スフィンクス(覚書) 横光利一 Guide 扉 本文 目 次 スフィンクス(覚書)  愛を言葉に出して表現するということは日本人には難しい。この表現の形式はむかしから内へ押し隠されて来たのが習慣だから、愛情を覚えると法がなくただもじもじとして羞らうだけだ。日本に愛を感じるか感じないかということも、答えは誰も同じとしても表現が難事である。よく世間にある父親のように自分の息子を可愛くないという顔つきだけ人前でしてみせて、内心そっと夜の夜中に反り返って寝ている不行儀な息子に蒲団をかけてやるように、日本という自分の国に対しても同様な場合が必ずしもないではない。  殊に知識階級の中には、おれは日本を愛しているという顔つきは、人前だけではしたくないという羞しさが眼に見えてある。これが幾年となく続くと、後から来る青年が真面目にその表情を信じて、だんだん先輩の表情そのままを心の中に植えつけてしまい、心も顔と一つになって来たのである。これは困ったことになったと気がついて周章てた者と、いつの間にか自分もそのような青年と一つになり、あくまで人間的な内面の愛情という心理を押し隠そうと努めつつ、これこそ時代が進んだ証拠だと思うものと、また時として、人間の心理などというものが世界に利益を与えたことがあるものか、知性というこれこそ利益を与えるものだと確信をいだいた一群の者と、何事もただ科学科学という一手の押しで押しまくって来た者との対立が、このごろの紛々たる世情になって来た。しかし、考えればまたこの闇にいろいろな近代性の織り込まれていることも発見出来る。知性の改造という心理的な要求の叫ばれて来たのもこのあたりに理由があるのであろう。  先日ある日曜日に子供を二人つれて動物園を見に行った。家内も行きたいと言ったが、今日だけは来てはいけないと言って私一人で出かけてみた。日曜日のこととて大人と子供で園内はごった返していたので、動物を見るどころの騒ぎではない。二人の子供が人垣の中をかい潜り、勝手に見たい動物の方へ別々に駈けて行くので、まるで私は子供の番に来たような結果になった。そこで私は長男の方に五十銭を握らせ、もしお前ははぐれて帰れなくなったら、そのお金で一人帰って来るようと言いきかせてから、次男だけの見張りに意を用いた。すると、それでようやく私も気楽になり、自分の神経の統制も取れて来た。一番危いものだけを守る工夫というものは、危くない者だけを自由にする方法以外にない。しかし、これは考えれば自分が気楽になりたいからだ。私は子供たちの見たいものを自由に見させてやるべきであったと思うが、それでは分裂という恐るべきことを予想する。不幸とは予想であるという心理学の定義も、不幸というものの限界をよく云いあてた言葉だと思う。今は実に予想ばかりが人々の脳中を引っ掻き廻している時期である。もしこの戦争に負けたなら、直ちに日本は勝った異国から武器製造の禁止にあうだろう。われわれの反抗する度に、無手にされた日本の上に毒瓦斯が撒かれるだろう。武器が許されないのであるからわれわれの子孫は五代十代は殺され続けていくだろう。──とこのように思い始めると、私は人間永遠の理想ということはまた自ら別の問題として、世界の文化を守れ、世界の知性を守れとのみ一図に心の中で言ってはいられなくなって来る。ところが、ペンを持つ者がうっかりしてこの予想の不幸を書こうものなら、こ奴は知性がないと言われる無反省も文化というものの中にはある。  これがいったい文化というべきかどうかという疑いさえときどき私には起るのだが、たしかに文化の中には頽廃の誇りとなるエジプト以来の野蛮な面も、同時に含み流されて来ていることにも気附いて来る。ギリシャ時代からローマ時代へかけての大人物の多くは、一度は必ずエジプトへ旅行してから後、何事かを感じて世の表面へ出ていっているが、当時彼らはエジプトでどのようなことを感じたものであろうか。むかしのエジプトは今のとおよそ違ったものにちがいなかろうけれども、あの沙漠の中に立っているスフィンクスの顔だけは今も昔も変りはあるまい。あの顔の中の口つきは特に笑っているのではないにも拘らず、見ていると矢張りどことなく笑っているように見えて来る。こちらの見方の心に相似してどのようにも見える微笑であるところは、何となくダ・ビンチのモナ・リザの微笑ともよく似ている、というよりは、むしろ私にはそっくりそのまま、リザはスフィンクスを真似したようにさえ思われて来てならない。私は二つとも実物をつくづく見たのだが、あの微笑はたしかに科学精神の微笑である。論理の微笑である。一つは人面獣身であり他の一つは女人であるとしても、何事かここには物というものの本態をなす無意識な豊かさが、実物の体積となって示されている。またこの体積の微笑は見るものをして、お前たち何を考えたって知れてるぞとも言っている。このスフィンクスの周囲でエジプトはアッシリヤから攻め込まれ、一戦をも交えず滅ぼされてしまった。それというのはエジプトの内部の知識階級が、スフィンクスそのままのニヒリズムになっていたからであったが、勝つものをして勝たしめよと言っている一つの大きな人面獣身の微笑が、当時の人心に乗り移ったのは、形の心に及ぼす不思議さである。ギリシャからローマへかけての偉人たちは皆この顔を眺めて本国へ帰り、それぞれ国民に微笑の本質を教え、一時はあの絢爛豊満な黄金時代を現出させた。遺憾なく延び満ちる姿の恐怖というものも、あのスフィンクスの笑いの中には火を見るごとく無気味な表情で漂っている。  私は科学の象徴であるピラミッドを背景として写真を撮る気持ちにはならなかったが、人間を象徴しているスフィンクスを後ろにして一枚撮って貰ったことがある。この写真は今もときどき取り出して眺めるのが私の楽しみの一つだが、しかし、このスフィンクスの顔を見ていると、歴史というものの不思議さや、またその深さ広さというものの計り難さについてさらに魅惑を感じて来る。私からは歴史というもののイメージは日々見たり聞いたりしている現実の世界以外に消え失せてしまっているが、この空々漠々たるものの中に歴史という文字を打ち立ててみると、その文字の中軸として二つの姿が浮んで来る。一つは地中海の文化の中心を造っているスフィンクスの白々しい微笑と簡素な伊勢大廟の鳥居とである。私はこれを私の頭の中にある世界像の中心として、リアリズムという得体の知れぬものを考えるのだが、しかし現在生きている自分がスフィンクスの真下に立って写真を撮るということ、これこそ東西人の生命力の相違という人間の力を異国にいて感じる好都合の場所だと思った。このように思うと、当然私の思いは自分の故里を懐しみ、両親や友人知人や妻子を安全に生活せしめ、これを護ってくれる人々に先ず何よりあらためて謝せずにはおれない。世界と言い、人類と言い、人間と言ってみたところで、スフィンクスの下では、人間の顔が私には自分の妻子や友人知人の顔ばかりとなってより浮んで来なかった。日本人は「自分のこと」を考える場合にも、「自分のみ」については絶対に考えるものではない。外国人というものはこのようなときでも、自分一個の姿より考えないのではあるまいか。これをわれわれはどの程度まで真似する要があるのか私には未だに分らぬ所である。  他人が一度考えついたことをふと、また後から自分が考えつくと、物を書くものは困ることが多い。しかし、また誰も彼も共同に考えていることであるために一層魅力を増すこともある。三木清氏は「現代日本に於ける世界史の意義」という改造の文章の中で、「理論上の誤謬はまた究極において実践上の成功を齎らし得るものではない」という言葉で、世界の歴史に於ては結局は論理が勝つものだと言う意味をのべている。これは正しくまたこの評論は堂々として明快であったが、この言葉一つのために、どんなに多くのものが困り果て疲れ果てたかということも、作家は一度は考えねばならない。しかも、まだ論理は新しい心理という導入物を混じてつづくばかりである。私は以前は論理と心理とどこでどのように違い、この二つの内面の作用はどこでどのような交渉を保つものかと考えつづけたこともあったが、これもいつの間にか私の考えの範囲から脱していった。しかし、何事かどこかでごたごたと問題が起っているとき、ふと見るともなく覗いて見ると、定って相互のもつれは論理と心理の判断のつかぬ分れ目で行われ、とどのつまりは政治がぬっとこの間に巨大な顔を出して終っている。しかし、論理と心理の分れ目はそれならいったいどこで判断をつけるべきであろうか、この疑問は恐らく多くの有能な人々からある準備をもって、賢明に切り捨てられて来た疑問と思うが、これを切り捨てて世界像というものは人々の脳中でしっかりと成り立つものではない。従って現実というもののイメージも肉をもっては成り立たぬ。  ひそかに人に分っていることは、殊さら言わなくたって誰にだって分っているではないかという言い方は、論理ではない。これは明かに心理の問題である。世の中にはこの名状すべからざる心理上の暗黙の微笑が、論理という公明なものの中間に存在しつつ、自由自在に動いている。広大な世界を形成している。作家はこの広大な揺れ動く世界に立って動かぬ頂上の論理を眺め、実は論理も動かぬながら中心の軸を移行させつつ、形を崩さぬ雲のように流れているものだと観測する。科学の歴史や文芸の歴史、その他哲学の歴史などにしても、私はよくそれらについては知らないが、私の見た限りではこの中の軸の持ち手は、論理家と心理家との二旗手によって廻されて来たようである。論理家ばかりが論理を持って廻った国は、エジプトにしてもギリシャにしても、ユダヤ、ペルシャ、印度、サラセン、ローマ、と見ても殆ど皆滅んでいる。しかし、なお且これらの論理の旗手たちは、国は滅亡しようとも、文化財を彼らは後世の旗手に渡したではないかと主張する論理を持つ。しかし、国家というものは滅ぼしても良いと主張する論理を後世へ伝える人間の行為が、果して健全な心理をも同時に後世へ伝えたであろうかどうかということになると、これが作家の最も注目すべきところとなる。スフィンクスの謎の微笑の前で常に人間は二方に別れて歩んで来た。それがヨーロッパの歴史である。  健全な精神ということは何ごとも論理に従い、熱情をそれに注ぎ込み、科学を無上の精神的風貌だと念じることだと、地中海を中心にした文化の代々の教師は教えて来た。これが間違いだと教えることは先ず科学では何人も不可能だ。しかし、道理と論理とは自ら違う。道理は論理をもときには間違いと正す、東洋生活の判断力である。生活の判断というものは、心理が中軸をなしつつ論理という魔力の無限に行う破壊を看視する能力であることは、人々は生活をして感じて来た。人々は国家の中にいるときにはときとして国家を忘れるが、国家の危機に際しては、これを滅ぼすものと善戦すべきことを教えて来た伝統の心理を感じる。この場合世界史の立場から日本の精神を見なければ、論理の誤謬になるという観念はそれは哲学であって必ずしも文学ではない。文学は哲学に負けるべきかどうかは私の知らぬところだが、文学には文学独自の哲学のあることは、文学者である限り何人も疑わぬところである。  文学の中の哲学と哲学の中の文学とは違っていると思う。少くとも文学の中の哲学は、論理そのものの素質の中に包含せられている不用意と盲点とを油断なく点検することである。論理の中から盲点を発見する意識作業に従事することは文学者以外にないのではないかと思う。近ごろの文芸評論家に心理家の多くなって来たことも、論理のこの盲点の点検家を社会が必要として来た結果にちがいないと思うが、しかし、近年最も作家の成長力を迷わせたものも、同時に作家の内部にある自意識という武器であった。  自分一人にとって、絶対確実に誤りでないものと信じ得られるこの興味ある武器を、一つずつ人々が持っており、またこの事実についてもこれに人々が興味を感じ、これのみに真を置くとき、人間の行為は秩序という美を構成しない。構成のない自意識がたとい真であろうと、それはただ真であるだけで価値を生じるものではない。ここから意識の整理の用が発生して来た。作家の世界像という観念構成に関する希いは、この意識の整理の必要から生じて来たのである。これを言い換えると、近来の作家にとっては、あらゆるテーマというものは、整理の必要というモチーヴから起ると言うべきである。  先日、志賀直哉氏と長与善郎氏との読売紙上の会話の中で、テーマがあってもモチーヴがなければわれわれは作品を作れないという言葉が、両氏の口から出ていたのを私は読んだことがある。しかし、近ごろの作家はモチーヴが生じてテーマが構想されるのであって、テーマにモチーヴが造られるのではない。ここにもリアリズムに対する見解の相違が明かに感じられる。菊池寛氏はテーマがなければ小説が書けぬと主張したことは、今なお有名な文学上の事実であるが、全く志賀氏とは反対のこの事件は、我国の文学にとっては重要な対立をなすものだと思う。この対立の結果は、「菊池寛の文学は、功より罪が多い」という志賀氏の攻撃となって最近に現れたのであるが、しかし果してそうであろうか。テーマは各作家の世界像というモチーヴから生じることは前に述べたが、近代作家とは限らず本来作家のモチーヴの中には、すでにテーマそのものが存在しているものと思う。モチーヴすなわちテーマと解するリアリズムであってこそ、客観するというリアリズムの精神の特長も出る。運筆の途上、一字一句にテーマの全体は何らかの形で現れ、またそれを意識しなければ、仕事の進行という発展は不可能であるが、この発展の過程に於ては、作家の頭の中では見て来た世界の記憶が、見て来たままには出ず、記憶の背景となって歴史を潜ませて現れる。ここにすべて構想という新しい現実が形造られると思うが、しかし、この内面の作用は単にただ作家のみとは限っているのではなく、作家以外のいかなる人もまたこの自身の頭の作用から逃げられるわけにはいかない。つまり、人間というすべての人物は小説中の人物であると同時に、小説を造る人物でもある理由がここに生じ、小説が世の中から滅びない原因ともなっている。  読者が小説を読むときには、読むという動作を必ず誰もするのである。この動作は、読む者に自分の世界像と作者の世界像との落差を計らせている動作であり、また各人の脳中にある歴史が、作家の歴史像と闘いつつある刹那でもある。一個の人間が自分の脳中の歴史を尽く馳せ参じさせつつある時間というものは、いったいいかなる時間というものであろうか。作者というものは、この読む者と読ますものの時間を、同時に二つ考えていなければならぬ。そのとき、幾分誇張をして言えば作者は科学も哲学もまた同時に行わねばならぬという文学上の世界の中にいるのである。この世界の中では、原因と結果が絶えず衝突し合い、新しく生じた結果がさらに新な原因となり、原因と結果の間にまた無数の過去の原因と結果が前後しつつひしめき合い崩れ合う。自然律というものは、このときはただ触媒という心理以外の何ものでもない。論理はすべてこのときには心理に変化して生活を行う。これは疑うことの出来ぬ小説内の出来事である。  物を書きまた考える人間は、そのものが生活している国土と種族の精神を基本として、物を書き考えるという事実については、どんなに否定しようとも事実われわれがここに生きている以上、否定するわけにはいかぬ。このようなときに、これとは一見逆な主題が出て来ている。世界史に於ける最大の課題であるところの、資本主義のもろもろの矛盾をいかに克服するかと考えないならば、真にそれは世界史的な課題ではなく、またそれはただ東洋的意味より持たぬという課題である。(三木清氏説)私はこれをもまた正当な説と思う。三木氏の言うごとく「もし東洋の統一が真に世界史的な課題であるとするならば、それは今日極めて重要な課題を含んでいる。即ちそれは資本主義の問題の解決である。資本主義の諸矛盾を如何にして克服するかということは、今日の段階における世界史の最大の課題である。この課題の解決に対する構想なしには、東洋の統一ということも真に世界史的な意味を実現することが出来ない。」──われわれは東洋人ではありたいし、世界史的な考え方はしなければならぬしという現代人の苦みも、論理という表現をとれば、三木氏の言葉のようなスタイルとなることに私は注意したいのだ。作家であるから、このような専門外の論理の問題から視線を反らせ、文学内の問題に眼を向けなければ空虚であるという、伊藤整氏の日ごろの言説は、常に新鮮な問題を呈出することを怠らず、また明快な解説を時と場所とに従ってするこの俊敏な若い作家の言としては、一応耳を傾けるべき要件ではあるけれども、また三木氏の呈出した重要なこの課題にまで、われわれ作家はこれを専門外の課題として捨てておくべきものであろうかどうか。もしそれなら専門ということは、悲しむべき充実であると思う。文学の新しい問題はここにもある。  文学の問題というものはただ文学内の問題としていつづけねばならぬという習慣の悲しみは、文壇の悲しみであって文学の負うべきものではない。いつも文学を文壇の習慣と結びつけなければ生棲出来ぬ因循さが、自然主義以来牢固として脱けず、テーマがあってもモチーヴがなければ仕事は出来ぬという完成にまで達するに到った。その結果はある見事な一部の結実となったが、しかし、それは自分の私生活を書く以外にテーマはないと覚悟する見解をも植えつけた。自分の生活に関せぬ問題は、どのように他の人間の生活にとって重要であろうとも、問題にはならず、また問題にすべきではないと観念する文学の善悪については、ここ幾年間の文壇の中心問題であったが、いまだに人々は身辺小説という私小説でなければ純文学ではないと思う。最初はたしかに美風であったものも年月とともに悪風となって、若芽を押し潰し喰い潰していく偏見とさえなり、しかも、これを美風と思わせて熄まぬ猛訓練──ここにはたしかにも早や芸だけあって文学はなくなっている光景であるが、しかし、これをうっかり作家が口を辷らせて指摘すると、蜂の巣をつ突いたような混乱をひき起す恐れがある。ところが、文壇という垣の外の世界では、「資本主義の諸矛盾を如何にして克服するかという世界史の最大の課題」の大風が吹き襲っているのである。これは経済の問題から一変して今や心理の問題となり変りつつある。  勿論、私も芸で世界史最大の課題に飛びつく元気はない。しかし、文学もまたこの世界史最大の課題に頭を悩ます多少の芸を発見すべきときだとも思う。この強風は避けようとしても避けられるものではない。しかし、ここにもまた伝統のリアリズムがあって、お前は知性もない癖に何を好んで頭を悩ますのだという、受けようにも受け止め難い日本刀の一太刀も浴びねばならぬ。実にこの知性というヨーロッパの問題が出始めて以来というものは、いかなる存在に対しても反抗せよという意味に転じて来て、誰もこれには悩まされた。しかし、正直に肚の中を打ち割って、この世界史最大の課題に心を悩ましていない文学者は近ごろ一人でもいるであろうか。ただ何事も黙って黙ってと静止する傍ら、ふと考えると、また忽ちもくもくとこれが胸を突き上げて来る。これは論理ではなく心理である。知性ではなく直感である。心理であり直感であるからは少くとも作家の本職であり、これを眺め暮して表現の形をとらねばならぬのは義務でもある。文学の中の哲学とは知性の有無ではなくこの義務観念の表現だと私は思っている。  去年の暮の二十日に私は伊勢神宮へお参りした。特別に理屈をつけて参拝したわけではないが、しかし、知識階級の人々にこれを打ちあけるには、何事か理屈をつけて話さねば通用しない世の中に、いつの間にかなってしまっている。私は長い間父の墓参もせず、キリストの立場を説いた精神が世界史的立場から物を見ることであると思っていた時代を通り、それがマルクスから見る立場が世界史的立場となるに及んで驚いて考え込み、さらに移って構想力の完備したヨーロッパの知性から見る立場が、世界史的立場となり変ってからは、なかなかこれにもまた魅力を感じるようになった。たしかにこれは私には面白かったのだ。私は入り来るものは分ろうと分るまいと、自分に飲み込めるまではこれから放れることの出来ぬ性質である。しかし、私はヨーロッパの知性という完備に完備を重ねた精緻な構成物が、恰も全く別の自然物のように、人間の脳中で張りわたり、これ以上の知性の網は論理を崩す以外に方法はあるまいと嗅ぎつけるようになって来てからは、一層私の眼にはスフィンクスの怪貌が鮮やかに浮き上って来るようになった。全くあの地中海を包んだ文化の中では、固りついた論理という形式は、不断に動いてやまぬ柔軟な自然という外界を縛るためには、も早や固りすぎて流れに応じる術を失ったかのようである。しかも、自然という事物は論理とは反対にひとり勝手に流れていく。これは彼らの論理にはお構いなしに流れるから、人間は固った脳中の思想と流れる自分の足とを逆に動かさねばならなくなった。ヨーロッパの始末に負えぬ問題とは、資本主義の矛盾をいかに克服するかという世界史的課題であるのかどうかは、適当に考えることは不可能だが、これを文学的に見ると、或いはそれどころの騒ぎではないのでないかと思われるふしがある。論理が役に立たなくなった騒ぎである。つまり、論理がどのように真実であろうともそれは真実という形式を借りているだけで、たしかにまた別種の心理が自然と論理の中間に、空洞を造って方向を決めることなく流れているのではあるまいか。しかし、日本では、むかしから論理が表面に突き立って役に立ったためしが殆どなかった。日本では常に論理よりも人間そのものの道理が表に立って来たのであった。しかし、苦痛なことには日本人といえども延びねばならぬ。われわれの延びる行く先きが、資本主義の矛盾をいかに論理的に克服するかという世界史的課題にありとすれば、当然またここに一考すべき重要なことが生じて来る。この課題は、も早や日本人の互の内部で何らかの形で整理がついた後ではあるけれども、何らかの形で自然に整理のついた課題を引き出し、再びこれに論理を与えなければならぬという苦心の後には、およそ誰にも想像出来る人間という非論理な問題に及ばざるを得ない。  論理のために頭と足とを逆にして歩いている人間には、人間の生命力の不思議さを示す以外に法はつかぬ。少し突然であるが、橙は初めは青く次ぎには黄色くなると、またもう一度その同じ橙が青くなっていって地に落ちない。ここには特別の論理がある。この橙の強い生命力は他の蜜柑と違うところで、日本人は昔からダイダイと称して喜び正月には門口へ飾って来た。一度も負けず滅ぼされたことのない民族には、負けたり滅ぼされたりした国の手法はある限度に於てのみ効力を持つだけだ。人間は他人の手前自分の特長を考えない工夫を急いでする要はない。日本主義、新日本主義のいう主張も一応は考えなければ、容易に近代はこれらについて考える時期を来させないと思う。黄色くなった橙に再び青さを与えるためには、このように非論理の科学の作用も自然は必要とするのである。  今までからでも人々の書く論調が、いよいよこれから人間の問題に向いて来たという風潮になると、どことなく人々の顔色に元気が現れたものである。しかしその様な問題もまたいつの間にか消えてしまって、依然として論理でなければ、科学でなければ、人間は進歩しないと言う主張が現れると、人間の色は再びどこへか消えてしまい、人々の頭を目刺のように貫き通した公式が行儀よく死体を並べてしまう。  この竹串から脱れる方法は、竹串の腐るのを待つより手段がなかった。それまでは先ずこれに刺されたままじっと並んでいなければならぬのである。これに反抗すると非科学的になり不合理を愛することになるのであったが、論理や科学というものは一度び国土という世の中の実物の限界に突き当ると、忽ち人間性を恢復する。国土が人間性を恢復させるなら、論理も国土の精神を何らかの形で認めなければならぬ。科学史上最大の天才と言われるアルキメデスは、ローマの軍隊がシシリーのシラクサの城を攻めるに及んで、これに極力反抗し、自分の科学をあらゆる武器に応用した。殺人光線である火鏡を発明しては敵を焼き、起重機を造っては敵艦を吊り上げて顛覆させ、最後に負けだと分ると万事人間的行為を捨てて科学研究に耽りつつ、ローマの一兵卒に殺されたことは人々の知るところだが、科学と国土の関係は紀元前二百五十年の昔早くもこの天才の生涯の行為に象徴となって現れているのである。風呂へ入って液体と体積の比を発見した際に、「分った。」と叫んだ彼の有名なユーレカの話も、私にはこの国土と科学の関係について、「分った」と叫んだように思われる。これこそ人間と論理の関係の奥の手を解決した叫びと思う。彼は殺される最後になると自分の周囲に円を描き、殺人者の一兵卒に向って、汝ここより入る勿れ、我の血はこの円を満すのだと言い終るや否や、一刀のもとに胸を刺されて倒れた。これほど明瞭に科学の意志をわれわれに教えるものはないにも拘らず、しかも、論理はこれをさえまだ疑わねばならぬのである。ここにもスフィンクスの言い難い微笑の謎がある。心理という真新しい今世紀の問題もこのようなところから呼吸をつづけて来ているのに相違ない。そして、これが文学の発祥地盤だと私は思う。も早や文学はこの底辺を蹴って浮き上り、今は人間性を展らくばかりである。  去年から今年へかけての論争のうち、科学主義か文学主義かという文学界の座談会ほど青年に影響したものはなかっただろうと思う。私はいろいろの学校へ話しに呼ばれる度に一度は必ず訊かれる共通のことは、この問題についての解答ばかりだったと言っても良い。しかし、文学主義というのはつまりは人間主義の別名にすぎぬ。科学主義か人間主義かと問い詰められれば、われわれは人間主義であり、人間主義が文学とどのような関連があるかを問われるなら、文学上の問題として提出された人間主義は心理主義の別名だと言わざるを得ない。しかしながら、科学といえども初めから人間と放れて存在していたのではない。科学は初めは人間を愛することが目的であった。しかし、科学は自身の発展する興味につられ、人間に好奇心を満足せしめることが、人間を愛することだと思い初めた。人間は科学の発展のさまの面白さに、科学こそわれわれを満足せしめる最高の知識だと信じた。ところが、人間を愛することを理想としていた科学は、人間の生命という根源物に対してだけ研究することを怠った。これの研究に従う暇を見つけていては、科学は発達する自分の時間を失う惧れを生じたからである。最も人間にとって重大なことをつねに置き忘れつつ、科学は人間の周囲で競い立ち、ついにこれを眼下に圧迫して人間を家来とした。歴史を見ていると、民族を滅ぼしたものはいつも科学である。しかし、科学の重力はおのれをかくまで発達せしめたその民族の虚に乗じ、これを押し潰して滅ぼすや否や、直ちにこれを奪った他の民族に乗り移る忘恩を決行する。そして、さらにその民族を興隆の頂きまで担ぎ上げ、住民の心理にニヒリズムを植えつけると同時に、ここをも焼き滅ぼしてまた他に移る。人間が火の掠奪をし合ったことから端を発した科学のこれが常套の手段である。しかも、人間はこれに何故か従わねばならぬのだ。何故に人間はこれに従わねばならぬかという疑問を起すことは、知識階級の階級を構成する所以に反するのだ。つまり、論理がこれを許可しないのである。しかし、われわれはいつまでたっても生きている以上は生きていたいと思う人間である。  文学というものは科学よりも人間を愛するものだと思う。論理よりも心理を愛するものだと思う。たとえ知識からどのように軽蔑を受けようとも、人間のために文学は忍耐して世を渡らねばならぬのである。文学の忍耐は常に論理に従うことではあるが、これを見詰めつつ論理の不徳をも人間に報告し、科学こそわれわれを滅ぼす身中の毒だということをも、生命のつづく限り、いかに叩かれようとも声を上げて祈願する忍耐である。これが文学の使命であるとともに人間への愛情である。  人間は科学のない未開の時代に於ても、今と同様幸福であったと想像することの出来ぬのが、知識階級の想像力の不足という、彼らに課せられた不幸である。またそれは当然彼らの負わねばならぬ罰である。人間は生命の象徴という幸福なものも一度はどこかで明瞭に感じなければ、生活するという苦業にわれわれは耐えられるものではない。幸福は出来る限り探すべきだと思う。おれの頭はこんなにくるくる動くと喜ぶ幸福は、それはエゴイズムというもので知識階級の最大の不幸である。不幸を幸福と認知する論理は、世の中の人間に苦痛を押しつける作業をも案出し、果しのないニヒリズムに到着して後もなお且つそれをさえ自然と思う原始へ返る。しかし、ニヒリズムはニヒリズムである。何物にもこの者は頭を下げるものではない。しかし、外界にはどこ製のものか分らぬ流弾が絶えず飛んでいる。忽ちここで幸福は恐怖に変る。いったい、幸福はどこでどうして恐怖に変るのであろうか。これもまた私にはスフィンクスの投げかけている微笑のように思われる。  人間というものは昔から進歩しているものか進歩していないものかという疑いは近代人の疑問の中心である。しかし、時間と自然とだけはわれわれにも与えられている。何事かここに現代に生きたわれわれの特権がなければならぬ。古典は要するに古典である。人間は現代に生きた恩典を感じなければそれは現代人の生きた感覚とはならない。先ずわれわれは知性よりも自分の感覚を信ずべきときが現代というものだと思う。古人はいつの時代でも先ず感覚こそ精神の窓であると言うことを注告して忘れなかった。これが各国共通の先祖の贈物の中で、唯一の間違わぬものである。 底本:「欧洲紀行」講談社文芸文庫、講談社    2006(平成18)年12月10日第1刷発行 底本の親本:「定本 横山利一全集 第一三巻」河出書房新社    1982(昭和57)年7月 入力:酒井裕二 校正:岡村和彦 2015年5月25日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。