっと正して、立った様子である。気の毒さに、又、何事もなかったことに、大名たちは、ほっと思って、思い思いに、視線をほかへ散らかした。  その時だった。  将軍家の母堂、桂昌院づきの用人梶川与三兵衛が、小走りに駈けて来て、 『浅野どのは、何れに居られますか。──浅野どのは、見えませぬか』  会う人ごとに訊ねながら、ふと、上野介と摺れちがったが、漆をなすったように、硬ばった顔つきを見て、それには訊ねずに、 『浅野どの!』  玄関へ向って呼ぶと、 『おう』  内匠頭が、姿を見せて、近づいて来た。  早口に与三兵衛は云った。 『堂上衆より桂昌院様へも、いろいろ御下賜がありました故、今日、お式後に、大奥からも勅使に御礼を申しあげたいとの儀でござる。それ故、お打ちあわせに、参りました』 『心得てござります』 『では、後刻』  忙しげに、与三兵衛が戻ろうとすると、彼方で立ち止って、きき耳をたてて居たらしい上野介が、 『ああ梶川殿、梶川殿』  と呼び止めた。与三兵衛は、振り顧って、 『これは、高家様でござるか』 『なんぞ、御用の儀あらば、此方に申し聞けられたい、此方にな』 『は……』 『高家も、世話がやけて困る。何事も、此方が呑みこんで居らぬと、手違いばかり生じるのじゃ。何せい、御作法一つ弁えぬ田舎侍に、大紋烏帽子の面倒を見にゃならぬでのう』 『はい、ご苦労に存じます』 『それじゃもの、内匠頭殿などに、何がわかろう。御手違いを、召さるなよ』  諸侯の稠坐している溜りの方へ向って、大声に、喚いて捨てたのである。武士にとって最大な良心である恥辱という忍び得ないものが、内匠頭のあたまを焼金のように貫いた。この数日来、彼の精神力のあらん限りでささえていたものが、屋の棟の雪のように、どさっと、瞼の前へ、真っ暗になって落ちた気がした。 『おのれッ! 上野っ──』  理性はついに感情にやぶれた。大紋の袖を払い上げて、小脇差の光が振りかぶられた。 『わっ! ……』  振り向いた烏帽子額を、途端に、両手で抑えながら、 『狼藉者っ』  五、六歩、よろめいて、松の間の閾際に、上野介は俯ツ伏せに倒れた。倒れたが、すぐに又、夢中に立ち上りかけながら、 『乱心者じゃっ──内匠がっ……』 『待てッ、老ぼれっ』  二の太刀が、寸足らずに、肩から背を浅く薙ぎ落した。然しさっと霧になった血の紅さは、この幾日の間、暗澹としていた内匠頭の鬱心に、ぱっと、紅い花かのように、明るく映った。  だが、三太刀とはもう働けなかった。喬木のような二本の腕が、むずと背後から抱きついて居た。 『誰だっ、放せっ、放してくれい』 『お場所がらを。──お場所をわきまえぬか、内匠頭どの、御乱心召されたか』 『梶川か、武士の情じゃ、放せっ』 『なりませぬ! お鎮まりなされっ』 『ええっ、仕損じる。仕損じたわッ。──ざ、残念じゃ、内匠頭、乱心はいたさぬ、それがしも、五万三千石の城主、乱心はせぬっ』 『殿中でござるぞっ!』  佐倉の城主戸田侯が、ふた声ほど呶鳴ったが、内匠頭の耳には通らない。もがきながら、大力の与三兵衛を、ずるッ、ずるっと、三、四尺ほど引き摺り歩いた。 『御無態なっ』  と、与三兵衛は、内匠頭の腕と血刀を、折り曲げるように捻じ伏せた。だが、その時はもう内匠頭のあたまは、一瞬の燃焼から水のようなものに回っていた。 『官衣着用のそれがしを、膝に組み敷かれては、上に不遜でござろう。将軍家に対して、怨みを抱く者ではござらぬ。相手の吉良を、討ち損じた事だけは、遺恨に存ずるが、かくなる上は、もはや女々しい振舞はいたさぬ。お気づかいなく、お放し下さい』  どたどたっと、八方から雪崩れを打って、自分ひとつに集って来る、大廊下の跫響きを耳にしながら、彼は、鉄砲洲にある妻の顔と、遙かな国許の空──赤穂一城に住む多くの家来や家族たちの悲しい表情とを、一瞬のまに、頭のすみで描いていた。  梶川与三兵衛は、それでもまだ、手を弛めずに、 『あなた様こそ、刀をお放しなさい。刀をっ』  汗になって、呶鳴り続けていた。  時刻は巳の刻過ぎであった。  今の時間でいうと、午前十一時頃の、春は爛漫と天地に誇っていて、微風の生暖かく吹いている日であった。 赤穂早打帳 呉越同室  黒い素袍の肩から背中へかけて、斜に口を開いていた。そこから迸る血には、痛いとも斬られたとも、何の感じもないのである。かえって、振向いた刹那、烏帽子の金輪にガキッとこたえたに過ぎない太刀の力と、眸のそばまで来た光に、上野介は喪神してしまって居た。  もう自分の頭蓋骨が、二つに割られてしまったものと思い込んだように、 『うッ……う、う、う』  顛動していたが、両手で顔を掩って、起き上ると、 『キッ、斬られたっ。──ら、らん心者でござるっ』  暗闇を、躓くように、 『──お出会いくださいっ。内匠頭が──内匠頭がっ──』  上ずった声を額からあげて、大廊下を、桜の間の方へと、転んでいた。  鶏の足痕みたいに斑々と、血が零れて行く。──右往左往する人々が、それを踏みつけるので殿中は赤く汚れた。 『吉良どの、お鎮まりなされい』 『相手方の内匠頭どのは、すでに、梶川与三兵衛が、組みとめましたぞ』 『吉良どの! 上野どの!』  追い縋って、支えているのは、高家衆の品川豊前守や、大友近江守たちであった。  だが上野介は、その人々の顔さえ見境いを失ったらしく、振りもぎっては、 『お医師をっ。──お医師をっ』  とばかり、喚いているのである。  それを、人囲いに取り巻いて、宥めていると、側を通った播州竜野の城主脇坂淡路守が、 『ほう、今の悲鳴は、吉良どのか。甲冑の血まみれは武士の誉とこそ思ったが、素袍の血まみれは珍らしい。──いや古今の椿事』  と、覗いて行った。  鼎の沸くような混乱の渦から、思いがけない笑い声がどっと流れたりした。人々の中にある日頃からの、上野介への感情をそれは証明していた。  御目付役の詰めている溜の間にいた多門伝八郎は、 『お坊主、お坊主っ』  と、その席を立って、 『騒がしいが、何事じゃ』  通りかかった茶坊主の一人をつかまえて早口に訊ねていた。 『ただ今、浅野内匠頭様が、高家筆頭の吉良どのを、刃傷なされました』 『えっ』  同役の久留十左衛門、近藤平八郎、大久保権右衛門等も、伝八郎の後から、眼いろを変えて駈けて行った。  刃傷! 刃傷! と熱い呼吸をして云う人々の呟きが、耳のそばを、走り乱れた。  見ると──桜の間の板縁と、松の間の角と、大廊下の二所に、昂奮で硬ばった人々の顔が押し合って居て、その両方から異様な声が聞えてくる。  多門伝八郎は、松の間の方へ走った。梶川与三兵衛の膝の下に、鬢が乱れて、烏帽子の紐も外れた顔を、無残に、捻じ伏せられている内匠頭の血に充ちた耳が、彼の眼へ、飛びこんでくるように映った。 『梶川っ、大紋の式服へ、何事だっ、無礼であろうっ』  伝八郎の手は思わず与三兵衛の肩を強く突いた。  はっと吾れに回ったのである。梶川与三兵衛は、余りに昂奮していた自分の手荒な処置に気がついたらしく、内匠頭の手を放した。  すぐ、内匠頭は起き直って、烏帽子の紐を結び直した。肩が大きな波を打っている。然し、たった今、熱魂の一声に、柳営を覆えすような大騒動を起したその人とは思えぬような沈着な態度で、 『お目付か』  と、云った。 『溜の間の多門伝八郎でござる。お沙汰の下る迄、あれにお控え下さい』 『お扱い、かたじけない』  お坊主の関久和のすがたを見て、血刀を渡し、空鞘の口から笄を抜いて、鬢の毛を撫であげた。そして、襟元を直すと、すぐ起ち上って、 『──お手数でござった』  と、俯向いた。  蘇鉄の間の一隅に、内匠頭を坐らせて、大屏風で囲ってしまう。  すると、続いて、同じ蘇鉄の間の北の隅へ、吉良上野介が呻めきながら多勢に囲まれて来た。 『お坐りなされ。──吉良どの、それに、お坐りなさい』 『痛い……。お医師を頼む、お医師を早く頼む』 『医師は、すぐ参ろう程に、とにかく、落着き召されい』  屏風で、囲いかけると、上野介は、まだ落着き切れないような眼をくばって、 『向うの隅に居るのは、誰方でござるの』 『相手方の浅野内匠頭どのです』 『やっ!』  あわてて、屏風内から、這い出そうとするので、介添の人々は、亀の子を抑えるようにつかまえて、叱りつけた。 『どこへお出で召さるか。その為に、吾々どもがついて居ります。相手方が、あのように静かに為て居られるのに、醜しいではござらぬか。ちと、恥をお知りなさい』 有情・無情  下層社会のどん底からは、想像も及ばない一世界がここにある。天井の高く、天人彫の欄間から乳いろの湯けむりの中へ、虹のような陽が射しこんでいる。わずか五尺の体を洗う御風呂場である。  犬公方と民間では別名のある五代将軍の綱吉は、檜の香の流れる湯の床に、女性みたいな肌をして、糠袋をあてていた。  派手ずきで、名聞を気にする質で、又、儀礼を好む綱吉将軍は、きょうのような柳営の行事に、忙しく数日を暮すことは、平常が退屈きわまる日々なだけに、甚だ張合いがあるらしいのである。わけても、今日は勅答日だし、式日中でも、最大な曠がましさを味わう日でもあるので、指先や鬢の一すじにも、細かい心をつかって、白いとか柔軟とかいうよりも、むしろ畸形的にぶよぶよしている自分の肌を、女みたいに屈曲して、たんねんに浄めているのであった。 『上様っ、上様っ』  次の御着更え部屋の化粧扉が、がたっと、鳴った。 『なんじゃ』 『畏れながら──』  と、側用人柳沢出羽守吉保の声なのである。 『──本日の目付役当番、溜の間の多門伝八郎と大久保権右衛門の両名が、火急、おさし図を仰ぎたい儀が起りまして控えておりまする』 『出羽か。──まだ勅使が御登城の時刻にしては、はやいではないか』 『その御勅使が見えましては間に合いかねる儀にござります。畏れながら、ちと、お湯浴みをお急ぎあそばして』  と、いかにも言い難そうに、気がねして云う。  案の定、将軍家は癇にさわったらしい。返辞はなくて、舌打ちが聞えた。あらい湯の音をさせて、暫くすると、さっと御化粧の間へかくれる肌が見えた。機嫌を損ねた将軍家の顔いろに恟々しながら御風呂女中が、衣服を着せ、髪を梳でつける。  済むと、外に控えていた出羽守の前には来ずに、ついと休息所へ入った。  その後から、出羽守と二人の目付役が、畏る畏る通って行くと、 『火急とは、何じゃ』 『はっ』  多門と大久保が、出羽守の顔を見た。将軍家の感情が苦々とあらわれているので、言い出しかねた様子なのである。 『申し上げまする』  綱吉も戌年生れなら、柳沢出羽守も、戌年だった。その点でも、この主従には、迷信的な契合がふかいらしいのだ。綱吉の気持ならば、底の底まで知りぬいているという風に、彼は、他の臣下のように臆しはしなかった。こういう気まずい顔つきも、至って、扱い馴れて居るらしく、 『──唯今、御表におきまして、赤穂の城主浅野内匠頭事、意趣あって、高家の吉良上野介に対して刃傷に及びました。就ては、両名の処置、又、勅使饗応役の跡に代る者、何人に仰せつけられましょうや。そのために、お急きたて申し上げました段、平におゆるしの程を願いあげまする』  と、すずやかな弁舌で事も無げに告げてしまう。 『何!』  綱吉は、耳をうたがうように云った。湯あがりの血を、いっぱいに顔へのぼせて、 『意趣喧嘩をして、高家を斬ったというか。馬鹿なっ、何というたわけ者だ。しかも、勅使登城の目前に不埓至極、但馬を呼べっ』 『はっ』  近習が走り出ると、すぐ老中の秋元但馬守が、愴惶として、そこへ来て平伏する。  但馬守は、はっと思った儘、顔を上げ得なかった。綱吉の眉を仰いだだけで、その怒気のつよさに、胸を打たれた。  勅使登城の刻限は、すでに直ぐと迫っているのである。各〻が互いに、 (困った!)  という真っ暗な当惑を唇にむすんで黙りあっていた。 『言語道断な内匠頭の振舞、但馬、疾く糺明せい』 『はっ』 『御三卿に対しては、一応、本日の勅答の儀、延期いたしたものか否か、お伺い致してみい』 『承知仕りました』 『饗応役、すぐ誰かに、代りを申しつけい』 『万端、取り急いで計らいます』 『はやく運べっ。──出羽も』 『はっ』  大廊下では、茶坊主たちが、血を拭き廻ったり、水で浄めたり、塩を掃いたりしていた。暴風の去った一瞬の後は、誰の面にも、何か考え事が絡んでいて、事件の起った前よりも遙かに、静粛な気が流れていた。  勅使、院使の三卿は、間もなく登城して見える。  五老中、揃って出て、 『不慮の椿事、出来いたし、勅使をお迎え申し奉る大礼に、何かの御不審もござりましょうが、平にお見のがしの程を』  恐縮して、謝意をのべた。  柳原前大納言は、うなずいて、 『何やら、お取り混みの由。殿中禁犯の者とは、何人でござりますな』 『内匠頭長矩と申す者』 『武家と武家の事、殿中での刃傷も、ままある事でおざろうな』 『ない事ではございませぬが、大紋を着用する式日に於て、かかる刃傷沙汰は、鎌倉将軍以来、殿中はおろか、城外にても、まったく破例の事にござります』 『して、処罰は、何う召されるか』 『刃の鯉口を切っても、家名断絶の掟にはござりますが、まだ、内匠頭の儀は、いかが相成りますやら』  秋元但馬守を初め五老中のうちには、勅使か院使か、三卿のうちの一名が、何か一言でも救いのことばを洩らしてくれたならば、内匠頭の罪を軽くすることが出来るが──と心で祈っていたが、高野中納言も、清閑寺大納言も、 『さてさて、武家法度は、きびしいものでござるのう』  と、好奇な眼をして、聞いているだけであった。  勅答延期の事は、 『苦しゅうない』  との答えなので、 『では』  と、遽に式場を変更して、黒木書院で滞りなく執り行った。  その間にも、内匠頭の気持に、 (自分が、もし内匠頭の立場であったならば、やはり? ……)  と、密かな同情を消しきれないでいる人々は、何とか、三卿が、将軍家か、将軍家の母堂の桂昌院にでも、 (気の毒な)  とか、 (一時の乱心であろう)  とか、云ってくれたらばと祈って、頻りと噂をしてみたが、三卿とも、将軍と大奥からの莫大な贈り物に気を奪られていたのか、遂に、そんな言葉も出ずにしまった。  人々は、落胆して、 (冷たい公卿だ……) 『武士の情ということはあるが、公卿の情という言葉はないとみえる』  と、囁いた。 残る恨みは 『すぐに!』  という急ぎの招きである。  多門伝八郎と、近藤平八郎の二人は、老中たち列座の御用部屋へ呼ばれた。そして、 『御上意である。内匠頭、糾問の役目、其方共に申しつける。取り急いで、屹度、吟味あるように』  と、言い渡された。  伝八郎は、内匠頭が刃傷につかった小脇差を取り寄せて手に持った。当然な人間の弱点を考えるのである。これを抜く時と抜いた後の心理とを比較すると、思いやられるものがある。万一、内匠頭が今になって、卑怯な言い遁れをしたならば、これを証拠に、極めつけようという伝八郎の気構えなのであった。  医者の詰所である檜の間に二人は控えていて、内匠頭を呼び出した。警固として徒士目付の屈強なのが、三名ずつ両側に居並ぶ。その中ほどへ、内匠頭は静かに坐った。  伝八郎は、じっと、内匠頭の眉を見つめた。さすがに、全身を炎にした熱血を冷まして、青じろく沈んではいるが、今日の事は、今日だけの鬱憤ではないのだ。茲に至るまでの幾日かの間の心根こそ思いやられて傷ましい。 (役目でなければ──)  と伝八郎は、武士が武士の心を酌んでやれない辛さを歯の根に噛みしめながら云った。 『御法通り、言葉を改めます。左様お心得下されたい』 『…………』  内匠頭は、無言のまま、すこし頭を下げた。 『その方、場所がらをも弁えず、上野介へ刃傷に及んだは、故意か、乱心か、仔細に申しあげい』 『決して、乱心にはござりませぬ』 『うむ』  思わず、伝八郎は大きく呻いて、 『では、相手方に、如何なる遺恨あっての事か』 『申し開きござりませぬ。上に対し奉り、重々の不届き、唯々恐れ入ってござりまする。この上は、御仕置仰せつけ賜わるより他に、お詫のことばもござりませぬ』  伝八郎は、それから二言三言、誘ってみたが、内匠頭は、上野介の行為や経緯などには一言も触れないのである。殿中禁犯の結果は、切腹断絶という一途に止まっていることを知って、もう、うごかない運命の座にぴたりと坐っている容子が、静かなことばの裡にはっきりと、相手の胸へ沁みてくる。  伝八郎は、万一の証拠になど、用意してきた物が恥かしい気がした。──だが、こうありたいと他人事ながら念じていたことでもあった。少しも取り紊した容子もなく、こういう心境になり得ている内匠頭を見たのは、せめてもの彼の心やすさであった。 『では、言い分は何もないと申すか』 『されば。──ただ一つ、お伺い申したい儀がござります』 『何か』 『相手方の上野介は、浅疵でござりましょうや、それとも……』 『うむ、その儀であるか』  伝八郎は、顎をひいて、凝と、内匠頭の眸を見た。最前からも、屏風の内で、同室上野介の方の様子を、全神経で知ろうとしていたのではあるまいか。伝八郎はそう思い遣って、 『さよう、傷は二ヵ所、浅傷ではあるが、真額の一太刀、老年のこと故、養生は覚束なかろう』  と、答えた。 『ありがとう存じまする』  残る一恨に、やや満足らしい眼を落して、内匠頭は、手をついた。  入れ代りに、すぐその後へ、上野介が連れ込まれて来た。眸は、まだ恐怖を消していない。苦痛らしい顔を、土気色に硬ばらせて、 『てまえに於ては、一体何の遺恨やら、毛頭、覚えのない儀でござった。この度の役目上、此方の好意に対して、礼をいわれる覚えこそあれ、刃物三昧をうけるなどとは、夢にも思い及ばぬ事。驚き入った乱行者でござる、お場所がらを相心得て、唯々、彼の乱暴を避けん為に、背後にまで手疵をうけ、面目もござらぬが、不時の災難と申すものは、まことに、避け難いものと相見える』  呻きながら云うのであったが、答弁になると、老獪な饒舌は、立板に水を流すようだった。  双方の訊問は、それで終る。  典医の天野良順と、栗崎道有のふたりが来て、彼の傷所を手当てしていると、屏風越しに、 『上野どの。──とんだ御災難であったが、お上には、何事もよう御存じであらせられる。心配なく、養生あるように』  通りかかりの者らしく、誰か、声をかけて、立ち去った者がある。  後姿を見ると、御側用人の柳沢出羽守吉保だった。 梶川懺悔  時計の間には、ひっきり無しに、表役人が、緊張した顔を持って、出入りしていた。  阿部豊後守を初め、土屋、小笠原、稲葉の諸大老以下、若年寄、大目付たちの歴々が、膝をかためて、厳粛に詰めあっている。  午さがりの空は、うす寒く曇って、吹上苑をつつむ桜花の蔭に、チチ、チチ、と小禽の音はあるが、何となく浮いていない。  勅答の式を済ました三卿は、今し方、席を移して、大奥の桂昌院と対談中の頃あいである。その忙しない寸閑を偸んでは、ここに集まって、老中達以下、刻々と内匠頭の処断をすすめていた。 『糺問、相すみました』  多門伝八郎から、内匠頭を調べた結果が、復命される。  上野介の方を糺した、久留十左衛門からも、報告が出る。  若年寄は、それを老中へ。  老中は、目付役の四名をよんで、直接に、再度、不審な点を細かに訊き取る。  そして、側用人まで取次ぐ。  側用人の柳沢出羽守は、老中と将軍家のあいだに立つ。  最後の裁断を綱吉に仰ぐ者は彼であった。 『何分のお沙汰が下るまで、各〻、用部屋に控えられい』と、ある。 『はっ……』  罷り退って、老中以下、すべて森のようにしんと坐っていた。  時計の間の、やぐら時計は、刻々と、森厳な生唾をのませていた。  やがて、分銅鎖が、ギ、ギ、ギ、ギ、ギ……  七刻を告げて鳴る。 『土屋相模守さま。お召です』 『あ』  立つと、すぐ、 『稲葉丹後守さま、阿部豊後守さま』 『はっ』 『お召です! 急いで』  続いて、取次が、 『井上大和守様、御前へ』  と、呼び立てる。  君令は、瞬くまに伝わって行く。  まず第一に、 『浅野内匠頭事、お沙汰あるまで、田村右京太夫方へお預け』  次には、 『吉良上野介事、致し方、神妙なるに依って、構いなく、引き取って、療養仰せつけらる』  と云う沙汰触れであった。  なお又、刃傷の節、上野介を介抱した大友近江守も、同様お構いなし。内匠頭を組みとめた梶川与三兵衛には、前例に依って、新知五百石を賞賜せられる──という事も次々に触れ出された。  その梶川と一緒になって、内匠頭の刃を奪りあげたという偶然にも些細な事で、お坊主の関久和へも、銀子三十枚の賞賜が下がった。 『久和、うまくやったな』 『久和、奢ってもよいぞ』 『久和、今日は、二度びっくりだろう』  お坊主仲間の羨望に取り囲まれて、彼は意外な福運に相好をくずしていたが、より以上の面目をほどこして、一躍千二百石の大身になった梶川与三兵衛は、どうしたのか、憂鬱な顔を、其処らにちらりと見せたきりで、桂昌院の御用部屋にも、姿がなかった。  同僚の一人が、頻りと探し廻っていると、柳の間の柱に凭れて、凝と何か考えこんでいる。 『梶川どの!』  呼びかけると、 『お……』  振り向いた睫毛が、キラと、涙に光っていた。  気のつかない同僚は、彼の肩を打って、 『お目出度う!』  と、云った。  梶川は、白髪交じりの鬢を外向けて、 『──この年で、出世も、要らぬことでござる』 『とに角、こんな大運は、生涯にも、滅多にあるものじゃない、御羨望に堪えぬ。──いずれ御披露には、招ばれて参るぞ』 『…………』 『そうそう、用事を忘れていた。桂昌院様が、お召しです。すぐ参られい』 『風邪気味か、少々、悪寒をおぼえて、お役儀の怠慢、おゆるし下さい。……ただ今、すぐに行きまする』  同僚の者が、先に走り去っても、彼はまだそこの柱から離れようとしなかった。辺りの樹々にも、七刻ごろの日蔭が濃くなりかけていた。ちょうど、大玄関の脇にあたるお坊主部屋の前まで、今、一挺の駕籠が舁ぎ込まれたのを彼は見ていた。間もなく、数名の武士が、網をかけた駕籠を囲んで、粛々と平河口の方へ出て行った。 『ああ、なんの目出度い事があろうぞ。──内匠頭殿の胸の裡を思えば……』  梶川は、自分の頬から冷たい夕風が立つかと思えた。皮膚のたるんだ掌を当ててこすると、涙が老の顔にひろがった。ぶるぶると、尖った肩をふるわして、 『この腕め、うろたえ者め』  自分の腕を、恨めしげに、自分で打って、 『あの時、この腕さえ、要らざることをしなんだら、同じながらも、あの刃先は届いたであろうに……。ええ、この齢になって、生涯の悔をのこしてしもうた。……ゆるして下されい、内匠頭どの』  懐紙を取り出して、つつむように顔へ押し当てると、梶川は、老の弱腰を、べたっと下へくずしてしまった。 清流と濁流  同朋衆の珍阿弥から、 『御当番お四名の他、お目付役皆様、残らず、若年寄のお席まで、急いで出頭なされませ』  と呼ばれて、ぞろぞろと出て行った。一同は、やがて、悲痛ないろを眉に湛えて、自分たちの詰部屋へ戻って来た。  残っていた当番組の多門伝八郎が、すぐ、 『御裁決か』  訊くと、 『そうだ』  黙然と、一同は坐りこんで、 『不届につき、即刻、切腹仰せ付けられる──というお沙汰』 『吉良は』 『吉田休安に服薬方を仰せ付けられ、外科には、栗崎道有を遣わされて、大切に保養せいとあるので、はや退出した。他の高家衆に介添まで命じられて、随分、御懇なお宥りであったらしい』 『ふうム……』  伝八郎のみではない。  ここにいる微禄の少壮な目付たちは、みな意外な顔をした。 〝生類おん憐み令〟をすぐ思い出した。もし内匠頭が犬だったら、戌年生れの将軍や吉保は、憐愍のなみだを流してやむまいにと、へんな気もちがしてならなかった。まさに、将軍綱吉にとっては、内匠頭の生命などは、一匹の犬にも値していないにちがいない。こういう義憤は、多門伝八郎の眉にもありありと燃えていた。彼は、突ッかかるように、つぶやいた。 『即刻とは、今日中ということか』 『そうだ』 『かりそめにも、五万石の主を、即座にお仕置とは、余りにも手軽な処罰だ。且つは又、上野介にも吾等、随分と悪評を小耳にしておる。彼にも、落度がないとはいえぬ』 『そうだ、殿中の刃傷は曲直を論ぜず、両成敗が古来からの掟。吉良どのばかりを、神妙なりとは、余りに御偏頗に聞える』 『片手落ちだ』  と、伝八郎は、天井へ眼をやった。唇を噛んだまま凝と自分を抑えつけていた。  だが、周囲では、まだ囁いていた。 『──お側用人の柳沢出羽守と、吉良上野介とは、そんなに、曰くのある仲かの』 『気が合うというものだろう。三百五十石の小身から、諸侯の頭を抑える御側用人まで出世した出羽守と、高家の吉良とは、予々、親しい交際いもして居るし、どこか、一脈通じるところがある』 『今日の事件で、出羽守の庇い立ては、ちと目に余る……。先刻も、屏風越しに、吉良へ何やら云い居った』 『御政道を私に、うごかすものではないか』 『──と云うてみたところで、将軍家には、誰より、お気に入りの出羽守のこと。どうも、なるまい』  まったく何うにもならない事に違いなかった。現状の柳営では、五人の老中の言葉よりも、出羽守の一顰一笑の方が、御表をも、大奥をも、左右している有様だし、将軍家に至っては、まるで彼の操る糸のままに感情があらわされる。  その出羽守と上野介とが、私交上でも役儀上でも、かなり親密な仲だということは、衆知のことだった。処世も人生観も、こう二人は完全に一致するところがある。上野介の倨傲な日ごろの振舞も吉保という重要な地位にある人間の後楯を意識して、特に、横着ぶりを、押している風もかなり見える。 (この一事だけではない。思えば、柳営の紊れは久しい。私閥のばっこだ。将来の御政道にとって、おもしろくない事だ)  伝八郎は、幾たびか、 (──起とうか、起つまいか)  自制と、義憤に、思い迷っているようであったが、やがて、同役の者には黙って、ついと詰部屋を出て行った。  暫くすると、若年寄の部屋で、伝八郎の烈々たる語気が、襖の外にまで洩れてきた。 『申し上げざるは、却って、不誠意と存じまして、お叱りを覚悟の上で、愚考を述べるのでござる。──抑〻内匠頭儀は、本藩は大名中の大身、身は、五万石の城主、清廉温厚の聞えはあるも、未だ今日まで、悪評のない人物です。然るを、家名断絶も覚悟して、今日、刃傷の禁犯を敢ていたした迄には、よくよく、忍びがたき仔細もあればこそと思われまする。──然るに、拙者共の、形式ばかりの口書にて、即刻、切腹仰せ付けられ、相手方の上野介には、却って、御賞美のお沙汰とは、余りに、異様なお裁きのように心得られ、世上の論議もいかがかと、心痛にたえませぬ。──何とぞ、両三日の間、切腹の儀御猶予の上、もう一応、御詮議のほどを願い上げまする』  正義と信じるところに、怖いものはなかった。  耳朶を紅くし、眼には、涙をすらたたえて、彼が、情熱をぶつけると、若年寄の加藤越中守も、稲葉対馬守も、凝と、打たれるように聞いていたが、 『うむ、よく分った』  大きく、頷いて云った。 『──御老中へ、そちの意見、取次いでとらせる。暫時、相待て』  二人は、出て行った。  だが、すぐ戻って来て、 『伝八郎、そちの気持はよう分るが、御老中のお力にも及ばぬとの事だ。お取次ぎしてみた所で、無益らしいと申される』  伝八郎は、膝をにじり出して、 『上様の思召であり、御老中の評決とあらば、是非に及ばぬ事です。然し、その間に、何人かの御一存で決着いたしましたものとすれば、正しい御政道とは申されませぬ。外様衆の存じ寄りも如何かと思われますし、世上も、奇怪に考えましょう。諄いようで、畏れ入りますが、伝八郎事、強って申し張って、うごかぬ由を、いまいちど、御進言ねがいまする』  先刻のつよい語気ではない代りに、諄々と、正義を主張して、正義の為には、食禄を賭しても──という覚悟のほどが、静かなことばの裡に見えていた。 『左程までに申すならば……』  と、若年寄の二人は、再び起って、御用部屋へ、その旨を伝えた。  老中たちのうちでも、伝八郎の説に、 (至極──)  と感動していた者もあるので、 『彼の申し条も、理のある事、この上は、やむを得まい』  と、柳沢出羽守まで、有の儘に、彼の意見を取次いだ。案の定、出羽守の眉は、ぴりとうごいた。 『すでに、お上に於て、御決着になられた儀を、兎や角と、再応の申し立て、奇怪至極。お取り上げは、断じて、相成らぬ。──伝八郎には、不埓につき、差控えを申し渡されいっ』  峻烈に云って、老中たちを、退けてしまった。 春の雷  時はまだ、昼うららかな、午の刻の頃へ。  場所は、江戸城外の下馬先へと、話が一転する。       ×   ×   ×   ×  誰の顔も、飴のように、伸びていた。  とろんと、眠たげな眼を上げると、昼霞のような薄雲が、時々午頃の陽をつつんだり、拭いたりしていた。  馬ですら、欠伸をしている。  大手の下馬先は、朝から、動かない馬と駕籠と、供待の人間で、埋まっていた。──見渡すかぎりの人間の霞である。 『おい神崎、そろそろお弁当刻じゃないか』 『さ……。もう、そうなるか』 『なるらしい』  と、赤埴源蔵はつぶやいて、浅野家の供待小屋から腰を上げた。  見ると、主人の愛馬「浅妻」の側に、片岡源五右衛門が立っている。退屈なので、馬の眼やにでも取っているのか、鼻面を撫でてやっている容子が、常の源五右衛門らしくもなく、何となく呆やりして見えたので、 『片岡、弁当を食ろうじゃないか』  と、誘うと、 『お……。午か』 『午だ。小者が見えんから、湯呑所へ行って、湯を取ってくる』 『夕刻が、待ちどおしいなあ』 『何を考えこんでいるのか』 『べつに、考えこんでいるわけでもないが、この浅妻が、いつになく、いやな声で嘶くのだ。先刻から、それを四度も聞いた』 『他の馬だって、嘶いたり、暴れたりしているじゃないか』 『然し、声がちがう。──貴公、御馬廻りの役目でありながら、分らんか』 『気のせいだ。俺はそう思う。あまり吾々が、心をつかい過ぎるのは、殿様のお心を、よけいに研ぐようなものだ。御城外にあっては、為様がないじゃないか。飯でも食おう』 『そういうと、一応、講釈したくなる。──俺は先頃、音相学の書物を見た。顔に、人相がある如く、声にも、音相があるというのがその学説だ。……浅妻の嘶きが、いつもと、違うように感じたのは、俺が近頃、そんな事に興味をもって、五韻を聞きわけているせいかも知れない』 『ははは、人相と馬相とは、違うぞ。人間の音相学を、馬に当てはめようとしても、無理だろう』 『いや、鶏鳴や、犬声は、却って霊感のはやいものだ。たとえば雉子の啼き声で、地震が予知されるという事実もあるように』 『おもしろそうだが、その学説は、弁当を食べながら聞かしてもらおう。待ちたまえ、今、薬鑵を持ってくるから』  仮小屋では、大釜で湯を沸かしていた。諸藩の中間や小者たちが、そこへ押し合って、土瓶や薬鑵を取りに来ていた。  浅野家の小者の顔も、その中に見えたので、源蔵は、人混みから手を上げて、 『おいっ、ここへ、一つよこせ』  呶鳴っていたが、なかなか渡って来ない。  すると、誰かその時、 『たいへんだぞっ』  喚いた者がある。  もうばらばらと、駈けてゆく者があった。広い下馬先を眺めると、潮みたいに、人間が揉めている。 『なんだッ』 『御城内で、刃傷があったそうだ』 『うそつけ』 『嘘なものか。平河口から、伝奏屋敷へ、早馬が出た』 『ほんとか!』  熱湯を注いだ薬鑵を、今、人間の頭ごしに受け取っていた源蔵は、 『えっ! 御城内で、刃傷があったと?』 『ア、熱ッ』  誰か、さけんだ。  源蔵は、さっと顔いろを変えて、 『素破』  とばかり、大薬鑵を、抛りだして、駈けだした。 『熱いっ』 『ア、熱、熱、熱』  湯を浴びて、騒ぐのもあるし、 『刃傷だっ』 『刃傷っ』 『刃傷』  各〻が、もしやと、自分自分の主人の安否に胸を打たれて、蜂の子のように、わっと八方へ散らかって行く。 『──八幡! 護らせ給え』  源蔵は、こみ上げる不安と祈念を、歯に噛みしめて、 『片岡っ、片岡っ』  浅野藩の供侍を見まわした。 『神崎っ──』  その神崎与五郎も居ない。片岡源五右衛門も、もう見えない。他藩の人々も怒濤のように、何処へとはなく走って行くのである。濛々と、黄いろい砂ばかりが舞っていた。そして、白馬浅妻が、杭を抜いてしまいそうに、砂を蹴って、嘶いていた。 『赤埴じゃないか』  何処にいたのか、打つかるように駈けて来たのは、堀部安兵衛であった。 『おっ、聞いたか』 『聞いた。──然し、あわてるな』 『俺も、万一と、念じてはいるが……』 『他の者は』 『見えん』 『桜田門か、平河口だろう。あれへ参れば、御番士へ、実否が聞ける』  まるで、戦場だ。万丈の埃である。  春の雷に震り落された花のように、お濠端を、諸藩の家臣が駈けてゆく。  堀部、赤埴の二人も、 (どうか、間違いであるように)  眼に砂を入れて走った。  怒濤になった群衆は、桜田門に、ぶつかっていた。 『御番士に承わる!』 『御開門っ、御開門っ』 『承われば、御城内に於て、刃傷があった由でござるが、何人が禁犯いたしましたか』 『相手方は、誰でござるかっ』 『お教えねがいたいっ』 『吾々共、主人の安危を、一刻もはやく承知仕りたいのでござる』 『武士の心情、お酌みとりないか』 『御番衆っ』  発狂したような怒号であった。  しまいには、 『馬鹿っ』  と罵しる者もあったが、それでも、万一の騒擾を怖れてか、門扉は、固く閉じたまま、開きもしなければ、答えもしないのである。  やむなく、長柄門へ行ってみると、そこも閉鎖されているし、鍮䤲門も、同様だった。  流言が飛ぶ、臆測が伝わる。不安は真っ黒な渦を描いて、声の暴風が城内にまで届いた。 『捨て置いては──』  と、目付役の鈴木五右衛門が、大手門の上に、突っ立ちあがって、 『鎮まれい! 鎮まれい! 殿中にての喧嘩は、浅野内匠頭、吉良上野介の両名なるが、双方とも、生命には別条なし──。唯今、お調べ中であるっ。鎮まれいっ』  白扇を振って、必死と、呶鳴ってみたが、海嘯に向って、声を嗄らしているようなものであった。 『駄目だ』  と見て、今度は、作事場にいいつけて、大慌てに、杉板数枚を削らせる。それへ、筆太に、目付役たちが、黒々と書いて、大手門やその他の下馬下馬へ、掲げだしたので、漸く、群衆は静粛に復った。 浅野内匠頭儀、吉良上野介ヘ刃傷ニ及両人共取糺中ニ付諸供方騒動致ス間敷者也 一番早駕 『や、やッ』  堀部と、赤埴の二人は、掲示の下に、べたっと、腰をぬかしてしまった。  疾風のように、その側へ飛んで来た騎馬の武士も、それを仰ぐと同時に、 『あっ!』  と、蹄を立てたきり、茫然として、紅葉山の森を、うるんだ眼で、凝視していた。  片岡源五右衛門である。  わらわらと、寄って来て、其処らへ俯っ伏してしまった者は、皆、浅野家の家臣であった。 『うーむ……』  と云ったのみで、腕を拱んで、樹の間に遠く見える本丸の狭間を睨みつめている者もある。  崩れるように、源五右衛門は、馬の背からすべった。 『方々』 『…………』  悲痛な顔が、地上から、源五右衛門の方へ一斉に向いた。源五右衛門も、膝を折った。 『遂に、来るものが来ただけだ。殿様にも、お覚悟の上であることは云う迄もない。──この上は、一刻もはやく、お国表の大石殿へ、一番早駕を立てることが急務だが、誰がよいか?』  見廻しながら、同僚へ計ると、 『私が参りましょう』  萱野三平が、遠くで云った。  すぐその後から、 『拙者も!』  と、早水藤左衛門が云う。 『では、御両所へたのむ──すぐこの場から即刻ですぞ』 『勿論です』 『殿様の御処分や、その他、分り次第に、刻々、二番早駕、三番早駕と、後を追って御報告申し上げるが──と大石殿へ申されたい』 『承知しました』  と、早水と萱野の二人は、その日の裃熨斗目のまま、駒に飛び乗って、町へと鞭を打った。そして八ツ山口の問屋場から早駕を仕立てさせ、 『夜でも、昼でも、雨や風でも、一刻も休まずに肩継ぎいたせ。──播州赤穂の城下まで』  今朝は夢にも思わなかった故郷の空へと、そして、かかる事とは夢にも知らない故郷の人々へと──空虚な身と、顫く魂を乗せて、すでに、東海道を驀ッしぐらに駈けさせているのであった。  その一番早駕を立たせた後──。  片岡、堀部、神崎、その他の人々は、まだ、藁人形のように凝然として、大手御門下に立ちつくしていた。  主人の内匠頭に従いて、城内のお玄間控えまで入っている同僚がある。その人々が出て来たら、更に詳しい実相がわかるであろうと、暗澹たる心のうちに、強いて一縷の頼りをもって、待ちわびているのだった。  と──程なく。  お供先の建部喜六、磯貝十郎左衛門、中村清右衛門などが、悄然として城内から揃って出て来た。若い磯貝十郎左衛門の瞼が、紅くなっているのを見ると、誰もが、はっと恐怖的な動悸に打たれた。  しかも、その磯貝十郎左衛門は、主人が今朝帯びて行った大小を、胸に抱いて来るのであった。  あやうく、ほろりとしかけそうな同僚の眼が、同僚を迎えて、暫くは言葉がない。 『供方は、屋敷にひき取って、後刻の沙汰を相待てという仰せ付けです……』  十郎左はそう云って、主人の大小を、源五右衛門の手に渡した。骨にこたえる程、刀の重さが感じられる。まざまざと、主人の形相の見える気がするのである。 『是非のない儀……』  それを、空しい殿の駕籠に移して、総ての供道具を下に伏せ、一同は、力のない足を揃えて鉄砲洲の屋敷へ引き揚げて行くのであった。誰が、今日の帰りを、空駕籠に供して戻ると、予期していたろうか。 『──世は綯える縄のごとし……と、誰が云ったか。春が、身に沁みる』  ひとりが呟くと、 『まだ、辛いことがある。……夫人様のお驚きを考えるとな』 『うむ……。思うても胸が傷い』  誰の足も、進まなかった。一歩でも遅ければ、一歩のあいだ、夫人の悲しみを短くするように思えるからであった。 凶変戦  だが──夫人は既に知っていた。  木挽町の別邸に住んでいる内匠頭の実弟浅野大学が、紙のような顔いろを持って、 『姉上っ。……大変事が起りました』  と、彼女の部屋へ転んで来たのは、供方の者の帰り着く頃より、半刻も前であった。  夫人は、大学のあらい息づかいへ、眸を向けた、もうその時、すべてを知ったのであった。それが分らないような夫婦の生活は、一日とて過した事のない彼女である。  浅野一門の血は彼女にも濃い。三次の城主浅野因幡守長治の娘で、輿入をする前までは、 (栗姫さま)  と呼ばれていた。  深窓の人にめずらしい思いやりを下々に持っていた。又、聡明で、美眸であった。内匠頭とは何としてもふさわしい夫婦だと、一門から羨まれていたものである。  さすがに、恟ッとしたらしく、美眸の睫毛に、露のような戦慄をさせかけたが、もの静かに、 『大学様、おしとねを、お敷て遊ばしませ』 『それ所ではありません。……あ、兄上には、殿中で刃傷に及ばれたそうです。──即座に、田村右京太夫殿へ、お預けになられたとのこと』  夫人の顔は、象牙のように、白くなった。 『して、相手方は、どなたですか』 『まだ、その辺までは』 『殿様の御生死は、何うでござりますか』 『つい、聞き洩らしました。──老中のお召で、慌てて行ってみると、右の次第。屋敷の者一統へ、心得違いのないようにというお諭しを受けて、駈けつけたものですから』  澄み切って、涙もうかべない夫人の眼差が、きりっと、少し腹立たしげにうごいた。 『弟御様のおん身として、お兄上が、大事の場合、いかに慌てておいで遊ばしたとはいえ、相手方の名も、御生死も、お質しなく、唯、家中取鎮めのお申し渡しだけを受けて、お立ち帰りなされるとは、何としたことでございますか』 『……そうでした。……気がつかない事をいたしました』 『口惜しゅう思いまする。浅野の御一門には、主にも家来にも、左様な不覚な方は、居らっしゃらない筈でございますのに』 『申しわけありません』  赤面して、うろうろと、表方へ立ったり、奥へ来て、坐っていたりしているうちに、供方一同が、ひっそりと帰ってくる。  すぐその後へ、お目付天野伝四郎、近藤平八郎が、使者として来る。水野監物が見える。又、親族の戸田采女正や浅野美濃守などが駈けつける。  すべて、幕府の意をふくんだ、使者であった。 (──家中の者、心得違いのないように)  と、先手を打った諭告なのである。  親戚の采女正と美濃守を差向けてきたのも、幕府の巧みな抑圧だった。血族を以て血族を制する策に出たものである。 『今夕中に、鉄砲洲の藩邸を引き払って、一同立ち退くべしという厳命でござる』  従兄弟の采女正から、夫人へ、こう言い渡されたのであった。  切腹に、家名断絶と、領地の没収は、当然な附随条件である。夫人は、悪びれた容子もなく、家臣の代表者と共に、承知の旨を答えた。  同時に、美濃守の人数と、戸田家の臣が、屋敷の内外要所要所へ、厳しく警固についた。  足もとからもり上った海嘯のように、混雑は、急であった。変事を耳にした時から、殆ど、嘆息もさせて措かない急き方である。しかもこの驚愕と紛乱の間に、刻々と暮色は迫るし、傾きかける陽を追って、浅野の臣下たちには、捨てて措けない急務の処理がいくつもある。 第一は、辰の口伝奏屋敷の引継と、諸道具の取り纒め。 第二は、田村右京太夫邸へ、主人の遺骸引取。即時、泉岳寺へ埋葬のこと。 第三、刻々、国許へ事態の急報。 第四、青山別邸、鉄砲洲本邸の引揚。 第五、夫人の立退き。  次にあるものは離散である。主を失い、禄に離れ、行く的もつかない当惑の裡に、一夜にすべての処理をしなければならない──しかも取り乱して世の笑いぐさにならないような武士的な秩序の中に。  茲に、困った事は、安井彦右衛門と藤井又左衛門の両家老である。一藩の上席でもあり、年長でもあるから、当然、真っ先に立って万端の指揮に任じなければならない立場にあるのに、二人共、もう自分一身の事のみ案じているらしく、うろうろと、足も地につかない様子で、まるで、物の役に立たない。  夫人ですら、凛々しく、奥仕えの腰元たちを指図したり、用人達へ心得を諭したり、自身は、良人の居間を片づけたりして、心の処理を保っているのに──。 『何という家老共だ』  憤然と、神崎与五郎は、呟いていた。  すると、奥田孫太夫に、村松喜兵衛の二老人が、 『源五は、何うした』  足早に来て、訊ねた。 『片岡は、今し方、後を頼むぞと云って出て行きました』 『ム。……お見届けに』 『そうです』 『では──誰がよいか。原惣右衛門は』 『居りましょう』 『呼んでくれ』 『原っ』  与五郎が、廊下に立って呼ぶと、 『おうっ』  足軽頭の惣右は、汗の顔に、藁ごみを取ッつけて駈けてきた。村松、奥田の二老人は、早口に、 『原か。伝奏屋敷に参って、諸道具引揚げと、お役代りへの明渡の件、貴公に一任する、すぐ行けっ』 『承知しました』  惣右衛門は駈けて行った。大川に面している裏門をひらき、足軽、船手の人々を呼んで、十幾艘の小舟に、みな櫓を番えさせた。 『急げっ』  と、自分も跳び乗る。  千鳥の泳いでゆくように、舟の列は、道三橋下へと漕ぎ上ってゆく。  人夫、足軽、舟子まで狩り立てて、数百人が河岸から伝奏屋敷の門の中まで両側に立ち並ぶと、 『可し』  と、惣右衛門は、役宅の中から、三卿饗応の為に持ちこんであった浅野家の什器を、いわゆる手玉渡しに奥からどしどしと運びだした。  膳箱、陶器箱、褥、屏風、置物、衝立、幕、提灯、傘、飾り槍──あらゆる器物が手から手へと、激流のように吐かれて行く。  最後に、塵を掃き、水を打った。  竈の灰までを、きれいに掻いて、 『主人内匠頭に代って、饗応役に就かれる戸田能登守どの御家中に申し入れる。什器一切、引払いました故、お引継ねがいたい。後役の御就任、ご苦労に存じます』  迅かった。  一糸紊れない態度だったし、短時間のうちに引揚げて行った行動の迅速さに、能登守の家臣たちは、思わず、 『見事っ』  と、驚嘆を送った。  まだ、春の夕雲は赤かったが、惣右は、十幾艘の舳々に提灯を用意させて、八代洲堀を矢のように漕がせて去った。  ちょうどその頃──。  一方には、主人の遺骸を引取りの使として、お留守居建部喜八、用人糧谷勘左衛門、小納戸田中貞四郎、中村清右衛門、磯貝十郎左衛門などの同僚たちは、もう鉄砲洲の藩邸を出て、早くも噂の伝わった江戸の町々の人目に見まもられながら、芝の田村右京太夫の邸へと、真っ暗な滅失を、粛々と踏んで、かなしくも何処かの橋を、渡っている頃なのであった。 田村屋敷  花の愛宕山に、夕雲が紅かった。  網をかけた一挺の乗物が、足軽の棒と、厳しい槍組の武士に囲まれて、江戸城の平河口から、日比谷御門、桜田の辻を通って、芝愛宕山下の田村屋敷へ着いたのは、もう申の下刻に近い。  邸内には、すでに、大工が来て、板囲いの一室が出来ていた。玄関からずっと、不浄筵を敷いて、網乗物のまま、そこへ舁きこむ。 『内匠頭どの。お出なさい』  網と、駕籠戸を払われて、 『……御大儀』  微かに、一言洩らして、内匠頭は、外へ出た。 『お持物、式服を、頂戴する』 『…………』  黙然と、うなずいて、彼はまだ着た儘であった大紋を脱ぎ、烏帽子、鼻紙、小さ刀、扇子など、すべてを揃えて、田村家の家臣に渡した。  小袖一重である。  囲いは、まるで罪囚の牢舎にひとしい。隅には便所までついているし、襖の外には、番人達のきびしい気勢がするのだった。  間もなく、膳が出る。  最後の箸を取って、湯漬をかろく三膳食べた。高窓には、もう夕星が見え、辺りには暮色が立ちこめてきた。  箸にかける白い飯粒も、軒端の星も、すべてが、終りのものである。内匠頭は、今日の朝と夕べとが、百年の隔たりがあるように思えた。一瞬の後には消えてゆくと極まった身というものは、思いの他、心やすい気がするのであったが、ふと、思いを妻の上に馳せ、臣下の者の誰彼にめぐらすと、卒然と、五体が涙に溺れる気がした。 (済まない!)  という気もち。 (ゆるせ)  と心で掌をあわせる程な気もち。  そして、密かに自らを慰めるものは、 (あの妻だ、あの家来達だ。わかってくれるに違いない!)  という事であった。  唯、唯、唯。  何としても掻き消えない一点の心残りは、かほど犠牲を抛ったひと太刀も、空しく、あいてを逸して、どうやら、浅傷の程度に過ぎないことだ。  多門伝八郎という心ある武士は、自分の心情を見抜いて、吉良の容態を、 (養生はかなうまい)  と云ってはくれたが、江戸城からここへ移る迄の間、幽室の壁も、密閉された駕籠も、自分の全神経そのものとなって、諸士の気勢や囁きを聴きすまして居たのである。吉良が、つつがなく退出したこと、御前ていもよく、見舞の典医まで派遣された事──。なんで分らずに居るであろうか。 『残念……』  呼吸のある限り、その一念だけは何うすることもできなかった。聖でも君子でもない。凡人の煩悩である。 『挨拶人、居らるるか』  囲いの外へ、声をかけると、 『これに居ます。何ぞ御用でござるか』  田村家の生田孫惣が外から云う。 『されば、生前に、家来共へ、一書つかわしたく思うが、苦しゅうはあるまいか』 『お待ちを』  と、返辞が途切れて──暫くしてから、 『唯今の願い事、主人一存にては、取り計らいかねる由でござる』  と、膠もなく、突っ刎ねた。 『……では』  内匠頭は、唇を噛んだ。無限の感慨が、その面に漲っている。他家の陪臣づれから、こんな酷薄な言葉を投げつけられたのは、三十余歳の今日まで、初めて身に沁みた事なのであろう。  が──更に辞を低くして、 『恐れ入るが、一言、口上をもって、お伝え賜わるまいか』 『お上へ、伝達の上でなくては、何事も致しかねる』 『然らば……覚え書一通、お書きとり願って、目付衆まで、伺って戴きたい』  やむなく、挨拶人は筆を執って、 『仰せられい』  と、渋々、聞き書きを認めだした。 『──此段、予而』  内匠頭は、眼をとじながら云う。 『それから』 『──知らせ申す可候え共、今日』 『次』 『──已むを得ざる事の候故、知らせ不申候。不審に存ず可候』  と、文言を切って、 『それだけでござる、右を、家来片岡源五右衛門、磯貝十郎左衛門、と申す者へ、お伝え願わしゅう存ずる』  後に、彼の思いは届いて、この云い写しの遺言は、源五右衛門の手から、国許の大石内蔵助の胸にまで運ばれた。 『おゆるしあるや否や、分らぬが、預かり申しておく』  挨拶人の生田孫惣が、硯箱へ筆を落した時、玄関の方が騒めいて、 『御検使!』 『お出迎えを──』  と云う声が、氷をわたる風のように、ぴいんと冷たく聞えた。 水裃  大目付荘田下総守を大検使として、副使多門伝八郎、大久保権右衛門の三名は、介錯人、その他十人を従えて、 『御免』  と、真っ直に、大書院まで通った。  右京太夫は、挨拶に出て、 『用意は、整いました』  と、云う。 『さらば──』  大検使以下の者は、すぐ、その場所へ行ってみた。──白い幕が、黄昏の庭に揺らいでいた。畳三枚に、毛氈が敷いてある。 『これは、腑に落ちぬ御用意……』  と、検使の伝八郎は、眉をひそめた。  彼は先刻、殿中で直諫した為、謹慎を命じられていたのであるが、当番役ではあるし、初めから吟味にも当っていたので、譴責を解かれて、副使として臨んだのであった。 『右京太夫どの』 『はっ』 『今日のお預け人は、一城の主でござるぞ。官位を召し上げられた訳ではなく、武士道のお仕置を仰せつけられた者、それを下人同様、庭先に於て、切腹させるお心得か』 『はっ……』 『武門の作法にあるまじき扱いと思う。御所存があらば、承わりたい』  極めつけると、 『あいや──』  と、下総守が横から引き取って云った。 『庭先でも差つかえござるまい』 『なぜ?』  怫然と、伝八郎が、問い詰めると、 『大検使たる此方が、差つかえなしと申すからには、無用な贅言、お控えなさい』  上役の権威を誇示して、睨めつけるのであった。伝八郎は、争うことの愚を悟った。荘田下総守といえば、柳営でも人の知れる柳沢出羽守股肱である。吉良を庇うために感情的になっている出羽守の代弁者と、いかに、争ってみた所で、軽輩の云い分が通るはずはないのである。  ところへ、表方の取次人が、 『殿にまで』  と、右京太夫の側へ寄って、何か、低声で告げた。  右京太夫は、当惑な顔いろをしながら、 『御検使まで伺いまする』 『何でござるの』 『先刻から、内匠頭の家中、片岡源五右衛門という者、邸外に立ち迷って居り、何と申すも、いっかな立ち帰らず、是非是非主人に一目会わせてくれいと云い張って、当家の者共も、当惑の由にござりますが、願い出の儀、如何いたしたものでございましょうか』 『さ? ……』  下総守は、横を向いて、答えない。  伝八郎は彼の顔を見て、返辞を求めたが、要領を得ないので、よしっ明日に官禄を捨てるとも、せめてこの一つはと、意を決して、 『よろしかろう、武士の情、拙者が承わっておく。会わせておやりなされい』 『はっ、では』  と取次人は、足早に戻って行った。  床几や、福草履が、庭先に出される。検使役三名は、内匠頭を小書院に呼びだして、 『上意──』  の奉書を申し渡した。  すぐ、検使以下、すべて、各〻の位置につく。  内匠頭は、謹んで上意をおうけした後、水裃に、同じ無地の水袴をつけた。  袴の紐を、三度まで結び直していた。──少しでも乱れていては、恥辱である。又、死骸となって相見えるであろう家来共に、やはり最期には心が乱れたかと思われては恥かしい。健気な妻にも、こう結んだぞと、見せて欲しい。 『よし』  と、気に入った結び目をながめて、内匠頭は、坐った。  ふしぎな程、清々しい。  ふと、妻が立ててくれるいつもの淡茶の味を思いうかべた。──今頃である。つかれて帰る夕方を慰めてくれる一服の茶。何年のあいだの夫婦の習慣であったろう……。 『浅野内匠頭!』  静寂を破って、呼び出しの声がかかる。 『──お支度っ』  峻厳な声が、どこからか促した。  静かに、検使一統の席へ、目礼して、 『……御案内を賜われ』  すっと、水裃が、水のように立った。  導かれて、小書院の廊下を、五歩、十歩、袴の紐下に両手をあてて、やや俯向き加減に、運んでくると、藍を落したような縁先の夕闇に、何者か、凝と、飛び縋らないばかりな二つの眼をもって、大地に手をついているのであった。 (あっ? ……)  内匠頭は、ぶるると、脚の関節をふるわせた。湖のごとく澄んでいた心のうえに、突然、暴風のような欣びと、おお、とさけんで、全身を与えたいような疼きとが、鬢の毛の先まで駈けて、怺えようとしても怺えきれない戦慄になるのであった。 『と! ……殿! ……』  ひくい、強い、声とも、嗚咽ともさだまらない、声であった。  内匠頭は、しばらく、無言のままである。欣びと云っていいか、悲しみといっていいか、人間の血液が奏でる最高な愛熱と、複雑な感激の暴風に心を吹かれて、唇をひらくことが出来ないのであろう。  やがて、常と変らぬ、穏やかな語音で云った。 『源五か』 『……は。……はいっ』  春の夕べは、もう闇である。  チラ、と廂のあたりから、白いものが舞い落ちてきた。  風に送られてきた愛宕山の花か、そこら辺りの吉野桜か。源五の背にも、一片とまっていた。 『よう……尋ねて参ったの』 『…………』  源五の骨ぶしが鳴るのが聞える。源五の涙の音が聞える。──その眼へ、きっと、最後のつよい眼を与えて、 『……さらばだぞ』  内匠頭は、しずかに胸をのばした。  ス、ス、ス、と耳から抜けてゆく水袴の衣ずれへ、源五は、嬰児のような惜別にもがいて、わっと声のかぎり、泣きたかった。 風さそう  死の座には、白い二方幕が、春の無常と、この夜のあわれを、地上三枚の畳に囲んで、それへ、音もなく坐った人を、宵の星が、見つめていた。  警固の者、検使役、介錯人など、人は邸上にも邸下にも満ちてはいるが、咳声する者はない。 (……明るい夜だの)  何となく、内匠頭は、そう思う。  邸内の灯と、空の星とが、何か自分を迎えている。なるべくは、にこッと、笑顔をもって死んでやりたい。  そんな事も、ふと思うのである。  源五右衛門の顔を一目見たことは、予期していなかった事だけに、最大な欣びであった。眼から眼へと、自分の伝えたい意志はそっくり彼へ預けてしまったように、心がかろくなっていた。  たった、一つの残恨も。 (それさえ……それさえ、家来共に届けば)  と、眼をとじたが、すぐ左右を見て、 『お手数ながら、料紙と硯を』  そして、風にうごく懐紙の耳を、小指で抑えながら、書きながした。 風さそう 花よりもなお われはまた 春のなごりを いかにとやせむ  下に置いて、 『もう一儀、最後の御仁恕を仰ぎまする、私、差料の刀を介錯人へおさずけねがいたく、使用後は、そのまま介錯の者へ遣わしたく存じますが』  大検使は相かわらず頷かなかったが、両検使が、 『苦しゅうあるまい』  と云ったので、内匠頭の望みはかなった。  と同時に、介錯人の磯田武太夫はそれを提げて、 『御用意』  と、内匠頭の後に立つ。  彼は、人々へ、目礼を送って、徐々と、作法していた。水裃の前を外して、三方をいただくと、すぐ、小刀を執って、 『御介錯、ご苦労に存ずる』  と、云った。  鞘を出る刃の音が、背なかで、そっと辷る。  からと、水桶に柄杓子が鳴った。 『御用意、よろしいか』  武太夫が、二度目の声をかけた時には、もう内匠頭の髻は自分の胸を噛むように俯ッ伏して、水裃の肩先が、蝉の羽のように打ちふるえていた。  一瞬の真っ暗な瞼に、無数の玉虫のような光が、赤く、青く、白く、紫に、緑に、おそろしい迅さで渦を描いた。その斑の一つ一つが、妻の栗姫の顔であり、赤穂の城であり、父の義直であり、まだ幼い内蔵助の丸い笑顔であり、故郷の本丸に実っている柿の実であり、そしてまだ乳母の懐に抱かれていた頃の自分のすがたであると見たせつなに、  びゅるんッ!  白い刃は、水玉をちらして、三十五年の生と、永劫の死との間を、通りぬけた。       ×   ×   ×   ×  大検使以下公儀の者が、ぞろぞろと退出した後、 『こちらから──』  と、田村家の家来が、内からひらく脇門の戸を、遅しとばかりに、庭内へ走りこんで来たのは、まだ外の明るい頃から待ちしびれていた浅野家の人々だった。 『庭石が多うござる、お躓きなさるな』  ゆらゆらと、提灯の明りが、先に立って導いてゆく。──白い二方幕の上に、高張提灯が掲げられていた。 『おお!』 『殿ッ』  わらわらっと、その中へ、駈けこむがはやいか、磯貝十郎左も、建部喜六も、片岡源五右衛門も、がばっと、俯つ伏したきり、地へ食い入るような嗚咽をしていた。  白い蒲団の下に、遺骸は、平べったく横たわっていた。離れた首は、左の肩先に横向きに添えてある。涙ながら、人々は、柩に納めた。  田村邸から、遺物として受け取った、小さ刀、懐紙、扇子、足袋なども。  磯貝十郎左は、その足袋を持って、顔に押し当てながら泣いていた。十四歳の時からお小姓に上って、 (洟を垂らすな) (帯が解けておるぞ)  と、主人に仕えるというよりは、主人に育てられたこの身であった。しかも、この足袋は一度でも家来を蹴られたことがない。  蜻蛉頭のむかしに回って、十郎左は、声をだして泣いていた。 『叱ッ』  と、誰かに、叱られる迄は。  源五右衛門が、又、 『見ぐるしい』  と云った。そして、浅野家の提灯を先に、柩に従いて、歩きだした。  路地路地の暗がりから、密かに、見送るものは誰だろう。それも、公儀を憚って、明らさまに、顔も姿も見せることはできない。  泉岳寺では、わずかに家臣の通夜で、しめやかに誦経の弔いが済まされたに過ぎなかった。 帰る片鴛鴦 『殿様には、唯今、お見事にすみました』  田村邸の様子を見届けて来た家来の者から、そう聞くと、夫人は、 『安心しました』  と、微かな声で答えた。  今宵のうちに明け渡す鉄砲洲の屋敷は、塵一つないように、夜までに、清掃されていた。  今朝良人の見ていた軒の桜花がこぼれてくる。ゆうべ、良人と聞いたであろう屋敷の裏の川波の音が、今宵もひたひたと石垣を打っている。  いつまでも、彼女は、そこに坐っていたい気がしてならなかった。  表方では今し方、第二の急使として原惣右衛門、大石瀬左衛門の二名を、赤穂へ立たせて、自分の立ち退く支度をしているが、すでに、自身の離散を急いだ者もあるらしく、常よりは人数もぐっと減って、開け通した屋敷の中には、川風が、往来のように吹きぬけてゆく。 『妙。……妙……』  呼ぶと、十六、七の侍女が、夫人の前に、指をつかえた。 『お召でございますか』 『後へ、廻って賜も』 『はい』  お妙が、うしろへ坐ると、夫人は、膝においていた懐剣を彼女へ持たせて、 『この黒髪を、切ってください』 『えっ……。それは、夫人さま、お実家へお帰りあそばしてからでも』 『何日かは、切る髪。せめては、殿さまの御生害の今宵に切りましょう。……なぜ、手を退くのですか』 『はい』  お妙は、夫人の背へ涙をはふり落しながら、黒髪を切ると共に、ばさっと、それを握ったまま畳のうえに泣き伏した。 『あっ……』  そこへ来た奥田孫太夫は、眼を瞠った。けれど、何もいわずに、迎えに来たことだけを告げた。  実家は、南部坂の浅野土佐守である。今宵からは、片鴛鴦の独り住む一室を、其処と定められたのだった。 (さらばです……)  川波の音よ、庭の木々よ。  彼女は、半生の住居へ、心のうちで、別れを云って、実家から来た迎えの駕籠のうちへ隠れた。  さびしい提灯の光の下に、その人々も今宵かぎり、行く先を定めずに離散する老臣から若い小者の端までが、地に手をつかえて、見送っていた。  先には主人との死別。──今は若き夫人との生別を、一夜のうちに為ようとは。 『では……お身を御大切に』  家来一同のことばと共に、駕籠は上った。──そして二足三足、静かに揺れ出した時である。閉じこめてある青い塗扉のうちから、初めて、泣くのを許されたかのように、彼女の咽ぶ声が、春の闇夜を、よよと洩れて行った。 五日韋駄天記 難所折所  深夜の小田原の町を、六枚肩で二挺立ての早駕が、汗に嗄れた声をあげて、真っ黒に通った。  夜半ではあるし、喧嘩でも通るような跫音に、大戸を卸していた商家の潜りや覗き窓が、方々で開いて、明灯が洩れた。 『ほ……。今度は、浅野様の御家来らしい』 『えらい事になったなあ』  噂は、早駕よりも迅かった。この辺でも、今日江戸にあった事件をもう知っていた。  宿場宿場で人足の肩継をするので、交代の手間を費やさないため、早駕よりも前に、足達者なのが一人、絶えず先へ先へと駈けているので、未曾有な江戸の事件は、疾風のように東海道へ伝わった。  駕籠のうちは、事変の直後、一番使者として江戸を立った早水藤左衛門と萱野三平が、駕籠の天井から晒布の吊手を下げて縋り、頭には白鉢巻、腹にも白布を巻いて、乗っていた。 『駕籠屋っ、駕籠屋っ』  波の様に揺れる駕籠の中で、藤左衛門が先刻から呼んでいたが、多勢の掛声に消されて、駕籠屋の耳へ入らないのである。  誰も彼も、気が立っていたので、 『聞えないかっ』  藤左衛門は、駕籠の中で、足踏みをした。 『おうっ、お小用ですか』 『止めんでもよい。駈けろ』 『駈けています』 『今、ちらと、町家の者の声を聞けば──今度は浅野の家来だと云ったが──今度はと云えば、吾々の先にも、早打が通ったのか』 『そんなこと云ったかなあ』 『何藩の早駕だ』 『おおかた、御本藩じゃござんせんか』 『いや、芸州様でも、左様に早手廻しはないはずだ。合点がゆかぬ事ではある』 『それじゃ、他の御藩かな』 『他家の急使よりも、遅着したとあっては、国許へ対し、面目がない。もっと急げっ』 『無理だア、旦那』 『無理は承知じゃ、乗り手の身を、気づかいせずと走れ』 『江戸の伝馬問屋を立ったのが、かれこれ、昼の八刻頃(二時)ですぜ』 『そうだ』 『冗談じゃねえ、小田原まで二十里二十一町を、半日半夜で来ているのに、まだ遅いと云われちゃ、馬に生れ代って来なけれや追いつかねえ』 『どこの藩か知らぬが、吾々より一歩でも迅いものがある以上、此方は、遅れて居るわけだ。追い越せっ』 『旦那あ! 助けてくれっ』 『拙者を、振り落してもかまわぬと思って駈けろ。金はくれるぞ、酒代ははずむぞ』  おなじように、後から来る萱野三平も、駕籠のうちから、人足たちを激励していた。  湯本の立場に着くと、もう先触が通っているので、肩継人足が二十人近く、息杖をそろえて待ちかまえている。それへ、 『えッさっ』  と云って渡すと、 『ほいっ』  と新手の人数が受ける。  駕籠尻を地にもつけず、人間の肩から肩へと移されて、途端にまた、駈けて行くのだった。  三枚橋から山道になる。  街道第一の難所なのだ。人数もずっと増し、舁ぐというより持ち上げるように、真っ暗な嶮路を登って行く様は、この箱根山でも滅多にない非常事だった。えいや、えいやという汗の声が、谷間に谺を呼んで物々しい。  畑宿の伝馬宿でも、高張提灯を出して起きていた。ここでは使者の二人へ粥をくれた。  何処かで鶏が啼いていた。まだ夜明けにはだいぶ間のある筈だ。今が天地の真の闇であるように、須雲川の水音ばかりが轟と遙かに耳につく。  一椀の粥をすする間にも、ふと、今日の大変をおもうと、藤左衛門も、三平も、胸がつかえた。昼間からの事々が、走馬燈のように頭の芯を翔けめぐる。それから幾刻も経たないうちに、こうして箱根山の深夜にあって、都会とは比べものにならない春の寒風が身に沁みている自分達が、何うしても夢の中にあるような気がしてならない。 『それっ、駕籠をやれ』  粥が胸を落ちないうちに、もう体は激しく揺れだした。割石坂、女転坂と、道はいよいよ嶮しくなったが、畑宿から頂上の箱根宿までは、もう一里八丁、 『ひと辛抱だ』  人足達は、励まし合った。  藤左衛門は幾度となく、駕籠の後や天井へ頭を打つけた。白鉢巻はしているものの元結が刎ねて、髪はざんばらに解けかけている。  権現坂の最後の嶮を登りつめて、箱根宿の屋根越しに、湖水の光を見ると、 『出た、出た』 『お頂上だ』  歓呼して、関所前までの、平地を躍った。  日没から日の出まで、関所は掟通りの門限だった。まだ、仄暗いので、無論、そこの柵は閉まっていた。  打つかるような勢いで来た人足達は、門の際まで来ると、わっと云って、一斉に肩を抜いた。 『旦那方、まだ、往来が開く迄にゃ、少し間がありますぜ。今のうちに少し土を踏んでおきなすっちゃあ何うだね』  人足達がすすめるのを、藤左衛門も尤もだと思った。三平を促して、駕籠の外へ身を伸ばした。然し大地に立ってみると、大地が波のように揺れる気がして、物に掴まっていないと蹌めくような眩いを覚えた。 『あっ? ……早水氏。あれに、来て居るぞ』  駕籠につかまりながら、三平がそっと横へ顎を指したので、何かと思って、藤左衛門が振向いてみると、自分たちの群から五、六間離れた柵の際に、提灯を消して空脛を抱えながらうずくまっている四、五名の雲助と、一挺の早駕とが、同じように往来の開くのを先に来て待っているのであった。 半分道 『いったい、何処の藩だろう?』  二人は考えあぐねた。  内匠頭の従兄弟が美濃大垣の城主にあたるから、それか、芸州藩か、さもなければ、勅使に礼を欠いた件で、京都へのぼる公儀の急使か。  然し、それにしては余りに簡単過ぎると、藤左衛門が云った。公儀や大名の使者ならば、一人という筈がない。又いくら敏速な藩にせよ、浅野家以上に今日の事変を国許へ早く報らせようとする藩があろうとは考えられない。 『じゃあ、吾々の急用とは、関りのない旅人かも知れぬ』 『そうだよ。偶然、早打と早打とが、ぶつかった迄かもしれん』  それならば気にかける程の事はなかったと、二人は口を閉じて空を見ていた。待つ夜明けはなかなか白んで来なかった。眠ろうとしても眠れるものではないが、柵を叩いて関守を起してみたところで、無駄は分っている。  二人は、足馴らしに、そこらを少し歩いてみた。その戻りに、そっと、疑問の駕籠のわきを、さりげなく通って見ると、中から微かに鼾声が洩れてくる……。快げに、誰か、眠っているのだ。  すると、鼾声がやんだ。中の男は、身ゆるぎして、同時に、 『駕籠屋っ、肩を入れろ』  と、もういいつけた。  刎ね起きた駕籠屋は、途端に又、息杖を立てた。柵の内で、関所役人の跫音がして来る。気がつくと、湖水のほとりは、いつのまにか白々と朝凪をたてている。 『あっ、開くぞ』  藤左衛門と三平は、颯と駕籠へ入った。  何という敏感で又敏速さだろう。鼾声をかいて眠っていた駕籠は、柵が開くと共にもう先に、駈けこんでいた。そして役宅の方へ向って駕籠のまま、 『お聞き及びでもござろうが、昨日巳の下刻、江戸城内に於て、浅野内匠頭事、主人吉良上野介へ刃傷に及ばれ、そのため、主人の知行所、三州幡豆郷まで、急命を帯びて出向く者でござる。拙者儀は、吉良家の中小姓清水一学と申す者、輿中のまま往来御免くだされたい』  と、明瞭な音吐で云った。  すぐ後に続いて入って来た三平と藤左衛門とは、その声に、あっと耳を打たれた。吉良の領地は上州碓氷郷に千石、三河の幡豆郷は三千三百石あるとは予ねて聞いていた事である。わけても三河の地は吉良発祥の領土で、祖先代々の領民もあれば代官所もあり、当然、国元詰もいるわけだった。 『不覚』  と思いながら、彼の通った後、藤左衛門はすぐ役所の前へかかって、意味は同じだが、立場は全く反対な口上を述べた。関所役人たちは、十分な同情を眼に湛えながら、 『通れ』  と云った。  道は下りへ向って行く。  吉良と聞いては、二人とも感情が激さないでは居られなかった。意地でもと、人足たちを叱咜したが、三島までは、追い附く事が出来なかった。  伝馬問屋に着くと、朝の雑鬧の中に、再び彼の駕籠を見かけた。驚いた事には、その駕籠を出て、清水一学とよぶ吉良家の男は、悠々と、問屋茶屋の床几に腰を下ろしこんで、茶など啜っているのである。身装も平素のままで、早打扮装えなどは何処にも見えない。  三十歳を出たか出ないかの年頃だった。中高な鼻ばしらに一曲をしめして、苦み走った唇を太くむすんでいる。足も草履だった。 『婆、飯をな、すこし塩味を辛く握ってくれ』  と茶店の奥へ云う。  問屋の前は、今着いた二挺の肩代で人間が埋っていた。それに、刃傷事件の真相を少しでも知ろうとする往来の者だの、宿場役人だのが、浅野家の者と聞いて、がやがやと取り囲んで来て何かと訊きたがる。──それを冷やかな眼で清水一学は見ているのであった。  がぶと、茶を飲んでは、握飯を食っていた。 『旦那みてえな方は、見たことがない。駕籠じゃあ寝るし、飯は食うし……』  一学を下ろして、駄賃を受け取っていた駕籠屋は、呆れ顔をして、彼の態を見まもっていた。  問屋の軒先では、藤左衛門と三平が、 『粥は要らん、湯もよい、はやくやれ』  と、急きたてていた。  一学を追い越して、早打駕は並木に白い埃を立てて行った。然し藤左衛門は決して、それで心が済んではいなかった。清水一学とか聞いた侍の落着き払った眼ざしに、此方の狼狽ぶりを見透かされた気がしてならない。──それと、上野介のような主人にも、あんな小憎い面だましいの侍がいるのだろうかと、意外にさえ思われた。  二日目と三日目が長途の早打には最も苦しい時だという。頭脳は何も考えられなくなって、揺れ方がわるいと、嘔吐気がつきあげてくる。三平は時々、気付薬を口に頬ばっていた。前の駕籠の藤左衛門が、 『三平、大丈夫か』  と訊くと、元気に、 『大丈夫です』  と答えてはいたけれど、顔は、二日目の昼頃から蒼白になって、苦しげだった。  陽の舂きかけた富士川の水が、松の木の間から赤銅いろに見えて来た頃、吉原方面から、鞭を上げて来た騎馬の男があった。 『御免』  と云い捨てて先へ駈け抜けた。  後姿を見ると、清水一学なのである。彼の迅い理はそれで知れた。つまり随時に、駕籠になり馬になり、場合によっては、徒歩にもなって、江戸表からおよそ八十四五里の三河国幡豆郷横須賀村の領地を指して、変事と同時に、一気に急いで来たものであろう。  ちょうど、早水、萱野の目的地たる播州赤穂までの道程に比べると半分の里程に過ぎないが、それにしても一学の早打振りは精悍である。騎馬、歩術の修練も積んでおき、平常に身体を鍛錬している侍でなければ、なかなかああは成り難いものであると、早水藤左衛門は追い越された敵に、むしろ敬意に似たものを感じていた。  富士川の渡舟にかかると、愈〻追い越された距きは取り戻せなくなった。なぜならば早駕は何うしても渡船に拠らなければならないが、清水一学は、浅洲を拾って馬を乗り入れ、無礙に対岸へ渡ってしまったからである。 『何やら、忌々しゅう存ずる。此方も早駕を捨てて宿継ぎに、馬を代えて走ろうか』  三平はそう云って、青白く疲労した眉宇に焦燥を湛えたが、藤左衛門は年上だけに、渡船の上にある間も、なるべく休息を摂って措くことの方が賢明であると諭して、 『先は、八十里の道、此方は百六十余里の行程、日数や体のことも考えねば相成らぬ。まあ負けておこう』  と、嗤っていた。 吉良の氏子  十六日もまだ薄暗い未明の頃だった。──江戸を出てから約三十七、八時間後──急使の早駕は不眠不休のまま、三州額田郷藤川の宿場と、岡崎の城下の間にあたる松並木を、えいえいと、駈けつづけていた。  小豆坂を登りつめ、ふかい朝霧の中の岡崎の城を、夜明けの下に見出した時、まだ戸も開いてない茶店前で、 『やろうぜ』 『やろうやろう』  云い合していたように人足達は、駕籠を地に置いて、腕を拱んでしまった。  剃刀の刃の如く気の立っている萱野三平は、垂れを刎ねて人足たちを叱った。 『これっ、やろうとは何だ、迅く出せっ』 『一ぷく吸ろうってんだ、煙草休みよ』 『不埓を申せっ、宿次ぎ早駕の掟を知らんか。次の問屋まで休むことはならん』 『駄賃は其っ方物。体は此っ方物だ。自分の体で自分が休むのに、文句を云われて堪まるものか』 『おのれっ』  と、刀を掴んで。 『──其方たちは、故意に遅らす気かっ』 『遅らす気じゃない、通さぬ気だ』 『何っ』  三平が駕籠の外へ、躍り出したので、藤左衛門は驚いて、 『待てっ、逸まった事をするな。大事な使の途中だぞ』 『はっ……。ですが……余りといえば』 『何か仔細があるのだろう、拙者にまかせろ。人足共、金が欲しいのか』  藤左衛門が穏かに云って人足の顔を見まわした。然し何時の間にか、駕籠の周囲には、人足以外の百姓ていな男だの、老人だの、町人だの、郷士らしい者だの、およそ四、五十人も集まって来ているのであって、藤左衛門は自分の与えた言葉が、不用意でもあり、不適当でもあった事を知って、改めて、事態を正しく見直さなければならなかった。 『宿場の衆、この侍が浅野の家来かい?』  杖を携えた老人が、泥のついた杖の先で二人を指して、駕籠屋に訊ねた。  人足たちは、口を揃えて、 『うむ、此奴だよ、赤穂へ行く奴あ』  と云った。  無礼な視線を二人に浴びせかけて、群がっている雑多な人々は、ちょっと意味の酌めない方言で、口から口へ、何かガヤガヤと云い合っていたが、そのうちに河童のような頭をした素裸足の少年が、 『馬鹿野郎ッ』  と、罵って手に握っていた土を、三平の顔へ投げつけて、大人の後へ隠れた。  少年の罵倒が口火になって、それ迄は、単に、憎悪の眼で道の邪魔をしていただけの男女が、一斉に、 『赤穂武士じゃで、阿呆顔しとるわ』 『あの眼はなんじゃ、殿中で、人を斬りくさった、阿呆大名の家来めが』 『内匠頭やて、おおかた、気狂い筋であろう』 『ようも、上野介様を、斬りくさったの』 『御領主様の相手じゃ』 『相手の片割れじゃ』 『この街道通したら、他国に笑われるぞ』 『通すな、通すな』 『ここを通ろうと云うのが、押しが太い』 『頓馬ッ』 『撲ってしまえ』  八方から口汚い罵倒の暴風だった。百姓も云う、町人も喚く、女や洟垂らしの子供までが、面罵を浴びせかけて、云わして置けば限りがない。  その人々の興奮の程度に、三平も興奮していた。刀の柄をにぎって、怖い目をすえているので、藤左衛門は万一を惹き起してはならないと、その腕首を捕えて、自身を面罵の前へ押し向けていた。 『土民共、静かにせい』 『土民とは何じゃ。浅野家の米一粒食ったわし等じゃないぞ』 『まあ、穏かに聞こう。一体、其方共は、何処の者だ』 『吉良家の領民じゃよ』  と、寺子屋師匠らしい杖を持った先刻の老人が、昂然と答えた。  その杖を、また上げて、一方を指しながら、 『ここから南へ一里半、幡豆郷、乙川、小宮田、横須賀、鳥羽、岡山、相場、宮迫の七村は、足利氏の昔から吉良氏の領地じゃ──知らぬようだから教えておいてやろう。郷の北に八ツ面山というのがある。そこから雲母を産するので、遠い昔からこの地方を、吉良の県とよび、吉良の庄とも唱えてきたのじゃ。──御当代、上野介義央様まで、十八代七百余年、一度も、領主を替えたことのない吉良家の領民じゃ。戦国で成り上った新しい大名の分家筋などとは、ちと違うぞ。わかったか』 『うむ……してそれから?』 『聞けば、其方の主人内匠頭とやらいう浅慮者が』  聞くに堪えかねたとみえて三平が、 『老ぼれッ、無礼だぞっ』  と、弦のように、柄手の肱を張った。  藤左衛門は制して、 『黙っておれ三平。何か云い分でもあるらしい。朴訥な領民の声だ、聞いてやるくらいな寛度は持ってもよい』  寺子屋師匠の老人は、老人らしくない激越な語気ですぐ云いつづけた。 『御領主が、江戸城で、馬鹿者の刃にかかって、御重体だという噂が、わし等の耳に入ったのは、ゆうべの真夜半だ。──それからの領民の騒ぎ……いや、悲しみ……なかなかこんなものじゃない』  訥々と、痛心を吐く言葉には、どこか迫るものがあって、同じように、主家の崩壊に立っている藤左衛門は、敵の民とはいえ、惻々と、情に於て、共に、この悲しい出来事を悲しむ気もちにならないでは居られなかった。 『……御領主は老年じゃ。真額の傷、背の傷、浅傷とは聞いたが、御養生はどうであろうか。……折から、横須賀村の御菩提所、華蔵院には、御先祖法要のために、江戸表から夫人の富子様に侍臣小林平八郎様が従きそうて、先頃から御逗留中でいらせられた。──そこへの悲報じゃ、夫人のお驚き、又、百姓町人共の怒り方、この暁方へかけての騒ぎは、貴様たちに、見せてやりたいくらいなものじゃ』  三平は、渇いた口をむすんでいた。藤左衛門も黙然と、老人の説くのに任せた。 『それだけでも分ろうが、人は知らず、わし等が御領主は、わし等にとっては親のように思うているのじゃ。──七百年の永い間、民も変らず領主も替えられず、土に結ばれた君民じゃもの。それには又、上野介様の御仁政もあずかって力があった。一つ二つを云えば、矢作平の水害を治せられたり、莫大な私財を投じて、鎧ヶ淵を埋め立てて良田と化し、黄金堤を築いて、渥美八千石の百姓を、凶作の憂いから救い、塩田の業をお奨めあそばすなど、どれほど、民の生活に、心を労せられたお方か知れぬのじゃ。その他、上野介様の御代になってからは、寺の荒れたるは繕い、他領のような苛税は課せず、貧しきには施し、梵鐘を鋳て久しく絶えていた時刻の鐘も村に鳴るようになった程じゃ。その御恩徳が身にこたえている百姓が、江戸での大変を聞いたので、夜も明けぬうちから、氏神へ祈願に詣るもあり、華蔵院にある吉良家の御先祖の木像へ、上野介様のお手当がとどくようにと祈りに行くもあり、領土をあげての悲しみじゃ、恨みじゃ……』  縷々として、老人の言葉は尽きないのであった。  更に、声を励まして、 『その憂いと怒りに、さわいでいる幡豆郷から、目と鼻の先にあたるこの街道を、浅野の早駕が通ると聞いて、何で、村民どもが黙って見ていようぞ。この藤川の宿場へは、常に、助郷にも出ていれば、荷持や馬方の稼ぎにも、村から出ているのじゃ。気の毒ながら、吉良様の敵の臣を、大手を振って、通さすわけにはまいらぬわい。貴所がたも、折角の使に立って、怪我をしては役目が勤まるまい。後へ戻って、ほかの裏道でも廻って行くがいい』  自分たちの言い分を代表して貰ってでもいるように、老人の弁じている間だけ凝と大人しくしていた土民たちは、彼が言葉を切ると共に、 『いや、そんな事では腹が癒えんわ』 『憎い奴の片割れじゃ、袋叩きにしてしまえ』  と、一せいに犇めき出して、棒切れを持ち直したり、小石を掴んで、狂的な眼つきをする者もあった。 無刀禅  早水藤左衛門は、大勢の激昂した眼ざしへ、手をあげて、 『言い分はよく判った。だが、しばらく待て』 『ものなど云わすこたあない。卑怯者の家来め、殿中で、不意討ちするとは何じゃッ、意趣があるなら、なぜ他の場所で、男らしゅう喧嘩せぬ。作法知らずは、犬にも劣るわ、犬じゃ、畜生じゃ、手前等の主人は』  誰の顔よりも深刻に傷んでいたのは萱野三平だった。血走った眼をあげて、 『な、なんと云ったか』 『畜生と云うた、云うたが悪いか』 『ちッ、貴様たちに、何がわかる。わが君の御刃傷には、やむにやまれない理由があっての事だ。上野介の酷薄貪慾なことは、世上の定評に聴けッ』 『やかましいわいッ』  牛の草鞋が飛んで来て、三平の胸に穢いものをつけた。赫として、 『こやつ等ッ』  大喝すると、 『馬鹿ッ!』  と、又飛んで来た。  三平は、土を被せられて、愈〻感情的に、 『無智な土民と思うて、怺えていれば、つけ上って、悪口雑言、ゆるさんぞッ』  藤左衛門の手を振り捥ぎって、前へ出ようとすると、土民たちは少し後ずさって、動揺しながら、 『叩きのめせっ』  と、かえって、気勢を昂げた。  途端に、ばらばらと、小石や棒切れや草鞋などが、二人へ集まって来るのだった。藤左衛門は殆ど当惑したように、又自分までが、雰囲気に巻き込まれるのを心のうちで惧れながら、 『待て、鎮まれ。其方共の言い分もさることながら、御刃傷に就てとあらば、浅野家の側にも、十分言い分のある事。要するに、主君を思う心は双方同じことじゃ。われ等とても同様、おそらく内匠頭様御切腹、城地お召あげのお沙汰はまぬがれまい。その悲報をもって、何も知らぬお国許の人々へ、この大変を、一刻をも惜しんで報らせに急ぐ生涯一期の場合にあるのだ』  すると、前や後で、 『自業自得じゃっ』 『あたりまえだわっ』  唾するように、口々で猛る。  藤左衛門は、動じない姿だった。無智な者ほど純真なことを信じていた。諭すように、群集の顔いろを計って云い足した。 『後の御成敗は、偏に、お上様のお裁きにあろう。家来や、領民同士が、私闘をしたら、限りもなく、血で血を洗うことになる。──それでも、これが他の場合なら、おぬし達の言い分にまかせ、この街道を戻れというなら戻りもしようし、又、手をついて通れというなら手もつこう。然し、君公の大変を身に帯び、一藩の大事を担って使する火急の途中、しかも、事を構えた相手方の領民に阻まれて道を迂回したと聞えては、天下の衆に、又国許の人々に、われ等何として面が立とう。赤穂藩としての面目も欠く。されば、武士として一命を賭しても、ここは一歩も退けぬ。強って、通さぬとあれば、刀にかけて通るほかはない。然しそうしては、この度の大変を、いやがうえにも事大きくして、世上に嗤いの種を蒔くばかりだ。聞き分けてくれい』 『勝手なこと、云いさらすわっ』 『其方共とて、無益な怪我をしてもつまるまいが』 『脅しくさるぞ。何といおうが、通すなよ、皆の衆』  明々といつか夜明けの雲は展けている。やがてもう往来も繁かろう。時刻は遅れるのみである。  事ここに迫っては、無難にすもうとも思われない。藤左衛門も遂に、やむを得ない事態を認めないわけにゆかなかった。  だが、飽くまで、気色は静かに、 『然らば、宿役人をこれへ呼べ。或は、岡崎まで同行いたして、立会を乞うてもよい。何としても、一刻を急ぐ体、もはや、言葉の争いに、関っては居れぬ』 『痴けた事。宿役人の立会しようなど、常の争いと思うて居くさるのか』 『どうあっても、其方共は、聞き分けぬと申すか』  初めから穏かな藤左衛門が、少し胸を張って、鋭い眼を光らすと、これは萱野三平が刀の柄へ手をやったよりは、ぎくとしたとみえて、群衆は浮き腰になって、 『通すなっ、通すな』  叫び合いつつ、石を投げ初めた。早駕の人足達も又、息杖を振り被って、 『この野郎っ』  一つの杖は、三平の背後から来たし、三平は藤左衛門に肱をつかまれていたので、ぴしっと、肩を打たれた。  藤左衛門は、三平の手を放した。そして、 『斬るなっ、投げ飛ばすのだ!』  と云って、身を翻えした。  棒だの、息杖だの、竹槍だの、小石だの、わあっと、旋風になって、草埃りを巻きあげた。藤左衛門と三平は、身をもってその中へ突っ込んで行ったが、十歩押せば、十歩押し返して来る。触れる者は、投げつけたり、蹴ったり、突いたり、六臂になって働いてはみるが、それとても、眼に余るほどな人数であるし、騒ぎを知って加わる弥次馬が殖えるとても減りはしない。  脅しに白刃を見せたら、或は脆く逃げ散るかも知れないと思ったが、土民とはいえ、領主の身を思っての赤誠であってみると、案外、そうでないかも分らない。万一、それでも頑強に抵抗して来たら、勢いの赴くところは、自分でも推し量り難い。 小豆坂 (一滴の血でも、ここで流してはならない)  と、藤左衛門は、臍に誓った。血を見たら、衆は衆を呼ぶだろうし、駅路の規定にも触れ、吉良方に加担の役人でも出たら猶更の事だ。遅れた上にも、日数に暇どってしまうだろう。  と云って、この真っ正直で、頑迷で、領主思いな土民を、何うしたら血を見ないで追うことができよう。長途の早駕に、体は綿のごとく疲れているし、わるくすれば、此方が危ない。  百難の渦と泳ぎ闘っている気持だった。この際、藤左衛門の丹田にあった信念は、唯、侍の道の、「善を尽して後やむ」であった。生死はほかの問題である。  捨て身になって、彼と三平とが、土民たちを痛めつけるほど、純樸は、野性に返る。兇暴になり、盲目的になって、 『たたっ殺せ』 『撲り殺せ』  と、凄じいものをあらわした。  すると、その真っ黒な人数の一ヵ所から、 『退けいッ、退かぬかッ。退かぬ奴は、此の方が相手にするぞ、しずまれ!』  呶鳴りながら、格闘の中心へ、逞しい体を割りこんで来た者がある。藤左衛門と三平の前に、両の手を大きくひろげ、血相の変った大勢の顔を睨めまわした。  土民たちは、侍の姿を見ると、あわてて獲物を退いた。 『帰れっ』  と、侍は厳格に云った。 『情は酌むが、其方共の立ちさわぐ筋合いではないのだ。殊に吉良家としては、御領地も安全なら、殿様も御一命にさし障るほどではない。むしろ、不愍なのは、浅野の臣下だ。その使をここで酷めちらしたとて何うなろう。──通してやれ、わしの顔に免じて通してやってくれ』 『…………』 『な、分ったか。半日の間も、畑の耕作や、各〻の仕事を休んでくれるな。百姓あっての御領主だ。おまえ達がこんな事で鍬を捨てて騒いだ日には、世間が枯れてしまう。──わしに任せて帰れ、な……帰ってくれ』  初めは、峻厳だったが、語尾には、やさしい感謝をこめて諭すのだった。土民たちは自から首を垂れ、そして、棒切れや竹槍を捨ててしまった。何か、密々と云い合うと、その侍へ一礼して、端の方から立ち去ってしまった。  それを見送りながら、口の裡で、 『可愛いものだ』  と、侍はつぶやいた。  そして一揖しながら、改めて、藤左衛門と、三平の二人へ向って、 『──その可愛いものを持つ大名であるにつけても、この度の浅野内匠頭殿の致され方は、まことに遺憾だった。御家中方のお気持も、お察し申しあげる』  と、云った。  そう云う顔を凝と見て、藤左衛門も、心で、あっと思った。 『其許は清水一学殿ではないか』 『道中では、度々、失礼いたしました』 『ううむ……』  思わず藤左衛門は呻いてしまった。  ここの領民といい、この侍といい、羨ましいものだと思った。同時に、今まで自分達の頭にあった吉良上野介という人物を、一応も二応も、考え直してみなければ、分らない気がして来た。 『しまった』  清水一学は、二人へ挨拶すると、すぐ早駕の方へ、眼をやって、舌打をならした。 『うっかり、帰れ帰れと、追いやったので、宿継人足までが、去んでしもうた。──御両所、何う召さるか』 『お計らい、辱けない。はや見えている岡崎の城下、問屋場まで、徒歩で駈けても、仔細はござらぬ』 『では、お急ぎなされたがよかろう』 『然らば、通っても?』 『天下の大道』  一学は、顔を上げて、明るく笑った。青い顎髯の剃り痕の中に、健康そうな歯並みを、奥まで見せた。  三平は、その顔を、凝と見ていたが、 『拙者は、浅野家の小臣、萱野三平と申す者、お扱いの儀、有難う存ずる』  と、感激して、名乗った。  早水藤左衛門も、名を告げて、 『それでは、火急の場合故』  空駕籠から、持物を出して、脇に抱えると、 『左様とも、一刻も早く』  と一学は、促した。 『ふたたび、お目にかかる折もなかろうと存ずるが……』 『いや』  一学は、うすく笑って、 『又、会う折が、あるやも知れぬ』 『御免』  と、二人が走りかけると、 『萱野氏、萱野氏』  一学が呼びかえした。 『はっ、何ぞ?』 『袴腰が、解けかけて居りますぞ』  と教えて踵を廻らすと、もう小豆坂の方へすたすたと歩いて行く一学の後姿であった。 この世の辻  食物も、眠りも、あらゆる意欲のない空間を、ただ揺られに揺られて行く早駕の中の昼夜が続いた。  まったく、病人の顔色である。心得のある藤左衛門も、さすがに、晒布の吊手にすがったまま、三日目は、眼を閉じたきりだった。 『浅野だ、浅野の早駕だ』  と何処を走っていても、人のある所にはそんな声が聞えた。城下は勿論、世評は挙げて、江戸で勃発した刃傷事件で持ち切っている。  内匠頭の為た事を、武士として、当然だとする者もあるし、短慮である、世間知らずの坊ンチの癇癪だと、非難する者もかなり多い。  殊に京都を横ぎる際には、 『不敬者の家来や』  と、云う痛い声が耳を突いた。  勅使の御馳走人でありながら、刃傷に及ぶなどとは、近世の大名が、平素に、幕府のあることを知って、朝廷をわすれているから、こんな事も出来するのだという評なのである。  吉良へ対しても、 『あれは、公卿扱いに狎れた、摺れっからしやで』  と反感は昂まっていたが、不敬という譏りは、加害者の内匠頭の方へ、当然傾いていた。  藤左衛門は、愕然として通った。  まだ、正しい噂ならいいが、上方には、ずいぶん飛んでもない誤報が伝わっているらしく、駕籠へ、石をぶつけた往来人もあった。そうかと思うと、戦でも始まるような風説を流す者もある。その説は多く、何か世間の乱れを待っている不平や浮浪者の群から出ていた。  とにかく、世間は異様に興味をもった。眼をそばだてて二挺の早駕を見送った。二人は天下の眼の中を、眼を閉じて、駈けるのだった。  三平の駕籠の内では、時々嘔吐気につきあげられるような声がしていた。平常から神経質な性で、健康な方ではないらしい。か細い肉体に、情熱の方が勝っていた。それだけに優美な青年でもあったので、内匠頭にも、十三歳の頃から小姓として愛されていたし、友人間からも好ましがられていたが、今度の急使のお役目には、藤左衛門は自分の身よりも絶えず彼の身の方が、案じられていた。  その萱野三平の生れた家は摂州萱野村にあった。代々の郷士であって、屋根に草の花が咲いている古い土塀門の構えが、ちょうど、東海道の往来に向って建っていた。 『おお……故郷だ』  早駕が、その街道へかかると、三平は、無量な感に打たれていた。  覚えのある柿の木がある。幼い時に見たままの味噌屋の土蔵だの、綿屋の暖簾が、平和な春の風にふかれて見える。  ここのお陣屋の大島出羽守の推挙で、赤穂へ御奉公に出たのが、十三の年の、ちょうどやはり今頃だったと思う。町は、その頃と、ちっとも変りがない……。  その十年一日のような故郷を、主家の激変に遭って今、ここを早駕で通る息子があろうとは、恐らく、生家に余生を送って居られる父も知るまい。母上も、御存じあるまい。  そんな事を、混沌と、眩いの頭で描いている間に、小溝に沿った粗土の土塀が、駕籠の外に、ちらと見えた。 (わが家だ!)  彼は、垂れを刎ねあげて、思わず外へ首をのばした。  茶褐色の塀が、眼の前を惜しく流れてゆくと、すぐ、表門が、顔の前へあらわれた。  その門前には、造花の蓮華だの、白張の提灯だのが出ていて、小紋の短か羽織を着た田舎人だの、編笠をかぶった紋服の人々だのが、大勢、陽溜りの往来に佇立んでいた。 『やっ? ……わしの家に』  ぷうんと、香華のにおいが、三平の顔をかすめてくる。  白無垢を着た人々の泣いてる姿が、暗い門の陰に、ちらと見えた。葬式の輿をささえた人足たちが、ちょうど、それを今、担い出そうとしているところだった。 『早駕が通る』 『あぶない』  会葬者が、制し合って、道を避けた。すると、僧のうしろで、涙を拭いている白無垢姿の若い娘が、 『あれっ──兄さん! ……』  会葬者は、吃驚した。  娘はもう三平の早駕に飛びついて、人目もなく泣き仆れているのである。気が狂ったのではないかとさえ人々は疑った。 『妹かっ』  三平の声も調子外れに響いた。 『兄さん! ……兄さん! ……。下りてください』 『誰が死んだのだ』 『お母様が……』 『げッ、母上が』  よよと、妹は泣き顫えた。  弓のように腰は曲がっているが、まだ頑健さを、肩の骨ぐみに失わない老武士が、紙緒の草履を静かに運んで来て、 『三平か』  と、覗き下ろした。 『おお、父上にござりますか』 『何うしてここへ来た』 『御公用で、ゆくりなく』 『あらそわれないものだ、ゆうべが、おまえの母の通夜だった。今年、五十二よ。まだ死ぬ年じゃないが、おまえに似て、細っこいでな、病死じゃ』 『御孝養も申し上げず』 『何、よろこんで死んだわさ。貴様も、内匠頭様の中小姓とまでなって、追々と、お覚えもよいと聞いてな……』 『は、はい』 『だが、早駕とは心がかりな。殊に、貴様の血相も、ただ事とは思えん。何か、あったか』 『まだ、お耳には』  この辺にも、当然、噂は来ている筈だ。思うに、近親の者たちが、連れ妻を失ったこの老父に、更に息子の仕えている藩の大変を知らせては、余りにも傷ましいと考えて、秘していたのかもわからない。 『──いずれ、其儀に就ては、後より詳しく、御書面で申しまする。一刻を争って、お国表へ急ぐ途中、母上の御棺側をも仕らず、心苦しくは存じまするが』 『御奉公が大事だ、行け』 『はい』  三平は、駕籠も出ずに、駕籠の中から、母の柩に掌をあわせた。藤左衛門も、前の駕籠にて、同じように、そっと掌を合せていた。 煙硝番  山は暢気だと云っては、みなよく来る。ゆうべ、家中の若侍たちが、一升提げて、やって来たので、この番小屋で、平家琵琶を弾じるやら、陣中節を謡うやら、大賑いをやった。久しぶりで、横川勘平は、浩然と、無聊を慰められた。 『寒い……』  気がついて、身ぶるいを覚えながら、小屋の中を見まわすと、有明燈の油は絶えなんとしているし、一升徳利は横に寝ているし、人も非ず、炉に火の気もあらず、自分は、着た儘で、うたた寝をしていたらしい。  涎が、肱に濡れていた。 『ああ、渇いた』  むっくりと、起き上って、伸びをする。  毛の生えている拳が、小屋の天井を突きぬけそうだ。  横川勘平は、身長六尺ある。十人力という評判であるが、実際それぐらいはあるかも知れない。この番所住いでは兎に角、窮屈に出来上っている体格だ。丸っこい顔に、どこか子供っぽい眼をしていて、それで毛が強いので、髯を剃った後は、よく顎に血をふき出している。 『わあっ、寝た、寝た』  独りで、愉快そうに云って、どす、どすと土間の方へ歩いてゆく。  下駄を、足で探って、突っかけると、番所小屋の戸をがらりと明けた。 『なんだ、まだ暗いのか』  明けただけの空に、星がいっぱいだった。しかし、面に触る空気はもう夜明けを感じさせる。  ここは、赤穂城のうしろにある脇山の頂きだ。藩の煙硝庫があるので、見張人が詰めているわけである。横川勘平は、五両三人扶持の軽輩で、役名は徒士、仕事は、この山の上の煙硝番だった。  小屋の横に、小屋を建てる時に切り崩した崖がある。そこから冷たい清水が湧いていて、筧で台所へ引いてあった。  勘平は、竹樋を外して、 『がぼっ……』  と、水を鳴らして、口へ入れた。 『あ、わ、わ、わ、わ』  嗽いをして、虹みたいに吐いた。  それから、番所の前の崖際に立って、両方の手で、大きな脇腹を抑えた。屈んでみたり、反ってみたり、首を振ってみたりしている。何をやっているつもりか、彼の料簡はわからない。  雲の裂け目が、鰹の皮のように青く光っていた。  闇の底から白いすじが、幾すじもゆるやかに立っているが、それは、赤穂の浜の塩田で塩を焼く煙りであった。その辺りから、備前の国境の方へ、白く蜿蜒と果を消しているのが、海岸線と見て間違いはあるまい。 『おやっ?』  勘平の丸っこい眼が、何か見つけた。 『──何だろう? 今頃』  本街道なら珍しくもないが、播州路から岐れて高取越えを経た上、千種川の渡船をこえてこの城下へと入る赤穂街道を、一かたまりの提灯が、暁闇の中を走って来るのである。  随分、宵も、夜半も、ここには立つけれど、横川勘平はまだ、こういう現象を見たことがない。 『提灯だとすると、尠くも十二、三……。はてなあ?』  片目をつぶって、眸の前に指を立てた。その方法で、灯のすすむ速度を測ると、ただ歩いているのではなくて、およそ人間の脚としては、最大の速さで城下へ来るものらしい。  更に、凝と耳をすましていると、近づくに従って、えい、えい、というような声が風の絶え間に微かにするようである。 『早駕だっ』  勘平は、小屋の中へ、駈けこんだ。  そして、隅にもう一人寝ている男の蒲団をめくって、 『同役、起きろ』 『む……横川か……眠い』 『番の座につけ』 『なんだ、急に』 『俺は、御城まで、行ってくる』 『行ってこい』 『すぐ起きて、役目につけよ。御城はまだ、開いていまい。御城代の大石様をたたき起してくる』 『何かあったのか』 『今日は、十九日だな、たしか』 『そうだ』 『…………』  勘平は、指を折って、日数を繰りながら、 『江戸表の殿様の御大任は、十二、十三、十四、十五、十六日までの五日間。誰もが、御無事にお済ましあるようにと、祈っているところだ。早駕とはおかしい』 『早駕だって』 『胸騒ぎがする』 『おいっ、提灯を持って行かんか』 『馬鹿っ、もう夜明けだ。──御家老の大石殿じゃあるまいし』  草履に足を乗せると、彼は、その巨きな体格にふさわしい大刀を腰に加えて、日々歩き馴れている山笹の小道を、飛ぶように、麓へ駈けて行った。 赤蓼草紙 名水説法  寝ごこちの快い春の暁である。赤穂の城下町はまだ薄暗かった。  波音の静かにきこえる海辺の方には、刈屋城の天守閣が屹然と松の上に沖の海光をうけて聳えていたが、町の辻々には、まだゆうべの闇が澱んでいて、会所の軒行燈にも、ぼんやりと灯が消え残っているし、野良犬の遠い声がいんいん喧しい。畜生保護令は、江戸だけではないので、全国どこの城下にも、お犬様の横行はひどかった。赤穂でも、人間は、お犬様以下に置かれていた。 『──紙屋。もうええ、もうええと云うに』  橋本町の曲り角である。誰なのか、愉快そうに、こう大きな声で言った者があると思うと、蹌踉として、草履ばきの僧形の男が、あぶない足つきで、一人の町人に、背中を支えられながら歩いてきた。  見ると、新浜の良雪和尚なのである。いつも飄々と、人生を一人で楽んでいるかのように見える、禅門の風流人であった。微醺をおびて歩いていると、よく町の子ども等が、彼のうしろから尾いて来て、 正福寺の和尚さんは 酒がつようて、碁がよわい 塩なめて、酒のんで、碁にゃ負ける  と、からかったりするのであるが、城下の大町人でも、藩士のうちでも、彼との交りを好む者が多かった。良雪のどこかに、そうした風格があって、彼と遊んでいると屈託も忘れ、有の儘に人生を楽しむことを教えられる気がするのであった。  ゆうべも、旅籠の紙屋四郎右衛門の家へ行って、その碁で更けて、酒で明けてしまったのである。ひきとめたのは主人なので、その責任感で途中まで送ってきたものとみえる。壊れ物でも支えるように後から良雪の背中を押しながら、 『まちっと参りましょう。まちっと、真っ直ぐにお歩きなされませ』 『そうは歩けんよ』 『なぜでござります』 『誰やらが云うた──真っすぐにあるけば人に突き当り……と。世間は兎角、程よく、よろけて歩くのがよろしいよ』 『でも、誰も通りはいたしませぬ』 『それ、犬が通る。──いや、お犬様がお通りじゃ』  哄笑しながら、路傍の石井戸へ寄って、 『紙屋、酔い醒めが欲しゅうなったな』 『いろいろなことを仰しゃる。汲むのでございますか』 『一杯汲んでおくりゃれ。この上水井戸は、藩祖長直公が、常陸の笠間からお国替になった折に、領民のため、こうして城下の辻々に掘っておかれた有難い恩水なのじゃ。わしの父、日光屋安左衛門なども、常陸から長直公に従いて、この赤穂へ入部した一人じゃでな、上水の工事にもたずさわり、わけても、塩田の開拓には、君民一致で、寝食を忘れて、働いたものじゃ。──それから藩主も御代もかわり、五穀は豊饒だし、塩は増産されるし、風土はよし、物質にも、天然にも、余りめぐまれているので、おまえ達、町人初め、百姓も、藩士も、貧困を知らずに少し暢んびりしすぎておるよ。だが、決して、この国も初めから今のように豊かなものじゃなかった。それを、今日あらしめたのは、まったく長直公の努力と、常陸から移住して来たわれわれ祖先の艱苦の賜物なのじゃ。……わしは、この井水をのむたびに、郷土の恩というものを、舌にも心にも沁み入って味うのだ』 『和尚、また御説法ですか。さ、汲みましたから、たくさん、味ったらよいでしょう』 『おまえも飲め』 『私は、結構です』 『そう云うな。今も云った通り、関東の常陸あたりから比べると、この赤穂などは、瀬戸内の風光と、天産と、よい気候と、あまりに自然の恩恵にめぐまれ過ぎている。だから、おまえの家の家族なども、贅沢で惰弱で我儘で、先人の艱苦などは、夢にも知らん。時々、連れて来て、家族共にも、飲ませるがよいぞ』 『まだ酔っていらっしゃる。そんな説教を長々としているものだから、彼方から何か参りました。はやく飲がっておしまいなさい』 『何が来たか』  良雪は、紙屋の指さす方を振り顧って、しばらく黙然と眼をこらしていたが、やがて、あっと云って紙屋の袂をひいた。  千種川を越えて来た十数名の人影と、その人々の手に疲れたように持たれている提灯の光であった。咽るような潮の香の白く漂っている暁闇を衝いて、えいえいと、呼吸を弾ませながら城下へ入って来るのであった。 『紙屋、あれは早駕ではないか』 『早駕でしょうか』 『はてのう? ……』  するともう、汗と疲れに汚れきったその人数と、あらい掛け声とが、すぐ前まで迫って来た。そして辻の曲り角まで来かかったと思うと、 『水っ! 水をっ!』  と、触れば切れそうな声が、二挺のはや駕籠の裡からひびいた。  どさっと、駕籠尻を道ばたへ置いたとたんに、すべての人々が、そのままそこへ坐ってしまったような大きな呼吸をつき合って、 『ああ、赤穂だっ──』 『着いたぞ』  口々に云いながら、町を眺めたり、ほの明るくなった空を仰いだりした。  五、六名の駕籠人足が、ばらばらと駈けて来て、すぐ上水井戸を占めてしまった。一人が、腰柄杓に冷水を汲んで駕籠のそばへ持ってゆくと、 『うまいっ』  という声がそこで聞えた。  人足たちも、後から後から、釣瓶に顔をつけて、渇きを癒したり、手拭をしぼったりしたが、やがて又すぐに駕籠をあげて、通り町からお城の方へ向って、いっさんに駈けて行った。  樹蔭に身を退いて、黙然と見送っていた良雪は、思わず大きな嘆息をもらして、 『大事到来』  と、呟いた。  紙屋は、その顔を見つめながら、 『和尚、いったい何が起ったのでしょうな?』 『おまえには分るまい』 『わかる筈がございません』 『杜子美が歌ったような事にでもならなければよいが……』 漆は用を以て割かれ 膏は明を以て煎らる 蘭は摧く白露の下 桂は折るる秋風の前  連れの者を忘れたかのように、早駕の曲った方へ、良雪も独りで曲って行った。  すると、──大きな体をした藩士だった。肩を前に出して、宙を飛んで来たのであったが、その勢と体格で、前に行く良雪へぶつかった。藩士は、弾んだ呼吸で、 『あっ、御免っ』  と謝まったが、然しその儘、駈け去った。  良雪は、蹌めきながら、 『煙硝山の横川殿じゃないか。おい、勘平殿、勘平殿』  と、呼んでいた。  けれど、先の者は、ふり向きもせずに、もうお堀へ突き当っている。そしてやがて、国家老大石内蔵助の屋敷の長屋門のうちへ鐺を上げた儘、大股に入って行くのであった。 国難来  いつもならば奥の主の寝屋の戸はまだ開いている時刻ではないが、母屋も客間も、清掃されているばかりでなく、長屋門の両翼の扉はいっぱいに開かれていた。  十四日の七刻下がりに、江戸表を立った早水藤左衛門と萱野三平のふたりは、百七十五里の長途を、不眠不休で、たった今ここへ着いたのである。  時刻は、正に寅の下刻(午前五時頃)だった。わずか四日半で着いたわけになる。二人は勿論、瀕死の病人に等しいものだった。  大石家では、早駕がつく少し前に、先触れの人足が、門をたたいて、 (江戸表から、御急使が着きまする)  と告げたので、 (何事?)  と家族たちは、一人のこらず起きて、早駕の着くのを胸とどろかせながら待ちうけていたのである。  厨では、粥を煮、式台には、妻女のお陸だの、主税だの、召使たちもこぞって出ていた。そして駕籠を見ると、 『早水様に、萱野様か』  と、初めてその人を知り、用意しておいた薬湯を与えるやら、草鞋の緒を解かせるやら、手をとって式台へ上げるやら、真心をこめて労わったが、内蔵助は声もせず、そこに、姿も見せない。 『御子息、勿体ない……。御挨拶は後に』  藤左衛門は、主税に向って会釈をしたり、お陸に対しても、気丈さを示して、よろめきながらも自身で通ったが、三平の方はまったく、呼吸があるだけの容体だった。召使が、背に負って畳の上まで運んだ程で、その畳へ、べたっと手を落すと、 『ああ……』  あやうくそのまま意識を失ってしまいそうにすら見える。  藤左衛門は、三平の気を励ますように、わざと大きな声で云った。 『御家老は、はや、お目ざめでござりましょうか』 『はい、書院にひかえて、最前から、お待ち申しあげて居ります』  と、お陸が答えた。  ぴんと、弦をかけたように、三平は胸を上げた。脇差の笄をぬいて、手ばやく、四日半の乱髪を梳でつけ、又、襟元の衣服の皺を、袴の下へきちっと引きのばして、 『……お取次ぎ下さいましょう』  と、初めて云った。  奥の書院は、いつもの朝のように新鮮な夜明けの光と、静かな気勢がながれていた。しかし、膝行り入るようにそこへ通った二人の使者は、仮面のように、怖い顔をして坐っている内蔵助の顔を仰ぐと、今にも、何か大きな叱咜を浴びせられるような気に打たれて、はっと、心を醒ました。  内蔵助は、その顔つきの儘、 『何事も、余事は申すに及ばぬ。早駕の儀、心もとのう存ずる。それのみを、一言にて仰せられい』 『去る十四日、江戸城に於かれて、殿様、御刃傷に及ばれました。あらましは、片岡源五右衛門殿からの、この御書面にござりますが、私ども両名は、騒ぎの勃発と同時に、即刻、江戸表を発しましたゆえに、殿様、御処分のこと、その他は、さらに、後より追い早駕を以て、何人か、到着いたす筈にござります』  藤左衛門のさし出した書面を手に取って、内蔵助は黙読していた。一行ごとに、彼の面色は血の気を沈めて行くのであったが、凪の底を荒れている土用波のように、噪がしい容子は小肥りな体のどこにも現われては見えないのである。  唯、読み了って── 『ううむ』  と、結んだ唇のうちで呻くような嘆息がひくく聞えた。濃くて太い眉が、遽に、遠くでも見るように庭面へ向って、きっと動いたことだけは確かだった。  チチ、チチと小禽の声に、廂の外はもう曙いろの朝にかがやいていた。彼が鍾愛して措かない糸垂れ桜の巨木は、わけても、この庭の王妃のように咲き誇っていたが、常とちがって、今朝は、内蔵助の眸に、その白い花の一つ一つが、不吉な妖虫の簇がりのようにすら映ってくる。 『大儀でござった。退って、十分に休養なされい』  二人へ向って、こう労わりの言葉をかけると、内蔵助は立ち上って、自身の居間へ入った。家族揃ってする朝の食事は、それからであったらしく、お城の六刻が鳴ってから暫くすると、やがて登城の支度をした彼の姿が、妻や、主税の憂わしげな顔に送られて、玄関を踏みだしていた。  と──煙硝番の横川勘平が、玄関脇に立っていて、彼のすがたを見ると、あわてて辞儀をした。  内蔵助は、じろっと、不機嫌な眼を、その頭へ投げて、 『横川ではないか』 『はっ……』 『何しに山を降りて来られた?』 『今晩、脇山から見ておりますと、ただならぬ早駕の灯が、千種川をこえ、御城下へと入りました。心にかかって、お屋敷まで駈けて参りましたが、唯今、主税殿のおはなしでは、江戸表において、殿様御刃傷との御注進にござります由、やはり虫の知らせでございました。御家老の御心痛、また一藩の驚き、思いやられまして、つい茫然と、ここに立ち迷うて居りました』 『お身は、脇山の煙硝庫を預かる大事なお役目のものではないのか』 『はっ……』 『なぜ、無断に役目の持場を離れて来たか。左様な非常の折と分って居れば猶更のこと。はやく、山へ帰られいっ』  いつに似あわない叱言であった。主税やお陸の耳にもひびいた程だし、召使たちも、自分たちに云われたように胸へこたえた。  藩士総登城のふれが廻ったのは、それから一刻とも経たないうちであった。  突然の召集に、 『素破、何事が?』  と取るものも取りあえず、在国藩士の二百有余人は、続々と、刈屋城の大手へ踵をついで出仕して来た。  城下外の地方にいる郡奉行や、出役人へは、早馬や、急使が駈け、陽の三竿にかかる頃には、一抹の妖雲にも似た昼霞が、刈屋城の本丸を灰色に刷いて、昂奮した全藩の空気をひとつにつつんでいた。  早打人足の口から、江戸の大変は、城下の町人たちの間へも、またたく間に伝わっていた。  侍たちが、すぐ戦を聯想するように、町人たちは、本能的に、 『──藩地がお召上げになったら、わしらの持っている藩札は何うなるのじゃ』  という当然な不安に、騒ぎだした。 『領主がお取り潰しになったら、これは、反古も同様になるのじゃないか』  目いろをかえた小商人や百姓や大町人は、町年寄の家へ殺到した。だが、埓があかないので、辻々にむらがり一団一団とかたまっては、札座奉行の役所へ押しかけた。 『金と引き替えてくだされい』 『藩札は、一体、どうして下さるのじゃ』 『替えてくれい。使える金と、換えてくれい』  奉行も横目役も、もちろん城内なので、小者が、役宅の門をかたく閉めきって、為すがままに黙っていると、取付に殺到した町人たちは、刻々に人数を加えて、 『金と替えろっ』  遂には、石を抛ったり、柵を壊したりして、暴動にもなりかねない勢を呈してきた。 浪々々の中の巌  家老上席から、城代以下、軽輩の士にいたるまで、これだけの人数が、城内の一室に集まるようなことは、よほど、戦時か何かでなければ見られない。  赤穂の士として、藩籍に名をおく者は、すべてで三百余人であるから、江戸の常詰をのぞくと、約二百何十名かの頭数が、今朝の総登城の布令に驚いて、眸に不安な光をたたえ、本丸へ詰合っていたわけである。  やがて、用部屋の方から、重い足どりをもって、家老の大石内蔵助、城代の大野九郎兵衛、用人の田中清兵衛、目付の間瀬久太夫、植村与五右衛門の五人が、木彫のような硬ばった顔をそろえて出て来た。  着座すると、内蔵助から一同へ、江戸の急変について話があった。それから今暁着いた早打の使者がもたらした書面を、沈痛な態度で、読んで聞かせ、 『まだ、その以後の事は、一向に判明せぬが、やがて、次の早打も入ると思う。とまれ、事態はあきらかに、最悪を告げて居る。各〻方にも、軽忽なく、平常のお覚悟のほどを固められい』  と云いわたした。  凝然と、生唾をのんだ儘、自失した無数の顔は、しばらく声をすら、出せなかった。 (殿が、あの殿が……御刃傷とは?)  と、まだ疑っているように──そしてやがて、うごかし難い事実に、心の底から衝き崩されてくると、 『うーむ……。即日御切腹とは』  悪夢にでも魘されるように、重くるしい呼吸が交され、はや悲痛な眼をした顔や、驚きに打たれて蒼白く変った顔が、 『吉良は──相手方は──何うなったのだろうか』  一人が、肩ぶるいして、云うと、 『御家老っ』  衆座のうちから、続いて、乾いた声が走った。 『──相手方の上野介については、唯今の御文面には、一言もないようでござるが、早打の者の口上にも、何とも判っていないのでござりましょうか』  人々の眸も一斉に、 (それが知りたい!)  と射るように、内蔵助の方を見た。  内蔵助は、閉じていた眼をあいて、その眼で、無言の答えを示した。すると、側にいた九郎兵衛が、その不明瞭な態度を補うように、袖口にふかく入れていた腕を解いて、 『今朝着いた早水、萱野の一番早打につづいて、次々に、飛脚が江戸表を発っておる筈じゃ、追ッつけ、二番早打が見えよう。──何分にも遠い江戸の空、待つよりほかに、知る術もないで』  ──語尾の終らぬうちに、衆座は、騒々と私語の声で掻きみだれてしまった。この場合に、静粛で居れとか、じっと次の報告を待てとか云っても、それは感情と血液のある人間に無理なことであるとするように、九郎兵衛も、内蔵助も、黙る者や、囁く者や、悲憤する者や、うろうろと眼をうごかす者や、沈鬱に呻く者や、個々さまざまの心にまかせて、しばらくは、全藩士がうけた大きな驚愕の浪のなかに、自身というものを、巌のように据えていた。  台所方の小役なので、この席にはいなかった三村次郎左衛門が、その時、畳廊下から次部屋をのぞいたが、誰もいないので、 『御城代! 御城代っ』  と大きく呼びたてていた。  九郎兵衛は、皺首を振り向けて、すぐ起ち上った。もう弓腰に曲がっているが、常に養生のいい老人で健康が自慢であった。つつつと次部屋を越えて、 『三村か、なんじゃ』  と云った。  次郎左衛門は、膝まずいて、 『御城下の騒ぎ、一方ではございません。御櫓から御覧なされませ』 『騒ぎとは、なんの騒ぎ? ──。町人共には、関わりもないことじゃに』  彼が櫓の狭間に顔をだした時、誰からともなく伝えられたとみえ、広間を出て来た藩士たちが、四五人ずつかたまって、城下の方を凝視していた。  町には、黄ろい埃があがっていた。蟻のような群集の列が、辻々にみえる。札座屋敷の門を中心に、塀を囲んで騒いでいるのだ。それを遮ろうとする町年寄や、会所の者との間に、小競り合いが始まっているらしく、暴動的な殺気さえ漲って見えた。 『あれや、町人共が、お家の凶変を早耳に聞いて、藩札を引き換えよと騒いでいるのじゃな。──不都合な!』  九郎兵衛だけではない、それを見て広間へもどって来た藩士の幾人かは、苦汁をのんだように不快な眉をしかめて、 『多年、領主の御庇護によって、安穏に生業を立てて参ったのに、御恩も忘れ、殿の凶事に際して、すぐ損徳を考え、藩札の取付けに押し襲けるなどとは憎い行為だ』 『誰か行って取り抑えねばなるまい。あの様子では、町年寄や会所者では、制止がつかん』 『町人とは申せ、許しがたい。きっと、首謀者があろう。こういう時には、そいつらを五六名引っ縛ってしまえば自ら鎮まるものだ』  と藩の立場と、自分たちの興奮から、こう云い放つものもある。  百七十里彼方の江戸表で、突忽として、地殻の一部面が崩れたと思うと、もうその波及は、江戸表以上の狂相をあらわして、赤穂の大地へ湧き上がってきたのであった。  江戸の驚きは、制度の震動であったが、ここの実相は、生活の戦慄だった。領主が切腹すれば、城地は官収され、藩士は離散する。そして浅野家の発行している藩札は値を失って、反古紙になるかもしれない。  まずい物を食い、汗して働き、利のためには百遍でも頭をさげ、爪に灯をともすようにして蓄めた金だの、親や女房や子を養うための唯一の小資本だのが、ただの紙になったら、町人は、発狂するかもしれない。当然、この火は、暴動になる性質のものである。  内蔵助は、はっとしたように、座中の顔を見まわしていたが、 『岡島! 勝田! 杉野!』  つづけさまに呼んで、その人々の顔が立つのを見て、 『前原っ』  と、さらに呼んだ。  四人は、彼の前へ出て、彼のきびしい眉の緊り方を見つめた。もう吩咐けられる使命を察したもののように、 『御家老、御城下へ参りますか』  と、前原伊助が云う。 『それもあるが──』  内蔵助は、四名を見て、どれもすこし若いと考えたらしかった。呼びよせた人々をその儘にして、顔を横に向けると、すぐ近くに、千葉三郎兵衛が坐っていた。 『三郎兵衛がよい。御城下の騒擾、殿の御信威にかかわる。すぐ馳せ参って、取り鎮められい』 『はいっ』 『不破も行け』  と、彼のうしろにいる数右衛門をも指名し、 『──町人共の喧騒は、むりもない。当然、彼らを先に安堵させてやらねばならぬ、騒ぎを見てから馳せつけるは、すでに、此方共の手ぬかりであった。十分、得心いたすように──くれぐれも威圧するな。明日中には、必ず藩札引換えをいたすであろうと、よう諭して帰すように』 『畏まりました』  千葉三郎兵衛は五十ぢかい分別者であるし、不破数右衛門は浜辺奉行の役柄にあるので民情に詳しく、町人たちと親しみもある男である。その二人を遣れば──と、先ず安心したように見送ってから、 『四人とも、御用部屋まで、参ってくれい』  と促して、席を立った。 両家老  藩札台帳だの、御金蔵台帳だの、また浜方御貸金の控えだの、無数の帳簿が、内蔵助のまえに積まれた。 『大野氏にも、お立会いを願いたい』  九郎兵衛は、黙然と、帳簿の山を、見ていたが、 『あわただしく、何を召されようというのか』 『一刻も捨て措かれますまい。藩札の引換を行います』 『ふ……藩札だけの額の金があろうかしらて』 『あろうはずはない』  札座横目の勝田新左衛門が、机をすえて、厚ぼったい帳面を繰り、要所に折目を入れては、内蔵助のわきへ積んでいた。  勘定奉行の岡島八十右衛門は、杉野、前原の二人を連れて、台帳を手に、金蔵へ入って行ったが、やがて、用部屋へもどって来て、 『書きあげて参りました』  と調べ書を見ながら、 『藩の御在金は、すべてで七千両ほどにござります。──そして藩札の出札高は、今日までに一万二千余両にのぼって居ります故、およそ、この差額、五千両の見当にあたりまする』 『ふウむ……』  九郎兵衛はそばから呻いて── 『一万二千両の出札高に、在金は七千両、それでは、何うにも相なるまい』  投げ出すように云って、内蔵助の顔をみたが、内蔵助は、新左衛門が弾いている算盤へ眼をやりながら、やがて、それに示された数字を読んで、 『六歩換えにはできる』  と、やや愁眉をひらいて云った。 『六歩換え?』  九郎兵衛は、聞き咎めて、 『──それでは、藩の御在金は、一両も残らぬことになるが、この後の一藩の進退、諸入費、いかがなさるおつもりじゃ』 『後は後のこと。そう考えるよりほか、この場合はいたし方ない。あわれな彼らの生活こそ、何事よりも、先に見てやらねば……のう』 『滅多なこと成されては困る』  上席家老ではあっても若い内蔵助へ対しての彼の態度は、常に、年上として高く臨んでいた。人間的には、両方とも、好きでも嫌いでもない程度につきあっているし、藩務も円滑に行っているが、九郎兵衛の眼から見ると、どこやら内蔵助はまだ乳くさい気がしてならない。平常の仕事ぶりも切れ味がわるいし、物腰はどことなく鈍重で家柄なればこそ上席と立てているものの、自分がなければ五万三千石の締めくくりができる男ではないがとは、いつも彼が内蔵助を見る常識であった。  その内蔵助が、感情の昂ぶっているせいもあろうが、ひどく独断的で、ものをいうにも、相手に反対を云わさぬような力を語尾にこめているので、九郎兵衛は、大人気ないと思いながらも、彼に対して初めて、反感らしい反感をもって、 『大石殿、平常とは違いますぞ。後でというて、後で何う召さる。藩の整理、家中の退料、何もかも金じゃ。しかも、後の利かない凶変に際して、そんな、無謀なまねしたら、動きがつくまい』  老人のことば癖として、激すと、いかにも若輩を叱るようになる。けれど内蔵助は、その一句ごとに頷いて、 『おことばは御尤もでござる。しかし、此方一存ではござらぬ。殿のお心をもって、殿の為さるであろうように、計らう迄のことでござる』 『──何時、殿が左様な儀を、云い置かれた。詭弁を吐かっしゃる!』 『…………』 『笑い事ではござらぬぞよ! 大石殿、こういう時こそ、家老たるおん身やわしは、平常の重任にこたえねばならぬ』 『もとよりです』 『前後の思慮もなく、御在庫の現金を、みな払い出すのが、殿のお心をもて為る事だなどとは、頭が、ちと何うかして居られはせぬか』 『熟慮のうえでござります。失礼じゃが、大野氏には、先大殿の御代より、また内匠頭様の御幼少より今日まで、補佐の重職にあって、殿の御気質もよくご存じのはずなるに、この場合、もし殿がここにお在したら、何うせいと仰せらるるか、お心が、わかりませぬかな』 『殿がいたら? ……。殿がいたら、かような事の起るはずはないではないか』  杉野、前原、岡島など周囲の者は、だまって、両家老の横顔を見つめていたが、殿の心をもて為るという内蔵助と、ここにいない殿の声がわかる筈はないとなじる大野九郎兵衛との間に、大きな人間的な差を、今はっきりと見せつけられた。  ふだんは至って円満に行っているこの両家老は、実は、まったく懸隔てた性格の持主であったことを知って、人々は、思わず眼を瞠ってしまう。  けれど一般的には、内蔵助の方が常々不評であって、大野に心服しない若侍でも、彼に対して、 (煮えきらない人だ)  と云うし、ひどいのは、昼行燈などとさえ云う者もある位なので、この場合も、九郎兵衛の意見に押されて、 (それでは、御意に)  と、自己の主張を引っこめてしまうかと思っていると、めずらしく、 『いや!』  と、ねばり強く、反撥した。  然し、顔いろ迄は変えてはいない。先刻、九郎兵衛に叱られた微笑を又ちらと見せて、 『後々の儀も、心得ぬではございませぬ。内蔵助に、おまかせねがいたい』  と云い張った。  相手の異議が出ない間に、 『新左衛門、辻々へ、板を立てるのじゃ。大工共へ、十枚ほど削らせい』  筆を執って、藩札六歩換えの布令書の文案を認め、それを岡島八十右衛門の手へわたして、 『立札へはこのように書いて、各所へ打て。──早くじゃぞ』  一刻をも急くように吩咐けた。  板が削れたと知らせてくる。  岡島や、組の者が、あわただしく立ってゆくと、入れちがいに、城下から離れた土地にいた為に、遅ればせに馬で駈けつけてきた加東郡の郡奉行吉田忠左衛門が、汗まみれな額に埃をつけたまま、用部屋の入口に姿を見せ、 『おうっ……』  と、内蔵助の振向いた顔へ云った。 『おお……吉田氏か』  それまでは忘れていたかのような一個の感情が、忠左衛門の姿を見ると、急に胸から揺りうごかされて来て、内蔵助の眼がしらに、熱いものがつきあげた。 暮色の底  六十歳とは見えない吉田忠左衛門の骨ぐみであった。腰も曲がっていないし、いまだに背は六尺もあるという、脣が大きくて、老人のくせに甚だ朱い。髪は白髪になりきらず玉蜀黍の毛のようだし、田舎にばかり役勤めをしているせいか、皮膚の黒いことは百姓に劣らない。容貌どことなく魁偉なのである。  けれど、気は女のように優しい。任地の百姓は、慈父のようになついていた。城下へ出てくる時には、いつも陣笠に馬乗りで、馬の背には、自分の菜園で作った芋や人参牛蒡をくくりつけて来て、それはいつも泊ると極めている内蔵助の家への土産物とする。  彼が泊る夜は、二人は、役柄を脱いでよく話した。内蔵助も酒をたしなむし、忠左衛門も好ける口である。べつにこうと云って改まって心を打明けたというではないが、内蔵助の性格を或る程度まで覗いているのは忠左衛門であったし、忠左衛門が加東郡の田舎代官だけの人物か否か、その奥行をかなり深く見ている者は、内蔵助よりほかになかった。  いわゆる、許し合っている心友であった。  内蔵助が今、彼の姿を見たとたんに、何かほろりと弱い感情に揺すりあげられたのは、そのせいであろう。 『待っていた……』  そう云って、忠左衛門と対した時には、すでに、この大危局を肩にのせて、巌か人間かのように坐っている国家老の内蔵助ではあったが──。 『何もいえん……。何もいえん……』  忠左衛門はそう云ったきりで、後は凝と、畳のひと所を睨んでいた。 『何よりは、お家の禍を領民の禍にまでしとうないと存じて、たった今、藩札引換えの急策を立てたばかりのところでござる』 『ようなされた。──加東郡より浜方御城下と、途々に見かけ申した百姓町人の顔つきでも、真っ先に胸につかえたはそれでおざった。──殿のお旨にもかのうた御処置』  忠左衛門と内蔵助と、何方も、ことば数の少い者同士が、二言三言に、万感を語りあっていると、九郎兵衛は用ありげに、その間に広間の方へ立ち去っていた。  その広間には、もう暮色がこめていた。台所方の小役は夜を見越して、其処此処に、一群れずつかたまったまま動こうともしない人々の間へ、鮨桶へ握った飯を配ってあるいたが、誰も手をふれようともしない。  お坊主が、網雪洞を灯ける、紙燭を広間へくばる。──だが、それすら今日に限って、なんとなく薄暗い気がしてならない。  為す事もなく、各〻が各〻の臆測やら前後の対策に、大なり小なり必死に考えこんで、沼のように濁す黒く沈澱しているここの空気とひきかえて、御用部屋の方では、内蔵助を中心に、算盤の音だの、帳簿を繰る音だの、そして緊張しきった勘定方の顔が蝋燭に赤く揺らいで、夜になったのも忘れている。── 『よろしい』  やがて内蔵助が、ほっとしたように云ったのは、漸く、未収納の年貢金や、浜方の製塩業者たちへ廻してある貸金高や、藩の蔵米現存高などが、一応調べ上った時であろう。  ぬる茶を一口ふくんで、 『大野氏は』  と、訊く。 『諸士の中に居られます』  内蔵助は、自分で立って行った。そして、九郎兵衛を誘って、別室に入ったが、暫く出て来ない。人々は、両家老が何か重大な相談をしているにちがいないと、そこの杉戸を見まもっていた。 『外村殿、御家老が、呼んで居られる』  誰か、注意した。  組頭の外村源左衛門は、広間の隅から、あわてて杉戸へ入った。程なく出てくると、何か、火急な用を吩咐かったらしく、表方へ迅足に退出した。  広島の浅野芸州侯へすがって、金子四千五百両の無心を願いに行かせたのであった。  その一方に、領下の年貢未進や御貸金を取りたてる──と云う内蔵助が半日の間に立てた解決策を、数字によって、細かに示されたので、九郎兵衛も、 『それなら、六分換で、藩札の引替を始めても苦しゅうはござるまい』  と、初めて同意した。  すると、戌の下刻(九時過)墨のように広間で沈んでいた諸士の顔に、ぼっと、灯の色がさわいで、 『二番早打が着いた!』  と、表方の知らせにざわめきだした。  大石、大野の両家老が、早足にその人々の前を通って行った。  殿の即日切腹という第一報にも、藩士たちは、まだまだ一縷の望みをつないでいるのであった。  勅使に対しては、当然そうなければならない幕府の裁断は裁断として、他にまた、何等かの活路をつけて、御一命だけは、真際にお救いがあるかも知れない──。 (そんな事はあり得るわけがない。御助命の余地があるくらいなら、即日切腹などという異例な裁断が下される筈もないのだ)  と云うことは、誰にもまたすぐ考えられて来るのであったが、そうと口に出す者はなかったし、各〻も、自分で自分の常識を打ち消して迄、唯、 (もしや? ……)  と、その一縷の希望へ祷りをこめて、待ちかねていた第二の使者だった。 落葉百態  程なく表方から戻って来た内蔵助と九郎兵衛の顔いろをながめて、一同は、途端に、はっと不吉なとどめに胸を刺し貫かれた。 (御切腹だな──)  ふしぎなほど冷やかな一瞬が諸士の硬直した顔面をながれ、ただ幾つもの燭だけが、大きな息をついている。  果して、内蔵助の口から読み聞かせられた書面と、使者によって伝えられてきた第二の報告は、人々の直感のとおり、赤穂一藩の運命を、絶望の闇へ突墜すものであった。  自ら、うなだれて聞き入っている二百有余の頭の上に、内蔵助の縷々と述べる報告のことばが終ると、今度は、勃然として、 『ふ、腑に落ちん御処罰だっ』 『喧嘩両成敗は、江戸幕府の、殿中に於ける鉄則ではござらぬか!』 『しかも! 吉良は、吉良は一命も、無事な上に、御優諚をうけて、退出したという……』 『片手落ちだっ』  上ずった声が、方々から激発して、中には、主君の御無念さを思うと、凝としていられない、慟哭して、人影に沈んで嗚咽する者もあった。 『御家老! 御城代! すでに大事は定まった、このうえのお覚悟は、何となさる御決心か』  はやくも、膝を詰めよせる若侍があるし、 『迂濶者っ、そんなことを、この期に糺す要があろうか。士道にふた道はない、藩祖以来の城を枕に、死ぬだけのことじゃないか』  と、同僚の愚を、うしろの方から罵倒する声もあった。  渦まく瀬へ、一抱えの落葉を投げこんだように、その奔激の相は、同じであっても、落葉の一葉一葉の驚きや、動作や、意思は、各〻違ったものであった。極度に充血した顔と、極度に血の気を失った顔と、また無表情に茫然としている者と、自分の一身に汲々と捉われている眼つきと、何ものも考えずにただ怒ってのみいる感情と──殆ど、瀬の渦に巻かるる落葉の片々たる浮沈のすがたのように、収拾のつかない、ここの喧々囂々さであった。 『当然、受城使が来る。だが、われわれは、一歩でもこの城を退かないことだ。退いたら、赤穂の名折れだぞ』 『死のう! 君侯のお後を追おう』 『同じ死ぬなら、城受取りのよせ手をうけて、思うさまの弔い合戦をやり、赤穂にも、骨のある人間はいたといわれて死にたいぞ』 『よく言った、異存のある者は、出てもらおう』  激越な若侍たちの言語は、あたりの老人や、黙りこんでいる者たちを喝殺した。それらの一部の血気者たちには、もう内蔵助や九郎兵衛の存在すら見えなかった。  九郎兵衛は、ちょっと苦い顔をして、何か発言しようとしたが、 (手がつけられんわい)  と思い返したように黙っているし、内蔵助はといえば、これも策が無いような有るような──時には放心したような眼をもって、沈むか流れるか、瀬の石にかかるか、落葉の渦まく相を水の為すがままにまかせて見ているのであった。が、彼だけは、独り水を離れた樹の枝にとまって水を眺めている翡翠のように、傍観者の顔つきにも見える。  その顔も、果しのない喧騒に、少し倦んだかのように、 『大野氏、又の評議といたそうよ。──夜も更けたし、今後の身は、お互い、一層に大切じゃ』  九郎兵衛は、至極とうなずいて、 『いずれも、鎮まれい。お家の重大事を、私憤とおまちがい召さるまいぞ。私議、我執は慎まれたい。かかる際には、一藩一体となり、挙止もの静かなるこそ他そ目にも見事と申すもの。各〻気儘の紛論は、主君のお在さぬが為に、はやあのざまと他藩に嗤われもしよう。……ともあれ、今宵は火之見、御蔵方、それ以外の者は、すべていったん御帰宅のことじゃ。追って、二度目の総登城の布令が参るまで。──その日には、万事、御評議申そうで』  と云い渡した。  立ち渋っている態を見て、 『どれ』  九郎兵衛が立ち上ると、広間の彼方此方でも、思い思いに立つ者があった。内蔵助は、次部屋で吉田忠左衛門と立ち話をしていたが、忠左衛門は、城に泊って、火の元や、夜警の任にあたるというので、玄関まで歩きながら話を続けて別れた。  大手を出ると、星は美しかった。 皇土の畏れ  濠端から、家路へと散らかってゆく藩士たちの姿を見ると、内蔵助は、その一つ一つの影には、なお幾人もの家族や縁類や、養う家の子があることを考えて、胸が痛くなった。 (あの殿が……。あの温厚な御気性に……魔がさしたとでもいうものか……)  彼にはまだどうしても、君侯の気持になってみることができなかった。──涙が出ないのである、涙を感じるのは、七石、十石の小禄を食みつつ、老母や病人や妻子を養っている軽輩のいじらしい家族たちに対して、より強く悲しみを揺すぶられる。  第三の報告、第四の報告と、江戸表の情報がもっと審さにあつまれば、主君のお気もちも、相手方の吉良との関係も、十分にわかってくるに違いない。──然し彼はまず、絶対な自己の正義観と、士道の常識から見て、今度の主君の為された行動を、世上に向って相済まないことと、主君に代って詫びたい気もちでいっぱいであった。また、貧しい軽士や足軽たちの妻子に対してもである。  わけて、身が竦むような気がするのは勅使に対しての不敬である。こればかりは、弁疏の余地がない。赤穂一藩の生命をあげて召され、刈屋一城をうずめて墓としても、なお罪を償うに足りないほど畏れを感じるのであった。 『小野寺十内に会わぬうちは、この儀も安堵がならぬ。ああ、十内に、はよう会いたいものだが……』  濠の唐橋に立って、彼は水面を見ていた。ぶつぶつと泡だつ潮が、水門の方から上げてくる。水に押されるように、彼は岸に添ってあるいた。  屋敷はそこからいくらもない。  ──吉良上野介といえば、二十二歳の若いころから、幕府の使として幾度となく上洛し、仙洞御所の造営にもかかわったことがあるし、後西院天皇の御譲位にも、父の義冬とともに朝幕のあいだに働き、また践祚の賀使にも立ったりして、六十歳の今日にいたるまで、堂上の公卿たちには数知れない知己と、近親者とをもっている。したがって、吉良が、その方面に、先を越して策を為そうと思えば為すこともできるし、吉良自身が求めなくとも、朝廷を繞るそういう公卿たちが事実の表面と感情だけにうごいて、不敬の罪を鳴らしたら、赤穂一藩は、いかにして、申しひらきが立つか、大罪を謝してよいか。  思うと、内蔵助は、背すじへ戦慄が走ってくる。 『籠城──自刃──退散──。何うするも、その一点が心がかり。十内に会うての上じゃ』  そう自分で結論をつけた時に、はっと、彼は立ちどまった。いつか自家の長屋門に突き当っているのである。  すると、その土塀の裾を、蝙蝠のような黒い人影が、ひらりと後へ戻って行った。 『…………』  内蔵助が、振向いて、一瞥をあたえると、図々しく、塀にはりついていたその男は、居たたまれなくなったか、つつつと、角から横へかくれてしまった。先刻、濠端の途中から、後を尾けて来た男である。  その男が、何のために自分を尾けているかも、内蔵助は知らないでもなかった。  八年前に、松山城の城受取りの大命をうけて出向いたときには、自分もこういう小策を行ったものである。何よりはやく、相手がたの藩地へ入り込むものは、隠密者だ。 『地上のもの、宇宙のもの、すべては転り巡っている。為た身が、今は、される身となったか』  家族は、みな不安の裡に起きているとみえ、母屋の灯が明るかった。  内蔵助は、わが家の明りが怖ろしかった。  然し、同時に彼は、一家の主としての足を踏み直した。そして玄関へかかろうとすると、物蔭から、 『旦那様かッ』  と、跳びついてきた者がある。  八助という尾崎村の農家の老爺だった。内蔵助がまだ少年のころから屋敷に下男奉公をして、永年忠実につかえてきたが、もう荷担の水桶が体にこたえるようになっては、駄目だと云って、二三年まえに、尾崎村の息子の家へ帰ってしまった老僕である。 『おうッ、爺やか……』  懐しい。内蔵助は、親にわかれた後は、この朴訥な爺やが、いつも親のように思われる。 『……遊びに来たか、よう来たな』 『何をいわっしゃるっ、旦那様のお心は、それどころじゃござるまいが。……なんてえ災難と云おうやら、この年になって、八助は、こんな情ねえ御領地の様を眼に見ようとは思わなんでござりましたに』  手拭を顔に押し当てて男泣きに泣くのであった。──主の帰りを知って、式台には、雪洞の明りがさしている。妻のお陸をはじめ、長男の主税、次男の吉千代、まだ乳を離れないおるりまでが、母に抱かれて出迎えていたが、いつものような父でないし、いつものような母でないし、無邪気な子たちも寒々として見えた。 黄塵  こんどの大きな衝撃で、何よりもはっきりしたことは、武士と町人と、二階級の立場の差であった。二つの日常生活の差異が露き出しに事件の表面に現れたことである。一方は、城地と名を思う以外は、絶対に生命はないとしなければならない人々であったし、一方は、途端に自己の打算に立ち、個々の生活を町の騒ぎへ持ち出して、露骨に機敏に、利害を主張すればそれでよかった。  然し、握っていた藩札が、みな紙屑になってしまうかと恐れた町人たちも、後では彼等自身すこし気恥かしくなったように落着き込んだ顔に回った。辻々に藩札六歩換の立札を立て、現金を積んで待ちかまえていた札座奉行が張合い抜けを感じる程であった。  きのう今日の二日程を、屋敷に居て案じている内蔵助の命をうけて、様子を見に来た勘定方の岡島八十右衛門は、そこの閑散ぶりを眺めて、 『町人共は、六分替という額に、不満なのであろうか』  と不審がった。札座横目の勝田新左衛門が机から、 『いや、それどころじゃない。引換えに来る者はみな、詫びたり、涙をながして帰る。大石殿の処置を、称えないものはない。引換えに来ないのは、むしろ安心しきっているのだ』 『それでは却って、残務の処理が遅れて困るという大石殿の仰せだ。町名主に日限を示し、こちらから督促しても、藩札の方は、両三日中に一切極りをつけるようにというお言葉だった』 『そうでもしなければ埓は明くまいが、まだ、御本家の方へお縋りに行った使者が帰って来ぬうちは』 『いや、芸州侯へ御合力を願いにやった使者は、途中からお呼び戻しになった。塩税の未納金やらその他のお取立てが、案外に順調に集まるので、この分ならばと、大石殿も、愁眉をひらいて居らっしゃる』 『そうか、では早速、町名主に督促させよう』  と、ここでは話している。  藩庫の経済力に安心を見きわめた城下町の町人心理は、もうその日あたり、べつな方へ、敏活にはたらいていた。武器の密売が活溌になり出したのだ。どこへ需要されてゆくのか、古道具屋の塵に埋ったまま永年一朱か一歩でも買手のなかった鈍刀や錆槍までが、またたく間に影を潜めてしまった。また今朝の便船では、首に現金をつけた上方筋の道具買が、何十人も浜から上陸って、赤穂の城下で捨て売にされるだろうという、思惑から、入り込んだということだった。書画、古着、手道具、骨董、武具、紙屑に至るまで、それぞれを専門とする上方訛の商人の声が、屋敷町の裏をうるさく訪れて廻っている。何処で払った物か、天草陣の時に使われたという大砲を買った一組が、それを車にのせて通るのを往来の者は、もう不思議とも見ていない。 『馬を買おう、いい馬なら何両でも出すが』  ふだんは田馬も買えない博労までが、俄に大口をきいて歩くのも何か自信がなければやれない事だ。貧しい藩士の屋敷へ行って、金には当然渇いている妻女をつかまえて、首財布から不相応な金をだして見せびらかしたりする。鞍附でも買えば町の中を得意げに轡を鳴らして曳いて通るのだ。それを、人間性のおもしろさ、社会相の自由さと眺めれば、尽きない興味であるにちがいない。浜辺の方はと見れば、ここでも、艀や伝馬船が払底を告げて、廻船問屋は血眼で船頭をひっぱり合っているし、人夫や軽子の労銀は三割方も暴騰ったというが、それでも手をあけている労働者は見あたらなかった。この需要力がどこにあって、何処へ物と人とが吸引されてゆくか見当もつかなかった。だが、とにかく、一藩の崩壊を中心として急激に経済方面の変動も起って来たことは争えないことだった。波に乗って機を掴もうとする町人達の捷こい投機心は、もうその方へ奔命を賭けていて、藩札の引換にわざわざ札座へやって来る時間さえ惜しくなっているらしいのである。 蓼の味  変事の第一報が入った十九日から二十五日までの、ここ七日間ばかりのうちに、庶民たちのあり方は、そんな形にあらわれて、露骨に町人精神の動きと、彼等の生活力の旺なこととを見せて来たが、藩士側の屋敷町区域は、まったく対蹠的に音もない沼のようだった。残務のために歩いたり、騎馬を駆り立ててゆく藩士の影が、町人たちの眼には、ただ気の毒なものに見えた。そして侍でなかった自分達の身分を、平常とは反対に感謝しあった。  江戸表からはその後、二回の町飛脚が着いて、浅野大学の閉門の事と、藩邸立退きの終った報告があったのみである。そして城中への召集もなかった。残務に当っている一部の者は、極端な劇務に趁われ、閑役の者は、門扉を閉めきって、主君の喪に服しているほか、なす事もなかった。同族の三次の浅野家でも、芸州の広島でも、鳴物停止があったというから、勿論、ここでは享楽的な音響は一切しない。すべての世間音というものが、すっかり変ったように、人心も一変したかのように見える。けれど、百姓は百姓道に、町人は町人道に、生活の迷いはなかった。何といってもこの際、試されているものは武士だった。今の社会の中堅と統治力は、実は、将軍家にも領主にもあるのではなかった。旧制度の中で忠実に、粗衣粗食している武士というものの力である。江戸へ出れば勤番者だの、浅黄裏だのと、野暮の代名詞にされている人々の支えだった。それらの人々のうちにはまだあった武士道と呼ぶものに、一般庶民の信頼も残っていたのである。もしそれが日頃の誓約や態度とちがって、裏切るようなことでもあったら、嘲笑ってやろうという気振さえ見えないこともない。  然し、町筋や屋敷小路の往来からすこし裏へ入ってみると、そこは又世間とまるでかけ離れた麗かな日がいっぱいに麦の穂や菜の花を育んでいて、畦の緋桃は見る人もなく燃えているし、昆虫はじいっと背から沁みとおる太陽に腹を膨らませていた。  有年山から城下を通って海へ注ぐ静脈のような細い流れが幾筋も耕地を縫っていた。その一筋の水に沿って、弟を連れて大石主税は歩いていた。弟は吉千代といって彼より三ツ下の十一歳だった。両手を泥田へ入れたらしく、真っ黒にして何か藁苞に容れて持っている。 『捨てておしまいなさい』  主税はしきりと云うし、吉千代はかぶりを振って、 『嫌だ』  と云い張って来るのだった。 『父上は、そんな物、召喰がりはしない。持って帰っても、無駄ではないか』 『嘘、お父様は、お好きだよ。吉田の小父様も、好きだというた』 『いつもは召喰がるが、今は、決してお喰がりになる事はない』 『なぜ』 『あんなに話したのに、汝にはまだ分らないのか。御領主内匠頭様が、御切腹なされたという事を』 『それは分ってるけれど、御領主様がお亡なり遊ばしたから、田螺を喰べては何うして不可ないの』 『わからない児だの。そちの祖父様や祖母様の御命日でも、精進をするではないか』 『でも、田螺は、魚とはちがう』 『生物じゃ』 『生物といえば、菜でも、大根でも』 『理窟をいうものではない。よい子だから、捨てて、そこの流れで手をお洗いなさい』  惜しそうに吉千代は田螺の苞を捨て、手を洗ってその手を袴でこすった。 『お、正福寺の和尚様がいる』  二人は十間ほど大股に歩いて立ちどまった。朽葉色の汚ない法衣は、法衣の形をしていないほど着古されている。例の良雪和尚なのであった。少年達が後へ立ったのも知らないで小川の岸の若い草を摘んでは片方の法衣の袂へ入れていた。 『良雪さん、何してんの?』  吉千代がよぶと、 『ほう……』  振向いた顔は、一目で少年たちの心を吸い寄せてしまう。明るく和らかで、そこらを漂っている春の風は、この童顔の人のふところから吹いてくるのではないかしらと思われる。 『どこへ行ったんじゃ?』  と、良雪が問う。  吉千代は、城下町の背を囲んでいる山の影を指して、 『大鹿谷へ』 『何しに』 『帆坂峠と鷹取越の方に、姫路や岡山や高松や、諸国の兵が、たくさんに押し襲せて来たというから、兄様と一緒に見に行って来たの』 『ははあ、物見か』 『海にも見えた』 『そうじゃろう。讃州丸亀の京極、阿波徳島の蜂須賀、姫路の本多、伊予の松平など、海には兵船をつらね、国境には人数を繰出し、この赤穂領を長城の壁のように囲んで、鏃や砲筒を御家中へ向けている』 『戦だね、和尚さま』 『さあ、この雲行き次第ではな』  主税は、弟と良雪の話している間、黙って微笑していたが、良雪の手もとを眺めて、 『正福寺様はそこで、何を採っているのですか』  と、訊ねた。 『わしかい』  良雪は、爪の中に入った土をながめながら、 『芹を摘んでいるのじゃがよ、この辺りには蓼ばかりじゃい』 『お要用なら、私たちも手伝うて、摘んであげましょうか』 『いやいや、もうええ。そんなには要らんのじゃ。大石大夫は居らるるじゃろうな』 『父は屋敷におりますが』 『この間からいちど訪ねとう思ってな、やっと出向いて来たのじゃよ。いつも御馳走になるで、きょうは肴だけは持参しようと、芹摘みを始めたが、芹は少い、蓼ばかりじゃ。赤蓼が、ほれ、そこにも彼方にも』  云いながら腰を伸ばす。そして歩きだすと又、 『あるなあるな、赤蓼が。──何うして赤穂にはこんなに赤蓼が多いか知っているか』 『存じません』 『わしが悪い、問い方があべこべじゃった。──この地方はの、古来からこのように赤蓼が多いので、それが地名となって、赤穂というようになったのじゃ』 『初めて伺いました』 『そんな事は知らんでもいいがの──知らんではならぬ事があるぞ』 『なんですか』 『奉公ということよ』 『父から訓えられて居ります』 『聞いているか、大夫のことじゃ、存分、鍛ち込んであろう、侍は、奉公じゃ、ほかに仕事はない。山鹿先生の士道を読んだか』 『はい』 『あるの、あの書にも。あいだは、昼行燈でも、昼間の月でも、かまやせん。喩えば、この蓼にしても馬さえ喰わぬが、土壌の恩と、陽の恩には、ちゃんと報じておる。千種川で鮎が漁れる頃になれば、鮎の味噌焼にはなくてはならぬつまではないか。ぴりと辛うて、舌を刺しおる。又、腹中の虫をくだし、暑気中りの薬になる、立派な奉公だ。平常は、能もない雑草に見え、蓼喰う虫も好きずきだなどと云われているが』  良雪はその蓼の葉を脣で弄んでいたが、そのうちに甘い味でもするように歯で噛みしめている。 『──赤穂武士は、赤蓼武士じゃ、そうありたいのう。だが元々、藩士の性骨は、この五穀豊饒で風光のもの和らかな瀬戸内の潮風や中国の土だけに出来上ったものじゃない。家中の者の気性骨には争われない祖父、曾祖父からのものがまだ沁みこんでいる。これがもう御三代も後だったら、よほど稀薄になって居ろうが、まだあるな。それが何であるか知っているか』 『山鹿先生の教えでございましょう』 『素行先生の感化はいう迄もないわさ。しかし、わしが問うているのは、自然の人間に及ぼす感化、土と人間とだ。その素行先生もこの国の人ではない。会津のお方じゃった』 『殿様も、長直公の御代の半までは、常陸の笠間城にいらっしゃいました。私たちの祖父良欽、曾祖父の良勝、みんな常陸から移って来たお方だと聞いています。ですから父は、私を見ると、そちには、関東骨があるの、といつも笑います』 『内蔵助殿は赤穂で生れたが、あの仁にしてからが、既に関東骨をそなえている。上方から西は天産に富み、風光はよし、文化もひらけ、従って遊惰に流れる風も多分にあるが、智恵の光が人間を磨いておる。常陸はずんと風もあらい、地も粗い、人も荒削りじゃが、剛毅というやつが骨太に坐っておる。こう二つのものの中庸を行って、よく飽和しているのが大石大夫の人がらじゃと、わしは思うが』  主税は、どうして良雪和尚が、永年親しくしている父に対して急にそんな仔細な眼で見たり性格を分解してみたりしようとしているのか、その気持を薄々知ることができた。良雪は、父が好きだからだ。父を信頼しているからだ。そして誰よりもこの際に於ける父の立場の重大なことを案じていてくれるからだと思った。 一方向き  知己というものほど言葉かずの要らないものはない。おうと云い、おうと応えればそれですべてを語ってしまっている。  良雪が碁盤を出せといつもの如くいうので、家族の者は二人のあいだへ盤と石を備えた。パチ、パチというもの静かな烏鷺の音が、すぐその部屋から洩れてくるのである。内蔵助の気持を思いやりながら茶を酌んで運んで行く家人にも、書院の南を横にして盤を挾んでいる主客のあいだに、いつもの二人と何処かちがっているという所は微塵も見出し得なかった。  時々、内蔵助がわらう。  良雪の笑い声はわけても大きい。  ざらざらと石を崩す音のした折である。 『御内助、御内助』  良雪が呼ぶと、 『はい』  お陸の答えがして、暫く間を措いてから、姿がそこに見えた。  じろりと、良雪は、彼女の青白い顔のつやを見た。お陸はうつ向いた。髪はほつれてもいなかった。 『あのな、奥方』 『はい』 『さっき、わしが台所へ渡しておいた芹のう。あれ、したし物か、胡麻あえにして下さらんか』 『申しつけてございます』 『次に、例によって、一酌はいう迄もないが』 『はい』  然しお陸は、良人の顔いろを見て、すこし憚るらしい容子があった。  その視線を奪って、良雪が、 『大夫、酒は不可んじゃろうか』  と云った。  内蔵助は、良雪の圧してくる眸へ刎ね返すような眸をちらと向けた。次にはむッつりと顔を横にし、この四五日のうちにすっかり色の褪せた糸垂れ桜へ向って、脣を結んでいるのだった。 『いかんじゃろうか。大夫の御喪服はもとより存じての上じゃが、大夫が飲らんじゃあ坊主のわしは、なお飲めんが』  内蔵助は、碁石へ手を入れて、 『もう一局』 『お……』 『お陸、その間に支度を。肴も、常のとおりでよい』  良雪は、パチと石を布き、 『承知か』 『承知』  何の意味もなげにいう。  日永の春である。榧の盤面に、白と黒が根気よく目を埋めて行った。いつか側に来ている膳部から芹のにおいがしきりとするのであったが、それはもう忘れ果てている。 『大夫、何う召さる』 『待たれい』 『待とうが、この期の肚は』 『待たれい』 『籠城か』 『さての』 『明けわたすか』 『滅多には』 『まず、御悠りとじゃな』 『その如く』  芹の香に、良雪はふと膳へ顔を向ける。杯を取って一献という余裕を相手に見せたが、それを内蔵助の考えこんでいる顔の前へ出して、 『息つぎに』 『いただこう』 『飲られるか。──酌ぐか』  銚子を持ちながら、良雪は念を押すのである。自分があんなに云って酒を出させて措きながら、その酒が出ると、 『御主君の服喪にある其許に、こう酌いだら、悪かろうな、よそうか』  と、云うのである。 『注いでいただこう』 『よろしいか』 『不自由な身はもちません。さむらい暮しは、ひろびろと』  良雪はふとい喉を仰に伸ばして膝をたたいた。天井で笑っているような愉快な声が部屋にいっぱいになった。そして、内蔵助の杯へは注がないで、銚子の酒を自分の湯呑にあけて飲んでしまった。 『それだわさ。坊主の道もひろく、武士道もひろびろがいい』  何の為の碁なのであろうか。彼の袂で石の目はもう崩れている、盤の下へこぼれたのを拾ってざらざらと惜気もなく仕舞いこんでしまう。そして何度も繰返しながら、 『ひろびろと、それだわさ、安心した。これで安心した』  汚ない踵を草履にのせて、飄々と裏庭から帰ってゆくのである。内蔵助は見送りに立ったまま縁端に背を見せていたが、その背に何かあらい人声を遠く感じて振り顧った。 我は見ぬ花  よく使い込んである九尺柄の槍を杖にしてである、背に鎧櫃を負い、袴の股立を高くからげて草鞋穿きの浪人者が昨日もここの長屋門を訪れた。今日も又、それと同じような身支度をし、陽に焦けた顔にまばらな髯を持って逞しい浪人が、やはり槍を杖に、きびしい眼を光らして、大石家の門内へのっそりと入って来た。 『たのむうッ』  玄関へ向って、胸を張って云ったが、家の中からは答えがなく、その声に吃驚したように奥の植込みの蔭で人影が木の葉をうごかした。  客書院に近い窓の下である。狡猾な盗っと猫のように屈みこんでいた男の挙動が凡ではない。遠く眸を見あわせたと思うと、ぱっと植込みを斜めに駈け抜けて、長屋門の外へ逃げ出そうとした。  紺脚絆を脛に当てて、腰に分銅秤を差している。もちろん町人で、しかもこの頃入って来た旅の者らしい。浪人の槍は途端に横になって、樹木の間を走る男の影に添ってツツツと横歩きに追いながら、 『突くぞっ』  相手が躍り出した鼻先へそれを伸ばした。  土気色な顔を持った町人は立ち竦んでしまった。槍を一方の手に立てると、一方の手はもう男の襟がみをつかまえて、 『他国者だな』  と睨めすえた。 『へ、へい、上方の商人でおますが、なにも、怪態なもんや、おまへんで』 『うそを云え』 『なんで嘘云うたりすることがおますかいな。道具屋の彦兵衛云うたら、順慶堀でも老舗の方やで聞いてみなはれ。この通り鑑札持って、諸国を道具買うて歩いてまんのや』  喚いて、襟がみの手へ手をやってもがいていると、長屋の側の十坪ほどの畑に、鍬を持って土をかえしていた老僕の八助が、 『あっ?』  振向いたと思うと、鍬を持って、駈けて来た。  男は、跳び上ったが、鍬が片足をつよく打った。八助は、もいちど振り被りながら、 『こやツ隠密じゃっ』  と罵った。 『隠密か』  浪人が、襟がみを離すと、男は、 『あ痛っ』  と、大地へのめった。 『それみろ、四国訛じゃ』  槍の石突きで腰ぼねをつかれて、男は、三つほど転がった。苺のように真っ赤に摺りむけた鼻をして跳び上ると、抛られた猫みたいに、門外へ逃げてしまった。 『老爺、あんなのが、ちょいちょい来るのか』 『どうして、油断も隙も出来たものじゃございませぬて。おう、それはそうと、弥太之丞様、ようお越しなされましたな』 『御家老は、在宅か』 『おいでなされます。昨日も昨日とて、御当家浪人の井関紋左衛門様や徳兵衛様、又、岡野治太夫様も大岡清九郎様もお訪ねなされましての、種々と、お話しでございましたわい』 『あの衆も、駈けつけて来たか』 『浪人しても、浅野家の御恩は忘れておらぬと仰しゃって』  八助はもう眼を拭うのだった。 『老爺、畑打か』 『菊の根分けをしておけと、いいつかりましたで』 『異な事をしているの。御家老には、ことしの秋も、このおやしきで、菊の咲くのを見るおつもりなのだろうか』 『わしも、おかしいことと、念を押して訊いてみましただ。すると御家老様の仰しゃるには、いずれ秋には、浅野家の後へ、お国替してくる何処かの御家中が見るだろう、誰が見ようと咲く花にちがいはなし、萎縮た花は残しとうないからと仰しゃる。これあ道理じゃと思って、菊ばかりじゃない、胚子を蒔ろすもの刈るもの、すっかり落葉も焼いて置こうと思いますのじゃ』  話しながら八助は玄関へ取次いで、自分は井戸から洗足盥へ水を汲んできた。すぐ上れという奥からの言葉である。中村弥太之丞は、槍と鎧櫃とを式台へ置いて通った。 『しばらく』  多くを云い得ないで、弥太之丞はそれだけを云って手をついた。もう家中の人々からも遠い記憶になっている旧同藩の人々で、今度の変事を聞いて訪れて来るのがこれで五人目であった。亡君の徳というものが、沁々と思い直されて来て、内蔵助はうれしかった。 『すっかり支度をして来たのでござります。妻にも子にも思い残すことのないように。──お役には立つまいと存じまするが、浪人こそいたせ、旧家の御恩は、夢寐にも忘れては居りませぬ。この体を、何とぞおつかい願いたいのでござる。参る途中にも、鷹取、帆立の国境の峠には、諸藩の兵が、もう二三千は固めておりました。御領内の馬匹や武具が、敵のほうへ持ち行かれるのをなぜ早速にお取締りにならぬのかと不審に思われるのでござった。何うあろうと、赤穂の者は籠城の一途に出るであろうとは、道路の風評でもあり、諸国一統の見定めでもござりまする。古鎧に錆槍一筋持って駈けつけ参りました、微衷をおくみとり下さって、籠城の一員にお加えねがいとうござる。烏滸ながら一死を以て、亡君の御恩にお応え申したいので……』  咄々と云うことばの底には、何か、人間の真を打つものがこもっている。内蔵助はこんな場合、どうも出来ない脆いものを持っていた。いかにも困る顔をするのである。膝の手も、曲げる背なかも、その為にもじもじとうごく。そして対手のことばが終ると、相手の誠意に対して下げ足りないような気持をもってふかく頭を下げて、 『──御高義のほど』  と低い声でいう。 『なんと申そうか、ことばがない、欣しゅう存ずる。しかし、各〻はすでに、浅野家の家士ではござらぬ。義は、個人として称えようが、天下の御法は、浪人を集めて公儀へ弓を引くと云おう。先君の御名が立たぬ、お志の段は忝ないが、お城へ、お訣別を告げて引きとられい。岡野、井関、大岡の諸氏へも、昨日そう申して御得心していただいた事であった』  それ以上は、昨日も、半日に亙って押し合っても、言葉を変えることのない内蔵助だった。困ったような初めの顔つきは、巌のように横から見ても縦から見ても動きそうにもないものに見える。 『今夜はよく寝ておかなければならぬから』  弥太之丞に夕飯を与えるように吩咐けて、彼は、早くから寝所へ入ってしまった。その翌日の二十七日には、全藩士の向背を一決しようとする城内大会議の予定が胸にあったのである。 立つ鳥の記 越え行く川  汗は袷の裏をとおして、古い書物の汚れみたいに、茶無地の表に、白い斑を描いていた。  村松三太夫は、父の背中をながめて、その汗塩から後光が映していると思った。六十歳の老体からこれ程な汗をしぼらせているものは何かと考えると、眼がしらが熱くなってくる。 『──父上、書写山が見えます』 『うむ。見える』  峠の上りでは、だいぶ喘いだが、下り坂にかかると、老体の喜兵衛は若い三太夫を常に背後において、急いでいた。たとえ父子のなかでも、この通りに、負けず嫌いなのだ。  いま越えて来た鷹取峠の上には、姫路藩の兵が、四百人ほど屯していて、戦時のように関を備えたり、槍や銃をならべて往来を威嚇していたが、その中を通って来るのでも、悠々と、そこらの兵を睥睨して、頭を一つ下げるではなく、 『江戸常詰の家中村松喜兵衛、同苗三太夫』  と一言、名乗り捨てて手を振って来たものであった。  相当な身分らしい物具を着けた、姫路藩の将が、 『江戸から御帰国でござったか』  と、長途のつかれを劬わるように、声をかけたのに対しても、 『されば』  膠なく挨拶して、 『御出兵とお見うけするが、とかく近所に事なかれと申すとおり、各〻にも御苦労に存ずる。縁あらば、戦場でお目にかかれるやも知れぬ』  と云って、すたすたと敵の陣地を通って来たのだった。うしろで愉快そうに笑った姫路藩の将の声が、まだ耳に残っている。 『見える! 見える』  こんどは喜兵衛の方で指さした。──赤穂の城下である。千種川である。御崎の磯である。  ふたりの足は早くなった。  麓へ出る。やがて、千種川の河原だった。 『せがれ。休もう』  喜兵衛は石の上に腰かけた。さすがに、百六十里のあいだを張りつめてきたものが、ほっと息づいているらしく見える。手拭をつかんで、助骨の汗を拭っていた。 『さて、三太夫』 『はっ』 『そちは、ここで帰れ』 『えっ?』 『帰れ、江戸表へ』  三太夫は心外な顔をして、膝を折って、父へ詰め寄った。 『それでは、お約束がちがいまする』 『どうしても連れて行けいと申す故、そちの熱意に負けて、ここまでは同行したが、足一度、御城下に入れば、もう帰るよしもない。この川が境だ。──思い直して、江戸表に帰れ。わしに代って、老母の孝養をたのむ。弱い弟の面倒を見てやってくれい』 『意外なことを仰しゃいます。母上や弟とも、すでに、今生の別れをして参ったのではございませぬか。父上の死を見すてて、何でここから引っ返せましょう。拙者は、帰りません』 『その志だけで、武士の義も、父子の道も、立派に通って居る。御城下の土を踏めば、籠城か殉死か、いずれは死の一途に極まっているものを、そち迄が、散りにゆくには及ばんことだ。──帰れ、ここから帰れ』 『いやです。嫌でござります』 『父が申しつけを──』  と云って、喜兵衛は曇った眼を反らしながら、 『なぜ守らんか』  と、鋭く叱った。  三太夫には分りすぎるほど分っている父の心もちではあった。然し、こうあれと教えられて来た家庭の子である、父と争っても、ここから帰ることはしまいと決心した。そして猛々しい心を固めながら、瞼は反対に、止めどない涙を子らしく草にこぼしているのだった。  後の木蔭でその時、誰か、馬を繋がせていた。喜兵衛がその方へ面を向けて、あっと口の裡で云うと、先方からも、 『おう』  と云う錆のある声がした。  馬の背には、鎧櫃と行李とを振分に附けている。そこからにこにこと赭顔に笑みをたたえて来る白髪の老武士は、陣笠をかぶり、手甲脚絆のきびしい旅扮装に体をつつんでいた。京都留守居役の小野寺十内なのである。 『御帰国ならば、どうせ通り道、なぜ京都表の拙宅へ、立ち寄ってくれなんだか』  十内が云うと、喜兵衛が、 『いや、とうに御留守居は、引き払ったという沙汰じゃったで』 『なんの、朝廷の御膝下に住居するものが、そう周章ふためいて、夜逃げのように出立がなるものか。後始末やら、堂上衆への挨拶やら、やっと、滞おりなく了えたので駈けつけてきたような有様じゃ──。ところで、お汝等は、何しておらるるのじゃ、三太夫殿を叱っているような様子だが』 『さればよ』  と、老人同士である。喜兵衛はよい相手に行き会ったように仔細を話した。すると一言の下に、 『それや、親父のほうがいかんわ。わしは三太夫殿に加担する、連れて行ってやんなさい』  と、十内は云うのである。  十内と喜兵衛とは、同じ六十歳だった。又、十内の養子の小野寺幸右衛門も、三太夫と一つちがいの二十八歳で、まだ部屋住ではあるが、藩の向背に依って、殉死にも、籠城にも、加わらせる考えでいると云ったので、喜兵衛はもう我意を張るわけにゆかなかった。 『喜兵衛殿は、よい子を持って、藩の人々へも顔向けがよいぞよ。さあ、参ろう、三太夫殿。若い者は使えじゃ、わしが馬の口輪を持ってくれ、泣き顔持って御城下へ入ったら笑わるるぞ』  千種川を越えた時は、もう父子とも虚心だった。すずやかに、枕をならべて死ぬことが考えられた。 悧巧武士  二十七日、二十八日、二十九日と一藩の者は、城内の大広間に大評議をつづけ、この三日間に、生涯の感情も燃やしきったかのような興奮の坩堝にあった。  第二回の評議あたりから、大体、藩士の色は二つに、はっきりと、分れたことが看て取れた。 (公儀に矢を研いで何の益があろうか。徒らに逆徒の汚名を求め、殿の死後までをけがすものだ)  と云う前提に拠って、穏便に城を明け渡した後、然るべき策を講じようという平和論者と、又、 (──君辱しめらるれば臣死す。武士道にふた道はない。この際、われ等には死があるのみだ。籠城か、殉死か。たとえ大学様のお取立を願うにしても、この城を渡して屈するわけにはゆかぬ)  と硬論を執ってうごかない者との二派であった。  その間にも、取るに足らない枝葉の問題を持ちだして、ただ口賢く、そのくせ信念はなく、自分のもってゆきたい所を巧みに糊塗して、介在している世俗的に頭のよいのが在ることも勿論だったが、そういう偽装は、この熱烈な雰囲気からはすぐ看破されてしまって、双つの派の何っ方からも、当然に無視されてしまっている。  公儀に手数をかけずに、とにかく、城を明け渡してからという穏当派の主体は、大野九郎兵衛であった。 『まあ少し、冷静に返ってみては何うじゃな。お互いが、いわばこの際は、逆上っている。炎から一歩退いてみるも、必要じゃないかの』  と、彼は世故に馴れた落着をもって、凄じい顔つきの人々へ水をかけるように云う。 『老台のおことばにも、一理はある』  と内蔵助も又、敢て、その常識論に、反対はしない。  然し、肯こうはずのないのが、血気派だった。頑然と首を振る。額にすじを走らせて、それを大野の狡智である、臆病である、又いやしむべき武人の態度だと罵って、 『逆上っているとは何事だ。この主家の大凶事に、冷然としていられぬことは、決して恥ではない。城受取りの寄手をひきうけて、三世の御恩顧に酬ゆる以外に吾々の存念はないのだ。臆病者は、退席しろっ』  と、満座に悲壮な気を漲らすのであった。  それに対しても、内蔵助は、顔いろでうなずきを見せている。この家老は、果してどッちなのか。確かな信条をもっているのだろうかと疑う者のあったのは当然である、むしろ九郎兵衛の、はっきりした態度に好意をもつ傾きの方が濃くて、席の大半を、その派が占めていた。 『だまんなさい』  と九郎兵衛は怒号へ向って、怒号をもって答えた。彼は自分の説が、義のない言だとは決して思っていなかった。城代としての重任も、武士の立場も、年少な軽輩などから教えられる迄もなく、腹に蓄えてあるつもりなのだ。  ただ彼には、もう若い感激は素枯れている。それと、情熱だけでものに当ることは、昔から嫌いな性でもある。一応は何事も──たとえば「武士道」とひと口にいう自分たちの鉄則に対しても十分に、智恵の光りと理論をとおしてみた上でなければ、頷けもしないし、行動にも現わせないのであった。  その点で、平常の彼は弁才といい、社交といい、遙かに内蔵助よりは上手の人物と見られていたし、自身でも、ずっと年下の内蔵助よりも自分のほうが劣る人材とは、この期に於ても、決して思ってはいないのである。  で無論、彼は怒った。 『籠城がなんで、忠節になるか。本多家や、松平家や、その他の寄手に、当藩と何の遺恨があるのじゃ。憎めもせぬ人間と戦えるほどおぬし等は野蛮なのか。しかもこの上、領民を苦しませ、御本家を始め、親藩に累を及ぼし、逆徒の汚名を求めて、それが、亡君への忠義になるとは、九郎兵衛にはどうもわからん。わしは与せんよ。左様な愚挙に与するくらいなら、この席は立ってもよい。然し、城代としてはここは立てぬわしだ。同時に、断じて無謀な籠城などは相成らぬ』 『うぬっ』  末席で不意に立った者がある。憤怒の眉が刀のつかを掴んで、跳びかかって来そうな顔を示したが、 『これっ』  と周囲の者が、抑えつけてしまった。  九郎兵衛は老人特有なきかない顔で、その方を凝視めた。両派の者が、はっきりした沈黙の陣を示して、白けわたった。 『然し──』  内蔵助がその時、面を九郎兵衛に向けていた。九郎兵衛は、きっと眸にうけて、 『わしの言い条は、ちがうであろうか』 『理に長けておざるがの。義においてはどうあろう』 『なぜ』 『赤穂藩は、小なりと雖も、常州笠間以来、士を養うことここに三世、御恩顧をうくる者三百余士、この際、おめおめ、城を明け渡して、どう武門の名分の実があがりましょうか』 『では、其許までが、籠城をよいとお考えか』 『よいとは思わぬ。ぜひがないと思う──。然し、拙者の実の存念は、殉死にある、最上の一策は、一同、大手御門内に座をならべて、亡君のお後を慕いまいらすことじゃ』 『えっ、殉死』  九郎兵衛は内蔵助の面を見なおした。こんな事を、この男がほんとに考えているのだろうか。 『死んで何う召さる?』 『誠心をもって、大学様のお取立を、哀願申しあげるのでござる。公儀も、さすれば臣子の心根を、或はお酌みとり下されようも知れぬ』  九郎兵衛は沈黙した。何か口先で反対のできないものが彼の本心にもあった。然し、殉死策は消極すぎると言いだす者が、前の硬論派の面々からやがて云い出された。  で、結局、  第一に、嘆願使を出して、大目附にすがってみる。万一、それが絶望となったら、籠城とする。こう決まったのが最後の評定で、大凶月の三月は暮れた。  四月に入ると、何か人の心が、がたっと滅入り落ちたように、城内はひっそりしてしまった。城下の侍町を見わたしても、沛雨の後のような淋しいものが、昼間でも漂っていた。 (それみろ)  九郎兵衛は、ひややかに笑った。 誓約  五日の日である。  きょうは、藩士へ対して、穀倉の残り分と、金子の配分があるということで、集合の布令があった。  ここ七日ほど会わない顔が集まった。心境も変ったろう。それに、きょうの頭には金というべつな意識が入っている。九郎兵衛の眼でも、いつぞやは激越な議論を吐いた者で、きょうは、醒めたように沈黙している顔を、幾つも見出した。  挨拶がわりに、九郎兵衛は、個人的に、ぼつぼつ言って歩いた。 『どうじゃな、まだ、死ぬが忠義とお考えかの。弾みなら、誰でも死ねるが──』  答えない者もあるし、遽に、今日は九郎兵衛に同意を示す者もあった。  公金の分配でも、だいぶ異論が闘わされた。  その割当ては、 『身分の高下なく、人数割に』  という内蔵助の意向であったが、九郎兵衛を始め、外村源左衛門、岡林朴之助、伊藤五左衛門、玉虫七郎右衛門などの組頭たちが、 『知行割に』  と主張して譲らない。  内蔵助の言い分では、大身には、武器家財を売っても余裕がある。小身の者ほど、こういうときは、厚くしてやるのが目上の義務である──という理由をとり、九郎兵衛は、大身には眷族の負担がある。又、軽輩のようにすぐ身の処置もできぬ、社会に対して、旧家の面目も考慮しなければならない、等々、幾らでも反説をあげてくるので、これも果しがなかった。結局「高知減し」というところで妥協がついた。  知行割でゆくと、百石について、十八両当の分配であったから、千石では百八十両になるが「高知減し」は、百石を増して禄が上へのぼる毎に、二両宛の減配をする。つまり二百石からは十六両、三百石となれば十四両という計算に、上を薄くしたのである。あくまで、下に厚く、上に薄く、というのが内蔵助の主張だった。  そのほか、浅野家菩提所の寄進金と、亡君の内室瑤泉院化粧料(輿入れの折の持参金)とはべつに手をふれずにわけてある。  内蔵助は、自分の分配金には、目もくれなかった。  彼はひそかに、 『これでおよそ篩がかかった』  と、見た。  金を持ってみてから今日帰る人々が、またどの程度に変化を見せるか。彼は、能動的になんの策もしていないようでいて、いつのまにか、自分の手に、もう二十名近い者の血判した誓紙を納めていた。  神文の表には、殉死とも、籠城とも、約束してなかった。ただ、進退一致だった。──内蔵助の料簡次第にと、認めてある。  いつのまに、彼がそんな誓紙を語り、誓紙を手に納めていたのか、知る者は、彼と、それを差出した者だけだった。 (まだ、人間はいる筈だ)  内蔵助はこう見ている。  然し、見わけ難いのが人間だ。九郎兵衛のような利巧者は語るに足らない。すべて理論家はその場だけの者が多い。感激の人生を知らないからだ。と云って、感激を外にあらわし過ぎているのもあぶないと思う。そう見てゆくと人間は少ない。決して、軽忽に洩らし難い大事なのだ。彼の眼は、おそろしく鈍いものみたいに気長だった。  十一日。  先にやった嘆願使は帰ってきた。てんで受けつけられなかったのである。親藩の戸田家から、かえって、開城の諭告書を持たせられて帰ってきたような始末だった。  その結末と、籠城の準備を評議するという名目で、翌日、再集合の布令をまわしてみると、登城人数は前の半分にも足らなかった。 (おや、あの男が)  と、意外に思われる顔までが、欠けているのである。  九郎兵衛は、勿論、来ていた。  この頃では、自然と、彼の周囲には彼と同意の者が坐って一つの色を作っていた。そしてきょうは予め、前の夜にでも協議してきたように、口をそろえて、その一派から籠城の愚であることを反駁してきた。 『幾度言っても同じ事じゃが、わしは、城代として、年長者として、最後まで云う。各〻方は、自分一個の名分の方が、今では、捨て難くなっているらしい。怪しからぬ武士道だ。自身が満足をするために、亡家の御名も、四隣の迷惑も、蹂躪ろうとするも同じではあるまいか。わしとて、君家のかかる末路に対して断腸の思いはある。しかしすでに瓦解した物へ、さらに炎をかけ、血を注いで、それが何になろう。阿呆らしい、狂気沙汰と人が嗤おう。やめなされ、悪いことはいわん、いや、九郎兵衛一身を以ても、思い止まらせねばならぬと、今日は覚悟して登城したのじゃ』  嘘には叫べない声だった。彼にも彼だけの信念はあった。そして士道はそれと信じている。又、他の人々が籠城して討死した場合、自分が無事に生きていることは心苦しいとも思う。こう説くのは自己の為でもあった。今日ほど九郎兵衛の眼が血ばしって見えた事はなかった。  それに反して、籠城と一決している人々のほうは、殆ど、無言で聞き流していた。肚のうちで笑殺しているかのような沈黙の陣だった。 『うるさいっ』  突然、その中から起った声だった。この前の集合には見えなかった小野寺十内が、村松喜兵衛と並んでそこに在った。  ずかずか、老人は立って来て、 『大野氏』  と、前に坐る。 『なんじゃ』  九郎兵衛はふるえていた。眼に涙があった。自分だけで信じる正義観がふと彼を悲しませ怒らせた。 『お立ちなされ。臆病者は、ここにいても益のないことじゃ。残る者だけが残る──。それでよい』  憤然と九郎兵衛は突っ立った。何か、内蔵助へ挨拶をしたが、舌がもつれていて、意味がとおらなかった。 『御免っ』  と、続いて、外村源左衛門が立つ。玉虫七郎右衛門が立つ。  立ちよくなったように、以後の者も、続々、室外へ出て行くのである。清々しい空席が見るまに殖えた。半分以上の者が去ったが、一本の歯が抜けたようにも惜しまれなかった。 『風通しがよくなりましたなあ』  吉田忠左衛門が、内蔵助のそばで大きな前歯をむいて笑った。 (──もう立つ者はないか)  猶予を置くように内蔵助は他所を向いていた。みっしりと、何か凝結した感じが後に残った人達だった。  内蔵助は、後の者に、 『暮れてきた、燭台をもらおうか』  と云った。  その燭台が来るまでの間に、内蔵助は初めて、本心の一端を一同へうちあけた。──ここでは死ぬまいと云う事だった。  すでに、誓紙の上で誓った者には、改めていう迄もないが、篩にかけて残った者へは、今始めて囁く大事なのである。 (ここでは、死ぬまい)──ということ。  その無言の意味が、誰の胸へもすぐに来た。遽に紅い血のさした顔が、唾をのんで、内蔵助の面を見た。 『──が、飽まで、われ等の力の及ぶかぎりは、たとえ、千石であろうと、大学様に御家督下し賜わるよう、公儀へお縋りすることは当然。それが成る成らぬは天意でござる。又いかように相成ろうとも、われ等、侍奉公の者が、この後とも歩む道は、一筋でしかない。右顧左眄、要らぬことじゃ。侍に生れたれば侍に死ぬる。それでしかない。死場所は、暫くこの内蔵助におまかせ願いとう思うが、異存なござろうか』  およそ五十人ほどいた。粛として、影に影を寄せ合せている。そこへ、燭台が運ばれた。  硯をとり寄せて、人々は皆、同文の誓約を認め、血判して内蔵助の前にさしだした。その中に、台所方の小者、三村次郎左衛門の名があった。又、まだ前髪のとれない十五歳の矢頭右衛門七も書いて出していた。  内蔵助は、その二枚を、べつに除いた。そして二人を呼んで諭したが、二人とも、涙をたたえるだけで、肯かないのである。一同はうごかされて、 『かほどに申すものを、加えてやらぬのも不愍だ。御家老、その誓紙をうけてやって下さい』  共々、口を添えて加盟を願った。  内蔵助の重い口からゆるしが出ると、右衛門七はニコとした。色の白い、つぶらな眼をもった美少年だ。誰もこの少年を殺したくないと思ったが、本人は、嬉々としたものである。  台所方の三村次郎左衛門は、たった七石二人扶持の軽輩で、評定の席へも今日までは列していなかった程だが、士道の研きは高禄の者にだけあるものではなかった。むしろ、最後の日まで残ったこの顔ぶれを見ると、上級の侍よりは、微禄の組に、真実に生きようとする者が多い。 『何もございませぬが、皆様の御誓いが結ばれた欣びに、粗献を用意して参りました』  次郎左衛門が、それへ冷酒と朱杯を運んできたので、 『おう、よく気がついた』  内蔵助は杯を手に上げて、順にまわした。「欣び」という言葉を耳にしたのは幾日ぶりだろうかと、人々は、この二十日ほどを遠い月日のように振りかえった。 立退梱 『おいッ、大津屋じゃないか』  と誰か呼ぶ。  お城用達の町人大津屋十右衛門は、せかせかと大胯に歩いていた足を止めて、濠端の暗がりから歯を見せて近づいて来る笑い顔を、振り向いた。 『あ、八十衛門様でございますか』 『どこへ参った?』 『浜方まで、ちょっと、急用を生じまして』 『貴様たちは、金儲けに忙しいのじゃろう。町人はよいなあ』  顎に剃刀の痕が青かった。原惣右衛門の弟の岡島八十右衛門は、たった今、城を退がって、兄の惣右衛門や、杉野十平次や、前原伊助などの同役たちと、すぐそこの大手前で別れて来たばかりだった。 『どういたしまして、御領主様の凶変に、なかなか金儲けなどという不埓な考えは出もいたしませぬ』 『うそをいえ』  八十右衛門の笑い声には、城内で一同と酌んだ酒のにおいが残っていた。 『何も、遠慮せんでもいいわさ。こういう一国の急変には、物資がうごく、物資がうごけば町人は儲かる。すこしも、憚るには当らんじゃないか。武士は武士、町人は町人、自からの立場がある。正道を踏むというのは、その立場に揺ぎや誤魔化しのないことを云うのだ』 『御尤もで……』 『この際、町人は町人道を守ればよい。武士には又、武士の態度がある。俺は思うのだ、百姓でも、町人でも、その道の職に成り切っている奴が一番偉いと』 『では、町人は、儲けてもかまいませんか』 『ただし、不義、暴利は成らんぞ。正しく儲けろ。これから先も、他から領主の国入がある。祝事がある、人心が一新する、随分、其方たちにはよい風向だ』 『何か、皮肉を云われているような気がいたしますな』 『ははは。案外、貴様も正直者だな。浜へ参ったのも、商用であろうが』 『所が、つまらない頼まれ事で、多年の御縁もあること故、いやとも云えず、町人共も、この騒動では随分、ただ奉公もいたして居ります』 『藩の御用か』 『藩の御用なれば、たとえ、どう損がゆこうと身を粉にしようと、愚痴などは申しませぬが、あの吝い大野様からの吩咐けなので』 『大野から、何の吩咐けだ』 『大阪表へお立退きになるんで、家財諸道具が荷梱で七十箇、箱と菰で二十荷余り、それを今夜のうちに船積みしろという無理な註文じゃございませんか。それでなくても、荷船の払底しているところ故、船問屋にかけ合って、やっと今、半分ほど積みましたが、後は明日になるらしいので、そうと云ったら又あの御老体が、権柄な肩を怒らして、勝手なことを吐ざくだろうと思って、気を腐らして帰って来たところです』 『九郎兵衛は大阪落と肚を決めたか。──して、その半分の荷物は、どこにある』 『まだ、御子息の郡右衛門様の分が、五十梱もありますので、手前共の店の土間と土蔵に、今夜一晩は積んで置くつもりでございます』 『そうか、俺に、見せてくれ』 『御覧になっても、つまらないではございませんか』 『いや、見たい。あの蓄財家の九郎兵衛が、髪の白くなる迄、爪の垢を貯えて、それがどれ位な嵩になっているか、話の種に、見て置きたいのだ』  従いて来る者を拒むことも出来なかった。大津屋は自分の家へ案内して、店先で茶をすすめると、 『折角、久しぶりで頂戴した酒がさめる。冷酒でよい、一杯くれい』  と、八十右衛門は上り框に腰かけた儘、そこの大土間に山と積まれてある荷物をながめていた。 『さすがに、心がけの違った男だ。惜しむらくは、大野九郎兵衛、なぜ町人に生れなかったかだ』  茶碗の酒をのみほして、 『ああ、よい心もちになった。大津屋』 『へい』 『この荷梱は、一箇でも、船積みすることは成らんぞ。土蔵のほうにあるという伜の郡右衛門の家財も同様、何と云って参っても、渡しては相成らん』 『とんでもない事を、左様なことは、私共、町人には言い張れません』 『安心せい。原の弟、岡島八十右衛門がそう云ったと断れ。強って欲くば、大石殿のおゆるしの上でと申せ』 『どうも、迷惑仕ります。先は、御家老だし、御子息はあの通りな郡右衛門様。そんな事を申したら手前共が無礼討にされるかも知れません』 『はははは。その前に、俺が、九郎兵衛を封じて来る。今日の彼奴の態度といい、又、このような抜け目ない手廻しといい、いわゆる、武士にして武士道を阻めるものだ。風上に置けぬ人間だ。──それだけでも癪に障ってたまらないのに、彼奴め、自分の非をわすれて、先頃、お金蔵の金子が台帳と少々合わないのを楯に取って、この八十右衛門が着服でもしたようなことを世間へ云ったという噂も耳に入っておる。旁〻、一度は訪れようと考えていた矢先、ちょうどよい、ここへは苦情の来ぬように俺が禁厭をして来てやる』  青貝柄だの、樫だの、朱柄だのの槍が十本程、一束にして藁苞に巻いて荷の中に立てかけてあった。八十右衛門は酔い頃に染まった顔を撫でながら、側へ行って、縄の束ねを切り解いた。そして、樫の九尺柄を一本抜いて、 『大津屋、かたく申しつけたぞ』  蔀の油障子を開けて、槍の穂から先に、往来へ出て行った。 人の居る空家 『度し難いたわけ揃いじゃ。──その馬鹿にもふたいろある。馬鹿に見える馬鹿と、馬鹿に見えない馬鹿と』  もう目ぼしい家財は何もない屋敷の内である。小者部屋の行燈と、食台と、安物の食器だけを残しておいて、大野九郎兵衛の家族は、身拵えまでして、そこに集まっていた。 『乳母、泣かすな』  杯を、伜の郡右衛門に渡しながら、九郎兵衛は、乳母の膝にいる疳のつよい孫の頭を見た。 『おぬしに似て、毛が赤い』  と笑った。  郡右衛門は、父へ酌して、 『孫は、たいがい、祖父に似るそうですな』 『わしに似れば、大したものだが、おそらく、これから浪人が何年つづくか知らんが、これで、凡物ができあがると大野家も、まあ、わしの代で峠じゃろうて』 『そんな事はあるものですか』 『でもまあ、こういう場合に際会しても、死ぬの何のと、血まようほど逼迫をしていないほどの心掛けはして置いた。上方へでも出て、気楽に晩年を過ごそうよ。わしも初手は、こころから大学様の将来を思い、たとえ、殿は亡いまでも、御家名と四隣への名分はまっとうしたいと考えて、ずいぶん憎まれ役にも立ったが、今日という今日は、なんだか、城内で笑いたくなって来た。大石という人間は、あれで極く人が良いのだ。軽輩の困窮者や、主を離れたら食うすべのない若侍が、一時の激情で、武士道の何のというと、自分でも、これはあぶないとおもいながら、足が抜けない破目になっているのじゃ。家老とか、一方の将とかいわれると、ああいう目にはよく遭うものだ。かつがれない用心だけは、わしは最初から用意してかかったから、まず死神につかれることだけは免がれたわけさ。──死んで何うなるのじゃ。今夜あたり、大石などは、寝床の中で考えとるじゃろう』 『岡島の配下が、どさくさ紛れに、お金蔵の金子を着服して、逃亡したという話じゃありませんか』 『うむ、だいぶ帳尻があわなかった。然しな、戦場ですらある例だ。あまりいうな』 『目先の利いた奴ですな』 『褒めるわけにもゆくまい』  郡右衛門は、酒瓶を上げて、 『酒がないぞ』 『待て待て』 『もう、およろしいので?』 『いや──』  と、耳を澄まして、 『なんじゃ。誰か、表門を叩いておるようではないか』 『大津屋でしょう』 『あれなら、裏門から来るはずだ』 『…………』  今夜の立退は、家中には勿論、町の者にもかたく秘密にしていたのである。疚しいものが九郎兵衛の気を弱くしていた。郡右衛門もぎょっとした。  門を叩いている音は漸々激しくなる。ただの訪問者ではないことはすぐ分った。大きな閂が揺れているのだ。 『開けろっ! 留守ではあるまい、大野九郎兵衛に会おう!』  たった今、噂をしていた原の弟の声にまちがいない。岡島八十右衛門なのだ。九郎兵衛は酔のさめた顔をしてその部屋から歩みだした。 『およしなさい、父上』  郡右衛門はあわてて父の袂をつかんだ。九郎兵衛は、眼をすくめて、 『会やせん……。誰が……』  と、呟いた。  二人は、玄関の出窓へ行って、そっと外を覗いた。門を跳り越えて来たらと、あらかじめの隠れ場所も、その間に考えていなければならない。  八十右衛門は、隣り屋敷まで鳴り響くような声で、呶鳴っていた。 『燈火の見ゆるからには、まだ当家は空家ではあるまい。九郎兵衛も郡右衛門もそこにいるものと存ずる。耳あらば聞けっ。一藩の城代たる身でありながら、世々の御恩顧もうち忘れ、匹夫同様、夜陰に乗じて立退こうなどとは見下げ果てた根性。それでも武士かっ、城内で申した汝のことばには何とあったか。亡君の御名を穢すものとは、其方ごとき者をいうのだ。生命だけは助けてつかわすが、二度と、吾々の眼にふるる所へ出てうせると、その分にはさし措かぬぞ。よいかっ、覚えておけっ』  門屋根を越えて飛んで来た槍が、脇玄関の戸ぶくろにぶすりと突ッ立った。  九郎兵衛は苦い生唾をのんでいた。暫く措いてから門の外で、八十右衛門の笑い声が大きく響いた。 遠林寺茶話  きのうから祈願所の遠林寺に、藩務からすべてが移されて、そこが残った藩士たちの会所ともなり、残務を執る所ともなって、持ち込んだ書類の箱や机の位置が定まらないうちに、内蔵助は坐っていた。  城内には、吉田忠左衛門や、小野寺、原などの老練が残って、もう今日あたりから、天守、本丸、藩庫などの整理に当っている筈である。 『このお城を離れても、俺たちはきっと、このお城の夢ばかり見るだろうなあ』  そんな事を呟きつつも、藩士たちの顔はふしぎと昨日から明るかった。  籠城から──開城となったからだ。  殉死か、討死か、何方を向いても死の策だったものが、開城と一決して、幾日でもここに生きのびられる欣びだろうかといえば、決してそうではない。それ程、生命を主とする考えならば、いつでもあの評議の席を立てば立てたのだ。この赤穂から外へ出るのを、阻める関所はないのである。  また、最後の日に、盟約が結ばれて、内蔵助の口から、はじめて、 『開城』  と云う底意が打ち明けられ、 『──後図のことは、一先ず、此方の存意におまかせ下さるまいか』  となって、それを誓文の一行に書き加えて承諾してある以上は、今捨てない生命も、決して永い間というわけでないことは分っている。  いずれは近いうちに死ぬのだ!  これ程、はっきりと先の見えていることはない。それだのに、遽に、各〻の面につつみきれない明るさがさして来たのは、取りも直さず、大きな心の変化でなければならない。  絶望が希望へ一転したのだ。  惨憺たる敗地から勝利者への位置へ立ち直ろうとして来たのだ。  ただでは死なぬという生命力の現われて来たものが、昨日から、藩士たちの生々としたその眉なのである。  こう一昨日までの黒い喪服を脱ぎ捨てたような人々の変り方の中にあって、相かわらず、初めての評定の時から今日まで、どう眺めても変りの見えないのが内蔵助であった。  今も、華岳寺の使僧と、忙しい中に、世間ばなしを交している。  それが帰る。  又、高光寺の住職が来る。  寄進の目録が届いたので、礼に見えたのだった。大蓮寺からも同様な挨拶があった。 『勝田、とても可笑しいことがあるぞ、聞いたか』  若い連中の一組がかたまっている本堂の隅に来て、外から戻って来た杉野十平次が大きな声で云った。  勝田新左衛門や、矢頭、間瀬などの人々が、 『何だ、何があったのか』 『一昨夜、夜逃げをした大野九郎兵衛な』 『また、大野の話か。大野の事なら、きのう、笑ってしまったぞ』 『ところが、又一つ、茶話がある。八十右衛門の脅しがききすぎた為、よほど狼狽したとみえ、乳呑み児の孫を、乳母の手にあずけたまま、便船の外へ、忘れて行き居った』 『まさか』 『いや今、見て来たのだ』 『どこで』 『その乳母が、町へ子を捨てて姿を隠してしもうたらしい。町家の土蔵路地でひいひいと泣いておる。人が集って、何処の子じゃと騒いでいるのだ。近所の商家の内儀に、乳をもらっていた』 『主が主なれば、乳母も乳母だな。八十右衛門も罪なことをする』  耳に挾んだとみえて、内蔵助が一室から振り向いて云った。 『杉野、その子を寺へ抱いて来て、守してやれ』 『九郎兵衛の孫でござるが』 『わかっておる。その嬰児とて、亡君の御恩のかかった者の一人じゃ』  杉野が、本堂の階段を降りて大胯に出て行ったと思うと、すぐ、あわただしく戻って来て、 『御家老、御家老。江戸表の面々が見えましたぞ』 『誰が? ──』  と、内蔵助は内陣の脇の部屋から山門の方へ眼をやった。  浅黒い顔が三つ、逞しい肩をならべて真ッ直に本堂へ向って来るのが見える。  右の端が、堀部安兵衛、中に奥田孫太夫、左に立って来るのが高田郡兵衛で、もう此方の人々の顔を認め、やあ、と云いたそうに階段の下へ来た。  内蔵助は、咄嗟に、 (来たな)  という面持であった。  取次の右衛門七へ、 『通せ』  と、その声も無表情である。  先に江戸表から来た村松喜兵衛や、片岡、磯貝などから、この三名の消息はつたわっている。まだ江戸表に残っている安兵衛の養父堀部弥兵衛老人からも、きびしい文面をつい二、三日前にうけ取っていたばかりのところ。  塵を払って、三名は内蔵助のいる一室へ来た。庭先の大きな蘇鉄に陽ざしが青かった。 後のふくみ 『只今お着きか』  内蔵助の最初の挨拶だった。 『いや、昨夜おそく』  郡兵衛は、小坊主の運んできた茶をぐっと服んだ。何となく険しい眼をそろえている三人だった。共にこの三名は江戸で有名な当時の剣豪堀内源太左衛門の高足だった。わけても、安兵衛の刀に至っては藩地以上に関東で重視されている。風流子の多い江戸詰の中で、 (俺は武骨者)  で通しているところも一特色だった。  消息の伝えるところに依ると、この三士は、事変後、早くも、 (賢げな百説、どれもこれも採るに足らぬ。吉良は無事に生きているのだ。ただ、亡君の怨敵たる彼の首を申しうければそれで足る)  と堀部弥兵衛老人を首領に仰いで、在府の者だけで、行動に出ようとした急激派の発頭人たちであるという。  どれ程、その事に就て、今日まで内蔵助は、人知れず胸を痛めていたか知れない。  不幸に似て幸いであった事には、江戸表にも、大野一派のような冷静家の多かったことだ。江戸家老の安井彦右衛門、藤井又左衛門からして先ずそれである。  いくら切歯してみても、又、腕に自信があっても、わずか三名では、吉良の門内へ斬り込んで幾十歩駈け込めるかに問題は止まる。 (この上は、赤穂と合体して、共々、城を枕に──)  と、一途に百六十五里をやって来たに違いない。内蔵助は三名の眼のうちに、その急激な意気を読みとって、 (はて、困ったものだ)  というように、模糊とした態度と面持のまま、暫くだまりこんでいたが、やがて、所在なげに、煙管をとりあげて、かるくたたく。それから、机の端の紙きれを取って、紙子縒に縒っている。 『御家老。──承わればすでに、公儀御使の大目付荒木十左衛門まで、開城のお受けを差出された由でござるが、それは、噂でござろうか、それとも、真実でござろうか』 『もう、お聞きか』 『お城で、吉田忠左衛門殿から』 『ならば、くわしゅう申しあげるまでもない。そのとおりでござる』  端にいた奥田孫太夫の白髪まじりの長い眉が、窪んだ眼のうえでびりっとうごいた。 『大夫』  開き直った声音である。  血相ではどんな大喝が出るかと待っていると、孫太夫の手の甲が、その眼を抑えた。はらはらと落涙しているのである。五十六歳にもなる男が──武士が──泣いているのだった。  内蔵助は蘇鉄の葉へ、ふっと、眼を反らした。大きなおはぐろ蝶が一羽ゆらいでいる。──それを見ている。 『ぶっ、武士かっ、おん身はっ』  高田郡兵衛の口を破って遂に出た声だった。肩をふるわしているのだ。脇の下に、ぴったりと大刀を摺りつけて、 『開城とは、何だっ。せめて、お国元には骨のある人間もあるかと来て見れば、上席家老たる貴公からして、平然と、よくも云われた口だ。隣国の兵に怯じ召されたか。それ程、生命が惜しいか。──な、なんだっ、この場合に、寺になど机を構えこんで書類いじり、それが、主家の滅亡を見ている武士の所作でござるかッ』  安兵衛も又、膝を詰めよせて、 『父弥兵衛が申し条にも、内蔵助こそ、この折は頼むべき人物とあったに、意外な言葉に、呆れたというより他はない。大学様お取立の嘆願も、所詮、望みはないと承わる。それ以上、何の憚る必要があって、おめおめと、城を明け渡されるのか。御所存な承知いたしたい。返事によっては、吾々三名、徒らに赤穂へ帰って来たものでないことを断っておきますぞ』  内蔵助の指に、紙子縒がぴんと縒れていた。甚だ好ましくない気ぶりを太く結んだ脣が無言に答えている。──こういう過激な感情家は、大野、玉虫などの輩より困る。──と彼は思っているのであろう。悲憤慷慨ということが抑〻嫌いなのだ。涙をすらうっかりは買わない内蔵助なのである。自分がそれに脆いために、こういう際はよけいに心構えの緻密になるのはぜひもなかった。相手が声高になったり、眼に充血を持ったりすればする程、彼は、自分の冷観を必要とする。心の底で、 (これが、冷めるのだ──)  と思ってみる。そして自身を、漠然とした自分の顔いろでつつんでしまうのだった。 『──御尤もじゃ』  やがて答えた。よく出る彼の口ぐせの一つである。 『だが──』  と、その後につけ加えて云う。 『──御両所、開城いたしたからというて、それで、何事も終るというわけのものでもあるまい。後のふくみもある。すでに公儀へも、戸田采女正様へも、お受けの由を申しあげてしまったものを、ぜひも無いじゃござらぬか』  尖った肩のあいだに、首を俯向けていた奥田孫太夫が、きっと、眼をあげて、 『今仰せられた──後のふくみとは?』 『さ』  煙管を持った。然し、煙草をつめるではなく、膝に遊ばせて、 『大学様の御安否のほども、是非是非、見届けたし……』 『それだけでござるか』 『ともあれ、おまかせ願われぬかの』  掴まえどころがない、怒り栄えがない。安兵衛は、眼くばせをして立ち上った。この男、共に事を成すに足らないと見切りをつけたかのように蔑む眼を捨てて行った。そして三名背をならべて、本堂の縁に草鞋の緒を結びあいながら囁いた。 『この上は、番頭の奥野将監殿に計ろう、将監の胸をたたいたらすこしは音がするだろう』  憤然と出て行くと、山門の外から、杉野十平次が、嬰児を抱いて戻って来た。火がつくように泣いているのを、不器用な腕の中に揺りうごかしながら歩いて来るのだった。 『もうお帰りですか』  十平次の丸い顔は、青年らしい愛嬌をもっていた。 『どこの子だ』  郡兵衛は、その事よりも、この際、嬰児などを手にしている彼の暢気さを咎めるような語調だった。 『大野九郎兵衛の孫ですよ。ひどい祖父様や親父があったものです。立退く時、あわてて、乳母と一緒に忘れて行ったという不愍な子なので』  郡兵衛は、ちょっとのぞいて、 『似ているわ』  いやしむように呟いて、先へ行く安兵衛の後へ追いついた。そして、大きく嘆息しながら、 『駄目だ、武士道はもう元禄のものじゃない』  と、地へ唾を吐いた。 清掃  大工の鑿の音が濠の水へよい音をひびかせている。大手の刎橋の朽ちた部分を修繕しているのだ。二の丸の堤には、草摘み女の菅笠が沢山にたかっている。松には庭師が登っていた。道路には足軽が指図して箒目を立てている。  城内の整理は終った。清掃もやがてすむ。  備えつけの武器什器、民政の諸帳簿類から国絵図、すべて目録にして、きちんと、置くべき所へ置いて、公儀の使者を待っていた。  幕府の命をうけて、城受取りの副使として赤穂の旅舎に着いている荒木十左衛門と榊原采女の二人は、正式の明渡しが行われる前の日、下検分として、城内を見て廻った。  本丸、二の丸の広い区域を巡見して、その人々の白い足袋の裏は汚れもしなかった。大廊下は、照りかがやいていた。武器の飾りは見事だった。郷帳、塩田絵図、年貢台帳、一目でわかるように備えてある。 『粗茶を一服さしあげとう存ずるが』  内蔵助から申し入れると、 『左様か』  使者たちは、鷹揚に導かれた。  そこは、内匠頭の世にいた頃の居間だった。茶のかおりが漂うと、居ならぶ藩士たちの瞼には、主君のすがたを思い泛べずにはいられなかった。  その時、内蔵助は両使へ向って平伏しながら、 『主君内匠頭儀、不調法に依って、城地お召上げの上命、謹んでおうけ仕りまする。すでに、主君は歿し、国亡び、相手方吉良殿は無事と承わる今日に於ては、臣たる某共には、自決の途はあるはずにござりまするが、ただ内匠頭の弟大学が控えておりまするままに、暫く生を竊んで、やがての御恩命をひたすら待ち奉る微衷の他ござりませぬ。先に、戸田采女正殿の手を通じて、嘆願の儀、何とぞお取なしありまするよう、その一縷の望みだにかのうなれば、吾々共一統、亡主の廟前に於て、人臣の義を果し、公儀を初め奉り、ひろくは天下万民に罪を謝して、泉下に無用の骨を埋めて已むの所存。ひとえに、御憫察を仰ぎ奉りまする』  彼が日頃の念願を打ちこめて云った。 『…………』  二人の使者は、黙然と、眼を見あわせたきりで立った。  間数を踏んで大広間へ来た。  陽炎のような陽影が、黒い格子天井にうごいている。それを仰いでいる荒木十左衛門の足もとへ、内蔵助はふたたび平伏して、 『御覧ぜられませ、小藩ながらこの本丸にも、三世の年月が古り居りまする。徳川家の藩塀として、ここに一城を築きまするにも、一朝一夕のことではなく、藩祖浅野采女正の勲功、以後代々の忠誠に依り、御恩遇を蒙りましたこと、亡君内匠頭に於ても、夢寐のまも忘れ居らず、常に、臣等を勉め励まし、ただ御奉公一途に専心いたしおりましたに、不測の不調法、残念至極にござります。あわれ、いささかなりとも、御寛恕の一片を、大学様に、御垂徳くだし置かれますれば、地下万代御高恩を仰ぎ忘れは仕りませぬ。諄くも懇願申し奉ること大罪と恐れ入りまするなれど、何とぞ、お心のうちにおとめ置き賜わりまするように』  あたりに附添って、手をつかえている藩士達は、内蔵助の静かなその声に打たれて、泣くまいとするほど瞼が支えきれなかった。  依然として二人の使者は無言を守っている。歩みだしてから、 『内蔵助の申し条、臣として、余儀ないことに思われる』  と、低く一言洩らした。  だが──その夜、十左衛門から内蔵助へ招きがあって、 『御心底、篤と、今日拝見しました。諸事、お見事であった。帰府の上は、上聞にも及ぶでござろう』  と云った。  大学の名は口にしなかったが、十左衛門の心は動かし得た。  翌十九日は、いよいよ、城との別れの日である。荒木十左衛門の旅舎を出た内蔵助は、すぐ城へ引っ返した。持々の場所に夜を明かして、警備している藩士たちへ、 『こよい一夜は、まだ亡君のお城でござるぞ。御門、火気、おぬかりあるな』  と励まして廻った。  やがて夜も明け方に近いかと思われる頃、遙かに貝の音が聞え渡った。  天守閣にのぼって見ると、満天の星が冷々とまたたいている。城下はまだ暗く屋根も浮いて見えなかった。その漆のようなひろい闇を縫って、鷹取峠から千種川をこえて城下へ流れて来る一列の炬火がある。いうまでもなく、この数十日前から、国境に筒をかまえて、或る場合に備えていた姫路、岡山の諸藩の兵だ。  なおよく見ると、城下に迫って、近々と陣をそなえているのもある。今日の城受取りの正使、播州竜野の脇坂淡路守の隊伍であろう。  更に、一転して海の方をながめると、そこはすでに、白々と、細い波が光っていて、鯨の群のように、各藩の兵船が、水軍の陣線をひいて、赤穂領のうしろを抱いていた。  鬢の毛に、冷々とふれる風を感じながら、内蔵助は立っていた。いつまで立っていても立ち飽かない気がするのである。自分の一代のうちにこういう夜明けを待とうとは思ってもみない事だった。ふかぶかと心を掘り下げて見ておかなければならない闇だと思うのであった。心に怠りが生じてきたら、いつでも、瞼をとじてこの闇を想起しようと思う。  いたずらな仏説を信じるのではない。しかし彼は信念をもって思った。こよいこの城には亡君内匠頭の魂も必ずや来て在すに違いないということを。そして、その主君の魂は今、自分の肩に手をかけられて、共に、この痛恨そのもののような天地を凝と見つめているであろうように考える。  二の丸の森から、鴉が翼を搏って群立った。その啼き声までが、意味ありげに胸を打つ。  貝が鳴る。やがて又、太鼓の音が受城使の陣でながれた。海と空が、一瞬ごとに、白々と二つのものにわかれて来て、やがて、真っ赤な太陽の放射が、海を走り、石垣を染め、樹々にかがやき、城の屋根の角々に燦々光った。  今朝、人手に渡す城の何という美しさだろう。 『そうだ、卯の刻』  開かれた大手門の濠端には、もう正使の通路を守る兵の一隊が列を作りかけていた。 (さらばだぞ、赤穂の城──)  胸のうちにこう告げて、内蔵助はもう一度四方を見まわした。せめてもの爽々しさは、見るかぎりのところ、心ゆくまで清掃の届いていることであった。 米沢後詰 萠黄唐草  釣でも垂れているよりほか今のところは為す事もないのである。これで高禄を食んでいる身かと考えると、主人へ対してよりも、野良に年貢米の植付をしている百姓に対して、済まないような気恥かしさを時に覚える。  清水一学は、今日も黙然と、雲母川堤から、一竿を伸ばしていた。  菜の花が黒くなって、田も山も渥美平野も、こうしている間に、すっかり青くなった。この三州横須賀村へ着いた三月中旬からおよそ二ヵ月。ここでは、暦のほかは何の変化も見られない。  ただ、江戸表の事変当時、華蔵寺に居られた主人上野介の奥方富子の方が、此地を即刻に立ったことと、領主の危難に激昂した村民が一時動揺してその抑えに手を焼いた位なものであるが、それとて、浅野家の処分がわかると自ら鎮まってしまった。一学はもう江戸表へ帰っていい筈の体なのであるし、自身も、帰心に駆られているが、吉良家とは一心同体の関係にある、米沢の上杉弾正大弼の江戸家老千坂兵部から書面があって、それに、  ──近習番木村丈八事、やがて其地に立寄り申す可に付、領内にて相待ち、同道にて帰府のほう都合宜しかる可──という指令なのであった。  同役の木村丈八が、いったい何の用事で、何処へ向って、何日頃ここへ立ち寄るのか、一学にはとんと見当がついていない。──然し、それまで領土にとどまって居れという千坂兵部の意嚮はほぼ推察がつかないでもない。あの経世的な緻密の頭が、事変の推移をどう眺めているか、大なり小なり、その反動が襲って来るに違いない事は、一学にも当然に考えられるからだ。 『……あっ、引いてる! 旦那、食っていますぜ』  うしろで、誰か不意に云う。  荷物を背負った町人の影法師が、堤の上から尾籠の側へ落ちている。  一学は、沈みこんでゆく水面のウキに気がついて、ひょいと、竿を上げた。  餌は、取られている。  糸のしずくが、キラキラと手もとへ伝わってくる。鈎を掬って、餌をつける。──そして風に乗せて水面へぽんと投げる。 『──釣れますか』  と、町人は、側へしゃがみこんだ。 『…………』  蘆と蘆との間の静かなさざ波を切って水馬や川海老が小さな波紋を縦横に描いている。白い魚の腹も時々川底を光って潜った。 『──居るなあ』  町人は煙草を吸いつけて、尾籠の中をのぞきこんだ。尾籠の底には、魚の鱗もなかった。 『旦那、ウキ下が、すこし長すぎやしませんか』 『…………』  うるさい奴だと云わぬばかりに一学は黙っている。──町人の燻ゆらしている煙は西国煙草らしい。それも阿波煙草や薩摩煙草ではなく中国産だ──。そんな事を考えたりして、釣糸に心は措いていないのだ。 『ア、引いている!』  町人が又、首をのばした。一学は舌打ちをして肩越しに眼を向けた。三十四五の旅商人にしては陽焦けの浅い男である。眸がぶつかると、急に世辞笑いをして、 『旦那、もうすこし、早めに糸を上げてごらんなさい。少し遅すぎますな』  一学は、独り言のように、 『戻ろう』  するりと竿を上げると、餌を銜えた小さな鮠が一尾ぶら下っていた。  町人がまた笑う。  一学は可笑しくもない顔つきで、草むらに落ちた鮠をそのまま、糸を巻いて、起ち上った。  そこから遠くないところに、彼の老いたる両親のいる実家がある。この横須賀村に古い代々の土着農で、二棟の大きな母屋や、茅葺門や、生樹垣や欅の防風林や、すべて彼の幼少の頃から少しも変っていない。  植付に忙しいこの頃なので、家の者はみんな田へ出ている。唯一人、縁先で孫の縫物をしている老母が、一学の姿を見ると、 『四郎べ。今日はすこしゃア、釣ったけ?』  と云った。  四郎平というのは、一学の幼名だった。この母は、百姓の肚から百石扶持の侍を生んだことも、さして誇りとはしていないらしく、幾歳になっても、洟垂らし時代のまま、四郎べ、四郎べで通している。  一学も亦、田舎言葉で、 『駄目ださ。根っから釣れんで、くそ面白くもねえで帰えって来た』 『ぬしゃあ、剣術はうめえが、釣は洟垂れ頃から下手ずら』 『ははは。そうだっけな』 『気みじかでのう、野馬を駆っとばしたり、棒なぐりは好きだが、気永なことは向かんて、死んだ爺さんも云い居っただ』 『餓鬼の頃と、今たあ、だいぶ違っている筈だが、おっ母には、まだそう見えるけ』 『抑えているだけのこっちゃがな。生れ性は生れ変らぬ限り変るもんでねエ』 『すると、困ったもんだちゅうことになるだな』 『侍奉公の体は、よけい気をつけん事にゃ、なるめえずら。浅野内匠頭がええ手本じゃ』  草履の足痕がつく程、縁の先の大地には、青白い柿の花がいっぱいにこぼれていた。一学は釣竿を納屋の横へ置いて来て、 『おっ母、これは誰のじゃ』  と、腰をおろした側の包みを手に取った。  三、四冊の帳面をくるんだ萠黄唐草の小風呂敷で、結び目に、手古びた矢立が一本差しこんである。 秘客往来 『あの糸屋が忘れて行ったのずら。今、針を買ったで』 『旅商人け』 『そうよ』 『くだらねえこと喋りはしめえな』 『だれがあ』 『おっ母がよ』 『莫迦こけ、だれが云うぞいな。ぬしから口止めされている事あ、村の衆にも、云うたことはねえだ』  家の横の防風林の外を、ちらちらと人影が透いて門の方へ廻って来る。菅笠の白さに、一学は堤で会ったあの糸屋が忘れ物を取りに来たな──と頷いていた。  門の外から、菅笠は中を覗いている。やはり旅商人ではあるが、先刻の男とは違っていた。道中差を一本落し、背が短くて、眼が鋭い。 『おっ、此家か』  と、その男は、一学の姿を見かけて大胯に入って来た。ちょっと彼も見違えていたのである。 『なんだ、木村丈八か』 『何を驚いているのだ』 『その姿は?』 『これか』  と、丈八は自分の木綿縞の着物に、眼を落して、 『──ちと仔細があって』 『無論、仔細はあるのだろうが、突然では貴公とも見えぬ』 『見えては困る。──兎に角、汗を拭きたい、井戸は何処か』 『あれだ』  指さすと、木村丈八は、縁先の草履一足片手にさげて、 『ついでに足を洗って来る』  笠や振分をそこに置いて、庭の隅にある石井戸のほうへ歩いて行った。  裏の田から田植歌がながれてくる。老母は糸屑を袂にたからせて、暗い茶の間で湯を沸かしにかかった。車井戸の釣瓶が元気よく幾たびも庭の隅できりきりと鳴る。  一足ちがいに、先刻の糸売りの旅商人がひょっこり入って来た。そこに、堤で会った一学がいたので、糸屋はちょっと意外な顔をしたが、小腰をかがめて、 『どうも相済みません。手前の矢立と帳面包みを置き忘れましたが、そこらに、ございませんでしたでしょうか』 『これか』 『有難うぞんじます』  背負っている包みの中へ、その小風呂敷を包みこんで、喉に結び目を作りながら、出て行こうとすると、ちょうど石井戸から足を洗って戻って来た木村丈八が、筋肉を緊まらせて、 『やっ?』  足を竦めてしまったのである。すると糸屋も、 『あっ?』  と云って、身を翻すなり、不意に門の外へ駈け去った。 『畜生っ』  すさまじい血相で丈八が追いかけて行ったので、一学は何事かと驚いて草履に足を乗せた。彼が垣の外へ立った時には、もう彼方の畷で追い着いた丈八と糸屋とが、道中差を抜き合って、烈しい刃交ぜを見せているのである。  田植の女や男たちが、田から驚きの声をあげている。一学は腕拱みをして眺めていた。  吉良家の近習のうちでも、槍とか太刀とか把って、何家へ投げ出しても侍一人前で通用する人間は、そうたんとはいない。  然し、木村丈八と、小林平八郎の二人だけは、むしろ吉良家には過ぎ者といってよい程、これは江戸の剣客仲間に肩を竝べさせても群を抜いている。 (丈八のことだ──)  十分大丈夫と見て、彼の為ることを見すまして笑いながら戻って来るのを待っていたのであるが、その丈八が、勢に乗って追い捲くってゆくうちに、不覚にも、畷のそばの畦川へ、飛沫をあげて片足を踏み辷らせていた。 『あっ……』  一学はもう遅いことを知って動かなかった。  糸屋は、斬れば斬れたであろう丈八を見向きもせずに捨てて、驀っしぐらに彼方へ逃げてしまった。丈八が、沼泥だらけになって上った時には、もうその姿は遙かなものになっていた。  忌々しげな唇を結んで、丈八は、諦めたように戻って来た。 『何者だ、あれは?』  すこし可笑しいのを怺えながら一学が訊ねると、 『赤穂の士だ』  と、丈八はそのまま又、井戸の方へ行く。 『ふウむ、赤穂の者か……』 『たしか、馬廻り役の近松勘六だったと思う。あの顔は、慥かに覚えているのだが、よく思い出せない。もう此方の懐中も油断がならん』 『先でも知っていたようだな』 『知っている筈だ。この二月程は、赤穂の町中でも、よくぶつかっているし、家中の邸へも、道具買に入っているから』 『では、貴様は赤穂へ行っていたのか』 『そうだ』 『誰の吩咐で』 『千坂兵部様からの内命で』 『さすがに、お早いことだなあ……』  柿の花を踏みながら、一学は家のほうへ行って、母屋から自分の浴衣を抱えて来て丈八に与えた。  それを着更えに纒いながら、 『惜しい事をした。──然し敵ながら一かどの男という気がした。何か、当家へ来ている書面でも掠められはしないか』 『そんな事はあり得ない。然しあの分では、赤穂にも小骨のある人間がいるらしいな』 『いるぞ』  唇をひき緊めて、丈八は凝と一学の顔を見つめた。一学は縁へ足をのせながら、 『ま、落着いて話そう。腹ぐあいは何うだ』 『すいて居る。蕎麦が食いたい』 『たのんでおこう。──母上、蕎麦を打ってくださらんか。江戸表の友達が食べたいというのです』  そう云って一学は、亡父が隠居部屋にしていた裏の一室へ、丈八と共にかくれた。 村の四郎ッぺ 『赤穂一藩の開城離散は、無事に落着くと聞いたが、その後の浪人共の動静は?』  坐るとすぐ、一学が訊ねた。  丈八は、道具買いになって入り込んだ当初からの見聞をこまかに話して、 『受城使の脇坂淡路守の手へ、城を明け渡して後は、江戸上方へ上るもあり、近郷の縁類を頼って退去するもあって、赤穂の始末は一段落とも云えるが、お家に取っては、むしろこれからが戒心の秋ではあるまいか』 『やはり、世上の噂のように、彼等は、何かたくらむつもりか』 『俺は、そうと見た。──表面、服従を装うてはいるが』 『だが、藩地を召上げられ、利害をも離れた後まで、その結束が続くかどうか?』 『後は、人間と人間の結びだけだが、今度の開城の手際を見ると、あの三百余名の浪人中に、ひとりの偉きな人物のいることが分った。それが存在する以上、内匠頭は死んでも、藩地は召上げられても、赤穂は滅亡したとはいえぬ』 『赤穂での人物といえば、奥野将監か、大野九郎兵衛か。──それとも原惣右衛門』 『誰もが、そう思っていた。ところが、結果を見ると、すべてが、常々凡物といわれていた大石内蔵助という者の力で動いて来たことがわかる。あれは、千坂兵部様も、気をつけておれと云われたが、確かに、これから眼の離せない人物だと思う』 『して、その内蔵助は、どこへ退去いたしたか』 『やがて、京都の山科とかへ移るつもりで、荷拵えまでしているが、先月頃から、左の腕に疔を病んで大熱を発したらしく、まだ、赤穂の城下から少し離れた尾崎村の八助の家で療治しておる。──で拙者も、ここらで一先ず千坂様へ復命して置こうと考え、赤穂を引き揚げて来た途中なのだ』  室の外で、その時、老母の声がして、 『四郎べ。蕎麦がぶてたが、そこへ持って行くけの』  一学は、振り向いて、 『あに、炉部屋へ置いてくらっせ、そっちへ喰べにゆくでの。おっ母も、客人と一緒に喰らんせ。ちっとも、気がねは要らんおらの友達じゃげな』 『酒はよ、飲むのけ、飲まんのけ』 『飲む飲む』  と、それだけは木村丈八が答えた。そして一学と共に部屋の中で大きく笑っていた。  翌る朝。  朝餉に向う時は、もう丈八も一学も旅装をしていた。いちど町人髷にした月代を無理に武家風に直した丈八の顔は、すこし可笑しかった。  食事がすむと、清水一学は、仏壇のある部屋へ入って暫く坐っていた。そこから出て来たとき、老母の眼は濡れていた。 『四郎べ。おらは、この年じゃで、いつ死ぬかわからんねえが、おらが病んだからというて、殿様の御用を欠いて迄、あにも、来ることは要らねえだ。殿様の御恩を、ぬしゃあ、忘れるでねえぞ』  草鞋をつけている息子を見ながら老母は鼻をかむのであった。  木村丈八は先へ出て、 『御厄介になり申した』  一礼して、笠の緒を結ぶ。  ふたりの姿が、青田の畦を歩いてゆくと、田植の人々が、腰をあげて手を振った。一学も笠を高く上げた。  姪だの、甥だの、従兄弟だの、田にいる者は皆、何かの縁でつながる人達だった。吉良家という一つの家長の下にいるこの善良な家族たちの為にも、彼は、自分の為すべき任務を感じるのだった。  その吉良家累代の菩提所である華蔵寺の下にかかると、二人は笠を脱って、石段へ礼をした。一学には、わけて思い出の深い寺なのである。  彼がまだ、とんぼ頭をして、蝉捕りに夢中になって夏を真っ黒に遊び暮していた少年の頃、よくこの寺へ避暑がてら来ていた貴人がある。領主の吉良上野介夫妻であった。  上野介は吉良家の初祖と、中興の祖と、自分との三つの像をその頃作らせて、此寺に納める宿願を立てていた。中央にある彼という人間と、郷里に帰ってこうしている時のかれとは、まったく別人の観があった。その上野介が、いつ見知ったのか、よく境内や裏山を駈けずり廻っている「四郎ッぺ」に眼をつけて、 (あの小僧、見どころがある。江戸へ連れて行きたいが)  と住職に洩らした。  村の四郎ッぺが、侍になったのは、それが動機であった。清水一学となってから、これで四度目の帰郷であるが、或は、これが最後かも知れないような気がどこかでする。──兎に角、主人の身が、この儘、安穏無事であろうとは考えられないからである。万一の場合に、身をもって敵に当る人間として、彼は自分の存在をこの頃見出していた。  同じ吉良家の郎党でも、木村丈八のほうは又、やや生い立ちが違う。  彼は、根からの侍だ。米沢の上杉家の臣だった。藩主の息女である富子の方が上野介の室へ嫁いだ後に、吉良家へ臣籍を移された者なのである。従って、里方の上杉家へは絶えず出入しているし、又、上杉家の千坂か、千坂の上杉家か、と世間でいう譜代家老の兵部の息も十分にかかっている人間なのだ。 (吉良に、この二人がいる以上──)  と、二人はひそかに自負していた。まだ江戸には小林平八郎がいる。赤穂浪人がどう立ち廻ろうと、主人の側近を、この三羽烏で囲んでいる以上は、指も触れさせる事ではないと、暗黙のうちに誓いを固め合っていた。 石は喋る  江戸はもう六月の暑さだった。品川宿から高輪へかかると、海の風も生温く感じられてくる。街道は白く旱き上って、牛馬や荷駄馬の通るたびに、蠅が胡麻のように埃を追う。 『暑い!』  と、木村丈八は、真っ赤に焦けた顔を扇子で煽ぎ立てながら、 『清水──』  と、後を見た。  一学は、路傍の井戸で絞って来た手拭で、胸毛を拭きながら、追いついて来た。 『しばらく田舎にいたせいか、ばかに暑さがこたえる』 『今日は、わけても酷しい。──所で、この儘、千坂様の所へ行くか』 『お待ちかねだろう』 『だが両名共、この汗くさい体では』 『かまうまい、身ぎれいにして、のろりと参上するより、今着きましたと云ってまいれば、お心もちが違う』 『では──』  と、高輪街道を真っ直に向けていた足を回らして、伊皿子坂へ上りかけると、角の石屋の仕事場から鑿に弾かれた石の粉が飛んで来た。  四、五人の石屋職人がわき目もふらずに働いている。その中で、一人の職人はもう碑に成った石の面に、チコチコと鑿を入れていた。  ふと、一学は、その前に足を止めた。 『…………』  丈八も、じっと、職人の彫る文字を見つめてしまった。立派な碑だと心のうちで思う。職人の仕事ぶりを見てもただの石碑を彫っているとは違って見える。 冷光院殿前朝散太夫吹毛玄和大居士  逆さにこう読める文字を二人とも不思議な気持で見入っているのだった。いう迄もなく、これは浅野内匠頭のやがて墓標となるものである。思いあわせてみると、泉岳寺はすぐそこだし、この月二十四日は、ちょうど殿中刃傷後百ヵ日に当る。 『石屋』 『へい』  びっくりした眼をあげて、石屋は鑿をやすめた。 『その碑──どなた様からの依頼か』 『今井町の浅野式部少輔様の御註文でございますが』 『む……。内匠頭様の御後室、瑤泉院様のいらっしゃるお屋敷だの』 『左様でございます』 『使には、誰が見える』 『御用人様で』 『ほかには』 『御浪人なすった堀部様や、奥田様、そのほかのお方も、時々、お立ち寄りなさいます』 『そうか。皆、元気かな?』 『旦那様は』 『拙者も、実は赤穂の者だが、江戸に身寄りがおるので、国元からやって来たのだ。江戸に足を入れるとすぐ、御主君の石碑にお会い申しあげるのも尽せぬ縁かと、思わず涙を催してしまったわけじゃ』 『そうですか、旦那方も、赤穂のお方ですか──』  と、石屋は遂に打ち解けた言葉づかいで、 『そこじゃあ暑うござんす。こっちへお入いんなすって、麦湯でも召上っておくんなさい』 『かまうな、仕事の邪魔になろう』 『なあに、旦那方の御苦労を思やあ、あっしらあ、暢気すぎて、勿体ねえ位なもんでさ。おい、勝公』 『へい』 『薄荷糖の菓子があったろう。婆さんに云って、茶を入れて来いと云ってくんな。旦那、そこにある井戸水あ冷とうがすぜ、お肌でも拭いておくんなさい。汝たちも、一服しろ』 『では、涼ませて貰おうか』  縁先の葭簀棚の下に、腰をかけて、清水一学と木村丈八は、赤穂の士になりすましていた。  石屋職人の辰蔵は、江戸者の気質をまる出しに持っている。二人の床几の前に、自分も煙草休みの腰をすえて、 『ご苦労でござんすね、赤穂からこの炎天に長道中じゃあ堪らねえ。あちらの噂もずいぶん伺っておりやすが、大石様というお方は、城明渡しのお使者に、見事な扱いをなすって、赤穂武士の肚のあるところをお見せなすったそうでございますな』 『江戸でも、そう申しておるか』 『正直なとこ、中にゃあ、悪口を云ってる奴もありやすがね。──なあ勝公、銭湯で汝が聞いて来たっていうじゃねえか。何て云ったけな、あの狂歌は』  職人たちは憚って答えなかったが、石辰は首をひねって、 『そうそう。──大石と足を踏まえて受取れば、思いのほかな飛んだ軽石──と云うんでさ。……だが、あっしゃあ、そう思わねえ。幕府の使者を相手に戦をしたって何になる。犬死だ。そんな馬鹿な真似をなさる大石様でもあるめえし、他にも、智者はいる筈だ。きっと今にというお心にちげえねえ、そう来なくっちゃ嘘だと、まあ、町人の考えですが、そう祈っているんでさ』 『堀部や、奥田なども、ここへ参って、そう申しているか』 『どう致しまして。おくびにもそんな事はお口から洩らしゃあしません。……だが、この先の網船屋から、堀部様を初め、時には七八人、時にゃあ十人以上も、船を借りて沖へ出なさる事があるから、それなども、何か下相談でもしているんじゃねえかと、お噂しているんですが、旦那方も、いずれは、この分じゃあ済まさねえお考えでしょうが、どうか、お体を大事にしておくんなさい』 『はははは、其方はなかなか、浅野家の肩持だな』 『浅野家たあ限らねえ。あっしらあ、真っ直で、弱い方につくんだ。……殊に、お石碑の註文をうけて、内匠頭様のお墓標を彫っているってえと、彫っているうちに、殿様のお心だの、瑤泉院様のお気もちだの、又、赤穂藩の大勢様が、どんな気がしてるかと口惜しくって、涙が出て、思わず鉄槌で手を打っちまう事せえあるんで……』  さっきから、苦りきった色を顔にあらわして黙っていた木村丈八は、もう耐えられなくなったように、 『清水っ──』  思わずそう呼んでしまって、 『出かけようじゃないか』  と、先に軒先を離れた。  伊皿子坂を、大股に登って行く木村丈八に後から追いついて行って、一学は笑いながらたしなめた。 『不覚だぞ、木村』 『なぜ』 『清水などと呼んだではないか』 『わかるものか』 『それはまだしも、冷光院殿前朝散太夫のお石碑の上へ、貴様め、汗くさい笠を脱いで置いたじゃないか。俺が、すぐ他へ取って置きかえたからよいようなものの、あの石屋に、少し頭があれば、赤穂浪人とはどうしても受けとらない所だ』 『そうか。それは失策だった』 『よくそんな事で、無事に、赤穂の始末が見届けて来られたな』 『江戸へ帰ったと思う気持が──つい気のゆるみになったとみえる』 『江戸は、猶更、油断がならない筈だ』 『先の動静は、此方で探るし、此方の行動は先でも探っていよう。吉良、上杉、浅野の三家を例えれば、ちょうど──蟷螂蝉を窺えば、野鳥蟷螂を狙う──というようなものだ。分らば分れ、俺たちにも、備えはある』 千坂兵部  この百日足らずのうちに、われながら白髪の殖えてきたのが分る。朝毎の手洗の折に、鏡を見るのも、この頃は怖ろしい気がする──。  千坂兵部は、人知れぬ嘆息をついて、 『──浅野家の老臣とて、これほどの苦悩は持つまい。すでに主人の為てしまった事を受けとったほうが、どんなにか、気が軽いか知れぬ』  沁々と、彼は、彼独りの心のうちで、そう思う。  もう六十に近い老躯に、この春からの心痛は、余りにも、重くて負い難い気もされる。しかし上杉家にとって、遠祖上杉謙信このかたの大難とも思えば、かぼそい老骨の挫げるまでも、それを負って、太守憲綱を援け、米沢三十万石の社稷を、この際は、石にかじりついても護り通さなければならない。  太守の弾正大弼憲綱は、二歳の時、吉良家から養子にもらわれて、上杉家の嗣子に坐ったのであって、上野介は実父にあたる人でもあるし、母の富子の方も、同族の上杉播磨守から出ているので、血に於いても、義に於いても、また世間の十目十指が、吉良と上杉家とは、断っても断たれない関係に結ばれているのだった。  その実父が招いた殿中の大事変である。当の上野介がうけたかすり傷や恐怖以上に、あの時、大きな衝動をうけたのは上杉家だった。またその磐石の社稷を担っている老臣千坂兵部だった。  変を聞いて米沢から出府する時、兵部は、総身の毛穴をよだてて、 (謙信公以来の御名家も、これまでか)  と、さえ思った程である。  倖にも、上野介の立場は、受け身にあったし、島津だの酒井だのという大藩とも親戚の関係にあるので、裏面からの策も功を奏して、此方側は「おかまいなし」と云う決着にはなったが、それが少しも、兵部の安心にはならなかった。寧ろ、上杉家にとっては、事件を将来に大きく残してしまったと考えている。 『困った御老人ではある……』  今も、兵部は、沈湎とした面を、夕方の打水に濡れた樹々に向けて、もう仄暗くなりかけている茶室の端に坐って思わず呟いた。 『……とんでもない事だ。この白金のお下屋敷へ、あの御老人を引き取って、匿まうなどとは、戸を開けてわれから焔を呼び入れるにも等しい』  今し方、江戸家老の沢根伊兵衛が、桜田門外の上屋敷から来て、持ちかけた相談なのである。 (上野介殿の身辺が実に心もとない。いつ襲うやも知れないものが感じられる。万一の備えに、この白金のお下屋敷へお身を移して、穴蔵の間道でも作って、安全を計ってはどうだろうか。──御老人自身もそれをお望みのように見えるが)  と云う話なのだ。  兵部は、それを、 『相成るまい』  と一言の下に退けて、たった今、沢根伊兵衛を帰したばかりの所だった。──伊兵衛の発案ではなく、それが上野介の意中から出たものであることは十分に知りながら──又、情として忍び難いものを凝と抱きながら、はっきりと、断ったのだ。  が……苦しい。兵部も人間である。  主人の憲綱が、子として、殆ど、三十万石にも更え難いほどな焦躁に駆られて、上野介の一身を遠い米沢の地で心配している容子も、こうしている兵部の瞼には、明瞭に描くことができる。 『冷酷といわれてもよい。鬼と思われてもよろしい。むしろ、そう思わるることが、兵部が江戸へ来た使命とせねばならぬ……』  蚊ばしらが、夕闇の軒ばに、湧いてきた。  うしろで、小襖が開く。──  小侍が手をついて、 『御家老様』 『なんじゃ』 『清水一学殿と、木村丈八殿が、おそろいでお越しなされましたが』 『戻って来たか。──通せ』  待ちかねていたらしい。その響きが言葉にあふれた。 『書院がよい』  すぐに立って行く。  彼が席に着くと間もなく、一学と丈八は、通されて前に坐った。邸内の井戸で手足を洗って、埃を落してはいるが、顔にはまだ炎天の火照が、赤くのこっている。 『両名とも、大儀だった。──三州の御領地は、何事もないかの』 『平穏にござりまする』  次に、丈八へ、赤穂方面の状勢をいろいろ訊ねだした。然し丈八の齎した大部分のことを、すでに兵部は知っていた。彼が敵方として最も重視している内蔵助が、山科の西野山の茶園に、土地や住居を買う契約をして、すでにその手金は渡し済みになっているという情報まで入っていた。 『疲れたであろう。ゆるりと、休息するがよい』 『どう仕りまして、赤穂の者共の悲惨な実状を見て来た眼には』 『そうとも云える。──所でじゃ、明日は又早速、米沢へ立ってもらいたいが』 『御用向は』 『先に、書状は出してある。しかし、容易に埓があかぬ故、督促に参ってもらうのじゃ。吉良様の御附人として、米沢表からおよそ二十名ほどの腕利きを選りぬいて寄越すように申し遣わしてあるが、とこう、運ばぬ所を見ると、世評のかんばしからぬを耳にして、国表の若者共も、吉良様へ附人たる事は、潔く思わぬらしい』 『左様でもござりますまいが』 『いや、そうある事は、少しも不審でない。武士として、情として、この際は、浅野方のほうに、誰の心も加担するのが自然でもある。したが、その考え方は正しくない。吉良様を守ることは、上杉家の社稷を護ることなのだ。その旨をよく説いて、八月中旬までに、是非とも、確かな剣客共を連れて来て欲しいのじゃ』 『八月中旬に、何事かあるのでござりますか』  千坂兵部は口をつぐんだ。庭面や廊下先に、人の気勢がないかあるかを、耳を澄まして確かめるためだった。やがて、ずっと低い声でこう云った。 『──吉良様がお替地になった。呉服橋のお邸を引き払って、八月二十日迄に、本所の松坂町へお引越をせねばならぬのじゃ。どうしても、その折には、警固が要る』 生きてる古武士  二、三日前に石辰の職人は、泉岳寺へ石碑を曳きこんで、礎石から碑の組立てを済ましていた。  六月の二十四日は、内匠頭長矩の百ヵ日目に当る。早朝に、質素な女駕籠と幾人かの供人が、忍びやかに参詣して行った。内匠頭夫人の、今は髪も切って変り果てた姿が、駕籠へ忍ぶ時ちらと見えた。  芸州家の代参、戸田家の者など、交〻に午前のうちに見えては帰って行ったが、まだ浅野大学も謹慎中であるし、幕府に対する憚りがあって、五万石の大名ともある人の百ヵ日としては寂しいものであった。  だが、やがて七刻近く。  読経と参拝をすまして、粛然と、本堂を出て来た二十余名の浪士の一団があって、初めて、浅野家の百ヵ日らしいものが感じられた。  堀部弥兵衛、安兵衛父子の顔が見える。村松三太夫父子もいる。倉橋伝助、奥田孫太夫、磯貝十郎左、赤埴源蔵、高田郡兵衛、田中貞四郎と──順々にあらわれて来る顔は、浪々の後も、決して剛毅を衰えさせてはいない。いや、むしろ以前にも勝る軒昂たる意気が誰のすがたにもあった。 『又と、何日これだけの顔が会えるか、浪人すれば萍じゃ、このまま別れるのもさびしいて』  と、片岡源五右衛門がいうと、 『どこぞへ、立ち寄ろうか』  と、村松喜兵衛が堀部弥兵衛へ、 『老人──』  と呼ぶ。  弥兵衛は振り向いて、 『老人が老人を呼ぶに、老人とはちとおかしい』 『ははは。老人嫌いが、この頃は、わけて気にしなさるの』 『若返ろうと思うているのじゃ』 『大きに』  さも同感らしく頷いて、 『所で、その若返りに、どこぞへ立ち寄って、御法事を営もうという議があるが』 『よかろう。どこで』 『俗な茶屋では困る』 『海辺を歩いたら、かっこうな料亭があろう。若い者のおとなしいのは可憐しい。亡き殿も、平常は御謹厳であったが、御酒でもくださるとなれば、若侍には、お咎めなく何事もゆるされた。きょうは、御酒をいただこう』 『あれ見なさい。そんな事を云うと、後の若い連中が、手具脛ひくように欣んでおる』 『それが、供養じゃ』 『御老人』  田中貞四郎が後から、 『──で、勘定の段はどうなりますか』 『頭割りじゃよ』 『はははは。老人の御施主でないので』 『浪人すると、細こうなる』  誰が眺めてもこの人々が、逆境の者とは見えなかった。なおさらのこと、仇討などを考えているとは微塵見えない。磊落に身を落して、明日は明日の風としているように、泉岳寺の僧侶たちにも眺められた。  そして山門を出てゆくと、彼方からただ一人で、弓のような腰には似合わない朱鞘の大きな刀を横たえて、せかせかと、息を喘って来る老武士があった。 『おう、無人殿だ』  皆、視線を送る。  もう七十に近い年頃。総髪にして野袴に草色の革足袋をはき、汗をこすりこすり近づいてくる。浪宅は本所中之郷という事だから、そこからここまでは近い道程ではない。かくしゃくとしているのだ。内蔵助には遠縁にあたる者で、大石無人という人物なのである。 『もう、お済みか』  無人は一同へ云って、 『惜しいこと致した。もう一足早ければ、末席に加えてもらうことが出来たのに』 『いや、遅いことはない。御法事はこれからじゃ。お待ちしよう、御墓拝をすまして参られるがよい』 『それでは相済まぬ。どうぞ、お先へ』 『いや、休息する家もこれから見つけることじゃ。誰か、探して来る間、どうせ待たねば相成らん』 『左様かの。では行って参ろうが……。安兵衛殿』 『はい』 『すまんが、御墓所まで、案内してくださらんか』 『承知しました。立派なお石碑が出来ております。御案内いたそう』  無人を導いて、堀部安兵衛はふたたび墓地へ引っ返した。  新しい石の前に坐って、無人は、長々と額ずいている。蝉の音が無数の墓に沁み入るように啼きぬいていて、樹蔭にはやや涼風がうごいて来た。 『安兵衛殿』  やがて顔をあげると、無人は、肩を四角く張って、 『そこへ坐ってもらおう』  と、自分の前の大地を指した。 『なんでござるか』 『ちと話したい儀がある。──君前で畏れ多いが』 『承りましょう』 『例の事だ』  無人はきびしい眼光を疑と安兵衛の顔に射向けた。満々たる不平が、すこし茶いろな眸の底から燃えている。 『──赤穂に人間はいないようだな。もうきょうは亡君の百ヵ日だぞよ。おぬし等、よい若い者が、あんなにも、首を揃えておりながら、いったい何をしているのか』 『…………』  安兵衛は、首を垂れた。鬢の短毛が二、三本、風におののいて立っている。 『一頃は、安井、藤井、などの卑怯者は顧ずに、五名でも十名でもやって見せるという意気じゃったが、どうしたか、あの元気は』 『決して、一日とて、忘却している次第ではございませぬ。──しかし、お国許の始末、又、内蔵助殿の御意志と、吾々の間には、大きな距たりもあって、容易に、存念も運び難い事情にあります為──』 『それや当然じゃ。奥田老人から伝え聞けば、赤穂表では、百二十名からの者が、内蔵助を中心に、盟約したとか承わったが、どうして、そんな大人数が、一つの纒まった目的に結束してかかれるものか。衆を恃むほどなら、やめたがましじゃ。必ず、途中で崩れる、挫折する。内蔵助のやり口は手ぬるい。あれはあてにはならんぞ』  老人の意気はすさまじかった。元禄の江戸にもまだこんな古武士型が残っているかと思われるのである。左の膝に鉄扇を突いて、頭からこの炎天の陽を浴びながら責めるのだった。 『世間のわらい声を聞くのがわしは辛い。わしは浅野の臣ではないが、武士として傍観は為し難い。なぜ右顧左眄をするか。きょうの御法事に、上野介の首級を供えぬのか。──時期の何のと、小賢しいことをいうているような事で、成就がなろうか。上野介を討つのに、なぜ、日を選ばねばならんのか、わしには分らん。一日のびれば、一日だけの要害が先に加わるのじゃ』 『仰せどおりの意見を、奥田、高田、拙者の連署を以て、内蔵助殿のほうへ幾度となく申しやってはござりますが、大学様のお取立を懇願する方に、今の内蔵助殿は全力のように見うけられる』 『ばかな事をする男よ。たとえ、原封五万六千石、そのまま、御舎弟へ下し置かれるとあっても、上野介をあの儘において、大学様が安閑と家名をついで居れようか』 『てまえも、左様に心得まする。いつも、内蔵助殿のぬるい書面を見ては、あの奥田老人でさえ、歯がゆがっておる位でござる。さればと云って、小人数にて、吉良へ斬り入りました所で、万が一、為損じでも致しては、それこそ、末代までの不覚、赤穂の血迷い者がと、よい物笑いにもされましょう。──それやこれやに、つい日を過して参りましたが、国元組の意向はともあれ、どうあろうと、年内には、初志を貫かずには措きませぬ。老人にも、どうか御案じなく、先ず暫く、見ていて下さい』 『それ聞いて、安心した。だが、なんぞよい機会でも心当りがあるか』 『さ。それがです……』 『あるぞ、安兵衛殿』  無人は片膝をすすめて、 『吉良の邸がの、お替地を命じられたが、知っておるか』 『えッ、呉服橋から他へ移りますので』 『これは、確かなすじから聞いたことだ。本所松坂町の旗本松平登之助の屋敷跡へ引移ることに極ったと申す。こんな折が又とあろうか。──その途中を──いやでも上野介が邸外へ出ねばならぬその千載一遇の機会を──』 『無人殿、それは、間違いのない事ですか』 『日まで聞いた。──松平家へ出入の者から聞いたのじゃ。吉良家の引移りは八月の二十日迄と申す』 『ありがとう存じます』  墓地の雑草へ安兵衛は手をつかえた。何か、彼の満身が血で膨れた。無人は、自分たちの旺んだった時代の気骨を、そのまま持つ若者を見いだしていることが欣しいのであった。 『やれ。やろうとして、やれぬことがあるか。一夫奮い起てば万夫を起たしむ。江戸に何人の同志がおろうと、やるのは、貴公、奥田、高田郡兵衛、こう三名のほかにはない』 『何かと忝のうござります』 『こんどの機を外すと、その次には、上野介の隠居願いが聞き届けられて、世上の噂どおり、彼の身は上杉家に引取られて、遠く、米沢城の奥まったところへ死ぬまで匿まわれてしまうやも計り難いぞよ。そうなったが最後、もう、百人はおろか、千人でも手は届かぬのだ。よし又、左様なことがないにしても、あの年齢、ふと風邪でもひかれて死なれて見さっしゃい。おぬし等は、何の面目あって、白日の下を歩けるか。いや、この御墓前へ二度とまみえ奉る顔があるか』  その時、余りに長いので様子を見に来たのであろう。連れの二、三名が、樹蔭から顔をだして、 『堀部。──無人殿はまだそこに居られるのか』  と、呶鳴った。  無人は、やっと立って、 『すんだ、いま参る』 『一同が、待ちかねています』 『だから、待たんでよいと、断っておいたではないか』  飽くまで剛骨な老人ではあった。 高田郡兵衛 半弓  赤い弁慶蟹が一匹、悠々、橋の上を横にあるいている。外濠の水は、ぶつぶつ沸き立って、午過ぎから日盛りの間の一刻は、呉服橋の往来も暫く休みのようなすがたになる。  いつも極って、その刻限というと、片手に小桶を提げた蒲焼屋の若い者が、溶ける物でも運んで行くように駈けて、呉服橋内の吉良家の台所門へ入って行った。 『泥鰌を持って参りました。花木さん、泥鰌を、何処へ置きますか。──また、猫に取られたって知りませんぜ』  こう呶鳴ると、台所足軽の花木市兵衛が、襷がけで、中で働いていたが、 『こらこら、そんな所へ置いて行ってはいかん。今、この荷物を外へ出すのじゃ』 『たいへんな混雑ですね、お引っ越しですか』 『御不用なお道具を蔵へ仕舞うのだよ』 『嘘ばかり云っている。世間じゃあ、本所の松坂町へ、お屋敷替になるんだと云っていますぜ』 『もう知れているか』 『きのうも、伝馬船で十ぱいもお荷物を廻しているじゃありませんか』 『黙ッとれ、そんな事』 『泥鰌は、幾日までお入れしますか』 『そうだな』 『空家へ持って来たってしようがねえでしょう』 『勿論、そんな代金はお下げにならんが。……お引移りの日取りは、口外できぬ事に俺たちも申しつかっているんじゃ。一存で云うわけにゆかぬから、ちょっと、待って居れ』  と、市兵衛は棚の道具箱を下ろしていた踏台から下りて、台所役人の中里仁右衛門の部屋を覗いた。  仁右衛門と、何か、囁いていたが、やがて出て来て、 『蒲焼屋』 『へい』 『其方の店は、多年、実直にお出入をいたした事故、必ず、口外するような事はあるまいな』 『お屋敷のためにならないような事を、喋べッたところで、何も徳のゆくわけじゃなし……』 『左様であろう。実は、当お屋敷も、今日かぎりお移りと相成るのじゃ。従って、泥鰌も、明日からは、御不用である』 『へ、……そんな急なんですか』 『他の商人共へは、黙っておれ』 『何で云うもんですか』 『序に、その泥鰌を、お池の鍋鶴へやってくれんか。われわれは、日暮れ前に、すっかりお台所の物をまとめて、船へ積まねばならんし、襷がけで、この恰好じゃ』 『お庭へ廻ってもようがすか』 『今日だけは、かまわぬ』  蒲焼屋は、泥鰌の桶を提げて、中門を入って行った。庭にも送るばかりになっている長持棹だの、梱だのが、莚の上に山と積んである。贅を凝した燈籠や庭木にも、藁塵がたかっていた。もう去りゆく家の寂しさが雑然と漂っているのである。 『──誰だッ』  池の縁から不意に鋭い声で、こう呶鳴って来た者がある。蒲焼屋は、ぎょっとして、桶を下へ置いた。 『毎日、鶴の餌を持って上がる、お出入の鰻屋の雇人でございますが』 『誰に断って入って来たかっ』  庭下駄を穿いて、鶯茶の袴に、上布の小袖を着ている貴公子然たる若侍だった。どこか病弱らしい細面な顔に、ぴりっと、眉をつりあげ、手に半弓と箭を握って、睨めつけているのだった。蒲焼屋の男が、とたんに、ぺたッと坐ってしまったのは、もしやこの人が、上野介の嫡男の左兵衛佐ではあるまいか、とすぐ感じたからであった。 『成らん!』  と、厳しい声で、その若者は、また云った。 『去れっ。──胡散な奴じゃ』 『へ、へい……。では、鶴の餌の泥鰌は、これへ置いて参ります』 『泥鰌? それも要らん、持って帰れ』 『左様でございますか』  怪訝な顔をして──つい、起ち惑っていると、左兵衛佐は、家の中へ向って、 『孫兵衛、孫兵衛っ。胡散な奴が、お庭へ入り込んでおる。早う、たたき出せい』  と、大声で呼び立てながら、自身は、持っている半弓に箭を番えて、此っ方へ向けた。  蒲焼屋は、跳び上って、中門の外へ転げて行った。 鶴を追う 『何事ですか』 『若殿』  家老の左右田孫兵衛が来る、近習の松原多仲や岩瀬舎人も駈けて来る。  左兵衛佐の顔をみると、蒼白いので、人々は驚いた。それに、半弓を番えているので、すぐハッとしたように庭の樹蔭を見まわした。 『もう、去んでしもうた。……もういい』 『どのような人態でございましたか』 『鶴の餌を持って来たと云うた』 『では、お台所へ毎日見える蒲焼屋でございましょう。あれなら、仔細はございませぬ、御安堵なさいませ』 『そうか……』  肩を落して、左兵衛佐は、大きく息をついた。持っていた半弓を、 『多仲』  と、呼んで、近習の一人へ、手渡した。そして、 『多仲、これで、あの鍋鶴を射てしまえ』  と、池の向う側に屈みこんでいる三羽の鍋鶴を、顎で指した。 『え。鶴をですか』 『そうじゃよ』 『なんで鶴を射てしまえと御意なさるのですか。一応は大殿へもお伺いしてみなければ』 『父へは、わしから告げるからよい。今、自身で射殺してしまおうと思うていたところなのだ』 『今度、お引移りになる本所のお屋敷にも、かなり広い泉水があるそうですから、鶴も、それへ移せば仔細はございますまいが』 『この鍋鶴は、縁喜がようない。支那では、不吉な鳥というそうだが、ほんとに不吉だぞよ。どこの大名か、この厄介者を音物に担ぎこんで来たのが、今年の正月の十四日じゃった。それから、浅野内匠頭めが、父へ、殿中で斬りつけたのが、三月の十四日。──又、こん度、お屋敷替の沙汰が下ったのが九月十四日だったではないか』 『偶然、そういう日が、重なったのでございましょう。何も、鶴のせいでは……』  家老の左右田孫兵衛が、わざと、笑い消すと、 『いや!』  と、左兵衛佐は、かぶりを振って、 『生物は、元来、父上もお嫌いなのじゃ。これを貰うたときから、欣んでは居られなかった。殊に事変以来は、鶴どころじゃない。こんなもの、見るのも憂い気がする。夜など、時々大きな羽搏きをして驚かしておる』 『左様なれば、鶴だけ、ここへ残しておいて、何処様か、御親戚のうちへでも、お贈りなされては何うですか』 『こんなもの贈られたら、またその屋敷に、不祥事が起るぞよ。射てしまうがいい』 『おまかせ下さい。何とか、お気に障らぬようわれわれで計らいまする』  孫兵衛になだめられて、 『こんどの屋敷では飼わんぞ』  と、左兵衛佐は、書院へ上った。  懸軸も、花瓶も、書架も、すべての調度は取片づけられて、そこもがらんとしていた。左兵衛佐は、まだ木口の新しい長押や天井を見上げて、父の上野介が、これを建築する時の種々な凝り方だの、普請の予算が不足しては、上杉家から、五千両、一万両と、大口に金を借りるたびに、母が辛い立場にあった事などを思い出して、憮然としていた。  象嵌の釘隠し一個が、何両につくとか、中門の如輪木目の一枚板は何十両だとか、小判で張り詰めたような馬鹿げた豪奢が、すべて皮肉な歯を剥いて人間を嘲笑っているように見える。 『──ここへは他人が住むのだ』  と思うと、左兵衛佐は堪らなくさびしい、腹立たしい。 (──わしが老後を娯んだ後で、おまえが又、一生住める邸だ。思いきって、金をかけて置こうよ)  父の上野介が、母へ気がねしては、口癖にこう云っていた邸である。その父の気持を考えると、左兵衛佐は、耐えられなくなる。貪慾以外に何もない冷血鬼のように、父を非難する世間が憤ろしくなって来る。 『──誰が、何といおうと、わしに取っては絶対な父だ。家庭にいても、毒口をたたくのはあの通りだが、腹の中は、案外さっぱりした江戸前の御性質なのだ。すべて、野暮ッたい人間を軽蔑するクセはあるが洗練された文化人ごのみの父としては仕方がない。その特性は、出入の茶道の師でも、植木屋でも、魚屋までが、より知っている所だ。我がつよい、慾がふかいと云っても、それは老人の共有性だ。殿中や、勅使の折に、偉ぶるとか、権柄ぶるとか云われたが、それも、父の経歴や、吉良家の格式からいえば、当然なことではないか。浅野家ばかりに、威張ったのじゃない。それを、柳営の大役らしい大役も為たことのない内匠頭が、狭い侍根性から、親ほども年齢のちがう父へ、楯をつくから、父もつむじを曲げたまでじゃ。……父の気質をよく知っているわし達の眼から見れば、浅野の怒った理由がわからぬ。又、世間が、何で、わし達父子ばかりを眼のかたきにするのか、それも分らぬ……』  左兵衛佐は、そう呟きつつ絶えず又、或る不安に襲われていた。父の方はまだどこかに、老成した人間の自然に到る所の図太さを見せることもあるが、彼はまだそういう大きな世間というものと闘った経験がない。それに、高家衆という世襲の嫡男と生まれているので、夢にも、こんな境遇が、自分の生きている間に巡り合せて来ようなどとは思ってもいなかった。 『あっ、そっちへ逃げた』  庭では、松原多仲と岩瀬舎人が、足軽をよんで来て、大きな籠へ鶴を入れてしまおうとするらしく、追い廻していた。  左兵衛佐は、舌打ちをして自分の部屋のほうへ向って行った。然し、そこでも用人達が道具を片づけているのに気がついて、橋廊下をわたって、二戸前の土蔵の後になっている仮の奥の間へ入って行った。  土蔵脇の小部屋にも、後の縁端の左右の部屋にも、ここには、常に七、八名の侍が刀の鯉口に心をとめて坐っているのだった。左兵衛佐が橋廊下をこえて来ても、すぐその跫音に、刀を握った男共が、幾つも首を出した。 『…………』  気味のわるい目礼に送られて、左兵衛佐は、老父母の起臥している二重桝の中みたいな暗い一室へ入った。北向きの狭い軒から青葉の影が陰気にさしている十二畳の一部屋である。  そこに、憂鬱な顔を突き合せて、黙然と、意気地もなく坐っている老父の薄べったい肩と、老母の曲った背を見出すと、左兵衛佐は、胸が塞がった。どうして、こんな意気地のない父が、殿中で他人からあんな激怒を買うような行為をしたり、世間から我意傲慢な人間に視られているのか、わからなかった。毎年、領地の三河から初穂を持って出てくる郷里の領民からは、氏神のように、尊敬されている父でもある。その人々の仰ぐ父と、江戸市民たちがそしる父と、べつな人間でもないのに──と、子である彼には、世界が懐疑されてならなかった。 この家庭 『左兵衛佐か』  人の気勢に、上野介はすぐ気づいた。老妻の富子に向けていた深刻な陰のある顔を、そのまま、 『ちと、混み入った話があるのじゃ。お汝は、彼方へ行って居れ』  又何か、両親同士で、争論をしているらしいのである。左兵衛佐は、父にあの事変があって以来、六十歳にもなるこの両親の間に迄、一つの大きな亀裂が入ったことを何よりも残念に思った。子として、親の前に、面を背けるような場合が、屡〻あった。 『……私がいては、お邪魔ならば──』 『何も、邪魔という理ではないがな、聞いても益のない事じゃから』 『では……』  起ちかけると、 『お汝、身のまわりの整えは、済んでおるか』 『何時でも、移れまする』 『そうか。……何も、心配すなよ』 『はい』 『気丈に居れ! 心配する事は少しもない! 母も、お汝の血色が悪いと云うて、案じておる。わしなど、何れにせよ、老先の乏しい身じゃが、お汝は、この吉良家を継ぐ身じゃないか。大事にせい。二十歳そこそこの若人が、左様な病弱で何うするか。つまらぬ世間の取沙汰などに、心を病むな』 『はい』 『この父は、左様な弱い精神では居らぬ。誰が何と云おうが、わしは、わしの職分を忠実に尽した迄だ。お公儀が、御存じじゃ。十九歳から四十年間の御奉公振りは、堂上衆も、知って居られる。……あ、あんな物識らずの小大名に、高家筆頭が愚にされては、この先とも、高家衆の役儀が勤まるものでない。大名を顎で使うからこそ、年毎の儀式が、何うやら公卿方に落度もなく済んでゆくのだ』  こういう弁解は、近親へも、家臣へも、知己へも、もう何十遍繰返しているか知れない。根は正直で小心な人物とみえ、何かにつけて、直ぐそれが出るし、出れば、上野介は今でも、語気を昂ぶらせて、ただならぬ顔色を作るのだった。  だが、彼自身、近頃のその異状心理に気がつくと、さすがにやや恥じるように、 『ま……そんな事は、今更云っても、何うもならぬ。ただ、お前だけは、わしを信じてくれるだろうと思う。……それで云うのだ』 『はい』 『やはり、子だ。左兵衛、夜になったら、一つ船で、新居へ移ろう。居は気を移すという、気をかえて、暮そうぞよ』  子には、いつもこの通りな父なのである。左兵衛佐は、こぼれかけた涙の眼を反らして、辞儀をして起った。  左兵衛佐がそこを出てからも老夫婦は依然として黙り合っていた。香炉に蚊遣香が一本立ててある。二人の感情のように、ほそい線が、二人を縛る。 『富子』  やがて、上野介からこう云いだした。 『──何うしてもそちは上杉家へ戻ると云うのか、わしをさし措いて』 『帰らせて戴きます』 『六十歳にもなった夫婦が、みっともないと、思わぬか』 『みぐるしい事は存じて居ります。……けれど、それ以上、耐えられないものがございますから』 『何が』 『もう、申し上げても、無駄でございます。あなた様に、御諫言はいたしません。お側にいる以上は、つい、言葉の端にも出ます故、今日かぎり、私は、里方へ参りまする』 『行けっ』  云い放って── 『上杉家の血をひく奴は、どれもこれも、よくよく薄情に出来ておるとみえる。千坂兵部と云い、其方と云い……』 『兵部は、家臣でございまする』 『あの男が、米沢侍の冷たい特質を、よう現わしているのじゃ。嘘か、見い! 米沢侯は、さすがに骨肉、赤穂の浪人共に、不穏な謀みがあると聞けば、すぐこの身を思うて、白金の下屋敷へお匿い申そうとか、米沢の本城へお越しあれとか、遙々、遠い国許から心を寄せて案じてくれるのに引換えて、その主君のことばを、いちいちヘシ折って、お匿いも相成らぬ、米沢へお引取も以ての外と、事毎に、わしを危地へ曝すようにと、仕向けているのは、あの千坂兵部ではないか』 『…………』 『それはまだよい』  声は、努めて平調にしているが、呼吸はあらくなっていた。茶を一口ふくんで、 『──兵部の態度は、情に於ては、憎いが、道理はある。だが、四十年も添うてきた其方までが、この年齢にもなって、里方に帰るとは、何たる事じゃ。察するところ、それも、兵部の入智慧であろうが』 『…………』 『よいわさ! 夫婦も、縁類も、かような時には、頼みにならぬが世の常じゃった。行け! 行け! 上杉家とは、これ限り絶縁してくれる。兵部に、そう伝えい。それで家来の分が立つかと』 『殿様』  富子は、膝と膝がつく程に摺り寄って、じっと、良人を正視した。上杉家から嫁して来た二十歳の頃から、この夫人は、上野介より厳しい性を持っていた。才気と羽振にまかせて、随分あぶない利得を窺ったり、気は弱いくせに、傲岸に人を見たり、世間を弄ぶ質の良人を、程よく締めて来た内助だった。従って、上野介も、この夫人に対しては、猫のように頭が上がらないのである。──この三月以前迄は、少くも、夫人と啀み合う事などはなかったと云ってよい。 『なんだ?』  上野介は、今も、大きな敵にでも対うような顔いろで、そう云った。 『これ限りでございます。もいちど、最後にお諫めいたして参ります。どうぞわが子が可愛いと思召したら、御思案をお決めくださいませ』 『ば! ばかをいえ!』 『どうあっても、お覚悟はなりませぬか』 『死んで、堪るか。わしが、自決する筋がどこにあるか』 『理を責めるのではございませぬ。情にお訴え申すのでございます』 『情に? ……。これっ、自分の良人に向って、自決をすすめる妻が、情にとは何うして云える』 『子の為には、云えまする。万が一にも、赤穂の浪人共のために、不慮の刃でも酬われたなら、左兵衛佐は、何うなりましょうか。吉良家は、安泰に続きましょうか。又、米沢の当主にも、悪うすれば、累がかからぬとは限りませぬ。今では、養子に遣わして、他藩の太守となっていますが、あの弾正大弼様も、血においては、私たち夫婦の実の子ではございませぬか。吉良家といい、上杉家といい、あなた様のお心一つでは、潰れるかも知れませぬ、助かるかも分りませぬ』 『……もういい、繰言は止せ』 『いいえ、これ限りです。申すだけ申します。世上の喧しい取沙汰を、妻なればこそ、聞いてはおられませぬ。口汚い誹りを浴び、起臥にも、風の音にも、心を脅かされながら、短い老先を生きのびたとて、それが、何の余生の楽しみとなりましょう。もう、人生の定命を生き越えている私たちではありませぬか、両家の為に二人の子のために』 『うるさいっ……』 『…………』 『死ぬなら、其方だけで死ね』 『私の生命で済むものならば、笑って死んで参ります』 『世間が誹るとあれば、なお死なぬ、赤穂の浪人共が、狙うとあらば、意地でも生きてみせる。わしは、元来が、そういう依怙地に出来ている人間じゃ。自害などしたら、奴等が、こぞって、手を拍って嘲笑おう。それが、いやだ、無念だ』 『御卑怯でございましょう』 『なにっ』  ぴしっと、頬でも打ったような音がした。富子の低い嗚咽が、その後で、いつ迄も、啜り泣いている。  もう部屋の中は暗かった。燭も、今夜は点かないのである。仮面のように硬ばっている上野介の顔の周りで、蚊ばしらが唸っていた。  部屋の外から明りが流れて来た。提灯を持った近習の者と、家老の左右田孫兵衛とが、静かに膝をついて云う── 『それでは、御移居あそばすように』 十一の影  外濠の暗い河面に、伝馬船が一艘、提灯の明りをまたたかせて、繋っていた。  すぐ河岸に近い吉良家の通用門から駈け出して来た侍が、岸から小声で、 『お出まし』  と云うと、艫にかたまっていた四、五名の侍たちが、一せいに起って、両河岸を見廻した。  通用門から船までの僅かな間に、忽ち、二十名ばかりの家臣が立って、人影の垣を作った。その中を、上野介と左兵衛佐の父子が、眼立たない服装をして歩いて来た。  富子の姿は、見えなかった。左兵衛佐は、父の手をとって、渡板から伝馬船のうちへ導いた。武士たちが目礼する中を、父子は、胴の間に設けてある席へ坐った。 『では……』 『では』  と、船と陸とで、小声を交し合って、家臣たちはすぐ散らかった。伝馬船は、もう幅の狭い濠の底をゆるやかに辷ってゆく。  上野介は、陸の灯や星を仰ぎながら、 『外の風に吹かれたのは、幾日ぶりじゃろう』  と、つぶやいた。  左兵衛佐は、今夕、上杉家の方へ戻った母の事ばかり考えていた。母の云い条を聞けば、母のほうが正しいように思われ、父の主張を聞けば、それも尤もな気がするのである。──しかし、どう正しくても、母が主張するような事には子として従えないと思った。彼は、どこまでも、この孤立な父の側に在ろうと心の裡で固く思う。 『やっ?』  舳にも艫にもいる警固の家臣が、突然こう口を辷らせたので、父子は、ぎくっとした眼で、すぐ船の前後を見廻した。 『なんじゃ?』  と、上野介が云う。  家臣の一名が側の者に囁いて、やがて左兵衛佐にそっと耳打ちした。 『不審な浪人が、十名ほど、この船に添って、河岸を歩いて居りまする。……御油断をなさいますな』 『ど、どこに?』  家臣は無言で左側の岸を顔で指した。──成程歩いている。六人が先に、五人は後になって行くが、その二組が一つ連れであることは、暫く挙動を見ているとわかった。左兵衛佐は急に落着かない眼をして、自分たちの伝馬船に尾いて漕いで来る二艘の艀をふり向いてばかりいた。万一の場合にと、その二つの艀には、家臣のうちのしっかりした者が四名ずつ乗って従いて来る。すべてを併せて、約二十名ほどの人数なのだ。それに対して、陸の怪しげな人影は、はっきり、十一名の数が読まれるのである。 『……大丈夫であろうか』  家臣の者へ囁くと、 『お案じなさいますな。陸と河、滅多には、寄れませぬ』 『でも……』  左兵衛佐の鬢の毛が、川風にそそけ立っていた。赤穂の浪人のうちには、かなり豪の者がいると聞いている。槍術の達人としては、高田郡兵衛の名はひびいているし、剣道にすぐれた者としては、堀部安兵衛などもいる。二十名と十一名とでも、所詮、対等には戦えまい。殊に、彼等は主を失い、禄に離れて、いわゆる捨身になれる体である。 『はやく漕げ』  左兵衛佐が、櫓の者へ、小声で急くと、 『なんの』  と父の上野介は首を振って云う。 『──この辺で、かかって来たら、川番所の下へと漕げ。大川へ入ったら、先に一名上って、邸の者を呼べばよい。然し、そう迄は急迫しまい。彼奴等も、為損じたらば、内匠頭の舎弟大学がどうなるか、浅野一族の芸州や土佐などにも、何ういう累を及ぼすかくらいは、考えておる筈じゃ』  父の側にいて、父を護る覚悟でいた左兵衛佐は、却って、父に護られている心地がした。そういう父の落着ぶりをながめてから彼もやや心がすわった。  父は俗吏中の俗人のように、一般から見られているが、十九歳から公卿や貴紳との交際に立ち交じっているので、歌道もやれば香道の嗜みもある。初老頃からは仏法にも観照の眼を向けていたし、近頃では、殊に茶道に傾倒して、茶禅一味などということをよく口にしている──そういう自らな修養がやはりこんな場合には役立つのであろう──と子の眼から観る父は、どこまでも強く頼母しく見えた。  やがて、  大川へ漕ぎ出ると、河岸を尾行て来た人影は、どこへ散ったか、見えなくなった。上野介は、初めて、笑った。 『飼主のない、痩せ犬どもに、何ができる。どう働いた所で、禄が上るではなし、おのれの首が飛ぶだけの事。川風にふかれて歩いているうちに、頭が冷めて、馬鹿馬鹿しさに気づいたのじゃよ』──と。  だが、  程なく彼の船と、警固の艀とが、両国下の横堀へ入ると、そこの一つ目橋の上に、先刻の十一名が欄干に姿を並べていた。そして、 (来たな)  と、見ると、ばらばらと橋を越えて行く様子──  ちょうど、一つ目と二つ目橋の間にあたる松坂町の裏河岸のあたりに、その十一名が、ずらりと影を揃えて、立ち塞がった。 躍起組  それよりも前。──まだ西陽の照りつけている頃だった。  大汗をかきながら、せかせかと、胸に扇の風を入れながら、 『ゆるせ』  と、箔屋町の蒲焼屋「宮戸川」の門口へ入って来た浪士がある、堀部安兵衛だった。 『いらっしゃいまし』 『見えておるか、一同は』 『お待ちかねでございます』  二階へ上る。  中庭の女竹の葉が、裏の欄干越しに青々とうごいている。  もうそこの一室で、十数名の話し声がする。  奥田、片岡、赤埴、村松父子などである、武林唯七、矢田五郎右衛門などもいる。 『おう、堀部』  と、高田郡兵衛が、正面から見つけて云う。 『遅くなって、申し訳ない』  安兵衛が、座に着くと、 『まだ、磯貝十郎左も、富森助右衛門も見えん』 『その磯貝からは、言伝てを頼まれた。西瓜を喰うて中てられたとか、下痢いたして、昨日から寝ておる。助右は、旅立ちじゃ、両名とも、よろしくと云う事だった』 『磯貝のような若い者ですら、その通り、いつ病気を罹るか分らぬ。──ましてや』  と、高田郡兵衛は、声をひそめて、 『上野介のような老体は、何時、病で斃れるかも知れぬ』  奥田老人も、うなずいた。 『その段は、こころもとない』  郡兵衛は、槍術家らしい肩に、瘤を作って、 『為ろうじゃないか、これだけの者があれば……』  と、座中の顔を見まわした。  安兵衛は、懐中から、一札を取り出して、 『山科の大夫からでござる、いつぞやの御返書だ。廻覧して下さい』  奥田老人が、黙読して郡兵衛に渡した。郡兵衛から田中へ、片岡へ、竹林へと巡読してゆくうちに、 『堀部ッ』  と、郡兵衛が云った。どこか激しい語気だ。書面から受けた不快なものに耐え難くなって、日頃の鬱憤と共に吐き出すような口吻なのである。 『上方組との打合せはよいが、一体、いつ迄、このような同じ文句の遣取りを交しているのだ。内蔵助殿の手紙といえば、毎度決まって、公儀の御憐憫にお縋り申し奉る事だ。大学様お取立を第一義に考えている事だ。又、時期尚早だ。軽挙妄動を慎めとある事だ』 『うむ』  と、安兵衛が顎を引く。  側の村松三太夫が、 『一つ』  と、その手へ杯を持たせた。  郡兵衛も杯を取って、 『今日の書状を見れば、又しても、大学様お取立の運動のために、遠林寺の祐海とやらが、柳沢家に伝手を求めているとか、大奥の縁引へ奔走しているとか、その結果を見た上でとか何とか、まるで女人の為るような陋劣な策に大事を恃んでいるのじゃないか。優柔不断も甚しい。大石殿の心事はこれで見え透いていると云ってもよい。既に、大事を共にする人物じゃないと俺は思う……』  背を屈めて、蒲焼の串を解していた奥田孫太夫が、 『江戸と上方、手紙では埓があかん。いちど誰ぞ遣されればよいにな』 『原惣右衛門殿が、近々に下向なさるとこの前の書面にあったが』  と、片岡源五右衛門が云う。  郡兵衛は、嘲殺するように、 『それも、泣く子に飴を舐らすように、われわれを鎮撫に来るというのだ。俺たちが、君家の名を重んじ、武士の第一義に殉じようとするのが、大石殿には、唯、無謀な血迷い事と見えるらしい。所詮、武士道に対する見解の相違なのだ。いくら書面を取り交して論じてみたところで果しはつくまい。この上は、上方組を差し措いても、われわれは、初志を貫くまでのことだ』  郡兵衛の憤る気持は、誰も等しく持っている所だった。此男は、酒気に駆られてものを云うような底の浅い人間とは見えない、槍術の達人で、人も許し自身も許している。小笠原家から転じて浅野家に高禄で抱えられたのも、その槍術の有名を買われたのであった。郡兵衛は、常にその恩遇を口にしていた。内匠頭に凶変があって以来は、郡兵衛は、在府派の急尖鋒だった。是が非でも、亡君の百ヵ日までに、意志を決行しなければ、往来は歩けぬという一点張なのである。  彼と、心を同じゅうしている者に、堀部安兵衛と奥田孫太夫の二人があった。この三名がいわば江戸に残っている旧藩士の在府組の牛耳を執っている者たちであり、即時断行を、持論としていた。  国許組のほうにも、いろいろな異心者を出したように、江戸のほうでも、無造作に結束する者が結束されたわけでは決してない。藤井又左衛門だの、安井彦右衛門だのという家老重職の多くは、いつのまにか、顔を見せなくなって、殊に急激な堀部、高田などとは、気まずい仲にさえなっている。然し、そういう脱盟者などには、眼もくれないのが、ここにいる人々の特質でもあった。 (いやな奴は脱けろ。躊躇う奴は見て居れ。一人になっても為って見せる)  と云うのが意気であった。  また、背後にあって、 (そうなくちゃならん)  と、若い者に元気づけている老人もあるのだ。ここに顔を見せていない堀部弥兵衛老人が先ずそうだし、本所中之郷にいる浪人の大石無人などは、それでもまだ近頃の若い者は分別過ぎて実行力が乏しいと酷評している位なのである。 『もう、議論は飽いたな。憤慨もよそう。要するに、為るか為らないかだ』  安兵衛のやがてのことばに、 『無論為るさ』  郡兵衛が受け取って、 『日は、迫っているのだ』  と云った。 『いつ?』  急に、声をひそめて、武林唯七がいう。 『……しかと、わからんが、もう移転の荷を、ぼつぼつ本所へ送っているのは事実だ。然し吉良父子が移った様子はまだないらしい』 『すると、遅くも、ここ三、四日のうちだな』 『前原伊助が、絶えず、あの附近を見張っているから、やがて、分ればすぐに知らせて来よう』 『移る時には、昼か、夜かだ?』 『世上を憚って、一歩も他出しないという上野介の事、必ず夜を選ぶだろうと思う』 『然し、意表に出ぬとは限らぬ。前原一人で、いざと云う時、間にあうか』 『ここ四、五日は、必ず各〻一定の居所にいる事。その他、急場の要意お含みあるように』  いつか誰の声も低声になっていた。内匠頭の百ヵ日を過ぎても、一向煮え切らない内蔵助の態度や、又、上野介が来春は米沢へ移るだろうなどという途上の説に、こう急激に決行へ焦心って来たこの人々は、もう一日も猶予はならない気がして、吉良家の屋敷替えという絶好な機会を掴んで、宿志を遂げようとするものらしく、密々と、それから半刻も、何か諜し合っていた。  ──と。席を立って、階下の厠へ行った田中貞四郎が、いつ迄経っても見えないので、お互に、警戒の念を抱き合っている人々の眼が、すぐ、その空席へ不審を抱いて、 『田中は、何うしたろう』 『厠にしては、ちと長いが……』  赤埴源蔵が起って、 『見て参ろうか』  と、階下へ降りて行った。 陸の付人  バタバタと蒲焼を焼く煙の中で団扇をたたく音が板場でする。鰻を裂いたり、蒸したり、忙しげに男達がそこで働いているのだった。田中貞四郎は、梯子段の下に立って、板場の見える窓のそばに、きき耳を欹てていたのである。  源蔵が、声をかけると、 『叱……』  と、胸に当てている扇子を横に振った。  出前持と、板前との、大きな話し声が手にとるように聞えてくる。それへ、帳場の者の横口も交って、 『じゃあ何か、今日置いて来た泥鰌は、勘定はとれねえのか』 『何しろ、要らねえと云うもんですからね』 『要らねえものなら、持って帰ればいいじゃねえか』 『それがですよ。多分、吉良様の若殿にちげえねえと思うんですが、半弓をこう持っていて、あっしの方へ、きりっと、向けたもんだ。射殺されちゃ堪らねえから、置いて逃げて来たんでさ』 『あの屋敷と来ちゃあ、横柄で、払い汚ねえ。揚句の果に半弓を向けて、出入商人を脅かすなんて馬鹿にしてやがる。勘定をもらって来い』 『俺あ、もう嫌だ』 『嫌だって、お屋敷は、今日限り、本所の方へ、移ってしまうというんじゃねえか。今日を過ぎると、又わざわざ、松坂町まで貰いに出なけれやならねえ。勘定を下げてくれなかったら、泥鰌を取っ返して来い』 『誰か、行ってくれ』 『意気地なしめ』 『おれだって、生命は惜しいや』 『べら棒め、泥鰌の代を貰いに行って、まさか、生命を奪られる奴があるもんか。その若殿だか何だか知らねえが、汝に弓を向けた侍ってのは、おおかた、気狂いか何かだろう』 『どうして、人品のいい、立派な若様さ。顔の面長なところが、どこか上野介に似ていた』 『忌々しいな、吝ったれ屋敷め』 『まあ、いいや、くれたと思えば』 『主人の物だと思って大風に云うな』 『その代りに、台所足軽の花木さんから、口どめされた事を喋べりちらしてやるからようがす』 『なんだ、口止めされたというなあ』 『何ネ、例の一件があるんで、大殿様や若殿が、本所へ移る日を、ばかに、世に秘し隠しにしているんで』 『ふム、成程』 『ほかの出入商人には、まだ、四、五日こっちにいるように云っているが、ほんとは、今日限りであの屋敷の者はすっかりいなくなるんですぜ』 『馬鹿め、そんな事をいくら喋べり歩いたって、何んの腹癒せにもなりやしねえじゃねえか。泥鰌のほうは、はっきり損しちまわあ。誰か、頭を下げて、取って来い、取って来い』  源蔵の眼と、貞四郎の眼とは、梯子段の途中と下で凝と結びついていた。女中の来る気勢がしたので、二人は、無言のまま、二階へ戻って行った。  間もなく、手を鳴らして、 『おい、飯にしてくれい』  と二階でいう。  その飯が二階へ運ばれてゆく時、倉橋伝助が、眼いろを緊張させて、ここへ訪ねて来た。兎角するうちに、往来は黄昏ていた。 『じゃあ、いずれ又』 『御家内によろしく』  などと、一同は、「宮戸川」の門口で、わざと挨拶を交してちりぢりに別れて行ったのであるが、それから家へ帰った者は一人もなかった。  砂利場のところてん屋、空地の草叢、橋の袂、夕涼みでもしているように、ぶらついていた人影がみなそれであった。そして──軈て、上野介の家臣が、吉良家の通用門の見える外濠の岸へ、そっと伝馬船を横に着けたのを見届けていた。  そのうちに、倉橋伝助が、 『──扇を落した』  と、そこらに、散らかっている人々の背を通った。 『──扇を落した』  その呟きを聞くと、闇から、幾つもの眼が、向う河岸へ光った。上野介父子の姿が見えたのである。その影も見えない程な家臣に囲まれて船へ乗った。  伝馬船は、やがて、ぎいと、岸を離れて行く──。  空地へ、さっと、一同は集まった。  風のような行動を起しかけたのである。約束は決まっている。唯、場所だ。相手が船で行くことは、予期しない事だった。 『先へ廻ろう』  これは、赤埴源蔵の言葉だった。 『松坂町か』 『船から上るとすれば、二つ目橋の辺り』 『よしっ』  と、気は逸っている。 『だが待て』  これは、奥田老人の注意である。 『うかとも、先廻りは出来んぞ。松坂町ばかりが、上野介の行く先とは限らん──上杉家の中屋敷、下屋敷という策もある』 『大きに』  村松三太夫がうなずく。 『然らば』  と、郡兵衛が、 『船を尾行て、河岸を歩もう』 『それも、人目につく』 『いや、ちりぢりに』 『至極』  と、異議はなかった。  すぐ、河岸を追った。一人──二人──三名ぐらいずつに別れて。  所が、そうして四、五町ほど歩くと、忽然と、自分たちの前に、これは堂々と団結して、吉良上野介の船に尾いて陸を歩行してゆく一群の人影が現れた。十一名の人数である。足拵えは、草鞋股立、大刀に反を打たせて、中の二、三名は、槍を横に抱えている。 『やっ?』 『何者だろう?』  安兵衛も、郡兵衛も、いぶかった。  味方である筈はない。──  又、吉良家の家臣にしてはおかしい扮装でもある。草鞋、負包み、埃っぽい野袴など、どう眺めても、田舎武者だ。のみならず、十一名の一人一人、一歩一歩、怖ろしく力がある、隙がない。石火矢を撃ちこんでも、みぐるしい狼狽えはしそうもない緊張が見える。鉄の塀が徐々と船に添って行くようにも見えるのである。 『清水一学がいる! ……』  堀部安兵衛のそばへ来て、郡兵衛がささやいた。 『…………』  安兵衛は、冷烈な眼をかがやかしているのみだった。 『──後の者は?』  と、これは奥田老人。  誰ともなく、 『読めた、清水一学が米沢へ出向いていた。上杉藩から選りぬいて来た国許侍! そうだ……そうに違いない』 『米沢の剣客か』 『隠居の付人に連れて来た者たち』  低く──然し、つよい語気で、誰かが、 『くそっ』  と、呟いたのが風に流れた。 庭木鋏  千坂兵部の命をうけて、米沢の国許から、十名の剣客を選りぬいて、清水一学が江戸表へ帰って来たのは、つい今朝の事だった。 (御隠居のお引移りまでに)  と、兵部から云われていたので、今日という日取りを、急ぎに急いで来たのである。  兵部から、その通知があったので、上野介父子は、すぐ新居へ身を移す事になったので、その一行は、旅の装いを解く間もなく、清水一学に従って、着府早々、今夜の任務に就き、そのまま松坂町へ止まるようにという旨を兵部から受けていた。 『──さすがは、兵部様、いながらにして、御明察だ。案の定、赤穂の痩せ浪人がちらほら、後から尾いて来るわ』  一学は、こう云って、付人の剣客達へ誡めた。 『構えて、後を振り向くな』  と──。  云われた通り、付人達は、歩いていた。一足一足が生命がけであった。はりつめている背中を持つ。 『──あの中に、きっといるのは、堀部と、高田だ。この二人が、すこし手強い。かかって来たら、俺が、名をさすから、どっと、その二人へぶつかれ。横から、背中からかかる相手があっても、その二人を、先へ斃してしまえ。一時に』  然し、そういう機会は来なかった。  赤穂方では勿論、逸り立っていたが、決して米沢侍が相手ではない。清水一学が敵ではない。  両国を越えて、一つ目の角地の原までは行ったが、奥田老人が、そこで、 『いかん』  と、云ってしまった。  村松喜兵衛も又、 『ああ! ……まだ、時は来んのじゃ』  と、嘆声を放った。  高田郡兵衛一人が、 『老人が、手が出せぬなら、われわれで、上野介が船から上るところを衝こう。──何の清水一学が』  と肯きそうもない語気で云ったが、いつも激越な安兵衛が、何と考えたか、 『高田、思いとまろうよ』  と、宥めるのであった。 『なぜ、貴公までがここへ来て、二の足を踏むのか』  郡兵衛は、憤然となじって、 『赤埴、片岡、各〻は』 『御老人に従おう』  と、殆どが、思い返して、もう帰りかけるのだった。郡兵衛は、戻ってゆく同志の背を、蔑むような眼で睨めつけていた。 『堀部、帰るのか』 『やむを得ん』 『貴公と、奥田老人には、ちょっと、待ってもらおう』  二人の袂をとらえて、 『話がある』 『なんだ』 『すくなくも、われわれ三名だけは、ここを去ってはすむまい』 『どうして』 『約束がちがうじゃないか。おれ達は、当初に何と誓いを立てたかっ。──他の者達が、この瀬戸際に意気を欠いたのは、是非もない。だが、われわれ三名だけは、たとえ最後の一人になっても、吉良が、鉄壁の固めをしようと、斬り入ろうと、誓った筈ではないかっ。忘れたのか、もうその言葉を』  安兵衛と、老人の腕くびを、両方の手に固く握って、揺り動しつつ郡兵衛は云うのだった。情熱から湧く怒りが、瞼に、涙さえ光らせている。さすがに、安兵衛も老人も、心を揺ぶられる心地がした。その情熱は尊いものだと思った。自分にだって負けない程なものはある。然し、この男の剥き出しな一徹は、より美しいものだと思う──。 『高田。……まあ落着け、そう怒るな。決して、われわれが、今夜のこの期に臨んで、怯んだわけじゃない』 『いや、臆したと云われても、弁解の余地はあるまい。昼間の言葉をもう……』 『まあ聞け。──貴様、死ぬことばかり急いでいるが、上野介の首級を貰わずに、笑って死ねるか』 『俺には、自信がある。清水一学の腕も、およそは計っているつもりだ』 『一学が、敵か』 『──で無いにしても』 『今夜、一気に、かかりたいのは、拙者でも、御老人でも、変りはない。しかしああ敵が備えていては、どう衝いて出ても、勝目は見えない。少し、兵法というものを知っている者なら、すぐ感じることだ。付人や、家来は、幾人でも斃せようが、上野介が、討てるか否かとなると、拙者にも、誰にも、勝算は見えないのがほんとだ。──第一、地の理を見ても、吉良の邸に近いし、この河岸筋には小番所があり、人家も多い。一声喚けば、雑人がわっと殖える。おそらく、飛道具を用いても、難かしかろう。為損じたら、あれ程、諄々と書状を以て、われわれに苦言をよこしている大石殿を初め、国許組に、笑いをうけるばかりか、大石殿の云っている通り、天下の笑われもの、君家へも汚辱のうわぬり……。我慢せい、今夜のところは、黙って帰ろう』  奥田孫太夫も、口を酸くして宥めるので、やっと、郡兵衛は、不承不承に歩みだしたが、ひどく不機嫌だった。むッつりと、口もきかずに、両国橋を戻って行くのだった。  まだ、宵ではあるし、親しい友と、このまま解けない感情を抱いて一夜でも過すには耐え難い気がして、安兵衛は、郡兵衛の肩を叩いた。 『高田、いつもの茶屋へ寄って、口直しに一杯やろうか』 『飲みたくない』  膠もなく、首を振った。 『まあ、そう云わんで』  奥田孫太夫も共に、 『わしも参ろう、交際いなさい』  と云う老人らしい笑い半分に。  駄々ッ子をあやすように伴れて行った。落着いて、酒になると、郡兵衛は漸く機嫌が直った。その代りに、捨てる生命を、今夜も無事に寝るばかりと、肚をすえたせいか、ひどく飲む。飲んでの気焔がまた凄じかった。片岡、武林、村松の徒は、まだ真に復讐の一心が固っていないと罵る。併し、俺たちは飽くまでやろうぞと、老人と安兵衛の手を握りしめて声涙をしぼるのであった。そして、 『御両所、近日のうちに、鎌倉へ行こうじゃないか』  と、彼の方から云い出した。  いちど、遊山の態にして、江ノ島から鎌倉へゆき、鶴ヶ岡八幡宮の神前に、復讐連判の血誓を立てて、それを基礎に、同志の盟約を作ろうという下話は、以前から三人の間に交されていたが、つい、その遑もなく、肚と肚との黙契で今日まで来たのであるが、郡兵衛からその希望が出たのは、要するに、ことばの上だけでは、この両名に対しては、十分な信が持ち得ないのかも知れない。安兵衛は、言下に、 『よかろう、是非参ろう』  その場で、行く日までを、約束して別れた。  数日経つと、早朝に、 『堀部、支度はよいか』  と、彼の浪宅へ、郡兵衛が誘いに来た。  庭で、鋏の音がしている。もう一朝毎に花の小さくなり出した朝顔の垣越しに、植木鋏を持った白髪の老人が、 『よう、高田さんか、お入り』  と、庭の方を開けて云う。  安兵衛の父の堀部弥兵衛なのである。奥へ向って、 『幸。茶を持って来い』  と、植木鋏を、縁側へ置いた。 鎌倉血判  お幸は、敷物をすすめて、 『こんな、端近では』  と、郡兵衛へ、挨拶しながら、父の顔を見ると、 『なに、縁先は、却ってよいものじゃ、それに、草鞋を解かんでも済む』 『まあ、お勝手な事ばかり……』 『浪人礼儀。のう、郡兵衛どの、そうじゃないか』 『いつも、面白い事を仰しゃる』  郡兵衛は、茶を掌に上げて、 『安兵衛殿は、まだでござるか』 『何、とうに起きている。幸、伜は、何しておるか』 『恐れ入りますが、今朝ほど、奥田様もこちらへお立寄り下さいますそうですから、少々お待ちくださいませ』 『それにせよ、伜にはやく来ぬかと云え』 『あの……。ちょっと、唯今、いつもの日課をして居りますので』 『ああそうか。郡兵衛どの、では少し、御猶予下さい』 『日課とは、何をおやりですか』 『なにの、つまらん事を……』  何につけ、伜々で持ち切るこの老人は、そう苦笑しながらも、どこかに得意そうな色をうごかして、 『あいつめ、浪人以来、閑に体を持ち扱って、この夏は、法帖を出して、毎日夏書をして居るのでござるよ、手習いをな。はははは』 『ほ、習字を、日課にやって居られるのか』 『されば』  郡兵衛は、心のうちでいぶかった。やがて、秋の蝉より遅いか早いかに死ぬ身と覚悟している身に、何で、文字を習う必要があるのだろうかと。 『やあ、お先であったか』  そこへ、奥田老人が、軽い旅装で、これはしげしげ訪れる仲なので、庭木戸を押し開けて入って来た。  そして弥兵衛に、 『其許も、参られぬか』  と、すすめると、 『いや、わしは行かんでもよい』  弥兵衛は又、植木鋏を持って、ぱちぱちと、土用茂りの庭木を鋏んでいた。その姿も、復讐を一念にしている人とは受けとれなかった。離散と共に移って来たこの借家にしろ、家庭の整い方や、安兵衛の妻の幸女の顔の明るさや──どこにも、暗いとか悲壮とかいう影はないのだった。郡兵衛は、 (はて? ……)  と、惑わずにいられなかった。  まだ、妻というものを知らない郡兵衛なのである。やがて、安兵衛が挨拶に出て、奥の部屋で、お幸の手から、小袖を着せ掛けられたり、旅の持物の細々とした心づかいを受け取っているのを見ると、何か、軽い羨望にとらわれて、自分の生涯を、心で独りさびしんだ。 『お待たせした』  四、五日の留守を云いおいて、安兵衛は、新しい草鞋を足につけた。笠を持って、お幸は、戸外へまわる。弥兵衛も、門まで見送って── 『道中薬は持ったか』 『矢立は』  と、細やかな心づかいが、この父娘の日頃の家庭を偲ばせる。  郡兵衛は、その日の旅に、妙に、人妻が眼についてならなかった。又、街道から覗かれる百姓の家や、商い屋や、さまざまな階級の家庭が、妙に眼についた、そしてその家毎の団欒を思ってみたり、人生を考えたり、又自分にかえってみたりして、言葉かず少なく歩いた。  翌々日、鶴ヶ岡八幡へ参拝した。  奥田孫太夫は、自分で紙を継いで表具したという一巻を懐中して来た。  約束である。神前で、三名は、自署したうえ、血判をした。 『高田』 『ウム……?』  大銀杏の前を降りながら、安兵衛がたずねた。 『疲れたのか……。顔いろが、少しわるいが』 『水あたりかも知れん』 『それはいかん』  印籠を割って、薬を掌にこぼし、 『これを、服んでおくといい』  郡兵衛は、掌へうけたが、服むふりをして、薬はこぼしてしまった。江ノ島へ廻る予定である。然しそれも郡兵衛は気がすすまないらしく見える。 『帰ろうじゃないか』  と、茶店で云い出した。 『折角、ここまで来た道ついでを』  と、奥田老人は云う。そう云われれば又、引きずられてゆく郡兵衛であった。  島を巡って、鮑とりの海女を見ていたのである。──と貝細工を売っている土産物屋の軒先から、じっと、三名の背をながめている若党連れの武家の父娘があった。 『はてのう』 『よう似ておりまする』  特に郡兵衛へ注意を向けているのである。やがて、三名が、浪飛沫の巌頭から足をめぐらして、土産物屋の前を通りかかると、先刻から眸を放たずにいた武家とその娘が、 『おお』  と、声を弾ませた。  郡兵衛も、その声に、顔を向けて、 『あっ……。これは』  と、立ちどまった。 秋の残り香 『珍しい所で会ったの。どう召された、その後は?』  と、中間と娘をのこして、その武家は寄って来た。 『御無沙汰仕りました。いつも、お変りもなく』 『わしは、この通りだ。然し、尊公は、えらい目に遭ったのう。破格な高禄で、浅野家へ招かれたは、今思えば、却って、不幸じゃった。小笠原家に居れば何のこともなかったのに。さてさて、人間の吉凶はわからぬものじゃて。──お小夜も、あの大変以来、噂のみして、案じて居ったところじゃ』  お小夜というのがその娘であろう、父の側から挨拶をする。話は、頻りと弾むらしいのである、相当な身分の者らしいし、娘も縹緻のよい方だった。  先に、ぶらぶらと、ゆるい足どりで歩いていた堀部と奥田は、容易に郡兵衛が来ないので、路傍へ寄って佇立んでいた。  やっと、来たと思うと、郡兵衛は、 『いや、弱ったよ』  と云った。然し、鶴ヶ岡からむッつり沈みがちだった顔いろは、明るく解れていて、 『──話し好きな年老でな、それに、五、六年ほど、無音のまま会わなかったのだから、離さぬのだ。済まないが、一足先きに行ってくれないか、宿を定めておいて、晩方、落ち合おう』 『誰だ、あの仁は?』 『兄も世話になっているし、拙者も、以前、小笠原家へ推挙をうけたことのある御旗本の内田勘解由殿だ』 『そうか、では、先に参って居る』  定めた宿へ、二人は先に草鞋を解いていた。  とっぷりと暮れてから、もうみえないかと思った郡兵衛は、元気に、戻って来た。  食事は、内田父娘の者と、べつな宿でして来たという。しきりとそれからは、郡兵衛の雑談が弾んだ。旅へ出て、初めて旅らしい快活な晩を三名とも味わった。  江戸迄も、その明るさはつづいた。然し、江戸へ帰ってからの郡兵衛は、それ限り誰にも顔を見せなかった。  山科にいる内蔵助の旨をうけて、原惣右衛門が下向したのは、それから間もない後の事である。  勿論、惣右衛門の下向は、主家没落以来の憤恨の火の手を、いちど、消し伏せるためだった。在府組の激越な気勢を、遠くから眺めている内蔵助は、その火があぶなくて、放って措けない危惧を感じだしたのである。その火消し役も、なみな者では、却って火を大きくしてしまうか、収拾のつかない結果にしてしまう惧れがある。老巧温健、そして、人望もある惣右衛門を、そのために、選んでよこしたものらしい。  堀部から、高田郡兵衛へ、すぐ使をやった。病気という返辞なのである。やむなく奥田孫太夫と二人で、惣右衛門の宿へ訪ねた。 『どれほど、大石殿が、各〻方の血気に逸ることを心配して居られると思われるか──』  惣右衛門のこの言葉は、最も強く、二人の胸を打った。  惣右衛門だけでは、まだ、心許なく思ったのか、山科からは、後を追って、更に又、大高源吾と、進藤源四郎の二人が、下って来た。  場所を変えては、幾度となく、会合が行われた。高田郡兵衛が顔を見せないために、原惣右衛門や、大高源吾などの鎮撫の使者に、正面から自分たちの主張をのべて当る者は、堀部安兵衛になっていた。  然し、独り安兵衛のみでなく、復讐の即行を主張して退かない硬骨が、実は、堀部弥兵衛とか、奥田孫太夫とか、村松喜兵衛とかの長老に多いことがわかって、これは単に、血気とか過激とかではなく、江戸表という政治的な実際下に触れている者と、上方の空気から大勢を眺めている者との相違も多分にあると惣右衛門は気づいた。  その手から、情報が飛脚されると、内蔵助からは間もなく、 (十月中旬、自分も一度、江戸表へ出向く)  と云う返札が一同へ宛てて来た。 『大石殿が来る!』  と云う声は、さすがに、議論や焦躁に暮れていた在府組の意気を、粛と、引き緊めた感じがある。 『ともかく、大夫のお下知を待って』  と、何もかも、それに期待していた。  程なく、十月二十日には、山科を発ったという手紙。つづいて十一月二日頃には、江戸へ着く予定という道中からの先触れ。  また、滞在中の宿として、以前、浅野家の日傭頭をしていた芝松本町の前川久太夫の宅を借りうけるつもりで、一札出しておいたが、なお、念のために、在府の者から、訪れておいてもらいたいという手紙。  冬が訪れかけて、時々、霜を見る朝もあったが、忘れられた庭の隅や、往来の籬に、まだ秋の残り香のように、菊の遅咲きが匂っていた。 二つの道  明日は誰か三、四名、品川口まで、大石殿を迎えに出ようと相談して別れた夜である。  堀部安兵衛が家に帰ってみると、妻のお幸が、夕方から客が来て奥で待っていると云う。 『誰だ』 『高田様でございます』 『郡兵衛が?』  すぐ会おうという気になれなかった。  今日の寄合の通牒も出してあるのに、その席へは顔を出さないで、ここに来て長々と待っていることも解せない。その他、鎌倉の連判以来、彼はどうかしている。 『茶をくれい』  居間に坐りこむと、 『でも、だいぶ永い間、凝と待ちあぐねていらっしゃいますが……』 『まあよい。後で会う』  凝と、ひとりで、茶を喫しているうちに、安兵衛は、何かうっすらと、郡兵衛の用向が感じられて来た。 (そうか)  と、思うだけだった。  静かに起って、客間の襖を開けた。沈湎と、灯りを横に、坐りくたびれていた郡兵衛の顔が、 『やあ……』  と仰向いて、席をひらいた。  常のように、笑えないものが、すぐ二人の面をつつんでしまった。射るように向けた安兵衛の眸の光に、彼は、俯向いてしまっている。  いつまでも言葉がない。安兵衛も、無言に任せている。お幸の袂が、静かに畳へ触って、茶をおいて去っただけである。  ぱら……と云う涙の音が郡兵衛の顔の下でした。はっとしたように、彼の拳は顔へ行っている。  肩の中へ、顔はだんだんに埋ってゆくのだ。 『堀部っ! ……。ゆ、ゆるしてくれ』  肱まで、べたっと畳へついて、郡兵衛は訴えた。 『──実は、ここへ来て、会わせる顔もないのだが、仮面を被ったような気持で、閾を跨いで来た。世の中に、義理ほど辛いものはないというが、俺は、進退谷まった。何をかくそう、いつぞや江ノ島で会ったあの内田勘解由から、すっかり見込まれて、兄や、叔父までも抱きこまれ、この俺に、聟になってくれというわけだ……』 『…………』 『勿論、俺は断った。断乎として、強情を張って来たのだ。然し、兄や叔父に、その理由を云えと迫られると、何と云い抜けようもない。わけて、兄は、内田家に恩義があり、俺に、相談する前に、弟に異論のあるはずはない。あったにせよ、兄が説服して──とまで、ひきうけてしまっているじゃないか。切腹ものだと泣きつかれるのだ……。それでも、拙者としては』 『暫く』  安兵衛は、眼を反らして止めた。  聞いているほうが彼以上に胸ぐるしい。血をもって結んだ友達の、こんなあらい呼吸から吐く声を、長く聞いていられる程、安兵衛は残忍になれなかった。 『わかったよ、高田』 『ま、聞いてくれ』 『いや!』  その拒みは厳しかった。 『それ以上、聞く要があるか。もういい。奥田老人にも、明日、伝えておく』 『……察してくれ、俺の立場を』 『長年の友達だ。貴公と、俺とは、共に、浅野家に仕官しない前からの知己だ。槍の郡兵衛と貴公はいわれ、俺は、赤鞘だの、呑ンべ安だのと云われた頃からの仲間だった』 『…………』 『然し、友達だから一緒に終らなければならないという道義はない。ここまでの友達だったのだ。折角貴公が行こうと思った道を、俺が何で止める──。又、くどくどと、よけいなことを訊かないでも、貴公の気持ぐらい、分らないで何うするか』 『…………』 『他の、連判の者へ、披露すれば、おそらく、中には、貴公を刺せという者が出るかも知れない。けれど、それも、俺がいる以上は、決して、させないつもりだ。……ただ、友達甲斐に、連判に関わることは、他言を守ってくれ』 『何で、この上、皆の者に、不利なことを洩らすものか。それを洩らしていいくらいなら、拙者は、この辛い立場に立ち到りはしない』 『お別れだな、一杯つけようか』 『いや』  あわてて、腰を起てた。 『失礼する。いずれ又』 『そうか……。幸、お帰りだぞ』  玄関まで、行燈を提げて、安兵衛は送って出たが、 『そこ迄──』  と、草履に足をのせた。 『もう、どうか』 『せめて、そこの辻まで送ろう』  安兵衛は、肩を並べて戸外へ出た。宇宙というものを改めて思わすように星が美しい。  黙然と、草履の音が夜露にそろう。  郡兵衛は、安兵衛の左へ左へと、身を寄せてゆく。まるで、弦を張ったように硬くなっている体だった。体じゅうに眼をつけて、刀を待っているような気構えが戦慄している。  彼が、槍術を以て天下に鳴るくらいな腕の持主でないのならば、安兵衛は、 (そう心配するな。おまえなぞ、斬る気はありはしない)  と云って、早く、気を楽にさせてやりたいと思ったが、彼も、一流の兵法者なのである。達人槍の郡兵衛ともいわれている人間なのだ。そうまで、蔑んではやりたくない。  霜の白い雑草の原と、もう戸を卸している片側町の辻まで来た。安兵衛は、足をとめた。 『じゃあ高田、ここで──』 『済まない』  虫けらのように背を屈めた。その肩を打って、達者で暮し給えと云うと、郡兵衛はその顔を上げ得ないように、 『よそながら、御本望を遂げる日を、祈っておる。御一同にも……』  ──よろしく、と云う言葉は出し難かったものと見え、語尾は消して、頭ばかり下げた。  そして、前かがみに、暗い町を急ぎ足に戻って行く。 『気の弱い男だ』  安兵衛は、しみじみ、槍とか、剣とか、武道と云うものが、人間を強くする何の足しにもならないことを痛感した。多少なり、その剣道に、自負を持っていただけに、他人事でなく、反省された。いや、これが人間ありのままのすがたなのだと、彼方へ、小刻みにゆく後ろ姿が、ひと事ならぬものに見えた。  然し──  ひえびえと澄みきった夜気を仰ぎながら、独り、家へ向って足を戻してゆく間、安兵衛の胸には、多年の友を失ったような寂しさに代る、もっと強固なものが、道連れになっていた。そして、むしろ、 『彼は彼でいい。自分にとっては、むしろ脆い者が一人退いた。それだけ、後の質は本当なものになる』  と、つぶやいた。  明日は内蔵助が江戸に着く。今にして思えば、その内蔵助が容易に起たない心も、うっすら、安兵衛にも、分りかけて来たような気がするのである。  至難なのは、目的の達成ではない。見透し難い人間の心のうごきだ。 山科普請 紫ずきん  これが、まだうら若い女性の住む局だろうか、華やかな香いとか、紅い色とかいうものは何も無い。又、あらゆる世間の物音というものも全く為ない。  十一月の半旬である、今朝の寒さはべつだった。  さなきだに寒い鳥の子の白襖に小堀遠州風の簡素な床壁と、小机と、そして一輪の山茶花を投げ入れた蕎麦の壺と。  ──それだけであった。  この実家方の──赤坂南部坂にある浅野土佐守の邸の奥ふかくへ籠ってから、瑤泉院は、亡き良人内匠頭との在りし日の頃の楽しかった追憶に、終日を、仏間に端坐しているか、机に向って、法華経を写経していることを、何より心の慰めとしているらしかった。忍びやかな塗駕を閉じて、ただ一度、泉岳寺へ参詣したほか、外へ出たことも殆どない。 『御後室様、御後室様』  いつになく、小走りな跫音が、仏間と茶室との中廊下にして、鉄砲洲の上屋敷からずっと侍いているお妙が、寒さに、白い息を見せて、仏間の裡へ云った。 『大石様がお越しあそばしました。あの、いつもお噂していらっしゃる内蔵助様が』 『オ……。内蔵助が、見えましたか』 『はい』  妙も、欣しそうなのである。  書院の次の間に、内蔵助は平伏していた。この月の三日に出府して、江戸にいる旧藩士の人々と幾度か会合を重ねていた。勿論、堀部、奥田などの急激派を極力宥めるためだった。ちょうど今日は月の十四日なので、亡君の墓参を済まし、かねて、国表の始末やら、藩士離散の折の御手当のお礼やらを述べた上、独り遣り場もない惨心のうちに、切髪の初冬をどんなに寒く傷ましくお生活であろうかと、その慰問も永らく胸にだけ思っていたので、今日は──と、その宿志を果すために、泉岳寺からその足でここへ訪れて来たのであった。 『何から云おうぞ……』  瑤泉院は、脣をわななかせた、さすがに女性である。内蔵助の姿を見ただけで、涙が怺えきれなかった。 『ゆるしてたも』  暫く、泣いて居られるのだった。内蔵助も、顔を上げ得なかった。森閑として、二人の主従は、涙の中に自分をまかせていた。無言のうちに、言葉にも尽せない感慨を語り尽しているのだった。  やがて── 『内蔵助、寒かろう』 『はい』 『もそっと、火鉢のそばへ、寄られたがよい』 『では、御意にあまえまして』 『そなたは、この夏の初め、病ろうていると風の便りに聞いたが、もうよいのか』 『軽微な腫物をわずろうたに過ぎませぬ。お案じ下されますな、この通りに、ただ今では頑健でござりまする。それよりは、御後室様のお心、おからだ、離藩の家来共も、よそながらお案じ申しあげております。殿の在した頃と違うて、日常、お伺いもかないませず、また、人間はいつの御対顔がいつの別れとも限りませぬ。どうぞお自ら御大切に遊ばしますよう』 『欣しゅう思います。したが、内蔵助……』 『はい』 『人と生れたら、男と生れたいものじゃ。そればかりを、沁々と思います』 『…………』 『男なればと思うことが、朝に夕べに、心から去りませぬ。さむらい達の道もくるしかろうが』 『わかりまする、内蔵助には、お心のそこまでを、御推量申しあげることができまする』 『そなたを、ただ、力に恃んでおりますぞ。国表の事ども、噂を聞くにつけ、よう為てたもったと、遠く、掌をあわせておりました』 『勿体ない』 『いいえ、それは、この身から云うことじゃ。主従の縁も、はや薄らいで、散々に、行方も知らぬ人すらあるに──いやそうした事が世の常なのに──。内蔵助、そなたとは、まだ、主従と思うて居りますぞ』 『おことば、辱のうござります、御奉公も、まだ、済んだとはぞんじませぬ。ふつつか者でござりますが、内蔵助もまた、あの世まで、内匠頭様の御家来で通る所存でござります』 『それ聞いて、この身も、生きがいを覚える。亡きわが良人にもさぞお欣びでありましょう』  妙を呼んで、瑤泉院は、何か取り寄せられた。内蔵助の前へ、妙の手からさし置かれたのは、紫縮緬の丸頭巾であった。 『──遠路、事多い中を、よう訪ねて賜もった。これは、徒然にわが身が縫うたもの、そなたは、いとど寒がり性であるそうな、夜寒をふせぎ、よう身をいとうて下され』  そう云って、内蔵助に与えた。  或は──いや怖らくは──これ限りのお別れとなるかも知れないと、内蔵助は、沁々と、瑤泉院の寒眉を見あげた。 『では……。お暇を』  そう云いだすのが、苦しい気がする。然し永居が何の慰めにもなるのではない。内蔵助は、土佐守の屋敷を出た。うしろ髪をひかれるここちで──。  元とはちがって、駕や供も持たない一介の浪人である。から風の吹く南部坂の途中に立って、内蔵助は、町駕を眼で求めていた。  すると、風に奪られて往来の者の菅笠が、彼の前を、坂の下へ吹かれて転がって行った。土佐守の屋敷の台所門の下に、用もなげに佇立んでいた男の笠だった。あわてて、笠を追おうとしたが、内蔵助の眼が、男の額を射ると、ついと背を向けて、彼方へ行く振りを見せた。 『──駕屋』  内蔵助は、通りかかった町駕へ身を入れている。気にもかけないふうであった。笠を飛ばした男は、小づくりで逞しい町人だった。坂の下へ沈んで行く駕の影を追って、彼の足は急に迅くなった。 隠密行  吉良家の人間か、上杉家の家来か、千坂兵部の扶持を食っているのか、木村丈八は、自分でもわからない程、このところ、不思議な出没に忙しかった。 (数寄屋門から、中庭を通って、いつでも黙って居間の縁先へ通って来い)  と、兵部から自由をゆるされているので、彼が、そこを無断で出入することは頻繁だった。──殊に大石内蔵助が、江戸表へ東下して来て以来は。  今も、脚絆草鞋のまま、沓石に居て、縁先に腰をかけている旅商人かのような町人が、部屋の内の兵部と声をひそめて話している。それが、南部坂で笠をとばした男だった。つまり、兵部の命をおびては、昼夜、伊賀者のような飛躍をしている木村丈八なのである。 『昨日、内蔵助は泉岳寺から、瑤泉院の住居を訪れ、その足で、御目付の荒木十左衛門殿の屋敷へ駕を向けました。恐らく、主家再興の懇願をかねて、赤穂始末の折の御礼を述べたものと存ぜられます。同日、松平安芸守、浅野美濃守へも、挨拶に立ち寄りました。いずれも、少時間でござった』  丈八の報告を、兵部は、横見しながら聞いているのであった。返辞も独り語のように、 『──ふム、そうか、行届いておる』  敵を称揚するような呟きである。兵部には、内蔵助の気もちが、こうして居ても実にわかる気がする。まだ会ったこともない人物であるが、大藩と小藩の差こそあれ、彼も一番の重臣として社稷を護る人間であったし、自分は、上杉家の存亡を負って、社稷の為めに粉骨しなければならない老臣の立場にあるのだ。もし地を更えて、自分が内蔵助の場合に立つならば何う動くか──何う処すか──それを思えば、自から内蔵助の行動と意中は、鏡にかけて映し取るように、彼には読めてくるのだった。 『──御家老』  丈八は、短い体を、縁先から伸ばした。 『至急、上方のほうへ、七八名ほど遣って置きたいと思いますが』 『何か、事でも起ったか』 『いや、内蔵助在府中は、べつだんの事もございませぬが、近く、山科へ帰る気振が見えます。──で、彼等の一行よりは、先を越してやって置いた方が眼立たぬように考えられますが』 『すでに、五名は、山科へ参っておる。そう多勢も如何なものか』 『では、本所のお邸の方から、同僚共を五名ほど選り抜いて連れて参りましょうか』 『いや、吉良殿の手の者を、一名でも抜いてはならぬ。たとえ、内蔵助が京都へ戻っても、いつ、単身で乱入に及ぶ不所存者がないとはかぎらぬ。それは、わしの方から遣るとしよう。そちは其方だけと思うて存分に働いて欲しい』 『承知いたしました。場合に依っては、このまま、お暇も告げずに、彼地へ発足いたすかも知れませぬ』 『折々の事は、文書がよろしい。かえって、そのほうが目立つまい。隠密は、此方のみの働きと思うと間違うぞ。内蔵助ほどの男だ、抜け目のあろう筈はない。彼の細作も、立ち廻って居ろう。或は、兵部の邸のうちにさえ、臭い者がいるかも知れぬ、気をつけてゆけ』  路銀を与えて、兵部は又、云い足した。 『──然し丈八』 『は』 『必ず共、赤穂の旧藩士共に、挑戦いたすような振舞は、屹度つつしまねばならぬぞ』 『心得て居ります』 『要は、内蔵助の本心に、世上で取沙汰いたすような事実が、あるかないか、それだけを突き止めることだ。浪士共の動きも、そこに重点を置いて観れば自ずと解ろう』 『丈八も、その儀と、考えております』 『露骨に、上杉、吉良の両家が、彼等を監視しておると知れては、世上の風聞もわるい、また、却って彼等の憤激を助けて、吉良殿のお為めにもよろしくない。──この兵部がままになる身ならば、この際、内匠頭の舎弟浅野大学を立てて、家名再興のため、共々内蔵助に助力してやりたい程に思うのじゃが、上杉家の老臣としてそうもならぬのが歯がゆいのじゃ。浅野家の再興の事さえ成るならば、いかに、猛り立つとも、浪士共の気勢は甚だ違ってくると思う……これは、わしだけの思い過ごしで、実際には手出しのできぬ事だが、なるべくは、難なくこの危機が乗り越えられたら、お家の為、万歳だ』 『お気持、よく体して参ります』  丈八は、やがて兵部の邸を出て行った。  事変以来の昂奮は、吉良家の者もまた、浅野家の浪士に負けていない。そのために、木村丈八を初め、腹心の付人たちは、明かに、浅野浪士へ対して、張りつめた戦意をもって、戦っている気持なのだ。丈八とても勿論そうである。しかし、千坂兵部という老臣の側へ寄ると、その闘志がいつも頭を抑えられてしまう。兵部の考えは、内蔵助以下の者を、敵として迎えたくないのだ。戦闘対立は避けたいのだ。襲せて来たら、粉砕してやろうとはしていない。唯、どこまで、この颱風の下にある上杉家の屋根を、瓦一枚も損じないようにするか。あの老人が念じているのは、それだけの事なのだ。 『やり難いな』  丈八は、そう思う。 『どこまでも受身だ──』  いっそ、なぜ、内蔵助を暗殺してしまえと命じてくれないのだろうか。堀部、奥田、吉田、原、あのへんを討ってしまうことだって、こっちの気ぐみ一つでは至難とも思えない。そのほうが何れほどやりよいか知れないのにと、いつも彼は思う。  然し──  ままになる位置ならば、浅野大学の取立てられるように、内蔵助と共に手伝っても遣りたい──と云った千坂兵部のふかい奥行を考えると、 『成程なあ』  丈八は、いわゆる小身の臣と、大身の臣との相違を、はっきり自分にも感じて、さすがに、兵部ほどな人物は少いという世間の評に、外れはないと思った。  間もなく、丈八は、江戸表を去った。  彼が、山科の附近に、ちらと姿を見せ、すぐ影を隠くしたのは、その月の末頃であった。それから四日ほど措いて、大石内蔵助以下、潮田又之丞、中村勘助、中村清右衛門、進藤源四郎などの一行は帰ってきた。赤穂退散後、内蔵助が永住の地ときめたかのように、世間へ見せかけて買入れた山科の家に、ひとまず、旅装を解き、軈てそれぞれ、洛内の自分の住居に落着いたのであった。  ──尠くも表面だけは、平穏に。各〻が、それ自身の生活の方針に忙しいように。 鵺を射る  年は明けた。──元禄十五年へ。  池田久右衛門と名を変えて、内蔵助は、この冬を、炬燵に暮らしていた。但馬から呼びよせた妻のお陸や、吉千代や、大三郎もそこにいた。長男の主税が、いつも団欒の中心だった。明けて十六になるこの少年は、背が五尺七寸もあった。父の内蔵助よりは巨きいのである、いつも笑いの種になった。  弟の吉千代が、 『凧を張ってよ、凧を』  と、その巨きな兄にぶらさがって強乞んでいた。 『後で──。な、よい子だ』 『いや、いや!』  吉千代は、駄々をこねる。主税が、 『勉強もようせず、遊ぶことばかりしておると、叱られますぞ。お父上に、訊ねてみい』  と云うと、吉千代は、父の姿をさがし廻った。  内蔵助は、邸内の畑へ出ていた。二月の陽ざしが、そこには明るく暖かかった。畑はすっかり土をならされて、沢山な石と材木が入っていた、大工は、墨を引き手斧をふるっている。鉋板から走る鉋屑が、いっぱいに其処らを埋めていた。  内蔵助は、焚火のそばに腰かけて、大工の仕事を眺めながら、頻りに、木口の鑿をやかましく云う。 『これ、そこの職人、おまえの鑿は、ぞんざいで不可ぬ。数寄屋普請をしたことがないのか、面皮の柱に、そんな安普請のような雑な仕事をしてくれては困る』  棟梁が、駈けて来て、 『どうも、相済みません。──やい、汝はほかの仕事をしろ』 『棟梁』 『へい』 『やかましく叱言を云ってくれ』 『ずいぶん気をつけて居るつもりですが、ちょっと、手前が眼を離すとこれなんで』 『日傭は、いくらかかっても関わぬのだ、折角、悠々とこれからの生涯を楽しむつもりで建てるのだからな』 『御もっともでございます』 『材木屋から、天井板は届いたか』 『へい、着いております、御覧に入れましょう、旦那、これでございますが』 『なんじゃ、これはただの杉柾ではないか』 『柾も、これくらいな板は、少のうございますぜ』 『長押、柱、ほかの木口に較べて、すこし、見落がするの、十畳の間には、神代杉を貼ってもらおう』 『神代杉を、……へ、左様ですか』  棟梁は、内蔵助の顔を見入って云った。いくら普請は子孫までのものにせよ、すこし勿体なくはないかと、始終尺金を持っている商売人でも思うものらしい。 『そうだ、十畳を神代杉にする、そうなると又、四畳半が、赤杉の並物ではうつらぬ故、吉野杉の飛切りで貼ってくれい。客に見せて、金を惜しんだように思われぬようにな』  棟梁は、こういう見栄坊な普請主が、結句、お花客にはなるので、云われる通りに、すぐ材木屋の手代をよんで板を返した。  壁もやかましい、庭石も今、紀州から来ているが、半分は気に入らぬという。運賃を損をしてもよいから、もっとよい石を探せといわれているのである。どれほど、金があるのだろうか。赤穂城を明け渡す折に、家老ひとりで、一万両をよそへ隠したという世間の風評もあるから、思いきった普請をして、後は、何といわれようが、後生安楽にきめこむつもりだろうと、これは、大工の下職や左官などが、仕事場から帰り途での噂であった。 『そうかなあ、俺あ、そう思わねえが』  と、左官手伝いの、辰造が云った。  大工の留吉が、 『じゃあ、何が、どうだって云うんだ』 『あの池田久右衛門ていうのか──赤穂の家老は、きっと、仇討をやる肚だろうと、おれは見ているんだ』 『えらそうに云うな。仇討をするほどな人間が、あんな普請をするわけはねえ』 『そこが、反間苦肉の計略だ』 『計略なら計略らしい普請をしそうなものじゃねえか。何も、あんな念入りに、やかましい事をいったり、無駄金をつかうことはない』 『そこが、裏の裏を掻く、兵法というものだろうて』 『生意気なことを云って、どこにそんな証拠がある』 『誰か、そんな気振を、見たものはねえか』 『馬鹿野郎、汝が、云い出した話じゃねえか、人に訊く奴があるか』 『だからよ、俺は、そう思っただけだが、誰か、そんな証拠を耳にでも挾んだ者はねえかと聞くんだ』 『あはははは、呆れた奴だ。てめえですら分らねえことを、頑張っていやがる』 『そうかなあ……』  と、辰造はとぼけた顔をして、ちらと途中の辻へ眼をやると、 『おらあ、寄り道があるから、ここで別れるぜ。あばよ』  毘沙門前の奴茶屋をすたすたと曲がって行く。  辻の樹蔭に立っていた町人が、辰造の後から尾いて行った。往来を見まわして、 『関口──』  と、やがて呼ぶ。 『おお、木村か』  左官手伝いの辰造は、やはり千坂兵部の命をうけて、江戸表から来ている吉良方の関口作兵衛だった。木村丈八は側へ寄って、 『何か、変った事はないか』 『一向にない』 『訪客は?』 『きのうは、柳の馬場に住んでいる寺井玄渓が見えた』 『旧の浅野藩医だな』 『時々、病家を見舞う態にしてやってくる。内蔵助からも、一二度足を運んでおる』 『小野寺、中村、潮田などの連中は、玄渓の家で密会しているのじゃないか』 『それもあろうが、近頃は、洛北の瑞光院の境内にある拾翠庵を借りうけて、歌俳諧の集まりのように見せかけ、時折、そこで評議をしているらしい』 『拾翠庵──あの浅野稲荷の隣地だな』 『そうだ、浅野家の祖先が、稲荷を祠り、寺領も寄附しておるので、浅野稲荷とよんでおる、あのすぐ側だから、会合のある折は、稲荷詣りを装ってゆけば近づけよう』 『近いうちに、集まりのある様子はないか』 『先月中旬、大高源吾と、原惣右衛門の二人が、江戸表を立って、途中、伊勢の大廟に参詣し、原は大阪に、大高は京都に、各〻家を借りて住んでおる。──それ以来、山科でも、拾翠庵でも、頻りと会合があった。どうやら、ここのところ、仲間同士で異論があって、ごたついているようにも思える』 『それはよい按配だ。しかし、油断はできないぞ』 『もとよりのこと』 『普請はどうだ──山科の』 『やっておるよ』 『われわれの眼を偽瞞する大石の策略だろう』 『──と、おれも、考えているのだが、時々、そうでないのかと思われる事がある。おそろしく、入念だ。それに、内蔵助自身が、普請好きとみえ、木口の好み、仕事のやかましさ、職人共が弱っている程、がっしりと、土台から金をかけている』 『ふウむ……それほどに』 『若い手輩の──例えば不破数右衛門、武林唯七などの躍起組が──近頃、大石に対して疎遠になりだしたのは、あの普請場を見てからだ、他にも、大石の肚を、疑っている者が多い』 『その点だな、仲間割れの因は』 『時期のこともある』 『時期とは』 『すぐ、事を挙げようという組と、大石を取り巻いて、煮え切らないでいる仲間と』 『ウム、それもあるな、──しかし、いったい内蔵助自身の本心は、貴公の見込みで、何う思う』 『七分三分か』 『どっちへ』 『考えてみろ、内蔵助だって人間だ。世間やまわりの連中がなければ、七分は、死にたくない方へさ』 『いずれ又会おう。急用のできた場合は、毘沙門堂の例の額堂、あそこの北の柱へ、釘で目印をつけておく。書物は、その額堂の絵馬のどれかの裏へ隠しておくから、時々、柱の目印を見に来てくれ』 『心得た』  ふたりは夕闇の中で別れた。  月を越えるとすぐ、山科の家には、急に内蔵助の姿が見えなくなった。普請場へも、この五、六日顔を見せない。誰に聞いても知る者はなかった。辰造の関口作兵衛は狼狽して、その夕方、仕事場の帰り途に、丈八の言葉を思い出して毘沙門堂へ寄ってみた。  額堂の北の柱を見ると、釘の先で、「鵺を射る」と落書がしてある。──仰向いて、そこにある幾つもの絵馬を見ると、源三位頼政の図を描いた一つの額がある。踏台をさがして来て、手をのばしてみた。蝶に結んだ紙片がある、解いてみると、木村丈八の手蹟だ。 山科のお旦那、遽に赤穂表へ用ありげに出立、お供して参る。吉左右、後より。 十八尺  と書いてある。 『赤穂へ行ったのか……』  関口作兵衛はつぶやいて、額堂を降りて来た。もう宵闇の空に白い星のまたたいている頃だし、そう参詣人もない境内なので、気をゆるしていたので、彼はよけいに恟ッとした。若い浪人者が二人、じっと、此方の挙動を下で見ていたらしいのである。  すぐ──関口作兵衛の手は自分の口へ走った。掌の中に握っていた丈八の手紙を、噛みつぶそうとしたのだ、けれどその手が動くよりも迅く、浪人の一人が、 『此奴っ』  と、その腕頸をつかんだ。  出す気もなく関口作兵衛の体から武道の練磨が出てしまった。掴まれた腕頸をぐっと下げて、大きな気搏を与えると、浪人の体は、大地へ背をたたきつけていた。 『やったな』  と、抛られた者は、すぐ、彼の脚をつかんだ。  その顔も、その声も、作兵衛は普請場で見て知っていた。小野寺十内のせがれの幸右衛門である。一方の痩せ形で背のすらりとした浪人は、潮田又之丞だった。  又之丞は、背から組んだ。  しまった! ──と毛穴をよだてながら関口作兵衛の二度目にかけた技は効がなかった。幸右衛門に脚を刎ね上げられて、どたっと、横倒れに地ひびきを打つ。いちど、投げつけられた口惜しさに、幸右衛門は、馬乗りにのしかかって、喉をしめつけた。 追討 『幸右衛門、そう撲るな、死んでしまうぞ』 『ふとい奴だ』  あらい息で── 『ふだんから、どうも、ただの左官手伝いではないと思っていたのだ。潮田、下緒を貸し給え』 『縛るか』 『その上でだ──』  関口作兵衛の両手をぎりぎり捲きつけて、 『──やッ、今、額堂のうえでこいつの見た紙片のような物はどうしたか』 『いや、俺が持っている』  潮田又之丞は、もうその紙片の皺をのばして、星明りで読もうとしていた。 『見ろ、幸右衛門』 『ウム……これだもの』  ──ぐっと、作兵衛の額を睨めつけて、 『貴様、誰に頼まれて、この山科へ参ったか』 『…………』  答えようともしない、作兵衛は冷笑していた。嘯いて、大地へあぐらをかいているのだ。 『云わんな』  幸右衛門が、足をあげて、その横顔を蹴ろうとすると、 『よせ、むだな話だ』  又之丞は、制めた。 『吉良か、千坂兵部かにきまっている。疑心暗鬼を見るとはこの事、おかしい位なものだ。己れの胸に責められる為に、吾々が、何か為りはしないかと、御苦労にも、遙々探りに来たのだろう』  若いが又之丞は、思慮に富んでいた。浪人後は、内蔵助と多く起居を共にしていた感化もある。内蔵助が、何を躊躇っているか、何を危惧しているか、最もよく知っている者の一人だった。 『ここにある、十八尺とは、誰の仮名か知らんが、大石殿の後を尾行て、赤穂まで下ったとみえる。こやつも、閑人とみえ、むだな事を為ているものだ、大夫は、赤穂の浜方の者へ貸金の残余を取り立てに参られたのだ。まさか、それだけでも参られぬ故に、この三月十四日は先君の一周忌にあたる故、その法会をも営みがてら行かれたのじゃ。それを……あははは……尾行て行った馬鹿者があるのだから、世の中は、忙しいようで、無駄飯食いも相当にあると見える』  又之丞が、何でそんな事を話しかけているか、幸右衛門にもわかった。 『だが、大夫の普請場へ、身姿を変えて、忍びこんでいるなどとは、こちらは、痛くも痒くもないにせよ、不快な事だ、こいつを、生かしては置けぬぞ』 『そういうな、何を、吉良へ告げようと、そんな事は、身にも皮にも障る話じゃない。ただ、この後、二度とこの附近にうろついて居ると承知せぬぞ、どうだ、左官屋』 『…………』  作兵衛は、俯向いてしまった。 『それを、解いてやる』 『解いてやるのか』 『そうだ……。然し、武士の礼儀だ、一応は、御姓名を伺っておこう。何といわるるか』 『──それだけは、宥してくれい』  と、作兵衛は、呻くように云った。幸右衛門は、むッとして、 『名は宥せ、生命も宥せは贅沢だ。甘くすると、つけ上りおる』  又之丞は、飽くまで、柔和に、 『いやそれも嫌なら訊ねまい、しかし左官屋殿、一体貴公達は、雲を掴むような疑心を抱いて、何名、この上方へ来ているのか』 『…………』 『千坂兵部殿のさしずだろう』 『……潮田氏』  と、作兵衛は初めて口を開いた。 『断じて、申すまいと思ったが、貴公の寛度に服して云う。推察の通り、拙者は、米沢の御家老千坂殿から頼まれたに違いない。同じ役目を持って来ている者は、大阪、伏見、洛中洛外、奈良あたりまで亙って、およそ二十二、三名は上洛っている。それ以外は何も知らん』 『よく云った、放してやろう』  腕頸の下緒を解いて突き放した。作兵衛は、残念そうに、屹と、白い眼を後に向けたが、そのまま闇の中へ姿を晦ました。  毘沙門前へと、石段を下りながらも、二人は、手に入れた木村丈八の紙片を、もういちど出して読みかわしていた。あれほど、内蔵助が緻密に身辺を偽装い、同志の工作に霧を張っていてもこうである。まして、堀部、奥田、原、大高などの面々が急激に事を起そうとしたとて成功する筈はない。却って、上野介の身に急迫を感じさせて、米沢城の奥深くでも追いこんでしまうのが落ちではないか。──沁々そう感じながら、又之丞が、 『幸右衛門』  と、呼んだ。 『なんだ?』 『遽に、俺は、道中先の大夫のおん身が案じられて来た。十八尺という男、何者か知らんが、万一、船中でも、内蔵助殿にどんな害を加えまいものでもない』 『俺も、黙っていたが、先刻からしきりと胸騒ぎがする、虫の知らせのような気がしないでもない。まして、今訊けば、この上方だけでも、二十名以上の密偵が入りこんでいるとすれば、奴等が、逆に此方の先手を打たないとも限らぬからな』 『お帰りは、船だと聞いた。せめて、途中でお会いしてもよい。大夫のお体に、ここで万一の事があっては大変だ。御警固にゆこうか』 『家まで、一緒に来てくれないか。父上に相談してみたい』 『それもよいな』  急ぎかけると、本願寺の山科御坊の前で、ばったり、武林唯七に出会った。用事があって大阪から出て来たが、内蔵助の留守を知らずに、今その家を訪ねて空しく戻って来た途中だという。 『各〻は?』  と、唯七は、二人を見まもる。云々と、幸右衛門が仔細を話すと、 『それはいかん。なぜ、千坂兵部の息のかかった奴を捕えながら放したのか』 『放せば、江戸へもどって、有の儘に、兵部へ告げるだろう。此方に、復讐の意志があれば、密偵を放して帰す筈はない、こう兵部へ考えさせるためだ』  又之丞の弁明を、唯七は、肯じなかった。 『それは、一見智謀のあるようだが、有名な上杉の千坂が、何でそんな策に胸をなでおろすものか。又、隠密を命じられて、看破されて帰る奴が、実は、云々と、自分の失策を有り体に報告するはずもない。却って、吾々の行動を、誇大にして、兵部の耳へ達しるだろう。放したのは、却って、情が仇だ。よし、拙者が、追いついて、斬ってくる』 『もう、姿がわかるものか。それに、顔も知るまいが』 『住居は』 『左官親方の松五郎の家に同居しているらしい。奴茶屋から西へ四、五町ほど行った所の裏町だ』 『貴公たちは、これから寺井玄渓殿の住居へゆくか』 『いや、父の十内の家へ』 『では一足後から訪ねる』 『どうしても斬るつもりか』  又之丞は、なお唯七の考えを翻えさせようとするらしかったが、同志の誰でも知っているように、云い出すと肯かないことを、又之丞も知っていた。 『拙者の耳に入った以上、そんな奴を、見遁すことは出来ない。十内殿の家で待っていてくれ、後で、首を見せる』  闇へ向って、迅い草履の音が、消えて行った。潮田と小野寺は、その背を見送ってから、町の灯を遠く見て歩きだしたが、武林の考え方が正しいか、自分達の執った処置がよかったか、確乎と、判断が持てなかった。 水調子夜船話 寺町裏 『なに? 武林唯七が、そう聞いて、吉良の隠密とやらを、後から又追いかけて行ったのか……馬鹿なっ……』  若い者二人を次の間に措いて、小野寺十内は、灯りのない狭い部屋で羽織を着ていた。紐を結びながら出て来ると、 『──なぜ、止めんのじゃ』  と、細い膝頭を尖らせて真四角に坐った。  息子の幸右衛門が、 『いや、止めたのですが』  と言い訳すると、 『何にもならん』  聞く父ではない。頑固に、首を振って、 『平常、大石殿から、篤と申しおかれてあるに。……つまらん腕立て』  幸右衛門と共に立ち寄った潮田又之丞も、一緒に叱られている気がして、面目なさそうに、俯向いていた。  十内は、どこかへ外出する所らしかった。妻女の出す紙入、懐紙、莨入などを、きちっと、襟元の緊まった懐中に収めて、 『この浪宅の横丁へも、やれ紙屑屋の、膏薬売の、傘張のと、いろいろなものに化け居って、胡散くさいのが絶えず覗きに来るが、そういう手輩に、いちいちかまっていた日には限りがない。──いや、却って、彼奴等の策に乗るようなものじゃ。われ不関焉であればよい、柳に風と横向いているに限る』 『ですが父上』  幸右衛門は、又之丞が気の毒だった。で、つい、慎んでいた口を破って、 『そうばかりも成りますまい、彼奴等は、あわよくば、大石殿を初め、同腹の主なる者を、闇討ちしてしまおうという企みさえ抱いて居りますのに』 『だれが、吉良や千坂の廻し者などに、闇々、討たれる奴がわれ等の中にいる。よけいな心配だ』 『然し──潮田氏と私とで、今宵、手に入れた書付によれば、亡君の御一周忌の法要に赤穂へ参られた大石殿のうしろには、十八尺とか申す男が、尾け狙っているらしいのです。──で、これから又之丞殿と二人して、大石殿のお旅先へ、警固のため、お迎えに行こうと、途々相談して来た処ですが』 『行かんでもよい』  膠なく云って、後を、口の裡で、 『──そんな不覚な大石殿か』  と、呟いた。  同時に、十内は立っている。これから、寺井玄渓の家へ、碁の約束があるから出かけると云うのだ。妻女が、出口へ草履をそろえた。それへ十内が足を乗せて格子戸へ手をかけると、軒下に人影が見え、 『小野寺様』  と、訪れた者がある。 『おう、主税殿か』  何か急用でも起ったのか、山科から来た内蔵助の子息の主税だった。一通の飛脚状を持って、父が旅先であるから父に代って開封していただいたらよかろうと、母のお陸に吩咐けられて使に来たのですと云う。 『どれ……』  と、十内は書面を受け取って、 『おお、萱野三平父、七郎左衛門とある。はてな?』  小首をかしげながら、 『幸右衛門、行燈を──』  と、奥へ云った。 淀川往来  摂州萱野村へ帰郷している三平からは、その後、同志への音沙汰がふッつり絶えていた。おとなしい鬱気な青年ではあるが、情熱家だった。去年主家の凶変の折に、早打駕の一番使者として、赤穂に江戸の第一報を齎したのは彼だった。それ以来、あまり健康の勝れない様子なので、 (すこし、故郷へ行って、養生をしては何うか)  と、内蔵助もすすめ、友人達も気づかっていたが、 (なに、大した事はない)  と、三平はつい先頃まで、何かと、地の理に明るいこの京阪の間を奔走して、同志の間の重宝者となっていた。  所が、この一月中旬、吉田忠左衛門と近松勘六が、江戸表へ下るについて、萱野三平も同行する事になり、或は、復讐の実を挙げるまで、その儘、江戸へ留まることになるかもしれない話なので、三平は、いちど、郷里へ行って、それとなく、両親にも別れを告げて来たいというので、 (それはよい、是非、参られい。一両日の延引は、都合を変えても待って居よう)  忠左衛門や勘六もすすめて、摂州へ立たせたのである。その儘なのだ。一月以来、音も沙汰もなくなってしまった。  或者は、 (三平も、高田郡兵衛流に、うまく、加盟から外れたのだろう)  と云ったが、 (いや、あの男に限って)  と、小野寺十内なども、首を振った方だった。  しかし、吉田、近松の二人が、やむなく、江戸へ発足してしまった後も、三平からは、なんの便りがない。いよいよ、彼も変心組の一名として、もう同志の頭から抹殺されかけていた頃だ。 『……しまった』  書面を読み終ると、十内は、悲痛な顔いろを行燈の下から上げて、呻くように云った。 『惜しい若者を、あたら死なした』 『えっ』  主税も、幸右衛門も、唾をのんだ。潮田又之丞は、十内の手にある書面のかすかな顫えを見ながら、 『萱野が、死にましたと?』 『ウーム、自害したと書面にはある』 『どうして?』 『事情は、いっこう認めてない。ちょうど今夜は、玄渓の宅へ、片岡その他の者も寄るはずだから、披露しておこう。……そうだ、おぬし等二人は、すぐ、摂州萱野村の三平の父、七郎左衛門殿をたずねて行け。お哀悼のことばを申しあげ、香奠も用意いたして』 『はい』 『では、私はこれで』  と、大石主税は帰ってゆく。  十内は、追いかけて、 『そこまで、御一緒に』  と、従いて行った。  その影を見送って、 『……萱野三平が死のうとは思わなかったなあ』 『とに角、出かけよう』  幸右衛門は、家へ入って、老母に何か告げていた。摂州萱野村といえばそう遠くはない。これから夜どおし歩けば明日の午頃には着く。  空は、なま暖く曇っている、念の為に、雨合羽に笠を持った。そして二人が、二条通りの寺町の浪宅を出てゆくと、 『おう、潮田』  と、誰か呼びかける。  振り向いてみると、先刻、本願寺御房の前でわかれた武林唯七。 『見ろ、これだろう』  掴んでいるまるい物を、闇の中にさしあげて見せた。まだ血しおの滴っている生首だった。又之丞がいちど見遁してやった千坂兵部の隠密関口作兵衛の首なのである。 『手強かった、さすがに、千坂が選りぬいてよこした隠密、おれも、ここへ薄傷を負った』  唯七は、肱をめくって見せた。潮田も、小野寺も、眉をひそめた。 『つまらぬ真似をいたすなと、たった今、十内老人から叱られたところだ。寺の藪へでも抛ってしまえ』 『十内老人が? ……あの老人は、何事にも、若い者より先立って、気慨の強いのでは負けをとらぬ方だのに』 『だが、こう昨今のように、うるさく敵が尾き纒うては、それに対して、いちいち手出しは却って不得策と老人は云うのだ。以後、慎めと、貴様の分まで叱られて置いた』 『ふム……そうか』  急に、掴んでいる生首が重くなったように、唯七は、捨場所をさがした。寺の破れ垣からそれを竹藪へ抛り込むと、がさっと、闇が鳴った。 『ところで、貴公達は?』 『急に、旅立ちだ』 『大石殿をお迎えにか』 『いや、萱野三平が自害したという書面が参ったので』 『萱野が? ……あの三平がか?』  唯七は、事情を聞いて、自分も共に行こうと云う。その儘の姿で一緒に淀まで急いだ。ちょうど、夜の仕舞船に間にあって、三名は、苫を被った。揺り起されたのはもう朝だった。予定よりもすこし早めに、萱野村の萱野七郎左衛門の邸へ着く。 『元浅野家の家来、御子息三平殿の旧友共でござる、不慮の御凶事を承わって参りました。三平殿の厳父七郎左衛門殿まで、お取次をねがいたい』  玄関に立って、こう各〻の姓名を告げる。  家のうちは、何か、取りこんでいるらしかった。──後で聞けば、折も折、その日は、三平が死んで百ヵ日目であった。 『どうぞ』  と、奥へ通される。  旧家の郷士という家構え、うす暗い小座敷に、悄然と、肩を落としている窶れた老武士があった、七郎左衛門である。三名の姿を仰ぐと、途端に、 『かねて、伜から御尊名は伺っておりました。何と、お話し申そうやら、親として、面目次第もござりませぬ』  七郎左衛門は両手をついて、わが子を失いながら、他人の三名へ、両手をついて詫びるのだった。  落涙しながら、 『ちょうど、一月の十四日でござった。年暮に参って、この家で正月を越し、何事もなく見えました伜三平が、自刃いたしましたのは──』  と、語り出した。  その前から、三平は、気鬱症にでもかかったように、書斎にのみ閉じこもって、食事の時でなければ、滅多に、家人とも言葉を交すことがなかったと云う。  その原因は、同志の盟約を守って、江戸表へ下向の目的を、父母にも、家族にも、一言も洩らすまいと固く秘して、ただ、仕官の口を求めに行くというので、その言葉を信じた七郎左衛門が、 (今更、仕官いたす程なら、老いたる父母の許にいて、郷士の家督をなぜつがぬか)  と、彼の出府を許さなかった所から起ったらしい。  三平は、煩悶した。  大事を打ち明ければ、同志との盟約を裏切る。父に背けば、不孝。  虚弱な体質で、清廉剛直な三平だった。ふたつの義を、いずれも重く考えすぎて、適当に生きる思慮を計らなかった。黄昏の頃、独りで、裏山の亡母の墓前へ行って、好きな横笛を吹いていたと思うと、その笛の音が途切れた頃、彼は、草の上に坐って、割腹していた。 『残念なことをいたした』  三名は繰返した。やがて七郎左衛門の案内で、裏の墓山へ登って行った。親しい友の墓には、百ヵ日の香華が煙っていた。 『いや、三平殿は、まだ死んでおられぬ。吾々の逝く日に、三平殿も真の死を遂げるというもの。……この純情な精神は、拙者たちが血の中にうけて、屹度、御子息の薄命を犬死にはおさせ申さぬ。……今、詳しくお打明けのできないのは残念でござるが』  又之丞や唯七は、こもごも、孤独な老父を慰めてそこを辞した。しきりと、ひきとめたが、皆、胸が傷んで長居ができなかった。芝村の腰かけ茶屋へ来て、昼飯をつかい、淀の上舟の時刻を聞いて、それまで、奥の床几で一眠りしていた。  大阪から京へ遡る三十石船は、夕凪の明るい川波を縒って、守口の船着きへ寄っている。他の旅客に交って、潮田、小野寺、武林の三名も、乗りこんだ。 『──おやっ?』  と、小野寺幸右衛門は、艫へ坐りこむとすぐ、口走った。 『大石殿がいる! 大石殿が』 『叱っ……黙って居れ』  潮田は、顔を横に振って、幸右衛門の驚きをたしなめた。  武林も、気付かないのではない、早くもちらと眼を向けていたのだが、乗合い客の多い胴の間に、その内蔵助は居ることであるし、又、姓名も池田久右衛門と変えていて、他に、ふしぎな道連れが多いので、言葉をかけず、黙って見ていたのである。 『知らぬ顔をしていたがよい。……大夫も眼を反らした、声をかけてよいなら、大石殿から何とか云おう』  又之丞は、横を向いて、囁いた。  唯七は、舌打ちして、 『あの妓たちは、みな、大夫の連れだろうか』 『そうとみえる……』 『大夫の側に、へばりついている、女とも男ともわからぬ奴は何者だ?』 『歌舞伎若衆』 『歌舞伎者はわかっているが……』 『京芝居で有名な瀬川竹之丞ではないか。乗合いの者が、眼をそばだてて囁いておる』 『あれが、陰間の竹之丞か。大夫も、ちと、憚りが無い!』  唯七はペッと水面へ生唾を吐いて、苦々しく、見ぬ振りを装っていた。 酔大尽  内蔵助がこの頃、伏見の撞木町へ足を運ぶとか、島原へ遊びに通うているとかいう噂は、もう最近の事ではなく、去年江戸表へ下向して帰って来ると、間もなく、酒の量が上り出して、 (大夫は近頃、ちと前とは人間がお変りになって来たのじゃないか)  などと、同志の間でも、云い交していた。 (あれもよかろう……)  と、小野寺十内とか、寺井玄渓とか、老人連は、むしろ吾が意を得たりといわないばかりに笑って見ていた。  然し、大高源吾とか、富森助右衛門とか、潔癖家で、そして若い者は、 (家は普請する、傾城買いはする、それで、復讐の相談といえば、いつも煮え切った試しがない。とんと、大夫の肚はわけがわからぬ)  彼の乱行を見て、慨然と、時には不満を洩らす者もあった──潮田、武林、幸右衛門など、勿論、その派の者だったので、口もきかずに、苦り切って、艫の一と所に、顔を反向け合っていた。  ──しかも、内蔵助は、先頃の三月十四日が、ちょうど亡君の一周忌にあたるので、その法要を営むために、赤穂の華岳寺へ遺臣一同を代表して帰国し、今は、その帰り途なのではないか。  何処で、その旅装を解いたのだろう。まだ、山科にいる家族も、京都の誰も知らぬ間に、旅装はどこかへ解きすてて、黒縮緬の羽織に、利休茶のやわらか着衣、けばけばしく金のかかった帯や持物を身につけて、ぞろりと、納まり返っているではないか。  それも、隠れ遊びでもする事か、こういう往来同様な三十石船のなかであるのに、胴の間に席を占め、大阪の曾根崎あたりから連れて来たのか、五人の妓と、陰間の瀬川竹之丞と、仲居妓と、人目をそばだたせるような派手な一座に取りかこまれて、 『おっと……酒杯の酒がゆれると思うたら……なんじゃ、船が揺れだしたのか。ハハハハ、岸が遠くなって行くのか、船が遠くなってゆくのか、この答え、お艶、どうじゃ、解いて見い』  内蔵助の舌はもう縺れているのだった。仲居のお艶が、膝へこぼれた酒を拭いてやりながら、 『船が遠くなるのか、岸が遠くなるのか。──それは、謎でございますか』 『そうじゃ、この謎、解いた者には、酒杯をとらせよう』  妓の一人が、 『酒は、もうたくさん』  と云うと、 『それなら、抱いて寝てやろ』 『ま! 人なかで、いやな浮様でございますこと』 『なんの、人中で云うてわるいか、世の中に、女ぎらいの男、男ぎらいの女は、無いはずじゃ。あるというなら、そやつは、嘘つきに違いない。……ちがいない……』  いつから飲み初めている酒か。  すこし、つかれ気味。  指で、頭をささえながら、舷へ倚って内蔵助が俯向いていると、 『浮様』 『お大尽さま』 『お気持でもおわるいのでございますか』 『そんな事では、撞木町へ上っても、すぐ酔いつぶれてしまいましょうに』  竹之丞は、自分の膝へ、内蔵助の頭をのせて、 『お水は……』 『イヤ、酒、酒』 『もう、お毒でございまする』 『酒が毒とは、誰がいうた、百薬の長とは誰かが云うたが、毒と歌うた詩人はない。──長生きして、金蓄めて、この世を長く生きるのも一つの考え。又、為たいことして、美しい女性に囲まれて、美酒の酔いにこの世を過すも又一処世。どうせ、生きている間が現世……後世は空』 『さ……それでは、お起きなされませ。ほかの乗合のお客たちが、迷惑でございます』 『な……なる程……この船には、まだ、よその客衆が居たはずじゃったな。……これは、失礼』  と、しどけなく、膝を横坐りに起き直って、 『──伏見はまだか』 『まだでござんす』 『さてさて、待ち遠い。水の上では、舞いも歌いもならぬじゃないか。伏見よ、早く近うなれ』 『何を仰しゃります』 『ゆるせ。旅の間が、この久右衛門の実は極楽、山科の家へ帰れば、女房子の気鬱い顔、借金取のうるさい訪れ、やれ何だのかだのと、伸々と、骨伸ばしもならぬのじゃ』 『ご冗談を……ホホ』 『いや、真じゃ。されば、この度、播州赤穂から帰るさには、鞆の津では、港屋の花漆、浪華では曾根崎、伏見では笹屋の浮橋と、遊びあるき、酔い明かして、一日も遅く京へ着きたいものと願うているのじゃ。……ああ口に出したら急に会いとうなった。浮橋はさだめしこの身を待ちこがれて居ろう。兵庫から、会う日を飛脚でいうてあるのに』 『また、おのろけでござんすか』 『のろけにては候わず──ほんまの事にて候』 『ホホホ、手放しな!』 『竹之丞』 『はい』 『肩がつまってきた。すこし、揉んでおくりゃれ』 『こうでございますか、お大尽様』 『うむ……そこじゃ……ああよい気もち……遊びも肩の凝るものじゃ』  乗合い客の中には、明日の米の買えない者もいた。暗い顔を持って京の女衒の家へ娘を売りにゆく者もいた。その日その日、木賃宿で疲れては眠る旅商人も交っていた。  先刻から、羨ましげに、内蔵助のほうを眺めていたが、やがて、内蔵助が歌舞伎者の竹之丞の膝にふたたび酔いつぶれてしまったのを見ると、急に、ひそひそ噂をし始めた。 『いったい、あれやあ、何処のお大尽なんで?』 『さあ、よく知らないが、山科とか云いましたよ』 『山科? じゃあ、赤穂浪人の大石内蔵助という男じゃありませんか』 『そうかも知れない』 『島原でも、よく遊ぶ』 『そんなに、金があるんですか』 『何しろ、元は、一国の家老職、どさくさ紛れに、ずいぶん金を匿してもおいたろうしさ』 『だが、ああいう御家老様じゃ、赤穂の潰れるのも当りまえだ。呆れたもんじゃありませんか』 『いや、この頃の武士は、あの家老ばかりでなく、昔とはまったく変って来ましたな。衣裳や刀のこしらえに派手ばかり競って浪華でも島原でも、豪奢な遊びといえば、大名のお留守居か、蔵役人か、町方与力などで、なかなか町人の金持も及ばないのがありますよ』 『しかし、これでは、吉良家では、大安心でございましょう』 『そうそう、おかしな噂があったが、あれも、この調子じゃあ……』  竹之丞の膝に、鼾をかいて眠っている内蔵助の顔をみて、皆、くすくすと笑うのだった。 『…………』  じっと、狭い肩身を竦め合ったまま、潮田又之丞、小野寺幸右衛門、武林唯七の三名は、顔も得上げずに、暗い川面を見つめていた。  ──純情な三平の死だの、幾多の同志の艱苦などを、頭の隅にえがきながら……。 自作唄 『浮様、お大尽さま』 『うるさい。……もうすこし、ねかせておけ』 『お起きなされませ。伏見へ着いたのでございます』 『いやじゃ……わしは眠たい』 『では、この儘、京都までのぼりますか。夕霧さんに、お会いなされませぬか』 『なに……夕霧が来たか』 『いいえ、伏見でございまする』 『伏見か、それは一大事。こんど、夕霧に顔を見せねば、わが身は殺されるかも知れぬ。……行こう』 『あ、あぶのうございます』 『竹之丞、負うてくれ』 『負えませぬ。肩へ、おすがりなされませ』 『お艶、そちは、左へ来い』 『まあ……船が揺れる。お船頭さん、よく抑えていて下さいよ』  両方の腕を援けられて、内蔵助は、やっと陸へ上って行った。 『なんじゃ』 『あの態は』  口々に、船のうちに残った者は、嘲笑した。そして、後の空席に、伸々と、坐をひろげて、 『これで、爽々しましたよ!』 『だが、曾根崎の芸妓だけは、残して置いてくれてもよかったな』 『はははは』  すると、ぷいと、その笑い声の中から突っ立った町人があった。旅合羽に手甲脚絆、きびきびとした素草鞋、どこか、抜目のない様子、旅稼ぎの遊び人かとも見える。 『あ、つい寝てしまった。ここは伏見だな、船頭さん』 『そうだよ、伏見だ』 『降りるぜ』  合羽を翻えして、陸へ跳びあがった。  それと前後して、潮田、武林、小野寺の三名も、 『降りるか』 『降りよう』  眼くばせして、陸の人になっていた。  撞木町の升屋の提灯をさげた若い者が、駕籠を連ねて、迎えに出ていた。妓たちは、それへ乗ったが、内蔵助は、酔眼をみはって、 『何……駕籠へ乗れとか。……よそう、夕霧の顔見るまでの途中が、申さば待座敷の娯しみ、まして、このよい春の宵を』  と、扇子で、手拍子をとりながら、よろよろと、歩み出して行く。  仲居と、竹之丞と、そして升屋の提灯が一つ、彼の影を囲んで、 『浮様、お徒歩いなされますか』 『知れたこと、この酔い心地と、この朧夜を、窮屈な駕籠などとは勿体ない。……竹之丞、口三味をせい』 『何か、おうたいなされますか』 『隆達節かな』 『それよりは、浮様の御自作、里げしきは』 『ウム、稽古しょうか。……暗やみ稽古じゃ』  竹之丞が、口三味線で、合の手を入れると── ふけて廓の よそおい見れば 宵のともし灯うちそむき寝の 夢の花さえ 散らすあらしの誘い来て 閨を連れだすつれ人男 よそのさらばも尚あわれにて 裏も中戸も開くる東雲 送るすがたのひとえ帯 とけて解けて寝みだれ髪の 黄楊の──黄楊の小櫛も さすが涙のばらばら袖に 『浮様』 『なんじゃ竹之丞』 『ちゃっと、そこの調子が、絃にのりませぬ。まいちど、黄楊のから』  お艶が側から、 『いいえ、お大尽様のお歌よりは、竹之丞さんの絃がわるいのでござんす。お艶が、こんどは、口三味線でのせてみましょう』 『オオ、そちが弾くか──いや三味線申すか。歌うぞ、後を』 こぼれて袖に 露のよすがの憂きつとめ こぼれて袖に── つらきよすがの 浮身か憂身か 『よう! 出来ましたあ』  竹之丞が、手をたたいて、賞めそやした時に、先刻、船を上った時から、絶えず物蔭から物蔭を伝わって尾けて来た旅合羽の男が、するりと、側へ、からむように寄り付いて来たかと思うと、いきなり、合羽の下に潜ませていた匕首を向けて、どんと、内蔵助の体にぶつかった。 『あっ! 滅相な……』  と、よろめきながら、内蔵助は、男の手頸を確乎とつかんで、 『──誰じゃ、粗忽なお人は』  無言で、男は、その手を振り払った。升屋の若い者は、提灯をすててもう逃げだしているし、竹之丞とお艶とは、途端に、きゃっと、悲鳴を投げて道ばたへ俯ッ伏した。  それと見て、やや遠くから尾いて歩いていた武林や潮田は、 『やっ、何奴』  駈け出して、 『汝れッ』  と、三方から、合羽を取り囲んだ。  男は明かに狼狽したらしかった。小野寺幸右衛門の顔へ向って、匕首を、抛り投げた。そして、怖ろしい迅さで、近くの露地から何かの社の森へ駈けこんでしまった。 『ううい……。お艶、お艶』  並木の桜に凭れかかって、内蔵助は、ぐんにゃりとしていた。あんな危機を遁れた生命であることも、まだ判乎と知らないように── 『どこへ行ったか、お艶。……今出たのは、なんじゃア……追剥か……』  だが、竹之丞もお艶も、まだ、路傍から起き上らなかった。内蔵助の前には、合羽の男よりは、むしろ悽じい血相をした三名の浪人が、鐺をそろえて、睨めつけているのだ。 『大夫! ……』  潮田又之丞が、まず云った。 『内蔵助殿』  と、つづいて唯七が呶鳴る。 『大石殿』  幸右衛門は、叱咜した。  やっと、内蔵助は、よく見えそうもない眼を、三名のすがたのある方へ向けた。 『ほう……』  と、笑うのである。 『誰かと思うたら、又之丞、唯七、幸右衛門……。いつの間にお越し?』 『おわかりでござるか』 『かなしいことを云う、まだ眼は見える』 『今、あなた様の身に、短刀を持って突いてかかった町人ていの男は、あれや、千坂兵部のまわし者、十八尺と仮名しておる屈強な隠密の一名でござりまするぞ。いかに、御気散じとはいいながら、あなた様の御一身が、どれ程、大事なお立場にあるか、又、自身の身であっても、或る時節までは、自身の身でないものとはお考えに成りませぬか!』 『なんじゃ、又之丞、おぬしはこの内蔵助に、叱言を申しに参ったか』 『偶然、三十石船のうちで、お姿を見かけ申したのは、亡君のお導きでござりましょうわい。──赤穂表の御一周忌にはお出でなされたのでござるか』 『行った』  と、内蔵助は、首を垂れて、 『華岳寺でな、いと、盛大な御供養であった。元を忘れぬ領下の町人やら浜方やら百姓までが、香華を携えて、参拝に来てくれたには、この身も思わず、涙がもよおされた』 『その御一周忌に御参拝ありながら、まだ、山科へお帰りもないうちに、この遊興沙汰は何事でござりますか。余りにも、醜しい』  又之丞の尾について、唯七も、 『とに角、一度、吾々と共に、山科までお帰りあっては何うでござる。お留守のうちに、種々とお耳に入れねばならぬ事や、協議いたさねばならぬ事もたまって居ります』 『これこれ、若いの、そう不粋なことを云うものではない。……そこらには、わしが贔屓の竹之丞もいる、また、曾根崎のお艶もいる、ここまで、一座を連れて来て、なんで遽に帰れようぞ。今宵は、何は措いても、升屋まで行かねばならぬ』 『升屋が、それほど、お大事か』 『遊びにも、見得もあり、義理もある。山科の浮大尽ともいわれて見れば……』 『ちッ!』  と、唯七は、唇を歯でかみしめて、 『浮大尽とは、誰の事。──大石殿には、廓の義理が大事か、われ等との固い誓いが大事か』 『これ』  と、大きく唯七へ眼を向けて、 『何を云うぞ。固い誓いは、夕霧にしたことじゃ。こんどの旅の戻りには、かならず、訪れようぞ、赤穂土産も見せようぞと、飛脚を出しておいたのが、いま思えば、不覚不覚。みんな、その土産も曾根崎でとられてしもうた。──せめて、顔だけでも、見せてやらずばなるまい』 『よいほどに、仰しゃりませ! 左様なたわ言を、よく吾々に申されたものだ』 『遊びの味というものは、常々、じめじめと心のうちに隠している腸をかくの通り、誰様にも割って見せるおもしろさにある。そう不粋を云わずに、どうじゃ唯七、わしと共に、これから、撞木町へ参ろうず』 『お断り申す! われ等三名は、たった今、亡友萱野三平の墓参をいたして来たばかりの体、彼の死を思えば涙がこぼれる。かような有様では三平も、あの世で、犬死したと悔んでいましょう』 『三平が……その三平が死んだとはいかがいたして?』 『酒くさいあなた様に、しかも、路傍の立ち話などに、云えた事ではござらぬが、一言お耳に入れる。不愍や、純情一徹の萱野は、同志の盟約と、老いたる親との間に立ち挾まって、割腹して相果てました』 『…………』  朧な夜の雲を見ているのか、桜花の梢を見つめているのか、内蔵助は、背を樹にもたせかけ、顔を仰向けたまま、いつまでも、眸を下に落さない。 ──露のよすがの うきつとめ こぼれて袖に 辛きよすがの憂きつとめ  こう又、手拍子で口誦さむと── 『若い生命さえ、そのとおりみじかい人の世、又之丞も、唯七も、幸右衛門も、すこしは、知らぬ世界を見ておいたがよかろうぞ。──さ、来ぬか、内蔵助が、こよいは遊蕩の手ほどきいたそう、万事は、そのうえで。いや、杯の底まで深く夜を更かして……』  蹌踉と先へあゆみ出しながら、竹之丞とお艶の影へ、扇子でさしまねいた。 京伏見廓細見 悲母悲妻  春もここ数日が名残りであろう。山科の里には、老鶯が啼きぬいていた。 ──ええいっ、ええいっ。 ──おうっ!  何処かで、烈しい気合の懸け声と、木剣の音が、そのあいだの静寂から洩れてくる。新しく庭樹を植え込んだり、沢山な石や燈籠に数寄を凝らしてある大石家の内からであった。  こんな贅沢な普請のうちには、どんな幸福な陽の下に生れた人間が、浮世の余生を楽しんで暮しているのか──と外を通るものは、必ずそこの門を振向いて見た。  前栽の牡丹畑には、見事な花の王が妍を競って咲いている──五月にちかい眩ゆい陽ざしは、書院のあたらしい吉野杉の天井へ、いっぱいな明るさを刎ね返していた。 『……お陸。……水、水をくれい』  内蔵助は、俯つ伏せになって、寝ていた。  今朝──駕籠で祇園の茶屋から帰って来ると、妻のお陸が着せかけた夜具も刎ね退け、羽織の襟を頭から被ったまま、高鼾になってしまったものである。  ──ええいっ、おおうっ。  父の惰眠を醒ますように、裏の方では、長男の主税と次男の吉千代とが、剣道の稽古を励んでいるらしい。  宿酔の乾いた唇を舐めながら、内蔵助は起き上って、 『お陸っ──』  と、掌を鳴らした。 『はい』  と、その返事が遠く聞え、やがて、妻のすがたが、小走りに来て、手をつかえた。 『オ。……お眼ざめになりましたか』 『何をして居るか』 『つい、勝手元の用事に紛れて……。お宥しくださいませ』 『台所が手不足なれば、いくらでも、下婢下男を雇えと申してあるのに、はて……貧乏癖の抜けぬ奴じゃ。……水を持って来い』 『はい』  遊里から戻って来ると、その後は、必ず不機嫌で怒り易いこの頃の良人であった。  お陸が、腫れ物へさわるように注いで出す水を、一息に飲み干して、 『あの気合は、主税と吉千代だの』 『左様でございまする』 『──あの声で眼が醒めたのじゃ。うるさい奴、父が、くだらぬ励みは成らんと申したと云って、止めさせて来い』 『…………』 『何を恨めしそうに、わしの顔を見ているか』 『お言葉ではございますが、吉千代も、あのように木剣を持つようになり、主税も兄らしゅう、暇を見ては、指南してやっておりまする。……褒めておやり遊ばしてよいのに、くだらぬ励みは成らんなどと、どうして、親の口から申されましょう』 『お陸』  と、鋭く云って、内蔵助は膝をあらためた。 『はい……』 『今日かぎり、暇をくれる。そちは豊岡の実家へ帰れ』 『えっ? ……』  お陸は、息を嚥んだ。良人の言葉をまだ疑うように、青白い顔して、やや鋭く、 『な……なぜでございますか』  と、詰め寄った。  内蔵助は、その眸を、凝っと見すえて、 『家風に合わん』  と、膠も情味もなく云った。 『もしっ……旦那様……。何ぞ、わたくしに落度でもござりましたならば、どうぞお宥しくださいませ。何のようにも、改めまする』 『そちは幾歳だ』 『…………』 『もう叱って改まる年ではあるまい。その叱言も近頃はほとほと云い飽いた。この内蔵助は、赤穂退去以来、名も、池田久右衛門と改め、世をおもしろく、可笑しく、凡の一町人になって暮すのだと、あれ程、お前たちにも話し、これから先は、弓矢よりは地所家作、武道よりは算盤大事と、主税や吉千代の教育にも、左様に心得置くようにと、固く申しわたしてある。然るに、子どもが剣道を励むのを、蔭で欣んでいるような量見では、久右衛門の家内として、行末心もとない。……家風にあわんと云うのはそこじゃ』 『旦那様……それは御本心でござりますか』 『知れたこと』  お陸は、畳へ俯つ伏した。声もあげ得ずに、泣いているのだった。 『すぐに、支度せい。衣裳、家財、欲しい物は何なりと運ぶがよい』 『旦那様っ……』  膝へ、すがって、 『それは、余りお酷いではござりませぬか。主税を初め、るり、吉千代、大三郎、多くの子まで、生した夫婦が、些細なことで、何うして今更別れられましょう』 『些細とは何か、家風にあわん女は家の破滅の因、大石家にとっては重大なことだ。左様な心得と知れては、なおさら一刻もここには置けぬ。立てッ。すぐ出て行けっ』  父の大きな声の下に母の泣いている姿を見つけて、裏で剣道の稽古をしていた吉千代は、泥足のまま駈け上って来た。主税も、何事かと、父の態度を憚りながら、後から、そっと上って、書院の隅へ畏まった。  兄が、黙って、俯目になって控えているので、吉千代は父の前へ一人で両手をつかえた。 『お父様、堪忍して下さいませ。お母様のわるいところ、直しますから宥してあげてくださいませ』 『子どもの知った話でない。母はの……』  と、内蔵助は、凝と見て、吉千代の前髪へ手をのせた。 『……母はの……今日かぎり大石家を去った人間じゃ、もう叱言は云わん』 『嫌です……お父様……いつまでもお母様はお家へ置いて下さいまし』 『お許は、母が好きか』 『はい』 『さらば、そちは、母の子になれ』 『お父様も好きです。お父様とお母様と、いつ迄も、一緒に暮していとうございます』 『成らん』  軽く、肩を押すと、吉千代はうしろへ転んだ。お陸は、われを忘れて、 『オオ、泣くな吉千代、お父様は、ちと御機嫌のわるい日じゃ。晩には、いつものお父上に回って笑顔を見せて下さろうぞ』  膝へ寄せて、涙の顔へ、涙の顔を摺りつけていると、 『いや、晩はおろか、永劫に、左様な日はあるまい。長男の主税だけは、父の手許へとめおくが、その他の子たちは皆連れて、即刻豊岡へ引き払うて行け──よいかお陸、屹度、申しつけたぞよ』 『ともあれ、叔父御の小山様、従弟の進藤様などにもお相談い申したうえで。……のう、吉千代』 『その進藤や、小山の叔父には、疾くに話してあること故、改めて其方から申し伝えるには及ばぬ』 『えっ……では、それ程、御用意の上で』 『うむ』  深く──大きく頷いて──内蔵助は、凝と彼女を見ながら云った。 『多年、連れ添うては来たが、身を町人の境涯に落して見れば、家風に合わぬ其方、何日かは去ろうと考えていたのじゃ……』  お陸は、もう涙をこぼさなかった。良人のそういう眼には、言葉とは反対な慈悲に満ちた、遠い思慮が、底の見えない湖のように澄んでいるのだった。女には測り難いものを深く湛えて。 『是非もござりませぬ……』  畳へ両手を落して、お陸がそう云うと、良人は、頷いたようであった。──然し、悲しい事ではあった。女として母として、死ぬより辛い思いが胸を突き抜ける。  唯、良人を信じるほかはない。──いや今日までもこの良人に対して、お陸は、微塵も疑ぐったことはなかった。この信念を、なぜ一刻でも胸から放したか。  自分を叱り、自分を励ましながら、彼女は、涙を拭いて立った。奥のほうで大三郎が眼をさましたとみえ、乳房を求めて泣きぬいている。──  主税は、低く垂れた頸と肩を、膝に突いた石のような手でささえたまま、 『父上! ……』  濡れた眦を内蔵助の顔へ上げた。 『主税──』  と、父の声は重く静かである。 『其方は、父の処置を、恨むか』 『いいえ』  主税は、顔を横に振った。涙が、顔の左右へこぼれた。 『父が、この頃の遊蕩三昧、其方は、意見したいとおもわぬか』 『いいえ。……なされませ。主税はよろこんで居りまする』 『ふム。……わしの子じゃ。主税来い。そちも、山科のお大尽のせがれ、茶事ぐらいは心得ておかねばなるまいて』 辛い閑人  天満老松町の露地の角で、不破数右衛門は立ちどまった。編笠のふちに手をかけ、横丁の人通りを見まわして、誰も怪しげな影は尾行ていないと見定めると、ずかずかと、長屋の軒下を通って、四軒目、 『惣右衛門どの、お在宅か』  と、内を覗く。 『おう──』  と返辞がしてから暫く後、 『庭へどうじゃ。数右衛門、そのままずッと奥庭へ──』  と、裏のほうで、原惣右衛門の声が聞える。  家の横にある破れ木戸を押す。そして、軒下から落ちている腐った竹雨樋を跨いで行って、 『ホ。……お庭があるのか』 『貧しても五坪の庭じゃ。まだちと早いが、この夏は、糸瓜の棚に、朝顔の垣でも作ろうかと思うて、きょうは、苗床を拵えておるのじゃ』 『御奇特な』 『まったく、奇特じゃよ。誰が、糸瓜の下に涼み、誰が朝顔の花を見るやら知れねど……人間、何かせずには今日が居られぬでの。徒食は、辛いものよ』 『そうばかりでない人間も世間にはござりますて』 『左様か』 『尤も吾々に親しい知己のうちにも』 『はてな……ウム、大野九郎兵衛などはな』 『いやいや、彼の人なればふしぎはないし、又、腹も立たぬが……惣右衛門どの、御存じないか』 『御存じないかとは』 『大石大夫の近頃の乱行ぶりを』 『風のたよりには聞いておるが、まあ、よかろう。いずれはお互いに、朝顔の露の乾ぬ間に散る身と極っておる。大石殿も、男ざかり、二度と生れぬこの世とこの春を、ゆるりと眺めもし、味うておくもよし……それに又』  と、惣右衛門は、垣越しに、隣家の縁先をのぞきながら、そこの水瓶で手を洗った。 『──吉良、上杉の間者をたぶらかす為の、深慮もあってのことじゃろう。わしはそう見て、あじをおやり召さると、むしろ感服して居るが』 『所が──吾々なども、初めのうちこそ、仰せの如く大石殿を信じて居りましたが、近頃は、ちと、眉唾ものに思われて来たのです』 『どうして』  と、重く縁側へ腰をかけて、惣右衛門は、座敷の煙草盆をひきよせ、煙管を斜に持った。  五十六歳にしては若い。まだこの人には白髪がなかった。足軽頭を勤めていただけに、最も、若い者の肚をよく噛みわけてくれるし、又、自身も多分に若い気でいる惣右衛門であった。 『策や、気散じなれば、自らそこに分別もござろうに、いやはや、この頃の大石殿と来ては、少々、いや少々どころではない、まるで痴人の狂態でござる。島原、祇園、撞木町、足の向く儘、風のふく儘、湯水のように黄金を撒いて、浮様の、お大尽のといい囃されるのを、得意にしている様子さえ見うけられる』 『まさか』  ほんとにしないのだ。惣右衛門は、苦笑の歯の間に、煙管の口金を光らせて、眩しげに、晩春の陽を見ていた。 『馬鹿らしゅうて、いちいちはお話しもなりかねる。短慮者の武林唯七などは、火のようになって怒って居りまする。その他、潮田、小野寺幸右衛門なども、捨ておかれぬと息まいておる。何か、起りますぞ。捨ておかれぬというのは、此方の事。惣右衛門どの、いちど、京都へ御出馬なくてはかないますまい』 『わしが行って、何うするか』 『若い連中の不満が爆発せぬうちに、お取り鎮めねがいたいので』 『その役目は、わしには不向きだ。今の話を聞いただけでも、胸がむかむかとして来るのに、何うして若い者を鎮められよう。一緒になってやるかも知れん。──そうでなくとも、先頃から江戸表の堀部、奥田、その他の同志が、頻々と、檄をよこす。──無理もないのだ。大石殿は、この前の下向の折に、明年四月には、大事決行と誓われていた筈。それをケロリと忘れた顔して、一日のばしに延ばしているので、堀部などは、まったくしびれを切らしてしまったらしい』 『所詮、大石殿の動くのを待っていては、十年先か、二十年先か、或は、心底から復讐の意などはないかも分りませぬぞ』 『ただ惧れるのは、上野介が、米沢の城中に深く隠れてしもうたら最後──と云う心配だ。わしも、それを思うと、居ても起っても居られぬ心地がする』 『お腰をあげられい』 『どうする?』 『まず、京都へ参って、もう一応、大石殿へぶつかってみましょう』 『ふム』 『飽くまで、煮えきらぬ態度なら、もう心底は知れたこと。あのような人は見すてて、我々のみで──』 『と云うと……誰と、誰?』 『京阪では、大高、潮田、中村勘助、こう三名は元よりの大丈夫。岡野、小野寺のせがれも二心はござるまい。江戸には堀部父子、奥田孫太夫、田中貞四郎、倉橋伝助、これ等はたしかに同心の者』 『まず、十二、三名はあるかな』 『ござりますとも。卑怯者の百名よりも鉄心石腸の十名もそろえば』 『待て』  数右衛門の昂ぶる言葉を抑えて、 『ともかくもじゃ、京都までぶらりと行って、大夫の心底をたしかめ、かたがた、急策を立てるとしよう……だが、生憎じゃの』  と、家へ上って、 『うちの女房が、きょうは住吉の縁家までまいって留守じゃ。よしよし遺書をして参ろうか。数右衛門、暫時、失礼申すぞ』  次の部屋へ入った惣右衛門は、小机のまえに坐って、丸い背を見せながら、何か巻紙の端に書いていた。天満川の櫓音が静かに聞えて来るのである。道頓堀の芝居櫓から眠たげな太鼓もながれてくる。  ──ともすると、この穏かな四月の陽ざしと温い東南風の中に、人生の小安を偸んで楽しみたくなるような気持ちが、自分にも多分にあることを数右衛門は気がついていた。 『……実は、無理もないのだ、大野、大石などの重職の者が、ああなるのは。……だが、誰がどう生きようと、おれはおれの道をゆく。そうだ、おれの道を行こう』 すれちがい  京都へ行って、小野寺を訪えば、父子とも留守であるし、大高源吾を訪ねれば、これも昨夜から出て家にいないという。  同志の間には、少しも聯絡がとれていない。何か、ちりぢりばらばらな惰気が感じられて、惣右衛門は憤々した。 『日が経てば経つほど、こうなるのが人心の当然じゃが、それにせよ、歯がゆい有様。こんな事で、どうして、吉良殿に一矢の仇も酬われようか』 『山科には、誰かいるかも知れません』  数右衛門のほうが、却って、惣右衛門を宥めるようなことになっていた。 『わしは草臥れたよ。ご苦労様な、これから山科までまいって、又、不在とでもいわれたら、腹が立たんわけにはゆかぬ』 『町駕籠をよびましょう』 『近頃は、われ等も貧乏して、駕籠銭も惜しまれるが……まあ乗るか』  麓まで乗って、そこから二人はあるいた。真っ暗な晩なのである。自分たちが駕籠を捨てると摺れちがいに、山科の上から、ひた走りに里へ降りて行った二挺の駕籠がある。その灯を振り向きながら、 『今のは、大石殿か、誰か、他の者ではなかったろうか』 『いや、在所の女房らしい。駕籠のうちで、嬰児の泣き声がして居りました』  何気なく、その儘歩いてしまったのである。新築したばかりの大石家は、そんな暗い夜にも、遠くから壁が見えた。  近づいてゆくと、門前に誰か悄然と立っている。網代笠を被った雲水の胸に、一人の少年が、顔を当てて泣いていた。 『主税どのではないか』  惣右衛門がことばをかけると、主税は、びっくりしたように、僧の胸から顔をはなして、あわてて袖で眼をこすった。 『はいっ』  はっきりした返事だった。常の声と変らなかった。 『これは──原様、不破様も』 『お父上は、おいでか』 『折悪しく、不在でございますが』 『又、祇園か、撞木町へでも』 『さ? ……』  主税は、間がわるそうにして、そして、いちど拭いた眼には、抑えきれないもののように、また滂沱として涙があふれかけていた。 『──どう召された』  惣右衛門が肩を打ったとたんに、睫毛を割って白い珠が頬を下った。 『…………』  黙然と主税が答えずにいると、それ迄、網代笠を被っていた誰ともわからぬ雲水が、横から挨拶した。 『御両所とも、お変りもなく、祝着に存じまする』 『や、貴僧は』 『赤穂表の遠林寺の祐海にござります』 『オオ、和尚か』 『大石様のお旨をうけ、江戸表へまいりまして、御舎弟大学様のお取り立てについて、いろいろと、手づるを求め、奔走いたしましたなれど、微力、如何とも望みを達せず、実は不首尾な御返事を持って、ただ今、お立ち寄り申したところでござります』 『それを聞いて、主税どのは、失望のあまり落涙して居られたのか』 『いいえ……ちと他に』 『他にとは、何か大事でも?』 『家庭の些事、おかまい下されますな』 『家庭の事といえば、なお聞きずてにならぬ。われ等は、大石殿とは、切っても切れぬ間がら、お聞かせ下さい』 『拙僧から申しましょう……』  と祐海はひき取って、 『……実は、ただ今、これへ立ち寄ると、二挺の駕籠をしつらえて、御家内のお陸どのが、吉千代どの、るり殿、大三郎殿、三人のお子を連れ、涙ながら何処かへ出かけられる御様子に、仔細を聞けば、今日、内蔵助殿より暇を出され、但馬豊岡の御実家、石塚源五兵衛どの方へ、身を退かれるというお話でござった』 『えっ……では……御離縁になって?』  二人は、茫然と、闇を振り向いた。たった今、坂の下ですれちがった駕籠がそれであったかと思い合せて、 『惜しいことをいたした。──数右衛門、おぬし、嬰児の声を聞いたと云ったの』 『それとは気づかなかった』 『何で大夫が離縁したか、もう、深い理は聞かいでも読める気がする。──何の、われ等がそれを見て居られようか。主税どの、泣くな、母上を呼びもどして来て進ぜる』  惣右衛門が走ろうとすると、 『あっ、もしっ』  主税は、彼の袂をつかんで、 『──捨ておいて下さいませ』 『なぜ?』  と、咎めるように眼を光らせて、惣右衛門は、主税へ云った。 『其許は、母が、離縁になって、但馬へ行くのを、悲しいとも何とも思わぬのか。──四人も子どものある身をして、女が、去られて遠い実家へ行く気持は、他人の惣右衛門でも腸をちぎられるような心地がいたすのに』 『いいえ、いいえ……どうぞお慈悲におかまい下さりますな。これ以上、母を泣かせたくはございませぬ』 『だから、呼び戻して、その上、お父上に両人から談じてあげると申すのじゃ』 『それも、無駄でござります』 『ふうム……子息のおん身まで、内蔵助殿には、愛憎がつきたと申されるか』 『…………』 『さだめし、今宵も、華やかな巷で、浮大尽で浮かれているのであろう。よしっ、数右衛門、夜どおしかかってもかまわぬ、これから大石殿をさがしに行こう』  そう云って大胯に立ち去ってゆく二人を主税は止めなかった。当惑と、悲しみとに、紅顔は涙に黒くよごれた。父も母もない家の灯には、何の魅力もなかった。ただ、白々と行く春の寂寥だけがそこにあった。 『……では、お帰りになられたら、内蔵助殿へは、こよい、祐海が見えたと一言お伝えおき下されい。……いずれ詳しく赤穂から書面を以て申しあげる』  祐海もまた、去りかけたが、ふと振り向いて── 『主税どの、霧が降ってきた、風邪をひかぬよう、お家へお入りなされ。……やれやれ、但馬への旅路もお辛かろうが、伏見、祇園通いも楽じゃござるまい。……さても雲水の身などは勿体ない』  呟きながら、その人の影も、山科の黒い夜霧のうちにかくれて行った。 米磨ぎ笊 『もうよいかや?』 『まだまだ』 『もうよいか』 『あい、そろそろと』  衝立ての後から、その途端に、腰もしっかり定まらない一人の酔いどれが、扮装してひょろりと起って来た。 『わはっはははは』 『ホホホホ』 『はははは』  男や妓や、一座の者は、その客の奇抜な恰好を見ると、ひっくり反って笑った。手をたたき、腹をかかえて、いつ迄も、笑いやまないのである。  頭からすっぽりと、米磨ぎ笊を被っているのだ。手に持って来たのは、それも仲居が台所から探して来た擂粉木であった。そして、芸妓に解かせた緋鹿子の扱帯を、後結びの襷にかけ、 『これで何として候ぞ』  米磨ぎ笊の中から云った。 『──笑うてばかり居ては、とんと、踊りようもないわ。……おはん、おとよ、おしげ。はよう、三味を弾け、太皷たたけ。して又、地唄は何としたぞ』 『あいあい』  と、近頃、祇園や伏見で流行りの古今節の囃子を賑やかに入れて、 『さア、見ましょう見ましょう。聟殿、踊ったり、踊ったり』  と、仲居、妓、辻咄の徳西、歌舞伎若衆の瀬川竹之丞などが、声を競って唱歌しだした。 見目のよいのが 縁づきばかりか 見目の悪いが やもめでいるよ 親の代から髪のないわれに 野老食たとて髪が生よか 聟殿 やれ、髪が生よか  米磨ぎ笊を被った酔いどれは、歌にあわせて道化た踊りを舞っていた。よほど粋も遊蕩も為つくした者とみえ、戯れ半分のうちにも、垢抜け手振りが時々見える。 親の代から ひしゃげた鼻に 天狗食うたとて高うなるか 聟殿 親の代から短い羽織 医者を食うたとて 長うなろか 聟殿 やれ長うなろか  そこは伏見で一流の茶屋、笹屋喜右衛門の広間だった。ここばかりではない。階上階下の満楼に、伊達と豪奢の灯は競っていた。  と──誰やら案内なしに、笹屋の庭先を肩そびやかして大股に歩き廻っていた者がある。武骨な二人の侍だ。彼っ方此っ方の部屋を庭から覗き廻っていたが、ふと、米磨ぎ笊の踊り手を見つけると、 『数右衛門! 彼れだ』  と、一人が後の者へ向って、指さしながら云う。  原惣右衛門と、数右衛門とであった。先頃、大阪から出て来て、頻りと山科を訪い、祇園をたずね、同志の家を訊きあるいたりしていたが、一向、その同志からも要領を得ずに、ここ半月ほど、業を煮やして、内蔵助の居所を突きとめに歩いていたその二人なのである。 『おやめなされっ!』  数右衛門は、持ち前の大声をあげ、いきなり縁へ跳び上って呶鳴った。 『──馬鹿馬鹿しいっ、粋狂にも程がある、何たる態だっ。妓ども、ひかえろっ』  その間に、惣右衛門は、驚きの眼を瞠っている仲居や妓たちの間を、ずかずかと通って、ぽかんと、擂粉木を手に立っている米磨ぎ笊の顔のそばへ、自分の顔を突きつけた。 『大夫。──惣右衛門でござる』 『…………』 『いつの間に、かような芸道にまでお通じなされましたぞ。見事といおうか、何と称えようか。さだめし、世評もお耳に入っているであろうに。……はははははは……余りといえばお変りになった』  皮肉な口を叩きながら、その惣右衛門の顔には、涙がながれていた。不破数右衛門は、見つけたら俺は撲ってしまうと云って、ここへ来たのであるが、その人の前へ出れば、やはりそうも行かない様子だった。然し、心の裡の憤りは、その顔つきを青じろく硬ばらしているし、昂っている肩先は顫えを抑えているのだった。一つまちがえば、いかに目上の内蔵助であろうと、理性を失って、撲りかねまい血相なのである。 『大夫っ……』  と、惣右衛門と共に、詰め寄って、 『ここでは、お話もなりかねる。山科へ、御帰宅をねがいましょうか』  と、厳しく云った。 『あはははは。わしは、大夫じゃない。浮き大尽ではおざらぬよ』 『えっ。……人違いか』 『たんとは違わぬ』  と、米磨ぎ笊を脱いで── 『小野寺十内じゃ』 『あっ?』  と、二人とも呆れて、 『十内老人か』 『今の此方が踊りは何うじゃ、御覧ぜられたか』 『浅ましゅうて、見て居れるか。十内殿、おぬし迄が……おぬし迄とは……』 『どう召された。──これや数右衛門、そちまで不心得至極な、この色廓へ来るのに、青白い顔して、のこのこと来るたわけが何処にあろうぞ。……ても、不粋な奴、ちと、わしの伜の幸右衛門でも見習うては何うか』 『なに、幸右衛門も、ここにいるのか』 『幸右衛門ばかりか、なか様も、しょう様も、すけ様も、たんすい様も』 『その、たんすい様とか、すけ様とか云うのは何じゃ』 『十内とか、幸右衛門とか、野暮な名は、廓では呼ばぬ。しょう様とは、大高源吾、たんすい様とは村松三太夫、すけ様とは富森助右衛門、しげ様とは、即ちかくいう十内、又、伜幸右衛門は、ほぼたん様と呼ばれての、なかなか、廓では妓にもておる』 『参ろうッ』  憤然と、数右衛門は、連れの惣右衛門を促して席を蹴った。 『あいや』  と、十内は抑えて、 『酒席へ来て、立ち話しのまま、一献も酌まずに、別れるという法はない。まず坐れ。……妓、杯、杯』  無理に、数右衛門の手へそれを持たせると、 『十内殿』 『なんだ、怖い眼をして』 『大夫にも、伝えてくれい。二度とは、会わん!』 『そうか、やむを得ない。その通りに申しておこう』 『すべては、もはや、これだっ』  大事の瓦解を眼にも見よとばかり、憤りをこめて、持っていた朱盃を、ばりばりっと、膝の上で握りつぶした。 音頭とり  廓はなおさら、町でも、村でも、この頃は夜踊りが盛んである。流行り病のように、夜になると、辻々に、音頭が聞える。  名古屋から流行って来たので、名古屋音頭と初めは呼んだが、京には都音頭ができ、伏見には、道念踊りができ、華奢な衣裳を着た廓の男女が、かぶり手拭、あるいは編笠で、団扇を手に、踊りの輪を描いていた。 さあさ 踊ろよ 踊り候え 人の世は 夏の夜も みじかに候ぞ ほととぎす ヤヨ ほととぎす啼く 宵のまに さあさ 踊ろよ 踊り候え  廓の仲町の往来に、縁台を出し、その上に、一人の音頭取りが、顔に扇子を当てて謡っている。丹前姿の中年者、茶屋の仲居、お供の奴、町人、角前髪、小女、坊さん、いい機嫌の武家──  踊りの輪は、音頭取りの縁台のまわりを道念唄にあわせ、手振り、足振り、ゆるやかに描いて廻った。 『もし、しょう様! しょう様!』  笹屋の仲居であった。ばたばたと、その輪を横切って、音頭取りの男のそばへ寄って、何か囁くと、 『お、お。そうか』  何か頷いて、 『すけ殿、たんすい殿。ちと急用、早うござれ』  と、音頭取りは、縁台から飛び降りて、駈け出した。  大高源吾だった。  すけ殿と呼ばれた富森助右衛門、たんすい殿と呼ばれた村松三太夫も、踊りの輪から抜け出して、源吾の後を追って行った。 『喧嘩か』  と、人々は、振り向いたが、もう影は見えない。  廓の総門を、出るとすぐ、 『各〻』 『お』  葉柳の暗い蔭──  小野寺十内の姿が、ちらと見え、手をあげてさし招いた。  三名に、何か囁く。  源吾は、憂わしげに、 『──では、御意中を』 『されば、追いついて、よう、告げて欲しい』 『委細、承知』  と、道をながめて、 『して、その不破、原、御両所の帰られた行く先は』 『さ、それが知れぬ。ともかく、まだ遠くは行っておらぬ筈。手分けして』 『よし、俺は、この方角へ』  もう、助右は、駈けだしている。  源吾も、三太夫も、分れ分れに、先へ行ったという原惣右衛門と数右衛門の二人を追いかけて行った。  笹屋の仲居は、そこへも又、駈けて来て告げた。 『しげ様ではございませぬか』 『おお、なんじゃ』 『お大尽さまが、お目ざめで、皆の姿が見えぬが、何うしたことぞと、きつい御不興、はやくお越しくださいませ』 『何。うき様が、お目醒めとか。はて、せわしない』  笹屋に戻ると、以前の広間に、内蔵助のうき大尽は、敵娼の浮橋の膝に体を凭せかけ、辻咄の徳西だの、瀬川竹之丞だの、幇間末社にかこまれて、 『お汝ら、これがさびしゅうないか。わしは、さびしい……よそばかりが、賑わしゅうて』  と、今眼が覚めたらしいばかりなのに、もう、杯を手にしている。 『何ぞ、夢でも御覧じなされましたかいの。これほど、賑やかに、騒いでおりますのに』 『奥の躑躅の間で、さんざめいている一座は誰じゃ』 『あれは、淀屋のお客衆でございましょう』 『淀屋とか。うむ、三都に聞えた富豪じゃの。さてこそ、うき大尽も、淀辰の金の光の前には見下げ果てられたか』 『まあ、いつにない、おひがみを』 『淀屋が何じゃ……浮橋、皆を呼べ、黄金を撒いてやろうぞ、奥の座敷に、負けぬ黄金を』 『あれっ』  眼をみはる間に、内蔵助は、しどけなく襟のくずれた懐中から、金入をずり出して、 『それっ』  小判、小つぶ、白銀、黄金、ぱらぱらっと、燈火の届くかぎりへ撒きちらした。  女の手や、男の手が、わっとそれを争うのだった。内蔵助は、発狂したように、手を拍って笑った。ひどく笑い出すと、この頃のお大尽は、手を拍っただけではやまない。酒杯を仰飲ってやたらにそこらの人間へ酌す。受け渋ったら大変なことを皆よく知っていた。忽ち、その間に、ひょろひょろと立ち上っている浮大尽の姿を見出すのだ。ひどく不器用な手振りでいながら、仕舞の心得があるとみえて、自ら足の踏みようは確かだと老妓が感心したことがある。見よう見真似の道念踊りが、いつか、お大尽の十八番と云われていた。 『さあ、浮いたり浮いたり』  辻咄の徳西がつづいて起つと、 『浮きました、浮きました』  と、竹之丞も、又起った。  それに従いて、ぞろぞろと、 『浮大尽は、どこじゃいな』 『ハア、浮大尽、そこじゃげな』  一人が、内蔵助のうしろから、花手拭で目隠しすると、すばやく、各〻は散らかった。  手拍手を打って、 『うき様。──こちら』 『うき様。──そちら』  内蔵助は、白痴のように、口を開いて、 『暗や。暗や』  すると、大勢が、 『オオ暗や』 『お手々のほうへ』 『うき様。こちら──』  手拍子は、だんだん遠くなって行った。この間に、為かけている用事へ抜け出す仲居もある。他の者に囁いて、そっと他の座敷へかくれる妓もあった。 『暗や……暗や……』  内蔵助は、壁を撫でた。いつのまにか、部屋を出て、長い畳廊下を探っているのだった。  ふと、冷たい絹に触った。捕った相手は、呼吸をしのんで、わざと体を撫でさせているのだったが、内蔵助の手が何ものかを感じて、恟っと引くと、 『この阿呆浪人めっ!』  人違いをされたその侍は、不意に、こう大喝して、内蔵助の体をつよく突き飛ばし、 『あきれた馬鹿者っ』  と、うしろ向きに一瞥を投げて、大股に立ち去った。 叛骨  窓の女竹にぱらぱらと夜半の雨がこぼれた。もう梅雨を過ぎて六月に入っているので、うたた寝の畳もさして冷たくはないが、深酒の後の五体は、何となく骨の髄から身ぶるいが出る。  ──どこの子か。  内証の奥で、嬰児が泣く。  虫気を起しているとみえ、よほど遠くではあるが、耳についた。──内蔵助は、酔いつぶれて寝た儘の暗い畳のうえに、いつか、凝と、眼をあいて、天井を見ていた。 (母乳が出ぬのか)  そう思う。  色街の深夜は、妙に陰気なものだった。──歓楽の後の何ともいえない哀寂が、しいんと、墓場のように沈んでいる。  ──地の底から、啾々と泣く声に似ている。どこの嬰児だろう? 内蔵助はすっかり醒めていた。  但馬の実家へ帰した妻のお陸──今年生れの大三郎──。又、るり女は何うしているか? 吉千代は無事だろうか。 (……彼妻も、母乳が)  と、思うともなく思いやられる。  ──誰か、その時、密やかに、襖をひいた者がある、内蔵助は、そのまま眼を閉じていた。衣ずれもせず、人の気配が寄ってきた。そっと、肩に手をおく。 『もし……。うき様……うき様……。もうお眼ざめなされませ、浮橋さまのお部屋へ』  仲居という事を彼は知っていたが、うーむと、うめいて寝返りをわざと打った。窓の女竹がさやさやと風でもあるように戦いだのも感じていた。仲居の手は、自分を起すとみせ、実は、袂を探っているのである。何か、すばやく抜いたらしい。 『徳西さん』  仲居は、もう窓際へ行っていた。しっ……と誰か外で云った。内蔵助は、そっと、見てしまった。女竹の葉の中に忍んでいた辻咄の徳西の坊主頭を。  何を抜かれようとさしつかえない物しか、内蔵助は身につけていなかった。おかしいものを感じながら、その儘、何も知らぬ顔して、もう一度寝がえりを打った。  白い足は、忍びやかに、部屋の外へ、出て行った。──怖い! と内蔵助はつくづく思う。どうして遊蕩の世界だからといって、気がゆるせたものではない。  吉良、上杉の両家には、金と人手に不足がないのだ。金がものをいう廓などは、最も先方の働きよい場所である。  ──そういう中に自分は居るのだ、いわば敵の真ッ只中に。 (あぶない)  白刃の衾に寝ている身だった。  しかし──  こうならなくても、武士の身は、何時でもがそれなのだ。五十年、六十年の生涯が、白刃の上なのだ。又白刃の下なのだ。  無事、無為に、赤穂の片田舎に、暮してしまえば、こういう緊り詰めた生涯の一瞬は、思えばなかった筈である。──何の不幸か幸か、事変以来の一年とわずか三月の間の人生は、人間を味わったことで百年、いや、千年生きたにもまさる味があった。 『…………』  内蔵助は、足にからんでいる絹夜具をのけて起き直った。  嬰児の夜泣きが、まだ時々する。  父として。  さむらいとして。  又、一個のただの人間として。  彼は、複雑な自分の身を、凝と、他人のように、噛みしめてみた。おもしろいと思う。実に、世の中は、又人間は、おもしろいと思う。何を今、悲しむことがあろう。──何もない。  人間と生れたればこそ、この複雑な生を味わうことができる。生れなかったらそれまでのことだ。生れ徳とも思えないことはない。  いやしむべき色廓だと人は云う。然し、彼には、少しも、そういう狭い癖潔は感じられなかった。  ここも世の中。みな、あたたかい人間たち。  生きているうちに感じられるもの、味わえるもの、娯しめるもの、たとえば、今の一瞬でも、あるがままに、在るところに、娯しむのに何の不自然──何の不徳。 『ただ……散り際じゃ……為すか、為さぬか』  それを思うと、ひしと肉が緊まる。  もし、為すことを為さずに終ったら、伏見がよいも、祇園遊蕩も、すべて、蕩児の極道事に帰するのだ。今日までのあらゆる事々、皆、虚偽と醜行の履歴でないものはなくなるのだ。  ──然し、内蔵助には、うっすらと、先の峠は見えて来ている、ここまでが、難事といえば難事であった。もう、確信がある。──憂いといえば、敵よりは、内輪の者の心のうごきである。  更に、怖いのは、自分であった。──日々、確信は固まってゆくようであっても、ふと、その確信をゆるがしそうになる自分の虚が怖い。  心の虚には、無という思想が棲んでいた。それが、隙を見ると、頭を擡げ、 (ばかな!)  と自分の正面から嘲笑う。 (名が何だ。死後に何がある。一時の現象だ。現象は、時が運び、時が持ち去ってゆく。春が来、夏が来、秋が去り冬がくる。それだけの繰り返しでしかない。楽しまずして、何の人生)  と、囁く。 (子は母乳が出ないで泣いている。妻は、孤愁に痩せている。そういう犠牲をつくってまで、自分の本分を満足させる。それでよいか、父として、人間として)  更に又、 (娯しめ、娯しめ、今だけでなく、永くこの人生を。──二度とは生れ難い人間と生れて、勿体ないぞ)  大野九郎兵衛の行った道を、内蔵助だけは道理と、心のうちで時々うなずくのであった。ああ行く気持はよく分る。自分にもそれに似た性格がまったくないとは思わない。──明かにある。──だが、そう気軽に曲ってゆけない素質が自分につよいだけだ──と、複雑な自己を他人のように内蔵助は今も見ている。  だが──だが──散り際が、いとおしい。  どっちにしても、短い生涯とおもう。可惜、醜いものにする迄もない。考えれば自分というものも、ぽつんと、生れて消えるだけの一個ではないはずだ。先祖もある、これからの子孫もある。いわば、自分は、鎖の中の一つの鐶だ、ここで、錆びてはならないと思う。 『いや、それは小さい』  ──目をとじて、彼は心の隅々までを、総ざらいしていた。すると、忽然、彼自身にすら驚かれるような本心が、大きく彼の意識にのぼった。なるほど、おれには元々、そういう叛骨があったのだと思う。それがおれを、こうさせている。──叛骨は、叛骨も無さそうな人間のうちに、かえって図太くひそんでいるものらしい。  素朴な武士の家庭に生れ、ただ武士道に生きてゆく。それを彼は不幸とはしていない、不合理、不自然なる社会の介在とも思わない。けれど、ほとほと、この元禄の世代と、一般の世のあり方には、不満と欝屈を禁じ得なかった。人間として、無関心でいられない「非人道」を余りにも見せられている。その多くは、幕府の悪政である。権力の中に巣くうあくどい官閥共の謳う「わが世の春」である。──この世をばわが世とぞ思う──と露骨に歌った藤原氏の栄華の方が、まだ夢を夢として追っている人々の稚気と詩があった。現代の綱吉将軍や大奥や佞臣閥や妖僧などのむらがりのように、下層社会を犠牲にはしていない。下等な贅沢や飽なき消費だけを能にはしていない。庶民の自由を今のように迄は奪っていない。  何としても、内蔵助の純正な武士性に、常々、肚にすえかねていたのは、現幕府のやっている──良民の良貨を引きあげて、新鋳の悪貨とスリ換えている経過からくりと、もう一つは、人間を畜生以下のものに規定した──生類おんあわれみ令──と称するお犬様あつかいの二大悪政である。  悪貨濫発が、いかに正直な細民生活を、底の底までへ、みじめに、突き落しているか、幕府の一部大官たちのみに、いよいよ飽慾享楽の資をゆたかにさせているか、赤穂の田舎にいても、それは分るし、波紋は遠くても、江戸の状態と、ちがわないものが、地方の諸所にも、結果している。  殊に、お犬様令では、地方にも、あっちこっちで、問題を起していた。中央よりは、むしろ、極端になるのが、こんな禁令厳行の場合というと、有りがちな状態である。お犬様に馴つかれたら、貧乏人は、立ち所に、一家困窮に見まわれる。お犬様には、白米を食わせ、家族は飢えを忍ばねばならない。わが子の病気に薬はやれなくとも、お犬様が病めば、犬医者を迎え、死ねば、家主長屋の連名で役所へ届け、葬儀は鄭重をきわめねばならないのだ。もし、怠れば、追放、百叩き、長牢、遠島、わるくすれば、死罪がいい渡される。  これは、各藩とも、同じであった。お犬様令は、国法なのだ。領主により、地方により、手加減はやっているが、隣藩のざん訴が恐いので、むしろ競って、人間は犬以下であるこの法律を厳行しあっていた。現将軍の名が綱吉ということは知らない百姓の子でも「犬公方」といえば何だか知っている。野良犬の歩いて来るのを見れば──こういう動物をそのまま人間の形にした途方もなく偉い存在──が、それだと思うのであった。そして、辻や空き地でキャンキャンいっている野良犬は、みな犬公方の眷族であるから、この地上では自分たち人間は皆、その犬よりも下の動物なのだというあきらめの中に住んでいた。  ──かりに、大石内蔵助良雄という人間にとっても、いまの制度の下に、生きている以上、その例外な人間ではあり得ない。ただ、自意識のうちで、畜生以下のものでないとしているだけである。  曾つて、内蔵助は、時の儒者、太宰春台の著書「三王外記」の評判をきいて、大阪の書肆からとりよせてみた。その一節に、こういう文字を見、ひとり現世の人間のために、燈下に痛涙を催したことがある。  ──王(将軍綱吉のこと)先ニ太子(将軍の世子)ヲ喪ウテ、後宮マタ子ヲ産ムナシ。護持院ノ僧隆光、進言シテ云ウ。人ノ嗣ニ乏シキハ、生前ミナ、多ク殺生ノ報イナリ。王(将軍)マコト嗣ヲ得ント欲セバ、ナンゾ殺生ヲ禁ゼザル。  且ツ、王ハ、丙戌ノ年ヲモッテ生マル。戌ハ犬ニ属ス。最モ犬ヲ愛スルノ信ナカルベカラズト。王、コレヲ然リトス。  太后(生母桂昌院)マタ隆光ニ帰依甚ダ深シ。共ニコレヲ説イテ政令ヲ乞ウテ止マズ。王、スナワチ閣吏ニ命ジ、ココニ殺生ノ禁ヲ立テ、即日、天下ニ愛犬令ヲ下ス。 「三王外記」の記す、この生類御憐愍令が、法律として、発令されたのは、貞享四年の正月であった。以来、ことし元禄十四年にいたるまで──足かけ十五年間にわたって、今なお、人間は畜生以下に規定され、その間、お犬様令の違犯にかかって、死罪、遠島、追放の厄にかかった人間共の数は、河原の石ころみたいに数えきれない。  この稀代な法令が出たとき、世上の人間共は、身を疑って、まごついた。然し、やがて違犯第一に挙げられた事実が、赤穂地方にまできこえてきた。幕府の持筒頭、水野藤右衛門なる者が、配下の与力同心と共に、遠島、蟄居を命ぜられ、御膳番の天野なにがしは、切腹。秋田淡路守の家中でも、重罪に処せられた者がある。──等、々、々、の噂に人々はちぢみ上った。  犬医者、犬目付、犬奉行などの、新しい職制ができ、街道すじでも、犬が往来に遊んでいれば、諸大名の行列も、しばしお犬様を憚って、行きなやんだ程だった。天下、犬の喧々に満ち、犬としいえば、犬の糞でも、その処理には鄭重を極めた。──うそのような世の中が、ほんとに人間へ押しつけられ、人間は次第次第に、畜生以下の観念に馴れて行った。馴れなければ一日とても生きてゆけない世の中なのだ。  人間が、その自意識に、畜生以下のものという規定を、平気で、常識にもち得るようになると共に、人間はさらに一歩すすんで、犬とも別物でない人間になろうと努め出した。犬公方の下にふさわしい犬老中、犬側用人、犬町人、犬浪人、犬色子、犬何々と、顔や姿は、畜生に変り得なくとも、似られるだけそれに似ようと心がけた。金、虚名、貪慾、無節操、乱倫、阿諛、奸争、佞策、何でも、利にしたがって、嗅覚の漁りに奔り、ばかばかしい人間の理想などというものを、極端にまで、軽蔑し合った。 人間主張  だが、もちろん、以上のそれが、人間の全部ではない。  やはり、人間は人間であろうとして、依然、畜生以上を矜持している人間もある。当然、ふたいろの人種が、二潮流をここに作った。寒潮魚と、暖潮魚のように、それは一つ海に棲んでも、一つには交り得ないものだった。  たとえば。──と、内蔵助は、こんどの事件を、まったく、他人の事として思う。  浅野内匠頭と、吉良上野介との、違いなども、その不幸は、この時潮が、いつか招くべきものを、たまたま二人が、与えられた舞台と機会をもって、しかも曠の式日に、曠の扮装をもって、演じてしまった宿命にすぎない。内匠頭ならずとも、いつかは一度、誰かが、やらずには済まなかったであろう。  上野介が、主人への仕方や、彼の日常だの、彼の生活信条も、内蔵助には、よくわかる。決して、それは、世間外ずれな非常識というほどなものではない。むしろ彼の考え方には、彼と同意の味方がずいぶん多いであろう。いや、現世の大部分は、その方だと観て狂いはない。──まして、高家筆頭などという職名は、いわゆる位仆れ、見得仆れで、禄高は、気のどくな程、低いものである。ああでもしなければ、都会に住み、門戸も張り社交も人いちばい派手にして、暮してゆけるものではない。  ましてや、彼は、江戸の中央にあってこそ、その職権や、時折の式典などを利用して、ずいぶん荒稼ぎもしたり、また、間にも、零細な利殖まで心がけて、収入に汲々たるものはあるが、ひとたび自分が、領主として、その知行所たる郷里の三州横須賀や吉良地方などへ臨むときは、よく領民を愛し、治水開耕の公共事業に心をつかい、よい殿様であり、よい御領主と崇められることを楽しみとしているような好人物の半面もある者だという。  まさに、そこには、彼にも正しい人間がある。しかし、犬公方の膝下で、犬宰相や犬大名たちとつきあう時には、上野介も、犬高家となるに如くはなかった。それでなければ、彼がえがいているような家門の繁栄と生活は成り立たないからである。しかも、彼には人後に陥ちない狡才があり、高家の職能は、時により、老中も大名も、ちぢみ上がらすことのできる犬牙にもなるのだ。  一年に一度の勅使下向。これは、彼の書入れ時だ。こういう機会に、高家が稼いでおかなくて、何を、高家の役得としよう。上野介が口腔いっぱいに、慾望の唾をためて、それに臨んだのは、けだし彼として、当然すぎるほど、当然なことだった。  ひるがえって、内匠頭の心態はといえば。  これは、まったく、対蹠的である。時相を知らないし、人間生活の底流が分っていない。元和以来の武門のしきたりを、真ッ向に信奉して、稀〻、曠の大命拝受に、いよいよ日頃の武門精神のみがきを、この秋に示すような、逆な考えと、緊張をもった。ひとり内匠頭だけでなく、一般の士が、そうだった。  何ぞ知らん、世の中とは、そう純正なものではない。  下向の勅使たちにしてからが、典礼、権式、おごそかに迎えられても、内実の一個人としては、みな、莫大なる幕府みやげが、何よりの楽しみなのである。随行の諸員も、同じことだ。迎える方の、柳営の全員、またみな式典のおこぼれを、余得、役得として、待つものに極っている──ひとりの高家の吉良ばかりでなく、そうして、浮世は、持ち合い、持たせ合い、朝廷や将軍の名分を飾りあい、ひとつの生活祭典になるのであり、ふところを賑わし合えるものだという常識は、暗黙に、世間一般のものとなっている。  ──後に。  内蔵助として、残念におもわれて、ならなかったのは。 (もし、自分が江戸に居たら)  であった。  自分が、江戸家老の職にいたら、そこはずいぶん、殿のお考えを更え得たであろうにと悔やまれてならない。吉良への進物などは、些細も些細、あの好々爺をホクホクさせることなどは、余りにたやすい事でありすぎる。  五万三千石の世帯の百分の一も費う気だったら、あの老人をして、内匠頭の袴のチリを払わせ、藩士一般にも、お世辞たらたらを云わせるぐらいは、何の造作もない事だった。  そのほか、あなたこなたの職掌向きも、茶屋酒、用うべし、脂粉の好みには、女も供えてやるがよく、小判小粒ですむところは、なぜ、手でつかみ出して、撒いてやらなかったのか。──自分が江戸詰でいたら、自分も大いに楽しみつつ、大いに犬仲間の犬の一匹になってやって見せたのに、と思う。  世はお犬様の世である以上、二本の大小にとらわれて、それができなければ、大小は捨てるしかない。大名は大名をやめ、侍は侍をやめ、役人は役人をやめ、山野の外に巣父許由の故事に倣い、耳を洗って、独り高しとしていなければなるまい。  それがいいか。人間として孤高のみが高いか。  内蔵助には、久しい疑問だった。いや悩みだった。  彼の、昼行燈的な憂欝は、人間が犬以下におかれた制度の発令以来、もう十数年、今日まで、習性みたいになって来たものである。 (いやいや、人にもなり、犬にもなり、時に応じて、ぼんやり歩こう。──古人、誰やらのいうた通り、「我れ世々の道にたがいなし」──これが世の道、這ッて歩けという令ならば這ッても歩いて行ったがよい)  彼の心の帰結は、そこに落着いた。  だから、藩中の一部にも、時の悪政や幕府批判は、常に、ひそひそ語られていたが、昼行燈は、いつも居眠っていた。田舎家老は、このくらいな燈芯が、ほどよいところ──と、している風に。  だが、その燈芯は、掻き立てられた。  彼の居眠りは、この春の、江戸早駕籠の運んできた悲報に、どやしつけられた。  内蔵助は、いやでも、その信条とする「世の道にたがいなし」から、たがわねばならなくなった──と、自分に宣告した。  主人内匠頭が、一挙に、その埓外へ、飛び出してしまったからである。そして、その行為は、ひとり内匠頭一人の行為としてではなく、赤穂全藩の者──その抱えている妻女老幼にいたるまでの、総ての人間を一束にした者の行為として、断絶、離散という生活の剥奪に見舞われてしまったのだ。内蔵助とて、共同行為者のべつのものではない。いや最大責任者のひとりである。  かくては、彼も、この処理を、つけなければならない。亡君の行為を、意義あるものにし、つづいて自分たちの敢なき生命の辿る意義をも、求めてそこに行き着かねばならぬ。世人は、内匠頭の行為を、ただ「短慮」と片づけているけれど、その短慮の中には、まちがいなく今の時潮にたいする反抗がある。吉良上野介というかたちで示されたお犬様的時弊にたいする自己の人間主張と云ってもよい。 (犬め、われは、犬に非ざるぞ)  内匠頭は、犬公方の殿中で、犬群臣のまッただ中へ、そう呶鳴ってしまったのだ。無意識な刃の下に、現世の悪法を、完全に無視し去ってしまったのである。──こう考えるとき、内蔵助は、心のそこから、ニコとした気持になった。あの君ならでは、そういう愚をやるほど純心な大名も、今ではなかろうと思うのである。  ──吾人は、犬以下ではない。人間である。  亡君のこの意志を生かそう。また家なく禄なく、世を追放された同厄の自分たちは、現幕府の悪政が除かれない限り、世々の道ならぬ道と知っても、それを歩むしか術はない。  世間の口はさまざまに云う。世間の眼はいろいろに視る。かたき打ちということばが、最も単的に、自分たちの将来を興味づけて見る合言葉にされている。が、内蔵助は、みずから自分をそれほど小さくはしていない。あの吉良という六十過ぎの老人──あの単純なる好々爺──それを打って、どれほどな事があろう。意義があるか。  すくなくも自分は、自分の生命にたいし、もっと大慾であると、内蔵助自身は嗤っていた。素朴なる人間の怨愛形式、古い、そしてその結果も、前例にいくつも見ている「かたきうち」などを以て、生涯の事業として大事な生命を終るほど、素朴正直ではないことを、彼自身は知っている。  ──打てば、打たれ、裁けば、裁かれる。栄、枯。──また盛、衰。  この輪廻こそ、人間の、どうしようもない、宇宙原則である。春夏秋冬の正しい約束のように、人間個々にもそれがある。何で、それ以上に人間が、小サ刀をふりまわして、思い知らせる迄の必要があろう。  しかし、たとえ綱吉将軍のみじかい一代の間にしろ、人間が畜生以下に規定されて生きねばならぬ世代というものは、抹殺してみせる必要がある。人間にとり、人間末代までの恥辱である。亡君が、吉良老人からうけた恥辱などとは、比較にならないほどな、恥辱である。人間有るかぎりの人間史の汚辱ではあるまいか。 (われらは人間なり。元禄の世とても、われらは犬には非ざりしぞ)  内蔵助は、自分の目標に、何か、大らかな正義を見出した心地だった。かたちに於て、世人がそれを、何と呼ぼうと、それ自体の意義に、変化のあることではない。仇討、その形式は、それでいい。  殊に、同志たちの結果において、何も深い註釈の要はない。かれ等各〻、志の意義を小さく持つも大きく考えるも、それは自由であるべきだ。良雪和尚とも云ったように、「士道は窮屈なものではない。さむらい暮しはひろびろと──」である。この後とも、ひろびろと浪人し、ひろびろと考え、何とか、悔いなき生命の後始末をつけよう。  さはあれ、それは今、京の色街に酔い臥して、日夜、赤裸な慾情に浸っている行状どおり、何の虚飾なく、桎梏なく、ただの人間という以外の何者でもなく、考えたいように自由に考えてみた自己の結着というものである。自己のギリギリの結着という底までを、何も、進んでひとに明かす要もない。又、それでは、かえって、真実の嘘と見よう。嘘か、真実か、いずれを問うも、いずれも人々の解し方次第としておく──、まずその辺が、世のおもしろさと云うものであろう。また、自分を首領と恃んで、生命の始末を目標に求めようとする同志たちにも、もっとも死によい所でもあるだろう。  思えば、こんどの事件ほど、偶然が、すべて劇的な要素をもっているものはない。──花の三月、場所は、柳営ノ松の間の廊下という曠れの舞台で、しかも、扮装は、大紋烏帽子という古典的な装いの下に、殿は上野介へ、あの刃傷に及ばれた。大きく観じれば、それそのままが、生々しい社会事件というよりは、宛として、一場の演劇の開幕ではあるまいか。  どういう生れ合せやら、自分たちは、この生きた演劇の舞台に、いやでも登場させられている。それぞれが、ワキなり、シテなり、一俳優ほどな運命の演出を使命されているようにすら考えられる。思うに、これは、凡事ではない。  何か、宇宙に心のあるものがあって、地上の選ばれた人間たちへ、この演技を、命じているのではあるまいか。  人間は畜生以下のものではない。──それを演出しておけと、地上無数の、お犬様以下におかれている人間たちを観衆として、いやおうなく、天意に依る筋書を与えられて、その幾幕目かに、露命をこうして今日に、演じつづけている自分ではなかろうか。  内蔵助は、そんな空想まで描いた。……宵に、したたか飲んだ酒の名ごりが、うつつと、夢のあいだに、想念の遊戯をほしいままにするものかも知れない。とにかく、いつ迄も……やがて仄かに、小窓が白みそめる頃まで幾たびか、寝返りを打っていた。  遊廓のうちは、夜明けの一ときに、真の夜半のようなひそまりが、しいんと、屋の棟に下りてくる。内蔵助は、夜具のえりを、深く被った。 久不許逗留  淀屋の一座が帰った後も、浮大尽は帰らなかった。  きょうも、だだら遊びの流連が、西陽の頃までつづいていた。 『よくもまあ、遊び疲れぬものじゃて』  内証の笹屋喜右衛門は、商売とはいえ、さすがに少しあきれ顔だった。 『旦那さま』  あわただしい顔いろを持った仲居だった。 『なんじゃ』 『ちょっと、来てくださいませ』 『どこへ』 『浮さまがもう……。困ったことばかりなされて、手を焼きまする』 『何をなされたのじゃ』  喜右衛門は、仲居について、走って行った。 『あっ……』  見ると、この春、普請したばかりの新座敷の天井へ向って、炬燵櫓をかさねて踏み台にし、浮大尽は、筆を持って何か書きちらしているのだった。  一人の妓が硯を捧げ、一人の妓は、その腰をささえていた。喜右衛門は、むかっとした。これだけの天井を張りかえる費用と手間が、すぐ頭に数えられたのである。 『お大尽っ、悪戯もよい程に願いましょう』  内蔵助は、炬燵やぐらの上から、喜右衛門の赤くなった額を見下ろした。 『ははははは、亭主、怒ったの』 『誰にせい、これが、怒らずに居られましょうか』 『まあよいわ。ここまで書いてしもうたのじゃ。書かせい、書かせい』  その儘、終りの一句を書いてしまった。 『読んでみい、亭主』 『…………』 『気に入らずば、修繕の金はとらせる。そう怒るな。文句は、こうじゃ』 今日亦逢遊君過光陰 明日如何 可憐恐君急掃袖帰 浮世人久不許逗留 不過二夜者也  読み終ると、 『わははははっ……』  浮橋のひざへ、笑いくずれた。  そこへ、ひょっこり、小野寺十内が顔を見せ、 『ほ。……これは』  と、立って見惚れていた。  その手から、内蔵助の胸へ、ちらと、白い紙片が落ちた。読むとすぐ、内蔵助は、紙子縒にして、弄んでいたが、いつのまにか、何うかしてしまった。  間もなく、助右衛門が見え、潮田又之丞が見え、一座は又、夕方の灯ともし頃と共に華やいで見えたが、ふいに、 『──帰ろうかの』  と、内蔵助が云いだした。  仲居たちが、先刻の亭主のことで、機嫌を損ねているものとみて、頻りにとめると、 『何さ、遽に、お軽のことが思い出され、ちと不愍になった。稀には、あれへも姿を見せてやらずばなるまいが……』  と、のろけ交りに云う。  そのお軽というのは、この伏見の者でもみな知っている二条寺町通りの一文字屋次郎兵衛の妹で、彼女を知らぬ者でも、その美人であることは知っていた。──あまりに内蔵助が乱行するので、彼の従弟の進藤源四郎と、叔父の小山源五右衛門とが、相談ずくで、 (あの娘なら気に入ろうし、遊びもやむであろう)  と、山科の家へ、入れたものだった。  内蔵助は、お軽を愛した。けれど、伏見がよいは、その為に少しも足数は減らなかった。 (底が知れん)  と、叔父も従弟も、匙を投げるし、又、 (これはどうやら、内蔵助の行状も、ほんものらしいわい)  と同志のうちで云う者も多くなって、一徹者の奥野将監などは、すでに、 (見限り申した)  と、内蔵助の胸へ、絶縁状をたたきつけているのである。 『帰ろ』  云いだすと、いつも急である。 『お軽の顔が見とうなった。飽いたらまた来る程に』 『まあ、手ばなしな』 『離しゃるな、ころぶぞよ』  笹屋の大暖簾までひょろひょろと、女の肩にすがって出て来た。 『あれ──お駕籠へ』 『駕籠。はて、わしゃ駕籠ぎらい……』  と、内蔵助は、もう、夕方のほの明るい外へ歩みだしている。亭主を初め、大勢の声がその背へ世辞を送った。──送る方も、送り出された方も、何か、こうほっとした気持だった。  もう、踊りの輪が、初まっている。──助右衛門へ、踊らぬかと、声をかける者がある。内蔵助は、犬に吠えられている。助右が、石をひろう。  小野寺十内は、時々、内蔵助のそばへ寄り添って、何か囁いた。聞かぬ顔しながら、内蔵助はうなずいた。そして小声に、 『後』  と、云った。  振り向くと、辻咄の徳西が、羽織を頭から被って、尾いてくる。──助右衛門と十内は、眼くばせを交し、駕籠をよんで、内蔵助をのせた。そして、駕籠のうちへ、 『では、明日』  と云って、べつな道へ別れた。  駕籠へ入ると、とたんに、内蔵助は正体のない様子に見えた。加茂川尻を、ひたひた揺られてゆく──後からついてくる徳西の足も早くなっていた。いつのまにか、その影は二つになり、三つになり、四名にまで数を増している。中に、千坂兵部の腹心、例の一丈八尺という匿れ名の男、木村丈八のすがたもあった。 『誰か、ここらで、当ってみろ』 『よしっ、俺が』  朱鞘をぶち込んでいる勤番侍まるだしのような男が、気負って、答えた。 『みんな、隠れておれ』 『うむ、見届ける』  ちりぢりに夕闇へ影をひそめた。勿論、辻咄の徳西も、勤番侍も、すべて吉良、千坂の手から廻されている一味であった。 『おいっ! おいっ! 待たんかっ』  濁す声で、朱鞘が呼びとめた。同時に、駕籠の前へ迫ったのである。駕籠屋は、驚いて逃げてしまった。にも拘わらず、抛り出された駕籠のうちには、心地よげな鼾の声がするのだった。 『不忠者。醒めんのかっ』  一方の駕籠の垂れを蹴とばしたのである。あっと、内蔵助の声は、向う側へ抜けて、大地へ、仆れていた。 『た……誰じゃ……』  まだ眠そうな眼をあいて、内蔵助は、男の巨きな体を見上げた。朱鞘は、腕を捲くりあげて、 『誰でもない、武士だっ』 『武士……ふウム……成程』 『わかるか、阿呆侍。やいっ、不忠者の人でなしっ。汝は、真の武士とは、どんなものか、分っておるか』 『名を仰せられい。お名まえを、仰せられい』 『汝のような犬侍に名をいうのもけがれだ。俺はな、赤穂藩とは、何の縁故もない他藩の武士だが、余りといえば、腹が立つ。な、なんだ、そのざまは! それが、赤穂の旧城代家老ともある人間の姿か』 『……そ、その事で、お腹立ちか。恐れ入った。平に、平に、お見のがしを』 『何、見のがしてくれ。よくも、左様な腰抜けことばが吐ざけたものだ。これっ……やいっ……馬鹿家老』  土足を、内蔵助の肩にのせた。ぐいぐいと、蛙でも踏むように押しつぶすのである。内蔵助は、土で摺り剥かないように、大地と顔のあいだへ手をさし入れていた。 『──聞けば、赤穂浪人の軽輩の中には、亡君の無念を胆に銘じ、吉良殿の首を申しうけんと、臥薪嘗胆している者もあるそうな。──然るになんだ貴様は、主君の存生中は、一藩の上に立って、高禄をむさぼり居った身でありながら、仇も報わず、家には妾を蓄え、出でてはだだら遊び、武士とは、こうしたものかと、世間のわらい声が、その耳に入りおらぬかっ。──武士の面よごしとは、貴様のことだ。──腰抜けめ! 人間か!』 『ア痛っ……ア痛々』 『痛いのがわかるなら、少しは、性があろう。口惜しいと思わば、起ち上って、勝負をせい』 『め、めっそうもない』 『これでも』  と、その頭に、唾を吐いた。  内蔵助は、醒めた顔へ、手をやって、 『御用捨を。……この通りでござる』  両手をつくと、朱鞘の男は、大口を開いて笑った。──そして激しい語気で、 『ざまはない!』  と罵って、附近にたたずんでいた人影へ向い、ちらと、眼合図をして大股にかくれてしまった。  ──不思議なほど、内蔵助は、澄んでいる心であった。惨とした面を──みだれ髪の毛を──大地に伏せてはいるけれど、心のうちには、何か寛々としたものがあった。自でに可笑しくさえなる余裕があった。  で──今の勤番者が、千坂の間諜であることもよく見え透いていた。辻咄の徳西だの、木村丈八などという曲者が、そこらで、自分のことばや挙動を見ているなという程のことも察せられた。 『大夫』  すぐ走り寄って来たのは、先刻、別れたと敵に見せた富森助右衛門と、十内老人である。  助右は、内蔵助のうしろへ廻って、土を払った。十内は、彼の泥の手を押しいただき、 『御忍苦、お察し仕ります』  涙ぐんで云った。 『なんの……まだ殿様へ御奉公の身、これしきのお勤め』  初めて、内蔵助らしく平調なことばが洩れた。そこへ、潮田又之丞が、逃げた駕籠屋を連れもどして来た。三名のよろこびは、これで、さしも執念ぶかい千坂の隠密共も、もう、これ以上の疑惑は無駄だということに一致して、吉良家へも、その報告をするであろうということであった。 『堀部、奥田、不破、原などの方々へも、今の盤石のような御忍苦を、見せてやりとうござりまする。……いや、その方々も、今宵は、寺井玄渓の宅に集って、今頃は、凝議の最中、吾々はそちらへ参ります故、ではここで』  と、三名は、ふたたび駕籠を離れて、べつな途を急いだ。 香炉心  琴の音が、奥でしていた。  山科の家へ帰ると、 『お帰りあそばしませ』  主税が出て、久しぶりな父を迎えた。  この春、元服して、名乗も良金となった主税は、もう見事な青年ぶりであった。 『留守中、来客は』 『原様、不破様が度々のお越し』 『うむ、それは存じておる』 『又、江戸表より、堀部安兵衛様』 『いつ見えたか』 『二十九日、お着きの由にござりましたが、お見え遊ばしたのは、昨日』 『それだけか』 『ほかに、さしたるお方は』  奥へ歩いてゆくうちに、内蔵助は、冬野のような淋しさにつつまれた──妻の声がしない、母乳の香がしない。たまらない空虚が、どの部屋をも冷々とさせている。 『誰じゃ、琴の音は』 『お軽どのでござります……』 『そうか』  棟の離れている廊架づたいの一室へ父のすがたは背を向けて入って行った。主税は、琴の音がやんだなと思いながら、自分の机へもどった。 『お軽、さびしかろ』  内蔵助は、静かに坐って、 『茶を』  と云った。 『はい』  次の間の風呂先の釜に向っているお軽のうしろ姿を、内蔵助は、凝と見つめた。妻のない家に際立つ美しさである。彼の心は、ふと、彼らしくもない和やかな波紋をゆるがせていた。 『お気に入りますやら……』  怖々と茶をおく。──その指先には、祇園の女や伏見には見あたらない鮮麗な色があった。 『うまい……』 『おつかれの時には、わけて』 『わるい疲れじゃの』 『いいえ』  なんの意味ともなく、お軽は微かに顔をふる──この娘は、どういう気持でここへ来ているのだろうか。むろん、兄の一文字屋次郎兵衛からも、小山や進藤からも、云いふくめられた事があるであろうが、少しもそういう不安も怖れも抱いている気色がない。何か、安心しきっている姿だ。或は留守の間に、主税から、うすうす自分の性格とか、家庭の事情とかを聞かされ、ほんの留守番のような気持でいるのかも知れない。 『──眠とうなった。駕籠のうちで、うつらうつらとして来たが』 『お待ちあそばせ』  寝所へ立つ。  その間を、手枕に、まろび寝しながら、瞼をふさぐ。お軽の白い襟、つぶらな眼、その眼から、寧ろ求めるような姿態が、ちらちら映る。 『お床をのべました』 『お……』  お軽は、寝所へついてきた。──駕籠行燈は隅に遠く隔ててある。床の香炉には、いいつけない香が燻らしてあった。梅の花に香のにおいは似ていた。又、彼女のそこはかとない衣ずれの匂いにも紛らわしい。 『なにか、御用は』  去りがてに坐って云うのである。横からうける仄かな灯の影は、余りにも処女の線を濃く浮かしている。 『そう? ……』  と、暫く答えない。  内蔵助は、眼をふさいだ。少年のような血がどこかで鳴っている。なぜ自分を偽るかと、自分の心のうちで明滅する慾情のはためきへ胸のうちで云っている。しかしお軽のあまりな可憐さを見ると、その将来の幸不幸を無視した盲目に迄はなりきれない彼であった。ほんのわずかな間であったが、永い惑いから、やっと切り脱けるような努力で、次に云った。 『そう……別にもう用事はない。そなたも、寝んだがよい』 曾我舞  浪人するといつの間にか、やはり浪人くさくなるものだと、堀部安兵衛は笑いながら、唯七に云った。 『そうさ──そう云われてみると、誰もが、やはり変ったな』 『拙者などは、殊にな』 『ならぬお人は山科の大夫だけじゃ』 『なりようがあるまい。武士のたましいが、まるごと失せては』  江戸表から京都へ上って来た安兵衛は、大高源吾の浪宅にわらじを脱いでいたが、いることは、今日び珍らしいぐらいであった。  大阪の天満に、原惣右衛門をたずね、不破数右衛門に会い、中村勘助をたずね、潮田又之丞をさがし、東奔西走、陽焦けと汗にまみれていた。  山科へは、ちょっと顔を出したきり、以後、同志との話にも、内蔵助のくの字も云わなかった。腹の底で、すでに安兵衛は見限りをつけているらしかった。内蔵助の乱行ぶりは、江戸の噂以上である。語るに足らない人間に、期待をもって、今日まで引きずられて来た愚かさを、思い出すのもいや、口に出すのは、猶お忌々しかった。  一挙即行。  安兵衛の決意には、まず、原、不破が、 『それよ』  と、ばかりすぐ応じた。  武林、中村、もとより異存がない。岡野九十郎も、これに結ぶ。後、小野寺の息子の幸衛右門と、潮田又之丞の二人には、一応話してみたいと、江戸へ立つのを、一日のばして安兵衛はここに待っているのだった。  江戸表には、奥田孫太夫父子をはじめ、杉野十平次、倉橋伝助、前原伊助、その他を合せれば、十五、六は馳せ加わろう。十分だ。──何の内蔵助の悠々と気長な待たせぶりに、機を徒らに過ごしていることがあろうか。 『源吾は、なかなか帰らんの』 『あれも、近頃は、だいぶ浮大尽のおつきあいをしているらしいで、少々、骨が柔かになったかも知れぬ』 『退屈だ』  安兵衛は、横になって、 『ここ一月、旅にばかり、せかせかと送っていたので、稀に、凝としておるのは辛い気がする。──武林、飲もうか』 『酒か』 『そう、貴公は下戸か』 『酒なら、台所にあるらしいぞ』 『あるか』  起き直った時である。  門口を開けて、誰か入って来た。 『源吾、戻ったか』  出て見ると、大高源吾ではなかった。村松三太夫である。 『お。……これは』  三太夫は、何気なく笑いかけたが、安兵衛も唯七も、苦い顔つきのままだった。伏見がよいの遊里組とは、もう断乎として、分離した気でいるのである。自から蔑むような眼が三太夫の顔へかかった。 『源吾どのは』 『留守でござる』 『各〻は』 『何か御用か』 『山科からの急なお言伝を、手わけして告げて歩いておる』 『ご苦労な』  にべもない。  然し、三太夫は、気にかけず、ずかずかと上って来た。もう蝉の声がする暑さであるが、ぴたりと、障子を閉め、 『御両所、ちと、お耳を』  と改まった。  全然、聞く気のない顔つきである。然し、三太夫がものを云い出すと、二人共、愕然と気色を改めた。  今朝、山科へ、江戸表から急状がとどいたと云うのだ。それによると、内蔵助が、心待ちにし、又、遠林寺の祐海の運動をも、密かにたのんで、待ちに待っている先君内匠頭の舎弟大学の取立ての事は、果然、絶望と、はっきりきまった。  江戸表の吉田忠左衛門、奥田孫太夫、ふたりの書面には、大学長広は、その後、わずか唯一つの住居として取り残されてあった木挽町の屋敷も召上げられ、芸州広島へ左遷という報告なのだ。……左遷である。もう、主家再興の望みは完全に断たれたのだ。 『──で、内蔵助殿のいわるるには、これ迄と、一言仰せ。幾度か、各〻へ向って、お誓いの如く、復讐の一途と、肚はすえられた』  三太夫の眉も話すうちに昂っていた。 『えっ、では、大夫も起つと仰せたか』 『もちろん。──即刻、山科をひき払って、東海道を御下向のお支度、もう、かかって居られる』 『真でござるか』 『たれが、戯れに、かかる事を』 『唯七っ』  両人は、手をとって、泣かないばかりだった。  源吾が帰って来た。  ふだん静かなのに似ず、これも、昂奮をいろに湛えている。すべては今、出先の寺井玄渓の家で聞いて来たという。 『すまない、……済まなかった……』  安兵衛は、山科のほうへ向って、手をつかえた。翌る朝はすぐ山科へあいさつに行こうと云う。然し遽に、同志のうごきが変化することは面白くない。お指図のある迄、じっとしておれ、それが源吾の意見であった。       ×   ×   ×  内蔵助の密旨をうけて、横川勘平が、江戸表へ立ってから間もない日。  円山、重阿弥の寮に、在京の同志が、日を約して集まった。──誰もが、平常、あれはと思う者はみんな来た。来まいと思っていた者は、案の定見えない。いつの間にか、お互の心と心とは、この一年に、偽れないものとなっていた。かなり偽面を被っていた者も、この日には、もうその姿をあらわさなかったのである。  人数は、十九名。  曾てなかった緊密で厳しい会合だった。又、従来のような論争もなく、お互の肚をさぐるような疑惑も一掃され、内蔵助の重たい口から、初めて、 『もはや、この上に待つ何ものもござらぬ。断の一言で足りる』  と、云い出された事によって、一同は、血のわくのを覚えた。光風霽月だった。 『九月上旬までには、上方の残用、一切を果し、十月下旬には、かならず下向いたすでござろう。それ迄は、くれぐれも、ただ静かに』  とも内蔵助は決意を告げた。  原惣右衛門も、安兵衛も、謹んで、命に服すだけの事だった。 『うれしい。……まだ欣ぶのは、早いというな。ここ迄でも、難所折所だった』  人々は、もう、吉良殿の襟がみに手の触っている気がするのだった。又、一年半の越し方を思って、短い年月の間の多事多難を振り顧らずにいられなかった。  酒が配られ、杯が元気よく交された。一同の耳が、熱して、紅くなる頃──突然、朗々と若いものの驚くような声で、 『──武士の交り、頼みがいある中の酒宴かな』  手皷を打って、小野寺十内が、謡った。 『一さし、舞おう』  原惣右衛門である。さっと、扇をひらいて起ち、 『──富士の御狩の、折を得て、折を得て──』  と、曾我を舞った。  それを、微笑をふくみながら見ている間に、内蔵助の膳の前には、又幾つも杯がたまるのであった。 松坂町界隈 紙屑返し  鞍馬口の往来は白く焦けきっている。油蝉の死骸に蟻がたかっているのも暑い。  大高源吾は、草履の裏を焦かれながら、炎天に立って待っていたが、やがて、前の葉茶屋の店先から戻って来た貝賀弥左衛門の姿を見ると、 『わかったか?』  弥左衛門は、うなずいて、黙々と先に歩いて行く。汗が、茶帷子の背に滲み出している。寺院の築地をすぐ横へ曲った。百日紅の花がすぐ眼について、 『此処だ……』  と、弥左衛門は門札を指さして立ちどまった。  長沢六郎左衛門。──間違いはない。  町家の隠居所でもありそうな清洒な門を開けて、訪れると、奥で聞えていた陽気な女達の声がやんで、簀戸の蔭から四十前後の薄化粧した妻女が、何気なく出て来たらしいが、炎天に汚れて来た二人の客の姿を見ると、あっと云って、挨拶もそこそこ、一度奥へもどって行った。 『よう、おめずらしい!』  と、次に姿を見せたのは、主人の六郎左衛門であった。水団扇を手に、 『まあ上られい』  階下を、憚るように、二階へ導いてゆく。  梯子段を踏む前に、ちらと、奥に見えた女達の群は、一人の僧と、町人態の男を交え、行儀わるく輪になって坐りながら、この頃流行りの加留多を散らして遊んでいた。 『──さて、その後はつい』  堅くなって、しかつめらしく改まる主人の挨拶を、客の源吾から気軽に打ち消して、 『いや、不沙汰はお互い。……何か、折角、お娯みのところをお邪魔したようだが』  六郎左衛門の顔つきは気の毒なほどだった。どぎまぎして、手を襟くびへやりながら、 『やあ、どうも……ハハハハ、お目にとまったか。浪人の身というやつは、閑でこまる。──と云うて、吾々、盟約のある者は仕官もならず、また、世間に左様な気振りの見える生活もまずいでな……』 『実は──』  と、貝賀弥左衛門は、懐中から一通を出して、 『きょうは、その儀で訪ったのじゃ』 『その儀とは』 『赤穂の御城内で、吾々心を同じゅうする者が取り交した血判の誓書を、大石殿のお考えが変ったので、お戻しに参ったので』 『ほう? ……ふウむ……』  解せない眉をひそめながら、六郎左衛門は、自分の前に出された自分の血盟書を暫く見つめていた。赤穂籠城と極まった時、この男も、義血に燃え、 (城を枕に)と叫んだうちの一人だった。──籠城の説が、あだ討と変って、後図を誓った藩士は、その時、百二十人と数えられたものだった。 『──慥に、これは貴殿の分、お戻し申しあげましたぞ』  弥左衛門は、もう膝を起てかけて、 『源吾、お暇しようか』  すると、主人の六郎左衛門は、いそいで血判の誓書を披いてみた。間違いなく、昨年の四月、赤穂城の昂奮の坩堝のうちで自分の書いたものである。もうその時捺した拇印の血は乾いて漆のような色をしている。 『……しばらく』  六郎左衛門は、急に肩を昂げ、使の二人を低く見て云った。 『大石殿の乱行は、町の噂にも、ちらちら聞いたが、ではまったく変心されたのでござるか』 『そうらしいのだ。……吾々も不面目極まる使だが、要するに、変心は大石殿一人ではない。日が経てば経つほど、人の心も、境遇につれて変るのはやむを得ぬ』 『では──復讐は沙汰止みか』 『相変らず、議論は区々だが、先頃、円山の老人連も集まって、とどのつまりが、事変の当時なら気も揃うたし、天下の耳目も吾々に期待していたろうが、今更、熱のさめたところで、あだ討でもあるまいと──まあ二の足を踏むのが多くて、結句、連判の盟約を解こうと極まったわけだ』 『それで返しに来られたのか』 『まだこれから、十数名の家を歩かなければならん。……いや永い間、ああだのこうだの、お互に馬鹿な日をつぶしたものさ』 『怪しからぬ話だ!』  六郎左衛門は、自分の連判を袂へ突っ込むと、苦りきって、 『人の血判を、ただ掻き集めて、それだけの口上で突っ返すなど。──多分はこんな事じゃろうと思っていたが、余りにも、馬鹿げておる』 『本来は、内蔵助殿が、連判の全員をお招きされて、斯くかくと、経緯をお話しあった上で、一言、御自身の不徳と詫びて下されればよいのだが、円山の会議の折も、人は集まらぬし、又大石殿も、今では方々に会う事も、どうも面目なげに窺われるので……』 『お帰りの上は、大夫に伝えて下されい。──六郎左衛門、落胆いたしたと』 『承知いたしました』  苦笑をかくしながら、二人は匆々に、百日紅の門を出て、 『貝賀。こうして歩いてみると、人間の心というものは、実におもしろいな。……裏と表、双つ鏡で見るようだ』 彼の道此の道 『──次は何処だ』 『北野におる灰方藤兵衛』 『それは、住居がよく分っているからいい。だが、まだ大分残っておるか』 『十七、八名はあろう』 『連判の紙屑返しも、きょうで五日がかり、歩くのはよいが、今の六郎左衛門流に、返してやると、内心ではホッといたしておる癖に、アア威張られるには恐れ入るな』 『大高、灰方の家はこの路地だが』 『ひどい長屋だな、──灰方藤兵衛の分を貸したまえ、暇どっては面倒だから、拙者が一人で返して来る』  源吾は、溝板を踏んで、長屋を覗いて行った。 『藤兵衛殿、在宅か』 『誰だ』 『源吾』  この暑さに、色も褪せ果てたボロ蚊帳の中で、藤兵衛は裸で寝ていた。むっくり、肱を起して、 『やあ、大高氏か。……こいつは閉口。今、蚊帳を外すから、暫時そこで』 『あいや、その儘で』 『浴衣もない始末じゃ、然らば、蚊帳のうちにて』 『端をお借り申す……』  と、腰をかけて、血判を戻しに来たことを、何家へ行っても同じ口上の通りに述べると、 『やあ、そうか』  と、藤兵衛は正直に、重荷を下ろしたような顔をする。 『──それあ、今となっては、そのほうが此方も仕合せだ。主家没落のあの前後には、血も昂っていたし、世間の眼もあり、城を枕に討死とまで、同藩の連中の雰囲気というやつもあったが、離散後は、やはり種々考えるからな……』 『いま、まったく』  源吾は、素直に頷いてばかりいた。 『あの当時は、卑怯者の、人非人のと、笑ったものだが、今となってみると、大野九郎兵衛などという人物は、さすがに偉い』 『そうかな』 『藩外藩内のあの空気に捲き込まれないところが、人間の出来ている証拠だ。何でも、此頃では、嵯峨あたりに居って、小金を貸し、なかなか楽にやっておるそうじゃないか』 『とんと、噂も承知せぬ』 『妾などを持っておると云うぜ。──羨望の至りだ。そこへゆくと、俺などは、正直すぎた。この血判など、今見ると、洟をかんでしまいたくなる』 『ははは、ひどく又、お変りだの』 『変らずにいられるか。復讐となる以上は、家財も贅物と、二束三文に売り払い、それが尽きたとなっても、まだ吉良を討つなどという事は、何日の事だか、見当もつかない有様。……復讐をする前に、こっちが干乾になってしまう。そのくせ、内蔵助などは、あの豪奢ぶり、子供に、無心の手紙を、両三度持たせてやったが、返事もよこさん。自体、人を小馬鹿にしたやり口だ。──やはり大野九郎兵衛に随身して、後々の相談にでも乗ってもらえばよかったが、つい、赤穂城の席では武士道などをふり廻し、大野の面前で、下司根性の似而非武士などと罵ったので、今更、頭を下げても行けんしなあ……』  果しがないので、源吾は、 『いずれ、今度は、金でも儲けて、又会おう』  起ちかけると、 『あいや、ちょっと……』 『何だ』 『申し難いが、細かい銭をすこし、お持ち合せはないか。実はかくの通り、単衣まで質に入れてしまったので、金策に出られぬ始末』 『金か。……生憎と此方も』 『なに、そう重くいう程な金ではない。お持合せでも……』  源吾は、巾着から、事実乏しい小銭を出して、 『こんな僅かで? ……』 『結構結構。これで夕方が助かる』  往来へ出て来ても、源吾はすぐに待っている弥左衛門に話しする気にもなれなかった。──ああまで人間も落魄れるものかと思う。金銭の貧富ではない、心の落魄れようである。何か、涙が睫毛につきあげて来てならなかった。 (もし、亡君があれをお知りになるものだったら、何んなお気持か)  それを思い出したのである。  いつぞやの円山会議に顔を見せない欠席者のうちで、内蔵助の眼で、これはと思う人々へは、こちらから血判を持って行って返して歩くように──と、これは勿論、内蔵助の深謀で、大高、貝賀の二人が命じられて、毎日戸別訪問して来たのであるが、その結果、 (なるほど、さすがは大石殿、よく観ておられた)  と二人は、内蔵助の緻密な用意が、二重底か三重底か、迚も自分たちには測りきれない気がした。  その用務も終った日である。報告をかねて、源吾は一人で、四条の梅林庵へ内蔵助を訪ねた。  石を築き泉を掘って建築した彼の山科の別業は、円山会議のあってから間もなく、もう人手にわたしていた。家財のうち、お陸や幼児に必要な物は但馬に送り、後は町医の寺井玄渓の手を経て、あらかたは売り払ってしまった。  梅林庵の役僧は、源吾のすがたを見ると、 『ああ、生憎でござりまする大高様。内蔵助様は、玄渓様のお宅へぶらりとお出かけでござります』 『や、左様か。──では、寺井の宅へ寄ってみましょう』  すぐ廻ってみると、内蔵助は、寺井玄渓親子と奥の一室で、一酌交していた。 『ようござられた』  玄渓は、援兵を得たように、 『源吾殿からも、ぜひ一つ、大夫へお口添えを願いたい』  と云う。 お軽が家  訊いてみると、話はこうだ。  玄渓は、元禄十三年、浅野家があの凶変を招いた前の年に、禄三百石で赤穂のお抱え医になったのである。  奉公した日こそ浅いし……職分も医者でこそあるが、心は藩士たちと変らないつもりである。それを信じて、内蔵助もこの京都へ来てからは、何かと玄渓をよい相談相手とし、殊に同志の家族の病気といえば真っ先に見舞い、藩士の手ではなし難い家財の売払いとか、又、復讐につかう武器、火事装束の註文とか、殊には経済上の細かい事にいたるまで託されて、玄渓も、その信頼を裏切らなかったのに──近く内蔵助が江戸表へ下るという事になると、その同行を(まず、お見合せあるように)とのみで、断られたというのである。 『──まあ訊いてくれ、源吾殿。わしの不服が無理か、大石殿の断るのが尤もか』 『……弱りましたの。正直に申せば、拙者も大夫のお断りが御尤もだと心得る』 『なぜ?』  玄渓は、白い眉毛をうごかして、肩を尖らした。 『武士の道、医の道、自ら職分によって尽すべきことが違いまするでな』 『知っておる! ──然し、昔、華陀と申す支那の医家は、関羽の恩を慕って共に戦場に立ち、関羽が毒矢に中った時には、その疵を療治いたしておる。各〻の義胆、その御苦労に、われ等も、微力ながらお供して参ろうというのに、何で、武と医との職分の差があると仰せられるか。お断りなさるのが、玄渓、解せんのでござるわい』  議論は、源吾の来る前に、すでに内蔵助と何っ方もゆずらずに云い張っていたらしいのである。源吾は、その気持が分っているだけに、困った顔をした。 『では、こうなすっては何うか。──これは大夫へもお願いいたすのであるし、玄渓殿へもお譲歩を願うて、中庸を採っての愚案でござるが』 『伺おう。どういう案じゃ』 『玄渓殿は、京都に停まる』 『そして──』 『かわりに、御子息玄達殿を、江戸表へ下されては』 『……伜をな?』  玄渓は、それでもまだ少し不平らしかったが、内蔵助は、先頃も梅林庵の海首座を通して、ぜひ玄渓も召連れるようにと、再三の懇願をどうにも退けかねていたので、 『源吾、そりゃよい考え、御子息なれば、同行をねがって、復讐の当夜の負傷の手当をお頼みいたそう』  と云った。  玄渓も、そう云われてまで、老躯を押しつける事はできなかった。──では何分と、約束を固めて、 『やれやれ、老いぼれは、売れ残り申した』  と、後は笑い話と酒になる。  内蔵助が、こよいここを訪れたのは、近く、江戸表へ下る用意も、あらかた整ったので、その暇乞いと世話のなりじまいに、最後の用事を玄渓の手からしてもらう為であった。  それも、金策だった。  さし当って、もう内蔵助の手元には、金は乏しかった。ぼつぼつと江戸表へ下向する同志たちのうちにも、路銀はおろか、旅支度にさえ事を欠く者がたくさんある。赤穂開城の時の手当は、もう誰の手元にも、とうから乾いていた。  内蔵助の手元にあった準備の金も、玄渓の病家先の絹屋弥兵衛という者に、討入装束として着用する鉢金頭巾や、着込、羽織、その他を註文して、それも悉皆出来あがったので、すべて手元を空にして支払ってしまっている。  で、思いついた一策なのだ。  内蔵助の遠縁にあたる者が、近衛家の諸大夫を勤めている。その人は進藤筑後守長富という。これへ宛てて、金子百両の借り入れ方を、玄渓の弟子に、手紙と抵当物を持たせて、申し込んだのであった。  抵当の品物というのは、封印してある長持が一棹であった。中には、内蔵助が、心を籠めて入れた品が充ちているのであったが、程なく、その使の者が帰って来ていうには、 『折角のお頼みではござるが、唯今、進藤家にも、他にさし迫る失費の儀があって、折角ながらお手紙の趣きには添いかねる──と、かような御返事でござりました』  とある。 『御苦労でござった』  内蔵助は、弟子に礼をのべて、静かに、杯を含んでいた──彼が、進藤家へ預けにやった長持の中には、自分の死後、諸方へ頒つ遺物が、それぞれ一品一品、紙片に贈り先の姓名を誌して一ぱい入れてあるのだった。  もう晩かったが、玄渓の家を出ると、涼しさに、夏の月夜を足はそぞろになって、微酔を蚊帳につつむのが惜まれた。 『わしは、一文字屋に立ち寄ってゆくが、貴公も、茶でも馳走になってゆかぬか』  二条の辻で、ふと、内蔵助が云う。源吾は、つかれていたので、明日を約して別れた。──振向くと、内蔵助は、風の中で飄々と、寺町の通りへ曲がっている。 『いるか』 『おう、これは』  一文字屋の人々は、思いがけない時刻に思いがけない人が訪れて来たのに眼をみはり、家中して、彼を奥の涼やかな一間へ迎え入れた。  ここはお軽の兄の家だった。山科の屋敷や家財一切を引き払うと同時に、お軽も家へ帰されていた。 (めずらしいお微行──)  と、一文字屋の家族たちは、わざと席を外していたが、やがて、奥のお軽の部屋から、内蔵助の所望とみえ、彼女のたしなむ琴の音が洩れて── 燈暗うして 数行虞氏の涙  と、唄うお軽の声が、心なしかその涙をふくんでいるように聞え、家の者は遠く離れながらも、しいんとして聴き入っていた。  突然、笑っている声は内蔵助であった。いつもの酒機嫌の上に出る声であった。 『──なんじゃ、お軽、泣いていやるのか。山科でも申した通り、このたび江戸表へ下るのは、よい主人を求めて、すこしは貧乏性を直そうと、心を改めたで、下向と決めた迄の事。又、あちらでよい主取りをし、屋敷が定まったら迎えてとらせようものを……。はっはははは、琴糸が涙に湿める、なんぞ、他の曲を所望、ほかの、涙などこぼさぬ曲を……』 七尺の屏風は 躍るともよも踰えじ 羅綾のたもとは 引けばなどか截れざらん  壁の高い家と家との路地の空から、夏の月が、飽かない顔して、晩くまで縁先を覗いていた。       ×   ×   ×  京都日野家用人、垣見五郎兵衛。  ふた棹の長持に、こう札を打って、内蔵助が京都の短い夢のような生活をきっぱり離れて、東海道を江戸表へ向って立ったのは、それから間もない十月十七日。  随身した人々には、  潮田又之丞、近松勘六、早水藤左衛門、三村次郎右衛門。──それに若党、中間が二人。  寺井の息子、玄達も先に立った。  大石主税も、すでに、その前、但馬にある母を訪ね、男山の八幡に父と共に詣でて、これも江戸へ先発している。  岡野金右衛門、武林唯七は、その一ヵ月前に。  ──吉田、間瀬、不破、千葉、小野寺、踵を次いで、続々と京地を離れていたのである。そして、内蔵助が、念に念を入れた上の絹漉しで篩にかけたような人々のみが、水も洩らさぬ用意の下に、緻密な聯絡をとり合って、江戸表に深く脚を入れていた。  ──秋も暮れて、元禄十五年の冬の小寒が、おとずれかけた頃である。 二階の従弟  本所二つ目の小間物屋善兵衛は、ついこの頃、紺暖簾をここに懸けたばかりの小さい店だった。  夏頃までは、鬢附油や松金油などの荷を背負っては、よくこの辺に行商に来ていた男で、 (あの小間物屋さんは、何て気さくな人だろう)  と、女達から騒がれていた。  本所にお花客が多いから、いっそ小さい店でもと、前触れしていたことが運んだとみえ、男世帯で女商売。  よく流行っている。 『──おや、お粂さんじゃありませんか。もしっ、吉良様のお粂さん』  きちんと、いつも店頭に、膝を四角に坐っている善兵衛は、いかにも小間物屋になりきっているが、神崎与五郎だったのである。  呼びとめられたのは、今、暖簾の外を、小走りに通りかけた十八ぐらいな小間使で、すぐ先の、松坂町の吉良家の召使であった。  お粂は、呼ばれることを、実は心で待っていたように、すこし顔を紅らめて、暖簾の蔭から、 『善兵衛さん、なアに?』 『何処へ行らっしったんです、お澄ましで』 『実家まで』 『お実家へ。へへへ、おっ母さんのお乳をたんと吸って来ましたね』 『そうじゃない、お父っさんが、すこし加減がわるかったからですよ』 『何はともあれ、わたくしの店先をお通りになって、横を向いて、素気なくお通りになるなんて、善兵衛、お恨みいたしますぜ』 『あら、横なんか向いて通りはしないじゃないの』 『ああわかりましたよ』 『なあに』 『きょうは、私一人だけしか、店に見えなかったからでござんしょう。──従弟の右衛門七が見えないから』 『まあ、善兵衛さんたら、ほんとに、邪推ぶかい』 『困るんでさ、まったく、私ときたら、男のくせに嫉もちやきでね。……まあ、お寄んなさいな。寄らなければいい。こんど、お友達のお鈴さん、小枝さん、みな様がお買い物にみえたら、たんとお喋舌りをいたしますよ』 『なにを。何を』 『──右衛門七との事をね』 『ま! わたし、何にも右衛門七さんとなんか、してやしないじゃないの。──憎らしい』  と、袂を肩へ上げて、打つ真似をしながら、お粂ははいってきた。 『ハハハ、冗戯ですよ。冗戯冗戯』  小座蒲団をそこへすすめて、 『おこらないで、まあ、愛想にでも、ちょっとお掛けくださいませ』 『善兵衛さんは、ほんとに、憎らしいような可愛いような人だって、みんな云ってますよ』 『困りましたな、どっちかにして下さいな』 『私は憎い方』 『どうせ、あなた様はね、右衛門七でなければいけないんですからな』 『また仰しゃる』 『おっと、お茶がこぼれます。まあ、一服召しあがって』 『だから、憎いんですよ。──あら、こんど、よい根掛けが来ましたの』 『鼈甲物でも、お見せいたしましょうか』 『飛んでもない、小間使い風情が』 『右衛門七にねだって、買っておもらいなさい。……あいつはね、私どもへ、身寄りなので、手伝い半分、時々、ああして来ていますが、田舎の家がよいので、小遣いには不自由をしない羨ましいやつなんで』 『嫌。そんなこと』 『でも、お粂さん、あなたには、右衛門七のほうで、実のところ、買って上げたがっているんですぜ。……今日も、二階に来ているんでさ。きっと、お粂さんの声を、しいんと、鳴をひそめて、聞いてやがるにちがいない』  お粂は、そこにある櫛の二つ三つを膝にのせて、聞かない振りをしていながら、襟あしに茜をさしたように血を噪がせていた。 『──ね、いっその事、二階へあがって、お話しなさいな。右衛門七は、きょうはすこし、風邪気だと云って、草双紙なんか読んで退屈しているんですから』 『でも……』 『お屋敷のほうが?』 『いいえ、お屋敷は、夜までお暇をいただいてあるんですけれど──』 『──ならば、よいではございませんか。この先に美味い汁粉屋ができましたね。右衛門七のやつも、先刻、食べたいなどと云っていましたから、交際あっておやんなさいな』 『ほんとに、右衛門七さん、工合がわるいんですか』 『大したこともないんですが』 『じゃあ、ちょっと、お見舞して行こうかしら? ……でも、何だか、右衛門七さん一人のところへゆくのは……』 『ええもう、焦れったいお方だ』  善兵衛は、お粂の白い手頸を取って上にあげた。 雛鳥の籠  猫が、泥竈の下から、矢みたいに、奥へ逃げこんで来たかと思うと、西陽のさしている勝手の障子ががらっと開いて、 『まいど、有難うぞんじます。二つ目の相生町の米屋で──』  善兵衛は、店から、 『あ、米屋さんかい』 『へい、どこへお移しいたしましょうか』 『ちょっと待っておくれ。男世帯は、裏と表のかねあいだ。今すぐ行くから』  店に起って、善兵衛は、ちょっと暖簾先を落着いた眼でながめ──その眼を──あの儘、上って行ったきりしいんとして静かな二階の梯子段へ上げて、それから、そっと勝手へ出て来た。 『五兵衛さんか、御苦労だな』  米屋五兵衛というその男は、もうここの小間物屋より半年も前に、吉良家の裏門からすこし二つ目寄りの斜向いに店を持っていた同志の前原伊助であった。  糠だらけな顔──藁ごみにまみれている姿──。与五郎の善兵衛は、自分を忘れて、ふと、何とも云えない気持に胸を衝き上げられた。  五兵衛は、さあらぬ顔つきで、 『ここで、お秤量いたしましょうか』 『何の、正直で通っているお前さんの店の事だ。桝はたしかだろう。それにゃあ及ばない』 『皆さんが、そう仰しゃって下さるんで、勉強がいがあるってもんでございます』 『そこへ開けたら、まあ、温茶だが、一ぷくおあがり』 『有難うぞんじます。──やれやれ、陽が短くなりやしたね。恐れ入りますが旦那、燧打石を一つ』 『さあ、おつかい』  腰障子を閉めて、善兵衛は、ずっと側へ寄って、自分も煙草をつけた。煙管と煙管の首が触れあうように。 『前原、変りはないか』 『うむ……。それに就いて──』  ぽんと、わざと大きく吸殻をたたいて、 『晩に、麹町から吉田忠左衛門殿、林町の毛利小平太、ほかに堀部、杉野などが、寄ることになっているが、ちょっと、顔が出せるか』 『貴公の家か』 『いつもの裏の米蔵へ』 『参ろう。──何か、吉左右でも』 『さあ、寄ってみねば。……何としても、吉良家の厳しさ、用心ぶかさ、思っていた以上だからの』 『日は徒らに過ぎてゆくし』 『どう洩れたものか、江戸の街にも、近頃は、赤穂浪人が多く入り込んでおるとか、内蔵助殿が山科から下っておるとか、やれ、今に復讐があろうのと、頻りと煙たい取沙汰が立っておるので、吉良の固めも、このところ、眼に見えて物々しい』 『それは、吾々のほうの行動に立つばかりでなく、吉良側に対しても、同じような風聞がよく流れる。──上杉弾正大弼が病気のため、上野介は、上杉の方へ、看護の者を連れて移っておるとか、又は、近く、米沢藩の警固の下に、上杉家の本国へ引き籠るであろうとか──』 『やり難いのは、その傍観者の弥次声だ。事あれかしの人情が手伝って、小さい事も大きく云う。有り得ぬ事も、有りそうに云う。うっかりは、それに乗れん』 『とにかく、一刻も早く確めたいのは、吉良家の内部だが』 『さ、それがだ……。いつぞやも、麹町の吉田忠左衛門殿の浪宅に寄って、さし当っての困難が、上野介の在否を知ること、邸内の絵図面を手に入れること、内部の構え、寝所、抜け道の有無、警固の人物と人数などだが──誰もが各〻、種々な方面から、心をくだいて、探ってはいるが、前にも云ったような厳重さに、まだ何一つとして、探り得たものはない。──さすがの大石殿も、これには、弱っておられた。無下に、策を為せば、事を破る因になるし……』 『──で、実はの』  善兵衛は、身をかがめて、煙管の首を、二階へ向けた。 『その策を、やりかけているのだが、これがうまくゆけばよいがと、今も気をやきもきしていた所だ』 『二階に、誰か?』 『吉良の小間使で──お粂という、ちょっと愛くるしい小間使がおるだろう』 『む……』 『おかしい事なのだ。あれが、要りもせぬ物をよく店へ買いに来る』 『ふム……』 『妙な……とおもっていると、読めたのだ。矢頭右衛門七が時々来ている。その右衛門七を見て、いつのまにか、好きになっているらしい』 『右衛門七を。……成る程、右衛門七は、美麗だからな』 『ところが、如何にせん、あの純情。おまけに、右衛門七がまだ十七歳、女が十八。折角、程よくして、きょうもやっと、二階にまでは上げてあるが、どうも、右衛門七では手が施せまいと思うているのだ』 『それはいい緒口だ。逃がしてはならない小鳥、うまく、籠に馴らしたいが……』 『と云って、こればかしは、身代りができぬし、手伝いもいたしかねる』 『はははは』  思わず五兵衛が笑ったので、 『叱っ』  眼で云って、わざと、 『おう、暗くなりかけた。そろそろ行燈の支度でもするかな』  店と奥の境の袋戸をのぞいて、行燈を出しかけた。  五兵衛も、畳に白く糠の跡を残して台所へ立ちながら、 『どうも旦那、御馳走になりました。──ちと、お閑を見て、晩にでも私共へも、お話しにおいでなすって』  と、草履を穿きかけた。  するとその時、どんどんどんと梯子段を落ちて来るように迅い跫音が響いた。五兵衛は、腰障子につかまった儘、思わず奥を覗き返した。  お粂であった。  いきなり階下へ降りて来て、襖の陰に袂をかかえた儘、凝と、青ざめて立ち竦んでいる──  善兵衛が、何事かと、これは誰よりも驚いたらしく、奥を覗いて、 『お粂さんじゃないか、何うなすったのだ』  と、訊ねた。  お粂は、動悸をしずめるような眸をしていた。──そしてやっと云う事には、二階へ上ってからも、右衛門七があまり話しかけないし、気まりが悪いので、二階の窓を細目にあけ、二人とも、背中あわせに、右衛門七は書を見ているし、自分は往来を眺めていたが──今ひょいと気がついて、此店の暖簾の蔭をのぞくと、一人の編笠を被った侍が佇んでいて、いつ迄も、凝と店の中を見入っている──  で、彼女の想像も、もしや、夕方なので善兵衛さんが、奥の用事でもしている間に、性の悪い浮浪人が、店の銭箱でも窺っているのではあるまいか──と、そんな心配に駆られたので、思わず二階の窓から、 (──何か御用なんですか)  と、こう声をかけてやったというのである。  すると、編笠の男は、その笠のつばへ手をかけて、無言のまま仰向いて二階を見た。 (──あらっ)  窓を閉めるのと、そう叫んだのと、一緒であって、彼女は、何だかそこにも居たたまれず、眼を瞠っている右衛門七にも黙って、夢中で階下へ来てしまったのです──と、まるで黄昏の物の怪にでも逢ったようにおののいていうのであった。 『誰なんです、一体。──その編笠を被って店先に立っていた浪人者というのは』  善兵衛が、わざと落着いて訊ねると、お粂は、まだ微かな恐怖を白い顔に残しながら、 『お屋敷の侍部屋にいらっしゃる清水一学様なんです。……何うしましょう、一学様が、お屋敷へもどって、私がここの二階に上っていたなどと喋舌ったら』  泣かないばかりな睫毛であった。 『えっ、清水一学が』  善兵衛は、こう口走った自分の不覚を、あわてて紛らすように、 『──あの一学様が立っていたんですか。なんのことだ、はははは。一学様なら、よく往来を酔って通ったり、小唄を口誦さんで、夜晩く帰って行ったり、おもしろい方じゃありませんか。だいじょうぶ、御心配はありません。善兵衛が、ちゃんと申し開きの立つように、よい智慧を貸してあげますから』  と、梯子段から見上げて、 『右衛門七、ちょっと、降りて来ないか──』  と、云った。  眼をちらと横へくばると、台所の外に、五兵衛の顔がまだ不安そうに身をかくして立っていた。然し、その路地も、近所の者が水桶をさげて通るので、米袋の糠をはたいて忙しげに立ち去った。 お粂とおつや  右衛門七の声が二階ですぐ、 『はい』  と聞えて、起つ気配がした。  降りて来て──梯子段の蔭に佇立んでいるお粂のすがたを見ると、彼は、ちょっと、顔を紅らめながら、 『──何ですか、叔父さん』  と、神崎与五郎の善兵衛へ向って云う。 『ちょっと、店頭を見て来てくれ』 『お店ですか』  右衛門七は、店へ出て、暖簾の外まで、注意ぶかく覗いた上、 『べつに何も変った事はございませんが……何です? ……何かあったんですか』 『吉良様の御家来清水一学様が今そこに立って、二階を見上げていたと──お粂さんが云うのだが』 『人違いでしょう』 『そうかも知れないね』  善兵衛は慰め顔に、悄れている彼女のすがたへ眸を向け、 『──お粂さん、誰もいないそうですよ。今のうちにお屋敷へ帰れば、何の事もありはしない。手前が裏門まで、送って行って上げましょうか』 『いいえ……』  お粂はかぶりを振ったが、梯子段の下を動こうとはしない。もう陽が暮れたので、屋敷へは帰らねばならぬし、右衛門七のそばには何時までもいたい様子なのだった。 『…………』  双つの袂を手に持って、粂はほろほろと白い頬に涙のすじを描いていた。 『もし……』  その肩へ、善兵衛は手をのせ、店にいる右衛門七のほうを見ながら囁いた。 『お前さんは、ほんとに、彼男を思ってくれるんですか。──真実、右衛門七が可愛いならば、叔父の私だって、考えもあるんだが……』 『善兵衛さん……』  ぺたッと、坐り崩れて──、 『なんで嘘や冗戯に』 『うむ、それやあそうだろうが、若い人というものは、一時はかあっと逆上せても、醒めるという事があるからな』 『おねがいです。わたしがそんな女かどうか、彼の人と添わせてくださいませ。きっと添いとげて──』  可憐しい一心が濡れた眸にこう云わせるのだった。 (──ああ罪だ)  ふと、与五郎の善兵衛は、そんな弱い気持に暗くなりかけたが、 (大義の為だ!)  小さい自己の良心を捻じ伏せるように眼を反らし、いきなり彼女の腕くびを強く掴んだ。 『今のお言葉に、間違いがないならば、きっと甥の右衛門七に添わせましょう。──今年、急にというわけには行きかねるが、来年の春にでもなったら、この小間物屋の暖簾を頒けて──』 『えっ、ほんとに』 『だが』  と、娘ごころの一心に燃える眼を、善兵衛はじっと見つめて、 『夫婦の誓いは、生涯の運さだめ、もしお粂さんに心変りでもあると、叔父として、この善兵衛の立場がない。──疑うわけじゃないが、何か、誓書を立ててもらいたいな。──いや、あなたの心意気だけでもよいが』 『誓書もかきましょう、指も切りましょう。善兵衛様、どんな事でもしますから』 『あなたの父親という人は、大工の棟梁だそうですね。──いつか右衛門七から聞いた事だが』 『ええ、吉良様へお出入りしている縁故で、私も、お小間使に上ったのでございます』 『じゃあこの春、吉良様の邸内では、土蔵の御修繕をやったり、御寝所やその他、だいぶ御普請直しの様子だったから、あなたのお父さんも、仕事に入っていたろうね』 『ええ長い事、仕事に通っておりました』 『そこで──と改まると、変に取るかも知れないが、実は私のお出入先のお屋敷で、吉良様は、有名な数寄者でいらっしゃるし、わけても普請道楽というお噂だが、いったい、お住居などの間取りはどんな凝り方か、御邸内の図面でもあったら見たいものだが──と仰しゃるお方があるのだ。……何かねお粂さん……その時の大工図面は、今でもお父さんの手許にあるのだろうな』 『さ……よく分りませんが、多分、いつでもそうですから、仕事が済むと、図面はお屋敷のほうへお返し申してしまうようです』 『成程、それは道理だ。じゃあ何うだろう、お粂さんの手で、それを隙を見て、ちょっと持ち出してくれまいか』 『えっ? ……』 『難かしいかね。それとも、そんな事は嫌だと云うのですか』 『……でも』 『それ御覧。誓書もかく、指も切る、と口では容易く云えるけれど、右衛門七の為に、こんな事一つ頼んでも、すぐその通り躊躇っているじゃないか』 『そういう理じゃありませんが、今、お屋敷では、大きな声では云えませんが、例の赤穂の浪人衆のうわさに脅えて、それはもう、とても厳しい御固めなのでございますもの』 『──万一見つかったらと思うのだろうが、なあに、外から私たちが手引すれば』 『それを奪り出して来たら、右衛門七さんのためになるのですか』 『今も云った通り、さる御旗本の御隠居が、やはり普請に凝り性で、ぜひ、吉良家の御庭から間取の工夫を、一見したいと仰しゃるのでな、そういう事にも、忠実やかなところを見せて置くのが、当節の商人気質、それを右衛門七の手から届けさせて、お気に召すとなれば、だんだんに取り入って、お粂さんと夫婦して暖簾を持つようになっても、何かと行く末によかろうと私は思うのだ。──それも、そちらの気がすすまないと云うなら是非もないが』 『…………』 『いや、お粂さん……そう心配して気にかける事はない。何も、無理にの、強っての、と云うわけではないのだから』 『……善兵衛さん! そしたら、あの……ほんとに右衛門七さんは、わたしを家内に持ってくれるでしょうか』 『彼男だって、内気だが、実はお粂さんが好きでならないのだもの。わしさえ、承知といえば、右衛門七に否やのあろう筈があるものか』 『じゃあ……御普請の図面を』 『えっ、取り出してくれますか』 『…………』  お粂は眸で頷いた。  もうその眼には涙がない。ただ女性の全部を賭してしまう恋へのつよい覚悟があるだけだった。  与五郎の善兵衛は、罪っぽくて、胸が傷む気がした。──添えないものと分っている右衛門七を囮にして、この純情な娘をあざむく結果が、この娘の生涯をどんな不幸にさせてしまう事か──見え透いていて思いやられるのである。  だが今度は、お粂のほうが懸命であった。これから屋敷へ帰ったら、今夜にも持ち出して渡すと云うのだ。あまり逸まって、見つけられてはならないと、善兵衛のほうで注意する位だった。だが、御普請の物が一切入っている大工小屋の勝手はよく知っている。図面板を取りだしたら、お屋敷の東側の塀から外へ投げることにする故、時刻をさだめてくれれば間違いはないと、確信をもってお粂は云う。 『じゃあ、必ず……』 『ええ』  時刻を約束していると、 『──叔父さん、来てください』  店番をしていた右衛門七が、奥をのぞいて、あわて気味に云った。 『──お客様ですよ、吉良様のおつやさんです。わたしには、値が分りませんから、叔父さん出てください』 蝙蝠羽織  おつやと云うのは、やはり吉良家の小間使で、お粂とも朋輩であるし、小間物屋善兵衛の店へも、よく買物に見える二十歳ぐらいな女性だった。  お粂よりは、二つも年上であるが、気質もずっと明るく、世馴れてもいた。すらりと細腰の美人で、 (あの容貌では、御隠居がただ措くまい)  などと冗談にもよく云われるおつやであった。  店頭の上り框に腰かけて、自分でそこの桐の重ね箱をひき寄せ、根掛けを選んでいた。 『これは、いらっしゃいませ』  善兵衛が揉み手をして、敷物をすすめると、おつやは、 『これを戴きます、お幾値』 『いえもう、お代はいつでも。……皆さんのおついでもございますから』 『じゃあ、一緒にしてもらいましょう。──』  と、ちらと奥へ眼をやった。 『おや、お粂さんじゃありませんか』 『はははは。見つかりましたな、とうとう。実は今、この先に美味い汁粉屋ができましたので、そっと取って、道草ではない、甘い物を喰べていらっしゃるところなんで』 『まあ私も、もう一足早く来ればよかった。……お粂さん、まだ帰らないんですか』 『今、帰ろうと思っていたところ』 『ちょうどよい折、おつや様、一緒に連れて行って上げてください』 『きょうは一日お宿下がり、お楽しみだったんでしょうね』  おつやに云われて、お粂は動悸をつつみながら、 『あら、家へ行ったんですのに』 『ですから、お母さんのお乳に甘えて、お楽しみだったろうと云っているのじゃありませんか。……ホホホホ、おかしな方へ気をまわして』 『おつやさんも、四五日うちに、お宿へゆくお暇が出ているんでしょう』 『ええ、今からどうして遊ぼうかと、この根掛けも、それで買いに来たんです』  お粂は往来の人通りの隙を見て、小急ぎに、履物を穿き、暖簾の外から、 『じゃあ……』  と眼で云った──。 『お邪魔さま』  立矢の字の後姿をならべて、そこから遠くない吉良家の通用門のほうへ歩いて行った。 『右衛門七、暖簾棒を』  善兵衛は、外に出て、軒暖簾を外しにかかった。  そして間もなく、戸をおろして、内から鍵をかって置いて、二人は裏口から顔をつつんで何処かへ出て行く──。  米櫃へ米は取っても、男世帯なので、晩飯はよく外へ喰べに出かけた。西両国の屋台だの、薬研堀あたりの茶飯屋などへ。  お粂と、約束の時刻まで、頃あいよく一酌飲んで、ふたりはぶらりと松坂町へ帰って来た。  その事もあるし──またべつに今夜は、前原伊助の米屋五兵衛の宅に、寄合いの密議もあるので、それへも顔を出すわけだった。 『右衛門七、左右に気をくばれ。……後はおれが見届けておる』  善兵衛の神崎与五郎は、矢頭右衛門七を先に立たせて、約十間ほど後から歩いていた。  与五郎は頭巾を──右衛門七は蝙蝠羽織を頭からかぶっていた。勿論、夜歩きの時には、大小を帯びて出るし、自ら身ごなしも武士に返っているので、近所の衆とすれちがっても、小間物屋善兵衛の叔父甥とは気のつく者はないであろう。 『其処。──その辺』  うしろからいう与五郎の小声に、右衛門七は立ちどまった。吉良家の塀が高く仰がれる。大きな椎の木が約束の目じるしだという。  右衛門七は、暫く佇立んでいた。  この吉良家の内の大工図面──もしそれが易々と手に入ったら、今夜の米屋五兵衛での同志の寄合で、何んなに一同がはしゃぐだろう。手を打って喜ぶだろう。  右衛門七は、その人々のかがやく顔つきを想像して、胸が高く鳴った。──首尾よく大工図面が、お粂の手からこの塀を越して落ちてくるようにと祈らずに居られない。  わん! わわわんっ!  突然、彼の蝙蝠羽織を目がけて、二三匹の野良犬が、吠えかかった。  右衛門七が、恟っとしながら、 『叱っ』  拳を振り上げていると、彼方の暗がりで、与五郎が脣を鳴らして犬を呼んだ。犬は、彼の手から抛られた餌へ向って、尾を振って集まってしまう。  いつ迄も、同じところに佇立んでいるのは、わざと人目の怪しみを求めるようなもの。右衛門七は、行きつ戻りつ、その辺を歩き出した。けれど、今か今かと待っているお粂からの礫は、いつまでも音沙汰がないのであった。 布陣布石  或る日を目がけての綿密な工作と、その場合に遺漏のない準備とが、江戸表へ潜伏した赤穂旧藩士たちの隠れ家に於て、目に見えない程ずつ徐々に進んでいた。  この十月になって。  先に、京都を立った大石内蔵助の一行は、鎌倉へ着き、そこで吉田忠左衛門たちと落合って、こっそり、川崎在の平間村の農家まで来て、旅装を解いていた。  詳しく云えば、武州橘樹郡平間村の百姓、軽部五兵衛というものの住居の一部で、ここには前に、富森助右衛門が引き籠っていたこともあり、村の子供たちに、習字読本を授けていた縁故から、その跡を急に手入れして内蔵助を迎えたのであった。  堀部が来る。片岡が見舞う。  与五郎も、右衛門七も、三、四たび其処へ行った。  内蔵助もまた、時折、江戸表へ出て、名も垣見五郎兵衛と変え、新麹町五丁目に兵学教授の看板を出している田口一学──の吉田忠左衛門の家へよく訪れた。  兵学夜講──  とか、また、今夜は、  孫子輪講──  があるとか称って、その度ごとに、江戸の同志が集まった。  然し、これもすぐ人目に立つ。  殊に、内蔵助の身辺は、あぶない気がする。上杉、吉良の両家の剣客が、頻りと立ちまわっているという風説もあるのだ。 (討入)  と云う機会や方法を考究しているまに、先方から、どかっと不意に斬り込んで来ないと誰が保証できよう。  又、こちらで吉良殿の首を目がけている間に、先方の刺客が、突然、内蔵助の生命を奪い去らないと何うして断言できよう。 『何とかなさらねば』  とは、忠左衛門が常に案じている事だった。  敵の吉良方にも、恟々たる警戒ぶりが見えるが、赤穂の浪人方にも、それ以上の緻密な警戒が必要とされた。  で──内蔵助は間もなく、平間村から石町裏の借家へ移った。  出るにも入るにも、彼の身辺には、二三人の同志が尾いてあるいた。内蔵助はうるさかったが、 『今では、あなたの御生命ではない』  と云って、同志の者たちは、むしろ強制的にまで、彼の身を守護していた。  麹町と、石町とが、いわば江戸中に潜伏している赤穂方の者の本部のかたちになる。寺井玄渓の一子玄達も、そこから近い本町の七文字屋へ泊って、 『わしは、医学をもって、お手助け申す』  と云い、誰が風邪気、誰が病気といえば、すぐ診てまわる。 『──本懐を達することも、もう年内だ』  一同の目標は、誰がそう決めたわけでもなく、そこにあった。  一日一日の皆の行動が、忠左衛門の手から、内蔵助のところへ報告され、時には眉を曇らせ、時には手を打って、 『吉報吉報』  と、欣び合う。  京都を立つ前に、上方で整えた討入の武器、服装、その他の品は、引っ越し荷物に見せかけて、船上げをすると、これは吉良家の邸に近い隠れ家へおく必要があるので、堀部弥兵衛老人と、奥田孫太夫のふたりに任せて、隠れ家へ運んでおいた。  ──こう着々と、手筈は進んでいるのである。だが、いっこう進まない問題が、吉良邸の内部のもようと、上野介その人の動静が、皆目、外部から分らないという問題であった。 『──年を越しては』  と、堀部安兵衛などは、いとど焦躁る。  なぜならば、いくら巧妙に名を変え姿をやつしていても、江戸の事だ、五十幾名の同志が潜伏しているこの行動がいつまで世上に知れずにいる筈はない。  それもあるし、又、もう一つの理由としては、もうこれ以上の経済力がない。すでに、京都や他の地方からこの江戸表へ同志が出て来るにも、各〻、惨憺たる路銀の苦心をして来たものだった。家財は固より持物を売り尽し、まったく身一つになっている者が大部分だし、又、生活力のない者には、多少余裕のあった者から融通しているので、これも忽ち枯渇してしまう有様なのだ。  貧乏──というものを、今はお互いが笑っているけれど、復讐のめどもつかず、生活にも追いつめられて、飢えをしのぐことに精いっぱいになってしまったら、これは笑い事じゃない。  そのうえで、やったとなると、口さがない世間は、 (とうとう貧乏にもがいて、破れかぶれにやり居った)  と云うだろう。  すでにもうこの点では遅いのだ。一時は百二十人からあった同志が、今は五十五人に減っている。その大部分が、経済的に、首を傾げた者だった。──これから先も、延々になればなる程、脱盟者を出すだろう。変節は憎むが、人間の誰にもある弱点でもある。あながち去る者ばかりを責めることはできない。  ──と云うのが、安兵衛が常に語る意見であった。  忠左衛門も、それには、 『兵学も、その点には、役に立たん』  と、慨嘆して云ったものである。  だが、いくら焦躁っても、進み得ない一線が前に云った探索の問題である。──十分なる吉良の邸内の見取図と、上野介の在邸を確実にしないで、漫然と、臆測ぐらいで大事を挙げることは、むしろ暴挙であるし、第一、内蔵助が起とうとしない。 『さぐりだ』 『それさえ探れば』  このところ、彼等の大部分は、それにかかりきっていると云ってよかった。  相生町二丁目の前原伊助の米屋五兵衛を初め、与五郎の小間物屋善兵衛、その手代や奉公人となっている岡野金右衛門、倉橋伝助。  その他。  医者、剣客、茶人、日雇、その時折の商人などに身を変え、名を変えて、五十余名の者が、あらゆる知己や機会をたどって、吉良方の微細な事でも聞き洩らすまいと、松坂町の塀囲いに、耳目をあつめている折なのだ。  ──矢頭右衛門七は、塀際の溝のふちから、椎の木を仰いで、 『いっそ、中へ忍び込んで』  とも考えたが、 『いや万一』  と、その失策が、自分だけに止まらない事を考えて、ただ空しく、お粂の云った約束事を恃みに、 『──神も憐れませたまえ』  と、同志みんなの気持になって、吉左右を心に念じているほかなかった。  すると──、  ばさっと椎の木の葉を、一、二枚落して、右衛門七のうしろの方へ、ころころと小石が落ちた。 『あッ、お粂の。……さてはうまく行ったな』  彼も又すぐ、小石を拾って、ぽんと椎の梢へ投げた。  その合図に、見当をつけたのであろう。塀の内側からお粂が一枚の板絵図を抛った。墨壺の墨で大工が板へ引いた間取図面である。──からんと、それは溝の石垣の角に落ちて刎ね返ると、二つに割れてしまった。 吉良ざむらい 『ありがたい!』  右衛門七は、思わず塀の内の彼女へ向って心から叫んだ。  だが、割れた板図面へとびついて、それへ手をのばした咄嗟に、右衛門七が頭から被っていた蝙蝠羽織を、何者かが鷲づかみに掴んで、 『これっ!』 『あっ』 『何者だっ』  羽織をつかんでいる間に、板絵図の割れた一方を溝の中へ落してしまった。咎めた男は生憎と強力である。右衛門七が羽織を放さないので、その上から彼の首をつつみ、背後から鉄の箍かと思われるような両腕をまわして締めつけた。 『うっ……ううっ……』  十七歳の右衛門七は、体もまた蒲柳の質であった。男はそれに反して彼の倍もある恰幅で、年頃も三十前後かと見える。太やかな朱鞘を差し、角ばった顔に硬そうな髯がまばらに生えていて、 『うぬ、何処の素浪人か』  と、身を捻じて、業をかけながら罵るその声が、紛々と、酒くさいのであった。  吉良家の浪人であることは、右衛門七にもすぐ分った。──南無三と心のうちでさけびながら、必死に、敵の腕くびを掴まえて、肩越しに投げ捨てようとするらしいが、所詮、彼の技にかかるような脆い相手ではない。 『くそっ』  敵の腕は、彼の喉輪を抱き込んだ。そのまま、二つの体が弓形になって、だだだだと、後へよろめいた。右衛門七は、声も出せない。  物蔭から飛鳥のように走り寄った与五郎が、うしろへ廻ったことを男は知らなかった。与五郎はいきなり、男の耳たぶを平手で強く撲った。拳よりもそれは痛かったに違いない。鼓膜がやぶれたかと感じたように、右衛門七への手を放して、 『あっ……』  と、男は身を避けた。  その襟がみへ与五郎の手がすぐ走っていた。どう投げたか眼にもとまらないうちに、溝の中から泥水がサッと刎ね上った。 『──待てっ、おのれっ』  泥溝鼠のような全身を上げて、男は、溝の底から呶鳴った。  そして、往来へ這い上ると、彼方へ逃げてゆく二つの影を追って、 『自身番っ、自身番っ』  と呼び立てながら、屈せずに走りつづけて行く。  回向院横の薪屋の角まで来ると、 『新見じゃないか』 『お! 清水』 『なんだ、そのざまは』 『いや、対手が二人だ』 『二人にもせよ』  と苦笑をゆがめる。  何処か他出した帰りらしいのである。清水一学は、眉深に編笠で顔をつつんでいた。一学ばかりでなく、今、吉良殿の身辺を守っている重要な浪人組として邸内に住み込んでいる者は、すべて自分達のすがたも赤穂浪人へ対して偽装するのを必要と考えていた。他出には笠を用い、近所へ出るにも、種々に姿を変えて歩いていた。 『ええ、しまった』  新見弥七郎というのがその男の名だった。上杉家の米沢領から選抜されて来た十一名の剣客のひとりなのだ。  辻の彼方を見まわして、地だんだ踏みながら、 『貴公が落着き払っているまに、とうとう、臭い奴を逃がしてしまったではないか。──確かに赤穂の片割れだ』 『臭い者とは、お身の事ではないか』 『こんな場合、冗談はよしてくれ』  新見は、全身の溝泥に鼻をしかめて、 『大須賀や斎藤と、二つ目まで出て、ちょっと一杯やっての帰りだ。酒も何も醒め果ててしまった。……然し、残念なことをした』 『何処で』 『そこの椎の木の下だ……』  と、先に立って戻りながら、 『そうだ、御邸内から何か投げたものがある。──油断も隙もならないぞ、清水』  溝を覗いて、板絵図の半分を抓み上げた。そして清水一学に示しながら、 『これだ……』 『これを御邸内から』 『む。誰の仕業か、さっそく取り糺す必要があろう。これを見ても、今のが、赤穂浪人だという事はもう疑う余地もない事だ』 『彼奴等も、すこし焦躁って来たな』 『糧道が苦しいのだろう。自暴という奴だ。人間、飢ゆると何を為出来すかわからん。怖いのは火の用心だよ』 『まあ、はやく戻って、井戸水でも浴びるがいい。話し相手が迷惑だ』  裏門の潜りがすこし開いていた。提灯の明りが中で揺らめいている。見張りの小者が、何か物音を聞いたというので、神経過敏になっている邸内でも、その物音の実体を、四、五人して調べているのだった。 元禄型 『こう、何だと、丑』 『何がなんでえ、何うしたってんだ』 『汝、今おれの振ったつぼを、いかさまだと云やがったな』 『おお辰。洒落た苦情をいうなあ。この賭場ばかりじゃねえ。何処の場でも、汝の小細工は名うての事じゃねえか』 『吐ざきやがったな』 『ざまを見ろ、ほしを突かれやがって』 『出ろっ、戸外へ』 『おれが起つ筋あいはねえ』 『出ねえかっ、腰抜けっ』  賽をつかんで、目つぶしに、喧嘩相手の顔へ打つける。何をっと、相手も負けてはいない。手当り次第である。煙草入、つぼ、茶碗、と抛りつけた。  組んで、撲り合う丑と辰を、総立ちで、周りの者は止めにかかった。大きな脛が行燈を蹴る、棚の物ががらがら落ちる。 『──五兵衛さん、五兵衛さん。──ちょっと来ておくんなさい、大急ぎで』  米屋の二階は抜けそうであった。  毎晩の事なのだ。ここに集まるのは、近所の折助だの、駄菓子屋の亭主だの、馬方だの、自身番の番太郎までが入っている。  博奕といっても、大きな勝ち負けのできる階級ではない。それに自身番へ鮨代も届いているので、まるで大びらなのである。今夜もそれが始まっているうちに、この喧嘩だった。 (どうせ空いている二階だから、いくらでも使ってもいいが、喧嘩と火事は御免ですぜ)  との断り附きで、米屋の五兵衛は、てら銭も取らずにここを開放してくれているのみか、稀には、せんべいや蕎麦の振舞までしているほどなのに、その好意に対しても、ここで取っ組みを初めるなぞは、不届き至極だ。そういう者は仲間外れとして追い出してしまえ──と、中での顔役は理窟を云って諭している。  亭主の五兵衛は、裏の籾蔵に入りこんで、いつもは、米を搗いたり、糠を篩っているのであるが、今夜は、無尽講があるとかで、蔵の二階で、宵から明りを燈していた。 『どうしたんです』  五兵衛の顔を見ると、丑も辰も、他の者も、恐縮のていで、もう騒ぎはしずまった形だった。 『なあに、ちょっとした間違いなんで』 『辰の野郎が、あまり分らねえことをいうもんですから』 『なんだ汝が』 『まあ、もう止せ止せ。……どうか旦那、御心配なく、大人しく遊んでおりますから、もう暫く、ここを』  五兵衛の前原伊助は、そういう連中の顔を見まわして、にやにや苦笑した。憎まれない顔ばかりである。 『ようございますとも、御ゆっくりお使いなさい。けれど、余り騒ぎが大きいと、いくら自身番でも、お鮨じゃ黙っていられなくなりますからね』 『まったくだ、お宅に迷惑でもかけたひにや、俺たち首を縊っても、申しわけがねえっていうもんだ』 『まだ、あちらの無尽講も、話し込んでおりますから、どうか御ゆっくりと』  五兵衛はそう云って、籾蔵のほうへ戻って行った。  階下には、米搗臼だの、篩だの奥には又ぎっしり俵が積み込んであるが、梯子を上ると、四坪ほどの床に筵が敷いてあって、行燈もある、火鉢もある、茶も沸く。  凝と、その灯影を囲んで、五兵衛のもどるまで、客は黙っていた。──客というのは、  脇屋新兵衛とよぶ、大高源吾。  長江長左衛門と仮名する、堀部安兵衛。  ここの手代となっている、倉橋伝助。  内藤十郎左と称している、磯貝十郎左衛門。  医師の隆円、村松喜兵衛。  上田屋源兵衛の片岡源五右衛門。  そのほか、岡島八十右衛門もいるし、武林唯七、小野寺の伜幸右衛門なども顔をならべているのである。 『中座、失礼を』  五兵衛の前原伊助が、やがて、席へ帰って来て、苦笑しながら、母屋の騒ぎの何事でもないことを告げると、 『はははは、そんな他愛のない事か』  皆、誘われて笑った。  安兵衛は、盆の上から煎餅の一枚を取って折りながら、 『矢頭、神崎のふたりは、まだ見えぬようだが』 『そうだ、誰よりも近いのに──』  各〻が、顔を見合って、 『前原、来ると云ったのか』 『たしかに、見えると云ったので。──それもつい夕刻の事』 『はてな?』 『覗いて来ましょうか』  手代すがたの倉橋伝助が立ちかけると、 『まあ、もう少し、待ってみては何うか。──あまりこの蔵から出入りするのは好ましくないからの』  村松喜兵衛のことばであった。  もっともと──人々は頷きを見せた。この蔵には月二回ほどずつ集まって、吉良邸の事で探り得たことをお互いに談し合うことにしているのだった。こうしては何うか、こういう策は如何かと、それに就いての協議もやって来た。  然し、夏から秋の末にかけて、まだこうという程な探りは何も掴めなかった。ここは、吉良邸の裏門のすぐ前なので、大きな声を放てば、向うへ聞えるほどの距離なのだった。その眼の前に見ているものが、いつまでも、明確にすることができないのは、遠いものに対する焦躁より遙かに苦しい焦だたしさであった。 『──したが、無謀に逸ることは、内蔵助殿がいう迄もなく、お互いが戒めることだ。奥平源八の浄瑠璃坂での仇討ちの折にも、駈け入るまえに、詳しく内部の様子を探ってなかった為に、大きな不覚をいたしたという』 『そういう点では、飽くまで用意ぶかいのは吉田忠左衛門殿だろう。何事も、兵学を基礎に考えられる質なので、近頃は、毎日、この松坂町を中心に、両国から本所一帯を歩いて、路地の抜け道、空地、井戸のありか、いちいち自分の足かずに踏んでは、いざという時の地の理に備えておられるそうだ』 『いや、あの仁には、敬服する。──内蔵助どのもいつぞや云うておられた。もし忠左衛門殿の抑えがなかったら、江戸詰は江戸詰で事をやぶり、上方にいた者は上方で策を失ったことかも知れぬと……』  片岡源五右衛門が、すこし体を前へ曲げて、 『岡島』 『おう』 『貴公、いつぞや、日比谷御門とかで、吉良殿のお顔をたしかめたということだが、あれは真』 『む。──一目見た』 『どうして』 『吾々五十余名の同志のうちでも、吉良殿の相貌を見知っている者は、一名もないというではないか』 『ぜひない事だ。高家衆と陪臣とでは』 『それでは、復讐の折、どうかして見遁すまいものでもないし、首を上げるにも、これぞと、見定めがつくまいと考え、実は、長い間心にかけ、吉良家の出入を見張っていたが、よい折もないのだ』 『うむ』 『すると、そうした時でなく、麹町からの戻り道、亡君のおひきあわせだと云う位──偶然にも、上野介の駕籠と行き逢った。供廻りの侍たちには見覚えがある。何か、こう胸が火みたいになって迫ったが、咄嗟に、一策を案じて、駕籠先へ駈け廻り、べたと、土下座したものだ』 『なる程』 『自分の主君の親戚か、別懇な諸侯に途中で行き会えば、こうするのが諸士の礼儀だし、先も、駕籠の引戸を開けて、あいさつするのが作法。おれの姿を見ると、吉良殿も、その通り、駕籠戸を開けて、誰殿の御藩士──と訊ねた』 『ムム、やったな』 『松浦肥前守の家来。──こうおれが答えると、吉良殿がかさねて、御姓名はという。ここで尾を出してはと、いや、姓名を聞え上げる程な者でござらぬ──と軽く逃げて外してしまったのだ』 『ははは。──そこで慥と見たのか、吉良殿の顔を』 『いや、見られないものだ。よほど、落着き払って見上げたつもりだったが、ほんのわずかな間だったし、駕籠の引戸は細目にしか開けない。──ただ白髪に痩せた鬢のあたりと、絖の襟元をちらと見たに過ぎなかった。それに、その白髪首が眼にとまると共に、かっと胸のうちが煮えて、飛びかかって行きたいような気持に駆られてしまい、後で思うと、はっきりした覚えは残っていないような気がする』 『吉良殿、その折は、どこへの他出か』 『上杉家の中屋敷──帰りも本所までも尾けて見届けたが、どうも、それは空駕籠であったらしい』 『その策があぶない。居るかと思えば不在、不在かと思えば居る』 『何とか、内部が探れぬものかな』 『磯貝には、先行すこし自信があるそうだが、まだ、明言は出来んとか云っておる』 『え、十郎左が』  と、皆の目が、席の端に居るか居ないかのように黙っていた彼のほうへ注がれた。 笑えぬ二人  磯貝十郎左衛門は、謹直そのもののような青年だった。同時に、 (十郎左は美い男──)  と誰でも云う。  彼こそ元禄型の美男と云える人だろう。やや面長であって、眉は漆を引いたようだし、丹唇白皙だった。痩せ形のほうではあるが、決して、不健康なそれではない。  その美貌と端麗とを持ちながら、何より好ましいことは、謹厳なのだ。無口で、しかも、情熱家である。親思いということも、同志の老人達がよく口にのぼせる所であった。 『初耳だな、十郎左。何かよい吉左右でも近いうちに探り取れる的があるのか』  側にいた武林唯七がそう云って、頻りと、その何んな的であるかを、他の者も口々に訊ねたが、 『まだ申し上げる時ではございませぬ』  十郎左は、含羞むような口吻で、うつ向いてしまった。 『そういう的があるなら、一日もはやく、願いたいものだ』 『深慮な十郎左のことだから、何かやるだろう。……ははあ、すこし読めてきた、わかったぞ』  と、前原伊助が、何か思い出したように、こう云って薄ら笑いを送った。 『十郎左、申してみようか』 『いや、およしください』 『云いたいな、悪い話じゃなし──』 『もう、そんな事は』  伊助に謎のようなことを云われると、十郎左は、処女みたいに顔を紅くした。  そう聞くと、一同はよけいに聞きたくなった。こんどは伊助に向い、話せ話せと責めるのだった。 『どうもおれは、ものを包んでいることが出来ない性分だから云ってしまおう。──実は、吉良家の奥仕えをしている女中に、おつやという別嬪が居る。それが、どこで十郎左と親しくなったのか、とにかく、並大抵でない惚れ方なのだ』 『ほ……十郎左に』 『もとよりの事、これだけある首の中でも、どこに他に女の惚れそうな首があろう』 『それは上出来』  と、笑いもせずに賞めたのは、本年六十二歳という村松喜兵衛老人だった。 『十郎左、やれよ』  と云って、この老人、謹直な青年へ向かって、けしかけるように云うのだ。 『女──ああ女か──気がつかなかったぞ。年を老ると、そういうところにぬかりがあるな。女か……ウム何事にかけても女を考慮の外に措くのはそもそもちがっておる。吉田忠左衛門ほどな兵学者も、ここにはまだ気がついておるまいて。……十郎左、それやあいいことだ! やれよ、やれよ、なにを含羞む!』  ガラガラと、階下の入口に懸けてある鳴子が鳴った。──はっと、皆が声をのんで眸を澄ましていると、梯子の下を覗き込んでいた小野寺幸右衛門が、 『神崎殿か』  すると下で、 『おお、矢頭と、それがし』  右衛門七をうしろに連れて、小間物屋善兵衛の与五郎が上って来た。 『遅くなって申し訳ない』 『待ちかねたり、案じたりだ。もうすこし見えなかったら、倉橋が見に行こうと云っていたところ』 『──ちと、こよいに迫る仕事があって』 『店にか』 『なんの、吉良のほうに』 『何かあって』 『されば、矢頭、その土産を、御一同へお目にかけてみい』  右衛門七が、燈りの下に出して見せたのは、半分に割れた板絵図だった。 『や……これは吉良家の』 『ウム、やっと手には入れたが、残念なことに、その半分を失ってしまった。しかも、上野介の寝所から奥向きにかけての方がない。長屋門から表の様子はほぼ見ゆるが……』 『どうして、神崎、これを今夜』 『店へよく買物に来る吉良家の小間づかいで、お粂という愛くるしいのがいる。──それが右衛門七に懸想しているので、罪とはおもったが、大義のため、ゆく末は夫婦にしてやると欺いて、奪り出させたのだ』  今夜の結果も併せて話すと、村松喜兵衛老人は、膝を打って、つい蔵の外にまで洩れそうな大声を出して云った。 『なに、これも女か! 女の手に依って奪り出したのか! 残念なことを。わしも、もう二十年も若かりせば、たとえ、女房どのに怒られても、この後の半分の図面は持ち出させて見せるものを』  つり込まれて、皆も、笑ってしまったが、その中で笑えない者が二人だけあった。それは、矢頭右衛門七と、磯貝十郎左とであった。 吉良殿長屋 秋の神経  何に愕いたか、厩の馬がみな一斉に跫音を立て初めたのである。吉良家の厩は、八疋立の一棟になっていたから、いつでもそこには、五、六頭の駒が繋がれてあった。  一疋が騒ぐと、すべての駒がみな止木の中で刎ね返るのだ。その物音が、奥まで聞えた。  上野介の嫡子吉良左兵衛佐は、屋敷のうちの物音には誰よりも敏感であった。すぐ、神経質な眼を澄まして、書物を机に伏せた。そして、廊下へ立つと、 『誰か来いッ』  と、呶鳴った。 『──誰か居らんかっ、孫八郎っ、利右衛門っ』  中小姓の名を呼び立てると、 『はっ、若殿』  左右田孫八郎も、鳥井利右衛門も、すぐそこの廊下を隔てた用部屋から、何事かとあわただしく出て来るなり両手をついた。  左兵衛佐の顔いろは、もう紙のように白っぽく、そして動悸のために、声までがはずんでいるのである。 『……何じゃ、厩のほうの物音は』 『癇のつよい栗毛が一疋居りますから、それに誘り込まれて、他の馬が騒ぎ出したのでございましょう』 『いや』  と左兵衛佐は、自分の六感に自信を持って、強く首を振った。 『いつもの嘶きや騒ぎ方とは、何となく違う気がするぞ。──見て来い、兎も角』 『はっ』  固よりこの人々でも、日常に安閑と平和な欠伸を催すような日は無かったのである。毎日が、毎夜が──緊張しきった警固の中の生活だった。  ぱらぱらっと、左右田孫八郎は草履を突っかけて行った。すると、厩から玄関脇の供待へ通じる木戸の戸が少し開いている。はっと、何か物の怪の影に目先を掠められたように、彼はそのまま表門の外まで出て行った。  すると、出会いがしらに、 『左右田、何処へゆくのか』 『おッ、木村丈八か』 『何か火急に』 『いや後で話す』  せわしげな眼で、往来を見廻しながら、孫八郎は隣家の本多家の長い塀の端れまで駈けて行った。  午下がりの町は、白い秋風に晒されてからんと乾燥していた。往来も稀で、一つ目の辻のほうへ、一人の中間者の後姿がてくてく歩いてゆくのが、ちょっと眼に止まったぐらいなものである。飴売りの太鼓までが、哀歌のように寂しく流れてゆくのだった。 『はて?』  格別、怪しげな人影も拾えないのだ。然し、開け放してあった厩口の木戸から潜り門を通って、一抹の魔気がこの往来へ抜けて行ったように、孫八郎には受け取れてならない。  彼はそこに佇んでいた。世間は漸く秋も深まって、其処此処の木の葉が落ちかけて来た。──吉良家対浅野浪人──こう興味を持って眺めている世間の眼と囁きが、その木の葉にも喧しく感じられた。自分のこうして佇んでいる姿も、すぐに近所の町人たちの眼の的になるような気がして、孫八郎は何か後めたい気持を覚えた。  何も獲るところなく、表門の潜りまで戻って来ると、木村丈八は、まだそこに立っていて、彼の挙動を不審るように訊ねた。 『左右田氏、誰を探して居られるのだ、誰を? ……』 『いや、誰という事もないが、今、若殿のおことばで、厩口の木戸が開いておるのに気附いたので』 『ふム……。誰か中奥まで立ち入った様子があったのか』 『まだ、御表の者を糺してみねば分らぬが』  それから二人が玄関へ来て、取次の小侍や、用部屋の者を呼んで調べると、べつだん怪しい者が立ち入った形跡はないと皆云い張った。ただ、門番の云うには、たった今、旗本の牧野家から手紙を持った使の中間が来て、暫く供待に腰をかけ、大殿の御返書が下がるのを待って、それを持って帰った事はあるという言葉であった。 『それで! 今思い出した』  と、木村丈八は不意にさけんだ。 『その中間に、おれも今、ついそこの四つ角で摺れ違って来たのだ。どうも、何処かで見たようなと思ったが、思い出せなかった。──今考えると、やはり浅野浪人の一名で勝田新左衛門という男にちがいない。惜しいことをしたなあ』 『えッ、今の中間が!』  門番も、表方の役人も、色を失った。歴乎とした牧野家の書面を持って来た使なので、誰も疑いもしなかったが、そう云われてみれば、眼にするどいところがあったと、今になって呟く者がある。  狙う側と、狙われる側とでは、立場に於いて、当然なひらきがある。今日のような事は、殆ど不可抗力と云ってよい。防ぎようのない事だった。それにしても、他の諸侯や旗本の中間にまでなって、この屋敷の内部へ入り込んで来る浅野浪人の千変万化な跳梁ぶりを思うと、吉良家の使用人たちは、それが直接自分たちの不安であるように、肌を寒くして顫いた。 『……だが、今の事は、若殿には明らさまに、申し上げぬほうがよかろう。それでなくとも、あのように、針のように神経を立てていらっしゃるのだ。皆も、そのつもりで黙っておれよ』  左右田孫八郎は、一同へはそう口止めして措いて、丈八へは、 『後刻』  と云い残して、奥へかくれた。 紙位牌  清水一学、小林平八郎、大須賀次郎右衛門などの住んでいる長屋が、邸内の隅に、一廓となって、入口をならべていた。 『居るか』  丈八は、一学の家を覗いた。昼間は、たいがい長屋にもどって、休息している一学であった。寝転んでいたらしく、 『木村か、めずらしいなあ』  と、奥で坐り直す。  書面は絶えずやり取りしているが、お互いに会う間はすくなかった。去年、赤穂から帰りに、吉良家の知行所である三河の幡豆郷へ立ち寄って、一学の生れた茅葺屋根の家で、老母の手で田舎蕎麦を馳走され、一晩泊って語り明かした──あれ以来であったかとおもう。 『しばらく』 『やあ、達者だな』 『そうでもない。秋口から、風邪をこじらせて、二月ほど病床に、仆れていた』 『もう快いのか』 『やっと起きて、足馴らしに出て来たのだ』  そのせいか、丈八の頬には、すこし痩せが見える。姿も前とは変ってしまった。一頃、赤穂方面や京都あたりを、隠密として歩いていた頃の彼は、頭も町人髷であったが、今日見ると、病床で伸ばした髪をそのまま結んで、以前の侍髷に返っている。 『所で、その後、貴公は何うだ』 『この通りに──』  と、一学は両膝へ手を張って、 『健在だ』 『貴公は、酒が飲けるからよい』 『酒でも参らずば、退屈で何うもならん』 『御用無しか』 『用のあろう筈がない。これだけの御邸内に、米沢から来た剣客を除いても、新規お抱えの浪人が、二、三十名、その他中間小者まで加えれば、百何名かの御使用人が詰めているのだ』 『そんなに居るかの』 『御主人といえば、今では、奥方はお実家方だし、御子達やお孫たちは無いし、上野介様と、御養子の左兵衛佐様とたったお二人の暮しに過ぎぬ。──だから用事といえば、雇人の為の雇人の用しかない』 『夜は』 『一夜交代』 『それがなかなか気疲れだろう』 『なあに』  一学は、顔を振った。然し、寂しい顔だった。 『気疲れがするようでは、さあと云う時に物の役には立つまい。役に立たぬと云えば、新規にお抱えになった剣客たちのうちで、いざという場合、幾人がほんとの生命を投げ出して働くか、その辺は、心もとない気がする』 『む、む……』  丈八も同感だった。俯向いて、暫く沈黙していたが、ふと、顔を横にして次の薄暗い小部屋へ目をやった。不審そうにその目を一学の面へ向けて、 『誰か、死んだのか』 『なぜ』 『線香のにおいがするじゃないか』 『ム。飛脚が来て、今朝知ったのだ。おれのお母が死んだ……』 『お! いつか立ち寄った時、蕎麦を打って食わせてくれたあの老母か』 『そうだ』 『それは、落胆したろう』 『いや、勿体ないが、何だかおれはその飛脚を受け取って、今朝から気が楽になっていたところだ。……やがて此っ方の報らせが田舎へ届くのも、そう遠くない日だからな。先に逝ってくれたのは、不幸のようだが、おれとしては思い残りがない』 『そこ迄、貴公は覚悟しているのか』 『当り前だろう。もう何うしたって、襲って来るしかないものと、避けられないものとの衝突だ。受け身だけに、此っ方の栄ない事は夥しい。悪い役割というやつだが、その割の悪い側にいても、人は知らず、おれだけは、侍一人前のことはやって死にたいと思っている』 『…………』 『木村。……貴公とか、おれとか、小林平八郎ぐらいな、極く少数のところが、ほんとの吉良家の御家来だと思わないか。人数だけをいくら殖やしても、何うして、あの赤穂の死にもの狂いに当れよう。後は、いくらこの邸内に集めても気やすめだ。……そう俺は見ているから、ふだんの御用などには手を出さん。酒でも飲み、力を蓄えて、その日を待っているのが一番忠勤だと信じているからだ』 『よく云われた』  木村丈八は、病後の顔に、ぽっと赤味をのぼせて、 『おれも死ぬ』  と、唇を噛んだ。そして、長屋の外に、気を配りながら、力を入れて声をひそめた。 『──正直に云うと、千坂兵部様の御決心も、そこに坐っているらしく思える。貴公のいう通り、所詮、襲るなと祈っても、いくら警固や防ぎをしてみても、先は、空を翔けてくる疾風雲のようなものだ。一暴風雨は避けられまい』 『貴様も、そう見極めたか』 『赤穂、京都、山科、その他を、実地に隠密して歩いて感じたことは、成程、彼等のうちにも、脆弱な分子もあるが、今日まで内蔵助から離れずにいる連中は、皆、死を楽しんでいることだ。怖ろしい事じゃないか、これ以上の強敵はあるまい』 『わかる。……おれにはそれが分る気がする。俺たちが幼少からたたき込まれた教養はそうだし、昨日までの社会はそれを道義の美としていたのだから、そうなるのは当然だ。──徒らに敵を憎んで、やれ、扶持を離れた人間の自暴自棄だとか、虚名を博すための行為だとか、裏を掻いたような観方をする奴には、武士道の極美が、──死というものが──何んなに当人にとって本望で楽しいものかが分らぬからだ。俺の今の気持も、正しくそこにある。自分でも不思議なくらいに思えるのだ。死ぬ日が、少しも嫌でない。──この陰鬱な屋敷にいる俺でさえそうだもの、まして、赤穂の浪士たちの身になれば、このお邸の門は、仏者の説く往生極楽の門にひとしい。ここを乗り越えた時、彼等はほんとに生きた事になれるのだ』  丈八は、自分が云いに来た事を、みんな一学から云われてしまったような気がした。彼が直接命令をうけて、常に接近している千坂兵部の観察も、一学の覚悟と、ほぼ近いものがある。──遂に何うしても最後の凶事は避け難い──と云うところへ兵部の考えも、この夏頃から帰着していた。  それに対して、上杉家として、当然、もっと積極的な対策のない筈はない。例えば、世間で臆測しているように、上野介の身を、米沢へ移してしまうとか、麻布の上屋敷へ匿うとか、或は、逆襲的に赤穂方の領袖たちの三、四名を暗殺してしまうとか。 (ならぬ!)  誰が、そう云ったような策を持って行っても、兵部は、顔を横に振るだけであった。  その深い意志の底には──(天意におまかせする)と云う冷静なものと、(吉良家を救うために、上杉家の社稷を危くするような冒険は、上杉家の重臣として、自分には、断じて行えない)と云う、こう二つの信念が、巌のように坐っている為であるらしかった。  で──木村丈八も、ちょうど、江戸へもどって病床についたのを最後として、もう以前のような仕事に焦躁る事はしなかった。頻りと、焦躁ったり恐怖したりして、赤穂方の密偵に対して、密偵を以て報いたり、風の音や、犬の出入りにも神経を突ッついているのは、皆、この邸内にいる古参と新参の面々なのである。 『話がちと理に落ちた。──飲もうか、木村』 『うむ、いろいろとまだ話がある。飲みながらぽつぽつ話そう。──だがその前に、ちょっと、御挨拶しておこうか』  次の間の薄暗い机の上に、線香の火が見えたので、木村丈八は、その前へ行って黙拝した。女気がない家である。机の上には、一杯の水と花が供えてあるだけだったが、それも、一学自身の手でしたものと見れば寔にわびしい。燈明もない。位牌らしいものもない。ただ、机の前の壁に、細い紙片が貼りつけてあった。丈八は、何気なくその文字を見て、悚然と、もいちど両掌を合せて伏し拝んでしまった。 おふくろ様    元禄十五年十月歿 清水一学     同年中歿  母子ふたり、位牌はもう出来ていたのである。 恋でない恋  ひいっ──と泣くような女の叫び声なのである。すぐ、ばたばたとそれに続いて聞えた跫音が、長屋の窓の下へ来て、躓いたのであろう、どんと倒れかかった。 『──知りません! 私ではありません! ──堪忍して下さいっ!』  女は、絶叫して、 『誰か、来てください……』  と、救いを求めた。 『何を喚くかっ、しぶとい!』  呶鳴っている声には、米沢訛りの濁りがある。左兵衛佐附きの中小姓という役目にある新見弥七郎の声なのだ。 『先頃から、おのれが怪しいと気をつけていたのじゃ。さっ、申せ、正直に云ってしまえ。云わなければ引っ縛って、首にするぞ』 『存じません、何と仰しゃっても……私は……』 『だまれ。……何も知らぬ奴が、何で又、あの大工小屋へ入ったか』 『私は、入った覚えはございませぬ』 『では、この櫛は、誰のじゃ』 『それは……』 『中間があの小屋の中に落ちていたと拾って来たのだ。然し、それでもまだ、念の為に、四、五日は黙って見ていた所が、今日も、慥と顔は見ないが、誰やら、奥の女中のうちで、あの大工小屋の辺にうろついていた者があるという事──のみならず、今、裏庭の木蔭にかくれて、何を書いていたか』 『お父さんへ出す手紙です……』  女は泣き声で答えているが、おろおろしている上に、まだ年もゆかない小娘なので、新見のきびしい追及に対して、余りにもその云い訳が幼稚であった。  奥の小間使のお粂なのである。  有り合せの干鰯を肴に、家のうちで酒を酌み交していた一学と木村丈八は、そとの声に、杯を措いて聞き耳を敧てていたが、 『よせばいいに、馬鹿な詮議立て』  呟いて、一学は干鰯を噛んだ。丈八は、冷えたのを飲して、 『なんだ、あれは』 『つまらぬ事だ』 『然し、あんなに泣いて云い訳しているものを、殺しかねないような権まくで責めているではないか』 『先頃、大工小屋から、御邸内を改築した折の板絵図が紛失なったのだ。──誰かそれを盗み出して塀越しに赤穂の者へ投げてやった者がある。──その嫌疑がかかったのだろう』  他人事のようである。一学は、友へ酒を酌ぎ、自分の杯へも、悠ったりと酌いで云う。 『──可哀そうに、あんな小娘が何を知るものか。又、いくら秘密にしようが、これだけの邸地、赤穂にも智者がいる、探ろうと思えば、どんな事をしても探り得ない筈はない。──そういう些事にこだわって、それが金城鉄壁の構えだと心得ている奴ばかりだから心細い』 『清水』 『ウム? ……』 『出て行って、何とか扱ってやったら何うだ。ヒイヒイ泣いているじゃないか。何か手荒な事をしているらしいぞ。……第一、酒がまずい』 『俺が出ては、ちと口のきき憎い事があるのだが……。口をきいてやろうかな』 『人助けだ』 『どれ』  一学は立って、上り口の部屋の窓から顔を出した。  お粂は、新見弥七郎のために、襟がみをつかまれ、ずるずると、大きな梧桐のしたへ引きずられていた。新見は、その樹の根へ、彼女を縛り附けてしまうつもりらしい。両手を捻じ上げて、 『さ、いくらでも泣け。殿へ申し上げて、後で悠っくり叩いてやる。痛い思いをした上で白状するのも、今のうちに正直に泥を吐いてしまうのも、結句は同じだが、神妙に云わぬからには仕方がない』 『……助けて下さいっ。……誰か来てくださいっ。……おっ母さん! お父さん!』 『ばかっ』  足蹴を一つ与えて、 『誰が来ようと、白状せぬうちは、許す事ではない。ここから、親の名を呼んで、何うする気だ』 『アアッ……堪忍して! ……堪忍して下さいませ』 『では云うかっ。──板絵図を盗んで、持ち出したのはお前だろう』 『そ、それは、存じません』 『お前の親元は、大工の棟梁だというではないか。大工の娘なればこそ、あんな物を盗み出すのに気づいたのだ』 『御無態です……知らないものは……』 『では、先刻、人目をしのんで書いていた手紙を出せ』 『失くしました……あれは、お父っさんへ出す手紙です』 『親元へ出す手紙を、裏庭などで、人にかくれて書く理由がどこにある。又、それを見つけられると、あわてて、裂いて口に入れたろう』 『いいえ……いいえ……』 『ちぇっ、強情なっ』  二度目の足蹴が、彼女の反向けた顔へ弾もうとした時、一学は草履を穿いて、新見弥七郎の後へ静かに来ていた。 『おいおい、新見、やかましいではないか』 『やあ、清水殿か』  弥七郎は振向いて、ちょっと手をゆるめた。  が──お粂は、清水と聞くと、恟っとしたらしく、途端に、顔は生きた色を失ってしまった。  いつぞや、小間物屋の小豆屋善兵衛の二階へ上って、右衛門七という好きな人と、二人きりで、恥かしさに、凝と黙り合って、うかと二階から顔を出していた時、店前の暖簾の前に立ちどまって、自分の顔を見上げた編笠の人は、たしかに、この清水一学であった。  一学だけは、自分の恋を、知っているし、自分が、あの小間物屋と、別懇にしていることも、見抜いている筈である。 (もう助からない。この人が来ては)  お粂は、いちどは恟っとして、駄目なまでも、逃げたい気持に駆られたが、すぐ、心の底で、冷たく観念してしまった。そして、死の間際には、恋人の名を呼ぼうと思っていた。 『──何をしているんだ?』 『お聞きだろう』 『聞いた』 『いつぞやの晩のつづきだ。この小娘の挙動がくさいので責めているところ。一つ、貴公も手伝ってもらいたい』 『ばかな!』  一学は笑い出して、 『つまらぬ事は止せ』 『なぜ』  新見は、気色ばんで、 『どうして、これがつまらぬ事か』 『女じゃないか、多寡が』 『女じゃとて』 『相手は、赤穂浪人だ。女でも、絵図面でもない。相手は赤穂ではないか。障子のつぎ貼りみたいな真似をしても、入って来る寒風は防げぬよ。……ああもうやがて冬だな。新見、その娘は、放してやれ』 『いや、取調べぬうちは』 『野暮を云うもんじゃない。貴様だって、非番の折には、辰巳か、岡場所か、素人か知らんが、どこかへ通ってゆく女があるじゃないか。……この娘にだって、御邸内では法度でも、外には、許嫁か、好きな男くらいはあるだろう。人にかくして書く文もあろうじゃないか』 『それにせよ、先頃の板絵図の事は』 『あんな物が、よしや、誰の手にわたろうと、何にほどの役に立つか。大工の引いた間取で、しかも、その後幾度も、御邸内の普請は変っている』 『事情の如何にかかわらず、左様な物を盗み出す物騒な女が、御邸内にいても差し閊えないと尊公は云われるのか』 『はて、大声の好きな奴だ。新見、もっと静かにせい──殿のお耳に入ってはよろしくない。さなきだに、若殿も大殿も、恟々として暮して居られる。こんな些細な事で、今日一日、要らざる憂惧をおかけすれば、今日一日の不忠であるぞ』 『尊公のいう事は、あべこべだ』 『貴様の考えが、逆さまなのだ。水かけ論はやめにしよう。置いてわるい小間使なら、そっと宿先へ退げてやればよいではないか』 『どうして、尊公はこの女を左様に庇うのか』 『実は……新見……恥かしいが、おれは前からこの娘に惚れている』 『ふざけるな』 『真面目だ。これが、お邸の内でなければ、おれはとうから何うかしたいくらいに思っている。従っておれは誰よりも、この娘の素行も気性も知っているつもりだ。決して、お家に対して、不忠とか、慾のためとか、そんな大胆な事のできる女ではない。もし、間違ったら、一学が、首にかけても責任は負うから、今日のところは、おれにまかせてくれ』 『よしっ、屹度云われたな』 『ひき受けた。……はははは、女に甘いのは、貴様も同じじゃないか。どうだ、ちょうど木村丈八も来て、今一杯やっている所だ。拙宅へ入って、一献やらんか』 『たくさんだ!』  新見弥七郎は、憤っと顔をそむけたまま、立ち去った。  翌る日。親元にあたる大工棟梁の吉五郎は、 ──其方娘粂、お勤向キ不都合ニ付  と云う呼び出し手紙を吉良家から受け取って、吃驚して娘の身がらを受け取りに来た。  そして、邸を出ないうちから、 『この阿女め、長年、御恩のあるお出入先に、何んな不埓をしやがったのか。よくも、親の面に泥を塗ったな』  打ちすえないばかりの叱言だった。真つ蒼に憤っている親の手に引っ張られて、すごすごと裏門から出てゆくお粂のすがたをちらと見て、一学は、窓から、 『おい、吉五郎、吉五郎』  と、呼び止めた。 『オ、旦那ですか。今日は、お合せする面もございません』  娘のすがたを、醜いものでも隠すように後へ庇って、吉五郎は、鼻をつまらせて窓のほうへ頭を下げた。 『誰が、呶鳴って通るのかと思ったら、娘に怒っているのか』 『へい、とうとうこれで、お邸も、しくじりものでさ』 『あまり叱言を云うなよ。それより、早くいい聟でもさがしてやることだ』 『そんな甘いお言葉をかけて下すっちゃ困ります。どうせ、ろくな真似をしたんじゃございますまい。お邸へ対しても済まねえことです。帰ったら、うんと、窮命してやらなくっちゃなりません』  お粂は、そういう父親のうしろから、一学の家の窓へ、掌をあわせていた。 冬の風  十一月に入ってからである。深川の高橋の近くにある吉五郎の家へ、何か、忙々した態度で、新見弥七郎が訪ねて来た。吉五郎に会うと、すぐ用談を切り出した。 『ちと、時が経ったが、もいちど其方の娘を取調べたい儀があって参った』  と云うのである。 『ヘエ?』  と、これは吉五郎のほうで、意外とした顔つきだった。 『余の儀でもないが、今度は、前よりも重大なのだ。殿のお居間に近い御文庫のうちから、先頃紛失した板絵図どころではない、公儀へお届けの地割図面と、お邸の間取図の二帖の写しが、いつの間にか失くなっているのじゃ』  聞いているうちに、吉五郎の顔いろには、憤かッとしたものが漲っていた。 『そいつあ、度々の御災難でございますね。ですが、いったい、それに就いて、娘を調べたいというのは、何ういうわけですか』 『前の事もあるので、一応は、疑ってみるのじゃ』 『ヘエ、じゃあ、その二帖の写しを盗んだ下手人も、娘のお粂だと仰しゃるわけなんで』 『ほかに怪しいものも居らぬ故』 『冗戯仰しゃっちゃいけませんぜ。娘は宿元へ引き取ってからもう半月にもなるんだ。身を退いた後々の失くなり物まで、罪を負わせられて堪るものか。──だが、折角お出でなすったのに、ただお帰し申しちゃ、こっ方も気色がわるい。どうか、二階へ上って調べておくんなさい。娘は、あれからこの二階から戸外へ出したことはねえんですから』 『然らば、念のために』  弥七郎が、起ちかけると、 『旦那』  吉五郎も起って、その袂をつかんだ。 『──上ってお調べになるのはいいが、もし、娘の所為でないと分った時は、何うしてくれますか』 『何うと申して……べつに……』 『旦那もお侍だろうが、此っ方も、江戸の町人だ。お邸へ対して済まねえと思えばこそ、いまだに、二階の一間へ抛り込んで窮命させてあるものを、その上にも、罪を着せられちゃあ、親として黙ってお帰し申すわけにはゆきませんぜ。あっしは怺えもするが、そこらに居る奴が、どんな真似をするか存じませんから、そいつあ念のために、おふくみなすっておくんなさい』  梯子段に手をかけて、弥七郎は二階を見上げたが、成程、そこは座敷牢のように薄暗く陰気に閉まっている。もう娘を下げた奉公先の邸へ対して、まだ済まないと云って、娘に対してこれほど折檻をしている父親だと考えると、弥七郎は、町人とはいえない吉五郎の今の言葉にちょっと躊躇いを覚えずにはいられなかった。 『む……いや……それ程までに、其方が云うならお粂の所為ではあるまい。疑って参ったのも、役目の上、悪く思うな』  二階へ上ろうとした足を退いて、 『邪魔をいたした』  あわてて、土間の草履を穿き、格子の外へ出て行った。 『忌々しい奴だ』  吉五郎が、つぶやいていると、弟子の一人が、塩を撒いて、 『おととい来いっ』  そして、吉五郎の顔を見上げ、 『親方、そんなにお粂さんが可愛いなら、もういい加減に、堪忍してやったらいいじゃありませんか』 『うんにゃ、そうは行かねえ。実をいうと、俺にもまだ篤くり腑に落ちねえ所がある。何うやら、あいつには情夫があるらしい』 『あったって、そんな事……』 『ばかを云え。俺の居ねえ間は、気をつけろ』  だが、弟子や小僧たちは、皆、二階のお粂を不愍がった。情夫があると聞けば、よけいに、可憐がるのだった。  お粂はすっかり寠れていた。薬土瓶を枕元に置いて寝たきりなのである。けれど、そうしている半月余りは、さして辛くもなかった。なぜならば、屋敷づとめをしていた頃と違って、自由に、何時でも、考えたい事を考えていられるからだった。 『……右衛門七さん』  そっと、呟いてみる。するとあの前髪の人が、天井から白い顔を出して、彼女へニコッとほほ笑みかけるように思える。 『会いたい』  それだけが、思い出すと、苦しかった。 『私の抛った板絵図は、首尾よくあの方の手に入ったかしら?』  それも知りたかったが、便りをする手だてもない。みしりと梯子段が軋んだ。 『誰だえ?』 『あっしですよ』  と、いつも粥を運んでくる中小僧の竹が、そっと首を出した。 『……お粂さん、戸外へ出たいでしょう』 『戸外へなんか出たくはないよ』 『嘘を云ってら。あの人のところへ会いに行きたいでしょう』 『…………』 『今、親方は留守ですぜ。そして、帰りにゃあ、小網町のお花客へ寄ってくると云ってたから、晩になりますぜ。どうです、晩まで、きっと帰って来るなら、あっしが、ひきうけますから、行って来ませんか』 『ほんと?』  お粂は、夜具の上に起きた。  間もなく、頭巾をかぶって、彼女は、家を出て行った。暫く大地を踏まない足が、もうめっきり冬になった寒風に吹かれて、足をとられそうに嫋々と見えた。  だが──  喜んだかいもなかった。  吉良家の裏門前にある小間物屋の店には、もうあのなつかしい紺暖簾は見えなかった。 『あっ? いつ越したのだろう?』  二階を見上げると、そこの雨戸も閉まっていて、斜に白い貸家札が貼ってあった。 『…………』  前の月まで奉公していた吉良家の塀の下に立って、お粂は、いつ迄も、その貸家札を見ていた。たった一度、右衛門七と、黙って坐り合っていたことのある窓の雨戸を。  ぽろぽろと、白い涙が、彼女の頬を流れた。吉良家の屋根を蔽っている巨きな落葉樹の梢から、雨のように木の葉が降って、その貸家札の空家の戸へも廂へも吹きなぐっていた。 元禄人間図絵 水引  樹の多い山手の屋敷町は、落葉の中に埋まっていた。もう十一月の霜だった。──今年も残る日は後幾日かと、そろそろ数えられて、忙しない気持の中にも、人生の冬が寒々と胸へ沁み入って来るのだった。 『ひどい霜だの……』  多門伝八郎は縁に立って呟いた。眼を刺すような霜の白さである。表四番町のかなり広い彼の邸は手入もせず、冬荒れのまま捨ててあった。  ばたばたと小鳥の群が木を離れたと思うと、すぐ塀の外の小路を、無遠慮な大声をして、笑ったり戯れ話を交してゆく武家達があった。つい近所の鳥居某という旗本の門から出て来た連中なのだ。ゆうべ夜半過ぎ迄、そこでは猥歌の手拍子や音曲が聞え、こういう武家の住宅地にはあるまじき湯女の姿が出入りしていたという事である。多分、町の遊び風呂の女達を引っ張りこんで、夜徹しで飲み明かした連中が、今ぞろぞろ帰ってゆくのであろう。 『寒いな。──鼻がもげそうじゃ』  大仰にそのうちの一人が云って通ると、 『おい、今村』  と、野原でも歩いているように、後のが前へ行くのを呼ぶ。 『きょうは、出役か』 『ム。詰番だが、休めば休まれん事もないのさ。こういう日は、渋い目をして、出たくないな』 『行こうか、いっそ』 『何処へ』 『ぶん流しに』 『朝のうちでは、何処へ行っても、まだ座敷があるまい』 『北廓の近くへ行けば』 『ちと遠いな。ゆうべ来た、丁字風呂のおれん、おちょう、おふじ、あの女共の所へ押しかけようか』 『湯か、湯には入りたいな。どうだ諸公』 『よかろう』 『そちらは?』 『何の異存のあるべきや』  最後の一人が、こう歌舞伎言葉で節をつけて答えたので、どっと、三々五々に爆笑を揚げて行った。  その跫音が去ると、小鳥は又、静かに梢にもどって啼いていた。真っ赤な柿紅葉に、時雨雲のあいだから、鈍い冬日が映してくる。 『旦那様、お含嗽をなさいませ』  年老った用人が、風呂場の手洗い場に、鏡、水桶、鬢盥など、毎朝の物を供えて、彼の袂を後から介添えした。  櫛の歯を濡して、伝八郎は、近頃めっきり白髪のふえた髪を梳でつけながら、 『爺、今通った馬鹿は、何者だ』 『よく鳥居様や鈴木様のお屋敷に集まる御連中らしゅうございました。昨晩も、何事かあるのかと思う程、御陽気な騒ぎ方で──』 『うるさいのう、夜ばかりか、朝も昼も』 『私などの若い頃は、朝といえば、的場で弓弦の音、夜になれば読書の声、実にしんとしたものでござりましたが』 『変ってきたのう』 『それが近頃では、三味線が鳴ったり……大きな声では申されませぬが、町奴とかいう手輩が出入して博奕をなさるお屋敷もあるとか』 『あきれた世相だ。われ等のような慶長元和の古風を慕い、まだ尚武の風のあった寛永気質を尊ぶ者などは、所謂、頭が陳腐いと云われるやつだろう。何せい、執政の柳沢があの態たらくじゃ、その下にいる俗吏ばかりは責められぬ』  縁のずっと下に、小間使の姿が、 『お支度がととのいました』 『ム……』  と頷いて、伝八郎は庭へ降りた。何か小さな神社が祀ってある。そこにひざまずいて拍手を打ち、朝礼を行う事は、彼の日課であった。次には、仏間に入って、先祖への朝の挨拶を営む。──やがて食卓につくと、間もなく登城の日は、役服を着け、家を出る前に書院へ一応坐って、心を整える。 『──旦那様、ただ今、お召服更えあそばしている間に、見馴れぬ浪人ていの者が、かような品を置いて、呉々も、よろしくお伝えをと申して立ち帰りましたが』  登城の駕籠には、いつも供につく小侍が、菓子折のような物をそれへ出して云った。こういう音物に対しては、中味が何であろうと、極めて潔白な伝八郎は、すぐ眉をひそめて、 『何じゃ、何者がかような品を』 『姓名を訊ねましたところ、尾張浪人、吉岡勝兵衛とのみ申され、書面を添えてある故、ただお取次を──とだけ云って』 『なぜ受取るのじゃ。常々、音物や手土産など、一切わしがよいと云わぬものは取次いでならぬと申しつけてあるではないか』 『はっ……』 『はっ、ではない。すぐ、その男を追って行って、かような品、受取るすじはないと云って突っ返せ』  小侍は、愴惶として、脇玄関から門の外へ駈けて行った。その様子では、たった今の事らしいのである。多門伝八郎は、自分の前にある折箱を忌々しげに横のほうへ押しやった。  ──ふと手で触れた時気がついた事であった。折箱の上にかけてある包紙を見ると── 赤穂名産・さくら形  御焼塩     播州屋製 『はてな? ……赤穂……。尾張の浪人とか云ったが、赤穂塩の手土産とは? ……』  水引の下に添えてある手紙の文字のあざやかな筆蹟が、すぐ伝八郎の眼をつよく射た。──急いで裏を返してみると、 『おお!』  何とそれには、こう書いてあるのであった。 片岡源五右衛門。 彼の日の黄昏  遠い過去のようでもあり、つい昨日のような心地もするが、正しく指で繰ってみると、それは去年の春三月十四日の黄昏れの事であった。  田村右京太夫の邸で、即日切腹の上意をうけた浅野内匠頭が、あの夕闇の花の下で、 風さそう花よりもなお 我はまた 春の名残を いかにとやせむ  万恨の辞世を口誦さんで、白装束を自刃の鮮血に染めて伏した夕べは。 『ああ、あの時だ……』  忘れもしない! 多門伝八郎は今も眼を閉じれば──瞼のうちにまざまざとその黄昏れを描く事ができる。  大目付荘田下総守、大久保権右衛門などと共に、自分は副使として、内匠頭の切腹を見届けるべく、検死の役目をおびてその場に臨んでいたのである。内匠頭が、仄暗い庭の死の座につく迄の一歩一歩から、彼の末期の鬢の毛をなぶる微風のうごき迄を、今もまざまざ覚えている。  その折──そうだ! 年頃は三十五、六と見えた、眉に特徴のある、骨がらの逞しい良い侍だった。内匠頭の家来片岡源五右衛門と名乗って、田村邸のゆるしを得て、庭の物かげに膝まずき、 (一目、主君の最期に、今生の名残りを得させ賜われ──)  と、哀訴して、自分の腸を掻きむしるように、縋って来た者があった。  田村家の主従も、大目付の正使たちも、自分ほどな感動をうけなかったものか、彼の願いは肯かれなかった。然し、武士として──武士の心を酌んでみると、自己の職を賭しても許してやらずにはいられなかった。 (会え)  そう云ってやった時の彼の欣び方は──。哀れとも歓喜とも云いようのない睫毛の一滴の光は、自分も生涯共に、忘れることのできない価値のものだった。  田村邸に於けるその時の処置ばかりではない。当日、江戸城内で、事件直後の紛々として一決しない評議の席でも、吉良上野介の役目上の非行に対して、又、即日切腹というような、片手落な老中たちの議決に対して、面を犯して、敢然と述べるべき議論を吐いたのは、おそらく、自分ひとりだけであったように思う。  それは重臣たちの──殊に吉良家とは浅くない関係にある柳沢吉保の心証を害したものとみえ、為に、 (多門、僭越なり、差控えを命じる)  と、夕刻まで、譴責をうけた程であった。  譴責は解かれたものの、あれ以来、幕閣の上司たちにとって、多門伝八郎の存在は、決して快いものでなかった。とかくに不首尾つづきが生じた。いまの世相を醸している幕閣自体の空気が、彼の剛骨を容れないものである上に、彼の清廉潔癖は、愈〻彼の晩年を自らさびしいものにして行った。  ──だが、伝八郎は、一度もそれを悔いた事はない。むしろ浮華一瞬の人生に麻酔している人々こそ愍れに思った。ただ嘆かれるのは、国家の蝕まれてゆく相だった。元禄の人間は、元禄を享楽して死んでゆく。生れて来た権利と云わせておいてもよい。──然しこの国家は永遠のものだ、今生きつつあるわれ等だけの生涯のものではない。しかも将軍家は、その司権を、至尊からおあずかりしているに過ぎない。建国以来のかがやきある皇土に、饐えた文化の黴を咲かせ、永遠の皇民に、われらの子孫に、亡国の禍根をのこして行っていいだろうか。短い自己の一生だけを存分に好き勝手に生きてしまったら、国土はそうなる他はない。  又、個人的に思ってみても、刹那的快楽や、虚無に尽きる放縦が、どれほど生涯につづくか、その突当りは、滅失の穴にきまっているのだ、何の人間らしい生命の光や幸福を感じる深さがあろう。 『──連れて戻りました、只今』  小侍が息を喘って、次の襖際でその時云った。  伝八郎は、思うともなく思い耽っていた眉を、その声にはっと昂げて、 『間に合ったか』 『はい、御火之見の下まで、駈けて参りましたところ、幸に追いつきましたので……』 『大儀だった』 『ではこれを、すぐに突っ返してくれましょう』  と、赤穂塩の折箱を抱えて立ちかけると、 『あ……待て待て。……実はわしの失念だった。その御仁には面識もあり、常々会いとう思っていたところ。あちらの部屋へ、丁寧にお通し申し上げてくれい』 武士の塩 『……以来、一度は、あの節の御温情に対しまして、お礼に推参いたしたいと、明け暮れ心にかけながら、浪々の身の生活に追われ、お恥かしながら、御無音の罪、何とぞお宥し下しおかれますように』  片岡源五右衛門は、そう云って、伝八郎のすがたを懐しげに見入ると共に、人間のあらわし得る最大な感謝を眸にこめていた。それは言葉に表現できないものだった。殊に、武士と武士との情誼というものでは、猶さらにである。 『なんの……』  軽くは云っても、伝八郎も又、自分の誠意が、一年余を経た今日も、その人にはっきり刻まれていたかと思うと欣ばしかった。 『お礼などと仰せられては、伝八郎、恥しゅう存ずる。それよりは、御主家の変あって後、各〻のおうわさを聞くにつけ、よそながら傷ましゅう存ぜられて居った。然し、お健かの態、何よりでござる』 『あなた様にも──』  と、源五右衛門は畳へついた儘でいる手を忘れて── 『こうして、変らぬお姿を見ておりますると、あの折の黄昏の庭明りや、散る花や、眼に泛び出て……』 『伝八郎も、御同様に思う。はやいものでござるの──もうやがて年を越えれば二年』 『お計らいに依って、主人の遺書辞世も、国表に達し得まして、旧藩士一統、内蔵助以下、皆、あなた様を徳として、何のようにか御仁慈を謝して居りました。……然しその後は、お聞き及びの通りに離散、他の者の沙汰無しは、平に御用捨くだされませ』 『して……其許は今、何処に』 『申し上ぐるも背汗の至りに存じますが、本所林町に店借して、侘しく浪人暮しをいたしておりまするが、偖、仕官の口も見あたらず、ただ無為な日を過して居りまするばかりで』 『無為の日を』  と、何か次の問いを出しかけたが、伝八郎は頷いてさし控えた顔つきだった。そして、手土産の赤穂塩に眼を落し、 『御贈り物、有難く頂戴つかまつるぞ』 『あまり粗品にござりますが、近頃、赤穂表の知人から送りよこしました儘──』 『何よりの品じゃ。願わくば、お互に、世の中の塩と云わるる人間でありたいものよのう。──武士の塩、赤穂塩、これは珍重でござる』  押しいただいて、伝八郎はそれを、床の間へ置き直した。  朝だし、長居は迷惑と察しられて、源五右衛門は、すぐ、暇乞いをした。会えないつもりであったのが、こうして会えたことは望外な欣びだった。伝八郎もまだ話していたい様子であったが、登城の時刻が気になっているらしく見える。自身、玄関まで送って来て、 『又、折もあらば、立ち寄られい』  と、云った。  いやこれが恐らくは存命中のおわかれでしょう──と源五右衛門は、あやうく口に出すところだった。この人だけに、一言、それとなくでも真意の端を洩らしてもいい気がしたが、 『はい、御閑暇の節には、又何とぞ』  さりげなく云って門を出た。 憂いを吐く人  悪い者に出会ったと思ったのであろう、見て知らぬ振りを装いながら、編笠の人は、石町の辻をついと曲って行く。 『──あ。大石殿』  後の者は、足を迅めて、呼びとめた。  鶯茶の紋羽織に、襞のよく切れている袴を穿き、白足袋に福草履という身装なのである。三十ちょっと越えたくらいな年頃で、痩せ形ではあり、色の小白い顔を、茄子紺の頭巾でくるんでいるので、京侍のように柔弱らしくもあるが、顔はきりっと緊まっていて、眉が太い。 『──もし、路傍で失礼ですが、大石殿ではありませぬか』  やむを得ず、内蔵助は編笠をそっと回らして、 『おう……』  と気がついたように云った。 『どなたかと思うたら、荷田春満大人ですな』 『そうです、意外な所で』 『まったく!』 『何日から江戸表に』 『いや……とんと定めのない浪人の境遇、何日のことであったやら』 『お住居は』  それもやむなく、 『されば、ついこの近くに』 『ほ、御子息も』 『されば、侘しい限りでの』  こう話し込まれては、ちょっと粗茶でもと云わないわけにゆかなかった。春満と内蔵助とは、先年、京都でも会っているし、旧知の学友という間がらでもあった。  荷田春満というのは、和歌や国学の上につかっている雅名であって、本名は羽倉斎といった。まだ、学徒としては、若いほうであるが、国学では大家の列にかぞえられているし、京都にいた頃は、大炊御門右大臣の庇護をうけ、京都稲荷の神官をしていた事もある。内蔵助との知縁は、その国学の講義に列した折と、和歌の添削などを時折消息でしてもらった交渉などから初まっていた。──だが、江戸でその人に出会おうなどとは、まったく想像していない事だった。 『かような手狭での……』  石町三丁目の浪宅へ連れて、茶など出して、努めて、話題を和歌とか国学者のうわさなどへ誘っていた。 『京では、だいぶ豪奢に承わっていたが、これは又、簡素……』  と、春満は、壁や長押を見てつぶやく。 『そうそう、こちらへお越しなされてから、中島五郎作にお会いなされましたの』 『五郎作。オオ、あの霊岸島の富豪でござるか。京で、お紹介わせを得たことがござりましたな。しかし、かように零落の身ゆえ、つい暇もなし、先は大家、訪れはさし控えておりまするが』 『その五郎作から、あなたが江戸表へ移ったというお噂を、つい先頃、聞いたばかりでした』 『ほ……。先では知りましたか』 『知る知らぬに関わらず、御出府の儀は、強く世間にひびいて居ります。何やら、翡翠が梢を更えて、凝と、魚の姿を見ておる姿のように……』 『ははあ、誰をな?』 『大石殿を』 『判じ物か。やれやれ、種々に揣摩臆測されることじゃ。というて、衣食の途を求めるには、世間の中に住まねばならず』 『江戸では、吉原なども、御見物なされましたか』 『祇園、伏見でもはや討死、江戸落ちと相成ってからは、見らるる通りな浪宅の侘、さような景気はさらさらない。……はははは、これからは、その侘を生かして、ちと茶道でもやろうかと存じておるが、茶も近頃は金が要るので』 『江戸の上下の風俗を、何と御覧ぜられましたか』 『いやもう、華奢な、派手ずくめな、何をやるにも金らしい。金、金、金の世の中じゃ』 『こう爛熟きった文化というものが、いつ迄、この儘で栄えてゆきましょうか』 『さ……どういうものじゃやら。とんと、そういう、むずかしい事は』 『私は思うのです。淫風佚楽、上下共に、この悪世相へ眼をさまさないと、今に何か天譴が下るのではないかと。──痛切に、今の人間どもが、憂えられる。お犬様の下におかれ、畜生以下にされているのも仕方がない。罪は人間自体にあるんです。お犬様自体は、何も知りはしません』 『む……。ちとわしなども耳が痛いの』 『いやいや、あなたのみじゃない。幕閣の吏員も、町人たちも、侍も、想像外に、腐えきっております。むろん、武士道などは、寛永元和の頃に、置き忘れてしまっています。威を張るのは、ただ金です。その金を支配する大町人です。道徳の廃って来たことも驚くばかりで、人々の思想に根づよく盛りあがって来たものは、自我と、享楽しかありません。人間の情美や行徳などは、今の社会では軽蔑ものです。人間自滅が来ています。胸が傷んでくる。誰か、ほんとうの人間が出て、叱咜するか──いやもう今の人には、声だけでは耳にも入りますまい。行って見せてくれる程な人物が出なければだめです。──これこそほんとの人間の生き方だぞというような、力をぶつけてくれるのでもなければ』  一言も挿まずに、内蔵助は聞いているのであった。けれど、甚しく身の入らない顔つきを泛べていた。  それに反して、若い国学者であり詩人でもある荷田春満は、耳を仄紅くして、時勢を慨している。それは単なる学究の感傷ではなかった。腸から出る力を相手に感じさせずには措かないものであった。内蔵助が、どう無反応な顔つきをしていても、彼は、それを揺さぶり起さずにはいないと信念しているように、烈々と、憂えを吐き、憤りを吐くのだった。 待機の刻々  その後も、荷田春満は、石町の浪宅をよく訪ねて来た。内蔵助も、 (この人物には)  と機会を重ねるごとに、信頼を持って来たが、でも復讐の真意を打ち明けるような事は決してなかった。  いつのまにか、ここで出会った堀部安兵衛と春満とは、内蔵助以上、忽ち親密になっていた。  春満の情熱も、慨世の嘆も、内蔵助に話していたのでは、とんと反応があるのかないのか分らないのであったが、ひとたび堀部安兵衛に会って話すと、 (む! 貴公もそう思うか)  これは、かえって春満のほうで驚くほどな反射だった。いや、むしろ安兵衛の切歯して答える言葉のほうが、春満を圧倒するくらいに、激越な事を云い出すのだった。 『あなたは、愉快だ』 『貴公も、国学者にしては、ちとばかり骨ッぽいようだ』  忽ち、こう肝胆を照らし合って、 『お住居は』  と訊ねると、安兵衛は、 『本所林町紀之国屋店』  春満は、 『京橋三十間堀の中島五郎作の借店におります。おひまの節は、ちと話しに来てください』 『ぜひ』  と、安兵衛は約した。  思いがけない所から、意外な機密は知るものであった。百方奔命につかれるほど努力しても、何の吉左右も得られない事もあれば、又こちらの思いもうけぬ事を、ふと、先から耳に入れてくれる場合もある。  春満と会ってからまだ二度目か三度目であった。何の話からであったか、頻りと、茶道の話が出て、吉良家の事を、ちらと洩らした。 (自分も、大炊御門家の手づるから、上野介殿の御子息へ、二度ほど、国学を講義しにまいったことがある)  というような事を云う。  安兵衛は、顔の血をしずめて、 (得たり!)  と心のうちで思った。  それからは春満との交際を、一つの心がけとして三十間堀の彼の家をよく訪れた。  その間に──  安兵衛の手には、もう一つ吉事が落ちて来た。かねて手を廻しておいた物が首尾よく手に入ったのである。それは今、上野介の住んでいる松坂町の屋敷は、彼の移る前には、旗本の松平登之助が住んでいたので、前借者の松平家のほうへ密かな運動を試みて、屋敷の絵図面を手に入れたのである。  それは殆ど完全に近いものであった。然し、吉良方でも抜かりなく、重要な箇所は、その後殆ど改築しているし、建て増しもだいぶしているという噂であると──それ有るが為にかえって誤るものではないかという同志の説があった。 『成程──』  安兵衛も固執しなかった。  そのうちに、図面のほうでは、磯貝十郎左が、これこそ、現在の吉良邸の図に相違ないものを一帖手に入れて来て、 『これだ。──これですっ』  初陣の若者が大将の首でも獲ったように、雀躍りして持ち込んで来た物がある。 『何うして、手に入れたか』  人々に、その大きな功の程を称えられて、奇蹟のように問われると、 『いや、べつに……』  謙遜ではないのだ。十郎左は顔を紅らめて、何も云わず、姿をかくしてしまった。  いつぞや、米屋五兵衛の蔵二階へ集まった者だけが、仄かにその筋道を知っていた。吉良家の奥づかえをしているおつやと十郎左との微かな秘密を。── 『聞かないでやれよ』  と、小豆屋善兵衛の神崎与五郎が云って笑った。  矢頭右衛門七が、お粂の恋をうけて、その一心で持ち出させた板絵図と、十郎左の齎したそれとを綜合して見ると、もう吉良邸の坪、間取、長屋、その他の位置は、内部に入って見るように明かに察しられた。 『よしっ──この方は整った』  一方。  吉良の邸の外部──道幅、溝、隣家との関係、そのほか両国附近の広場、寺院などの測量にあたっていた吉田忠左衛門からも、 『──万一、上杉家の人数くり出しの節。──一党引揚げの場所。──その他の調べ、こちらに於ては手抜かり無之』  と、内蔵助の手許へ通知があった。  武器、装束、一切はすでに安兵衛の浪宅まで密かに船上げしてあるし、こうすべての準備は、何日でもというように出来たが、偖、最後のたった一つの探りだけが何うしても掴めない。  ここ迄に至ると、一党の気持は、いやが上にも焦心らずに居られなかった。かなり落着き込んでいるほうの小野寺十内からして、じっとしていられぬ様子で、毎日頭巾目深にして出て歩いているらしい。若い者などは躍起だった。  その大きな暗礁というのは、 (上野介が、何日、邸に居るか?)  の問題だった。  万が一にでもある。事を挙げてしまってから、 (しまった)  と云うような不覚でもあったら、今日までのあらゆる艱苦と精神は、一挙に泥土にまみれてしまう。  百世までの嗤いぐさとなるばかりではない。旧赤穂藩の名──亡き内匠頭の名までを──悪ざまな市人の口端にかけられなければならない。  それを思うと、この問題は、一歩をふみ出すにも、慄然とさせられてしまう重大事だった。  しかも、他のあらゆる陣形が整ってみると、もう待ちきれないような、堀部、武林、間、勝田、矢頭、磯貝、杉野などの若手組は、 『居ると申すぞ』  ややともすれば、些細な町の風聞や、門扉の出入ぐらいを見届けて、堰を切って、どっと動きそうな気振りを見せる。  さすがの内蔵助の眉も、この数日はおそろしく細かい神経のうごきを見せていた。絶えず主税を変装させて、浪士たちの隠れ家を訪わせ、粗暴のないように、又、失火などを出さぬように、わけても、酒をつつしませ、風呂屋、街路などで些細な注意も怠らぬように、町方や自身番に対しては尚おの事、極力、細心である事をも注意させて見舞わせた。 (うごくな──) (凝と、枚を啣んで、待機──)  暗黙裡に、江戸中へわかれわかれに住んでいる人々が、鳴りをしずめている形だった。  そのうちに、 『毛利小平太が脱走した』  そんな響きが伝わる。  なお、二、三名の脱盟者がこの間にあった。──ここ迄、辛労を共にして来た程な者であっても、なお人間の気持はいつ崩れるか揺らぎ出すか知れないものであった。まして、下は十六、十八の年少者から、上は六十、七十の老人まで、年齢の差も区々、旧の身分も区々、人生の考え方にも修養にも、かなり雑然たる相違を持ち合っている五十名近い一団が、まったく、一体一心になって、たった十日の生活でも、同じ意志になっているということは、それだけでも、この社会においては、実に難かしい事だった。  これが、戦場というような場所であって、人間が、獣性に還元し、耳に眼にするものが、すべて修羅の音響の中に於ての事ならば、それはまだ云うに足らない。  だが──  世間は、酒の歌と、女の脂粉と、元禄町人の豪奢と、侍たちの伊達小袖と、犬医者と犬目附の羽振と、あらゆる眩惑や懐疑なものに満ちていた。朝風呂の濡れ手拭をさげて、小鍋立ての人生もそこらにあるし、隅田川に雪見船を浮かせて、忍び三絃をながす人生も河の中にまである。江戸座の俳句の運座は、夜毎にあった。茶道も流行りものだった。岡場所の灯は、人生はここにありというように盛んである。と思えば、きょうも愛犬令の違犯者が、縄付で引かれて行ったし、浮浪者の群が、橋の下にはうろうろ見えるし、何っ方を見ても、生きよう、遊ぼう、満たそう、という半獣主義の展開と、その真反対な、どぶ泥のゴミみたいな貧困者とのふた色が、全面的にひろがっている元禄の世間だった。  その中に──やがて十二月も近い──すぐ来る次の初春を待とうともせず、しいんと、四十七名の老若の精神が、一つに凝り固まって、死のうとしているのであった。しかも今のあらゆる社会の人間が、如何なる楽しみを持つより大きな深刻な楽しみを抱いて、肋骨いっぱいに、血しおを沸かせて、その死を楽しんでいるのであった。 耳  ──上野介の実子、上杉弾正大弼殿が、病気といううわさがあるが……。  ──上野介は、父子の情愛で、しげしげ看護に通われているという。  ──いや、松坂町から通うのは、多くは家老や用人の輩で、上野介は、上杉邸から一歩も出ないらしい。  ──もう米沢城へ隠れたとも風聞するぞ。  ──何、嘘だ。それにしては、公儀への届出でがない。  ──居るのだ! 松坂町に。  ──いや居ない。  冴え切っている一党の神経に、種々な情報が入って来る。乾ききった冬夜の梁のように、みりっといえば、みりっと響く。  吉田忠左衛門は、麹町の山手から、内蔵助は石町の低地から、広いこれからの陣地の戦気を見まもるように、この二人だけは、凝と、炬燵を出なかった。  何か、火急な事以外には、同志たちの往き来いもつつしみ合っていた。殊に、何処へ出ても、居所は明確に誰かへ聯絡を持って置く事。  堀部安兵衛は、久しぶりで──そう度々も先方に疑いを起させると思って──荷田春満の家をのぞいていた。 『お在宅か』 『居ります。……おう堀部殿か』 『材木町まで参ったので』 『上られい』  春満は、書斎へ通した。  漢書、和書がいっぱいだった。墨のにおいがただよっている。何か書きかけていたとみえ、色紙などが散らかっていた。  机の上の鷹の羽をとって、客卓の塵を払い、そこへ茶器をのせた。安兵衛は、床の間の書を見ていた。天照皇太神の五字がまだ濡れているような溌墨を見せている。春満は茶を入れながら、安兵衛の眼の行っているところを見て、 『見事でしょう』  と、云った。 『細井広沢先生ですな』 『そうです……聞けば御尊父の弥兵衛殿と先生とは、親しい間じゃそうで』 『あなたも、御存知で』 『されば、会などで、よう会いますから』 『ほほう、誰が何う懇意か、分らぬものですな。貴公と広沢先生がお親しいとは』  安兵衛は心のうちで、これは迂かつな談議はつつしまなければならないと思った。細井広沢は或る事情があって、夙くに一党の真意を知っている人なのだ。絶対にもれる惧れがないとして打明けてあるのだが、何んな理由かで、ふと春満の耳に入っていないとは限らない。  春満が、吉良邸へ一度でも二度でも足踏みしていることは、こちらの手引と考えて接近しているが、却って、こちらの実体を、向うへ通じさせる惧れも十分にあるのである。安兵衛は、確と、肚をかためてかかる必要を感じた。 『……オオ、そうそう、今朝でした。今、茶を注ぎながら思い出したのだが、ここの家主、中島五郎作が見えましてな』  何事を話し出すのかと思えば、つまらぬ世間の雑事らしい。安兵衛は茶碗を取って、 『五郎作。……いつか内蔵助殿からも、ちらと承わったあの人物で』 『そうです。その五郎作が、やはり富豪根性でしょうな、誇らしげに云うのです。近いうちに、吉良上野介の茶会に招かれて参るのだと申して』 『えっ……』  安兵衛は、はっとして、自分をたしなめながら、 『吉良殿は、それ程、茶道に熱心なのでござるか』 『そうらしい。よく、催されまするな』 『ほ……』  又しても、彼はつい、胸から衝いて来る息を、大きく吐いた。 『その五郎作とやらは、吉良殿へ、よほど入懇と見えますな』 『いや、そうじゃないのです。五郎作の茶道の師匠に、四方庵と申して、山田宗徧という宗匠がある、御老中小笠原佐渡守のお抱えで。──上野介殿も、その四方庵の門について茶を学ばれたのです。で……五郎作が招かれたのは、四方庵の同伴として呼ばれたのでしょう。でも、よほど誉れと思っているらしく、ひどく欣んで居りました』 『はははは。やはり高家といえば、五郎作ほどの富者でも、招ばれる事を、それ程に思うのでござろうか』  何気なく見せようとする程、安兵衛は自分の言葉に不自然を覚えて、茶の味すら分らなかった。胸の中で、大きな欣びがもんどり打って、何事かを急くのだった。  何うしても落着いていられないのだ。彼は、何の纒まった話題も出ないうちに春満の家を辞した。そこを出ると、 『駕籠っ──』  辻へ手を振った。 四方庵暦  南八町堀の裏町に、つい二、三日前、本所から引っ越している一組がある。尾張浪人と称している片岡源五右衛門、貝賀弥左衛門、大高源吾の三世帯。  安兵衛のすがたを唐突に門口で見て、 『おう』  と、何処かへ今出ようとして、穿き物へ足をのせかけていた大高源吾が眼をみはった。  大高源吾は、肉のかたく緊まった体を、ずんぐりと重そうにいつも扱っていた。浅黒いうす痘痕があって、すこし猪首のせいか、首を曲げる癖がある。  一見、醜男で鈍重らしく見えるが、対坐して、この人のぽつりぽつり物を云うのを聞きながら眸を見、起居振舞を見ていると、何ともいえぬ静かな心持になるとは、誰も等しく云う事だった。子葉と号して俳諧の才があるし、茶道のたしなみも誰より深かった。文章を書いても、物のあわれというような弁えのある武士であり、どこに、剛気とか、武術とかいうものを潜めているのかと疑われる位なのである。 『何処へ』  安兵衛が、やや息をせいて云うと、 『其角の家に、きょうも運座があっての』 『待たれまいか』 『風流──風のまま、水のまま、何うなといいのだ』 『では恐れ入るが』 『越したばかりじゃ、何も、もてなし申さぬぞ』 『それ所ではない』  と坐って── 『貝賀、片岡の御両所は』 『出ておる』 『では、早速に申そう。大高』 『ふム?』  きらりと、うす痘痕の中に、大きな眸が光った。安兵衛は膝を進めて、たった今、荷田春満から聞き込んだ事をつぶさに告げて、 『どうだ! この筋は』 『真実かな』 『嘘言とは考えられぬ』 『よし、探ってみよう』 『貴公でなくては、この役はむずかしい。そう心得て、内蔵助殿へも告げずに、先へこちらへ来た。いつ行ってくれる』 『ちょうど支度のできている所。──すぐでも』 『そう俳諧師らしい姿よりは、京あたりの織物問屋とでも装ったほうが、先が心をゆるしはせぬか』 『ム、成程の……。すると、今日は早速に支度はととのわぬが』 『明日でも、遅くはあるまい。気どられては、一大事になる』  深川の高橋の畔に、山田宗徧の住居があった。川を裏庭へ取り入れて、閑雅な趣きを凝してある。数寄屋門に、四方庵の板額が仰がれ、門を入ると、奥まった植込から路地の苔が寂として、落葉の音しかしなかった。 『あんたかの、茶を習いたいと云うのは』  宗徧は、もう老齢だった。 『左様でござります』  と、低く辞儀をしている間に、大高源吾は、この茶宗匠も、この頃多い銅臭の風流人であることを見ていた。  彼は、町人に装っていた。衣服とか、持物とかに、大店の旦那らしい鷹揚さを見せて、言葉だけを低く云った。 『京都の織物問屋で、西陣屋利兵衛と申しますので。はい、実は、さるお大名方へお取立をいただいて、屡〻御当地へ出てまいりまするので、商用とては、ほんのわずか、逗留中は、とかく体をもて余しまするので、御高名をお慕い申して、御指南を仰ぎたいと……実はかような考えで参りました訳でござりますが』 『では、多少の心得は、あるのじゃな』 『──と申す程ではございませぬが』 『まあ、習ってみなさるがよい』 『何分ともに』  束脩としての包金、上に、金千疋と書いたのをさし出すと、 『行き届いた事で』  と、無造作に受け取った。 (まず──)  と、大高源吾は、ほっと胸を一撫でした心地だった。それからも、訪うたびに、心づけを贈った。何かにつけて、金銀には目もくれないふうを相手の感じに入れて、ぼつぼつと、吉良家の茶会のもようなどを聞き入れた。  宗徧は、よい弟子が一人ふえたと欣んでいるらしい。初対面よりだんだんに愛相のよくなるのがおかしいくらいであった。源吾は、あわよくば、宗徧に従って、一度、吉良家の茶会に列してみたいと願っていた。  だが──一党四十幾名の生命を負って、薄氷を踏んでいるのだ。亀裂を見たら、もう全部の潰滅である。 『ここだ、茶道の精神は』  彼は、肚を持ち更えた。──手段のために茶を習う気構えを捨て、心から茶の中に浸って宗徧と対い合った。  宗徧の話は、いっそう打ち解けてきた。  だが、機会はなかなか来ない。むなしく、暦は十二月の日へ一足かかって来たが──。 討入炬燵孫子 臆病風邪  内蔵助は寒がり坊であった。ここへ立ち寄る同志が、 (土用のお生れとみえる)  などと云ってよくわらうが、自分でも人一倍の寒がりを自認して、 『冬となっては、土中に眠る蟇も同じじゃ。からもう意気地がのうてな、無精を、ゆるされよ』  そう云って、いつも炬燵を前に、書物をのせた見台を左の傍に、そして、背中へは真綿を入れているとみえ、猫背になって見えるのである。  それに、この石町の浪宅が寒い向きに出来ている。障子を開けると、縁先に南天の赤い実は見えるが、仰ぐと、陽陰の雨樋から下がっている氷柱は、剣のように、この頃では、溶けた日がない。 『ただ今、もどりました』  主税であった。 『すんだか』  と、炬燵から云う。 『はい、皆様にもお手伝いを願いまして、一切』 『大儀だった』  明日の集合の廻状をまわして来たのである。だんだん馴れて迅速に暗号は行きわたるようになってはいるが、それでも、江戸中に散在している五十名以上のものへ、一刻のうちに、ここの中枢部の意志を伝えるには、いつもかなりの苦心であった。  その首脳部が、炬燵にうずくまって、 『主税、そこが少し隙いておるらしい。ぴたと閉めてくれ』 『閉まっております』 『そうかの、どこから風が洩れるのか』 『きょうの寒さは又、格別ですから』 『寒かったろう、外は』 『今日から十二月です』 『うむ』 『父上、又、忌々しい者が、同志の中からあらわれました。中村清左衛門に、鈴田重八の両名が』 『また、脱盟者か』 『中村様のごときは、誰でも信じ切っていたお人でしたのに。──内匠頭様のおん亡骸を泉岳寺へ御葬送申しあげた当夜、御遺骸の前で髻を切って復讐を誓ったうちの一人でしたが』 『うむ……』  と、内蔵助は、障子側のほうの耳が冷たく痛むのであろう、炬燵ぶとんの上へ、横顔を伏せ、眠り猫のように、眼をほそめている。  聞いているのかいないのか──  主税は、父の倍もある頑丈な肩の肉を、思わず昂げて、 『そればかりか、まだあるのです。田中貞四郎、中田理平次の両名も、どうやら行方を晦ました儘、所在が知れません。甚しいのは──お父上のお耳にも入れたくない事ですが』  すると不意に内蔵助は顔を起して、 『小山田の事か』 『そうです、小山田庄左衛門が』  語りかけると、 『もう聞いておる』 『誰方から』 『そちの留守に、不破数右衛門が立ち寄って、話して行った』 『何とも、言語道断な仕方ではござりませぬか。ああいう人間とは、今日まで』  と、いかにも若者らしい感情を頬に燃やして主税は憤慨するのだった。──それはつい昨日の晦日に起った事なのである。  同志のうちでも、真面目で沈着の人物と見られていた小山田庄左衛門が、年老った父の一閑を見舞いにゆくと云って出た途中で、何う気持が変ったのか、片岡源五右衛門の家へ入って、源五の留守のまに、金三両と小袖を盗んで、逐電してしまったという──まるで信じられないような話が伝えられたのだった。  それを今、外から聞いて来た主税が、憤って父にその鬱念を吐こうとすると、 『いや、そういう臆病風邪は、ふと引き易いものだ。この内蔵助にすら、自身というものを、よくよく見さだめれば、卑怯、未練、愚痴、迷い、人間の持っているあらゆる弱点はみな自分にもある事がわかる。──主税、他人事ではないぞよ』 『はっ……』 『ちと、口数が多かろう、つつしめ』 『は、つつしみます』 『まだあろう、明日の集合に欠ける顔が。──いざ、という間際までは、人間と人間同士のする仕事、逃げる魚もあろうし、水も濁ろう。それでいいのだ』 千鳥講  頼母子講の集まりという名目になっている。  十二月の二日だった。深川八幡前の講中茶屋へ、ぽつぽつ集まって来る顔には、医者、儒者、商人、武家、僧侶、さまざまな風体があった。 『おう、お久しいことで』 『いつぞやは』  などと門口でぶつかる挨拶も、みな何気ない。  茶屋でも、疑わなかった。  こういう寄合いは、珍しくないのだ。──席が定まる、雑談が弾む、茶を呼ぶ。  頃を計って、 『さて──』  内蔵助は、一同へ向って、膝をあらためた。 『お集まりを願ったのは、ほかでもないが、例の日も、何うやら近日に迫ってきたように存ぜられる。いわゆる自ら天機熟すというものでもござろうか。──就いては、元よりわれ等は一心同体。今更、異心のあろう道理はなけれど、この際、更に神文のちかいを新たにいたして、一層、結束を固くすることは無意義であるまいと思われる。御異存がなければ、血判をいただき申したい』  そう云って、 『──吉田氏』  と、眼くばせる。  吉田忠左衛門と原惣右衛門の二人が、ゆうべから心をこめて書いて来た起誓文──それを忠左衛門が懐中から出し、惣右衛門の手へわたして、 『御苦労ながら』  と、云った。 『承知いたしました』  と、惣右衛門は、姿勢をただし、 『読みあげます』  四箇条になっていた。  その第一条には── (冷光院殿さま御尊讐、吉良上野介どの討取るべき志これ有る侍共、申し合せ候処──)  という書出しで、近頃、変心の臆病者が続出するが、残る者は、この際いよいよ必死の結束をかためなければなるまいと戒め、亡君の御霊も御照覧あるべしと、結んである。  第二には──  討入の日の約束。  功の深浅は一切なし、一味すべて同功、合体して当る。  第三には──  紀律、節制の事。  第四には──  上野介を討ち取っても、一味勝手に退散せぬこと。  こう四ヵ条にわたって、最後には、 (──此一大事、成就仕らず候わば、此度退散の大臆病者と同然に相成る可く候事)  と、ある。  そこを惣右衛門は、二度読んだ。 『おまわし下さい』  起誓文は、順に手から手へ移ってゆく。  姓名を書いて、血判する。  咳声もない厳粛なうちを、静に、それが一巡した。  すべてで四十七名。  それが当日集まった者の全部であった。  つい先月──十一月までは、同志五十五名とかぞえられていたものが、晦日に迫って五十名に減り、それからわずか二日経った今日又、三名の顔が、永遠にこの中から去っていた。  主税は、心のうちで、 (こうしたものか)  と、きのうの父の言葉を思い出していた。  あの寒がり坊の父も、ここに坐っていると、寒さなどはてんで感じていないらしい。大きな建築を楽しんでいる大長者が棟上げを見ているように、その眼元は和んでいた。 『すんだか』  静に、側の者に問う。  連判の起誓文を巻いて納めていた原惣右衛門が、 『すみました』  と、答える。 『では、次に、これをお示しください』  と、今度のは、内蔵助が自身のふところから一通を取出した。 人々心得之覚え書  とある。  討入日の集り場所。また、刻限の事。  上野介の首を揚げた場合の扱いよう。  泉岳寺へゆく途中の心得。  子息左兵衛佐の首をあげた場合の注意。  味方の傷負について。  相図の小笛吹継のこと。  総人数引取りの折の銅鑼の打ち方。  退口は裏門と一決のこと。  追手討、又は上杉勢などと、衝突のある折に処する態度。  ──等々々、実に細々と認めてあるのだった。 『さすがは盟主のお心くばり、痒いところに手がとどくような』  と、人々は、諳誦したり、それを筆写して肌身にふかく仕舞う者もあった。  ──と、堀部弥兵衛が、 『大夫』  と、四、五名先のほうから、此っ方をのぞいて、 『これで万端手筈はととのうたというものでござるが、唯今までのお示しのうちでは、ただ一条洩れているものがあるように存ぜらるるが』 『お気づきの儀もござれば、どうぞ遠慮のう仰せ下され。──御老人』 『余の儀じゃおざらぬが、万一、吾々どもが事を挙ぐる未然に、公儀のお役人方の耳に入って、一味のうち誰人かが、御役宅へ召呼ばれるような事の起った節には、われ等、如何ようの態度に出るべきものでござろうか。──近頃ではもっぱら、江戸中に噂もある折、そういう突然の支障がないとも云えませぬでな』  内蔵助は、膝を打って、 『一失、一失。──それを書き落したは千慮の一失でござった。さすがは御老人、実にもようこそ』  と、謝した。  問題は重大である。内蔵助はやや黙考していたが、 『万々一、そうした事の起った場合は、一同、静粛に御吟味を願い出で、赤穂引渡し以後の始末、われ等の衷心、ただ真直に申し出るほかはござるまい』  忠左衛門も、原惣右衛門も、 『然るべしと思います』  と、同意を添える。  一同もそれに従う。  黄昏れにかけて、空は掻き曇って来た。炭火を焚きこめても、寒さは身にしみるのである。 『では、これくらいで』 『余事は又』 『もう残るところもありますまい』  酒を呼んで、わざと膝を崩し初める。頼母子講の事などを、雑談のあいだにわざとして、やがて茶漬を食べ、思い思いに散じて去る。  道にすこし、霜が白くこぼれていた。頻りと、千鳥が沖の闇で啼いていた。 雨娘  翌る日──十二月の三日だった。  本所林町の隠れ家に、きょうは堀部安兵衛が独りだった。  硯箱を寄せ、何か覚え書らしいものへ、符牒を印している。  約半年のあいだに、ぼつぼつ此処へ運ばれていた武器の覚えである。元より明瞭には書いてないが、安兵衛にだけ読めることは勿論である。 一、槍十二本。長刀ふた振。──まさかり二梃。──弓、半弓二張ずつ。  又、べつの項目へ。 竹ばしご、玄能、鉄てこ、木てこ。  それから── 大鋸二枚 鎹六十本 取鍵十六筋  などとも誌してある。ほかに、 松明、人数ほど がんどう提灯 二 鉦      一  小笛、人数ほど 『……はてな、小笛は、あの中へ入れておいたかしら』  縁側へ出て、履物へ足を下ろした。汚ない裏の空地に、菜漬樽や炭俵などの見えている納屋がある。中へ入って、安兵衛は菰のかぶせてある大きな張籠の中を検めていた。 『──お留守か』  すると、表のほうでこう訪れる声だ。  あわてて、そこを閉め、 『誰だ』 『わしじゃ』  京都の呉服問屋の旦那衆となりすましている大高源吾のすがたが、格子の外にちらりと見えたので、 『やあ、お出でか、どうぞ』 『ちと急ぐ。そちらへ廻ろう』  源吾は、横の木戸を開けて、裏へ入って来た。藪越しに、薄氷の張っている狭い川が見える。 『堀部──』  顔を見ると、すぐ、声をひそめて、 『よろこべ、吉報をつかんで来た』 『えっ、何だ』 『きょうも、例の四方庵へ茶の稽古に行ったのだ。指南をうけて、帰りがけ、この次の稽古には、六日の朝がた参ります──と、こう何気なく云ったのだ』 『ふム』 『すると、宗徧が、ことばの下に、イヤ、六日は困ると云う。六日には吉良殿に茶の朝会があって、それへ参る予定になっておるから、余の日にして欲しいと云うのだ』 『しめた』  安兵衛は思わずさけんだ。  寝ても醒めても、聞き出したいと願っていた事はそれだ。吉良上野介がたしかに邸にいるという日の確証をつかむ事だった。──六日に茶の朝会をやるとすれば、五日の晩には、必ず邸にいることは疑う余地もない。 『じゃあ、すぐにこの由を、内蔵助殿の耳へ』 『む。──それも急ぐが、五日とすれば、もう明日、あさって。ここからも手配を』 『お、いつでも』 『又、吉良の邸の出入を』 『すべて、そっちの方は、拙者がひきうけた。貴公はすぐ石町へ』 『じゃあ頼む』  源吾は、すぐ去った。  戸締りして、その後から、安兵衛も忙しげに林町の隠れ家を出て行った。  彼方此方に、各〻、枚をふくんで潜伏している同志たちは、この一日、曾てない緊張を示して、石町の本拠から、 (準備!)  の檄が飛んでくるのを、待ち暮していた。  だが、四日の日は、何の沙汰もない。  同志間の往来もなかった。  各〻が、いるところから寸地も離れなかったからである。万一、他出しているうちにでも、突然、蹶起するような事にでもなれば、一挙の統制を欠くばかりでなく、出おくれては一期の恥辱にもなる。  五日の朝──  その日は、寒々と細い糠雨が降っていた。  林町の安兵衛と聯絡を取って、神崎与五郎は、蓑笠を身に纒って、 『よし、おれが、見極める』  と、吉良邸のある松坂町附近を、雨にぬれながら見張についていた。  この界隈は、彼には危険地帯であった。ついにこの秋まで、吉良の裏門前で、小間物屋善兵衛として暖簾をかけて坐っていた縁故があるので、顔見知りの者が多いからである。  ──だが、案外世間は忘れっぽい。  幾人か、顔を覚えている者とすれちがったが、声もかけられない。与五郎は、先にいた家のまえも通ってみた。 『……あ、まだ空いているのか』  閉まっている二階の戸を見あげて、何かさびしい気持に打たれた。わずかな間にも、刻々と変ってゆく自分がはっきり考え出される。 『……おや』  ふと、彼は足を止めた。──雨に朽ちている廂の下に、きれいな娘が濡れているのだった。小間物の暖簾も今は掛けてない空家の軒下に佇んで、何を求めているのか、娘は、 『──簪くださいな。……有りません……じゃあ鬢附油』  低声で、そんな事を云いながら、雨戸を撫でまわしているのだった。 天機  霏々と、霧雨は寒く、風に撲られてゆく──  さあっと、そこの空家の戸へも、吹きつけるのであった。  ──が、娘は、寒さも感じないらしい。鹿の子と繻子の合せ帯が、もう水をふくんで、雫をこぼしているほどだった。  とん、とん、とん──  白い拳が、かろく戸をたたいている。 『右衛門七さん、あずき屋の右衛門七さん……』  呼んで、顔を押しつけて、 『まだ寝ているの。──鬢附油を下さいましよ。──開けて、この戸を、ネ、右衛門七さんてば』  神崎与五郎は雨の中に立ちすくんだまま、凝とそれを見ていた。全身の血が凍ってしまったのである。ただ熱いものが瞼につきあげてくるだけであった。 (──お粂だ)  済まないと思う。  罪なことをしたと思う。  これが凡の身の上ならば、お粂の愛人である矢頭右衛門七をつれて来て、あの濡れている姿を、何処か暖かいところへ抱いて行かせ、何んな事でもして、可憐な初恋の実をむすばせてやりたいが。──  だが。  それは、自分へだけの言い訳である。お粂の素振りは、もうふつうの精神状態ではない。たとえ、今になって何んな欣びを与えてやったところで、彼女にはわかるまい。 (──済まない)  ただそう思って、胸の中で詫び入るほかはない。自分の蓑でも脱いで着せかけてやろうかと思ったが、それも人目に憚かられるので躊躇われた。  と──そこへ、三、四人の大工の弟子たちが、濡れ鼠になって駈けて来て、 『いたいた』 『お粂さんは、ここにいる』 『又ここへ来ていたのか』 『何うしてだろう? 何日も、何日も』  そんな事を喚きながら、彼女を取り巻いて、家へ連れ戻ろうとするのだった。  与五郎は、すたすたと泥濘をただ歩いていた。振りかえってみることが恐かった。吉良家の塀の下を遠く通りこして、両国河岸から、大川の漫々とした水が眸にうつると、初めてわれに返った気がした。  暫く、その辺りで、時をつぶしてから、彼は又、吉良邸の表門を横に注意しながら、松坂町の往来をあるいていた。  ──と、一挺の塗駕籠が、そこの門を、何気なく出て行った。  五六人の徒士と、中小姓らしい者が二人。  至って、簡単な外出に見えるが、それから十間ほど隔てて、笠と合羽に身をくるんだ逞しい草鞋ばきの侍たちが約七名ほど、先へ行く塗駕籠を、絶えず警戒するように従いてゆくのが見える。 (あっ、もしや?)  直感に衝かれて、与五郎は、町の軒下をいそいで駈けた。  新大橋の畔までゆくと、更に、そこにも、一群の供の者が待っていて、初めて、人数を揃えて進んで行く。 (──上野介だ!)  もう疑う余地はない。  塗駕籠はやがて、上杉家の裏門へ着いた。樹蔭から凝と見ていると、山繭のような白髪の総髪と小袖の葵の紋が──ちらと──一瞬ではあったが、確かにチラと与五郎の眼にとまった。 (そうだ)  彼は、泥を浴びて、石町へ走った。  内蔵助にそれを報告しておく。  そしてすぐ、再び、松坂町へ戻って、上野介の帰りを見張っていた。──附近の空地、飲食店、寺の門の陰などには、なお、すわという時の聯絡をとるために、蜘蛛の巣のような注視を張って──  だが、到頭、夜になっても、上野介の乗物は、そこへ帰って来なかった。  刻々と来る報告を聞いて、内蔵助は、いつもの炬燵から出なかった。  血気な連中は、もうしびれを切らしてしまったらしい。一人寄り、二人寄り、いつのまにか、内蔵助の炬燵のまわりは犇めく人々で埋まって、 『大夫、やりましょう』 『明朝の朝会とあれば、きっと、深夜になっても、上野介は立ち帰るに相違ありません』 『この機を外しては』  と、今夜の決行を迫るのだった。  煮えきらない炬燵思案の顔いろを見ると、中には憤然と、畳を蹴って起ちかける者もあり、 『まあ、待て』  と、友に云われて、不機嫌に坐り直してはいるが、何かもう、噴出すべき力が──やむにやまれないこれだけの人間の意志が──地殻を破るように熱しきっている空気だった。  それを抑えつけている気まずさ、内蔵助をのぞく他は、誰の眉も、焦々していた。  ──と、そこへ堀部安兵衛が、 『だめだ』  がっかりしたような面持ちで入って来た。  そして云うのは、 『中島五郎作の家を訪うて、それとなく探ってみたところ、六日は吉良どのに差支があって、朝会は見合せになったと云うておる』  与五郎もやがて、 『どうやら、今夜は、上杉家へあのまま泊ったものらしい』  と、報告する。  両方のことばが符合していた。若手の連中も、それを聞くとあきらめる他なかった。  十一日には上野介在邸らしい。  と云う情報がしきりと入る。──十一日の夜をもって襲撃しようという事に、かなり動きかけたが、内蔵助がそれも又、 『相成らぬ』  と、さし止めた。  その日は、御側用人松平右京太夫の屋敷へ、将軍家が臨まれる日であった。市中の防火や警戒もきびしいし、何かにつけて、大事を挙げるに不利であることがわかって、人々は又、 (どうしてこう、ばつが悪いか)  と、嘆息した。  だが、そうした機会に焦れれば焦れるほど、一同の血は沸り、骨は鳴った。  もう、一人の脱盟者も、それからは出なかった。 炬燵を出る  どこに天縁はあるか知れない。いつ天機はあるか知れない。  安兵衛たちの潜居している本所林町から遠くないのである。職人町の間に挾まってうす汚い古寺だった。  そこへよく、横川勘平は遊びにゆく。 『盲阿弥さん、居てござるか』  と、狭い方丈へ声をかけると、口真似して、そこから、 『居てござるよ』  と、気だてのおもしろい五十ばかりの沙門が出て来るのだった。  この沙門の名を勘平は知らなかった。近所の者たちが、そう呼ぶので、彼もそれに倣って呼んでいるが、本人はべつにひがみもしない。文字どおりこの僧は盲目なのだ。まったくものの色も見えないらしい。  横川勘平は、赤穂表にいた頃は、煙硝庫御番をつとめていたので、鉄砲の事に興味をもつ。この僧も、眼があいていた頃は、一火流の砲術などを習って、さかんに殺生をやったというような話から、いつか懇意になっていた。 『──そうそう、あんたが来たら、ちょっと見てもらおうと思うていたのじゃ、毎度あいすまんが、読んで聞かせてくださらぬか』  思い出したように、盲阿弥が云う。  これは、彼のいう通り、毎度の御用なのであった。然し、勘平はいつも、煩わしい顔もせず、文書のことは、よく見てやっていた。 『手紙ですか』 『そうなんじゃ』  と、小机の上から、盲阿弥は手探りで、一通の書面を取りあげ、 『読んで聞かせて下さい』  と、云った。  何気なく、封書の差出人の名を見ると、 松坂町吉良様御門内      斎藤宮内  ──やっ? 勘平はあやうく声をもらすところだった。斎藤宮内! 正しくこれは吉良家の家老である。彼は、手がふるえた。何か、眼のつぶれるような秘宝でも手に持たせられたような気持で、 『うむ……。これですか』 『はい』 『いつ来たお手紙で』 『今しがた』  日を思うと──今日は十二月十日である。  勘平は胸の躍るのを抑えながら封を切った。文言は簡単である。 当月十四日 夜会催さるべく候間 他よりの先約容赦あるべく候  こう読み聞かせると、盲阿弥はうなずいて、 『ああ、そうですか』  と、この沙門には、何の問題でもないらしい。 『返事を出すのでしょう』 『ついでに、お願いできましょうか』 『おやすい事』  と、勘平は、すぐ、盲阿弥の旨のまま、委細承知──という文意を簡略に認めてやった。  ちょうど、下男も出ていないらしいので、勘平は、 『いっその事、私が、ちょっと吉良様まで届けてあげよう』 『滅相もない』  と、盲阿弥は首を振って、 『御筆労を願ったり、下男がわりの使走りなど願っては』 『なんの、お互に親しい間がらで、そんな遠慮がいるものか。ちょうど、両国まで行って足したい用事もあるし……』  と、気軽に、 『盲阿弥さん、文箱はあるかね』 『すみませんな。貧乏寺でも、文箱はここにあるが』 『じゃあ、お貸し。あずかって行きますよ』  勘平は、其処の石段を出ると、思わず大空を拝して、 『ありがたい』  と、つぶやいた。  下男ふうに、姿を変えて、彼は吉良家の邸内へ入って行った。  間もなく、そこを出て来ると、もう足は宙を飛んでいた。もちろん石町の本拠へである。 『──十四日だな!』  内蔵助は、いつになく、力をこめてそう云った。彼の感能へ何かぴいんと響いたものがあったのだ。面がぱっと輝いたのでわかる。 (討った! 吉良どのの御首級はもういただいた)  彼の直感は胸のうちでこう云っていた。──十四日、ふしぎとも云えるのだ、その日は亡君内匠頭の実に命日に当っている。  ちょうどそこへ、大高源吾からも、飛札が来て、 当月十四日、大友近江守どのお招きのうえ、茶会のおもよおし有之、四方庵の宗徧宗匠にも出席のはずに候  愈〻、ちがいはない!  だが──万々一、この前のように、延引ということがないとも限らない。この上、極力、敵方の探索を怠ってはならないと、内蔵助は思うのであった。 『横川』 『はっ』 『すぐ、もいちど、松坂町へもどれ──。そして、あの辺に潜んで見張っている衆へ、そっと耳打して、ぬかるまいぞと申し伝えてくれい』 『では──』  と、勘平が立ち去ると、 『主税、主税』  と、一室へ呼びかけて、 『支度せい。そちは、吉田忠左衛門どのの許まで、一走り行って来い』 『かしこまりました。──お父上は』 『わしも、其処此処となく』  と、つぶやいて、 『出炉じゃ、頭巾を出してくれい』  と、炬燵から起った。 此一期・月雪花 菜鳥椀  今年のように雪の多い年も珍らしいと、長生きしている年老さえ、眼を瞠って戸外に眺め入るのだった。──ちょうど十一日から降りだした雪なのである。何時ものぼとぼとと重い牡丹雪とちがって、氷を削ったような銀屑が風を交ぜて吹きなぐった。そして十二日も雪に明け、十三日も雪に暮れ、十四日の大江戸は、ほとんど雪の底に丸い凹凸を示しているだけで、世間は終日、ほとんど人声もしない。  ゴト、ゴト、ゴトと下駄の歯の雪をたたく音が戸外に聞えた。丸い背を柱に凭たせかけて、炬燵蒲団をかぶっていた七十六歳の老翁は、むっくりと真っ白な髷を起して、 『婆よ、門口にも心をつけんか、もうお客たちの渡らるる時刻、誰方かお越しなされたらしいぞ』  声はすばらしく大きな老人だ。堀部安兵衛の舅の弥兵衛金丸なのである。  大川端から西へ入ってすぐの町中で、この矢の倉の米沢町に老夫婦は暫しの隠宅を構えていた。 『はい、はい』  と、彼の老妻は台所のほうで忙しげに返辞する。黄昏の勝手元には、煮物のにおいや、だし汁の沸くのが温かに煙っていて、手伝いに来ている身寄の家の娘だとか下婢などを指図して、安兵衛の妻のお幸も賑やかに立ち働きしていた。 『菅谷半之丞様と、早水藤左衛門様のおふた方が、おそろいでお見え遊ばしました』  十六、七になる親戚の小娘が、きょうの取次役らしく、帯をきちんと結んで、炬燵の弥兵衛に手をつかえて告げた。 『お二階へ』 『はい』 『後からお見えになるお客も。──よいかの。顔の見馴れぬ衆が来たら、すぐ、婆かわしへ告げ、滅多に通してはならぬぞ』  急にまた、書き残りの手紙を思い出したらしく、弥兵衛は眼鏡をかけて、もう五、六通、そこに書き終えてある上に、更に、二通ほどの手紙を認めて、 『名残は程にしよう、限りがないわい』  と、つぶやいた。  いつの間にか燈火の来ているこの部屋の天井には、もう来客の声や、起居の物音などが陽気にひびいている。 『ホ……だいぶ見えたな』  眼鏡を下に──そして天井を仰いでニコニコと笑っていると、彼の老妻が、次の間の箪笥の前から、 『おじい様、お召物は』 『これでいいのじゃ。……どれ』  と、炬燵を起って、 『国表の者や、会うよすがもない身寄共へは、それぞれへ、一筆ずつ認めて置いた。わしの出た後で飛脚してくれいの』 『かしこまりました』 『二階への膳の用意は』 『いつでもよろしゅうございます』 『ご苦労だった。──この雪の日を、勝手元の立ち働き、寒かったろう。思えば、おぬしとの一つ暮しも四十年からになる。きょうが、おぬしの手になる晩飯の食べ納めじゃ。──長いあいだの世話だったのう』  と──その時、小娘が、 『おじい様、石町の垣見佐内様と、仙北十庵様が』 『む。お出でたか』  弥兵衛はずっと玄関へ出て行った。二人の客が雪合羽を脱いでいる。垣見佐内とは大石内蔵助のことであり、仙北十庵とは小野寺十内の変名である。 『おう』 『おお……』  常の親しみでする目礼と目礼も、今宵はお互いが粛然とした気持を受ける。主の弥兵衛に尾いて梯子段をのぼってゆくと、ここの二階は広かった。二間を抜いておよそ二十幾畳か敷ける部屋に、すでに先客が二十名ほど居ながれていて、床の間の正座だけを空けて雑談していた。  その空席の側に、吉田忠左衛門の顔がすぐ眼につく。内蔵助は忠左衛門と眼を見あわせ、 『ゆるされい』  と、空いている席へすぐ坐った。 『主税、潮田、近松、三村の四名は、石町の空家を家主へわたし、何かの始末をいたして参る故、ここへは立ち寄らず、林町のほうへ参って、後刻お目にかかると申し居りました』  内蔵助が、主へ断ると、吉田忠左衛門もその後から、 『伜沢右衛門も、折角、お招きをうけましたなれど、不破数右衛門と寺坂吉右衛門の二人を伴い、先に相生町の前原の宅のほうへ行きおりました故、失礼をゆるされい』  今宵となってはもう何の話も改まって無いように、人々は寛いで、やがて、安兵衛の妻のお幸や小娘が階下から運ぶ膳を前にして、 『御老人、遠慮なく御芳志をいただきまするぞ』  と内蔵助のあいさつをきっかけにして、一同杯を挙げた。 『さ……何もないが』  と、弥兵衛老人は、末座の若い連中たちへ、接待をつとめた。 『これできれいさっぱり畳む身代、遠慮してくれても無駄な残し物じゃ。御存分に飲ってくだされ』  だが、今夜の若者は皆慎しかった。ほんのり色に出る程度に、静かな杯を交している。各〻の膳部には、勝栗、昆布のほかに、菜と鳥を浮かした吸物椀が乗っていた。弥兵衛老人は、自分もそれへ箸を取りながら、 『これはあの婆が、各〻方の門出を祝うて、名を取りねかしと云う心意気じゃそうな。──老人も負けはせぬぞ』  と云って、椀を吸い乾した。 年齢の相違  駕籠も車も止まってしまったかのような大雪の中に、この人々の行動は、世間へ物音も聞かせず、迅く静かに、すべてを、今宵十二月十四日の夕刻までとして、秩序正しく仕果して来たのであった。  ──それがわずか、昨日から今日までの間にである。  今十四日、吉良邸で年忘れの茶会が催された事は、もう確実で一点の疑いもない。──石橋を叩いて渡るほど大事の上にも大事を取る内蔵助は、今日になっても、なお、念を入れて、同志の一人に茶入を持たせて、わざと深川高橋の四方庵宗徧へ使いをやり、 (呉服屋新兵衛の使でござりますが、この茶入のお目鑑を四方庵様へ願って来いと申されましたが)  という口実を含めて、昼の様子を窺わせにやった。  すると、四方庵の取次は、 (主人は今日、吉良様のお茶席へ招かれて不在でございますが、おさしつかえなくば、茶入はお預かり申して置きまする)と云う返事だった。  一方、松坂町に見張らせてある偵察組のほうからも、 (宗徧の駕籠が、確かに、門内へ通った)  と云う報らせ。  もう間違いない!  こよいこそ、吉良上野介は松坂町の屋敷に眠るだろう。──折も折、亡君の命日、しかも大江戸はこの白雪万丈。  ゆうべから同志の人々は国許へ手紙を書いたり、母や妻や知己へ遺物を送り出したりするので忙しかった。それぞれ、借家にいる者は、道具屋を呼んで所帯をたたみ、家主へは、 (遠国へ立つので、今宵はよその身寄の家へ泊るから──)と断って、近所の借銭や店賃も、滞りなく片付けて来ている。  誰も彼も、急にからりとした身の軽さを覚えた。肉親との絆も、世間とのいさくさも、総てのものから離れたという、生涯にない感銘をその時持った。──この先はただたった一つの事をする以外に心をつかう事はないのである。乗るか反るかの大事へかかるという程の緊張し切った気持などではなかった。何かしら、こうただ暢気で清々したものが、さほどの大事をも平気に思わせていると云ったふうであった。 『ひどく煙草がけむるのう』  膳が退げられて、茶に代ると、弥兵衛老人は、縁の障子を開けひろげさせた。──むうっと炭火の火気や大勢の人いきれが、廂から空へむらさき色に逃げてゆく。 『や、月じゃ』 『霽れたか』 『──大川の波を御覧なされ』  矢倉河岸の町家の屋根のあいだに、月光を戦ぎ立てている大川の一部が雪よりも白く見えた。チラリと向う両国の灯が二つ三つまたたいている。  ここから吉良上野介の屋敷までは、たった五六丁の道程しかない。もう町も寝しずまっているのだ。おそらく上野介その人も、夜の衾に入った頃ではなかろうか。 『ああよい風だ』  真っ白い息を吐いて、若い二三の者は、酔いに火照った頬を外の寒気にさらしていた。  内蔵助は、吉田忠左衛門、小野寺十内、原惣右衛門などの長老と膝ぐみして、何か、自身の処置について、諒解を求めていた。  それは金子のことらしかった。内蔵助が手許に預かっていた公金の使途を、明細な収支にわけて誌けて置いた物を、きのう、彼の手から瑤泉院の家老落合与左衛門のほうへ届けておいたと云うことを、老人たちに告げているのだった。  内蔵助が手許に保管しておいた公金の額は、六百五十一両と少しだった。ほかに瑤泉院の御化粧料を貸付けた金銀の利がおよそ九十両ほど。  もし、内匠頭の舎弟の大学頭の家名再興の事がかなった時には、それは浅野家再興の第一の入庫金となるものであったが、内蔵助の苦衷は酬われなかった。──そしてその金は、彼の好まないほうへ今まで費やされて来たのである。  日にすれば──赤穂退散以来の六百五十余日──その間の浪人たちの生活費や、復讐の軍費として使われて、結局、七両なにがしの不足が最後の数字になって残っていた。  若い連中は、金などは一切あずかり知らない。ずいぶん不自由や貧乏はして来たものの、要するに、内蔵助や老人連の内ぶところの苦労は知らない金を費って来たのである。  今も──その金の話なので、わざと、そこから遠ざかっていたが、 『どうだ、余り一度にここを出ても、自身番などで怪しまれはせぬか』  早水藤左衛門が云い出すと、 『そうだ、ぼつぼつ、散らかって出かけてもよいな』  内蔵助に計って、若い人々は順々に出て行った。  早水藤左衛門は、先刻から、主の弥兵衛老人が見えないが何うしたのかと思って、階下へ降りると、安兵衛の妻のお幸へ向って、 『ご挨拶申して参りたいが』  と、主の居間を訊ねていた。 『まことに年老ったせいか、意気地が無うなったと申しながら、中座いたし、そこの部屋にやすんで居りまする』  老妻の指さす一間を、早水藤左衛門はそっと開けて覗いた。蒲団をかけた炬燵がある、そこへ脚を入れて弥兵衛老人は横になっているのだった。亭主役として、すこし今夜は元気に酒をまいった様子であったが、まるで若者のような大きな鼾声を掻いて熟睡しているではないか。 『ウム──、お支度のよいことだ』  と藤左衛門は、この古武士のような剛愎の老人をながめて感嘆の声を洩らした。背後に佇んだ菅谷半之丞をそっと顧みても、また云った。 『俺などから見ると、やはり、年齢だけの相違はあるものだなあ』 矢の倉立ち  もう子刻は過ぎている。  大勢の客が去った後の台所に、暫く寒い瀬戸物の音が忙しかったが、そこも片づくと、急に家のうちはしんとなって、雪に埋もれた深夜の棟や梁が、時折ミリッと裂けるような音を走らせた。  あわただしく入って来て、 『叔父上は』  と、甥の佐藤条右衛門と堀部九十郎の二人が、突っ立った儘、家のうちを見まわした。  二階から静かに降りて来たお幸が、ちょっと眼を瞠って、 『奥で寝ておりまする』  と、低声で云うと、 『えっ、寝て? ……』  疑うような顔をしながら、二人はずかずか弥兵衛老人の居間へ入って行った。  今夜が討入なのだ! 思いぞ積る赤穂浪人が六百五十余日の苦心を、こよいこそ一気に霽らして、亡君の御霊に臣子の赤い血を捧げる晩なのだ!  ──だのに、さも心地よげな鼾声が、そこで聞えるではないか。 (呆れた老人)  と云わないばかりに、二人は坐りもせず行燈の下へ眼をやった。この際、炬燵に寝ているのさえ気が知れないのに、七十六歳の老人の脚を、七十歳になる彼の老妻が、一生懸命に按摩しているのである、──二人がそこへ来て突っ立っているのも気づかずに。 『叔父上、叔父上』  九十郎が云うと、初めて、 『おう……』  と老夫婦は一緒に顔を上げて、 『なんじゃ』  と、今更云う。  条右衛門が言葉を継いで、 『一党の方々は、もはや本所林町の安兵衛殿宅と、徳右衛門町の杉野十平次殿の隠れ家と、相生町の前原伊助殿の店と、こう三方の会合所へ向って、それぞれ出立いたしましたぞ。──御承知ですか、叔父上は』 『知らないでか、その方々の半分は、ここで祝盃を酌んで立ったのじゃ。──だが、時刻はまだ早い』 『戸外は大雪、それにお年老の足もと、早目にお出かけなされて丁度よい加減ではござりませぬか』  利かない気の老人が、若い甥の、その言葉に素直でいる筈はない。  がばと、炬燵蒲団を刎ねて、 『条右衛門』 『はっ……』 『云い居ったな。よし、それでは相生町の十平次の宅まで、供を申しつける』 『元より、あの附近まで、お供する気で九十郎と参ったのですから』  その間に、ずかずかと老人の足音が次の間へ移った。灯のない部屋の長押から槍を降ろしている。弓形になっているので、何うかと思われた腰が、弦を外したようにぴんと伸び、手に取った槍をりゅうと二三度扱いて、 『──屋内ではちと長いな。九十郎、この柄を七寸ほど断り縮めて、石突きを入れ直せ』  と、云って手渡した。  九十郎は吩咐けられた通りに、槍の柄を短く詰めて叔父へ返した。弥兵衛は入れ直した石突の先を、庭石へ二、三度突き鳴らして、 『これでよし、これでよし』  と、大きく頷いた。  それを小脇に持つと、ずっと玄間へ出て行ったのである。彼の妻は、四十幾年か連れ添って来た良人の白い鬢の毛を、じっと見つめながら従いて来たが、ふと弥兵衛が周りを見廻すと、まだ見えない者が一人あった。 『幸っ。……幸っ……』  大きな声で云って振顧った。──と、すぐ次の小部屋の襖の下で、お幸のすすり泣きの声が聞えていたのである。弥兵衛老人は、もう履物の上に片脚を下ろしていたが、 『ば! ばかっ! ……。安兵衛にその声を聞かせたら、愛想をつかされるぞよ。──いや其方より、この舅が気まりが悪いわえ』  条右衛門は先へ廻って、老人の足もとを気づかいながら、 『叔父上、お履物は、それでよろしゅうございますか』 『む。……支度は万端、杉野の宅でいたす』  軒下を出て、老人はふと空を見上げていた。大川を漕ぎ下る夜船の櫓音が泣くように軋んでゆく。 『──お幸、言伝けはないか。──ないか、安兵衛に』  それには答えないで、お幸の声が窓から云った。 『御機嫌ようお出まし遊ばしませ。……後の事は、幸がおりますから、お心置きなく』 『ウム、ウム……安兵衛にもその通り云うてやろう。ではおまえ達も、機嫌よく暮らせよ』  雪はかたく氷っていた。ざく、ざく、と三人の踏みしめて行く跫音が暫く聞えていた。何かつい其処ら辺りまで用達に出て行くような老人であった。──お幸も彼の老妻も、その人が二度と帰って来ない約束で出て行く人とは、何うしても思われなかった。 香う装束  蕎麦屋ではないが、誰かひとりが、蕎麦切が食いたいと云うので、他から蕎麦切を取り寄せて食べていたのである。  向う両国の亀田屋という茶屋だった。  二階を開けて、公然と高笑いをしている。昼間は盛り場だし、この辺りに夜更かしの店は多いので、誰も怪しむ者はない。  時々、外を見張っていた貝賀弥左衛門が、 『や、早水と菅谷が通る』  大高源吾へ囁くと、 『呼べ』 『呼ぶか』  と、すぐ梯子段の近くにいた岡島八十右衛門が駈け下りてゆく。 『よう、雪見か』  二人が岡島に連れられて上って来ると、茶屋の亭主が、汚ない帳場硯に紙切を持って従いて来た。 『御風流の方のお揃いのようでございますが、何ぞこれへおついでに、俳諧などおしるし下さいませぬか』  蕎麦を食べかけていた片岡源五右衛門が、 『おやじ殿、よしたがよい。ここにいる連中にそんなことを頼んだら、頼まれぬ襖や屏風にまで、よい気になって塗りたくられるぞ』 『いえ何、そんな高価な物はございませんから、安心でございまする』 『おまえも、俳諧でもやるのか』 『へい、店の暇に、冠附の点取の取次ぎなどやっておりますので、何やら下手の真似事を』 『それは面白い。……して、今出されている冠附の上の句は』 『──何のその。と云うのがきのう宗匠から廻って参りましたが、どうもよい下句が附きませぬ』 『それなら、あの人に附けてもらえ』  と、源五右衛門が、大高源吾のほうへ眼をさし向けると、亭主は早速、硯箱と料紙をそっちへ向けてにじり寄って行った。 『なに……冠句の下句を附けてくれいと。よし』  大高源吾は、すぐ筆を取って「何のその」と云う下へ、 「岩をもとおす桑の弓」  と書いて渡した。  杯をふくんだり蕎麦を食べている各〻の眼が、黙ってそれを読んでいた。茶屋のおやじは訳もわからずに面白がって、階下へ降りて行った。  もう丑刻(午前二時)近いだろう。白粉の女の住む岡場所の路地の灯さえ消えていた。ぞろぞろと、七、八人が外へ出ると、亀田屋では待っていたように戸を卸した。 『では──』 『では、後刻──』  辻から二組にわかれて散った。  大高、片岡などの三、四名は、そこからはもう急ぎ足で、本所林町へ、堀部安兵衛の浪宅へ馳せつけた。 (来ているな!)  頼もしい気持で胸がいっぱいになる。安兵衛の家にも、宵から討入りの祝宴があり、やがて、それの片づく頃には、矢倉に集まった人々や、その他、散々に今宵を待っていた輩が後から後からとここへ来て落ち合っていた。  武器、装束、その他の討入道具の包まれている荷梱や、箱や藁包が、裏の庭先で解かれていた。  見張は勿論、この家の前の往来や辻にも影を潜めている。  身支度に手間暇はとらなかった。ここへ集合した大部分の者が、一瞬の間に、各〻ふだんの姿をかなぐり捨てて、こよいの晴れの討入装束に着更えてしまった。 『見ちがえるの、よい武者ぶりに』  と、男が男のすがたに見恍れるほどの者もあった。わけても吉田忠左衛門、背は高く、肩の肉は厚く、容貌は魁偉である。黒革に白革の横筋を入れ、兜形の八幡座に、眉庇は猩々緋、吹き返しは白羅紗、縮緬の忍び緒を頤深く結んでいた。  肌着は浅黄羽二重の綿入、鎖帷子を着こみ、茶裏の黒小袖の袂を短く縫いこみ、両臂には一重差の甲無し籠手を貫き、大真田の襷をかけ、鎖股引に陣草鞋。  袖には、「吉田忠左衛門兼亮」と書き、 君がため思いぞつもるしら雪を     ちらすはけさの峰の松風  歌一首、この世の言葉の終りと、頭巾の錣の裏に結いつけていた。  大石内蔵助を措いては、一党の誰も皆、この人を副統領と仰いでいた。  若い人々は、忍びの緒に、派手を見せていた。緋ぢりめんの緒、むらさきの革の緒。  火事頭巾の内側へは、一致して、鉢金を入れていた。着込みは、各〻の好み、繻珍もある、緞子もある。  籠手、脛当も、すべての者が附けていた。上着はいずれも定紋附の小袖、その両袖に晒布を縫いつけていた。──味方同士の合印である。それへ、各自が姓名や生国年齢などを書きつけていた。  又ほかに、短冊形の金革に姓名と名乗を書いて、後襷に縫いつけていた者があるし、辞世の和歌とか俳句とかを誌している者もある。  襷には、大真田、緋縮緬、革、雑多であったが、すべてに、鎖が縒り合せてあった。  襟から懐中へかくれている糸の先は小笛。  上野介の首級を挙げた時──又退く時──そのほかの場合の合図に。  三、四名は、特に懐剣と早縄などを袂にしのばせていた。  忠左衛門は、公儀への口上書を差出す時に使用する新しい白扇一つと、ほかにもう一品、副将としての采配を帯びていた。  呼吸薬、気附薬は、糸で襟に結びつけていた。奮戦中にも口へ含めるためである。  血どめ薬、餅、焼飯なども少しずつ腰へ。  金子は各〻が一両ほどずつ用意していた。  それ等のあらゆる用意は、目的と行動の為の用意であったが、ただ一つ、こよいの目的にも行動にも関わりのない用意を──しかも総ての者が用意していた。それは何かというと、装束の肌着や錣頭巾の裡に、焚き秘めている香のにおいの、誰の姿にも薫々と漂う死後の嗜みであった。 雪響き  本所林町から松坂町へ。  およそ十町ばかりの道である。雪も風もやんでいたが、一陣の雪旋風が駈けて行った。  雪を蹴立てて先へ行く人々の足もとから、銀の光が煙って、後から黒々と続く人影を吹きなぐった。  二つ目橋の上にかかると、 『鐘だ!』  と、誰か云う。 『七刻──(午前四時)』  と、嘯くように木村岡右衛門。  ふと先へゆく神崎与五郎の襟元から、ヒラと落ちた物を拾い取って、 『与五郎どの、御辞世が落ちました』  と、その短冊を拾って渡しながら、又足も止めずに駈けながら、声高く読みあげた。 あずさ弓 春ちかければ小手の上の 雪をも花の吹雪とや見む  すると、すぐ後をうけて、間喜兵衛が自分の辞世を自分で朗詠した。 みやこ鳥 いざこと問わん武士の 恥ある世とは 知るや知らずや 『遊ばしたの! それがしも』  と小野寺十内も又、声を張りあげて、 わすれめや 百にあまれる年を経て つかえし世々の 君がなさけを  橋を越えた先の群れは、河岸に添って、月と雪の光りの中を、まるで鴉のように突き進んでいた。もうここまで来ると、制しきれない血ぶるいが、五体を躍らすだけでは足らなくて、口から何かの声となって衝き出るのを何うしようもなかった。  木村岡右衛門は、頭巾の裡に縫いこめてある自作の詩を、白い息して口誦さんでいた。 身ヲ浮雲ニ寄ス滄海ノ東 久シク恩義ヲ愆ツ世塵ノ中 花ヲ看ツ月ニ対シ窮マリ無キノ恨 散ジテ暁天草木ノ風  そうだ、もう夜半ではない。五更といえば明け方である。今橋の上で聞いた七刻が辻集合の合図だった。  その松坂町の辻には、もう杉野十平次の徳右衛門町組の一手と、前原伊助の相生町組の一手とが、一団になって黒々と立っていた。 『──叱いっ』  吉田忠左衛門が、血気な足なみへこう手を振った。すぐ眼の前に吉良家の囲いを仰ぐと、さすがに毛穴が緊まって、誰の脚も、ひたと道に凍りついた。 『…………』  錣頭巾の眉庇の陰に、忠左衛門の眼はいつもの彼とは人の違うような鋭い眼になって、総て、ここに合体した総勢の頭数を忽ちのうちに読んでいた。 『よしっ』  内蔵助のそばへ寄って、ふた言三言、何かささやくとすぐ、四十七名は東の表門組と、西の裏門組との二手に分けられた。  各〻の赴く部署は前から決っていた事である。  表門は大石内蔵助の指揮。  西の裏門は、主税良金を大将として、副将の吉田忠左衛門はその後見役。──さっと身を沈めるような形をとると、総勢は秩序ある分列を作って、一方は裏門へ、一方は表門へ。  ど、ど、ど、どっ!  雪の落ちる音だった。それと同時に、裏門からも、表門からも、塀のみねへ、樹の梢へ、猿のように攣じ登る人影が鮮かに見えた。  どどどどっ──  頻りに雪は大地を震わして落ちた。吉良上野介の深殿を繞る庭の樹々は悉く雪を散らして戦慄した。──しかも、まだ屋敷のうちでは気がついた気配もないのである。  表門へ掛けた梯子の突端が、その光景を睨まえているかのような月を貫いていた。第一にその光から屋根廂へ飛び移って行ったのは、大高源吾であった。 『御免っ』  と、岡島八十右衛門と先を争って、二番乗りは吉田沢右衛門、どうんと門内へ地ひびきさせて跳び降りた。 『あぶないぞ、御老人』  三番乗の八十右衛門が、こう云って、自分の下から攀じ登って来る堀部弥兵衛へ手をのばした。  だが老人は、 (いらざる世話)  と、云わんばかりに、八十右衛門の手を拒んで、片手に槍を抱えながら登りつめた。然し、何と云っても七十六の老齢である。後からひた押しに登って来た片岡、間、矢頭、勝田、武林、早水、などの面々が、ばらばらと邸内へ跳び降りるのをながめながら、さすがに、その芸は体に難かしいらしく、 『源吾、源吾、ここへちょっと肩を』  と、冠木門の屋根に四つ這いになっていた。 『おおっ』  大高源吾が、その下へ救いに行くと、 『無礼、ゆるされい』  弥兵衛老人は彼の肩へ、片足をかけて、飛び下りたが、飛んだと思ったのは彼自身で、体は、その途中で源吾の逞しい両腕に、ふわりと抱き支えられていた。 『軽い』  子供を下ろすように、源吾が手から下ろすと、老人は、 『わあっ! ……』  他の若者に交って、見向きもせず、打砕かれた大玄関へ槍を向けたまま屋内へ躍りこんで行った。  表門組の総勢は二十三人、まだまだ折り重なって、門や塀や屋根から、どすんどすんと邸内へ降りていた。 『しまったっ』  と叫びながら、雪と共に、屋根から辷り落ちた者に、神崎与五郎と原惣右衛門の二人があった。  いつ越えたのか、内蔵助もすでに邸内に立っていた。掛矢を揮って、玄関の大戸が見事に打ち破られるのを正面に立って眺めていたが、その時、門番小屋から、小者らしい男の影が、鼬のように樹蔭へ走った。 『おのれっ』  誰かがすぐ見つけて追い捲くして行った。──斬るなッ! と云う注意は、内蔵助の脣から走ったものだった。縛り上げた門番は、すぐ番小屋の柱にしばり附けられた。  ──何処かで、 『火事っ、火事っ!』  と叫ぶ声が走る。敵か味方か、もう声ではけじめがつかなかった。  ここの物音以上の物音が、裏門のほうからも時を合せて震い起っていた。東西三十間、南北二十余間の塀にかこまれている吉良家の邸は、一瞬の間に、地殻も裂けるような鳴動と旋風の中に置かれていた。 牡丹の袖  ──表門から雪崩れこめば、玄関の間、突き当って書院があり、次に納戸、奥に幾間かの居間がある。  上野介の子息左兵衛佐の住居はそこであった。  裏門から躍り入ると、上野介の隠居所が近い。左兵衛佐の住居と隠居所とは、中庭をつなぐ奥廊下で聯絡されているのだった。  屋根すら持ち上がるのではないかと疑われるほど、グワラグワラと瓦が落ちてくる。板屋根の部分や大廂は、天魔のおどるような響きが駈けていた。 『原氏、用意の物!』  内蔵助に云われて、 『おうっ』  と、原惣右衛門は、玄関前に、一丈ほどの青竹を持って待っている間瀬久太夫の方へ走って行き、懐中から取り出した一通を、確乎と青竹の先に結びつけて、二人してそこの大地へ深く突き差した。それは── 『浅野内匠頭口上書』  という表書の下に、一党四十七名の姓名を列記して、やむにやまれない臣下の憤心と、君侯の残念とを認め、やがて明日はここへ立つであろう公儀の見分役へ対して、自分たちの怯みなき正義と、主家の立場とを明かにした「申し分」の訴えであった。  この青竹が立つと、内蔵助は、 『早水氏、神崎氏、その他の衆も、長屋への備えは要らぬと見えた。屋内へかかれ』  と、彼方へ云った。  ここの長屋長屋には、上杉家からさし廻してある腕ききの附人が住んでいるものと見て、早水藤左衛門と神崎与五郎に弓を持たせ、ほか四五名の者を伏せて様子を見ていたのであるが、さしたる敵も出て来ないので、こう号令したのであった。 『おうっ』  と云って、その一手は、大廊下のほうへかかった。雨戸は幾枚も外れていたが、掛矢を振って撲り廻ると、戸は独楽のように外れて庭へ転がった。 『浅野内匠頭の家来、亡君のあだを報ぜんがため、推参申したりっ』 『吉良どのは、何処におわすか!』 『疾う疾うお出合いなされて、潔く、御首を賜われかし』 『末代、汚き名を遺したもうか!』 『吉良どの! 上野介どの』 『内匠頭の家来ども見参』  彼方此方に、こう駈け廻りつつ叫ぶ声が、夜叉の襲来のようであった。──若い声、しゃがれた声、憤り声。  小野寺十内の子、幸右衛門は鬢髪を振り乱して働いていた。近習部屋からガバと起きて、 『推参ッ』  と、押っ取り刀で向って来た三名の侍に取り囲まれ、半死になって渡り合った。 『あやうし!』  と見た大高源吾は、書院から驀しぐらに助けに来た──。何者とも分らなかったが、その途中、襖の蔭から、 『退れっ! 曲者っ』  豹のように躍りかかって来た刃がある。源吾は、 『なにっ』  向き直ると、炬のような眼をして、大太刀を振りかぶった。  口ほどもなく、その男は横っ跳びに廊下のほうへ逃げ出したが、途端に、赤穂の者の槍の穂に刎ね上げられて、縁先から外へ抛り捨てられていた。  源吾のすがたを見ると、幸右衛門を囲んでいたうちの二人は逃げた。その一人は、追いかけて、源吾が斬り下げた。  源吾の装束は華やかだった。長刀かと見えるような大太刀をつかって、黒小袖の下には、燃えるような両面の紅の袖を重ねていた。大太刀の旋舞が稲妻を描くたびに、袖裏から牡丹のように緋が狂っている。  幸右衛門も、最後の一人の敵を斬りふせていた。源吾は、 『やられたな!』  と、思わず賞めた。  ニコと微笑して振向きながら、幸右衛門は広間の床の間へ向って駈けた。──何処に敵が? ──と源吾の見ているうちに、その二間床に掛け並べてあった弓の弦を一薙ぎに彼の刀が小気味よく斬り払っていた。 『あっ……』  奮戦の中だったが、誰もふと、耳を奪られた。百絃の琴を一時に断つように、弓の弦が異様な鳴りをふるわせて、バラバラと刎ね崩れたからであった。 『出来された』 『よう気づいた!』  味方のうちの老人であろう、入り乱れている影の中から、こうしゃがれ声でまた称える者があった。 吉良方義士 鼻のきく友  平常の警戒ぶりから見ると、当夜に限って、不意とはいえ、吉良家の側には、その備えにも急変の出合にも、どこか弛緩しているところがあった。鉄壁の中を信じきって、熟睡していた者が多かったのである。  雪のせいもあったろう。冬の夜の美しい炭火に灰をかぶせて、屋の棟の大雪を思いながら、深々と綿のあつい夜具へ身を入れる時──何うして一瞬の後に、この寂寞を破る恐ろしい現実の突発を予想することが出来ようか。よしや、ふとそんな虫の知らせが胸をかすめたにしても、 (まさか、こんな夜に──)  と、ふだんの常識が、否定し去ってしまうのが人間であった。  もう一つの理由は、昼間済ました茶会の気づかれであった。  この茶会の人出入りには、吉良家の家臣も付人たちも、又かといつも頭痛にしていた。──殊に、上野介が自邸でするとなると、土蔵から道具類の出し納れも一仕事だし、懸物の掛け代えとか、茶席の設らえとか、料理の工夫とか、当日の接待とか、ふつうの閑人がやるにしても、並大抵のものではない。 (何が面白くて、このような警固の中で、茶などやるのか)  と、上杉家から来ている附人などのうちには、口に出して云う者もあるが、幽居も同様な今の上野介には、まったく、茶でもして憂い日を忘れるほか、何の楽しみもないのだと聞かされると、 (なる程、そう云われてみるとなあ)  家臣も、付人も、暗然として、上野父子の現在の生活に、同情せずにいられなかった。  嫡子の左兵衛佐は、いつも神経質な青白い顔をして引き籠っていた。わびしさに、父の上野介が、 『そちも、少しは、世間づきあいもしてみい』  と、茶の催しや、書画骨董の交わりの席に誘って見ても、いつも、頭が痛いとか、気分がすすまぬとか云って、陽陰の部屋を好む左兵衛佐であった。  ──ちっと、父の脣から舌打の出るような場合すらある。上野介は、元来が陽気で派手好みの方なのだ。それが、ここ一年余りというものは、たださえ気が滅入るばかりなのに──老妻の富子も里方へ帰ってしまうし、血を分けた嫡男の三郎も、上杉家の養子となり太守となって、今では、わが子という気持もしない。ほかの子は皆女子で、それも他家へ嫁いでしまっているし、省みれば、自分の身のまわりには、位階や財宝は老の身に重すぎるほどあったが、肉親の愛情とか、家庭的なあたたか味というものは、少しも恵まれていなかった。冬荒れの孤雁のように淋しい吉良父子であった。  そういう生活にある主人の境遇を、じっと、常に邸内の長屋から見つめて、 『お気の毒なものだ。──世間の眼から見る上野介様と、ここから見る上野介様とは、まるで違うが、世間は、そう思うまい。さだめし、栄華三昧の貪慾なお方と思われているだろうに、……何という不運なお方だろう。しかし是非もない事だ』  清水一学は、いつも独りつぶやきながら、非番となると独り酒を酌んで、 『おれなぞは、鬱々すれば、こうして酒をのんで、ごろりと手枕になれるから、まだ有難いが……』  何かにつけ、主人思いの彼は、上野介の寂しさを思いやるのだった。  まだ十四歳のとんぼ頭でいた頃に、三河国横須賀村の草ふかい百姓家から拾い出されて、一人前の侍にまで育て上げられた恩義──と云うよりは上野介の多年の情愛に対して、一学は、今の主人の孤独の寂寥や、暗い日々の気持が朝夕自分の胸へひしひしと映って、或る時は、自分の肉体のように余りに苦しくて、酒の力で眠る夜も多かった。  十四日の昼から宵までは、ただ忙しいうちに暮れたのだった。茶会が終って、客の見送りや、道具の蔵納れなどを済ますと、もう雪の大戸を閉め廻る頃になっていた。  風呂をいただいて、一学が、長屋へ帰って来たのはもう十時の頃だった。  それから寝酒の一酌を傾けていると、 『清水、飲っているな。──鼻がきくだろう、嗅ぎつけて来たぞ』  日頃、ひそかに誓い合っている刎頸の友、木村丈八が後から入って来た。 酒供養  丈八も強いし、一学も酒がつよい。  勝手口へ取っておいた一升は空になっていた。 『……ちと飲み足らんのう。御賄所へ行って、例の手で召上げて参ろうか』  一学が立ちかけると、 『まあいい、今夜は怺えよう。おれもそろそろ近習部屋へ帰って寝るとするから』 『いつになく切上げがよいではないか』 『ちと、くたびれ気味だ』 『まあもすこし話してゆけよ』 『話していてもいいが、酒がないぜ』 『酒よりは話がしたい。今夜は、ここへ寝ないか。──こういう晩も、来年はあるかないか分らない』 『清水……ひどく今夜は淋しがるじゃないか』 『大勢のお客が帰って、上野介様もきっとお淋しくおやすみのことだろう。おれには、そのお気持が胸へこたえて来るのだ。……それに』  と、一学はふと燈火のない隣りの部屋をさし覗くようにして、 『このふた晩ほど、続いて、死んだ母者人の夢ばかり見ている。そろそろおふくろの迎えが近づいて来たのかも知れない。……だから、貴様とこうして語るのも、そう長い間の事ではない気がするのだ』  そう云われて丈八も気づいたのである。女気のない住居に似ず、隣りの部屋には、一学の母の位牌の前に、燈明が瞬いていた。  今日ばかりではない。何日でも役目が済んで長屋へ戻ると、一学は何より先に母の位牌へ向って、 (今日も、上野介様には、おつつがなく、一日お過ごし遊ばされました)  と、告げてから袴の紐を解いた。  丈八は、曾てその老母の許に帰郷していた一学を訪ねて、三州横須賀村の茅葺屋根の下に一晩泊めてもらった事がある。その折も、この母子が、領主の上野介の恩を深く徳としているのを見て、強い感銘に打たれた。あの時、老母が手ずから打って馳走してくれた田舎蕎麦の味も、忘れられないものだった。  その後──その老母の死の報らせを郷里からうけて、それ以来の清水一学には、何か深く心の底に思い極めている様子があった。一面、専念に主人の上野介の身辺を守りながら、一面では絶えず「防ぎ難い或る事態」の到来を、ひそかに待っているもののように見えた。 『──妙に陰気になったな。貴様とおれと酒をのむと、いつも沁々しすぎて、こうなる癖がある』 『酒の味は、心に沁み入るところが値打だ、馬鹿騒ぎして飲む酒なら何も相手も選ばない。……まあ泊って行くさ。夜具はないが、一つ蒲団でごろ寝の夜語りもわるくはないぞ』  そう云われると木村丈八も座を起てなかった。心をゆるした友達と、酔後の手枕は元より悪かろう筈はない。その友達が、今夜に限ってしんみりと話したがるのである。──ただ恨むらくは酒がない。もう少し酒があればと、酒呑みの意地汚なさで、つい思う。  すると、窓の下を、誰かゴトリゴトリと重い跫音を雪の中に運んで行く者がある。 (そうだ)  丈八が思いついて、起ち上ろうとすると、やはり同じ思いだった一学が、もう先に窓へ寄って、雪の戸を開けていた。 『おいっ、中間、中間』  毎夜、半刻交代で、夜どおし邸内を見廻っている二人組の中間と思って、そう呼んだのである。  ──だが、その声に、樹蔭から戻って来たのは二人連れの中間でもないし、六尺や提灯なども持っていなかった。 『──拙者をお呼びですか』 『あっ……失礼した。中小姓の笠原七次郎殿だな』 『左様です』 『見廻りの者と思って呼んだのでござる。──もう寝しずまった今頃、ほかに誰も御邸内を歩いている者はあるまいと思うて』 『何か、御用ですか。──宿直の当番ではありませぬが、今日のように、昼間のうちは御用で疲れ、夜はこの大雪で人の油断しがちな晩こそ、却って要害せねばなるまいと考えて、実は、自分勝手にこうして見廻りに歩いているのでございますから、何ぞ、御用があるなら吩咐けて下さい』 『や……では御非番なのに、寝もやらずに』  一学は雪明りの中の人影へ、思わず頭を下げて云った。 『──御苦労に存ずる。実はこれにて木村丈八と二人で、寝酒をやっていたが、ちと酒が足らぬ故、中間たちであったら、お賄所から少々無心させようと云う肚でござったが、人の眠る間も寝もやらず、この雪の中を御警固くださると聞いては、此方共も、三斗の水を浴びた心地、御忠節に対して、恥じ入ってござります。呼びとめて、失礼いたしたが、どうぞ、お宥し下されい』 『……、お酒ですか』  笠原七次郎は笑って頷いた。一学の酒好きはよく知っているからである。 『お易い御用です。後からすぐ届けてさし上げる』 『いやもう、それには及ばぬ。笠原殿、それには及びませぬぞ』  謝まるように云って、戸を閉めたが、すぐ取って返して窓の外へ来た跫音が、コトコトとそこを叩くので、再び開けると、赤合羽を着た笠原七次郎が、凍えた手に一升徳利をかかえて、 『まだござりますぞ。これだけでよろしゅうござるか』 『あ……恐れ入る。相済まぬ事を』 『何の……』  笠原七次郎は、にこにこしながら立ち去った。  一学と丈八は、窓からその影を暫く見送っていた。そして酒の入っている一升徳利を、火鉢の側へ持って戻ったのだが、お互いに憮然として、それを見ているだけだった。 『丈八』 『ウム……』 『百余名もいる此御邸内の家臣や附人のうちで、真実、御奉公の心のある者が幾人いるかと、常々、心ぼそく案じていたが、やはり真実の侍はいるものだ。……おれはこの酒を飲むのも済まないような気がして来た。今の笠原という若侍の真面目さに対して──』 『あれは、関口作兵衛の弟で、まだ若いが、心構えも腕もできている男だ』 『関口作兵衛とは?』 『千坂兵部様の腹心で、曾ては、おれ達と共に、京大阪の方面へ、赤穂方の浪人たちの動静を探る役目を吩咐かって出向いていたが、山科の毘沙門附近で何者かに殺害され、しかもその死骸の首がなかったという』 『赤穂の浪人だな。仕手は』 『武林唯七らしいという事しか分っていない。先刻の笠原七次郎は、自分の兄が、そういう目に遭っているので、赤穂の者共が襲せて来たらと、いつも緊りつめた悲壮なものを抱いているらしい』 『兵部様といえば、この頃はちと、お体も勝れぬように聞いているが』 『御心労のおつかれだろうな。この雪の降る前にも、此方の模様の御報告をかねて、お見舞に行って来たが、その折は、ちょうど御来客で、お目にかかれなかった』 『……ちと寒くなったな。更けて来たとみえる』 『酒も醒めかけて来たし』 『寝もせずに見廻っている笠原七次郎には済まないが、やはり、この酒は飲むとするか。──丈八、そこの燗徳利を取ってくれ』 『待て、炭もつがなければ、銅壺の湯も、ちと冷め加減』  飲みほして、二人はなお語りつづけていたが、夜半になると、さすがに何っ方からともなく口を緘んで、まだ酒も少し残っていたが、脚だけを夜具に入れて、手枕のまま寝入ってしまった。  ちょうど二人で二升近い酒。  酔わないつもりでも、かなり腸は酒浸しになっていた。大きな鼾声のうちに行燈もいつか消えてしまう。  そして、七刻(午前四時)は来たのであった。  ──そのすこし前に、木村丈八は寝がえりを打っていた。行燈が消えているので、手探りで台所のほうへ出て行ったのが見えた。喉が渇いたものとみえ、水桶の竹柄杓をさぐっていたが、桶の水もカンカンに凍っているのである。丈八は、柄杓で氷を割っていた。  ガバッと、その途端に、闇の中で清水一学が刎ね起きていた。 『丈八つ。……今の物音は?』 『おれだ……おれが手桶の氷を砕いたのだ』 『何処に耳をつけているのだ。そんな物音か! あれが。──おおっ、表門に、裏門に、凡ならぬ気配がする』 『えっ! ……』  恟っとして丈八は立ち竦んだ。一学は窓へ顔を寄せて、凝と耳を澄まし切っている。爛々と白い眼がそこに光る。  一瞬の間に、もう広い邸内には、雪の轟きと、掛矢のすさまじい音と、そして雪を蹴立てて駈けまわる跫音の中に、 (浅野浪人、吉良殿の御首級を頂戴に推参っ)  と、暴れさけぶ声、声、声。 『あっ! ……襲って来たっ』  丈八は、思わず手にしていた氷の柄杓を取り落して、 『清水、赤穂の浪人共だぞ』 『落着けっ、丈八』  一学はたしなめて、飲み残りの酒徳利の首をつかむと、何思ったか、暗い次の部屋へ入って、坐っていた。 矢風刃風  茶碗の酒を酌いで、仏壇の亡母へ最期を告げている一学であった。それを覗くと、木村丈八も、はっと、平常の自分に帰った。 (そうだ、おれにはおれの任務がある)  彼は、千坂兵部の腹心である。特に、兵部の旨をうけて、出ては赤穂表から上方にわたって隠密として働き、ここにいては、絶えず上野介と上杉家との連絡を取っていたのである。 『清水、おれは行くぞ』 『待て』  一学は亡母へ酌いだ酒を、ぐっと飲みほして、丈八へ向けた。 『おわかれだ……』 『ウム』  片膝を落して、丈八が茶碗を受けた時である。バラバラバラバラッと、窓や入口の雨戸へ大きな雹でも打つかるような音がした。  外から半弓を射かけているのである。ブス、ブスッと、雨戸を突き抜く鏃の先が、白い星のように幾つも光って見える。  一学は袴の股立を高く絡げ、襷鉢巻をして、戸へ近づいたが、 『あぶない! これを被って出ろっ』  と、丈八が後から女の小袖を抛った。  女気のない一学の家の押入に、そんな小袖があるのを知っていたのも丈八だけだった。今は世を去って亡い一学の妻の花嫁着物だった。 『辱けない』  一学は、裲襠を頭から被った。黴のにおいの中に、連れ添って二年目に、産後で死んだ若い妻の残り香が、ふと顔をくるんだ。 (妻も、亡母も、おれを待ちわびているとみえる。見ておれ、清水一学の死出の働きを)  こう念じながら、戸に手をかけた。  浅野浪人のうちでも、誰か主だった年長者の声らしく、矢たけびの戸外にあたって、頻りと、こう云っている言葉が、丈八にも一学にも聞えていたのである。 『女子供は討つな。女どもは、逃げるにまかせい』  矢音が止んだ瞬間に、一学はがらりとそこを開けて躍り出ていた。厚く凍っている大地の雪の冷たさが、素足の裏から頭のしんへ突き抜けてくる。  雪ばかりか、外には、月も冴えていた。早くも大玄関は打ち破られ、書院の大戸を、掛矢で打ち破っている人影が見える。  点々と、邸の中を、雪の中を、夜鴉のように疾駆している黒い人影と刃影──一学は見た途端に総毛立った。 『うぬっ。寝込みへ来たな。御首級はやれぬ、この一学のあるうちは』  植込みを潜って、一学は、上野介の寝所のほうへ急ぎかけた。──そこには十分な要害もあるし、宿直の備えもあるので、万が一にも、まだ不吉なことはない筈とは思うのであったが、もう胸は早鐘を撞いている。何としても、大殿と嫡子の安否が気づかわれる。  綿のように厚ぼったい梢の雪が、ぼたぼたと裲襠の肩へ落ちては散った。  と──その艶やかな被衣に似げない敏捷さを不審かって、 『待てっ』  樹蔭から半弓を持った赤穂浪士の一人が駈けて来た。 (怪し!)  と見たので、弓弦につがえている矢をしぼって、ひょうと射て放すと、矢は裲襠の袂に止まって、風鳥のように、その影は、築山へ駈けのぼって行く。 『おのれっ』  半弓を捨てて、一方は追い慕い、 『卑怯、卑怯っ。女子なら助けてもとらすが、吉良殿の長屋に住む附人ともあろうものが、背を見せては恥でござるぞ』  呼びかけると、一学は足場を取って、振り向きざま、 『おうっ、浅野の痩浪人か』 『元、お馬廻り二百石の近松勘六』 『しおらしくも名乗られたな。おれは、吉良上野介様御領地の百姓から出た生え抜きの家来、清水一学』 『清水かっ。──ここで又出会うとは、よくよくな宿縁。望みどおり吉良殿の死の供をさせてつかわす』 『オオ、何処かで見たようなと思ったら、貴様は、三州横須賀村の御領地へ入り込んで、この一学の家へ、物売りに来た旅商人だな』 『その節は御無礼』 『よい敵、今日はのがさぬ、死出の道づれに』 『何の!』  引き抜いた太刀の先へ、途端に、一学の投げた裲襠がふわりと風を孕んで舞って来た。  はっ──と顔を反向けながら身を退いたが、逞しい両手に振り被られた一学の刀が、次の一瞬には、虚空を割って、勘六の真っ向へ落ちてきた。 『何をっ』  更に、満身でこう云ったが、飽くまで勘六の太刀は後手だった。その機微を刎ね返して、攻撃に出る遑を与えない敵である。三太刀、四太刀、烈しい刃風に圧倒されつづけたまま、 『──あっッ』  勘六は、築山の崖から下の泉水へ、足を踏み辷らせて墜ち込んだ。  薄氷を割って、勘六は腰まで水の中に浸っていた──萠黄股引に夜討草鞋の片足を高く宙に揚げて。  一学は振り向きもしない。 (上野介様は。左兵衛佐様は)  彼の血相のうちには、それしか無かった。ともすると、踏み辷る雪を跳んで、築山の西から広庭へ駈け下りた。  すると、その影へ追い重なって、 『一学、待てっ。浅野家浪人、神崎与五郎』  名乗りかける声がしたかと思うと、びゅッと、一薙ぎに後を払った太刀が、与五郎の鎖股引を打って、カチッと石を斬ったような光を発した。 『しまったっ』  与五郎は、大地へ左の手をついて、迅い敵の影を見送った。股か、膝のあたりに、薄傷を負ったのである。  それと見て、近くにいた矢頭右衛門七、早水藤左衛門、間十次郎の面々が、 (われこそ!)  と、一学の見事な武者ぶりの影を、雪煙りを立てて追いかけて行った。 足軽吉右衛門  勿論それは、表門組の襲撃と、時を合せて、一斉に起した行動であった。  吉良邸の搦手──裏門口へかかった二十四名の一隊は、大石主税を主将として、吉田忠左衛門、小野寺十内の二老人がそれを援けて、副将という格である。  復讐訪問の第一撃は、三村次郎左衛門の掛矢であった。次郎左衛門は、旧赤穂藩では、台所方のわずか七石二人扶持の小役である。こよいの一挙に加わって、仇家の門を第一に打ち破ることは、彼に取って、もう死んでもよい気のする程、冥加に思われる歓びだった。  がんッ、がん、がん、がん!  如何にや、眠る吉良殿の胆にも応えよと、三打、四打!  めりっ──と門の扉が裂ける。 『それっ』  と、主税の声。  吉田忠左衛門は、金色の采配を持っていた。──が、それの動く間を待たず、杉野十平次、倉橋伝助、赤埴源蔵、磯貝十郎左衛門、堀部安兵衛。 『待てっ』  安兵衛が、人々の潮をささえて、内側から閂を外し、その閂を、彼方の番小屋の横へ、ぶうんと抛り捨てる。  ──わっと、その中から、門番らしい者と、三、四人の侍が、頭から何か被って、転ぶように逃げ出して行く。  弓を携えた五名は──  茅野和助、間新六、不破数右衛門、木村岡右衛門、前原伊助。  弦をならべて、すぐ、彼方に見える長屋に向って、バラバラと矢を射かけた。  そこに潜伏している敵を追い出す為であった。  一瞬、副将の吉田忠左衛門が、あっと、何かに驚いたのは、その長屋の一軒から、ぼうッと、火の手が揚りかけたからである。だが、その火影はすぐ消えて、真っ暗な家毎の窓や裏口から、わらわらと人影が外へ散って出た。  長太刀を持った奥田貞右衛門、千葉三郎兵衛、間瀬孫九郎、中村勘助などの人々は、外にあって、襲いかかる敵に当り、もうそこ此処には、槍が走り、刃が飛び、あたりの雪は、泥か血か、滅茶滅茶に踏みにじられては、乱戦を展げて行く。 『隠居所へ。──奥の寝所へ』  主税の声が、どこかで聞えた。  かねて手に入れて、各〻が頭脳におさめている吉良家の絵図面は、今こそ生きて役立っていた。この裏門口は、表玄関からかかるよりも、直接、上野介の隠居所である一囲いに近いのである。 『浅野浪人、亡君の御無念ばらしに推参』 『吉良殿の御首級を頂戴に参ったり』 『われと思わん方々は、出合いたまえ』 『見参っ』 『見参』  打ちやぶる内玄関の戸。  書院の雨戸。  窓。  台所口。  槍は切りつめて誰の手にあるのも九尺であった。堀部安兵衛は大太刀を、菅谷半之丞はつかい馴れた小太刀を──そのほか屋内へ雪崩れ入った者はおよそ十名ほどであった。  この折の光景を──小野寺十内老人が、後に故郷の老妻へ書いて送った手紙に、  その勢のすさまじき、いかなる天魔はじゅんも、おもてを向くべきようぞなし。  と書いている。 『主税どの、主税どの、まだ戸外が大事だ』  吉田忠左衛門と小野寺十内の二人は、槍を立てて、外を見張っていた。──そして屋内へ駈け入った者の勢いにつり込まれて、位置をうごきかけた主税を後から制止したのであった。 『──心得ております』  主税は振り向いて、鉢巻廂の眉深な陰から、くるっとした眼で微笑した。そして屹と、槍を横にかまえながら、さすがに若い血が武者ぶるいを止め得ないように、よい敵もがなと、眼をくばっていた。と──忠左衛門の前に、べたッと、手をついている男があった。やはり討入りの具足はつけているが、働いた者とも見えないのである。 『誰か?』  と、主税が注意していると、男は、雪に顔を埋めて泣いているのだ。──見れば、それは年頃よく吉田忠左衛門に仕えていた足軽寺坂吉右衛門にちがいない。  主税も、ふと眼が熱くなった。吉右衛門の気持も、その主人である忠左衛門の気持もわかるからである。寺坂は、亡君内匠頭には陪臣に当る軽輩にすぎないのだが、どうしても、復讐の仲間に入れてくれと云って肯かない男だった。直接の主人である忠左衛門も、この男の真心と一図なのには持て余して、山科にいた頃も、江戸の石町へ移ってからも、二、三度連れて、父の所へ来た事がある。  陰にいて、いつも、足軽吉右衛門のことばを聞いていると、主税は、世間が何といおうと、加盟させてやりたかった。けれど、父の内蔵助も忠左衛門も、断じていけないというのが、いつも動かない意見で、その理由とするところは、 (高家の吉良邸に対して、復讐とはいえ、武士が乱入する事だけでも、すでに前例のない秩序の破壊である。その中へ、足軽が加わって居たりなどすれば、更に問題は複雑になる。のみならず、陪臣の足軽が加わっては、余りに、浅野家に人無きようで、亡君の御体面もいかがあろうぞ)  と云うのであった。だが、吉右衛門の熱心は、そうした言い諭しぐらいでは思い止まらなかった。次ぎ次ぎに、同志を口説いて、いよいよ忠左衛門にも、一党の者へも、身を粉にして誠意の実証を見せるのだった。  内蔵助も忠左衛門も、ついに、この男には根負けがしたとみえる。──許す! と云わざるを得なくなったのである。だが、それに対して、吉右衛門もまた、内蔵助以上に人々の意見も尊重しなければならなかった。  彼は、討入に加わって、仇家の門内を踏み、人々の働きぶりを見届けると、自発的に、同志の内から姿を消そうと心を極めて来たのである。──そして、惜しからぬ生命をもって、こよいの様を、この人々の遺族たちへ告げることだけでも、生きのびるせめてもの希望にしようと思った。 無門人  忠左衛門はあらかじめ、彼の気持を知っていたので、今、眼の前へ来て、両手をついた吉右衛門を見ると、 『はやく行け』  と、云った。 『これが、お別れと存じます。旦那さま、旦那様……おさらばでございます』 『待て、内蔵助どのへ、一言、御挨拶をして参れ』 『は、はい』  駈け出すと、その前を雪を浴び、血を浴びて、乱髪になった吉良方の侍が、出あいがしらに吉右衛門の胸へぶつかって来た。  ──あっと、吉右衛門は仰向けに仆れた。胸の上を、その男の揮った刃が横に走った。誰かが、 『上杉家から来た附人の小林平八郎』  と云ったのを聞いて、主税は、忠左衛門のことばをもう忘れていた。槍を引っ抱えて、書院の縁へ躍り上り、 『ひと槍参る、これは内蔵助の一子、主税良金』  と、呼びかけた。それを見て、 『主税どのを討たすな』  と、弓組の者が、弓を捨てた。  そして三、四名ほどが、ばらばらと加勢に駈けつけようとすると、傍の樹蔭の道から平然と──この総ての人間が皆、一人として血眼になっていない者のない中を──いかにも悠々とした胸をひらいて歩いて来た者がある。一見して、味方でないことはわかったが、余りに落着き払っているので、 (はてな?) (他家から来て泊り合せている他藩の侍か?)  とも疑われて、それを見た赤穂方の人々も、ちょっと、手出しをためらった。  吉田忠左衛門と小野寺十内が、槍を立てている前を、男は真っ直に向った儘、裏門のほうへ出て行こうとするのである。  屹と、その面だましいを見て、 『ひかえなされ』  と、小野寺十内が、槍の穂先を向けた。忠左衛門がすぐ、 『姓名をたずね申す。おぬしは、何者か、何と申さるるか』  男は怯じる色もなかった。二人の他にも、槍を向けて自分を凝視している鎖襦袢や、火事装束の人影が見えるのである。一歩もうごけない中にいる事も知っているのだ──その中で、にゅっと苦笑して云ったのである。 『この中には、お見知りの方もござろう。それがしは、上杉弾正大弼の家中千坂兵部の股肱の者にて、木村丈八と申すものです』 『なにっ、木村丈八っ?』  槍の穂が、ぎらぎらうごきたがった。もし、忠左衛門の手がそれを制止していなかったら、丈八の体は、蜂の巣になっていたかも知れないのである。 『ウム……』  と、それを忠左衛門は引き取って大きく頷いたものである。赤穂から京都大阪にわたって、十八尺という変名をつかって同志の者を悩ました闇の男は、この男だったかと、めずらしい気もしてその顔を見るのだった。 『何処へ参られるのか?』  返辞に依ってはと、小野寺十内の声はややきびしい。  丈八は、その人達の雪明りに浮き出されている顔を数えるように見廻わした。──祇園で見た顔もある。赤穂からの船中で見た顔もある。つい先頃、江戸の町ですれちがった顔も──。 『拙者の役目も、こよいで終ったわけでござる。後は、附人や御家臣にまかせ、それがしはこれから、主人の千坂兵部のもとへ立ち帰るだけの事。──各〻とも、これでおわかれと思う。短いお交際いでござったが、深い御縁であるような気もする。……では年来の御宿望、成るも成らぬもおきれいにありたいものと望んでおく。──御免』  一礼をして、ずっと通り抜けると、人々の眼を後に、裏門から出て行った。  十内老人と忠左衛門は、眸を見あわせ、 『さすがに千坂兵部、よい手飼いの者がある』  と、唸くように呟いた。 武士は泣くもの 太鼓声  上野介のすがたを探し求めて行く組の屋内戦と、それを掩護しつつ目的の徹底を期してゆく組の屋外戦と──その時、もう吉良邸は、まったく坩堝の底と化していた。  この騒音は、当然、吉良邸に接している近所の屋敷をも驚かした。物音の起った最初には、何処の屋敷でも、  ──素破、火事?  と考えたらしいのである。  表門に向っている旗本牧野長門と、北隣りの本田孫太郎の屋敷では、家来が屋根に上って、 (はてな? ……)  火の手も煙も見えない叫喚の旋風を、不審るように見ていた。  すぐ塀隣りの土屋主税の屋敷では、 (さては──)  と思い当るところがあったか、家臣たちは高張提灯を高く掲げ出して、粛とはしていたが、隣家の異変に対して、万一の備えを固めているらしく思われる。  ──今。  その坩堝の裏門から出て行った上杉家の木村丈八の背を見送って、ふと、武士だけが知る感動に打たれていた吉田忠左衛門が、 『お! ……、隣家への挨拶を、誰かいたしたか』  と云った。 『いや、まだ』  誰か云うと、側にいた小野寺十内が、 『──抜かったり! 近隣の誼みとあって、土屋、牧野、本田家などの人数に立ち騒がれては、事が面倒』  老人はすぐ駈け出して行った。六十歳とは見えない身の軽さで、雪を楽しんでいるかのように迅い足幅である。 『御隣家へ物申すっ』  塀際の下で、もう十内老人の声がひびいていた。声もさむらいの鍛えて置くべきたしなみの一つであると、何かの武道書に見えていた。黄いろい声や、弱々しい細声では、戦場に出て名乗りや何か物を敵へいう場合、威風にかかわるからだという。  堀部弥兵衛老人と、この十内老人の声の大きいことは、平常でもよく話題になる程のものだった。若い者はそれを、十内老の太鼓声と云っていた。 『──御隣家へ物申すっ』  と、十内はその太鼓声のことばをかさねて、 『これは、浅野内匠頭が旧臣共でござる。折ふしお寝みの刻限をも憚らず、突然の騒動、さだめしお驚きも候わんが、亡君内匠頭が仇をすすがん為に吉良殿まで推参いたしたのでござる。さむらいの道は相身互と申す。外れ矢は知らず、当方は他家へ対し奉っては何等の害意もござらぬ者、構えてお手出し下さるな。万が一にも、其許様よりお構いあるに於ては、やむを得ぬ儀、いささかの備えもござれば、お相手も仕り、そちら様へ乱入にも及びまするぞ』  ──この大音声を聞き惚れてでもいるかのように、隣家はシーンとしているのだった。  意思は通じた!  そう独りで頷いて、十内が足を移そうとすると、その辺に潜んでいた吉良方の家来が、石燈籠の陰からいきなり彼の脚をねらって太刀で払った。 『──あっ』  飛び退きざま、老人の手練の槍は、相手の者を突いていたと見え、敵は太刀と共に身を伸ばした儘雪を真っ赤にして俯つ伏した。  その手際に、思わずうしろで、 『十内殿、遊ばした!』  と、誰か云った。  振り顧ってみると、片岡源五右衛門が見ていたのである。老人は賞められて欣しかったらしい。莞爾として、 『年老の罪つくり』  と答えた。  すると又、前に突き伏せた敵のかくれていた場所と同じ所から、又一人、死にもの狂いに斬って出た男がある。源五右衛門はもう居なかった。だが、気をよくしていた十内老人である。忽ち、敵の喉笛を槍先にかけて刎ね捨てた。  斃されたその男は、平常、信心家であったとみえ、断末魔のひと声、 『なむあみだ仏……』  と、唱えたという事が、後日、大石瀬左衛門の口から、当夜の思い出ばなしのうちに語られている。瀬左衛門は、その折、すぐ側を駈けて通ったので、突かれた男の断末魔の念仏が、ふと耳へ入ったものであろう。 吉良家第一人  一党中での美男磯貝十郎左衛門は、こよいは鋭い眼じりを鉢金に吊りあげていた。右手の直槍の穂には、生々しく滴るものが蛭巻まで血ぬられ、装束の片袖は、敵の太刀に斬り裂かれて、鎖肌着の肩が出ている。  三村、村松、間の人々と共に、屋内へ突き進んで行ったのである。三村次郎左衛門は、掛矢を揮って戸障子や杉戸の建具を端から打ち外してゆく。 『おのれっ』  吉良家の取次役、清水団右衛門は、打外された杉戸の陰からあらわれて、三村へ向って斬りつけて来た。 『──おうっ』  三村の撲り返した掛矢の首が、壁を打った。どうっと崖崩れのように二人のあいだへ壁土が落ちる。 『推参っ』  間喜兵衛の十文字槍が横をふさぐと、団右衛門は度を失って大廊下へ転び出した。──キラと、誰の刃か、その影を横に薙ぎつける。  限りもなく敵は奥から次々に出て来た。広いにせよ、この一箇の邸に、こうも人間がいるかと思う程に──。  磯貝十郎左も、一人の吉良侍を捕えて、襟がみを押しすえていた。 『──助けてや、助けてや』  そう云っているのである。 『──助けてつかわすから、蝋燭を出せ』 『は、は、出します』 『どこにある』  ずるずると引き摺って行って、蝋燭箱を出させ、手ばやく灯をともして、間毎間毎へ配った。 『十郎左、よう気がついた。落着いていなければ出来ぬ事。槍を取っての武者ぶりよりはお見事にみゆるぞ』  間喜兵衛も、手伝いながら、そう云った。  杉戸、ふすま、すべての境を外された吉良家の屋内は、表から裏までずっと見通しの巨大な一箇の洞になった。そこに乱れあう人影と刃の光に、無数の灯が煤煙を吐いて、絶えまなく明滅する。 『──あっ、上野介っ』  納戸らしい板敷部屋へ入って行った途端に、こう、武林唯七がさけんだのである。 『なにっ、吉良か』  わらわらっと、近くにいた前原伊助や奥田貞右衛門などが寄って来ると、今、蒲団部屋の物陰から逃げ出して行った年老った侍が二人。 『ちがう』 『ちがうっ』  云い合って、転ぶように、台所口へかかったところを、前原伊助が九尺柄の直槍で撲りつけた。 『痛いっ』  台所の大流しへ、ひとりが転び込んでいた。ひとりはそこを盗っ人猫のように出て、塀のみねから外の大溝へ飛び込み、往来の筋向いにあたる傘屋三右衛門の裏へかくれた。  何っ方も六十がらみの老人であったし、一方は髪が白かったので、武林唯七が、吉良と見ちがえたのであったが、すぐ後で、それは吉良家の家老左右田孫兵衛に斎藤宮内と知れ、 『いらざる手間を取った』  と、各〻舌打してつぶやきながら、更に、 『上野介は何処に?』  手分けをして奥へ駈け入った。  そして唯七が、嫡子左兵衛佐の居間へ一歩踏み込もうとした時だった。いきなり青貝柄の長刀を揮って、 『──誰だっ』  と、斬りつけて来た十三四歳の少年がある。それが、頭を青く剃っている愛くるしい小坊主なので、唯七は何かしら、 『──あっ』  と、気押されて、身を退くと、少年は、小さな体に持ち余るほどの長刀を、 『畜生、畜生っ』  心の底から怒っている顔つきで、縦横無尽に振って来るのだった。これは常々、上野介や家中の者から、 (春斎、春斎)  と、いい玩具のように愛されていた牧野春斎という茶坊主の見習だった。  討って手功になるものではなし、不愍──と思ったので、唯七が、 『止めんかっ』  槍柄で長刀をたたき伏せると、春斎は角兵衛獅子のように踵を上げて前へ突ンのめった。すると、 『怯むなっ、春斎』  と、彼と日頃仲のよい小姓の鈴木貞之進が、部屋の隅から唯七を目がけ、碁盤を投げつけた。  盤は、唯七の顔をかすめて、後の柱へ三角の凹みを作った。唯七は槍を捨て、 『よい敵と見たっ、動くなっ』  躍りかかって、拝み打ちに貞之進の肩先へ斬り下げた。  バラバラッ、バラバラッ、と無数の白と黒の碁石が唯七の横顔へ降った。少年春斎が、辺りへ散った碁石をつかんでは、 『畜生っ、畜生っ』  と、打つけて来るのであった。 (──この敵当るべからず)  と思って、唯七が足を移そうとすると、いちど斃れた鈴木貞之進が、 『くそうっ』  と、俯つ伏した儘、彼の双足を払った。  片足立ちに、脚を交しながら、唯七の二度目の後薙ぎが、貞之進の顔を斬った。砂利を斬ったような音が刃を弾いた。 『──卑怯、卑怯、卑怯っ』  春斎は、発狂したような声で、次には、唯七以外の敵へ向って、やたらに、其処らの器物を投げていた。  誰の刃に斬られたか、唯七がそこを去って、二度目に通ってみた時は、もうこの可憐な小坊主は、友達の貞之進と折り重って、見るも壮絶な討死を遂げていた。       ×   ×   ×  赤穂義人録という古書に曰う。 独、一少年有 拒闘、甚ダ力ム 衆、殺サザルヲ得ザルモ 亦ソノ勇ヲ愛シ 深ク之ヲ惜ム  又、復讐の後日、吉田忠左衛門が人に語った口上のうちにも、 『──現に、私事は、武運つたなく、一名も当の敵には会いませんでしたが、敵のうちに独一少年あって、これは余程の働き、不愍とは存じながら、やむなく一命を取りましたなれど、勇気の盛なること、是ぞ吉良家の第一』  と云っている。  赤穂方第一の兵法者吉田忠左衛門から、吉良家中の第一といわれた春斎は、日本橋辺の或る出入商人の子で、年は十四、茶道見習に奉公に上ってから、まだ一年と数ヵ月しか経っていない者だった。 付人平八郎  同じ吉良家の侍や附人のなかでも、屋内から外へ逃げ惑ってゆく者もあるし、反対に、屋内へ駈け込んで来る者もある。  清水一学、小林平八郎、笠原七次郎、大須賀治右衛門、そのほかにも少くない。  一尺でも二尺でも、主人上野介の身近くへ行って、死なんものと思う人々だった。  敵を近づけない勢を持って、今も、台所口の外から屋内へ駈け入ろうとする小林平八郎のすがたを見かけて、 『背後を見する敵とも見えぬに、待てっ、待てっ、これは浅野家の旧臣、不破数右衛門、不足はない相手だぞ』  雪と、泥と、血と、満身に浴びた一箇の夜叉が、しゃがれ声をふりしぼって、平八郎へ太刀風を投げた。 『死にたいかっ』  振り顧って、彼は、数右衛門の刃を胸の前に空を打たせた。数右衛門は、踵をあげて台所口の竹雨樋をカッと斬った。  ぐわらっと数百本の剣にも似た廂の氷柱が砕けてくる。数右衛門は敵の前に背を曝したのであったが、その背に当ったのは、氷柱であって、平八郎の切っ先は、彼の兜頭巾の錣を斬って、肩の辺りでカチンと刎ねた。  鎖襦袢が肌を守っていなかったら、数右衛門の肩は削ぎ落されていたに違いない。すさまじい刃の力だった。内へ徹らなかったにせよ、数右衛門は肩骨から背ぼねへかけて、ずーんと痛むような響きを感じた。  刃と刃がささらになる程、二人は人交ぜもせず斬り結んでいた。数右衛門も一党のうちでは、据物斬の上手と折紙されている男なのである。平八郎とてもまた、上杉家から選ばれて来ている多くの附人の中では、腕に於ては達人、人間としても、剛健で誠実と誰も認めていた人物だった。  数右衛門のほうは、武装していただけ勝目があった。平八郎の小袖は、刻まれるように破れてゆき、幾太刀かの手傷がみな血を噴いた。  ところへ、間瀬孫九郎と、奥田貞右衛門が、 『──数右、助けるぞっ』  左右から、槍!  平八郎は、咄嗟、右側から迫った間瀬の槍を払って、だッと、屋内へ足を退く。  ちょうど、その上で、一人の敵とわたり合っていた木村岡右衛門が、平八郎と背中あわせにぶつかって、 『吉良方かっ』  と、前の敵へ向けていた刀で、平八郎の腰を撲り、自分も、片足立ちに蹌めいて、隅の板壁へ勢いよく体をぶつけた。  平八郎は大流元へ辷り落ちていた。間瀬孫九郎が、そこへ突き出した槍の元を手繰って一方の手に太刀をかざし、再び外へおどり出して来た元気さには、敵ながら、数右衛門も、貞右衛門も、 (天晴!)  と云ってやりたいくらいだった。  然しもう、腰をなぐられた一太刀がこたえていた。躍っては出たが、さしもの平八郎もそのまま大地へ転がってしまう。  ──胸いたへ一槍、真額へ一太刀と、不破、奥田の打撃が加えられたが、それでもまだ小林平八郎は、仰向けに仆れながら、太刀を振り足業を働かせて、 『ウウム──』  と、最後の一息を結ぶまで、戦闘をやめなかった。  三人が、ほッと肩で息をついた程だった。──と共に、何かよほど手強い大物に当ったようなつかれが体を襲ったので、 『こうしては居られぬぞ、吉良上野介のありかは何うしたか。──まだ合図の笛も鳴らぬ。それッ、目ざす怨敵へ』  雪をつかんで一口喉を濡らし、不破も奥田も木村も、土足の痕の上へ土足をかさねて、隠居所の内へ雪崩れ入って行く。  その頃、家中の者との戦闘は、およそ激しい絶頂を越えかけていた。そして喘ぎ喘ぎ自から、 『仇は、仇は』 『吉良父子は』 『何処へ』 『吉良をさがせ』  と口々に云う声が、血眼の中を駈けあるいて、彼方此方に、家探しが始まっていた。 一代家来  ──いや、激闘はまだ終局とは云えない。  大書院の廊下を境にして、先刻から、鎬を削り交わしている一組がある。  ここに見える者は、横肥りで顔の丸っこい若者で、その逞しい体つきは、浅野家の煙硝御番役、横川勘平とはすぐわかる。  勘平は初めから刀。  体にふさわしい大太刀だった。  もう一人は、富森助右衛門、十文字槍の上手である。こよいの武器も、勿論得意とするそれ。  こう二人が持てあましている敵というのは、吉良家無二のさむらい、上野介の一代家来と自ら云っている清水一学なのである。  大小二刀、左右の手に持って、 (来いっ、いくらでも)  と、云った構え。  まだ十分な余裕を、この男は呼吸しているのだった。  一学が駈けちらした先々で、赤穂方の者は幾人か傷を負って、駈け捨てられ、蹴捨てられ、切っ先の勢いに刎ね捨てられている。  池に落ち込んだ相手がある。縁先から踏み落ちた相手がある。しかし一学はまだ、膝一つ地に支いていなかった。左の小手のあたりに薄い掠り傷が一点見えるだけにすぎない。  これは、心臓のつよさか、胆力のつよさか、腕のつよさか。  覚悟の程では、赤穂方の者も、清水一学も、違わないものを抱いていた。四十七人のしている程度の心構えを、清水一学も疾くから身の裡にかためて、 (──ここを退いておれの武士道はない)  と絶対的な立場に立ち、大小の二剣を抜き払って、主人に対する忠誠──自分に対する潔白──侍一代の総仕舞いを、この雪の中と決めてかかっているのである。  横川勘平は気がみじかい。  この大敵をひろった事は、こよいの武運とは思うものの片がつかない。焦々とする気持は自から剣に出て、敵の一学はそれを見透かし、 (──寄って来たら)  と、二刀がふところを開けているのだった。  ──だっと、勘平の足元で、床の落ちるような響きがした。彼の大きな体が廊下を踏み鳴らして敵へ躍ったのだ。 『しっ、しまった』  空間をのめッて、勘平は全身を逆さに持って行った儘、その大太刀で、座敷の四方柱へ斬り込んでしまった。  一学は、途端に、 (討った!)  と見たように、勘平の背へ大剣を振りかぶったが、富森助右衛門の槍がそうはさせなかった。十文字の光が、下頤からさっと鼻先をかすめて上へ閃めいてゆく。  かつん!  と、左手の小剣がそれを払う。  槍柄は断たれなかった。りゅうっと手元へしごいて又、突いて出る。何度も何度も、同じ光の放射が繰返されるのである。  助右のこの粘り方には、一学もややうるさくなったらしい。身を沈めて来た刹那に、一学の体が魚のようにしなやかに槍を宙へ突かせて、助右衛門の脛を薙いだ。 『──うむう!』  脛当の鎖が、刃を刎ね返したので、脚は無事なるを得たが、立っていられない痛さであった。──思わずそう呻いて、どすんと、助右衛門は坐ってしまう。  すると、その時、 『背後は取らん、一学っ、新手が参るっ』  と、片岡源五右衛門が喚く。  その片岡へ、無言のまま、ひゅっと長刀の薙ぎを伸ばして、源五が、あッと蒐り足を竦めたわずかな隙に、一学は、縁を躍って、ふたたび広庭の雪の中へ出ていた。 『──卑怯っ』  と、誰かが罵ると、一学は汗に燃えている顔に笑いをゆがめ、 『足場を取ったが、何で卑怯かっ。赤穂育ちは小藩ゆえ、小狭い所をお好みかしらぬが、清水一学流は十方無碍、さあ来いっ! 束になって』 『何をっ』  もう誰彼の識別もつかない。簇りかかってゆく烏に似ていた。大地の雪が粉になって、太刀と人影を吹雪に巻く。  一学はその敵の群を、前へ前へと、努めて一列に受けながら、自身を常に自由の位置においていた。──然し、さすがに二、三度雪の上にすべった。そのたびに、彼は人間業とも思われない活機をつかんで刎ね起きた。  いつのまにか、総身は血しおである。髪はふり乱れていた。一箇の人間の魂が、かくも壮絶な、かくも荘厳な──終滅の美を発するものかと、それへかかって行く者も、討って取らんと進み寄る者も、ひとしく、今は敵味方というけじめがない。  討つ者も忠魂の一願、こうして、討たるる者も忠魂のただ一途。  華だ。──血も、雪も、刃も、眸も、すべてが、さむらいの道に磨き上げられてきた人道最高の道徳の華だった。  追い廻してはいるが、持て余し気味にもなって、いつ果つべくもなかったこの敵へ、 『敵ながらお見事。吉良殿の御内にも人ありと見受けられた。これは、浅野浪人堀部安兵衛武庸』  と名乗って、横合から駈けつけざま、一学の前に立った者がある。 (堀部?)  と、一学は汗に曇っている眸をみはった。 『のぞむ敵』 『ねがう相手』  声と声とがもう火を発しているのだ。一学の左の手にあった小剣は、言葉の下に、飛魚のように手を離れて、安兵衛の胸いたへ走ってくる。  その光が彼の後へ反れたと思うと、咄嗟にもう安兵衛の体と一学の体は、胸を押し合うほど寄り合って、鍔と鍔とが噛み合っていたのであった。  然し、踏みしめている雪に辷って、二つの体はすぐ旋舞を描き、間髪をねらう双方の刃が、双方の小袖を払い合った。  その襟もとへ、富森助右衛門の十文字槍が絡んだ。──あっと、清水一学の顔が宙へ向く。  その顔が、この世の雪の暁へ見せた、彼が最後のものだったのである。  ──拝み打ちに、安兵衛武庸の刀は彼の肩さきから胸へ切りさげた。  噴血三尺──  彼の血は赤かった。 『ううむっ……』  喬木の仆れるように、虚空に人生の真をつかみながら、まだ三十幾つかの若い生涯を彼は終った。──母の死と共に、その紙位牌へ、自分の忌日をも並べて書いておいた一学であったから、その死骸は、さだめし雪の中で笑ったまま凍ったろうと思われる。 『…………』  安兵衛も助右衛門も、勘平も源五も、彼の為に大汗をしとどにかいた者が皆、じっと刃を後へやって、その死を暫く見つめていた。 焦燥  鶏が遠くで啼く──  夜明けは近い。  吉田忠左衛門の声らしく、 『総じて隠居は、中庭より奥、表方より裏に住むものぞ。裏をさがせ、裏手をさがせ』  と、何処かで指揮の声をふり絞っている。 『吉良殿のありかを突きとめるこそ大事。さっ、行こう』  安兵衛たちは、一学の死骸を見捨てて、思い思いに、屋内へ引っ返し、 『隠居奴、どこへ隠れたか』  と、血眼になって探し求めた。  すると中廊下の曲がり角で、出会いがしらに、どんと、安兵衛の肩へぶつかった大男がある。  後には、もう一人、二十歳ばかりの若者が、薙刀をかかえて、壁際に寄りながら、臆病な眼をおののかせていた。  大男は、用人の須藤与一右衛門といって、武芸の達人とかねて安兵衛も聞いていた男である。  与一右衛門は、ぎょっとしたように足を退いて、手を刀の柄へやると、 『おのれっ』  抜き討に、肱を伸ばした。  安兵衛は、二、三度、相手に空を斬らせてから、一気に与一右衛門を斬り伏せた。  すると、薙刀を持って、壁へ貼りついていた若者は、突然、逆上したように、それを揮りまわして蒐ってきた。然し、その刃風の脆さに、安兵衛は苦笑を催した。 (これは、お公卿のようだ)  そう思って、薙刀をたたき落し、片手なぐりに一太刀見舞うと、若者は、何か意味のわからない上ずった叫びをあげて逃げて行った。  ──隠れこむ者は追うな。  ──女子供に怪我さすな。  ──塀を越えて外へ逃げ出る者は、半弓をもって、過たず射落せ。  とは、先刻から大石内蔵助や主税が、働いている面々のうちへ、幾度かさけんでいる味方の鉄則だった。  安兵衛は、逃げてゆく若者へ眼もくれなかった。だが、後に捨てられてあった長刀をふと拾い上げてみると、長巻は青貝、拵えは黄金、吉良家の定紋、梧桐の紋どころが散らしてあるではないか。 『あっ……さては今のが、嫡子左兵衛佐』  惜しいことをと、舌打をしたが、もうどこへ隠れこんだか、姿は見えない。 『──居ないか』 『──居ないか』 『隠居は居ないか』  間十次郎、大高源吾、倉橋伝助などが、そのそばを通りながら、口々に云ってゆく。──  奥口の杉戸の前で、近松勘六が、吉良方の附人鳥井利右衛門と闘っていた。間、大高などが、駈け寄ると、 『助太刀無用っ』  と断って、踏ん込み踏ん込み、利右衛門を追いつめて行ったが、敵わじと思ったか、利右衛門は、中庭へ飛んで逃げる。 『返せっ』  追い迫って、斬りかけた勢いが余って、勘六は、中庭の池の中へ飛び込んでしまった。  引っ返して、利右衛門が一太刀下せば、勘六の命はどうなったかわからない。  だが──利右衛門は、もうあわてていたのである。庭樹へすがりついて、塀のみねへ足を伸ばした。  びゅるんッ──  座敷の中から半弓の矢うなりが走って、利右衛門の背へ深く刺さった。勘六が這い上って来た池の中へ、入れ代りに、利右衛門の死体がもんどり打って落ちてくる。  後になる敵ほど手強いのが残っていた。榊原平右衛門、大須賀次郎右衛門、山吉新八など、上杉家からさし廻されてある付人十一名の剣客のうち、大半は善戦して斬り死にした。かえって吉良家譜代の臣に、逃げかくれたのが多かった。わけて、禄高の多い老臣ほど、滑稽なくらい、恥も外聞もなく、隠れこんだ。  高度の破壊力は、常に一瞬のものである。彼方此方の修羅場に起っていた刃音や呻きや矢弦のひびきも、次第に減って来た。そして今はただ口々に、 『どこだ?』 『居ないか──』 『そこにも』 『居らんぞっ』  云い交しつつ、昂奮しきった眼が──鼻が──脣が──全身を神経にして、吉良上野介の居所をさがしにかかっているのだった。  戦った、存分にやった、そして勝った。けれど、まだ最後の重大な目的は、赤穂方に凱歌をゆるさないのであった。  もう町には一番鶏の声もする。暁は来ているのだ。──だのに、ここまでに至りながら、肝腎かなめな上野介のすがたが見当らないとは! 『ちぇっ……逃げられたか』  早くも地だんだを踏んで口惜しがる者がある。嘆声をあげて、 『残念……』  と、眦に血のような涙をうるませて、なお、うろうろ闇を嗅いで行く者もある。 『なんじゃ、落胆するのはまだ早い』  こう叱っている老人も──然し、自信のない顔つきなのである。  一間一間、丹念に、 『えいっ』 『えやあっ』  槍を上げて、ぶすぶすっと天井を突いて廻ったり、或者は、床板を剥がしたり、戸棚という戸棚は蹴破り、そして、槍や太刀で掻廻してみる。 『急くまい。慌てめさるな!』  吉田忠左衛門は、余りに味方の人々が焦立っているので、こう云い廻っていた。 『──夜が明けても、見つからねば、明日一日かかっても、探し出すまでの事。すでに吉良殿が、夜来在宅の事は、衆智を極めてたしかめたところ。又、こよいの手配にも水も漏れては居り申さぬ。あわてずに、落胆めされずに、邸内隈なく、念を入れておさがしあれ』  忠左衛門のことばには、常に不思議な信用があって、一党の者は、いつの場合でも、彼の声には信頼をもち、又、力をつけられる気がするのだった。  隠居の寝間はどこ? 居間はどこ? 茶室は何う? ──とそういう問題は、討入以前から、ずいぶん手を尽して偵察してみたことだし、間取図面も、忠左衛門の手にあって、十分、予備知識はあったつもりであるが、さて、こう狼藉に踏み荒してみると、一向、絵図面の知識は役に立たなかった。  それに、思いがけないところに、隠れ部屋があったり、茶室が出来ていたり、そこが居間か、ここが寝間かと、迷わずには居られない広さでもあった。  磯貝十郎左は、ここの勝手を、最もよく知っていなければならない一人だった。なぜならば、彼は、ある手段で、上野介の寝所の絵図を持ち出して、先に、一党の者をよろこばせた事があるから。── 『どうじゃ、磯貝殿、寝所は?』  大石主税が、彼へ云った。  木村岡右衛門も、後から尾いて来て、 『わかりませんか』  十郎左は、躍起になっている眸で、 『さあ?』  言葉すくなく首を振る。  そして、奥まった一室へ何気なく入って来た。何という特徴もない十二畳部屋であったが、ふと、床間の壁を見ると、そこに掛けてあった大幅の懸物が下に落ちていて、茶席の瓦燈口に似た切抜穴が、洞然と暗い口を開いている── 『あっ?』 『抜穴だ』  穴の口からは風が吹いてくる。岡右衛門は近づきかけたが、ふと、危険を感じたらしいのである。 (何が居るかわからない?)  そう思っている間に、主税が、無造作に穴を潜ってしまった。  この事は後になって、岡右衛門等が、久松家へ預けられてから、なぜあの時、穴へ入り兼ねて、主税殿に先を越されたか──との問いに答えて、 (人には、勇と怯のべつがあるばかりではなく、同じ勇にも、優劣のちがいがあるものと思われます)  と、正直に述懐している。  主税は、穴へ入ってゆくとすぐ、 『しめた』  と、中でさけんだ。  勿論、十郎左も、岡右衛門も、すぐ後からつづいていた。足に触れたのは、冷たい板廊下だったが、その向うに、何処からも絶対に察知できない三つの部屋があった。  その一つの部屋に、絢爛な夜具が敷いてあり、枕頭の燭台も、あたりのものの気はいも、何となく貴人の空気と、艶めいた後閨の匂いをただよわせている。いう迄もなく、こここそ、上野介の寝所でなくてはならない。  ──だが、消えている蘭燈のあたりに、蒔絵の煙草盆が覆っていて、隅に、女性の脱ぎすてた衣が冷たく乱れているほか、三つの部屋にも、その蒲団のうちにも、人はいなかった。 衣桁の蔭  主税は、夜具へ手を入れてみて、 『まだ、あたたかいぞ』  と、呟いた。 『──開いている! 裏が』  と、岡右衛門が同時に云った。 『さてはまだ、先に、抜け道──が』  と、二人はすぐ裏へ急ぐ。  磯貝十郎左衛門は、念のため、後にのこって、そこの天井や、ふくろ戸棚などを突き廻っていた。寝所の次の部屋には、片隅に、蒔絵の衣桁がみえ、それに、青金摺の裲襠と、褪紅色の小袖が掛けてあった。  ふと……  その衣桁が、ひとりで揺れて仆れかかった。  十郎左は、びくっと振り向いて、 『……?』  槍の白い穂先を、衣桁の蔭へぴたと向け、凝と、息をひそめていた。  隠れている人間がある!  しかも女だった。  ここにも、幾人かの警固はいたであろうに、それ等のすべての者が逃げ失せてしまった後まで、何うして、こんな所に、一人で潜んでいたのか?  ──だが十郎左には、その謎が解けているらしいのであった。なぜならば、衣桁の蔭におののいている女の眸と十郎左の眸とは、その間の槍もないように、凝とむすびついているからである。女の眼には涙がいっぱいだった。十郎左の眼にも、ふと、血とも涙ともつかない情熱の珠がきらきらしていた。 『……あぶないぞ、出るな』  わずかに十郎左が云った。 『…………』  女は嗚咽を、肩でこらえていたが、そのふるえが、衣桁にも小袖にもふるえてくる。  その時──  また、ここの抜穴に気づいた者があるとみえ、跫音がした。がやがやと声がした。 『オオ……』  十郎左は、いささか、狼狽したらしくみえる。──もう一言と思ったことばを、彼は云いそびれてしまったのだろう。颯っと身をひるがえすと、先刻、主税と岡右衛門の出て行った裏口の雪明りへ、彼のすがたも躍り出ていた。  その時だ。──空には暁の紅がもうほのかに見え初めていた。  呼笛が鳴った。  合図。  かねてからそれは、こう諜し合せになっていたことである。  吉良どの、ここに有り。  上野介どの見つけたり。  四息、──五ツ息、──すべての人数が洩れなく集まって来るまで、その呼笛はふき続けられている。 古き傷痕  意外な所に、寝室があったように、又意外な所に、隠居所だけの台所があった。  そこの炭部屋であった。  一棟建ちで、小屋の戸には、外から錠が下りている。一見、何の異状もないように見えるが、 『はてな?』  主税が足をとめ、岡野金右衛門は、破目板へそっと、耳をあてて、窺っていた。  その間に、一方の路地から、木戸を破って、堀部安兵衛に矢田五郎左衛門がここへ来あわせ、又、横川勘平と、間十次郎のふたりもすぐ後から駈けて来た。 『──怪しいっ』  と、勘平が云った。 『開けろ』  主税が寄ると、万一の危険を思って、安兵衛がそれを押し退けるようにして、戸へ手をかける。  矢田五郎左衛門は、槍の石突で、錠前を二、三度突いた。錠が刎ねると一緒に、ぐわらっと、炭部屋の戸がひらく。  ふと、一人が足を入れかけると、いきなり真っ暗な闇の中から、皿や、茶碗や、炭や、棒切が飛んで来た。 『いるぞっ──二、三名』  もうその時は、ここの前へ、かなりの人数が集まっていたのである。誰かが、前を退けと云って、炭部屋のうちへ、ばらっと半弓の矢を射込んだ。  すると、闇のうちから、奮然と、一人の若侍が斬って出た。そいつは、つい討入の前まで、邸内の夜廻りをして、ひたすら主人の夢を安かれと守っていた彼の笠原七次郎だった。 『──死なばっ』  そう云ったが、次の叫びは聞えなかった。一刀をふり被って斬って出た途端に、無数の槍と太刀の下になって、髻を散らした水々しい若さの顔が、人々の土足の邪魔をしているだけであった。  次にも又、一人の中年の侍が、捨身になって出て来たが、それは、空脛を蹴られて、一同の中へ刀を抛って、仆れ込んだ。  襟がみを掴んで、 『上野介の所在をいえ』 『有態に云わぬと、こうだぞっ』  矢田五郎左衛門が、坐っている太股へ一槍当てて責めた。その中年の侍は、頑として口を開かない。落した刀を拾って、 『くそーっ』  いきなり刃抗って来そうにしたので、 『面倒っ』  一同が、刃の下にしてしまった。  異様な緊張が、途端に、炭部屋の口を、みしみしと囲んだ。──中にまだもう一人居るのだ。しかも老人らしい。  どどどど──と悽じく暴れる音が起った。誰か、炭部屋のうちへ入ったのかと思ったが、そうではなかった。ただ一人残っている者が、何処かを破壊しようとして、盲目的に動いているものらしい。  間十次郎が、入って行った。その姿を見ると、だッと、外へ向って駈け出て来たのである。 (吉良っ)  と直覚しながら、十次郎が足もとへ一槍送った。老人は勢いよく、一歩外へ出てから、べたっと坐ってしまった。  上野介とは思わずに、武林唯七が、拝み込んで、一太刀浴びせた。 『……や?』 『……もしや?』 『そ、そうだぞ』 『吉良か』  人々は、まだ半信半疑だった。  白髪まじりの四方髪である。年ばえは六十あまり、絹の寝巻に、白小袖を下に着ている。懐中を検めてみると、肌神守として観音像と地蔵尊の二体が出て来た。 『さては』 『これこそ』  もう、皆、そう決めてかかるのだった。──然し、実際に親しく上野介の貌を見知っている者は、この中に一人もないのである。 『上野介どのならば、面のうちか、身のうちに、古傷がある筈──』  と内蔵助が云った。  額の生え際を一人がしらべて、 『あるっ』  と云った。 『あるかっ』 『ある』 『オオ……』 『おお、その傷が……その額の古傷がそうか。亡君が殿中で斬りつけ遊ばしたあの時の傷は』  誰かの脣から、亡君という一語が洩れると、一同は、急に胸さきがつまって来て、眼がしらに渦のようなものが沸った。  ……しゅくッ。  と、二、三名が嗚咽をすすった。肱を曲げて、顔へ当てる者を見ると、それを見た者も、怺えきっていた感情を突き破って、 『おいっ!』 『おうっ……』  と、側の者にかじりついてしまい、お互いの肩へ顔をのせ合って、遂には、すべての者が、欣し泣きに、わっと号泣してしまった。──老人も泣いた、若い人々も泣いた。内蔵助すら、瞼へ、指先を当てたまま、やや暫く、暁の空の移りゆくのも知らなかった。 上杉家不戦始末 豆腐屋飛脚  毎朝、夜の明けないうちからする勤行の鉦が、回向院裏まで聞えて来る頃、いつもそれを時刻に、雨戸を開ける豆腐屋の夫婦であった。 『儀助、儀助っ、おれだ、木村丈八だ。──まだ起きていないのか、急いでここを開けてくれ』  その朝。  表の戸はまだ閉まっていたが、豆腐屋儀助の夫婦は、もう寝床を離れていた。豆の挽臼のそばへ、儀助は燈火をかかげて、女房は土間の中の井戸水を寒々と汲んでいた。 『おくら、誰か店の戸を叩いているぜ。おそろしく荒っぽい奴だ。戸を開けて、聾が住んでいるんじゃねえとそう云ってやれ』 『まだ、夜が明けないのに、何処のそそっかし屋だろう。──今開けてやるからお待ちよ、戸が壊れてしまわあね』  だが、戸外に立っている者は、なお烈しく叩きつづけて、 『寝ているのか、儀助。おれだ、木村丈八だ。──早く開けてくれ』 『あっ、木村の旦那らしいぞ』  氷の張っている流し場で、儀助の穿いている足駄の歯があぶなく、勢よく辷りかける。 『旦那ですか』 『おれだ。たいへんな事が起ったのだ。──頼みがある、早くいたせ』 『今開けます』  閾も堅く凍りついているのである。力をこめて引き開けると、外は、眼も眩むばかりに白い雪と朝の月影だった。  ここの豆腐屋は、吉良家の台所へ出入りしていて、正直者で通っているし、若侍たちが夜遊びに出る時だの、何かの足溜りにもなっていて、丈八とも常から懇意な儀助であった。 『まあ、お入りなさいまし。こんなに早く、何うなすったんです』 『知らないのか』 『知らないのかとは』 『吉良殿へ、とうとう、赤穂浪人の輩が、討入したのを』 『げえっ、いつですか』 『たった今』 『…………』  耳を澄ましていると、朝の月が冴えて、近所の町はシーンとしているが、どこかで、吹雪の荒ぶような物音がここへも響いて来るのだった。日頃から、ここのおやじといえば、吉良びいきで、よく人と云い争うくらいなのである。ぶるっと、胴ぶるいをしたと思うと、 『嬶、ちょっくら行って来るぞ。おれが戻るまで、店の戸を開けぬがいいぞ』  丈八は用向きも云わずに、一緒に、雪の中を駈け出したが、 『儀助儀助、そちらへ曲がるのではない。──こっちだこっちだ』 『でも、吉良様のおやしきへは』 『いいから、黙って尾いて来い』 『そっちへ行っては、おやしきとは、方角があべこべになる。いったい、旦那は、何処へ行くつもりなんで?』 『おれは、桜田の上杉家の御本邸へゆく』 『へ? ……じゃあ、手前は』 『おまえは、麻布狸穴のお下屋敷にいる千坂兵部様のところまで駈けて行って、この大事をお伝えしてくれ』  両国橋の上を駈けながら、叫び交して行くのだった。  馬喰町の辻まで行くと、吉原通いの夜明し駕籠や駄賃馬が、焚火をかこんで屯していた。  木村丈八は、馬を見つけると、すぐそれへ乗ったが、儀助は馬に乗れないと云う。  距離から考えると、本邸の桜田よりも、下屋敷の狸穴へ行くほうが倍も遠い。──で丈八は、桜田へは、自身行って急を告げるつもりだったが、そっちへ儀助を向けることにして、 『では、千坂様のほうへは、おれが飛ばして行こう。御本邸への報らせも、一刻を争う場合ゆえ、そちは、馬に乗れなければ駕籠で行け、駕籠で』  云い捨てると、丈八は、馬子に手綱も取らせなかった。その手綱の端で馬腹を打ちつづけ、見る間に彼方へ駈け去った。さらさらと凍っている雪が、その人と馬とを、真っ白に煙らせていた。 病汗  上杉弾正大弼は、ことしの五月頃からずっと病床に就いて寝たきりであった。  吉良家から養子に入って、米沢という大藩の太守になった彼の境遇を、皮相に観る者は、幸運なお方だとか、お羨ましい御出世だとか云っているが、弾正大弼自身はいつも、 (小身の家を継ぐ者は幸いだのう。興す、伸ばす、と云う張合もあろうし、自己の力を、自由に試みることもできる。そこに人間と生れた大きな欣びもあるのではあるまいか)  夜伽の近習などに洩らすこともあった。  実父の吉良上野介に似て、体つきも細くて背が高かったが、健康は実父のようでなかった。  また人間的な修養ができていない若いうちから、この大藩の太守に坐って、奥にも外にも、気をつかって来たせいもあろう。大藩であるほど、譜代の重臣や支藩に勢力があって、外から入って上杉家という名門を嗣いだ弾正大弼は、多くの場合、単なる「殿」と敬称されて飾られている人間に過ぎなかった。  それを常に、 (御辛抱あそばせや、下々に於てする苦労も、一藩の上にあって遊ばす辛苦も、艱苦の尊いことに変りはございませぬ。艱苦の門を避けて大成した人物などは、古来一人もなかったはずでございます)  と、励まし、慰め、そして藩政の内外に亙っても、無二の力となって、多年、彼をたすけて来た者は、老臣の千坂兵部であった。  ──その千坂兵部は、この大雪が来た数日前から、上屋敷にはいなかった。もっとも、平常も麻布の下屋敷のほうへ詰めている場合のほうが多くはあったが。  弾正大弼は、彼がなぜ、下屋敷のほうに多く居るか、その気持を知っていたので、 (済まぬ)  と、心のうちで詫びていた。  云う迄もなく、去年三月十五日の事変からずっと打続いて来た吉良家の問題である──実父の身辺の問題である。  弾正大弼の病気は、その事も、多分に原因しているにちがいなかった。この七月には、将軍家から見舞の上使として三宅備前守を遣わされた程、一時は重態にもおち入ったものである。  兵部は枕元に坐って、 (そんなお気の弱いことで、何う遊ばすか。何事もこの爺めにおまかせあれ)  きつい言葉の中に情味をこめて云う。藩祖上杉謙信の遺言だの、聖賢の言葉などもひいて励ますのだった。  けれど、弾正大弼の眼から見ると、そういう千坂兵部の髪の毛が、この一年ほどで真っ白になっていた。 『爺に……爺に……済まぬ』  今もふと、寝所のうちで弾正大弼は眼をさまして、すぐそう思った。  寝殿の大廂から、どっと雪が落ちたひびきに眼がさめたのである。──はっと、身を起して、部屋のうちを見ると、大火鉢からは白い湯気が淡くのぼっていた。宿直の侍が二人、同じように首を垂れたまま、片隅にきちんと坐ったまま居眠っている。 『何刻じゃ』  呟くように云うと、 『はっ……』  と、首を上げた宿直が、あたりを見まわして、 『まだ……七刻……頃かと思います』 『夜明けが待たれるのう』 『また、胸がお痛みでございまするか、典医を召しましょうか』 『いや……』  枕の上で、かぶりを振った時、ばたばたと迅い跫音が、廊下から次の控えの間へ入った。  そこには、典医、小姓頭、奥取次、そのほかの者が宿直していて、何か、ふた言三言、聞いていたと思うと、 『げっ、ほ、ほんとかっ』  絶叫に近い驚き方で、一人の者が云った。 『素破っ』  と、すべての者が起ったらしい。  同時に、 『吉良殿へ、赤穂浪人が、乱入したと聞ゆるぞ』  廊下へ出て、他の部屋へ、呶鳴った者がある。  弾正大弼は、がばっと、衾を刎ねて、 『な、なにっ?』  蒼白な顔を上げていた。  ──その顔の前へ、奥取次の岩井五郎左衛門が、襖を開けて、平伏していた。 『お眼ざめにござりますか』 『五郎左、騒がしいが、何じゃ……何事じゃ』 『お驚き遊ばしますな』  念を押しておいて、五郎左は、わざと静かに云った。 『ただ今、吉良様のお出入町人、本所の豆腐屋儀助という者が御門前へ馳せつけ、今暁、赤穂浪人の群が一挙に、松坂町のお屋敷へ押しこみ、狼藉中との報らせでございまする』 『ウウム……』  弾正大弼は、血の色を失った脣をかみしめて、じっと燭台の白いまたたきを見つめていた。 『……今か。……それは、たった今か』 『詳しい事はまだ分りませぬが、襲せて来た時刻は、つい今し方との事で、仔細は、木村丈八が見届けておるとの由にございまするが……』  この七月以来、殆ど、病間から外へ一歩も出た事のない太守が、不意に、白絹の寝衣姿を屹と起たせたと思うと、 『おのれ』  よろよろと歩み出したので、五郎左衛門は、驚いて、抱きささえた。 『殿っ、殿っ……。いずれへお出でなされますか』 『知れたこと』  五郎左の手を振り払って、 『衣服を持てっ。──宿直の者、支度を持て、支度をっ』  と、烈しい声でさけぶ。  青じろい額には、玉の汗が滲んでいた。 上杉雪崩れ  小姓頭の森監物も、近習の者も、弾正大弼の前へいっぱいに立ち塞がった。  袖を抑え、体を支えて、 『お病気にさわります。殿、殿……お鎮まりなされませ』  弾正大弼は、痙攣をおこしたように、わなわなと身をふるわせて、 『病気? 病気が何か。そちたちは、赤穂浪人のために、吉良の邸や上杉家の面目を、土足で踏み躙られても、この弾正大弼が安閑と寝て居さえすれば、それで病にさわらぬと思っているのかッ』 『……吾々がおりまする。殿、吾々がおりますからには』 『だまれ、この身を、そち達は不孝者にする所存か』 『──ではございませぬが』 『早く持たんかっ』  太守は、焦れて足を踏み鳴らしながら、 『小袖ではないぞ、火事装束だぞ。──期を逸しては、赤穂浪人共が存分に土足の痕をのこして逃げ去ろうぞ。早くせいっ』  この殿の口から誰も聞いた事のないほどの強い叱咜だった。  それ以上、遮れば、手にしていた佩刀が、何者をも真二つにしかねない血相なのである。 『持ちましたっ』  ばたばたと三、四名の近習が、彼の側へ火事装束を置いた。  弾正大弼は、もう帯を解きすてていた。  腹巻、肌着、皮足袋と、側の者が手分けをして、彼の体にそれを着けた。 『大弼』  うしろで、老母の声がした。  上野介の奥方であり、又、彼にとっては実家の生母にあたる富子夫人なのである。呉服橋の旧の屋敷をひき払った時から、夫人は、上野介とわかれて、ここの邸内にひき取られていた。 『オ……』  老母のすがたを見ると、弾正大弼は、胸のうちが煮え返るようだった。涙がつき上げて来て、正視できなかった。  老母の眼も、涙でいっぱいに見える。弾正大弼が、身支度している態をながめると、よけいに、その感情が取り乱れて来たもののように、 『駈けつけて下さるのか』  と、云った。 『はい』  大弼は、両手をつかえて、 『行って参ります。これが、行かずにいられましょうか』 『健気よのう』  富子夫人は、そっと涙をふいた。 『おん身といい、左兵衛佐といい、子には恵まれておいで遊ばすが……』  と、何か又、良人の上野介の愚痴を云いかけたが、上杉家の近習たちを憚って、 『怪我をしやるな。──アア、とうとう、こんなことになったか……』  嘆息してつぶやく老母へ、 『お気づかいなされますな』  弾正大弼は、跫音あらく、大廊下へ踏み出して、 『駒の支度っ』  と、さけんだ。  近習のささげる青貝柄の長刀を、引っ奪くるように小脇にかかえ、ばらばらっと表方へ跫音を踏み鳴らしてゆくと、 『あっ、いずれへ』  江戸家老の色部又四郎重政が、遅ればせに駈けて来て、土気いろの顔を見せた。 『云う迄もない事じゃ。そちは、留守をかためい』 『しばらく』 『何かっ』 『殿御自身のお出ましは、容易ならぬ儀と存じまする。何とか家中の者をおつかわしなされて、まず、様子を御覧あそばした上でも』 『だまれ。そのような悠長の事がなる場合か否か、分らぬか』  どどどど──と得物を持った侍たちが、奥からそこへ続いて来る。玄関にも、庭先にも、槍長刀がひしめいて、 『扶持ばなれした野良浪人の暴挙、どれ程の事があるものか』 『赤穂の奴ばらに、いちどは眼にもの見せておく必要がある』 『あまり立ち騒ぐな、大藩上杉の面目にさわる』 『でも、火急だ』 『吾々は先へ行って、御隠居や御子息の安否を見届けようか』 『いや、御当家から、選りすぐった附人が十一名もまいっておる。まさか、おめおめと皆討たれはしまい。──それに、殿の御身辺を護ってゆく者が手薄になろうぞ』  すでにこれは、戦の折の出陣と変らない騒ぎだった。藩邸のすべての者が、皆支度にかかり出した。  そこへ、吉良家の家臣の丸山清右衛門が、雪の中を転んで、急変を告げて来た。  ちょうど、弾正大弼が、大玄関まで踏み出して来たところである。 『清右衛門、お父上は』  と、すぐ訊ねた。 『御生害なされました』  清右衛門は、そう云った。  浪士たちの為に、主人の首級を掻き取られたとは云えなかったのである。 『やっ、御生害を──』  太守の悲壮な声は、同時に、上杉家の人々にも、愕然とひびいて、 (しまった!)  と、脣を噛ませ、又、 (よしっ、この上は)  と、赤穂浪人へ対しての強い敵愾心に、油をそそいだ。  それでなくても、赤穂方の浪人と、上杉藩の侍たちの感情は、火と油のような危険を孕んで、ここ一年余りを越して来たのである。  謙信以来、上杉家といえば、武道をもって誇る家がらでもあったし、多分に、事を好みたがる血気者も藩邸には多いのだった。これを黙視しては、上杉家の名分も立たないし、自分等の武士も立たないと息まくのである。  もう、門の外にも、人数が溢れ出していた。すると、雪を蹴立てて、藩邸の門前に駈けつけた老武士と、ほかにもう一名の、二頭の騎馬があった。  白髪の人は、老臣の千坂兵部であり、後に尾いて来たのは木村丈八だった。  武装して門前に騒いでいる藩士たちの中へ兵部は、どっと駒を入れて、 『何事じゃっ、その態は』  と、云った。  駒を飛び降りて、 『わしの許さぬうちに、一名でも、吉良様の変事へ駈けつけることは相成らぬぞ。──入れ、門内へ戻れ』 『いや、君命ですっ』  誰か云い返すと、 『だまれっ』  大手をひろげて、兵部は、大勢を押し返しながら云った。 『赤穂のごとき浪人の群なら知らぬこと、そちたちの行動は、上杉家の行動じゃ。由来、一藩が大挙して兵器を持つ場合は、必ず太守の御前で、支藩、重臣たちの意見を述べ、その評定によって命令の降ることになっておる。かりそめにも千坂家は、広部、沢根と共に上杉家の三家と称ばれ、謙信公以来、代々評定席の上席にも坐る身である。たとえ、太守のおことばがあろうとも、兵器をたずさえて動くからには、兵部や他の重臣たちの同意ないうちに、猥りに、立ち噪ぐことは相成らぬ』  彼の正しい叱咜に、侍たちは門内へ退いた。なお何かためらっている者たちへは、 『確と、云い渡しておくぞ。──無断、吉良様のお邸へ馳せ参った者は、断じて厳罰に処すという事を』  云いすてて、手綱を丈八に渡し、藩士たちのあいだを押しわけて、玄関へかかって行った。  兵部が見えたという声は、すぐ、太守の耳にもひびいていた。螺鈿の鞍を置いた駒は、もうそこへ着いていたが、弾正大弼は、長刀の石突きを敷台に突いて、化石したように、じっと立って、彼をそこに待っていた。 『オッ……爺か』 『殿』  主従二人は、そう云ったまま、やや暫く無言のうちに煮え返るような胸を抱いて、立ち竦んでいた。 前車の轍 『まず……』  兵部は、腰をかがめて、 『奥へ渡らせられませ。──奥へ渡らせられませ』  と、自分も、玄関の間へ上って、ぴたっと坐りこんだ。 『兵部、聞いたか』 『委細、木村丈八から』 『存じながら、余に向って、奥へもどれとは』 『お話がござります故』 『何事でも、今日までは、爺のいう事に従って来た。──しかし今度は相成らぬぞ。止めるな』 『お止めいたします。──この兵部の命を召されましょうとも』 『何っ』 『色部殿や、深沢殿なども居らるるのに、なぜ殿をお止め申さんのか。兵部は死んでも、このお袴のすそを放す事ではございませぬ』  弾正大弼は、それ迄抑えていた感情の爆発を、何うする事もできなくなった。 『兵部っ。──これっ爺』 『はい』 『そちは、この大弼を、天下の笑いものにするつもりか。世に又とない大不孝者とするつもりかっ』 『恐れながら、御意のとおりにござります』 『血迷ったか』  思わず、弾正大弼は、足を上げて、自分の袴のすそをつかんでいる兵部の手を振り退けた。  兵部の痩せている体は、ばたっと畳へ投げ出されたが、手は放さなかった。  憤った大弼は、声をつづけて、 『放せっ、放せっ』  ずるずると二、三歩ほど、兵部の体をひき摺りながら、 『家来共っ、猶予していては、赤穂方の浪人共は退散して、末代まで、上杉家の汚名は拭われまいぞ。邪魔だてするこの爺めを、わしの足元から捥ぎ放して、奥へ閉じ籠めいっ』 『お待ちあそばせ』  兵部は、必死に、しがみついていた。  主命とあって、近習でも飛びかかって来たら、一喝して退けてしまうつもりであろう、鋭い白眼が、じっと一同を睨めつけた。他ならぬ千坂兵部である。誰も、手を出すことはしなかった。 『殿、暫時……暫時お待ち下さいませ。兵部がお見せ申す物がございます』 『なんじゃ』 『藩祖謙信公から家に戴いている千坂家の五ヵ条の家憲にござります。その第一条だけを御覧ぜられませ。それには── 一、上杉有而、千坂有、千坂有而、上杉有、唯是、社稷を重んずべき事。  と、こうござります』 『…………』 『誇るではござりませぬが、千坂は、祖先千坂景親以来、お付家老を命じられ、社稷の存亡にもかかわる大事の場合は、上杉家の太守とも同等の権をもって危急を謀るべしと、謙信公からおことばも賜わっている家がらにございまする。──申しては恐れ多いが、殿と兵部とは、主従には相違ございませぬが、年齢の差がござります。いかに御賢明であろうとも、兵部のほうが、世間も観、人間も観、事の実体もよく観、且つは又、大局というものの上から、分別も優れているかと存じます』 『爺、そちは、そのような事を述べ立てて徒らに、時を延ばそうと謀るのであろう』 『お察しの通りでござります。……然し、やがてそれが、よい事になって、兵部が苦諫申しあげた所存も御得心がまいりましょう』 『何で、後によい事か。上杉家の面目が何処に立つ。弾正大弼の不孝の名は、末代までの笑いぐさ、それで、武門が立つか』 『わらいましょう、世間は笑うにちがいない。けれど、笑わせておく所にも武門の大義がござります』 『うるさい。──ああ暇どるっ、放せっ、馬を曳けっ』 『聞き分けのない!』  と、兵部は、子を叱るように、声をしぼって、 『あなた様は、大藩米沢の御主君であるという事をお忘れか。御実家の危急が大事か、米沢一藩の運命が大事か。──又、上野介様おひとりの死が重くて、上杉家一藩の者の生命がなお重いものとはお考えがつきませぬか』  平常の臣下の声ではなかった。  その語気の厳しさに、弾正大弼は思わず足が竦んだ。 『お坐りなされ』  兵部は、儼然と云って、胸を真っ直ぐにした。 『あなた様のお気持は、決して無理ではない、御尤もです。兵部は腸が掻きむしらるる程、御推察いたしまする。親子の情愛、そうなくてはならないところです。──が、抑も、君主たる者は、身を以て常に民の心となり、一身を以て常に臣下の心となっていなければならないものです。それが、王道でござる。私心、自我、小義にうごかされる事は、たとえそれが正しいことでも、君主として許されぬところです。あなた様の情愛は、小義であります。武門の大義とは、左様なものではない。……もしやです、その感情に駆られるまま、一藩の侍共をうごかして、赤穂の浪人方と打つかって御覧じませ。惨たる修羅を生むことは勿論、お膝下に於て、私闘騒擾の罪に問われ、幕廷のお咎めは必然でござりましょう。禄を捨てた浪人共と戦って、上杉家の社稷を覆えしても、殿には、かまわぬとお考え遊ばしますか。……しかも、すでに亡きお実父上の御首級が、蘇生でもすると思召されるのか』 『…………』 『やがていつかは、こういう事もあろうと思い寄る儀もありました故、常々、兵部が確と、お覚悟の程をもそれとなく申し上げておいたのに……今日まで、お心のうちに、何の御決定もつかずにおいで遊ばされましたか』 『…………』 『浅野内匠頭が短慮のために、いかに多くの家臣や、その家族の者たちが、惨めな姿を、散々に、巷にさらして泣いた事か──その実例を、殿もまざまざと、見聞きしておいでなされたではござりませぬか』 『…………』 『かさねて申しますれば、あなた様御一身は、あなた様のものではない。民の心を体し、家臣の心を身とし、また藩祖よりは社稷を護る大任をおうけなされて、いかなる苦衷を歯の根に噛みたもうとも、自我私情を排して、民と国土の為に、お尽しあらねばならぬお体でござります』 『…………』  弾正大弼は、いつの間にか、崩れるようにそこへ坐って黙然と、うな垂れていた。  兵部は、ともすると、涙声になりそうな声を、自身で励ましながら、 『徒党の首領、大石内蔵助という者には又、彼としての立場というものや、使命というものや、又臣下たるの武士道がござります。あれは、ああするのが、最善の武士の道かも分りません──と云って、殿が、上杉家が、ただ眼前の事態に憤って、それへぶつかって行くというのは、決して、大義ではござりませぬ。嘲う者は心なき町人ずれの事、真の識者や、武門の何であるかを知る者は、よも浅慮に御当家を、卑怯の、不孝のとは、申しますまい』 『兵部っ……わ、わかった……。そちのことばを、藩祖のお叱りと、わしは聞く』 『勿体ない』  兵部は平身して、 『では、御得心が参りましたか』 『過った。わしはあやうく、浅野内匠頭と同じ轍を踏むところであった』 『冷えまする……殿……お起ち下さいませ。大事なお体、しかも御病中、さ、御病間へ』  と、太守の手を取って、奥まで連れて行った。  ふたりの他、誰も従いて来なかった。そこを閉め切ると、弾正大弼は突然、兵部のからだに抱きついて、 『爺ッ……爺ッ──察してくれい、察してくれい』 『おう、おう……』  兵部もここへ入るともう、声も体も脆いものになってしまった。唖のように嗚咽しながら、ぼろぼろと涙を太守の背へこぼした、抱きしめた儘、 『お察し申しまする。……ようぞ、ようぞ、御辛抱下さいました。……兵部も今日からは、病人でござりまする』  と云って、主従とも坐り崩れてしまった。 蜜柑の味  ──必然、上杉勢がここへ襲せて来る!  それは、内蔵助をはじめ、吉田忠左衛門も、すべての者が、予想していたところである。 (引揚)  の小笛が鳴りひびくと、浪士たちは、踏み荒した邸内を見廻って、蝋燭の火を消してあるいた。火鉢の残り火には水をかけ、敵の死骸負傷を数え、味方の怪我人には手当を加えて、 『回向院へ、回向院へ』  と、裏門と表門から分れて出た。  味方の負傷は、横川勘平、原惣右衛門、近松勘六、神崎与五郎の四人に過ぎなかったが、数えた敵の死骸は十六箇であった。  そのほか、浅傷、深傷の者が二十名を越えていた。  両国筋の大通りへ出たのは、ちょうど、卯の刻(午前六時)頃である。まだ朝の月が振りかえられた。 『隊伍をみだすな』 『まだ、戦い中であるぞっ』  列のうしろで、吉田忠左衛門と、跛行をひいて歩いている原惣右衛門が、先頭の若い者へ云った。その列の先から、一人、神崎与五郎が、先へ駈け出して行った。 (偵察か?)  絶えず、上杉勢の殺到を頭に置いている人々は、すぐそう考えて、緊張したが、与五郎は、長い土塀の角を左へ曲がって、回向院の大門の扉を烈しく叩いていた。 『──御寺内へ物申す。吾々は、故浅野内匠頭が浪人共でござるが、唯今、亡君の讐を討って、吉良殿の屋敷から引き揚げて来たところでござります。恐れ入るが、暫時、休息のため、御寺内を拝借したい。──御迷惑はかけぬによって、ここをお開けねがいたい』  幾度か繰返して呶鳴っていると、 『折角でございますが──』  と、門内で鈍い返辞がした。 『生憎、院主が留守でございますので、私共一存では、お開け申すことはできませぬ。はい……どうもお入れ申すわけにはゆかないそうで』  与五郎は、舌打して、引っ返して来た。  その間、一同は、四つ辻に立って、万一の不意の敵に備えていたが、回向院で断られたと聞いて、 『では、あそこで休め。──あれがよい』  と、指さした。  近くの酒屋だった。  戸を開けて、何気なく此方を眺めた亭主は、ぎょっと、顔色を失って、あわてて又、開けた戸を閉めかけていた。 『開けろ、開けろ』  安兵衛が駈けて行って、顫えている亭主を宥めているらしい。笑いながら、手を挙げて一同をさし招いたので、皆そこへ集まった。金を与えて、 『亭主、その菰被りを一樽、軒下へ出せ』  湯呑茶碗を一つずつ持って、人々は、歯に沁むような冷酒に喉を鳴らした。  東の空は、ほのかに、曙めいて来るし、吉良上野介の首級は、白小袖に包んで、槍の穂に括りつけて高く持っているのである。 『アア、骨にまで沁みて美味い』  と、誰か云った。  内蔵助も、茶碗をうけた。  老人たちも、舌を鳴らして飲んだ。 『この味、死んでも、忘れられまい』  十内老人が、からからと笑って云う。  大高源吾や、富森助右衛門は、酒屋の亭主に硯を呼んで、何か、俳句らしいものを書きつけている。 『どれどれ、見せなさい』  それをさし覗いて、奥田孫太夫が、吟誦した。 『──山を裂く力も折れて松の雪。大高子葉の句じゃ』 『うむ』  皆うなずいて、 『助右のは』 『──寒鳥の身はむしらるる行方かな』 『佳吟だ』  そこへ蜜柑箱の中へ、餅を交ぜ入れて担いで来た男があった。近松勘六の下男の甚三郎だった。 『よく気づいた』  勘六が賞めて、餅と蜜柑をみなの手に頌けた。  雪の中に、蜜柑の皮は、真っ黄いろに散らかった。たった今、あのすさまじい戦刃の中で、血を浴びて来た人達とはどうしても見えないのである。主税だの、助右衛門だの、右衛門七だの、若い連中はもう冗談を云って笑いぬいているのだった。  空が白んでくるにつれて、各〻の小袖や武器についている血潮が生々と眼に映って来た。  内蔵助は、一同へ、 『槍の者は、袖じるしを裂いて、槍の穂をつつんだがよい』  と、注意した。  もう大通りの辻には、いつのまにか、真っ黒な人だかりだった。近づいて来る者はないのである。ただ、遠方から此方の人数をながめて、がやがや噪いでいる無数の眼の驚き方がわかる。 『上杉家も襲って来ぬらしい』  忠左衛門がつぶやくと、 『千坂が居るぞ』  と、内蔵助は、低声で云った。  然し、他の人々はまだ、決して、安心しなかった。上杉家ばかりでなく、吉良家から追討を襲けるという手もある。  そのうちに、堀部老人の甥の九十郎だの、内蔵助の遠縁にあたる大石三平だの、又、剣道家の堀内源太左衛門などが、二、三の門人を連れて、 『首尾よう、御本望を遂げられて──』  と欣びの言葉を述べに集まって来る。  その人たちの見て来たところでは、 『いや、桜田の方からも、麻布からも、上杉勢の来る気配は見えぬ』  と云う事だった。 『それでは』  隊伍を正して、一同は、泉岳寺への道を歩み始めた。ちょうど十五日は、お礼日と称ぶ諸侯の登城日なので、両国橋を渡ることはわざと避けて、東両国の川岸筋を真っ直ぐにすすみ、一つ目橋の上にかかった。 『オオ』  眩しげに、人々は、眉の上へ手を翳した。四十六名の顔の一つ一つに、たった今、黎明の雲を破った朝の陽が、紅々と燃えついていた。 泉岳寺炉辺話 時の門  うわさが伝わると、朝の陽があがる一刻の間に、江戸中の雪は真っ黒に汚れてしまった。市民たちは皆、往来へ出て、眩しげに騒ぎ合った。 『やった!』  民衆は、自分たちの予感が、裏切られない事実となって、眼のまえを通ってゆくのを眺め、 『やってくれた!』  とさえ云いたかった。素朴な感動は、すぐ動揺めきを起した。夜の明けたばかりの街々は、そのどよめきに、日頃にない光景を作った。  勿論、雑多な市民層のうちには、大石以下四十六名の浪士たちが引揚げてゆく列を見て、わけもなく弥次馬的に眼を瞠っているのが大部分ではあったろうが、そういう無智な群も、浪士たちの信念の行動にはみな打たれていた。かれらは、雪にかがやく、人間のすがたを見、正しく、犬以上のものである人間を発見した。同時に、それは自分の人間の発見でもあった。四つ辻や道傍にかたまっている無数の小市民の顔には、今更のように武士という階級に対しての新しい認識を持ち直し、そして黙っている中に、 (やはりおれ達とは違う。いや、おれたちも実は、決して、畜生以下のものじゃない)  と、何か日頃の町の人々よりは、香気のある、より美しい、そして、尊敬に似た羨望すら感じながら、凝と、過ぎゆく浪人たちのほがらかな面や服装を、不思議なもののように見送っていたのであった。  引揚の道順は、  お船蔵の裏通りから永代橋へ──そして霊岸島──鉄砲洲──汐留橋──日比谷──仙石邸前──伊達家前──金杉橋──  と経て泉岳寺へ行き着く予定。松坂町からそこ迄は、ざっと、二里ほどの道である。 『御老人、おつかれであろう、駕に召されい』  内蔵助は、弥兵衛老人をふり向いてこう劬わった。老人は例の気性で、なあにと首を振ってあるきつづけていたが、若い人たちとの足幅が一致しないので、お船蔵あたりから町駕へ乗った。  原惣右衛門や、近松勘六や、神崎などの傷負の者も、すすめられて途中から駕にした。  群集の間から時折、浪士たちの縁故の者が駈け出して、手を取り合ったり、欣びの涙にくれたりしていた。仲間の人々も、路傍の人々も、そういう光景を見るたびに、どういう知合かわからないのであるが、自分たちの身へ直かに迫って来ることのように、熱いものが、胸から眼頭へ突きあげて来るのであった。 『鉄砲洲──』  誰ともなく、こう呟くと、浪士たちの行列は一度、ぴたとそこで足を止めた。旧浅野家の上屋敷の門が思いがけなくも見えたのである。  時の流れが、はっきりと胸へ映ってくる。もうその邸内には浅野内匠頭も過去の人だし、その君を中心として生きていた多くの藩臣と家族もみな、星霜の移りに乗って、すべてがこの門とは遠い彼方へ相を没していた。  そのうちから、わずか四十六名だけが、ゆくりなくも今、大望を仕遂げて、その報告をなすべく亡君の菩提寺へ引揚げる途中で──ふたたびこの門前を通ったのである。内蔵助は、憮然とながめて過ぎた。誰も彼も、さまざまな憶い出を、その門へ寄せながら通って行った。 路傍の男 『──十郎左、十郎左』  金杉橋まで来た時である。ふいにこう内蔵助が呼んで、後からつづく人たちの頭の上を振向いた。  列の中ほどから、 『はっ、何ぞ御用ですか』  磯貝十郎左衛門は答えながら前へすすんで来た。 『十郎左、ここは将監橋の近くじゃぞ』 『左様でございますか』 『会いたくはないか。──其許の母は、ついそこの将監橋の近くにいると聞いておるが……』 『は……』 『其許の兄、内藤万右衛門どのの家に引きとられて、重病にかかられて、近ごろは枕もあがらぬ容体でおわすそうな。……二度と会うおりはないように思わるるぞ。ちょっと、列を抜けて行って、一目母御に会うて来い、今生のわかれを惜しんでまいられい』 『……はっ』 『内蔵助がゆるす。はよう行て来い』  十郎左は、内蔵助のことばに、感涙を泛べながら、さし俯向いていたが、 『いや、よします』  毅然と云って、行列の足に後れなかった。 (なぜ?)  と、内蔵助は訊かなかった。──然し、わかっていた。内蔵助ばかりでなく、共に歩いている者はみな、十郎左を理解していた。  泉岳寺はもう近かった。  雪が解け初めたので、浪士たちは背まで泥濘の泥水を刎ねあげていた。三田の辻まで来ると、誰かが、 『おや、彼方から不思議な人間が来るぞ』  と囁いた。  堀部安兵衛は、顔を反向けていた。奥田孫太夫も横を向いて素知らぬ顔つきである。 『誰だ、不思議な人間とは?』  ひとりが云うと、ひとりが云った。 『見ろ、彼方からニヤついて来る男を。──裏切者の高田郡兵衛ではないか』 『ム、成程』  その囁きを耳にしたとみえ、いつのまにか弥兵衛老人は駕を降りて、列のわきへ出ていた。 『郡兵衛殿じゃないか。おい、高田、高田』  呼びかけられて欲しかったように、高田郡兵衛は、笑顔をつくりながら、すぐ路傍から寄って来て、 『やあ、これは御老人も、御一同も、首尾よく御本懐を』 『見られよ、郡兵衛殿、いずれもかように一念を遂げ、上野介殿の首級を泉岳寺へ持参する途中でござる。貴公は又、何用あって、この雪解のなかを、御苦労にもうろうろ歩いておられるのか』 『さらば、やむを得ぬ一身上の都合の為、各〻と袂をわかって、余生をむさぼり居るものの、蔭ながら、一日もはやく、方々が御本意を達せらるるようにと、拙者はここ十数日、毎朝、三田八幡へ参詣しておりますので、今もその帰り途なので──』 『ほう、では、品川の朝帰りではなかったのか』 『滅相もない事。──やれやれ、御一党の晴れがましい御引揚げを見、郡兵衛も、頂上至極、こんな欣ばしいことはござらぬ』  問う者もさる者、答える者もさる者、薄く笑って行き過ぎたが、郡兵衛はいかにも苦しそうだった。自分という者が、こんなに見窶らしく見えた事はなかった。  けれど、顔から火の出そうな恥かしさも、ほんのその時だけの事だと思った。半町も離れて振向くと、彼はやはり自分の賢く反れて来た道を後悔していなかった。 『何てえ馬鹿正直な人間共だろう。とうとう思い通りに実行してしまったのだから呆れる。……人のうわさも七十五日、その一時的な感動に煽られて、まだ何十年生きられるか知れない先の寿命を捨ててしまうなんて。……莫迦なっ、おれは、これから先の浮世をたんまりと楽しむのだ』  ──しかし、高田郡兵衛が、それから先の人生を、理想どおり楽しんで、よく送ったという噂は聞いた者もない。また果して──彼が唾しながら、その時自己の反対のほうへ去った四十六名を嗤ったような自信を、その後も、いつも持てていたろうか。ふと自分の余生の虚無や精神的な貧しさを感じない日がなかったろうか。  どう歩くも、人生である。箇々の選んでゆく道は種々なものに違いない。しかし、意義と、生きがいを掴んでこそ、生きのよろこびは、その人間に無上に楽しいにちがいない。──また、不滅な作用ももつものだ。朽ちない生命となるか、一片の枯葉にすぎない生命で消えるか。人、思い思い、その選ぶがままに極めるしかない。 白き世界  泉岳禅寺の常法堂には、その朝、僧寮のものが、みな集まっていた。  禅式の礼茶を喫み合って雑談していたのである。 『なんじゃろう、騒がしいが? ……』  こう誰か云って、耳をそばだてたところへ、番僧が、 『たいへんです』  と、駈け込んで来て、事態を早口に告げたのである。  取次僧たちが、奥へ駈け込んで来たために、本堂にはもう誰もいなかった。門内へ入って来た四十六名の代表者が、そこに立って、大きな声でものを云っているのが、常法堂の伽藍までよく響いて来た。 『──寺中へまで申し入れる。われわれは故浅野内匠頭の家来共にて候が、今暁、本所の吉良邸へ推参、上野介殿の御しるしを乞いうけて、本意を達し、故殿の御墓前にそなえんものと、一同、当菩提所まで引き揚げて参りました。しばし、墓所へ通って、君霊に御報告仕ります間、余人共の立ち入らぬよう、山門をお閉めおき下されたい』  常法堂の僧たちは、いつの間にかしんとして、その声音に耳を奪われていた。 (どうしよう?)  と云う顔いろが、まず住職の長恩和尚の眉や眼にうごいていた。  その気持を察して、誰かが、 『番僧、断れ、通してはならんぞ。──公儀のおゆるしを待たずには』  と、云い放った者があった。  承天則地が、途端に、ぬっと立った。則地は、長恩和尚につぐ当山の副司だった。 『待て、そう素気なく、追い返してよろしいものかのう。公儀の御法によって処置あるは、当然、上役人方のなさる事、いずれおさしずもあろう。──じゃが仏者には仏者の致し方──考え方というものがのうてはならぬ。当泉岳禅寺はいう迄もなく浅野家代々の菩提所、かかる時こそ、有縁の廂とならねばなりますまい。いわんや、その忠誠なる家来共が、此寺の一樹を頼って、亡君の墓前に衷心の手向けをいたそうとするのに、何を以て、僧侶の立場からそれを拒む理由があろうぞ。……通してあげたがよろしい、通しなされ、早速、墓所へ通るように申しなされ』  すると、中庭へ廻っていた門番が外から云った。 『いえ、則地様、もうみんな、ぞろぞろと、墓所のほうへ通ってしまいましただ』  則地は満足そうに、 『そうか、それでいい。──門番、見物人たちを境内から出てもらって、暫時、山門をかたく閉めておきなさい』  と、いいつけた。  僧たちが出てみると、想像以上な群衆だった。深川、京橋あたりからまで尾いて来ている数なのである。追い出して一門を閉めると、塀にたかったり、墓地の垣を破ったりする。泉岳寺の衆僧は、群集の持って来たその大きな雰囲気に忽ちつつまれてしまって、いつのまにか、自分達まで劇中の人間のように昂奮して、寺内を駈けずり廻っていた。  ──然し、おくつきの雪はまだこんもりと浄らかなまま積もっていた。たくさんな石碑がみな丸い雪の塔になっていて、今朝は、墓地の持つ陰気な影というものが何処にもない。  墓地の入口の井戸で、内蔵助は、自分で釣瓶の水をあげ、上野介の首を洗っていた。 『──何ぞ御入用な品はございませぬか。遠慮のう仰しゃって下さい』  後に立って寺僧の則地が云った。  内蔵助は振り向いて、一応の次第をつぶさに申し立てた後、 『おことばに甘えて、憚りながら、香炉一つに、三方一脚をお貸し賜わるまいか』 『おやすい事じゃ』  則地は、下男にいいつけて、すぐその品々や、香などを運ばせた。 (……此処だ)  足を止めて、四十六名の人々は、一基の雪の碑を仰いだ。内蔵助にいいつけられて、主税が、その墓碑の雪をていねいに手で落した。 冷光院殿前少府……  雪の下から碑面の文字があらわれて来るのだった。生ける時の殿に拝謁した気持を人々は思い出していた。  ……朝散大夫吹毛玄利大居士  こう下の文字まで明かに読まれた時、四十六名の者は、皆雪の上に坐っていた。  血なまぐさい夜来の袖を燻らすかのように、香の煙が、縷々と紫いろの線を描く。そっと俯目をあげて墓前を見ると、白木の三方のうえに、洗われた白髪首が乗って供えられてある。 『…………』  内蔵助がそのまえに平伏していた。その姿は、まるで自分達そのもののように誰も思った。内蔵助が今、亡君の墓に向って云っている言葉も、自分達の声と少しも変りがなく思われた。  内匠頭の墓は──その時の四十六名にとっては──決してただの冷たい石ではあり得ない。自分たちの真心も、行為も受けとってくれる完全な人格だった。  だから、彼等のうるんだ眼には、石が欣びに泣いて濡れているように見えた。内蔵助の報告を聞かれて、動くかのように、それが見えた。  内蔵助は、やがて、短刀を抜き、刃のほうを首へ向けて、台石の上にさし置いた。次に、それを手に取って三度、首を打った。 『…………』  ふたたび焼香をすると、雪の下をずり退がって、両手を開きめに膝へ置いた。赤穂城の大広間で見た以来、彼のそうした厳粛な居ずまいを見ることは、久しぶりな事であった。  じっと、その眼が、一同の頭のうえを眺めわたして、 『間──』  と、呼んだ。間十次郎のことである。 『はっ……』  遠い方からその十次郎が答えると、 『おすすみなさい』  と、儼然という。  十次郎はためらっていた。慎しい囁きに促されて、やがて畏る畏る前へ出て来ると、内蔵助がこう云いわたした。 『このたびの挙に於いては、功の深浅を論ぜずとは、予ての申し合せであるが、そこ許が、上野介殿に一番槍をつけられた事は、いわゆる武士の冥加というもの。……御一同におゆるし賜わって、先へ、御焼香なされてよろしかろう』 『……は』 『二番太刀の武林唯七、次に、御焼香なさるがよい』 『……え、私が』  ふたりは、思いがけない面目に、羞恥むように身を固くした。 彼岸の人々  泉岳禅寺は、関東一の大禅刹であった。五十人や百人の食事の支度には、何時でも事を欠かなかった。  炊事場の方から温かい──然し眼に沁みる薪の煙が、暫く、伽藍の中を煙らしていた。本堂へ上った浪人たちは、思い思いに寛ぎながら、畳の上に坐っている自分の体を、夢のように考えていた。  一同の人名と、聞書を取って、先刻、寺社奉行へ届けに出て行った長恩和尚は、やがて帰ってくると、どこかに、安心したような色を顔にたたえ、 『やあ、おかまいもせんで──』  と、くだけた様子を示しながら、本堂へ出て来た。 『禅家には、御承知のとおり葷酒山門に入るを許さず──という厳則がござりますが、各〻方もおつかれの御様子故、ただ今、粗酒を一献いいつけておきました。……粥もやがて炊けましょう、どうぞ、ゆるゆる御休息くださるように』  内蔵助は、その挨拶を謝して、 『禁盃の寺内に於いて、御酒を頂戴いたしては如何と思いますが、せっかくの御芳志、又、この中には嫌いが少い事でもあれば、お志に甘えて、存分に喰べ申す』 『さあ、お気づかいなく』  大盃小盃、思い思いに手にして傾けるのだった。内蔵助の眼のふちも、いつになく紅くなった。 『土中の白骨どもが、思いがけない温情にあずかりました』  誰かが、そう云った。 (そうだ──自分たちはもう疾くに──土中の白骨であったのだ)  微酔の中で人々はそう思い合った。これは、土へそそがれた供養の酒であると改めて思う。 『和尚、和尚』  一同に囲まれていた長恩和尚が、 『はい』  呼ばれた方を振り向くと、紅々と照りかがやいている若者たちの顔の中から、堀部弥兵衛老人が、 『ひとつ、この後の馳走として、死期の引導を頼みまするぞ』  すると、和尚は、手を振って云った。 『いや、それは困りますな』 『なぜ、なぜ?』 『われら僧侶の者が、三十年四十年と、禅那の床に、苦行をするのも、自力聖道の教にすがって、禁慾と闘うのも、申さば、今の各〻のような心境に立ち至りたいことが目標なのでござる。然るに、生涯修行いたしても、なかなかそこに迄へは行き着き難い。何でその愚僧共が、あなた方に引導など授けられましょうや。かえって、われわれ共こそ、ちと、各〻方の心境に学びたいくらいなものです』 『はははは、それでは、かような武士共は、独りで死んで、独りで引導をわたすほかはありませんな』 『いやもう、先程も、どなたかが、土中の白骨と仰せられた通り、引導は御自身で、もう疾くにおすみでございましょうが』  そこへ、則地も来て、 『風呂が沸きましたが、どなたも、お望みの方は、お入りくださいますよう』  一同は、顔を見あわせた。期待していなかったこの歓待なので、そういう言葉だけでも、胸がいっぱいになるのだった。  内蔵助はみんなに代って、 『ありがとうござります。然し、こうして居っても、いつ何時、吉良家、上杉家のお手勢が襲せて参らぬ限りもない故、なかなかまだ、風呂どころではござりませぬ』  と辞退した。  案の定、泉岳寺附近の者から、市中では今にも、ここへ上杉勢が斬り込んで来るとうわさして、大変な騒ぎだという事を告げて来た者がある。 (二百人ほどの侍が、もう、桜田の上杉邸から出て行った)  とか、 (札ノ辻あたりに、十人、二十人ずつ、偵察に立ち廻っている隊がある)  とか、又、 (吉良の家来らしいのが、高輪の浜へ、三十人ほど上った)  などという情報めかしい偽聞が、次々に、この寺内へ響いて来た。  ゆうべの働きに、まだ足らない気のしている若手の面々は、 『待っている! さあ、いつでも御座れ』  刀を検べ、腹巻を締め直し、草鞋の緒まで気を配っていた。  いきまく人達を眺めて、主税は云った。 『無駄ですぞ、暢々と身をやすめていたほうが得策じゃ。上杉家の者が、ほん気になって襲せてくるつもりなら、何で、この真昼間を選ぶものですか』  彼の父の内蔵助も又、 『そうじゃ、自分も主税と同様に考える。しかし変を慮かる者は、智に誇ってはならぬ。万一の準備はしておいたほうがよかろうぞ』  番僧たちは、主税へ云った。 『見たいものですな、ほんとの斬り合いというものを』 『襲せて来たら、見せてあげます。あなた方は、実戦というものは、境町の人形芝居の斬合いよりほか見た事はないでしょう。──なかなか華々しいものですぞ』  ところへ、厨の僧が、襷がけで出て来て、 『皆様、粥が煮えましたが、今召し上りますか、後になされますか』 『粥ならすぐ食べたい』 『まだ、お酒も、たくさんござりますが』 『それも頂戴いたしまする』  奥田孫太夫老人が、吹きだして、笑いこけた。 『どうも、忙しいの。……だいぶ皆、人間に返って来たものじゃから……』  酒の酔はまわるし、腹は満ちてくるし、一同は漸く、夜来のつかれが皮膚の上べに出て来る心地がしてきた。ごろりと、そこらへ横になると、高鼾をかいて眠ってしまう者があるし、大きな囲炉裏のそばにかたまって、 『アア、温もってきたな』 『右衛門七、指角力来い』 『指角力、よし、主税どのには、負けませんぞ』  そこからは、大きな笑い声が、時々、爆発するようにわき揚っていた。 覗き見  厨で働いている飯炊き僧が、顔をあつめて、囁いていた。 『──あの衆の中に、たんだ一人、女子が交っているぞ、女子が』 『ばかを云え、復讐の浪士方の中に、何で女が交っているものか』 『いや、ほんに』 『そんな事はないというのに』 『じゃあ、そっと、覗いて来たがよい』 『どこに居る? ……』 『あれ……あの囲炉裏のそばにかたまっている浪士衆の中に……指角力をやって負けたらしい、ほんのりと、紅い顔している十七、八の若衆』 『ふム、なる程』 『あれや、男じゃあるまい──男のすがたはしているが、どう見ても、女子じゃろうが』  誰も皆、そう信じ出した。  女がいるという言葉が、忽ち、ふだんは冷寂な──今は殺伐な──この寺内に異様な衝動を起したらしい。番僧たちが、いり代り立ち代り、その炉のある部屋を覗きに来るのだった。  騒がしいので、高弟の則地が、厨を見廻って来て叱った。 『何を覗いているのだ、ばかっ』 『浪士衆の中に、女が居りますぞ』  と、飯炊き僧は、則地にも教えた。  則地も、それは初耳だというように、覗きに行ったが、戻って来て、大笑いしながら云った。 『ハハハハハ、あれは唐の薛調だよ』 『なんですか、薛調というのは』 『いや、衛玠かも知れんな』 『なんです、なんです? 衛玠とか、薛調とかいうのは。そう、気をもたせていないで、教えてくださいな』 『支那の書物にあるんだよ』 『ヘエ?』 『──唐の薛調、姿貌端麗なり。人よんで生菩薩という。──衛玠また美容秀麗なり、予章にしたごうて都下にきたる。人聞きおよびて、観る者、道に塞がりて牆のごとし。──後、衛玠、病んで死する時、人みな謂えらく、都人、衛玠を看殺すと。……つまり、あまり美しかったので、人の眼が、看殺しにしたというのだ』 『それは、女ですか、男ですか』 『女のきれいなのは、さほどでもないさ。男だったのだ』 『ヘエ……? じゃあ、あの人、男でしょうか』 『矢頭右衛門七と仰しゃる人だ。当年、十七歳とか云っていた』  そんな話し声が、向うまで聞えて行ったのであろう。炉ばたからその右衛門七が、ちらりと此方を向いた。  厨のほうから大勢の僧が、自分のすがたを見て何か話しているのに気づいて、右衛門七は、きまりが悪そうに、ついと起ってしまった。そして、本堂の横の縁側へ出てゆくと、 『右衛門七殿。……おい、右衛門七どの』  と、誰か呼んでいるような気がした。  ふと、廻廊の下を覗いてみると、そこに先刻ここへ引揚げて来る途中、路傍で姿を見かけたあの脱盟者の高田郡兵衛が顔を上げて立っていた。 『……や、高田殿ではありませんか。何しに、これへ』 『取次いでくれんか』 『何をです?』 『実はな……』  と、郡兵衛は、そこに持ち込んで来た菰かぶりの酒樽へ目を落して、 『友だちが大望を仕果したのだ。拙者も、ああした事情で、連判から抜けたものの、心は御一同と変りはないつもりだ。……で、先刻おわかれしてからも、何か、こう自分の気持を、贈りたいと、いろいろ考えてな、寸志だが、酒一樽持って来た。……先刻、堀部や奥田老人など、おれの姿を見かけて、ほろ苦い顔をしていたらしいから、本堂のほうには遠慮するが、貴公から、郡兵衛がこれを届けて、こう云って帰ったと、後でもよい、よろしく披露しておいてくれ……。いいか、たのむぞ』 『あっ、ちょっとお待ちください。──郡兵衛殿、この品は、私にもお預かりは出来ませんぞ』 『なぜ』 『ほかの人に、訊いて来ないうちは』 『そう改まらんでも、軽く、取次いでくれればよいのだ』 『でも……』  と、言葉で抑えておいて、 『堀部どの、堀部どの』  と呼び立てた。  安兵衛のすがたを見ると、逃げるように、郡兵衛は帰りかけた。そこへ置いて行った酒の一樽が、すぐ安兵衛の眼にもはいった。 『おいっ、郡兵衛』  郡兵衛は、振り顧って、 『やあ……』  磊落そうに笑ったが、後めたい気の弱さが、かくされなかった。 『これは……貴公がお持ちになった酒か』 『わらってくれ、心ばかりの物だが、おれの気持だから』 『気持?』 『…………』 『郡兵衛、せっかくの友達が、持って来てくれた物だから貰っておきたいが、他人の酒は頂戴しても、貴様の酒は飲むわけにはゆかん』 『誤解してくれるな。おれの心は……心はいつも、貴公たちと同じつもりでいるのだから』 蔭の者 『よせっ』  蔑むように── 『郡兵衛、おぬしが取った人間の生き方だって、そこでまた、べつに立派な生き方がない限りもない。……だがなあ、そう彼っ方の仲間へも嘘を真らしく、此方の仲間へも自分を飾ろうとするような弱い生き方では、結局、世の中のカスみたいな人間として、細々と世間から生かしてもらうぐらいが関の山で生涯を送ってしまうぞ。……おれは、おぬしの友達として、最後にいうのだ、何っ方でもいい、向いた方へ、郡兵衛、衝き抜いて生きてゆかなければ嘘だぞ』 『ありがとう』  皮を剥がれた犬のように細くなって、郡兵衛は悄然としたが、また、顔を上げて、 『そう云ってくれるのは、安兵衛、おぬしだけだ。忘れない。おれもきっと、生きてゆくからには、世の中でいい事をやるよ。……だが、この酒は、せっかく自分の気持をこめて来たものだ、どうか、御一同にあげてくれ』 『救えない男だ。──郡兵衛、うるさいから、早く帰れ』 『じゃあ、置いてゆくぞ』 『馬鹿っ』  安兵衛は、とうとう癇癪を破って、唾のように、烈しい語気を、郡兵衛の上から浴びせた。 『亡君の御墓所へ行っておゆるしをうけて来い。貴様は、おれたちに酒を持って来ることを知っているなら、なぜ今朝、共に、御墓所の雪を掃かなかったか。……いくら偽面を被っても、君侯の御墓まで欺くことはできないのは、まだまだ貴様が善人らしいところだ。ほかの者に見つかると殴られるぞ。つべこべ云わずに、はやく行け。帰れっ』  そして安兵衛は、無遠慮なこえを出して、厨の僧たちへ呶鳴った。 『山門の潜戸をお閉めください。あれが開いておるので、無断で用もない輩が立ち入って困る。この酒樽と一緒に、この人間も、追い立てていただきたい』  逃げるように郡兵衛が出て行った後から、番僧たちが、彼の齎してきた酒樽を、潜り門から外へ抛り出した。  そして、そこを閉めきろうとすると、一人の番僧が、 『……おや?』  と、山門の内側の隅へ眼をみはった。  ずかずかと、番僧はそばへ寄って行った。薄暗い門の隅に佇んでいた頭巾の女は──眸をすくませて、なお隅のほうへ身を縮めた。  凝と、透かすように見て、 『……ほんとの女だ。……これこそ、ほんとの女らしいぞ』  番僧はつぶやいた。  もう一人の僧は、すぐ女の腕くびをつかまえそうな顔をしめして、 『たれじゃ? ……おまえは』  と、咎めた。 『何の用事で、寺内へ入って来たのじゃ。……え? 何の用があって』  問いつめられて、女は、頭巾の中で顔いろを失っていた。脣までふるえているのである。 『……べつに、あの』 『無断で入って来てはいけません。赤穂の浪士衆を見物に来た者だろう』 『……え、え、そうなんです』 『出なさい、門の外へ』 『はい』 『やがて、公儀のお使者が、ここへお出でなされよう。さ、門の外へ立ち去りなさい』  女は、美しかった。細っそりした姿は、屋敷風の上品なにおいを持っていた。  ──恟々と少しずつ潜戸の方へ身を動かして行きながらも、頻りと誰かをさがすように、浪人たちの休息している本堂のほうを濡れた眼で見ているのだった。       ×   ×   ×   ×  その狭い部屋には、誰もほかにいなかった。狩野風の煤んだ衝立の絵の蔭に、磯貝十郎左衛門がひとり、凝と、坐っているだけだった。 『十郎左、十郎左……』  今、彼のすがたがこの辺でちらと見えたのにと思いながら、前原伊助が、本堂の方を抜けて来て、ふた声ほど、低声で呼んでいた。  十郎左は、答えなかったが、伊助はすぐ衝立の蔭に、彼のすがたを見出した。  本所の相生町に店を持って、米屋五兵衛と名を変え、吉良の動静をさぐるために、おたがいに今日まで、心をくだき合って来た友達の中の友達だった。 『……おう、こんなところにいたのか……十郎左、知っているか』 『なんです?』 『来ているのだ。……吉良家の奥にいた彼女が……おつやが……』  十郎左は、じっと、つめたいまま俯向いていた。鬢の毛が、針みたいに、かすかにふるえているのを見て、伊助は眼を反らした。 『……かわいそうな犠牲だ。ちょっと、おぬしが行ってやって、やさしい言葉でもかけてやればいいが、側を通った母御の家にさえ寄らなかった程の気持だから……そんな事はすすめられもせぬ。……だが、十郎左、右衛門七のお粂も、あの後気が狂って、街をさまようているそうな。右衛門七には、まだ女ごころが分らぬから、ああして、こだわりもなく忘れているらしいが……十郎左、おぬしには、それができまい』 『前原』 『なんだ』 『わが儘をいうようだが、ほかの友達が、何を密かに話しているかと怪しむといけない。彼っ方の広間へ行って、みんなと笑っていてくれ』 『……ム、それもそうだな』 『ちょっと、頭が痛いので、暫く、ここで横になっていたい。……だが、わしも本堂のほうへすぐに行く。あの賑やかな笑い声の中へ入りに行くよ。……な、前原』  そう云いながら、十郎左は、雪明りの障子のほうへ向って、ごろりと横になった。 細川家義士夜話 復讐正道 『助右どの、大目附のお邸は、確か此処だのう』 『そうです。てまえが先に訪れましょう』  富森助右衛門と、吉田忠左衛門の二人であった。  討入装束のままで、手には大身の槍を提げていた。もっとも槍の穂先は、明方から白い晒布で巻いて隠してはあるが── 『御門役まで申し入れる。──吾々は故内匠頭の家来、浅野浪人の吉田忠左衛門に富森助右衛門と申す者です。火急、お訴えの事あって、大目附たる伯耆守様まで罷り出ました。何とぞ、伯耆守様直々に、お聴取り下さるよう、お取次を願いまする』  門の外から訪れて、助右衛門がそう告げると、 『暫く──』  と、邸内で家臣の騒めきが聞え、やがて跫音が奥へ消えた。  その間に、町の者は、すぐ二人の姿を見つけて、 『ヤ、赤穂の浪人衆だ』 『討入したおさむらいだ』  と、物見高く寄りたかって来て、平時では見られない二人の討入装束に眼をみはって、遠巻に眺めていたが、馴れて来るとだんだん側へ寄って来て、 『もし、赤穂の御浪人様、とうとう、おやんなすったね。今日の江戸は、あなた方の噂で持ちきっていますぜ』  とか、 『なぜお二人だけ、泉岳寺の方へ、引揚げなかったんですか』  とか、一人が話しかけると、次から次へと言葉をかけて来て、中には、 『おめでとう』  と云って通ったり、 『御苦労でございました』  二人の前へ、自分達の事のように、頭を下げて行く往来の者もあった。  忠左衛門と助右衛門は、そう云ってくれる民衆に対して、唯、ニヤニヤと笑顔を酬いているだけだった。時々、羞恥ましそうに、顔を横に外し、邸内からの返事を待って彳んでいた。  ちょうど今、一党の者は、泉岳寺へ着いた頃であろう。この二人だけは、内蔵助から、或る使命をうけて、芝口辺から行列を脱けてここへ来たのだった。  曾つて、山鹿素行がその著書のうちに論じて、こういう大要が記してある。 復仇ノ事、必ズ、時ノ奉行ニ至リテ、理非、黒白ヲ明カニシ、ソノ命ヲ受ク。コレ古来ノ法ナリ。世説ニ、奉行ヘ告グルハ、身ヲ完ウセントスル心アルヤニ似タリ。討チ済マシタル上ハ、死生ニ於テ求ムル所ナキ筈ナレバ、ソノ事無用ナリト云ウハ、世道ノ法ヲ無視シ、タダ気概ノミアッテ、道ヲ知ラザル者ノ言ノミ。  内蔵助のこころのうちに、幼少に受けたこの先人の遺訓があった事は疑いもないことだ。一党の中でも思慮に富み、又、弁舌の雄でもあった忠左衛門に、助右衛門をつけて、途中から大目附の自邸へ向わせたのは、公儀の法令が発動して来ない先に、自分の方から公儀へ訴え出るほうが正義だと信じたからであった。つまり自首の途を踏んで出たのである。  今朝の事件は、伯耆守の耳にも疾く入っていたに違いない。取次の言葉を聞くと、伯耆守は即座に、 『通せ。身が直々に会おう』  と、云った。  自首の使者として来た二人は、討入の趣意書を懐中に持っていた。伯耆守は、それを直接受け取った上、手短かに要領を訊き取って、 『神妙な仕方である。すぐ登城いたして、老中方へ披露に及び、お沙汰を仰ぐ事にするであろう。両所にはその間、緩々当家に於いて休息あるがよい』  二人は、別間へ通された。そして、空腹であろうという仙石家の好意で、湯漬を饗せられた。  そこは、ふつうの客間なので、 『まだ、装束も昨夜のままにて、あまり尾籠の態にござります故、もそっと端近にて頂戴いたしとうござる』  恐縮して、家臣に云うと、 『いやいや、殿のおいつけですから、御遠慮には及びませぬ』  とある。 『では。──』  と二人は、胴着や帯を締め直し、礼儀の心だけを表して、湯漬を馳走になった。  お坊主がそこへ茶を汲んで来ると、二人共、 『茶は沢山でござる』  と辞退して、袖の中から、紙に包んだ焼米を出して、 『甚だ恐れ入るが、これは昨夜、兵糧に持参いたした穢い物でござる。もはや不用になりました故、どこぞお取捨てくだされい』  と頼んだ。  その間に、仙石伯耆守は、供揃いも慌ただしく、大目附の役人として、城府へ、駕を急がせていた。       ×       ×           ×       ×  ちょうどその日は、諸侯の登城日に当っていた。  夜明け方の大事件は、当然、ここの政庁につよい衝動を与えていた。殿中の各お役部屋は、十四年三月十四日の刃傷事件の当日を忍ばせるような空気であった。  ──だが、同じ緊張しきった幕廷の物々しさにしても、内匠頭刃傷の時は、誰の眉にも暗い悲痛な影が漲っていたが、今日の混雑のうちには、何処となく人生の明るさを見ているような明るさがあった。 『聞けば、今暁、この泰平の世に、お膝下に於いて、不祥な事件が起ったそうな』  と、口では皆、憂わしげに云っているが──幕廷の閣員としてはそう云っているのだが──心のうちでは何処となく、 (まだ士風は廃りきったとは云えない。武士道は地に墜ちていない!)  と、意を強うしたふうが、何の部屋の諸侯の眉宇にも見えたのだった。  刃傷事件の折には、内匠頭の処罰に、ひどく急で、感情的でさえあった将軍家の綱吉でさえ、 『……ウム、そうか』  と、伯耆守から申達した老中の報告を聞いて、暫く、感動の中に脣をむすんでいたという。  届け出では、次々に、政庁に集まって来た。寺社奉行の手からは、泉岳寺の和尚の訴えが入るし、吉良家からも、上杉家からも、町奉行からも、各〻の立場から上聞を求めて来る。  吉良家へは、実際の検分に、すぐお目附達が急行してゆく。また、伯耆守は、幕廷の意嚮をうけて、間もなく自邸に引っ返した。 (浪士一同の処分は追っての沙汰とし、当分のあいだ、四藩へ分けてお預けの事)  と決まった。  泉岳寺へも、すぐ幕命が下って、 (内蔵助以下一同、宵のうちに、寺中を引払い、大目附伯耆守の宅に罷越し、静かに、お沙汰を受けらるるよう)  と云う指図である。  ──その夕方から雨になった。雪の後を小雨がそぼそぼ降って、道は泥田のようだった。  夜になると、いっそう「上杉勢出動」が真しやかに伝えられ、人の心には、恟々としたものがあった。──折からの雨夜でもあり、それを信じない人々の間にも、 (もしや、こんな夜に?)  と云う不安は、皆無でなかったのである。 降り流す夜  肥後の細川家、伊予の松平家、長門の毛利家、三河の水野家。  こう四藩の総人数──千四、五百名という人員が、伯耆守屋敷の表門を中心に、塀の陰や道路の向い側に彳んだ儘、夕刻から亥の下刻(十一時半)へかけてズブ濡れになって立っていた。 『まだかのう』 『まだらしい』 『何をして居るのだろう』 『邸内の事はさっぱり分らぬ』  合羽の下まで雨は透ってくるし、それに、手も脚も性が無くなるほど寒い。  お預けとなる浪士四十六名の割当ては、 細川越中守忠利へ      十七人 松平隠岐守定直へ      十人 毛利甲斐守綱元へ      十人 水野監物忠之へ       九人  と云う上命であった。  これはそのお預け人受取の四藩の人数なのだ。細川藩だけでも、七百名に近い人員を繰出して、万一の変に備えたのである。  その細川家に対して公儀から、 (御預け人を預けおく)  と云う命令の出たのが、昼間の二時の頃だったので、それから遽に家中の大支度となり、夕刻までに泉岳寺へ向うと、急にお預け人は伯耆守の屋敷で渡すという幕命の模様変えとなったので、豪雨の中を又西久保まで行き、晩の十時には渡されるらしいと云うので辛抱していたのが、いつまでも、沙汰はないし、雨はいよいよ降り募るばかり……。  他の三藩の者もみな同様だった。腹は減るし、寒さは迫るし、夜の更けるほど、雨は数日の雪を真っ黒に降り流す。  暗い邸外から眺めると、塀の内には、無数の灯が燈され、雨の縞が空に光って見えた。 『余りといえば、吾々を無視しておる。仙石家では一体、何をこう手間取っているのか、御催促申してみては何うか』  不平の声が起るのも無理ではない。いくら被いを覆けていても、提灯の灯が持ちかねるほど雨風は横なぐりに吹きすさぶ。  ──と、細川家の小姓頭平野九郎右衛門が、 『まあ、まあ、我慢してくれい。今、仙石家の者へそっと訊ねてみたところ、予定の時刻より遅れたわけは、伯耆守様のお計らいだそうだ』  宥めるつもりで、一同の中へ来てこう云うと、 『じゃあ、わざと時刻を遅らしているのか』  色を作して、かえって不平の声は、昂ぶりかける。 『そうだ、わざとなのだ。──だが、伯耆守様のお気持を伝え聞くと、拙者はかえって欣しくなった。──と云うのは、このお邸へ入った四十六名の赤穂浪人が、ふたたびこの世で一緒に顔を見合せることはもうないかも知れん。御処分の日はまだ先の事にしても、今夜限りで、四家へ分れ分れにお預けになってしまう身上だ。──例えば、内蔵助殿のような父と子も、叔父と甥も、多年の友も……』  皆まで聞かずに、一同は頷いたり、叫んだりして、雨に顔を打たれながら、眼をしばたたいた。 『わかった! そういう思し召か』 『いくらでも待とう。こうして待っている一刻一刻が彼の衆の別れを惜しむ為めとならば──なあに雨ぐらい、寒さぐらい──何でもない』  だが──十二刻に近づくと、細川家の家老三宅藤兵衛と用人の鎌田軍之介とが、邸内へ呼び込まれた。 (愈〻──)  そう感じると、昼間から雨や寒気に曝されていた人々も、 (もう彼の衆も、永劫に、骨肉とも友達とも、生き別れとなるのか)  思い遣って、かえって胸の傷む心地がしていた。  細川家へ預けられた面々は、内蔵助以下、吉田忠左衛門、原、間、片岡、小野寺、堀部老人などの十七名で、その中に主税は交じっていなかった。  主税の名は、松平家のお預人の中に記されてあった。  で──立ち際に内蔵助は、物蔭へ、主税を呼んで、そっと云った。 『主税、今生のわかれだぞよ』 『はい、お父上のお顔を見るのも、今が最後と存じまする』 『覚えて居ろうの。常々、父が申し聞かせておいた事』 『忘れてはおりませぬ、御安心くだされませ』 『うむ。ウム……』  満足そうな父の眼であった。然し、母とはべつな大愛を持つこの父は、心の底にどんな熱涙を抑えてその席を起ったであろうか。──やがてそれから直ぐ後には、今別れたばかりの主税の顔を、烈しい雨の打ち叩く駕の裡でじっと瞼に描きながら、細川家へ向けて揺られていたのであった。  ──松平家も、毛利家も、水野家の人数も、順々に浪士の身がらを受け取った。四家各〻が、物々しい警固の列を雨のなかに立てた一刻ばかりというものは、伯耆守屋敷の門前は、まるで戦のような喧騒だった。わけても細川家の家士七百余人は、高張、箱提灯、騎馬、駕、足軽などの順に──他の三藩より一足先に、そこから行列を進め、五十四万石という大藩だけに、見る眼も物々しい限りだった。  上屋敷は高輪にある。御預人の十七名の駕と人数は、目黒門と呼ぶ口から邸内へ入った。時に、刻限はもう午前二時をだいぶ過ぎていた。  その途々、 『堀内伝右衛門と申す者が、人数の中におりまする。御浪士方の中で、何か御用のあるお方は、遠慮なくお呼びくだされたい。息苦しゅうて、駕の戸など明けたくは思されぬか。何なりと、仰せ聞けられよ』  こういう声が、時々、外に聞えた。  そういう好意は、家中の者にだけ流れていた義気でなかった。太守の細川越中守も又、寝もやらず一同を待っていた。  それは、公儀の命を奉じる当然な勤めであったにせよ、やがて十七名の者が、邸内の大広間に平伏していると、越中守は、自身その席へ出て来て、 『疲れたであろう』  と、内蔵助たちをいたわった上、 『各〻の今度の致し方、越中守も神妙に存ずる。もはや深更のこと、緩々、手脚を伸べて休息するがよい。又、何ぞ相応の用事もあらば、隔意なく、家来共へ申し出られい』  と、云った。  国法を犯した囚人である。内蔵助をはじめ、誰も皆、こんな優遇は夢にも期待していなかった。まして、五十四万石の太守が直々、何でこんな親しみを示されるのであろうかと、むしろ疑われるくらいであった。 『……はッ、……はい』  十七名の囚人は、答えた儘、急に頭も上げ得ない。越中守の温かい言葉を、有難い──と胸に沁みて受け容れながら、その有難い──という気持を云いあらわす言葉が遽に見つからないのである。 香華にも春はあり  十六日の早朝だった。南部坂の浅野式部少輔の門を、つかつかと早足に入って行った旅すがたの男がある。竹の子笠を被っていたので、顔はよく分らなかった。 (はて、お飛脚かな。それにしては何日もよりちと早いが)  と、思った位で、門番が何気なく見過ごしている間に、竹の子笠の男は、式台へ出た小侍へ、何か一封の紙包を手渡すと、返辞も待たず、ツイと門の外へ立ち去ってしまった。  脇玄関の横に厩があった。そこの前に立っていた身分の低い庭廻りの老人が、 『おや? ──今のは──』  門際まで駈け出して来て、 『おうい、吉右じゃないか。吉右、吉右』  手をあげて呼んだが、もう後姿は遠ざかったのであろう。その老人は独り言に、 『おかしいなあ……よく似ていたが、人違いかしら?』  と、小首を傾げていた。  同じ頃の年配で仲のよい門番の老爺が、 『斎田さん、今の男を知っていたのかね』 『ウーム、ずいぶん久しいこと会わないので、ひょっとしたら他人の空似かもしれんが、今の男はたしかに、赤穂の御浪人で吉田忠左衛門様と仰しゃるお方に足軽奉公していた寺坂吉右衛門に違いなかったが……』 『それにしては、おかしいじゃないか。飛脚のように、何かお取次へ渡してすぐ行ってしまった。その吉右衛門というのは、斎田さんの知人かね』 『わしの甥が姫路藩本多様に御奉公している。その姫路藩にやはり吉田様の御親類が仕えているので、深い懇意と云うではないが、甥の家でよう茶を飲んで話し合った事がある。その吉右だとすれば、おとといの晩の事やら、赤穂の御浪人衆の始末やらを聞きたいと思ってのう』  ──すると玄関のほうに、用人の落合与左衛門が、今、取次の者から受取った大封じの書状を持って佇みながら、 『これ、これ。使の者はいかが致した。──今これを持ってみえた使の男は』  二人が、振顧って、 『あ、その使の男は、もう立ち帰りましてございますが』 『ヤ、帰ってしもうたか? ……。種々、訊ねたい事もあったのに……瑤泉院様にも落胆なされる事であろう』 『じゃあ、今のはやはり、赤穂の御浪人方からの使でございましたか』 『封の表には、京都瑞光院と寺の名が認めてあったが、中を開くと、内蔵助殿からこちらの瑤泉院様へ宛てた密封の物。……それは何か知らぬが、内蔵助殿の使とあれば、討入前後の仔細も詳しゅう知っていようと、あわててこれへ出て来たのだ』  と、与左衛門は、頻りにその機を逸した事を悔んでいたが、ふと気づいて、 『いやいや、それもあの思慮の深い内蔵助殿が、御当家や又、御後室の瑤泉院様に些細な累をもおよぼしてはならぬと考えられて、わざとお使者にもそう申し付けてよこしたのかも分らぬ。……お前達もその旨を心得て、今の儀は口外せぬがよかろうぞ』  与左衛門はそう云って奥へ戻って行った。そして後室の瑤泉院の冷やかな余生の部屋へ、そっと辷り入った。 『与左衛門にござります、唯今、京都瑞光院の者と称して、かような封書を置いて参った男がござります故、開いてみると、内蔵助殿からお手許への届け物……。御覧くださいまし』 『え? ……大石から』  瑤泉院は、振り向いて、与左衛門が次の間から差し出す物を、侍女の妙に取らせて、自身で封をひらいた。  内匠頭の死後から今日迄、およそ二十一ヵ月──その間にこの人の面からは、あらゆる希望が消えていた。水々しかったあの頃の麗姿から思うと、頬や肩の肉さえ傷々しいほど削ぎとられていた。  ひと頃は、紛々と伝わる世評を聞いて、 (あの人間だけは)  と唯一の力にしていた内蔵助にさえ、頼みを失い、人生を疑って、幾度か、自分の生きている事も厭わしく思ったか知れないのである。どうにも成らない女という身──後家という身──又、大名の奥住居という境遇を冷たい枷にもだえて呪ったか知れなかった。  だが。──きのうの朝。  いつものように、亡き良人の前へ亡き良人の在りし日の通りに、好む薄茶を立てて、静かに、朝のつとめに坐っていた時。  あの常に落着いている与左衛門が、まるで、そこの襖も踏み外すように転び込んで来て、 (御後室様! 吉報でござりまする! 赤穂の御浪人方一同が、吉良どのを、とうとう、吉良どのの)  舌も縺れるような声をして、云って来た時の一瞬は── (生きていてこそ!)  とその歓びに顫き、同時に苟めにも内蔵助の心を疑ってみたり、この人間の世を邪視していた自分が、打ちのめされたように恥かしくて、 (済まない。──)  と思い、亡き良人に対しては、 (あなたの御家来が、出来しました。あなたのこの世に持っていた一城も、これでただ意味もない滅亡ではなくなりました。いえいえ、この世の中にとって、人々の精神のうちに、幾代の末までも、どんなに大きな役目をしてゆくことかもわかりませぬ)  と、霊を慰め、それからそれへと、思い出される事やら欣しさやらで、一日中、欣し泣きに泣いていた事であった。  それは又、彼女の香華の室ばかりでなく、この屋敷中の小者の端に至るまでが、きのうから顔つきが違って明るくなっていた。わけても、彼女と共に、鉄砲洲の、以前の邸からずっと侍いて来ている侍女の妙などは、後室と手をとり合って、この一年半の鬱心を涙に溶かして泣き晴れたのであった。  そこへ又。今朝の便りである。──しかも内蔵助から、厚ぼったい一綴の書類。 (何であろう?)  と不審るよりも、懐しさに胸が迫る。臣下ではあるが、瑤泉院の孤独な女ごころには、内蔵助という者がこの世に在るということだけでも、大きな生きがいであった。惻々と懐しさを感じるのであった。  然し、封書から出た一綴の物は、ただの消息ではなかった。この折の彼女の心とは恐ろしく駈け隔たった数字の帳簿で、 =金銀受取帳  と表題してある一切の計算書なのだ。赤穂退去以来、内蔵助の手から出した公金私用の明細を、実に細かい数字まで、丹念に記載しておいた──その復讐費用の報告書なのであった。  それだけだった。  その他に、あるかと思った消息らしい手紙は、一言半句も同封してなかった。 『…………』  瑤泉院は、ふと、もの足らない心地がした。自分が何で、内蔵助に対して──又他の旧臣達に向っても、物質的な、しかもこんな零細な数字までを気にかけていよう。彼の律儀さが、むしろ冷たく感じられて寂しい。 (──内蔵助。いったい彼の仁というものは、何ういう人間なのであろう)  きのうの事実が、まだ胸の裡に感激を醒ましていない場合だけに、彼女には解せない気がする。内蔵助という者の全貌が、何だか、余りに多角的で、巨きいのか、小さいのか、それが一体、男のあたり前というものなのか、わからない気がしてならない。  事変の前には、あの小づくりな上に、のろりとした風貌で、無能家老だの、昼行燈などと云われていた内蔵助──又事変後には、祇園や伏見で豪奢三昧の態を見せたり、そうかと思うと疾風迅雷に最後の目的に向い、儼然と、討入の事実を示して、天下を震駭させている彼でもある。  智謀の器というものか、情熱の武士というものか、又、飽くまで緻密な計数で出来ているこの「金銭出入帳」のような、明晰な頭腦の持主だろうか。  情と熱に富む士には、計数の頭腦が乏しいものである。計数の才に富む者には、義や忠誠は知っても、進んで死地へ飛び込むような断がない。勇がない。実行力に欠けているのがふつうである。 (長い間、世間を謀って通るさえ、容易ではなかったであろうに、こんなに細やかにまで、心をつかっていやったのか)  と、その出入帳の数字を漠然と見るだけでも、瑤泉院は彼の行き届いた仕方に、ただ驚くほかなかった。  そして、 (これ程の事には及ばぬものを)  と思い、むしろ一筆でもよいから、内蔵助の言葉なり、旧臣たちの事に就いて知らせてくれた方が、何んなに欣しい便りであったろうにと考えた。  ──けれど瑤泉院はやがて、その「金銭出入帳」を一枚二枚と見てゆくうちに、自分の浅慮な考えを、厳粛に正された。  表題は金銭出入帳にすぎないが、その一項一項に、細かに誌されている金の使途を読んでゆくと、復讐に加わった同志四十七名の一年半の生活が、まざまざと想像にのぼって来るのだった。これは、読み方によっては、単なる数字でなく、旧臣たちの復讐生活の日誌である。  瑤泉院はいつのまにか、瞼を熱くしてそれに読み入ってしまった。そして自分の尼にも似た生活──自分ほど不幸なものはないと怨んでいた生活を、そのなかの人々の生活とひきくらべて、 (ああ、勿体ない)  思わず心のうちで掌を合せた。  恐らく、内蔵助がこの「金銭出入帳」を送って来たのも、単に数字の報告をし、又、自己の潔白を明らかにするという気持だけではなかろう。これを通して、一年有余の──自分以外の同志たちの惨憺たる生活の態を、それとなく、読んで欲しいという心ではあるまいか。  その心を以て読めば、これは何んな長い長い手紙よりも又、会って直接に聞くよりも、詳細な消息であった。瑤泉院は、そう気づくと、又しても、男性の思慮と女性の思慮の程度を思い較べて、やはり男の考えというものには、女性の思慮では量りきれない、深さ、高さ、幅のあることを痛切に感じた。  そして、それにつけても、すぐ心のうちで悔いる事は、なぜ、亡き良人にも、そういう尊敬の眼をみひらいて、もっとよく仕えなかったろうか──と思うことであった。 両持ち論議  同じ十六日の黄昏れ頃。  ゆうべの豪雨で、往来は、小石が洗い出されていた。 =泉岳禅寺  と書いた提灯を一人の若僧が持ち、も一人の若僧は何やら重そうな包みを小脇に抱いて、 『叱っ! ちくしょうっ』  後から尾いて来る野良犬へ、杖を振っては、暗い途をてくてく歩いていた。 『江戸は何うしてこう野良犬が多いのだろう。犬のやつが吠えて仕方がない』 『夜歩きには附き物だ』 『あれ、又来おった、何うしてくれよう』 『だめだ、いくら追ったって駄目だよ。関わずに急ごう』 『どうして』 『においがするに違いない。犬の鼻は利くからな』 『え? ……』  と、丸い荷物を抱えている方の若僧は、自分の持っているそれへ眼を落して、ちょっと嫌な顔をしながら、 『ア、そうか。……首桶に入っていても、分るかなあ』 『煩悩の犬とさえ云うじゃないか』 『違いない! ──。この辺はもう永代橋に近いな、本所迄はずいぶんある。──彼方のぽっと明るく見える空は、堺町の芝居小屋か』 『そうらしい、音曲の音がかすかに流れてくる。こうして、人間の生首を持って、夜道をお使者に行く者もあるし』 『世はさまざまだ……。それにしても、四家へお預けになった赤穂の浪人方は、今夜は、どんな気持でいるやら』 『ここへ来る途中も、辻々でその噂だ。まだ公儀お預けとだけで、彼の衆の処分は決まらない。忠義のためにやった事だ、忠義は国の精神の礎であるから、当然、御助命だろうと云っている者もあるし、いやたとえ忠義の道は踏んでも、国の大法を踏み紊したのだから、刑にするのがほんとだ。刑にすれば主君の内匠頭以上に重いだろうと観る者もある。──ここんところ、幕府のお裁きが何うなるか、下手をすると、諸侯や学者や役人衆のあいだばかりでなく、町人百姓までが、さだめし囂々と蔭口きいたり、又、口の悪い落首が諸所に現われるだろうと』 『ウム、見ものだなあ』 『このお裁き一つに依って、忠義というものの真体が定義されるんだから、武士道というものがあって立っている諸大名は勿論、幕府自身だって、迂濶には処分できまい』 『おう……永代橋だ。やっと、本所の空が見えて来た』 『まだちょっとあるな。何しろ、人間の首というものは重い、河岸は人通りもないから、その杖に差して、両持ちにして行こうじゃないか』 『よしよし、こうか』  風呂敷包の結びへ、竹の杖をさして、二人は両端を持った。  泉岳寺の寺僧で、一人は一呑といい、一人は石獅という者だった。  吉良家の菩提寺の万昌寺から、寺社奉行を通じて、 (上野介様のお首を渡してもらいたい)  と云う交渉があったので、あのまま寺中に預かっておいた上野介の首を、吉良家へ届けに行くようにと、住職から申し附かって、こう二人で、これから本所の松坂町まで行く途中なのであった。 『一呑、おまえは何う思う』 『どうって、何を』 『赤穂の人達を、助けたほうがいいか、刑に処したほうがいいか』 『云う迄もないさ。ああいう忠誠な人があってこそ、武士道があり、武士道があってこそ、国の秩序も立つ。そしてこの元禄の世のような、饐えた自堕落な世相もひき緊まるし、だれた人心に、又新しい人間の精神が、強く、打ち建てられて来るのじゃないか。──そういう義胆の士を殺したら武士道は失くなってしまう』 『だが、先刻休んだ芝口の茶店では、学者風の男が、町人達へ向ってこう云っていたぜ。──浪士達がやった事は、忠義の心からやったには違いないが、国法から見れば大罪人だと』 『それやあ、幕府の法規には触れているだろうが、いったい、今の幕政というものが、そんな公明正大を、庶民にいえるほど正しいだろうか。わしは愉快だ。何よりも、人間は犬畜生以下ではないぞと、幕府の法規を粉砕してくれたことが、うれしくてたまらない。彼等の士道は、それで充分だ。人間全体にとって、意義がある快挙だといってよい』 『それもそうだが』 『石獅、おまえは、精神よりも、法規が大事だと云うのか』 『法規が大事でないとは云えないじゃないか。考えれば考えるほど、──国法は厳として犯し難いものだ。それを紊したら、社会の秩序が弛む。たとえ、情に於ては、どんな正しい理由があろうとも』 『おい待てよ、情と云ったが、おれはそんな小さい私情で論じているんじゃないぞ。──やはり、儼然たる国家というものから考えてみるんだ。人間を畜生以下に規定して、どうして、そこに人間の国家があるか。法規は犯すべからざるものだが、その権を悪用した司権者こそ、第一に人間の法則を破った大下手人だ』 『そんな極端な……』 『ばか、何が極端か。貴様だって、禅寺の床で修行しておるくせに、分らぬのか。禅から、精神を脱ったら、何があるんだ、何で生きているつもりなんだ』 『おい、喧嘩をふっかけるのはよしてくれ、お犬様に吠えられた挙句、道連れの貴様にまで吠えられては堪まらない』 『喧嘩じゃないが、友達のおまえが、法規法規と、煤払いの物売りみたいな事を云うから癪にさわるんだ』 『何も、おれが赤穂の浪士方を、殺せと云ったわけじゃないじゃないか。そういう議論も町にはあるという事を先刻云ってみた迄よ』 『それならいいが……』  と、自分たちの持っている杖の重さにふと気づいて、 『ハハハハ、こんな話を、吉良どのは、首桶の中で、どんな顔して聞いているだろうな』  と、二人とも笑い合った。 首受書  石獅も一呑も、禅寺できたえられた元気な若僧なので、最前からの吉良家の態度に、むっとした顔つきであった。  ここの混雑と手不足は分りきっているが、火鉢一つに茶を一杯出したきりで、挨拶に出た老臣も、万昌寺の僧も、首桶を持って奥へ引っ込んだきり、いつ迄たっても、顔を出さないのである。  帰りは遠いのに、夜は更けるし、脚も坐り痺れて来て、 『おい石獅、もう一度、催促してみようか』 『首の受取書をくれと云ったので、弱っておるのだろう』 『いくら弱っても、こちらも大事な使者として来たのだから、受取書をもらわずには帰れない』 『ただの品物と違って、主人の首の受取は、いくら意気地のないここの家臣でも、武家として前例があるまいから、書くに弱っているに違いない。……手をたたいて茶をくれと云ってみよう』 『茶はまだ、二人共、飲みほしてないじゃないか』 『先刻から、頻りと喉は渇いておるのだが、ここの部屋へ坐ったとたんに、ぷーんと嫌なにおいが鼻をついたので、気持が悪くて飲む気にならぬ』 『おれも実は、胸がむかついているのだが、何だろう、このにおいは』 『血じゃないか、血なまぐさいというような……。見ろ、そこの襖にも、血らしい痕が刎ねている』  そこへ、万昌寺の住職が出て来て、 『どうも、お待たせ致して』  と、恐縮らしい顔をする。  石獅が、早速訊いてみた。 『御住持、何かこの邸内で、異様なにおいが致すようですが、あなたはそう思いませんか』 『御尤もです。実は、この隣りの室に、死骸が十六箇列べてございますので』 『えっ、十六』  顔見あわせて、生唾をのみながら、 『そんなに死んでおりますか』 『はい、御用人小林平八郎殿、中小姓の清水一学殿など初めとして』 『では、傷負はそれよりも』 『負傷者は、二十二名でござりまする。──傷ましいのは、春斎というわずか十四歳の小坊主が、よう働いたそうで、ただ一太刀に斬られて、敢なく眼を瞑っておりまするので』  暗然として住持は云う。  一呑も石獅も、思わず居住居を直した。この臭気も又、忠誠から発するにおいであったかと心を打たれたからである。忠義は、赤穂藩だけのものではなかったと思った。  首で帰った亡君の前で、評議でもしているのか、永い間、奥で手間取っていた老臣達が、やっと活気のない不承不承な顔つきで、手に一札を持ってそれへ出て来た。二人の前へ差し出したのを読むと、    覚 一、首      一つ 一、紙包     一つ 右之通り慥に請取申候    以上 吉良左兵衛内 左右田孫兵衛 斎藤宮内    泉岳寺御使僧      石獅僧      一呑僧 『それで宜しゅうござるか』  と、ここに名の記してある家老の左右田孫兵衛が云う。この家老も、微傷を負った事を示すように、左の手首を白布で巻いていたが、何となくそれが可笑く見えて、顔つきと手頸の繃帯がうつろわない。 『よろしゅうござる。役目の事故、御回向いたしませぬ。後々御懇に』  苦笑しながら、二人は外へ出て、何かしらほっとして、夜空の星を仰いだ。 人を裁く人  毎日が賽日のように、泉岳寺の門前はあれ以来雑閙した。武家町人ばかりでなく、近郷の百姓だの、東海道から入って来る旅客までが、駕や馬をそこに止める。  赤穂の浪士達四十六名は、もう四家へお預けとなって、ここには疾うにいないのに、浪士達の残して行った武器でもあれば見たいとか、内匠頭の墓地を今更のように見物してゆくとか、中には住職や番僧に面会を求めて、 『討入の翌日、義士の方々は、どんな態度でおられたか、どう云う話を交しておられたか、内蔵助殿という人物は、何歳ぐらいに成られるか、主税殿は美少年だと聞いたが左様でござるか』  そう云ったような物好みな質問をして来る武士があるかと思うと、 『これを、当寺の手より、何とかして、義士方に上げてくれまいか』  と、衣服だの、書物だの、食物などを持って来る町人達があるし、寺では、そんな物を取次ぐ筋はないので、それを説明して帰すやら、訪問者を断るやら、しまいには煩に堪えかねて、門を閉めてしまった。  すると、その門へ、誰やら吉良や上杉を諷刺した落首を貼った。義士を讃えた歌もべたべたと貼られる。  そのうちに又、何者かが、どれよりも大きな継紙へいっぱいに、逞しい文字で、    伏祈 賢明の吏は、真実の士を刑殺する勿れ あめつちは、義胆の士に加護あり給え 天下人に代りて 城南隠士  こういう貼紙は、他の神社だの辻にも見かけられた。今度の事件は、それを市民が知った当日よりも、五日、十日と日の経ってゆくほど声や噂が大きくなり、殆ど諸国諸藩を挙げて義士の行動や、人物の評や、それに関わるあらゆる話題が、それが民衆自身の生活でもあるように、明けても暮れても話題となって騒ぎを加えて行った。  そして民衆の最大な関心は今、 (幕府が、義士を何う裁くか)  と云う点にかけられていた。  又いつのまにか、この数日の間に、「義士」と云う名称が民衆のことばの中に新しく出来ていて、義士といえば、赤穂浪人の事と通じるようにさえなっていた。  ひどい奴になると、四家御預中の義士が、助命となるか、死罪となるかで、賭をしている町人があるし、もっと端的で熱ッぽいのは、しばしば、そのことから、喧嘩沙汰までおこすのだった。  それが、無智な民衆かと思うと、そうばかりでない。武士同士は、「士道」というものの上から、ややともすると議論になった。 「士道論」が勝つか、「法規論」が勝つかなのである。識者と云われる者のほうが、却って、各〻の考え方の相違から、この両説を立てて、対立し易い立場にあった。  学者も、好んで輿論の渦中に巻き込まれた。 (彼等を刑罰せんか、聖賢の道を刑罰するも同じである。聖賢の道なくしては、君父の大義なく、経世の明もない。従って国法は何によってその本義と尊厳を保ち得るか。聖賢の道を度外した国法は、ただの権力でしかあるまい)  と云うのが、同情論の大要であって、時の大儒林大学頭や室鳩巣などを始め、幕府の大官中にも、この同情論を抱く者が多かった。  それに対立して、政道の法理論から云って、 (義という精神は、要するに、自己を潔くしようという自心の発動である。自分の生活信念である。その私的行動が、忠誠であり、孝道にかなうからといって、公法を無視しようとする意見は、又私論と云わなければならない。孝子が盗をなした場合も、涙をもって刑するのが吏務であろう。若し私論を以て、国家の大法を歪曲するに於ては、以後天下の法令というものは、有っても無い事になり、複雑な社会人心はどう赴くか分らない)  と、同情論へ対して反駁する者も少くはない。けれどここに、双方とも、敢て触れない空白を、意識しながら残していた。それは犬公方の令による、ここ十数年来の畜生保護法──すなわち、人間虐待法の是非にふれることだった。しかし彼らは好んで論じた。殊に、義士処刑論の頭目として、これ又、一方の学派を代表している者に、荻生徂徠などもあった。  諸侯のうちにも、勿論この二つに意見が分れていて、上下を挙げて元禄十五年の思潮は、この義士処分論を焦点として、下は百姓、上は将軍家までが、その何っ方かに自身の思想を試みられているかのような状態だった。  当然又──そういう問題の沸騰している裏面には、理論を離れての暗躍が──吉良家筋や上杉家の手から──又浅野家の関係者のほうからも──べつな意志をもって幕閣の重臣たちへ働きかけていたであろう。  何しろ、議論百出なのだ、理論はそう大雑把なわけにゆかない。義士の品行論や、復讐論にまで亙って果しがない。いろいろな流言蜚語もこの間に放たれる。幕府も又、事の重大性を感じて慎重を極め、容易に、この処断はできなかった。しかも、将軍自身は、何の反省もない。その将軍家に、裁決を乞う運びにまでも、問題はなかなか漕ぎつけられないような状態に見えた。  ──そうしたうちに、年暮は迫って、何はあっても、江戸の町は、年の市、羽子板市、そして春を待つ支度に世間の物音は忙しない。 二度見た女性  堀内伝右衛門は、もうよい老人だった。細川家の物頭役で譜代の奉公人である。今度、内蔵助外十七名を藩邸に預かってから、彼も接伴役の一人に任命されていた。  町住居の身なので、帰宅した翌日は、馬で藩邸へ出仕する。 『平助、こよいは又、雪か霙ではあるまいか。ひどく寒さがこたえるぞ。……これこれ、あれに又、人だかりがしておる。落首だろう、何と認めてあるか見て来い』  口取中間の平助が、辻の塀まで駈けて行って、やがて、この人混みから又、主人の馬の側へ戻って来た。 『見て参りました』 『落首か、何とあった?』 『──細川や水野ながれは清けれど……』 『ウム、下句は』 『──ただ大甲斐の隠岐ぞにごれる』 『ハハハハ、やりおるの、町人共の観察も怖いものじゃ。義士のお預けを承わった四家のうちでも、細川、水野の両家は、情ある扱いをしておるが、毛利と松平の二家は、お上を憚って、冷遇じゃという噂がある。それを詠ったとみえる』  藩邸の横へ出て、目黒門の坂小路を登りかけてくると、伝右衛門は、 『待て、平助』  手綱を止めて、駒の鬣のうえへ、凝と身を屈めるようにしながら彼方を見ていた。  黄昏れの白い靄が、片側の崖の森から往来へ淡く立ちこめていた。よく分らないが、慥かに女である。目黒門の外に彳んで、時折、塀のふし穴でもさがすように彷徨いているのだった。 『──ア、又彼の女がおる、紫の頭巾をしているじゃろが。……平助、何じゃ、あれは』 『何やら存じませぬ』 『これで両三度見たぞ。いぶかしい奴、捕えてみい。……あっ不可ん、こっちを振向いた。平助、はやく行け』  平助が駈け出すと同時に、女の影も、小鳥のように走っていた。崖の上の木立の中へ逃げ込んでしまったらしい。 『どうした?』  後から伝右衛門が行って訊ねると、平助は残念そうに、もう見当りませんが、女の足、もっと追いつめて見ましょうかと云う。 『いやいや、それ程にも及ぶまい。悪くしたら、藩の若侍のところへ、品川辺りの化粧の女が人目を忍んで来よったのかも分らん。──お預り中の義士方の手前にも、ちと慎んでくれんときまりが悪いぞ。……と云うて、わしなども若い時代はよくやったものだがの、ハハハハ』  中間に馬を預けて、伝右衛門は邸の奥へかくれた。何事につけても、この老人は、義士をひっぱり出すのだった。藩公の越中守が、近頃ではもうまったく内蔵助たちの同情者であって、深く四十七士に心服しているので、誰も家臣として、反対は云わないが、伝右衛門のそうした口癖や態度へ、暗に反感を持っている者は邸内にも尠くない。  御預け人の接伴役として、家中から選ばれた者は、総てで十九名であった。みな相当な年配であり、藩でも重要な位置にある者ばかりなのだ。それが、表方に詰め、奥の広い二間を、義士たちの居所として与えられている。  今──そこを覗いて、役部屋の方へつかつか歩いて来た伝右衛門の顔には、明かに、不快な色があらわれていた。ちょうど何か奥へ運んでゆく小侍が、その不機嫌な眼につかまった。 『これ、一昨日から、彼の衆のお部屋へ、火鉢を出せと申しつけておいたのに、今見れば、まだ火鉢が出ておらぬ。なぜ出して置かんのか』  叱りつけると、小侍は壁へ寄って、怖々詫び入りながら、 『御蔵からあの通りに、火鉢は出しておきましたなれど、御家老の三宅藤兵衛様が、公儀の罪人へ火鉢など与える事は、以てのほかだというお叱りで……』  その三宅藤兵衛が、近くの部屋にいたのである。伝右衛門と小侍の声が聞えたものとみえる。そこへ出て来て、 『伝右どの、火鉢は、貴公の指図だったのか』 『されば。──なぜお止めなされたのか』 『知れた事、火鉢はおろか、国法の囚人に、雑談なども、固く無用でござる。──尤も、格別の思召しで、料紙硯の使用、風呂櫛道具の事、医薬などは差し許したが、それも一々箇条書にして、公儀へ伺いを出してからの事である。それを、火鉢などとは、専断至極な』 『こ、心得ぬことを……』  と、伝右衛門は、自分が不法な拘束をうけるように口吃った。 『何が心得ぬ』 『御家老には、彼の衆を、ただの囚人と思われてか』 『徒党の罪、兇器の罪、高位の御方を殺害の罪、挙げて数うれば五指に余る国法の大罪を犯した者、囚人に相違なかろう』  伝右衛門は、心外そうに眼をうるませた。彼は彼として、それに対する議論は持っている。だが、三宅藤兵衛は家老であり、自分はずっと席の低い物頭役である。──じっと黙っていたが、藤兵衛の睨めすえた眼が外れないので、 『然し、御家老。武士は固よりの事、お台所へ出入する町人輩や、お坊主の端くれまで、義士よ、武士道の華よと、世を挙げて称えておりまする。その人心に及ぼす所は、どれ程、尊いものがあるか分りますまい』 『だまんなさい。罪人を称える事それ自体が、人心へは悪影響だ。法を無視し、国を紊す風を醸すものでござる』 『御家老は』 『まだ云わるるか。法を度外しては一藩の政治もなりませぬぞ』 『もののふの心を知らぬお言葉。伝右衛門は、武士でござれば、服しかねまする』 『服さぬとな』 『はいっ』 『服さぬと云ったな、伝右どの』 『申しました』 『これ伝右どの、貴公よいお年をしながら、巷の人気などに、ぼっとしてはいかぬぞ』 『左様な軽薄な考えと取らるる事が心外でござる。今の世相を御覧あらぬか。武士道がどこに、君臣の義がどこに。武士の賢いという道は、禄から禄の多きにつき、金を蓄え、妾をかぞえ、遊芸三昧、人あたりよく、綺羅でその日を送るのが、あれは聡明な男だと云われる。そのよい手本が、吉良殿と内匠頭殿のいきさつ。武門の風儀が廃れていなかったら、あのような事変は起っておりますまい。赤穂浪士の為した事は、自己の義を立つるにあるにせよ、今の腐えきった世態と人心に大きな反省を与えておる、尠くも、時勢の眼を革めさせておりまする。そう観じますれば、ただに君家の怨をはらしたと云うのみでなく、彼の衆の示した親子の大愛、美わしき友の友誼、忍苦、潔白、しかも止むなく目的の遂行には、法に触れるを得なかったにせよ、前後の行動には、明かに御法規に対しては、儼然とそれを奉じる念慮も伺われているではござらぬか。しかも、今日の御法規には、申すもはばかられるが、何とも、人間共の前代にない、稀代な御無理もあるのではござるまいか。それを、ただの囚人と同視なされる御心底は、あなたも武士かと問いとうなる』  つい一気に、伝右はこう云ってしまった。 火よりも赤し  藤兵衛は、自分の冷静を誇るように、うすく笑顔をゆがめて、 『困った熱病でござるの。法の尊厳を承知して犯したとならば、なお悪いわ。──とにかく火鉢など相成らん。御納戸! ここに出ておる火鉢は、元の御蔵の内へ戻しておけ』 『いや、かまわぬ、出せっ』  常の伝右とは、まるで人が違ったように、叱咜して支えた。 『この伝右も、接伴役の一名じゃ。落度と相成ったら、腹を切る』 『おてまえ一人の腹で済めばよいが、お家に関わらぬ限りもない』 『断じて、伝右一身にひきうけまする。彼の衆の心事に、涙をそそがないでは、男のそそぐ涙はない。武士道は地に廃るわ。伝右の接伴役は、生命を賭して勤めておるもの、たとえ御家老のおさしずでも、無慈悲なお扱いには服せませぬ』 『これや、匙を投げた。──伝右どのは何うかしたとみえる。御納戸、御納戸、はよう仕舞え』 『かまわぬ、あちらの御座敷へ運べ』 『上役の命を』 『殿へ対して、伝右は、こう致すのが忠義と存じますれば』  飽くまで退かないのであった。  内蔵助たちの十七士が居る広間まで、その声はがんがん聞えていった。黙って、耳を澄ましていた赤穂の人々は、この時、細川家の一家士、堀内伝右衛門という名を、深く深く胸へ銘記していたようだった。心の底から揺りあげる感謝の念に、瞼を熱くした者もある。  すると──その声が止むと程なく、納戸方の小侍を指図して、いつもに変らない柔和な顔をにこにこさせながら伝右衛門がそこへ入って来て、 『そこへ一つ。……そうじゃ、その辺へも一つ』  と、火鉢のすえ場所を指図するのであった。  金網のかかっている大きな唐金の火鉢である。それまで、この広い上之間と下之間に、火の気はなかったのである。そこへ幾つかの火鉢が配られて、伝右は、自分も共に温かくなったように、ほっとしていた。  ──四、五日前、下之間にいる富森助右衛門が、 (内蔵助殿は、ああして居られますが、冬はとても寒がり坊なので──)  と、雑談のうちに、伝右衛門へ話したことから、こう成ったのであろうと、人々はよけいに済まなく思った。炭火の赤さよりも、伝右衛門の情に、胸が熱くなった。 『そうじゃ、よい思案がある』  伝右衛門は、又独り合点して、紅殻染の小蒲団を何枚も持って来させ、金網火鉢の上へ、炬燵のようにして懸けてくれた。そして、 『これで、夜に入っても、霙が降っても、いくらかはおしのぎようござりましょう』  と、呟いて、ちらと、上之間の正面に坐っている内蔵助のほうへ向い、 『わけても、大石殿はの……』  と、彼の寒がりを慰めて笑った。  内蔵助は、遠方から、心もち頭を下げた。いっぱいな感謝は、その眼から、伝右の心へはっきりと映った。 『──伝右どの、お気持は有難くいただいた。然し、公儀の断罪を待つ私共……身に余りまする。何卒、お火鉢はお退げ置き下さい』 『はははは、最前の外の声が、こちら迄、洩れましたな。いや面目ない事で』 『助右衛門がいらざる無駄ばなし、寒さなど、とやこう申す境遇にはござりませぬ』 『御心配めさるな。上役とはちと論争いたしましたなれど、折も折、ちょうどそこへ殿様から明日は愛宕神社へ御参拝というおふれが出ました。殿様御自身で、御祈願のすじがあって詣られまする。……何の御祈願か……お分りでござろうが。殿には、公儀の御裁決が如何あろうという事に、明け暮れお胸を悩ませておいででござる。……火鉢の事など、一向問題でござりませぬて。御家老の三宅殿も、御社参の沙汰を承ると、二言となく引き退ったわけです。もうお気づかいは一切無用。さ、さ、あなた様が遠慮しておられては、誰方も手を出しかねましょう。細川家の心づくしじゃ、あたって下されい、さ、誰方も寛いであたって下されい』 土不踏  夜が明ける、夜が来る、又夜が来る──。  仄暗い格天井へ、二間に配られてある燭台の明りが、静かな明りの暈を投げている。  借りうけた太平記を、潮田又之丞と富森助右衛門などが、一冊ずつ持って読んでいる。手紙を書く者、顔を寄せて密やかに何か語り合っている一組、それを横に聞きながら、する事もないように、紙縒で耳を掘っているのは、赤埴源蔵だった。  十七名がふた組に分れて、上之間に八人、下之間には、若いのが九人。  上之間の組には、老人が多く、中でいちばんの年長者が堀部弥兵衛老人、声音は物やわらかだが顔の怖い吉田忠左衛門、黙ったきりの間喜兵衛、時折、和歌などを詠んでしめす小野寺十内、それから間瀬久太夫や原惣右衛門などもそこにいて、これは時々、冗談を云う。  内蔵助は、床の間の席にいた。寒がり坊の両手は、いつも紅殻色の小蒲団の中だった。すこし斜に顔を上げ、その底知れぬ深謀の眸も、今はもう、何も思うことも考える事もないと云ったふうに、ぼんやりと半眼にして、次の間の若者たちを眺めたり、天井へ向けて空ろにしているのだった。  ──と云って、毎日を、退屈しているという風も見えない。にやっと微笑するのが、話しかけられた時の答えである。小がらで、肩を張っていない体を、やや猫背にまろくして、今やこの身を、置くべきところへ置いたというように、すっかり落着き込んで坐っていた。 (人間は馴れやすい。どうやらこうしている間に、ここの破格な恩遇に馴れそうだ。勿体ない……冥加に過ぎる……)  彼は、心のうちで、絶えずこう自問自答していた。衣食、起居の物、不自由が無さ過ぎるのだ。余りに不勝手であった生活から、一足跳びにである。その為にかえって、体のぐあいが悪い気持すらする。  で──昨日も、余りに好意へ狎れた申し方と思われる惧れもあったが、心やすい伝右衛門に向って、こう頼んだ事であった。 『私どもは、永い間の浪人暮しで、粗衣粗食に馴れて参ったせいか、御当家より朝夕頂戴いたす二汁五菜のお料理は、結構すぎて、ちと重うござります。匹夫が贅沢に飽いたかのような勿体ない申し分でござるが、以後は朝夕とも、一汁一菜か、せめて二菜にとどめ、それもちさ汁か、糠味噌汁などの類にて仰せ付け下さるように』  内蔵助から云い出すと、弥兵衛や、十内や、惣右衛門なども、 『そうじゃ、ぜひ、そう願いたい』 『実を申すと、毎日の御馳走には、少々、貧乏馴れの口が参った形でござる』  冗談交じりに云うので、伝右衛門も、笑いだした。 『それでは、贔屓のひき倒しというやつでござるの』 『それそれ、その事でござる。何分、こうした儘、手紙でも書くか、書見のほかは、何もせぬ体でもあるしのう』 『いやお察し申す。なれど、二汁五菜の膳にせいと云うのは、殿のお声がかりなので、一存に減らすわけにも参りかねる。それに、料理人共も、あなた方の口に欣んでいただこうと力んで、毎日、腕によりをかけて調理しておるのでござる』 『やあ、愈〻弱る』 『ちと、お体を動かす事ができればよいが、それだけは、公儀のてまえ。──いやそのうちに、近火でもあれば、各〻を庭へ集める御規則故、庭に御案内いたそうものを……』 『火事を待つのは何うも』  と、みな吹き出して笑うと、沈黙家の奥田孫太夫が珍しく、 『外気に遠のいたせいか、毎晩、足の土踏まずがかさかさ乾いて閉口でござる。われ等今は何の慾もないが、跣足で土が踏みとうござる』 『御尤もでござります』  伝右衛門は、しんみりとして云った。 『オ、御時計が鳴った。では──お寝みなされ』  と、立ちかけたが、又戻って来て、 『──申し忘れたが、明日より、奥の役者の間に、大工共が仕事に入りますが、凶事ではござらぬ故、お気にかけぬよう』  と断って退った。何処まで気の行き届いた言葉であろうと、一同はその言葉を玩味しながら眠りに就いた。  枕々に、一つずつ、小屏風が立つ。  内蔵助は、茶色の縮緬頭巾を被ったまま眠るのだった。次の間の若者組のほうは、寝つきが早く、すぐ静かになるが、上之間のほうでは、ごほんごほんと咳の声がなかなか絶えない。  潮田又之丞は、歯ぎしりが癖で、よくからかわれた。又一番老年で、来年は七十七歳になるという弥兵衛老人が、或る夜、 『え──いっ。ええ──いっ』  突然、ふた声ばかり、寝言で人を斬るような気合を発したので、若者部屋の者が皆、がばと、総立ちに刎ね起きて、後で、老人が寝呆けた事と分ってから、夜半に大笑いしたことなどもあった。  こういう単調な生活のうちでは、やはり寝ることが無上に楽しかった。  討入後、お預けの身になって、二、三日の間というものは、枕について眼をつぶると、白い雪と、白い刃が、闇の中にチラついて仕方がなかったと、誰も同じ感想を語っていた。  その次には、やがて来る「死」に対して、毎晩、深刻に考えることが、習慣のように襲って来た。若い者ほど、烈しくそれを考え、烈しく疲れて眠ったように見える。老人のほうは、執着の薄いわりに、眠りも深くとれないで、毎夜毎夜、今日迄の自分の通って来た生涯を、楽しい絵本でも繰るように憶い出し、咳声がやむと共に、呼吸も寝んだ。  然し──程経つと、もう眠りを妨げて考えつめる程の問題は何も頭になくなってしまった。「死」──というものが、白い紙でも見るように、当り前の観念になって、それからは一様に、すやすやと寝息の揃うのが早くなったようである。そして、各〻の枕元を囲んでいる小屏風の一つ一つの中へ、故郷の母や、兄弟や、子や、又他の三藩に預けられている同志などを思いに抱いて、朝の光のさすまで、魂は心ゆくまで楽しんで醒めなかった。 まだ・まだ・まだ  雀が啼く。──朝の光が霜に刎ねる。 (ああ、俺はまだ生きている)  太陽のかがやきを見ると、誰もそう思うらしい。眉に、感慨がただよう。  みな夢を、話す者は一人もなかった。 (今年も暮れる)  そういう顔の者と、又、 (冬の陽ざしはよいもの……)  と、明日の死はともかくとして、今日は今日の一日を、もう残り少い人生を、心に沁みて、味わって行こうとするらしい居住居の者と、墨を磨って黙想する者と、又何か暢気ばなしに笑いあう者と──日は変っても、日課はきのうと変りがない。  今日も、伝右衛門が、にこにこ顔で何か抱えてみえた。 『御一同、きょうから、煙草のおゆるしが出ましたぞ。持って参った。さ、おつけなされい』  と云う。  これは望外なことだ。慾はあったが、誰も忘れていたくらいである。ここにいる者の殆どが煙草ずきであったが、細川藩では、太守の越中守からして、煙草ぎらいで、禁煙は藩風のようになっているのに──それを何うして伝右衛門が、殿の許可を得て来たのか。 『煙草盆は、置くわけに参りませぬが、御所望の折には、いつでも差上げます』 『は……これは』  欣ぶよりも、何かしら一同は粛然としてしまった。実篤な奥田孫太夫は、眼をしばたたいているし、弥兵衛老人は、後を向いて、鼻紙を鳴らしている。 『さ、さ、どうぞ』  すすめる。礼を云う。口にあらわすべき言葉がない。 『では、御好意にあまえて』  煙管を押しいただいて、原惣右衛門が手に取ったが、自分が先に吸うのではなく、 『何よりの御好物なれば、大石殿から先へ参らせましょう』  と内蔵助へ取次いだ。  暫くの間、ゆるい紫煙が、二間のうちに流れた。早水藤左衛門が、ふと、 『御修築はもうおすみでござるか、大工の鑿の音が昨日から聞えませぬが』  すると、伝右衛門は何か云いかけたが、ふと、口をつぐんでから、その後で云った。 『初春早々、あちらの役者の間へお移りができまする。ここは暗うござるが、あちらの御座敷なれば、庭も見え、空も見え、幾分かお気が晴れましょう』  その年は暮れた。  初暦のうえに、元禄十六年の初春がもう二日、三日と数えられてゆく。  すっかり修築した新しい役者の間へ、一同は移された。 (海が見える) (雲が見える)  と、童心のように、そこの眺望をみな欣んだ。  手紙を書けば、伝右衛門が帰宅の毎に、何処へも取次いでくれたし、返辞も持って来てくれた。市中の風聞なども居ながらに皆知った。それにつけても内蔵助は、こうしている間の冥加を惧れた。殊に、他藩に預けになっている若い人々と、子息の主税の身を案じた。どんな苛酷な扱いを受けているかという心配ではない。安逸すぎる日に馴れることを──討入前の心に変化の来ることを惧れるのだった。 (自分ですら、こうして、新しい初春に巡り会えば──)  と思うのである。生きてゆけば、来年も梅の花が見られるのである。世間へ出れば、ここより貧しくても、ここより自由な日があるのである。 (──自分でさえ)  ふと、怖いと思う。  世間では、討入を遂げて、彼等は満足だろうと沙汰しているらしいが、内蔵助の気持では、まだ後に為す事が残っている。それの済まないうちは、自分の事業は、完璧したといえないのである。今日までの懸命は、その仕上げ一つにかかっている。きれいに、理性を失わず、素直に運命に就くことである。それを万一にも履行できなかったら、国法干犯の大罪人だけのものと成り終ってしまうのだ。──そう思うにつけ、彼のみは、一日一日が待ち遠しい。そして、細川家の温情と優遇は、むしろ最後の最後まで、自分の身にかけられた試煉だとさえ思われた。  又、もっともっと、空怖ろしいことは、世上の評価だった。自分たちへ対する絶大な讃辞だった。 (わしは、そんな人間でない、決して、そんな人間でない。不当な褒め方だ。わしの心事のうちを、打ち割って云えば、大野九郎兵衛と同じ思いもある。祇園伏見で酔った心は、計略でも何でもない、心から酔い、心から遊んでいたのだ。あのまま山科で気楽に山水を楽しんでいたら、と云う気持も多分にあったのだ。そういう人間なのに間違いはないのだ。──だが、ただわしの血液の中に、思っても、それを刎ね返して、士道の心に立ち回る強いものがあっただけの事だ。それはわしが偉いからではない。祖父が偉かったからである、父が偉かったからである。人間の人格などというものは、自己一代で出来たものではない。少くも、祖父、父、自分三代の年代がかかって出来るものと思う。それを自分と呼ぶのは、僭越すぎる、仮に血液と云っておこう。その血液を、わしは多少修養に研けた。目的の道を誤たずに、ここまで来た力はその修養の力だった。それとて、わしの才分とは誇れない。山鹿素行先生を初め、その他、先人の教えを踏んで来ただけなのだ。……それを、世間は余りに大きく買い被り過ぎる。しかし、ここまで世の中から買われれば、自分もその期待を裏切ってはならない。天下の人心の大部分は、自分の助命されることを熱願しているらしいが、その衆望に対して、期待を裏切るまいと思えば、今! 少しも早く、衆人の期待を見事裏切ってしまわなければならない)  ──こう内蔵助は、考えるのであった。この考えは揺がなかった。そして、自分のみでなく、他の四十五名の者、一人として、その最後の完成を為すまで、洩れてはならないと思うのである。  然し今は、努力はしない、為たとて何にもならないからだ。庭面へは春風が訪れて来ている、彼は心を春風の中に遊ばせていた。  そして唯、 (一日も早く──)  と、その日を待っているだけだった。 大慈悲  松の内が過ぎると、「赤穂浪人御処置」の問題は、俄然幕議にも輿論にも再燃して来て、世人は又、助命論と、断罪論のふたつに分れて、論争に熱してきた。  評定所の十四人衆から、閣老へ宛てて、連名で提出した意見書は、 「浪士助命論」を熱言していた。その要旨は、 (──彼等の挙は、義挙である。君臣の美徳を極致に実践したもので、これに死を与えることは、道徳に死を与えるも同じである。又、彼等の行動は、御条目──武家諸法度の作法を、一点も紊してはいない。だから、徒党の暴挙とはいわれない)  これは、民間の輿論をも代表しているといっていい。いや、将軍家の綱吉すら、御同意らしいと聞えている。  だが、強硬な反対論は、荻生徂徠の、 (法の尊厳は、寸毫犯すべからず。法を歪曲して、国政なし)  という持論である。  閣老は、裁断を下しかねた。意見書は、将軍家の手元へ差出されて、唯、将軍家の裁可によるという他、執る道がなかった。  柳沢美濃守から出された徂徠の論は、将軍家の意を遂にうごかした。徂徠の言のうちには、法理的な正論のうちに、 (彼等の罪は罪し、礼は、侍の礼をとって、切腹に処すがよい)  と云う一抹の情味もあったからである。  将軍家の一言が、すべての紛論に、最後の断を与えた。 『四十六名の者へ、切腹申しつけい』  将軍家はこの国の、法の上の司権者である。情に於て法を左右する寸毫の意志もゆるされない絶対者だ。こう云わざるを得なかったのであろう。  所へ──折も折、日光輪王寺宮が、年頭の御対顔として御登城になった。  宮は、将軍家と睦まじい御仲であるので、式後、世間ばなしに刻を移されていると、綱吉が、嘆息して云うには、 『およそ世に、天下の政事をとる身ほど、心苦しきものはありますまい。哀憐の情も、人間なれば、時には抱きまするし、罪の者とはいえ、人命の重さを思えば、助けたき気持もわきまする。けれどそういう場合、国法のなお重き事は、云うまでもありません。法の命ずる所、綱吉の意志もさしはさむ事はできないのですから』 『…………』  宮は、黙って聞いていられるだけであった。  そして、話題がほかへ移ると又、綱吉は思い出したように、同じ言葉を繰返して嘆息したが、宮はやはり、 『…………』  黙々と、ただ、頷いていられるのみで、やがて、城中から帰駕されてしまった。  後に──帰山されてから、宮は、近侍の坊官たちへ、こう語ったと伝えられている。 『きょう程、心の辛かった事はない。将軍家が、四方山ばなしのうちに、二度まで、赤穂浪士の事をそれとなく持ち出された。思うに、将軍家はわしへああ云ったら、助命してやれいと、この身の口から云うであろうと、それを密かに乞われたに違いない。──けれど、内蔵助等の為した大事は、口でこそ是非を云え、この多くの人間共とても、幾世の間にすら、滅多に為し得ないことを仕遂げたものと云えよう。器量ある人物は出ても、その機会に出会わねば又、あの事件は世に描く事は出来ぬ。──そう尊く思うが故に、わしは彼の人々の為た事を、日月のように、永劫に新しく、永劫に真美の光を失わせとうない気がした。──もし助命するとすれば、人の心、何うしてあの四十六士の心が、老い死ぬ迄、今のように潔くあろうぞ。一名の汚辱を出せば、一党の汚辱となろう。──それにひきかえて、今、涙をのんで、彼の人々に死を賜うならば、その生命の光は、日月と同じである。この世がどう変ろうと、人の心がどう荒もうと、真実の精神は、この国の民心のうえに、いつも大きな力と光となって輝くであろう。いかに生きてみたとて、短い人命、夢幻泡沫の世、死を与えるは、かえって彼等への大慈悲ぞと思い、とうとう、帰るまで将軍家に答えなかったが……、さぞや将軍家には、情なき者と思されたであろう』 みぞれ酒  処決がついても、或る期間は、当然、秘密にされていたであろう。細川家などでも、輿論の用いられる事を信じて、 (助かる)  と、みな信じていた。 (助けたい)  という気持が、誰の胸にもいっぱいなのだ。何うしても、そう考えが傾きたがるのである。  で、細川家では内々、幕府の処決の発表も近いと知って、 ──御赦免となった時は ──遠島に処せられた時は ──万一、死罪の時は  と、こう三つの場合を予想して、急場に来てまごつかない準備をしていた程だった。  わけても、伝右衛門などは、三つのうちの最後の死罪などの処分は、あり得ない事としていた。  又、広間のほうでも、いったいここにいる人間は、「死」に対して、馬鹿になってしまったのではないかと疑われるくらい──正月でもあるせいもあろうが──夜毎に賑かな笑い声に盈ちているのだった。 『おお、相変らず、お賑わしい事でござるの』 『やあ伝右殿か。ここへござれ』  と、若い組の者は、もうこの人をまるでおじさん扱いだった。  それを又、喜んで、 『何ぞ、面白い話でもござってか』 『あるわ。まあ、お坐りなされ』  と、飄逸な片岡源五右衛門が、 『──今の、これにおる近松勘六めが、がらにものう、惚気をいうた』 『それはそれは、近頃、お珍らしい事ではある。して、どんな惚気を』 『江戸詰の頃、吉原に参って、初見の妓に強うもてなされ、門限までに帰りそびれたなどと、あの顔して──』  指さすと、勘六は、 『嘘、嘘』  と、慌てて手を振った。  他の者が、それを可笑しがって、 『やあ、武士が二言を言うぞ。伝右どのが見えてから急に』 『あははは、それくらいな事は、わしにもござったさ』 『ほ、ほ。こんどは伝右どのがお惚気か。これや何ぞ、奢っていただかねば相成らん』 『──持参した。これやどうでござるの。稀には、こんな茶うけも如何と思って』  蓋物の陶器をそこへ出した。開けてみると、醤油煮のごまめに赤い唐辛子が入っていた。 『ほウ、田作じゃぞ』 『なに田作』  と、一同が首をのばして、 『これは珍品』 『香ばしゅうて、なかなか美味い』 『辛い。──唐辛子を噛んでしもうた』  すると、そこが余り賑やかなので、上之間から、吉田忠左衛門が、 『伝右どの。どうもあなたは、若い者ばかりお好きで困る。ちとこちらへも、話しにお出で下され』 『いや、これは失礼』  早速、田作の蓋物を持って立ったので、若い者は、思わず笑いこけた。  そこへ腰をすえていると又、下之間の若者組のうちから、 『伝右どの、又、面白い話が出ましたぞ。こんどのは、惚気でなくて、艶聞です。──この中で一番若うて、随一の美男の磯貝十郎左が、ゆうべ源五右衛門殿に、寝言を聞かれたそうでござる』  早水藤左衛門が云った。  その口を、側から抑えて、美男の十郎左が、 『嘘を仰せられい。伝右どの、冗戯でござります』  源五右衛門が、興がって、 『あいや、冗戯ではありませぬ。聞いたのは某、嘘言は云わぬ』 『ははははは、衆寡敵せずかな。十郎左どのの容姿では、その沙汰も信ぜられる。いいではありませぬか、いっそ、御披露しておしまいなされ』  と、伝右衛門もからかいに入る。 『云いましょうかの』  源五へ向って、十郎左は、本気になって、 『おやめなされ、意地のわるい』 『でも、拙者が嘘つきになっては困る』 『あいや、源五どの、この伝右衛門は、ぜひ聞きたい。いったい、美男の十郎左が、寝言に云われたというその寝言は、どんな言葉でござったのか』 『それはな、伝右どの、……女の名を、この十郎左が』  十郎左は、顔を紅くして、 『およしなされ! 左様な事! きっとそれは母の名でも』 『いやいや、母御のとは、違うていたが』  内蔵助が、こっちを眺めて、にやりとしている。十郎左は堪りかねて、赤埴源蔵のうしろへ隠れてしまう。  ──そんな事もあったりしたが……。  一月は瞬く間に過ぎた。二月に入ってすぐの二日の晩の事であった。  何かの用事で、ちらと伝右衛門が姿を見せると、珍らしく、内蔵助のほうから呼び止めるのである。──それもいつになく、明るい声で。  見ると、酒が出ている。睦じく寄り集まっているのだった。酒の飲めない赤埴源蔵だの、吉田忠左衛門だの、小野寺や間瀬などの甘党は、やはり杯で「甘みぞれ」を飲み交している。  何となく、いつもと違う寛ぎが見え、無言居士の奥田孫太夫までが、今夜はひどくニコニコしていて、 『伝右どのに、お杯を』  と、斡旋する。 『てまえに、お杯を下さるとか。身の誉、戴きまする』  伝右衛門は、干して、次々に返し、そして磯貝十郎左へ酌すると、十郎左は手を振って、 『もう、参りました』  近松勘六が、 『磯貝卑怯』  と、杯を入れると、滅多に戯れない内蔵助までが、 『伝右どの、十郎左はあのような優男でござるが、酒はしたたかに飲りまするぞ。御用捨あるな』 『それ御覧じ。──やわか逃がそう』 『御免、御免』  起って、逃げかけるのを、伝右衛門がつかまえて、無理に飲ませると、小野寺十内が、 『敦盛、討死!』  と、囃したので、又一同は笑いどよめいた。 (──はてな?)  ここの空気に、伝右衛門はふと、常と違ったものを感じて、そう思ったが、その席にいるあいだは、まだ気づかなかったのである。  ……その夜、もう遅くなってからだった。  突然、使者が訪れた。  浪士一党の裁決が内々予告されたのである。同時刻に、他の三家へも使者は向けられていたろう。儼として、幕府はここに、法の峻厳を示す内意とある。  四十六名の者、切腹! 告げよ瓶花 『……だめだったか』  伝右衛門は、詰所から起つ勇気も、口をきく気力も、喪失してしまった。──同時に、 『偉いっ。──ア、やはり偉いっ』  腹の底から呻いて云った。  ──思い合せてみると、正月は式日が多い。二月一日は又、日光のお鏡開き、これも凶を忌む日である。──で、それが過ぎれば、処決の日は間もあるまいと──自分など自由な身よりも先に洞察して、別れの酒を酌んでいたものとみえる。  道理で、この二、三日は、各〻が手紙を多く書いていた。何となく身仕舞のふうも見えてあった。  ──だが、そこまで、深く先を観てい、覚悟もしている人々にしても、伝右衛門は、自分の口から、幕府の処決を、一同に云えなかった。  越中守もがっかりして奥へ引籠っている。浪士達へは、伝えなければならない。──今朝はもう三日となった。後一日か二日──永遠にあの笑い声も、あの各〻の風貌も地上から消されるのだ。  伝右衛門は、思い余って、三日の朝、上之間の床間へ、花を挿けた。  罪人の居間へ花を挿ける。  ──この謎は、あの鋭敏な人々である、言わずとも解くであろう。 『この人たちに、とうとう花を見せる日が来たか』  伝右衛門は、俯目のまま、花瓶の前を退がった。夜まで、姿を見せなかった。そこへ眼をやるに忍びないのである。  でもやはり、心がかりになって、夜になってから、そっと見舞うと、もう上之間も下之間も、大半の人はすやすや寝入っていたが、大石瀬左衛門、近松勘六、富森助右衛門などはまだ起きていて、伝右衛門の姿を見かけると、 『オオ、よいところへ。お入りあれ、ここへござれ』 『もはや、お寝みでござろうに』 『いやいや、床についた者ばかり、あのように眼をぱちくりさせておりまする。ちとあなたに、お目にかけたいものがござる』 『何でござりますな』 『ほかでもないが、吾々共も、やがて程なく、この世の埓も明こうかと存ずる。お礼と申すも、今更らしいが、お暇乞いに、ここで芸づくしなと御覧に入れよう』  小屏風を持ち出して来るのだ。そして、その陰へ、助右衛門と勘六の二人が隠れて、隆達節を真似て吹くと、大石瀬左衛門は、真面目くさった顔をして、堺町の歌舞伎踊りを踊ってみせた。  屏風の陰から、二人のお尻が突き出ているし、瀬左衛門が毛脛を出して足拍子を踏むのも可笑しい。蒲団のなかにいるものが、クスクス笑いを洩らすと、次には、どっとみんなで笑ってしまう。伝右衛門も腹の皮がよれた。涙をこぼして笑い転けた。  十郎左が、この間の仇をとるつもりで、蒲団の中から首を揚げ、 『いつまでも寝ないで、困った大人共でござる。伝右どの、その手輩に、あしたは糺明しておやりなされ』 『畏まってござる。したが、其許が又、後しっぺ返しに、寝言の件を云われはしませぬかな』 『やあ、あの事はもう……』  十郎左は蒲団を被ってしまう。 『はははは、お寝みなされ』 『おやすみ』 『伝右どのおやすみ……』  ひとり残らず云って、そこの灯は、やがて消えた。 死なき生命  つかれが出た。四日の午迄のうちにはまだ何の気ぶりもなかったので──この間にと、伝右衛門は、自宅へ帰っての一眠りを思って、いつもの騎馬で町へ出た。  町の者はまだ、幕廷の内意を知らない。それの分っている伝右衛門には、二月の昼も、うつつな気持であった。  京橋に近い自宅がそこに見えた頃である。後から迅い蹄の音が飛んで来た。はっと思って振向くと、同僚の林平六が騎馬で、 『伝右どの、すぐ返せ! 御上使、御上使』 『やっ、お邸へ』 『とうとう来たっ。お目附、荒木十左衛門殿、お使番久永内記、御両所の検死。ほかお徒士目附七人、お小人目附六人を従えて、たった今、未上刻(午後二時)御来邸、役者の間へ通った!』 『あっ……では愈〻……今日! 今日!』  鼻面を並べた二頭の駒は、砂をあげて、白金の藩邸へ駈けもどって行く。  伝右衛門は夢心地で、藩邸の奥へ駈け込んだ。──ああ、もう其処は今朝の形でなかったのである。十七士の面々は、最後の食事をすまし、越中守からの贈り物、白の小袖に浅黄無垢の裃をつけ、足袋、帯なども引き寄せて、静かに死への支度をしている気配。  はっ! と一目覗いただけで、伝右衛門は、そこの廊下と、又、検死の控えの間とのあいだを、ただうろうろしていた。 『どうする! かような事で! 見苦しい』  自分を叱咜して、詰所へ入り、がぶがぶと水を飲んで再び出て来た。  予告があった代りに、上使が見えると切腹はすぐだった。もっとも人数も多い。十七名を順々に──そして黄昏れ前に終らなければならない。  越中守も、ひそかにそこに在った。大書院から見ているらしい。場所は庭先──そこには、白い幕と白い屏風──伝右衛門は眼をそむけた。  支度がよいとある。ふと広間の方をながめやると、ああこんな眺めがあろうか。白と浅黄の死に装束が、ずらりと十七名、すずやかに庭へ向って居並んでいるのだ。伝右衛門の熱い眼からそれを見ると、そうしていと爽かに平然と並んでいる人間の神経が不思議にすら見えた。  ──と、その人達も、彼の姿に気づいたらしく、ちら、ちらと幾人もの眼が、眼でこの世の別れを告げている。春日の和らかい光を眼元にとって、微笑をたたえて見せる眼さえある。──それへ答えようとして、伝右衛門の眼は思わず、不覚なものをぽろぽろとこぼしてしまった。  ──と、誰か、その中の者が、 『伝右どの、今日は別して、御馳走になりましたが、まだ煙草が出ませぬな』  と云った。 『ああ、唯今すぐ』  死なぬ者が、かえって上わ逆っているのだ。細川家の人々は皆、足を浮かしていた。あわてて煙草盆をそこへ運んで行った日頃なじみの小坊主は、 『よい人になれよ』  と、原惣右衛門に頭を撫でられて、泣き泣き戻って来た。  料紙、硯が与えられる。──辞世の筆。然し、書く者もあり、書かぬ者もある。  その間に、伝右衛門は、やっと人々と短い言葉を交した。内蔵助の最後の声を聞くこともできた。  やがて、時刻は来た。──上使、検使の顔が仮面みたいに引き緊まる。邸内はしいんと大寺のように密まってしまう。唾をのむ自分の咽喉の音が聞えるのである。──と、庭先から第一の死の迎えの声がひびいた。 『──大石内蔵助殿! おいでなされ!』  ついと立つ影が白と浅黄の中から見えた。ふわりと一つのものから離れてゆく同体の一部としか見えない。刹那その人は人間か何うか疑われた。何となく、人間以上なものに、この世に残る人間には見えた。  真夜中よりもひっそりした一瞬が来た。礼儀を終った内蔵助の姿が、白い屏風のかげになったと思われた途端である──ぎゅっと、人々の胸さきへ痛い動悸がつき上げたのである。──異様な音は、その時、耳をつよく打った。  ばすんッ──と刃鳴りが空気を揺すったのだ。と思うと、人々の面を、さっと青白いものが掠めて、口の中が熱く渇いた。 『──内蔵助殿、お仕舞いなされました。──吉田忠左衛門殿! おいでなされ』  役人の声も、前よりは干乾びている。  次々に、名が呼ばれてゆく。  ゆうべおどけて踊った大石瀬左衛門の名も。あの女にも見ま欲しい二十四歳の磯貝十郎左の名も。  もう庭陰は、寒々と暮れかけて来て、木洩れ陽の夕陽も血かと匂う。  伝右衛門は、こめかみがズキズキして来て、もう自分が悪鬼か人間かわからなくなって来た。彼は、逝く人々の遺品や脱いだ衣服を、各〻に名札をつけ、番号をつけ、やがて遺族へ届ける日の為に、部屋の隅へ積み重ねていたのである。  そのうちに、ふと覚えのある──磯貝十郎左の衣服があった。彼が手をかける迄もなく、自分できちんと畳み附けて逝ったらしい。古い帯も、持物も、すべてが几帳面に、その上に乗せてあった。 『……若かったなあ』  深い息して思わず呟いた。ひたと、着物を取上げて横顔へ押し当てると、まだ仄かに若い十郎左の温みがあるようにすら思えた。すると、その袂の中から、何か落ちた。 『……?』  伝右衛門は手に取って、凝と見つめた。それは古代紫の縮緬の小布で、何か小さなものが包んである。  何気なく開けてみると、琴の爪が出た。──深い紫の布の中から、ぽつんと、琴の爪が一つ。 『……あ。もしやこの琴爪の主は』  伝右衛門は、いつか藩邸の附近で見失った一人の女性を眼にうかべた。惜しい! と今になって思い出してみる。又、いつぞやの晩の源五右衛門の戯れ言も、戯れ言ではなかったかと思い当る。  ──もう庭は仄暗い。そこに十郎左はいないのだ。この世の何処にも居ないのである。あの美貌と剛毅の調和した姿の中に、とうとう、誰にも云わずに秘めて行ったこの謎も、やはり十郎左らしいと伝右衛門は思った。 恋の至極は忍ぶ恋 武士の恋は香もほのか  何やらの書で見たこんな言葉が、十郎左の為にあったように、ふっと、伝右衛門の頭をかすめてゆく。恋! それをするにも、武士には武士道の恋があったかと今更思う。  だがそれは、彼の人々が此世に遺して行った大きな仕事の余儀の一つだったと見よう。武士道の路傍に咲いた花である。男性の目ざした恋は、日輪のようなもっと高い所にあった。  二月の宵の星が燦きだした。その夜は、静かな微風に梅花の仄におう闇だった。内蔵助はどこかでほっとしたことであろう。細川家の庭に白い屏風の畳まれる頃、毛利家でも、松平家でも、水野家でも、等しく白い屏風が六つに折られていた。  無事に。──内蔵助にとっては、実に無事に──死を永遠の生として逝った好い日であったと云える。  またそれは、時の悪法にたいする、人間の正しい人間提示でもあった。 底本:「吉川英治全集・16 新編忠臣蔵 彩情記」講談社    1968(昭和43)年12月20日第1刷発行 初出:「日の出」    1935(昭和10)年1月号~1937(昭和12)年1月号 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 ※「取り替え」と「取替え」、「唇」と「脣」、「隠した」と「隠くした」、「浮大尽」と「浮き大尽」と「うき大尽」、「曾て」と「曾つて」、「集まって」と「集って」、「向って」と「向かって」、「黄昏」と「黄昏れ」、「付人」と「附人」、「路傍」と「道傍》」、「頭脳」と「頭腦」、「佇立」と「佇」と「彳」、「手首」と「手頸」、「土不踏と「土踏まず」、「出」と「出で」の混在は底本通りです。 ※「長裃」に対するルビの「ながかみしも」と「なが」、「桜花」に対するルビの「はな」と「さくら」、「巌」に対するルビの「いわ」と「いわお」、「商人」に対するルビの「あきゅうど」と「あきんど」、「黄金」に対するルビの「おうごん」と「はな」と「こがね」、「妓」に対するルビの「おんな」と「こ」、「復讐」に対するルビの「ふくしゅう」と「かたきうち」、「燈火」に対するルビの「あかり」と「ともしび」、「行燈」に対するルビの「あかり」と「あんどん」、「高張提灯」に対するルビの「たかはり」と「たかはりちょうちん」、「裲襠」に対するルビの「かいどり」と「うちかけ」、「精神」に対するルビの「たましい」と「こころ」の混在は、底本通りです。 ※大見出し「松坂町界隈」の中見出し「二階の従弟」では「矢頭右衛門七」が「神崎与五郎の善兵衛」の従弟である設定で、中見出し「お粂とおつや」「蝙蝠羽織」では「矢頭右衛門七」が「神崎与五郎の善兵衛」の「甥」である設定になっているのは、底本通りです。 ※「二三名」のような概数を読点で区切る場合と区切らない場合の混在は底本通りです。 ※人名以外の誤植を疑った箇所を、「新編忠臣蔵(一)(二)」吉川英治文庫、講談社、1975(昭和50)年8月1日発行の表記にそって、あらためました。 入力:結城宏 校正:北川松生 2018年7月27日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。