たけくらべ 樋口一葉 Guide 扉 本文 目 次 たけくらべ 一 二 三 四 五 六 七 八 九 十 十一 十二 十三 十四 十五 十六 一  廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お歯ぐろ溝に燈火うつる三階の騒ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行来にはかり知られぬ全盛をうらなひて、大音寺前と名は仏くさけれど、さりとは陽気の町と住みたる人の申き、三嶋神社の角をまがりてよりこれぞと見ゆる大厦もなく、かたぶく軒端の十軒長屋二十軒長や、商ひはかつふつ利かぬ処とて半さしたる雨戸の外に、あやしき形に紙を切りなして、胡粉ぬりくり彩色のある田楽みるやう、裏にはりたる串のさまもをかし、一軒ならず二軒ならず、朝日に干して夕日にしまふ手当ことごとしく、一家内これにかかりてそれは何ぞと問ふに、知らずや霜月酉の日例の神社に欲深様のかつぎ給ふこれぞ熊手の下ごしらへといふ、正月門松とりすつるよりかかりて、一年うち通しのそれは誠の商買人、片手わざにも夏より手足を色どりて、新年着の支度もこれをば当てぞかし、南無や大鳥大明神、買ふ人にさへ大福をあたへ給へば製造もとの我等万倍の利益をと人ごとに言ふめれど、さりとは思ひのほかなるもの、このあたりに大長者のうわさも聞かざりき、住む人の多くは廓者にて良人は小格子の何とやら、下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや夕暮より羽織引かけて立出れば、うしろに切火打かくる女房の顔もこれが見納めか十人ぎりの側杖無理情死のしそこね、恨みはかかる身のはて危ふく、すはと言はば命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもをかし、娘は大籬の下新造とやら、七軒の何屋が客廻しとやら、提燈さげてちよこちよこ走りの修業、卒業して何にかなる、とかくは檜舞台と見たつるもをかしからずや、垢ぬけのせし三十あまりの年増、小ざつぱりとせし唐桟ぞろひに紺足袋はきて、雪駄ちやらちやら忙がしげに横抱きの小包はとはでもしるし、茶屋が桟橋とんと沙汰して、廻り遠や此処からあげまする、誂へ物の仕事やさんとこのあたりには言ふぞかし、一体の風俗よそと変りて、女子の後帯きちんとせし人少なく、がらを好みて巾広の巻帯、年増はまだよし、十五六の小癪なるが酸漿ふくんでこの姿はと目をふさぐ人もあるべし、所がら是非もなや、昨日河岸店に何紫の源氏名耳に残れど、けふは地廻りの吉と手馴れぬ焼鳥の夜店を出して、身代たたき骨になれば再び古巣への内儀姿、どこやら素人よりは見よげに覚えて、これに染まらぬ子供もなし、秋は九月仁和賀の頃の大路を見給へ、さりとは宜くも学びし露八が物真似、栄喜が処作、孟子の母やおどろかん上達の速やかさ、うまいと褒められて今宵も一廻りと生意気は七つ八つよりつのりて、やがては肩に置手ぬぐひ、鼻歌のそそり節、十五の少年がませかた恐ろし、学校の唱歌にもぎつちよんちよんと拍子を取りて、運動会に木やり音頭もなしかねまじき風情、さらでも教育はむづかしきに教師の苦心さこそと思はるる入谷ぢかくに育英舎とて、私立なれども生徒の数は千人近く、狭き校舎に目白押の窮屈さも教師が人望いよいよあらはれて、唯学校と一ト口にてこのあたりには呑込みのつくほど成るがあり、通ふ子供の数々に或は火消鳶人足、おとつさんは刎橋の番屋に居るよと習はずして知るその道のかしこさ、梯子のりのまねびにアレ忍びがへしを折りましたと訴へのつべこべ、三百といふ代言の子もあるべし、お前の父さんは馬だねへと言はれて、名のりや愁らき子心にも顔あからめるしほらしさ、出入りの貸座敷の秘蔵息子寮住居に華族さまを気取りて、ふさ付き帽子面もちゆたかに洋服かるがると花々しきを、坊ちやん坊ちやんとてこの子の追従するもをかし、多くの中に龍華寺の信如とて、千筋となづる黒髪も今いく歳のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、発心は腹からか、坊は親ゆづりの勉強ものあり、性来をとなしきを友達いぶせく思ひて、さまざまの悪戯をしかけ、猫の死骸を縄にくくりてお役目なれば引導をたのみますと投げつけし事も有りしが、それは昔、今は校内一の人とて仮にも侮りての処業はなかりき、歳は十五、並背にていが栗の頭髪も思ひなしか俗とは変りて、藤本信如と訓にてすませど、何処やら釈といひたげの素振なり。 二  八月二十日は千束神社のまつりとて、山車屋台に町々の見得をはりて土手をのぼりて廓内までも入込まんづ勢ひ、若者が気組み思ひやるべし、聞かぢりに子供とて由断のなりがたきこのあたりのなれば、そろひの裕衣は言はでものこと、銘々に申合せて生意気のありたけ、聞かば胆もつぶれぬべし、横町組と自らゆるしたる乱暴の子供大将に頭の長とて歳も十六、仁和賀の金棒に親父の代理をつとめしより気位ゑらく成りて、帯は腰の先に、返事は鼻の先にていふ物と定め、にくらしき風俗、あれが頭の子でなくばと鳶人足が女房の蔭口に聞えぬ、心一ぱいに我がままを徹して身に合はぬ巾をも広げしが、表町に田中屋の正太郎とて歳は我れに三つ劣れど、家に金あり身に愛敬あれば人も憎くまぬ当の敵あり、我れは私立の学校へ通ひしを、先方は公立なりとて同じ唱歌も本家のやうな顔をしおる、去年も一昨年も先方には大人の末社がつきて、まつりの趣向も我れよりは花を咲かせ、喧嘩に手出しのなりがたき仕組みも有りき、今年又もや負けにならば、誰れだと思ふ横町の長吉だぞと平常の力だては空いばりとけなされて、弁天ぼりに水およぎの折も我が組に成る人は多かるまじ、力を言はば我が方がつよけれど、田中屋が柔和ぶりにごまかされて、一つは学問が出来おるを恐れ、我が横町組の太郎吉、三五郎など、内々は彼方がたに成たるも口惜し、まつりは明後日、いよいよ我が方が負け色と見えたらば、破れかぶれに暴れて暴れて、正太郎が面に疷一つ、我れも片眼片足なきものと思へば為やすし、加担人は車屋の丑に元結よりの文、手遊屋の弥助などあらば引けは取るまじ、おおそれよりはあの人の事あの人の事、藤本のならば宜き智恵も貸してくれんと、十八日の暮れちかく、物いへば眼口にうるさき蚊を払ひて竹村しげき龍華寺の庭先から信如が部屋へのそりのそりと、信さん居るかと顔を出しぬ。  己れの為る事は乱暴だと人がいふ、乱暴かも知れないが口惜しい事は口惜しいや、なあ聞いとくれ信さん、去年も己れが処の末弟の奴と正太郎組の短小野郎と万燈のたたき合ひから始まつて、それといふと奴の中間がばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう小さな者の万燈を打こわしちまつて、胴揚にしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間抜に背のたかい大人のやうな面をしてゐる団子屋の頓馬が、頭もあるものか尻尾だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて悪口を言つたとさ、己らあその時千束様へねり込んでゐたもんだから、あとで聞いた時に直様仕かへしに行かうと言つたら、親父さんに頭から小言を喰つてその時も泣寐入、一昨年はそらね、お前も知つてる通り筆屋の店へ表町の若衆が寄合て茶番か何かやつたらう、あの時己れが見に行つたら、横町は横町の趣向がありませうなんて、おつな事を言ひやがつて、正太ばかり客にしたのも胸にあるわな、いくら金が有るとつて質屋のくづれの高利貸が何たら様だ、あんな奴を生して置くより擲きころす方が世間のためだ、己らあ今度のまつりにはどうしても乱暴に仕掛て取かへしを付けようと思ふよ、だから信さん友達がひに、それはお前が嫌やだといふのも知れてるけれども何卒我れの肩を持つて、横町組の耻をすすぐのだから、ね、おい、本家本元の唱歌だなんて威張りおる正太郎を取ちめてくれないか、我れが私立の寐ぼけ生徒といはれればお前の事も同然だから、後生だ、どうぞ、助けると思つて大万燈を振廻しておくれ、己れは心から底から口惜しくつて、今度負けたら長吉の立端は無いと無茶にくやしがつて大幅の肩をゆすりぬ。だつて僕は弱いもの。弱くても宜いよ。万燈は振廻せないよ。振廻さなくても宜いよ。僕が這入ると負けるが宜いかへ。負けても宜いのさ、それは仕方が無いと諦めるから、お前は何も為ないで宜いから唯横町の組だといふ名で、威張つてさへくれると豪気に人気がつくからね、己れはこんな無学漢だのにお前は学が出来るからね、向ふの奴が漢語か何かで冷語でも言つたら、此方も漢語で仕かへしておくれ、ああ好い心持ださつぱりしたお前が承知をしてくれればもう千人力だ、信さん有がたうと常に無い優しき言葉も出るものなり。  一人は三尺帯に突かけ草履の仕事師の息子、一人はかわ色金巾の羽織に紫の兵子帯といふ坊様仕立、思ふ事はうらはらに、話しは常に喰ひ違ひがちなれど、長吉は我が門前に産声を揚げしものと大和尚夫婦が贔負もあり、同じ学校へかよへば私立私立とけなされるも心わるきに、元来愛敬のなき長吉なれば心から味方につく者もなき憐れさ、先方は町内の若衆どもまで尻押をして、ひがみでは無し長吉が負けを取る事罪は田中屋がたに少なからず、見かけて頼まれし義理としても嫌やとは言ひかねて信如、それではお前の組に成るさ、成るといつたら嘘は無いが、なるべく喧嘩は為ぬ方が勝だよ、いよいよ先方が売りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さと、我が力の無いは忘れて、信如は机の引出しから京都みやげに貰ひたる、小鍛冶の小刀を取出して見すれば、よく利れそうだねへと覗き込む長吉が顔、あぶなし此物を振廻してなる事か。 三  解かば足にもとどくべき毛髪を、根あがりに堅くつめて前髪大きく髷おもたげの、赭熊といふ名は恐ろしけれど、此髷をこの頃の流行とて良家の令嬢も遊ばさるるぞかし、色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、一つ一つに取たてては美人の鑑に遠けれど、物いふ声の細く清しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり、柿色に蝶鳥を染めたる大形の裕衣きて、黒襦子と染分絞りの昼夜帯胸だかに、足にはぬり木履ここらあたりにも多くは見かけぬ高きをはきて、朝湯の帰りに首筋白々と手拭さげたる立姿を、今三年の後に見たしと廓がへりの若者は申き、大黒屋の美登利とて生国は紀州、言葉のいささか訛れるも可愛く、第一は切れ離れよき気象を喜ばぬ人なし、子供に似合ぬ銀貨入れの重きも道理、姉なる人が全盛の余波、延いては遣手新造が姉への世辞にも、美いちやん人形をお買ひなされ、これはほんの手鞠代と、くれるに恩を着せねば貰ふ身の有がたくも覚えず、まくはまくは、同級の女生徒二十人に揃ひのごむ鞠を与へしはおろかの事、馴染の筆やに店ざらしの手遊を買しめて喜ばせし事もあり、さりとは日々夜々の散財この歳この身分にて叶ふべきにあらず、末は何となる身ぞ、両親ありながら大目に見てあらき詞をかけたる事も無く、楼の主が大切がる様子も怪しきに、聞けば養女にもあらず親戚にてはもとより無く、姉なる人が身売りの当時、鑑定に来たりし楼の主が誘ひにまかせ、この地に活計もとむとて親子三人が旅衣、たち出しはこの訳、それより奥は何なれや、今は寮のあづかりをして母は遊女の仕立物、父は小格子の書記に成りぬ、この身は遊芸手芸学校にも通はせられて、そのほかは心のまま、半日は姉の部屋、半日は町に遊んで見聞くは三味に太鼓にあけ紫のなり形、はじめ藤色絞りの半襟を袷にかけて着て歩るきしに、田舎者いなか者と町内の娘どもに笑はれしを口惜しがりて、三日三夜泣きつづけし事も有しが、今は我れより人々を嘲りて、野暮な姿と打つけの悪まれ口を、言ひ返すものも無く成りぬ。二十日はお祭りなれば心一ぱい面白い事をしてと友達のせがむに、趣向は何なりと各自に工夫して大勢の好い事が好いでは無いか、幾金でもいい私が出すからとて例の通り勘定なしの引受けに、子供中間の女王様又とあるまじき恵みは大人よりも利きが早く、茶番にしよう、何処のか店を借りて徃来から見えるやうにしてと一人が言へば、馬鹿を言へ、それよりはお神輿をこしらへておくれな、蒲田屋の奥に飾つてあるやうな本当のを、重くても搆はしない、やつちよいやつちよい訳なしだと捩ぢ鉢巻をする男子のそばから、それでは私たちがつまらない、皆が騒ぐを見るばかりでは美登利さんだとて面白くはあるまい、何でもお前の好い物におしよと、女の一むれは祭りを抜きに常盤座をと、言ひたげの口振をかし、田中の正太は可愛らしい眼をぐるぐると動かして、幻燈にしないか、幻燈に、己れの処にも少しは有るし、足りないのを美登利さんに買つて貰つて、筆やの店で行らうでは無いか、己れが映し人で横町の三五郎に口上を言はせよう、美登利さんそれにしないかと言へば、ああそれは面白からう、三ちやんの口上ならば誰れも笑はずにはゐられまい、序にあの顔がうつると猶おもしろいと相談はととのひて、不足の品を正太が買物役、汗に成りて飛び廻るもをかしく、いよいよ明日と成りては横町までもその沙汰聞えぬ。 四  打つや鼓のしらべ、三味の音色に事かかぬ場処も、祭りは別物、酉の市を除けては一年一度の賑ひぞかし、三嶋さま小野照さま、お隣社づから負けまじの競ひ心をかしく、横町も表も揃ひは同じ真岡木綿に町名くづしを、去歳よりは好からぬ形とつぶやくも有りし、口なし染の麻だすきなるほど太きを好みて、十四五より以下なるは、達磨、木兎、犬はり子、さまざまの手遊を数多きほど見得にして、七つ九つ十一つくるもあり、大鈴小鈴背中にがらつかせて、駆け出す足袋はだしの勇ましく可笑し、群れを離れて田中の正太が赤筋入りの印半天、色白の首筋に紺の腹がけ、さりとは見なれぬ扮粧とおもふに、しごいて締めし帯の水浅黄も、見よや縮緬の上染、襟の印のあがりも際立て、うしろ鉢巻きに山車の花一枝、革緒の雪駄おとのみはすれど、馬鹿ばやしの中間には入らざりき、夜宮は事なく過ぎて今日一日の日も夕ぐれ、筆やが店に寄合しは十二人、一人かけたる美登利が夕化粧の長さに、未だか未だかと正太は門へ出つ入りつして、呼んで来い三五郎、お前はまだ大黒屋の寮へ行つた事があるまい、庭先から美登利さんと言へば聞える筈、早く、早くと言ふに、それならば己れが呼んで来る、万燈は此処へあづけて行けば誰れも蝋燭ぬすむまい、正太さん番をたのむとあるに、吝嗇な奴め、その手間で早く行けと我が年したに叱かられて、おつと来たさの次郎左衛門、今の間とかけ出して韋駄天とはこれをや、あれあの飛びやうが可笑しいとて見送りし女子どもの笑ふも無理ならず、横ぶとりして背ひくく、頭の形は才槌とて首みぢかく、振むけての面を見れば出額の獅子鼻、反歯の三五郎といふ仇名おもふべし、色は論なく黒きに感心なは目つき何処までもおどけて両の頬に笑くぼの愛敬、目かくしの福笑ひに見るやうな眉のつき方も、さりとはをかしく罪の無き子なり、貧なれや阿波ちぢみの筒袖、己れは揃ひが間に合はなんだと知らぬ友には言ふぞかし、我れを頭に六人の子供を、養ふ親も轅棒にすがる身なり、五十軒によき得意場は持たりとも、内証の車は商買ものの外なれば詮なく、十三になれば片腕と一昨年より並木の活判処へも通ひしが、怠惰ものなれば十日の辛棒つづかず、一ト月と同じ職も無くて霜月より春へかけては突羽根の内職、夏は検査場の氷屋が手伝ひして、呼声をかしく客を引くに上手なれば、人には調法がられぬ、去年は仁和賀の台引きに出しより、友達いやしがりて万年町の呼名今に残れども、三五郎といへば滑稽者と承知して憎くむ者の無きも一徳なりし、田中屋は我が命の綱、親子が蒙むる御恩すくなからず、日歩とかや言ひて利金安からぬ借りなれど、これなくてはの金主様あだには思ふべしや、三公己れが町へ遊びに来いと呼ばれて嫌やとは言はれぬ義理あり、されども我れは横町に生れて横町に育ちたる身、住む地処は龍華寺のもの、家主は長吉が親なれば、表むき彼方に背く事かなはず、内々に此方の用をたして、にらまるる時の役廻りつらし。正太は筆やの店へ腰をかけて、待つ間のつれづれに忍ぶ恋路を小声にうたへば、あれ由断がならぬと内儀さまに笑はれて、何がなしに耳の根あかく、まぢくないの高声に皆も来いと呼つれて表へ駆け出す出合頭、正太は夕飯なぜ喰べぬ、遊びに耄けて先刻にから呼ぶをも知らぬか、誰様も又のちほど遊ばせて下され、これは御世話と筆やの妻にも挨拶して、祖母が自からの迎ひに正太いやが言はれず、そのまま連れて帰らるるあとは俄かに淋しく、人数はさのみ変らねどあの子が見えねば大人までも寂しい、馬鹿さわぎもせねば串談も三ちやんの様では無けれど、人好きのするは金持の息子さんに珎らしい愛敬、何と御覧じたか田中屋の後家さまがいやらしさを、あれで年は六十四、白粉をつけぬがめつけ物なれど丸髷の大きさ、猫なで声して人の死ぬをも搆はず、大方臨終は金と情死なさるやら、それでも此方どもの頭の上らぬはあの物の御威光、さりとは欲しや、廓内の大きい楼にも大分の貸付があるらしう聞きましたと、大路に立ちて二三人の女房よその財産を数へぬ。 五  待つ身につらき夜半の置炬燵、それは恋ぞかし、吹風すずしき夏の夕ぐれ、ひるの暑さを風呂に流して、身じまいの姿見、母親が手づからそそけ髪つくろひて、我が子ながら美くしきを立ちて見、居て見、首筋が薄かつたと猶ぞいひける、単衣は水色友仙の涼しげに、白茶金らんの丸帯少し幅の狭いを結ばせて、庭石に下駄直すまで時は移りぬ。まだかまだかと塀の廻りを七度び廻り、欠伸の数も尽きて、払ふとすれど名物の蚊に首筋額ぎわしたたか螫れ、三五郎弱りきる時、美登利立出でていざと言ふに、此方は言葉もなく袖を捉へて駆け出せば、息がはづむ、胸が痛い、そんなに急ぐならば此方は知らぬ、お前一人でお出と怒られて、別れ別れの到着、筆やの店へ来し時は正太が夕飯の最中とおぼえし。ああ面白くない、おもしろくない、あの人が来なければ幻燈をはじめるのも嫌、伯母さん此処の家に智恵の板は売りませぬか、十六武蔵でも何でもよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、それよと即坐に鋏を借りて女子づれは切抜きにかかる、男は三五郎を中に仁和賀のさらひ、北廓全盛見わたせば、軒は提燈電気燈、いつも賑ふ五丁町、と諸声をかしくはやし立つるに、記憶のよければ去年一昨年とさかのぼりて、手振手拍子ひとつも変る事なし、うかれ立たる十人あまりの騒ぎなれば何事と門に立ちて人垣をつくりし中より、三五郎は居るか、一寸来てくれ大急ぎだと、文次といふ元結よりの呼ぶに、何の用意もなくおいしよ、よし来たと身がるに敷居を飛こゆる時、この二タ股野郎覚悟をしろ、横町の面よごしめ唯は置かぬ、誰れだと思ふ長吉だ生ふざけた真似をして後悔するなと頬骨一撃、あつと魂消て逃入る襟がみを、つかんで引出す横町の一むれ、それ三五郎をたたき殺せ、正太を引出してやつてしまへ、弱虫にげるな、団子屋の頓馬も唯は置かぬと潮のやうに沸かへる騒ぎ、筆屋が軒の掛提燈は苦もなくたたき落されて、釣りらんぷ危なし店先の喧嘩なりませぬと女房が喚きも聞かばこそ、人数は大凡十四五人、ねぢ鉢巻に大万燈ふりたてて、当るがままの乱暴狼藉、土足に踏み込む傍若無人、目ざす敵の正太が見えねば、何処へ隠くした、何処へ逃げた、さあ言はぬか、言はぬか、言はさずに置く物かと三五郎を取こめて撃つやら蹴るやら、美登利くやしく止める人を掻きのけて、これお前がたは三ちやんに何の咎がある、正太さんと喧嘩がしたくば正太さんとしたが宜い、逃げもせねば隠くしもしない、正太さんは居ぬでは無いか、此処は私が遊び処、お前がたに指でもささしはせぬ、ゑゑ憎くらしい長吉め、三ちやんを何故ぶつ、あれ又引たほした、意趣があらば私をお撃ち、相手には私がなる、伯母さん止めずに下されと身もだへして罵れば、何を女郎め頬桁たたく、姉の跡つぎの乞食め、手前の相手にはこれが相応だと多人数のうしろより長吉、泥草履つかんで投つければ、ねらひ違はず美登利が額際にむさき物したたか、血相かへて立あがるを、怪我でもしてはと抱きとむる女房、ざまを見ろ、此方には龍華寺の藤本がついてゐるぞ、仕かへしには何時でも来い、薄馬鹿野郎め、弱虫め、腰ぬけの活地なしめ、帰りには待伏せする、横町の闇に気をつけろと三五郎を土間に投出せば、折から靴音たれやらが交番への注進今ぞしる、それと長吉声をかくれば丑松文次その余の十余人、方角をかへてばらばらと逃足はやく、抜け裏の露路にかがむも有るべし、口惜しいくやしい口惜しい口惜しい、長吉め文次め丑松め、なぜ己れを殺さぬ、殺さぬか、己れも三五郎だ唯死ぬものか、幽灵になつても取殺すぞ、覚えてゐろ長吉めと湯玉のやうな涙はらはら、はては大声にわつと泣き出す、身内や痛からん筒袖の処々引さかれて背中も腰も砂まぶれ、止めるにも止めかねて勢ひの悽まじさに唯おどおどと気を呑まれし、筆やの女房走り寄りて抱きおこし、背中をなで砂を払ひ、堪忍をし、堪忍をし、何と思つても先方は大勢、此方は皆よわい者ばかり、大人でさへ手が出しかねたに叶はぬは知れてゐる、それでも怪我のないは仕合、この上は途中の待ぶせが危ない、幸ひの巡査さまに家まで見て頂かば我々も安心、この通りの子細で御座ります故と筋をあらあら折からの巡査に語れば、職掌がらいざ送らんと手を取らるるに、いゑいゑ送つて下さらずとも帰ります、一人で帰りますと小さく成るに、こりや怕い事は無い、其方の家まで送る分の事、心配するなと微笑を含んで頭を撫でらるるに弥々ちぢみて、喧嘩をしたと言ふと親父さんに叱かられます、頭の家は大屋さんで御座りますからとて凋れるをすかして、さらば門口まで送つて遣る、叱からるるやうの事は為ぬわとて連れらるるに四隣の人胸を撫でてはるかに見送れば、何とかしけん横町の角にて巡査の手をば振はなして一目散に逃げぬ。 六  めづらしい事、この炎天に雪が降りはせぬか、美登利が学校を嫌やがるはよくよくの不機嫌、朝飯がすすまずば後刻に鮨でも誂へようか、風邪にしては熱も無ければ大方きのふの疲れと見える、太郎様への朝参りは母さんが代理してやれば御免こふむれとありしに、いゑいゑ姉さんの繁昌するやうにと私が願をかけたのなれば、参らねば気が済まぬ、お賽銭下され行つて来ますと家を駆け出して、中田圃の稲荷に鰐口ならして手を合せ、願ひは何ぞ行きも帰りも首うなだれて畦道づたひ帰り来る美登利が姿、それと見て遠くより声をかけ、正太はかけ寄りて袂を押へ、美登利さん昨夕は御免よと突然にあやまれば、何もお前に謝罪られる事は無い。それでも己れが憎くまれて、己れが喧嘩の相手だもの、お祖母さんが呼びにさへ来なければ帰りはしない、そんなに無暗に三五郎をも撃たしはしなかつた物を、今朝三五郎の処へ見に行つたら、彼奴も泣いて口惜しがつた、己れは聞いてさへ口惜しい、お前の顔へ長吉め草履を投げたと言ふでは無いか、あの野郎乱暴にもほどがある、だけれど美登利さん堪忍しておくれよ、己れは知りながら逃げてゐたのでは無い、飯を掻込んで表へ出やうとするとお祖母さんが湯に行くといふ、留守居をしてゐるうちの騒ぎだらう、本当に知らなかつたのだからねと、我が罪のやうに平あやまりに謝罪て、痛みはせぬかと額際を見あげれば、美登利につこり笑ひて何負傷をするほどでは無い、それだが正さん誰れが聞いても私が長吉に草履を投げられたと言つてはいけないよ、もし万一お母さんが聞きでもすると私が叱かられるから、親でさへ頭に手はあげぬものを、長吉づれが草履の泥を額にぬられては踏まれたも同じだからとて、背ける顔のいとをしく、本当に堪忍しておくれ、みんな己れが悪るい、だから謝る、機嫌を直してくれないか、お前に怒られると己れが困るものをと話しつれて、いつしか我家の裏近く来れば、寄らないか美登利さん、誰れも居はしない、祖母さんも日がけを集めに出たらうし、己ればかりで淋しくてならない、いつか話した錦絵を見せるからお寄りな、種々のがあるからと袖を捉らへて離れぬに、美登利は無言にうなづいて、佗びた折戸の庭口より入れば、広からねども鉢ものをかしく並びて、軒につり忍艸、これは正太が午の日の買物と見えぬ、理由しらぬ人は小首やかたぶけん町内一の財産家といふに、家内は祖母と此子二人、万の鍵に下腹冷えて留守は見渡しの総長屋、さすがに錠前くだくもあらざりき、正太は先へあがりて風入りのよき場処を見たてて、此処へ来ぬかと団扇の気あつかひ、十三の子供にはませ過ぎてをかし。古くより持つたへし錦絵かずかず取出し、褒めらるるを嬉しく美登利さん昔しの羽子板を見せよう、これは己れの母さんがお邸に奉公してゐる頃いただいたのだとさ、をかしいでは無いかこの大きい事、人の顔も今のとは違ふね、ああこの母さんが生きてゐると宜いが、己れが三つの歳死んで、お父さんは在るけれど田舎の実家へ帰つてしまつたから今は祖母さんばかりさ、お前は浦山しいねと無端に親の事を言ひ出せば、それ絵がぬれる、男が泣く物では無いと美登利に言はれて、己れは気が弱いのかしら、時々種々の事を思ひ出すよ、まだ今時分は宜いけれど、冬の月夜なにかに田町あたりを集めに廻ると土手まで来て幾度も泣いた事がある、何さむい位で泣きはしない、何故だか自分も知らぬが種々の事を考へるよ、ああ一昨年から己れも日がけの集めに廻るさ、祖母さんは年寄りだからそのうちにも夜るは危ないし、目が悪るいから印形を押たり何かに不自由だからね、今まで幾人も男を使つたけれど、老人に子供だから馬鹿にして思ふやうには動いてくれぬと祖母さんが言つてゐたつけ、己れがもう少し大人に成ると質屋を出さして、昔しの通りでなくとも田中屋の看板をかけると楽しみにしてゐるよ、他処の人は祖母さんを吝だと言ふけれど、己れの為に倹約してくれるのだから気の毒でならない、集金に行くうちでも通新町や何かに随分可愛想なのが有るから、さぞお祖母さんを悪るくいふだらう、それを考へると己れは涙がこぼれる、やつぱり気が弱いのだね、今朝も三公の家へ取りに行つたら、奴め身体が痛い癖に親父に知らすまいとして働いてゐた、それを見たら己れは口が利けなかつた、男が泣くてへのは可笑しいでは無いか、だから横町の野蕃漢に馬鹿にされるのだと言ひかけて我が弱いを耻かしさうな顔色、何心なく美登利と見合す目つきの可愛さ。お前の祭の姿は大層よく似合つて浦山しかつた、私も男だとあんな風がして見たい、誰れのよりも宜く見えたと賞められて、何だ己れなんぞ、お前こそ美くしいや、廓内の大巻さんよりも奇麗だと皆がいふよ、お前が姉であつたら己れはどんなに肩身が広かろう、何処へゆくにも追従て行つて大威張りに威張るがな、一人も兄弟が無いから仕方が無い、ねへ美登利さん今度一処に写真を取らないか、我れは祭りの時の姿で、お前は透綾のあら縞で意気な形をして、水道尻の加藤でうつさう、龍華寺の奴が浦山しがるやうに、本当だぜ彼奴はきつと怒るよ、真青に成つて怒るよ、にゑ肝だからね、赤くはならない、それとも笑ふかしら、笑はれても搆はない、大きく取つて看板に出たら宜いな、お前は嫌やかへ、嫌やのやうな顔だものと恨めるもをかしく、変な顔にうつるとお前に嫌らはれるからとて美登利ふき出して、高笑ひの美音に御機嫌や直りし。  朝冷はいつしか過ぎて日かげの暑くなるに、正太さん又晩によ、私の寮へも遊びにお出でな、燈籠ながして、お魚追ひましよ、池の橋が直つたれば怕い事は無いと言ひ捨てに立出る美登利の姿、正太うれしげに見送つて美くしと思ひぬ。 七  龍華寺の信如、大黒屋の美登利、二人ながら学校は育英舎なり、去りし四月の末つかた、桜は散りて青葉のかげに藤の花見といふ頃、春季の大運動会とて水の谷の原にせし事ありしが、つな引、鞠なげ、縄とびの遊びに興をそへて長き日の暮るるを忘れし、その折の事とや、信如いかにしたるか平常の沈着に似ず、池のほとりの松が根につまづきて赤土道に手をつきたれば、羽織の袂も泥に成りて見にくかりしを、居あはせたる美登利みかねて我が紅の絹はんけちを取出し、これにてお拭きなされと介抱をなしけるに、友達の中なる嫉妬や見つけて、藤本は坊主のくせに女と話をして、嬉しさうに礼を言つたは可笑しいでは無いか、大方美登利さんは藤本の女房になるのであらう、お寺の女房なら大黒さまと言ふのだなどと取沙汰しける、信如元来かかる事を人の上に聞くも嫌ひにて、苦き顔して横を向く質なれば、我が事として我慢のなるべきや、それよりは美登利といふ名を聞くごとに恐ろしく、又あの事を言ひ出すかと胸の中もやくやして、何とも言はれぬ厭やな気持なり、さりながら事ごとに怒りつける訳にもゆかねば、なるだけは知らぬ躰をして、平気をつくりて、むづかしき顔をして遣り過ぎる心なれど、さし向ひて物などを問はれたる時の当惑さ、大方は知りませぬの一ト言にて済ませど、苦しき汗の身うちに流れて心ぼそき思ひなり、美登利はさる事も心にとまらねば、最初は藤本さん藤本さんと親しく物いひかけ、学校退けての帰りがけに、我れは一足はやくて道端に珎らしき花などを見つくれば、おくれし信如を待合して、これこんなうつくしい花が咲てあるに、枝が高くて私には折れぬ、信さんは背が高ければお手が届きましよ、後生折つて下されと一むれの中にては年長なるを見かけて頼めば、さすがに信如袖ふり切りて行すぎる事もならず、さりとて人の思はくいよいよ愁らければ、手近の枝を引寄せて好悪かまはず申訳ばかりに折りて、投つけるやうにすたすたと行過ぎるを、さりとは愛敬の無き人と惘れし事も有しが、度かさなりての末には自ら故意の意地悪のやうに思はれて、人にはさもなきに我れにばかり愁らき処為をみせ、物を問へば碌な返事した事なく、傍へゆけば逃げる、はなしを為れば怒る、陰気らしい気のつまる、どうして好いやら機嫌の取りやうも無い、あのやうなむづかしやは思ひのままに捻れて怒つて意地わるが為たいならんに、友達と思はずは口を利くも入らぬ事と美登利少し疳にさはりて、用の無ければ摺れ違ふても物いふた事なく、途中に逢ひたりとて挨拶など思ひもかけず、唯いつとなく二人の中に大川一つ横たはりて、舟も筏も此処には御法度、岸に添ふておもひおもひの道をあるきぬ。  祭りは昨日に過ぎてそのあくる日より美登利の学校へ通ふ事ふつと跡たえしは、問ふまでも無く額の泥の洗ふても消えがたき耻辱を、身にしみて口惜しければぞかし、表町とて横町とて同じ教場におし並べば朋輩に変りは無き筈を、をかしき分け隔てに常日頃意地を持ち、我れは女の、とても敵ひがたき弱味をば付目にして、まつりの夜の処為はいかなる卑怯ぞや、長吉のわからずやは誰れも知る乱暴の上なしなれど、信如の尻おし無くはあれほどに思ひ切りて表町をば暴し得じ、人前をば物識らしく温順につくりて、陰に廻りて機関の糸を引しは藤本の仕業に極まりぬ、よし級は上にせよ、学は出来るにせよ、龍華寺さまの若旦那にせよ、大黒屋の美登利紙一枚のお世話にも預からぬ物を、あのやうに乞食呼はりして貰ふ恩は無し、龍華寺はどれほど立派な檀家ありと知らねど、我が姉さま三年の馴染に銀行の川様、兜町の米様もあり、議員の短小さま根曳して奥さまにと仰せられしを、心意気気に入らねば姉さま嫌ひてお受けはせざりしが、あの方とても世には名高きお人と遣手衆の言はれし、嘘ならば聞いて見よ、大黒やに大巻の居ずはあの楼は闇とかや、さればお店の旦那とても父さん母さん我が身をも粗畧には遊ばさず、常々大切がりて床の間にお据へなされし瀬戸物の大黒様をば、我れいつぞや坐敷の中にて羽根つくとて騒ぎし時、同じく並びし花瓶を仆し、散々に破損をさせしに、旦那次の間に御酒めし上りながら、美登利お転婆が過ぎるのと言はれしばかり小言は無かりき、他の人ならば一通りの怒りでは有るまじと、女子衆達にあとあとまで羨まれしも必竟は姉さまの威光ぞかし、我れ寮住居に人の留守居はしたりとも姉は大黒屋の大巻、長吉風情に負けを取るべき身にもあらず、龍華寺の坊さまにいぢめられんは心外と、これより学校へ通ふ事おもしろからず、我ままの本性あなどられしが口惜しさに、石筆を折り墨をすて、書物も十露盤も入らぬ物にして、中よき友と埒も無く遊びぬ。 八  走れ飛ばせの夕べに引かへて、明けの別れに夢をのせ行く車の淋しさよ、帽子まぶかに人目を厭ふ方様もあり、手拭とつて頬かふり、彼女が別れに名残の一撃、いたさ身にしみて思ひ出すほど嬉しく、うす気味わるやにたにたの笑ひ顔、坂本へ出ては用心し給へ千住がへりの青物車にお足元あぶなし、三嶋様の角までは気違ひ街道、御顔のしまり何れも緩るみて、はばかりながら御鼻の下ながながと見えさせ給へば、そんじよ其処らにそれ大した御男子様とて、分厘の価値も無しと、辻に立ちて御慮外を申もありけり。楊家の娘君寵をうけてと長恨歌を引出すまでもなく、娘の子は何処にも貴重がらるる頃なれど、このあたりの裏屋より赫奕姫の生るる事その例多し、築地の某屋に今は根を移して御前さま方の御相手、踊りに妙を得し雪といふ美形、唯今のお座敷にてお米のなります木はと至極あどけなき事は申とも、もとは此町の巻帯党にて花がるたの内職せしものなり、評判はその頃に高く去るもの日々に踈ければ、名物一つかげを消して二度目の花は紺屋の乙娘、今千束町に新つた屋の御神燈ほのめかして、小吉と呼ばるる公園の尤物も根生ひは同じ此処の土成し、あけくれの噂にも御出世といふは女に限りて、男は塵塚さがす黒斑の尾の、ありて用なき物とも見ゆべし、この界隈に若い衆と呼ばるる町並の息子、生意気ざかりの十七八より五人組七人組、腰に尺八の伊達はなけれど、何とやら厳めしき名の親分が手下につきて、揃ひの手ぬぐひ長提燈、賽ころ振る事おぼえぬうちは素見の格子先に思ひ切つての串談も言ひがたしとや、真面目につとむる我が家業は昼のうちばかり、一風呂浴びて日の暮れゆけば突かけ下駄に七五三の着物、何屋の店の新妓を見たか、金杉の糸屋が娘に似てもう一倍鼻がひくいと、頭脳の中をこんな事にこしらへて、一軒ごとの格子に烟草の無理どり鼻紙の無心、打ちつ打たれつこれを一世の誉と心得れば、堅気の家の相続息子地廻りと改名して、大門際に喧嘩かひと出るもありけり、見よや女子の勢力と言はぬばかり、春秋しらぬ五丁町の賑ひ、送りの提燈いま流行らねど、茶屋が廻女の雪駄のおとに響き通へる歌舞音曲、うかれうかれて入込む人の何を目当と言問はば、赤ゑり赭熊に裲襠の裾ながく、につと笑ふ口元目もと、何処が美いとも申がたけれど華魁衆とて此処にての敬ひ、立はなれては知るによしなし、かかる中にて朝夕を過ごせば、衣の白地の紅に染む事無理ならず、美登利の眼の中に男といふ者さつても怕からず恐ろしからず、女郎といふ者さのみ賤しき勤めとも思はねば、過ぎし故郷を出立の当時ないて姉をば送りしこと夢のやうに思はれて、今日この頃の全盛に父母への孝養うらやましく、お職を徹す姉が身の、憂いの愁らいの数も知らねば、まち人恋ふる鼠なき格子の咒文、別れの背中に手加減の秘密まで、唯おもしろく聞なされて、廓ことばを町にいふまで去りとは耻かしからず思へるも哀なり、年はやうやう数への十四、人形抱いて頬ずりする心は御華族のお姫様とて変りなけれど、修身の講義、家政学のいくたても学びしは学校にてばかり、誠あけくれ耳に入りしは好いた好かぬの客の風説、仕着せ積み夜具茶屋への行わたり、派手は美事に、かなはぬは見すぼらしく、人事我事分別をいふはまだ早し、幼な心に目の前の花のみはしるく、持まへの負けじ気性は勝手に馳せ廻りて雲のやうな形をこしらへぬ、気違ひ街道、寐ぼれ道、朝がへりの殿がた一順すみて朝寐の町も門の箒目青海波をゑがき、打水よきほどに済みし表町の通りを見渡せば、来るは来るは、万年町山伏町、新谷町あたりを塒にして、一能一術これも芸人の名はのがれぬ、よかよか飴や軽業師、人形つかひ大神楽、住吉をどりに角兵衛獅子、おもひおもひの扮粧して、縮緬透綾の伊達もあれば、薩摩がすりの洗ひ着に黒襦子の幅狭帯、よき女もあり男もあり、五人七人十人一組の大たむろもあれば、一人淋しき痩せ老爺の破れ三味線かかへて行くもあり、六つ五つなる女の子に赤襷させて、あれは紀の国おどらするも見ゆ、お顧客は廓内に居つづけ客のなぐさみ、女郎の憂さ晴らし、彼処に入る身の生涯やめられぬ得分ありと知られて、来るも来るも此処らの町に細かしき貰ひを心に止めず、裾に海草のいかがはしき乞食さへ門には立たず行過るぞかし、容貌よき女太夫の笠にかくれぬ床しの頬を見せながら、喉自慢、腕自慢、あれあの声をこの町には聞かせぬが憎くしと筆やの女房舌うちして言へば、店先に腰をかけて徃来を眺めし湯がへりの美登利、はらりと下る前髪の毛を黄楊の鬂櫛にちやつと掻きあげて、伯母さんあの太夫さん呼んで来ませうとて、はたはた駆けよつて袂にすがり、投げ入れし一品を誰れにも笑つて告げざりしが好みの明烏さらりと唄はせて、又御贔負をの嬌音これたやすくは買ひがたし、あれが子供の処業かと寄集りし人舌を巻いて太夫よりは美登利の顔を眺めぬ、伊達には通るほどの芸人を此処にせき止めて、三味の音、笛の音、太鼓の音、うたはせて舞はせて人の為ぬ事して見たいと折ふし正太に咡いて聞かせれば、驚いて呆れて己らは嫌やだな。 九  如是我聞、仏説阿弥陀経、声は松風に和して心のちりも吹払はるべき御寺様の庫裏より生魚あぶる烟なびきて、卵塔場に嬰子の襁褓ほしたるなど、お宗旨によりて搆ひなき事なれども、法師を木のはしと心得たる目よりは、そぞろに腥く覚ゆるぞかし、龍華寺の大和尚身代と共に肥へ太りたる腹なり如何にも美事に、色つやの好きこと如何なる賞め言葉を参らせたらばよかるべき、桜色にもあらず、緋桃の花でもなし、剃りたてたる頭より顔より首筋にいたるまで銅色の照りに一点のにごりも無く、白髪もまじる太き眉をあげて心まかせの大笑ひなさるる時は、本堂の如来さま驚きて台座より転び落給はんかと危ぶまるるやうなり、御新造はいまだ四十の上を幾らも越さで、色白に髪の毛薄く、丸髷も小さく結ひて見ぐるしからぬまでの人がら、参詣人へも愛想よく門前の花屋が口悪る嚊もとかくの蔭口を言はぬを見れば、着ふるしの裕衣、総菜のお残りなどおのづからの御恩も蒙るなるべし、もとは檀家の一人成しが早くに良人を失なひて寄る辺なき身の暫時ここにお針やとひ同様、口さへ濡らさせて下さらばとて洗ひ濯ぎよりはじめてお菜ごしらへは素よりの事、墓場の掃除に男衆の手を助くるまで働けば、和尚さま経済より割出しての御不憫かかり、年は二十から違うて見ともなき事は女も心得ながら、行き処なき身なれば結句よき死場処と人目を耻ぢぬやうに成りけり、にがにがしき事なれども女の心だて悪るからねば檀家の者もさのみは咎めず、総領の花といふを懐胎し頃、檀家の中にも世話好きの名ある坂本の油屋が隠居さま仲人といふも異な物なれど進めたてて表向きのものにしける、信如もこの人の腹より生れて男女二人の同胞、一人は如法の変屈ものにて一日部屋の中にまぢまぢと陰気らしき生れなれど、姉のお花は皮薄の二重腮かわゆらしく出来たる子なれば、美人といふにはあらねども年頃といひ人の評判もよく、素人にして捨てて置くは惜しい物の中に加へぬ、さりとてお寺の娘に左り褄、お釈迦が三味ひく世は知らず人の聞え少しは憚かられて、田町の通りに葉茶屋の店を奇麗にしつらへ、帳場格子のうちにこの娘を据へて愛敬を売らすれば、秤りの目はとにかく勘定しらずの若い者など、何がなしに寄つて大方毎夜十二時を聞くまで店に客のかげ絶えたる事なし、いそがしきは大和尚、貸金の取たて、店への見廻り、法用のあれこれ、月の幾日は説教日の定めもあり帳面くるやら経よむやらかくては身躰のつづき難しと夕暮れの椽先に花むしろを敷かせ、片肌ぬぎに団扇づかひしながら大盃に泡盛をなみなみと注がせて、さかなは好物の蒲焼を表町のむさし屋へあらい処をとの誂へ、承りてゆく使ひ番は信如の役なるに、その嫌やなること骨にしみて、路を歩くにも上を見し事なく、筋向ふの筆やに子供づれの声を聞けば我が事を誹らるるかと情なく、そしらぬ顔に鰻屋の門を過ぎては四辺に人目の隙をうかがひ、立戻つて駈け入る時の心地、我身限つて腥きものは食べまじと思ひぬ。  父親和尚は何処までもさばけたる人にて、少しは欲深の名にたてども人の風説に耳をかたぶけるやうな小胆にては無く、手の暇あらば熊手の内職もして見やうといふ気風なれば、霜月の酉には論なく門前の明地に簪の店を開き、御新造に手拭ひかぶらせて縁喜の宜いのをと呼ばせる趣向、はじめは耻かしき事に思ひけれど、軒ならび素人の手業にて莫大の儲けと聞くに、この雑踏の中といひ誰れも思ひ寄らぬ事なれば日暮れよりは目にも立つまじと思案して、昼間は花屋の女房に手伝はせ、夜に入りては自身をり立て呼たつるに、欲なれやいつしか耻かしさも失せて、思はず声だかに負ましよ負ましよと跡を追ふやうに成りぬ、人波にもまれて買手も眼の眩みし折なれば、現在後世ねがひに一昨日来たりし門前も忘れて、簪三本七十五銭と懸直すれば、五本ついたを三銭ならばと直切つて行く、世はぬば玉の闇の儲はこのほかにも有るべし、信如はかかる事どもいかにも心ぐるしく、よし檀家の耳には入らずとも近辺の人々が思わく、子供仲間の噂にも龍華寺では簪の店を出して、信さんが母さんの狂気面して売つてゐたなどと言はれもするやと耻かしく、そんな事はよしにしたが宜う御坐りませうと止めし事もありしが、大和尚大笑ひに笑ひすてて、黙つてゐろ、黙つてゐろ、貴様などが知らぬ事だわとて丸々相手にしてはくれず、朝念仏に夕勘定、そろばん手にしてにこにこと遊ばさるる顔つきは我親ながら浅ましくして、何故その頭をまろめ給ひしぞと恨めしくもなりぬ。  もとより一腹一対の中に育ちて他人交ぜずの穏かなる家の内なれば、さしてこの児を陰気ものに仕立あげる種は無けれども、性来おとなしき上に我が言ふ事の用ひられねばとかくに物のおもしろからず、父が仕業も母の所作も姉の教育も、悉皆あやまりのやうに思はるれど言ふて聞かれぬものぞと諦めればうら悲しきやうに情なく、友朋輩は変屈者の意地わると目ざせども自ら沈みゐる心の底の弱き事、我が蔭口を露ばかりもいふ者ありと聞けば、立出でて喧嘩口論の勇気もなく、部屋にとぢ籠つて人に面の合はされぬ臆病至極の身なりけるを、学校にての出来ぶりといひ身分がらの卑しからぬにつけて然る弱虫とは知る者なく、龍華寺の藤本は生煮えの餅のやうに真があつて気になる奴と憎がるものも有けらし。 十  祭りの夜は田町の姉のもとへ使を吩附られて、更くるまで我家へ帰らざりければ、筆やの騒ぎは夢にも知らず、翌日になりて丑松文次その外の口よりこれこれであつたと伝へらるるに、今更ながら長吉の乱暴に驚けども済みたる事なれば咎めだてするも詮なく、我が名を仮りられしばかりつくづく迷惑に思われて、我が為したる事ならねど人々への気の毒を身一つに脊負たるやうの思ひありき長吉も少しは我が遣りそこねを耻かしう思ふかして、信如に逢はば小言や聞かんとその三四日は姿も見せず、やや余炎のさめたる頃に信さんお前は腹を立つか知らないけれど時の拍子だから堪忍して置いてくんな、誰れもお前正太が明巣とは知るまいでは無いか、何も女郎の一疋位相手にして三五郎を擲りたい事も無かつたけれど、万燈を振込んで見りやあ唯も帰れない、ほんの附景気につまらない事をしてのけた、そりやあ己れが何処までも悪るいさ、お前の命令を聞かなかつたは悪るからうけれど、今怒られては法なしだ、お前といふ後だてが有るので己らあ大舟に乗つたやうだに、見すてられちまつては困るだらうじや無いか、嫌やだとつてもこの組の大将で居てくんねへ、さうどちばかりは組まないからとて面目なささうに謝罪られて見ればそれでも私は嫌やだとも言ひがたく、仕方が無い遣る処までやるさ、弱い者いぢめは此方の耻になるから三五郎や美登利を相手にしても仕方が無い、正太に末社がついたらその時のこと、決して此方から手出しをしてはならないと留めて、さのみは長吉をも叱り飛ばさねど再び喧嘩のなきやうにと祈られぬ。  罪のない子は横町の三五郎なり、思ふさまに擲かれて蹴られてその二三日は立居も苦しく、夕ぐれ毎に父親が空車を五十軒の茶屋が軒まで運ぶにさへ、三公はどうかしたか、ひどく弱つているやうだなと見知りの台屋に咎められしほど成しが、父親はお辞義の鉄とて目上の人に頭をあげた事なく廓内の旦那は言はずともの事、大屋様地主様いづれの御無理も御尤と受ける質なれば、長吉と喧嘩してこれこれの乱暴に逢ひましたと訴へればとて、それはどうも仕方が無い大屋さんの息子さんでは無いか、此方に理が有らうが先方が悪るからうが喧嘩の相手に成るといふ事は無い、謝罪て来い謝罪て来い途方も無い奴だと我子を叱りつけて、長吉がもとへあやまりに遣られる事必定なれば、三五郎は口惜しさを噛みつぶして七日十日と程をふれば、痛みの場処の愈ると共にそのうらめしさも何時しか忘れて、頭の家の赤ん坊が守りをして二銭が駄賃をうれしがり、ねんねんよ、おころりよ、と背負ひあるくさま、年はと問へば生意気ざかりの十六にも成りながらその大躰を耻かしげにもなく、表町へものこのこと出かけるに、何時も美登利と正太が嬲りものに成つて、お前は性根を何処へ置いて来たとからかはれながらも遊びの中間は外れざりき。  春は桜の賑ひよりかけて、なき玉菊が燈籠の頃、つづいて秋の新仁和賀には十分間に車の飛ぶ事この通りのみにて七十五輛と数へしも、二の替りさへいつしか過ぎて、赤蜻蛉田圃に乱るれば横堀に鶉なく頃も近づきぬ、朝夕の秋風身にしみ渡りて上清が店の蚊遣香懐炉灰に座をゆづり、石橋の田村やが粉挽く臼の音さびしく、角海老が時計の響きもそぞろ哀れの音を伝へるやうに成れば、四季絶間なき日暮里の火の光りもあれが人を焼く烟りかとうら悲しく、茶屋が裏ゆく土手下の細道に落かかるやうな三味の音を仰いで聞けば、仲之町芸者が冴えたる腕に、君が情の仮寐の床にと何ならぬ一ふし哀れも深く、この時節より通ひ初るは浮かれ浮かるる遊客ならで、身にしみじみと実のあるお方のよし、遊女あがりの去る女が申き、このほどの事かかんもくだくだしや大音寺前にて珎らしき事は盲目按摩の二十ばかりなる娘、かなはぬ恋に不自由なる身を恨みて水の谷の池に入水したるを新らしい事とて伝へる位なもの、八百屋の吉五郎に大工の太吉がさつぱりと影を見せぬが何とかせしと問ふにこの一件であげられましたと、顔の真中へ指をさして、何の子細なく取立てて噂をする者もなし、大路を見渡せば罪なき子供の三五人手を引つれて開いらいた開らいた何の花ひらいたと、無心の遊びも自然と静かにて、廓に通ふ車の音のみ何時に変らず勇ましく聞えぬ。  秋雨しとしとと降るかと思へばさつと音して運びくる様なる淋しき夜、通りすがりの客をば待たぬ店なれば、筆やの妻は宵のほどより表の戸をたてて、中に集まりしは例の美登利に正太郎、その外には小さき子供の二三人寄りて細螺はじきの幼なげな事して遊ぶほどに、美登利ふと耳を立てて、あれ誰れか買物に来たのでは無いか溝板を踏む足音がするといへば、おやさうか、己いらは少つとも聞かなかつたと正太もちうちうたこかいの手を止めて、誰れか中間が来たのでは無いかと嬉しがるに、門なる人はこの店の前まで来たりける足音の聞えしばかりそれよりはふつと絶えて、音も沙汰もなし。 十一  正太は潜りを明けて、ばあと言ひながら顔を出すに、人は二三軒先の軒下をたどりて、ぽつぽつと行く後影、誰れだ誰れだ、おいお這入よと声をかけて、美登利が足駄を突かけばきに、降る雨を厭はず駆け出さんとせしが、ああ彼奴だと一ト言、振かへつて、美登利さん呼んだつても来はしないよ、一件だもの、と自分の頭を丸めて見せぬ。  信さんかへ、と受けて、嫌やな坊主つたら無い、きつと筆か何か買ひに来たのだけれど、私たちが居るものだから立聞きをして帰つたのであらう、意地悪るの、根性まがりの、ひねつこびれの、吃りの、歯かけの、嫌やな奴め、這入つて来たら散々と窘めてやる物を、帰つたは惜しい事をした、どれ下駄をお貸し、一寸見てやる、とて正太に代つて顔を出せば軒の雨だれ前髪に落ちて、おお気味が悪るいと首を縮めながら、四五軒先の瓦斯燈の下を大黒傘肩にして少しうつむいてゐるらしくとぼとぼと歩む信如の後かげ、何時までも、何時までも、何時までも見送るに、美登利さんどうしたの、と正太は怪しがりて背中をつつきぬ。  どうもしない、と気の無い返事をして、上へあがつて細螺を数へながら、本当に嫌やな小僧とつては無い、表向きに威張つた喧嘩は出来もしないで、温順しさうな顔ばかりして、根性がくすくすしてゐるのだもの憎くらしからうでは無いか、家の母さんが言ふてゐたつけ、瓦落々々してゐる者は心が好いのだと、それだからくすくすしている信さん何かは心が悪るいに相違ない、ねへ正太さんさうであらう、と口を極めて信如の事を悪く言へば、それでも龍華寺はまだ物が解つてゐるよ、長吉と来たらあれははやと、生意気に大人の口を真似れば、お廃しよ正太さん、子供の癖にませた様でをかしい、お前は余つぽど剽軽ものだね、とて美登利は正太の頬をつついて、その真面目がほはと笑ひこけるに、己らだつても最少し経ては大人になるのだ、蒲田屋の旦那のやうに角袖外套か何か着てね、祖母さんがしまつて置く金時計を貰つて、そして指輪もこしらへて、巻烟草を吸つて、履く物は何が宜からうな、己らは下駄より雪駄が好きだから、三枚裏にして襦珎の鼻緒といふのを履くよ、似合ふだらうかと言へば、美登利はくすくす笑ひながら、背の低い人が角袖外套に雪駄ばき、まあどんなにか可笑しからう、目薬の瓶が歩くやうであらうと誹すに、馬鹿を言つていらあ、それまでには己らだつて大きく成るさ、こんな小つぽけでは居ないと威張るに、それではまだ何時の事だか知れはしない、天井の鼠があれ御覧、と指をさすに、筆やの女房を始めとして座にある者みな笑ひころげぬ。  正太は一人真面目に成りて、例の目の玉ぐるぐるとさせながら、美登利さんは冗談にしてゐるのだね、誰れだつて大人に成らぬ者は無いに、己らの言ふが何故をかしからう、奇麗な嫁さんを貰つて連れて歩くやうに成るのだがなあ、己らは何でも奇麗のが好きだから、煎餅やのお福のやうな痘痕づらや、薪やのお出額のやうなが万一来ようなら、直さま追出して家へは入れて遣らないや、己らは痘痕と湿つかきは大嫌ひと力を入れるに、主人の女は吹出して、それでも正さん宜く私が店へ来て下さるの、伯母さんの痘痕は見えぬかえと笑ふに、それでもお前は年寄りだもの、己らの言ふのは嫁さんの事さ、年寄りはどうでも宜いとあるに、それは大失敗だねと筆やの女房おもしろづくに御機嫌を取りぬ。  町内で顔の好いのは花屋のお六さんに、水菓子やの喜いさん、それよりも、それよりもずんと好いはお前の隣に据つてお出なさるのなれど、正太さんはまあ誰れにしようと極めてあるえ、お六さんの眼つきか、喜いさんの清元か、まあどれをえ、と問はれて、正太顔を赤くして、何だお六づらや、喜い公、何処が好い者かと釣りらんぷの下を少し居退きて、壁際の方へと尻込みをすれば、それでは美登利さんが好いのであらう、さう極めて御座んすの、と図星をさされて、そんな事を知る物か、何だそんな事、とくるり後を向いて壁の腰ばりを指でたたきながら、廻れ廻れ水車を小音に唱ひ出す、美登利は衆人の細螺を集めて、さあもう一度はじめからと、これは顔をも赤らめざりき。 十二  信如が何時も田町へ通ふ時、通らでも事は済めども言はば近道の土手々前に、仮初の格子門、のぞけば鞍馬の石燈籠に萩の袖垣しをらしう見えて、椽先に巻きたる簾のさまもなつかしう、中がらすの障子のうちには今様の按察の後室が珠数をつまぐつて、冠つ切りの若紫も立出るやと思はるる、その一ト搆へが大黒屋の寮なり。  昨日も今日も時雨の空に、田町の姉より頼みの長胴着が出来たれば、暫時も早う重ねさせたき親心、御苦労でも学校まへの一寸の間に持つて行つてくれまいか、定めて花も待つてゐようほどに、と母親よりの言ひつけを、何も嫌やとは言ひ切られぬ温順しさに、唯はいはいと小包みを抱へて、鼠小倉の緒のすがりし朴木歯の下駄ひたひたと、信如は雨傘さしかざして出ぬ。  お歯ぐろ溝の角より曲りて、いつも行くなる細道をたどれば、運わるう大黒やの前まで来し時、さつと吹く風大黒傘の上を抓みて、宙へ引あげるかと疑ふばかり烈しく吹けば、これは成らぬと力足を踏こたゆる途端、さのみに思はざりし前鼻緒のずるずると抜けて、傘よりもこれこそ一の大事に成りぬ。  信如こまりて舌打はすれども、今更何と法のなければ、大黒屋の門に傘を寄せかけ、降る雨を庇に厭ふて鼻緒をつくろふに、常々仕馴れぬお坊さまの、これは如何な事、心ばかりは急れども、何としても甘くはすげる事の成らぬ口惜しさ、ぢれて、ぢれて、袂の中から記事文の下書きして置いた大半紙を抓み出し、ずんずんと裂きて紙縷をよるに、意地わるの嵐またもや落し来て、立かけし傘のころころと転り出るを、いまいましい奴めと腹立たしげにいひて、取止めんと手を延ばすに、膝へ乗せて置きし小包み意久地もなく落ちて、風呂敷は泥に、我着る物の袂までを汚しぬ。  見るに気の毒なるは雨の中の傘なし、途中に鼻緒を踏み切りたるばかりは無し、美登利は障子の中ながら硝子ごしに遠く眺めて、あれ誰れか鼻緒を切つた人がある、母さん切れを遣つても宜う御座んすかと尋ねて、針箱の引出しから友仙ちりめんの切れ端をつかみ出し、庭下駄はくも鈍かしきやうに、馳せ出でて椽先の洋傘さすより早く、庭石の上を伝ふて急ぎ足に来たりぬ。  それと見るより美登利の顔は赤う成りて、どのやうの大事にでも逢ひしやうに、胸の動悸の早くうつを、人の見るかと背後の見られて、恐る恐る門の傍へ寄れば、信如もふつと振返りて、これも無言に脇を流るる冷汗、跣足に成りて逃げ出したき思ひなり。  平常の美登利ならば信如が難義の体を指さして、あれあれあの意久地なしと笑ふて笑ふて笑ひ抜いて、言ひたいままの悪まれ口、よくもお祭りの夜は正太さんに仇をするとて私たちが遊びの邪魔をさせ、罪も無い三ちやんを擲かせて、お前は高見で采配を振つてお出なされたの、さあ謝罪なさんすか、何とで御座んす、私の事を女郎女郎と長吉づらに言はせるのもお前の指図、女郎でも宜いでは無いか、塵一本お前さんが世話には成らぬ、私には父さんもあり母さんもあり、大黒屋の旦那も姉さんもある、お前のやうな腥のお世話には能うならぬほどに、余計な女郎呼はり置いて貰ひましよ、言ふ事があらば陰のくすくすならで此処でお言ひなされ、お相手には何時でも成つて見せまする、さあ何とで御座んす、と袂を捉らへて捲しかくる勢ひ、さこそは当り難うもあるべきを、物いはず格子のかげに小隠れて、さりとて立去るでも無しに唯うぢうぢと胸とどろかすは平常の美登利のさまにては無かりき。 十三  此処は大黒屋のと思ふ時より信如は物の恐ろしく、左右を見ずして直あゆみに為しなれども、生憎の雨、あやにくの風、鼻緒をさへに踏切りて、詮なき門下に紙縷を縷る心地、憂き事さまざまにどうも堪へられぬ思ひの有しに、飛石の足音は背より冷水をかけられるが如く、顧みねどもその人と思ふに、わなわなと慄へて顔の色も変るべく、後向きに成りて猶も鼻緒に心を尽すと見せながら、半は夢中にこの下駄いつまで懸りても履ける様には成らんともせざりき。  庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゑ不器用なあんな手つきしてどうなる物ぞ、紙縷は婆々縷、藁しべなんぞ前壺に抱かせたとて長もちのする事では無い、それそれ羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が転がる、あれを畳んで立てかけて置けば好いにと一々鈍かしう歯がゆくは思へども、此処に裂れが御座んす、此裂でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立尽して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隠れて覗ひしが、さりとも知らぬ母の親はるかに声を懸けて、火のしの火が熾りましたぞえ、この美登利さんは何を遊んでゐる、雨の降るに表へ出ての悪戯は成りませぬ、又この間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行ますと大きく言ひて、その声信如に聞えしを耻かしく、胸はわくわくと上気して、どうでも明けられぬ門の際にさりとも見過しがたき難義をさまざまの思案尽して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、見ぬやうに見て知らず顔を信如のつくるに、ゑゑ例の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涙の恨み顔、何を憎んでそのやうに無情そぶりは見せらるる、言ひたい事は此方にあるを、余りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼声しばしばなるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゑ何ぞいの未練くさい、思はく耻かしと身をかへして、かたかたと飛石を伝ひゆくに、信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そぞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。  我が不器用をあきらめて、羽織の紐の長きをはづし、結ひつけにくるくると見とむなき間に合せをして、これならばと踏試るに、歩きにくき事言ふばかりなく、この下駄で田町まで行く事かと今さら難義は思へども詮方なくて立上る信如、小包みを横に二タ足ばかりこの門をはなるるにも、友仙の紅葉目に残りて、捨てて過ぐるにしのび難く心残りして見返れば、信さんどうした鼻緒を切つたのか、その姿はどうだ、見ッとも無いなと不意に声を懸くる者のあり。  驚いて見かへるに暴れ者の長吉、いま廓内よりの帰りと覚しく、裕衣を重ねし唐桟の着物に柿色の三尺を例の通り腰の先にして、黒八の襟のかかつた新らしい半天、印の傘をさしかざし高足駄の爪皮も今朝よりとはしるき漆の色、きわぎわしう見えて誇らし気なり。  僕は鼻緒を切つてしまつてどう為ようかと思つてゐる、本当に弱つてゐるのだ、と信如の意久地なき事を言へば、そうだらうお前に鼻緒の立ッこは無い、好いや己れの下駄を履て行ねへ、この鼻緒は大丈夫だよといふに、それでもお前が困るだらう。何己れは馴れた物だ、かうやつてかうすると言ひながら急遽しう七分三分に尻端折て、そんな結ひつけなんぞよりこれが爽快だと下駄を脱ぐに、お前跣足に成るのかそれでは気の毒だと信如困り切るに、好いよ、己れは馴れた事だ信さんなんぞは足の裏が柔らかいから跣足で石ごろ道は歩けない、さあこれを履いてお出で、と揃へて出す親切さ、人には疫病神のやうに厭はれながらも毛虫眉毛を動かして優しき詞のもれ出るぞをかしき。信さんの下駄は己れが提げて行かう、台処へ抛り込んで置たら子細はあるまい、さあ履き替へてそれをお出しと世話をやき、鼻緒の切れしを片手に提げて、それなら信さん行てお出、後刻に学校で逢はうぜの約束、信如は田町の姉のもとへ、長吉は我家の方へと行別れるに思ひの止まる紅入の友仙は可憐しき姿を空しく格子門の外にと止めぬ。 十四  この年三の酉まで有りて中一日はつぶれしかど前後の上天気に大鳥神社の賑ひすさまじく、此処をかこつけに検査場の門より乱れ入る若人達の勢ひとては、天柱くだけ地維かくるかと思はるる笑ひ声のどよめき、中之町の通りは俄に方角の替りしやうに思はれて、角町京町処々のはね橋より、さつさ押せ押せと猪牙がかつた言葉に人波を分くる群もあり、河岸の小店の百囀づりより、優にうづ高き大籬の楼上まで、絃歌の声のさまざまに沸き来るやうな面白さは大方の人おもひ出でて忘れぬ物に思すも有るべし。正太はこの日日がけの集めを休ませ貰ひて、三五郎が大頭の店を見舞ふやら、団子屋の背高が愛想気のない汁粉やを音づれて、どうだ儲けがあるかえと言へば、正さんお前好い処へ来た、我れが餡この種なしに成つてもう今からは何を売らう、直様煮かけては置いたけれど中途お客は断れない、どうしような、と相談を懸けられて、智恵無しの奴め大鍋の四辺にそれッ位無駄がついてゐるでは無いか、それへ湯を廻して砂糖さへ甘くすれば十人前や二十人は浮いて来よう、何処でも皆なそうするのだお前の店ばかりではない、何この騒ぎの中で好悪を言ふ物が有らうか、お売りお売りと言ひながら先に立つて砂糖の壺を引寄すれば、目ッかちの母親おどろいた顔をして、お前さんは本当に商人に出来てゐなさる、恐ろしい智恵者だと賞めるに、何だこんな事が智恵者な物か、今横町の潮吹きの処で餡が足りないッてこうやつたを見て来たので己れの発明では無い、と言ひ捨てて、お前は知らないか美登利さんの居る処を、己れは今朝から探してゐるけれど何処へ行たか筆やへも来ないと言ふ、廓内だらうかなと問へば、むむ美登利さんはな今の先己れの家の前を通つて揚屋町の刎橋から這入つて行た、本当に正さん大変だぜ、今日はね、髪をかういふ風にこんな嶋田に結つてと、変てこな手つきして、奇麗だねあの娘はと鼻を拭つつ言へば、大巻さんより猶美いや、だけれどあの子も華魁に成るのでは可憐さうだと下を向ひて正太の答ふるに、好いじやあ無いか華魁になれば、己れは来年から際物屋に成つてお金をこしらへるがね、それを持つて買ひに行くのだと頓馬を現はすに、洒落くさい事を言つてゐらあそうすればお前はきつと振られるよ。何故何故。何故でも振られる理由が有るのだもの、と顔を少し染めて笑ひながら、それじやあ己れも一廻りして来ようや、又後に来るよと捨て台辞して門に出て、十六七の頃までは蝶よ花よと育てられ、と怪しきふるへ声にこの頃此処の流行ぶしを言つて、今では勤めが身にしみてと口の内にくり返し、例の雪駄の音たかく浮きたつ人の中に交りて小さき身体は忽ちに隠れつ。  揉まれて出し廓の角、向ふより番頭新造のお妻と連れ立ちて話しながら来るを見れば、まがひも無き大黒屋の美登利なれども誠に頓馬の言ひつる如く、初々しき大嶋田結ひ綿のやうに絞りばなしふさふさとかけて、鼈甲のさし込、総つきの花かんざしひらめかし、何時よりは極彩色のただ京人形を見るやうに思はれて、正太はあつとも言はず立止まりしまま例の如くは抱きつきもせで打守るに、彼方は正太さんかとて走り寄り、お妻どんお前買ひ物が有らばもう此処でお別れにしましよ、私はこの人と一処に帰ります、左様ならとて頭を下げるに、あれ美いちやんの現金な、もうお送りは入りませぬとかえ、そんなら私は京町で買物しましよ、とちよこちよこ走りに長屋の細道へ駆け込むに、正太はじめて美登利の袖を引いて好く似合ふね、いつ結つたの今朝かへ昨日かへ何故はやく見せてはくれなかつた、と恨めしげに甘ゆれば、美登利打しほれて口重く、姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし俯向きて往来を耻ぢぬ。 十五  憂く耻かしく、つつましき事身にあれば人の褒めるは嘲りと聞なされて、嶋田の髷のなつかしさに振かへり見る人たちをば我れを蔑む眼つきと察られて、正太さん私は自宅へ帰るよと言ふに、何故今日は遊ばないのだらう、お前何か小言を言はれたのか、大巻さんと喧嘩でもしたのでは無いか、と子供らしい事を問はれて答へは何と顔の赤むばかり、連れ立ちて団子屋の前を過ぎるに頓馬は店より声をかけてお中が宜しう御座いますと仰山な言葉を聞くより美登利は泣きたいやうな顔つきして、正太さん一処に来ては嫌やだよと、置きざりに一人足を早めぬ。  お酉さまへ諸共にと言ひしを道引違へて我が家の方へと美登利の急ぐに、お前一処には来てくれないのか、何故其方へ帰つてしまふ、余りだぜと例の如く甘へてかかるを振切るやうに物言はず行けば、何の故とも知らねども正太は呆れて追ひすがり袖を止めては怪しがるに、美登利顔のみ打赤めて、何でも無い、と言ふ声理由あり。  寮の門をばくぐり入るに正太かねても遊びに来馴れてさのみ遠慮の家にもあらねば、跡より続いて椽先からそつと上るを、母親見るより、おお正太さん宜く来て下さつた、今朝から美登利の機嫌が悪くて皆なあぐねて困つてゐます、遊んでやつて下されと言ふに、正太は大人らしう惶りて加減が悪るいのですかと真面目に問ふを、いいゑ、と母親怪しき笑顔をして少し経てば愈りませう、いつでも極りの我まま様、さぞお友達とも喧嘩しませうな、真実やり切れぬ嬢さまではあるとて見かへるに、美登利はいつか小座敷に蒲団抱巻持出でて、帯と上着を脱ぎ捨てしばかり、うつ伏し臥して物をも言はず。  正太は恐る恐る枕もとへ寄つて、美登利さんどうしたの病気なのか心持が悪いのか全体どうしたの、とさのみは摺寄らず膝に手を置いて心ばかりを悩ますに、美登利は更に答へも無く押ゆる袖にしのび音の涙、まだ結ひこめぬ前髪の毛の濡れて見ゆるも子細ありとはしるけれど、子供心に正太は何と慰めの言葉も出ず唯ひたすらに困り入るばかり、全体何がどうしたのだらう、己れはお前に怒られる事はしもしないに、何がそんなに腹が立つの、と覗き込んで途方にくるれば、美登利は眼を拭ふて正太さん私は怒つてゐるのでは有りません。  それならどうしてと問はれれば憂き事さまざまこれはどうでも話しのほかの包ましさなれば、誰れに打明けいふ筋ならず、物言はずして自づと頬の赤うなり、さして何とは言はれねども次第次第に心細き思ひ、すべて昨日の美登利の身に覚えなかりし思ひをまうけて物の耻かしさ言ふばかりなく、成事ならば薄暗き部屋のうちに誰れとて言葉をかけもせず我が顔ながむる者なしに一人気ままの朝夕を経たや、さらばこの様の憂き事ありとも人目つつましからずはかくまで物は思ふまじ、何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事ばかりしてゐたらばさぞかし嬉しき事ならんを、ゑゑ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る、もう七月十月、一年も以前へ帰りたいにと老人じみた考へをして、正太の此処にあるをも思はれず、物いひかければ悉く蹴ちらして、帰つておくれ正太さん、後生だから帰つておくれ、お前が居ると私は死んでしまふであらう、物を言はれると頭痛がする、口を利くと目がまわる、誰れも誰れも私の処へ来ては厭やなれば、お前も何卒帰つてと例に似合ぬ愛想づかし、正太は何故とも得ぞ解きがたく、烟のうちにあるやうにてお前はどうしても変てこだよ、そんな事を言ふ筈は無いに、可怪しい人だね、とこれはいささか口惜しき思ひに、落ついて言ひながら目には気弱の涙のうかぶを、何とてそれに心を置くべき帰つておくれ、帰つておくれ、何時まで此処に居てくれればもうお友達でも何でも無い、厭やな正太さんだと憎くらしげに言はれて、それならば帰るよ、お邪魔さまで御座いましたとて、風呂場に加減見る母親には挨拶もせず、ふいと立つて正太は庭先よりかけ出しぬ。 十六  真一文字に駆けて人中を抜けつ潜りつ、筆屋の店へをどり込めば、三五郎は何時か店をば売しまふて、腹掛のかくしへ若干金かをぢやらつかせ、弟妹引つれつつ好きな物をば何でも買への大兄様、大愉快の最中へ正太の飛込み来しなるに、やあ正さん今お前をば探してゐたのだ、己れは今日は大分の儲けがある、何か奢つて上やうかと言へば、馬鹿をいへ手前に奢つて貰ふ己れでは無いわ、黙つてゐろ生意気は吐くなと何時になく荒らい事を言つて、それどころでは無いとて鬱ぐに、何だ何だ喧嘩かと喰べかけの餡ぱんを懐中に捻ぢ込んで、相手は誰れだ、龍華寺か長吉か、何処で始まつた廓内か鳥居前か、お祭りの時とは違ふぜ、不意でさへ無くは負けはしない、己れが承知だ先棒は振らあ、正さん胆ッ玉をしつかりして懸りねへ、と競ひかかるに、ゑゑ気の早い奴め、喧嘩では無い、とてさすがに言ひかねて口を噤めば、でもお前が大層らしく飛込んだから己れは一途に喧嘩かと思つた、だけれど正さん今夜はじまらなければもうこれから喧嘩の起りッこは無いね、長吉の野郎片腕がなくなる物と言ふに、何故どうして片腕がなくなるのだ。お前知らずか己れも唯今うちの父さんが龍華寺の御新造と話してゐたを聞いたのだが、信さんはもう近々何処かの坊さん学校へ這入るのだとさ、衣を着てしまへば手が出ねへや、空つきりあんな袖のぺらぺらした、恐ろしい長い物を捲り上るのだからね、さうなれば来年から横町も表も残らずお前の手下だよと煽すに、廃してくれ二銭貰ふと長吉の組に成るだらう、お前みたやうのが百人中間に有たとて少とも嬉しい事は無い、着きたい方へ何方へでも着きねへ、己れは人は頼まない真の腕ッこで一度龍華寺とやりたかつたに、他処へ行かれては仕方が無い、藤本は来年学校を卒業してから行くのだと聞いたが、どうしてそんなに早く成つたらう、為様のない野郎だと舌打しながら、それは少しも心に止まらねども美登利が素振のくり返されて正太は例の歌も出ず、大路の徃来の夥ただしきさへ心淋しければ賑やかなりとも思はれず、火ともし頃より筆やが店に転がりて、今日の酉の市目茶々々に此処も彼処も怪しき事成りき。  美登利はかの日を始めにして生れかはりし様の身の振舞、用ある折は廓の姉のもとにこそ通へ、かけても町に遊ぶ事をせず、友達さびしがりて誘ひにと行けば今に今にと空約束はてし無く、さしもに中よし成けれど正太とさへに親しまず、いつも耻かし気に顔のみ赤めて筆やの店に手踊の活溌さは再び見るに難く成ける、人は怪しがりて病ひの故かと危ぶむも有れども母親一人ほほ笑みては、今にお侠の本性は現れまする、これは中休みと子細ありげに言はれて、知らぬ者には何の事とも思はれず、女らしう温順しう成つたと褒めるもあれば折角の面白い子を種なしにしたと誹るもあり、表町は俄に火の消えしやう淋しく成りて正太が美音も聞く事まれに、唯夜な夜なの弓張提燈、あれは日がけの集めとしるく土手を行く影そぞろ寒げに、折ふし供する三五郎の声のみ何時に変らず滑稽ては聞えぬ。  龍華寺の信如が我が宗の修業の庭に立出る風説をも美登利は絶えて聞かざりき、有し意地をばそのままに封じ込めて、此処しばらくの怪しの現象に我れを我れとも思はれず、唯何事も耻かしうのみ有けるに、或る霜の朝水仙の作り花を格子門の外よりさし入れ置きし者の有けり、誰れの仕業と知るよし無けれど、美登利は何ゆゑとなく懐かしき思ひにて違ひ棚の一輪ざしに入れて淋しく清き姿をめでけるが、聞くともなしに伝へ聞くその明けの日は信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日なりしとぞ。 底本:「にごりえ・たけくらべ」新潮文庫、新潮社    1949(昭和24)年6月30日発行    2003(平成15)年1月10日116刷改版    2008(平成20)年6月10日128刷 初出:「文学界」文学界雑誌社    1895(明治28)年1~3、8、11、12月、1896(明治29)年1月 ※このファイルには、以下の青空文庫のテキストを、上記底本にそって修正し、組み入れました。 「たけくらべ」(入力:青空文庫、校正:米田進、小林繁雄) ※底本巻末の編者による語注は省略しました。 入力:酔いどれ狸 校正:岡村和彦 2014年10月13日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。