新書太閤記 第一分冊 吉川英治 Guide 扉 本文 目 次 新書太閤記 第一分冊 序 日輪・月輪 野の子ども この一軒 香炉変 大鵬 群盗 猫の飯 塩 卍の一族 成敗 矢矧川 蛍 天高し 稲葉山城 十兵衛光秀 火の粉・風の子 松下屋敷 今川往来 信長 狂児像 出仕 じゃじゃ馬 孤君と老臣 茨を拓いて 奉公一心 米饅頭 序  民衆の上にある英雄と、民衆のなかに伍してゆく英雄と、いにしえの英雄たちにも、星座のように、各〻の性格と軌道があった。  秀吉は、後者のひとであった。  生れおちた時から壮年期はいうまでもなく、豊太閤となってからでも、聚楽桃山の絢爛や豪塁にかこまれても、彼のまわりには、いつも庶民のにおいが盈ちていた。かれは衆愚凡俗をも愛した。  かれは自分も一箇の凡俗であることをよく弁えていたひとである。かれほど人間に対して寛大な人間はなかった。人間性のゆたかな英雄はと問えば、たれもみなまず指を秀吉に屈するのも、かれのそういう一面が、以後の民衆の間に、ふかく親しまれて来たからではないだろうか。  おそらく秀吉への親しみは、この後といえどかわるまい。理由はかんたんである。かれは典型的な日本人だったから。そして、その同身感から好きになる。わけてかれの大凡や痴愚な点が身近に共鳴するのである。  日本人の長所も短所も、身ひとつにそなえていた人。それが秀吉だともいえよう。かれの長所をあげれば型のごとき秀吉礼讃が成り立つが、その方は云わずもがなである。われわれが端的に長所をかぞえたてたりすれば、かえって彼という人間の規格は小さくなる。かれの大きさとは、そんな程度のものではない。  わたくしのこの「新書太閤記」は、まだ秀吉の大往生までは書けていない。彼も英雄というものの例外でなく、晩年の秀吉は悲劇の人だ。大坂城の斜陽は〝落日の荘厳〟そのものだった。私はむしろ、彼の苦難時代が好きである。この書においても、秀吉の壮年期に多くの筆を注いだのは、そのためだった。また、ひとり秀吉だけの行動を主とする太閤記でもありたくなかった。尠くも、信長出現以後、天正・慶長にまでわたる無数の熒星、惑星の現没にも触れてゆきたい。特になお、家康が書けていなくては、太閤記は完しといえないと思う。  むかしからある多くの類本、川角太閤記、真書太閤記、異本太閤記など、それから転化した以後の諸書も、すべてが主題の秀吉観を一にして、彼の性情を描くのに、特種なユーモラスと機智と功利主義とを以てするのが言い合わせたように同型である。  かつての太閤記作家もみな、秀吉の人間とは、なかなか、真正面に組みきれなかったことが分る。わたくしはそういう逃げ方はしまいと思った。わたくしの力不足はわかっているが、彼もまた、わたくしたちと同じ血と凡愚をもっていた一日本人であったという基本が、何よりも著者の力であった。 著者 日輪・月輪  日本の天文五年は、中国の明の嘉靖十五年の時にあたる。  日本では、その年の正月に、尾張の国熱田神領の──戸数わずか、五、六十戸しかない貧しい村の一軒で──藁屋根の下の藁のうえに奇異な赤ン坊が生れていた。  後の豊臣秀吉である。  生み落された嬰児は、母が貧しい物しか喰べていなかったので、五年樽の梅干みたいに、赤くて皺だらけだった。  藁廂の藁の先から、氷柱がさがっているような一月の寒さだったし、産褥を囲む小屏風一ツない家なので、嬰児は、へその緒を切られても、泣く力すらなかった。  ──死んで生れたか。  と、みな思った。  でも、父の弥右衛門だの、知己の人たちが、産湯から上げて、お襁褓のうえへ転がしてみると、突然、呱々の声をあげた。  啼くだけ啼きぬくと、この嬰児はまた、百年の眠りから覚めたように、大きな欠伸を一つした。  ──生きてるがなあ!  ──何とか育とうによ!  襷をはずした手伝いの女たちは、そういって、せめて親の弥右衛門をなぐさめ、産婦を祝福したものだった。     ………………………………………………  その年の頃。  隣邦の中国では、大同に兵乱があり、遼東が騒いだりしていたが、元の国号を革めて明としてから、朱氏数百年の治世はまだ揺ぎもしなかった。  いやむしろ、元の前時代、宋や唐の昔より、国運は漲り、近代的に覚めて以て、今や明の盛代とさえ見えた。  黄河の水。  揚子江の水。  それも今と少しも変らない──悠久として黄色い濁流を、中国と日本のあいだの──大きな天地から観れば一跨ぎの溝に過ぎない海へ──不断に吐き出していたのである。       ×      ×      × 天のはら ふりさけみれば 春日なる みかさの山に いでし月かも  遠く日本を出てから、五郎大夫は、故国のこともいつか頭に薄れていたが、この歌だけは、忘れはしなかった。  阿倍仲麻呂の歌だ。  月を見、草を見、渡り鳥を見るにつけ、五郎大夫は、阿倍仲麻呂が歌ったような日本恋しさの望郷に、どれほど駆られたことか。  だが、明日こそ帰るのだ!  十二年間も留まっていたこの江西省饒州府の浮梁(現在の景徳鎮)を立って。 「夜が明けたら……」  五郎大夫は寝ても眠れなかった。 「──日本に残して来た家の者たちは、わしが生きているとは夢にも思っていないだろうな。母はまだ達者かしら。弟妹たちは、どうしたろう」  更けるほど、頭は冴えてしまう。──明日の旅に、疲れを残してはならないと気遣いながらも。  すると、同じ想いで、やはり寝つけないでいたものとみえ、日本から連れて来て以来、ずっと側に仕えてきた忠実な下僕の捨次郎が、 「旦那さま。お目ざめでございましょうか。お目ざめなら、ちょっと……」  と、寝室の扉を外から軽くたたいた。  五郎大夫は、臥床から降りて、榻(陶器製の腰掛け)へ腰を移しながら、 「おはいり。──おまえも眠れないのか」 「なあに、私は」  捨次郎は部屋の中へ進んで来て、主人の前に立った。 「宵にぐっすり寝ておりますが……ただあのことが一つ気になりまして」 「あのこととは」 「お子様のことです」 「……ウむ」  と、五郎大夫も、ずきんと、胸の傷む顔をした。  この浮梁にいる間に、五郎大夫はひとりの婦人との間に、子をもうけていた。  彼女は、廬山の向う側の星子という土地から、この浮梁の窯業場へ、働きに来ていた。  姓は楊、名は梨琴といって、気のやさしい──その代り病身そうな細腰の美人だったから、激しい働きには、不向きだった。  話は、少し反れるが。  そもそもこの江西省の浮梁という土地は、日本まで遠く聞えている陶器の産地なのである。遠い唐の時代から窯が築かれ、宋元の頃には、宮廷の御用品を焼く官窯が出来、それに附随する役所だの、商家だの、職人町などで、当時、支那第一の陶府といわれるほど殷賑を極めていた。  五郎大夫は、ここの陶器の製法を究めるために、実に、十二ヵ年の辛苦と郷愁に耐えて、異国に暮して来たのだった。  日本から来るには。──海上六百里、長江を溯ってから、なお四百余里もある。──そして、潯陽城(現在の九江)の河港からまた、水路や陸路を経て、廬山をあおぎながら、鄱陽湖をわたり楽平河をめぐり──文字どおり千里の旅を、半歳もかかるのだった。  その幾山河を、明日はまた、日本へ向って帰るのだ。  五郎大夫も、捨次郎も、眠れないほど欣しい!  だが、宵から帳を垂れて、顔も見せずに泣いてばかりいる者があった。子を抱えた梨琴であった。  梨琴は、窯場で五郎大夫と親しくなって、その妾とも家婢ともつかず、この家へ来たものだった。  五郎大夫の研究はその目的を達して、いよいよ曠れて帰る日が来た。かねて覚悟していたことではあるし、彼の多年の苦心が、彼の本国で実を結ぶことを考えると、梨琴は悲しみ以上に、男のために欣ばなければいけないと思った。けれど、まだ三歳のあどけない男の子を、膝に見ると、 「この子をどうしよう」  と、思いみだれ、おとといの夜から泣きつづけて、顔も見せない程だった。  下僕の捨次郎が今──ふいに主人の寝室を訪れたのもその梨琴が迷っていた問題を、やっと彼女も思い決めたというので、取次に来たのであった。 「ただ今、梨琴さんがいうには、きのうも一昨日も、あんなに云い張ったが、将来を考えると、やはり自分の手で育てるよりも日本へ連れて帰っていただいた方が幸福になるに違いない。──だから最初の相談のように、子どもは、貴方にお頼みしたいと申すのですが」 「あ。……考え直したか」  五郎大夫は、彼女の気持を思いやって、ほろりとした。 「ちょっと、呼んでくれい。──梨琴を」 「はい」  下僕の捨次郎は、部屋を出て行った。  大きい家ではない。  勿論、家も調度も、主従の服装も、すべてこの土地の風俗のままである。 「旦那さま。お連れしました」  捨次郎は、やがて梨琴の腕を抱いて、支えながらそこへはいって来た。  梨琴はすぐ床へ泣きくずれ、 「祥瑞さま! ……」  と、咽んで呼んだ。  祥瑞というのは、五郎大夫の中国名であった。陶器を焼く秘法を会得するためには、あらゆる習慣をすてて、この国の生活に、同化して来たのであった。 「オオ……。今、捨次郎から聞いた。子どものことは、心配しないがいい」  こんな言葉では、慰めきれない気がしたが、五郎大夫は、そういうしかなかった。  梨琴は、やっと涙をおさめて、 「あなたにお別れする上に、子まで離すのは、死ぬより辛うございますが、よくよく考えてみると、わたしには身寄りもなく、体も弱いし、この子が大きくなるまでは、生きていられないと思います。そうすれば、この子はきっと、奴隷に売られるか、土匪に手なずけられるか、いい人間には成りっこありません」  もう彼女は、聡明な母の冷静に返っていた。 「──それにひきかえ、長年の間、あなた様のお生活ぶりや、御主従のあいだ柄を見ていると──知らない日本という国がうすうすでも分る気がいたしました。私の国では、あなたの国の人を、倭奴だの、東洋鬼だのと、恐れていますが、それは南の海岸や、揚子江を溯って来る、あの倭寇ばかり見て、それが日本人だと思いこんでいるからでしょう。……けれど私は、そうは思いません」  彼女は、泣いてばかりいた三日分の思いを一ぺんに晴らすように、云いつづけた。 「──日本には行ってみませんけれど、貴方のお心のうちには、何年か住まわせていただきました。貴方はいくら中国の着物を着、中国の女を持ち、中国の家に暮しても、血は驚くほど変らない日本人です。その日本の国は、情義に強く、武勇に長けて、しかも優美な国だということもよく分っているつもりです。──ですからこの子は、私の手に育てるより、貴方にお頼みしたほうが子の幸福だと考えたわけでございます」 「…………」  五郎大夫は粛然と、大きくうなずいて見せた。  捨次郎も傍らに立ったまま、頭を垂れて、聞いていた。  その時、がやがやと、家の外で声がしだした。  ふと見れば、窓は仄かな夜明けの光に染まりかけている。外の声は、きょう日本へ立つ五郎大夫を見送りに来てくれた窯場の人たちであろう。勿論がやがやいう言葉はみな中国音である。五郎大夫も、熟練した中国音で、 「やあ、皆の衆。お早くからありがとうぞんじます。今すぐ支度しますから、茶でも喫んでいて下さい」  扉をひらいて、挨拶した。  見送りの者たちは、 「いや、茶も朝飯も、途中の景色のいい所でやろうよ。支度がよかったら出かけようじゃないか」  と、いった。  浮梁は、丘に囲まれた、盆地の町だった。  土採り山や、薪山や、無数の窯場が、目の下に見える。  窯の数ヵ所から、暁の浅黄いろの空に向って、幾すじも、煙が立ちのぼっていた。 「祥瑞さん、もうこれが、お別れだな」  見送りの人々もいう。  祥瑞五郎大夫は、丘の上の道に立って、 「ええ、まったく」  振り顧って、しばらくじっと、眸をこらしていた。  言葉は、それだけしか出なかったが、既往十二ヵ年のことが、一度に胸へ呼び起されていた。  わけて、後に残して来た梨琴の身が、不愍であった。  その梨琴は、今朝、 「わたしは、家の窓からお見送りさせて戴きます。生なか途中まで行けば、もっともっと、日本までも、従いて行きたくなりますから」  といって、家に残った。  飽くほど、頬ずりして、泣く泣く彼女が手から離した子は下僕の捨次郎に今、負ぶわれている。男の子だ。  名は、楊景福。  見送り人は、十五、六名もいて、荷物は一頭の驢馬と、一台の鶏公車とに積んだ。見送りの一人が途中で、 「捨さん、重いだろ。長い途だから、子どもはこれへ乗せたらどうだね」  と、いってくれたので、捨次郎は背中の子を鶏公車へ移した。  車輪の大きな手押し車である。野や山坂のきらいなく押し通る小型の荷車だから、わざと歯の心棒には油を注さない。車輪が廻るにつれて、キイキイと牝鶏が啼くような軋み声をたてるので鶏公車という名があった。  その荷物の間に挟まって、嬰児は嬉々としていた。時々、米の粉の掻いたのや、練飴を舐ぶらせて行く。  船で泊り、旅籠に休み、幾夜を経てようやく、揚子江の畔の潯陽に出て来た。  見送り人もそれまで来る途中で、二人別れ、三人去り、ここの城内まで従いて来た者も、やがてみな帰った。  船宿で、五郎大夫主従は、幾日か船の便を待っていた。  すると金陵(南京)まで下江る船が今夜おそく、湓浦江の河口から出るという日の──まだ明るい頃だった。  船宿の手代が、薄い紙包を持って来て、 「旦那にお上げしてくれと、痩形の綺麗な女が、これを置いて、逃げるように行ってしまいましたが」  と、告げた。  容貌や年頃を糺すと、梨琴にちがいないのである。  怪しんで、包を開いてみると、それは五郎大夫が長年のあいだ、手に入れようとしても、どうしても手に入れることが出来なかった陶製の秘本だった。  この本を所持していた者は、窯場の職人頭をしている、依怙地者で、 「日本人には売らない」  といったり、途方もない多額な値を吹っかけたり、五郎大夫も遂に、断念するほかなかった物であった。 「どうしてそれを、梨琴が手に入れたろう?」  彼女が、姿を見せたのは、たった今のことだという。五郎大夫は、子を宿の者に頼んで下僕の捨次郎と共に、城内の街を隈なく探しあるいた。  見つからない。──梨琴のすがたは、とうとう見つからなかった。  日は暮れてしまう。  夜は深くなる。  かえって、宿の者が、五郎大夫主従を探しぬいて、やっと追い着き、 「もう、船が出ますぞ」  と、いう。  あわてて、荷物や子どもを、湓浦江の岸へ運んでもらい、蘆荻のあいだに繋いである小舟に乗りこんだ。  便船は、江の中ほどに、碇を下ろしている。そこまで小舟で行くのだった。  暗い水に怯えたのか、小舟が揺れ出すと、嬰児は、ひいッと泣き出した。 「泣くな、泣くな。何をお泣きやる。……よし、よし」  ──すると何処からか、琵琶の音がながれて来た。この辺に水楼の灯は見えない。江一面に、蘆荻と暗い水の戦ぎであった。 「ア、梨琴じゃないか」  五郎大夫は、見まわした。  梨琴も琵琶が上手であったからである。──だが、櫓を把っている船頭は、少しも感情のない声でいった。 「旦那、ご存じありませんか。この潯陽城の船着きは、むかし白楽天とかいう詩人が、琵琶行っていう有名な詩を遺した跡だっていうんで、琵琶亭があるし、それから船で琵琶を弾いて、旅のお客さまに伽をする妓がいるんでさ。……お望みなら、舷を手でたたいて、オーイと呼んでごらんなさい。すぐ漕ぎよせて来ますから」  五郎大夫は、聞き流して、闇をながめていた。  琵琶はやんだ。  そして、通りすがった蘆間の蔭に、一艘の船を見た。竹で編んだ苫のうちから、薄い灯火の光が洩れ、その明りの中に、耳環をした女の白い顔が見えた。 「……?」  もとより梨琴ではない。  けれど彼女の心と、五郎大夫の心とは、この星の下と、波間のうえとで、明らかに交流していた。 「日本に帰っても」  と、彼は独り思った。形の上の別れが、絶対の別れではないと思った。  一つの花が、他の一つの花へ、花粉を触れた時、それから生れ出た物は、永遠に地上から消えない芽を土から持つ。  その芽は、自然が手伝って、繁茂する。花になりまた、結実する。  千里を隔てていても、土と土とが、また──心と心とが、かくまで似ている二つの国では、そうした文化の交流は、雨と海水とのように、何千年も前から自然に行われて来た作用であった。  深夜。長江の秋だ。  五郎大夫は、東へ東へと、揚子江を下ってゆく船の上でも、そんなことを想いつづけた。  自分が、この江を溯って来たのも、その作用の一役を、自然が命じているのである。自分と濃い血液のつながっている数代前の祖先、伊藤五郎大夫は、道元禅師に侍いて、やはり支那へ渡った人であった。  臨済の栄西禅師も。  また、弘法も。  ずっと以前の遣唐使の若いたくさんな人々も。  同じに、支那からも、秦や漢代の人々が、無数に日本へ移り住み、それはすでに、この国の民くさとなって、血も立派に一つとなって今日に流れて来ている。 野の子ども 「おらの蜂だぞッ」 「おらのだい」 「うそだいうそだい」 「見つけたのは俺だい」  この辺りいちめん、真っ白な大根の花と、咽せるような菜の花の畑である。  その中を、棒でたたいて、七、八名の悪童連が、朝鮮蜂とよぶ尻に袋を持ったのを、一匹でも見出すと土旋風でも駈けるように、われがちな奪い合いだった。  弥右衛門の子、日吉は、ことし七歳になる。  胎内にいた時、母が十分に食物を摂っていなかったせいか、五年漬の梅干みたいな顔をして生れ落ちたこの子は、七歳になっても、まだその不足が取り返せないとみえ、他の子より小粒で、貌に小皺があった。  だが、悪戯と乱暴は、この中村郷の童の中でも、一といって二と落ちない。 「阿呆ッ」  蜂を争いながら、日吉はどなった。  大きな子に、撥ねとばされたのである。  転んだ上を、またほかの子が踏んづけた。日吉は、その足を掬って、 「──捕った者ンの蜂だぞ。捕ったら捕った者ンの蜂だい」  と、宣言して、敏捷に先へ駈けた。  そして、宙へ飛ぶと、その手の中に蜂をつかんでいた。 「やあい、おらの物ンだ」  日吉は、蜂を握って、十歩ほど先へ行ってから掌をひらいた。蜂の首と、羽を捥いで、すぐ口へ入れてしまった。  蜂の腹は、甘い蜜の袋である。砂糖などの味を知らない少年の舌には、天地にこんな美味い物があろうかと思われるのだった。 「……アア、甘え」  日吉は、眼をほそくして、蜜が喉をながれ込んでも、何度も舌を鳴らしていた。 「…………」  ほかの連中は、羨ましげに、彼の表情を唾を溜めて眺めていた。蜂はいくらも飛んでるが、朝鮮蜂は少ないのだ。その口惜しさがこみあげて、 「猿」  と、大きな童がいった。仁王と綽名のある少年である。  仁王だけには、日吉も敵わなかった。それを知っているので、みな尾について、 「えて坊」 「猿やい」 「さる。さる。さる」  と、いちばんチビの於福までいった。  於福は、数え年九ツというが、七歳の日吉とそう違わなかった。しかし、色は白いし、目鼻立ちもよく、容貌では較べものにならない。  それに、村では、大尽子の方で、小袖らしい着物を着ているのも、於福だけだった。ほんとの名は、福太郎とか福松とかいうのだろうけれど、男名でも、頭字に於の字をかぶせて呼ぶことが、良家の風習となっているので、このお大尽子も、そんな真似をして呼ばれているものとみえる。 「やい、いったな!」  日吉は、誰に猿とよばれても、怒った例しはなかったが、於福にいわれると、睨めつけた。 「いつも俺が、庇ってやるのを、忘れたのか。白茄子め!」  日吉にそう罵られると、於福は何ともいえない、気の弱い顔をして爪を噛んだ。  白茄子と悪口をいわれたことよりも、恩知らずといわれたことが、子ども心にも、強く恥を感じたらしかった。  ほかの子供らは、もう眼を反らしていた。そして朝鮮蜂の代りに、畑の彼方を通る一筋の黄色い埃に眼をあつめた。 「ア、兵隊だ」 「武者が通る」 「戦から帰って来た」  わあっと、両手を挙げて、彼らは歓呼した。  領主の織田信秀と、隣国の今川義元とは、両立しない二つの勢力だった。国境方面では、絶えずどこかで小競り合いがあった。或る年は、今川家の精鋭が、この辺まで潜行して来て、ふいに民家に火を放けたり、田の稲を刈ったり、畑を荒したりして去ったこともある。  そういう時、領主の兵は、火の手を見るや、那古屋や清洲城から殺到して、眼の前で、敵を蹴ちらし、敵を斬り、そして各所の砦や木戸の兵も出合わせて、これを殲滅した。  冬──  そんな年には当然、土民は、食物にも家にも困ったが、誰も、領主を怨まなかった。飢えれば飢えるで、寒ければ寒いで、 (今に、一泡ふかしてやるで)  と、むしろ今川氏に対する敵愾心を昂めた。  この辺の童は、生れた時から、それを見、それを聞きして、育って来たのである。  だから領主の軍勢とみれば、自分自身みたいに思った。また、子供らの生れながらの血も、兵馬を見ると、何を見たよりも強く昂奮した。 「行ってみろ」  誰かがいうと、わっと皆、それへ向って今も、駈け出した。  於福と日吉だけは、後に残ってまだ睨みあっていた。気の弱い於福は、他の者と一緒に駈けて行きたかったが、日吉の眼に縛られて、去るに去れない姿だった。 「……ごめん」  於福は、恐々、日吉のそばへ寄って、彼の肩へ手をのせた。 「ごめんね。……ね」  日吉は、ぷっと赤い顔をして、肩を揺りうごかしたが、於福の泣き出しそうな眼をみると、急に、 「俺んことを、一緒になって、悪ていいうからだい」  と、肩を柔らげた。  そしてまだ少し胸がすまないようにいった。 「汝れのことを、何日もみんなが、唐人子、唐人子って、揶揄うだろが。おらは揶揄ったことなんかあるかい」 「ない……」 「唐人子だって、おら達のなかまになればおら達の国の者んだい。そういってるだろ」 「うん」 「ほんとだぞ、於福」 「うん……」  於福は、眼をこすった。泥が涙に溶けて、眼のまわりにぶちができた。 「ばかやい。泣くから唐人子っていわれるだい。武者を見に行こう、ア、早く行かねえと行っちまうぞ」  於福を引ッぱって、日吉も後から駈け出した。彼方の黄色い埃の中に、軍馬や旗差物がもう近く見えていた。  二十騎ほどの侍と、二百人ばかりの歩兵だった。それに小荷駄の一隊が、ごっちゃに交じって──槍も長柄も弓持も、秩序なく前後になって──熱田街道から稲葉地の野づらを横ぎり、庄内川の堤の上へと、今、一騎一騎、背のびするように登りかけたところだった。 「──わあッ」  畑から飛んで来た子ども達は、軍馬を追い越して堤へ駈けあがった。  日吉も、於福も、仁王も、ほかの洟っ垂らしも、眼をかがやかして、そこらの野薔薇や菫や雑草の花をむしり取って、両手につかみ、眼の前を勇しい武将や兵が通るたびに、 「八幡。八幡」 「勝ちいくさ」 「華武者祝え。華武者祝え」  ふしをつけて叫びながら、手の花を、声と共に抛り合った。  村でも、街道でも、領土の子ども達は、兵馬を見るとこう躁いで祝福した。──けれど馬上の将も、足を引き摺って行く兵隊も、みな仮面のような強い顔を黙々と持って、 (寄るな……)  とも叱らない代りに、彼らの歓呼に、ニコと一笑を酬いてもくれなかった。  殊に今通るこの一隊は、三河方面から引き揚げて来た軍の一部らしく、前線でさんざんに戦い抜いて来たものとみえ、馬も人も疲れぬいていた。  馬の中には、腹を突かれて、腸をぶら下げている馬もいた。兵の中には、満身血になって、戦友の肩にすがってやっと歩いて行くような兵もいた。  槍の柄にも、具足にも、干乾びた血は、漆みたいに黒く光っている。──そして、どの顔もどの顔も、汗と埃にまみれ、ただぎらぎらした眼のみが続いて行った。 「水を飼え。──馬に」  河原へ降りると、先頭の武将のひとりが云った。  側を囲んでいた騎馬の侍がすぐ、そのことばを大声で、隊に伝え、 「やすめ」  と、令を布いた。  騎馬の者は、ばらばらと馬を降り、徒歩の兵は、ほっと足を止めて、  ああ!  といわないばかりに皆、草の中に腰を落した。  清洲の城は、川向うの彼方に小さく見えていた。隊の中には、この尾張四郡の領主、織田備後守信秀の弟にあたる織田与三郎がいた。──与三郎は床几に掛け、五、六名の旗本に囲まれ、黙然と、空を見ていた。 「…………」  旗本たちも、口をつぐみ合っていた。脚の傷や、籠手の傷を、縛り直している者もある。この人々の眉色から察するに、前線での戦いは、明らかに、味方の大敗であったに違いなかった。  けれどもとより子ども達に、そういう観察はない。血を見れば、自分が血を流したように勇み、槍や長柄の光を見れば、敵を殲滅して来たものと思いこんで、ただ昂ぶり躁ぐのだった。 「八幡八幡」 「華武者、華武者」  馬に水を飼っていると、馬にも花を投げて囃した。──すると駒のそばにいた一人の侍が、日吉を見かけて、 「弥右衛門の伜。おっ母さんは変りないか」  と、手招きして訊いた。 「あ? ……。おらけえ」  日吉は、彼の手の下へ歩いて行った。黒い鼻の穴を上へ向けて、その人を正視した。 「うん……」  日吉を手招きした手は、日吉の汗くさい頭を押えて、大きく頷いた。  まだ二十歳そこそこの若い武者だった。この人も戦って来た兵隊のひとりかと思うと、日吉は、頭に載せられている鎖籠手の重い手も、ぞくぞくする程、光栄なここちがした。 (どうだ、おれの家は、こういうお侍と知ってるんだぞ)  という誇らしさを、並んで此方をながめている他の友達へありありと顔つきに示していた。 「弥右衛門の子。おまえはたしか日吉といったな」 「ああ」 「いい名だ。いい名だ」  若い武者は、彼の頭を一つ撫でまわした。そしてその手を、自分の革胴の腰帯のところへ当てると、少し身を反らしながら、日吉の顔を眺め直して、独りで何か笑い顔していた。  日吉は、大人にでも、女の人にでも、すぐなつッこい顔つきを示すのだ。これは生れ性とみえる。まして知らないおじさんから──しかも離れてばかり見ていた武者から、直に頭に手を載せてもらったので、大きな眼は忽ち得意にかがやいて、いつものお喋舌りがすぐ出て来た。 「だけどなあ、おじさん。おらのことを、誰も日吉って呼ばないよ。日吉って呼ぶのは、おっ母さんとお父さんだけだ」 「似てるからな」 「猿にだろ」 「自分も心得ているのはなおいい」 「だって、みんないうもの」 「はははは」  戦場暮しの侍の声は、笑い声まで大きかった。側にいた侍たちも同時に笑った。その間、日吉は無聊な顔して、ふところから黍の茎みたいな物を出してはポリポリ齧っていた。その茎の汁は青臭いなかに甘い味があった。 「ベッ。……ベッ」  日吉は、噛むだけ噛んだ甘黍の糟を、そこらじゅうへ、行儀もなく吐きちらした。 「幾歳になるか」 「おらの年け」 「ウム」 「七歳」 「もうそうなるかなあ」 「おじさん、何処の人」 「おまえの母親と親しい者だ」 「へえ?」 「おまえの母の妹は、ようわしの屋敷へは遊びに見える。帰ったら、母へよろしくいってくれ。藪山の加藤弾正が、お達者に──というていたとな」  一息やすんだ兵馬は、その時もう列を立て直して、庄内川の浅瀬を彼方へ渡り出していた。  振り向くと、弾正も急いで、馬の背に跳ねあがった。陣刀だの、具足だのが、その人の体で、羽ぶるいするようにガチャッと鳴った。 「戦がやんだら、そのうち遊びに寄るぞというてくれ。弥右衛門どのへも」  云い捨てると、列から後れた弾正は、駒を速らせて、川瀬へ入れた。駒の脚から白い水が颯々と立って行く──。日吉は、甘黍の糟を口に入れたまま、恍惚と見送っていた。 この一軒  彼の母は納屋へはいるたびに、心が暗くなった。  漬物や穀類や焚物や──ここへはいる時は必らずそういう蓄えを取り出しに来るのであるが、その生命の糧は、常に途切れがちだった。 (この先、どうして……)  と、胸がつまるのである。  子どもは、七歳の日吉と、十歳になる姉と、わずか二人に過ぎなかったが、どっちもまだ何の働きに出せる年でもないし──良人の弥右衛門は、夏でも炉ばたに坐ったきりで、湯沸の下を見ているだけのことしかできない不具者だった。 「──あんな物、いっそのこと薪にして焚いてしもうたら、胸が癒えように」  納屋の壁を仰ぐと、真っ黒な樫柄の槍と、陣笠と、切れ端のような古具足とが、吊してあった。  以前、良人が戦に出るごとに、身に着けて出た晴着である。  それも今は、煤だらけになったまま、不具の良人と同じように、納屋の隅に埋もれていた。彼女は、見るたびに、忌わしい気もちに囚われた。戦というものに顫きを覚えて、 (良人が何といおうが、日吉は、侍にはさせぬ)  と、思うのであった。  自分が木下弥右衛門へ嫁ごうとした頃は、良人を選ぶなら侍と思ったものであった。自分が生れた御器所の家も、小さいながら武家だったし、木下弥右衛門も足軽ながら織田信秀の家中だった。そして今、この納屋の煤に埋もれている具足も、夫婦になると同時に、 (未来は千石取りに)  と、いう希望を賭けて、欲しい世帯道具よりも先に、無理工面して、新調したものではなかったか。  夫婦にとれば、懐かしい思いでの品でもある──。  だが、そんな若い頃の夢は、今の現実のまえには、一顧の価もないし、むしろ呪わしい気がよけい胸を噛むばかりである。良人はろくな手柄も立てないうちに戦場で足腰も立たないような不具者になってしまった。身分の低い足軽なので、御奉公を退くと、もう半年目から生活にも困り、結局、百姓でもするしかなかったが、その百姓仕事さえ出来ない今の良人であった。  でも、女手で。しかも二人の子を抱いて、桑を摘み、畑を打ち、麦を踏み、数年の貧乏と闘っては来たが、 (この先? ……)  と考え出すと、さすがに、この細腕と根気がつづくかどうか、彼女の女ごころは、納屋の闇のように、凍えてしまう。  晩の糧に、乏しい粟と、大根の切干しとを、笊に入れて、彼女はやがてそこから出て来た。まだ三十前なのに、日吉を生んでからは、産後が祟って、いつも青い桃のように見える彼女の顔いろだった。 「──おっ母」  日吉の声だ。 「おっ母ア……」  と、家の横を廻って、自分の姿を探しているらしいのである。  彼女は、ニコと笑った。  そうだ!  自分にも一つの光明はある。あの日吉を育てることだ。はやく大きくして、あの気の毒な不具の良人に、一日一合のお酒でも上げられるような良い跡取り息子に仕上げることだ。  彼女はそう思って、急に心も明るくなり、 「日吉やあ。ここだよ。──母はここにおるがのう」  と、大きく答えた。  母の声に、日吉は飛んで来た。そして、笊を抱えた母の肩へぶら下がって、 「おっ母。今日なあ、おっ母の知ってる人に会ったよ、河原で──」 「誰にの」 「お侍だよ。藪山の加藤っていえば、おっ母が知ってるといった。──ああ、それから、達者で暮しているかって、おらの頭を撫でて訊いたよ」 「じゃあ、弾正さんじゃろ」 「戦から帰って来た大勢の武者の中に交じってね、良い馬に乗ってたよ。──あれ、誰だい?」 「だから、今いうたでないか。光明寺の藪山に住んでいる弾正さんだよ」 「弾正さんて」 「御器所の妹の──許婚じゃがの」 「許婚って?」 「ま。執こい」 「だって、分んねえだもの」 「今に、夫婦になる、良人のことじゃがな」 「なアんだ。……じゃあ、おっ母の妹のお聟さんのことけ」  日吉は、何と解したか、クツクツ笑った。彼の母は、その白い歯と、小ましゃくれた唇を見ると、わが子ながら、早熟な──と小憎らしく思うのだった。 「おっ母。納屋ん中に、これっくらいな、刀があったろ」 「あるが、どうするのじゃ」 「貸してくんないか。どうせ、あんなボロ刀、お父っさんも、もう使やしないから」 「また。戦遊びか」 「……いいだろ」 「いけません」 「なぜ」 「百姓の子が、刀など、持ち馴れたとて、どうなろうぞ」 「おら、侍になるんだい」  日吉は、駄々ッ子足を踏んで、一文字に唇をむすんで云った。──彼の母は、じっと睨めすえているうちに、その眼を涙でいっぱいにしてしまった。 「……阿呆っ」  突然、そう叱ると、母はあわてて涙を拭き、片手に、彼の手を拉して、 「少しは、水なと汲んだり、姉の手助けなとしなされ」  ぐいぐいと曳いて、土間口の方へ歩き出した。 「嫌でい。嫌でい」  日吉は、母と争って、手と手を引っ張り合いながら叫んだ。しかし、地に踵を踏ンばっても、彼の母は、彼の歩みを、自分の意志のほうへ引き寄せずにおかなかった。 「──やだよウっ。嫌だってえに。おっ母の馬鹿。嫌でい!」  すると、竹窓の中から、老人のような咳声が、炉けむりと一緒に洩れてきた。  父の声を聞くと、日吉は首をすくめて黙ってしまった。父の弥右衛門はまだ四十がらみであったが、長年、廃人同様な起臥をしているので、咳の声まで、五十過ぎの人みたいに皺嗄れていた。 「……吩咐けてやりますぞ。余り母を困らすと」  母は、そっと手を弛めて云った。  解かれた手を顔へやると、日吉は眼をこすって、しゅくしゅく泣き出した。母はこの駄々坊を持て余し顔に、 (この子はまア……)  と見つめているうち、自分も共に、泣いてしまいたくなった。 「──お奈加、お奈加。なにをまた日吉と喚き合うているのだっ。見ッともない。自分の子と争って、泣いているたわけがあるか」  暗い屋根裏の見える窓の内でまた──病人特有な、癇のたかい、弥右衛門の声だった。 「あなた。──少しこの腕白を叱ってくだされ。今も今とて」  弥右衛門に呶鳴られると、彼の母は、そこから窓越しに、日吉のいけないことを、一息に訴えた。  すると、家の中の弥右衛門は、げらげら笑って、 「何のこった、納屋の中に抛りこんである俺の古刀を、日吉が、持ち出そうというだけか」 「そうなんです」 「戦の真似事でもする気なのだろう」 「それがいけないんです」 「男の子だ。弥右衛門の子だ。いけないことがあるものか。出してやれ、出してやれ」 「…………」  お奈加は、まあと、呆れ顔を窓へ向けたまま、恨めしそうに唇を噛んで、眼に涙を溜めていた。 (どうだ!)  日吉は、勝った気持を、高慢そうに眼にあらわした。──だが、ほんの瞬間だった。その眼は、母の青じろい頬をつたう涙を見るに及んで、すぐ萎んでしまった。 「おっ母、泣くのお止しよ。おらはもう、刀はいらないや。──姉えに水を汲んでやろうっと!」  迅っこい日吉は、すぐ土間口のほうへ駈けて行った。土間は広く、一方は炉部屋の上がり框、一方は台所だった。  十一歳ばかりの女の子が、猫背を立てて、火吹竹で泥竈の口をふいていた。 「姉え。水汲んでやろか」  日吉が、飛び込んで来ると、おつみは、びくっとした眼を上げた。──そして何をされるかと、恟々として、 「いいがな。いいがな」  と、顔を振った。日吉は、水甕の蓋をあけて見て、 「オヤ。水なんか、いっぱい汲んであるじゃねえか。味噌を擂ってやろか」 「味噌など擂ってくれんでいいわ。邪魔な──」 「邪魔だって、おらは、用をしたいんだ。用をさせろ。漬物出してやろか」 「今、母さんが、出しに行ったがな」 「じゃ、何するんだ」 「ぬしゃあ、大人しくしていたら、母さんも欣ぶによ」 「こんなに大人しいじゃないか。……なんだい。まだ竈の火がつかねえでやがる。おらがつけてやる。どけ、どけ」 「いいってえに!」 「どけったら」 「あれ、そんなことするで、消えちもうた」 「嘘つけ。自分が消したくせに」 「嘘。嘘。ぬしが……」 「うるせい」  日吉は、燃えない薪に焦れて、そこを離れるついでに、おつみの頬を、ぴしゃりと、一つ打った。  おつみが、大きな声で、泣きながら奥へ云いつけた。弥右衛門のいる炉部屋とは近いので、すぐ父の声が、日吉の耳を痺れさせた。 「こらっ、姉を打ったな。男のくせに、女を打ったな。──日吉っ。ここへ来い。ちょっと、これへ来い」  壁の陰で、日吉は唾をのんだ。そして告げ口したおつみを睨みつけた。後からはいってきた母は、またしても──と呆れ顔に、土間口で立ち止まっていた。  父親は怖かった。世の中で怖いものの第一が父親だった。  日吉は、畏って、 「何ですか」  と、弥右衛門の顔を仰いだ。  木下弥右衛門は、炉を前に坐って、麻箱に肱をついていた。  うしろの壁には、起居につかう杖が立てかけてある。厠へ通うにも、その杖にすがらなければ歩けない彼であった。  常に坐っている彼の傍らにある麻箱は、そういう不具な体でも、いくらかの家計を助けるために、気が向くと、麻を紡いでは、それへ溜めておく内職道具の一つであった。 「日吉」 「はい」 「あまり母親に世話をやかすじゃないぞ」 「え」 「姉に向って、悪たいをつくのもよくない。男のくせに、女どもを相手に、何という体だ」 「何も……何もおらは」 「だまれ」 「…………」 「わしには耳がある。おまえが何処で何をやっているかぐらいのことは、坐っていても知っている」  日吉は、心のうちで顫いた。父のことばは、父のいう通りに思った。  だが弥右衛門は、この子が可愛くて堪らなかった。──戦場で片輪となった、この脚、この手は、二度と前の体に回すことはできないが、この子を通して、自分の血は百年先へも生かすことが出来ると信じるからである。 (……だが?)  と弥右衛門はまた、日吉を見ていると、情けない心地がした。  子を見ること親に如かず──というが、いかにひいき目に見ても、この見るからに奇異な顔した洟たらしの腕白が、親以上の者になって、親の名折れを雪いでくれようとは──考えても考えられなくなるからであった。  とはいえ、これは一粒だねだ。弥右衛門は懸けられない期待を、無理にも日吉に懸けているのだった。 「納屋の刀を、欲しいのか。──日吉」 「ううん……」  日吉は、首を振った。 「欲しくないのか」 「……欲しいことは、欲しいけど」 「なぜ正直にいわぬ」 「だって、おっ母が、いけないっていうんだもの」 「女は、刀嫌いだからな。よしよし、待っていろよ」  弥右衛門は、坐ったまま、ぐるりと後ろを向いた。そして壁の杖につかまり、ちんばを曳いて奥へはいって行った。  この家は、貧乏百姓に似ず、間数はたくさんあった。日吉の母の縁者が住んでいた家だからである。弥右衛門の方には、ほとんど身寄りがなかったが、母の方の親類にはまだどうにか暮している家が何軒かあった。 (何しに行ったんだろ?)  日吉は、叱言をいわれないのが、かえって気味悪かった。  弥右衛門はやがて、一腰の脇差を取り出して戻って来た。それは納屋の隅に錆びている物とは違って、袋にはいっていた。 「日吉。これはおまえの物だ。欲しければ、いつでも持て」 「え。おらの……?」 「だが、まだまだ、今のおまえでは、この刀は差せまい。差しても、人が笑う。──これを差して歩いても、人が笑わぬようにはやくなれ。いいか、早くそうなってくれ」 「…………」 「この刀は、祖父さんが、鍛たせたものだ」  弥右衛門は、眼をねむって、ぽつりぽつり語り出した。 「祖父さんは、百姓だった。その百姓から身を起して、一旗挙げようとした時に、これを刀鍛冶に鍛たせなすった。その頃まで、木下家の系図という物もあったらしいが──一朝にして、焼いてしまった。祖父さんは、事を起す前に、領主に襲われて、討死してしまいなすった」 「…………」 「そういう人が、わしの子供の時分には、たくさんあった。乱世の慣いだ」  弥右衛門は、呟くようにいう。  いつのまにか、隣の部屋には燈心が灯っている。この部屋は、炉の焔で明るかった。  日吉は、赤い焔を見つめながら父親のことばに聞き入っていた。──弥右衛門もまた、日吉に分っても分らないでも、こういう真実を吐く相手には、妻でもいけないし、女の子のおつみでもいけなかった。 「──木下家の系図があればのう、おまえにも、分るように話せるが、……系図は焼けてしまってない。だが、生きた系図は、おまえにも伝えてある。……これじゃ」  弥右衛門は、手頸の青い静脈を撫でていった。  ──血だぞ。  と教えたのである。  日吉は、頷いた。そして自分の腕くびを握ってみた。自分の体にも、青い血管がある。はっきりと分った。これほど確かな──しかも生きている系図はない。 「祖父さんから先は、どんな人が御先祖だったか知れぬが、その遠い御先祖のうちには、偉い人もいたに違いない。多分、お侍もいたろう。学者もいたろう。──そういう方たちの血が流れ流れて、わしからお前にも、伝わっているわけだ」 「……ええ」  日吉はまた、頷いた。 「だが、わしは偉くない。あげくに、この通りな不具者だ。……だから日吉、貴様は偉くなってくれよ」 「……お父っさん」  日吉は、円い目をあげた。 「偉くなるって、どんな人になったら偉いの」 「それやあ、限りがないが……。せめて、槍一筋の武士になればなあ。……この祖父さんの遺物をさして歩けるようになってくれれば──わしは死んでも心残りがないのだ」 「…………」  日吉は、当惑したように、黙ってしまった。自信のない顔つきである。父の眼から眼を反らして、きょときょとしていた。  七歳の子どもだ。無理もない──と思いながらも、弥右衛門は、その頼りない挙動を見ると、 (やはり血ではない、境遇かなあ?)  と、心のうちで嘆息が洩れるのだった。  先刻から、日吉の母は、膳ごしらえをして、良人の話がやむのを、隅の方で黙って待っていた。  彼女の考えは、弥右衛門の考えとは、あべこべであった。 (侍になれ。偉くなれ)  と、子を励ます良人を、彼女は恨めしくさえ思った。そして密かに、 (こんな子に、無理なことばかりを。……日吉や、お父っさんは、御無念なので、あんなことばかしいうけれど、おまえまでが、お父っさんの轍を踏んではいけないよ。──愚か者なら愚か者でよいほどに、真面目に働いて、田の一枚でも持つような百姓になってくだされや……)  胸いっぱいに、子の行く末を、祈るのだった。 「さ、夜食にしようぞ。日吉もおつみも、寄ったがよい」  彼女は、子たちの父を中心に、炉のまわりへ、箸や椀をくばった。 「飯か」  いつものことながら、弥右衛門は貧しい稗粥の鍋を見るたびに、さびしい顔になった。妻にも子にも、満たしてやり得ない自責を──男親として、人知れず苦しむらしかった。  だが、日吉もおつみも、一椀の稗粥に会うと、頬も鼻も赤くして、美味そうに啜り合い、貧しさなどは思わなかった。これ以上の富貴は知らないからである。 「新川の茶わん屋様から味噌もいただいてあるし、乾菜も乾栗も、納屋に蓄えてあるほどに、おつみも日吉も、たんと喰べたがよいぞや」  子達の母は、そう云いながら、不具の良人が、家計を心配しないように、気を遣っていた。  そして彼女自身は、二人の子が腹いっぱい喰べ、良人も十分に済ました後でなければ箸を取らなかった。  夜食がすむと、間もなく寝てしまう。何処の家でもそうなのだろう。夜の中村は真の闇だった。  ──ところが、闇夜になってから、野や道を、人の跫音がしきりとする。近国で戦がある時ほど、そうだった。  野武士の群れだの、軍馬だの、落人だの、密使の往来などが、夜を好んで動くのである── 「ウ、ウウム。……ウウム」  日吉は、よく魘された。  眠りの中に、闇夜の跫音が聞えるのか、天下の動乱が、彼の夢を、怯えさせて熄まないのか。  或る夜などは、側に寝ていたおつみを蹴とばし、おつみがびっくりして、泣きだすと、 「八幡っ、八幡っ、八幡っ」  と呶鳴って、いきなり寝床から跳ね上がり、眼ざめて、宥めても、まだ寝呆けて、何か昂ぶり続けるようなことがままあった。 「疳の虫だ。この項に、疳の灸をすえてやれ」  と、弥右衛門はいう。  だが、日吉の母は、 「疳の灸は、いくらすえたか知れませぬ。あんな子に、あなたが、刀を見せたり、御先祖のはなしなど聞かせるから、いけないんですよ」  と、いった。       ×      ×      ×  そのうちに、この一軒にも、大きな変りが見舞った。  翌年──天文十二年一月二日に、弥右衛門が病死したのである。  人間の死。  というものを、日吉は初めて、父の死顔に見たが、涙はこぼれなかった。葬式の中でも、飛んだり跳ねたり、遊んでいた。  その一周忌も過ぎて、翌年の九月頃。  日吉が九歳の秋だった。  この一軒にまた、人がたくさん集まった。餅をついたり、酒をのんだり、めでたいめでたいと歌ったりして夜を更した。  親類の一人が、 「日吉、今夜のあの聟どのが、おまえの次のお父さんになる人だ。──弥右衛門どのとも、以前からの友達で、やはり織田家で同朋衆を勤めている筑阿弥どのだ。よいか、今度のお父っさんにも、親孝行をせにゃいかんぜ」  と、彼に云い聞かした。  日吉は、餅を喰べながら、奥を覗きに行った。いつになく、母がきれいに化粧して、知らない小父さんと並んで俯向いていた。それを見ると、欣しくなって、 「八幡、八幡、花抛れ」  と、日吉は、その晩も誰よりもはしゃいでいた。 香炉変  また、夏が巡って来た──  とうもろこしの背が高くなった。日吉や村の悪童連は、毎日、庄内川で泳いだり、田で赤蛙を捕って喰ったり、裸体で暮した。  赤蛙の肉はうまい。朝鮮蜂の尻袋とは比較にならない。疳の薬という母に、喰べることを教えられてから味をしめた物である。  だが、そうして彼が遊びに熱していると、間もなくきっと、 「──猿ウ。猿ウっ」  と、探しに来る者があった。  義父の筑阿弥である。  弥右衛門の亡い跡へ、聟として入夫した筑阿弥は、ただ働く人だった。一年たたないうちに、家計もだいぶ直って、飢える日はなくなった。  その代り、日吉も、家にいれば、朝から夜まで、手伝いをさせられた。  ちっとでも、怠けていたり、悪戯でもしていようものなら、筑阿弥の大きな手は、すぐ日吉の顔を撲いた。日吉は、嫌でたまらなかった。仕事よりも、義父の眼から少しの間でも遁れていたかった。  毎日、筑阿弥はきっと午睡をした。日吉は得たりとばかり、その隙間に抜け出すのである。やがて筑阿弥が、畑や堤に姿を現わして、 「猿ウっ。うちの猿めは、何処へ行ったかあ」  と、探しに来ると、日吉は、何ものも捨てて、とうもろこしの中へ滑り込んでしまった。  探しあぐねて、筑阿弥がのこのこ帰って行くと、日吉は躍り出して、 「わあい」  と凱歌をあげ、晩に帰れば、夕飯も与えられず、仕置にあうことも、その時は頭にもなく、また、遊び狂うのだったが──今日はそういうわけには行かなかった。 「野郎」  筑阿弥は、とうもろこしの中を、彼方此方、恐い目をして歩いて来た。 「こいつはいけねえ」  と、考えたので、堤をこえて、河原地の方へかくれた。  すると、一人ぼっち、於福が堤に立っていた。夏でも於福だけは、ちゃんと着物を着て、水にも泳がず、赤蛙も喰べなかった。  筑阿弥は、彼を見かけて、 「アア茶わん屋の坊っちゃんですか。うちの猿めは、何処へ隠れたでしょうか」  と、訊ねていた。  於福は、 「知らない」  と、何度も首を振っていたが、筑阿弥が、 「そんな嘘をいうと、てまえがお宅へ伺った時に、旦那に吩咐けますぞ」  と、脅したので、気の小さい於福はすぐ顔いろを変えて、 「あの舟ん中へかくれて、苫をかぶっているよ」  と、指さした。  小さい河舟が河原に引きあげてあった。筑阿弥がそこへ駈け寄ると、河童のように、日吉が中から跳ね出した。 「ヤ。こいつ!」  筑阿弥は跳びかかって日吉を突きとばした。突ンのめった日吉は、河原の石に唇を打って、歯から血を出した。 「痛えっ」 「あたりまえだ」 「ごめんよ。ごめんよ」 「猿め。今日という今日はもう……」  二ツ三ツ頭を撲いた末、筑阿弥は彼よりも何倍も優った力で、日吉の体を吊し上げ、わが家のほうへ駈けて行った。  猿々と、憎悪して呼んでいるように聞えたが、筑阿弥は何も、日吉がそう憎いわけでもなかった。貧乏を直そうと焦心るために、誰へもやかましくなり、日吉の性質をも、強いて矯め直そうとするのだった。 「もう十歳にもなりおって。……この野郎、この野郎」  引っ吊して、家に帰ると、また二つ三つ拳をくらわせた。  彼の母が止めると、 「おまえが甘いからいけないのだ」  と、どなりつけ、姉のおつみが一緒になって泣くと、 「何を泣く。わしの折檻は、この拗ね猿を良うしてやろうと思うから撲るのだ。この世話焼かせめ」  と、また撲った。  日吉も、初めは、撲られる度に頭をかかえて、謝っていたが、 「なんだい、なんだい、他所から来やがったくせにして、お父さんみたいな顔して、威張ってやがら。……おらの、おらの、ほんとのお父さんは」  と、囈言みたいに、泣き泣き悪たいを云い出した。  彼の母は、 「これっ……そんなことを」  と、真っ蒼になって、彼の口を抑えたが、筑阿弥は、 「この早熟め」  と、激怒して、今度はゆるさなかった。裏の納屋の中へ抛りこんで、晩飯もやってはならぬぞと云った。  納屋の中から、暗くなるまで、日吉の喚く悪たいが聞えた。 「出しておくれよっ。……ようっ。……出しておくれったらっ。……ばか野郎っ。唐変木っ。……みんな聾づらしてけツかるな。出してくれなければ火をつけるぞう」  そして、わあん、わあん、と吠えるように泣いていたが、夜半近くになると、泣寝入りに寝てしまった。  すると、耳もとで、  ──日吉や。日吉や。  と、呼ぶ声がした。  彼は死んだ実父の夢を見ていたので、うつつに、 「お父さん!」  と、叫んだが、眼の前に立っている姿を見ると、それは母のお奈加だった。  母は筑阿弥の眼をしのんで持って来た食物を与えて、 「さ。これを喰べて、朝まで大人しくしておいで。朝になったら、お父さんにお詫びしてあげるから」  と、いった。  日吉は、かぶりを振って、母のふところへしがみついた。 「嘘だい、嘘だい。おらには、お父さんはねえやい。お父さんは、死んじまったじゃねえか」 「これ、またそんなことをいう。なぜおまえは、そう聞きわけがないのだろ。いつもいつも、私があんなにいって聞かせておくのに」  彼の母は、身を切られるように、辛かった。けれど、母がなぜ身を慄わせてそう泣くのか、まだ日吉には分らなかった。  夜が明けると、日吉のことで、筑阿弥は彼の母を朝から呶鳴りつけていた。 「おれの眼をぬすんで、夜半に飯をくれてやったろう。そういう親馬鹿だから、いつまで、あいつの根性は直りゃしないっ。おつみも、今日は納屋のそばへ寄っちゃあならぬぞ」  夫婦の中で、小半日も、何か揉めていた様子だったが、そのうちに日吉の母は、独りで泣く泣くどこかへ出て行った。  陽が西になりかけた頃、お奈加は帰って来た。光明寺の住僧がひとり一緒だった。 (何処へ行っていた?)  とも訊かず、筑阿弥はまずい顔して、おつみを相手に働いていた外の莚に坐りこんでいた。  光明寺の僧は、 「筑阿弥どの、きょう御家内が見えて、こちらの息子どのを、寺へお小僧に出したいとの頼みじゃが、御同意かの」  と、訊ねた。  筑阿弥は、黙ってお奈加のほうを見た。彼女は背戸の外で、両手を顔に当てて泣いていた。 「ふうむ。……それもよかろうが、寺入りには、証人も要るが」 「幸い、藪山のすそに住んでござる加藤殿の嫁御は、こちらの御内儀とは、御姉妹じゃということであるしな」 「あ。加藤へ行ったのか」  筑阿弥は、なおさらほろ苦い顔をしたが、日吉の寺入りには、反対しなかった。 「よろしいように」  と、ひと事のように、彼はおつみへ用をいいつけたり、農具を仕舞ったり、日暮を忙しげに働き出した。  その間に、日吉は納屋から出されて、母に懇々と何か諭されていた。  一晩中、納屋の蚊に食われどおしでいたので、彼の顔は大きく腫れ上がっていた。寺へ奉公に行くのだと聞かされた時、日吉はふと、涙を溜めたが、すぐ元気になって、 「お寺の方がいいや」  と、いった。  明るいうちにと、光明寺の住僧は、日吉に支度させて、連れて出た。  筑阿弥も、さすがに少し、淋しい顔して、 「猿。お寺へ上がったら、心を入れ換えて、よう修行せねばいかぬぞ。すこしは、読み書きも習うて、はやく一人前の坊さんになって見せい」  と、いった。  日吉は、うんと一つ、頷いたきりだった。けれど、垣の外へ出て、いつまでも立って見送っていた母の姿へは、何度も何度も振り返った。  寺は、村外れから少し先の、藪山という丘ほどな高い土地の上にあった。日蓮宗の小伽藍で、住職は老年で寝たきりだし、若い住僧が二人して維持していたが、戦乱つづきで、村は疲弊しているし、檀家も離散するばかりなので、形こそ違うが、ここも貧乏の外ではなかった。  だが、少年日吉は、生活が変っただけでも、刺戟になったとみえ、生れ変ったようによく働いた。機転はきくし、はきはきしていた。住僧たちも可愛がって、 「こいつは仕込んでやろう」  と、毎夜、手習させたり、小学や孝経を教えたりした。記憶力も至っていい。 「おい。日吉。きのう途中でおまえのおっ母さんに会ったから、日吉もよくやっているといっておいたぞ」  住僧の一人がいうと、日吉も欣しそうににこりと笑った。──母の悲しみはよく分らないが、母の歓びは、そのまま彼にも歓びだった。  けれど、そういう神妙な状態も一年とはつづかなかった。十一歳の秋頃になると、日吉には、この伽藍も狭くなって来た。  二人の住僧が近郷へ托鉢に出て行くと、日吉は、隠しておいた木剣や、手製の采配を腰に差し、 「やアい、敵の奴ども。どこからでも攻めて来い」  と、麓で待機している戦遊びの友達へ向って呼び立てた。  時刻でもないのに、突然、鐘楼の鐘がごんごん鳴った。  寺の丘から、石が飛んでくる。瓦が落ちてくる。  麓の者は、驚いて、 「何じゃ、何じゃ」  寺の丘を仰ぎ合った。  畑に、働いていた百姓の娘に飛んで来た瓦が中って大怪我をしたりした。 「……光明寺のチビ僧めが、またおらどもの腕白をあつめて戦遊びをやりおるな」  麓の家の人たちは三、四人して登って行ったが、本堂の前に立つと、開いた口がふさがらなかった。  本堂は灰だらけだ。外陣も内陣も乱脈な態である。  香炉は割れて落ちている。  旗にでも使ったのか、金襴の帳は裂いて棄ててあるし、太鼓の皮はやぶれている。 「庄坊やアい」 「与作やアい」  親たちは、子を探したが、チビ僧の日吉も見えなければ、腕白たちも、忽然とみな姿をかくして見当らない。 「この寺の猿と遊ぶと、もう家へ入れないぞ」  親たちが、麓へ降りて行くと、すぐにまた、わアっと、本堂が震動し、藪がうごき、石が飛び、鐘が鳴り出した。  ──日が暮れると。  わアん。わあん……  と、手を折ったり、瘤をこさえたり、血だらけになって降りて行く子が、多勢の中にはきっと二、三人ずつ出来た。  一日中、托鉢に歩いている二名の住僧は、毎度尻をもちこまれるので、もうさじを投げていたが、その日は、本堂へ立つと、 「……あっ」  顔見あわせて愕然とした。  内陣の前にある大香炉が真っ二つに割れているのだ。  この大香炉は、寺にとって、今のところ唯一の檀家である新川の茶わん屋捨次郎が、つい三、四年ほど前、 (これは伊勢松坂のさるお方から、特に焼いてくだされた物。わしとは深い御縁があるので、生き遺物とも思し召し、思い出の地の山水を絵付して、特に丹精をこらして製られた香炉じゃが、寺に納めておけば、末代まで長く什宝として伝わるであろうから──)  と、云い添えて、寄進してくれた物なのである。  平常は、箱に納めて、珍重していたが、つい七日ほど前、その茶わん屋の御寮人様が、仏参に見えるというので、その折、出して用いたまま、つい仕舞いもせずにあったのである。  それが割れているのだ。 「……?」  住僧は、顔いろを失った。老師の耳に入れたら、病が重るだろうと、そこまで心配は走った。 「猿じゃな」 「そうだ。他にこんな悪戯をする童はない」 「どうしてくれよう」  二人の住僧は、すぐ日吉を引き摺って来て、香炉を突きつけた。日吉は、この本堂で暴れたのは自分だけではないし、自分がした覚えはなかったが、 「ごめんなさい」  と、謝った。  謝られると、住僧はかえってかっと怒った。日吉の天性の顔つきが、平気でいっているように見えたからである。 「この外道め」  二人がかりで、日吉をうしろ手に、縛り上げてしまった。  本堂の丸柱へ、日吉はくくりつけられた。 「幾日でもこうしておいてやる。鼠にでも喰われてしまえ」  と、住僧は罵った。  だが、日吉には毎度のことだった。辛いのは、翌る日になって友達が来ても、遊べないことだった。 「やい、縄を解いてくれよ。解かないと、ぶん撲るぞ」  日吉は脅したが、日吉さえ罰せられているのをみると、みな逃げて行った。  たまたま、参詣にのぼって来る年よりや村の女たちも、 「あれ、猿が」  と、指さして、 「よい気味や」  と、笑い合ったり、からかって逃げた。  いつとなく彼の小さいたましいは、今にみろ、今にみろ、と呟くことを独り慰めにしていた。  また、その小さい肉体は、伽藍の太柱を背に背負って、かえって体じゅうに、沸り立つような強い血をよび起した。  その二つのものを、唇にむすび、自分の憂き目へ向って、 「なにくそ」  と、不敵な顔を作った。  柱によりかかって、彼は睡ってしまった。──そして自分の涎に目がさめた。  恐ろしく日が永い。  日吉は、退屈してきた。  そのうちに彼はふと、まだ眼のまえに突きつけたまま置いてある──二つに割れた陶器の大香炉に眼をすえ出した。  香炉の底には、 五郎大夫 祥瑞之製  と、小さい文字で作者の名が記してあった。  瀬戸村は近いし、尾張付近は陶器の産地である。そんな物はもとより何も彼の興味をひきはしないが、その大香炉の腰に描いてある藍絵の山水が、 「どこだろ?」  と、退屈な眼に、想像をほしいままにさせたのである。  白磁に藍一色で画かれている山や石橋や、楼閣や人物や──そして日本では見たこともない船の型や人間の着物が──ひどく彼の頭をなやました。 「どこの国だろ?」  日吉には、分らない。その分らないのを、少年の旺んな智慾は、飽くまで知ろうとし、想像を駆けめぐらした。 「……こんな国って、あるのかしら?」  思いつめているうちに、彼の頭にひらめいたものがある。それは何日、誰に、教えられたか、聞いたか、彼自身も忘れていたものであったが、苦しまぎれに飛び出した記憶であった。 「そうだ。唐だ! ……。唐の国の絵だ」  日吉はただ一人で、愉快だった。染付の絵を見ていると、たましいは唐の国へ飛んで遊んでいた。  日暮れがた──  また、托鉢から帰って来た二人の僧は、日吉が泣きしおれているかと思いのほか、前へ行くと、にやりと笑ったので、 「もういかん。折檻もむだなことだ。こいつは末怖ろしい。親元へ帰したがようござろう」  と、嘆息してしまった。  寺入り証人の加藤家は、この藪山のすそなので、晩になると、僧の一人は、日吉に飯を与えて、山から連れて降りた。 大鵬  加藤弾正は、短檠の灯を背にして、一間に寝転んでいた。  明け暮れ、戦の中に身をおく武人は、たまたま、家に帰ってくつろぐ日も、身をつつむ家居のすべてが、余りに和やかに過ぎて、かえってこの平和や居心地に馴れることが恐かった。 「おえつ」 「はい」  と、返辞は遠く台所のほうでする。つい一両年前に、結婚したばかりの新妻であった。 「誰か……枝折をたたいておるが」 「また、栗鼠ではございませぬか」 「いや、訪れらしいぞ」 「……ほんに」  おえつは、手を拭きながら、門口へ出て行ったが、すぐ引き返して、 「光明寺のお坊さまが、日吉を連れてお見えなさいました」  と、瑞々しい眉に、ふと愁いを見せながらいった。  弾正は聞くと、 「ははあ、さては猿に、お暇が出たとみえる」  と、予期していたように笑った。  この加藤家と、中村の木下家とは、当然、親戚の間であった。妻の姉の息子というので、寺入りの時、証人に立っているので、事情を聞くと弾正は、 「僧侶に不向きとあれば、ぜひもないこと。当家から中村の親元へ帰すとしましょう。お世話がいもなく、御迷惑ばかりをかけて──」  と、夫婦して詫びを述べ、日吉の身は、その晩に引き取った。 「では、親御へは、そちら様からどうぞ悪しからず」  光明寺の僧は、肩の荷を降ろしたように帰って行った。  日吉は、ぽつねんと置き残されたが、物珍らしげに、室内を見まわし、 「誰の家だろ?」  と、考えていた。  寺入りの時は、直に寺へ連れて行かれたので、ここへは立ち寄らなかった。また、近くに親類があると知ると、辛抱がし難くなるであろうとおえつが嫁いで来ていることも、彼の耳へは聞かせてなかった。 「小僧。晩の飯は喰べたか」  やがて、弾正が前へ来て坐りながら、にやにやいう。 「喰べた」  かぶりを振ると、 「菓子を喰え」  と、甘い物をたんとくれた。  日吉は、ボリボリそれを喰べながら、長押の槍を仰いだり、具足櫃の紋を眺めたり──それから眼のまえに坐っている加藤弾正の顔を、穴のあくほど、じろじろ見つめたりした。 (この息子、すこし足らないのかな?)  弾正は疑った。なぜならば、余りに自分を見るので、試みに、彼も目をこらして、睨め返したところが、日吉の目は、横に反らしもしなければ、俯向きもしないのである。──といって、まったくの白痴ほど無反射でもないが、ただにやにやと愛嬌をたたえているからであった。 「はははは」  彼の方が、先に目を反らしてしまいながら、 「いつの間にか、大きくなったなあ。日吉、わしの顔を覚えているか」  そういわれて、日吉はかすかに思い出した顔つきだった。──これは七歳の頃、河原で頭を撫でてくれた小父さんなのだ。  武人の慣いとはいえ、良人の弾正は、ほとんど、清洲の城内か、戦場で寝泊りしていた。  結婚してから、まだ日も浅いが、妻とふたりで、家庭を楽しむような一日すら滅多にない。  その良人は、たまたま、きのうから家に帰って、休養していた。そして明日はもう清洲の城へ詰め、また幾月かは、この家で共に暮す日もない──と思っていた折も折なのである。 「……ま。困った子が」  と、おえつは当惑の眉をひそめた。  棟は離れているが、この小屋敷には、良人の老母もいるし、家族もいる。 (こんな童が、姉の子にいるのか)  と、思われるのも、嫁の身には、肩身の縮む気がするのだった。  だがその日吉は、良人の居間で、先刻から頓狂な声を出しつづけていた。 「あ! じゃ小父さんは、いつか河原で、大勢のお侍と一緒に、馬に乗ってたろ。あのお侍の中にいたんだろ」 「ウム、思い出したか」 「覚えてらい」  急に甘たれ声で── 「そんなら、おらの家と親類だもの。おらのおっ母さんの妹と、おじさんと、許婚だったんだろ」  と、馴々しくなる。  下婢を相手に、茶の間へ、食膳を出していた彼女は、日吉の言葉づかいや、野良で出すような大声に、冷々していたが、 「もし……お食事の支度ができましたが」  と、襖をあけて、良人を呼んだ。  見ると、良人の弾正は、日吉を相手に、腕角力を取っているのだ。日吉は顔を真っ赤にして、蜂のように尻を立てているし、弾正も子どもみたいにそれに応じていた。 「……あなた」 「飯か」 「汁が冷えますから」 「待て。……いや、おまえ先に独りで喰べてしまえ。この小僧、すぐ本気になるからおもしろい。はははは、どうもおかしな奴だぞ」  と、夢中である。  日吉の天真爛漫に、弾正はひき込まれている姿だった。馴れやすい日吉はもうこの叔父さんを手玉に取って遊ばせていた。指人形だの物真似だの、子ども仲間でする遊戯を、次々にやって、弾正に腹をかかえて笑わせた。  翌日、清洲城へ立つ時、弾正は鬱いでいる妻へ云い残した。 「親どもが承知なら、屋敷へ置いて養ってくれてはどうだ。物の役には立つまいが、ほんものの猿を飼うよりは増しだろう」  ──だが、おえつは欣ばなかった。枝折戸まで、良人を送り出しながら、 「……いえ、やはり中村の姉へ帰しましょう。もしお姑様などへ、粗相があるといけませんから」 「それやあ、どっちでも、其女のいいようにするがよいが」  一歩、家庭を出れば、もう生きて帰るか帰らぬか、心は主君と戦にのみあって、妻には、余りにも素気なくさえ見える良人だった。 「あんなにも、男は、功名ばかりが、大事なものかしら!」  おえつは、後ろ姿を見送って、また幾月かの淋しさを思った。用事がすむと、彼女は早速、姉の子の日吉を連れて、中村へ出かけて行った。  その途中。 「おう、これは」  と、向うから来て、おえつに丁寧なあいさつをした人がある。  商人だろう。しかし商人にしては、大家の主人にちがいない。きらびやかな短羽織を着、脇差を一腰さし、小桜革の足袋を穿いて、四十がらみのにこやかな人だ。 「加藤様の御寮人ではございませぬか。どちらへお越しなされますな」  懇意とみえておえつは、 「中村の姉の家まで参ります。この子を連れて──」  と、日吉を抱えよせた。 「ホ……。その坊んちでござるかの。光明寺から追われたお小僧というのは」 「もう、お耳にはいりましたか」 「いや今も実は、そのことでの、ちょっと寺まで行って参ったので」  日吉は、何だか間が悪くなって、眼をきょときょとしずにいられなかった。坊ンちと呼ばれたのは、生れてから初めてである。顔が熱くなるほど恥かしかった。 「オヤ。この子のことで、お寺へお出かけ下さいましたのですか」 「そうですよ。光明寺から宅へ謝りに来ましてな。──何かと、理を聞けば、わしが寄進した大香炉を割ってしもうたとか」 「ほんに、この悪戯坊が困ったことを致しました」 「何のさ。御寮人までがそういわせられな。陶器が割れるのはあたりまえじゃ」 「でも、稀れな御名器というおはなし……」 「ただ、惜しいのは、わしがお伴いたして、長らく明国に渡っておいでなされた松坂の伊藤五郎大夫様のお作なのじゃ」 「祥瑞と仰っしゃるのは、その方でございますか」 「ところがもう、御病気でお果てなされた。近頃、染付ものの陶器に、祥瑞五郎大夫製とよく銘に書いてはあるが、それはその後の人々で、ほんとに明国へ渡って、あの陶器の作法を伝えて来られたお方は今ではもうこの世にいませぬ」 「世間のうわさゆえ、どうか存じませぬが、お宅様に引き取ってお育てになっている、於福さまという坊ンちは、その祥瑞様が、明国から連れ帰って来たお子じゃとやら……」 「はい。どうして知れたか、童たちと遊ぶと、唐人子唐人子とからかわれるとかで、この頃は、ちっとも外に出ませぬわい」  茶わん屋捨次郎はそういって、にやにや日吉の顔をながめた。友だちの於福の名を聞いたので、日吉はよけいその人を、何だろうと考えた。 「ところが、この日吉どのだけは、いつも於福を庇うて下さるそうな。その日吉どのが、寺を追放されたと聞き、於福までがわしへ詫びをいいますので、実は今、光明寺へ行って、どうぞ宥してあげてくれと頼んだところ、先で申すには、香炉の罪ばかりではない、云々のこともある、いやこれこれの事情もあると、受けつけそうもござらぬので、引き退って来たところですわい。……はははは」  と、捨次郎は、胸をそらして笑い、そしてまた、こう附け加えて云った。 「親御のお考えもおざろうが、もしまた、奉公に出す場合、宅みたいな所でもよい思し召しなら、いつでも世話して進ぜまする。どうして、なかなかこのお子は、見どころがありますよ」  また、初めのような丁寧なあいさつを交わして、その人は別れ去ったが、日吉は、おえつの袂につかまりながら、幾度も振り返った。 「おばさん。今のは誰」 「茶わん屋捨次郎といって、諸国の陶器を捌いている問屋さんです」 「ア。それで茶わん屋っていうのか」  いちど黙って、おえつと共に、てくてく歩み続けていたが、また、 「明国って、どこさ。明国って──」  と、今の聞きかじりを思い出して、出しぬけに訊ねた。 「唐のことでしょ」  おえつは簡単にいったが、日吉がたてつづけに、 「どっちの方?」  だの、 「どれくらいな広さ?」  だの、 「明国にも、城があって、侍がいて、戦をするか」  だのと訊き出すので、 「ま、うるさい。少しは黙って歩くもんですよ」  と、おえつは袂を振った。  だが、この叔母さんの叱言ぐらいは、そよ風ともひびかない。日吉はぐんと首を仰向けて、頻りに青空をながめていた。  彼は、ふしぎでふしぎで堪らなかった。どうして空はあんなに蒼くて深いのか。なぜ人間は地面ばかりにいるのか。もし人間が鳥みたいに翔けられたら、香炉の絵で見た明国へも、一足飛びに行かれるだろうに。  だから香炉の絵でみても、鳥のかっこうは尾張の国の鳥とちっとも変っていない。人間の着物も、船の型も変っているけれど、鳥は同じだ。鳥には国がない。いや天地がみんな一つ国だ。 「見たいなあ、方々の国を」  彼には、これから連れて帰されるわが家の狭さや、貧乏などは頭の隅っこにもなかった。  やがて──眼で見て初めて、穴蔵みたいに、昼間でも暗いわが家の奥をおえつと共に覗きこんだ。  用達にでも出ているのか、筑阿弥は留守だった。おえつの話を聞いて、母は、 「困った子よのう」  と、つくづく溜息をついて、日吉の暢気顔をながめたが、その眼は、彼を責めているのでなく、二年近くも見なかった間に、めっきり大きくなった子の姿に、気をとられている様子でしかなかった。  日吉はまた、母の乳ぶさに吸いついている乳のみ児に、怪訝るような眼をすえていた。いつの間にか、自分の家にまた一人子が殖えていたのだ。彼はいきなり、その子の顔を持って、乳くびから捥ぎ離してのぞき込んだ。 「おっ母、いつ生れたの、この子」 「おまえは、兄さんになったんだよ。慥りしなければいけませんよ」 「なんてえ名?」 「小竹」 「変な名だな」  頓狂な声でいったが、しかし彼は痛切に、何か感じたらしかった。弟というものに押し出された兄の意識だった。 「あしたから、おらが負ってやろうね。ええ小竹や小竹や」  余り彼がいじくったので、小竹は泣き出した。  おえつが帰って行くと、入れちがいに義父の筑阿弥がもどって来た。母がさっき妹のおえつに愚痴をこぼしていたのによると、筑阿弥はこの頃、貧乏の立て直しにくたびれて、酒ばかり飲んでいるとのことだったが、今も赤い顔して家にはいって来た。  そして、日吉を見出すと、すぐ呶鳴った。 「野郎っ、また追ン出されて来たか!」  家に帰ってから、一年の余はいつか経った。日吉は十二になった。 「猿っ、薪を割ったか、野郎、何でまだ、水手桶を畑へ抛ったらかしておくか」  筑阿弥は、彼のすがたがちょっとでも見えないと、探し廻って、呶鳴りつけた。 「今、やりかけてるところだよ」  口ごたえでもしようものなら、 「えい。またつべこべ」  と、土荒れした頑固な掌が、すぐ日吉の横顔へびしりと鳴った。  子を負って、棉を摘んだり、麦を踏んだり、炊をしたりしている母は、そんな時は、強いて背中を向けて黙っていた。しかし、自分が打たれるより、悲しい辛い顔であった。 「もう十二にもなれば、どこの童でも、家業の手助けは当りまえだ。親の目ばかりぬすんで、遊びたがってばかりいると、腰骨をぶち折ってくれるぞ」  そんな調子に、筑阿弥は絶えず口ぎたなく日吉をこき使ったが、母の甘い慾目ばかりでなく、実際、寺から帰って来た後の日吉は、生れ変ったようによく働いた。 (他人の御飯をたべると、こうも急に変るものか)  と、母は傷々しくながめたが、生なか庇い立てすると、かえって、筑阿弥の荒い手や言葉が、日吉へ苛酷に当るので、見て見ぬ振りをしているのだった。  そのくせ以前とちがって、筑阿弥は畑には滅多に出ず、家にもいない日が多かった。町へ行くらしいのである。そして酔って帰っては、子をどなり、妻に当って、 「いくら働いたって、この家の貧乏は直りッこねえわ。喰いつぶしは多いし、年貢は増すし。餓鬼さえなければ、おれも野武士の仲間にでもはいって、うまい酒も飲めるが、こう足手纒が多くっちゃあ……」  と、口ぎたなく云いちらした末、なけなしの金を妻に算段させて、夜夜中でも、おつみや日吉に酒を買いにやらせるのだった。  その義父のいない時、 「おっ母、おらあまた、奉公に行きたい」  と、日吉が母に洩すと、お奈加はそういう日吉を抱きしめて、 「……いておくれ、今おまえが家にいなかったら」  と、後の言葉は、云い得ない涙になって、ホロリと一雫、横を向いて眼を拭うだけだった。  母の眼の一しずく──  それを見ると、日吉はもう、何もいえなくなってしまい、家を飛び出そうかという考えも、不平も、辛さも、胸から捨ててしまった。  だが、そんな可憐しい気持が起るかと思うと、少年の天性のうちには、遊びたい、喰いたい、知識を得たい、遠くへ奔りたい──さまざまな欲望の芽が、雑草の伸びるように旺んになるのであった。そこへ義父の筑阿弥が、母へいう無理だの、自分の頭にうける拳だのの衝動もあって、 「くそをくらえ」  と、不敵なたましいが、彼の小さい体を燃やし、それが度重なって、 「お義父さん、おらを、奉公にやってくれ。おら、こんな家にいるより、奉公に行きてえや」  と、恐い筑阿弥へ、直にぶつかって云いきるほどな感情を、駆り立たせた。 「何。奉公に出たい。ようし、何処へでも行って、他人の飯をまた喰って来い。その代り、こんど追い出されても、家には入れぬぞ」  と、筑阿弥もむきになって云った。子どもと思いながら、性格のくい合わないせいか、彼は十二の日吉と五分になって、いつも怒りを激発させるのだった。  村の紅花屋へ奉公に行った。紅花絞りの職人たちから、 「口ばかり達者で、小生意気で、日向で臍の垢ばかり取ってやがる」  と、排斥されて、間もなく、世話した者から、 「どうも役に立たないので」  と、日吉は家に帰されて来た。  筑阿弥は、睨めつけて、 「どうだ猿。汝のような穀つぶしは、世間様でも飼ってはくれまい。親のありがたさがわかったか」  と、いった。  日吉は顔を膨らせて、 「おらが悪いんじゃねえや」  と、云いたそうな顔して、義父の睨む眼を見返した。  そして、かえって、 「お義父さんこそ、百姓もしないで、馬市でばくちしたり、お酒のんだりしないがいいよ。よその人がみんな、おっ母が可哀そうだっていっているぜ」  と、意見した。 「何をいう! 親に向って」  筑阿弥は、一喝で日吉の口を黙らせたが、心のうちでは、 「だんだん摺れからして来やがったわい」  と、日吉を見直した。  他人の中へ出て、家へもどって来るたびに、子の姿は目立って大きくなっている。そして以前と違って、親を観る眼も、家庭を見る眼も、急に育って来たように思われる。筑阿弥は、その大人みたいな眼で自分を観察されるのが、うるさいし、恐いし、嫌でならなかった。 「はやく奉公口を探して出て行け」  翌日、もう日吉は、次の雇主の所へ行っていた。  やはり村の桶屋だった。  桶屋のおかみさんから、 「こんな末恐ろしい子は、わしが所へなど置けん」  というて、ひと月ばかりで帰された。  日吉の母は、何が末恐ろしいのか、世間の人のいう意味がわからなかった。  左官屋の手伝いにも行った。馬市の弁当売りにも行った。鍛冶屋へも行った。どこも三月か半年だった。  身装は、だんだん大きくなる。中村のうちではもう、 「ああ筑阿弥どんの家のせがれか、あの白痴猿ときては、口巧者ばかりで、使いものになりゃあせん」  と、定評がついて、もう世話してくれる人もない。  その世間へ、母のお奈加は、間が悪くて、肩身がせまくて、日吉のうわさを人がいえば、すぐ、自分から先に、 「あの子はもう、何にしたらよいやら、百姓は嫌うし、家には落ちつかないし……」  と、極道者の卵みたいに、自分から先に卑下して、人に謝ってばかりいた。  十五の春である。  窶れた母は、沁々と日吉を膝によせて、 「今度こそは、辛抱しやい。また出るようなことになると、お世話してくれた加藤殿へも、妹が顔向けならぬし、世間でも、またかと笑いますぞ。……いや今度、落度でもして、先様から出されたら、誰よりもこの母がききませぬぞ」  云い聞かせて、次の日、新川の大家へ、藪山の叔母に連れられて目見得に行った。  茶わん屋捨次郎の家だった。  そこには、幼友達の於福がいた。於福はもう、十七、八の色白の青年で、養父の捨次郎の家業を助け、茶わん屋の若旦那として、実直に手伝っている。  商家でも、主従のけじめは、厳しかった。  若主人の於福の前へ、彼がはじめて目見得に出た時は、日吉は板の間にかしこまり、於福は座敷の中で、義父の捨次郎だの、美しい御寮人などと、茶うけの菓子など喰べながら、話に興じているところだった。 「おや。弥右衛門とこの小猿だね、おまえ。ああお父さんは死んで、村の筑阿弥が、次のお義父さんになったんだってね。──こんど家へ奉公に来たのかい。よく働かなくちゃいけないよ」  於福のことばや物ごしはもう見違えるほど大人びていた。 「へい」  日吉はすぐ、下僕たちのいる部屋へ退った。茶の間で、主人の家族たちがその後で笑っている声がした。  友達の於福が、ちっとも友達らしい顔もしてくれないのが──日吉にはさびしかった。  日が経つと、於福は、 「おい、小猿」  使い馴れて、よけいに言葉なども、ずけずけいった。 「あしたは、早く起きて、清洲まで行っといで。お役所へ御用の品を持って行くんだからいつもの手押し車へ荷を積んでね。──それから帰りは船問屋へ廻って、肥前から陶器の荷が届いているかどうか、聞きあわせておいで。──また、道くさして、こないだみたいに夜おそく帰って来ると家へ入れないぞ」  日吉は、それに対して、 「はい」  とか、 「へい」  とかしかいえないのだった。古くから来ている奉公人ほど、 「かしこまりましてござります」  と、額を板の間にすりつけていう程なのである。  那古屋や清洲の城下へは、のべつ使いにいった。その度に彼は、お城の白壁と高い石垣を仰いで、 「どんな人があの中に住んでるのだろ。──どうしたらあん中に住めるんだろ?」  と、漠として考えた。  虫ケラのように小さな惨めな自分が、幼稚な心の中にも、口惜しく思われるのだった。  そして陶器の荷を積んだ、重い手車を押しながら町を行くと、 「あれ。猿がゆく」 「猿が車を押して行く──」  などと被衣した麗人だの、都めかした町娘だの、若いきれいな御寮人たちが、囁いたり指さしたり、じろじろ眺めて行ったりした。  きれいな女と醜い女との見分けはもう日吉にもついていた。少年の心にもっとも辛く思えたのは、そうした美しい女性の群れから、奇異な眼で眺められることだった。  その頃、清洲の城にはまだ、室町大名の斯波義統が城主として住み、織田彦五郎信友がその家老だった。  城のお濠と、五条川を中心にして、ここには古い足利文化のにおいと、戦乱の中にも持ち続けて来た繁昌が、国郡第一の都府という名に恥じなかった。 さけは酒屋に よい茶は茶屋に 女郎は 清洲のすがぐちに  その須賀口には、妓楼や茶屋が軒をならべていて、昼間は、禿たちが鞠をつきながら、往来で唄っていた。  少年日吉は、荷を積んだ手車を押して、鞠唄の中を、うつつに通った。  ぼんやりと── 「どうしたら偉くなれる?」  まだ、その解決もつかめていないのに、ただ一念に、 「今にみろ、今に」  と、漠とした希望に、さまざまな妄想を描きながら行くのだった。  美味そうな食物、豊かそうな家、絢爛な武具、馬具、衣裳、宝玉などを売っている店──彼には縁のないあらゆる物資がこの町には軒なみに積んである。  中村の家にいる姉のおつみの青い痩せた顔を思い泛べると、饅頭屋の蒸籠から立つ湯気を見ても、 (姉やにも買ってやりたいなあ)  と思い、老舗の薬屋の前を通っては、 (おっ母に、あんな薬をいつもやれたら、もっと丈夫になるだろうに──)  と、そこの薬草嚢に見恍れたりした。ただ筑阿弥のことだけは、べつにどうとも、考え出されなかった。 (おらが偉くなれば)  と思う底には、世間の誰と見較べても、余りにみじめな、母とおつみとを、幸福にしてやりたいという気持も、多分にあった。  ──で、彼は城下へ来ると、ふだんの望みや空想が一ばい大きく強く燃えて、 「今に! 今に!」  と心でつぶやき、 「どうしたら。どうしたら」  と、それのみ思って、いつも歩きつづけるのだった。 「ばか者っ」  と、日吉はふいに、人ごみの中でどなられた。繁華な辻を曲りかけた途端である。  乗換馬を曳かせ、槍を持った供の者を、十人以上もひき連れた馬上の侍に、手車をぶつけてしまったのである。  わら苞に巻いてある鉢だの皿だのは、くずれ落ちて粉々に砕けたし、日吉の体も、手車と一緒に蹌めいた。 「盲かッ」 「うつけ者めが」  馬も、従者も、砕けた瀬戸物の上を、そう罵りながら、ばりばり踏んで行ってしまう。往来の者も、誰ひとり、寄って来てはくれなかった。  割れた欠片を、拾いあつめ、また、手車を押して歩きながら、彼は人中の間のわるさと、憤りに血を熱くして、 「どうしたら彼奴らを、おらの前に土下座させてやれるだろうか」  と、幼稚な空想のなかで──しかし真剣に思いつめた。  だが、少し経つと、主人の家に帰ってからの叱言だの、於福の冷たい顔などが目に見え出し、大鵬の翔けるが如き大きな空想も掻き消えて、けし粒みたいな小さい心配にも、囚われてしまうのだった。 群盗  とっぷり日が暮れていた。彼は手車を小屋の中へ押しこみ、井戸端で足を洗っていた。  この近郷で、陶器やしきとよばれているだけあって、茶わん屋の構えは、大きな土豪の家ほどあった。  母屋は広く、棟は幾つにもわかれ、倉も並んでいた。 「小猿う。小猿ッ」  於福が、近づいて来た。日吉は石井戸の蔭から身を起して、 「おい」  と、返辞した。  於福は、何が気に障ったのか、持っていた細竹で、日吉の肩を打ちすえた。日吉は拭きかけていた足をよろめかせて、また泥によごしてしまった。 「主人に向って、おいという返辞があるか。いくら云っても、言葉の直らない奴だ。わしの家は百姓じゃないぞ」  雇人の長屋を見廻る時だの、倉で働いている者へさしずに来る時は、この若主人はいつも、細竹を持って歩いている。日吉がそれで打たれたことは、きょうばかりではない。 「なぜ黙ってるのか」 「…………」 「これ、はいといえ」 「…………」 「いわないな。こいつ」  日吉は、また一つ打たれるよりもと、喉を宥めて、 「はい」  と、云い直した。 「清洲からいつ帰ったんだい」 「今帰りました」 「うそをいえ。台所の者にきいたら、もう御飯をたべたというじゃないか」 「眼がまわって、仆れそうになったんで」 「どうして」 「腹が減っちまって、やっと歩いて来たもんだから」 「なんだ、腹が減ったぐらい。帰って来たら、すぐ主人に帰りましたとなぜ挨拶に来ない」 「足を洗ってから」 「言い訳するな。そのうえ今勝手元の者に聞いたら、清洲のお屋敷先へ届ける陶器を、途中でたくさん欠いたというじゃないか」 「ええ」 「正直に詫びようともせず、わしへ何と嘘をいったらいいだろうと、勝手の衆へ、げらげら笑いながら訊いていたろう。今夜は、堪忍しないぞ、やい」  於福は、日吉の耳たぶを引張って、歩き出しながら、 「さ。来い」 「御免なさい」 「くせになる。うんと糺明してやるから来い。お父さんのところへ来い」 「かにん、かにん」  於福は手を離さない。井戸端にいた二、三人の雇人も、日吉の謝る声が猿の啼き声そっくりだといって見送っている。  父の捨次郎へ告げ口する気であろう。広い家の横を廻って行った。倉の前から庭口へと行く道は孟宗竹が茂っていて、裏からも母屋からも見通せなかった。  そこまで来ると、日吉はふいに踏み止まって、 「やいッ」  と、於福の手を払い、また、 「やいッ」  と何度も云って、 「話があるから聞け!」  と、於福の驚いた顔を、大きな眼をして睨みつけた。 「こら、何するんだ」 「なにが何だ」 「主人に向って、お前は──」  と於福は、青ざめて、顫きながら、 「わ、わしは、主人だぞ」 「だからいつも、従順にしてるが、きょうはいってやるぞ。やいッ」 「…………」 「やい於福。てめえは、以前のことを忘れたか。おらとお前とは、友達だったろ」 「そんなことは、前のことだ」 「前のことは、何でも、忘れていいものか。唐人子、唐人子って、皆からてめえが虐められていた頃に、誰がいつも、庇ってやったか、覚えてるだろう」 「覚えてるさ」 「覚えてたら、その時の恩も少しは考えろッ」  小さい日吉は、ずっと自分より大きな於福を、こう睨めすえて、どっちが年上だか分らないように威張った。 「ほかの雇人でも、みんな云ってるぞ。大旦那はいいけれど、若旦那の於福は、生意気で、人情なしで思い遣りがないって」 「…………」 「てめえみたいな、御苦労なしの坊ンちこそ、貧乏して、困ってみて、他人の家の飯をちっと喰べてみるといいんだ」 「…………」 「この先も、奉公人いじめをしたり、あんまりおらに辛くあたると、どうしてくれるか知れないぞ。おらの知っている小父さんは、御厨の野武士で、千人も手下を持ってるんだから、その小父さんに来てもらって、こんな家、一晩で踏み潰してしまうからそう思ってろ」  と、日吉は口から出放題にいって、脅したに過ぎないのであったが、生来気の小さい於福は、日吉の眼光と、口吻に気をのまれて、慄え上がってしまった。  ──母屋のほうで、 「於福様あ」 「若だんな。若だんな」  と、先刻から、召使の男や女がさがしていた。──けれど於福は、それに答える勇気も失せて、日吉の眼に縛りつけられていた。 「呼んでら」  日吉は、教えるように呟いて、 「もう行ってもよし。だけど、今いったこと忘れるな」  云いすてて、彼は先に、元の裏口の方へもどってしまった。  だが日吉は、後では胸がどきどきしていた。  ──今に奥から、呼びに来はしまいかと虞れて。  しかし、何事もなかった。  いつかそんなことも忘れているうち、年が暮れた。彼は十六の年を迎えた。  百姓は百姓なみに、町人は町人なみに、十六となれば、元服のまね事をし、若い者の仲間入りをするのであったが、彼には、そんな祝い事はおろか、扇子一本、くれる者もなかった。  ただ、正月なので、広い台所の板敷の隅っこで、ほかの下男たちと共に、水ッ洟をすすりながら、粟の雑煮餅を、めずらしく喰べただけだった。  それでも彼は心の裡で、 「おっ母や、おつみは、このお正月、餅を喰べているかしら?」  と、ふと思いやった。  粟を作る百姓でいながら、餅もなく送った正月を、何度も覚えているからである。  彼が、そんなことを思い出しているうち、他の下男たちは、 「今夜はまた、旦那さまの客呼びで、おらたちまで、お末に畏って、長談義を聞かねばならぬ晩だぞ」 「嫌だのう。せっかくのお正月を」 「腹いたでも起して、寝ているとするか」  などと、何かこぼし合っていた。  年に二度か、三度。  初春とか、えびす講とか、何ぞの折というと、茶わん屋捨次郎はよく客を呼んだ。  瀬戸の職人たちだの、那古屋や清洲のとくい先の家族だの、武家だの、親類先のまた知りあいの者だのと──ずいぶんな客が夕方からぞろぞろ集まった。 「ようこそ。……ようお越し」  捨次郎はその日、とりわけ機嫌よく、そして腰ひくく、自身で接待したり、日頃の疎遠など詫びあうのである。  彼の美しい妻女はまた、茶席をもうけて、珍らしい器や、心入れの花など挿し、 「御所望ならば」  と好む者へは、茶をたてて清雅なもてなしもした。  東山殿が茶事の数寄を称えられてから、その余風が、いつか民間にも移っていた。その影響がまた、民家の畳とか障子とか、床の間とか、箸茶碗の好みにまで、自然と変化を促して来て、知らず識らず茶は生活の中へはいっていた。  わけて瀬戸村一帯で焼かれる特色のある陶器は、その淡雅な味が、茶の用器に多く需要されだしてきたので、職人たちでも、茶をのむことを知っていた。──また、狭い小部屋の中で、一輪の花と、一服の茶だけで、その間、戦乱の世の中も、苦悩の人生も、ふと忘れて、濁世のなかにも気を養うという術を、理窟なく覚えていた。 「これは、お内儀どのか」  四十がらみの骨太な武士であった。次々と集まる客の中に入り交じって来ていた一人なのである。茶席へはいって来ると、茶わん屋の妻へいんぎんに挨拶をして、 「てまえは御親類の米野の七郎兵衛どのの知合でござる。七郎兵衛どのの御案内で参る約束でござったが、生憎と、その七郎兵衛どのがお風邪気とやらのため、不勝手ながら、一人でお招きへ寄せてもらいに参った」  と述べ、 「御厨の渡辺天蔵で」  と、辞儀ていねいに、後から名を云い添えた。  もの腰もやわらかい。郷士くさい武骨さもあるが、茶を一ぷくと望むので、妻女は、黄瀬戸の茶わんに、茶を立てて出した。 「作法はわきまえませぬ」  と、いうことは弁えたもので、天蔵は気らくに服みながらそこらを見まわし、 「さすがは、評判なお物持ち、結構なお道具ぞろいだ。失礼なれど、そのお水挿に用いておられるのは、世にいう、赤絵とやらではござらぬか」 「お目にとまりましたか。そのような物だそうでございまする」 「ふーむ」  と、感じ入った眼をそれにすえて、 「赤絵とあれば、堺の商人の手にでもかかれば、千金もいたすであろうに。……いや値などはとにかく、近頃、眼の保養をいたした」  などとなかなか腰を上げないでいたが、そのうちに、奥の支度ができましたから──という迎えに、 「どうぞ、あちらへ」  と、妻女は案内して、共に広間のほうへ出て来た。  ぐるりと何十人前の膳が、広間の襖や壁に沿って輪になって並んでいた。亭主役の茶わん屋捨次郎は、その真ん中に坐ってあいさつを述べ、妻女や女童の酌で酒がすむと、捨次郎はいつものように、 「では、てまえもお裾をいただいて──」  と、自分の席につく。  そしてそれから、彼が壮年時代に見聞して来た「明国ばなし」の長談義がはじまるのだった。ほとんど、その頃の日本では、何人と知らない明国の知識を話したいために、彼は客呼びをして、こんな馳走もするのだった。  家内中をあげて、接待したり、馳走をしたり、暇をつぶしてまで、茶わん屋の主人捨次郎が、こうした客呼びを年に幾度かする気もちの中には、自分のもっている明国の知識とか、渡洋した体験とかを、世間へ誇ろうとすることよりも、実はもっと痛切に、べつな意味があったのである。  それは、わが子として──いや生みの子以上にも、可愛がって育ててきた於福への、大きな愛の一つなのであった。  なぜかというに──  於福がもともと彼の実子でないことは、誰でも知っているが、同時にまた、純粋な日本の生れでもない素姓を、いつか世間では、めずらしげな噂にしている。  で、幼少から、遊びに出ても遊び仲間の子どもらから、 (唐人子。唐人子!)  と、からかわれたり、泣かされて帰って来たり、内気な於福は、よけい内気になる傾きがみえた。  捨次郎は、そのたび胸をいためて、亡き五郎大夫の依嘱にすまない気がするのだった。  於福の生みの母は、明国の産で──梨琴という氏素姓もひくい一中国婦人であった。長年、日本から景徳鎮へ陶業の留学に渡っていた伊勢松坂の人で──祥瑞五郎大夫とのあいだに生した子が於福なのである。  楊景福  それが、於福の幼名なのだ。  五郎大夫が、いよいよ日本へ帰るとなった時、下僕の捨次郎は、その楊景福を負って、長江や玄海の千里の船路を、日本まで連れて来たのであった。  ところが祥瑞五郎大夫は、日本へ帰るとまもなく病にかかって亡くなってしまった。多年、明国で研究してきたものを土台に、祖国の陶器工芸に一生面を拓こうとした理想も中途で終ってしまったし、梨琴とのあいだに生した子の育つのも見ずに逝ってしまったのである。 (於福はそちに頼む)  と、その主人から、捨次郎はいまわの際に、託されたのだ。  日本へ来てからは、もちろん「楊景福」ではおかしいので、福太郎と名を改めてはいたが、松坂あたりの人々のあいだでは、 (あれは、唐人子や)  と、隠れもないこととされていた。  祥瑞の亡き後、捨次郎はその松坂を去って、郷里の尾張へひき移り、この土地の瀬戸村で産出する陶器をはじめ、諸国の窯の製品も扱って、那古屋、清洲、京、大坂あたりまで手びろく商いをしていたのであったが、於福の生い立ちと、その母が、日本の女でないということは、諸国へ往来の繁しい土地がらだけに、ここでもいつか人の耳へ伝えられていた。 (世間の衆が、明国の事情をよく知らないからだ。また生半可、隠しだてするから奇異な目で見たがるのだ)  捨次郎は、こう考えた末、 (世間へ、明国とは、こういう国だということを、教えてやろう。……そしたらかえって、於福も自覚をもって、自分のうけた血に、恟々せず、内気がなおるかもしれない)  ──彼の客呼びと、彼の得意にする明国ばなしは、そういう心理からも起っていたわけであった。  さて。  それはとにかく、当夜の来客たちも、如才なく、酒がすすむにつれて、 「御主人。ひとつまた、明国のおはなしでも」  と、客のほうから促した。  天竺とか、唐とかいうと、夢の国のように思っていた民衆も、近ごろは、鉄砲が渡来されたり、自鳴鐘という物を知ったり、縞や更紗などの織物を見たりして来て、この天地のうちには、日本のほかに、そういう大きな国々もほんとに在るのだということを──漠然とではあるが──一般に知られかけてきた時代である。  捨次郎は、一座の客に向って、 「ぽるとがるとか、すぺいんとか、おらんだとか、そういう紅毛人の国々と明国とを、同じように考えてはいけませんよ。なぜならば明国と日本とは、東洋というて、国こそちがうが、皮膚の色から、髪の毛、文字や宗教や道徳や──また、血までがまったく似ている国がらなのでしてな」  と、まず話した。  それから。  秦の時代や、漢や唐の頃にも、かの地から日本へ、多くの者が移住して来て、日本に帰化していること。その帰化人たちは、日本人の妻をもち、子を生み、そして日本の文化にも、いろいろな功績を残して来ていること。  また、日本からも、そのむかしは遣唐使をのせた船が、頻りに、海を往来して、知識や物産を交易し、ほとんど、ふたつの国のあいだがらは、歯と唇のような関係であったということ。  たとえば日本で、日常よく喰べる豆腐みたいな物にしても、かの地の土産ものだし、食物ばかりでなく、山川風物も、人情も道徳も、また美術でも文学でも、すべてが不思議なほどよく似通っている国がらなので──。  ただ、まったく違っている点といえば、日本は、上に、一系の皇室をいただいて、連綿とかわることがないのにひきかえて、かの国では、余りな大国のせいもあろうが、何千年来、王覇の争いがたえず、興る者がみずから帝王を称えて、民心の帰一するところがないために、その歴史は乱脈で複雑で、従って、国情というものが、大きに異っている。  ひと口にいえば、覇道の国。  乱れても、戦い合っても、日本において、朝廷という御中心は確固として、幾千代までも御中心である。民の心のなかにも常に中心となっている。そういう安らかさは明国にはない。 「──思えばありがたい国にわたしたちは生れたもので」  捨次郎は、そんなふうに、日本と明国とを、比較して話したりした。  そしてそれとなく、於福に向っては、卑屈な気を持つなと教え、世間に向っては、明国と日本との密接な関係を諭した。  だから於福も、近頃は、内気どころではなくなった。奉公人も世間の者も、決して彼をからかわなくなった。 「いや、ご馳走になりました。こん夜もいろいろと、耳新しいお話をうかがったりして」 「もう十分に、頂戴いたしました。夜も更けましたれば、この辺で」 「ぼつぼつ、お暇を」 「そうじゃ、おひらきといたそうかの」  無事──その晩の招き事も終って、客は次々に帰って行った。  奉公人たちは、その後がまた、一しきり忙しい。 「やれ、やっと仕舞ったか」 「お客には、珍しいかもしれぬが、明国のはなしも、わしらには年中なのでな」  などと欠伸まじりに、大勢であと片づけにかかり出すのだった。もちろん日吉も、追いまわしに使われて、その中でぐるぐる働いていた。  ひろい厨の灯も、広間や主人たちの部屋の灯も、やがてみな消されて、茶わん屋の家を囲む土塀の門にも、頑丈なかんぬきが横に懸けられた。  武士の屋敷はいうまでもない、町人の住居でも、少し財産家と見られるほどな家なら、必ず土塀をめぐらすとか、濠で周りをかこむとか、そして門の内にも、二重三重に、盗賊に備える要害をしていた。  そういう夜の不安は、応仁の乱あたりから後は、都会でも地方でも、もう当り前のことになって、誰も怪しもうとはしない。  日が暮れたら寝る。  それが習性になっていた。  寝るのが、ただ楽しみのような雇人たちは、各〻の寝小屋へもぐりこむと牛のように正体もなかった。──下男部屋の片隅に、木の枕をかって、薄い藁ぶとんをひきかぶっている日吉のほかは。 「……オヤ?」  日吉は、眠られぬままに、ふと首をもたげた。  彼も、今夜の客呼びのお下のほうで、主人の捨次郎の大明国のはなしを熱心に聞いていたが、さなくても空想の多い彼のことなので、大きな感動をうけた後はいつも、軽い熱病のようになかなか眠りの中に落着けないのであった。 「何だろ」  身を起すと、日吉はふとんの上に坐ってしまった。  たしかに今、裏のほうで、木でも折れるような響きがした。──その前もぴたぴたと人間の跫音のような気配がしたと思って、耳をたてているうちにである。  台所から日吉はこっそり戸外をのぞいてみた。大瓶の水も凍り、板廂から剣のような氷柱が垂れている寒空の冴えた夜半だった。──ふと、裏の巨きな木のうえを仰ぐと、それへ攀じのぼっている人間がある。今の大きな響きは、その人間が足をかけた梢の一つが裂けたものとみえる。  日吉は体じゅうを眼にして、樹の上の人間の奇怪な行動を見つめていた。  その男は、蛍ほどな小さい火を、くるくる宙に振っていた。それは火縄にちがいあるまい。赤い渦巻から微かな光の粉が風にふきこぼれ──何かの合図でも外へしているらしく思われた。 「あッ、降りて来る──」  日吉はとび出して、鼬のように物蔭へかくれた。木から辷り降りた男は、とたんに大股な足を移して、表のほうへ廻って行く。それをやり過して、日吉は後から尾けて行った。 「や。宵に見えたお客さまの一人だぞ」  彼は、ありえないことのようにつぶやいたが、やはり覚えのある人間だった。  それは、この近郷の御厨の渡辺某であると名のって、御寮人の茶席へも通り、主人の捨次郎のはなしも始終、熱心に聴いて帰った郷士の客にちがいない。  客はひとり残らず帰ったはずなのに、今頃まで、どうして、どこに残っていたものだろう。しかも今見れば、身拵えも宵とはちがって、草鞋をはき、袴の裾を巻き括り、大太刀を横ざまに帯びて、角鷹のような険しい眼をあたりへ払っている様子──見るからに殺伐な血のにおいをすぐ思わせる扮装なのだ。 「待て、待て。──今、かんぬきを外すから、静かにしろ」  云いながら、その奇怪な人間は、門の内側へ寄って、そこを開けにかかったが、その間も、外にひしめいている大勢の囁きや手が、門をがたがた揺がしていた。  土匪の襲来?  そうだ。野武士の頭が、いなごの群れのような数多の手下を闇から呼んで、掠めにやって来たのだ。  日吉は、物蔭で、 (泥棒!)  と感じると、とたんに自分の血しおの沸りで、自分が分らなくなっていた。  だが、その忘失も、その恐怖も、自分の仕えている主家の大事──という観念の以外に──である。いや、それだけが、彼の頭を占めてしまったので、他の考えも危険もまったくなくなっていたという方が正しい。さもなくては、その時、日吉が取った行動は、余りに豪胆すぎるし、白痴の所作というしかなかった。 「おじさん──」  のこのこと、物蔭から歩き出して行くと、どう思ってか、彼が、こう呼んだものである。  今、──そこの門を開いて、大勢の手下を迎え入れようとしていた野武士の渡辺天蔵の背なかへ向って。 「……?」  ぎょッとしたような顫えが、天蔵の足から背すじへ、明らかに走った。まさか十六歳のこの家の童僕とは思えなかったに違いない。 「…………」  見れば、猿のような顔をした不思議な少年が、妙に馴ッこい眼をして近づいているのである。野武士の天蔵は、ややしばし穴のあくほど見つめていたが、 「何だ、汝は?」  と、どう考えても、解釈しようのない顔つきで、やがて訊ねた。  日吉は平然と──いや平然と見えるほど、危険を忘れていたのだろう。ニコともしない代りに、格別、どうという顔色もせず、 「おじさんは、何だい?」  と、訊きかえした。 「なに?」  天蔵は、いよいよ自分の智恵と取り組んで解釈に苦しんだ。そして、 (馬鹿かな?)  と、疑ってみたが、気のゆるせない眸を感じるし、その眸が、子どものくせに、妙に此方を圧して来るのだった。  で、天蔵は、日吉のその視線を払い退けるように、つよく睨め返して、 「知れたこと、おれたちは、御厨の野武士だ。声をたてると、ぶッた斬るぞ。餓鬼どもの生命などを取りに来たのではないから、踏みつぶされないように、薪小屋にでも引っこんでいろ」  抜く手まねでもしたら横ッ飛びに消えてゆくであろうと、天蔵が、大太刀の欛を一つたたいて見せると、日吉は、にやっと白い歯を出して、 「じゃあ、おじさんは泥棒なんだね。──泥棒なら、欲しい物さえ持って行けばいいんだろ」 「うるさい。彼方へ行け」 「行くけれど──そこの門を開けたら、おじさん達は、一人のこらず生きて帰れないぜ」 「なんだと」 「知らないだろ。誰だって知らないけれど、おらだけは知ってるんだ」 「小僧、汝はすこし、気が狂っているな」 「自分のことをいってら。おじさんこそ頭が悪いぜ。こんな家へ泥棒にはいって来るなんて──」  門の外では、かかることとも知らないので、そこの開くのを待ちしびれて、天蔵の仲間が、 「まだか、まだか」  と、扉を鳴らしていた。  野武士の渡辺天蔵は、 「待てよ。ちょっと待て」  と、門の外の者を、制しておいてから、また、日吉へ向って、 「この屋敷へはいると、生きて帰れないと今てめえがいったが、ほんとか?」 「ほんとさ」 「それは、どういうわけだ。いい加減なことをぬかしたら、素ッ首をひき抜くぞよ」 「ただは教えてやらないよ。おらに何かくれなければ嫌だ」 「ふう……ム」  天蔵は呻いて、日吉に向けていた疑心暗鬼を、茶わん屋の家全体に向け直した。星の空は吹き研がれて、明るいばかりだったが、土塀にかこまれたこの家の一劃は、屋の棟も下がるという丑満の闇に沈んでいた。 「──何が欲しい」  試みに彼がいうと、 「物なんか、欲しくない。おらを手下にしてくれれば」  と、日吉はいった。天蔵は、眼をみはって、 「じゃあ汝は、おれ達の仲間にはいりてえのか」 「うん」 「盗賊になりたいのか」 「うん」 「幾歳だ」 「十六」 「なぜ盗賊になりたい?」 「ここの主人は、おらをこき使ってばかりいるし、ここの奉公人は、おらを猿々と虐めてばかりいるから、おじさんみたいな野武士になって、仕返ししてやりたいんだ」 「よし。手下にしてやってもいい。──だが、それは汝が証を立ててからだぞ。さあ、前に云ったことの理をいえ」 「ここの家へはいると、みな殺しになるといったわけかい」 「そうだ」 「おじさんの謀事がまずいからさ。おじさんは宵のうち、お客に化けて、大勢の中へ交じって来ていたろ」 「うむ」 「誰だか、おじさんの顔を、知っていた者がいたよ」 「そんな筈はない」 「ないッていったって、御主人がちゃんと知ってたもの。──だからおら、宵の口、まだお客さんがいるうちに、御主人の吩咐で、藪山の加藤清忠様のおやしきまで走って行き、きっと夜半におしかけて来るにちがいないから、お願いしますと、知らせてあるんだぜ」 「藪山の加藤? ……アア、織田の家中の加藤弾正か」 「弾正さんとうちの御主人とは、親類づきあいだから、すぐ近所に住んでる侍衆を十人以上も集めて、みんなここのお客に拵え、宵のうちに来て、家の中で待ちかまえているんだ。嘘じゃないよ」  真実らしい。──いや信じきった様子が、渡辺天蔵の狼狽えた顔いろに見て取れた。 「ううむ、そうか……。してそいつらは、どうしている」 「車座になって、今し方まで、お酒をのんで待っていたけれど、もう襲って来ないらしいぞといって、思い思いに寝ているよ。──おら一人、こんな寒い中に、張り番に立たせておいて」 「では汝は、見張りをいいつけられて、立っていたのか」  日吉が頷くと、同時に、天蔵は飛びかかって、 「喚くと、生命がないぞ」  と、大きな掌で、彼の口をふさいでしまった。日吉は、もがいて、 「おじさん、おじさん。約束がちがうよ。騒ぎはしないからこの手を放しておくれよ」  賊の天蔵の手に、爪を立てながら、塞がれている口でわめいた。  天蔵は、首を振って、 「いや、おれも御厨の渡辺天蔵だ。汝のはなしを聞けば、この家にも備えがあるそうだが、そうかといって、空手で引き退っては、手下の者へも、顔向けがならねえ」 「だから……だからさ」 「どうするというのだ」 「おらが、おじさんの盗みたい物を、持ち出して来てやるから──」 「汝が取って来ると」 「ああ。……そんならいいだろ。斬ったり斬られたり、危ないことをしなくてもすむし」 「きっとか!」  日吉の喉をぎゅっと締めつけて天蔵が念を押した。  門のあくのが遅いので、門の外では、天蔵の手下たちが、不審を抱いて、恐れたり疑ったりしながら、 「頭。……頭」 「どうかしたんですか」 「門は、どうしたんで?」  などと頻りに、そこの扉をまた、ごとごと揺り出していた。  天蔵は、かんぬきを半分ほど抜いて、その隙間から外へ、 「すこし模様が悪いから静かにしていろ。そして、てめえたちはかたまっていねえで、そこらへ影をかくしていたがいいぞ」  さては──と疑いの怯みを衝かれて、手下たちは、さっと群れを解き、草むらや木蔭や、思い思いの闇をさがして、身を潜めてしまった。  日吉は、渡辺天蔵から吩咐けられた品を、家の中から持ち出して来るために、元の下僕部屋の口から、そうっと、母屋のほうへはいって行った。  見ると、いつも夜半はついていない筈の主人の居間に、灯がさしていた。 「旦那さま」  日吉は、板縁に畏って、声をかけた。──返辞はなかったが、主人の捨次郎も、御寮人も、そこに起きて坐っている気配がする。 「もし、御寮人さま」  もいちどいうと、 「……誰?」  と、御寮人の声である。──明らかに顫えをおびている。さっきからの微かな物音や人声に、主人か妻女かが、眼をさまして、一方をゆり起し、土匪の襲来を覚って、観念の眼をふさいでいたところにちがいない。  そこへ、日吉が障子をあけてはいって来たので、主人の捨次郎も御寮人も、眼をみはってしまった。──恐怖のさめきらない不安の顔いろのうちに、唖然と、彼を見まもる眼を大きくすえていた。 「野武士がやって参りましたよ──多勢して」  日吉は、告げた。  主人夫婦は、ごくりと唾をのんだだけで、何もいわない。──いや云い得ないほど白々と歯の根を噛んだ顔しているのである。 「──踏みこまれたら、それこそ大変です。旦那さまも、御寮人さまも、縛り上げられてしまいましょう。五人や六人の人死や怪我人は、きっとできるにきまっています。……ですから、私が計りごとを考え、野武士の頭を、外に待たせておきました」  賊の渡辺天蔵にいった通りのことを、日吉は、主人夫婦へそのまま告げて、 「──ですから、旦那さま、野武士の頭が、欲しいっていう物を、出して遣ってしまうとようございますよ。私が持って行って、渡してやれば、それで帰ってしまいますから」  と、いった。  ──ややあって。 「日吉。いったい、野武士の頭は、何をよこせというのだね」  捨次郎が口をひらいた。  日吉は答えて、 「はい。賊の渡辺天蔵が目をつけて来たのは、御当家で御秘蔵の──赤絵の水挿だといっていました」 「えっ。赤絵の水挿を」 「それを渡せば、帰ってやるといっています。こんな安いことはございませんから、渡してやろうじゃございませんか。……といっても、それは此方の計略ですから、私がこっそり、持ち出して渡してやる振りをして」  日吉は、得意げに、主人夫婦へすすめたが、捨次郎は固より御寮人の眉のあたりは憂いと恐怖に、黒ずんでしまっている。 「赤絵の水挿っていうのは、きょうのお招きに、蔵から出して、茶席でお使いになっていたあの陶器でございましょう。……野武士の頭なんて、ばかな奴でございますよ。何を欲しがるかと思ったら、あんな物を持って来いっていうんですから」  日吉は、くすくす笑いたいほどな顔して、そういったが、御寮人は化石してしまったように無言だし、捨次郎は、大きな吐息をついて、 「弱ったのう」  と考え込む。 「旦那さま、どうしてそんなに考えるんですか、陶器一つで、血を見ずにすむことを」 「あれは、わしが商売に扱っているような、ざらにある陶器ではない。明国にももう滅多にない品だ。その明国から、苦心して日本まで持って来た物だ。また亡くなられた祥瑞様のお遺品でもあるし」  捨次郎がつぶやくと、御寮人も一緒になって、 「堺あたりの茶道具屋では、千金もするという高価なものだよお前……」  恨みがましく、云いはしたものの、殺伐な野武士はなお恐かった。抵抗して皆ごろしに遭い、家屋敷まで焼かれてしまった実例など──何処の国々でもめずらしくない今の世の中だった。  やはり、男はこんな場合、ふつりと思いきりがいい、捨次郎もしばらくは、断ち難い愛着を断ちかねていた様子だったが、やがて、 「ぜひがない!」  同時に、少し生気を取りもどして、塗箪笥の小ひきだしから、土蔵の鍵を出し、 「持って行ってやれ」  ことばと共に、それを日吉の前へ、抛り出した。  年に似げない才覚、よく計ったと──日吉の仕方を、心では思いながら、むざむざ失う赤絵の水挿への執着に、忌々しさがこみあげて、賞められもしなかった。  日吉は、一人で蔵をあけた。そして一箇の箱を抱えて来て、鍵は主人の手へ返し、 「もう灯を消して、そっとお寝みになっていたほうがようございますよ。心配はありませんから」  とまで、注意をして、再び外へ出て行った。  どうか? ──と半ば、疑いながら待っていた渡辺天蔵は、日吉の手から、赤絵の箱を受け取ると、品物の容態を検めて、 「ウム。これだ」  と、顔の筋を解いた。 「じゃ、おじさん達、はやく引き揚げたほうがいいぜ。今、蔵から探し出す時、蝋燭をつけたもんだから、加藤様やほかのお侍たちも、眼をさまして、一廻り屋敷のまわりを見廻ろうかといってたから」  追い立てると、天蔵は、急にあたふた、門の外へ飛び出して、 「小僧、いつでも御厨へたずねて来いよ。手下に使ってやろう」  云い捨てて、闇へと、影を消してしまった。 猫の飯  怖ろしい一夜は明けた。  ──あくる日の真昼間ごろ。  まだ松の内なので、御慶の客はちらほら絶えないが、茶わん屋の奥には、妙にしいんと冴えない陰が漂っていて、主人の捨次郎もむっそり顔しているし、いつも陽気な御寮人の姿も見えない。  その義母の部屋へ、息子の於福は今、そっと来て坐っていた。彼女は、ゆうべの悪夢の怯えからまだ醒めないように、青白い顔して、病人のように寝籠っていた。 「義母さん、今、お義父さんにも話して来ましたから、もうご安心なさいまし」 「そうかえ。そして、何と仰っしゃったえ?」 「初めは、私のいうことを、半信半疑でいらっしゃいましたが、私が日吉の日頃の素振りから、いつぞや私をつかまえて、家の裏で──御厨の野武士をよんでくるぞ──と現にあいつが、脅し文句をいったことまでお聞かせすると、ウームそうかと、びっくりしたご様子でした」 「すぐに、暇を出すといっておいでたかえ」 「それもなかなか仰っしゃらないで──見どころのある小猿だが──と思案していますから、泥棒の手先を家の中に飼っておく気ですかって──私が云って上げたんです」 「第一、わたしは、最初からあの日吉の眼つきが嫌いなんだよ」 「それも云いました。そしたらやっと、そんなに皆が性に合わないというなら、暇を出すしかあるまい。けれど、藪山の加藤殿からおひき受けした手前もあるし、自分からは云いにくいから、お前たちで、何とでも談合して、当り障りないよう、暇を出してくれと云い残して、お義父さんは、出かけておしまいになりましたよ」 「ああそれでよかった。わたしはもう半日でも、あんなお猿の妖怪みたいな子を、使っておくのは嫌で嫌でたまらない。……日吉は今、何している?」 「蔵で荷造りを手伝っていますが──何ならすぐここへ呼んで来て、云い渡しましょうか」 「よしておくれ。顔を見るのも嫌だから。お義父さんがそう仰っしゃったなら、おまえから、きょう限り暇を出すといって、帰してしまったらそれでいいではないか」 「はい」  於福は、内心ちょっと、怯むようであったが、 「畏りました。──手当のことは、どうしてやりましょうか」 「元より給金など遣る約束で抱えたのではなし、ろくな働きもできないのに、喰べさせたり、着物を着せたり、それだけでも、あの子の分には過ぎています。けれど……そうだね、今着ている着物をくれてやって、塩の二升も施しておやり」  於福は、自分一人で云い渡すのは、何だか日吉に対して不気味な気がしたので、ほかの雇人を連れて、一緒に外の陶器蔵へ歩いて行った。  蔵の中を覗いて、 「小猿。いるかい」  呼ぶと、頭から藁ゴミをかぶって働いていた日吉は、 「はい。何ですか」  いつもより元気な返辞をして飛び出して来た。  人にいってはよくないと考えたから、誰にも話していないが、ゆうべのことは、彼自身で、心のうちに、得意に思っていたのである。きっと今に主人から、改めて、賞めてくれるにちがいないと、密かに待っていたほどだった。  於福のそばには、雇人のうちでも、腕ぶしの強い──日吉がふだん一番怖れている手代が、突っ立っていた。 「小猿」 「へ?」 「おまえな。もう今日から、帰ってもいいよ」  於福のことばだった。  日吉は、怪訝な眼をして、 「どこへです?」 「どこって、自分の家へさ。──家はあるんだろ。今でも」 「家はあるけれど……?」  何故? ──と日吉が云い出さないうちに、於福は、云いかぶせた。 「きょう限り、お暇が出たんだ。今、着ている着物はくれてやるから、すぐ出ておいで」  すると、側にいた手代が、日吉の寝衣の包に、二升の塩を添えて、 「これも、御寮人さまのお情けで、おまえに下さるとのことだ。お礼はいわないでもいいから、ここからすぐに出て行きなさい」 「……?」  日吉は、茫然としていた。  かっと熱いものが顔にのぼって来る。その眼は、於福へとびつきそうな怒りをあらわした。 「……分ったかい」  於福は、後ずさりながら、手代の手から寝衣包と、塩の袋を取って、地へ置くと、あわてて行ってしまった。  日吉はなお、その姿へ、飛びかかって行きそうな眼をやっていたが──その眼には涙がいっぱいにあふれて来て、何もかも見えなくなってしまう。  野火のように暴れ狂ってやりたい憤りと──同時に彼の頭には、すぐ母の悲しげな顔が泛んでいた。 (こんどまた、奉公先から出されたら、藪山の加藤殿のお顔にもさわるし、この母も、世間へ恥かしゅうて、誰へも顔向けがならぬぞよ──)  茶わん屋へ来る前に──そういって涙ぐんだ母の顔が──あの貧乏と、子を生むたびに、目立って窶れてくる母の姿が──彼の憤怒する血の中に、脆い涙と、情痴な洟を啜らせて、その身を、どうしていいか分らないように、しばし棒立ちにさせていた。 「猿」 「どうしたい」 「何かまた、しくじったな。お払い箱だっていうじゃないか」 「もう十六だ。どこへ行ったって、御飯ぐらいは喰わせてくれるさ。男だ。ベソ掻くな、ベソ掻くな」  笑いながら、他の雇人だの、居合わせた人々が、彼を真中に、あっちこっちで、働いていながら云った。  日吉の耳には、ただ笑って囃されたような覚えしかなかった。けれど彼は、誰にだって泣き顔などは見せもしなかった。かえって白い歯を見せて、そこらを振り向き、 「誰が、ベソなんか掻くもんかい。──おらはもう、茶わん屋奉公など飽々だ。こんどは侍屋敷へ行って、侍奉公をするんだよだ!」  寝衣包を背なかに背負い、そこらに落ちていた細竹に、塩の袋を差して、ひょいと肩に担いだ。 「侍奉公するとよ」 「あははは。あんな捨てぜりふをいって行きゃあがる」  憎めないが、誰ひとり同情の眼で、彼の出てゆく背を見ていた者はなかった。日吉もまた、一歩そこの土塀を出ると、青空の碧さに心を吸われて、解れた気持のほか何もなかった。  ──去年の八月、小豆坂の合戦で、敵の今川勢のなかへ駈け入り、功をあせったために、弾正は重傷を負って、やっと帰った。  それ以来は藪山の家に寝たっきりで──妻のおえつの看護をうけていたが、年暮の寒さをこえて、この正月になっては、腹部にうけた槍傷が毎日痛むらしく、苦しげな呻きがのべつ洩れていた。  ──その血膿に汚れた良人の肌じゅばんを、おえつは、屋敷の中を通ってゆく流れで洗っていたが、ふと、 「誰であろう? ……暢気らしゅう……」  と、腹の立つように、身を伸ばして、声のする方を見まわした。  光明寺山の中段にある屋敷なので、土塀の外へ顔を出すと、麓の道も見える。中村の耕地も見える、庄内川や尾張の平野もひろびろと眺められる。  寒々と、正月の陽は、平野の果てにうすずいて、きょうも暮れかけていた。 糸を繰るのも よるといい 日の暮るるをも よるという くるくるしくも何かせむ くるより待つこそ 久しけれ ヤヨ 久しやな  大きな声であった。今の社会のけわしさも人間苦も知らない者の声だった。室町末の人々に謡い飽かれた歌が、この尾張あたりへ伝って来て、農家の娘の糸繰歌などに訛ってよく謡われている。 「……おや。日吉じゃないかしら?」  おえつは、麓から今、そう謡いながら登って来る者を遠くから見てびっくりした。  弾正から頼んで、おととし頃、茶わん屋へ奉公にやってある姉の子の日吉にちがいない。何か、汚いふろしき包を背なかに背負い、竹の棒にも何やら差して肩に担いながら暢気そうにやって来るのだ。 「まあ、すこし見ないうちに、大きゅうなって……」  それにも眼をみはっていたが、その大きな身なりになっても、相かわらずらしい暢気さに、呆れていたのだった。 よしや辛かれ なかなかに 人のなさけは 身の仇よ ヤヨ…… 「やあ、叔母さん、そんなとこに立っていたんですか。……今日は」  日吉はそこへ来るとぺこんとお辞儀をした。歌をうたいながら歩いて来た心身の弾みが、わざとする気もなく、ひょうきんに挨拶をさせるのだった。  だが、若い叔母は、笑いを忘れた人のように、晴れない顔をしたまま、 「めずらしいこと。──上の光明寺さまへでもお使いに来たのかえ」  と、いった。 「いえ」  日吉は、とたんに、頭を掻いて、少し云い難そうに、 「茶わん屋から、お暇が出てしまったんで……。叔父さんに知らせなければ悪いと思って、寄ったんで」 「え。……また?」  おえつは眉をひそめて、 「またおまえ、追い出されて来たんですか」 「だって……」  日吉は、理を話そうと思ったが、何だか面倒くさくなって、 「叔母さん。……叔父さんはいるの。いたら、会わしてくんない。おねがいがあるんだから」  と、甘えた調子でいった。  とんでもない──良人はそれどころか、小豆坂の戦で深傷を負って、きょうかあすかを案じている重態。おまえなどに会っていられるものではない。  若い叔母は、つけつけと、 「ほんとに、おまえみたいな辛抱なしの子を持って、中村の姉さんも、かわいそうだね」  と、沁々という。そう聞くと日吉は悄気て、 「じゃあ、叔父さんに、お願いしてみようと思ったけど、だめだろうなあ」 「何をだえ」 「叔父さんは侍だから、こんどは何処か、侍屋敷へ奉公に、入れてもらおうと思って」 「いったい、おまえは今年、幾つになったんですか」 「十六さ」 「十六にもなったら、少しは世間が分りそうなもの」 「だからもう、つまらない家には奉公しないんだ。叔母さん、どこか口がないだろうか」 「いい加減におし」  と、野放図もないと、たしなめるように、おえつは、女の眼で睨めて、 「侍屋敷では、侍の家風に合う者でなければ、使いはしません。おまえみたいな野育ちの暢気者を何処で──」  そこへ下婢が来て、彼女に告げた。 「ごしんぞ様。ちょっと急いでお越し下さいませ。旦那様がまた、お苦しみの御様子ですから」  おえつは、聞くとすぐ、日吉の姿など眼のうちにないように、何もいわず家の中へ駈け入ってしまった。  置き捨てられた日吉は、ちょっとぽつ然として、尾濃の平野に暮れてゆく雲を見ていたが、やがて土塀口からはいりこんで、加藤家の台所の外に佇んでいた。  すぐ中村の家へ帰って、母の顔を見たかったが、義父の筑阿弥を思うと、わが家の垣にも、茨が感じられる。 (次の奉公口を、先にきめてから──)  というその辺の思慮と、藪山のこの家へは一度、耳に入れておくのが順序だとも考えたりして、来てみたのであるが、その弾正は、重態だというし……。 「どうしようかなあ?」  飢じい腹を思いながら、日吉は漠然と、今夜からの寝床を思案していた。すると彼の冷たい足に、何か柔らかなものが絡みついた。ふと見ると愛らしい小猫なのだ。日吉は、抱きあげて、台所の端に腰かけた。 「汝も、腹が減ってるのか」  夕方の薄ら陽が、彼と小猫のまわりに寒げに映している。小猫は、日吉のふところにがたがた顫えていたが、少し温んでくると、彼の顔をペロペロ舐めだした。 「よせやい。よせやい」  日吉は顔を逃げながら猫へいった。彼は、猫はあまり好きでなかった。けれど今、彼にこんな親しみを示してくれるものは猫しかなかった。 「あら……?」  ふと、日吉は耳をそばだてた。小猫の眼も、びっくりしていた。そこからすぐ向うに縁先の見える部屋から、病人の癇だかい呶鳴り声がふいにしたからである。  ──と、やがて台所へ、おえつが眼を泣き腫した顔して退って来た。何か、良人の気を損ねたのであろう。煎薬の土瓶をこん炉へかけながら袖口で涙をふいていた。 「叔母さん……」  気を遣いながら、日吉は猫の背をなでながらいった。 「この猫、腹が減って、顫えているよ。ご飯をやらないと、死んじまう……」  実は自分の空腹をも、訴えているのであった。けれど彼女は、猫の御飯どころか──と、 「おまえ、まだそんな所にいたのかえ。陽が暮れても、家には泊めておかれないのですよ」  といって、また、袖に涙の目をかくした。  薬を煎じながら、つきつめた胸をひとり抱いて、泣いている若い叔母のすがたには、二、三年前の幸福そうな、新妻の美しさはもう、雨にたたかれた花みたいに褪せている。  猫を抱いて、猫と共に、飢えと寝床に行きはぐれていた日吉は、 (泣いてるんだから、叔母さんも、何か心配があるんだろうな)  と、相手の身にもなって、まじまじと彼女のすがたを見ていたが、ふと、その若い叔母の体つきに、或る異様なものを感じて、何気なしに、 「叔母さん……叔母さんはお腹が大きいんだね。妊娠なのけ」  と、訊ねた。  泣いていたおえつは、自分がいちばん悲しんでいることを、いきなり突拍子もないことばで、訊かれたので、頬でも打たれたように、はっと顔を上げたが、 「男の子のくせに、そんなませたこと、いうものじゃありません。いやらしい子!」  と、よけいに悲嘆をいらだたせられたように、 「はやく、陽のあるうちに、中村へでも何処へでもお帰りよ。……わたしは今、そ、それどころではないのだから」  と、咽びかける声をのんで、部屋のうちへ隠れてしまった。 「……帰ろ」  自分で自分へつぶやいて、日吉は立ちかけたが、小猫はなお、彼の温かなふところから離れたがらなかった。するとさっき彼が云ったので、下婢が気がついたものとみえ、小皿に冷飯を盛り、汁をかけて、それを見せながら外で呼んだ。  飯を見ると、小猫は、日吉のふところを捨てて、そのほうへ飛びついて行った。日吉は、口にいっぱい唾液をためながら、猫の飯と猫に見恍れていた。 「…………」  彼には、飯が与えられそうもない。中村の家へ行こうと心に決めた。そして空腹の身を起して、庭先を歩きかけると、閉じこめてある病人の居間から、耳ざとくその足音を咎めて、 「だれだッ」  と、呶鳴る声がした。  はっ──と立竦みに、日吉はすぐ、それが弾正と知ったので、日吉でございますと答えた。それから、ちょうどよい折とも思ったので、茶わん屋から暇を出されて帰って来たことも、ついでにそこから告げた。 「おえつ。そこを開けろ」  と、弾正の声が内でする。  けれど彼の妻は、夕方の風がはいって冷えるとまた、傷口が痛むからと、しきりに宥めているらしく、そこの障子は開こうともしないのである。  すると、弾正が、 「ばかッ、十日や二十日、生きのびたとて、何になる。開けろッ」  と、ふたたび癇癪を起したので、おえつは、泣く泣く障子をひらいて、 「日吉、御病気にさわるから、ごあいさつしたら直ぐ帰るんですよ」 「はい」  日吉は立ったまま、病室へ向ってお辞儀をした。弾正清忠は、蒲団を重ねてそれへ重症の体を凭せかけていた。 「茶わん屋を出されたか。──日吉」 「はい」 「むむ。よかろう」 「…………」 「暇を出されたことは、少しも恥辱ではないぞ、不忠、不義さえしなければ」 「ええ」 「そちの家も、以前は武士だ。武士はな、日吉」 「はい」 「飯のため、飯に使われてあくせくせんのが武士だ。天職のために、御奉公の本分のために、生涯する。飯はつき物、人間の天禄だ。──頼むから、貴様あ、飯を追って一生うろうろ送るような人間になってくれるなよ」 塩  もう夜半に近い。  疳のつよい、そのくせ体のひよわい小竹は、泣きぬいていたが、やっと藁ぶとんの中で、乳を離れかけた。 「母さん。──起きたら寒うて凍えてしまうがな。そのまま寝んでいなされや」  姉娘のおつみは、母を労って止めたが、お奈加は、 「何の、父さんも、まだ帰らぬのに」  と、起き出して、おつみと共に、宵から仕残してある夜業仕事を、炉のそばで、せっせとやりだした。 「父さん、どうしたのやろ。今夜もまた、戻らぬのかしら」 「お正月じゃほどに」 「でも、家の者は、母さんはじめ──餅一つ祝うでなし、こうして寒々、夜業して暮してるに」 「男は、交際というものもあるしのう……」 「いくら主だからというて、働きもせず、お酒ばかり飲んで。──帰ってくれば、母さんばかり虐め、わたし、腹が立つ……」  おつみも、もう年頃だった。ふつうなら嫁にも行く年だったが、この母を残しては嫁げもせず、この家計を知っていては、春着一枚はおろか、紅白粉などさえ、夢にも思えなかった。 「いうてくれるな」  と、母は涙もろい。 「父さんは、ああいう人じゃでな、あてにはならぬが、日吉もやがてよい若者になる程に、そしたら其女も、嫁入りさせよう。……だが、この母を見ても、良人はよくよく選ばぬと」 「母さん、あたし、お嫁にゆくことなど、まだ考えていませぬ。いつまでも、母さんの側にいて」 「女子はのう……そうもゆくまい。今の父さんには内密じゃが、前の良人弥右衛門様が、戦で傷を負うた時、御主君からいただいたおかねのうち、青ざし一貫文だけは、其女が嫁入りの代にと思うて取ってある。心がけておいた屑糸も、鞠にして七つも溜った。あれで小袖の一つも織ってやりましょうぞ……」  母のことばを遮って、 「あッ。母さん。……誰か土間へはいって来たようですよ」 「父さんか」  おつみは、そこから、身をのばして、土間の方を覗きながら、 「……いいえ」 「では、誰じゃ」 「誰だろ? ……黙って」  気味わるげに、おつみが、声を嚥んでいると── 「おっ母」  日吉の声だった。  暗い土間に立ったままで。──そしてじっと、いつまでも、上がって来ようともしないのであった。 「おやッ。日吉じゃないか!」 「……うん。おらだよ」 「ど、どうして、今頃」 「茶わん屋から暇が出たから帰って来たんだよ」 「えッ、お暇が出た……」 「かにんして。なあ、おっ母さん。かにんして……」  土間の闇に、すすり泣きがする。──お奈加も、おつみも、そこへ転ぶように出て行った。 「お暇の出たものを、今さらどうしようぞ。さ、お上がり。……なぜいつまで、立っているのじゃ」  手を取ると、日吉は首を振って云った。 「いや、上がらずに、おらはまた、すぐ行くよ。一晩寝たらまた、おっ母のそばを離れるのが嫌になるから……」  この貧苦と、事情の複雑なところへ、日吉がふいに、暇を出されて帰って来たことは、彼の母には、胸にこたえる当惑だったが、上がりもせずすぐにまた、この夜の夜中、出て行くという彼の言には、なおさら胸を傷めて、驚きの目をみはった。 「どこへ行くのじゃ。──今から?」 「分んないけど、こんどは、侍奉公して、きっとおっ母にも、姉さんにも、安心させるよ」 「侍奉公に」 「おっ母は、侍にはなるものじゃないといったけれど、おらはやっぱり侍になりたい。藪山の叔父さんもいった。──今だぞといった。──おらは侍になる」 「それにしても、まあ上がって、あしたの朝、よう義父さまにも、ご相談してみやい」 「会いとうない」  日吉は、かぶりを振って、 「──おっ母、おらってえ子を、十年ばかし、ないもんだと思ってな。体を丈夫にしといてよ。いいかな。……姉ちゃん、おまえもお嫁にも行かないで、悪いけど、辛抱してなあ。……その代りおらが偉くなったら、おっ母には絹を着せ、姉ちゃんには、繻珍の帯を嫁入りに買うてやるでな」 「…………」 「…………」  母も、おつみも、嗚咽しているだけだった。──日吉がこんなことをいうようになった! ──そう思うだけで、胸は涙の湖になって、身も溺れる心地だった。 「ここになあ、おッ母、茶わん屋から貰うて来た塩が二升あるで、置いて行くぜ。おらが二年働いて稼いだ塩だ。姉ちゃん、後で台所へやっといておくれ」 「……あ、ありがと」  母は、日吉がそこへ置いた塩の袋を拝んだ。そして沁々、 「おまえが、世間へ出て、初めて働いて取ったお塩──」  と、見入って云った。  日吉は、満足した。  母の歓ぶすがたを見ると、彼も体が浮くように欣しかった。そして、また何かで、この母を、これ以上にも、歓ばせてやりたいと心に誓う。  ──そうだ、塩になろう!  我が家の塩だ。いや我が家ばかりでなく村々の塩に。いやいっそのこと、天下の塩だ。  日吉は、肚の中で、そんなことを呟いた。だがいつも、何気なく思うことを、思うままいうと、世間の者から、すぐほら吹きといわれる。そのせいで、この頃彼は、いわない癖がついていた。 「──じゃあ、おっ母、姉ちゃん。当分、帰らないよ」  日吉は、土間の口まで、後退りに退った。その間も、眼は、母とおつみの姿から離れなかった。  おつみは、いきなり伸び上がって叫んだ。──日吉の片足が、土間の外へ、跨ぎかけたからである。 「あっ、お待ち……日吉や、待って」  そして、母へ縋って、 「母さん、さっきいった青ざしの一貫文。あたしは、お嫁入りにも、何もいらない。いいえ、お嫁になんか、行かいでもよいから……日吉に、その金を遣って」  咽びかける唇を袂に抑えて、母は奥へはいって行った。そして一さしの銭を日吉に渡した。 「いらない。いらない」  日吉は、首を振ったが、おつみは姉らしい思いやりを声にこめて、これから世間へ出るのに、おかねがなくてどうするかと叱った。  日吉は、かねよりも、も一つ欲しい物があった。 「おっ母、これよりも、おらにお父さんの持っていた刀をくんないか。お祖父さんの時からあるあの刀を──」  七歳の頃、実父の弥右衛門が見せたあの伝来の刀を、日吉は、忘れてなかったとみえる。  ──が、彼の母は、どきっと胸を衝かれたように、 「刀よりは、おかねの方が、身の護りになる。刀は、思い止まっておくれ」  と宥めすかした。  日吉は、すぐ察して、 「ないの」  と訊ねた。 「……ああ。ないよ」  云い辛そうに、母はいった。筑阿弥の酒の代に、それはとうに売り払われてしまったのである。 「じゃあ、あれでいい。──おっ母、物置小屋の中の錆刀ならあるだろう」 「あ……。あれなら」 「いいかい。持って行っても」  日吉は、母の顔いろに、気がねをしながら、念を押した。  やはり七歳の時だった。そのボロ脇差を見つけて、どうしても欲しいと駄々をこね、さんざん母を泣かせたことをも……彼は覚えていたからであろう。 「…………」  お奈加も、その時のことを、今ふと思い出していた。侍になるな、戦する身になるな──と、あの頃は、日吉の行く末に祈ったものであったが、自分で生んだ子も、成長するにつれて、どうにもならないものだということを、今はもう観念していた。 「持っておいで。……だけど日吉や、おまえはあれを、決して人様へ向って、抜いたりなどしまいね」 「えッ、いいの?」 「おつみ、持って来ておやり」 「いいよ。おらが取って来る」  日吉は、裏の物置小屋へ駈けこんだ。そして、そこらの物を踏台にして、壁の梁に吊ってある一腰のボロ脇差を取り下ろした。  すぐ腰に差した。  七歳の時に泣き喚いた自分のすがたが──遠い以前に振り返られた。急にすっくと、背の伸びたような成長感が、彼の胸を通りぬけた。 「日吉や、母さんが、もいちどおいでって」  おつみが、穿物をはいて、物置の方へ告げた。戻って見ると、母は壁の神棚へ、燈明を上げ、小さい木皿へ、一つまみの粟と、それから日吉の齎した塩とを盛って、掌を合わせていた。 「そこへお掛け」  上がり框へ、日吉を腰かけさせておいて、母は神棚から、剃刀を下ろした。  日吉は、それへ眼をまろくして、 「おっ母、何するんだい」 「元服して上げるのじゃ。形ばかりではあるけれど、おまえの門出を祝うて」  と日吉の髪へ剃刀を当てた。そして新らしい藁を水に浸し、切り上げた根もとを結い直して与えた。  生涯、忘れることの出来ない感銘が、そうしている間に、日吉の血へ沁み入っていた。頬に耳に、時折触れる母の荒れた手を、傷ましく思いながらも、彼は、 (おらも、もう人なみだぞ)  と、自覚を持った。  野良犬の声が、どこかで頻りとしている。戦国の深い闇に、殖えてゆくのは、犬の声ばかりだった。日吉は、外へ出た。 「おっ母。……じゃあ」  達者に──というべき後も、喉につまって、それしか出なかった。母は神棚の前へ、背を曲げていた。泣きだした小竹を抱いて、おつみは外へ追いかけて出て来た。 「……あばよ、あばよ」  日吉の影は、黒く小さく、後も見ずに駈けて行った。霜のせいか明るい夜だった。 卍の一族  清洲から数里。那古屋からでも西へ十里とはない。  そこの蜂須賀村へはいると、すぐ何処からでも目につく笠形の丘がある。夏木立の鬱蒼としているこの頃の昼間はただ蝉の声だった。夜は、大きな蝙蝠の影が月をかすめてまま飛び交う。 「おうウいッ」  何者かが、闇でこう呼んでいる。谺のように丘の木立の中でも、 「おういッ……」  と、同じ調子に答えている。  よほど近づいてみないと、ちょっと気づかないが、丘の崖や大樹を繞って、蟹江川の水を引いた濠が、自然の古池のように蒼い水草がいっぱいなのだ。  その水草はまた、古い石垣と、土塀とを抱いて、何百年かの間、ここの主の地位と勢力と子孫とを、守り続けて来たものである。  丘一帯の宅地は、何千坪か、何万坪あるものか、外からはちょっと想像もつかない。勿論、邸の主は、この海東郷蜂須賀村の土豪で、姓名も代々、蜂須賀といい、小六と称している。  ここへ土着した中興の祖は、小六正昭。  今の当主小六正勝。  彦右衛門ともいう。  応永年間に、足利の姓を改めた家系だともいうし、応仁の大乱をうけて、この地方へ土着したのだともいわれているから──その是非はとにかく、何しろ古い家すじであることに間違いはない。 「おうウいッ。開門ッ……」  濠の外で、再び四、五人の人影が呶鳴っている。  何処からか今、立ち帰って来た主の──小六正勝と、その家来。  といっても、小六は今も、またその先代からも、正しい主筋も持っていないし、領土の権も、領政も施いていない──いわゆる一土豪に過ぎないから、その家来といっても、主といっても、どこか粗野な風がある。  家長と家の子、といったような親しみぶかいところもある代りに、頭目と手下と呼び合ってもおかしくない、野人ぶりもあった。 「何をしておるか」  小六が、呟くと、 「まだかッ。門の者」  と家来がまた呶鳴った。  すると、 「おうウい」  と、三度も同じ返辞がしてから初めて、そこの木戸がどーんと開いた。  同時に、左右から、 「誰方だ?」  と、燈火を向ける。  薄金で作った吊鐘形の──それに把手が付いているので──戦場にでも雨の夜行にでも持ち歩けるがん燈とよぶ燈具だった。 「小六だ」  がん燈の光を浴びながら、木戸を固めている者へ、小六は尋常にそう答える。  分り切っている筈だが、たとえ主でも、これほど厳密でなければならない四隣の現状だった。 「お帰りなさいまし」  初めて、一斉に礼儀をする。その小六に従いて、供の面々も、 「稲田大炊助」 「青山新七」 「長井半之丞」 「松原内匠」  といちいち名乗って、がん燈の検めを浴びながら、門の内へ通った。  小六と、その一族四人はずしずしと跫音重く、暗い大廊下を、奥へ通って行った。 「お帰り」 「お戻り遊ばせ」  廊下の角々で、従僕の顔、女の顔、妻子達の顔──どれほどいるのか分らない大家族の中に住む一部の顔が──外から戻って来た家長を出迎える。 「うむ。……うむ」  小六は、いずれへも一様に、一瞥を与えながら、広間へ来て、円座の上へどかと坐った。  ──機嫌が悪い?  短檠の明りが、明らかに、小六の顔の筋を、横から照らしている。  白湯。それから茶、黒豆の菓子など、そこへ次々に持ち運ぶ女達も、恟々として、気をつけていた。 「大炊」  とやがていう。  四名の端にいた稲田大炊助を振り向いてである。 「はあ」 「いい恥をかいたな。今夜の招きでは」 「……さればで!」  と、四人とも、苦りきる。  小六の不機嫌は、やり場がなかった。 「内匠。半之丞。──おぬしらの考えはどうだ?」 「どうと仰せられるのは」 「こよいの恥をだ! ──蜂須賀の一族として雪がずばなるまいが」  四人はまた、沈黙にふさぐ。  蒸暑い夜だ。そよ風もない。蚊やりの煙が、徒らに眼に沁みて立ち迷う。  事情はこうだ。  今日。  織田一家のさる大身から、茶事の招きをうけた。小六は元より、そういう趣味は全くない。だが、同席の客は、この尾張ではみな歴々な人物なので、顔つなぎにもよい折だし、また欠席したがため、 (土豪といえば、ていはよいが、いわば野武士の頭目。茶の招きには恐れたのだろう)  などと嘲笑われるも心外と──一族四人を連れて、特に威儀を張って、出向いて行ったのである。  ──ところが、その席で。  端なくも、主が自慢の、赤絵の水挿が、客の目をみはらせたはいいが、話のはずみから、 (はて? この品は、茶わん屋捨次郎の宅で、見たことがある。同家で野武士に盗まれたという名品と同じじゃが)  と、つい口辷らせた客がある。  主は驚いて、 (滅相もない。これは近頃、堺の茶道具屋から、千金に近い値で手に入れた物──)  と、書付まで示すと、客もことばの手前、 (では、盗んだ野武士が堺の商人へ売りとばしたのが、転々して、御当家へ廻って来たのでおざろう。茶わん屋へ押し入った野武士は、御厨の渡辺天蔵と、名まで知れておることで、間違いはない)  と明らさまにいったので、席はいとど白けてしまった。  なぜなら、そういった客は、もちろんそこに居合わせた蜂須賀小六の、どんな存在か、また、どんな係累を持っている者か、などということは、知らなかったに違いないが、御厨の渡辺天蔵といえば、小六の甥にあたる者で、同時に、彼の土豪的勢力を構成している一族の、その一人であるということは、主も客の大部分も、かねがね弁えていたからである。 (いずれ後日、小六から改めて、ごあいさつ致すであろう)  と、彼は、自分の汚名のように主へ誓って、その恥と憤りを、眉に抱いて帰ったのである。  どうだ?  おぬしらの考えるところは。  と、小六から今、沈痛に問われはしたが、さて、稲田大炊助にも、青山新七にも、半之丞や内匠にしても、 (こうなされては)  と、すぐ答えられるような名案もなかった。  これが、自分たちのような、家来筋ならば、何とでもいえる。また、どうにでも、処分はつく。  だが、その処分すべき人間が、主人の小六とは、血のつながっている甥の天蔵なのだ。御厨村に住んで、蜂須賀一族のわかれとして、常々、飼侍の二、三十人は家に置いている渡辺天蔵である。  だが、小六はかえって、血のつながっている人間だけに、 「不埒な──」  と天蔵の悪事を、心から憎んで止まないのだった。 「迂闊だが、思いあわせれば天蔵の奴、近ごろ身に綺羅をかざり、女など幾人も蓄えているとか、不審なかども目に見えてあった。──家の名にかけても、彼奴を、捨ててはおかれぬ」  すこしの間をおいては、こう憤りの呻きのように、小六はひとり呟いた。 「……さもなくてさえ、土豪という家門のかなしさには、蜂須賀一族もまた、野盗の野武士ずれや、破廉恥な浮浪人どもと同視されて、この小六正勝の耳にすら──あれは野武士の頭目と──世上の声が、まま聞えてくる折も折」 「ご推察いたしまする」  松原内匠が云った。  半之丞も大炊助も、俯向いた。──ふと、小六の眼がしらに光った悲涙を見て、はっと、胸を打たれたのだった。 「聞けよ。おぬしらも」  小六は、顔を向け、 「──この邸の屋根瓦には、卍の紋が苔さびてあろう。遠祖源頼政公が、義兵をあげられた時、高倉宮より賜った家紋と伝え聞いておる。その末が、足利将軍に仕え、蜂須賀太郎以来、失脚して野に下り、今のわしという者にまで──土豪とよばれて来ておるものの、これは時だ」 「……はい」 「血までは、野に朽果てておらぬ」 「…………」 「土豪よ、野武士の頭よと、いわれればいわるる程、小六正勝は、ひそかに誓うて、今に! ──と、この血を、この家名を、世人に示し直す日を待っていたのだ」 「いつも、伺っているお言葉にございまする」 「……さればこそ、おぬしらにも平常、野には住むとも、武を怠るな、身を戒めよ、弱きを扶けよと、厳ましく沙汰してあるに……。何ぞ知ろう、血のつながる甥めが、今なお、性根を改めずに、町人の家へ襲せて、夜盗を働いておろうとは!」  屹と、唇を噛むと、その時もう小六の肚は、決っていた。 「大炊助。新七」 「はい」 「二人して、すぐ行って来い。御厨までだ」 「はっ」 「わしの命をもって、天蔵めを、ひき連れて来い。だが、騙して呼びよせて来いよ。手飼の者もおるし、武力では、一すじ縄ではゆかぬ天蔵のことだ」 「心得ました」  主人の肚に、その決意がすわれば、何の造作もないことと、稲田大炊助と青山新七のふたりは、すぐ御厨村へ立って行った。  森の丘は、鳥のさえずりに暁る。──土豪蜂須賀の砦造の中の一棟に、早くから朝の陽があたっている。 「松。……松ッ」  小六が、眼をさましたらしい。  妻の松波が、 「お目ざめでございますか」  寝所をのぞくと、紙蚊帳のうちで、小六は横になったまま。 「ゆうべ御厨へ遣った使いの両名は戻って来ないか」 「まだ立ち帰りませぬが」 「……ふむ?」  と、案じ顔に呻く。  悪い事をする奴だけに、頭のするどい甥の天蔵。まずくすると、感づいたかな? ──ちと遅いが──と独り思う。  妻は、その間に、紙蚊帳のつり手を外しかけた。その蚊帳のすそに戯れていた亀一は、まだ満二歳にもならなかった。 「亀よ。来い」  小六は抱きよせて、高々と差しあげた。絵に描いた唐子のようによく肥えた亀一は、若い父の腕にも重かった。 「どうした。瞼が赤う腫れておるが──」  と、小六は、亀一の眼を舐めてやる。亀一は、父の顔を引っ掻いて膝の上であばれた。 「蚊に喰べられたのでございましょう」 「蚊ならよいが」 「寝ても暴れて、蚊帳の外へ、ころげますので」 「寝冷えさすな」 「はい」 「疱瘡に気をつけよ」 「仰せまでもございませぬ」 「夫婦が仲の初の児。いわばおぬしと俺との、これは初陣の賜物」 「ホ、ホ、ホ」  開けひろげた寝所へ、夏の朝風が吹き流れてくる。カーン、カーン、と何処かで鍛冶の鎚音がたかく響くのも、寝覚の耳には、快かった。  その鎚音を聞くと、 「どれ」  小六はもう、わが児を膝から捨てて顧みなかった。妻の笑顔も、眼になかった。  風雲の裡へ。  動流の中へ。  今や、麻のごとく乱れていると知る天下の一角へ。  小六の若い血、逞しい体は、大きな野望を期しているもののよう、和やかな一時を振り棄てて、その室から出て行った。  書院に坐って、朝の茶を静かに啜るでもない彼である。衣服をかえ、顔を洗うと、もう外庭へ出て、大股に歩いてゆく。  鎚の音が近くなる。  小道をはいって行くと、森の中に、祖先以来、斧を入れなかった大木を伐採して、新しい平地を拓き、そこに二棟ほどの鍛冶小屋が並んで建っていた。  小六が泉州堺から密かに呼びよせた、鉄砲鍛冶の国吉が、弟子と共に、仕事していた。 「どうだな? 仕事は」  彼が立つと、国吉や弟子は、仕事場の土間に、平伏した。 「まだ、巧くゆかぬな。──見本の鉄砲と同じような物が、何とか出来ぬものか」 「ああしたら、こうしたらと──寝食もわすれて、苦心は致しておりますが」  ──無理もない。  小六がそういうように頷いていると、母屋使いの小侍が追って来て、 「お頭様。ただ今、御厨へ行ったお使いの御両所が、戻られましたが」  と、告げた。 「なに。帰って来たと」 「はい」 「して、大炊と新七は、天蔵めを連れて来たか」 「甥御さまにも、御一緒にお越しなされました」 「よし!」  うまく誘い出したな──と小六はまず、首尾を心で頷きながら、 「待たせておけ」  と、いった。 「いつもの御書院へ」 「そうだ。直ぐ行くから」 「はい」  小侍は、駈けて戻って行く。  奇策縦横の人物──と一族からは信頼されているが、小六の半面にはまた、ひどく気の弱いところもあった。  義には強いが、涙には勝たれないという弱さなのだ。わけて骨肉の情には脆い小六なのである。粗野で兇暴で荒削りな──土豪の家長として睨みも押しもきく骨太い性格の中に、それだけに本能的な涙と、また、怒ったら野火のように止らない血を持っていた。  その彼が、 (──今朝は甥を斬らねばならない!)  と今、胸をすえている。  だが決して、気のすすむ顔色ではなかった。告げに来た小者が去っても、彼は鍛冶小屋の前に立って、いつまでも、国吉と弟子の仕事ぶりをながめていた。 「──無理もない。何せい、鉄砲が渡来したのも、天文十二年、つい七、八年前のことだからな。それ以来、諸国の武家豪族どもが争って、この新武器の製作を計ってみたり、或いは、蛮船から買い入れようと競っているが──この尾州あたりはまだ地の利を得ておるものの──甲州、越後、奥州あたりの山武士のうちには、鉄砲とはどんな物か、まだ見たこともない者が多かろう。──職人にしても、手馴れぬのは当りまえだ。急がずともよい、みっしり工夫を積んで、つくり出したら、いくらでもつくれるよう、他日の備えに間に合えば──」  そこへまた、さっきの取次が、 「お頭様」  と、小道の露に身を屈めて、彼の足を促しに来た。 「もう御一同、書院にお揃いなされて、お待ち申しておりますが」  小六は、振り向いて、 「今、行く」 「は」 「すぐ参るから、待たせておけばよい」 「はい」  取次の小者は、多くをいうことも出来ず、引き返して行った。  小六の胸には、馬謖を斬るの気もちで──甥の成敗を決心していながらもまだ──情と正義とが、割りきれずに、乱れ合っていた。  で、彼は去りがてに、 「国吉」  とまた、小屋の中へ話しかけた。 「……だが、年内には、使える鉄砲が、十挺や二十挺は出来るだろうな」 「左様で──」  と、鍛冶の国吉は、責めを問われたように、職人気質な苦痛を、煤まみれな顔にあらわして、 「ただ一挺でも、これでよいと思う物が出来さえいたせば、後は四十挺でも百挺でも、一つ物をつくるのは、やすいことでございますが……」 「その一挺だな。──難しいのは」 「お手当ばかり戴いていて、心苦しゅう存じますが」 「よけいな気遣いはするな」 「ありがとうぞんじまする」 「来年、さらい年、また、来る年も、来る年も。合戦はやむ間もなかろう。大地の冬草がみな萎み果て、新しい芽に萌え代るまでは。──で、鉄砲も急ぐのだ」 「この上とも懸命に、やってみまする」 「しかし、密かにだぞ」 「心得ております」 「鎚音が少し高過ぎるな。濠の外まで、聞えはせぬか」 「それも、気をつけまする」 「むむ」  小六は、去りかけたが、またふと、鞴のそばに立ててある一挺の鉄砲に目をとめて、 「それは」  と、指して訊ねた。 「見本の物か、出来た品か」 「新品にございますが」 「どれ、見せい」 「いえ、お目にかけるまでには、まだなかなか」 「いやいや。ちょうど、試し物があるのだ。──撃てぬことはあるまい」 「弾は飛びますが、関金の噛み合わせが、どうやっても、原品のようにつくれませぬ。もう一息、工夫いたせばと思っておりますが」 「試すのも、工夫の一つだ。よこせ、その鉄砲を」  小六が国吉の手からそれを取って、銃の腹を肱に乗せ、物を狙うような姿勢をしていた時である。  三度目の迎えが来た。  が、今度は、小者の取次ではなかった。ゆうべ御厨へ行って帰って来た稲田大炊助なのである。 「まだ、御用はおすみになりませぬか」  大炊の声に、小六は、鉄砲の台尻を肋骨に当てたままふり顧って、 「おお。稲田」 「お早くお越しねがいとう存じます。弁口をもって、天蔵殿を召し連れては参りましたが、妙な? ──と気どられたか、落着かないご挙動。悪くすると、檻を破る虎になるやも知れませぬ」 「よしッ、参ろう」  大炊助に鉄砲を持たせて、小六は、森の小道から書院の庭のほうへ、大股に歩いて行った。 成敗  何の急用か?  ──疑うように、渡辺天蔵は、書院の端に坐って、落着かない目をしていた。  青山新七。  長井半之丞。  松原内匠。  それに今、叔父を迎えに立った稲田大炊助といい、揃いも揃って、蜂須賀党の腹心たちが、自分のそばに坐りこみ、自分の眼のうごき、手の微動にも、監視をそそいでいるらしく思えるのだ。  ──はてな?  変だわえ、と天蔵はここへ通るとすぐ感じていたのである。口実をもうけて、帰ろうかとさえ考えたが、その間に、庭のほうに小六の姿が見えてしまったので、 「おう。叔父御で」  と、彼の方から、強いて笑顔を作りながら、迎えかけた。  小六は、鍛冶小屋から今、持って来た鉄砲を、地に立てて持ったまま、 「天蔵。庭へ出ぬか」  と、外から呼んだ。  その様子は、常の小六と変ったところもないので、天蔵はいつもの狎れ癖をすぐ出して、 「何か、急にてまえに、御用だというお迎えで参じましたが」 「うむ」 「何の御用で」 「まあ、降りて来い」 「はあ」  沓ぬぎの藁草履をはいて、天蔵は庭へ出た。半之丞や内匠も、彼について出た。 「そこに立て」  小六は、甥の天蔵へ、そう命じてから、自分は庭石の一つへ腰をかけた。手の鉄砲を立てて持ったなりに──である。  天蔵はとたんに、叔父の眸から自分を射て来た或るものを直覚して、はっとしたが、もう遅かった。  叔父の腹心たちは、碁石のように、四方に立って、囲みの形を取っていた。──天蔵の顔は見ているまに、蒼くなった。 「…………」 「…………」  小六の体から、目に見えない憤りの炎が立っている。日頃、狎れやすい天蔵にも、その眉は、むだ口ひとついわせなかった。 「天蔵ッ」 「は。……」 「おぬし、小六が日頃、いってある言葉を、よも忘れはしまいな」 「覚えております」 「人と生れてだ──今の世の乱国に生れてだ──最も恥ずべきことは徒衣徒食と良民いじめだ」 「…………」 「諸国の土豪という輩が、みなそれなのだ。野武士という奴が、みなその類だ。──だが、小六正勝の一家は、それではならぬぞ。……と堅く、戒めてあるはずだが」 「はい」 「おれの身内だけは、志を大きいところへ持とう。百姓いじめや、野盗のまねはやるまい。そして一国一城を持ったら、お互いに栄えよう。……そう誓ってあるな」 「あ、あります」 「それを破ったのは、誰だ」 「…………」 「天蔵! おのれは、そのためにおれが養わせておく武力を悪用して、夜盗を働いたな。茶わん屋へ押し入って、赤絵の名器を盗んだな!」 「……げッ」  逃げかかる天蔵へ、小六は、大喝をあびせながら突ッ立った。 「醜しいッ! 坐れッ」 「坐れッ。それへ!」  と、もう一度、小六は呶鳴りつけて、天蔵の気を呑んでしまってからまた、 「逃げる気か。おのれは」  と、責めた。 「に……にげなどは、いたしませぬ」  芝の上へ、腰をついたように、べたと坐って、天蔵は顫え声で云った。 「縛れ──」  小六は、四方に立っている四人へ向って命じた。  松原内匠と、青山新七とが、すぐ左右から飛びかかって、 「おことばでござる」  と、うしろ手に捻じあげ、刀の下緒で腕くびを巻きつけた。  はっきりと身の危険と、事の露顕を覚ると、天蔵は蒼白な顔に、奮然と、太々しい反抗をあらわして、 「あッ。お……叔父御。なんだってこの天蔵を! ……。いくら叔父御でも、無体だッ。余りといえば」 「やかましい」 「覚えはないッ。この天蔵には今叔父御がいったような、盗みをした覚えなどは」 「やかましいッ」 「誰に……。誰がそんなことを、告げ口したのかッ」 「まだ黙らぬか」 「叔父御も、叔父御じゃござらぬか。なぜ一応、うわさがあるならあると、天蔵に仰っしゃった上で」 「女々しい言い訳を」 「でも。──多くの身内を抱えている一族の頭目が、ひとの告げ口などに惑わされて、よく吟味もせずに」  吠えたけるのを、小六は、耳に嫌いながら、手についている鉄砲を、肱へ上げて云った。 「こやつ。国吉の鍛ったこの鉄砲の試しには、ちょうどよい生き物だ。彼方の墻のそばへ引き立て、木に縛って立たせておけ」  新七と内匠は、天蔵の背を突いたり、襟がみを持ったりして、庭の果てまで連れて行った。弓矢では、よほどな射手でもないと、矢の届かない程な距離であったが、 「叔父御ッ。いうことがあるッ。もう一言、いわしてくれーッ」  と、そこから死にもの狂いでどなる天蔵の声は、よく聞えて来た。 「…………」  が、小六は耳もかさない。  大炊助が持って来た火縄を取ると、弾ごめして、直ぐそう叫び狂っている甥の姿を狙い澄しているのだった。 「わ、悪かった。叔父御ーッ。白状するッ。もういちど天蔵のいうことを聞いてくれい。いうことがあるッ」  的に立たせられて喚いている者の声をよそに、四人は、小六の鉄砲の手元を、しいんとして、唾をのみながら見まもっていた。  刻。一刻……  彼方に狂っている天蔵の声はかすれてしまう。  そして、 (だめだ!)  と死を観念したか、がくりと天蔵が首を垂れたと思うと、 「大炊」  と、小六は鉄砲から眼を逸して、うしろに控えている彼を呼んだ。 「──関金を引いても、弾が出ないぞ。どこかこの鉄砲にはまだ狂いがあるらしい。ちょっと小屋へ走って行って、鍛冶の国吉を呼んで来い」  鍛冶の国吉は、小屋からすぐ飛んで来た。  小六は鉄砲を示して、 「今、撃ち試してみたが、どこかまだ、不出来な箇所があろう。弾が飛ばぬのだ。すぐ直せ」  と、いった。  国吉は、検めて、 「すぐには直りかねまする」 「いつまで」 「夕刻ごろまでは」 「もっと早くいたせ、試しにかける生き物が、待っておるのだ」 「えッ?」  国吉は、そういわれて初めて、木へ縛しつけられている渡辺天蔵が、的に立っているのに気づいて、 「……あッ、甥御様を」 「余事を申すな」  と、小六は耳を逸らして、 「そちは鉄砲鍛冶。一日も早く、ただ鉄砲の製作に成功するよう、精念すればよいのだ。──この一挺は、そちに取っても、それが成就するか否かの、大事な試作であろうが」 「はい……」 「悪人とはいえ、天蔵も身内の一人、犬死さすより、せめて鉄砲の試しにでも、役立たせてやれば、幾分でも世の多足になろう。はやくして来い」 「へ。……へい」 「何を渋っておる!」  炬のような眼で、くわっと睨まれた心地がしたのである。その眼すら仰げないで、国吉は、 「はいッ、急ぎまする」  と鉄砲を抱えて、鍛冶小屋の方へあたふた戻って行った。 「内匠。──的の生き物には、水でも与えておけ。鉄砲の直るまで、小者三名ほど、見張につけておくことも、いうまでもないぞ」  云い残して、小六は、母屋へ上がってしまう。それから、彼の朝飯であった。  内匠、大炊助、新七たちの腹心も、それぞれ庭面から姿をかくした。  長井半之丞は、その日、自分の郷土へ帰ることになっていたので、間もなく暇を告げ、松原内匠も、用事で出かけ、後には稲田大炊と青山新七のふたりだけが、丘のやしきに残っていた。  陽が高くなる。  きょうも暑い。  丘は蝉の声につつまれ、庭石は焦けて、動いているものは蟻だけの炎天になった。  鍛冶小屋のほうから時折、烈しい鎚音がひびいてくる。必死に、鉄砲の関金を作り直しているのだろう。天蔵の耳には、それがどんなに聞えて行くか。  二、三度。 「まだか。鉄砲」  と、小六の部屋から、催促の声がした。そのたびに、控部屋から青山新七が炎天を駈けて行って、やがて、 「もうしばらく……」  と、縁先へ戻って来ては、鍛冶小屋の仕事ぶりを伝えていた。  その間に、小六は、自分の部屋に大の字なりになって昼寝していた。新七も、夜来のつかれが出て、ついうとうとと居眠っていると、突然、 「にッ、にげたッ。新七どの! 逃げたッ。き、来てくれッ」  と、庭先から、誰か喚いた。新七はびっくりして、裸足のまま飛び出すと、番に付けておいた小者の一人が、 「お、甥御様が、後の二人を斬り仆して、に、逃げ出しましたッ」  と、まるで粘土のような青い顔して、舌の根もうわの空に、告げるのだった。 「えッ。逃げたと」  のめるように、新七は、その番人と共に、駈け出して行きかけたが、振り向いて、 「お頭目ッ。お頭目ッ。──甥御の天蔵どのが、番の者を斬りすてて、逃げたと申しますぞッ。天蔵どのが逃げましたぞ」  ふた声ほど、呶鳴った。  蝉しぐれに包まれた母屋の一室で、快げに昼寝していた小六は、 「なに!」  がばと、起き上がるなり、眠る間も抱いていた刀をそのまま小脇に、横縁から飛び下りて、もう新七のすぐ後に続いて駈けていた。  ──来てみると。  さっき天蔵を縛り付けておいた木に、天蔵のすがたはなく、ただ木の根がたに、一筋の麻縄が、解き棄ててあるばかり。  足数にして、約十歩ばかり先に、一箇の死骸が、朱になって俯つ伏しているし、ずっと土塀へ寄った際にも、頭を柘榴割りにされた番の者が、塀の根へ倚りかかったまま死んでいた。  そこらは、ぶち撒いたように、血がこぼれていた。炎天なので、土や草に乾いた血は、すぐ変色して、漆みたいに黒くみえるが、生々しい臭いに羽虫が寄りたかって、面も向けていられない。 「番の者ッ」 「へ。……へい」  生き残って、今知らせに駈けて来た男は、小六の声を浴びただけで、それへひれ伏してしまった。 「両の手くびを、下緒で縛り、そのうえにもなお、麻縄をかけておいた天蔵が、どうして縄を抜けたのだ? ……。この縄を見れば、断ち切ったようでもないが」 「はいッ……。と、解いて上げたのでございます」 「だれがッ?」 「あれに、殺されている、番の者の一人がで」 「何で解いた? 誰のゆるしをうけて解いたか」 「もとより、初めは、耳にもかさずにおりましたが、甥御様が……尿がしたい、尿をする間……と余り苦しがって仰っしゃいますので」 「ば、ばかな!」  と小六は、地だんだをふまないばかり、罵って、 「なぜ、そんな知れきった手に乗って──ええ! たわけがッ」 「お頭目様。おゆるし下さいまし……。ですが、甥御様が番の手前どもへ仰っしゃるには──あの情にもろい叔父が、どうして甥のおれを、ほんとに殺すものか。これはおれを意見するために、仕置しているのだ。糺明だから、晩にはゆるされる。──それを貴様たちが、おれのいうこともきかずおれを苦しめるなら苦しめてみろ。……と、こう脅かしなさるので、一人がつい解いて、彼方の木蔭へ、尿をしに連れて参りました」 「そして……」 「ギャッ──という声がした時はもう二人とも、殺されていましたので、手前は、後も見ずに、お知らせに」 「くどいッ。──天蔵はどう逃げたか、それを先にいえ!」 「土塀へ手をかけていましたから──多分そこを越えて、外へ飛び下りたに違いございませぬ。どぼーんと、濠の水音が、その時したように思いまする」  小六は、聴く間も、もどかしそうに顧みて、 「新七。追討ちしてしまえ。村の道へも、すぐ手配をしろ」  いいつけると、彼自身も、その手配のために、表門の方へ恐ろしい勢いで駈け去った。  今が今──というように、小六から性急にいいつけられて、鍛冶小屋へ飛んで戻るなり、鉄砲の関金を鍛ち直していた国吉は、邸のうちに何が起ったのも、時が経ったのも、物音も一切知らなかった。  ただ鉄砲。それしかない。  汗にまみれ、鞴の火塵を浴び、そしてようやくヤスリ掛けから仕上にまで来て、 「さあ。出来たが?」  と、ほっと一汗、肱でこすったが、果たして弾が思うように飛ぶか否か──は、まだ十分に自信がない顔だった。  空銃を壁へ向けて、  ばしッ──  と、関金の調子を試し、 「うむ! 良さそうだ」  初めて、呻いた。  だが、小六の前へ出てから、また不備があったりしては面目ない。  国吉は、念のためと、それに弾ごめして、銃口を地へ向けて一発撃ってみた。──ぶすッ、と勢いよく地面へ小さい穴が掘れた。 「しめたッ」  待ちかねている小六の顔を思いながら、国吉はすぐ、小屋から飛び出した。  そして、庭の方へ。──樹木のふかい小道づたいに、急いで行くと、 「おい。おい」  誰か呼んだ。──木蔭に人影がちらと見えた。  国吉は足を止め、 「……誰だ?」 「おれだよ」 「おれとは」 「渡辺天蔵だ」 「えッ……。甥御様で」 「何をびっくりした眼をするのだ。……ははあ分った、今朝おれが、木に縛し付けられて、鉄砲の試しになろうとしていたのに、ひょいと出て来たから仰天したのか」 「ど、どうなされましたので」 「どうもこうもないさ。叔父甥の仲だ。脅かされたのよ。とんだ折檻を喰わせやがった」 「……ヘエ?」 「ところでだ。たった今、村の白旗の池で百姓と隣村の地侍とが、喧嘩を起した。叔父御も、大炊も新七も、すぐ駈けつけて行った。おれにも直ぐ後からつづいて来いとのこと。──鉄砲は仕上ったか」 「出来ましたが」 「よこせ」 「お吩咐でございましょうな」 「もとよりのこと。はやく出せ。相手が逃げたら試されぬ」  天蔵は、引っ奪るように、国吉の手から鉄砲も火縄も奪って、森の間に走りこんだ。 「……はてな?」  手ばなしてしまってから、国吉は変に感じて、彼の後を尾行てゆくと、天蔵は、表門のほうへは行かず、殊さら樹々の梢でうす暗い裏手の土塀をのりこえて、外の濠ぎわへ跳び下りた。  そして、濠の腐った水の中に、胸の辺まで、体が浸ってしまうのもかまわず、野獣のように、じゃぶじゃぶと渡って行くではないか。 「やッ? 逃亡だッ、出合いなされ! 出合いなされ!」  国吉は、土塀の上から、大声で呶鳴った。その時もう泥鼠のようになって、向うの岸へ這い上がっていた天蔵は、一発、彼の顔を狙って撃った。  ぐわアツン!  水のそばのせいか、凄まじい音がした。国吉の姿は土塀から転げ落ちた。すぐわらわらと駈けつけて来る跫音が彼へ迫った。だが、天蔵の影は、まるで豹が跳ぶように、畑や野の土を蹴って、やがて消えてしまった。 矢矧川  布令がまわった。  家長の蜂須賀小六の名をもってである。  ──集まれ!  というのだ。  晩方までに、土豪蜂須賀の丘の住居は、門の内外、野武士で埋まった。 「合戦か」 「何事だろ」 「何が起ったのか」  集まって来た者はみなこれ、物の具を取れば、一くせある面だましいの者ばかりだったが、平常は、野に住んだり、畑を打ったり、繭買いをしたり、馬を飼って市へ出したりなどしている、ただの農民や商人と変りがない。  ただ彼らは、根からの農民や商人ではなかった。血のなかに、多分にまだ、祖先の勇武と、現代への不満を抱いて、時しあらばふたたび、弓箭のなかに運命の風雲を捲き起そうと──かねてから結びあっている家党の輩なのである。  そのうちに、 「お庭へまわれ!」 「静粛に──」 「中門をくぐって」  と、小六の腹心、稲田大炊助、青山新七たちが出て来て、指図した。  その腹心たちは、すでに武装していた。もとより土豪の一族なので、本鎧ではないが、籠手脛当をつけ、差料も大振りな陣刀に代えていた。 「さては、出触れだな」  と、一同は早くも察していた。  どこからどこまで、という確とした領土もない代りに、どこの城に所属しているとか、誰に随身しているとかいう、明瞭な味方も敵もないのが土豪である。  だが、──それにしても時々、合戦には出る。  同じ土豪から、自分の一族の勢力圏内を犯されたとか、或いは、国主から味方に頼まれるとか──折入って遠国の大名からでも、通謀を依頼されるとか──などの場合。  しかしそれは多く、金や報酬に依ってうごくのだが、小六はまだかつて利のために動いたことはない。  それはこの近国の織田家でも認めていた。三河の松平家でも、駿遠の今川でも知っていた。だから、土豪とはいえ、自然重きをなしていたし、蜂須賀党を土地から除こうとする者もなかった。  その家長からの触れなので、すわとばかり、一族は駈けつけて来たが、広庭へむらがって、ふと築山を仰ぐと、小六正勝は、折から、薄暮の空に見える二日月の下に、黒革の胴を着こみ、大太刀を横たえて、軽装ながら、どこか家党の頭目らしい貫禄をそなえて、石像のように、黙然と突っ立っていた。  そして、水を打ったように、数百人の一族が、ひそまり返ると、甥の渡辺天蔵を、きょう限り義絶する旨を宣言して、その始末を、明白に述べた末── 「が、これは、家長たるおれの不行届でもある」  と、不徳を謝し、 「天蔵は、逃げうせたが、草の根を分けても誅罰せずにはおかん。もし、彼を生かしておいたなら、土豪蜂須賀は、百年の後も、野盗の徒と過られるだろう。お前らは、お前らの面目のために、祖先のために、子孫のために、天蔵めを、打ち殺せ。──おれの甥だなどと思うな。彼奴は蜂須賀一党の賊だぞ!」  云い渡しているところへ、物見にやった者が駈け戻って来て、告げることには、 「……御厨村のほうでも、渡辺天蔵とその一類が集まって、一戦をも辞せずと、物々しく固めている由にござります」  と、あった。  敵が、渡辺天蔵と聞いて、彼らはすこし張合いぬけした様子だったが、事の顛末と、  ──一族の名のためだ!  と小六から聞かされると、奮い立って、真っ黒に、武器蔵へなだれて行った。  武器蔵には、驚くばかり多量な武器が、貯蔵してあった。  源平、建武、応仁の乱とつづいて、何百年かにわたって作られて来た武器は、合戦のたび、山野にも捨てられたが、その数は、夥しいものに違いなかった。  わけて、近頃では、国々の合戦はやむまもなく、人の住む所には、不安と暗黒が漲っているので、その心理が、武器を大切にした。どんな百姓の家にでも、武器があった。また、槍や、刀なら、食物の次に、すぐ金にもなって売れた。  蜂須賀党の武器蔵には、先祖以来の物もずいぶんあったが、急激に殖えたのは、小六の代になってからであった。──しかしまだ、その中に鉄砲は一挺もなかったのである。  が、せっかく成功しかけたその鉄砲は、天蔵が盗んで行った。小六の憤怒は、絶頂に達していたといっていい。 「この上にも、一戦をも辞せぬなどとは、八ツ裂きにしても飽きたらぬ人非人。彼奴の首を見ぬうちは、この革胴を解いては寝ぬぞ」  小六は、門出に云った。  そしてすぐ、人数を率い、御厨村へ向って殺到したが、村近くまで来ると、 「あッ、火の手だ」  と、一同は、足を止めて、夜空を見まもり合った。  水田の彼方に、土橋が見える。赤い夜空に、点々と人影がうごいている。さては敵か──と先鋒から一人放って見せにやると、 「天蔵の徒が、火を放って、掠奪を始めたので、逃げ惑うて来た村民だそうでございます」  と、いう報告。  人数を進めて行くと、なるほど、嬰児の声などもヒイヒイ聞える。村民たちは、家財や家畜や、病人などを担って、逃げて来たところへ、さらに、 「蜂須賀村の人数」  と聞いたので、ふるえ上がっていたが、小六の腹心青山新七が行って、 「おれ達は、掠奪に来たのではない。一族の渡辺天蔵とその手下どもを誅罰に参ったのだ」  と、諭すと、ようやく鎮まって、口々に、天蔵の暴悪を怨んで訴えた。  彼らの泣訴するところを聞くと、天蔵の悪事は、茶わん屋へ夜盗にはいっただけの一事には止まらない。国主へ年貢を納めるほかに、私に法を立てて、村民から田や畑の「守護銭」と称して、二重の税を取ったり、池や川の堰を、自分の手に奪っておいて、「水銭」を取ったりしていた。そして、不平を鳴らす者があれば、手下をやって、田や畑を荒してしまう。  もし、領主へ密告すれば、その一家をみなごろしにすると脅していた。国主は、戦備と戦争に追われているので、年貢の取立てには見廻っても、平常の治安にまでは手がまわらない。  天蔵の一味は、よいことにして、博奕場を開いたり、神社の境内で、牛や鶏を屠殺して喰ったりしていたらしい。また、邸には、女をあつめ、神社の拝殿は、武器の隠匿場にしていたという。 「して、その天蔵の人数は今夜、どんな配備をしているか」  新七が糺すと、村民たちはまた、口を揃えていった。 「神社から槍や長柄を持ち出して、酒をくらい、戦って死ぬと吠えておりましたが、遽かに、家々へ火を放け廻り、荷駄の背に、金目な物や、武器や喰べ物など、積めるだけ積みこむと、一団になって、逃げ落ちてしまいました」  戦って死ぬ──と云い触れさせたのは、逃げのびるための、天蔵の策であった。 「また、後手を喰ったか」  と小六は地だんだを踏んだ。  が、彼は、 「村民どもを先へ、家へ帰せ」  と、下知した。  協力して、消火に努めた。そして天蔵が、博奕場にしたり、人獣の血をながしたりしていた神社の拝殿を明け方までに浄めさせて、小六は、そこに額き、 「一族の端くれたりといえども、天蔵の悪行は、やはり蜂須賀一党の罪。後日必ず誅罰を正し、村民をなぐさみ、神帛を捧げて、お詫び仕るでござろう」  と、祈念した。  そのあいだ彼の一族と手兵は、粛として両側に整列していた。この秩序と、彼の敬神の行をながめて、 (野武士の頭目が?)  と、村民たちは、むしろ怪訝な顔して、ながめていた。  渡辺天蔵は、蜂須賀の名をもって、何事も振舞っていたし、小六の甥ということも知れ渡っていたので、その頭目と聞いただけでも、戦慄していたのであろう。  だが、小六は、神と民とを味方に持たなければ、世に立てないことを知っていた。  やがて物見が帰って来た。  それによると、 「天蔵の一味は、手下を加えて約七十人ばかりの同勢。東春日井の山道へかかって、美濃路へ逃げ越えてゆくらしい足どり」  と、ある。  小六は、そこで、 「人数の半数は、蜂須賀村へ帰って、留守をまもれ。残る半数の半分は、この村に止まって、焼け出されの村民を救護したり、治安に当れ。──後の人数は、おれに尾いて来い」  と、命じた。  ──で彼の手兵は、わずか四、五十人しかなかった。  その小勢で、小六は、天蔵を追いかけた。  小牧、久保一色を経て、ようやく先の敵勢に追いつきかけると、道々、物見を残して歩いている天蔵の方でも、 (来たな!)  と覚ったらしく、急に山道を迂回して、瀬戸峠から、足助の町のほうへ下って行くとの報せ──それが、山中ばかり追い歩いた四日目の午頃だった。  夏だし、道は嶮岨だし、具足着ではあるし、追う方も追うほうだったが、逃げまわる天蔵の同勢も、逃げつかれて来たものとみえ、道々、荷を捨て、馬を捨て、だんだん身軽になって百月川の谿谷で、空腹へ川の水を入れ、ぐったり一汗ふいていた。  ──ところへ。  わっと、小六の人数が、両側からなだれ落しに、挟撃した。  人間のかかる前に、無数の岩石が降って行った。谷川はもう血の脂を流していた。 「うぬッ」 「おのれッ」 「退くな」 「何の!」  突く。  斬りなぐる。  取っ組む。──川へ墜ちる。  同じ一族と一族との撃突であった。敵の手下と、小六の手兵のうちには、血のつながる叔父と甥、従兄弟と従兄弟、日頃は仲のよい友達の顔もあった。  が──ぜひもない!  同じ五体の者なればこそ、その病根は断たなければならないのだ。小六は、わが血にひとしい敵の鮮血をかぶりながら、 「天蔵ッ。天蔵ッ出合え」  と喚きながら、誰よりも勇壮に駈けまわった。  百月川の谿谷は、一瞬でまっ赤になった。  小六の手兵も、十人ほど死んだが、敵はほとんどみなごろしにした。  しかし、小六はなお、 「あの峰。あの道を」  と、血眼だった。  肝腎の天蔵の姿は、死骸のなかになかった。彼は逸はやく、手下を捨て、峰づたいに、恵那山脈のふところへ、逃げ去ってしまったらしいのである。 「彼奴! 甲州領へ目ざして行ったな」  歯がみをして、小六が、峰に立っていると、突然、四方の山の谺を呼んで、グワーン! と一発の弾音がした。  鉄砲だ。  彼を嘲笑うごとき鉄砲の音だった。 「…………」  小六の頬に、涙がながれた。無念はいうまでもないことだ。しかし、彼は悪鬼のような甥を、その時になっても、自分の五体以外のものとは思えなかった。自分の不徳に、悔いの涙がわいたのである。  憮然として──  そこの、峰に立って考えてみた時、小六は、まだまだ自分が、いかに野望を抱いても、土豪の位置を脱して、一箇の国持となるには、日の遠いことを知った。その資格がないことを覚った。 (──身内のひとりすら治めることを知らないでは) (武力ばかりではだめだ。治策がなければ。……また、日頃の庭訓がなければ)  とも、考えた。  翻然と、彼は、涙の目から、苦笑を光らした。 「畜生めが、おれを訓えて行ったわえ!」  小六は、峰から呶鳴った。 「おウいッ。引き揚げろ──」  その日。  三十余人に減った人数をまとめて、百月川の谿谷から挙母の宿場へと下った。宿場の外れに野営して、翌日、岡崎の城下へ使いを立て、通行の許しを得、そこを立ったのがすでに遅かったので、岡崎の城下を通ったのは、もう夜半近くだった。  街道すじへかかると、国々の出城本城などのほかに、柵や砦も、鼻のつかえるほどある。人数を率いて、通行のできない要所もあるし、日数もかかる。  で、矢矧川を舟で下り、大浜から半島の半田へ上がる。そして常滑からふたたび舟便で海をよぎり、蟹江川を溯って、蜂須賀村まで帰ろうという道どりを取ったものである。  ところが。  矢矧川まで出てみると、夜半でもあったが、舟は一艘もなかった。  橋もない。  水瀬は早く、川幅は二百八間とかいわれている。建武の年の新田足利の合戦をはじめ、岡崎の要害として、ここはいくたびか古戦場となって来たし、今も──つい数年前には、織田信秀と、松平家の軍とが、大戦の血をながし、天文十四年から十六年にわたる合戦の果て、織田の尾州勢が大敗して退いた所である。  太平記印本には、 =矢矧川の橋を引き、楯を掻てふせぎ戦ひける  と、あるから、遠い昔や、江戸の治世になっては、諸人往来のため、二百八間の大橋が架っていたものとみえるが、その年、天文二十一年の夏の頃には、まだまだこの地は、乱世乱麻の合戦の真ッただ中。矢矧の大河は、とうとうと押し流れてはいたが、矢矧の大橋はなかったのである。  小六と、一党の者は、当惑顔に、附近の木蔭に屯していたが、 「下る舟がなければ、渡しに乗って、対岸へあがろう」  と、一人がいうし、 「いや、もう夜が更けた。朝を待てば、舟があろう」  と、いう者もある。  だが、ここで屯するには、もう一度また、岡崎の城へ届けに行かなければなるまい──と、小六が分別を与えて、 「渡舟を探せ、渡舟一艘さえあれば、かわるがわる越えて、夜明けまでに、舟で下る道程ほどは歩けよう」  と、指図すると、 「いや、お頭目。その渡しの小舟さえ、どこにも見当らないので」  と、誰かがいう。 「ばかな!」  小六は、叱りとばして、 「一艘の小舟さえないと。そんな筈があるものか。──これほどな大河、昼中は、何で往来するか。戦のため、河止めというような、非常な時にせよ、そこらの蘆間や、河原草のなかに、物見舟は隠してあるものだ。よく眼をあいて、探し直して来い」  と訓えた。  呶鳴られた勢いで、彼の手兵は、河の上下へわかれて、五、六人ほどばらばらと駈けて行った。  その中の一人が、 「あッ。あった!」  と、さけんで足を止めた。  洪水の時にでも、土を渫われて行ったらしい断岸に、楊柳の巨きなのが、根を露出して、水のうえへ屈み腰に枝を垂れている──  その樹蔭に、一艘の舟が、繋いであった。  こんもりと茂った夏柳の葉蔭は、川の水も、瀞のように穏やかで、そして暗かった。 「……手頃だ」  小六の部下は、すぐそれへ跳び乗って、一同のいる下流の岸まで、流して行くつもりでもあったか、そう呟くと、柳の根に巻いてある舟のもやいを解きかけた。  ──すると。 「……?」  その兵は、ぎょっとしたように、眼の下の舟を見すえてしまった。  舟は、荷足舟ぐらいな、脚の浅い舟であったが、もう壊れかけていて、水あかに浸されているとみえ、危ないほど傾いでいる。  それでも、渡しに使えないこともないが、見ると、腐った苫を敷いて、舟の端に、高いびきで眠っている男があるのだ。 「何者……?」  と、その兵は、眼をみはってしまったのである。  なぜならば、ふしぎな服装と、ふしぎな容貌と──そして余りに不敵なほど──快げに眠っているからだった。  袖も短い、裾も短い、白晒布のよごれぬいた着物ひとえに、手甲脚絆をつけ、素足にわらんじを穿いた──大人かと思えば大人でもなく、子供かと思えば子供でもない男が──虚空へ向って身を仰向け、眉や睫毛に、夜露を置いて、まったく放心の姿で寝ている。 「……おいッ」  兵は、呼び起してみたが、覚めようともしないので、槍の石突で、その男の胸のあたりを、 「おいッ!」  と、もう一度、呼び起しながら、軽く小突いた。  眼をあいた男は、槍の柄をにぎって、くわッと、兵の顔を睨めかえしながら、 「なんだッ?」  と、寝たままで云った。 蛍  流れる水のすがたにも似ている今の境遇を、矢矧川の柳の蔭に寄せて、腐れ苫を被いで一夜を舟に過していたその男は、中村の家を出たきり、便りも知れなかった日吉であった。  去年の一月、霜の夜──  母に、一袋の塩をのこし、自分は父が遺産の銭一貫文をもらって、 (偉くなって帰る)  と、姉にも、母へも、そう誓って家を出た彼だった。  もう今までのように、商家や工匠の徒弟になって、転々とする気もちはない。 (侍奉公を!)  と、一途に求めた。  けれど、氏素姓も定かでない──また、見るからに風采の貧しい彼を、侍屋敷では、どこでも抱えてくれなかった。  清洲。那古屋。駿府。小田原──と歩く先ざきで、 (紺屋の手伝いなら)  とか、 (馬飼の厩掃除なら、世話してやるが)  などと、いわれるだけで、たまたま、勇をふるい起して、侍屋敷の門前に立ち、 (わたしを使って下さい)  と、自分の身を、押売りしてみても、笑われたり、呶鳴られたり、乞食あつかいされて、竹箒で追われたりするだけだった。  わずかな銭は、すぐなくなりかけた。世間の実際は、藪山の叔母がいったとおりであって、日吉の考えは、夢にすぎないものだった。  しかし日吉は、その夢を離さなかった。なぜならば、自分の望んでいるものは、誰に聞かれても、恥かしくない立派なことだと、かたく信じているからである。  草に寝、水に枕しているまも、その望みは忘れない。──世のなかでいちばん不幸者と彼の思っている母を、どうしたら、いちばんの倖者にしてやれるだろうか。  また、嫁にも行けないでいる可哀そうな姉を、どうやって喜ばしてやろうか。  勿論、日吉にも、たくさんな慾望がある。殊に、もう十七歳の若者だ、胃ぶくろは、喰っても喰っても食い足らない気持だし、大きな屋敷を見れば、あんな屋敷に住んでみたいと思い、豪華な武家の身装を見れば、自分の身装が顧みられ、美しい女達を見れば風のなかの香を強く感じる──  とはいえ、どんな慾望を思うよりも先に、母を幸福に──という念願が、常に前提として彼にはあった。だから彼は、その第一の希望が達しられないうちに、自分の慾望を先に満たそうとは思わなかった。  それにはまた、彼には彼のみの、べつな楽しみがあったから、物の慾には我慢も出来たということもいえよう。その楽しみというのは、流浪の行く先々で、飢えを思う遑もなく、 =識らないことを識る。  と、いう楽しみだった。  世間の機微、人情、風俗。──それから時勢の相だの、諸国の武備だの、百姓町人の生活の様だの。  武者修行する者は、応仁頃から室町の末になるほど、流行もののように、多くなって来たが、日吉も、ここ一年半ばかりは、ちょうど、それと同じような辛苦と生活をして歩いて来た。  けれど彼は、武術を目がけて、長剣を差して歩いて来たのではない、わずかな金で、問屋から針を仕入れ、木綿針や絹針を小さなたとうに包み、それを行商しながら、甲州、北越のほうまで歩いて来たのだった。 (──針はいらんか、京の縫針じゃ。買うておかんか、木綿針、絹針、京の縫針)  日吉は、諸国の町を呼び歩きながら、わずかな利で、生きて来た。  しかし。  零細な針売りの利益で口は喰べても、針の穴から世の中を見るような、小さい人間にはならなかった。  小田原の北条。  甲州の武田。  駿府の今川だの、北越の城下城下などを、ずっと見て来て感じたことは、 (今に、世のなかは、大きく揺れだして、大変な変り方をするぞ)  と、いうことだった。  今までの、小さな、内輪揉めみたいな戦乱とちがって、日本全体の姿勢を立て直すような、正しくて大きな戦争が、これから起るという予感だった。 (──すると、俺だって)  と、密かに、彼は思った。 (俺は若い、これからだ。──世のなかは、足利幕府の、年寄の仕事にだれてしまい、混乱してしまい、老衰してしまっている。若い俺たちを、世のなかは待っている!)  漠然と、そんな考えを抱いて、針イ──、針イ──と呼びあるいて来た。  北陸から、京都、近江とまわって、一わたり世間の風にふかれて、元の──尾張を過ぎて岡崎へ来たのは、ここの城下に以前、父の弥右衛門の身寄りがいたと聞いていたので、それを頼って来たのであった。  といっても、決して、日頃は親類や知るべを頼って、衣食の方法を受けようなどと、さもしい考えを出す彼ではなかったが、この夏の初めから、食中にかかって、ひどい下痢をわずらいながら歩いて来たつかれと、かたがた、中村の家の様子を聞きたいために──であった。  ところが。  尋ねる先は見つからないし、きのうも今日も、照りつける炎天をさまよい歩いて、生胡瓜を喰ったり、井戸水をのんだりしたため、また腹が渋り出して、黄昏、この矢矧川の畔に辿りつくと、その痛む腹をかかえたまま、舟の中に寝入ってしまったものであった。  ……腹がごろごろ鳴る。  微熱のせいか、口が乾く。茨の棘を頬ばっているように、口の中が、熱に刺され、そして唾がなかった。  そういううちにも。  母──  彼の瞼は、母を描き、彼の眠りには、母が訪ねて来ていた。  が、──いつのまにか、昏々と深く眠り落ちていた。その母もなく、腹の痛みもなく、天地もなく。  ところへ不意に、  おいッ! と呼びさまされたと思うと、誰か、自分の胸を、槍の石突で小突いた者があったのである。  ──だれだッ。  日吉は、無意識に、槍の柄をつかんで、体に似げない大声を出した。  胸は、男のたましいの有り所である。五体のなかの神棚にひとしい所だ。槍の石突で、そこを小突かれたことは、相手の誰であるに関らず、日吉を、むッとさせたに違いなかった。 「小僧ッ。起きろッ」  小六の部下は、つかまれた槍の柄を、引きながら云った。  日吉は、槍をつかんだまま、舟のなかに身を起して、 「起きろッて? この通り、起きているのが分らないかッ。どうしろというのだ」  と、云い返した。 「おや。この野伏め」  槍の柄を通して、日吉の力と、その反抗を感じると、小六の部下は、恐い顔を見せて、頭から脅しつけた。 「出ろというのだ。──立てッ、その舟から!」 「この舟から、立てだって」 「そうだ。その舟が要るのだから、とっとと空けて、消え失せろ」  すると日吉は、なおさら、つむじを曲げたらしく、舟の上に落着き直して、 「嫌だッ」  と、いった。 「な、なに」 「嫌だ!」 「嫌だと?」 「おお。嫌なこッた」 「こいつ……」 「何がこいつだ。──人がよく眠っているのを、いきなり槍の先ッぽで小突き起して、──その上、舟が要用だから、立てとは何だ。消えて失せろとは何だ!」 「ちいッ……。小理窟をこねる奴だ。やいッ、風来」 「なんだ」 「われわれを、誰だと思う」 「人間である」 「知れたことを!」 「訊く奴があるか」 「口の達者な小僧め。後で、その口を曲げて、縮みあがるなよ。われわれは、蜂須賀村の土豪。お頭目の小六正勝様について、一党数十名で、こよい矢矧へかかったが、舟がない。そこで渡舟を探し求めているうち、おのれの舟を見つけたのだ」 「舟を見ながら、人間は見えなかったのか。ここは俺の住居だぞ」 「見えたればこそ起したのだ。四の五をいわずに立て。出て失せろ」 「やかましいッ」 「何を。もう一度いってみろ」 「何度いっても同じことだ。嫌だッ、嫌だッ。この舟は、くれてやれぬ」 「いったな」  小六の部下はぐッと槍の柄を引いて、槍の柄ぐるみ、日吉を岸へ引きずり上げようとして踏ン張った。  頃を計って、日吉が手を離したので、槍の柄で、柳の葉を、払いながら、小六の部下は、後ろへよろめいた。  かッ、としたらしく、 「おのれッ」  と、槍を持ち直すと、その兵は白い穂先をひらめかして、日吉の影へ、突いて行った。  腐った舟板だの、アカ汲みだの、苫などが、舟の上から飛んで来た。──その間に、 「ばかッ」  と、二度ほど日吉の罵る声も、飛んで来た。  すると、そこへ仲間の誰彼が、わらわら駈けつけて来た。そして、 「待てッ」 「何だ」 「何者だッ」  口々に云い合いながら、そこへ立ちむらがった時、さらに、小六とその部下のあらましも、後から後から駈け続いて来た。 「舟があったのか」 「あるにはあったが……」 「どうしたのだ?」  がやがや噪ぐ部下の者を退けて、小六正勝は、静かに前へ出て、柳の蔭の暗い舟へ眼をそそいだ。  小六の影を仰ぐと、日吉も、これはこの者どもの頭目だなと覚ったらしく、やや居住いを改めて、じっとその顔を正視した。 「…………」 「…………」  小六の眼は、いつまでも、彼へそそいだきり、ものもいわなかった。  小六は、日吉の容貌やその身なりを不思議がったのではない。──自分の眼を射てくる、彼の眼に、愕いたのである。  で、小六は、心中、 (こいつ、身なりに似あわぬ不敵もの)  と思って、殊さらに、眸をこらして見つめたが、見つめれば見つめるほど、日吉の眸も、闇夜に見るむささびの眼のように光って、反れようともしないのであった。  遂に──小六は眼を紛らして、同時に、当りまえな音声で呼びかけた。 「子ども」──と。 「…………」  日吉は答えない。  まだ口を結んでいる。  そして、射るようなその眼も、小六の顔から離さなかった。 「……これ。子ども」  すると、日吉は、 「おらか」  膨れ返った顔していった。  小六がいう。──そうだ、おまえよりほかには、舟の中には誰もいないではないかと。──すると、日吉は、肩を少し昂げて、 「おらは、子どもじゃない。元服しているッ」  と、いった。  突然、小六は、肩をゆすぶって笑い出した。 「──そうか。汝は大人か。……だが、大人だとすると、その扱いをするが、いいか」 「大勢で取りまいて、おら一人をどうする気だ。野武士だな、おまえらは」 「貴さま、いうことがなかなかおもしろい」 「おもしろくない。おらは、いい気もちで眠っていたところだ。おまけに、腹がいたい。誰が来て、何といおうが、ここを動くのは嫌だ」 「ふム。……腹が痛いか」 「痛い」 「どうしたのだ」 「水あたりか、暑気あたりだろ」 「故郷は何処だ」 「尾張の中村だ」 「中村か。──して中村の何という者だな」 「親の名はいえない。おらの名は日吉という。……だが待て待て。ひとの眠っているところを起して、ひとの素姓を洗いだてばかりしていいものか。おぬしは何処の何という者だ」 「汝と同じ、尾張の海東郷、蜂須賀村の蜂須賀小六正勝というものだが、汝のような大人が村の近くにいたとは知らなかった。何か、商いでもして歩いているのか」  ──それには答えないで。 「あッ。おじさん達は、海東郷の衆か。そんなら、おらの村からも遠くない」  日吉は急に、人なつかしい顔を示して、早速、中村のうわさでも聞きたそうであったが、 「じゃあ、同じ故郷の衆だ。さっきは、いやだといったけれど、舟を空けてやろう」  と、枕にしていた商い物の包を、斜めに背負って、岸へ上がって来た。  その様子──一挙一動を、小六は黙ってながめていた。  物売りの世間摺れ──旅ずれした小童の、減らず口──と、小六も初めは見たのであったが、心が解けて頷くと、少しも悪びれた様子はなく、舟を去って、日吉はすごすご立ち去ろうとした。 「待て。日吉とやら、汝はこれから、何処へ行くのか」 「舟を奪られたから、寝る所はない。草の中へ寝れば、夜露にぬれて、病んでる腹がよけいに渋るで、仕方がないから、夜明けまで歩くんだ」 「ならば、おれと一緒に来い」 「どこへ」 「蜂須賀村へ。──屋敷において飯も食わそう。病も手当してつかわそう」 「ありがと」  日吉は、神妙にお辞儀したが、自分の足もとを見ながら考えているふうだった。 「……すると、おらを、屋敷へおいて、抱えてくれるというのかね」 「汝の面だましいに見どころがある。この小六に随身する気があれば使うてやる」 「ない」  顔を上げた。そして彼は、はっきりいった。 「おらも、侍奉公したいと、心がけているんで、諸国の侍の風や、大名たちの威勢ぶりを見て来たから、侍奉公するからには、主人を選ぶのが第一と分って来た。うかつには、主は持てぬ」 「はははは。いよいよ面白い。この小六正勝では汝の主人には不足か」 「使われてみなければ、それも分らないことだけど、蜂須賀村の蜂須賀といえば、おらの村では、良くいわない。また、おらが仕えていた前の主人の家へ、泥棒にはいった男も蜂須賀の一族といった。おらが泥棒の手下になったら、おッ母さんが悲しむから、そんな者の屋敷へ、奉公はできない」 「では、汝は茶わん屋捨次郎の家にいたことがあるのか」 「どうして分ったかね」 「茶わん屋へ押し入って、悪事をした渡辺天蔵は、いかにもわしの一族の者だが、わし自身は、そういう不埒者は捨ておかん。天蔵は逃がしたが、その一味どもを成敗して、蜂須賀村へ帰るところだ。汝達の耳にまで、小六一門の名が、そのように過られているか」 「……うむ。おじさんは、そういう人間じゃないらしいな」  日吉は、十七にしても、ませた口吻で、彼の顔を見ながら云った。そして、ふと思い出したように、 「じゃあおじさん、何の約束なしに、おらを蜂須賀村まで連れてってくれるかね。──そしたら、二寺の親類の家まで行きたいが」 「二寺といえば、すぐ蜂須賀村の隣村だが、そこに知るべがおるのか」 「ああ。桶大工の新左衛門という人は、おっ母さんのほうの縁つづきだ」 「桶大工の新左は、侍の果てだ。では汝の母は、侍の末だの」 「お父さんだって侍だった。おらはこんな事をしてるけれど」  いつの間にか、舟の中には、乗れるだけの者が乗り込み、舟棹をさして、頭目の小六が乗るのを、待ちうけていた。 「日吉、ともかく乗れ。二寺へ行きたくば二寺へ行け。蜂須賀村にいたければ、蜂須賀村におるもよし」  肩を抱えて、舟の中へ伴れて下りた。  日吉の小さい体は、林のように立ち並んだ槍と大きな男どもの間に隠れた。舟は大河の流れを横切っていったが、流れが迅いので手間がかかった。  日吉は退屈顔に立ち怺えていたが、ふと、小六の部下のひとりの背に止まっている蛍を見つけ、手を籠にして捕えると、その明滅を無心に見ていた。 天高し  蜂須賀村へ引き揚げてから後でも、小六正勝は取り逃した甥の天蔵を、そのままに放ってはおかなかった。  或いは、部下を変装させて、刺客として放ち、或いは、遠国の土豪と、聯絡を取って、その後の彼の行方をさがすなど、やがて秋の頃となってもなお、手を尽していた。  しかし、効はなかった。  うわさによれば、渡辺天蔵は、恵那の山づたいに甲州へ落ちのび、例の小六が苦心して製作させた鉄砲を献物として、武田家へ取り入り、甲州の乱波者の組(しのび・攪乱隊の称)へはいったということであった。 「甲州へ潜り込んでは──」  と、小六もさすがに、諦め顔につぶやいたが、しかし、無念そうであった。  すると、その噂の聞えた日頃。 「主人が参るべきでござるが」  と慇懃な使者が、門を叩いた。  この事件が起るまえに、小六が茶会によばれた織田一族の者の家来だった。  その折、問題になった「赤絵の水挿」を携えて来て、主命として使者がいうには、 「この一品より、同族の間に、御騒動があったとやら承る。ついては、この名品も、買い求めたものとはいえ、家蔵といたしおくのも心苦しいゆえ、御当家より茶わん屋へおもどし遣わされては如何。──小六どのの御一分も、それにて立つことと存ぜらるるが」  とのことであった。小六は、好意を謝し、 「後日、ごあいさつ申すでござろう」  と、受けておいた。  そして、答礼の使いをやる折に、水挿の価に倍する黄金と、見事な鞍などを持たせてやった。  その日である。  使いを出した後で、また、松原内匠をよんで何やらいいつけていたが、やがて自身、縁へ出て来て、 「猿ッ。猿ッ」  と、庭へ向って呼んだ。  日吉は、 「おいッ」  と答えながら、木蔭から小迅ッこく走って来て、 「お呼びですか」  と、膝をついた。  ここへ来てから、二寺へも行ったらしいが、直ぐ帰って来て、その後、何とはなしに居着いていた。  機転がきく。何でもする。人は彼を小馬鹿にするが、彼は人を馬鹿にしない。口が達者なほど心は決して軽薄でない。──で、小六は、庭使いにして愛していた。  庭使いは、箒持ちの小者の仕事のようではあるが、事実はそうでない。主人の身近に働いて、朝夕主人の眼にふれるし、夜は夜の守り役をもすることになるので、決してよそ者などは使わないものである。それを小六は、庭へ飼った。猿々と呼んではいるが、愛している証拠であった。 「新川の茶わん屋の宅へ行って来い。内匠について、道案内をいたしながら」 「茶わん屋へですか」 「なんで、迷惑そうな顔するのじゃ」 「でも……」 「汝が二の足をふむのは分っておるが、きょうの使いは、茶わん屋の旧蔵だった水挿を、無事に戻して遣わすので行くのだ。で、汝を付けてやれば、汝の顔もよかろうと思っていいつけるのじゃ。行ってこい」  日吉は、そう聞くと、土の上に坐り直して、両手をついた。 「ありがとうございます。御恩は忘れません。欣んで行って参ります」  茶わん屋へ着いた。  彼は、供として来たので、家の外で待っていた。  以前の朋輩が、 「猿が来た」  と、怪訝がって、かわるがわる、覗きに来た。  日吉がこの家を追い出された時、笑ったり、打ったりした奉公人の顔も見えたが、日吉は忘れてしまったもののように、 「こんちは。──今日は」  と、その顔のどれへも、笑顔を見せながら、陽なたに蹲って、松原内匠が帰るのを待っていた。  やがて、内匠は、使いをすまして奥からもどって来た。思いがけない盗難の「赤絵の水挿」が返って来たので、茶わん屋の夫婦は、夢かとよろこび、使者の草履をそろえたり、夫婦して、門脇まで走り出て、なお、礼を繰り返したり、下へもおかない待遇だった。  於福もいた。  チラと、日吉の顔を見、ぎょっとした顔つきだったが、それへ向っても、日吉はにやっと白い歯を見せただけだった。 「蜂須賀様へは、いずれ日を改めまして、お礼に参上いたしまする。何とぞよろしゅうお伝え上げねがいまする。また、わざわざ今日のお使い、ご苦労さまでございました」  茶わん屋夫婦、その子、奉公人たちが、一同頭を下げる中を、日吉は松原内匠の後について、手を振って出て行った。 (……藪山の叔母さん。どうしてるだろうな。叔父もあの大病。もう死んだかもしれない)  光明寺の山を仰ぎながら、日吉はそんなことを考えながら歩いた。  中村は、もうそこだ。  当然彼は、母やおつみの顔を、さっきから胸に思い出して、ちょっと駈け出して行ってみようかとさえ思うほどだった。  けれど、霜の夜、誓って出たことばがある──。今行っても、母を欣ばしてやる何ものもまだ自分の手にはなかった。  その中村の方へ背を向けて、うしろ髪をひかれながら、彼は内匠について歩いていた。すると途中で、 「おや、弥右衛門どのの伜じゃないか」  足軽ていの男が声をかけた。 「どなた様でしたっけ」 「日吉だろ。お前は」 「はい」 「大きくなったなあ、わしは弥右衛門どのの友達の乙若だよ。織田様に仕えていた頃、同じ足軽組にいた者だ」 「思い出しました。そんなに私は大きくなりましたか」 「見せたいなア。……死んだ弥右衛門どのに」  そういわれて、日吉は、ほろりと涙をこぼしかけた。 「私のおふくろに、近頃、お会いになったことがございましょうか」 「つい無沙汰しているが、中村へは時折行くので、よそながら噂は聞いている。相変らず、よく働いていて結構だの」 「じゃあ、病気もせず、丈夫で暮しておりますか」 「お前こそ、どうして家へ行かないのだ」 「偉くなったら帰ります」 「顔だけでも、見せてやれよ。女親にはな」 「ええ……」  熱い瞼が、堪らなくなって、日吉はもう顔を外向けていた。──気がついてみると、乙若の姿も、もう彼方へ歩いているし、松原内匠も先の方を歩いていた。  残暑も、薄らいで来た。朝夕は秋を覚える。芋の葉が目立って大きくなった。 「この濠は、五年も浚渫ってないぞ。槍や馬の稽古ばかりしていたって、足もとに、こんな泥を溜めているようじゃあ……だめだ」  今。  村の篠刈の家へ、使いに出て、戻って来た日吉は蜂須賀家の古い濠をのぞいて独り呟いていた。 「なんのために、濠があるんだ。小六様にひとつ云って上げよう」  竹竿を突っ込んで、水深をさぐって見た。水草でいちめんなので誰も気づかないが、日吉が察した通り、底は何年となく、落葉や泥の堆積に埋まって、何尺もなかった。  二、三ヵ所でそうして、竹竿を抛り捨てて、横門の橋へかかろうとすると、 「御小人」  呼ぶ者がある。  日吉の身なりが小さいから御小人といったわけではない。大家に仕える小者のことをそういうのである。 「誰だい?」  橋の上から、日吉は振り向いた。  見ると、濠のそばの、椎の木の下に、薦を敷き、鼠色の着物を着て、尺八を差した男が、ひもじいような顔して、膝を抱えていた。 「ちょっと……」  と、男は手招きした。  この村へも、時々、はいってくる虚無僧である。薦僧とも呼んでいる。  ずっと後の、江戸時代のそれのように、その頃の薦僧には一定した宗服もなかったし、掛絡や袈裟なども、あんな美々しい粧いはしていなかった。どれもこれも、薄ぎたなくて、不精髯を生やして、負い薦に尺八一本持って歩いていた。──中には本格的に鈴を振って、普化禅師をまねて凛々と遊行していた者がないこともなかったが。  今、日吉へ、手招きした薦僧もまた、汚れ腐った着物に、不精髯を生やしている組だった。 「お布施かい。……それとも、お腹が減って、動けないのかい?」  日吉は、小馬鹿にしながら、戻って来たが、苦しい旅の味はよく知っているので、腹が減っているなら飯を、体でも病んでいるなら薬を、貰ってやろうと直ぐ頭の中では思いやっていた。 「……ちがう」  薦僧は、顔を横に振った。  じっと、日吉を見上げて笑う。そして、敷いている薦の席を、半分譲って、 「ま、お坐り」 「いいよ。立っていても。用事は何さ」 「おぬしは、御当家の召使か」 「ちがう」  今度は、日吉が真似して、顔を振った。 「おらは、ここの懸人だ。小六様に飯はいただいているが、まだ奉公人にはなっていない」 「ふむ。……でも何か働いてはいるのだろう。台所か、お表か」 「庭掃除さ」 「庭番か。そうか。それでは小六殿にも、目をかけておられるな」 「どうだか」 「今は、お在でか」 「お留守だよ」 「御不在か。それは生憎な……」  と薦僧は、落胆したように呟いて、 「今日中には、お帰りじゃろうか」  と、訊ねた。  日吉は、それだけの会話のうちに、この薦僧の様子に不審を見出し、急に、口数を控えてしまった。 「お帰りはいつだな」  重ねて、訊くと、日吉はそれには答えず、 「薦僧さん。おまえは、お侍だろ。薦僧なら、なりたての、新米だろ」  非常な驚きを顔にあらわして、薦僧は日吉の顔を見つめていたが、やがて、 「どうして、わしが侍か、また新米の薦僧と、おぬしに分ったか」  日吉は、事もなげに、 「分らなくッてさ! ひどく陽に焦けているけれど、指の股が、白いじゃないか。耳の穴が、まだ割合にきれいじゃないか。侍という証拠には、そうして菰の上に坐っていても、具足を着て、胡坐を組んでる恰好だよ。癖だから、どうしても膝頭が上がって大坐になる。──物乞や薦僧なんかは、背骨を曲げて、ぺたんと坐るものだから、直ぐわかるさ」 「ウウム……その通りだ」  薦僧は、菰のうえから起き上がったが、立ち上がりながらも、日吉の顔から眼を離さなかった。 「おそろしい烱眼だ。これまで敵地の木戸や関門を通って来る間にも、それ程までに、わしを見抜いた者はなかった」 「盲千人だからな。──だけど薦僧さん、何の用だい。お頭目に」 「実はな」  と、声を密めて、 「わしは美濃から来た者だ」 「美濃」 「斎藤秀龍の家中で難波内記といえば、小六殿には分っておる。人知れず、このままでお目にかかって直ぐ引き返したいのだが、御不在なれば仕方がない、昼間のうち村々を流して黄昏にでもまた、出直して来るといたそう。──もしお帰りになったらそっと、お前から耳打ちしておいてくれ」  云い残して、薦僧が歩きかけると、日吉は呼び止めて、 「嘘だよ、薦僧さん」 「え?」 「留守といったのは、そッちの素姓が分らないからだ。実は、馬場にいらっしゃる」 「あ。いるのか」 「うん。もう見届けたから、案内して上げよう。おらに尾いて、此方へおいでなさい」 「飽くまで、おぬしは、抜け目がないのう」 「弓矢の家にいるからには、これくらいな気くばりは当り前だよ。美濃衆は、こんなことぐらいに感心するほど皆、ぼんやりしているのかね」 「そんなことはない」  薦僧は、舌打ちした。  濠を繞って、畑を通って、森のうしろへ廻ると、広い馬場があった。乾いた土が、空へ揚っていた。  小六以下、蜂須賀衆の人々が、駒を曳き出して、猛烈な騎馬の練習をやっていた。騎乗ばかりでなく、鞍と鞍とを寄せ合って、棒で撲り合っていた。──激戦の場合の突撃を擬しているのであろう。 「ここで待っておいでなさい」  日吉は、薦僧をおいて、一人で駈けて行った。  しばらく、様子を見ていると、小六が汗の顔を拭きながら、休息所の小屋へ、湯を飲みに来た。 「お湯ですか、お頭目」  日吉は、すぐ湯を汲んで、熱くない程に、水を割って加減し、盆に乗せて、小六の床几の前に跪いた。 「汝も見ていたか」 「はい」  答えながら寄って、 「美濃家の密使を案内して参りました。連れて来ますか。お頭目からお運びになりますか。密使は、森の蔭に待たせておきましたが」  と、早口に告げた。 「なに。美濃から……?」  斎藤家の密使と聞くと、小六はもう、多言を待たず、床几から立って、 「猿」 「はい」 「案内せい」 「ここへですか」 「いや、おれの方から出向く。どこへ待たせておいた」 「森の向うがわに」  指さしながら、日吉は先に立って歩いた。  美濃の斎藤家と蜂須賀とは、公な関係ではないが、かなり長年の間、一つの密盟を結んでいた。  美濃に事ある時は、蜂須賀から手を貸して援け、蜂須賀に事あらば、美濃の勢力が後から援護しよう。  また、経済的には、年ごとに二百貫の領を、美濃から貢ぐ。  そういう条約だった。  織田信秀や、三河の松平や、駿府の今川家などの、勃興勢力のなかに挟まれて、ぽつねんと、島のような存在でありながら、そのどれからも併呑をまぬがれて、蜂須賀党が蜂須賀党として、土豪ながらも四隣に屈せずにいられるのは、遠く、稲葉山の居城から、斎藤道三秀龍というものの睨みがきいているお蔭でもあった。  地の理を隔てながら、どうして蜂須賀党と、道三秀龍とが、そんな条約の下に結ばれていたか──ということについては、ひとつの話が聞えている。  それは、小六の先代、蔵人正利が頭目に立っていた時代のことであるが──  或る夜。  蜂須賀家の門前に、行仆れていた病人がある。武者修行ていの侍だった。正利が憐んでやしきへ引き入れ、医療を尽して恢復を見た後、路銀まで与えて立たせてやった。 (……御恩は忘れおかぬ)  窶れた武者修行は云った。そして別れて立つ日にもまた、 (いつか、自分が志を得た後には、消息いたして、今日の御芳志にきっと酬いる)  と、誓った。  その時、云い残した名は、松波荘九郎と聞いていたが、やがて年経てから、その荘九郎からよこした書簡には、斎藤山城守秀龍としてあった。 (あの人が)  と、後では驚いたことだった。  そういう旧縁から、小六の代になっても、秀龍との盟は、依然結ばれていたのである。  その秀龍からの密使!  何事かと、小六がすぐ立って行ったのは当然だった。  薦僧姿の密使、難波内記は、森かげに待っていたが、小六を見て、 「おう」  と、礼儀をした。  小六も礼を返し、そして双方が眼と眼とを、正しく交わしながら、片方の掌を、拝むように胸に当て、 「てまえが、小六正勝」 「それがしは、稲葉山の家人、難波内記にござる」  名乗り合ってから、もいちど低く頭を下げ合うのだった。秀龍は幼少の頃、妙覚寺に入り、顕密を学び、前身は僧であったこともあるので、美濃衆の合い言葉にも、顕密の語が用いられたり、こういう隠し作法にも、どこか寺院臭さがあった。  作法を交わして、お互いが、 (この者は、間違いない)  と見極めると、初めてうち寛いで、何でも話し合うのだった。 「猿。──誰が参っても、森へ入れるな。おれが許すまでは」  小六は、いいつけて、内記と共に、森の中へはいって行った。  森の中の二人の会見に、どんな密談が交わされたか、密書が開かれたか、日吉には知るよしもなかったし、知ろうとする気ももとよりなかった。  彼はただ、忠実に、森の外に立って、張番していた。  使いに行けば使いに。庭掃除になれば庭掃除に。張番に立てば張番に。──彼は持った仕事の人間になりきった。  彼に限っては、どんな仕事でも仕事を愛することが出来た。それは、貧しく生れたからばかりではない。現在の仕事は、常に、次への希望の卵だったからである。それを忠実に抱き、愛熱で孵す時に、希望に翼が生えて生れることを、彼は知っていた。 (今の世のなかで、身を立てるには、何がいちばん大事か)  日吉は、考えてみたことがある。  それは、系図だ。家がらだ。  しかし、彼には、それがない。  家がらの次には、いうまでもなく、金と武力だが、その二つも、彼は持たない。 (では、何をもって、おれは世に出たらいいか)  と、自分に訊ねてみると、悲しいかな、肉体は、先天的に矮小だし、健康も人並より優れていないし、学問はないし、智慧は当り前だし……一体、何がある?  忠実。  それしか、考え出せなかった。それも、何を忠実に、などと考え分けてするのでなく、何でも忠実にやろうと決めた。忠実なら、裸になっても、持てると思った。  だが、その忠実を、どういうふうに行ってゆくか、と自問自答して、  ──なりきる!  というところへ、彼の肚が据った。どんな職業でも、与えられた天職に、なりきってやろう。庭掃除でも、草履取りでも、厩掃除でも、なりきってする!  将来の抱負をもっていても、その希望のために、現在の足腰を浮かすまい。  現在から遊離して、将来のあるわけはない。希望は、なりきっている下っ腹において、上面に出すものではない。  ピピ、チチ、チチ……  森の小禽は、日吉の上で、囀っていた。だが日吉の眼は、小禽の啄んでいる木の実を見なかった。 「──やあ。御苦労」  やがて、小六が、森の奥から出て来て云った。  機嫌がいい。野望的な眼がかがやいている。そしてどんな重大なものを齎されたのか、緊張した後の醒めた面が、まだいくらか上気していた。 「すみましたか」 「すんだ」 「薦僧さんは?」 「もう帰った。べつな道から森を出て──」  小六はそういってから、ふと日吉を顧みて、 「他言するな」  と戒めた。 「はい」 「難波内記が──あの薦僧が、ひどく汝を賞めちぎっておったぞ」 「そうですか」 「いずれ一かどの者に取り立ててやる。いつまでも、蜂須賀におれよ」  その日、美濃の密使が齎した問題についてに違いない。夜になると、小六の邸には、一族の重立った者のみが寄って、更くるまで密議をしていた。  その晩も、日吉は、星の下に立ちきりで、忠実な張番役だった。 稲葉山城  稲葉山の斎藤道三秀龍の密使は、いったい、どんなことを齎して来たのだろうか。  もとより厳秘だ。  一族の者でも重立った者にしかその内容は洩らされていない。  だが──  密かな評議があった夜の翌日頃から、蜂須賀党のうちでも腕がきくとか、頭がするどいとか、敏捷だとかという特質のある者が、次々に変装しては、蜂須賀村から消えて行った。  岐阜へ。岐阜へ。  誰となく囁かれていた。  小六の舎弟に、蜂須賀七内という者があった。その七内も、何か一役持って、岐阜へ忍んで行くこととなり、日吉は、その七内の供をして行けと吩咐けられた。 「何か、戦でも始まるんで、その探りにでも行くんですか」  日吉が、訊ねると、 「よけいなことをいうな。黙っておれにくっついて来ればいいんだ」  と、七内は、何も話してくれなかった。  この人のことを、邸の小者でも、台所の者でも、「あばたの七内様」と蔭口して、誰も煙たい──というよりも憎悪していた。兄の小六のような情味が、このあばたの七内様にはちっともないからだった。大酒呑みで生意気で、すぐ腕自慢するといったふうな人間だった。 「……嫌だなあ」  日吉も、正直そう思った。  だが小六から、 「ほかの小者では、心許ない。先頃、難波内記も賞めておったし、そちならばと、思われるので」  と、いわれたので、嫌も文句もいえなかったのである。  一飯の恩、一宿の義理である。蜂須賀党の端くれに加わって、働くまでの決心はまだつききらないが、 「畏りました」  ──云ったからには、七内様でも、あばた様でも、飽くまで誠意をもって、供をして行こうと、日吉は思いきめた。  さて。  出立の日となると、蜂須賀七内はすっかり髪容まで変えて、清洲の油問屋の註文取という旅拵えをして出かけた。  日吉は、この夏、着て歩いていた、針売りの行商着をそのまま着て、少しばかりの荷を背中に負い、油屋の七内とは、道中の道づれという態で、美濃路へ向った。 「猿、往来調べの木戸へかかったら、おれの側を離れて通れよ」 「はい」 「てめえは一体、口達者で、口数が多いから、何を訊かれても、なるたけ黙っているんだぞ」 「へい」 「ボロを出すと、おれは知らん顔して、捨てて行ってしまうぞ」  街道の木戸は、次々にあった。尾張の織田家と、美濃の斎藤家とは、聟と舅との親密な関係にあって、味方同志のはずだが、なかなかそうでない。  いや、尾張美濃の間には、国境もあるから、そうした警戒をどっちがしていても、そう不自然ではないが、美濃へはいってみると、美濃一国の内にも、お互いを疑い合うような眼が、どこにも光っていた。 「なぜでしょ?」  日吉が、七内に訊くと、 「知れたことを訊く奴だ。斎藤道三様と、その子の義龍とは、もう何年も前から、睨み合っている仲じゃねえか」  一国の中で、二つの勢力が反目し、一族のなかで、父と子とが闘っていることを、七内は何のふしぎとも思わずにいうのだった。  日吉は、七内の頭を疑った。  武門の上では、源平の頃でも、父と子とが、弓矢のあいだに、敵味方に立った例もないではないが、そこにはそれ以上の苦悶と理由があってのことだ。 「どうして、斎藤道三様と、子の義龍様とは、仲が悪いんですか」  腑に落ちない顔して、そこでまた、彼が訊くと、 「うるせえな」  七内は、舌打ちして、 「そんな事あ、人に訊け」  と、相手にもしてくれない。  日吉が、美濃の国の土を踏む前に第一に抱いていたものは、彼の気持に反く、その疑問だった。  だが、岐阜の里は、山水明媚な城下だった。町並びも麗しかった。  紅葉した稲葉山は、小雨に濡れたり、陽に映えたり、折から秋も更けた頃だったので、朝夕に見ても見飽かなかった。  べつの名を「金華山」とも呼ぶように、まるで錦の崖だった。町と田野と長良川の水の際から、突兀と急に聳え立っている絶頂に、一羽の白鳥でもうずくまっているかと見まごう白壁が、ポチと小さく見える。 「高い山城だなあ」  日吉は眼をみはった。  城下からそこへ登るのには、七曲、百曲、水の手の要害堅固であるとも聞かされ、難攻不落というのは、こういう城地をいうのだろうと感心したが、日吉は直ぐ、 「城ばかりで国は持たない」  と、胸の中で呟いた。  七内は、繁華な町の辻の商人宿に、宿を取ったが、日吉には、 「おまえは、この裏の木賃宿へ泊れ。そのうちに、用を吩咐ける。遊んでいては、人に疑われるから、用が出来るまで、毎日、針売りに出て歩いていろ」  といって、わずかばかりの銭をくれた。 「はい」  日吉は、神妙に、銭にお辞儀して、すぐ裏町の汚い木賃へ行って泊り、結句、独りでこの方が気楽だったが、 (そのうちに、用が出来るといったが、一体、何の用事だろう?)  今もって、分らなかった。  木賃には、旅芸人だの、鏡磨だの、木挽だの、雑多な者が泊っては入れ交わって行った。日吉の皮膚は、蚤虱にも鍛えられていたし、そういう人種の持つ特有なにおいにも馴れていた。  日吉はそこから、毎日、針売りに出て、帰りには塩物と米を買って帰って来た。木賃暮しは皆、自炊だった。竈だけを借りて、薪代と屋根代を払えばいいのである。  七日ほど過ぎた。  だが、七内からは、何にも云って来ない。七内も毎日、ぶらぶらしているのだろうか。彼は自分だけ捨てられたような気がしていた。  ──と。或る日。  彼が屋敷町の小路を、針はいらんか、京針はいらんか──と商いして歩いていると、向うから、羽壺の革袋を脇に掛けて、二張三張の古弓を肩に担った男が、日吉よりはよく徹る声で、 「弓の直しイ。弓の直し──」  と、呼びながら歩いて来た。  そして近づいて来ると、オヤと眼をみはりながら、弓直しは立ち止って、 「あ。猿じゃねえか。何日、誰と此方へ来ていたんだ?」  と、訊ねた。  日吉も驚いた。  その「弓の直し屋」は、小六正勝の部下で、仁田彦十といい、ついこの間まで、蜂須賀村のひとつ邸にいた男なのである。 「彦十様。あなたこそ、どうしてそんな商売をして、この岐阜にいるんですか」 「おればかりじゃない。仲間の蜂須賀党が、少なくも三、四十人はもう入り込んでいる。──だが、猿まで来ているとは思わなかった」 「わたしは、七内様について、七日ほど前にやって来ましたが、用が出来るまで、針売りをして歩いていろというので、こうやって針売りをしていますが、一体全体、これは何のためにやっているんですか」 「まだ聞いていないのか」 「七内様は、何も話してくれないので。──人間、目的の分らないことをやっている程、苦しいことはございません」 「そうだろう」 「彦十様には、その目的が、分っているのでございましょ」 「分らなくて、弓の直しなんかして歩けるか」 「お願いですから、一つ聞かせて下さいませんか」 「こんな所で、立話はできぬ。……だが、七内殿も意地悪な。何のためかも知らず、うろついていたりしたら、汝の生命も危ない」 「ヘエ。生命にかかわりますか」 「汝が捕まれば、この地へ入り込んでいる一党の密計が露見してしまう。……そうだ。仲間一同のためでもあるから、汝も呑みこんでおくように、説いてやろう」 「ありがとうございます」 「だが、ここでは人目につく」 「あの社の裏ではどうですか」 「うむ。……ちょうど腹も空いた。弁当でも喰いながら」  彦十は先に歩いた。日吉も従いて行った。何神社か、森に囲まれて、ひっそりしていた。  二人は、携えている弁当を解いて、喰べ始めた。銀杏の葉が舞っている。真っ黄色な梢を仰ぐと、木立の彼方に、秋の名残を燃え旺っている紅葉の稲葉山と、絶頂の城廓とが、くっきりと碧空に聳えて、斎藤一門の覇権を誇っていた。 「目的は、あれよ」  彦十は飯粒のついている箸の先で、稲葉山の城を指した。 「はあ……?」  日吉は、口を開いて、わざと、ぽかんとした顔をしながら、箸の先に眼をやる。  彦十が見る稲葉山の城と、日吉の眼に映じたそれとは、一つ対象ではあるが、心は大きな相違をもって、しばらく眺め合っていた。 「──じゃあ、あの城でも、蜂須賀党で乗ッ取ってしまおうという算段ですか」  日吉がいうと、 「ばかアいえ」  と、彦十は、彼の馬鹿馬鹿しい質問に、箸を折って、竹の皮と共に地へ抛ちながら、舌打ちした。 「あの城には、斎藤道三殿の子、新九郎義龍がいて、この要害の地に、四隣を抑え、京都と関東の通路を扼して、内には兵を練り、新しい武器を蓄えて、織田も今川も北条も、所詮、歯が立つものじゃあない。まして蜂須賀党などが、どうなるものか。──馬鹿も休み休みいえ。せっかく、話してやろうと思うことも、張合いぬけして、嫌になるから」  叱られて、日吉は、 「へい。もうよけいなことは云いません」  素直に口をつぐんだ。  弓直しの仁田彦十は、 「……誰も来やしまいな」  拝殿の横から、境内を眺めまわして、さて、唇を舐めた。 「おれたち蜂須賀党の者と、斎藤道三秀龍様との深い関係は、汝もいつか、聞いているだろうが」 「…………」  日吉は、前に懲りているので、返辞もただ頷いてするに止めておく。 「ところが、その道三秀龍様と、養子の新九郎義龍とは、ここ数年、互いに不和になっている。なぜといえばだな──」  彦十は、日吉に分る程度に、斎藤一門の内訌と、美濃の紛乱している実状とを、ざっと、次のように掻いつまんで語った。  道三秀龍は、前名を長井利政ともいい、西村勘九郎といった頃もあり、松波荘九郎と名乗ったこともあるし──また、名もない油売りであったり、武者修行に歩いたり、寺にいたこともあるという──何しろ経歴の混入っている人物で、その強か者ということは、彼が美濃一国に蟠踞してから、まだ、一尺の地も、外敵に譲らないのを見てもわかる。  だが、肚は黒い。  何しろ油売りから身を起して、空手で美濃一国をわが物とした男だけに、最初に仕えた主人土岐政頼を殺し、次の主人頼芸をまた、国外へ追って、その妾を奪ったりなど──残忍酷薄な数々の経歴は、挙げて語ったら限りもない。  ところが、酬いか。怖ろしいのは宿命である。  彼が奪って自分のものとした──主人土岐氏の妾が生んだ子は、今の新九郎義龍で、道三秀龍は、多年、それが自分の実の子か、主人土岐氏の子か、悩んでいた。  子は長じて行き、彼は老いてゆく。悩みは、深くなる。  すでにその義龍は、身長六尺余り、膝長一尺二寸という堂々たる青年となり、稲葉山城の主君として君臨し、道三は、長良川向うの鷺山の城へ、隠居の身とはなっている。  鷺山と稲葉山と、川を隔てて、業のふかい宿命の父子は、今や睨みあっていた。──時めく義龍は、やがて自分の素姓を悟るに及んで道三を怨み、道三をないがしろにした。老いゆく道三は、義龍を疑い、義龍を呪い、遂には義龍を廃嫡して、二男の孫四郎を立てようと計った。  だが、その企ては、義龍のほうで逸はやく知ってしまった。  義龍は、癩病で「癩殿」と蔭口をいわれたりしているが、宿命の子だけに、性格はつむじ曲りで、智謀も勇もある。 (その儀ならば)  と、鷺山へ向って、防寨を堅固にし、一戦をも辞していない。  道三のほうでも、勿論、 (あの癩殿を除かねば)  と、浅ましくも、おのが五体に等しい義龍に向って、いつでも、流す血を覚悟している。 「──そんなわけだ」  と、彦十はひと息ついて、 「そこで、先頃、蜂須賀村へ密使が来たわけだ。で、道三様からの頼みというのは、鷺山の家来方では、顔も知れているから、おれたち蜂須賀党の手で、この城下に、火を放けてくれというのだ」 「え。──火を」 「といったって、いきなり放火したって役には立たない。その前に、種々なことを云いふらし、稲葉山城の義龍や家来が、不安な兆しを起した頃、風のつよい夜を計って、この城下を火の海にする。──そこへ道三様の兵が長良川をこえて一挙に襲せようという計略なのだ」 「ははあ……」  と日吉は、大人びた頷きをして、感服したような、しないような表情で、 「では何ですか、わたし達は、この城下へ、流言を放ったり、火つけ役をするために、頼まれて来たというわけで?」 「そうだ」 「つまり、乱波ですね。人心を攪乱し、その機に乗じて、事を謀る──」 「ま。そんなものだ」 「乱波といえば、下賤の者がやる仕事でしょ」 「仕方がない。道三秀龍様からは、多年、貢がれている蜂須賀党だからな」  彦十は、単純であった。何といっても、やはり野武士は野武士だなと、日吉は、その顔を見てしまう。  が、彼には、そう単純になれないのだ。その野武士の家の台所で、冷飯を喰べても、自分の身は、珠とも思っているのである。これから世に出す身を、そうぞんざいに分別はできなかった。 「──で、七内様は、何しに来てるんですか」 「指図役だ。何しろ三、四十人もちりぢりばらばら入り込んでいるから、誰か締めくくりをつける者がいなくてはならないからな」 「なるほど」 「もう、あらまし分ったろう」 「分りました。──だが、もう一つ分らないのは、てまえ自身ですが」 「ム。お前か」 「わたしは一体、何をする役目なんでしょ。七内様からは、流言を放てとも、何を探れとも、吩咐かっておりませんが」 「多分、汝は、迅こくて小粒だから、大風の晩に、火でも放ける役の方に置いてあるのだろう」 「ははあ。火放けですか」 「何しろ、そういう密命をもって、この城下へ来ているわけだから、寸分も油断はならぬ。弓の直し屋をして歩くにも、針売りをして歩くにも、よくよく気をつけて、言葉の端にも、気どられぬことだぞ」 「知れたらすぐ捕まりますか」 「あたりまえだ。道三様の方では知っていることだが、もし義龍の方の侍にでも、嗅ぎつけられたら、すぐ血祭だ。いや捕まったら汝だけですむことか、俺たちにとっても、大事だぞ」  何も知らぬのは不愍と思って、こう打ち明けはしたものの、彦十は、もし、猿の口から秘密が漏れたら──と、急に不安を覚えてきたらしいのである。  日吉は、彼の顔色を察して、 「だいじょうぶです。旅には馴れていますから」 「抜かりはあるまいが」  彦十はなお、だめを押して、 「敵地だからな。ここは」 「よくわかりました」 「どれ……。そういっている間にも、人目に怪しまれるといかねえ」  腰が冷えてきたと見え、彦十は立ち上がって、二、三度腰ぼねを叩きながら、 「猿、……汝の泊っている宿屋はどこだ」 「七内様がいる旅籠の、ちょうど裏にあたる横丁の木賃で」 「そうか。じゃあそのうち、おれも一晩泊りに行くが、合宿の人間には、特に気をくばれよ」  破れ弓を担って、弓直しの仁田彦十は、その一言を合言葉に、町の方へ立ち去った。  日吉は、残っていた。 「…………」  そしてなお、拝殿の横に腰かけたまま、ぽかんと、銀杏林の梢越しに、城の白壁を、遠くながめていた。  今。──彦十の口から、この国土の主たる斎藤家の内争と、その悪行ぶりを聞いてから、ふたたび、城を仰ぎ見た時、その鉄壁も、嶮崖の要害も、日吉の眼には、何の権威にも見えなかった。  むしろ、彼は、 (──誰が次には、この城の主となって坐るだろうか)  などと考えて、また、 (鷺山の道三もだ! ろくな末路を遂げまい)  と、信じた。  君臣の道もないところに、国土の堅固がどうしてあろう。父と子とが謀りあい、猜疑し合っているような領主の下に、どうして民の信望があろう。  文化的には、ここは沃野をかかえ、嶮山を負い、京都諸地方への交通路を扼して、天産に恵まれ、農工も旺んだし──水は麗しく、女もきれいだが、日吉は心のうちで、 (腐えている!)  と、観た。  信じて疑わなかった。  だから彼の頭は、その腐えたる文化の中にうごめく蛆についてなど考えている遑がなかった。一足跳びにすぐ、 (次の城主は誰か?)  に、思い至っていた。  同時に。  彼は一つの滅失にぶつかった。それは今、自分が飯をもらっている蜂須賀小六にである。  野武士、野武士と、世間はとかくよくいわないが、小六その人を直接に知ってみると、彼は正義の男だし、遠い家系の血をひいて卑しくないし、人物もまず一かどといってよいし、日吉も日常、彼に頭を下げて、吩咐を受けることを少しも恥としなかったが──さて、ここで少し考えさせられる。  斎藤道三とは、多年、貢がれもし、交誼も深い間がらには違いなかろうが、道三の人物を知らぬはずはない。悪逆非道な行いを見ていないことはない。  だのに、その道三と結び、父子の内争に、乱波の役をひきうけてやるなどは──どう考えても、日吉には与せなかった。 (盲千人。小六もまず、盲のひとりか)  と、嫌気がさして来ると共に、急にその小六の仲間からも、この城下からも、逃げ出したくなった。 十兵衛光秀  それは、十月末の、から風の強い日であった。  日吉が、いつもの木賃から、行商に出て行こうとすると、裏町の辻に、鼻を赤めて佇んでいた弓直しの彦十が、 「猿、これを」  と、側へ寄って来て、彼の手に一通の廻状を握らせ、 「──読んだら直ぐ、噛みつぶして、河の中へでも吐き捨ててしまえよ」  と、注意するなり、もう素知らぬ振りして、右と左に別れて行ってしまった。 「何だろ?」  およそ仲間の廻文という見当はついていたが、日吉は、気にかかって、いやな動悸を打っていた。  この仲間から去ろう。この土地から逃げ出そう。それは何度も、考えてみたが、ここに踏みとどまっているよりは、逃げる場合のほうが、遥かに、生命の危険があった。  なぜなら、自分は自分ひとりで、この木賃に泊っているつもりでいたが、自分の出這入りや行動には、絶えず、蜂須賀党の仲間の眼が、どこかで見張っているからだった。  その見張にもまた、見張が付いているのだ。つまり鎖の一環のように、単独に脱けることは許されない仕組にできていることを、近頃、彼も知ったのである。 「いよいよ、やるのかな?」  かねて、彦十から聞いてはいたが、いざとなると、日吉は、気持が暗くなった。  気が小さいのか、兇悪な乱波となって民衆を惑わし、城下を攪乱し、火の海を魔みたいになって活躍することなど──どうも出来そうもない気がする。  第一、それを聞いてから、小六への尊敬を失ってしまったし、斎藤道三に利益する気にもなれないし、なおのこと、稲葉山城の義龍にも味方する情熱など少しもない。  もし、味方すれば、城下の民に味方したい。どこに同情をもつかといえば、やはりそんな場合には、真っ先に戦禍をうける、町人百姓、わけても、子のある母親へ、彼は痛切に、同情をもつ! 「なんの、まだ開けてもみないうちに、取越苦労をしておった。……とにかく、読んでみてからだが」  針イいらんか──京針イ──といつもの声で流しながら、日吉はわざと、屋敷町の人目のない横丁へ曲って行った。  と、小川がある。行き止りだ。 「おや、こいつはいけねえ」  わざと聞えよがしにいって、見廻すと、折よく、人影もなかった。  でも、念のため。  彼は、小川へ向って、尿をしながら、しばらく悠々と、附近の様子を見とどけ、さてと、おもむろに懐中から廻文を取り出して読んでみると── こよい、戌の下刻 風。西か南なれば 常在寺うらの森に集合のこと 風。北に変ずるか 風やむ折は、集合もやむ事 「…………」  予想はやはりあたっていた。日吉は読み終ると、細かに裂いて、口のなかに丸めこみ、紙団子になるまで噛んでいた。 「──針売りッ」  ふいに、何処かで呼ばれたので、日吉はうろたえ、口の中の物を、川へ吐き捨てるいとまもなく、掌へ吐いて握った。 「へい。どちらですか」 「ここだ。針を買ってつかわすから、はいって来い」  声は聞えるが、誰か、何処か、一向その人の姿は見当らなかった。  ──いくら見廻しても、姿の見えない筈。  声の主は、彼方の侍屋敷らしい構えの中だった。低い堤の上へ、二段に繞らしてある築土のうちから、その声はしたのである。 「針売り針売り。こっちへ廻って来い」  築土の横手の、小さい潜り門が開き、そこから若党らしい者が、首をさしのべていた。 「……へい」  日吉は答えたが、ちょっと、様子を計っていた。  この界隈の侍屋敷なら、問わずとも、斎藤家の家中とは知れきっている。それも、道三方の家臣ならよいが、義龍の直臣でもあったら、小気味がわるい。 「針売り、針を求めてつかわすと仰っしゃる。こっちへはいって来い」  求めてくれる人は、その若党ではないらしいのだ。いよいよ、気が進まなかったが、ぜひなく近づいて、 「ありがとうございます」  後に従いて、日吉は、潜りの内へはいった。  そこは裏庭らしく、築山の後を巡って従いて行く。かなり大身の屋敷とみえ、母屋は幾棟にもわかれ、建築の宏壮、泉石の清楚、日吉は足を竦めた。  誰だろう? 針を買ってくれるという当人は。  若党のことばでは、主人筋らしいが、これ程な屋敷に住む大身が、奥方であろうと、御息女であろうと、自身、針など求めるはずはない。また、外を呼び歩く物売りなどを近づけるわけもない。 「針売り」 「はい」 「暫時、そこで待っておれ」  若党は、彼を庭の一隅へ残して行ってしまった。──見ると、母屋からは、かけ離れた一棟がある。  その一棟は、下が書斎、上が書庫にでもなっているらしく、荒壁で塗り廻した中二階造りになっていた。若党は、そこの中二階を仰向いて、 「十兵衛様、呼び入れて参りましたが」  と告げた。  狭間のように、壁を四角く切り抜いた窓がある。十兵衛と呼ばれたのは、二十四、五歳の白皙明眸な青年で、書庫の書棚から、本でも索し出していたところか、数冊の書を手にかかえながら、その窓口に、半身を見せていた。 「む、今参る。──階下の縁先にでも待たせておけ」  十兵衛は、下の若党へ、そう返辞して窓口から姿をかくした。  遠くから、日吉は見ていた。なるほど、あんな所に人がいたのか、とその時気づいた。彼処からなら築土の外も見える──  先刻からの自分の挙動を見ていたに違いない。何か疑って自分を調べるつもりだろう。すると、此方もその覚悟でいないと飛んだ目に遭うかも知れない。  日吉が、そう臍を決めていると、若党は彼方から手招きした。そして、 「今すぐ、御当家の甥御様が、そこへ見えられるから、お縁先を離れて、謹んでお待ち申しておれ」  と、いった。  いわるるまま、日吉は、その家の縁先から少し離れた所に坐っていた。勿論、土へじかにである。  そしてしばらく手をつかえていたが、なかなか出て来ないので、そっと首を擡げた。  日吉は、目をみはった。  室内は、書物で埋まっていた。机のまわり、壁の書棚、二の間も二階も、書物の庫になっているらしく思われる。 (ここの主人か、その甥か。よほどな学者だとみえる)  日吉には、書物など、見るのも珍しかった。──しかし、長押を仰げば、そこには見事な槍、床の間をのぞけば、そこには鉄砲が立て懸けてあった。  やがて、その人は出て来た。  静かに、机の前へ座を占め、頬杖をついた。そして、庭前に屈まっている日吉の方を、書物の文字を見るような叡智な眼で、しげしげ見ていた。 「はい。今日は」  ──それとは、まるで正反対な、開けッ放しな顔を上げて、日吉は、 「ありがとうございます。てまえが針売りで──。針をお求め下さいますか」  十兵衛は頬杖をついたまま、机の上から頷いて、 「うむ。求めて遣わすが、その前に、ちと訊ねたいことがある。──そちは針を売るのが目的か、それとも、御城下を探るのが目的か」 「もとより、針さえ売れればよいので」 「ならば、こんな屋敷小路などへ、なぜはいって来たか」 「抜け道かと存じまして」 「嘘を申せ」  十兵衛は、少し身をねじ向け、 「見るところ、旅摺れした面構え、行商も今日やきのうのことではあるまい。およそ侍屋敷などで、針など売れるものか否か、心得ておる筈」 「そうとばかり限りませぬ、稀には……」 「稀に──ではあろうが」 「でも、売れることは、売れますので」 「では、それはまず措いて。──かような人気のない所へ来て、何を読んでいたのか」 「へ?」 「辺りに人がおらぬと思うて、そちは密かに紙片を手にしていたが、およそ天地草木の生々と生きづく所、神の眼のない世界はない。声のない物象はない。……何を見ていたか」 「手紙を見ていました」 「何の密書を」 「おっ母さんから来た手紙を読んでいました」  意外な答えだった。  そしてけろりとしていた。  勿論、十兵衛は、その理性的な眼ざしで、 (こやつ、言葉巧みに)  と、なお、疑いを濃くしたが、わざと優しく、 「そうか。母の手紙か」 「はい」 「しからば、その手紙を、見せい。御城下の掟として、不審の者は、見当り次第、縛めて、問注所へ突き出す定めになっておる。明らかにせねば、不愍でも、役所へ引き渡すぞ。証立てのため、その母の手紙とかを、これへ見せい」 「喰べてしまいました」 「何」 「生憎、読んだ後で、喰べてしまったので」 「喰べた?」  理をもって、優しく、しかしするどく、徐々に責めていた十兵衛も、常識負けした形で、呆れ顔してしまった。 「はい」  日吉は、なお、真面目に、 「わしにとれば、おっ母さんは、神様より仏様より、生きているだけになお、尊いおっ母さんでござります。ですから……」 「だまれッ」  一喝を投げて、十兵衛は、後はいわさぬ顔を示した。 「秘密の手紙ゆえ、噛み捨てたのであろう。それだけでも、不審な奴、さてこそ!」 「いえ、いえ。お考え違いをしては困ります」  日吉は、あわてて、手を振って云い足した。 「神仏よりもありがたい、おっ母さんの手紙を、持っていて、つい洟をかんでしまったり、往来へ捨てて、人の足に踏まれたりしたら、勿体ない、罰があたる。──そう思うので、いつも私は、喰べてしまうのが癖なんです。嘘ではございません、遠く離れている母の文字、喰べてしまいたいほど、懐かしいのは当り前でございまする……」  嘘だ。虚言だ。  十兵衛は見ぬいていた。  しかし、嘘にせよ、人並すぐれた嘘をいう男もあるもの──と思った。  それと──  十兵衛にも、故郷に遺してある母があった。郷里、美濃国恵那郷明智ノ庄の明智城にひとりの老母が待っている。 (嘘も、根からの嘘はいえないものである。母の手紙を喰べてしまったなどということは、出たら目でも、この猿に似た小男にも、親はあるにちがいない)  十兵衛はまた、そうも考えて、相手の無教養らしい野性をも、かえって、愍れに思った。  しかしまた、得てこういう、無知であどけない顔をした男が、いったん策士に利用されて、騒擾の火でも放けると、野に出た野獣のような兇暴に変るものである。  わざわざ、問注所へ突き出すほどの者でもないし、斬り捨てるには愍れ過ぎる。──といって、このまま、放つのもどうかと思う。 「…………」  黙って、日吉の挙動を、細かな眼で見ている間、十兵衛はそんな観察をしたり、処理に迷っていたらしかったが、やがて、 「又市、又市」  と、以前の若党を呼んで、 「奥に弥平治どのは、お在でられるかな」 「いらっしゃると思いますが」 「恐れ入るが、ちょっとお顔を拝借したいと申して来い」 「畏りました」  又市は、駈けて行った。  程なく、その弥平治は又市を伴って、大股に奥から歩いて来た。  十兵衛よりは、もっと若い青年だった。十九か、二十歳ほどであろう。この大きな屋敷の主人、明智光安入道の嫡子で、弥平治光春とよばれていた。  十兵衛とは従兄弟仲である。  十兵衛も、姓は同じ明智で、名のりは、光秀といった。叔父光安のやしきに寄食して、ひたすら学問に没頭していた。  故郷もとには、母もおり、明智城もあって、食客をしなければならないような境遇では決してなかったが、何分にも、恵那郷の山地では、読みたい書物を手に入れるのもままにならないし、それに、刻々と進みつつある文化に遠かった。  いや、そういうよりも、十兵衛光秀の内に燃えている青年の慾望に、恵那の明智城は、余りに小さく、余りに文化の光や、時勢のうごきに、遠すぎたのである。  叔父の光安も、よく、わが子の光春に向って、 (ちと、十兵衛を見習え)  というほど、彼は謹厳で、勉強家だった。  ここへ身を寄せる前にも、すでに十兵衛光秀は、京畿のあいだから、山陰、山陽の地方など、隈なく旅して来た。──近ごろ多い武者修行の群に伍して、知識を求め、時代の流れを見、生活の中に、進んで苦しみを迎えることもして来たのである。  わけて、泉州堺に止まって、鉄砲を研究して来たことは、逸はやく、この美濃の国防と兵制に多大な貢献をしていた。だから叔父光安始め、誰もが、年はまだ若いが、すでに老成の風を備えている新知識の秀才として、尊敬を払っていた。 「十兵衛どの、何か、拙者に御用だそうですが」 「お、弥平治どのか。お呼び立てするほどのことでもないが」 「何ですか」 「あなたに、ご処置をお願いするのが、よかろうと思うて」  と、光秀も外へ出て来た。そして、日吉のぽかんとしている側で日吉の処分を相談していた。  弥平治光春は、十兵衛から仔細を聞いて、 「ほ。この下人ですか」  と、日吉に一瞥をくれ、 「怪しいとお認めになるものなら、又市に申しつけて、一責め、弓の折れで撲らせてみたら、泥を吐きましょう。何の造作もない」  といった。 「いや」  と、十兵衛は、弥平治の眼と共に、もいちど日吉の姿を見直して、 「なかなか、そんなことで、有様に口を開く男とも見えませぬ。しかし、不愍なところもあるので」 「不愍をかけておっては、口を開かせることは出来ますまい。ならば拙者が、四、五日預かっておいて、物置小屋にでも押し籠めておきましょう。自然、飢じさに、実を吐くやも知れませぬ」 「お手数だが」  十兵衛が同意すると、 「縛り上げましょうか」  と、若党の又市は、すぐ日吉の側へ立ち寄って、その手を捻じかけた。  と、日吉は、 「あ、待って下さい」  あわてて、身をかわしながら、十兵衛と弥平治の顔を仰いで、 「今聞けば、撲っても、有様にものをいわぬ男──と仰っしゃいましたが、訊いて下されば、何でもいいます。訊きもせず、幾日も、暗い所へ抛り込まれては堪りません」 「申すか」 「申します」 「然らば問うぞ」 「はい。どうぞ」 「……いかん」  と、弥平治は、日吉のけろりとした顔に、力負けしたように、 「こいつ、どうも、おかしな奴ですな。少し頭脳が悪いのかも知れぬ。人を弄っておるような」  と呟いて、十兵衛の顔を見ながら苦笑した。  十兵衛は、笑いもしなかった。むしろ惧れに似たものを日吉に抱いた。  で──十兵衛と弥平治とが、駄々な子をあやすように、こもごも何かと質問すると、日吉は、 「それなら、今夜大変が起ることを、教えますが、私はその仲間でも何でもありませんから、私の生命は、保証してくれますか」 「よろしい。そちの一命などは取るにも足らん。大変とは、何事か」 「火事があります。今夜の風次第で──」 「火事。……何処から」 「それは分りませんが、わたしと同じ木賃に泊っていた野武士たちが、密談していました。──今晩風が西か南だったら、常在寺の森に集まり、手分けして、城下へ火を放けようと」 「えっ」  弥平治も愕き、十兵衛も息をのんで、日吉の顔を見まもった。──半ば、信じ難いような面持で。  が、日吉は、二人の顔いろなど気にかけているふうもなかった。自分はただ合宿の野武士が囁き合っていたのを、チラと聞いただけで何も知らない。自分の願いは、早く針を売り上げて、故郷の中村へ帰り、一刻も早く、母親の顔を見たいことしかない──というような意味を、より以上真顔になって述べた。  愕きの色を、顔に醒まして、十兵衛と弥平治とは、しばらく、黙り合っていたが、やがて、 「よし。そちの身は、きっと放してつかわすが、夜までは出すことならぬ。──又市、この小男を、どこぞへおいて、飯でも与えておけ」  と、十兵衛は命じた。  風は、相かわらず、吹き募っていた。──しかも風向きは、西南である。  急に、その風が、耳について、二人は胸騒がしくなった。  日吉の身を、若党の又市にあずけて、そこから追い立てると、弥平治はすぐ、すり寄って、 「十兵衛どの。この風に乗じて、野武士どもが、何を謀むのでござろうか」  と、不安を湛えた眼で、雲脚の迅い空を見あげた。  十兵衛は黙然と、書斎のぬれ縁へ腰を下ろし、緻密な思慮をこらしているように、じっと、一所を見つめていたが、 「光春どの」 「何か」 「叔父上から、何ぞ、この四、五日中に、変ったことでも、聞いておいでなさらぬか」 「さ。……べつに何も、父から耳にしたこともないが」 「はてな?」 「ただ……。そういわれれば、今朝、父が鷺山のお城へ出向く前に、こんなことをいわれた。──御主君道三様と、義龍様との御不和、近頃、わけてもお険しい事情にあるゆえ、いつ何時、いかなる事変が起ろうも測り難い。常時、備えは怠りあるまいが、郎党どもも、不意の変に当って、武具馬具の用意など、あわてふためかぬよう、くれぐれも、早速の合戦に構えおれよ──と」 「叔父上がか」 「父が」 「今朝だな」 「いかにも」 「──それだ!」  十兵衛は、膝を打って、 「叔父上は、それとなく、今夜にも合戦があるぞと、暗に其許へ、注意して行かれたのだ。兵の謀略は、肉親にも洩らさぬが常。……しかし、叔父上だけは、すべてをご承知のことにちがいない」 「え、今夜にも……合戦が?」 「こよい、常在寺の森に集まる野武士というのは、道三様が、外部から引き入れた、乱波の輩かと思われる。──恐らくは、蜂須賀村の衆であろう」 「では、いよいよ、義龍様を、稲葉山からお取除けと、ご決意を遊ばして」 「そうだ」  と、十兵衛は、自分の判断に、自信をもって、強く頷いてみせたが、暗澹と、唇を噛んで── 「……だが、道三様のお考えどおりに、巧くは運ぶまい。義龍様にも、かねて期しておらるることだ。……それに、御父子のおん仲で、戈を把って、血みどろに戦うなど、人倫の道がゆるさぬ。必ずや、天道のお罰があろう。いずれが勝つも負くるも、流されるのは骨肉、同族の血。──そしてしかも、斎藤家の領地は尺土も殖えはせず、かえって、隣国に虚を窺われ、それが動機となって、さしもの御城地も崩壊に瀕するであろう」  彼は、そういって、長嘆をもらした。 「…………」  弥平治光春も、沈黙して、ただ、暗い乱雲と風の翔ける空を見ていた。  主君と主君との争いである。臣下の身にはどうしようもなかった。そして弥平治には父、十兵衛には叔父にあたる明智光安入道といえば──これは鷺山の山城守道三方の腹心で、義龍廃嫡の急先鋒であった。 「……そうだ。どうあっても、さような、人道に外れた御合戦は、お止めせねばならぬ。臣下の道は、それしかない。──光春、其許は、すぐ鷺山へ馳せつけて、死をもって、父光安殿にすがり、光安殿とふたりして御主君道三様の思い立ちを、御諫止申せ」 「はいッ。心得ました」 「わしは、日暮を待って、常在寺の森へ行き、野武士たちの謀挙を喰い止める。──死をもって、きっと、喰い止めるから。よいか!」 火の粉・風の子  大竈が、三つも並んでいた。  炊事小屋である。  何俵という米も一度に炊いてしまいそうな大釜が、三つも懸っている。  その釜の蓋が、持ち上がりそうに今、糊と湯気を噴きこぼしていた。  これだけの飯を、一度に喰べてしまうのかと思うと、静かなようでも、この明智家の築土の中に生活している奥侍や、郎党や、その家族らの人数は、百人以上にものぼるのではないかと、日吉はさっきから、眼をみはっていた。  ──そして密かに。 「こんなに豊富にある米が、中村にいる母や姉には、どうして、腹のはる程も、手に入らないのだろう」  と、不審になった。  母を思うと、飯を思い、飯を思うと、母の飢えを思うのが──今彼の習性のようになっていた。 「ひどい風だのう」  台所頭の老人が、すぐ向う側の厨からやって来て、竈場の火をのぞき、飯炊仲間や小侍の仕事ぶりを見まわして注意した。 「日が暮れても、風はやまぬようじゃから、火の元をよく気をつけてくれよ。──それと、一釜あがったら、すぐ後釜をかけての、手の空いておる者は、側から飯を握りにかかれ」 「心得ております」 「抜かりはあるまいが、夜明けまでは、一切、帯紐ゆるめて、懈怠はならぬぞ」 「はい。その儀も」 「確とな──」  云い残して、老人は、ほかへ行きかけたが、ふと、足を引き返して竈場の竈の前につくなんで、火にあたっている小男を見て怪しみながら、 「これこれ」  と水屋仲間を顧みて、訊ねていた。 「そこにおる、猿のような顔した町人は、どこの何者じゃ。見馴れぬ男だが」 「十兵衛様からのお預り人だそうでございます。──あれに若党の又市どのが逃がさぬように、番に付いておいでなさいます」 「ほ、甥御の十兵衛様から?」  と、老人は、竈場の中へはいって来た。そして、隅の薪置場に腰かけている又市の姿に気づいて、 「やあ、御苦労で」  と、何の理も分らず、世辞をいってから、 「あれにいる男は、何か、不審でもあって、捕えたものでござるか。それとも何か……?」  と、訊ねはじめた。  又市は、 「いや、仔細のほどは、何か知らぬが、ただ、十兵衛様のおいいつけで」  と、のみ答えて、多くをいわなかった。  台所頭の老人は、それきり日吉のことは忘れてしまった。そして、頻りと、主人の甥にあたる十兵衛光秀の人物を、称え始めて、 「──実に、お年に似合わず、思慮分別のそなわったお方だな。ああいうお方を、俗に出来ている人間──というのじゃろうな。とかく学問はないがしろになり、ただ、何貫目の棒を使うとか、悍馬に乗ってよく槍をつかいこなすとか、どこの戦場で何人斬ったとか──そんなご自慢を華としてござるが、十兵衛様はそうでない。いつあの御書斎をのぞいても、しいんと、湖水のように静かに学問してござられる。しかも、火術や兵法などにも、人一倍の実力をお持ちでいながら……。何とも、ゆかしい、末頼もしいお方であろうな」  と、口を極めていった。  又市は、十兵衛付の若党であった。直接の主人である十兵衛のことを賞めそやされると、悪い気持はしなかった。  で、台所頭の老人の口に、彼も合槌を打って、 「いや、仰せの通り。手前などは、ご幼少から、十兵衛様には、身近に仕えておるが、あんなお優しい方はない。しかも、母君にはご孝行だし、こうして当地にご遊学中も、諸国をご遍歴中も、母君へのお便りは欠かしたことがない程で」 「総じて二十四、五といえば、剛直なれば大言壮語。おとなしければ柔弱で怠け者。木の股から生れたように、親の恩など忘れて生意気ぶるものだが」 「──では、お優しいばかりかと思うと、あれで、恐ろしく強いご気質もあるので、それは滅多に色にはお出し遊ばさぬだけに、怒ったら、きかないご気性ですよ」 「そうじゃろう。おとなしいといわれる者ほど、一たん怺えがつかぬとなると」 「今日なども、感じました」 「ム。今日な……」 「事に当って、是か非か、じっと考え込まれる時には、考えておられるが、決すると、堰を切ったように、従兄弟様の光春様へも、すぐ指図して、こうなさい、ああなさいと、きびきび指図してしまう」 「将器じゃの。いわゆる大将の器というものじゃろ」 「光春様も、十兵衛様には、心服しておられるので、お指図どおりに、すぐ肚をきめて、早馬で鷺山のお城へすぐ駈けつけて行かれました」 「一体、どうなるのじゃろ」 「さ。その儀はな?」 「飯をうんと炊け、兵糧として握っておけ。ひょっとしたら、夜半にも、合戦となるやも知れぬから──と、光春様は云い残して、あわただしゅう、早馬でお出ましになったが」 「万一の準備にな」 「万一ですめばよいが、鷺山と稲葉山城との御合戦では、わしら奉公人は、いずれへ弓を引いてよいやら──いずれへ引いても、友や骨肉がおるしのう」 「ま、そんなことは、万が一にも起りますまい。十兵衛様にも、何やらご決心もあり、喰い止める策をお立てになっておるらしいから」 「神かけて、わしらも祷る。──これが隣国となら、真っ先に、白髪首を、投げ出してもよいが」  ──外はもう暗い。  そして、空は真っ暗だった。  吹き入る風に、大きな竈口の火は音をたてて、燃え熾っていた。  その前に、しゃがみ込んでいた日吉は、大釜の飯の焦げつく匂いに、 「あ、飯が焦げる。お小人衆、釜の飯が焦げつきますぜ」  と、飯炊仲間たちへ教えた。  教えてくれた礼も忘れて、 「退いた退いた」  と、仲間たちは、大竈の火を落し、やがて、梯子を懸けて、桶へ飯をうつし取ると、手の空いた者はみな寄って来て、襷鉢巻でにぎり飯を、無数にこしらえ始めた。  日吉も、その中に交じって、握り飯をにぎっていた。勿論、自分の口へも、二つや三つ頬張ったが、誰も、何ともいう者はない。  ただ夢中で、飯を握りながら人々のいっていることは、 「戦か」 「戦にならずにすむか」  であった。  そして、自分たちの握っている兵糧が、むだになることを、そのうちの大部分の者が、願っていた。  やがてもう戌の刻頃。  十兵衛光秀が、又市の名を呼んでいた。又市は外へ出て行ったが、すぐ戻って来て、 「針売り。針売り」  と、大勢の中に交じって、一緒に兵糧の飯を握っている日吉を、呼び立てた。  日吉は、指の飯つぶを舐めながら、飛んで来た。  一歩、炊事小屋の外へ出ると、相かわらず風は烈しく、暗い夜を翔けまわっていた。 「はい。お呼びですか」 「あちらだ」 「え」 「十兵衛様がお待ちだ。つづいて来い」  又市は、先に立って行く。──見ると、その又市は、いつの間にか、身軽い武装をして、足拵えも、そのまま、戦場へ出るように固めていた。  何処へだろう? 日吉には行き先も分らなかった。何しろ暗い。  やっと、中門へ出て、見当がついた。広い邸内の裏庭をずっと廻って、表へ来たのだ。表門を出ると、誰か、騎馬の人影が一つ、烈風のなかに立って待っていた。 「又市か」  十兵衛の声である。  昼間のままの服装で、鞍の上に在った。手綱を片手に、長槍を小脇にして。 「はッ。又市です」 「針売りの男は」 「召し連れました」 「そちと一緒に、先へ駈けろ」 「心得ました。──針売りッ」  と、振り向いて、そこからまた、タッタと闇の中を駈けた。  その歩速に合わせて、後からは十兵衛の駒と、槍の穂先が背を追って来る。そして辻へかかると、  ──右へ。  ──左へ。  と、後ろの十兵衛が、馬上から声をかけた。  常在寺の門前まで来て、日吉はやっと気がついた。蜂須賀七内をはじめ、岐阜に入り込んでいる乱波の衆が、戌の下刻に集まることになっている場所だった。  ひらりと、駒を降り、 「又市、そちはここで、待っておれ。何、大事はない」  と、手綱を渡して、 「戌の下刻までに、弥平治どのが、鷺山からこれへ見えるはずだが──もし約束の時刻までにお見えなければ、万事は休すだ。御城下は修羅の巷……どうなるか、人間の智慧では臆測もつかぬことになるであろうが」  語尾は、憂いに消えて、十兵衛の眉には悲壮なものが漲っていた。 「針売り」 「はい」 「案内に立て。──先に歩いて」 「へ。どこへで?」  日吉は、烈風に立ち怺えながら、十兵衛のその悲壮な顔を見まもった。 「森へ。──蜂須賀村の乱波どもが、こよい集まるという裏の森へだ」 「さ? ……私も、どの辺だか、場所は存じませぬが」 「場所は初めてでも、そちの顔は、先の者がよく見知っておるであろう」 「えッ」 「かくすな」 「…………」  日吉は、うまく彼を騙いたつもりでいたが、十兵衛の叡智の眼は、何もかも観ぬいていることを、明らかに示していた。 (これはいけない。騙された顔していても、騙しきれない人だ)  日吉はすぐ覚ったので、もう言い訳も口答えもせず、はいといって、先に歩き出した。  一点の灯も見えない。ただ伽藍の大屋根を、木の葉の疾風が、舷を洗う飛沫のように打つけていた。  その──常在寺裏の林は、まるで荒れ狂う海原だった。木々の唸り、草の嘯き、耳も眼も、奪われてしまう。 「針売り」 「はい」 「森の中に、もう仲間が集まっているか」 「分りません。何しろ、このひどい風では──」 「いや、来ている」 「そうでしょうか」 「ちょうど、時刻もはや、戌の下刻に近かろう。──そち一名が、いつまで、見えぬので、仲間の者が皆、案じているにちがいない」  寺裏の大きな五輪の台石に腰かけて、十兵衛は云った。  小脇に持っている槍の穂先が、日吉のすぐ足の先で、風に研がれていた。 「仲間へ、顔を出して来い」  十兵衛は、先手先手と打つように、日吉の考えを、始終、先を越して云った。 「──明智光安の甥、十兵衛光秀が、これにて待っておると申せ。そして、蜂須賀衆のうちで、誰ぞ、重立った者一名に、折入って、談合したいことがあるから、これまで来てもらいたいと伝えて来い」 「畏りました」  日吉は、頭を下げた。  しかし、すぐ行こうとはせず、 「集まっている一同の者へ、そう伝えればよろしいので?」 「そうだ」 「そのために、私を、これまで先に立たせて来たわけですね」 「はやく行け」 「参ります。──けれど、これきりお目にかからないかも知れませんから、私にも、ここで云い分をいわせて貰いましょう」 「何、云い分を」 「いわずに去るのは、口惜しゅうございます。何となれば、あなたは飽くまで手前を、蜂須賀一類の手先と見ている様子です」 「それに相違あるまいが」 「あなたはお賢いが、あなたの眼は、鋭すぎて、観る物を、突き抜いてしまいます。釘を打つにも、止るところで止っているからよろしいので、過ぎたるは及ばざるが如し、というのは、お前様の智慧のことです」 「…………」 「なるほど、あなたが観破っているとおり、私は、蜂須賀村の仲間と共に、この岐阜へ流れて来た一人にはちがいありませんが、しかし、心はあの衆と同体ではありません。中村の百姓に生れ、針売りなどして、未だに志を得ませんが、土豪の冷飯に飼われて、生涯終る気もなし、乱波を働いて、けちな恩賞にありつこうとも思っていません」 「…………」 「もし、御縁があって、次にまた何処かで、お目にかかる時があったら、あなたの眼が行き過ぎで、手前の云い分が、嘘でないことが証拠だてられましょう。──では手前は、約束どおり、これから蜂須賀七内様へ、お言伝だけ致しまして、そのまま、当地を退散いたしますから、あなたさまにも、ご機嫌よう。ずいぶんお大事に、ご勉強なされませ」  生来、口の達者な日吉が、思い切ってそう述べ立てている間、十兵衛は遂に、一言も吐かなかった。  ──気がついて、 「針売り、待てッ」  と呼んだ時は、日吉の姿はもう、木の葉の暴風を衝いて、真っ暗な木立の奥へ走っていたため、十兵衛の声も届かなかった。  駈け抜けて行くと木立に囲まれた少しの平地がある。風も、ここは池のように、強くは当らなかった。  ──見ると。  牧の野馬のように、寝そべったり坐ったり、漫然と立ったりしている、一団の人影が黒々とあった。 「誰だッ?」  立って、四方を睨めまわしていた一人がいった。──日吉の跫音へである。 「おらだ」 「日吉か」 「うむ……」 「どじめ。寝呆けたような返辞をして何処をまごついていたのだ。汝一名が見えぬため、皆で心配していたところじゃねえか」  まず、頭から叱られて、 「すみません。どうも、遅くなりまして」  と、日吉は、一同の側へ、おずおずと見える足つきで、近づいて行った。 「七内様は」 「あれにいる。謝って来い。ご立腹だぞ」 「へい」  その日吉の声に、周りの四、五名と何か首を集めていた蜂須賀七内が、 「猿か」  と顔を向けた。  日吉が、そこへ行って、遅くなった詫びを云いかけると、 「何していた?」 「昼間から、斎藤家の御家中の邸に、捕まっていましたので」 「えッ。捕まっていた?」  七内の眼ばかりではない。辺りの眼は皆、愕然と、日吉の顔に集まって、 (すわ、大事が洩れたか)  と、動揺めきかけた。  七内は、いきなり、 「この間抜け」  と、日吉の襟がみをつかんで、手元へ寄せ、荒々しく次を質した。 「どこで、誰の手に、捕まったのだ。──捕まったとあるからには、俺たちの企てを、喋舌ったであろうが」 「話しました」 「なにッ」 「話さなければ、生命がありません。ここへ戻って来ることも出来ません」 「こいつ」  と、小突き廻して、 「忌々しい馬鹿だ。生命欲しさに秘密をもらしたとみえる。──野郎、こよいの血祭ものだ」  七内は、突放して、足蹴にかけようとしたが、日吉はひょいと、飛び退いて、その足先を躱していた。  だが、左右の仲間は、彼の両手を把って、捻じ上げていた。日吉は、その手を振りのけながら、 「慌てないで下さい。話はよく聞くものですよ。捕まっても喋舌っても、それは大事ない屋敷なのです。……なぜなら、稲葉山の斎藤義龍の家臣ではなく、蜂須賀党とは同腹の道三秀龍様方の御家来ですから」  と一息にいった。  一同は、ややほっとした面持だったが、なお、疑いは霽れない眼いろで、 「いったい、その屋敷とは、どこの何者の住居」 「明智入道光安様とか聞きました。けれど、おらが手にかかった人は、そこの主ではなく、甥の十兵衛光秀とか申しました」 「ア、明智の居候か」  と、呟く者があった。 「そうです」  日吉は、そこへ顔を向けたが、また、一同の上へ眼を移して、洒然といった。 「その十兵衛様が、誰かこの中の、頭分の者に会いたいということで、おらと一緒に、そこまで来ておりますが……七内様、行ってお会いなさいますか」 「明智光安の甥、十兵衛光秀が、一緒に来たというのか」 「へい」 「ほんとか」 「ほんとです」 「十兵衛へは、こよいの企てを、残らず話したか」 「いわないでも、観抜いていました。怖ろしく頭脳のいい人ですから」 「何しに来たのだ」 「それは分りません。おらはただ、ここへ案内しろといわれただけなんで……」 「で、案内して来たわけか」 「仕方がございませんから」 「ちぇッ」 「ああ。──まだ風がひとい」  日吉と。  一方は七内と。  そう二人が問答を交わしている間、周りの仲間は、唾をのんで聞いていたが、七内が最後に、ちぇッと舌打ちして口を結んだのをきっかけに、 「どこにいる。その十兵衛とかは──」  と、急に脚を動かし、七内一人で会うのは危険だから、われわれも共に行こう。いや、七内殿と十兵衛と会っている周囲を、蔭にかくれて、遠巻きに警戒していよう。──などと口々にざわめき立った。  ──すると、後ろで、 「あいや、蜂須賀衆。人目にふれてはなるまい。十兵衛からこれへ参った。七内殿にお目にかかろう」  と、いった者がある。  驚いて、振り向くと、それは問わでも知れている人影だった。いつの間にか、十兵衛は近くに来て、その静かな眼で、ここの物々しい動揺を見ていたのである。 「あ、……おぬしが」  七内は、やや慌て気味だったが、一同の頭に立つ者として、ずんぐりした体に、草鞋裁付を着けた身装を前へ進めた。 「蜂須賀七内どのか」 「左様」  七内は、急に、頭を高く持った。仲間の見ている手前もあるが、平常でも、主持ちの士とか、少し身分のある武士に対すと、下風にはつかぬぞ、諂いはせぬぞ──と殊さらに態度を持して示す──野武士たちの通有性でもあった。  それに反して。  一筋の槍こそ小脇にしているけれど、十兵衛光秀は、頭も低く、ことばも慇懃に、 「初めて、お目にかかるが、かねて小六殿の尊名と共に、お名は承知いたしています。──それがしは、道三秀龍様の幕下、明智光安が宅におる懸人──甥の十兵衛と申す若輩にござります」  相手の丁寧のあいさつに、七内は少し痺れ気味だった。 「で、──御用とは」 「こよいのことで」 「こよいのこととは、はて、何だろう?」  空嘯くと、 「そこにおる針売りから委細承って、驚きのあまり、馳せつけて来たのです。こよいの暴挙は──暴挙といっては失礼だが、兵法から按ずるも、道三様のお企てとも思えぬ下策。思い止まっていただきたいが」 「ならぬ」  七内は傲然と、 「わしの指図でするのじゃない。道三様のお頼みをうけた小六の指図でいたすことだ」 「ごもっとも」  と、逆わずに、十兵衛は、語調も常のとおりにいった。 「当然、ご一存では、見合わせもなりますまい。──で、従兄弟の弥平治光春が、鷺山のお城へ参って、一方、道三様をお諫め申しあげ、追ッつけ、これへ参り合わせることになっておる。それまで、一同ここを去らず、お待ち願いとうござるが」  丁寧も、慇懃も、相手の常識に依ることである。かえって、相手を思いあがらせてしまう場合は、往々に多い。  ──が、この構えは、その人間の個性にあることで、臨機応変にゆける者は稀だ。  十兵衛光秀は、性格的に、誰へも丁寧で慇懃だった。剣道でいうならば、いつも下段に構えて人に対する方だった。  しかし、肚は、別問題である。 (ふふむ。程の知れた小冠者。少し学問をかじって、理窟だけは達者な青二才の手輩だろう)  七内は、そう観たので、 「待てぬ! 要らざることだ」  と、呶鳴った。そして、膠もなく、 「十兵衛殿とやら、よけいなところへ、出しゃばるものじゃない。おぬしは、まだ部屋住同様な──しかも明智入道の懸人の分際ではないか」 「分を顧みる遑はありません。主家の大事です」 「大事と思ったら、具足兵糧の用意でもして、おれらが揚げる火の手を待ち、道三様の敵義龍の稲葉山へ、まっ先に、攻めかかるがいい」 「いや、それが出来ぬゆえ、臣下として、われわれは苦しむのだ」 「なぜ」 「義龍様は道三様の立てた御嫡子ではないか。道三様が御主君なら義龍様も御主君であらせられる」 「でも、敵となれば」 「浅ましい。御父子のおん仲に、左様な弓矢が交わされてよいものか。天が下、鳥獣の類すらだに」 「面倒だ。帰れ、帰れッ」 「帰らぬ」 「なに」 「弥平治が、これへ来るまでは帰らぬ」  慇懃だとばかり思っていたこの青年の声に、七内は、その時初めて断乎とした力を耳に聞いた。  また、小脇に引っ提げている一槍の鋭い気ぐみを、その眼に見た。  ところへ。 「十兵衛どの、そこにか!」  と、息を喘って、駈けて来た若い武士がある。待ちかねていた弥平治光春だった。 「おうッ、これにおるッ。弥平治どのだの。御城内の決定、如何になったか」 「残念だが……」  弥平治は、肩で喘ぎながら、従兄弟の手を握って、唇を噛んだ。 「御主君には、何としても、お聞き入れはないのだ。道三様のみかお父上もまた、部屋住の分際で、お汝らが知ったことではないと──」 「叔父御までが」 「かえって、ひどい御立腹。──でも、死を賭して、今まで頑張っていたが、やがて鷺山一円では、密かに、出兵の備えらしく、凡ならぬ様子が見えたに依って、御城下に火の手が揚っては、もはや大事と、駒を急がせて、戻って来た。十兵衛どの、何としますか」 「ウウム。では、どうあっても道三様には、稲葉山を焼き立てるお心か」 「ぜひないこと。……この上は、われわれも、ただ一死をもって、臣下の道を尽すほかはありますまい」 「嫌だッ……。いかに御主君であろうと、左様な、非道の軍に与して死ぬことは、人として口惜しい。犬死に等しい」 「では、何とするか」 「火の手さえ揚らねば、鷺山の兵は動くまい。──その火元を、火にならぬうち、消し伏せる!」  別人のような、十兵衛の語気なのである。──そういったかと思うと、彼はふいに、蜂須賀七内や、その他へ向って、小脇の槍をぴたと付けた。  柔弱な青侍とのみ思っていた十兵衛が、突然、自分たちへ、槍を向けたので、七内も蜂須賀党の輩も、驚いて、さっと輪を開いた。 「何とする!」  七内は、ひとりその槍の正面に立って、吠える風にも負けない声でいった。 「おれ達に、槍を向ける気か。そのへろへろ槍を」 「いかにも」  十兵衛は、凛という。 「ひとり残らず、この場は去らせぬ。──だが、汝ら、よく理をわきまえて、それがしの言葉を素直に容れ、こよいの暴挙を思い止まって、蜂須賀村へ帰るとあれば、生命も助けよう。また、それがしから出来るだけの手当もして遣わそうが、どうじゃ、いずれを選ぶか」 「なんだと。では俺たちに、この場からすぐ引き揚げろというのか」 「斎藤家御一門の崩壊の危機。稲葉山、鷺山、共に亡びんとするこよいの大事を防ぐためには──」 「ばかなッ」  七内ではない。周りの誰かが怒って叫んだ。 「そんなことができるかッ。青二才の分際で、要らざる喙、大事の妨げすると、うぬから先に血まつりに捧げるぞ」 「一死、元より覚悟の前」  と、十兵衛の血相は、戦わないうちからすでに、白面の夜叉かのように眉を昂げ、 「弥平治どの。弥平治どのッ」  と、後ろの従兄弟に、その構えのまま声を投げた。 「斬死だぞ。よいか」 「おお。ご懸念なく」  弥平治光春も、もう大刀を抜いて、十兵衛と背なか合わせに、大勢へ備えていた。  でも、十兵衛は、なお、一縷の望みを七内らの理性につないで、 「空しく、その方どもが、蜂須賀村へ帰るのは、一分が立たぬというなら、不肖十兵衛の身を、擒人として、連れて行くもよい。拙者が直に、蜂須賀村の小六殿へお目にかかり、ようく理非をわけてお話しいたそう。──どうじゃ、さすれば、こよいの地獄も見ず、ここも互いの血を流さずにすむが」  彼の諄々と説く、道理なことばは、かえって蜂須賀党の輩には、彼の弱音として聞えた。  殊に、味方は二十余名。相手はわずか二人のことである。 「うるせえッ」 「耳を藉すな。もう、戌の下刻は過ぎているぞッ」  二、三の者が、群れの中から叫んだのをきっかけに、わっと、鬨の声が沸く。  途端に、十兵衛と弥平治のすがたは、狼軍の牙につつまれた。牙にも似たる長柄、槍、刀──。それらの武器と喚きが、轟々と吹きうなる風の音と一つになって、すさまじい乱戦の渦をそこに描き出した。 「ヤ、闘った!」  日吉は、見ていた。  刀の折れが飛んで来る。逃げる血まみれを、槍が追いかける。──そこらにいてはあぶないので、彼はあわてて、樹の上へ登った。樹の上から眺めていた。  一人や二人の斬合は、これまでにも、出会ったことはあるが、こういう小戦争は初めて目撃したのだった。しかも、この結果によっては、今夜のうちに、岐阜の里いちめんが火の海になるかならぬか? また、鷺山城と稲葉山城との、大乱が起るか否かの──大きな分れ目と思えば、日吉の胸も、生れて初めての大きな昂奮を覚えずにいられなかった。 「──弥平治ッ」 「十兵衛どの」  呼び交わす声が、二度ほど、喚きの中で聞えた。  だが、そこの小戦争は、二、三名の死者ができると、忽ち、その死骸だけを残して林の中へ移ってしまった。 「ヤ、逃げたのか」  また、引き返して来ては、危険と考え、日吉は用心ぶかく、なかなか木の上から下りずに様子を窺っていた。  十兵衛、弥平治のわずか二人に突き崩されて、逃げたものとすれば、蜂須賀衆も口ほどもない雑兵級の者ばかり──と密かに蔑みながら、なお、耳を研いでいた。  彼のよじ登っていた木は、栗の木でもあろうか、手や頸すじへ何か針が触る。ばらばらと実や小枝が地へ落ちてゆく。──そして彼の体と、木全体は、暴風にゆさゆさと大きく揺れていた。  そのうちに、 「あッ、何だろ」  日吉は慌てた。  火山灰のような火の雨なのだ。勿論、日吉の周りにも──。  驚いて、梢から伸び上がった。蜂須賀村の者が火を放ったに違いない。森の二、三ヵ所から熾んな火が立ちはじめている。常在寺の裏の棟にも火がついたらしい。今、逃げ崩れた蜂須賀の者が、一人一人、火を放って逃げたのだ。 「たいへん!」  日吉は栗の実の一粒みたいに、梢から跳び下りて駈け出した。この暴風に、この火の手、一刻を争わねば、森の中で黒焦げはきまっている。  夢中で、町まで駈けた。  町も火だ。  空も、火の粉、火の鳥、火の蝶々。  ──稲葉山城の白壁が、赤く映えて、昼間より近く見えた。そこには、赤い戦雲が、鮮やかに動いていた。 「戦争だッ」  日吉は、どなって町を駈けに駈けていた。 「戦争だ。お仕舞だッ。──鷺山も稲葉山も、亡んでしまえ。焼けた跡には、また草が出る。こんどの草は真ッ直ぐに──」  人にぶつかる。人が転ぶ。  空馬が跳んでゆく。  辻に、避難民がかたまって戦いている。  そんな中を、日吉は──恐らくは無我夢中なのだろう──つつまれた昂奮のまま、予言者のような、また、童謡でも唄うような声を放ちながら、一目散に駈けて行った。  ──何処へ。  などという的はなかった。  ただ、もう二度と、蜂須賀村へ帰る意思のなかったことは、明白である。  また。  彼の性格が、最も忌み嫌うところの、陰鬱な領民、暗黒な領主、骨肉の相剋、清新のない文化など、腐えたる土壌の国に、何の未練もなく、そこを後に国外へ急いで去ったことも確実であろう。  そして、それからの一冬を、木綿布子一枚の彼が、寒空に針など売って、何処をどう彷徨った果てかは知れないが──年も明けて、翌天文の二十二年、桃の花のさかり頃。 「針を買わんか。──京針。──京の縫針イ」  浜松の町端れを、至って暢ンびりと、相変らずな顔して歩いている彼のすがたが見出された。 松下屋敷  松下嘉兵衛は、遠州の産で、根からの地侍であったが、今川家から封を受けているので、駿河旗本の一人であり、禄三千貫、頭陀山の砦を預かっている。  天龍川の流れは、その頃、大天龍、小天龍の二大脈に岐れ、彼の邸は、頭陀山から五、六町東にある馬込川──大天龍の岸にあって、馬込橋を中心とする、そこの宿駅の代官役をも兼ねていた。  その日。  嘉兵衛之綱は、馬込からそう遠くない浜松の曳馬城に、飯尾豊前守をたずねて帰る途中だった。  飯尾豊前も、彼と同じ今川家の被官なので、この地方の民治警備には、たえず連絡をもち、また、四隣の国、──徳川、織田、武田などの侵略にも、常に備えなければならなかった。 「──能八」  嘉兵衛は、供を振り向いた。  馬上からである。  供の郎党は、三人いた。長柄を持った髯面の郎党が、 「はッ」  と、駈け寄って、主人の顔を見上げた。  ちょうど曳馬畷から馬込の渡舟へ出るあいだの街道だった。並木の松や雑木のほかは、見通しのよい畑や田だった。 「……はて。百姓でもなし、行者とも見えぬが」  嘉兵衛は、呟いて、駒の上から頻りと一方へ眼をこらしていた。  主人が眼をやっている方角へ、郎党の多賀能八郎も眼を放った。──だが、咲き爛れた菜の花や、青い麦や、苗代田の浅い水のほか、何も見当らないのである。 「殿、……何事でございまするか。何ぞ、御不審な者でも?」 「うム。あれに──あの田の畦につくなんで、鷺とも見える白い人影。何をしているのじゃろうか」 「え、鷺?」  能八は、主人のことばを、おうむ返しに受け取って呟きながら、主人の指さす先を見まもった。  なるほど、人がいた。  田の畦に屈みこんで──。 「質して来い」  と、嘉兵衛がいう。  能八は、はっと、駈け出して行った。  およそ、今は、どこの国々でも、少し不審と見られれば、すぐ調べられる。それ程、一国一国が、国境に対して、また、見馴れない人間に対して、神経が尖り立っていた。 「行って参りました」  能八は、すぐ戻って来て、嘉兵衛の馬前にこう復命した。 「あれは、針売りの旅商人で、尾張の者とか申しました」 「針売りか」 「垢じみた白木綿の腰切を着ていますので、ここから見ると、鷺のように見えますが、側へ参って近々と見ると、猿によう似た顔をした小男にござります」 「はははは。鷺でも烏でもなくて猿だったか」 「口達者な猿で、物を質すと、あべこべに、おぬしは何者だなどと大言を吐きますから──当地の御被官、松下嘉兵衛様でいらせられると、申し聞かせましたところ、ふーむと、怖れ気もなく腰を伸し、此方を無遠慮に見ておりました」 「そして、畦に屈んで、何を一体しておったのか」 「それも、質しましたところ、馬込の木賃に泊るので、晩の飯の菜に、田螺を採っているのだ──という返辞にござりました」  馬上のまま、能八の復命を聞いている間に、松下嘉兵衛が、ふと眼を移すと、その針売りの後ろ姿は、田の畦から街道へ上がって、もう先の方へ歩いて行く。  嘉兵衛は、それに眼を止めながら、また、能八へいった。 「では何も、不審なかどはない者だの」 「べつに、怪しい節も見うけられませぬ」 「そうか」  と、手綱を持ち直し、 「下賤の者らに、些細な無礼咎めなどはなるべくするな。さ、参ろう」  と、他の郎党へも、鞍の上から顋をすくう。  駒の脚は、やや早目──  またたく間に先へ歩いている日吉に近づき、彼の側を、埃をたてて駈け抜けた。 (猿に似た小男)  と、さっき能八郎から聞いていたので、松下嘉兵衛は、何げなく振り向いた。  日吉は、勿論、道をよけて、並木の下にぼんやり土下座していた。──と、嘉兵衛が馬上から振りかえったので、日吉も顔を上げて、じっと見送っていた。 「ア、──待て」  嘉兵衛は、急に駒を締めて、うしろ向きに、郎党たちへ、 「今の針売り、これへ召し連れて来い。……異相だ! 何とも異相な男ではある!」  と、半ば、独り語のような嘆声でいった。  郎党の能八は、主人の物好きな──とは思ったが、すぐ駈け戻って行き、 「こら。針売り」 「へい」 「御主人がお召しだ。ちょっと、御馬前まで来い」  と、引ッ張って来て、嘉兵衛の前にひきすえた。  嘉兵衛は、じっと鞍の上から日吉を見ていたが、それは顔が猿に似ているなどという興味ではなかった。  そんなことは念頭になく、 (……異相だ!)  と、再びしげしげ見入ったのであった。  しかし、嘉兵衛が、日吉を一瞥して、直感したものは、それだけの嘆声では、まだ尽きていない。もっと複雑で無形な、霊感的なものが、彼を引き止めたのだった。  垢じみた木綿布子につつまれた小男の──一体どこに、そんな魅力があったかといえば、黙って、大地から嘉兵衛を見上げている日吉の眼だった。  眼は、心の窓という。  この萎びた小男のどこに取柄というものも見出されなかったが──何というすずやかな、そして意志の逞しい、無限に広い視力をもっている眼だろうか。  しかも、その眼は、小皺をつくって、ニコと笑っているようなのだ。 (愛嬌がある!)  嘉兵衛は、好きになった。  彼が、もっと専門的な観相に詳しかったら、真っ黒な旅垢の下にかくれている、鶏血石のような鮮紅を持っている日吉の耳だの、若いくせに、一見、老人みたいに見える額の皺に、後年の大器がすでに顕れていたことをも見出して、驚嘆したに違いないが、嘉兵衛の眼光は、その辺までしか、届かなかったのである。  ──でも彼は、一見、日吉に対してふしぎな愛着と期待をもった。で、このまま、放し難い気持に囚われたのであろう、そこでは何も問わず、能八郎を顧みて、 「ついでのことに、邸まで連れて参れ。──邸まで」  と、云いすてて、馬首をあげて、先へ駈けた。  大河に対った門前に、家臣小者たちが四、五名、 「ア、お帰りなされた」  門扉を開いて待っていた。  駒繋ぎで、空馬が跳ねている。誰か、留守中に、客とみえる。 「誰方じゃ」  嘉兵衛は、そこへ来て、鞍から降りると、すぐ尋ねた。 「駿府のお館様よりお使いにござります」 「そうか」  聞きすてて、嘉兵衛は、つッつと邸内へはいってしまう。  駿府といえば、主筋の今川家。使客はめずらしくはないが、その日、曳馬城の飯尾豊前とのあいだに議した問題もあり、嘉兵衛の頭は、とたんに忙しかったとみえて、日吉のことも、忘れ果てたか、或いは後でというつもりだったか、とにかく黙って奥へかくれてしまった。 「こら、待て」  郎党たちに従いて、一緒に門内へ流れ込もうとした日吉は、早速、門番に発見されて、 「なんだ、その方は」  と、咎められた。  日吉は、泥だらけな手に、泥だらけな藁の苞を下げていた。  顔にも、泥のハネが、乾きかけているのでムズ痒い。門番は、嘲弄されているように、その動く鼻を見たのか、 「何だッ、こらッ」  襟がみへ、手をのばしかけた。  日吉は、少し退って、 「針売りだよ、おらは」 「針売りなど、みだりに入るところではない。抓み出すぞ」 「御主人に聞いてからにおしなさい」 「なにを」 「来いというから従いて来たのだ。今、奥へはいった騎馬のお侍が──」 「殿が、そんなことを、仰っしゃるはずはない。うろんな奴だ」  すると、郎党の能八が、思い出して、日吉を拾いに戻って来た。 「おいおい、門番。そいつはいいのだ。分っておるのだ」 「へ、よろしいので」 「猿、こっちへ来い」  能八が、猿と呼ぶと、門番たちはそのことばに笑って、 「なんだあいつあ。白い腰切を着て、泥苞を提げて、妙見様のお使いみたいじゃないか」  能八に連れられて行きながら、日吉は背中に、門番たちのどッという声を聞いた。しかし、彼はもう、生れてから十八年、あらゆる人中の嘲罵に馴れている。  感じないのか。麻痺したのか。  そうでもないらしい。  なぜなら、そういう嘲罵を背に聞く時は、やはり誰もと同じように、彼の赤ら顔が、なおいくぶんか充血する。殊に、耳は一層赤くなる。──裡に感情がうごいている証拠である。  だが、感情のうごきによって、彼の動作は変らない。馬の耳の如く平然たるところがある。むしろ少し愛嬌をふくむ。──みずからこういう逆境に歪められまい、自己を卑屈に育てまいと──心の茎に添竹の支えをもって、静かに嵐の過ぎるのを待っている草花のようにである。 「猿」 「はい」 「あそこに、空いているお厩がある。目触りにならぬように、その辺で控えておれ」  能八にも、用があるとみえ、云いすてて行ってしまった。  黄昏かかると、お膳番の働いている台所の竹窓から料理を煮るにおいが桃の夕月へ流れていた。  使者との公式な対談もすみ、やがて、遠路をねぎらう饗応に、燭が増されたのであろう。  邸の奥からは、鼓の音が流れてくる。笛の音もはいる。猿楽でも舞っているとみえる。  自体、駿河の今川家は、名門の誇りが高く、歌道といわず、舞楽といわず、総じて京風な華奢の好みが、たとえば侍たちの装剣の具にも、女房たちの襟の下重にも見えていた。  ここの松下嘉兵衛などは、根が地侍だし、嘉兵衛自身が素朴な人だったが、それでも、清洲あたりの尾張侍の邸宅とは、そのたたずまいからして違っている。どことなく豊かなのだ。 「まずい猿楽だなあ」  空厩に藁をしいて、馬の代りに、日吉はぽつねんと、遠い囃子を聞いていた。  舞楽はすきだった。いや音楽がわかるのではなく、彼は、楽から醸される陽気なうつつの世界が好きなのだ。  何ものも忘れるからである。  が、忘れ得ないものを、今、彼は思い出した。空腹を満たすことだった。 「そうだ。鍋と火を借りれば……」  泥の藁苞を下げて、御膳所の口を覗いた。 「すみませんが、鍋と焜炉を貸してくれませぬかなあ。飯を喰べようと思いますが」  台所方の小者たちは、異様な男がいきなり覗き込んだので、びっくりして、一応みな日吉の顔を見まもった。 「何だ。どこから一体、降って来たのだ」 「こちらの殿様が、来いと仰っしゃるので、途中からお供して来た者でございます。田圃で採った田螺を煮て、それを菜に喰べようと思いますので」 「田螺かい、その苞は」 「腹のくすりだそうで。毎日、田螺は喰べることにしています。生れつきか、ややともすると、すぐ下痢をやりますので」 「味噌煮だろ。味噌はあるのかい」 「持っております」 「玄米は」 「玄米もございます」 「では、小者部屋の炉に、鍋も火もあるから、そこでやれ」 「ありがとうございます」  毎夜、木賃でやる通りに、少量の玄米を炊き、田螺を煮て、飯をすました。  腹がはると、眠ってしまった。厩よりは寝心地がいいので、そこに寝た。するとやがて、夜半近くに、御用のすんだ小者たちが帰って来ると、 「この野郎。誰に断って、こんな所へ寝ていくさるか」  と、蹴とばして、忽ち、戸外に抓み出された。  で、元の厩へ行ってと思ったら、そこには、使者のお馬が、 (その方などの家ではない)  と、いっているように、威張って眠っていた。  もう鼓の音もしない。白桃の花に、薄い残月があった。  宵に快睡したので、眠くもなかった。日吉は、ただ漫然と、時を空費していられなかった。働くか、さもなければ、楽しむか、どっちかにはっきりしていないと、すぐ欠伸が出た。 「この辺でも、掃いているまに、夜が明けるだろう」  竹箒を持って、厩のまわりを掃き始めた。主人の眼が届かないところ程、馬糞や落葉や藁くずが溜っていた。 「誰だ、今頃。……箒を持っている者は」  誰か、どこかで、そういった者があった。  箒を休めて、日吉は辺りを見まわした。  すると、再び、 「ここじゃ。そちは昼間の針売りだの」  日吉は、ようやく見つけて、 「あ、殿さま」  口の裡で答えた  橋廊下の角にある雪隠の手洗所の窓からだった。嘉兵衛の顔がそこに見えた。  酒のつよいお使者を相手で、量を過したらしく、嘉兵衛は、醒め際を、つかれ気味に、 「もう、夜明け近いか」  嘉兵衛は、窓から消えると、縁の雨戸をあけて、残月を見ていた。 「まだ、鶏は啼きませぬで、夜明けには、ちと間がございましょう」 「針売り、いや、猿と呼ぼう。汝はそも、夜も明けぬうちから、何で庭を掃いているのか」 「することがございませんので」 「眠ればよかろう」 「もう、寝てしまいました。手前は、きまった時刻だけ眠ると、どうしても体を横にしていられません」 「履物があるか」 「ございまする」  日吉は、一走り、どこかへ走って行き、すぐ土のつかない草履を取って揃えた。 「これ、これ」 「はい」 「そちは、夕刻、邸内へ来たばかりで、その上、もう人並に眠りも摂ったと申すが、どうして、邸の勝手を左様に心得ているのか」 「恐れ入ります」 「何を恐れ入るか」 「決して、怪しい者ではございません。けれど、これくらいなお邸なら、物の在所、御地内の広さ、下水口、火の元、およそのことは、寝ていて物音を聞いていても考えられます」 「ふむ……なるほど」 「お草履も、どこにあるか、先ほど見届けておきました。なぜなら、床より下がって、地面に眠っている者は、てまえと馬しかございません。戸が開けば、すぐどなたでもお草履と、お声がかかると思っていました」 「そうか。悪かったの。何も申しつけずにおいたので、そちは厩に寝たか」 「…………」  日吉は、笑って、何も答えなかった。無邪気らしい眸だが、嘉兵衛の人物を軽く見たようでもある。  が、嘉兵衛は、それから真面目に、日吉の身の上や生地を──そして奉公の望みがあるかないかなど熱心にたずね出した。  日吉は、 「あります」  と、答えた。  その望みを持って、十六の年から諸国を歩いたと云った。 「侍奉公したいために、三年も諸国を歩いたというか」 「はい」 「今なお、針売りして歩いているのは、どういう仔細じゃ。三年もさがして、奉公口につけぬからには、何かそちに、欠点があるのではないかな」  嘉兵衛が、わざと問うと、 「人間ですから、てまえにも悪い性があるかもしれません。けれど、最初はどんな主人でも、侍屋敷でさえあればいいと思いましたが、世間へ出てから、そうでないと気がつきました」 「そうでないとは」 「善大将、悪大将、国々の武将や、武門のお端を見て歩くと、主を選ぶほど大事なものはないと考えさせられました。そこで、めッたに針売りは廃されないぞと、ついつい、三年も経ってしまったので──」  おもしろい。利口者かとみれば、馬鹿みたいな節もある。  話しぶりにも、真実さがあるかと思えば、なかなか山気もいう。まともにそのまま信じきれない言葉が往々出る。  だが、とにかく、どこか異っている。人凡ではない。  嘉兵衛は、そう観た。  で、その朝から、日吉を、邸の小者として、召使うことにきめた。 「仕えるか」  念を押すと、 「働いてみます」  平凡な返辞だった。  案外、欣ばない顔いろが、嘉兵衛にはすこし不満だった。  しかし、この木綿布子一枚の放浪児の主人として、自身が不足であろうかなどとは、考えられもしなかった。  松下家もまた、当時のどこの武家とも同様に、軍馬の訓練が厳しかった。  夜が明けると、邸内のお長屋から、槍や鞱(革のしない)を持った侍たちが、ぞろぞろと籾蔵の前の空地へ出て行った。  ──えやあッ。  ──うおう!  ──ヤ、ヤ、ヤッ。  槍は槍と撲りあい、鞱は鞱とたたき合っていた。  台所番の小侍から門を守る小者の末にいたるまで、朝は一度、ここへ来て、交代に皮膚を赤くして行った。  嘉兵衛から云い渡しがあったとみえて、日吉が、小者の端に召し抱えられたことは、もう皆知っていた。  厩仲間は、新参と見て、 「おい猿。これから毎朝、おれたちがお厩の馬を、草を喰わせに曳き出したら、その後、すぐ厩を掃除して、馬糞を向うの竹やぶの坑へ埋けるのだぞ」  と吩咐けた。 「はい」  馬糞掃除を担任すると、 「猿、ちょっと来い」  と、老侍が、 「担桶に、水を汲んで、方々の大瓶に漲っておけ」  と、いうし、 「薪を割れ」  と、いうので、薪を割っていると、何をしろ、かをしろと、召使ばかりが重宝に召使う。 「あいつ、膨れたことがないなあ。何をいいつけても怒らぬのが取柄だよ」  若侍たちは、一面、彼を玩具的に愛して、時々、物など投げ与えた。  だが、そのうちに、邸内でもその若手から先に、日吉に対して、 「あいつ、生意気だ」 「小理窟をこねる」 「殿へ諂う」 「ひとを小馬鹿にする」  などという反感が、次第に昂まって来た。  そういう若輩が、小さい落度を大声でいうので、松下嘉兵衛の耳にも、時々、猿の誹謗がきこえた。  が、嘉兵衛は、 「今に、あれは使える。まあ見ておれ」  近臣へいって、取り上げたこともなかった。  嘉兵衛の妻、嘉兵衛の子達は、猿よ猿よ、と気に入りだった。それがまた、邸内の軽輩には、よけいに快くなかった。 「なぜだろ?」  日吉は、爪を噛んで、考えた。  忠実に働きたがらない人間の中に交じって、ひとり忠実たろうとすることは、実に難しいと思った。 今川往来  奉公人と奉公人との間の、小さい感情に取り巻かれて、そこに人間を学ぶと共に、日吉は、この松下屋敷を中心として、海道の大勢と、今川、北条、武田、松平、織田などの実力や趨勢にも、だいぶ通じることができた。 (やはり奉公してよかった)  と、思う。  針売りして歩いていたのでは、容易に分らないような内情も、ここでは、時折、知ることが出来た。  もっとも、彼が、ただ喰うため、生きる世渡りのための、碌々たる奉公人に過ぎなかったら、そういうことに触れても、深い実態が小者にまで知れるわけもないが、彼の眼、彼の耳、彼の頭脳が、常に何ものかを求めて、敏感にそれを感受するので、 (ははあ、そうか。……さてはこうだな、ああだな)  と棋客と棋客との対局を、盤の横から観ているように、一石一石の手が、日吉には分るのだった。  駿府の今川家の使者がここや岡崎や、小田原や甲府などへ頻繁に往来しているのでも、或る筋が読めた。  それは。  駿河の今川義元に、天下の覇権をにぎろうとする大望があることを示すものだと、彼は観ていた。  いや、その実現は、遠い将来であろうが、とにかく、理想をそこに置き、他日、京都に入って、足利将軍家を擁し、自身、天下に臨もうとする──その下工作が、ぼつぼつと始まっているに違いない。  だが、地形から判じると、駿河の今川の背後には、強国北条が小田原にある。  また、側面には甲斐の武田。──京へ伸びんとする足の先には三河の松平。  こういう国々のあいだにあって今川義元の工作は、まず前面の、松平家を属国化してしまうことに成功していた。  三河では、松平清康が、今川家へ降って、その与国に甘んじてしまって以来、不幸つづきで、清康の死後、子の広忠も早逝し、嗣子の竹千代は、人質として今、駿府に養われている有様だった。  しかも、その城地の岡崎には、義元の直臣が派遣されて、領政税務すべてを管理しているし、松平家の譜代の家来は皆、今川家の軍役に、追い使われている状態。  三河の収入も軍糧も、経営費を余すのみで、全部が駿河の義元の居城へ運ばれて行った。 (あれで、どうなるのだろう?)  日吉は、三河の将来を暗澹となって考えたりした。  けれど、三河にはまだ、三河人の強靱な意思がある。日吉は商いして歩きながらよく知っていた。このままで屈伏してしまう三河武士ではないと思う。  より以上、彼が常に、心をとめて見ていたのは、尾張の織田であった。母のいる土、生れた故郷、当然、どこの国より、そこの盛衰が気にかかる。  今そこの土を離れて。  この駿河の一被官、松下屋敷から眺めていると、三河の松平を除いては、国の貧乏も、領土の狭さもどこの国より惨めに見えた。わけて今川領内の華美な文化と、豊かな経済の中から見ると、よけいにはっきりとそれがわかる。 (中村も貧しいわけだ。おらの家も貧乏なわけだ……だが?)  と、日吉はそれが、絶対な国運とは考えられなかった。貧しい尾張の土に、何か未来の芽ばえを感じ、貴紳の礼風を真似て、上下とも華奢な今川領の風俗に、むしろ軽い反感と、危うさをいつも思わせられた。  また、近頃、頻りと使者の往来がはげしいのは、今川家を中心に、駿、甲、相三ヵ国間に、不可侵協定の下談が、結ばれようとしている気配だった。  主唱者は、勿論、今川義元で、将来、覇業の大軍を率いて、上洛するためには、駿河の背後にある北条と、側面の強国たる武田の二家とは、善隣の誼みを厚うしておく必要がぜひともある。  で、義元は、甲斐の信玄の嫡男太郎義信に、自身の息女を嫁がせ、信玄の息女を、北条家に嫁がせることを、かねてから策していたのであった。  その婚姻は、ようやく成功を見、同時に軍事、経済の協定も成ろうとして、今川家の勢力は、東海の重鎮として、動かし難いものとなったかの観がある。  それは、随身の侍の、一人の姿にも、いわゆる羽振りとなって、光っていた。松下嘉兵衛などは、義元直参の旗下とはちがい、地侍の被官だったが、それでも、日吉の知っている清洲や、那古屋や、岡崎あたりの邸とは、比較にならぬ程、どこか豊かだし、客足も多く、奉公人たちは皆、わが世の春を顔に見せていた。 「猿──」  と、若党の能八郎が、中庭に立って、探していた。 「はい」 「おや?」  能八郎は、屋根を見上げ、 「何をしているか。そんな所へ上がって」 「屋根を繕っております」 「屋根を?」  と、呆れ顔に、 「こんな暑い日盛りに、ご苦労なやつだ。何で屋根屋のまねなどしておるのか」 「土用照りがつづきました。こんどは大雨です。雨が来てから屋根屋を呼んでも間にあいませんから、板のハゼている所だけ見つけて繕っています」 「だから貴様は、朋輩に憎まれるのだ。日盛りの一刻は、皆、木蔭やそこらで、昼寝しているのに」 「眼につく所で働いていると、皆様の昼寝を邪魔しますから、屋根ならよいと思って」 「嘘をいえ。実は、貴様あ、そこで、お邸の地形を見ているのだろう」 「さすがは能八様、よくお気がつきました。それをのみ込んでいないことには、いざという時、護るに即座の手配りがつきません」 「物騒なことを、大きな声で申すな。殿のお耳にでもはいると、御機嫌を損じるぞ──降りて来い」 「はい。何か御用で」 「夕刻、お客が着く」 「またですか」 「またとは何じゃ」 「どなた様が御到着で」 「今夕のは、お使者ではない。諸国を遍歴してあるく武芸者だ」 「ははあ。大勢で──」  日吉は、屋根を下りて来た。能八郎は覚書を懐中から出して、 「されば、武芸者は、上州大胡の城主上泉伊勢守が甥で、疋田小伯という者を頭に、門下の同勢十二名。騎馬一領、荷駄三頭、槍七筋を持ったお客じゃて」 「それは、えらい数でございますな」 「武道鍛錬の元気者ばかりだし、それに、一行の馬や荷物も多いから、倉方の者がいる一棟を空けて、そこに当分、お住居のつもりだから、夕方までに、万端、掃除をしてお迎えするように」 「ヘエ。そんなに大勢で、よほど長く御逗留になるのですか」 「まあ。半年じゃろうな」  と、能八郎は、懶そうに、汗をふいて云った。  やがて、夕方になると、 「疋田小伯殿の御一行、御到着にござりますぞ」  先触れが告げた。  程なく、疋田小伯以下、十三名の一行が、門前に、駒を止め、塵を払って立った。  松下家の若侍や老臣は、恭しく出迎えて、 「この度は、当家の乞いをいれて、諸国武者修行の御途次を、お立ち寄り下され、忝うぞんずる。主人嘉兵衛儀は、折ふし、公用中にござれば、後刻、改めてご挨拶申すとのことにござります」 「ご丁寧に」  と、受けているのが、疋田小伯であろう。まだ三十歳前後の人物である。 「──必ずご斟酌くださるまい。今般は、伯父伊勢守が心入れにて、若輩のわれら、世上の修行なすべしと、遍歴の途にのぼり、先頃までは、今川殿のご好遇に甘んじ、今度はまた、同勢召し伴れて御当家のお世話になりに参った。もとより武辺者、逗留中は、何かの失礼も、偏えにご寛大に」  と、双方の挨拶。  門前の礼が一応すむと、 「お通りを」  と、出迎えが、列を開く。 「御免」  と、曳馬や荷をあずけ、十三名はぞろぞろと、邸内へはいった。  日吉はぼんやり眺めていた。そして、今の双方の挨拶を聞いて、 (兵法が大流行だから、兵法者もだんだん厳しくなった)  と、感心していた。  近頃、武者修行武者修行という声をしきりに聞く。それから、今まではそういわなかった剣術だの、槍術だのという言葉もよく聞く。  武田家の与族で、上州大胡の城主、伊勢守上泉秀綱の名は、わけて有名であった。また常陸の塚原土佐守卜伝の名も、それに劣らないものだった。  武者修行の中にも、行脚の雲水よりひどいのもあるし、また、塚原卜伝の如きは、道中、常に六、七十人の供人を連れ、家来に拳に鷹をすえさせ、侍臣には、乗換馬を曳かせて、威風堂々と、諸国を遊歴してあるくような、武者修行もいた。  だから日吉は、きょうのお客の人数には驚かなかったが、これから半年もいることだったら、随分また猿々と追い使われて、眼をまわすことだろうと思いやられた。  案のじょう。  四、五日もたつとすぐ、 「やあ、猿。肌衣が汗くさくなった。洗っておいてくれ」 「松下殿のお猿。すまんが、膏薬を求めて来てくれぬか」  などと、自分らの下男のように日吉を追い使った。  お蔭で、夏の短夜を、日吉の寝る間は、なお僅かだった。  梧桐の下に、倚りかかって、日吉は居眠っていた。  夏の真昼の陽が、そこだけを僅かな日蔭にしていた。乾ききった地面に、松葉牡丹がぱらりと、そこここに赤く、動いているものは、蟻の列だけだった。 「…………」  だらんと首を横に、腕ぐみしたまま、眠っているのである。連日の寝不足で、やがて正体もない。  日頃、日吉を、何かと目触りにして、憎悪していた若侍の二、三名が、稽古槍を持って、そこを通りかけた。 「猿だな」  足を止めて、 「よく眠っておるわ」  と、呟いた。 「どうだ、この寝顔の、横着そうな面は。──それでいて、お奥向や殿には、猿々と、至って気受けがよい。こういう態を、ご承知なさらぬからだ」 「起してやれ。すこし油をしぼってやろう」 「どうするのだ」 「猿ばかりは、まだ一度も、武芸の稽古をしておらんじゃないか」 「日頃、憎まれているのを、自分でも知っているせいだろう。撲られるのを怖れて、どうしても、稽古せぬそうだ」 「それがいかん。およそ武家の奉公人たる者は、門番、お台所の末の者まで、必ず武芸を励むべし──とあるのは、御当家の御家憲だ」 「おれにいっても仕方がない。猿にいえ、猿に」 「だから起して稽古場へ、引っ張って行こうと思うが」 「うむ。おもしろい」 「よかろう」  一人が、稽古槍の先で、日吉の肩の辺りを、とんと突いた。 「こらッ」  それでも、眼を醒さないので、 「起きろッ」  一人はまた、足を掬った。  日吉は、梧桐の幹から、背を横へ辷らして、びっくりした眼をひらいた。 「あ、なんですか」 「何ですかじゃない。白昼、お庭で大鼾をかいて、眠っている奴があるか」 「眠っておりましたか」 「わからんのか、自分で」 「では、眠るつもりもなく、眠ってしまったものとみえます。もう起きています」 「当りまえだ」 「はい」 「自体、そちは、横着だぞ。聞けば一度も、武芸の日課すら、勤めたことがないと申すではないか」 「武芸は下手ですから」 「ろくすッぽ、稽古もせぬに、下手も上手もあるわけはない。小者といえど、武芸鍛錬、怠るべからず、とは御当家の御家憲だ。──さあ、来い。きょうからわれわれが、稽古をつけてつかわす」 「いえ。それには及びません」 「ならぬ」 「でも」 「拒むか、貴様あ、奉公人の身でありながら、御家憲を守らぬのか」 「ではございませんが」 「ならば参れ」  合法的に、撲りつけるつもりであるから、嫌も応もいわせない。  若侍たちは、日吉を拉して、遮二無二、籾蔵の前の空地へ引っぱって来た。  そこには今日も、逗留中の武芸者の一団と、家中の者とが、炎天の下に、各〻槍を持って、喚き声をあげていた。  無理に、彼を拉して来た若侍たちは、そこへ来るといきなり、 「それッ、木剣でも、槍でも持って、かかって来い」  と、日吉の背を、突き放した。日吉は、前へ泳いで、辛くも踏み止まったが、そこらにある稽古槍にも鞱にも手を出さなかった。 「なぜ持たんッ」  ひとりが、槍の先で、彼の胸をわざと小突いた。 「稽古をつけて遣わすから、貴様も得物を持て。……それ、それッ、突き倒すぞ」  日吉はまた、蹌めいた。  しかし、強情に突っ立ったまま、唇を噛んでいた。  ──ちょうど、その一方では。疋田小伯の門下の、神後五六郎や榊市之丞やらが、松下家の家来たちの求めに応じて、真槍で力試しをしていた。  汗止めの鉢巻した神後五六郎が、真槍を把って積み重ねてある五斗入りの米俵を、槍にかけては、鮮やかに、宙へ刎ね上げて、怪力を見せていたのである。 「なるほど、その御手練では、戦場で人間を、槍にかけて飛ばすくらいは、易々たるものでござろう。恐れ入った力だ……」  驚嘆している人々へ、神後五六郎は、 「これを、力技と御覧あるは、お考えちがいでござる。力を入れたら、槍の柄が折れる。また、すぐ腕が疲れてしまう。──それでは、戦場を馳駆して、何ほどの働きがなりましょうや」  と、槍を休めながら、傍ら、剣の理あいも、槍の理あいも同じであることを説き、そしてすべての武道が、ただ丹田の気にあること、力なき力──力を超越した心力でなければならぬ──などと講義の弁をふるっていた。 「なるほど」  皆、感銘して、それに聞き入っていた──すぐ後ろでのことだった。 「強情な猿めッ」  若侍は、槍の柄を、横に振って、日吉の腰ぼねを撲りつけていた。 「痛いッ」  日吉は、半ば、泣き声でさけんだ。実際痛かったとみえ、顔をしかめながら、腰を曲げ、その辺を撫でまわしていた。 「どうしたのだ?」  後ろの一団は散らかって、日吉の周りに集まった。 「いや、どうにも、箸にも棒にもかからん横着者だて」  と、日吉を撲った若侍は、何といっても、日吉が武芸の稽古を拒むということを、武家奉公の異端者であるとして、口を極めて、悪ざまに人々へ披露した。  すると、また、 「いや、それは、わしも勧めたことがあるが、不器用だとか、何とかいって、どうしてもこの猿は稽古に来んのじゃ」  と、云い足す者もあったりして、武家の奉公人として、不心得な奴、末の見込みのない奴、横着も直るまい──という判決を、日吉は、衆の中で口々から云い渡された。  先刻から、黙って、神後五六郎の後ろに佇んでいた疋田小伯は、 「まあ、まあ」  進んで、人々を宥め、 「見うければ、まだ、どこやら乳くさい小冠者。生意気ざかりという頃だ。しかし、御家憲に反くのみか、武家奉公しながら、武道を嫌うては、この者の不幸でもある。穏やかに、わしから訊いてやろう。一同はお鎮まりなさい」  そういうと、小伯は自身で、日吉の気持をたずねてみた。 「小冠者」  疋田小伯は、日吉へ、呼びかけた。  日吉は、小伯の顔を見て、 「はい」  と、いった。  今までしていた返辞とは、返辞の声が変っていた。  この人なら、どういうことでも、思うまま答えてもいいと、心で許している眼だった。 「おぬし、武家奉公いたしながら、武芸を嫌うそうだな。嫌いなのか」 「いいえ」  日吉は、かぶりを振った。 「──ではなぜ、折角、御家中の方たちが、親切に稽古をつけて下さるというのに、稽古をせぬのか」 「はい、それはこういう理でございます。──槍の修行をしても一生、剣の修行をやっても一生、その道の達人となるには、どうしても生涯かかるでございましょう」 「うム、その気でなければならぬ」 「てまえも、人なみの一生涯しか生きられないものとすると──刀術や槍術も嫌いではございませんが、まあまあ、その精神だけを知ればよいと思っております。なぜなら、他に種々と、学びたいこと、知りたいこと、やりたいことが、沢山にございますから」 「学びたいこととは」 「学問です」 「知りたいこととは」 「世間です」 「やりたいこととは」  問答のように、小伯がたたみかけて問うと、日吉はそこで、初めてにこと笑って、 「それはいえません」 「なぜ」 「やりたいと思っても、やれなかったら、広言になりますから、また、云ってみたところで、皆さんが大笑いに笑うに過ぎません」 「ふウ……ム」  変っているな──と、疋田小伯は日吉の顔をながめていたが、 「なるほど、そちのいうところは、少し分る気がするが、そちは武道というものを、小さい技の修練と、穿き違えておるらしい。武道とは、そんなものではない」 「どんなものですか」 「一能に達した者は万芸に達しるという言葉もあろう。武は技でなく、心胆のものだ。心胆を深く養えば、世間を観る眼、人間を識る眼、学問の道、経世の道、すべてに通じ得るものだ」 「けれど、ここの人達は、相手を突くことや撲ることが、何よりの芸としていましょう。あれは、足軽どもや雑兵にとっては、役にも立ちましょうが、大将には要らないことでござ……」  云いかける横合いから、 「何だと。無礼者ッ」  家中のひとりが、拳を固めて、いきなり日吉の頬骨を撲りつけた。 「アふ!」  と、顎を外したように、日吉は両手で口を抑えた。 「いわしておけば、聞き捨てならぬ雑言を申す。小伯先生、お退きください。癖になる。ただ置いては」  激昂したのは、ひとり今、日吉を撲った者だけに止まらない。今の日吉の一言を耳にした者のほとんどが、 「われわれを、侮辱したものだ」 「御家憲を誹るも同じだ」 「免せぬ奴」 「いっそ、斬り捨ててしまえ。──殿も、よもや吾々の仕方を、無理とはなさるまい」  ほんとに、裏の藪へ連れて行って、首にしてしまいそうな人々の怒気だった。  小伯も、止めるのに困った。が、極力一同を宥め、辛くもその場だけは、日吉の首をつなぎとめた。  その日。黄昏──  能八郎が、そっと小者部屋をのぞいて、壁の隅に、悄ンぼり坐って、歯の痛むような顔をしている日吉を、 「おい。おい」  小声で、外から手招きした。 「へ、何ですか」  日吉の顔は、おかしい程、腫れ上がっていた。昼間、撲られた痕が熱を持って、ひね生姜の根みたいに腫れ出したのである。 「ひどく痛むか」 「そんなでもございません」  濡手拭を、顔に当てながら答えた。 「殿様が、お召しだ。そっと、奥のお庭の中木戸を開けて通れ」 「え、殿様が。……では誰か、昼間のことを、云いつけましたね」 「あんな雑言を吐きちらして、お耳に入らぬわけはない。疋田先生が先ほどまで、お部屋で話しておられたから、多分、疋田様からお聴きになったのだろう。……お手討かもしれぬぞ」 「そうでしょうか」 「奉公人たる者は、朝夕武道怠るべからず──というのは、松下家の鉄則じゃ。家憲の威厳を明らかにすると仰っしゃれば、もう首はないものと思えよ」 「では私は、ここから逃げ出します。こんなことで、死ぬのはいやです」 「ばかをいえ」  能八郎は、日吉の腕くびを捕えて云った。 「貴様を逃がしたら、おれが腹を切らなければならぬ。召しつれて来いという仰せをうけて来たからには」 「逃げることもできませんか」 「貴様は一体、口が過ぎる。少しはものを考えていうものだ。昼間の広言を聞けば、この能八郎ですら、小癪な猿と思う。……とにかく早く来い」  日吉を先に歩かせて、能八郎は後から、刀の柄を握りながら尾いて行った。  黄昏の庭木の暗がりに、白い綿虫の群れがうごいていた。打ち水した書斎の縁先に、仄かな室内の灯が流れている。 「──猿めを、召し連れて参りました」  能八郎が、ひざまずいていうと、松下嘉兵衛は、端近く姿を見せて、 「来たか」  と、いった。  その声を、日吉は、頭のうえに聞いたまま、庭苔に、額をつけて、縮まっていた。 「猿」 「はッ」 「そちの生国の尾張には、桶皮胴とはちごうて、胴丸とかいう、新しい工夫の具足が、近頃行われておるそうな。一領買うて来い。そちの生国じゃ、勝手はよう弁えておるであろうが」 「はい? ……」 「すぐ立て、今夜にも」 「何処へで」 「胴丸を買い求めに」と、嘉兵衛は、手文庫を寄せて、金をつつみ、日吉の前へ投げてやった。 「……?」  日吉は、その金と、嘉兵衛のすがたとを見くらべていた。  その眼に、涙が溜った。やがて頬を伝わって、ぼろぼろと手の甲へ落ちた。 「出立は急ぐがよいが、品は急いで持ち帰るには及ばぬぞ。何年でも、程よいのを探せ。よいか」 「……はい」 「能八、裏の木戸を開けて、そっと出してやれ。……そっと、宵のうちに」  尾張へ行って、胴丸の鎧を一領買って来い──。唐突である。また、余りにも、意外な主人のことばである。  日吉は、ぞっとした。  松下家の家憲を紊す者として、手討になるかと思いのほか。 (今夜にも立て)  と、若干かの金子まで、嘉兵衛は能八郎の手から、日吉へ授けて、いうのであった。  日吉が、襟すじから、ぞっとしたような顫えを感じたのは、嘉兵衛の情けが──人の恩義というものが──骨の髄まで沁み入るほど、身にこたえたからだった。 「ありがとう存じまする」  主人の吩咐を、主人がまだ詳しく意中をいわないうちに、日吉にはもう分っていたので、つい、そういってしまったのである。  こういう頭脳が、奉公人たちの中に混じっていたら、奉公人には目まぐるいであり、憎まれ嫉まれるのは当然である。──嘉兵衛は、そう思って苦笑をうかべた。 「猿、何がありがたい?」 「は、わたくしを追放して下さるお気もちと察しまして」 「その通りじゃ、だが猿」 「はあ」 「何処へ行こうと、その才智を、もちッと、内に包まぬと、そちは生涯出世がならぬぞ」 「自分も左様に存じておりまする」 「知りながらなぜ、昼のような暴言を申し、家中の者を怒らせたか」 「つくづく、至らぬ奴と、後で自分で自分の頭を叩きましてございまする」 「気がついておるならもう何もいわん。惜しい才ゆえ、助けてつかわす──なれど、今じゃから申すが、日頃より、そちを嫉み憎しむ者が、笄が失せたといっては猿が盗んだといい、小刀印籠が紛失したと申しては、猿の仕業よと、つげ口の絶え間がない。……それ程そちは、人の嫉みをうける質じゃ。ようく心得て人中で働けよ」 「……はい」 「きょうのことも、家憲をたてに、家来どもが怒りおるとかいうことじゃから、そちを庇うて助けおくわけにも参らぬ。また、公然、暇をつかわせば、当家の門を十町も離れぬうちに、追討ち喰らって、討たれるであろう。……で、先ほど、疋田小伯どのからそっと注意せられたので、まだわし自身、何も聴いておらぬことにして、そちを旅先へ使いに出すのじゃ。……わかったか」 「ようく分りましてございまする。胆に銘じて……」  日吉は、鼻をつまらせて、何度も何度も嘉兵衛の姿を伏し拝んだ。  松下家の裏門から、その晩、日吉は出ていった。  振り顧って、 「忘れません。忘れません」  二度もつぶやいた。  人の恩の大きな愛と感激につつまれて、日吉は、いかに報いたらいいのかを──ぼんやり胸に抱きながら歩いた。  酷薄と、嘲蔑のなかに、常に彷徨って来た彼だけに、人の情けは人いちばい強く感じる彼だった。 「今に……。今に」  何か、感動するか、事にぶつかると彼は行者の念仏のように、今に! を胸の底で繰り返した。  だが、彼の境遇は、ふたたび喪家の犬のように、的なく、職なく、彷徨うしかなかった。  大天龍の河水は、まんまんと流れていて、人里を離れると、天地のさびしさに、日吉は何となく泣きたくなった。  そこから歩み出す運命の先は、彼も知らず、天地も星も水も、何の暗示もしていなかった。 信長 「──おじさん」  先刻からこれで二度目である。何処かで、誰か、そう呼ぶような気がする。  織田家の足軽組の乙若は、昼寝の首をもたげて、 「誰だ?」  と、見まわした。  その日の彼は非番だった。  いつもなら城勤めだが、きょうは組長屋のわが家に在って、手脚を伸ばしていたのである。 「わたしですが……」  声は生垣の外だった。からたちの葉や棘に、昼顔のつるが絡んで、白っぽく埃の乾いている垣根越しに人影があった。  乙若は、縁側へ出て、 「わたしですがって、いったい何処の誰だよ。用があるなら、表からはいれ」 「表の木戸が開きません」 「おや……?」  と、背伸びして、 「猿じゃねえか。中村の弥右衛門のせがれじゃねえのか」 「はい。そうです」 「なんだ。日吉なら日吉と云やあいいに、幽霊みてえに、元気のない声を出しやがって、どうしたんだ」 「表は、開きませんし、裏へ廻って、覗いてみると、おじさんは寝ている様子。──今、寝返りを打ったご様子なので、呼んでみたので」 「つまらねえ遠慮をしていやがる。女房が買物に出たらしいから、木戸を閉めて行ったんだろう。待てよ、直ぐ開けてやるから」  乙若は、草履をはいた。  そして、日吉に足を洗わせ、家の中へ入れると、ややしばらく、その姿を眺めていた。 「どうしたんだ一体。いつか途中で会ったが、あれからでも足かけ三年、生きてるのか死んだのか、音沙汰もないので、中村のおふくろも、ひどく案じているようだぞ。──無事な顔を見せてやったか」 「いいえ。まだ……」 「家へは帰らねえのか」 「家へは、ちょっと、行って来ましたが」 「──だのに、おふくろに、まだ顔を見せないとは、どういうわけだ」 「実はゆうべ、そっと、我家の外まで行って来ました。けれど、おふくろ様や姉の顔を、外から一目見ただけで、閾は跨がずにもどって来たんで……」 「妙な奴だな。自分の生れた家じゃねえか。なぜ、今帰って来ましたと、無事な姿を見せて、みんなにも欣ばしてやらねえのだ」 「そうして、会いたいのは、山々ですが、家を出る時、一かどの男にならなければ帰らないと、誓った言葉がありますから──それに、義父にはなおさら、今の姿では会えません」  今の姿──と、いう日吉のことばに、乙若はもう一遍、彼の身装を見直した。  白木綿が、鼠木綿と紛うほど、埃と雨露に汚れていた。油気のない髪、日焦に痩落ちている頬、どことなく、志を得ない人間の疲れと困憊が纒っていた。 「何をして喰っているのだ。この頃は」 「針売りをしていました」 「針売り」 「はい」 「奉公したのじゃないのか」 「二、三軒、武家の端くれみたいな家へ、勤めてみましたが」 「相変らず、すぐに飽きてしまうのだろう。もう幾歳になった」 「十八でございます」 「鈍に生れついた性分なら仕方がないようなものの、阿呆もいい加減にしろ、いい加減に。──馬鹿には馬鹿なりの辛抱づよいところがあるものだが、貴様ときたひには、その辛抱もない。これじゃあ、おふくろが嘆くのも、養父が持て余すのも、むりはねえや。……猿、いったい貴様あ、何になるつもりなんだ」  腑がいなさに、乙若はつい、久しぶりに会った日吉を、会う早々、叱ったり、罵ったりしたものの、心のうちでは、多分に、同情をもっていた。  もともと、日吉の実父の弥右衛門とは、生前、仲のよかった間だし、その後、養父の筑阿弥が、弥右衛門のあとに入夫して、哀れな遺子たちに、辛く振舞っていることはよく知っていたので、義憤に堪えないものがあったのである。  ──で、せめて、猿でも一人前になってくれたらと、密かに、亡父のためにも祈っていたが、その日吉が、十八にもなって、まだこんなかと思うと、腹が立ってならなかった。 「まあ、誰かと思ったら、中村のお奈加さんの息子だね。お前さんも、そんなに自分の子みたいに怒鳴ってみたって、仕方がないじゃありませんか。──可哀そうに」  やがて。  外から戻って来た乙若の妻は、取り做して、井戸に冷やしてある西瓜を上げ、日吉にも割って与えた。 「まだまだ、十八ぐらいじゃ、何も分りゃしませんよ。お前さんだって、自分の十八頃を、考えてごらんなさいな。四十を越えても、まだ足軽長屋から抜けられないのが、世間並じゃないか」 「だまっていろ」  乙若は、ちょっと、痛いところを衝かれた顔をして、 「おれはな。おれのように一生を凡々と終っちゃならねえと思うから、これからの若い者には、よけいいうんだ。──十五、十六といえば、元服して一人前、十八といえば、男は一かどの面構えがなくちゃあならねえ。……たとえば、勿体ないが、御主人の織田信長公を見ろ。当年、お幾歳だと思う。あれでいて……」  と、云いかけて、急に、また女房との争論を恐れたのか、思い出したように話を逸らした。 「そうだ、あしたはまた、その御主人のお供で、朝から狩場巡り、お帰りにはまた、庄内川で水馬や水泳のお稽古だろうて。──お嚊おれも野駈けの支度だぞ。膝行袴の紐や草鞋を見ておけよ」  先刻から俯向いて、叱言を聞いていた日吉は、 「おじさん」  と、顔を上げて、訊ねた。 「なんだ、改まって」 「べつに、改まってではございませんが、信長公は、そんなに度々狩や川遊びにお出ましになりますか」 「何しろ……申しては恐れ多いが、飛んでもない腕白坊でいらっしゃるからなあ」 「暴れン坊なんですね」 「──かと思うと、ひどく、行儀の厳しいところもあるがね」 「どこの国へ行っても、信長公のことは、余りよく申しませんね」 「そうか。いやそうだろうな。敵国の者から見たら」  日吉は、急に腰を上げて、 「せっかく、お休みの日を、お邪魔して、申しわけございません」 「おや。帰るのか」 「また、参ります」 「なにも、そう急に、帰らなくともいいじゃねえか。一晩ぐらいは、泊って行きな。──おれのいったことが、気に障ったのか」 「そんなことはございません」 「帰るなら、止めもしないが、早く、おふくろだけにでも、無事を見せてやんなよ」 「はい。見せてやります。……今夜は、中村へ帰ります」 「そうか。それならいいが」  と、乙若は、門口まで出て、日吉の姿を送ったが、心のうちでは、何か、いい気持がしなかった。  中村へ帰るといって乙若の家は出たが、その晩、日吉の姿は、中村の生家には戻っていなかった。  どこへ寝たか。  恐らく、路傍の辻堂か、寺の廂か、そんな所へ、野宿したのではあるまいか。  松下嘉兵衛から貰った金はあるはずだが、それは、乙若の家を訪ねる前の夜、中村の家の外まで行き、母の無事なすがたを垣間見、そっと投げ込んで来たので、身には一銭も持っていなかったし、──夏の短夜なのでどこに明かすも、夜はすぐに白みかけた。  ──その日の、朝まだきである。  日吉のすがたは、西春日井の部落から枇杷島のほうへ向って、のそのそ歩いていた。  彼は、何か物を喰いながら歩いていた。腰にも、飯の握ったのを、蓮の葉につつみ、手拭で巻いて結いつけていた。  今朝の食物と、昼の食物とを、一文の銭のない彼がどうして得たか。彼には常に、 (食物は、どこにでも得られる物だ。人間には天禄があるから)  という信条と、 (鳥獣にすら、その天禄がある。けれど、人間たちは、世のために働けという天のご使命をうけている者だから、働かない者は、喰えないようにできている。──だから人間は、喰うためあくせくするのは恥辱で、働きさえすれば、当然な天禄が授かるのだ)  と考えていた。  だから彼は、飢えると、食う食慾より先に、働くことを先にする。  その場合、仕事がないということも、日吉の経験にはないことだった。働こうとする時は、町で普請場があれば、大工や土かつぎの手伝いでもさせてもらう。重い車を挽いてゆく者を見れば、後を押す。汚い門前を見れば箒を借りて掃かせてもらう。  頼まれないでも、彼は仕事を見つけ、仕事を作り、仕事を誠実にするので、一椀の食物や、一銭のわらじ銭ぐらいは、必ず人が酬いてくれた。  恥とは思わなかった。  なぜなら彼は、喰うために、牛馬のごとく身を卑しめたとは思わないのである。少しでも、世のために働いたので、当然な天禄をもらうのだと、信念していた。  ──今朝も。  春日井の部落で、早起きな野鍛冶の家が開いていたのを見つけ、そこで鍛冶場の掃除を手伝い、そこの飼牛二匹を曳いて、草を飼わせ、また、裏へまわって、水瓶いっぱい、水汲みをしてやったので、子持ちのおかみさんに喜ばれ、朝の飯と、昼のにぎり飯とを恵まれて来たのであった。 「……きょうも暑くなりそうだ」  日吉は、朝空を仰いで、独りつぶやいた。そうして得た飯に、きょうの露命はつないでいたが、頭のなかでは、ひとの思いもよらぬことを考えていた。 「──この天気なら、きょうもきっと、信長公は、河遊びにお出ましになるにちがいない。足軽の乙若も、きょうはお供のうちに加わる番だと、きのう話していた」  やがて。  草の彼方に、庄内川のきれいな流れが見え出した。彼は朝露にぬれた姿を、草から出て、河原に立たせ、しばらく、水の美しさに見恍れていた。 「信長公は、毎年四月から九月の末頃まで、水馬、水泳のお稽古を欠かすことなく、この辺の河へ出てなさるとのことだが……はてな、どの辺だろう。乙若に聞いておけばよかった」  河原の石は乾いてくる。  草の実や、露によごれている日吉の着物にも、やがて、陽がかんかんと照りつけてきた。 「ここらにいてみようか」  漫然と、独り云って、日吉は河原の畔の草むらに、坐りこんだ。  信長公、信長公。  織田の腕白どの。三郎信長公とは、いったいどんなお方か。  ──この日頃。  日吉の頭には、寝ても起きても、その人の名が、護符のように貼りついて、離れなかった。 「いちど見たい」  彼の念願だった。  それを今日、果そうとして、早くからこの河原へ来て見たのだった。  亡き織田備後守の跡目を継がれたはよいが、あのわがままで粗暴な大うつけでは、とても、備後守信秀の跡は持ちこたえてゆかれまい。  とは、一般な世評であった。  粗野で──癇持ちな──  たわけ者びた若殿。  行く末の案じられる跡継よ。  と、信長の名が出れば、必ずそこでは、そんな陰口を聞いたものである。  日吉も、幾年のあいだ、巷のうわさを信じ、貧しい国土と、不幸な国主を持った郷土に、悲しみを抱いていたが、諸国の実情を見て来て、 (いや、底の底は、分らないぞ。──合戦のある日ばかりが、戦争ではないから)  と考えられて来たのだった。  一国一国には、それぞれ国の性格があり、そこにはまた、虚と実があった。  表面、脆弱に見える国でも、内部は案外、充実している国もあるし、権威富力の大きく見えている強国でも、案外、中の腐えている国もある。  たとえば、日吉が歩いた範囲でいえば、美濃の斎藤、駿河の今川家のように。  そういう大国と強国のあいだに挟まって、尾張の織田、三河の松平などは、見るからに貧しい小国だった。──けれど、その小国のうちに、何か大国にない力が潜んでいなければ、厳として、存在はしていられないはずだった。  世間でいうように、信長が愚かであったら、どうして、那古屋が保とう。  ことし、その信長は、ちょうど二十歳になると聞いている。  父の備後守信秀を亡って、十六歳から那古屋の城に主君として立ってからでも、もう三年はたっている。その三年に、粗暴で、うつけで、何の能も才もない若大将が、どうして、小国とはいえ、亡父の遺産の領土を失わずに、しかも半ば、薄気味わるく思われながら、国土を持っていることができよう。  もっとも、人にいわせると、それは信長の力ではなく、家臣に偉いのがいるからだという。  平手中務、林新五郎、青山与三右衛門、内藤勝介──などという良い家来を、備後守も、生前から阿呆な三郎信長の末を案じて、付けておいたので、その謀臣衆の協力が今日、織田の柱となっているので、お若い主君は、いわば置物同様にすぎない。──だから先君以来の老臣らがいるうちはよいが、ひとり逝きふたり死に、その柱がなくなる頃になると、織田の衰亡は、火をみるよりも瞭らかであろう。  それを、誰よりも待っている者は、信長の妻の父にあたる、美濃の斎藤道三であり、次いでは、駿河の今川家であると──このような見透しは、世間、どこで聞いても、一致していることだった。 「……おや?」  日吉は、草の中から、首を上げて見まわした。  鬨の声がする──  河すじの上流に、黄いろい埃が揚っていた。 「何だろ?」  立ち上がって、耳を澄した。そして顔いろを変えた。 「何も見えないが、凡事ではないぞ。……戦争か」  彼は、急に、草を蹴って、走り出した。  だが、五、六町も駈けて行くと、そうでないことが分った。彼が朝から待っていた織田家の家中が、上流の河原へ来て、もう合戦の稽古をしていたのだった。  川狩といい、鷹狩といい、水泳の調練といっても、この頃の大名のやることには、すべて戦備の心がけがあった。戦争を離れては、生活がなかった。 「……ウウム、始まっている」  草間隠れに、日吉は遠くからそれを眺めながら、大きく呻いた。  河原の向う岸に、堤の蔭から上の草原にかけて、織田家の定紋のついた陣幕がめぐらしてある。三、四ヵ所のお小屋からお小屋へかけて、その幕は翩翻と風を孕んでいるので、無数の兵たちは見えるが、信長のすがたは生憎と見えない。  眼を転じると──  幕とお小屋は、此方の岸にもあった。馬匹がさかんに嘶いている。  わあッ──うわあッ──  という武者押しの声は、その両岸から起って、川波を呼び立てているのだった。日吉が、立ち止った時、一頭の放れ駒が河の中ほどからザブザブと駈け狂って、下流の陸へ跳ね上がって行った。 「これが、水泳のお稽古か」  日吉は、頷けなかった。  世評というものは、たいがい好い加減なものである。信長を、暗愚の殿だの、粗暴なうつけ者だのといっても、では誰がそれをつき止めたかといえば、誰も真を追って突き止めてはいないのである。  毎年四月頃から九月にかけて、川狩や水泳の稽古に城を出ることは誰でも見ているが、それだけを知っているに過ぎなかった。  今、彼が現地へ来て、目撃したところでは、決して、腕白な殿の水遊びや避暑ではなかった。  烈しい軍馬の教練である。  規模は大きくない。元より野駈けの軽装だし、軍馬の数も少ないが、やがて貝の音に兵が揃い、押太鼓がとどろくと、両岸の人数が、どっと河の中でぶつかった。  いちめんに河は飛沫となり、その真っ白な水煙のなかで、武者と武者、足軽隊と足軽隊とが卍になって、合戦をしはじめた。  槍はすべて竹槍であった。大勢が旋風になって戦うなかでは、突き合うよりは、撲り合うのだった。外れた槍からも、白い虹が無数に立った。その歩兵群を蹴ちらして、一騎、二騎、三騎──すべてで七、八騎の騎馬の武将が采を振り、自身槍を揮い、また、声をからして駈け巡っている。 「大介、見参」  と、その中で、凛々しい声を放った騎馬武者が、一きわ目についた。  白の涼やかな帷子に具足、綺羅やかな朱太刀を佩き、織田家の弓道槍術の師範で市川大介とよぶ剛の者の馬際へ鞍を駈け寄せ、無法にも、青竹の槍で横はたきに一撲りくれて行ったのだった。 「小癪」  と、喚きあわせて、槍を引っ奪った大介は、それを持ち直して、相手の胸いたへ突き返した。  端麗な人だった。その若い武者は、顔を紅潮させ、大介の突いて来た槍を片手につかみ、片手を朱太刀にかけて、きかない眉を示した。が、一瞬、大介の力に引かれて、真逆さまに落馬し、姿はざんぶと河水につつまれた。  ──日吉は思わず、 「あ……あのお方だ。信長公だ」  と、独り呶鳴った。  ひどい、思いきったことをする家来もあるもの。  信長は乱暴な殿と世間ではよくいうが、乱暴なのは、信長よりは、その近臣のことではないのか。  日吉は、そう思った。  ──が、遠方で見たことである。果たして落馬したのが、その信長だったかどうか。  日吉はなお、われを忘れて、伸び上がっていた。渡河戦の猛演習は、まだその河の真ん中で、双方とも押し合っていた。主君の信長が落馬したのなら、他の臣下が騒いで救い上げそうなものだが、戦っている者は戦のほか、わき目もふらないのである。  そのうちに。  戦場となっている辺より少し下流の向う岸へ、ざぶざぶ、這い上がった者がある。  見ると、落馬した若武者であった。──やはり信長らしい人だった。 「退くかッ。馬鹿ッ」  濡鼠のからだを、そこに突っ立たせるとすぐ、地だんだして、叫んでいた。  遥かに、さっきの市川大介が、それを見つけて、 「東軍の御大将、あれに流れついて在わすぞ、つつんで、生擒れや」  と指さした。  徒歩の兵が、 「御免ッ」 「御免」  云いつつ、しぶきを蹴立てて、信長の前面へ、駈けて来た。  信長は、渚の竹槍を拾って、ひとりの兵を、真っ向にたたき伏せ、次の群へ、抛りつけた時、 「寄せはせじ」  と、味方の一隊が、駈けつけて来て、彼の身辺を、敵から隔てた。  信長は、堤へ駈け上がると、 「弓、弓ッ」  鋭い声で呼んだ。  お小屋の幔幕のあたりから、小姓がふたり、矢と半弓を持って、転ぶように、すっ飛んで来た。  取るが早いか、 「この河、渡すな」  と、河原の兵を、叱咤しながら、一矢をつがえると、ぶつんと切って放ち、すぐまた、矢を噛ませては、びゅんと弦を翻した。  鏃のついてない稽古矢ではあるが、顔の真ん中を射られて、倒れる敵もあった。そして、彼一人が射ているとは思われぬ程、たくさんな矢が急射された。  射てる間に、弦が二度も断れた。断れるたび、弓を換えて、すぐにまた、射つづけた。  が、──そのうち。  必死でそこを支えている間に、上流の防ぎが崩れて、西軍の兵が、どっと堤へ駈けあがり、信長の休息小屋を、包囲して、鬨をあげた。 「敗けたッ」  信長は弓を投げ捨てた。  その時はもう、莞爾と、笑っているのである。そして、敵方の凱歌を、かえって、愉快そうに、振り向いていた。  兵学の師、平田三位と、弓槍の師範役、市川大介とが、馬をお小屋のわきへ捨てて、駈け寄って来た。 「殿、どこも、何ともございませんでしたか」 「水の中だ。何ともあるものか」  信長は、大介を見るとやはり無念そうに、 「明日は勝とう。大介、あすは憂い目を見せてくるるぞ」  と、少し眉を昂げていう。  平田三位が、傍らから、 「御帰城後、きょうの御戦法について、御講評申し上ぐるでございましょう」  と、いったが、信長はよくも聞かないで、その間に具足をかなぐり捨てて、水着一重になって、河の深い所へ行って、涼しげに独りで泳ぎまわっていた。 狂児像  信長は、端麗だった。  彼が血をうけた遠い祖先に、よほど美しい女性がいたか、容貌の秀でた人がいたろうと思われる。  彼のみならず、十二男七女子という、多くの兄妹が、みな気品の香りを持っているとか、目鼻だちがよいとか、どこか文化人らしい垢ぬけした質を持っていた。  わけて信長は、色白く、眉目秀麗で、何かにふと、きっと振り向く時など、ひとみの底から、きかない気の光が人を射ることがあった。  だが、自身が気がつくと、  はははは。  その光をすぐ笑いつつんで、人がそれと気のつく間も措かなかった。 「またかと、うるそう聞し召すやも知れませぬが、御先祖のことは、念仏申すよう、明けても暮れても、飯を噛むまも、お忘れあってはなりませぬ。……そも、織田氏の御先祖様と申せば、越前丹生氏神、織田剣神社の神官に在しました。なお天文のそれよりも前をただせば、小松平重盛公のお血すじ、さらに、溯れば、畏れ多くも、平氏は桓武天皇よりわかれ給うところ、申さば、金枝玉葉の御血の雫をすら、今のお身に伝えておうけなされているのでござりますぞ。……爺が度々申しあぐるまでもなく、よくよく御自覚なさりませねばなりませぬぞ」  こう彼は常に聞かされる。  亡父の織田備後守信秀が、彼を、彼が生れた古渡城から移して、那古屋の城におらしめた時から、守役として、側につけておいた四名のうちの一人、わけても忠誠な老臣のいうところなのである。  平手中務だ。  どうも信長は、その爺が、常に煙たくて、うるさいらしかった。 「ああ分ったよ。分っておるよ爺──」  と、横を向く。  顔を振る。  少しも沁々とは聞かないのであったが、平手中務は、それこそ彼自身が、念仏を申すように、 「亡きお父上備後守様の御生涯をよう思い遊ばせや、この尾張八郡をお伝え遊ばすには、朝に北境の敵と戦い、夕べには東隣の国境に征馬をお向けなされ、ひと月のうち、具足を解いて、安々と、お子たちの中にさざめいてお暮し遊ばした日は、幾日とてもござりませぬ。──しかも涙ぐましき御忠誠に在したことには、この乱国の中、四隣に戦の絶え間もない中をも、すぐる天文十二年の頃には、この爺めを京へお遣わしあって、内裏四面の築土の御修理をなされますやら、また、四千貫文を朝廷へ御献上遊ばし、そのほか、伊勢外宮の御造営にもお力をお尽しなされました……。そうしたお父上をおもちなされ、御祖先には」 「爺や。もうよい。分っておるよ、何度聞いたか知れぬことを」  信長は気に入らないと、すぐ美しい耳朶を鮮紅にした。  けれど、吉法師といった幼名の頃から、何でも知っている中務には、さすがに、それくらいしか、不機嫌を見せられなかった。  中務もまた、彼の気性は、よくのみ込んでいた。理窟で説くよりは、感動に訴えるほうがききめのあることを知っていた。  で、信長が耳を熱くすると、 「お口輪を取りましょうかな」  と、すぐ穂先をかえた。 「馬か」 「さればで」 「爺、そちも乗れ。一鞭あてよう」  騎馬で駈けまわることは、信長の大好きなひとつだった。それも城内の馬場では心にみたず、城下から三里も四里もある所を、よく一気に駈け、一気にもどって来たりした。 (──寔に人を人臭しとも思われぬ和子君で在すでなあ)  とは、信長の幼少から守役の平手中務が、何か持て余すたびに傍人へもらして来た嘆息だった。  十三歳で元服し、吉法師の字を三郎と改め、十四歳初陣して、十六で父信秀にわかれた上総介信長の、人を人臭いとせぬ面だましいは、長ずるにつれて、いよいよ、傍若無人になるばかりだった。  父の葬儀の日、その式場においてさえ、こんなことがあった。  ──御焼香。  となった折、  席から立った信長の姿を人々が見ると、長柄の太刀脇差に、七五三縄を巻いていた。袴もはいていないのである。 「あれよ、また、狂態な跡とり殿が、何の不作法」  と、あきれていると、信長はずかずか、仏前へすすんで、立居のまま、抹香をつかんで、御仏へばらっと投げ懸けて、驚く人々をしり目にさっさと帰ってしまった。 「ても、呆れたうつけ殿」 「こうまでとは思わなんだが」  情の薄い者はわらい、情の厚い者は織田家のために、眼に涙をたたえて、言葉もなく白け果てたということであった。 「同じ兄弟でも、御舎弟の勘十郎殿は折り目正しゅう、俯目に始終謹んでおいであるに」  と、なぜ跡取が、こうもあべこべに生れたものかと悔む囁きも聞えたが、その時、末席にあった筑紫の客僧の某が、ひとり呟くようにいったことには、 「いやいや、彼こそは、行く末の国持つお人よ。おそろしいお方ではある」  沁々と、そう洩らしていたと傍にいた者が、後に家中へ語り伝えたが、誰ひとり、そうかと信じる者はなかった。  また、十六歳の信長には、もう内室がきまっていた。父信秀が生前に、平手中務が肝煎して、ようやく成立した婚約であった。  それは、美濃の斎藤道三の娘なのである。織田家とは多年、兵火に兵火をもって、鎬をけずり合って来た宿年の仇敵国であったが、その斎藤家との婚約には、勿論、戦国のならいといってもよい、政略の意味も多分にふくまれている結婚であった。  が、先も名に負う道三秀龍という肚ぐろいのが舅殿である。もとより織田家の政策であることをのみこんで、しかも四隣はおろか、京にまで近頃は名高い織田のうつけ息子殿に、最愛の娘をもくれるというのである。尾張八郡の将来を、その烱眼で見こしていた上の承諾であることはいうまでもない。  程なく、信秀は四十二を一期に世を去った。  信長のうつけ振り、粗暴、狂態は募るばかりだとある。それも思うつぼだった。  ──そして、  今年天文二十二年の四月。  上総介信長はちょうど二十歳。 「いちど、聟どのの顔みたい。──双方より出向いて、富田の国境で、聟舅の初対面遂げたいが」  道三秀龍が云い出した。 「承知」  と、信長の即答。  富田ノ庄は、美濃尾張のあいだにある一向僧の坊主領であった。戸数七百ほどの村落で、正徳寺という寺院がある。会見はそこでときまり、四月の下旬、上総介信長は曠れの人数を率いて、那古屋の城を出、やがて木曾川、飛騨川の渡舟も打ち越えて、青葉若葉につつまれた富田ノ庄へ押しすすんで行った。  弓、鉄砲の者、約五百。三間柄の長い朱槍約四百、徒士の郎党、足軽組の者、およそ、三百人あまりと数えられた。  粛々と流れて来る──  その中に、一団の騎馬隊は、騎馬の信長を囲んで前後に備え立て、いざといえば、そのまま戦隊になるような配備だった。  麦の穂は青い。もう夏めいた四月である。今、越えて来た飛騨川から、爽やかな風が、その長い行列の上を燦々と渡ってゆく。  富田ノ庄は、家々豊かだった。荒土ながら、穀倉のある家が多い。平和な真昼の籬に卯の花がうなだれていた。 「来た」 「見えた」  村端れまで出ていた斎藤方の小侍が二人、遥かに行列の先頭を見るや否、どこかへ宙を飛んで行った。  村を貫いている欅並木に雀のさえずりが、長閑だった。  その路傍の、小やかな一軒──土民の家の前に、小侍二人は、ひざまずいて云った。 「織田どののお列彼方に見えました。やがてもう、これへさしかかるでございましょう」  民家の土間には、そこの薄ぐらい煤だらけな壁とは、余りにもふさわしくない、綺羅びやかな太刀、袴羽織の人々が、一群になって、潜んでいた。 「よし。──そち達も、はやく裏藪へ身をかくせ」  道三秀龍の側衆たちである。──奥には──いや炉部屋の側の竹窓がある小さい部屋には、その道三秀龍が、窓べりに凭れて、往来のほうを見まもっているのだった。  初めて会う聟どの。  しかも、いろいろな風評の高い上総介信長。 「いったい、どんな態たらくで参るか、どんな男か、公式に対面する前に、ちょっと垣間みたい」  という道三らしい考えから、路傍の民家にかくれて、先刻から待ちぬいていたのだった。  土間、炉部屋の近臣たちが、 「大殿、尾張衆が、はや見えた由にござります」  早口に告げると、 「うむ」  道三は、頷いたまま、さらに竹窓の端へ身を寄せて、じっと、眼をすえていた。  表の土間戸は、逸早く閉めきって、家臣たちは、わずかな隙間、板戸のふし穴などへ、顔をつけていた。  皆……しいんと黙る。  並木の小鳥の声。  その小鳥の群れも、ぱっと羽音をのこして、飛び去ると、もう微風の音もしなかった。水を打ったように、街道はひそまり返る。  ──と、程なく。  よく揃った兵隊の足なみが徐々に近づいて来た。磨きぬいた鉄砲の列、小隊四十名ぐらいずつ、十段に分列して、林のように流れて行く朱柄の槍組などが、眼の前をゆく。  道三は、息もせずに、その武器や、兵隊の足つきや、隊伍の組み方を、見入っていた。  だが、やがて続いて、その粛然とした足なみの次に、馬蹄の音だの、大きな話声が乱れて来たので、 「さては」  と乗り出すように、道三は眼も放たずにいた。  見ると、騎馬隊の中に、一際優れた馬格の駒がさしかかった。見事な螺鈿鞍に、華やかな口輪を噛ませ、紫に白を綯い合わせた手綱を掻把り、聟殿信長は、何か嬉々と、うしろの家臣を振り向いて、話しかけながら見えたのであった。 「……ヤ? あの態は」  道三秀龍は、喉のあたりで、そんな声をもらした。  ひどく驚いた眼いろだった。  行列の中に見えた信長の扮装が、彼の眼を奪ったのだ。いや、呆れさせたのである。  かねて、異様な姿で押し歩くとは聞いていたが──  今、見れば、聞きしに勝るものだった。  逞しい駿馬の鞍に、ゆらと、乗りこなしよく据って、茶筅むすびの大将髪、萌黄の打紐で巻きしめ、浴衣染帷子、片袖をはずして着け、熨斗つき刀脇差には例のごとく──何かの禁厭のように──七五三縄を廻している。  その刀腰にはまた、火打袋だの、小瓢箪だの、印籠だの、紐付扇子だの、馬の一刀彫の根〆だの、珠だの何だの──七、八種のものをくくりつけて、虎の皮と豹の皮とを縫いあわせた半袴の下には、何やら金襴の衣裳がきらきらと見え、 「大介エ、大介エ」  鞍のまま、身をねじって振り向いていう。 「ここか。富田ノ庄とやらは、はやここの村かッ」  それは、民家の窓の中に、身を潜めている、道三秀龍の耳をも、突き抜いてゆくほど、大きな声だった。  騎馬隊の中に、護衛している市川大介が乗りよせて、 「されば、ここが富田ノ庄にござりまする。舅君の道三様と御会見の場所、正徳寺もすぐそこでござりますれば、何かにつけお行儀ようなされませ」 「ははあ、そうか。ここがもう富田か。──本願寺の坊官どもが領分とやら、穏やかだのう。ここには戦争がないな」  そんな言葉が聞えた。  黙ると、信長は、欅の並木を仰向いて、青空をよぎった鷹の影でも見送ったのか──ゆらゆらと鳴る腰の太刀や、七つ道具を響かせて、すぐ通り過ぎてしまった。  表戸を閉てて、隙見していた道三の側衆たちは、思わず、 「ぷッ……」 「うふ、ふ、ふ」  口を抑えて、おかしさを怺えるのに、苦しがっていた。 「皆よ」  道三は、呼び立てて、 「もはや行列は皆、過ぎたか」 「終りました」 「見たか。聟どのを」 「よそながら」 「どう見ても、世評を裏切らぬうつけ者、容貌はよし、骨柄も一通りじゃが、すこし足らぬ。……ここが」  と、道三は、自分の頭を、指でついて、満足そうに苦笑した。  と、裏口で、 「大殿、お早く」  と、ほかの家来たちが、急きたてて云った。  道三はすぐ起って、 「おおさ、気どられては、信長はともあれ、眼はしの鋭い他の家来に気まずいものになる。先を越えて、正徳寺へ参っておらねばなるまい」  どやどやと、側衆に囲まれて、そこの裏口から出ると、抜け道を急いで走り、行列の先頭が、正徳寺の門前で停った頃、彼は寺の裏門から奥へ駈けこんで、取り澄していた。 「──お出迎え」 「お出迎えを」  側衆たちも、あわただしく、衣裳を着かえ、廻廊や間ごと間ごとを、云い触れる声に応えて、大玄関へ出て行った。  尾張衆の多人数が着いた。  寺門は、人に満ちた。  お出迎えに──と美濃衆はみな立ち払ったので、本堂、大書院、客殿は風の通るだけで、人影もなかった。 「大殿には」  斎藤家の老臣、春日丹後は、まだ起たぬ道三に向って、そっと意向を訊いた。  道三は、首を振って、 「起つに及ばぬ」  と、いった。  客は聟、自身は舅。それでいいとすればよかろうが、きょうは初対面の儀式である。  聟の信長も、一国の主。故に、対等の礼を執って、美濃と尾張の国境にあるこの本願寺領の中立地帯まで、双方から出向いて来たのであるから、舅とはいえ、出迎えの礼は執らねばならないのではないか。  そう丹後は考えたので、一応きいてみたのであるが、  ──それには及ばん。  と、道三がいうので、 「はッ。……では、てまえだけでも」 「いや、その儀には及ばぬ。堀田道空が出ておればよい」 「左様にござりましょうか」 「丹後、そちは、対面の席に居並んでおれ。──また、そこへ行くまでの廊下に、武者ども、七百余名、残らず威儀を作って並べておけ」 「すでに、着坐いたしておりまする」 「武者かくしには、猛者どもをひそめ、聟殿が通ったら、わざと咳ばらいさせい、庭前には、弓鉄砲の兵、粛として立たせ、そのほか息づまるまで、威圧を」 「仰せまでもなく、美濃衆の御威勢を示し、聟どのを始め、尾張衆の胆を、気をもって挫ぎおくこと、今日よりよい機はないと致して──御家中の者どもみな、腹ふくらませて待ちうけてござりますれば」 「ウム。……」  道三は、大玄関の方の気配をふり顧って、 「思うていた以上、たわけな聟どの。何につけ張合いもない、馳走の膳部、応対の礼など、まずまず、好い程でよかろうぞ。……どれ、わしも客殿で待とうか」  道三は、欠伸でもしたいように──軽い伸びをしながら起って行った。  春日丹後は、主命のあるところを、もっと徹底せしめるべく、廻廊へ出て、武士たちの威儀を検め、また、下役をよんで、何やら耳打ちなどしていた。  すでに。  大玄関のほうでは、その頃、信長が式台を踏んでいた。  ここにも、斎藤家の家中、老臣から目見得格の若侍まで、百名以上、所せましと、平伏して出迎えていた。 「どこじゃ。休息の席は!」  水を打ったように、ひそまり返っている出迎えの中で、ふいに、足を止めた信長が、無遠慮な声で云ったので、 「はッ──」  と、上目越しの顔が、一斉にうごいた。  つつつと寄り添った斎藤家の家老堀田道空が、信長の足もとに平伏したまま。 「こちらで、何はともあれ、暫時の御休息を──」  指さして、 「彼方か」 「はッ、御案内申しあげます。──御免を」  屈み腰に。  信長の先に立ち、大玄関から右へ進み、橋廊下を渡る。  信長は、右を見、左を見、 「よい寺じゃなあ。見よ、藤の花が真盛りじゃ。──風が香う」  扇を胸にうごかしながら、自身の近侍たちと共に、一室へはいった。  休息の時間は約半刻ほどで、やがて信長は屏風の内から起った。 「御案内たのむ。舅殿にお目見得いたそう。山城どのには、いずれに在すかや」  見ると、  茶筅髪は、折髷に結い代えている。豹、虎の革の半袴は捨てて、正式の折目袴に、白綾の小袖、金糸の縫紋、そして濃い紫地に桐もようの裃を着け、帯びた小さ刀も、提げた太刀も、華奢な風雅男のすがただった。 「……あッ」 「お……」  と、斎藤方の家臣も目をみはり、日頃の道化た身装の彼ばかり見つけている、織田の家中も、びっくりした。信長は、ただ一人、ずかずかと大股に、橋廊下を踏み渡って、 「案内の者!」  と、前後を見、 「近侍たちを連れ纒うては寛ぎがならぬ。信長ひとりにて、舅殿へお目にかかろうず」  そこでまた、声を高うして云った。最前、出迎えに出た、家老の堀田道空は、信長が自分を眼にも入れていない様子に、むっとして、 「こなたへ、お早うお出でられ候え」  と、少し子供扱いにして、それへ来合わせた春日丹後と共に眼くばせして、 「これは──」  と、本堂の両側に、ぴたと座を構え、わざと厳しく、 「斎藤山城守が家老職、堀田道空にて候。お見知りおかれませ」 「てまえは、老職春日丹後。──御遠路、つつがなくお渡り遊ばし、折ふし、日もうららかにきょうの御対顔、祝着にぞんじ上げ奉りまする」  左右から、こう色代しているまに、信長は、拭き磨いてある廻廊を、つつつと足を早め、 「ふム。……よう彫ってある」  欄間の彫刻へ、顔を上げ、そこらの武士──斎藤山城守道三が手飼の者ばかり数百名、ずらりと居並んでいる前を路傍の草ほどにも眼をくれず、真っ直ぐに通って行った。  そして、客殿の前まで来ると、尾いて来た道空、丹後の二家老を、後に見、 「ここか」 「御意にござります」 「うむ」  頷いて、ずかと、廻廊の板面から、一段高い畳のうえに踏み上がると、落着き払って、設けの席に坐り、そのまま縁の中柱へ、ゆったりと背を凭せかけていた。  すこし、顔を上げ気味に。  格天井の絵でもながめているかのような風である。その眼のすずやかさ。眉目の優しさ。  室町の京公達でも、こう整った姿と面ざしは少なかろう。──しかし、それにばかり見恍れていた者は、天井を見ている彼のひとみの、不敵なものを見遁していた。  ──と、その客殿の隅に、立てまわしてある屏風のうしろに、人の気はいがした。山城守入道道三は、その蔭から立って、信長の上座に、鷹揚に着席した。 「…………」  信長は、そ知らぬ風情をしていた。──というよりは、うつつに、扇を袴の前で弄びながら、そら嘯ぶいていたといったほうが近い。 「…………」  じろと、道三は、横に見た。  舅からものいう法はない。そう自己を持して黙っていたらしい。  一瞬、妙な空気になった。道三の眉に、険しい針が立った。──堪りかねた家老の堀田道空は、信長の側へすり寄って、頭を畳へすりつけながら、 「それに在すお方こそ、山城守道三様にござりまする。──ごあいさつを」  いうと信長は、 「むう。左様にてあるか」  と、初めて、柱から背を離して、坐り直した。  一礼して、 「これは、初めて御対面つかまつる。織田上総介信長にてござる。お見知りおきください」  彼から、改めて、こう挨拶すると、道三も気色を柔らげて、 「わしが山城じゃ。かねがね、一度はお会いせいではなるまいと存じおったところ、今日、宿望を果して祝着」 「信長も、近頃うれしいことの一つです。まずまず、舅殿には、老いて益〻、御健勝に渡らせられ、何よりでござる」 「なに、老いてとな。山城もはや、ことし六十を迎えたが、まだまだ、老いた気はせぬ。お許らはちょうど、卵の殻を出たばかりの雛鳥よ。はははは、男ざかりは、六十越えてじゃ」 「頼もしい舅殿を持ち、信長は仕合わせ者でござる」 「そうか。何せい吉い日ではある。道三もたんと生きよう。次の会う日には、孫の顔なと見せなされ」 「心得てござる」 「気のさくい聟どのよ。──丹後」 「はッ」 「膳部のしたくを。──お湯漬でも」  眼で──道三は何か、丹後に意をのみこませた。 「心得てござります。……ただ今」  と、春日丹後は、座をすべって行った。  はてな?  彼は、道三の眼じらせが、何を意味したのか、ちょっと肚を酌みかねていたが、最初の気まずい主君の顔が、途中から晴々して、むしろ信長の機嫌をとる態度に変っていたので、さては、一度粗末でかまわぬと吩咐けた膳部を鄭重にせいと、云い直したのであろうと、その通り心を配って出してみると、道三は満足の様子に見えたので、心のうちでほっとしていた。  舅の道三と、聟の信長と。  ふたりの間に杯事があって、はなしはなお、気が楽になってきた。 「そうそう」  信長は、思い出したように、突然云いだした。 「山城どの。いや舅どの。時にきょうは、これへ参る途中、珍かな者に出会うてござる」 「ほ。どのような?」 「されば、舅殿と瓜二つの老いぼれが、民家の破れ窓より、信長が行列を、覗き見しておった。──初対面の舅殿なれど、初の御見とは思えぬほど、はてさて、最前の老いぼれはよう似かようてござった」  ははははと、その唇を、信長は半開きの扇子で隠した。  道三は、苦汁をなめたように、黙ってしまった。堀田道空も、春日丹後も、肌着に汗をにじませていた。  湯漬を喰べ終ると、 「いや、長坐長坐、陽の入りまでには、飛騨川越えて、こよいの宿舎まで退りとうござる。──どれ、お暇を」 「帰らるるか」  道三は、一緒に立って、 「聟どのの帰館とある、名残惜しい、そこまで、見送り申そうず」  彼もまた、その日のうち、美濃の城地へ、帰るのだった。  三間柄の朱槍の林は、夕陽を背にして、東へと勢揃いして帰った。美濃衆の槍隊は、それに比して、みな短く、何となく気勢も昂らなかった。 「ああ、長生きもしとうない。──今に見よ。この道三が子らも、あのたわけ殿の門前に、駒を繋いで、生を乞う日がやがて来よう。ぜひもない……ぜひもない儀だ」  その途中、道三秀龍は、駕籠のなかで口惜しげに、はらはらと落涙しながら、近侍の者にいったということであった。 出仕  どうん。どうん──  武者太鼓が鳴る。法螺の音が曠野をわたる。  しぶきを上げて、庄内川に泳いでいた者、または野を駈けていた騎馬の者や、竹槍調練をしていた歩卒など、 「御帰城だ」 「引揚げ──」  と、一斉に、河原の仮屋を中心に馳せ集まって、またたく間に、三列四列、横隊になった軍馬が粛として、主君のすがたが鞍に乗るのを待っていた。  半刻の余も、泳いでは河原に上がって、太陽に肌を焦き、また、川へ躍り入っては、河童のように、存分水と戯れていた信長は、 「帰ろう」  云い出すと、仮屋のなかへ駈け込んで、白の水着腹巻を捨て、肌のしずくを拭くがはやいか、すぐ下着、狩衣を着込み、小具足つけて、 「駒を、駒を」  と、その気短な吩咐は、彼の側を追いまわすように従いて歩いている近習たちに、いつも泡を吹かせるのだった。  何につけ、信長の手早いことと、性急なのには、日常心得ぬいている近習たちではあったが、それでも面喰らうことがしばしばだったし、また、青年らしい壮気と茶気の満々なこの若い主君は、それを知ってわざと不意を衝くようにも思われた。  けれど市川大介は、さすがに兵法者であった。信長がどう虚を衝いても、大介が命令一下に、貝が吹かれ太鼓が鳴ると、どんなに乱れていた兵も馬も、青田の早苗のように、揃って並んだ。  短気はいうが、信長の機嫌は、顔にあらわれ、満足そうであった。  ──きょうも。  すでに朝から二刻ほども、烈しい教練をやったので、信長は、那古屋の城へ人数を向け、自身もその中の一騎となって、庄内川の河原から引き揚げて来た。  ちょうど、土用の太陽は、曠野の真上にあって、火車のように灼けていた。水に濡れたままの兵や駒は、縦隊を作って蜿って来た。キチキチキチ……と青い螽が信長の姿に飛び交う。むうっと暑い草いきれが面を撫であげる。  水に浸って、鳥肌になっていた顔には、もう汗のすじが流れ出す。信長は時折、馬上で顔の汗を肱で横にこすった。もうそろそろ常の特色が出て、粗暴で不良性で、うつけといわれる挙動が、眼づかいにも、することにも、及んで来た。 「あれッ。何だろ。──待て待て、異な奴が、駈けて来るぞ」  突然。  信長がそういって、列を振り向いた時、それより早く、何事かに気づいた後方の武者たちが、列を脱けて、五、六名、ばらばらッと背よりも高い草むらの中へ、駈けこんでいたのである。  そこに、隠れていた者がある。  それは今朝からこの附近へ立ち廻って、信長へ近づく機会を半日も待ち構えていた日吉であった。  さっき、密かに信長の姿を川に見て、折もあらばと、うろついているうち警固の足軽に見つかって、脅されたので、帰城の道すじを考えて、道の辺の深い草むらの中に潜りこんでいたのだった。 (今だッ!)  と、彼は心に奮い立つと、その意志の前には、何ものも見えなかった。  ただ馬上の青年信長のすがたが、彼のらんらんたる眸のうちに、大きくいっぱいに在っただけであった。  ──その時。  日吉は大声で、何か叫んだ。  が、何をさけんだか、自分でもわからなかった。  生命がけである。  信長の耳へ、その声も届かず、近づきも得ないうちに、警固の者の朱柄の長槍で、突き殺されるかもしれないのである。  それを怖れては、出来ないことなのだ。彼にとってはこの一瞬が、生涯の潮へ乗るか反るかであった。  草むらから身を起すと、信長の姿を目がけ、眼をつぶって、駈け出しながら、 「望みある者でございます。お召仕いくださいましッ。──主と仰ぎ奉って、身命を抛って、働きたい望みある者でございますッ!」  自分では、  駈けつつ、それだけの言葉を、大声で訴えたつもりではあるが、非常な昂奮をしていたし、とたんに、予測していた警固の士が行列を出て、自分と信長のあいだへ、槍を把って遮って来たので、気は上ずり、声は割れて、人には何と聞えたか、恐らく、意味をなしてはいなかったろうと思われる。  それになお──  彼の風体は、ただの土民より惨めだった。髪はよごれ、埃や草の実がたかっていた。顔は汗のすじを描いて、黒く赤く、眼ばかりが、飛びつくように、信長のほうを見て駈けて来たのである。 「こらッ、何処へ」 「無礼者ッ、突き殺すぞ」  日吉の眼には、遮る槍も見えなかった。  が──槍の柄で、向う脛を払われたので、信長の馬前から十歩ほどてまえで、一度、もんどり打って倒れた。  しかもまた、刎ね起きて、 「──望みあんなる! 望みあんなる! わが君ッ。わが君ッ!」  喚きつつ、槍のあいだを駈け、信長の駒の鎧へ、つかまろうとした。 「穢い奴めッ」  信長が、一喝した時、日吉のうしろから追いすがった士の一人が、襟がみを把って、彼の体を、大地へ抛りつけた。  それへ向って、 「こいつ!」  と、槍が走ろうとした時、 「突くな」  信長がいった。  見も知らぬ──そして穢い姿をした異様な小男が──自分へ向って、家来でもないくせに、わが君、わが君、と呶鳴りながら駈けよって来たのが、ふと信長の眼を注意させたのであった。  いや、もっと大きな理由は、日吉の満身に燃えていた、希望の焔が、信長をして、思わず、  ──待て!  と、止めさせた最大な力であったかも知れない。 「問うてやれ、何か、いわしてみい」  信長の声が、耳にはいると、日吉は体の痛みも、近侍たちの眼も、ほとんど覚えなく、その人の姿だけを仰いで、懸命にいった。 「──父は元、御先代のお館、信秀様の足軽組に仕えおりました、木下弥右衛門と申すもの。てまえは、弥右衛門の子日吉といい、父の亡い後、中村で母と共に暮して来ました。年頃、ふたたび御奉公の折もがなと、伝手を求めておりましたが、所詮、御直訴のほかはないと、死ぬる気で参りました。──すでにここで突き殺されて死ぬる気でございましたから、後々、御奉公には、生命惜しみはしまいと、自分でも思われます。どうぞ、私の生命ひとつ、拾い取って、お召仕い下さるなら、草葉の蔭の父も、御領下に生れた私も、共に本望にぞんじまする」  早口だった。半ばは夢中だった。けれど日吉が、 (この君ならでは)  と、見込んで、生命を賭して訴えただけの情熱は信長の心へ、十分に届いた。信長はむしろ、日吉の言葉以上に、日吉の真実を買った。  しかし、苦笑して、 「怪態なやつよのう」  と近侍を顧みながら云い、そして、馬上から、 「我に、仕えたいというか」 「はい」 「して、汝は、何の能やある」 「何の能もございませぬ」 「何の能もなく、主取りして、何をいたそうと思うか」 「事ある時、死なんと思うのほか、べつによき能も持ちませぬ」  信長は、すこし気に入ったらしく、口ばたに、笑くぼを作った。──それからなお、じっと、見直して、 「よしッ。──したが其方はただ今、我を目がけて、わが君と、再度まで呼ばわったが、信長はそちを、家来とゆるしたことはない。そちもまた、召仕われぬ身で、何故、我をわが君と呼ばわったのか」 「御領土の下に生れ、日頃からまた、仕えるなら彼の御方と、胸に思い込んでおりましたため、つい、口にも出たものと思われます」  信長は大きく頷いた。そして、市川大介を顧みて、 「大介」 「はあ」 「おもしろいぞ、この男」 「いかさま」  大介も苦笑した。 「望みにまかせ、拾うてくれよう。日吉とやら、きょうより出仕せい」 「…………」  日吉は、声がつまって、咄嗟にその欣びを、口に出せなかった。  行列の武者たちは、 「また、わが殿の、物好きな」  と、驚いた顔したが、その中へ日吉がのこのこはいって来たので、 「おい、もっと、列の後の方に従け。荷駄の尻っ尾へついて来い、荷駄の尻っ尾へ」  と、眉をひそめた。 「はい、はい」  唯々として、日吉は、行列の最後方に尾いて歩いた。それすら彼は夢心地になるほど欣しかった。  信長の行列がかかると、那古屋の町々は、掃いたように、往来が開かれ、廂の下や辻には、人間の頭がたくさん土下座していた。  日吉は、初めて、そういう往来の真ん中を歩いた。そして行列の前方に、遠く主人の背なかを見ながら、 (この道だ。この道だった)  と、思った。長いあいだ探しあぐねた本道へ、今ようやく、出て来たという心地である。  だが、その主人は、武者を率いて、町を歩くにも、傍若無人だった。少しも取り澄してはいないのだ。家来たちと、話はするし、笑うし、喉が渇いたといっては、瓜など齧って、馬上から、瓜の種を、吐きちらして歩いた。  那古屋城が、前に迫った。  濠の水は青く沸いていた。  唐橋を渡って、行列は城門へ蜿蜒と隠れて行く。──日吉は、生れて初めての、橋を越え、門を潜った。  秋の頃だった。  刈入れに忙しい人々を田の面に見ながら、てくてくと中村へ急いでゆく小背丈な若侍があった。 「おっ母さんッ」  若侍は、筑阿弥の家の前まで来ると、恐ろしく大きな声で訪れた。 「まあ! 日吉ッ……」  彼の母はその後、また、子を生んでいた。干し拡げている小豆の中で、子を抱いて、弱々しい皮膚を陽なたに曝していたが、 「おお?」  振り顧って、変ったわが子の姿を、突然そこに見ると、悲しいのか欣しいのか、彼女の顔に、一瞬、つよい感情がつきぬけて、眼は涙にくもり、顔じゅうの筋はぴくぴくふるえた。 「わしじゃ! おっ母さんッ。……みんな達者でか」  飛びつくように、母の莚へ──その乳の香のする懐のそばへ、日吉が坐りこむと、母は片手の乳のみ児と同じように、日吉をも抱きよせて、 「どうしやった。どうしやったぞ? ……」 「どうもしません。きょうは、一日お暇が出たので、お城へ御奉公に上がってから、初めて外へ出たのです」 「あ……そうか。……それで安心しました。突然来やったので、何ぞまた、不首尾でもでかして、お城を追われて来たのではないかと、わしは、胸がどきッとして……これこのように冷汗をかいてしもうたがの」  ほっと、安心したのであろう。彼女は初めて、笑顔を見せた。  そして沁々、わが児の成長をながめ、また、垢のついていない小袖や、髪の結いぶりや、刀、脇差などを見て、ほろほろと涙をながした。 「欣んで下さい、母上。やっと私も、信長公の御家臣の端に加えられ、この通り、まだ御小人組の端ではありますが、どうにか侍奉公する身にはなりました」 「ようなあ。……ようまあしやったなあ」  襤褸た袖口をあてたまま、彼女は顔を上げ得なかった。  その背を、今度は日吉が抱えてやりながら、 「きょうは、母上に欣んで戴こうと思って、朝から髪も結い、小袖も新しいのを着て来ました。……けれど、まだまだ、これからです。私が御奉公を見せるのも、ほんとに、欣んでもらうのも、──おっ母さん、どうか、長生きして下さいよ」 「この夏の頃、そなたが、庄内川の河原で、御領主様へ向って思いきったことしやったと聞いた時……わしはもう、そなたの生命はないものと、泣き明していたものを……こんな嬉しい目に会おうとは」 「その後、委細は、乙若どのから、言伝てがあったでしょう」 「おお、乙若どのが来て、そなたが御領主様のお心にかない、御小人衆に抱えられたと聞かされて──もうそれを聞いてやれうれしや、死んでもよいと思いました」 「はははは。これしきのことで、そんなにお欣びなされては、これから先、どうしますか。──まず第一に、お聞かせしたいのは、御主君信長様から名氏を名乗ることをゆるされました」 「ほ。なんと? ……」 「姓は以前の木下。名は藤吉郎と改めました」 「木下藤吉郎といやるか」 「そうです。よい名でしょう。もうしばらくは、この茅屋と襤褸の御辛抱をねがいますが、母上も、もっとお心を、確と大きく持ってください。──木下藤吉郎の母であるぞと」 「うれしい。こんなうれしいことはない」  母は、そればかり繰り返して、藤吉郎のいう一言ごとに、すぐ涙してしまうのだった。 (こんなにも、欣んでくれる人がある!)  藤吉郎は、それを大きな幸福に思った。世の中に誰あって、こんなに真実に、些細なことをも、大きく欣んでくれる者が、この母を措いてどこにあろうか。  三年、五年の漂泊も、その間の飢えや艱難も、むしろこの一瞬の幸福を大きくするために越えて来たもののようであった。 「時に、姉上は、どうしましたか。姉上の姿が見えませんが」 「おつみか。おつみは、よそへ刈入れの手伝いに行っている」 「丈夫ですか。元気ですか」 「変りはないが、あれものう……」  と、ふと母は等しい愛を、おつみの傷ましい青春へ思いやった。 「帰って来たら、そういって下さい。姉上にも、長いご苦労はかけません。今に、この藤吉郎が一かどになったら、繻珍の帯、金紋の箪笥、嫁入りに不足はさせぬと。……はははは、相かわらず、私のいうことは、とりとめないと、母上もお思いでしょうな」 「もう帰るのかや」 「お城仕えは、いちだんと厳しゅうございます。……それにな、母上」  と、藤吉郎は、声をひそめて、 「おうわさ申しては、勿体ないですが、一国一城の御主君という身も、お側近くに仕えてみると、なかなか下々の思うているようなものではありません。世間から見ている信長公と、那古屋城の中の信長公とは、たいへんな相違ですよ」 「そうであろうな」 「お可哀そうなくらいです。ほんとのお味方という者は幾人もありません。譜代の家来も一族も肉親までが、あらかた敵です。その中にいらっしゃる信長公は、まだ二十歳の孤君です。──百姓の喰えない苦しみが、一番辛いものだと思ったら、どうしてどうして、そんなものではありません」 「勿体ないのう。……まだわし達は」 「そう思えば、御辛抱もできましょう。が、人間と生れたからには、それでいいものではありません。幸福の道を切り拓いてゆきます。信長公も──それから藤吉郎も行く末には」 「その気持はうれしいが、余り、功に逸っておくれでない。たとえそなたが、どれほど出世しようと、わしの欣びは、これ以上はない」 「では、御機嫌よう」 「もちっと、話して行かれぬのか」 「御奉公が大事ですから」  彼は黙って、母の莚へ、なにがしかの金を残して立った。そして頻りと、懐かしそうに、そこらの柿の木や、籬の菊や、裏の物置小屋などを、何度も見まわして帰って行った。  その年は、それきり来なかったが、年の暮には、足軽組の乙若が来て、 「藤吉郎から頼まれたが」  と、一反の織物と、金子と、母の薬とを入れた包を届けて来た。  その折、乙若の話には、 「今は、御小人組の端だが、二十歳にでもなれば、もちっと、お扶持も増されようし、御城下のお長屋にでも住むようになったら、母上を側へ呼ぶのだといっている。あの息子も、ずいぶん突拍子もないところもあるが、割合に人づきあいはよいとみえ、朋輩たちにも、そう嫌がられてはいないようだ。……何しろ、庄内川であんな無茶をしたにしては、生命びろいをしたようなものさ。運のいい男だよ」  と、藤吉郎の近状を、そんな程度に伝えて帰った。  おつみは、その初春、初めて垢のつかない小袖を着たので、 「弟が送ってくれました。……お城にいる藤吉郎が」  と、どこへ行っても、弟が弟がと、口に出さずにいられなかった。 じゃじゃ馬  どうかすると信長は、無口になって、終日鬱ぎこんでいる日があった。非常な癇癖を抑えるためにはまた、非常な無口と憂鬱の現象が、自然起るのかも知れない。  そんな時である。 「卯月を出せ。卯月を」  いきなり呼ばわって、城外の馬場へ駈け出して行ったりした。  先殿様の信秀時代には、一年のうち半年以上も、たえず西に攻め東に護り、一生戦争に暮していて、居城のうちに落着いていられる暇もほとんどなかったくらいだが、そんな中でも、およそ朝は祖先の礼拝、近侍の受礼、講書や武道の稽古、それから夕刻まで領内の政務を見、また晩には、軍書に親しむとか、評議とか、寸暇を寛いで家庭の良い父になって興じるとか──一定の規律があったものだが、信長の代になっては、そういう定規はなくなってしまった。  というよりも、信長自身の性格が、そういう定規にあてはまらないのである。 (やろう!)  と思い立つことも、 (止めよう)  とする意思も、彼の心のなかでは、常に、夕立雲の如く、唐突に去って、唐突に起ってゆくので、彼自身さえ、自身を規律で制していることができないらしかった。  あわてるのは近侍であった。  きょうは珍しく、書物に親しんでおられる──きょうはまた可憐らしく、亡き御先代のために、お仏間にお坐りになった──。などと油断していると、雷の子のように、 「卯月ッ。卯月を曳けッ」  と、声がする。  声がした時にはもう、そこにはいないにきまっていた。時を嫌わぬこの殿の行動に、近侍たちはあわをくって、厩へ駈け、馬場へ追いかけ、それでも、 (何を愚図愚図している)  と、いわぬばかりな顔をしている主人の前へ、ようやく駒を曳いて行くのだった。  卯月というのは、彼が乗り馴れた白い愛馬だった。しかしこの馬もやや老境に入って、旺んな信長が乗り叩くには、彼も物足らなかったし、馬も物憂くなっていた。 「……ち。ち。ちッ」  信長は、口輪を持って曳きまわしていたが、 「重いのう。水を飼え」  と命じた。 「はッ」  馬柄杓を把って、ひとりは馬の口を開け、がくと水をぶっかけた。  信長は、馬の口へ手を突っこんで、馬の舌をつかんだ。 「卯月め、きょうは悪い舌をしておるな。これでは脚の重いはずじゃ」 「風邪ぎみのようでございます」 「卯月も、老いて来たか」 「大殿のおかたみでございますから、はや馬齢もだいぶ」 「馬齢か。なるほど、那古屋の城には、卯月ばかりか、馬齢のみ取ってゆく老いぼれどもの何と多いことじゃ。いったいに今の時勢が馬齢の世の末じゃ。十幾代にわたる室町将軍家を始め、規律ずくめ、儀礼ずくめ、嘘ずくめ。腐っている。老ぼれておる!」  誰にいうのでもない。天へ怒るように独り語に云い、そしてぱっと、鞍へあがって、袴を割ると、 「風邪ひき馬を、ひと鞭、汗とりしてくれよう」  と、馬場を駈け始めた。  騎馬の上手は、天稟だった。市川大介が師範であったが、近頃は独り乗りこなして、むしろ大介を後に見ていた。  若い元気いっぱいな信長にたたかれると、卯月はやがて、汗にぬれて来た。──と、彼の駒を、恐ろしい脚速で、鮮やかに追い抜いて行った一頭の黒鹿毛があった。  不意に、自分の駒へ、後塵を浴びせて追い抜いて行った黒鹿毛を見ると、信長は、 「あッ、五郎左め!」  と、躍起になり、 「小癪な鹿毛」  と、競って行った。  五郎左という若侍は老臣の平手中務の子で、城内では鉄砲頭を勤め、優れた士のひとりだった。  先代信秀が、信長のために、傅役としておいた老臣の平手中務には、三人の男子があった。惣領が五郎左衛門、次男が監物、三男を甚左衛門といった。  信長の気性が、その時、無意識に駆りたてられていた。  追い抜かれる──  ひとに遅れをとる──  後塵を浴びる──  おくびにも、そういったことは、そのままではゆるされない彼の気性だった。  びゅッ、びゅッ。ふた鞭ほど、彼は、烈しい鞭を自分の駒の卯月に加えた。  もう老いかけてはいても、卯月も名馬である。  大地は、蹄に鳴り、卯月の蹄が、大地を蹴るのが見えないほど、迅い脚で駈け出した。  卯月の銀毛のような尾が、真ッ直ぐに風を曳いて、五郎左衛門の鹿毛のそばを、勢いよく駈け抜けて、前へ出たので、五郎左は、 「殿、殿、お馬の蹄が割れますぞ」  と、注意した。  すると信長は、 「五郎左、もう続けぬのか」  と、すこし揶揄していった。  五郎左もまだ二十四、五の若気であり、主人に上手のいえない士だった。心外な、という顔して、 「何の!」  と、ばかり追い込むと、信長も負けない気になって、駒の鐙をたたきに叩いた。  卯月は、織田の卯月と、敵国にまで聞えた名馬であり、値にしても、その馬格からしても、五郎左の飼い使っている鹿毛などとは、本来、比較になる馬ではなかった。  けれど鹿毛は若く、鹿毛の乗人はまた、平常、信長のように、主君扱いされて、驕っている者とはちがう。なお、馬に騎る修行も鍛練も、ずっと違う。  五郎左は、前を駈ける信長の卯月をめがけて、遮二無二、迫って行った。  二十間ほども越された距離の差が、十馬身ぐらいにつまり、五馬身となり、一馬身となり、鼻ぐらいな差になって来た。 先人を越すは易く 後人に越されざるは難し  という古語のとおりに、それを越されまいとする信長は、息がきれて来た。  そして、その息を──一息抜くまに、五郎左衛門の駒は、鮮やかに彼を追い越し、ぱっと、砂塵を後に浴びせて、なお、馬場を半廻りも先まで、馬の余勢なりで跳んで行った。 「ちいッ」  と、舌打ちしながら、信長は鞍をすてて、地上へとび降りていた。自分の本質をむき出して、しかも闘い破れた苦しい気持から、その面は、喘いでいる馬よりも、悲痛だった。 「ウウム。良い脚だ。あの鹿毛は……」  信長は、自分の敗因が、ただ鹿毛の脚にあるものと思って、独り唸いていた。  鹿毛と卯月とが、烈しい脚を競合って駈けたのを、遠くから眺めていた家臣たちは、やがて敗れた信長が、途中で駒から降りてしまったのを見ると、 「やっ、五郎左に抜かれて、御気色を損じたに違いないぞ」  と、後の不機嫌を案じながら、あわてて此方へ駈け集まって来た。──と、誰よりも早く、信長に近づいて、茫然としている信長の前へ、 「お水を。……お水を一口」  と、ひざまずいて、塗柄杓をさし出した小者があった。  それは先頃、御小人組の中から選ばれて、信長の草履をつかむ小者にまで昇格した藤吉郎であった。  草履取といっても、数多い御小人組のうちから、主君の足もとまで、身近く出られる身になったことは、破格な立身で、わずかな月日に、そこまで来た藤吉郎は、身を粉にして、現在の小者の職務に忠勤と誠意を打ちこんでいた。  ──が、主人の眼というものは、常に見ているようで、そのくせ、一つや二つの気働きぐらいでは、眼もくれる風も見せない。  今も、信長は、藤吉郎が誰よりも先に駈けつけ、吩咐けられぬ先に、 (お水を)  と、すすめても、信長は、彼の顔などは見もしなかったし、ウムともいわなかった。黙って、塗柄杓の柄を取ると、一息に飲みほして、藤吉郎の手に返し、 「五郎左を呼べ。五郎左を」  と、命じた。  その答えは、近侍がした。あわててそこへ集まって来た家臣のうちから、一人がまた、彼方へ駈けて行った。  五郎左は、馬場の柳に、駒を繋いでいたが、信長の召しを聞くと、 「ただ今、御前へ参ろうと存じているところ──」  と、答えた。  そして悠々と汗をぬぐい、襟をかき合わせ、刀の笄を抜いて、乱れた髪の毛を撫でつけていた。  五郎左は、主君の前へ出るまでに、もう或る覚悟をきめていた。  信長の気色から推して、信長の近侍たちもまた、彼の身が、ただではすむまいと固唾をのんで、差し控えていた。 「五郎左にございまする。ただ今は、失礼を仕りました」  覚悟の程は、肚の底にすえていても──こういってひざまずいた五郎左の物腰は、涼やかなものだった。  案外、信長もまた、彼の神妙な態度に、面をやわらげて、 「五郎左、よく追ったのう。そちはいったい、いつの間に、あのような名馬を手に入れたか。あの鹿毛は、何と申すか」  と、訊ねた。  家臣たちはほっと気を安めた。  五郎左は、微笑の顔を、すこし上げて、 「お目にとまりましたか。実はてまえも、いささか誇りといたす愛馬で、南部の馬商人が、京の貴人へ、高値に売るとて、都へ曳いて上るのを、強って所望いたしたものにございまする。──が、値ほどな金子を持ち合わぬ身、よんどころなく、父より貰いおきました『野分』と銘のある家宝の茶盌を売り払い、それにて求めましたので、鹿毛の名もそのまま、野分と名づけて飼い馴れておりまする」 「ふむ……。そうか。いや道理で、近ごろ優れた名馬とわしも見た。五郎左、あの野分、信長が所望じゃ。信長にくれい」 「は……」 「よかろう。値はいくらでも取らすであろう。信長が貰うておくぞ」 「……いや。恐れながら」 「なんじゃ」 「お断りいたしまする」 「いけないのか」 「はい」 「なぜじゃ。そちはまた、よい駒をさがせばよかろう」 「よい友は求め難いように、よい駒も、そうあるものではございませぬ」 「だから信長に譲れというのじゃ。信長とても、乗りつぶれぬ程な逸駿を、心がけていた折じゃ。強って望む」 「強ってお断りいたしまする。──何となれば、てまえの愛馬は、ただてまえの自慢や遊び事の備えではございませぬ。事ある時は戦場において、男がいある御奉公も致さばやと、心がけの一として、飼い馴らしておるものです。折角、わが君のお望みにはござりますが、武士にとって大事な駒、差し上げるわけには相成りませぬ」  奉公のため、武士のたしなみのため──という彼の強いことばに、信長もそれ以上、無下によこせとも云い得なかったが、なお、執着とわがままは、捨てきれなかった。 「五郎左」  と、重ねて、 「嫌か。どうしても嫌か」 「この儀ばかりは……」 「そちの身分には、あの鹿毛は、ちと過物であろうが、そちも父の中務ほどな士になったら、野分ほどな駒にも乗れ。──まだ若い身に、鞍負けするというものじゃ」 「恐れながら、御意はそのまま、殿へお返し申しましょう。──お鞍の上で、串柿や瓜など喰べて、御城下をお練りあそばすには、何も、名馬のお選みは御無用かと存ぜられます。むしろ五郎左の如き武士に飼わるるこそ、野分も本望の筈と覚えまする」  と、いって退けた。  五郎左は、つい、いってしまった。馬を惜しむ心よりも、日頃の忿懣が、思わず、口をついて出てしまったのである。 孤君と老臣  五郎左衛門の老父、平手中務政秀は、二十日あまりも、門を閉じて、邸に籠っていた。  彼として、めずらしい例といわねばならない。  十年一日の如くというが、彼の奉公は、織田家二代にわたって、四十年一日の如くであった。  先代織田信秀から、その臨終に六尺の遺孤信長を、 (頼むぞ)  と、託されてから後は、信長の守役として、一国の藩老として、なおさら、彼は老骨に鞭打って仕えて来た。  その日。──もう夕方。  彼は、独り鏡を眺めていた。 「…………」  自分の髪の真っ白になっていることに、今さらのように、彼は愕きの眼をもって、鏡の中の自分を見ていた。  白くもなる筈。もう齢も六十いくつかであった。  が、その年すら、数えて閑を思う暇もなく来たのである。年を思い、髪の白さに気づいたのも、門を閉じた二十日あまりを、幽居の身となったお蔭であった。  鏡筥の蓋をして、 「勘解由、勘解由」  ふすま越しに呼ぶ。  小侍に、燭台を持たせ、次に、用人の雨宮勘解由が、そっと小暗い端に畏まった。 「勘解由、使いは出たか」 「はい、もう先刻に、遣わしてござります」 「では、見えような」 「程なく、お揃いで、お出で遊ばすことと存じますが」 「酒のしたくも」 「お珍しゅう、お揃いで」 「うむ。鬱はらしじゃよ」 「至極、結構に存じまする。何ぞなお、温かい馳走なと、作らせておきましょう」  勘解由は、去った。  二月の初めだったが、まだ梅のつぼみすら固かった。ことしはひどく寒く、池の面の厚氷は一日溶けなかった。  さっき使いを出して、呼びにやったのは、各〻、べつに邸を持っている三人の息子たちへであった。  本来、こういう大きな邸では、総領は元よりのこと、次男三男でも、皆、大家族的に妻から孫まで一つに住んでいるのが、世間の慣わしだったが、中務は、 (朝夕、子や孫どもの愛にひかされては、少しでも、御奉公の懈怠になる)  といって、皆、べつに邸を持たせて早くから妻にも別れた身を、孤独で暮していた。  そして、先君の遺孤、主君の信長を、主と護るのみでなく、わが子とも思いこめて、守役の大任を負いとおして来たのだった。  ところが先頃からその信長は、少しも爺よ爺よと、自分を慕わなくなった。──のみか、面を横にし、耳をふさいで、自分のことばをも、厭う風であった。  不審に思って、近侍の者に糺してみると、 「御子息の五郎左衛門殿と、お馬のことから実は──」  と、数日前、馬場であった気まずい事件を、話してくれた。 「……さては、それで」  と、中務は、初めて解けたが、さてさて、困ったものと、当惑の顔いろだった。  不興を蒙った五郎左衛門も、以来、出仕止めとなって、謹慎しているらしいし、その余波で、自分の言は、まったく信長の耳へ、真っ直ぐに通らなくなったように思われる。  柴田権六勝家、林美作などという、常に、一方に立つ家臣はまた、 (この機に)  とばかり、信長に媚びて、甘言をすすめるため、主君と中務父子の間は、なおさら濠を深められた形となった。  二十日あまりの幽居のあいだに中務はしみじみ、自分の老いを知った。  君側には、柴田権六や、林美作などの、新しい勢力が興っている。  その力は若かった。  中務は、四十年の忠勤のつかれで、もうその人々と、闘う精はなかった。  だが、自分の老いを知れば知るほど──孤君信長の前途と、主家の将来は、強く案じられて来た。  なお、その老後の骨を、孤君のために、用いようとして、この二十日余りを、籠っていたのであった。 「お二方、お揃いで、ただ今お見えになりました」  用人の勘解由が、やがてまた、彼の居間へ告げて来た。 「そうか。今参る」  と、答えておいて、中務は何か書きものをしていた。硯の水も凍るような宵の寒さに、背を曲げて。  それは、きのうから、苦吟して書いていた、長い書面であった。きのう書いたそれへ、また筆を入れて、謹厳に、清書しているのであった。  書院では、総領の五郎左衛門と次男の監物が、父の使いをうけて、何事かと来て、火鉢を囲んで待っていた。 「ご病気かと驚いた。不意に使いが見えたので」  監物がいうと、五郎左衛門は、顔を振って、 「いや、わしはそうも思わなかった、いつぞやのことが、お耳にはいり、さてはお叱言だなと、すぐ感じた」 「だが、あのことなら、もう二十日も前に、父上のお耳へははいっている筈。──急にお呼びつけになるからには、何ぞほかに、御用があってのことだろう」  幾歳になっても、父は怖い。兄弟は、父の姿の見えるまでが、待ち遠しくもあり、心配でもあった。  三男の甚左衛門は、他国の縁家へ行っているので、この宵には、来合わせなかった。 「来たか。寒いのう」  父の中務は、やがて襖を開けて現われた。兄弟は、すぐ父の白髪と、めっきり痩せて来た面窶れに、眸を向けた。 「どこか、お体でも」 「いや、この通り、変りはないがな、お前たちの顔を見たくなったのだ。年のせいじゃろ、時折、世のさびしみを、思うようになった」 「では、べつに何ぞ、急な御用というわけでも」 「そんなわけではない。久しぶりに、夕飯なと共にして、鬱でも語ろうと思うたまでのことよ。はははは。まあ、寛げ」  平常と、変りはなかった。  外は、霰でもこぼれて来たのか、廂にたばしる音が聞え、燭も、襖も、しんしんと冷えていた。  しかし、睦じい父子の酒盛は、やがてその寒気も忘れさせていた。父が余りよい機嫌なので、五郎左衛門は、主君の御不興をうけたことについて父へ詫びようと思いつつ云い出す折が見つからなかった。  そのうちに、膳も退げ、席をも改めて、中務は好きな薄茶を一ぷく命じて、気軽に飲んでいたが、ふと、掌にのせている茶盌から思い出したように、 「五郎左、わしがそちへ譲った家宝の野分の茶盌を、そちは人へ手放したときいたが、左様か」  と、訊ねた。五郎左は、ありのまま、 「はい。家宝の名器と伺っておりましたが、欲しい馬がございましたので、茶盌を売り払って、馬を求めました」  と答えた。すると、中務は、 「そうか。よかろう。その心がけがあれば、わしが亡い後も、御奉公向に心配はない。よく売り払った」  叱言かと覚悟していれば、かえってそれを、欣んでくれる父であった。 「──だがの、五郎左」  中務は、賞めておいて、屹と改まった。 「茶盌を売って、名馬を購う、そちの心がけは、大いによいが、聞けば、馬場において、殿の卯月を追い抜き、君公から後に、そちの鹿毛をくれいと、お望み遊ばしたものを、そちは、お断りしたというではないか」 「そのため、実は、御不興をうけまして、父上にも、私のため、とんだ御迷惑をかけ、何とも」 「これ、待て」 「はッ」 「父のことなど、さておいてじゃ。なぜ君公の御所望に対して、物惜しみいたしたか」 「…………」 「いやしい奴め」 「……父上」 「なんじゃ」 「五郎左を、左様に御覧じなされますか。心外でござりまする」 「ではなぜ、折角、欲しいとお望みならば、信長公に差し上げてしまわぬか」 「生命をすら──君公のお望みとあらば、いつなりと、差し出す覚悟をしておる侍の身、何で物惜しみなど仕りましょう。──それに名馬を持つのは、私事の道楽ではございませぬ。一朝の場合、戦場で御奉公を尽そうためにござります」 「もとよりのことだ。それは分っているが」 「駒をさし上げれば、殿のお気には召しましょう。しかし臣下のそういう気持も無視して、ただ御自身の卯月より、逸足と見て、すぐお望み遊ばすわがままな御気性がてまえには、口惜しゅうてなりません」 「…………」 「今の織田家が、危ういこと、てまえなど申すまでもなく、父上にはなおさらようくお分りでございましょう。──時折は、図抜けた御大器と思われるような場合もままございますが、所詮、お幾歳になられても、どうやらあのわがままと放縦な御気質は、天性かと嘆かれまする。あまりわれわれ家来達が、その御気性にはらはらして、わがままをお通し申すのも、忠義に似て、実はよくないことだと思っておりました。それゆえ、てまえもわざと、強情を張った次第でございます」 「いかん」 「いけませんか。てまえの心は間違っていたでしょうか」 「心底に忠義があっても、それではかえって、信長公の悪い御気性の方を、駆りたてておるようなものだ。──わしは、あの君様を、お乳の頃からお抱き申し上げ、わが子のお前たちよりも多く、この手に抱いて、お育てして来た。それゆえ、よう御性質も分っておるが、自体、大器でいらっしゃるだけに、細かい短所は人一倍お持ちでもある。そちが逆ったことなどは、いわばその大器の御天性から見れば、塵ほどでもないことなのだ」 「そうでしょうか。申しては畏れ多うござりますが、わたくしも監物も、また家中の心ある士は皆、御奉公がいのない暗君と、嘆かぬものはありませぬ。──柴田権六、林美作などは、かえってその暗君ぶりを、勿怪の倖いと欣んでおりましょうが」 「そうでない。……ひとは何といえ、わし独りはそうは信じられぬ。おまえたちも、飽くまで、あの君のままに従え。わしが亡い後は、なおさらのことぞ」 「その儀は、お案じなされますな。たとえ御不興をうけても何でも、節義にゆるぎはないつもりです」 「それ聞いて、安心した。──如何せん、わしははや老木、わしの接木となって、御奉公を尽してくれよ」  ──後で思えば、その夜の中務の言には、思い当るふしが幾らもあったが、五郎左も監物も、まさか父が死を決していたとは気づかず、やがて霰降る夜更けを帰って行った。  平手中務の自害は、その翌朝、見出された。見事な自刃の姿であった。  駈けつけた五郎左と監物の兄弟は、父の死顔から、何の心残りも苦悶の姿も見出せなかった。  遺言は、昨夜の席で、生前の温い唇から聞いていた。遺族に対しては、だから何の遺書もなかった。  ただ一通。  御主君へ──  と、信長へ宛てて遺書があった。遺書はすぐ、城へ届けられた。 「何。爺が──?」  彼の死を聞いた時、信長の顔には、大きな愕きが走った。  遺書は長文で、言々句々が、中務の真心をこめた、苦諫の文字であった。  死をもって、中務は、信長を諫めたのである。信長が天成の大器であることも、その長所をもよく知っている中務の諫言だけに、信長はそれを読んでゆくうちに、涙より先に、びしびしと、鞭打たれるような、真実の痛さを胸にうけた。 「爺よ。ゆるせ」  信長は、声をもらして泣いた。  中務に対しては、わがままの云いたい放題をいい、また、内外の苦労をかけ通して来ただけに、君臣とはいえ、父以上な親しみを抱いていたのである。──たとえば今度のことなども、わがままを出しやすい彼へ、例によって、知りつつわがままを振舞っていたのだった。 「五郎左を呼べ」  すぐ命じた。  やがて、五郎左が見えて、平伏すると、信長は席を立って、対坐になり、 「爺の云い遺したこと、一言もあまさず、信長の胸に沁みてぞ。終生忘れはおかぬぞよ。詫びは、それしかない。それしかない。……」  主君が臣下へ、手をつきかけたので、五郎左はあわてて、その手を取って拝み、君臣抱き合って泣いていた。  その年、城下に一宇の寺を建立した。爺の菩提のために、という信長の発願からであった。 「寺号を、何と名づけましょうか。開山の和尚に、撰号の儀、お命じなされては如何なもので」  奉行が訊ねると、信長はかぶりを振って、 「寺僧の名づくるよりも、爺は、わしがつける寺号をよろこんでくれよう。わしが撰ぶ」  筆を取って、政秀寺とすぐ書いた。  平手中務政秀の名のりを、そのまま取ったのである。  その後。  何か思い出すと、信長はよく唐突に、政秀寺へ行った。行っても、回向したり、読経の僧と共に坐っていることなど、滅多にない。 「爺よ。爺よ」  つぶやきながら、寺のあたりを一歩きして、ぷいと帰城してしまうだけだった。  そうした感情が、時には、狂人じみて現われることすらあった。  鷹狩の折、突然、小鳥の肉を引っ裂いて、 「爺ッ、爺ッ。信長の捕った獲物ぞ。これを受けよ!」  と、虚空へ向って、投げつけたりした。  また、川狩の日に、いきなり足で川水を蹴上げて、 「爺ッ。成仏せよッ」  と、叫んだ声や眼ざしのただならぬ烈しさに、家臣たちが、呆っ気にとられたこともあった。 茨を拓いて  弘治元年。  信長は二十二歳となった。  その年の四月、信長は、一族の織田彦五郎と乱を醸して、彼の居城、清洲を攻め、占領後、那古屋から清洲城へ移った。  やったな!  藤吉郎は、ひそかに、そう思って、信長の手際を見ていた。  右も茨。左も茨。  孤君信長を繞って虎視眈々な一族がたくさんいた。それが、叔父だの兄弟だの身寄りだのという者だけに、荊棘を拓くのも、敵以上であった。  家柄からいえば、清洲の織田彦五郎は、織田一族中の宗家だった。しかし宗家の彦五郎は、信長を、 (油断のならぬうつけ)  と、警戒していた。そして事々に圧迫を加え、信長の自滅を計った。  清洲城には、その前から守護家の斯波義統が養われていた。義統の子義銀と、義統とは、信長に同情をもっていた。  それが、発覚したのである。彦五郎は、怒って、 「恩知らずの見せしめ」  と、守護家を斬ってしまった。子の義銀は、信長の所へ逃げて行った。  信長は、義銀を、那古屋の天主坊へ匿って、その日に軍馬を催して、清洲城へ殺到したのである。 「守護家を奉じて」  と、彼は将士を鼓舞した。  名のない戦はしない。まして宗家を攻めるには、義と名分の旗じるしが要る。──が彼は、その機会に荊棘の一方を、やっと切り拓いたのであった。  那古屋城へは、叔父の信光を、自分の跡に入れておいた。  が、何者にか、信光は暗殺されてしまった。 「佐渡、そちが行け。那古屋はそちならでは、信長に代って、留守する者はない」  林佐渡守へ、命が下った。 「身命をもって」  と、おうけして、佐渡は那古屋へ赴いて、城代の任に就いた。  心ある家臣は嘆いた。 「ああ、やはり暗君はやはり暗君でいらせられる。──時折は、ぎょっとするような御英気の閃きをお見せあるかと思えば──あの林佐渡守などを、お信じあるようでは……」  事実、佐渡の行動には、怪しいふしが多かった。  信長の父が生きていた頃は、彼も無二の忠臣といわれたもので、そのため、先代信秀から、平手中務と共に、遺子をたのむぞ、と死後を託された一人だったが、その信長の放縦と、つかまえ所のない天性に、見限をつけてしまったものとみえ、専ら、信長の弟信行と、その母堂のいる末盛城へ近づいて、折もあらば、信長を廃嫡し、信行を主君の座に立てようと意図している男だった。 「殿には、佐渡の気ぶりを、ご存じないのであろうか」 「ご存じあれば、よも那古屋の城を、お預けにはなるまい」  眉をひそめて、憂いあう家中の者のささやきを、藤吉郎も、一度や二度でなく耳にした。  が、藤吉郎は、 (はてな。こんどの寸法は、どう遊ばすお考えかな?)  とは思ったが、他の家中のような心配は、すこしも抱かなかった。  清洲の城で、いつも明るい顔は、孤君信長と、御小人仲間にいるひとりの草履取だけだった。  信長を、天性のうつけと見た先入観は、家臣の一部でも、なかなか脱けなかった。  林佐渡守、弟の美作守、そして柴田権六勝家などの重臣が、それだった。 「何。美濃の斎藤道三どのと、聟舅の初対面をなされた時の信長公の仕方は、なかなか平常のうつけとは違っていたとか。──はははは。あれはうつけの紛れ当りというもの。先が儀式張ってござったところへ、こちらが恐いもの知らずの無法と出たので、さすがの舅どのも、度胆を抜かれたまでのことよ。例にもいう。莫迦につける薬はないとな。その後の事々、御行状、どう眺めても、救いはない」  柴田権六などの観察はわけても徹底していた。所詮、将来性はないときめているので、そういう放言も、次第に大びらになっていた。  その点で共鳴している林佐渡が、那古屋の城代になると、権六勝家は足しげく、那古屋へ往来した。そしていつか其処は、陰謀の苗床となっていた。 「よいのう、雨夜は」 「かえって、茶には、一しおの趣を添えて」  茶によせて、佐渡と権六は、城内の庭木に蔽われた狭い一室にさし対っていた。  梅雨すぎだったが、まだはっきりしない夕空から、雨がこぼれ、青梅の実が、たまたま、ぽとッと地に落ちた。 「あすは霽りましょう」  梅若葉の下から、佐渡の弟の美作守が独り語のようにいった。燈籠へ灯を入れに出たのである。 「…………」  灯を入れた後もしばらく、美作はそこに佇んで、四辺を見廻していた。  やがて、離れへ戻って来ると、声を低めて、 「異状はございませぬ。家来どもも遠ざけてござりますゆえ、お心おきなく」  と、兄と権六へささやいた。  権六勝家はうなずいて、 「では、早速、本題にかかろうか。──実はきのう密かに、末盛城へ伺って、親しゅう御母公様にもお目にかかり、勘十郎信行様とも、談合して参った。……で後は、其許の心ひとつときまったが」 「御母公には、何と仰せられてか」 「それはもう、異議のう御同意じゃ。何しても、信長公よりは、信行様のほうが、お可愛くてならぬお方じゃて」 「ふム……。然らば、御舎弟信行様にはもとより御決心か」 「佐渡や権六が起つならば、織田家のため、信長公へ弓をひいても、是非あるまいと」 「専ら、お許が説いたのでござろうが」 「それや何しても、相手が御母公やら、気の弱い信行様のこと。そう油をかけて力説せねば、動くはずもござらぬ」 「いや、おふた方さえ、承知とあれば、名分は充分にある。信長公の暗愚を憂い、お家の末を案じている家臣はわれらのみではない」 「尾張一国のため、織田家百年のため。──と、まず旗じるしはそれでよいが、軍備は」 「折もよし、那古屋へ移されたので、それも手早う進んだ。鼓を鳴らせば、いつなりと」 「そうか。……では」  権六が、一膝前に、身を揺り出した時だった。  ばらッ、と大地に何か音を立てて落ちた。  二ツ三ツの青梅の実。  雨は小やみであったが、雨以上のしずくが、風のたび廂を打つ。  ──犬のような人影が、床下から這い出していた。今の梅の実は、梢から落ちたのでなく、その男が床下から頭だけ出して抛ったのである。  室内の眼が、それへ振り向いて、気を休めた隙に、忍びの者らしい男の影は、もう風と闇の中に紛れていた。  忍びの者は、城主の目であり耳であり足であった。  出るにも退くにも家臣に取りまかれ、城にばかり暮している城主なる者は、皆忍びの者を使う。  信長の側にも、そういう術に長けている男がいた。しかし、誰がその役目をしているか、近侍にも分らなかった。  草履取は三名いた。お小人組に属しているが、役目がら小屋を別にして、お庭近くに三名だけで交代勤めをしている、一人は又助、一人はがんまく、一人が藤吉郎だった。 「がんまく、どうした?」  藤吉郎は相役のがんまくに、友誼を尽して交際っていた。がんまくは、蒲団をかぶって寝ていた。何ぞというと、よく寝てばかりいる男だった。 「……腹が痛い」  がんまくは、顔も出さずに云った。藤吉郎は、夜具の襟を引っ張って、 「嘘をいえ。御城下まで出たついでに、美味い物を買って来たから起きろよ」 「なんだ」  がんまくは、首を伸ばしたが、騙されたと分ると、また夜具をかぶって、 「ばか、病人をからかうなよ。あっちへ行け。うるせえ」 「起きてくれ。兄貴。ちょうど又助がいないから、訊きたいことがあるんだ。折入って」  がんまくは、渋々起き出して、 「折角、ひとが寝ているのを」  口叱言を呟きながら、裏へ出て、奥庭の泉水から流れてくる水で、含嗽していた。  藤吉郎も尾いて出た。小屋の中は鬱陶しいが、清洲城の奥なので、あたりは幽邃だし、遠くは城下を見晴らしているし、心までが大きくなった。 「なんだ、俺に訊きたいことというのは」 「ゆうべのことだが」 「ゆうべ」 「とぼけても、藤吉郎は知っている。那古屋へ行ったろう」 「え」 「お城へ忍んで、御城代の林佐渡や柴田権六の密談を、探って帰って来たのだろう」 「おい、おい。猿。……滅多なことをいうなよ、滅多なことを」 「じゃあ、ほんとのことをいってくれ。友達の仲で水臭かろう。わしは疾うから感づいていたが、黙って、おぬしの挙動を眺めていたのだ。おぬしは、信長公の忍び役と見たがどうだ」 「藤吉、……お前の目に会っちゃあ敵わない。知っていたのか」 「一つ釜の飯を食っているおぬしのすることを、知らないでどうするものか。──信長公はわしにとっても大事な御主人だ。蔭ながらわしらでも、案じられることもある」 「訊ねたいとはそのことか」 「神かけて、他言はせぬ。がんまく、わしを信じてくれ」  がんまくは、そういう藤吉郎の顔をじっと見ていたが、 「よし打ち明けてやろう。だが昼は人目につく、折を待て」  その後、がんまくの口から、彼は、織田家の内情について種々な知識を得た。そして主人信長の境遇に、理解と同情をもって、よけい奉公の真を尽した。  けれど藤吉郎は、そうした陰謀家の家臣の中にある若い孤君の将来を、少しも危ぶみはしなかった。先代以来の老臣も重臣も、信長を見捨てかけていたが、まだ召し抱えられて年月も浅い藤吉郎のみは、深く信長に信じているものがあった。 (ここを、わが殿は、どう切り拓いて行かれるだろうか)  と、身分の低い彼は、ただ遠くから祈る気持で眺めていた。  その月の末頃だった。  いつものことで、多くの家来も従いていなかった。  信長は、突然、駒を曳き出させて、城外へ遠乗りに出た。  清洲の城下から、守山まで、その間、約三里程である。彼はいつも、朝飯前に、飛ばして帰って来る。  が──その日は、先頭の信長の馬首は、守山へは向わないで、城下の十字街道から東へ向って駈け出した。 「やッ。殿には?」 「どこへ行かれる気──」  続く家臣の五、六騎は、また、出しぬけを喰って、あわを喰いながら、後を追いかけていた。  徒士の者や、草履取は、当然途中でこぼれてしまう。  だが、がんまくと藤吉郎の二人だけは、遅れながらも、必死に飛んで、信長の駒から捨てられまいとした。 「すわ! 事だぞ」  と、二人は互に、眼顔を見合って、ぬかるなと励まし合った。  なぜならば信長の馬首は、那古屋へ向っているからである。藤吉郎はがんまくから、深い内情を聞いている。そこは信長を亡き者にして、弟の信行を擁立しようとしている陰謀の府ではないか。  何をしでかすか知れない信長が──何が起るか測り難い危地へ、──向う見ずな駒を飛ばして行くのである。  これほど危険なことはない。 「一大事」  と、がんまくや藤吉郎が、心のうちで、大変を予期したのも無理ではなかった。  だが、より以上、驚いたのは、彼の唐突な来訪をうけた、那古屋城代の林佐渡守と、弟の美作だった。  あわただしく、本丸の一室へ駈けこんで来た家臣が、 「殿、殿、──はやく、お出迎えにお立ちなされませ。信長公のお越しにござりますぞ」  と、告げても、 「何、何じゃと?」  耳を疑って、起とうとはしなかった。──  まさか! という気持が邪魔していた。 「騎馬で、ただ、四、五騎のお供衆をつれたのみで、大玄関まで、いきなりお乗り着けなされました。──何か、高声で、お供衆と笑っておいでなされました。ともあれ、お早くお出迎えを」 「これこれ。真か」 「はッ、はッ」 「信長公が、お越しあそばしたというのか」 「御意にござります」 「すりゃ大変じゃ」  佐渡守は、なぜということもなく狼狽した。顔いろまで、さっと変った。 「弟、……何事じゃろう」 「ともあれ、お迎えした上で」 「そうだ。早く来い」  大廊下を、急いで行くと、もう玄関の方から、活溌な足踏みを踏み鳴らして、信長は通って来るのだった。 「……はッ。これは」  林兄弟は、彼の前を避けて、ひたと廊下に平伏した。 「やあ、佐渡。美作も達者か。守山までと思うたが、どうせのことなら、先に茶のある那古屋にせいと、遠乗りの目当てに駈け参った。──辞儀など、重々しゅう、飾らずともよい。早く、茶を出せ、茶を出せ」  云いすてると、勝手を知った本丸の第一の間の上段に坐り、後から息を喘いて追いついて来た家臣たちを顧み、 「暑いのう。暑い暑い」  と、駄々っ子のような扇使いして、襟に風を入れていた。  茶を。菓子を。  お褥を──  と、出す物も、後や前に、城内の者は、慌て合う。  何しろ不意過ぎる。  林佐渡と美作の兄弟は、倉皇として、信長の前へ、挨拶に出たが、侍女や家来たちの慌てぶりを、見ていられない顔して、一度、中坐して退って来た。 「午刻でもあるし、遠乗りの御空腹もあろうで、すぐまた、お中食──と仰せ出されるかも知れぬ。早く厨の膳部の者へ、料理の手廻しを、申しつけておけい」  佐渡が、そう吩咐けていると、弟の美作守が袖を引いて、 「兄上、──あちらで柴田殿が、ちょっとお顔を拝借したいと申されていますが」  と、囁いた。  頷いて、佐渡も小声に、 「うむ。今参る。……そちも先へ行っておれ」  と、いった。  その日も、柴田権六勝家は、那古屋城へ来ていたのである。何か密談をすました後、さて、帰ろうかと立ちかけたところへ、突然、主君信長の来臨という玄関の騒ぎに、出てはまずいし、帰ることもできず、度を失って、小書院の隠れ座敷へあわててはいり込んでいたものだった。  そこへ美作が来、林佐渡も後から来て、三名、ほっと吐息をつきながら、額を寄せ合った。 「だしぬけだ! ……いや驚いたな」 「何かにつけて、この調子だから、定石で行くと手が狂う。およそ、何が測り難いというて、うつけ者の出来心ほど怖いものはない」 「それじゃて」  と、権六勝家は、眼で奥を指しながら、 「あの喰えぬ舅御、山城守道三ともある老獪なお人まで、嘴の青い殿に、煙に巻かれたといういわれは──」 「そうかも知れぬ」 「兄上……」  と、美作は先刻から、眉に険しい色を湛えて、辺りへ気を配っていたが、さらに、声をひそめて、 「今も咄嗟に、権六どのと、申し合わせたことでござるが、いっそのこと! ……」 「何。いっそのこと」 「お供も、僅か五、六名で、突然お越しあられたのは、いわば天の与えた絶好な機会ではござるまいか」 「殿をか?」 「そうです。──お中食を差し上げている間に、武者隠しへ、腕ききの者を忍ばせ、てまえ御給仕に出ますれば、合図と同時に、信長公を」 「もし、仕損じては」 「何の、庭面、廊下、到る所を、人数をもって取り囲ませ、多少の傷負を出しましょうとも、眼をつぶって刺し奉る臍を決めてかかれば……」  権六も云い足した。 「どうじゃ、佐渡殿」  さすがに林佐渡は──じっと俯向きこんでいたが、権六と美作のつよい眸に圧されて、 「ウム。……寔、今が、つかめと与えられた機会かもしれぬ。では」 「御決心か」  眼と眼を見合わせて、三名が、膝を立てかけた時だった。  ずしずしと、力のある足音が、廊下を踏んで来たかと思うと、塗ぼねの大障子をさっと開けて、 「やあ、ここにおったか。佐渡、美作。茶ものんだ、菓子も喰うた。はや立ち帰るぞ」  ──あっと、立てかけた膝を縮めて、三名は、居竦んでしまった。  信長は、その中にいる権六勝家の姿へ、じっと目をつけた。 「ほ。……権六じゃの」  信長は歩み寄って、平蜘蛛のように手をつかえた権六勝家の、頭の上から微笑んでいった。 「儂が参る時に、そちの乗馬によう似た栗毛が、駒繋ぎにつないであったが──やはりそちのものであったか」 「はッ……。来合わせてはおりましたなれど、御覧のごとく、平常の汚い身装をいたしおりましたゆえ、君前に罷り出るも、不作法と存じ、わざとこれに差し控えて」 「はははは。存外、洒落男よのう。信長を見よ。かような粗末じゃ」 「恐れ入ります」 「これ──」  冷たい扇子の塗骨が、権六の首すじを擽るように、軽くたたいた。 「君臣の仲じゃに、身なりがどうのと、儀式に囚われた遠慮、水くさいぞよ。──一にも儀式、二にも儀式。あれは都の公方殿のすることよ。織田は田舎侍でいい」 「以後。以後は……」 「どういたした、権六。顫いているではないか」 「かえって、御意に逆らいましたかと、恐縮の余りに」 「はははは。許す、許す。もう顔を上げい。──いや待て待て、儂の革足袋の紐が解けておる。権六、ついでに結んでくりゃれ」 「……はッ」 「佐渡」 「は」 「邪魔をいたしたのう」 「滅相もないおことば」 「したが、信長のみならず、四隣の敵国の客は、いつでも不意に来るものぞ。心して、留守をせよ」 「朝暮、心いたして、弓矢を磨いておりまする」 「そうか。頼もしい家来どもを持って、信長は安心。──いや信長のためばかりではない、まちがえばその方どもの首もないのじゃ。権六、よいか」 「お結びいたしました」 「大儀」  信長は、まだひれ伏している、三名の後ろを開けて、中廊下から玄関の方へ、大廻りして出て行った。 「…………」  柴田権六と、林佐渡、美作の三人は、真っ蒼な顔を見合って、一瞬、茫然としていたが、われに回ると、あわただしく、信長の後を追いかけて、再び、玄関の式台に平伏した。  ──が、信長の姿はもうそこには見えない。  大手門の方へ降ってゆく幅の広い坂道の辺りに、ただ戛々と、蹄の音だけが聞えていた。  いつも置き捨てをくう近侍たちは、また不覚を重ねぬように、帰りは信長に続いていたが、小者の中の、がんまくと藤吉郎のふたりだけが、かなり遅れて、後から駈けて行った。 「がんまく」 「おう」 「よかったな」 「よかった」  遅れはしたが──しかし二人は不覚とはしなかった。嬉々として、主君の姿を、先に見ながら急いでいた。  もし何らかの、兇事でも起った場合は、すぐ清洲城へ変を知らせて──と、二人は密かに諜し合わせ、二の丸の狼煙山へ上って、いざとあれば、狼煙番を斬り殺した上、そこから煙を上げる考えだったのである。  名塚の砦は、信長の手足の一部である。一族の佐久間大学に守らせてある。  その年の八月だった。  まだ夜も明けぬ頃。──初秋の眠りごこちを、砦の者は、不意の軍馬に驚かされて刎ね起きた。  敵は? ──意外にも日頃の味方だった。 「那古屋衆の、謀叛と見ゆるぞ。柴田権六の兵千人。林美作の人数七百ばかり。──不意を襲せて来おった!」  物見やぐらで、誰かどなった。それすら、深い霧の中である。  ここは手薄。  一騎、二騎、霧を衝いて、すぐ清洲の本城へ、知らせに飛ぶ。  信長は、まだ眠っていた。  が──寝所へその注進が伝わると、彼はすぐ、具足を纒い、槍を把って、城門まで駈け出して来た。  彼の後には、誰もまだ続いて来なかった。  すると、ただ一人。  信長より先に、大手の唐橋門のそばに、駒を曳いて、待ち構えていた雑兵があった。 「──お馬を」  と、その雑兵は、信長の前へ、駒を寄せて云った。  信長は、意外な顔した。  自分より早い奴がいたことに驚いたらしいのである。 「誰だ? そちは」  と、訊いた。  雑兵は、陣笠を脱って、ひざまずきかけた。信長は、もう鞍の上に在って、 「それには及ばん。そちは、誰の手の者であるか」  といった。 「お草履取の、藤吉郎にござりまする」 「猿か」  信長は、また呆れた。  庭使いの草履取など、出陣の場合に、先駆けして来る筋のものではない。見れば、粗末な物であるが、胴や脛当などもつけ、雑兵笠をかぶっている。──その気負った姿が、信長には愉快に見えた。 「合戦に参る気か」 「お供、仰せつけ下さいまし」 「よし、ついて来い」  信長と彼の姿が、朝霧の中へ、二、三町も遠く淡れて行った頃、大手の橋を鳴り轟かせて、二十騎、三十騎、五十騎──そして四、五百名の兵がどっと、霧を黒くして追いかけて行った。  名塚の砦の者は、必死に防戦していた。信長は、単騎、寄手の陣の中へ駈け入って、 「儂に弓を引く者の面見せい。信長はこれにあるぞッ。──佐渡、美作、権六の輩。何ほどの力やある。何ほどの思慮やあって儂に叛くッ。わが前へ来ってその太刀振りを見せいッ」  彼の声は、怒っていた。その大きな声は、寄手の鬨の声を消した。 「不忠の臣ども、信長が成敗してくるる。逃ぐるも不忠ぞ!」  林美作は、その声に恐れをなして逃げ出した。どう考えても、信長の声と思えなかった。雷鳴に追われているような心地だった。  彼の恃みとする将兵たちにも、主君というものに対しては、先天的な観念がある。  ──直接、信長の姿、信長の声、しかもその峻烈な威風に駈けちらされると、手も槍も出なかった。 「待てッ。逆賊」  信長は、逃げる美作を見つけ、馬上から槍で突き刺した。  そして、血ぶるいしながら、美作の兵へ向って、宣言した。 「主を討っても、そちらは主とはなれぬ身ぞ。叛逆の徒に操られて、百世の汚名を残さんよりは、謝して、信長の馬蹄の前に悔いよ。悔ゆる者は、助けおく」  左翼の陣が崩れ、美作が討たれたと聞くと、柴田権六は陣を消して、末盛城へ逃げこんでしまった。  末盛城には、信長の母公がいる。また、信長の弟、信行がいる。 「どうしようぞ」  敗軍を知って、母公は泣きおののき、信行は戦慄した。  逃げ帰った叛軍の将、柴田権六は、 「この上は、身に代えて」  と、頭を剃り、鎧をすてて、法衣になった。  そして、林佐渡と同道して──母公と信行をも連れて──翌日、清洲の城へ、謝罪に出た。  唯一の力は、母公の詫言であった。母公は、佐渡と権六から云いふくめられている通りに、信長へ三人の助命をすがった。  信長は、案外、怒っていなかった。 「免します」  母公へ、あっさり云って、それから、背に汗をして平伏している柴田権六へ、 「坊主」  と、呼んだ。 「……は」 「権六勝家ともある者が、なぜ頭など剃りこぼちたか。慌てた奴」  苦笑して──また、佐渡へ、 「そちもだ」  と、やや屹という。 「年がいもない奴のう。平手中務の亡き後は、そちをこそ、片腕とも頼んでいたに。──今となれば、中務を死なせて口惜しゅう思う」  信長は、落涙して、しばらく黙っていたが、 「いやいや、中務を自害させ、そちをも、謀叛人にいたしたは、皆、信長が不徳というものじゃ。──信長も以後はふかく反省しよう。そちたちも、儂に仕えるものなれば、ふた心など持つな。武門に生きる効もあるまい。──武士は一道か、牢人かじゃ」  佐渡は、眼が醒めた。  信長の真のすがたを、今初めて仰いで、その天質をやっと知ったのだった。  ただ、恐ろしい心地に打たれた。身の程も恐ろしかった。かたく、忠勤を誓って、顔も上げ得ずに退った。  ──が、骨肉には、かえって、分らなかったとみえる。弟の勘十郎信行は、信長の寛大を、むしろ見縊って、 「母がいるので、乱暴な兄も、わしをどうすることもできぬのだ」  と思った。  母公の愛と、盲目にかくれて、信行はその後も、陰謀をやめなかった。  信長は、嘆じた。 「信行の悪戯は、悪戯として、放っておいてもよいが、そのため、幾多の家士が、逆徒となって、武門の身を過る。骨肉なれど、家のため、家臣のため、眼をつぶらねばなるまい」  機を見て、信長は遂に、信行を捕えてこれを刺してしまった。  もう信長を、暗愚と見る家臣はなかった。  いや、むしろ近頃では、彼の明敏と鋭利なひとみに慴伏しすぎて、信長自身、 「ちと、くすりが利きすぎた」  と、時には、苦笑を覚えるくらいなものだった。  しかし、信長の準備は、できていた。彼は毛頭、家臣や骨肉を偽るために、暗愚を装っていたわけではなかった。  父信秀の死後、自分が一国を負って、四隣の敵国へ。  ──よし。いつでも。  という構えができるまでの安全弁に、自己の偽装を用いていたのである。敵国を謀るために、自領の中に無数に入り込んでいる密偵を計るために──周囲の肉親をも家臣をも、思い込ませて来たのだった。  が、この間に、信長は人間の表裏と、社会の機微とを、より多く学んだ。彼が年少から名君らしい名君であったら、それは誰も用心して、露骨に示さなかったに違いない。 奉公一心 「猿、すぐ来い」  御小人頭の藤井又右衛門は、あたふた駈けて来て、小屋の内に休息している藤吉郎を呼びたてた。  何事かと、 「は、御用で?」  藤吉郎は、すぐ出て来た。 「お召しじゃ」 「え」 「殿様が、ふいに、其方のことをお訊ねなされて、呼んで来いという仰せ。──何か貴様、お叱りでも受けるような覚えはないのか」 「べつにございませんが」 「ま、早く来い」  又右衛門は、彼を促すと、思いがけない方へ、先に立って行った。  信長はその日、何思ったか、城内の兵糧倉から台所を一巡して、なお、薪倉炭倉などまで、検分して歩いていた。 「召し連れて参りました」  又右衛門が、信長の歩行の横へ額いて、こう告げると、信長は足を止めて、 「あ、連れて来たか」  と、彼のうしろに控えている藤吉郎の姿に眼を止め、 「猿、前へ出い」  と、いった。 「は……」 「今日からそちを、台所役人に取り立てて得させる。よいか、台所で働けよ」 「ありがとう存じます」 「台所方は、雄々しゅう、槍先の功名もならぬところじゃが、戦場の華々しい場所よりは、わけて大事な陰の守りぞ。いうまでもないが、精出して勤めい」  即座に、彼の地位と扶持は、今までより一段、昇格した。台所役人といえば、もう御小人組ではなかった。  けれど、台所方へまわされることは、その頃、侍の恥か、落ち目のように思われていた。  ──あいつも遂々、お台所へ落ちて行った。  という風に見られて、そこは戦場や表方では、使い途にならない人間の捨場のように、蔑視されていた。  御小人、中間の端でも、  ──台所の者。  といえば、軽く見られるし、若い者にとっては、出世の機会も、将来性もない所だけに──組頭の又右衛門は、退って来ると、藤吉郎へ同情して、慰め顔にいった。 「猿、つまらないお役目にまわされて、不足だろうが、その代りに、お扶持が増されたから、まあまあ出世としなければなるまい。お草履取なら、身分は軽くても、御馬前で働く時もあるので、末は楽しみだが、その代り生命がけの御奉公も、覚悟せねばならぬ。お台所にいれば、生命の心配はまずないからのう。二ついいことはないものじゃて」  慰めれば、慰められて、はいはいと頷いていたが──しかし藤吉郎自身には、少しもそんな不服は見えなかった。  むしろ、彼は信長から、望外な見出しに預かったことを心から感激しているふうだった。  さて、彼が台所方の職に就いて見ると、第一に、そこの薄暗いことと、陰湿なことと、不潔なことが、目についた。  昼間でも、太陽を忘れているような、生気のない膳部番や、料理人や、老いたるお賄頭が、十年一日の如く、昆布の煮出し汁のにおいの中に住んでいる。 「これはいかん」  藤吉郎には、耐えられないものがあった。彼は、陰気が嫌いである。薄暗い──生気がない──そういう空気はすべて嫌いだった。 「そこらの壁へ、大きな窓を切って、風と太陽を、いっぱいに入れたいものだな」  そう考えたが、台所方には台所方の組織もあり、古顔の上役もいて、その仕事一つも、実行はむずかしく見えた。──藤吉郎は、毎日、商人が納品する鰹節の蝕いを調べたり、椎茸や干瓢の記入などを、黙々とやっていた。  お城の台所方へ出入りする御用商人達は、藤吉郎の係になってから、すっかり調子がくだけて来た。 「どうも、旦那のように仰っしゃられると、良い品を、お安く持って来ずにいられなくなりますよ」 「まったく、木下様にかかっては商人も跣足ですよ。乾物でも、干魚でも、穀類でも、時の相場はよくご存じだし、品物にお眼は鑑くし、手前どもを、欣ばせて、安くお仕入れになることはお上手だし……」  と、皆いった。 「ばかを申せ」  藤吉郎も、笑っていう。 「何も、わしは商人じゃなし、上手も下手もあるものか。わしの利得になることではあるまいが。──ただ、そちたちのお納めする品はみな御家中方の口に入るものだ。命は食よりと申す。このお城の命は、つまるところ、お台所から上げる食物の如何にある。──少しでも良い物を上げることが、われわれの御奉公というものじゃ」  また。  折には、そうした商人たちに、茶など飲ませて、打ち寛ぎながら、雑談の中で説いた。 「お前らは、商人だから、御納品を運ぶたびに、すぐにこの一車で、幾らの利得と──利得を離れたことはあるまいが、もし敵国のために、お城が亡びたら何とする。長年の懸代金は、元も子も失うばかりか、他国の大将が、城主となれば、他国から従いて来た商人が、取って代って、お前らの商売まで奪ってしまう。──こう考えたら、何よりも、御当家の礎を根として、われわれもお前方も、枝や花と茂って、子孫までも共に栄え、利得することを考えずばなるまい。──だからお城へ納める品で、不当に儲けようなどという考えは、慾が小さいぞ」  それからまた、彼は、お賄頭の老人にも、誠意をもって仕えた。分りきったことでも、老人の意見を問い、気にそまぬことでも、一応は服従して、老人の顔を立てた。  が、当然、仲間の一部には、 「目まぐるしい奴だ」 「何にでも口を出しおる」 「働きぶる猿」  などと陰口もあり、彼を、退者にしようとする気配もあった。  自分が、一つの波として起る場合、どこにでも、波にぶつけて来る波はある。藤吉郎は、ほとんど、そういうものには、無関心な顔つきだった。  賄頭と相談して、信長にまで申し出た台所方の改築は、許可された。  彼は、大工をさしずして、天井には風入れを明け、壁には大きな窓を切らせた。下水、その他、彼の理想どおりに改築した。  守護職の斯波家が住んでいた時以来──何十年という間、昼間も燈明で煮物するほど暗かった清洲城の大台所に、朝も夕方も、かんかんと太陽が映しこんだ。爽やかな風がふき通した。 「物が早く腐える」  とか、 「塵が目立つ」  とかいう苦情にも、彼は、耳をかさなかった。  清潔になった。  無駄が目に見えて来て、無駄がなくなって来た。  総じて、一年も経つと、ここも、彼の性格そのまま、明るく風通しよく、活動的な機能を持つ所と変って来たのである。  すると、その年の冬。  今までの炭薪奉行、村井長門守は免役になって、その跡役へ、藤吉郎が奉行に任じられた。  なぜ、長門守が、役目を罷めさせられたのか。  そしてなぜ、自分が、炭薪奉行に登用されたのか。  藤吉郎は、信長から任命されると、同時に、それを考えてみた。 「ははあ、炭薪の費えを、もっと節約せよとのお旨だな。いや、そのお旨は、一昨年から出ているが、村井長門の節約ぶりでは、お気に召さぬのだな」  で──彼は、広い城内の炭火のある所、薪を使用している所を、新奉行として、隈なく見て歩いた。  御用部屋、控部屋、書院、詰の間、奥、お表、どんな所にも、冬は火の気があったし、大きな炉も切ってあった。  わけて、小者部屋だの、若侍たちの屯には、山のように木炭を炉にあけて、冗費していた。 「木下殿だ。木下殿が見えた」 「なんだ、木下殿とは」 「新たに、炭薪奉行になった木下藤吉郎殿。むずかしい顔して、見廻りに来たぞ」 「あ、あの猿か」 「灰をかけておけ。灰を」  若侍たちは、あわてて灰をかぶせたり、黒いのを、火消し壺へ入れたりして、仕すました顔していた。 「やあ、お揃いだな」  藤吉郎は、そこへ来ると、連中のあいだに割りこんで、自分も炉へ手をかざした。 「こんど、不肖藤吉郎が、炭薪奉行を仰せつかりました。どうかよろしく」 「や、それはどうも」  若侍たちは、むず痒い顔をし合った。藤吉郎は、炉に挿してある大きな金火箸を持って、 「ことしの冬は、ひどくお寒いではないか。このように火を埋けこんでおいては、手先ばかりで、体が温もらぬ」  と、自分で赤い火を掘り出して、 「そちらの炭籠の炭を、もっと存分に、つごうではないか。それから、今までは、一部屋について、一昼夜炭何貫と、お定めがあったそうだが、火の気の倹約は、寒々しい。十分にお使い下さい。そしていちいち部屋頭のお手判だの、何だのと、面倒な手数も御無用、お要用だけ炭倉へ取りにお越しください」  足軽や中間の小屋へ行っても、藤吉郎はその調子で、節約節約と、従来、やかましくのみいわれて、萎縮していた人々へ、大いに炭薪を使うことを、奨励してまわった。 「こんどの奉行は、いやに大まかじゃないか」 「察するところ、猿殿、一躍炭薪奉行に引き上げられたので、すっかり気を好くしてしまい、気前を見せているつもりだろうが、猿の上調子に乗ったりしていると、今にこっちまで、飛んでもない御叱責をくうかもしれぬぞ」  いくら寛大に放任しても、炭薪の使用などには、おのずから限度がある。家中の心理は、むしろ自誡して、その限度は出なかった。  清洲城の一年間の薪炭の使用料は、約千石の余を超えていた。領内の伐木の面積だけでも、年々多大の量を灰にするので、その支出の金額ばかりでなく、藩政上からも、信長は、その節約を心がけていたものだった。で、二年間ほど、村井長門守に奉行を命じて、やらせてみたが、少しも実績が上がらなかった。反対に、年費が殖えたりした。その上、節約という声の感じが、家中の心理を、萎微させたり、歪めさせたりしたのみだった。  藤吉郎はまず、その窮屈と萎縮から、家中の気もちを解放した。それから彼は、信長の前へ出て、こう建言した。 「とかく冬中は、御家中の若殿輩も、足軽などお下の者も、総じて、屋内に引き籠りがちで、菜漬を喰うて、湯茶をのんで、埒もないむだ話に、徒然の日を送りがちに見うけられます。──炭薪の節約などより先に、御賢慮をもって、この悪習をひとつお矯め直し願わしゅう存じまするが」 「むむ。そうか」  信長は、彼のことばを容れて、すぐ老臣に命じた。  彼の老臣は、番頭や足軽頭を集めて、家中一般に、平時の日課を励行させることについて、熟議をかさねた。  武具の手入れ、講習、禅の実修、領土内の交代巡視。──それから射撃槍術の奨励はもとより、城内の土木もやらせ、小者たちには、暇があると、馬の沓まで作らせた。  要は。  閑を与えないことだった。  一体、武将の気もちからすると、家中の侍たちは、わが子の如く可愛かった。かたく契られた君臣のあいだは、骨肉にひとしい愛情で結ばれていた。  いざ、戦となる日には、その者どもは、自分の馬前で──眼の前で、生命をすてて戦い死ぬのだった。可愛くなくては──また、その愛情や君恩を感じないでは、馬前に死ぬ勇士はない。  従って。  平時の日には、どうしても、つい寛大に流れやすかった。  また、何日戦へ。  と、思いやるからであった。  しかし、信長は、それがかえって家臣らのためにも良くないことを考えていた折からなので、断じて、平時といえども、寸閑の暇もないように、修養や生活を正して、厳重に日課を励行させた。  同時に。  奥向の女性たちにも、稽古事や、掃除や、また、籠城攻戦の場合の習練などもさせて、起きるから寝るまで、暇のない生活規律を立てさせた。  もちろん自分自身も。  そして或る時、藤吉郎が見えた折、やや得意そうな顔して云った。 「猿、どうじゃ近頃は」 「はッ。御威令の効き目は見えて参りましたが、まだまだ」 「まだ足らんか」 「もう一層」 「どこがまだ不足か」 「御城内の風が、御城下一般の民家へも、浸みわたって行きますまでは」 「む。なるほど」  信長は近頃、かなり藤吉郎のことばに、信を抱いて、聴くようになっていた。  侍側の人々は、それをいつも、苦々しい顔して、白眼視していた。  なぜならば、彼のように、短い年月の間に、小者小屋から畳の上へ昇った例すら少ないのに、君前へ出て、献策めいたことを、直接にいうなど、もっての外な──と等しく眉をひそめるのだった。  しかし、年額千石以上の炭薪の消費高は、その冬の半ばからもう目立って節約されて来た。いや、藤吉郎自身は、各部屋をまわる度に、 「冬は寒いもの、炭薪など、吝々せず、十分にお費いなさい。いちいち部屋頭の御判なども要らぬ。自由に、炭倉へ参って、要るだけお持ちなされ」  と、大まかなことをいってはいたが、一面、家中一般に、暇がなくなったので、むだな炭火を費やして、炉を囲んでいる時間などなくなってしまったのである。  また、多少暇があっても、体を動かして、絶えず筋肉に緊張を持つと、自然、炭火などは不用な物になり、炊事その他の燃料もすべて簡略になって来て、一ヵ月の燃料が三ヵ月もある程、変って来た。  が──藤吉郎は、それでもまだ、自分の職分を達したものと、満足はしなかった。  来年の冬の炭薪は、夏山のうちに、山で買入れの契約をする。彼は、お城御用の商人を案内に立て、山支度して検地に出かけた。  薪山の検地などは、従来から形式だけのものに過ぎない。  あの山の楢何百本。  この山のくぬぎ何本。  と、山商人に引っ張りまわされて克明に視て歩いたところで、一山から炭薪が何石とれるか、素人目では見当もつかなかった。  百姓仕事や、町のことなら、何でも心得ているつもりだが、藤吉郎にも炭薪のことなどは、仔細に分っていなかった。 「む、む。左様か。──なるほど、なるほど」  彼も、従来の慣例どおり、ざっと歩いて、形式だけで降りて来た。  商人たちは、その晩、奉行の一行を、土地の豪家に招待して、盛宴を張る──。これも前からのしきたりであった。 「今日は、お奉行様始め、御大儀さまにござりました」 「さだめし、お疲れのことで」 「何の設けもございませぬが、こよいは悠々と、おくつろぎの程を」 「そして、この後とも宜しくひとつ」  こもごもに挨拶やら追従やら、下へも措かない歓待である。  勿論、酌人も揃っている。どこの唄い女か娘か、とにかく身ぎれいに化粧もこらしたのが、奉行の側につききりで、杯を洗う、肴をすすめる。洟といえばすぐ洟紙。 「よい酒じゃ」  藤吉郎は、悦に入っている。悪い気もちであろう筈はない。  脂粉のにおいを見廻して、 「美人だな。どれもこれも」  と、いった。  商人のひとりが、 「お奉行様にもやはり、女子はおすきでござりまするか」  畏る畏る戯れると、当り前なことを訊く──といわないばかりに、藤吉郎は真面目くさって、 「女子もすき、酒もすきじゃ。世の中にある物はみなよいな。ただ心せぬと、よいものも仇になる」 「仇にならぬ程に、どうぞお気に召しましたら、酒なと、花なと」 「よしよし。気随気ままにさせて貰おう。──ところで、その方ども、商売のはなしは一向にせんが、察するところ、遠慮しておるとみえる。では、この方から切り出すが、きょう歩いた山の雑木台帳、これへ見せてくれい」 「どうぞ御覧遊ばして」 「ふム、明細じゃの。木の数はこれで相違ないのか」 「相違ございませぬ」 「これで炭薪八百石御上納とあるが、これだけの山で、この石量になるのか」 「昨年よりは、お納めの額が減りましたので、今日、御検地の山の分で、左様になりますわけで」  翌朝、商人たちが、お奉行の御機嫌伺いというので来てみると、藤吉郎は、朝まだ暗いうちに起きて、山へ行ったというので、驚いて彼らは山へ追って行った。  見ると。  藤吉郎は、足軽や附近の木樵百姓などを督励して、各〻に三尺ほどに断らせた縄束を持たせ、買入れの契約をした山一帯の樹木の根に一筋ずつその縄を結い付けさせていた。  縄数は最初に何千本と分っていた。それが終って、残部の計算をしてみると、立木の数がすぐに知れる。台帳に記載してある立木の数と、実際の数とを照し合わせてみると、ほとんど、三分の一以上も、数量には懸値があった。 「商人どもを皆ここへ呼び集めろ」  藤吉郎は、木の切株に腰をすえて、下役の者に吩咐けた。  商人たちは、平伏した。  何を云い出されるかと、内心惧れおののいていた。  いくら山を検分しても、立木の数など、素人に分るものでないし、実際にまた、これまでの炭薪奉行は、台帳に書いてある数量をそのまま、鵜のみにしていたものだが、こんどの新奉行は、その手に乗らなかった。 「商人ども」 「へい……」 「この台帳の数と、実際の木の数とは、だいぶ違うではないか」 「……はあ」 「はあではない。これは如何なるわけだ。その方どもは、多年の御恩顧を、ありがたいとは思わず、かえって利に狎れて、御領主を欺き奉り、かような嘘を書き上げて、暴利をむさぼりおったな」 「……め。滅相もない」 「然らば、何でこのように数が違うのか。このままの数で炭薪をお納めするからには、御納庫になる品も、百石の炭は六、七十石、千石の炭薪は、実際には六、七百石しかお納めいたさぬのであろうが」 「いえ、なかなか、そのような理では」 「だまれ。多年山より炭薪を伐り出して職とするその方どもが、かような大きな眼違いをする筈はない。心得て致したとあれば、奉行を欺き、御領主の国費を騙り取った大罪と申さねばならぬ」 「恐れ入りました」 「一同の家財を没収し、断罪にしてもよいところだが、今までの役人方の手落ちもある。この度だけは、見のがして遣わすが、石数のところは、有態の通り書き直して差し出せ」 「畏りましてござります」 「──が、それだけでは、免すわけには参らぬぞ」 「へい」 「古語にもある。一本の木を伐らば、十本の木を植えよと。──昨日よりこの地方の山を見るところ、年ごとに伐る木は多いが、ほとんど、植えた跡は見ぬ。かようなことで年経る時は、いつか麓の田野は洪水に見舞われ、ひいては国の衰えとなろう。国衰える時は、その方どもへも当然、負担や不幸はかかって来るものぞ。真の利を積み、真の家富を願い、子孫の幸を願うなれば、まず国を強うせねばなるまい」 「はい……」 「その税として、また、今日まで暴利をむさぼった罰として、今後、千本の木を伐り出す時は、五千本の苗を必ず差し出すこと。固く申しつけるが、どうじゃ、不服か」 「ありがとう存じまする。それでお免し下さるものなら、苗木は必ず差し出しまする」 「うム。然らば、人足料として、台帳に書き出しの数量に、五分の割増しは認めて遣わすであろう」  それからまた、その日、手伝わせた百姓たちには、伐木の跡の植林をいいつけて、苗百本について幾値と手間賃をきめ、それは城内から支払うであろうと云い渡した。 「さ、帰ろう」  と、藤吉郎に促されて、商人たちは、ほっと生きた心地を取りもどした。そして口々に、 「驚いたなあ。こんどのお奉行には、うっかりできぬぞ」 「だが、分ったお方だ」 「今までのように、ぼろいわけにはゆかないが、といって、損はしない。まあ地道にやろう」  山を降りながら、囁き合っていた。  麓へ来ると、商人たちは、もう倉皇と帰りかけたが、藤吉郎は引きとめて、 「お役が終った。今夜はわしに従いて来い。わしも今夜は寛ぐであろう」  と町の旅舎へ、一同を引っ張って来て、ゆうべの返礼に、馳走を振舞い、お奉行の彼もいい機嫌に酔って、すっかり砕けたところを見せた。 米饅頭  彼は、愉快だった。  ひどく独りで悦に入っていた。  ──というわけはその日、 「猿」  と、例によって信長に呼ばれ、信長からこういう言葉をうけたからだった。 「台所方は、そもそも、経済を旨とする所なのに、その台所に、そちのような奴を置くのは、大の不経済と申すものだ。以後厩方を申し付ける」  そして、知行三十貫、城下の侍小路に、宅地をもつかわす──という君恩を受けたのだった。  欣しかった。  彼は、欣しいことに出会うと、正直に欣しがる男だけに、独りニヤニヤと顔へ出て来るものをつつまれなかった。  早速、以前の同役、がんまくの小屋をたずねた。  がんまくはまだ、草履取をしていた。 「どうだ、暇はないか」 「なんで?」 「城下へ参って、一献奢りたいが」 「ま。遠慮しましょう」 「どうして」 「木下殿には、今では、台所奉行というお役。このがんまくは、以前に変らぬ草履取。あなたの沽券にかかわりましょう」 「ひがむな。──そんな気持なら、真っ先に訪ねては来ない。実は、身に過ぎたお取り立ての上にもまた、今度は、お厩方三十貫と仰せつかった」 「ほ……」 「小者小屋にはいても、おぬしの忠義な心底を、おれは頼もしく思っている。──で、歓びを分ちたいのだ。どうだ、来ないか」 「それはめでたい。──だが藤吉郎殿、おぬしは俺より正直者だな」 「む。なぜ」 「おぬしは何事も、おれに打ち明けて包むことがないが、わしは実は、多分におぬしへ隠していた。本当のところをいうと、わしはお草履取はしていても、例の……時折特別な御用を勤めるので、殿のお手許からじかに、莫大なお手当を戴いていて、それは皆、密かに国元の屋敷の方へ送っておるのだ」 「ふム……故郷に屋敷など持っておるのか」 「江州の柘植村へ行けば、一族もいるし召使も二十人くらいはいる」 「ははあ、甲賀だな」 「柘植村は伊賀だ」 「ああ、そうか」 「だから、貴公に奢られては、こちらが面目ない。いずれお互いに、もっと立身したら、奢りもしよう。奢られもしよう」 「そうか。知らなかった」 「まだ、風雲はこれからだ」 「そうとも、これからだ」 「預けておこう。将来へ」 「いや、よかろう」  藤吉郎は、そこでまた、よけいに愉快になって来た。  実に、社会は明るい。  彼の見る眸のまえには、陰だの暗だのというものがない。  怖ろしい秘密性を持つ乱波者のがんまくすら、彼には遂に、何も隠さなかった。織田一藩で知る者のない、身の上までを、簡単ではあるが、とうとう打ち明けてしまった。  きょう沙汰された禄は僅かに三十貫ではあるが、この三十貫のうちには、主君の信長が、ここ二年ばかりの台所奉行としての、自分の働きを認めてくれた知己の意味がこもっている。  彼は、それが欣しいのだ。炭薪の消費も、一年間の額、半分以下に減って来たが──そんな数字よりは欣しいのである。 (経済を旨とする台所方に、そちのような奴を置くのは、そもそも大の不経済──)  こう信長からいわれたのは、何にしても、忘れられない歓びだった。──信長公もまた、うまいことを仰っしゃる大将ではある──と感心しながらも、欣しくて堪らなかった。  いわゆる、おめでたい男に、傍眼からは、見えもしよう。  独りで、にやにやと、時々、笑くぼを泛べながら、彼は午からお城を出て、清洲の町をぶらついていた。  町を歩くにも、得意であった。  ここ五日は、転役を機会に、彼の体には、休日を与えられていた。──その間に、拝領した屋敷に──どうせ侍小路のうちでも最も小さい、門と垣と五間ぐらいな小屋敷だろうが──それにしても家財を備えつけ、婆やと中間の一人ぐらいは、召し使わなければならない。 「生れて初めて、一戸の主人となるのだ。その家を見ておこうか」  こう考えて、道を変えた。  附近は、お厩者ばかり住んでいる。組頭の家をのぞいて、ちょっと、挨拶をしておく。組頭はいなかったが、妻女が出て来て、 「まだ、お独りでいらっしゃいますか」  と、訊くので、 「独り者でござる」  ありのままに答えると、 「では、何かと、御不便でございましょう。宅には、召使もおり、家具の余分なものもありますから、何なと、お入り用なものはお持ち下さいませ」  親切な奥方であった。藤吉郎は、いずれ充分、わがままなお願いに出るでしょう、とあらかじめ頼んで、門を出た。  すると、奥方は、自身わざわざ門の外まで出て来て、二人の中間を呼び、 「新規に、お厩方へ変って来られた、木下藤吉郎様じゃ。あの、桐畑の空屋敷へ、近いうちお移りになるそうな。──ちょっと、御案内して、お前方の手空の時、お掃除などしておいてお上げなさい」  と、いいつけてくれた。  で──藤吉郎は、中間に案内されて、これからのわが家になる官舎へ行ってみた。  想像以上、大きい家なので、 「ほう……これは立派な家だ」  と、門へ向って呟いた。  聞けば、前には、小森式部という者が住んでいたとか。それも大分前のことらしく、屋敷は荒れているが、しかし、彼の眼には大きく立派に見えてならなかった。 「裏は、桐畑でござるな。これも何やら吉兆でござる。てまえ木下家の紋が、先祖以来、桐を用いておりますからな」  確とした記憶はないが──彼は何だかそんな気がしたのである。父弥右衛門の持っていた古い鎧櫃か、短刀の鞘だかに、そんな紋を見た気がするので、案内してくれた中間に向って、ともかくそういってしまった。  彼自身も、気がついていることであるが──とかく機嫌がよい時は調子づいて、そう必要もないことをも、また、確と肚にもないことでも、得意にまかせて、喋舌ったりする傾向がある。  口から出てしまった後で、 (こいつ、いい程なことをいう)  と、自分で誡めたりすることもあるが、決して、悪い肚があったり、軽薄でいうのではないから、自分では、さしたることとも思っていない。  しかし、専ら、 (猿めは、法螺をふく)  という一部の評も、その辺に原因していた。  そして、彼自身でもまた、 (そうだ。おれは、法螺ふきでないこともないな)  と、認めていた。  だが、そのために、彼の全部を誤認してしまったり、また、毛嫌いしたりした小心な潔癖家は、遂に、彼の大きな生涯の同伴者にはなれない人々だった。  ──それからしばらくすると、彼の姿は、清洲の町の、繁華な中心地に見出された。  家具なども買ったらしい。  また古着店の前で、ふと立ち止まったら、偶然、桐の紋のついた陣羽織があったので、値を訊いてみた。 「安い」  彼はすぐ買って、すぐそこで着てみた。──すこし長いがみッともない程ではあるまいと、着て歩いた。  陣羽織といっても、青木綿のひらひらしたやつで、ただ、襟だけに金襴に似た布が縢りつけてある。誰が着たのか、桐の紋は、背中に白く染め抜いてある。 「見せたいなあ、母上に」  自分の姿を──そう思う。  ここらの繁華な町を歩けば、また感慨にたえないものがあった。  新川の茶わん屋に奉公していた頃のことだ。陶器を積んだ手押し車を押して、素跣足で、町の者や、きれいな女の見る中を──その頃のみじめな自分の姿も思い出されるのだった。呉服屋へはいった。  そこには、京織の上等な呉服ものが、棚に並んでいた。  何を買ったか、彼は、 「では、相違なく、届けてくれよ」  と、代金をおいて、外へ出て来た。彼の懐中は、常にかくの如くにして、半日の休日には、空になるのが常だった。  ──米饅頭。  と、青貝で文字を埋めた立派な看板が、町角の屋根にかかっていた。それは、清洲の名物で、いつも旅人が大勢腰かけ、一方では土地の客が混み合っていた。 「饅頭をくれい」  藤吉郎は、今そこから着て来たばかりの、大きな桐の紋を背負って、混み合っている客の中へはいった。  赤前垂の小女が、 「いらっしゃいまし。ここでおあがりなさいますか、お土産でございますか」  藤吉郎は、一つの床几に腰かけて、 「両方だよ。先にここで喰べる分を一盆。それからべつに、使いの駄賃は出すから、中村へ行くついでの馬子にでも頼んで、中村のわしの家へ、饅頭一折──大きな折に入れてな、届けておいてもらいたいのだ」  後ろ向きに働いていた店の亭主らしい男が、 「おう、旦那様で。まいどありがとうございます」 「よう。相変らず繁昌だな。今も例のところへ、届ける折を、頼んだところだが」 「はいはい。中村へは、よくこの辺からついでの衆もございますし、中村の衆も、お寄り下さいますから」 「いつでもいい、頼んでおくぞ。──それから、この手紙を、饅頭の折の中へ、入れてやってくれ」  藤吉郎は、懐中に用意して来た手紙を、店の者に頼んだ。 母上へ     とうきちろう  と、封の上に書いてあった。店の者は、手にとって、 「何か、お急ぎの御用でも」 「なに、早いに越したことはないが、いつでもよい。何しろ、わしの母ときては、以前からここの米饅頭というと、眼のない好物なのでな……」  云いながら、彼も、一つ頬張った。  だが、彼にとると、その饅頭の味には、すぐ涙を催して来るような思い出があった。  母の好きな饅頭──  買ってやりたいが。自分も喰べたいが。と喉から手が出るほど欲しく思いながらも、買えずに、手押し車を押して、さもしい我慢をしながらこの前を通った少年の日が──いつもここへ来れば思い出されるのだった。 「やあ。木下殿ではないか」  若い娘づれの武士。さっきからこちらを見ていたが、彼が、盆の饅頭を空にした頃、こう声をかけながら立って来た。 「おお。これは」  藤吉郎は、頭を下げた。  弓之衆の浅野又右衛門長勝なのである。小者小屋に勤めていた頃から、世話になった人なので、格別、礼を篤うして、いんぎんに辞儀をした。  が──場所は、城内とちがい、町の米饅頭屋の土間なので、又右衛門も、きょうは気軽だった。 「おひとりかな」 「はい。一人で」 「こちらの床几へ参らぬか──あれへ寧子も連れて来ておるで」 「ほ。お嬢様も」  藤吉郎は、横を見た。  すぐ床几一つ隔てて、うしろ向きに、十七、八の小がらな麗人が、白い襟足を見せて、騒々しい辺りの客の中に、独り端然として、腰かけていた。  麗人──といったが、藤吉郎も女にかけては、かなり鋭い審美眼を備えている。あながち、彼の眼だけにそう見える女性ではなく、誰が見ても、 (美人!)  と、迷わずに云い切れる程な──それは十人並み以上の娘だった。  寧子と書いて、ねねと訓む。その可憐な名も、この娘の人がらにふさわしかった。小さく整った容貌に、ぱちりと、聡明らしい眸を静かに持っている。  又右衛門は、藤吉郎を誘って、その明眸の持主の前へ連れて来た。 「寧子」 「はい」 「こちらは、木下藤吉郎どのというて、この度、御台所御用人から、お厩衆へご登庸になったお方だ。お見知りおきを願っておくがよい」 「……はい。あの」  寧子は、顔を染めて、 「木下様には、初めてではございませぬ」 「何。知っておる……?」 「ええ」 「いつ、どこで」 「お手紙をいただきましたり、また、お贈物をいただいたりして」  又右衛門は、仰山に驚いた顔をして、 「これは怪しからぬ。手紙などを遣り取りいたしておったのか」 「わたくしからは、差し上げたことはございませんが」 「それにせよ、父のわしへ、黙っておるなど、不埒な沙汰じゃ」 「いいえ、お母様には、いちいち申し上げてございます。お母様は、度々のお贈物などは、かたくお断りいたしていらっしゃいますが、お節句の、正月のという度に、木下様からは、よく頂戴物をいたします。……お父様からも、お礼を申しあげて下さいませ」 「ふーむ」  と、又右衛門は、娘の顔と、藤吉郎の顔を見くらべて、 「いや、男親という者は、恐そうな眼ばかりしていて、存外、迂闊なものよの。……知らなかったわい。……よく、猿殿は抜け目がないぞ、という噂は聞いていたが、まさか、わが娘にお目が止まっていようとは思わなかった。──あはははは」 「いや、どうも」  藤吉郎は、大きく後ろへ手をまわして、頭を掻いた。  非常なてれ方だった。  しかし、苦労人の浅野又右衛門が、笑ってくれたので、いささか救われた顔だったが、それにしても、真っ赤になった顔はなかなかさめなかった。  事実。  寧子の方では、どう思っているか知らないが、先の意志にかかわらず、藤吉郎は、寧子が好きだった。  ──で、中村の母と共にいる姉の所へ、時折、帯や反物など求めて届けてやるついでに、寧子の許へも、身に過ぎた京染だの、堺織の錦などを奮発して、届けておくことも忘れなかった。 底本:「新書太閤記(一)」吉川英治歴史時代文庫、講談社    1990(平成2)年5月11日第1刷発行    2010(平成22)年4月1日第25刷発行 初出:太閤記「読売新聞」    1939(昭和14)年1月1日~1945(昭和20)年8月23日    続太閤記「中京新聞」他複数の地方紙    1949(昭和24)年 ※初出時の表題は「太閤記」「続太閤記」です。 入力:門田裕志 校正:トレンドイースト 2014年11月14日作成 2015年11月16日修正 青空文庫作成ファイル: 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