われから 樋口一葉 Guide 扉 本文 目 次 われから ⦅一⦆ ⦅二⦆ ⦅三⦆ ⦅四⦆ ⦅五⦆ ⦅六⦆ ⦅七⦆ ⦅八⦆ ⦅九⦆ ⦅十⦆ ⦅十一⦆ ⦅十二⦆ ⦅十三⦆ ⦅一⦆ 霜夜ふけたる枕もとに吹くと無き風つま戸の隙より入りて障子の紙のかさこそと音するも哀れに淋しき旦那樣の御留守、寢間の時計の十二を打つまで奧方はいかにするとも睡る事の無くて幾そ度の寢がへり少しは肝の氣味にもなれば、入らぬ浮世のさま〴〵より、旦那樣が去歳の今頃は紅葉舘にひたと通ひつめて、御自分はかくし給へども、他所行着のお袂より縫とりべりの手巾を見つけ出したる時の憎くさ、散々といぢめていぢめて、困め拔いて、最う是れからは決して行かぬ、同藩の澤木が言葉のいとゑを違へぬ世は來るとも、此約束は決して違へぬ、堪忍せよと謝罪てお出遊したる時の氣味のよさとては、月頃の痞へが下りて、胸のすくほと嬉しう思ひしに、又かや此頃折ふしのお宿り、水曜會のお人達や、倶樂部のお仲間にいたづらな御方の多ければ夫れに引かれて自づと身持の惡う成り給ふ、朱に交はればといふ事を花のお師匠が癖にして言ひ出せども本にあれは嘘ならぬ事、昔しは彼のやうに口先の方ならで、今日は何處开處で藝者をあげて、此樣な不思議な踊を見て來たのと、お腹のよれるやうな可笑しき事をば眞面目に成りて仰しやりし物なれども、今日此頃のお人の惡るさ、憎くいほどお利口な事ばかりお言ひ遊して、私のやうな世間見ずをば手の平で揉んで丸めて、夫れは夫れは押へ處の無いお方、まあ今宵は何處へお泊りにて、昨日はどのやうな嘘いふてお歸り遊ばすか、夕かた倶部樂へ電話をかけしに三時頃にお歸りとの事、又芳原の式部がもとへでは無きか、彼れも縁切りと仰しやつてから最う五年、旦那樣ばかり惡いのでは無うて、暑寒のお遣いものなど、憎くらしい處置をして見せるに、お心がつひ浮かれて、自づと足をも向け給ふ、本に商賣人とて憎くらしい物と次第におもふ事の多くなれば、いよ〳〵寢かねて奧方は縮緬の抱卷打はふりて郡内の蒲團の上に起上り給ひぬ。 八疊の座敷に六枚屏風たてゝ、お枕もとには桐胴の火鉢にお煎茶の道具、烟草盆は紫檀にて朱羅宇の烟管そのさま可笑しく、枕ぶとんの派手摸樣より枕の總の紅ひも常の好みの大方に顯はれて、蘭奢にむせぶ部やの内、燈籠臺の光かすかなり。 奧方は火鉢を引寄せて、火の氣のありやと試みるに、宵に小間使ひが埋け參らせたる、櫻炭の半は灰に成りて、よくも起さで埋けつるは黒きまゝにて冷えしもあり、烟管を取上げて一二服、烟りを吹いて耳を立つれば折から此室の軒ばに移りて妻戀ひありく猫の聲、あれは玉では有るまいか、まあ此霜夜に屋根傳ひ、何日のやうな風ひきに成りて苦るしさうな咽をするので有らう、あれも矢つ張いたづら者と烟管を置いて立あがる、女猫よびにと雪灯に火を移し平常着の八丈の書生羽織しどけなく引かけて、腰引ゆへる縮緬の、淺黄はことに美くしく見えぬ。 踏むに冷めたき板の間を引裾ながく縁がはに出でゝ、用心口より顏さし出し、玉よ、玉よ、と二タ聲ばかり呼んで、戀に狂ひてあくがるゝ身は主人が聲も聞分けぬ。身にしむやうな媚めかしい聲に大屋根の方へと啼いて行く。ゑゝ言ふ事を聞かぬ我まゝ者め、何うともお爲と捨てぜりふ言ひて心ともなく庭を見るに、ぬば玉の闇たちおほふて、物の黒白も見え分かぬに、山茶花の咲く垣根をもれて、書生部屋の戸の隙より僅かに光りのほのめくは、おゝまだ千葉は寢ぬさうな。 用心口を鎖してお寢間へ戻り給ひしが再度立つてお菓子戸棚のびすけつとの瓶とり出し、お鼻紙の上へ明けて押ひねり、雪灯を片手に縁へ出れば天井の鼠がた〳〵と荒れて、鼬にても入りしかきゝといふ聲もの凄し。しるべの燈火かげゆれて、廊下の闇に恐ろしきを馴れし我家の何とも思はず、侍女下婢が夢の最中に奧さま書生の部屋へとおはしぬ。 お前はまだ寐ないのかえ、と障子の外から聲をかけて、奧さまずつと入り玉へば、室内なる男は讀書の腦を驚かされて、思ひがけぬやうな惘れ顏をかしう、奧さま笑ふて立ち玉へり。 ⦅二⦆ 机は有りふれの白木作りに白天竺をかけて、勸工塲ものゝ筆立てに晋唐小楷の、栗鼠毛の、ペンも洋刀も一ツに入れて、首の缺けた龜の子の水入れに、赤墨汁の瓶がおし並び、齒みかきの箱我れもと威を張りて、割據の机の上に寄りかゝつて、今まで洋書を繙て居たは年頃二十歳あまり三とは成るまじ、丸頭の五分刈にて顏も長からず角ならず、眉毛は濃くて目は黒目がちに、一體の容顏好い方なれども、いかにもいかにもの田舍風、午房縞の綿入れに論なく白木綿の帶、青き毛布を膝の下に、前こゞみに成りて兩手に頭をしかと押へし。 奧さまは無言にびすけつとを机の上へ乘せて、お前夜ふかしをするなら爲るやうにして寒さの凌ぎをして置いたら宜からうに、湯わかしは水に成つて、お火と言つたら螢火のやうな、よく是れで寒く無いのう、お節介なれど私がおこして遣りませう、炭取を此處へと仰しやるに、書生はおそれ入りて、何時も無精を致しまする、申譯の無い事でと有難いを迷惑らしう、炭取をさし出して我れは中皿へ桃を盛つた姿、これは私が蕩樂さと奧さま炭つぎにかゝられぬ。 自慢も交じる親切に螢火大事さうに挾み上げて、積み立てし炭の上にのせ、四邊の新聞みつ四つに折りて、隅の方よりそよ〳〵と煽ぐに、いつしか是れより彼れに移りて、ぱちぱちと言ふ音いさましく、青き火ひら〳〵と燃へて火鉢の縁のやゝ熱うなれば、奧さまは何のやうな働きをでも遊したかのやうに、千葉もお翳りと少し押やりて、今宵は分けて寒い物をと、指輪のかゝやく白き指先を、籐編みの火鉢の縁にぞ懸けたる。 書生の千葉いとゞしう恐れ入りて、これは何うも、これはと頭を下げるばかり、故郷に有りし時、姉なる人が母に代りて可愛がりて呉れたりし、其折其頃の有さまを思ひ起して、もとより奧樣が派手作りに田舍ものゝ姉者人がいさゝか似たるよしは無けれど、中學校の試驗前に夜明しをつゞけし頃、此やうな事を言ふて、此やうな處作をして、其上には蕎麥掻きの御馳走、あたゝまるやうにと言ふて呉れし時も有し、懷かしきは其昔し、有難きは今の奧樣が情と、平常お世話に成りぬる事さへ取添へて、怒り肩もすぼまるばかり畏まりて有るさまを、奧さま寒さうなと御覽じて、お前羽織はまだ出來ぬかえ、仲に頼んで大急ぎに仕立てゝ貰ふやうにお爲、此寒い夜に綿入一つで辛棒のなる筈は無い、風でも引いたら何うお爲だ、本當に身體を厭はねばいけませぬぞえ、此前に居た原田といふ勉強ものが矢つ張お前の通り明けても暮れても紙魚のやうで、遊びにも行かなければ、寄席一つ聞かうでもなしに、それはそれは感心と言はふか恐ろしいほどで、特別認可の卒業と言ふ間際まで疵なしに行つてのけたを、惜しい事にお前、腦病に成つたでは無からうか、國元から母さんを呼んで此處の家で二月も介抱をさせたのだけれど、終ひには何が何やら無我無中になつて、思ひ出しても情ない、言はゞ狂死をしたのだね、私は夫れを見て居た故、勉強家は氣か引ける、懶怠られては困るけれど、煩はぬやうに心がけてお呉れ、別けてお前は一粒物、親なし、兄弟なしと言ふでは無いか、千葉家を負ふて立つ大黒柱に異状が有つては立直しが出來ぬ、さうでは無いかと奧樣身に比べて言へば、はッ、はッ、と答へて詞は無かりき。 奧樣は立上がつて、私は大層邪魔をしました、夫ならば成るべく早く休むやうにお爲、私は行つて寢るばかりの身體、部やへ行く間の事は寒いとても仔細はなきに、搆ひませぬから此れを着てお出、遠慮をされると憎くゝ成るほどに何事も默つて年上の言ふ事は聞く物と奧樣すつとお羽織をぬぎて、千葉の背後より打着せ給ふに、人肌のぬくみ背に氣味わるく、麝香のかをり滿身を襲ひて、お禮も何といひかぬるを、よう似合のうと笑ひながら、雪灯手にして立出給へば、蝋燭いつか三分の一ほどに成りて、軒端に高し木がらしの風。 ⦅三⦆ 落葉たくなる烟の末か、夫れかあらぬか冬がれの庭木立をかすめて、裏通りの町屋の方へ朝毎に靡くを、夫れ金村の奧樣がお目覺だと人わる口の一つに數へれども、習慣の恐ろしきは朝飯前の一風呂、これの濟までは箸も取られず、一日怠る事のあれば終日氣持の唯ならず、物足らぬやうに氣に成るといふも、聞く人の耳には洒落者の蕩樂と取られぬべき事、其身に成りては誠に詮なき癖をつけて、今更難義と思ふ時もあれど、召使ひの人々心を得て御命令なきに眞柴折くべ、お加减が宜しう御座りますと朝床のもとへ告げて來れば、最う廢しませうと幾度か思ひつゝ、猶相かはらぬ贅澤の一つ、さなご入れたる糠袋にみがき上て出れば更に濃い化粧の白ぎく、是れも今更やめられぬやうな肌になりぬ。 年を言はゞ二十六、遲れ咲の花も梢にしぼむ頃なれど、扮裝のよきと天然の美くしきと二つ合せて五つほどは若う見られぬる徳の性、お子樣なき故と髮結の留は言ひしが、あらばいさゝか沈着くべし、いまだに娘の心が失せで、金齒入れたる口元に何う爲い、彼う爲い、子細らしく數多の奴婢をも使へども、旦那さま進めて十軒店に人形を買ひに行くなど、一家の妻のやうには無く、お高僧頭巾に肩掛引まとひ、良人の君もろ共川崎の大師に參詣の道すがら停車塲の群集に、あれは新橋か、何處ので有らうと咡かれて、奧樣とも言はれぬる身ながら是れを淺からず嬉しうて、いつしか好みも其樣に、一つは容貌のさせし業なり。 目鼻だちより髮のかゝり、齒ならびの宜い所まで似たとは愚か毋樣を其まゝの生れつき、奧樣の父御といひしは赤鬼の與四郎とて、十年の以前までは物すごい目を光らせて在したる物なれど、人の生血をしぼりたる報ひか、五十にも足らで急病の腦充血、一朝に此世の税を納めて、よしや葬儀の造花、派手に美事な造りはするとも、辻に立つて見る人に爪はぢきをされて後生いかゞと思はるゝ樣成し。 此人始めは大藏省に月俸八圓頂戴して、兀ちよろけの洋服に毛繻子の洋傘さしかざし、大雨の折にも車の贅はやられぬ身成しを、一念發起して帽子も靴も取つて捨て、今川橋の際に夜明しの蕎麥掻きを賣り初し頃の勢ひは千鈞の重きを提げて大海をも跳り越えつべく、知る限りの人舌を卷いて驚くもあれば、猪武者の向ふ見ず、やがて元も子も摺つて情なき樣子が思はるゝと後言も有けらし、須彌も出たつ足もとの、其當時の事少しいはゞや、茨につらぬく露の玉この與四郎にも戀は有けり、幼馴染の妻に美尾といふ身がらに合せて高品に美くしき其とし十七ばかり成しを天にも地にも二つなき物と捧げ持ちて、役處がへりの竹の皮、人にはしたゝれるほど濕つぽき姿と後指さゝれながら、妻や待らん夕烏の聲に二人とり膳の菜の物を買ふて來るやら、朝の出がけに水瓶の底を掃除して、一日手桶を持たせぬほどの汲込み、貴郎お晝だきで御座いますと言へば、おいと答へて米かし桶に量り出すほどの惚ろさ、斯くて終らば千歳も美くしき夢の中に過ぬべうぞ見えし。 さるほどに相添ひてより五年目の春、梅咲く頃のそゞろあるき、土曜日の午後より同僚二三人打つれ立ちて、葛飾わたりの梅屋敷廻り歸りは廣小路あたりの小料理やに、酒も深くは呑ぬ質なれば、淡泊と仕舞ふて殊更に土産の折を調へさせ、友には冷評の言葉を聞きながら、一人別れてとぼ〳〵と本郷附木店の我家へ戻るに、格子戸には締りもなくして、上へあがるに燈火はもとよりの事、火鉢の火は黒く成りて灰の外に轉々と凄まじく、まだ如月の小夜嵐引まどの明放しより入りて身に染む事も堪えがたし、いかなる故とも思はれぬに洋燈を取出してつく〴〵と思案に暮るれば、物音を聞つけて璧隣の小學教員の妻、いそがはしく表より廻り來て、お歸りに成ましたか、御新造は先刻、三時過ぎでも御座りましたろか、お實家からのお迎ひとて奇麗な車が見えましたに、留守は何分たのむと仰しやつて其まゝお出かけに成ました、お火が無くば取りにお出なされ、お湯も沸いて居まするからと忠實〳〵しう世話を燒かるゝにも、不審の雲は胸の内にふさがりて、何ういふ樣子何のやうな事をいふて行きましたかとも問ひたけれど悋氣男と忖度らるゝも口惜しく、夫れは種々御厄介で御座りました、私が戻りましたからは御心配なくお就蓐下されと洒然といひて隣の妻を歸しやり、一人淋しく洋燈の光りに烟草を吸ひて、忌々しき土産の折は鼠も喰べよとこぐ繩のまゝ勝手元に投出し、其夜は床に入りしかども、さりとは肝癪のやる瀬なく、よしや如何なる用事ありとても、我れなき留守に無斷の外出、殊更家内あけ放しにして、是れが人の妻の仕業かと思ふに餘りの事と胸は沸くやうに成りぬ。明くれは日曜、終日寢て居ても咎むる人は無し、枕を相手に芋虫を眞似びて、表の格子には錠をおろしたまゝ、人訪へとも音もせず、いたづらに午後四時といふ頃に成ぬれば、車の門に止まりて優しき駒下駄の音の聞ゆるを、論なく夫れとは知れども知らぬ顏に虚寢を作れば、美尾は格子を押て見て、これは如何な事、錠がおりてあると獨り言をいつて、隣家の松の垣根に添ひて、水口の方へと間道を入りぬ。 昨日の午後より谷中の母さんが急病、癪氣で御座んすさうな、つよく胸先へさし込みまして、一時はとても此世の物では有るまいと言ふたれど、お醫者さまの皮下注射やら何やらにて、何事も無く納りのつき、今日は一人でお厠にも行かれるやうに成ました、右の譯故の手間どり、昨日家を出まする時も、氣がわく〳〵して何事も思はれず、後にて思へば締りも付けず、庭口も明け放して、嘸かし貴郎のお怒り遊した事と氣が氣では無かつたなれど、病人見捨てゝ歸る事もならず、今日も此やうに遲くまで居りまして、何處までも私が惡う御座んするほどに、此通り謝罪ますほどに、何うぞ御免し遊して、いつもの樣に打解けた顏を見せて下され、御嫌機直して下されと詫ぶるに、さては左樣かと少し我の折れて、夫れならば其樣に、何故はがきでも越しはせぬ、馬鹿の奴がと叱りつけて、母親は無病壯健の人とばかり思ふて居たが、癪といふは始めてかと睦しう談り合ひて、與四郎は何事の秘密ありとも知らざりき。 ⦅四⦆ 浮世に鏡といふ物のなくば、我が妍きも醜きも知らで、分に安じたる思ひ、九尺二間に楊貴妃小町を隱くして、美色の前だれ掛奧床しうて過ぎぬべし、萬づに淡々しき女子心を來て搖する樣な人の賞め詞に、思はず赫と上氣して、昨日までは打すてし髮の毛つやらしう結びあげ、端折つゞみ取上げて見れば、いかう眉毛も生えつゞきぬ、隣より剃刀をかりて顏をこしらゆる心、そも〳〵見て呉れの浮氣に成りて、襦袢の袖も欲しう、半天の襟の觀光が糸ばかりに成しを淋しがる思ひ、與四郎が妻の美尾とても一つは世間の持上しなり、身分は高からずとも誠ある良人の情心うれしく、六疊、四疊二間の家を、金殿とも玉樓とも心得て、いつぞや四丁目の藥師樣にて買ふて貰ひし洋銀の指輪を大事らしう白魚のやうな、指にはめ、馬爪のさし櫛も世にある人の本甲ほどには嬉しがりし物なれども、見る人毎に賞めそやして、これほどの容貌を埋れ木とは可惜しいもの、出て居る人で有うなら恐らく島原切つての美人、比べ物はあるまいとて口に税が出ねば我おもしろに人の女房を評したてる白痴もあり、豆腐かふとて岡持さげて表へ出れば、通りすがりの若い輩に振かへられて、惜しい女に服粧が惡るいなど哄然と笑はれる、思へば綿銘仙の糸の寄りしに色の腿めたる紫めりんすの幅狹き帶、八圓どりの等外が妻としては是れより以上に粧はるべきならねども、若き心には情なく𫁹のゆるびし岡持に豆腐の露のしたゝるよりも不覺に袖をやしぼりけん、兎角に心のゆら〳〵と襟袖口のみ見らるゝをかてゝ加へて此前の年、春雨はれての後一日、今日ならではの花盛りに、上野をはじめ墨田川へかけて夫婦づれを樂しみ、隨分とも有る限りの体裁をつくりて、取つて置きの一てう羅も良人は黒紬の紋つき羽織、女房は唯一筋の博多の帶しめて、昨日甘へて買ふて貰ひし黒ぬりの駒下駄、よしや疊は擬ひ南部にもせよ、比ぶる物なき時は嬉しくて立出ぬ、さても東叡山の春四月、雲に見紛ふ木の間の花も今日明日ばかりの十七日成りければ、廣小路より眺むるに、石段を下り昇る人のさま、さながら蟻の塔を築き立つるが如く、木の間の花に衣類の綺羅をきそひて、心なく見る目には保養この上も無き景色なりき、二人は櫻が岡に昇りて今の櫻雲臺が傍近く來し時、向ふより五六輛の車かけ聲いさましくして來るを、諸人立止まりてあれ〳〵と言ふ、見れば何處の華族樣なるべき、若き老ひたる扱き交ぜに、派手なるは曙の振袖緋無垢を重ねて、老け形なるは花の木の間の松の色、いつ見ても飽かぬは黒出たちに鼈甲のさし物、今樣ならば襟の間に金ぐさりのちらつくべきなりし、車は八百膳に止まりて人は奧深く居るを、憎くさげな評いふて見送るもあり、唯大方にお立派なといひて行過ぐるも有しが、美尾はいかに感じてか、茫然と立ちて眺め入りし風情、うすら淋しき樣に物おもはしげにて、何れ華族であらうお化粧が濃厚だと與四郎の振かへりて言ふを耳にも入れぬらしき樣にて、我れと我が身を打ながめ唯悄然としてあるに與四郎心ならず、何うかしたかと氣遣ひて問へば、俄に氣分が勝れませぬ、私は向島へ行くのは廢めて、此處から直ぐに歸りたいと思ひます、貴郎はゆるりと御覽なりませ、お先へ車で歸りますと力なさゝうに凋れて言へは、夫れはと與四郎案じ始めて、一人では何も面白くは無い、又來るとして今日は廢めにせうと美尾がいふまゝ優しう同意して呉れる嬉しさも、此折何とも思はれず、切めて歸りは鳥でも喰べてと機嫌を取られるほど物がなしく、逃げ出すやうにして一散に家路を急げば、興こと〳〵く盡きて與四郎は唯お美尾が身の病氣に胸をいためぬ。 はかなき夢に心の狂ひてより、お美尾は有し我れにもあらず、人目無ければ涙に袖をおし浸し、誰れを戀ふると無けれども大空に物の思はれて、勿体なき事とは知りながら與四郎への待遇きのふには似ず、うるさき時は生返事して、男の怒れば我れも腹たゝしく、お氣に入らぬ物なら離縁して下され、無理にも置いてはと頼みませぬ、私にも生れた家が御座んするとて威丈高になるに男も堪えず箒を振廻して、さあ出て行けと時の拍子危ふくなれば、流石に女氣の悲しき事胸に迫りて、貴郎は私をいぢめ出さうと爲さるので御座んすか、私が身はそも〳〵から貴郎に上げた物なれば、憎くゝば打つて下され、殺して下され、此處を死に塲に來た私なれば、殺されても此處は退きませぬ、さあ何となりして下されと泣いて、袖に取すがりて身を悶ゆるに、もとより憎くゝは有らぬ妻の事、離別などゝは時の威嚇のみなれば、縺りて泣くを好い時機に、我まゝ者奴の言ひじらけ、心安きまゝの駄々と免して可愛さは猶日頃に増るべし。 ⦅五⦆ 與四郎が方に變る心なければ、一日も百年も同じ日を送れども其頃より美尾が樣子の兎に角に怪しく、ぼんやりと空を眺めて物の手につかぬ不審しさ。與四郎心をつけて物事を見るに、さながら戀に心をうばゝれて空虚に成し人の如く、お美尾お美尾と呼べば何えと答ゆる詞の力なさ、何うでも日々を義務ばかりに送りて身は此處に心は何處の空を倘佯らん、一〻氣にかゝる事ども、我が女房を人に取られて知らぬは良人の鼻の下と指さゝれんも口惜しく、いよ〳〵眞に其事あらばと恐ろしき思案をさへ定めて美尾が影身とつき添ふ如く守りぬ。 されども是れぞの跡もなく、唯うか〳〵と物おもふらしく或時はしみ〴〵と泣いて、お前樣いつまで是れだけの月給取つてお出遊ばすお心ぞ、お向ふ邸の旦那さまは、其昔し大部屋あるきのお人成しを一念ばかりにて彼の御出世、馬車に乘つてのお姿は何のやうの髭武者だとて立派らしう見えるでは御座んせぬか、お前樣も男なりや、少しも早く此樣な古洋服にお辨當さげる事をやめて、道を行くに人の振かへるほど立派のお人に成つて下され、私に竹の皮づゝみ持つて來て下さる眞實が有らば、お役處がへりに夜學なり何なりして、何うぞ世間の人に負けぬやうに、一ッぱしの豪い方に成つて下され、後生で御座んす、私は其爲になら内職なりともして御菜の物のお手傳ひはしましよ、何うぞ勉強して下され、拜みますと心から泣いて、此ある甲斐なき活計を數へれば、與四郎は我が身を罵られし事と腹たゝしく、お爲ごかしの夜學沙汰は、我れを留守にして身の樂しみを思ふ故ぞと一圖にくやしく、何うで我れは此樣な活地なし、馬車は思ひも寄らぬ事、此後辻車ひくやら知れた物で無ければ、今のうち身の納りを考へて、利口で物の出來る、學者で好男子で、年の若いに乘かへるが隨一であらう、向ふの主人もお前の姿を褒めて居るさうに聞いたぞと、録でもなき根すり言、懶怠者だ懶怠者だ、我れは懶怠者の活地なしだと大の字に寐そべつて、夜學はもとよりの事明日は勤めに出るさへ憂がりて、一寸もお美尾の傍を放れじとするに、あゝお前樣は何故その樣に聞分けては下さらぬぞと淺ましく、互ひの思ひそはそはに成りて、物言へば頓て爭ひの糸口を引出し、泣いて恨んで摺れ〳〵の中に、さりとも憎くからぬ夫婦は折ふしの仕こなし忘れがたく、貴郎斯うなされ、彼あなされと言へば、お美尾お美尾と目の中へも入れたき思ひ、近處合壁つゝき合ひて物爭ひに口を利く者は無かりし。 ありし梅見の留守のほど、實家の迎ひとて金紋の車の來し頃よりの事、お美尾は兎角に物おもひ靜まりて、深くは良人を諫めもせず、うつ〳〵と日を送つて實家への足いとゞしう近く、歸れば襟に腮を埋めてしのびやかに吐息をつく、良人の不審を立つれば、何うも心惡う御座んすからとて食もようは喰べられず、晝寢がちに氣不精に成りて、次第に顏の色の青きを、一向きに病氣とばかり思ひぬれば、與四郎限りもなく傷ましくて、醫者にかゝれの、藥を呑めのと悋氣は忘れて此事に心を盡しぬ。 されどもお美尾が病氣はお目出度かた成き、三四月の頃より夫れとは定かに成りて、いつしか梅の實落る五月雨の頃にも成れば、隣近處の人々よりおめで度う御座りますと明らかに言はれて、折から少し暑くるしくとも半天のぬがれぬ恥かしさ、與四郎は珍らしく嬉しきを、夢かとばかり辿られて、此十月が當る月とあるを、人には言はれねども指をる思ひ、男にてもあれかしと敢果なき事を占なひて、表面は無情つくれども、子安のお守り何くれと、人より聞きて來た事を其まゝ、不案内の男の身なれば間違ひだらけ取添へて、美尾が母に萬端を頼めば、お前さんより私の方が少し功者さ、と參られて、成るほど成るほどと口を噤みぬ。 ⦅六⦆ 月給の八圓はまだ昇給の沙汰も無し、此上小兒が生れて物入りが嵩んで、人手が入るやうに成つたら、お前がたが何とする、美尾は虚弱の身體なり、良人を助けて手内職といふも六ツかしかるべく、三人居縮んで乞食のやうな活計をするも、餘り賞めた事では無し、何なりと口を見つけて、今の内から心がけ最う少しお金になる職業に取かへずば、行々お前がたの身の振かたは無く、第一子を育つる事もなるまじ、美尾は私が一人娘、やるからには私が終りも見て貰ひたく、贅澤を言ふのでは無けれど、お寺參りの小遣ひ位、出しても貰はう、上げませうの約束でよこしたのなれども、元來くれられぬは横着ならで、何うでも爲る事のならぬ活地の無さ故、夫れは思ひ絶つて私は私の口を濡らすだけに、此年をして人樣の口入れやら手傳ひやら、老耻ながらも詮の無き世を經まする、左れども當て無しに苦勞は出來ぬもの、つく〴〵お前夫婦の働きを見るに、私の手足が働かぬ時に成りて何分のお世話をお頼み申さねば成らぬ曉、月給八圓で何う成らう、夫れを思ふと今のうち覺悟を極めて、少しは互ひに愁らき事なりとも當分夫婦別れして、美尾は子ぐるめ私の手に預り、お前さんは獨身に成りて、官員さまのみには限らず、草鞋を履いてなりとも一廉の働きをして、人並の世の過ごされる樣に心かけたが宜からうでは無いか、美尾は私が娘なれば私の思ふやうに成らぬ事は有るまじ、何もお前さんの思案一つと母親お美尾の産前よりかけて、萬づの世話にと此家へ入り込みつゝ、兎もすれば與四郎を責めるに、齒ぎしりするほど腹立しく、此老婆はり仆すに事は無けれど、唯ならぬ身の美尾が心痛、引いては子にまで及ぼすべき大事と胸をさすりて、私とても男子の端で御座りますれば、女房子位過ぐされぬ事も御座りますまいし、一生は長う御座ります。墓へ這入るまで八圓の月給では有るまいと思ひますに、其邊格別の御心配なくと見事に言へば、母親はまだらに殘る黒き齒を出して、成るほど〳〵宜く立派に聞えました、左樣いふて呉れねば嬉しう無い、流石は男一疋、その位の考は持つて居て呉れるであらう、成るほど成るほどと面白くも無い默頭やうを爲る憎くさ、美尾は母さん其やうな事は言ふて下さりますな、家の人の機嫌そこなうても困りますと迂路〳〵するに、與四郎は心おごりて、馬鹿婆めが、何のやうに引割かうとすればとて、美尾は我が物、親の指圖なればとて別れる樣な薄情にて有るべきや、殊更今より可愛き物さへ出來んに二人が中は萬々歳、天の原ふみとゞろかし鳴神かと高々と止まれば、母を眼下に視下して、放れぬ物に我れ一人さだめぬ。 十月中の五日、與四郎が退出間近に安らかに女の子生れぬ、男と願ひし夫れには違へども、可愛さは何處に變りのあるべき、やれお歸りかと母親出むかふて、流石に初孫の嬉しきは、頬のあたりの皺にもしるく、これ見て下され、何と好い子では無いか、此まあ赤い事と指つけられて、今更ながらまご〳〵と嬉しく、手をさし出すもいさゝか恥かしければ、毋親に抱かせたるまゝさし覗いて見るに、誰れに似たるか彼れに似しか、其差別も思ひ分ねども、何とは知らず怪しう可愛くて、其啼く聲は昨日まで隣の家に聞きたるのと同じ物には思はれず、さしも危ふく思ひし事の左りとは事なしに終りしかと重荷の下りたるやうにも覺ゆれば、産婦の樣子いかにやと覗いて見るに、高枕にかゝりて鉢卷にみだれ髮の姿、傷ましきまで疲れたれど其美くしさは神々しき樣に成りぬ。 七夜の、枕直しの、宮參りの、唯あわたゞしうて過ぎぬ、子の名は紙へ書きつけて産土神の前に神鬮の樣にして引けば、常盤のまつ、たけ、蓬莱の、つる、かめ、夫れ等は探ぐりも當てずして、與四郎が假の筆ずさびに、此樣な名も呼よい物と書いて入れたる町といふをば引出しぬ、女は容貌の好きにこそ諸人の愛を受けて果報この上も無き物なれ、小野の夫れならねどお町は美くしい名と家内いさみて、町や、町や、と手から手へ渡りぬ。 ⦅七⦆ お町は高笑ひするやうに成りて、時は新玉の春に成りぬ、お美尾は日々に安からぬ面もち、折には涕にくるゝ事もあるを、血の道の故と自身いへば、與四郎は左のみに物も疑はず、只この子の成長ならん事をのみ語りて、例の洋服すがた美事ならぬ勤めに、手辨當さげて昨日も今日も出ぬ。 お美尾の母は東京の住居も物うく、はした無き朝夕を送るに飽きたれば、一つはお前樣がたの世話をも省くべき爲、つね〴〵御懇命うけましたる從三位の軍人樣の、西の京に御榮轉の事ありて、お邸彼方へ建築られしを幸ひ、开處の女中頭として勤めは生涯のつもり、老らくをも養ふて給はるべき約束さだまりたれば、最う此地には居ませぬ、又來る事があらば一泊はさせて下され、その外の御厄介には成りませぬと言ふに、與四郎は左りとも一人の母親なれば、美尾が心細さも思ひやりて、お前も御老年のこと、いかに勤めよきとても、他人塲の奉公といふ事させましては、子たる我々が申譯の言葉なし、是非に止まり給へと言へども、いや〳〵其樣の事はお前樣出世の曉にいふて下され、今は聞ませぬとて孤身の風呂敷づゝみ、谷中の家は貸家の札はられて、舟路ゆたかに彼の地へと向ひぬ。 越えて一ト月、雲黒く月くらき夕べ、與四郎は居殘りの調べ物ありて、家に歸りしは日くれの八時、例は薄くらき洋燈のもとに風車犬張子取ちらして、まだ母親の名も似合ぬ美尾が懷おしくつろげ、小兒に添へ乳の美くしきさま見るべきを、格子の外より伺ふに燈火ぼんやりとして障子に映るかげも無し、お美尾お美尾と呼ながら入るに、答へは隣の方に聞えて、今參りますと言ふ句は似たれど言葉は有らぬ人なりき。 隣の妻の入來るを見るに、懷には町を抱きたり、與四郎胸さわぎのして、美尾は何處へ參りました、此日暮れに燈火をつけ放しで、買物にでも行きましたかと問へば、隣の妻は眉を寄せて、さあ其事で御座んすとて、睡り覺めたる懷中の町がくすりくすりと嘩泣るを、おゝ好い子好い子と、ゆすぶつて言葉絶えぬ。 燈火は私が唯今點けたので御座んす、誠は今までお留守居をして居ましだのなれど、家のやんちやが六ツかしやを言ふに小言いふとて明けました、御親造は今日の晝前、通りまで買物に行つて來まする、歸りまで此子の世話をお頼みと仰しやつて、唯しばらくの事と思ひしに、二時になれども三時はうてども、音も無くて今まで影の見えられぬは、何處まで物買ひにお出なされしやら、留守たのまれまして日の暮れし程心づかひな物は無し、まあ何うなされたので御座んしよな、と問ひかけられて、それは我れより尋ねたき思ひ、平常着のまゝで御座りましたかと問へば、はあ羽織だけ替えて行かれたやうで御座んす、何か持つて行ましたか、いゑ其やうには覺えませぬと有るに、はてなと腕の組まれて、此遲くまで何處にと覺束なし。 無器用なお前樣が此子いぢくる譯にも行くまじ、お歸りに成るまで私が乳を上げませうと、有さまを見かねて、隣の妻の子を抱いて行くに、何分お頼み申ますと言ひながら、美尾の行衞に心を取られてお町が事はうはの空に成ぬ。 よもや、よもや、と思へども、晴れぬ不審は疑ひの雲に成りて、唯一ト棹の箪笥の引出しより、柳行李の低はかと無く調べて、もし其跡の見ゆるかと探ぐるに、塵一はしの置塲も變らず、つね〴〵寳のやうに大事がりて、身につく物の隨一好き成りし手綱染の帶あげも其まゝに有けり、いつも小遣ひの入れ塲處なる鏡臺の引出しを明けて見るに、これは何とせし事ぞ手の切れるやうな新紙幣をばかり、其數およそ二十も重ねて上に一通、與四郎は見るより仰天の思ひに成りて、胸は大波の立つ如く、扨こそ子細は有けれと狂ふて、其文開けば唯一ト言、美尾は死にたる物に御座候、行衞をお求め下さるまじく、此金は町に乳の粉をとの願ひに御座候。 與四郎は忽ち顏の色青く赤く、唇を震はせて惡婆、と呌びしが、怒氣心頭に起つて、身よりは黒烟りの立つ如く、紙幣も文も寸斷〳〵に裂いて捨てゝ、直然と立しさま人見なば如何なりけん。 ⦅八⦆ 浮世の欲を金に集めて、十五年がほどの足掻きかたとては、人には赤鬼と仇名を負せられて、五十に足らぬ生涯のほどを死灰のやうに終りたる、それが餘波の幾万金、今の玉村恭助ぬしは、其與四郎が聟なりけり。彼の人あれ程の身にて人の性をば名告らずともと誹りしも有けれど、心安う志す道に走つて、内を顧みる疚しさの無きは、これ皆養父が賜物ぞかし、されば奧方の町子おのづから寵愛の手の平に乘つて、強ち良人を侮るとなけれども、舅姑おはしまして萬づ窮屈に堅くるしき嫁御寮の身と異なり、見たしと思はゞ替り目毎の芝居行きも誰れかは苦情を申べき、花見、月見に旦那さま催し立てゝ、共に連らぬる袖を樂しみ、お歸りの遲き時は何處までも電話をかけて、夜は更くるとも寐給はず、餘りに戀しう懷かしき折は自ら少しは恥かしき思ひ、如何なる故ともしるに難けれど、且那さま在しまさぬ時は心細さ堪へがたう、兄とも親とも頼母しき方に思はれぬ。 左りながら折ふし地方遊説などゝて三月半年のお留守もあり、湯治塲あるきの夫れと異なれば、此時には甘ゆる事もならで、唯徒らの御文通、互ひの封のうち人には見せられぬ事多かるべし。 此御中に何とてお子の無き、相添ひて十年餘り、夢にも左樣の氣色はなくて、清水堂のお木偶さま幾度空しき願ひに成けん、旦那さま淋しき餘りに貰ひ子せばやと仰しやるなれども、奧さまの好み六づかしけれど、是れも御縁は無くて過ぎゆく、落葉の霜の朝な〳〵深くて、吹く風いとゞ身に寒く、時雨の宵は女子ども炬燵の間に集めて、浮世物がたりに小説のうわさ、ざれたる婢女は輕口の落しばなしして、お氣に入る時は御褒賞の何や彼や、人に物を遣り給ふ事は幼少よりの蕩樂にて、これを父親二もなく憂がりし、一ト口に言はゞ機嫌かちの質なりや、一ト言心に染まる事のあれば跡先も無く其者可愛ゆう、車夫の茂助が一人子の與太郎に、此新年旦那さま召おろしの斜子の羽織を遣はされしも深くの理由は無き事なり、假初の愚痴に新年着の御座りませぬよし大方に申せしを、頓て憐みての賜り物、茂助は天地に拜して、人は鷹の羽の定紋いたづらに目をつけぬ、何事も無くて奧樣、書生の千葉が寒かるべきを思しやり、物縫ひの仲といふに命令て、仰せければ背くによし無く、少しは投やりの氣味にて有りし、飛白の綿入れ羽織ときの間に仕立させ、彼の明る夜は着せ給ふに、千葉は御恩のあたゝかく、口に數々のお禮は言はねども、氣の弱き男なれば涙さへさしぐまれて、仲働きの福に頼みてお禮しかるべくと言ひたるに、渡り者の口車よく廻りて、斯樣〳〵しか〴〵で、千葉は貴孃泣いて居りますと言上すれば、おゝ可愛い男と奧樣御贔負の増りて、お心づけのほど今までよりはいとゞしう成りぬ。 十一月の二十八日は旦那さまお誕生日なりければ、年毎お友達の方々招き參らせて、坐の周旋はそんじよ夫れ者の美くしきを撰りぬき、珍味佳肴に打とけの大愉快を盡させ給へば、髭むしやの鳥居さまが口から、逢ふた初手から可愛さがと恐れ入るやうな御詞をうかゞふのも、例の澤木さまが落人の梅川を遊して、お前の父さん孫いもんさむとお國元を顯はし給ふも皆この折の隱し藝なり、されば派手者の奧さま此日を晴れにして、新調の三枚着に今歳の流行を知らしめ給ふ、世は冬なれど陽春三月のおもかげ、落り過ぎたる紅葉に庭は淋しけれど、垣の山茶花折しり顏に匂ひて、松の緑のこまやかに、醉ひすゝまぬ人なき日なりける。 今歳は別きてお客樣の數多く、午後三時よりとの招待状一つも空しう成りしは無くて、暮れ過ぐるほどの賑ひは坐敷に溢れて茶室の隅へ逃るゝもあり、二階の手摺りに洋服のお輕女郎、目鏡が中だと笑はるゝもありき、町子はいとゞ方々の持はやし五月蠅く、奧さん奧さんと御盃の雨の降るに、御免遊ばせ、私は能う頂きませぬほどにと盃洗の水に流して、さりとも一盞二盞は逃れがたければ、いつしか耳の根あつう成りて、胸の動悸のくるしう成るに、外づしては濟まねども人しらぬうちにと庭へ出でゝ池の石橋を渡つて築山の背後の、お稻荷さまが社前なるお賽錢箱へ假初に腰をかけぬ。 ⦅九⦆ 此家は町子が十二の歳、父の與四郎低當ながれに取りて、夫れより修膳は加へたれども、水の流れ、山のたゝずまい、松の木がらし小高き聲も唯その昔のまゝ成けり、町子は醉ごゝち夢のごとく頭をかへして背後を見るに、雲間の月のほの明るく、社前の鈴のふりたるさま、紅白の綱ながく垂れて古鏡の光り神さびたるもみゆ、夜あらしさつと喜連格子に音づるれば、人なきに鈴の音からんとして、幣束の紙ゆらぐも淋し。 町子は俄かに物のおそろしく、立あがつて二足三足、母屋の方へ歸らんと爲たりしが、引止められるやうに立止まつて、此度は狛犬の臺石に寄かゝり、木の間もれ來る坐敷の騷ぎを遙かに聞いて、あゝあの聲は旦那樣、三味線は小梅さうな、いつの間に彼のやうな意氣な洒落ものに成り給ひし、由斷のならぬと思ふと共に、心細き事堪えがたう成りて、締つけられるやうな苦るしさは、胸の中の何處とも無く沸き出ぬ。 良久しうありて奧さま大方醉も覺めぬれば、萬におのが亂るゝ怪しき心を我れと叱りて、歸れば盃盤狼藉の有さま、人々が迎ひの車門前に綺羅星とならびて、何某樣お立ちの聲にぎはしく、散會の後は時雨に成りぬ。 恭助は太く疲れて禮服ぬぎも敢へず横に成るを、あれ貴郎お召物だけはお替へ遊ばせ、夫れではいけませぬと羽織をぬがせて、帶をも奧さま手づから解きて、糸織のなへたるにふらんねるを重ねし寐間着の小袖めさせかへ、いざ御就蓐と手をとりて助ければ、何其樣に醉ふては居ないと仰しやつて、滄浪ながら寐間へと入給ふ。奧さま火のもとの用心をと言ひ渡し、誰れも彼れも寐よと仰しやつて、同じう寐間へは入給へど、何故となう安からぬ思ひのありて、言はねども面持の唯ならぬを、且那さま半睡の目に御覽じて、何故寐ぬか、何を考へて居るぞと尋ね給ふに、奧さま何とお返事の聞かせ參らする事もあらねど、唯々不思議な心地が致しまする、何う致したので御座りませう、私にも分りませぬと言へば、旦那さま笑つて、餘り心を遣ひ過ぎた結果であらう、氣さへ落つければ直ぐ癒る筈と仰しやるに、否それでも私は言ふに言はれぬ淋しい心地がするので御座ります、餘り先刻みな樣のお強い遊ばすが五月蠅さに、一人庭へと逃げまして、お稻荷さまのお社の所で醉ひを覺まして居りましたに、私は變な變な、をかしい事を思ひよりまして、笑つて下さりますな、何うも何とも言はれぬ氣持に成ました、貴郎には笑はれて、叱かられる樣な事で御座りましよと下を向いて在するに、見れば涙の露の玉、膝にこぼれて怪しう思はれぬ。 奧さまは例に似合ず沈みに沈んで、私は貴君に捨てられは爲ぬかと存じまして、夫れで此樣に淋しう思ひますると言ひ出れば、又かと且那さま無造作に笑つて、誰れが何を言ふたか、一人で考へたか、其樣なつまらぬ事の有る筈は無い、お前の思ふて呉れるほど世間は我しを思ふて呉れぬから、まあ安心して居るが宜いと子細も無い事に言ひ捨つれば、夫れでも私は其やうな悋氣沙汰で申のでは御座りませぬ、今日の會席の賑かに、種々の方々御出の中に誰れとて世間に名の聞えぬも無く、此やうのお人達みな貴郎さまの御友達かと思ひますれば、嬉しさ胸の中におさへがたく、蔭ながら拜んで居ても宜いほどの辱さなれど、つく〴〵我が身の上を思ひまするに、貴郎はこれより彌ます〳〵の御出世を遊して、世の中廣うなれば次第に御器量まし給ふ、今宵小梅が三味に合せて勸進帳の一くさり、悋氣では無けれど彼れほどの御修業つみしも知らで、何時も昔しの貴郎とおもひ、淺き心の底はかと無く知られまする内、御厭はしさの種も交るべし、限りも知れず廣き世に立ちては耳さへ目さへ肥え給ふ道理、有限だけの家の内に朝夕物おもひの苦も知らで、唯ぼんやりと過しまする身の、遂ひには倦かれまするやうに成りて、悲しかるべき事今おもふても愁らし、私は貴郎のほかに頼母しき親兄弟も無し、有りてから父の與四郎在世のさまは知り給ふ如く、私をば母親似の面ざし見るに肝の種とて寄せつけも致されず、朝夕さびしうて暮しましたるを、嬉しき縁にて今斯く私が我まゝをも免し給ひ、思ふ事なき今日此頃、それは勿體ないほどの有難さも、萬一身にそぐなはぬ事ならばと案じられまして、此事をおもふに今宵の淋しき事、居ても起ちてもあられぬほどの情なさより、言ふてはならぬと存じましたれど、遂ひ此樣に申上て仕舞ました、夫れは孰れも取止めの無き取こし苦勞で御座りませうけれど、何うでも此樣な氣のするを何としたら宜う御座りますか、唯々心ぼそう御座りますとて打なくに、旦那さま愚痴の僻見の跡先なき事なるを思召、悋氣よりぞと可笑しくも有ける。 ⦅十⦆ 我れと我が身に持て腦みて奧さま不覺に打まどひぬ、此明くれの空の色は、晴れたる時も曇れる如く、日の色身にしみて怪しき思ひあり、時雨ふる夜の風の音は人來て扉をたゝくに似て、淋しきまゝに琴取出し獨り好みの曲を奏でるに、我れと我が調哀れに成りて、いかにするとも彈くに得堪えず、涙ふりこぼして押やりぬ。ある時は婦女どもに凝る肩をたゝかせて、心うかれる樣な戀のはなしなどさせて聞くに、人は腮のはづるゝ可笑しさとて笑ひ轉ける樣な埒のなきさへ、身には一々哀れにて、我れも思ひの燃ゆるに似たり、一夜仲働きの福こゑを改めて、言はねば人の知らぬ事、いふて私の徳にも成らぬを、無言にいられませぬは饒舌の癖、お聞きに成つても知らぬ顏に居て下さりませ、此處にをかしき一條の物がたりと少し乘地に聲をはづますれば。夫れは何ぞや。お聞なされませ書生の千葉が初戀の哀れ、國もとに居りました時そと見初めたが御座りましたさうな、田舍物の事なれば鎌を腰へさして藁草履で、手拭ひに草束ねを包んでと思召ませうが、中々左樣では御座りませぬ美くしいにて、村長の妹といふやうな人ださうで御座ります、小學校へ通ふうちに淺からず思ひましてと言へば、夫れは何方からと小間使ひの米口を出すに、默つてお聞、無論千葉さんの方からさとあるに、おやあの無骨さんがとて笑ひ出すに、奧樣苦笑ひして可憐さうに失敗の昔し話しを探り出したのかと仰しやれば、いゑ中々其やうに遠方の事ばかりでは御座りませぬ、未だ追々にと衣紋を突いて咳拂ひすれば、小間使ひ少し顏を赤くして似合頃の身の上、惡口の福が何を言ひ出すやらと尻目に眺めば、夫れに構はず唇を甞めて、まあお聞遊ばせ、千葉が其子を見初ましてからの事、朝學校へ行まする時は必ず其家の窓下を過ぎて、聲がするか、最う行つたか、見たい、聞たい、話したい、種々の事を思ふたと思し召せ、學校にては物も言ひましたろ、顏も見ましたろ、夫れだけでは面白う無うて心いられのするに、日曜の時は其家の前の川へ必らず釣をしに行きましたさうな、鮒やたなごは宜い迷惑な、釣るほどに釣るほどに、夕日が西へ落ちても歸るが惜しく、其子出て來よ殘り無くお魚を遣つて、喜ぶ顏を見たいとでも思ふたので御座りましよ、あゝは見えますれど彼れで中々の苦勞人といふに、夫れはまあ幾歳のとし其戀出來てかと奧樣おつしやれば、當てゝ御覽あそばせ先方は村長の妹、此方は水計めし上るお百姓、雲にかけ橋、霞に千鳥などゝ奇麗事では間に合ひませぬほどに、手短かに申さうなら提燈に釣鐘、大分其處に隔てが御座りまするけれど、戀に上下の無い物なれば、まあ出來たと思しめしますか、お米どん何とゝ題を出されて、何か言はせて笑ふつもりと惡推をすれば、私は知らぬと横を向く、奧樣少し打笑ひ、成り立たねばこそ今日の身であろ、其樣なが萬一あるなら、あの打かぶりの亂れ髮、洒落氣なしでは居られぬ筈、勉強家にしたは其自狂からかと仰しやるに、中々もちまして彼男が貴孃自狂など起すやうな男で御座りましよか、無常を悟つたので御座りますと言ふに、そんなら其子は亡くなつてか、可憐さうなと奧さま憐がり給ふ、福は得意に、此戀いふも言はぬも御座りませぬ、子供の事なれば心にばかり思ふて、表向きには何とも無い月日を大凡どの位送つた物で御座んすか、今の千葉が樣子を御覽じても、彼れの子供の時ならばと大底にお合點が行ましよ、病氣して煩つて、お寺の物に成ましたを、其後何と思へばとて答へる物は松の風で、何うも仕方が無からうでは御座んせぬか、さて夫からが本文で御座んすとて笑ふに、福が能い加減なこしらへ言、似つこらしい嘘を言ふと奧さま爪はじき遊ばせば、あれ何しに嘘を申ませう、左りながらこれをお耳に入れたといふと少し私が困りの筋、これは當人の口から聞いたので御座りますと言へば、嘘をお言ひ、彼男が何うして其樣な事を言はふ、よし有つてからが、苦い顏でおし默つて居るべき筈、いよ〳〵の嘘と仰しやれば、さても情ない事その樣に私の事を信仰して下さりませぬは、昨日の朝千葉が私を呼びまして、奧樣が此四五日御すぐれ無い樣に見上げられる、何うぞ遊してかと如何にも心配らしく申ますので、奧樣はお血の故で折ふし鬱ぎ症にもお成り遊すし眞實お惡い時は暗い處で泣いて居らつしやるがお持前と言ふたらば、何んなにか貴孃吃驚致しまして、飛んでも無い事、それは大層な神經質で、惡るくすると取かへしの付かぬ事になると申まして、夫れで其時申ました、私が郷里の幼な友達に是れ〳〵斯う言ふ娘が有つて、肝もちの、はつきりとして、此邸の奧樣に何うも能く似て居た人で有つた、繼母で有つたので平常の我慢が大底ではなく、積つて病死した可憐な子と何れ彼の男の事で御座りますから、眞面目な顏であり〳〵を言ひましたを、私がはぎ合せて考へると今申た樣な事に成るので御座ります、其子に奧樣が似ていらつしやると申たのは夫れは嘘では御座りませぬけれど、露顯しますと彼男に私が叱られます、御存じないお積りでと舌を廻して、たゝき立る太皷の音さりとは賑はしう聞え渡りぬ。 ⦅十一⦆ 今歳も今日十二月の十五日、世間おしつまりて人の往來大路にいそがはしく、お出人の町人お歳暮持參するものお勝手に賑々しく、急ぎたる家には餠つきのおとさへ聞ゆるに、此邸にては煤取の笹の葉座敷にこぼれて、冷めし草履こゝかしこの廊下に散みだれ、お雜巾かけまする物、お疊たゝく物、家内の調度になひ廻るも有れば、お振舞の酒に醉ふて、これが荷物に成るもあり、御懇命うけまするお出入の人々お手傳お手傳ひとて五月蠅きを半は斷りて集まりし人だけに瓶のぞきの手ぬぐひ、それ、と切つて分け給へば、一同手に手に打冠り、姉さま唐茄子、頬かふり、吉原かふりをするも有り、且那さま朝よりお留守にて、お指圖し給ふ奧さまの風を見れば、小褄かた手に友仙の長襦袢下に長く、赤き鼻緒の麻裏を召て、あれよ、これよと仰せらる、一しきり終りての午後、お茶ぐわし山と擔ぎ込めば大皿の鐵砲まき分捕次第と沙汰ありて、奧樣は暫時のほど二階の小間に氣づかれを休め給ふ、血の道のつよき人なれば胸ぐるしさ堪えがたうて、枕に小抱卷仮初にふし給ひしを、小間づかひの米よりほか、絶えて知る者あらざりき。 奧さまとろ〳〵としてお目覺れば、枕もとの縁がはに男女の話し聲さのみ憚かる景色も無く、此宿の旦的の、奧洲のと、車宿の二階で言ふやうなるは、奧さま此處にと夢にも人は思はぬなるべし。 一方は仲働の福のこゑ、叮嚀に叮嚀にと仰しやるけれど、一日業に何うして左樣は行渡らりよう、隅々隈々やつて居てお溜りが有らうかえ、目に立つ處をざつと働いて、あとは何れも野となれさ、夫れで丁度能い加减に疲れて仕舞、そんなにお前正直で務る物かと嘲笑ふやうに言へば、大きにさといふ、相手は茂助がもとの安五郎がこゑなり、正直といえば此處の旦的が一件物、飯田町のお波が事を知つてかと問ひかけるに、お福は百年も前からと言はぬばかりにして、夫れを御存じの無いは此處の奧樣お一方、知らぬは亭主の反對だね、まだ私は見た事は無いが、色の淺黒い面長で、品が好いといふでは無いか、お前は親方の代りにお供を申すこともある、拜んだ事が有るかと問へば、見た段か格子戸に鈴の音がすると坊ちやんが先立で驅け出して來る、續いて顯はれるが例物さ、髮の毛自慢の櫛卷で、薄化粧のあつさり物、半襟つきの前だれ掛とくだけて、おや貴郎と言ふだらうでは無いか、すると此處のがでれりと御座つて、久しう無沙汰をした、免るせ、かなんかで、入口の敷居に腰をかける、例のが驅け下りて靴をぬがせる、見とも無いほど睦ましいと言ふは彼れの事、旦那が奧へ通ると小戻りして、お供さん御苦勞、これで烟草でも買つてと言つて、夫れ鼻藥の出る次第さ、あれがお前素人だから感心だと賞めるに、素人も素人、生無垢の娘あがりだと言ふでは無いか、旦那とは十何年の中で、坊ちやんが歳もことしは十歳か十一には成う、都合の惡るいは此處の家には一人も子寳が無うて、彼方に立派の男の子といふ物だから、行々を考へるとお氣の毒なは此處の奧さま、何うも是れも授り物だからと一人が言ふに、仕方が無い、十分先の大旦那がしぼり取つた身上だから、人の物に成ると言つても理屈は有るまい、だけれどお前、不正直は此處の旦那で有らうと言ふに、男は皆あんな物、氣が多いからとお福の笑ひ出すに、惡く當つ擦りなさる、耳が痛いでは無いか、己れは斯う見えても不義理と土用干は仕た事の無い人間だ、女房をだまくらかして妾の處へ注ぎ込む樣な不人情は仕度ても出來ない、あれ丈腹の太い豪いのでは有らうが、考へると此處の旦那も鬼の性さ、二代つゞきて彌々根が張らうと、聞人なげに遠慮なき高聲、福も相槌例の調子に、もう一ト働きやつて除けよう、安さんは下廻りを頼みます、私はも一度此處を拭いて、今度はお藏だとて、雜巾がけしつ〳〵と始めれば、奧さまは唯この隔てを命にして、明けずに去ねかし、顏みらるゝ事愁らやと思しぬ。 ⦅十二⦆ 十六日の朝ぼらけ昨日の掃除のあと清き、納戸めきたる六疊の間に、置炬燵して旦那さま奧さま差向ひ、今朝の新聞おし開きつゝ、政界の事、文界の事、語るに答へもつきなからず、他處目うら山しう見えて、面白げ成しが、旦那さま好き頃と見はからひの御積りなるべく、年來足らぬ事なき家に子の無きをばかり口惜しく、其方に有らば重疊の喜びなれど萬一いよ〳〵出來ぬ物ならば、今より貰うて心に任せし教育をしたらばと是れを明くれ心がくれども、未だに良きも見當らず、年たてば我れも初老の四十の坂、じみなる事を言ふやうなれども家の根つぎの極まらざるは何かにつけて心細く、此ほど中の其方のやうに、淋しい淋しいの言ひづめも爲では有られぬやうな事あるべし、幸ひ海軍の鳥居が知人の子に素性も惡るからで利發に生れつきたる男の子あるよし、其方に異存なければ其れを貰ふて丹精したらばと思はるゝ、悉皆の引受けは鳥居がして、里かたにも彼の家にて成るよし、年は十一、容貌はよいさうなと言ふに、奧さま顏をあげて旦那の面樣いかにと覘ひしが、成程それは宜い思し召より、私にかれこれは御座りませぬ、宜いと覺しめさばお取極め下さりませ、此家は貴郎のお家で御座りまする物、何となり思しめしのまゝにと安らかには言ひながら、萬一その子にて有りたらばと無情おもひ、おのづから顏色に顯はるれば、何取いそぐ事でも無い、よく思案して氣に叶ふたらば其時の事、あまり氣を欝々として病氣でもしては成らんから、少しは慰めにもと思ふたのなれど、夫れも餘り輕卒の事、人形や雛では無し、人一人翫弄物にする譯には行くまじ、出來そこねたとて塵塚の隅へ捨てられぬ、家の礎に貰ふのなれば、今一應聞定めもし、取調べても見た上の事、唯この頃の樣に欝いで居たら身體の爲に成るまいと思はれる、これは急がぬ事として、ちと寄席きゝにでも行つたら何うか、播摩が近い處へかゝつて居る、今夜は何うであらう行かんかなと機嫌を取り給ふに、貴郎は何故そんな優しらしい事を仰しやります、私は决して其やうな事は伺ひたいと思ひませぬ、欝ぐ時は鬱がせて置いて下され、笑ふ時は笑ひますから、心任かせにして置いて下されと、言ひて流石打つけには恨みも言ひ敢へず、心に籠めて愁はしけの體にてあるを、良人は淺からず氣にかけて、何故その樣な捨てばるは言ふぞ、此間から何かと奧齒に物の挾まりて一々心にかゝる事多し、人には取違へもある物、何をか下心に含んで隱しだてゞは無いか、此間の小梅の事、あれでは無いかな、夫れならば大間違ひの上なし、何の氣も無い事だに心配は無用、小梅は八木田が年來の持物で、人には指をもさゝしはせぬ、ことには彼の痩せがれ、花は疾くに散つて紫蘇葉につゝまれようと言ふ物だに、何れほどの物好きなれば手出しを仕樣ぞ、邪推も大底にして置いて呉れ、あの事ならば清淨無垢、潔白な者だと微笑を含んで口髭を捻らせ給ふ。飯田町の格子戸は音にも知らじと思召、是れが備へは立てもせず、防禦の策は取らざりき。 ⦅十三⦆ さま〴〵物をおもひ給へば、奧樣時々お癪の起る癖つきて、はげしき時は仰向に仆れて、今にも絶え入るばかりの苦るしみ、始は皮下注射など醫者の手をも待ちけれど、日毎夜毎に度かさなれば、力ある手につよく押へて、一時を兎角まぎらはす事なり、男ならでは甲斐のなきに、其事あれば夜といはず夜中と言はず、やがて千葉をば呼立てゝ、反かへる背を押へさするに、無骨一遍律義男の身を忘れての介抱人の目にあやしく、しのびやかの咡き頓て無沙汰に成るぞかし、隱れの方の六疊をば人奧樣の癪部屋と名付けて、亂行あさましきやうに取なせば、見る目がらかや此間の事いぶかしう、更に霜夜の御憐れみ、羽織の事さへ取添へて、仰々しくも成ぬるかな、あとなき風も騷ぐ世に忍ぶが原の虫の聲、露ほどの事あらはれて、奧樣いとゞ憂き身に成りぬ。 中働きの福かねてあら〳〵心組みの、奧樣お着下しの本結城、あれこそは我が物の頼み空しう、いろ〳〵千葉の厄介に成たればとて、これを新年着に仕立てゝ遣はされし、其恨み骨髓に徹りてそれよりの見る目横にか逆にか、女髮結の留を捉らへて珍事唯今出來の顏つきに、例の口車くる〳〵とやれば、此電信の何處までかゝりて、一町毎に風説は太りけん、いつしか恭助ぬしが耳に入れば、安からぬ事に胸さわがれぬ、家つきならずは施すべき道もあれども、浮世の聞え、これを別居と引離つこと、如何にもしのびぬ思ひあり、さりとて此まゝさし置かんに、内政のみだれ世の攻撃の種に成りて、淺からぬ難義現在の身の上にかゝれば、いかさまに爲ばやと持てなやみぬ、我まゝも其まゝ、氣隨も其まゝ、何かはことごとして咎めだてなどなさんやは、金村が妻と立ちて、世に耻かしき事なからずはと覺せども、さし置がたき沙汰とにかくに暄しく、親しき友など打つれての勸告に、今日は今日はと思ひ立ちながら、猶其事に及ばずして過行く、年立かへる朝より、松の内過ぎなばと思ひ、松とり捨つれば十五日ばかりの程にはとおもふ、二十日も過ぎて一月空しく、二月は梅にも心の急がれず、來る月は小學校の定期試驗とて飯田町のかたに、笑みかたまけて急ぎ合へるを、見れども心は樂しからず、家のさま、町子の上、いかさまにせん、と斗おもふ、谷中に知人の家を買ひて、調度萬端おさめさせ、此處へと思ふに町子が生涯あはれなる事いふはかりなく、暗涙にくれては我が身が不徳を思しゝる筋なきにあらねど、今はと思ひ斷ちて四月のはじめつ方、浮世は花に春の雨ふる夜、別居の旨をいひ渡しぬ。 かねてぞ千葉は放たれぬ。汨羅の屈原ならざれば、恨みは何とかこつべき、大川の水清からぬ名を負ひて、永代よりの汽船に乘込みの歸國姿、まさしう見たりと言ふ物ありし。           *    *    *    *     *    *              *    *    *    *     * 憂かりしはその夜のさまなり、車の用意何くれと調へさせて後、いふべき事あり此方へと良人のいふに、今さら恐ろしうて書齋の外にいたれば、今宵より其方は谷中へ移るべきぞ、此家をば家とおもふべからず、立歸らるゝ物と思ふな、罪はおのづから知りたるべし、はや立て、とあるに、夫れは餘りのお言葉、我に惡き事あらば何とて小言は言ひ給はぬ、出しぬけの仰せは聞ませぬとて泣くを、恭助振向いて見んともせず、理由あればこそ、人並ならぬ事ともなせ、一々の罪状いひ立んは憂かるべし、車の用意もなしてあり、唯のり移るばかりと言ひて、つと立ちて部やの外へ出給ふを、追ひすがりて袖をとれば、放さぬか不埒者と振切るを、お前樣どうでも左樣なさるので御座んするか、私を浮世の捨て物になさりまするお氣か、私は一人もの、世には助くる人も無し、此小さき身すて給ふに仔細はあるまじ、美事すてゝ此家を君の物にし給ふお氣か、取りて見給へ、我れをば捨てゝ御覽ぜよ、一念が御座りまするとて、はたと白睨むを、突のけてあとをも見ず、町、もう逢はぬぞ。 ⦅完⦆ 底本:「文藝倶樂部 第二卷第六編」博文館    1896(明治29)年5月10日 初出:「文藝倶樂部 第二卷第六編」博文館    1896(明治29)年5月10日 ※初出時の署名は、「樋口一葉女」です。 ※変体仮名は、通常の仮名で入力しました。 ※「母」と「毋」、「加減」と「加减」、「欝」と「鬱」、「手傳ひ」と「手傳」の混在は、底本通りです。 ※「與四郎」の「與」に対するルビの「よ」と「よし」、「男」に対するルビの「をとこ」と「おとこ」、「女房」に対するルビの「にようぼ」と「にようぼう」、「可愛さ」に対するルビの「かわい」と「かはゆ」の混在は、底本通りです。 入力:万波通彦 校正:Juki 2019年11月1日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(https://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。