蓼喰う虫 谷崎潤一郎 Guide 扉 本文 目 次 蓼喰う虫 その一 その二 その三 その四 その五 その六 その七 その八 その九 その十 その十一 その十二 その十三 その十四 その一 美佐子は今朝からときどき夫に「どうなさる? やっぱりいらっしゃる?」ときいてみるのだが、夫は例の孰方つかずなあいまいな返辞をするばかりだし、彼女自身もそれならどうと云う心持もきまらないので、ついぐずぐずと昼過ぎになってしまった。一時ごろに彼女は先へ風呂に這入って、どっちになってもいいように身支度だけはしておいてから、まだ寝ころんで新聞を読んでいる夫のそばへ「さあ」と云うように据わってみたけれど、それでも夫は何とも云い出さないのである。 「とにかくお風呂へお這入りにならない?」 「うむ、………」 座布団を二枚腹の下へ敷いて畳の上に頬杖をついていた要は、着飾った妻の化粧の匂いが身近にただようのを感じると、それを避けるような風にかすかに顔をうしろへ引きながら、彼女の姿を、と云うよりも衣裳の好みを、成るべく視線を合わせないようにして眺めた。彼は妻がどんな着物を選択したか、その工合で自分の気持も定まるだろうと思ったのだが、生憎なことにはこの頃妻の持ち物や衣類などに注意したことがないのだから、───ずいぶん衣裳道楽の方で、月々何のかのと拵えるらしいのだけれども、いつも相談に与ったこともなければ、何を買ったか気をつけたこともないのだから、───今日の装いも、ただ花やかな、或る一人の当世風の奥様と云う感じより外には何とも判断の下しようもなかった。 「お前は、しかし、どうする気なんだ」 「あたしは孰方でも、………あなたがいらっしゃれば行きますし、………でなければ須磨へ行ってもいいんです」 「須磨の方にも約束があるのかね?」 「いいえ、別に。………彼方は明日だっていいんですから」 美佐子はいつの間にかマニキュールの道具を出して、膝の上でセッセと爪を磨きながら、首は真っすぐに、夫の顔からわざと一二尺上の方の空間に眼を据えていた。 出かけるとか出かけないとか、なかなか話がつかないのは今日に限ったことではないのだが、そう云う時に夫も妻も進んで決定しようとはせず、相手の心の動きようで自分の心をきめようと云う受け身な態度を守るので、ちょうど夫婦が両方から水盤の縁をささえて、平らな水が自然と孰方かへ傾くのを待っているようなものであった。そんなふうにしてとうとう何もきまらない内に日が暮れてしまうこともあり、或る時間が来ると急に夫婦の心持がぴったり合うこともあるのだけれど、要には今日は予覚があって、結局二人で出かけるようになるだろうことは分っていた。が、分っていながら矢張受動的に、或る偶然がそうしてくれるのを待っていると云うのは、あながち彼が横着なせいばかりではなかった。第一に彼は妻と二人きりで外を歩く場合の、───此処から道頓堀までのほんの一時間ばかりではあるが、お互の気づまりな道中が思いやられた。それに、「須磨へ行くのは明日でもいい」と妻はそう云っているものの、多分約束がしてあるのであろうし、そうでないまでも、彼女に取っては面白くもない人形芝居を見せられるより、阿曽の所へ行った方がいいにきまっていることを察してやらないのも気が済まなかった。 ゆうべ京都の妻の父から、「明日都合がよかったら夫婦で弁天座へ来るように」と云う電話があったとき、一往妻に相談すべきであったのだが、折あしく彼女が留守だったので、「大概ならばお伺いいたします」と、要はうっかり答えてしまった。それと云うのが、「僕は長いこと文楽の人形を見たことがありませんので、今度おいでになる時には是非誘っていただきたい」と、いつぞや老人の機嫌を取るために心にもないおあいそを云ったのを、老人の方ではよく覚えていてわざわざ知らしてくれたのであるから、彼としては断りにくい場合でもあったし、それに人形芝居はとにかく、あの老人に附き合ってゆっくり話をするような機会が、ひょっとしたらもうこれっきり来ないであろうとも思えたからだった。鹿ヶ谷の方に隠居所を作って茶人じみた生活をしている六十近い年寄りとは、もちろん趣味が合う訳もなし、何かにつけてうるさく通を振りまかれるのにはいつも閉口するのだけれど、若い時に散々遊んだ人だけあって何処か洒落な、からっとしたところのあるのが、もうその人とも親子の縁が切れるかと思えばさすがになつかしく、少し皮肉な云い方をすれば、妻よりもむしろこの老人に名残りが惜しまれて、せめて夫婦でいる間に一ぺんぐらいは親孝行をしておいてもと、柄にないことを考えたのだが、しかし独断で承知したのは手落ちと云えば手落ちである。いつもの彼なら妻の都合と云うことに気が廻らない筈はないのである。ゆうべも勿論それを思いはしたけれども、実は夕方、「ちょっと神戸まで買い物に」といって彼女が出かけて行ったのを、恐らく阿曽に会いに行ったものと推していた。ちょうど老人から電話がかかった時分には、妻と阿曽とが腕を組み合って須磨の海岸をぶらついている影絵が彼の脳裡に描かれていたので、「今夜会っているのなら明日は差支えないであろう」と、ふとそう思った訳なのであった。妻は従来かくし立てをしたことはなかったから、ゆうべは事実買い物に行ったのかも知れない。それをそうでなく取ったのは彼の邪推であったかも知れない。彼女はうそをつくことは嫌いであるし、又うそをつく必要はないにきまっているのだから。が、夫に取って決して愉快でない筈のことをそうハッキリと云うまでもないから、「神戸へ買い物に行く」という言葉の裏に「阿曽に会いに行く」と云う意味が含まれていたものと解釈したのは、彼の立ち場からは自然であって、悪く感ぐった訳ではなかった。妻の方でも要が邪推や意地悪をしたのでないことは分っているに違いなかった。或は彼女は、ゆうべも会うことは会っているのだが、今日も会いたいのであるかも知れない。最初は十日置き、一週間置きぐらいだったのが、近頃は大分頻繁になって、二日も三日もつづけて会うことが珍しくないのであるから。 「あなたはどうなの、御覧になりたいの?」 要は妻が這入ったあとの風呂へ漬かって、湯上りの肌へバスローブを引っかけながら十分ばかりで戻って来たが、美佐子はその時もぼんやり空を見張ったまま機械的に爪をこすっていた。彼女は縁側に立ちながら手鏡で髪をさばいている夫の方へは眼をやらずに、三角に切られた左の拇指の爪の、ぴかぴか光る尖瑞を間近く鼻先へ寄せながら云った。 「僕もあんまり見たくはないんだが、見たいッて云っちまったんでね。………」 「いつ?」 「いつだったか、そう云ったことがあるんだよ。ひどく熱心に人形芝居を讃美するもんだから、つい老人を喜ばすつもりで合い槌を打ってしまったんだ」 「ふふ」 と彼女は、あかの他人に対するようなあいそ笑いを笑った。 「そんなことを仰っしゃるから悪いんじゃないの。いつもお父さんに附き合ったことなんかない癖に」 「まあとにかく、ちょっとだけでも行った方がいいんだけれどな」 「文楽座って一体どこなの?」 「文楽座じゃあないんだよ。文楽座は焼けちまったんで、道頓堀の弁天座という小屋なんだそうだ」 「それじゃどうせ据わるんでしょう? 敵わないわ、あたし、───あとで膝が痛くなっちまうわ」 「そりゃあ茶人の行くところだから仕方がないやね。───お前のお父さんも先にはあんなじゃあなかったし、活動写真が好きだった時代もあったんだが、だんだん年を取るに連れて趣味が皮肉になって行くんだね。この間或る所で聞いたんだが、若い時分に女遊びをした人間ほど、老人になるときまって骨董好きになる。書画だの茶器だのをいじくるのはつまり性慾の変形だと云うんだ」 「でもお父さんは性慾の方もまだ変形していないんじゃないの。今日だってお久が附いているでしょう」 「ああ云う女を好くというのがやっぱりいくらか骨董趣味だよ。あれはまるで人形のような女だからな」 「行けばきっとアテられてよ」 「仕方がない、それも親孝行だと思って、一時間か二時間アテられに行くさ」 ふと要は、妻が何となく出渋るのは外に理由があるんじゃないのかな、とその時感じたが、 「では今日は和服になさる?」 と、彼女は立って、箪笥の抽出しから、たとうに包まった幾組かの夫の衣類を取り出すのであった。 着物にかけては要も妻に負けない程の贅沢屋で、この羽織にはこの着物にこの帯と云う風に幾通りとなく揃えてあって、それが細かい物にまでも、───時計とか、鎖とか、羽織の紐とか、シガーケースとか、財布とか、そんな物にまでおよんでいた。それを一々呑み込んでいて、「あれ」と云えば直ぐその一と組を揃えることの出来るものは美佐子より外にないのであるから、この頃のように夫を置いて一人で外へ出がちの彼女は、出かける時に夫のために衣類を揃えて行くことが多かった。要に取って現在の妻が実際妻らしい役目をし、彼女でなければならない必要を覚えるのは、ただこの場合だけであるので、そう云う時にいつでも彼は変にちぐはぐな思いをした。殊に今日のように、うしろから襦袢を着せてくれたり、襟を直してくれたりされると、自分たち夫婦と云うものの随分不思議な矛盾した関係が、はっきり感ぜられるのであった。誰がこう云う場面を見たら、自分たちを夫婦でないと思うであろう。現に家にいる小間使にしても下女にしても、夢にも疑ってはいないであろう。彼自身ですら、こうして下着や足袋の面倒までも見て貰っている自分を顧みれば、これでどうして夫婦でないのかと云うような気がする。何も閨房の語らいばかりが夫婦を成り立たせているのではない。一夜妻ならば要は過去に多くの女を知っている。が、こういう細かい身の周りの世話や心づくしの間にこそ夫婦らしさが存するのではないか。これが夫婦の本来の姿ではないのか。そうしてみれば、彼は彼女に不足を感ずる何ものもないのである。……… 両手を腰の上へ廻してつづれの帯を結びながら、彼はしゃがんでいる妻の襟足を見た。妻の膝の上には彼が好んで着るところの黒八丈の無双の羽織がひろがっていた。妻はその羽織へ刀の下げ緒の模様に染めた平打ちの紐を着けようとして、毛ピンの脚を乳へ通しているのである。彼女の白いてのひらは、それが握っている細い毛ピンを一とすじの黒さにくっきりと際立たせていた。研き立ての光沢のいい爪が、指頭と指頭のカチ合う毎に尖った先をキキと甲斐絹のように鳴らした。長い間の習慣で夫の気持を鋭く反射する彼女は、自分も同じ感傷に惹き込まれるのを恐れるかのように殊更隙間なく身を動かして、妻たるもののなすべき仕事をさっさと手際よく、事務的に運んでいるのであるが、それだけに要は、彼女と視線を合わせることなく余所ながら名残りを惜しむ心で偸み視ることが出来るのであった。立っている彼には襟足の奥の背すじが見えた。肌襦袢の蔭に包まれている豊かな肩のふくらみが見えた。畳の上を膝でずっている裾さばきの袘の下から、東京好みの、木型のような堅い白足袋をぴちりと篏めた足頸が一寸ばかり見えた。そう云う風にちらと眼に触れる肉体のところどころは、三十に近い歳のわりには若くもあり水々しくもあり、これが他人の妻であったら彼とても美しいと感ずるであろう。今でも彼はこの肉体を嘗て夜な夜なそうしたように抱きしめてやりたい親切はある。ただ悲しいのは、彼に取ってはそれが殆ど結婚の最初から性慾的に何等の魅力もないことだった。そうして今の水々しさも若々しさも、実は彼女に数年の間後家と同じ生活をさせた必然の結果であることを思うと、哀れと云うよりは不思議な寒気を覚えるのであった。 「ほんとうに今日は───」 そう云いながら美佐子は立って、羽織を着せるために夫の背中の方へ廻った。 「───いいお天気じゃありませんか。芝居なんぞには勿体ないくらいだわ」 要は二三度彼女の指が項のあたりをかすめたのを感じたが、その肌触りにはまるで理髪師の指のような職業的な冷めたさしかなかった。 「お前、電話をかけて置かなくってもいいのかね?」 と、彼は妻の言葉の裏を尋ねた。 「ええ、………」 「かけてお置きよ、でないと僕も気が済まないから、………」 「それにも及ばないんだけれど、………」 「しかし、………待っていると悪いじゃないか」 「そうね、───」 彼女はちょっとためらってから云った。 「───何時頃に帰れますかしら?」 「今から行けば、仮りに一と幕だけとしても五時か六時にはなるだろうな」 「それからじゃあんまり遅いでしょうか?」 「そんなことは差支えないが、何しろ今日はお父さんの都合でどうなるか分りゃしないぜ。一緒に晩飯を附き合えとでも云われたら断る訳にも行かないし、………ま、明日にした方が間違いがないよ」 そう云っている時、小間使いのお小夜が襖を開けた。 「あのう、須磨から奥様にお電話でございます」 その二 電話口の話は三十分もかかったけれども、それでも漸く須磨の方は明日にすると云うことになって、一層浮かぬ顔つきをしながら、彼女が夫と珍しく連れ立って出たのは、もう二時半を過ぎた頃だった。 たまに日曜の折などに、小学校の四年へ行っている弘を中に挾みながら、親子三人で出かけることはないでもないが、それは近頃、うすうす父と母との間に何事かが醸されつつあるのを感づいたらしい子供の恐怖を取り除けるためで、今日のように夫婦が二人で出歩くことはほんとうにもう幾月ぶりか分らなかった。弘が学校から帰って来て、父と母とが手を携えて出たことを聞いたら、自分が置いて行かれたのを淋しがるよりも、実はどんなに喜ぶであろう。───しかし要は、それが子供にいい事だか悪い事だか判断に迷った。ぜんたい「子供々々」と云うが、既に十歳以上になれば、気の廻り方は格別大人と変ったことはないのである。彼は美佐子が、「外の者は気が附かないのに、弘は知っているらしいんですよ、とても敏感なんですから」と云ったりするのを、「そんなことは子供としては当り前だよ。それを感心するなんかは親馬鹿と云うもんだ」と、そう云って笑うのが常であった。それ故彼は、いざと云う時は大人に対すると同じように、すべての事情を子供に打ち明ける覚悟をしていた。父も母も、孰方が悪いと云うのではない、もしも悪いと云う者があれば、それは現代に通用しない古い道徳に囚われた見方だ、これからの子供はそんなことを耻じてはいけない、父と母とがどうなろうともお前は永久に二人の子だ、そうしていつでも好きな時に父の家へも母の家へも行くことが出来る、───彼はそう云う風に話して子供の理性に訴えるつもりでいた。それを子供が聴き分けない筈はないと思った。子供だからと云っていい加減なうそをつくのは、大人を欺くのと同じ罪悪だと考えていた。ただ万一にも別れないで済む場合が想像せられるし、別れるとしてもまだその時機がきまったと云う訳ではないので、成るべくならば余計な心配をさせたくない、話はいつでも出来るのだからと、そう思い思いつい延び延びになっている結果は、やはり子供を安心させたさに惹き擦られて、喜ぶ顔が見たいために妻と馴れ合いで睦しい風を装うこともあるのである。しかし子供は子供の方で、二人が馴れ合いで芝居をしていることまでも感づいていて、なかなか気を許してはいないらしい。うわべはいかにも嬉しそうにして見せるけれども、それも事に依ると親たちの苦慮を察して、子供の方があべこべに二人を安心させようと努めているのかも知れない。子供の本能と云うものはそう云う時に案外深い洞察力を働かすもののように思える。だから要は親子三人で散策に出ると、父は父、母は母、子は子と云う風に、三人が三人ながらバラバラな気持を隠しつつ心にもない笑顔を作っている状態に、我から慄然とすることがあった。つまり三人はもうお互に欺かれない、夫婦の馴れ合いが今では親子の馴れ合いになり、三人で世間を欺いている。───なんで子供にまでそんな真似をさせなければならないのか、それが彼にはひとしお罪深く、不憫に感ぜられるのであった。 彼はもちろん自分たちの夫婦関係を新道徳の先駆者のような態度を以て社会へ触れ廻る勇気はなかった。自分の行っていることには多少の恃むところもあり、良心に耻じる点はないのであるから、まさかの場合は敢然として反抗しないものでもないが、そうかと云って、強いて自分を不利な立ち場に置きたくはなかった。父の代ほどではないにもせよまだ幾らかの資産もあり、名義だけでも会社の重役という地位もあり、かつかつながら有閑階級の一員として暮して行くことの出来る身として、なるべくならば社会の隅に小さく、つつましく、あまり人目に立たないように、そして先祖の位牌にも傷をつけないようにして安穏に生きて行きたかった。仮りに自分は親戚なぞの干渉を恐れるところはないにしても、自分より一層誤解され易い妻の立ち場を庇ってやらなければ、結局夫婦は身動きが取れなくなる。たとえばこの頃の妻の行為がありのままに京都の父親にでも知れたら、いかに物分りのいい老人でも世間の手まえ娘の不埒を許しては置けないであろう。もしそうなれば彼女は要と別れたとしても、思い通りに阿曽の所へ行けるかどうかも疑問である。「親や親類の圧迫なんかあたしちっとも恐くはないわ、みんなに義絶されたって構わない積りでいるんですから」と、いつもはそう云っているけれども、事実そんなことが出来るかどうか。彼女について事前に悪い噂が立てば、阿曽の方にも親や兄弟がある以上、そう云う方面からの故障も予想せられた。そればかりでなく、母が日蔭者のようになっては、それが子供の将来に及ぼす影響も考えなければならない。要はいろいろの事情を思うと、別れた後にも互が幸福に行けるようにするには、余程上手に周囲の人たちの理解を求める必要があるので、平素から用心深く世間に気取られないようにしていた。夫婦はそのために少しずつ交際の範囲を狭くし、努めて牆の内を覗かれないようにさえした。が、それでも矢張対社会的に夫婦らしさを装わなければならない場合が生じて来ると、いつもあんまり好い心持はしないのであった。 思うに美佐子がさっきから変に出渋っていたのも、一つはそれが厭なのであろう。気の弱い性質なのではあるが、何処か奥の方にカチリと堅い芯を持っている彼女は、古い習慣とか、義理とか、情実とか、そう云うものに対してはむしろ要よりも勇敢であった。彼女は夫と子供のために出来るだけ慎しんではいるものの、しかも今日のような時に進んで人の前へ出てまで芝居をするには及ばないと云う風な、かすかな不平を抱いているに違いなかった。なぜなら彼女にしてみれば己を欺き世を欺くのが不愉快であるばかりでなく、阿曽の感情をも考えなければならないからだった。阿曽も事情は認めているにしろ、彼女が夫と道頓堀へ出かけたと聞いたらとにかく愉快である筈はない。真に已むを得ない場合の外は、そう云うことは遠慮して欲しいに違いない。夫はそこまでの思いやりがないのか、察していてもそんなことにまで気がねをしてはいられないと云う腹なのか、そうとはっきり口へ出しては云えないだけに彼女はもどかしく感ずるのであった。夫は何故に今ごろになって老人の機嫌を取ろうとするのか。彼女の父が夫に取っても永久に父であり得るならば知らぬこと、もう近々に「父」と呼ぶことも出来なくなるのに、それを今更附き合ったところで無益ではないか。なまじ孝行の真似などをすれば後で事実が知れた時に一層怒らせるようなものではないか。 夫婦はそんなふうに別々の心を抱いて阪急の豊中から梅田行きの電車に乗った。三月末の彼岸ざくらが綻びそめる時分のことで、きらきらしい日ざしの底にまだ何処となく肌寒さが感ぜられたが、要はうすい春外套の袂の外へこぼれている黒八丈の羽織の生地が、窓の明りで干潟の沙のように光るのを見た。和服の時は寒中でもシャツを着けないのを身だしなみの一つにしている彼は、長襦袢の裏と皮膚とのあわいに清涼な風の孕むのを覚えながら内ぶところへ両手を入れていた。車の中は時間が半ぱであるせいか疎らな客がめいめいゆっくりと席を取り、真新しい白ペンキの天井の下は空気が隅まで透き徹っていて、並んでいる人たちの顔までが皆健康そうに、朗らかに明るい。美佐子はそれらの顔の中にわざと夫と向い側にかけて鼻のあたまを毛皮の襟巻のふかふかとした中へ埋める程にして、縮刷本の水沫集を読んでいるのである。買い立ての白クロースの、ブリキのようにピンと尖った表紙の背を掴んでいる指には網目に編んだサファイア色の絹の手袋が篏まっていて、こまかい網の目の隙間から、研かれた爪がチラチラと覗いていた。 電車の中で彼女がこう云う位置を取るのは、それが殆ど二人で外出する時の習慣のようになっていた。子供がいればその右左へかけるけれども、そうでなかったら大概の場合、一人が腰をおろすのを待って一人が反対の側の方へ席を求める。夫婦は互に衣を隔てて体温を感じ合うことが窮屈であるばかりでなく、今では寧ろしてはならないことのように、不道徳なようにさえ思うのである。そして一つの車室のうちに向い合って置かれるだけでも相手の顔が邪魔になるので、美佐子はいつも眼の向けどころを作るために何かしら読む物を用意していて、席がきまると直ぐに自分の鼻先へ屏風を立ててしまうのである。二人は梅田の終点で降りて別々に持っている回数券を渡して、申し合わせたように二三歩離れて歩きながら駅の前の広場へ出ると、夫が先に、妻がその後から黙ってタキシーの箱の中へ収まって、始めて夫婦らしく肩を並べた。もし第三者が四つのガラス窓の中に閉じ込められた彼等を見たなら、二つの横顔が額と額と、鼻と鼻と、頤と頤とを押絵のように重なり合わせて双方が脇眼をふることなく、じっと正面を切ったままで車に揺られつつ行くさまに気づいたであろう。 「何をやっているんですの、一体?」 「ゆうべの電話では小春治兵衛と、それから何だとか云っていたっけが、………」 互に長い沈黙に圧し出されたような工合に、一と言ずつ口をきいた。けれども矢張正面を切ったままだった。妻には夫の、夫には妻の、鼻の頭だけが仄白く映った。 弁天座のありかを知らない美佐子は、戎橋で乗り物を捨ててから再び黙って附いて行くより外はなかったが、夫は電話で委しく教わったものと見えて、道頓堀のとある芝居茶屋を訪ねて、そこから仲居に送られて行くのである。いよいよ父の前へ出て妻の役目をしなければならない、そう思うと彼女は一層気が重くなった。土間へ陣取って娘よりも若いお久を相手に、杯のふちをなめては舞台の方を見入っている年寄りの姿が眼に浮かんだ。父もうっとうしいけれども、それよりお久がいやであった。京都生れの、おっとりとした、何を云われても「へいへい」云っている魂のないような女であるのが、東京ッ児の彼女と肌が合わないせいもあるであろう。が、お久と云うものを傍へ置くとき、父が何だか父らしくなく、浅ましい爺のように見えて来るのがこの上もなく不愉快なのである。 「あたし一と幕だけ見たら帰るわよ」 と、彼女は木戸口を這入りながら、そこまでびんびんと響いて来る時代後れな太棹の余韻に反抗するような気持で云った。 茶屋の女に送られて芝居小屋へ来ると云うことが、既に何年ぶりであろう。要は下駄を脱ぎ捨てて足袋の底に冷めたい廊下のすべすべした板を蹈んだとき、一瞬間遠い昔の母のおもかげが心をかすめた。蔵前の家から俥の上を母の膝に乗せられて木挽町へ行った五つか六つの頃、茶屋から母に手を曳かれて福草履を突っかけながら、歌舞伎座の廊下へ上るときがちょうどこんな工合であった。子供の彼は矢張足袋の底に冷めたい板の間を蹈んだ。そう云えば旧式の芝居小屋は木戸口をくぐった時の空気が妙に肌寒い。いつも晴れ着の裾や袂からすうッと風が薄荷のように体へ沁みたのを未だに記憶しているが、その肌寒さはあたかも梅見頃の陽気の爽やかさに似てぞくぞくしながらもここちよく、「もう幕が開いているんですよ」と母に促がされて小さな胸をときめかせつつ走って行ったものであった。 けれども今日の寒さばかりは廊下よりも客席の方がひとしおで、夫婦は花道を伝って行くときに何とは知らずに手足が引き締まるような気がした。見わたしたところ、小屋は相当の広さであるのに四分通りしか入りがないので、場内の空気は街頭を流れるすうすうした風と変りがなく、舞台に動いている人形までが首をちぢめて、淋しく、あじきなく、見るから哀れに、それが太夫の沈んだ声と三絃の音色とに不思議な調和を保っていた。殆ど平土間の三分の二まではガラ空きになっていてほんの舞台に近い方に人がかたまっている中に、顱頂部の禿げた老人の頭とつやつやしいお久の円髷とが遠くの方から眼についていたが、渡りを渡って降りて来る二人にお久はそれと心づくと、 「お越しやす」 と小声で云いながら居ずまいを直して、場を塞いでいる蒔絵の提げ重を、一つ一つ丁寧に積み重ねて自分の膝の前に寄せた。 「お越しやしたえ」 美佐子のために老人の右の席をあけて、自分はうしろに畏まっているお久は、そう云って耳打ちをしたけれども、老人はちょっと振り返って、 「やあ」 と云ったきり、一心に舞台の方へ首を伸べていた。何と云う色か、緑系統には違いないが、ちょうど人形の衣裳のように派手で渋いところのある色合いの、昔の人が十徳にでも着そうな石摺りの羽織をぼってりと着込んで、風通大嶋の袷の下に黄八丈の下着を見せ、袂の中から升のしきりへ肘をついている左の腕をそのまま背中へ廻しているので、自然と抜き衣紋になっているためか猫背が一層円々と見える、───着附と云い、姿勢と云い、そう云う爺臭い風をするのがこの老人の好みであって、「老人は老人らしく」と云うのを口癖のようにしているのである。思うにこの羽織の色合いなども「五十を過ぎたら派手なものを着る方が却ってふけて見える」と云う信条を、実行しているつもりなのであろう。要が常に滑稽に感じるのは、「老人々々」と云うもののこの父親はまだそれほどの歳ではない、二十五とかに結婚して、今は亡くなったその連れ合いが長女の美佐子を生んだとすると、恐らく五十五六より取ってはいない筈である。父の性慾はまだ変形していないと云う美佐子の観察はそれを裏書きするもので、「お前のお父さんの老人ぶるのは、あれは一つの趣味なんだよ」と、彼もかねがね云っているのである。 「奥様、おみあが痛いことおへんか? どうぞ此方へお出しやして、………」 気のいいお久は窮屈な升の中でまめまめしく茶を入れたり、菓子をすすめたり、何を云っても振り向きもしない美佐子を相手にときどき話しかけたりして、その合い間には、うしろへ右の腕を伸ばして煙草盆の角に載せられた杯のふちへ手をかけている老人に、なくなる頃を見はからってはそうっと酒を注いでやっている。老人は近頃「酒は塗り物に限る」と云い出して、その杯も朱塗りに東海道五十三次の蒔絵のある三つ組のうちの一つであった。御殿女中が花見にでも行くようにこう云うものを研ぎ出しの提げ重の抽出しへ入れて、飲み物から摘まみ物までわざわざ京都から運んで来るのでは、茶屋に取っても有り難くない客であろうが、お久もずいぶん気骨が折れるに違いあるまい。 「お一つどうどす?」 そう云って彼女は、新たに抽出しから出した杯を要にさした。 「有り難う、僕は昼間は飲まないんだが、………外套を脱いだら何だかうすら寒いから、少うしばかり戴きましょう」 髪の油か、何か分らないが、忍びやかな丁子のにおいに似たものが、彼女の鬢の毛と共にかすかに彼の頬にさわった。彼は己れの手の中にある杯の、なみなみと湛えた液体の底に金色に盛り上っている富士の絵を視詰めた。富士の下には広重風の町の景色の密画があって、横に「沼津」と記してある。 「これで飲んだら、品が好すぎて頼りないような気がしますね」 「そうどすやろ」 彼女が笑うと、京都の女が愛らしいものの一つに数える茄子歯が見えた。二枚の門歯の根の方が鉄漿を染めたやうに黒く、右の犬歯の上に八重歯が一つ、上唇の裏へ引っかかるほどに尖っていて、それをあどけないと云う人もあろうが、公平に云えば決して美しい口もとではない。不潔で野蛮な感じがすると云う美佐子の批評も酷だけれども、そう云う非衛生的な歯を治療しようともしないところに無智な女の哀れさがあった。 「この御馳走は家から拵えて来るんですか」 要は彼女が小皿の上へ取ってくれる玉子焼の海苔巻をつまみながら云った。 「そうどす」 「こんな重箱を提げて来るんじゃ大変だな、又帰りにはこいつを持って行くんですか」 「そうどす、芝居のものは味のうてよう食べんお云やすよって、………」 美佐子がちらと二人の方を振り返ったが、すぐまた顔を舞台に向けた。 要はさっきから、彼女がときどき足を伸ばしては、足袋の先が夫の膝頭に触れると急いでそれを引っ込めるのに気が付いて、こう云う狭い升の中に入れられた自分たち夫婦の人目を忍ぶ心づかいを、ひそかに自ら苦笑しないではいられなかった。彼はその気持を紛らすために、 「どうだい、面白いかい?」 と、うしろから妻に声をかけた。 「いッつも面白いものをたんと見ておいでやすよって、たまには人形もよろしおすやろ」 「あたしさっきから義太夫語りの顔つきばかり見ているの、あの方がよっぽど面白いわ」 その話ごえが耳につくらしく、 「えへん」 と、老人が咳払いした。そして眼だけは舞台から放さずに、手さぐりで膝の下敷きになった猿手の金唐革の煙草入れを捜しあてたが、煙管のありかが分らないでしきりにその辺を間さぐっているのを、気がついたお久が座布団の下から見つけ出して、火をつけてから手のひらの上へ載せてやって、自分も思い出したように帯の間にある紅い琥珀の叺を抜き取ると、こはぜの附いた蓋の下へ白い小さな手の甲を入れた。 成るほど、人形浄瑠璃と云うものは妾の傍で酒を飲みながら見るもんだな。───要はみんなが黙り込んでしまったあと、ひとりそんなことを考えながら仕様ことなしに舞台の上の「河庄」の場へ、ほんのりと微醺を帯びた眼を向けていた。普通の猪口よりやや大ぶりな杯に一杯傾けたのが利いて来て、少しちらちらするせいか、舞台がずっと遠いところにあるように感ぜられ、人形の顔や衣裳の柄を見定めるのに骨が折れる。彼はじいっと瞳を凝らして、上手にすわっている小春を眺めた。治兵衛の顔にも能の面に似た一種の味わいはあるけれども、立って動いている人形は、長い胴の下に両脚がぶらんぶらんしているのが見馴れない者には親しみにくく、何もしないでうつむいている小春の姿が一番うつくしい。不釣合いに太い着物の袘が、すわっていながら膝の前へ垂れているのが不自然であるが、それは間もなく忘れられた。老人はこの人形をダークの操りに比較して、西洋のやり方は宙に吊っているのだから腰がきまらない、手足が動くことは動いても生きた人間のそれらしい弾力やねばりがなく、従って着物の下に筋肉が張り切っている感じがない。文楽の方のは、人形使いの手がそのまま人形の胴へ這入っているので、真に人間の筋肉が衣裳の中で生きて波打っているのである。これは日本の着物の様式を巧みに利用したもので、西洋でこのやり方を真似ようにも洋服の人形では応用の道がない。だから文楽のは独得であって、このくらいよく考えてあるものはないと云うのだが、そう云えばそうに違いない。立って激しく活動をする人形がへんに不恰好なのは、そうすると下半身が宙に浮くことを防ぎきれないで、いくらかダークの操りの弊に陥るからであろう。老人の議論を押し詰めて行くと、矢張据わっている時の方がねばりの感じが表わせる訳で、動くとしても肩でかすかな息をするとか、ほのかなしなを作るとか、ほんの僅かに動くしぐさが却って不気味なくらいにまで生き生きとしている。要は番附けを手に取って、小春を使っている人形使いの名を捜した。そうしてこれがその道の人に名人と云われている文五郎であるのを知った。そう思って見ると、いかにも柔和な、品のいい、名人らしい相をしている。絶えず落ち着きのあるほほえみを浮かべて、我が児をいつくしむような慈愛のこもったまなざしを手に抱いている人形の髪かたちに送りながら、自分の芸を楽しんでいる風があるのは、そぞろにこの老芸人の境涯の羨ましさを覚えさせる。要はふとピーターパンの映画の中で見たフェアリーを想い出した。小春はちょうど、人間の姿を備えて人間よりはずっと小さいあのフェアリーの一種で、それが肩衣を着た文五郎の腕に留まっているのであった。 「僕には義太夫は分らないが、小春の形はいいですな」 ───半分ひとりごとのように云ったのが、お久には聞えた筈だけれど、誰も合い槌を打つ者もない。視力をはっきりさせるために要はたびたび眼ばたきをしたが、一としきり身の内のぬくまった酔いがだんだん醒めて来るにつれて、小春の顔が次第に刻明な輪廓を取って映った。彼女は左の手を内ぶところへ、右の手を火鉢にかざしながら、襟の間へ頤を落して物思いに沈んだ姿のまま、もうさっきから可なりの時間をじっと身動きもしないのである。それを根気よく視つめていると、人形使いもしまいには眼に入らなくなって、小春は今や文五郎の手に抱かれているフェアリーではなく、しっかり畳に腰を据えて生きていた。だがそれにしても、俳優が扮する感じとも違う。梅幸や福助のはいくら巧くても「梅幸だな」「福助だな」と云う気がするのに、この小春は純粋に小春以外の何者でもない。俳優のような表情のないのが物足りないと云えば云うものの、思うに昔の遊里の女は芝居でやるような著しい喜怒哀楽を色に出しはしなかったであろう。元禄の時代に生きていた小春は恐らく「人形のような女」であったろう。事実はそうでないとしても、とにかく浄瑠璃を聴きに来る人たちの夢みる小春は梅幸や福助のそれではなくて、この人形の姿である。昔の人の理想とする美人は、容易に個性をあらわさない、慎しみ深い女であったのに違いないから、この人形でいい訳なので、これ以上に特長があっては寧ろ妨げになるかも知れない。昔の人は小春も梅川も三勝もおしゅんも皆同じ顔に考えていたかも知れない。つまりこの人形の小春こそ日本人の伝統の中にある「永遠女性」のおもかげではないのか。……… 十年ほど前に御霊の文楽座を覗いた時には何の興味も湧かなかった要は、ただその折にひどく退屈した記憶ばかりが残っていたので、今日は始めから期待するところもなく義理で見物に来たのであるのに、知らず識らず舞台の世界へ惹き込まれて行く自分を見ることは意外であった。十年のあいだにやっぱり歳を取ったんだなと、思わずにはいられなかった。この調子だと京都の老人の茶人ぶりも馬鹿には出来ない。更に十年も立つうちには自分もそっくりこの老人の歩んだ道を辿るようになるのではないか。そしてお久のような妾を置いて、腰に金唐革の煙草入れを提げ、蒔絵の弁当箱を持って芝居見物に来るようなふうに、………いや事に依ると十年を待たないかも知れない。自分は若い時分から老成ぶる癖があったから、人一倍早く年を取る傾向があるのだ。───要は下膨れの頬を見せているお久の横鬢と、舞台の小春とを等分に眺めた。いつもは眠いような、ものうげな顔の持ち主であるお久の何処やらに小春と共通なもののあるのが感ぜられた。同時に彼の胸の中に矛盾した二つの情緒がせめいだ、───老境に入ることは必ずしも悲しくはない、老境には老境でおのずからなる楽しみがある、と云う気持と、そんなことを考えるのが既に老境に入ろうとする兆だ、夫婦別れをしようと云うのは、自分も美佐子ももう一度自由に復って、青春を生きようためではないのか、今の自分は妻への意地でも年を取ってはならない場合だ、と云う気持と。─── その三 「ゆうべはわざわざ電話を戴きまして有り難う存じました。………」 幕あいになるとぐるりと此方へ向きを変えた老人に、要は改めて挨拶しながら、 「お蔭さまで今日はまことに面白うございます。全くお世辞でなく、いい所がありますな」 「私が人形使いじゃあないからお世辞を云われる事はないがね」 と、老人は女物の古裂で作った色のさめたお納戸縮緬の襟巻の中へ寒そうに首をちぢめて、やに下った形で云った。 「まあ、あなたがたを誘ってもどうせ退屈だろうけれど、しかし一遍は見て置くといいと思ったんで、………」 「いいえ、なかなか面白いですよ、この前見た時とはまるで感じが違うんで、非常に思いの外なんです」 「もうお前さん、今あの治兵衛だの小春だのを使った大頭株の人形使いがいなくなったら、どうなるか分りゃしないんだから、………」 美佐子はそろそろお談義が初まったと云うように下唇で薄笑いを噛みしめながら、てのひらの間にコムパクトを隠してパッフで鼻をたたいていた。 「こう入りがないのは気の毒なようですが、日曜や土曜にはまさかこんなでもないんでしょうか」 「なあに、いつでもこんなもん、………これで今日らは来ている方です。ぜんたいこの小屋じゃあ広過ぎるんで、先の文楽座ぐらいの方が、小ぢんまりしていいんだけれど、………」 「あれは再築を許可されないらしいですね、新聞で見ますと」 「それより何より、この客足じゃあ引き合わないから松竹が金を出しゃあしない。こんな物こそむずかしく云うと大阪の郷土芸術なんだから、誰か篤志家が出て来なけりゃあならないんだが」 「どう、お父さんがお出しになったら?」 と、横あいから美佐子が交ぜっ返した。老人は真顔で受けながら、 「私は大阪人じゃあないから、………これはやっぱり大阪人の義務だと思うよ」 「でも大阪の芸術に感心していらっしゃるんじゃないの? まあ大阪に降参しちゃったようなもんだわ」 「お前はそうすると西洋音楽に降参の口かね?」 「そうとも限らないんだけれど、あたし義太夫と云うものはイヤなの、騒々しくって。───」 「騒々しいと云やあこの間或る所で聴いたんだが、あのジャズ・バンドと云うものは、ありゃあ何だい? まるで西洋の馬鹿囃しだが、あんなものが流行るなんて、あれなら昔から日本にもある。───テケレッテ、テットンドンと云う、つまりあれだ」 「きっと低級な活動小屋のジャズでもお聴きになったんじゃないの」 「あれにも高級があるのかい?」 「あるわ、そりゃあ、………ジャズだって馬鹿になりゃしないわ」 「どうも今時の若い者のすることは分らんよ。第一女が身だしなみの法を知らない。たとえばお前のその手の中にあるのは、そりゃあ何というもんだね」 「これ? これはコムパクトというもんよ」 「近頃それが流行るのはいいが、人中でも何でも構わずそれを開けて見ては顔を直すんだから、ちっとも奥床しさというものがない、お久もそいつを持っていたんでこの間叱ってやったんだがね」 「でもこれは便利なもんよ」 と美佐子はわざと悠々と明るい方へ小さな鏡を向けながら、キッス・プルーフを唇へあてて丹念に紅を引いた。 「それ、その恰好がよくないよ。堅儀な娘や女房はそう云う形を人前で見せなかったもんだがね」 「今は誰でも見せるんだから仕方がないわ。わたしの知っている奥様で、会の時にテーブルへ着いてからきっとコムパクトを持ち出すんで有名な人があるくらいだわ。お皿が眼の前に出ているのを其方除けにして顔を直しているもんだから、その人のお蔭でコースがちっとも捗らないの、ああなられても極端だけれど」 「誰だい、それは?」 と、要がきいた。 「中川さんの奥様、───あなたの知らない方」 「お久、ちょっとこの火を見ておくれ。───」 と、老人は下腹から懐炉の包みを取り出して、 「小屋が広いのに入りがないせいか、どうも冷えてかなわない」 と、つぶやくように云った。お久が懐炉灰の火を直すので、手が塞がっている隙に、要は気を利かして、 「いかがです、胃袋の方へもう少し懐炉をお入れになったら」 と、これも御持参の錫の銚子を取り上げて云った。 舞台の方ではもう次の幕が開きそうなけはいなのに、夫がのんきらしく、キッカケを作ってくれないので、美佐子はさっきからじりじりしてゐた。出がけに須磨から電話があったとき、彼女は実は「自分はちっとも気が進まないのだから、芝居の方は成るたけ早く切り上げる。そして出来たら七時頃までに会いに行くようにする」と云って置いたのである。尤も都合で分らないから、アテにしないでいてくれろとは云ったけれども、……… 「明日一日、きっと此処が痛いだろうと思うわ」 彼女は膝頭を揉んで見せた。 「幕が開くまでそこに腰かけていたらいい」 そう云いながら夫が眼交ぜで、「まあ、今直ぐ帰るとも云いかねるから」と訴えているらしいのが分ると、それが何がなしに癇に触れてならなかった。 「廊下を一と廻り運動して来たらどうかね」 と、老人が云った。 「廊下に何か面白いものでもあって?」 半分皮肉に云いかけてから、彼女は冗談に紛らしながら、 「あたしも大阪の芸術には降参しちゃったわ。たった一と幕だけでお父さん以上に降参したわ」 「ふふ」 と、お久が鼻の奥で笑った。 「どうなさる? あなた、───」 「さあ、僕は孰方でもいいんだが、………」 要の方は要の方で、例のあいまいな返辞をしながら、今日に限ってそうしつッこく「帰る帰らない」を問題にする妻の態度に、淡い不満を蔽い隠すことが出来なかった。自分も彼女が長居をしたくないことは知っている、云われないでも潮時を見て器用に切り上げるつもりだけれども、折角呼ばれて来ているものを、せめて父親の手前だけは機嫌よくして、夫の処置に任せてくれたら、───それくらいは夫婦らしく、気を揃えてくれたらいいのに。 「今からだと、ちょうど時間の都合もいいし、───」 彼女は夫の顔色には頓着なく、七宝入りの両蓋の時計をキラリと胸のところで開いた。 「来たついでだから、松竹へ行って御覧にならない?」 「まあお前、要さんは面白いと云うんだから、───」 と、老人は何処かだだッ児じみた感じの現れる気短かそうな眉を寄せた。 「───そう云わないでもう少し附き合ったらいいだろうに。松竹なんか又出直しても済むんだから」 「ええ、要が見たいって云うのなら見てもいいんですけれど」 「それにお前、お久がゆうべからかかって弁当を拵えて来たんだから、そいつをたべて行っておくれ。こんなにあっちゃあ私たちじゃあたべ切れやしない」 「何お云やす、わざわざ上っていただくほどおいしいことおへんえ」 三人の言葉の取りやりを子供が大人の傍にいるように無関係に聞き過していたお久は、そう云ってきまり悪そうに、はすかいに載っていた組重の蓋を直して、四角な入れ物へモザイクのように詰まっている色どりを隠した。が、高野豆腐を一つ煮るのにもなかなか面倒な講釈をする老人は、この歳の若い妾を仕込むのに煮焚きの道をやかましく云って、今ではお久の料理でなければ口に合わないと云うほどなので、それを二人に是非ともたべさせたいのであった。 「松竹はもう遅いだろう。明日におしよ」 と、要は「松竹」と云う中へ「須磨」を含ませて云った。 「まあもう一と幕見て、お久さんの心づくしを戴いてからの都合にしようよ」 けれども妙に間が合わなくなった夫婦の気持は、二た幕目の「治兵衛内の場」を見ている内に一層変にさせられてしまった。たとい人形の演ずる劇であり、奇怪な誇張に充ちている浄瑠璃の物語であるとは云え、治兵衛とおさんとの夫婦関係には、二人がそっと相顧みて苦笑を余儀なくするものがあった。要は、「女房のふところには鬼が栖むか蛇が栖むか」と云う文句を聞くと、それがいかにも性慾的にかけ離れてしまった女夫の秘事を婉曲ながら適切に現わしているのに気づいて、暫く胸の奥の方が疼くのを感じた。彼は義太夫の「天の網島」は巣林子の原作でなく、半二か誰かの改作であるのをぼんやり記憶していたが、きっとこの文句は原作の方にあるのだろう、老人が浄瑠璃の文章を褒めて「今の小説なんかとても及ばない」と云っているのは、こう云うところを指すのだろうと思うと、ふと又気がかりなことが浮かんだ。今にこの幕が済んだあとで、老人がこの文句を持ち出しはしないか。「鬼が栖むか蛇が栖むかとは、昔の人は実にうまいことを云ったもんだね」と、例の口調で皆に同感を求めはしないか。この場合を想像すると居たたまらないような気がして、やっぱり妻の云うことを聴いておけばよかったと思った。 しかし一方、ややともするとその不愉快を打ち忘れて、再び舞台の表現にうっとりさせられる瞬間があった。前の幕ではひとり小春の姿にばかり心を惹かれたのに、今度の幕では治兵衛もよし、おさんもいい。紅殻塗りの框を見せた二重の上で定規を枕に炬燵に足を入れながら、おさんの口説きをじっと聞き入っている間の治兵衛。───若い男には誰しもある、黄昏時の色町の灯を恋いしたうそこはかとない心もち。───太夫の語る文句の中に夕暮の描写はないようだけれども、要は何がなしに夕暮に違いないような気がして、格子の外の宵闇に蝙蝠の飛ぶ町のありさまを、───昔の大阪の商人町を胸にえがいた。風通か小紋ちりめんのようなものらしい着附を着ているおさんの顔だちが、人形ながら何処か小春に比べると淋しみが勝ってあでやかさに乏しいのも、そう云う男にうとまれる堅儀な町女房の感じがある。そのほか舞台一杯に暴れ廻る太兵衛も善六も、見馴れたせいか両脚のぶらんぶらんするのが前の幕ほど眼ざわりでなく、だんだん自然に見えて来るのも不思議であった。そしてこれだけの人間が、罵り、喚き、啀み、嘲るのが、───太兵衛の如きは大声を上げてわいわいと泣いたりするのが、───みんな一人の小春を中心にしているところに、その女の美しさが異様に高められていた。成るほど義太夫の騒々しさも使い方に依って下品ではない。騒々しいのが却って悲劇を高揚させる効果を挙げている。……… 要が義太夫を好まないのは、何を措いてもその語り口の下品なのが厭なのであった。義太夫を通じて現れる大阪人の、へんにずうずうしい、臆面のない、目的のためには思う存分な事をする流儀が、妻と同じく東京の生れである彼には、鼻持ちがならない気がしていた。ぜんたい東京の人間は皆少しずつはにかみ屋である。電車や汽車の中などで知らない人に無遠慮に話しかけ、甚しきはその人の持ち物の値段を聞いたり、買った店を尋ねたりするような大阪人の心やすさを、東京人は持ち合わせない。東京の人間はそう云うやり方を不作法であり、無躾であるとする。それだけ東京人の方がよく云えば常識が円満に発達しているのだが、しかしあまり円満に過ぎて見えとか外聞とかに囚われる結果は、いきおい引っ込み思案になり消極的になることは免れられない。とにかく義太夫の語り口には、この東京人の最も厭う無躾なところが露骨に発揮されている。いかに感情の激越を表現するのでも、ああまでぶざまに顔を引き歪めたり、唇を曲げたり、仰け反ったり、もがいたりしないでもいい。ああまでにしないと表わすことが出来ないような感情なら、東京人はむしろそんなものは表わさないで、あっさり洒落にしてしまう。要は妻が長唄仕込みで、この頃もよく人知れぬ憂さを紛らすために弾いているのが耳にあるせいか、まだあの冴えた撥の音の方が淡いながらもなつかしく聞いていられた。老人に云わせると長唄の三味線は余程の名人が弾かない限り、撥が皮に打つかる音ばかりカチャカチャ響いて、かんじんの絃の音色が消されてしまう。そこへ行くと上方の方は浄瑠璃でも地唄でも東京のように撥を激しく打つけない。だから余韻と円みがあると云うのだが、要も美佐子もこれには反対で、日本の楽器はどうせ単純なのだから、軽快を主とする江戸流の方が悪く毒々しい力がないだけ、邪魔にならないと云うのであった。そして夫婦は音曲のことで老人を向うへ廻す時は、いつでも趣味が一致していた。 老人は二た言目には「今の若い者は」を口にして、西洋かぶれのしたものは何に限らずダークのあやつりと同じように腰がきまらない、うすっぺらだと云ってしまう。尤も老人の言い草には常に多少の掛け値があって、一と昔前はそう云う御自身が歯の浮くようなハイカラ振りに身を窶していた時代もあるのだが、日本の楽器は単純だなどと云おうものなら躍起になって得意のお談義が始まるのである。そうなると要はつい面倒で好い加減に引き退ってしまうけれども、心のうちでは一概にうすっぺら扱いされるのに平らかでないものがあった。彼は自分のハイカラは、今の日本趣味の大部分を占めている徳川時代の趣味と云うものが何となく気に食わないで、その反感から来ていることは自分にはよく分っていながら、それを老人に納得させる段になると、何と説明したらいいか云い現わしように困るのであった。彼の頭の中にある漠然とした物足らなさは、つづめて云えば徳川時代の文明は調子が低い、町人が生んだものであるから、何処まで行っても下町情調が抜け切れない、と云うところにあるかも知れない。東京の下町に育った彼が下町の気分を嫌う筈はなく、思い出としてはなつかしいものに違いないが、一面には又、下町ッ児であるが故に土地の空気が鼻に附いて卑俗な感じがする訳でもある。そう云う彼は反動的に、下町趣味とは遠くかけ離れた宗教的なもの、理想的なものを思慕する癖がついていた。美しいもの、愛らしいもの、可憐なものである以上に、何かしら光りかがやかしい精神、崇高な感激を与えられるものでなければ、───自分がその前に跪いて礼拝するような心持になれるか、高く空の上へ引き上げられるような興奮を覚えるものでなければ飽き足らなかった。これは芸術ばかりでなく、異性に対してもそうであって、その点に於いて彼は一種の女性崇拝者であると云える。もちろん彼は今までにそう云う恋愛なり芸術的感興なりを味わったことはなく、ただぼんやりした夢を抱いているだけだけれども、それだけひとしお眼に見えぬものに憧れの心を寄せていた。そして西洋の小説や音楽や映画などに接すると、まだいくらかはその憧れが満たされるような気がした。と云うのは西洋には昔から女性崇拝の精神がある。西洋の男は己れの恋する女人の姿に希臘神話の女神を見、聖母の像を空想する。この心持が広くいろいろな習慣に附き纒って、芸術の中にも反映しているせいであろうと、要はそんなふうに考え、その心持の欠けている日本人の人情風俗に云いようのない淋しさを覚えた。それでも仏教を背景にしていた中古のものや能楽などには古典的ないかめしさに伴う崇高な感じがないでもないが、徳川時代に降って来て仏教の影響を離れれば離れるほど、だんだん低調になるばかりである。西鶴や近松の描く女性は、いじらしく、やさしく、男の膝に泣きくずおれる女であっても、男の方から膝を屈して仰ぎ視るような女ではない。だから要は歌舞伎芝居を見るよりも、ロス・アンジェルスで拵えるフイルムの方が好きであった。絶えず新しい女性の美を創造し、女性に媚びることばかりを考えているアメリカの絵の世界の方が、俗悪ながら彼の夢に近かった。そして嫌いなものの中でも、東京の芝居や音曲にはさすが江戸人のきびきびとしたスマートな気風が出ているのに、義太夫は飽くまで太々しく徳川時代趣味に執着しているところが、到底傍へも寄りつけないように思えたのであった。 それが今日はどう云う訳か最初に舞台を見入った時からそう反感を起すでもなく、自然にすらすらと浄曲の世界へいざなわれて、あの重苦しい三絃の音までがいつとはなしに心のうちへ食い入って行くようなのである。そして落ち着いて味わって見ると、彼のきらいな町人社会の痴情の中にも日頃のあこがれを満たすに足るものがないでもない。暖簾を垂らした瓦燈口に紅殻塗りの上り框、───世話格子で下手を仕切ったお定まりの舞台装置を見ると、暗くじめじめした下町の臭いに厭気を催したものであったが、そのじめじめした暗さの中に何かお寺の内陣に似た奥深さがあり、厨子に入れられた古い仏像の円光のようにくすんだ底光りを放つものがある。しかしアメリカの映画のような晴れ晴れしい明るさとは違って、うっかりしていれば見過してしまうほど、何百年もの伝統の埃の中に埋まって佗びしくふるえている光だけれども。……… 「さあ、どうどす、お腹空いてましたらたべとおくれやす、ほんまに味のうおすけれど、………」 幕が終るとお久がそう云って重箱の物をめいめいに取ってくれたが、要はまだ眼にちらついている小春やおさんのおもかげに名残りを惜しまれる一方、老人のお談義が直きに例の「鬼が栖むか蛇が栖むか」へ落ちて行きそうな形勢なので、幕の内を摘まむあいだも気が気でなかった。 「それではあの、戴き立ちで甚だ勝手なんですが、………」 「もう、お帰りやすか、ほんまに」 「僕はもっと見ていてもいいんですが、やっぱりちょっと松竹座へ行って見たいんだそうですから。………」 「そらなあ、奥様」 と、取りなすようにお久は云って、老人と美佐子とを半々に見た。 二人はそれをいいしおに、次の幕の口上が始まりかけたのを聞きながら、廊下までお久に送られて出た。 「あんまり親孝行にもならなかったわね」 道頓堀の夜の灯の街へ吐き出されたとき、美佐子はほっとしたように云って、それには答えず戎橋の方へ足を向けかけた夫を呼んだ。 「あなた、そっちじゃあないことよ」 「そうか」 と、要は引っ返して日本橋の方へ、こころもち急ぎ足で行く彼女のあとに追いつきながら、 「いや、あっちへ行った方がいい車が拾えると思ったんだ」 「もう何時?」 「六時半だよ」 「どうしようかしら、………」 妻は袂から手袋を出して、それを篏めながら歩いていた。 「行くならおいでな。行って行けないと云う時間でもない。………」 「此処からだと、梅田から汽車で行った方が早いでしょうか」 「早いことを云やあ、阪急で行って上筒井から自動車の方がいいだろう。───しかしそうすると、此処で別れてもいい訳なんだな」 「あなたは?」 「僕は心斎橋筋をぶらついて帰る」 「じゃあ、………もしか先にお帰りになったら、十一時に迎えに出ているように仰っしゃって下さらない? 電話をかけるつもりだけれど」 「うむ」 要は妻のために通りかかりのニュウ・フォードを止めた。そしてガラスの窓の中に彼女の横顔が収まるのを見届けてから、再び道頓堀の人波の中へ引っ返して行った。 その四 弘サン 学校ハイツカラ休ミデスカ、モウ試験ハ済ミマシタカ、僕ハチョウド君ノ学校ガ休ミノ時分ニソチラヘ行キマス。 御土産ハ何ニシヨウ。御注文ノ広東犬ハコノ間カラ捜シテイマスガナカナカ見ツカラナイ。同ジ支那デモ上海ト広東トハマルデ国ガ違ウヨウニ離レテイマス、目下当地デハ「グレイハウンド」ガ流行デス、ソレデヨケレバ持ッテ行キマス、ドウイウ犬カ君ハ多分知ッテイルデショウガ、参考ノタメ「グレイハウンド」ノ写真ヲ此処ニ入レテ置キマス。 写真デ思イツイタガ写真機ガ欲シクハナイデスカ、「パテエ・ベビイ」ハイカガ? 犬トドッチガイイカ、返事ヲ下サイ。オ父サンニハ約束ノ「アラビアン・ナイト」ガ「ケリー・ウォルシュ」ニアッタカラ持ッテ行クト云ッテ下サイ、コレハ大人ノ読ム「アラビアン・ナイト」デス。子供ノ読ム「アラビアン・ナイト」デハアリマセン。 オ母サンニハ緞子ト呉絽ノ帯地ヲ持ッテ行クト云ッテ下サイ、ドウセ僕ノオ見立テダカラ例ニ依ッテ悪口ヲ云ワレルカモ知レナイ、君ノ犬ヨリコノ方ガ心配ダト云ッテ下サイ。 荷物ガ沢山持チキレナイホドアリマス、犬ヲツレテイタラ電報ヲ打ツカラ誰カ船マデ受ケ取リニ来テ下サイ。 大概二十六日ノ上海丸ノ予定デス。 高夏秀夫 斯波弘様 その二十六日の午頃、父につれられて出迎えに行った弘は、船の廊下を尋ね廻っていち早く船室を捜しあてると、 「小父さん、犬は?」 と、真っ先にきいた。 「犬か、───犬は彼方に置いてあるよ」 白っぽいホームスパンの上衣の下に鼠のスウェーターを見せて、同じ鼠のフランネルのパンツを穿いた高夏は、狭い室内で彼方此方荷まとめをするあいだも絶えず葉巻を手から口へ、口から手へと持ち変えながら、そのために一層気ぜわしそうに働いていた。 「大分荷物が多いじゃないか、今度は幾日ぐらい居るんだ」 「今度は少し東京に用があるんだ、君ん所にも五六日はいるつもりだが」 「これは何だ」 「それは酒だ。───非常に古い紹興酒だと云うんだが、欲しければ一と瓶分けてもいい」 「その辺にある細かい物を寄越したらどうだい、じいやが下で待っているから、あれを呼んで持たしてやろう」 「犬は、お父さん? 犬はどうするの?」 と、弘が云った。 「───じいやは犬を連れて行くんですよ、お父さん」 「なあに、おとなしい犬だから大丈夫だよ、弘君でも連れて行かれるよ」 「噛まない? 小父さん」 「絶対に噛まない、どんな事をしたって平気なもんだ。君が行ったら直ぐ飛び着いてお世辞を使うよ」 「何という名?」 「リンディー。───リンドバーグのことだよ、ハイカラな名だろう?」 「小父さんがお附けになったの?」 「西洋人が持っていたんで、前からそんな名が附いていたのさ」 「弘」 要は、犬の話で夢中になっている子供を呼んだ。 「お前はちょっと下へ行ってじいやを連れておいで。ボーイだけでは手が足りないから」 「元気じゃないか、見たところでは。───」 何か嵩張った重そうな包みを寝台の下からずるずる引きずり出しながら、出て行く弘のうしろかげへ眼をやって高夏は云った。 「そりゃ子供だから、元気は元気だが、あれでなかなか神経質になっているんだ。手紙にそんなところはなかったかね」 「なかったね、別に」 「尤もそりゃあ、まだどうと云って形を取った心配がある訳ではなし、子供としては何とも書きようはない筈だけれど、………」 「ただ最近、前より頻繁に手紙を寄越すようになってはいた。やっぱり何かしら淋しい気持がしたのかも知れない。………さて、これでよしと」 ほっとしたように高夏は寝台の端に腰をおろして、葉巻の煙を始めてふかふかと味わうのであった。 「じゃ、まだ子供には何も話してないんだね?───」 「うむ」 「そう云う点が君と僕とは考が違うな、いつも云うことなんだけれど」 「もしも子供に尋ねられたら、僕は正直に云うだろう」 「だって、親の方から云わなかったら、子供がそんなことを切り出せる訳がないじゃないか」 「だからつまり話さないと云う結果になるのさ」 「よくないがなあ、ほんとうに。………いよいよと云う時に突然打ち明けるよりも、前からぽつぽつ因果をふくめて置く方が、却ってその間に覚悟が出来ていいんだがなあ」 「しかし、もううすうすは気が付いているんだよ。僕等も話こそしないが、気が付かれるだけのことは子供の前で見せているんだから、こう云う事があるかも知れない───ぐらいな覚悟は案外ついているかとも思う」 「それなら尚更話すのに楽じゃないか。黙っていられるといろいろなふうに気を廻して、最悪な場合を想像したりするもんだから、それで神経質になるんだ。───もしも君、もうお母さんに会えなくなるんじゃないかと云うような余計な心配をしていたとしたら、話をすると却って安心するかも知れんぜ」 「僕もそう考えなくもないんだがね、………ただどうも、親の身になると子供に打撃を与えるのが厭だもんだから、ついぐずぐずに延ばしてしまって、………」 「君が恐れるほど打撃を受けはしないんだがなあ。───子供と云うものは強いもんだぜ。大人の心で子供を推し測るもんだから可哀そうに思えるんだが、子供自身はこれから成長するのだから、そのくらいな打撃に堪える力は持っているんだぜ。ようく分るように云って聴かしたらあきらめるところはちゃんとあきらめて、理解するに違いないんだが、………」 「それは僕にも分っているんだよ。君の考える通りのことを僕も一と通りは考えたんだ」 ありていに云うと、要はこの従弟が上海から来てくれる日を、半ばは心待ちにもし、半ばは荷厄介にもしていた。不愉快なことは一日延ばしに先へ延ばして土壇場へ追い詰められるまでは云い出し得ない自分の弱い性質を思うと、従弟が早く来てくれたら自然いやいやながらでも前のめり押し出されてカタが附きそうな気がしていたのだが、面と向ってその問題を持ち出されてみると、遠い所に置いてあったものが急に眼の前へ迫った感じで、励まされるよりは怯気がついて、臀込みするようになるのであった。 「で、どうする今日は? 真っ直ぐ僕の家へ来るか」 と、彼は別なことを尋ねた。 「どうしてもいい。大阪に用があるんだけれど、今日でなくっても差支えない」 「じゃ、一と先ず落ち着いたらどうかね」 「美佐子さんは?」 「さあ、………僕が出かける時までは居たが、………」 「今日は、僕を待っていやしないか」 「或はわざと気を利かして出たかも知れんね、自分がいない方がいいと云う風に、───少くともそれを口実にして」 「うん、まあ、それは、───美佐子さんにもいろいろ聞いてみたいんだけれど、その前によく君の方の腹をたしかめて置く必要があるんだ。いったい、いくら近しい間柄でも夫婦の別れ話の中へ他人が這入るのは間違ってるんだが、君たちばかりは自分で自分の始末が付かない夫婦なんだから、………」 「君、昼飯は済んでいるのか」 と、要はもう一度別なことを尋ねた。 「いいや、まだだ」 「神戸で飯を食って行こうか、子供は犬がいるんだから先へ帰るよ」 「小父さん、犬を見て来ましたよ」 そう云いながら、そこへ弘が戻って来た。 「素敵だなあ、あれは。まるで鹿みたいな感じだなあ」 「うん、走らしたら非常に速いぞ。汽車より速いと云うくらいで、あれを運動させるには自転車へ乗って引っ張るのが一番いいんだ。何しろ競馬に出る犬だから」 「競馬じゃあないでしょ、競犬でしょ小父さん」 「やられたね、一本」 「けれどあの犬、ディステムパアは済んでるかしら?」 「済んでるよ勿論、もうあの犬は一年と七箇月になるんだ。───それよりあれをどうして家へ連れて行くかが問題だな、大阪まで汽車で、それから自動車ででも行くか」 「そんなことをしないだって阪急は平気なんですよ。ちょっと頭から風呂敷か何か被せてやれば、人間と一緒に乗せてくれるんです」 「へえ、そりゃハイカラだなあ、日本にもそんな電車があるのか」 「日本だって馬鹿に出来ないでしょう、どうだす、小父さん?」 「そうだっか」 「おかしいや、小父さんの大阪弁は。それじゃアクセントが違ってらあ」 「弘の奴は大阪弁がうまくなっちゃって困るんだよ、学校と家とで使い分けをやるんだから、───」 「そらなあ、僕かって標準語使え云うたら使わんことないけど、学校やったら誰かってみんな大阪弁ばっかりやさかい………」 「弘」 と、要は図に乗ってしゃべりつづけようとする子供を制した。 「お前、犬を受け取ったらじいやを連れて先へお帰り、小父さんは神戸に用があるそうだし、………」 「お父さんは?」 「お父さんも小父さんと一緒だ。小父さんは実は、久しぶりで神戸のすき焼がたべたいと云うんで、これから三ツ輪へ出かけるんだよ。お前は朝がおそかったからそんなに減ってやしないだろう? それにお父さんは少し小父さんと話もあるし、………」 「ああ、そう」 子供は意味を悟ったらしく、顔を擡げて恐る恐る父の眼の色を見た。 その五 「とにかく弘君の一件はどうする気なんだ。話した方がいいにはいいが、話しにくいと云うのだったら、僕が話してやってもいいぜ」 せっかちと云うほどでもないが、テキパキ事務を運んで行く習慣のついている高夏は、三ツ輪の座敷に足を伸ばすとすき焼の鍋の煮えるあいだも無駄に放っては置けないのであった。 「それはいかん、やっぱり僕から話す方が本当じゃないかな」 「そりゃあそうに違いないさ、ただその本当のことを君がなかなか実行しそうもないからさ」 「まあいい、そう云わんで子供のことは僕の勝手にさせてくれ給え。何と云っても彼奴の性質は僕が一番よく知っているんだから。───今日だって君は気がつくまいが、弘の態度は余程いつもと違ってるんだよ」 「どう云う風に?」 「ふだんはあんな風に人の前で大阪弁を使ってみせたり、揚げ足を取ったりするようなことはめったにないんだ。いくら君と親しいからって、あんなにはしゃぐ筈はないんだ」 「僕も少うし元気過ぎるとは思ったんだが、………じゃ、わざとはしゃいでいたのかね」 「そうだよ、きっと」 「どうしてだろう? 無理にもはしゃいで見せなければ僕に悪いと云う風に思ったのかしら?」 「それも多少はあるかも知れない、が、弘は実は君を恐れているんだよ。君が好きではあるんだが、同時にいくらか恐ろしくもあるんだ」 「なぜ?」 「子供は僕等の夫婦関係が何処まで切迫しているのかは知るよしもないが、君が来たと云うことは何かしら形勢に変化が起る前兆だと思っているんだ。君が来なければ容易にわれわれはカタが付かない、そこへ君がカタをつけに来たと、そう思っているんだよ」 「成るほど、じゃあ僕が来るのはあまり有り難くない訳なんだな」 「そりゃあいろいろ土産物を貰うのは嬉しいし、君に会いたいには会いたいんだ。つまり君は好きなんだが、君の来ると云うことが恐ろしいんだよ。そう云うところは僕も弘も全く同じ気持なんで、さっきの話す話さないの一件なんぞも、僕が話すのを厭がるように子供の方でも聞かされるのを厭がっているのは、あれの様子に見えているんだ。弘にしてみると、君と云う人は何を云い出すか分らない、お父さんが云わないでいることを、今に君から宣告されやしないかと、そんなところまで感ぐっているんじゃないかと思う」 「そうか、それでその恐ろしさを胡麻化すためにはしゃいでいたのか」 「要するに、僕も、美佐子も、弘も、三人ながら同じように気が弱いんだ。そうして今では三人共に同じ状態にとどまっているんだ。───正直を云うと、僕にしたって君の来るのが恐ろしくないことはないんだから」 「じゃ、放って置いたらどうなるんだ」 「放って置かれたらなお困るんだ。恐ろしいことは恐ろしいが、何とかカタがついた方がいいには違いないんだから」 「弱ったな、どうも。───阿曽と云う男は何と云っているんだ。君等が駄目なら、その男に積極的に出てもらったら、却って解決が早くはないかな」 「ところがその男もやっぱり同じらしいんだよ。美佐子の方から極めてくれなければ、自分はどうともする訳に行かないと云うんだそうだ」 「まあ、男の立ち場としてはそういうのが当然ではある。でなけりゃ自分が人の家庭を破壊することになるんだから」 「それにもともとこの話は何処までも三人が合意の上のことにしよう、阿曽にも、美佐子にも、僕にも、みんなに都合のいい時を待とうと、そう云う約束なんだからね」 「けれども都合のいい時なんて、一体いつになったら来るんだ。誰か一人が決然たる処置を取らなかったら、そんな時は永久に来るもんじゃない」 「いや、そうでないよ、───たとえばこの三月の学校の休みなんかも、実は一つの機会ではあった。と云うのは、僕は子供が胸一杯に悲しい思いを包みながら、学校の教室なんぞで不意にはらはらと涙をこぼしたりすることを想うと、そいつがとてもたまらないんだ。だから学校が休みでさえあれば、旅行にでも連れて行ってやるとか、活動写真でも見に行くとか、何とでもして紛らしてやることが出来るだろうし、そのうちには少しずつ忘れて行くようになると思うんだ」 「じゃあ、なぜそうしないんだ」 「今月は阿曽が困ると云うんだ。阿曽の兄が来月初旬に洋行するんで、出先にごたごたを起すのもいやだし、兄が日本に居ない方が故障が少いと云う訳なんだ」 「すると今度は夏の休みまで機会がないんだね」 「うん、夏だとずっと休みの期間も長いしするから、………」 「そう云うことを云っているんじゃ、実際際限がないんだがなあ。夏になったら又どんな事情が湧くかも知れんし、………」 肉はないけれども骨太の上に静脈のグリグリしている、男性的に痩せた高夏の手が、酒のせいか重い物をじっと持ちこたえている時のようにふるえていた。彼はその手を鍋の下へ伸ばして、葉牡丹のように重なった葉巻の灰の層をどさりと焜炉の水に落した。 こうしてたまに、二た月に一度か三月に一度ずつ帰って来る従弟を迎えるたびに、常に感じることと云うのは、要は口でこそ「いつ別れる」を問題にしているようなものの、まだほんとうは「別れるか別れないか」さえしっかり決断がついているのではないのである。それを従弟が別れることに極めてしまって、ひたすら時機ばかりを考慮のうちに入れているのは、従弟自身が「別れてしまえ」と云う強硬な意見だからではなく、別れることは最早や動かす可からざる決定であるとして、ただその手段についてのみ相談を受けるからなのである。要は決して心にもない強がりを云うのではないのだが、いつも従弟の顔を見るとその男らしい果敢な気風にかぶれるせいか、自然と自分にも勇気が出て来て、既に覚悟がついているような話しぶりになるのであった。そればかりでなく、彼が従弟の来るのを迎える気持の中には自分で自分の運命を弄ぶことを楽しむ心も手伝っていた。もっと打ち明けて云えば、実行するにはあまりに意志の弱い彼は、別れた場合の空想にばかり耽っているので、その空想が従弟に会うと非常に活溌に、実感を帯びて来ることが愉快なのである。が、そうかと云って、全然従弟を空想の道具に使うつもりではなく、アワよくばその空想から次第に現実を誘導したくもあるのであった。 誰しも離別は悲しいものにきまっている。それは相手が何者であろうとも、離別と云うこと自身のうちに悲しみがあるのである。別れるのに都合のいい時を、手をこまぬいて待っていたとてそんな時が来るものでないと云う高夏の言葉は、その通りに違いあるまい。さすがに高夏は嘗て彼自身が前の妻を離別した時は、要のようにぐずぐずしてはいなかった。別れることに決心すると、或る朝彼は妻を一と間のうちへ呼んで、晩までかかって事細かに理由を述べた。そうして離縁を云い渡して置いてから、最後の別れを惜しむためにその晩じゅう妻と相抱いて泣いた。「女房も泣いたし、僕もおいおい声を放って泣いたよ」と、彼はそのあとで要に語った。今度の事件で要が彼をたよりにするのは、一つには彼にそう云う経験があり、その時の彼のやり方を傍で見ていて羨ましく思ったからではあるが、───成る程、高夏のように悲劇に直面することが出来、泣きたい時には思うさま泣ける性質だったら、定めし後がさっぱりするだろう、あれでなければ離別は出来ないとつくづく思ったからではあるが、しかし要にその真似はやれないのである。東京人の見えや外聞を気にする癖がそう云うところへまで附いて廻って、義太夫語りの態度を醜いと感ずる彼は、顔をゆがめて泣きわめく世話場の中へ自分を置くことに同じ醜さを感ずるのである。彼は何処までも涙で顔をよごさずに、きれいに事を運びたかった。妻の心緒と自分の心緒とが一つの脳髄の作用のように理解し合って別れたかった。それが必ずしも不可能なことでなく思えるのは、彼の場合は高夏の場合と違うからである。彼は去って行く妻に対して何の悪い感情も持たない。二人は互に性的には愛し合うことが出来ないけれども、その他の点では、趣味も、思想も、合わないところはないのである。夫には妻が「女」でなく、妻には夫が「男」でないと云う関係、───夫婦でないものが夫婦になっていると云う意識が気づまりな思いをさせるのであって、もし二人が友達であったら却って仲よく行ったかも知れない。それゆえ要は去ってからでも附き合いをしないと云うのではない。相当の年所をさえ経たなら、過去の記憶に煩いされるところなく、阿曽の妻として、弘の母なる人として、ずいぶん心やすく往復されそうにも感ずるのである。尤もその時になってみると阿曽の手前や世間の眼もあってそうは出来にくいにしてからが、少くとも二人がそういう見透しを持って別れられたら、「別れる」と云う悲しみをどんなに軽くするか知れない。「弘が重い病気にでもなったら、きっと知らして下さるでしょうね。そんな時には見舞いに行ってもいいことにして下さらないじゃ困るわ。阿曽も承知なんですから」と美佐子が云うのは、弘の父の病気の場合をも含めているに違いないし、要の方でも彼女の身に就いて望むところは同じであった。夫婦としては不仕合わせなお互であったにもせよ、とにもかくにも十年に余る歳月のあいだ起き伏しを共にし、子をまで儲けた二人ではないか。それが一旦別れたからと云って、路傍の人を視るようにしなければならないとは、───お互の身に万一のことがあった場合に臨終にさえ会ってならないとは、───そんな理由は何処にあろう。要も美佐子も、別れる時はその心持でありたかった。やがてめいめいが新しい配偶者を持ち、新しい子を儲けるとしたら、その心持がいつまでつづくか分らないにしても、さしあたってはそれが一番気を楽にさせる方法だと思った。 「実は何だよ、こんなことを云うと笑われるかも知れないが、この三月にしようかと云ったのは子供のためばかりではなかったんだよ」 「ふむ?」 と云って高夏は、鍋の中へ眼を落してきまり悪そうに唇で微笑している要を視つめた。 「都合のいい時と云う中には季候のことも考慮しているんだよ。つまりその時の季候の工合で悲しみの程度が余程違う。何と云っても秋に別れるのは一番いけない、一番悲しみの度が強い。いよいよ別れると云う時に、『これからだんだん寒くもなりますし………』と、泣きながら女房がそう云ったんで急に別れるのを止めてしまった男があるんだが、実際そんなことは有り得ると思う」 「誰だい、その男は?」 「いや、そんな話もあると云うことを聞いただけなんだが」 「は、は、君はいろいろそう云う例を方々で聞いて来ると見えるね」 「こう云う時に人はどうするかと思うもんだから、聞くつもりはなくっても耳に這入るようになるんだよ。尤も僕等のような場合はあまり世間に例がないんで、参考になるのは少いんだけれど」 「で、別れるのには今頃の暖かい陽気が一番いいと云うのかい?」 「うん、まあそうなんだ。まだこの頃はうすら寒いことは寒いけれども、しかしだんだん暖かくなる一方だし、そのうちには桜が咲き初めるし、直きに新緑の季節にもなるし、………そう云うコンディションがあったら、比較的悲しみが軽いだろうと思うんだ」 「と云うのは、君の意見なのか?」 「美佐子も僕と同意見なんだよ、『別れるのなら春がいいわね』って、───」 「そりゃ大変だ、すると来年の春まで待たなきゃならないのか」 「夏だってそりゃあ悪くはないがね、………ただ僕の母親が亡くなったのが、あれが七月だったろう? 僕はあの時に覚えがあるんだが、夏の景色と云うものはすべてが明るく生き生きとしていて、眼に触れるものがみんな晴れやかな筈なんだけれど、あの年ぐらい夏を悲しいと思ったことはなかった。僕は青葉の蒸し蒸しと繁っているのを眺めただけでも涙ぐまれて仕方がなかった。………」 「それ見給え。だから春だって同じことなんだ。悲しい時には桜の花の咲くのを見たって涙が出るんだ」 「恐らく僕もそうなんだろうとは思ってるんだが、そう考えるといよいよ時機がなくなってしまって、身動きが出来なくなるもんだから、………」 「結局こいつは、別れないで済むことになるんじゃないかな」 「君はそう云う気がするかね?」 「僕より君はどうなんだ?」 「僕にはどうなるか全く分らない。分っているのは、別れなければならない理由は余りに明かに備わっている、これまででさえうまく行かなかったものが、阿曽との関係が出来てしまった今となって、───それも僕から寧ろすすめてそれを許した今となって、───夫婦でいられる訳はないし、すでに夫婦ではなくなっている、と云う事実だ。僕も美佐子もこの事実を前に置いて、一時の悲しみを忍ぶか永久の苦痛に堪えるか、どっちとも決断が附かずにいる、───決断は附いているんだが、それを実行する勇気がないので迷っているんだ」 「君、こう云う風に考えることは出来ないかしらん?───すでに夫婦でないものなら、別れる別れないと云うことは、云いかえると一緒の家に住むか住まないかと云うだけのことだ、───そう考えたらよっぽど楽になりはしないか」 「もちろん僕は出来るだけそう考えているんだよ、そう考えていてやっぱりなかなか楽でないんだよ」 「尤も子供と云うものもあるからなんだが、子供にしたって父と母とが別々に住むようになるだけで、母を母と呼べなくなると云うんじゃないんだから、………」 「そりゃあね、幾らも世間にはあることなんで、外交官や地方長官なら夫だけが外国へ行っていたり、子供を東京の親戚へ預けたりするのがざらにあるんだし、そうでなくったって中学校もないような田舎の子供はみんな親の傍を離れてるんだから、それを考えたら何でもない、………と、そう思うことは思うんだけれど、………」 「つまり君のはただ君自身の心持が悲しいんだよ。事実は君が感じるほどに悲しくはないんだ」 「だって、悲しみというものは結局みんなそうなんじゃないか、どうせ主観的なものなんだから。………僕等のはお互に憎み合うことの出来ないのがいけないんだね。憎み合えたら楽なんだろうが、両方が両方を尤もだと思ってるんだから始末に悪い」 「なまじ君に相談しないで、二人が駈け落ちしちまうと一番面倒がなかったんだな」 「まだこうならない前のことだが、いっそそうしようかって阿曽が云ったことがあるそうだよ。しかし美佐子は、あたしにそんな真似はとても出来ない、何か麻酔剤でも嗅がしてもらって寝ているあいだに担ぎ出してでもくれなかったら駄目だと云って笑ったそうだが、………」 「わざと喧嘩を吹っかけてみたらどんなもんだ」 「そいつも駄目だね。お互に芝居をしてるのが分ってるんじゃ、『出て行け』『出て行きます』と云うようなことを口先でばかり云い合ったって、いざと云う時急に泣き出しちまうだろうね」 「何しろ手数のかかる夫婦だよ、別れるのにまでいろいろ贅沢を云うんだから。………」 「何かこう、心理的に麻酔剤の役をするものがあればいいんだが、………君はあの時分に芳子さんを心から憎むことが出来たんだろうね」 「憎くもあったが哀れでもあったさ。徹底的に憎み通すと云うようなことは男同士の間でなけりゃないことだからな」 「しかし、こう云うと変だが、くろうとの女は別れるのに別れ易くはないかな。ああ云うぱっぱっとした性質の人だし、過去にも君以外に幾人かの男を知っているんだし、一人になれば気楽に前の商売に帰って行けるんだし、………」 「やっぱり別れる身になってみるとそうも行かんね」 眉の間をかすかに曇らせた高夏は、すぐ又もとの調子で云った。 「それも季候とおんなじ事だよ、別れるのに都合のいい女だの悪い女だのってあるもんじゃないよ」 「そうかしらん? 僕にはどうも娼婦型の女は別れ易くって、母婦型の女は別れにくいような気がするんだが、そう思うのは身勝手かしらん?」 「娼婦型は案外本人が平気なだけに、一層哀れなところもある。立派なところへ縁づいてでもくれるんならいいが、又のこのこと花柳界へ戻って行かれちゃ、それだけ此方も世間が狭くなるからな。僕はそんなことは超越してるが、そう云う風に考えたら貞女も淫婦も悲しくないなんて女はないさ」 ひとしきり孰方も黙り込んで鍋の物を突ッついていた。酒は二人で二本と飲んではいなかったが、その浅い酔いが却っていつまでも顔に火照って、へんに春らしい鈍重な気分だった。 「そろそろ飯にしようじゃないか」 「うむ」 要はむッつりしてベルを押した。 「一体しかし、───」 と、高夏が云った。 「───近代の女はみんないくらかずつ娼婦型になりつつあるんじゃないのかな。美佐子さんなんぞも全然母婦型とは云いにくいな」 「あれは元来は母婦型なんだよ、母婦型の魂を娼婦型の化粧で包んでいるんだ」 「そうかも知れない。───一つにはたしかに化粧のせいだ。この頃の女の顔の作りは多少ともアメリカの映画女優の影響を受けているんだから、どうしたって娼婦型になる。上海なんぞでもやっぱりそうだが」 「それに美佐子のは、僕がなるべく娼婦型にさせるように仕向けた傾きもないことはないんだ」 「そりゃあ君が女性崇拝者のせいなんだろう、フェミニストと云う者は母婦型よりも娼婦型を喜ぶんだから」 「いいや、そうじゃないんだよ。つまり何なんだ、───又問題が前に戻るが、娼婦型にさせた方が別れるのに楽だと思ったんだ。しかしそいつが大違いで、腹からなり切れちまえばいいんだが、附け焼き刃だから肝心な時に母婦の地金が出て来るんで、なお不自然な厭な気がするんだ」 「美佐子さん自身はどう思っているだろう?」 「自分はたしかに悪くなった、昔のように純粋でなくなったと云っている。───それはそうに違いないんだが、一半の責任は僕にあるんだ」 何の事はない、彼女と結婚してからのこの歳月と云うものを、自分は如何にして離縁すべきかと云うことばかり考えつづけて暮らして来たのだ、別れよう別れようの一念しかない夫だったのだ。───ふとそう思うと、要は自分の冷酷な姿がありありと自分に見えるのであった。自分は妻を愛し得ない代りには、決して侮辱を与えないように心がけていたつもりだけれど、女に取ってこれが最も大いなる侮辱でなくて何であろう。こういう夫を持たされた妻の寂しさは、娼婦にも母婦にも、勝気な者にも内気な者にも、何として堪えることが出来よう。……… 「実際あれがほんとうの娼婦型だったら、僕には文句はないんだがな」 「どうだか、それもアテにはならんな。芳子のような真似をされたら君だって我慢が出来やしないぜ」 「そりゃあ、そう云っちゃあ悪いが、ほんとうに商売をしたことのある女はいかんな。それに僕は芸者タイプは好かないんだ。ハイカラな、智的な娼婦型がいいんだ」 「それにしたって、女房になってから娼婦的行為を実行されたら困るじゃないか」 「智的な奴なら、そこは自制力を持ってるだろう」 「君の云うことはどこまでも勝手だよ。そんな虫のいい注文に篏まるような女があるもんか。───フェミニストと云う者は結局独身で通すより外仕方がないんだ、どんな女を持ったところで気に入る筈はないんだから」 「僕も実際結婚には懲りたよ。今度別れたらまあ当分は、───或は一生貰わないでしまうかも知れない」 「そう云いながら、又貰っては失敗するのがフェミニストでもあるんだがね」 二人の会話は、仲居が給仕に這入って来たのでそれきり途切れた。 その六 朝も十時近くになって布団の中で眼を開いた美佐子は、庭の方で子供と犬とが戯れている声を、いつになくのんびりとした心持で聞いていた。「リンディー! リンディー!」「ピオニー! ピオニー!」と、子供はしきりに犬を呼んでいる。ピオニーと云うのは前から飼っているコリー種の牝で、去年の五月に神戸の犬屋から買った時にちょうど花壇に咲いていた牡丹に因んで名をつけたのだが、弘は早速土産のグレイハウンドを曳き出して、そのピオニーと友達にさせようとしているらしい。 「いかん、いかん、そう君のように急に仲好くさせようったって駄目だ。放って置けば自然に好くなるよ」 そう云っているのは高夏である。 「だって小父さん、牝牡ならば喧嘩しないって云うじゃありませんか」 「それにしたってまだ昨日来たばかりだから駄目だ」 「喧嘩したら孰方が強いかしら?」 「そうだな、ほんとに。───ちょうど両方同じくらいな大きさなんでいけないんだな。孰方か小さいと大きい方が相手にしないんで直ぐに仲好くなるんだがな」 その間も二頭の犬は代る代る吠えていた。ゆうべ帰りがおそかった美佐子は、旅の疲れで睡そうにしていた高夏と二三十分しゃべったばかりで、土産の犬はまだ見ていないのだが、あのひいひいと風邪声のようなかすれた声で啼いている方がピオニーであろう。彼女は夫や弘ほどに犬好きではないのだけれど、このピオニーはいつも帰りが十時過ぎになる時には、じいやと一緒に停留所まで迎えに出ていてくれるのである。そして彼女が改札口から現れると、鎖の音をちゃりん! と云わして、いきなり跳び着こうとするのである。彼女はそんな時、じいやを叱って着物に附いた泥足の痕を払いながらも、だんだん犬が前ほどは嫌いでなく、この頃では気が向くと撫でてやったり、ミルクを与えたりなぞしていた。ゆうべ電車を降りた時にも、「ピオニーや、今日はお前のお友達が来たんじゃないの」と、そう云って跳び着いて来る頭をさすった。どうかすると、誰より先に自分の帰りを喜んで迎えるこのピオニーが、夫の家の代表者のように思えもした。 雨戸は気を利かして締めてあるのだが、欄間の障子にぎらぎらしている日ざしの様子では、外は桃の花の咲きそうなうららかな天気になっているらしい。そう云えば今年のお節句には雛人形を飾ったものかどうであろう。彼女は初節句の祝いに人形好きの父親が特別に京都の丸平で拵えてくれた古風な雛を、結婚の時道具と一緒に斯波家へ持って来ているのである。そして関西へ移ってからは土地の風習に従って一と月おくれの四月の三日を節句にしていた。女の子のない家庭ではあり、彼女自身はそんなものに今では大した愛着もないのであるから、そう昔風なしきたりを固守するまでもないのだけれど、実を云うと、京都が近くなったために毎年父親が節句になるとその人形をなつかしがって、わざわざ見にやって来るのである。現に去年も一昨年もそうであったから、今年も多分忘れてはいないであろう。それを思うと、物置きの奥から一年間の埃のたまった幾つもの箱を引きずり出す面倒は忍ぶとしても、又この間の弁天座の時のような窮屈な場面が想像せられて気が重くなって来るのであった。どうかして今年は飾らないで済ませる法はないかしらん? 夫に相談して見ようかしらん? 一体あの雛を自分はこの家を出る時に再び持って行ったものかどうであろう? 残して置かれたら夫は迷惑するのではなかろうか?……… 今になって急にそんなことが気にかかり出したと云うのは、多分今年の桃の節句にはもうこの家にいないであろうとぼんやり思っていたからなのだが、それがこうして寝室の中に籠っていてさえそぞろに春が感ぜられる暖かい陽気になってしまった。美佐子は仰向きに枕へつむりを載せたまま、暫く欄間に映っている明るい日かげへ眼をやっていた。久しぶりに十分な眠りを貪ったので睡気は残っていないのだけれど、手足を伸び伸びとさせているのがいつまででも好い心持で、ちょっとは蓐のぬくもりを捨てることが出来ない。彼女の隣りには弘の蓐が、もう一つ隣りの床の間寄りには夫の蓐が敷いてありながら、その二つともとうに空っぽになっていて、瑠璃色の古伊万里の壺に椿の花の活けてあるのが、夫の枕の向うに見える。今日は高夏と云う客もあるのだし、もう起きなければ悪いのであるが、しかし彼女がこんなにゆっくり朝寝坊をしていられることはめったにないのである。なぜなら夫婦は弘を中にはさんで眠る習慣を、その児が生れた時分から今日までずるずるに改めずにいて、子供が起きると必ず孰方かが起きないではいなかった。そして大概の場合には、夫を寝かして置くために彼女が先に起きるからだった。日曜の朝なぞ少しはゆっくり寝かして置いてもらいたいのに、学校がなくてもやはり弘は七時に起きてしまうので、彼女も一旦は起きなければならない。尤も二三年この方、だんだん体が肥えて来る傾きがあるので、睡眠時間を減らした方がいいと思っているのだし、眼に借りの出来るのはそうまで苦痛に感じていないようなものの、朝寝の快感は又おのずから別である。あまり眠りが足りな過ぎるのも不安になって、たまには睡眠剤の力で昼寝をしようとすることもあるけれども、却って頭が冴えてしまっておちおちと睡れない。一週に一度大阪の事務所へ顔を出す日に、夫がわざと気を利かして子供と一緒に出かけてくれるようなことは、月に二三度あるかないかである。とにかく寝ても寝られないでも、こうして一人寝室を占領していられるのは、近頃珍しいのである。 犬の啼きごえはまだ聞えている。「リンディー」「ピオニー」と、弘は相変らず呼んでいる。その騒々しいのが、いかにも春らしくのどかにひびいて、この五六日好晴をつづけている空の色が想いやられた。いずれ今日のうちには高夏を相手に話さなければならないのだが、それさえ今の彼女には雛人形の程度以上には気苦労の種にならなかった。心配をすれば際限がないから、すべてのことを雛人形を扱うように扱って、いつでも今日のお天気のようにうららかな気分でありたい。彼女はふと、リンディーと云うのはどんな犬かしらと、子供のような好奇心を感じた。そしてようよう、その好奇心に免じて起きようと云う気になった。 「お早う!」 と、肘掛窓の雨戸を一枚だけ開けて、彼女は子供に負けない程の声で叫んだ。 「お早う、───いつまで寝てるんです?」 「何時、もう?」 「十二時」 「うそよ、そんなじゃあないことよ、まだやっと十時頃よ」 「驚いたなあ、このお天気によく今時分まで寝ていられるなあ」 「ふ、ふ、───寝坊をするのにもいいお天気よ」 「第一お客様に対して失礼じゃないですか」 「お客様だと思っていないから大丈夫だわ」 「いいから早く顔を洗って降りていらっしゃい。あなたにもお土産があるんだから」 窓を見上げている高夏の顔は、梅の枝に遮られていた。 「その犬?」 「うん、こいつが目下上海で大流行の奴なんだ」 「素敵でしょ、お母さん、この犬はほんとうはお母さんが連れて歩くといいんですって」 「どうして?」 「グレイハウンドという奴は、西洋では婦人の装飾犬になっているんだ。つまり此奴を引っ張って歩くと一層美人に見えるんだな」 「あたしでも美人に見えて?」 「もちろん見えます、請け合います」 「だけど随分きゃしゃな犬ねえ。そんなのを連れて歩いたら、尚更此方が太っちょに見えちまうわ」 「犬の方でそう云うだろう、この奥様は吾輩の装飾になるって」 「覚えてらっしゃい」 「あはははは」 と、弘も一緒になって笑った。 庭には梅の樹が五六株あった。以前この辺が百姓家の庭であった頃からのもので、早いのは二月の初めから順々に花を持ちつづけて三月中は次から次へ咲いていたのが、今ではあらかた散り果てた中にまだ二三輪は真っ白な粒を光らしていた。二頭の犬は噛み合いをしない程度の隔たりを置いて、その梅の幹へそれぞれつながれているのである。ピオニーの方もリンディーの方も吠え疲れたと云う形で、スフィンクスのような姿勢で下腹をぺったり土へつけたまま、向い合って睨めくらをしていた。梅の枝が幾つも交錯しているのではっきり見定めにくいけれど、夫は洋館のヴェランダにいるらしい。紅茶の茶碗を前にして籐椅子に凭りながら大型の洋書のページをめくっているのが分る。寝間着の上に大島の羽織を纒って、メリヤスのパッチの端を無恰好に素足の踵まで引っ張っている高夏は、庭先へ椅子を持ち出していた。 「そこに繋いで置いて頂戴、今すぐ下へ見に行きますから」 彼女はざっと朝の風呂に漬かってからヴェランダへ出た。 「どうなすったの、もう御飯はお済みになったの?」 「済んじまったよ。待ってたんだがなかなか起きそうもないもんだから」 夫は片手で茶碗を空にささげながら、膝の上にある本を見い見い茶をすすった。 「奥様、お風呂が沸いていますぜ」 と、高夏が云った。 「此処の家じゃあ、奥様は一向あいそがないが、女中の方は感心だ、吾輩のために朝早くから風呂を焚きつけてくれるんだから。僕の這入った跡でもよけりゃあ這入ってらっしゃい」 「這入って来たのよ、今、───あなたの跡だと知らなかったもんだから」 「へえ、それにしちゃあ早かったな」 「大丈夫? 高夏さん?───」 「何が?」 「あなたの跡でも支那の病気がうつらないこと?」 「冗談でしょう、そりゃあ僕よりか斯波君の方だ」 「僕のは内地仕込みだからな、君の奴ほど危険じゃあないよ」 「お母さん、お母さん」 と、庭で弘の呼ぶ声がした。 「リンディーを見にいらっしゃいよ」 「見るのはいいけど、今朝はお前と犬のお蔭で眼がさめちゃったのよ、お母さんは。───朝っぱらから、高夏さんまで一緒になって大きな声で怒鳴るんだもの」 「僕はこう見えてもビジネスマンだからね。上海にいると朝は五時に起きて、オフィスへ出るまでに北四川路から江湾の方までギャロップして来るんだよ」 「今でも馬をやっているのかい?」 「うん、どんな寒い日でも一遍ぐるッと廻って来ないと気持が悪いね」 「犬を此方へ連れて来させたらいいじゃないか」 要はヴェランダの日だまりを動くのが厭だという形で、梅の樹の方へ立って行く二人に云った。 「弘や、お父さんがリンディーを連れていらっしゃいッて」 「リンディー!」 繁みの向うの梅の枝がざわざわと揺いで、ピオニーの方が突然ひいひいしゃがれ声を立てた。 「これ! ピオニー、これ!───小父さん、小父さん、ピオニーが邪魔をして仕様がないから、連れに来て下さいよ」 「いやだよ、ピオニー! ま、そう跳び着いちゃ………いやだったら!」 頬を舐められそうになった美佐子は、庭下駄のまま慌ててヴェランダへ駈け上りながら云った。 「お前はしつッこいからいやさ、ほんとに。───ピオニーなんか連れて来ないでもよかったのに」 「だってお母さん、騒いで仕様がないんですよ」 「犬と云う奴はひどく焼き餅焼きだからね。───」 階段の下に立っているリンディーの傍にしゃがんで、高夏は平手でしきりに犬の喉頸を撫でていた。 「何をしてるんだ。だにでもいるのか?」 「いや、此処をこうしてさすって見給え、実に妙だよ」 「何が妙なんだ」 「こうしているとね、この喉頸のところの手ざわりが、全然人間の此処と同じなんだよ」 高夏は自分の喉を撫でてみては、又犬の喉を撫でた。 「美佐子さん、ちょいと触って御覧なさいよ、うそじゃないから」 「僕触って見よう」 と、母親より先に弘がしゃがんだ。 「やあ、ほんとうだあ、───ちょいとお母さんの喉に触らして、───」 「何だよ、弘、犬とお母さんと一緒にする人がありますか」 「ありますかッて、君のお母さんの肌なんぞとてもこんなにすべすべしちゃいないぜ。この犬に似てたら大したもんだぜ」 「じゃあ高夏さん、私の喉に触ってみて頂戴」 「まあ、まあ、一ぺんこの犬をためして御覧なさい。───どうです? ほら? 不思議でしょう?」 「ふーん、不思議ね、全く。うそじゃないことね。───あなた触って御覧にならない?」 「どれ、どれ」 と云って要も降りて来た。 「成る程、こりゃあ妙だな、人間にそっくりで変な気がするな」 「ね、新発見だろう?」 「毛が短くって繻子のようだもんだから、殆ど毛の感じがしないんだね」 「それに頸の太さがちょうど人間ぐらいなのね。あたしの頸と孰方かしら?」 美佐子は両方の手で輪を作って、犬の頸と自分の頸とを測りくらべた。 「でもあたしより太いんだわ。長くってきゃしゃだもんだから、細いように見えるけれど」 「や、僕と同じだ」 と、高夏が云った。 「カラーだったら十四半だな」 「じゃ、高夏さんに会いたくなったらこの犬の喉を撫でたらいいのね」 「小父さん、小父さん」 弘がわざとそう呼びながら、もう一度犬の傍にしゃがんだ。 「あはははは、『リンディー』を止めて『小父さん』にするか。なあ、弘」 「そうしましょうよ、お父さん。───小父さん小父さん!」 「高夏さん、この犬はあたしの所より、何処か外へ持って行ったら喜ぶ人がありそうだわね」 「なぜ?」 「お分りにならない? あたしちゃあんと知っているのよ。きっとこの喉を撫でてばっかりいる人がありはしなくって?」 「おい、おい、間違いじゃあないのかい、僕の所へ持って来たのは?」 「どうも君たちは怪しからん。子供の前でそう云うことを云うもんじゃないよ。だから子供が生意気になって仕様がない」 「あ、そう云えばお父さん、昨日神戸から連れて来る時に、この犬を見ておかしなことを云った人があるんですよ」 と、弘が話の風向きを変えた。 「へえ、何だって?」 「じいやと二人で海岸通りを歩いていたら、酔っ払いのような人が珍しさうに附いて来て、なんや、けったいな犬やなあ、鱧みたいな犬やなあって、───」 「あはははは」 「あはははは」 「考えたねえ、鱧とは。───成る程鱧の感じだよ。リンディー、お前は鱧だとよ」 「鱧のお蔭で小父さんの方は助かったらしいね」 要が小声で交ぜっ返した。 「だけど、顔の長いところはピオニーもリンディーもよく似ているのね」 「コリーとグレイハウンドとは顔も体つきも大体同じものなんだ。ただコリーの方は散毛でグレイハウンドの方は短毛なんだ。犬の智識のない人にちょっと説明しておきますがね」 「喉はどうなの?」 「喉の話はもう止めます、あまり愉快な発見でなかったから」 「こうして二匹が石段の下に並んでいるところは三越のようね」 「三越にこんなものがあるんですか、お母さん」 「困るなあ、君は。江戸っ児の癖に東京の三越を知らないなんて。それだから大阪弁がうまい訳だよ」 「だって小父さん、東京にいたのは僕が六つの時ですもの」 「へえ、もうそうなるかねえ、早いもんだね。それきり君は東京へ行かないのか」 「ええ。行きたいんだけれど、いつもお父さん一人だけで、お母さんと僕はおいてき堀なんです」 「小父さんと一緒に行かないか、ちょうど学校はお休みだし、………三越を見せてやるぜ」 「いつ?」 「明日か明後日あたり」 「さあ、どうしようかなあ」 それまで愉快にしゃべっていた子供の顔に、ひょいと不安の影がさした。 「行ったらいいじゃないか、弘」 「行きたいことは行きたいんだけれど、まだ宿題がやってないしなあ。………」 「だから宿題を早く済ましておしまいなさいって、この間からお母さんが云ってるじゃないの。一日かかったら出来るだろうから今日じゅうにセッセとやっておしまい。そして小父さんに連れて行ってお戴き。よ、そうおし、そうおし」 「なあに、宿題なんか汽車の中だってやれる、小父さんが手伝ってやるよ」 「幾日向うにいるんです? 小父さん」 「君の学校が始まるまでに帰る」 「何処へ泊まるの?」 「帝国ホテル」 「でも小父さんはいろいろ用がおありになるんじゃないんですか」 「まあ、いやだ、この児は。───折角連れて行って下さるって云うのに、何のかんのって文句を云うことはないじゃないか。ほんとに、高夏さん、御迷惑でも連れて行ってやって下さいよ。二三日いないでくれた方がうるさくなくっていいんですよ」 そう云う母の眼のうちを見ながら、弘は少し青ざめた顔でにやにやしていた。東京へ連れて行くと云う話は、偶然ここで持ち上ったに過ぎないのであるが、それを弘はそう取らないで、あらかじめ諜し合わせておかれたように感じているのに違いなかった。ほんとうに自分を喜ばしてくれるためなら、無論行きたくないことはない。が、東京から帰る汽車の中でこの小父さんが何を云い出すかも知れない。「弘君、今日帰ってももうお母さんは家にいないのだよ。小父さんは君にそのことを話すようにお父さんから頼まれて来たのだ。………」と、そう云われるのじゃないかしらん?───何だかそれが恐ろしくもあり、と云ってあまり子供らしい馬鹿げた想像のようでもあり、大人の心を測りかねて妙にうじうじしているのであった。 「小父さんはどうしても東京へいらっしゃる用があるんですか?」 「なぜ?」 「用がなかったら、家にいつまでも泊まっていらっしゃるといいんだがなあ。その方がみんなが面白いじゃありませんか、お父さんだってお母さんだって」 「家の方にはリンディーがいるからいいじゃないか。お父さんとお母さんは毎日喉を撫でているとさ」 「リンディーじゃあ口をきかないから駄目だあ。ねえ、リンディー、リンディー! お前には小父さんの代りは出来ないねえ」 弘は照れ隠しに又犬の前にしゃがんで、喉をさすってやりながらその横腹へ顔をあてて頬ずりをした。声の調子とその様子とが少し変だった。泣いているのかも知れないと大人たちは思った。家庭の中にどう云う事件が差し迫っているにもせよ、高夏がいるとみんなが呑気に冗談を云える心持になるのは事実であった。それは高夏がそう云う風に仕向けてくれるせいもあるのだが、一つには高夏だけが総べての事情を知っていてくれる、この人の前では芝居をするには及ばないと云うことが、夫婦の胸を軽くしてくれるせいでもあった。美佐子はほんとうに幾月ぶりで夫の高笑いを聞くのであろう。南を受けたヴェランダに差し向いの椅子に凭りかかり、子供と犬との戯れるのを眺めながら日を浴びているこの平和さ、───夫が語り、妻が応じて、遠来の客を迎えつつあるこのまどかさは、世間を欺くと云う必要が除かれたために、却って自然の夫婦らしさがまだ幾らかは残っていることを示していた。そして夫婦は、これがいつまでつづくものではないにしても、こう云う場面に暫く自分たちを休らわせて、ほっと一と息入れたいのであった。 「面白いのかい、その本は? 大分熱心じゃないか」 「面白いよ、なかなか、………」 要は一旦テーブルの上に伏せた洋書を取り出して、それを自分にだけ見えるように顔の前へ立てていた。開いたところの一方のページに裸体の女群が遊んでいるハレムか何かの銅版の挿絵があるのである。 「何しろそいつを手に入れるにゃあケリー・ウォルシュへ何度掛け合いに行ったか知れんぜ。ようようイギリスから取り寄せたと云うんで出かけて行くと、先は足もとを見やがったのか二百ドルが鐚一文も負からない、この本は目下ロンドンにだって二部とはない、それを負けろなんてお前が無理だと抜かすんだ。此方は本の相場なんてものは一向知らんのだし、まあまあそれもそうだろうがと云う訳で、さんざ押し問答をした揚句、やっと一割引かしたんだが、金はその代りキャッシュで即座に払えと云うんだ」 「まあ、そんなに高い本なの?」 「だってお前、これ一冊じゃあないんだぜ、全部で十七冊あるんだぜ」 「その十七冊もある奴を、持って来るのが又一と苦労だったんだよ。オブシーン・ブックだと云う話だし、イラストレーションもあると云うんで、税関に見付かったら厄介だと思って、トランクの中へ押し込んで来たのはいいんだが、そいつが馬鹿に重いもんだから持ち運びが大変で、どのくらい骨を折ったか知れんね。よっぽど駄賃を貰わなけりゃあ合わん仕事だよ」 「大人の読むアラビアン・ナイトって、子供のとまるきり違うんですか、お父さん」 高夏の言葉におぼろげながら好奇心を感じたらしい弘は、さっきから父の手の蔭になった挿絵の方へ探るような眼を光らしていた。 「違うところもあるし、同じところもある。───アラビアン・ナイトと云うものは全体大人の読む本なんだよ。その中から子供が読んでもいいような噺だけを集めたのが、お前たちの持っている奴さ」 「じゃあ、アリババの話はある?」 「ある」 「アラディンと不思議なランプは?」 「ある」 「『開け、胡麻』は?」 「ある。───お前の知っている噺はみんなある」 「英語だとむずかしくはない? お父さんはそれをお読みになるのに幾日ぐらいかかるんです」 「お父さんだって此奴をみんな読みはしないよ。面白そうな所だけを捜して読むんだ」 「しかし読むから感心だよ。僕なんかとんと忘れちまったね。英語なんてものは商売の外には使う時がないんだから」 「それが君、こういう本だと誰でも読む気になるから奇妙だよ、こつこつ字引きを引きながらでも。………」 「いずれ君のような閑人のやる事だな。僕みたいな貧乏人にはとてもそんな時間はないよ」 「だって、高夏さんは成金だって云う話じゃないの?」 「ところが折角儲けたと思ったら、又損をしちゃった」 「どうして?」 「ドルの相場で」 「そう、そう、百八十ドルはいくらになるんだい? 忘れないうちに払って置こうか」 「いいんでしょう? これはお土産なんでしょう?」 「馬鹿云っちゃいけない! そんな高いお土産があるもんか。これは抑も頼まれて買って来たんですよ」 「じゃあ、あたしのお土産は? 高夏さん」 「や、そいつをすっかり忘れていたっけ。ちょっと彼方へ見に来ませんか。どれでもあの中で好いのを上げます」 二人は高夏の部屋に充てられた洋館の二階へ上った。 その七 「まあ、臭い!」 部屋へ這入ると、美佐子はばたばたと袂でその辺の空気をハタいた。そしてその袖で顔をおさえて急いであるだけの窓を開いた。 「臭いわ、ほんとうに、高夏さんは。───今でもあれを召し上るの?」 「ええ、たべますよ。その代り始終この通り上等の葉巻を吸っているんだ」 「葉巻の匂いがごっちゃになってるからなお変なんだわ。まあ、ほんとうに、部屋じゅうに籠っちまって、何ていう臭さだろう。こんな匂いをさせるんなら、うちの寝間着を着ないで頂戴よ」 「なあに、洗濯をすりゃあ直ぐに落ちますよ。着てしまったものを今更脱いだっておんなじ事さ」 庭では別段気がつくほどではなかったのだが、締め切ってあった洋室の中には一と晩じゅう澱んでいた葉巻の匂いと大蒜の匂いとが、むっと鼻を刺すばかりに交っていた。「支那に住んだら支那人と同じように盛んに大蒜をたべるに限る。大蒜さえたべていたら風土病にかかる心配はない」───と、そう云うのが高夏の持論で、上海の彼の厨房では、毎日必ず大蒜入りの支那料理を欠かしたことがないのである。「支那人だったらきっと料理に大蒜を使う。大蒜の匂わない支那料理なんて支那料理のような気がしない」と云って、彼は内地へ帰るのにも乾した大蒜を持って歩いて、ときどきそれをナイフで削ってはオブラートへ包んだりして、持薬のように飲んでいた。胃陽を強くするばかりでなく、エネルギッシュになるんだから止められないと云うのであったが、「高夏が先の女房に逃げられたのは、あんまり大蒜臭かったせいだぜ」と、要は冗談にそう云い云いした。 「後生ですから、もう少し向うへ行っていて頂戴」 「臭かったら、鼻を摘まんでいらっしゃいよ」 そう云って片手でぱっぱっと煙を吐きながら、もう好い加減屑屋へ売っても惜しくなさそうな旅行擦れのしたスーツケースを、寝台の上へ一杯にひろげた。 「まあ、随分買い込んでいらしったのね、まるで呉服屋の番頭みたいに。───」 「ええ、今度は東京へ行くもんだからね。………お気に召したのがあればいいんだが、どうせ又悪口じゃあないのかな」 「あたしに幾つ下さるの?」 「二本か三本に願いたいね。………どうです、これは?」 「地味だわ、そんなの」 「これが地味かなあ。───一体いくつになるんですよ。老九章の番頭の説じゃ、二十二三のお嬢様か若奥様向きだって云ってたんだが」 「そんな、支那人の番頭の云うことなんかアテになりゃしないわ」 「支那人て云うけれど、日本人が大勢買いに行く店で、日本人の好みはよく知っているんですぜ。僕ンところの奴なんかいつでも此処の番頭に相談するんだ」 「でも、あたし、そんなのは厭。───第一それは呉絽じゃあないの」 「慾張ってるなあ。───呉絽なら三本だが、椴子なら二本しか上げられませんよ」 「じゃあ椴子を戴くわ、まだその方がいくらか得だから。───どう? これは?」 「それか?」 「それか?───ッて、何よ?」 「そいつは麻布の一番下の妹にやる積りだったんだ」 「まあ、驚いた、そりゃ鈴子さんがお可哀そうだわ」 「驚いたとは僕の方で云うこッてすよ。こんな派手な帯をしようなんて、色気違いだな」 「ふ、ふ、どうせあたしは色気違いよ」 はっと高夏が思った時はもう遅かったが、美佐子はその場を救うためにわざとずうずうしく笑った。 「や、失言、失言。今のは本員の過ちでありました。唯今の言葉は取り消しますから、速記録へは載せないように願います」 「駄目よ、今更取り消したって。もう速記録へ載ってしまってよ」 「本員は決して悪意で申したのではない。しかし故なく淑女の名誉を傷けたるのみならず、妄りに議場を騒がしたる罪は謹んで陳謝いたします」 「ふ、ふ、あんまり淑女でもないんだけれど、………」 「では取り消さないでもいいですか」 「いいわ、どうせ。───いずれ傷のつく名誉なんだから」 「そう云ったもんでもないでしょう。傷をつけないようにと云うんで、いろいろ苦心してるんでしょう」 「それは要はそうなんですけれど、そんなことを云ったって無理だと思うわ。───昨日何かお話しになったの?」 「うん」 「どう云うんでしょう、要の方は?」 「例によって一向要領を得ないんだ。………」 二人は花やかな帯地の裂が取り散らかされたスーツケースを中に挾んで、寝台の両端に腰をかけた。 「あなたの方はどう云うんです?」 「どうって、そりゃあ、………そう一と口には云えやしないわ」 「だから一と口でなくてもいい、二た口にでも三口にでもして云ってみたら」 「高夏さんは、今日はお暇なの?」 「今日は一日空けてあるんです、その積りで昨日の午後に大阪の用を済まして来たんだから」 「要は今日は?」 「午から弘君を連れて宝塚へでも出かけようかって云ってましたぜ」 「弘には宿題をやらせましょうよ。そうして東京へ連れて行って下さらない?」 「連れて行くのは構わないが、さっき素振りがおかしかったな、泣いていたんじゃなかったのかな」 「そうよ、きっと、あれはああ云う風なんですから。───あたし、どう云う気持になるものか、二三日の間でもいいから一遍子供と云うものを自分の傍から放してみたいの」 「それもいいかも知れないな、その間に斯波君とも十分話し合ってみるこッたな」 「要の考は高夏さんから聞かして下さる方がいいわ。二人で鼻を突き合わせると、どうしても思うように口がきけないの、或る程度まではいいけれど、それ以上に深入りすると涙ばかり出て来ちまって」 「一体しかし、阿曽君の所へ行けることは確かなんですか」 「そりゃ確かだわ。結局のところは二人の決心次第だと思うわ」 「向うの親や兄弟はなんにも知っていないのかしらん」 「うすうすは知っているらしいの」 「どう云う程度に?」 「まあ、要が承知でときどき会っているらしいと云うくらいな程度に」 「見て見ないふりをしてるんですね」 「そうなんでしょう。それより仕方がないんでしょう」 「じゃ、もし問題が現在以上に進んで来たら?」 「それも、まあ、───此方の方が円満に別れたあとの事ならば故障は云わないだろう、お母さんは自分の心持を分っていてくれるからッて、───」 再び庭で二頭の犬がいがみ合いを始めたらしく、きゃんきゃんと啼いた。 「まあ、又!」 と美佐子はちょっと舌打ちをして、膝の上でいじくっていた帯地の巻物をだらりと投げると、立って窓際の方へ行った。 「弘や、犬を彼方へ連れて行ったらいいじゃないの。うるさくって仕様がありゃしない」 「ええ、今連れて行くところなんですよ」 「お父さんは?」 「お父さんはヴェランダ。───アラビアン・ナイトを読んでいらっしゃいます」 「お前、宿題を早くやっておしまい、遊んでいないで」 「小父さんはまだ?」 「小父さんを待っていないだってよござんす。小父さん小父さんてまるで自分の友達のように心得ているんだね、お前は」 「だって、宿題を手伝って下さるって仰っしゃったから───」 「駄目、駄目。何のための宿題です、自分でやらなけりゃいけません!」 「はあい」 と云って、犬と一緒にばたばた駈けて行く足音が聞えた。 「弘君にはお母さんの方が恐いらしいな」 「ええ、要はなんにも云わないんですもの。───けど、別れるとなったら、父親よりも母親の方に別れづらくはないかしら?」 「そりゃお母さんは女の身一つで出て行くんだから、それだけ同情が寄るかも知れんな」 「そう思う? 高夏さんは。───同情はあたし、要の方に集まると思うの。形の上ではあたしが要を捨てたように見えるんだから、世間はあたしを悪く云うでしょうし、子供にしてもそんな噂が耳に這入ればあたしを恨みはしないでしょうか」 「しかし、大きくなれば自然に正しい判断を下すようになりますよ。子供の記憶は確かなものだから、成人してから小さい時の事をもう一度はっきり取り出してみて、これはこうだった、あれはああだったと云う風に、その時の智慧で解釈する。だから子供は油断がならない、いずれ大人になる時があるんだから」 美佐子はそれには答えないでまだ窓際にたたずんだままぼんやり外を眺めていた。梅の木の間を小鳥が一羽、枝から枝へ飛び移っている。鶯かしら? 鶺鴒かしら? と思いながら、暫くそれを眼で追っていた。梅の向うの野菜畑で、じいやがフレームの蓋を開けて、何かの苗を畑へ植えているのが見える。二階からは海は望めなかったが、青々と晴れた海の方角の空を視つめると、何がなしにほっと重苦しいためいきが出た。 「今日は須磨へは行かなくってもいいんですか」 「ふふ」 と彼女は、顔は見せないで、苦笑いで答えた。 「この頃は殆ど毎日だそうじゃないですか」 「ええ」 「会いたいなら行ってらっしゃい」 「あたし、そんなに擦れっからしに見えて?」 「見えると云った方が気に入るのか、孰方かな」 「正直のことを云って頂戴」 「やはり幾らか娼婦型だ、だんだんそうなりつつあると云うことに、昨日意見が一致したんだ」 「自分でもそれは認めているの。───でも今日はいいのよ、高夏さんがいらっしゃるからってそう云ってあるの。───第一お客さまを放って置いちゃ、このお土産に対しても失礼だわ」 「よくそんなことが云えるなあ、昨日は一日いなかった癖に」 「昨日はそりゃあ、要が話があるだろうと思ったから。………」 「それじゃ今日は奥様デーか」 「とにかくあっちの日本間の方へいらっしゃらない? あたしお腹が減っているのよ。上らないでもあなたも見物に来て頂戴」 「帯はどれにきめるんです」 「まだきめてないのよ。あとでゆっくり見せて戴くから、店を拡げてお置きなさいよ。───あなた方は御飯が済んだんだからいいでしょうけれど、あたしはペコペコなんだから。………」 梯子段を降りしなに階下の洋室を覗いて見ると、要はいつかヴェランダから其処へ移ってソファへ仰向けになりながら、まだ熱心にさっきの本を読みつづけていたが、廊下づたいに日本間の方へ行く足音に、 「どうしたい、いいのがあったかい」 と、気のなさそうな声をかけた。 「駄目なのよ。高夏さんは。お土産お土産って触れ込みばかり大きくって、そりゃあしみッたれなんだから」 「しみッたれなもんか、あなたが慾張り過ぎるんだよ」 「だって、呉絽なら三本だが、緞子なら二本だなんて、───」 「それで厭なら、たって差し上げようとは申しません。此方も大きに助かる訳だ」 「ふ、ふ」 半分は上の空らしいあいそ笑いをしただけで、しずかにページを繰る音が聞えた。 「当分はあれに夢中らしいな」 と、廊下を曲りながら高夏が云った。 「ええ、何でも珍しいうちだけで、長つづきはしないのよ。子供に玩具をあてがったようなものなんですから」 美佐子は八畳の茶の間へ這入ると、夫のすわる座布団の上へ客を請じて、自分は紫檀のチャブ台の前にすわりながら、 「お小夜や、トーストを持って来ておくれ」 と、台所の方へ云いつけておいて、うしろの桑の茶箪笥をあけた。 「紅茶がいい? 日本茶がいい?」 「どっちでもいい。何かお菓子のうまいのはないですか」 「西洋菓子なら、ここにユーハイムのがあるわ」 「それで結構。人の食うのをただ見ていたってつまらんからな」 「ああ、ここへ来たんでせいせいしたけれど、でもまだ何だか臭いようね」 「幾らかあなたにも移ったか知れんね。まあ何と云うか、明日出かけて御覧なさい」 「高夏さんと附き合っているうちは来てくれるなって云われそうね」 「だがほんとうに惚れ合った仲なら、大蒜の匂いぐらい何でもない筈だがな。それでなけりゃあうそですよ」 「御馳走様。何を奢って下さるの?」 「そう先廻りをされちゃあ困る。ま、トーストでも上って下さい」 「だけど、この匂いが好きになった方があって?」 「ありましたとも。───芳子なんぞはそうでしたよ」 「へーえ、じゃあ臭いんで逃げられたって云うのはうそ?」 「そりゃあ斯波君の出鱈目だ。今でも大蒜の匂いを嗅ぐと、僕のことを想い出すって云うそうですよ」 「あなたは想い出さない?」 「出さなくもないが、ありゃあ遊ぶには面白いけれど女房にする女じゃない」 「娼婦型?」 「うん」 「じゃあ、あたしとおんなじね」 「あなたのは腹からの娼婦じゃあない。娼婦と見えるのは上ッ面で、しんは良妻賢母だそうだ」 「そうかしらん?」 空っ惚けているのかどうか、たべる方に余念もないと云う様子で、即席のサンドウィッチを拵えるのにかまけている彼女は、縦に二つに切ってある酢漬の胡瓜を細かに刻んでは、それと膓詰とをパンの間へ挾みながら器用な手つきで口の中へ運んだ。 「うまそうだな、それは」 「ええ。うまいわよ、なかなか」 「その小さいのは何だろう」 「これ? これは肝臓のソーセージ。神戸の独逸人の店のよ」 「お客様にはそんな御馳走が出なかったぜ」 「そりゃあそうだわ。いつもあたしの朝のおかずにきまってるんですもの」 「それを僕に一ときれ下さい。菓子よりその方が欲しくなった」 「意地きたなねえ。さあ、口をあーんと開いて。───」 「あーん」 「ああ、臭! フォークにさわらないようにして、パンだけ巧く取って頂戴。………どう?」 「うまい」 「もう上げないわよ、あたしのがなくなっちまうから」 「フォークを持って来させたらいいのに。手ずから人の口の中へ突っ込むなんか、そう云うところが娼婦なんだな」 「文句を云うなら、人の物なんかたべないで頂戴よ」 「しかし昔はこんな無作法がやれる人じゃあなかったんだが、………随分しとやかで、慎しみ深くって、………」 「ええ、ええ、そうでしょうとも」 「あなたのはつまり腹からじゃあなくって、一種の虚栄心なんだな?」 「虚栄心?」 「ああ」 「分らないわ、あたし。………」 「斯波君に云わせると、あなたを娼婦型にしたのは自分が仕向けたんだから、自分に責任があると云うんだが、僕はそうばかりも云えないと思う。………」 「要にそんな責任を負って貰いたくないわ。やっぱり自分の生れつきにそう云うところがあるんだと思うわ」 「そりゃあ、どんな良妻賢母だって全然娼婦的の性質がないことはないさ。けどあなたのは今の結婚生活から来ていやしないか。つまり人から淋しい女だと思われるのが厭なんで、努めて花やかにしようとした結果じゃあないのかな」 「それが虚栄心?」 「やっぱり虚栄心の一種さ。夫に愛せられないのを人に知られたくないと云う………そこまで云っちゃあ悪いかも知れないけれど、………」 「いいえ、ちっとも構いません。どうぞ遠慮なく仰っしゃって頂戴」 「あなたは弱味を見せまいとして強いて花やかにはしているけれど、ときどき生地のさびしいところが出ることがある。外の人は気が付かないでも、斯波君にはそれが分るんじゃないのかな」 「要がいると妙にあたしは不自然になるのよ。要がいる時といない時とで、あたしの態度がいくらか違うとお思いにならない」 「斯波君がいないと、あなたは寧ろ荒んで見えるね」 「高夏さんでさえそうお感じになるくらいだから、きっと厭な気がするだろうと思って、要の前ではどうしても固くなってしまうの。それはどうも仕方がないわ」 「阿曽君の前では無論娼婦型の方が出るんだろうな」 「そうでしょう、きっと」 「夫婦になると、それが案外そうでなくなりはしないかしらん?」 「阿曽とだったら、そんなことはないと思うわ」 「けど、人の細君であるうちは妙によく見えるもんなんだ。今のあなたがたは遊戯の気分でいるんだからな」 「結婚したって遊戯の気分でいられやしない?」 「それがそう行けばいいけれどね」 「そう行くつもりよ、あたしは。───結婚と云うものを非常に真面目に考え過ぎるからいけないんじゃない?」 「じゃあ飽きたらば又別れるか」 「そうなる訳ね、理窟の上では」 「理窟の上でなく、あなた自身の場合には?───」 フォークを動かしていた彼女の手が、胡瓜の一ときれを突き刺したまま急に皿の上で止まった。 「───飽きる時があると思うんですか?」 「あたしは飽きないつもりなの」 「阿曽君は?」 「飽きないとは思うけれど、『飽きない』と云う約束をするのは困ると云うの」 「それでもいいんですか、あなたは?」 「あたしにはその気持はよく分るのよ。そりゃ『飽きない』って云ってしまえばいいんだけれど、自分は恋愛の経験は今度が始めてなんだから、今のところでは永久に変らないような気がしていても、実際それがどうなるものか、先のことは自分にも分っていない。自分に分らないことを約束したって無意味だし、うそをつくのは不愉快だからって云うんですの」 「しかしそう云うもんじゃないがな。先のことなんか考えないで、一途に『飽きない』と云い切れるだけの真剣さがなけりゃ、………」 「それは性質じゃあないかしら。いくら真剣でも、自分を解剖するたちの人だったら、なかなかそうは云えないんじゃない?」 「僕だったら、結果はうそをつくことになってもその時はちゃんと約束するな」 「阿曽は又、なまじ約束なんかすると、それがあるために却っていつも、『飽きやしないか、飽きやしないか』と云う気がするに違いない。自分の性質ではきっとそうなるからって、それを恐れているんですの。だからお互に約束をしないで現在のままで一緒になるのが一番いい。自分の気持を縛らないでくれた方が結局永くつづくからって───」 「そうかも知れないが、どうも少し………」 「何なの?」 「遊戯気分が過ぎるようだな」 「あたしには性格が分っているから、そう云われた方が安心なんだけれど」 「斯波君にはそれを話したんですか」 「話さないわ。今日までこんな話が出る機会もなかったし、話したって無駄なんですから。………」 「だけども、そりゃあ乱暴だなあ、将来の保証もなしに別れると云うのは。………」 自然と声が激して来るのをこらえながらそう云いかけた高夏は、その時両手を膝に置いてしずかに両眼をしばだたいている美佐子に気づいた。 「………僕はそんなんじゃあないと思った。………そう云っちゃあ失礼だが、夫を捨てて行くと云う以上は、もう少し真面目なんだろうと思っていたんだ」 「不真面目じゃあないことよ、あたし。………孰方にしたって別れた方がいいんですから。………」 「だからこうなる前にもっとよく考えりゃあよかったんだ」 「考えたっておんなじ事だわ。夫婦でもないのに此処にいるのは辛いんですもの。………」 両肩を張って、うなじを垂れて、涙を止めるのに一生懸命になってはいたけれど、光った物が一滴膝の上に落ちた。 その八 要はさっきからオブシーン・ブックのオブシーンである所以のところを見付け出そうとしているのだが、彼の手にしている一巻のうちには第一夜から第三十四夜までが収めてあって、菊版で三百六十ページもあるのだから、なかなか捜すのに手間がかかる。挿絵で釣られても中味は案外平凡な話が沢山ある。「ユーナン王とドウバン聖者の話」、「三つの林檎の話」、「ナザレの仲買人の話」、「黒き島に住む若き王の話」、───と、そう云う風に一々標題を漁っただけでは、どれが一番好奇心を充たすに足るものか見当が付かない。もともとこの本は今まで完全な欧洲語訳がなかったと言われる亜剌比亜の物語を、リチャード・バアトンが始めて逐字的に英語に移して、バアトン倶楽部から会員組織で出版した限定版であって、殆ど各ページ毎に附いている親切な脚注を拾い読みして行くと、彼には何の興味もない語学上の研究もあるけれども、中には亜剌比亜の風俗習慣に関する解説や、多少話の内容のうかがわれる記載がないこともない。たとえば「大きく空洞になっている臍は美しいものとされているばかりでなく、幼児にあっては健やかに生い立つ兆であると思われている」と云うのがある。「二枚の門歯───但し上顎部に限る、───の間にほんのかすかな隙間のあるのを、亜剌比亜人は美しいと感ずるのである。どう云う訳か分らないが変化に対するこの種族特有の愛情であろう」と云うのもある。─── 「王様お抱えの理髪師は高位高官の人間であるのが普通であって、それは主権者の生命を指の間に預かる者だからと云う至極尤もな理由に依る。嘗て或る英国の淑女で、そう云う印度の貴族的フィガロの一人と結婚した者があったが、彼女は夫の官職が何であるかを知るに及んで、がっかりして興がさめたと云う話がある」 「東方の回教国では、既婚者と未婚者とを問わず若い婦人の一人歩きを禁じていて、犯す者があれば巡査はそれを捕縛していい権利がある。これは密通を防ぐのに有効な手段であって、嘗てクリミア戦争の時分に、英吉利、仏蘭西、伊太利等の士官が数百人コンスタンチノープルに駐屯していたことがあり、彼等のうちには土耳古の婦人を手に入れたと云って得意になった者も少くなかったが、実はその中に一人の土耳古人もいなかったに違いないと私(バアトン)は信じる。彼等に征服された女は悉くギリシア人か、ワラキア人か、アルメニア人か、さもなければ猶太人である」 「このところはこの美しく物語られた美しい物語中での唯一の汚点で、レーンが此処を訳したために擯斥されたのは一往当然なことである。………」 要ははっとして、とうとう見付けたなと思いながら、急いでその注を読み下した。─── 「………レーンが此処を訳したために………一往当然なことである。しかし此処でもその猥雑さは、われわれの古い時代の舞台のために書かれた戯曲(たとえばシェークスピアのヘンリー五世の如き)に比べてみて大した相違はないであろう。ましてこの夜話のような物語は、男女の席で朗読されたり暗誦されたりするものではないのである」 要はこの注の附いている「バグダッドの三人の貴婦人と門番の話」と云うのを直ぐ読みかけたが、ものの五六行も進んだ時分に茶の間の方から足音が聞えて、そこへ高夏が這入って来た。 「君、アラビアン・ナイトは後にしないか」 「どうしたんだい?」 と云いながら、要はソファから起きようともせず、残り惜しそうに開いたままの本を脚の上に伏せた。 「意外なことを聞いて来たんだよ」 「意外なことって?………」 二三分間、黙って高夏はテーブルのまわりを往ったり来たりした。葉巻の煙が、その歩いたあとに霞のようなすじを曳いた。 「美佐子さんには何も将来の保証がないんだそうじゃないか」 「将来の保証が?………」 「君も呑気だが、美佐子さんも呑気過ぎる。………」 「何だよ一体? 藪から棒でちょっと分りかねるんだが、………」 「阿曽との間に、いつまでも愛情が変らないと云う約束はしてない。阿曽は恋愛と云うものは飽きる時も有り得るんだから、将来のことは約束出来ないと云っているし、美佐子さんもそれを承知だと云うんだ」 「ふうむ、………そう云うことを云いそうな男ではあるんだがね。………」 要はとうとうアラビアン・ナイトを思い切って、やっとソファから身を起した。 「しかし、………僕は直接知らんのだからどうとも云えないが、………そんなことを云う男は不愉快だな。見ように依っては随分悪く取れなくもない」 「けども君、悪い奴なら女の機嫌を取るようなことを云うだろうが、それをそう云わないところに正直さがありはしないか」 「僕はそう云う正直は嫌いだ。正直じゃあない、不真面目なんだ」 「君の性質ではそうだろう。しかしどんなに思い合った仲だっていつかは飽きる時が来る。永久に同じ愛情で通そうと云うのは無理なんだから、約束出来ないと云うのにも理窟はあるよ。僕が阿曽でもやっぱりそう云うかも知れんね」 「それじゃ飽きたらば又別れるでいいのかい?」 「飽きると云うことと、別れると云うこととは別さ。飽きたからって、又おのずから恋愛ではない夫婦の情愛が生ずると思う。大概の夫婦はそれでつながっているんじゃないか」 「阿曽と云う男が立派な人間でありさえすればそれでよかろう。けども飽きたからと云って放り出されたらどうなるんだ。そこの保証が附いていないんじゃあんまり心細いじゃないか」 「まさか、そんな悪い人間じゃあないだろうよ。………」 「一体、こうなる前に秘密探偵にでも頼んで調べたことがあるのかね?」 「秘密探偵に頼んだことはない」 「じゃ外の方法ででも調べたかね」 「別に特に調べると云うようなことはしなかった。………そう云うことは僕は嫌いだし、つい面倒だもんだから、………」 「君と云う人にも呆れるな」 高夏は吐き出すように云った。 「───相手はたしかな人間だと云うから、無論一と通り調べてあるんだと思ったんだが、それじゃあんまり無責任じゃないか。若しも色魔のような奴で、美佐子さんを欺しているんだったらどうするんだい?」 「そう云われると何だか不安になるけれどね。………しかし会った時の感じでは、大丈夫そう云う奴じゃあないよ。それに僕は、阿曽よりも実は美佐子を信じているんだ。美佐子は子供じゃあないんだから、善い人間か悪い人間か見分けるぐらいの分別はあるだろう。美佐子がたしかだと云うんだから、それで安心しているんだ」 「そいつは余りアテにはならんね。女と云うものは悧巧なようでも馬鹿だからな」 「まあ、そう云うなよ、僕は成るべく悪い場合を考えないようにしているんだから」 「そう云うところが君は実にやりっ放しで、変な人だな。そう云う点を曖昧にしておくから別れるのにも思い切りが悪くなるんだ」 「けど、………最初に調べりゃあよかったんだが、今になっちゃあ仕方がないな」 要はまるで他人事のように云い捨てながら、再びものうげにソファへ倒れた。 いったい阿曽と美佐子とのあいだにどれほどの情熱が燃えているものか、要には想像が付かないのである。それを想像することはいくら冷やかな夫であっても面白かろう筈はないので、ときどき好奇心の動くことはありながら、彼は努めてその臆測から眼を閉じていた。そもそもの起りはざっと二年も前のことである。或る日大阪から帰って来ると、ヴェランダで妻と相対している見馴れない一人の客があって、「阿曽さんという方」と美佐子が簡単に引き合わせた。と云うのは、夫は夫、妻は妻で、めいめい交際の範囲を作って自由な行動を取ることがいつしか習わしになっていたので、別にそれ以上の説明は必要でなかったからだけれども、その頃彼女は退屈しのぎに神戸へ仏蘭西語の稽古に行っていて、そこで友達になったらしい話しぶりであった。要には当時ただそれだけが分っただけで、その後妻の身だしなみが前よりは念入りになり、鏡の前に日々新しい化粧道具がふえて行くようになったことなどは、全く見落していたくらい無頓着な夫だったのである。彼が初めて妻の素振りに気が付いたのは、それから一年近くも過ぎてからだった。或る晩彼は、額の上まで夜着をかぶって寝ている妻が、かすかにすすり泣くのをきくと、長いことそのすすり泣きを耳にしながら明りの消えた寝室の闇を視つめていた。妻が夜中に嗚咽の声を漏らすことは、それまでにも例がなかった訳ではない。結婚してから一二年の後、次第に性的に彼女を捨てかけていた当座、かれはしばしば女心の遣る瀬なさを訴えているこの声に脅かされた。そうして声の意味が分れば分るほど、可哀そうだと思えば思うほど、なおさら自分と妻との距離の遠ざかるのが感ぜられ、慰める言葉もないままに黙ってそれを聞きすごしたものであった。彼はこれから生涯のあいだ、何年となく夜な夜なこの声に脅かされることを思うと、もうそれだけでも独り身になりたかったのであるが、いいあんばいに妻は段々あきらめてしまって、それから数年来と云うものはついぞ聞かずに済んでいたのにそれをその晩は久しぶりで聞いたのである。彼は最初は自分の耳を疑い、次には妻の心を訝しんだ。今更になって何を彼女は訴えようとするのであろう。あきらめたように見えたのは実はあきらめたのではなく、いつかは夫の情のかかる折もあろうかと長い歳月をこらえていたのが、とうとう待ちきれなくなったのであろうか。彼は「何と云う馬鹿な女だ」と腹立たしくさえ感じながら、矢張昔のようにだまってそれを聞き過した。が、そののち毎晩のようにすすり泣くのを止めないのが余りにも不思議なので、「うるさいじゃないか」と、一ぺん叱ってみたことがあった。すると美佐子は彼の叱咜をキッカケにして一層声を放って泣いた。「堪忍して下さい、あたしあなたに今日まで隠していたことがあるのよ」───と、その声の下から彼女は云った。それは要には意外でないことはなかったけれども、同時に繋縛を解かれたような、不意に肩の荷が除かれたような気安さを与えないでもなかった。自分はやっとひろびろとした野原の空気を胸一杯に吸うことが出来る、───彼はそう思ったばかりでなく、その時蓐に仰向けになって、実際ふかぶかと肺の底まで息を吸った。彼女の愛は、今までのところでは心臓だけのものであって、それ以上には進んでいないと云うことだったし、彼もその告白を疑いはしなかったけれども、しかしそれにしても道徳的に彼の負いめを相殺するには事が足りた。彼女にそう云うものが出来たのは、自分が仕向けたからではないか、───そう考えると己れの卑劣さを咎めない訳には行かなかったが、正直のところ、いつかはこう云う時の来るのをひそかに望んでいただけであって、そんな望みを口へ出したこともなければ、進んで機会を作ってやった覚えもない。ただどうしても妻を妻として愛し得られない苦しさの余りには、この気の毒な、可憐な女を自分の代りに愛してくれる人でもあったらばと、夢のような願いを抱きつつあったに過ぎない。しかも美佐子の性質を思うと、よもやその夢が事実になろうとは予期していなかったのであった。妻も阿曽の事を打ち明けてから、「あなたにも恋人があるんじゃないの?」ときいた。今では彼女も彼が望むと同じようにそれを望んでいたのであろう。けれど要は、「僕にはそんな者はない」と答えた。彼が彼女に済まない事をしているのは、妻には貞操を守らせながら自分は守っていないと云うこと、───「そんな者はない」にも拘わらず、ほんの一時の物好きと肉体的の要求とから、いかがわしい女を求めに行くと云うことだけだった。要に取って女というものは神であるか玩具であるかの孰れかであって、妻との折り合いがうまく行かないのは、彼から見ると、妻がそれらの孰れにも属していないからであった。彼は美佐子が妻でなかったら、或は玩具になし得たであろう。妻であるが故にそう云う興味が感ぜられなかったのでもあろう。「僕はそれだけ、まだお前を尊敬しているんだと思う。愛することは出来ないまでも慰み物にはしなかったつもりだ」と、要はその晩妻に語った。「そりゃあたしだってよく分っているわ。有りがたいとさえ思っているわ。………だけどあたしは、慰み物にされてでももっと愛されたかったんです」妻はそう云って激しく泣いた。 要は妻のその告白を聞いてからでも、決して彼女を阿曽の方へとそそのかすようにはしなかった。ただ自分には妻の恋愛を「道ならぬ恋」であるとする権利はない、自分はそれが何処まで進展しようとも、是認するより仕方がないと云う意味を云った。が、そう云う彼の態度が間接に美佐子をそそのかす働きをしたことは確かであろう。彼女の求めていたものは、そう云う夫の物分りのよさ、思いやりの深さ、寛大さではないのであった。「あたし自分でもどうしていいか分らないで、迷っているのよ。あなたが止せと云って下されば今のうちなら止せるんです」と彼女は云った。もしその時に圧制的にでも、「そんな馬鹿なことは止せ」と云ってくれたらば、その方がどんなに嬉しかったであろう。「道ならぬ恋」だとは云われないまでも、せめて「為めにならないから」とでも云ってくれたら、それだけで阿曽を思い切りもしたであろう。彼女の望んでいたものはそれであった。自分をこうまで疎んじている夫から、愛されようとは願っていなかったものの、どうにでもして自分の恋を抑えつけてもらいたいのが本心であった。しかし夫は「どうしたらいいでしょう?」と詰め寄って行くと、「どうしていいか僕にも分らない」と、ためいきをつくばかりであった。そうして阿曽の出入りすることにも、彼女の外出が頻繁になり帰りがおそくなることにも、何一つ干渉もしなければ厭な顔も見せなかった。彼女は生れて始めて知った恋と云うものを、自分でどうにか始末するより道がなかった。 すすり泣きのこえがその夜の告白のあったのちにもなおおりおりは寝室の闇にひびいたことがあったのは、この石のようにつめたい夫から突き放されながら、さすが一途に愛慾の世界へ身をおとし込む勇気もなくて、思い余った結果であった。殊に男から手紙が来たり、何処ぞで会って来たりした晩なぞには、夜じゅうしくしくと忍び音に泣くのが夜具の襟から洩れつづけて、明け方になるまで止まなかった。そして或る朝、「ちょいとお前に話がある」と要が彼女を洋館の階下の部屋へ呼んだのは、それから半年ばかりも過ぎた時分だったであろうか。テーブルの上の水盤に支那水仙が活けてあって、電気ストーヴにあたっていたのを覚えているから、何でも冬の、美しく晴れた日のことだった。その前の晩もやはり夜通し泣きつづけて、彼女も要もほとんど寝られなかったので、さし向いになった夫婦は孰方も脹れぼったい眼をしていた。実は要はゆうべのうちにも口を切ろうかと思ったのだが、弘が眼をさます心配もあり、暗い場所だとそれでなくても涙を用意している妻が一層感傷的になりそうなので、わざとさわやかな朝の時間を選んだのであった。「このあいだから考えていたんだがお前に少し相談があるんだ」と、彼が出来るだけ軽快な、ピクニックにでも誘うような気楽な口調で切り出したとき、「あたしもあなたに相談したいことがあるのよ」と、鸚鵡返しに美佐子もそう云って、睡眠不足の眼のふちで微笑しながら煖炉の前へ椅子を寄せた。そして互にその胸の中を打ち明けてみると、二人は大体同じような経過を辿って同じような結論に達していた。とても自分たちは相愛し合うことは出来ない、互の美点は認めているし、性格も理解しているのだから、これから十年二十年を過ぎ、老境にでも入ったらば或は肌が合うようになるかも知れないけれども、そんなアテにもならぬ時を待ったところで仕様がないと夫が云えば、「あたしもそう思う」と妻が答えた。子供の愛に惹かされて自分たちの身を埋れ木にするのが愚かしいと云う考にも二人ながら行き着いていた。けれどそこまでは来ていながら、「別れたいのか」と一方が問えば、「あなたはどう?」と一方が問い返す。つまり孰方も別れた方がいいのを知りつつそれだけの勇気がなく、ただ自分たちの弱い気質を呪っては当惑している状態にあった。 夫の腹の中を云えば自分の方から妻を追い出す理由はないし、積極的に出れば出るだけ寝ざめが悪いに違いないから、なるべくならば受け身でありたい。自分はさしあたり誰と結婚したいと云う相手があるのでもないのだが、妻にはそれがあるのだから、妻の方から覚悟をきめてもらいたかった。ところが妻の云い分は、夫にそう云う相手がなく、自分ばかりが幸福になるのでは別れづらい。自分は夫に愛してもらえなかったとは云え、夫を無情な人だとは思っていない。上を望めば切りのない話だが、ずいぶん世間には不仕合わせな妻も多いことだし、それから見れば自分などは愛せられないと云うだけで外に不足はないのでありながら、その夫を捨て子を捨ててまでもと云うほどの気にはなりきれない。要するに夫も妻も、別れるならば自分の方が捨てられる側になることを願い、どっちも自分が楽な方へと廻りたかった。しかし自分たちは子供でもないのに、何がそんなに辛いのだろう。理性のよしとするものを実行することが出来ないのは、何を恐れているのだろう。結局のところは過去のきずなを断ち切るだけのことではないか。その悲しみはただその刹那のものであって、多くの人の例を見れば、長いあいだにはだんだんうすらいで行くのである。「僕たちは先のことよりも目前の別れが恐いのだね」と、夫婦は語り合って笑った。 要は最後に、「では僕たちは自分たちにも分らないように極く少しずつ別れる手段を取ろうではないか」と云う提議をした。昔の人は離別の悲しみに打ち克てないのは児女の情だと云うかも知れない。けれども今の人間はたとい僅かな苦痛にもせよ、もしそんなものを味わないで同じ結果が得られるならば、その道を取るのを賢いとする。自分たちは自分たちの臆病を耻じるにはあたらない。臆病ならば臆病のようにそれに適応した方策に依って幸福を求めるがいい。そこで要はあらかじめ頭の中へ箇条書きにしておいた下のような条件を出して、「こうしてみたらどうか」と云った。─── 一、美佐子は当分世間的には要の妻であるべきこと。 一、同様に阿曽は、当分世間的には彼女の友人であるべきこと。 一、世間的に疑いを招かない範囲で、彼女が阿曽を愛することは精神的にも肉体的にも自由であること。 一、斯くして一二年の経過を見、愛し合う二人が夫婦になってうまく行きそうな見込みがつけば、要が主となって彼女の実家の諒解を得るようにし、世間的にも彼女を阿曽に譲ること。 一、それ故ここ一二年の間を彼女と阿曽の愛の試験時代とする。もしその試験が失敗し、両者のあいだに性格の齟齬が発見され、結婚しても到底円満に行かないことが認められたら、彼女はやはり従来の通り要の家にとどまること。 一、幸いにして試験の結果が成功し、二人が結婚した場合には、要は二人の友人として長く交際をつづけること。 彼はそれを云い終ったとき、妻の顔色がちょうどその朝の空のようにかがやきに充ちて来るのを見た。彼女は一と言「有りがとう」と云った。その眼瞼からはぽたりと嬉し涙が落ちた。ほんとうにそれは何年ぶりかで心の底からわだかまりが取れ、始めてほっと天日を仰いだと云う風であった。妻のよろこびを知った夫も同じように胸のつかえが下った気がした。連れ添うてから長のとしつき奥歯に物の挾まったような心地でばかり過して来た夫婦は、皮肉にも別れ話の段になってようよう互にこだわりがなく打ち解けることが出来たのである。 云うまでもなくそれは一種の冒険ではあるけれども、しかしそう云う風にして眼をつぶりながら次第に抜き差しのならないハメへ身を落し込んで行くのでなければ、夫も妻も別れる道はないのであった。阿曽もそれには異存のあろう筈はなかった。要は彼にその考を打ち明けたとき、「西洋ならばこう云うことはそうやかましい問題にもならない国があるでしょう。けれど日本の今の社会ではなかなかそうは行きにくいから、この計画を実行するには余程上手に立ち廻らなければならないと思います。それには何よりもわれわれ三人が互にかたく信じ合うことが第一だ。どんなに親しい友達の中でもこの問題ではとかく誤解が起りやすい。われわれはめいめいずいぶんデリケートな関係に立っているのだから、互の感情を傷けないように、そして一人の不注意のために外の二人が窮地に陥ったりしないように、よくよく気をつけて行かなければならない。どうかあなたもそのつもりでいて下さるように」と念を押したが、その相談の結果として阿曽は成るべく要の家庭へは姿を見せないようになり、美佐子の方から「須磨へ行く」ことになったのであった。 その時以来要は二人の関係に文字通り「眼をつぶって」しまった。もうこれでいい、このままじっとしていれば自分の運命はひとりでにきまる。───彼は流れに身をまかせて、事の成り行きが運んでくれるところまで、素直に、盲目に、くッついて行くように努める以外に、自分の意志を働かせようとしなかった。ただそうなってもなお恐ろしいのは試験時代の期間が過ぎて、いよいよと云う最後の時が迫りつつあることだった。いかになだらかに、ずるずるべったりに押し流されて行こうとしても、一度は別離の場面を廻避することは出来ない。見わたしたところ穏かなような船路にも、或る一箇所で暴風帯をくぐらなければならないのである。そこへ来た時は潰っている眼をどうしても開けさせられるのである。そう云う予感は臆病な彼をますます一時逃れにさせ、やりっ放しにさせ、横着にさせる結果となった。 「君は一方では別れるのが辛い辛いと云う、そして一方ではそんな無責任なことをしている、それじゃあだらしがなさ過ぎるな」 「だらしがないのは今に初まったことじゃあないさ。───しかし僕は思うんだが、道徳と云うものは個人々々で皆いくらかずつ違っていていい。人は誰でもその性質に適するような道徳を作って、それを実行するより外に仕方がないね」 「そりゃあその通りに違いないが、───で、君の道徳ではだらしのないのが善だと云うことになるのかね?」 「善ではないかも知れないが、生れつき決断力の乏しい者は強いて性質にさからってまでも決断する必要はない。そう云うことをしようとすると、徒らに犠牲が大きくなって、終局に於いて却って悪いことが起る。だらしのない人間はやはりだらしのない性質に応じて進退する道を考えるべきだ。そこで僕の道徳を今の場合にあてはめると、別れると云うことが終局の善なんだから、最後にそこへ行けさえすれば過程はどんなに廻りくどくっても差支えない、僕は実はもっとだらしがなくっても構わないと思っているんだ」 「そんなことを云っていると、終局の善に達するまでに一生かかってしまうかも知れんぜ」 「ああ、僕は真面目にそれを考えたことがあるんだよ。西洋の貴族の間では姦通は珍しくないという。しかし彼らの姦通というのは夫婦が互に欺き合っているのではなく、暗黙のうちに認め合っている場合、───つまり現在の僕の場合と同じようなのが多いんじゃないか。日本の社会が、許しさえすれば僕は一生この状態をつづけていたっていいんだけれどな」 「西洋だってそんな流儀は時勢おくれだよ、宗教の威力がなくなってしまっているんだから」 「宗教に縛られているばかりじゃあない、やっぱり西洋人にしても過去のきずなを余りに判然と断ち切るのが恐ろしいんじゃないのかな」 「どうしようと君の勝手だが、僕はもう御免を蒙むるぜ」 そうにべもなく云い放ちながら、床に落ちたアラビアン・ナイトを、今度は高夏が拾った。 「なぜ?」 「なぜって、分り切ってるじゃないか。そんな曖昧な離縁話に他人が口を挾みようはないじゃないか」 「そりゃあ困る」 「困るのは仕方がなかろう」 「仕方がなくってもとにかく君に逃げられちゃあ困る。捨てておかれるとなお曖昧になるばかりだ。ね、後生だから頼むよ」 「まあ、まあ、今夜弘君を連れて東京へ行って来るよ」 高夏は取り合わないで、そっけなくページを繰った。 その九 「うぐいすも、都の春にあいたけと、きは淀川へ上り舟、………」 お久は絃を三下りにして地唄の「あやぎぬ」をうたっていた。老人はこの唄が好きなのである。地唄と云うものは概して野暮なものであるのに、この唄には何処か江戸の端唄のような意気なところのあるのが、上方に降参したようでも本来は江戸育ちである老人の趣味に合うのかも知れない。そして「上り舟、………」のあとの合いの手がいい。平凡なようだが、じっと身にしみて聞いていると淀川の水の音がひびくようだと云う。 「………きは淀川へ上り舟、ささえられたる北風に、身はままならぬ丸太ぶね、岸の柳に引きとめられて、歩みならわぬ陸地をも、上りつ戻り幾たびか、一と夜をあかす八軒家、雑魚寝をおこす網嶋の、告ぐる烏か寒山寺、………」 明け放たれた二階の縁からは船着き場に沿うた一とすじの路をへだててもう暮れがたの海のけしきが展けていた。淡の輪がよいの船であろう、「紀淡丸」と記した汽船が桟橋を離れて行くのだが、四五百噸にも足らないほどの船体がぐるりと船首を向き変えるとき、入り江の岸が船尾と擦れ擦れになるくらいにもそこの港は小さいのである。要は縁側に座布団を敷いて、港の出口をふさいでいる砂糖菓子のように可愛いコンクリートの防波堤を眺めた。堤の上の同じように可愛い燈籠にはもう灯がともっているらしいけれど、水の面はまだ浅黄色に明るく、二三人の男の燈籠の根もとにしゃがんで釣りを垂れているのが見える。別に絶景と云うのではないが、しかしこう云う南国的な海辺の町の趣は、決して関東の田舎にはない。そう云えばいつぞや常陸の国の平潟の港に遊んだ時、入り江を包む両方の山の出鼻に燈籠があって岸にはずっと遊女の家が並んでいたのを、いかにも昔の船着場らしい感じだと思ったことがあるのは、かれこれ二十年も前だったろうか。が、平潟の廃頽的なのに比べたら、ここはさすがに晴れやかで、享楽的である。多くの東京人がそうであるように孰方かと云えば出不精の方で、めったに旅行などしたことのない要は、一と風呂浴びて宿屋の欄干に倚っている浴衣がけの自分の姿をかえりみると、ほんの海を一つ越えた瀬戸内の島へ渡ったばかりで、なんだか馬鹿にはるばると来たような心地がする。実を云うと、出がけに老人が誘った折には彼はそんなに気が進んではいなかった。何しろ老人の計画と云うのは、お久を連れて淡路の三十三箇所を順礼しようと云うのであるから、又してもアテられることであろうし、折角の老人の楽しみを邪魔するでもなし、遠慮した方がいいと思ったのに、「なに、そんな気がねには及ばない、私たちは洲本に一日二日泊まって、人形芝居の元祖である淡路浄瑠璃を見物する。それから順礼のいでたちになって霊場廻りをするのだから、せめて洲本まで附き合いなさい」と、老人もすすめればお久も口を添えたので、この間の文楽座の印象もあり、その淡路浄瑠璃につい好奇心が動いたのであった。「まあ、酔興ね、それじゃあなたも順礼の支度をなすったらどう」と、美佐子は眉をひそめたが、可憐なお久が伊賀越の芝居のお谷のようないじらしい姿になるさまを想うと、それと一緒に御詠歌をうたって鈴を振りながら旅をしようという老人の道楽が、ちょっと羨ましくないこともなかった。聞けば大阪の通人なぞのあいだでは、好きな芸者を道連れに仕立てて、毎年淡路の島めぐりをする者が珍しくないと云う。そして老人も今年を皮切りにこれから年々つづけると云って、日に焼けるのを恐れているお久とは反対にひどく乗り気になっているのであった。 「何とか云いましたね、今の文句は?『一と夜をあかす八軒家』か。───その八軒家と云うのは何処にあるんです」 べっこう色の水牛の撥を畳の上にお久が置いたとき、老人は宿の浴衣の上へ、五月と云うのに藍微塵の葛織の袷羽織を引っかけて、とろ火にかけてある錫の徳利にさわってみては、例の朱塗りの杯を前に、気長に酒のあたたまるのを待っていたが、 「成る程、要さんは江戸っ児だから八軒家は知らないだろう」 と云いながら、火鉢の上の銚子を取った。 「昔は大阪の天満橋の橋詰から淀川通いの船が出た。その船宿のあった所なんだね」 「はあ、そうなんですか、それで『一と夜をあかす八軒家、雑魚寝を起す網嶋』ですか」 「地唄と云う奴は長いのは眠くなるばかりであまり感心しないもんだ。やっぱり聞いていて面白いのは、このくらいの長さの唄物に限る」 「どうです、お久さん、何か今のようなのをもう一つ、………」 「なあに、これのは一向駄目なんでね」 と、老人は傍から引き取って、 「年の若い女がやると、唄が綺麗になり過ぎていけない。三味線にしてももっときたなく弾くようにって、いつも云うことなんだけれど、その心持が呑み込めないで、まるで長唄でも弾くような気でいるんだから、………」 「そないお云やすなら、あんた弾いてお上げやすな」 「まあ、いい。もう一つお前がやって御覧」 「かなわんわ、わてエ。………」 お久は甘える子供のように顔をしかめて、つぶやきながら三の絃を上げた。 全く彼女の身になったらば口やかましいこの老人の伽をするのも大概ではなかろう。老人の方では眼にも入れたいほど可愛がって、遊芸の事、割烹の事、身だしなみの事、何から何まで研きをかけて、自分が死んだら何処へなりと立派な所へ縁づけられるように丹精をこめているのだけれど、そう云う時代おくれの躾が若い身空の女に取ってどれほどの役に立つであろう。見る物と云えば人形芝居、たべる物と云えば蕨やぜんまいの煮つけでは、お久も命がつづくまい。たまには活動も見たかろうし、洋食のビフテキもたべたいであろうに、それを辛抱しているのはさすがに京都生れであると、要はときどき感心もすれば、この女の心の作用を不思議に思うこともある。そう云えば老人は、ひところ投げ入れの活け花を覚え込ませるのに夢中であったが、それがこの頃は地唄になって、週に一度ずつ、わざわざ大阪の南の方に住んでいる或る盲人の検校の許まで二人で稽古に行くのである。京都にも相当の師匠はあるのに大阪流を習うというのは、それにも老人の味噌があって、彦根屏風の絵姿などからひねり出した理窟ででもあろうか、地唄の三味線というものは、大阪風に、膝へ載せないで弾くのがいい。どうせ今から習ったのでは上手になろう筈もないから、せめて弾く形の美しさに情趣を酌みたい。若い女が畳の上へ胴を置いて、からだを少しねじらせながら弾いている姿には味わいがある、とそう云っては、お久の三味線を聞くと云うよりも眺めて楽しもうというのであった。 「さあ、そう云わないでもう一つどうぞ、………」 「何にしましょ」 「何でもいいが、なるべく僕の知っているものにして下さい」 「そんなら『ゆき』がいいだろう」 と、老人は杯を要にさした。 「『ゆき』なら要さんも聞いたことがあるだろう」 「ええ、ええ、僕の知っているのは『ゆき』と『くろかみ』ぐらいなもんです」 要はその唄を聞いているうちに、ふと思い出したことがあった。子供の時分、その頃の蔵前の住居と云うのは、今の京都の西陣あたりの店の構えと同じように、表通りは間口の狭い格子造りになっていて、奥の方が外から見たよりはずっと深く、幾間も幾間も細長くつづいている先にちょっとした中庭があり、廊下づたいにそこを越えて行くと、一番奥のどんづまりに又相当な離れがあって、そこが家族の部屋になっていたのであるが、そう云う同じ間取りの家が右にも左にも並んでいたので、二階に上ると、板塀の忍び返しの向うに、隣りの家の中庭が見え、離れ座敷の縁側が見えた。………だが、その時分の東京の下町は、今から思うと何と云う静かさだったであろう。おぼろげな記憶ではっきりしたことは云えないけれども、あの頃ついぞ隣りの家の話声らしいものを聞いたおぼえがない。忍び返しの塀の向うは、まるで人なぞ住んでいないように、いつもしーんとしてカタリと云う物音一つするではなく、ちょうどさびれた田舎の町の士族屋敷へでも行ったような佗びしさであった。ただいつ頃のことであったか、そこからおりおり琴の音につれてかすかに唄うこえが洩れた。その声の主は「福ちゃん」と云う児で、器量よしと云う評判が高かったから要も前から耳にしてはいたものの、それまで一度も顔を見たことはなかったし、見たいと云う気もなかったのを、或る日偶然二階から覗いたとき、多分夏のたそがれであったのだろう、縁側の閾際に座布団を敷いて明け放された葭簀に背中をもたれながら、蚊柱の立つ夕闇の空を見上げているほの白い顔が、ちらと此方を向いた。幼心にもその美しさに胸をつかれて凄い物でも見たように慌てて首を引っ込めてしまったから、どう云う目鼻立ちであったか纒まった印象は残らないながら、初恋と云うにはあまりに淡いあこがれに似た快感が、そののち暫く子供の夢の世界を領した。それは少くとも要の中にあるフェミニズムの最初の萌芽だったであろう。彼は今でもその時の彼女が幾つぐらいの歳ごろであったか見当がつかない。七つ八つの男の児に取っては、十四五の娘も二十歳前後の大人と変りなく見えるものだし、まして痩せぎすの年増のような姿をしていたその児の様子は、ずっと自分より姉に思えた。そればかりでなく、たしか彼女の膝の前には煙草盆が置いてあって、手に長煙管を持っていたような気がするのである。尤もその頃は江戸末期のいなせな風が下町の女に残っていて、要の母なぞも暑い時分は腕まくりなぞをしたものだから、煙草を吸っていたことが大人であったと云う証拠にはならないかも知れない。要の家は四五年してから日本橋の方へ移ったので、彼が彼女を垣間見たのは後にも先にもたった一度だったけれど、でもそれからは琴のしらべと唄のこえとに一としお耳をそばだてるようになって、彼女が好んで繰り返すのが「ゆき」と云う曲であることを、母から聞いた折があった。それは琴唄ではあるが、時には三味線に合わせてもうたう。東京ではあの唄のことを上方唄と云うのだと、母が教えた。 そののち彼はその「ゆき」の唄をふっつり耳にしなかったので、忘れるともなく忘れるままに十何年かを過ごしてから、ひととせ上方見物に来て祇園の茶屋で舞妓の舞いを見た折のこと、久しぶりに又その唄を聞くことが出来ていいしれぬなつかしさを覚えた。舞いの地をうたったのは五十を越えた老妓だったから、声にも一と通りさびがあったし、三味線の音色も鈍く、ものうく、ぼんぼんという渋いひびきで、老人がきたなく唄えと云うのはああ云う味を求めるのであろう。あの老妓のに比べれば成る程お久のは綺麗ごとに過ぎて含蓄がない。けれど昔の「福ちゃん」も矢張美しい鈴のような声でうたったのだから、要に取っては若い女の肉声の方がひとしお思い出をそそるのである。それにあのぼんぼんと云う京風の三味線よりは、お久が弾いている大阪風の三味線の、調子の高いひびきの方がいくらか琴の音をしのばせるよすがにもなる。ぜんたいこの三味線は棹が九つに折れて胴の中へ這入ってしまう別製のもので、お久と一緒に遊山に行くとき、老人はこれを欠かさず持って歩くのであるが、宿屋の座敷でならまだしも、興に乗じると街道の茶店の腰掛でも、満開の花の下でも、いやがるお久を無理に促して弾かせると云う風で、去年の十三夜の月見の晩なぞ宇治川を下る船の中でやらせたのはいいが、そのためにお久よりも老人の方が風邪をひいて、あとで非常な熱を出したりしたことがあった。 「さあ、今度はあんたお唄いやしたら、………」 そう云ってお久は老人の前へ三味線を置いた。 「要さんは『ゆき』の文句の意味がよく分るかね」 と、何気ない体で三味線を取って調子を低く直しながら、内々老人は得意の色をつつむことが出来ないのである。東京時代に一中節の素養があるせいか、地唄のけいこはほんの近年のことだけれども、わりに巧者に弾きもすれば、唄いもして、しろうとが聞けば、とにかく一種の味わいがあった。そして当人もそれを少からず自慢にしていて、いっぱしの師匠のように叱言を云うのが、なおさらお久は助からなかった。 「さあ、いったい昔の唄の文句と云うものは、ぼんやり心持は分るような気がしますけれど、文法的に云ったらば殆ど出鱈目じゃあないんですかな」 「そうだよ、全く。………昔の人は文法なんかは考えない。ぼんやり心持が分る、───その程度で沢山なんだね。そのぼんやりとしているところに却って余韻があるんだね。たとえばこんな文句がある、───」 と、老人はすぐ唄い出しながら、「………『今は野沢の一つ水、澄まぬ心の主にもしばし、すむは由縁の月の影、忍びてうつす窓の内』………それからあとが『広い世界に住みながら』となるんだが、これは男が女の許へ忍んで来るところなんだ。そいつを露骨に云わないで、『すむは由縁の月の影、忍びてうつす窓の内』と、わざと余情を持たせてあるのがいいじゃないか。お久なんぞはこう云う意味を考えないで唄っているから心持が現れない」 「成るほど、伺ってみるとそう云う意味になるかも知れませんが、それを分って唄っている人は幾人もありはしないでしょう」 「分らない人には分らないでいい、分る人だけが分ってくれる、と云った態度で作ってあるのが床しいと思うね。何しろ昔は大概盲人が作ったんだから、それだけにひねくれた、陰気なところがあるんだよ」 酔わないと唄う気になれないと云う老人は、今がちょうど唄いごろの酔い心地であるらしく、自分も盲人のように眼をつぶってあとをつづけた。 年寄りの癖の早寝早起きで、まだ宵の口の八時と云うのにもう老人は床を敷かせてお久に肩を揉ませながら眠りに就いたが、廊下を一つ隔てた部屋に引き取った要は、酒の勢いで無理にも寝入ろうと布団を被ってみたものの、いつもの宵っ張りに馴らされた眼がそう容易にはまどろまないで、長いあいだうとうとしていた。本来ならば彼はこのように一人で一室を完全に占領して眠るのが好きであった。折角安らかに寝ようと思っても同じ座敷に妻が枕を並べていて、例のしくしくとしゃくり上げたりすると、せめて気がねのない所でぐっすり眠りを貪りたさに、一と晩どまりで箱根や鎌倉へ出かけて行っては、それこそほんとうに心置きなく、日頃の疲れを十分に伸ばして体を休ませたものであった。それがこの頃は夫婦が無関心になり切ってしまって互の存在を意に介しなくなった結果、同じ部屋でも平気でめいめいが安眠するような修業が出来、自然一泊旅行に出かける必要もなくなったのであるが、暫くぶりでひとりで寝てみると、廊下を越えてきこえて来る老人夫婦の忍びやかな話ごえの方が、今の妻よりはずっと眠りの妨げになった。と云うのは、さし向いになるとお久に物を云う老人の調子が、まるで別人のように優しく、声音までが変ってしまって、───それもはっきり云うならいいけれど、向うでは又要に遠慮があるのであろう、ひそひそとあたりを憚るように、さも睡たそうに、半分口のうちで、「ふんふん」と甘えるように云うのである。そこへ持って来て、ぱたん、ぱたんと、お久が足腰を揉んでいる音が枕もとへ響いて来て、それがなかなか止みそうもない。老人が何かくどくど云うのに対して、お久の方は言葉少なに「へえへえ」と聞いているらしく、ときどき「何々どす」と答えるそのどすと云う語尾だけがぼんやり聞き取れる。要は他人の夫婦仲の睦まじいのを見ると、自分たちの身に引きくらべてその幸福が羨ましくもあり、他人事ながら嬉しくもあって、決してイヤな気は起さないのが常だけれど、この老人の場合のように三十以上も歳の違った組み合わせのこう云う様子を見せられるのは、予め覚悟していたとは云え、やっぱり多少迷惑でないことはない。まして老人が自分の肉身の親であったら、さぞかし浅ましい気がするであろうと、美佐子がお久を憎む感情が今更分って来るのであった。此方は寝られないままにそんなことを考えているうち、老人は間もなく眠りついたらしく、すうすうと云う寝息が聞えたが、忠実なお久はそれからもまだ按摩の手を休めないで、ぱたん、ぱたんと云う音がようよう止んだのは十時近くであっただろうか。彼はしょざいなさに、向うの部屋の電燈が消えた頃に自分の部屋へ明りをつけた。そして寝ながら端書を書いた。一枚は弘に宛てて、絵端書へ簡単な文句を記したもの。一枚は上海の高夏へ宛てて、これも出来るだけ簡単に、鳴門の海の景色の横へ細字で七八行にしたためたもの。─── その後そちらの御起居如何。 こちらは君に逃げられてしまって、あのまま今以て曖昧模糊。美佐子は相変らず須磨へ出かける。僕は京都の老人のお供で淡路へ来ている。そして大いに見せつけられている。美佐子はお久さんを悪く云うが、しかし中々親切なもんだとアテられながら感心している。 カタが附いたら知らせるが、今のところいつになるやら全く不明。 その十 「お早うございます、よろしゅうございますか、───」 と、廊下に立ち止まって声をかけると、 「ええ、構いません、さあさあ」 と云うので、表の座敷へ這入ってみると、宿の浴衣に市松の伊達巻姿で鏡の前にすわりながら、髷のあたまを梳櫛で撫でているお久の傍に、老人はビラを膝の上に載せて、老眼鏡のケースを開けたところである。晴れ渡った海はじーっと視つめると瞳の前が黒ずんで来るほど真っ青に和いで、船の煙さえ動かないような感じであるが、それでも時たまそよ風を運んで来るらしく、障子の破れが紙鳶の呻りのように鳴って、膝の上のビラがかすかにあおられる。 内務省 免許 淡路源之丞大芝居 洲本町物部常盤橋詰 三日目出物 生写朝がほ日記 □初幕宇治ノ里螢狩ノ段 □明石舟別レノ段 □弓ノ助屋敷ノ段 □大磯揚屋ノ段 □摩耶ヶ嶽ノ段 □浜松小屋ノ段 □戎屋徳右衛門宿屋ノ段 □道行ノ段 太功記十段目(追抱) お俊伝兵衛 (追抱) (追抱) 吃又平 大阪文楽 豊竹呂太夫 一人前五拾銭均一 但シ 通券御持参ノ方ハ参拾銭 「お前、『大磯揚屋の段』と云うのを見たことがあるかい?」 「何の狂言どす、それは?」 「朝顔日記だよ」 「見たことおへん。───そんなとこおすやろか」 「だからさ、こう云う所は文楽あたりじゃあめったに出さないんだと見えるね。次には『摩耶ヶ嶽の段』と云うのがある」 「そら、深雪がかどわかされるとこと違いますか」 「ふん、そうかそうか、かどわかされて、それから浜松の小屋になる。───とすると『真葛ヶ原の段』と云うのがありゃしなかったかい?………ねえ、お前、………」 「………」 光の反射が座敷の四方をきらりと一と廻りした。お久が梳櫛を口にくわえて、一方の手の親指を右の鬢のふくらみの中へ入れながら、合わせ鏡をしたのである。 要は実はまだこの女のほんとうの歳を知らなかった。老人の好みで、風通だとか、一楽だとか、ごりごりした鎖のように重い縮緬の小紋だとか、もう今の世では流行らなくなってしまったものを五条あたりの古着屋だの北野神社の朝市などから捜して来ては、その埃くさいぼろのようなのをいやいやながら着せられて、地味に地味にと作っているので、いつも二十六七に見えるのだけれど、───そして老人との釣り合い上、聞かれればそのくらいに答えるように云いふくめられているらしいけれど、───鏡を支えた左の手の、指紋がぎらぎら浮いている桜色の指先のつやつやしさは、あながち髪の油のせいばかりではなかろう。要は彼女のこう云う姿を見せられるのは始めてであるが、薄着の下にほぼ在りどころが窺われる肩や臀のむっちりとした肉置きは、この上品な京生れの女には気の毒なくらい若さに張り切って、二十二三───と云う歳頃をはっきり語っているのである。 「それから『宿屋の段』のあとに『道行の段』がありますね。───」 「ふん、ふん」 「朝顔日記の道行きと云うのは初耳ですが、しまいに深雪の思いがかなって、駒沢と旅でもするんですか」 「いや、そうじゃない、わたしはこりゃあ見たことがある。───ほれ、『宿屋』の次が大井川の川留めで、あれから深雪が川を渡って、駒沢のあとを追いながら東海道を下るんだよ」 「道行きの相手はいないんですか」 「いや、それがほら、川留めの所へ国もとから駈け付けて来る何助とか云う若党があったね、───」 「関助どすやろ」 もう一度鏡がきらりと光って、癖直しの湯を入れた金盥を片手に、お久は立って廊下へ出た。 「そうそう関助、───あれが附いて行くことになる、つまり主従の道行きだな」 「もうその時は深雪は盲目じゃあないんですね」 「眼があいちまって、もとの侍の娘になって、綺麗ななりをして行くんでね。千本桜の道行きに似ているちょっと花やかないいもんだよ」 芝居はこの町はずれの空地に小屋がけを拵えて、そこで朝の十時ごろから晩の十一時、───どうかすると十二時過ぎまでやっている。とても初めから御覧になるのは大変だから、日の暮れからがちょうどよろしゅうございますと宿の番頭がそう云うのを、いいえ、わたしはこれが目的で来たんだから、朝御飯をすましたら直きに出かけます、お昼と晩はこの重箱に用意して貰いましょうと、それを楽しみの一つにしている老人は例の蒔絵の弁当箱を預けて、幕の内に、玉子焼に、あなごに、牛蒡に、何々の煮しめに、………と、おかずの注文までやかましく云って、それが出来て来ると、 「さあ、お久や、支度をしな」 と、急き立てるのであった。 「ちょっと、此処をきつうに締めとおくれやす」 ごわごわした、折り目から切れて行きそうな地のしっかりした八反の袷のうえに、これも相当に硬張ったものらしく袈裟のようにざくざくする帯を、云われないうちに締め直しにかかっていたお久は、そう云いながら老人の方へ結びめを向けた。 「どうだね、このくらいかね?」 「へえ、もうちょっと、………」 前のめりになろうとするのを腰で粘って受け止めているお久のうしろで、老人は額に汗を浮かした。 「どうも此奴は突っ張っているんで、締めにくいったらない。………」 「そないお云やしたかて、あんたが買うておいでたんやおへんか。わてエかてかなわんわ、しんどうて。………」 「だがいい色をしていますな」 と、同じようにうしろに立ちながら、要は感嘆の声を発した。 「何と云う色だか、この頃の物にはあんまり見ないじゃありませんか」 「なあに、やっぱり萌黄の系統なんで、今の物にもないことはないんだが、こう色がさめて古くなったんで味が出たのさ」 「何ですか、物は?」 「繻珍だろうね。昔の織物は何でもこの通りごりごりしている、今のはどんな物だって大概人絹が這入ってるんだから、………」 乗り物で行くほどでもないのでめいめいが重箱や折詰の包を提げながら出かけたが、 「もう日傘がいりますなあ」 と、お久は照りつけられるのを恐れて手をかざした。日はそのうすい手のひらの撥だこのある小指の肉を傘の紙ほどに赤く透して、暗く翳っている顔が日のあたっている頤の先よりも一層白い。どうせ今度は真っ黒に焼ける、傘なぞ持って来ないがいいと云われながら、手提げの底へ忍ばせて来たアンチソラチンを出がけにそっと、顔、襟、手頸、足頸にまで塗っているのを見た要は、この京女が絹ごしの肌をいたわる苦心をいじらしくも笑止にも感じたが、道楽の強い老人はこまかいことに気が廻るようでいて、自分がこうと云い出したら案外そう云う思いやりが乏しいのである。 「あんた、早う行かんと十一時どすえ」 「ふん、まあちょっと待ちな」 と、ときどき老人は骨董屋の前で立ち止まる。 「ほんまに今日はええお天気どすな」 と、要と一緒にそろりそろり先へ行きながら、お久は晴れわたった空を仰いで、 「こう云う日には摘み草がしとうて、………」 と、不平らしく口のうちで云った。 「全く、芝居よりは摘み草に持って来いと云う日だ」 「何処ぞここら辺に蕨やつくしの生えてるとこおすやろか」 「さあ、この辺は知らないが、鹿ヶ谷の近所の山にいくらだってあるでしょう」 「へえ、へえ、たあんと生えてます。先月は八瀬の方まで摘みに行て、蕗のとうを仰山採って帰りました」 「蕗のとうを?」 「へえ、───蕗のとうがたべたいお云やすけど、京都では市場へ行たかておへん、だあれもあの苦いもんようたべる人おへんよって」 「東京だってみんながみんな食べる訳じゃあありませんがね。───それでわざわざそいつを摘みに行ったんですか」 「へえ、これぐらいの籠に一杯、───」 「摘み草もいいが、田舎の町をぶらぶら歩くのも悪くないですな」 青空の下を真っすぐ伸びている一とすじ路の町通りは、往来の人影が先の先まで数えられるほど朗らかに、たまにすれちがう自転車のベルの音さえのどかである。別に特長のある町ではないが、関西は何処へ行っても壁の色がうつくしい。老人の説だと、関東は横なぐりの風雨が強いので、家の外側はみな板がこいの下見にする。しかもその板がどんな上等な木を使っても直きに黒くよごれてしまうから全体が非常にきたない。トタン屋根にバラックの今の東京は論外として、近県の小都会など、古ければ古いなりに一種のさびが附く筈であるのに、ただもうすすけて陰気なばかりだ。そこへ持って来てたびたびの地震や火事で、焼けた跡に建てられるのは北海松や米材の附け木のように白っちゃけた家か、亜米利加の場末へ行ったような貧弱なビルディングである。たとえば鎌倉のような町が関西にあったとしたら、奈良ほどには行かないとしても、もっと落ち着いた、しっとりとした趣があろう。京都から西の国々の風土は自然の恵みを授かることが深く、天の災を受ける度が少いので、名もない町家や百姓家の瓦や土塀の色にまで、旅人の杖をとどめさせるに足る風情がある。殊に大都会よりも昔の城下町くらいな小さな都市がいい。大阪は勿論、京都でさえも四条の河原があんな風に変って行く世の中に、姫路、和歌山、堺、西宮、と云ったような町は、未だに封建時代の俤を濃く残している。……… 「箱根や塩原がいいなんて云ったって、日本は島国の地震国なんだから、あんな景色は何処にでもある。大毎が新八景を募った時に『獅子岩』と云うのが日本じゅうに幾つあったか知れないそうだが、実際そんなものだろうよ。やっぱり旅をして面白いのは、上方から四国、中国、───あの辺の町や港を歩くことだね」 とある四辻を鍵の手に曲っている佗びた荒壁の塀の屋根の、丸瓦の上からのぞいているうつぎの花を眺めたとき、要は老人のこの言葉をおもい出した。淡路と云えば地図の上では小さい島だし、そこの港のことだから、多分この町は今歩いている一本道で尽きるのであろう。ここを何処までも真っすぐに行くと川の流れへ出る、人形芝居はその向う河岸の河原でやっているのだと、番頭は云っていたから、川まで行けば家並みが終ってしまうのだろう。旧幕の頃には何と云う大名の領地であったか、無論城下と云うほどのものではなかっただろうが、町はその時分の有様とそう変ってもいないように思える。いったい都市の装いが近代的になりつつあると云うことは、国の動脈を成すような大都会に於ける現象であって、そんな都会は一つの国家にそう沢山はあるものではない。亜米利加のような新しい土地は別として、古い歴史を持つ国々の田舎の町は、支那でも欧羅巴でも、天災地変に見舞われない限り文化の流れに取り残されつつ、封建の世の匂いを伝えているのである。たとえばこの町にしても、電線と、電信柱と、ペンキ塗りの看板と、ところどころの飾り窓とを気にしなければ、西鶴の浮世草紙の挿絵にあるような町家を至る所に見ることが出来る。軒の垂木までも漆喰いで包んだ土蔵作りの店の構え、太い角材を惜しげもなく使った頑丈な出格子、重い丸瓦でどっしりとおさえた本葺きの甍、「うるし」「醤油」「油」などと記した文字の消えかかっている欅の看板、土間の突きあたりに吊ってある屋号を染め抜いた紺暖簾、───老人の云いぐさではないけれども、そう云うものはどんなに日本の古い町に情趣を与えているか知れない。要は青空をうしろにして白く冴えている壁の色に、しみじみ心が吸い取られるような気がした。それはあたかもお久の腰に巻かれている繻珍の帯と同じことだ。澄んだ海辺の空気の中で長いあいだ風雨に曝され、自然につやを消された色である。ほっかりと明るく、花やかでありながら渋みがあって、じっと見ていると胸が安まるようになる。 「こう云う昔風の家は奥が真っ暗で、格子の向うに何があるやらまるで分りませんね」 「一つは往来が明る過ぎるんだね、この辺の土はこの通り白ッちゃけているから。………」 ふと要は、ああ云う暗い家の奥の暖簾のかげで日を暮らしていた昔の人の面ざしを偲んだ。そう云えばああ云う所にこそ、文楽の人形のような顔立ちを持った人たちが住み、あの人形芝居のような生活をしていたのであろう。どんどろの芝居に出て来るお弓、阿波の十郎兵衛、順礼のお鶴、──などと云うのが生きていた世界はきっとこう云う町だったであろう。現に今ここを歩いているお久なんかもその一人ではないか。今から五十年も百年も前に、ちょうどお久のような女が、あの着物であの帯で、春の日なかを弁当包みを提げながら、矢張この路を河原の芝居へ通ったかも知れない。それとも又あの格子の中で「ゆき」を弾いていたかも知れない。まことにお久こそは封建の世から抜け出して来た幻影であった。 その十一 淡路の人に云わせると人形浄瑠璃はこの嶋が元祖であると云う。今でも洲本から福良へかよう街道のほとりの市村と云う村へ行けば、人形の座が七座ほどある。昔はそこに三十六座もあったくらいで、俗にその村を人形村と呼んでいる。いつの時代のことであったか、都を落ちて来てこの村に居を構えた公卿が、有りのすさびに傀儡を作りそれを動かしたのが始めで、有名な淡路源之丞と云うのはその公卿の子孫であるそうな。その一家は今日でも村の旧家として通り、立派な邸に住んでいて、この島だけでなく、四国路や中国路まで興行に出かけるのであるが、しかし座を持っているのは源之丞の一族ばかりではない。大袈裟に云えば一村ことごとく義太夫語りか、三味線弾きか、人形使いか、太夫元かでない者はなく、それらの人々は農繁期には畑へ出て働き、百姓の仕事が暇になる季節にそれぞれ一座を組織して島の此処彼処を打って廻る。だからこれこそほんとうの意味での、純粋に郷土の伝統から生れた農民芸術であると云えよう。芝居は大概年に二回、五月と正月とに催されるので、その時分にこの島へ渡れば、洲本、福良、由良、志筑等の町をはじめ、至る所の在所でやっている。大きな町では常設の小屋を借りることもあるけれど、普通は野天に丸太を組んで莚で囲いをするのであるから、雨が降れば入り掛けになる。そう云う訳で淡路にはずいぶん熱心な人形気違いが珍しくなく、その道楽が昂じると、一人で使うことの出来る小さな指人形を持って町から町を門附けして歩き、呼び込まれれば座敷へ上ってさわりの一とくさりを語りながら踊らせて見せると云うようなのもあり、人形を愛するあまりには家産を蕩尽するのは愚か、ほんとうに発狂する者さえもある。ただ惜しいことにそれほどの郷土の誇りもだんだん時勢の圧迫を受けて衰微に向いつつある結果、古い人形が次第に使用に堪えなくなるのに、新しい首を打ってくれる細工人がいなくなった。今人形師と名のつく者は阿波の徳島在に住んでいる天狗久と、その弟子の天狗弁と、由良の港にいる由良亀との三人しかないが、そのうちほんとうに腕の出来ている天狗久は、もう六十か七十になる爺さんで、もしこの人が死んでしまえば永久にこの技術は亡びるであろう。天狗弁は大阪へ出て文楽の楽屋を手伝っているけれど、仕事というのは昔からある人形の直しをしたり、胡粉を塗りかえたりするくらいに過ぎない。由良亀も先代の男はいいものを作ったが、今の代となってからは理髪師か何かを本業として、その片手間に矢張つくろいをするだけである。芝居の方では新しいものが得られないから、古い首を出来るだけ手入れをして使う。それで毎年、盆と暮とには、方々の座の破損した人形が修繕のために人形師の所へ幾十となく集まって来るので、そう云う時に行き合わせれば、こわれた首の一つや二つは安く譲って貰えると云う。 そんな話を何処からか委しく調べて来た老人は、「今度はどうしても人形を手に入れる」と力んでいた。実はこのあいだ文楽で使いふるしたものを譲り受けるようにいろいろ手を廻したのがうまく行かないで、「淡路へ行けば買えますよ」と、人に教えられたのだそうである。そして順礼の道すがらには、芝居を見て廻るばかりでなく、由良の港の由良亀を訪い、人形村の源之丞の家に行き、帰り道には福良から船で、鳴門の潮を見て徳島へ渡り、天狗久にも会って来ようと云うのである。 「要さん、何とのどかなもんじゃあないか」 「のどかですねえ、実に。───」 要は小屋がけの中へ這入るとそう云って老人と眼を見合わせた。のどか、───全く此処の感じは「のどか」の言葉で尽きている。いつであったか四月の末のあたたかい日に壬生狂言を見に行ったとき、お寺の境内のうらうらとした春の気分が桟敷にいてもうっとり睡けを催して、遊んでいる子供たちのガヤガヤ云う話声や、露店で駄菓子やお面を売っている縁日商人のテント張りがびいどろのように日に光るのや、その他いろいろの雑音が舞台で演ぜられている狂言の、間伸びのした悠長な囃しと一つに融けて聞えて来る中で、ついとろとろと好い心持に眠りこけては、又はっとして眼をさます。二度も三度も、とろとろとしてははっと眼をさます。………その同じ事を何度か繰り返すのであるが、眼をさます毎に舞台を見ると、さっきの狂言がまだ続いていて、悠長な囃しが依然として聞え、桟敷の外は相変らず日がうらうらとテント張りに光っていて子供たちがガヤガヤ遊んでおり、長い春の一日はいつになっても暮れることは知らないかのように、………昼寝をしながらまとまりのない夢のかずかずを幾つともなく夢みてはさめ、夢みてはさめしたかのように、………太平の御代の有り難さと云おうか、桃源の国と云おうか、久しぶりに浮世を離れたのんびりとした心持になって、こんなことは幼い時分に人形町の水天官で七十五座のお神楽を見た以来であると思ったが、この小屋掛けの中の気分はちょうどあれと同じである。屋根にも四方にも莚が張ってあるとは云うものの、莚と莚との合わせ目が隙間だらけで、見物席に日光の斑点が出来、ところどころに青空が見えたり河原の草のすいすいと伸びたのが覗いていたりして、あたりまえなら煙草の煙で濁っている筈の場内の空気が、げんげやたんぽぽや菜の花の上を渡って来る風で野天のようにカラリとしている。場席の平土間にあたる所は地べたへござを敷いた上に坐布団が並べてあって、村の子供たちが駄菓子や蜜柑をたべながら芝居の方はそっち除けに、そこを幼稚園の運動場のようにして騒いでいる様子は、やはり里神楽の情趣と変りはない。 「成るほど、これは又文楽とは大分違うね」 三人は弁当の包みを手に持ったまま暫く足も蹈み込めないで、子供たちの跳梁するのをぼんやり立って眺めていた。 「とにかく始まってはいるんですな、人形が動いていますから。───」 要の眼には、その幼稚園騒ぎの向うにチラチラしている光景が、弁天座で見た浄瑠璃劇とは種類の違った、一つのお伽噺の国───何か童話的な単純さと明るさとを持つ幻想の世界───であるように映った。舞台には一面に朝顔の模様のついた友禅の幕が垂れていて、多分序幕の螢狩りのところであろう、駒沢らしい若い侍の人形と、深雪らしい美しいお姫様の人形とが、船の上で扇をかざしながら膝をすり寄せてうなずき合ったり、ささやいたりしている。場面から云えば艶な所であるけれども、太夫の声も三味線のひびきも一向場内に徹らないので、ただその可愛い二人の男女の動くのばかりを見ていると、文五郎などが使うような写実的な感じではなく、人形たちも村の子供と一緒になって、無邪気に、あどけなく、遊んでいるかのようである。 お久は桟敷にしようと云うのを、人形芝居は下から見るに限ると云う意見の老人は「ここがいいね」と殊更土間へ席を取ったので、若葉の萌える頃ではあるが、据わっているとうすい坐布団をへだてて地べたの湿気と底冷えとが感ぜられる。 「おいどがちみとうてかなわんわ」 と、お久は臀の下に布団を三枚も入れながら、 「なあえ、こないなとこにおいやしたら毒どすえ」 と、しきりに桟敷に変ることをすすめるけれど、 「まあまあ、こう云う所へ来てそんな贅沢を云うもんじゃあない。ここで見なけりゃ矢っ張り情が移らないから、つめたいのは辛抱するさ。これも話の種だあね」 と、老人は取り上げるけしきもない。しかしそう云う当人も冷えて来るのがこたえると見えて、錫の銚子をアルコールの炉であたためながら、直ぐもう酒を始めるのであった。 「御覧、この辺の人たちはみんなわれわれのお仲間だね、ああして重箱を持って来ている。───」 「なかなか立派な蒔絵のがありますね。中に這入っているものも、玉子焼きだの海苔巻だの似たようなものばかりじゃないですか。この辺では始終こう云う芝居があるんで、弁当のおかずも自然と一定しているんでしょうな」 「この辺に限ったことじゃあないさ。昔はみんなああだったんで、大阪あたりじゃつい近年までその習慣が残っていたあね。今でも京都の旧家なぞだと、お花見なんかには小僧に弁当と酒を提げさして出かけて行くのがたくさんある。そうして向うでちろりを借りてお燗をつけて、余った酒は又壜に入れて持って帰って酒しおに使うと云うんだが、実際ありゃあいい考だね。江戸っ児に云わせると京都の人はしみッたれだと云うけれど、出先でまずい物を喰うよりその方がいくら悧巧だか知れない。第一材料が分っているから安心してたべられる」 見わたしたところ、追い追い客が詰まって来た土間の彼方此方には、思い思いに輪を作って小さな宴会が始まっていた。日が高いので男の客は少いけれど、町の女房らしいのや娘らしいのがめいめい子供たちを連れて、中には乳呑み児を抱いたりして、彼処に一とかたまり、此処に一とかたまりと云う風に、ところどころに陣を取っては、舞台の芝居には頓着なく、重箱のぐるりにまどいしながらたべているので、その賑かさ、騒々しさと云ったらない。ここの小屋でも煮込みのおでんと正宗ぐらいは売っていて、それで酒盛りを開くのもあるが、大部分の人は皆相当にかさのある風呂敷包みを持参している。明治初年の飛鳥山へでも行ったならば、花見時には定めしこんな光景が見られたであろう。要は蒔絵の組重などと云う物を時代おくれの贅沢品だと思っていたのに、ここへ来て見て始めてそれが盛んに実際に用いられているのを知った。成るほど漆の器の感じは、玉子焼きや握り飯の色どりといかにも美しく調和している。中に詰まっている御馳走がさもおいしそうである。日本料理はたべる物でなく見る物だと云ったのは、二の膳つきの形式張った宴会を罵った言葉であろうが、この花やかな、紅白さまざまな弁当の眺めは、ただ綺麗であるばかりでなく、なんでもない沢庵や米の色までがへんにうまそうで、たしかに人の食慾をそそる。 「冷えるところへ持って来て、酒が這入ったもんだから、………」 と、老人はさっきから二度も三度も小用を足しに立って行った。が、誰よりも困っているのはお久で、実は場所柄が場所柄だから、なるべくそんなことがないように出がけに済まして来たのだけれど、気にするとなお催すものだし、莚の下から背すじの方へ冷めたさが這い上って来るのに加えて、いけぬ口ながら二つ三つ老人の相手をしたり、重箱の物を摘まんだりしたのが覿面に利いて来たのである。 「何処どす?………」 と云って、一度彼女は立ち上ったが、 「お久さんにはとても駄目ですよ」 と、要が戻って来て顔をしかめた。聞けば囲いのしてない所へ肥桶が二つ三つ並べてあって、男も女も立ちながら用を足すのだと云う。 「わてエ………どうしょう?………」 「いいやな、お前、見られるのはお互様だあな」 「それかて、立ったなりで出来ますかいな」 「京都ではよく女がそうしているじゃないか」 「あほらしい。まだそんなことしたことおへんえ」 何処かその辺まで行ったらうどん屋か何かあるだろうと云われて出て行ったお久は、それから小一時間もして帰って来た。町まで行って、うどん屋の前も、めし屋の前も通り過ぎてみたけれど、何だか這入りにくくもあり、何処の店も薄気味が悪そうなので、とうとう宿屋まで歩いてしまって、帰りは俥で戻って来たと云うのである。それにしてもここに来ている若い娘や女房たちはどうするのだろう、みんなあの桶へ行くのだろうかと、余計な心配をしているうちに、やがて三人のうしろの方で迷惑なことが始まった。───子供を抱いたかみさんが、土間の通り路で着物の前を開けさせて、水道の栓を抜いたような音をさせているのである。 「こいつはちっと野蛮過ぎる。弁当をたべている鼻先はひどい」 と、老人もこれには参ったという顔つきである。 舞台の方では見物席の落花狼藉をそ知らぬ風で、何人目かの太夫が床へ上っていた。要は昼の酒が利いたのと、周りの噪音が激しいのとで上気したせいか、ただチラチラと眼に映るものを感じているだけに過ぎないのだが、それでいて決して退屈でもなければ耳触りでもない。この快感はあたかも明るい湯槽の中で、肌はこころよいぬるま湯に漬かっているのに似ている。あたたかい日に布団にくるまってうとうとと朝寝坊をする、───そののんびりした、ものういような、甘いような気分にも似ている。ぼんやり眺めていたあいだに、いつのまにか明石の舟別れの段が済み、弓之助の屋敷も、大磯の揚屋も、摩耶ヶ嶽の段も済んでしまったらしく、今やっているのは浜松の小屋のようだけれど、日はまだ容易にかげりそうなけはいもなく、天井を仰ぐと莚の隙間から今朝来た時と同じ青空が機嫌のよい色を覗かせている。こう云う折には芝居の筋なぞそう気に留める必要はない。ただうっとりと人形の動くのを視つめていれば沢山である。そして見物人たちのガヤガヤ云うのが、一向邪魔にならないのみか、いろいろの音、いろいろの色彩が、万華鏡を見るように、花やかに、眼もあやに入り乱れながら、渾然とした調和を保っているのである。 「のどかですなあ。───」 と、要はもう一ぺんその言葉を繰り返した。 「しかし人形も思いの外だよ、深雪を使っているのなんぞはそう下手でもないじゃないか」 「そうですねえ、もう少し原始的なところがあってもいい筈ですねえ」 「こう云うものは何処でやっても大体型がきまってるんだな、義太夫の文句に変りがない以上、手順が同じになる訳だから」 「淡路特有の語りかた、と云うようなものはないんでしょうか」 「聞く人が聞くと、淡路浄瑠璃と云っていくらか大阪とは違うんだそうだが、わたしなんかには分らないね」 一体、「型に篏まる」とか「型に囚われる」とか云うことを、芸道の堕落のように考える人もあるけれども、たとえばこの農民芸術の所産である人形芝居にしてからが、とにかくこれだけに見られるというのは畢竟「型」があるためではないか。その点ででんでん物の旧劇は民衆的であると云える。どの狂言にも代々の名優の工夫に成る一定の扮装、一定の動作───所謂「型」が伝えられているから、その約束に従い、太夫の語るチョボに乗って動きさえすれば、しろうとたちでも或る程度までは芝居の真似事をすることが出来、見物人もその型に依って檜舞台の歌舞伎役者を連想しながら見ていられる。田舎の温泉宿なぞで子供芝居の余興があったりするとき、教える方もよく教え、覚える方もよくまあこれだけに覚えたものだと感心することがあるけれど、めいめいが勝手な解釈をする現代劇の演出と違って、時代物は依りどころがあるだけに却って女子供にも覚え易いのかも知れない。活動写真などのなかった昔は、やはりそれに代るような便利な方法があったのである。取り分け僅かな設備と人数とで手軽に諸所を興行して歩ける人形芝居は、どれほど地方の民衆を慰めたであろう。こうして見ると旧劇と云うものはずいぶん田舎の隅々にまでも行きわたって、深い根底を据えていることが察せられる。─── 要は朝顔日記の中では誰でも知っている宿屋の段と川留の段とを見たことがあるだけで、「ひととせ宇治の螢狩り」とか「泣いて明石の風待ち」とかいう文句に聞き覚えはあるけれど、その螢狩りや舟別れやこの浜松の小屋の段やを見るのは初めてであった。しかしこの物語は時代物のようであって、時代物に特有な不自然に入り組んだ筋や、残酷な武士道の義理責めなどが少くって、世話物のように素直に明るく、軽い滑稽味さえも加えてすらすらと運んであるのがいい。いつ頃を背景にしたものか、ほんとうにあった事柄かどうか、駒沢と云うのは熊沢蕃山をモデルにしたのだと云うような話を聞いたこともあるが、なんだか徳川時代よりも一と時代前の戦国か室町ごろの物語を読むような所がある。男が女に催馬楽を贈ったり、女がそれを琴で唄ったり、浅香と云う乳母がお姫様のあとを追って苦労をしたりするのなぞは、平安朝のようでもある。それでいて実際に遠いかというのに、一方では可なり通俗味もあり写実味もあって、現にこの場へ出る浅香の順礼姿と云い、彼女のとなえる御詠歌といい、この辺の人には極めてしたしみ深いもので、今でも浅香のような姿であの歌を唄いながら行く女を往々町で見かけることが珍しくないのを思えば、関東の人が浄瑠璃劇を見るのと違って、西国の人は案外自分の身辺に近い事実のように感ずるのであろう。 「いや、これは朝顔日記なんでいけないんだね」 と、老人は何を思い出したのか突然云った。 「玉藻の前とか、伊勢音頭とか、ああ云う物はなかなか大阪とは違っていて面白いそうだよ」 なんでも文楽あたりでは残忍であるとかみだらであるとか云う廉で禁ぜられている文句やしぐさを、淡路では古典の姿を崩さず、今でもそのままにやっている、それが非常に変っていると云う話を老人は聞いて来たのであった。たとえば玉藻の前なぞは、大阪では普通三段目だけしか出さないけれども、此処では序幕から通してやる。そうするとその中に九尾の狐が現れて玉藻の前を喰い殺す場面があって、狐が女の腹を喰い破って血だらけな膓を咬え出す、その膓には紅い真綿を使うのだと云う。伊勢音頭では十人斬りのところで、ちぎれた胴だの手だの足だのが舞台一面に散乱する。奇抜な方では大江山の鬼退治で、人間の首よりももっと大きな鬼の首が出る。 「そういう奴を見なけりゃあ話にならない、明日の出し物は妹背山だそうだから、こいつはちょっと見物だろうよ」 「ですが朝顔日記だって、通しで見るのは始めてのせいか僕には相当面白いですよ」 要には人形使いの巧拙なぞ細かいところは分らないが、ただ文楽のと比較すると、使いかたが荒っぽく、柔かみがなく、何と云っても鄙びた感じのあることは免れられない。それは一つには人形の顔の表情や、衣裳の着せ方にも依るのであろう。と云うのは、大阪のに比べて目鼻の線が何処か人間離れがして、堅く、ぎごちなく出来ている。立女形の顔が文楽座のはふっくらと円みがあるのに、此処のは普通の京人形やお雛様のそれのように面長で、冷めたい高い鼻をしている。そして男の悪役になると、色の赤さと云い、顔立ちの気味の悪さと云い、これは又あまりに奇怪至極で、人間の顔と云うよりは鬼か化け物の顔に近い。そこへ持って来て人形の身の丈が、───殊にその首が、大阪のよりもひときわ大きく、立役なぞは七つ八つの子供ぐらいはありそうに思える。淡路の人は大阪の人形は小さ過ぎるから、舞台の上で表情が引き立たない。それに胡粉を研いてないのがいけないと云う。つまり大阪では、成るべく人間の血色に近く見せようとして顔の胡粉をわざとつや消しにするのだが、それと反対に出来るだけ研ぎ出してピカピカに光らせる淡路の方では、大阪のやりかたを細工がぞんざいだと云うのである。そう云えば成る程、此処の人形は眼玉が盛んに活躍する、立役のなぞは左右に動くばかりでなく、上下にも動き、赤眼を出したり青眼を吊ったりする。大阪のはこんな精巧な仕掛はありません、女形の眼なぞは動かないのが普通ですが、淡路のは女形でも眼瞼が開いたり閉じたりしますと、この島の人は自慢をする。要するに芝居全体の効果から云えば大阪の方が賢いけれども、この島の人たちは芝居よりもむしろ人形そのものに執着し、ちょうど我が児を舞台に立たせる親のようないつくしみを以て、個々の姿を眺めるのであろう。ただ気の毒なのは、一方は松竹の興行であるから費用も十分に懸けられるのに、此方は百姓の片手間仕事で、髪の飾りや着附けがいかにも見すぼらしい。深雪でも駒沢でもずいぶん古ぼけた衣裳を着ている。しかし古着好きの老人は、 「いや、衣裳は此処の方がいいよ」 と云って、あの帯は昔の呉絽だとか、あの小袖は黄八丈だとか、出て来る人形の着物にばかり眼をつけて、さっきからしきりに垂涎している。 「文楽だって以前はこんな風だったのが、近頃派手になったんだよ。興行のたびに衣裳を新調するのもいいが、メリンス友禅や金紗ちりめんみたいなものを使われるんじゃ、打ち壊しだね。人形の着附は能衣裳のように古いほど有難味がある」 と、そう老人は云うのである。 深雪と関助との道行きのあいだに長い一日もとうとう暮れて、その幕がすんだ時分には囲いの外はすっかり暗くなっていた。昼間のうちは殺風景だった小屋の中もいつしかぎっしり客が詰まって、さすがに芝居の夜らしい気分である。ちょうど晩飯の刻限なので、一層さかんな小宴会が彼方でも此方でも初まっている。度ぎつい電球が裸のままでところどころに吊ってあるから明るさも明るいが、眩しいことも非常に眩しい。それに舞台の照明と云うのが、脚光もなければ特別な装置があるのでもなく、同じ裸電燈が天井から垂れているばかりなので、やがて太功記十段目が開くと、人形の顔の胡粉が一度にきらきらと反射し出して、十次郎も初菊もまともに見ることが出来ないような奇観を呈した。しかし太夫はだんだん本職に近いような上手なのが床に上る。それを一方の桟敷から、「どうだ、わしの村の太夫はうまいもんだろう、みんな静かに聞いてくれ」と、同じ村の人らしいのが声援すると、「己の村の何々太夫はもっとうまいぞ、好い加減に引っ込んでくれ」と、一方の桟敷から罵声を飛ばす。酔った勢で見物人の大半がめいめい孰方かへ味方をして村と村との競争が夜が更けるほど激しくなる。さわりの美しい文句へ来ると、どうする連がいろいろの言葉で半畳を入れる。そしてしまいには「あんまりじゃぞえ!」と、みんなが一緒に泣き声を出して感心する。おかしいのは人形使いで、これも晩酌に一杯飲んだあとらしくぽうっと眼のふちを赤くしながら使っているのはいいのだが、女形を使う男なぞは佳境に入ると自分も人形に釣り込まれてへんな身振りをする。それが、文楽あたりでもやることだけれども、ここのは毎日野良で働くのが本業の人たちだから、どす黒く日に焼けた顔に肩衣を着けたのが、又その上をほんのり桜色に染めて、さもいい気持そうにしなを作るばかりでなく、「あんまりじゃぞえ!」を浴びせられると、絃に乗って表情までもして見せる。人形の型にも追い追いと奇抜な手が出て、朝顔日記に失望した老人を喜ばせるようなしぐさがある。太功記の次のお俊伝兵衛では猿廻しの与次郎が寝床の中へ這入ろうとする時、一旦戸締りをした格子を開けて家の前の道傍に蹲踞まりながら小便をする。そこへ何処からか一匹の犬が現れて、与次郎の褌を咬えてぐいぐい引っ張って行くのである。 大阪下りと云う触れ込みで、番附に大きく名を出している呂太夫の「吃又」が始まったのは十時過ぎだったが、それから間もなく見物席でえらい騒ぎが持ち上った。紺の詰め襟の服を着て五六人の仲間と一緒に車坐になって飲んでいた土方の親分風の男が、いきなり土間に立ち上って桟敷の客に「さあ来い」と云いながら喧嘩を買って出たのである。なんでもその前から、見物席が大阪の太夫ということに反感を持つらしい土地ッ児と、そうでないものとの二派に分れて弥次を飛ばしながら、大分おだやかでない形勢になっていたところへ、一方の桟敷から誰かが何か云ったのがその親分の癪に触ったものだと見える。「さあ、野郎、出て来い」と今にも桟敷へ飛びかかろうとする剣幕に、「まあまあ」といって仲間の者が一度にみんな立ち上ってその男をおさえつける。男はますます威丈高に、仁王立ちになって怒号しつづける。外の見物があの男をどうかしろと騒ぎ出す。おかげで折角の真打ちの語り物がとうとう滅茶々々にされてしまった。 その十二 「じゃあ要さん、行って来るからね」 「御きげんよろしゅう。まあ、まあ、ほんとに、お天気のつづくのが何よりです。………お久さんも日に焼けないようにして、………」 「ふ、ふ」 と、笠の内で茄子歯が笑って、 「奥様によろしゅう云うとおくれやす」 朝の八時頃、神戸行きの船が客を乗せている桟橋のところで、要は二人の順礼姿と袂を分つことになった。 「どうぞお気をおつけなすって。───いつごろお宅へお帰りになります?」 「さあ、───三十三箇所を残らず廻っちゃあ大変なんで、いい加減にするつもりだが、───とにかく福良から徳島へ渡って、それから帰ります」 「お土産は淡路人形ですな」 「うん、そう。そのうちに是非京都へ見に来て貰いましょう、今度こそいいのを手に入れるから」 「ええ、ええ、いずれにしても月末時分に一ぺんお邪魔に出るかも知れません、ちょっとあの辺についでもあるんです」 岸を離れて行く船の上から、要は陸に立っている二人の方へ帽子を振った。 迷故三界城 悟故十方空 本来無東西 何処有南北 ───笠の四方にそう筆太に記してある文字が、だんだん小さく読めないようになる。お久がしきりに杖をかざして帽子に答えているのが見える。ああして笠を被った姿を遠くから眺めたところでは、三十以上歳が違ってもそれこそ「本来東西なし」で、いい夫婦づれの順礼のようではないか。───要はそんなことを考えながら、やがてかすかな鈴の音をあとに立ち去って行く二人のうしろかげを見送っていた。「はるばると運ぶ歩みは頼もしや法の華さく寺をたずねて」と、ゆうべ宿の主を師匠に、二人が一生懸命に稽古していた御詠歌の文句が思い出された。老人は昨日、これとお経の読みかたとを習うために惜しいところで妹背山の芝居を切り上げて、九時から十二時近くまで熱心に教わっていたので、要もお附合いに節をおぼえてしまったのである。彼にはその歌の節廻しと、白羽二重の手甲に同じ脚絆を穿いて、上り框で番頭に草履の紐を結んで貰っていたお久の今朝のいでたちとが、かわるがわる心に浮かんだ。最初はほんの一と晩のつもりで附いて来たのが、二晩になり三晩になったのは、人形芝居が面白かったからではあるが、かたがた老人とお久の関係に興味を感じたせいでもある。歳を取ると、なまじ理窟が分ったり神経が働いたりするような女は、うるさくて厭になるのであろう。やはり人形を愛するように簡単に愛し得られる女がいいのであろう。要は自分にその真似が出来ようとは思わないながら、何のかのと物の分った顔をして年中ごたごたをつづけている自分の家庭を顧みると、人形のような女を連れて、人形芝居のような扮装で、わざわざ淡路まで古い人形を捜しに来る老人の生活におのずからなる安楽境のあることが感ぜられて、あんな心持になれたらばとも思うのであった。 今日も申し分のない天気ではあるが、こんな時分に遊山に出かける閑人はあまりいないと見えて、遊覧船風にゆっくりと仕立ててある特等の客室は、二階の西洋間の方も階下の日本室の方もガランとしている。要は手提げ鞄にもたれて畳に両脚を投げ出しながら、海の光が人気のない天井へぎらぎら波紋を走らせるのを眺めていたが、瀬戸内の春のなごやかさはその薄明るい船室に青く映って、ときどき通り過ぎる島かげから、花の匂いが潮の香と共に忍びやかに襲って来るようである。おしゃれと旅馴れないのとで一日二日の旅行にも着換えを用意して出た彼は、帰りは和服で通していたのを、ふと或る事を思いついて誰もいないのを幸いに急いでグレイ・フランネルの背広に着換えた。そして、それから何時間かを過した後に頭の上でガラガラ錨を巻き上げる音が聞えるまで、うとうと眠り通してしまった。 船が兵庫の島上へ着いたのはまだ昼前の十一時ごろであったが、要は真っ直ぐ家へは帰らずに、オリエンタル・ホテルの食堂で三四日振りに脂っこい物を昼食に取り、食後にベネディクティンの一杯を二十分もかかってゆっくりと飲んでから、その浅い酔いのさめきれぬうちに山手のミセス・ブレントの家の前で車を降りて、持っていた蝙蝠傘の握りの端で門の呼び鈴のボタンを押した。 「いらっしゃいまし、この鞄は?───」 「今船から上ったんだ」 「どちらへ?」 「二三日淡路へ行って来た。───いるかい、ルイズは?」 「まだ寝てるかも知れませんよ」 「おかみさんは?」 「おります、彼処に。───」 ボーイの指さす廊下の突きあたりの、裏庭へ下りる階段のところに、此方へ背中を向けたままミセス・ブレントは腰かけていた。いつもは声を聞きつけると、二十三四貫はありそうな太った体をもてあつかいながら、ずしりずしり二階を降りて来て、おあいその一つも云うのであるのに、今日はどうしたのか振り向きもしないで庭を見ている。開港当時に建てられたかと思われる、天井の高い、ひっそりと暗い、間取りのゆったりした家で、昔は立派な洋館だったのに違いないのが、久しく手入れをしないままに化け物屋敷のように荒れているけれど、廊下から見るとその雑草の生い茂った裏庭にも五月の青葉の明るさが充ちて、逆光線を受けているかみさんの灰色のちぢれ毛を、一とすじ二たすじ銀色に透き徹らせている。 「どうしたんだい、おかみさんは? 彼処で何を見てるんだい?」 「へえ、今日は機嫌が悪ござんしてね、さっきから泣いているんですよ」 「泣いている?」 「へえ、ゆうべ国もとから弟が死んだと云う電報が這入ったもんですから、すっかり力を落しちまって、───可哀そうに、今日は朝から好きな酒も飲みゃあしません。何とか云ってやって下さい」 「今日は」 と、要は彼女のうしろに寄って声をかけた。 「どうしたの? マダム。弟が死んだと云うじゃないか」 庭には紫の花をつけた大きな栴檀の樹があって、その樹の蔭のじめじめしたところに、雑草と交って薄荷が沢山生えていた。羊の料理を拵えたりポンチ酒を作ったりする時にその葉を使うのだからと云って、蔓るままにしてあるのだが、白いジョウゼットのハンケチを顔にあてながら黙って地べたを視つめている彼女は、薄荷の匂いがしみたかのように眼のふちを赤くしていた。 「ねえ、マダム、………たいへんあなたを気の毒に思います」 「有りがとう」 幾重かの深い皺に囲まれた、皮のたるんだ眼の中から涙が光の点線になってきらきらと落ちた。西洋の女は泣き虫だと云うことを聞いていたものの、こんなところを見るのは初めての要は、悲しい歌のしらべでも耳に馴れない外国のものはその悲しさが異様に強く感ぜられるのと同じように、妙にしみじみと哀れさがこたえた。 「弟は何処で死んだのかね?」 「加奈陀で」 「いくつになるの?」 「四十八か、九か、それとも五十か、多分そのくらいになっていたでしょう」 「まだ死なないでもいい歳だのに。───それじゃあなたは加奈陀へ行かなけりゃならないんだろう?」 「いいえ、止める、行ったって仕様がないんだから」 「その弟と何年会わなかったんです」 「もう二十年ばかりになります、───千九百九年に、倫敦にいた時会ったのが最後でした、手紙は始終やりとりをしていましたけれど。………」 弟の歳が五十だとすると、このかみさんは今年幾つになるのであろう。考えてみれば要が彼女を知ってからでもすでに十年以上になる。まだ横浜が地震で今のようにならなかった時分、彼女は山手と根岸とに邸を構えて、いつも両方に女を五六人ずつは置いていた。神戸のこの家もその頃から別荘のようになっていたばかりでなく、そういう出店を上海や香港あたりにも持って、日本と支那とを股にかけてときどき往ったり来たりしながら、ひとしきりは可なり手広くやっていたのに、それがいつのまにか、彼女の肉体のおとろえると共に商売の方もだんだん振わなくなってしまった。世界戦争から此方、日本の外国商館は次第に内地の貿易商に仕事を取られてぽつぽつ本国へ引き上げてしまうし、観光客にも昔のように馬鹿なお金を使うようなのが来なくなったのが悪いんだと、当人は云うのだが、あながちそればかりが不振の原因ではないであろう。要がはじめて知った時分には、彼女は今ほど耄碌してはいなかった。生れは英吉利のヨークシャアで、何とか云う女学校を出て、立派な教育を受けたと云うのを自慢にして、日本に十何年もいながらどんな時にも日本語は一と言もしゃべったことがなく、大概な女たちが植民地英語しかしゃべれない中で彼女一人が正確な英語を、それも殊更むずかしい単語や云い廻しを使い、仏蘭西語も独逸語も流暢に話した。そしてさすがに女将株の貫目もあり、活気もあり、何処やらにまだ姥桜の色香さえもあって、西洋人と云うものは幾つになっても若いものだと感心させたのに、そののち少しずつ気が弱くなり、記憶力が乏しくなり、女子供にも押しが利かなくなってから、急に目に見えて年を取るようになったのである。以前はお客をつかまえて、昨夜は何処の国の侯爵がお忍びでいらしったなどと法螺を吹いたり、英字新聞をひろげながら母国の東洋政策を論じて煙に巻いたりしたものだけれど、この頃ではとんとそう云うヤマ気はなく、ただうそをつく癖だけが病気のようになってしまって、直に底の割れるようなことばかりを云う。あの威勢のよかったかみさんが、どうしてこんなになったのか不思議な気がするが、恐らく酒のせいなのだろうと、要はそう思うことがあった。実際頭の働きが鈍くなって、体がぶくぶく膨れるのと一緒に、彼女の過すウイスキーの量はますます増して行く一方で、酔っても昔はしまりがあったのに、今では更にたわいがなく、朝からせいせいと息を切らせているし、ボーイの話では月に二三度は人事不省になると云うし、血圧の高い人間の標本のような恰好をして、いつぼっくりと行ってしまうかも知れないのである。そんなふうだから、世間の景気不景気に拘わらず、此処の家が繁昌する筈はないので、気の利いた女は借金を蹈み倒して逃げてしまう、コックやアマは酒の上り高をくすねる、一時は英領植民地あたりから純粋の金髪種が入れ代り立ち代り来ていたこともあったのが、この二三年は合の児か露西亜人ばかりになってしまって、それも一時に三人以上揃っていることはないのであった。 「マダム、………悲しいのは無理もないが、そう泣いてばかりいて体にさわったらいけないじゃないか。いつものあなたにも似合わない、元気を出して酒でも飲んでみるといい。人間はあきらめと云うことが肝心だから。………」 「有りがとう、ほんとうに親切に云って下すって有りがとう。だけどもあたしには一人しかない弟なんです。………それは誰だって一度は死にます。………どうせ死ぬにきまっています。………それは分っていますけれども、………」 「そうだとも。………ほんとうにそうだとも。………そう思ってあきらめるより仕方がないんだ。………」 歳を取って誰にも相手にされなくなった宿場の茶屋の芸者なぞで、馴染みでもない客をつかまえてくどくどと身の上の不幸を訴え、安価な感傷に陶酔したがるようなのがある。ここのかみさんのもつまりはそれで、悲しいのには違いなかろうが、人からやさしく云われたさに思わせぶりなポーズを取ったり、芝居じみたセリフを使ったりしているので、平素のうそをつく癖がこう云う時にもその感慨を誇張させずには措かないのであろう。しかしそれにも拘わらず、この象のように大柄な外国の老婦人の歎きにはなんだか心が動かされる。田舎芸者の安っぽい涙と同じものでありながら、愚かにもその感傷に引き込まれて自分までが眼がしらのうるむような感じになる。 「済みません、ほんとうに、………ひとりで泣いていればいいのに、あなたまで悲しくさせてしまって。………」 「なあに、そんなことは何でもない。それよりあなたこそ体を大事にしなければいけないよ、一人の弟が死んだからと云って自分も病気になっていい訳はないんだから。………」 相手が日本の女だったらこんな歯の浮くような言葉が口から出る筈はないと思うと、要は我ながら馬鹿々々しくもあり耻かしくもあった。一体どうしたと云うのかしら? ルイズのことばかり考えて来たのに不意を打たれたせいかしらん? それとも陽気の加減かしらん? 自分は嘗て今の言葉の半分もの優しさのある日本語で、妻をでも亡くなった母親をでもいたわったことはなかったのに、英語と云うものは悲しい国語なのかしらん?……… 「何をしてたの、マダムにつかまってたんじゃないの?」 と、二階へ上るとルイズが云った。 「うん、弱ったよどうも。………僕はああ云うしめっぽい話は嫌いなんだが、泣かれてみると逃げようにも逃げられないで、………」 「ふ、ふ、大方そんなことだろうと思ってたのよ。来る人来る人をつかまえて一ぺんは泣かないと済まないんだから」 「それでもまさか、泣くのはうそじゃないんだろうな」 「そりゃあ弟が死んだんだから、悲しいのは悲しいでしょう。………あなた、淡路へ行ったんだって?」 「うん」 「誰と?」 「女房の親父と、親父の妾と、三人づれで、………」 「ふん、誰の妾だか分ったもんじゃない」 「なあに、ほんとうだよ、尤もその妾に少々惚れていることは事実なんだが、………」 「そんなら何しに此処へ来たのよ?」 「仲のいいところを見せつけられたから、聊か鬱憤を晴らしに来たのさ」 「御挨拶だわね、………」 知らない者が若しこの会話を部屋の外にいて聞いたとしたら、しゃべっている女が栗色の断髪に茶色の瞳をした種族であろうとは、誰が想像するであろう。それほどルイズは日本語を巧みに話すのである。要はこの頃でも、しゃべりながらふと眼をつぶって、その声の調子と、アクセントと、言葉づかいだけを耳にしていると、ちょうど田舎の小料理屋で酌婦を相手にしている場面が浮かぶのである。ただ外国人の悲しさにはその発音に何処か東北訛りのようなひびきがあって、それでいて云うことが恐ろしく巧者であるだけに、方々を渡り歩いた擦れっ枯らしの女給の言葉になっていることを、当人は夢にも知らないらしい。が、ともかくも暫くその声を聞いた後に再び眼を開いて室内を見ると、何と云う思いがけない光景であろう、彼女は化粧台の前の椅子にもたれて、満洲朝の官服に似せた刺繍のあるパジャマの上衣だけを、ようよう臀と擦れ擦れに着ている下はパンツの代りに脛一面のお白粉を穿いた脚の先へ、仏蘭西型の踵の附いた浅黄色の絹の上靴を、その爪先を二艘の可愛い潜航艇の舳のように尖らしているのである。そう云えばこの女は脛ばかりでなく、殆ど全身へうすくお白粉を引くらしい。要は今朝も風呂から上ってそれだけの支度をするあいだ三十分以上も待っていなければならなかった。彼女自身に云わせれば母親の方に土耳古人の血が交っていると云うことで、その肌の色の白皙でないのを隠そうためにしているのだが、実を云うと要を最初に惹きつけたものはその何処やらに濁りを含んだ浅黒い皮膚のつやであった。「君、この女なら巴里へ行ったって相当に蹈めるぜ、こんな女が神戸あたりにうろついていようとは思わなかった」と、或る時彼に案内された仏蘭西がえりの友達は云った。その時分、───と云うのは今から二三年まえ、要は日本人でありながら特別に出入りを許されていた横浜時代のよしみを思ってふとこの家を訪ねた折に、彼女は波蘭土の生れだと云って外の二人の女と一緒にシャンパンのふるまいにあずかるべく挨拶に出て来たのである。彼女はまだ、神戸へ来てから三月にはならないと云っていた。戦争で国を追われて、露西亜にも居、満洲にも居、朝鮮にも居、そのあいだにいろいろの言葉を覚えたとかで、外の二人の露西亜生れの女とは自由に露西亜語で話した。「巴里へ行けば私は一と月で仏蘭西人と同じようにしゃべってみせる」と自慢をするだけのものはあって、語学は彼女の恵まれた才能であるらしく、三人のうちでこの女のみがかみさんのブレント夫人や、ヤンキーの酔っ払いなどを向うに廻して、英語でテキパキ渡り合うことが出来たのである。けれど彼女が日本語をまでそれほど自在にあやつろうとは! バラライカやギタルラを伴奏しながらスラヴの唄をうたう口から、安来節や鴨緑江節を寄席芸人に劣らぬ節廻しで聞かせるほど、それほど悪達者であろうとは! いつも英語でばかり話していた要が、それを知って驚かされたのはつい最近のことなのである。どうせこう云う種類の女は自分の過去を正直に云うものでないことは承知していたが、そののち彼は彼女がほんとうは朝鮮人と露西亜人との混血児であることをボーイから聞いた。彼女の母は今でも京城に住んでいて、ときどき手紙を寄越すと云う。なるほどそれなら鴨緑江節の上手なことも、語学の習得の早いことも頷かれる。ただ当人の話したいろいろのうその中で、初めて会った時に歳を十八だと云ったのは、或はそれだけがひょっとすると本当に近いのかも知れない、なぜなら実際に見たところでも今年でせいぜい二十ぐらいの若さにしか思えないし、容貌のわりに云う事やする事が早熟なのは、そう云う数奇な生い立ちをした多くの少女に逃れられない運命であるから。 別に何処と云うきまった巣もなく囲ってある者もない要には、日頃妻から得られないものを充たしてくれると云う点では誰よりも一番好みにかなったせいか、知り合ってから今日までの二三年のあいだと云うもの、いつもの移り気な性分にも似ずこの女に依って最も多く独り寝のあじきなさを慰められて来たのだが、彼はその理由として、日本人をめったに入れない家であるのが隠れ遊びに都合がよいこと、茶屋へ行くよりも時間や費用が経済であること、女と自分自身とを動物として扱うときに、外国人同士の方が互に耻を忘れやすく、それだけあとで気が病めないこと───などを、もし人に聞かれれば挙げたであろうし、自分でも努めてそう信じて来たのである。しかしこの女を「四肢と毛なみの美しい獣」として卑しみ去ろうとする意志の下には、その獣身に喇嘛教の仏像の菩薩に見るような歓喜が溢れているところをなかなか捨て難く思う心が、案外強く根をおろしている事実を、我ながら苦々しくさえ感じていた。一言にして云うとこの女は、ホリーウッドのスタアどもの写真と、たまには鈴木伝明や岡田嘉子の肖像なぞを所嫌わずピンで留めてある薔薇色の壁紙に包まれた中に住んでいて、彼の味覚と嗅覚とをよろこばすためにペディキュールをした足の甲へそっと香水を振っておくだけの、ゲイシャ・ガールには思いも寄らない用意と親切とを尽すのである。彼は必ずしも面あてにそうした訳ではないが、美佐子が須磨へ出かけた留守に「ちょっと神戸へ買い物に行って来る」と、身軽な運動服のいでたちで出て、夕方頃には元町あたりの商店の包みを提げながら戻って来るのを常としていた。こう云う遊びは貝原益軒の教に従って、───然しながらその教とは反対な趣味の上から、───午後の一時か二時頃の日の高い間を選んで、帰り道に一ぺん青空を見た方が後味がさっぱりとするし、全く散歩の気分を以て終始することが出来るのを、経験に依って要は知っていたのである。ただ困るのはこの女のお白粉の移り香が特別に強く、体に沁み着いて離れないのみか、着ていた洋服はもちろんのこと、自動車へ乗ればその箱の中へ一杯に籠るし、家へ帰ると部屋じゅうが臭くなることだった。彼は自分のみそかごとを美佐子がうすうす気づいているといないとに拘わらず、仇し女の肌の匂いを知らせることは、たとい名ばかりの夫婦にもせよ、妻への礼儀に欠けていると思っていた。有りていに云えば、彼の方でも美佐子の口にする「須磨」と云うのが果してほんとうの須磨であるのか、それとももっと近い所に適当な場所を見つけてあるのか、ときどき好奇心を感ずることはあるにしてからが、強いて知ろうとは欲しないし、なるべくならば知らないで済むことを願っているのと同じように、自分がいつ何処へ行くと云うことは曖昧にして置きたかった。そしてそう云う心づかいから、女の部屋で服を着る前にいつもボーイに風呂を立てさせたものであったが、そのお白粉はべっとり鬢付け油のように粘り着くたちのものだと見えて、余程ごしごしこすらなければ、洗っても洗っても落ちないのであった。彼はしばしばこの女の全身の甘皮が、自分の肌へ肉襦袢のようにすっぽり被さってしまった気がして、それを残らず洗い落すのに多少の未練を感じながら、やっぱり自分が思ったよりも彼女を愛していることを意識しないではいられなかった。 「プロジット! ア、ヴォートル、サンテ!」 と、二つの国の言葉で云いながら、彼女はうすい瑪瑙色にかがやくグラスへ唇をつける。この女はいつもこうして、此処の家には碌なシャンパンはないと云う口実の下に、自分がこっそり買い込んで置くドライ・モノポールを三割も高く売りつけるのである。 「あなた、あの話考えてくれた?」 「いいや、まだ、………」 「でもどうしてくれるのよ、ほんとうに?………」 「だからさ、そいつがまだだと云ってるんだよ」 「ちょッ、いやンなっちまうなあ、いつでもまだだまだだって。───この間あなたに話したでしょう? あたしの方は千円でもいいのよ」 「聞いたよ、そいつは」 「じゃあ何とかしてくれない? 千円ぐらいなら考えてみるって云ったじゃないの」 「云ったかしらん、そんなことを」 「うそッつき! だから日本人は嫌いだって云うんだ」 「お気の毒様、どうも日本人で相済みません。いつかのあの、日光へ連れて行ってくれた亜米利加のお金持はどうしたんだい?」 「そんな話をしているんじゃないわよ。あなたほんとうに思ったよりもしみッたれねえ! ゲイシャ・ガールにならいくらだって出す癖に」 「冗談じゃあない、僕をそんなお金持だと思ってるのが間違いなんだよ、千円と云えば大金だからな」 彼女は閨房の口説にいつもこの手を出すのである。はじめはマダムに二千円の借りがあるから、それを立てかえて一軒家を持たしてくれろと云っていたのが、この頃は少し様子をかえて、さしあたり千円出してくれさえすれば残りは証文にしておくからと云うようになった。 「ねえ、あなたあたしが好きなんじゃないの?」 「うん、………」 「ちょっと! そんな気のない返辞をしないで、もっと真面目に聞いて頂戴! ほんとうに惚れてる?」 「ほんとうに惚れてる」 「惚れてるなら千円ぐらい出したらいいわよ。でなけりゃ優待して上げないわよ。………さあ、どっち?………出すか出さないか?………」 「出す、出す、出すと云ったらいいじゃないか、怒るなよそんなに、………」 「いつ出す?」 「今度持って来る」 「今度こそきっとか? うそじゃないか?」 「僕は日本人だからなあ」 「ふん、畜生! 覚えてるがいい! 今度お金を持って来なけりゃ絶交してやるから!………あたしいつまでもこんな卑しい商売をしてるのが厭だから頼むんじゃないの。ああ、ああ、ほんとに、なんてあたしは不仕合わせなんだろう。………」 それから彼女は新派の俳優そっくりの口調になって、さも哀れっぽく涙ぐんだ眼に物を云わせて、いかにこの稼業が自分のような人間には堪えられないかと云うことを説明したり、一日も早く娘が自由の身になれるのを待ちこがれている母親の境涯を訴えたり、滔々として天を怨み世を呪う言葉をつらねる。彼女はここへ来る前には女優をしていたことがあるから、ステージ・ダンスならエリアナ・パヴロヴァあたりには負けないくらいな腕がある、要するにこんな所にいる女とはたちが違う、自分のような才能のある者をこうして置くのは勿体ない話だ、巴里やロス・アンジェルスへ行っても立派に一本立ちが出来るし、堅儀な方面ならこれだけ語学の天分があったら重役の秘書にでもタイピストにでもなれる、だから自分を救い出して日活の撮影所か、外国の商館へ紹介してくれろ、そうして貰えれば月々の物は百円か百五十円も補助してくれたら沢山だと云うのである。 「あなた今だって一遍来れば五十円や六十円は使うじゃないの。それを考えたらいくら得だか知れやしないのに」 「だって、西洋人を女房に持つと、月千円はかかると云うぜ。君のような贅沢な女が百円や百五十円でやって行けると思うのかい」 「ええ、行ける、きっとあたしならやって行ける。会社へ出たら自分で百円は稼げるんだから、そうしたら二百五十円になるじゃないの。まあ、見てて御覧よ、立派にやってって見せるから。───あたしだってもうそうなったら余計なお小遣いをねだったり、着物を拵えたりしやしないんだから。こんな商売をしているからだけど、あたしを贅沢な女だと思ったら大した間違いなんだからね。憚りながら家を持たしたらあたしぐらい几帳面で、無駄づかいをしない女はないんだからね」 「だけども、借金は立て換えた、そのままぷいと西比利亜へでも逃げて行かれたらそれっきりだぜ」 そう云うと女は心外な表情をして見せて、口惜し紛れに寝台の上で地団太を蹈む。要はそれが面白さに交ぜっ返しているようなものの、一時は多少の好奇心を動かしたこともないではなかった。どうせこの女のことだから囲ったところで長つづきはしないであろうし、冗談ではなくハルピンあたりへどろんをするのが落ちであろうが、此方も寧ろその方が背負い込みにならないでいいかも知れない。彼にはそんなことよりも、実は妾宅を構える手続きが事務的にひどく億劫な気がした。女は普通の日本建ての借家でいい、家具さえ洋風にしてくれたらと云うのだけれども、建てつけのガタピシする狭くるしい部屋に這入って、歩くたびごとにもくもくふくれ上る畳を蹈みながら、散切り頭に浴衣がけでいられたりしたら、───そしてうわべだけにもせよ、今までの贅沢が打って変って、急に几帳面に、妙なところで所帯持ちをよくされたりしたら、───と、そう思うと何だかお座がさめるのであった。しかし女の口説き工合で、いい加減にあしらっているうちにいつか冗談が本当にならないものでもなく、そうなればそれで、ずるずるに引き擦られて行きかねないのだが、彼女の愁訴はあまり芝居が多すぎて、懊れたり怒ったりすればするほどますます滑稽になるのである。窓と云う窓には鎧戸がおろしてあるけれど、その隙間からさし込んで来る初夏らしい真昼のあかりが、色ガラスを透して来たような赤味を帯びてどんより物の輪廓を縁取っている部屋の中で、この満身にお白粉を塗った歓喜天の肉体が薄桃色に染めかえられ、東北なまりのセリフを云うごとに手を挙げ臀を振る様子は、まことに哀れと云うよりも賑やかに勇ましく、要はその踊りを見たいためにわざといつまでも気を持たせているのであった。そしてどうかすると、断髪に赤い体であばれている姿を眺めながら、この恰好で紺の腹がけを掛けさせたらとんと金太郎そのままだと思うと、ぷっと吹き出したくなったりした。 ボーイは彼の云い附けた通りキッチリ四時半に風呂を沸かした。 「今度はいつ?」 「多分来週の水曜あたり、………」 「じゃ、ほんとうにお金を持って来てくれる?」 「分った、分った」 扇風器の風を湯上りの背中へ浴びながら、彼は自分でもその現金さに呆れるくらい、へんに冷淡に、そそくさとパンツへ脚を通した。 「きっとだわね?」 「きっと持って来る」 そう云いながら握手をする時、「きっともう来ないぞ」と心の中では云うのであった。 きっともう来ない、───ボーイに門を開けさせて、表に待っている車の中へ身をひそめながら、いつでも彼は帰りがけにこの決意を堅めて、扉の隙間から接吻を送っている女の顔へ心ひそかに永久の「さよなら」を投げるのであるが、奇妙なことにそれが三日とつづくことはなかった。三日がやがて五日となり、一週間となるあいだに、再びこの女に会いたい思いが馬鹿々々しいくらい萌して来て、ずいぶん無理な繰り合わせをしてまで一途に飛んで来るのである。会う前の恋いしさと会っての後の胸ぐるしさ、───そう云う心の変りかたはこの女の場合に限ったことではなく、芸者と馴染んでいた時分にも少しは覚えのあることだけれども、しかしこんなに冷熱の度が激しいと云うのは、畢竟生理的の原因に依るからなので、それだけルイズは酔わせかたの強い酒なのであろう。要ははじめ、彼女の言葉を信じさせられていた頃には、今の日本の青年たちが大概そうであるように、その西欧の生れであると云うことに或る特別な幻想とあこがれとを抱いていた。思うにこの女のいいところは、そんなお客の心理を心得て、常に注意してその肌の生地を見せないことと、そうしていれば彼女のうそがほんとうとして通用する程度の姿態を持っていることにあるので、要も実は、その浅黒い皮膚の色には今以て魅惑を感じながら、たとい人工的であっても矢張白皙の肉体が醸す幻想を破りたくないような気がして、ついぞ一度もそのお白粉を剥がさせたことはなかったのである。彼の頭には「巴里へ行ってもこの女なら相当に蹈める」と云った友達の評価が案外深く記憶されていた。彼は車に揺られながらまだ移り香がかすかに残っている右のてのひらの匂いを嗅いだ。そのたなごころに沁み着いたのは、どう云う訳か風呂から上った最後までも匂っているので、この頃はわざとそこだけ洗わないようにして、なまめかしい秘密を手の中へ握って帰るのであった。 「今度こそほんとうにこれっきりだろうか、もう二度と行かずにいられるだろうか」 と、彼はそんなことを考えてもみた。今の自分は誰に遠慮をする必要もないのであるが、彼にはへんに道徳的な、律義なところがあるせいであろうか、青年時代から持ち越しの、「たった一人の女を守って行きたい」と云う夢が、放蕩と云えば云えなくもない目下の生活をしていながら、いまだに覚め切れないのである。妻をうとみつつ妻ならぬ者に慰めを求めて行ける人間はいい、もしも要にその真似が出来たら美佐子との間にも今のような破綻を起さず、どうにか弥縫して行けたであろう。彼は自分のそう云う性質に誇りも引け目も感じてはいないが、正直なところそれは義理堅いと云うよりも寧ろ極端な我がままと潔癖なのだと、自分では解釈していた。国を異にし、種族を異にし、長い人生の行路の途中でたまたま行き遇ったに過ぎないルイズのような女にさえも肌を許すのに、その惑溺の半分をすら、感ずることの出来ない人を生涯の伴侶にしていると云うのは、どう思っても堪えられない矛盾ではないか。 その十三 拝復 先日は失礼致候。あれより予定の通り阿波の鳴門徳島を経て去月二十五日帰洛、二十九日御差立の貴札昨夜披見致候。誠に誠に思いの外の儀、美佐こと素より不束ながら日頃左様なる不所存者のようには養育不致候処、俗に魔がさしたと申すにや、拙老此の歳に及び斯かる憂きことを耳にいたし候は何の因果かと悲歎やる方なく候。第一親の身として其許に対しても御詑びの申様も無之、深く耻入申候。 既に御申越の如き事態に差迫り候ては、今更兎角の執成しは御聴入れも可無之、重々御立腹の段察入候え共、聊か存じ寄りの儀も有之、近日美佐子同道御入来被下間敷候哉、然る上は拙老より篤と本人へ申聴かせ何卒して料簡を入替えさせ度、万一改俊不致候わば如何様にも成敗可仕、もし又本人に於て向後を屹度相慎しみ候節は、幾重にも御勘弁願上候。 実は執心の人形ようよう手に入り申、帰来早速御案内申上度と存じながら肩の凝りを休め居候折柄、御状に接し茫然自失、とんと興ざめ申候。折角巡礼の御利益も無之、却て仏罰を蒙り候ことかと老人の愚痴のみ出で候。 尚々明日にも御入洛待上候。先それ迄は現状を維持被成候様、此儀くれぐれも御願申上候。 「………『斯かる憂きことを耳にいたし候は何の因果かと悲歎やる方なく』か、困ったなどうも、………」 「何と云っておやりになったの?」 「出来るだけ簡略には書いたんだけれど、重要な点は洩らさなかった積りだ。この事は僕にも責任があり、僕自身の希望でもある、つまり五分々々だと云う点によくよく念を押したんだが、………」 「こう云って来るのはあたしには分っていたんだけれど、………」 でも要には意外であった。手紙で諒解を求めるべき性質のものではないし、それでは誤解が起り易いから、直接行って話してくれたらと云う美佐子の希望は尤もであり、自分もそれに越したことはなかったのだが、一と先ずあらましを云ってやって、日を置いてからと云う気になったのは、不意に老人を驚かすことのいかにも忍び難いのと、ついこの間も一緒に呑気な旅をしながら噫にも出さずにいたことを、何としても面と向って切り出す顔がないからであった。殊にこの返事にもあるように、先は一途に人形を見に来たと思って、直ぐその手柄話になるであろう。そうしたらいよいよ出鼻を挫かれる。それに要は、老人の過去の経歴から見て実はもう少し分ってくれるように予想していた。口では旧式な思想の持ち主のようなことばかり云うものの、それはああ云う人に有りがちな一種の気取り、趣味なのであって、ほんとうはもっと融通も利くし、近頃の世相や風潮にも風馬牛ではない筈である。それが此方から云ってやったことをその通りに読んでくれないのみか、「重々御立腹の段察入候え共」とか「御詑びの申様も無之」などと書いて来ると云うのは、あんまり見当が違い過ぎる。あの文言をそのまま素直に取ってくれたら「深く耻入る」筋はないのだし、なるたけ気の毒な思いをさせまいと注意して書いたつもりであるのに、矢張一往は恐縮した挨拶をするのが礼儀と云うものであろうか。 「僕はこの手紙には大分掛け値があると思うね。こう云う昔風な文体を使えば内容だって旧式にしなければ映りが悪いから、こいつも趣味で書いているんで、お腹の中はこれほど悲歎やる方ないんでもないと思うよ。折角人形を飾って嬉しがろうとしていた矢先を、癪に触ったぐらいなんじゃないか」 美佐子はそんなことはどうでもいい、とうに超越していると云う風に、やや青ざめた顔を、全く無表情に落ち着かしていた。 「どうする、お前は?」 「どうすると云って………」 「一緒に行くか」 「あたしイヤだわ」 その「イヤ」と云う言葉をさもイヤらしく彼女は云った。 「あなたが行って話して来て頂戴よ」 「けどもこう云って来てるんだから、とにかくお前も行かないじゃなるまい。僕は、会ってさえしまえば案ずるよりは生むが易いと思っているんだ」 「話が分ってから行くわよ。お久なんぞのいる所でお談義を聴かされるのは真っ平だから」 二人は珍しくも面と向って互の眼の中を視詰めながら話しているのであるが、そのぎごちなさを隠そうとして殊更つけつけと物を云いながら細巻の金口を輪に吹いている妻の様子を、夫はいささか持てあまし気味に眺めていた。妻は自分では意識していないようだけれども、いつとはなしに顔や言葉でする感情の表わし方が昔と変って来ているのは、多分阿曽との対話の癖が出るのであろう。要はそれを見せられる時、彼女が最早や此処の家庭の者でないことを何より痛切に感じない訳には行かなかった。彼女の口にする一つの単語、一つの語尾にも「斯波」と云う家の持ち味がこびり着いていないものはないのに、それが夫の眼の前で新しい云い廻しに取り変えられて行きつつある、───要は別離の悲しみがこう云う方面から襲って来ようとは思い設けてもいなかったので、もう直ぐ後に迫って来ている最後の場面の苦しさが今から予想されるのであった。だが考えれば、嘗て自分の妻たりし女は既にこの世にはいないのではないか。今さし向いに据わっている「美佐子」は全く別な人間になっているのではないか。一人の女がいつしか彼女の過去にまつわる因縁を離脱してしまったこと、───彼にはそれが悲しいので、その心持は未練と云うのとは違うかも知れない。そうだとすれば苦に病んでいた最後の峠は気が付かないうちに通り越してしまったのかも知れない。……… 「高夏は何と云って来たんだ」 「近々にまた大阪に用があるんだけれど、此方が何とか極まるまでは行きたくない、行っても御宅へは伺わないで帰るって、………」 「別に意見は云って来ないのか」 「ええ、………それからあの、………」 美佐子は縁側に坐布団を敷いて一方の手で足の小指の股を割りながら、煙草を持った方を延ばして皐月の咲いている庭の面へ灰を落した。 「………あなたには内証にして置いてもよし、云うなら云っても構わないって書いてあるんだけれど、………」 「ふん?」 「実は自分の独断で、弘には話してしまったって云うの」 「高夏がかい?」 「ええ、………」 「いつのことなんだ」 「春の休みに一緒に東京へ行ったでしょう、あの時に」 「何だって又余計なことをしゃべったんだろう」 わざわざ京都の老人にまで知らせてやった今になっても、まだ子供には云いそびれつつ過していた要は、さてはそうだったのかと思うと、それを今日まで鵜の毛ほども感づかれないようにしていた幼い者の心づかいが、いじらしくも不憫でもある一方、あまりのことに小面憎い心地さえした。 「しゃべる積りではなかったんだけれど、ホテルへ泊まった晩にベッドを並べて寝ていると、夜中にしくしく泣いているもんだから、どうしたのかと思って聞いてみたのが始まりなんですって。………」 「そうしたら?」 「手紙だから委しいことは書いてないけれど、お父さんとお母さんとは事に依ると別々に住むようになる、そしてお母さんは阿曽さんの家に行くかも知れないと云ったら『そんなら僕はどうなるんです』って聞かれたんで、『君はどうにもなりはしない、いつでもお母さんに会えるんだから、家が二軒になったつもりでいたらいいんだ。どうしてそうするのかと云う訳は、大人になれば自然と分る時が来る』って、それだけ云っただけなんですって」 「それで弘は納得したのか」 「なんにも云わないで泣きながら寝てしまったんで、明くる日どうかと思いながら三越へ連れて行ってやると、前の晩のことは忘れたように何を買ってくれ彼を買ってくれと云うもんだから、子供と云うものは実に無邪気だ、これなら安心だと思ったと云うんですの」 「だが、高夏が話すのと僕が話すのとは違うからな。───」 「そうそう、それから、───そんなに子供に話すのが辛ければもうその必要はないじゃないか、独断で済まなかったけれど、君等のために僕がその難関を突破して置いてやったからって、───」 「そうは行かんさ、僕はずべらじゃああるけれども、そんなキマリの付かないことは嫌いなんだ」 しかし要がその難関を乗り越える仕事を最後の最後まで延ばしているのは、この場になってさすがにそれを口に出しては云えないけれども、いまだに事の成行きがどう変化するか分らないと云う一縷の望みを一寸先の未来に托しているのでもあった。妻は強気でいるようなものの、そのひた向きな感情の裏には一と入脆い弱気が心の根を喰っていて、ほんのちょっとした物のはずみに泣きくずおれてしまいそうに思える。そうなることを孰方も恐れていればこそ、そんな機会を作らないように互に避けているのではあるが、現にこうして相対している今の場合でも、話の持って行きよう次第で千里の彼方に飛び去ったものが一瞬のうちに帰って来ないものでもない。要は彼女が今日になって老人の裁断に任せるだろうとは夢にも予期していないながら、もしそうなったら自分もそれに従うより外にないと云うような、希望ともあきらめともつかないものが何処か胸の奥の方に潜んでいるのを、我から不思議にも疎ましくも感じた。 「それではあたし、───」 妻はこれ以上向い合っていることに不安を覚えたのであろう、いつもの時間が来たことをそれと察して貰うために茶箪笥の上の時計に眼をやって、襲われたように立って着物を着換え始めた。 「あれきり御無沙汰しているが、近いうちに僕も一ぺん会っておくかな」 「ええ、───京都へ行く前になさる? 後になさる?」 「向うの都合はどうなんだ」 「明日にも御入洛待上候と云うんだから、京都を先になすったらどう? 此方へやって来られると面倒だし、それにその方が極まってからなら、自分ばかりでなく母にも会って戴くと云っているんですから」 「お前、そこに高夏の手紙はないのか」 恋人の許へ急ぐべく身支度をしている「一人の女」を、むしろ可憐な眼を以て眺めていた要は、廊下へ出て行くそのうしろかげを呼び止めて云った。 「あれをあなたに見せるつもりで何処かへ置き忘れてしまったのよ、帰って来てからでよくはなくって? ───尤もさっき話したようなことなんだけれど」 「いや、見つからなければどうでもいいんだ」 妻が出かけてしまったあと、要はビスケットを一と握りつかんで犬小屋の方へ降りて行って、二頭の犬に代る代る餌を与えたり、じいやと二人でブラシをかけてやったりしたが、暫くすると茶の間へ戻ってぼんやり畳に寝そべっていた。 「おい、誰かいないか」 と、お茶を入れさせようとして女中を呼んでみたけれど、部屋に引っ込んでいると見えて返辞をしない。弘もまだ学校から帰らないし、家の中は森閑として何だか一人取り残されたように静かである。仕方がない、又ルイズにでも会いに行こうか。───彼はそう思ってみて、こう云う時にいつもきまってそんな気になる自分自身が、なぜだか今日は哀れな男に感ぜられた。たかが相手は一人の娼婦に過ぎないのに、もう二度と行かないの何のと云うむずかしい決心をして、それに囚われるのも馬鹿々々しいと云う風に思い直しては、結局会いに行くことになるのが常であったが、実はそんなことにも増して、妻が出かけて行ったあとの邸の中のガランとした感じ、───障子や、襖や、床の間の飾りや、庭の立ち木や、そう云うものが有るがままにありながら、俄かに家庭が空虚にされてしまったようなうら淋しさ、───それが何より堪え難かった。いったいこの家は前の持ち主が建てて一二年にしかならないものを、関西へ移って来た年に買い取ったので、この八畳の日本間はその時建て増したのであるが、毎日見馴れて気が付かないでいるうちに、そう念を入れて拭き込みもしなかった北山の杉や栂の柱が年相応のつやを持ち出して、これからそろそろ京都の老人の気に入りそうな時代が附いて来るのである。要は寝ころびながら今更のようにそれらの柱の光沢を見、八重山吹の花が垂れている床の間の春日卓を見、閾の向うに、戸外のあかりを水のように映している縁側の板を見た。妻がこのごろのあわただしさの中にありながらなおときどきは四季の風情を座敷に添える心づかいを忘れないのは、いくらか惰勢で繰り返しているのだとしても、やがてこの部屋にあの花までがなくなってしまう日を想うと、名ばかりの夫婦と云うものにも、朝夕眼に沁みる柱の色と同じようななつかしさがある。……… 「お小夜、タオルを熱くして絞って来てくれ」 と、要は立って女中部屋の方へ聞えるように云った。そしてその場でセルの単衣の両肌を脱いで、汗ばんだ背中をきゅッきゅッと擦って、出しなに妻が揃えておいた背広服に着かえてから、着物と一緒にふところから落ちた京都の老人からの手紙を拾って上衣の内隠しへ収めた。が、紙入れの中を見たがったり、「これは芸者から来たんじゃないの」などとポッケットの物を引ったくるルイズの癖を思い出して、鏡台の抽出しの、底に敷いてある新聞紙の下へ入れようとすると、何かががさがさと手に触った。美佐子がそこへ高夏の手紙を挿し込んで置いたのである。 「読んでもいいのかしらん?」 手には取ったものの、封筒の中を直ぐに引き抜くのは躊躇せられた。こう念入りに隠してあるのを妻が置き忘れる筈はない。言葉に窮してああ云ったので、読まれることを好んでいないに違いないのだ。読んだところで妻への言訳は立つのであるが、下らぬ隠し立てをしたことのない彼女がそれを自分に読ませまいとしたことに、何かしら中味の不吉さが予想された。─── オ手紙拝見シマシタ。 モウ好イ加減キマリガツイタ時分ダト思ッテイタノニ、先達淡路カラ絵端書ヲ貰ッテマダソンナコトカト驚イタ次第デス。ダカラ今度ノアナタノオ手紙デハ驚キマセン。……… そこまで見ると要は洋館の二階へ上って、ゆっくりあとを読みつづけた。 ………ケレドアナタノ決心ガ真ニ最後ノモノデアルナラ、一日モ早イ方ガヨクハナイデスカ。実際此処マデ来テシマッテハ外ニ道ハナサソウデス。僕ハツクヅク、斯波君モ我ガ儘ダガアナタモ我ガ儘ダ、今日ノ事ハ二人ノ我ガ儘ガ当然招イタ報イダト云ウ感ヲ深クシテイマス。アナタガ僕ニ泣キ言ヲ云ウノハイイ、シカシソノ泣キ言ヲ、───アナタ自身ハ泣キ言ノ積リデハナイカモ知レナイガ、───何故僕ニ云ウ代リニ夫ニ向ッテ云ワナイノカ、ソレガアナタニ出来ナイト云ウノハ、世ニモ不幸ナ人ガアレバアルモノダト思ッテアナタノタメニ一掬ノ涙ナキヲ得マセン。事実ソレナラ夫婦デハイラレナイ。「夫ガアマリ自由ヲ与エテクレタノガ恨メシイ」トカ、「阿曽ト云ウ人ヲ知ラナケレバヨカッタ、知ッタノヲ後悔シテイル」トカ、モシソノ心持ノ幾分ヲデモアナタガ直接斯波君ニ表白スル事ガ出来タラ、───夫婦ノ間ニセメテソレダケノ素直サガアッタラ、───ト、ソウ云ッタトコロデ今更愚痴ニ聞エマスカラ、最早ヤ何事モ申シマスマイ。オ手紙ノコトハ勿論斯波君ニハ云イマセンカラ安心シテイラッシャイ。徒ラニ悲シミヲ増サセルニ過ギナイノナラ知ラセルノハ無駄ナノダカラ。僕コウ見エテモ必ズシモ木石漢ニ非ズ、芳子ノコトナド思イ出シテ感慨無量ナルモノアリ、唯何処マデモソウ云ウ感情ヲ後ニ残シテ斯波ノ家ヲ去ラナケレバナラナクナッタアナタノ不仕合ワセヲ歎クノミデス。何卒コノ上ハ新シイ恋人ト幸福ナ家庭ヲ持ッテ過去ノ悲シミヲ忘レルヨウニ、ソシテ再ビ同ジ過チヲ繰リ返サヌヨウニシテ下サイ。ソウスレバ斯波君ダッテ「気ガ楽ニナル」デハナイデスカ。 アナタハ誤解シテイルヨウダガ僕ハ決シテ怒ッテイルノデハナイノデス。タダ僕ノヨウナ頭ノ大ザッパナ者ガ、アナタ方ノ複雑ナ夫婦関係ノ渦中ヘ飛ビ込ムノハソノ任ニ非ズト考エ、アナタ方自身デカタヲ附ケルマデ遠ザカッテイルノヲ賢明ダト信ジタノデス。実ハ大阪ヘ行ク用モアルノダガ、ソレデ出発ヲ差シ控エテイマス。行ッテモ今度ハ寄ラナイデ帰ルカモ知レナイカラ悪ク思ワナイデ下サイ。 ソレカラ、僕ハアナタ方ニ隠シテイタコトガアリマス。ト云ウノハ、イツゾヤ東京ヘ行ッタ時弘君ニ話シテシマッタノデス。………ソウ云ウ訳デ、結果ハ案外ヨカッタト思ウノデスガ、ソノ後弘君ノ様子ニ変ッタ点ガアルカドウデスカ。僕ノ所ヘハ時々手紙ヲクレルケレドモアノ晩ノコトニハ一言モ触レテナイ。中々悧巧ナ子供デス。ナドト胡麻化スノデハナイガ、余計ナオセッカイヲシテ悪カッタラ詑マリマス。シカシ私カニ思ウノニ、却ッテ僕ガソウシタ方ガ「気ガ楽ニナリ」ハシナイデスカ。……アナタノ今ノ良人ノコト、及ビ弘君ノコトハ、御依頼ガナクトモ親戚ノ一人トシテ、親子ノ性質ヲ最モ良ク理解シテイル友人トシテ、及バズナガラ出来ルダケノ事ハスル積リデスカラ、決シテ心配シナイデ下サイ。多分二人トモ打撃ニ堪エテヤッテ行ケルト思イマス。ドウセ人生ハ平坦ナ道バカリデハナイ。男ノ児ニハ苦労ガ薬デス。斯波君ニシタッテ今マデ苦労ガナサ過ギタンダカラ、一遍グライアッテモイイ。ソウシタラ我ガ儘ガ直ルカモ知レナイ。 デハ左様ナラ。当分オ目ニ懸リマセンガ、イズレアナタガ新夫人トナラレタ暁ニ改メテ拝顔ノ機会ノアルコトヲ望ミマス。 五月二十七日 高夏秀夫 斯波美佐子様 侍女 高夏としては珍しく長い手紙であった。要はそれを読んでしまうと、人気のない部屋で心に油断があったせいか、知らず識らず涙が頬を濡らしていた。 その十四 きょうはお客がお客なので床の間に活けた姫百合の花の向きを気にしながら、お久は今朝からときどきそれを直していたが、四時が少し廻った時分に門の青葉をくぐって来るパラソルの影を、二た間を隔てた伊予すだれの此方から眼に留めると、そのまま立って縁側を降りた。 「見えたかえ」 と、昼寝のあとを庭で蓑虫を退治していた老人は、うしろに庭下駄の音を聞きつけて云った。 「へえ、お越しになりました」 「美佐子も一緒か」 「そうらしおす」 「よし、よし、お前は茶を入れな」 そう云い捨てて飛び石づたいに枝折戸から表へ廻ると、 「やあ」 と、気軽に声をかけた。 「さあ、まあ、お上り。暑かっただろう、さぞ、………」 「ええ、朝のうちに出ればよかったんですが、ちょうど日中になってしまって、………」 「そうだろうとも、たまに天気になったと思うと、まるで今日あたりは土用のようだ。さあ、さあ」 と云って先へ立って行く老人のあとから玄関を上った夫婦は、新芽の緑を反射している籐の網代のひいやりとしたのを足袋の底に蹈みながら、家じゅうに焚きしめてあるらしいほのかな草実の匂いを嗅いだ。 「そうそう、お茶よりも先に手拭いだった。つめたいのを一つ絞っておいで」 若葉の繁みで土庇の外が小暗いばかりになっている座敷の、わざとすずしい端近な方へ席を取ってほっと一と息入れている夫婦のけはいから、それとなく何かを見て取ろうとした老人は、汗ばんだ顔に庭の青葉を映している要の様子に気が付いて云った。 「つめたいのより熱いお湯で絞った方がええことおへんか」 「うん、そうだったな。………要さん、まあ羽織でもお取り」 「ええ、ありがと。この辺は昼間から蚊がいますな」 「ええ、ええ、『本所に蚊がなくなれば大晦日』と云うが、ここのは藪ッ蚊なんだからなかなか本所どころじゃあない。蚊やり線香を焚くといいんだが、うちでは除虫菊を炮烙へ入れてくすべることにしているんでね」 要が予想していた通り老人はこのあいだの手紙のようでもなく、いつもに変らない機嫌のよさで、此処へ来るなりふさいでいる美佐子の顔色には頓着なく語るのであった。お久も事のあらましは聞いているのに違いなかろうが、例のおっとりと、音も立てずに運ぶものを運んでしまうと、何処へ行ったのか、すだれ越しに透かされる部屋と云う部屋には姿も見えない。 「ところで今日は、泊まって行ってもいいんだろうね」 「ええ、………どうともきめずに来たんですけれど。………」 要は始めて妻の方へ眼を向けたが、妻はその言葉を撥ね返す如くに云った。 「あたし帰るわ、早く話して下さらなくって?」 「美佐子、お前は彼方へ行っておいで」 しずかな部屋に、ぽんと吐月峰の音が鳴った。そして老人が二服目の刻みを詰めて、雁首の臀で煙草盆の火をさぐっているあいだに、美佐子は黙って席を外して、二階の梯子段を上って行った。下でお久と顔を合わすのが厭だったのである。 「困ったことになりましたね、どうも、………」 「御心配をかけて相済みません。実は今までは、こう云う事にならないでも或は済むかと思っておりましたもんですから、………」 「今になっては済まないんですか」 「ええ、大体手紙で申し上げたような訳なんです。………勿論あれだけではお分りにならないところもあろうかと存じますけれど、………」 「なあに大凡そは分っています。しかしこりゃあ要さん、私に云わせると、一体あなたが悪いんだね」 はっとした要が何か云おうとするハナを抑えて、老人はすぐに後を被せた。 「いや、悪いと云うと穏やかでないが、つまり私の考じゃあ、あなたがあんまり物を理詰めに持って行き過ぎたんじゃないか。何も当節のことだから、女房を一人前の男なみに扱うのもようがしょうが、なかなかそれが思い通りには行かないもんでね。早い話が、あなたは自分に資格がないからと云う訳で、試験的に外の夫を選ばせた。こりゃあどうして出来ないことだ。口で何のかのと新しがりを云ったってそれだけ公平にはやれるもんじゃない。………」 「そう仰っしゃられると、何とも僕は申し上げようも………」 「いや、要さん、私は皮肉を云っているんじゃないんですよ。ほんとうに感じ入っているんですよ。これが一と昔前だったら、あなたがたのような夫婦は世間にいくらもあったんで、私なんぞが現にその通りだったんだが、………いやもう、一年や二年どころじゃあない、五年も女房の傍へ寄り付かなかったくらいなもんだが、それでもそう云うものだと思って済んでいたんで、考えてみりゃあ今の世の中は大そうむずかしくなっていますよ。しかし女と云うものは、試験的にもせよ、一度脇へ外れてしまうと、途中で『こいつはしまった』と気が付いても、意地にも後へ引っ返すことが出来ないようなハメになるんで、自由の選択と云うことが、実は自由の選択にならない。───ま、これからの女はどうか知れないが、美佐子なんかは中途半ぱな時勢の教育を受けたんだから、新しがりは附け焼き刃なんでね」 「その附け焼き刃は実は僕も御同様なんで、お互にそれが分っているもんですから、別れることを急いでいるような訳なんです。とにかく今の道徳が正しいと命ずることなんですから」 「要さん、こりゃあ此処だけの話だが、美佐子のことは私に任せて下さるとして、あなたの方にはもう一度考え直して下さる余地はないんですかい?───何とも私には理窟は云えない、歳を取ると事勿れ主義になるせいだろうが、性が合わなければ合わないでいい、長い間には合うようになる。お久なんかも私とは歳が違うんで、決して合う訳はないんだが、一緒にいれば自然情愛も出て来るし、そうしているうちには何とかなる、それが夫婦と云うものだと考える訳には行かんもんかね。尤もそりゃあ、一旦不義をしたのだからと、そう云われりゃあ是非もないが、………」 「そんな事は問題にしていやしません、僕が許したんですから、『不義』と仰っしゃって下すっては、美佐子が可哀そうなんです」 「けれども不義はやっぱり不義だね、そうなる前にちょっと私に答えてくれたらよかったんだが、………」 要は老人の婉曲な批難に無言で報いるより外はなかった。申し開きの道はいくらもあるが、その道理の分らない老人ではない、分っていながらそれを口にした言葉の裏に、親としての悲しい愚痴の含まれているのが、刃向えないような気がした。 「いろいろ僕も手を尽さなかった所はあると存じます。ああもすればよかったと思うこともないではないんですけれど、今では後の祭ですし、それに何より美佐子の決心が堅いんですから、………」 いつの間にか土庇の外からさしている日の光が弱くなって、部屋の隅々に暗い蔭が作られていた。老人は上田紬の万筋の単衣の下に夏痩せのした膝頭をそろえて、団扇で蚊遣りの煙を追いながら、思いなしか眼ぶたをしばだたいているのは、除虫菊に咽んだのかも知れない。……… 「これは成る程、あなたの方を先にしたのは私の出ようがまずかった。───要さん、とにかくなんにも云わないで、私に美佐子を二三時間預けては下さるまいか」 「お預けしてもとても無駄だと思うんですが、………実は当人にしてみますと、お話があるのが辛いと云うので、僕だけでお願いに出るようにと云って、そんなことから、とうにもお伺いする筈のところが段々におくれておったんですが、今日でも連れて来ますのに随分骨を折らせたんです。行くことは行くが、自分の決心は最早や動かないものとして、申し上げることは全部僕から申し上げ、お話があれば伺ってくれろと云うような訳なんでして、………」 「しかし要さん、仮りにも娘が不縁になろうと云う場合だ、私としたらそう簡単に済ませる筈のもんじゃあないがな」 「それは僕からも再々云い聴かせておるんです。ただ何としても興奮しております際ではあり、お父さんと衝突したくないからして、僕が本人の代理として御承知を願うように計らってくれろと申すのが本意なのです。が、いかがでしょう、何なら此処へ呼びましたんでは?」 「いや、何か支度もしてあるようだが、私はこれからあれを連れて瓢亭へでも行って来ましょう。ねえ、あなたには別に、異存がお有りじゃあないんでしょう」 「ですが、あれが素直に承知しますかどうですか。………」 「ええ、分ってます。私が本人にそう云います。いやだと云やあそれまでだけれども、ここの所は年寄の顔を立ててお貰い申したいね」 要がもじもじしているひまに老人は手を鳴らしてお久を呼んだ。 「あのうな、南禅寺へ電話をかけておくれでないか、───二人で行くから、静かな座敷を取っておいてくれるように」 「お二人さんでおいきやすの?」 「折角腕によりをかけたんだろうから、お客を残らず浚って行っちゃあ気の毒だと思ってな」 「そしたら残っておいやすお方が気の毒やおへんか、いっそのことみんなでおいきやすな」 「御馳走は何が出来るんだい?」 「なにもおへんえ」 「甘子はどうした?」 「空揚げにしょう思てますけど、………」 「それから?」 「若鮎の塩焼」 「それから?」 「牛蒡のしらあえ」 「まあ、要さん、肴が悪いが、ゆっくり飲んでいて貰いましょう」 「貧乏鬮お引きやしたなあ」 「なあに、板前が瓢亭以上ですから、たんと御馳走になりますよ」 「じゃあ、おい、着物を出しといとくれ」 そう云って老人は二階へ上った。 どう説きつけられたのか、「年寄りの気にさからっては無事にまとまりのつくべきものも壊れてしまうから」と途々たしなめられて来たのが腹にあったのでもあろうか、美佐子は十五分もすると不承々々に父親と一緒に降りて来て、廊下に立ちながらそっと顔を直してから、一と足先に表へ出た。 「さあ、じゃあちょいと行って来ますよ」 と、紗の宗匠頭巾を被った、宝井其角と云ういでたちで奥から現れた老人は、玄関まで送って出たお久と要とにそう云い残すと、白足袋の足に利久を穿いた。 「お早うお帰り」 「いや、お早くもないかも知れない。───要さん、美佐子にも云って置いたんだが、今夜は泊まって貰いますよ」 「いろいろとどうも御厄介になります、僕は孰方になりましても差支えはありません」 「お久や、わたしの蝙蝠を出して貰おう、大分蒸して来たようだが、この塩梅じゃあ又雨だな」 「そしたら、車でお行きやしたら?」 「なあに、じきそこだ、歩いたって訳あないさ」 「行とおいでやす」 と、お久は送り出しておいて、すぐに手拭い浴衣を持って要のあとから座敷へ行った。 「お風呂が湧いてますよって、今の間に一と浴びおしやしたら?」 「有り難う、折角だけれど、どうしようかな、風呂へ這入ると臀が落ち着いちまうんでね」 「どうせお泊まりやすのんやろ?」 「さあ、それがどうなるか分らないんです」 「そう云わんとまあお這入りやす。おいしい物おへんよって、せいぜいお腹減しといとおくれやす」 要はここの風呂へ這入るのは久し振りだった。上方に普通な長州風呂と云う奴で、一人の体が満足には漬からないくらい小さな釜の、周りの鉄の焼けて来るのが東京風のゆっくりとした木製の湯槽に馴れた者には肌ざわりが気味悪く、なんだか「風呂へ這入った」と云う心持がしないのに、まして湯殿がおそろしく陰気な建て方で、高いところに無双窓があるだけだから昼間でも厭にうすぐらい。自分の家でタイル張りの浴室にばかり這入りつけているせいか穴蔵へでも入れられたようで、その上丁子を煎じてあるのが、垢だらけに濁った薬湯のような連想を起させるのである。美佐子なぞは、あのお湯は丁子の匂いで胡麻化してあるので幾日目に換えるのだか分らないと云って、すすめられると体よく逃げたものであったが、主の方は又「うちの丁子風呂」と云うのを自慢にして、客への御馳走と心得ているらしかった。老人の「雪隠哲学」に依ると、「湯殿や雪隠を真っ白にするのは西洋人の馬鹿な考だ、誰も見ていない場所だからと云って自分で自分の排泄物が眼につくような設備をするのは無神経も甚しい、すべて体から流れ出る汚物は、何処までも慎しみ深く闇に隠してしまうのが礼儀である」と云うのであって、いつも杉の葉の青々としたのを朝顔に詰めるのはいいとして、「純日本式の、手入れの届いた厠には必ず一種特有な、上品な匂いがする、それが云うに云われない奥床しさを覚えさせる」と云うような奇抜な意見さえあるのだが、雪隠の方はともかくも、風呂場の暗いのにはお久も内証で不便をかこつことがあった。彼女の話だと、丁子も近頃はエッセンスを売っているから、その一二滴を垂らしさえすれば済むものを、矢張昔風に実の干したのを袋に入れて、湯の中へ漬けておかなければ老人が収まらないのだと云う。 「肩流しておくれやすんやけど、あんまり暗おすので、前とうしろと間違えたりおしやしてなあ」 要はお久のそんな言葉を想い出しながら、柱にかけてある糠袋を見た。 「お加減はどうどす?」 と、焚き口の方でお久らしい声が云った。 「結構です。それより誠にすみませんが電気をつけて貰えませんか」 「ほんに、そうどしたなあ」 しかし点された電燈と云うのが、それもことさらそうしてあるのに違いない豆ランプ程の球であるから、ひとしお陰気で暗さが増したような気がする。要は流しに出ていると体じゅうを藪蚊が喰うので、ざっとシャボンも使わずに汗を洗い落してから丁子の湯の中に浸りきっていたが、そうしていても蚊は相変らず首の周りへ襲って来る。中はそんなに暗いのだけれど、無双窓の櫺子の外はまだうす明るく、楓の青葉が日中よりは却って冴えて織り物のような鮮やかな色を覗かせている。なんだか辺鄙な山の湯にでも来たようで、老人がよく「うちの庭ではほととぎすが聞ける」と云っていたのを思うにつけ、こう云う時に啼かないものかなと耳を澄ましたが、聞えるものは何処か遠くの田圃の方で雨を呼んでいる蛙の声と、わーんと云う蚊の啼きごえばかりである。それにしても今頃瓢亭の座敷にいる親子は、何を話しているだろう。老人は婿に対してこそ遠慮があるものの、あの口ぶりから察すると恐らく娘には圧制的に出るのではないのか。要はそんなことが多少は心にかかりながら、どう云うものか二人を送り出してしまってからは何となく気が軽くなって、こうして風呂に漬かっている此処の家が、すでに第二の妻を迎えた自分の新居であるような愚かしい空想が湧くのであった。思えばこの春からしきりに機会を求めては老人に接近したがったのは、自分では意識しなかったところの外の理由があったのかも知れない。そういう途方もない夢を頭の奥に人知れず包んでいながら、それで己れを責めようとも戒しめようともしなかったのは、多分お久と云うものが或る特定な一人の女でなく、むしろ一つのタイプであるように考えられていたからであった。事実要は老人に仕えているお久でなくとも「お久」でさえあればいいであろう。彼の私かに思いをよせている「お久」は、或はここにいるお久よりも一層お久らしい「お久」でもあろう。事に依ったらそう云う「お久」は人形より外にはないかも知れない。彼女は文楽座の二重舞台の、瓦燈口の奥の暗い納戸にいるのかも知れない。もしそうならば彼は人形でも満足であろう。 「ああ、お蔭様でさっぱりしました」 と、要はその声で自分の妄想を振り落すように云いながら、借り物の浴衣を湯上りの肌へ引っ掛けて戻った。 「きたのうて心悪おしたやろ」 「なあに、丁子風呂もたまには変っていていいですよ」 「けど、お宅のお風呂場みたいに明うしたら、あてえ等よう這入りまへん」 「どうしてです」 「あないに何処も彼処も白おしたら晴れがましおしてなあ。………あんさんとこの奥様みたい綺麗おしたらよろしおすけど。………」 「へえ、そんなにうちの女房は綺麗かしらん?」 要は眼の前にいない人に軽い反感と嘲りの心もちを含めて云いながら、すすめられるままに杯を受けて器用に乾した。 「さ、一つ差上げましょう、………」 「そうどすか、そんなら戴きます」 「甘子がなかなか結構です。………ところでこの頃は地唄はどうです?」 「あんなもん、しんき臭おしてなあ。………」 「この頃はやっていないんですか」 「してることはしてますけど、………奥様は長唄どすやろ」 「さあ、長唄なんかとうに卒業しちまって、ジャズ音楽の方かも知れない」 春慶塗の膳の上に来る蛾を追いながらお久があおいでいてくれる団扇の風を浴衣に受けて、要は吸い物椀の中に浮いているほのかな早松茸の匂いを嗅いだ。庭の面は全く暗くなりきって、雨蛙の啼くのが前よりも繁く、かしがましく聞える。 「あたしも長唄けいこしてみとおす」 「そんな不料簡を起すと、叱られますぜ。お久さんのような人には地唄の方がどのくらいいいか知れやしません」 「そら、地唄習うのもよろしおすけど、お師匠はんがやかましおして」 「たしか大阪の、何とか云う検校さんじゃあなかったんですか」 「へえ、───それよりも内のお師匠はんの方がなあ、………」 「あははは」 「かなしまへんどす、講釈ばっかり多おして、………」 「あははは、………年を取ると誰しもみんなああなるんですよ。そう云えばさっき風呂場にあったんで思い出したんだが、相変らず糠袋を使うんですね」 「へえ、御自分はシャボンお使いやすけど、女は肌が荒れていかんお云やして、使わしとおくなはれしません」 「鶯の糞はどうしてます?」 「使てます、一向に色は白うなれしまへんどすけど」 二本目の銚子を半分ほどにして、あとはあっさり茶漬にしてから、食後に枇杷を運んで来たお久は、玄関の方で電話のベルが鳴るのを聞くと、剥きかけた実をギヤマンの皿の上へ置いて立ったが、 「へえ、………へえ、………よろしおす、そない申しときます。………」 と、電話口でうなずいていたのが、直きに戻って、 「奥様も泊まる云うとおいやすさかい、もうちょっとゆっくりして行く云うてどすえ」 「そうですか、帰ると云っていたんだけれど、………泊めていただくのは久し振りのような気がしますね」 「ほんに、あれから長いことどすなあ」 しかし要が美佐子と二人で一つ伏戸に寝ると云うのも随分「長いこと」ではあった。尤も二三箇月前に弘が東京へ行っていた折、何年振りかに二人ぎりで二た晩か三晩を過したことがあるにはあるけれど、その時の経験では、全く合い宿の旅客のように平気で枕を並べながら、互に何のかかわりもなく安眠することが出来たほどにも、凡そ夫婦らしい神経が麻痺してしまっているのである。老人が今日はしきりに泊めることを主張したのは、恐らくそれが予定の計画だったのであろうが、その折角の心づかいを要は多少迷惑には感ずるものの、殊更それを避けようとするほど気が重くなりもしない代りには、今更何の足しになろうとも思えなかった。 「えらく蒸しますね。風がぱったりなくなってしまった。………」 要は消えかかった蚊やりの煙の真っすぐに立ちのぼる土庇の外を仰いだ。止んだのは庭の面の風ばかりではない、お久もあおぐのを忘れたように、手にある団扇をじっと動かさずにいるのである。 「うっとしおすなあ、雨どすやろか?」 「そうかも知れない、………さっと一と降り来るといいんだが、………」 そよともしない青葉の上には、雲ぎれのしたところどころに星のにじんでいるのが見える。虫が知らせるとでも云うのか、ちょうど今頃、父親の説諭に反抗している妻の一途な言葉のはしはしが聞えて来るような心地がする。要はその時、妻より一層強気な決意がいつしか自分の胸の奥にも宿っていることをはっきり感じた。 「何時でしょう」 「八時半頃どす」 「まだそんなもんですか。静かですねえ、この近辺は」 「早おすけど、横におなりやしたらどうどす? そのうちにお帰りやすやろさかい、………」 「電話の模様じゃあ話がなかなか手間が懸るんじゃないんですかね」 要はひそかに老人よりもお久の意見を聞きたい気がした。 「何ぞ本でも持って来まひょか」 「有り難う、………お久さんはどんな物を読むんです?」 「なんやかや草双紙みたいなもん持っておいでてこれ読めお云やすけど、そんな古臭いもん読まれしません」 「婦人雑誌はいけないんですか」 「あんなもん読む暇あったら手習いせえてお云やす」 「お手本は?」 「柳春帖」 「柳春帖?」 「それから池凍帖、───お家流の本どす」 「なる程。───それでは何か、その草双紙でも拝借しましょう」 「名所図会はどうどす?」 「そんなものがいいかも知れない」 「そしたら彼方へおいでやすな、離れの方にもうちゃんと支度しとおすえ」 廊下づたいに、お久は先へ立って行って、茶の間の水屋の前を通ると、隣りの六畳の間の方の襖を明けた。暗いのでよく分らないが、中には蚊帳が吊ってあるらしく、まだ戸締りのしてない庭からすうッと流れ込む冷めたい空気に萌黄の麻の揺られるけはいが察せられる。 「風が出て来たようやおへんか」 「急にひいやりして来ましたね、もう直き夕立がやって来ますぜ」 蚊帳の裾がさらさらと鳴ったのは、風ではなくてお久が中へ這入ったのだった。そして手さぐりでスウィッチを捜して、枕もとの行燈の中に仕込んである球をともした。 「もうちょっと明い球持って来まひょか」 「なあに、昔の本は字が大きいから、これでも結構読めるでしょう」 「雨戸明けといてもよろしおすやろ、あんまり暑苦しおすさかい、………」 「ええ、どうぞ。いい時分に僕が締めます」 要はお久が出て行ってしまうとともかくも蚊帳の中に這入った。広くもあらぬ部屋ではあるし、麻の帳で仕切られているので、二つの蓐が殆ど擦れ擦れに敷いてある。自分の家では、夏にはいつも出来るだけ大きな蚊帳を吊って、出来るだけ離れて寝る習慣があることを思うと、この光景は異様に感ぜられなくもない。しょざいなさに彼は煙草に火をつけて腹這いになりながら、萌黄の帷の向うにある床の間の軸を判じようとしたけれど、何か南画の山水の横物らしいとは思えても、行燈が中にあるせいか外はもやもやと翳っていて、図柄も落欵もよく分らない。掛け軸の前の香盆に染め付けの火入れが置いてあるので、始めてそれと気がついたのだが、さっきから微かに香っているのは大方あれに「梅が香」が薫じてあるのであろう。ふと、要は床脇の方の暗い隅にほのじろく浮かんでいるお久の顔を見たように覚えた。が、はっとしたのは一瞬間で、それは老人の淡路土産の、小紋の黒餅の小袖を着た女形の人形が飾ってあったのである。 涼しい風が吹き込むのと一緒にその時夕立がやって来た。早くも草葉の上をたたく大粒の雨の音が聞える。要は首を上げて奥深い庭の木の間を視つめた。いつしか逃げ込んで来た青蛙が一匹、頻にゆらぐ蚊帳の中途に飛びついたまま光った腹を行燈の灯に照らされている。 「いよいよ降って来ましたなあ」 襖が明いて、五六冊の和本を抱えた人の、人形ならぬほのじろい顔が萌黄の闇の彼方に据わった。 底本:「蓼喰う虫」新潮文庫、新潮社    1951(昭和26)年10月31日発行    1969(昭和44)年2月10日20刷改版    1987(昭和62)年11月30日53刷 初出:「大阪毎日新聞 夕刊」    1928(昭和3)年12月4日~1929(昭和4)6月18日    「東京日日新聞 夕刊」    1928(昭和3)年12月4日~1929(昭和4)6月19日 ※底本巻末の三好行雄氏による注解は省略しました。 入力:kompass 校正:しんじ 2019年6月28日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。