渚 室生犀星 Guide 扉 本文 目 次 渚  齒醫者への出がけに、ななえが來た。  鮒の子を持つて來たんですけれど、池ん中に手網を入れてすくつて見ても、すぐ水が濁つてしまつて鮒の子がどこにゐるのか、判んなくなつちやつたと言ひ、ビニールの袋を差し出して見せたが、中には瘠せた鮒の子が、たつた五ひきしかゐなかつた。何だ五ひきくらゐなら、そこらで買つたつて宜かつたんだ。鮒の子をやるやると言ふもんだから、もつと美事な大きい奴だと思つてゐたら、こんな瘠せた銹び釘みたいなやつは目高の屑みたいだ。大きい鮒の子は野性があつて水の中では泳ぎが美しいと言ふもんだから、いただきたいといつたんだが、こんな銹び釘なんか貰ひ損みたいだと私はいつた。鮒の子は東京では手にはいらないから、ひよつとすると變つた鮒の子もこの世に生存してゐるかも知れないと、ばかな私は若鮎くらゐある鮒の子が、ななえによつて搬ばれることを愉しい一つ事にかぞへてゐた。どんな處に途方もない尾鰭のいきいきした鮒の子が生きてゐるかも判らない、つまりななえの家の池には奇蹟の鮒の子が泳いでゐるやうな氣がしてゐるのである。  池は小さいが、戰爭前後から打つちらかしてあつて、鮒の子ばかり年々にふえてゐた。舊地方長官の父親が、病死してからななえは一人になり、屋敷と庭そつくりで七百萬圓の値踏みがついたことで、ななえは奇蹟の金持ちになる筈だが、それも別の土地賣買人の計算では千萬圓くらゐになる見込みがあるといふので、ななえはそこで千萬圓の方に鷺宮に口を利いて貰つて話をすすめたのだ。  この屋敷で地方長官の父を十七年も看護した忠實な家政婦のかんさんが、一さいの家政の切り盛をやり、ななえもかんさんの言ひなりになる仕向けをうけてゐた。かんさんは屋敷が賣り物になり千萬圓もすると聞いてから、ななえが二階で寢た時分、納戸や押入に顏を突つ込み、更けるまで明日の食事のための搜し物をしてゐた。古い屋敷で歩くと何處からか軋る物音が立つ。そんな時に小用で下りて來たななえは階段では音を立てなかつたが、中の襖を開けた時にかんさんは氣づいて押入の中に隱れることがあつた。ななえはそんな事に氣のつく女ではない、そのまま二階にあがつて行く。よく肥つたかんさんは押入から出ると、主家のために盡したことでも、つい、ぺろりと舌を出してみせた。ななえの暢氣さうな惡考へをもたない性分を知つてゐるかんさんは、夜更けにこの屋敷内の物と品に見當をつけて置けば何時でも處分することが出來た。ななえの親戚關係はただ一人の甥の鷺宮だけで、平常は滅多に來ないし屋敷賣立も千萬圓の方に傾いてから、その賣買事務の外に用事もなかつた。  ななえは七百萬圓でも千萬圓でも、孰方でもよささうな顏つきをしていた。すくなくとも他人にはさう見えたのだ。七百萬圓よりか千萬圓の方は勿論宜いに違ひないが、それが簡單に三百萬圓の開きがあることが肯づけないのである。古い屋敷といふものは湯殿の土臺から先きに崩れるものであつた。何處も此處もぎしついて、不行屆の掃除の關係もあるが十七年も寢込んだ地方長官は、かんさんの言ひなりになり掃除や食物のことでは、何を殊更に言ひつけるとか命令することが憚られ、うつかり口を利かなかつた。ななえが丸の内に勤めてゐる給料と、かんさんが家財を少しづつ賣る金とで三人は食つてゐたのである。そこに恩給制が復活されると長官の恩給が入つて來て、らくになつた。らくになつた時分に長官が病沒したのである。  長官の死後、かんさんが殆ど家の中のやりくりを專らやり、ななえは下宿してゐる娘のやうな身分になつた。あれもこれも長官から貰つたといふ品物ばかりで、それを無下にななえだけの言分では取り消されなかつた。若し屋敷が賣却されたらその内からの金額が、かんさんの當然主張される要求額であつた。若しそれが實行されないならわたくしはこの屋敷から出て行かないと、かんさんはななえに膝詰めで言ひ寄つた。この突然の言ひ分を聽いた時、いままで折々かんさんの部屋に夜分に限つて出入りしてゐた市村といふ男が公然と泊り込み、食事も一緒にしてゐたかんさんは、この男にななえ同樣の或ひはそれ以上の食卓をつくつてゐた。何處かの會社の事務員ともいひ、理容師ともいはれる市村は、何處にも勤めずにかんさんの部屋に泊りきりでゐたが、最近は家具の賣り方に𢌞つて指圖をし、ななえは結局、市村がゐなくては何一つ賣る手立もなかつたから、市村の口出しにも委せて小物から賣りはじめた。  市村はかんさんの部屋から出て、廣い奧座敷にある什器を物色をし、かんさんは押入からななえの留守の時には、積みかさねた古い箱類を取り出した。ななえが二階の寢室にはいるのを耳をすまして聽き入つてゐるかんさんは、市村に眼顏であいづをして、そつと中腰になり寢室の扉の閉まる音を聽き入つた。二階の物音がしづまると市村が立ち上り、かんさんが髮に手拭を當てて立ち上つた。市村は先刻から續いてゐた話がどの程度までの關係だつたかを確かめた。つまり君が長官と關係があつたといふ觸れ込みをしてみても、何を一體證據にする心算かと言つた。判つてゐるぢやないの、わたしの躰がそれを知つてゐるのだしその本人がさう言ふのだから、餘處からこれをどう否定しようもないぢやないか、からだの事はそのからだを持つ本人しか知つてゐない筈だとかんさんは言ひ張つた。  では君は十七年も永い間關係があつたといふのか、市村はそれも承知の上で這入りこんでゐるのに、話がこの一つのところに來るとやはりむきになつた。それは何年でも構はないが、あつたといふことにしなければ金は𢌞つて來ないぢやないか、三度でも五度でも、あつたといふ實際のことがからだに覺えがあるといへば、金の運びがすらすらとゆくのだ。鷺宮さんはわたくしが長官との或る時期になにかがあつたとしての金の話の進み方が、どれだけいるかといふ言ひ分にまで決つたのだ、かんさんはその金額は言ひ出さなかつたが、七百萬圓といふ値段がついたので、鷺宮さんは長官がなにか遺書でも作成してあつたら言ひ分が立つが、遺書がなかつたら法律的にもその金額の決定がしにくい、それより温和しく先方の出方でをさまつた方が宜いのではないかといふのだ。  ななえはこの話を聞いても、問題の奧ふかく突きこむことが出來ずに、鷺宮に委せきりであつた。汚ならしさが父親には感じずにかんさんにあつたのだ。市村とかんさんは夜のあひだに小さい荷類をしらべてゐたが、ななえが小用に立つて階下に下りて來ても、そのまま氣がつかないふうに寢室に戻つていつたが、多分、二人のすがたを見ただらうといふ説と、ああいふ茫やりしたななえだから氣づかなかつたのだらうといふ、二人の説がどちらも本物にふれないあやふやでけりがついてゐた。茫やりしてゐても見る物は見てゐるのではないか、あれで却々奧底は判らないといふ不安定感が、その夜は荷物を見ることをやめて部屋に引き取るやうにさせた。何處までのんびりと無關心さでゐるのか、屋敷賣却のことでも千萬圓も七百萬圓のどちらでも構はないふうに見えるのは、わざとあんな振りをしてゐるのか見當がつきかねたのだ。  私はななえに直ぐ戻るからと言ひ、近い坂下の齒科醫院に出かけた。ななえは二十七くらゐだが、からだが小がらで、物言ひはあまえた語調のうへ、言葉の句讀點が長い、だから二十歳くらゐにしか見えない、氣性がよいのか、あまいのか、人を信じやすく今彼女が結婚するとかいふ男も、ただの社員で一文なしであつた。一文なしだから、ななえとデイトするにしても悉く金の拂ひは、しぜんにななえの方で持つてゐたのである。そんなことは氣にしないで男と出かける時の用意が、その歸りにはななえは一文なしになつても、少しも氣にしなかつた。誰かがそれに注意してみても、だつて持つてゐないんだもの、こちらで拂ふのが當り前だといふふうであつた。男の方でもななえに拂はせることにこだはらず、くるまも食事の金もみなななえが支拂つた。まだ男を知らないといふことの深はまりは、自分で金を拂ふことが嬉しいらしい。よく判らないが服裝の上のことでもななえは相手が言ひ出せば、自分で作つてやることも平氣なのである。それに毎日のやうに家具を賣つた金がはいるし、それを毎日費つてゐても直ぐ翌日には金がはいるといふ見込みがあるので、ななえには少しも惜しい金づかひではなかつた。家具をすつかり賣つてしまへば屋敷の賣却高が、すくなくとも七百萬圓は入手できる見込みがついてゐる上、ひよつとすると千萬圓になるかも知れない、鷺宮への歩合や登記とかの費用を引いたりかんさんへの金を渡すにしても、あとはまるまると七百萬圓ははいる筈であつた。男のいふやうには美容院經營の計畫も出てゐるので、それもその男の友人と二人で始めることになり、最初百五十萬もあれば間に合ふことであつたが、ななえは、それに百萬圓くらゐならお手傳ひするといふ話はすらすらに進み、かんさんの話ではもうその百萬圓は鷺宮から借り受けて男に渡したといふことだつた。あんな男が背後にゐてはななえは裸にされて了ふとかんさんは言つたが、ななえは毎日のやうに出掛けてゐて最近では、家で夕食を攝ることは殆どなかつた。頬のにくが落ち、眼ばかりがきらつくななえの顏を見ながら、かんさんも眼じりがたるんで暗みをふくみ出したことも、市村か泊りこむやうになつてからの憔悴れ方であつた。鏡を見ながら自分よりもつと甚しいななえの青くさいおとろへが、自分よりも、もつと男に愛せられ騙されてゐるやうに思へた。かんさん自身にしても市村が自分の部屋に寢泊りするやうになつてから、煙草、洗濯代、交通費その他の小遣錢まで毎日出かける時に手渡し、部屋で所在ないふうにしてゐる時には、何處か映畫にでも行つていらつしやいと言ひ、幾らかの金を渡すのだが、全く市村に絶えず金をやることが何よりもかんさんの勤めのやうになり、金をやらないと却つて不安になり、金で機嫌好くなるのを見ては渡さないでゐるより、やつた方が話も落着くし市村もじつくりとかんさんに懷いてゐた。その上、毎日賣る什器や螺鈿物なぞの價格の報告をするのにも、ななえには明確な金高を示すだけでよいので、金の點で吝々しなくとも市村にやつた分は、すぐその日のうちに償へたのだ。市村はさういふかんさんには肉情の攻め手があるのか、それを歡喜して受けるかんさんの肉體が削がれることは、ななえの失ふ豐頬のとがりが著しくなることでも判つた。二人の女は金といふ物で偶然に繋がれる極端な愛欲の前では、それが普通の戀愛光景の代償のやうなものに心得てゐた。かんさんは何枚かの千圓札を見るとこれを直ぐ市村にやることが、どういふ品物を購入れるよりも烈しい分與の愉しさを感じた。恰度、ななえが一萬圓札をさつと男の手に渡すときの切れの好い愉しさを、たぐり寄せると同樣の類似であつた。ななえは金がはいればその半分を頒けることに、かんさんから受取るとすぐそれを生理的に手強くからだの内部に感じた。  もつと極端にいへばかんさんは不時に金の遣り繰りが出來ると、それの半額を市村に快よく分けることに考へを奪られると、乳房のあたりから下腹部に性的な衝動までが感じられ、金をやることで肉體の内部にはげしい煽れを覺えたくらゐだ。金をやつた日の市村の愛撫は時間的にも永く、しぐさにも、濃いこまかさがあつた。それをかんさんは見逃がすはずがなかつたが、却つて市村は金を貰つたための心づくしのやうに思はれ、その優しさには少しも惡考へは持たなかつた。かんさんは言つた。いざとなれば長官の看護を元にした手當も求められるし、相當の金額の見込みは充分にあつた。市村はたまに八十に近い大佐と君はからだの交渉を受けてゐたのかと改めて聽かうとしたが、それは六十すぎた頃にあつたかも知れないが、ああいふ事といふものは普段はわすれてゐるものだ、だから、それを思ひ出さうとすれば直ぐにも實證は掴まへられるが、普段わすれてゐるものだから何處まで本氣であつたのか、さういふ事實があつたとしても曖昧なあやふやの記憶だと答へた。不思議にああいふことはその場では烈しい交渉のものだが、十何年も經つたら何も頭にも體にものこりはしない、それに市村さんと出來てからは先の記憶さへ薄弱になつて記憶だか何だか判らないものになつた。あんたが此處に泊りこんでゐれば、あんたの外の事はあんたといふ勢ひのある體でみんな消されてしまふのだと、かんさんは本當に心にあるままを打ち明けた。市村は男が女と違ふところを丁寧に釋かれたやうに、不尠、惘れたやうな熱のあるかんさんの考へに、もつと酷く惹き寄せられる氣がし、金の用意のあるあひだに男としての自分がどれだけ女の心をとらへてゐるかをもつと的確に試めして知りたかつた。それは今までにかんさんが動けないまでに自分が這入りこんでゐることは知つてゐたが、それよりもつと奧につき込んでゆくには、やはり烈しい愛撫がその發展を彼女の中に突き込んでゆくより外に手立がなかつた。人間のもつとも深い同化作用がかういふところにあることが、其處に辿りついて見て確かにこれだと氣のつくやうな事態であつた。  市村は息もつけないくらゐ、かんさんのからだに彼自身をひろげていつたが、脂肪過多の底に躰力のあるかんさんは呼吸もたえだえな一ときの樣子を見せても、皮膚に風を入れた窓際では直ぐに捲き返して精氣がみなぎつて來たが、まゐるのは寧ろ市村の方ががた落ちにくづれてゐた。黄と代赭の混濁感が市村の視覺にまじると、かれは女といふ者の温和しさが恐ろしかつた。それは市村の半分も疲れてゐない證據には、その後で酒を買ひに行き、酒のさかなを整へることも平氣でやつてゐた。  それらの行爲はななえにも、加へられてゐる行状であつて、若い肢體には少しの困憊感を見ることが出來なかつた。男は社村といひ大した地位もなく母親と二人きりで住み、母親にななえを會はせると始終言つてゐたが、自宅にななえが訪ねて來ることを好まないで、大抵、五反田の旅館が根じろであつた。ななえは其處で社村に會ふたびの女中達の視線に馴れてしまひ、いまでは初めのやうに旅館の前であとさきを振り返へることをしないで、早足で突き込んでいつた。どう見ても何處かの令孃の外には見えないだけ、却つてその落着いたこなしと平氣で社村に慣らされた入浴前後の樣子は、女中達には、だからしろうと筋の女がどつかり構へるとこんな旅館を自分の家のやうに、すぐ馴れてしまふ。くろうと筋の女は度重なると遠慮とか眼配りも度をふやすものだのに、湯殿でも、すつぽりと一氣に裸になつて了ふところを見ても、しろうとのふてぶてしさには氣づかひさへ加つてゐないと言つた。その顏に怯えも、氣兼ねや羞恥のあともない、用事があつて女中が部屋にはいると却つて此方が極り惡い思ひをする程、眼のつかひ方が平靜であつた。不貞くされた女でも、あの事の前後には言はなくともよいお愛想をいひ、含まなくとも好いのに笑ひを交ぜた顏つきになるのが、心の正直を現はさずにゐられないふうであつた。だが、ななえの顏は澄み切つて何も行ひの上に羞かむふうなぞ、どこの表情にもあらはれてゐなかつた。しろうとはいざとなると大膽な明け放した行ひには、ふだんの生活の規則正しいところから割り出されると見て宜かつた。女中達は惘れてななえを迎へ、その些かの羞らひを持たないのに舌を捲き、そしてこの一瞥少女にも見えるななえから、大膽に成長した太腿の張り方さへ見たのである。  私は齒痛の患者が二人先着してゐて、二人ともまだ十三四の少女で私とすれ違ひくらゐに來たものらしく、患者用に積まれた雜誌を引つくり返しては、ぱらぱらと頁をくつて熟讀しないで次から雜誌を取り代へて讀んでゐたが、三分間とかからない一册の頁のはねかたであつた。治療中の患者が一人あつてその人の持物らしい、金入れが一個卓上の風呂敷包の上に置かれてゐたが、二人の少女は殆ど金入なぞは眼中に置かなかつた。その金入の上にも漫畫や實話雜誌が讀み重ねられ、金入の所在さへ分らないほど、雜誌が積まれていつた。私は眼をつぶつて順番を待つ間のばかばかしさを、たとへば輕度の不倖に感じ出した時に、ふつと薄眼を開けてみると一人の少女は恰度、見開きになつた一枚の着色寫眞に偶然頁をひらいたところであつた。そしてそのみじかい時間にあらといふ驚きのこえを發したが、私の眼は見開きの寫眞が裸體の女の實寫で、林檎のやうな果物を乳房に當ててゐて、横臥した片峯の横の太腿上部が、そびえてゐる逞しい寫眞であつた。少女は驚いてその雜誌の頁を伏せるとすぐ山積した他の雜誌の、一等下積みに匿して了つた。妹らしいのがそれに氣づいてどうしたの、何が畫いてあつたのと聞いたが、何でもないのよ、だけど見ると氣持が惡くなるものなのよと答へ、妹は、さうと言つたきりこの小さな出來事はそのまま變化もなくをさまつた。私はまた眼を閉ぢてこの少女は嘘をついてゐない、たしかに大きな女の裸體といふものが不意に視野にはいつて來ることは、豫期しない驚きであつたらう。併しその驚きはどれだけの期間に彼女に持續されるものか、私は少女も十五くらゐになれば大膽不敵な考へ事をするものだ、私が青年の頃に考へたことは常にばかばかしい綺麗事であつた。あの頃の私の考へたことと同じことを少女達も考へてゐたのだ。見破ることの出來ない處にゐたから綺麗事は綺麗事にしか見えなかつた。田山花袋といふ小説の大家はその作家の覺え書きに記して、どんな女でもそれがどんなに若くても突き込んでゆけばまる裸の女になるものだといふ所見を讀んだ時に、この大家は酷いことを書くといふ私の潔癖がゆるさない氣になつたが、だんだんに生き續けてみると、花袋のいふことがよく解つて來て、それが判らないでゐて小説を書かうとする此方があさはかなのだと思つた。女といふものをその心で餘りに清美な感情でそだててゐたことが一擧に破られ、破られてゐてさへ清美感がのこつてゐるのをどうする訣にも行かなかつたのだ、清美感の半分と、まるはだかの女性感の半分宛を何時も私は持つて歩いて生きて來たものだ。半分の清美感が私に詩といふものを書かせ、それを卒業するまで二十五年もかかつてゐたが、あとのまるはだかの觀念は七十歳になつても、心に持續してゐた。花袋さんはうがつたことを言ひ今になると益々面白い、われわれは女といふ橋を一度渡つて了へば、橋といふものがよく解る、それがすつかり解りかけると人間の老衰年限がやつて來て、私なら私を何處かに持つて行く。  先年病沒した或る作家は女性の間につとめて放浪する好みを持つた人であつたが、或る時その作家は或る少女を夜道に見送つて、ふいに別れしなに戯談ではなく眞面目な氣になつて、それでは氣をつけて行きなさいと言ひ、不意に正確な接吻を殆ど意識を交へずに、つい、やつて了つた。少女のはうでも、さう持つていつたものをうまく受けとつてくれたが、不意の出來事にもその用意がないとは言へないものだ。それをしないで其儘送るといふこともありうるが、してしまつて物のはずみとか何とかいふものでなくて、心にあるものが形の上に出て來るといふことが澤山あるものだとその作家は或る日の私に物語つてくれた。一つのきつかけとか、ずるい考へが相手に素直にうけられたことで、自分のずるさを反省するといふこともあるのだ。その時に斷わられてゐたら友情すらも存在しないことになる。つまり一か八か、その人と以後の交際の斷絶まで賭けておこなふことになるんだが、斷わられなくて僕はたすかり、もう手を伸すことを控へるやうになつたと、この作家はつけ加へた。  私はこの話に神聖なる者を神聖のままで置かないで、人間の神聖は何時でもやぶられる可能があるので此の作家がそれをやぶつた。併しその作家がやぶつたといふことが神聖そのものではなく、人間を仕立てて神聖の運命のくづれやすいことを示したものだらうといふことも、肯づける。かういふ人間がゐなかつたら此少女の神聖感が保存されてゐても、實際の人間のすることを學ぶことが出來なかつたであらうし、そのことは女として損失に算へることが出來よう。どちら向いても人間は男であらねばならないし、女は女にならなければならないのである。何處の誰が出て女を女にすることは停止することが出來ないとしたら、それはどちら側にも必要な試めされる時期があるものだ。かういふふうに考へてゐると私は突然、治療室で先客が女の人らしく絶叫に似た聲をあげるのを聞いた。 「痛い、ああ痛い。」  拔齒の瞬間でもあつたのか、次ぎには唸り聲があがつた。  生涯の間に齒でいたみつけられてゐた私は、眼を閉ぢて順番を待つてゐた。齒のためにどれだけの苦しみを永い間受けてゐたことか。そして今日も拔齒を實行しようと醫院に來てみたが、痛いといふ叫び聲を聞いてから拔齒の苦痛を耐へる勇氣がなくなつたのだ。私の或る友人は齒科醫院で拔齒をする苦痛を逃げるために、毎日少しづつ微動する齲齒を半年かかつて、或ひは舌の先とか、齒頭とか、または指頭で毎日ゆすぶつて後に自分で拔齒する計畫でがくがくやつてゐた。そして半年過ぎると齒はぶらぶらになり、もう自分で拔齒する自信がつくと或る日指頭でぽつきりと拔いで了つた。あとは齒醫者に消毒その他の手當をして貰つたさうだが、友人は自分の意志をためすつもりと、齒科醫院での瞬間苦痛を半年の間に消却して此の手術に取りかかつたのだ。も一本拔かなければならないのであるが、これも遠大のこころざしを發揮して來年の春までには拔齒して了ふつもりであると友人は言ひ、私はこの話に何等かの難かしい感動を覺えた。併し私にはこの根氣がありさうもなく、今日も單なる治療だけして貰つて齒は拔かないで戻ることになつた。  犬や猫を飼ふのはそのあはれな行末の見通しがないから飼ふのであつて、鮒の子を生かして眺めるのにも一向にその見通しがなかつた。ななえの鮒の子は庭の水甕に泳いでゐて、それを眺めてゐるのは何のためなのか、生きたちひさな生きものの泳ぐのが面白いのか、そこから何を見ようとするのか、私の自問は私自身にも釋くことが出來なかつた。  ななえはたうとう、かんさんが充分な手當がほしい、それに近い金でなかつたらずつとお宅に置いて貰ひますと言ひ出して困つたと言つた。私はだまつてそれも有り得る理由があるのなら、さう言ひ出すのであらう。その以前に鷺宮が交渉にはいつた後の、或る日にはかんさんははつきりと元の長官との交渉のことを言ひ出したさうで、さうでなかつたら十七年も勤めることは出來なかつたのだ。何時も寢ていらつしつたから食事や用事も床のそばで行はれ、お金のことも躰を拭いてあげることも、やはり寢所であつた。毎夜テレビを見るのにも夕食後が選ばれてゐた。そんな人間の永い十七年間といふ歳月に間違ひがないと言ひきれるかといふかんさんには、ななえは返す言葉もなかつたのだ。かんさんの顏にはこの點だけにこもる烈しい眞實といふものが見えた。ななえは父親を其處に置いて見るには身に覺えのない、人間の奧にある汚れたものを感じた。父親がそんな汚れを持つてゐたとはどう考へても、釋き明かすことか出來なかつた。ただ、晩年にはかんさんに難かしい用事をさせることを控へ、ななえにこつそりと言ひつけてゐた。それも結果としてかんさんに豫知出來ないことばかりであつた。ちよつとした細かいことでも默つてななえに手招きをして呼び、その小さな仕事をさせた。かんさんに言ひつけるには氣の重みを感じるやうなことが、ななえに𢌞して見て却つてほつとしてゐるふうであつた。新聞がまだ來ないが見てくれとか、お茶が濃すぎるとか遣ひ紙がないとかいふ些細なことをななえには言ひやすいやうであり、或る日にはかんさんに頼むことが極端にいへば幾らか怖さうな樣子に見えた。かんさんの機嫌好ささうな時間を選ぶとか、いま用事をいへば直ぐ突つぱねられるといふ豫測が、父親の眼色に讀まれた。何故あんなに遠慮しいしい物を言ふのか、ななえは、それは煩さく思はれたくない氣配りのために思へた。  夕方、勤めから歸るななえを待ち兼ねてゐる父の急き込んだ迎へやうも、ななえに手痛く思へたが、大概、社村と夜の町の喫茶店で時間をつぶして歸るななえは、憤りも張りもなくした父親が待つのに草臥れ、廣い二階に一人で寢てゐるのを見るのがつらかつた。その間、かんさんは自分の部屋に市村と花札などを引いてゐなければ、二人で寢ころびながら温かい春の夜を過してゐた。ななえ自身が外で遊び呆けてゐる咎もあつて、歸りの門の潛りも音を立てないで閉め、石疊のうへは靴音をしのばせることが常識になつてゐて、かんさんの家事の怠慢をいましめることも出來ないのだ。それを知つてかんさんは迎へに出ないで、ななえも却つてそれで宜いやうに思つた。父親の部屋を覗いてみると、何時も引き手のある襖の方に眼をそそいでゐて、誰かが來てくれれば都合がよいと、そればかりを頼つてゐる父親の眼つきが餘りにも眞正面に向けられてゐるのに、慄毛立つて無邪氣にただいまと言つて挨拶することも出來なかつた。元どほりに次の間を忍び足で戻つて、かうまでして男と逢引を續けてゐる自分の大膽さが、何食はぬ顏つきでゐながらも傷みつけられ、心で呼吸をしながらも弱り切つて絶え絶えな氣持で、父親と社村とが一體どちらが大切なのかと考へようとしながら、その考へを自分から外してしまひたかつた。つとめてそんな比較はするべきことではない、ななえは市村と顏を合さないやうにしてゐるが、たまにななえと同じ食卓で食べてゐたのが、この頃、公けに別のさかなを料理してゐるのが、ななえには誰の金でさうしてゐるのか、聞く氣もなかつた。當然自分の經濟で食品をととのへてゐるのだと言はれたら、却つてななえが恥を掻くことになるのだ。  も一つ、かんさんは二階の父親の寢室には、自分から進んで、碌に用向きをしなくなつてゐた。父親は少しの叱言も言はなくなり、殆ど用事といふものを溜めて言ふやうになつてゐた。ななえは父の極端な遠慮といふものが此頃になつて、かなり深い根を下ろしてゐることに氣づいた。それはかんさんが開き直つて仲にはいつた鷺宮に、そんなに、むきにおなりにならなくとも、關係があつたと申してもその意味をどうお取りになつても構ひませんと、物靜かに鋭く、體力的に押し捲つて來て、更に突つぱねる語調はただごとでは言ひきれないものだと、ななえは感じた。ななえとは一と囘りも大がらなかんさんが、默つて坐りこんでゐるだけでも、女の妖氣が立つてななえを壓して來るのだ。薄々、ななえにも社村といふ男のあることが電話の聲の類似にも想像され、毎晩のやうに遲く歸るあそび癖にもかんさんの眼は見ることを見拔いてゐたが、何も言葉ではせんさくしなかつた。  その日ななえは私に家にある陶器類を一度見てくれぬかと言ひ、私はそれを見るつもりで、この古い屋敷をくるまが混んだ午後おそくに、日ぐれ近くに訪づれた。古い疊と埃深い二階、くらい玄關を見ただけで、誰もこの家には住居に氣をつかつてゐないことを知つたが、陶器は悉く僞物ばかりであつた。それの箱をはこぶ手傳女のほかには、この家には誰もゐないらしく、私は人間がしたしみを持つて愛してゐない屋敷といふものの含む寒む氣をからだに、ぞくぞく感じた。かんさんもゐなければ市村といふ人も見かけなかつた。問ねると今朝から二人はくるまで出掛けた後だといひ、ななえは別にそれを氣にしてゐない、家政婦がこのやうに自由に遊び𢌞るといふことに、それだけの自信のやうなもの、構ふものかといふ考へが交じつてゐるのを、ななえがばかにされながら、どうにもならない仕儀を感じた。人間の缺陷のうちでも男女の關係といふものが、どれだけ物事を手痛く頽廢させてゆくかに、いまさらこの古い家の中のゑがらつぽい室氣の中に感じた。人間になじみのない空氣は全く清澄透明などといふ美しい物ではなく、空氣は人間馴れのしてゐないものは、吸つて却つて荒つぽい味氣ないものだ。  私は二階への階段を眺めた。この階段裏がかんさんの部屋になつてゐて、扉は締め切られ、ななえさへ不在中は覗けぬやうになつてゐたが、この日は餘程急いで出かけたものらしく、扉が少し隙間を見せて開いてゐた。私は正面の壁際に能の面が荷物の上に乘せられ、髮をふりみだした般若の面が扉の隙間から、正面に見える位置にあつた。粗惡なこしらへであるため、一さいを掌握してゐた醜さが見取られた。氣付かずに此處に置いたものであらうが、どう見ても凄みのある美しい面ではなかつた。荷作りの時にななえから貰つたものか、それとも舊長官から讓り受けたものか、この薄ぐらい部屋に、何者かの惡相を漂はしたもののやうな氣がして、部屋の見える隙間から私は離れた。  小物や什器が賣却されてその全部の金を一先づ、かんさんへの手切れの形式で手渡しされたが、その日のうちにかんさん夫婦が豫め用意してあつた荷物を搬び出すと、市村と一緒にこの家から去つていつた。ななえは廣いこの家に一人で住み、食事は留守を兼ねた家政婦が作り、ななえは階下の廣間と二階とをぐるぐる𢌞つて、折々、床柱に背中をもたらせて家の中を見まはしてゐたが、ふと、女中部屋を見るともなく覗くと、何一つ殘つてゐない部屋に例の般若の面が二つに裂かれて棄てられてあつた。これは父から貰つたものらしく久しくななえが何處に藏つてあつた物かの、その在りかの記憶さへなかつた。ななえはその裂目を合して見てから、そのまま部屋を出て面を見たくない氣がした。何故か急に鏡臺の前に行つて自分の顏を映してみたが、顏に異状のある筈がなかつた。だが、鏡の前でかんさんと最後の話合ひをした時、かんさんはあなたも少女ではないのだから、わたしが普通の手傳女のやうに出て行けと言はれて、はい、さうですかと出て行かれるかどうかも考へに入れても、あなたの恥にはならない筈だ、恥といふものがよくおわかりならその恥をわたくしの言葉となつて現はれる前に、そつとお拭きになるのがあなたの悧巧なやり方だと思ひませんかと言ひなじつてから、最近のあなたが外でどのやうな方とお會ひになつてゐるかもちやんと永い間には知つてゐた。それもお父樣が度たびおたづねになつてゐたものの、それらしい事は一つも申し上げなかつたとかんさんは𢌞りくどくしかも鋭利に説き諭した。それにお父樣は銀行の通帳もわたくしにお渡しになり、その出し入れにも些しの懸念も持つてゐられなかつた。もう預金の全額が盡きて了つた時にも、ああ、さうか、と仰言つたきりであつた。それからは細かい銀器から衣類をお金に代へるやうになつてからも、一さいをお委せになつてゐたのだ。あなたには何一つ知らさずに置いてほしいとの言葉どほりに、わたくしはあなたのお耳に何事もいれないため、家具の始末を或ひは夜のあひだにしたりお留守の間にかたをつけたりしてゐた。けれどもお父樣に遺言のやうな書面をお願ひしたり、その證據になるやうな物をおねだりしなかつたことでも、お父樣にご心配はかけたくなかつたからだと、かんさんは肥つた膝に手をすり寄せて、強い、からだにひびく言葉づかひで言つた。  ななえはこの女の肉體に父の呼吸づかひがあつたといふ氣と、そんな事はありえないといふ警しめの二つの感じを頭に持つと、ななえとは違ふ肉體の重量が物を言ふやうな氣がし、今まで少しも覺えなかつた女のからだといふものに、たとへ何事かが男によつて起つても、その場をはなれると消散するのに跡方をとどめてゐないものだ、若し人間の經驗する性の覺えが男女のどちらにも、いれずみの痕をとどめてゐると假定したら、それは大變なことになる。ななえは社村が公けに一緒になるといふ口實も、次第にその話の外側に立つやうになることに氣づいた。接吻抱擁の状態が次々に失はれ、それが日を趁うてななえに「遠のかれる」いやな感じをあたへた。二人で食事や買物をしても、ななえがその支拂ふ間には傍をはなれるやうになり、當り前の顏つきで別の店の裝飾の前に立つて、あそこの料理はまづいとか言ひ、ななえが氣の利いた料理店をえらばなかつた落度を、それとなく咎める語調の厭がらせであつた。何時も二軒くらゐ𢌞る喫茶店にも寄らずにゐたが、自分でななえは飽きられた感じを覺え、眞面目切つた顏つきの同乘にも少しの愉しさがなかつた。ななえが社村のためにつかつた金はみんな無駄づかひのやうな氣がして、社村のために働いてゐるやうな一ヶ月の給料と、それの倍以上になる遣り繰りの失費が、考へようとしないななえの計算の上に悲しいばかばかしさを、この男の横顏を見ながら算へられた。取り分け社村のこのごろの接吻のしかたが、やむなく惠んでやるといふふうな氣障な通り一遍のやり方で、男といふものが女をきらひ出すとかういふ冷情のしぐさから始まるものかと、ななえも社村に應へるためにことさらに冷淡な接吻を返してゐた。併し社村は間もなく屋敷の賣却が厖大な金高になることを知つてゐるために、ななえが殊更に社村から遠退かうとする機會を一々巧く捉へて、其處でななえを縛つて置くこなしを肉體的な表現をしてくる時は、ななえはその見え透いた社村のいちやつきを烈しい芯のある應へで、打ちのめさうとしながらも何時もその網に引つかかつてゐた。女にあるからだの必要なあがきを知りながら、やはり揉まれることが避けられなかつた。今度こそと心で決めたことが次ぎの機會に失はれることが、自分の肉情に愛想が盡き亂次のないことで、女にうまれた憤りを感じたのだ。かんさんも同じこの厭らしい處に引き入れられ、あぶあぶやつてゐるうちに遂々咥へ込まれたのであらう。かんさんから𢌞された金で朝から淺草あたりを遊び呆けて、夕食後にとんぼのやうに歸つて來る市村に、金と時間をかけて作つた夕食を攝らせてゐたのも、悉くそのからだに男として躍るちからがほしかつたからだと思つた。かんさんもななえ自身も殆ど吸收されるものが肉體や物質であつて、同じ系統の情痴であることが、女をしぼり上げるこの世界でもつとも質の惡いくせに、決して此處から遁れることの出來ない穴であることが、そのふかさまで次第にななえに判つて來たのである。  この日伊豆の海岸に出かけたななえは、社村がすでにななえが屋敷を賣渡した後、登記も濟んだことを知つてゐたが、社村は機嫌好くななえの心を逸らすまいとし、昨夜も永い間ななえはもうたくさんといふやうな顏つきでベッドの外に立つた時、社村はこの厭らしい行ひの果に何を見てゐるかが、考へまいとしながらも頭に來て、ななえはまたの機會を與へないために、みだれた髮に手をかけた。社村自身の顏も蒼ざめてゐるのに、ななえの二の腕をさすつて言つた。 「まだ僕は話すことがあるんだ。元の位置にはいりたまへ。」 「お話ならかうしてゐても、お聽きすることが出來るわ。でも、何もお聽きすることがないんですもの。」  寢臺の鐵枠につかまりながらななえは、社村の誘ひを斷つた。ずつと以前、或る旅館で初めての時にも、ななえは芯まで冷える寢臺の枠につかまり、社村を押し退かうとして身悶えしたが、あの折は蜜でも舐めてからだが温まるやうな、からだに輕いものを感じてゐたが、いまは重心の確かりした足固めがおのづから出來てゐて、自分ながら動かうにも動けないものがあつた。 「妙に突つ放すやうなことを言ふね。」 「だつて頭は痛いし汽車でつかれて了つたわ。」 「だつたらなほ寢んでゐた方が、からだが休まるぢやないか。」 「一人で寢てゐたほうがいいのよ。家では何時も一人で寢るくせがついてゐるんですもの。」 「冷淡非情だな。」 「ではおやすみ。」  ななえは珍らしく心が冴え、別室に寢臺の用意をするやうに女中に言ひつけ、漁師町を拔けて海岸に出た。渚づたひに急に人聲がして懷中電燈の光がいりみだれ、町の方から二三人連れの女が走つて來るのが見えた。それが何事が起つたにしても、ななえは、其處に行かうとする氣にはならなかつた。社村との間も行き詰つてゐるいまの頭では、社村へのしたしみが時間的にみんな空つぽになるやうだつた。ああいふ行ひの後に何處からか、ひたひたと波を打つてくるむなしいものが、いまも、押し寄せて來てゐる。それはこの頃續いてゐるけろんとした物わすれに似たものであるが、今夜のそれは夥しいむなしいものの群で、捌くにも捌き切れない大量のむなしさであつた。  不意に呼吸を切らして、社村が追ひついて來て言つた。多分、海岸だらうと來てみたが、やはり君だつたと社村はどうして海岸なぞを歩く氣になつたのだと言つた。  ななえは答へなかつたが、やつと、渚にゐる人だかりと懷中電燈の光が交叉するのを見て言つた。 「海岸で何かが起りさうだつたから、見に出たのよ。」  社村は往つて見ようといつた。  併しななえは往つて見なくとも事態が何事だかもう判つてゐる、と、渚にうしろを見せて言つた。君はどうして急にそんなに無關心になつたのだと言つたが、それには答へずに先きに立つて歩いた。渚で起つてゐる事件なぞいまのななえには、少しも心や眼を惹くほどのものではなかつた。この男を突つぱねるにはどうすればよいか、殆ど當てのないことを、直ぐにも用意することが問題であつた。  渚の人だかりが殖え、一臺のリヤカーが町の方から引かれて來て、懷中電燈の光が愈〻鋭い流星型の線をひいて亂れた。ななえは社村が急に人だかりの方に走り出した時にも、すぐ船底を見せてゐる船小屋から漁師町の入口にまがらうとすると、其處の低い地盤にある一軒の漁師の家で、二人の年とつた夫婦者が竹の筒から貯めた小錢を振り出して計算してゐるところであつた。ななえはそれを窓際でちらりと眼にいれただけで、金と人間の關係がかういふ所でも、こつそりと算へられてゐることが見なくとも宜いことを見た、妙ないやらしさを感じて慌てて丘の上に出た。  渚ぎはではやつとリヤカーの上に乘せようとしてゐる一人の人間の、烈しい電燈に照らしつけられた二本の足が見え、さらにそれがリヤカーに乘せられると町の方に引かれてゆくのを眺めた。あとは人のゐない渚の齒がしらが順序よく波のかたちを作つて、列んでは引いて行つた。  社村が戻つて來てななえの名前を呼んでゐるのが、船小屋の表側から聽え、しぜんにななえは裏の方で隱れるやうな位置にゐたが、答へる氣にはならなかつた。いままでビル街や街裏、小料理店や旅館で逢つてゐたそれぞれの覺えが、どれも、ななえ自身が羽掻攻めにされ身動きの出來なくなつてゐたことが、算へられて眼に見えて來た。何處からも拔け出せない攻め手が今夜はじめて解かれて來てゐるやうで、社村が旅館の方に戻つてゆく砂を踏む跫音を聽き入り、何となく跼蹐んでゐる自分の膝頭をゆつくり抓つて見た……。 底本:「はるあはれ」中央公論社    1962(昭和37)年2月15日発行 初出:「群像」講談社    1961(昭和36)年7月1日 ※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。 入力:磯貝まこと 校正:岡村和彦 2014年7月16日作成 青空文庫作成ファイル: このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。