落穂 伊藤左千夫 Guide 扉 本文 目 次 落穂  水田のかぎりなく広い、耕地の奥に、ちょぼちょぼと青い小さなひと村。二十五六戸の農家が、雑木の森の中にほどよく安配されて、いかにもつつましげな静かな小村である。  こう遠くからながめた、わが求名の村は、森のかっこうや家並のようすに多少変わったところもあるように思われるが、子供の時から深く深く刻まれた記憶のだいたいは、目に近くなるにつれて、一々なつかしい悲しいわが生い立った村である。  十年以前まだ両親のあったころは、年に二度や三度は必ず帰省もしたが、なんとなしわが家という気持ちが勝っておったゆえか、来て見たところで格別なつかしい感じもなかった。こうつくづく自分の生まれたこの村を遠くから眺めて、深い感慨にふけるようなこともなかった。  いったい今度来たのも、わざわざではなかった。千葉まで来たついでを利用した思い立ちであったのだ。もっともぜひ墓参りをして帰ろうという気で、こっちへ向かってからは、かねがね聞いた村の変化や兄夫婦のようす、新しくけばけばしかった両親の石塔などについて、きれぎれに連絡も何もない感想が、ただわけもなく頭の中ににぶい回転をはじめたのだ。  汽車をおりて七八町宿形ちをした村をぬけると、広い水田を見わたすたんぼ道へ出て、もう十四五町の前にいつも同じように目にはいるわが村であるが、ちょぼちょぼとしたその小村の森を見いだした時、自分は今までに覚えない心の痛みを感ずるのであった。現実が頼りなくなって来たような、形容のできない寂しさが、ひしひしと身にせまって来た。  何のかんのといってて十年過ぐしてしまった。母が三月になくなり、翌年一月父がなくなった。まだ二三年前のような気がする。そうしてもう十年になるのだ。両親の墓へその当時植えた松や杉は、もう大きくなって人の背丈どころではなかろう。兄はもちろん六十を越してる。兄嫁は五十六だ。自分は兄嫁より十しか若くはない。  こんな事を自分は少しも考える気はなかった。自分は今自分の心が不意に暗いところへ落ち込んで行くのに気づいたけれども、どうすることもできなく、なにかしら非常な強い圧迫のためにさらに暗いところへ押し落とされて行くような気持ちになった。  追われ追われて来た、半生の都会生活。自分は、よほどそれに疲れて来ているのだ。両親はもう十年前にこの村の人ではない。兄夫婦ももう当代の人達ではないのだ。  自分は今もうとうこの村へ帰りたいなどいう考えはないが、自然にも不自然にも変わり果てた、この小村に今さら自分などをいるる余地のないのを寂しく感じずにはおられないのであろう。自分は今そういう明らかな意識をたどって寂しくなったのではない。ただ無性に弱くなった気持ちが、ふと空虚になった胸に押し重なって、疲れと空腹とを一度に迎えたような状態なのだ。 「こりゃおかしい、なぜこんなにいやな気持ちになったんだろう。」こう考えて自分は立ちどまってしまった。そうして胸の鼓動を静めようと考えたわけでもないが、ステッキを両手に突き立て胸を張って深い呼吸をいくたびかついた。  十年前父は八十五でなくなられた。その永眠の時には法華経を読んでいて、声の止んだのを居睡りかと家人にあやまられたと聞いて、ただありがたいことと思ったのみ、これでふたりとも親が亡くなったのだなとは考えながら、かくべつ寂しいとも思わなかった。  自分は親のない寂しさも、きょうこの村へはいりかけて、はじめて深刻に感じたのだ。 「いやこりゃ自分が年をとったせいだな。」こうも考えた。そのうち自分は何か重い重いある物を胸にかかえているような心持がして、そのまま足を運ぶことはできなくなって、自分はなお深い呼吸をいくたびか続けてから、道端にかた寄って水田を見つめつつ畔にしゃがんで見た。 「ひとりでも親があったら、ここらでこんな気持ちになりもしまい。」そんなことを考えた。 「そうだ、まったく親のないせいだろう。」  親のない故郷の寂しさということを自分は今現実に気づいたのだ。しゃがんだ自分はしばらく目をつぶって考えのおもむくままに心をまかせた。  考えてみればなつかしい記憶はたくさんにある。けれどもそれはみななつかしい記憶であって、今のなつかしさではない。そんなことを今考えるのはいやであった。  停車場へ行くらしいふたりの男が来る。後から馬を引いた者も来る。自分は見知った人ででもあるとおかしいと思ったが、立たなかった。  それでも自分はそれに気が変わってたもとから巻きたばこを探った。二三本吸ううちに来た男どもは村の者ではないらしかった。「十二時には少し間があるだろう。」こう思った自分はまだ立つ気にならなかった。  千葉を出る時に寒い風だなと思ったが、気がついて見ると今は少しも風はない。鮮明な玲瑯な、みがきにみがいたような太陽の光、しかもそれが自分ひとりに向かって放射されているように、自分の周囲がまぼしく明るい。  野菊やあざみはまだ青みを持って、黄いろく霜枯れた草の中に生きている。野菊はなお咲こうとしたつぼみがはげしい霜に打たれて腐ったらしく、小さい玉を結んでる。こうして霜にたえて枯れずにおっても、いつまで枯れずにはおれないだろう。霜に痛められるのを待たないで、なぜ早くみずから枯れてしまわないのだろう。そんな事を思ってると、あたりの霜枯れにいく匹もイナゴがしがみついてまだ死なずにいる。自分は一匹のイナゴを手にとって見た。まだ生の力を失わないイナゴは、後足をはってしきりにのがれようとする。しかし放してやっても再びみずから草にとりつく力はないらしかった。「逃げようとしたのは、助かろうとしたのではなく、死を待つさまたげをこばんだのだ。」そう思うと同時に、自由を求めて自己を保とうとするのは、すべての生物の本能的要求かしら、という考えが浮かんだ。自分の過去を考えて見れば。自分の現在も将来もわかるわけだ。寂しい心持ちの起こった時にはじゅうぶん寂しがるべきだ。寂しさを寂しがるところに生の命があじわわれる。草の霜枯れるように死を待つイナゴは寂しいものである。けれども彼は死を待つさまたげをこばむことを知っていた。  自分はもう一つほかのイナゴをとって見た。それも前のと同じように自分の手からのがれようと、ずいぶん強く力を感ずるほど後足をけった。放してやって見ると、やっぱり土に飛びついたまま再び動けるようすもない。しばらく見ていても、さらに動かなかった。自分はもう一度そのイナゴを手にとって見た。格別弱ったようすもなく以前のようにまた後足をけった。自分は今度はそのイナゴを草へとりつかせてやった。すると彼はまさしく再び草にとりついて落ちないだけの生の働きがあった。  自分の欲するままにして死のうとするイナゴを、自分はつくづく尊いと思った。そうして自分は夢の覚めたように立ちあがった。背中の着物がぽかぽか暖かくなっていた。  立ちあがって七八町の先に、再びわが生まれ故郷を眺めなおした時には、もう以前のような心の痛みはなかった。かすかながら気分のどこかにゆるみとうるおいとを感じて、心の底からまだまったく消えうせてしまわなかった、生まれた村のなつかしさと親しさが、自分をすかし慰めるのであった。  自分は疲れたように、空虚になった身を村に向かった。もう耕地には稲を刈り残してある田は一枚も見えなかった。組稲の立ってる畔から、各家に稲をかつぐ人達が、おちこちに四五人も見える。いつも村の入り口から見える、新兵衛のにお場や源三のにお場は、藁におが立ち並んで白く目立って見えた。  だんだん近づくにしたがって村の変わったようすが目にはいって来た。気がついて見ると、新兵衛の大きな茅ぶきの母屋がまる出しになっていた。椎や楠やのごもごもとした森がことごとく切られて、家がはだかになってるのであった。この土地の風習はどんな小さな家でも、一軒の家となれば、かならず多少の森が家のまわりになければならないのだ。で一軒の家が野天に風の吹きさらしになってるのは、非常にみにくいとなってる。「新兵衛の奴もういけなくなったんだな。」と思いながらやって来ると、村の中央にある産土の社もけそけそと寂しくなっている。  自分のなつかしい記憶は、産土には青空を摩してるような古い松が三本あって、自分ら子供のころには「あれがおらほうの産土の社だ。」と隣村の遠くからながめて、子供ながら誇らしく、強い印象に残ってるのだ。それが情けなく、見すぼらしく、雑木がちょぼちょぼと繁っているばかりで、高くもない社殿の棟が雑木の上に露出しているのだ。自分はまた気がおかしくなった。やるせない寂しさが胸にこみあげてきた。  その次に目に立ったのは道路であった。以前は荷馬車などは通わない里道であった道が、蕪雑に落ちつきの悪い県道となっていた。もとの記憶には産土のわきを円曲に曲がって、両端には青い草がきれいにあざみやたんぽぽの花など咲いていた。小さなこの村にふさわしいのであった。  それがどうである、産土の境地の一端をけずって無作法にまっすぐに、しかも広く高く砂利まで敷いてある。むろん良いほうの変化でどうどうたる県道であるといいたいが、昔のその昔からこの村の人々の心のこもってる、美しい詩のような産土が、その新道のために汚され、おびやかされて見る影もなくなっているではないか。したがってなつかしく忘れられないこの小さな村の安静も、この県道のために破壊されてしまっていやしないか。そう思って見ると、県道の左右についてる、おのおのの家に通う小路の見すぼらしさ。藁くずなど、踏み散らしじくじく湿っていて、年じゅうぬかるみの絶えないような低湿な小路である。自分らの子供のころに、たこを飛ばし根がらを打って走りまわった時には、もっときれいにかわいておった。確かにきれいであった。  自分は悵然として産土の前に立ちどまった。そうして思いにたえられなくなって社の中へはいった。中でしばらくたばこでも吸って休んで行こうと思ったのである。  物心覚えてから十八までの間、休日といえばたいていは多くの友達とここへ遊びに来たのだ。その中には今は忘れられない女の友達も二三人はあった。もっと樹木が多くて夏は涼しく、むろんもっときれいであった。  じつに意外である。鳥居のまわりから、草ぼうぼうと生えてる。宮の前にはさすがに草は生えていないが、落葉で埋まるばかりになってる。「今の村の子供達は、もうこの社などで遊ばないのかしら。」自分はこうも思った。  松は三本とも大きい切り株ばかり残ってるが、かねて覚えのある太い根に腰をおろして、二三本しきしまを吸うた。いささか心も落ちついて見まわしてみれば、やはりなつかしい思い出が多い。上覆は破れて柱ばかりになってるけれど、御宝前と前に刻んだ手水石の文字は、昔のままである。房州石の安物のとうろうではあるが、一対こわれもせずにあった。お宮の扉の上にある象鼻や獅子頭の彫刻、それから宮の中の透かし彫りの鳩やにわとりなども、昔手をふれたままなのがたまらなくなつかしい。  自分はようやく追懐の念にとらわれて、お宮の中を回りあるいた。したみの板や柱にさまざまな落書きがしてあるのを一々見て行く内に、自分の感覚は非常に緊張して細いのも墨の色のうすいのも一つも見のがすまいと、鋭敏に細心に見あるいた。それは三十年以前の記憶を明瞭に思い出して、確かに覚えのある落書きが二つも三つも発見されたからである。  いちじるしい時代の変化は村の児童の遊戯する場所も変わったと見え、境内の荒れてるもどうり、この宮の中などで遊ぶ子供も近年少ないらしく、新しい落書きはほとんどなかった。そうしてつくづくこの多くの古い落書きを見ていると、自分はたまらなく昔なつかしの思いがわきかえるのであった。  ありあり覚えのある落書きがさらに多く見いだされてくる。自分はなお三十年の間かつて思い出したことのなかった、一つのなつかしい詩のようなことがらの実跡を見いだした。さすがに若い血潮のいまだに胸に残ってるような気持ちで、その墨の色のうすい小さな文字の、かすかな落書きにひたいをつけるばかりに注視した。  お宮の扉の裏の人の気づかなそうなところで、筋をつけた上に墨でこまかく書いてあった。東京に永住の身となってからも、両親のある間はずいぶん帰省したけれども、ついにこのことあるを思い出さなかった、昔のそれを今発見したのである。それはただ自分の名と女の名とが小さく一寸五分ばかりの大きさに並べて書いてあるまでであるけれど、その女は自分が男になってはじめて異性と情をかわした女であるのだ。自分はそれを見ると等しく当時の事がありありと思い出される。自分はわれを忘れてしばらくそれを見つめておったが、考えて見ると当時女から「消してください、後生だから消してください。」といわれて自分がそれを消したように覚えてる。まったく夢のようで夢ではない。見れば見るほど記憶が明瞭になって来て、これを書いた当時の精神状態も墨も筆も思い出される。 「こんな若い時のいたずらごと誰でもある事だ。いまさら年にもはじないでなんだばかばかしい。」と急にわれと自分をしいて嘲罵してみたけれども、そのあまい追懐の夢のような気持ちをなかなか放すことはできない。そうして今の自分の、まじめに固まりくさった動きのとれない寂しさを考えずにもおられなかった。 「こんな物を見ているところをもしも人にでも見られたら。」と気がつくと急にはじかれるような気持ちになって近くを見まわした。無性に気がとがめて、人目が気になった。あたりに人の見えないのに安心して、しきしまに火をつけながらまた松の根に腰をおろした。ないようにしても、どうかすると風が梢にさわって、ばらばらと木の葉が落ちる。  自分はたばこを吸うても、何本吸うたか覚えのないほど追懐にとらわれてしまった。  自分はその時十七であった。お菊は十五であった。背は並より高いほう、目の大きい眉のこい三角形の顔であった。白いうなじが透きとおるようにきれいで、それが自分にはただかわいかった。正月五ヵ日の間毎日のようにお菊の家の隣の新兵衛の家に遊びに行った。お菊はよく新兵衛の家に遊びに来た。女の影をちらと見たばかりでも、血がわきかえるほど気がはずんだ。声を聞いたばかりでもいきいきした思いに満たされた。たまにはうまく出合ってことばをかわすことができれば、あまい気持ちに酔うのであった。女も自分がとかく接近するのを避けもせず、自分が毎日隣に来るのをそれと気づいてるらしいが、それをいやに思うようなふうでなかった。  正月十五日の日待ちの日であった。小雨の降るのに自分はまた新兵衛の家に遊びに行った。いつも来てる近所の者もいず、子供達もいなくて、ただ新兵衛夫婦ばかり、つくねんと炉端にすわっていた。女房は自分が上がりはなに立ったのを目で迎えて、意味ありげに笑った。自分はそれをすぐに自分の思う意味に解して笑いこたえた。 「鉄っさんたまにゃ菓子くれい買って来てもよかねいかい。」  女房はさらにくすぐるように笑ってそういった。 「そうだっけねい、そっだら買って来べい。」 「鉄っさんじょうだんだよ。」といった女房の声をあとにして自分はすぐに菓子を一袋買って来た。 「じょうだんをいえばすぐほんとにして、鉄っさんはほんとに正直者だねい。」  女房が新兵衛と顔を見合わせて笑うようすは、直覚的に自分の満足をそそるのであった。鉄瓶の口から湯気の吹くのを見て女房は「今つれて来てあげるからね。」と笑いながらたった。自分は非常にうれしくまた非常にきまりが悪く「あにつれてくっのかい。」自分はわかりきっていながら、われしらずそういった。 「あんだいせっかく湯がわいたのに茶も入れずに行っちまいやがって。」  新兵衛はそういって自分から茶を入れる用意をした。自分は新兵衛が何となくこそっぱゆかった。新兵衛は用意ができても、しばらく女房の帰るのを待つ風であったが、容易に女房が帰って来ないので、「さあ鉄っさんごちそうになるべ。」といって茶を入れた。自分は隣の人声にばかり気をとられて、茶も菓子も手にはつかない。「お菊がいないのじゃないかしら、しかしいなけりゃなお帰ってくるはずだ。」などと独りで考えていた。耳をすまして聞くと女房の声はよく聞こえる。どうやらお菊の声もするように思われる。 「鉄っさん茶飲まねいかよ髪でも結ってっだっぺい今ん来るよ。」  新兵衛はやや嘲笑の気味で投げるように笑った。自分はそれに反抗する気力はなかった。ただもう胸がわくわくしてひとすじに隣のようすに気がとられた。  話し声が近く聞こえると思うと、お菊の声も確かに聞きとれて、ふたりが背戸からはいってくるようすがわかった。まもなくまっ黒な洗い髪を振りかぶった若い顔が女房の後について来た。お菊は自分を見るとすぐ横を向いて、自分の視線をさけるようすであった。それでもあえて躊躇するふうもなく、女房について炉端へあがって来た。 「おめいばかにひまとれるから始めっちゃった。」  新兵衛はこういいながら、女房にもお菊にもお茶をついで出した。 「さあお菊さん菓子とらねいか鉄っさんのおごりだからえんりょはいらねいよ。」  それをお菊はわざと耳にもとめないふうに、 「ねいここんおかあ銀杏返しには根かけなんかねいほうがよかねかろかい。」てれかくしにお菊がそういうとわかりきっているけれど女房は、 「この節はほんとうにさっぱりした作りが流行るんだかっねい。」と、そのてれかくしをかばうふうであった。  女は一方ならぬ胸騒ぎが、つつみきれないようすで、顔は耳まであかくなってるのが、自分にはいじらしくしてたまらなかった。自分もらちもなく興奮して、じょうだん口一つきけない。ただ女が自分と顔を向き合わせないために自分はかえって女から目を離せなかった。そうして自分が買って来たと知れてる菓子を、女が見向きもせぬのが気にかかった。 「ふたりともまだ若いやねい。」といいたそうな顔をして、ふたりを上目で見てるらしい女房は「お菊さん菓子たべねいかよ。」といいながら、一握りの菓子をとって、しいて女の手に持たした。女はそれをあえて否みもせず、やがて一つ二つ口に入れた。自分はそれが非常に嬉しく、胸のつかえがとれたようにため息をついた。そうして女はもうほとんど自分のもののような気がした。  新兵衛はいつのまにか横になって、いびきをかいていた。女房はそれと見るとすぐ納戸から、どてらと枕を持ってきて、無造作なとりなしにいかにも妻らしいところが見えた。お菊にもそう見えたらしく自分には思われて、この場合それがひどく感じがよかった。  女房はそれから、お菊の髪を結いはじめた。女も今は少し気が落ちついたらしく、おだやかな調子で女房と話したり笑ったりした。自分はしばらく局外にいて、女のすべてのようすを、心ゆくばかり見つめることができた。この時くらい美しい気高い心よさをじゅうぶんに味わった事はなかった。  自分はここまでひと息に考えて来て、われ知らずああと嘆声をもらした。同時にかさかさと落ち葉をふんで人の来たのに気づいた。自分は秘密を人に見られたでもしたようにびっくらした。見ると隣家の金蔵であった。白髪頭がしかもはげあがって、見ちがえるほどじじになっていた。向こうでも自分の老いたのに驚いたようである。 「これはこれはまことにはや。」 「ずいぶん久しぶりだったねい。」  自分はわれ知らず立って、心の狼狽を見せまいとした。が、どぎまぎした自分の挙動が、われながらおかしかった。やや酒気をおびた金蔵じいは、みょうな笑いようをして自分を見つめながら、 「ここにこんな人がいようとは思わねいもんだからははははは。」 「産土様があんまり変わってしまったから……」 「きょう来ましたか、どうしてまた今じぶん急にはあ。」  彼はそういってなお自分を見つめるのであった。彼は自分が村におった時のすべてを知ってる男なのだ。 「いや十年ぶりで来て見ると、村のようすもだいぶ変わったようだね。この産土の松は何年ごろ切ってしまったのだい、いやもうどうも。」  彼は自分の問いに答えようともせず、「まあごめんなさい。」というなり行ってしまった。自分はあとでなにか狐にでもつままれたような気持ちで、しばらくただぼうっとしていた。そうしてわれにかえった時に、せっかく興にいった夢をさまされたような、いまいましさを感じた。  自分は社を出て家に向かった。道すがらまた、新兵衛の女房の介錯で、お菊を隣村の夜祭りへ連れ出したことや、雉子が鳴いたり、山鳥が飛んだりする、春の野へお菊をまぜた三四人の女達とわらびをとりに行った時のたのしさなど思い出さずにはおられなかった。  自分は老いた兄夫婦が、四五人の男女と、藁におで四方を取りかこったにお場でさかんに稲こきをしてるところを驚かした。酒浸しになってる赤ぶくれの兄の顔は、十年以前と、さしたる変わりはなかったが、姉はもうしわくちゃな、よいばあさんになっていた。甥はがんじょうな男ざかりになって、稲をかついでいた。甥の嫁にもはじめて会った。  翌日日暮れに停車場へ急ぐとちゅうで、自分は落ち稲を拾ってる、そぼろなひとりの老婆を見かけた。見るとどうも新兵衛の女房らしい。紺のももひきに藁ぞうりをはいて、縞めもわからないようなはんてんを着ていた。自分はいくどか声をかけようとしたけれど、向こうは気がつかないようすであるのに、あまり見苦しいふうもしているから、とうとう見すごしてしまった。  汽車を待つ間にも、そのまま帰ってしまうのが、何となし残りおしかった。新兵衛の婆にあって、昔の話もし、そうして今お菊はどんなふうでいるかも聞いてみたい心持ちがしてならなかった。 底本:「野菊の墓」アイドル・ブックス、ポプラ社    1971(昭和46)年4月5日初版    1977(昭和52)年3月30日11版 初出:「文章世界 第八卷第六號」    1913(大正2)年5月1日 ※表題は底本では、「落穂」となっています。 ※底本の編者による語注は省略しました。 入力:高瀬竜一 校正:noriko saito 2015年5月24日作成 2015年7月31日修正 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。